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1966-03-17 第51回国会 参議院 内閣委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年三月十七日(木曜日)    午前十時三十分開会     —————————————    委員の異動  三月十七日    辞任          補欠選任     鬼木 勝利君      柏原 ヤス君     —————————————   出席者は左のとおり。    委員長          熊谷太三郎君    理 事                 柴田  栄君                 八田 一朗君                 伊藤 顕道君                 北村  暢君    委 員                 船田  譲君                 三木興吉郎君                 森 八三一君                 山本茂一郎君                 中村 英男君                 山本伊三郎君                 多田 省吾君                 中沢伊登子君    国務大臣        大 蔵 大 臣  福田 赳夫君        国 務 大 臣  松野 頼三君    政府委員        防衛庁参事官   鈴木  昇君        防衛施設庁長官  小幡 久男君        防衛施設庁施設        部長       財満  功君    事務局側        常任委員会専門        員        伊藤  清君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国家公務員等旅費に関する法律の一部を改正  する法律案内閣送付予備審査) ○昭和四十年度における旧令による共済組合等か  らの年金受給者のための特別措置法等規定に  よる年金の額の改定に関する法律等の一部を改  正する法律案内閣送付予備審査) ○国の防衛に関する調査  (太田大泉飛行場に関する件)  (島松演習場等に関する件)     —————————————
  2. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) それではただいまから内閣委員会を開会いたします。  去る二月十日予備審査のため付託されました、国家公務員等旅費に関する法律の一部を改正する法律案及び去る二月十八日予備審査のため付託されました、昭和四十年度における旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法等規定による年金の額の改定に関する法律等の一部を改正する法律案、以上二件を一括議題といたします。  まず、両案につきまして、順次提案理由説明を聴取いたします。福田大蔵大臣
  3. 福田赳夫

