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1967-05-24 第55回国会 衆議院 運輸委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年五月二十四日(水曜日)    午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 内藤  隆君    理事 進藤 一馬君 理事 古川 丈吉君    理事 井岡 大治君 理事 久保 三郎君    理事 河村  勝君       大竹 太郎君    亀岡 高夫君       木部 佳昭君    徳安 實藏君       中川 一郎君    長谷川 峻君       原口健三郎君    福家 俊一君       堀川 恭平君    水野  清君       山村治郎君    小川 三男君       野間千代三君    米田 東吾君       渡辺 芳男君    山下 榮二君       石田幸四郎君    松本 忠助君  出席国務大臣         運 輸 大 臣 大橋 武夫君  出席政府委員         運輸省鉄道監督         局長      増川 遼三君         運輸省航空局長 澤  雄次君         建設省道路局長 蓑輪健二郎君  委員外出席者         外務省欧亜局外         務参事官    岡田  晃君         農林省農政局参         事官      横尾 正之君         農林省農地局管         理部農地課長  小山 義夫君         運輸省航空局監         理部長     手塚 良成君         専  門  員 小西 真一君     ————————————— 本日の会議に付した案件  航空に関する件(新東京国際空港等に関する問  題)      ————◇—————
  2. 内藤隆

    内藤委員長 これより会議を開きます。  航空に関する件について、調査を進めます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。山村治郎君。
  3. 山村新治郎

    山村委員 私はまず最初に、このたびの三里塚建設されることになった新東京国際空港、これが日本の国にとってどのように重大な意義を持つものであるか、大臣にお伺いしたいと思います。
  4. 大橋武夫

    大橋国務大臣 御承知のとおり、羽田空港がその現有の規模をもっていたしましては、今後の日本への航空機の受け入れには小さ過ぎるというような状況に相なりまして、これが拡張の必要があるのでございますが、御承知のごとく、羽田空港拡張工事は今日ほとんど不可能でございます。そこで今後の日本飛行場といたしまして、東京近郊に第二の国際空港をつくる必要に迫られておったわけなのでございます。御承知のごとく、すでに海外におきましては、ジャンボージェットあるいはSSTというような大型ないし斬新な航空機が設計あるいは製造中でございまして、これらは不日日本の空へも飛来することに相なりまするし、また日本経済発展というものは御承知のごとく駸駸乎として進んでおりますので、これに伴いまして、日本の国際的な地位も高まり、また日本国への旅客、したがって航空機の往来も急速に増加するような情勢でございます。  そこで今日、急務といたしましては、この新型飛行機を受け入れる、また将来羽田空港狭隘化を補うところの第二飛行場東京近郊へつくるということにあるわけでございますが、このために政府はここ数年来、東京近郊のいろいろな候補地を調査いたしました結果、現在の三里塚以外には関東地方には今日のところこれにまさる適地は絶対にない、こういうことに相なりまして、これが工事を進めることに相なったのでございます。ただいま予定といたしましては四十六年の春には、新空港の四千メートルの滑走路供用を開始いたしたい、こう思っておるような次第でございます。
  5. 山村新治郎

    山村委員 いまの大臣お話を伺って、四十五年度中に四千メートルの滑走路一本はどうしてもつくりあげなければならないということでございますが、大臣決意をひとつお伺いしたいと思います。
  6. 大橋武夫

    大橋国務大臣 これは現在の情勢から見まして、決して容易な仕事ではないと思います。しかし日本国際的地位を維持し、また日本航空界の世界的な信用を確立すると同時に、現在の東京というものの世界航空路の間に占めておりまする国際的な地球的な地位というものを擁護するためには、どうあっても日本政府といたしましては、絶対に四十六年春までには四千メートル滑走路を完成しなければならぬという状況に立ち至っておる次第でございまして、いわばこの時期までにこの飛行場工事の完成をはかるということは、わが内閣の最も大きな政治的な使命の一つであると確信をいたします。したがいまして、現内閣といたしましては、佐藤総理以下内閣全体が一丸となってこれが達成に努力をいたしておるのであり、私も微力ではございまするが、運輸大臣といたしましてその実施の衝に当たっておる次第でございまするので、これだけはどうあっても完成いたしたいというふうにかたい決意を持っておるような状況でございます。
  7. 山村新治郎

    山村委員 この新東京国際空港は、政府として、日本国として絶対に建設しなければならないということでございますが、その絶対に建設しなければならない空港が、八街富里地区内定しながら三里塚地区に変更になってしまいました。この間の現地動きを振り返ってみること、これをじっくり研究することが、今度の新東京国際空港が一日も早くりっぱにでき上がる、この大きな一つのポイントになるものであると私は思います。  そこでまず最初に振り返っていただいて、新空港建設の話が一番初め出たのはいつでございますか。
  8. 大橋武夫

    大橋国務大臣 羽田空港の将来ということを考えまして、東京近郊に第二国際空港をつくるべきであるという話が出ましたのは、昭和三十七年でございます。その後昭和四十年十一月の関係閣僚懇談会におきまして、お示し千葉富里内定をいたしたのでございますが、その後いろいろな経過三里塚へ変更されたわけでございます。この経過につきましては、航空局長からさらに詳細に申し上げさせていただきます。
  9. 澤雄次

    澤政府委員 ただいま大臣からお話がございましたように、一番最初昭和三十八年十二月に航空審議会で、富里、霞ケ浦を候補地として運輸大臣に答申があったわけでございます。それで昭和四十年の十一月に、政府部内の関係閣僚懇談会において千葉県の富里にこれは一応内定いたしたのでございますが、その後地元住民対策につきまして千葉県当局とも協議を重ねました結果、農地率が非常に高い富里にはいろいろの難点があることが明らかになったわけでございます。そこで、航空技術的な条件に問題がなく、かつ住民対策上の問題点も、この富里よりは買い上げの民有地の少ないところということで検討いたしました結果、国有地としての下総御料牧場及びこれに接続する県有地を最大限に活用しまして、しかも空港規模それ自身も大幅に縮小しまして、買収する民有地をなるべく少なくいたすと同時に、その関係住民に対してきめのこまかい対策を講ずることといたしまして、千葉県当局とも十分協議の上、成田市の三里塚中心とする新空港の敷地を正式に閣議決定した次第であります。
  10. 山村新治郎

    山村委員 いまのお話を伺いますと、何か運輸省航空局十分手を尽くしたようなことを言っておりますけれども、私はそんなことはないと思います。事実その間におきまして、千葉県としては空港賛成であったのが、昭和四十一年の二月におきましては静観の態度になってしまっております。これははっきり申し上げまして、千葉県から出した数々の要望に対して、航空局運輸省から何らの回答を示さなかったことにあると思いますが、その点どうでございましょう。
  11. 澤雄次

    澤政府委員 お許しを得まして、当時担当参事官といたしまして富里成田のこの交渉に当たりました手塚監理部長をして答弁いたさせたいと思います。
  12. 手塚良成

    手塚説明員 先生の御質問のごとく、当時富里内定いたしましたにつきましては、富里周辺その他についてもやはり地元対策という意味の施策が必要である、私どももそれを了知しておったわけでございますが、県当局からもそういった御趣旨の、地元対策に対する御要望というようなものが出されたわけでございます。ただ、早急にその御要望なり地元情勢に対応すべき措置を講ずべく、私のほうで鋭意検討いたしたわけでございますが、その間時間的に諸種の制約等がございまして、地元対策などについての結論の出方が、やや情勢とマッチしないようなことに立ち至ったというようなこと、並びに、地元で御要望になるような対策内容として、当時の情勢下では結論がどうしても得られないというような問題等がございまして、この地元対策が十分な姿でお示しできなかったという事実はございます。そういったこと、そしてまた現地情勢等が非常に悪化をしてくるような状態になりましたので、その結果といたしまして、富里では空港設置が困難である、県御当局の御判断も加わりまして、急遽三里塚に、ただいま局長が申し上げましたような意味合いで変更いたしました。
  13. 山村新治郎

    山村委員 私は、地元空気が悪化するというけれども、当然じゃないかと思います。三十八年の十二月に一応富里候補地にあがっております。そして決定したのが四十年の十一月。この間何も出ない。そして、言うならばこれは、おたくにいい娘がいるから嫁にくれないかと言っておきながら、あっちこっち口をかけておいて、最後にどこも断わられたからおまえのところにしようというのと同じじゃないかと思うのです。現在三里塚に移ってしまいましたけれども富里八街地区空港候補地として一応あがりましたときに、富里村、八街町両方で自由投票をいたしました。これは投票箱を背中にしょっていって、うしろ向きになって一軒ずつ投票してもらったのです。そのときの段階では、八割対二割で断然賛成派のほうが多いのです。これについてどうお考えですか。
  14. 手塚良成

    手塚説明員 おっしゃいますとおり、内定直後におきましてはそういう情勢にあったとわれわれも推定いたしております。おりますが、ただいま申し上げましたような事由がございまして、急速に地元情勢が変わってまいりました。そういうことで、いまの結論富里に出すことが非常に至難になったわけであります。
  15. 山村新治郎

    山村委員 まずこの空気が悪化した一つは、反対派PRに負けちゃったということにあると私は思います。まず騒音対策一つとってみましても、これは、富里のときに社会党で四十円で売っていたパンフレットです。これにつきまして、その内容を見ますと、まず騒音対策で、「とてもひどい騒音被害——騒音病——子供が生れず、また育ちも悪い。」生まれない子供が育つわけがないが……。これについてはちょっと文法上間違いがあるが、これらに対して、そんなことはありませんということを、航空局また運輸省PRのようなことをしたかどうか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  16. 手塚良成

    手塚説明員 私どもは県御当局と密接な連絡をとりまして、そういったPR対策その他についてお打ち合わせしながら事を進めたわけでございますが、そういったパンフレットその他につきましても、やや出おくれの感はないわけではなかったと思います。ただ地元の県御当局等の御協力を得まして、地元説明会等はいたしましたけれども、そういった内容ではすみずみまで行き渡るというほどのPRにならなかったということは事実あったと思います。
  17. 山村新治郎

