運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1966-05-24 第51回国会 参議院 文教委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年五月二十四日(火曜日)    午後零時四十四分開会     —————————————    委員異動  四月二十一日     辞任         補欠選任      秋山 長造君     野溝  勝君  四月二十二日     辞任         補欠選任      林   塩君     市川 房枝君  五月九日     辞任         補欠選任      野溝  勝君     秋山 長造君  五月十日     辞任         補欠選任      千葉千代世君     山崎  昇君      松永 忠二君     前川  旦君  五月十一日     辞任         補欠選任      山崎  昇君     鶴園 哲夫君      前川  旦君     中村 順造君      市川 房枝君     林   塩君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         二木 謙吾君     理 事                 北畠 教真君                 久保 勘一君     委 員                 楠  正俊君                 近藤 鶴代君                 玉置 和郎君                 内藤誉三郎君                 中上川アキ君                 中村喜四郎君                 山下 春江君                 小野  明君                 小林  武君                 鈴木  力君                 林   塩君    国務大臣        文 部 大 臣  中村 梅吉君    政府委員        文部政務次官   中野 文門君        文部大臣官房長  赤石 清悦君        文部省初等中等        教育局長     齋藤  正君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部事務次官   福田  繁君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (補習授業に関する件)     —————————————
  2. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  委員異動について報告いたします。  去る五月十日、千葉千代世及び松永忠二君が委員辞任され、その補欠として山崎昇君及び前川旦君が選任されました。また同十一日、山崎昇君及び前川旦君が委員辞任され、補欠として鶴園哲夫君及び中村順造君が選任されました。
  3. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 教育文化及び学術に関する調査中、補習授業に関する件を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。  なお、政府側より中村文部大臣中野文部政務次官齋藤初等中等教育局長福田文部事務次官出席いたしております。
  4. 小林武

    小林武君 福田文部次官出席を求めておりますけれども、あまりたくさんのことを質問するわけにもまいりませんので、その前に関係のことについて、若干、福田さん答えやすいようにする意味で、大臣並びに初中局長質問をしておきます。  大臣は最近、入試問題についていろいろ御心配になって、まあ入試地獄というようなものについての解消に努力をなさっておることについてはわれわれも全く賛成で、敬意を表しておるわけですが、その中に、内申書重視というようなことを考えておられると思うのでありますが、その点はどうなんでしょう。
  5. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 高等学校入学試験選抜試験に関しまして、ただいま御質問の点は、内申書活用ないし重視という点でございますが、この点につきましては、御承知のように三十八年度の当時の初中局長の通達におきましても、内申書学力検査と同等に取り扱うということで重視考え方を出しているわけであります。これは申すまでもなく、学力検査というものをもっては中学校における学習全部を見るとともできない、したがいまして、個々の生徒学習の記録というものがそれぞれの学校にあるわけでございますから、その点を内申書の形において、あるいは調査書と申しますか、そういう形で提出していただいて、そうして選抜の重要な資料にするということで実施してまいりました。しかし、さらにこの調査書というものをどうもっと活用する方法があるかというような点につきましても、現在、先般もお答えいたしましたように、この選抜方法改善協議会ということで、学校関係者——小中高関係者並びに学識経験者をもって構成しております協議会におきましても、その活用方法等についてさらに工夫を加える方法につきまして現在検討をしていただいておるわけでございます。いずれにいたしましても、内申書重視ということは今後も変わらないのだと、かように存じております。
  6. 小林武

    小林武君 内申書重視ということは非常に私も賛成なんですね。かつて私も新制中学校におりますときに、内申書はやはりもっと重視すべきだということを当時の高校のほうの側に相当要求した。内申書重視と、それからもう一つ、まあ何といいますか、学区制の問題ね、これがうまくかみ合えば、ある程度この入試地獄というようなものは出なかったと私は思っている。しかし、その後この内申書に対して高等学校側からいろいろ問題が出たわけです。これも高等学校側の言い分も必ずしも一がいにけしからんと言えない理由もあるのですよ。これはやはり学校差があるということですね。学校差があって、とにかくある学校とある学校では、同じあれでもどうも少し実力が違うとかですね、まあ北海道のようなところだというと、小規模学校がございますから、五人か六人のところの二番とたくさん人数のいるところの二番とでは、同じ二番でもだいぶ違うとか、学校差がある。そういうことでやはり疑義を持ったということは、あながち問題にするわけにはいかないけれども、できないと思うのです。だから、その報告したいわゆる内申書というものが案外信用ざれなかったということについては、ひとり信用しないほうも悪いとばかり言われないと思うのです。中学校側もこれは相当将来検討していかなければならない問題だと思うのです。そこで、私はそういうふうに考えますと、内申書の問題からひとつ考慮する問題として、児童生徒成績というようななものを一体いまどういうふうに文部省あたり指導しているのかどうか。いま私、実はかなり長く職場を離れてからたちますから、よく現状はわかりませんけれども、われわれがやっているときは五段階だったんです。この五段階についてはそれぞれ五の者は大体何%ぐらい、これは決して上のほうからするわけではありませんが、いろいろないままでの実績の上から何%ぐらい、それから四の者は何%、一番幅の広いのはどこらか、それから二とか一とかいうのはどのくらいだと、こういうことはなかなかやかましく指導したものです、教育委員会が。その大源はとにかく文部省にあったと思うのですが、いささか当時われわれ直接仕事についていて、そういう成績をつけるという場合にはやはり相当反発も感じたんだな。そこまでそんなことをいわれて、ここは二人多いじゃないか、何人多いじゃないかということをいわれるのはおかしいということを言いましたけれども、ずいぶんそれについては、でたらめに五を持った者がやたらとたくさん出ては困るということで、これもまた客観的な評価のしかたからすれば当然なことですが、こういうことはあったんです。東京都でもなかなかきびしいということを去年私がある同僚から聞いたことがある。なかなかきびしい、やはりぼくのような悩みがたまにあるというようなことを言っておりました。そこで、いま現在どういう文部省では指導をやっているんですか。
  7. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 文部省小中学校における評価方法は、先生の御承知の時代と方針としては変わっておりません。要するに段階を設けまして、それぞれの学年学級における一種のグルーピングで相対的なことをあらわすわけでございます。ただ、少し立ち至って申しますと、この評価方法につきましては、理論的な意味における相対評価と、いわゆる絶対評価との関係というものはなかなかむずかしい問題でございまして、たとえば内申というような問題になりますと、これは学校を越えての問題というものがなければ十分な意味内申活用にならないというようなこともございまして、地域によりましては、これは非常に数が少のうございまするけれども一種共通の客観的な標準的なテストというものを加味しながらそれをやっていくというような県もございます。私どもといたしましては、この各学校評価としては、現在のところ、従来やってきたものでいいと思います。それから東京都のように相当大規模な合同選抜のような形になりますと、今度はその試験に用いる方法として、たとえば七段階というような従来の成績をどう活用するかという面で、また共通の方式をつけるということがございますが、その何割がどうだというようなことは、これはもう府県なり何なりにまかしておることでございまして、文部省としては、そこまで全国共通に五が何割、四が何割だというような示し方はいたしておりません。ただ、全般と申しますよりは、これは相対的な評価といたしましては、中位に位する三というようなところがこれは数としては多いということは、自然そういう傾向になるわけでございまして、五とか、一とかいうものはやはり数が少ないというようなことになるわけでございます。
  8. 小林武