    国務大臣福田赳夫君) ただいま議題となりました二法律案について、提案理由及びその概要について説明申し上げます。  初めに、国家公務員等旅費に関する法律の一部を改正する法律案について申し上げます。  最近における職員旅行実情等にかんがみ、内国旅行における日当宿泊料移転料等定額実費弁償のたてまえに即して改定することとし、この法律案提案いたしました次第であります。  次に、改正の要点を御説明申し上げます。  日当宿泊料及び食卓料につきましては、最近における宿泊料金実態等を考慮し法律の別表を改正して、その定額を約三割程度引き上げることにいたしております。  また、移転料につきましても、職員の赴任の実態等にかんがみ、現行定額について所要の引き上げを行なうことといたしております。  次に、昭和四十年度における旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法等規定による年金の額の改定に関する法律等の一部を改正する法律案について申し上げます。  この法律案は、昭和四十年度における旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法等規定による年金の額の改定に関する法律国家公務員共済組合法長期給付に関する施行法及び旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法の一部を改正し、別途、本国会提案審議を願っております恩給法等の一部を改正する法律案により行なおうとしている給付の改善と同様の措置をこれらの法律適用者に対して行なおうとするものであります。  次に、この法律案概要を御説明申し上げます。  まず、昭和四十年度における旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法等規定による年金の額の改定に関する法律の一部改正におきましては、第一に、昭和四十年の改正共済組合組合員等年金額を、恩給の年額の改定に準じて増額した際、年金受給者の年齢により、その増加分の全部または一部の支給を停止する措置を講じたところでありますが、今回、六十五歳以上の者及び六十五歳未満の妻、子については昭和四十一年十月分、その他の者については昭和四十二年一月分以降、この制限を撤廃することといたしております。  第二に、共済年金の基礎となる実在職した組合員期間年数退職年金についての最短所要年限以上である年金受給者のうち、退職年金あるいは廃疾年金の額が六万円に満たない者または遺族年金の額が三万円に満たない者に対しましては、それぞれ六万円または三万円を支給することといたしております。  次に、国家公務員共済組合法長期給付に関する施行法の一部改正におきましては、第一に、日本赤十字社の救護員としての期間を、共済組合組合員期間に算入するよう所要改正を行なうことといたしております。  第二に、現行国家公務員共済組合法施行前の年金受給者年金額につきましては、国民生活水準国家公務員の給与、物価その他の諸事情に著しい変動が生じた場合には、変動後の諸事情を総合勘案して、すみやかに改定措置を講ずるものとする旨の調整規定を設けております。  次に、旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法の一部改正におきましても、国民生活水準等に著しい変動が生じた場合における年金の額についての調整規定を設けております。  また、この法律案におきましては、昭和二十三年六月三十日以前に給付事由の生じた年金受給者年金額につきまして、同日後に給付事由の生じた年金受給者年金額との調整を行なうこととするとともに、現行国家公務員共済組合法に基づく年金受給者等に対する年金の額についての調整規定を設けるほか、恩給法等改正に伴う所要措置を講ずることといたしております。  以上が、二法律案提案理由及び概要であります。  何とぞ、御審議の上、すみやかに御賛同くださいますようお願い申し上げます。
  4. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 以上で提案理由説明は終わりました。両案につきましては、本日はこの程度にいたします。     —————————————
  5. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 次に、国の防衛に関する調査のうち、まず太田大泉飛行場に関する件を議題といたします。  本件につきまして質疑の通告がございます。  なお、関係当局の御出席は、松野防衛庁長官小幡防衛施設庁長官鈴木防衛庁参事官財満防衛施設庁施設部長方々であります。  それでは御発言を願います。
  6. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 私は、当委員会昭和三十四年以来引き続いて取り上げております太田大泉米軍飛行場返還問題について、前回お伺いしたことに引き続いて若干お伺いしたいと思います。この太田大泉飛行場は、御承知のように、昭和二十年の十一月終戦と同時に米軍に接収されて、自来米軍基地として今日に及んでおるわけです。昭和三十三年十月に駐留軍の移動に伴って群馬県の駐留軍施設はこの飛行場だけを残して全部返還されて現在に至っておるわけです。  そこでお伺いするわけですが、この飛行場は、申し上げるまでもなく、物資投下訓練飛行場であるわけです。毎月実情を見ますると、数日間一機が飛んで来て物資投下訓練をやる、そういう程度であるわけです。この訓練も非常に正確に定期的に行なわれていることでもなくして、いつもとだえがちであって、あまり連続して規則的に訓練が行なわれておるわけでもないようです。現に米軍管理者も一、二名がおってさびしく管理しておるというふうに、米軍にとってはあまり必要度はないのではないか、そういうふうに考えられるわけですけれども、一方群馬県にとっては、特に地元太田大泉等の市、町にとっては、これは首都圏整備法に基づくいわゆる衛星都市としてきわめて重要な工業用地として期待しているわけです。こういう意味合いからも、米軍にとってはあまり必要ないけれども、日本側にとってはきわめて重要な工業用地である。こういう一点からも、ひとつ、もう長い問題であるし、この辺でひとつ返還に踏み切るべき時期に来ているのではないか、そういうふうに考えられるわけです。このことについての長官実情に即したひとつ御答弁をいただきたい。
  7. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 太田小泉地区の問題では伊藤委員の多年非常に御熱心な御発言を拝読し、また、私が就任以来、すでに二回この問題で当委員会で御質疑を受けました。よく御承知のとおりでございます。ただ、私たち考えますのに、不要かと言われると不要というわけでもないし、米軍も、やはり演習の日数は十日前後、四十年においては一月から十二月までちょうど百日使っておりますから、三日に一回、一年間のうちの百日を使用しております。使用状況はそのようでありますし、投下訓練は必要かどうか、これはわれわれが判断を即座にするわけにはまいりません。しかし、いずれにしましても、この問題は多年のことであるので、交換、変更返還交渉を継続してやっておりまして、一時は、伊藤委員承知のように、代替地を求めてくれ、代替地候補を一カ所有力なものを見つけました。ところが、その代替地のほうが、今度はまた困るという反対がありまして、実はさたやみになりました。そのほかに、現在使用している演習地移転をしてくれ、移転問題も研究をいたしました。二カ所候補地をきめて研究をいたしました。米軍のほうは、ある程度協力的に、移転もよかろうという考えでしたが、今度は、それがわかりますと、移転先演習地関係市町村から、これ以上演習をふやされては困るというので、これまた移転が実はさたやみになっている。この二回のことは、これは御承知のとおりだと思います。それでもなおこの問題が、御熱心であるし、また、地元も非常に問題がありますので、また新たに最近は別な案を出しまして、目下その案について交渉を進めている。それが成就するならば、太田小泉問題の解決は私は不可能ではない、こういう、まことにわかったようなわからぬような話ですが、場所方法地名を申せば非常にわかりいいのですが、場所方法地名を申すと、その内諾を得られなくなりますから、第三番目の努力をいましております。そうして私どものほうも、元来民有地はなるべく早く返還したい、こういう原則に立っておりますので、民有地を提供して施設としているものは、なるべく民有地については優先的に返還をするという、毎年小さい面積でもありますが、個々に倉庫返還したり、一部のものを返還したり、民有地については優先的にその解除申請をして逐次これは実行されております。つい先般も、東京都内民有地倉庫解除の告示をいたしました。この問題も、もちろん民有地国有地と、大体この面積は二対一のような施設でありますので、民有地のほうが二、国有地が一、したがって、民有地のほうが多いところは返還をなるべく私たち優先順位早目にしたい。その一つは、太田小泉もその順位に入っておる。最後努力をいましております。そのほうがうまくいけば案外解決するかもしれない。しかし、すでに二回頭打ちをしておりますので、努力が実り、日米間の話し合いがついたにもかかわらず、移転先代替地ですでに二回頭打ちをしておりますので、今度はあるいは最後の機会かもしれませんが、慎重にいま目的地複数——二カ所ばかり求めて、その演習変更をいま内地と協定をしておるわけでございます。大体米軍のほうはもちろん演習に支障がなければ協力をしてくれる、あとはその移転する先の問題だけになっております。複数でいま選定をして内交渉を実は進めておるわけでございます。
  8. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 いま長官から御答弁があったわけですが、その中で太田小泉とおっしゃっておりますけれども、小泉という町はいま存在してないわけです。新市制、町制によって太田大泉となっておるわけであります。したがって、これは御訂正いただきたいと思います。  この太田大泉については、もう長官も御存じのように、日本政府も、それから群馬県としても、三十五年の四月に首都圏整備法に基づく市街地開発地域に指定しておるわけです。これは三十三年十月にこの基地返還されるであろうと日本政府群馬県も解釈したわけです。そこで、返還されるということを想定して、いま申し上げた三十五年四月に首都圏整備法に基づく市街地開発地域に指定して工業用地として準備を進めてきたわけです。そういう関係で、現地でもその受け入れ態勢はもう完全に三十四、五年ごろからできておるわけです。にもかかわらず、さっぱり実現しないということで、その準備も結局むだになっておるというのが現状である。これは大きく考えると、日本産業開発のためにもまことに遺憾のきわみである。あれだけ広い地域がもうほとんど——百八十八万平方メートル、こういうような膨大な土地がいまほとんど遊んでおるわけです。米軍がときたま一機来て投下訓練をやるという程度であって、先ほども御指摘申し上げたように、米軍にとっては、公平に考えてあまり必要とは考えられない、訓練状況から見て。しかも、反面、日本側にとってはきわめて重要な工業用地である。しかも、先ほど長官は、民有地については優先的に考えておるということになると、百八十八万平方メートルのうち百二十二万平方メートルは富士重工、いわゆる民有地です。富士重工の所有になっておる。この問題の地方では大部分が民有地であるということであるわけです。こういう観点からも、三十三年、三十四年以来引き続きこういう返還運動が県をあげて行なわれてきておる。もうこの辺で実現してもよいのではないか、こういう要求は決して無理ではないと思います。この点について重ねてお伺いします。
  9. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 御趣旨のような気持ちで私もなるべくこの問題は解決したいと思います。首都圏整備委員会あるいは首都圏整備委員会事務局でそういう案が——先般もある地域首都圏整備の問題が出ました、同じような演習地の中に首都圏整備委員会計画を立てるという案が、別な同じ演習地問題で出まして、私もこれは政府部内のことでありますが、首都圏整備委員会は、現在使用している状況承知しておるので、それがどうしても首都圏整備に必要だというなら代替地もひとつ首都圏整備考えてくれ、そうしてこれは必要なんだというなら、非常にスムーズに円満にいく。ただ、これは首都圏都市計画に必要なんだというだけで、道路をつくるにしましても、大体補償の問題、返還地の問題というのを個人にはあっせんして、そうしてその話をしている。いまわれわれのこの問題は国際的な問題であり、すでに条約条項で知っているものなんですから、首都圏整備委員会でももっとスムーズに円満に、地元に御迷惑かけないなら、代替地もひとつその計画の中に入れてくれというふうな話を先般首都圏整備委員会にしておきました。そうしないと、地元のほうは、計画ができた、さあそれができるだろう、ところが、条約条項によってできない。そうすると、どちらが正しいのか、地元の方にもかえって御期待を裏切るようなことがあってはいけないというので、先般首都圏整備委員会には今後実施計画をつくるときには、円満にいくためには代替地考えてやってくれというふうな話を実は申し入れをしたのであります。この問題のもう一つの案であります。そこで私は、政府部内でやっているものがこうばらばらではおかしいじゃないかと言われると、どうも私もそんな感じがします。代替地計画に載せてもらうならば、円満にこの問題もいくんじゃないかという話をしたわけです。ところが、首都圏整備委員会はそういう権限、権能までは具備しているかどうか、これもまた行政上の一つ問題点になっております。  なお、富士重工の持ちもののようで、富士重工にいままで一応賃貸料を払ってそうして円満に借りておりまして、特に富士重工が絶対返還をしてくれるという強い要求というものはいままで争いはありません。円満に借り、円満に支払い、円満に継続しておるわけであります。その富士重工政府間においてこの問題はトラブルがあったり契約しないと言ったり、あるいはそういう問題はいままではありません。一般的にやはり民有地はなるべく早く返したいということから、太田大泉の問題を解決したいと私は思っております。
  10. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 最後段階で御指摘になった、富士重工との間のトラブルはないという、つまり返還要請はない、これはいま直ちに反駁申し上げたいのですが、順序としてあと段階でその件に関する限りお伺いをしたいと思うのです。  そこで私はさらにお伺いしたいのは、この問題は一部の方々要求ではないということは御理解いただけると思う。と申しますのは、群馬県議会でも繰り返し繰り返し即時返還の決議をされておる一事をもってしても、これが県民要請であるということも御理解いただけると思う。それから地元太田大泉尾島そういうところで三十二年七月以降今日まで九年間の長きにわたって日本政府、そのころの防衛庁調達庁あるいは米軍司令部あるいは米大使館、こういうところに波状的に長い間の陳情を続けてきて今日に至っておるわけです。そういうことで、やはり県民の声、即国民の声をも、長い間の念願でもあるし、したがって、いろいろの観点から長官もよくご存じでしょうから、同じことを繰り返しませんが、米軍にとって必要だ、日本側にとっても必要だ。いわゆる国民の、市民の頭上で危険な投下訓練は、いろいろの要素を総括して考えた場合ですが、もうこ段階返還に踏み切るべき時期が到来しておる。そういうふうに考えるわけですが、もちろんこの問題はいまの段階では適当な代替地があればということですが、とのような長い間、この面についてのそれぞれ専門家がこういう長い間かかって誠意を持って解決に当たるならば、もうこ段階解決できないということはあり得ないわけです。これは後ほども申し上げますが、松野長官だけの責任とは決して申し上げておりません。このことはあとで申し上げまするが、ひとついろいろな条件、要素を勘案して、通り一ぺんのことではなかなかこれは解決しないということは、もう言うまでもないことです。ひとつ抜本的な方策を講じてもうここで踏み切るべきだということを要求する以外にないわけです。この点についてお考えをお聞かせいただきたい。
  11. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) ことばが足りませんが、内容は、ぜひこの問題は努力をしまして、先ほど申しましたように、代替地または転換地候補を二カ所いま求めております。といって、これはまたそれじゃどこだといううわさがありますが、これはいままでうわさが出た所ではございません。したがって、あるいは関係委員の方もおられますが、いままではたしか栃木県の河原の話が一回出まして、栃木県からももちろん反対が出ました。そこの場所をさらにいま申し上げるわけじゃございません。そこではございません。といって、水戸の射爆場でもございません。北富士でもございません。そういういままで問題になった所以外の所を、実はかえってこんなことを言って憶測されて、ほかのいままで反対された地域の方が、また再び自分のところに持ってくるのかと言われては困りますから、いままでの所ではない、ほかの所をいま努力して求めておるということを一言申し上げて、あとのことは私がどんなに努力して苦労しておるか、いままで反対の方に不安を与えないような新たな所をいま二カ所求めて米軍話し合いをして、米軍はもちろん協力的でありますから、大体それは協力してくれる。あとはその地元地域の方の内諾を得ながら考えたい。そうしてそういう無理な民有地を特に買い上げる、借り上げるとか、そういう意味でもありません。これは現在ある程度国で所有しておる所に、何とか地元の方にもそういう大きな刺激を与えなくて円満にいくのじゃないだろうか、そういう程度で、ひとつその努力内容は御賢察願いたい。ここまで申し上げれば、私は新たに、いままでのような刺激を与えなくて、地元の方も協力してくれるような地域があるのじゃないかと努力しておるのです。その地域複数で、うっかりすると、一カ所でも出るとなにですから、とにかく太田大泉については近々に内諾が得られれば、案外早期にこの問題が解決するのじゃないか。それがまたとんざいたしますと非常に私も困ってしまう。いよいよ袋の中のネズミみたいになりますが、もう一つ努力とその方向でやりますので、どうぞ伊藤委員にも御協力を願いまして、いろいろ関係者の方がありますが、いままでの所ではない、移転先で問題を起こした所をもう一ぺんほじくるのじゃなくて、新たにもう少し争いのない場所考えて、そこに演習場移転してもらいたい。したがって、代替地という意味でなくて、移転という形で努力しておるのであります。どうぞひとつ成果を見ていただきたいと思います。円満にいけば移転はいくわけです。米軍についても、演習については当然協力いたします。演習ができて、そうして地元太田大泉返還される、そういう道をいま一生懸命求めております。見通しは五分五分じゃないかと私は思っております。そんなに不可能な状況ではない、大体五分五分ぐらいのところはいけるのじゃないかと思っております。地元のほうにそれとなしに平和のうちにお話し合いをして、演習内容程度は御説明をして進めておるのがいまの状況です。どうぞひとつその程度でその内容はおまかせいただきたい。ただ太田大泉については返還に一生懸命努力します。これは現実問題として進んでおります。まあ演習が必要かどうか、これはお互いの考えですから、その問題よりも早く問題を解決していきたい、その方向努力したいと思います。
  12. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 私はいままで県議会とか太田市、大泉町、尾島町、こういう地元市、町等立場から、これは県をあげて、地元をあげて満場一致の形で県民百六十万が一体となって要請してきておる、しかも、理由がりっぱに存置しておる、こういう立場でお伺いしたわけです。ところが、これと並行して、一方国会の当委員会におきましても、私は赤城さんが当時防衛庁長官であった昭和三十四年以来、今日まで七カ年の長い間、連続数十回となく返還問題に取り組んできておるわけです。この間に、防衛庁長官赤城さんから起算して松野さんは八代目になる。努力するというようなことを言っておきながら、すぐかわってしまう。非常に気が楽なわけです。ところが、要求するほうは容易じゃない。長官を八代も迎えて同じことをまた初めから繰り返し繰り返しやってきておる、こういう実情である。こういう中で、赤城さんから起算してこの八代のそれぞれの長官はみな、誠意を持って返還努力すると、こういうふうに言われてきたわけですが、特に赤城さんとその次の江崎さん、この二長官期日を明確にしてまで公約されておるわけです。その当時の議事録をごらんいただけば明確に出ております。特に赤城さんは、三十四年です——三十四年の秋ごろいろいろ申されましたけれども、結論的にはおそくも明春三月ごろまでには返還できるようにいたします。明春三月というと、年数をこれに入れますと三十五年の三月にもう返還されておったわけです。それから次に引き継がれた江崎長官も、三十五年に就任されて本年中には返還できるようにいたします、こういう期日を明確にして国会の場で公約されておるわけです。ところが、それから西村さん、藤枝さん、志賀さん、福田さん、小泉さん、それで松野さんと、こういうふうに来たわけですが、西村長官のころからなかなか期日を明確にして答弁されなくなってきたわけです。急に態度を変えてきたわけです。それは赤城さんと江崎さんのお二方の長官期日を明確にしてこの場で公約されたにもかかわらず、なかなか実現しそうもないので、ことば巧みに答弁をかわされて期日を明確にしなくなってきた。これはありのままを申し上げておるわけです。こういうことで、期日まで明確にされておるというこの事実。そのころ地元太田市、大泉町、尾島町などでは、私の国会での質問に対する答弁ではこれはもう返還が近いということで、着々工業都市としての準備を進めてきたわけです。にもかかわらず、結論は今日まで全然いまだに解決をはかれていないということであります。物心両面にはかり知れない大きな損害を受けてきておる、こういう経緯もあるわけです。こういう観点からもひとつこの時点で解決してしかるべきだ。尋常一様の方法では解決されない。簡単に考えられる問題でしたのが——解決していなければならぬ問題です。だから、この問題は安易な問題とは決して私は申し上げていないわけですね。容易ならぬ問題だからこそ、相当深い決意を持って取り組んでいただかぬと、尋常一様のことでは解決されないことはこれはもう明確だ。こういう経緯がある。この点についてのお考えをお聞かせいただきたい。
  13. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) この問題は、ほかの基地とは違いまして、いきさつ、民有地であったこと、まだ、当時軍需工場があったということ、接収の理由、そういうものでほかの基地とは非常に事柄が違っておると思います。なお赤城君、西村君、江崎君もだいぶ早く努力をしたようであります。なお、大臣がかわるとあとは責任がないといいますか、これはふしぎなもので、私がかわれば私は楽になるかもしれませんが、その借金と申しますか、その発言といいますか、その約束をずっと引き続いてこれはやっぱり継続しております。したがって私は、江崎君の発言西村君の発言赤城君の発言を背負って、そうして今日私が言うようなことで、やっぱり大臣はかわりましても、その役所とそのいすというものの責任は、伊藤さん、どんなに大臣がかわっても、それは大体行政というのはその経路の上に次は進んでおります。したがって、これは確かに大臣はかわっても、その責任を積み上げていままでこの問題は私に大きな一つの荷物になっておるくらいで、そのいきさつはちっとも変わっていません。したがって、私がかわったからとかりにいいましても、次の人は私の発言を全部証拠物件として残して次に事務引き継ぎをするのですから、それはそう私は御心配にならなくても責任は進行しておる。じゃ、八年もかかったじゃないか、八年でこれが解決するにはおそかったかもしれませんが、もしこれが解決できれば、非常に私は円満というか、非常に順調にいったのではないか。基地問題なかなか一つ一つ容易じゃありません。しかし、この問題は、全国で別な変わった問題といいますか、民有地という特殊事情があったこと、ここで何べんも発言したこの発言した内容は、その当時はそのとおりでした。期限を切られるくらい自信を持って私はその当時の大臣が言ったと思います。言った理由も、御承知のごとく、その当時の日米間の状況の変化という大きなものがありましたから、おそらくその中に太田大泉は入るであろうという見通しのもとに、おそらく期日を、大体解決見通しを私は発言したのだろうといういきさつも私の引き継ぎの中にずっと入っております。その後状況が思うとおりいかなかったために、したがって、これがその後延びたのであって、ただから約束をあのときしたのではありません。あのときの見通しではある程度期日を切ってもいいという状況のもとにありましたが、それが情勢が変わったために、次の西村君になってから少しことばが、おっしゃるとおり——情勢が変わったものですから、少しずつ強気で言えなくなったのではないか。ところが、今度はそういう情勢じゃなしに、この太田大泉自身のいままでのいきさつから考えて、米軍に話をして、米軍ももちろんこのいきさつを承知しております。したがって、太田大泉に関しては特別な考えで、いままでのここで答弁した責任をアメリカも知っておりますので、理解を深めて、そうしていまのような返還地の問題、演習代替地の問題等については非常な協力をして、米軍もある程度演習の不便にもそれは応じて、代替地あるいはかえ地あるいは場所変更にも大体応じてきております。そういうわけで二、三問題が起きそれがつぶれ、また起きまたつぶれ、そして今日またも、最後最後かもしれません、私としては。一番これならというところをいま交渉を進めておるわけであります。したがって、どうぞひとつ御期待に沿えなかった過去のことについては、私もほんとうにそう思いますけれども、努力も認めていただいて、また、前大臣もみな努力したという実績はみな残っております。ただ架空に言った人は一人もおりません。赤城君の言った理由はこういう理由でこう言った、江崎君はこういう理由でこう言った、西村君は少し情勢が変わったから答弁が変わってきておる、そういうのはみな私の引き継ぎの中に入れて、そのいきさつを背負って私もこれはやっておりますので、どうぞ伊藤委員も私のことばを、ただ、きょうのがれで言っておるわけではありません。私はすなおに、この問題については、問題が多いだけに、すなおにお話をしている。したがって、その方向努力をもう一度してみたいと思うのですが、それが、ただの架空の問題でなく、本気で努力しております。先ほど概略お話ししましたが、概略お話しする程度のことで、いかに内容が進んでおるかお察しいただきたいと思います。ただどこか考えるというだけではない。大体私は輪郭だけをお話ししました。ただ問題は地域というものだけに限定して、そこの住民との話し合いを進めまして、その上で私は大体ここは可能、まずくいくと困るなと思っております。これならばと思っておるのです。どうぞいままでのことも御苦労でしたが、しかし、そこまで成就する努力も互いに理解と協力があればできるのじゃないかと思います。ただ口先だけでない。真剣にやっております。伊藤さんの御苦労は察しますが、私のほうも真剣にやっております。答弁は、少なくとも、本会議とかいうところではいろいろ言いますけれども、こういう委員会だと年じゅうすなおに話します。そのとおり私のことばを額面どおり、高く評価していただいてもいいのですが、あまり言いますと、またもし私がかわってしまうと次の大臣が責任を負いますので、遠慮しいしい、五分の可能性はあるということでやっております。どうぞひとつ御協力、御賢察願いたいと思います。
  14. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 いま御答弁があったように、先任の大臣の公約したことについて、同じ内閣の後任の大臣が責任を持つ。これは考えれば当然のことでありますが、しかし、一面松野長官がそのことを率直に認めて、当然責任があるのだと、しかも、過去の事態に対してはひとつ努力してきたのだから御了承いただきたいと、いろいろ御指摘があったわけです。そこで、これはお願いを兼ねてひとつ決意を伺いたいわけですが、それでは、こんなに理解のある松野長官であるならば、ひとつあなたの在任中にこの返還問題を解決しようという、そういうほんとうの腹からの御決意はあるのかないのか。これはイエスかノーかでけっこうです。
  15. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 私の在任中にぜひ解決したいと、イエスだと申し上げたいのです。ただ、私の在任を先にきめていただきませんと、基本のほうがきまりませんので、イエスと言っても、もし私の在任中に、私は大体イエス——この問題の解決の見通しはつくと思います。いまの候補地努力については、見通しはつくと思います。いま努力しておりますから、これはおそらく私の在任中に見通しがつく。いいほうにつけばこの問題は解決する。その見通しは、いまの私が努力しているその候補地についての見通しは、私の在任中に、かりに短い期間でも大体見通しは早期につくと私は思います。ただ、私の在任中、私の在任がわからぬものでしたら、これはまあ参議院の議員さんのように六年というのであれば、在任中にだいじょうぶだと言えましょうが、私のほうはなかなか、いつのことか政治情勢、御承知のごとく野党攻撃も強いのですから、いつのことか見当がつかない。なお、先般の、北村さんもおられますけれども、また、皆さんおられますけれども、予算委員会において、岸総理の発言が佐藤さんの責任になっております。食い違い、食い違いでない。そう考えると、一つの内閣、内閣総理大臣がかわっても、一つの政党の内閣というものは、責任と申しますか、そのことばというものは継続するような次第でありますので、まして、私たち防衛庁という役所は、前大臣の言ったことは次の大臣がおれは知らぬなんと言うことは、少なくとも一つの内閣の性質が同じならば、それは私はあり得ない。特別の情勢がかわれば、またその情勢に応じて御説明申し上げます。しかし、そういうことは、私たちの、ことに役人はほとんど続いておりますから、また規則もずっときまっております。そういう無責任なことは大臣が何べんかわってもそれは私はあり得ない。また、私たちもそういうワクを越えることはできない。また、行政というものはそうあるべきものなんだ。これは同じ立場で私はお話をしているのであります。どうぞもうしばらく、在任がきまりませんから、在任中と言いにくいのですが、近いうちにいまの候補地についてのイエス、ノーの回答は見込みはつく、そのくらい進んでいる。それだけに微妙な段階であると私は思います。
  16. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 それでは、任期がわからないので、大臣いつまで任にあるかどうかわからない、それはほんとうにわからぬでしょう。だからこそ急いでやらないと間に合わぬわけです。急いでやれば、いますぐ大臣がかわるということは常識的に考えられない。したがって、緊急にこの問題を解決することによって、あなたの在任中に解決するという結論になろうかと思うのです。大体私の在任中に解決する決意を持っている、そういうことでありますので、そういう前提に立って緊急にこの問題を解決してもらいたい。そういうふうに要請するわけです。  なお、この問題に関しては、国会の場において、一国の大臣が公約したことが長い間実現されないということは、ことばをかえて言うと、行政の府が立法の府を軽視したことになる。むしろ無視したことになりはしないか、こういうふうにも当然考えられるわけです。この立法の府で一国の大臣が公約しているわけです。それが一カ月とか半年とか、そういう短期間いまだに実現しないということは幾らもあり得るわけですけれども、七年、八年の長い期間にわたって、しかも、両大臣が期日をも明確にして公約していることがいまだに実現しないということは、他にあまり類例はないと思います。こういうことは、要約すれば、行政の府が立法の府を軽視している、無視している、こういう結論になろうかと思う。この点が、もしそうだとすれば、これは重大な問題であるわけです。何のために立法の府でこういう審議をするか、全く意味がなくなってしまう。安心ならぬわけです。安心して質疑ができないわけです。こういうことから、ひとつ一そうのふんばりをやっていただかないと、こういうふうにも考えられるわけです。私の言う論点に間違いがあったら御指摘いただくとして、こういうふうに本当然考えられるので、事ほどさように重大な問題でもあるから、さらに一段とひとつ決意を固めていただきたい。こういうことをお伺いしているわけです。これに対してお答えを願いたい。
  17. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 立法の府を行政がと言われますが、私は逆に行政が立法府に非常に服従するほうが多い。非常に立法府のほうが強い。したがって、赤城さんあるいは江崎さんの答弁も、何月何日ごろまでに見通しをつける、何月ごろまでには返還が可能であると思います、こういうふうな答弁をおそらくしたのじゃないだろうか、また、おそらくそういうふうにしていると私は思います。それはやはり立法府に対して最善の努力と見通しを御説明せんがために、ある意味では好意的な見通し、どちらかというと楽観的な見通しを私は述べた。五分五分よりも六、四ぐらいの感じで述べたのじゃないか。それだけ、どっちかというと、立法府を尊重したと私は思うのです。行政でも、その当時はそんなものはきまっていません。何月何日までに解決の見通しがあるなんという書類はなかった。ただ、交渉として今後おそらく有利にいくであろうというので、立法府に尊敬を払い過ぎたのが、ある意味でそう言ったのじゃないかという、その論拠になっていると私は思います。そのときは非常に努力して、好意的にやったのじゃないか。私はしたがって、なるべく、五分五分と言ったのは、非常にこれならあとあと残っても間違いない。私がかわって次の大臣が受け継いでもこのことばならやれる、こう思うので、わりにかた目に五分五分と言ったのです。それは立法のほうがいまも非常に強いと私は思います。行政の府のほうが非常に弱い。  なお、私の在任中と先ほど言いましたのは、大体この国会中にはある程度の見通しが私はつけられると思って、この国会中くらいは私の在任はあるであろう、こう思って実は先ほどの在任中ということを申し上げた。この国会——六月ころまでには私のいまの候補地交渉の見通しはつく。そうして御返事ができる。これがイエスのほうにいけばこの問題は解決つくんじゃないか。もしうまくいかないということになると非常に心配です。その見通しは、この国会中には大体この交渉が持てるように米軍及び地元との話し合いがつくと、私は思います。といっても、つくと言ったら、必ずイエスかといったら、それはいまからの話ですから、それは五分五分に感じていただきたい。五分五分の返事、その返事がイエスと出れば円満にこの六月ころには大体見通しがつく。それから返還の問題が具体化されるのじゃなかろうか、その大事なときなんです。そういうわけで、これがただ私がかわろうがかわるまいが、このことばは、施設長官もおりますから、施設長官とも大体打ち合わせた上で答えているのですから……、ただ私が立ったついでに話したのじゃありません。どうぞそのことは六月ころまでには見通しがつく。イエスと出れば非常に順調に今後進む。それくらい近いものである。それだけに私の努力とその内容を察していただきたい。また、ただの問題として取り扱ってはいないということです。そこまでお答えすれば、御満足とはいかぬが、御了解等はいただけるだろうと思います。
  18. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 いま長官から、在任中に解決するということの考えをさらに具体的に一歩進めて、この国会会期中に何とか見通しをつけたい、そういうことは了として私どもは受けとめできるわけです。ひとつその決意で取り組んでいただきたいことと、ただ、いま私がお伺いしたのは、行政府より立法府のほうが弱いとか強いとか、五分五分とか六、四とか、そういうことをお伺いしたのでなくて、行政の府である当時の赤城防衛庁長官が立法の府で公約されたことが非常に長い間実現されてきていないのは、その行政の府が立法の府を軽視することにならないかということを申し上げたわけです。決してどちらが強いとか弱いとか、そういうことを言っているのじゃなくて、やはり行政の府が立法の府を軽視することになるだろう、こういう観点からお伺いしたわけです。  なお、お伺いいたしますが、この返還問題は私が言うまでもなく、具体的には日米合同委員会施設特別委員会で論議される。しかも、この施設特別委員会は隔週——いままでは水曜であった。現在は何曜であるか知らぬのですが、隔週、従来は水曜に一回持たれているのです。ということになると、隔週に一回というと、一月を四週とかりに見ても隔週ですから二回あるわけですね。で、年間には二十四回施設特別委員会は持たれてきておるわけです。しかも、これが七、八年の長い間こういう施設特別委員会が持たれてきておるわけです。しかも、この日本側の代表は施設長官になっておるわけです。こういう角度から施設長官にお伺いするわけですが、一体この太田大泉飛行場返還の問題を米軍に対してどういうふうな態度でどういうふうに議題としてきておるのか。年間二十四、五回もあるこの施設特別委員会ですから、もし誠意がおありになれば相当議題になってきておるわけです。議題にすらならぬことが多いということでは、先ほど長官が言われたように、せいぜい努力してきたということには当たらないと思う。そこで、この長い間の施設特別委員会における状況を具体的にひとつお聞かせいただきたいわけです。
  19. 小幡久男

