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1966-10-27 第52回国会 衆議院 内閣委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年十月二十七日(木曜日)    午前十時三十八分開議  出席委員    委員長 木村 武雄君    理事 伊能繁次郎君 理事 岩動 道行君    理事 辻  寛一君 理事 長谷川四郎君    理事 細田 吉藏君 理事 大出  俊君    理事 田口 誠治君 理事 山内  広君       赤城 宗徳君    加藤 高藏君       賀屋 興宣君    周東 英雄君       藤尾 正行君    保科善四郎君       前田 正男君    湊  徹郎君       村上  勇君   茜ケ久保重光君       淡谷 悠藏君    稻村 隆一君       中村 高一君    村山 喜一君       楢崎弥之助君    山田 長司君      米内山義一郎君    伊藤卯四郎君       受田 新吉君  出席国務大臣         国 務 大 臣 上林山榮吉君  委員外出席者         防衛政務次官  長谷川 仁君         防衛庁参事官         (長官官房長) 海原  治君         防衛庁参事官         (防衛局長)  島田  豊君         防衛庁参事官         (教育局長)  中井 亮一君         防衛庁参事官         (人事局長)  宍戸 基男君         防衛庁参事官         (経理局長)  大村 筆雄君         防衛庁参事官         (装備局長)  國井  眞君         検     事         (刑事局長)  津田  實君         検     事         (刑事局刑事課         長)      石原 一彦君         外務事務官         (中南米移住         局長)     広田しげる君         外務事務官         (中南米移住         局旅券課長)  内藤  武君         外務事務官         (中近東アフリ         カ局長)    力石健次郎君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     齋藤  正君         自治事務官         (大臣官房参事         官)      志村 静男君         専  門  員 茨木 純一君     ————————————— 十月十四日  委員藤枝泉介辞任につき、その補欠として荒  舩清十郎君が議長指名委員に選任された。 同月十九日  委員楢崎弥之助辞任につき、その補欠として  山口シヅエ君が議長指名委員に選任され  た。 同日  委員山口シヅエ辞任につき、その補欠として  楢崎弥之助君が議長指名委員に選任された。 同月二十七日  委員茜ケ久保重光君及び米内山義一郎辞任に  つき、その補欠として淡谷悠藏君及び山田長司  君が議長指名委員に選任された。 同日  委員淡谷悠藏君及び山田長司辞任につき、そ  の補欠として茜ケ久保重光君及び米内山義一郎  君が議長指名委員に選任された。 同日  理事藤枝泉介君同月十四日委員辞任につき、そ  の補欠として細田吉藏君が理事に当選した。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事補欠選任  国の防衛に関する件      ————◇—————
  2. 木村武雄

    木村委員長 これより会議を開きます。  おはかりいたします。  理事藤枝泉介君が委員辞任いたしましたの  で、その補欠として、委員長において細田吉藏君  を理事指名いたしたいと存じますが、御異議あ  りませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 木村武雄

    木村委員長 御異議なしと認めます。よって、細田吉藏君を理事指名いたします。      ————◇—————
  4. 木村武雄

    木村委員長 国の防衛に関する件について調査を行ないます。質疑を行ないます。質疑の申し出がありますので、これを許します。岩動道行君。
  5. 岩動道行

    岩動委員 私は、本日上林山防衛庁長官に対しまして若干の御質問を申し上げたいと存じまするが、特に私は、本委員会がきわめて国民の注目のもとにおいて本日開かれた、このような認識のもとに、国民立場から長官に明確な国民に対する気持ちで御答弁、御説明を賜わりたい、かように存ずるのでございます。  最初に、訪米の問題について伺いたいと存じます。大体、従来の防衛庁長官は、就任後かなりの日月を経、あるいは退任の直前くらいに訪米をしておられるというような傾向があったのでございまするが、今回は就任早々において訪米をされた、これは私ども大いにその点につきましては評価をいたすものでございまするが、一体今回の訪米目的は、いかなるところにあったかをまず伺いたいと思うのでございます。
  6. 上林山榮吉

    上林国務大臣 今度の訪米は、マクナマラ国防長官招待を受けまして参ったわけでございますが、(「大臣就任あいさつがないぞ」と呼ぶ者あり)——ただいま御指摘を受けましたように、質問お答えする前に、今回の改造で防衛庁長官を拝命いたしましたので、どうぞよろしくお願い申し上げたいと思います。  ただいまの岩動君のお尋ねでございますが、これは先ほど申し上げましたように、マクナマラ国防長官招請が従来に比して早めに来たわけでございまして、この招請に応じたわけでございます。  その訪米はどういうわけで行なわれたかというとでございますが、これは何も議題を持って、そうして特定の案件をきめるべく招請を受けて参ったのではないのでございます。日米両国国防当局首脳が直接会談して意見をかわし、相互に意思疎通をはかることに意義があると考え、極東における政治軍事事情についての意見交換を第一の目的としたわけでございますし、あわせて米国軍事事情あるいは軍事施設等視察を行なうことを訪米目的としたわけでございます。この意味において、相当意思疎通をはかるごとができたのではないかと考えております。
  7. 岩動道行

    岩動委員 マクナマラ長官招待によって行かれたというお話でございます。あるいは当初はそういうことであったかもしれませんが、その後、マクナマラ長官は、十月の十二日の会見を当初予定して長官招待した、しかるにもかかわらず、ベトナムに出かけるために会見はできない、一切のことはバーンズ次官に申し渡してあるから、それで用事を済ませてくれというような話があったkと聞いておるのでありまするが、その後日米当局者話し合いを続けた結果、十月の二十日に会見ができたわけであります。大体、最初十二日に会見予定しておきながら、しかもよそに出かけてしまって、一時は会見ができない、したがって、訪米最大目的を達成できないのではないか、そういうような扱いを受けるようになったということは、まことに私どもは遺憾に思います。わが国の自主的な立場というものをそこなわれたような感じがいたしたのでございますが、その点のいきさつについて、もう少しお話を承っておきたいと思います。
  8. 上林山榮吉

    上林国務大臣 向こうから言うてまいりましたのは、急遽ジョンソン大統領緊急命令が出たので、十二日の会見予定を変更して、ただいまお述べになったようなことであったわけでございますが、しかしその後、日米両国話し合いによりまして、二十日であるならば、かえってベトナムから帰ってきた直後でもありますから、お会いしたい、こういういわゆるきわめて自然な話し合いで取りきめられたのでございまして、決して一方的に云々ということはなかったと私は考えております。
  9. 岩動道行

    岩動委員 そこで、マクナマラ長官とお会いになるまでの間に、米国内の国防当局首脳者との会談、あるいは各地軍事施設調査視察等をなさったわけでございますが、大体滞米中の行動の大様を、簡単でけっこうでございますから、お聞かせをいただきたいと思います。
  10. 上林山榮吉

    上林国務大臣 マクナマラ以外では、バーンズ次官、さらに統合幕僚本部議長、あるいは太平洋、大西洋両司令官、あるいは北米防空司令官というようなおもなる人々と会いまして、それぞれ意見交換をいたしたのであります。それ以外にもたくさんの人と会いましたけれども、時間の関係で省略さしていただきますが、そのほかは軍事施設あるいは空軍、海軍兵学校歩兵学校というような学校、あるいは訓練の部隊実情、あるいは軍事施設、あるいは防空体制、こうしたようなものについてそれぞれ視察をし、あるいは概況説明等を受けてまいったわけでございます。簡単でございますが、以上申し上げておきます。
  11. 岩動道行

    岩動委員 あなたの日程によりますると、お帰りの日どりが、もう少し滞米期間が長いように予定されておったのでありますが、これを急遽切り上げてお帰りになった、これはどういう事情でございましょう。
  12. 上林山榮吉

    上林国務大臣 本件については、ほかの委員会において、長谷川政務次官からもお答えがあったと思うのでございますが、私に対して長谷川政務次官から、国会で私に関するいろいろな情勢があるので、できるならば相手方に迷惑をかけない程度のところで、失礼にならない程度のところでお帰りになったらどうだ、こういう連絡を受けましたので、率直に申し上げますと、そういう意味で帰ってきたわけでございます。
  13. 岩動道行

    岩動委員 せっかく予定をつくっておいでになったのでありますから、予定を完全に消化をしてお帰りになるのが私は当然だと思うわけでございます。にもかかわらず、切り上げてお帰りになったということは、もちろん内閣委員長からの要請もあったものとは思いますが、その背景について、やはりこの内閣委員会でいろいろ問題が提起される情勢にあった、国内の政治問題がその背景にあったということは十分御認識の上でお帰りになったのかどうか、そこをまず承っておきたい。
  14. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほど申し上げましたように、長谷川政務次官連絡で、国会がそれぞれ早く帰ったらいいじゃないか、こういうような御意見もあるというようなことを聞きましたので、国会を重視しなければならぬと考えまして、帰ってきたわけでございます。
  15. 岩動道行

    岩動委員 そこで、マクナマラ長官招待によって十月の二十日にはマクナマラ長官会談をしておられますが、その会談内容について、ひとつお知らせをいただきたい。
  16. 上林山榮吉

    上林国務大臣 第一点は、ベトナムマクナマラ視察に緊急に参りましたので、ベトナム情勢はいかがかという問題についてそれぞれ情報を聞いたわけでございます。第二点は、中共核開発の状況は、見通しは一体どうだろう、こういうような問題。第三点は、中ソの状態はこのままいつごろまで続くであろうかというような問題について、主として米国側の見解を聞いたのでございます。  そういうことが重点でございましたが、当委員会で時間の関係もございますし、その他の関係もありますので、この程度にお許しを願っておきたいと思います。
  17. 岩動道行

    岩動委員 マクナマラ長官との会談最大目的だったと私は思います。そうして日米両国国防に関する最高責任者が直接意思疎通をはかり、またいろいろな情勢について話し合いをする、そして新しい認識を得てあなたは日本防衛についての政策を樹立してまいる、こういう立場にあると思いますので、時間の関係にかかわりなく、その点は明確に、国民のためにもひとつもっと詳しくお話をしていただきたいと思います。
  18. 上林山榮吉

    上林国務大臣 できるだけ詳しくということでございますけれども、要点だけにとどめさせていただきますが、ベトナム情勢見通しにつきましては、結論として申し上げますと、軍事的な問題は大体予定どおり成果をあげていると思う、しかしながら、建設面あるいは民生安定、農村の問題、こういうような問題についてはまだまだ予定どおりいっていないし、今後も相当に困難が伴うであろうというようなものが結論的な考え方でございます。もちろん軍事作戦等についてもそれぞれ話がございましたが、こういう問題は、両国関係を考えて、私は遠慮させていただきたいと思います。  第二の、中共核爆発の、あるいは開発の問題については、一九六九年、このころにやっと——粗雑なということばを使ったようでございますが、粗雑な核兵器ができるであろう、あるいはそれから六年ないし八年たって、わずかばかり中距離弾道弾のミサイルができるかもしれない、あるいは大陸間の弾道弾は、これは十年以上かかるであろうというような考え方向こう考え方のようでございまして、これは向こうの他の人々意見を聞きましても、大体一致しておるようでございます。  中ソの問題については、これは当分こういう状態が続くであろうと思うけれども、これが何年まで続くというようなことはとうてい判断のできない問題である、こういう考え方向こうの最終的な——その過程においては多少の意見もございますけれども、最終的な結論であった、こういうように考えておるところでございます。
  19. 岩動道行

    岩動委員 マクナマラ長官との話し合いの中に、先般のマニラ会議、これについての問題に何か触れるようなことがなかったかどうか、その点を伺っておきたい。
  20. 上林山榮吉

    上林国務大臣 この問題については何もございません。
  21. 岩動道行

    岩動委員 それから、わが国防衛努力という問題はアメリカ最大関心事でもあると同時に、日本の内政、国情から見まして、日本最大防衛努力を払っているのだということは絶えず米当局にも認識をさせ、また話し合いもしていかなければならない立場にあると思うのでありますが、この日本防衛努力、あるいは米国側からの日本防衛に対する希望、あるいは意見等についてのお話し合いがあったかどうか、それをひとつ承りたい。
  22. 上林山榮吉

    上林国務大臣 防衛努力関係ないしはいまいわれております第三次防衛計画内容、そういうような具体的な問題について、こちらから意見も申し上げませんし、向こうからもこうしてもらいたいという注文もございません。ただ抽象的に、お互い太平洋国家であるから、ひとつ極東の平和のためにお互い努力したいものだ、そういう話はございましたけれども、いま申し上げたとおり、お互いにそういうことはもう言わぬでもわかっているというような関係であったのではなかろうかと私は推察するわけでございますが、具体的には何らそういう問題には触れなかった次第でございます。
  23. 岩動道行

    岩動委員 私は質問の冒頭に、防衛庁長官就任早々米国を訪問していろいろな問題についての話し合いをされるということで、その行動自体に対してはきわめて評価をいたしたものであります。しかし、ただいまのお話を承りますと、マクナマラ長官との会談の時間もいろいろな都合からきわめて短時間であった、しかもお話内容は、いま承ると、それほど重要な問題の核心には触れていない、こういうことになりますと、私は、訪米成果というものについていささかもの足りないような感じもいたすのでございます。そこで、日本防衛庁長官アメリカ国防首脳部とまず意思疎通をはかる最初ステップをとったのだ、まあ初めて会ってハウ・ドウ・ユー・ドウと、こういうあいさつをしてこられたのだ、これからなお積み重ねをして、日米安保条約体制下においてわが国防衛努力をいかにし、また、日本実情アメリカにも十分に理解をさせて、そうして自由主義陣営の結束を固めてまいる、こういう努力がさらに必要なのではないか。どうもただいまのお話ではハウ・ドウ・ユー・ドウで終わってしまったような感じがいたすのでありますが、その点について、今後どのような態度でお進みになるのか、その辺の所信をひとつ承っておきたい。
  24. 上林山榮吉

    上林国務大臣 確かにそういう御意見もあるだろうと思うわけでございますが、招待状の中にも、先ほど申し上げたとおり、日米両国のこの方面人々意思疎通をはかろうじゃないか、お互い議題を持ち寄ってこうしようというのでなく、そうしたような方向でいこうじゃないか、そうして極東における軍事情勢、あるいは政治情勢についての意見交換フリートーキングの形でやりまして、そうして今後のお互いの協力に備えようじゃないかというような会見内容でございます。ただ、これ以外に、先ほど申し上げたとおり、軍事施設にしても、あるいはその他の軍事事情にいたしましても、それぞれ実に参考になる点もあるわけでございますけれども、これはまた他日申し上げることにいたします。  結論としては、こういうことを積み重ねていくこと自体が、私は、お互い太平洋国家として真の平和をはかっていくということになると私自身は考えているわけでございますので、どうぞ御了承願っておきたいと思います。
  25. 岩動道行

    岩動委員 そこで、たびたび訪米をするというようなことも事実上はむずかしいと思います。また、先方から来てもらうということも、これも事実上はそう簡単にはいかない。そこで私が一つ考えておるのは、日米経済閣僚会議とありますが、これには長官はお入りになっておりますか、それを承っておきたいと思います。
  26. 上林山榮吉

    上林国務大臣 それには入っておりません。
  27. 岩動道行

    岩動委員 そのような会議にお入りになってない。これは経済閣僚会議ということでございますから、あるいは防衛庁長官はそのような意味において入らない、また、いたずらな誤解を招かないという意味からも、そのような配慮があってメンバーに入っていないということかもしれませんが、しかし国防は、日本経済アメリカ経済ときわめて密接な関係にあり、われわれの防衛努力も、日本経済の発展の度合いにおいて、民生の安定の度合いにおいて、その最大限のもの、そうしてできるだけ民生のためにまず経済を活用してまいる、しかしながら、わが国防衛国防の問題もゆるがせにできないような国際情勢も別にある、こういう観点からしますならば、私は、防衛庁長官である国務大臣のあなたが日米経済閣僚会議にも当然メンバーとしてお入りになるのがしかるべきではないかという考え方を持っておりますが、これに対してはどのようなお考えでございますか。
  28. 上林山榮吉

    上林国務大臣 この問題は、確かに御意見のとおりだと思いますが、これは私一人できめられる問題ではございませんので、特に検討を加えてみたいと思っております。  なお、一言申し上げたいのは、たびたびアメリカに行くことができないだろうからという意味でいまの問題も取り上げられたわけでございますが、御承知のように、安全保障協議会が、外務大臣防衛庁長官と、向こう太平洋軍司令長官在日米国大使と、この四者で毎年これをやるようになっておりますので、この方面でこれを補足して、あるいは積み重ねてやっていけるのではないだろうか、こう考えております。
  29. 岩動道行

    岩動委員 これで一応、訪米の問題については、意思疎通をはかった第一ステップを踏まれたことについて私ども長官の御答弁を了承いたすのでございます。  第二に、いわゆるお国入りの問題についていささかこまかい点にまで触れると思いますが、この際、国民立場からぜひ明らかにしてまいらなければならない数多くの問題点がございますので、率直にひとつお答えを賜わりたいと思います。  まず第一に、お国入り目的でございます。これは自衛隊視察部隊視察ということが一つあるわけでありますが、それにからまって、あなたの選挙区において各町村をお回りになった、あいさつ回りをされた。それが選挙運動とからんでいるのではないかというようなことを世上いわれておるわけでございまするが、まず第一に、当該委員会としては初めてでございます。もちろん他の委員会においてはいろいろお話があったかもしれませんが、あなたが直接の当事者として、直接この委員会において明らかにしていただきたいと思いますので、他の委員会との重複の点はもちろん承知の上で、他の委員会でこのようなことを言っているからというようなことで答弁の省略のないようひとつお願いをいたしたいと思います。  そこで、まず事実関係からお伺いをいたしたいのでありますが、あなたは九月二日から、閣議の終了した直後、まず視察のためにお出かけになっており、九月八日に至るまで一週間というものを鹿児島県下でお過ごしになっておられます。その間、閣議が一日ございました。それは九月の六日でございまするが、したがって、その前日、九月五日に東京にお帰りになり、さらに九月六日、閣議の終了した直後に再び熊木から鹿児島県下にお入りになっておられます。つまり一週間、長官鹿児島県にお入りになっており、しかも、その行動の大部分があなたの選挙区内であったということでございまするが、この日程の点について、具体的に事実の問題として、何日にはどこをどうしたということからまずお話を承りたいと思います。
  30. 海原治

    海原説明員 事実関係でございますので、私から御説明申し上げます。  九月二日金曜日午後羽田防衛庁のYS11で出発いたしました。鹿児島には十七時五分に到着いたしました。それから夜十八時から鹿児島県、鹿児島市、鹿児島商工会議所、この三団体共催パーティーに御出席になりました。その間、いわゆる音楽隊の行進は十七時三十分から十七時五十分の間、一定の区間を限って実施いたしました。その晩は自宅で静養ということでございます。翌三日土曜日でございますが、午前八時三十分鹿児島空港発鹿屋海上自衛隊基地視察いたしました。視察に要しました時間は約一時間でございます。それから鹿屋市のデパートで、鹿屋市の主催の、長官就任祝賀パーティーがございました。これに四十五分ばかり出席いたしました。終わりましてから、陸上自衛隊国分駐とん地に十一時三十分に到着、これから一時間半ばかり同基地視察をいたしました。午後は十三時三十五分から市内各所を回られまして、その晩は後援会主催祝賀会大臣出席されました。  翌四日は、午前八時に自宅を出られましてから指宿方面に参りまして、昼は指宿市におきまして市の主催します大臣祝賀パーティーに御出席になり、夜は十八時から指宿観光ホテル指宿市の周辺の市町村も含めましたやはり大臣就任祝賀パーティー出席いたしました。  九月の五日月曜日は午前十時から県庁、市役所、県警察本部等関係官庁に着きましてあいさつをいたしまして、十六時鹿児島発で、東京には十八時二十分に帰ってきております。  次いで、九月六日火曜日は、閣議が終わりましてから十二時五十分羽田発熊本に参りまして、北熊本駐とん地におきまして西部方面隊視察訓示等を実施いたしまして、夜は幹部との懇談会、あるいは県知事、市長主催懇談会等に御出席になり、翌九月七日は、熊本空港を午前八時に出発しまして、ヘリコプターで串木野高校に参りまして、それから各地を訪問され、午後は加世田に宿泊。  九月八日木曜日でございますが、この日も午前七時二十分から午後の三時、十五時まで各地を回られまして、十六時発で東京十八時二十分帰着。  これが大臣の今回の日程の概要でございます。
  31. 岩動道行

    岩動委員 そこで、この七日間にわたるいわゆるお国入りでございますが、部隊視察等はもちろん公用でおやりになっておるわけであります。また、規定によりますと、部隊施設等視察がない場合であっても、東京から出る日、あるいは東京に帰ってくる日というのは、公用扱いになっているというふうに私は承知をいたしておるのでありますが、この七日間のうち、七日間が全部公用出張であったのかどうか。その点についてはどのような扱いが現実にあったのか、その辺をひとつ……。
  32. 海原治

    海原説明員 ただいま先生の御質問にございましたように、全体としては公用でございますが、九月四日と九月七日、この両日は私事旅行、いわゆる私用のための旅行として事務的な処置をいたしております。
  33. 岩動道行

    岩動委員 そういたしますと、九月の四日と七日につきましては、もちろん私事旅行でありますから、国からは出張旅費日当等は出ていない、このように承知してよろしいのですか。
  34. 海原治

    海原説明員 そのとおりでございます。
  35. 岩動道行

    岩動委員 大体の行動がわかりましたので次に進みますが、このいわゆるお国入りにつきましては、統幕議長それから陸海空の幕僚長が随行をいたしておりますが、これは、官が命令をされて出張をし、随行をしたのか。その点は一体どういういきさつでそのように議長並びに三軍の幕僚長が同行したのか、明らかにしていただきたい。
  36. 上林山榮吉

    上林国務大臣 御質問の問題は、私から特に命令したものではないけれども、陸海の部隊視察に際して各幕僚長等から専門的な意見を聞くことが適当であると考えたからでございます。鹿児島には空の部隊はありませんけれども、航空自衛隊のYS11を使用することや、鹿屋部隊は海の航空部隊であって、それを空幕長が視察することは参考になることであるので、顔がそろうことになったわけでございます。しかし、各幕僚長の全部が同時に同一行動をとることは必ずしも適当でなかったと思いますので、今後十分注意をしたいと考えます。
  37. 岩動道行

    岩動委員 そうすると、これは長官が命令をして随行させたということではない。統幕議長並びに三軍の幕僚長が自発的に長官説明の便宜のために出張をみずからされた。しかもその出張は、長官の許可を得ることなく、それぞれがみずから出張をきめ得るという防衛庁の内規になっておるために自発的にそれが行なわれた、かように了承いたしてよろしいのでありますか。
  38. 上林山榮吉

    上林国務大臣 御承知のように、統幕議長ないしは各幕僚長等は、自分の出張は自分で決裁できる仕組みになっておりまして、長官の承認を要しないでもよいことになっておるわけでございます。しかし、これは機械的な解釈でございまして、制度としてはそうでございますけれども、命令したのではございませんが、ひまがあるなら……(笑声)ひまがあるならということばはお笑いになりますのでやめますが、お互い事情がわかっておりますから、そういうような意味視察をしたほうがお互いによい、こういうように、お互いによい、こう考えまして、規則の上では命令できないことになっておるわけですから、それは命令もいたしていないわけでございますけれども、しかし、人間ですから、機械的にそんなに割り切れるかどうか、その辺は御賢察を願いたいと思います。
  39. 岩動道行

    岩動委員 私どもは、国民立場から見ますと、統幕議長、陸海空の三幕僚長、この制服の最高首脳部が四人たまたま一緒にそういうふうに意思が合致して行くというようなことは、どうも不自然な感じがするわけでございます。しかもそのような幕僚長等の出張について長官が命令できないというおことばがございましたが、もしもそのようなことであるならば、制服に対する文民の優位、こういうことが一体確保できるのかという疑問も実は出てまいるのであります。彼らがかってに行動することは長官押えられないということになりますと、ちょっとおかしいような気もいたすのでありますが、そこは一体どういうことに相なっておるのでありましょうか。
  40. 上林山榮吉

    上林国務大臣 それは統幕議長なり幕僚長になる諸君は、私はりっぱな見識を持っておる諸君だと思いますので、許されたる範囲、目的に向かって、おっしゃるような結果にはならぬのではないかとかたく信頼しておるところでございます。  いま申し上げるとおり、これは命令は直接できないことになっておるわけでございます。ただ、向こうに四人行ったのは、緊急の場合に間に合わないじゃないかという御懸念もあるかと思いますが、そういうことは不自然には起こらぬというふうに考えておりますので、どうかひとつその辺のところ御賢察願いますが、できるものならば全員行かないで、先ほど申し上げたとおり、半数なり東京に残っておるほうが最善だと私も考えますので、今後はそういうような方向で進みたいと思います。
  41. 岩動道行

    岩動委員 まず、一事故が起こったときには、長官をはじめ——これは幸いにして事故が起こらなかったからけっこうでございますが、長官、統幕議長、三軍の幕僚長、このわが国防衛の、総理大臣を除く最高の責任者が同一の飛行機に乗って行動をとる、これは、われわれとしてはまことに心おそろしいような感じがいたすのであります。なぜそのようなことを長官はお気づきにならなかったのか、私ははなはだふかしぎに思うわけであります。しかも、三軍の幕僚長あるいは統幕議長みずからも、その点については十分な配慮——これは常識でございます。それをどうしてあえてそのような姿にまでされたのか、私は非常にふかしぎなんでありますが、たまたま一緒になったといってそれで御賢察を願いますということでは、私は、今後のわが国自衛隊のあり方について非常にあぶなっかしいものを感ぜざるを得ないのでございます。その点については、再度長官の御所見を承っておきたいと思います。
  42. 上林山榮吉

    上林国務大臣 もうこの点は御指摘のとおりだと思います。最初申し上げたとおり、全員行かないような処置を事前にとることができればそれが最善であったかと思っておる点でございますが、その点はひとつ一番反省をしなければならぬ点であろうと考えます。
  43. 岩動道行

    岩動委員 官房長にちょっと伺っておきますが、先ほど、出張については、長官は命令権がないということでございましたが、しかし、内部的にはそれを事前に相談を受けて承認をするとか、了解を取りつけるとか、そういうこともおやりになっておらないのですか。
  44. 海原治

    海原説明員 この点は先般の委員会でも御説明したところでございますが、ただいま大臣お答えしましたのは、事務手続としまして各幕僚長等の出張につきましては、昭和三十八年総理府令第四十八号の防衛庁旅費規則というものがありますが、これに基づきまして部内で権限の委任がございます。したがいまして、先ほど大臣から御説明しましたように、幕僚長が出張します場合には自分で決裁をするわけでございますが、その事実は長官に対して報告することになっております。したがいまして、一緒に出かけられますことにつきましては、もちろん事前に私どものほうも事務段階でいろいろお打ち合わせをするわけでございます。  なぜ統幕議長と三幕僚長が同行になったかということにつきましては、当初参議院の運輸委員会、その次に参議院の内閣委員会、さらには本院の決算委員会、予算委員会等におきまして私から御説明したところと重複するわけでございますが、その前の八月、東京周辺の陸海空の各部隊の御視察にあたりましては、統幕議長天野陸将は陸でございまして、海空の部隊につきましては従来御認識がございませんので、各部隊の観閲巡視の際に同行して、自分もそれぞれの部隊を見たい、こういうことがございましたので、それぞれの部隊には統幕議長一人が同行されております。そういうことから、今回の鹿児島県の部隊視察に際しましては、これも御説明しておるところでございますが、鹿児島鹿屋海上自衛隊部隊、陸の部隊、これの御視察には統幕議長及び関係幕僚長が同行される、これは、私どもとしましては、当然のこととしてそのような処理をした次第でございます。
  45. 岩動道行

    岩動委員 防衛庁の内規として幕僚長が出張する場合にはみずからの決裁をして報告をするということでありますが、それはもちろん事後報告なのか、事前報告なのか、その点もまず明らかにしていただきたいと思います。
  46. 海原治

    海原説明員 事前報告でございます。
  47. 岩動道行

    岩動委員 事前報告ということであるならば、これは報告を受けた上で長官が適当でないと認めた場合には、一体どのような処置をおとりになる内規になっておりますか。
  48. 海原治

    海原説明員 ただいま御質問の点は内規ではございませんで、かりに大臣出張が適当でないと思われました場合には出張をやめるようにということで御連絡できるわけであります。それに従いまして、各幕僚長、統幕議長が判断をして出張をするということになろうかと思います。
  49. 岩動道行

    岩動委員 一体、出張が適当でなければやめたらいいだろうということの連絡ができるというような、そういう権威のない長官立場でございますか。私はそれは非常におかしいと思うのです。報告という制度を内部でおつくりになっているこことは、はなはだ不当ではないかという感じがいたします。そうして、もしこれらの幕僚長が海外に出張するというときでも報告でよろしいのですか。これは重大な問題です。
  50. 海原治

    海原説明員 私の御説明のことばが足りなくて申しわけございませんが、私が申し上げておりますのは、事務手続を申し上げた次第であります。したがいまして、報告ということで従来は処置しておったことは事実でございます。その際に、いけないと思った場合に命令ができないのかということでございますと、これは自衛隊内部の命令ということになりますと、いわゆる日々命令、個人命令などいろいろな命令の形式がございます。したがいまして、そういうようないわゆる長官命令を出してやめろというようなことをすることはまずあり得ない。ただ、不適当と思えばやめたらどうかということで、実際上は一般世間でいわれます命令になることは、防衛庁長官が最高の責任者として職員を指揮監督するということで命令ができるわけでありますので、その意味で命令はできるわけであります。しかし、それは指揮監督の一つのあらわれでございます。私どもといたしましては、一々そういう場合に具体的な長官命令というものが出されて、それに従って出張をとりやめるということにはならないということを申し上げた次第であります。
  51. 岩動道行

    岩動委員 この問題にあまり時間をかけるつもりはなかったのでありますが、どうも報告制度といったようなことになりますと、統幕議長あるいは三軍の幕僚長という重要な職責にある者は、長官の命令あるいは許可というようなもっと厳格な形式手続をとって初めて出張すべきではないかと私は思う。いまの考え方はいかにもルーズな感じを与える。しかも、そういうようなことから、先般の四者が同一の飛行機に乗ってきわめてあぶなっかしいことをやるような結果も生んできておるのではないか。私は、その点については、今後十分にこの問題についての検討をしていただいて、やはり長官が全軍を掌握できるような体制をつくるべきではないか、かように思いまするが、長官の御所見はいかがですか。
  52. 上林山榮吉

    上林国務大臣 これは重大な問題でございますので、よく検討した上でその方向で進んでいきたい、こういうように考えます。
  53. 岩動道行

    岩動委員 実はこれに関連してちょっと愛知官房長官でもおいでになっておれば直接伺いたいと思うのでありますが、この委員会で一応政府側に対しての御注意として申し上げてみたいと思うのでありますが、それは来たる十一月の五日でございますか、札幌で一日内閣が開かれる。その場合に、閣僚が一緒の飛行機に乗っておいでになるのか、どういう方法で札幌まで到達されるのか、私は承知いたしておりませんが、もしも現地の一日内閣に出かけられる閣僚が全員そろって同じ飛行機で出かけるということになりますと、万一のことを考えた場合に、日本政治の中枢機能が停止してしまうというような心配もあるわけでございます。したがいまして、上林長官には、国務大臣としてこの一日内閣に対してどのような方法で出席をするのか、十分に御検討いただきたい。  なお、この機会に、新聞等で伝えられるところによりますと、札幌の飛行場から会場に至るまでの間は、自動車を連ねることはどうも世論からいって避けたほうがいい、だから、バスか何かで閣僚を一括輸送するんだというようなことが新聞紙上伝えられております。私は何もそんなことは遠慮する必要はない、一国の大臣がこそこそとバスで押し詰められて行くなんて、そんなことまであえて心配をする必要はない、みずから恥ずるところがなければ、私は堂々と一日内閣をりっぱにやっていただきたい。そのための形式についても行き過ぎのないように、しかしながら権威をそこなわないように。これは私は、政治の一つの姿勢として、特に国務大臣としてのあなたに私の所見をお伝えを申し上げておきます。御答弁は要りません。  次に、今回のお国入り日程の中に、長官はパレードをされた。このパレードの性格は一体どういうものであったか。公的なものであるのか、あるいは長官が議員としての立場からおやりになったものであるのか。そうしてこのパレードに、統幕議長あるいは三軍の幕僚長が参加をしたというように伝えられておるわけでありますが、一体三軍の幕僚長は、職務上そのようなものに参加をする必然的な関連性があるのかどうか。どうも選挙運動に、長官議長あるいは三軍の幕僚長を利用したのではないかという国民の疑惑が起こっております。あるいは逆に申しますならば、制服の自衛隊の最高首脳部が、みずから上林山代議士の選挙運動に参加をして応援をしたんだ、こういうような言い方なり見方も出てまいるわけであります。したがいまして、この点については非常に国民の疑惑の目が向けられているわけでございますから、この機会に明確に、この点についての所見を明らかにしていただきたいと思います。
  54. 上林山榮吉

    上林国務大臣 各幕僚長等は、県、市等主催大臣就任祝賀会出席の途次にあった私に随行していたもので、パレードに参加したものではないわけでございます。私としては公式行事と地元行事を区分していたつもりでございますけれども、結果的にこの両者が混同されて見られることになったことはまことに残念であり、配慮が十分でなかったと反省をいたしております。今後このようなことがないように、さらに一そう注意をいたしたいと思っております。
  55. 岩動道行

    岩動委員 配慮が不十分であったという率直な御見解を賜わりましたのですが、この点については、最後にいろいろな問題をくるめて、私は結びとして私の所見なり御要望を申し上げたいと思いますが、まず問題をもう少し進めてまいりたいと思います。  九月の四日と七日は私事旅行ということに相なっておりますが、この私事旅行に、統幕議長あるいは空幕長が公務として旅費、日当を受けて長官に随行している、あるいは上林山代議士に随行をしたというような、おかしなかっこうに見えるわけであります。しかも九月の四日には指宿の市の主催就任祝賀会が催されましたが、それにもただいま申したような方々が出席をいたしております。これは招待を受けたから出席をされたんだと思いますが、一体これははたして公務であるのかどうかということについても、国民は一応の疑惑を持っておるわけでございます。さらに後援会等が催されたとも聞いておりますが、その席には一体出たのか出ないのか、おそらく出ていないと私は確信をいたしておりますが、その辺の事情も明らかにしていただきたいと思います。
  56. 海原治

    海原説明員 大臣に随行いたしました統幕議長及び空幕長についての御質問でございますが、これは先生も御存じのように、公務員につきましては、出張の間に日曜日がございました場合、その日につきましての旅費の支給は、これは認められるわけでございます。今回の各幕僚長等の行動は、二日に出まして五日に帰ってくる、これが全般としての出張でございます。したがいまして、九月四日日曜日は休日でございますので、その行動はいわば自由でございます。たまたまこの日の昼は、先ほど申しましたような指宿主催大臣祝賀のお祝いがございまして、その席に招待をされた、したがいまして統幕議長と空幕長及び私はその昼の祝賀会には出席をいたしました。しかし、いまお話がございましたような大臣後援会主催パーティーには顔を出しておりません。この辺のところで私どもも、一応公私の考え方につきましては配慮をしたと考えておる次第でございます。
  57. 岩動道行

    岩動委員 さらに九月七日には私事旅行ということに相なっておるわけでありますが、この私事旅行につきまして、熊木から串木野高校自衛隊のヘリコプターでおりたということ、これが一つの公私混淆の問題として世上論議をされてまいってきておるわけでありますが、この点について、公私混淆でないということをはっきり長官は言明できるのかどうか。さらに統幕の事務局長等がやはり長官に随行をしておられます。これも国民から見ますならばおかしいという感じがいたすのでありまするが、この点についての御説明を賜わりたいと思います。
  58. 海原治

    海原説明員 事実関係でございますので私から御説明申し上げます。  この九月七日、大臣私事旅行の日の輸送手段でございますが、当初は、事務的に検討いたしました際、車を使用することを関係者は考えましたが、何ぶんにも熊木から串木野までの間は、車で参りますと三時間ばかりの時間もかかります。非常に御多忙でございますので、私どもといたしましては、ヘリコプターというものもございますので、ヘリコプターの御利用をいただいたらどうかということになりまして、ヘリコプターの利用が事務的に用意されたわけであります。なぜ高校におりたかということにつきまして先般も御質問がございましたが、これにつきましては、串木野高校のほうに地連その他から連絡をいたしまして、授業開始前であるならば差しつかえないからということの連絡もございまして、その後の大臣行動等も考えまして、ここが適当と認めましてヘリコプターの用意及び串木野高校への着陸、こういうことになった次第でございます。
  59. 岩動道行

    岩動委員 ここには、昭和四十一年十月十九日参議院内閣委員会要求資料として、防衛庁の資料が私の手元にあるわけであります。この日程表によりますと、九月七日午前九時五分に串木野高校発、その下に官用車ということばが使ってありまするが、これは一体どこの車をお使いになったか。はなはだこまかい点をお伺いして恐縮でございますが、今回のお国入り事件は、いろいろこういったようなものが積み重なって一つの大きな政治問題にまでなってまいってきておりますので、はなはだ恐縮でありまするが、ひとつその辺の御説明も明らかにいたしていただきたいと思います。
  60. 海原治

    海原説明員 参議院に御提出いたしましたこの資料には、まさに官用車になっております。これはまことに申しわけないことでございますが、ミスプリントでございまして、当日の大臣の御使用になった東は、借り上げの民間車だそうでございます。つつしんでおわびを申し上げて、訂正方をお願いいたします。
  61. 岩動道行