    小林武君 評価のしかたの問題では、あなたのほうの教育研究所もあるわけですね。だから、かなりはっきりしたデータを持っていると思うんです。私はこの内申というのは、特殊な仕事じゃないと思うんですよ。学校の実際の成績というようなものを正確に、掛け値なしに高等学校側にこれを出していく。そういうことが結局高校側人たちを信頼させることになるわけですから、これから内申書をある程度重視し、少なくとも内申書によって幾らかでも試験地獄というようなものを解消する、それから、たとえば成績上位の者は推薦制でやるというような方法も加味されるわけですね。このことのよしあしについては多少私も議論しなければならぬと思いますけれども、そういう面も事実ある。あるとすれば、これもむげに、なっとらぬというようなことを言える筋合いのものでもない。その場合に、一体推薦に値するというのはどの程度のものか、これには客観的な評価というものがなされていなければならぬと思うんですよ。これが推薦に値する者が五十人中四十五人だなんというのならこれは話にならぬので、その点についての文部省としての一応のあれはやるんでしょう、ないんですか、それは。
  9. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) いまお話が出ました特に上位の者の高等学校における推薦の問題でございますが、これは大臣も非常に関心がございまして、いろいろ承っているわけでございますが、ただ、これを全面的にやりますのには、非常な弊害が現実の問題としてはあって、一つを言いますれば、ことに公立中学から公立高等学校へ行くという場合に、その試験を受ける者と受けない者とがあるというようなことが、今度、中学校立場でどうかということをかなり多くの中学校側の方から聞いておりまして、これが大学等入試の場合と若干違って、研究をしなければならないことだというように、現在の審議会の議論の中でも起こっているわけでございます。ぜひそれは研究すべき問題だ、それから内申書活用という意味からいきましても、今度はそれ自体においてもう少しいままでの高等学校側あるいは高等学校側だけでなくて、父兄なり、それから受験する生徒が、何というか、より自分が選ばれた、あるいは落とされたということについてやや安心がいくような方向にいくためのその内申書活用ということにもっとウエートを置くという意味では、もう少しくふうをこらす必要がある、その辺が一つ課題になっております。その点も現在協議会の中で各種の意見が出ておりまして、現在検討中の事柄でございます。また、明年の入学試験をどうするかという短いことだけでなくて、将来にわたって、おっしゃるように研究してまいりたい、こういうふうに考えているわけでございます。
  10. 小林武

    小林武君 私の聞き方が悪かったと思うのだが、そういうことの説明じゃなかったんですよ。そういうものを取り入れるということになれば、学校側としては、やはり内申というものは、推薦するにしても的確に正しい内申をしなければならぬ。そういうことになると、成績というものを一つクラスならクラス学年なら学年の中できめる場合に、一体全部が五なら五ということはあり得ないわけですから、それはあれでしょう、結局結果的にいえば、どれだけのパーセンテージをそれぞれ持っているかということになるわけでしょう。それはさっき言ったように一分一厘も間違わないというようなことは、これはないにしても、教育研究所あたりで、いままですでにそういう検討がなされていないはずがない。だから、そのあれは文部省がどのくらいのあれを持っているか。これがなかったらぼくは指導できないと思うのですよ。それは文部省指導しなくても、教育委員会でやるということは、そのくらいのことは知っているけれどもね。しかし、文部省としてそういうものについて一体どんな見解を持っているかということだけはぼくは聞いておきたいから聞いているのです。いまここで、試験制度としての推薦制がどうであるとか何とかいうことを聞いているのじゃないのです。学校の正しい成績つけ方というようなもののあれからいえば、一体どういうふうになっているか、五の者は幾ら、四の者は幾ら、大体どういうめどになったら正しいか、それを聞いている。
  11. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) その点は学校内における評価学校内における指導という観点で評価する問題と、それから学校の外へ出て、一種共通の問題としてどう評価するかという目的によって私は違うと思うのでございます。いま現行の多くの小中学校で行なわれております問題は、学校内におけるいろんな判定をし、そしてそれを指導の上で生かすという意味では、これは不都合はないと思います。ただ、学校を越えて府県とかというような段階になってまいりますれば、そこではそれだけでものごとを決しないという要因がある。そうすれば、一種共通な、日常においてもその客観的な材料を使って判定していくという絶対評価要因が入ってこないと、おっしゃるように、それだけの活用によって、学校を越えていろいろ評価するということが納得を得られない面もあるのではないか。その辺が、私ども研究会で議論しておりましても、一つ課題になっておるわけでございます。しかし、それを直ちにどう実施するかということは、これはかなり重要な問題でございますから、よく研究をしていく事柄じゃないかというふうに思いますし、また研究所でも十分に研究していただきたい、かように存じております。
  12. 小林武

    小林武君 どうもやっぱりかみ合わないな、あなた、おっしゃるのがぼくはちょっと……。いまの状況がよくわからないので、あまり大きなことを言えないけれども学校教員をやらない者の意見だと思うのですよ。これは学校内部評価外部に通用する評価、そんなものはないですよ。学校児童生徒成績というものは、性向でも一切のものが記録されておって、どこへ出すのでもそれが出るわけですよ。悪いことをやれば、刑務所からの照会にだってそれは出さなければならない。それは内部用とか外部用というものはない。しかし、その成績というものについては、やっぱりできるだけ客観的なものでなければならない。まあしかし、人間のやることであるし、地方的なあれも多少あるでしょうけれども、しかし、同じ五をとっておっても、五の内容が多少違うというようなことを言うのもどうですかな。受ける学校のほうでは、お前さんのところの五とどこどこの学校の五とは五の内容が違うから、だから、五だけではちょっといかぬ、だからどうしても筆記試験をやらなければだめだとか、それから、ぼくのほうで選ばしてもらうのでなければ、学校内申書は信用できませんというようなことを言う。しかし、それは外部がいろいろどう言おうが、こう言おうが、学校でつける成績というものは、学校の中では少なくとも客観性のあるものだということでつくるわけですよ。そうでしょう。そうした場合には、五とか、四とか、三とか、二とか、一とかという点数をつける場合に、教員がつけた結果というものが大体やはりある程度客観性を持った型になってあらわれるでしょう。そうでしょう。そういうものを検討して、大体それぞれの点数というものは何%ぐらいになるべきだという指導をやはりしているわけでしょう、教育委員会が。東京都というところはやかましいことを言うそうですわ。ぼくがこの間聞いたところによりますと、やかましいことを言うそうです。たとえば教頭さんなら教頭さんに言われて担任の先生は困ってしまうというようなことがあるらしい。そういうことを文部省が全然知らないということはないでしょう。知らないなら知らないと言ってくれればはっきりする。知らないはずはない。そういうことがあるということは間違いないでしょう。そうでしょう。それについて聞いているのですよ。これは大事なことだから聞いている、回りくどいようですが。
  13. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 私が申しましたのは、学校でやることと外に出すことに裏表がある、信じられないということを申しているのではなくて、その共通学校を越えて、いろいろなことをほかに使う場合の限界ということがいま問題になっているということだけを申しているのでございます。しかし、それは限界があっても、なおそれぞれの学校でやられたことは信頼が置けるということだから、その意味活用するというのが現在の態度でございます。どの程度になっておりますかということは、これは学習到達度から、五の段階は特にすぐれた者であるし、四はすぐれた者であるし、三は標準的な者であるし、二はやや劣っている者であるし、一は特に劣っている者である、その考え方はおそらくほとんどの学校共通して使っているものだと思います。
  14. 小林武

    小林武君 いまのことでもう一つ。それで、いまの五、四、三、二、一のことはぼくは聞かなかったのだけれども、親切にそう言ってくれたからそれはいいとして、一体五十人のクラスの中で五の者が何%、四の者が何%、三の者が何%というのは大体正しいあれだと思いますか。それが一番学級でやかましいらしいですね。東京あたりでも、どこの学校でもやかましいらしいです。五がどういうあれだということは、それは五が一番いいやつで、甲乙丙丁でも何でも同じことなんで、そんなことはどうでもいいことなんです。五がやたらに多いとやっぱり受け持ちはちょっとおかしいじゃないかと言われる。そこらは内申書が正しいか、正しくないかの判断をされるところのいい材料になるとぼくらは考える。ある学級は五の者ばっかりおったというようなことは、これはやはりぐあいが悪い。それをなぜぼくが聞くかというと、文部省がそれをしっかりつかんでいないとこれからの話が進まないのですからね。
  15. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) その何%ということの、いまここにその全国状況がどの程度になっているかということについては存じませんけれども、私の知っている限りにおきましては、大体五十人の小学校クラスであるならば、たとえばある教科につきまして五は一割の五人、あるいは三人というようなことで、実態いろいろ差があろうと思います。その程度に五の段階はあって、五が二〇%になり、四〇%になるというような実態ではないと承知しております。これは中身が特にすぐれておるということでございますから、その程度限界の中で若干の差があるものだというふうに承知しております。
  16. 小林武

