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守屋参考人 ただいま御
報告がありましたのですが、それにつきまして若干補足的な御
説明を申し上げたいと思います。
三月五日の十四時十五分ころに、
富士山ろくにおきまして
事故を起こしまして、直ちに
調査団を私
ども任命されました。ちょうどそのときには
イギリスの
調査団、
アメリカの
調査団、それから
カナダの
調査団もすでに
日本へ来ておりまして、三月八日に第一回の
会合を開きましたのですが、そのときにはいま申しました
調査団も来ておりまして、第一回の
会合は四カ国
合同の
会合をいたしました。それから数回
合同の
会合が開かれましたのですが、その後は
日本の
調査団がもっぱら
調査を進めてまいりまして、お
手元にありますような、御
報告申し上げるような
結論に到達した次第でございます。
この
調査団の仕事といたしましては、再びこういうふうな
事故を起こさないようにするために、徹底的に
原因を明らかにする、そういう重大な使命を持っておりますので、私
どもとしましては慎重に
調査をいたしました。いやしくも、一点の矛盾もあってはならぬ。これ以外には考えられない、そしてその事柄もしっかりした
裏づけがあるというところまで追い詰めなければいけないというので、私
どもまず
調査団員を
運航グループ、
証言グループ、
構造グループ、
発動機グループ、
気象グループと五つの
グループに分けまして、それぞれ専門的な立場から
調査を進めてまいったのでございます。その間、問題になりました点を拾い上げまして若干御
説明申し上げたいと思います。
運航グループにおきまして
調査しました結果は、パイロットそのほか乗り組み員には何ら
事故につながるような
ふぐあいな点はないということを確かめました。
証言グループのほうにおきましていろいろ問題が起こりました。まず
証言グループのほうにおきましては、
遺体の
写真を
自衛隊の
航空医学実験隊のほうに全部お願いしまして、そして
医学的見地から
遺体の
損傷状況を調べてもらいました。その結果としまして、ほとんど全員の人が共通的な
損傷を受けておる。もう少し具体的に申しますと、ほとんどの人が顔面に
損傷を受けておるということ、これは非常に大きな
衝撃を受けたというふうなことが言えるわけでございます。
それから乗客がとりました八ミリ
カメラ、これをやはり
自衛隊の一〇一
測量大隊にお願いいたしまして、その
フィルムから逆に航跡あるいは高度、
速度というようなものを計算してもらいました。その八ミリ
カメラにつきましてはすでに
皆さんも御承知と思いますが、
最後のところのちょっと前のところで二こま飛んでおるということ、これはわれわれの
調査団において非常に重大な問題として着目いたしました。ちょうど
最後のフイルムは機上から山中湖を撮影しております。それが八十一こま、非常に静かで、
機体の
動揺等はその
写真からは見られませんでした。そして八十二
こま目と三
こま目が、突然に飛んでおりまして、八十四
こま目以下のところは、これははっきりわかりませんが、おそらく人の顔か、座席かあるいは床のカーペットか、色から判断しましてそういうふうなものが
流れ写っておる。これはものとして写っておりませんで、ただ
流れ写っておる。色がぼやっと出ておる。そういう
程度のものです。この二こま飛んだということは一体どういうわけか。そこで
調査団におきましては、その
カメラを分解しまして中の
構造等を調べてみました。そうしますと、これは明らかに大きな
衝撃を受けるとこういうことがあり得るというふうなことが発見されました。そこで、はたしてそうであるかどうかということを調べるために、いろいろな
衝撃を加えてみました。そうしますと、千分の七秒という短い時間の間に七・五Gというふうな力になるまでの
衝撃を加えてみますと、ちょうど二こま飛ぶという
状態が発見されました。ですから、これによりましても突然に大きな
衝撃を受けたということがわかります。
それから
構造グループのほうで、これは非常に
機体が破損しておりまして、相当
調査には困難な
状態がありましたが、詳細に調べていきますと、
空中でこわれたのか、地上へ激突したときにこわれたのか、そういうふうな区別がつきまして、
空中において右の翼だけが異常な
衝撃を受けて二カ所からへし折れておりました。左翼のほうは何ともありません。
衝撃をまず翼が受けまして、それからその
慣性力によりまして胴体にひびが入って折れる
状態になる。
エンジンな
ども、まだそのとき一挙には落ちませんでしたけれ
ども、ぶらんぶらんになるような
状態で、すべてそれのこわれていった
状況が、
慣性力によって大体みな同じ
方向のほうへ力が加わったというふうなことがはっきりわかりました。
一つ大きな問題が
構造グループにありました。それは
縦尾翼の取りつけ
金具、
うしろのけたの右取りつけ
金具に
