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1966-11-08 第52回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年十一月八日(火曜日)    午前十時二十七分開会     —————————————    委員の異動  十一月八日    辞任         補欠選任     杉山善太郎君     小柳  勇君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長        千葉千代世君     理 事                鹿島 俊雄君                土屋 義彦君                佐野 芳雄君                藤田藤太郎君     委 員                川野 三暁君                黒木 利克君                丸茂 重貞君                山下 春江君                山本  杉君                大橋 和孝君                小柳  勇君                森  勝治君                山崎  昇君                小平 芳平君                高山 恒雄君    国務大臣        厚 生 大 臣 鈴木 善幸君        労 働 大 臣 山手 滿男君    事務局側        常任委員会専門        員       中原 武夫君    説明員        通商産業政務次        官       宇野 宗佑君        通商産業省鉱山        保安局長    森  五郎君        労働省労働基準        局長      村上 茂利君    参考人        愛知県医師会会        長       服部けい三君        名古屋市医師会        会長      葛谷  清君        愛知県衛生部長 金光 克巳君        受知県保険医協        会理事長    阿久根 睦君        愛知保険医協        会協同組合専務        理事      堀部 次男君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○社会保障制度に関する調査  (名古屋市における准看護婦養成所問題に関す  る件) ○労働問題に関する調査  (住友石炭鉱業株式会社奔別鉱業所爆発事故に  関する件)  (一酸化炭素中毒症対策に関する件)     —————————————
  2. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ただいまより社会労働委員会を開会いたします。  参考人出席要求に関する件についておはかりいたします。  名古屋市における准看護婦養成所問題に関する件の調査のため、本日、愛知医師会会長服部けい三君、名古屋医師会会長葛谷清君、愛知衛生部長金光克巳君、愛知保険医協会理事長阿久根睦君、愛知保険医協会協同組合専務理事堀部次男君を参考人として御出席額い、御意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  4. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 社会保障制度に関する調査を議題とし、名古屋市における准看護婦養成所問題に関する件について調査を行ないます。  本件調査のため、ただいま御決定がございました五人の参考人方々の御出席をお願いしております。  参考人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわらず、本委員会のため御出席くださいまして、まことにありがとうございます。当委員会におきましては、本件について調査を行なっておりますが、直接この問題に関係しておられます各位からその実情を伺いまして調査上の参考に資したいと存じておりますので、よろしく御意見を御発表くださいますようお願い申し上げます。  次に、本日の議事の進め方でございますが、まことに恐縮でございますが、県衛生部長県医師会会長保険医協会理事長市医師会会長協同組合専務理事の順で、一応お一人十五分前後の程度でそれぞれのお立場から御意見開陳をしていただきたいと存じます。御意見開陳が終わりましたあとで、各委員からの質疑に対しましてお答えいただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  なお、時間でございますけれども、御都合もいろいろございましょうので、多少延びましてもけっこうでございますし、また、多少少なくても、その辺は要点によっておまかせいたしますので、よろしく御配慮いただきたいと存じております。  それでは、これより順次参考人方々から御意見を聴取いたします。  まず、金光参考人にお願いいたします。
  5. 金光克巳

    参考人金光克巳君) 愛知県の衛生部長金光でございますが、愛知保険医協会准着護婦養成所の問題につきまして、簡単にいままでの経緯と、それから、私が考えておることにつきまして御説明申し上げたいと存じます。  愛知保険医協会昭和二十四年十二月に発足いたしたものでございまして、昭和三十五年から見習い看護婦集団求人を行なってまいっておったのでございます。なお、愛知県医師会におきまして、昭和三十九年度から県から百万円の補助金を出しまして、看護婦集団求人を開始いたしたわけでござまいす。そういうことでございまして、三十九年におきましては、県の立場からいたしますと、二本立ての集団求人が行なわれるということになりまして、保険医協会としましては、昭和三十九年十一月に、これは中小企業等協同組合法による認可を受けまして、愛知保険医協会協同組合を結成いたしまして集団募集を行なうことになったわけでございますが、いずれにいたしましても二本立ての形ということでございまして、その間いろいろの問題もあり、両者協議を行なって一本化をはかろうということになったわけでございます。それが昭和四十年三月二十二日に県の衛生部長、当崎の高部部長でございます。実は私は昨年の四月十六日から愛知県の衛生部長を仰せつかっておるわけでございまして、前任者高部部長、それから熊沢県会議員、それから県の医師会長、それから保険医協会協同組合理事長、四者会談で一本化をはかろうということになったわけでございます。なったのでございますが、その後の経過におきましてなかなかうまく円滑にまいらなかったわけでございまして、私が着任いたしましてからも、その後何回か相談をいたして一本化をはかろうということで努力いたしたのでございますが、結局それが実現しなかったということでございます。そういうことで経過をたどっておったのでございますが、その後、保険医協会におきましては准看護婦養成所施設を建設されまして、四月に発足いたしたわけでございますが、実習病院が確保できないというままに昭和四十一年の四月七日に開校したということでございます。そういう事態でございましたので、県といたしましては保険医協会のほうから意見を求めまして、いろいろ事情を聴取し、善処方を要望したということでございます。その後に至りまして、なかなか実習病院が得られないという問題もからみまして、医師会と、それら保険医協会との話し合いというものが進められたわけでございますが、四月二十五日から数回にわたりまして、私もその間に立ちましてあっせんの労をとってまいったのでございますが、なかなか解決がつかなかったということでございます。そういうことで、私としましては、その当時におきまして、まあ両者方々で十分お話し合いいただき、円満に医師会という立場看護婦養成所をしていただきたいということで相当努力をいたし、また、これは実現の見込みがあるという考え方で進んでおったのでございますが、結局それは不成功に終わったということでございます。  そういうことで経過いたしております間に、六月六日になりまして、保険医協会のほうから、准看護婦養成所実習病院が確保できた、名古屋大学の分院と笠寺病院と二カ所が確保されたということで、指定申請書が提出されました。そういうことで私もいろいろ検討いたしました結果、六月六日付で指定を行なったということでございます。そういうことでございましたが、その後七月に入りましてから、名古屋大学の分院のほうから実習指定の辞退をするということになりまして、また、引き続きまして九月に入りまして笠寺病院実習病院を返上ということになったわけでございますが、そういうことでございましたので、県といたしましては、実習病院がなくなるということになりますと、准看護婦養成所としての指定の問題を検討しなければならぬということになりましたので、八月に入りまして保険医協会理事者のほうに善処方を要望したわけでございます。そうしております間に、保険医協会のほうからは、かねがね名古屋市に対しまして、名古屋市の市民病院実習病院を引き受けてもらいたいという陳情、あるいは請願が出ておりまして、その問題をめぐりまして名古屋市議会相当協議が行なわれたわけでございますが、八月の末から何回か県の衛生委員会が開催されましたが、その後また留保、継続審議になっているというような状態でございます。そういうことでございまして、十月に入りまして、実はまた保険医協会理事者方々に、これは公文書をもちまして衛生部長名で指示をしたのでございますが、と申しますのは、実習期間というのは二年の間に六十七週の実習を行なわなければならぬことになっておりまして、普通ならば実習は十一月から開始しなければならぬということでございます。そういうことでございますので、実習期間が切れますと生徒准看護婦試験を受ける資格試験資格がなくなってくるという事態になりますので、十月七日に公文書をもちまして、保険医協会に対しまして実習病院についての努力をしてもらいたい、もし実習病院が確保できないということであれば指定取り消しをせざるを得ないという意味のことを指示したわけでございます。そういうような経過で今日に至っておるのでございますが、私の考え方としましては、やはりこの問題は円満にまず解決していただきたいという考え方でありまして、第一の考え方といたしましては、やはり保険医協会医師会員でございますので、医師会養成所として一貫した教育が行なわれるということが最も妥当であろうと考えまして、そのことにつきましては私として意見を何回か申し述べておるのでございます。そうしてそれがどうしてもできないという場合には、県といたしましては生徒のためにも取り消しをせざるを得ない。取り消しいたします場合に、生徒資格がなくなるということでは困りますので、取り消しをする前に他の学校転入学させる必要があると考えまして、これはどこかの養成所で引き受けていただけば非常に幸いでございますが、いよいよの場合には、県におきまして県立の准看護婦養成所を持っておりますので、そこへ転入学の便宜をはかろうと、現在若干手狭でございますけれども、改装してでも転入学の処置をはからなければならぬという考え方を持っておるものでございます。  まあ以上のような考え方でございます。いずれにいたしましても、これが医師会の一本の形ででき得べくんば運営されるようにという気持ちは現在も持っており、また、その方向に向かって私といたしましては努力しておるというつもりでございます。  以上でございます。
  6. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ありがとうございました。  次に、服部参考人にお願いいたします。
  7. 服部けい三

    参考人服部けい三君) 愛知県医師会長の服部でございます。  今日資料を持参いたしましたので、もしお手元にございましたら、十三枚の資料の中で、まず一番から五番までにつきまして、私からなるべく時間内に御説明したいと思っております。  御承知のように、病院、医院における看護婦の払底は年々窮屈になってまいっておることは御承知のとおりでございます。それで、従来は私ども個々の医者がそれぞれ縁故をたどってこれをさがしておったのでございまするが、最近ではとうていそのようなことでは充足し切れないのでございまするので、この数年来、愛知保険医協会名古屋市医師会、あるいは愛知県の中に豊橋の医師会岡崎医師会一宮医師会と、各郡市医師会がございまするが、それぞれの医師会ごとにそれぞれの方針に従いまして、それぞれの方面にこれの求人を行なっておったのでございます。ところが、その求人先は、ほとんど全部が九州方面にこれを求めておったのでございます。したがいまして、九州方面に、ちょうど求人の時期がまいりますというと、同じ愛知県の医師会会員のわれわれのところで働く看護婦募集人が入り乱れまして、そしてあるものは初任給は一万円だと言えば、あるものは一万一千円だと、いや、それならば一万一千五百円にしようと、まあたとえて申し上げますと、そういうふうに求人条件がそれぞれ出先で違ってまいりまして、いわゆる競合が行なわれるようになったのでございまして、それで労働市場である九州地方のこれに応ずる側においてもふしぎでございまするが、さらに私どもが困りますことは、こちらへ就職してまいりましてこれらの生徒教育する場合に、私のところは一万円だが、お隣の看護婦さんの家は一万一千円だと、その隣はまた一万一千五百円だそうだと、ばかばかしいから少しでも高いところへ行こうということになりまして、看護婦の移動がしきりに行なわれるようになったのでございまして、まことに不便でもあり、看護婦教育上もおもしろくないと存じましたので、お手元資料の一番にございますように、昭和三十九年になりまして、愛知医師会代議員会、大きく申し上げますれば国会のようなものでございまして、代議員会というのは議決機関でございまして、ここで決定いたしましたことの線に沿ってわれわれ理事が執行するわけでございます。したがって、全会員団体自治を守る意味においても、この代議員会決定事項に従わねばならないことになっているのでございます。資料の一番の一番下をごらんいただきますと、五段になっておりますが、一番下の六行目以下に、私がこの代議員会におきまする三十九年度の看護婦雇用の問題について述べましたことがそのまま書いてあるわけでございます。ちょっとお読み申し上げますと、「看護婦集団雇傭の問題はすでに岡崎名古屋一宮など主要都市で行なわれているが、県医師会としては全県的な統一施策をたてて実施する方針をとることにした。このため県労働部をはじめ衛生部教育委員会地方事務所など関係当局と緊密な協調のもとに県内外労働市場の開拓にのり出し、会内的対策としては准看校の増設、労働条件雇傭条件アンバランス是正、引抜きの防止策など具体的の計画を進めたい。いずれにせよ看護婦雇傭対策は、県医師会としては初めての試みであり、担当理事も格段の留意を払って努力することになっている。」、これでございます。  それから、四ページをごらんいただきます。四ページの三段目でございます。これは私のいわば施政方針と申しますか、事業計画に対する代議員諸君との質疑応答でございます。その中の一部を取り上げてみますというと、ちょうど三段目の中ほどよりちょっと前に(会長)と書いてございます。  「質問 看護婦集団求人の具体的な説明と、会館使用の制限に就いて。」堀部代議員の御質問であります。それに対する三輪田担当理事答弁でございまして、  「答弁 委員会をつくり県労働部衛生部と連絡をとり具体的方法を研究している。之に対し県から補助金が出た。  質問 充当するのはどの団体がやってもよい。県医一本でやる事に協力しない時は入学出来ない事があるという条件を出した理由は如何か。(堀部)  答弁 募集団体が異ると教育補導の面で差が生ずる事が考えられそのような事のないよう県医一本でやりたい。同じ会員なれば所属の医師会を通して県医方針でやる可きだ。(会長)  質問 本家の県医師会のやる事に対して何故協会は協力出来ないか。(渡辺)」こういうようなことの質疑応答がございました。その結果、絶対多数をもって私の事業計画は承認されたわけでございます。  それから、次は資料の二番でございまするが、これはその翌年度の昭和四十年度の同じく定例代議員会における事業計画でございまするが、この場合、あまり詳しいことはここに載っておりませんが、第二ページに赤線が引いてあると思いますが、「その他の事業は」ということで、「その他」に入っておりますが、「次に列記したとおり概ね従来の方針を継続していく考えである。」、四番目に「看護婦対策に関する事項」、それから今年度、昭和四十一年度の定町代議員会は本年の五月二十七日に行なわれたのでございますが、それの代議員会事項資料の三番にございますが、なお、途中でございまするが、お断わり申し上げまするが、この「愛知醫報」と申しまするのは愛知県医師会のいわば公報でございまして、月三回発行しておるものでございます。その資料三の第一ページのまん中の終わりのほうから三行目を読んでみますと、  「吉田(誠)=名市医准看校マンモス化のため内容が低下している。今年は落第が多数出た。保険医協会学校設立を何故妨害するか。会長=従来名市医岡崎市医一宮市医保険医協会等集団求人を行っていたが統一見解がなく、之を県医統一して実施してきた名市医准看校施設過渡期のため止むを得ない。検定試験の成績は近県の中では一番よい。協会学校設立については、大病院の院長も集団求人県医一本に統一されていることを御存知であり、之以外の集団求人教育を引受けることはこの統一を乱すことになる故に引受けないと聞いている。  吉田=名市医准看校落第が多数出た。保険医協会学校設立妨害する者を処分するか。会長=従来入学試験を厳格に施行して来たが、最近は労働部の意向で集団求人全員を入学させた。このために落第生も出ると思う。次に処分はしない、その様なことをしないよう注意をする。」 でございまして、それから、次の二ページをごらんいただきますと、二ページの赤線の引いてあるところでございまするが、二段目の、  「加藤朝二保険医協会学校への補助考えを問う。  会長医師会設立学校へのみ補助する。」三段目でございます。  「会長=三九年に集団求人を行うに当り県医一本に統一して実施する事に賛助を得た。協会学校設立賛成があればその様に処理する」 それからずっと後のほうにまいりまして、  「坂田協会准看校問題で代議員会の態度を決めたい。ぶざまな姿が世間に示されている故結論をつけては如何。  山本理事協会性格をよく判断されたい。  中村=此の問題と学校の問題とは別である。  井桁=内部の摩擦が大きい。団結が必要だから傘下におさめよ。  坂田会長に一任しては如何。  春日井=坂田君の発言は要望であって決議にはならない。決議案緊急動議で提案せよ。  会長更めておはかりする。集団求人県医一本化の下で行い、その教育補導医師会准看校一本で行う。  賛成多数で可決確定し、以上をもって五時五〇分閉会した。」こういうふうでございます。  それで、あと資料の四番と五番がございまするが、これは私のほうの代議員会速記録をリコピーしてきたものでございます。すでにその内容につきましては先ほど大体申し上げたとおりでございます。  資料の四番は一昨年の定時代議員会で、私がただいま御説明申し上げたことの速記録の写しでございます。  それから、資料の五番は、今年の五月二十七日の代議員会速記録の抜粋でございます。時間の関係上、私は以上をもちまして御説明を終わりたいと思います。
  8. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ありがとうございました。  次に、阿久根参考人にお願い申し上げます。
  9. 阿久根睦

    参考人阿久根睦君) 愛知保険医協会医協会理事長阿久根睦でございます。この問題の全経過につきましてわれわれ協会側が経験いたしました実に異常な状態を皆さまに御報告申し上げまして御判断の資に供したいと思います。  前置きがございまするが、これはこの経過を御理解願いますのにある程度御参考になるかと思いますので、ぜひお許しありたいと思いまするのは、御承知のように、医師会公益法人でございまするが、そういう性格を持っておるようでございまするが、われわれの保険医協会と申しますのは、これはほんとうに零細な開業保険医たちのいわば同業組合というような性質を多分に持っております。現在におきましては、愛知県におきまする保険医協会のほかに、北は北海道、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫、現在はっきり出ておりますのはこれでございまするが、会員総数約一万、愛知県はそのうち一千名前後でございます。したがって、協会のほうはこういう組合員としての開業保険医、その生活、あるいは診療所経営病院経営並びにもろもろの権利を守るという意味でございまして、そのためにいろいろな研究努力をいたしておるわけでありまするが、しかし、協会員といえども、これは日医会員であり、県医師会会員であり、市医師会の、あるいはその他郡市医師会員でございます。ですから、当然これは医師会の一部分をなしておるわけでございます。同じ医師会としてのセクション、これは医師会の中にも、たとえば日医学術専門団体であるという中にも、日本医学会があり、なお各科の分科会が何十と存在しております。昨今では女医会さえも形成されておるような状態であります。国師会の中にこういうようなもろもろ分科会が出て、日本の医学を、あるいは医業をしょって立っておるわけでございます。したがって、いろいろな批判はございまするが、協会というものは単なる医師会を批判する団体であるとか、あるいは反医師会団体、決してそういうものではないわけでありまして、ましてや特定の思想の団体では決してないのであります。ただいま愛知保険医協会は約一千名と申し上げましたが、一体この名簿があるのかないのかというようなことをしばしば聞かされておりますが、これは現にございます。ここにちゃんと私ども持っておりまするが、ただ、いろいろな事件が起こりましてから、その名簿を一般に配付いたしますというと、この名簿をもとにいたしましていろいろな妨害が入りましたので、一般に出すことは手控えております。しかし、必要な個所には皆さんに差し上げておるような次第でございます。こういうような状態におきまして今後私どもが経験いたしました異常の状態をひとつ御報告申し上げたいと思います。  大体経過から申し上げますというと、第一に、協会はなぜみずから集団求人をやらねばならなかったかという問題。第二には、協会はなぜあのめんどうな准看学校をみずから設立せねばならなかったか。第三には、協会協同組合立准看学校設立認可病院におりなかった、それは何か。これは裏返しまするというと、実習病院はなぜ獲得できなかったかという問題。第四には、これは現在の段階でございまするが、一たん設立認可があったにもかかわらず、わずかに三カ月、それからさらに二カ月ほどおくれまして、今日でございますが、県の衛生部のほうから取り消しをするぞという、そういう内示がございました。これはなぜか。こういう問題が進んできておるわけでございます。ここで一口に申しますというと、この実習病院に対する実に執拗な医師会側からの妨害、これがすべての問題を解決するかぎなのでございます。  それで、第一の、協会がなぜみずから集団求人をせねばならなかったか。昭和三十五年のころは、もう御承知のように、現在と同じように看護婦の不足というものは実に深刻になってまいりまして、全国ではおそらくその数は、三、四万、あるいはそれ以上といわれておるのでありまするが、こういう窮状を、ことに開業医におきましてはそういう窮状がひどいわけでございまするが、この窮状を救うには、やはり私ども医師として、保険医としての責務であると感じまして、協会といたしましては、しばしば医師会のほうに向かいまして、普通の状態ではなかなかこの補充はむずかしいから集団求人に踏み切っていただきたいということを進言したのでありまするが、なかなかこれ自体がめんどうなお問題でもありますので、なかなか医師会のほうからは着手ができません。そこで、やむを得ず協会におきましては三十五年からこの困難な事業に着手することに決定いたしました。主として九州方面に人を求めたのであります。なお、これに際しまして、一般産業界を見ますというと、なかなかいい条件をそろえております。求人のために。それで、われわれといたしましては、看護婦といえども、やはりその好況に見合ったような条件をつけないことには人は集まらない、そういう観点から最低賃金制を採用いたしました。それから、求人の大事な条件といたしまして、准看学校に入れるということもございましたので、それにはやはり奨学資金制度が必要だということになりまして、この奨学資金制度もいたしましたが、看護婦の募集につきましてこういう制度を採用いたしましたのはわれわれの協会日本で初めてでございます。この点につきましては職安方面からたいへんな好評を得たのであります。当時はまだ私ども協会求人いたしました准看護婦生徒はみな医師会立の准看学校に入学を許されておったのであります。こういうわけでわれわれは集団求人を始めざるを得なかったのでありまするが、それでは、協会は、医師会立の准看学校があるのに、なぜみずから准看学校設立せねばならなかったか、この問題でありまするが、医師会側はわれわれよりも二年おくれまして、三十七年度から集団求人に踏み切りましたのでございます。ところが、三十九年の六月になりまして、医師会側協会に対しまして集団求人の一本化を要求してまいりました。もしこの要求に応じなければ、協会の募集した娘たちは医師会立の准看学校には入れない、そういう入学拒否を含めました一つの通告を行なったのであります。これはいろいろ資料がここにたくさんございまするが、私の説明不足の分は、後ほど御質問によりまして、資料に基づきまして正確な御返答ができるかと思いまするが、そういう状態医師会側に有利にするために、と申しまするのは、現地におけるいろいろな求人妨害をするために医師会は虚偽の文書を配布しております。これは愛知県のみならず、九州方面にまでもそれを配布しておりまするが、この点につきましては、県の労働部長からも一応非常に遺憾のことであるというおしかりがあったようであります。こういういろいろな妨害のために、われわれの学校計画は二回ございましたが、一回はついに流産したのであります。第一回と申しますのは四十年の一月二十九日、日本福祉大学というのが名古屋にございまするが、その日本福祉大学内に准看学校を併設してもらいたいということを学校当局に希望を出しましたところが、向こうは承知してくれまして、三月の十日には設立の申請をいたしました。御承知のように、看護婦学校というものは実習病院がございませんというと申請はできませんし、申請いたしましても当然認可にならないわけでございまするが、この実習病院は簡単に各病院長の承諾を得たのでありまするが、これも医師会のある幹部の妨害によりまして、この学校はとうとう成立を見ないで流産をしたのであります。この間いろいろなもめごとがありましたので、先ほど衛生部長さんからお話がありましたように、四十年の三月二十一日に、当時県の高部衛生部長さんのごあっせんがありまして、医師会協会との間に立って、なお熊沢県会議員も間にお入りになりましてメモ四則を決定したのであります。それによりますというと、まず、その年は、協会の募集しました生徒は平等に医師会立の准看学校に入学ができたのであります。ところが、二、三、四との話し合いは、第一に協議会を開いて一本化をするということになっておりましたが、この協議会はとうとう開かれないのであります。第三の、学校のいろいろな運用のために補導委員会を設置する。すなわち、補導いたしまして、せっかく集めました看護婦たちが途中でぐれないように、いわゆる定着させるという意味でそういう補導の委員会もつくるということといたしましたが、これもとうとう実現を見なかったのであります。第四番には、この申し上げました福祉大学の中に定時制の高看学校をつくりたい、それについては医師会が十分な助力をしていただくということになっておったのですが、これもついにほんとうの協力も得ずに流れてしまったのであります。そういうような条件がございまして、結局これは県医師会のほうでこのメモを破棄したような状態になりましたので、われわれもこれはメモの破棄であると認めましてそういうふうな通告をしたのであります。  第二回の看護学校設立の問題は、これはどうしてもそういうふうな医師会立の学校に入れてもらえないという状態は好転いたしませんので、四十年の八月十日に組合員有志に集まっていただきまして、約四百名から出資金を一千万円、なお政府資金八百余万円を拝借いたしまして准看学校設立することになったのであります。幸いに有志の方がありまして土地を提供していただきまして、もちろんこれは正当な費用で買い上げました上でのことでございます。建築に着手し、相当まあわれわれとしては一応りっぱな学校の建築はでき上がったのであります。当時、当然これには実習病院が必要でございまするので、第二日赤、守山市民病院、名交病院、名市大病院、国鉄の名古屋病院、こういうところに働きかけまして、それぞれ各病院長からは実習病院は引き受けてもよろしいという御承諾を得たのであります。  それでは、それにもかかわらず協会立の准看学校設立認可はなぜ容易におりなかったかという問題になるのでありまするが、これは先ほども申し上げましたように、実習病院はなぜ獲得できなかったかという問題になるのでありまするが、先ほど申しましたように、各病院長は一たん承諾したのでありまするが、それでは承諾書に御調印を願いますといって数日後参上いたしますというと、しばらく待ってくれという御返事であります。これは普通の状態ではないのでございまして、その理由といたしましてはいろいろなことがございまするが、皆さま各病院長の口を合わしたようにおっしゃることは、医師会とのいざこざがある間は、そういういざこざに巻き込まれたくないということなんであります。これは私どもにとりましてまことに奇妙な理由なんでございまして、私ども病院とは何のいざこざもありませんし、われわれとしても直接に医師会のほうから、おまえたちのほうはこれこれの病院実習病院にしたが、けしからぬという、そういう交渉も一ぺんも受けておりませんが、しかし、病院長さんはこれを医師会とのごたごただと解釈しているところに問題がありますので、すなわち、われわれから言えば、ごたごたはむしろ医師会病院長さんの間のことであって、われわれはかかわり知らないことだ。しかし、われわれが病院長さんに承諾書の御印をちょうだいにいくと、いうそういうわけで断わられるという奇妙な状態であります。まあこういうような状態はいつになってもなかなか改善いたしませんので、われわれのほうとしては県衛生部、あるいは市の衛生局はもちろんのこと、市並びに県の議会にまでいろいろとお願いをいたしたわけでございます。ある場合には請願し、ある場合には陳情いたしましたのでございます。こういう状態で進む一方におきまして、学校はできましたので、とにかく生徒は集まっております。百二十名の生徒は集まっておりますので、ほっておくわけにもまいりませんので、四十一年の四月七日に入学式を挙行したのであります。この場合にはちょっと県の衛生部からおしかりを受けたわけでありまするが、そういうような問題もございまして、四十一年の四月二十五日に、こちらに見えます衛生部長さんのごあっせんが始まったのでありまするが、これは第一次、第二次、第三次と、いろいろな条項をおそろえになりまして、協会側並びに医師会側の御意見を聞くことになりました。協会側といたしましては、もう最初から、最小限度これは医師会立に直していただいてもけっこうだという条件さえものみましてこの事件の円満な解決を希望したのでありまするが、医師会側条件は、第一次、第二次、第三次と進むに従って、実に苛烈をきわめまして、とうてい私ども自力によりまして学校を持ちましたものといたしましては、これはいろいろな経済問題から申しましても、いろいろな道義的な問題から申しましても、それはとても不可能な状態になりました。たとえば、申しますというと、医師会は、一千八百万円もかけ、しかも、政府資金によりましてできました学校を、無償で撤収するというようなきつい要求をなされたのであります。これはわれわれとしてもとうてい納得できない点でございます。とうとう、せっかく衛生部長さんのまことに一カ月にわたる御努力もついに水泡に帰したという状況でございます。事態はいよいよ逼迫してまいりますし、私ども学校をつくり、もうすでに生徒がそろっているのに学校認可がない。われわれとしても実に焦慮の毎日を送っておりましたわけで、どうしてもこうなりましては市民に訴え、県民に訴える、こういう手しかとうとう残らなくなってまいりましたので、四十一年の五月二十一日、第一回のデモ行進を県庁から医師会の間にいたしました。五月二十七日には重ねて第二回のデモの行進をいたしました。いろいろ報道関係その他の一般の世論にこれを訴えることができたのであります。  なお、その後こちらの社労委員会におきましてもいろいろお取り上げを願っておりますし、いろいろと御迷惑、御心配をかけまして、まことにわれわれとしては申しわけないと、こう思っておるのでありますが、ところが、幸いに四十一年の六月十一日に認可がちょだいできたのであります。これは実習病院といたしまして名大の分院並びに医療法人の笠寺病院実習病院を承諾してくれたからであります。これでわれわれの学校としての条件がそろっておりますのでそういう認可をちょうだいできたのであります。ところが、この准看学校設立認可後、わずか三カ月にいたしまして、すなわち、四十一年の八月三十日限りという日にちで衛生部のほうから准看学校認可を取り消すということになったのです。と申しますのは、先ほどもすでに申し上げましたように、せっかく名大分院並びに笠寺病院というものがわれわれの准看学校実習病院承知してくれたのでありまするが、この両者病院長、あるいは医療法人では理事長、名大分院においては名大医学部、あるいは名大病院の本院のほう、そういうところに対する医師会側の実に痛烈なる妨害ですね、これがついに——これは国立でございますよ、国立の病院長が一たん学校あてに、実習病院承知いたしましたという公文書を出しながら、二、三週間後にそれを取り消すという通告がまいったのであります。その理由は、これは院内事情によりということでございましたが、その旨はさっそく衛生部とも御連絡をいたしましたら、衛生部でもそれは納得できない、もちろん私どもも納得できませんので、重ねてわれわれも公文書をもって、その理由はおかしいではないか、ほんとうの理由を言ってくれということを公的に折衝をいたしましたが、ついに分院からはその返事は来ないのであります。この問題は、名大分院の問題でありますが、名大の本院におきましても問題になりまして、本院のほうにおきましては、臨床部の部長級だけの会議が開かれまして、やはりそこでもほんとうの結論ではないのでしょうが、とにかく名大分院のその立場を守るような状態が出てまいったのであります。これは、私どもさっそく各教授を訪問いたしましてその間の事情を探ったのでありまするが、これは実におもしろいデリケートな問題でありますけれども医師会からの何かお話がありましたかということに対しまして、これをはっきりとありましたよと言ったのは、たくさんの教授のうち、たった一人でございます。あとはこの話になりますというと、みなすぐに逃げてしまうという形でございまして、ここに非常に微妙な点があります。なお、詳しいことを御必要ならば、いろいろなことがございまするが、ここでは申し上げません。そういうことで分院のほうもだめになり、笠寺病院も九月三十日を切りまして辞退を申し出てまいりましたわけで、とうとうわれわれの努力はまたも水泡に帰するという状態に立ち至ったのであります。  そこで、四十一年の八月に次いで、九月の三十日に衛生部のほうから、そういう状態ではまことに困るから、実習病院を何とか獲得しろ、それができなければ十月三十一日をもって認可を取り消さざるを得ないという、これは公文書で通告をちょうだいいたしました。私どもといたしましては、何とかここに活路を求めようとしたのですが、すでに名古屋市内の各病院愛知県内の各病院、これは先ほど申しましたように、いかに交渉いたしましても各院長のおことばはみな同じでございます。やむを得ず他府県にまで手を伸ばしておるわけでございまするが、そういうような状態で、いろいろこの点につきましては当社労委員会におきましてもお取り上げになりまして、いろいろ御心配をかけて、まことに申しわけないと思っておるのでございまするが、現在はそういう状態で、まだ問題は解決の見通しがついていないのであります。  そこで申し上げたいことは、われわれ保険医協会の者といたしましては、何とかしてすみやかに実習病院をお世話していただきまして、われわれの看護学校というものをもう少し安定したものにしていただきたい、そうしてこの百二十名の生徒が安心して勉強をし、りっぱな看護婦となって国民の期待に沿う、すなわち、われわれ保険医が診療所におきまして患者のために最良の治療をいたすためには、やはりその助手でありますところの看護婦がりっぱに勉強して優秀な看護婦になっていただきませんというとりっぱな治療はできないのであります。そういうふうな一念に燃えてこの問題にいまもって取り組んでおる次第なのであります。  そこで、最後に私どもとして一つの希望は、こういうふうに医師会妨害によって、同じ医師会員であるところのわれわれの仕事が妨害されていくということはまことに残念でありますので、どうかひとつ医師会というものは会員に対しまして、会員の心を心として、どうぞもう少し誠意を示し、もっと温情を示していただきたい、もっと愛情を示していただきたい、こういうふうに念願しておる次第でございます。  私の開陳を終わります。
  10. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ありがとうございました。  次に、葛谷参考人にお願いいたします。
  11. 葛谷清