    山村委員 このパンフレットそのほかのPRということにつきまして、はっきり申し上げますれば、運輸省航空局としては、一枚のパンフレットも出しておりません。出ている五部のパンフレットというのは、この空港賛成して空港建設を促進しようという、地元賛成派の人々が自腹を切って出したPRの資料でございます。そこもよくお考え願いたいと思います。  そしてまた、この空港に対するマスコミ対策というのも、何もやってないじゃないでしょうか。私ども地元にありまして、空港賛成する農家は惰農である、反対する農家篤農家であるというようなことが、PRが全般に行き渡ってしまいました。たとえば、ニューライフという、千葉県の雑誌がございます。これなどを見ますと、賛成派の畑というと草ぼうぼうで、どうにも畑として通用しないようなのが写真に出ております。そして、反対派の畑はきれいな、りっぱな畑がそこに写っています。  また、もう一つありますのは、もちろんマスコミですから一番特だねになるようなことをやるでしょうけれど、しかし、これは、反対派賛成派、くしくもそのとき同じ自動車事故を起こしたわけです。反対派委員長の方が酔っぱらって、とまっているトラックのうしろへ単車で衝突した。人事不省になってかつぎ込まれた。まるでこれは大映画スター的な扱いです。病床まで行って、そしていろいろ談話をとってくる。ところが、賛成派のやっぱり委員長でございますが、これは自動車衝突事故でございますが、そのときに、起こりましたら、これは新聞の片すみに、ほんとに二行くらいで、こういうような自動車事故があったということだけでございます。  そしてまた、もう一つ皆さんにお考え願いたいのは、賛成派の会合というと、全然新聞紙上には一カ所も載りません。また、たとえば、いままで皆さん方は、富里八街地区は、自民党議員政府側としては一ぺんも行かなかったようなことを言っておりますが、しかし私は前後三回にわたって行っております。そして八街商工会議所の二階を借りまして、三百五十人にものぼる人間を集めまして賛成派の大会を開きましても、これが二百人と報道されている。ところが、反対派が千人集まると、三千五百人くらいになって出る。これらマスコミに対するPR不足も今度の場合大きな原因があったものと私は思います。  また、もう一つ空港というものは悪いものであるということが、現在地元住民の頭にこびりついております。これをひとつ解消していただきたいと思います。これは今度の三里塚で出しておる社会党の、これは淡谷さんが委員長で、これはただでしょうか、値段が書いてありませんが、「いったいどこの誰が、空港をと政府に申し込んだのか、そんな者は一人もおりません。第一、飛行場土地の開発や発展になるなら、関係近県知事市長県会議員等が、わんさと集って、政府に押しかけて「ここに作ってくれ」 「俺のところに持ってきてくれ、土地ただでもよいから……」なんて言って誘致運動——引っぱり運動に乗り出すはずだ、ところが今度に限って、誰一人そんな知事市長は出て来ません。」ということを言っておりますが、私はそんな事実はないと思います。誘致運動が数々あったということをここで発表していただきたいと思うのです。
  18. 手塚良成

    手塚説明員 誘致運動と申し上げていいのかどうか問題だと思いますが、先ほど先生からお話ございましたように、当時といたしましては、やはり賛成反対、こういうのが入り乱れていろいろ動きがあったわけでございます。賛成派方々等は、おっしゃる意味の非常に誘致運動的な活発な誘致状況であったことも事実でございます。
  19. 山村新治郎

    山村委員 当時私が存じておりますのでも、木更津の市議会で、木更津の全市をあげて空港賛成誘致運動を起こしたことがございました。また震ケ浦地区、ここがだめになります前に、この茨城県の商工経済会長渡辺さんというのが中心になって、賛成運動を起こしております。これを読んでみたいと思います。社会党さんではそんな話は一ぺんも聞かなかったといっておりますけれども、しかしここに出ております。これは「私は後藤茨城新聞社長中川会長太田理事及び関係経済団体代表者等と共に上京して、県選出国会議員総理大臣運輸大臣建設大臣大蔵大臣農林大臣河野国務大臣防衛庁長官経済企画庁長官内閣官房長官自民党幹事長、同総務会長政調会長等陳情書を提出と同時に懇請し、爾来池田内閣より現在佐藤内閣に至るまで引続きこれ等各関係者に陳情懇請してまいりました。其の回数は百拾九回であります。」これを見ても社会党のいっているこのパンフレットはうそっぱちだということがわかるじゃありませんか。これに対して反駁一つもしないというのも悪いのじゃないかと私は思います。どうでしょうか。
  20. 大橋武夫

    大橋国務大臣 山村委員の御懇篤な御説示はまことに傾聴に値するものでございまして、従来の経緯から考えまして、運輸当局飛行場設置を一定の土地に決定しながら、その後それが実現のために推進することについて、少なくとも外見上の熱意を欠き、そのために実現すべきものがだめになっておるというようなことも、いまから考えますると、しまったという気持ちを持って十分に考え得るところでございまして、御指摘のPR点等につきましては、特に努力の足りなかった点を反省いたすような次第でございます。お示しの点を今後新空港建設にあたりましては十分に反省いたしまして、今度こそ必ず実効を上げたいという決心を持って、運輸当局一致して立ち上がっておる情勢でございまするので、何とぞこの上とも御指導、御鞭撻をお願い申し上げます。
  21. 山村新治郎

    山村委員 それともう一つ。これは私は航空局、そして運輸省にお願いしたいと思いますことは、実はこの空港そのものがこれは地元の利益には全然ならないということで、まあ私が申し上げるのもなんでございますが、地元に有力な政治家がいなかったから、この悪い空港千葉県の第二区へ押しつけられてしまったということを言われております。私が陣がさであることを表明するようなものかもしれませんけれども、しかしそんなことはなかったということをひとつ、これは手塚さんから詳しく説明していただきたいものです。
  22. 手塚良成

    手塚説明員 当時の状態でございますが、先生おっしゃるとおり、非常に熱心に活動されました皆さん方は非常にたくさんいらっしゃいまして、必ずしもその反対方々だけがどうということではございません。それはもう私どもも感謝するくらいな誘致的な活動を非常にしていただいたことは事実でございます。しかし大勢といたしまして、先ほど申し上げましたように、いろいろな地元対策その他の点におきまして徹底を欠いたうらみがございまして、ああいう結果に終わったということはまことに残念なことだと思います。
  23. 山村新治郎

    山村委員 幾らあげても数限りありませんもので、これは一つだけでやめます。一つお伺いしますが、まずこの富里八街地区空港反対派があれほど大きくなってしまった一番の原因は何だと思いますか。ひとつお考え願って御回答願いたいと思います。
  24. 手塚良成

    手塚説明員 先ほど来申し上げておりますとおり、地元に対しますところの広範な、いわゆる地元対策、こういったものについての十分な、徹底した政府としての統一した結論が早急に出し得なかったという点が、最大の理由であろうかと思います。
  25. 山村新治郎

    山村委員 これははっきり申し上げますけれども、三十万円以下で土地を買われてしまうというので反対同盟をつくらしたことです。ここには出ておりませんけれども座談会そのほかで、あなた方の土地は三十万円以下で買われてしまうのですよ、さあ反対しましょう、反対しましょうと扇動されて、それに対して政府として何らの手を打たなかった、それで反対派があれほどでき上がってしまった。そうしてまた、反対運動と申しますものは、はっきりいって、過激なことを言う人間主導権を握っていってしまいます。そのうちに、おれの土地が三十万円以下で買われたらたいへんだというので反対運動に集まった農民方々が、結局どういうような決議をしたかと申しますと、日米安保条約反対日韓条約粉砕空港絶対反対です。ほんとうの農民気持ちなんというものは一つも出ておりません。現にこれは、昨年の生産者米価、これを値上げしてもらいたいといって地元富里から来た反対派幹部の方ですが、私のところに参りまして、空港を返してくれ、米の値上げなんかどうでもいいのだというようなことを言っております。それで私が、あなたは反対派幹部じゃないか、反対派幹部の方が何ということを言うのだ——幹部でもこれぐらいのものなんだ、ほかは推して知るべしだ。政府は砂川にしたって新島にしたって強行したじゃないか、何で富里から逃げていってしまうか、これが農民の偽らない気持ちだと思います。代替地として七十万、税金は二十倍もとられて、この農民がかわいそうだと思いませんか、社会党は大きな責任があります。
  26. 手塚良成

    手塚説明員 おっしゃいますとおり、当時やはり賛成派方々におきましては、非常な熱意を持って、価格の問題は別として、飛行場に協力したいというような強い熱意で動かれた方々があり、その方々が村におかれましていろいろ不遇な状態に置かれたという事実も私どもは了知しておるわけでございまして、おっしゃいますとおり、候補地富里に確定しなかったためにそういう方々が非常な不利益をこうむられて、お気の毒な状態になられたという事実は私ども了知しておりまして、まことに遺憾に思っておるのでございます。
  27. 山村新治郎

    山村委員 この反対派パンフレットの中で「それでは友納知事や、藤倉市長は何故これを引っぱって来るのですか」この空港を引っぱってくるのでしょうかという質問に対しまして「それは自民党員として、悪名高い川島副総裁あたりにくどかれたり、それはそれ何と言っても大土建事業ですから——ツーと言えばカーですよ、地位利権の前には人民も市民もあったものじゃない——田中荒舩共和事件がよい例ですよ。それと同じですよ、彼等の地位利権のためですよ。」ということを書いてあります。私は淡谷さんのためにはなはだ悲しむものであります。このようなことを書いて——おそらく淡谷さんが知らないうちに名前を使われたものと私は思いますけれども、しかしこの富里八街地区におきましての社会党共産党方々のとられた態度、この前の選挙で、黒い霧問題といって、ここにも出ておりますが、政策以前の問題だ、政治姿勢の問題だと言いましたが、私はそれ以前の人間性の問題であると思うのです。あまりにひどい、この一言に尽きると思います。まあこれはこの辺でやめまして、そしてできれば、願わくば、本日お集まりの運輸委員会社会党議員さん方は良識のある方々ですから、今後はひとつ条件賛成のほうへ反対派を連れていっていただきたい、これが私のお願いであります。私どもの住んでおります千葉県の第二区、これは北総チベット地帯といわれております。千葉県全体が大発展をしておる。京葉工業地帯は、全国の個人収入が二十二万円というときに、三十三万円という高額をとっております。しかし私ども千葉県第二区、印旛郡の東部から香取郡にかけましては、わずかに十三万円であります。私どもにとりましては低所得を打破する千載一遇のチャンスなのであります。どうか社会党皆さん共産党皆さんも、おわかりいただければありがたいと思います。  それでは、今度は建設省にお伺いしたいと思います。前の話はこれぐらいにしまして、だんだん前向きの姿勢質問をしますが、都心から空港に至る高速道路、これはどのように計画していますか、お答え願います。
  28. 蓑輪健二郎

    蓑輪政府委員 空港成田にできまして、そのために必要になります高速道路につきましては、現在の計画は、まず都心から現在の京葉道路までは首都高速道路で、これの七号線という形で空港ができるまでに供用開始をしたい。それが現在の京葉国道につきますが、京葉国道の第一期工事として数年前に供用開始しておりますが、現在の道路は四車線であります。これを四十二年から六車線に拡幅する工事をやりたいというふうに考えております。また現在幕張から千葉に向かって、京葉道路の延伸、第三期といっておりますが、これをやっております。この京葉第三期は大体四十三年までには供用開始予定になっております。その途中の千葉市の宮野木から成田へいきます高速道路につきましては、昨年七千六百キロの高速道路予定路線を決定していただきましたが、その中の東関東自動車道鹿島線の一部としていまの千葉宮野木から成田市問約三十キロ、これは工費で約二百三十億ぐらいかかりますが、これを早急に基本計画整備計画を立てまして、四十六年の三月の空港の開設までに間に合わす計画でございます。さらに空港ができまして、その後交通の増加も考えられますので、その際はいまの東関東自動車道鹿島線のほかに、東京湾に入る方法といたしましては、現在の京葉道路から分かれまして、東京湾岸道路という大体百メートルぐらいの道路を考えております。それによりまして、今度は首都高速の九号線につなぐというような将来の構想を持っておる次第でございます。
  29. 山村新治郎