    小林武君 初中局長でなくて説明員でもいいですからもう少しはっきりしてもらいたい。五が何%、四が何%、これはやっぱり文部省とわれわれの話だからあまりとんでもないことを言われても困る。
  17. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 一度確かめますけれども、一と五が七%程度、二と四が二三%程度、三が四〇%というように大体考えられているようでございます。これはいま電話で確かめてみたいと思います。
  18. 小林武

    小林武君 これどういうことになりますかな、ぼくはかつてこんな経験を持っているのですがね。ある社会主義の国の優秀な教員のことを書いた木の書評をたのまれたことがある。ところが書評をたのまれてぼくはちょっと閉口したのです。全部百点にするという先生意見、全部百点を取ることが可能だという。ぼくは閉口してしまってね、そういうことは不可能ですというような書評を書いて、だいぶ……、どうも可能でありませんからね。そういうことは、選んできてやるならこれは別だけれども、とにかく小学校中学校義務教育の中でとにかく全部百点にする運動なんかせいと言ってみたところで不可能です。ぼくは不可能な立場に立って書評を書いたので、向こうの御意見には沿わなかった。全部百点にするというのです。これが教師のあれだと、こういうあれだった。私はそういうことはない、いま大体文部省から答弁があった数がはっきりしておるかどうかわからぬけれども、大体似たり寄ったりのところじゃないかと、こう思う。これがあたりまえのあれだと思うのですが、どうなんですか。もう一つあなたに聞きたいんだが、あなたのほうで教育課程をつくった、指導要領をつくった、そうしてこれだけのことを覚えてもらいたい、で、学校先生が一生懸命やった、結果的にはどうなんですか、数学をやろうが、歴史をやろうが、何をやろうが、そんないまのぼくが書評を書かされたあれのように、全部百点なんかならぬ。客観的にはあなたのおっしゃるような形に出てくるのでしょう、成績が。そういうことじゃありませんか。これはいまのような形で出てきたら、学校先生は能力なしということになりますか。あたりまえじゃありませんか、どうですか。
  19. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) おっしゃる意味を私誤解しているかもしれませんが、それは義務教育の中でその到達度を見ます場合に、絶対的にそれがどの程度吸収できたかということの評価になりますれば、その配分というものは別で、生徒到達度から見てこのくらいにみんな吸収できるだろうという予断でもって言っていることじゃなくて、そうじゃなくて、学校のそのグループの中で段階を分けるにはこういうふうに評価したほうがいいという意味で、これは非常に簡単に言うのがむしろ誤解がありまするけれども、その意味では総体的な評価、いま先生がおっしゃったように、全部を覚えさせるということになりますれば、必ずしもこういう段階をつける必要なくて、容観的に絶対的に履修度がどうかということを見ますれば、これは学校により、時期により、教科により全部違ってくるだろうと思います。ただ評価一つ方法として、従来ともこういう総体的な評価を使っておったということだろうと思うのです。
  20. 小林武

    小林武君 あなたの言うこともよくわからぬが、もう少しわかるように言ってもらいたいんだがね。それはどういうことですか、たとえば到達度というのはどういうことですか。
  21. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 教育内容を履修して、その修得したことの程度を、その個人個人について見て、これは全部履修しているもの、のみ込んでいるものと判断する、その面だけから見ればこれはこういう配分というものをしいてする必要はないことではないか。そうじゃなくて、分類して分けるのはこれはいろいろでございますから、どういう程度グループの中で達しているかという面で、一つ区分けをするのが、特にすぐれている者もあるし、普通の者もあるし、特に劣っている者もある、そういうふうな見方をするのに、こういう。パーセンテージで区分けして見る、こういうことだろうと思います。そこで、実は非常にむずかしい質問先生なさっているわけでございまして、これを理論的に言えば、一体いまの分け方が絶対的に、理論的な意味における絶対評価であるとか、総体評価であるとかということは、実はいろいろ問題があるのでございまして、ここでその理論的なことを、どうも私に全部答えろといっても非常に無理なことで、私はその点につきましては、実は一体この現行の問題というのはどの程度の、評価という問題について、絶対評価要因をどの程度導入しているのかというようなことにつきましては、実は専門家に聞いてみたことがございます。そこで、それを厳密に区分けするということは、理論的にそこまでなかなかできにくい面もあるということでございます。ですけれども、いまグループごとに分けるという考え方は、生徒指導、それぞれの学校なり学級なりの中で行なわれるものとしては適当であるということでこれを使用している、こういうことでございます。
  22. 小林武

    小林武君 到達度というのは個人の到達度でしょう、そうじゃありませんか、あなたの言う到達度というのは何ですか。個人を対象にしているんでしょう、たとえばこれだけの教材——いまここに指導要領を持ってこないから読むわけにいかぬけれども、その指導要領内容一体あれですか、大体われわれから言えばここらまで到達してもらいたいというのありますね。それは五を取るのは一番いい、しかし、まあ大体どこらまで到達してもらいたいというのがあるのですよ、学校の場合。そうでしょう、それによって大学から何からみんな落第させるとか進級させるとかということがきまるわけです。到達度というのはあるのですよ、そうでしょう。だから五段階というのは意味がある。一や二では進級できないんですよ、それは義務制の学校ではなかなかそんなことできないけれども、そのほかの学校なら進級できない。したがって、どうですか、到達度というのは全体が到達してもらいたいのはどこだ、どこまで到達したらいいのだ、文部省はどう考えていますか、大体この基準によっているのじゃないですか、大体全部五になってもらいたいなんて思っていないでしょう、個人を相手にした場合もそうでしょう、一学級の平均にしたって同じ、県の平均にしたって同じです。わかりませんか、ぼくはむずかしいこと言っていない、きわめて事務的なことを言っている、あなたたちそれがはっきりわからないでおいて労力テストをやると言ってるのだったら、それはおかしいと思う。ぼくはあなたたちのいままで言ってきたことは、何べんも言ってきたことあるでしょう、どれだけ教育課程というものを忠実にやったかどうかということを調べるのが学力テストです、こう言っている、そう言っているんでしょう。どこまでいったら、各人に対してはどのくらいのところへいったらいいというふうな。まさか五だとは言わないでしょう、全部五だなんということは言わないでしょう、わかりませんか、ぼくの言うことがわかりませんか。わからないならわからないと言ってもらいたい。それは委員長のお許しを得て、わからなければ質問をしていることを何とかわかるところまでいって、納得してもらって答弁してもらうということにするから、わからなければわからないで、いいかげんなことを言ってもらっても困る。赤石さんどうですか。あなたなんか知っているでしょう。どこまで到達したらいいのですか。そういうことがなかったら忠実にやっているとかやっていないとかいうことがわからないでしょう、どこまでいったかということがはっきりしなかったら。私はこう考える。一つの要求はある。これは全部の人間に一体合格点になるようなところまで知ってもらいたいと思う。しかしながら、事実は、いろいろやってみても二の者もいれば一の者もいる。それは義務教育のような現段階ではそうです。不満足な者が出るわけです、いまは。当然それの救済のしかたというものはまた別の角度から考えなければならない。あるいは特殊教育というところに回して別なあれをやらなければならないということになるでしょう。だから、そこらあたりをもう少しわかるように言ってもらいたい。ぼくの言うことがどうも少しピンぼけであったら聞いてもらいたい。
  23. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 私その到達度、——たとえば一つ教科についてある問題を出してみて、その問題がどの程度点数を得たならばこれは大体こなしておるのだということのものと、いま御質問になっている小中学校におけるその一種の総体評価という問題とは私は別の問題だと思います。それから大学において優良可だとか、ABCとかっけるものは、これは、こういう何%とかいうようなグルーピングは別にしないのであって、これはその学年によってAが非常に多数を占めている結果もありましょうし、あるときにはCが出て落第が多いというとともございますから、いまその大学等成績評価の問題とこの小中学校等における五段階評価とは別の問題でございまして、また学力検査をやりまして、一体この一種の客観的な調査をやります場合に、それをどのくらいの程度に達したならば、この問題の性質から見て、一体中庸の成績を得たものというふうにとるかは、そのときどきの問題の作成の問題でございますので、どうも私この小中学校に行なわれている五段階の問題と、いまお示しのこととはどうも関連がないような気がするのでございます。
  24. 小林武

