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1965-12-23 第51回国会 参議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年十二月二十三日(木曜日)    午前十時二十六分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         山下 春江君     理 事                 北畠 教真君                 久保 勘一君                 千葉千代世君                 松永 忠二君     委 員                 楠  正俊君                 内藤誉三郎君                 中村喜四郎君                 二木 謙吾君                 秋山 長造君                 小野  明君                 小林  武君                 鈴木  力君                 林   塩君    政府委員        文部政務次官   中野 文門君        文部大臣官房長  安嶋  彌君        文部省初等中等        教育局長     齋藤  正君        文部省社会教育        局長       宮地  茂君        文化財保護委員        会事務局長    村山 松雄君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部省初等中等        教育局地方課長  高橋 恒三君        文部省社会教育        局芸術課長    鹿海 信也君        文化財保護委員        会事務局鑑査官  松下 隆章君        国立近代美術館        次長       河北 倫明君    参考人        日本住宅公団理        事        関盛 吉雄君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○教育文化及び学術に関する調査  (文化財保護に関する件)  (学力調査等に関する件)     —————————————
  2. 山下春江

    委員長山下春江君) これより文教委員会を開会いたします。  参考人出席要求に関する件についておはかりいたします。  文化財保護に関する件について、本日、参考人として日本住宅公団理事関盛吉雄君の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 山下春江

    委員長山下春江君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
  4. 山下春江

    委員長山下春江君) 教育文化及び学術に関する調査中、文化財保護に関する件を議題といたします。  御質疑のある方は順次御発言願います。なお、政府側より、中野文部政務次官村山文化財保護委員会事務局長が、また、参考人として関盛日本住宅公団理事出席しております。
  5. 千葉千代世

    千葉千代世君 私は文化財保護の立場から、遺跡保存について、まず文化財保護委員会にお尋ねいたしたいと思っております。それは、千葉松戸市の市内にあります貝の花という塚がございますが、そこから発掘されている住居址、それから人骨等についてでございますが、私の調査によりますと、昭和三十九年七月以来、東京教育大学の教室によって発掘作業が進められているわけでございますが、それが昭和四十年の大体十月ごろ調査を終わって、それで十月中ごろまでに報告書が出されて、そのあと住宅公団計画によって取りこわされる予定だということを伺っておりますが、その件について、発掘なさった報告書が出ておりますでしょうか、どうでしょうか。出ておりましたら、その概略を御説明していただきたいと思っております。
  6. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 千葉松戸市所在、貝の花貝塚発掘調査の件につきましては、ほぼ千葉先生質疑のとおり調査が行なわれております。期日に若干、一月くらいのズレがございますが、正確に申しますと、三十九年六月二十七日から四十年十一月末日まで調査を行ないまして、その報告書は今年じゅうに出していただくことになっております。したがいまして、まだちょうだいいたしておりません。
  7. 千葉千代世

    千葉千代世君 報告書の出るまでの間に調査を進められておった中間報告とか何かございますか。
  8. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 調査経過につきまして文書による報告はちょうだいしておりませんが、調査経過につきましては、口頭で関係者の方から承っております。それによりますと、当該遺跡縄文中期から晩期にわたる貝塚遺跡でありまして、発掘調査の結果、貝塚のほかに三十数個の住居あとが出てまいりまして、貝塚住居趾を含めまして、その当該敷地内から、遺物といたしましては、四十数体の人骨をはじめといたしまして、人が使用したと思われる土器、土具、石器の類が出てまいっておりまして、これら発掘したものは、調査の主任であります教育大学八幡教授が保管をされておるというぐあいに承知しております。
  9. 千葉千代世

    千葉千代世君 いま四十数体とおっしゃったのですけれども、四十幾つでございますか。大体。
  10. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 何ぶん古いものでございまして、遺体と申しましても、かなりばらばらになっておりますので、正確な数は承知しておりませんが、四十数体というぐあいに聞いております。
  11. 千葉千代世

    千葉千代世君 あそこに出ておりますのは、いまばらばらとおっしゃったのですけれども、寝たままのように、そのままの姿のがかなりあったはずです。ですから全部がばらばらでないと思うのですが、その点は調査報告を待つとして、住居趾ですね。大体中期から後期のものですか。これは、三十七というふうに私伺っておりますけれども、数は大体そのくらいですか。
  12. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 遺体出土状況にしましても、御質問のとおり、かなり完全な形で出たものもございます。それから住居あとも、かなりはっきりした形で出ております。たしか三十数個、三十七であったかと思いますが、出ておるようでございます。
  13. 千葉千代世

    千葉千代世君 それで、その時代でございますけれども、いま中期後期とおっしゃったのですが、掘っているうちに、その層の下のほうに前期のが出かかっているというようなことを伺ったのですが、そういう報告はございませんか。
  14. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 詳細の点につきましては、私まだ十分承知しておりませんが、いずれ、調査結果を調査団において検討しておられるので、近いうちに全貌が判明すると思いますし、機会があれば御報告できると思います。
  15. 千葉千代世

    千葉千代世君 発掘完了とおっしゃったのですが、完了を全部したというわけなのでしょうか。というのは、たいへん広い範囲でございますね。後ほど公団から説明していただきたいと思うのですけれども、何か七千坪か八千坪という広い範囲になっておって、全部発掘したのではなくて、いろいろな費用の関係とか、期間の関係とかで、一応打ち切ったということではないのでしょうか。
  16. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 調査の完成ということにつきましては、厳密に申しますと、いろいろ議論がなし得るかと思いますが、調査に当たりました八幡教授計画では、遺跡が所在する全域、約七千坪でございますが、全域にわたりまして調査をしまして、調査団計画としては、所期の発掘目的は全部完成して調査を終わったというぐあいに私は聞いております。
  17. 千葉千代世

    千葉千代世君 質問は、続いて文化財保護委員会に出しますけれども、その前に、公団のほうとしての発掘について、かなりの協力をいただいているように聞いておったのですけれども、ただ、計画上これを残すということはなかなかむずかしいということを、地元方々が陳情なさったときにお答えになったそうでございますが、実際に公団計画はどのぐらいの坪数で、その中にその遺跡のある部分の占める坪数ですか、それがどのぐらいであって、具体的には公団ができますと、たいへん大きな公団だそうですから住宅だそうですから、小さい公園なども幾つかできるし、学校もできるし、病院もできる、そういうふうに伺ったのですが、その計画の中で、この遺跡のあります部分は、衣を建てる敷地になっているのかどうか、その辺ちょっと教えていただきたいのですけれども。
  18. 関盛吉雄

    参考人関盛吉雄君) ただいまお尋ねの点についてお答え申し上げます。御指摘になっておられます個所は、公団のほうでは、北小金の宅地造成事業をやっている区域の一部でございます。この全体の計画の規模は六十九万七千坪でございまして、この区域について区画整理事業を行なうというのが公団計画でございます。したがいまして、これより先、地元市当局並びに関係機関と、この計画について打ち合わせが行なわれまして、公団といたしましては、事業を行なうに必要な土地公団先買いをいたしまして、これから仕事をやろう、こういう段取りになっているわけでございます。もとよりこういう事業関係で、埋蔵文化財等が含まれている地域があるわけでございますから、そういう地域におきましては、公団のほうといたしましては、文部省文化財保護委員会十分計画実施についての事前の打ち合わせをいたしながら、すべて取り運んでいくと、こういうことでございます。したがって、この地域を選びます前にも協議をいたしまして、また、現実の工事段階になりますと、現場には、それぞれ私たちのほうも現場の支所を持っておりますし、また、市当局、それから市の教育委員会関係文化財の第一線の部隊でございますが、そういうところと打ち合わせをいたしまして、この発掘調査等についても、経費の大部分を御負担申し上げて今日まできた、こういうことでございまして、ただいま御指摘になりましたこの文化財の、埋蔵文化財といわれるこの地域関連面積が、ただいま局長からお答えのとおりでございまして、この調査をいたしました直接の遺跡関係面積が約一千坪、こういうことになっております。この該当地籍の今後の土地利用計画との関係でございますが、大部分民有地並びに公団取得地と、こういうことになっております。そして、配置計画上は、一部が学校用地に将来なるべきところ、それから市が管理する公園になるべきところ、それからまた、一部は民有宅地となるところ、こういうようなところに現在そのままの姿図を、将来の配置計画で申し上げますと、そういうことになっております。
  19. 千葉千代世

    千葉千代世君 そうしますと、いま遺跡包蔵されておった部分、先ほど約七千坪とおっしゃっておられましたね。そうすると、その七千坪は、これは民有地なんでしょうか、公団所有地になっているんでしょうか、それからそれには学校敷地幾らかかかっておりますか、どうですか。
  20. 関盛吉雄

    参考人関盛吉雄君) 七千坪余の区域の中には、一部公団用地を取得してしまっているところがございます。その一部の面積はどのぐらいか、いまちょっと資料を持っておりませんので、即答申し上げかねますが、民有地面積のほうが多いと思います。それから学校用地と申し上げましたのは、将来、区画整理卒業を行ないまして、換地が行なわれた結果の最終的な土地利用、それが学校であり、あるいは公園用地であり、あるいは一部が民有宅地になると、こういう意味で御理解をいただきたいと思います。それから七千坪余りというのは、これは遺跡に関連する面積でございまして、面接にその遺跡の、つまり包蔵面積といいますか、遺跡の存した調査対象になった面積が約千坪余りと、こういうことでございます。
  21. 千葉千代世

    千葉千代世君 この遺跡を何とかして保存したい、そういうわけで遺跡保存準備会というのが、地元にお住まいになっている方々でできているわけですね。で、十一月の二十九日の日に縄文祭りというのをやりまして、住民こぞってこれを保存したいと、そういう方々の集まりになったわけなんですが、ちょうどそこには画家方々がお住まいになっておって、その準備会代表岩崎巴人さんという方とか、あるいは原爆の画家丸木位里俊子夫妻とか、陶芸家の宮ノ原謙さんとか、そういう方、お医者さんであるとか、画家の方とか、学校先生とか、ほんとうにそこに住まっている人たちで何とか保存していきたいと、そういう準備会ができて、私そこへ調査に参りましたところ、大体、遺跡の面相が八千坪ぐらいだとおっしゃっていた。千坪ぐらいならどちらでもなんですけれども、かなり広い範囲だという。それで、さっきも発掘完了ということをおっしゃったんですけれども、前期の分も出かかっている、こういう中で今後発掘を続けていくということは、文化財保護委員会のほう、公団のほうでは全然考えていないわけですか。
  22. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 貝の花貝塚地区調査経過を若干申し上げますと、ただいま公団から御説明がありましたような経過で、公団で整地されることになりましたので、地元であります松戸市の教育委員会千葉県、文化財保護委員会等におきまして、公団も含めまして協議をしまして、これの発掘調査をやるということにいたしました。と申しますのは、現在、日本遺跡と考えられるものは、最近の調査によりますと、約十四万カ所ほどございます。この十四万ヵ所の遺跡を全部保存するというようなことは、常識的に考えて不可能に近いことであります。しかし、これがはっきりした対策もなくて、その時々の事情で破壊されるということでも、文化財保護法のたてまえからして思わしくないということで、十四万カ所の遺跡をまず聞き込み調査などで一応リストアップしまして、その中から、行政的に見て保存すべきもの、あるいは保存についていろいろくふうをこらすべきものをピックアップするという作業を現在進めておるわけでありまして、これには考古学者等の御協力を求めまして、重要遺跡緊急指定のための研究委員会をつくって鋭意やっております。したがいまして、根本的な対策は、そのような委員会研究の結果を待って文化財保護委員会として立てたいと思っておりますが、その間におきまして、全国的にいろいろ開発が進められておりますので、根本的な研究調査研究調査といたしまして進めると同時に、個々具体的なケースにつきましても、それぞれそのつど対処していくという二段がまえの対策をとらざるを得ないわけであります。そこで、問題を貝塚の問題に限定して若干御説明申し上げますと、現在、遺跡のうちで貝塚と称するものは、これは貝塚に関する研究調査の結果によりますと、全国で約二千二百カ所余ございます。そのうちで、現在指定になっておるものは十八カ所でありまして、大部分はまだ未指定状態になっておるわけであります。で、二千二百カ所余りの中で関東地方に大部分が集中しておりまして、特にこの貝の花が所在しております千葉県は、貝塚が集中的に所在する地域になっておりまして、下葉県だけで約四百カ所、日本全体の二割程度のものがこの地域に所在しておるわけであります。そこで、貝塚の問題を処理する場合に、考え方として、大別しますと二つの考え方があるわけでありまして、一つ保存すべきものとして保存するという方向で処理する行き方であります。それからもう一つの行き方は、これは貝塚は二千二百カ所もあって、なかなか全容を調査したというケースはまあ少ないわけでありまして、また、学問的にも貝塚中心とした日本古代遺跡解明ということは必ずしも十分でないわけであります。そこで、あるものについてはこれを全面的に発掘調査して、学問的な解明を行なって、学術研究資料を得るという目的に資することも、はなはだ意義があるのではないかという考え方があるわけであります。で、保存方向で処理するか、発掘調査方向で処理するか、いかなる基準でやるかにつきましては、一つはやはり考古学その他学問的な見地から、ある時期を代表するかけがえのない代表的な遺跡であって、くふうをすれば保存できるものは保存方向でやるのが妥当であろうと考えられております。それから、必ずしもある時代代表するかけがえのない代表的遺跡とはいえない、言いかえれば、日本国中にはかにその同期類似の遺跡もある、それから保存することが開発その他、他の公益との関係等で非常に困難であるというようなものについては、これは全面的な発掘調査をすることが、一面において学問的にきわめて貴重なことであること等を考え合わせまして、これは全面発掘調査をやって資料を収集し、記録を残し、その後の調査研究目的に資するという方向でやることが、むしろ行政のバランスからいえば意味があることではないか、こういう考え方があり得るわけであります。  そこで、この問題を貝の花に戻しますと、ただいままで御説明申し上げたような経過公団開発ということが進行しておる、一方、学問的に比較検討いたしますと、責の花は、当時、必ずしも類例のない、かけがえのないものであるとは考えられておりませんので、八幡教育大難教授中心とする方々の御意見も伺って、これはひとつ全面発掘調査に踏み切ってやる一つケースとすることが妥当であろうという関係者結論に到達いたしまして、御説明申し上げたような経緯で、松戸教育委員会千葉県、それから文化財保護委員会並びに日本住宅公団協議によりまして、経費住宅公団に御負担いただいて発掘調査をやったわけでありまして、発掘調査成果につきましては、今後まだ解明すべき点が残っておりますが、遺跡を掘るという作業そのものは、調査団の見解では、これでほぼ完全に近く目的を達成し得たと考えております。したがいまして、結論的には、現段階では文化財保護委員会並びに地元教育委員会側におきましては、さらに調査を継続するということは考えておらないという次第でございます。
  23. 千葉千代世