    政府委員小幡久男君) 太田大泉につきましては、先ほど大臣からるるこまかに御説明がございましたような経緯で大筋は尽きると思いますが、施設特別委員会との関係のお話がございましたので、私からお答え申し上げます。私も昨年六月、前回の国会でも伊藤先生に申し上げております。施設庁の責任を負うことになりました直後——この問題の経緯は、これを引き受ける数年前から、話に出ております内容も、私が国会でも傍聴しておりまして知っておりますので、すぐに数日たって、まず最初に現場視察をしたのは太田大泉でございます。まず、お話しの実際の実情を視察いたしまして、直ちに帰りまして、心を新たにいたしまして、大臣の御指名によりまして、いままでの経緯を事こまかに整理いたしまして、文書にして、トーキング・ペーパーにいたしまして、特定の候補地を出しまして、施設特別委員会というよりも、もう少し上の段階のほうへストレートに申し出た次第でございます。それから米軍のほうも、司令官以下参謀長がこの問題につきましては、前々から非常な関心を持っておりますので、特に別扱いにしてもらいまして、いろいろ陸海空三軍も現実にその特定地につきまして飛行機を飛ばしたりいたしまして、数カ月たちまして、非常な詳細な答えが来ております。結局、第一の候補地は、たとえばその土地の平たん状況とか、あるいは進入方向が悪いとか、気象が悪いとかというようなことで、三軍の意見は遺憾ながら否定的でございますが、そういうふうに非常に良心的な米軍の回答をくれました上に、なおそのときに、この演習内容そのものについても司令官は検討したいという意向を申し添えてきております。そのことを大臣に御報告申し上げたのでございます。その結果、この大臣の御発想等によりまして、ただいま大臣からお答えがありましたように、複数の、別の、従来問題になって口にのぼったことはない新しい候補地を折衝しろという御指示がありましたものですから、これにつきましても、施設特別委員会という公式の場でいろいろ議論するというよりも、ストレートに向こうの司令部の本拠といいますか、そこへ持ち込んで、内々に現在折衝している段階でございます。施設特別委員会は隔週に開かれますが、ここでは大体事務的に、話のほぼ下からまとまってきたものをやることが多いのでございますので、こういった問題は、先般あの多大の努力解決いたしました東富士の問題のように、それ以前の問題として根回しをやるということが必要でございますので、そういう施設特別委員会にやがてはかかりますそれ以前の、さらに高い政治的な配慮からいろいろな苦心、努力をしているというのが実情でございますので、御了承を願います。
  20. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 従来からの経緯は、米軍側も適当な代替地があれば返還するということをいままで述べてきたわけです。ところが、適当な代替地といっても、ただ単に飛行訓練だけではなくて、物資を投下する危険の伴う訓練、先ほど長官からお答えがあったように、第一回、第二回はそれぞれ地元反対で実現をしなかった。これは反対をするのは当然だと思う。頭の上で物を落とす訓練をやるわけですから、これは喜んでこれを引き受けるものはちょっとないと思う、人間の住んでいる限りは。したがって、人間のあまり住んでいないところへたとえ誤投事件が起きても、危険はない。こういうところなら問題は解決しようと思う。ところが、そうなると今度は米軍のほうで満足しないという事情があろうと思う。米軍司令部にどのくらいの距離の範囲のところとか、交通の便利なところとか、米軍はいろいろ出しておるわけです、条件を。そういうところは必ず人間が住んでおるわけです。四つの島国に一億という大ぜいの国民が住んでおるわけですから、どこ行ったって人間がおるわけです。こういう狭いところで危険千万な物資投下訓練をやること自体がどだい無理なわけですね。そこで、たまたま日本側が適当と思って、米側も適当と思っても、地元反対がある。で、私どもここでお伺いしておるのは、自分の県の太田大泉飛行場さえ返還されればどこへ持っていこうとそれはもうおかまいなしだ、そういうことを申し上げておるんでは決してないわけです。それは日本の国土どこへ持っていっても、人間の住んでいる頭上でこういう危険な訓練をやるべきでない、こういうことです。また、人間の住んでいるような、都市の上空で投下訓練をやれば、後ほど申し上げる太田大泉で相次いで起きた誤投事件のように、また引き続いて問題が起きるわけです。したがって、そういうアメリカ側の条件と日本側の条件とは必ずしも一致しないと思う。こういう経緯をあわせ考えてくると、こういう狭い島国では、誤投問題をもあわせて考えたとき、適当な代替地というのはなかなか困難であろうと思う。そういうことで手間どっていると思うんですが、そこで、日本でこういう投下訓練をやるのはきわめて不自然、無理であるから、ひとつアメリカへ帰って訓練をやれば、アメリカは膨大な土地を持っておるのだからどこででも随時やれるわけです。そのくらいの決意を持ってひとつ米側に交渉できないものか。この日米合同委員会ないしはその下部機構である施設特別委員会で、米側の要求だけでなくこちらの条件も出して、この投下訓練自体がきわめて危険を伴うものである、米側にも交通の便利なところというような条件を引っ込めてもらってということでないと、なかなかこれは解決しないと思うんです。こういう点、施設長官はどういうふうに考え施設特別委員会に臨まれようとするのか、こういう点をはっきりお示しいただきたい。
  21. 小幡久男