    山村委員 私の持ち時間も少なくなってしまいましたので、簡単にお答え願います。  茨城方面よりの建設資材、おもに砂と砂利、砕石等でございますが、この道路として使うのはおそらく五十一号線だと思いますが、この成田−佐原間について建設省はどのように改良、改修をやっていくつもりですか。
  30. 蓑輪健二郎

    蓑輪政府委員 五十一号線は千葉からずっと佐原を通りまして水戸のほうにいくのでございますが、このうち千葉−佐原間が五十三キロほどございます。これにつきましては四十二年度で改良を終わりまして、四十三年の十月までには舗装を大体終わりたいと考えております。幅員はちょっと一部狭いところもありますが、大体七メートル五十ぐらいで全線を通していきたい。それと、いま非常にネックになっておりますのが、利根川のほうからいろいろ資材を運びますところの、佐原の町の中でございますが、佐原バイパスにつきましては本年度から着工いたしまして、できるだけ早くこれを完成したいというふうに考えております。
  31. 山村新治郎

    山村委員 できるだけ早くというのは、大体いつごろになりますか。
  32. 蓑輪健二郎

    蓑輪政府委員 実は、現在いろいろ四十二年度予算の個所づけをやっておるところでございますので、ちょっとはっきりしたことを申し上げられませんが、やはり用地の買収その他とからみまして、用地の買収一年、工事は一年半くらいというのが、このくらいのバイパスの普通のテンポではないかというふうに考えますが、さらにもっと早くできることでしたら、空港建設に支障のないように進めていきたいというふうに考えております。
  33. 山村新治郎

    山村委員 この成田−佐原間の五十一号線、特に水郷橋から権現前に至る幅員が四・五メートルしかありません。そこを七トン半の砂利トラを通すということはとても考えられません。これをひとつよくお考えの上、できるだけ早く対処していただきたいと思います。  それと、県道はおわかりですか。——では、県道の成田−小見川線というのがございます。これが二千メートルの滑走路で分断されてしまいます。その場合、実は多古町というのがそこにつながるわけでありますが、この多古町というのは周辺の町村で第一番目の空港賛成決議をした町村でございます。その賛成条件としまして、その二千五百メートルの下を地下道にして通すということを約束しております。これをひとつ十分お含みの上、県または公団と折衝していただきたいと思います。
  34. 澤雄次

    澤政府委員 ただいまの山村先生の地下道にする工事は、これは公団の補償工事でございますので、公団ではこれを実施するということで計画を進めております。
  35. 山村新治郎

    山村委員 それでは、この成田−小見川線は地下道にしてもらえることをお約束したものと思います。  もう一つありますのは、実は閣議決定に基づきます「地元対策について」という中に道路の項目として、その道路建設にあたっては、成田市及び三里塚の部落を生かす方途を講ずるということがありますが、三里塚の部落を生かす方途を講ずる道路、これはどれでございましょうか。
  36. 蓑輪健二郎

    蓑輪政府委員 実はその辺につきましては、私たちまだはっきり計画をつくっておらない状態で、実は空港公団、運輸省と相談いたしまして、これはいろいろ地元の要求、買収の問題、またその周辺の道路網全体をどうするか、そういう問題もあわせまして関係各省と相談して、これは今年じゅうにははっきりきめていきたいというふうに考えております。
  37. 山村新治郎

    山村委員 それでは、建設省けっこうです。  次は運輸省にお願いします。時間がございませんので一括して申しますので、お答え願います。  七月四日の閣議決定の「新東京国際空港の位置決定に伴う施策について」。これによりますと、総武線、地下鉄等の整備を促進する、東京−新空港間に高速電車を運行する、これが出ております。この具体的な計画をお示し願いたい。そしてまた、これの所要時間も言っていただきたい。  また、成田駅より分岐して空港に至る成田線については、どうお考えになっておるか。  それともう一つ、将来都心空港を結ぶ高速軌道の設置が必要と思われます。運輸省としてどのような考えを持っておられますか。実現するとすれば、所要時間はどれくらいか。一括してお答え願います。
  38. 大橋武夫

    大橋国務大臣 第一の総武線につきましては、東京−津田沼間の複々線化を四十六年度初め、それから津田沼−千葉間は昭和四十七年度末に、さらに千葉−佐倉間の複線化を四十二年度末に完成する計画でございます。また電化につきましては、千葉成田間を四十二年度末に完成する予定であります。地下鉄につきましては、帝都高速度交通営団東西線大手町−西船橋間を建設中であり、全線完成は四十五年末で、国鉄総武線と直通運転することになっております。  次に高速電車の運行計画につきましては、東京−新空港間の高速電車の運行計画はまだ具体的に計画決定まで至っておりませんが、東京千葉間が複々線となり、千葉−佐倉間が複線となりますと、相当回数の直通高速電車を運行することができると考えております。  最後の空港線についてでございますが、成田から新空港までの新線については目下ルート、建設方法、建設主体等に関して検討中でありますが、新空港計画及び建設状況をながめながら、今後できるだけ早い時期に決定する考えでございます。なお所要時間につきましては、政府委員から申し上げます。
  39. 増川遼三

    ○増川政府委員 ただいまの所要時間につきましては、総武線経由で参りましても、また常磐線の我孫子経由で参りましても、約一時間程度で行けるものと考えております。
  40. 山村新治郎

    山村委員 いわゆる超特急の場合はどのくらいになりますか。まだ考えておりませんか。
  41. 大橋武夫

    大橋国務大臣 最後の御質問の項目にございました新幹線クラスの超特急の計画でございますが、これは将来空港建設の促進程度に応じまして必要の時期があろうかと存じまするが、これが実現いたしましたならば、三十分以内で到着できると思います。
  42. 山村新治郎

    山村委員 それでは、今度は農林省にお願いします。農林省に対して現在の空港敷地内にある方、またその空港敷地内にある畑の払い下げ申請が、成田市の農業委員会を通じて出ておると思いますが、だれが出てどういうような状況になっておるか、ちょっと御説明願います。
  43. 小山義夫

    ○小山説明員 事務的なことでございますので、私のほうからお答えいたしますが、いま千葉県庁から報告を受けておりますのは、空港予定敷地内で四名の方が国有農地の買い受けの申し込みをされておるというふうに連絡を受けております。ただもしこういう空港ということがなければ、その申し込みをされた方がこれから農業をやっていく上で適格者であれば当然売り渡しがされる、そういうことが見込まれるわけでございますけれども、もうここは農業としては使えないということになってまいりますと、いまの農地法の規定では農業をやる場合に売り渡しをするというふうになっておりますので、売り渡しの手続を進めることがなかなかむずかしくなろうというふうに考えております。
  44. 山村新治郎

    山村委員 このいわゆる払い下げ申請がおたくのほうへ出たのは、いつですか。
  45. 小山義夫

    ○小山説明員 県庁の連絡では、県庁が受け付けましたのは四十一年の八月二十二日というふうに連絡を受けております。
  46. 山村新治郎

    山村委員 そうしますと、この人がたと同じように払い下げ申請を受けている方がこの敷地内にある。そしてその人はもう売買までしておるということになりますが、これが騒音地区であってもかまわないわけですか。
  47. 小山義夫

    ○小山説明員 敷地の外の、すぐそばのところの国有農地で買い受けの申し込みをしている……。
  48. 山村新治郎

    山村委員 売買はもう済みました。
  49. 小山義夫

    ○小山説明員 それは民有地でございますか、国有地……。
  50. 山村新治郎

    山村委員 国有地です。
  51. 小山義夫

    ○小山説明員 国有地農家の方が売買をしておるのですか。
  52. 山村新治郎

    山村委員 これは同時に申請したのです、農業委員会へ、おたくのほうへ。これは川島明雄さんと綿貫幸吉さん、この方が千二百六平方メートル、それから九百九平方メートル、両方畑地でございますが、これは払い下げを受けておりますが、こういうようなのはどういうことになりますか。
  53. 小山義夫

    ○小山説明員 空港敷地でなければ、そこは引き続き農業を行なう見込みがあるわけでございますから、払い下げ手続が順調に進められるということは考えられます。ただ敷地内でございますと、さっきから申し上げておるように、ここは農業を行なうことができませんので、おそらく手続はとめてあるというふうに考えます。
  54. 山村新治郎

    山村委員 そうしますと、これは四十一年の八月二十二日に県の方で受け付けたということでございますので、ちょっとこれは無理であるということでございますか一そうしますと、この人たちが小作をしている場合、その小作権そのほかは認めるわけでございますか。
  55. 小山義夫

    ○小山説明員 国有農地でございましても、国が成規の手続でおそらく貸し付けをしておる事案だと思いますので、耕作権はりっぱにございますので、何らかの正当な耕作権の保障ということはあると思います。
  56. 山村新治郎

    山村委員 この四十一年の八月二十二日、これをもう一ぺんよく御確認願いたいと思います。当人たちが出しておるのは日づけが違っております。これは一応あとでお調べになって御報告願いたいと思います。  ありがとうございました。以上で質問を終わります。
  57. 内藤隆

    内藤委員長 水野清君。
  58. 水野清

    ○水野委員 初めに大臣に基本的なことから伺いたいのでございます。  成田において新国際空港建設する、この建設に際しまして政府は、地元に喜ばれる空港をつくりたいというふうに考えておられるというふうに聞いております。しかし現実には、地元に喜ばれる空港以前の問題が山積しておると私は思う。たとえば成田市内の地主である、空港敷地の地主である農民は、政府がいろいろと公約しております諸問題の履行が確実に行なわれるかどうかという点で、いろいろと危惧の念を持っておるように見受けます。これが現実に空港敷地内の測量の実現を現在はばんでいる事態となっているように思っております。  以下、明細な点でいろいろ各省の方にお尋ね申し上げますけれども、まず基本的な問題において、大臣が数日前ですか参議院の予算委員会で、現地に出向いて地元農民と話し合いをしたいというふうに言っておられます。このことについて、その用意とか時期についてはいかがお考えでいらっしゃるか。
  59. 大橋武夫