    小林武君 こう言ってください。あなたの言う大学の問題は違う。大学でもパーセンテージ——こっち向いて聞きなさいよ、よく聞いていないとわからないから。大学の問題はいまこういう例に引いたのです。大学だって一つ到達度は持っているだろうと思う。たとえば法律をやった学生は四年間を終わったあとはこの程度のことということはありますよ。そうでしょう。そういうものがなかったらおかしいのだ。それはあります。あるでしょう、到達しなければならないところは。それは工学部の学生である場合には、一体四年のあれでもってどれだけの知識を持っていてもらいたいという、こういうあれがある。小学校だって中学校だってそれのあることは同じでしょう。ただしかし、小学校という義務制のものはこれは別だ。さっきから言っているのだ。大学というような選ばれて入った者——どういうふうに選ばれたかはよくわからぬけれども、選ばれた者が入っている学校、そういうものと、いわゆる義務制の学校であれば学齢に達すれば入らなければならない。なかなかここでは簡単には落第させるということもできない、落第させるわけにはいかぬようなところなんですから、だから相当いろいろな子供が出てくる。それがどういう状況になっているかというと、さっきあなたが話したように、どこの国でも大体このぐらいになるというその見当はちゃんとついている。五段階に分ければ第一の段階の者は何%というのはさまっている。きまっていると言ってもいいくらいです。だからこそ、受け持ちの教員に対して、成績をつけるときにはやはりある数字は踏まえてやれということが強く出るのですよ。そうでないというと、これはいわゆる権威のある客観的な成績評価ではない。こういうことを現場では言われているのだ。文部省だってそういう指導をやっているはずなんだね。そこで、一体その文部省が言う教育課程、こういうものの一体要求というのがあるのでしょう。その要求というものがあって、到達度というものはどこらに置いているのか。それは全部覚えてもらいたいというあれだろうけれども、実際問題としてどうなのか、事実問題として。それは一つ到達度を示したところで二の者もあれば一の者もある。あるいは平均の三のところの者が非常に多いけれども、四の者もあれば五の者もある。ずいぶんできるなという者も出てくる。それはさっき示されたような数字になるのでしょう。そういうことを言っている。わかりませんか、どうですか。
  25. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 恐縮でございますけれども、よく私はわからないのでございます。
  26. 小林武

    小林武君 わからぬところを聞いてくださいよ、わからないで答えるとなおわからなくなるから。
  27. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) なお、先ほどの説明に補足いたしますけれども、先ほど申しましたような分野で指導したこともあるようでございますが、その後、三十六年のこのパーセントというものにそうこだわらないようにという指導をしておるようでございます。
  28. 小林武

    小林武君 あなたそんなこだわらないという通牒を出したの。
  29. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 私、最初にお答えしたのが実は正確でございまして、その五段階における占むべきパーセンテージを窮屈に考えないようにということでございます。ですから、都道府県により、その学校により、そのとるべき幅というものについては弾力的に考えるようにということを指導しておるようでございます。
  30. 小林武

    小林武君 わりあいあなたたちは気楽に考えていらっしゃるようだけれども、それではいまあまり窮屈に考えないというのは一体どのくらいのことを言っているのか。それもあるわけでしょう。窮屈に考えないということは、たとえばわれわれでいえば、平生の一体発表のしかたとか、いろいろなこと、それも入りますわね。しかし、まあいろいろ示してやってみると、その結果により一つのあれができる。しかし、それだけをずらっとやった場合には意外なことができるわけです。やはりそうでしょう。あるいは問題の出し方、先生があまり十分検討しないでやった場合なんかは。それから、ある種の目的をもってやる場合もありますよ。それはうんと下げたあれでやってというようなこともあるけれども、あまり検討しないで、ひょっと少し、まあ仕事の分量がうまく減るようなやり方なんということをもしも考えたら、これは結果的には妙なやはりあれが出てくる。そのことを直ちに全部認めるということをあなたおっしゃっているのではないでしょう。あまり窮屈に考えるなということもまた一つのワクができるのです。それは、窮屈に考えるなということはどういうことなんだと、そういうことになるでしょう。だからあなた、そんな言いのがれみたいなことを言わないほうがよろしいのだ。だから、まあ文部省はもう少し正直にこれだけのワクの中でこういう数字が出ている、教育課程によって、指導要領があって、それをきめながら、うまくまじめに教えても、一体どういうことになるのかということのあれもつかまないで、一体あなたたちは一生懸命やらなければだめですよと、馬力ばかりかけてもだめだ、こういうことをぼくは言っているのです。極致に達すればというようなことを先生に言わせるような、そういうばかな伝達のしかたというものがあったとしたらこっけいな話だ。まあここらでひとつ、あなたたちの腹の中もだいぶわかりましたから、福田さんにお尋ねをいたしますが、いまの議論を聞いておられて、福田次官は、大体何を言おうとしているかということはおわかりになったと思う。愛媛にいかれて、学力テスト日本一、こういうことを言われた。これは一体どういう意味でしょうか。私は、一つとしては、そういう順位などは言うべきものではないと文部省がかねがね言われておったのに言ったことに対して、次官としてはたいへん遺憾なことをおっしゃったと、こう思っている。そのことをどれほど敏感にみんながとらえたかということは、愛媛の新聞はもちろん、いわゆる中央の大きな新聞も、あるいは地方の相当な大きな新聞も、これはたいへんなことだといって報道している。その資料は、前回、私はみんなに紹介申し上げた。そういう問題が一つと、それからもう一つ、いま議論したことですよ。一体その愛媛の出てきた成績というのはどんな成績であって、この成績がもう実に日本一で、これが教育課程というようなものに最も忠実にやったからこそ、こうなったのだということをおっしゃったことについては、いささかどうも理解ができないのです。この二点についてひとつお尋ねをしたい。
  31. 福田繁

    説明員福田繁君) 私、昨年の十一月の五日であったと思いますが、愛媛県教育研究協議会の大会にまいりまして、いま御指摘になりましたような愛媛県の学力調査の結果の問題に触れました。その意味は、もちろんこの愛媛県教育研究協議会という団体の研究大会でございますが、この会は御承知のように、愛教研と称しておりますが、愛媛県内の教職員だけの会合でありまして非公開のものでございます。したがいまして、私はこういう研究大会におきまして、愛媛県の教育関係の方々が、従来から非常に教育研究に熱をあげてまいっておりまして、そういう成績がだんだんに向上していくということを私自身もいろいろ聞いておったわけでございます。そういった意味から、この研究大会におきまして、関係者に対して、いわば内輪の会合でありますから、鼓舞激励すると申しますか、そういう意味で順位の問題に触れたのでございます。それからいまお尋ねになりました点でございますが、私どもこの学力調査の目的は、もちろん教育課程の改善の資料を得るということと同時に、個々の生徒児童の学習指導の改善というものについて有益な資料を得るというのが目的でございます。主としてそういう目的でやってまいったわけでございますが、この現行の教育課程につきましては、これはいろいろ各府県教育委員会で努力してまいっておりますが、学力調査の問題の出し方、あるいはその学力調査の問題のねらいというものは、できる限り基本的な問題を出しまして、そして普通にこの学習指導要領に基づいた学習というものが行なわれておればだれでもできる、どういう子供でもできるのだ、こういうたてまえで作成をされて、一斉調査を行なっている次第でございます。そういう趣旨からいたしまして、やはりこの現行の教育課程について、研究が十分行なわれ、学習というものが十分に行なわれている限りにおいては、当然にこの学力調査の結果というものもいいというように私どもは感じております。そういう角度から、愛媛県教育研究協議会において、そういう趣旨のことを私は申したわけでございます。
  32. 小林武