    千葉千代世君 そこでお尋ねいたしますけれども、まだ調査の結果の報告書が出ていないと、そうすれば、ここが重要だから保存しなくてはならないとか、あるいは発掘したものだけを保存しておくとか、こういう結論はまだ出ていないわけですね。その辺どうですか。
  24. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 保存をするという結論はもちろんまだ出ておりません。
  25. 千葉千代世

    千葉千代世君 しないということも出ていないわけですね。
  26. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) まあしないということも形式的には出ておりませんが、裏返せば、調査をやるという具体的な計画はないと申し上げたほうがよかろうかと思います。
  27. 千葉千代世

    千葉千代世君 私が心配しておりますのは、だんだん時期が延びておりますうちに、住宅公団のほうの計画が進んで、それが全部こわされてしまうというと、これはそのもとをどうすることもできなくなってしまう。さっき学問的とか学術的とかのために残す云々と言われましたが、これは人間が長く生きてきたしるしがそこにあるわけでして、しかも掘り出されるときに地元方々写真を、ここに一つ一つを全部写真をとってございますけれども、寝たそのままの姿が出ているというのはなかなかないんだそうでございます。あそこは珍しく横になって、手もこういうかっこうのままになって出ておる。しかも住居地あとも非常にくっきりと出ている。しかも掘っていけばまだ前期のものも出かかっているということも聞いている。そこをそのままにしてどんどん計画を進めていったら、これはたいへんなことになるのじゃないかと思ってきょう緊急質問したわけですが、住宅公団にお伺いいたしますけれども、先ほど文化財保護委員会とそれから地元教育委員会と連絡をとってやっておったという、それについてのいろいろの取りきめがされておったというのですが、はっきり言えば、この文化財埋蔵包蔵といいますか、遺跡包蔵している部分発掘について、何か文化財保護委員会住宅公団の間で基本的な考え方といいますか、ルールといいますか、話し合われたように伺っていますが、これはいつごろどんな内容ですか、ごく簡単でけっこうです。時間があまりございませんので、簡単に聞かしていただきたいと思います。
  28. 関盛吉雄

    参考人関盛吉雄君) この地域につきましては、開発保存の問題がいまの問題でございまして、公団といたしましては文化財保護委員会なり、また県の文化財当局並びに市の当局公団開発計画そのものについての内容保存との関係について、昭和四十年の六月でございますか、全体の取りきめをいたしまして、それより以前に、地元の市が県と共同で、このいわゆる記録保存しようという方向で進んでおられたことに対して、それだけでは十分な力が出ないということで、公団のほうとしても経費を持ちまして、先ほど文化財当局から御説明がありましたように、専門塚方々に御委嘱申し上げまして発掘調査をして記録保存しようと、こういう方向で今日まできておるわけでございます。全般的なルールといたしましては、公団がこういう開発事業を進めます場合には、その区域がどうしてもこれは原形をそのままの状態で公の力によって保存をしておくべきであるという場合におきましては、公団といたしましては、それを開発区域の中に入れるのはまずいわけでございますから、区域除外措置をとらなければなりません。これが一番きつい方法でございます。今回は区域除外措置はとっておらない。それからもう一つ方法といたしましては、かりにその区域を、その地区でその開発事業の中の区域に入れるといたしましても、たとえば、それが将来の大きな自然公園的なものがその区域の中にできるとすれば、その自然公園の一部として存置するのが適当かどうかということで、その地域計画が成り立つならば、いわゆる土地保存的な意味計画になるかどうかというのが第二の検討事項だと思います。今回の場合は公園計画はこの七十万坪ばかりの区域の中にございますけれども、いずれもその地域性比のための運動公園なり、あるいは近隣の人たちの子供の公園とかそういうものが主でございますので、調査をいたしまして、そうしてその記録を十分後々のために役立つように保存しよう、こういう方向発掘調査というものが行なわれ、それに伴う、したがって、公団といたしましてはその事業実施に伴う一部の経費として資金を持った、こういうのが経過でございます。
  29. 千葉千代世

    千葉千代世君 その発掘に際して、松戸市、それから公団その他でお金を出すということについて、具体的に全部で幾らであって、それで内訳は大体どこが幾らお出しになっているのですか。
  30. 関盛吉雄

    参考人関盛吉雄君) 全体の所要経費委託費は二百三十万円でございまして——ちょっと訂正いたします。全体の経費は二百三十万円でございます。そのうちに公団が委託いたしました経費が首七十万、残りの分が県と市の負担にかかる経費でございます。
  31. 千葉千代世

    千葉千代世君 この計画の中でいろいろなやり方について伺ったのですが、この文化財保護委員会に貝の花遺跡発掘した方々報告書が出ている、これを保存してということになると、これはさっきの取りきめの話から、国のお金の分担もございましょうけれども、これは住宅公団としても御協力をいただけるわけですね。
  32. 関盛吉雄

    参考人関盛吉雄君) この住宅公団経費は、今後については別にその対象となるべきものはないというふうに考えております。要するに、ただいま申し上げましたように発掘調査をいたしまして、そうしてその記録によって得た成果を、これを後々にとどめるということに必要な経費といたしていままでの経費が相談されたわけでございますので、今後の経費につきましては、当然要求もございませんし、またそういう必要はないものと公団側としては考えております。
  33. 千葉千代世

    千葉千代世君 そうしますと、公団側としては、それを計画の中でどんどん実施していくという、こういう結論になっているわけですか。
  34. 関盛吉雄

    参考人関盛吉雄君) ただいまお話のように、公団といたしましては今後手続を進めまして区画整理事業による工事計画というものの段取りによって進めていきたい、こういうふうに考えております。ただ、ここで地元松戸市長からごく最近でございますが、公団に御依頼がございまして、その御依頼の要旨を申し上げますと、原状保存ということは困難であるけれども、地元方々の強い、要望がありますから、現在地に記念碑を建立いたしたい。ですから何とぞひとつその気持ちを了とされまして御配慮願いたい。こういう意味の市長からの依頼が出ております。したがって、こういう方向については何らかの御意見に沿うように検討してまいりたいと思います。
  35. 千葉千代世

    千葉千代世君 それは松戸の市長さんの個人見解というわけではないのですが、何とかそれくらいでもってとどめておきたいとおっしゃておるのかもしれないけれども、地元方々、たとえば準備委員会方々、その他の方々は、結果が出て、そして保存すべきだと、その間に取りこわされてしまえば何にもならない。ですから、むしろ現時点を非常に重要視しているわけなんです。それで、現に人体の発掘されたところをそのまま絵におかきになった方々が、縄文祭りにはその人骨を三十四体ですか、全部かいて飾って、そして霊を慰めながら、四千年、五千年の昔の方々の生きたあとをしのびながら、今後これをほんとうに残しておきたいという気持ちも祈りに似た気持ちなんです。そのときに一人の方がこういうふうに響いております。これを見てたいへん崇高な気持ちに打たれた、敬虔なおそれを感じるくらいであった。われわれの祖先というものがこうして生き続けて何年も絶えず文化のともしびを続けたそのもとがここにあった、こういうわけでたいへんりっぱなものだ、歴史的にも教育的にも人類の文化史上重要なものである。みんなが認め、みんなが言いながら、とうとうこわされてしまったというのでは、今度はわれわれがあとから続く者に対しても、せっかくの文化を守り得なかったということでたいへん申しわけないことだ、ただ腕をこまねいて終わってはいけないと、こういうわけで、何も頼まれたわけでもないし、みんな手弁当でもって集まり合って、ベニヤ板を買って、そして絵をかいて遺跡を守りたいという一心で過ごされた方々であった。たいへん心配して、私想像しますと、ほんとうは国会に早く持ってこなければならなかったのじゃないかと思いますが、私が聞いたのはたいへんおそかったのですけれども、そういうようなわけで、国をあげて文化財をたいへん大事にするということの意義をここで立証したい、こうおっしゃっているわけです。ですから、こわされてしまって記念碑一つ建てたというのと、こわされないままであるというものは日本幾つもないのじゃないかと、私こう考えております。で、ずっと私も関係いたしましたので、方々遺跡あとを調べてみたわけです。ですけれども、そのまま、原形のままで残っているところは幾つもないわけです。そういう意味で私は非常に貴重だと思うのです。もっと、私が意地悪く言えば、これを発掘して学者が研究して、そして大事にして残しておくということならば学問的には非常に満足したということになるかもしれませんけれども、その学問というものは、やはりほんとうの姿のままでそこに保存されているということと、それからそれを取ってしまって一つの部屋に入れてしまうということと、たいへんな意義の違いがあると思うのです。そういう意味で、私はこれを一ぺん調査をしていただきたいということ、調査というのは文化財保護委員会のほうとして、八幡先生ですか、その方に御依頼なさって発掘作業を続けた。地元方々に聞いてみると、それはたいへん御熱心になさったそうです。それで学生たちも手伝いをしたり、御寄付をいただいたお金もたいへん少ないので、手弁当を持ってきたりしてずいぶんな御苦労をなさって、それはほんとうに涙の出るほど一生懸命に八幡先生はじめなさったそうです。ですけれども、お金が続かない問題もありますし、そういうふうに一生懸命なさったのですが、学問的にもほんとうに誠心誠意保存ということについてもお考えいただいておると思いますけれども、一歩進めて、今度は文教委員会の立場としてなり、あるいは何といいますか、文化財保護委員会方々と御一緒にでもいいんですけれども、一ぺん視察の機会をいただきたいことと、公団のほうとしては計画で進めておるとおっしゃったんですけれども、そうすると、この七千坪なり八千坪なりの場所が第何次計画になっておるのか、大体いつごろこれを着手する予定になっておられるのか。しかも、それが延ばしていただけるかどうかということ、そういう点は現時点ではいかがでございますか。これは調査の問題から本委員会の問題になるわけでございますから、これは後ほど皆さんの御協力をいただかなければならないことですけれども、公団のほうの時期でございます。
  36. 関盛吉雄

    参考人関盛吉雄君) ただいまのお尋ねの点でございますが、土地開発工事実施の時期につきましては、この全体の地形から見まして、切り土をいたしましたところから低いところに盛り土をしなければならない、そういうような工事計画になっております。いまのこの貝づかの存在いたします部分が切り土をすべき若干高いところになっておりますので、したがって、工事計画からの段取りから申しますと、現地の事務所の希望は、なるべく早い時期に工事計画を進めたいものだ、こういう現地が熱心な希望を持っておるところでございます。この宅地開発事業というのは、区画整理法によって進める事業でございますので、若干まだ手続が要しますので、工事段取りといたしましては、お尋ねの点は先ほど申しましたように  一等最初に手をつけたい、こういうことでございますが、いますぐかかれというものでもございません。ただし四十年度中には手がかかるようにしなければならぬ、こういうふうに考えております。
  37. 千葉千代世

    千葉千代世君 いま伺いまして、きょうあすにすぐそこに手をつけるわけでもないというふうに伺ったわけです。その前に、当文教委員会の皆さんによく御協議をいただいて、ひとつ調査に行くような御配意をいただきたいと思っております。まだいろいろ資料もたくさんちょうだいいたしまして伺いたいことも一ぱいございますが、時間の関係でまたこの次にさしていただきたいと思っております。どうぞひとつよろしくお願いいたします。
  38. 小林武

    ○小林武君 河北さんにお尋ねをいたしたいと思いますが、たいへん古いことをお尋ねするわけでありますけれども、昭和三十四年六月の「芸術新潮」の中にある記事についてお尋ねを申し上げるわけです。これには次のように書いているわけでありますが、こういうことをおっしゃったのは事実であるか。また事実であれば若干その内容についてお尋ねを申し上げます。この三十四年の六月の「芸術新潮」の記事、「海を渡った重要美術品」というところに、「先頃、アメリカを一巡してきた美術評論家の河北倫明氏が、各地の美術館をまわってみて吃驚したのは、その日本古美術のコレクションだったという。ボストン美術館やワシントンのフリア美術館なぞ、明治以来買い集めて既に著名なところは言うに及ばず、殆ど各地の美術館に日本古美術品が入っており、」、それで河北さんの御感想として、「「へえっ、これがここにありましたか。」といった調子で、いささかナサケナクなったそうである。」と書いてある。「向うの館員も日本の専門家をむかえてこれサービスとばかり「これが最近手にいれたものです。これは……」」と説明をいたしまして、もういいと叫びたくなったと、河北さんがそういうお気持ちになったと書いてあるわけです。そこで、その中で、河北さんの見られた中に、保元平治物語の屏風とか、光琳の大屏風とか、餓鬼草紙とかいうようなものがあったし、シカゴには埴輪や仏像のしかるべきものがあったし、ハワイにも浮世絵の膨大なコレクション、近世の屏風類に至っては、たいていの館がかなりのものを蔵しておる、日本の部という特別室をちゃんと設けているところもあったと、こう書いてあるわけです。それで、それらのものをごらんになった河北さんは、「「文化財保護法というものがあり、税関でも目を光らせているだろうに、ああいう大きな屏風など、どういう仕組みで持ち出したのだろう。」河北氏は疑問と同時に感嘆をも含めて、そう語っている」と、こう書いてあるわけでありますが、大体この記事の内容につきましては、これは事実に近いものですか。
  39. 河北倫明