    政府委員小幡久男君) もちろん私たちも、演習内容等につきましては、そういった見地からも検討したことはございます。また、向こう側とも話し合ったこともございます。いろいろその間の折衝で判明いたしたましことは、やはり日米の共同の防衛をやっておる以上、日本の気象、風土になれた訓練というものはどうしても必要であるという、これは一つのまあ必要なことだと思います。日本本土の防衛もいま日米共同であるという場合に、そういった見地から日本の風土にならしていくということは、航空技術につきましても原則であると思っております。ただ、その危険という問題につきましてもいろいろ考えたわけでございますが、これは先ほど御説明の中にちょっと申しましたが、向こうの司令官も、現在やっておる演習をできるだけしぼれないかという意味の配慮をしたいということを言っておられます。で、われわれも、この演習につきましては、なお技術的にも検討したことがございますが、六百メートルの高さから物を落とすんで、非常に特異な物でない限りは、相当の予防措置を講ずればそれほど危険はないんではないかと考えられる程度の高さでございます、物によりますが。そういったところで、米側もくふうをしてもらいたいし、そして、日本側の先ほど言いました一、二の候補地から見ましても、受け入れやすいような訓練という意味のしぼり方も米側に折衝したいというふうには考えております。しかし、これは全然否定して本国でやれということは、現在は私はできないと思っております。
  22. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 ここに太田大泉の地図がいろいろございますが、これを見ても一目瞭然のように、この太田大泉、この地区は市であり町であって、相当人口密度も高いわけです。そういう頭上で訓練をやっていますから、まあ米軍訓練は非常に整理をされて間違いはないんだとおっしゃるかもしれませんけれども、案に相違して誤投事件が現実に起きておるわけですね。ここに詳しい記録はありますけれども、まあ時間の都合でこれを一々申し上げません。ただ、三十三年八月十一日以降、この訓練中の誤投事件が八回にわたって起きておるわけです。八回も連続起きておるわけです。あるときにはガソリンかんが落ちておりますし、二回目にはジープ一台が落ちてきた、しかもその一部が九合という小学校の頭上にも落ちてきたわけです。屋上を貫いて天井板でとどまったという、これはジープそのものでしたら相当児童の死傷があったでありましょうけれども、幸い天井板でとどまったということ、そういう事実もありますし、電子測定機など、あるいはドラムかん、こういうものが相次いで、ジープなどは二回も落ちておるわけです。こういうふうに、この地区は安全地帯とは言えないわけです、誤投のあった場合。しかも、この誤投事件は相次いで起きておる。しかも、一回起きると米軍は、もうこういうあやまちは二度繰り返しませんということを言い続けてきたわけです。しかも八回も続いておりますから、七回、もういたしません、誤投事件はないようにいたしますと言って、八回も誤投事件が現に続いておる。こういう現実の姿を見詰めたとき、われわれとしては大いに考えさせられるわけです。アメリカの訓練の便宜のためなら日本人はかような危険を忍ばなければならないのかという基本問題が起きてくるわけです。これは容易ならぬ問題だと思う。なるほど太田大泉の上空で訓練をやることは、米軍にとっては有利でありましょう、また、訓練が必要でありましょうけれども、そのこと自体、日本人の頭上でこういう誤投事件が相次いでおると、こういうことは、アメリカの訓練のためなら日本人はそういう危険をも忍ばなければならないのか、これはまことに重大な問題であろうと思う。このことに対する防衛庁長官としてのお考えをお聞かせいただきたい。
  23. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 今日の状況——条約というものからこの基本的な問題は発生していると思います。それにしても、なるべくその条約条文の中にその危険性というものを絶対にないように、また演習に支障のないように、両方の円満な運営というのが一番私ども望ましいことである。たまたまそれがそのとおりいかなかった例も、御承知のようにあるやに聞いています。もちろん、これは予防措置はしていると思いますけれども、しかし、そういうことをしながら、やはり日本とアメリカ、日本の国民と在日米軍というものが、円満に私たちがやるという職務でありますので、何とかこの問題は、地元民が納得をし、米軍も支障がないという点を求めながら、今日やっておるわけで、何らか見通しもつけておりますので、また努力もしておりますので、過去における不満、過去における不便、今後ひとつそういうものが除去されるように、そして円満にこの問題が解決するように、何とか最後まで努力してみます。どうぞひとつそれに期待していただきたい、また御理解いただきたい、かように考えております。
  24. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 時間の関係もありますから、この問題はさらにお伺いしたいところでございますが、次の問題に移ります。  先ほど長官から、富士重工はあまり返還要請していない、別に政府との間に摩擦もない、こういう御意見があったので、それに対して私は後ほどこの点を申し上げるということを申し、上げたわけです。そこで富士重工についての要請を申し上げたいと思うのですが、現在、富士重工はスバル三六〇を相当量製作して今日に来ておるわけです。ところが、最近、新型のスバル一〇〇〇の開発に乗り出して、スバル一〇〇〇をしかも大規模に、大量生産化を具体的に目途としておるわけです。これは新聞等だけの記事では心もとないので、昨日、新宿の富士重工の会社に参りまして、社長がおらなかったので、大原副社長に会って、いろいろ計画を実際に承ってきたわけです。相当熱意を持って、ぜひこれを実現をしたい、こういう新たな新事態が起きてきたわけです。いままで富士重工は私有地でありますが、政府に対してはあまり返還要求しなかった。ところが、この新車の開発に際して、これは相当の熱意と決意を持って政府に早期返還を迫る、また、今後大いに政府返還要求する、そういう態勢がいま着々と積み重ねられつつあるわけです。一つの新事態と見ることができると思う。なおついでだから申しますが、これに即応して太田市、尾島町、大泉町、こういう地元でも、政府の態度のいかんによっては、政府を相手どって返還訴訟を起こす用意がある、こういう準備をいま進めておるわけです。片や土地の所有者である富士重工にしろ、その地元太田大泉にしろ、かような決意で返還を迫っておるわけです。こういう観点からもこれは一つの新事態——いままで富士重工は土地に対してあまり激しい返還要求してこなかった、これはもう長官の言われるとおり事実です。ところが、いま申し上げた事情で、新車の開発、拡充強化、こういう観点から熱心に土地の返還をいま要請しておる、これはもうそういう必要性を確認してきておるわけです。しかも地元の市でも、町でもこのことをひとつ絶好の機会として、返還訴訟までも考えざるを得ない羽目にきた、こういうことを言っている。これは一つの新しい事態であろうと思うのです。こういう点を考えて、このことをひとつ十分かみしめていただくならば、大臣が先ほど在任中、いな今国会会期中に何とか解決するように努力したいと、こういう気持ち等あわせて考えて、ひとつ早急に抜本的な方法によって——方策いろいろありましょう、こういうことについてひとつ早期に返還ができるようさらに一段と努力を重ねていただきたいということを要望を兼ねて、これに対する長官の決意のほどを伺って、私の質問を終わりたいと思います。
  25. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 富士重工から防衛庁に正式な要求がいまだに来ておりません。また、係官のところにも来ておりません。したがって、その事実は私のほうはまだ把握していないということで、どちらが正しい正しくないという意味じゃございません。また、ただいまも聞きましたけれども、一ぺんも富士重工から直接要求は来ていない。富士重工が工場用地の拡張を望んでおるという事実は承知しております。これを返してくれという要求はまだ事実として聞いておりません。その問題はまあ別として、私のほうも何とかこの問題、多年のことでありますから、早く解決をするように、いまこの国会のうちに解決するかと言われると困るのですが、私はこの国会のうちには解決できる見通しが、可能性はありますから、そのいま努力している姿の結論は、この国会中には私はある程度見通しはつきますと、それが円満にいけばこれの解決はすらすらといくであろう、その見通しの、解決努力をこの国会のうちにするというお約束じゃなしに、いま私の努力しておる見込みが成功するか、あるいは成功しないかはこの国会中にはわかりますと、そうして円満な、いいほうにいけばこの問題の解決は案外早いと、こういう話をしたわけです。また、次の大臣が私のことばに縛られていろいろ言われると困りますからそういう話をずっとさっきからしております。まあとにかく善意な意味努力しておりますので、もうしばらくこのいまの最後努力の成果を見ていただきたい、こう私は思っております。
  26. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 いまの御答弁の中で、富士重工からまだ防衛庁に正式な書類が来てない、これはまあ形式的な問題であって、副社長がもうそういう決意であるということは、時間的にそういう書類はまだ整える経過の中にあるわけです。したがって、もう富士重工の決意のほどははっきりしておるのであります。だからそういう前提に立って事を進めていただかぬと、伊藤はそう言うけれども、富士重工はまだ依然として返還など要求してないということに解されると、意味がだいぶ食い違ってくると思うのです。それとことばじりを決してとりませんが、ただ一体この会期中にイエスかノーかの見通しがつくと、そういうことの御答弁がいまあったわけですけれども、ひとつぜひ重ねて要請申し上げたいことは、今会期中に返還が実現するよう、そういう前向きの姿勢でひとつこの会期中を目途として最高度の努力をしてもらいたいということを重ねて強く要望しておきたいと思うのです。
  27. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  28. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 速記を始めて。  本件につきましては、本日はこの程度にいたします。     —————————————
  29. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 次に、島松演習場等に関する件を議題といたします。本件につきまして質疑の通告がございます。なお、関係御当局の御出席は、松野防衛庁長官小幡防衛施設庁長官鈴木防衛庁参事官財満防衛庁施設部長のほかに、堀田防衛庁人事局長と大浜防衛施設庁会計課長の方々であります。御発言を願います。
  30. 北村暢

