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1966-03-01 第51回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年三月一日(火曜日)    午前十時十三分開議  出席分科員    主査 井出一太郎君       小川 半次君    丹羽 兵助君       福田  一君    水田三喜男君       伊藤よし子君    多賀谷真稔君       二宮 武夫君    帆足  計君       山田 耻目君    山中 吾郎君    兼務 上林榮吉君 兼務 川俣 清音君    兼務 受田 新吉君 兼務 玉置 一徳君  出席国務大臣         文 部 大 臣 中村 梅吉君  出席政府委員         文部事務官         (初等中等教育         局長)     齋藤  正君         文部事務官         (大学学術局         長)      杉江  清君         文部事務官         (社会教育局         長)      宮地  茂君         文部事務官         (体育局長)  西田  剛君         文部事務官         (管理局長)  天城  勲君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 村山 松雄君  分科員外出席者         大蔵事務官         (主計官)   小田村四郎君         文部事務官         (大学学術局学         生課長)    笠木 三郎君     ――――――――――――― 三月一日  分科員賀谷真稔委員辞任につき、その補欠  として二宮武夫君が委員長指名分科員に選  任された。 同日  分科員二宮武夫委員辞任につき、その補欠と  して伊藤よし子君が委員長指名分科員に選  任された。 同日  分科員伊藤よし子委員辞任につき、その補欠  として山田耻目君委員長指名分科員に選  任された。 同日  分科員山田耻目君委員辞任につき、その補欠と  して兒玉末男君が委員長指名分科員選任  された。 同日  分科員兒玉末男委員辞任につき、その補欠と  して帆足計君が委員長指名分科員選任さ  れた。 同日  分科員帆足計委員辞任につき、その補欠とし  て多賀谷真稔君が委員長指名分科員選任  された。 同日  第二分科員上林榮吉君、第四分科員川俣清音  君、第三分科員受田新吉君及び第五分科員玉置  一徳君が本分科兼務となった。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  昭和四十一年度一般会計予算文部省所管  昭和四十一年度特別会計予算文部省所管      ――――◇―――――
  2. 井出一太郎

    井出主査 これより予算委員会第一分科会を開会いたします。  昭和四十一年度一般会計予算及び同特別会計予算中、文部省所管について質疑を続行いたします。  順次これを許します。二宮武夫
  3. 二宮武夫

    二宮分科員 文部省関係予算全般についていろいろ検討いたしてまいりましたけれども、すでに十一名の質疑者が終わったということでございますので、私は、問題をごく二、三の点にしぼってお尋ねをいたします。特に今度の予算重点を置き、あるいは新規に予算計上したというような問題についてお尋ねをいたしたいと思うのです。  その第一点は、特殊教育に対する予算、あるいは教育行政重点を指向したというこの問題についてお尋ねをいたします。従来非常に恵まれない層にあったところのこういう人たちに対して、自分の責任ではなくて、生まれながらにして身体が不自由である、あるいは精神的に薄弱である、あるいは病弱である。こういうような人々を中心特殊教育というものを推進をしていこうというわけでございまして、私どもの知っておる範囲内でも、あるいは養護学級特殊学級といいますか、五十名近くの学級の中に、ごく軽いとはいいながら、それだけを管理するのにも非常に困難である、その中に二、三の精神の弱い子供がおるということで、教育効果をあげる面においてたいへん支障になってまいったような事実を私どもも承知しておるわけでございますが、それらを別個に学級編制いたしまして、それに特別な教育をしていこう、言いかえると、全般の普通の教育をやっておる学級から特殊の子供を引きのけて、それで一つ学級編制してやっていくという方法でございますけれども、これなどは一般の普通の学級に対してもたいへんいい効果をあらわすし、また、特殊の学級編制いたしましても、何だが卑屈な感じを持つというのではなくて、他からの圧力を排除しまして、非常に明朗な教育が行なわれるというような状況も私どもは承知をしておるわけでございます。  そこで、これらの問題について予算状況を見てまいりますと、――私がこれを重視していくということは、人間尊重の目的、個人個人の個性を伸ばすといいますか、そういう意味からも大事な問題であると考えますけれども、ただその指向した方向はよろしいとして、予算状況を見てまいりますと、まことにさびしい感じがするわけでございます。これについては文部大臣も、あるいは佐藤総理の趣旨と一致した方向人間尊重、恵まれない子供にあたたかい教育をしてやろうということで相当がんばったと思うのですけれども、これらを見てまいりましても、たとえば精神薄弱児を収容する学校が三校、それから肢体不自由児を収容するところの学校が十二校、病弱の子供一つに集めて学校設置するというのが一校、計十六校でございまして、その予算が七百九万円、よく私はいままで感じておるのですが、教育費が一番誤解を受けますことは、総額が多い。ところが、一人一人あるいは一つ学校、あるいは各学級、あるいは各家庭、それぞれに割り振りをしてみますと、その単価はきわめて少額である。総額が多いからといって、それで非常に尊重されたということにはならないので、個人個人に割り、各個に割りました場合の平均金額教育の振興を一番推進していくところの重大なポイントだと思うのです。そこで、いま申しましたような新しい特殊教育養護学級設置するといたしまして、十六校に七百九万という予算でございますけれども、これを一校に割りますと、わずかに四十四万円にしかならない。したがって、これは半額国庫負担として大体八十万そこそこで一つ学校設置するということになるわけでございますが、もちろんこれには教科書や、それからそれに必要な寄宿舎をつくって生計費補助、あるいは就学に必要ないろいろな旅費そのほかもあると思うのですが、学校の建設をする場合に、どういう規模のものを考慮しておるのか。わずかに国庫補助四十数万で新しく学校設置しようというようなことは、大体考えること自体が無理ではないかと思う。非常に少ない学級ではあろうかと思いますけれども、実際問題としてはなかなか困難であろうと思うのです。ことに一つ行政区画の中からそれだけの適正規模学校設置するだけのそういう該当義務教育者が出ればいいのですけれども、私どもがいままで経験しておる段階では、一つの村からただ一人、隣の村からまたぽつんと二人、あるいは四人と、行政区域が非常に広くなりまして、それを一つにまとめて学校設置するという場合には、その学校にその行政区域地元負担を出す場合においても、非常に困難を来たす場合があるわけです。義務教育ですから、もちろん交付税そのほかの積算基礎の中に入っておりまして、当然それらのものは拠出してもいいと思うのですけれども、実際問題としてはなかなか困難です。それから、普通のPTAやそのほかでまかなう場合におきましても、これは私不本意でございますけれども、やむを得ずそういう方法をとっておるところがございますが、これも、集めようと思っても、あるいは県下に散らばっておったり、あるいは非常に広範囲に父兄が散在をしておる。そういうような状況で、なかなかPTA負担の問題につきましても、集合すること自体が困難である。こういうようなことで、私はこれらの問題を総合いたしますと、やはり特殊教育を本気になって進めようということになれば、国庫助成額というものをもう少し高率にして、ほとんど全額国庫でやってもいいというくらいにこれはやる必要があるのではないか、こういうふうに考えるのですが、これに対する、特にこの点に重点を置かれた文部大臣の所見をひとつ承りたい。同時に所管局長からも、これについて具体的なお答えをいただきたい。
  4. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 非常に特殊教育に御理解のある御意見をいただきまして、感謝をいたしております。  私ども教育全般的に内容を充実し、改善をしていかなければなりませんが、そのうちで特に従来おくれております特殊教育につきましては、一そう力を注がなければならないという観点に立ちまして考えておる次第でございます。そこで教員をふやし、学級をふやし、あるいは特殊学校をつくり、こういうような施設及び人員の整備をいたしますと同時に、特殊学級及び特殊学校につきましては、その設備も特異の設備をする必要がありますので、先ほど御指摘になりました金額は、そういう設備助成する金額でございますが、大体御指摘の十何校の特殊学校は、県または相当の市に設置をしてもらう予定でございますので、やはり国としては助成をするという立場で、責任は本来の姿である地方団体になってもらうのがやはり筋道である、かように目下のところ考えておる次第でございます。  全額国庫支弁にすべきではないかという御意見でございまして、この点は、できるだけ国でも力を注がなければ、地方だけにまかしておくわけにはまいらない重要な問題でございますけれども、一挙にそういうわけにもまいりませんので、いまのところ、全額国庫支弁にするということは種々困難の事情もありますので、私どもとしましては、考え方として大いに特殊教育については今後とも力を注いでいく。そしてやがては特殊教育の完備をし、また御指摘のように非常にばらばらに離れたところから通学をするということになりますので、これらについてもスクール・バス等も逐次整備をしてまいりたいというふうに考えておる次第でございます。昭和四十一年度予算編成にあたりまして、いろいろ不十分な点は多々ございますが、事務的に詰めてまいりましてこの予算ができましたわけでございますから、細目につきましては、担当の事務当局から必要に応じて御説明を申し上げることにいたしたいと思います。
  5. 齋藤正

    齋藤政府委員 御質問にございました学校規模でございますが、小学部中学部を合わして九十人の学校でございまして、ただいま大臣から御説明いたしましたように、別に施設につきましては、公立文教の中にも、この十六校に見合う分といたしまして、四億六千五百万余の経費補助金として計上されております。これは補助率が二分の一でございます。なお、一人当たり経費でございますが、特殊教育関係は、従来文部省が実施しております国、地方を通じます教育費の調査におきまして、これは当然ではございますけれども、一人当たりの額がかなり高額になっておりまして、平均いたしまして二十七万円という数字でございまして、これは普通の小学校中学校に比べますと、七倍余の倍率を示しております。国の補助金都道府県の支出も、他の学校教育分野に比べますと非常に高くなっております。これはもちろん、先ほど御指摘ございましたように、学校設置経営のみならず、就学援助等経費を国、都道府県が折半して持っておるというような関係もあると存じます。
  6. 二宮武夫

    二宮分科員 設備費として半額の補助ということでございますが、こうした恵まれない義務教育該当者に対する助成につきましては、今後ともひとつ十分な御努力をいただきたいと思うのです。  それから、別に、先ほど申し上げましたような軽度の精薄児童学級編制を行なっていって、特別な養護学級というものを設置をしていく。これも私、ほんとうにいい問題だと思うのですが、と同時に、これらが中学校義務教育を終わったころにおいて、社会に出ましてからあまり知能を要するような仕事に職業を選択するということには恵まれてないと思うのです。それかといって、これを廃人同様にして、社会やっかい者にするというようなことでも、これはよろしくないと思う。したがって、その養護学級に対して、そういう学級編制しながら、卒業後社会的に何とか自立できるという非常に初歩的な職業教育といいますか、そういう技術を体得させることが必要ではないかと私は思います。その辺に目を向けられて、全国で一千学級養護学級設置をいたしまして、それに対する助成として一億二千百三十万という金額が盛られておるようでございますが、これも一学級に割ってみますと、大体十二、三万程度の費用にしかならないじゃないか、千学級つくるとすれば。私、これはよく皆さん方のほうで研究されておるかと思うのですが、少なくとも中学校を出て、社会で取り残されずに自立のできるような職業教育、簡単な職業教育というものを施すため設備としてどういうものを具体的に考えておるのか、あるいはそれに対する助成としてはまことにささいな金額でございますけれども、こういうものではたしてそれだけのものができるのかどうなのか。  私、実際に学校を見てまいりましても、教科書をいろいろ指導するということよりも、手を使い、足を使い、身体を使って体得させるというような教育が、こういう学級なり学校では必要ではないかと思うのであります。それがためには、設備あるいは器械というものも、視聴覚というものを十分に全体的に利用しながら教育をやっていく、こういうことが必要であろうと思います。それがために、せっかく千学級編制をしながら、いま申し上げましたような、社会に出ても自立できるような職業教育を施していくという立場からの助成としては、まことに気持ちはわかるけれども金額としてはささいなものではないかというように考えるわけなんです。総花的な予算という悪口は言いませんけれども、それしきのものでほんとうにこれだけの職業教育ができるかどうか、具体的には一体どういうものを考え、具体的にはいままでどういうものを研究をしてきて、これからはそういうものを基礎にしてどういうものをやっていこうとするのか、そういう問題について、いままでの経験なりあるいは今後の構想なりについて、ひとつ局長のほうで御答弁いただきたい。
  7. 齋藤正

    齋藤政府委員 ただいま御指摘がございましたように、教育の場でハンディキャップを持った児童生徒に対しましては、この学校教育が終わったあとで、社会的に自立できるように、職業のいろいろな分野の技能を身につけさせるということが肝要でございます。本年度は特にその点に力を入れまして、従来特殊教育学校高等部で新職業分野の開拓について実験的な補助金を出して研究をしていただきました。従来は、単に理容でありますとか、あるいは音楽の一部でありますとかということでございましたが、実験の経緯から見まして、かなり広範に、印刷でありますとか、冶金でありますとか、いろいろな分野職業につく可能性が出てまいりましたので、本年度は新たに高等部に対して職業教育設備あるいは施設を拡充するという補助計上したわけでございます。  なお、特殊学級につきましても、中学校で申しますれば、補助事業の単位を三十万ということにしてございますが、これは一般学級に必要なもののほかに、特に特殊学級生徒ために、職業訓練ための準備に要する若干特別のもの、あるいは造形的な作業を通して訓練をするものというものを買い得るようにいたしておるわけでございまして、特殊教育における職業教育分野の充実につきましては、四十一年度を第一年度としてますます拡充してまいりたいと、このように考えております。
  8. 二宮武夫

    二宮分科員 非常に金額としては少ない金額でございますけれども、私はこの文教予算の全体を見渡して、特殊教育重点を置いて進めていこうとするこの態度に対しては賛成をいたすわけでございますが、特にこの特殊教育の中で、身体障害が重複しておるというふしあわせな子供一つだけの障害ではなくて、二つも三つもの障害を同じ個人が背負って生まれてきておるというような、こういう子供に対する教育も、これをひとつ重視して、これらの子供を救い上げてやろう、こういう立場に立っての教育方向も打ち出されておるようでございます。特殊教育学校重複障害者教育設備費として出ておるのですけれども、これも盲ろう養護学校五十校分としての金額がわずかに五百万ということになりますというと、一校わずかに十万円の補助にしかならない。こういう金額で、この重複されたところの障害を持っておるこういう子供教育に、多少でも光明を与え得るだけの設備そのほかはできるものであるかどうか。これも、こういう方向に目をつけて、特にこういう者を救い上げて、社会的に何とかひとり立ちできる方向にという、こういう親心のある教育をやろうとするならば、いま少しこういう予算計上については、大蔵省との折衝を強くやって、重点的に計上すべきではないかと思うのですが、これは局長、一校十万円で具体的にどういうことをやろうという構想なのですか。はなはだ少ない金額でございますけれども、問題が重要な問題でございますから、ひとつ。
  9. 齋藤正

    齋藤政府委員 たとえば盲学校におって精薄の者、あるいはろう学校におって精薄の者、いわゆる重複障害児教育については、研究指定校において若干助成もし、指導してまいったのでありますが、これをもう少し、重複障害児ための別のクラスを各方面の特殊教育学校につくっていくということが長い間の懸案でございまして、予算につきましても従来とも要求をしておったようでございます。本年度は、その点の必要性が認められまして、とりあえず五十校分につきまして設備補助金計上することができました。これは、特殊教育学校は、そもそも盲なりろうなりにつきまして、それぞれ固有の設備があるわけでございますから、それに若干の教材等を付加すれば、それで教育がより充実してできるという立て方になっておりますので、本年度金額は、先ほど御指摘のように補助金額としては十万円でございますけれども、今後この成果を見て、われわれとしては拡充をしてまいりたい、かように考えております。
  10. 二宮武夫

    二宮分科員 これは新しく計上されたものでございますから、それはそれなりに少ない金額としても効率的に使用していくというところに意義があろうと思うのですが、これらの問題については、年次計画なり長期展望に立って、該当者全国的にどれくらいの数を占めており、したがって完成年次においてはどれぐらいの学校を設立をし、どれぐらいの学級設置して、これらに対して社会的地位の確保ができるような教育を施していくというような、長期計画なり展望なりというものをお持ちでしたら発表をしていただきたい。その場その場のものではなくて、計画的に年次的に、長期展望に立っての構想というものを御説明をいただきたい。これは将来に対して非常に光明を与える方向として、私どももぜひお聞きをしておきたいと思うわけであります。
  11. 齋藤正

    齋藤政府委員 肢体不自由児養護学校等につきましては、計画的に設置を促進しておりまして、本年の十六校というのも、四十一年度には肢体不自由児養護学校全国にできるということを予定いたしまして計上いたしました。いま、さらに重複障害児ため施設の五十校と長期計画の関連でございますが、これは現在のところ、計画的に年次を割って五十校ということにはいたしておりません。本年度実績等を見ながら将来計画を立ててまいりたいと思います。ただ、養護学校肢体不自由児の問題あるいは虚弱児の問題あるいは精薄養護学校問題等は、まず肢体不自由児について四十一年度に見通しをつけ、四十三年以降なるべくすみやかにその他の虚弱児童等に対する学校等計画的に設置してまいりたいと思います。ただ、この点につきましては府県の実情等がございまして、いま一番終わりの年次を確定することができませんので、とりあえず普及してまいりました肢体不自由児について、四十一年度完成ということを目途としておるわけでございます。
  12. 二宮武夫

    二宮分科員 要望いたしておきたいのは、こうした恵まれない子供に対して、将来光明を与えるような特殊教育を重視するという態度でありますならば、むしろ文部省の出方というのは非常におそかったのではないか。たとえば私の地方の別府などというところには、すでに肢体不自由児収容施設であるところの整肢園というのを早くから設置して、あるいは水上勉氏の子供が入っている太陽の家というのを設置いたしまして、非常に遠くから来て、温泉の医学的な効果を併用しながら身体の健康をはかり、しかもそれに義務教育を並行して進めていく、こういうような施設が民間でよく計画をされてやられておる実態を私も知っておるわけなんです。非常に苦心をしながら、やっと公に認められつつあるという状況でございますが、やはりこういう教育をやる以上、少し年次的な長期展望に立って、全国的に地域格差をなくしながらそういう指導を吸い上げていく、こういうような文部省長期計画というものをぜひ今後樹立をいたしまして、手落ちのないようにお進めをいただきたいというように要望いたしておきます。  それから次に、私、ちょっとお尋ねをしておきたい問題は、実は昨年文教委員として九州の各地のいろいろな教育施設の視察をいたしましたが、その際に、国立青年の家の阿蘇における状況を見てまいりました。これは社会教育局長所管でございますが、その中の実態というのは非常に明朗な青少年、男子も女子もそれぞれ宿舎を分けまして、サークル活動なり、あるいは文化活動なり、いろいろな研究グループの会合を持ってやっておる状況を見てまいりました。ただ、そのときに訴えられましたことは、国立青年の家をつくってもらって非常に皆さん喜んでおる。しかしながら、自動車を四台もらって、運転手は一名しか配当がない。こういうことでは基準法の違反でもあるし、運転手自体も休暇がとれない、そういう状況でございますから、今度の場合、国立青年の家については既設の青年の家の運営費そのほかも多少の計上があるようでございますので、それらがあまりにも過重なことにならないような方向でひとつ運営を考えてもらいたい、これが一点。  もう一つは、今年度新設を予定されております六億幾らの青年の家の費用の中から、広島県の江田島にこの青年の家をつくろうという計画でございますけれども、私は、青年の家というのは、自由な青年男女諸君文化活動なりサークル活動をいろいろやるという雰囲気としては、江田島という、海上自衛隊があり、従来の海軍根拠地であったというこの地域が、はたして国立青年の家という性格にぴったりきておるかどうかという問題については多少の疑義を持つものです。地元の人にいろいろ聞いてみましたところが、地元の人人も、私、こういうことを発言をいたしますと広島の人からしかられるかという感じがいたしましたので、広島の方に聞いてみましたところが、広島の人も、江田島国立青年の家をつくるということについては、あまりに前の雰囲気のいろいろな有形無形のものが残っておって、そこに自由な気持ちで集まるところの青年男女諸君に対して、はたしていい影響を与えるかどうかということについては、私どもとしてもあまり賛成をしかねる問題もあるのだ、こういうことを言われておる意見も聞きました。もちろん、ここに設定をするまでのいきさつにはいろいろありましょう。ブロック別につくっていくという意味から、やはり中国ブロックとしては広島県、広島県とすれば瀬戸内海の景色のいいところ、こういうような経過もあるのだろうと思いますけれども江田島といういわゆる海軍の、かつての軍国主義はなやかなりしころの一番中心地に持っていって、いまからの青年諸君をここに集めていろいろ勉強し、活動するため根拠地にするためには、はたしてここは適当であるかどうか。そういう実地の調査をやって、あるいは実地の状況そのほかについて、ここに設置をするということに決定をするまでの経過、あるいはこれに対してほんとう国立青年の家としての効果がここで発揮されるかどうか、悪影響はないという自信があるかどうか。これについてひとつ、これは局長の見解をお尋ねいたしておきます。
  13. 宮地茂