    小林武君 そこで、先ほどの話に入るわけですけれども、あなたの考え方だというと、基本的な問題というのは、これは学習指導要領の中にある問題だ。それを一つ、たとえば数学なら数学というものの趣旨に合ったいろいろな教材をつくっていく。そうすると、その基本的な問題というのは、だれでもできるということになれば、あなたの考え方だというと、まともに授業が行なわれていれば全部百点がとれる。いわゆる五になるという考え方ですね。そういう考えですか、だれでもできる……。
  33. 福田繁

    説明員福田繁君) その学力調査の問題の出し方は、基本的な問題であると同時に、できる限り平易な問題を選ぶというのが趣旨でございます。したがって、いま御指摘になりました学校の中でこの五をとるとか、四をとるとかいうような、そういうこととは直接の関係はないわけでございます。少なくとも学習指導要領というものを十分にやっておる限りにおきましては、これは五はとれなくても、大体におきまして、これはたとえば悪いかもしれませんが、少なくとも普通の学習が行なわれておれば半分はどの子供でもできる、こういうような考え方が一面においてあるわけであります。そういう実際の方針をとっておりますので、そう全部の子供が五になるという必要はないわけでございます。
  34. 小林武

    小林武君 それでは齋藤さんにお尋ねいたしましょう。だれでもできるということは半分できることだそうでありますから、半分というとちょっと合ってきますね。五、四、三というようなことをいうと、半分くらいになってしまう。半分以上になるかな。半分くらいになる。これは大体合っている。それで、だれでもできるということは半分できるということとは違うわね、だれでもできるということと。大体その基本的な問題は、あたりまえに学習していればだれでもできるという出題の方法で出しているかどうか。出題者というのはだれですか。出題者の意見がその中にあるはずです。それを述べてください。それを一つ問うなんということだけでなくて、出題者の意図があるわけですから、いいかげんなことじゃなしに、資料によってはっきりそこで言ってください。だいぶやっぱり話が違うのですよ。ぼくが言っているのは、とにかく学校でやる四とか五とかいうこととは違うといっても——そんなこととは違いますよ。試験をやるのだ、テストをやるのでしょう。何点の者は何人、何点の者は何人で平均は何点ということをやっている。そのことはあとで聞こうと思っていますが、そういうことになる。それは五、四、三に分けようが何しようが同じことですよ。結果的には同じことなんですよ。違うことないです、そんなことは。そういういいかげんなことを言っちゃ困る。出題のあれを言いなさい、ほかのことはともかく。
  35. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 問題作成の態度といたしましては、学習指導要領に示されている各教科の目標及び内容の基本的な事項について問題を作成するという考え方でございます。で、出題の範囲並びに程度といたしましては、問題は全体として平易なものとし、特別な準備を要さないものとするということでございます。
  36. 小林武

    小林武君 どうもまああまりやらぬことに約束したもんですから、なるだけ、そういうふうにこっちの気持ちがそういう気持ちだから、そういう気持ちで答弁してもらわぬと困るんだ。こっちのほうが途中でハッスルするようなことになるとぐあいが悪い。そうですけれどもね、やはりあなたたち特別の準備をしなくてもと、こう言うんならいいんですよ。テストをやったと——テスト賛成でもないけれどもね、テストをひとつやったと、それについていろんな成績が出るわけです。その成績が何といったってさっきのようなことになるんですよ。そうでしょう。これは学力テストでも、それから普通のクラスにおけるテストでも同じ結果が出るんです。同じような形のものが出るんです。出なきゃおかしいです。そういうことになるというと、一体一番とか二番とかっていうのはおかしいんですよ、これは。日本一になった、けっこうだ、これが忠実だなんていうことは、これは文部省はこれから先も言っちゃいかぬのですよ、そうでしょう。これは一体福田さんは何にもテストについて準備をしないで、日ごろの授業がりっぱであるからここへ到達したと思い込んでおられれば、これは間違いですよ。あなたがそういうことを思い込んでおられれば、しかし福田さんにそういうことを責めるのはぼくは無理だと思う。何といっても、あなたは教育行政上のことについてはいろいろ事務的にりっぱな経験をお持ちだろうけれども、現場のことは知らないんだから、ぼくよりか知らないんだから、何といったってだいぶ私も古ものになってくたびれたけれども、あんたよりかもやはり経験年数を持っているから知っているんですよ。だからどうですか、全然あんたいまでもテストの準備をしないで日本一になったと、そう思いますか。日ごろの教育がよろしいからなったと、こうお考えになっていますか。これはどうですか。そこらあたりなんですね、ぼくがあなたがもしテストをやらないで、日ごろの授業がよろしいからといってほめましたと言うんなら、これはぼくは間違いだけれども、まあその純真な気持ちについては大いに共感を得るわね。そんなことわからぬことでもないように思うけれどもね。まあしかし、そう思ったということになればこれはしようがない。そう思いますか。もし思っているなら、私はやはり「教育の森」というようなものでも読んでもらいたいと思うのだ。愛媛の教員の嘆きというようなものもひとつ読んでもらいたい。それがあんたのほうで事実であるとかないとかいうことならば、事実かどうかということを調べてもらいたいのだね。調べないで思い込んでおられるとこれはめいわくするのだな。これはひとつ、文部大臣はこの間愛媛県に行かれましたが、どうですか。何か全然準備しないで、あそこでは日ごろの授業がりっぱだからというふうにお考えになりますか。まあ大臣でも気の毒だな、齋藤さん、あなた答えなさい。
  37. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 学習を熱心にやっておれば、その結果が共通一つのものさしであるものに高い点数であらわれると、かように考えます。
  38. 小林武

    小林武君 そうすると、香川県、愛媛県というのは非常に授業をりっぱにやられておる、学力テストの結果を見てそういうふうに判定されたと、こうあなたおっしゃいますか、齋藤さん。
  39. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 学力調査は、学力調査そのときの一つのまああらわれでありますから、そこで行なわれました教科についてどの程度学習が行なわれているかというようなこと、そういうことはわかるわけでございます。教育の全般、教育というのはいろいろな分野にわたりますから、そのことをもって一つ一つの全部の教育をどうこうということを私はここで申すだけの自信はございません。ただ、それぞれ行なわれました教科についての学習というものを見るためにやるわけでございますから、それが高ければその学習というものがよく行なわれているという一つの証左にはなるであろうと思います。
  40. 小林武

    小林武君 ほんとうにそう思っていらっしゃいますかね。弊害などというようなものが起きているというようにはお考えになりませんか。
  41. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 弊害というような点について、まあいろいろ出ておりますから、新聞等に記載されたものもありますから、その点につきましては私どももよく教育長等に会います際に確かめますけれども、そうじゃなくて、全般に世間ではもうそういう顧慮というものはしないで学力調査に臨むというのが一般的な態度でございます。
  42. 小林武