    大橋国務大臣 私は人間界のいざこざにつきましては、その解決の手段は何といっても話し合いということが第一に行なわれなければならぬところであるという考えを持っておるのでございます。しかしてこの成田空港の新設につきまして、地元民と政府当局の間にいろいろ複雑な問題もあり、またこれらの問題を掘り下げて見ますると、政府態度があいまいであるために地元民がいろいろ危惧の念を持っておられるということもあるようでございまするし、また今日までの政府の行動に照らして、地元民の間に根強い不信感が発生しておるというような事柄もあるように思うのでございます。すべての問題の円満解決ということの根本は、まずお互いが信用し合うということであると思いますので、話し合いを通じて政府が真意を明らかにすることによりまして、地元の不信感を払拭するということが、まずもって着手されなければならぬ事柄ではなかろうか、こう思いましたので、私参議院の御質問に対しまして、機会を見てできるだけ早く現地に行って、地元方々と話し合いの機会を持ちたい、かようにお答えを申し上げた次第なのでございます。その時期といたしましては、ここ半月か一月くらいのうちに、それもできるだけ早い機会に、国会の御審議の御都合を見まして出向くようにいたしたいと思います。それにつきましては、従来から地元政府との間に懸案的になっておる事柄もございまするので、これはまず何としても政府としてはっきりしたお答えを話し合いの機会に申し上げる要があると存じまして、これらの点をただいま関係各省と詰めまして、出向く以上、諸般の問題について明確なお答えができ、それによって話し合いの目的を達するようにいたしたいと、ただいま準備中でございます。
  60. 水野清

    ○水野委員 ただいまのお話、非常にけっこうなことだと思います。ぜひ実現をお願いしたいと思います。  ところで、いま不信感の払拭ということをおっしゃいましたけれども空港をつくるために地元補償をやるわけでございます。現実には、空港をつくることを第一にして地元補償は第二であるというのではなくて、むしろ地元補償が第一だ。これは原因と結果が逆になるわけです。そうして、次に空港をつくるのだという姿勢が必要だと思うのです。そうしますと地元民も納得をしまして、そして農民は、いままでの生活の方式もいろいろと変わることと思いますが、移転してからの生業の目標も立つであろうということでございます。昨年、四十一年七月四日でありますか、閣議決定のおもな条項で、新東京国際空港の位置決定に伴なう地元対策についてということがございますが、この際大臣から、基本的にこれを進める政府姿勢を簡単に伺いたい。各論については各省の政府委員から伺います。
  61. 大橋武夫

    大橋国務大臣 昨年閣議決定いたしました内容というものは、地元より要望のありまする諸般の事項につきまして、政府といたしまして、これに対する答えという意味をも含めまして、建設について付帯的に行なうべき諸般の事項並びに建設に伴う諸般の問題についての直接の回答、こういうものを含めて決定をいたしたような次第なのでございます。これは閣議で決定をいたしておりまするので、この内閣の続く限り、文字どおり厳格に実施すべき内閣に対する政治的拘束力を持つものでございまするので、私どもはこの線に沿うて忠実に実施の責任に当たる次第でございます。
  62. 水野清

    ○水野委員 ただいま内閣が続く限りとおっしゃったのですが、これは佐藤内閣が続く限りということでございますか。内閣の閣議決定という意味は、そういう意味じゃないと思います。
  63. 大橋武夫

    大橋国務大臣 現実の政治的な問題といたしまして、内閣が続きましても政策が変わる場合もございまするが、私は、いまの自民党を代表した佐藤内閣並びにもし佐藤内閣の後に自民党内閣ができるとすれば、まず政治的に見て、その内閣もおそらくこの閣議決定をそのとおり実行していかれるべきものだ、こう思います。
  64. 水野清

    ○水野委員 次に、騒音地域の問題について二、三承りたいのですけれども空港周辺のいわゆる騒音地域というものの範囲でございます。現在、公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律案というものが、今国会に上程されております。この法律の案によりますと、成田空港の例をとりますと、四千メートルの滑走路の縦は滑走路の端から千メートルまでがいわゆる騒音地域、また滑走路の横は三百メートルまでが騒音地域である、これはこういう数字では出ていないようでございますが、大体こういう概念として現在法案がつくられているように私は聞いております。もしそうだとしますと、実は昨年この成田空港の問題が閣議で最初に位置が決定しまして、当時の若狭運輸次官が千葉県庁におきまして説明会をやりましたときには、滑走路の延長のほうでは、縦のほうでは二千メートル、横では六百メートルの地域——これは音の範囲でございます。当時八十ホーンと言いましたか、その範囲ですが、大体面積にすれば地域的には縦二千メートル、横六百メートルの範囲を大体騒音地域と考えております。騒音地域の人たちに対して、いろいろな騒音地域対策として補償を考えているということを言っておられたのであります。この法案との食い違いについて、一部地元民は、政府が公約を無視した、食言をしたというふうに考えて動揺しているわけです。この点につきまして大臣からでもけっこうでございますが、御説明を聞きたい。
  65. 大橋武夫

    大橋国務大臣 先般騒音対策関係の法案を提案申し上げましたので、成田空港建設に伴う騒音対策につきましても、この法案との関連におきましていろいろ地元の方が御心配になっておられるということは、まことにごもっともであると存ずるのでございます。しかしながら、今回提案いたしました騒音対策は、今後一般的に空港騒音対策として各飛行場について適用する考えではございまするが、何と申しましても、成田空港はいままで飛行場であったところの騒音の問題とは違いまして、今後新しく飛行場をつくる、それも国際空港でございまして、最も騒音問題に縁の深いジェット機並びにSSTの発着ということを前提にいたしました新規の飛行場でございまするから、このたびの成田空港建設に当たりましては、騒音防止対策についてのこのたび提案いたしました法律とはまた離れまして、具体的に適切な措置をとる必要があろうと思うのでございます。  ことに、ただいまお述べになりましたごとく、従来から政府の者が地元に行っていろいろ地元民に期待を持たせておるというような事柄を考え合わせますと、この際政治的な立場から、あの法案に必ずしも拘泥せずに、地元に即した範囲を決定すべきものではなかろうか、こういうふうに政府は考えておる次第でございます。
  66. 水野清

    ○水野委員 こまかいことで航空局長に伺いたいのですが、そうしますと、これはこの音の範囲になると思いますが、一応縦二千メートル、横六百メートルの騒音地域の範囲内にあります住宅、宅地、さらに畑地、水田、牧草地、山林、こういったような土地に対して、買収の対象になるか、この点をお伺いしたい。
  67. 大橋武夫

    大橋国務大臣 これは買収あるいは補償の問題が必ず起きてまいりますので、これに対して善処いたしたいと思っております。ところで、それでは買収でいくか、補償でいくかということになりますと、政府といたしましてはいまその方法について検討中でございまして、あまりに騒音の高いところは、これは飛行場外の騒音地帯というより、当然飛行場の敷地の中の一部として買収しなければおかしいじゃないかというようなものもあるのじゃなかろうか、その辺のことを考えまして、関係省もあることでございますから、十分に打ち合わせいたしまして適切な処置を講じたいと思います。
  68. 水野清

    ○水野委員 これもこまかいことで、航空局長でけっこうでございますが、空港の敷地内で農業をやっておりまして、主として農地が中にある、そして遠隔地といいますか飛び地といいますか、離れたところに農地が残る。これは騒音地域の問題ではありませんが、その空港敷地内の人がかえ地をもらって相当離れたところに移動しますと、いままで飛び地で耕作をしておったところが、畑へ行くのに一時間以上かかるというような事例が二、三ございます。こういうものについては買収の対象になるかどうか。
  69. 澤雄次

    澤政府委員 同一の所有者に属します一団の土地の一部を買収することによりまして残地ができまして、それが従来利用していた目的に供することが著しく困難となりましたときは、これを買い入れるのが妥当であると思っております。それから飛び地につきましても、残地に類すべき飛び地については、県当局及び公団において適切な措置が講ぜられるように、現在打ち合わせ中でございます。
  70. 水野清

    ○水野委員 次に離職者対策について二、三伺いたいのですが、昨年七月四日の閣議決定の中で、職業転換対策というのがありまして、この中に、空港における構内営業は地元民に優先的に開放するということを明確に決定しておられます。ところで、空港内の諸営業につきまして地元民に優先権を与えるということが文章には明記されておりますけれども大臣、この点についてその意思については変更がないかどうか、まず承りたいと思います。
  71. 大橋武夫

    大橋国務大臣 閣議決定の事項でございまするので、これは必ず実施いたす考えであります。
  72. 水野清

    ○水野委員 そうしますと具体的に、地元土地の所有者あるいは騒音地域の農民、それから商工業者、こういった人たちにどんな仕事があるか、そしてどのくらいの人間がそこに吸収されて生計を営み得るかという点について、できれば数字をもって示されたいと思います。
  73. 澤雄次

    澤政府委員 空港内におきましては、これは羽田をごらんになるとわかりますが、非常に種々雑多なものがございまして、飛行機会社、それから航空機の修理、整備事業会社、それからホテル、銀行、それから機内食をつくるところ、石油の供給業、こういうものが羽田だけで一万数千名にのぼるわけでございます。それで、今度の新国際空港はこれの数倍の大きさでございますので、その数も二万をこえるのではないかというふうに考えられます。この中の職業には非常に特殊の技術、経験を要する職業も多いのでございます。これらは、労働省、千葉県といろいろお打ち合わせをいたしまして、こういう職種転換ができるように措置してまいりたいと思います。  それからまた、空港内で諸事業場を行ないます場合には地元の方を優先的に、その事業の株を持っていただきまして、そして自分の事業として共同でやっていただくというようなことも、現在公団ではいろいろ計画中でございます。  それから、中高年層の方で、その資力の乏しいという方もたくさんおられるかと思いますが、これらの方は新しい技術の習得ということも非常に困難でございましょうが、たとえば、たばこの販売、牛乳の販売、新聞の販売、また場内警備あるいはポーター、これらの単純労働と申しますか、これらの労働をたくさん要するわけでございます。これは優先的に地元の方を採用するようにということを、大臣からも公団に申されまして、公団でもそのようにいたしますということを確約いたしておるわけでございます。今回、地元条件つき賛成の方と公団とのお打ち合わせをいたしまして、その際にも、これらの希望職種については至急申し出てもらいたいということを公団では申しておる次第でございます。
  74. 水野清

    ○水野委員 さらにもう一つ伺いたいのですが、成田市を中心として将来飛行場に相当の構内タクシーといいますか、空港都心をつなぐタクシーの免許申請が現在出ております。この申請につきまして、時間がないので私のほうで申し上げますが、地元農民の中で、若い青年たちは自動車の運転もできる。でき得れば自動車の運転手として雇われるのではなく——もちろん自動車会社の経営という問題もむずかしい問題でございましょうが、経営に参加できる、主体となれなくても、一部でも参加できるという、これは株式で持つとかいうこともあると思いますが、このタクシー会社の新免問題あるいは増車の問題について、地元対策を特に厳重にしていただきたい。むしろこの周辺の新免は当分行なわないでいただきたい。大臣からひとつ……。
  75. 大橋武夫