    ○宮地政府委員 お答えいたします。  まず、最初の御質問の阿蘇青年の家の職員の問題でございますが、実は御指摘のようにりっぱな施設ができまして、青年にも非常に喜ばれておる施設でございますが、何分にも人員という点につきましては、施設のりっぱなことに比べまして若干窮屈な面があるということは、私どももかねてから感じております。そういうような関係でございますが、この青年の家は、一応建物を三年計画ということで進んでおるような関係もございまして、人員につきましても、一応初年度ある程度の人間は充足されるわけでございますが、漸次数年かかって一つの完全に近い形に持っていくといったような従来からのやり方もございまして、御指摘のように運転手が不足しておるということは事実でございます。そういうようなこともございまして、来年度はいろいろな、洗濯手であるとか、あるいは電気工であるとかいったような技能労務者が必ずしも十分でございませんので、来年技能労務職員三名の増を見ておりますので、運転手もそういうことで充足してまいりたい、このように考えております。  それから、まあ、ああいう施設でございますので、一般の職員も、また現業の職員もそうでございますが、運転手は運転だけということで、四台の車に対しまして四人の運転手がいるということは、理想でございますが、実際の運用にあたりましては、必ずしもそうしなくてもよいといったような点、それから一般の職員も、ちょっとしたようなその辺に青年を連れて行くといったようなことにつきましては、自動車の運転免許証もずいぶん一般職員もとるようにいたしておりまして、有機的にやるといったような所の性格もございます。ともあれ御指摘のような点は私どもも痛感をいたしておりますので、来年度の増員の中からできる限りの措置をいたしたいと思っております。  それからあとの御質問の、来年度国立青年の家の設置場所を広島県の江田島にしたという経緯でございますが、実は御承知のように昭和三十四年の九月でございましたか、現在の御殿場の中央青年の家と呼んでおりますが、それができましたのは皇太子殿下の御成婚記念の一環ということでつくりました。その後運営がうまくいき、また青少年のためにもきわめて成果があがっておるといったようなことで、各地からもこの青年の家の設立について非常に御熱心な要望もあるといったようなことから、全国を、一応の考えといたしまして、各ブロックに一カ所といったようなことで設置してまいりたい、こういう考えで進むようになりました。ところで、いままでできております四つの場所は、いずれも大自然に抱かれた所でございまして、きわめて教育的な環境がよろしいのでございますが、しかし、何分にも山地でございますので、海に親しむといったようなことから、海に近いところにもつくってはどうかといったような御要望もかねてから起こっておりました。そういったようなことで、来年度の場所といたしましては、国立青年の家を設置するのにふさわしい教育的環境の場所であるということと、海に親しめる、海ということを重点にいたしたわけでございます。これは国の施設でございますので、国が一番よいと思うところへつくるわけでございますが、それにしましても、いろいろ地元との関係もございまして、いろいろ候補地も、いわゆる誘致運動と言っては語弊もございますが、そういった熱心な設置を要望される個所も幾つか出てまいりました。私どもといたしましては、できる限りいい場所にということで、水泳もできますし、あるいはボート等の訓練もできる。しかし、そこで大いに自衛隊のように訓練をするというような意味ではございませんが、やはり夏場でございますれば、海があれば水泳もできますし、ボートもこげるというような場所が、国立でございますので全国的に利用されますから、一カ所程度はあったほうがいい。そういうようなことでいろいろさがしました結果、この江田島に決定したわけでございます。ただ、この江田島につきましては、御指摘のようないろいろ一般からある種の懸念を持って迎えられるという点がございます。私どもといたしましても、その点を考えなかったわけではございませんが、あそこには現在術科学校、幹部候補生学校が、もとの兵学校のあとにございます。直接そこと関係はございませんが、現在の御殿場の中央青年の家には、隣合わせて陸上自衛隊もございますし、米軍の演習等もございますが、いままでそのために非常にぐあいが悪いといったような声は、近くからも起こっておりませんし、また、そこに参りました青年からも、それほど軍国的なということと結びつけた批評は聞いておらないわけでございます。そういうようなことで、一応海という点で一番適地ということでこの地を決定いたしました。もちろん広島に限らず、その他のところもございましたが、特に広島では広島市の西のほう、いわゆる厳島に渡ります宮島口、このあたりにも候補地があったようでございますが、一応私どもとしましては五万坪という敷地を必要とする、将来そのあたりが非常に発展をしてもぐあいが悪いといったようなことから、いろいろな制約等もございまして、候補地の中ではここが一番よいであろうというふうに決定した次第でございます。
  14. 二宮武夫

    二宮分科員 先ほど申し上げましたように、国立青年の家でございますから、国が建て、もちろん地元の協力を得る、こういう意味から御説明のような点については、そういう意味において納得ができますけれども、海に恵まれた――瀬戸内海というのは、これは瀬戸内海国立公園で、どの地に参りましても海に恵まれた所でございます。やはり昔の海軍の一番真髄といいますか、精神的な修養をやりました江田島という土地を特に選ばれたということについては、御殿場の例もございましたけれども、おそらくここまで来たら、ひとつ自衛隊を見てみようとか、あるいはそこの幹部養成の学校状況も見てみようとか、そういうようなことで、非常にリクリエーション的な気持ちで来た者が、まずそういう施設を見るためにも都合がいい。都合のいいところにそういう施設がある。こういうような所をあえて選ぶというところには、私はいろいろ勘ぐっては申しませんけれども、やはりどうも社会教育なりあるいは一般教育なりが、文部大臣は二十一世紀につながる理想の姿を追うと言いながら、二十世紀の前半に返りつつあるのではないかという世論もある状況の中では、こうした自由な機関というものは、あまりそうした過去の暗い歴史に影響されないような場所に設置をして、そして十分効果をあげる、こういう方向に進むのが最もいい姿ではないかというように私は考えます。これについては、いまのような御説明をいただきましても、なかなか納得ができませんので、自衛隊を見せたかったら見せるように、自衛隊の中の宿泊で、一日自衛隊に入ったりするような設備もあるでしょう。そういうようなことをやられまして、できるだけこういうような自由なものに対しては、精神的なあるいは物質的ないろいろなものから、昔の暗い歴史の陰影を与えるような場所にこういうものをつくっては好ましくないということを、私は最後に申し上げておきます。  なお、時間がまいりましたので、いろいろ問題がございますが、私、大臣に要望しておきます。  私どもがいままで一番考えております問題の中で、教育関係の立法を見てまいりますと、法律では、たとえば学校図書館法というものを見てまいりますと、司書教諭というものがおらなければならぬということになっておる。設置も義務づけておる。ところが、実際の状況を見てまいりますと、わずかに高等学校を出た女の子が七、八千円の俸給をもらってその図書館の管理をしておるというのが実は地方実態なんです。そしてほかの先生方が教育をやった残りの時間で、またそれに手伝いをするというようなことになっておる。学校図書館法などというものは、いま少し人的配置を充実させて十分に効果のあがるような方向にいくべきであると思う。あるいは産休代替教員というものは標準法でも認められておる。ところが、女子の先生が非常に多くを占めておるような小学校などにおきましては、産休代替の教員をプール制にしてどこかにちゃんと置いておかないものですから、いざというときになってなかなかその先生を雇用することができない。したがって、女の先生方が無理して産前産後の休暇を切り詰めて教壇に立つ。こういうような標準法そのほかの法律に違反をし、自分でつくった法律に抜け道をつくりながら実施をしておるというのが実態でございますので、ただ教員の定数をふやすとか減すということだけに重心を置かずに、減した教員をどこに持っていって充てんさせたらいいのかという、部内における配置転換そのほかの操作をも考えまして人材を十分に使っていくというようなことをひとつお考えをいただきたいというように考えます。  予算全体についての増加率が一三%だと申しますけれども、その中における交通費や公共料金、あるいは消費者物価等の指数を一体どれくらい考えておるのか、したがって、それは精算でいくのか、補正でいくのか、あるいはそのワク内で、実際は増額したけれども効率はあまり上がらなかったというような結果におちいっていくような予算になるのか、そういうような問題については、十分予算委員会等でもまた検討されると思いますので、それらの質問は省略をして、十分に効果のあがるような予算使用をやっていただきたいことを要望いたしまして、質問を終わります。
  15. 井出一太郎

    井出主査 次に、伊藤よし子君。
  16. 伊藤よし子

    ○伊藤(よ)分科員 私はまず文部大臣にお伺いしたいのでございますが、昨年の十二月二十日に、大学病院の医師の半数以上を占めているといわれております無給医局員が、新聞ではストといっておりますけれども研究専念日というようなことを称しまして、診療を拒否したということが出ておりました。これは名古屋大学とか群馬大学あるいは東大の耳鼻科の一部でございますけれども、こういう無給医局員の問題は数年来の古い問題だと思うのでございますが、いまや社会的な問題にもなってきたと考えるのでございます。昨年参議院の文教委員会におきまして小林武さんが御質問になりましたときに、杉江政府委員が御答弁になっているのですけれども文部省の御調査によりましても、そういう無給医局員は、全国的に八千二百三十八人あるというような御答弁になっております。その他、文部省昭和三十七年に全国国立大学医学部に関する資料というのを御調査になっておりますが、その資料によりましても、こういう無給医局員というのが全国の国立大学の中に八千人、そしてまた私立あるいは各医科大学等を全部合わせますと、一万何千人かになるような無給の医局員があるということでございます。こういうような状態というものは、どういうふうに考えましても、まことに不自然な状態だと思うのです。国立大栄の役割りというものは、もちろん教育研究、それに伴った臨床の診療ということがあると思うのでございますけれども、日本の医学あるいは日本の国民の医療という立場からも、国立大学の持つ役割りというものは非常に重大だと思うのでございますが、その大学の中に、現実にこういう前近代的と申しましょうか、無給で働いておる医局員が半数以上あるというような状態は、何といたしましても、医学の進歩のたてまえから申しましても、不自然だと考えるのでございますけれども、この点について文部大臣はどのようにお考えになっておりますか、まず第一にお伺いしたいと思います。
  17. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 確かに無給医局員のことは非常に問題の一つでございます。ただ、この無給医局員の中には、単位を取得するためとか、あるいは専門の学科をさらに勉強したい、あるいは臨床の経験を積みたいというような、いろいろな目的でこの立場におる医師の方がおられるわけでありまして、全面的解決は非常に困難な状況下にございますが、何とかだんだんと緩和的な解決だけでもつとめなければならぬというように考えまして、四十一年度は診療教官、あるいは講師、助手というようなものをふやしまして、約百五十何名かふやすことにいたしましたが、こういうふうにして若干でも緩和の措置を講じたいと思っておる次第でございます。これは、お医者さんになる人たち全体の今後の問題として、どういう姿にあるべきか研究すべき課題でございますから、私どもとしては、今後ともこの方策については研究をしてまいりたいというように、目下のところは考えておる次第でございます。
  18. 伊藤よし子

    ○伊藤(よ)分科員 これは局長のほうにお伺いしたいのでございますけれども、ただいま四十一年度予算では何人――昨年、全国の大半からお集まりになりました無給副手の方が会合をお持ちになりまして、陳情においでになって、私、文部省へ御案内したことがございます。そのときにも、当時の次官あるいは局長あたりも、前向きで検討したいというような御答弁がありましたし、国会においても、小林武さんの御質問に対してもそういうような御答弁なんですけれども、ただいま大臣のお話によりますと、今年は百五十何名とかいうような定員の増加について、予算をお組みになったというようなお話でございますけれども、それではまことに問題にならない。もちろん八千名というのにはいろいろな人たちがいると思うのでございますけれども、中には、もうすでに博士号、学位をとって、五年、十年も、しかも無給で働いておるというような方々も、研究の都合もございましょうけれどもございます。三年、五年なんという方はざらにあるわけでございまして、必ずしも学位をとられるばかりではなくて、研究に従事して、しかも無給で、家族も養いながら、そしてそういう人たちは、現在物価高でございますので、とにかく研究、診療を続けるためには何らかの生活の資を得なければなりませんので、私もこの方面たいへんしろうとでございますけれども、ときたま御陳情があったので、いろいろ調べてみますと、自分の勤務以外の病院にアルバイトとして働きながら、その研究を続けているという方がほとんど大部分のようでございます。こういう状態は何とか解消しなければならないと思いますけれども大臣もそういうことをおっしゃっておるわけでございますが、まことに、あまりにもささやかなる明年度予算ではないかと思いますので、当初、定員増加についてどういうような予算要求をなすったか、そして現実にはどれだけふやすことになったのか、もう少し詳しくお答えを願いたいと思います。たとえば全体としていま国立大学に働いている医師の中で、教授あるいは講師、助手、その他研究比といいますか、あるいは大学病院で働いている医局員全体の中で、たとえば国家公務員という身分の保障がされて国から給与が出ている人が何%になるか、そういう点について伺いたいと思います。
  19. 杉江清

    ○杉江政府委員 現在、国立大学病院におきまして診療に従事しております教官は二千二百三十三名ございます。このような状況に対して、先ほど大臣からもお話があり、また先ほどもお話ありましたように、約八千名のいわゆる無給医局員がございます。しかし、この八千名の無給医局員の実態は種々さまざまでありまして、ほとんど常勤の形で来て診療に従事している者もあれば、ほとんど出てこない、あるいは出るにしても、ごくわずかしか出てこないというような者もあります。その実態は区々さまざまであります。そういうところから、この対策も非常にむずかしいのでありますけれども、私どもは、まず第一に、大学病院におきます診療要員は、現在の患者数から見て非常に不足しておる、だからこの診療要員を増加することによって、この無給医局員の問題の一部の解決をはかりたい、かように考えております。そういう観点から、四十一年度予算要求に対しましては、まず第一に、診療要員の不足を、医師法施行規則による標準医師数に対する不足を計画的に整備する、こういう計画を立てまして、千三百七人の不足を計画的に整備する要求をいたしたのであります。  その計画のまず第一は、これを充足するにあたって、まず第一に、一診療科当たりの診療要員の積算基礎を高めまして、これを定員化する要求をいたしております。そういった基準を高めることによって、定員化する要求として八百二十九人の要求をいたしております。この基準外でなお不足する診療要員の増加に対しては、これは副手手当を設置したい、こういう考え方で約四戸七十八名の助手に対して副手手当を支給する、こういう要求をいたしたのであります。しかしながらその結果は、先ほど大臣からも申し上げましたように、病院教官として六十七名、それから診療科等の新設による増が八十七名、計百五十四名の増員にとどまったのでありまして、この大きな問題の解決に対しては、きわめて微々たる措置と言えると思います。ただ、問題が非常に複雑多岐にわたり、制度的にも非常に基本的な問題がございます。たとえばインターン制等の関係もありまして、この解決にはなお根本的な検討を経て措置すべき点も多いのであります。そういった点も考えまして、本年度このような程度にとどまりましたことはまことに残念でございますけれども、今後私どもも根本的な解決にひとつ十分努力いたしたい、かように考えております。
  20. 伊藤よし子

    ○伊藤(よ)分科員 いま御説明のありました数字でございますけれども、先ほど私が申し上げましたように、全体の身分の問題でございます。それが現実に、八千人の中には一日来る人とか来ない人とか、いろいろな段階があることは私もよくわかるのでございますけれども、ただ国家公務員という身分が保障されている人が、いまの診療要員といいますか、大学病院の教授も含めて、全体の中で何%くらいになっておりますか。
  21. 杉江清

    ○杉江政府委員 先ほど申し上げましたように、病院で診療に従事しております教官数は、正規の身分を持った教官数としては二千二百三十三名でありますが、先ほどの八千名、これは内部的にはいろいろな措置をいたしております。中には研究生の身分を持っている者も相当あるわけであります。ただ診療に従事するという、その点ではっきりした身分を持っていない者が大部分でございます。
  22. 伊藤よし子

    ○伊藤(よ)分科員 もう一度伺いたいのですけれども、定員をふやすと同時に、副手手当というものを考えておいでになるとおっしゃいました。今年はそれが予算の上に全然あらわれてこないわけですか。
  23. 杉江清

    ○杉江政府委員 要求はいたしましたけれども、その予算は認められませんでした。
  24. 伊藤よし子

    ○伊藤(よ)分科員 私は、この点につきましては、ただいま局長のほうからも御答弁があり、大臣からも御答弁がありましたように、こういうような事態になってきた原因と申しましょうか、その長いしきたりとか、学位をとるために何年か医局にいないと学位をもらえないとか、ある意味では徒弟制度的な封建的なものがまだ大学の医学部の中に残っているのじゃないかと思うのです。そういう点については、制度上も今後いろいろ御検討いただかなければならない問題だと思うのでございます。いずれにいたしましても、現在八千人からの、いろいろな段階があるにしても、無給の人たちが働いてささえていなければ現在の大学病院というものの業務がやっていけないという現実の姿がございますし、そしてまた、最初に申し上げましたように、これは非常に不自然な形でございますので、何としてもこれを近代的な、これから進歩していく日本の医学に備えるためにも、大学病院というものが教育研究と、そしてまた、国民の医療の立場からの臨床診療というものを兼ねたものとして発展していくためにも、この点は文部省としてももう少し積極的に御検討になって、これを打開するような方策を立てておいでにならないと、なかなか容易ではないと思うのでございます。この点、特に大臣の御決意というか、その点に対する御所信をもう一度承っておきたいと思います。
  25. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 これにはいろいろ考え方があると思うのですが、結局するに、研究ためとはいいながら、常勤をして毎日副手として診療に携わっておる者と、それから学位等の関係で必要に応じて勉強かたがた副手の役目を果たしておる人と、その他いろいろ種類があるようでございますから、せめて専門に常勤で勤務する人に対しては、勉強の目的もありますが、何がしかの方法を講じなければならない筋合いではないかというように私どもも概括的に考えております次第で、そういう方向に向かいまして、今後も研究を進め、打開策を講じてまいりたい、かように考えております。
  26. 伊藤よし子