    説明員(河北倫明君) いまの記事は、多少ジャーナリストらしい誇張があると思いますが、そういう美術品があったということ、それからそういうものを見たということ、内容は詳しくありませんけれども、大体事実に近いと思います。
  40. 小林武

    ○小林武君 そうすると、この中にありました美術品というのは、たとえば、その一例を先ほどあげましたが、そのほかにもたくさんあったということになりますと、それらの美術品というのは、大体、旧重美であるとか、あるいはいまの重要文化財であるとか、国宝とかいうようなもの、そういうものを含んでいたということになりますか。そういうものが多量にあったということになりますか。
  41. 河北倫明

    説明員(河北倫明君) そのとき見たものでそう  いうふうに指定されたと思われるものは、保元平治程度であると思います。あとは美術品としては見どころがあるが指定されているかどうかは疑わしいという種類のものが多かったと思います。
  42. 小林武

    ○小林武君 もう一つお尋ねいたしたいわけでありますが、これは河北さんが疑問と同時に感嘆を含めて語ったとあるところに、文化財保護法というものがありながら、しかも税関が目を光らしているのに、どうしてこれは来たものやらというふうな、これはそうお考えになったでしょうか。
  43. 河北倫明

    説明員(河北倫明君) たとえば、大きなりっぱな美術品が向こうのしかるべき美術館に出るのであれば、多少出る前にわれわれもどこかから聞くであろうという前提のもとに、そういうのを聞いたことがないと思われるものがあったために驚いたわけであります。
  44. 小林武

    ○小林武君 そうしますというと、これは文化財保護委員会の許可を得て出たものではないということになりますから、いわばやみのルートを通って行ったのではないかというようなお感じをお持ちになりましたか、これはどうでしょうか。そういうことになると、私はまあ非常に簡単に判断するわけです。専門家でいらっしゃる河北さんもあまりお聞きになっておらない、それが、たとえばその中の保元平治物語ですか、この屏風というようなものが出ておるというようなことになりますと、正当な道を通って海外に持ち出されたものではないというふうにわれわれが判断していかがなものでしょうか。
  45. 河北倫明

    説明員(河北倫明君) 正当な手続であるかどうかは私にはわかりませんで、ただ、帰ってきまして、こういうものはどうしたんだと友人などに聞きますと、よくわからないということでありました。
  46. 小林武

    ○小林武君 それから先ほどあげてあります中で餓鬼草紙というのですか。
  47. 河北倫明

    説明員(河北倫明君) それは私にはちょっと明晰な記憶が、いまちょっとありません。
  48. 小林武

    ○小林武君 それではお尋ねいたしますが、そこにあった、ないということは別といたしまして、これは現在はどうなんでしょうが。私が以前何か見たものの中には、この草紙は二つあって、一つは何か岡山県の曹源寺に一つある。それから河本本というか、河本象所蔵のものがあって、これは国宝であるということを聞いたことがあるのですけれども、これは私が記憶違いかもわかりませんし、この種のものはどういうものでしょうか、そういう重要美術とか重文とかいうようなものには入っておらない、国宝というものには入っておらないものでしょうか。
  49. 河北倫明

    説明員(河北倫明君) それは私のほうではちょっとはっきりわかりかねます。同じ名前のものがいろいろあると思いますから。
  50. 小林武

    ○小林武君 河北さんに対する御質問はこれで終わります。  そこで、文化財保護委員会にちょっとお尋ねをしておくわけでありますが、古美術の輸出というものについては、これは申請をして許可を得るということになると思うのでありますが、この手続というものはどういうことになっておりますか。
  51. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 国宝及び重要文化財は、文化財保護法によりまして輸出が原則的に禁止されております。ただし、文化財保護委員会が、「文化の国際的交流その他の事由により特に必要と認めて許可した場合は、この限りでない。」ということになっておりまして、このような趣旨によりまして輸出の申請があった場合、美術品の海外交流展その他有意義と認められる場合には許可をするという慣例になっております。したがって、現在、国宝、重要文化財で輸出を許可したものは、そのような文化交流的な、臨時的な出品だけでありまして、恒久的な移動を目的とするものにつきましては輸出を許可した事例がございません。  それからもう一つ下の段階に重要美術品がございます。これは旧重要美術品の保存に関する法律によりまして認定された物件でありまして、文化財保護法の附則によって、当分の間従前の扱いが継続されておるのでありますが、これにつきましても輸出は原則的に禁止されておりまして、例外的に許可がされるわけでありますが、重要美術品の輸出の許可申請がございますと、文化財保護委員会におきましては、その重要性を判断いたしまして、国内にとどめるべきであると判断したものは重要文化財指定をいたしまして、重要文化財としまして輸出を禁止いたします。それから重要文化財として指定する像どのことがないと判断した場合には、重要美術品の認定を解除いたしまして輸出の許可をいたします。現在まで、重要美術品で輸出の申告がありまして認定を取り消してきたケースは三件ほどございます。それから輸出の申請がありましたが、重要文化財指定することによりまして国内にとどめたものが七件ございます。それから次に、指定をしていない文化財があるわけでございますが、これらのものにつきましては、輸出をしようとする場合に、東京におきましては文化財保護委員会の事務局、それから関西地方は京都の国立博物節におきまして輸出の鑑査証明ということをやっております。これはつまり指定品でないという証明でございます。この証明をつけますと輸出ができるわけであります。この証明がございませんと、文化財と見られるものは税関におきまして通関を許可しない、こういう手続になっております。
  52. 小林武

    ○小林武君 ただいまのお話で、国宝か、重文、重美というものは非常に、これは法にありますから、厳重なひとつの扱いをするということはよくわかりました。それで、それ以外のものは許可される、これはいま一体何点ぐらいあるものか、昭和三十五年は三万点、昭和三十六年が三万六千点、三十七年が四万一千点となっているが、これは三十八、三十九、四十というようなところで何点くらいあるのか、それからいま私が言った数字は間違いないのか、その点はどうですか。
  53. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 申し上げます。最近三カ年間の実績を申し上げますと、輸出鑑査証明の交付件数でございますが、三十九年度が一万二千百四十件であります。三十八年度が一万六千十四件、それから三十七年度が九千三百五件ということになっております。つまり、これが税関を通じて正規に、指定品でない旨の証明をつけて、おそらくこれは許されたのだと思いますが、わが文化財保護委員会事務局及び京都博物館、両方合計いたしまして、輸出の鑑査証明を交付した件数でございます。
  54. 小林武

    ○小林武君 三十八年は私は数字を持っておらないのですが、三十七年のやつは四万件をこしておるが、いまの話だと九千件、そうすると、三万件くらいはやみで行なったということになりますかどうか。どうも急に減ったのですね。先ほど言ったように、三十五年が三万、三十六年三万六千、三十七年が四万一千とこうなっておるのだが、もちろんこの数字はあまりはっきりしませんが、あなたのほうの数字とはあまり違いがあるので、急にどうして減ったのか、どうもわからない。三十八年に二万六千、三十九年が一万二千、あまり違い過ぎるのでちょっと。
  55. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 三十六年以前の資料は手元に持ち合わせてございませんが、調べれば御報告できると思いますが、御指摘のような件数ではないと思います。
  56. 小林武

    ○小林武君 その点については、ひとつ調べてみて下さい。私もひとつこの点は出どころをはっきりして調べたいと思いますから。  そこでお尋ねをしたいのは、件数の問題でなくて、出してやったものについて、きょうは実はここへ来て御説明をいただきたいと思ったのですけれども、坂元正典さんですか、東京国立博物館の。いまは何か知りませんが、普及課長をやっていらっしゃる坂元さんのお話として、私たちがふだん目に触れているものから見ればまるでがらくたです。この許可されたものががらくたです。このがらくたというのはどういうことなのか。実は専門家でいらっしゃいますと思いますから、がらくたとはどういうことか。それは本人が何かちょうど御出張だそうで、どうにもしようがないのですけれども、あなたのほうでも出したものががらくたであるかどうかは別として、がらくたと申しておる。それからもう一つ、これよりも不正ルートで海を渡る品物がこわい——この表現はぼくが変えたところがありますからこのとおりではないと思います。——不正ルートで通ったもの、やみのルートで通ったもののほうがおそろしいと、これは河北さんははっきりおっしゃらなかったけれども、とにかくどこから行くかわからぬけれども、やみのルートを通っているということはお認めになったものだと私は思う。それから坂元さんの場合は、やみのルートのほうがおそろしいと、こう言う。これはもう公然たる事実であると思うのですね。これは認めないわけにいかない。これについてはどうですか。やみのルートを通っていくということは絶対にあり得ないとあなたはお考えになりますか、どうですか。
  57. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 第一点の坂元事務官の発言の問題でありますが、これは坂元君が新聞にそのような談話を発表したような事実はないようであります。現在、坂元君は東京国立博物館の普及課長をしております。職責上、言論界の方が博物館にはしょっ中出入りをしておるわけでありますから、おそらく雑談の中でそのような雰囲気の話がありまして、それがそのような記事になったのではないかと、かように想像いたしておるわけであります。がらくたというのは確かに品位を欠く表現でありますが、坂元君は東京国立博物館で、平素職責上、国宝、重要文化財級の美術品を常に見ておるわけでありますから、それに比べればはるかに見劣りがするということを若干適切を欠く表現を雑談的にしたのではないかと思います。それから第二点の、美術品の正当ならざる海外輸出の問題でありますが、先ほど来御説明いたしましたように、指定品につきましては現在ほとんど絶無であります。一、二、先ほど参考人の発言にもありましたように、ニューヨークのメトロポリタンに保元平治の屏風があるというような、まれな例外がありますが、まず絶無に近いような状態であります。それにいたしましても、一件でも二件でもあるということはきわめて遺憾なことでありまして、今後さらに指定文化財の管理につきましては慎重を期していきたいと思います。それ以外のかなり重要なものについて、若干海外に出ておるのはこれは事実のようでありまして、それらのものにつきまして、輸出の許可あるいは鑑査証明という制度があるわけでありますから、指定品であればチェックできるわけであります。指定品以外のものは、その流出したものが鑑査証明をして正規に出たものか、あるいは正当ならざるルートで出たものであるかにつきましては、文化財保護委員会としましては関係業者などについて聞き取り調査をする程度以上の権限はないわけでありまして、古物商として美術商の取り締まり権限まではないわけでありますので、若干調査に徹底を欠く事態があるのはこれは事実でありますけれども、ずっと以前は別として、最近におきましては正当ならざるルートでどんどん出ておるというような事態ではないように思っております。それにいたしましても、一件でもあってはならないわけでありますので、今後さらに慎重を期したいと考えております。
  58. 小林武