    参考人葛谷清君) 私、名古屋市の図師会会長葛谷でございます。  先ほど委員長さんから、この意見開陳にあたりまして時間の多少の制限があるように聞いておりますので、私、端的に申し上げたいと思います。また、私のことばの足らなかったことは、後ほどいろいろ御質問があるというようなこともお聞きいたしましたので、私なるべく簡単に申し上げたいと思います。  ただいま阿久根保険医協会理事長から、いろいろ保険医協会の実態と申しますか、性格と申しますか、そういうような保険医協会側の御説明があったようでございますが、私は医師会を預かっております者といたしまして、私の保険医協会に対する考え方、今度の保険医協会設立しようと思っておる准看護婦学校に対する考え方を私率直に医師会側立場に立って申し上げてみたいと思います。  保険医協会会員日本医師会会員であり、愛知県医師会会員であり、名古屋医師会会員であるというおことばがありましたが、まことにそのとおりであります。そのとおりであるがゆえに私ここに文句があるのであります。と申しますのは、先ほど県の服部会長からるる御説明がありましたように、愛知県医師会代議員会において集団募集並びにその教育はこれを一本で行なうということが承認されておるのであります。で、代議員会と申しますのは、われわれにいたしますれば議会に相当するものでありまして、この代議員会考え方というものはわれわれ医師会の最高の意思であります。したがって、この代議員会決定されたことに反する会員の行為というものは、われわれから見ればこれは明からに分派活動と認めざるを得ないのであります。したがって、先ほど服部会長からのお話の中にもありましたように、医師会団体秩序を維持してまいります上におきましては、代議員会の承認事項というものを会員は忠実に守ってもらわなければならないと私は考えておるわけであります。したがって、このような分派活動的なこの准看学校養成所保険医協会が独自の立場でつくるということにおきましては、医師会がこれをその意味において承認するわけにはまいらないのであります。もしほんとうに協会の人たちが看護婦の不足を憂えて、この養成所の拡充、あるいは設立ということを必要と考えられるならば、保険医協会の人たちも医師会会員である以上、名古屋市医師会でやっておりますこの准看護学校の拡充整備に主力を投ずべきが第一ではないかと私は考えておるのであります。しかるに、この看護学校設立されるにつきましては、医師会に事前に何らの話し合いも了解もなかったのであります。医師会と無関係に、こういうふうなことを連絡なしになさろうとされる、ここに医師会として問題があるのであります。そしてわれわれから言わしむれば、本年の四月に、まだ許可になっておらないあの建物の中で、いかにも許可を受けた准看護学校であるかのごとくして入学試験を行なって生徒を受け入れ、そして授業を始め、この既成事実をたてにして許可をよこせというような動きをされるということは、私はこの法治国家下においてはまことに許し得ざる非合法的な態度であると考えるわけであります。先ほどお話がありましたが、私あらためて申し上げますけれども、先ほどお話がありましたことの中に、医師会学校に入れてくれないから、われわれは自衛的手役としてこの学校設立したというような御説明がありましたけれども、これまで協会で募集された生徒医師会学校に昨年までは全部入っております。で、ことしこれを入れる入れないという問題は起こっておらないのです。ところが、三月二十六日、二十七日に名古屋市医師会といたしましては入学試験日を設定いたしておりましたところ、保険医協会のほうは三十、三十一日の両日であったのであります。ところが、急に二十六日、二十七日に入学試験日を変更されて、名古屋市医師会の准看護学校の試験日と同じ日にこれをもってこれらたのであります。ということは、自分たちが集団募集してきた生徒医師会学校を受けることのできないような姿にされてしまったということでありまして、明らかに入学を拒否したのでなくして、先方から名古屋市医師会に入ることをお断わりになったと私は解釈せざるを得ないのであります。看護婦の養成の必要というのはわれわれも常にこれは存じております。したがって、名古屋市医師会におきましても、この問題に対しましては医師会事業の中で最も大きな力を持ってこの事業を行なっておるのでありますので、保険医協会の皆さんがおっしゃる看護婦の養成の必要ということは私も十分考えます。したがって、先ほど金光部長から話がありましたように、われわれの考えといたしましては、もしこれが医師会の傘下にある医師会立の学校であり、あるいはわれわれが現在行なっておる医師会の准看護学校の分校という形であるならば、私はこれは認めるのにやぶさかでないのでありまして、大いに私は賛成したいと思います。しかし、その場合においては一つ前提条件がございます。医師会の分校とするためには、その建物並びにその生徒はそのまま残しておくことは差しつかえありませんけれども、そこに現在働いておられる専任教員並びに事務職員、あるいはそこに学則というものがすでにできておるならば、これはすべて白紙に戻してわれわれと話し合うということを前提といたしてもらえるならば、私は名古屋市医師会の分校とすることをいささかもちゅうちょするものではないのであります。で、先ほどのことばじりをとらえるわけではございませんけれども阿久根会長のことばの中に、決して保険医協会というものは特殊な思想的団体ではない、反医師会的な団体ではないというおことばがありました。なるほど保険医協会はアカであるかないか、私知りません。しかし、共産党がこの組織を利用して、医師会内部に思想革命、あるいはかれらの言う医師会の民主化という活動を強力に推し進めようとしておることは、これは私が申し上げるまでもありません。この資料の六をごらんいただきたいと思います。資料六の、昭和三十一年でございますけれども、日共の第六回中央委員会決議、この決議文を持ってまいりましたが、これを三枚はねていただきましたところを赤線のワクで囲っておるのであります。これは「医師の基本的要求と当面の運動方針」というような表題でございますので、いろいろ医師会内部のことが書かれておりますけれども、その赤線で囲まれておるところが保険医協会そのものずばりが出ておりますので私は赤線で囲んでまいりました。簡単でございますので、飛び飛びながら読ましていただきます。保険医協会という「この組織のある府県は少ないがこれと同じ性格のものが医師会の内と外にいろいろな形でつくられている。医師会が民主化され、保険医の要求を全面的にとりあげてたたかう組織にならない限り、保険医は、このような局主的組織やグループを必要としている。われわれはその名称や形態にこだわることなく、保険医を組織しなければならない。そして、これを国師会を支える力に育てあげることが大事である。この場合、「全国保険医新聞」のような民主的な新聞の活用は極めて重要である。」ということがはっきりここにうたわれておりますので、われわれは共産党が保険医協会という組織を大いに活用して育てていかなければならないということをはっきりうたっておるということがここにございますので、これを頭から信用しておるわけであります。保険医協会そのものはそれじゃどうかということになりますと、残念なるかな、この愛知保険医協会は、ほかの保険医協会は存じませんけれども、この愛知保険医協会は共産党と共闘の姿が実践活動の上において出ておるのであります。これは資料の七をごらんいただくとわかります。これは名古屋の栄町で配られたビラでありますが、これは「神田厚相の辞任を強く要求する」というビラであります。そのことを私は申し上げるのでないのでありまして、この終わりのほうの「愛知健保改悪反対連絡会議」というところの中に、「愛知保険医協会」に「日本共産党愛知委員会」というのが列記されておりますので、ごらんいただきたいと思います。(「感情入れないで説明してください」と呼ぶ者あり)
  12. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 委員長参考人の発言を求めておりますので、意見開陳中は静かにお聞きになっていただきたい。
  13. 葛谷清

    参考人葛谷清君) 先ほど阿久根会長からの話がありましたように、五月二十一日と二十七日の一面にわたってデモ行進をされたのであります。これは十五、六歳のことしの三月、四月に北九州並びに各地から集団募集してまいりました生徒を援業を放棄させて、そのデモの先頭に立てて准看護学校認可の許可をおろせのデモをやられたのであります。これをどのように皆さん感じられますか御自由でありますけれども、私はこのようないわゆる紅衛兵的なデモの姿にもこの愛知保険医協会の本質がうかがわれるのではなかろうかという気が私はいたしております。共産党といえども合法政党である、共産主義活動が悪いと言い切わないということはよく知っております。しかし、日本医師会愛知県医師会名古屋医師会におきまして、理由はどうであるかないかということよりも、共産党と共闘をしない、共産主義と一線を画するということは、われわれ日本医師会愛知県医師会名古屋医師会を通じての基本的態度になっておるのであります。したがいまして、共産党を私は云々して、共産党がいかにも悪いように申しましたけれども、私は医師会を代表しまして、医師会立場でものを申し上げました。このような基本的な態度であるのでそのようなことを申し上げましたということをお許しいただきたいと思います。  以上で私の説明を終わらせていただきます。
  14. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ありがとうございました。  次に、堀部参考人にお願いいたします。
  15. 堀部次男

    参考人堀部次男君) 私は協同組合の責任者でありますが、看護学校の副校長をやっております。なお、集団求人につきまして当初から責任を持ってやっておりましたので、その間の事情をお話いたしたいと思います。いま申されました葛谷市医師会会長並びに現石井理事、太田副会長は、それぞれ三十八年、三十九年まで協会会員でございました。いま申された共産党云々というて記録を申し上げておるようでございますが、その記録があるそのあとずっと協会会員でございましたし、まず冒頭に申し上げておきます。  阿久根理事長がいろいろ看護婦集団求人について申されましたが、現在看護婦の不足の問題につきましては、相当世間で関心が強いようでございますが、昭和三十五年当時は、政府もそのことにつきましてはそう力を入れておりません。非常に私たちは困りました。これはおわかりと思いますが、看護婦不足がいかに人の生命に対し、健康に対して影響を及ぼしておるか、今日私たちの日常の診療にどのように不自由を感じておるかということをともどもに、医師会員といたしまして、また、協会員といたしまして、これを充足しまして完全な診療を行ないたいという熱情からこの集団求人を始めたのであります。今日まで七百名以上の生徒が集まりまして、これが第一線で十分活躍いたしております。こうしたことをずっと続けてまいりましたところ、私たちはこの三年間、ことにあとの二年間というものはひどいアカ宣伝と共産党、また、医師会決議を乱したものだというレッテルを張られまして非常な困難な道を歩んでまいりました。しかし、私たちは、私たちのやっていることが正しいという信念に燃えてやってきたのでございますが、いろいろ妨害にあいまして、学校も十月三十一日一ぱいで認可を取り消すという結論にまで達したわけでございます。その間の事情を詳しく日にちを追って申し上げてみたいと思います。  まず、私たちは集団求人をやりますにつきまして、理事長が申しましたように、最低賃金制、それから退職金制度、奨学金制度というものを創設いたしました。この奨学金制度をつくりましたのは全国で初めてでございまして、厚生省よりも一年早いと私は思っております。そうした制度をつくりまして、他産業に大いに魅力があって、そちらに看護婦となるべき人が引っ張られておる人を魅力ある制度にいたしまして、看護婦を一人でも多く募集する考えでこういう制度をつくってまいったのであります。ところが、その後、私たちの行動に対しまして、賃金が非常にばらばらだとか、いろいろな文句がつけられましたが、そういう意味におきまして私たちは最低賃金制で統一したのでございます。そういうことがありましたが、これに対しまして、現地において私たちが共産党だとかアカの教育をしておるということが盛んに申されてきたのでございます。しかし、私たちはそれにも耐えまして、私たちは身をもって教育をし、そうしてその中ででき上がってきた人がいかに行動するかということを目標といたしまして、着々と私たちは日本女性として、また、りっぱな看護婦としてこの世の中に生きていくことを願い、また、次の世代を背負うところのりっぱな女性であるように教育をしてきたつもりであります。ところが、三十九年の五月でしたか、県医師会のほうから集団求人を一本化してほしい、でなければ入学を制限するということが最初からぱかっと言われてきたわけでございます。私たち昭和三十五年から長い間苦労して未開の地を開拓して看護婦を集めてまいりました。これは一口で言えば簡単でございますが、何にもないところにそういう道を開くということはたいへんなことでございましたが、どういうわけか、医師会のほうでこういうことをおやりになるからやめろということを言われまして、それで私たちは頭にがつんときたのでございます。しかし、これまで何とかしてこの道を開き、そうしてともどもにりっぱな看護婦求人をやり、そうして一人でも多くの看護婦さんを集めたいという情熱から、いろいろ相談いたしましたが、十二月の二十五日には、県の三輪田理事は、おまえたちはそんなに言うなら自分たちでかってに学校をつくればいいじゃないかということの暴言を吐かれましたし、なおかつ同じ三十九年六月十日には、先ほど服部会長が言われました「愛知医報」に、医師会で、来る看護婦は全員入学の特典があるという特別な印刷を出されたわけでございます。こういうことは、裏を返しますと、ほかの者は入学させないというふうに私たちも考えたのでございます。そうして六月の十五日には、他団体は入学を制限するという通知を各会員に流したのでございます。そうして、なおかつ十二月になりますと、現地で市医師会の仙田平正という人が、協会関係の者は入学が制限されるだろう。自分たちのところは全員入学が許可されるというような宣伝を文書をもって各学校に流したわけでございます。そうして、なおかつその前の年には、九州に萩原という市医師会の事務員が参りましてアカの宣伝をしてまいったのでございます。これは私たち鹿児島の北部、それから熊本の職安でそのことをはっきり聞いてまいりました。そして十二月の二十五日には、原則として入学を許可しないという文書を中職安、県労働部、それから県教育委員会の指導部長、県衛生部医務課長の名前を使いましてそういう文書を配布したのでございます。これは理事長が先ほど申し上げましたように、公文書偽造に近い文書を現地に流したのでございます。私たちはこの看護婦問題をどうするかということで悩んでおりますときに、すでにこういう文書がどんどんと現地に流されて、私たちのいままでやってきた実績をつぶし、なおかつ集団求人に対して水をさしてまいったのでございます。私たちはこういう姿を見まして、どうすべきかということを寄り寄り協議し、会員ともはかったのでございますが、どうにもならない状態になりましたので、何とかしてこの道だけは残したいということを考えたのでございます。ところが、二月六日になりまして、県の労働部から、県医師会に対しまして、まことに遺憾であるという抗議文が出されてまいりました。越えて二月七日になりまして日本福祉大学の理事と正式に協議いたしまして、学校を福祉大学の中につくっていただきたいということを申し上げて、その承諾を得まして、これから第一次の学校設立に入ったのでございます。ところが、これも先ほど申し上げましたように、私たちが書類をつくって出しましたものがすぐ取り消しになり、また書類を出して二時間ぐらいしますと、実習病院を承諾された病院から実習病院は断わるということが出てきたのでございます。それは先ほどの憲法改悪反対に私たちの名前が連ねられておる、そしてそれがアカにつながるんだというビラをもちまして、これを各実習病院あてに通報いたしまして、このことで各病院の院長その他がおどされて実習病院を引き受けないということが出てきたわけでございます。越えて三月五日に阿久根理事長は県の医師会服部会長と会いまして、この問題を話しました。県の医師会妨害しないということを言ったのでございますが、どんどんとこの妨害が続きまして、市内の南区では連日私どものところに電話がかかりまして、おそいときは十一時、十一時半までかかりまして、おまえたちは集団求人をやめろ、そうして医師会のほうに入れという電話がかかったわけでございます。こういうことに対して私たちは証人を出すことにやぶさかではございません。ところが、どうしてもこれが実習病院のほうがうまくいかないし、認可のほうもうまくいきませんので悩んでおりましたときに、県衛生部の高部前部長が仲に入りまして、ここに先ほど申し上げましたところのメモという形式でお互いが妥結したわけでございます。これは前任者の高部さんともよくお話をしたのでございますが、今日まで保険医協会は非常によくやった、そうして集団求人並びにその定着補導については非常によくやった。しかし、医師会の中にはそういう欠点が多かったが、今後はこのメモの形式で妥結したように、お互い有能な人たちが仲に入って、そうしてこういうりっぱな求人というものをやっていただきたいということを私に話し、しかも、その経過については、資料としてメモ妥結の公文書の裏につけておくということを話しながな、現在までその資料はついてないそうでございます。そういうわけでメモの四項目がきまったわけでございますが、この四項目が、実行されなかったということは先ほど理事長が申されたとおりでございまして、第一項目の平等に生徒学校に入れるという点につきましては、私たちの中の生徒十二名が非常に藤田学園という、これは私立の看護婦学校よりも非常に遠いところから通わなくちゃならないという点で平等に入れられなかった。そうして第二項目の協議会はつくられたと言っているが、全然つくられないということは、三輪田理事と四月二十二日にお話いたしましたときに、協議会を設けて、協会からも人が入ってもらうということを阿久根理事長同席のもとではっきりとそのことをお話されたわけでございますが、全然そういうことはなされておりません。にもかかわらず、四月の十六日と十九日で、すでに医師会のほうからは一本化されたという文書が理地で流されたのでございます。もし私たちはほんとうに協議会が開かれて、お互い今後りっぱな求人をやっていこうとするならば、お互いがいままで開拓した現地に対しまして両方が名前をつらねて、そうしてこういうことでございますというあいさつを出すのが私たち人としての道じゃないかと思うのでございますが、すでにこういうふうに一方的にすべての文書が出され、一方的にものごとが解釈されてきたわけでございます。なおかつ四月の十三日には私たちは葛谷会長に会い、また、十七日にも会って、教育の基本方針と、また、生徒をどういうふうにしていただくかというようなことをお話したわけでございますが、その節におきましても、夏休みごろになると二割ぐらい生徒がやめるだろう、だから学校のほうもちょうどいい生徒数になるというようなこともお話になりましたし、また、補導委員にも全然入れてもらえなかったわけでございます。ことに私たちがここで非常に残念に思いますことは、その当時定時制の看護婦高校をつくりまして、そこから看護短大、あるいは現在不足しておりますところの養護訓導補助、あるいは栄養士の免状を取らすまでの構想をもちまして福祉大学にお願いしたのでございますが、そういう構想が一ぺんに飛んでしまいました。と同時に、そこの福祉大学の副理事長である石搏さんが県医師会に参りましたときに、保険医協会はアカだと、これがつくる学校に対しては徹底的に妨害してやるということを聞いて帰りまして、非常に憤慨しておったという事実がございます。そういうわけでこのメモが簡単に打ち破られたという点につきまして、私たちは非常な悩みと、それと同時に、不信感を持ったわけでございます。しかし、私たちは零細な開業医でございまして、大きなところには人は集まりますが、零細な開業医には人が集まらないという非常な悩みがありました。この問題を私たち零細な開業医が集まった保険医協会会員は身をもって知っておるわけでございます。ここでよしんば医師会と一本化いたしましても、はたして自分たちのところに看護婦が来るかどうか、そうして自分たちの診療が完全にできるが、そうして自分たちの生活を守っていけるかという点については非常に不安を持っております。と同時に、過去におきましていろいろな妨害があり、虚偽の文書が流され、しかも、なおかつ二割もやめるというようなことを言われましては、会員としてどうしても納得ができないということにつきまして、私たちは私たちで学校をつくろうということで、昭和四十一年に学校をつくることに決定したわけでございます。その土地も自民党の市会議員から安く土地を提供していただきまして、ここに学校をつくろうとしたのでございますが、やはり今回も同じように実習病院に対して非常な妨害が出ております。十一月三十日に実習病院としてお願いいたしました守山病院の院長さんを呼び出しまして、これには葛谷氏、荒川氏が立ち会いまして、この病院に引き受けないようにということが言われております。また、国鉄の野坂院長は私は再三会ったわけでございますが、この人にもいろいろな電話がかかりまして、実習は引き受けないようにということがはっきりと言われておるわけでございます。そうして私たちはこの問題に対して市会議員にお願いいたしたのでございますが、市会議員のほうでも非常にアカ攻撃がすごくて、私たちは非常に困っているということを言っております。ところが、四月二十二日、五月二十七日の県医代議員会におきまして会員質問から、両会長協会学校設立については妨害をしない、また、今後も妨害をしない。ことに葛谷会長は、もしそういう事実があったらここで対決しようということまではっきり言われているわけでございます。こういう事情がありましたので、私たちどうにもならないというところから、この問題を生徒にはっきりと打ちあけましたところ、生徒といたしましても自分の将来に関することでございますので、私たちのできることならどんなことでもやろうということで、四月の二十日と五月二十七日の街頭行進になったわけでございます。この行進を、来た幼い子供がこういうことに立ち上がるということは一体どういうことだ、協会のそこに実態があるような気がするというようなことが言われておりますが、そうではなくて、その前にどうして妨害があったか、こういう事実を抜きにして、生徒が行動に立ち上がったということだけを指弾するということは、私は当たらないというふうに考えるわけでございます。  越えて四月二十五日と五月十二日、五月十八日の第一次、二次、三次案が県衛生部のごあっせんによりまして出たわけでございます。その条件も私たちは十分のんだのでございますが、徹底的な無条件全面降伏を要求したような案でございまして、最後にはイデオロギーの違ったものはこれを受け入れることができないというふうな、前からつながっておりますところのアカ宣伝と同じようなことが出てきたわけでございます。そういうことがありましたので、私たちはこの問題をこの社労にお願いいたしまして、大橋議員にこの議会で取り上げていただくことができました。そういうことがございまして、六月の六日に大学病院実習病院として引き受けられたことをきっかけにいたしまして認可がおりたのでございます。ところが、認可のおりたということがテレビ並びに新聞で報道されますと、とたんにまた妨害が始まりました。五月十一日に認可がおりましたとたんに、水谷不二夫という男が来まして、なんで笠寺病院のような設備の不完全なところを実習病院として認可をするのだというような抗議を衛生部に申し入れております。そうしたことがありました。六月二十日に青山教授のところに行きましたところが、青山教授は医師会からのいろいろな妨害があるということを言っております。  越えて六月十七日に、県医師会の中で三輪田氏、岡崎七郎氏が清水教授のところへ行き、それから葛谷氏が加納教援のところへというようなことが話されております。それから八月の五日に県医師会の中で、保険医協会はこういうふうになってきたので、県では実習病院を求めるだろうから、これを手分けして求めないようにしようじゃないかということが話されております。なおかつ自民党の政調会には、私たちのことにつきましてアカの宣伝、なおかつ私たちのところにおりますところの専任教師は二人ともアカだ、そういうふうなことを言っているというようなことを言っております。この専任教師の一人は市医師会の専任教師として三年間教べんをとっておった先生でございます。そういうようなことがございまして、それから九月九日には桑原県知事に対しまして、早く認可を取り消せということが堂々と申し込まれております。そうして九月の十四日には日医会長会議並びに日医連の執行委員会議におきまして、市医師会葛谷会長は私たちの協会のことにつきまして非常な誤った発言をしております。私たちが特殊な教育生徒に対してやっているとか、私たちが特に共産党と関係があるとか、あるいは、また、デモをやって葛谷氏の私邸の前に押しかけたとか、また、いま言った専任教師がアカである、そういうような徹底した妨害が私たちに加えられてきたのでございます。これがこの問題をこじらすところの一つの大きなポイントでございまして、この妨害さへなければ私たちの看護婦学校も非常に明るい教育をなし、りっぱな生徒教育することができるわけでございます。なおかつ私たちが市医師会決議に従わない、あるいは市医師会の看護学校の拡充に対して協力していないように言っておりますが、私たちは全然そういうわけでございません。集めた生徒協会学校でなくて、医師会学校に入れまして、非常にうまくいっておったのでございます。なおかつ現在におきましても第一准看、第二准看の学校の土地購入につきましては、私たち毎年三千円ずつ出しまして、おそらくこれ七年間出すのだろうと思いますが、そういう協力もいたしております。また、第二准看の学校が増設されることにつきましても、私たちの協会の役員がこのことにつきまして非常に安くこれを建築することを請負師に話しましてやらせた実情もございます。なお、第二准看ができる前におきましては、保険医協会看護婦学校をやったらどうかということが市会議員のほうから話がありましたときも、これは私たちがやるべき問題でなくて、医師会でやるべき問題だということで話しました。そして医師会学校として持っていっていただけるようにやったわけでございます。そういうわけで、私たちも市医師会の代議員をしておりまして、この看護婦を拡充強化するためには、お互いに金をたくさん出し合ってりっぱな学校をつくろうではないかというわけで、出資も一人について一万円は出すようなことを私も代議員会で提案したこともございまして、すべてこういうふうに協力していたのでございますが、昭和三十九年以後、こういうことにつきまして先ほどから私が申し述べておりますようないろいろの問題が起きまして、思想が悪いとか、あるいはアカの教育をしているとか、あるいは県医師会代議員会決議に従わないというようなことを申しておるわけでございます。もし私たちが県医師会代議員会決議に従っておらないというようなことがあるといけないと思いまして、その県医師会代議員会の記録を見せてほしいということを県医師会に申し入れたのでございますが、これに対しましては三週間以上経過いたしました今日に至りましても、弁護士の意見を聞いて、そして理事会でもう一ぺんこれをはかり、その結果でなければ見せないというようなことを言われまして、今日に至っても代議員会の議事録は見せていただけないわけでございます。いまここで聞きますと、その議事録がここで発表されておるようでございますが、そういうふうに、ことごとく私たちに対しては、どういうわけかわかりませんが、申し述べたようなことが起こりまして、徹底した妨害が加えられておるわけでございます。しかし、私たちは、二十四年以来、ほんとうに誠意をもって行動いたし、批判すべきものは批判し、そして自由な発言をし、そして一つのはっきりと私たちの良心に従った行動をしてきたつもりでございます。なおかつ私の考えますことは、この世の中には誠意と感謝があってこそはじめて美しい社会ができるんだ、建設ができるんだと、そういうふうな意味におきまして、やはり看護婦もそういうふうな教育をいたしまして、一人のりっぱな看護婦であり、女性であるという教育をしてきたつもりでございまして、特殊な変な教育をしてきたことはございません。いま現在、小バトのような百二十名の生徒が非常に悩んでおります。こういう悩みを生徒に持たせるということは非常に残念でございますが、どうかこういう機会におきましてこの事情を御推察いただきまして、りっぱな解決への道が開かれましたならばほんとうにうれしいことだというふうに考えております。私は自主と宗教心が人間の心の中におるならば決してこういう問題が起きないのだということを自信を持っておりますと同時に、また、私たち協会のこれからの進むべき一つの指針といたしたいというふうに考えております。  以上、私の考えておりますことを述べさせていただきました。ありがとうございました。
  16. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) どうもありがとうございました。  以上で参考人の皆さま方の御意見開陳を終わります。  これから質疑に入ります。御質疑のある方は、順次御発言を願います。
  17. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 いろいろといまお話を承りまして、一、二私お伺いしたいと思います。  まず第一に愛知県の医師会長さんのほうからお伺いしたいのでありますが、いまのお話の中で、愛知県に一本にならなければいけないというような御趣旨を承ったと思うのでありますが、その点をもう少し詳しくお伺いをするとともに、いま非常に看護婦が少なくて、看護婦学校が非常に少ない、もっと看護婦の供給をしてもらわなければならないという現時点で、これは前からも私この委員会で申し上げましたが、そういうことに対して、いち早く厚生省がもっと進んで看護婦教育というものにも従事をして、そして十分な需給計画を樹立するのが厚生行政の最も必要であるという点は、もちろん私もそういう観点からいままでも社労委員会の中で話を進めてまいりました。そういうことの上に立って、しかも、非常にいまの段階では足らないのだ、なかなか厚生行政もそれに追いつけない、こういう段階で、各医師会なり、あるいは、また、いろいろの団体看護婦学校をやっておられるわけでございます。いま医師会一本にしなければいけないのだという話があったのでありますが、私の聞くところによれば、個人の病院でも看護婦学校をやっておられる、あるいは、また、結核療養所でもやっておられる、あるいは県の中でもおそらく郡部の医師会設立をしてやっているわけであります。こういう観点から考えて、県医師会長として、こういうふうな看護婦学校がもしできたとすれば、なぜそれを県のものでなければいけないと、こうおっしゃるのかを聞かしていただきたい。
  18. 服部けい三