    ○伊藤(よ)分科員 まだちょっと時間がございますようですから、ついでながら伺っておきたいのでございますけれども、最近、専門医制度という問題がいろいろ問題にされているようでございます。これは私たちもいろいろ研究していかなければならない問題だと思うのでございますが、日本の医療制度全体にも関係してまいります問題でございますから、文部省としては、いまこういう問題について専門医制度をどういうふうにお考えになっておりますか、この際ちょっと伺っておきたいのであります。
  27. 杉江清

    ○杉江政府委員 医学教育及び医師制度の全体を通じまして、いま基本的に検討しなければならぬ非常に大きい問題があると思います。それはインターン制度、それから大学院のあり方、そして大学を卒業した後における研修、ないし新しい医学の進歩に応じて研修し、ないしその専門分野について特に研修する、そういうふうな制度を考慮するというふうなこと、これらの全体を通じて基本的に考えていかなければならぬ大きな問題だと思います。  方向としては、私は日本においても専門医制度を確立するというようなことは真剣に考えなければならぬのじゃないかと思います。アメリカ等においては、そのような制度が打ち立てられ、うまく運用されておると聞きますけれども、そのような方向での検討が必要であろう、かように考えております。
  28. 伊藤よし子

    ○伊藤(よ)分科員 最後に、ただいまお話にも出ておりましたように、大学院の学生が残って、はたして大学病院の中で教育研究がやられるかというような問題、現状ではやはり無給医局員と同じような立場で、ほとんど教育研究がされていないような状態であるのじゃないかと思うのです。それと、明日の日本の医療をささえる非常に若い医師のあふれるような才能とかそういうものをどうして伸ばしていくかということについては、先ほど申し上げましたように、いろいろな方もありますけれども、まじめに大学に残って研究をしていきたいという人たちが十分な研究ができて、日本の医学が発展し、そしてまた、国民の医療にそれが貢献する、そういうふうにするためには、このいまときたまあらわれた無給医局員の問題は、非常に大きな氷山の一角があらわれてきたという感じでございますので、この点については、ぜひこういう無給医局員などが残っているということをあらためて、ほんとうに大学病院というものが、教育研究、そして診療の最高のものとしてこれからの運営活動ができるような状態にぜひやっていってもらいたいと思うのです。それにつけましても、ただいま私が申し上げたのは、そういう医局員に対する有給の待遇の問題でございますけれども研究費などというものも現状は非常に少ないんじゃないか。それで医局なんかにおきましても、よくいわれますように、医薬のメーカーあたりからいろいろ費用が出て、そして教授なりがそれをそういう医局の人たちに使っていくというような、そういうところからまたメーカーとのつながりというような不明朗な点も出てくるんじゃないかと思いますので、ぜひ十分な研究ができるように、研究費につきましても、十分に国家予算の中から出されなければならないと思うのでございますけれども、この研究費のほうの問題はどういうふうになっておりますか、ちょっと伺いたいと思います。
  29. 杉江清

    ○杉江政府委員 四十一年度予算につきましては、病院における教官の研究費は相当の改善を見ております。ただいま資料をちょっと持ち合わせておりませんので、正確な数字を御報告できないのですけれども、相当の改善を見ております。
  30. 伊藤よし子

    ○伊藤(よ)分科員 これで最後でございますけれども、先日東京におきまして、全国の各大学から無給医局員の人、あるいは有給の方でもいろいろ助手の方など、待遇の改善問題等について相当たくさんお集まりになりまして、その人たち文部省、大蔵省あるいは厚生省に御陳情になって、私も御案内をしたわけでございますけれども、いろいろの話の中で、たいへん物価高の中でアルバイトをしながら苦労をしておるという話と同時に、その人たちの身分がはっきりいたしませんために、医者でありながら、一週何日かのアルバイトをしなければならないというようなことで過労のために病気になりましても、健康保険の中にも入れないわけなんでございます。まあ国民健康保険に入るわけですか、そういう身分保障が確立していないから、自分たちが病気になったとき困るというような問題も訴えておいでになりましたけれども、この人たちのいわゆる社会保障の問題、これは厚生関係にもなるかと思いますので、私は、きょうは特に文部省に対して、この定員増加、無給医局員の有給問題について御質問を申し上げたんですけれども、これは日本の全体の医療制度の問題としても、今後考えていかなければならないと思いますので、厚生省の医務局に対しても、また続いて御質問申し上げたいと考えておりますけれども、この人たちの身分を何か国家公務員に準ずると申しましょうか、そういうような身分保障がされるようにぜひお考えを願いたいと思います。  ただいまの専門医制度の問題とか、あるいは大学院の学生の問題とか、あるいはインターンの問題とか、いろいろ制度上検討していかなければならない問題もございますけれども、私は文教方面ではずぶのしろうとでございますので、いずれ同僚の委員からも引き続いて文教委員会等で御審議をいただきたいと思いますので、私の今日の質問はこれで終わりますけれども、たいへんくどいようでございますが、この無給医局員というような非常に不自然な形を解消するために、ぜひ今後とも大臣の格別なるお力添えをいただきますように、最後にもう一言大臣の御決意を伺いまして私の質問を終わりたいと存じます。
  31. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 ぜひこの問題は十分研究をいたしまして、どういうふうなさばき方をすればよろしいか、ひとつ検討を進めて善処をいたしたいと思います。
  32. 井出一太郎

    井出主査 次に、山田耻目君
  33. 山田耻目

    山田(耻)分科員 私は、文化財の保護について特に埋蔵文化財の保護について御質問をいたしたいと思うわけでありますが、こういう考古学の問題につきましてはずぶのしろうとでありますし、聞きますことも十分な点が言い尽くせないかと思いますけれども、よくわかるように親切にひとつお答えいただきたいと思います。  最近、日本の政治の姿勢というものが、高度経済成長政策という名のもとに経済第一主義というものが非常に急速に進んでまいっております。そのために、工場誘致の土地造成なり、あるいは縦貫線、横断線という国道の建設なり、その他類する土木事業というものが非常に早いテンポで進められてまいっております。これによりまして、私たち日本人の祖先である先人が築き上げていた文化の遺産というものが全く冷たいブルドーザーにかけられましてこわされていきつつあるという例がまさに枚挙にいとまがないというふうにふえてまいりました。今日、最近の問題としても、多くの人々に憂いを深くさしております問題だけでも、関東は千葉県の加曾利貝塚の問題、あるいは関西にいきますと、田能遺跡の問題、藤の森、山道山古墳の問題、静岡の登呂遺跡の問題、中国にいきますと広島の三次市にあります太郎丸古墳の問題、山口県にいきますと、本土にたった一つといわれておる石城山の神籠石遺跡の問題あるいは西日本最大といわれておる下関綾羅木郷台地彌生遺跡の問題、こうした非常に著名な、すでに調査もなされておるような、あるいは石城山の神籠石遺跡のように、昭和初期に文部省の指定遺跡として指定をされておる非常に貴重な文化財までが、道路をつくり上げていくためにこわされていく、こういうことは、将来の日本人の文化というものを正しく発展さしていく上からも、ゆゆしき問題だという気がしてなりません。特に、最近は、日本民族の歴史についてもとかくの疑惑が若い青少年の気持ちの中にもありますときに、なおさら、具体的に考証できるこうした遺跡というものが正しく保存されていかなくてはならないし、経済目的達成と両立しなければならないという気持ちを深くいたしておるわけであります。最近、私のようなしろうとにまでたくさんな投書なり陳情がまいりまして、何とかして文化財保護法の示す目的というものが正しく守られていくように、任務が発揮されるように、手記などを寄せられて関心の深い人々が苦衷を訴えられております。私はILOの仕事をしておりましたので、欧州各国などを旅することも非常に多うございました。ローマの遺跡あるいはベルギーなどにおきましても、先人が築き上げていった私有の建物ですら、改造するのに建築の許可が要り、その礎石に何年改築ということを銘を打ちながら、古代の文化というものが現在に継承されてきておる。非常に感銘を深くしておるのでありますし、昨年の十月アラブ連合に参りましたときも、日本にもまいりましたツタンカーメンの発掘されましたルクソーにも参りましたし、いろいろと民族の古代文化というものがそうした諸外国では非常に大切に扱われてきている。日本は昭和二十五年に文化財保護法というものが独立をいたしまして、その保護に当たることを一条なり三条で明らかにいたしておるけれども、なぜ埋蔵文化財というものがブルドーザーのえじきになっていくのであろうか。これらについて文化財保護委員会の責任者の方から、今日までとられてきたやり方、今日の考え方、将来に向けてどうする、こういうことについて御意見を伺わせていただければ幸いだと思います。
  34. 村山松雄

    ○村山政府委員 文化財保護法によりますと、国宝、重要文化財、それから記念物、民俗資料といった範疇に分けまして、重要なものは指定をいたします。指定をした物件につきましては必要に応じて利用、処分の規制を加え、それからまた修理、環境整備、防災等につきまして、所有者ないしは管理者に対し補助金を出しまして整備の援助をする、こういうたてまえで保護を講じてまいっております。  問題の史跡につきましては、従来、国土開発があまり急テンポで進まない時代にありましては、これはそのままの状態あるいは山林、田畑等として若干の利用をされながらその状態を損ずることなく保存されてまいったのでありますが、近来は御指摘のように開発事業がたいへん急速に進展してまいりまして、いわば平穏に眠っておりました史跡が破壊されるという事例が遺憾ながら多くなってまいっております。これに対処するためには、まず指定地域をはっきりさせて、標識を立てこれが周知徹底をはかって、保護の完全を期するというような対策を講ずる一方、これが他の公益事業等のために現状が変更される必要に迫られるような場合には関係当事者と事前に協議をいたしまして、でき得れば公益事業等におきましても、計画を変更して史跡等を破壊することなく、その事業の範囲から除外をして残す。そういうことがきわめて困難であり、また史跡につきましても若干の修正がやむを得ないと思われるような場合には、最小限度の現状変更を認める、こういうような形でできるだけの保全をはかってまいったのであります。  一番問題は、指定をされておらない遺跡、これは法律的には現状変更に対して規制を加える権限はないわけでありますが、これも調査をすれば重要なものである場合が多々あるわけでありますので、これにつきましては、昭和三十五年以来遺跡等の全国調査を進めまして遺跡の所在地を確認いたしまして、その所在地の地図などを刊行いたしまして、これまた、関係者の周知徹底をはかっておりまして、これが破壊されることがないように要望してまいっております。   〔主査退席、水用主査代理着席〕  それから、そのように未指定の遺跡等の所在地等に対しまして開発事業が行なわれる場合にも、関係者との事前協議の措置を進めまして、たとえば、一番大規模に開発事業をやるのは道路公団、住宅公団等でありますが、これらとの間には、協議をいたしまして、覚え書きを交換いたしまして、事前調査の徹底をはかっております。  処置といたしましては、先ほども申し上げましたけれども、必要に応じて遺跡所在地を開発事業の対象からはずす、それからやむを得ない場合には一部変更いたしまして、一部分の保存をはかる。さらにどうしても開発事業のほうが優先をするというような場合には、調査の徹底をはかりまして、記録の保存をして学問研究ために支障なからしめる、こういう措置を講じております。  これがための現実の事業の問題といたしましては、予算措置を要するわけであります。特に、民有地の遺跡の保存をはかるためには、どうしても指定までして保存をはかるためには、公有化をいたしまして買い上げ保存をはかるということも必要であります。史跡の買い上げ保存の経費は、従来そういう必要が必ずしも多くなかったので、はなはだ僅少でありましたが、最近急激に需要が増大いたしましたので、来年度予算では、前年度の二倍をこえる金額、一億五千万ほどを計上いたしておりますし、それからまた、もう一つの問題として、指定の史跡につきまして、環境が荒れておりて、これでは保存の目的が達成されないという批判もありますので、環境整備費につきましても三倍程度の増額をはかりまして、保存の徹底をはかる、こういう措置をはかっております。  それからきわめて重要な遺跡につきましては、例外的でございますが、国で直接買い上げるという措置も進めておりまして、これに該当するものといたしましては、奈良の平城宮跡の買い上げがございます。これは四年計画で実施しておりまして、来年度で四年目でありますが、来年度予算におきまして、若干計画を変更いたしまして、全体を五年計画として、全域約三十万坪でありますが、そのうちで、民有地で買えるものは買い上げ保存をはかる、こういう措置をはかっております。  以上が、史跡、埋蔵文化財の保存に関しまして従来とっております体制並びに措置の概要でございます。
  35. 山田耻目

    山田(耻)分科員 おっしゃっている回答を伺っておりますと、十分とは言わないけれども、可能最大な手だてをいたしておるというふうに聞こえるわけであります。しかし、そうであったとしたら、これほど文化財保護関係者の人々から苦しい陳情は私は出てきてないと思うのです。それから現実に埋蔵文化財という毛のが破壊されておるという現実から照らし合わせてみましても、おやりになっている事柄の中に、まだまだかなり抜けた点があるのではないだろうか。しかもそれらは、法律のたてまえからも、機構上からも、若干の欠陥があるのではないだろうかという気がいたしてなりません。  そこで、大臣にお伺いするわけでございますが、この文化財保護法の中でいわれておる、政府並びに地方公共団体の任務を規定した第三条があるのでございますが一法律としては非常にりっぱな法律でございます。「わが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなすものであることを認識し、その保存が適切に行なわれるように、周到の注意をもってこの法律の趣旨の徹底に努めなければならない。」たいへんけっこうだと思いますけれども、しかし、今日この周到な注意を喚起しながら、また、行政面にもそれを反映させながら、やられておる機構というものは、一体どういう機構が存在しておるのかということが片側の一つの盲点でもあるような気がいたしますので、その点についてひとつ行政上の立場からお答えいただければけっこうだと思います。
  36. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 文化財保護は、御指摘のとおり非常に重要であると思います。いままで文化財保護法が制定されまして以来、場合によりましては、文化財保護委員会の努力は、ほかの公共施設その他事業関係のものからいえば、かなりえげつないと思われるくらいがんばってきてはおると思いますが、これに対する文化財保護についての経済的な予算措置等は、まだまだ私は非常に不十分であると思います。大いにこの文化財保護の重要性の声を世論として高めていただきまして、私どももそれに対応して努力を続けてまいるべきものだ、かように考えております。
  37. 山田耻目

    山田(耻)分科員 文化財保護委員会の委員は、文化大臣が御任命になる五人をもって構成されておるわけでございますが、この方々の中に、いわゆる学術上の調査ということでなくて、保護、保存の権威者、こういう人たちをお加えになっていないのではないだろうかという気がいたすわけでございますけれども、この五名の委員の方々の人選の基準というものは、ただ単なる――予算の配賦というものが多い少ないということはもちろん行政上に大切な影響を与えますけれども、やはり独立した権限をお持ちのこの委員の方々の構成というものの中に、保護、保存というものを十分配慮して委員の任命がなされておるのだろうかどうだろうか、その点が一点気になるわけでございますけれども、いかがでございましょう。
  38. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 そういう面も配慮いたしまして、従来文化財保護委員会の委員の人選につきましては十分注意をして、適任者を得てきたと思うのでありますが、考え方によりましては、非常に高齢の方が多いために、現地視察あるいは保護、保存についての実地調査等に若干いかがかと思われる点もございましたので、私どもといたしましては、高齢者の方も見識のある人が必要でございますが、できるだけまだ体力もあり活動力のある人も加えつつ、保護、保存について万全を期してまいりたいというふうに考えておるわけでございます。
  39. 山田耻目

    山田(耻)分科員 民間にも非常に有能な権威のある方がたくさんおいでになりますけれども、特にこういう方々がお互いの学問上の立場の知恵を寄せ集めたり、あるいは長い間の史跡の研究を通して結集された人々などを網羅いたしまして、御存じと思いますが全国の文化財保護対策協議会というものができております。甘粕さんあたりがおやりになっておるわけでございますが、こういういわゆる保護、保存というものを調査研究を通してそこに結論を求めておられる、そういう団体の代表などを入れていけば、調査研究、資料の収集のみというそしりを受けるような文化財保護政策、それをそこでカバーをしていきながら、もっと具体的に保護、保存の施策というものができ上がっていくんじゃないだろうかという気がいたすのでありますけれども、そういうことを含めて近い将来御検討いただくということになるものだろうかどうだろうか、御所見を伺いたいと思います。
  40. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 御指摘のような点も今後十分留意してまいりたいと思いますが、ただ、制度上文化財保護委員はわずか五名でございますから、化財の保護について非常に情熱を傾けていただいている人、また知識の十分豊富な方々がたくさんおられるわけでございますから、こういう方々にはどうかひとつ遠慮なく文化財保護委員会並びに事務局のほうに向かいまして、ここにはこういう重要な史跡がある、あるいは埋蔵文化財がある、こういう保護の緊要性があるというようなことを、ひとつ十分に意見を持ち込んでいただいて、そしてその御意見を尊重しつつ万全を期するようにつとめることが必要かと思いますので、どうかひとつ関係の知識のある方々、情熱を傾けている方々の御意見が十分に反映するように希望いたしておるわけでございます。
  41. 山田耻目

    山田(耻)分科員 この文化財保護委員会に付属をする機関といたしまして、御存じの、こうした埋蔵文化財の破壊を防止したり保護、保存をするということのお仕事をなさっているのに文化財専門審議会、国立文化財研究所という二本立ての機関があるわけでございます。国立文化財研究所というものは、東京と奈良一カ所ずつでございますが、これだけの附属機関では、広大な地域にある、あるいは歴史的に非常に価値のあるこうした遺跡に対して十全な保護、保存政策あるいは調査というものがなされきれないのではないだろうか。もちろん、これは予算執行にも関係してまいりますけれども、そういうことを規定しております二十条の規定というものが、機構上若干充足をされていっていいのではないだろうか。私はしろうとでございまして、たいへん御注意を受けるかわかりませんけれども、文化財保護法の二十三条の中に国立文化財研究所の設置をはじめいろいろと任務、目的が明らかにされておりますが、これの第三項に「支所を置くことができる。」というふうになっているわけでございます。この文化財研究所というものは二十三条にも書いてございますように、「調査研究、資料の作成及びその公表」ということになっております。もちろん、保護、保存等につきましても十分な規制というものがされておるものだとは私思っておりますけれども、何といいましても全国二カ所だけでございますし、この第三項をひとつ実際に機構の中に起用をしていただきまして、関係の個所に支所の設置ということをお考えになるわけにはいかないであろうか。特に東京国立文化財研究所と奈良国立文化財研究所がございますので、関東、東北、中部地区それぞれの有名な大学、東京、東北、名古屋大学には考古学研究室、教室もありますので、ここを東京国立文化財研究所の支所とし、近畿、中国、四国、九州地区、ここにもそれぞれ京都、広島、九州大学に考古学研究室ができておりますので、ここを奈良国立文化財研究所の支所にしていただきまして、そうして支所が保護、保存の国民世論というものに対して適切な措置をとられていく、そうして各府県に担当官を配置されまして、その担当官が、経済第一主義で進められていく幾つかの諸計画の段階で調査をし、そうして支所がそれを受けて、むざんなブルドーザーのえじきにしていくようなことのないような配慮をいたしながら保護、保存に当たっていくというふうな機構上の――これは新たなる機構上の考えではございませんで、保護法二十三条の中からつかみ出されてくる機構上の充足の方向でございます。   〔水田主査代理退席、主査着席〕 ですから、そういうことをお考えになっていただく方向づけを近い将来持っていただいて、そういう形で日本民族の固有のそうした文化遺産というものが守られていくような施策、具体的な実施、こういうものに一歩踏み出していただくような構想、こういうものをお持ちいただけないかどうか、この点を大臣にお伺いいたしたいと思います。
  42. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 御承知のとおり、四十一年度に新しく考古学研究室を静岡大学に設けることにいたしておりますが、従来七カ所ございまして、これで国立大学の考古学研究室は八つになるわけでございます。いま御指摘のように、こういう考古学研究室のあるようなところに文化財研究所の支所をつくったらどうか、また担当官を置いたらどうか、こういう御指摘でございましたが、半面、十何県か主要な文化財所在の県では、県の教育委員会の中に担当官を置いて文化財保護に当たっておるわけでございますので、私どもの考え方としましては、文化財保護ということはやはり所在の府県が目を通し、また関心を持って保護指導に当たっていただくことが必要でありますから、担当官を置いております県は十何県かと承知しておりますが、あるいは必要に応じて、文化財の所在の状況に応じてこの担当官を置く県をふやすことのほうがむしろ目が行き届くんじゃないだろうかというような感じもするわけでございます。しかし、せっかくの御指摘でございますから、文化財保護委員会にも研究をしていただきたいとは思いますが、いまのところ、そういうふうな考え方でおるわけでございます。しかし、これは文化財保護法によりまして文化財保護委員会という機構ができておりますから、私ども一存でどうこう申し上げかねるのでありますが、御指摘の点はひとつ文化財保護委員会で研究をしていただくようにいたしたい、かように思います。
  43. 山田耻目