    岩動委員 借り上げ民間車と申しますると、これはだれがその費用を負担しておりますか。
  62. 海原治

    海原説明員 大臣の個人的な御負担でございます。
  63. 岩動道行

    岩動委員 この九月七日の私事旅行は、いわば選挙運動と常識的には考えられる一日であったわけでありまするが、この場合にも二、三カ所でパレードをやっておられます。役場も訪問しておられまするから、先ほどの御説明で、自衛隊の方が日ごろ自衛隊について協力してもらっているというような意味から公の役所をおたずねになる、相ともに行って、そうして日ごろの強力に対して感謝をする、また今後もよろしく、とこういうようけれども、一体パレードというようなことになりますると、これはそういう自衛隊の本来のものとはどうも違うような感じがいたします。したがって統幕の事務局長はそのときにはどういう行動をとっておられたのか、そこを明らかにしていただきたいと思います。
  64. 海原治

    海原説明員 この町におきましての、いわゆる音楽隊の市中行進でございますが、これはそれぞれの町に自衛隊の父兄会というものがございまして、これからの要請で、広報活動に関する訓令という部内的な規定がございますが、これに従いまして音楽の演奏と、いわゆるドリル、市中行進等を約十分いたしたわけであります。この際に、随行しておりました統幕事務局長等の車は遠くに離れておれという御指示で、約百メートル以上離れたところを徐行しておった、こういうような報告を受けております。
  65. 岩動道行

    岩動委員 それから先ほどの説明で、たとえば九月八日は夕方午後の四時に鹿児島空港を立って東京にお帰りになっております。その日は午前七時二十分から宿舎を立たれて、選挙区をこまかく回っておられるわけであります。午後三時まで回っておられるわけでありますが、ほとんどこの日は、いわば私事旅行的な色彩の濃い一日であったと思うのであります。しかしながら法規上は、当日東京に帰るということから、これはまあ公務という扱いになっておりますが、しかしその日の実態は、ほとんどまあ私事旅行の色彩の濃いものであったというようなことが言えると思うのであります。したがってこの点も、法規上は合法的な処理をしておられるけれども、実際の一日の実質はそういう私事旅行的なものであった。ここら辺にも国民は非常に何か割り切れないものを感じておるわけでございまするが、長官はこの日の行動についてはどのようにお考えでございますか。
  66. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほど申し上げましたように、主として公務旅行のつもりでやったわけですが、地元の行事と混淆されてしまった点があるということを、先ほど率直に認めたわけです。御案内のとおり鹿児島という土地柄もございまして、そういうような非常に歓迎を受けた、そういうような点から、いま言ったようにいろいろと誤解された点があることは、これは配慮が足りなかったということを私も考えております。しかし、私があいさつに回ったところは大体役場から役場でございまして、その途中を道路の関係で多少は迂回もいたしておりますけれども、おっしゃるようにくまなくという、そういうふうにはいたしていないつもりでございます。その辺はひとつ、言いわけにもなりますけれども、どうぞお考えを願っておきたいと思います。
  67. 岩動道行

    岩動委員 長官は、誤解を招いた、つまりわれわれのほうが誤解をしているのだ、こういうような印象を与えるおことばを言っておられますが、もしもそうだとすると、これははなはだわれわれにとっては問題にすべき御発言だと思うのであります。やはり誤解をするか、そのような印象を与えたこと自体に対する反省、こういうことでなければならないと思います。われわれが誤解をしたような御発言というのは、私ははなはだ遺憾でございますので、その点についてもう一度長官の御所信を承りたい。
  68. 上林山榮吉

    上林国務大臣 公と私が一緒になったようになってしまったことは、まことに私の配慮が不十分であって、申しわけございません。謙虚にこの点は反省をいたしておりますので、どうぞ御了承を願いたいと思います。
  69. 岩動道行

    岩動委員 次に音楽隊の問題がございまするので、これについて若干伺いたいのであります。一体この軍楽隊を各地に呼んで演奏させたということは、これは資料によりますると、それぞれの地区の自衛隊の父兄会とか、そういったような自衛隊に対する日ごろの協力団体が主催をして呼んで、これをやったというふうに私は聞いておるのでありますが、その点についての解明が一つと、それからそのような音楽隊を呼んで演奏をさせたという目的は一体何であったのかということ。それからこれらの軍楽隊は一体どこからやってきたのか、したがってそれの輸送費用等があるわけでありますので、費用の負担はどのようなことに相なっているのか。第四は、私事旅行の際に、つまりまあ選挙運動とも世間は見るわけでございまするが、そういう行事に参加するということは、一体公の部隊を私ごとに利用したのではないかという印象を国民に与えているわけでございまするが、そこにもまた、音楽隊を一つとってみましても、公私混淆という疑惑が国民の間に広く深く出てまいってきておるわけでございます。この点についての長官の御所見を承っておきたい。
  70. 海原治

    海原説明員 音楽隊の出動につきましての事実関係でございますので、私から御説明を申し上げます。  先生のお述べになりましたように、音楽隊各地で音楽の演奏、あるいは市中行進等を実施しておりますのは、それぞれの地元におきますところの団体の要請によりまして、音楽隊を持っておりますところの部隊長の判断によって出ておる次第でございます。これにつきましては先般も御説明しましたが、防衛庁の広報活動に関する訓令というものがございまして、これには第十二条に、各部隊長が「国、地方公共団体その他の部外団体等から行事に対する協力の要請を受けた場合には、」次のような場合に出してよろしいという規定がございます。これの第二項に、自衛隊国民との親和をはかるため、特に効果があると認められる場合というのがございまして、この条項に基づきまして、過去におきましていろいろな機会にそれぞれの部隊音楽隊が実は出動いたしておる次第でございます。先般も御説明いたしましたが、それぞれの町や村におきますところのお祭りのような場合あるいは大会等の場合に、いわゆる花を添えるというような意味で出たこともございます。今回の場合、出動いたしました音楽隊は、西部方面隊音楽隊と第八師団の音楽隊国分駐とん隊の陸上自衛隊音楽隊と、この三つの音楽隊がございます。これらが合同して出た場合もございますし、それぞれ単独で地元で演奏したこともございます。これにつきましては、お手元の資料によりまして詳細御説明してございます。  どの程度の経費がかかったかという問題につきましては、経理局長から御説明いたさせます。
  71. 大村筆雄

    ○大村説明員 音楽隊の輸送経費でございますが、第一回、九月の二日から五日まで四万七千円でございます。これは西方の音楽隊が車両二両、第八師団の音楽隊が車両二両、国分の音楽隊が車両一両、これに要した燃料費でございます。第二回分が、第八師団の音楽隊が車両二両、その関係の燃料費一万五千円、合計六万二千円でございます。
  72. 岩動道行

    岩動委員 いまの経費の説明で、音楽隊の輸送燃料費が合計六万二千円だということでございまするが、たとえば西方部隊、これは熊本から来た。第八師団も熊本から来た。これはわざわざ熊本から鹿児島県下まで出向いたわけでありますね。それの輸送燃料費がかかった。そのほかに出張旅費みたいなものはなかったのですか。
  73. 大村筆雄

    ○大村説明員 音楽隊を派遣いたします場合は、これら音楽隊の一種の教育訓練というかっこうをとるものでございます。したがいまして、これに出張旅費を支給いたしませんで、食糧を携行いたさせまして、たとえば近辺の部隊あるいは公民館等に宿泊させる。したがいまして、ただいま申し上げた燃料費以外に特別に経費は支出していない、こういうことでございます。
  74. 岩動道行

    岩動委員 ちょっといまの政府側の答弁は若干食い違いがあるような感じがするのです。官房長は、軍楽隊は広報活動としてやっているのだ、だから経費は全部自衛隊の手弁当でやるのだ、こういうことに相なってくるのだ、私はそう思っておりました。ところが、いまの経理局長の御説明によりますると、訓練だから手弁当なんだ、こういうお話なんです。一体広報活動を主とするから手弁当なのか、訓練だから手弁当なのか。と申しまするのは、われわれは地方においてよく自衛隊の、昔の工兵ですか、そういったような特殊部隊に対しまして、道路の工事をよくお願いをするのであります。そういったようなときには、資材からいろいろな費用については全部、申し入れ者と申しますか、工事をお願いした公共団体等がこれを負担いたしております。ところが、その日当といいますか、給料、賃金、それに相当するものは、これは国が自衛隊に対する給与として完全に負担をして、申し入れをした人はその点については、賃金相当部分は何ら負担をしないということに相なっているわけであります。その理由はと申しますと、これは私の聞いたところによりますと、部隊の訓練なんだ、こういうことで費用を負担しないというふうに私は承知をいたしているのでありますけれども、さっきのお話によりますと、それとは多少事実が違うわけであります。広報、訓練、一体どちらがそのねらいであるのか。
  75. 大村筆雄

    ○大村説明員 お答えいたします。  広報の目的もございますし、私どもの内部のあれから言いますと、教育訓練にも相なる、こういうことでございます。部外工事の場合は、もちろんこれは教育訓練の一環になりますけれども、地元の利益が相当多うございます。かつまた、自衛隊にかかる経費も相当多うございます。こういう関係で、特にその工事をやるに伴って直接必要な輸送経費なりあるいは燃料、事務費、諸雑費等につきまして一部負担していただいている、こういうことでございます。
  76. 岩動道行

    岩動委員 私意どうも、広報かつ訓練というようなことで名目をおつけになっておりますが、もちろんその面もかなり多いと思いますが、特に今回のように、いわゆるお国入り選挙運動国民から目されるような場合に、この帝楽隊が広報活動と訓練という名目のもとに、長官私事旅行等の行動の中に入ったということは、やはり国民の疑念を招く大きなゆえんではないか、かように思うのでありまして、先ほど私が四でお伺いいたしました最後の、公私混淆ではなかったのか、この点に対する長官の率直なお考えを承っておきたい。
  77. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほども申し上げましたように、確かに最初目的は広報中心にしたつもりでございましたけれども、結果的には部分的に混淆されてそういうふうに見られる向きもあると存じまして、反省をいたしているところでございます。
  78. 岩動道行

    岩動委員 次に、航空機の搭乗の件について事実を明らかにしていただきたいと思いますが、第一回と第二回と、長官鹿児島県下においでになりましたときに、十名のいわゆる議員秘書とかいう名目の部外者を乗せておられるわけであります。これは国民の目から見ますと、にわかづくりの部外者の議員秘書をつくって、そうしてお国入りに便乗させたということから、これもまた公私混淆のはなはだしいものではないかという印象を与えたわけでございます。そこで、手続等は従来の委員会等でも明らかにされておりますように、いわば合法的なものであった、自衛隊の航空機搭乗に関する内規等も、またその線に沿って手続を進められたために、これは何ら手落ちはない、こういうような答弁がもちろん出てまいると思いますが、しかし、そういう法令上のあるいは内規上の手続が完ぺきであったから、それで公私混淆にはならぬのだ、こういう説明なり釈明は私はなかなか国民には今日のこの状態においては通らないのではないか、こういう感じがいたすのでございます。どうもこの辺になりますと、防衛庁の幹部から長官に至るまでいささかのりを越えて、法規を自由にかってに解釈してやったのではないかというような推量すら一部には出てまいらないとも限らぬわけでございまするが、この点は、自衛隊の従来の慣例がそうであったとしても、十分に反省もしていただかなければならぬわけでありまするが、長官の現在のこの問題に対するお考えを明らかにしていただきたい。
  79. 上林山榮吉

    上林国務大臣 この問題も、御指摘を受けてみますると、注意が足らなかった点を大いに反省をいたしております。しかし事実関係は、政務次官等からほかの委員会でもるる説明を申し上げましたとおりでございまして、御指摘の搭乗者の大部分の者については、航空機の座席に余裕があったので便乗したのであろうという程度にしか考えていなかったわけでございます。なお、搭乗手続がどうなっているかということも、率直に言いまして、私着任早々のことで、残念ながらそういう手続等のことも承知をいたしていなかったのでございます。これは言いわけになるかもわかりませんが、事務次官の専決事項にこの問題はなっておるわけですが、反省しておるのかどうかという点については、これは反省をいたしておりますと率直に申し上げておきたいと思います。なお、この制度は、従来からいろいろな方面に御利用願っておるわけでございますが、これは具体的には省略をさせていただきます。しかし、これは決して大臣が督促すべきものではないと思いますので、そういう誤解を受けるような制度は、たとえ制度であり内規でありましても、今後検討した上で改めてみたいものだと考えております。
  80. 岩動道行

    岩動委員 その点の率直な反省は私どももこれを了といたします。この航空機の搭乗については、われわれ国会議員あるいは関係の官庁職員等もしばしば利用便乗もさせてもらっているという事実もございます。しかし、この面におきましても、乱用に過ぎないように、われわれ自身も自戒もしなければいけませんし、また、防衛庁当局も、これらについては厳粛な態度で、乱用にならぬように、しかも、国務の遂行には十分に役に立つように、航空機の運用を活用していただきたい、かように思うので、御要望申し上げておきます。  次に、九月七日のこれは水曜日、授業のある当日でございますが、串木野高校の校庭にヘリコプターを着陸させたということがございます。時間は、九時に着いたと防衛庁の資料には出ておるわけでありますが、この着陸をいたしましたときの状況、つまり、すでに授業が始まっていた時間ではないかと私は推察をいたすのでございますが、この時間に着陸することが授業の妨げにならなかったのかどうか。また、着陸した前後の授業の状況、これらをひとつ明らかにしていただきたいと思いまするが、その前に、まず、なぜ付近にヘリコプタのヘリポートがあるにもかかわらず、わざわざ学校の校庭に着陸をしなければならなかったのか、その根拠。手続もあるいは合法的になさっていると思いまするが、その手続等は完璧であるといえばそれまでの話でございます。特に私が心配をいたしますのは、緊急の場合には、これは人やその他のものに危険を与えない限りは着陸してもよろしいというような法規と申しまするか、そういう法令があると思いまするが、そういう緊急の場合以外は校庭等を使うということは厳に慎むべきではないか。万一事故があって、そして教室の上にでも墜落するという事件が起こりましたならば、その責任はきわめて重大であり、これを国民に何と申し開きをするのか。そのことを思いますると、まことにぞっとするのであります。そのような意味からも、この串木野高校の校庭に着陸したということは、きわめて大きな問題を背後にはらんでおる、手続だけの問題ではない、かようにも考えるのでありまするが、この点について長官の御所見を承って、今後どうされるのか、その点もあわせてお答えをいただきたい。  最初に、そのときの着陸の状況について、まず事務当局から御説明を賜わりたい。
  81. 海原治

    海原説明員 串木野高校にヘリコプターが着陸することになりました事情は、以下申し述べるようなことでございます。  先生御指摘のように、串木野には、航空自衛隊のレーダーサイトに緊急物資を輸送いたしますためのヘリポートが、約市から直距離にいたしまして二キロぐらい離れたところにございます。しかし、これは三十八年の一月に開設されましてから今日まで約四回前後しか使用されておりません。したがいまして、西部方面隊関係者並びに鹿児島県の地方連絡部におきましては、このヘリコプターのためのヘリポートの存在を実は承知していなかったようでございます。したがいまして、串木野高校の着陸につきましては、これは先般も御説明申し上げましたが、地方連絡部のほうから高校当局に対しまして、これこれの予定時間でヘリコプターを着陸するのにさしつかえないかという意味の照会をいたしました。前々日もあらかじめさらに照会をしておりますが、その結果、当局の御理解と申しますか御同意を得ましたので、ヘリコプターを着陸させたというのが、これは事実でございます。  なお、着陸の時間は、九時から第一時間目の授業が始まるわけでございまして、その前に、八時四十五分から八時五十五分まではいわゆるホームルームの時間になっておりまして、この授業開始前に着陸し離陸するからということの連絡でございましたが、実際には、この二機のヘリコプターは八時五十二分に着陸いたしました。この一機は、七分後の八時五十九分に離陸いたしておりますけれども、残りの一機は、エンジンが過熱いたしましたために、この冷却のために時間を要しまして、実際に離陸いたしましたのは九時二十五分でございます。したがいまして、この一機の離陸に際しては、ちょうど授業中でございますので、その音のために授業の妨害をすることになったということは、まことに遺憾に存じますが、事実はそのようなことでございます。
  82. 岩動道行

    岩動委員 あれですか、学校で授業は普通に続けられておって、授業が妨げられるようなことはなかったのですか。
  83. 海原治

    海原説明員 ただいま申しましたように、第一時間目の授業は九時から九時三十分まででございますので、そのちょうど最中でございます。二十五分に一機が離陸いたしておりますので、この離陸に際しての騒音のために若干授業が妨害されたということはあったかと考える次第でございます。
  84. 岩動道行

    岩動委員 そういたしますると、生徒たちは平常の状態において教室で授業を受けていた。そうして、校庭には子供たちはかり出しなどはなかった。また、先生方も授業のためにそのようなことはなかった。学校関係者は、そのときは手のすいておった方はあるいは出られたかもしれないけれども、その辺はどういうことになっておりますか。
  85. 海原治

    海原説明員 ただいま先生が申されましたような状況であったと報告を受けております。
  86. 岩動道行

    岩動委員 そこで、先ほど長官に伺いたいと申しましたのは、万一の事故などがあったときにはたいへんなことじゃないか、国民に何と申し開きができるのか、こういったようなことについて長官のお考えを……。
  87. 上林山榮吉

    上林国務大臣 全く御指摘のとおりだと考えますが、当時のことを率直に申し上げますと、熊本部隊を見たあと、このヘリコプターで串木野に行くんだ、こう言われまして、そのままこまかい配慮もしないで乗ったわけでございます。これは、私がこれまたほんとうにこまかいところまで、串木野の一体どこに着くのかというふうに考えればよかったわけでありますけれども、残念ながら、そこまで考え及びませんでした。今後は授業時間中には、少なくともいかなる場合でも——よほど緊急でやむを得ない災害等の場合のごときを除いては、今後は授業時間中には、ほかの場所をできるだけくめんしておりるべきである。これは私に関することだけじゃなくて、将来の問題として、私はそういうふうに考えておるのでございます。
  88. 岩動道行

    岩動委員 ぜひそのように今後進めていただきたいと思います。  次に、これは多少個人的な問題になるかもしれませんが、世上やはり一つの疑惑をもって見られている問題として、飛行機に最初に搭乗をいたしました中に、保釈中の人物が乗っておったということでございます。これは私が聞いておるところによりますと、国会ニュース社長の久保俊広氏であった。これは搭乗員名簿にもそのような名前が出ているわけであります。そしてこれは、上林山議員秘書という名目で乗っておるわけであります。この国会ニュース社長は、最近何か責任をとって廃刊をしたという通知を各方面に出したようでありますが、それはともかくといたしまして、この久保氏と長官とは個人的あるいは公的にはどういう関係にあったのか、そして保釈中であったということをはたして御承知であったのかどうか。この辺をまず伺っておきたい。
  89. 上林山榮吉

    上林国務大臣 そのことについて、長谷川政務次官からアメリカ連絡を受けまして、実はびっくりいたしておるところでございます。久保君が保釈中であるということは、もちろん全然知りません。  なお、先ほど申し上げましたように、搭乗の場合についても、私は手続等も就任早々のことで、さっき申し上げたような事情で通じておりませんし、先ほど申し上げたことでその点は御理解いただけるかと思いますが、一応さよう御報告申し上げておきます。
  90. 岩動道行

    岩動委員 保釈中であったことは全然御存じなかったということでございまするから、したがって、お二人の間柄というものも、おのずから私は判断できると思います。  ところで、そのようにあまり深いおつき合いもないというような間柄でありながら、なぜ最初のお国入りのときに飛行機に搭乗するようなことになったのか、これはまた逆に一つの疑問が出てまいるわけでございます。これは搭乗の事前には長官は全く知らなかったというふうに伝えられておりまするが、その辺のことも明らかにしていただきたい。
  91. 上林山榮吉

    上林国務大臣 これは先ほども申し上げたとおり、言いわけになりましょうけれども、全くそういう事実はないわけです。なぜかといいますと、搭乗手続などは大臣が専決する事項に入っていないのでございまして、従来の慣例が、こういう場合は大体ほとんどの方々が秘書という名目で取り扱ってこられたそうでございまして、そういうような意味もございまして、これは王子田秘書がこれらの人々と折衝いたしまして——折衝といいますか頼まれまして、そういう手続をとったものと、私はこういうように推定いたしておりますが、いずれにいたしましても、一々私がこまかい報告を受ければよかったと思いますけれども、そういうような扱いであったわけでございます。
  92. 岩動道行

    岩動委員 議員秘書という名目で、これは形式的には何ら落ち度はないということになろうかと思いまするが、すでにわれわれは、国会議員がその名刺を他人に悪用されてしまうというような問題で非常に迷惑をこうむった。お互いに自粛していかなければいけない。われわれの同僚議員の中にも、名刺あるいは実印すら渡して、たいへんな被害を受けたという事例もあるわけであります。その当時、われわれ国会議員は、特に自粛自戒をして、名刺の使い方にすら十分に気をつけていかなければいかぬということをわれわれはそのときに教訓を受けたはずでございます。ところが議員秘書ということになりますると、名刺以上のものでございます。議員秘書の名前において相当のことがまた行なわれ得る。これは私は、そう軽々に、秘書官まかせで議員秘書という名目を与えるということは、相当慎重でなければいけない。あなたが御承知なかったということは、これはもういたし方がないことでございまするが、しかし、これはわれわれ国会議員としては十分に反省をしていかなければならないという教訓を、すでにわれわれは幾多の事例から知っておるわけであります。にもかかわらず、秘書官まかせでそのような議員秘書をつくっていった。これは私は、やはり十分に今後の問題として御戒心をいただかなければならない問題かと思うのでございます。  そこで、世上、久保俊広氏が保釈の際に、あなたが保証人になったとか、あるいは減刑嘆願書に署名をしたとか、そういうことが一部にうわさとして伝えられております。これは、もしもそのような事実がありとすれば、政治家のモラルとしてきわめて大きな問題だと思うのでございまするが、その辺の事実の有無、真相をこの際明らかにしていただきたいと思います。
  93. 上林山榮吉

    上林国務大臣 この点、全く身に覚えのないことでございます。また、私の秘書官についても調べてみましたが、全くそのような事実はございません。
  94. 岩動道行

    岩動委員 それでは次の問題に移りたいと思います。  それは、秘書官の問題でございます。長官大臣になられて、王子田氏を秘書官にされたわけでございまするが、最近、これが更迭されたと聞いております。更迭されたとすれば、いつ更迭され、また後任はだれになったか、それをひとつ……。
  95. 海原治

    海原説明員 王子田秘書官は十月十五日付の発令で、それまでは総務課の部員でございます山王と申します者にかわっております。この十月十五日付で王子田進秘書官が山王幸夫秘書官に交代した、こういうことでございます。
  96. 岩動道行

    岩動委員 この秘書官を更迭された理由はどこにあったのか、それを承りたい。
  97. 上林山榮吉

    上林国務大臣 全く他意はございませんが、国会の秘書がいろいろと多忙になって、いろいろな仕事がたまってしまっておりましたので、王子田君が国会の秘書はなれておりますので、そちらのほうにかわってもらっただけでございます。
  98. 岩動道行

    岩動委員 それもそれなりに私は了解できると思いまするが、しかし長官は、いままでいろいろ御質問を申し上げた問題点については、当初は大体、おれは全部秘書官まかせなんだ、秘書官にやらせたことなんだ、しかし最終責任は自分なんだ、こういうような発言をしてこられたように私は承知をいたしておるのでありますが、問題がここまで進展してまいりますると、単に国会事務がたんのうであるとかあるいは忙しいとか、そういうことだけが理由ではなくて、やはりそこには、大臣に迷惑をかけたんだ、こういうようなことから更迭に踏み切ったのか、その辺の責任を明らかにする意味においておやりになったのか、そこをひとつ明らかにしていただきたい。
  99. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほどのことばが足らなかったかと思いますが、問題に全然関係なく、国会の秘書のほうが本来なれておったわけですが、就任早々で、当時適当な秘書が見つからずに王子田君をしておったわけでございます。
  100. 岩動道行

    岩動委員 実は十月十五日付で更迭ということでありまするので、長官アメリカにおられた。そうすると、アメリカからこの更迭の問題を進められたのか、あるいはアメリカに出発する前にすでにそのようなことで手続を事務当局に命じられてお出かけになった、しかしながら、事務手続上滞米中にこれが行なわれたのか、その点を明らかにしていただきたい。
  101. 海原治

    海原説明員 これは官房職員の人事でございますので、私の事務的な補佐の範囲でもございますが、長官御出発前にそのような御指示を得ましたが、御存じのように、秘書官の発令は内閣官房でございます。で、事務的な手続が結局十月十五日になったということでございまして、先生ただいまお述べになりました後段のほうの事情でございます。
  102. 岩動道行

    岩動委員 そこで後任は山王秘書官ということになったわけでありまするが、この後任の山王氏は、任命されるまでは防衛庁の総務課の部員、つまり課長補佐という地位にあった人であるようであります。けれども、もともと国会の職員であった、それを長官大臣就任をされた機会に防衛庁の職員として配置転換と申しまするか、防衛庁に移されたというふうに聞いておるのでありまするが、その事実を確かめておきたい。
  103. 海原治

    海原説明員 現在秘書官をしております山王幸夫は、昭和二十五年三月に衆議院のほうに就職いたしまして、自来国会関係におりましたが、本年の八月八日防衛庁へ出向してまいりました。長官官房総務課の勤務ということで、総務課の仕事をしてもらっておったわけでございます。御存じのように、防衛庁は各省からの職員の出向が非常に多うございますので、私どもはいろいろな事情のもとに、各省からこのように部員等に来ていただいておるということが実情でございます。
  104. 岩動道行

    岩動委員 そこで、防衛庁長官官房の総務課長補佐として山王氏が部員で迎えられた、これはそれなりにけっこうでございましょう。しかしながら私は、これも事実関係ですから、ひとつ官房長から伺っておきたいのでありますが、これはだれかがかわったためにその補充として行なったのか、あるいは新規に、この部員が増員の形で行なわれたのか。つまり、今日、内閣の申し合わせと申しまするか、決定によって、欠員不補充という原則があるわけであります。防衛庁の場合にはその原則からはずれるのか。これは自衛隊の場合にははずれると思いますが、防衛庁の一般の文官の場合には欠員、不補充の問題がどうなっておるのか。そして、はたしてこの山王秘書官が部員として入ってきたときには何らそういったような問題に触れることなく、当然のこととして行なわれるような状態で迎えられたのか、ここを明らかにしていただきたい。
  105. 海原治

    海原説明員 ただいま先生が申されましたように、防衛庁につきましてもいわゆる欠員不補充の原則は適用されております。これは当初三十九年九月四日の閣議決定におきましての人員がございますが、その後いろいろ検討いたしてみまして、現在防衛庁といたしましては、自衛官以外の職員につきましては約一千百人程度の欠員をいわゆる凍結されております。しかしこれに対しまして、採用可能人員は二百五十人くらいございます。そのうち防衛本庁におきましての部員につきましては、私の記憶では、現在まだ十人前後の欠員があると存じております。
  106. 岩動道行

    岩動委員 実はこの点もいまの御説明で明らかになったのでありますが、いささか世上では、やはり個人の名前があがってきてまことに恐縮でございますが、大臣関係から防衛庁に来て、しかも秘書官になること、さらには別の分野にも進む人だというようなことが実は伝えられておるわけでありまして、もしもそのようなことでこの人事が行なわれたとすれば、これまた私は、一国家公務員の地位を公私混淆のような形で動かしたというそしりを免れないので、たいへん心配をいたしておったのであります。いまの御説明によりますれば、どうもそのようなことはないというような感じがいたすのでありますが、その点について長官みずから、あなたの秘書官でありますから、世上の誤解を——これはまさに私はそうなると誤解だと思いますので、その点の解明をひとつ明確にしていただきたいと思います。
  107. 上林山榮吉

    上林国務大臣 御指摘の点は、それは誤解であると思いますので、さよう御了承願いたいと思います。
  108. 岩動道行

    岩動委員 問題は多少飛んでまいりまするが、先般衆議院におきまして、このような問題を私申し上げるのはまことにいやなんでありますが、神近議員から、北海道の石の問題について何か疑惑のあるような質問がありました。そのような問題が国会で取り上げられることはまことに芳しくないのでありますが、その北海道の石に関する問題、これについて、その真相と事実を明らかにしていただきたいと思います。
  109. 上林山榮吉

    上林国務大臣 この話を聞いて、私は全くびっくりしておるわけでございますが、先日衆議院の決算委員会において神近委員が提出された写真は、最近わざわざ私のうちに写しに参りました写真でございます。確かに私の自宅にある石の写真を決算委員会で出されたのだろうと思いますが、これは日本各地において産出される一般庭園に使われておる庭石でございまして、北海道の石でないばかりでなく、近くの石屋から四、五千円で私が十年ぐらい前だったかと思いますが、買ったものでございます。専門家の鑑定書もここに持ってきておりますが、実はこういう事実は全くございません。全くないものがどうしてこういうふうになったのか、神近さんの心境を伺ってみたいものであります。鑑定書は委員長の手元に提出させていただきます。
  110. 岩動道行

    岩動委員 それから、個別的な事件についての質問の最後になるわけでございますが、最近世上にはいろいろ悪質な怪文書が流れております。また最近は、十一月三日号の「週刊現代」、これには現在の内閣の閣僚でありますいろいろな大臣について、疑惑の問題点を提供いたしておるわけでありますが、これについては、たとえ田中行政管理庁長官はさっそく告訴の手続をおとりになりました。また藤枝運輸大臣も告訴の手続をとられたと聞いておるわけでございます。あなたについてもいろいろうわさが出ているわけでありますが、これについて、長官国務大臣としての立場からも、どのように御処置をなさるおつもりであるのか。
  111. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私も田中行管庁長官などとともに、さっそく告訴をする手続をいたしておるわけでございますが、この委員会が終了した直後に出したほうがいいんじゃないかと思いまして……(「何を告訴するのか」と呼ぶ者あり)「週刊現代」に対するただいまの御指摘に対して、それは名誉棄損である、こういうような意味において、私はこれを、委員会が終了と同時に告訴をばいたしたいと思っております。
  112. 岩動道行

    岩動委員 ぜひそのように勇気のある態度で不実の問題については立ち向かっていただきたいと思います。ただ問題は、たとえば福田大蔵大臣の問題につきましても、きわめて怪しげな文書が世に出回って、これに対して大蔵大臣は告訴の手続をとられました。ところが最近に至って、それを取り下げをされたということがまた新聞で報道されております。それが事実とすれば、一体どういう経過でそのような取り下げをされたのか。捜査当局はかなり苦労をして、その問題の糾明に当たってまいったはずであります。それが突如として取り下げられた。これは私は、もちろんそのような文書をつくった責任者が十分に、謝罪をしてしまったということから、これ以上これを追及するということは必要ないというご判断でされたものとは思いますが、しかし、この週刊現代といったような一つの大衆的な、かなりの部数を発行いたしておりまする雑誌で起こった問題は、あなたが告訴をされましても、途中で国民が納得のできるような謝罪なり、その他の方法がとられない限りは、あくまでもわれわれ国会議員の名誉にもかかわる問題でございますから、断固としてきびしい態度でこの問題に当たっていただきたい、かように御要望を申し上げておきます。
  113. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ただいまの御指摘の問題については、私は、最後まで積極的に潔白を明らかにするつもりであります。
  114. 岩動道行

    岩動委員 これで私は締めくくりを申し上げて、私の質疑を終わりたいと思います。  ただいままで、事こまかにいろいな問題点についての説明なり、長官の御心境なりを承ってまいりまして、そこには十分な反省と今後の配慮、今後の自衛隊のあり方というようなものについて、十分に私は、厳格な立場で進んでいただくお気持ちをくみ取ったのではございますが、しかしながら、このような小学校の子供にでもわかるような政治の世界においてのイロハのことが、いろいろ問題になってまいるということは、きわめて私は遺憾に思うのであります。政治家のモラルが今日世論の話題になり、またわれわれが十分に戒心をしなければならない点がまだまだ不十分であるということを痛感すると同時に、あなたのこのような一連の行動がわれわれ政治家の不信を招き、あるいは政党の不信まで招きかねない。さらに、ひいてはわが国政治全体に対する国民の不信感、あるいは民主議会政治に対する不信感というところにまで発展しかねないような問題にまで実は取り上げられてきておる。この認識のもとに、私は、長官にも今後十分なる戒心をお願いいたしたいのでございます。  特に国務大臣防衛庁長官としては、国家公務員にきびしく綱紀の粛正、そうして法律の忠実なる実行をさせてまいる立場にございます。しかもあなたは、国務大臣として、内閣という合議体を構成している一員でございます。したがいまして、一国務大臣のいろいろな政治的なモラルに対しましては、内閣が全体として責任を負っていかなければならない。旧憲法時代には、内閣の連帯責任制というものが一つの基礎になっておりまして、新憲法になりましてから、内閣総理大臣国務大臣を任免する権限を与えられてまいったのでありますが、単なる国務大臣のすげかえというようなことで政治的な問題を処理してまいるという弊が、今日起こってまいるのではないかということを私はきわめて憂えるものでございます。わが国の民主政治が今後健全に発展してまいるためには、まず内閣がその連帯責任感を十分に認識をして、そのもとにおいて総員が正しく清い政治を行なってまいる、公私混淆等の疑いを少しでも受けることのないように十分戒心をしていかなければわが国政治の危機を招く、また現に招きつつああるのではないかということを私は感じておるのでございます。  すでに御承知のように、われわれ自由民主党の中におきましても、各方面から粛党に対する運動がほうはいとして起こっております。これらの粛党運動も、長年の積弊ということで総理は表現をしておられまするが、もちろんそれもございます。と同時に、この粛党運動ののろしが上がってまいりました起因は、やはり最近相次ぐいろいろな不祥事件、政治モラルの低下、それが一国の国務大臣において行なわれていたというところにあるわけでございます。したがいまして、私どもはこの際、建設的にわが国の民主政治を健全に発展させ、国民の声を聞き、国民とともに進む政治、清く正しい政治、これを行なうために、十分なる厳粛な反省と、そうして具体的にその実をあげてまいるということでなければならないと思うのでございます。  特にまた二十七万の自衛隊員は、命令一下、一糸乱れずその長官の統制下に行動をする部隊でございます。その長官に対して、このような世上の疑惑が出てまいったということは、まことに遺憾と申すほかございません。しかしながら、ただいまのいろいろな謙虚な、率直な反省というものも、私どもは十分に評価をいたして、二十七万の自衛隊員が、安心してあなたのもとに、わが国防の、自衛の目的を十分達成できるようにしていかなければいけない。あなたは、きわめて重要な立場になるわけでございます。今回の一連の事柄から、自衛隊の隊員の士気がいささかでも阻喪するところがあってはならないと思います。私は、この機会に十分なる反省、ということは単にことばだけではない、一体何を今後どのように具体的にお進めになるか、十分にお考えもいただいて、そうして私はあなたの手によってわが国防衛の実績を十分にあげていただきたい。あなたの行動いかんにかかっている。近く自衛隊の記念観閲式あるいは観艦式等もございまするが、それを目前に控えて、私どもは非常に憂慮をいたしておるのでございます。どうかそのような現実に直面をして、私はあなたが防衛庁長官として、さらに内閣の一員としての国務大臣として、ただいまのこの委員会における御発言を実のあるものにしていただきたいということを心からお願いを申し上げまして、私の質問を終わります。
  115. 木村武雄

    木村委員長 この際、午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時四十四分休憩      ————◇—————    午後一時三十四分開議
  116. 木村武雄

    木村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。大出俊君。
  117. 大出俊

    ○大出委員 先ほどの理事会で、質問の時間なんかを多少割り振ったわけですが、あなたの先ほどの、あるいは与党の議員の方のお話によると、最初岩動さんの質問はおおむね二十分くらい、こういうお話で、多少は延びる。こういうことでございましたが、六倍の二時間にわたりましたので、あとは私のほうの予定質問者が並んでおりますから、その意味では、常の慣行ということをたてにおとりになって、参議院の農林水産委員会のような妙なことをおやりにならぬように、これは冒頭に念を押しておきますから、十分時間をかけていただきたい、こういうことです。  それから、冒頭にひとつ、先ほど来の御質問を聞いておりまして長官にお尋ねをしておきたいことがあるのです。八月の十日付の朝日新聞に載っておりましたが、長官就任早々なので、満面に笑みをたたえてという書き方なんですけれども、「自衛隊国民とともになければいけない。そのためにはまずエリを正してことに当り、信賞必罰はささいなことでもハッキリさせなければいけないね。」こういうふうにまずおっしゃって、「この点はキチンとやりますよ。」と、特にあなたのほうは強調されておるわけですね。ということになりますと、先ほど長官はずいぶん何べんも、たいへん申しわけないということであやまっておられるわけです。ところで、私はつい法律にとらわれる性格なんで、法律を読み上げますと、自衛隊法の五十八条によりますと、「隊員は、常に品位を重んじ、いやしくも隊員としての信用を傷つけ、又は自衛隊の威信を損するような行為をしてはならない。」こういう実は条文がある。これは関連条文もありますが、時間がありませんから一つだけ読んでおきます。となりますと、信賞必罰を明確にして、ぴしっぴしっとけりをつけていかれる、こういうことを、長官就任にあたっておっしゃったわけだから、あなたは、あれだけいろいろ御質問が出て、一々ごもっともでたいへんに申しわけない、配慮が足りない、軽挙であった、これが連続されて一時間四十分程度続いたわけです。そうなると、この辺で——そうでないと、これはまた長い時間御質問をしなければなりませんので、長官としては、やはり立場というものをお考えになって、おんみずからの進退というものについて、冒題に所見を私はいただいておきたいのです。
  118. 上林山榮吉