    参考人服部けい三君) お答えいたします。  ただいまの御質問は、第一基本的にこういうことをお考えいただきたいと思うのでございます。保険医協会保険医協会と先ほど来いろいろお話がございます。また、保険医協会の役員の先生のお話を承っておりますというと、何か保険医協会医師会外の団体のように聞こえるのでございます。しかしながら、これまた一部お認めになっておりまするけれども保険医協会会員はすなわち医師会会員でございます。したがいまして、医師会の中で非常に看護婦が払底している、困っているということでございますれば、なおさら医師会が一致協力してこれに立ち向かわなければならぬと私は考えます。ところが、同じ愛知県の医師会の中でも、特に名古屋市の中で、ある保険医協会の一部の団体の方が医師会以外の団体のようにして、違った条件看護婦を募集をなさる。雇用条件が違うということは先ほども説明申し上げましたが、募集にまいりました現地のほうにおきましても非常に疑惑を持つわけでございます。したがって、医師会募集人が行き、さらに保険医協会の募集者が参れば、なおさらよけい集まるではないかというようなことも考えられますけれども、実はそれが全く反対でありまして、疑惑を抱かれるために、かえってその募集数が少ないということが考えられるわけでございます。特にこれをこちらに採用いたしましてから教育をする上におきまして、同じ九州の同じ地方から来て、同じ名古屋市内のお医者さんのところで勤務しているのに、隣の人は私より五百円多い——彼らは百円の金にもやかましゅうございます。当然でございまするが、そういうふうでございますと教育上にも非常に支障を来たすわけでございます。それで、もし保険医協会という団体医師会の外の団体であれば、これはむろん私どもの干渉すべき筋合ではございません。しかしながら、これが同じ医師会の中でございますれば、団体自治を守る意味におきましても、医師会決定事項には絶対に従っていただかなければ私どもは困るわけでございます。どうぞ御了承いただきます。
  19. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 いま委員長のほうから時間を切れという御注意をいただきましたので、私もこの問題についてはもっと詳しく聞きたださなければ問題の焦点は出てこない、こう思うわけでありますけれども、きょうはそれをしないで、ひとつさらっと流さしていただきます。  保険医協会は同じ医師会の中であるからしてその命令に従えとか、あるいはその中に入ってこいというのは一つのお考え方で、それはいいといたしましても、ほかのほうを見ますと、求人の問題でもぼくはお説ごもっともだと思います。やはり現地へ出ていって条件が違ったりする競合はよくないと思いますが、もう少しそれを調整をして、看護婦が少ないときだから、一たん許可された学校を、もう許可相ならぬというのじゃなしに、学校はやはり何とかして続けさしてやる、しかし、それの中にあるそういういろいろな問題は医師会保険医協会の間で話し合いをしよう、やはりこの看護婦学校ともう少し話して、そして看護婦学校の足らぬときだから、看護婦学校はいま許可されなかったから、それは何とかしてもう少し、それは医師会会長さんの立場からはいろいろ御要望があるでありましょう。こういうものに対していろいろと話し合いをして、もう少しいまのようなお考えが話し合いの場でできるような解決をして、少なくとも看護婦は少ない、こういう現実を踏まえて、しかも医師会が国がやらなければならぬことを代行してまでやっているのだという、そういう非常に雄雄しい考え方は府県の医師会もお持ちのようでございます。私にこの間抗議文をもらった中にもそういうことが書いてありましたので、県医師会のほうはそう思っておられるということは私はよく知っておるのでありますが、少なくともそういうお考えをお持ちになるならば、この看護婦学校をつぶさないということを前提にしてもっと話し合いを進めるという考え方はおありでしょうか。
  20. 服部けい三

    参考人服部けい三君) 学校の件でございます。  本来ならば、御承知のように、団体求人をいたします場合には、この雇用条件というものは最初に労働部へ届けなければならぬのでございます。その場合には、給料のみならず、採用後の教育、指導、補導と申しますか、これも求人をした団体が責任を持ってやらなければならぬことになっておるわけでございます。したがいまして、その付属と申しますか、これを指導する看護婦学校につきましても医師会がこれを責任を持たなければならぬわけでございます。医師会学校、もしくは医師会が責任を持てる学校でなければならぬはずでございます。  そこで、いまお尋ねの件は、保険医協会がいま学校をつくりかけておるのだ、なぜ愛知県医師会はこれに協力しないかということでございます。  大体、話はまたもとへ戻りますが、愛知県医師会集団求人医師会で一本で行なうということになっておりまする限り、保険医協会、同じ会が募集をされるということ、したがって、また、教育をされるということには私としては賛成できないのでございます。それをいたせば私みずからが代議員会決定事項を破ることになりまするので、代議員会でそういうことは取りやめにせよということになれば私はそれでけっこうでございますが、今日現在におきましては、それは私としてはできないことでございます。
  21. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 それから、もら一点だけ、葛谷会長にお伺いしたいのでございますが、何か協会が非常に、何と申しますか、共産党と協調をしてやっておる、あるいは、また、そういうものに対しては絶対許されない、何かそのように——聞き違いしている点もあるかもしれませんが、概略そういうようなお話がありました。やはりこの学校に対して非常に県のほうがひっかかって、なるべく許可ができないようにしておられる、妨害があるということを、一度あとからお話を聞きますが、陳述があったわけでございます、保険医協会の。そういうようなことをされるのは、やはり原因はそういうふうな思想団体もまじっているというようなことのようでありますが、私は、これはあなたのところは看護婦学校自身をもう少し切り離して問題にしたらどうだろうかという感じを持つわけであります。特にそれは医者を考えてみましたら、思想の自由は認められておりますから、医者の中でも共産党もおれば自民党の方もおられる。それでいいわけでありまして、だからしてそういうのがやるからいけないというなら、その愛知県の市の医師会ですか県の医師会ですか、というような方針であれば、そういう方針も一応認められるわけなんでありますから、そういうところだからして看護婦学校もしないとか、あれもしないとかということになれば、私は思想の弾圧にもなるし、あるいは、また、医師会側がそういう方針をどんどん進められるということになれば、よけい反駁も出てくるのではないかと、私はそういう意味で、よしあしは別といたしまして、そういうことがやはり看護婦学校に波及すれば、私は純真な子供たちが非常にかわいそうだ、もっとそういうことは医師会の次元で、保険医協会医師会とが十分協議をなさるべきであって、私は先ほど申したように、この問題を即思想と、あるいは、また、そういう偏向という、どういうふうに偏向か偏向でないかわかりませんが、何かそういうふうな形があれば、これはどうしても容認できないのだという医師会側の態度であるということか、もう少し明確にお話をいただきたい。
  22. 葛谷清

    参考人葛谷清君) 私申し上げた中にいまおっしゃったようなことが出ておったと思いますので、まあ私の考えは大体御了解得ておると思います。御承知のように、仰せのように思想は自由でございまして、共産主義がいいの悪いのということはまあ問題にすべきものではないかと思いますけれども、先ほど申し上げましたように、日本医師会愛知県医師会名古屋市医師会を通じまして、医師会の動きとしては共産党とは一線を画して、共産主義とは一線を画して、共生党とは共闘しないということがわれわれの基本的態度として決定されているわけなんです。したがって、医師会事業として行ないます場合には、これは私は医師会のきめられた姿としてはできないことだと思います。しかし、これは世の中一般的にこれが通用するかどうかということはこれは別でございます。  それから、私は、こういうふうなことだから実習病院はやめなさいというような妨害をした事実はございません。それは意見を求められれば、私は私の考え方を申し上げます。これを採用するかしないかは先方さまの自由でございまして、しかも、国立病院などはわれわれが圧力を加えて圧力の加わるような相手ではないですよ。何も私たちの言うことを聞かなかったらどうなるこうなるという問題に私はつながらないと思います。医師会はそれほど強いと私は思っておりません。もし医師会にそれだけの力があれば、医師会のこういう内部のことをこんなところへ持ってきてさらけ出して、医師会の内部の恥をさらして、皆さんのお力を借りなければ解決できないというこの現実の姿を見れば、医師会は弱いものです。そういう力は決してないということを御認識をいただきたいと思います。それで、笠寺病院も名大病院も一たん引き受けたものを断わった。しかも、先ほどありましたように、名大の教授のメンツに関する問題で、公文書で出したものをひっくり返した、これは医師会のほうでああしたこうしたということの責めを医師会に着せる前に、保険医協会のなかなかごりっぱなお話を私は阿久根理事長堀部さんから聞きました。保険医協会の基本的姿、姿勢というものをお聞きいたしました。それをもって相手を説得すれば説得できるはずだと私は思います。それをしも相手が断わったことは、医師会がじゃましたから断わったのだとイージーに考えないで、もう少し突き詰めて自分自身を反省して私はお考えいただきたいと思います。
  23. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 ぼくは保険医協会の側にちょっとお伺いをしたいのですが、先ほど一本化の問題が出まして、何か前衛生部長があっせん案を出した。そのあっせん案がまとまらなかったという最終的なところ、それをもう少しどういうふうでつぶされたかということをちょっとお伺いしたいと思います。たとえば、もっと端的に質問内容を言えば、保険医協会はどういう態度ですか、医師会はどういう態度であったかということを少し端的にお聞かせいただきたい。
  24. 堀部次男

    参考人堀部次男君) それは第一次のことですか、第二次のことですか。
  25. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 すべてを含めて。
  26. 堀部次男

    参考人堀部次男君) 第一次の日本福祉大学に看護高等学校設立するというときにつきまして、四項目の中の四項目が実行されなかった。第一項目は平等に学校に入学させるということでございましたが、保険医協会の十二名だけが藤田学園という遠いところへ入れられた。ほとんど退学しました。これは特に保険医協会側の集団求人で来た生徒が非常に多くて、しかも非常に遠いということと、教育に情熱を失ってやめてしまいました。ほとんどがやめました。そういうわけで平等に入れられない、これにつきましては、葛谷会長が採点をしている最中に私が行きましたところ、成績の悪い者がおる、これは平等に抽出でやるということを言っておりましたが、現実には協会生徒が十二名特にそこに入れられたという事実でございます。  それから、第二項の、協議会をつくって一本化するという問題でございますが、協議会はつくられておりません。私が三輪田理事から電話を受けましたのは、看護婦学校の校長が集まるから、そこへ出てほしい、何ですかということを言いましたところ、学校の入学の調整をやるからということでございますので、私はそういうふうな意味におきましてそこへ出席したわけです。正式な協議会を開くから云々ということは事前にも何にもありませんで私たちにそういうことを聞かれたので、私は一つの学校入学の調整のところへ出たという意味で出たのでございますが、これが協議会だということで、もう協議会は済んだから、本科も決定したんだというふうな話し合いを向こうできめたらしゅうございます。それで、私が先ほど申しましたように、四月の二十二日に三輪田理事に会いまして、一体協議会はどうするんだということをその当日の責任者である三輪田県医師会理事に聞きましたところ、これから協議会をつくって、そして協会からも役員に入ってもらってやるんだ、これは二十三日の理事会にはかるんだということを言っておられるとおりでございまして、協議会はつくられなかったということです。それから、補導委員にも入れてもらえなかった。それから、第四項目の福祉大学に看護高等学校をつくる、しかも、そのときに私たちが集めました教材は、看護高等学校をつくるということについて、誠意の意味県医師会からこれを福祉大学のほうに寄贈するということになっておりましたが、これも実行されなかったという事実がございます。  なお、次の、ことしになりましての県衛生部長のあっせん案、第一次、第二次、第三次あっせん案につきましては、お手元資料がいっておるはずでございます。それにつきましては協会といたしまして非常な譲歩をいたしまして、ほとんどこれをのむところまでいったのでございますが、これに対しまして、医師会といたしましては無条件降伏に近い案を出して、しかも、私たちが千八百万円をかけてつくった学校を無償で提供しろということに終始いたしまして、最後には、思想の問題、イデオロギーの違いだということでこれをけられたような結果でございます。  なお、つけ加えておきますが、集団求人を一本でやるということは、代議員会決議事項ではございません。なおかつ代議員会決定したというふうに申しておりますが、これは集団求人統一的にやりたいという会長事業報告でございまして、なおかつ今年の五月の二十七日の代議員会におきましては、これはもう協議事項でも何でもないわけで、これを決定したというふうに言っておられるようでございますが、このときは市内の代議員はどんどん帰られまして、定数も何もわからないという中でそういうことが話されたということでございます。
  27. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 次に衛生部長に、ちょっと伺いたいのですが、衛生部長は、いままでのお話の中で、いろいろ指導をしたけれどもというお話でありましたが、もっと具体的に、いままでのこの状態を聞いておりますと、いろいろ第一次、第二次案ができておる、それから以後も許可をされたそういうふうな時点でどういうふうな具体的な指導をされたか。ぼくはここで話を聞いておりますと、一番責任を持つのは衛生部長だと思う。少なくとも看護婦が非常に足らない状態で、善意をもって県の医師会も市の医師会看護婦学校経営をしておられる、非常に経済的にも苦しい中に求人をしながらやっておられるということは、おそらく私は全国的にも高く評価されていることだと思うのです。こういうようなことの中で保険医協会看護婦学校を建てられるといういきさつについていろいろ話を聞いたから、私も大体了解はできたわけでございまするが、その問題は別として、衛生部長として、やはり県の中の衛生行政として看護婦の足らないことはお認めだろうと思うのでありますが、そういうことに対して、この問題に対してどういうふうな姿勢でやられるか。衛生部長の話を聞けば、これは一本化でやらなければならぬのだからというお話がありましたけれども、あなたの指導方針、それから、また、いままで具体的に指導された内容をつぶさに聞かしてもらいたい。明確に言ってください、時間がないようだから。
  28. 金光克巳

    参考人金光克巳君) ただいまの御質問は、どういう指導をしたかということでございますが、これはいままでにすでにお話がいろいろ出ておりますが、昨年の問題でございますが、高部衛生部長在任中に一本化について努力されまして、一応メモが交換されたわけでございまするが、その後、保険医協会のほうからも先ほど御説明があったような問題点についていろいろお話がございまして、それで医師会のほうにも私から、こういった話が出ておるということで、医師会のほうも保険医協会側の言い分も聞いて、条件をひとつ出してもらってもう一回相談してもらいたいということで、やはり熊沢県会議員服部医師会長さん、阿久根理事長さんと私といろいろと協議したわけでございます。それで、阿久根理事長さんにもいろいろと——ただ、一番問題になりましたのは協議会ということで、協議会を設けて協議するということばの字句の問題の解釈が両者意見が違っておりまして、医師会のほうは、これでもう一本化ということを協議したのだということに考えられまして、それから保険医協会のほうは、協議会を設けてこれから一本化について協議するのだというようなことで、そんなところでいろいろと意見が違っておりましたが、とにかくひとつ保険医協会側のほうも条件を出してもらいたい、それから服部医師会長さんには、条件が出たらひとつ十分協議してもらいたいというお話をいたしまして、それで服部医師会長さんもわかったということで協議を進めたわけでございまするが、結局最後に保険医協会側としまして、最後の日でございますが、いわば率直に、これは決して曲げて申し上げるわけではございませんが、最後の会談のときに、私は保険医協会側からいろいろ条件が提示されて協議されると考えておりましたが、また話は、従来の経緯につきましていろいろ意見が出たというようなことで、最後に医師会のほうも、誠意がないからこれはもう一本化は破棄したものと認める、したがって、保険医協会側のほうも、これを破棄するというようなことで、ふところから書類を出されまして談判は決裂したと、かような実は経緯をたどっておりまして、その間、医師会側保険医協会側には、いろいろ御意見を聞きながら私としましては最大の努力をしたつもりでございますが、残念ながら話し合いができなかったというところでございます。その後、ことしに入りましてから私があっせんに入りまして、医師会保険医協会側の一本化と申しますか、手を握り合うことにつきまして私があっせんに入ったわけでございまして、それで何回となく協議いたしまして、医師会の側にもある程度ひとつ譲っていただきたい、看護婦の不足のおりでもあるし、また、現在の生徒もかわいそうであるという立場から、医師会としても譲歩できるところはひとつ譲歩してもらいたいということで、医師会としてもいろいろ御検討いただいたわけでございます。それから保険医協会側も、先ほどのお話のように、かなり譲歩されたお気持ちになっておったわけでございます。そういうことで、私は最終的には実はこれはまとまると、かように考えておったのでございますが、たまたま最終日、五月二十一日でございますか、県医師会代議員会が開かれておりまして、その席上、先ほど出ておりましたような抗議デモ等がございまして、またそこで私の推察するに、感情的にも医師会としてはまた硬化された——私自身のこれは推察でございますが、そういうこともあったかと思うのでございますが、そういうことでこれはまた決裂に終わったというようなことでございまして、私としましては、その間相当努力は、医師会長さんにもいやなことも申し上げたりなんかしましてお願いしたようなわけでございまして、努力はしたつもりでございます。したがいまして、先ほど申し上げましたように、実習病院は、少なくとも普通ならばこの十一月から始めませんと資格試験を受ける期限が切れるわけでございますが、ただ、夏休みとか冬休みを若干利用いたしますとまだ一カ月ぐらいは余裕を見てもいいかと、かように実は考えておるわけでございますが、あとわずかでございますけれども、でき得べくんば、先ほど申し上げましたように、やはり医師会の中の別派行動ということで、そこでいろいろな紛争を生じてくるわけでございますので、そういうことがないように、医師会側としても決して医師会の分校として考えていくならば十分考えるという考え方を持っておると先ほどおっしゃられているわけでございます。また、保険医協会側は医師会側と一本になれば非常に不安があるということでございますが、これも話し合いによってある程度解決されるのではないかということで、あと日にちはわずかでございますが、でき得べくんば、互いに円満に一本化されればこれが一番理想ではないか、かように考えておるわけでございます。したがいまして、これが行なわれませんと、先ほど来お話が出ておりますように、現在、愛知県の病院ではどこの病院でも、かような経緯をたどっております以上は、もう実習業務を進んで引き受けるところはないわけでございます。また、私が頼んでもなかなかこれは引き受けてもらえないと思うのでございます。本年のあっせんに入りました当時には、私は非常の場合にはどこかの病院で引き受けてもらいたいというような気持ちも持ちまして、あちらこちらの病院をたずねて意見を聞いて回ったこともあるのでございますが、やはりかような事態になりますと、とてもなかなか引き受けてもらえないというのが現実の姿でございますので、さような意味でできるだけのことを今後も努力をしまして、円満に解決するような方向に努力をしたい、かように考えておる次第でございます。
  29. 山本杉

    山本杉君 実は私、ちょっと十時から国民栄養の特別委員会が開かれておりますので、時間の関係でまことに恐縮でございますが、一言言わせていただきたいと思います。  実は、この問題についてたびたび大橋委員質問を重ねておいでになりまして、私どもも拝聴しながら全貌がなかなかつかめなかったのでございますが、きょう参考人においでいただきまして、るる御説明をいただきまして大体わかったような気がいたします。それで、私ひっくるめて質問を並べます、私、受けました印象から。  先ほど来、衛生部長もたびたび言われておりますし、医師会長方もおっしゃっていられるのですが、この保険医協会のメンバーというものは医師会員でありながら、なぜこの医師会に協力ができないのかということ、そういう印象を受けました。  それから、もう一つは、この看護婦の不足ということは、これは国家的に医療行政を進める上で非常に大きな問題でございまして、これはもう長年にわたってみんな非常に考えていたところでございますけれども、きょうの阿久根さんや堀部さんの御説明を伺っておりますと、医師会が一生懸命で養成している、その医師会が養成している准看では満足できないんだ、自分らが養成したものでなければ、日本婦人のその第一線で働くようなそういう女性にはなれないんだというふうな御説明の印象を受けたわけでございます。そういう点にも私は別派行動をなさる何かがあるのじゃないかというようなことも考えさせられました。  それから、これは五月三十一日のこの委員会で、若松局長答弁でございますが、国鉄や守山、あるいは笠寺病院が引き受けて、そうして落着する、こう言明しているのです。それから、また、六月の七日には、一両日中に認可するように県の衛生部に指導するという答弁をしておられるのですが、私は厚生当局が、この国会の場で審議されていることに対してこのようにはっきりものを言い切っておられながら、どうして今日までこの問題がこういうふうに混乱して落着をしなかったかということ。  それから、もう一つ最後に、これは私の感じを申し上げて恐縮なんですけれども愛知県当局も、この問題がなぜ国会の場で審議されなければならないのか、これは私の大きな疑問でございますので、つけ加えさせていただきます。で、私は、あえてそのお答えをいただかなくてもけっこうなんでございまして、大橋委員質問に関連してこれだけちょっと述べさせていただきました。
  30. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ちょっと、どなたに質問でございますか。
  31. 山本杉

    山本杉君 だから、あえてこれは——もしお答えいただくならば、厚生大臣がいらっしゃるのですから、おっしゃっていただければいいのですが、あまり時間がないことでございますので……。
  32. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 鈴木厚生大臣、わかるだけ答えてください。
  33. 鈴木善幸

    ○国務大臣(鈴木善幸君) 私は閣議の関係で途中で出席いたしましたので、全部の参考人の皆さん方の御意見をお聞きすることができなかった、その点を残念に思うわけでございます。十分あと速記録等を精査をいたしまして、各参考人の御意見等を十分私も味読をいたしまして、そうしてどういう解決方法が最も円満に皆さんが納得するようにいくであろうか、そういうことにつきましても慎重に検討してみたい、かように考えておるわけでございます。したがいまして、いまここで一部の御意見だけを聞いたわけでございまして、ここではっきりした答えは保留をいたしておきたい。
  34. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ちょっと保険医協会側に、山本委員質問の初めのほうは、あなた方でなければ答えられないような、厚生大臣では答えられないことを聞かれたようですから、ちょっと答えてくださいませんか。
  35. 山本杉

    山本杉君 御説明はるる承っておりますから、お答えいただかなくてもけっこうです。最初からずいぶん御説明をいただきました。それについて私がこういうふうに感じたということをいま申し上、げたのです。
  36. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 感想だけで御了解いただいていいのですか。
  37. 山本杉

    山本杉君 了解をしたわけではないけれども、最後に、どうしてこういうことが国会で審議されなければならないのかということを伺いましたのに対して、厚生大臣がきょうのところは答えを保留をしておくとおっしゃったので、それでけっこうです。
  38. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) それでは、あなた方せっかく参考人として来ていらっしゃって、これからまたちょいちょい来ていただくわけにもいきませんので、委員長として、一言弁明がありましたらおっしゃってください。
  39. 堀部次男

    参考人堀部次男君) 看護婦不足のおりからであるから、自分たちで養成しなければならないというような分派行動的な感じに受け取られるということでございましたが、私たちそういう気持ちは全然ございませんし、私たちは、先ほどから申し上げておりますように、三十九年に突然集団求人医師会がやるから、それに一本化しなければ入学をさせないということを徹底してやってきた、現地にまで文書を流してやってきた。しかも、それまでは私たちが三十五年から苦労して集団求人の開拓をし、その生徒というもの、来た子供というものは、零細な各医院、大きな病院はほったらかしても集まるが、小さいところは集まらないといって困っているお医者さんのところに集めてきた。しかも、それを突然私たちに何らの——いままでおまえたちはよくやったという感謝をするならともかくも、いままで開拓してきたものに対して、突然おまえたちはやめろ、やめなければ学校へ入れないということを持ち出されたことからこの問題が始まったのでございまして、自分たちが養成しなければならないというような分派行動ではございません。そういうふうに協力してやってまいりましたし、途中の看護学校なり医師会の看護学校設立につきましても協力しておりまして、なおかつ葛谷医師会長市医師会会長に就任のときに、保険医協会集団求人についてはよくやっている、だから今後学校を拡充して、そこで生徒をたくさん養成をするということを代議員大会ではっきり申されておるようでございます。私もそのとおりやってまいったわけでございますが、先ほど申しましたような非常な理不尽な妨害からこういうふうになってきたわけでございます。私たち何も気負ってやっているわけではありません。しかし、その間の問題の基本的な考え方に非常に相違があります。妨害されましたので、私たちは自衛の手段としてやるだけのことでございます。  それから、なおかつ医師会に協力できないか、私、医師会に協力しております。医師会をつぶすとか、医師会をどうのこうのと言うわけではございません。特定の人がやはりいろんな人の考え方の相違、先ほど申されたように、イデオロギーだとか、やれ共産党だとかというような考え方、そうして代議員会の記録を見せないというような、根本的には誤った考え方の中では協力しようにもさせないという事実がございますし、また、私たちの協会の役員が社会保険の審査員か何かになっておりまして、そういうものも全部オミットしております。各委員からもオミットされた事実もございます。堂々と自分の意見を陳開し、あるいは批判するとどんどんやめさせられていくという事実もございますので、その中でほんとうの協力ということができるかできないか。しかし、私たちもほんとうに協力しないつもりならこの医師会はさっさとやめます。しかし、やめないで今日まで残っていろいろといい方向へ向かっていってもらいたいというのが私たちの医師会をりっぱに育てていこうと協力している実態でございます。
  40. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 続いて衛生部長にお伺いしたいのですが、時間的にだいぶ制約があるようですから、ごく簡単にお話を伺っておきたいと思います。  いま衛生部長は、一本化しなかったらぐあいが悪いんだということを前提にしておられるようでありますが、私は衛生部長の指導方針をちょっと聞いてみたい。というのは、この保険医協会は協同組合のもとに立っておるのであって、そして私は先ほど申し上げましたように、個人の病院でも看護学校はつくっていくのだ、あるいは、また、先ほどおっしゃるように、もちろん医師会の中に入っておる病院がやっておるわけでありますからして、それを一本化して指導されることは私はたいへんけっこうだと思います。ですから、それだからしてそれば学校をつくるほどの問題にならないのだという、県のものにならなければいけないという理由で、そういうような考え方でもってあなた自身も指導しておられるのかどうか。それから、また、実習病院については、先ほど葛谷会長からでありましたか、国立の病院なんかは医師会の言うことは通らないんだと、当然やるべきだとおっしゃっておりましたとおりでありますので、県の医師会として厚生省と連絡をとりながら国立の病院あたりでこの実習病院はできないのか。そのくらいのことは、看護婦の少ないときに医師会方々が非常な犠牲を払ってやっておられることに対して、もっと積極的な指導ができないのか、これが第二点。  第三点は、先ほどの問題としていろいろなことがありましたが、この問題に対してはあなたは一体どういう考えでもってやっておられるか。この三つの点について。
  41. 金光克巳

    参考人金光克巳君) 先ほど日本医師会保険医協会看護婦養成につきましての一本化につきまして私御説明いたしましたが、先ほど来お話が出ておりますように、保険医協会は協同組合ということで、医師会としてではありますが、別の団体として経営をされておるわけでございます。したがいまして、その点が違うわけでございますが、やはり医師会の中で同じ立場の方が別の立場で運営をされるというところに先ほど来いろいろと経緯がございますようなやはり問題を生じてきておる次第でございます。したがいまして、現在実習病院を確保するにつきましては、やはりその問題が円満に解決いたしませんと、いずこの病院にいたしましても、進んで引き受けるところはないと思いますし、また、お願いいたしましてもなかなか引き受けてもらえないのが現実であると、そのような考え方といいますか、私の考え方でございまして、先ほど来申し上げましたように、私も本年度学校実習病院なしにスタートいたしましていろいろともめました当時に、国立病院はじめ、私は回って、非常の場合の準備にいろいろと御意見を聞いたのでございます。もうそのときにすでに非常にむずかしいのでございますが、現在の時点におきましては、御承知のように、名古屋大学の分院まで実習病院を返上したという今日の状態におきましては、もうなかなか実習病院の確保は困難であろう、かように私は判断しておるのでございまして、したがいまして、やはりここは両者円満な形になることが先決問題であるというふうに考えておるわけでございます。  それから、思想の問題につきましては、私ども立場としましてその問題についてとやかく言う筋合いでもございませんし、私としまして考えてない問題でございます。
  42. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 これだけで私は質問を終わりたいと思いますが、衛生部長に対して私特に要望しておきたい。  いま話を聞いておりますと、実習病院はいまの状態ではありません。あなたはやはり県知事のほうに進達を許可されたわけですね。そのときの実習病院がそれについてなぜ断わったかということを先ほどお話を聞きしましたが、大体の推察、了解はできる。けれども、いまの看護婦の少ない実態、これは厚生省と手を組んで県でやるべき仕事なんですよ、実際は。それを医師会が肩がわりをしておってくれるという現況を踏んまえて県の衛生行政をやっているあなたが、県の中で看護婦が少ないという現実を見ながら、こういう状態があるから、それができなければできませんとか、いまでは引き受けるところがないでしょうという傍観的な、むしろ何と申しますか、批判的な態度でもってあなた自身の責任がそれであるのか、ぼくはそう言いたいと思います。こんな衛生部長がおるからこそ、この医師会ではトラブルが起こってくるのではなかろうか。もっと先へ進んだいろいろな指導方針を出して、医師会のほうと話し、あるいは、また、保険医協会の人と話し、そうしてこれを取りまとめるのが当然ではなかろうか。私はむしろ看護婦学校を云々するよりは、そういう問題を一方で話しながら、看護婦の必要なときであるし、看護婦さんたちは純真な看護婦さんが出てきておる。こういう人たちに非常な間違った道を与えないようにほんとうに指導をするのが私はほんとうの立場じゃなかろうかと思うわけです。そういう観点からいって、それができなければできません、いまの状態では実習病院の引き受け手がありません。医師会長はちゃんと言っていらっしゃるじゃないですが。国立の病院だったらわしらが何にも言わなくとも、わしらの関係しないところだと医師会長おっしゃている。だったら私はあなたがなぜできないかということを詰問をしたいわけです。そういうことから考えて、もう少しこの問題を前向きの姿勢でやるようにしていただきたい。私は話をずっと聞いておりまして、やはり医師会長のおっしゃるように、求人の問題も一本化したい、あるいは医師会の中で分校みたいなものをつくってやりたい、ぼくはいいと思うのですよ。それでもけっこうだと思います。そういうことで話し合いができるような場を考えて、そうしてもう保険医協会も納付のできるような線を出して進められるのがあなたの責任じゃありませんか。これを実習病院がありませんよというようなことを言ってうそぶいているような態度自身を私は非常に遺憾に思っています。そんなことで保険行政をあずかっておる、特に医療行政をあずかっている県の衛生部長の責任が全うされていると思ったらぼくは大間違いだと思います。そういう観点から私は社労委員会においてもこの問題を取り上げたわけです。そういう観点から、ひとつどうかこの問題に対しては、もっとあなたが中心になって、そうして医師会のおっしゃっている御意向もぼくはわからんじゃない、わかります、やっぱり。だから、できるだけ医師会一本にしてやりたい、これはおっしゃっているならそれでいいじゃなりませんか、そのように進めていったら。そうして保険医協会のほうもいままでの段階の話を聞けば苦しい段階で、いままでに追い込まれた状態というか、やっぱりそういうような状態で追い込まれてやっておられるのだから、そういう面を生かして自主的な運営をさせていくとか、そこにも話し合いがあって、いまの状態ではできません、公文書で一たん許可しておきながら、やらなかったらそれを取り消すなんていう、それで知らん顔をしているということの責任を追及したいと思う。
  43. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 要望でございますね。
  44. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 私ちょっと質問したいと思いますが、いまだいぶん要望が出ましたから、関連するところは触れないのです。私は愛知県の県下の問題として非常に重大な大ミスがあると思うのです。先ほど金光参考人は、十一月までに実習を終えなければ来年の試験はわやになるかもしれんということをおっしゃっておるわけです。重大問題です。しかも百二十人も農村から求人してきて、それを学校を目的としてきた子供を、県の施策が悪いために、双方の協同組合と医師会のほうの折り合いが悪いから百二十人の子供にまで迷惑をかけるような政策ということは取るべきじゃないと、私はこう思うのです。その問題を一体愛知県の衛生部長としてどうお考えになっておるのか、お聞きしたいのです。感情じゃないですよ、この問題は。
  45. 金光克巳