    山田(耻)分科員 県に担当官、まあ調査員でございますが置いておられますけれども、御存じのように、日本の政治というものは官僚的な政治の色彩というものが濃厚でありますし、いまの運用上の面から見ましても、いわゆる文化財などを発掘するときには三十日前に届け出をする、それで県がそれを受け付けて、そうして保護委員会のほうに出す書類が行ったり来たりしているうちに三十日過ぎてしまってぶちこわされていくという例が非常に多いわけです。それといま一つは、やはりこうした文化財が、ある意味では経済目的なり公共目的で道路や団地造成などでこわされていく。そういうときに、緊急調査費ということでその調査費を出して、一応の調査はするけれども、それは全くワン・クッション置いただけにすぎぬで、それが終わったら完全に取りこわされていって工場ができる、道路ができる、学校ができる、あるいは最近では農業構造改善でミカン畑ができていく。全くワン・クッション置いただけのおざなりの姿というものが、今日の地方における文化財保護について県なり教育委員会なりあるいは調査官が行なっている現実じゃないだろうか。この人々の中に多くの不満がいま出ておるのです。だから私は、もちろん現在の予算規模なりその他多くのことを期待することはできないかもしれぬけれども、しかし、こういうものは、急速に進められていく今日の経済第一主義政策の中では、一刻も早く対応策を立てなければならぬ。そういう埋もれている多くの文化財は、これは私たちの子孫に残してやる共通の財産としてもここで守ってやるような具体策を立てることが、特に文部大臣なり文化財保護委員会としては、ある意味では急務中の急務の政治課題として取り上げていただかなければならないという気持ちが非常に強いわけでございます。もちろん、保護法に基づいて生まれておる文化財保護委員会の皆さんの所管に属する二十二条第三項の問題でございますから、そこで細則もつくられるわけでございますから、保護委員会のほうはいかがでございましょうか。いま申し上げたような少しでも前進的な一つの施策を取り入れることによって埋蔵文化財を救っていく、保護、保存をしていく――それにかわるこういういい手があるということならばけっこうでございますけれども、いろいろ私たちが研究してみましてたどりついた道は、当面そういうことによって、経済の進展と対比させながら守っていくという以外にはないであろうという気持ちから到達した、私の一つの貧しい案でありますけれども、保護委員会のほうとしてはいかがでございましょう。
  44. 村山松雄

    ○村山政府委員 文化財保護法には、御指摘のように、「国立文化財研究所には、支所を置くことができる。」ことになっております。現実にはまだ置かれておりません。そこで、どういう考えであるかということを申し上げますと、この規定の趣旨は、実は御示唆のように各ブロックに支所を置くようなことではなかったようでございます。現在、たとえば近代美術館に京都の分館がございますが、そういうぐあいに例外的に、どこかぜひ必要な地点に、文化財研究所の独立のものを置く程度ではないが、何かほしいという場合のための規定のように存ずるのであります。そういう事情もございまして、支所をつくるという具体的な計画も現在持ち合わしておらない次第でございます。  そこで、ただいま御示唆のように、国立大学に考古学教室が数カ所ある。幸いこれが、全国をながめ渡すとブロック別に配置されておる。これを活用して支所にできないかということは、ある意味で非常に示唆に富んだ案だと思いますが、行政の組織から申しますと、行政機関である文化財保護委員会の研究所に、国立大学の教室を支所としてつけるということは、かなり研究してみませんと、それが一体制度的に可能であるかどうか。また、制度的に可能であるとしても、そういう話が当事者との間でつくかどうかといういろいろな問題もございますので、これはひとつ研究さしていただきたいと思います。  そこで、しからば何かそれにかわるべき考え方ということでございますが、現在、ただいま御指摘もありましたように、文化財保護委員会では、専門家の学識経験を伺う組織といたしまして、五人の委員会のほかに、九十人以内の定員からなる文化財専門審議会というのがございます。これは四つの分科会に分かれております。美術工芸、建造物、記念物、無形文化という四つの分科会に分かれておりまして、史跡、埋蔵文化財の問題は、その一つ分科会として専門家の方々を御委嘱申し上げまして、専門的な立場から御検討を願っております。それから各県段階でも、それぞれ専門審議会あるいは専門委員会という組織がありまして、地方在住の専門家の方の御協力をいただいております。それから文化財保護委員会の事務局にも、また地方教育委員会の文化財担当課におきましても、専門調査員というものがございまして、これは全部網羅的では必ずしもないかと思いますが、相当数の府県で設けられておりまして、これらは実際問題といたしますと、ほとんど大学の考古学研究室の専門家の方をお願いしてそういう組織をつくっておるというのが実情でございまして、実質的には専門家のお知恵はほとんど網羅的に拝借しておるというのが実情でございます。事務局といたしましては、埋蔵文化財担当官が未設置都道府県に対しましては、これを設置するようにお願いしてございます。これはやはり地方の事情がございまして、どんどん進むというわけにはまいっておりません。しかし、埋蔵文化財が多い府県ではかなり置かれておりますし、それから問題が起こってまいりますと、やはりおくればせではありますけれども、実現を見ております。たとえば、御指摘にもありました兵庫県の田能遺跡の発掘調査の問題、これがかなり大きな問題となってまいりまして、最近兵庫県では担当官を入れるというような措置を進められておるように聞いております。これらの組織を活用いたしまして当面調査に万全を尽くしますと同時に、保存の問題につきましても、これら専門家の方々の意見、それから広く世論を背景といたしまして、私どもも最大の努力を尽くしまして、保存の万全を期していきたい、かように考えておる次第であります。
  45. 山田耻目

    山田(耻)分科員 御説明はわかるのでございますが、申し上げている意見についても十分御研究いただきまして、いわゆる一歩でも十全な方向にたどりついていくということのための御努力をお願いしたいと思うのです。  ただ、おっしゃっていましたように、いままでの東京と奈良にあります研究所でありますと、どうしても局限された地域で固定化してしまうということはやはり避けられないものがあるわけです。それを地方の大学で、今度八カ所になるそうでありますけれども、諸先生の御努力で専門的にそれが充足をされていく。ところが実際には、いま広島大学では教授、助教授、事務職員の三人でございますけれども、年間一人二万円でございます。これくらいの予算では、一度調査をすれば旅費くらいに食われてしまって、もうどうにも身動きつかない。あとは資金カンパをしたり、自分の身銭を切ってその仕事をしていかなければならぬというふうで、やはり機構でございますから、体系づけてあげるということが、目的を達成させるのに、日本のような国柄では非常にいいのじゃないだろうかという気がしてならぬものでございますから申し上げたわけです。  二番目の、国家行政組織法の問題からそういう大学に支所を置くことがどうだろうかという御懸念でございますけれども、もともと組織法の三条二項の規定に基づきまして、文化財保護委員会は文部省の外局として設置するということになって、文化財保護委員会が生まれておるのでございますから、大学に支所をおつくりになることも、組織法の法律解釈上そう間違いをおかすような気がしないわけであります。これらも含めて御研究いただきまして、目的に合うような機構というものがつくり上げられていきますように、強く期待をしておるわけでございます。  時間もまいりましたので、これは山口県のことを申し上げて恐縮ですけれども、冒頭申し上げました石城山の神籠石遺跡というのがございます。ああいう昔の築城形式というのは本土で一つだそうでございますが、たまたま佐藤さん、前総理の岸さんの田布施町と私の住んでいるところと境をしておる山でございますけれども昭和初期に文部省の指定史跡になりまして、それがつい先々年その山の頂上にNHKのテレビ塔が建ちまして、それに向かって県道がつけられていったわけであります。その神籠石の列石がかなりこわされてしまっております。こういうふうなことは、ああして本土には一つしかないという貴重な文部省指定の遺跡というものが、そういう形で原形をとどめなくなっていくということになりますと、いわれておるような文化財保護法というものが文字どおり経済第一主義の陰に隠れてしまって、民族の文化遺産というものが正しく守られていくだろうかということになりますと、私は疑義を持つわけです。そのほか、山口県には数多くの遺跡がございますし、いまの山口大学は、もとの山口高校時代から考古学の専門家が多く輩出されていった学校でございますし、県民の感情としても、そうした先人の残してくれた遺跡というものが大切に守られるようにという念願はきわめて強いわけでございます。しかも、余分ではございますけれども、石城山というのは、維新百年を迎えましたことし、あそこで高杉晋作が奇兵隊を訓練したところでございますだけに、県民の関心というものは、変った形で石城山というものを非常になつかしむ気持ちで見ておりますだけに、こうした著名な埋蔵文化財というものがどう正しく守られていくかということは、文化財保護委員会の委員の皆さんも、国立研究所の皆さんも、限定された地域のお仕事ということだけでは十二分に目的を達することができないという気もいたしますので、できますならば、そうした遺跡を一度御調査いただきまして、保護が法の示すとおり円滑に行なわれていっておるかどうかということをひとつ調査願いたいという気がいたすわけでございます。  最後に、静岡大学にこの研究室が設けられたそうで、たいへんけっこうなことだと思いますが、できましたら、そういう文化を非常に多く地方豪族の文化遺産として持っております山口県の大学、国立山口大学がございますから、近い将来研究室を置いていただくということも含めて調査のための出向をいただきたいということと、設置をひとつ御配慮願いたいということを含めて、最後にお伺いしておきたいと思います。
  46. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 先ほどお話のございました石城山の神籠石というのは、私どもも伺っておりますが、非常に貴重な文化財と承っております。そこで、どうなっておるか、事務当局に確かめましたところが、これは昭和三十八年、九年のころに調査をいたしまして、その調査実施の結果、民有地もありますそうで、これは放置しておくわけにはいかない、いまのうちに何か公共の機関で買い上げる必要があるんじゃないかということで、この石城山の場所は大和村の区域だそうですか、大和村に買い上げの補助を四十一年度でいたしまして、そうして所在の公共団体に買い上げてもらうというような措置を講じ、また、環境の整備も必要であるという調査の結果が出ておるようですから、これらの環境整備についての措置も講じまして、保全の万全を期するようにしてまいりたい、こう思っておる次第でございます。  なお、先ほどお話のありましたように、山口県は非常に史跡的な文化財の多いところのようでございますから、考古学研究室の設置につきましては、これからの問題として研究をいたしたいと思います。
  47. 井出一太郎

    井出主査 次に、受田新吉君。
  48. 受田新吉

    ○受田分科員 私、文部大臣予算案に関連する二、三の問題点をお尋ねして、同時に、担当局長さんに事務的な説明を仰ぎたいと思います。  文部省は、学校教育体系の中で、義務教育課程に準じて幼稚園、高等学校というような制度を今後どういう扱い方をされようとするか、義務教育課程に幼稚園部門と高等学校部門を加えようという意図ありやいなやという問題をお尋ねしてみたいのであります。
  49. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 御指摘の点は、まだ具体的な研究の過程に入っておりませんが、いずれ近い将来に具体的な研究をしなければならないものではないかというふうに考えております。
  50. 受田新吉

    ○受田分科員 そうしますと、義務教育課程六・三制に加うるに、就学前の幼稚教育と後期義務教育を終えた者に対する高等教育という形のものを前向きで検討したいという意味でございますか、どうですか。
  51. 齋藤正

    齋藤政府委員 就学教育義務教育につきましては、現在幼稚園教育の普及という形で努力をいたしておりますが、これが義務教育、すなわち、就学させなければ罰則を受けるという形の義務教育であるべきかどうかについては、非常に問題もございます。また一部には、小学校就学時の年齢を繰り下げるという論議も教育界にはございますが、これらは重要な問題でございますので、現在の段階では義務教育ということでなく、実態として就学前の教育を欲しておられますので、その普及に努力をいたしたいと思っております。  第二の、いわゆる後期中等教育の段階でございますが、これは単に高等学校ということだけでなくて、高等学校その他のいろいろな教育訓練機関というものに、できるだけ十七、八歳以下の子弟が教育の場につくという意味で、後期中等教育の拡充をはかる必要があるということで、現在これは中央教育審議会において御審議中でございまして、近くその結論が出るものと思います。現在の段階では、大臣のお答えいたしましたように、両者とも、小中学校と同じ意味における義務教育としては考えてはおらないわけでございます。
  52. 受田新吉

    ○受田分科員 現実の問題として、幼稚園に学ぶ子供たちと、高等学校に学んでいる子供たちの、当該年齢の該当数に対する就学率はどの程度になっておりますか。
  53. 齋藤正

    齋藤政府委員 幼稚園の就園率は、全国平均いたしますと、大体四一%余でございます。それから高等学校就学率は、全国平均いたしまして七二%余。ただし一東京、神奈川、香川、広島の四都県におきましては、すでに八〇%をこしております。
  54. 受田新吉

    ○受田分科員 大臣、もう高等学校の場合は八割程度にまで就学率が前進しているわけですね。高等学校皆入学制度を提唱する立場の私たちといたしましても、もうそろそろ義務教育課程に高等学校を編入していい時期ではないか。いま中教審の答申待ちだと仰せられておりますけれども文部省としてはその方向に、特に高等学校の場合には、高等普通教育職業教育を受けさせるという意味で、ぜひ検討をしていただきたい。年齢的にいっても、児童福祉法の該当年齢に当たっておる子供たちでありますし、高度の文化国家を目標にしている国柄からいっても、通信教育の制度その他定時制高校等の便法もあるわけでございますから、ひとつ文化性を高揚する意味で、文教政策の根幹に、当面、高等学校義務教育課程に編入する方針を勇気を持って前進していただきたいという希望を私は持っておるのであります。いま御答弁の段階のようでございますから、この答弁の要求はいたしませんが、そこに、ひとつ目標を置いていただきたい。  それに関連して、義務教育課程の子供で、現に就学関係の法律の根拠に基づきながらも就学をなし得ない子供たちが一体どのくらいおるのか、お答え願いたいのです。
  55. 齋藤正

    齋藤政府委員 現在、就学を免除された者、これは病弱その他の理由によりまして免除された者が〇・〇六%でございます。それから、免除に至らないで、猶予という形で就学してない者が〇・〇八%でございます。
  56. 受田新吉

    ○受田分科員 合計しても〇・一四%にしかなっていない。その就学猶予もしくは免除の子供たちは、心身障害関係子供さん以外にどういうものが入っているか、お答え願いたいのです。
  57. 齋藤正

    齋藤政府委員 心身障害者以外の者では、教護院または少年院というものに入っている者が二百七十六人ございまして、その他千九百十二人ございますが、この事由ははっきりいたしておりません。中には居所不明等まれにはあるようでございますが、この事由については統計上の資料がございません。
  58. 受田新吉

    ○受田分科員 せっかく日本国民として生まれながら、義務教育課程の就学さえできないような子供さんを持っているということは、その親にしてみても、その本人にしても、たいへん不幸なことですね。私は、この免除や猶予された子供たちの中にも、政府の努力のしかたによって十分就学し得る子供ができると思うのです。重症心身障害児などにしても、その厚生施設において同時に教育を施す道はあると私は思うのですが、そういう点におきまして文部省はどういう努力をされておるか、また今後されようとしているか、御所見を伺いたいのです。
  59. 齋藤正

    齋藤政府委員 就学免除、猶予者の理由を見ますと、やはり盲、弱視、ろう、難聴あるいは肢体不自由、病弱、精薄等があるわけでございます。これはまさにいま御指摘のように行政努力によって啓蒙もし、また特殊教育の充実をはかって就学の道を開くべきものだろうと思います。また、教護院、少年院等、他の機関におります者につきましては、これはそれぞれの機関において学校教育に準じて措置されておることではございまするけれども、その面につきましては担当省となお十分に連絡をいたしたいと思います。ただ、一年以上居所不明者というような方もおられるようでございますが、この点につきましては、あるいは市町村の教育委員会がさらに就学事務の督励等の徹底をはかって、期間を限って流動して歩く方についても、できるだけ学校就学をさせるようにすべきものだ、かように考えます。
  60. 受田新吉

    ○受田分科員 私がいま指摘していることは、特に重症心身障害児の対策、これは政府の厚生施設が一方で十分にできておれば、そこであわせて学校教諭を派遣して教育はできるはずなんです。その努力を怠って就学猶予や免除をしておるということであれば、これはもうたいへんな怠慢であって、大切な子供をお預かりしておるお国としてもこれは責任があるわけですね。この点について、つまり施設があって、そこで強度の、耳が悪い、目が悪いという子供さんに、それを補いながら特殊教育ができるのです。特殊教育を施す施設を文部者としては厚生省と連絡をしながら、義務教育課程の子供は皆就学という目標へ全力を尽くしていただきたいと思うのです。  この重症心身障害児の、パーセンテージもさることながら、実数がどれだけあって、それが施設においてあわせて教育を受けておる子供と、その施設に入り得ないで家庭で苦労をしておる子供と、そういうものも私は統計分けしてあるのではないかと思うのですが、お答え願います。
  61. 齋藤正

    齋藤政府委員 心身障害者の収容施設あるいは教育施設といたしましては、文部省のほうでは、教育可能な限界、それから重症者については、いわゆる福祉施設ということになりまして、厚生省の調査によりますれば、一万二千人が厚生省関係の数字となっております。文部省といたしましては、ある時期に学校教育にたえ得る者の出現率を予想いたしまして、これを計数として出しておりまして、これが大部分は、おそらく普通の学校に行っておって適正な教育が受けられないという者が非常に多いだろうと思いますから、その意味特殊教育学校あるいは学級の拡充をはかってまいりたいと思っております。
  62. 受田新吉