    上林国務大臣 大出委員のお示しになりました自衛隊法の精神は、これは尊重しなければならないし、私が就任早々申し上げた気持ちも、いまでも変わりはないわけでございますが、俗にいう郷土入りの問題と自衛隊視察とを、ある程度いまから考えると、配慮の足りなかったために混同された点があった、この点は確かに私の至らないところでございますと、こういうふうに申し上げておるわけでございますが、今後も配慮の足りなかった点は重々反省いたしまして、そうして一そう精根を傾けて自衛隊員の諸君を信頼いたしまして、そうして精強なる自衛隊の育成に当たりたい、こういう気持ちを持っておるところでございます。ただいまのお答えになるかどうかわかりませんけれども、どうぞそういうふうに御了承願いたいと思います。
  119. 大出俊

    ○大出委員 いまの私の質問お答えになっていないように思うのでありますが、いまの御答弁の中で、一点明確にしておきたいことがあるのです。それは、先ほど来の答弁の中に回を重ねて出てくるのは、混同された点があったということなんですね。私は混同したと、こう考えているのです。あなたが混同したと考えている。あなたは、先ほどから何べんも答えておられるけれども、混同された点があった。あなたは混同していないのだけれども、世の中が混同したように誤解をしている。この誤解については、先ほど岩動さんからも、そんなら私が誤解したようになるではないかという反論があったが、あなたは混同された点があった、これに終始している。その点は、つまりあなた自身が、どうもまずかった、混同したとお考えになっていないのだろうと思う。だから私は、以下その点を明らかにいたしますから、最終的に、私はあなたに混同したと言ってもらいたい。そうでないと筋が通らないことがたくさんある。そういう点を、これから私はあなたに質問を続けながら明らかにしていきたい、こういうふうに思うわけです。その上で、あらためて私は再度、先ほど御質問いたしました点を繰り返して所見をいただきたいと、こう思います。  最初に承っておきたいのは、羽田にあなたが二十二日にお帰りになって、たくさんの報道関係の方々が羽田に行かれて、あなたからいろいろ見解をお尋ねしておったわけでありますが、その中に「防衛庁幹部は自発的についてきたのか。長官の指示か。」と、こういう質問があるわけです。これに対する長官答弁を私もテレビで聞いておりましたが、おおむねほとんどの新聞が同じことを書いておりますから、念のために読み上げておきますけれども、「命令でもなければ、自発的でもない。まあひとつ暇があったらどうです、ということで来てくれた。私としては非常に感じのよい関係で行ってもらった。」と、こう言っているわけですね。間違いない、私は聞いておったのだから。ところで、私は、法律、規則のたてまえというものが世の中に存在いたしますから、そこで承りたいのだけれども、命令でもなければ自発的でもない、まあひとつひまがあったらどうですということで来てくれた、非常に感じのいい関係で行ってもらったという、その感じのいい関係というのはどういう関係なのかわからぬので、国民諸君も全くわからぬと思うのですね。全く恣意的に、ひまなら来てよ来てよねという歌があるけれども、そういうことでは世の中は納得しないと思う。法律、規則、設置法があってきまっているのだから、そこのところをわきまえた上で、一体どういう関係なんですか、この感じのいい関係というのは。そこを承りたい。
  120. 上林山榮吉

    上林国務大臣 着任中々のことでございましたから、細目の法律の問題はよく承知してなかった時代のことでございます。そういうような意味から、先ほどの岩動委員に対する事務当局の説明にもございましたとおり、制度的には御承知のとおり自発的にこれらの幹部の諸君は出張ができるわけでございますが、そういうことが頭にこんがらがって前提にあるものでございますから、そういうような意味から、先ほども私、一言申し上げて、あるいはことばが足りなかったのではないかと思いますが、実際問題としては、事務に差しつかえなかったら、向こう部隊もあることだから、どうだろうという話を、詳しくは覚えていませんけれども、しただろうと推察しておるのです。だから、こういう意味においては、純粋な意味で命令といえるのか、あるいはまた、自発的に行ったということがいえるのか、どうも正確な法律論といいましょうか、そういう意味を前提に置かれますと、明確な解釈がただいまのところできかねますので、事務当局その他から説明いたさせますが、私の気分といたしましては、ただ命令と、こういいますと、何か非常にかどが立っているようなニュアンスを与えるし、あるいは、まるまる自発的に行ったのだと、こうなるのも何となく不自然だし、その辺の、何といいましょうか、考え方があったからそういうふうに言ったのではないだろうかと、こういうふうにただいま考えるのでございます。
  121. 大出俊

    ○大出委員 まあひまだったら来てくれと言っただろうと思うとあなたはおっしゃるのですけれども羽田へ帰ってこられて、帰るまでにはずいぶん事務当局からも連絡があって、やりとりがいろいろあってお帰りになったはずなんです。これは長谷川政務次官が参議院の内閣委員会答弁でも、向こう長官のおっしゃったことを例にあげて言っておられるとおり、何がしか連絡をとりながらきている。帰ってこられて各紙に載っているとおりお話しになったのだから、私はここで念を押しておきますが、どうも、先ほど岩動さんが質問をしている質問の中身は、みごとにぴしっと質問されているわけなんですが、あなたのお答えのほうがさっぱり明確を欠く点ばかりで、まことにこれはけじめがつきませんので、そういうことでなしに、言ったことは言ったこと、言わないことは言わないこと、明確にしていただかぬと、なお今日以上に世上いろいろな誤解、不信を招きますから、そういう点はひとつ気をつけて御答弁を賜わりたい、このことを最初に念のために申し上げておきます。  そこで、関連をして、法的な問題はあとから詳しく御質問いたしますが、もう一点承っておきたいのですが、あなたが鹿児島に行かれて、指宿でいろいろお話しになって演説をぶっておられるわけです。あるいはあいさつとおっしゃるかもしれません。場所は指宿の観光ホテル、市長もここでいろいろ感慨を述べておられる。私は、この週刊文春の記事を見てから、現地に行った記者の方々にも聞いてみた、また週刊誌当てにならぬとおっしゃられては困るから。そうすると、あなたは確かに同じようなことを言っておられる。一字一句同じことを言ったとは言わないが、あなたがここでは何と言っているかといいますと、「……大臣に推せんされること四たび、そのたびにウナギの匂いだけかがされたような結果となりましたが(忍び笑いすら起らず。一同傾聴するのみ)……。」響いてありますが、「帰心矢のごとしでありましたが、各地視察など公務が多忙であり、——ここにも幕僚諸君を伴ってきておるような次第で——また国会で二日間も論戦をやらねばならず、新大臣としてはシンガリの帰郷に相成った次第であります。……十月には米国政府の招きにより」ここにカッコして「(招待を強要したという説もある)」と書いてありますけれども、「渡米して、向うの第一級の政治家と日米間の諸問題を十分に語ってくる予定になっております」というお話をしておるわけなんですが、どうも岩動さんの御質問によりますと、あまり第一級の政治家と十分なお話をしておらぬようでありますけれども、この一番前に言っておられる公務が多忙なのでここにも幕僚諸君を伴ってきておるような次第だ、こういうお話だとすると、これまた旅先で言ったんだからどうも記憶がないとおっしゃるかもしれぬけれども、念のために私も現地を聞いてみた。そうすると、こういう趣旨のことをお話しになったと言っておる。そうなると、私のそら耳でないのだから、そこでこういうことと関連をすると、あなたがおっしゃっている、おひまなら来てくれと言ったこと自体がどうもはっきりしない。もっと積極的に、あなたは、おれが行くんだからおれについてこいと言ったんじゃないか、こういう気がするんですが、もう一ぺんそこのところをはっきりしてください。
  122. 上林山榮吉

    上林国務大臣 これは表現の方法が不十分であっただろうと、正直なところ思います。しかし、真意は、基地視察鹿屋とか、あるいは国分とか、あるいは熊本部隊とか、こういう視察を主たる目的としておったわけでございます。そういうような意味で申し上げたのでございますが、郷里に帰って市の主催で歓迎会を受けますと、私、修養がまだ不十分でございますので、やはりそれに対してはそれなりのあいさつもしただろうと思います。だが、そのときのことばが正しかったか、あるいはおっしゃるとおりで、十分そうであったのか、それは文章にして私が読んだわけじゃなかったので、いまおっしゃったようなことばも確かにいま思い出しますけれども、全部あなたがいま言われたような、これに書いてあるようなふうであったか、これは残念ながら記憶にございません。
  123. 大出俊

    ○大出委員 現地に行かれた新聞記者の方々なり雑誌記者の方々なりは、長官の御発言を非常に慎重にメモをされて、それを記事にされておるわけですね。だから、私はさっき念のために聞いてみたと申し上げたんですけれども、だから私も架空なことを言っているつもりはないので、まして記事にも書いてあることですから、こういうことはやはりよほど気をつけていただきませんとね。やはり聞いている方々は、少なくともあなたのお国入りとなればまともに受けますからね。これはそういう点はひとつ十分お気をつけいただきたいわけです。  そこで、非常に大きな問題が私はあると思うのは、この羽田に帰って言われたことば、先ほど私が例にあげたのは、どうも国防の責任者である防衛長官の言い分として、私はおかしいと思う。なぜならば、常に皆さんが主張される点からすれば——私の立場からすればこれは思想的に違い、政策的に違いますけれども、皆さんの立場からすれば、国防というものは常に頭になければならぬ。しかも防衛長官なんですから。そうすると、国防最高責任者に近い方々、統幕議長なり三幕の幕僚長などを相手にされて、暇だったら来てくれというようなことを不用意にも言ったということになると、長官の頭の中に国防という問題がないのではないかという気がせざるを得ないわけです。そこらのところを、あなたは防衛長官という立場でどうお考えになっているのですか。
  124. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほども一言触れましたように、羽田の記者団への答えも、表現の方法がまずかったんじゃないか。しかし、その真意は、先ほど申し上げたことがすべて前提になっておるのです、こういうふうに申し上げましたが、さらに暇があったら来てくれと言ったことも、いま言ったことに含めてお答えしたつもりでございますけれども、これは先ほど申し上げたとおり、鹿屋とか国分、あるいは熊本、この部隊視察をしたのでございます。それは時間が多いとか短いとか、いろいろ御議論もございましょうけれども、そうしたような趣旨を前提としてやったわけでございます。故意に混同しようと思ってしたわけではございませんけれども、結果的には確かに混同することになった。この点は率直に御指摘のとおりだ、こういうように私考えます。
  125. 大出俊

    ○大出委員 いまの御答弁に話が出ましたから承りたいのですが、長官は総理大臣に今回の二日から八日に及ぶこの行動期間について、許可なり了承なり得ておいでになったわけですか。
  126. 海原治

    海原説明員 防衛庁長官出張に際しましては、内閣総理大臣あてに出張目的等を示しまして、許可を得ております。
  127. 大出俊

    ○大出委員 許可を得て行ったということですね。これは私は法律のたてまえからいって当然そうでなければならぬというふうに思うわけです。  そこで承りたいのですけれども自衛隊法にいう総理大臣の指揮監督権というのを、長官どういうふうにお考えになっておりますか。——長官に聞かしていただきたいのですが……。
  128. 上林山榮吉

    上林国務大臣 それは全体的な指揮監督、出動等に対する監督であろうと存じます。
  129. 大出俊

    ○大出委員 しからば、防衛庁長官の指揮監督権というのはどうなりますか。
  130. 海原治

    海原説明員 先生御存じのように、防衛庁長官自衛隊の……(「官房長、そんなばかな話はないよ」と呼ぶ者あり)委員長から許可があったので……。  防衛庁長官は、三自衛隊の指揮官という立場でございます。直接指揮をなさるわけでございます。と同時に、防衛庁は総理府の中に置かれております。したがいまして、御存じのように総理府の長としての内閣総理大臣の監督もございます。最高の指揮命令権、たとえば部隊が出動するという場合等におきますところの、部隊が出動すべしということの決定は、これは総理府の長であり内閣のまとめ役であるところの内閣総理大臣、これに権限が保存されておりますことは先生御存じのとおりであります。そのような形において、内閣総理大臣防衛庁長官の三自衛隊に対する指揮監督の権限が分かれております。
  131. 大出俊

    ○大出委員 長官の御発言がいろいろ問題を起こしているので、あるいはおやりになっていた長官行動が問題になっておるので、私は自衛隊法その他についての法律的なものについては、再三専門家である局長その他に質問をいままでしてきておりますが、本席で私が伺いたいのは、長官が一体どのようにお考えかという点を聞きたいので、そこで先ほどまず第一点に、防衛庁長官に御就任になっている上林山さんなんですから、そうなると自衛隊法に基づく総理大臣の指揮監督権というのは一体どうなっているのか。続いて、御自分の権限である防衛庁長官の指揮監督権というのは一体どうなのか、こう私は質問をしている。そこのところは自分の権限なのですから、それをわきまえておられなければ仕事はできぬのです。幾ら就任早々だといったって、そこらあたりは明らかにしてくれなければ、あなた、国防を頭に入れていると言ってもそうはならぬから、その点をもう一ぺん答えてください。
  132. 上林山榮吉

    上林国務大臣 大体法律の精神は幾らか承知をいたしておるつもりですけれども、条文の文言をはっきり記憶いたしておりませんので事務当局から申し上げたわけでございますが、御承知のように内閣総理大臣の指揮監督権は、第七条に「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。」第八条に長官の指揮監督権がございますが、これを朗読するのは省略いたしますが、この第八条によって監督権がある、私の職責がある、こういうように承知をいたしております。
  133. 大出俊

    ○大出委員 第八条は「長官は、内閣総理大臣の指揮監督を受け、自衛隊の隊務を統括する。ただし、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長の監督を受ける部隊及び機関に対する長官の指揮監督は、それぞれ当該幕僚長を通じて行うものとする。」ここのところはシビリアンコントロールといわれるポイントですよ。通じて行なわれるのですね。これは明らかにそういう意味における三幕に対する指揮監督権があなたにある。そうでしょう。  それから第九条は、「陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長は、長官の指揮監督を受け、それぞれ陸上自衛隊海上自衛隊又は航空自衛隊の隊務及び所部の隊員の服務を監督する。」つまり「長官の指揮監督を受け」だから、明確にあなたに指揮監督権がある。そうでしょう。それは設置法だの国防会議に関する法律だのいろいろ法律はありますよ。ありますけれども、繁雑にわたるからこれだけ取り上げたけれども、してみると、あなたの指揮監督権は一体どうなっておるかということは、終始あなたに念頭に置いておいていただかないことにはとんでもないことになる。これが自衛隊の精神でしょう。かつまた条文そのものでしょう。そうすると、これに反する訓令が出てきたり、あるいは旅費規程がつくられたり、総理府令が出たりなんてすれば、これは間違いだと言わなければならぬということになる。設置法もございます。  そこで、ぼくはもう一つだけ質問しておきたいのだけれども、先ほどきわめて不明確なままになっているのですが、一体その三幕の長あるいは統合幕僚会議議長、こういう方々に対する旅費の支給規程というのは、どういう方法、手続で、委任法律は何であって、どういう立て方になって、先ほど官房長が答えたようになっておるかという点をお示しいただきたい。
  134. 大村筆雄

    ○大村説明員 防衛庁旅費規則、先ほど官房長から申しました昭和三十八年総理府令第四十八号でございます。防衛庁旅費規則の第三条第一項によりまして、統合幕僚会議議長及び陸上、海上、航空各幕僚長は、内閣総理大臣の委任を受けまして、みずからの旅行命令及び所属の部隊または機関に勤務する職員の旅行命令を行なうものとする、こうなっております。
  135. 大出俊

    ○大出委員 いまの説明による府令の四十八号第三条ですね。いまの説明はこの三条に基づいて——三条というのは「法第四条第一項に規定する旅行命令又は旅行依頼は、別表第一に掲げる者」云々、こうなっているのだが、別表第一の中に、防衛庁長官から始まって陸上幕僚長、海上幕僚長と、こう並んでいる。この中身というのは、旅行命令権者という形で区分されているわけですね。そうなると、これは総理大臣の委任命令なんだから、これと防衛庁長官の権限とはどうかみ合うのですか。答えてください。
  136. 大村筆雄

    ○大村説明員 旅費につきましては、旅行の際の旅行命令というものが旅費法以下の関係法令で定められているわけでございます。したがいまして、出張命令その他の旅費支給に伴う各種の手続規定によっておるわけでございます。したがいまして、本来そういう総理大臣指揮下の職員でございますから、総理大臣の命令をもって動く、出張命令が出るわけでございますが、その間の事務手続の簡素化をはかるという意味で、こういうそれぞれの機関に命令の委任がなされておる、かように了解しております。
  137. 大出俊

    ○大出委員 その委任の関係が先ほど来きわめてあいまいになっているのですけれども防衛庁長官が知らないでかってに出ていってしまうということがあるのですか。たとえば三幕の幕僚長が防衛庁長官の知らないうちに、総理の委任権限だからというので、この別表に基づいてどこかにかってに出ていってしまう、こういうかっこうがあるのか、それとも何かで明確に規制してありますか。いずれですか。
  138. 海原治

    海原説明員 御存じのように、防衛庁本庁でも多数の職員が勤務しておりまして、これらの出張命令につきましては、部内の手続で、それぞれのつかさ、つかさに命令を発布する権限を委任してございます。大臣のところにその出張につきましての報告を出すものにつきましても、これまた中の手続できめてございます。大体のところを事実関係で申しますと、各幕僚長、統幕議長以下でございますが、あるいは付属機関の長の出張につきましては長官のほうに報告をする、こういうたてまえでございます。
  139. 大出俊

    ○大出委員 その報告は何できまっていますか。
  140. 海原治

    海原説明員 内部の事務手続の処理に関する訓令と、これに基づきますところの事務の実施に関する次官通達、こういうものできまっております。
  141. 大出俊

    ○大出委員 ところで問題は、指揮監督権がある、こういう防衛庁長官の権限、これからいきますと、三幕の幕僚長なり統幕議長なりがどこかに出かけていく、これが逐一防衛庁長官に事前にわかっていなければ、緊急の事態もありましょうから、即時連絡のつく形がとられていなければ、シビリアンコントロールといわれるとおりの、先ほど例にあげました自衛隊法に基づく規定というものは生きてこないはずです。そこのところはどうなっておりますか。
  142. 海原治

    海原説明員 やや事務的になりますが、先ほど大出先生のお話になりました隊法の七条、八条関係部隊の出動関係を主として律するための規定でございます。御存じのように、この第八条に各幕僚長を通じて大臣部隊を指揮する、こうなっておりますが、大臣から直接、たとえば陸でありますと、方面総監に命令を出せない。命令を出す場合は必ず関係の陸幕長を通じていくのだ、こういうことがこの規定の趣旨でございます。ただいま問題になっております日常の業務を処理するための出張命令その他のことにつきましては、むしろ庁法の関係で、大臣は行政庁の長官としまして所部の職員を指揮監督する、こういう権限と義務が与えられております。この関係で律されておりますので、隊法の関係の指揮監督と庁法の関係の指揮監督と、この点はひとつ分離してと申しますか、分けてお考えいただきたいと思います。  そこで、私どもが従来から説明しております出張命令関係は、隊法関係の指揮監督ということではなしに、むしろ防衛庁という行政組織機関におきますところの職員の勤務状況を律します防衛庁法、これに基づきますところの各種の訓令、通達等によって事態を処理しておる範囲でございますので、ひとつそのように御了承願いたいと思います。
  143. 大出俊

    ○大出委員 そうじゃないのです。いまの点は、防衛庁長官の隊法における指揮監督権というものは、三幕の長なら長がどこに行くかということが明らかになっていなければ、これは通じてという形の通じてが行なえない。したがって、庁法のほうで何がしかのそこに規制がはっきりしなければ、単に表に出ない内規的な形でやられておったのでは困るのではないか。だからこそ、先ほどから答弁が明らかになっていない。たとえば、あなたも御存じのとおり、ここに防衛庁の旅費に関する訓令という訓令があるわけですね。この訓令の中にもこの関係は明らかになっていない。だから防衛庁長官がやろうとすれば——訓令というのは長官訓令なんだから。そうでしょう。そこのところの法規関係を義務づければいやでも応でも長官がそれがわかるようになる。そういう関係を、隊法と庁法の関係を分けて考えるのは、法律が違うからあたりまえだけれども、明らかにしていないからきわめて不明確で、先ほども岩動さんがびっくりしたようなことになる。そうなると、結果的にはシビリアンコントロールにひびが入る、そういう心配が今回出ているから、筋を追えばそうなるではないかということを申し上げておるので、明らかにしていただきたい。
  144. 海原治

    海原説明員 ただいま大出先生もおっしゃいましたように、なお先ほど岩動先生からも御指摘がございましたように、この点につきましては大臣からもお答えしましたごとく、事務的にも検討いたしまして、ただいま御質問のような御疑念のないような措置をとりたい、こう考えております。ただ従来はこのような規定で進んでまいりまして、実は何人もその点につきましては疑問を持たなかったことも事実でございますが、今日のような事態になりますと、いろいろな委員会で御指摘がございましたように、各幕僚長、統幕議長等と長官との関係、これにつきましてはなお詳細に内部の手続規定をきめるのが適当である、こういう御意見も承っております。私どももそういう線で今後検討してまいりたいと思います。
  145. 大出俊

    ○大出委員 ただし現在でも事前に報告はいっている、こういうことですね。
  146. 海原治

    海原説明員 そのとおりでございます。
  147. 大出俊

    ○大出委員 そうすると、もとに返るけれども、ひまなら来てくれという筋合いになりませんね。ひまであるかひまでないかということを含めて報告がいっているとすれば、事前にこれは長官がわかっているわけだから。あなたが、冒頭に私が問題にいたしました点について、自発的であるとか命令であるとか、どうも命令はかどが立つ、そういうあいまいなことになっているところに国民が不納得なんで、あなたの行動がおかしくなるので、そこのところをあなたはどう考えておりますか。
  148. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほど申し上げますように、表現がまずかったというように申し上げておるわけでございますが、ひまがあったらということは、特別に緊急の用件を持っていなければというような意味に解していただきたいと思います。
  149. 大出俊

    ○大出委員 あなたのいままでの答弁を承っておりますと、どうもそこのところを、あなた自身がきわめて不明確にとらえておる。だからその点がどうも自衛隊を私兵化したのじゃないかという言い方が出てくるわけで、幹部の私兵化ということは、隊の私兵化にも通ずるわけで、そこに各方面から、新聞の論調にしても、次から次からいろいろな問題が出てくる。この読売新聞なんかにしても、その点を非常に詳しくついておりますけれども、これはあとの場面で申し上げますけれども、そういう点をあなたのほうがあいまいにされるところに今日的な問題がますますもって国民の不信を買うことになる。ここのととろはあなたのほうは検討する、こういうことなんですが、これは単なる検討では済みませんからね。  次の問題は、あなたの先ほど来のお話の中に、アメリカに行っていろいろ情勢を話し合ってきた、こういうわけなんですけれども、現下の情勢について、あなたは現地に行かれて、これまたあなたはいろいろ口に出しておられる。これを読んでみますと、ソ連の潜水艦や飛行機が日本の周辺をうかがっているということをあなたが言われている場面がある。となると、そういうきわめて重大な情勢だという判断のもとに、そういう重大な時期にまた防衛庁長官就任をしている、こうあなたはお話しになっているんだけれども、その辺の認識からするならば、先ほどもちょっと別な意味で話が出ましたが、三幕の幕僚長と統幕議長とあなたと一緒にYS11で鹿児島へ飛ぶ、ひまだったら来てくれというので行ったということ自体、その辺から判断してどのようにお考えになっていますか。
  150. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私は事務当局の報告によりまして、潜水艦なり飛行機なりが日本の近くで演習をしておる、こういうことを聞いておりますし、参議院でも委員会でそのことは答弁をいたしたことでございますが、そういうようなことの話でございまして、これも表現の、ニュアンスの違いだと私は考えておるところでございます。しかし各幕僚長等の全部が、これは岩動委員にも申し上げましたとおり、全部が同時に同一行動をとるということは、これは適当でございませんので、この点は今後御指摘のとおりよく検討して、その方向で努力をいたしたいと考えております。
  151. 大出俊

    ○大出委員 私が質問を申し上げているのは、たいへん忙しい状態だということをあなたは現地でも力説をされている、それから陸から空からどうも飛行機だの潜水艦にだいぶうかがわれているという御認識でものを言っておられる、そういう重大な時期に、まあお国入りの問題はあとから申し上げますけれども、あなたの私事まで含む所にそういう方々に行ってくれと言うに至っては、これは認識を疑わざるを得ないわけなんで、そこを聞いているわけなんです。そんな状態じゃなくて、のんきな状態なんだという御認識なら、それならそう言っていただければいいのですが、あなたが口にしておられることを聞いていると、たいへんな情勢なんだというお話だから、そういう認識で、そういう重大な時期に防衛庁長官に御就任になったという前提でお話しになっているのだから、そこのところはひとつ……。
  152. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほど申し上げましたように、事務当局の情報によりまして、そういう、一部に潜水艦や飛行機の演習の状態がある、こういうことを聞いておるわけでございまして、少しその辺をひとつ御了解願いたいと思います。
  153. 大出俊

    ○大出委員 そうすると、あなたが言われるソビエトの飛行機、潜水艦、こう言っているのですけれども、これは少しあなたのほうの認識というか、発言がオーバー過ぎたということになるわけですか。
  154. 上林山榮吉

    上林国務大臣 そういう情報があるということを申し上げているので、切迫しておるという意味で申し上げておるのではございません。
  155. 大出俊

    ○大出委員 どうも話がさっぱりわかりませんが、とにかくオーバーにとれたということになるとすれば、オーバーに言ったのだということになると思うのでありますが、ともかくそういう点は防衛庁の責任者なんですからね、ひとつ十分……。それこそあなたの責任という問題になりますので——もうなってしまっているのだから、これは。まあこれは将来配慮してくれと申し上げていいのやら悪いのやら私もわからぬのです。あなたにずっとやっていただくのなら、これは将来十分御配慮をと言わなければならぬと思うのですけれども、私ども、どうも国民世論を背に受けて、このあたりで御退陣をいただいたほうが、将来防衛庁というのは誤りなきを期せられるのではないか、こういうふうに考えているのですけれども、この辺でどうですか、もう一ぺんひとつ所見のほどを承りたいと思う。その辺先ほどお答えになっていないので……。
  156. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほども一言申し上げましたとおり、私はその点深く反省をいたしております。今後も精進努力したいと考えております。
  157. 大出俊

    ○大出委員 先ほど私が例にあげましたように、まぎらわしいことを言われると、いろいろ世の中が誤解をする、あなたが言われるように、その意味で。あなたが言っておられることは、たいへんに忙しいということで、きょうもここに幕僚諸君を伴ってきている、こう言われる。空から陸から、どうも飛行機や潜水艦にうかがわれると言われる。そこへ持ってきて、あなたは、これからまた忙しくて、アメリカへ行って、向こうの第一級の政治家と十分話し合ってくる、こう言われる。ところが先ほど岩動さんの質問を聞いてみると、マクナマラさんは第一級の政治家かもしれませんけれども、どうもあまりたいした中身ではない。おまけに羽田に帰ってきて言われたあなたの御発言からすれば、ここに新聞の記事が幾つもありますけれども、たいして問題になるようなことはマクナマラ氏と話してこなかったとあなたは言われている。そうなると、これはハウ・ドウ・ユー・ドウと先ほどうまいこと岩動さんは言われましたけれども、たいへんオーバー過ぎる御発言のように世の中は受け取れるので、これはたいへんだということになるわけなんで、一つ間違うと自衛隊そのものの私兵化どころではない、とんでもないことになるのじゃないか。そういう心配まで新聞論調はあげてしているわけですね。そうでなければ、こんなに大きな問題にならない。だから私はそこのところをあなたに承りたい、こう申し上げているわけです。この三つの関係を、どうもあなたはそこまで考えてなかったのだが、不用意にそう言ったんだということならば、そのようにけじめをつけていただきたい。そうすれば先に進めますから。
  158. 上林山榮吉

    上林国務大臣 重ねて申し上げますが、表現の方法がまずかった、適切でなかったというふうに考えております。
  159. 大出俊

    ○大出委員 次に、前例のないお国入りだったという質問が出ておりますけれども、この記者会見のときのあなたのほうの御答弁からいたしますと、全然考えませんでしたというところから始まって、秘書官と事務当局に一切がっさいまかせ切って、人にまかせ切る性格があるので、その結果こういうことになった、こういうふうに言っておられるのです。そのあたりのところで最終責任はあなたにあることになっておりますけれども、事務当局に一切がっさいというのは、最後まで何もかも全部事務当局と秘書官の方々が言われるとおりにあなたは動いてこられた、自分はその間何も考えなかった、こういう意味ですか。あなたが歩いてこられたわけだから……。
  160. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほどからだんだん申し上げますように、公私の区別は最初からつけておったつもりでございますが、地元の歓迎が予期以上でございましたので混乱を生じた、これはそういう意味にとっていただければ、私の言わんとするところに合うわけでございます。
  161. 大出俊

    ○大出委員 あなたがいま言われている中で私が一つ疑問に思いますのは、この何日もの期間、あなたは御自分で歩かれたわけですね。そうでしょう。してみると、これは予期以外のたいへんなことになったという場合に、あなたにそこのところはやはり考えるところがなければならぬと私は思うのですよ。歩いてきてしまった今日になれば、私どもの見方からすれば、あなたはごきげんで——ということばはかどが立ちますからなんですが、そういうふうな感じでとにかく歩いてこられたのだろうと思うわけなんで、こういうところに公私の混同ということばが出てきてしまう結果が出てきたんだ。だからあなたが歩いてこられる途中で——たとえばここに写真が載っておりますけれども自衛隊の方々のうしろにいるパレードを見ても、「上林山榮吉先生後援会」というまさに大きな旗を立ててオープンカーに乗っておられて、あなたが帽子を振っておられる、こういうわけです。一番先頭を広報車が走って、そのときにその胴体に「祝国務大臣防衛庁長官上林山榮吉先生」という幕を張って、「上林山先生がお帰りになりました」と広報車が「がなり立てて行く。」とここには書いてあります。そのあとを白バイ、パトカー、自衛隊の警務隊ジープ、これが追っかける。軍楽隊が続く。そのあと長官の乗るオープンカーが走り、以下統幕議長、陸幕長、海幕長等々の方々が車で進む。「さらに後援会の随行者などが金魚のウンコよろしく」と書いてありますが、「総計三十数台の“大名行列”が鹿児島の目ぬき通りを練り歩いた」と書いてあるわけです。だから皆さんの党の方々もたいへん言いにくいことを言っておられる。そういうことになってしまったわけですね。そういう状態の中で、しかもこの旗を見ますと、「上林山榮吉先生後援会」という大きな旗が立って、その旗と一緒にあなたはオープンカーに乗っておられる。こういうわけですから、これをどこからどう考えても、自衛隊のPRだとは受け取れませんよ。上林山先生のPRに自衛隊がお供をしたということにどこからどう考えてもならないか。そこのところを率直にやはりお認めにならぬとおさまりがつかぬ今日の事情だろうと私は思うのですが、いかがですか。
  162. 上林山榮吉

    上林国務大臣 広報車は県の連合会の車だということがあとでわかったわけですが、こちらのほうでやらしたわけでもございません。もちろん命令も、演出も、こういうふうにしてくれと頼んだわけでもないわけでございます。決してこれは責任転嫁の意味で申し上げているのではございません。そういうような意味合いで何も私がこまかいところまで配慮して、そしてああやってくれ、こうやってくれということはほんとうに気づかなかったし、またそういうことをやる余裕もなかったように思っておりますし、全然ございませんから……。
  163. 大出俊

    ○大出委員 こういうことを私も事こまかに質問するのは好かぬほうですけれども、事ここまで来れば、やはり明らかにするところは明らかにしなければしかたがありません。そういう意味ではっきりお答え願いたいのですが、実はそうおっしゃるのだけれども上林山さんの後援会が現地の官庁だとかいろいろなところに事前に文書を出しているわけですね。この文書の中身に書いてある日程その他は防衛庁の方々の日程と全く同じで、たいへん手回しがよくできているわけなんです。したがって、これは上林山さんの後援会と防衛庁なりあるいは事務当局、秘書の方々が一緒になって計画をされたというのは、これは共催でやったような感じになるわけですね。そういう感じをお受けになりませんでしたか、現地に行かれて。
  164. 上林山榮吉

    上林国務大臣 いまおっしゃったことばの中に共催というふうなことがありましたが、そういうふうには私には思われませんでした。先ほどから申し上げますとおり、いわゆる公的な出張が主であったつもりであったけれども、地元の自発的な計画といいますか、そうしたような計画のために、確かに結果的に見れば混同された点があった、この点は率直に認めます。しかし、最初から一から十までこまかいところまでああしろ、こうしろと命ずるとかあるいは演出をお願いするとかいう点はなかったわけでございますから、御了承願います。
  165. 大出俊

    ○大出委員 現地の自治体にいろいろいっているわけですよ。普通のところにもいっていますけれども、普通のところじゃないわけですね。「上林国務大臣帰省日程のお知らせ」というので「国務大臣防衛庁長官上林山榮吉先生が就任後別紙の日程により帰省ごあいさつ申し上げたいと存じますので万事よろしくお願い申し上げます。まずは取り急ぎ御連絡まで」こういうことです。帰省ごあいさつということで、これは各官庁からもいろいろなところに流れている。日程まで全部ついている。となりますと、先ほど長官はそういうふうにお答えになるけれども、どうも私は単に秘書まかせ云々ということで一切をお逃げになっているように印象づけられる。あなたも十分御承知の上でこういう計画でお進めになったんじゃないか、こう思うので、もう一ぺんそこのところを答えてくれませんか。
  166. 海原治

    海原説明員 これは大臣がいわゆるお国入りをされます場合のいろいろ事務の段階でございますので、何分にも御就任後いろいろと東京付近の部隊も御視察になっておりまして御多忙のことでございますから、郷里へ帰られましてからどこにどうだということの日程の一々が大臣のところまで行くわけではございません。しかし先ほど来申し上げておりますように、部隊の御視察ということは、これは防衛庁の計画でございます。その防衛庁の計画と大臣が郷里に帰られましての地元の計画と、これは御存じのような日数でございますから、防衛庁のほうは何日の何時から何時までだということについては当然に地元のほうとも、地方連絡部であるとかあるいは西部方面隊連絡幹部であるとか、そういうところが相互に連絡をいたします。この連絡をいたしますことは、このような場合においては当然に必要なことでもございますし、連絡がございませんとその間スムーズに事が取り運びません。したがいまして、お互い日程等の連絡交換ということは、これは当然のことかと存じます。その一々が大臣のお手元までいくような仕組みには従来なっておりませんということをひとつ御了承願いたいと思います。
  167. 大出俊

    ○大出委員 いま私が申し上げたのは全部私のところにありますけれども、これは上林山さんの後援会の事務所から後援会筋という形で送られているわけですよ。これまで御存じないということは、これはあなたの後援会なんですから、東京都港区西新橋一丁目四番地十号、上林東京後援会云々ということで表題が入っておりますけれども、こうなりますと、上林山さんの後援会の責任者の方々があなたに何も話さないということはないと私は思うのですよ。  それからもう一つついでに申し上げますが、これは現地から来ている手紙なんですが、上林山榮吉氏が郷土入りの際に、A地区では参加費一人三百円の会費でA高校で歓迎会をやる。その際、役場から各部落に半強制的に歓迎会参加の呼びかけが来たというわけですね。非常におもしろくない感じがしたというわけです。そうかといって役場からそういうふうに言われれば出ないわけにもいかぬ。後援会から役場にその趣旨でいっていますよ。そこへ持ってきて今度は、町役場が国旗を小中学生に支給しているというわけだ。これはどこから費用が出たかわからないけれどもと書いてあるが、小中学生に国旗をくれたというわけだ。それから町の教育委員会が小中の学生に——これはことばが過ぎるかもしれませんが、書いてあるとおりですからやむを得ず言いますけれども、半強制的な出迎えの要望、これが出てきた。それから歓迎会場に軍楽隊の演奏があるからということを広報車で部落の中を全部知らして歩いている。あるいは歓迎会を盛大にやってくれということを言って歩いている。それからもう一つ、学校の講堂で——これはお祝いをやったのですから酒が出たのはしようがないと思いますけれども、そういう意味での歓迎の酒宴があって、そのあと片づけば全部この高校の生徒がさせられたということで物議をかもしているということなんですね。あと墓参だ云々だということが書いてあったり、それから宴会場まで軍楽隊がやってきて、宴会場の講堂の十メートルちょっと離れたところに楽隊が来て演奏をやったということなんですが、こういうことになってきますと、現地でも今度の計画は非常に公私混淆の計画だということで、町から村からいろいろ不満が出てきている。  実はこういう中身で送ってきているわけですよ。そうなりますと、私は、単に先ほど海原官房長が答えるようなことではなくて、私が共催ではないかと言ったのは、後援会の皆さんの側からこれだけ周到なものが流されていれば、町役場だってあるいは教育委員会だってみんないっているんですから、二十九日が大体受付日であれば役場にも教育委員会にもその受付がありますよ。そうだとすると、上林山さんのやつがあるから会費三百円でなるべくよけい集まってくれと公的な機関の者が出てきて車を走らせて部落の中を歩き回る。そういうことになるとすると、先ほど岩動さんが質問したことにお答えになった限りの、まあごくわずかのところが何となく地元がそういう空気だったから公私混淆になったとか混同になったとかと言ってしまえばそれで済む、あるいは配慮が足らなかった、たいへん申しわけなかったと言ってしまえばそれで済むという問題ではないと私は思うのですがね。ここらまで申し上げて、これはどう考えますか。知らぬとおっしゃいますか。国旗の費用なんかどこから出てきたのですか。
  168. 上林山榮吉

    上林国務大臣 いま御指摘を受ける点については、これは配慮の足らなかった点も確かにあると思います。しかし、御承知のようにそこは私の出身の郡でございます。そういう出身の郡だけというようなこと、あるいは先ほど鹿児島の土地柄と言ったらお笑いになった方もおられましたが、鹿児島の土地柄というようなこともございまして、非常に歓迎を受けたのは事実でございます。そういう事情もございまして、結果的にはいろいろなふうに見られる点もあると思いますが、もちろん今後こういうことはできるだけないようにしなければならぬと思っておりますけれども、私は、いま御指摘のそういう点について、半強制的に歓迎会に加入するようにせよというような、そういう指示は全然いたしておりません。いま御不満の手紙が来ておるということでございますが、その人の住所氏名がわかれば私は丁重におわびの手紙を差し上げたいと思っております。
  169. 大出俊