    小林武君 これは文部大臣にお尋ねしたいのですがね。私はまあいまのようないいかげんな答弁を文部省がするというのは、私は重大問題だと思うのですよ。悪いところは悪いと、こう言うべきなんだ。大体、学力テストをやるときにわれわれが一番心配したのは、むだな競争をやるということをおそれたのですよ。そういうことが直ちにまたいまのような考え方ですからね。これはもうりっぱな授業をしたものは到達できるところだ、ほかのやつはなまけているからと、こういうことが今度は勤務評定によって、いわゆるいい教員とか悪い教員とかいうことになったら、これは事が重大だ、そういうことにならぬかということをずいぶん心配して、いろいろその点では発言もした。しかし、そのことが現在の段階になってもなおかつ一言も反省する気持ちがない。私はやはり文部省はふまじめだと実は思います。非常にふまじめだと思うのですよ。そうしてそこへ行って、一体お前のところは日本一だと油かけたらますますひどくなるのはあたりまえです。この毎日新聞の「教育の森」という中に書かれている一番の問題点は、とにかくもうそのために年がら年じゅう一生懸命やっていると、校長さんも名前出して言っているのですよ。やらないなんというのはうそだ、やらなければ損ですよ、そう書いてある。そのためには、とにかくお前多少おかしなことをやってもいいから、とにかくやりなさいといって校長が女の教員に言った、そうしたら夫婦一緒に住めるぞというようなことまで言った、そういうことまで書かれている。この事実は一体あるのかないのか私はわからぬ。しかし、少なくともここに書いた人たちは、名前をあげて一々言えればいいのだけれども、名前をあげられないのは残念だと書いてあるところがある。私はそういう点では文部省は、かりにいままできたことが間違いであっても、そういうことがあるのかと、実際あるのかどうかということで神経をやはりこまかく働かして、十分調べて、そして悪いところがあったら悪いところのように、私はやめるべきものはやめたらいい。そういうあやまちをおかしちゃいかぬということをはっきりさせればいいんですよ。そういうことが一つもとられていないのがぼくは問題だと思う。だから、福田次官がやったことだって私はたいへん大きな間違いをおかしていると思っている。それはね、入学試験の問題だって同じですよ。やってやってやりまくらなければとにかくいま大学に入れない。どんな優秀な者だって、のんべんだらりんとして入れる者なんという者は、よほどどえらい者でなければできない。みんな骨身を削るようにとにかくやっている。いわば幼稚園からとにかく東大に入るためにやっているといってもいいくらい。そういう事実があるのですから、学力テストだってものすごいものでしょう。この中のことを見たって、そのことのためには不正をやってもいいというようなことが、学校を管理するものから一体そういうことが出てくるというのはどういうことですか。教育を管理する人たちがそういうことを言っているというのはどういうことなんです。この次は音楽が入るから、音楽の重点はこうだ、学力テストのためにしっかりやれというばかなことを一体やらなければならぬ、それが音楽教育か。私は文部大臣にお尋ねしたいのだが、一体そういう事実が全然ないという判断にいま文部省人たちが立っているのか。あなたはそうすると「教育の森」に書かれたことは全部うそだということになるわけでありますから、どういう措置をとったんですか。これについて抗議を申し込んだのですか。日本国じゅうの人間に相当部数読まれていると思う、これは。この「教育の森」については非常に読む人が多かったと、こう言われておる。どういう感じを一体、文部大臣は、私はそういうことについてはわりあいに公平な方であると思っているからお尋ねするんですが、あなたはどうですか。絶対心配ないというような感じを持っているのですか。
  43. 小野明

    ○小野明君 ちょっと一つ関連。先ほど次官の説明を聞きますと、先生を集めて、これはまあ非公開の席上だから鼓舞激励をしたと、こういうように言われるのですが、新聞にはこれだけ大きく書かれておる。そういった席を、そういった会合を非公開といえるのかどうか。そしてまた、次官が鼓舞激励をする、公表してはならないというものを、そういった席上で鼓舞激励をするというのは、どういう結果、影響を及ぼすのか。この辺を愛媛の教育の現状から十分まあ考えてもらいたいと思うのです。その点もあわせて大臣の御答弁を伺いたいと思います。
  44. 福田繁

    説明員福田繁君) 先ほどの私のお答えの中に、もう少し事情を申し上げたほうがよろしい点がありますので先に申し上げさせていただきます。実は私、愛媛に参りましたときに、愛媛の現地の新聞記者諸君から記者会見を申し込まれまして、そのときに、学力調査の問題でいろいろと聞かれたんでありますが、私は新聞に公表すべきものでもないし、文部省としては都道府県別の順位などについては公表しないというたてまえをとっております関係もありまして、私は記者諸君の御要望にはこたえなかったのであります。そうして、先ほど申し上げましたように、この愛媛県教育研究大会の会合の際には、これは非公開の会合であるかどうかということを私は確認したつもりでございます。そうしましたら、これは非公開の会合であるということでございましたので、私はせっかく愛媛県下の先生方がお集まりになっておる席でありますから、従来の教育研究についての熱意というものを、今後もやはり続けていただきたい。そういう趣旨からいまのような学力調査の問題について一言触れたわけでございます。決して非公開という、学力調査の都道府県別の成績などについては非公開だという原則を私は無視したつもりはないわけでございます。しかしながら、どういう次第のものか知りませんが、それが一部の新聞に出たということは、これは私はその点については、後でございますけれども、はなはだ遺憾に思った次第でございます。
  45. 中村梅吉

    ○国務大臣中村梅吉君) 先ほど小林さんからのお尋ねでございますが、学力調査は、しばしば申し上げておりますように、教育課程の改定、あるいは文部省としてやっております学習指導要領の今後の改善、こういうようなことか、あるいは教育の格差是正とかいうような、いろいろな基本的な資料を得るために行なっておるものであり、また、これを各都道府県としては都道府県内の教育格差や何かもあるでしょうから、そういったような参考に資するためのものでありますから、本来がすなおに受け取って、格別の準備教育とか、そういうようなことは絶対になしに、ありのままの姿を出してもらうことが望ましいわけで、ぜひそうしてもらいたいわけであります。したがって、大部分はすなおに受け取ってやっていただいておると思うのでありますが、人間の社会のことでありますから、大ぜいの中には、少しことばはよろしくないかもしれませんが、世間にはよく、大ぜいの中には、善良な人が大部分であっても不心得の者もたまにはおると同じように、教育の場におきましても、中には私はそういうようにすなおに受け取って、自然のあり方が調査の結果に出るようにつとめるのが当然であるにかかわらず、そうでなしに、大体こういうような出題が出るだろうというような見当をつけて、事前教育をやるような向きも絶無とは考えておりません。おそらく事務当局も絶無とは考えていないと思うのです。したがって、学力調査のつど、これはほんとうに実態を調べるためだから、特別の準備等はすべきでないというような趣旨を通達しておるわけでありますが、今後も愛媛県で、「教育の森」などにいろいろ書かれておるようなことも事実あったのか、ないのかは、私どもも確認いたしてないのでありますが、絶無とは言い切れない、人間の世の中のことでございますから。今後、学力調査を実施いたしまする場合には、一そうすなおに受け取って、正常な調査をするように、その趣旨の徹底を期してまいりたい、かように考えております。
  46. 小林武

    小林武君 どうですか、そういうことになると、人間の世の中だから、間違うものもいるというようなこと、これはまあほかのことならともかく、村松喬さんという人が署名をして、「愛媛の教育の報告」と、こう書いてある。これだけ事情がはっきりしている。しかるべく、文部省ではこれに対してどういうことをやるつもりですか。案外つまらないことに、相当、教育委員会をいじめているようなことが事実ある、たくさん。そんなことまでここでいう必要ないですからやめますけれども一体これだけのあれが出ていて、ほうって置くつもりですか。これはもう事務当局というか、教育委員会から何から全部やっているでしょう。あったかなかったかわからないなんていう話じゃないですよ。まずあるかないかということを調べること、少なくとも私が文部省なら、あるかないかということを調べる、あったとしたら、これに対してそういう間違った教育行政をやった者に対してどうするのか、そういうことはやらなければならぬと思いますが、どうですか。
  47. 中村梅吉

    ○国務大臣中村梅吉君) まあ大体文部省立場としては、各都道府県を通して指導助言をいたしているわけでありますから、関係の都道府県に対して遺憾の点のないように注意もし、あるいは今後一そう努力をしていくべき立場でありまして、じかにこちらが権限的に出動するような立場でもないかと私は思っております。いずれにしましても、まあ愛媛県については特に新聞等で取り上げられておりますから、今後十分に注意を喚起して、本来の学力調査の趣旨が徹底するように努力をしてまいりたいと、かように思っております。
  48. 小林武