    大橋国務大臣 地元方々には、空港建設につきまして非常に御協力をいただくばかりでなく、場合によりましては非常な犠牲をも払っていただくわけでございまして、政府といたしましては、その御協力に対しましてできるだけお報いするということを、当然行政面でも考えるべきだと存ずるのでございます。   〔委員長退席、進藤委員長代理着席〕 したがいまして、自動車営業というような免許事業等の処理にあたりまして、ただいまお述べになりましたような趣旨はまことに大賛成でございまして、必ず御期待に沿うようにいたしたいと思っています。
  76. 水野清

    ○水野委員 ただいまの問題でありますが、実は私はこれは一つのうわさとして聞いているわけです。空港内の諸営業その他企業権というものにつきまして、現在羽田の空港内でいろいろな、たとえば清掃会社であるとか、あるいはレストランであるとか、みやげもの店とか、そういったものを開いている人たちが、将来羽田空港がさびれて成田が栄えるのではないか、その際にやはり成田にも営業権を確保する先取特権が自分たちはあるのだというような議論が、運輸省の内外に——運輸省のお役人ということじゃないのですが、運輸省の周辺の人たち、たとえば退職者とかそういった人たちの中に、そういう考え方があるように私は聞いております。これは大臣にお願いでございますが、もちろん羽田の人たちも生活をする権利がありましょうけれども地元農民土地を売って補償金をもらうからいいじゃないかということでなくて、さっきもお願い申し上げたように、政府がいっておられるように、喜ばれる空港をつくるというなら、ひとつこういうものは従にしていただく。いま言ったようにタクシーとか、たばことか新聞とか切手の販売というものは、空港内ではばかにならない営業権ですから、こういったものはまず地元民に渡してもらいたいということを御留意いただきたい。これは回答はけっこうでございます。お願いします。  さらに農林省に伺います。実は、この地元対策というものは、御承知だと思いますが何といいましても農業対策——この三里塚空港敷地内が農業地帯であるために、農業対策というのが主になる。ところが、これは実は農林省の担当者に来ていただいてお答えいただくよりも、政府全体の姿勢の問題だと私は思うのですが、この肝心の農業対策がいまだに非常に不明朗であります。特にこれは、現実に起こっている問題が二つあります。この問題について伺いたい。  その一つは、空港敷地内及びその周辺に、昨年の六月に、空港三里塚に決定される直前に、農林省で認定されました農業構造改善事業としまして、シルク・コンビナートという名前で近代的な養蚕事業に着手したわけであります。ところが空港問題が発生以来、農民はこの空港問題に気をとられてしまって、養蚕には手がつかないということになっておるわけでありますが、これに対する補償その他の対策をちょっと承りたい。
  77. 横尾正之

    ○横尾説明員 ただいま御質問のございました、農業構造改善事業の経緯ないし扱いにつきまして御答弁申し上げたいと思います。  御指摘のございましたように、成田市におきます構造改善事業は、四十一年度からの事業着手地域ということで発足いたしたわけでございますが、地区が二地区ございます。そのうちの遠山地区が、十分御承知のとおり、当国際空港の敷地にかかる地区でございます。その遠山地区につきましては、昨年の四月に一部事業に着手をいたしたわけでございます。その後国際空港設置の経緯になってまいりました関係もありまして、その事業を計画変更いたしまして、県が当該空港事業に関する一環として代替地設置するという、その代替地として選ばれました三里塚地区のほうに計画変更いたしまして、構造改善事業の事業内容を実施をするということで——話が前後いたしますが、事業内容といたしましては、当該地域におきます養蚕のための稚蚕共同飼育施設あるいは壮蚕共同飼育施設の設置、トラクターの導入などの事業を、いわゆる近代化施設ということばで申しておりますが、そういった事業を実施することになっておりましたものを、先刻申し上げましたように三里塚地区計画を変更して実施するということに相なりまして、その事業の一部でございます稚蚕共同飼育施設の設置が四十一年度において行なわれた。今後空港問題の処理の進展と対応いたしまして、当該三里塚地区におきます事業を円滑に進めるようにしてまいりたいということでございます。
  78. 水野清

    ○水野委員 いまのお話はよくわかるのですが、私の伺っているのは、まず空港敷地内では一では、もっとこまかい数字で申し上げましょう。空港敷地内に入る人は、私が調べたところでは、これは公団の補償対象になるということなんです。補償をどうするかということを私は聞いているのです。計画変更したということは、その次に伺おうと思うのです。そうすると敷地外の人たちは、計画変更したから補償しなくてもいいということですか。それを伺いたい。
  79. 横尾正之

    ○横尾説明員 遠山地区におきまして従前事業に着手しました施設につきましては、いままでのところ三千五百九十万余りの事業費を投下しております。その問題に対します補償の問題が一つあるかと思います。  この補償の問題につきましては、私どもといたしましては、空港に関する補償問題を処理するその一環として、今後地元に損失が生じないような補償が講ぜられることを希望いたしております。その機関といたしましては、私どもの立場から申し上げる筋ではないかもしれませんが、空港公団がそういった事務を扱うとすれば、その一環として処置をするようにしていただきたいということを期待しておるわけであります。
  80. 水野清

    ○水野委員 わかりました。時間がないので私がここで一方的に申し上げますけれども、これはおそらくいま答弁し切れないと思うのです。この次までにひとつ調査をして、報告書を出していただきたい。私の調べたところでは、昨年認定したこの構造改善計画の、要するに養蚕組合というものは百八十六名、面積にして百二十一・四ヘクタール。これは四十一年の六月認定です。それで昨年空港問題が起こった際に、これは中止ということになりました。これは計画変更になる前に、一たん中止になりました。それで、これは農協によって、信連の融資ですが、八千八百六十万九千円という補償が出ている。この補償は農協の所属建物なんかに支払うために五千二百万余、それから桑の栽培者に三千四百九十万七千円という金が出ているわけであります。これはいいのです。ところが、これは桑の裁培者の問題なんです。建物のほうは一年きりでけっこうです。しかし桑の栽培者は一ことしも桑が植わっている。桑というものは、こんなことを申し上げると失礼ですが、これを去年一年補償されても、これを抜根をして新しい畑作地に直すのに、非常に労力が要るわけです。金もかかるわけです。ことしも補償しなければならぬと思っている。それで、いま第二次のいわゆる縮小計画を言っておられるけれども、この点についても、はっきり申し上げると非常にずさんなんです。むしろびほう策としか私にはとれない。その組合加入者がたった十四名です。第二次のいわゆる縮小の計画は十四名しかいない。そのうち、さっき申し上げた百八十六人のうち十二名しか残っていかないのです。大半の養蚕組合員は、もう養蚕はだめだ。この空港がくるので、ちょうど空港滑走路の額ぶちのようなものだけが残るわけです。こんな散漫な桑園では養蚕ができないということが一つ。それから労働力のバランスが狂ってくる。これが一つ。その他理由がありまして、だめだというので見捨てているわけです。それを農林省と県がびほう策として、もう一ぺんやれといっておる。現にこれは、個人的名前は申し上げないけれども空港予定地の中に、ことし桑を植えさせているのです。数が少ない、たった十二名じゃ養蚕組合にならないから君たちもやれといって、空港の買収予定地にことしまた桑を植えさせておるのです。みんな桑を植えてどうしようかといっているのに、まあ補償はいずれ何とかなるだろうから、桑を植えなさい。こういう農業政策では地元民が信用しないのです。私はそのことを申し上げている。その調査はできていないでしょう。そういう内容についてどうですか。
  81. 横尾正之

    ○横尾説明員 信連の融資によりまして当面の措置をしたというようなこと及び生産補償の問題につきましては、先生が御指摘したような状態になっておると存じます。
  82. 水野清

    ○水野委員 こういうことを知っていますという、これだけでいいのです。
  83. 横尾正之

    ○横尾説明員 その大体の事情は知っています。ただし、私のほうで一言申し上げたいのは、計画変更地域にかかる問題でございますが、これは県自体として地元の意向も聞いて、これが望ましい方向であるという計画を立てて、その実行として先刻来申し上げたような状況になっておる。その場合に、その事業によって受益する農家は六十戸である。その六十戸のうちの一部が計画変更前の遠山地区の関係農家の一部であります。それから他の一部は……
  84. 水野清

    ○水野委員 時間がないから、これはひとつ調査報告を提出していただくわけにいかぬですか。
  85. 横尾正之

    ○横尾説明員 それからお話のございました大体の状況は、さらに県と連絡していきたいと思います。
  86. 水野清

    ○水野委員 私もこの問題について二月前に警告をしたのです。そうしましたら、ようやく第二次計画が半分の計画に縮小してやったわけです。ほんとうはもっと大きかった。しかももう一つ申し上げると、去年の計画でプレハブを建てて、いわゆる稚蚕飼育所をつくったのが、いまさびついているのです。それを移せば移動の費用だけでいいのに、新しく予算をつけてまたそこへ別のむねを建てているわけです。そういうむだなことをなぜする必要があるのか、非常に私はおかしいと思うのです。そのことも含めて、一方的に失礼ですけれども、時間がないから報告書をつくっていただきたい。
  87. 横尾正之

    ○横尾説明員 いまの事情につきましては、さらに県と連絡をして調べてみたいと思います。
  88. 水野清

    ○水野委員 よろしくお願いいたします。  それからもう一つ、さっき山村委員からお話もございましたけれども、要するに空港敷地内の問題、国有農地の問題、規定はいまおっしゃったようなことだと思いますけれどもただいまのシルク・コンビナートの問題につきましては——大臣にお願いいたしますが、シルク・コンビナートの問題にしましても、国有農地の問題につきましても、実はこういうささいなことを法律的に、やってやろうと思えば何とかめんどうを見てやれる問題があるわけです。それをまずやってやることが実は農民との、このごろのはやりことばで言うと対話ですか、話し合いをする糸口になると思うのです。そういう姿勢がいままで足りない。実はこのあと農林省の畑地かんがい事業その他について伺いたいと思ったのですが、あと小川委員の質問があるそうでございますから、最後にお願いします。  こういうささいな問題から、国の法律ができないといえばできないのですが、また法律というものは何とかひとつ違法にならないように解決してやろうと思えばできるわけです。こういう問題を今度成田に、現地においでになる前に前向きの姿勢で解決をして、そして地元農民がこういうことをやってくださる運輸大臣ならば、これはわれわれは城を明け渡して空港をつくらせても、将来私たちの生活は保障されるだろう、こういうふうに信用してくると思うのです。まずそういう点についてひとつ御努力をいただきたいと思います。
  89. 大橋武夫