    ○大出委員 そこで、先ほど私が例に引きましたたいへんな形で後援会の旗を立てて、長官の乗っておるうしろから自衛隊の最高幹部の方々が、制服で並んであとから行かれる、こういう状態が町の中に現出されたわけなんですが、これが時間外であれ時間内であれ、両方ありますけれども、これは自衛隊の幹部が乗った車のうしろから行ったとここに書いてある。おそらくそうだと思うのですが、違いがあれば御指摘いただけばいいです、書いてあることですから……。こうなると、自衛隊の服務宣誓というのがございましょう、服務宣誓というのは一体どんなものか長官御存じでございますか。
  170. 上林山榮吉

    上林国務大臣 法的な根拠の問題はまたあとでお答えしますが、御指摘の三幕長というような幹部諸君がAについて行ったようには記憶いたしておりません。
  171. 大出俊

    ○大出委員 Aを言っているのではないのでありまして、旗さしもので、後援会の旗で歩っているのは、これは鹿児島ですが、上林山さんの写真が載っておるのですが、私が言っているのはAだけ言っているんじゃない。さっきの手紙が来たのがAなので、そうじゃなくて、あなたはだいぶ日数がたっておりますから、一々何時何分のどこどこということを言わなければおわかりにならぬというなら、資料を出してもらっておりますから全部端から言いますけれども、そうじゃなくて、私が言っているのは、鹿児島の山形屋ですか、デパートの前あたりでどういうかげんか車ががたんと動いたら、長官がしりもちをついてまた立ったなんて書いてあります。実に詳しいですよ。運転手をおこる場面まであってなんて書いてありますけれども、つまりそこのところですよ。オープンカーに乗った長官のうしろから防衛庁の幹部の方々が、ここにちゃんと統幕議長、陸幕長、海幕長、全部官職が載っておりますが、さらに後援会の随行者、こうなっておりますが、こういう場面というものは、上林山さんの後援会の旗さしものの中で自衛隊の幹部の方々が動いているかっこうになっている。ちゃんと写真が載っている。こうなると、服務宣誓との関係がそこに出てくる、私はこう言っている。あなた方は時間外だとかなんとか言っていても、公務員というのは時間外といっても、政治活動は厳に取り締まられている世の中でしょう。そうすると、自衛隊の服務宣誓を、あなたのほうで言ってくださいよ。
  172. 海原治

    海原説明員 ただいま大出先生が御指摘になっております事実関係が、若干週刊誌等で報道されましたのと違っておりますので、念のために御説明させていただきます。  鹿児島空港に到着いたしましたのは九月二日でございます。もっぱらそのときの記事が出ておるようでございますが、到着いたしましたのは先ほど御説明いたしましたように十七時五分、五時過ぎた時間でございます。それから城山観光ホテルでは、十八時から県と市と商工会議所、こういう公の団体の共催の祝賀会がございまして、これに長官及び随行者が招待された。御存じのように、この空港から城山まで行きます順路の間は、道路の状況等もございまして、勢い隊列を組むことになりました。しがいまして、この際の自衛隊関係の車両は、乗用車が七台、ジープが三台出ております。合計十両でございます。そのほかに、地方公共団体としまして、県と市と県警から六両、合計十六両で、勢いこの祝賀会の会場までそれぞれ分乗してまいるわけでございます。警察のほうからの交通規制の関係もございまして、いわゆる後援会関係の車は四両に実は制限されたわけでございます。ところが、実際の場合には、あちらこちらから隊列のあとについてきた車がございますので、勢い結果的には、この事情を御存じない方は何十台もの車が連なった、このように御観測になったかと思いますけれども、私どもが事務的に用意いたしましたのは、ただいま申しましたように自衛隊の車両が十六両、後援会関係が四両というものでございました。しかも、音楽隊の市中行進というのは、その途中におきまして一部、時間的に申しますと十七時三一分、五時半、市民広場から参加いたしまして、十七時五十分、これは駅前でございますが、この二十分間を音楽隊が市中行進をした、あとはやっていない、このような状況でございます。ひとつその前提でお考えいただきたいと思います。  服務の宣誓につきましては、御承知のように自衛隊法の施行規則の第三十九条に一般の隊員の服務宣誓がございます。もし御要求でございましたらこれを朗読いたしますが、隊員につきましては三十九条、学生につきましては四十条、予備自衛官については四十一条、幹部自衛官につきましては四十二条等の宣誓がございます。
  173. 大出俊

    ○大出委員 私が先ほど来申し上げているのはあなたとそう変わっていない。例の市民広場に向かい、そこで自衛隊の西部方面軍楽隊と合流をして市内大行進の列をつくったのでしょう。そうでしょう。違いますか。
  174. 海原治

    海原説明員 音楽隊が参加したのはそこでございますが、先生のおっしゃいます市内大行進ということばは、これは感じでございますので、私どもはいろいろな委員会においても申し上げておりますが、私どもの車の台数から目しまして、いわゆる大行進というような感じは受け取られなかった。政務次官からも、当時におきますところの地方紙、一般新聞紙の報道にも、特に大行進であるとか、はでであるとかいうようなことは、一切報道されてなかった、こういうことを今日までの委員会において御説明申したとおりでございます。
  175. 大出俊

    ○大出委員 オーバーに書いたとかなんとかあなた言われるけれども、あっちからこっちから新聞だの週刊誌だの一ぱい出てきますが、そんなことを言えばどれもこれもみんなオーバーに書いたということになる。それじゃ報道機関というものはおこりますよ。そんなにオーバーに書くものじゃないですよ。あなた方のほうがオーバーで、オーバーでないというふうに言いたいわけでしょう。問題の中心点はそれだけのことですよ。ここに書いてありますように、パレードの先頭は広報車、選挙のときさながらに、胴体に祝上林国務大臣と書いてある。それからそのあとに白バイとパトカーと自衛隊の警務隊のジープが行って、軍楽隊か続いて、その次に長官のオープンカーが走って、その次に統幕議長だの陸幕長、海幕長ら、防衛庁の要人が乗った車が走って、そのあとに後援会の随行者の乗ったバスが走れば、これはどこかり考えても大行進じゃないですか。それじゃ小行進というのは一体何だということになる。そういうところに後援会や何かの人と一緒になって——だから私は共催だと言う。そういうところに自衛隊の幹部の方々があらわれて一緒になって歩くという形になると、これは自衛隊のPRじゃなくて、上林山先生の後援会の方々の考えておられるそのためのパレードになってしまう。そうだとすると、服務宣誓との関係はどうなんだ。「関与せず」になっているのですから、自衛隊の方々は一切関与してはいかぬのですよ。それが筋でしょう。そうだとすると、これは本人に会って聞いてみたわけじゃありませんけれども自衛隊の内部の方々ですらいろいろ制服の一件以来意見が出ているのは、そういうところからくるのだと私は思う。官房長ともあろう人がいて、防衛庁長官は新任長官だからお国入りの気持ちはわかるにしても、伊藤顕道さんからも出ていましたけれども、はぜ一体こういうところまであなたのほうは最高幹部以下を並べて参加をするのか。この責任の所在を明らかにしてもらいたい、正直に言って。国民一般が、これだけ各新聞紙口をそろえて——聞くにたえぬでしょう、読むにたえぬでしょう、こり各紙の論調を読んでみれば。そこまで来ているとに対して、最高指揮監督権者は総理なんだから、だから、私どもとしてはこの席に総理なり官房長官なり出てきてもらって、やはり正式に国民諸君に答えてもらいたい。しかも、予算委員会なり決算委員会なりで、総理も官房長官も、ともに皆さんの質問を受けて事の真偽のほどを、責任の所在を明らかにすると答えておられるのだから。にもかかわらず、けさほどの理事会ではないけれども、総理も官房長官も理由不明で御出席にならぬという。そういうふざけた話はないですよ。だから、そういう意味自衛隊の服務宣誓の問題とからんでこれをどう見るか、私は上林山防衛庁長官に聞いている。こういうところに自衛隊の方を出してしまった責任というのは長官にある、そうお思いになりませんか、長官
  176. 海原治

    海原説明員 これは大臣に対する御質問の前提といたしまして、この大行進ということに問題があるわけでございます。このことは、私当時お供をしてまいりましたが、事実関係を申し上げますと、御存じのように、鹿児島空港というのは空港ではございますが、きわめて狭いところでございます。この空港から、城山ホテルに行きます道も、もし東京のようにいろいろな道がございましたら、このような大行進にならなかったと思います。と申しますことは、この最後の日に大臣あいさつ回りをしておられます。この際は、制服の幹部は一人も随行しておりません。五日、月曜日のあいさつ回りのときに私がお供しましたのも、県庁と市役所と県警本部でございます。このように私どもとしましては、私どもなりにいろいろと考えて行動じたつもりでございます。ただこの二日の行動につきましては、あの空港から城山まで参ります間のこれだけの車両でございますから、これは当時、夕方の混雑時におきますところの警察の規制等もございます。結果的には、先ほど来先生のおっしゃいましたような、共催といわれるようなかっこうになったということは、私どもにとりましては、きわめて考えの至らなかった点でございます。今後は、どんなことがございましても、私どもの随行者の行動と、地元のこういう団体の方々の行動とは、はっきりと区別しなければならないということは、この数日来真剣に考えている次第でございます。当時におきましては、今日のような御批判、御指摘を受けるとは、私ども毛頭考えておらなかったのも事実でございます。
  177. 大出俊

    ○大出委員 私が聞いておりますのは、長官、あなたに聞いているんで、官房長の先ほど来の答弁は、私も参議院の内閣委員会を初めからしまいまで傍聴しておりましたから、あなたの答弁を聞いて知っている。そうじゃなくて、この場面にあらわれたこの事態というものは、長官、先ほど来、前者の質問のときに、何回か公私混同だということについての釈明をされておる。してみると、どこが一体公私混淆なり公私混同なりかという点を、じゃあはっきりしていただきたい。どこが公私混同だというふうにお考えになるんですか。あなたそれをお認めになっているわけだから。これをさすんじゃないですか。ほかのほうですか。どこが混同になるんですか。
  178. 上林山榮吉

    上林国務大臣 具体的に公私混同を全部指摘せいとおっしゃいますと、残念ながら、どこからどこまでが公私であるということはわかりません。ただ、ただいまの問題について、確かに最初からいろいろと計画し、指示したわけではないけれども、しかし、こういう点は向こうに行ってみまして、歓迎を受け過ぎたといいますか、あるいははでであったといいますか、そういう点は確かに私自身としても以後反省しなければならぬ。いまほどの考えがあればそういうことにもならなかったと思いますけれども、その当時は配慮が足らなかった。行ってみて、実際混同したといいますか、あるいははで過ぎたといいますか、自分もこんなにまであるとは実は考えていなかった、こういう感じで、確かにはでであった、こう思っております。
  179. 大出俊

    ○大出委員 小行進や中行進ならはでじゃないけれども、大行進だったからはでだった、こういうことだと思うのですが、ともかく長官が再三認めておられるのは、公私混同ということをお認めになっているわけだから、そうすると、その中の一番大きなやつ、これはまさに公私混同とお認めになると私は思ってあなたに質問しているのですが、どうしてもお認めになりませんか。このパレードは公私混淆ではないですか。経過についてはいろいろな理屈はあるけれども、しかし、問題は、表にあらわれなければ世の中はわからぬ。そうでしょう。これだけ騒ぎになって表にあらわれたから、だからはでだったとおっしゃっている。してみると、一番はでなこの部分というものは、公私混同とお認めになるかと聞いているのです。
  180. 上林山榮吉

    上林国務大臣 御批判はいろいろあったわけでありますけれども、いまおっしゃいました点については、私はそう思わなかったわけであります。結果的にはそういうふうに見られる点もあるけれども、公私混同だというふうに最初から考えておりません。
  181. 大出俊

    ○大出委員 最初から考えたわけではないが、結果的にそういうことになった、こういうことですか。そう理解していいですか。
  182. 上林山榮吉

    上林国務大臣 どこからどこまでが公私混同であるか明確に言えというのですが、なかなかこれは私は言えませんが、気分的にといいますか、最初はそういうふうに計画し、指示したわけでもなかったけれども、いま考えてみて、あるいは現地に行ってみて、確かにそれは公私を混同したきらいがある、こういうように考えます。
  183. 大出俊

    ○大出委員 そうすると、公私混同のきらいがあるというところまでお認めになったわけですね。——そうすると、その公私混同のきらいのあったところへ自衛隊の最高幹部の方々が一緒に歩いたということは、これまた服務宣誓違反のきらいがあることになる。そこはどうですか。
  184. 海原治

    海原説明員 服務の宣誓についての関連でございますが、御存じのように服務の宣誓の「政治的活動に関与せず」ということにつきましては、人事院の定めましたあの規則と同じ規則が出ております。あそこに入っております条項との関係におきましては、今回の事態は該当いたしません。
  185. 大出俊

    ○大出委員 それはあなたの解釈じゃないのですか。あなたがいたしませんと言ったって、あなただけできまるわけじゃない。あなたがそう思うというわけでしょう。そこのところは言い直してください。
  186. 海原治

    海原説明員 防衛庁内で一応法規関係を扱っておりますのは私でございますので、官房長としての私の解釈では該当しない、こういうことです。
  187. 大出俊

    ○大出委員 ところで、公私混同のきらいのあった旅費その他の経費について少し承っておきたいのですが、参議院の内閣委員会等の最初お話の中には、何日と何日というふうに分けてお話しになっていないのですけれども、あとから、なかなか出てこなかったけれども、最後に出てまいりましたあなた方のほうの資料に基づきますと、国務大臣の、つまり防衛庁長官の一万四千円という旅費の額は、これはどういう内訳なんですか。九千円の五千円……。
  188. 大村筆雄

    ○大村説明員 第一回目は、長官出張旅費は九千円でございます。これは二日から五日までであります。四日が私費旅行になっております。二日、三日、五日につきまして日当は一日八百円、それから宿泊料は二泊六千四百円でございます。二回目は六日、七日、八日のうち、七日は私費旅行でございますから、これは日当を差し上げてございません。総額は四千八百円、つまり二日分の日当千六百円、一泊分として三千二百円、合計四千八百円、したがいまして、それぞれ一日選挙区にお帰りのときは、私費旅行として旅費は差し上げておりません。
  189. 大出俊

    ○大出委員 こまかいことで恐縮だけれども、いまの数字がちょっと合わぬようなんだけれども、総計一万四千円ですか。  それから会議費十万円というのは何ですか。
  190. 大村筆雄

    ○大村説明員 旅費は一回目が八千八百円、二回目が四千八百円、合計一万三千六百円、切り上げまして一万四千円というふうに資料が出ております。  会議費でございますが、第一回目は鹿児島市におきまして自衛隊協力団体との懇談会等で十万七千円、第二回目は熊本市におきまして九州所在の部隊長との懇談のための支出の経費であります。
  191. 大出俊

    ○大出委員 刑事局長に一つ承りたいことがあるのですが、保釈中の人間の旅行制限等に関して、あなたのほうでどういうふうに扱っておられますか。
  192. 津田實

    ○津田説明員 保釈の条件といたしまして、これは裁判所がきめる事柄であります。その裁判所のきめられた事柄を順守するということが条件になっております。
  193. 大出俊

    ○大出委員 そうしますと、前回あなたに質問が出ている、先ほど岩動さんから話が出ましたYS11に同乗した久保俊広という人の九月二日前後における、保釈中の旅行の場所、日数等についてはどうなっておりますか。
  194. 津田實

    ○津田説明員 これは私のほうで承知している範囲でありますが、当時久保俊広なる者の制限住居は杉並区になっております。そして制限の条件といたしましては、三日以上の旅行については裁判所の承認を要する、こういうことになっておるようであります。それに対しまして、鹿児島旅行について予定を超過したようでありますが、そのことについて上申書を出しておるというふうに聞いておりますが、詳細は私のほうではわかっておりません。
  195. 大出俊

    ○大出委員 そこが、これは裁判官に出てきてくれというわけにいかないので、それであなたに来てもらうよりほか手がない。  そこで、いまのお話でちょっと出ているのですけれども、私のほうでいろいろ調べた限りでは、この人は三十一年四月十九日に、当時の金額で四千万円を越す恐喝ということで起訴されて、六月十三日起訴、六月十四日追起訴、十五日追起訴ということで、山のようにあります。小は二万円から、大は二十万円から百万円くらいのかつあげというのがあるわけです。それで毎日追起訴のような形がずっと続いて、今日まで追起訴。だから求刑五年の懲役三年なんです。そうなると、いま言われるように旅行制限は明確になっていなければならぬと思うわけです。そこのところは明確なんですな。どうなんですか。
  196. 津田實

    ○津田説明員 ただいまのところは、旅行制限事由として三日以上の旅行についてということは私のほうで承知いたしておりますが、これに対して違反した場合にどういう処理をするかということは、あげて裁判所の処置でありますので、私どもはわかりません。
  197. 大出俊

    ○大出委員 したがって、当該裁判長に対して、許可を得て行っているということになるわけですね、鹿児島旅行をするにあたって。
  198. 津田實

    ○津田説明員 これは若干推測がまじると思いますが、今日鹿児島旅行といえども、航空機によれば三日以内に帰れるわけでありますので、あるいはそのつもりで旅行したのかもしれません。あるいは初めから違反するつもりであったかもしれませんし、その辺は私どもではわかりません。
  199. 大出俊

    ○大出委員 これは結果的に三日の制限を越えたために、三日以上も旅行してたいへん申しわけないという上申書が出ているわけですね。この点は御承知でしょうね、もう一ぺん聞きますが。
  200. 津田實

    ○津田説明員 予定超過についての上申書というものが出ておるというふうに承知しております。
  201. 大出俊

    ○大出委員 これは聞いてもあれでしょうけれども、いつ出ていますか。あなたのほうでそれくらいお調べでしょう。
  202. 津田實

    ○津田説明員 その上申書の日付は、ただいまわかっておりません。
  203. 大出俊

    ○大出委員 そこに問題があるのですよ。こういう中身の方々の場合は、本来ならば三日以上の旅行というのは許可しない筋合いなんですね、一般常識からいって。また法律関係に聞いてみても。ところが、許可になっているとすれば、これは許可になっている日にちが明らかになっておって、さて制限超過の三日以上の旅行をやったのだからということについて、何がしかの手がとられていなければならないことになる。もしこれを、三日以上の制限云々というのが、明確なところに許可を求めないで行ったとすれば、これはまた重大な問題だ。そこで許可を求めないで行ったということになりて、あとでそれが取りそろえられたということになると、これまた重大問題です。これは国会質問が出ている問題ですから、裁判官を呼んできてここで質問するわけにはいかないのだから、そうだとすると、刑事局長の責任において、一体何日に許可申請が行なわれて、どういう形の許可がおりて、さらにその許可制限を越えた旅行をやってたいへんまずかったという上申書が一体いつ出たかということくらい、あなたは知らないのですか。あなたに質問が出ている問題じゃないですか。
  204. 津田實

    ○津田説明員 この問題は、その権限自体は全くあげて裁判所にあるわけであります。そこで私どもとしては、御調査の要求があれば調査できる範囲において調査をいたします。したがいまして、ただいまの点について御要求があれば調査をしてお答えをいたします。
  205. 大出俊

    ○大出委員 それはあなたのほうで調査をしてください。これはあなたの調査の結果に待つけれども、私のほうに伝わってきているいろいろな話——そのときにあらためてものを言いますが、最近、久保さんという人がやっておった国会ニュースの廃刊云々ということで文書が各方面に配られております。この中に「上林防衛大臣にいろいろな迷惑をかけ、また佐藤内閣に対しても迷惑を与えたことについて深くおわびするとともに、その責任を全うするために「国会ニュース」を十月二十日付で廃刊いたしました。」こういうわけです。  そこで、旅行制限があるにもかかわらず、きわめてあいまいな形で出されておって、あとのほうになっていろいろものを言うと、さて、制限超過でございましたという上申書が出ておるということになってきておる。これは三つ合わしてみると、われわれとしてまことに了解に苦しむ。その間に鹿児島旅行をおやりになって長官機に同乗していってしまっている。こういう結果です。結果的に、上林防衛大臣にいろいろ迷惑をかけた、佐藤内閣に対しても迷惑をかけた、だからやめるというので廃刊をした。こうなっているわけですね。そうなると、われわれとしてはここのところは非常に納得しかねるものがあるわけです。  そこで、私は長官にお伺いしたいのだけれども、いまの事情をその前提にして、私は一昨日から三輪次官の御出席を求めていたのだけれども、次官お見えになっていますか。警察学校での講演があって、講演が昼前に終るというのだけれども、なぜお見えになっていないのですか。——混乱させて恐縮だけれども、私は二日前に前もって事務次官の出席を求めておいたわけです。けさそこにあった防衛庁出席者の氏名表の中には、三輪次官が一番最後に追加記入してある。ちゃんとけさそこに出席になっておった。出席になっておったからこそ、あなたの机の上にあるのは消してあるのでしょう。あとから連絡があったから、伊能さんに話を聞いたら、警察学校に講演に行かれた。それはいつ終ると聞いたら、午前中だ。それじゃ午後の質問になるから、午後出席を願う。それはよかろう、こうなっておる。やはりおいでいただかぬと、長官のいままでの答弁というのが、私は知らぬ、次官決裁だから、こうなっておるのだから、関係の次官がいてくれなければ困るじゃないですか。——そういう約束事だったから、私は次官の御出席を求めているのですが、決裁をした責任者は次官だ、こう長官はおっしゃっているのだから、御本人がいないとわからぬ。それから刑事局長に聞きたいこともあるのだけれども、かわりばんこに聞かないと、どっちがどっちだかわからないこともあるから、次官がいないと困る。どうしても出られませんな。  それでは官房長に承りますが、例の久保何がしという人は次官決裁だ、こういうわけですけれども、その手続は明定されているとおりなんですが、先ほど国会議員も云々という話がありましたけれども、これはランクからいって、国会議員というのは正当に手続上明らかなんで、これは別な問題でどうということはないので、必要があれば乗れるわけです。ただ、その他云々というところに様式上問題があるわけなんですね。そうすると、この手続というものは、あなた方が言うように、そんなに簡単なんですか。具体的にはどういう手続をとっていますか。
  206. 海原治

    海原説明員 これは航空機の搭乗に関する訓令がございまして、この訓令の定めるところに従いまして部外の方々が自衛隊の航空機にお乗りになる場合は、搭乗の申請書を出されるわけです。この申請書は本人あるいは代理の方が出されるのでございますが、これが出されまして、それに基づきまして私どものほうで搭乗許可の決裁を進めるわけでございます。今回の大臣鹿児島に行かれますにつきましての書類の決裁は、官房で起案いたしまして、事務次官が決裁している、こういうことでございます。
  207. 大出俊

    ○大出委員 どういう申請が出ていますか。これには別表の一、「部外者がとう乗を出願する場合」云々と全部明定されているわけですから、そうすると、御本人からどういう申請が出ていますか。
  208. 海原治

    海原説明員 九月二日の鹿児島までの航空機の搭乗は六名でございますが、この部外の方々の搭乗の目的は、防衛庁長官部隊視察に随行というのが目的でございます。
  209. 大出俊

    ○大出委員 そうしますと、久保俊広という人は、あなたに随行したわけですか。
  210. 海原治

    海原説明員 申請の目的はそのとおりになっています。
  211. 大出俊

    ○大出委員 目的はそうなっておったが、随行したかと聞いているのです。
  212. 海原治

    海原説明員 この当時部外で随行しました六名のうち、鹿児島につきましてからの行動につきまして、先般も御質問ございました。その結果、私ども調査いたしましたが、四名の方につきましては、大臣部隊視察に随行、同行しておりますが、この久保氏につきましては、詳細は不明でございます。もう一人森田氏につきましても、御本人がある新聞に語ったところによりますと、部隊視察をしていないということになっております。六名のうち四名は、部隊視察に同行いたしました。二名につきましては、私どものほうは不明でございます。
  213. 大出俊

    ○大出委員 そうすると、虚偽の申請をしたことになりますね。虚偽の申請にあなた方は決裁を与えた、こういうことですか。
  214. 海原治

    海原説明員 私がお答えしておりますのは、申請の当時におきまして関係者の認識及びこれに基づきます書類類の処理は、長官部隊視察に随行ということになっておりますので、私どもはそのように考えておりました。その六名のうちの四名につきましては、具体的に部隊視察をしておるのに随行しておることを申し上げました。二名につきましては詳細は不明である、こういうことでございます。
  215. 大出俊

    ○大出委員 少なくともこれは長官と、その部隊視察に随行するということで乗ったのでしょう。それをあなたのほうは認めたのでしょう。随行していないわけですね。そうすると、それに対してはどういう措置をおとりになるのですか。そのままでいいということですか。
  216. 海原治

    海原説明員 私が御説明していますのは、正直に事実を申し上げておるのでありまして、部隊視察をしていないとは申し上げていない。したかどうかわからないということです。この御本人二人と連絡が私どものほうでとれませんので、したかどうかということが確証をもって申し上げられない、こういう事実であります。  そういう結果的に虚偽の申請をした者にどうするかということになりますと、これは私どもとしてさしあたりどうするという手だてはございません。
  217. 大出俊

    ○大出委員 全くそれはずいぶんいいかげんじゃないですかね。だから、私は責任者である次官に出てもらいたかった。そんなことをいったら、検察庁がいろいろ追っておる人物だって、たまたま秘書か何か口をきいたということで自衛隊機に乗って飛んでいってしまう、あとは行方不明だということだってできるじゃありませんか。そうでしょう。そういう形のものをそのまま放任するという手はないでしょう。それからまた、そういう形の人を乗せるについては、よほどのことがなければ乗せないはずだ。そこらについて大臣が知らないとおっしゃるから、次官に聞こう、こう思ったのです。そこらのことをもう一ぺん聞きたいのだが、長官、いまのやりとりを聞いておられまして、どう考えられますか。あなたに随行している人間なんです。
  218. 上林山榮吉

    上林国務大臣 今後厳重にさせたいと思っておりますし、またそういう制度は、従来からずっと慣例的に行なってきておりますが、いま御指摘のように、そういうふうに誤解を受ける部分もありますので、今後はこの制度も改めたい、こういうふうに考えております。
  219. 大出俊

    ○大出委員 しかもこれは大臣、少なくともあなたのお知り合いでしょう。カーテンをあけて入ってきて、同行させてもらいました、あなたはお答えになっているのだから。そうでしょう、そこらのところはどうですか。
  220. 上林山榮吉

    上林国務大臣 これは岩動委員お答えしたとおりでございまして、全然保釈中であるということは承知いたしておりません。(「その人間は知っているのだろう」と呼ぶ者あり)もちろん人間は、国会の廊下などでたまには顔を合わせておりましたから、知っております。
  221. 大出俊

    ○大出委員 私は制度的に御質問を申し上げているので、それらの関係はまた別の委員から御質問することになると思いますからあれしませんが、次官がおいでにならぬので、官房長にもう一ぺん申し上げておきますが、これは非常に国民一般から、これは一体どういうことなんだと私個人もたくさん質問を受けるところです。しかもその人が、さっき私がちょっと申し上げたように、たいへん芳しくない前歴をお持ちの方である、こういうことですから、そうすると、それと一体長官との関係は、とまで触れてたくさんの問題がある。こういう事態をやはりはっきりさせるためには、こうこうこういうことであったのだという、私どもが聞いて納得のできる釈明が、あなたのほうからなければならぬ。次官は決裁した責任者なんだから、それをあなたは補佐をする立場にあるのだから、そうだとすると、この問題についてはどうしますか。制度の将来の問題じゃなくて、この疑惑にどう決着をつけますか。
  222. 海原治

    海原説明員 この問題は、何回かすでに御説明したことを繰り返す結果に相なるわけでございますが、制度としての問題と、その制度を運用する問題と、その二つに分かれるかと思います。従来の防衛庁の慣行と申しますか、実際に防衛庁の各自衛隊の航空機に部外の方がお乗りになる場合の扱いでございますが、その扱いから申しますと、今回のように、この訓令の八条の第七号に該当する場合というものは、従来ともに実施をしてきたわけでございます。たまたまそういうことでいわば過去の例に従って事務がとり行なわれたことは、これは事実でございます。その中の一人の方がいろいろと問題の方でございまして、いろいろと御批判を受けてまいりますと、私どもも過去にさかのぼりまして検討いたしまして、長官が特に必要と認める場合におきます部外者の航空機の搭乗につきましては、これも過去すでに申し上げておりますけれども、いろいろとあとで御批判の出ないような形に運用なり、場合によってはこの訓令そのもの、すなわち制度も改めねばならないというふうに、私事務担当者としては考えておるというところでございます。
  223. 大出俊

    ○大出委員 これは次官がおりませんから、間接的答弁になっておるようですけれども、ともかく制度の問題もありましょうし、問題は当面のこういういかがわしい人を乗せたという、しかも防衛庁長官との関係において乗せたというこの事実につきましては、おおい隠せない事実ですから、しかもその三日の旅行が、保釈中の人物なんですから、制限超過をして、しかもどういう経緯かということは、私どもが想像すれば、つじつまを合わしておかなければ困るからということだと思うけれども、あとになってから——公には調査を先ほどお願いはしたけれども、制限超過の旅行をしてたいへん申しわけないという上申書まで出しているというところまでいま明らかになったわけです。そうでしょう、後日談があるわけだ。制限超過の旅行を責任を持ってそれじゃだれがさせたのだとずっと突き詰めていけば、部隊視察をほんとうにしたのならば、三日で終わった旅行じゃないのだから——そうでしょう。それからまた、初めからの約束どおり部隊視察をすれば、三日じゃ行ってこれなかったわけだから、制限超過をさせたのはそれはだれだという、こういう結果になる。だから、あるいは上申書というものを出して、国会ニュース廃刊ということまでごあいさつがわりに配る、こうなったんじゃないかということまで言える。だから、私は、そういう問題のけじめはつけていかなければならぬと思う。その点はひとつはっきりしていただきたい。  ところで、私はあまりいろいろなものが新聞に載るので戸惑うくらいなんですが、私どもも皆さんと席を並べている人間だから、まことに困る立場になっているわけで、言うならば被害者の一人なんです。東京新聞のゴシップ欄なんか見ますと、九月六日から五日間アメリカの元統幕議長のテーラー氏が日本に来た。目下米大統領の顧問だ。ところで、上林山さんと話をしているときに博士号の話が出た。テーラー氏は博士号を持っている。どうしてもらったのだと言ったら、講演が方々から非常に高く評価されてもらったのだと言う。そうしたら、上林山さんもアメリカに行くし、おれの講演もりっぱなものだから、どこかでそういうふうな博士号をくれぬかなという話があった、などというふうなことがゴシップ欄に載るようでは、私はいかぬと思う。これは中身はたいしたことじゃないけれども、こういうふうなものが載っかってくるようになったり、それから例の元帥服なんというもの、そこらじゅうでいまそれこそ落語、漫談の種にまでなっている。元帥服を着て鹿児島にお国入りするのだと言ったり、それから防衛庁の事務当局に元帥服をつくるのだと言ったり、こういうことに次々なってしまっては、それこそ新聞が書くように、茶番以上になってしまう。私は、そういうことが載るということは、いまの世の中にやはりそれなりに心配しなければならぬ点があると思うのですよ、皆さんにどういうふうに受け取られているかという点について。こういう点は、私はやはり皆さんのほうで十分に考えていただかなければいかぬことだと思うのです。さらに、天声人語じゃないけれども、これはもう何というのですか、読み上げてもしようがないけれども、全くお笑いを演出する内閣であるということから始まって、こういう状態で一体自衛隊の観閲式云々ということは、お笑い内閣の出しものも、いよいよ佳境にはいる感があるということまで書かれているわけでしょう。それでもなおかつ、長官は公私混同のきらいがあったというところまでお認めになっておって、とてもじゃないが私どもの常識からすれば、こういうところに出られる筋合いじゃないと思っているのだけれども、あなたのほうはなおかつこの長官でそのままやっていこうとなさる。一体自衛隊の皆さんというのは、先ほどちょっと岩動さんも触れたけれども、どういう気持ちでいるのかという、そこまで私はいまの段階で考えなければいかぬと思う。だから、そこのところは言いっぱなしにするけれども、上林山防衛庁長官みずからお考えになればおわかりになるところなんで、そういう意味での進退というものは、きめるときにはみずからがきめるという立場をとるべきだと思うのですよ。そうしなければ政治のけじめはつかぬし、政治に対する信頼度というものは高まらぬですよ。私はそこだけ申し上げて終わります。
  224. 木村武雄

    木村委員長 村山喜一君。
  225. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 私は、上林山防衛庁長官に対しまして、今回国務大臣として行動をされる中において出てまいりました一連の問題点について明らかにしてまいるわけでございますが、私は、長官、あなたが苦節三十年、大臣になられたと聞きまして、祝電を差し上げました。そうして、あなたの長官就任の宴会には出ませんでした。出ませんでしたが、東京における三州会の田中行政管理庁長官と同時の祝賀会にも、お祝いのことばをおくったのです。それはあなたが長い間、市会議員から県会議員、そうして衆議院議員として行動をされる中において、国務大臣としてこのたび就任をされた、その喜びをたたえて、私は私なりの気持ちであなたに対して敬意を表しました。しかし、私がいまから申し上げます問題は、これは衆議院議員である上林山榮吉氏の問題ではなくて、あなたが防衛庁長官であり、国務大臣であるという立場において、その政治家としての責任を追及しようとするわけです。  そういう立場から、あなたがちょうどお帰りになりました日に、私はかねては金がない貧乏代議士ですから汽車で帰っていたのですが、くしくもその日は空港におりました。鹿児島空港に着いてみますと、ちょうどエアポートのあの待合室のところに、上林国務大臣歓迎という大きなのぼりが張りつけてありました。私はそれを見てまいりました。迎えに来ておりました後援会の皆さんとも会いました。そしてまた、防衛庁の地連の代表の人も見えておりました。間もなく私は車で南日本新聞社へ参って、内外情勢の問題等について報告をしておりました。そうすると、あなたの乗りましたオープンカーが、たくさんの隊列を整えながらあの市役所の前を通ってまいりました。私は、新聞社の二階からその姿を見ておりました。その中において新聞社の諸君が異口同音に言っていることばは、同じ国務大臣になるんだったら防衛庁長官にならなければだめだ。前の田中茂穂国務大臣が行政管理庁長官として鹿児島にお国入りをしたときに比べると、同じ佐藤内閣でもこんなに違うもんだろうかとわれわれも思う、こういうようなことを話をしております。まあそういうような見方で私は見たわけじゃありませんが、その日行なわれましたこの大行進を見ながら、あなたが行動をされてまいりましたそのあとを私なりに調査をしてまいりました。その具体的な事実の中から、長官の所信をお伺いしてまいりたいと思います。  そこで第一点は、いわゆる公私混合の政治の姿勢というものの姿でありますが、先ほど公私混合のきらいがあったということをお認めになりました。しかし、その認められる中において、鹿児島の土地柄からそういうような情勢が生まれたんだという発言をなさったように受け取ったのであります。しかし、このことは、上林長官もやはりそのことばは取り消しを願わなければ、私は、鹿児島の土地柄がそういうような状態になるんだということを大臣が言われるということは、これはおかしなことではないかと思うのですが、その点については後ほど説明を承りたいと思います。あなたが土地柄からこういうような問題が出たのだとおっしゃるのを撤回されないつもりであるならば、それでもけっこうでございます。  そこで、先ほど海原官房長から、四日と七日の日の行動は、これは公的な日程ではなくて、私的な行動であった、こういうふうに承りました。そこで、前決算委員会等においては、その内容が、勝澤君の質問に対しましては、いわゆる公的なものが大部分であったのだ、こういうようなことで、本日初めて、四日と七日のほうはこれは私的行動として計画をされ、旅費も出されていないということが判明をいたしました。とするならば、この問題については、防衛庁としてはそういう立場で上林山防衛庁長官のお国入りの問題についてはやっているからという、具体的な指示なり依頼というものをなされたものであるのかどうか。私が先ほどお尋ねしておりますように、また、大出君のほうから質問がありましたように、これらの日程については、すべて東京上林山後援会のほうから文書が出ている。防衛庁のほうから、こういうような形で長官がお国入りをする、ついては御協力を願いたいというような文書が出ているのかどうか、私はその点を明らかにしてもらいたいと思うのであります。
  226. 海原治

    海原説明員 防衛庁のほうから正式に文書で通知が出ておるかどうかということにつきましては、私はそのようなものは出ていないと承知いたしております。
  227. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 防衛庁からは正式の文書は出ていませんね。
  228. 海原治

    海原説明員 ただいまお答えしましたように、正式の文書を出したとは承知しておりません。
  229. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 正式の文書を出さないで、いわゆる公的な行事である、公的な訪問である、こういうようなことがどうして言えるのですか。そういうような慣例というものはないのですか。後援会がすべてをやっていく中において、長官行動というものは公的なものが大部分である、こういう認定をしてかかるところに、防衛庁のとった行政的な措置というものがまずかったのじゃないですか。
  230. 海原治