    小林武君 しつこいようですが、一体どういう注意をやるのですか、愛媛について。これ、事実ないものなら注意することはないのでしょう、事実ないものなら。少なくとも文部大臣、文部次官が行って、愛媛の教員を集めて、そこでその熱意を一体ほめたたえた。ほめたたえられた者があとで因縁をつけられるようなこともおかしいじゃないですか。この事実をほめたたえたのでしょう、一番になったということを。香川県の場合はどうであったかというような例も出ている。文部省の天領だという、そういうありがたいおことばまでちょうだいしたと書いてある。文部省の天領は、愛媛県もなったわけでしょう、愛媛県でそういう事態が起こったといったら、もしそうでなかったら、何も愛媛にいう必要はないのでしょう、調査をやるのですか、やらないのですか、調査をやるかやらないか、そのことが大事じゃないですか。調査をやって、しかる後に事実があるのなら、これはあれでしょう、ただで済まされますか、こういうこと。不正なことをやってもいいから点数を上げろというようなことが公然として一体教育の世界で行なわれるということはこれは許されますか。いままでカンニングをやっておったのだ。カンニングやらなかったら、おまえ成績下がって困らぬかというようなことを言われる、そういうような状況にまでなっているということを書いてあるじゃないですか。そういう事実まで出ているとしたらどうするのですか、どういう一体あれやるのですか、それを聞きたいのです。どういうふうに文部省がそういうときに指導をするのか、指導が明らかでないといかぬと思うのですね。事実を調査するのかしないのか、事実があったならどういう指導をやるのか、誤った者に対してはどういうことをやるのか、これが明らかにならぬうちはそういう中途はんぱな話はぼくはないと思う。
  49. 中村梅吉

    ○国務大臣中村梅吉君) これはいまも申し上げたように、文部省としては、かりに他の問題にしてもそうでありますが、個々の学校なり教職員なりが間違った行動があったとかいう場合に、文部省が直接それに対してしかるとか、あるいは処置をするとかいう筋合いではないわけで、あくまで県の教育機関を通してさようなことのないように指導していくのが立場であります。したがって、まあ言われておるようなことが、事実の有無はわかりませんけれども、しかし、世間で一部からそういううわさを持たれた以上は、さようなことのないように今後十分注意していくというのがわれわれの立場であると思うのであります。かりに若干、愛媛県の一部でまあ学力調査についてはき違えた競争心のようなものを持ってやったものがあったとしても、これは全体の私は成果を支配するものじゃないと思います。あくまで私どもは、大部分の人たちは学力調査の本来の趣旨を十分にくみ取って正常にやっていただいておるものと、かように信じております。しかし、一部分に、絶対になかったと思うか、こう言われておるようなことがあったと思うかと言われれば、それは人間社会のことですから、不心得の者も絶無とは言い切れないというように考えておるわけで、いずれにしましても、さような世間の指摘を受けるようなことは学力調査を通して伴わないように今後最善の努力と注意を喚起して、本来の趣旨が十分に達成できるようにやっていきたいと、こう思っております。
  50. 小林武

    小林武君 まあ、大臣立場は私よくわかりますよ。それからもう一つ、あなたが県の中の一つ学校に直接どうこうするというような、こんなことはあり得ない、そんなことをぼくは言っているのじゃないのです。私はやはりあなたが、愛媛県のどこかの一つ学校がどうしたということなら、これは問題にならないと思うのです。これはそうでないのです、この書いていることは。われわれのほうで調べたものもそうですが、この書いていることは事実だと思うのです。そうして、それは教育委員会からとにかくずっと行政系統を通して下へやってきている。校長を通して全学校にきているのですよ。だから書いているでしょう、この中に。とにかく全教育長から、各郡みたいところのいろいろなそういうところの人たちも全部、もう悪かったら肩身が狭いのだ、それで、それぞれの指導主事は計画的に年間のあれを立ててやっていると書いてある。これはあなたがこれを読んでいる限りにおいては、そんなことは一部分だとか、そんなことはない。そして少なくとも文部省の次官も行って、たいへんおまえのところけっこうだとほめた、こうなっているのですから、あなたのほうで、もうこれは全然違うということを判定を下すか、そうでなかったら、とにかくあれですよ、誤りかどっちかの二つですよ、それは一部分とか何とかいうのじゃないのです。ぼくは一部分とか、五十万とか六十万とかいる教員の中から一人出たからぼくはどうだとかいう、そういうことはあなたよりかもっと……そんなばかなことは言えないと思いますよ。ところが、愛媛県は全県ですよ。そのことにことばを差しはさめば、県会議員もまたこれは懲罰にかけられる、こういう仕組みになっている。そこまでいっているでしょう。だから私はここに至って、あなたは県の教育委員会実態を、これはある程度、いまの教育委員会制度なり——私はあまりけっこうなことじゃないけれども教育委員会の制度があって、そうしてそれを実施しているあなたの立場からいえば、これは事実を明らかにしなければいけないですね。私は何も、各学校なんかどうでもいいと思う。事実を明らかにしなければならない。そうして、一体そういうものがあるならば、これに対して処置をとる、とらせる、その処置のとり方はいろいろなとり方があると思います。そういうことが必要でありませんか。そうでないならば、ぼくはこれはあなたたちのほうではずいぶん無理なことをやっている。学力テストも抽出に変わっても、なおかつ全部がやるような仕組みにしてあるのですから、ますます私はたいへんなことになると思うのですよ、どうしますか、それを聞いているのです、私は。——いや、それはあなたじゃだめですよ、文部大臣に聞いている。あなたがどうするなんて、調査するなんて言っていないのですよ。
  51. 中村梅吉

    ○国務大臣中村梅吉君) とにかく、学力調査の精神から言いまして、実態が、教育の設備なり、あるいは教育内容なりが実態がよくないところはよくないまま出てもらわなければ、当事者としましても、仮想の成果を出したのでは私はかえって不利益であって、悪いところは悪いような結果が出ることによって、そういうような地域差を見たり、あるいは今後の対策を考えたり、あるいはまた学習指導要領、あるいは教育課程等に欠陥の有無等を検討する資料になって、教育内容を向上充実させていく方向にいくわけでありますから、とにかくありのままが出てくることがこちらも望ましいと同時に、関係の地域なり、あるいは学校にしましても、それでなければ、せっかく行ないます学力調査の恩典に浴するといいますか、好影響を受けることができないわけでありますから、そうなければならないと思うのです。したがって、「教育の森」ではどれだけの人間を使って、どれだけの調査を具体的になすったのかよく私はつまびらかにいたしておりませんが、とにかくそういう地域が絶対になくなるように、われわれとしましては今後最善を尽くして、適正に調査の行なわれるように全力を尽くしてまいりたい。こう申し上げるよりいたしかたないと思います。
  52. 小林武