    ○小林武君 私は文化財保護委員長にも、まあいま質問しておるのではありませんけれども、お考えをいただきたいと思うのですけれども、決して皆さんに文句をつけていやがらせを言うなんていう気持ちは毛頭ないのです。やはり文化財の問題というのはなかなかたいへんなものだということは、たとえば日韓条約の中でもこれは相当な議論が出たことは皆さん知っておる。私は時間が打ち切られたからやらなかったけれども、これは日本と韓国との間でも相当議論がなされておるということは、向こうの文書を見ればそう書いてありますね。ですから、少なくとも日本の伝統の文化ということを日ごろ口ぐせのようにおっしゃっている方々が相当日本の国には多いわけでありますから、これは文化財に対してはわれわれは相当真剣な態度で取り組まなければならぬと思うのです。そういう角度からものを考えました場合、これは単なる責任の追及とか、その場の言いのがれという問題ではなくて、いまある事実をはっきりわれわれは見きわめて、締めるものは締める、それから文化行政上こうあるべきだという問題については、やはりはっきり方策を樹立していくということが必要だと思うのです。そういう角度からとにかくお話を申し上げているのでありますから、ひとつそういうつもりで御答弁をしていただきたいと思うのです。まあ最近においてあまりないといういまのおことばは私はいただけない。私が河北さんにおいでいただいたのは、本心を言うと、河北さんは近代美術館ですか、そこの次長さんとしてお呼びしていろいろ根掘り葉掘り聞こうという気持じゃなかったのです。これは美術評論家としての河北さんに来ていただいて、その河北さんの目を通して、外国に日本文化財が行っているということが言われておるわけだ。あまり自分の責任になったり、あとでいじめられるようなことのないような御答弁でけっこうだと思っているから、大体私はいまのようなことで、はあそうですかと聞いておる、これ以上のことは言わぬでもよろしいと。しかし、少なくとももう説明せぬでもいいといったくらいに、このごろのものがずいぶん多いということがこの中にやはり書いてある。そういうことを河北さんもおっしゃったということを書いてあるのです。相当多いと見なければならぬ。いま一々たくさん見られたように、たとえば浮世絵のあれなんか一つや二つじゃないはずだ。その中にどういうものがあるかということを、これはしさいに調べてみれば明らかだと思う。埴輪にしろ、その他の美術品にしろそうですよ。本来ならば、私は文化財保護委員会からしかるべき専門家が行って各地を回って、もっとこういうものがあるということをはっきりするくらいの態度をとるべきだと思う。どこの国には何があるということを国民の前で明らかにすべきことはしていただいたほうがいい。まさか取り返してくるというわけにいかぬだろうから、そういうことを言っているのじゃなくて、あるものはあるとして、日本の国に当然なければならぬもの、それがない。たとえば先ほど餓鬼草紙の話が出たが、私の読んだ本はきわめてちゃちなものかどうかしらんが、昭和七年ごろに出た「日本美術の知識」というものの中には餓鬼草紙というものは日本に二つあると書いてある。一つは曹源寺にあるし、片一方は河本家所蔵と書いてある。河本家本のほうがけっこうだし、国宝と書いてある。私は知識がないから、それを読んでなるほどなあと思ったくらいであって、国宝だといってがんばるあれはございません。それが二つのものがあったらどうなるか。模写ならば問題にならぬと思う。にせものならば問題にならぬと思う。そういうものがあると言われていることはほんものだと見ておる。そうしたらかなりいわれの正しいものだと見ておる。そういうことを考えますと、事務局長も、そういうことはないはずですというふうなことをおっしゃらないで、もっとあるかもしれないという立場に立って、あなたもひとつアメリカでもどこでも行ってみて、文化財行政をやるからには、ひとつかけめぐってきて、これこれこうだというくらいのあれを出さなければならぬと思う。文部省もそれくらいの予算を出さなければいかぬと思う。ほんとうは。だからそういうあれで聞いておりますから、ひとつお答えのときも、あまりかけ離れたことを言ってもらいたくない。それから坂元さんの談話なんかでも、まあ雑談で言ったんだろうと、これはいかぬですわ。自然科学者であっても、それから美術の専門家であっても、新聞記者が来たから雑談のときにはいいかげんのことを言ってもいいと、そんなばかなことはないでしょう。この間あなたのほうの役所の方は、談話と普通の話したことは違うということを言っておるけれども、これくらいにばかげたことはない。談話というのは役所のしきたりとして、これこれこうです。普通の話をするときはこうですと、普通に話しておるときにはうそばかり言っておるということになる。文部省の役人だからといってそんなばかなことはないですよ。われわれが言う場合には、うちであぐらをかいて言おうが、あれであろうが、新聞に出たらそんなばかなことはない。私はがらくたと言ったことを上品だとか下品だとか言っているのではない。ただ、私が心配なのは、がらくたといって片づけられるものかどうか。あなたのほうでは三万とか四万とか言っている。数あればその中にはやはり相当のものがあるんじゃないか。指定されているとかされていないという問題だけで一体判定できないんじゃないか。先ほど河北さんがおっしゃったけれども、指定されなくても美術品としてしかるべきものがあるというようなことをおっしゃった。そういうものだってあるんじゃないかということを心配するから私は言ったんです。そういう角度でお話ししておる。そこで、あなたにもう一つ質問したいんですけれども、その許可を与えるときには、その許可を与えるのに、直接品物を見てこうだこうだというのはだれがやるんですか。
  59. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 輸出鑑査証明の件だと思いますが、これは申請書を東京ですと文化財保護委員会事務局の美術工芸課に提出いたします。関西地方でありますと京都国立博物館の学芸課に提出いたしまして、担当の技官が見まして、まず指定品であるかどうかをチェックいたします。指定品であれば問題なく不許可でありますが、指定品以外の場合、指定品以外でも重要なものがあり得るわけでありますので、これを問題があると考えられるものは関係者協議をいたしまして、特にチッェクをするという必要が起こった場合には、最終的には重要文化財指定の手続きに従いまして、専門審議会、委員会と上げまして指定をしてとどめる。しからざるものは鑑査証明を出す。こういう手続きになるわけであります。現在まで、その未指定品で輸出の申請を契機といたしましてチェックをして重要文化財指定して国内にとどめたものが二件ございます。昨年問題になりました天草四郎時貞関係資料、それからこれは本年の問題でありますが、仁清作の香炉などがそれに該当いたしております。
  60. 小林武

    ○小林武君 いまのお話は書類審査ということでしょうが、それとも現物を見てということでしょうか、どういうことでしょうか。
  61. 松下隆章

    説明員(松下隆章君) お答えいたします。輸出鑑査証明の場合には、原則といたしましてキャビネ版の写真をつけてまいります。まずその厚真によって判定をいたしまして、そうして認定品であるかないかを判定いたします。しかも、それが認定品ではないが、しかしかなり重要なものであるという場合には、現物を持ってこさせまして、現物を見まして、その上で判定を下します。未指定品の場合でも、大体、美術工芸品ならば美術工芸課の技官が判断いたしますが、それでもなお心配の場合には専門の方の意見を聞きまして判定いたしております。
  62. 小林武

    ○小林武君 大体、写真で見当つきますか、しろうとの質問ですけれども。
  63. 松下隆章

    説明員(松下隆章君) 写真で判定がつきます。先日も、一例でありますが、写真で美術指定品ということで出てまいりましたのを調べまして、重要美術であるということを発見いたしました例も二、三ございます。
  64. 小林武

    ○小林武君 やみでやっぱりよそへ出るということは、大体お認めになったと私は思っているんでありますが、これは文化財保護委員会が悪いとかいいとかの問題じゃなくて、どこをどうやっているかわからない。何か見たちょっと記憶によると、外交官の何かトランクの中に入ると全然だめだという話なんでありますが、私も何か外交官と旅で一緒になったことがありますが、なるほどあれは便利です。とにかく外交官のトランクだけは絶対にあかない。われわれは下着まであらためられたけれども。あの連中はなるほどそういうこともあったかと思ったんですけれども、そういうことは別として、やみでいくという方法はあるのではないかと、これははっきり言ってよろしい。そこで、私はとにかくこのことはどういうことになるのかお尋ねをしたいと思うのです。北魏金銅仏、ただいま出ました保元平治の屏風、長谷川等伯の烏鷺屏風、こういうものは——金鋼仏に関しては、一度出て行って戻ってきたという事実があるかないか。それから保元平治が向こうにあるという、長谷川等伯のやつは出て行ったか、なくなったか、どこへ行ったかもわからぬ。こういう事実はお認めになりますか。
  65. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) ただいまの北魏金銅仏は長尾美術館の旧蔵した銅像如来仏像でありますが、これは昭和二十九年ごろから美術鑑定人の間を転売されておったようでありますが、三十二年ごろアメリカに持ち出されたようでありまして、それがワシントンのフリアー美術館というのがございますが、これに昭和三十三年ごろに売り込みの話がありまして、そこでフリアーから連絡がありまして、アメリカに出ておったということが判明したわけでありまして、これは折衝の結果日本へ戻ってまいりまして、現在は日本へ戻っておりますが、所有権につきまして若干論争がありますが、所在につきましては返ってきております。それから長谷川等値の暖風につきましては、これは御指摘のように現在所在が不明でありまして、アメリカに渡っておるという説もありますが、確認されておりません。
  66. 小林武

    ○小林武君 そのアメリカに渡ったらしいというふうな何かお話ですけれども、あるいはそんなあいまいなものじゃなくて、あれでないですか、これは事実と違いますか。アメリカのボストン美術館東洋班の富田率次郎氏から日本文化財保護委員会に問い合わせがあったと、これは事実と違いますか。
  67. 松下隆章

    説明員(松下隆章君) それは事実ではございません。
  68. 小林武

    ○小林武君 問い合わせがあったのと違う。
  69. 松下隆章

    説明員(松下隆章君) はい。そしてそれをはっきりアメリカで確認したという人がいないわけであります。これははっきりしないでいるわけでございます。
  70. 小林武

    ○小林武君 はっきりしないというのはあれですか。この富田幸次郎氏が、ワシントンのフリアー美術館にたいへんりっぱな北魏の金銅仏が展示されていたと、こういう事実がなかったと断定されますか、あなたのほうで。
  71. 松下隆章

    説明員(松下隆章君) 私はいまの富田さんのお話は長谷川等伯の屏風のことだと思っていたのでございます。その北魏の金銅仏のほうは、そういう富田さんから問い合わせが持ち出されない。
  72. 小林武

    ○小林武君 それでは、その先ほどの北魏の金銅仏はあれですか、どこから返ってきたかわけがわからぬけれども、何かどこかへ行ったらしいのが日本へ戻ってきたと、こういうことですか。
  73. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 先ほどお答え申し上げましたが、名前をあげないで申し上げましたので少し詳細に申し上げます。その北魏金銅仏が行くえ不明になり、返ってきた事情を経過的に申し上げますと、これは先ほど申し上げましたように長尾美術館にあったものでありますが、昭和二十九年八月ごろに長尾美術館から三浦という美術商に売却され、さらに三十一年の暮に同人から同じく美術商の丸山二郎というものに売却され、丸山から昭和三十二年二月にアメリカ人のウィリアム・ガスキンという人に売られた、そこまでは関係者を呼んで事情を聴取したところでわかっております。関係者はいずれも重要美術品と知らないで売買したと称しておるそうであります。そこでガスキンの手に入って、三十二年の六月に同人がアメリカに帰ったそうでありますが、どういうことで帰ったかはよくわかっておりませんが、その後、三十三年にワシントンのフリアー美術館にパカードと称するアメリカ人から売り込みの申し入れがあったそうでございます。したがって、ガスキンからどういう経路かよくわかりませんが、フリアーに売り盗みの申し込みをした時点においては、パカードの手に移っておったということになるわけであります。そこで、フリアーに申し込んだ時点で、大体アメリカに渡っているということが判明いたしまして、パカードというアメリカ人は日本とアメリカの間をしょっちゅう往来しているたいへん美術を愛好する人間だそうでありますが、日本にもしょっちゅう来ますので、パカードに当委員会において事情を聴取したところが、同人も重要美術品と知らないでそういう売買のあっせんをしておったので、それじゃ契約を取り消して日本に戻そうという意向を示したので、当事務局においてフリアー美術館に折衝いたしまして、昭和三十四年に返還され、日本に戻ってきておる、こういうことであります。以上が大体の北魏金銅仏がアメリカに渡り、さらに返ってきた経過というわけであります。
  74. 小林武

    ○小林武君 そのパカードのお話が出ましたから、そろそろパカードのほうに入りますが、パカードというのはあなたはどういう人間か御存じないですか。御存じないかどうか、私はちょっとふしぎなんですよ。私は実は先ほどの質問のときに、たいへん古いことを申し上げて申しわけないと、こう言ったのは、昭和三十四年の「芸術新潮」を見てそれを聞くのですから、そう言った。ことしの十二月の「芸術新潮」をちょっと見ると、パカードはこの中に文人画か何かについて書いている。それから私が何かそういう質問をやりそうだということで書いたわけじゃないだろうけれども、同じ十二月の「芸術新潮」の中に私の名前もちょっと出ているが、パカードは、私がとにかくいろいろな方から話を聞いたり、物を見たりするというと、美術品に関しては大専門家です。日本の美術家が手玉にとられるというとにかく専門家が、その人が北魏の金銅仏が何であるかわからぬでやったなんていうようなことは、これはあなたたちがそういうことを信じているとしたら、あなたたちが疑われますよ。パカードという人間がいいとか悪いとかぼくは言っているのじゃないのです。パカードという人間は名の売れた人です。相当美術界では。浮世絵のコレクションも相当いいものを持っている、これからだんだん出しますけれども。それから、あなたの話なんか聞いているというと、一体、文化財保護委員会というのは、もし私の聞いていることとか何とかからあれしてみるというと、全くうそですね。たとえば、西森文化財保護委員会の庶務課長というのは、これはいまは何をしているのか知りませんけれども、そういう方もいたでしょう。岡田事務局長というのだから、いまの事務局長ではなくて、これは昭和三十四年のときの事務局長でしょう。そういう方の話も皆出ているのです。きょうはそういう人を呼んでやるのは時間がかかるからやめたわけですし、そういうことが目的ではありませんから、何もここでわあわあ言うことはないから。先ほども申し上げましたように、こういう問題についてははっきりさせておいて、やはり文化財行政というものはもっと全体の責任でもう少ししんを通さなきゃいかぬと、こう思ったから言っているのですからね。あなたのあれだというと、パカートなんていうのはしろうとみたいなことを言っている。これはどうもおかしい。そういうことを信じていらっしゃるのですか。もっともあなたは最近なられたのだから、それはどういうふうに言われているかよくわからぬけれども、それは同情しますけれども、ちょっとおかしいですよ。それからたとえばパカートの領収書、預かり証がありますね。これもにせものではないはずです、署名入りですから。もっとも写真だけれども、文化財さえ写真でやるのですから、預かり証ぐらい写真でやったって何でもない。その中にちゃんと入っていますよ。これはめがねをかけてもよくわからぬ。虫めがねを持ってこなければならぬ。安のほうに書いてある。長谷川等伯重美価格二百万円、保元平治重美二百万円、金銅仏旧長尾美術館蔵八百万円、雲谷等顔の墨絵、これが百万円、計一千三百万円、ここにハリー・パカードと署名してある。未払い分の質として下記美術品を受領した。これはあなたの先ほどおっしゃる三浦氏に出したものです。わからぬというのはおかしい。それがうそだというなら別だけれども、あなた、そういうことを調べて、その預かり証というのはインチキだと、こういうことをおっしゃるならこれは別ですよ。それは私はあなたたちが証明してくれれば安心してなるほどと聞きますよ。いいかげんなことを、どうも私が信用できないようなことを答弁されても困る。いまは事務局長さんが、あなた、最大の責任者だ。だからパカードがわからぬでやったらしいなんていうことを——ほんとうにパカードが言ったのかどうか。パカードはいま日本にいるのでしょう。それも知っているのでしょう。どういう学問をした人かも知っているでしょう。日本でどこの大学に入って一体美術史なり何なりを研究したということも御存じでしょう。そういうふうにあなたはあれですか、パカードというのは北魏の金銅仏の見分けもつかぬような人間だと判断をいまでもされておりますか。
  75. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 私はパカードの申し立てを信用しているわけではございません。ですから知らないと称しておると申し上げたのでありまして、称しておるのをもちろん信用しておらないのであります。それからパカードがいかなる人物であるかはいろいろ聞き及んでおりますが、私はもちろん面識はございません。それからただいま御指摘の、一時、日本にあるうちに北魏金銅仏をパカードが、おそらく借金のカタかと思いますが、三浦から預かったというのも事実のようでありますが、私はそういう預かったというようなことは若干中間省略いたしまして、所有関係の移転の筋道だけを申し上げたわけでありまして、日本に所在するうちにパカードが一時預かった事実を否定したり秘匿したりするつもりはなかったわけでございます。
  76. 小林武