    海原説明員 御質問の趣旨が私に正しく理解されておるかどうかわかりませんが、実は、従来御説明しておりますように、防衛庁が正式に防衛庁として関係いたしますものは、鹿屋部隊と国分の部隊との御視察、その往復、こういうことが公的でございまして、そこで、先般勝澤先生にも、全般的に見ればこれは公用である。しかし、その間において私事的な行事が行なわれるのは、これはそれぞれの地元の方々のなされたことである、こういうことで御説明してございます。したがいまして、全部の日程を見ますというと、これは、何と申しますか、防衛庁のほうでも、大臣はこのように御行動になるということの予定計画等の連絡をいたします。しかし、それは防衛庁から、このよりにきめたからどうこうというような関係団体への依頼の文書というようなものではございません、その意味におきまして、先ほど来、防衛庁から正式な文書で依頼した事実はないと承知しておる、こう申し上げておる次第でございます。
  231. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 そこで、これも先ほど触れられましたが、串木野高等学校にヘリでおりた。この場合に、近くには甑島の自衛隊基地の施設がある。私もそれは見に参りました。長官、あなたは自分の選挙区ですから、串木野のその地域にそういう施設があることは、御承知でしょう。
  232. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私は、残念ながらそういう施設があることを承知いたしておりませんでした。率直にお答え申し上げます。
  233. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 防衛庁の本庁のほうでもわからなかったのですか。地連でもわからぬというのだから、本庁のほうもわからぬ。一体そういうような施設は、どういう状態になっているのか。あなた方はその後どのような措置をとられましたか。
  234. 海原治

    海原説明員 この串木野のそばにございますヘリポートにつきましては、先ほど岩動先生の御質問に対してお答えしたとおりでございますが、なお補足いたしますと、防衛庁では航空路の図誌と申しますハンドブックがございます。これに各飛行場等の詳細、位置、大きさ、その他を規定してございますが、その中にヘリポートも含めてございます。しかし、その航空自衛隊のヘリポートは、もともとこの甑島に対する緊急補給用、いわばエマージェンシーということばで表現しておるのでございますが、非常用ということでつくられたものでございますので、三十八年一月から実際には使用ができております。先ほど申しましたように、今日まで四回程度使用しておりますが、このヘリポートの表には実は載っておりません。この点は、航空自衛隊関係におきまして、緊急のためのヘリポートと考えまして、本来ヘリコプターの運用に使います正式のものとは考えていなかったというような事務段階の判断かと思いますが、このヘリポートにつきましての表の中にも実際には載っておりませんために、先ほど御説明しましたような西部方面総監部の関係者におきましては、このヘリポートの存在を知らなかったのであります。そこで、串木野高校におりることになったということで、これは決して言いわけではございません、事実をそのままに申し上げているのでございます。
  235. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 私は、この話は前から聞いておったのです。しかし、現地を見ましたのは今度が初めてですが、上林長官は当選七回、非常に選挙も強いわけです。串木野においても、これはあなたが知らないところはないと思う。それが、そういうような施設が三十八年からつくられておるにもかかわららず——私は現に見に行った。ちゃんとコンクリート張りで発着ができるようにしてあるじゃありませんか。なぜそこが使われないで、学校の授業に迷惑をかけるような、そういう校庭を使うのか。私は、そこには自衛隊の意図的なものがあるのじゃないかと思うのですよ。その後、あなた方はこういうような施設がどういうふうになっているのか、調査をされましたか。調査されたことはありますか。行ってみると、それはまん中のヘリが発着をするところは、コンクリート張りでよく固めてあります。まわりは、ことしの八月にそこが一回使われてから使われていないので、草がぼうぼうとはえている。いいですか、大体そういうふうに貴重な国民の税金を使いながら、目床原の土地を買い上げて自衛隊の施設をつくり上げ、それが管理も何もされていない、こういうような状態の中において学校のほうに迷惑をかける。しかも、それは三号国道から百メートルしか離れていないところじゃないですか。一番交通の便利のいいところですよ。そういうようなところを使わないで学校を使ったというのは、知らなかったから使わなかったのじゃない、私は何かそこにそういうような意図的なものがあるのじゃないかと思う。それはないのですか。
  236. 海原治

    海原説明員 この点は、言いわけとおとりになるかもしれませんが、事実ありのままを申し上げますと、先般西部方面の幕僚長が私のところに参りましたときにも問いただしたわけでありますが、事実知らなかったのでございます。このヘリポートは、航空自衛隊の非常補給用としてつくられましたために、使用をいたしますときにはあらかじめそこの草刈りをして、おっしゃいました二十メートル平方のコンクリート舗装のところは、十分ヘリコプターの発着に使えるように整地してから使っておるのでございます。なお、管理が行き届きませんでしたのは、このヘリポートの管理のために、ここに管理用の宿舎と申しますか、簡単な建物をつくる予定になっております。そのための地籍も四十坪ばかり確保してございますが、その建物がまだできていないということのために、先生がいまお示しになりましたような状態に現在なっておるということでございます。この点は、確かに私どもの事務的なミスでございます。意図的に串木野高校におりたいということはございませんので、この点はそのように御了承を願いたいと思います。
  237. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 この問題は、事務当局がそういうような施設がありながら自分たちの施設を使わないで、学校の校庭を使うというその中には——その施設にはいま人がおりませんけれども、国道からは便利なところで、軍も自由にはいれます、そういうところであるにもかかわらずそれが使われないということは、やはり高等学校の子供に、できたら長官が帰ってくるからひとつ授業はやめて長官を出迎えてもらいたいという下心があったから、それを相談に行っているでしょう、地連のほうから。校長はそれを職員会に提案をしておるのですよ。しかし、それは子供たちの授業を欠いてはだめだということで職員会で否決をされて、結局出迎えなかった。しかしながら、授業に支障を与えたことは事実です。そういう立場から考えますと、これは事務当局の怠慢であると同時に、長官のいわゆる配慮が足らなかった、その点はお認めになるべきですよ。これは事務当局を含めて防衛庁全体が弛緩しておったんだといわれてもしようがないと私は思うのですが、どうですか長官上林長官、いかがですか。
  238. 上林山榮吉

    上林国務大臣 まず御答弁の前に、あなたから私の大臣就任に対して祝電をいただいたことは、ありがたく感謝をいたしております。あなたが外国からお国帰りになったその日に、あなたのところに御連絡をとって、いろいろなことを拝聴したい、こういう気持ちがございましたけれども、急速鹿児島にお帰りになったということで、その後残念ながらいろいろな御指示を受けることができませんでした。これは、そういううちには鹿児島でまた会えるだろうという含みもあったからでございます。私は、あなたのまじめなお人柄に対してかねてから尊敬をしておるわけでございます。  そこで、ただいまの問題について、大臣並びに事務当局を含めてそういう施設があることを知らないで弛緩しているのじゃないか、全くそのとおりだと思います。私は就任早々でございます。かつまた、これに乗れと言われて、ただ指示されたままにほんとうに乗ったのです、実際は。しかしながら、いまにして責任はどうなんだ、こう言われれば、これは確かに私並びに事務当局を含んでこれは配慮が足らなかった、率直に私はお認めいたします。
  239. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 ちょっと関連して確認しておきたいと思いますが、先ほど岩動委員に対する官房長の答弁、それからただいまの答弁、こういうところからいきますると、運輸省のほうのオーケーをとったという、こういうことばが入っておるわけです。これは過日の決算委員会でもそういう答弁をなされておりまするが、このことは間違っておるのではないか。そのことは私が申し上げるまでもなく、自衛隊法の百七条に航空法の適用除外があるから、オーケーをとる、とらないということについては、これは必要がないと思うのです。ただし、どこへおりるかということについては、これは目的とそれから着陸するところがやはり問題になろうと思うのです。したがって、そのときの目的というのは、これは視察目的というように解釈をしてよろしいかどうかということ、これをまずお伺いしたい。
  240. 海原治

    海原説明員 自衛隊のヘリコプターの使用につきましては、先生いまお話のございましたように、特に所定の飛行場以外に着陸します場合には、中央に許可をとることになっております。この回転翼につきましては、その許可を与えます権限が幕僚長に委任をされております。したがいまして、串木野高校につきましてのヘリコプターの着陸につきましては、西部方面総監から、長官をお送りする目的をもってこれこれの地点に、路外に——航空路以外のところにおりるわけですから、おりてよろしいかどうかということの伺いがまいりまして、これに対して陸幕長から承認の手続をいたしております。
  241. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 それは運輸省に対してですか。あなた先ほど運輸省という表現をされていたから……。
  242. 海原治

    海原説明員 運輸大臣から防衛庁長官へということになって——これは細部を申し上げますと……。
  243. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 いまの百七条は、ぼくが言うたのでよろしいよ。
  244. 海原治

    海原説明員 航空法七十九条の通常の場合ですと「運輸大臣の許可を受けた場合は、」となっておりますが、これを別の読みかえの規定によりますと、防衛庁長官に読みかえられておりますので、この権限を防衛庁長官が持っておるわけであります。その中で、特に回転翼ヘリコプターにつきましては、さらにこの権限が幕僚長に委任されている、こういうことであります。先ほど私が中央と申しましたのは、防衛庁長官または各幕僚長の意味で申し上げた次第でございます。西部方面総監だけの単独の判断ではできない、こういう意味でございます。
  245. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 それから目的は、視察目的というふうに判断しておいてよろしいでしょうか。
  246. 海原治

    海原説明員 私、手元に資料を持っておりませんので的確に記憶はいたしておりませんが、通常、防衛庁長官が搭乗されます場合には、防衛庁長官搭乗のため、こういうふうになっております。
  247. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 それはもちろん防衛庁長官が搭乗される場合には防衛庁長官搭乗のためということになっておるけれども、搭乗するにはどこへ行って何をやるかという目的があるわけなのです。その目的は、視察ということに受け取っておいてよろしいかということをお聞きしておるのです。これは防衛庁長官、あなた、自分がお乗りになったのだから、わかるでしょう。
  248. 海原治

    海原説明員 この点は私ども事務段階の処理の関係でございますので、便宜上私からお答えさしていただきたいと思いますが、先ほども説明いたしましたが、ヘリコプターというものの利用は、実は自衛隊におきましては、長官御移動の場合にはしばしば御利用になりますので、一々その目的部隊視察であるとかないしは部隊視察は入っていないとかいうことは、従来ははっきりと分けておりませんでした。先ほど申しましたように、長官の移動のためというばく然とした——御存じのように、長官は三自衛隊の指揮官でございますから、その指揮官の移動のためにヘリコプターをお出しする、乗っていただくということは、いわば私どもにとっては一応普通に進められておる手続でございますので、特別にその目的が何であったかということを細部にわたって規定していないように私は承知いたしております。
  249. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 規定はしていなくとも、長官が何を目的に搭乗されたのかということは、これはわかるでしょう。
  250. 上林山榮吉

    上林国務大臣 熊本視察を終えて串木野に行く輸送のためだと、こういうふうに理解しております。
  251. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 一つの目的を済まして単なる帰りの途中——行く途中ということですね。だから、そこのところが、一カ所の目的に済まして次の目的地へ行く途中に離着されたということなのですね。
  252. 海原治

    海原説明員 この点は、何度も同じことを繰り返して恐縮でございますが、いわば熊本から串木野まで車でおいでになるかわりにヘリコプターをお使いになったということでございますから、車を使うときに何の目的かと聞かれましてもちょっとむずかしいのと同じように、ヘリコプターに乗るのも、やはり串木野まで移動される、こういうふうに御了解いただきたいと思います。
  253. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 まあ視察目的というふうに受け取っておきますが、そうしますと、自衛隊法施行令の百二十八条のどこを適用をされて学校の校庭に離着をされたのかどうかということです。これはぼくはできないと思うのです。
  254. 島田豊

    ○島田説明員 ただいまの自衛隊法施行令第百二十八条、これは、自衛隊法によりまして、本来は運輸大臣の許可を受けるべきものを、特例を政令で定めることができる。その政令でございますけれども、その場合に、「離陸し、又は着陸しようとする場所が地上若しくは水上の人若しくは物件又は他の航空機に危険を及ばすおそれがないと防衛庁長官が認めたときは、」これは特例によりましてそこに着陸することができる、こういうことになっております。
  255. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 それは百二十八条のどこに書いてあるのですか。
  256. 島田豊

    ○島田説明員 百二十八条に、条文を持っておられますと、表がございますが、表のところの、「第七十九条但書」、その上欄が「運輸大臣の許可を受けた場合」、それが読みかえられる字句でございます。読みかえる字句としまして、ただいま私が申し上げましたような「離陸し、又は着陸しようとする場所が地上若しくは水上の人若しくは物件又は他の航空機に危険を及ぼすおそれがないと防衛庁長官が認めたときは、」したがいまして、西部方面総監から陸上幕僚長に、飛行場以外の場所に着陸をすることについての承認申請を出します場合には、そこの地形なりあるいは場所の広さなり、こういうものについての資料を整えまして幕僚長に承認を申請をするわけでございまして、幕僚長のほうは、そういう資料に基づきまして支障がないと認めたときは承認をするという手続になっておるわけでございます。
  257. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 それは、任務と業務内容について、ただいまあなたの言われたことは変わってくるわけなんですよ。だから、ぼくは初めからその点を指摘しておるのです。  それで、任務とか業務というようなことからいって、あなたのいま言われたことが、これは百二十八条に照らして妥当性なものかどうかということ、これはやはり念を押しておきたいと思います、これは将来もあるかと思いますので。非常にこれはあいまいであると思うのです。
  258. 島田豊

    ○島田説明員 陸上幕僚長が承認を与えます場合の条件は、そこにおきますところの場所の地形あるいは場所の広さ、つまり航空機が着陸します場合の安全性が十分に確保されるかどうかということについての審査をいたしまして、それの条件にかなっておれば、それに対して承認を与える。もちろんその場合に、使用の時期あるいは使用の目的等については、承認を与える場合の上申書には書いてございますが、その場合は、先ほど官房長から申し上げましたように、場所を移動するということでございますので、幕僚長はその趣旨を認めまして承認を与えた、こういうふうになっておるわけでございます。
  259. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 関連質問ですから私はこれで一時やめますが、ただいまの答弁内容からいきますると、結局任務の内容、それから業務の位置づけ、こういう点からいって疑義のある問題ですから、これは保留しておきます。
  260. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほどの村山委員お答えした中で、串木野にヘリポートがあるのにその管理が不十分じゃないか、その点について大臣あるいは事務当局を含めて弛緩じゃないか、こう言われたと思いまして、私もそれをそのまま認めたような形でございますが、そのおしかりは、長官に対するおしかりであって、自衛隊全体が、防衛庁全体が弛緩しておる、こういうふうに誤解のないようにお願いをいたしておきたいと思います。
  261. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 それは長官だけではないのです。長官にもしその事実を知っていることがあるならば、何かその串木野の近くにそういうような基地があるじゃないか、それを使えばいいじゃないかということをあなたは言わなければならない。ところが、当選七回も選挙経験を持つ自分の選挙区の中に、そういう施設があるのだ。私は見に行った。長さが八十メートルあります。幅が六十メートルあります。そしてまん中にコンクリートの発着の施設がある。りっぱなものですよ。それが雑草がおい茂って、まっすぐ歩けないような形になっておる。それが自衛隊の、防衛庁の事務当局がそういうような施設があるということがわからないようでは、これはやはり事務当局をはじめとして弛緩をしておると、こう言わざるを得ない。その施設を管理していないじゃないですか。いまの点は、それは長官が部下をかばおうという気持ちはわかるけれども、これはやはり官房の責任でしょい。どうですか、海原さん。
  262. 海原治

    海原説明員 自衛隊の施設がございまして、それがおっしゃいますように、管理なりが行き届いていないということは、確かに私どもとして至らなかった点だと思います。どこのいい悪いということはともかくといたしまして、もしこのヘリポートが十分使えましたら、串木野高校にヘリコプターが着陸するということもなかったわけでございまして、そのすべての点につきまして、私は補佐の至らなかったことを痛感いたしております。
  263. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 その問題については、私はもう触れません。  そこで、先ほど長官は、今後高等学校の校庭等を使う場合は、いわゆる台風とか緊急避難、そういうもの以外は使わないということをおっしゃいましたが、これは十分徹底をさしていただけますか、どうですか。
  264. 上林山榮吉

    上林国務大臣 御指摘のただいまの問題については、緊急避難あるいは災害、そうした特殊の場合を除いては、しかも授業時間中は、特に注意をしてそういうことをやらないように、これは全国的にそういうような方向に進んでいきたい、こういうように考えております。
  265. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 ところが、十月二十五日、おととい、鹿児島県の伊集院高校にヘリが飛んでまいりましたですね。しかも、それは二時三十分ですから、授業中です。これには鹿屋基地司令が乗っておりますね。そして、操縦士が二人、整備士が二人乗っておる。地連の木元光弘という募集係が事前に打ち合わせに来て、校長が、三時十分過ぎだったら授業も終わるから、そのときに来てください、こう言ったにもかかわらず、二時三十分にやってきた。なぜ二時三十分に到着をしたのかと聞いたら、気象状況が云々ということを言っておる。しかし、気象状況は、二十五日の鹿児島はそういうような状況じゃない。こういうような問題が出ているわけです。そして、そのために十二名の生徒が乗っております。これは親の承諾書をとって、搭乗許可証をもらっております。幕僚長の許可をもらったのでしょう。しかし、許可をもらわないで乗っているのがおりますよ。民間人が二人、役場の職員やそのほか乗っております。そして六回にわたって上下運動をやっておる。そのために、ヘリが発着をする施設があるわけじゃありません。高等学校の校庭ですから、もう都会の運動場と違って、あなたも御承知のように砂地です。ですから、舞い上がるたびに非常にものすごいほこりが立って、そしてその騒音というもので学校の付近に住んでいる人たちがたいへんな迷惑を受けている。こういうような事実は、あなたの耳に入っておりますか。連絡が来ておりますか。
  266. 宍戸基男

    ○宍戸説明員 いまお話しのような事実について、最近報告がございました。これは調べてみますと、募集のための一般的な広報の一環として、学生を体験搭乗さすということを従来やっております。その計画の一つとして、伊集院高校にヘリを回して搭乗させておりました。報告によりますと、十月二十五日の午後三時から午後四時半まで体験搭乗を実施する、こういうことになっておりまして、実際に校庭に着陸した時間が、午後二時五十分という報告でございます。それから搭乗者の数は、合計二十三名というふうになっております。御指摘のように、当初の予定は十二名だったけれども、希望者がありまして、その後十名追加した、こういう状況も報告されております。最初の十二名につきましては、先ほどから官房長その他から御説明申し上げましたとおりの手続を書面でしておりまして、海幕長の承認を受けましたけれども、追加の十名につきましては、書類の申請が間に合わないので、無線によりまして中央まで——途中に第一航空群というのがありますが、その司令を経由しまして海幕に手続をして、書類は自後出した、こういう報告を受けております。
  267. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 この問題は、先ほど長官が高等学校の校庭については、災害あるいは緊急避難、そういうもの以外には使わないという原則を明らかにされました。もちろん私は、募集のためにそういうような体験搭乗というものが現在の搭乗規定によって許されることは知っております。そういうような規定がありますそのこと自体から考えるならば、それは間違いはない。しかしながら、それは自衛隊のヘリが各高等学校におりていって、その中で授業に迷惑をかげながら、その付近の住民にも迷惑をかげながら、そういうようなことをやってよろしいというふうに解釈をしている規定ではないと思う。これはやはりそれだけの施設があり、安全性が確認をされる地点において、そこにそういうような募集に応じようという希望を持っている人たちが集まってきて、あなた方の責任のもとにやるというのが、この規定でしょう。そうでなければ、これから先どんどん隊員募集だというので各学校にヘリコプターが舞いおりた日には、これはたいへんな事態が出てくる。このことは、長官がああいうように言われておるのだから、事務当局に今後善処方をやはりお願いしなければならないと思いますが、これはだれが責任を持って答えられますか。
  268. 宍戸基男

    ○宍戸説明員 先ほどは、私ども報告を受けました事実を申し上げたわけでございます。おっしゃいますとおり、また長官からお答えがありましたとおり、授業時間中に高校の庭に着陸するというふうな事態は、当然避けなければならない、事務当局としてもそういうふうに考えておりますし、今後はそういうふうに指導していきたい、こう考えております。
  269. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 私は、授業時間中はもちろんのこと、授業時間外においても、そういうような教育活動に支障を与えるような校庭の使用ということについては、これは御遠慮願いたいと言っているのですよ。私は、その根拠法規をあげようとここに持っております。教育のために使われる施設なんです。それが自衛隊の募集といえば、これは広義の公の仕事にはなりましょう。なりましょうが、それはそれだけの施設があり、それだけの安全性が確保されるところでやってもらわなければどうなります。大体串木野にヘリで着いた二日あとには、同じように鹿児島において自衛隊のヘリが海の上に落ちているじゃありませんか。こういう問題を考えれば、きょうの問題だけでなくて、愛される自衛隊をつくり上げようというのが長官のモットーだ、そういうふうにならないと思うのだが、その点はいまあなたは授業時間中だけを取り上げて言われた。しかし、長官のことばは授業時間中だけではありませんよ。特に授業時間中はということです。そういうふうに御答弁を訂正を願いたい。
  270. 宍戸基男

    ○宍戸説明員 もちろん私の申し上げましたのも、特に授業中のことは避けなければならないという趣旨を申し上げたわけでありまして、先生のおっしゃいますように、学校の近くにヘリポートがあるとか、その他適当な場所があるという場合に、そういうところを当然優先的に使う、こういうふうに指導していきたい、こう考えております。
  271. 淡谷悠藏

    淡谷委員 ただいまの御答弁に対して若干関連して御質問申し上げたい。  私はいまのことは偶発事件じゃないと思っております。これははっきり募集のための計画だと思うのであります。最近の自衛隊の募集は非常に行き過ぎた方法をとっている。これは長官に特にお聞きしたいのですが、「(中部方面総監部の示した準則案)」として「〇〇市町村自衛官募集事務処理要領」という案が、この中部方面総監部一円に流された、と同時に全国に対しても同じようなものが流されている事実をお知りでございますか。防衛庁長官から、知っているのか知っていないのか明確にお答え願いたい。——私が言うのは、内容を聞くのじゃない、こういう事実があるのを長官が知っているかどうか。事務当局はもちろん知っているでしょう、確実に出しているのですから。長官が知っているかどうか聞きたい。
  272. 上林山榮吉

    上林国務大臣 前からあるということを概略承知いたしております。内容のことは私よりも事務当局から……。
  273. 淡谷悠藏

    淡谷委員 内容のほうは私のほうが知っているから、長官がおわかりなければ私ははっきり申し上げます。  この募集要領に準じて各県がこの要綱をつくっている。各市町村がつくっている。この中の要求があまりに大きいので、市町村ではこのことをたいへんな災害を受けたと言っているのであります。申し上げますよ。この要領に示したものは  「第一章総則」「(趣旨)」第一条以下に書いてあります。「(用語の定義)」が書いてあります。「(事務の分掌)」が書いてあります。「(連絡および調整)」が書いてあります。「(募集広報計画の策定)」が書いてある。「(各種会議の実施等)」が書いてある。「(名簿の作成等)」が書いてあるのであります。この「(名簿の作成等)」は第七条、こう書いてあります。「知事の指示または地連部長からの依頼に基づき、適格者名簿を作成するとともに、適格者に関する情報を地連部長に通報するものとする。」この適格者名簿というものは一体何ですか。概略を知っているならば、従来の募集方法と非常に変わってきたこの適格者名簿に関する上林山防衛庁長官の賢明な御見解をひとつ承りたい。
  274. 宍戸基男

    ○宍戸説明員 御指摘のいわゆる適格者名簿といいますのは、各組織、募集等をやっております各都府県なり各市町村なりが自衛隊の応募資格に応ずる年齢層の人たちを公募のために把握する資料の一つでございます。たとえば自衛隊の応募資格は満十八歳以上二十四歳まで、満二十五歳米満の年齢層でございますけれども、そういう人たちにつきましてこの村では何人いるか、そしてその住所氏名はどうであるかということを、その市町村の住民票に基づきまして名簿をつくる、こういう性質のものでございます。
  275. 淡谷悠藏

    淡谷委員 適格者名簿というのですが、自衛隊の適格というのは年齢だけですか。十八歳以上二十五歳未満であれば、これはみな適格者ですか。
  276. 宍戸基男

    ○宍戸説明員 大部分は年齢でございますけれども、法律にいろいろ自衛隊員になるための資格がございます。消極的資格といいますか、欠格条項が書いてございます。たとえば身体の条件とか禁固以上とかいうことも、従来の適格者とか、適格ということばを使えば適格でないということになるかと思いますけれども、市町村でつくっております名簿は年齢を主にして考えて名簿をつくっている、こういうことでございます。
  277. 淡谷悠藏

    淡谷委員 あなた、適格者の中の最も重要な点を一点黙しているんじゃないですか。政党に関する規定があるでしょう。特殊な団体に対する規定があるでしょう。はっきりおっしゃってください自衛隊法を見たら出てくるでしょう。
  278. 宍戸基男

    ○宍戸説明員 自衛隊法の三十八条の第一項でございますけれども、「次の各号の一に該当する者は、隊員となることができない。」という欠格が書いてあり、一に「禁治産者及び準禁治産者」二は「禁こ以上の刑に処せられ、その執行を終るまで又は執行を受けることがなくなるまでの者」それから三番目は「懲戒免職の処分を受け」た者、四番目は「日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」こういう条項がございます。これは自衛隊法の法律でございますけれども、一般の公務員法と全く同様でございます。
  279. 淡谷悠藏

    淡谷委員 この最後の条項の暴力をもって政府を転覆する政党もしくは団体というところに適合する団体が、いま現実に日本にございますか、
  280. 宍戸基男

    ○宍戸説明員 現在はないと承知しております。
  281. 淡谷悠藏

    淡谷委員 長官にひとつ聞きたいのですが、これはあなたの責任じゃないからあなたの見解をはっきり聞きたいのですが、航空自衛隊第五六号というので「調査業務に関する達を次のように定める。」という書類が出ておる。これは海原官房長に聞いたほうが早いと思いますが、昭和三十四年八月八日に出された書類でございます。これをお知りでありますか。
  282. 海原治

    海原説明員 御指名でございますので私がお答えいたしますが、先生のおことばでは、調査業務に従事するとおっしゃいましたが、調査業務ということばは私どもは使っておりませんので、いま少し正確に仰せいただきたいと思います。
  283. 淡谷悠藏

    淡谷委員 これは確実に「調査業務に関する達」としてあります。これは御存じなければ申し上げますがね。第一章総則からできている書類なんです。第一条は目的です。「この規則は航空自衛隊における対情報業務のうち、調査に関する業務の実施および処理に関し、準拠すべき主要な事項を定めることを目的とする。」第二条は主眼です。「本調査業務は、航空自衛隊に対し、外国勢力ならびに国内不法分子によってなされる情報活動に対処し、」何々の「施設に万全を期することを主眼とする。」第三条は用語の定義です。「この達における用語の定義は、次の各号のとおりとする。」この中の五号に「特定隊員」というのがある。私は、自衛隊として勤務しておる者は平等に扱われなければならないのが原則だと思いますが、長官、その点はどうですか。自衛隊の中に、特定隊員というものを設けて差別待遇をするということは、これは自衛隊の本質からいってどう思われますか。
  284. 海原治

    海原説明員 私、三十四年当時には防衛庁におりませんので、当時の事情は知りません。その後防衛局長を四年半いたしておりましたが、その経験から申し上げましても、いまおっしゃいましたふうな達につきましては実は認識がないのでございますが、航空自衛隊だけでそのような達をきめることもちょっと考えられませんが、これはなお調査をさせていただきたいと思います。特定隊員ということばにつきましては、そのような差別待遇をするようなことばは私ども使用いたしておりません。
  285. 淡谷悠藏

    淡谷委員 さっき長官は、弛緩しているのは私だけで、自衛隊は弛緩してないと言いますが、私は、あまりに極端に緊張しているんじゃないかと思います。こういう書類が出ていることがわからなければ、これは確かに上級幹部の弛緩でしょうけれども、この第四条を見ますと、特定隊員というものに対する非常に詳しい規定がある。A種特定隊員、B種特定隊員、C種特定隊員、D種特定隊員、なおX種特定隊員となるのであります。そのA種特定隊員というのは、「暴力主義的革命勢力の構成分子であることが確認された隊員をいう。」B種特定隊員というのは、「前号勢力の同調者であることが確認された隊員をいう。」それからC種特定隊員というのは、「本条第1号、第2号に該当する容疑事実のある隊員をいう。」それからD種特定隊員というのは、「第1号に掲げる勢力の響影下にある労働運動、サークル活動等(文化活動を含む)に関係ある隊員、もしくは同勢力の構成分子乃至同調者を縁故者に有するか、あるいは、これ等と親密な交友関係にある隊員であって、同勢力の影響をうけるおそれの濃い者をいう。」X種特定隊員というのは、「米国への留学および米軍基地立入のための適格審査の結果不適と認められた隊員であって、その理由が本条前各号に該当する疑いがあると認められた隊員をいう。」これが大体特定隊員なるものの内容であります。しかも、この特定隊員の認定等に関しては「航空幕僚長が行う。」等とありますが、私ここで特にお聞きしたいのは、第二十一条に「(符号)」というのがあるのであります。この符号は「本調査業務の記録報告(通報)等にあたっては、次の符号を使用するものとする。ただし、必要のある時はその他の符号を使用することもできる。」、「現隊員等」の「等」という、つまりここでは、暴力主義的革命を目的とする団体の構成員というのは前に言いましたが、この中には「(共)」と書いてあります。それからその次には「上記団体の秘密構成員と判断された者」というのが「(秘)」であります。「上記団体に対する協力者または同細君」は「(同調)」、「不法分子(右)」、「特定隊員の容疑者(容)」、「特定隊員(丸特)」というのがあります。それから、「調査業務に使用するその他の秘匿略語、符号および隠語については、別に指示する。」とあって、マル共がひとつ、マル社がひとつ、マル創があります。創価学会の創です。その次はマル組があります。こういうことが、あなた方が知っていない間に、ちゃんと隊内で書類が出ておるとしたならば、これに対して締まりがつきますか。長官、どう思われますか。
  286. 島田豊

    ○島田説明員 自衛隊の情報収集その他の作業につきましては私のほうが担当いたしておりますので、私のほうからお答え申し上げたいと思いますが、ただいまお手持ちの資料につきまして、私はそういう資料が実際にあるかどうか承知しておりませんので、調査いたしたいと思います。調査をいたします目的につきましては、これは自衛隊の秘密保全に関する問題、あるいは外部からの自衛隊員に対する働きかけ等につきまして、自衛隊自体を防護する、防衛する、こういう目的で各種の調査をやっておりますけれども、ただいま御指摘のような、そういういろんな細部の点につきましては実は承知しておりません。
  287. 淡谷悠藏

    淡谷委員 これはしかし、十分に御調査の上——現在でも、私はまだあると思います。これは出所は申されませんけれども、確実な出所ですから。あるいは私たちも「特定」なのかもわかりません。ただ、こういうことが内々に適格者の定木になるならば、年齢だけで、昔の徴兵名簿みたいに全役場に名簿をつくれという趣旨が私にはどうも受け取れない。なお、この中には自由志願した者の名簿をつくれという一項があるでしょう。一方においては自由志願した者の名簿をつくれと言っておきながら、一方においては、志願しようが志願しまいが、各役場に命じて全部の適齢者の名簿をつくれという考え方は一体どこからくるか。いまの自衛隊が、原則において自由志願が第一であるならば、第一の適格条件は自由志願じゃないですか。志願しない者をしゃにむに名簿にあげて、ねらいうちにこれを募集するという形は、これは行き過ぎだと思う。学校どもそのとおり。ちゃんと第二条に書いてある。「関係組織体等関係官公署、学校、報道機関、協力団体、相談所等」、委任事務で、役場の中でやったらいいけれども、役場外に対してもきびしい要綱をつくって、ぜひ協力をしろ、入隊する者には大いに歓送会をやれ、激励会をやれ。ヘリコプターなんか全部それに使うんです。わざわざ学校の女の子を動員して、ヘリコプターに搭乗した子供たちに花束なんか贈呈している事実がある。きょうは関連ですから詳しくは申し上げませんが、これは明らかに徴兵準備だと思う。何の必要があって、一町村十人くらいの入隊しかないのに、五百名の隊員名簿をつくるのです。一体何人自衛隊員をつくろうというのです。夜中にジープを持っていって、うちに上がり込んで、ひざ詰め談判でやっている。行き過ぎじゃありませんか。これは広報活動と言っていますが、こんなことをしておいて一対一の広報活動だというならば、何をやってもかまわない。特に協力会の問題がありましたが、協力会の会長はだれがやっておりますか。私はきょうは名前を申し上げませんが、自民党の現職の参議院議員、衆議院議員で協力会長になって、この協力会には、要綱には指示してありますけれども、少しも経費がないんですよ。経費も何も与えないで、協力会をつくって歓送会をやれ、大いに激励しろということを預けるならば、これはやはり第二、第三の上林長官が出てくると思う。選挙運動に使いますよ。使っているのがある。こういう点に非常に私は自衛隊の弛緩というよりは緊張し過ぎがあって、何か昔の徴兵制度を復活して、まあ三十万以上になれば徴兵をやらざるを得ないということをある人は言っていますが、そういうふうな準備を進めているということになれば憲法上の一大問題です。  まあいずれおりを見まして、長官の身柄の始末がつきましてから、あらためて私は質問いたしますけれども、いまの学校の庭にヘリコプターなどをおろすというのは、明らかにそうした募集の行き過ぎの一つのあらわれであるということをはっきり私は長官に申し上げまして、関連質問を一応終わります。
  288. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 先ほど海原官房長からお話がありましたように、九月の七日の日は私事旅行だ、これは間違いありませんね。
  289. 海原治

    海原説明員 そのとおりでございます。
  290. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 防衛庁長官上林長官、それはあなたもそういうような気持ちで、そのように受け取っておられましたか、いかがです。私事旅行として受け取っておられましたか、どうですか。
  291. 上林山榮吉

    上林国務大臣 大体そういうふうに考えております。
  292. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 そこで、上林長官にお尋ねをいたしますが、あなたの後援会なり、あるいは第一区のあなたがその日に回られた地点はわかっております。串木野、市来、東市来、郡山、それにこれは松元、伊集院、それに日吉から金峰ですか、こういうふうに回られた。それらの市町村においても同じような形で受け取っておりますか、どうですか。それはどういうふうに受け取ったとお考えになりますか。
  293. 上林山榮吉

    上林国務大臣 いま御指摘になりましたように、すべて役場から役場を歩いたことになるのでございますが、私自身は、役場は自衛隊の募集等に対しても協力をしておるところでございますし、また、かねて私としても親しくしておる場所でもございます。これは村山委員事情はよくわかっておられると思うのですが、役場としては、たとえ町長や助役の方々が、ほかの人を支持している方でございましても、まあ玄関ぐらいまでは出ていただいてごあいさつもいただいたと、こういう事情でございますので、その点をひとつ御了承願いたいと思います。
  294. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 私がその点をあなたにお尋ねをしているのは、あなた自身は私事旅行だと思った、防衛庁としても、これは私事旅行の取り扱いを旅費その他の支給においてもやっている。ところが市隣村に対しましては、あなたのほうから、後援会のほうから連絡がいっておりますから、これは公の行事というふうに受け取っているところもあるわけです。そういうようなことについては、これは私事旅行である、衆議院議員上林山榮吉が行動をする日である、こういうふうに受け取っているのかいないのか、このあたりが非常に問題がある点を、次から次に事実で私は指摘をいたします。  そこで、先ほど私が海原さんに、防衛庁のほうから、こういう日程もあるから御配慮を願いたいという通達を当該市町村等に渡したのか渡さなかったのかという点を念を入れて聞きましたのは、ここにあるわけです。あなたが郡山に行かれました。郡山の中学校あいさつをするというのは日程の中にも入っております。そこで郡山中学校、小学校の子供たちは、これは三時間目の授業時間をカットして、全校生徒が中学校の庭に集まっておりました。そうしてあなたがおいでになったのだが、そこには子供たちだけではありません。あなたを支持するそういう一般の支持者の人たちが約八十人ぐらい集まっております。そこであなたはあいさつをされましたね。自分は今度アメリカに行ってマクナマラと会う、ジョンソン大統領とも会う予定である、こういうことをお話しされた。まあ私は、あなたが学校に行かれて子供たちを相手にして教育的立場からお話しをされるのはいいと思いますよ。しかしながら、おとなと子供を並べておいて、あなたはどこに重点を置いてお話しをされるのですか。(「それは自由だ」と呼ぶ者あり)自由だとしたら、授業をカットさせる自由をお持ちですか、そこで、ここだけではありません。南方小学校、常盤小学校と大谷小学校は、あなたもよく御承知のように非常に遠いですから、約一里の道があります。一里の道を、ここは二時間目、三時間目、四時間目の三時間の授業をカットいたしまして、五年生、六年生が自分でつくった旗を持ってあなたを出迎えに行きました。あなたはそういうふうにして出迎えてきた子供たちはあまり見ないで、一般の有権者の人たちに盛んに手を振っておる。これは一緒にいた子供たちがそう言うのです。花尾小学校もそのとおりです。四年生、五年生、六年生が旗を持ってあなたを出迎えに行っております。だから、なぜこういうことになったのか、私は調べてみました。調べてみたら、これは国分町長が各学校長を集めました。教育長はおりません。教育長はどこかに出張中だったそうであります。それで、これは公式訪問であるから臨時学校行事として処理をするようにということで、その話があって、校長会でそのように取りきめをいたしました。このようにして、あなたはまず郡山の中学校お話しになった。まずその郡山の中学校お話しになったことだけは日程表にも出ているから、話の内容は忘れたにしても、お話しになったということはあなたもお認めになるでしょう。このことはいかがですか。
  295. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私が郡山の学校の校庭に行ってみましたら、たくさんの人が集まっておりました。もちろん小学校、中学校の生徒も、あるいは一般の人もそれぞれ集まっておりました。町長がどうぞ一言ごあいさつを、こう言ってくれましたから、もちろんあいさつをいたしましたが、それはおとなと子供と一緒で、どちらにウエートを置いたかと言われると、どちらにウエートを置いたかわかりません。あなたは子供の話をお聞きになって、いろいろ言われますけれども、私も小学校の教員をした経験がございますので、子供はほんとうにかわいいです。子供のほうに向かって私自身は多く手を振ったつもりですけれども、そういう御批判があればやむを得ません。そういうふうにどうぞ御了承を願います。
  296. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 そこで、あなたはまずその次には、あなたが昔赴任をされた松元町の石谷小学校に行かれた。これはここに、石谷小学校をたずねた上林長官という写真入りの、子供とおとなを前にしてあなたが話をされるのが出ております。これは町の公報ですから、だれでも町民であるならば配られるやつですからお持ちだ。そこであなたはこういうふうなことを子供たちに話をされた。ここも町長が案内をしております。自衛隊のほうからも三人随行者があります。その中であなたはこう言われている。学校を訪問したのは初めてである、この学校に初めて自分は大臣になってからやってきた、こうしてお話をされているわけです。ところがこの順序を、ずっとあなたの日程を見てまいりますと、初めに話をされたのは、そうではなくて、郡山中学校であなたは初めに話をされたのです。そこでそれを聞いておりました人たちが、またその日程はわかっておるわけですから、あとになってから、上林長官はああ言われるけれども、初めてこの石谷の学校に来て話をしたのではない、あれはうそをついたと言っておる。うそをついた。それはあなたとしては、昔教壇に立った経験があるということをみずからもお話しになりましたように、青年教師のころ赴任をされたその学校に行ってお話をされることは自由でありましょう。そしてまたそういうような気持ちに浸られることも、これはけっこうなことです。しかしながら、おとなに対しては、やはり会釈というものがありますから、初めて来たような顔をして話をしても、ああそうかと言って笑って済ませる。しかしながら、純真な子供たちを前にしてあなたがそういうようなことを言われるとなったら、政治家というのはうそをつくやつだ、うそを教える人だということになって、これはやはりあなたのマイナスになるだけではなくて、やはり大きなそういうおとなに対する不信感というものを子供たちに与える、私はそういうように考えるのですが、その事実がありますか、ありませんか、どうです。
  297. 上林山榮吉