    大橋国務大臣 きわめて有益な御意見を伺いまして、十分御趣意のあるところを実行いたしたいと思います。
  90. 進藤一馬

    ○進藤委員長代理 小川三男君。
  91. 小川三男

    ○小川(三)委員 運輸大臣に伺いますが、先ほど山村委員質問の中で、あなたは三里塚以外に適地はないということを答えられた。富里八街あるいは霞ケ浦、浦安を除いて三里塚が最大の適地である。適地であるというには、その前提に適地であるという調査の資料がなければならないはずだと思うのですが、いつあなたのほうで三里塚——これは航空審議会の答申案にも三里塚案は出ておりませんよ。富里付近というものを拡大解釈して成田の中に入ってきておる。それにしても適地であるというならば、適地であるという前提の調査がなければならない。その調査をどんな方法で、どういう調査をなさったかを伺いたい。
  92. 大橋武夫

    大橋国務大臣 適地であるということはいろいろな意味もあろうと思いますが、私は実際的な見地からこれを適地と申し上げたのでございまして、その意味は少なくとも適地、不適地を議論するにあたっては、現在の段階では取得可能な土地でなければならないということが前提でございまするし、また、場所的にも東京近郊でなければならぬというような制約もございまして、こういう制約の範囲内においてこの三里塚を適地と認めたわけでございます。この適地であることのいろいろな条件につきましては、政府委員からさらに補足して申し上げさせていただきます。
  93. 澤雄次

    澤政府委員 小川先生承知のように、この三里塚地区富里地区と非常に近接いたしておりまして、富里地区につきましては航空局関係省で非常に長く調査をいたしたわけでございます。その地質その他三里塚地区富里と非常に類似いたしておりまして、構造的に飛行場として適地である、そういう判断をしたわけでございます。それから気象条件その他につきましても、運輸省の気象庁の資料をずっととっておりまして、気象条件から新空港として建設するに足る、こういう結論を出した次第でございます。
  94. 小川三男

    ○小川(三)委員 時間がないのでスピードでやりますが、いま大臣の答えの中に、土地を容易に取得し得るということが最大の眼目であると言われた。容易に取得し得るという条件はどこにありますか。
  95. 大橋武夫

    大橋国務大臣 私は土地を取得し得ると申し上げましたので、三里塚の用地の完全取得にはずいぶん困難を覚悟いたしております。
  96. 小川三男

    ○小川(三)委員 したがって、あなたのほうで調査されたのかと聞いておるのです。たとえば、その住む人間条件、あるいは土質の状態、あるいは気象の問題、あるいは用排水の問題、その他いろいろな条件があるでしょう。先ほど水野君が農林省の方に質問しておった。私は十八日に農林水産委員会に出て、この問題を追及しているのです。いいですか。この土地の中には、丸朝園芸農業協同組合という、これは町の補助金も県の補助金も政府の補助金も一切受けてない、自主独立で経営している、単位農協では日本一の出荷率を誇っている園芸組合がある。日本一なんです。しかもここには一人の出かせぎ者もいないのです。出かせぎしておった人たちもみんな帰ってきて、いま約千五百町歩の計画栽培、計画出荷を行なっております。これは単位農協として数字が明確に示しておる。少なくとも農林省の園芸局はこれを掌握しておるはずです。日本一の出荷率を持っておる。こういう組合があるわけです。こういう条件をあなたのほうで知っておったのかどうか。この丸朝園芸農業協同組合は全組合員をあげて、土地を死守しなければならぬといってやっています。この間も三百台もの軍を出してデモをやっておる。われわれが独自で開拓してきたこの土地なんだから、断じてこの土地は明け渡さないといって、戦おうとする決意を持っておる。そういう条件をあなたのほうで調査されたのか。さらに言いますが、成田周辺に三里塚の宮内庁の牧場を除いて、三十四の牧場があります。この中でこの間も日本ダービーで一等、二等、三等というような世界的名馬を出しております。このような条件をあなたのほうで調査されたのか。さらに、いま水野委員が言われたようなシルク・コンビナートの問題があるでしょう。閣議決定に先立って桑を切らせるような、そんなことをやっていてどうして大衆がこれを信用するか。これは重大な問題ですよ。(水野委員「競馬はばくちだから言わぬでよいだろうと思って言わなかった」と呼ぶ)何であろうと、事業を営んで国家に税金を払っておるものを、かってにつぶしていいということはない。そういうような条件、これは住む人間条件ですよ。まずこの条件をあなたのほうで調査されたのかどうか、現実に。
  97. 大橋武夫

    大橋国務大臣 三里塚飛行場を実現いたしますまでには、広範な土地の取得が必要でございまして、いまこの土地の提供につきまして地元で相当有力な反対があることは、私どもも十分承知いたしておるのでございます。そもそもこれらの農民方々にとりましては、土地の提供ということは農業生活の廃止ということであり、今後の生活を考えると、これは大きな生活革命ということにもなるかもしれませんので、そういう境遇にこれらの篤農家の皆さまを追い込まなければならないということにつきましては、私どももまことに申しわけない、御同情にたえない次第だ、こう思うのでございます。そこでこれらの方々のうち御要望のあります方には、付近においてできるだけ代替地を提供して、そして従来の土地に比してあるいはいろいろな条件は必ずしも同一ではないかもしれませんが、従来の生活設計を続けたいというお方には、そういう方法で続けていただくような万全の措置も考えておるようなわけなのでございます。しかし何といたしましてもこの成田空港の新設ということは、今後の日本経済全体ということを考えまして、将来のために絶対不可欠のものであるというのが政府の確信でございまして、そのためには、地元方々で犠牲をお払いになる方には心から御同情を申し上げ、またその犠牲に対しましてはできるだけ手を尽くして、その犠牲が少しでも少なく終わりますように万全の措置を尽くしながらも、ぜひこの計画だけは進めていきたい、こう考えております。
  98. 小川三男

    ○小川(三)委員 私の聞いておるのは——運輸大臣、あなたはいまいろいろな対策について答えられておる。私の聞いているのは、第一に、ここに住む人の条件を調査されたかどうか、第二には土質の状態はどんな機関でいつ調査されたか、それから第三には、いま澤さんの答えられた気象の条件について、どこでどんな資料を調査されたのか、さらに用排水の問題、そういう問題についてどの機関でいつ調査されたのか、いま出なかったならば資料を提出してもらいたいのです。
  99. 澤雄次

    澤政府委員 土質につきましては、関東ローム層の状態は、これは富里成田も同一条件でございまして、この除去は可能であるということを関係各省と協議したわけでございます。  それから気象条件につきましては、運輸省——具体的に申し上げますと気象庁の資料、千葉県布佐、佐原、茨城県牛堀の観測資料に基づきまして気象条件を判断したわけでございます。霧の発生が若干多いことも存じておりますが、空港として使用するのに支障ない、こういう判断に基づきまして決定いたした次第でございます。
  100. 小川三男

    ○小川(三)委員 そういう資料も調査されたなら、それをひとつ国会に出してもらいたい。  それともう一つは、用排水の問題なんです。どこから水を持ってきて、どこへ排水するのか。いま方々に団地ができて、団地から出てくる水はほとんど窒素分が多くて、かんがい用水には不適当なんです。したがってこれは栗山川の本支流に流す、あるいは根本名川に流す、あそこには河川は二本しかないのですから。その実情をあなたのほうで調査されたなら、どの機関がいつ調査したか、それを答えてださい。
  101. 澤雄次

    澤政府委員 先ほど御要求の資料は、書面をもって委員会に御提出申し上げます。  それから用排水の問題につきましては、現在、昨年七月四日の閣議決定に基づきまして、関係省で昨年以来引き続き、閣議決定以来調査を実施しております。これは四十三年度の予算編成までには、具体的計画がきまってくると思います。
  102. 小川三男

    ○小川(三)委員 先ほどの問題、農地の問題にしても、この間農林水産委員会で、農林省当局がもし農民を守る意思があるならば、農民を守ろうとする行政機関であるならば、なぜこういう問題について現地調査をやらなかったのか——あなたのほうでもやるべきだ、当該の仕事を進めるあなたのほうでもそのとおりです、農林省だってそのとおりです。全然やっていないでしょう、だれもやっていない、どの機関も。そうして富里でだめだから成田だ。しかも運輸大臣、いま空港公団はあそこの強制立ち入りの公示を知事に求めておるわけです。しかも、そこへ木のくいを打ったのでは抜かれてしまうだろうというので、ドラムかんをつくってそれへ鉄棒を入れて、これをコンクリートで固めて打とうとしておるわけです。これほど農民を敵視した事業が、どこの世界にあります。こんなようなことでは、さっき山村委員が言われた、だれが、宣伝がどうだ、パンフレットがどうだ、そんな現象的な問題ではない、根本的な態度が問題ですよ、そうでしょう。空港問題が始まってから、大橋さん、あなたで運輸大臣は六人目ですよ。航空局長が四人目です。このようにかわるたびにそれぞれの意見が違っておるわけです。どうして現地の人たちが信用しますか。根本的な問題ですよ。
  103. 大橋武夫

    大橋国務大臣 歴代運輸大臣、あるいは歴代航空局長によって考えが違っておるじゃないかというお話でございますが、歴代の運輸大臣にいたしましても、歴代の航空局長にいたしましても、新空港の国家的意義ということから考えまして、ぜひともこれを完成しなければならぬという一念においてはみな同一でございまして、異なるところはないのでございます。ただ、そのときどきの情勢に応じまして——何としても地元方々の納得を得てこれを実施しなければならぬ責任がございますので、具体的なそのときどきの方法、手段においては、これは情勢によって幾らかの変わりがあったかと思います。私といたしましても歴代大臣のお考えを継ぎまして、現下の情勢をもとといたしまして、できるだけの努力をいたしたい考えでございます。
  104. 小川三男

    ○小川(三)委員 時間がないので急ぎますが、この間の運輸委員会成田空港公団の総裁は、就任当時の記者会見で、世界一の国際空港をつくるのだということを言っておるが、いまもその信念と方針には変わりはない、こう答えておる。  そこで、これは地元における大きな不信の原因ですから申し上げます。三本の国際空港では、沢局長がこの間言われたように、十年まではもつ、しかし十年の後にはまた考えなければならぬ、しかし三里塚空港は十年の後でもりっぱな空港として使用し得ると、あなたは答えておる。それと同時に、四千メートルの滑走路を非常に急いでおる。成田さんは決して三本の滑走路などという飛行場を考えていないということは明らかだ。ですから、四千メートルの滑走路をつくって飛行機をどんどん飛ばして、住むに住めないような状態にして大衆を追い払おうとしておるのだ。こう受け取るのは当然ですよ。もしそうでないならば、十年の後にもう一カ所空港をつくらなければならないとしたら、いまのブルー14の問題やその他米軍に管制されている空の問題を解決しない限り、またもう一度——千葉県内に土地はないでしょう。やり得ますか。その点答えてください。
  105. 大橋武夫