    ○小林武君 これではっきりしました。あなたはそうすると、さっきのやっとだいぶ違ってくる。パカードは日本で三浦からそれを質としてとっている、これは浮世絵を買った残金の質としてとっている。そうするなら、これは預かったものはパカードのものですよ。あなたはウィリアム・ガスキンとか何とかを出したけれども、これは私は中間でどういう役目を果たしたかどうか知りませんけれども、この北魏の金銅仏に関しては主役はパカードだ。そのパカードが、ワシントンのフリアー美術館ですか、そこへ持って行ってそれを売り込みにかかったでしょう。そうしたら、先ほど来言っているように、パカードというのは美術家としてはもう日本の美術専門家がほんろうされるくらいのとにかく相当のりっぱな技術を持った方だ。その人がわからずに売るということはないわけだから、とにかくパカードは金銅仏を持って行って売り込んだということだけは事実でしょう。これは認められますか。大体それはそういう筋だということになりませんか、どうですか。
  77. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) パカードがフリアーに売り込んだのは事実だと思いますが、持ち出したのはパカードかどうかは確認できないわけでありまして、文化財保護委員会で業者を呼んで聞いた限りにおいては、先ほども申し上げたような経過で国外に流出したのではないかということを突きとめた程度にとどまったわけでありまして、文化財保護委員会は捜査権もないわけでありますので、業者を呼んで説明を求める、それでその説明が私どもとして必ずしも信用できないなという気持ちがいたしましても、それ以上突っ込んだ捜査まではできないわけでありまして、しかし、それを信用してそれが事実であるということを申し上げるのははばかられますので、関係者はこう称しておったと、かように御説明申し上げた次第でございます。
  78. 小林武

    ○小林武君 あなたたちの限界ということもある程度ひとつ了解していきましょう。あとでまた言っていざこざを起こされても困るし、パカードという人は告訴するのが得意らしい。ここにも一つある。あなたのほうでまた名誉毀損なんということをやられると困るから——名誉毀損でやられた人のあれが出ていますよ。書類を持ってきていますから、あとでまた読みましょう。そういう人ですから、ある程度のあなたのほうの限界はわかります。しかしあなた、この筋道だけは知っていないといけませんよ。あなたは先ほど預かり証をとったということは認めたでしょう。そうすると、パカードはそのものの所有について権利があるわけですよ。それならば、それがアメリカに渡ったら一体だれが渡したということになるか。所有者がやるのか、たとえば所有者にたのまれて持って行ったやつがやるのか、それは文化財保護委員会の見方はその二つを考えられるでしょう。持って行ったやつも、それはそういう持ち出したというあれになるでしょうけれども、所有者が持って行った、しかも所有者は行った先でもってこれを売り込もうということになれば、これはどう考えたって、どうですか、当然パカードはその間において持って行って売った人だということになりませんか。しかし、あなたがおっしゃるように、警察官じゃありませんからということになれば、これはそういう言いのがれはできますよ。しかし、いまのような筋道からいったら、どうですか、パカードが怪しいということになりませんか。怪しいけれどもどうもきめ手がございませんと、このくらいな答弁をそれじゃしなさいよ。
  79. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 推定でかなり重大な結果を及ぼすことを申し上げるのは差し控えたいと思います。
  80. 小林武

    ○小林武君 そういうことを言っているからだめなんですよ。日本の一体重要な文化財を持って行ってかってに売りさばくような人間を、推定もくそもありますか。何で一体あなたのほうで罰則を適用してしかるべき処置をとらぬのですか。そういうことをやっているからなめられるんですよ。どうしてできないんですか、そういうこと。もう一つ出しますが、もう一つパカードは京都九品手の仏像二体について関係があるということはどうですか。その前に京都九品寺の仏像の問題を御存じですか。
  81. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 存じております。
  82. 小林武

    ○小林武君 それとパカードの関係はどうです。
  83. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 京都の府内郡園部町に九品寺というお寺がございまして、そこに本尊、それから脇侍二体、計三体の宝物があるわけでありますが、その事件の経過を申し上げますと、昭和三十七年に京都の教育委員会を経由いたしまして九品寺の仏像の指定申請が文化財保護委員会に提出されたわけであります。申請がありましたので、三十八年、当委員会の技官を派遣して調査させました。ところがそのころ九品寺の住職からも直接その指定の申請書が届けられて、何かこうすっきりしない感じがあったわけでありますが、その後調査いたしますと、その九品寺の仏像の中で、脇侍の十一面観音とそれから不動明王はすでに三十七年に住職の手によって売られておりまして寺にはなかったのであります。指定を申請して文化財保護委員会の技官が調査に参りましたので、売却先から一時借りて実地調査に応じたというような事実があったことがまあ判明したわけであります。これは住職の何と申しますか、背任といいますか、横領といいますか、そういう刑事事件を形成いたしますので、これは警察の手によって捜査されまして、仏像は発見されまして、九品寺の住職がそういう状態でありますので、本山である仁和寺に保管されるように相なりました。で、その後三十九年に重要文化財指定されたわけでありますが、十面の観音と、それから不動明王像は九品手の手を離れて他に転売されておりまして、三十九年に至りまして東京三田の田島という人のうちにあるということがわかりまして、園部署員が捜査いたしまして押収いたした。ところが捜査しておるうちに所有権が米人のパカードにあるということがまあ判明しまして、仏像二体は警察署の立ち会いの上でアメリカ人のパカードに返されたという経過がございます。しかし売買それ自体が住職の皆任行為によるものでありますので、その後住職がかわって、現在の住職から不当売買の申し立てがなされまして、仮処分に付せられまして、三十九年以降は京都市の仁和寺の宝物館に保管されて今日に及んでおる、こういう事件でありまして、この九品寺の仏像の不法売買にパカードが関係しておるというのが事実でございます。
  84. 小林武

    ○小林武君 それでまあたいへん明らかになりました。まあ、あなたが関係してないと言ったらもう少し言おうと思いましたが、これは少なくとも京都府警、府の警察署が大体確認したとわれわれ聞いているんです。だからあなたが認めるのは当然だと思う。そうすると北魏の金銅仏、等伯の屏風、そういうものもみんなこれはパカードが関係したということはいえるんじゃないですか、このことはどうなんですか。一体、文化財保護委員会としてはそれに対して、一体何らパカードに対してはあれですか、何もできないんですか、そういうことをやる人に対して。私はね、きょう実は「芸術新潮」の十二月号を見てびっくりしたんです、ちょっと。あなた北魏の金銅仏の判別もつかぬような人間じゃないかというような意味のことをおっしゃったけれども、相当高く評価されている。「「日本の文人画展」私観、ハリー・パカード」という署名入りでね。これはまあ私は芸術新潮もこれだけのあれをパカードに書かして、そのほかにも何かパカードはかなり日本で仕事をしている、いわゆる専門家です。私は専門家であるから問題にしなきゃいかぬと思うんですよ。もっともこの人は、日本は島国根性で文化財をよそに出すことをいやがってるのはけしからぬというようなことも言っている。まあ文化の非常に、何といいますか、歴史の浅いアメリカ人らしい言い方だと思う。どことどう比較したか知らぬけれども、日本はほかの国にないような島国根性を持ってがっちり押えていると言っている、私はそうは思わぬのですけれどもね。そういうたてまえに立っているのかどうか知らぬけれども、少なくとも合法的にやるのなら別だ。合法的でないやり方でもって専門家で相当の、とにかくまあその世界では名の売れた人間がやるとしたら私はこれは一そう罪が重いと思う。それに対して、一体、文化財保護委員会があいまいな態度をとっているということは私はどうしてもわからない。これはもう政務次官にも私は聞きたい。文化財保護委員会という委員会行政ではあるけれども、文部省としては責任をのがれることのできない立場にあるんですよ。そういうことをやられて、これからも一体黙って見ているのかどうか、有能なひとつ政務次官の信念をここで述べていただきたい。
  85. 中野文門

    政府委員中野文門君) 文化財保護法という法律があって、その法律に違反をする行為で文化財を右、左に、それは日本人であろうと外国人であろうと行なった場合には、当然、役所側といたしましても法律の条章にのっとった適切な措置をすみやかにやるのがたてまえであることには間違いはないと思います。
  86. 小林武

    ○小林武君 もう少しやっぱりきつい態度で私は臨むべきだと思うんですよ。先ほども言っているとおり日本のものは相当出ているということ、出ていたら、一体それに対して法がある限りにおいてはということではなしに、もっと文化財に対してきびしい態度をもってひとつやってもらいたいと思うんですよ。しかもいまの事務局長はなられて間がないわけですから私は同情は申し上げるけれども、この問題をその当時取り上げている証拠に、西森文化財保護委員会の庶務課長の話としては、「金銅仏はまだフリア美術館と金銭の受渡しはしていないが、パ氏がはっきり返すといっており、税関との話合いもついているので遠からず返還されると思う。」、こう言っているのです。ここに出ているのです。これはうそかほんとうか、聞かなければわからないですがね。さっきも言ったとおり、茶飲み話で言ったのだというようなことになると、なかなかあなたのほうも責任追及できない。だから茶飲み話なので、言わないのに言ったとこの雑誌が書いたのか、これはわからないけれども、そう言っている。それからまだありますよ。岡田事務局長はいまどこにおられるか知らぬけれども、岡田事務局長は、「あの金銅仏が、どういうケースでアメリカに渡ったものか、いまもってハッキリしない。その渡航に、保護法にふれる事実があるとしたならば、しかるべき処置をとらなくてはならない」——当然のことだ。「きくところでは、パッカード氏というアメリカ人が、それに関係していることは事実のようだ。しかし持ち出したのが当人かどうかは、はっきりしない。」なんて、こんなあれを言っている。そして最後に、「目下調査をすすめている」——調査して何年たつのです。昭和三千四年から調査中で、調査して一体どういうことになったのか。はっきりパカードがもういまごろは関係がないとか何とかいうならば、彼のためにちゃんと疑いを晴らしてやらなければいかぬ。それだけの責任がある。そうでない。いまの件で、九品寺の問題だって関係がある。そうなったら、この問題についてはっきり態度をとらんければいかぬですよ。これはどうしたんですか。それからもう一つは、先ほどの話の中にある税関の問題の話し合いがついているというのは、パカードがかりに自分のものを持っていって日本に入ってきたらどうなるか、関税はどういうことになるのですか。
  87. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 北魏金銅仏の件でありますが、流出当時の文化財保護委員会事務局の関係者のいろいろな動きの御指摘がございますが、正確に私記憶しておりませんが、当時、事務局の関係者が、金銅仏がフリアーにあるということがわかっておって、その返還に努力したのは事実でありまして、その努力のいろんな形が、御指摘のような岡田事務局長あるいは西森課長の談として、いま御指摘になったようなことになったのだと思います。そこで、要点だけ申し上げますが、返還の際の通関の問題につきましては、事柄が事柄でありますので、スムーズに運ぶように、文化財保護委員会の事務局からも税関に頼みまして、持ってくればスムーズに通るような手配をしたのでございます。
  88. 小林武

    ○小林武君 本間順治美術工芸課長は、おどしたりすかしたりしてパカードを説得したと書いてある。そうして税金のほうは心配するなというようなことになって、結局許した、こんなことが一体世の中にありますか。われわれがそういうことをやったらどうなるのです。金もうけして持って行ったのでしょう。パカードにこういううわさが出ているのですよ。どうかよろしく頼む、おどしたりすかしたりというのですから、おどしたところもあったし、すかしたところもあったでしょう。そのかわり返るときに税関はただで通してやるというようなことを一札入れてやらなければならぬほど腰の弱いやり方がどうして出るのか私にはわからない。だから、この問題に関する限り、私は文化財保護委員会は少なくとも反省しなければいかぬですよ。当然ですよ。あなた認めている。あなたのほうで不正な持ち出しをやっている。九品寺の問題だってそうではありませんか。何か事あれば全部それがそういうことに何とか手がかりをつけて、もうけ仕事にやっていると言われたって、パカードは口のあけようがないはずじゃないですか。それから、どうなんですか、この問題についてもう一つ開運してお伺いしますが、パカードがまだだいぶいろいろなものを持っているらしいですね。お聞きになっておりますか。パカードが日本にいることは御存じですか。
  89. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 私は存じません。
  90. 小林武