    上林国務大臣 そういう事実は記憶いたしておりません。私が十八歳のころ中等学校を出るとすぐ赴任した学校でございまして、非常になつかしく思ってくだけた話をした記憶だけは覚えております。
  298. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 都合の悪いやつは忘れるにこしたことはない。しかしその日にあなたは松元小学校の子供たち、これはあなたは知られないだろうと思うのだが、四年生以上が同じように旗を自分でつくりまして、これは強制的につくらしたのです。三時間が終わりましたとたんに給食を実施いたしました。これは四時間が終わってからかねては給食を実施するのです。しかし、その日はあなたが来るからというので、三時間目で学校給食に入りました。そして役場の前に整列をさせました。ここも四時間目がまるつぶれになりました。中学校のほうも同じです。石谷の小学校の例はいま話をいたしましたとおり。そしてあなたは伊集院にも行かれました。伊集院の小学校も、これまた松山病院の前に整列をさせられました。中学校のほうは希望者だけが参加いたしております。こういうような形でずっと歩かれて、吹上町の伊作の中学校、ここに行くと、これは校長が職員会の反対も押し切りまして、一年生だけここは参加をしております。こういうような形の中であなたが歩かれた七日の日には、学校は授業をカットをしながらあなたを歓迎をいたしました。その中には社会党に投票をする父兄の子供もおります。あなた以外の議員に投票をしている父兄の子供もおります。私があなたにこの際——そういうようなことは知らなかったのだとあなたはおっしゃるかもしれないが、この問題が県議会で問題になったときに、県の教育委員会の管理係長は何と答えたか。上林山先生は生きた教材である。いいですか、生きた教材である。あなたは教材にさせられておる。だからこういうような立場から問題をとらえておるのです。  そこで私は文部省にお尋ねをいたします。いわゆる公式訪問でないということが明らかになってまいりました。私的訪問である。こういうような、その日は私的行事であるということが明らかになってくる中において、学校の授業をカットをさせ、そして一里の道も遠しとせず、旗をつくらせて参加をさせるような、そういう歓迎をすることが教育的に望ましいとお考えになっているのかどうか。やはりこれは今後において幾多の例がこれから出てくるであろうと思うのです。私はその七日の日の普通の曜日の日のことをいま言っているのであります。四日の日の問題についてはまた後ほどこれを明らかにしてまいりますが、そういうような形の中において行なうことは、これは教育を受ける権利というものが子供たちにあります。そしてまた父兄はよい教育を受けさせる権利があります。義務があります。そういうような立場から見てまいりました場合には、やはりそこには国務大臣上林山榮吉先生を迎えに行くんだ、こういう形で町当局のほうから町長が、言うことをきかない学校には直接出向いてまいりまして圧力をかけております。そうして校長が、命令をきかない者については業務命令を出して、教職員が児童生徒を引き連れまして行っているのです。こういうようなのが許される教育的行為であるとお考えになっているのかどうか。やはりこれは今後、将来の問題として出てくる可能性がありますので、やはりそこには文部省としては教育行政的な立場からだけでなくて、子供たちをいかに取り扱うべきかという問題を教育的立場においてあなた方は指導をさるべきだ、こういうように考えると同時に、上林長官は、あなたが子供たちだけを集めて、そうして教育的立場であなたがお話しされるのは、これは自由だと私は思う。しかしながら、あなたの支持者と子供たちと一緒に並べた中でそういうようなことをやるというのは、私はあなたの配慮が足りなかったのではないか。そういうふうになって、みんな集まっておったとしましても、あなたとしては、そういうようなのに対する、前に学校の先生もされたことの経験のある方ですから、そういうような配慮をとらせるような措置というものを、これは指宿の歓迎会というものが四日にあったのですから、四日以後に起きた問題として、あなたが気がつかれておるならば、そういうような指示をされたはずだと思うのですが、そういうような配慮というものは頭の中にはなかったのかどうか、この点をあなたにお尋ねをしたいと思う。
  299. 齋藤正

    ○齋藤説明員 学校の活動といたしまして郷土の先輩が大臣の地位につかれたというときに、郷里に帰られた機会に学校としていろいろな歓迎をする、あるいはその機会に話を聞くというようなことは間々ございますし、それが教育的に意味があると判断をして学校長が学校の計画をいたすわけでございますが、そのことは学校長ないしは教育委員会の判断に基づくことで差しつかえないと思います。
  300. 上林山榮吉

    上林国務大臣 村山委員お答えいたしますが、私は大臣になってから初めてここの学校に来たのだと言った覚えはないことがいまはっきりわかりました。私が十八歳のとき初めてここの学校の教壇に立って、皆さんのような人を相手にやってきたんです、こういうことでございました。  なお、どちらにウエートを置いてと言われますけれども、ここの石谷小学校の場合については、私がはっきり覚えておることは、父兄の皆さんにはただ一言頭を下げただけで、子供たちを中心にして最終まで子供と話をして帰った記憶がただいまよみがえってまいりました。  松元中学校の校庭は、先ほど申し上げたとおりです。これはどちらにウエートを置いたかわかりませんが、私の感触から言えば、子供のほうに七分どおり重点があった、こう言って差しつかえないと思います。
  301. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 文部省にお尋ねをいたします。あなた方はよく教育の中立性を言います。教育の中立に関する法律があります。これは団体を通じて偏向教育がないようにというのが法律の内容です。しかしながら、政治家としてやはり考えなければならない問題としては、私は教育的次元において問題を処理する、この考え方をとってもらわなければ——授業は自由にカットできるのだ、これは教育的意義があるというふうに学校長なり地教委が判断をするならばそれでよかろう、こういうようなふうに考えておられるところに問題があるのでありませんか。子供は、文部省の規則によりまして、法令に従って何日間学校に行き、何時間その授業を受けなければならないという規定があります。そして、それは子供たちが受ける権利です。私は、上林長官が子供たちだけ集めてお話をされるのであるならばとやかく言いません。しかし、その子供が巻き添えになっておとなたちの花を持つような形で歓迎にかり出される。その中でおとなたちと同じように並べ立てられて話をされているところに問題があると言っているのです。この点を言っているのですよ。あなたは、文部省はこういうような行為が全国各地に次から次に出てくるようになっても、それでも教育的立場からいってかまわないとおっしゃるのですか、齋藤さん。
  302. 齋藤正

    ○齋藤説明員 政治的中立の問題は、申すまでもなく教育基本法の中で守られるべきことでございますから、かりに長官が行かれて、そこで政党の主張を述べ、政治立場を話すということになれば教育基本法に違反する。そうでなくて、郷土の先輩というものが大臣の地位であられた際に、それを出迎えて話をするということは、その土地土地の事情によりましてあり得ることでございますから、それがまた年間の学校の教育計画に支障のないように組まれます場合には、学校長の判断なり教育委員会の判断でやって少しも差しつかえないことだということを申したのでございます。ただ、それが全国で、まあどういうふうになるかというお話でございますが、これは土地土地の事情によっても違いましょうし、いろいろな行事の繁閑その他が地方によっても違いましょうから、何か学校行事だけに追われて授業日数というものが全般的な、全国的な状況で縮小するというような事態がありますならば、もちろん私どもとしては適切な指導をしなければならない、かように考えるわけでございます。
  303. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 私は、文部省に教職員が人事院勧告の問題について措置要求をやった、措置要求のために集会をやった、これはやむを得ぬ自己を守る運動として行なったと思うのです。ところが、それは厳罰に処する。同じような授業カットをやっても、これは教育的な価値がある、こういうふうに学校長が判断をし、教育委員会が判断をしているのだ、これは合法的であり、教育的な価値がある、それは地方の実情に応じてやるのだ、こういうような考え方を幾らお示しになっても、やはり基本的には、この問題の処理については長官をはじめわれわれ政治家が考えなければならない問題だと私は思うのです。倫理の問題じゃないでしょうかね。というのは、その子供たちはまだ未完成の人格を持っている。その人格を練摩するために政治家なりあるいは国務大臣が助言をすることはいいでしょう。そしてそれは教育的な価値がありましょう。しかしながら、おとなと一緒にそういうふうに並べ立てられて、そうして日の丸の旗を先生の命令でつくって持ってくるように言われて並べられました子供たちが、こういうような問題についてどういう判断を下すのか、印象を残すのかという問題は、やはり考えなければならない今日の政治の問題だと思うのですが、長官はこれらのスケジュールについては前もってお知りになっておられなかったというふうに話を聞きます。しかし、あなたが歩いて回られた反省として、私が言うのが無理でしょうか。いまのような文部省の教育行政的な立場のほうが正しいとあなたはお考えになっておるのか。あなたの御心境をお伺いしたい。
  304. 上林山榮吉

    上林国務大臣 どちらの見解も貴重なものだと私は考えますし、子供たちに明るいといいましょうか、希望といいましょうか、あるいはいい印象といいましょうか、そういうものを抽象的に残すということは大事だと思います。
  305. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 いまの問題はわかったようでわからないのですが、それはもうやめます。  そこで次は「部外者の航空機とう乗の適正化について」この文書が三十八年の四月九日に防衛事務次官から出ておりますね。だから、先ほど六名の秘書という形で乗せた人たちが、二人は長官随行という形で部隊視察したか、していないのかわからないということでありました。そこで、あなた方はこの「適正化について」という通達、これは事務次官が決裁をするのだということでありますが、一体これらの六名の秘書という肩書きを持った人たちは何項目によって、何号関係によってその人物は適当であるというふうにお認めになったのか。ここにはちゃんと「部外者の航空機とう乗承認基準具体例」というのがあります。こういうような具体例ができておるのですから私は制度として誤りがあったとは思わない。先ほど長官は、運営も制度も改めるとおっしゃった。しかし制度としては、この内容を見ていく限りにおいて——一号から六号まで規定があります。基準があります。この基準に照らし合わせて処理するならば、制度としての間違いは私はないと思う。あなたは、上林長官はこの取り扱い規定のこの通達などは長官として当然御承知のはずでありますが、御承知でございますか。また事務当局はこの六名の者をどういう基準で、彼は何号に適合するとして乗せたか、このことを明確にしてもらいたい。
  306. 海原治

    海原説明員 第一の、大臣がこの三十八年四月九日の次官通達を知っておったかということにつきましては、先ほど大臣からも、就任一カ月で搭乗手続については知っていなかったというお答えがございますので、その細部手続でございますこの通牒につきましては御承知ないのは、私どもも申し上げておりませんので当然かと思います。  そこでこの具体的な例のどれかと申しますと、お手元に通達を持っておられるようでございますが、これには第1から第2、第3、第4、第5、第6と書いてございます。それぞれ各号について詳細に書いてございますが、一番最後に第6としまして「各号共通」という欄がございます。その中に「各号の具体例に準じ特に必要がある場合」こういう規定で、先般もお答えいたしましたが、いわゆる長官のお立場にあられる方の常識的な判断というものを前提にいたしまして、「特に必要がある場合」というのが第6で規定してございます。これに従いまして、従来防衛庁の航空機には部外の方が搭乗されておることも先般御説明したとおりでございます。
  307. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 そういたしまするならば「各号共通」「各号の具体例に準じ特に必要がある場合」これが問題だから、これを改めるのだ、こういうふうに受け取っていいですね。
  308. 海原治

    海原説明員 その方向で検討いたしたいと思います。
  309. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 ところが搭乗者名簿を決算委員会に出されたもので調査をしてまいりますると、鹿児島から鹿屋に向かうヘリコプターにはこの秘書の人たちと、秘書の肩書きを持った人たちは、一人を除いてほかは参加しておりませんが、先ほどは四名がその部隊視察まで参加をしたと海原さんは言われた。その四名が鹿屋なり国分の自衛隊に参加をしたというのは、どういう経路で参加をし、それをどこでだれが確認をしたのですか。
  310. 海原治

    海原説明員 お手元の資料でヘリコプター搭乗者に名前が出ておりますのは、御存じのようにこのヘリコプターの搭乗者の人員が制限されております。したがいまして、この余席のある一名が乗っておりますが、自余の方は後援会のバス等で——鹿屋、国分寺におきましては、御存じのように自余の方々、後援会の方々等が、長官がお見えになりましての観閲式と申しますか、これがための座席その他も用意されてございますが、そこに入って式等をごらんになったということを随行の者から報告を受けまして、申し上げた次第でございます。
  311. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 そこで、先ほどどれだけの経費がかかったのかということで説明がありました。それは、音楽隊の輸送について経理局長ですか、説明がされました。私が、これは決算委員会で出された資料でありますが、これを見てみると、百二十三万一千円、総計これだけかかったのだということが出ておりますが、これは間違いありませんね。
  312. 大村筆雄

    ○大村説明員 そのとおりでございます。
  313. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 お尋ねをいたしますが、九月の二日、私が帰りました飛行機のあとに、民間航空機が着陸をする予定であったのに、それはおよそ二十分間空の上に待たせまして、一方、長官が乗りましたYS11の一号機とそれから二号機というのがおりたはずですが、当日はたしか二台自衛隊関係の飛行機がおりておりますが、いかがですか。
  314. 海原治

    海原説明員 自衛隊関係の飛行機ということになりますと、二機羽田から鹿児島へ参っておりますが、長官の今回の御視察につきましては、一機でございます。経費の計算等につきまして、一機の分を計上してございます。
  315. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 二機おりた、二機目の分はこれは長官視察とは何ら関係がない、これは間違いございませんか。どういう飛行機を使ったのです。
  316. 海原治

    海原説明員 長官視察に何ら関係ないかということになりますと、これは微妙な点でございますが、一機は同じくYS11の航空機でございますが、かねてから私どものクラブ関係部隊視察の計画がございまして、この時期に同時に実施いたしましたので、その一機がいま先生のおっしゃいます飛行機二機のうちの一つでございます。しかしこれは長官部隊視察といわゆるお国入り等に同行したものではございません。したがいまして、経費等の積算等も、先ほど申しましたようなことにしてございます。
  317. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 その第二号機にはどういうような人たちが乗っておりましたか。私が知っているのでは、これは報道関係の人たちが大部分乗っておったと思うのだが、そういうような人たちは、上林長官のいわゆるお国入りのほうが先になって、そうして公式訪問である基地視察はあと回しになるようなお国入りですが、それにはやはりついていかれなかったのですか。なぜその一機分だけがこれに計上されて、あとの一機分は関係がないとして予算に計上されない理由を承りたい。
  318. 海原治

    海原説明員 先生が第二号機ということばをお使いになりますと、二機ここにございまして、その第一と第二になりますが、先ほど申しましたように、これは二機が大臣のいわゆるお国入りにお供したということではございません。防衛庁の報道関係者の方々が、鹿屋基地視察されたわけでございます。この一行は日曜日に一足先に帰っております。この日程表を見ていただきましても、私が先ほど来御説明しております意味を御了解いただけると存じます。
  319. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 鹿屋基地視察をした。ではそのYSの二号機——あなた方が出されたのには、YS11の第一号機と書いてあるから、私は第一号機と言っている。第二号機があるはずです。一号機と書いてあるのだから二号機があるはずです。だから第二号機は私は鹿児島におりたと思う。おりてすぐそのまま搭乗者を乗せて鹿屋のほうに行ったのですか。行ってないでしょう。一緒に行動しているじゃありませんか。
  320. 海原治

    海原説明員 まことに恐縮でございますが、大出先生からの御要求に従いまして、委員会に提出しました航空機搭乗者名簿には、一号機、二号機という区分はございません。これはたまたま同時期に二機参りましたために、当初若干混乱がございまして、この点はいろいろと御連絡も申し上げまして、その点をはっきりした次第でございます。したがいまして、内閣委員会に御提出いたしましたYS11搭乗者二十六名、この関係の資料でひとつ御審議いただきたいと存じます。
  321. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 内閣委員会に提出をした資料で論議をいただきたいとおっしゃっても……。私が持っているのは、やはり決算委員会にあなた方が出された資料だと思うのです。この搭乗者名簿、これは第一号機だけが出ておりますが、第二号機というのは——第一号機があるのだから第二号機があるはずです。しかもその日は二台おりている。二台おりた。やはりそういう立場から言うならば、報道関係の人たちが、クラブ関係の人たちが乗っておったとしても、それはただほかの要件で行ったのじゃないでしょう。長官がたまたま部隊視察をするので、われわれもついていこうじゃないかといって乗られたはずではありませんか。そうするならば、それは当然の今度のお国入り、いわゆる純然たる私関係のお国入りを言っているわけではありませんよ。そういうような公的な施設、これを視察をするという目的で、統幕議長をはじめ三幕の責任者の人たちがついていかれたわけなんだから、そういうようなのに一緒に行こうじゃないかというので行ったのでしょう。行ったとするならば、これは当然これに要する経費としては計上されなければおかしいのじゃありませんか。
  322. 海原治

    海原説明員 先ほど来申し上げますように、同日たまたまクラブ関係のための飛行機が鹿児島に参ったことは、これは事実でございます。しかし、繰り返して御説明していますように、その目的鹿屋海上自衛隊部隊を見ていただく、見たいということで行ったことでございまして、これはその飛行機が、先ほども申しましたが、日曜日に帰っております。このことで御了解いただきたいと思います。  たとえば先般の高知の博覧会等におきましても、やはりクラブの目的のために飛行機を出しておりますが、これは決して今回の大臣のお国入り部隊視察に随行のためにわざわざ報道関係者にさらにもう一機用意させたということではございません。このことにつきましては、いろいろ経費の積算等につきまして、たとえば飛行機の直接経費を計上すべきか、あるいは間接経費、すなわちいろいろな部品等の取りかえの問題もございます。そのどの程度の経費を計上すればいいかということにつきまして、御要求もございました方々とも御相談いたしました結果、先ほども申しました大出先生に御提出いたしました、衆議院内閣委員会に提出しましたような区分けになっておりますので、ひとつこの点はさよう御了承願いたいと思います。
  323. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 この問題は、じゃやめておきます。話があるようですのでやめておきます。  私は、この際、自衛隊政治的姿勢についてお尋ねをしておきたいと思うのです。これは七月の三十日、航空自衛隊です、小松基地に自衛官を千人集めて、内外情勢についてという講演が行なわれております。この事実は御承知でございますか。これには三十八年十一月選挙において落選をいたしました自民党の候補者で佐竹弘造という人がおります。佐藤総理秘書と今日においては称しておる。その人が部隊の要請によって、ことしの七月三十日に講演を行なっておりますね。そしてそれに対する謝礼を自衛隊のほうから、小松基地のほうから払っております。これはただ一回だけじゃありません。昨年の八月二十三日も部隊計画に基づく幹部の四十名——四十名か五十名ですが、その幹部に同じような世界の情勢についてという話をされた。私は、こういうような今日の段階において、まあ、部隊の幹部にいろいろ研修所等において政治家の人たちに話を聞くというようなことで、勉強の会を持たれていることも知っております。それはかまわないと思います。しかしながら、一千名の自衛官を集めて、今度の総選挙においても立候補をするであろうと思われる人に、そういうような特定の人に話をさせるということは、一体これは自衛隊の、防衛庁政治姿勢としてはたして正しいかどうか。このことについて疑惑を持つのですが、そういうような事実が行なわれているということを御承知でございますか。長官が御承知でなければ、やはり官房長は御承知だろうと思いますが、いかがでございますか。
  324. 海原治

    海原説明員 御存じのように、全国各地区には駐とん地の数が相当ございます。その一々の駐とん地において、どのような方がどのような形においての講演をなさったかということにつきましては、特別のことでもない限りは、私どものところには連絡は参りません。ただいま先生の申されました小松基地におきます講演等につきましても、従来の私どもの仕事のやり方から申しますと、特別に報告を受けるとか連絡を受けるとかいう種類のものではございませんので、したがいまして、私どもはその事実については承知いたしておりません。
  325. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 この問題は、私はやはり非常に大きな問題があると思います。自衛官は自衛隊法によりまして政治行為は特にやかましく規制をされております。この問題については、こんなにまでやかましく規制をしていいかどうかということについては、基本的人権の問題もありますので、私たちは別な考え方を持っておりますが、明らかに今度総選挙が行なわれたら出ることが確実であると思われるような人に講演をさせるということは、これはやはり今後考えてもらわなければならない問題だと思います。この問題については事実を御調査を願いたい。そして次の内閣委員会には御提出願いたい。これは要望を申し上げておきます。  そこで、もうだんだん終わりにいたしますが、上林長官指宿にお帰りになりました。そのときに、あなたは自分の祖先の墓にお参りになった。まことにけっこうなことです。しかし、その祖先の墓に至る市道、これは指宿市の道路です。これについては失業対策事業の労働者と、それから付近の住民の奉仕作業によって道路の清掃が行なわれた、こういうふうにわれわれも聞いておりますし、現場に行きまして確認をいたしました。そこで、一体そういうようなことが許されるかどうかという問題は、これはあなたの知っている、知っていないの問題にかかわらず、やはり行政の中立性の問題とも関係があると思います。そういう立場からあなたはこのことについて御承知でございますか。知っておられるとするならば、いつそれを知られたのか、それをお答え願いたい。
  326. 上林山榮吉

    上林国務大臣 それは私はどういうふうにして行なわれたのか全然承知をいたしておりませんが、道路の修理というほどの大修理とは私は受け取れなかったのでございます。ただ、みぞを少し上げてあったというぐらいにしかそのとき意識しておりません。小さな道路でございますから、そういうふうにしか承知をいたしておりません。
  327. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 大田原−道下線という市道です。これについては、これの補修をしておることは、あなたも小さな道だからというふうに、御承知のとおり知っておられる。そこで、そういうようにそれに従事させられた失業対策の労務者の諸君が、われわれはきょうは上林山先生のために道づくりをやっているのだ、部落の奉仕作業をさせられた人たちもそういうようなことを言っているわけですね。そこで、これはあなたは、それまでは知らないでしょう。そういうような道づくりがあるということも知らないはず。知らないにしても、私は調査に参りました。歓迎会がありましたときの市の職員が、いろいろな作業、レセプションの準備であるとか、歓迎会の準備であるとか、あるいは旗づくりとか、そういうのをさせられております。そうして、市の職員は、日曜出勤でありますから、その日曜日には、出勤をしたというので超過勤務手当が支払われております。その指宿の場合には、あなたの出身地ですけれども、三つの学校は、校長先生をはじめ、先生方から児童全員が出てまいりましてあなたを歓迎をいたしました。そうして、四百人の鼓笛隊が動員をされて、あなたが使われる会場の前に並んでおります。こういうような形の中でたいへんな歓迎会が行なわれたわけですが、教育長が言うには、これは日曜日だから命令ではない、自由参加だ。しかし、自由参加だけれども、子供たちがたくさん出る以上は、やはり先生たちも出てもらって、安全のために整理その他に当たってもらいたいものだ、こういうようなことで、教職員も、その日は大部分あなたの歓迎のために、子供たちをそういうふうに安全にするために出ております。しかし、この学校の先生たちや子供たちは、代休が与えられたのはあなたの出身校である柳田小学校が一つだけで、あとは代休もありません。学校の休業日というものは法律によってきまっております。日曜日は休業日と、こうなっておる。そうして、労働基準法の上からいっても、教職員は四十四時間勤務となっております。しかし、この教職員に対しては超過勤務手当は支払いをされておりません。また支払われないような形になっているそうであります。そういうような形の中でいろいろな問題が出ているのだということをあなたは御承知でございますか。知っておられるとするならば、それに対してどういうようなお気持ちをお持ちになって私の話を受けとめていただいたか、あなたの感想をお聞かせを願いたい。  それと同時に、行政の中立性という問題については——自治省見えておりますか。一体そういうような行為というものが行なわれることが望ましいとお考えになっているのかどうか、これも自治省としての見解をお示しを願っておきたいのです。
  328. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ただいまお示しの小学校は私の母校でございます。母校の生徒やその他の方々が心から歓迎をしていただいたものと、私はただそれだけ考えていただけで、何も大きないろいろな問題を私は考えておりません。
  329. 志村静男

    ○志村説明員 お尋ねの件でございますが、私どもやはり地方行政というものにつきましては、地域住民の福祉を増進する観点から、一党一派に偏することなく、適正に行政というものは処理すべきものである、かように考えておるわけであります。そしてまた、いまお尋ねのような点につきましては、率直に申しまして、市町村側におきましてどういうように受け取っておるかというような問題等もあろうかと思いますが、やはり社会通念上儀礼に属するというような範囲はおのずからあるのじゃないか。そういうことになってまいりますと、その範囲のものについてまでいけないのだと言えるかどうか。しかし、その場合におきましても、できるだけ本来の公務執行というようなものについては支障がないように、影響を与えることのないように最大の考慮を払うべきものである、かように考えるわけです。
  330. 村山喜一

    ○村山(喜)委員 最後に、私は上林長官の態度の表明をお願いしたいのですが、ちょうど十月二十日に自民党の鹿児島県連の大会が開かれました。私は自民党ではありませんが、その大会の席上で出された意見等が出ている中で、上林長官の自重と、中央政界の浄化を望んで県議団から御承知のように緊急動議が出されました。その内容は、「最近政界の一部に国民の不信、疑惑を招く事態が発生し、議会民主主義の権威を失墜しつつあることはまことに憂慮にたえない。この際わが党は、責任政党として国民の信頼と期待にこたえるため、全党をあげて厳粛な反省のもと党紀刷新に努め、今後の飛躍を期するよう、党本部でもすみやかにこれが具体策を講じるよう強く要望する。右決議する。」これは田中彰治事件以来、荒舩運輸大臣の問題、引き続いて上林山防衛庁長官の問題、これらの問題が出るに至りまして、自民党鹿児島県連においてもこういう決議をあげた。あなたはそのことを、党員でありますから十分御承知でありましょう。そういう立場においてこの問題を考えられる場合には、やはり国務大臣上林山榮吉としてあなたは政治責任をどういうふうにお感じになっているのか、態度を明白にしてもらいたいのであります。その点はいかがでありますか。
  331. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私が帰ったときは、鹿児島県連はあげて私を歓迎していただいたのでございました。ただいま聞くところによりますと、そういうような決議が正式になされたのかどらか、私は承知をいたしておりませんが、もしそういう決議が正式に行なわれているとするならば、言うまでもなく、私はその精神を尊重して、みずからを省みるところは省み、最善を尽くし得るところは尽くし、精魂を傾けて今後の精進、努力をいたしたいと考えております。
  332. 木村武雄

  333. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 私は、主として上林長官並びに久保俊広なる人物について問題をしぼり質問をしてみたいと考えます。  長官就任早々、八月四日付の日本経済新聞、それから八月十日の朝日新聞で、あなたの抱負が語られております。どちらも同じような内容でございますが、あなたはこういうことを言っておられます。「国民と共にある自衛隊背景があってこそ実を結ぶと思う。そのためにもまず自分以下が謙虚にエリを正さねばなりません。それに信賞必罰を徹底させる必要がある。」あなたはいまでもその気持ちに変わりありませんか。
  334. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほども同じような質問がございましてお答えいたしたとおりでございますが、その心境に変わりはございません。
  335. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは、現在まで各委員から、与党のあなたの同志も含めましていろいろ質問が展開をされました。それらの質疑応答の中から、現在あなたは防衛庁長官としての進退をどのように考えておられますか。
  336. 上林山榮吉

    上林国務大臣 その点も先ほど申し上げたところで御了承願いたいと思うのです。
  337. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは、なお防衛庁長官をそのままお続けになるつもりですか。
  338. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私は、この問題について何回となく各委員お答え申し上げましたが、私は自分の配慮の足らなかったそれぞれの問題については、重々反省をいたしております。しかしながら、今後の問題については、一そう精魂を傾けて、そうして自衛隊の育成につとめてまいる考えでございます。
  339. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは、くどいようですが、あなたはいままでのあなたの行為はそのままにして、自衛隊の隊員に「強い責任感をもって専心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、」そういう宣誓をあなたは自衛隊員になされるとお思いですか。事に臨んでは命までも賭してやれというような宣誓を、あなたは自衛隊の隊員に、自分の部下に要求され得ますか。
  340. 上林山榮吉

    上林国務大臣 反省すべきは過去を反省いたしまして、先ほど申し上げましたように、精魂を傾けて最善の努力をいたす決意でございます。
  341. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは二十二日夜、アメリカからお帰りになりました。翌日、佐藤総理にお会いになりました。そのとき佐藤総理のあなたに対する、あなたの政治責任に対する措置はお預けになっておるという報道がありました。したがって、一連の問題について、総理大臣に対しみずからの進退伺いをあなたは出されておるのですか。
  342. 上林山榮吉

    上林国務大臣 進退伺いを出しておりません。
  343. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 よろしゅうございます。たいへん私は遺憾に思います。私も福岡の出身であるし、九州の出身であります。あなたがかつての荒舩大臣のように、みずからの進退をみずからきめる、そういう態度であれば、以下私が質問をする必要はなかったわけですが、やむを得ません。私はいろいろほかの方の名前もやむを得ず出さなくてはならないかもしれないし、質疑の途中、あるいは非礼にわたる点があるかもしれませんが、あらかじめ御容赦をいただきたいと思います。  それでは、まずさしあたって本日の質問の中から最初確認をしておきたい問題がありますが、あなたが王子田秘書を政務秘書官から議員秘書官にかえられたのは、決して責任をとらないわけではない、それはそのとおりでございますか。
  344. 上林山榮吉

    上林国務大臣 そのとおりでございます。
  345. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは、本日問題になった点のほとんど大部分は、秘書である王子田のしわざである、したがって、あなたは、形式上の責任はあるかもしれぬが、実質的な責任はないとおっしゃっておる。事務当局は政務秘書たる王子田を信頼して王子田の申し出のとおりに措置をしておる。一体、これらの一連の問題はどこに責任があるのですか、形式的にも実質的にも。長官はどこに実質的な責任があるとお考えですか。
  346. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私は事実を事実として申し上げ、同時に、これらの諸君が非常によくやってくれたということをよく承知をいたしております。しかし、先ほど来から申し上げておりますとおり、私の配慮の足りなかった点、あるいは小さいところまで大臣として気を配らなかった点、こういう点は、私はまことに配慮が足らなかった、こういうように考えております。
  347. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 実質的な責任はどこにあるかということを私はお伺いをしておるのです。
  348. 上林山榮吉

    上林国務大臣 これは何回も申し上げるとおりでございますから、どうぞ御推察を願いたいと思います。
  349. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 私は、本日各委員質問を聞いておってわからないのです。これらの一連の公私混同問題なり、後ほど私が出します問題の責任は一体どこにあるのであるか、実質的な責任は一体どこにあるのであるか、私はわかりませんから、あなたはお繰り返しになるかもわかりませんが、簡単に言ってください。どこにあるか、それでいいのです。
  350. 上林山榮吉

    上林国務大臣 さっきから何回もお答え申し上げておるのでございますが、一言でと言われますので申し上げますならば、道義的責任は私にあると思っております。
  351. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 実質的にもあなたにあるのではないですか。その点はどう思われますか。
  352. 上林山榮吉

    上林国務大臣 これは、先ほど申し上げますとおり、道義的責任を私は感じております。
  353. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは信賞必罰をやると言っておる、その気持ちはいまも変わらないと言っておる。あなたは今日の委員会を通じて何回も頭を下げられ、非を悟られた。しからば、一体その責任はどこにあるかということを明確にしなければならないではないですか。そうすることなしには信賞必罰の行政は行なえませんよ。責任が明確にならない限り、どうして信賞必罰が行なえますか。
  354. 上林山榮吉

    上林国務大臣 何べんも申し上げているとおりでございますので、どうぞ御了承願いたいと思います。
  355. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 その答弁では了承できません。これほど問題になった一連の事件に対しまして、いまのような了承ぐらいのことでは私は納得できません。長官の口から、明確に道義的な責任も、実質的な責任もどこにあるのだということを明確にしてください。
  356. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私は道義的責任を痛感いたしておりますが、実質的な責任という意味をもう少し御説明いただければ幸いであります。
  357. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたの一連の答弁を見ると、問題のほとんどすべては王子田秘書にあるようにおっしゃっておる。そうするならば、あなたは実質的な責任は王子田にあると自分ではお思いではないのですか。ただし、道義的な形式的な責任は自分にある、そういう言い方をあなたはなさっていらっしゃるのではないですか。われわれはそのように聞こえるのです。違いますか。
  358. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私も赴任早々であり、王子田君も赴任早々で、ほとんどふなれの者ばかりであったわけであります。この王子田君がたよりにしているのは事務当局です。事務当局に、前例はどうなっているでしょう、あるいは、これはどういうふうになっているでしょう、こう言えば、事務当局は前例はこうなっているからこうしたらどうだろうという好意的ないわゆる協力があったわけです。そうして事実関係だけを申し上げますと、こういうようなことに配慮が足らなかった、こういうことになるわけです。しかし、私が大臣としてこまかいところまで神経を使って、そして一から十までいろいろな書類を見て、あるいはそれぞれチェックしてやるならばよかったのでございますけれども、残念ながらそこまでやる余裕と時間がございませんでした。こういう意味を、私は事実関係を申し上げておるわけでございます。
  359. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは、お帰りになってから本日まで、あなたの一連の答弁は、すべて事務当局ないしは王子田秘書になすりつけていらっしゃいます。防衛庁の事務当局は、かわいそうにも君君たらずとも臣は臣たりというような気持ちで、あなたをかばって答弁しております。実質はそのとおりですよ。  私は先に質問を進めます。もう一つ確認をしておきますが、資料として出されましたお国入りの場合の搭乗者名簿は、これはこのとおりで、落ちた人はございませんね。
  360. 海原治

    海原説明員 落ちた者はないと承知をいたしております。
  361. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 もう一度はっきり確認をしたいと思います。抜けたところはございませんね。——首をひねられては困ります。それでは不確かですと言いなさい。
  362. 海原治

    海原説明員 楢崎先生から、非常に強いおことばで、抜けてないな、こうおっしゃられますので、どこか抜けたのかなと思って私は考えたわけですが、私の承知しております限りではこのとおりだと思います。
  363. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは、その点はいずれあとで問題になると思います。先に問題を進めます。  先ほど申し上げましたように、たいへん非礼にわたるかもしれませんが、上林山防衛庁長官の人柄を知る上に参考のために二、三確認をしておきたい問題があります。  やや過去にさかのぼるかもしれませんが、あなたは国会議員あるいは防衛庁長官としてのお仕事のほかに、何か特定の会社か何かに関係をしておられますか。
  364. 上林山榮吉

    上林国務大臣 特殊の会社に関係をしておりません。もとは殖産住宅に関係がございました。
  365. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それは、防衛庁長官になられる前に関係をされたのはそれだけですか。
  366. 上林山榮吉

    上林国務大臣 殖産住宅も単なる顧問というような形でございましたが、ほかに経営に参加した、あるいは顧問というような意味で給料というようなものをもらった会社はございません。(「あるよ」と呼ぶ者あり)覚えてない。何年前にさかのぼるか知らぬけれども……。
  367. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 関連。いままでの答弁は現在を含めての答弁ですか。
  368. 上林山榮吉

    上林国務大臣 何年前までさかのぼるのか、たとえば十年前まででありますのか、あるいは防衛庁長官になってからという話なのか、私その辺を全然承知いたしておりませんが……。
  369. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 過去から今日まで、なるたけ詳しく……。
  370. 上林山榮吉

    上林国務大臣 それは私うろ覚えのところもございますので、いずれ私自身も調べた上でお答えいたしたいと思います。
  371. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 それではこちらから一つ申し上げますが、リバティ商事株式会社の取締役をやっておいでになる。大手町の日本ビルの中にありますよ。
  372. 上林山榮吉

    上林国務大臣 それは何年前か存じませんけれども、いまはほとんど交渉ございませんが、すっと前にそれに関係しておったことがございます。
  373. 田口誠治

    ○田口(誠)委員 この種の問題についてはまだ数がございますので、ただ、いま全然ないと言われたから、私が一つ出しただけですから、これも保留しておきます。
  374. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは所得申告をいつまでやっておりますか。
  375. 上林山榮吉

    上林国務大臣 これは主として加治という秘書が担当してやっております。
  376. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 じゃあなたは御存じないというわけですね。
  377. 上林山榮吉