    参考人金光克巳君) 実習病院が十月末までになければ、生徒が准看護婦資格試験を受ける資格がなくなってくるということでございますが、これは二年間に六十七週の実習をしなければならないということでございます。逆算してまいりますと、十一月から実習を始めなければならないということになるわけでございます。ただし、先ほど来申し上げましたように、夏休み、冬休み等をある程度利用いたしますればもう少し延ばしてもいいという実態でございます。したがいまして、十月末までということにつきましては、それまでは努力してもらわなければならない。私たちとしてもそれはもちろん努力しなければならないわけでございますが、保険医協会協同組合においても考えてもらわなければならないということで、公文書でかような考え方を示したわけでございますが、私としましては、先ほど来申し上げておるように、何とかこれが円満に解決するということによって、実習病院が確保されるということが第一番であるということで、その考え方につきましては御両者にもたびたび申し上げておるわけでございます。御両者と申しますと、医師会のほうにもその考え方を申し上げておりますし、保険医協会のほうにも申し上げておるわけでございますが、そこで、問題は生徒の問題でございますが、生徒が無資格になってしまうということは、もう私自身としましてもこれは非常な問題であるということは重々考えておるわけでございます。そういった実習病院がどうしても確保できないという場合には、県立の中村准看護婦学院がございまして、そこを拡充いたしまして、何とかこの生徒だけは困った事態の生じないようにしたい、かように私のほうとしては考えておるわけでございます。したがいまして、先般保険医協会に通知しました内容におきましては、どうしても実習病院がないという事態になった場合には衛生部のほうに御協議いただいて、一緒に相談して、円満というか、生徒の解決をはかってまいりたい、かように考えております。
  46. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 県の衛生部にお願いすればそれは可能だとおっしゃるのですね、そういうことですね。
  47. 金光克巳

    参考人金光克巳君) はい。
  48. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 それでしたら組合専務理事にお聞きしたいのですが、それはそれでいいですが、そういうことは可能ですか。理事者側としてはどうですか、その点は。
  49. 堀部次男

    参考人堀部次男君) 私は、県衛生部が引き受ければ実習病院ができるといわれるなら、現在の段階で衛生部長がその実習病院を確保していただいて、実習が完全にできるようにしていただきたい、私はそう思っております。ぽっと向こうに生徒を移したからそこで実習病院がぽかんと出てくる——現在実習病院は余っているはずだと私は考えておりますが、なおかつ私たちは医師会とけんかする気持ちは毛頭ありません。あとのことにつきましては円満にいくようにということは、そういうことを話し合うのにやぶさかではございません。
  50. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 服部さんにお聞きしたいのですが、先ほど大橋委員から質問しましたように、組合を組織することは法律で認められておるわけです。したがって、医師会のいかなる決定があろうとも、医師会の中の零細経営をやっておられる方が共同行為によってつくられたものに対して、私が申し上げますのは、内容は別としまして、准看護婦学校を設置されたいという点については決して不当だとは思っておられないと思いますが、その点はお認めになるのですか。
  51. 服部けい三

    参考人服部けい三君) ただいまの御質問の要旨がよくわかりませんところもごげいますが、医師会員の中で何かクラブ活動式のことをやってもいけないのか、たとえば自動車で自動車組合というようなものをつくって、自家用車を持っておる者がそういう組合活動をしてはいけないのか、一緒にドライブしてはいけないのか、そういうことでは決してございません。そういう御質問であろうかと思ったのですが、もちろんそのようなことは、いかに医師会が団結を強固にしなければならないといって、おまえは車に乗ってはいけない、碁をやってはいけない、さようなことは申しておるわけではございません。ただ、私ども医師会員として一般の行動をとるということは、看護婦求人の問題について申し上げておるわけでございます。それは先ほど来繰り返し申し上げたので、省略いたしますが、いろいろ現地において競合がある、あるいはこちらに採用してからの看護婦相互間にまことに都合の悪いできごとが起こるというようなことから、集団求人医師会会員の方は全部医師会でやろう、そうしてその後の教育集団求人をやった団体教育をする責任がございますので、したがって、医師会立の学校でやろうということだけでありまして、その他のお尋ねのようなことにつきましては一々干渉する考えは毛頭持っておりません。
  52. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 私の舌足らずで済みませんが、私は法律的なことを申し上げているわけです。つまり零細経営をやっておられる医師方々は共同行為のできる団体をつくる法律があるわけですが、この組合をおつくりになっている。なぜかというと、数年前から看護婦が足りないから、何とかしてそれを満たそうとし考えられたのがこの保険医協同組合のいわゆる准看護婦学校であろうと私は思うのであります、そうでしょう。したがって、零細経営をやっておられる方が共同行為をやらざるを得ないような羽目におちいっていられる。それをつくられたということについては共鳴できますか、そこまでは抱束できないでしょう、法律があるのですから。その点を私はお聞きしているのですが、その点はどうですか。
  53. 葛谷清

    参考人葛谷清君) もちろん法律にあるかないか、私はあまり法律は詳しくございませんので、おそらくりっぱに保険医協会があれをつくっていらっしゃるので合法的だと思います。先生のおっしゃった中で零細の諸君のグループということはちょっと当たらないと思います、これは。そういうことばじりをとらえるわけじゃございませんが、別に零細の諸君が集まってつくっておられる協会ではない。しかも、あの学校を、先ほどお話がございましたが、千八百万という金を集めて出していらっしゃいますが、これは医師会全員に割れば非常にわずかな金ですが、それを少人数の者でやっているところに——事実私の聞いたところでは、非常にたくさんの負担金を執行部の責任者の方が負担しているということを聞いておりまして、そういう人たちを零細というのは失礼だと思います。医業のほうも非常に盛大にやっていらっしゃる人たちでありまして、零細なグループではない。法律でそういうものを認められておりましても、その中で事業として看護学校を独立してやるということは、これは医師会の姿勢としてはやめてもらいたい。先ほど申し上げたそういう活動が合法的であるから、これをいかぬということはできない。しかし、少なくとも医師会内部の、団体の秩序内においてはこれは遠慮してもらいたいというのが、これが国師会考え方だということをお答え申し上げたいと思います。
  54. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 委員長としてたいへん申し上げにくいのですが、委員もたいへん熱心だし、参考人も熱心で時間がたいへん過ぎて、参考人の方は朝たっておいでになっており、またお帰りの時間もせいていらっしゃるし、いろいろの御事情がございまして、ほんとうに私は時間を制約するのはきらいなんでありますが、どうかもう少しごかんべんいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
  55. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 もう質問はやめたいと思いますが、この問題は先ほども委員のほうからお話が出ましたように、非常に愛知県下における重要な問題として私はまず解決を進めてもらう方法として、いま零細でないとおっしゃったけれども、先ほどの理事者側の話からは、看護婦の採用についてかなり困難性のある零細な医師の集まったのがこの会であると、こうおっしゃった。それをまともにとっておるわけですが、それは見方がいろいろあろうと思います。その点は別問題として、急に迫ってつくられたこの卒業者をできるだけそういう配分をしようという考え方でやられたと思うのですね。それから二年後に医師会としてはそういう決議をされて、何とかして一本にすべきだ、これもわからぬことはないのですね。したがって、これはもっと医師会のほうも、なお、また、この組合側のほうも、百二十人の現在の生徒をどうするかということをまず前提にしていただいて私は解決をつけてもらいたい。しかも、それは厚生省なり、あるいは、また、衛生部長あたりは、先ほど県の衛生課のほうに持っていけば何とかなるとおっしゃいますけれども、当然なことであって、私はそのことを早急にひとつ話し合いをしてもらってまず解決をつけていただく。その後の問題は、これは県当局が中心になって解決をつける方向に進んでもらいたいことを、参考人の方にも、政府に対しても私は希望意見として申し上げておきます。
  56. 森勝治

    ○森勝治君 時間がございませんから、簡単に若干質問をしてみたいと思います。  最初に、県の医師会長さんにお伺いしてみたいのですが、県医師会が、教育というものは国師会一本でなければ実現できないという、この真意は那辺にあるのか、私どもは理解に苦しむのであります。なぜかと申しますならば、他県に例を見るごとく、これはもう何カ所もすでに学校ができておる、しかも、分派活動などという御発言があるけれども医師会の皆さんが、執行部の方がお考えなさる前に、すでに保険医協会では活動を開始されておるのだから、むしろ医師会の執行部の案が出されるよりも以前にこの保険医協会の皆さん方の進歩的な考え方で実践段階に移されておるわけですから、むしろこれは医師会から称賛されてしかるべきものと私は愚見するのであります。ところが、これを分派活動呼ばわり、育成するどころか、分派活動呼ばわりすることは、どうも私はそうした団体という立場から見るならば、団体団体員の相互の親睦と生活の安定と社会に寄与するもろもろの問題についての向上を互いに涵養する、こういうのが団体に糾合された仲間同士のそういう目的であろうと思うのでありますが、むしろこの保険医協会の今日までとられたこの事業というものを県医師会が大乗的見地に立って育成されてこそしかるべきものと私ども考えておるのでありますが、なぜ医師会一本の学校でなければならぬのか、どうも私はその点が合点がいかないから、この点について一点。  時間がありませんから、もう一点、名古屋医師会長にお伺いするのでありますが、第十三回の愛知保険医協会の総会にあなたが出席されましてこういうことを言われておるわけであります。「道義を失った政治家が国を滅した例は歴史上いくらでもある。道義を忘れた政府及び自民党のこの姿を、われわれは医師として、国民として絶対に許す事は出来ない。怒れる会員の中に自民党との協力は止めよという強い声の出ていることは当然である。」、こういう発言を第十三回愛知保険医協会においてあなたは発言されておることを御記憶でしょうか。もし御記憶であるとするならば、同じ会合に出られました県の医師会の副会長の太田さんがさらにこういうことを言われております。「他人を「アカ」呼ばりする事は理論に敗れた所謂上に位する者が返す言葉の代りにいう事ではないかと思うようになった。」というのが愛知県医師会を代表された太田さんのお祝いのことばの内容の一端でございます。この葛谷さんと太田さんのお二人さんの医師会の代表の方々からこの第十三回保険医協会の総会に臨まれてのあいさつを見まするならば、私はこれはまさに友好的関係この上もなしというふうに考えておったら、いまお伺いしたら非常に感情がむき出しであります、正直。この感情のむき出しということは、これはもう理論の争いでなくて、何か連絡に不十分とか、そういう問題のもつれから今日の不測の事態を招来したのではなかろうかと私は考えるのでありまするが、そういうふうに単純に考えてよろしいものかどうか。  この名古屋市の医師会長のあなたには、いまの発言内容を御記憶かどうかということが一点と、そういうふうに私が単純に考えてよろしいかどうか、この点についてお答えをいただきたい。
  57. 服部けい三

    参考人服部けい三君) お答えをいたします。  教育の問題についてでございますが、先ほど来私が何度も繰り返して申し上げておることをまた申し上げなければならぬのでございまするが、どうかこれはひとつ御銘記いただきたいのは、保険医協会というのは医師会の中の会員でございます。会員の何人かの人がそういう協会をつくっておるということでございまして、別の団体ではございませんので、医師会協会を迎えよとか何とかいうお話がございまするが、これは医師会の中の会員でございます。したがいまして、ここにおいでであります堀部先生も私のほうの代議員でございます。代議員会に出て十分発言する権利がございます。ほかにまだ数名の方がございます。九十名くらいの代議員だと思いますが、保険医協会の代表も出ておられるわけでございます。その中でいろいろと協会で会の事業を運営をしていくのが私はじめの理事者の仕事でございます。したがいまして、保険医協会が知らぬでおられるうちに、あるいはそのすきをねらって保険医協会のやっておられたことをじゃまするようなことでもしておるというようなお話であるのは、はなはだ当たらないのでございまして、私ども保険医協会の代表をも含めて、正式の審議の場において決定されたことを遂行するのが私どもの任務でございます。どうぞその点はくれぐれもひとつ先ほど来申し上げておるとおりでございまして、団体自治を守るという意味においてやっておることでございまして、決して保険医協会だからその学校設立妨害する、そういう意味ではございません。医師会の、何と申しますか、方針と申しますか、国でいうならば国策でございますが、私ども決定した方針を私どもはやらなければならない、こういうことだけでございます。同じようなことを繰り返して申し上げて恐縮でございますが、それ以外にお答えすることばは私としては見つかりませんので、御了承をお願いいたします。
  58. 葛谷清

    参考人葛谷清君) ただいま前の何かをもってお読みになったようでございますが、それは第十三回となっておりますが、それは何年ころのことでしょう。私かすかに記憶しております。
  59. 森勝治

    ○森勝治君 前尾幹事長時代でございます。
  60. 葛谷清

    参考人葛谷清君) そのころ——私それは発言したのではなくて、総会の記念号か何かに私、祝辞かあいさつか何かに出したことばだと思います。そのときは私、保険医協会とは友好的であったということを申し上げます。しかし、その後、私たちの認識がそのころ足らなかったと申しますか、あるいは保険医協会の諸君がだんだん衣を脱いでよろいを出してきたというか、いずれかわかりませんが、私にだんだん核心がつかめてきたわけであります。したがって、私はその以後において、はっきりと公文書協会を退会することを申し入れて退会をいたしております。したがって、その時点にこうであったからいまおかしいとおっしゃるのは、私の思想の変化だとお考えくださってよろしいと思います。
  61. 山崎昇

    ○山崎昇君 ほんとうはもっと私も御質問いたしたいのですが、時間がありませんから、一つだけでやめます。ずっと朝から聞いておって私が一番疑問に思いますのは、愛知県の医師会に加盟しております会員というのは大体三千人くらいあると聞いておるんですが、そのうちの三分の一くらいに当たる千名の会員方々でこの医療保険が扱われておる、こう私ども聞いておるわけです。そうすると、そういう方々が、あなた方医師会できめる以前に、四年も前からこの看護婦の問題に取り組んで、そうしていろいろと実績をあげてきておる。いま葛谷さんから十三回のあいさつ云々というお話がございました。ところが、十四回の総会には、これまた副会長の太田さんが出席をして、きわめてこの保険医協会のやっておることはりっぱなことだ、今後伸ばしてください、こういう堂々たるあいさつをしておるんですね。そこで、あなた方が、医師会決定を守られないことはけしからぬというようなお話でありますけれども、私から理解をすれば、三分の一の会員のやっておることが悪いことではない。看護婦が足りないから、どうしたらその看護婦を充足できるかという、きわめて前進的なことをやっておるのに、それをあなた方が分派活動のようなものの言い方をするのは、私は団体自治なんという問題ではないのじゃないかと思う。何か自分の会員のやっておるいいことを医師会決定という名前であなた方は反発しておるんじゃないか、そういう点に少し私は感情的な点がありはせぬかというふうに私ども聞かされるわけです。そういうものがなければけっこうでありますが、むしろ医師会一本でやるならば、この保険医協会で先にやったことをどう発展させるのか、どう医師会としてそれを守りながら医師会全体の事業をやっていくのか、そういう形からあなた方がこの問題を見詰めることが解決の私は基礎になるのじゃないか、こう思うのですが、この点についてだけお聞きをしたいと思います。
  62. 葛谷清

    参考人葛谷清君) ただいま保険医協会は一千名の会員があるということを申されましたが、私もそのように聞かされております。いま御質問になった先生もそのように聞かされておいでになると思いますが、残念なるかな、私その証拠を持っておりません。先ほども、まあ私申し上げなかったけれども協会のほうからことばがありまして、名簿はちょっと見せれぬが、ここに持っておるというようなお話がありまして、持っていらっしゃるそうですが、私あとで一ぺんこれを見せていただきたいと思っておりますが、たまたまきょう持っていらっしゃるのでちょうど都合いいと思います。いままで見せてくれと言っても都合があって見せれぬとおっしゃる。それで、私の推測では、会員は数十名と推測いたします。(笑声)皆さんお笑いになるが、私もその根拠はないのですよ。ただ、私の推測では根拠はあるのです。それは総会をいつもお聞きなさる、保険医協会が。そうすると、そのときに二十数名でいつも保険医協会の総会が成立している。協会の新聞には総会の決議文が出るわけですが、そのとき委任状を取られた経験がない。私もかつていまおっしゃったように協会におりましたから知っておりますが、委任状を取られて成立した経験がない。そのすると、社会常識から考えて、大体過半数に近いものでもって総会が成立されるものと解釈するならば、二十数名で総会が成立されておるという事実を見ると、私これは多くても数十名じゃないかと、このように考えております。しかし、これは私の推測ですよ。だから法人格を持っておりませんから、そんなものはかってだ、五人来たって総会だとおっしゃられればそれでけっこうです。けれども、私は社会常識としておかしいじゃないかということを思うので、そういうことから推測しまして、りっぱな思想を持って、りっぱな事業をやっていらっしゃる協会でございますので、そういうでたらめなことはなかろうと、委任状は取らぬでも、いつも過半数は出てくる総会である。それならば数十名が全部の会員ではなかろうかと私は推測するだけでございまして、これが当たるか当らぬかは存じません。名簿は後ほど私は見せていただきたいと思います。だから、そのように三分の一は賛成しておるというようには私絶対に解釈しておりません。
  63. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私もひとつ、まあ質問というよりか、いまのお話にあった会員保険協会は千名だ、あなたは数十名だと、私はそこにも問題があると思います、同じ名古屋にお住みになっておる方々ですから。先ほどの話の中に、会長代議員会決定手続だと、こうおっしゃいましたけれども代議員会の議事録をいまだに代議員であり、会員である人に配付してないというお話がありました。私はこれをここで洗ってどうこうということをしたくないのですが、なぜそんな不信感が出てくるのか、私はそこだと思うのです。保険医協会は、私の理解していることでは、昭和三十六年から皆保険になりました。しかし、国民の保険行政、医療、生命を守るために保険医協会というのができたと私は聞いている。だから、いまの葛谷さんですか、十三回か何回か知りませんが、大いにおほめになって出発をして、全国のお医者さんの方々が、日本の医療行政、医療保障をどう進めるかということで、熱心のあまりできたのが保険協会の意義だと私は理解しております。それが今日では、あれは思想団体だ、思想分派行動だというようなところまで感情が出てきた。いまのような実態で、両方から探り合いで批判をしているというようなことで、いま日本の医療保障、医療行政というのはどうなるのだろうと私は心配をする一人でございます。ですから、私は、先ほど県の衛生部長がおっしゃった、私のところへきたら実習病院はできるのだ、そんな言い方は私はないと思います。三万も四万も看護婦さんが足りなくて、どうしたら看護婦さんが充足するかというようなことは、この委員会でも何回も厚生大臣を中心に——行政上の問題は大臣がおやりになることですけれども、私たちは、この医療制度をどう発展させていくか、皆保険下における医療行政というのはどうあるべきかといって、この社労委員会はみんな寄って心配をしている。そこで、三万も四万も看護婦さんだけでも足らぬ、無医地区もある、これでどうして皆保険が充実するのかということを心配して議論をしていくのがわれわれの任務なんです。そうして看護婦さんを今度は養成するということになってきて、そういう団体会員であるのが当然である、そういう中でいまのような、感情的と言ったら言い過ぎか知らぬけれども、不信感といいましょうか、そういうもので、せっかく立てられた、政府の代行をされている県の衛生部認可された准看護学院が、実習がないから取り消すとか取り消さぬというふうになってきたら、私たち厚生行政をやっておる立場になってきたら、断じてこれは許せないということを感ずるのは当然であります。ですから、私は、何としてでも、いまの准看護学院の手続やその他の問題は二回もの段階であっせんをされてきたのでありますけれども、それが十分にできていないと、そこには何かがあったから私はそういう結果になったのだと思います。この善悪を私はここで議論しようとは思いません。しかし、いまのようなかっこうで、いみじくも県の衛生部長から出ておりましたのは、私どものところへ手狭だけれど入れたなら実習病院はすぐできますと、そういう傍観的なかっこうで私は何万といって足らぬ看護婦の養成を見でいただいたら困ると思う。ですから、私は、その点は先ほどもお話がありましたけれども、私は、衛生部長にいたしましても、それはもっと真剣に取り組んでいただかなければならぬと思うのです。それから、厚生大臣もお聞きになったとおりでございます。ですから、厚生大臣としても、このたくさんの看護婦さんが不足している、学区制度でも変えたらどうなんであろうかという議論までこの委員会ではしているのです。それほどわれわれは皆保険に対して心配している問題が、いみじくも愛知県、名古屋の問題としてここで議論といったらいけないかもしれませんが、お聞かせをいただいて、何とかいい方法はないかということで、われわれの議論をするための参考になる意見を十分に述べていただいたと思うのです。だから、厚生省としても、絶対数それだけ足らない条件の中で、私はいますぐ問題があるなら、いざこざがあるなら、国立の病院、政府機関の病院、こういうところで看護婦実習をすることは可能だと私は思います。私の知る範囲では可能だと思う。それを感情的に医師会とどうの、協会とどうやこうやとかいうことによって、そんなかっこうでこの学校を取り消すとか取り消さぬとか、准看護婦の養成が一とんざを来たすようなことがあってはならないと私は思う。だから、まあ厚生大臣は決意を持って日本の皆保険下の医療行政を進めようとしておいでになっていることでありましょうが、それを受けて代行されている県の衛生部長としては、私はやっぱし現状のせっかく一千人もの開業医の皆さんがここまでおいでになったものを、医師会協会との感情をどうしてほぐすかという重要課題が一つあります。しかし、この認可された准看護学院の実習病院をいかにして現実的に成功させるか、現実的に看護婦さんをこの学校を通じて社会に出すかということは、私はこの二つの問題は真剣に考えていただかなければいかぬ。だから、ひとつ衛生部長も決意をして、国立であって、あなたのほうの手がなかなか伸びにくい問題は厚生大臣がおやりになっていただけるでしょうし、そこらのことは、私は片一方で融和をしていただくことは、これはしていただかなければなりませんけれども、現実の問題は現実の問題として、厚生省と県の衛生部がその関係において処理してもらいたいというような感情がお聞きしている中から出てきたので、一言申し上げて、県の衛生部長と厚生大臣から御意見を聞かせていただきたいと思うのです。
  64. 金光克巳

    参考人金光克巳君) 県の准看護婦養成所で引き受ければ実習病院が得られるとまあ申し上げたわけでございますが、これは学校実習病院につきまして各病院長さんが了承をなかなかしていただけないというのが、先ほど来御承知のように、両者の対立の関係からでございます。そういうことでございますが、県の養成所に引き受けると申しますのはいよいよ最後の手段でございまして、どうしても実習病院がないということになりますと、これは生徒が無資格になってくいるいう事態でございますので、どうしても最終的には生徒は救わなければならぬわけでございます。そういう意味で県の養成所転入学の処置をとるように最大の努力をするということでございまして、もちろん取り消しのような段階になりますと、その前にそれだけの手順を終わってから取り消す、かようなことに考えておるわけでございまして、これが決して私は望ましい姿とは存じていないわけでございます。ただ、国立病院のお話が出ましたが、先ほど私が申し上げましたように、私は国立病院長さんには何回かお会いいたしまして、いろいろお願いもしたり、御意見も聞いておるわけでございまするが、国立病院の全般の空気といたしましても、現在のような状態においてはなかなか引き受けていただけないというのが現実ではないかと、かように考えておるので、実習面はなかなか確保がむずかしいと申し上げたわけでありますが、しかし、私ども考えとしましては、何とかこの対立的な立場というものが解決すれば各病院とも御協力いただけるわけでございますので、私の立場としては、最後までその方向に向かっては努力したいと、かように考えておる次第でございます。
  65. 鈴木善幸

    ○国務大臣(鈴木善幸君) 看護婦の養成、確保の問題につきましては、当委員会委員各位からも非常な御心配をいただいておるわけでありますが、政府におきましても五カ年計画をもちまして、そうして鋭意この不足をできるだけ早く解消したいということで努力をいたしておるわけであります。そういう際に起こりましたのが今日御審議をいただいておる問題でございます。私は、先ほど来、全部お聞きはいたしませんが、非常に根深いいろいろないきさつなり事情なりが伏在しておるように思うわけであります。県当局もせっかくこの円満な解決に努力中であり、厚生省といたしましても県と十分連絡をとりながら、できるだけ円満に解決いたすように努力をいたしたいと、かように考えております。
  66. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 他に御発言もなければ、本件に関する質疑は、本日はこの程度にとどめておきまして、参考人の皆さんに申し上げます。  本日は長時間にわたって御意見の御開陳を賜わり、ありがとうございました。本委員会といたしましては、皆さん方の御意見参考といたしまして、今後十分検討いたしたいと存じます。お疲れさまでございました。ほんとうにありがとうございました。     —————————————
  67. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 委員の異動について御報告いたします。  本日、杉山善太郎君が委員を辞任され、その補欠として小柳勇君が選任されました。  午前の調査はこの程度とし、午後は二時半から再開して、労働関係調査をいたします。  これにて休憩いたします。    午後一時二十六分休憩      —————・—————    午後三時二十五分開会
  68. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 再開いたします。  労働問題に関する調査を議題とし、住友石炭鉱業株式会社奔別礦業所爆発事故に関する件について調査を行ないます。  まず、本件に関し、政府よりの報告を聴取いたします。宇野通産産業政務次官。
  69. 宇野宗佑