    ○小林武君 これは日本にいます。  東京設計事務所、中央区日本橋室町二の四、日照ビルKK内、自宅は新宿区南元町、そこにいます。そうして美術品は四百五十点くらい持っている。そのうちの三分の二はアメリカに送付済み、保管先オークランド美術館というような、こういうようなことが世の中に話として出ている。一体そういう何を持って行って、現在手持ちのものは何なのか。そういうことについて、文化財保護委員会は警察権を持っておりませんからなんて言っちゃいかぬのです。だれも警察権を使えなんて言ってはおらぬ。法の許す限りにおいてあなたたちはやるべきですよ。なぜそういうことにちゅうちょ逡巡するのですか。そうしてやることが、逆にぼくに言わせれば、パカードに自分の持っている才能を十分生かすような立場を与えることになるのじゃないですか。日本に来ているかどうかもわからぬ。元来こんなことをやるなら、本来ならば入れるべきではないというくらいです、日本の国益に反するようなものは。そういう方法だってとれないことはないだろうと私は思うくらいです。日本に入ってきて、そうして現在でもそうしたことがあったら、あなた調べて見る必要があります。これはぼくがいろいろないままでの経過から想像してそう言っている。しかし、あなたのほうで調べて、パカードはだいじょうぶだというなら、そういうあれを明瞭にすべきでしょう。パカードは、そういうことを言われた者に対しては名誉棄損で訴えているのですよ、日本人を。開き直っておる。なめられるにもほどがあると思う。日本人というのはそんなだらしのない人間じゃないということを、この際、文化財保護委員会を通してはっきりする必要がありますよ。私はこのことについてあなたたちがいままでどおりあいまいな態度をとっているというならば、若干疑いますよ、あなたたちのこれからのやり方について。何をやっているかわからぬ。日本文化財を自由に持って行かれる。河北さんのことばをかりて言えば、ああもうたくさんだ、言わぬでくれというようなところまでたくさん持ち出されたらどういうことになりますか。日本人の中にはなかなかおもしろい人があって、あんなに大事にしてもらえるならアメリカにやっておいたほうがいいなんというような考え方の人もあるらしいし、何か文部省内にもパカードと同じような意見で、日本文化財を島国根性で日本にだけ置くのはおかしい、どうせ外国に出すなら、いいものを出さなければいかぬというような、なかなかりっぱな考えを持った方がいらっしゃるという話です。私は法に許された限り外国に紹介をする、日本にも外国からいろいろな絵画とか何とかを持ってきて見せてもらうというようなことはいい、そういうことをやるということは大いにけっこうです。しかしながら、日本のものをどんどん外国へ売り渡してはいかぬということが島国根性だと思ったら大間違いだと私は思っている。この点についてはこれ以上やらないことにいたしましょう。しかし、やらないということは、解決をしてもらいたいということですから、どうぞひとつパカードの問題については、もう少し調べてきちんとしてもらいたい、あなたが事実を認めたのだから。それから調査中、調査中というようなのは私はいかぬと思います。たとえば、わが党の高津正道さんが佐野乾山の問題で取り上げた。そうしてそのときの調査中というのはいま調査をしておりますか。佐野花山については、何か最近私ちょっと見たところによると、花山のあれを何カ国語だとかに翻訳して宣伝するというようなことを、そういう文章をちょっと見ました。そうすると、あれはにせものか本物なのかということになる、もしにせものだったということになるとどういうことになるのですか。にせものか本物か明らかにしようというのが高津正道さんのあれじゃなかったのですか。あれから何年たっておりますか。調査中で何を調査したか。私は聞くところによると、調査していないという話です、だれも手をかけていないという話です。文化財保護委員会はそういうことについて権威を持ってはっきりしたやはり結論を出すべきだと思っておりますが、どうなんですか、その点は。
  91. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 乾山の事件は、乾出と称するものがたくさん出てきて、本物かにせものかの問題になった事件でありますが、現在までのところいずれにも結着がついていないと聞いております。
  92. 小林武

    ○小林武君 乾山といってもあれでしょう、佐野にきてからでしょう、それはにせものとも本物とも結着がつかぬ、こう言うのですか、調査したのですか、いかなる調査をやったのですか。
  93. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 調査の結果、本日ちょっと資料を整えておりませんので、後日御報告申し上げたいと思います。
  94. 小林武

    ○小林武君 それではあれですか、あなたは高津正道氏の質問以来、文化財保護委員会として佐野乾出に関して調査をしている、こういうおっしゃり方ですね、きょうは資料を持っていないから、そのことについて説明できない、こういうことですか。
  95. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 私は遺憾ながらあまり詳細存じませんので、調べて御返事申し上げます。
  96. 小林武

    ○小林武君 知らないというのが問題なんだな。調査中というのがくせ者で、調査中はいかぬですよ。たとえば、これについては科学的な検査をしてもらいたいというあれも出ているし、賛否両論あることも私は知っております。  記録もよく読んでみました。どうもしかし、へたをするというと、こういうものを日本で本物であるというようなことを言ったら、やはり問題が起きることもあり得るのではないかというような心配もしろうとながら感ずる、その文章を見ていろいろ調べてみた中で、そういう重大なことを四カ国語にも五カ国語にも直して外国に出しているという事態まで進んでいるのに、文化財保護委員会がそれではこれはいかぬですよ。その点ひとつ考えてください。  それから、あと二点ですが、いろいろ購入されたものを見ました。この西洋美術館で購入したドラン、デュフィというのは、これはいつだれから買ったんですか。
  97. 宮地茂

    政府委員(宮地茂君) ドランとデュフィの作品を西洋美術館がいつ買ったかということでございますが、ドランの「ロンドンの橋」、油絵、それからデュフィの「アンジュ湾」、これは三十九年度に西洋美術館が購入いたしております。
  98. 小林武

    ○小林武君 だから、どこで一体何という画商から買ったのか、こういうことを聞いているのです。
  99. 宮地茂

    政府委員(宮地茂君) はなはだ恐縮ですが、はっきりしたお答えができませんが、この西洋美術館で購入いたします場合には、購入のための関係者、専門家で委員会をつくりまして、そこで購入を決定いたしておりますが、遺憾ながらいまの御質問の、何という画商から購入したかただいま存じておりませんので、もし御必要でございましたら後刻回答さしていただきたいと思います。
  100. 小林武

    ○小林武君 アンドレ・ドランの「ロンドンの橋」、ラウル・デュフィの「アンジュ湾」、こういう二つの作品を相当の価格で買っていますがね。これ二千二百三十二万円、ドランですよ。それからデュフィは二百八十八万ですね。まあそのほか数点あるわけですね、三十九年度に買ったものが。私ははなはだこのほうには暗いのですけれどもね。どうもこの絵についてよからぬうわさをときどき耳にするのですよ。というのは、やっぱり絵にもずいぶん佐野乾田が問題になったのと同じように、にせものだとか本物だとかというようなことについて議論があるわけなんですけれども、これはあれですか、委員会つくるのはけっこうですし、あれですが、おそらくこれにはあれでしょうね、鑑定書というのがついているのでしょうね。
  101. 宮地茂

    政府委員(宮地茂君) どうもたびたびはっきりしたお答えができないので恐縮でございますが、この鑑定書がついておるかどうか、ちょっと、芸術課長と相談いたしましても、ついておるものかどうか、いま直ちに存じておりませんので、はっきりしたお答えができませんが、その選考委員会ではちゃんとした方々で購入を御決定になっておりますので、一応鑑定書があってもなくても正しいものを購入しておられるというふうに信じておりますが、書類としてついておるかどうかは存じません。
  102. 小林武

    ○小林武君 それは実際、局長をそういうことで痛めつけるのはぼくもあまり気持ちがよくないのですけれどもね。それおかしいですよ。一体絵を外国から買うということについては、絵については少なくとも法定の鑑定人というのがあるでしょう。鑑定書なしに買っているとしたらぼくはたいへんだと思うのですよ。鑑定書がついておったって怪しいのがあるじゃないですか。私はしろうとでよくわからぬけれども、ずいぶんにせものというのはたくさんはやっている。ここにあるあれでは、これは毎日新関の学芸部の船戸さんという人の書いた文章によるというと、ユトリロの場合には、画集があって、その画集の一冊はにせものばかりの画集がある。こういうにせものがあるという画集があるそうです。私はそういう種類のものはたくさんあると思う。そのにせものをつくるのにいかに苦心惨たんしてつくるかということも簡単ながらここに書いてある。これは私もそういうことをかつて何かでちょっと聞いたことがあるんですが、一体だれから買ったということだって問題ですよ。しかるべき画商から買って、鑑定書がはっきりしておって、そうしないと困るんじゃないですかたとえば、どうなんですか、どっちですか、西洋美術館かどっかわかりませんが、藤山さんの寄付したルノアールの絵があるんじゃないですか。あれはにせものだというのはあれはどうなんです。定評はもっぱらにせものだといっている。これは一体あなたのほうの関係のあれとしてどう扱っているんですか。あれは陳列して、これは本物だといっているんですか。それともにせものではないんですか、にせものなのか。困り切っているという話も聞いているんです。
  103. 宮地茂

    政府委員(宮地茂君) きわめて失礼ですが、私あまり専門でございませんので、芸術課長からお答えすることをお許しいただきたいと思います。
  104. 鹿海信也

    説明員(鹿海信也君) ただいま御指摘のルノアアールの件でございますが、これは「リンゴを持つ少女」という題だったと思います、私もちょっと不確かでございますが。これは藤山先生から西洋美術館に寄贈したいというお話がございました。いろいろ調べまして偽作であるというような疑いもございまして、西洋美術館といたしましては、ただ研究者のための資料として現在お預かりいたしておりまして、いろいろ画面の画法等につきましてそれを資料として、検討する材料としてちょうだいをいたした、一般の展覧はいたしておりません。
  105. 小林武

    ○小林武君 贋作の研究には最も有効な資料としてお使いになるのはけっこうだと思いますけれどもね。たとえば非常に藤山さんの好意というようなものも、そういうことになるというと、せっかくの御好意が実際報いられないようなことではお気の毒だと思うんですよ。だから、少なくとも藤山さん個人ならお金持ちで、そういうものをお持ちになって、 にせものをつかまされても、あら失敗したわというようなことで、これはどっかへやったときはこれは困ったなというふうにお考えになるかもしれないけれども、これは罪というか、たいしたあれはない。しかし、少なくとも国の費用で買って、日本の近代美術館であるとか、西洋美術館で一体国民に見せようというようなつもりでやるなら重大問題ですよ。鑑定書があるかないかわからぬとか、だれから買ったかわからぬということでは私は困ると思う。まあしかし、これはここで幾ら責めてもしようがありませんから、ひとつこれについては責任ある答弁のできる者を今度出してください。そして納得させなければいかぬですよ。もうこれがにせものでないならにせものでないようにね。私のほうでもそういううわさが出ていますから、ひとつできるだけ検討いたします。あなたのほうでも十分ひとつやらなければいかぬですよ。それではこの問題は打ち切りましょう。  あと一つですからしばらくがまんしてください。あと、肉筆浮世絵を購入しておるのですが、この中に文京区湯島天神通りの古物商羽黒洞から買ったものがございます。ここにありますよ。二つがあるので、その二つが一つなのかどうか、よくわからないのですが、肉筆浮世絵というのがあります、あなたのほうの購入の資料の中に。
  106. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 御指摘の件は、文化財保護委員会が四十年度購入いたしました肉筆浮世絵百二十三件、百三十一点のことだったと思いますが、これは当委員会で直接買い上げたものでございます。
  107. 小林武

    ○小林武君 それから国立博物館のもあるし、美術工芸課で買ったものもある。
  108. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) それは国立博物館で買いましたものと当事務局で買い上げましたものとは一連の肉筆浮世絵のコレクションでございまして、これは本年六月に所有者である木村氏から百六十件、百六十八点の売り渡し申し出がございまして、検討の結果買い上げることにいたしまして、東京国立博物館と事務局とにおいて分割買い上げることにいたしたものでございます。
  109. 小林武

    ○小林武君 分割してね。そうすると、いま私が言った文京区湯島天神通り、古物商羽黒洞ですか、羽黒洞の木村氏ですね。間違いないですか、そうですか。——だれですか、肉筆の浮世絵はわかりましたけれども、作者はだれなんですか、芸術的の価値というのはどういうことなのか。
  110. 松下隆章

    説明員(松下隆章君) これは木村氏が数十年にわたって集めておられました肉筆のコレクションでございまして、これはわが国の肉筆のコレクションとしては非常に有名なものでございます。作家は師宣以下ずいぶんたくさん並べてございます。従来、肉筆の浮世絵というものは——版画は非常に尊重されておりましたが、肉筆はわが国では版画に比べましてあまり評価されておりませんでした。かえって外国のほうが評価されておることが多うございまして、外国にはかなり優秀な肉筆の浮世絵が古く明治時代から輸出されていたようでございます。こういう大きなコレクションでありまして、この木村氏も——これはコレクション自体としては四百件に及ぶものでありますが、一生懸命で集めたけれども、自分の経済的な理由でどうしてもこれを手放さなければならない、しかし、せっかく集めたものであるから、 コレクションとして保存したい、ところが、そういうことは個人ではなかなかむずかしいから、ぜひ肉筆の浮世絵として保存するという意味で国で買い上げてくれないかという申し出があったわけです。それで、この委員会といたしましては、東京国立博物館にすでに肉筆の浮世絵のコレクションがございますが、しかし、これは十分なものではございません。それでこの浮世絵コレクションの散逸を防ぐという意味も兼ねまして、東京国立博物館が持っておりますものと見合わせまして、この中から百六十件を選びまして買い上げたわけでございます。両方に分割して買い上げましたのは、これは予算の関係で分割して買い上げたわけでございます。
  111. 小林武

    ○小林武君 これはいずれひとつ、どんなあれなのか、作者のあれをひとついずれ資料としてお出し願いたいのですが、これはあれですか、重要文化財とか何とかに入っておるものではないのですか、たとえば師宣というようなもの。
  112. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 現段階では指定品ではございません。
  113. 小林武