    上林国務大臣 たいてい私の収入は彼らが知っておりますので、ほとんど彼らにまかしてあるところでございます。もちろん最後の判こは私がつきますけれども、一から十まで、そんなにたくさんの収入があるわけでありませんので、簡単につくわけであります。
  378. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは昭和三十七年以来所得申告をしておらない。それを私はいずれ問題にいたしますが、しておらないということだけここではっきりさせておきたいと思います。  次に移りたいと思います。あなたは昭和三十八年、本院の石炭特別委員長をなさっておられましたね。
  379. 上林山榮吉

    上林国務大臣 そのとおりでございます。
  380. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは石炭特別委員長の時代に石炭業界からお金を取られておりますね、御記憶がございますか。
  381. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ございません。
  382. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 私はここで一つだけ例をあげたいと思います。  北海道のさる炭鉱からあなたはお金を取っておられます。それはほかにもそういう要請をあなたはされております。証拠を出せと言われれば、公開では困りますが、それを私は出すことができます。私はなぜそういうことをあなたがされたか思い出していただきたい。
  383. 上林山榮吉

    上林国務大臣 そういう事実について、ただいま思い出すことができません。なお、私個人としてそういう要求をした覚えはございません。
  384. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたはいつも自分は覚えがない、自分はしたことがないという、絶えずあなたはそういう態度でおられるのですね。  それでは今度はあなた自身の身に覚えのあることを一つ聞いてみたい。  あなたは昭和三十六年七月に中近東に旅行なさいましたね。そのときあなたは三十六年七月二十日カイロに入られました。カイロに入られる前にトラブルが起こりましたね、思い出されますか。
  385. 上林山榮吉

    上林国務大臣 それはどういう意味かわかりませんが、もし注射に関係があるならば、承知をいたしております。その事情をはっきり御説明申し上げます。  私が外務省に行きまして、そうして注射をしてもらいました。行く場所はこれをはっきりと指摘をいたしまして頼みました。そうして注射を終えましたと言うから、全部済んだのですねと言ったら、そのとおりでございます、こういうふうに答えてくれました。そこでカイロからエチオピアに参りました。エチオピアでそれがわかりましたので、エチオピアでドイツ人の医者から注射をしてもらいました。(「何の病気だ」と呼ぶ者あり)これは黄熱病の注射であったと覚えております。それからカイロに入りましたところが、あれば十日かしないと効果が発生しないそうでございます。そういう意味で、何日かまだ足らない、こういうことでございました。しかし、ほかの国に行くならば、これはよろしいということでございまして、当地の大使館に連絡をとりまして、私はいろいろと折衝いたしましたが、そのとき考えついたのは、黄熱病は国際協約ですか、国際協定ですか、よく性質は知りませんが、それによって、注射をしてから六年間はこれは有効だ、こういうことになっているということがわかりまして、その旨を小坂外務大臣からカイロの大使館を通じて、カイロの政府当局にこれを、要請したのでございます。そこで時間がかかるようでございましたから、私はほかの国に参りました。  そして、日本に帰ってまいりまして、予算委員会の分科会であったと思いますが、私は小坂外務大臣に対して、国際協約で六年間有効である、その問題をなぜカイロ政府当局は認めなかったんだろう、もっとわかるような交渉を、なぜしてくれなかったのですか、ひとつ将来、誤解を受けるといけないから、この問題については、この議場ではっきりその経過を説明願いたい、こう言って、半ば小坂外務大臣は、陳謝というほどのものではございませんけれども、その事情をそういうようなことばを含めて、委員の前で披瀝をしてくれました。この速記録はお調べになれば残っております。
  386. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたはカイロの検疫所の隔離所ですか、一週間ほどたいへん苦労なさったそうであります。これはあなたの性格の一面を語るエピソードであろうと思います。  そこで私は久保俊広の問題について法務省にお伺いをいたします。「政界ジープ」の恐喝事件につきましては、ただいま東京高裁に控訴中であります。私は、過去すでに判決が下った分について、すでに明らかになった分についてお伺いをしたいと思いますが、この「政界ジープ」が起訴されたのはいつでありますか。
  387. 津田實

    ○津田説明員 起訴されましたのは昭和三十一年四月十九日から同年の七月二十七日までの間でありまして、その間に九回の起訴になっておりますが、これはいずれも分割して起訴になったものでございます。
  388. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 久保俊広が逮捕されたのはいつでございますか。
  389. 津田實

    ○津田説明員 逮捕の日時は、いま手元にございませんからはっきりいたしませんが、おそらくこの二、三週間前というふうに、いまから考えれば想像されるわけでございますが、これは記録について見ないといつであるかはわかりません。
  390. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたはこの一連の公職記録を調べることができますね。
  391. 津田實

    ○津田説明員 公判記録は、これは裁判所の記録でございます。したがいまして、訴訟記録という形式のものでございます。私は法務省の担当官でありまして、当該事件の主任検事はこれを閲覧することができます。もちろん謄写することもできます。しかしながら、それは訴訟当事者としての謄写閲覧権でありまして、これを他に使うことは許されておりません。したがいまして、検事の謄写閲覧権に対してわれわれがかりに監督権があるといたしましても、その内容につきまして、現在係属中の事件については当事者以外に明らかにすることはできないと私は思っております。
  392. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それは後ほど問題にしたいと思いますが、久保俊広氏には何人弁護人がついておりましたか。
  393. 津田實

    ○津田説明員 それは調査してみないとわかりません。
  394. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 たしか十数名ついておると思いますが、保釈されたのはいつでございますか。
  395. 津田實

    ○津田説明員 第一審において保釈されておりますが、その日時は、ただいま手元でははっきりいたしませんが、第一審判決が昭和四十年四月十二日にありまして、その日に保釈は効力を失って収監されております。しかしながら、即日保釈申請が出ておりまして、即日保釈になっておりますから、現在の保釈は昭和四十年四月十二日の保釈である。こういうことになると思います。
  396. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 四月十二日の保釈ですね。そのときに身元引き受け人は出ておりますか。
  397. 津田實

    ○津田説明員 ただいままで調査いたしましたところによりますと、保釈について身元引き受け人はないはずであります。弁護人が一部保釈保証金の引き受けをいたしておりますので、弁護人の保証書によっておることはありますが、身元引き受け人なるものはただいまのところ私はないと思いますが、この点は調査してみないとわかりません。
  398. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あるはずであります。それは調査してください。保釈金は幾らですか。
  399. 津田實

    ○津田説明員 保釈保証金は七十万円でありまして、そのうち三十万円が現金、四十万円が弁護人の保証書になっております。
  400. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 日時を指定してもよろしゅうございますが、三十九年の秋、減刑嘆願書が出ておりますね。
  401. 津田實

    ○津田説明員 減刑嘆願書が出ておるかどうかは、私は承知しておりません。
  402. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは大事な点になるとわからないと言いますね。ありますよ。直ちに調べてください。
  403. 津田實

    ○津田説明員 減刑嘆願書の提出されていることの有無を調査することはできますが、内容については、先ほど申しましたように訴訟記録の一部であると考えられますから、もし出ておるとしても明らかにすることはできません。しかし、提出されておることの有無は調査できます。
  404. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 私は内容は何も聞いていない。先走ることはない。出ておるかどうかということを聞いておる。それはすぐわかりますね。
  405. 津田實

    ○津田説明員 すぐわかるかどうかはわかりません。記録は全部裁判所に保管されております。
  406. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 一審の判決はいつありましたか。
  407. 津田實

    ○津田説明員 これは先ほど申しましたように、昭和四十年四月十二日であります。
  408. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 相被告の姓名、職業、それから刑を言ってください。
  409. 津田實

    ○津田説明員 相被告の氏名は、五島徳二郎、清水隆英、成重正則であります。清水隆英は無職であり、五島徳二郎は宝石商、成重正則は接骨院経営、こういうことになっております。
  410. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 五島徳二郎は、はかにも政治団体に関係がありますね。御存じないですか。
  411. 津田實

    ○津田説明員 五島徳二郎なる人物はいかなる人物であるか、私は承知いたしておりません。なお、二木秀雄なる医師なる者が若干関係しておられるように思われます。これも一応相被告人となっております。犯罪事実に関係がないかと思いましたが、関係はあるようにも思われます。
  412. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 二木氏は一番刑が重い方ですね。どのような政治団体に関係しておられますか。
  413. 津田實

    ○津田説明員 二木秀雄に対しては、懲役四年を言い渡されておりますが、二木は、昭和二十年ごろ、金沢市において与論社を創設し、雑誌パブリックオピニオンを、翌二十一年三、四月上京した後、雑誌日本与論を発行していた、こういう事実が書いてあります。
  414. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 いかなる傾向の政治団体と思っておられますか。
  415. 津田實

    ○津田説明員 私は、この日本与論あるいはパブリックオピニオンというものはどういうものかよく承知いたしておりません。したがいまして、よくわかりません。
  416. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは政治団体とおっしゃったから私は聞いたのです。五島徳二郎は殉国青年隊の顧問になっておりますが、御存じですか。
  417. 津田實

    ○津田説明員 その点は承知いたしておりません。なお、二木は政治団体に関係しておるかどうかは私知りませんから、政治団体ということは、私は申し上げなかったつもりであります。
  418. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 その五島徳二郎は殉国青年隊の顧問になっておる。久保俊広氏はこの一連の仲間であります。右翼と関係があるという点はそこでおわかりだと思います。そこで、昨年四月十二日控訴しておるわけです。同時に保釈申請をなされておる。日付を明確にしてください。
  419. 津田實

    ○津田説明員 それは先ほど申し上げましたように、四月十二日に一たん第一審の保釈が取り消されまして収監されましたが、即日保釈になっておりますから、四月十二日の日に保釈になったわけであります。
  420. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 外務省にお尋ねをいたします。  久保俊広氏は、三十九年三月四日、台湾に行くということで旅券の発給がなされております。事実ですか。
  421. 広田しげる

    ○広田説明員 事実でございます。
  422. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 旅券は一般旅券、職業は記者(国会ニュース社長)、目的は台湾の政治経済視察、出発は五日となっております。間違いありませんか。
  423. 広田しげる

    ○広田説明員 そのとおりでございます。
  424. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 法務省に再度お伺いします。  この三十九年三月五日からの台湾への旅行について、旅行申請が出されておりますか。
  425. 津田實

    ○津田説明員 このことは私は承知いたしておりません。あるいは本人が保釈中であった関係から裁判所へ提出されたものかもしれずと思いますが、その点は私は全然承知しておりません。
  426. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 これは出されております。それで、この点は期間が何日になっておるか、調査をしていただきたいと思います。  外務省に再度お伺いいたします。  昭和三十九年三月五日午前十時二十分、日本航空七〇五便、この便で当時外務政務次官をされておった毛利松平氏一行が台湾に行かれております。間違いありませんか。
  427. 広田しげる

    ○広田説明員 飛行機番号等は存じませんけれども、三月五日に毛利政務次官一行が日本航空で出発したことは事実でございます。
  428. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 一行の帰国は同年三月十七日、七〇四便で羽田に帰ってこられた。旅券課長がおられれば明白になろうと思います。間違いありませんか。
  429. 広田しげる

    ○広田説明員 帰国の期日については承知しておりません。(楢崎委員「旅券課長見えてないですか」と呼ぶ)
  430. 内藤武

    ○内藤説明員 毛利政務次官の帰国の期日はいまわかりません。
  431. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それは明確にしてください。間違いないと思います。
  432. 内藤武

    ○内藤説明員 それは取り調べます。調べた上で、あとでお答えをいたします。
  433. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 当時は国会の開会中であります。よほど重要な目的を持って訪台されたと思います。どういう目的をもってこの御一行は行かれましたか。
  434. 広田しげる

    ○広田説明員 アジア局長承知しておると思いますけれども、私の記憶によりますれば、大平大臣が当事、その後訪問されましたが、その前の事前の打ち合わせというふうに私は承知しております。
  435. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 外務政務次官ですから当然外交旅券で行かれたと思います。公式の訪問であろうと思います。間違いありませんか。
  436. 広田しげる

    ○広田説明員 そのとおりでございます。
  437. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 何か特使というような任務が与えられましたか。
  438. 広田しげる

    ○広田説明員 詳細については存じません。
  439. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 存じませんじゃ困るのです。それは明確にしてください。
  440. 広田しげる

    ○広田説明員 取り調べましてお答えいたします。
  441. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 当時の政治情勢は、御承知のとおり三十九年二月末、吉田茂氏が訪台をされました。例の対中国ビニロンプラントの問題あるいは周鴻慶等の問題があって行かれたわけです。そうして三月中旬には、台北で日華協力委員会の臨時総会が開かれることになっており、岸信介氏と石井光次郎氏が行かれるようになっておりました。吉田茂氏は台湾に行かれて、大平外務大臣を後続させざるを得ない約束をして帰られた。ところが当時の政府与党の間のいろいろな問題があって、ついに岸信介氏、石井光次郎氏は行かれませんでした。そういった政治情勢の中ですから、もし額面どおりわれわれが推察するならば、これは特使であろうと思います。それをできるだけ早く明確にしてください。しかし内実はそうではなかった。このとき毛利政務次官について行かれた外務省の関係を一応発表してください。
  442. 広田しげる

    ○広田説明員 政務次官に随行したのは、当時の原中国課長、中島政務次官秘書官、別府情文局事務官の三名であります。
  443. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 この御一行に別に随行者がついていっておる。その中に久保俊広が入っておる。明白あります。私はこの随行員の名前を愛知官房長官が来られておるならば明白にしてもらいたいか、さっそく連絡してください。委員長の善処をお願いします。——どうされますか。
  444. 木村武雄

    木村委員長 進めてください。
  445. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 どうされます、いまの点は。委員長の御見解を……。
  446. 木村武雄

    木村委員長 そのまま進めてください、相談するから。そっちを進めてください。
  447. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは、善処されるそうですから、質問を続けます。  この御一行は例のバナナの問題と関連がある。これを昨日参議院の農水で、これから先を言おうとされたらストップになったわけですね。私はこれから先の問題は参議院に譲ります。  そこで問題は、私はなぜこういうことをここで明白にしたかというと、久保俊広なる人物は右翼とも関係があるし、政府与党と非常に密接な関係があるという一例証にあげたわけでございます。私は、この毛利政務次官一行に久保俊広氏が加わっておる問題については、愛知官房長官が来られてさらに追及をするために、この問題は保留をいまいたしておきます。  私は、続いて上林長官と久保俊広氏の関係についていま少しお聞きをしたいと存じます。その前にこれまた確かめておきたいことがございますが、これは事務当局でけっこうです。  いままで、防衛庁始まって以来、長官が、現在の上林長官のなさったようなああいう形で、ああいう多量の秘書を自衛隊の飛行機に搭乗さしたという例がありますか。
  448. 海原治

    海原説明員 防衛庁始まって以来というお尋ねでございますが、これにつきましては私詳細に存じておりません。ただ、今回の上林長官に随行いたしました秘書——大ぜいのとおっしゃいましたが、第一回は六名、第二回は四名でございますが、この程度の、秘書という形の部外者の搭乗ということは、従来も間々あったように私は記憶しております。
  449. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 もしこれに匹敵する顕著な例があったら、ここであげてください。
  450. 海原治

    海原説明員 部外者の搭乗につきましての処理というものは、いわゆる過年度——年度を過ぎますと全部処置しておりますので、具体的に私はそういう例は存じておりません。
  451. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 いまの答弁と先ほどの答弁と違うように思われますが、違いませんか。
  452. 海原治

    海原説明員 私が私の記憶によればと申しましたのは、官房長になりましたのが昨年の六月でございますが、それ以来大臣の御出張に随行したこともございますし、それ以前におきましても、間々こういうことがございますときに、長官のいわばお客さまと申しますか、部外者の搭乗があったことを私の記憶から申し上げておるのでございます。五名、六名程度の、先ほど来御説明しております、長官が特に必要と認められます項に該当します部外者の搭乗というのは、従来私の記憶では間々あった、こういうことでございます。
  453. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 私が上林長官の今回のような問題に匹敵すると言ったのは、お国入り等の問題も含めて言ったのですよ。過去にもそういうあれがあるとおっしゃるのですか。そうすると、みんなやっておったわけですか。
  454. 海原治

    海原説明員 大臣就任最初のいわゆるお国入りということと部隊視察ということが、飛行機という輸送手段において行なわれましたことは今回が初めてでございます。
  455. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは、あなたとしましてもたいへん奇異に感じられたわけですね。
  456. 海原治

    海原説明員 従来いろいろな場所で申し上げておりますが、私としましては、これはお感じの問題でございますが、奇異という感じは持っておりません。本日も今朝来るる申し上げましたような事務手続によりまして、万事を処置いたしました。現在奇異という感じは全然抱いておりません。
  457. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 これほど内容がはっきりしても、あなたはなお普通であるというお考えですから、およそわれわれの政治感覚なり、あるいは道義的な感覚と全く違うわけですが、この点は私は論争をいたしません。  そこで私は、長官にお伺いをしたいのですが、あなたは羽田から飛行機に乗られて、これはちょっとおかしいぞと途中でお考えになりましたか。全然もううちょうてんで、うれしいばかりで、何もお考えにならなかったとさっきおっしゃっておりましたが、そうですが。
  458. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ちょっと聞き漏らしたので恐縮でございました。  私は、そういうことは全然承知をしていないということをけさほどから申し上げておるのでございますが、全くそのとおりでございます。
  459. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは議員としてはずいぶん先輩であります。政党は違いますけれども、先輩であるし、われわれの常識よりもはるかにあなたは経験も豊富だし、政治的な道義なり善悪、そういったものを区別する能力もおありだと思いますが、あなたが鹿児島に着かれて、これはぐあいが悪いと思われたときには、あなたは長官の命令でそれをお変えになることができるわけです。松野農林大臣は、弁解の話がほんとうであれば、事務当局がつくっておったスケジュールを自分でお変えになったほどですから、あなたはそういうことができるはずであったと思うのです。それができなかったのはたいへん残念に思います。  そこで私は、長官に念を押しますが、久保が乗っておったことは知らない、行くことは知らなかった、それから保釈中であることも知らなかった、そうでございますか。
  460. 上林山榮吉

    上林国務大臣 保釈中であることは全然承知をいたしておりません。それから乗ったことについては、ちょっとしたあいさつをそばに来てしたことは知っておりますが、余裕があるからこれに乗っていくんだなというくらいにしかそのときには思っておりませんでした。
  461. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 久保俊広氏は鹿児島県のどこの出身でございますか。
  462. 上林山榮吉

    上林国務大臣 詳しく承知いたしておりませんが、多分鹿児島市ではなかっただろうかと思われます。
  463. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは、長官は、羽田から鹿児島に行く間の飛行機上であいさつを受けただけで、それ以降は全然久保なる人物にお会いになっておりませんか。
  464. 上林山榮吉

    上林国務大臣 全然会っておりません。
  465. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 問題化した以降、あなたがアメリカからお帰りになった以降もお会いになっておりませんか。
  466. 上林山榮吉

    上林国務大臣 全く会っておりません。
  467. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたはこの久保俊広氏と一緒に行ったために、これほど長官としてのいわゆる資格を云々されておるのですね。あなたはどうして久保に会おうとなさらないのです。どうして久保に会って詰問をなさらないのです。これほどあなたの進退に影響を与えておる人物です。本人はそれを自党して、先ほど大出委員が指摘しましたように、国会ニュースを解散しております。それほどの人物にあなたはどうして会おうとなさらない、どうして詰問をしようとなさらない。不問にしようと思っておるのですか。実に不自然じゃありませんか。どうでしょう。
  468. 上林山榮吉

    上林国務大臣 こういう問題になっておるときに、さがし回って私が会うということは、さらに誤解を深めるのではないかと考えますので、そういう小手先の工作をいたしておりません。
  469. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは、この久保なる人物が政府自民党と非常に密接な関係がある、深く食い入っておるという事実について御存じないですか。
  470. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私は同君から長い間非常に新聞雑誌等で悪口を書かれた被害者といえば被害者のような間柄でございます。そういう状態でありますから、彼がどういう方面に深く食い入っておるかということは承知をいたしておりません。
  471. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 これは問題の久保俊広が主幹で出しておる国会ニュースですか、二年前に、三十九年に佐藤さんが運よく総理の座に着かれた。それからしばらくたった十一月二十一日発行であります。あなたのこんな大きな写真がこの国会ニュースに載せられております。そしてあなたは対談をされておる。あなたはこれを多量に選挙区に配っておる。これも知らないとおっしゃいますか。
  472. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私は久保君と対談をいたしておりません。それは久保君の社の記者と対談をしたかと思っておるのです。直接対談をいたしておりません。
  473. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 よろしゅうございましょう。そこで私はあなたが久保を全然——まあ知っておるのは知っておるけれども、そう深く知らないと言われた。また、あなたは、保釈中であるということも知らなかった、ということは、政界ジープ事件も知らなかった、そういうことでございますね。
  474. 上林山榮吉

    上林国務大臣 保釈中であるということは全然承知をいたしておりませんが、古い話でございますので、政界ジープ事件でどういう程度の判決を受けたのか、その後どうなったのか、院内でゆうゆうと歩いているので、そういうことはちっとも懸念をいたさなかったのでございます。
  475. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 これはたいへん失礼ですが、われわれが聞いておるところでは、ここにおられる木村武雄委員長防衛庁長官予定をされておって、それがあなたにかわった一連の動き、あなたは御存じないかもしれないが、一連の動きの中に久保俊広氏と岩渕辰雄氏が中に入って努力をされたということは公然の秘密になっております。  そこで私は、あなたが保釈中であることを知らないとか、久保をほとんど知らないとかいういままでのあなたの御見解は完全にうそである、私はそれを立証する証拠を持っております。私はここでそれらを立証する証拠として、委員長の取り計らいで本委員会に以下の資料を証拠資料として出してもらいたい。  一つ、三十一年七月の久保俊広の保釈決書定、並びに先ほど問題にいたしました身元引き受け人、同じく四十年四月の保釈決定書、三番目に台湾旅行許可申請書、四番自に減刑嘆願書、以上の訴訟記録をここに出してもらいたい。  あなたは、この資料が出てくれば、明確に、いままであなたがおっしゃっておったことがうそであるということが立証されます。そしてまた、これらの資料が出てくるならば、この久保俊広なる人物がいかに政府・自民党の上層部と関係があるかということも明白になる。私はその名前を指摘できます。本日この委員会に入っておられた大物の方も関係がある。私は、本年の予算委員会のときに、竜作戦に関係自衛隊が予算を買収等に流用してにせの領収証をつくっておるということを指摘しました。私は、証拠を持っておったが、公開という場をはばかりまして、特に国の責任においてそれを明白にすることを要求しました。当時あるなら出せという委員のやじがありましたが、私はそれを慎みました。結果はどうでした、海原さん。結果は、私が指摘したとおりではありませんか。今回もまた同様の方法で、あなた方の責任においてこれを明確にしてもらいたい。そのために私はこの資料の提出を要求する。それと同時に、この資料が出てくれば、佐藤総理が上林山防衛庁長官の進退を預かっておるその理由の主たるものに、久保俊広なる人物を上林山は知らなかったのだということがあげられておりますから、この点について、国防会議議長たる佐藤総理の出席を、要求いたします。  以下はこれを保留をいたします。
  476. 上林山榮吉

    上林国務大臣 楢崎委員の私に関する分についてだけお答えいたしておきますが、先ほど来久保君の保釈身元引き受け人あるいは減刑嘆願書、こういうものに私が全然サインをしていないことは真実でございますので、誤解をされてはいけないと思いますのではっきり申し上げておきます。なお、秘書についても、念のため私はこういうことは君らはなかっただろうねと聞いてみたら、全然そういうことはないとはっきり言っておりますので、よろしく御了承願います。
  477. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 私は、その資料が出て、それを明白にしたいと思います。資料を出させるかどうか明白にしてください。
  478. 木村武雄

    木村委員長 委員長が要求して、出させられるものは出させますから……。
  479. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは私は、その資料が出るまで以下の質問を保留します。
  480. 木村武雄

    木村委員長 受田新吉君。
  481. 受田新吉

    ○受田委員 私は民社党の委員として、特にきょう問題になっている上林山防衛庁長官に対して、長官御自身を中心に数件の御質問を申し上げます。上林長官、個人的な友情とまた別に、議員として公的な立場における事態の解明とはっきり分離して、いまから御質問をしたいと思います。  先ほどからいろいろと質疑応答を繰り返されている中で、長官就任後の上林山さんが、責任の所在についていささかぼけた認識を持っていられると思うのです。一例をまず申し上げたいのでございまするが、お国入りの際における長官機に搭乗をした人々の氏名一覧表は確かに承りました。ところが、議員秘書と銘を打った皆さんが、最初六名おられたわけですが、その議員秘書と名のる人人の搭乗申請者は上林山衆議院議員である、そしてこれを許可する、すなわち搭乗を許す命令権者は上林山防衛庁長官である、こういう二様の責任を上林山さん持っておられるのですね。そこで、議員秘書を搭乗せしめる申請を長官御自身が御存じないというのは、私これは責任の所在が明らかになっていないという責任のがれの御発言であると思うのです。道義的責任はあるが実質的な責任はないと、こう言っておられますが、はっきりとお答えを願いたいのですけれども、議員秘書として搭乗をする者を長官御自身が知らないということであっても、それはあなたの秘書がやったんだと言いのがれをするような筋合いではない。直接の責任は議員たる上林山さんに私はあると思う。この点、道義的責任だけではなくて、搭乗申請者としての議員の責任は、これは直接責任ではないか、御答弁を願いたいのです。
  482. 上林山榮吉

    上林国務大臣 知らなかったとはいえ、おっしゃるように責任者だと思います。
  483. 受田新吉

    ○受田委員 その責任は道義的責任でなくて、直接の責任者としての上林山さんの責任があると思いまするが、いかがですか。
  484. 上林山榮吉

    上林国務大臣 その場合は、議員としての責任という意味に解したいと思うのでございますが、ほんとうの取り扱いは、私は責任を転嫁しようというさもしい考えは持っておりませんけれども、知らない間に、教えてもらいながら秘書諸君がやったということは事実でございます。事実関係だけは御認識の上で、私が責任を感じておるということを御理解願いたいと思います。
  485. 受田新吉

    ○受田委員 この問題は、議員たる上林山さんと長官たる上林山さんと両方の責任がいまあるわけで、搭乗許可を与える責任者は、もちろんあなたにかわって事務次官がやるということにおいては、一応あなたの道義的責任だけということが言えるかもしれません。しかし、議員たる上林山榮吉氏の秘書を搭乗せしめる直接の申請者はあなたでいらっしゃるのだから、だれが乗るかについては議員みずからが選別をして、これとこれとを乗せるよということで申請をされるはずなのを、そのことまで秘書にまかされるということになるならば、直接の責任者はだれかというと、それを扱う秘書が責任者ということになる危険がある。はっきり申請責任者は議員たる上林山さんであるということから言ったら、あなたの秘書を搭乗せしめる申請書に責任者としてサインされたのはあなたでなければならぬ。それをまかされたのは間違っておられる。あなた御自身が申請者であり直接の責任者だと判断しますか。これについてあなたの御所見を承りたい。
  486. 上林山榮吉

    上林国務大臣 事実秘書がやったのでございます。(「男らしくないぞ」と呼ぶ者あり)男らしくあるとか、男らしくないとかいうことよりも、真実をまず私は申し上げて、私自身の心境はといえば、これはまた再三申し述べているところでございますので、御了解願いたいと思うのでございますが、これは従来の扱いがそういうふうになっているのだそうでございます。そういうわけで、その例によって搭乗するための一時的秘書とでもいいましょうか、ほんとうの純粋の長い間使うという意味の秘書ではないわけでございまして、搭乗するための便宜的な扱いがいままで行なわれておって、私のほうの秘書諸君もこれを事務当局に聞きながらそういった手続をしたのだ。しかし、これにあなたは責任を感じないかと言われると、責任を感じております。私がこまかいところまで一々チェックして、これは乗せろ、これは乗せるな、また計画もこういうふうにやれと言えばよかったのでございますけれども、そういうことをやらなかった。これは私は重々責任を感ずる次第でございます。
  487. 受田新吉

    ○受田委員 私は上林山さんにすかっと言っていただきたいのでございますが、議員秘書を搭乗せしめる申請書については、あなた御自身が責任を負わなければならぬ。これは秘書にまかしてあったからといってのがれるわけにいかない、面接責任だと私は判断する。それは法律的解釈からいって、その申請者は議員たる上林山先生御自身でありますから、あなたが責任を持って申請されたということになる。次官決裁でいくところの搭乗命令を出す権力者としての立場の次官とは違って——これは代決権を持っているから、あなたがまかされたと言っても私はのがれられると思うけれども、申請した責任者はあなたであるという意味においては、直接責任として、議員秘書として搭乗せしめたのはあなたの責任だ、こういうことが言える。たとえそれが一時的な秘書であろうと、長い秘書であろうと、そういうことを議論しておるのではない。とにかく議員秘書として搭乗せしめるのは議員が直接申請する責任者であるという意味において直接責任があったと御判断をいただければ、私は追及をこれでちょっとおきたいのですが、直接責任じゃないですか。これは道義的責任じゃないですよ。
  488. 上林山榮吉

    上林国務大臣 正式の秘書と、一時的搭乗するための秘書との区別をお願いいたしたいのでありますが、ただいまの御質問は、臨時に搭乗するための便宜的処置として従来行なわれておった例に従ってやった。これは私が衆議院議員として申請したわけでございますので、それに責任があるとおっしゃればそれはそうでございますが、私は、先ほど来から申し上げておりますとおり、これは主としてやはり道義的責任であるというように考えております。
  489. 受田新吉

    ○受田委員 私は、この問題ははっきりしてもらいたいのです。代議士としての秘書を、たとえ一時的であろうと、秘書としてこれを搭乗申請する責任者は、あなたにかわって扱いをする秘書が責任を負うのでなくして、慣例があろうとなかろうと、あなた御自身の議員たる責任で搭乗申請を出されて、それはあなたにかわって事務処理をした秘書の責任では全然ない。議員たるあなたの責任である防衛庁御自身も、官房長、事務次官にかわって御答弁願いたい。この搭乗申請書の責任者は、議員にかわって事務処理をする秘書が責任者か。直接責任者は、衆議院議員たる上林山先生か。あなたのほうで、受けられる側のほうの答弁を願いたい。
  490. 海原治

    海原説明員 実は、この責任ということばがなかなかむずかしいことばでございます。一般的には、道義的責任、法律的責任ということがございます。先生は、いま直接責任という、直接のということばを使っておられますが、問題は、上林山榮吉という衆議院議員の方が、その判を使いまして、部外者の搭乗を、防衛庁長官たる上林山榮吉に申請を出されたということでございまして、先生もおっしゃいましたように、受けるほうの防衛庁長官のほうの責任は、部内の事務専決権によって事務次官が代行しております。したがいまして、そちらのほうの責任は大臣のほうにないわけであります。そうなると、申請書に書いてありますところの上林山榮吉というものがどういうことかということになりますが、これは事実上の問題であります。形の上では、上林山榮吉という衆議院議員の方の申請書であることは、これは先生御指摘のとおりであります。
  491. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、防衛庁としては、議員たる上林山榮吉の責任をもって搭乗申請をしたものを、議員の秘書が、あなたの秘書がかわって、これを処理したというようなもので、あなたのほうでこの責任をのがれるわけにいかない。やはり議員たる上林山榮吉の申請で搭乗を許可したのじゃないですか。
  492. 海原治

    海原説明員 この点は少し他の例でもって御説明申し上げます。  たとえば防衛庁の記者クラブの方、この方が航空機に搭乗されます場合には、本人が申請書を出す場合と、その記者の所属されますところの新聞社の政治部長あるいは社会部長等の名前でもって申請書が出される場合もございます。したがいまして、防衛庁といたしましては、この搭乗申請書を審査いたしまして、搭乗の許可をいたします場合には、申請者がだれであるかということよりは、先ほど来申しますように、具体的にどのようなケースに従って許可をするかというそちらのほうに重きがいくわけでございますから、したがいまして、直接責任、間接責任、上林山榮吉という名前があるから許可をした、しないということにはならないのが従来の例でございますが、この点申し上げておきます。
  493. 受田新吉

    ○受田委員 上林山さん、あなたはこの議員秘書を搭乗せしめるときに、その選別は、一時秘書であっても、これを乗せるということになれば、あなたがじかに十分直接にその選別をやって、これを搭乗せしめるべきかどうかを判断して、しかる後にあなたの飛行機に乗せるべきなんです。これをあなたが、それは秘書まかせなどという言いのがれをして、道義的責任だけがある問題ではなくて、じかにあなたが選別して——数名のものですから、数名のものの選別もようしないで秘書まかせで、搭乗したのはだれかわからなかったというような言いのがれの道義的責任だけではこれは片づかぬ問題です。わずかに数名のものを、だれを乗せるか、長官みずからが、議員としての上林山榮吉として選別をして、これとこれとを乗せいというくらいの責任を持たなければ、これは責任政治が成り立ちませんよ。したがって、これは自分がたとえ秘書にまかしても、私の直接責任を負うべき問題であった、こうお答えをいただければ私はそれでいいと思います。
  494. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ただいま御指摘のとおり私も考えております。いわゆる直接、間接ということではなくして、議員としての私の責任である。ことに、おっしゃるように、私みずからそういうことまでチェックして選別をしなければならなかった、これは全くお説のとおりでございます。
  495. 受田新吉

    ○受田委員 そのとおり責任を感じておられます。私は、この国民の税金でまかなう自衛隊機に搭乗せしめるその議員秘書たる者については、数名のものですから、いまお答えにありましたが、十分に長官が議員としての立場で選別をしてやる。これを早くやっておけば問題は起こらなかった。今度の、ほんとうにこれほど問題を大きくする責任の所在をぼかして、えい秘書まかせというところに悲劇があったと思うのです。私は、王子田前秘書官、あなたの秘書、それにあなたが全責任を負わしていないとおっしゃるけれども、先ほどから御答弁されることを聞くと、王子田秘書があやまってこういうふうな混乱を起こさせたんだというような意味をもってするならば、王子田秘書官に責任を負わした形が現実の問題として考えられると私は思います。いかがでしょう。
  496. 上林山榮吉

    上林国務大臣 先ほどもどなたかの御質問お答えしたとおりでございます。王子田君はまことにりっぱな秘書でございます。私は、王子田君に責任を負わしているとは思いません。
  497. 受田新吉

    ○受田委員 私も王子田君自身の人物はいいと思っている。それを、このような形に追い込んだのはだれかということになると、やはり上林山先生、あなた御自身がそこに責任感を十分胸におさめて防衛庁長官としての権威をもって処理をするという心がまえに欠けた点があったと私は思うのですが、いかがでしょうか。
  498. 上林山榮吉

    上林国務大臣 御指摘のとおりでございます。今後そういうことのないように自重してやりたいと思います。
  499. 受田新吉

    ○受田委員 責任に関連する問題を追加します。  空幕長牟田さん、牟田空将は、これは先ほどの御答弁を聞くと、鹿屋の海軍航空隊の基地を参考のために見たり、YS11機の運用についての長官への勉強をするための任務を持って同乗したというお話です。ところが、上林山先生、あなたはYS11機というのへ初めてお乗りになったのですか、防衛庁長官になられてから。ちょっと御答弁願います。
  500. 上林山榮吉

    上林国務大臣 入間に行くときに十五分間くらい乗ったようでございますが、それ以外記憶がございません。
  501. 受田新吉

    ○受田委員 十五分間くらい今度行く前に乗った。そうですか。二回目か三回目ですか、今度のお国入りのときの搭乗は。
  502. 上林山榮吉

    上林国務大臣 二回目でございます。
  503. 受田新吉

    ○受田委員 二回目。そうすると、牟田空幕長は、二回目の説明にまで乗らなければならないのであったかどうか。それから、鹿屋基地は海軍の航空隊でありますが、それは参考にわざわざこの機会に行かなければならなかったのか、ちょっとお答え願いたいのです。
  504. 海原治

    海原説明員 この点は、私、直接牟田空幕長にも話を詰めたわけでございますが、言いわけとおとりいただきますとこれは何も申し上げられませんが、事実、牟田空幕長は、その鹿児島に参ります途中、間を利用いたしましていろいろと申し上げることもございました。御存じのように大臣就任以来、いわゆる三次防の作成等のこともございまして、なるべく早く各自衛隊の実態をつかもう、問願点を勉強したい、こういう御要望がございまして、先般御説明しましたように、東京周辺の第一線の各部隊はすぐ見ておられます。これは従来なかったことでございます。従来はたとえば練馬の部隊をまずごらんになりますと、しばらくあとは海空の部隊の御視察はなかった、こういうことでございます。私どもといたしましては、就任早々第一線の陸海空の部隊を早く見ていただきたいということをお願いしてございます。そういうことでございますので、その往復の飛行機等におきましても、できましたらば各幕僚長からいろいろ話を聞いていただきたい、こういうことがあったことは事実でございます。航空幕僚長は、この鹿屋の航空部隊をそういう際に見たいという御希望を持っておったことも事実でございます。もし単独に航空幕僚長が海とか陸とかの部隊を御視察になるということになりますと、なかなかこれは機会がございません。したがいまして、大臣の初度巡視の際にお供していくということは一つの便法ではございますが、確かにそれには意味はございます。そういうことで行かれたことも事実でございます。このことは先般来二、三の機会に御説明したことを、そのとおりひとつ御了解願いたいと思います。
  505. 受田新吉

    ○受田委員 上林山さん、この牟田さんは六月に空幕長になられたんですね。何月でしたか。四月ですか。四月以来巡視をして、自分の管下の大事な部隊を全部見ておりますか、どうですか。
  506. 海原治