    説明員(宇野宗佑君) 奔別炭鉱災害の概況を御報告申し上げます。  災害発生日時は、昭和四十一年十一月一日二時三十分ごろであります。発生個所は弁別礦マイナス六百二十五レベル第一東九番層坑道引き立て付近であります。罹災者数は、死亡十六名、重傷三名、軽傷二名、計二十一名。軽傷二名中一名は救出作業中に罹災いたしました。  次に、操業の概況を申し上げます。当礦は幾春別夾炭層を稼行し、坑内は奔別区域及び弥生区域に大別され、奔別区域は立て坑によりマイナス五百五十レベルに至り、さらに中央斜坑によりマイナス六百二十五レベル、マイナス八百五十レベルに展開し、現在はマイナス六百二十五レベル地並みが主要稼行区域となっております。奔別区域は緩傾斜、弥生区域は急傾斜炭層の採掘でありまして、炭質は一般炭であります。出炭量は昭和四十年度に百十万七千トン、昭和四十一年度に百二十万トンであります。  次に、災害の状況を申し上げます。  マイナス六百二十五レベル旧九番層払いは、断層のため第一立ち入り付近で中止をいたしまして、該払い風道昇りより約二百メートル奥部において、マイナス五百五十レベルないしマイナス六百二十五レベル間に九番層卸を設け払い準備中でありました。マイナス六百二十五レベル第一東九番層坑道は九番層卸分岐より約百八十二メートル進行して掘進中であったのであります。災害当時、災害が発生いたしました奔別区域三区内において作業に従率いたしておりました八十二名中六十二名は無事脱出をいたしましたが、三名が重傷、一名が軽傷を負い、残り十六名が行くえ不明となりました。  災害発生後、鉱山救護隊等により救出に全力を傾注いたしました結果、二日二十二時五分を最後に全員の遺体を収容いたしました。なお、救出作業中一名が軽傷を負っております。  崩落状況は、お手元に配付いたしました書面の裏にありまする説明図に示すように、約四百四十メートルの坑道にわたりワク上約一メートルないし一メートル二十センチの崩落が認められております。なお、崩落個所における倒ワクの方向はほぼ奥部より坑口側に向かっております。  火災の範囲でありますが、マイナス六百二十五レベル第一東九番層坑道におきましては、旧九番層払い風道昇り口より入気坑口側百五十三メートルまでの間に焼痕が認められました。なお、第一東九番層坑道の旧九番層払い風道口より奥部につきましては、崩落等のため未確認でございます。マイナス五百五十レベル第一東九番層卸においては、マイナス五百五十レベル坑道卸口より六十メートルの範囲は顕著な焼痕は認められず、それより深いところは崩落等のために未確認であります。  次に、災害の原因につきまして申し述べます。鉱務監督官によりその原因はただいま調査中でございますが、災害後の状況、火炎の範囲、罹災者の状況、崩落状況、マイナス六百二十五レベル東九番層坑道引き立て付近の状況等よりいたしまして、ガス燥発と推定されておりますが、濃厚な可燃性ガスが存在した理由及び火源等につきましては、今後の調査にまたなければ断定はできないのであります。  次に、災害に対しまして政府のとりました処置を申し上げます。  災害の急報を受けました札幌鉱山保安監督局におきましては、直ちに石炭課長以下十二名の鉱務監督官が現地に急行いたしまして、罹災者の救出作業の指揮に当たり、現在原因を究明いたしております。  政府は、発生当日すなわち十一月一日、私を長とし、通産、労働両省の担当官よりなる奔別炭鉱災害調査団を現地に派遣し、災害の調査並びに対策の推進をはかりました。  なお、医療機器等の整備に関してでございますが、一酸化炭素中毒患者の発生が予想されましたので、高圧酸素治療器の出動方について労働省は北海道衛生部及び札幌医大に連絡し、高圧酸素治療器は一日午前十一時に現地に到着後負傷者の治療に現在も使用いたしております。このことに関しましては、労働省より詳しく報告をいたします。  また、調査団が調査を終了いたしました後におきまして、札幌市において現地関係各官公庁よりなる奔別炭鉱災害対策連絡会議を設け、主として今後の医療対策、遺家族対策に関する連絡、推進に当たることにいたしました。  また、通産大臣は十一月四日現地を視察いたしました。  以上をもちまして報告を終わります。
  70. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 続いて、この災害で労働省としてとられた処置の報告をお願いいたします。
  71. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) 住友石炭奔別鉱業所におけるガス爆発事故に対しまして、労働省のとりました措置につきまして御報告申し上げます。  労働省としては、災害発生後直ちに、被災君の医療対策、補償、災害原因の調査等の措置に当たらせるため、北海道労働基準局及び岩見沢労働基準監督署の係官を現地に急行させるとともに、高圧酸素治療器等医療機器の現地搬入について札幌医大及び小倉の九州労災病院にそれぞれ手配をいたしたのでございますが、幸い患者発生数が少数でございましたために、九州労災病院の高圧酸素タンクの出動は取りやめにいたしましたが、札幌医大より搬送いたしました高圧酸素治療器は、ただいま調査団長から御報告がございましたように、当日十一時に現地に到着したような次第でございます。  また、政府の派遣する奔別炭鉱災害調査団員としまして、労働省からは労働基準局労災補償部補償課長及び同局労災防止対策部中央産業安全専門官を現地に派遣した次席でございます。  次に、専門医師の派遣でございますが、災害発生後直ちに、美唄労災病院より若松院長、古屋神経科部長、岩見沢労災病院より児玉医師等を派遣しました。さらに、一酸化炭素中毒者の高圧酸素治療器による治療に当たらせるため、札幌医大に対しまして専門医師の派遣を要請した結果、同大学より医師二名の派遣を得た次第でございます。  第三は、医療品の緊急配付でございますが、災害発生後直ちに救急医療品の緊急配付を行なった次第でございます。  第四は、被災者の治療でございます。被災労働者五名につきましては、奔別礦業所付属病院に収容し、一酸化炭素中毒の疑いのある者については、高圧酸素治療器により治療を行なった次第でございます。  第五は、それ以外の方々応対する健康診断の実施でございます。すなわち、自力脱出者及び救護隊員八十二名につきまして、十一月二日、精神科医師三名、内科医師三名、合計六名による医師団により、健康管理の万全を期するため、一酸化炭素中毒を中心とした健康診断を実施いたしました。  なお、第六といたしまして、今後の医療措置でありますが、健康診断の結果、異常のある者につきましては、奔別礦業所付属病院において治療することとなりまするが、同病院において医療措置の困難な者につきましては、美唄労災病院に移すこととし、治療の万全を期している次第でございます。  第七に、遺族補償についてでございますが、遺族補償の迅速な支払いを確保するため所要の予算措置を講ずるとともに、十一月十日支払いを目途として所轄の岩見沢労働基準監督署において準備を進めている次第でございます。  簡単でございますが、以上をもって御報告といたします。
  72. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 本件に関する御質議のある方は順次御発言を願います。
  73. 山崎昇

    ○山崎昇君 いま奔別炭鉱の爆発事故に対して通産、労働両省から御説明がございまして、起きた事故に対する政府の処置については、かなりいろんな角度から迅速にやられていると私も判断をいたしまして、その措置については一応の敬意を表したいと思うのであります。ただ、私はここで時間があまりありませんから、一、二原則的なことを聞きたいのですが、幾ら政府が迅速な措置をしようとも、あるいは現地の礦業所の所長さんが涙を流してざんげをしようとも、失った命は戻ってこないわけです。  そこで、従来からこの国会を舞台にして、労働災害をどうやってなくするのかとか、どうして防ぐのか、こういうことについてかなり議論をしてきたのでございます。私もまた、ことし三月二十四日のこの社労委員会においても、労働災害の防止について政府のいろいろな見解を問いただしました。そのときに通産も労働も出てまいりまして、当時は空知炭鉱が爆発事件を起こして、やはり今後こういう災害を起こさぬようにいたします、こういう政府の答弁でありました。特に具体的には五名ないし六名のパーティーをつくりながら一斉に各職場を総点検をいたしますとか、あるいは一、二名で班をこしらえて追跡検査をいたしますとか、あるいはそのほかに一般的な巡回検査をいたしますとか、あるいはガス自動警報機等をもっとたくさんつくって、あるいはこれを法制化をして、各職業所には義務づけをいたしましてこういう災害をなくしますとか、さまざま政府からいろいろ答弁がございました。しかし、一向に労働災害は減らない。こういう状態に立ち至って、政府はその後この労働災害に対してどういうふうに具体的措置をとったのか、基本的な政府の態度についてまずお聞きをしておきたいと思う。これは通産大臣と労働大臣からひとつ聞きたい。
  74. 宇野宗佑

    説明員(宇野宗佑君) 今回の災害の特徴は、御承知のとおり、実に優良炭鉱であると労使ともに認めておりましたところにおいて起こったわけでございます。したがいまして、さようなところにおきましてすら、この災害が起こったのでございまするから、なお一そう今回のこの災害をよき教訓といたしまして、徹頭徹尾その原因を究明いたしたいと考えておるわけでございます。  ちなみに申し上げますると、今日まだ災害の、どうやって爆発が起こったかということは調査中でございますが、先生も御承知のとおりに、炭じん爆発でなかったことはほぼお互いに認めておるところでございます。なぜかならば普段から岩粉等をまきまして、非常にそのような保安上の確保がなされておったわけでございます。したがって、この点に関しましては確かに非常なる貴重なる体験を私たちは今後するのではないか、かように存じておる次第でございますが、もちろん、いまおっしゃいましたとおり、すでに炭鉱の保安行政というものは、もう少しく確立をいたさなくてはなりません。したがいまして、石炭の審議会の答申もすでに出されましたことでございますので、通産省といたしましては、こうしたことを機会に抜本的な保安確保対策を立てたいと思いまして、明年度は三十一億でございまするが、これを要求いたしまして、諸般の体制を整えたいと思うわけでございます。  なお、しさいなる点にわたりましては、保安局長が参っておりますから、局長のほうから説明をいたします。
  75. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 石炭鉱業の保安対策は、面接の所管は通産省でございますが、私どものほうは、こうした災害が間々起きますことを、最近重大災害が次から次へと起きておりますことについて、労働省の立場で重大な関心を払っておりまして、たとえていえば、現地の監督局をして順次鉱山を巡視をいたしまして、検査をいたさせまして、あまり労務者諸君に過重な長時間労働をさしているようなことはないかとか、いろいろなことを、労働省の権限でできますこと等についてしさいに監督をしてまいっておるところでございますが、なおかつ、そういうことからではないと思いますけれども、こういう重大な労働災害が起きますことを非常に遺憾に思っております。この間も私も直接住友の奔別の山に参りまして、今後こういう監督や何かをもっと厳正に、しかも実効の上がるようにやらなきゃいかぬと、通産省とよく相談をしなければいけませんけれども、労働省の立場で十二分に手を尽くすようにということを、この間現地の局長にも申し渡し、その後本省のほうでもそれについて今後具体的にどういうふうにやっていくかということを相談もいたしておるところでございます。
  76. 山崎昇

    ○山崎昇君 私は、時間がありませんし、あらためて労働災害の問題についてはもう一ぺんやりたいと思いますから、もう一点でやめますが、いま政務次官のほうからお答えがありまして、優良炭鉱でさえ災害が起きたんでびっくりしたと。それなら、優良炭鉱以外の炭鉱は一体どうなるのか。私はもうここで聞いておって、背中にあぶら汗が流れてきます。実際あなた方はそういうことは考えないと思うけれども、優良炭鉱以外の炭鉱は人が死ぬことがあたりまえのような考え方をされたんでは、たいへんだと思うのです。そこで、ことしの三月の際にも、各新聞はいろいろ書いて、特に権威者であられる学者の先生方は、労働災害に健忘症になるなという当時から警告が発せられているのですね。何か災害が起きると涙をこぼし、一生懸命何か対策を講ずる。しかし、それではあとの祭りなんです。そこで、私はもうこれ以上申し上げませんが、どうか再びこれからはこういう災害が起きないように真剣にあなた方は考えてもらいたい。そのために、私は三月の委員会で一つの提案をしたわけです。それは経営者と労働組合と、それから鉱山の所在する自治体と、それに労働、通産の関係機関との間に、対策会議のようなものを持って、一カ月ないし二カ月でもけっこうでありますが、定期的に会合を持って、いまの保安状況がどうなっておるのか、あるいは働いている労働者から見てどういう抗内の状況になっておるのか、そういうことを定期的に話し合いをして、そうして市政の防止に幾ぶんでも役立てるようなことを考えたらどうか、こういうことを前のたしか保安局長だったと思いますが、私から述べたんですが、そういう機構等もあわせて考えていただいて、またガス警報機等の問題についてもすみやかに立法措置が必要ならば立法措置をして、これは経営者に義務的にするならする、そういうことを具体的に私はやってもらいたい、こうまず要望しておきたいと思うのです。  それから、いまもう事故が起きちゃったわけですが、しかし、何といっても、事故はあとあと家族の生活の問題なり本人の身体の問題に影響するわけでありますから、絶対に生活が困らぬようにする。この点だけは労働大臣からもう一ぺんひとつ決意を述べてもらって、私は質問を打ち切っておきたい、こう思うのです。
  77. 宇野宗佑

    説明員(宇野宗佑君) 遺家族対策でございまするが、当日私もやかましく会社に申し述べておきました。しかし、考えてみますると、会社だけにそういうふうな責任を押しつけるのみでなく、やはり政府におきましても決意を新たにいたしまして、万が一にもこういう不幸な事故が起きました場合には、その遺家族の方がいやしくも、再就職されましても、生活保護の対象であるというようなことのないように、何か講ぜられなければならないということを、この間全員集まりましたときにも話をしておいたわけでございます。したがいまして、この点に関しましては、労働省と今後十二分に御連絡をいたしまして検討させていただきます。
  78. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) ただいま通産省から御答弁をいたしましたが、山崎委員の御指摘のとおり、私たちも万全を期したいと思います。いろいろ入院中の皆さん方に対しましても、また遺族に対しましても、労働省はできるだけの協力をし、努力、配意を今後いたしてまいるつもりでございます。
  79. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私もひとつ気になるのですが、事故発生の原因が炭じん爆発でないということはわかったと言われたのか、ないようだというふうに言われたのか、そこのところが少しあいまいなんですが、しかし、炭じんでなければ爆発の原因は何になるか。北海道は特に炭のカロリーが高いわけです。ですから、ガスがそれに応じて、この前の夕張炭鉱ですか、あのときはガスの密度が非常に高くて爆発したということを聞いているわけですが、一日に起きて、きょうは八日ですから、まだまだ調べてからというのはあまりにも手ぬる過ぎるのじゃないか、八日間もたって今日国会にそういう報告をされるのは。どうも炭じん爆発でないようだけれども爆発をしたんだと。どうもそういう報告はちょっと困ると私は思う。だから、専門的に、どういう場合に爆発するのか、そういうことをやはりあらかじめ私らに知らせてもらわないとちょっと困るのですね。特に模範炭鉱だと言われている。ただ岩粉を吸きつけてあるから、それでよしということでは、模範炭鉱にならないと私は思う。だから、労働災害の基準、労災法できめられた、職場の安全衛生についてはフィフティー・フィフティーの関係を常時三十人以上の企業には置いて安全を確立するという労災法の改正までしてきているわけです。だから、単に労働省とそれから通産省が緊密な連絡というだけでは問題は解決しない、私はそう思うのです。だから、そのことはもうここで議論することはいたしませんけれども、前段の、要するに何が原因でガスの爆発をするであろうか、いままで起きたいろいろの問題があると思いますが、いまのようなことだけではちょっとこの報告では困るのです。
  80. 森五郎

    説明員(森五郎君) 技術的な問題でございますので、私から答弁をさせていただきます。  ただいま政務次官から炭じん爆発ではないということのお話がございましたが、われわれは、今回の奔別の炭鉱災害の原因につきましては、目下、監督官から先ほど御報告がございましたように、調査中でございます。ですから、現在断定的なことは申し上げるわけにはいきませんけれども、これはガス爆発であるということははっきりいたしておる。これは現在爆発を起こしましたこのマイナス六二五Lの東九番坑引き立て付近等を調査いたしました結果、技術的にガスの爆発であるということははっきりいたしているわけでございます。そこでガス爆発が起こりますと、それによりまして圧風が出ます。その圧風によりまして炭じんが巻き上がり、その炭じんにガス爆発の火が着火する、これがいわゆる大爆発を起こすことになるわけでございまして、政務次官がおっしゃいましたのは、そのあとの部分が起きなかったということを報告されたものでございます。  そこで、それでは次に、何でガス爆発が起こったんだという疑問になるわけでございますが、この山は、もともとガスはそう少なくない山でございます。そこで、この前の番方あたりでは坑道掘進の現場では〇・七程度のガスであった。〇・七程度のガスであれば、これはもちろん引火をするおそれもありませんし、問題はないわけでございます。ちなみに、この掘進現場にはずっとうしろのほうに十馬力の局部扇風機がございまして、その引き立てに常に百二十ないし二百立方毎分の風が送られております。したがいまして、そういう状態でガスをはかりましたところ、この前の二番方で〇・七%程度のガスがあったということでございます。したがいまして、そういう状態であるならば、ガス爆発を起こすということは考えられないわけでございます。  そこで、現在われわれといたしましては災害原因を調査中でございますが、なぜそういう濃厚なガスがたまったかということが非常にわからない点であるわけであります。ただ、ガス爆発が起こるためには、五%以上の濃厚なガスがたまるということと、もう一つは、それに火がつかなければなりません。この着火原因には、この現場には電気等は入っておらないわけですから、したがいまして、現在いまわれわれが容疑濃厚であると考えておりますのは、ハッパではなかろうか。ハッパの火が、どういう原因でたまったかわかりませんガスに引火をして爆発を起こしたものというふうに考えておりますが、先ほど申し上げましたように、目下調査中でございますので、断定的なことを申し上げる段階ではないということを申し上げたいと思います。
  81. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 それにしては、この地図を見ると、爆発は直線コースで四百五十メートル、枝に入るとそれ以上のものが爆発しておるわけです。だから、報告だからといって簡単におっしゃるけれども、なかなかそういうふうに簡単なものではない。一カ所のところに炭じんがなかったから云々ということではなしに、相当な長い距離の爆発ですね。ここに略図がありますが、長いところで入り組んだところみなやられておるわけですだから、どうも報告されるときにはやっぱりもう少し詳しく報告をしてもらいたい。一週間以上もたっているのですからね。そこのところは私は希望として申し上げておきます。あなたのお話を聞いておるだけでは、これだけの広い、直線にして五百メートル近くのところが爆発して、横にみんな入って爆発しているのだから、何か事務的に報告さえすればいいんだということではちょっと困るという感じがしますから、今後はもっと親切な報告と説明をやってもらいたい。それだけ希望を私は申し上げておきます。
  82. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 他に御発言もなければ、本件に関する質疑は一応この程度にとどめておきます。     —————————————
  83. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 一酸化炭素中毒症対策に関する件について調査を行ないます。  本件に関し御質疑のある方は順次意発言を願います。
  84. 小柳勇

    小柳勇君 私は、ただいま委員長が問題にしております問題を質問いたします。ただいま奔別の事故が報告されましたが、その報告を聞きながら、昭和三十八年十一月九日の三井三池のあの大爆発の惨状をいま思い起こしておるところでありますが、それ以後大きなものだけで五件爆発があります。そうしてそのたびにガス中毒患者が出ておる。しかも、そのガス中毒患者に対する治療方法は現在の医学でもまだ十分に解明されておらぬのです。われわれが病院に見舞いましても、あの重病の方も、軽症の方も、医者の治療法についても相当不満がある。たとえばある患者は、われわれにはもうアリナミンを飲ませるだけですよと、しかも、現状はこうですということで訴えられておる。あの大爆発の惨状を思い起こし、なくなられた方には心から哀悼の意を表しますが、あれからすでに三年治療してまいられました八百二十二名の方は十月をもって補償を打ち切るということであります。その補償を打ち切られた方で、なお自分のからだに自信がなくて、現在病院を退去できないといって交渉を進めておる。ところが、先般来関係者が労働省なり会社なりに交渉をいたしましても、問題がなかなか進展しない。進展しないまま推移しておるわけでございます。昨日は参議院の石炭委員会、きょうは衆議院の石炭委員会関係省に対して質問がなされたようでありますが、これは単にこの三池炭鉱の中毒患者を退院せしめるという部分的な問題ではなくて、政治的な問題であるし、社会的な問題であるし、また医学的な問題であります。あの爆発が国際的に非常に大きな関心を持たれておる。その爆発したあとの始末は、日本の政府は、日本の会社は、日本の労働者はどう始末するであろうかということが相当大きな関心である。したがって、言うならば、これはもう社会的に医学的に、政治的な問題と同時に国際的な問題でもあります。そういうふうな大きな問題でありますから、これは徹底的に究明しなければならぬと私は思う。  労働省がいま担当省として窓口に立っておられますが、単に私はこれは労働省だけの問題ではないと思う。昨年暮れには総理大臣に対しまして、総評の太田議長が直接会って、この問題の解決のために政府全体あげての協力を要請した。そうしてこの問題の取り扱いについてはこうしましょうという政府と総評なり炭労の取り扱いの了解事項もできておる。また、五月の国会の最終幕切れのときに、この問題が重要でありますために、社会党はCO中毒法を立案いたしまして、これはもうこの炭鉱爆発は三池だけではなくて、将来も起こるであろう。現在きょうも起こっておる。あすも起こらぬとは言明できない。あれから三年たって、なおガス爆発も、炭じん爆発も、十分防ぐことはできない。したがって、将来のことを考えながら、この解決をわれわれはいまどうしたらよろしいかということで取り上げておるのであります。  労働大臣は、この問題と、三年前に起こりました三池炭鉱の爆発、その原因から、今日まで遺族の補償なり、あるいは病人の治療の方法なり、去る十月末に出されました退院の命令なり、詳しく御存じであるかどうか、まずその点だけ端的にお伺いしたいと思います。
  85. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 累次にわたりまして炭鉱に重大災害が起きますことは、まことに私どもも遺憾に存じております。先ほど通産省からもお話を申し上げましたように、ぜひ抜本的にこれが対策を立て、今後に対処をしていくということをいろいろ相談もいたしておるところでございます。すでに、たいへん残念なことでございますが、ああした大事故が三池で起きております。そのあとの措置につきましては、労働省としては、三年たったわけでございますが、誠意を尽くして治療に、あと始末に対処をしてまいったはずでございます。先ほどお話がございましたが、当国会におきましてもいろいろ御論議がございまするし、与野党においていろいろ話し合いもございました。したがって、CO中毒に対する特別立法をするということについてもお約束をいたしておりまするから、できるだけ早い機会に立法をいたす決意でございます。できるならば来たるべき臨時国会においてでもやりたい。  しかし、まあ問題が技術的な点や、いろいろな見解等もございまして、なかなかたいへんでございます。労働省としてはいろいろな事態を想定をいたしまして、あとから批判を受けないような、あるいはとかくの議論を受けないような立法をいたしたいということでございまして、審議会に答申を求めておるところでございます。しかしながら、答申が間に合わないというような、長くかかるというようなことであれば、これはずるずるべったりでは済まされませんので、中間的な御報告をいただいてでも、できれば臨時国会で解決をいたしたいのでございますけれども、臨時国会で間に合わなければ次の通常国会においては必ず立法をいたす決意で対処いたして、いろいろそのやり方等についても内々検討いたしておるところでございます。  それから、三池の問題でございますが、ただいま先生からお話がございましたように、いろいろなことがございました。あの災害が起きました直後、わが国で求められまする最高権威のお医者さんの皆さん方にお願いをいたしまして、御承知の三池医療委員会をつくっていただきました。九州の名大学において手当てをしていただきました。私たちはたいへん皆さん方にも喜んでいただいておる面も多かろうと考えております。しかし、三年たちまして、いろいろな経過がございましたが、先日この委員会のほうの結論として報告書も出されてまいりました。その報告に従いまして、次のような処置をすることを決意をいたしまして、それぞれ通知をいたしました。  すなわち、療養をしてもらいましたけれども、まだ必ずしもよくならない、長期療養をさらにしていただく必要があるというような方々、これが約二十六名あるような報告でございますが、その方々に対しましては、今後長期傷病補償給付に切りかえて治癒するように全力をあげてもらう、これが一つ。  それから、症状が固定をいたしまして、労働力が回復をし、職場復帰も可能であるというように委員会におきまして診断のされた七百三十八名の方々に対しましては、なおって退院をお願いできるという状態でございまするので、療養あるいは休業補償等は一応打ち切りまして、それにかわって症状の固定したような方々が、もとの健全な体であるとは必ずしもいえないわけでございまするから、この七百三十八人の方はいろいろ状態に応じて傷害補償給付に移行してもらう。  それから、第三番目に、さしあたって療養をさらに続けてもらう必要があると考えられる者といいますか、経過によっては今後職場に復帰をしていただくことも可能であるというふうに認定をされました者約五十八名の方々に対しましては、従前のような医療給付そのほかを継続をしてまいります。しかし、この方々は一の場合に比べまして状態がよろしいわけでございまするから、今後観察の結果、後遺症等の状態に応じまして、一、すなわち長期療養を要する方々として取り扱うかどうかというようなことをきめる、こういうようなことを考えました。  それからさらに、この症状が固定をして職場復帰が可能な方々にいたしましても、いろいろ症状が固定したというようなことで、御不自由やいろいろ問題もあろうかと思いまするので、さらに健康管理には、会社等も督励をいたしまして、職場復帰後十二分に指導をしていく。また、その段階でいろいろ頭痛がするとかなんとかいうような状態の苦痛を訴えられるような皆さん方につきましては、薬剤の投与をするとか、いろいろできるだけの処置を重ねてまいる。  そういうような措置をいろいろやっていく決意でございまして、今後ともわが国の医療界の最高権威の皆さん方にもいろいろ御相談もいたしまして、不幸な皆さん方に対しては、誠意を尽くして労働省としては御回復願うように配慮をする、こういうような考えを持っておる次第でございます。
  86. 小柳勇

    小柳勇君 ただいま後段で言われました、医療委員会の結論が出たからかくかくしかじかで対策をとりましたと、この点については社会的な問題、医学的な問題及び一番大きな労使慣行、労働者と政府との間の話し合いを無視したという手続上の問題がありますから、これはあとで問題にいたします。  前段に言われましたCO中毒法の立法について少し質問しておきます。これはこの前の石炭委員会質問いたしまして、そのときの政府の答弁は、ガス中毒と申しましても、炭鉱内のガス爆発だけではなくて、道路の上のガス中毒もありましょうし、ガス管の修理のガス中毒もありましょうから、非常に広い範囲になりますから、立法が困難であります、という答弁がありましたから、われわれが意図したところの三年の期限をもって切れる、十一月九日には切れる三池のあの罹災者の皆さんをどうするかということを中心に立法しておるのであるから、炭鉱のガス中毒患者にしぼって早急に立法してもらいたいと申しましたところが、その線について早急に立案し検討するという答弁がございました。ただいま大臣は、それを裏書きするように、早ければ臨時国会に出す、おそくとも通常国会には出す、こういう答弁であります。来年の通常国会が六月までとしますと、六月にはこの中毒法は成立すると、まずこれをひとつ確認しておきます。  それから、その内容は、私どもはこのガス中毒患者、特に炭鉱ガス中毒患者はいままでの労災補償法では適用し切れないから、特別に補償しなければならぬという立場から社会党の法律はできておるわけです。この社会党の法律をわれわれは国会に出しておりますから、それを中心にこの前の国会では論議したわけです。そしてこれに準じて、これを中心にして政府はすみやかに、これには一年以内と書いてありますが、CO被災労働者援護措置法については、さしあたり炭鉱労働者に限り今後一カ年以内に立法措置を講ずるよう努力する。あとは自社両党の申し合わせがあります。これはもっと早く、すみやかに立法措置を講ずると書いてありますが、そういうことでありまして、その内容は、現在適用しておる労働災害補償法よりももっと充実した炭鉱労働者に適用できる法律と確認していいか、来年の通常国会でと言われると、いまの問題がもう少し長引きますから、臨時国会に出されることを強く望み、その期間の問題と、内容の問題について大臣の見解をただしておきたいと思う。
  87. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) いまお話がございましたが、私が先ほど申し上げましたように、誠意を持ってできるだけ早く立法をしようじゃないかということで、労働者の中で先般来論議をいたしてまいっているところであります。しかし、やはり法律をつくりまする上は、何か片手落ちのようなことになったのではいかぬじゃないかとか、いろいろ専門家の皆さん方も各界におられまして、私自身もそういう医療のことについてしろうとでございまするし、確信が持てませんので、やはり審議会の御答申をいただいて、あとからいろいろな批判を受けないようなたてまえの法律をつくる必要があるというようなことを、まあ考えているわけでございます。いま申し上げましたように、できるならば臨時国会にでもこれを出すようにいたしたい、おそくても、いま御指摘のありましたように、来年の通常国会においては成立させる、そういう前提でいま作業なりいろいろな資料を検討をさしているところでございます。
  88. 小柳勇

    小柳勇君 大臣に再度質問いたしますが、それはいま私が問題にしているこのCO中毒法というのが、現在三池大牟田で強制退院を命ぜられておる皆さんの援護措置と通ずるわけです。この第二項に書いておりますように、「右の立法措置が成立する迄被災者に対する療養その他の援護措置は現在の状態と変らざるよう措置する」と書いてある。これは参議院委員会決議です。したがって、大臣の頭にはCO中毒法が単独で頭の中にあるから、ただいまのような答弁をされる。私が質問しているのは、現在この職制退院を命ぜられている、私どもまだ自信がないから退院できませんと言っている皆さんを援護するその法律をいつつくるかということが、あの人たちを援護する時期と関連がある。しかも、その内容か今後自分の生活と自分の生命とを守っていかなければならないその法律であるから、切り離して大臣の頭にあっては困るわけです。大臣が今度臨時国会で出す中毒法というのは、あの三池に行っておるその人たちに適用する法でなければならない。第二項に書いてありますから、もう一回読んでおきますが、「右の立法措置が成立する迄被災者に対する療養その他の援護措置は現在の状態と変らざるよう措置すること。」と書いてある。したがって、大臣の頭にCO中毒法が別個になっては困るわけです。その法律を臨時国会で出そうとしておるかどうかということを再度質問いたします。
  89. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 御指摘のとおり、当然三池のCO中毒患者に対しても適用する、それを手厚くするということを含んでいるわけであります。
  90. 小柳勇

    小柳勇君 わかりました。  それでは、第二項に、さっき後段で申されました医療委員会の結論を三段階に分けて、ここに摘要があります。長期療養を要する者二十六名、職場復帰可能と設定された者が七百三十八人、当分の間療養する——これは一、二カ月間従前どおりとする者が五十八名、この三段階に分けて大臣がいま答弁されたのでありますが、これはただいま大臣がおっしゃいました立法措置との関連なり現状を考えたら、措置は行き過ぎではなかったか、あまりにもこれは医療委員会の結論だけを尊重された大臣の措置ではなかったか。この点、いかがでしょう。
  91. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) いろいろ国会においても申し合わせがなされておることは私も承知をいたしております。あの申し合わせの趣旨そのものに反するというようなことは労働省としてもとるべきではございませんので、その点についてはいろいろ論議もいたしまするし、注意もいたしたつもりでございます。ただ、あの附帯決議が、治癒をした、なおったという人々に対してさらに療養をさす、入院をずっと継続さすといいますか、給付をいたしていくということは含んでおらないというふうに私たちは解釈をいたしておりまして、なおらない、長期に療養をなお要すると判定された方々については、あくまでも決議の趣旨に従って手厚くあらゆる手を使って努力をしてまいります。しかし、すでになおった人々に対してさらに入院をして施療をするということは、症状が固定をしたような場合にさらにそういうことをしていくことが医学的にもどうであろうかというような報告でございましたので、いま申し上げたような措置をとったわけでございます。
  92. 小柳勇

