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国務大臣(
福田赳夫君) 今回初めて国債を発行することになったわけでありますが、これは三つの理由を
考えております。
第一は、先ほども申し上げましたが、社会資本の立ちおくれ、まあ非常に目立ってきたわけです。住宅にいたしましても道路にいたしましても、あるいは過密都市
対策、こういうようなことがもう数十年のおくれじゃなくて、百何十年のおくれというくらいにまでなっておる。これはもう
政府の財政に期待されておるところが非常に大きい。そういうことを
考えると、財政の需要がだんだんとふくらんでくるわけです。これに備えるところがなきゃならぬ。その備えとして、しからば第二の問題としては、増税をするかというと、今日の国民所得の増加
状態、これは一人一人をとってみれば二十番目以下に位するわけであります。その国民所得の
状態において増税ができるかというと、これはなかなか困難である。むしろ減税をして国民に蓄積の機会を与えるということを
考えなきゃならぬ、そういう問題に財政は当面しておる。また、同時に、もう
一つの問題は、先ほど申し上げましたが、財政が、この際、景気調整機能を持つべきである。こういうことを
考えまして、この三つの論点に立ちまして公債を発行すると、こういうことになったのでありますが、世間では二つの見方がありまして、
一つは、インフレになるんじゃないかと、こういう見方でありまするが、一体、国債発行をしてインフレになるか。これは結局財政の規模がそれによって膨大化するわけでありまするが、それが度を越すかどうかという問題にあると思うのです。これは公債を使うか使わないかじゃなくて、税を使っても同じなんです。国の中で最大の消費者である
政府が、物資を、資金を、労働力を使い過ぎて民間の需給が破れるということになれば、それはインフレになる。ところが、今日のわれわれの判断では、非常なデフレギャップがある、それをなかなか埋め尽くせないというような
状態下において予算が膨大化される、決して民間の資金や物資や労働力の需給を圧迫するということはないと、こういう判断で、決してインフレ要因というものはないわけであります。で、インフレについていまお触れになりましたが、戦時中というか、戦前の高橋さんのころのことを連想されるという人が多いという話でありまするが、これは連想するとほんとうは逆なんです。高橋さんは、
昭和七年に、歳出の三割を公債に依存するということを始めまして、八年も九年もやったわけです。そうすると、九年には非常に景気がよくなってきて、もう公債を減らしてよろしい、漸減です。十年にもまた減らしております。十一年にも減らしておる。景気が回復するものですから公債を減らし得るわけです。税の収入が伸びる結果であります。それから、その期間にインフレが起こったかというと、物価は実に安定しておる。
昭和十一年、高橋さんがなくなるまでの
日本の物価というものは、むしろ下がったんです。ですから、今日、戦前を
基準といたしまして、国民生産は何倍になっておる、物価は何倍になっておる。その
基準というのはいつかというと、九年、十年、十一年。戦前、
昭和の時代において最も安定した時期は、この公債政策がとられたときなんです。その公債政策のあとで高橋さんが二・二六事件でおなくなりになる。で、戦争経済に入る。これは戦争がインフレにしたのであって、公債がインフレにしたのではないんです。公債は非常に
日本の経済を安定発展さしたわけなんです。その同じことが私は今後行なわれるであろう。今後二、三年は、どうしても公債が
昭和四十一年度に比べるとふえていくと思います。これは低圧経済下においてインフレの危惧というものは全然ないと思います。それから、一方において、さあそれじゃお話しのように、少し消極に過ぎるんじゃないかという
意見がありますが、今日それはデフレギャップというようなことを
考えますと、公債を一兆五千億出す、二兆円出して、そして一挙にこのデフレギャップを埋めるということは
考えられないわけじゃない。しかし、その際は、過去数年間に行なわれたような高度成長にまた輪をかけたようなことが行なわれるわけであります。そうなったらあとは一体どうなるか、もうたいへんなまたひずみです。これは救いがたいような
状態が出てくるだろう。そういうようなことを
考えますときに、デフレギャップ問題というものはまあ二、三年で片づける、時間を要する。しかし、それに向かって堅実な歩み、しかも、各界均衡をとりながらいけるような政策、それにスタートしようというのが今回の七・五%、公債にすると七千三百億円という規模を採用したゆえんであります。