    大橋国務大臣 この新空港建設に、約五年ないし七年かかります。で、その後の日本航空界の状態を見ますと、この成田飛行場も使用の限界に達するであろう。それが大体十年後というふうに思われるわけでございます。したがって、いまのところ、私どもは現在の時点から出発いたしまして、まず十五、六年後までは、成田空港羽田空港で一応東京付近の航空機の受け入れ体制は間に合うだろうと思っておるのでございまして、問題はその十五、六年たった後のことをどうするかということでございますが、科学技術の進歩は無限でございまして、航空機の性能なり、あるいは輸送力というようなものも、いろいろその間には新しい趣向もあらわれてくるだろうと思うのでございまして、その後のことにつきましては、いましばらく時の経過を見た上であらためて考えたい、こう思っております。
  106. 小川三男

    ○小川(三)委員 これでやめますが、十年あるいは十五年の後にもう一カ所飛行場をつくらなければならないということは、明らかに二重投資です。それが一つ。それから、このブルー14ですけれども、あなたのほうで航空管制の図を見られたら、日本の空は完全にアメリカ空軍に支配されているでしょう。この問題に触れないで、アメリカにはお願いしていますが聞いてくれませんなどということを国会で答えているんですよ。アメリカにはお願いし、地元農民は追い出そう、そんな考え方でこの問題の解決は絶対につきませんよ。これはこのままあなたのほうで強行するなら、第二、第三の砂川事件が起きることは明らかです。これはよく知っておるでしょう。こういう問題です。——これは笑いごとじゃないですよ。したがって、あなたに伺っておきたいことは、少なくとも国力を上げて米軍に向かって、空の管制を解くことを、日本に返すことを要求すべきですよ。運輸委員会で決議するなり、国会で決議するなり、あらゆる手段をもって、国力をあげてこの問題と取り組むのが当然だと思うが、それに対するあなたの考え方を聞いておきたい。
  107. 大橋武夫

    大橋国務大臣 最初にお断わり申し上げておきますが、日本の上空は、管制の面におきましては日本政府当局の管制下にあることは、これはまず第一に御承知を願いたいと思うのでございます。  そこで、ブルー14の問題でございますが、これにつきましては、御承知のとおり、わが国の国土の防衛という、民族の根本的な問題に関係する安保条約の履行ということにもとを発しておるものでございまして、私どもは民族の安全、国土の防衛ということは、日本といたしまして何ものにも増して、最優先的に考えるべき事柄の一つではなかろうかと思っておるわけでございます。そこで、ブルー14という問題が今度の飛行場成田に持っていった原因になっておるかどうかという点でございますが、この点は無関係でございまして、現在成田以上の適地を東京付近において発見することは不可能である。こういう事情から成田になったわけでございます。成田は必ずしも、ブルー14が存在するからそのために成田になったんだというわけではないのでございまして、この点も第二点として誤解を解いていただきたいと思うのでございます。  第三に、成田飛行場建設した後十年にして第三の飛行場をつくらなければならぬから、これは二重投資になるではないかというお話でございますが、これは決して二重投資ではございません。その場合におきましても、やはり第三の飛行場が設けられましても、その第三の飛行場成田飛行場と現在あります羽田飛行場、この三者それぞれ相まってその際の飛行場の離着陸に当たる、こういう体制でございますので、断じて二重投資とは考えておりません。
  108. 小川三男

    ○小川(三)委員 ぼくはやめようと思ったのですが、あなた重大な問題を言うものですから……。いいですか、日本の空は全部日本の管制下にあると答えられたが、そうすると、アメリカ空軍は日本の管制下にあるということを言い切れますか。アメリカ空軍が演習する場合に、日本当局の許可を得てやっておるのですか、どうなんです。  それともう一つは、先ほどブルー14は成田空港とは無関係であると言われたが、いままでの国会での答弁では、ブルー14のために東京西北部の空は使えないのだ。したがって、空のあいているところはあの地域しかないのだということをずっと答えていたのだ。したがって、あなたといままでの大臣航空局長の答弁は、完全に違っておる。この点明確にしてもらいたい。
  109. 澤雄次

    澤政府委員 航空路の管制の支配については、日本政府が完全に持っておるわけでございます。ただ、ブルー14はその下にございます横田、厚木、立川、これらの飛行場を基地として米軍に提供しておりますので、これを米軍が返さない限り、このブルー14というものは絶対に廃止ができないわけでございます。  それで演習の場合とございましたが、これは管制に関します米軍と日本政府との協定によりまして、一定の場合に、たとえば敵機が襲来してスクランブルを組む場合、あるいは演習をいたします場合には、米軍用機を優先する、こういうような協定でございます。この協定内容は委員会にも提出してございます。  それからブルー14と成田関係でございますが、これはたとえば羽田を——飛行場の選定につきましてはいろいろな地域を、先生承知のように選んだわけでございます。このブルー14がひっかかりましてできない場所もある、こういうことでございます。たとえば東京羽田空港拡張することは、これはほかにもいろいろな難点がございます。東京湾の船の航路等の関係その他もございますが、かりにそれらが克服されて、二本の滑走路をつくったとしても、その場合には一方がブルー14にひっかかるのでは東京の羽田は拡張できない、こういうような事情はあったわけでございます。ただその他の候補地につきましては、いろいろなほかの条件もございますが、大臣のおっしゃいましたように、ブルー14が障害になっていないものもずいぶんあるわけでございます。ほかの障害で結局この地区に決定した、こういうことでございます。
  110. 小川三男

    ○小川(三)委員 それではこれで質問をやめますが、日本の管制下にあるという運輸大臣の答えと、それからブルー14の問題については、いままでの国会での答弁の資料を用意してあらためて伺います。  それから委員長にお願いしておきたいのは、これほどの重大な問題なんで、ぜひとも運輸委員会なりで現地の調査をやっていただきたい。先日の委員会で水野委員から各党各派で現地調査をやったらどうだということの提案がありましたが、せめて運輸委員会なりとも現地の調査をやってもらいたい。
  111. 進藤一馬

    ○進藤委員長代理 理事会で十分に相談しまして適当な時期に行ないたいと思います。  米田東吾君。
  112. 米田東吾

    ○米田委員 私は、日ソ航空協定の問題と、この間ソビエトのロギノフ民間航空相が来られまして、新潟−ハバロフスク航空路の問題を提起されておりますが、そのことについて御質問したいと思います。  日ソ航空協定が締結されるまでの長い問の交渉、特に一昨年の七月以降の交渉、それから締結という段階で、当時の大臣は中村運輸大臣だったと思います。航空局長は当時どういう関係におられましたか、お聞きしたいと思います。それから大臣からは、この協定の交渉や締結にあたっての経過は十分御存じであろうと思いますけれども、その点まずお聞きしておきたいと思います。
  113. 澤雄次

    澤政府委員 日ソ航空協定を締結いたしますときには、私はその前半におきましては海運局の次長、後半におきましては官房長をやっておりました。それから現大橋運輸大臣大臣に御着任になりましたときは、もう日ソ航空協定はできておったわけでございます。
  114. 米田東吾

    ○米田委員 私が調べたところによりますと、この協定はいうなれば日本とソビエトとの共同運航方式、要するに、シベリア上空が開放されるまでは、ソビエトの民間航空をチャーターして共同運航をやるという方式、当時運輸省としてはそういう方式に対しては賛成されておらなかったようにのでありますけれども、この間の経過をお聞きします。
  115. 澤雄次

    澤政府委員 日ソ航空協定の問題が、実は先生承知のように、これは正式な政府ベースではございませんが、この話は、あるいは実業家、あるいは国会の先生方が日ソ両国を往復されておられる間に、この問題はいつもあったわけでございます。ところが、これがなかなか正式な交渉にならなかったのは、結局シベリアの空を日本の飛行機に開放するかどうかという問題の点に関しまして、日本政府の踏み切りがつかなかったということでございます。
  116. 米田東吾

    ○米田委員 要するに運輸省としては、シベリア上空が開放されないというものであるならば、この共同運航方式はやめたほうがいい。当時一番最初に出されておりましたのは、たしかハバロフスク−東京、ないしはハバロフスク−新潟、むしろそのほうが当面日本としては条件がよろしいのではないか。そしてシベリアが開放された段階において、それを既成事実として移行をしていく、そういう方法がよろしいのではないかというのが運輸省当局のお考えのように聞いておったのでありますが、その点はどうでありますか。
  117. 澤雄次

    澤政府委員 部内にはいろいろ意見がございまして、ただいま先生のおっしゃいましたように、日本航空機によってシベリア上空を航行することができるまでは日ソ協定を結ぶべきでない、あるいは新潟−ハバロフスクで日本の飛行機で飛べるならば、そっちも考慮すべきではないか、このようないろいろな意見があったことは事実でございます。しかし最終的には、運輸省、外務省その他関係政府機関が、現在の協定のような形で日ソ協定を締結するということにつきまして、完全に意見の一致を見まして、その間政府部内には意見の相違はないわけでございます。したがいまして、運輸省も現在の協定の線で意見が統一されているわけでございます。
  118. 米田東吾

    ○米田委員 この間ソビエトの民間航空大臣であるロギノフさんが来られまして、これはたしかすでに予算委員会と外務委員会で、大臣と三木外務大臣質問がなされておりますけれども、あらためてハバロフスク−新潟航路の問題が提起されておりますが、そのことについて大臣は御承知でございますか。
  119. 大橋武夫

    大橋国務大臣 ハバロフスク−新潟間の新しい航空路を開設してはどうかという御意見が開陳されたことは、事実であります。
  120. 米田東吾

    ○米田委員 新聞によりますと、大臣の御答弁というのは、外務省当局の答弁とだいぶニュアンスが違うように思うのでありますけれども、私、確認さしてもらいたいのは、四月二十五日に予算委員会で稲葉委員の質問に対して大臣は答えられておる。その答えられた趣旨は、これは申し上げませんでもおわかりだと思うのですが、そのことはいまも変わりありませんか、お聞きしておきます。
  121. 大橋武夫

    大橋国務大臣 先月の二十五日に、予算委員会におきまして稲葉委員にお答えいたしたことは、いまもそのとおりに考えております。
  122. 米田東吾

    ○米田委員 衆議院の外務委員会でこの条約が承認されましたときに、附帯決議がたしかついておるはずだと思う。その附帯決議は、政府に対して、シベリア上空が開放されるまでという期限なんでありますけれども、要するに、早く自主運航ができるように、それができなければ、これは二年という期間があるのでありますけれども、打ち切っても断固として自主運航をやるようにという何かきつい附帯決議がついておるようであります。その点は御存じでございますか。
  123. 大橋武夫

    大橋国務大臣 よく承知いたしております。
  124. 米田東吾

    ○米田委員 そうしますと、政府としては当然その附帯決議に対して努力をされなければならぬと思うわけであります。幸いその後ロギノフ航空大臣が来られたわけでありますから、しかも相手の大臣はあなたを訪問されておるわけでありますから、この趣旨に従って何らかの積極的な折衝なり打診なりが当然なされるはずだと思うのでありますけれども、この点はどうでございましょう。
  125. 大橋武夫