    小柳勇君 治癒をした人が、よくなった方が入院をしたい、いつまでも入院しておりたいという方は一人もないと思う。労働者というのは健康なからだで毎日働くことが楽しみです。そうしてりっぱな給与をもらって家族とともに生活することが、労働者としては一番楽しみです。したがいまして、病気でない人が病院に入らしてくれとかあるいは退院しないぞというような人は一人もいないと思う。ただ、その治癒の判定というものは、たとえば結核とかあるいは外科とか、そのようなものと同等にガス中毒患者の精神機能の治癒を判定してはならぬと、われわれはしろうとながらちゃんとそういう調査報告を受けております。したがって、もう一、二問その問題について質問しなければなりませんが、医療委員会が三池につくられなければならなかった背景、医学的な背景については御承知でしょうか。
  93. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 当然、ああいう大事故でございまするから、わが国の持っておりまする医術の最高権威を集めて、できるだけの施療をしていこう、手当てをしていこうということが、ある当時特別に三池医療委員会をつくった背景だと思います。その後、北海道そのほかにおきましてもいろいろCO中毒患者等が出ておりますけれども、三池において特にああした大がかりな全国的な、だれでも承認するようなその道の権威者を集めてことさらに委員会をつくりましたのは、万全を期そうという、こういう配慮からやったものでございます。
  94. 小柳勇

    小柳勇君 大臣は医学的な医療を中心にして医療委員会ができたというような発言でございますが、それはもちろん重要な要因でございましょう。ところが、この医療委員会の報告にもありますように、「身体的医学的要因以外の社会的要因の複雑な影響を示唆し」、そういうことを医療委員会自体が書いております。すなわち、神経がかれて旧に戻らないかもしれないといわれておる、これは非常に影響がありましょうから、医学的な問題でありましょうから、そのようなガス中毒患者の生活の問題、それから病院を退去したあとの家族との共同生活の問題などいろいろありますから、そういうものを社会的に保護しなければならぬ。それは個人的に、病人ですから病人と医者が相談したって、医者がおまえもう帰れと言えば、病人には何も言う根拠がないわけですね。そのときに守ってやるのが労働組合でしょう。あるいは社会、周囲の人たちでしょう。そういうものを、その自分個人、病人個人を守っている病人の団体なりあるいは労働組合、三池ではりっぱな労働組合がありますから、そういう労働組合がその人の生活を守っていますから、その人たちの、守っている人たちの、そういう人たちの意見も聞いていなければならない。それには、医者一人一人ではいろいろと技術的に優秀であろうとも話ができないこともあろう、そういうものも含んで、いろいろ社会的なものを含んで、ことにガス中毒症というまだ世界的にも十分解明されておらぬ医学的なもの、それからあれだけの大量な事故を起こしたということ、それから炭鉱という特殊な環境、そういういろいろな社会的環境を含んで医療委員会というものができたものと私は理解するが、その点について、大臣、いかがでしょうか。
  95. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 先ほど申し上げましたように、医療に万全を期する、医療に万全を期して納得のいく治療をするというたてまえで、ああした大がかりな委員会を結成をいたしたわけでございます。そういうことがひいては、当然社会的にも、なるほどあれだけの権威者を引っぱってきたかというようなことで納得もいきましょうし、みんながいろいろ安心もするであろうというようなことで、ああした措置をとったものでございまして、当然同じように私も考えております。
  96. 小柳勇

    小柳勇君 そういたしますと、その医療委員会からの医学的な結論が出たということは、この三段階に分けられましたですが、そうしてその二十六名の方に言い渡す、これは長期療養ですから、これはあとのほうはまだ問題がありますけれども、職場復帰の可能な方七百三十八名、その人に医者が、あなたはもう職場復帰可能ですよと言った場合、病人としては反ばくする根拠はないわけです。医者対病人であれば、あなたはもうなおったから帰りなさいと言われれば、反ばくする何もない。そのときに病人は一体どこにすがるか。それは自分の信頼する医者なり自分の信頼する組合なりに行って、自分は医者から帰ってよろしいと言われたが、自分としてはまだ自信がないのだがどうだろうかと相談する。そうすると、組合なり医者は、それを自分でもう一回診察しようとか、もう一回医者に相談しようということになりましょう。そういう段階的な問題についてあなたは理解できませんか。
  97. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) いまお話しのようなことがあろうと思います。特に神経の系統なんかについては、まだまだ私は起こり得ることもあろうと思います。三池医療委員会に御苦労を願いました方々、あるいはそれのうしろだてになられました沖中先生とか、ああいう名医の方々は万全を期しられたわけでございますが、にもかかわらず、いろいろそういう障害がないとはいえないと私も考えます。ただ、しかし、その場合そういうような自覚症状を訴える者がそのまま何といいますか、それでどうにももうしようがなくなるというようなことではございませんで、もしもその認定に対しまして本人が非常に、それは事実と違うと、自分はこうだというようなことでございますならば、異議の申し立てをする道が開かれております。所定の手続を経ておやりになれば当然再審査もいたしますし、いろいろ救済をされる道は残っておるわけであります。  それから、先ほども申し上げましたように、職場復帰可能だというような治癒の認定をされました諸君につきましても、なるほど病院内での療養の問題とか休業の補償なんかは打ち切られますけれども、さらに障害補償給付がございまするし、それぞれの病状に応じて、それぞれの固定のしかた等に応じて、いろいろ救済の道はあるわけでございまするから、私は御指摘のように非常に無理な処遇ではない、救済をされ得る道は幾らでも残っておる、こういうふうに考えております。
  98. 小柳勇

    小柳勇君 いまの発言の中にたくさんの問題を含んでいるわけです。そういうことでこれでもう委員会答弁しよったら、これはたいへんなことだと思います。いま皆さんが言っているようなそういう問題もあります。手続の無視もあります。あるいは慣行無視もあります。しかし、一つ一つ質問していきますが、いまあなたはこういうことを言っている。内村先生とか沖中先生、日本で有名な先生が診断されているのだから、それを信ずる以外にないとおっしゃる。八百二十二名の方を内村博士、沖中博士が直接診察された事実はあるのですか。
  99. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 三池の医療委員会の皆さん方がすでに三年にわたって長期に直接タッチしておられます。しかし、沖中先生やなんかも非常に忙しい方でございまして、それらの所見をいろいろ聴取をしたり、いろいろな状態を論議をされまして、たびたび委員会を開催をして検討をしてこられておりまして、それは間違いないわけでございます。
  100. 小柳勇

    小柳勇君 内村、沖中両博士は直接患者を診察されたことはないと、これはいいですか。
  101. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) 事実関係でございますから、私から補足させていただきます。  今回の医学的所見の基礎になりましたものは、二十数項目にわたる精密な検診の結果でありますが、内村先生などが患者の診察をしたことがあるかどうかということでございますが、内村先生は患者の型と申しますか、幾つかのタイプがございますが、そういった特有の型の種別に応じまして、もちろん全部ではございませんけれども、そういった患者について診察をされた事実はございます。そういった直接特殊な型のものについて診察されたといったようなことはいたしておるわけでございます。しこうして、この調査項目の決定につきましても、医療委員会の諸先生方がこれで医学的な立場から十分であるかどうかいろいろと検討をなさいまして、精密診断の項目を定め、そうしてそれについて一斉に健康診断をした、こういうことになっているわけであります。したがって、幾つかの症状の型がございますから、この型にこれが該当するかどうかという判断につきましては、それぞれの経験がございますから、最終的な確認の段階におきましてはいろいろ御判断をいただいているわけでございます。
  102. 小柳勇

    小柳勇君 私は、大臣が方々で言われる、内村先生、沖中先生に判断をしていただいたのだから、もうこれ以上労働省としては手はございませんと言われることばは、ただいまの証言によって撤回してもらいたいと思うのです。そういうことで、これはごまかしですよ。病人対医者との関係は一対一ですよ。そのために医者は自分でちゃんと、どんなに御老体でも聴診器を自分でもって診察される。したがって、委員会というのは、それだけの具体例を最後に判定するだろう。それは書類を見て、そうしてよかろうとおっしゃったと、ここにもそう書いてある。しかし、この一人一人の人は個人です。二十六名と七百三十八名と五十八名というのは個人です。病人は個人です。その一人一人の病人を直接聴診器を当てない人の名前で、その人が労働省に来て言ったのだから、それは最高権威ですといって三段階に分けて処理することは、あまりにも誤りというか、あまりにも早計ではないか。いかがですか。
  103. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) いろいろお話がございますが、九州大学の医学部とか久留米大学の医学部とか、あるいはそのほかの熊本大学等の先生方、そういう方々で御配慮いただいておりますので、私はこういう問題についてはいろいろむずかしい問題があろうと思いますが、そういう大学の権威のある経験の深い先生方のお見立てなりいろいろな御診断を信頼する以外には道はない。その上にさらに東大の医学部のそうした権威のある人の、まあわれわれにいたしましても、だれもが納得するような方々がついておられるわけでございまして、そういう権威者の皆さん方のお見立てを私は信じたいと思います。
  104. 小柳勇

    小柳勇君 たとえば退院した人で原田完爾という人が昨日倒れて、万田の訓練所で倒れて、会社は前からてんかんだと言っておる。本人はおれはてんかんではないと言っておる。そんなことを言ったら、会社を告訴すると言っておる。これはまたあとで具体例として言いますが、そういうような個人の判定を、こちらのほうでは、内村、沖中博士が見られたからというような、印象づけられるためにあなたは使われるが、一応あなたの発言を私が受けとめて、逆の立場で、私はまだ治癒いたしませんと言っておる人は、それじゃどこに持っていって話をしたらいいか。これはこちらのほうの医療委員会の下部のその病院の医者は意見をまとめて持ってきまして、そして内村、沖中先生がよろしいとおっしゃった、これで医療委員会の結論は出てくる。診察を受けた個人、Aという個人はどこに持っていってそれをまとめてこちらに持ってくるか。その点については、あなたは大体その組織は知っているはすですけれども、どうなっているのですか。
  105. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 私は、この三池の災害が起きましてから、事故が起きましてからすでに三年になるわけでございますが、その三年間ずっと事故のために負傷された方がその病院で診察を継続して受けてこられ、しかもそれらの病院は市中の単なる病院とは違います。国家的にも権威の認められておる病院でございます。そういう病院でずっとこの診察を受け、一年、二年、三年とこうやってこられた方々ばかりでございまして、それが突然、いやおれはこんな病院で診断を受けるのじゃなかったというような、あるいは初めからそういう先生方の見立てあるいは治療を拒否されてもきておらなかったわけでございますから、それが最後にそういうようなお気持ちになられるとは私は考えられません。
  106. 小柳勇

    小柳勇君 で、なおって、あなたはもう帰ってよろしいと言われても、私はまだ自信がないと言って帰らないという人がおるでしょう。帰った人でも、また一人大谷社宅できのう倒れておりますよ。それから、もう一人の人が檜町の浴場で一ぺんふろから上がっておって、またもう一回入っておるのだ。それを自分が知らない、治癒したといって帰った人が。そういう人の例があるから、あなたはもう帰ってもよろしいといっても、まだ病院におる人で、私は自信がないというその人はどうしたらいいか。組織があるでしょう。そういう人もどこかそういうものへ持ってきて——何かの救済措置はつくってあるはずですよ。それが片一方に医療委員会をつくってある社会的な基礎でしょう。そのことを聞いているわけです。
  107. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) そういう事態があるいは起き得ることもあろうかと思いまして、先ほど申し上げましたように、健康管理について指導をし、あるいは労災法上、保険法上必要なぎりぎり一ぱいのところまでいろいろめんどうを見て、薬なんかも投与するというようないろいろなことも考え、またさきにも申し上げましたように、ほんとうに自信がないといいますか、悪い人たちはもう一ぺん診断をしてください、自分はこうだというようなことを申し出れば、それについてはあらためて診断を繰り返し、救済をしていく。そういうようなことで、非常な不安なことにならないように措置をしていくという道を講じておるわけでございます。
  108. 小柳勇

    小柳勇君 それは私は冒頭に質問をしましたから……。労災補償法のその法によれば、あなたのいま言ったような道筋でいくでしょう。しかし、この一酸化炭素中毒の、特に炭鉱爆発による患者は、労災補償法では十分ではないから特別立法をつくるでしょう。その特別立法をつくる前提として、昨年の暮れに太田総評議長が総理大臣に会いましたあと、総評と炭労の代表者と労働省との間に了解事項ができているはずです。そういう事件が起きるかもしれない、三年たった後にそういうことが起きるかもわからないといって話が出て、また退院の勧告が出るそのときに紛争が起きるかもしれぬといって、その場合のときのこともちゃんと書いてある。炭労と総評と政府との間に了解事項がつくってある。その了解事項があるにもかかわらず、しかも、私がいま申し上げたように、患者一人では弱いから、ちゃんと患者を守るために組合がそういう配慮をして、対等の立場で、自分の治癒状態を完全に認識して職場に帰るように組織ができておる。その組織をなぜあなたは知っておるのに言わないのか。答弁をしないのか。わざととぼけてずっと答弁をしている。これを知っていますか、知りませんか。
  109. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) いろいろ申し合わせをされ、覚え書きがかわされたことは承知いたしております。しかし、そのいろいろな覚え書き、決議等は決して、なおった者に対してまでそれを療養させるというようなことではないと考えております。そういう考え方に立っておることは間違いございません。
  110. 小柳勇

    小柳勇君 なおったということは、これは非常に重要なことですが、一酸化炭素中毒患者に全快するということはあるのですか。
  111. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 先ほど来申し上げておりまするように、われわれは、現在日本のお医者さんのうちでの最高権威と私たち信じている人たちあるいは大学病院の皆さん方がそういう考え方をされて、たびたび退院するようにと通知もされておりまするし、いろいろされておる方でございます。しかし、いまのような御指摘もあろうかということで、労働省としては、退院の通告があったのでございますけれども、なお退院をされないで入院を続けておられるような方々に、今日まで無理をしないで状態をいろいろ見てまいったわけでございまして、そういうような、いま御指摘のような観点もございまするので、労働省としては無理をしないという方針で今年になってからもやってきたと私は考えております。
  112. 小柳勇

    小柳勇君 労働省が無理をしているから問題になっているわけですよ。無理をしなければ、ちゃんと手続がきめてあるのだから、政府とそれから、総評と炭労、それから現場のほうの組合とか会社の団体交渉とか、いろいろ手続をしてあるのだから、そういうもので、たとえば現地で話がきまらない場合には中央に持ってきて話を聞いてやる、あるいは内村さんとか沖中さんはりっぱでありましょうけれども、その病院の医者に不信があるときには、あの組合のほうからほかの医者に見せて、もう一回共同で審査をしないといけないと書いてある。そういう手続を何もしないで、医療委員会の結論があなたのほうに来たから、もう十月三十一日で終われりと、そういう措置をとることは社会的にも人道的にも許せぬではないか、大臣。
  113. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) たびたび退院の勧告をいたしておるわけでございまするが、いま御指摘のありましたような点についてでございますが、九州大学なんかの先生方が、その道の権威者がおそろいでございますけれども、こうだという診断をし、退院の勧告等をされる。ところが、退院を集団的にされない一部の方々がある。そこで、非常に気まずい思いができたことは事実であろうと思います。いろいろ現地では話し合いも行なわれまして、おれのほうから一、二名の町のお医者さんたち、それから熊本大学の若いお医者さんを出してくるから、この人と話し合いを、見立てさせてというような話もあったことも事実のようでございます。しかし、労働省の出先といたしましては、そういう方は現在の日本の社会ではそう高く評価されておる人とも思われない若い人たちでありまして、ですから、こちら側のほうからは権威のある博士やなんかが出ておるわけですから、あなたのほうももっとしっかりしたといっては失礼でございますけれども、その道の権威者を出していらっしゃいというような、いろいろやりとりがあったようでございます。ところが、そういういきさつ等を重ねてまいりましたところが、最後に——最後といいませんか、そのいきさつのあとには組合側のほうにもいろいろ話をしましたけれども、さらに重ねて、それじゃこういう人を出そう、こういうお医者さんで話し合いをつけさせようというような反応も示されないし、何らの交渉も持たれないようになってしまって、ただ退院をされないというようなことを重ねてきたようないきさつを私は聞きました。
  114. 小柳勇

    小柳勇君 この了解事項に書いてある。「入退院について」「担当医師の診断の結果を尊重し、入院または退院の具体的な措置を講ずる場合は、事前に組合側と話合いを行ない、相互了解の上で実施する。この場合、患者ないしは組合側において担当医師の診断を求め、その結果にくい違いがある場合は、両者間の意見の調整を求め、その結論によって処理することとし、なお、結論を得られない場合は、さらに権威ある医師の判定にまつこととする。」、これだけ明々白々に書いてあるわけです。しかも、あなたは組合側の推薦する町の医者とそれから若い医者と、ことさらに組合側の医者の権威のないような発言をしている。その発言を取り消しなさい、無礼だ。
  115. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 私は、特別に三池のこの問題は重大でございますから、権威のある方々、権威のある病院、大学病院等にお願いをして慎重を期せよということで始まったわけでございまして、まあそういう病院の皆さん方に比べては、比較的名も通っていないし、お若い方であったり、大きな、国民みんながああそうかというような大病院の方ではないという意味のことを申し上げたわけでございますが、それがいまのようなことで侮辱したことであれば、私の本意ではございませんから、その点は取り消しますが、いま申し上げましたように、私はその当時の得られるベストの医療陣営でやろうということでやってまいりました。しかし、労働組合のほうからお出しになった方々はそれほどではない、もっと人はないだろうか、こういうような論議がかわされたという意味を申し上げたわけでございます。
  116. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ちょっと委員長として発言いたしますけれども、あなたは医療行政を担当して、医者の免状は全国共通で、そうしてこれは平等で同じなんですから、そこに差をつけて、たまたまつとめている場所が東大病院でありいなかの病院であるとかありましても、医者の権威に変わりがないし人の命にも変わりがないのですから。そこらを踏まえた行政をなさるという前提に立っておやりくださるようにお願いしますそういう意味の御発言をお願いいたしませんと、何か話が食い違って、何べんなさっていても、せっかく歩み寄っていて、話が食い違っておりますと、いつまでこれをお話ししてもめどがつきませんので、ひとつよろしくお願いいたします。
  117. 小柳勇

    小柳勇君 ただいまの委員長が言われたとおりです。それは東大の内村さん、沖中さん、それは有名でしょう。しかし、それは直接見ていない、全部を見ていないのだ。それならば、毎日見ている、しかも患者が信頼する医師が一番権威があるのじゃないか、退院する場合は。あなたは退院してもよろしいと言われても——外科でこのくらい見てわかれば、だれでも退院しますよ。ところが、神経のことだから、本人が納得した上で、医者がおまえいいぞといって、ああそうですかといって——それがほんとうの名医ではないか。それが九大や東大なら信頼できるけれども、町の医者や若い医者では信頼できないというのでは、大臣がいま取り消したからその問題は追及しませんが、ただ、この手続はどうなるのですか。現地のほうでは、退院するこの人たちは、私どもはまだ自信がないと言っている。現在三人倒れているではないか、退院した人が。一人はてんかん症状を起こした。会社側は、あれは前からてんかんがあったと言っている。原田さんと名前はわかっていますよ。もう一人の人は訓練中に倒れている。もう一人は浴場で一ぺんあがってきて、君は強制退院させられてといって話しておったら、またそのまま着物を脱いでいって、また入るのかと言ったら、いや、まだおれは入っていないと。そういった具体例が直接もう三つ出ている。  われわれはそういうものをわれわれは踏まえて、やはり精神的なものがあるから、しかも三年間入院加療して職業訓練をやっておったでしょうけれども、納得するような方法がなぜとれないか。私はさっきも言ったように、労働者は病院におってどんなにうまいものを食べるよりも、職場で働いて給料をもらって生活したい。にもかかわらず、何か病院におることを無理にしているような前提であなた方が措置したとするならば、これはもうわれわれは容赦できません。したがって、なぜこのような急な措置をとったのか、これだけの手続をとらなかったか、もう一回聞いておきたい。
  118. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) 先ほど大臣が申し上げましたことについて補足さしていただきたいと存じます。  入退院問題は、労働省の行ないます行政処分とは一応別個な角度で、いわば医療的な措置の問題というふうに私ども考えておるわけでございます。本来、患者と医者との間には相互信頼と申しますか、生命、身体をお預けしておるわけでございますから、両者が普段から信頼関係にあるということが願わしいわけでございまして、にもかかわらず、トラブルが起こるかもしらぬ、特に退院についてはいろいろ問題がありましたわけでありますから、その取り扱いについていろいろ御相談をしたわけでございます。この覚え書きを具体化するチャンスは、先ほど大臣が数回と、こう申し上げましたが、了解事項が成り立ちました後に、二月十四日、四月五日、四月十五日、七月十六日、九月二十七日といったようなことで退院の勧告がなされました。ここにその了解事項を具体的に発動すべき機会があったわけでございますが、過去のいきさつについてかれこれいま申し上げる問題ではないかと思いますが、個々の患者につきまして、こういった形で問題を処理するような形にならなかったという点については、私どもも遺憾に存じております。しかしながら、さればといって、二月、四月、七月、九月といったような退院通告がございました後におきましても、労働省として、医師に強制的に退院さすとか、そういった措置を講ぜずに、ずっと今日まで経過してきたわけであります。そういった点を大臣は申し上げておるわけでございます。  しこうして、今回の措置につきましては、退院とか入院とかといったようなことじゃございませんで、権限のございます監督署長が認定処分を行なう、こういうことでやるわけでございます。具体的に退限さすとか入院さすとかというような医療上の措置を行なったわけじゃない。労働省といたしましては、医療委員会の所見を基礎にいたしまして、医療委員会の所見で明らかに申しておるんでありますが、検診の結果は八百二十二名の受診者があった。その結果を見ると、事故発生後すでに三年近くを経ており、その大多数は一般的作業能力が回復していると考えられた。しかし、一部に軽作業に従事し得るのみであると考えられる者、長期にわたってなお療養継続の必要が認められる者、なおさしあたり治療の継続を必要とする者などが認められたという区分をされまして、そしてその人数につきまして、これはこういうカテゴリーに入るという別表のものが示されたのであります。そうして本委員会としては、労働省が対象者全員に上記の医学的意見に基づき労災保険法の趣旨にのっとって適切な措置を講ずることを期待すると、こういうふうにそれぞれの医学的な判断区分をいたしましたから、これにのっとって処置をするように、こういう見解を示されたわけでございまして、直接入退院という医学的な措置ではなくして、別な措置ということであるわけでございます。
  119. 小柳勇

    小柳勇君 それでは、なおそれは問題ですが、ここには労災保険の趣旨にのっとって適切な措置云々と書いてある。したがって、いま打ち切られたと考えられる、退院しなさいというのは、労働省はもうこれをそのまま取り上げたと理解しているからその問題が起こっている。この答申は別ですよ。措置はこれからですと、そういうことですか。それをはっきりしておいてもらいましょう。
  120. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) これは労災医療一般の問題でございますが、労働省としましては、医学的な所見を基礎にいたしましていろんな処分をするわけでございます。今回の医学的な意見は単に八月に精密健康診断をやったというだけじゃありませんで、昨年の十二月もやったという事実がございますし、それからずっと継続的にお医者さんがごらんいただいておるわけであります。そういった長い期間経過しまして観察をいたし、そして精密健康診断をしての結論でございますので、療養の必要なしというふうに判断をされましたときには、療養必要ありというふうな判断は困難であった。そこで、この際医師の——医師と申しますか、この医療委員会の判断を尊重いたしまして処置を講じた、こういうことでございます。しこうして、なおらない方、それから判断がつかない方、これにつきましては、先ほども申しましたように、明らかに長期にわたって療養継続すると認められる方々に対しては、なお手厚い措置をしたい。それからなお、判断が困難だと、経過観察を要するという方につきましては、五十八名の方についてさらに今後経過観察をすると、こういうような見解を示されたので、そのような扱いをいたしたわけであります。
  121. 小柳勇