    ○受田分科員 私、個々の事例も知っておるのでございまするが、これは義務教育課程は終えた子供ですけれども、高等学校以上になってくると、学校教育の便宜上、片足が悪い、片手が悪い、その程度の子供でもやはり学校へ入学せしめておらぬのです。それは学校教育全体に影響があるというので、その一人が入ることによって、体育をやっても、いろいろ便宜を妨げることになるという意味のようでございますが、手が悪かった、足が悪かったという程度の心身障害者さえも入学の道が閉ざされておるということは、文部省としてもこれはよほど考えていただかなければならぬ。教育の機会均等の憲法の精神を生かす意味においても、その学校で一人の子供を不自由をしながらも教育してあげるという熱情が私はほしいと思うのです。文部省は、そういう肢体不自由な子供たちに、特に義務教育課程を終えた子供たちに――高校教育はもう八〇%になっておるのですが、そういうときに、学業の修得にできるだけ便益を供与して、可能な限り入学せしめるというような通達か何か出されたことがあるでしょうか、どうでしょうか。
  63. 齋藤正

    齋藤政府委員 前に中等教育担当の課から、手足等が悪いためにはねることのないようにというようなことの行政指導はいたしております。  それから、私どもとしては、そういう人たちために、できるだけ肢体不自由児学校――義務教育はもとよりでございますが、高等部の拡充ということを今後努力してまいりたいと思います。
  64. 受田新吉

    ○受田分科員 実際の運営面においては、そういう肢体不自由児などがおると学校教育に支障が起こるというので、めんどうがって学校が入れておらないのです。これは現実の問題です。ひとつこれは勇気をもって文部省が指導せられて、手足が不自由である、欠けておるということでその天分を生かすことができないような、前途を閉ざすことが絶対ないように強力に御指導を願いたい。大臣、いかがでございましょう。
  65. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 受田さんの非常に愛情豊かな御指導で、感銘をいたします。私どもといたしましても、勉強をする能力がなければ別でありますが、能力のある限りは、足が悪い、手が不自由だということのために高校入学を拒否するようなことは、人道上も非常にゆゆしい問題であると思いますから、そういうことのないように強力に行政指導を進めてまいりたいと思います。
  66. 受田新吉

    ○受田分科員 いま大臣の非常に明快な御答弁があったわけでございますが、同時に、最初にちょっとお尋ねした特殊教育施設を拡充強化して、義務教育課程の一万二千人というこの子供たちに、ひとつ地域的にでも特殊教育学校をつくってあげて、そこで、一方でアフターケアのような社会復帰への道も考えながら、同時に教育を完全に施すという、地域的にそうした特殊教育学校設置するという用意はないでしょうか。これは一万二千人もあれば、当然、学校を二十や三十は、全国各府県に一校ずつぐらいはそういう子供さんのために特別の学校をつくってあげてもいいと私は思うのですが、そういう構想はお持ちじゃないでしょうか。
  67. 齋藤正

    齋藤政府委員 すでに、盲ろう学校につきましては、御承知のように各府県で実施されております。養護学校でございますが、現在精薄関係は六十校ございます。それから肢体不自由者を教育するものが五十九校あります。それから病弱、虚弱者を教育するものが三十四校ございますが、当面、肢体不自由児学校は、四十一年度に全県に設置されることを期待いたしまして、所要の補助金等も計上してございます。それから病弱あるいは精薄についての全面的な設置につきましては、四十三年度以降できるだけ早い機会に実施をいたしたい、こう思っております。
  68. 受田新吉

    ○受田分科員 四十一年度にほとんどの府県に肢体不自由児特殊教育をする学校設置する、こういうことで補助金を出すことにきまっておるのですか。
  69. 齋藤正

    齋藤政府委員 本年度養護学校関係補助金、これは施設設備あるいは教職員含めまして十六校ございますが、その中に肢体不自由児関係の未設置県というものに対しては全部予算上の措置をしてございますから、府県はこれに基づいて全部つくっていただきたい、こういうふうに思っておるわけでございます。
  70. 受田新吉

    ○受田分科員 そうすると、その国の補助によって府県は十分体制を整えるような準備をさせてありますね。通牒でさせてありますか。
  71. 齋藤正

    齋藤政府委員 このことは四十一年度を目標とすることは、過去二、三年来強力に呼びかけておりまして、これは教育委員会関係者に強力な行政指導をしておるのであります。
  72. 受田新吉

    ○受田分科員 四十三年からの計画も伺ったわけでございますが、義務教育課程の子供には、少なくとも特殊教育施設が十分整って、その不幸を嘆くことのないような形でこの設置は十分監督してもらって、補助金は要らぬから、わしのところはつくれないというようなだらしない県がないように、十分指導していただきたい。  いま一つ、今度は教育関係お尋ねをしたい問題は、お医者さんの養成です。大体文部省は、大学の医学部の学生を何を目標に定数を定めて教育をしておられるのか。医師の需給関係とあわせて大学の医学生の養成制度というものの実態を御答弁願いたいと思います。
  73. 杉江清

    ○杉江政府委員 医学部におきましては、医師の養成と医学の研究者の養成と、この二つの面があると思います。医師の養成につきましては、厚生省とも連絡をとり、相談してその医師の養成数をきめておるわけでございます。
  74. 受田新吉

    ○受田分科員 医学生は国公私立大学を通じて現在何名在学しておるのか、それは厚生省とも連絡を十分とるといわれておるが、厚生省の医師需給関係の内容とどういうふうにマッチしてそれを進められておるのかを承りたいと思います。
  75. 杉江清

    ○杉江政府委員 医学部におきます定員は、入学定員で、国立で二千七十人、公立で五百八十人、私立で九百八十人、計三千六百三十人でございます。  医学部の定員増については、従来かなり慎重に扱ってまいりましたが、最近においては、厚生省とも相談し漸次この定員をふやしておる次第でございます。
  76. 受田新吉

    ○受田分科員 全国には無医村もまだたくさんある。それから学校教育におきましても、学校医というものは十分学校勤務ができないような形になっておる。それからもう一つは、インターン制というものがあって、文部省は、六年間医学生養成期間を設けて教育をしておりながら、そこを出た者をすぐ医師として採用できないような不十分な教育がされている、そういうような問題があるわけなんです。大体文部省というものは、大学を出たらすぐ医師として役に立つ医者を養成すべきものじゃないか、私はそう思うのですがね。進学課程を入れると六年間ですから、普通の大学よりも二年よけいやっている。最終学年で十分医師のインターンに当たる部分を教育をして、大学を出たときにはりっぱな医師として用いられるようなところへ文部省はよう教育できないのでございますか。ひとつお答え願いたいと思います。
  77. 杉江清

    ○杉江政府委員 大学における、医学教育のあり方については、いろいろ意見もあり、むずかしい問題もあるのでありますが、諸外国とも、一応医学部を出てから実地修練という制度を多くの場合設けておるわけであります。大学における教育研究、それはやはり多くの場合そうでございますように、現場へ出てすぐに役立つというのにはなお一定の距離があるということ、これは学校における教育のあり方として、ある程度やむを得ないものがあろうと思います。ただそれにいたしましても、大学における医学部の教育においては、社会へ出て十分役に立つということの要求は、他の場合よりも一そう緊切なものがあろうと思います。そういう意味におきまして、大挙における医学教育におきましては、いわゆる医師となっての必要な訓練を一そう強化していく、具体的にはベッド・サイド・ティーチングというような方面に一そう力を入れていくというのがいまの課題であり、大学においてはそういう方向でいろいろくふうされておるわけであります。一方、ただいまの御質問の問題は、いわゆるインターン制度のあり方に関係してくるわけでありまして、このインターン制度についてはいろいろ議論がされており、これが改善についていろいろくふうされておるわけでありますが、まだ結論が出ておりません。文部省といたしましても、厚生省その他、医学部の方々、病院の方々と御相談しながらこの解決に努力しているわけであります。それらを通じて、医学教育の充実、ほんとうに充実した医師を出すような努力を一そう進めるべきだと考えております。
  78. 受田新吉

    ○受田分科員 インターン制というものは、いろいろいま研究されていることを伺ったのでございますが、戦前は、もう大学を出たらすぐ医師になれたのです。しかも現在は、六年の課程で大学を出て、さらにインターンで、七年ですよ。にもかかわらず、昔、医専というのは、昔の中学校を出て四年間で医師になれたのです。それもりっぱな医師になっておるのです。いま出ておるお医者さんで粗末なお医者さんというのは、これは勉強が足らぬのであって、それで十分やれておるのです。この高度の長期の六年の教育をやって、さらに一年やるというこの大学の教育というのは、それで人生は終わってしまうですよ。六年間の教育課程の中でそのインターンに当たる部分を実地教育、臨床教育も十分やりながら、六年の業を終えてりっぱな医師に養成させるというくらいの、そういう仕立て役をする大学の医学教育というものを文部省責任を持ってやっていいと思うのです。戦前はそうだったのですから。世界のどこにも例があるというけれども、文明国の中にも、大学教育を終えてすぐ医師になっている国もたくさんあるわけです。このことを考えたときに、大学教育を終えたら医師としてすぐ役に立ち得るものにしてやるという熱情を大学教育の医学生課程に置いて、責任を持って何か独特の研究をされてみてはいかがですか。卒業した者は、国家試験に同時に合格して医師になれるという――準備に六年あるのですから、やれると思うのです。これはやはり厚生省と御相談されなければならない大事な問題ですけれども、いまの医師の充足状況などを見たときに、また、インターンは国立病院などほとんど希望していない、手当てをもらう者もあれば、もらわない者もあるというように、問題のたくさんあるものをかかえておるよりは、すかっと六年間の間に大学でりっぱな医師として仕立てるというような用意を、むしろ文部省責任を持って――従前のような制度よりもまだ二年間よけい勉強しておるのでございますから、昔の医専に比べたら二年も三年もよけいになりますような、そういう長期教育をしてなおものにならぬような医者を養成しておる大学というのでは、これは意味をなさぬと思うのですが、大臣、あなたが在任されておる間に、大学の医学教育というものにひとつぴしっとしたくさびを打ち込んで、大学を終えた者はりっぱに役に立つ、実務の医者としてもりっぱなものであるという太鼓判を押されるように責任をお持ちになられてはどうでしょうか。なかなか御答弁むずかしゅうございますか。
  79. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 お医者さんというのはとにかく人間のからだを扱うので、薬にしても治療にしても、もしそそうがあってはならないことでありますから、非常に重要な職務であることは申すまでもございません。そこで、いま受田さんの御指摘のような期間に十分完成をする教育方法はないものか、こういうことでございまして、これは私もしろうとでよくわかりませんから、ひとつ研究課題としてよく研究させていただくことにいたしたいと思います。
  80. 受田新吉

    ○受田分科員 ひとつ要請しておきます。  同時に、学校学校医というものが教育公務員の中におるわけです。教育公務員の仲間に入っておるのですね。その学校の校医さんというものは、実態は、教育公務員で公務災害補償なども受けるような法律もできておる。そういう立場にありながら、待遇というものを見ると、われわれの一応知っているところを見ても、一年間に一万五千円とか一万円というところもある。二万円、三万円も出しておるところは非常にいいところだ。ひとつ資料があればお答え願いたい。年間でございますよ。そうして年間に学校医として勤務する日数は、少なくても二十日、多いときは三十日、四十日勤務しておられます。修学旅行があるといえば行くし、運動会、体育大会があるといえば行く。いろいろな会合には必ず出る。あるいは定期検診をやる、こういうことで、校医の出勤日数というものは非常に多いのです。にもかかわらず、一年間の校医手当がわずかに一万から三万程度。国家公安委員というのがありまして、一年じゅう全部まじめに出た者でも二十数日程度しか出ないのが、国務大臣に近い給与をもらっている。以前は国務大臣と同額だったのですが、国会で議論されてちょっと下がりましたけれども、これは月額二十何方でしたかちょっとはっきりしませんが、二十数万の給与をもらっている。一年間に二十数日しか出ないような公安委員のそれが一カ月の給与です。それでございますから、年間にすると三百万円をこえるような給与をもらっておる。一方は、それよりもよけい出勤して、学校保健衛生に非常に貢献をしておる校医さんが、わずかに年間に一万から三万。この手当というのは何を基準にされたのですか。学校保健法にも別に手当の規定はないようでございますが、一体どこに校医の給与がきまる基準があるのか、この現実をどう御判断されるか、御答弁を願いたいと思います。
  81. 西田剛

    ○西田政府委員 お答えいたします。  現在の学校医の給与が低過ぎるのではないかというお話でございますが、実情を見ますると、お話のように非常に上下がございます。一応、地方財政におきましては、学校医及び歯科医の場合、二万二千円という積算をいたしております。これは三十九年まで一万八千円でございましたが、昨年三割五分ばかりのアップをいたしまして、二万二千円の積算といたしておるわけでございます。そしてその根拠は、一応、ただいま先生のお話もありましたように、学校における定期の健康診断、あるいは臨時に伝染病その他の食中毒等が発生した場合とか、あるいは学校の行事にあたりまして、水泳とか、あるいはマラソンをやるとか、修学旅行に出かけるとか、そういう場合に臨時に健康診断をやっていただく、こういうふうな仕事、あるいは年間の保健の計画学校の保健主事なり養護教諭等と一緒になって立てていただく、こういうふうな仕事に携わっていただくということで、大体の地方財政における積算の基礎といたしましては、ほぼ百時間かかろう、そして一時間の単価が、たいへん低いのでございますけれども、二百二十円という単価の積算になっておるような事情でございます。なお、実情につきましては地方によりまして非常な差がございます。先生のお話のように一万円を下るようなところもございますし、非常にいいところでは四万八千円というようなところもございます。そこで、私どもといたしましては、少なくとも地方財政で積算している程度には引き上げていただきたい、こういうことで教育委員会等を指導いたしておるような実情でございます。
  82. 受田新吉

    ○受田分科員 これは大臣に御答弁いただいて、あちらの委員会で質問の順番がきておるようですし、時間もきていますから、失礼いたします。  大臣、この学校医というものは、やっぱり責任のある仕事をさせねばいけないです。年間にいま積算しても二万二千円とおっしゃる。こんなわずかな金を年間に払って、子供の予防医学から、疾病になったときの治療医学にわたるまでの仕事をさせようなどということは、たいへんなことなんで、むしろ、医師に責任を持って校医として全校山徒の一人一人を知るほどの熱情を持たせるために、学校医はどの学校にもいるわけですから、ひとつ思い切って増額手当を出して、教育公務員としての責任を果たしていただくよう、それはやはり子供の体位向上という、日本の将来の時代を背負う子供を大事にする意味で、校医というものを、歯科医、薬剤師を含んでひとつ大幅な処遇改善をし、しかも、できるだけ精励恪勤して、子供の体位向上、保健衛生につとめてもらうというような、画期的な措置をおとりになっていただくことがたいへん大切なことだと思うのです。ひとつ英断をおふるいにならんことを希望いたします。
  83. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 御承知のとおり、学校医は非常勤の公務員ということになっておるようで、これは常勤をして生徒一人一人の健康を管理させるというまでには――そうだとすると、それにふさわしい、あるいはそういう専任をしてくれるようなお医者さんは、現状ではなかなかまかないきれないのじゃないかと思うのです。大体いまの御指摘にありました手当なども非常に低いわけでありますが、歴史的に、昔、学校医というものができたときには、その地区なり村なりにおられるお医者さんが奉仕的に始めたことから起こっておるから、こういう惰性できておると思うのですが、最近では、健康保険の制度も国民皆保険という制度が進められておりますから、病気になった場合には、健康保険の制度でやはりお医者さんに見てもらって児童の健康保持をはかってもらう以外にはないと思いますが、しかしながら、学校医には、定期の健康診断をしてもらうとか、あるいは伝染病、かぜ等のはやります場合には予防注射をしてもらうとか、あるいは修学旅行等にも付き添ってもらわなければならないとか、断続的でありますが、そういう非常に重要な面もあります。そこで、いま御指摘がありましたが、そういうような諸般の関係あるいは国民健康保険との関係等もにらみ合わせまして、研究の課題として研究をさせていただく以外には、いまどうも、こういたしますとも即答いたしかねる状況にありますので、お含み置きいただきたいと思います。
  84. 受田新吉

    ○受田分科員 これでおしまいですが、大臣、奉仕制度からスタートした時代といまの民主主義の時代は違うことと、それから予防医学と治療医学というものを考えて、子供を終始見てあげる先生、非常勤であっても常勤に近いぐらい学校へひんぱんに出ていただいて、子供の健康を守り、病気をあらかじめ防ぐ予防医学をやっていただく、病気になったら来いというかっこうでなくして、あの心身発育期に、お医者さんが終始学校へ来て、子供たちの顔色を見たり、いろいろ努力をさせるためにも、やはりお医者さんも人でございますから、奉仕という旧観念的な、旧時代的な印象がみじんもあってはいけない。医は仁術ですから、お医者さんは必得ておりますから、処遇はひとつ思い切って、たとえ非常勤といえども少なくともいまの手当を大幅に引き上げて意欲をわき立たしてあげる、こういうことをひとつ十分検討していただくようにお願いをして、質問を終わります。
  85. 井出一太郎