    大橋国務大臣 お目にかかりました機会に、こうした決議があるということを申し上げてございます。
  126. 米田東吾

    ○米田委員 もう少し詳しく説明をしていただきたいと思います。それだけでは答弁にならぬと思います。
  127. 大橋武夫

    大橋国務大臣 共同運航の形式がすみやかに自主運航に切りかえられることについて、日本政府は強い希望を持っておるということをよく申し上げてございます。
  128. 米田東吾

    ○米田委員 ことしの四月の二十五日の予算委員会第四分科会、ここでこの問題が論議をされておるのであります。それからもう一つは、昨年の四月の二十二日にこの問題が外務委員会で審議をされているときに、日航の松尾社長を参考人に呼びまして、やはり審議が続けられておるわけであります。このときの議事録によりますと、松尾社長は、増便とか、あるいは機種をかえてもっとスピード化するとか、そういうようなことについては日本側としてはやるべきでない、とにかく自主運航一本で対処をしていくべきだという趣旨の答弁をなしておる。これは答えたのは松尾日航社長でありますけれども、当時外務大臣やあるいは航空局長も列席の上でそういう答弁をしておるわけでありまして、これはある程度統一された政府見解と見ていいと思うのでありますが、どうでございましょうか。
  129. 大橋武夫

    大橋国務大臣 現在使用いたしております航空機はソ連機でありますが、ジェット機ではございません。そこで今年の夏過ぎにこれをジェット機に切りかえるという考えを、ソ連の民間航空大臣が見えましたときに申しておりました。使用航空機につきましては直接協定に規定した事柄ではございませんが、時勢の移り変わりに従いまして新型の航空機を使用する、そのほうがよいものならばこれは当然の事柄だろう、こう思いますので、私どもといたしましても、新しい機種について日本側の検査に合格するものであったならば変更を認めてもよかろう、こう思っております。また増便の問題につきましては、今後の実績を見て慎重に決定すべき問題でございまして、現在の段階においてはまだ申し上げるべき事柄ではないと思います。
  130. 米田東吾

    ○米田委員 新聞の伝えるところによりますと、ロギノフ大臣運輸大臣に対して、七月末か八月ころから現在配置している飛行機の型を新しいイリューシン62型にかえたい、それから増便をはかりたい、そういう考えを伝えたということが書かれておるわけでありますけれども、この点いかがでありますか。
  131. 大橋武夫

    大橋国務大臣 使用航空機につきましては、ただいま申し上げましたとおり、先方からそういうお話を伺っております。  それから増便の問題につきましても、先方の希望としてそういう話が出ましたし、またそれにつけ加えまして、貨物専用便を始めたいというような話もございましたが、この二つの問題に対しましては、先ほど申し上げましたるごとく、東京−モスクワ線は現在開業早々のことでございます。増便等の点については今後の実績も見なければなりませんし、またわが国航空企業に及ぼす影響等も十分考えなければなりませんので、その際は何ら回答をいたしてないような状況でございます。
  132. 澤雄次

    澤政府委員 ただいまの大臣の御答弁に補足させていただきますと、協定七条におきまして、使用する航空機の機種その他輸送力に関する事項は、両締約国の航空当局間の合意によるということになっております。この航空当局間の合意によって使用する航空機はTU114、いま使っておりますターボプロップ機、それかもしくはIL62型、これはターボジェット機この二つというふうに合意をいたしておりますので、TU114からこのイリューシン62型にかえますのは安全検査、日本政府当局の安全の確認さえあれば、この機種変更はできるわけでございます。
  133. 米田東吾

    ○米田委員 きょうは外務大臣はおいでではございませんので、その質問はあとに回しますが、たしか予算委員会での外務大臣の答弁では、現在の共同運航方式というものをもっと確定させるということが最大のねらいだ、その段階として増便とかスピード化とかいうことを漸次やっていくのが当面の考えだ、別ルートというものは考えるべきでないという答弁をされておるわけであります。そうしますと、ロギノフ航空大臣が提唱しておる、機種をかえることや、あるいは増便、貨物専用便、そういうようなものを漸次かえていきたいというこの提案は、日本政府の考えと一致するということになるわけで、これは日本政府といいましても外務大臣でありますけれども、そういう考えは要するに、二年後のシベリア開放というものがそういうことによって可能になるという希望を持ったものだと思うのでありますけれども大臣はソビエトの航空大臣に会われまして、二年後のシベリア開放という問題については、そのような希望が持てる状態であるとお考えになりましたかどうか、この点ひとつ率直な御見解をお聞きしたいと思うわけです。
  134. 大橋武夫

    大橋国務大臣 この問題につきましては、私は何とも結論を出し得ませんでした。
  135. 米田東吾

    ○米田委員 私の質問したい要点は、変則的な共同運航方式というものをとっておる、これは二年という期間はあるけれども、そうならざるを得なかった背景というものは、当時この協定の交渉や折衝に当たられた日本政府の代表並びにいまの運輸大臣、三木外務大臣、その辺の事情は十分おわかりなんじゃないか。これはむしろ航空技術的な問題よりも、もっと基本的にシベリアを開放し得ない問題が別にあると私は思うのです。そういう状態を見のがしておるといいましょうか、触れないで、ただ増便だとか、あるいは機種を変えるとか、そういうようなことによってシベリア開放というものをなしくずし的に期待が持てるんだ、そういうような考えでいるということについては、どうも私は欺瞞ではないかと実は思うのでありますが、そこらあたりの点は大臣はどのようにお考えでございましょうか。これは当時の条約局長なりあるいは外務省の関係の方、できたらそちらのほうからも御答弁いただきたいと思います。
  136. 澤雄次

    澤政府委員 まず運輸省のほうから御回答申し上げます。  協定の議事録にございますように、約二年以内に日本の飛行機がシベリアの空を飛ぶことの実現することを強く要望し、これに対しソビエト連邦社会主義共和国代表者は、日本国政府の代表者のその強い希望を了承したということが協定上はあるわけでございます。  それから、先般ロギノフ民間航空大臣大橋大臣のところに参られたときに、私もそばで陪席いたしたわけでございますが、これは単なる向こうの会話でございます。このシベリア航空路は非常に有意義な航空路であるから、将来すべての国に対してこの航空路を漸次開放していきたいと思っているということを、ロギノフ大臣大橋大臣に言っておられたのをそばで聞いていたわけでございます。そういう発言から見ますと、ソビエト政府といたしましては、この空は漸次外国の航空機に開放していくというふうな方針である。このように推測いたしたわけでございます。
  137. 岡田晃

    ○岡田説明員 私は一昨年の十月からこの交渉締結に至るまでずっとこの交渉をいたしたものでございますので、経緯をよく存じ上げておりますので、その後ロギノフが三木大臣にお会いになられたこの経緯も加えまして、ただいまの御質問にお答え申し上げます。  二カ年間に単独運航、自主運航ができるようにするというわれわれのいわゆる熱意というものにどうしてもこたえてもらいたいということに対して、彼らの回答はどういうことでございましたかと申しますと、要するに、外国機と地上との連絡のために必要な諸設備をシベリアの諸点において設備をする場合に、非常に時間がかかる。もちろん金もかかる。彼らのことばをそのとおり言いますと、当時六百万ルーブルと言っておりましたが、非常に金も時間もかかる。したがって、自分たちが外国との間で、他のルートにおいて——これはイランその他、他のルートでございまして、シベリアではございませんけれども、そういうところで現実に外国機とソ連の地上施設との間の連絡ができるようになるためにがかった時間から換算して大体二年ぐらい、こういうことを言って彼らが応答したわけです。ただはっきり二カ年以内ということは言えないいろいろな事情が、先生御推測のようにあるかとも考えられますが、はっきりとした確約は与えられないというので、ああいうような、議事録に記載されておるような表現になっておるわけでございます。この間ロギノフ航空相が参りましたときにもこの問題が出まして、三木大臣からも非常に強く、どうしても二年以内に開放してもらいたいということを申し入れられましたし、昨年の一月に椎名前外務大臣が訪ソされましたときにも、やはりこの問題を提起されておりますし、また今回首相の特使である川島先生がモスクワに行かれましたときにも、コスイギン首相に会われまして、コスイギン首相に対してこの要望をしております。はっきり二年以内に開放するということは公電では入っておりません。十分に検討する、そういうことを言っているだけで、正確に申し上げますと、はっきり二カ年以内にと確約するところまでは至っておりません。  以上が経緯であります。
  138. 米田東吾

    ○米田委員 いま御説明いただいたような経過は、当時国会で審議になりましたときの議事録によって明らかであります。私も全部調べておりますので、大体わかっておるわけでありますが、問題はそういうことで、日本の外務省なりあるいは運輸省当局がこの問題をそのとおりに認識されているはずは私はないだろう、そう思うのです。また、そういうことであってはいかぬだろうと思うのです。要するにシベリア開放の問題、航空機を飛ばすのに地上の安全施設に二年間かかるとか、金が幾らかかるとか。現にあそこはソビエトの飛行機が飛んでいるわけです。そこを今度は日本の飛行機が飛ぶ。国際的に開放されますれば、諸外国の飛行機が飛ぶ。私は技術屋ではありませんから、それが二年間かかるかどうかわかりませんけれども、そういうところに問題の本質があるのではないと実は見ているわけであります。この点は、岡田さんでございますか、実際の折衝に当たられてどうでございましょう。
  139. 岡田晃

    ○岡田説明員 ただいまお話しの、現にあの上をソ連の飛行機が飛んでいるとおっしゃっておられますが、ソ連の国内航空の路線として開設されているのではないわけであります。TU114のモスクワ−東京の路線、共同運航路線をそういう概念になさっている場合にはそうでございますけれども、新たに開設された路線でございまして、現実にたとえば北京からモスクワに参りますものはバイカルの南、イルクーツクを通りましてモスクワに入るわけで、現在の路線はイルクーツクの北のほうを通っておりまして、国際路線としては日本とソ連との共同運航でございますから、共同運航としては新しい路線である。その開設の見通しでございますけれども、これはソ連の内部のいろいろな問題があるのだろうと思いますが、われわれとしては国会の附帯決議にもございますように、あらゆる努力をいたしまして二年以内に自主運航ができるように努力するつもりでおります。
  140. 米田東吾

    ○米田委員 私の質問、まだこれから本論に入るのですが、きょうは時間がありません。次の委員会、火曜日に引き続いてやらしていただきたいと思います。できれば外務省からも、きょうも係官がおいででありますけれども、もっと責任ある立場の方も御出席いただきますように。きょうはこれで終わります。
  141. 進藤一馬

    ○進藤委員長代理 次会は、二十六日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十九分散会