    ○小林武君 まあそういう問題についてもいろいろな見方があって、私はそれを信用するなんという気持ちはございませんけれども、しかし、先ほど言っておるように、文化財行政というものはもう少し私はきびしさを要求されなければならぬと思います。そういう意味では、どうぞひとつパカードの問題を中心にして、先ほど来の質問に対してもう少しはっきりした態度を文化財保護委員会から出してもらいたい。佐野乾山の問題についても、調査中なんということでなくて、もう少し文化財として権威のある態度をとってもらいたいと思います。  それで、私はきょう委員長においでいただいたわけでありますが、委員長にお願いいたしますが、私はまあ御老体の委員長をたびたびお呼び申して、きょうは質問もしないわけでありますけれども、質問をしなくてもぜひお聞きいただきたいと、こう思ったわけです。やっぱり文化財保護委員会というものの行政に対しては相当やはり力を入れなきゃならぬ、文教面で私は相当力の入れ方の足りないところだと思うんです。そのためには委員会として強力にやってもらいたいと思う。たとえば、先ほど来私が申し上げましたが、アメリカにたくさん流出しているといったところで、あるいはワシントンの何々にどんなものがあるといったところで、文化財保護委員会のその道の専門家がだれもごらんになっておらぬというのはちょっと私はおかしいと思うんです。そういうような所へ行かれて、こういうものはこういうことになって、どこには保存されているということくらいは、少なくとも文化財保護委員会の専門の立場の人たちが知っておるくらいでなかったら、行っていないようだなんということを言って、どんどん行っているようなことではこれはもう話にならぬと思うのです、そんな底抜けのことでは。持って行こうとすれば幾らでも方法があるから、河北さんがびっくりするような大きなものがどんどん出ていくということになるわけでありますから、こういう問題も文化財保護行政というたてまえから、委員長はひとつ老練な方でございますから、熱意を持って今後とも御努力をいただきたい。御希望を申し上げておきます。  私の質問を終わります。
  114. 山下春江

    委員長山下春江君) 他に御発言がなければ、本件に関する本日の質疑はこの程度にいたします。  午後一時三十分から再開いたします。休憩いたします。    午後零時四十三分休憩      —————・—————    午後一時四十分開会
  115. 山下春江

    委員長山下春江君) これより文教委員会を再開いたします。  教育文化及び学術に関する調査中、学力調査等に関する件を議題といたします。  御質疑のある方は順次御発言願います。  なお、政府側より中野文部政務次官、齋藤初等中等局長出席しております。
  116. 小野明

    ○小野明君 産炭地問題とそれから学力調査関係のある問題、二件お尋ねをいたしたいと思うのですが、最初に学力調査に関連ある問題として若干お尋ね申し上げたいと思っております。  十月の二十一日でありますか、地元福岡の新聞、朝日でありますが、トップに福岡県の教科等研究会に対する補助金が大幅に削減をされた。これは「学テ中止の返報か」というクエスチョンマークがついておりますが、大々的に報道をされておるのであります。その後、委員会等も開かれないままに今日に至っておるのでありますが、この機会に、福岡県に対する教科等研究会、これの補助金が、新聞に報ずるように、大幅に削減をされているものかどうかですね、お尋ねをしたいと思います。
  117. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 福岡県内の研究団体に対する補助金の交付が四十年度決定されるにあたりまして、県の申請等から見て低くなっていることは事実でございます。この点につきましては、団体から県を通じて出されましたところの関係書類を審査し、また、部内におきまして関係者が寄って調査をいたしましたところ、これは別にいま御指摘のように学力調査云々ということとは関係がございませんで、研究団体の組織運営、あるいは補助金の事務処理等の点で、他に比べまして不備な点が目立っておりましたので、このために事務的に補助金の額を査定したわけでございます。
  118. 小野明

    ○小野明君 申請をされております研究団体、それと現在概算要求の中ですか、あなたのほうで認められておる補助金の額ですかね、そういうものをお知らせいただきたいと思います。
  119. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 補助金を交付いたしました団体は高等学校教育研究会、僻地教育研究会……。
  120. 小野明

    ○小野明君 高校のは幾らですか、額はわかりませんか。
  121. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 特殊教育研究会の三団体でございまして、合わして八十万円の補助金の交付をいたしております。
  122. 小野明

    ○小野明君 そうしますと、除外された、いわゆる補助対象にならなかった研究団体というのはどこどこになりますか。
  123. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 小学校教科等研究協議会、中学校の教科等研究会、それから教育技術等研究会、小中高等学校研究会、以上の四つが落ちております。
  124. 小野明

    ○小野明君 この種補助金はどういう根拠によって配分をされておるのか、その方法等を説明をいただきたいと思います。
  125. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) これは団体補助と申しましても、団体自体というよりは、団体の行ないます研究活動あるいはその研究活動の成果資料として配るというようなこと等に対して、それぞれの事業を見て判断するわけでございます。その際に、この団体の組織そのものがその会員の自分の金の拠出によって運営されているという点をやはり重く見る必要があろうと思います。いわゆる教育研究の団体の中にはいろいろありまして、まあこれはそのもの自体は悪いわけではございません。何らかの公費の援助をもって、これは市町村なり府県の熱意によってささえているものもあるわけでございますから、それはそれとしていいことでございますし、やってもらいたいことではございまするけれども、やはり教科の研究等になりますれば、それぞれの会員が自分たちでできるだけそれをささえるということのために活動が十分でない、しかも、研究としては非常に役に立つというものでございまするので、どうしても今度は国が補助金を配分する場合には、一つの要素として、できるだけ個人としての負担が多いようなものについては傾斜をかける。その他、公費のようなものが出ておりますところは、それに比較的譲るというようなことも一つの判断等の資料としております。それからまた、従来の実績等を見まして、やはり書類上は一応出ておるけれども、まあどの程度の成果があがったか——成果と申しますのは、教育の本来の内容一つ一つはなかなかできませんけれども、まあ計画が円滑にいって、実際の活動ができたかどうかというようなことも見まするし、また補助金でございますから、一定の事務処理の都合上、従来の実績等を勘案して、適切な方法で迅速に締め切りまで県を経由して出てくるというようなことも、やはりどうしても事務の実際上といたしましては考慮しなければならない、そういうふうに考えておるわけであります。
  126. 小野明

    ○小野明君 いま言われた程度が補助金配分の根拠ということなんでしょうか。それとも、ここに公表できる客観的な基準——評価基準ですね。これにはやる、これにはやれない、あるいは額についてもどうだこうだという基準というものが、もっと正確なものはないのでございますか、それは公表できないのですか。
  127. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) これはいろいろの団体を比較いたします場合に、かなり専門的なことでございますので、これは御指摘のように、できればその客観的基準というものも公示してやることはいいと思いますけれども、しかし、それにしても、それは抽象的にならざるを得ないと思うのです。いろいろな各種の教科、しかも学校段階も違いまするし、それから規模も、全国もありますし、府県の段階のものもございますから、その点はわれわれのほうのそれぞれの専門の担当者というものが個々に具体にこれを見ていくということをする必要がありますので、御指摘の点は、確かに客観的な基準というものを統一的に出すほうがいいという、考え方としてはそのとおりでございまするけれども、実際の運用としてはわれわれが審査をするのに、具体に、できるだけ慎重かつ公正にやるということで現在まできているようなわけでございます。
  128. 小野明

    ○小野明君 先ほどお聞きをする限りにおきましては、どうもやっぱり総額一億円をこえる補助金というものがあなた方の恣意、そういったものによって配られやすい、配分をされやすい、こういった印象をぬぐい去ることができぬわけです。というのは、たとえば福岡県で削られた小学校教科等研究会、中学校教科等研究会、小中高校長研究会、教育技術等研究会、これはまあ義務制に関係のある面が非常に多いわけなんですが、福岡県のように切り落とされた県が全国、他の都道府県の中にあるかどうか、その点をひとつお尋ねをしたいと思うんです。
  129. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 県の団体でおよそいかないというものはございませんけれども、県を通じて出てきました団体が全部通っているわけではなくて、県から出てきた団体で落ちているものももちろんあります。
  130. 小野明

    ○小野明君 ほかに切り落とされた県があるか。これらの義務制に関する研究会でほかにあるのかどうかということをお尋ねしておるんですから、それを明確にひとつ。
  131. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 小学校、中学校というように統括団体の研究団体をつくっているもので落ちたところはないようでございます。ただ、それがいろいろな団体を組織して申請してまいります場合に、団体が県から出てまいりますものは全部いっているわけではなくて、落ちるものもあり、つくものもあるというふうにお答えしたわけであります。
  132. 小野明

    ○小野明君 どうも明確でないんですが、そうすると、いま覆われた小中学校教科研究会ですね、これで落とされているのは福岡県だけだ、こう言っていいわけですね。そうですね。
  133. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) さようでございます。
  134. 小野明

    ○小野明君 そうしますと、昨年までは福岡県のこれらの研究会、義務制のこの種の研究会には補助金がついていた。でありますから、県の教育委員会としてはことしも補助金がつけていただけるものと、こういうことで、約三百万円の予算を組んだうち、たしか百五十万円の補助金要求をしておった、こう思うわけです。そうしますと、ことしになって特別に福岡県だけ切り落とさなければならなかったほど成績が悪かったのかどうか。その辺はどういう説明をされようとしますか、お願いをしたいと思います。
  135. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) これは従来、数件の実績というものを見た点をあまり申すことは私は差し控えたいと思うんです。いろいろ、ただ事務処理上、たとえば卒業計画というものが出ておったけれども、査定したけれども実施が十分してなかった。あるいは先ほども申しましたように、補助金関係番数の事務処理という点でいろいろ問題があった。それから先ほども申しましたように、個人負担の会費というものが、総体的に見て、これは非常に全国から見て低い、あるいは団体自体としてのまとまった事業という観点から見て劣っておるというようなこと、あるいは従来の研究団体の研究成果という点の、そのまとめ方についてもなお工夫を要するところがあるというようなことの結果、このようなことになったのでございます。私どもはこの点につきましては、従来も県の段階における指導というものをいたしておりまするけれども、さらに今後はそういう点を十分に気をつけるようにしてもらいまして、遺憾のないようにいたしたいと、かように考えております。
  136. 小野明

    ○小野明君 どうも理由が納得できないのですが、福岡の教科等研究会、音楽にしましても、あるいは美術等にいたしましても、相当評価をされておるユニークなものがある、こういうふうに私ども認識をしておるのですが、そういった継続的な、そうして自発的な教師の研究会に、ことしになって補助金ゼロ、こういう措置をとられた理由としてはどうも納得できない、もう少し明確に理由を説明願いたいと思うのです。
  137. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) もちろん各いろいろな団体がそれぞれにおやりになりました全体的な評価というものを軽々に下すことは、それは避けなければならないと思うのでございます。ただ、この研究団体の補助金というものが、先ほど申しました一定の事業あるいは資料刊行というような形で処理をしていきますその部面を見ました場合に、先ほど来申し上げましたような点で幾多の問題があって結果とし、そうなった、こういうことでございます。
  138. 小野明

    ○小野明君 どうも資料刊行あるいは事務処理といったことが理由によって切り落とされた。どうもあなた方の姿意によって切り落とされたという印象をぬぐい去ることができぬのですが、それでは、今回の福岡県に対する研究補助金というものはたった八十万円だけつけてあるのですが、ついでに九州各県——あまり全国のことを言いますとお困りでしょうから、九州各県のこの種研究補助金の額を示してもらいたい。
  139. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 地方課長からお答えいたします。
  140. 高橋恒三

    説明員(高橋恒三君) 福岡県が八十万、佐賀百八十万、長崎二百三十万、熊本百八十万、大分百八十五万、宮崎百四十万、鹿児島二百五十万でございます。
  141. 小野明

    ○小野明君 福岡といえば児童数も教員数も九州では一番多い。久保委員の出ておられます長崎の二・五倍ぐらいの児童数、教員数を持っておる。それがいかなる理由か知りませんが、長崎では二百三十万円、福岡ではたった八十万円、しかも小学校、中学校教育技術の研究会義務制の教師に関係のあるこの県を全部切り落としている。僻地とそれから辺地の研究と、それから特殊教育研究会、これには陳情によってあとでつけていったと、こういった措置をみますときに、どうもその説明では私は納得できぬのですが、こういう措置について何らかあなたのほうで是正をするとか、そういう考え方はあるのですか、ないのですか。
  142. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 実はこの補助金につきましては研究団体の活動等を考慮いたしまして、本年度でも早期に額を全額ほとんど決定しているという時期でございますから、他の補助金のように何段階かに分けて時期をずらしてやっているわけでもございませんので、いま本年度の問題といたしましては補助金もすべて配分済みでございますので、各種の団体の事業を再審査して予算上の流用をする余裕はないわけでございます。
  143. 小野明

    ○小野明君 次官にお尋ねをしたいと思うのです。いままでの質疑の中で、この福岡県の補助金に対するいわゆる差別扱いというものがかなり明らかになってきたと思われるのです。このほかにもまだ私はあるとにらんでおるのですけれども実際はつかみ出していません。しかし、この不明確な理由によって、当初、初中局長は学テの返報ではない、こういうふうに言われておるし、文部大臣もこの点は報復措置というようなことは考えないのだ、こういうことを言われておるのですが、行政の中立、あるいはこの補助金が教師の自発的あるいは自主的な研究を育てる、こういった意味からみましても、どうしても今回の補助金を切り落としたという措置が、学テをやらなかったこれの返報措置と考えざるを得ないのですが、次官はどうお考えになりますか。
  144. 中野文門