    井出主査 次に、帆足計君。
  86. 帆足計

    帆足分科員 私、平素外務委員会に所属しておるものでございますが、この分科会の席では、国民各般の切実な要求を政府に注意を促し、御要望いたす絶好のチャンスでございますから、親しく文部大臣にお目にかかりましてうれしく思う次第でございます。  予算委員会の各分科会に出まして思いますことは、私はやはり今日の議会運営に根本的な欠陥があることを痛感いたします。各委員会におきまする同僚議員の質問を伺っておりますと、ただいま受田議員からもたいへん切実な御要望がありましたが、それぞれ生活体験から国民の要望を代表いたしまして、切実な、そして良識ある要望なり御注意が政府に要請されるのでございますけれども予算委員会の段階になりましたときにはもう予算はほぼきまっておりまして、政府が誠実にお聞き取りくださるならば来年度予算に影響を及ぼす、多少運営に影響を及ぼすぐらいのことであって、二、三日もいたしますれば、予算委員会における議員の要望などというものは、ほとんど行政府で忘れられてしまうのではあるまいかとすら思われるのでございます。これは日本の議会制度そのものが国民の中に根をおろしてないという重大問題にもぶつかりますし、議員は、大所席所の大きな問題だけでなくて、国民生活の、切れば血の出るような切実な問題を政府に要求する。英国の議会の例などを見ますと、政府が答弁いたしましたことは、三、四カ月後には何らかの意味で国民が満足するように実現を見ている。にもかかわらず、この国の議会ではほとんど言いっぱなしであって、むしろ、政府の痛いところを暴露するような時限爆弾のような演説をしますと、紙上をにぎわし、週刊誌の注目を集めますけれども、ただいまの学校医の問題のようなきわめて重要な問題につきまして、それについて適切な対策が数カ月以内に考えられるというような習慣になっておりませんので、私は十七年も議会におりまして、特に野党の立場におれば行政の衝に当たる機会もないのでございますから、一体自分の議員としての生活は半ば無意味ではあるまいかとすら思われる次第でございます。  昨年も一昨年もやはり予算委員会大臣にいろいろ要求をしました。ある時期には、郵政大臣になるべき方が、何かの大臣の割り当ての都合で文部大臣になっておられまして、一応御経歴を承ろうと思って参考のために伺いますと、郵政行政に一生を捧げられた方でありまして、私も、日教組に対しては、ある部分には賛成し、もちろん、ある部分にはまた独自の批判も持っておりますけれども、日教組とけんかすることのエキスパートであって、あとはほとんど何も知らない。それで、おかしいと思って伺いますと、一体ジャン・ジャック・ルソーの名前ぐらい御存じかといいますと、名前はうわさに聞いたようなことがある。「エミール」を読んだか。読んだこともない。一体、あれほど日教組と大論争をされるから、どういう教育学説に御傾倒になっておられるか、著述の二、三でもお示し願いたいというと、教育学については全然木を読んだこともなければ、ペスタロッチなどという名前はあまり聞いたことがない。そういう方が文部大臣であるならば、なるほど、学也も教師もその文部大臣の声に耳を傾けないのは、むしろ日本の文化水準がまだ健全である証拠ではあるまいかと、逆に意を強うしたような次第でございます。しかし、教育の仕事は人生そのものでありまして、むずかしいことでありまして、学説よりも、誠実な人生体験と良識のある方が文部行政の責任ある衝に当たられるということが、最大の教師たる資格でありますから、私は中村文部大臣に対しましては日ごろ敬意を表しておる者の一人でございます。  そこで、まず、いろいろお話してお約束したことは、その全部とまでいきませんでも、数カ月後には多少の成果があがるというふうにひとつお聞き取りを願いたいのでございます。そうでなければ、われわれは何も政府の先生ではありませんから、言いたいことを言って、準備をして説教して、授業料をもらうわけでも原稿料をいただくわけでもない。それが国民の耳に入り、政府の耳に入って、そうして教育の偉大な仕事の上に多少でも実施されてこそそれは価値があるのでございまして、こういうことを申し上げましても、お聞きになる相手が中村文部大臣でありますから、私も言いがいがあると思って申しておるのでございます。  そういう心持ちで申し上げますと、大部分のことは党派を越えた問題が案外多いのでございまして、ただいまの学校医の問題にいたしましても、これは非常に重要なことでございます。私は平素、教育には医学の知識が必要であることを痛感しております。と申しますのは、私は中学三年のときに、スパルタ式教育の、非常にいい一面もありましたけれども、中学で寄宿舎の生活をしました。しかし、校長先生に栄養学の知識が全然ありませんでしたために、一方ではスパルタ式に鍛えられ、他方では、かぜの予後など、まして、陽性転化などという知識は全然ありません。当時の学校の教師などというものは、高砂族の生蕃人みたいなものでありまして、児童の陽性転化などということは全然知らないわけでございますから、大正九年のインフルエンザの大流行のあとに、学校の粗衣粗食とちょうど生理的転換期の年がたたりまして肺尖カタルになりまして、以来十数回喀血いたしまして、半生、ストレプトマイシン、ハス、ヒドラジッドができるまでの間は、私はたいへん長い間重荷を負ったような生活をいたしまして、水を飲めというから水も飲みましたし、石油を飲めというから石油を飲んだ時代もございます。そのことを思うと、最近の医学の進歩は敬服にたえない次第でありまして、建国祭をつくるならば、なぜ、医学と医師に感謝すべき日ぐらいつくらないのか。先日上野の博物館に行きまして、平安朝時代の大慈大悲の観世音菩薩像のやさしいまなざしをつくづく見ながら、いままで何十万何百万の人たちがこの像を見て、潤いある心を持ったことであろう、そして心に祈ったことでもあろう、しかし、一人のらい病患者でも一人の喀血患者でもこの菩薩がお救いになったかというと、私はそうでないと思うのです。植物性神経に直ちに影響するような疾患については信仰で救い得ますことは、御承知のとおりですけれども、すでに空洞のできた結核に対しては、大慈大悲の観世音菩薩もどうすることもできませんでした。それがいまでは、マイシン、ヒドラジッド、外科手術の進歩等によりまして、一応医学的には結核の問題も解決し、性病も解決し、らい病ですらもう乗り越えることができるようになりまして、学術の進歩に対して私はこうべをたれざるを得ない思いをいたしたのでございます。  話は余談に移りましたけれども、時間もありませんから、まず順を追ってお尋ねしたいのですが、早稲田の問題につきましては、同学の先輩の諸兄も非常に御苦労されており、世論も心痛いたしておりますが、結論といたしまして、とにかく、韓国の朴政権に三千億円も賠償金を払い、タイの今度の総理の名前はタノムというのですけれども、頼まれたからでもありませんが、タノム総理のその前はサリットという総理ですが、このサリットに、払わなくてもいい金円二十億も経済援助のお金を池田さんがちょっと振りかえたのであります。私は、さりとは情けないと言ったのですが、今度はタノムが来まして、また頼む頼むと言っているそうですか、そういうような金は、出世払いとかいって惜しみなく出す。しかるに、インターンの問題とか学校医の問題とか、それから痛ましい身体障害児に対する対策などといえば、ほとんど実にりょうりょうたる予算であって、先日身体障害者福祉大会に出まして、あの墜落したジェット機の翼の一つでもわが幼稚園にもらうことができたならばという保母さんの叫びを聞いて、政治家たることを恥ずかしいと思わなかった人は私はないと思うのであります。  どうもどこか狂ったところがあるので、現に予算委員会で、もうすべてがきまってしまった後に、こうして私どもは繰り言を述べておる。しかも、私どもの切実な要望は、新聞に載り国民に知らされるかと思うと、わずか二行か三行です。ロンドンタイムズにはパーラメントという欄がありまして、毎日詳しく出ております。新聞を見ますと、スポーツ欄というのが一ページないし二ページもある。しかるに、議会という欄は、国会開会中にすらない。わが敬愛する朝日、毎日、読売にすら、議会という欄はない。予算委員会は、ほんのゴシップのように各分科会について二行か三行出ているだけで、そうすると世間の人たちは、議員というのは、あれは豚殺しか犬殺しか、とにかく駅頭でやたらに大きな声を出すけれども、われわれの切実な要求に対して一体何をしておるか。私は、ほとんど国民各位は御存じないと思うのであります。だとするならば、こういう予算分科会は、むしろ予算準備の過程の九月ごろ、九月一日ではちょっと暑過ぎますから、九月十五日ごろ予算準備委員会を一ぺんぐらい開きまして、それに基づいて政府は予算をつくる、そしてまた仕上げでこういう分科会を開く、そして、ちょうどわが家の家計をつくると同じように、一番大切なところを、切れば血の出るようなことを先に論じて予算を取って、朴に三千億払うか三百億払うか――私は、朴政権などには一億円も払っておけばいいのじゃないかと実は内心思っておるのですけれども、そういうことは九重の雲深いところでさっときまってしまう。そうして、この分科会で論議されるような切実な問題に対しては、大蔵省の主計官殿は、厘毛の金すらさく思いがないほど愚昧ではないわけですが、おおむねお大学を出ておりますから、良識もある方々ですけれども、そういう権能もなく、そういう予算も残っていない。すでに予算も何もなくなってから、それからみな聞くも涙、語るも涙のような要求が次々と出てくる。こういう現状の議会の運営の根本に間違ったところがある。議運族の諸君は、各国の憲法調査とか、各国議会運営研究とかいって、いとも朗らかに海外を視察なさっていますが、それもよいことですけれども、日本の議会制度がほんとうに国民から信頼され、そうして頼みがいのあるような運営にやり直さなければ、私は議席を持って十七年、夢のごとし、これはむだな半生であった。あのまま経団連にいて、そして社会党などにおるよりも実業家になったほうがよかったのではないか、そうすれば自分で孤児院の三つや四つぐらいは――いまは孤児院とは言いませんが、親なき子たちの託児所の三つや四つ自分で経営できたのに、これは道を誤ったのではあるまいかとすら実は思うわけでございます。  そこで、昨年もまずラジオ、テレビについて私は発言をしました。映画館に行くと、がらんとがらあきでございまして、ほとんど観客は少のうございます。それも当然でありまして、人間は延髄から小脳、小脳から大脳に発達しまして、人の大脳ほどとうといものはありません。星を見れば美しく、厳粛でありますけれども、その何万光年かのかなたから光芒を放つ星がわれらの目に映り、その星を認識する人の心はもっと荘厳にして偉大なものではないでしょうか。映画にしろ、芸術にしろ、テレビにしろ、人の心に触れるものがなければならぬ。今日互いに忙しくて人の心を失っておることは御承知のとおりです。インフレーションのために生活の根は浅くなっておりまして、道義地に落ちるといって嘆き、文部大臣も人間形成などというつまらぬ作文を大学出の安月給取りに書かせるけれども、インフレーションである限りは、とにかく、千円札の盗人をさがすといって大騒ぎしまして、まだとうとう出てきませんでしたけれども、月五万円の収入のある中堅階級が年に六十万円、一割インフレーションになれば、物価が上がれば、六万円日本銀行によって収奪されたことになるわけです。過去二十年、所得倍増、設備改善といって、昭和六年わずかに二百万トンであった日本の鉄が、驚くなかれ四千万トンの鉄をつくっている。世界第三位です。四千万トンの鉄をつくっているその国で、子供たちやその母や祖母たちはどういううちに住んでいるかというと、いまだに東京に通うのに四十分も一時間も一時間半もかかるところから通っている。まるでウガヤフキアエズノミコトがつくりたもうたようなあばら家に住み、私の東京第四区、文化の町といわれるところの杉並の駅の近所の食料品店でも、水槽便所はりょうりょうたるもので、まさにスサノオノミコトがものしたもうたようなおトイレを使っておるような状況です。これで衛生を子供たちに説いてみても伝染病がなくなるはずもなく、これほど化学薬品の発達したときに、赤痢、疫痢があとを断たない、こういう状況です。私は、まずインフレーションを退治し、それから住宅問題を解決し、そして教育費をもう少しふやして、教育の機会均等を与え、子供たちにいまのようなアルバイトの苦労をさせないということでなければ、百の親の説法もへ一つということになるのではないか。かつて孟母三還の教えというのがありましたけれども、かりに孟子のおかあさんがおりましても、公団のくじが当たるまで、赤線区域の近所から早く移ろうと思っても十年以上かかりますから、そのうちに血気盛んな孟子はもう非行青年におい立ってしまう。孟子のおかあさんといえども、もはや今日のとうとうたる情勢の中で、住宅難の中でどうすることもできないのではないか一近、青年の自殺、ことに六十歳以上のお年寄りの自殺が非常にふえております。特に人の胸を痛ましむるのは、平均年齢がふえまして、女性の平均年齢は七十二歳、男子は特に夜の心がけが悪いので五つ下の六十七歳といわれております。まことに遺憾なことであります。しかし、平均年齢は延びたのに、年寄りの穏やかであるべき晩年の生活が悲惨であって自殺が多い。最高です。その自殺の原因を調べると、結局、長男が嫁をもらった、新婚旅行から帰る、四畳半の隠居部屋一つ確保されなくて、世をはかなんでという理由が非常に多いのでございます。私はある教育学者に会いましたら、帆足さん、ほんとうに学者というものは弱いものです。このとうとうたるマスコミ、このとうとうたるインフレーションの生活難、住宅難、交通難、試験地獄、この前にぼう然として、この貧しい教師ほど弱いものはないという悩みを聞きまして、私もそうだと思いました。したがいまして、ひとつ文部大臣は、政治力のある方ですから、厚生省、郵政省に対して毛閣議で御発言くださいまして、まずテレビ、映画についてひとつ厳重な警告を発していただきたい。大体、今日の映画などというものは、まことにひどいものがある。人間は大脳によって生きるものでございますから、動物的、本能的反射作用をつかさどる延髄的映画、セックスに関する映画なんというものは、一回か二回だけはある意味では教育にもなるし、これが人間の既成概念を打破するために、性の解放のためにもいいことでしょう。しかし、阿片中毒のようになりまして、武智君の「紅閨夢」も一本くらいはいいけれども、次々にひどくなってきますと、これでもかこれでもかと、しまいにはエロ映画の終夜映画劇場が至るところにできておることは御承知のとおりです。いま、子供が映画に行くと言うと、親が顔をしかめる。昔は、土曜日は子供の手を引いて、子供と申しましても中学三、四年生ですけれども、そのころになれば手を引いて、そして泰西名画などを見て、帰りはアイスクリームでも食べながら、親子ともその日の芸術映画の印象を語り合ったものです。今日の映画の姿は、最近「サウンド・オブ・ミュージック」とか「フィフィ大空を行く」とか、まことに愛らしい映画が来ておりますが、やはりいい優秀な映画は満員です。決して映画産業は絶望することはないのです。それなのに、いま阿片中毒の迷路の中に入っておる。テレビのコマーシャルに至ってはもう言語道断です。文部大臣がどんなに教育を口になさっても、あのテレビの番組の前に子供がかじりついておるのでは、私は処置なしと思うのです。昨年はハムレットという名作のテレビがありました。若き王子ハムレットが生くべきか死ぬべきかの悩みを訴える。その最中に、インスタントラーメン、こう来ちゃう。一体、シェークスピアの劇を鑑賞するようなときには、ナイヤガラの瀑布を流れるくらいの大脳のエネルギーが流れておるんだそうです。大脳生理学の示すところによると。その瞬間に、インスタントラーメンと来れば、これは不良少年がふ、えるのはあたりまえのことです。不良少年はまさに映画とテレビがつくっておると言っても私は過言でないと思うのです。私は社会主義者です。したがって、ソ連、中国には非常な関心を持っておりますが、別に無条件に礼賛をしておりません。しかし、これらの国の映画には、とにもかくにも、どろぼうを賛美したり、やくざを賛美したりするような映画は一本といえどもございません。社会主義国には社会主義国としての、社会主義的官僚主義とか形式主義とか、欠陥のあることは御承知のとおりですし、また、資本主義国にもほんとうに学ばねばならぬよき自由の伝統があることも御承知のとおりです。しかし、今日のテレビ、映画等のように、人生は入れ墨と不良少年と人殺しでできておるのかと子供たちに錯覚を起こさせるような今日の状況文部大臣はどのようにお考えでしょう。  昨年、私は、郵政大臣文部大臣と一緒に分科会に出ていただきまして、こういうことを続けるならば、私は文部大臣のおうちに行って、そして、多少乱暴ですけれども、応接間のテレビをうちの金づちでたたきこわしてしまうから、さよう心得ありたい、そのくらいわれわれは激怒しておることを御承知願いたい、こう言ったのであります。私も別にぼくねんじんでもありませんから、人生のいろいろな姿を見ることもいいことです。また、健全なエロチシズムも非常に大切なことです。しかし、今日のような番組では、うちへ疲れて帰ってまた疲れが増加する。そして、絶望して帰ってさらにまた絶望を深くする。このようなことではどうにもならぬと思うのです。元来文部省は、いまの文部省の皆さんは一応礼儀上私は敬意を表しますけれども、昔の文部省は文化と教育を最も苦しめる場所、あたかも昔の警察が最も人権をじゅうりんする場所であったのと同じ伝統の場所ですけれども、いまは時勢も変わりまして、若い官僚諸君もよく御勉強なされつつあると思いますけれども文部省に政治力がないのでしょうか、こういう状況をいつまでもほっておかれるのは。そこで、昨年は郵政大臣文部大臣も、今日のラジオ、映画の現状については帆足委員と全く意見を同じくします。適当な措置もし、警告も発し、成果があがるようにしますとお約束をいただいて、私もその速記録をすぐ映倫の委員長とラジオ・テレビ番組向上委員長の澁澤さんのところにも数部お送りしたのです。しかも、澁澤さんから丁重なおはがきをいただきましたけれども、いかんせん政治力が及ばない。それで、今日ほとんど進歩のあとは見られません。文部大臣が閣議で十分な御発言をなさり、映倫委員会やラジオ・テレビ番組向上委員会にも御出席くださって、そして厳重な警告を発する、予算分科会では与野党の議員からこういう警告があって、文部大臣としてもその警告の正しい部分は採用せざるを得ないという強い発言をしていただかなければならない。  私は、日本は山高く水清く、子共たちに示すどんな美しい題材でもあると思うのです。また、いま世界は小さくなりまして、世界の国々で知りたいこともたくさんありますし、すぐれた映画といえば幾つでもあります。また、文化映画、教育映画などで各種のコンクールに一等に当選したものもたくさんありますが、当選したときには普通もう町ではやっておりませんから、当選した映画などほとんどわれわれ見る機会もない。私は中曾根議員とよく話し合うのですが、本来ならば、劇映画を一本、それから文化または教育映画で十五分間前後のものを一本、ニュースを一本、これを一組にすれば、大体二時間か二時間十分、それで回転させるほうがいいのじゃないかと私は思う。戦時中これを行ないましたが、私はあれは戦時中の産物としてはいいことであったと思っています。しかし、それを官庁が強制するわけにもまいりません。やはり文化の問題は内面指導でいかざるを得ないでしょう。したがいまして、まずテレビ、ラジオ、映画につきまして、文部大臣はひとつ重大な決心を持ちまして、文部大臣の見識において郵政大臣と相談されまして、これが国民に好まれ、国民の教養を高め、国民の人世に対する認識豊かな思いを高めるようなものになさるというように、この際努力してくださる御意向があるかどうか。特に、テレビに対しましては、議員、それからジャーナリストも弱いのです。テレビに出さしてもらわねばならぬものですから。ほんとうはもう少しあしざまにののしりたいのですけれども、そこを節度をわきまえて、テレビ、新聞に対する私どもの批判は多少控え目にいたしておる点もあるのですが、文部大臣から御所信のほどを承り、そして、ぜひともひとつお力添えのほどを願いたいというのが第一の質問でございます。
  87. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 たいへん良識豊かな御意見を承りまして、敬意を表する次第でありますが、実は、帆足さんがかねがね映画、テレビ等の現状について慨嘆していらっしゃることは聞き及んでおりました。きょうこの分科会帆足さんから御質問があるということでございましたから、昨年の予算委員会で御発言になりました速記録も私取り寄せまして、あらためて実は拝見いたしたのでございますが、非常に御配慮をいただいておる点は心から感謝いたします。  実は、私ども気持ちとしては同感の気持ちでございますし、また、閣議の席上等におきましても、映画、テレビ等のあり方等についてはしばしば話題が出るわけでありますが、どうも、いまの時世というものが、いいことを要求し、あるいは制度的に何か方法を講じようといたしましても、若干、世の中全体が、自由主義の行き過ぎといいますか、はき違いといいますか、そういう面もありまして、実行困難な場面が多いわけであります。先般も「黒い雪」という映画が世間の批判の的になりました際にも、われわれとしましては、映倫でもう少し何とか十分な審査組織を充実してやってもらえないものかということを考えまして、映倫にも相談したわけであります。ところが、これこれの人数でやっておって、なかなかたくさんの映画に目を通すということは、慎重にはやっておるが、とても行き届かなかったのだということでございましたから、しからば、文部省予算のワク内で、どこか無理な捻出をしてでも、必要ならば映倫に経費助成してよろしいから、改善について考えてほしいということを相談しました。しかし、映倫側としましては、そういう政府の資金や政府の援助ということは好ましくないということがもともとの起こりでございますから、自分たちのほうで改善について努力をするから、助成はしばらく待ってもらいたいということで、その後映倫の組織の強化及び改善策について御要望申し上げておるような次第で、映画にしても、テレビにいたしましても、おとなにせよ、子供にせよ、おもしろくて、しかも教養に値するようなくふうがもっと盛られてしかるべきではないかというように、私自身も考えております。  テレビにつきましては、最近放送法の改正が企画されておりますので、いま御指摘のあったような点等につきまして改善方を放送法の中にぜひ織り込んでもらいたいということで、郵政省に要望いたしておるのでございます。郵政省でもその点は考え方としては基本的に同感でありまして、具体的にいろいろこれを放送法の中に織り込むということは、いろいろな困難性もあるかと思いますが、郵政省も気持ちとしては同感で、今度の放送法改正に、テレビ放送の番組なり、あるいは、いまのように、非常に深刻ないい場面でコマーシャルが出てきたりすることのないように、改善につとめていただくような話し合いになっておりますから、昨年帆足さんが予算委員会でるる現状を慨嘆してお話しになりました点は、文部省としましても非常に重視し、前大臣から引き継ぎまして、私もこれに向かって努力をいたしておる次第でございます。  十分な実を結ぶことは困難かと思いますが、しかし、世の中全体の認識を高めつつ改善をしなければならない非常に大事な、社会的な要点である、かように考えまして、今後とも努力を傾けてまいりたいと思います。
  88. 帆足計