    ○北村暢君 委員長のせっかくの要望ですから、時間の点は協力をいたしたいと思います。  第一点お伺いをしたいのは、島松大演習場のミサイル、ホークの基地というのですかね、陣地というのですかね、構築等に伴う被害の問題でございます。内容的なこまかいのは政府委員に聞きますから、防衛庁長官に、まずこういう工事をやる場合に、被害が起きてから防災工事をやるというのは非常にどうかと思うのですよ。しかも乱暴な、水源地の突端で土砂を、土砂といったってこれは火山灰地帯ですからどうだと思うのですがね。それを沢へどんどんほうって、そして陣地をつくる、そういうことをやれば、これほもう河川にどろが流出するということはもうわかり切っているのです。そういうことを平気でやっているということ、しかもここは前に島松が防災工事等を長年ばく大な費用をかけてやっているところなんです。ですから、ここに限らないのですけれども、自衛隊の演習地の射撃場でエロージョンを起こす、あるいは陣地をつくる、こういう際には、あらかじめやはり防災工事をしておいて工事をやるというふうに、私は基本的にそういうふうに考え方を持ってもらいたいと思うのです。どうも乱暴なんです、やり方が。そういう点についてひとつ、これはそういう事実があるものですから、今後の問題として長官からこれは厳重に、施設庁なり何なりに、そういうことの起こらないように注意をしておいていただきたい。また、長官としても、そういう方向でひとつ検討してもらいたいということなんです。これは施設をする場合の基本的な考え方ですから、長官にひとつ御答弁をお願いしたいと思います。
  31. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 御指摘の場所につきましては、御指摘のような事実がございます。まことにその事実ができてから申しわけ的な話ですが、大体最初部内工事でやったものです。それで一応の計画は、部内において防災に必要な堰堤をつくって、そしてその工事を施行しました。しかし、専門でなかったために、その土量の測定あるいは土質、一番大きなのは土質で、土質のために御迷惑をかけた事実がございます。もちろんすべての工事は、防災工事というものをやってから必ず実施しております。たまたまこの問題は部内工事であったということと、土質の調査がずさんであったということ、そこに雨のために流されたというので、この事例は必ずしも全部が全部じゃありませんが、この問題については、この場所については、確かに技術的な限界——土木専門家じゃなかったためにそういうふうなことになっておりますので、その問題については十分手直し、注意、補償というものをやらせます。手直し、注意、補償をするよりも、前もってこれは金をかけてやっておいたほうが私は安上がりじゃないかと思うのです。これはたしか昭和三十九年四月から十一月までの事件じゃなかったかと思います。これは航空基地、陣地と申されましたが、航空基地です。私ども記録を見て政府委員のほうからも答弁させますが、十分実はこの問題は地元と打ち合わせをして大体においてやるのですが、たまたまこの地域が自衛隊の部内工事だったということと、それから土木的にある程度施設の計算が違ったこと、一番大きなのは土質です。土質の計算が違ったこと、そのために御迷惑をかけて、損害補償また工事のやり直し、こういうことを相当しました。ことに防災工事には千五百万くらい、なおそのためにやり直すこと、芝張りをするとかいうふうなことを考えて、地元の方に御迷惑にならないように手直しをしております。また今後十分注意いたします。
  32. 北村暢