疲労のクラックが入っておった。これは非常に重大な問題でありまして、私
どもとしましては、そういうふうなことが
原因で
縦ひれがまず飛び、そして全体の
安定操縦性が失われてこういう
事故になったのではないかというふうな疑問を持ちまして、詳細にそれについて調べてみました。
疲労亀裂が入っておりますけれ
ども、残った
部分の強度がどれだけあるか、それをまず調べた。これは
製造会社である
ボーイングのほうへ頼みまして、
ボーイングの
会社で調べてもらいました。ところがそれは
設計制限荷重の一一〇%の強さがまだ残っておったというふうなことがはっきりわかりました。しかし、それだけで
尾翼が
原因でないという
結論には到達できません。こわれ方等を詳細に調べてみますと、そういうふうなことが
原因でなしに、それよりもはるかに大きな
衝撃的な力が加わってこわれたというふうなことがいろいろなそのほかの
構造部分のこわれ方等からはっきりしてまいりました。
発動機グループは、これは
エンジンを分解しまして詳細に検討いたしましたところが、
発動機は
事故前には何ら
ふぐあいがなかったということ。それから申し落としましたが、
構造グループのほうも、そのほかの
部分につきまして、たとえば
操縦系統など、そういうふうなところを詳細に調べてみましたが、これも
事故前に
ふぐあいがあったということは発見されませんでした。こういうふうな問題を総合いたしまして、先ほど御
説明ありましたような
結論に到達したわけなのですが、その
気象グループのほうで当日の
気象状況というふうなもの、はたして
機体を
損傷させるような強い
乱気流があったかどうかということ。これは
富士山の
地形模型をこしらえて
風洞実験をやったり、いろいろ調べていただきました。また当日の
気象に関する
資料をできるだけ集めてもらい、また当日
富士山を中心にしまして百五十キロ以内を飛んだ
飛行機がちょうど百機ありましたのですが、ことごとくそれについて
乱気流の有無を問い合わせいたしました。ところが
乱気流を経験したという
報告は、百機のうちで七十九機ありましたのですけれ
ども、これは
富士山からあまり近いところでございませんで、主として離陸、着陸の
付近で遭遇したということであります。ただ四機だけが
富士山の五十キロ以内のところを飛んだ、それがやはり
乱気流を経験したという、そういうふうな
報告でありました。そうしてみますと、われわれはこの
乱気流というものが当日
予報できなかったかどうかというふうな問題が当然考えられるわけなんですけれ
ども、いまの
気象学の
状態におきましては、とうていそういうふうな
乱気流が存在するというふうなことを
予報をすることはできません。確実にそういう
乱気流が発生するということも断言することはできません。しかしながら、そういうおそるべき
乱気流が発生しないという証明もできないわけなのです。結局こういうふうな
乱気流というものは、これはかりに生じましてもごく短時間で消滅するもの、そしてその発生する場所もきわめて不規則な
状態である。そういうふうなことは、これはもう前からわかっておりますが、結局それに押しつける以外に方法がないという、そういうふうな
状態です。われわれがいろいろな
資料によりまして
調査をし、
実験をし、
研究をし、いたしました結果、先ほど御
報告がありました
結論以外には考えられない。そしてその
結論に対しましては一々
裏づけができるという、そういう
状態にこぎつけることができましたので、きょう皆さまに御
報告を申し上げることができるような
状態になりました。
また、私
どもの
調査団には
カナダの
事故も同時に
調査を命ぜられておりますが、これがまだ
調査の
段階でありまして、最終の
結論のところまでは到達できませんので、これはまた後に御
報告申し上げる機会があると存じます。
この
調査団がこの
結論を導くまでには、非常に多数の人に御
協力を願いまして、先ほど申しましたように、
イギリスの
調査団も
アメリカの
調査団も非常に
協力的にやってもらいましたし、それから
国内におきましては、先ほど申しましたように
航空医学実験隊、一〇一
測量大隊をはじめとして、
航空宇宙技術研究所、あるいは
気象庁、防衛庁の
技術研究本部第三
研究所等、こういうふうなところに非常に
お世話になりました。非常にわれわれはその点ありがたく感謝しておる次第でございます。
それからなおつけ加えますことは、
事故の当時、その
機体の保存ということ、
遺体の収容そのほかいろいろな
事後の
処理をしていただく場合におきまして、
機体の後の
調査に支障がないように非常に配慮していただきまして、
事後の
処理をしていただいたということ、これは静岡の警察の方及び
自衛隊の方々ですが、非常にこれも、われわれ後の
調査におきましてありがたく思っておる次第でございます。こういうふうに、われわれが
調査をするにあたりましては、各
方面に非常に
お世話になりましたことをここに申し上げまして、私の御
説明を終わりたいと思います。