    帆足分科員 時間も過ぎましたし、皆さまにも御迷惑をかけますから、あと急いで項目別に申し上げますが、ただいま御誠意あふるる御答弁をいただきまして、感謝にたえません。ただ、私が特に痛感しますのは、深夜のエロ映画などの問題はまた別な問題ですが、たとえば「チャタレー夫人」という小説が問題になりましたが、映画の「チャタレー夫人」を見ましたところ、非常にすぐれた映画でありました。そういうこともありますから、芸術に対する接近のしかたというものは確かにむずかしいと思うのです。ですから、それよりも、私は、積極面のほうから、たとえばコマーシャルは映画の最中にやらない、特に劇映画などの最中にやることだけは無礼だからやめてもらいたい、あれは幕間にやってもらいたい、こういうことはきめることができると思うわけです。また、テレビにおけるコマーシャルは、商品学の豊かな知識を与える、その商品についての正しい知識を与えることに重点を置いてもらいたい。ある化粧品の、名前を言うとかえって宣伝になりますから申しませんが、ある化粧品の広告など、たいへん美しい広告が出ておる。それはいいことだと思うのです。ですから、コマーシャルも、やり方次第では、商品の日進月歩の姿についての認識を深めることができるわけです。ただ、薬の広告などは、薬というものは内容によって飲むものであって、わめいて飲むべきものではないと思うのですね。薬の広告はちょっと度が過ぎていると思います。したがいまして、コマーシャルというようなものについての原則をおきめになるようなことも、これを防ぐのにいい方法ではないかと思います。それから、これは幕間でやるべきである。こういうことはやろうとすればできることですから、ひとつ具体的に御研究くださるように、また、せっかく超党派の芸術議員連盟という愛好家の会がありまして、非常に有力な、二百数十名もおる会で麻生君と佐藤觀次郎君、それから責任者は有名な与党の中曾根さんがやっておりますから、この芸術議員連盟などにも大臣が正式に諮問なさる、というよりも、ひとつ研究しないかとでも声をかけていただけば、非常にいい案ができるのではないか。この一つの成果があがるだけでも日教組とのつまらぬけんかよりも、私ははるかにいいのではないかと思います。  それから、ちょっと育英資金についてついでに申し上げたいのですが、私学振興につきまして、最近どういう結論に到達されたか、早稲田の問題をめぐる深刻な問題をどういうふうにその後御進行なさったか。  育英資金のことにつきましては、まあ予算の制約がありますので、育英資金が少ない。しかし、これは住宅資金などと同じように戻ってくる資金ですから、そのためにインフレーションにはならぬわけです。したがいまして、国家信用の資金の運用でやれる面でありますから、なるべく育英資金は物価の騰貴におくれないように金額も適正化し、特に、大学院課程に、それから博士課程などには、やはり秀才の育英ということは非常に重要なことですから、十分にお考えを願いたい。とにかく文部省の要求が通っていないような状況ですから、ひとつ育英会と御相談していただきまして、育英資金は十分に出していただきたい。これは結局返すのです。その返し方は、相当長期にわたって返すというふうに実に行き届いておりますが、私は、病気で困っている人、家族が非常に多くて困っておる人、または失業して困っている人は特別の届け出をして延期してもらうようにして、その他の諸君からはぴしぴし取り立てていただきたい。ところが、一口当たり金額はいまではインフレーションになって非常に小さい。それなのに、人数は多いし、資金を返還するという精神がまだ不十分で、そのために、育英会もやはり繁にして効少なく、前よりはよほど成績はあがっておりますが、’とてもお困りになっておる。私は、同窓会別に、その学生に恥ずかしめを与えてはいけませんけれども、無意識で納めないという人がとても多いと思いますから、これは別に悪気があって納めないのではないけれども、大部分の人はつい気がつかないで滞納しておるのですから、こういう人たちがたまっておるということを同窓会誌にでも発表くださって、なおかつ六カ月たっても払わぬずうずうしいやつに対しては、これはひとつ社会的警告を発するというようなことも必要ではあるまいか。そうして育英資金はやはり回転資金であることが今日の日本の財政の窮乏状況では望ましいと思いますが、まあ育英資金の金額は少ないのですけれども、回収の方法は非常に情理兼ね備わるようにしておりますが、かえって私は手ぬるいと思っておる次第でございます。したがいまして、この点について改善を願いたい。それから、インターンの問題ですが、私も自分の長男は医者の卵にしました。長女は心理学とか言語学とか、それぞれやりましたが、長男のほうは医者を志した。そうすると、世間はこう言うのです。おたくは、お子さんが少しできが悪いのでしょうか、医者なんか、あんなばかなものにして、こう言われる。医者というものがそういうふうに見られるようになった。むすこに、一体いつになったらおれのすねをかじらないで済むのかと言ったら、お父さん、もう十年がまんしてくださいと言う。学校を出てどうするのだと言えば、インターンで無料ですよと言う。ほとんど無料。それで、かせごうとすると、いい勉強ができません。一体、こういう奴隷制度のようなことが厚生省のもとで行なわれておって、文部省はよくもそれをがまんして黙って見ておられるものだ。そういうことで一体文部大臣済むものかどうか。  それから、最初に申し上げましたが、今後は学校の先生は医学の初歩の知識が必要だと思います。これはなま兵法という意味でなくて、予防医学及び児童心理学、その心理学も、これはかつては文学のうちでしたが、文学でなくて、やはり医学の基礎のある児童心理学です。寝小便の原因、その療法などはいろいろありますけれども、その一つのことについてすら学校の先生が学問的知識もなく思いやりもないというようなことで、遠く離れた僻陬の地の中学校の寮の舎監などつとめるということは間違っておると思うのです。校医の御指導のもとに、教師たるものは医学の初歩の知識を正確に持っておらねばならない。特に予防医学の重要なことは私の体験で申しましたが、そういう点にも少し文部省は力を注いでいただきたい。  それから、私学振興のことについて、これはもう育英資金の場合でも大部分がこれから私学になるわけです。もう子供教育するという点については私学も官学も区別があるはずのものでないわけですから、今度の早稲田の問題を一つのいい試練とお考えくださって、そうして最近どういうような構想で禍いを転じて福となさろうとしておられるか、ひとつ文部大臣として責任ある方針を伺いたい。  それから、ただいまの育英資金の問題につきましても、一そう増額もし、回収も正確にする。ただし、失業者とか病人等については情理兼ね備わる方法を講じ、また、不注意で納めない人に対しては、その名誉をけがすようなことは気をつける。ひとつ御答弁を願います。
  89. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 育英資金の運用並びに回収等の問題につきましては、いま御指摘のような線で努力をしておる次第でございます。さらにこの育英資金を拡大するということは、まことにごもっともなことで、私どもも今後最も力を注いでいきたいと思っておる課題の一つでございます。これは拡大をしてまいりましても実際惜しくない元手でありますから、育英資金の拡大につきましては大いに努力をしていきたいと思います。  インターンの問題につきましては、先ほど伊藤さんからもいろいろ御質問がございまして、これまた私ども非常に苦慮しておる問題でございますが、この点は、大いに厚生省とも相談をし、今後のあり方、無給副手全体のあり方、こういう問題も内容を分析しながら研究をしてまいりたいと思います。  私学の振興につきましては、これは考え方はいろいろ成り立つと思うのです。国が財政的にもっと援助しなければ私学が非常に窮迫した状態にあるじゃないかといえば、そのとおりでございますが、そういう姿がよろしいのか、あるいは授業料等に対して父兄の所得から免税するようにするのがいいのか、あるいは寄付金の免税措置をもっと拡大をして、私学は、私学本来の伝統を生かすためには、国費の援助よりは、やはり自分たちがりっぱな成績をあげつつ社会の理解を得て寄付金によって相当部分をまかなって、学生に対する納付金にのみたよるような姿を改善していくのがいいのか、また、これと並行して私学に対して国費の援助をするならば、その分を育英資金の拡大に回して、そして、負担は多いが、一定の条件を整えた学生に対しては育英で援助をしていくのがいいのか、その他数え上げますと幾多の問題があるわけで、われわれとしては、独断で文部省がどの方向がいいとはきめかねるような事情から、昨年、御承知のとおり、臨時私立学校振興方策調査会が設けられまして、せっかくいま調査会が研究を開始しており、また、私学の実態調査をいま始めておる状態でございますから、これらの実態調査との関係も見合いまして、調査会でいろいろ考えられるいろいろな角度からの研究を煮詰めていただいて、その答申とも見合ってわれわれは施策の方向をきめていきたい、こういうようにいま考えておりまする次第でございますから、私学振興には具体的にこれがいいということはいまどうも申しかねる状態でございますが、十分情熱を傾けて、私学振興方策を今後の認否会の進め方と合わせて研究をし、前進をしてまいりたい、かように考えております。
  90. 帆足計

    帆足分科員 時間がありませんから、これをもって最後にいたしますから、お許しを願います。  昨年の速記録までお目通しを願いまして、ほんとうに感謝にたえません。早稲田の問題を契機として、この問題解決の絶好のチャンス、政治的機会が与えられたわけですから、また、その解決に最もふさわしい文部大臣がおられるわけですから、せっかく御努力を切にお願いいたします。  なお、明日私は厚生省に非常にきびしく要求したいと思いますが、身体不自由の子供たちの問題とか、子供病院の問題とか、これも十分お考えを願いたい。先年北京の子供病院を見まして、私はそのすばらしいのに驚きました。せっかく世田谷に子供病院ができましたのに、要員が足らない、予算が足らないで困っている姿と比べまして、恥ずかしいと思いました。  それから、身体障害児に対する諸般の政策、最近はスモッグの問題ですが、私は江東地区に限られていると思いましたが、最近私の住んでいる渋谷と世田谷の境の大原町、代田橋の近所です。あそこのスモッグはワシントンの十倍もあるといわれておる。そうして、ワシントンではもうそうなるとそこは車を禁止する。ことしの秋からは大型車に対しては浄風装置を強制的につけさせる、ヨーロッパ、アメリカではそういわれておりますが、これなどもひとつ文部大臣が奮起して厚生大臣に要求なさるべきことではないかと思います。  それから、いまのインターンのことにつきましても、あまりひどい奴隷制度ですから、ひとつ私は厚生省のほうに厳重に要求いたしますが、文部大臣のほうからも、文部行政の立場から黙っておれないというふうにひとつ御連絡のほどをお願いしておきたいと思います。  また、最近のように、交通地獄のために犠牲になる子供の数はたいへんな数で、疫痢で死ぬより多いといわれておる場所すらあるわけです。これは立体交差が必要ですが、立体交差する場所をつくるためには、げたばきマンションをつくれば一挙に解決するのです。大体、妙義山のところに東大を移すとかなんとか、もうばかなことを言うものであって、私も最近親戚と共同して九階建てのげたばきマンションをつくりましたが、もうたちまちにしてできて、みんな喜んでおります。都内は、げたばきマンションをつくりまして、そうして半分空閑地にしまして、小鳥のさえずるような野原をつくる、そうして、四十代まではアパートに住む、四十を越えてぼつぼつ郊外に移る、そういう解決のしかたをお考えくださいませんと、結局、孟母三遷の教えではありませんが、居は心を移す、環境の整備なくして何の教育ぞやということですから、立体交差の問題は建設省のことだ、厚生省のことだ、文部大臣の知らぬことだというわけにはまいらぬと思うのです。したがいまして、われわれ一斉に建設省及び厚生省に要求いたしますから、やはり文部大臣子供を守るという見地から強い発言をしていただきたい。私の政治スローガンは、政治は母と子のためにというのですが、スローガン倒れになってしまうのでまことに都合が悪いわけです。これはもう真心から私もそう思っておるわけでございまして、幸いに大臣の御了解も得られると思いますから、いまの子供を守る諸施設に対して、文部省もやはり強い発言をしていただきたい。  最後に、国立劇場ができますが、これにつきまして、芸術議員連盟でいま研究しております。ここにおられる山中さん、その他有能な方々が研究しておりまして、一ことだけお約束を願いたいのですが、文部省の独断で運営をなさらずに、ひとつ議員連盟、それから各芸術家諸兄の意見も十分聞いた組織運営機構を今後研究をなさるということだけでも、当然の要求ですから、お約束を願いたいと思います。  それから、子供たちによい古典を見せる機会もありませんし、この国で古典を保存し、さらに一歩進んでは、たとえばオペラなど、これはたいへんな仕事なんです。おみおつけを食べ、おしんこを食べながらオペラをやり抜いてきた藤原義江氏などは、私はやはり偉い人だと思います。山田耕作、北原白秋、藤原義江、私は社会主義者でありますけれども、なおかつ、日本の自由主義が残したこの偉大な文化の成果に対して心から敬服せざるを得ません。ところが、そういう先駆者たちはやはり非常な貧乏の道を歩んできた。その貧乏の原因の一つは入場税です。レコードでもそうですか、ベートーベンを出しますと、千八百円の盤一つについて約二百円の物品税を取られます。私はいつも言うのですが、教会のミサを聞きに行って、そうしてテラ銭をむしり取られるようなものである。オペラなどは、レコードにしますと、大体平均して一流のオペラでも七百枚ぐらいしか売れません。しかし、それがあることが日本のやはり文化水準をつちかう培養土になっておるわけです。したがいまして、古典的な芸術品には税金をかけない。芸者ワルツには一割かけてもいいというわけにもまいりませんから、私は、五百枚までのものには税金をかけないとか、半分にするとか、入場税につきましても、これはドジョウすくいだからまあ税金をかけてもいいし、これはオペラだから入場料は安くする、その区別はたいへんむずかしいのです。したがいまして、入場税のかけ方は、私の案ですが、三百円までは入場税を半額にするとか、また、かけないとか、それ以上のものを逓増してかけるとか、多少そういうようなことでもなさらないと、古典の保持、それからオペラのような先駆的芸術を擁護するということがむずかしいのではないか。バレーなども非常に大事なものですけれども、レコードでもそうです。そういう配慮が足らないと思います。したがいまして、きょうここで詳しく論ずることはできませんから、そういう問題がある、こういう問題についてひとつ御研究くださるということで、大臣の念頭にとどめておいていただきたい。また、芸術議員連盟でもこの入場税の問題をいま研究しております。ぜひともこういう誠実な超党派的なクラブの意見などを御聴取くださいまして、ただ大蔵省の千編一律な考え方で、化粧品の税金みたいなふうに考えられては芸術の問題は困るわけでございますから、ひとつしかと文部大臣お心にとめていただきたい。そして、できますならば中曾根君が世話をしております芸術議員連盟の意見どもひとつ参考にお聞きくださるならばしあわせだと存じますが、以上申し上げまして、お答えを願いたいと思います。
  91. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 国立劇場の運営につきましては、これはもちろん文部者なり、実際の管理は文化財保護委員会でやりますが、文化財保護委員会が独断でやるようなことのないように、実は評議員の制度及び専門員の制度を設けまして、これには各界の学識経験者等に入っていただいて、そしてできるだけ衆知を集めて民主的な運営をするように進めてまいりたい、かように存じておる次第でございます。ただ、芸術議員連盟がありまして、私どももそのメンバーに対しては敬意を表しておりますが、議員の方々に入っていただく構想はいまないのでありますが、しかし、そういう評議員会等の組織ができましたら、適宜そういう御意見を拝聴する道はあり得ると思いますから、そういうふうなとうとい御意見は十分にひとつ拝聴をして運営をしていくようにいたしてまいりたいと思います。
  92. 帆足計

    帆足分科員 ただいまの国立劇場の運営のことですが、それでけっこうですけれども、委員の運営が片寄ることのないように、やはり世論を聞かれ、それから、芸術議員連盟あたりでも私心のない御参考意見が出ると思いますから、そういうものを参考に取り入れられて、そして各界各層満足するような運営機構にしていただくことをお願いいたしまして、以上をもって終わります。
  93. 井出一太郎

    井出主査 本会議終了後再開することとし、暫時休憩いたします。    午後一時五十三分休憩      ――――◇―――――    午後四時十分開議
  94. 井出一太郎

    井出主査 休憩前に引き続き会議を開きます。  文部省所管について質疑を続行いたします。川俣清音君。
  95. 川俣清音

    川俣分科員 中村文部大臣お尋ねをしたいのですが、時間がありませんので、簡潔にお尋ねをしたいと思うのです。  私、今度予算を担当して、文部省予算を拝見いたしまして、非常に感服しておる点があるわけでございます。感服の点では二つに分かれます。一つは、どういう点で感服したかというと、各官庁の上級幹部が常利企業へ就職することを、厳重に規定する国家公務員法百三条を改正いたしまして、毎年人事院から報告を受け取るようにいたしたのでございます。ことしで三回になりますが、文部省が、この営利企業への就職の承認を求める人事院の報告書に一つも載ってこない。さすがはやはり教育者であるだけに、営利企業に就職する人がないのだなということで、実は感服をしたのでございます。えらいものだ、さすがやはり教育の府であるというふうに感服をしたのです。逆に言うと、有能であれば民間企業からいろいろ誘いがくるはずでございますが、有能でないために誘いがないのか、教育者としてのき然たる態度を持っておるためにないのか、縁故関係がないためか。それは別にいたしまして、とにかく大蔵省あたりは、予算を策定するときはかなりきびしくやりますけれども、営利企業に入るときなどは、なかなか抜け目ないというよりも、あぶない橋を渡って就職をされておる方がございます。私、名前を出すことを控えますけれども、大蔵省あたりは、前の国税庁長官がやめられたのが昨年の二月の五日ですが、承認を受けたのが四月二十三日で、もうすでにこのときは東海製鉄へ嘱託のような形でおつとめになっておる。承認を受けて今度は重役になられた。なかなかやはり手の込んだ、相当な手を使っておられますが、文部省はそういうことをやれないところを見ると、あまり有能でないのかもしれません。大蔵省あたりは非常に有能だから、こういう大きな会社へ入れるのかもしれません。そういう点で感服することは感服したのです。ところが、さらにもっと感服したのはどういう点にあるかと申しますと、ほかの各省の予算書と比べてみて、はあ、実にやっぱり文部省らしいと思ったのは、大きな要求ができないために、小さく予算を幾つも取って、そうして大きくふくらましておる。これはなるほど教育者らしいこまかい手だけれども、相当なこれはやりくりのじょうずな文部省だということで、またこれも感心したのです。  そこで、文部行政について私は疑問が出てきたのです。そこで一つ小さいところを聞いて、それから大臣にお聞きしますけれども主計官来ておられますね。――各省と比較してみて、どこが違うかということを主計官よく御存じだと思いますが、文部省は、よそとの比較がないからこれはよく知らぬでしょう。文部省で画期的に一番大きいのは諸謝金です。目の六の謝礼金、これが一番大きい。二千百八十八万円。各省でこんな大きい謝礼金を用意しているところはございません。一つ一つをとってみますとごく単位の小さなものを、ばあっと二ページに並べていますが、ほかの省を見るとこんなものはない。なるほどこまかくいろいろなものを並べ立てたものと感服するのです。これは不必要だと言うのではないのですよ。よくもこれだけ項目を幾つもにして予算を獲得したものだと、なかなか手腕のほどに感服しているわけです。これは例年の予算の前例をうまく活用しておられるようですが、その中で謝礼金として、国立学校幹部職員等の研修費が謝礼金から九万七千円出ております。それから職員の旅費として同じ項目で、国立学校幹部職員等の研修費で出ておりますのが三十四万二千円、それから委員等旅費として、同じく国立学校幹部職員等の研修のために出ている予算が四万五千円。同じ項目で片方は委員等の旅費、一つは職員の旅費、一つは講師に依頼したということでありましょうが、その謝礼金という形で、三つになっている。なかなか巧みに出ているわけですけれども主計官、この査定にあたって、みなおのおの必要だということで査定されたと思うのですが、御説明願いたいと思うのです。あるいは文部省からの御答弁でもけっこうです。
  96. 小田村四郎