    小柳勇君 そこは、いまあなたが前のほうをくどくど言うけれども、この出た結論に対して労働省としてはそのままこれを採択して、その処置をとっているから問題なんだ。これはまだたなに上げていますと、処理するのはこれからですと、こうであれば、何もこれほど問題になっていない。そうしてもう一つは、手厚い保護をいたしますと言うけれども、この文書によっても十一月一日から全部労災補償法に切り変わっている。長期給付とか、あるいは短期給付とか、傷病補償とか、そういうふうに切り変わっている。それはこの国会の決議に反するではないか。この決議では「右の立法措置が成立する迄被災者に対する療養その他の援護措置は現在の状態と変らざるよう措置する」と書いてある。労災補償法に変わっているから問題になっている。その労災補償法の長期傷病補償給付になるし、または傷病補償一時金になっていく。そういうふうにこの医療委員会の答申を受けて労働省がもう措置してしまったから問題になっている。その措置というのは、保留してありますか、実際続いているのじゃないですか、効力は。
  122. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) 私どもといたしましては、この決議をなされます前の段階におきましても、なおった人は別ですという点について申し上げた記憶があるのです。これは事理の当然かと私ども承知しておったわけでございまして、これは被災労働者に対する療養その他の援護措置という療養の必要性のあるものについて当然療養はなされるわけでございまして、その点は私は念を入れてその点を御確認を願ったような記憶があるわけでございます。ただ、これは医学的な判断の問題についてであるわけでございまして、療養の必要があるかどうかという点については、私どもは医学的な見解を尊重したいということでございます。
  123. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 ひとつこれは関連をさせていただきます。  私はいま小柳さんの質疑を聞いていて、大臣はその当時おいでにならなかったけれども、一酸化炭素被災者に対する援護措置をどうするかということが根本です。この決議をするまでに至った流れ、それでこの決議になったわけであります。労災補償だけでは援護し切れないから、これに付加をして、本人は申すに及ばず家族の方々に特別な援護をしようということで、この立法をつくろうという案が出てきているということは私は申すまでもないと思う。院におきましても、その確定的な法律条項はできておりませんけれども、労災法の上に特別な援護をしようというこの考え方、精神は院の皆さん一致でこの決議ができたのです。だから、明らかにいま小柳委員が読まれたような条項が、法律ができるまではかくかくだと明確になっている。それに続いて、しかし健庫になった人は、小柳委員が言ったように、職場で働いて家庭を守っていくのは、労働者としては基本ですよ、それは。しかし、その病気がなおったのかなおらないのか判定がむずかしい。むずかしいから、労働省も総評、炭労との間に覚え書きがこの決議に従ってできた。このことを頭に入れて問題の処理をしてもらわぬと、労災法で処理ができますということと、この決議と覚え書き、組合と労働省との間に覚え書きをつくった、この流れていく精神というものを全然たなに上げてしまって、ここでこうなりました、こうなりましたと言うのは、それじゃ行政府の労働省として立法府の皆さんの意思をどうお考えになっているのかということを聞きたくなる。このことは大臣は、新たに任命された大臣は、その流れ、政治をやる者としてこの流れというものは十分に理解して、これに取り組んでもらわないと、いまのような議論が出てくるということを私はここで申し上げておきたい。その基本を忘れて、あとはまた病気が再発しても、労災法にかかる、補償がありますよ、そういうことで決議が行なわれているのじゃない。それで、なおった人は、こうおっしゃる。実際に災害で受けた病気が完全になおった人は、職場に行って働きますよ。そのことが一番労働者にとって楽しみですよ。そのなおったかなおらないかの判定がむずかしいから、あなた方労働省と、総評、炭労との間に覚え書きをおつくりになったのじゃないですか、手続を。そうして本人も理解して、周囲も理解して、そうして完全になおって職場に帰ってもらうという手続を覚え書きで、国会の決議にならって覚え書きをおつくりになっているのです。そのことを小柳委員が先ほどから言っているわけですよ。そのことを理解せぬと、それはそんなものは補償があります、再発したら補償がありますなんというようなことで、この決議ができていないということを十分に理解してかかってもらわぬと、問題が解決せぬということだけ私は申し上げたい。
  124. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) 私どもも、当委員会決議につきましては、御指摘の点に関連したいろいろな問題を承知いたしておるつもりでございますが、ただ何ぶんにもいわゆる症状固定、広い意味の治癒と申しておりますが、医学的な処理の対象としないといったような状態に立ち至った者につきまして、さらに療養を継続するかどうかということにつきましては、これは事実問題であるわけでございまして、私どもも非常にこの問題の扱い方に苦慮いたしてまいった次第でございます。しかしながら、この措置につきまして、半分以上の方々はこれに従っておられるという事実も実はあるわけでございまして、問題を一括して扱うべきなのか、個々の治療の、個々の病気の問題でございますので、今後いろいろその扱いにつきまして方法がないかという意味で、大臣がいろいろな救済の手段もあるではないか、こういうふうに仰せになったように私は存じておるわけでございます。そういった手だてがございますので、不服の申し立てその他あるわけでございますので、病気の問題として、いろいろ検討すべきものは検討するといったような形がとれないものかというふうに感じておる次第でございます。
  125. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 それは基準局長、ちょっと私は抗弁だと思うのだがね。そんなんなら、なぜ病気がなおったかなおらないかの判定の手続を申し合わせというかっこうでおつくりになったのですか。双方が確認して文書を取りかわして、なおったかなおらぬかの判定はこうやりましょうと双方が確認したのじゃないですか。あなたがおっしゃるように、個々のケースだとおっしゃる。そうかもわかりません。被害の受け方によって個々のケースかもわかりません。個々のケースの話し合いを、それじゃ本人や労働者が納得するような話し合いをせられたのですか。せられていないでしょう。そこに問題がまた積み重なってくるのじゃないですか。そうでしょう。そこで、この国会の決議という大精神を履行して、手続的な問題で総評とあなた方との具体的な取り扱い方の面の覚え書き、申し合わせというものをつくって、そうやりましょうという、こういうことになったものを、そこのところは話をせぬとただ通告をしたとかなんとかおっしゃいますけれども、具体的な通告が本人やそこまで通じているかどうか。あなた方が、労働省が申し合わせされた相手方に十分にそれが通じて、理解されておったかどうかということも明らかでない。そういう状態の中で、再発したら、また処置は労災法で処置することになっていますというなら、この決議の第二項目というのは要らなかったのじゃないですか。実際にいまの労災法で救い切れない援護措置をつくろうというのが院の決議ですよ。そのことをたなに上げてものを言おうというのは無理じゃないですか、これは少し。
  126. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) 私どもは、本委員会決議は、療養の必要のあるという者について、その扱いを示されたものというふうに理解いたしておるわけであります。それといろいろな退院等の扱いにつきまして、先ほども申し上げたのでありますが、この了解事項ができて後に、二月十四日とか、四月五日、四月十五日といったような日付をもちまして退院問題が起きたわけであります。私どもはこのような了解事項に基づきまして、個々の患者の問題としていろいろ了解事項の線に従いまして扱われますことを期待しておったわけでございますが、ただ形として、一括して退院するかしないかといったような形で推移してきたということを遺憾に存じておりますけれども、労働省としましては、この退院問題がもう二月、四月といったようなかなり古い時期に行なわれましても、退院さすとか、そういうような措置はとらずにきた。そういう点におきまして、労働省としてもできるだけの誠意を持って今日まで経過を見てきた、こういうことでございます。
  127. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 先ほどから聞いておりますと、ばかに、症状が固定したとかあるいはまた治癒に近い状態になっておるから現場に復帰させたと言っておられるのでありますが、私は、この問題は当初から、このCOの中毒という、医学的に見てこれが非常に新しいケースであり、ことに脳の器質的変化であとからいろいろ症状が出てくるのが特徴である。だからして、これを治癒として判定するとか、症状が固定したという判定が非常にむずかしい。だから、それを研究するためにいままでいろいろな方面で討議をされていたと思います。同時にまた、いま私も医者であって、私の聞いておる範囲、私が読んでおる範囲では、この精神的な器質的な変化というものは、一応はなおったような症状を呈しておるが、何かの刺激によって、感情的な刺激によって、あるいはまた環境の刺激によって、これが症状を、また同じような症状を示すのだ、こういうことでもって、この非常にCO中毒の器質的変化あるいはまた精神的な症状というものは、非常につかみどころがなくて困るというのが学界の定説なんです。だからして、いまこの問題を、ただ委員会決定したからというのでは、患者自身は非常に不安を持っておるわけなんです。これはもう患者の実態を私も調査に行って見せてもらってまいりました。おそらくそういう観点から、この委員会も何回かの調査によって、それを机上でもって考えられるのでありましょうが、私ども見まして、実際に患者を見てみたならば、外見的に非常に元気そうなんです。めしも食いよるし動いてもおるのです。けれども、しかし、それを詳しく聞いてみ、調べてみれば、あるいはまた器質的に、あるいは本態的な行為もできない、あるいはまた何かのときには非常に段階的にものを忘れる、こういう症状を繰り返しているわけです。ところが、これをずっと治療を続けていくことによって、徐々になおりつつあるわけなんです。このなおりつつある期間は、普通の病気をなおすよりは長く期間がかかるのだ。こういうことで、非常に学者の間でも問題になっていると思うわけです。こういう問題があるので、やはり患者自身も、ときどきそういう症状を繰り返せば不安になるわけでありますからして、それで患者自身もなかなか働くことに自信を持てないというのが現況なんです。そういうことに対しては、非常に一方的なことをしてはいけないというのであの覚え書きができたわけであります。  だからして、覚え書きを明文化して、それで了解を得るということをしないで、ことに私はいまの論議を聞いておりますと、この労働組合のほうからあるいはまた患者の側から申請しておるところの医者が、何だか地域的に弱いとかなんとかという、そういう侮辱的なことばを入れて、そうしてこれを拒否していることは、私は間違いだと思います。私は出している名前をここで見ておりまして、なかなかりっぱな人じゃありませんかと。ここに出ておるのは精神科におるところの助教授もおられるようですし、あるいは所長もおられる、病院長もおられる。こういう人は実際のものを見ておられるのですから、なぜこういう人にもっと見せないのですか。拒否しないでもって、そういう人にもよく診断を個々に受けて、また患者自身にも納得さすようなことをしないでもってこれを進めるなんということは、大いに間違いだろうと思う。
  128. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) 三池の災害のあとに、これは遺憾なことでございますが、北炭夕張、日鉄伊王島、山野等災害がございまして、一酸化炭素中毒患者も出たわけであります。三池医療委員会委員でございます先生方は、こういった他の地区において発生しました一酸化炭素中毒患者についても、さらに経験を積まれ、まあいろいろ研究をされておるわけでございます、一方、科学技術庁におきましては、炭鉱爆発に伴う一酸化炭素中毒対策に関する特別研究の成果報告書というものを七月に発表されるというようなことで、一酸化炭素中毒については医学的に明らかでなかった点もあるわけですが、だんだん資料も整備されつつある、こういうのが現状ではなかろうかと思うわけであります。  そのような経験なり成果を踏まえまして、長年にわたる医療生活の担当医師としての方々がいろいろ判断なされたわけでございますから、医療委員会自体の結論というものにつきましては、私どもはこれを高く評価し尊重せざるを得ない、こういうことではなかろうかと存ずるわけであります。  しかしながら、推薦した医師を拒絶する云々という点につきましては、実は話し合いの過程のままさたやみになったというのが事実であったろうかと思うのでございます。したがいまして、そのような過程におきまして退院をさせるというようなことはしなかったという事実を先ほど申し上げたわけでございます。しかし、今回の処置は、退院、入院のそういう問題ではありませんので、症状固定といった観点から医療補償を行なうかという点については、これは行なわない。しかし、その後アフターケアの問題はございましょう。しかし、それは労災保険法上、外科後の処置などというアフターケアの制度がございますから、会社復帰後は四週間の坑外訓練、それからさらに四週間の坑内訓練といったような訓練過程を経まして、さらに職場に戻る、こういう過程があります。その間におきまして、労災保険施設の外科後の処置といったような制度を活用いたしまして、さらにアフターケアに万全を期していこう、そのことは必要だということを三池医療委員会においても指摘されておるわけでございまして、そういった配慮をしつつ、さらに今後もずっと私どもは配慮いたしたい、こういうことでございまして、打ち切りましてあとは見ないとか、そういうことではないのであります。これについては、おそらく医学的な立場からも、正常な社会生活なり正常なる職場生活にできるだけ復帰させまして、いわばリハビリテーションのような形においてことを扱うということが望ましい、こういう配慮もあったかに聞いておるわけであります。そういったあれやこれやの経過があるわけでございまして、そういった点御了承を賜わりたいと思います。
  129. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 あとからもCO中毒患者ができていろいろ経験を積んだ、それはおっしゃるとおり、このCO患者の中毒ができたときにすぐ高圧酸素の処置をすれば回復が早い。これはできているわけであります。ところが、いま問題になっている患者さんたちのときはそれが行なわれていなかった。ために、このような非常にがんこな症状が残っておるわけであります。だからして、これは気の毒だから、これに対しては特別なことをしようというのがあの委員会のときの考え方であったわけです。あとからは治療が進んできたから、それを比較的早期にやればこれが回復する率が多いのだ。それは仰せのとおりあるわけでありますが、この場合の患者さんはそういうことをやられていない。だからして、もう器質的な変化が起こっているからいまのようなことを繰り返すわけです。いまあなたがおっしゃっているのは、あとからリハビリテーションをやるのだからいいのだとおっしゃいますけれども、私は、そういうことをやるにしても、患者さんがそういうことだということで納得してほんとうに精神的な非常な影響を受けずにすらっと入っていけば、わりあいそういう症状は起こらないと思う。だけれども、八百人に近い人をそういうようにするということは、この委員会決定なんかを聞けば、患者さんはやはりショック的な精神的な影響を受ける。これがもうすぐこの病気の人たちには一つのまた症状をあらわす原因になるわけです。先ほど言われているような総評あたりとの取りきめをして、そうして患者が納得するような診察を受け、あるいはまたいろいろな処置をして、しかもその上で納得をして移行をさしていこう、私はそれでいいと思うのです。ところが、そういうことを行なわないで、そういうことをして診察をしてくれ、あるいはまた立ち会いをしてくれという患者の要望を押えつけているというところに、やはりそこらの器質的な変化がある人に対する配慮ではないのであって、これはやはり病気を判定する上においてももっと緻密な考え方をすべきではないですか。
  130. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) 医療委員会の報告にも指摘されておりますが、「精神症候については、全般的に客観的にみて症状度が軽快してきてから、いらいら、刺激的、心気的傾向、神経症的傾向、偽痴呆的態度などが新しく、あるいは強く出現する傾向がみられた。このことは自覚症状の動揺、それに対する患者の態度などにも認められ、そのすべてを器質的障害によるものとは考えられない。」、こういった観点から器質的な障害の面と心因的な影響の面をいろいろ指摘されているわけでございますが、特に自覚症状を訴えるという場合が退院勧告とか職場復帰などの処置のつど顕著に増加する、こういう点を指摘いたしまして、いわゆる器質的な障害の面よりも心因的な影響のほうが多いのだ、そこで医学的にどう判断するかということで、先ほど申しましたように八百二十二名の方々について一般的作業能力が回復したかいなかといった判断を下しておられるわけであります。  そこで問題は、労働省が今回の措置をとったわけでありますけれども、しかし不服がある、問題があるという場合には、先ほど来大臣が申されておりますように、救済手段としての体制はあるわけであります。私どもといたしましては、争いを封殺するとかそういう考えは毛頭ないわけでありまして、病気が病気だけにさらに争いはあり得るだろう、そういった場合にはすみやかにそういうような手段によりましてひとつさらに審査をしてまいりたい、かように考えます。
  131. 小柳勇

    小柳勇君 それじゃ、いまの局長の言われたおことばによっても問題が起きているのです。あれから今日まで毎日毎日こうやって各委員会でも問題にしてやって、これからまた解決する問題になるのだが、そこで、一人や二人の問題はいま言った再審査という問題があるかもしれないけれども、約二百人、現在出たらまだ心配だといって職場に行けない方がある。それがもうすでに精神的な不安——先ほど大橋委員が専門的に言われたが、機能がそれだけ衰弱しているものだから、したがって、それは問題が起こっているものとして、この了解事項に基づいて再度医者なりあるいは上部団体で話し合いをする、そう考えてよろしいですか。大臣。
  132. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 先ほど来いろいろお話が出ておりますが、まあ先にお見せいたさなかったのでございますが、炭鉱爆発に伴う一酸化炭素中毒に関する特別研究というのが、北海道大学から東大、九大と、日本の各大学の権威を網羅して、科学技術庁が特別研究費を政府から出しまして鋭意全学者を動員いたしまして、こういう報告書やなにかを出しております。先ほど申し上げましたように、三池の委員会委員の皆さん方の結論ばかりでなしに、こういう分厚い報告書などもいただいておりまして、そういうことやなにかの経緯を総合いたしまして、治癒の認定をいたしたわけでございます。  しかしながら、お話のように、こういう神経系統の病気でございますから、いろいろあとになって、治癒したと思っておっても、いろいろな異常を呈されるような方があって、お気の毒な事態が起きることも全然ないと断定するわけにはまいりません。したがって、そういう人に対しては十分救済の措置をとろうじゃないか。それで、十分救済措置をとるにつきましても、まあいまの場合でございますと、そういう申請をするのに期間的な、一定期間のあれがありますし、その期間が過ぎたあとにそういう事態が起きたらどうなるんだというような御疑問もあるし、気の毒な事態も起きようかと思います。ですから、今度特別立法をいたしますれば、そういう期間や審査を請求する機会やなんかについてもいろいろな親心を出していきましょう。まあいろんなことを具体的に判断をして、個々のケースについて慎重に具体化をしてまいりたい。  いま行なわれておりまするように、私は先ほど申し上げたくないものですから申し上げなかったんですが、一部の人々と申しましたけれども、まあ率直に申し上げますと、新労の諸君は三池の委員会においてああいう結論が出されましたのに従って退院をされております。ところが、旧労の皆さん方が、相当な数の人が一括して退院をされないというようなことでは、これはやはり私は少し問題があるのじゃないか。ここに具体的に問題のある方々については、いま先ほど来繰り返して申し上げておりまするように、十二分の配慮をいたします。この報告書もごらんになったかとも思いますけれども、政府としてはいろいろ考えるところもございますから、十二分に問題のある方についてはいたします。しかし、それが皆さん方が全部一致して退院を、勧告をされたにかかわらず、されないというようなことでございますと、こうして長年医学的に権威ある皆さん方を動員をして診察をし、多少の見違いがないとは私は言い切れないと思いますが、やってきたことの結論が出され、また科学技術庁なんかも政府が相当な助成金を出して、ただ東大だけではございません、北海道から、日本のその道の権威者を動員して、こういう報告書をいただいたりしておりますのに、何か労働省がけちをつけたというようなことではいけませんので、この際はこういう措置をとらざるを得なかったということでございます。でございまして、個々のケースで問題があれば、皆さん方の御意見を十二分にしんしゃくをして対処をいたす決意でございますから、御了承いただきます。
  133. 小柳勇

    小柳勇君 いま具体的に言われましたから、具体的に質問しなきゃなりませんが、新労、旧労という区分け方をして論議したくないのです、私は。やはり労働者として全体の問題として論議をしているわけです。新労、旧労——具体的にいえば、そういう問題もあるいは出てくるかもしれぬけれども、それはそれで、安心してもう自分じゃ治癒したと思って出ていかれる方は、それは完全に治癒したと考えていいだろう。ところが、残念ながらその中にさっき具体的に言ったように、三名の方が倒れましたよと。この人は当然またこれは入院してまいるだろう。再診査になるだろう。それはまた除外しましょう。ところが、それでどうしても心配で出れないという方がおるわけだ。これは新労、旧労の別ないと思う。自分の精神的な機能に対する自信のなさだと思う。あるいはいままでの生活との関係だと思う。したがってその人が言っているのは、私どもが安心する医者にもう一ぺん見てもらって、その人が出ていってもよろしいと言うんなら元気で出ていかれるでしょう。そこで、なぜ初めからあなた方は医者を拒否しておるか。もしその人が診察をして、全部が全部これではだめですと言ったら、これとは全然食い違いますという話なら、別だ。その手続を踏まないまま、一方的に処理しているところに労働大臣として私はいま問題にしているわけですよ。  ちょっと待ってください。もう少しこの際、基本的な問題ですから。どうせ資本主義社会ですから、私は佐藤内閣というものを、やはりそういうものの代表だと考えて、ただし労働省は少なくとも労働団体の窓口だと考えて私は話をしているわけです。その労働大臣がだよ、聞くところによると、その勧告を出す前に会社側と話しておるというような事実もある。組合側に話す前に、たとえばこれだけの手続があるにかかわらず、これを無視して、その前にもう会社側とは大体話がついてその処置をとったという話を聞いた。なかったら幸いだ。いま局長が頭をかしげておるから、事実があるのだから、そういう事実を聞いておるから……。きょうも衆議院のほうで問題になったと聞いておるけれども……。そういうものがもしあるとすればけしからぬが、ただそういう手続を無視して——労働大臣だけは労使慣行については尊重しなければならぬと思う。しかも総理大臣と太田議長との、その意を受けてできたこの労働省対総評、炭労との了解事項が無視されたまま、一方的に処理したところにその患者の不安もあるのじゃないか。それは総評や炭労がおこる前に、もう現場のほうでは患者が、おれたちのたよりになっておった総評、炭労は労働省から無視された、おれたちは一体どうなるのか、職場に行っても、もしものことがあったらだれが助けてくれるかという不安があると思う。したがって、あなた方は、総評に幾ら言っても聞かなかったというなら別だけれども、何も総評も炭労にも話さぬで、一方的に片一方の意見だけ聞いて処置したところに重大なミスがありゃしないかと。したがって、言うならば、その二百名なり三百名の方が、自分の不安で言ってるのでないのだから、それを個々の集団と見て、一人一人の集団と見て、もう一回少なくとも手続をとってもらわなければ困る。大臣の見解を聞きたいと思う。
  134. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 私は、この問題については専務当局が勇み足をしてはいかぬと思いましたので、たびたび総評の諸君やなんかともお会いをいたしまして、御要望も受けておりまするし、慎重に配慮するように指示をいたしておりました。その過程において、当然こういうような治癒の認定をする、その前には退院の勧告をするというようないろいろなことがされておることを確認いたしました。さらにあらためて、単に事務当局だけの話を聞いたのでは軽率のそしりを免れませんから、私は先ほど来申し上げました勝木教授とか、沖中先生とか、そういう相当関係者の方にもお越しをいただきまして話を、いいかげんなことではいけないわけですから、所見を直接求めました。  それから、会社の側と話をしておるじやないかということでございますが、会社の側とも、こういうような処置をした場合に会社があまり冷酷無情なようなことをやってはいけませんから、会社の諸君にも直接私は、慎重に今後、こういう措置をした以後のこと等についても依頼をいたしました。また、総評の諸君だけではございません。同盟の皆さん方もお越しになりましたから、私たちはできるだけの処置は講ずると。しかし、講ずるけれども、皆さん方、何といいますかね、こういう医療問題などはお互いに信頼し合うということが必要だから、くれぐれも信頼し合うという考え方でやってもらいたい、こういう私は注文をつけているのです。  また、事実いろいろ多くの方々が神経系統のいろいろな発作が将来起こるかもわからぬというようなお話でございましたが、まあ私自身の経験からいたしましても、戦争中ああいうきびしい時代に、特にいつまでも一カ所におりますと、どうしてもかえってそれ自体がノイローゼのようなことにもなります。こういう権威者の皆さん方の勧告もあったことでございまするから、それに従ってすなおに、こういう報告書なんかも出ておることですから、すなおに行動をしてもらえば、雰囲気といいますか、環境も変わればまた気分も変わってくる。そして気分も変わってきても、しばらくしてまた変な事態が起きてお気の毒であれば、それは個々に救済をして万全を期する、こういうことが私は正しい、こういう考えを持った次第でございます。
  135. 森勝治

    ○森勝治君 関連で、大臣のただいまの答弁について質問をしてみたいと思うのです。  大臣は、この問題は非常に重要であるから、事務当局が勇み足なぞゆめゆめ行なわないように慎重に各方面にわたって相談もし、熟慮断行したとおっしゃるわけであります。まあ輝ける労働大臣でありまするから、それぞれ卓絶されておるだろうと思うのであります。そこで、先ほどからも問題になりました、それほど慎重なかまえをされ、この種の病魔におかされた諸君の上に思いをはせて、佐藤総理の言われる人間尊重の趣旨を徹底されようとされておるあなたでありまするから、さぞ慎重におやりになったことでありましょう。私はそこまでは信頼をしたい。ならば、国会の決議というものを、あなたは当然その中で考慮に入れられたはずであります。これは大切な問題でありまするから、若干重複するきらいがありますが、私もこれを、簡単な文章でありますから、もう一度読み上げてみます。「右の立法措置が成立する迄被災者に対する療養その他の援後措置は現在の状態と変らざるよう措置する」、これが国会の決定でございます。大臣御承知のとおりであります。慎重なかまえをされた大臣であるならば、この決定にお気づきなさったはずであります。ならば、事務当局が勇み足のないように、この国会の決議というものと事務当局が行なわんとする、おそらく大臣に進言されたでありましょうが、その内容について、当然慎重にこの関係問題について、特にこの決議について、おそらく考慮をめぐらされたはずだと私は考えますが、その点、その考慮の上に立ってこの措置をおやりになったのかどうか、この一点、まずお伺いしておきます。
  136. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) ただいまの先生の御指摘のとおり、この問題は非常に多くの患者の皆さん方にも影響のあることでございまするから、できるだけ慎重に扱う必要があるという観点に立って、私は私なりに先ほど来申し上げておりまするような努力をした次第であります。当然その過程におきまして、国会の決議につきましても、これはこの決議に反するようなことであってはいけませんので、当時私は労働大臣ではございませんでしたが、当時の事務当局がいろいろ処置をいたしました、発言をいたしましたこと等も、考えまして、聞きました。そうしてこれはすでに治癒いたした者について、そういう診断を下された者についてまでは適用されるものではないという、そういう字句もございませんし、ないということでございまするので、私はこの国会の決議にこういう措置をいたしたことが反するものではないという確信を持って処置をいたした次第でございます。
  137. 森勝治

    ○森勝治君 そういう御答弁でありまするから、さらに質問したいのですが、この決定に相反しないようにあなたは相談した。たとえば総評の諸君なんてことばを出されました。おそらく十分相談されれば、当然これは総評側からも、炭労側からも、あるいはまた私どもに御相談があれば私どもからも、それぞれの意見開陳をしたはずであります。そうでしょう。そうなれば、じゃ現地の患者の諸君の現状はどうであろうか、たとえば政府と労働者側で覚え書きを結ばれたその内容から見ましても、先ほど小柳委員がるる具体的な事例をあげて質問されたように、労働者側からの推薦の医者も診断をさせる、そういう話し合いも了解になっておった。ところが、大臣は、開業医はやぶ医者だからだめだという、これは失言を取り消されたから、私はあまりこれ以上言いませんけれども、そういうふうに開業医その他権威ある医者を侮辱されている。大橋委員の発言のそれのごとく、労働者側が推薦した当該医師というものは社会的にもりっぱな業績のある方々だと私は信じております。だからこそ労組側が適正な医師としてこれを推薦したけれども、労働省は一笑に付してこれを顧みなかった。そしてその間じんぜん日にちが経過してしまった。そうしたら一方的にすぱっとやってしまった。これが人間尊重を常に唱えておられる佐藤総理のもとにおける自民党内閣の中で、最も進取とうわさされておりますところの山手労働大臣のなさることでしょうか、大臣。私はまことに失礼だが、山手大臣になってから非常に労働行政が後退し、しかも問答無用式な姿が随所にあらわれていることをしばしば指摘しておりますけれども本件についてもそうであります。前の小平労働大臣は、あなたのように木で鼻をくくったような答弁はしておりません。涙を流し、働く人々のしあわせのために、献身的にこの問題を一日も早くすみやかに実施しよう、いま病床に呻吟する諸君の一日も早く健康体となって職場に復帰することを私は心から念願すると言って、誠意を込めてわれわれの質問に答えられている。ところが、あなたは、文句があるならば出るところに出なさい、こういうことが労働者の立場を指導し、保護し、そういう立場に立つ大臣のことばでありましょうか、私はこの点非常に残念に存ずる次第であります。まことに恐縮でありますが、山手線がまさに脱線したようなことがこの事務当局のやり方ではないか、われわれから見ればそういうふうに思う。したがって、問題点がもうすでにここで摘出され、具体的な問題が先輩諸君からるる述べられておるのですから、この具体的な事例のもとに立って、労働省は率先行き過ぎを認め、国会の決議を尊重し、国会の決議の線に戻って事態を拾収するのが当然あるべき姿であろうと思うのであります。これが期待される山手労働大臣の措置する当然の道だと私は思うのでありますので、この点についてのお考えをお聞かせいただきたい。
  138. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) それの科学技術庁の報告書にも書いてありますが、こういう病状というものは非常にその環境が重要だということでございまして、私は権威のあるお医者さんたちがそう言っておりますのに、乏しい私の経験からいたしましても、病院を退院してもよろしいというような方は少し環境を変えたほうがいい場合もあるというようなこと等もこれに書いてありますが、いろいろのことを総合いたしまして、私は先ほど申し上げたように、関係者にいろいろ話もいたしまして、あらゆる努力をし、ベストを尽くして善処をしたいということで努力をしたつもりであります。もちろん私自身が不敏でございますから、足りなかったというおしかりをいただくかもわかりませんけれども、私としては無理をしない、できるだけあらゆる関係者に当たって、患者の諸君に無理をさせないようにするということでもって善処をしたつもりでございます。労働省の諸君についてもしばしばそういう話をいたしておりまして、私はここでこの権威者の皆さん方が出してこられた結論をはね返すようなことはなかなかするわけにはまいりませんので、それを承認をすることを決心をいたした次第であります。
  139. 森勝治

    ○森勝治君 その権威ある方々の出された問題は、労働省としても尊重したなどと言われておるが、一体公務員の給与をどうお考えですか。人事院勧告どおり尊重していません。そうでしょう。かってに都合のよいところばかり取り上げて一方的に押しつけられちゃ困る。たとえば大臣は、先ほど資料は皆さんの手元に渡したと言われておるが、われわれにその権威ある諸君の資料はきておるか、何もない、自分だけで持っているじゃないか。すべて一事が万事この調子だ。大臣、いいですか。私はこの問題をもとへ復し、関係方面と慎重に相談をし、そしてあなたの言われるあらゆる善後策を皆さんと講じた、努力したとおっしゃるならば、大臣の言われる、事務当局がややもすれば勇み足になりゃせぬかとおそれを持ったがゆえにということをおっしゃっておるから、あなたもすでに懸念されておるはずですから、われわれが明らかに指摘するごとく、これはもう勇み足どころじゃない、とんでもないことをしでかしたのですから、これはもとへ戻して、そしてそこからみんなと相談をする、それができないようでしたら、大臣、失礼ですが、おやめなさい。したがって、重大な決意を込めてこの問題をすみやかに解決すること、ひとつもう一ぺんあなたの所信をいただきたい。
  140. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) この治癒認定という行政処分を現地の局長がその権限に基づいてすでにしたわけでございまして、私が転々にこれを変更することの処分をするわけにはまいりません。しかし、先ほど来るる申し上げておりますように、気の毒な方々については私は全力をあげて救済をするといいますか、対処をして十二分な措置を講ずる決意でございます。
  141. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 先ほどから聞いておりますと、大臣は気の毒な人には十分な処置をする、いま八百何十人の人に対して十分な処置をしたということは、大臣、気の毒な目に合わせたことだと思うのです。いま権威あるあれをしたと言われますけれども、先ほど大臣、私が言ったので御了解願ったと思っておったんだけれども、固執しているので、もう一ぺん御質問申し上げたい。これはいま申し上げましたように、そういうふうなショックを与えたならばまた症状が再燃をする、そういう不安を持っておるわけですよ。だからそういうものを納得させてやるような措置をしなければその人は気の毒じゃありませんか。だから、これは委員会できめたからという、そういう上からのやり方がその人たちを不幸にするところの処置になるわけでありますから、私はそういうことをやらないで、皆の八百何十人の人が納得をしていけるような措置をとる、それにはいままでそういう取りかわしがあるのだから、それに従ってやってくださいと、そういうことを言っておるわけです。それを先ほど言ったら、科学云々の中ではこう出ておるとおっしゃったけれども、私は先ほど来繰り返すように、いまの三池の場合だけは特別なんですよ。科学技術庁で言っておるような正しい治療をしていなかったんだ、それはやっぱり会社側に責任があるじゃありませんか。それで何べんもそういう症状を繰り返している。実際いま入院している人たちはそういう症状を繰り返すことを何回も経験しているわけだから不安を持っておるわけです。だから、就労を拒否する考えを持っておるわけではないのです。それを曲げて考えないで、率直にそういう困った人たちのためになるような指導をしていくということが労働大臣としては最も必要なことじゃないですか。それを無視してやっていけば、ここで不安を持ち、その不安が影響して悪い症状が起こってくる、こういうことになってはいけないのであって、現に先ほど小柳委員のほうからも言っておられるように、三人がそういう症状を繰り返しておるじゃありませんか。そうして八百人の中には、なお繰り返しやしないかという不安を持っのは当然じゃないですか。こういうことをいま私は言っているわけで、あまりつまらないことの問答を繰り返さないで、やはりその働いている人のためになって、労働者の窓口なら窓口のような態度を示してもらって、私はこういうことはもっと具体的に話し合いをして、具体的に患者が希望するところのお医者さんにもう一ぺん診察させる。そういうようなことになぜ踏み切りませんか。
  142. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) たいへんおことばを返すようでございますが、現在問題になっておるのは八百何十名ではございません。COの関係の百十九名だけでございまして、ほかの方々は全部労働省の措置に対して納得をされております。そうであるからといって、しかし、退院されたり何かされた方でもいろいろ今後症状が出ることもなきにしもあらず、いかに名医が見ても多少誤診がないとは断言できない。ですから、そういうことのため等を考えまして、いま、さらにこういうふうにしてもらいたいという異議を申し立てる道が開かれておるのでございますが、それは期間的には非常に制約もありますから、それをさらに長期にわたって、精神的な問題でございまするから、何かの発作で相当年月がたってから出るというようなことがもしありとするならば権威のある医者に見てもらって、それはしかるべく救済ができるような私は措置を講じたい、そのための方法を持ちたいということであります。
  143. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 百十何名であれば百十何名をいま診断をさせて、そうしてその話し合いをするようにしたらいいじゃないですか。それはそういうふうに取りきめがきめてあるのだから、なぜそれを無視してやらないのか、それをやっていただきたいということを私はさっきから言っているわけです。それは健康保険なんかの裏づけ云々といわれるけれども、それをやるのが親切な行政じゃありませんか。やってください、なぜそれができないんですか、言ってください。
  144. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) ただいま申し上げました百十九名の皆さん方が残っておるわけでございますが、その方々については退院の通告もしたり、その後さらに健康診断をしたり、いろいろなことをしばしばやっておられまして、その報告を聞いています。ですから、私どもは現在の状態においては退院をしてもらうことが適当であろう。しかし、人間なま身でございまするから、先にいって突然異状な症状が出るというようなこともあるいはあろうかというようなことも私心配をいたします。ですから、そういうような点については個々の人について十分救済の道が講じられるように手厚く配慮をしていきたい、間違いなしに配慮をしていきたい、こういうのが私の考えでございます。
  145. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 ことばを返すようですが、私はどうしても言われることが納得できない。私の論理はあなたわかりませんか。私の論理は、この中毒患者の根本を考えたときには、十分な手当てがしてないという一つの手おくれがあるんですよ。そういう状態に置きながら、長い経過——いままで三年間に近い経過をたどってきて、その間に何回も繰り返し、また精神的には非常に大きな苦しみを持っているんですよ。性生活もできないとか、あるいは、また、瞬間的には健忘症になって忘れてしまうとか、自分の女房までわからぬような状態を繰り返しておる。そういう状態でみんなが不安を起こしたのは、やはり科学的にもはっきりとした治療ができなかった、あとになって初めて酸素の圧力を加えてやればできるということがわかったけれども、その人たちはやられていないわけです。そういうために非常な不安を持っているわけです。そういうことを踏まえてこの間の委員会でもここで論議されて、CO中毒患者に対してそういうことを特別にしようじゃないかということの申し合せができているんじゃありませんか。その申し合せをして、いまの百十九名の人がなるほどと思われるようなことをあなた方のほうでやられれば、私のほうは何をか申す必要はないわけです。そういう人たちが不安を持っておる現状がありながら、あなた方がこうやって押えていくということがその人たちがいろいろな症状を起こすことになるのだ、私はそう判断いたします。こういう問題は精神的な問題で、それは技術的な問題でないという議論は必ず出てくるかもしれない。しかし、それで起こってきたならば、同じことで労働省は困るのじゃありませんか。そういうことで困らせないように処置しようというのがこのたびの処置なんですから、私はいままでの論理からいけば、その百十九名の人が、なるほどそうです、労働大臣のおっしゃるとおりです、あるいは、また、監督署のおっしゃるとおりに私はそれで安心ですということになってなぜ出れるようにしませんか。それをしないでもって、おれはこういうものだということで押えつけることがいけない。この取りかわしの中に出ているのじゃないですか。それはこの参議院の中で決定ができているじゃありませんか。この政治的なものを無視してあなたがそれを押えていくということ自身に大きな間違いがあると思います。そういうことをやって平気でおるところに村上さんに責任がある。こんな人がおったならば労働者はしあわせにならない。村上という人は早くやめてもらうべきだと思いますよ。私はそこまで言いたいと思います。
  146. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) たいへんおしかりをいただいておりますが、私どもが措置をいたしましたことは、決して軽々に思いついてやったわけではございません。先ほど来申し上げたように、いろんな関係者にだめ押しをしながらここに決心をしたわけでありまして、いま先生御指摘のように、たびたび診断をし、いろいろな経過がございます。私も初めはそれがよくわかりませんでした。話を聞いて調べてみますといろんな経過がございまして、その経過の過程において診断を下されたこと、それを積み上げて一つの結論が出されたわけであります。いまさら、何といいますか、診断をしてどうこうということでなしに、いままでたびたび各大学病院で診断がなされ、いろいろな経過がございました。その経過を見た上で——ただ一ぺんやしばらくの間ではございません。発病しましてから、もうずっといろいろな診断がなされておりまして、その経過の上に立ってそういう判断が下された。先生の御指摘のように、その経過を私たち承知をいたしましたから、これはやむを得ない、こういうように判断をしたわけでございます。
  147. 山崎昇