    海原説明員 私、詳細は記憶しておりませんが、各幕僚長は、御就任後半年くらいの間に、一応おも立った部隊はごらんになるのが例でございます。
  507. 受田新吉

    ○受田委員 例であると言うが、海軍の航空隊まで羽を伸ばすようになるというのは、これはよその部隊も見に行くわけだ。自分の管下の部隊を一応見終わってから余裕があればというのなら別ですよ。これはひとつあなたのほうでも牟田空幕長がどれだけ見ているか、この点は十分あなた知っておられなければならない。おそらくこれほどに拡大された空幕下の部隊を、そうたいして私は重視してないと思う。あなたはそういうことをやはり知っておられないと、海軍の航空隊を、自分の管轄外のものを見るほどであれば、君の部隊は十分見ておるのかと確かめてから、わざわざこのときに四人を連れていかなくてもいいのですから、時期がまたあるのですから、そういう配慮をすべきだったと思う。あなた御自身が、牟田幕僚長が空幕傘下の部隊をどれだけ見ているかがおわかりになっていない。もちろんこの牟田さんは、航空総隊司令官もやっておられるから、もうそのほうで一応見ただろうというような考えはあなたはお持ちじゃないだろうと思う。それはお持ちじゃないですね。ちょっとお答えを……。
  508. 海原治

    海原説明員 私が申し上げたいことは、牟田空幕長としましては、御指摘のように総隊司令官をやっておられた方でございます。総隊司令官となりますと、航空自衛隊、三方面隊ございます。そのおもな部隊につきましては十分な御認識のある方でございます。幕僚長になられまして最高の専門的補佐官という立場でごらんになりますところは幕僚長のお立場でごらんになって、必要なところ、いわゆる要所要所をごらんになれば、すべての部隊をごらんになる必要はないかと思います。と申しますことは、直接実動部隊の最高司令官としましては総隊司令官がおります。その指揮下には三方面司令官がおります。したがいまして、幕僚長の統轄ということになりますと、これはつかさ、つかさの責任において実施していくのが私ども部隊の組織理論でございますから、幕僚長になったからといって、おも立った部隊を全部見るという必要はなかろうかと思います。  なお、言いわけがましくなりますが、たとえば現在の統幕議長大臣の初度巡視についてまいりますのは、従来天野陸将はずっと陸におられまして、海空の部隊については事実御認識がございません。したがいまして、機会があればなるべく海空の部隊についても実情を見たい、これは統合幕僚会議議長としての職責上、当然のことかと御了解をいただけると思いますが、そのようなことでございますので、ほかに特別用もない場合におきましては、なるべく機会を利用して、それぞれによその部隊のことを見る、そのこと自体いわゆる他山の石ということもございまして、参考になることだという考え方で、実は今回の随行が決定した次第でございます。
  509. 受田新吉

    ○受田委員 これは海原さん、あなたのお考えはちょっと違うと思うのです。総隊司令官をやったから一応予備知識があるなどという考え方ではいけない。やはり空幕長というなら新しい観点から、かつての総隊司令官で見た部隊を空幕長としてどう見るか、見直さなければいかぬです。そういうずるい考え方で、ひまがあるなら来いというような考え方であるから、こういうだらしない、四人も最高幹部を連れていくような結果になっているのです。空幕長となる以上は、やはり総隊司令官として見たときと、空幕の最高責任者となったときでは、新しい認識でかつての傘下の部隊を見直さなければいかぬ責任がある。もう一応予備知識があるからいいなどという、そういう判断をあなたのほうがされるところに、防衛力が生かされない危険があると思うのです。あなたの御認識については、いまのような御認識を持っているとすると、当然いままでそういう経験を持った者は、そこは見ないで、新しいのだけ見るという曲がった、最高責任者としての認識に欠除のある視察になる危険がある。これは、ちょっとあなたの御意見は正しいと思うかどうか、あなたに質問する筋合いはないんだが、長官に聞く前にちょっと聞きたい。
  510. 海原治

    海原説明員 私が申し上げました次第は、いま先生が御指摘になりましたようなことではございませんが、説明が不十分でございましてそのような御指摘を受けたと思いますが、この点はただいま御指摘のありました点を私ども今後十分に考えてまいりたいと考えております。なお、今回同行を求める前に、当然管下の部隊を回ったかどうかということを確かめるべきであったという点につきましては、これは御意見でございますが、なお関係の者とも十分相談してみたいと考えます。
  511. 受田新吉

    ○受田委員 長官、私は今度あなたが統幕議長及び三幕僚長をお連れになられたということは、これは防衛庁長官として非常に軽率だったと思うのです。この統幕会議の構成員が全部鹿児島に行ったということは、昔で言うならば、いわゆる大本営が鹿児島に一時的に移っている、こっちは責任者というのが全然おらない。特に統幕議長というのは代理者がおらぬわけで、事務局長なんかおったって代理者にはなれない。幕僚長の場合は副長がおって代理権が行使できるが、統幕議長は本人一人ですべてが果たされる重質を背負った人、それと三幕長を全部移動した。上林長官、あなたは往年のことばで言って、大本営が事実鹿児島に移ったという認識をお持ちであるかどうか。
  512. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ただいまの御指摘の問題については、すでに他の議員にもはっきり申し上げましたとおりでございますが、結論的に申し上げますと、確かにいまから考えてみますと不自然な姿である。だから、せめて半分ぐらいは残しておくべきであった、こういうように考えております。
  513. 受田新吉

    ○受田委員 私がいま質問をしているのは、統幕会議の構成員が全部鹿児島に移ったという形でいま質問しているのです。それは、いわゆる統幕の責任者が鹿児島に移ったのは、往年のいわば大本営に当たる現在の統幕会議鹿児島に一時的に移動しているかっこうで、そうすると、そういう形でいまで言う統幕会議が現実に全部移っておるんだ、そのことについては長官、いままであなた、四人の最高責任者大臣のお国入りで、四人ともお供をした前例があるかないかをお確かめになられたかどうか。
  514. 上林山榮吉

    上林国務大臣 確かめておりません。
  515. 受田新吉

    ○受田委員 これが困ったんですよ。確かめてなない。官房長、あなたのほうでは前例があるかないか確認されましたか、どうですか。
  516. 海原治

    海原説明員 確認というおことばでございますが、統幕議長ほか三幕僚長、すなわち統合幕僚会議の構成員全員が同一の飛行機に乗って旅行したということは、今回が始めてでございます。
  517. 受田新吉

    ○受田委員 上林長官が確かめておられないことは、今回が初めてだ、同時に御一緒に行ったのは初めてだ、つまりこういう事態でございまするし、災害のあったあとだし、山梨県を、せっかく災害地を視察された防衛庁長官が、その直後において四人の責任者を同時に鹿児島にお連れになられたということは、これは非常な軽率な行為であった、そういうことを、あなた御自身前例のないことをやっておられるわけです。いま事務当局が言った、それをあなたは確かめられなかった。これはやはり長官として四名全部行ったことがあるかないか、災害の直後、この悲劇の多い国家で、防衛庁長官行動されるためには、十分考えるべきではなかったか、御答弁いただきたいと思います。
  518. 上林山榮吉

    上林国務大臣 御指摘のとおりでございます。全くそのとおりでございます。
  519. 受田新吉

    ○受田委員 そこで私は、この四人の幕僚の最高責任者が、全く偶然の一致でそういう形になったのか、その四者の間の相互連絡というものが、自然に何らかの形で行なわれたのか、官房長、その点は、防衛庁長官が御存じかどうか、長官が御存じなら長官に御答弁願います。
  520. 海原治

    海原説明員 このことは、何回もいままで御説明したところでございますが、四人おそろいになったことはなるほど初めてでございますが、これも言いわけがましくなりますけれども、先ほどの東京周辺の部隊を御視察になる場合には、三名そろわれたことはございます。今回の旅行に関しまして、先ほど申しましたように、従来の例によりますと、空幕長を除いた者が全部お供をするということは、ごく自然な姿でございました。空幕長につきましては、先ほど申し上げましたような例によりまして同行した。結局結果的には統合幕僚会議の構成員全員がそろったわけでございますが、その際の事務的な連絡としましては、先般来御説明しておりますが、事務段階それぞれの幕僚長には副長がございます。そこで今度このようなことで大臣鹿児島の県下にお入りになる、鹿屋部隊、国分の部隊を御視察になるということが決定されますと、それではだれが随行していくかということをきめるわけでございますから、ただいま先生はごく自然な姿でとおっしゃいましたが、私ども大臣出張の際の随行者をきめますような手続に従いまして、このような結果になった、決してそんなに無理もかかっておりませんし、いわゆる命令的な姿において実施されたものではございません。
  521. 受田新吉

    ○受田委員 私はここでちょっとはっきりさしておきたいのですが、統幕の責任者、構成員が四名とも鹿児島へ行って、何日かおるということのその途中で自衛隊法の第七十六条の外部の武力攻撃が起こり、またそれに対する防衛出動待機命令を出すような事態が起こった。出動待機命令、あるいは特に直、間接侵略等の事態が起こって、内乱等の状態が起こり、東京に大地震が起こって、あなた方が向こうへ行っておる間に、東京は大混乱におちいったという事態が、これは決してなしとはしない。そのための自衛隊のそういう防衛出動、災害出動あるいは治安出動というような規定が、七十六条以下にずらりと並んでいるのです。そういう不測の事態が起こるための自衛隊の任務というものを、あなた方は忘れておられるのじゃないか、これはいかがですか。
  522. 海原治

    海原説明員 ただいま先生が御指摘になりましたような事態が起こった場合に備えまして、私どもの航空自衛隊のYS11は最新の通信機器を装備しております。したがいまして、これには統合幕僚会議の構成員全員と長官が乗っておられました場合には、先生御存じのような通信連絡の手段がございますから、立ちどころにそこから全自衛隊に対して連絡ができるわけでございます。このことはるる御説明いたしませんでも、最近の通信管制のことからいいますと十分おわかりいただけるわけでございます。ただ、もし万一この飛行機に不測の事故が起こったときはどうかということになりますと、先ほど来大臣が申しておりますように、やはりそういうことも考えるべきであった。その点におきましては、私どもはあまりにも自衛隊の航空機の安全性を信頼し過ぎておった、こういうことになろうかと思います。このYS11の過去の運用の実績を見ましても、そのような危険を実は私も感じませんでした。しかし今後は、かりに四名が全部同行します場合には、飛行機は二機に分けて分乗するというような配慮も必要でございましょう。ただ現実には、かりにそれぞれの方に事故がございました場合には、それぞれ副長が代行するというようなことが全部事務的にはきまっております。したがいまして、万々一長官以下の飛行機が墜落いたしましたといたしましても、防衛庁の事務手続そのものは絶対に停止もしない、休止もしない、こういう仕組みになっております。その点を御了解願いたいと思います。
  523. 受田新吉

    ○受田委員 そういう考え方でこの自衛隊の責任をなめてかかられるとたいへんだと思うのです。外部の武力功撃あるいは間接その他の治安出動あるいは災害、それは鹿児島から通信で、いま東京に大地震が起きたからといって急に戻ったって、すでに二時間なり三時間なりおくれるのです。そういうことで緊急の措置ができないじゃないですか。そうすると鹿児島から措置を命ずるのかどうか、お答え願いたい。
  524. 海原治

    海原説明員 YS11は塔載の通信機がございますし、レーダーサイトの通信組織がございます。したがって鹿児島から通信せずとも、YS11航空機からのレーダーサイトを通じましての連絡が一番早うございます。
  525. 受田新吉

    ○受田委員 長官、やはりこういうときに統幕の責任者が四人も鹿児島に行って、そして東京が留守になっている。総本部が留守になっている段階で、急迫な事態が起こった。それはもういまごろ起こり得ないというなら、自衛隊のこの規定は何のためにあるのです。これは緊急にきわめて短時間のうちに起こる事態に処するための、自衛隊の出動任務がそれぞれちゃんと規定してある。それを責任者たちが日本の一番遠いところへ総出で出かけたような形で、自衛隊という本来の任務を果たせないと私は考える。長官いかがですか。どこに最高責任者がおっても、責任は果たせるという判断に立っておられるならば、これは重大な問題だ。
  526. 上林山榮吉

    上林国務大臣 御承知のように、そういう場合の緊急体制ははっきりとできておりますけれども、先ほど来申し上げますとおり、これは不自然な姿でございますので、四人一緒に行くということは今後は慎みたい、そういうことのないように処置していきたい、こういうように考えております。
  527. 受田新吉

    ○受田委員 私はどうもいまの自衛隊首脳部長官、あなたがおいでになられて、防衛庁で御自身が認識されておるのじゃないかと思うのだが、自衛隊というものが全く数名の者の判断で自由に駆使され、私物化されているというような形になってきたのでは、これは制服を着た自衛隊員だって士気が阻喪しますよ。現に自衛隊の士気は依然として旺盛か。かかる問題が国会で論議されるときに、その判断は、長官、現に制服の諸君を中心とした自衛隊の士気は旺盛であると判断されるかどうか、御答弁願いたい。
  528. 上林山榮吉

    上林国務大臣 私は動揺していないと確信いたしております。
  529. 受田新吉

    ○受田委員 私は、自衛隊最高責任者たちが、長官選挙区に一緒にお帰りになられたということについて、どれだけ大きな悲しみを感じているかと思うのです。これは文官優位の原則を基本的にこわしていく、あなた方御自身の文官出身者の立場、権威を著しく失墜すると同時に、制服の皆さんに対して著しい士気阻喪を与えておる。これは事務当局としても同様に私は考えておられると思うのです。いま長官はちょっと変な御答弁をされたが、官房長、士気依然として旺盛であると判断するかどうか。
  530. 海原治

    海原説明員 御指名でございますので、私からお答え申し上げます。  その前に、どうも大臣御一人のお考えで統幕議長以下四名の制服の最高幹部を連れていったということに、議論がなっておるようでございますが、その方々も制服を着ましての最高責任者の方々でございます。ところが一人一人のおのずからの判断もあるわけでございます。大臣が言うからはいということで、何も全員が行くということではございません。それぞれに判断をいたしておるわけでございます。先ほど受田先生の御指摘のあったようなことも、私は当然考えた上でのことだと思いますが、しかし、今日このように御指摘を受けてみますと、いろいろと私どもの考えの及ばなかった点が多々ございます。したがいまして、今後はそういう点も考えまして、どのような処置をするかということは、今後の私どもの検討課題でおる次第でございます。  なお、部隊の士気の問題でございますが、部隊の士気というものは、一、二の事件が起こりまして直ちに動揺するようなものであってはなりませんし、また、現実にそうではございません。大臣につきましていろいろなうわさが国会で問題になっておりますが、御審議を通じてその事態が判明いたしますれば、おのずから自衛隊員の諸君は十分にその意味がわかりまして、先ほど大臣からお答えがございましたように、依然確固たる団結をもって任務に邁進するものと、このように確信いたしております。私ども自身、このような問題が出まして、部隊はどのようであるかということにつきましての一応連絡もとっておりますが、その結果は、御心配は御無用ということに相なっております。
  531. 受田新吉

    ○受田委員 ちょっと長官、あなたは国務大臣であり、同時に防衛庁長官なんだ。これは、事務当局などおかまいなしに、あなた自身の強い責任感をもって自衛隊を率い、防衛庁を率いなければならぬ立場だ。内閣法によって、あなたの立場国会に対して連帯責任を負う、閣員の一人として責がある。ところがいまの防衛庁の、海原さん、非常に防衛庁の行き方は、国民に対して権力行政機関としての立場で、少し何ものかに、大樹の陰にたよろうとする悪い傾向がある。それは大臣室というのが防衛庁にある。長官室じゃない。大臣室でしたね、部屋の名前。
  532. 海原治

    海原説明員 あまり基本的なことのお尋ねでございまして、とっさに記憶いたしておりませんが、大臣室であったか長官室であったか、うしろにおります各局長に聞きましても明瞭でございません。
  533. 受田新吉

    ○受田委員 上林長官は、御自身の部屋に大臣室と書いてあるか長官室と書いてあるか、自分の看板——名は体をあらわすのだ。自分の看板を何と判断されるか。事務当局も知らぬという。政務次官室とか事務次官室とかいうのが書いてある。しかし大臣室か長官室か、どっちの看板かは官房長も御存じない。うしろの人に聞いてもわからぬ。これじゃ困った。だらしない。だれもわからぬのである。防衛庁長官室にある看板は何と書いてあるか。
  534. 上林山榮吉

    上林国務大臣 実態はむろん国務大臣であり防衛庁長官でございますが、書いてあるのは、いま聞くと大臣と書いてあるそうでございます。大臣室じゃないそうです。
  535. 受田新吉

    ○受田委員 そこが問題なんです。いま防衛庁本庁の長官のおられる部屋が大臣室か長官室かわからぬほど、防衛庁首脳部はぼけておられる。これは私は重大な問題だと思う。私は、大臣室と書くのは、「国務大臣をもって充てる。」という防衛庁設置法の第三条の規定で大臣室と書いておられると思うのですが、防衛庁を率い、自衛隊を率いる責任者は防衛庁長官ですよ。大臣じゃないのですよ。それを大臣をもって充てるという規定があるので——行政機関の系列の上からいうならば、長官であり、次官であり、官房長であると思うのです。それをなぜわざわざ大臣という系列の違うものを——防衛庁大臣という栄誉礼はありません。栄誉礼の中には国務大臣という一項がある。それから防衛庁長官という一項がある。防衛庁長官に対する敬礼であって、国務大臣に対する敬礼じゃないのです。それをなぜ大臣という看板を書くのか。せめて私は、——自治省が大臣というのを田中氏が前にとぼけたことを言ったことがありますが、行政機関の本道を歩む防衛庁だけは、防衛庁長官という自衛隊を率いる責任者の名、ぴしっと長官室と書くべきだと思う。いかがですか。
  536. 海原治

    海原説明員 部屋にどういう表札を掲げるかは事務的なことでございまして、従来そのように書いておったことは事実でございます。しかし、ただいま非常に意味の深い御意見を承りましたので、これは私ども相談いたしまして善処いたしたいと思います。
  537. 受田新吉

    ○受田委員 善処されるというが、防衛庁、残念なことに、首脳部もそれを知らぬ、だれもいままで——やっといま長官が思い出して、大臣と書いてあったと言う、それほど士気が首脳部において弛緩しておる。これは責任者たちがだれも知らぬという、こういう状態というのは、私はゆゆしい状態だと思うのです。そこに考慮して、大臣室を今度長官室に変えるという御答弁だと私はいま了解するのでございますが、この行政機関の系列において、最も筋を通し、最も国民に信頼される自衛隊を、また防衛庁を率いる責任官庁としての筋を通していただきたい。国務大臣長官とを混同するような名称がここへぴしっと出ているという現実があるということに、自衛隊の今日国民からまだ十分愛され得ない原因があると思う。自衛隊はすでに国民から非常に信頼され、災害出動などにおける功績で非常に高く評価されている段階、それについて上林長官が堂々と家を出るときから制服を着て出よという指示を与えたことは、これは私は時宜に適した指示だと思うのです。途中で服を着がえるよりはそれはいい。しかしながら、それだけいくということは、終始家を出て家に帰るまで制服を用いるということは、先ほどあなたが大臣就任のときのごあいさつのように、信賞必罰、筋を通して自衛隊の士気を高揚させるために努力したいという、そのことをすかっと、あらゆる面に御努力を願いたかったんですね。それに一つ大きな欠陥がある。  そして自衛隊に対する国民認識が高まっているということに対して、もう一つ問題がある。防衛庁は、最近、長官の御意思と承るのでございますが、長官服というものはどうかという御意見を事務当局に聞かれた、指示はされなかったが、意見を聞かれたことがあると聞いておるのだが、いかがですか。
  538. 上林山榮吉

    上林国務大臣 指示を与えたこともなければ質問をしたこともございません。全くこれは何ものかといいますか、ある方面の単なる話であろうと思いまして、私自身そういうことは全然ございません。
  539. 受田新吉

    ○受田委員 これは長官が全然言ってないということであれば、私はよしますけれども防衛庁の内部には長官服を制定する意思を何らかの形で長官が持っておるのではないかということは、すでに報道関係にもちゃんと流れておるじゃないですか、新聞でも大新聞に書いてあるじゃないですか。そういう状態はどこかに何か、火のないところに煙は立たないという意味がある。私はこの機会に文官優位の原則をはっきり守り抜くために、長官以下内局の皆さんが制服に十分信頼を持たれるような行動をしてもらいたいし、指導していただきたい。それがいまは完全にくずれて、長官以下のせっかくここで盛り上がったあなた方の自衛隊に、国民的な不信感がこの問題を契機にわき起こっておるということはまことに遺憾です。長官、これに対する決意表明を願いたい。
  540. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ただいまの御指摘に対しては、私としてはきびしい自己反省をいたしております。
  541. 受田新吉

    ○受田委員 私は、今後の自衛隊を率いるのにあたって、制服の皆さんに対して、文官優位の原則を守り抜くために、いかなる決意をもって当たっていこうとしておられるか、この点を長官として御説明願いたい。
  542. 上林山榮吉

    上林国務大臣 これも再三お答え申し上げてきたのでございますが、私としては従来以上に精魂を傾けて、精強なる自衛隊の育成に努力をする決意をいたしております。確信を持っております。
  543. 受田新吉

    ○受田委員 しからばちょっとお尋ねします。怪文書事件が防衛庁内部に幾つか流れておる。そして海原さんもそのやり玉に上がったようなかっこうになって、たいへん御迷惑を受けておられることも私よく知っております。ところが、もう一人村上さんという人がそのやり玉に上がっておる。村上さんの最近の官職、現にやめておられると聞いておるのですが、その異動の筋合いを御説明願いたい。
  544. 海原治

    海原説明員 ただいま御質問のございました村上信二郎君は、九月一日付をもって防衛庁を退職いたしております。
  545. 受田新吉

    ○受田委員 その前の前歴はいつで、官職は何であったか。最近の二つの官職とその発令の日をお示し願いたい。
  546. 海原治

    海原説明員 やめます前、八月一日には防衛審議官に任命されております。その前には装備局の調達補給課長を二年つとめております。
  547. 受田新吉

    ○受田委員 防衛審議官という職務は、官房長の配下においては最も重要なポストである。三次防計画等が一方で計画されるときに、官房のあなたのお立場から、重要な責任者がわずか一カ月でやめるというこの事態はいかなる事態であるか、御答弁願いたい。
  548. 海原治

    海原説明員 これは村上君の個人的な事情によりまして、具体的に申しますと、八月の下旬におきまして、将来への転換をはかる決意を固めましてやめたということでございます。
  549. 受田新吉

    ○受田委員 一カ月前にその決意が出なくて、審議官になってからすぐ決意を表明したのですか。
  550. 海原治

    海原説明員 これは村上君の個人的な事情でございますので、私からとかく申すことはあるいは適当でないかと思いますが、本人がやめたいと申しますので私がその事情を聞きましたときの説明によりますと、具体的に申しますと八月二十三日に将来の新しい進路についての決心をした。したがいまして、やめたいということの申し出がございまして、九月一日付でかわったということが事実でございます。
  551. 受田新吉

    ○受田委員 審議官という重要ポストに一カ月しかいないようなことであるならば、その一カ月前に、課長のときに、自分の目前の目的はわかるはずです。それを一カ月間だけ審議官に置くというような、こういう形の人事をやられることは非常に危惧があると思うのです。そういう人事というものは適切かどうか、お答え願いたい
  552. 海原治

    海原説明員 これはまことに申しわけないことでございますが、御意見とは違いまして、私どもは一カ月後のことは必ずしもわからないと思います。特に本人は長年つとめました防衛庁をやめるということになったわけでございますが、そのやめるかやめないかにつきましては個人的にいろいろの判断がある。一カ月しか防衛審議官をつとめなかったのはけしからぬ、こういうおしかりでございますが、そのようなおしかりは本人にとってもいささか酷であるし、私どもにとっても非常に困るわけでございまして、一般に申しましてあしたのことはわからないということもございます。私どもは八月一日、本人を防衛審議官に発令していただきましたときには、そのように早く防衛庁を退職するなどとは全然考えておりませんでした。
  553. 受田新吉

    ○受田委員 わずか一カ月の間に審議官をやめなければならない事情というものは、何かそこにある。それはもう一カ月前に、私はこれから新しい道を求めたいと言うのが筋合いで、たった一カ月だけではほとんどろくに仕事はできぬのです。一カ月というものはそこに席を置いただけなのです。そういう人事というものは、一カ月前に十分本人からも事情を聞いて、一カ月でやめるという場合には十分考えなければならぬ。私は一つも御本人に不利な発言をしておるわけではないのです。そういう人事をなさることが是か非かをお尋ねしておるのであって、これは特に怪文書の犠牲になった立場の人でもあるし、そこにたいへん気の毒な背後があるんじゃないかというような印象さえ国民には与える危険がある。長官、課長以上の人事はあなたが人事局長を通じてタッチされるのでしょう。
  554. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ただいまの村上君の件については、前任者の松野君がこれを課長から審議官にしたのでございまして、私はタッチいたしておりません。
  555. 受田新吉

    ○受田委員 ちょっと待ってください。やめるときには九月一日で、あなたが長官になってからです。タッチしていないはずがない。
  556. 上林山榮吉

    上林国務大臣 ただいま申し上げましたのは、課長から審議官にしたのはだれがやったかというふうに受け取ったものですから、ただいまのような御答弁を申し上げましたが、もちろんやめるときは、私やめたいと思いますので御了承願います、こう言うから、まあ私もいろいろなうわさをされた人だから、どういうわけでやめるのか、その辺はやめるという者を引きとめるというような気持ちもございませんので、事こまかに聞きませんでした。気持ちよく辞任を認めたわけでございます。
  557. 受田新吉

    ○受田委員 これはやっぱり長官がなさった人事なのです。最終人事は長官みずからなさった。松野前長官の分ではなくして、あなたがやめさせたわけです。そこをはっきりさせておいていただいて、同時に、これに関係する例の怪文書の配布された時期はいつであって、これに対して告訴をされた時期はいつか、官房長から御答弁願います。
  558. 海原治

    海原説明員 いま先生御指摘のいわゆる怪文書といいますのは、本年の二月以来前後五回にわたりまして各方面に出されたものと思います。これにつきましては、最初の第一号が出ましたときに警視庁当局に対しまして捜査の依頼をいたしまして、その後六月にはさらに文書をもって捜査依頼をしたわけでございますが、関係者、すなわちその怪文書で攻撃をされております私と浦前空幕長、いまの村上君は、今週月曜日、十月二十四日付をもちまして、被告人住所不明、氏名不明のまま名誉棄損の告訴を警視庁当局にいたしました。
  559. 受田新吉

    ○受田委員 それがちょっと間があき過ぎておるのです。もしそういう不愉快な怪文書が出たら、直ちにこれは告訴すべきであった。その間隔があき過ぎておるところに、また何か疑惑を持たれる危険もあるわけだ。すっきりした立場で直ちに告訴するというような手続をなぜとり得なかったか。
  560. 海原治

    海原説明員 この点は先ほど申しましたように、名誉棄損というのは個人の親告罪でございます。このことと防衛庁として警視庁当局に捜査依頼をしますこととの重さの問題になりますが、私どもとしては防衛庁として相当関係者がございますので、正式にそれらを代表して役所として警視庁当局に捜査を依頼したことをもって、個々の人が名誉棄損の告訴をすること以上の一つの行動であったということを考えておりまして、さらに先ほど申しましたが、中間におきまして、文書をもちましてあらためて警視庁のほうにも依頼しまして、以来警視庁のほうではいろいろ捜査を続けられたわけでございますが、最近いろいろと連絡もございまして、親告罪としての名誉棄損の告訴に踏み切った次第でございます。
  561. 受田新吉

    ○受田委員 まぼろしの告訴をしておられる。相手が何もわからぬのに告訴をしておる。ところがある特定の雑誌等で、名前のはっきりした、怪文書とあなた方が言われるであろうそういう形の意見を述べたものは全然ないか。名前を明記したものはないか。御答弁願いたいのです。
  562. 海原治

    海原説明員 いわゆる怪文書というものを材料にしまして、世上このようなうわさが出ておるという形においてのいろいろな報道が行なわれたことは承知いたしております。
  563. 受田新吉

    ○受田委員 私は、その怪文書の実体、またはっきり名前を書いて意見を述べておるというそういうものについて、次回にまた十分お尋ねをしたいことがあるのですが、まぼろしに対して告訴をしておる、何かわからぬかっこうのものを告訴しておる、それもしかも非常に時期がおくれてしておるというところに防衛庁が疑惑を持たれるのだから、清廉潔白な立場を立証しようとするならば、もっと即座に告訴する。長官もいろいろと書かれていることの潔白を証明するという立場に立つならば、間髪を入れずすべてをそういう方向に持っていくべきだ。そういう最近とみにこういう疑惑を持たれる記事が各雑誌等にずっと連載されているというような状況を、政府の側においてほんとうに清廉潔白であるならば、直ちにこれに対して間髪を入れざる措置をするくらいの勇気がなければいかぬ。それがないということになると、疑惑が一そう深まって、黒い霧がおおい尽くす危険がある。私はこの点を特に注意をしておきます。長官、どうですか。
  564. 上林山榮吉

    上林国務大臣 全くただいまの示唆に富んだ御忠告はそのとおりであると思います。私の分に関しては、先ほども答弁申し上げましたとおり、二十八日の委員会が済んだ直後に私はこれを提出すべく、すでに権威ある専門家にこれを委嘱して準備をいたしております。さよう御承知を願います。
  565. 受田新吉

    ○受田委員 これで私質問を終わって、伊藤議員に関連質問に立ってもらいます。
  566. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 受田議員の承認を得まして、三、四点関連質問をいたします。  けさから質疑応答を伺っておりますと、官房長が防衛庁政治の責任者であるがごとき、すべての支配権を持ってやっておるがごとき答弁ぶりでございます。大臣は、はなはだことばはどうかと思うけれども、ロボットにすぎないというような感じがいたします。そこで大臣は、さっきからだんだん答弁をされておられるうちに、公私混同のあったことを認める、それからはなはだ遺憾であった、配慮も足らなかった、深く反省をしておる、道義的責任を感じておる、こういうことをはっきり答弁の中でおっしゃっておられますが、政治家として、また長官というか大臣として、大臣があげられたこの四つ、五つの責任の問題、これだけお感じになっておられれば、当然私は防衛庁長官を辞職をされるというお気持ちになっておられると思う。この点いかがです。そうしませんというと、おそらく最近における雑誌、新聞あるいはまた国会審議を通じて論議をされておることが、三十七万の自衛隊隊員の中にも伝わってまいります。私はそこにおのずから統率、指導ができなくなってくるということを憂慮する一人であるが、大臣はそういう点から、いさぎよくこの責任をとって辞職をする、それが防衛庁に対する隊員の信頼、統率力がきくことである、同時にまた政治に対してもやはり責任政治を明らかにすることであると私は思います。  そこで、政治家の責任は道義より以外にありません。法律に触れないからよろしいというのなら、政治に対する国民の信頼と期待はありません。大臣、この点において辞職を決意しておられるかどうか、その点をはっきりおっしゃってください。
  567. 上林山榮吉

    上林国務大臣 この点については先ほど来再三申し上げておるとおりでございまして、私としては重々おのれの足らざることを反省いたしておりますと同時に、さらに所管の仕事について精魂を傾けてやる、ただいまの御趣旨に対しまして私はそういうふうに考えておりますので、御了承を願っておきたいと思います。
  568. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 私は、いま大臣が御答弁になったことは、それは責任を感じておられぬことである、道義的責任もとられぬことである、公私混同も認めておられぬことであると思う。そのようなことで一体政治家として信頼を得ていくことができますか。防衛庁長官として二十七万を率いていくことができますか。もしあなたがそのようなお考えありとするならば、これは容易ならぬことが起こることを私は考える。たとえば二・二六事件のあったことをあなたは御存じでしょう。二・二六事件の起こるときまでは、あの当時の軍の最高責任者は、軍は微動だもしないと豪語しておった。ところがあの当時もやはり今日と同じように政治は腐敗堕落をして百鬼夜行であるといわれておった。いままさに今日の佐藤内閣、いまの内閣はあなたをはじめとして、あるいは荒舩君、あるいは田中彰治と、あげれば数限りありません。したがって百鬼夜行であるといま言われつつある。そういうときにあたって、あなたは依然として、みずからその非を認めておりながら辞意を表明されぬということは、これは日本政治のために——長官国務大臣、あなたのためではありませんよ。衆議院四百六十七人のお互いのために、議会政治国民から信頼、尊敬されるかどうかの問題であります。あなた一人の問題じゃありません。でありますから、この点についてどのように一体責任をとられるのか。責任をとられることこそ私は日本政治をよくするあなたの良心であろうと思うが、はっきりおっしゃってください。
  569. 上林山榮吉

    上林国務大臣 責任を強く感じております。私は同時にこの仕事に対して情熱を傾けること人後に落ちない決意でございます。これ以上申し上げることはありません。
  570. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 一体責任をとらないで感じておるというのはどういうことですか。私の常識では判断できません。さっきから私がだんだん申し上げてまいりました点においては、あなたはそれをお認めになっておる。それで責任をおとりにならぬということであるならば、一体あなたの道義とか責任とかいうことはどういうお考えですか。私はあなたの国務大臣として政治家としての良心を疑わざるを得ないのですが、その点に対してあなた、良心あるのですか。もう一度おっしゃってください。
  571. 上林山榮吉

    上林国務大臣 あやまちとして、あるいは配慮の足らないことを配慮の足らないこととして率直に認めておりますからこそ責任を感じておりますし、この責任をさらに禍を転じて福といいますか、これをさらに精魂を傾けて努力をしていくというのが私の心境でございます。
  572. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 上林長官、あなたも諸外国のことは御存じと思うが、—————のような民度の低いところにおいてならば、あなたのおっしゃるようなことが通用いたしております。しかしながら、教育水準の高い近代文化国家といわれておるところの国におきましては、裁判所の問題あるいは軍の問題、日本ならば自衛隊、こういうところは厳としてその規律を守らなければならぬ、神聖さがなければならぬはずです。これは近代国家におけるところの世界共通で、あなたのお考え方は———————のような考え方じゃないかと私は思うが、どうですか。上林長官、あなたのいまのお考えは、これは日本国務大臣として、防衛庁長官として不向きだから、————でも行くよりほかないと思うが、どうです。——大臣の御答弁がありませんが、どうですか。やはり私は政治責任の延長としてこれを伺っているのです。民主主義政治は、責任をお互いにとり合うということですよ。民主主義議会政治は責任をとり合うこと以外には国民から期待され、信頼されることはできません。責任をとること自体——私はあなたとも親しい仲である。だから大義親を滅するというような気持ちであなたに苦言を呈しているのである。私の苦言をすなおに正直にあなた聞くだけの雅量がございますか。雅量があるとすれば、民主政治を尊重する意味において責任をおとりになることが私は正しいと思うが、佐藤総理に対してそういうことをはっきり御相談になって、その上でひとつ御答弁されるか、責任をとるか、はっきりしてください。
  573. 上林山榮吉

    上林国務大臣 何回も申し上げていることでございますが、どうぞ今後の私の誠意ある行動をごらんいただきたいと思います。
  574. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 私はさっき————という例をあげたのであるが、これは大臣の責任をおとりにならぬ良心的な点に疑いがあるから言っておるのであって、日本自体を———————と誤解されては困る。あなたの考えのようなことであるならば、そういう疑いを受けるということを私は言っておるのである。でありますから、そういう点に対して、もっと民主政治に対して責任を持ってもらいたい。それから同時に、防衛庁最高責任者は総理大臣でありますから、総理大臣に対してあなたの進退伺いをされるということがきわめて当然であると私は思うが、佐藤総理に対して、最高責任者にその進退伺いを出される、そうして民主政治を守るということについての良心的な意見をいま一度お聞かせください。
  575. 上林山榮吉

    上林国務大臣 きびしく自己を批判しております。どうか今後の私の行動をごらんいただきたいと思います。
  576. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 いま上林長官が責任を感じておる、最後に自分を見てくれ、こうおっしゃっておられますから、その点は、私がさっきから各大臣の責任をとられるべしと言うことを大臣肝に銘じてたぶん御答弁になったものと思いますから、私はそれを信頼、期待して、関連質問を終わります。
  577. 受田新吉

    ○受田委員 関連質問が終わりましたから、私もこれで終わりますが、伊藤議員のいま切々たる気持ちの表明、大臣への責任追及の質問の中で、ことばづかいの上でもし問題があるならば、それは委員長で適当なお計らいをしていただいていいと思います。  この問題を最後に一言防衛庁長官に、私は民社党の議員として、あなたがいま伊藤議員の質問に答えられて、今後一そうの決意を持ってやるんだという御答弁があったわけでございますが、自衛隊の現実を考えたときに文官優位の原則を自衛隊長官を中心とした内局において制服の皆さんの信頼を裏切るような形を持っていたら、これは防衛庁及び自衛隊というものはもう国民の信頼を完全に失うわけなんです。この点を制服の諸君にも、十分民主主義の自衛隊として勤勉にその職務に精励できるように、このだらけた内局の実情を徹底的に反省して、文官優位の原則をきちっと打ち立てるという決意を表明せざる限りは、また決意だけでなくて、これを実行に移されぬ限りは、私の判断では、現在のこの士気を著しく低下せしめて、自衛隊の中に文官不信の声がすこぶる大きく起こっていることを私は個々にも聞いておる。これをひとつ、長官において、この士気を粛正し、高揚せしむる力があると認められるかどうか、最後にお尋ねをして、質問を終わります。
  578. 上林山榮吉

    上林国務大臣 再三再四誠意を持ってお答えしたとおりでございます。ただいまの御指摘の、確信があるかといえば、確信があると申し上げる以外に私はございません。
  579. 木村武雄

    木村委員長 ただいまの伊藤君の発言中、不適当と認められる言辞がありましたならば、速記録を取り調べの上、適当の処置をとることといたします。  速記をとめてください。   〔速記中止〕
  580. 木村武雄

    木村委員長 速記を始めて。  本日はこれにて散会いたします。    午後七時四十二分散会