    政府委員中野文門君) ただいま御質疑内容につきましては、内部的にまだ私自身十分な検討なり事情の説明等を聞く機会がただいままでなかったわけでございますが、おことばの中にありましたような、すなわちこの種団体に対する補助金交付を決定する一つのかまえというものが、いわゆる学テ問題に関連をして措置さるべきではないことは当然でありますし、措置したとは私も思いたくないのでございますが、思いたくないということは、その実情が十分にまだこの席に出るまでその間のこと私事務方面の報告をみずから聞いておりませんので、そういうことはおそらくないことが望ましいのでございますし、さように思いますが、十分に私自身も検討いたしたいと、かように存じております。
  145. 小野明

    ○小野明君 学カテストという問題は、やっぱり大臣も芸言われるように指導助言の域を出ないわけですね。地教委の自主性、地方教育委員会の自主的な育成、こういったことから考えてもそういうことにしかならぬのですが、こういったいわゆる福岡の義務制教育に対する差別が厳然としていまあるわけですが、この点を学テの返報措置ではないと、こういうふうに言われる以上、やはり早急に、しかも補助金配分について明確な基準もない、われわれは納得できない、いまの初中局長説明では納得できないのですが、早急にこれを是正するように御努力がいただきたいと思うのですが、いかがですか。
  146. 中野文門

    政府委員中野文門君) 四十年度の当該予算がすでに執行済みのようにただいま隣で聞いたのでございますが、その間のことも含めまして、いまあなたの御質問内容につきまして、私みずから検討いたしてみたいと、かように思います。
  147. 小野明

    ○小野明君 どうも不満ですけれども、この問題はこういうふうに、いま出ましたように九州各県、よその県に比べてみましても福岡が特に少ない、特に全国で小中学校、義務制の学校で補助金を削られたのは福岡県だけ、こういう事実なんですね。これはやっぱりどっからどう見ても私は差別扱いだということを指摘せざるを得ぬのです。早急にこの点の是正をお願いして、次の産炭地問題に移りたいと思います。  最近非常に産炭地の教育現場から多く陳情がまいっておるのですが、長崎あるいは佐賀、山口、それから常磐炭田地帯、あるいは北海道、福岡はもちろんですが、こういった地域から非常に産炭地の教育の現状を救済してほしいと、こういう陳悟が多くあがってきております。それで私も今度の選挙で出てきたばかりで、多少前の問題をどういうふうになっておるかということで調べてみました。これはもう皆さん御承知のとおりだと思うのですが、さきの四十八国会で参議院の石炭対策特別委員会、ここの中で満場一致で決議が上がっております。産炭地教育の振興に関する決議、これはくどいようですけれども読ましていただきたいと思うのですが、四十年の二月の十日であります。「長年に亘る石炭鉱業の不況と急激なる合理化の進展に伴い、炭鉱の休閉山相つぎ、ために地方財政の窮迫と炭鉱離職者の貧困をもたらし、産炭地域における教育は家庭教育は勿論、学校教育社会教官においても極めて憂うべき状態に陥り地域社会に重大なる影響を与えている。よって政府は、人づくりと人間尊重の観点に立って、産炭地域教育のために速やかに財政上行政上適切なる措置を講ずるべきである。右決議する。」、こういう決議が上がっております。この決議に基づいて、あるいはもちろん当委員会の審議も経由しておると思うのですが、全国の産炭地域の窮迫した実情に対してどのような措置がなされておるのか、あるいはその効果は一体どのように判定をされて見られておるのか、その辺をひとつ説明をいただきたいと思います。
  148. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 産炭地の事情にかんがみましての教育上の対策は各般に分かれておりまして、あるいは私の直接所管をしております学校教育の部面だけでなくて、あるいは給食の問題、あるいは社会教育の問題、いろいろあるわけでございますが、直接、初中局の関係におきましては、昨年度こういうような地域で青少年の指導ということにつきましても問題がある、それを充実強化する必要があるということで義務制の先生の財政措置といたしまして、充て指導主事を生徒の指導を強化いたしますために配置いたしました。福岡県の例で申しますならば、これは県の教育委員会からの要望がございまして、三十名の増加をいたしたような次第でございます。
  149. 小野明

    ○小野明君 この決議というのは、やはり第二次有沢調査団報告書、これに基づいて、有沢調査団報告書に、いわゆるカウンセラーなどを重点的に配置しと、こういうことばがあるわけです。これを受けてこういつに決議なり、産炭地域教育の窮状を救っていこうというのが筋ではないかと私考えているんですが、そういったことから考えてみまして、充て指導主事の配置、この充て指導主事というのが産炭地教育の窮迫についてどのような効果を発揮しているのか、それを文部省は、局長としてはどのように効果を上げているのか、その点を説明を願いたい。
  150. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) この生徒指導の問題につきまして、具体的にそのために数字として、青少年の非行化が件数としても、あるいは非行の内容としても、数字の上でデータを求めていくということは非常に困難なことでございまするけれども、配置された市町村、この生徒指導の推進校あるいはその推進校のある地域に対します指導強化をするための充て指導主事を置くということが、この指導力の充実強化に非常に役立っているということは、市町村の教育長等から話を聞いております。また、これは先般も新聞にも出ておりましたが、中学校の生徒指導の研究推進校という形で拠点的に生徒指導を強化してまいりまして、この推進校における生徒指導というものと、それと充て指導主事という指導機構の配置もからめてやってきたわけでございますが、この推進校の最近の報告によれば、これは二年近い前の状態と比べて、目に見えてこの問題、行動というものが減ってきているというようなことは聞いております。しかし、これは御承知のように、青少年非行問題は簡単に、それだからどうだと、こう私が言いますことは断定に過ぎまして、これはいろんな条件とかということが複雑にからみ合っておりますから、これによって直ちにどうだということではございませんけれども、少なくとも推進校を指定いたしまして、そういうことを強化いたしますれば、その面で非常に効果があがるということは言えると思います。
  151. 小野明

    ○小野明君 どうも有沢調査団の言う、いわゆるカウンセラーを配置しということばがあるんですが、これと充て指導主事とを混同されているような気がするの、であります。充て指導主事というのは、今回つけられた三十名、これの充て指導主事の職務内容というのはどういうふうにお考えになっておりますか。
  152. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) これは指導主事でございますから、もちろん職務の、職務権限といたしましては、地方教育行政法に定められておりますように、各般の問題につきまして、市町村の教育委員会学校を指導いたします、その指導の補助機関として設置されるわけでございます。でございますから、従来言われておりました直接学校の中におる専門の職員とは職務としては違うということは、これは明らかなことでございます。
  153. 小野明

    ○小野明君 いわば充て指導主事というのは、あなたが言われるように先生を監督するわけですよね。指導監督をする、監督ということばは適当でないと思うが、先生に対して、産炭地教職員に対して指導助言をしていく、非行指導についてはこうしなさい、こうしなさいとね。ところが問題は、先生を指導する先生、これがほしいんではなくて、やっぱり直接生徒指導に当たる教師、これがほしいわけなんですよね。というのが、四十八国会の愛知国務大臣の答弁を見ましても、学校全体の特殊学級化ということばが使われておるわけです。学校全体がもう特殊学級化しておる、生活保護、要、準要保護、こういうものが激増しまして、学校全体が特殊学級にダウンしておる、こういった状態の中では、そういった直接生徒の指導に当たる先生がほしいのであって、その先生を指導していく充て指導主事、これもやっぱり効果がないとは言いませんけれども、ゼロとは言いません。若干の効果はもちろんあると思うのですけれども、それもわずか三十名ぐらいです。これがふえても実際はそう効果は私はあがっていないのじゃないか、ですから、この四十八国会の産炭地教育振興の決議の趣旨を生かすならば、もう少し方向を変えた、実情に立脚した措置なり政策というものがほしいと私は考えるのです。そこで、これを調査された決議があがり、こういった措置をされた当時の産炭地域の実情、これと現在の実情——非常に現在のほうが窮迫してきておるのですが、その実情をあなたのほうではどういうふうに把握をされておりますか、いわゆる教育条件の低下というものですね。
  154. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) ひとつ御質問の前に、充て指導主事で職務権限は法制上そうでございますけれども、これは他の、教科等を担当する指導主事と違いまして、非行問題あるいは青少年の校外指導、学外保導というようなことをつかさどりますために、やはり職務としてはもちろん先生を指導するわけでございますけれども、これは学校ごとにというよりは、地域学校を離れてもいろいろ存在する問題でございますから、こういう人たち先生を指導し、兼ねてまた実際には社会教育主事その他と共同いたしまして、あるいは警察の少年関係のものと共同いたしまして、あるいは福祉関係のものと共同いたしまして、そうして個々のケースに当たるということも可能でございまするから、その充て指導主事としての指導力を発揮するとともに、その職務遂行の実態を見ますならば、やはり個々のケースに当たって、その改善をはかるという道もあるわけでありますが、その点で私どもは現在の制度では、これは充て指導主事の制度を財政上の措置としては活用するという道しかないわけでございますので、そのような措置をいたしました。
  155. 小野明

    ○小野明君 ちょっといまの問題をやりましょうか。それじゃ、充て指導主事の問題が出ましたから、もう一つお尋ねしたいと思います。それじゃ、充て指導主事について、これは教育委員会配置になっておると思うのですが、現場配置が認められるのかどうか。そうしますと、かなり私は地域に密着した、子供の家庭に密着した指導ができるように思うのです。この点についてお尋ねしておきたいと思うのです。
  156. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 指導主事でございますから、教育委員会の補助機関でございまして、教育委員会に設置せられるものであります。ただその実際の行動は、私はいろいろの個々のケースに当たることがあり得るし、また、そういうことを兼ねながらやることが教育委員会自体の指導力を強化するということになるのでございまして、学校の職員ということは、指導主事の性質上なり得ないものだと思います。
  157. 小野明

    ○小野明君 わかりました。それじゃ続いて産炭地の実情について、さらに窮迫の度を加えつつある、加えておるという実情をどう握っておられるかどうか、お尋ねをしたいと思うんです。
  158. 齋藤正

    政府委員(齋藤正君) 産炭地の実情につきましては、私どももいろいろ学校関係者、当該地域学校関係者からお話を聞く機会が非常に多うございます。また関係府県の担当課長等を出てまいります場合には、事情も開く機会がございまして、いろいろの問題があって、学校教育の面でもたいへんなことがいろいろ多いという実情は、私どもも承知いたしております。
  159. 小野明

    ○小野明君 どうも、実情を聞くことが多いという程度でありまして、私がここに調べておる実情があるんですが、これを若干報告しておきたいと思うんです。まあ、これは長崎、佐賀、あるいは山口、常磐、北海道というのは実は資料がないんです。しかし、私のところにこられた先生のお話を聞きますと、全く福岡と同じ状態になっておるんです、こういうふうに言われるんです。生活保護の実情、福岡の場合を言いますと、生活保護が四一%以上、これは市町村単位と見た場合です。これを占めているのが、嘉穂郡では頴田町七〇・七、嘉穂郡の庄内町四九・〇、田川郡の糸田町五六・〇、田川郡の金田町五五・〇、同じく田川郡の方城町四二・〇、同じく山田市が三六・一%、粕屋郡宇美町、これが四〇・八、鞍手郡鞍手町四二。七、田川郡大任町四〇・四、田川郡川崎町三九・九、これは四十年の十月一日の調べでこういうふうに数字が出ておるんです。このように非常に生活保護の数がふえているんです。それで、さらに最近福岡でも、山野炭鉱がああいった大爆発を起こし、あるいは三井の田川というところが閉山になり、あるいは遠賀の日炭高松、これが閉山に近い措置をとられているのですが、こういうところの実情を若干、一つ学校をあげて、抽出して説明を申し上げたいと思います。田川市の猪位金という小学校です。これは児童数六百一、この中で生活保護が二百四、準要保護が九十一、全学級に占めるパーセンテージが四九・一%、これは三井田川閉山によって五割近い生活保護、準要保護、こういう数になっているわけであります。同じく三井田川関係では、大籔小学校、これは児童生徒数が六百十八で、生活保護、準要保護合わせて二百五十二、四〇・八%、こういう数字であります。ここは昨年の旅行児童生徒数が九名、ことしはさらにふえていると思います。それから福岡県の山田市でありますが、これは山田の三菱下山田が閉山になったところですが、ここの上山田小学校というところが、児童生徒数が八百九十九の学校で、生活保護、準要保護合わせまして四百三十七、パーセンテージで四八・六%、昨年の非行児童数が五十七、それから最近大きな爆発事故がありました山野鉱業所のあるところの学校ですが、嘉穂郡の仁保というところですが、これを見ますと、児童生徒数が四百十三、それから生活保護が百五十、準要保護が八十、両方合わせまして二百三十、パーセンテージが五五・七%、非行児童数が十名、こういうふうに非常に学校全体の特殊学級化という傾向がひどくなってまいっているのであります。もちろん、こういう関係からいきますと、給食費の関係、教材費の関係、非常に不十分である。ますますこどもを非行に追いやる要因がふえてきているということが言えるわけであります。そこで、今回措置をされた充て指導主事の問題なり、あるいはさらに窮迫の度を加えている産炭地の実情、福岡だけではなくて、佐賀、長崎、山口、同じ実情にあると思うのですが、これは次官にもお願いをしたいのですが、こういう産炭地のますます窮迫している実情について、やはり放置できない実情だと私は考えざるを得ないと思うのですが、これは委員長、次官にもお願いするのですが、調査団等を派遣をし、実情を調査をしていただきたい。以上です。
  160. 中野文門

    政府委員中野文門君) 十分御期待に沿うようにいたしたいと思います。
  161. 小野明

    ○小野明君 私の質問は終わります。
  162. 山下春江

    委員長山下春江君) 他に御発言がなければ、本件に関する本日の質疑はこの程度にいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時二十八分散会