    ○山崎昇君 大臣ね、私もずっと話を聞いておって、いままでやじ将軍みたいにやっておったけれども、ひとつ正式にあなたに聞きたい。国会で決議をした委員諸君が、あの決議にあなた方のやったことはどうも沿っておらない、こう判断をして、あなたに沿うようにしなさいということを先ほど来言っている。それから、労働省と総評、炭労と打ち合わせをした覚え書きについても、あなた方のやったことはどうも覚え書きに沿っておらないじゃないか、だから覚え書きに沿うような手続をとりなさいということを二つ目に言う。三つ目には、労働者が不安な気持ちを捨てて、自分から職場に行って喜んで働けるような措置をとりなさい。いま労働者は百十九名とあなたが言うけれども、これらの人々があなたの言っているように不安だというならば、その不安を取り除いて、労働者が喜んで職場に行って働けるようなことを労働省はなぜできないか。私はずっとこれを聞いておって、どうもふしぎでならない。だから、われわれ委員会決議をした委員考え方を政府は率直に受け取るべきじゃないですか。覚え書きをあなた方は結んだのだが、労働組合側から言わせれば、どうもそれに沿っていない、われわれ聞いておってもあなた方のやっていることは沿っていないと思うから、それに沿うようにしてもらいたい。そうして、繰り返すようですけれども、労働者が喜んで職場に行ける、そういう心持ちで労働者を働かせないで、何で生産があがりますか。あるいは、また、何で会社だって喜んで労働者を使いますか。そういう措置をいま私たちはあなたに盛んに望んでいるわけなんです。一番肝心なことは、さっき村上局長も言ったように、自分で診断を受けたい医者をあなた方が拒否しているじゃないですか。途中でどっかに行っちゃっているんじゃないですか。だから、この機会になったらもめているから、もう一ぺん労働者がこのお医者さんの診断を受けたいというなら、その医者の診断を受けさせて、その後本人が喜んで職場復帰なら職場復帰させる、それまでの間現在の療養なら療養の措置というものをとっていく、そういうことがなぜできないのか、あとでぐあいが悪かったらもう一ぺん診断を受ければいいじゃないか、そういう労働大臣の言い分は私はないと思う。そういう意味で、もう一ぺん手続の行政処分を白紙に戻すということはあなた方はむずかしいと思う、それはひとつたな上げにしておいて、そういう手続を踏んで、なるべく早く療養につかせて、その間はいまの状態を続ける、こういうことにして、もう一ぺん労働者を安心させる措置をとってほしい。私は大橋さんのように医者ではないから、一酸化炭素がどうという医学的なことはわからないけれども、そういう手続的なことは私にもわかります。そういう意味で、もう一ぺん労働大臣からきちっとそういう区分けをした答弁をほしいし、ぜひそういう方向に持っていってもらいたいと、こう思うわけです。
  148. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) いろいろお話がございましたたが、私ども決議の趣旨に反してはいけないということで、事務当局にもいろいろ話をし、関係者の皆さん方にもよく念を押して了解を得て処理をするように私は指示をいたしました。局長も横におりますが、局長自体も、そういう決議がされましたときに、治癒をした、なおった人に対してはこれは適用されないということを発言をし、確認されておる、こういうことをはっきり私に申しております。したがって、今度の処分が院の決議に反するものではないと私は考えております。ただ、この旧労の皆さん百十九人がそういう態度に出ておられますが、新労の皆さんも、このほうが数はだいぶ多いのでございますが、大体納得をされて労働省の指示に従っておられるということでありますから、私は旧労の皆さんが、百十九人の方々がそういう態度をとっておられますが、気の毒な人については万全の処置をとるにやぶさかではございませんが、みんなが一括してそれは退院しなさいとか何とかおっしゃったんでは、治癒をしていないとおっしゃったんでは、なかなか世論も納得させにくい面がある。また、三池の医療委員会の先生方にも、かような長いこと非常に御心配をわずらわしてきておるその人たちに対しましても、それじゃ労働省がまたぐにゃぐにゃなったというようなことでは申しわけがございません。あの先生方に私が念を押しましたときも、進んで処置をすべきである、こういうことをだめを押しているわけでございまして、私としてはたいへん不肖でございますけれども、あらゆるだめ押しをしつつ今日ここまでやってきたと思っております。
  149. 小柳勇

    小柳勇君 いまの大臣の答弁は、それでは納得できないですよ、そういうことだったらたいへんですよ。これは決議をなされたときは、まだ治癒か未治癒かわからぬわけです。みんな療養患者です。この立法機関の頭の中には、八百二十二名が療養しておられる、それは全部頭の中にあるのです。それで大臣は、たとえば局長がもう近く何回か診断しておったから、それが頭にあったからそういう答弁をされるかもしれないけれども、議員の頭には八百二十二名があって、「立法措置が成立するまで療養その他」と書いてある。「療養その他」という院の措置は現在の状態をそのまま考えている。それをもうこの中に幾分か全快した人もあるだろう、そういう者は別だ、決議した者は一人もいない。それは大臣答弁しようとしまいと、そういうことは速記録に残しておいたらたいへんですから、それは大臣、ただいまの答弁は間違いだと言っていたたきたい。  それから、第二の問題、いまの大臣の決議に対する問題、最後に聞きますけれども、もし答弁があったら答弁してもらう。私が労使慣行で総評と労働省とが取りきめたそれを無視しておられる点が一番問題である。それは山崎議員が言っておられるとおりです。あなたはさっき新労ということばを使われた。気になるからこれも言っておきますが、新労、同盟、あるいは会社と話しましたと、そして新労と労働省との間にはちゃんと覚え書きが交換されておる。なぜその前に、あるいはそれと同時に総評や炭労と覚え書きを交換するほどの努力をしなかったか。言うならば、いまいみじくもあなたは新労ということばを使った。私どもは初めから新労と旧労とを区別しておらぬ。労働者として、炭鉱爆発の犠牲者としてこれをどうするかということで、過去のもの、将来のものを含んで論議をしている。あなたはその論議の中で新労ということばを使われた、旧労ということばを使われた。そして、その背後には労働省と新労との取りきめと覚え書きが頭にあると私は理解した。そうするならば、その新労と取りきめた覚え書きのために全体的な論議を引っぱっていくとするならば、これは労働組合法においては不当労働行為的な話です。組合は幾つもあります。どこの組織だって組合は幾つもあります。もしその一つの組合と協約を結んで、その協約をもとにして全体を引っぱっていくならば、ほかの組合は無意味です。あなたは労働法の番人ですから、それくらいはよく知っていると思う。三つ組合があれば、その一つの組合と協定を結んであとの二つの組合に徹底的にその労働協約を強要すれば不当労働行為である。そうすると第二組合をつくって、弱い御用組合をつくって、弱い協約をつくって、そしてそれで全部の協約を結ぶことができる、これを労働法としては強く戒めているところです。これは専門屋ですから皆さんよく知っているはずだ。もしあなたの頭の中に労働省と新労との取りきめがあって、私がこれを口をすっぱくしてほんとうの正しいことを言っているのに、それをそのことをもってもし封殺するとするならば、あなたは労働大臣の資格はないと思う。労働基準局長もこれは責任がある。したがって、さっき新労と話しました、同盟と話した、あるいは会社とも話したとおっしゃる。なぜ総評とちゃんとこういう事態についてはこういう協約をした、こういう手続きをとりますと書きながら、その手続きをとって、同時に、なぜ覚え書きを結ばぬか。総評や炭労、新労、おのおのの組合も事情があるから、いい悪いは言わない。新労が取りきめたことは、その段階ではやむを得なかったと思う。しかし、なぜそれと何時に総評とも炭労とも覚え書きを結ばぬのか、そして円満に全部の人が仕事につけるようにしないのか、それを私は言いたい。
  150. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) だいぶん誤解があるようであります。新労と覚え書きをかわしたなどということは全然ございません。新労の皆さん方が労働省におこしになりまして、そうして事務のほうに初め会ったと思うのですが、私に会いたいと言う。それは国会議員の方も立ち会っておられます。そこでその方が、こういうことについてどうだと、こういう質問がございました。それで私はいろいろ判断をいたしまして、だきるだけ会社にも協力させよう、できるだけ政府も奮発しようということでございまして、そういう質問があったことについて、できるだけ趣旨に沿うようにいたしましょうと口頭で言っただけでございまして、特に協力をどうこうとかいうような文書を交換したようなこともございません。でございまして、その程度のことは、その前に総評の諸君とお会いをいたしたときにも、いろいろ具体的に法律をつくれよとか、いろいろなお話がございました。それについて私は新労の方がおいでになったときと同じように、私は私なりの誠意を披瀝しておるつもりでございます。したがって、いま新労と労働省が覚え書きを交換していると、こういうお話でございましたが、それは多少事実と違っおります。それは新労の皆さん方がいろいろ宣伝をしておるかもわかりませんが、文書にしてそれをやりとりしたわけでもございませんし、私集まっておられる応接へ行って、私が行ったら、これはどうだ、おれらは労働省の言うことを聞いて退院をするが、こういうことをやってくれよと、いろいろなことを聞かれたことは事実でございます。それで私は、まあいろいろ皆んにも御心配をかけるが、まあそのようなことをできればできるだけ奮発をしてやりたい。また、会社にもやらしたい、そして背さんも得心がいくようにして今後もやってもらいたい、こういうことで私は確かに新労の皆さん方に、それは何人でございましたか、十人以上おいでになりましたが、国会議員の方もおいでになりましたが、私はそこでその返事をいたしたことは事実でございます。そういうことでございまして、ちょっと覚え書きを交換したとか協約を結んだとか、そんなむずかしい議論ではない。要請をされた、それについて私はできるだけ善処をいたしましょう、できるだけ労働省も奮発をしたいのですと、こういう発言をいたしたことは事実でございます。
  151. 小柳勇

    小柳勇君 私は根拠のないことではなくて、新聞にも出ていることだから、あなたも全然知らぬなんということは言わぬだろう。ただ、事実と少し違うとおっしゃるから、もう少しその事実等は、十六日に機会があるようだから、よう調べておいでください。私も決してでたらめを言っているのではない。ただ、私が言いたいのは、あれだけ手続が、三年の間にその患者を守るために、あるいは家族を守るために、もう綿密な手続がとってある。それは言うならば国会にかわって、労働者保護の法律と一緒ですよ。地方議会であれば条例と一緒だ。その条例を無視して、その医療委員会の結論が出たからといって、一方的に、そして片一方では話しがまとまってそういう協約を交換したとか、あなたは何にも資格がないのだ。新聞に出ているほどの形をなすほどの覚え書きがちゃんと両方の意思がすでに固まっているわけです。なぜそのときに同時に総評や炭労とも話しをまとめられなかったのか。原則論だけきょうは言っておきましょう。第一は、あなたも労働省だから、労働団体とは、中立労連であろうと総評であろうと同盟であろうと、ちゃんとやはり信義をもって話し合いしていかなければならぬ。そんな理屈ないですよ。何にもつき合わぬよ、そんな人とは。したがって、そういう取りきめについてはあなたはどれだけの腹がまえをもってこれから実施してまいるか、まず第一にその決意を聞いておきましょう。
  152. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 重ねて御答弁を申し上げますが、新労との関係で私がそういう取りきめをした覚えはございません。先ほど申し上げましたように、いろいろなことを委員長の方だったと思いますが、書いてこられて、それを読んで、こういうことについて協力せよ、こういうようなお話がございましたから、私は労働省としてはできるだけ奮発をする、できるだけ労働者諸君の希望であれば誠意をもってできよるうにしたいと、こういうことを口頭でいま申しておるように言ったわけでございます。したがって、幾らお調べをいただきましても、そういう約束といいますか、文書を交換したり何かした覚えは全然ございません。ただ新労の諸君が何か皆さん御指摘のようなことを一方的に宣伝していることがあるかもわかりませんが、それは新労の諸君のお話が事実と相違をいたしております。
  153. 小柳勇

    小柳勇君 委員長が紙に書いてきて読み上げて、あなたがそれに努力します、実施しますと言ったらそれだけですよ。あなたが印判をつくなんという権利はないのですよ、労働協約の相手ではないのですから。それだけで、それが覚え書きと同様に新聞でもちゃんと触れている。したがって、それはあなたが証明したからいいが、私が最後に言いました総同盟なり、あるいは総評なり中立労連なり、そういう組合の代表とあなたが約束する、了解事項でもいい、口頭でもいいが、そういうものについてあなたはどれだけの責任を持って実行するか、その決意を聞いておきたい。
  154. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 先ほど来申し上げておりますように、総評の諸君にもいろいろたびたびお会いしましたが、このCO中毒の問題について立法せよとか、いろいろのお話がございました。私も善処をしますと約束をいたしております。その私どもが約束したことについては、私は全力をあげて実現するように計らってまいりたい、こう考えております。
  155. 小柳勇

    小柳勇君 一番初めの話に返ってまいりますが、この国会の決議に対する大臣の決意ですね、これが一つ。  それから、第二には、政党政治ですからね、政党から選ばれた労働大臣として、党と党の間の交換した覚え書きについては、労働大臣はどれだけの責任を持って実施するか、この二点について確かめておきたい。
  156. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) はっきり答えてください、これで終わりますから。
  157. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) 党と党の関係についても、いろいろこれは国対委員長名か何かで文書をかわしたものがあることを私は承知をいたしております。この問題につきましても、国会の決議と同様に、治癒をしたと認められる者について、なおずっと退院をさせないし、治癒の認定をしちゃいかぬと、こういう決議にはなっておらないわけでございまして、私は三池医療委員会方針に基づいて、その方針ができるだけ、何といいますか、無理をしないようにいくことは当然でございまするけれども、党の方針等については十分尊重し、間違わないようにいく決意でございます。
  158. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 先ほどから私聞いておるのですが、一つ私疑義を感ずることがあるのです。それはしかもこの社労委員会決定した内容です。局長は、医者の診断の結果、復帰ができるという立場の者は含んでないと、こういう見解をここで明らかにしておられるわけです。ところが、私たちはちょうどそのときは重要な最後の晩でございましたので、私は委員長に文句を言ったことがあるのですが、発言もさしてもらいたかった。ところが、そういう決定であったという附帯決議ということは私は、ちっとも知らなかった。したがって、これはずばりいけば、当然政府は右の立法措置が成立するまで、この被災労働者に対する療養その他の養護処置は現状の状態で変えないのだということは生きてくるわけですよ、私の解釈から言っても。ところが、その辺は私は理事にも出ておりませんし、内輪でどういう話があったかもわかりません。そこで、やはり議院の決議決議として、大臣も言っておられるように、十分尊重しておる、こう言われる。尊重しておる中には、いまの重大な事項が抜けておるわけだ。この見解をもっと明らかにしてみてください。それはどうじゃったのか、それから追及しなければこの問題の解決はつきませんよ。それは了解事項として口頭であったということであるなら、委員会にあなた発表すべきだ。それを委員会にも発表をしないで、字のとおりにわれわれは解釈してよろしいという、これは全会一致だったと思います。全会一致できまったのです。その点を明らかにしておいてもらわぬと、われわれこの委員の一人として入っておる限りにおいては、やはり問題が残りますよ。これを一つ明らかにしておいてもらいたい。  それから、この入院者と通院者と現場復帰者というような問題で私も資料を持っておるのですが、私も聞きたいことはたくさんあるのですけれども、時間もあまりないものですから遠慮しておるのですが、この通院者の中に百十何名というものがあって、しかも、先ほどから言われるように、二月、四月等に、もうすでに復帰してもいいという結論が出ておるのだということを言われるわけです。それはなるほどそうであったでしょう、医者の診断は。われわれは医者じゃないのだからわかりませんがね。しからば、そのときの状態というものは、少なくとも復帰してもいいという解釈のもとに、あなたとしてはこの附帯決議とは別個の問題だという解釈の上に立っておられるか。大臣の話を聞きますと、大臣はそれに対してどういうことを言っておられるかというと、幾ら医者がりっぱな医者であっても、誤診がないとも限らない。しかも、この神経科というものは、非常にまたそういうことはありがちだ。したがって、万一そういう人が出た場合は、当然善後処置を考えておるのです。また、保護するという立場は変えない、そうすることが労働者のためだと、こう言っておられる。それなら二月、三月診断をされて、しかも、通院者等が百十九名もおったとするならば、もう一ぺん診察をやれという親切丁寧なやり方はできなかったのか。これは大橋さんの意見と私も同様なんです。少なくとも労働省としてはそれをぼくはやって、それでも文句が出るというならば、これは何かの意図があるわけですよ。これは私ははっきりしたほうがいいと思う。だから、そういう手落ちがあるにもかかわらず、依然として正しいように言われるから問題が紛糾する。まずその点明らかにしてもらいたい。委員の一人として、少なくともそういう解釈のもとに私たちはこれは決議はしていないのです。これは明らかにしておかぬと委員会の権威にかかわります。
  159. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) ことしに入りましてからの退院の通告は二月の十四日、四月の五日、四月の十五日、七月十六日と、何回もなされておるわけであります。この時点において医師の判断が、入院治療の必要なし、退院してよろしい、こういう判断であったわけであります。それを先ほど来申し上げておりますように、それに対してある一部の方々は、一括して退院拒否と、こういう状態で推移してまいりました。したがいまして、これをどうするかという問題はあるわけでありますが、労働省としてはその状態をそのまま観察をいたしてきたわけであります。そのあとで八月にさらに第二回目の一斉健康診断をした、こういう経過をたどっておるわけであります。そのようなかなり長い期間にわたって退院問題について争われてきた。しかも、そのあとで健康診断をさらにやってその上で医療委員会の報告があった、こういう経過をたどっておるわけであります。したがいまして、こういった問題があるということは当然了解されておったわけであります。したがいまして、本委員会決議がなされます前の段階におきまして話がございましたときも、私は、治癒したという人は別です、そういうふうに了解いたしますという話はいたしておるわけであります。で、この点は別に事柄の当然のことでありまして、医学上入院治療の必要がないという者について、特別会計からお金を出しましてさらに入院さすということは、これはもう労災医療の基本の問題でございますから、いわば事柄の事理の当然であるというふうに私は理解しておったのであります。しこうして、本院の決議は、なおらないという気の毒な人に対しては手厚い処置をしろと、こういう御意思と判断いたしまして、したがいまして、今後の健康診断その他の点につきましても、この決議の趣旨に従いまして措置したい、こういうことであります。  なお、この決議がまとまります前の段階において、解雇しないようにしろとか、いろいろお話がございましたが、この解雇の問題は絶対条件として入れてもらうことには承服いたしかねます。これは現に労使の団体交渉の問題であり、労使関係の基本の問題でございますから、それは私ども了承できません、こういうことを申し上げまして、決議の案文の中にはそれは入っていない。しこうして、私ども直接携わっておりませんが、委員長の覚え書きにつきましても、解雇の問題は触れていない、それについてはそれぞれのいきさつがあったものというふうに私は理解をいたしておる次第でございます。
  160. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 いまの局長のお話からいきますと、局長自体は当然この立法措置が成立するまでという解釈の中には、いわゆる復帰を医者の証明によってすべきものは該当しないんだという見解に立たれて、決議機関におります私すら、このとおりからいきますと、これはそんなことは一般組合員にしたってそうは感じませんよ、そのとおりでしょう。その考えないような処置を局長だけがだれと話されたか知らぬけれども、ひとつその解釈の上に立って大臣のことばが出とると私は思う。特別のものについては特別の療養をやるということについてはそうだろうと思うのです、私は。そういたしますと、私はもう一つ聞きたいのですが、最後に、一体そういういきさつの間違いがあるという前提にかりに立つとすれば、集団で旧組合が拒否をしておるという事実があるならば、それと現地で話したことがあるのかないのか、そういう間違いを組合にあやまらなくちゃいかぬ、これは労働行政の一つとして当然のことですよ。それがいまいろんな論争の中から、私が聞いておりますと、大きな間違いを生んでおる一つだ。したがって、政府がこの決議を無視したと言われても、私もやっぱりそういう見解に立たざるを得ないですよ。これははっきりしてもらわなくちゃならぬ。その点を局長だけが理解しておったのでは、これは議会決議を尊重するというわけにいかぬではありませんか。無視しておると言っても過言じゃないでしょう。この点どうお考えになっておるか、この点はっきりしておいてもらわないといけない。
  161. 村上茂利

    説明員(村上茂利君) いろいろ解釈は可能かと思いますが、ただ事柄の理屈といたしまして、療養措置の例をとりましても、療養の必要のある者についての措置というふうに理解できるのではないか。療養の必要のない人に療養の措置をするという趣旨ではないのではないだろうかというふうに私どもは理解いたしたわけであります。それ以外の格別の意図はないわけでございまして、そのような療養の必要のある方については十分な療養の保障もいたしますし、十分しなければならない、そういう事柄の理屈と申しますか、療養の措置はやはり療養の必要のある方になされるのじゃなかろうか、こういうふうに私どもは理解いたしておるわけでございまして、それ以上何ら他意があるわけではございません。
  162. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 ぼくはいままでの話を聞いていて、あなた方の発言は私は血がかよっていないと思う。この収容患者の取り扱いといいましょうか、保障をどうするか。今日の日本の医学界でも、一酸化炭素における治療、それから完全な健康になった終点は何によってやるか、なかなか医学的にも日本に経験がないのでむずかしい。むずかしいところから始まって、だからAのお医者さんが、いいと言っても、Bのお医者さんは、本人がまだだと言ったらこれが治療したと断定できるのかどうか。そういう問題がいろいろと議論をされたわけであります。一般論として、完全になおった人が職場に帰って働くのはあたりまえのことですよ。それをいま基準局長は、われわれと佐野委員から、皆さんおるわけですから、なおった人は別だということを確認して云々という話が出てくるわけです。そんな申し合わせをしたわけでもない。そんなここでこの解釈はこうだという解釈統一をしたわけでもない。しかし、普通のどんな病気でも、なおった人は職場へ行って働く、家に帰るのは当然ですよ。どの病気でも当然のことだ。ところが、国会の援護処置から決議から申し合わせから、具体的に総評と炭労との申し合わせになってきたことを、なぜいまそういうことをおっしゃるなら、そういう詭弁をおっしゃるなら、何であんな申し合わせをしたのかと私は言いたい。あの申し合わせを何でした。一般論として、なおった者は職場に復帰するか、家に帰るのは当然なことですよ。そんなことをいま強弁されるなら、なぜそういうことを申し合わせたか、何であんな決議を書いたかと私は言いたくなる。それを今度国会の決議や党と党の申し合わせや、そういうところにはなおった者は別だとおっしゃる。私は一般論として、なおった者は働いてもらう、これは当然のことですよ。それば決議に反していません。だれはなおったかなおらぬかの判断をした、その判断のしかたに問題があるんですよ。本人もなおりました。主治医もなおりました。周囲の人も、これで完全に働けますといったらいざこざは起きない。みんな退院しますよ、そんな病院に入っていなくても。そういう認定をかってに一方的にやって、国会の決議や党と党との覚え書きに入っていない、別だ。だから、一方的にこれはなおったんだという宣言をして治癒したのだと認定するということが当然だといわぬばかりにおっしゃる。私はそんな詭弁なんというのは世の中で通らぬと思う。だから、国会の立法府の決議、党人としての大臣は、党と党との決議というものをどうお考えになっているか。それについて申し合わせばどうなっているかということに話をされて、主流を流れているその状態の中で、今後収容患者の援護をどうしていくかということが明確に出ておる。それを詭弁を使って——私はそんなことばじりをつかまえやいたしませんよ。しかし、大精神の流れというものを無視してこの処理をやろうというところに問題があると私は思う。だから、私はきょうここでこれから一時間、二時間、根掘り葉掘りやろうと思いませんよ。われわれとしても、国民から選ばれて政治を担当しておる私たちがそういうかっこうで手を握って申し合わせをして、決議をして、裏から頭をなぐられているようなかっこうで、はい、さようでございますかといって下がるわけにいかぬ、そんなことはできません。だから、労働省はそういう主張をされるか知らぬけれども、しかし、これはわれわれとしては、さようでございますかというて下がるわけにはまいりません。だから、十分に労働省としても、当時のあの決議や覚え書きや申し合わせしたことを頭によく入れていただいて、一年以内に収容の患者に、労災法上救えない者に特別にそれに加えて援護をしようという精神で議論をしてきたこの社会労働委員会考え方も十分に頭に入れてもらって、今日の処置をどうしたらいいか、この問題の処理をどうしたらいいかということを十分に考えていただきたい。そうでなければ、いまのような御答弁ではこれは解決しないと思う。われわれとしてもそんなことでさようでございますかというて下がるわけにはまいらない。だから、十六日に関係した人を全部呼んで、この委員会はそこで明確にしたい。むろんこれに関連して、調査を並行してわれわれはこの問題を明らかにしたいと思うのです。信義の問題があります。議員同士の信義、それから政党間の信義もあります。そういうものも簡単に踏みにじられてはどうにもなりません、これは。だから、そういうことも十分によくお考えになって労働大臣はその処置をしてもらいたい。いずれ十六日にはそういう関係者に来てもらって明確にしたいと私は思います。その処置を十分に心して問題と取り組んでいただきたい、このことを私はお願いしておきます。
  163. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) ちょっと速記をやめて。   〔速記中止〕
  164. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 速記を起こして。
  165. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 答弁してもらえなかったのですが、あなたのほうでそれだけの大きな間違いがある、いまも藤田委員から言われたように、大きな間違いがあるわけです。私もその間違いをそのまま聞いた一人なんですよ。したがって、旧労とお話をされるということはしなかったのか、これからしようとしておるのか、その点はどうですかと私は聞いておる。
  166. 山手滿男

    ○国務大臣(山手滿男君) いまのお話は、先ほど私は御答弁申し上げたと思いますが、旧労の委員長の方も総評の皆さんと一緒におこしになりました。それで、先ほど申し上げたように、法律をつくれとか、いろんなお話がありましたが、そのとき私は、いまはっきり申し上げますことは、立法を必ずします、できるならば臨時国会でも間に合わしたい。しかし、どうもいろいろなことがあって、それも無理のような気もするし、先ほど申し上げたように、通常国会の最終段階までにはどうしても立法をいたします、こういうようなことを答えておりまして、で、新労の皆さんがおいでになったこともそういうようなことですよ。まあいろいろ三十分も一時間もお話をしたでしょうかね、総評の皆さん、炭労の委員長の方も当然入っておこしになっておりまして、これはもうお話をしているわけです。
  167. 千葉千代世

    委員長千葉千代世君) 他に御発言もなければ、本件に関する質疑は、本日はこの程度にとどめておきます。  では、本日の調査はこの程度といたします。次回の委員会につきましては、一応十一月十六日に開会しようと思いますが、委員長に御一任を願うこととし、追って公報をもってお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時三十四分散会