    小林武君 文部大臣、ぼくは率直にひとつ言ってもらいたいと思うのだが、これだけの問題が提起された場合に、これが単に試験勉強のやり過ぎや何かじゃないのですよ。それが教育行政の全般にしみ込んでいるんですよ。たとえば、これがもうおまえは転任させてやるとか何とかいうようなことにも影響するし、それから子供の中には、一体不正行為をやってもとにかくやっている、それから不正行為をやっても点数よけい取ってくれば先生の顔が立つんだというようなところに教育なんというものがありますか。そういうところまで至ったということを書いてあったら、これは私は教育上の大問題だと思うのですよ。もしないならば、ないということを明らかにすべきですよ。あるならば、あるということを明らかにすべきです。あなたたちはもっと謙虚にものを見るべきだと思うのですよ。これもあるし、もう一つは、宗像東大教授が行って調査したというあれもある。しかし、あなたたちのほうでは、それらのあれが一々どうも正しいとは思わないと言うなら、文部省みずからこう調査をなぜしないのですか。私はこれが一番罪が重いと思いますよ。入学試験なんというのはまだ親のほうがむきになっているところがありますよ。親がわが子を何とかしていい学校へ入れたいと思う。いい学校を卒業したら得だというようなことで一生懸命やっている。これは親のほうの側で相当一生懸命になり、それは教員たちもつられている。教育行政の立場にある者もつられるということも困ったことになった、そうすると、どうなんですか。この問題については、あなたのほうでは相当に人間を動員して、とにかく調査をし、新たな手だてを講ずるというようなことを言っているんですよ。ところが、文部省がどうにでもなる問題がどうなっているんですか。これだけ問題が起こっても、あなたのほうでは言を左右にして調査するとも言わなければ、そのことについてどういう手を下すということも言わないじゃないですか。それはおかしいじゃないですか。どうしてそういう使い分けをするのですか。同じ教育の問題なら、私は率直に調べて、そうして調べた結果については、もうはっきりそういうことのないようにするとか何とかということを言わなければならぬはずだと私は思う。文部大臣立場としてそう思いますが、誤りでしょうか。私は父兄の声もあれば、いろんな世間の人の声もあるから、入学試験の問題があれほど出たんじゃないですか。国際的にも問題になった。手をつけなければいかぬというところへきたんじゃないですか、同じことじゃないですか、それと。それよりかもっと深刻ですよ。入学試験の中にインチキをやったなんという教育内容ですからね。カンニングを教えた入学試験試験勉強という教育はないです。カンニングをいかにやるべきかということを教えたという予備校というものも聞いておらぬし、そういう学校先生も聞いておらぬ。しかし、これにはカンニングということだって出ている。教師みずからがやる。田植えと称することまで出ているということを書かれておいて、それに対して何ら手を打たぬというのはおかしいじゃないですか。少なくともぼくはあなたのほうで、明らかにあいつらの書いていることはほんとうかうそかわからぬということを言わずに、調査をした人に相当あなたのほうで当たってみる。それから現地で十分調査をするとか、もし誤りがあれば、率直にやっぱりそのことについては自後の対策を立てるとか、これぐらいの熱意なしに、一体学校教員にしっかりやれなんということは言えないと思うのですが、どうですか。——あなたに答弁を求めておらぬ。斎藤さん、あなた、これの答弁でしょう。それはだめだよ。あなたに言うたって、無理なことをぼくは聞いているのですから。あなたがそれじゃずばり答えますか、調査するとかしないとかということを。
  53. 齋藤正

    政府委員齋藤正君) 調査しているということを申し上げたい。
  54. 小林武

    小林武君 要らぬ。だめだ。あなたに聞いているのじゃない。あなたはそれじゃ文部省の責任においてやりますか。
  55. 中村梅吉

    ○国務大臣中村梅吉君) 実は私ども文部省でも調査はいたしておるようでありますが、いろいろな新聞、雑誌が取り上げたからといって、われわれがうのみにして、そこだけを目標に注意を換起するようなことは好ましくないと私は思っております。そこで、先日も実は教育委員長教育長の合同協議会がありました席上で、私は学力調査の問題にも言及いたしまして、学力調査文部省がやっており、また教育課程教育指導要領の改善をいま作業中であるから、こういう目的を達するために学力調査をやり、この学力調査の精神はこういう精神である。したがって、すなおな結果があらわれるようになってもらうことが望ましいので、ぜひそうなければならない。したがって、そういう趣旨で、学力調査にも各都道府県は全力を上げて正常な姿で協力をしていただくようにしてほしいということを実はつけ加えた次第でございます。われわれとしましては、今後そういう口頭で言う機会、あるいは文書を出す機会を見まして、全国的にこの学力調査が、真に文部省がこれを教育向上の、あるいは格差是正のために役立てたいと思っており、その資料として集計されることを私どもは努力をしてまいりたいと思います。いま齋藤局長から、御指摘の調査の問題についてお答えしようと思ったようでございますが、とりあえず私どもの気持ち、今後の考え方、これについて私からお答えを申し上げておきます。
  56. 小林武

    小林武君 まあ文部大臣が非常に努力をしていることは、当然するべきだと思うのですが、それはよくわかります。それから文部省調査をしてということは、したのでしょう。したけれども、私は調査のしかたというものがあると思うのですよ。これはたとえば大臣のことばじりをとるわけじゃないけれども、どこかで、だれかが言った、そういううわさとか何とかということじゃ、たいしたことじゃない。そんなことで一々きりきり舞いすることでは、かえって教育の自主性は保たれない。しかしながら、少なくとも日本の三大新聞と言われるような大新聞の中に党々と署名入りで連載されたものです。そういうものであるならば、良心的にその問題にぶつつかっている人です。それからそれらの新聞というものがどれほどいろいろな報道のための手足を持っているかということは、あなたはご存じです。そうしたら、それに対して私は謙虚なやり方としては、みんなが事実をはっきりさすような調査のしかたがあるべきだと思う。私は何も齋藤君が言いたいのをとめるのじゃない。文部省がそういう態度をとるべきです。しかし、文部省がいままでやっているのを見るというと、自分の都合のいいような結論が出ることばかりやっている信用のなさ、そういうことではだめだと思う。その証拠に、一体、文部次官が的確にものをつかんでおらない。だからこういう激励までやるということになる。本来ならば、とにかく福田さんのやったことについては、ぼくは言いたいことは山ほどある。しかし、約束は約束だからね。大体、何のために一体これだけの講演をなさったのか。事実私はわからない、意味が。非公開ということは、一体、何か教員だけの間だからものを言えるということになるのかどうかしらぬけれども、非公開であればこそ問題があるということだって中にはある。この話の中に、何の必要があるかという問題だってある。福島県の統計何とかというところ、統計の教育か何かの講演に行って、初めからおしまいまで、ある教員の集団に対して、とにかくこれを誹謗するようなことを終始言われたという速記録もぼくのところにある。しかし、そういうことはいま取り上げようとは思わない。取り上げようとは思わないけれども、とにかく、一体どこにその問題があるかと言ったら、文部省の態度に問題があるからぼくはこう言っている。もとから直さなければならぬですものね。だから、私は文部大臣の気持ちはわかるけれども、手ぬるいという気持ちがするのです。非常に手ぬるい。一体どうしてくれるんだ。その中に苦しんでいる教員はどうしてくれるんだ。あそこだって一万幾らくらいいるだろうと思う。その教員をどうしてくれるんだ。言いたくないけれども、そういうことによって勤務評定をやられて、やりたくないような不正なことをやられているという者が一人でもあったらどういうことになるのか。昭和三十三年から日本教職員組合というところに入っている人間は一人も校長になった者がない。三十六年以降は教頭にもなった者がない。そういう人事というのは一体どういうことなのか。よくよくそれでは、その教員組合にいるのが悪い人ばかりなのか。しかし、評判をなす者は何と言っているかというと、愛媛の教員の中でまともな教員らしい根性を持っている者は、日教組の中に残ったわずかの少数の人間だ、こう言っている人間もある。見方の問題だ。だから、そういうことを的確に指導する責任が私はあると思うのですよ。かつての教育委員会ならば、私はいまのような答弁でけっこうだと思う。かつての教育委員会ならば、そういうことは県でやらなければいけない、やるだけの能力があった。いまはそうじゃない。中央の指令がなければ動けないようになっている。そういう中で、都合の悪いときはいまのようなものの言い方をされるのはどうかと思う。だから、とにかくこのことについて、私は文部大臣としてはもっと二歩も三歩も前進したひとつ処置というものを考えてもらいたいと思うのです。ぼくも、このことが全部何だというようなことを断定するのには、ぼくも調べておるわけではないですから、そういう断定は下せませんけれども、大体近い。自分のいままで愛媛に何回か行ったやつのいろんな経過から見ても、それからあそこの教員に接触したところから見ても、大体近いと見る疑いを持っています。したがって、ひとつ文部大臣は、この際一歩も二歩も前進した形でこの問題の処理に当たっていただきたいと思います。まあ、これからもいままでのようなことを繰り返してもしようがないし、福田さんに食らいつこうと思ってもなかなか、約束もありますから、食らいつけません。だから、このくらいでひとつ私の質問はやめます。しかし、今後、そういうことでいいかげんなことがあったという場合には、私は絶対この問題と取り組んで、とにかく事実を明らかにしていくという気持ちを持っておりますから、その点だけはここではっきり申し上げておきます。
  57. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 他に御発言がなければ、本件に対する本日の質疑はこの程度にいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時二十五分散会      —————・—————