○塚本
委員 たとえば私は家具屋でございますけれ
ども、極端な表現ですけれ
ども、家具の中でも私は木材家具を扱っておりますが、スチール家具は絶対におそろしくて扱い得ない。なぜならば、大量生産のベルトに乗っておるからでございます。そうすると、もはやこれはほとんど大
企業の手に渡ってしまったということです。最初は小さな会社でやっておりましたスチール家具がいわゆる生産
合理化、それが
通産省の手でなされたと申し上げるわけではございませんけれ
ども、必死になって
合理化できました。それが大量生産へといきます。そうしてそのはけ口を、また役所関係に大量に流していくということから、確かに大量生産、コストを下げるということにおいて利幅が小さくなってしまう。しかし
設備と資金量によって太刀打ちできるということから、もはや日本におきまするスチール家具は
中小企業の手から大
企業にと取られてしまったわけです。木材家具におきましても同じような形で徐々にそのような宿命をいま進みつつあるわけです。もともと実は私
ども出発は和家具でございました。和家具の場合はそういうことがまだ手が入れられておらない。だからこそ、いわゆる
近代化の手の入らない
ところはきわめて安泰でございます。たとえば、私
ども問屋でございますけれ
ども、メーカーの
ところに行ってみますと、洋家具の問屋というものはすばらしい敷地と、そして製品を山ほど積んでおります。しかし彼らが言いますのは、われわれは運送屋と同じなんだ、運ぶだけの運送の手間賃しか出ないんだという形にさせられてしまっております。そうして大きな敷地の中で、ほんとうにあばら家のような、工場の一すみの中にしか彼らは住まっておりませんし、小さなわれわれのような問屋に対して先に融通手形を書いてくれということをメーカーが盛んに言ってくる。品物を持ってくる前に手形を要求するというのが、いま日本における洋家具メーカーの姿です。
ところが、いわゆる
近代化のできていない、まあこういう表現は適当であるかどうかわかりませんけれ
ども、和家具の小さい
ところは、製品も少ないし、場所も少ない。にもかかわらず、和家具のメーカーというものは五人か十人、もちろんこれは人手問題、職人の問題等ずいぶん悩みがあります。にもかかわらず、和家具屋はでんとした家の中に住まって、手形を書いてくれというようなメーカーはほとんどいないのです。それはなぜか、利幅が、和家具の場合は大量生産できない、特徴を生かしておる、だからこそわれわれ問屋が扱ってさえも二割から三割のいわゆるマージンをかけても、デパートや小売りは平気でそれを引き取ってくれる。
ところが洋家具の場合、一割以上には断じてできない。それはもう
競争が激しいからです。これがスチールメーカーになったら、一割じゃなくて一、二%という形に下がってきてしまっておるのではなかろうか。一たび不況の波が来てつまづいたときには、利幅と金額との差を考えてみたら、片一方は二割も三割もありますから蓄積ができておる。こういう形で、だから私は自分の関係しております
事業からそのことを痛切に感じて、
近代化ということはけっこうですけれ
ども、そのことがいまおっしゃった形になるということは避けられない。
通産省が手を入れなくても、おのずから生き抜くためにはそうしなければならぬかもしれません。だけれ
ども、その速度を早めれば早めるほど、みずからの
分野というものを大
企業に売り渡してしまうような形になる。もっと極端な例は、そういう形で洋家具のメーカーが、たとえばミシン屋さんなどがほとんどミシンの下請でたたかれるものだから、その台をつくっておる
ところのいわゆる台
企業といわれたメーカーがみんな洋家具になだれ込んできております。私
どもの相手方も、ほとんどミシン屋が変わった
ところの
人たち、ミシンの台をつくっておった
人たちが洋家具、テーブルやそういうものをつくって持ち込んでくるという形できておる。そうなると、
近代化とは何だ。これは家具だけの特徴だとは私は思わぬのです。やはり
近代化というものは、一面においてその特殊性を生かすということでなければならぬので、それが一にも二にも二重構造の廃止だとかいうような、十年前に使ったそのことばをいままたそういう形でいく。それは避けられないとしても、やはりあとに残った
中小企業者の立場というものは、大きくなりながら、その扱う量が大きいがために、一たびつまずいたときにはたいへんな
状態になってくる。家具はそういう
状態にあることを、私は自分の商売を通じて知っておるのです。だから下請
企業においては、いま
大臣がおっしゃったような、
近代化ということは確かにコストを下げることなんだと言われますけれ
ども、それが製品として市場に出る場合に、
中小企業や
零細企業においてはそういう深刻な問題をいまかかえておると思うのです。したがって、そこにはやはりあくまで特徴を生かすような
施策というものに重点を置かなければいかぬのではなかろうかというふうに思うのですが、どうでしょうか。