    ○北村暢君 確かに補償もある程度やっているようでございますが、後ほど政府委員に、まだ十分でございませんので——この点はひとつ後ほど事務折衝されることだろうと思うのですが、長官においてこの補償問題等について配慮していただきたい。特に特損法は自衛隊には適用されていないが、どうも自衛隊の演習地というのは、基本法も考えられているようですけれども、補償そのものについても行政措置でやらなければならないのじゃないかと思うのですが、そういうような点で非常に弱い面もあると思うのです。したがって、この補償措置を十分配慮することをひとつ要望しておきたいと思いまするので、御意見をお伺いしたい。
  33. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) そのような事例が多々ございますので、今回基地周辺整備助成法という法律によって、住民の今後の被害を保護するという立法を、近々のうちに、来週中には提案をいたして御審議を願うつもりでおります。  なお、ただいまの問題につきましては、四十一年度予算において仁井別川上流千四百万の砂防堤を実施する予定で、ことしの御審議いただいている予算の中に含めておりまするが、もちろんこの補償があとにいくというよりも、前にやっておいたほうがよろしいのじゃないかということは確かでございます。全部が全部そうじゃございません。たまたまこの問題が——この事例は事例として、今後注意すべきものだと私は思います。
  34. 北村暢

    ○北村暢君 この問題はまだたくさんあるのですけれども、政府委員に聞くことにしまして、次の問題、長官にひとつお伺いいたしますが、同じくこの島松演習場のF104の使用の問題なんですが、いままではここはF86Fのジェット機が使用しておったようでありますが、この一月二十六日に第二航空師団から北海道知事を通じて地元に、F104が演習をやるのだ、こういう通知があったそうですが、いままでF86の場合に、三十六年だったと思いますが、千歳の基地司令と恵庭広島町長との間に協定書というものをつくっておるのです。これは北海道知事が立ち会って協定書というものをつくって連絡協議会を設置し、それから補償の手続あるいはこの補償の対象、その基準というようなものを知事立ち会いで協定書というものをつくっておるわけなんですけれども、こういう協定書というものは、今後F104に演習を転換した際においても、有効として認めていかれるおつもりなのかどうなのか、この点だけお伺いしておきます。
  35. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 三十五年に協定書ができております。この協定書はこれを認めて実施するつもりでおります。この中にもいろいろな文句があって——文句というのは、文面がありまして、お互いの問題については、常に連絡協議会をつくって具体的問題においては協議する、こうなっておりますので、この協定書を生かして、私は今後実施していきたいと思います。
  36. 北村暢

    ○北村暢君 そこでF104に転換することについて、これそのこと自体について、実は地元反対の運動が起こっておるのですが、それはやはりF104とF86の性能の問題なんだと思うのですが、そういうような点から言って騒音なり何なりというものについての度合いというのですかね、そういうものが変わってくるのではないか。しかも104の演習地としては、まあもともとここのところは札幌−千歳間の弾丸道路もあるところですし、また、恵庭、千歳、島松等の比較的密集した町も近いところでありまして、そういう点から言って、演習そのものについていろいろな防災工事、その他施設庁のほうで相当努力したようでございますが、総体的に反対があるわけなんですね。それでそういう点についてどうしてもF104の演習をここでやらなければならない、こういうものなんでしょうか、その点の経緯をひとつ御説明願いたい。
  37. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 協定書にいろいろな場面を想定して、そうしてこの協定書は比較的各部面を総合しております。まあ104と86Fの相違点といえば、騒音が違いはしないかということが地元の方の一番大きな関心です。したがって、その問題については三者立ち会った上でその調査をして、そうしてその適当な補償をするという条項を生かして、104の問題を円満に解決したい。主として小学校の防音装置とか、そういうものがまず義務的に必要なものじゃなかろうかということで、ただいま町長及び市長、関係者と打ち合わせをして、そうして104の演習を実施したい。この方向でいま知事を中心にお話を進めておるわけです。まだ何もかもめちゃめちゃにやるという意味ではなくて、やはり地元の納得を得ながら、そうして理解を得ながら、そうしてこの協定の趣旨を生かしていきたい。こういう趣旨でいま進行しておるようでございます。なお、四十年予算につきましても、四十一年の予算につきましても、その問題について協議がなされるのじゃなかろうか、まだ決定したわけではありませんが、一部はもう決定しております。四十年度における防音装置の問題、これはきまっておりますが、四十一年度の今後の問題についてまたお話をしていきたい、そういう意味で104の演習を実施したいという方向で御協力と御説明をしておる段階でございます。
  38. 多田省吾

    ○多田省吾君 時間の関係で一点だけお伺いしたいと思います。  たび重なる交通事故で、羽田空港が狭くなった関係もあって、いま第二東京国際空港を早急につくらなければならないというお考えかと思います。そこで、いま富里が問題になっているようでございますが、千五百戸の農家の立ちのき問題、あるいは県当局とのこじれから反対運動も非常に強いし、なかなかたいへんだと思うのです。それにからんで、国民感情から米軍基地返還してもらって、できている飛行場を使わせてもらったらいいじゃないかという声も非常に強いわけです。実際問題として、まあ政府当局は日米安保条約もありますし、日本の防衛ということもありますから、返還は不可能であると申されると思いますけれども、日米安保条約だって永久的なものではありませんし、国際情勢の変化によってどうなるかわかりませんし、ですから私は仮定の問題で、可能性の問題でお聞きしたいのです。  その一点は、いま横田、厚木、立川というような基地があります。立川は百八十三万坪、横田は二百十一万坪、厚木は百六十一万坪と聞いておりますが、実際には富里の予定地は七百万坪である、非常に違い過ぎる。もし一つでも返還の可能性があって、国際空港のかわりにつくるとすれば、拡張できるのは横田くらいなものじゃないかと思うのですが、その点はどうかという問題。  それから二番目には、たとえば横田あたりもし返還するとすれば、立川、厚木が、あるいは入間川基地なんかも全部航空管制上役に立たなくなるから、実質上一つだけでなくて三つ四つ返還したと同じなんだ、そういうお話も聞きます。その点はどうなのか。  第三点は、きのうも予算委員会で総理大臣が木更津の埋め立ても考えているというようなお話もしましたけれども、木更津はまあ羽田との航空管制上の問題もあるかと思いますが、木更津を埋め立てて国際空港にした場合に、木更津の米軍基地との航空管制上の問題はないのか、この三点、お願いしたいのです。
  39. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 基本的にはこれは安保条約における問題、これは別といたしまして、技術的な話は、いまの羽田の国際空港が二百五十万坪ぐらいあるのです。そうしてその滑走路の長さが三千五百メートルだと私は記憶いたします。これでは手狭だというので、七百五十万坪、おそらく距離も四千メーターくらいは私は今後の国際旅客機はなるのじゃないだろうか。相当進歩しますと、相当なものがやはり必要じゃなかろうか。そこで羽田の二百五十万坪以上なものでなければいけないというのがまず基本的な問題、第二番目には、飛行場飛行場の距離というものを九キロくらい離しておりませんと離着陸に危険が伴う、この二つ。もう一つは風の方向、大体風の方向は主として山が近くにあるということは飛行場としては世界じゅう適当じゃありません。したがって、だんだん海のほうに国際飛行場というものはふえていくというのは、やはり着陸地点に山がある、着陸地点に工場があるということは避ける、その意味で羽田飛行場も突入口といいますか、進入口は海のほうから進入するという、安全度を見込んでおるわけであります。ニューヨークもどこでも大体そういうふうな安全度を——進入口における平たんな、そうすると、自然に海とか平らな平地というものを求める、その意味で私は運輸省が富里というものを求めたのではなかろうか、筑波山の近くでもなかなか山の気流は、先般御承知のごとく思わざる気候の変動に影響される。その意味でやはり面積の問題地形の問題、飛行場の距離の問題、そうして安全度を見なければならない。この辺がやはり国際空港の、富里という候補地ができた一つ理由ではないか。木更津と羽田の距離は十一キロくらいじゃなかったか。十一キロか十五キロです。その規定の距離よりは離れているのではなかろうか。それで総理が言われたのではなかろうか。どうしても上空を考えますと、九キロ以上のやはり安全度は求められるということ——一般的にこれは飛行機の開発によって違います、いままではそうです。今後の国際航空ですと、飛行機が大型になりますと、もっとそれ以上求めなければならない。それはどちらも両方の安全、そういうふうなことから考えますと、やはり関東地区で求めると、なかなかいいところはないのです。これは別に、地元の方の賛否はもちろんですけれども、まず求める条件が、使用できるという条件はそういうものでなければいけない、したがって、横田問題は非常に条件がむずかしい、至難である。また、かりにもそういう条件が一つも備わっていない。いまは北海道の千歳の飛行場と板付と羽田、三つが大体第一級飛行場として使用できます。その他はなかなかむずかしい条件です。伊丹にしましても、御承知のごとく、周囲が山であると同時に、なかなか滑走路が取れない、小牧も同様に必ずしもいまのものでは不完全だ、また、飛行機がいままでの飛行機以上に大型と速度を求めるというと、安全度もそれに応じて求めなければならない、そういうことで、私どもいろいろ、この問題はずっと昔も意見として出たことがありますが、やはり問題としては非常に不可能な条件にあるということで、今日はちょっと条件には入らないんじゃないかと、こう私は思います。
  40. 多田省吾

    ○多田省吾君 お話しよくわかりましたが、お尋ねしたい一点は、もし木更津の埋め立て地を国際空港にした場合、羽田との関係はわかりますけれども、木更津に米軍飛行場がありますね。それとの管制の問題はどうなるか。  それからもう一つは、あくまでも可能性、技術的な問題で、横田あたりは拡張すれば面積は可能じゃないかという問題、その二つ。
  41. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 横田の問題は、条約的にはこれはもう別としまして、非常にあの地形では延ばしても私はむずかしいんじゃないかと思う周囲の問題がああ大きなものができておりますと、やっぱり飛行場をつくるときには、周囲をある程度の規制をしなければならない、工場設置規制をしなければそれは安全を求められない。その意味で、七百五十万坪が何も全部これが飛行場の滑走路になるとは思いませんけれども、それだけないと、周辺が取れないというので、七百五十万坪を最低限にするわけです。安全ベルトみたいなものがどうしても必要なんだ、それが既存の飛行場では取れない。かりに滑走路だけ延ばせても、周辺がないと飛行機の安全はできない。それからかりに周辺があったとしても、九キロ以内に飛行場があったときはどうするのだ。こういうときには、同一管制をいたします。したがって、その九キロ以内の飛行場一つ飛行場としてしか使えません。一人の管制官が管制いたしますから、同時には使えない。そういう条件がありますから、使用できないというわけではございませんが、その不便を耐えなければ安全は保てない。したがって、羽田の飛行場にA、B、Cと三つの滑走路があると同じように、ある範囲内の飛行場は、飛行場は別でも、統制上は同じ管制でやらなければならない、そういう不便はあります。
  42. 多田省吾

    ○多田省吾君 そうすると、木更津はどうなんでしょうか。
  43. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) 木更津の場合は、木更津周辺はおそらくその範囲に入ると私は思います。したがって、片方が不便を忍ぶならば不可能ではないが、一緒には使えない。
  44. 多田省吾

    ○多田省吾君 そうすれば、総理がおっしゃったように、もし木更津に国際空港ができる可能性があれば、米軍基地に申し込んで、それは撤去してもらわなくちゃならないことになりますか。どうなんでしょうか。
  45. 松野頼三

    国務大臣松野頼三君) その調整がおそらく残ると私は思います。先般霞ケ浦という候補地がありました、自衛隊の百里飛行場と七キロから五キロぐらいしか差がなかったのです。そのときに、技術的に考えますと、これは不可能じゃないが、不便はどちらにもある。そうしなければ安全が保てない、おそらく木更津という候補地が出れば、米軍の問題が出てくるのではなかろうか。しかし、まだ木更津の候補はないと私は考えます。いまのところ富里だけに限定して、そうして調査しているわけであります。そのような関係で、木更津の話を総理が言われたかどうか、ちょっと聞き落としましたけれども、木更津はないのじゃないかと思います。
  46. 北村暢

    ○北村暢君 このミサイル、ホークの基地の建設の費用というものは、一体どれくらいかかるのですか、これは二カ所あるようですが、島松山のほうですね。
  47. 鈴木昇

    政府委員鈴木昇君) 島松の航空基地は二つございまして、桜森と島松山、両方あるわけでございますが、工事費は桜森の基地は四千五百万、島松山のほうが八千八百六十万円余でございます。
  48. 北村暢

    ○北村暢君 どれくらいの面積なんですか。
  49. 鈴木昇

    政府委員鈴木昇君) 桜森のほうが三万二千四百坪でございまして、島松山のほうが二万一千坪でございます。
  50. 北村暢

    ○北村暢君 島松山のほうは山ですから、相当平らにするのにその土砂を沢へ排除したのだというふうに思うのですがね、大体八千八百六十万ですか、これだけの費用をかけてやって、そうして、いまやってしまってから、防災工事にまた千五百万ぐらいかけて、防災ダムをつくるわけでしょう。したがって、千五百万もかけて防災ダムをつくるので、それでその後は一時土砂はとめることはできるのだろうと思う。ところが、もうすでに下流へ流れていっちゃったやつですね、これはそのための被害が起きているわけです。それでそのための被害についていままでどのくらい補償をしたか。
  51. 鈴木昇

    政府委員鈴木昇君) ただいまのお話の個所、仁井別川の流域ということになろうかと思うわけでございますが、この関係につきましては、このホークの基地建設以前におきまして特段の補償等の事案は見ておらないわけでございますが、御指摘の島松山の土壌を移動させて基地を建設いたしましたについて、仁井別川を利用してニジマスの養魚をしておる方、それからこの仁井別川の水を常用飲料水あるいは雑用水に使っておられる方々に被害が生じたという事実がございまして、それにつきましては、昭和四十年度におきましてニジマスの養殖をされておる地元の方二名に対しまして、昨年の十二月二十四日に六十三万円余を損失の補償金としてお払いをいたしております。それからもう一つ、ホーク基地建設に伴い土砂の流出によって飲料水に障害を生じたという方、九名ございますが、それらの方には井戸を新設するという費用を三十三万九千円という金額をもちましてこれは今月じゅうにお払いをするという手続を現に進めておるところでございます。
  52. 北村暢

    ○北村暢君 ニジマス、飲料水等の被害はそういうふうにして井戸を掘ったり、実際に被害が出たものについてはあれですけれども、しかし、全体に土砂が流れてしまって、そのために川の底が高くなって洪水の原因になるとか、あるいは渇水の原因になる、こういうちょっと測定のしがたい被害については、これは何ともしようがないわけですね。したがって、これは泣き寝入りというようなかっこうになるのじゃないかと思うのですが、そういう測定のしがたい被害がやはり現実に出てきているわけですよね。ですから、これについて補償の工事をするとか、防災工事をやるとかいうことが要望されているわけですね。これは基地をつくったために流れたと、若干私も地元にも無理があるようにも受け取れるのですけれども、どうでしょうか、補償の工事というようなものについて要求せられているようでありますが、施設庁としてはこれをやられるような御意思があるのかどうなのか。
  53. 鈴木昇

    政府委員鈴木昇君) 御指摘のような補償工事の面につきましては、まず何と申しましてもホーク基地そのものから砂が流出するということをまずとめねばならないと思いますので、その面につきましては昭和四十年度に、ホーク基地が台地になっておりますので、そののり面に芝を植えつけるというような作業を約六十万円をもちましてすでに実施をいたしておるわけでございます。御指摘のように、この地域は火山灰地帯でございまして、ホーク基地の建設がなくとも土砂がだんだんくずれていくという事態が進行しておることは御承知のとおりでございますが、さらにそれに拍車をかけたような形になっておるというようなことでございますので、仁井別川の島松演習揚にごく接近した地域、その上流地域昭和四十一年度におきまして砂防堰堤、高さは大体五メートルくらい、幅六十メートルくらいの砂防堰堤を構築いたしまして、それで下のほうに土砂が流れていくことを防ぐ。まず当面は演習揚の中から流れ出る土砂をとめるということにいたしまして、その後の状態に応じてさらに施策を進めなければならない、かように考えておるわけでございます。
  54. 北村暢

    ○北村暢君 この問題は、補償工事——堰堤のことは私も知っている。長官からも説明がありましたし、わかっておるわけですが、その堰堤でなしに、先ほど言ったように、もうすでに土砂は下流へ行っちゃっているわけですね、一年間に。したがって、そういうことで、堰堤をつくったことによって今後ある程度土砂の流出というものは防げるだろうと思うのですが、先ほども説明がありましたように、この地帯は確かに崩壊しやすいところ、河川の工事というものも進んでないことは事実なんです。これは農業面の工事からもやらなければならない。したがって、補償工事一本でというのもなかなかうまくいかない。そういうようなことで農業利水の観点からの工事ということになればこれは施設庁じゃないので、農林省の関係である。そういう面との打ち合わせなんかはやられる意思があるのか、また、そういう要請というものが道あたりから出ているのか。この辺のいきさつをちょっとお伺いしたい。
  55. 財満功

    政府委員財満功君) 農林省との関係、つまり農林一般行政と私どもがいたします関係の行政との接点に関する問題であろうと思います。従来からその件に関しましては農林省と協議してまいりましたし、また、状況によりましては、私どものほうで予算を一括計上いたしまして農林省のほうへ移しかえてやっていたというものもあったわけでございまして、将来ともにそのようにいたしていきたいというふうに存じております。  ただいま大きな数字だけで申し上げますと、過去におきましていわゆる島松演習場関係の防災工事全体計画といたしましては、二十二億くらい予算を投入いたしております。そのうちで約九億ばかり農林省のほうへ移しかえる。そうして農林省としても一般予算のうちから足しまえをして、先先おっしゃいましたような事案を解決していくというふうにいたしておる次第でございます。
  56. 北村暢

    ○北村暢君 そこで私のお伺いしたいのは、島松のほうはそういうふうにして過去にやったんですよね。だから仁井別川についてそういう農林省との協議をやられる御意思があるかどうかということをお聞きしたい。
  57. 財満功

    政府委員財満功君) 仁井別川につきましては、ただいまのところ、まだ具体的に話し合っておりませんけれども、当然全体計画の中で話し合っていかなければならないものというふうに承知しております。
  58. 北村暢

    ○北村暢君 それから、先ほど飲料水とニジマスの養殖については補償したわけなんですけれども、この地帯、これは酪農地帯ですね。で、酪農家がここに若干でしょうけれども、しかも、二、三十頭牛を持っている酪農家がある、これに対する牛の飲み水なんですがね、これがもう四キロぐらい離れた所にくみに行っているという状況のようです。これは牛飲馬食といって、牛は非常に水を飲むんですね。それで、それを毎日のように四キロ先の水源地にくみに行っておる、こういうことが起こっておるということなんですが、そういうことはお聞きになっていないんですか。
  59. 財満功

    政府委員財満功君) たいへん残念でございますが、ただいままで私のほうで報告を聞いておりませんので、調べて御報告したいと思います。
  60. 北村暢

    ○北村暢君 これはやはり井戸を掘ったくらいではだめらしいですね。それで非常に多量に水を使うので、これの補償ということについて要請があるようです。これをひとつ調査をしていただいて適当な措置を講じていただきたい、その点は要望しておきます。  それから、F104の問題なんですが、この地帯にいま申したように射爆ですか、射撃演習をやっておる。低空で来る際に、演習場の、先ほど言った周辺の問題で、やはり取りきめにもあるように、搾乳量が減ったとかなんとかいうような問題がこまかくきめられて、そうして補償するということになっておるんですが、三十五年の協定書に基づいて、一体こういう補償をしたことがどのくらいあるのか、協定に基づいてですよ。これはなかなかむずかしいのであって、乳量が減少したとかなんとかということは、なかなか測定に困難であろうと思うんですがね。ところが、協定書にはうたわれておるわけなんです。そういうようなことで、一体補償したことがあるのかどうなのか、この協定書に基づいて。そういう事実があるのかどうかお伺いしたい。
  61. 鈴木昇

    政府委員鈴木昇君) 協定書ができましてからこのかた補償したことはございません。
  62. 北村暢

    ○北村暢君 ないというんですね。  そこで、結局はこういう協定書をつくっても、泣き寝入りになってしまうんですね。したがって、そういう点からいって、もうこ地域は酪農をやるのには、もう移りたい——いま言ったように、水は四キロも離れた所にくみにいかなければならないし、乳量は少くなるし、ということになれば、これはもうこの所から立ちのきたいというようなことが起こってこないとも限らない。そういうようなことで、すでにそういう場合の措置について要望が出ているはずなんですがね。どういうふうに対処していただけるかというようなことで、移転をするような人に対しては何らかの措置が講ぜられるものなのかどうか、この点ひとつお伺いしておきます。
  63. 財満功

    政府委員財満功君) ただいまの、酪農経営が非常に困難になるおそれがあるので移転したいという御要望につきましては、出先の局に出ておるかとも思いますが、ただいままでのところ、私どもの手元に届いておりませんので、これは早急に出先局のほうへ連絡してみたいと思います。
  64. 北村暢

    ○北村暢君 確かにいま申したような被害の問題等について、協定で、先ほど長官も三十五年の協定は引き続き実施していくという答弁のようでございましたが、これはぜひそうやっていただきたいと思いますが、その際にやはり地元民の意見というものを聞くような措置というものを十分とっていただきたいと思うんです。まあ出先でありますから、出先の方が町長なり何なりと簡単に話し合いをしてやるというのではなくて、やはり被害者の実情というものをよく知ってもらうような形の措置というものを十分とっていただきたい。こういう点については、これはむずかしいことでないのでやっていただけるんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。
  65. 財満功

    政府委員財満功君) ただいまおっしゃいましたことにつきましては、従来もやっておりましたが、さらに連絡を密にするように指示いたしたいと思います。
  66. 北村暢

    ○北村暢君 それは、私が申し上げましたのは、先ほど申したように、どうも水がなくなるとかいうので、もう酪農をやっていきたくてもできないというような点が実際問題として出てきているわけですよね。ですから地元——いままでは乳量が減ったならば補償するとかなんとかいうことで、協定書にも書いてあるわけなんですけれども、実際には補償されない、泣き寝入りになってしまう。もうそれでやっていけないからというので、この協定書だけではもういかなくなってきたわけです。したがって、今後やはりこの協定書があるからいいじゃないかということだけでは問題は済まなくなってきているというふうに私には思われる。そういうので、いま申したように、地元の方の意見をぜひ聞いてもらいたい。  で先ほど離農——まあ離農というのか、どちらかへ移りたいというのか、そういうことの措置というものをしなければならないわけなんでしょうけれども、こういう面については聞いておられないということのようですが、実際そういう意見が出てきているということは、私のところへは来ているわけなんです。そういうようなことでぜひひとつ、いま申したような意見というものを十分聞いていただきたいし、営農を転換する際等についても特別の配慮をひとり……ただその場合、これは非常に多い数であると補償しにくいんでしょうけれども、図面から見ましても、転換をしたいというような人はあまりないところのようです。ただし、島松寄りのほうは、これは相当民家もあるのでありますから、こちらのほうにはあるかと思いますが、先ほどの水のなくなった仁井別川の北のほうですか、のほうはたいして農家もないようですが、これらの方がもう転換をしたい、こういう要望があるようでございます。そういうような点はひとつ十分配慮していただきたい。時間もあれでありますから、所見を承って、私の質問はこの程度にいたしたいと思います。
  67. 小幡久男

    政府委員小幡久男君) 島松のことでいろいろ御迷惑をかけておりますことを恐縮しておりますが、ただいま先生からいろいろ御意見がございまして、特に最後に集団移転等のことも御要望があったのですが、そういう事案が具体的に出てまいりましたならば、ぜひ道庁と相談いたしまして、いろいろ検討してみたいと考えております。
  68. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) ほかに御発言もないようでございますから、本件につきましては、本日はこの程度にいたします。  これをもって散会いたします。    午後零時四十分散会      —————・—————