    ○小田村説明員 お答えいたします。  ただいま御質問いただきましたのは、国立学校の幹部職員のたぶん研修会の予算ではないかと思いますが、これは、まず職員を集めまして研修いたすために職員旅費が必要でございます。それから講師のための謝金が必要でございます。委員等旅費は、これは研修に行かれます委員の旅費だろうと思いますが、こまかいことはいま必ずしも明瞭に記憶はいたしておりませんけれども、いずれにいたしましてもこのように科目を分けますことは、予算統制という意味から申しましてどうしてもやむを得ない措置ではないかというふうに、これは予算編成上の技術といたしまして考えておるわけでございます。
  97. 川俣清音

    川俣分科員 編成上の技術を巧みに使っておるということに感服していると、こう申し上げたでしょう。悪いと申し上げたのではない。これはなぜかというと、文部省予算というのはなかなか取りにくいから、取りにくいためにいろいろな手法、手段を講じて取っているのじゃないか。むしろ大きな意味教育関係予算が取れないために、小さくならば主計官を納得させることができるというために、この分類しているのではないか。ちょうど主計官の裏をついた要求が巧みにあなたをして査定さしたのではないかと、私は各省の予算と比較してこう勘ぐるのですよ。比較してごらんなさい。そう勘ぐるのですが、そういう点でまことに、文部省はへただとは申しません。へたのように見えているけれども、なかなかそういう点ではうまいものだ。  そこで、どういう事項が起こるかというと、決算委員会への検査事項でも、文部省はわりあいにないのです。あるのは何かというと、さも文部省らしい小さい、つまらぬ欠陥が出てきている。たとえば、指摘事項の一九〇ですか、私立学校研究設備購入事業、事業団体が学校法人東京電機大学ですが、これは文部省の指導によるだろうと思いますが、大学研究設備費として電気計算機システム一式ほか十八品目の要求に対して、実際買ったのは何かというと――百二十万円ばかりの要求をいたしまして補助金として四竹五万円、それで買ったものは何かというと、電気計算機四万二千円ばかり買っている。補助金はもらったけれども、あとは使用しなかったという指摘なんです。各省にはこんなことはない。これは文部省らしいやり方です。さもたくさん買っておるように予算は取っておいて、一つより買わないであとはうまくごまかそうとしたことが発見されたということなんです。一体文部省予算は、こういう使い方をするんじゃないか。幾つも項目を分けるけれども、実際はあまり使わないで他に流用しておるのじゃないか。旅費ですから旅費として使っているかもしらぬけれども、こうたくさん項目を並べているところを見るというと、職員の中でも行かない人もあるのかもしらぬ。委員も行かないのかもしらぬ。委員も行かなければならぬ、職員も行かなければならぬ、講師も行かなければならないというたてまえになっておるのですが、こういうところに文部省らしいごまかし方と申しますか、正直らしくて正面でない点がこういうところに出てきているんではないかという私の見解なんです。誤解かもしれません。  そこで、文部行政というものは表向きていさいはいいけれども、内容に至るというと、こういうごまかしがあるとまでは極言しませんけれども、至らざる点があるのじゃないか、こういう見解で大臣お尋ねしたいのですけれども大臣御承知のとおり、大臣もだいぶん苦労されたことは私十分承知しております。したがって、産業青年などに対する教育については、非常に熱意を持っておられるはずだと私は理解をしております。したがいまして、定時制教育などについては非常な熱意を持っておられるはずだ、私はそういうふうに尊敬しておるのですが、私の尊敬は誤りでございますかどうか、まずこれから御答弁願いたいと思います。
  98. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 私も夜学に通った経験もありますし、定時制高校などに働きながら、勤労のかたわら勉強する、こういう勉学の意欲というものは、非常にとうといものだと思いますので、定時制高校などについては、できるだけのことをしてあげなければならないというような気持ちでおるわけでございます。しかし、いろいろなつり合い等もありますし、また、一ぺんには予算措置のできないことも数々ございますので、思うようにはいっておりませんが、逐次前進させることには、大いに力を注いでまいりたいと思っております。
  99. 川俣清音

    川俣分科員 いろいろ苦労されたからには、それくらいの答弁をしなければならぬことは、これは当然だと思います。しかし、内容がないといまも前段に申し上げたように、なかなかうまいことを言うけれども、一体文部省は何もやらないんじゃないか、こういう前提に私は立っているのですよ。やはり教育者だけに、大臣ばかりでなく文部省全体が、なかなかじょうずには答弁するが、実際はから身だ。いろいろなふうに説明をしたりたくさん並べたりはする、このとおり、どこが重点だかわからないほど並べ立てるけれども、実際は少しずつ予算を取って、あまり実際の仕事はしないのだという感じを受けるので、わざわざ私はこの例をとったのです。定時制教育についてもそうです。いま定時制というのは、これからの日本の産業の中心となって働く人々のため教育です。これは私が説明するまでもない。文部省にとりましても、基本教育はもちろんのことでございますが、これからの産業青年教育として、日本の産業の基礎づくりのために役立つこの教育を、等閑に付するとは思いませんけれども、表向きの説明だけうはまくやるけれども、実際の内容はないのじゃないか。  これを具体的に申し上げますと、定時制などについては、これは設備をしてやらなければならない。普通学校の場合には、大体設備が漸次整ってきておりますが、定時制、夜間というようなことになると設備が不十分である。最も短時間に、仕事で疲労しておる青年教育するのでありまするから、施設をある程度完備しなければ、教官が成り立たないことは私が申し上げるまでもない。それに対してどうでしょう、文部省は、毎年定時制教育については熱意を込めてやっておると宣伝はしております。しかし、毎年不十分だというそしりを受けておるのじゃないですか、宣伝はうまいけれども文部省なんかは薬屋と違って、宣伝するところではない。広告するところではない。実際教育をやるところです。実際教育をやらない文部省なんて意味をなさないですよ。それだからほかの省とも違って、旅費も取っておられるのだと思いますよ。私、旅費を取ることが悪いなんて言っておるのじゃない。これまでこまかく気がとどくならば、定時制に対しても、もっと徹底した考え方があるはずじゃないか。あるいはもっと重点的に考える余地があるのじゃないか。これを大臣にひとつ伺います。熱心なことはわかりますよ。しかし、これはから宣伝みたいなことです。広告みたいです。定時制に対しては非常に熱意を入れておるという宣伝は毎年行なっておりますが、しかし、予算の面から見ると、そんなに宣伝するほど一体予算が充実しておるか。やらなければならぬ仕事はたくさんあるでしょう。私が指摘しましょうか。あるでしょう。あることを文部省は知っておるでしょう。それをやっておらないじゃないですか。この点ですよ。
  100. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 定時制につきましても、まず最も緊急なことは、働いて学校に来るわけですから、夜食の給与については補助の道を講じたいということで、そういうこととか、あるいは夜間でありましても授業を休んでおる時間には、運動場で運動のできるような照明施設をするとか、緊迫した問題から実は取り上げて、あるいは学習書の給付をするとか、いずれも金額は小そうございますが、熱意を傾けたからといって、一度に飛躍的な改善もできませんけれども、逐次そういうふうに緊迫した問題から進めていこう、あるいは先ほど御指摘のございました設備補助等につきましても、ほかの予算が平均一三%の伸びの中で、約二〇%ほど伸びておりますが、金額的には総額として小そうございますが、そういうようなこまかい点にも目を配りまして、逐次改善をし、こういう勤労青少年の定時制高校につきましては、だんだんと改善をしていきたいということで努力をしておるような次第でございます。
  101. 川俣清音

    川俣分科員 見るべきものがあるのは学校の給食の補助です。これによって定時制の就学率が高まってきたことは、統計の示すところとして事実です。確かに夜間食の補助をするようになりましてから就学率がよくなってきた。欠勤率が非常に少なくなった。非常な効果をあげております。そういう点では確かに一段の進歩ですが、しかし、もっと前の仕事ですね。教育設備の問題、この点については、設備が不十分だということを文部省はお認めになっておるはずです。認めなければ説明しますよ。認めておられるからいま説明を要しない。あえて主計官においで願ったのはその点なんです。一体どれだけこの定時制について文部省が熱心に大蔵省に予算折衝したかどうか、この点、文部省から聞くよりも主計官から聞きたい。主計官の査定が悪かったのか、それとも文部省の熱意が足りなくて査定が悪いのか、この点をお聞きしたいのです。
  102. 齋藤正

    齋藤政府委員 いま御指摘のありました設備につきましては、実は四十年度で旧来の基準が一応年次計画としては終息いたしました。そこで、本年度は、これは理科の設備とそれから一般教科の設備につきまして、新基準の新年度という年でございました。その点は十分に大蔵省に説明いたしまして、新しい基準に基づいて充足をするということを認めていただきまして、その第一年度として四十一年度予算をつけました。金額としては二割増程度にとどまりましたが、その点では、四十年度よりは四十一年度は、予算の中身といたしまして、新しい基準で踏み出す年になったということは言えると思います。
  103. 小田村四郎

    ○小田村説明員 ただいま文部省のほうから御説明ございましたように、大蔵省といたしましても、定時制、通信教育いずれにいたしましても、勤労青少年の教育ということにつきましては、文部省側から重点事項として御説明を承っております。そこで、私どもといたしましてもできるだけその内容の充実につとめたいという考えで、ただいま初中局長が申し上げましたように、設備補助につきまして、新基準に沿ってことしからまた始めるということで、前年に比べまして二割の増加を計上いたしたわけでございます。さようなわけで、文部省側の努力と熱意とは私どもも十分理解いたしまして、できるだけその御要望に沿いたい、かような考えで予算を編成したわけでございます。
  104. 川俣清音

    川俣分科員 私、なぜこの問題を取り上げるかというと、一般教育でありまするならば、大学教育にいたしましても中等教育にいたしましても、わりあいにスポンサーといいますか、はでな宣伝によって予算要求の裏づけの運動が行なわれるわけでございます。ところが、定時制になりますとその背景がまことに弱い。じみだと申しますか、働く青年のことでありますから、説明は要しないほどわかり切っておりながら、その背景になっての運動が不足なためにも、もしもこれの予算化が十分でないということになるというと、これは文部省責任だと言わざるを得ないのです。文部省は、どうしても運動の激しいと申しますか、要求の激しいほうには引きずられやすいけれども、こんなじみなことについて、もっと積極的に活動しなければならないのじゃないかということを指摘したい。だれかがこれをやってくれなければならぬ。ところが、文部省というのはそういう点で私は情けないと思うのです。教育者らしい顔をしておって、運動などは受け付けないような顔をしておりながら、巧みに運動を受けておいて、こういう点については手抜かりするとは何事だ、こう言わざるを得ない。大臣も理解ある、こうおっしゃいますけれども、確かに新しい年度に向かって、今度は設備の仕事が入ったようですけれども、初めての新規事業だというようなことでなかなか渋かったはずです。そうでしょう。初めは渋かったはずです。しかし、これは新規事業じゃないんです。これは新規要求じゃないんです。いままでやれなかったことを、残しておったことをこれからもう一ぺん手直ししてやろうということでしょう、今度の事業というものは。何も新規要求じゃないんですよ。見落としておったと申しますか、手落ちであったものを、今度改めようというのですから、改める熱意がなければならないはずなんです。新しい要求じゃないんですよ。やらなければならなかったことを、怠慢しておったものを回復しなければならないという要求じゃないですか。それを、大蔵省は新しい要求だなんという考え方をしておるから、私は、わざわざ主計官においで願ったのはその点なんですよ。どうなんですか。
  105. 齋藤正

    齋藤政府委員 旧基準は、昭和二十九年のときの情勢できめられたものでございまして、教育内容を充実いたすためには不十分でございますから、先化御指摘のように、不十分なところを改めたという見方もできるわけでございます。しかしながら、予算としては、一応四十年度で旧基準のものの計画が終わったので、そこで大ざっぱに申しますれば、二十九年度の基準に比べますと二倍程度の基準に、理科についても一般教科についても改めて、そうして四十一年度から新しい年次計画に移っていこう、そういうことでございまして、この点については、大蔵省といたしましても、十分にわれわれの説明を聞いていただきまして、新基準について十分の理解を示していただいたのであります。
  106. 川俣清音

    川俣分科員 これでこの問題は終わりますけれども、たとえば昨年よりも二倍に増額――大体基準の小さいものの二倍なんていっても問題にならない。非常に大きな金の二倍なら、これはいいのですけれども、問題にならない予算の二倍をつけたからと、率だけで言ってもどうにもならぬ、最初の出発が低いのですから。この点が一つと、それから、二十九年の基準から大体一応基準どおり施設ができたとおっしゃいますけれども、要求を見てごらんなさい。文部省御承知のとおり、要求が貫徹したとか、設備が完備したなんて言えない状態ではないですか。お回りになって、これだけ旅費を使っていろいろ見て歩かれたらわかるでしょう。そこで、何のための旅費か、またもう一度振り返ってみたい。どういうふうに設備されておるか、ごらんになった人が文部省の中におるでしょう。そのために旅費をとっておるじゃないですか。完備もしない。まだ不完備だ。したがって、手直してやるということは必要だ。前の基準があまりにも低いから基準を上げたということは、非常な努力であり進歩であると私は思います。基準を上げたから予算がふえることは当然なことなんです。けれども、基準が上になったということは、いままでおくれておったということなんで、前の基準が高かったなら問題はないんですよ。補充でけっこうです。もっと基準を上げなければならないということでことしから上げられたのだから、新しい要求などという考え方でなしに、劣勢であったものを挽回しなければならないじゃないですか。なぜ一体教育の中でこんな不均衡なのが行なわれておるかというと、定時制だということでまま子扱いされておるのではないか。定時制自身がそう思っておる。定時制を受け持っておる教師なども、同じく定時制については諸設備が十分じゃないということを感じとっておるじゃないですか。感じとっておることを、これだけの旅費を使って調査しておってわからないというから、何のための旅費だということで前に戻るのです。私は旅費が多いなんていうことを指摘しておるのではないのです。せっかく出張して実態を調べて歩かれるからには、それだけのものを持って帰って裏づけをしてやることが必要なのではないか。そこで旅費が有効に使われておるということを私は判断する。調査して何も実績があがらないなら、調査というものは無意味であった、こう指摘をしたいと思うのです。大臣、これはもっともでしょう。何もむずかしい理論でも何でもない。もう一段と大臣――これは大臣だけ責めてもだめですね。これは事務当局に熱意がないと、大臣なんていうものはたいていごまかされてしまうんだ。あなたはそうでもないと思うけれども、やはりあぶない。
  107. 齋藤正

    齋藤政府委員 もちろん担当しております者は十分に調査をし、基準をつくるについては、文部省の職員におきましても、定時制関係者の協力を得て、新しい基準を実態に即してつくったからまた予算化もできたと思うのであります。  それからなお、先ほど御指摘がございましたけれども、われわれ勤労青少年教育の重要な一環をになう定時制並びに通信教育についての振興の努力、熱意というものは十分に持っておりまして、たとえその数が他の高等学校分野に比べて少なくても、これはきわめて重要なことでございますので、今後とも十分に努力を傾けてまいりたい、かように存じます。
  108. 川俣清音

    川俣分科員 これで終わりますが、定時制の必要性については、これは私がわざわざ説明するまでもなく、文部省が十分知っておるのです。知っているだけに罪が深いと思うのです。知らなければ、教えることによって動くでしょうが、知っておってやらないということが罪が一番深いということです。必要を知っておりながらなぜやらないのかという責任は、非常に重大だと考えなければならない。しかも、相手は定時制です。要求をする力もないところにおる、父兄の力も弱い、そういう境遇の中で、しかも、近代産業につとめようとして努力している、あるいは農業につとめておる人々に対して、もう少し元気をつけさして、非常に重要視しているんだということを、内容的に文部省らしい説明がなくちゃ。説教じゃなしに、具体的な施設において重要視しているんだということを示すことによってこの教育効果があがる、私はそう考えます。これにおそらく反対でないと思いますから、私の質問は終わりますよ。文部省は十分承知しておるのですよ。説明を要しないのです。ただやるかやらないか、やらなければ怠慢だということだけだ、この点だけを申し上げて質問を終わります。
  109. 井出一太郎

    井出主査 次に上林榮吉君。
  110. 上林山榮吉

    上林分科員 文部大臣にまずお伺いいたしたいのですが、放送が文部省にとってもきわめて大事な役割りをしつつあるということは、御承知のとおりでございますが、政府は、近く今国会に放送法の改正を提出すべく準備中であるということを私どもも承っております。これに対しまして、文部大臣は自分が所管する立場から、放送法の改正に何らかの意見を具申されたか、あるいは担当大臣等とこの問題について御協議をなさったかどうか、この点をまず伺っておきたいのであります。
  111. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 これは二点ございます。一つは通信教育補助といいますか、あるいは理解しがたい問題点などについて、高等学校段階あるいは大学通信教育、これらにつきまして、できるだけテレビの放送等を充実をいたしたいということと、社会教育の面で、できるだけ社会教育の目的に沿うような番組編成等ができるように、善処方を郵政大臣を通しまして私からも要請いたしましたし、また、さらに事務当局を鞭撻いたしまして、事務当局を通して郵政省及びNHK等に折衝をさして今日に至っておるわけでございます。
  112. 上林山榮吉

    上林分科員 文部大臣の一応のお考えなり、一応の所管事務を郵政省あるいは放送協会、放送連合等へいろいろ御連絡になったということは、いまお話の中の高等学校の通信教育、大学の通信教育、あるいは社会教育、あるいは教育放送、そういうような分野に対してそれぞれ意見を述べられ、連絡をされたということは、私は当然のことながらまことに幸いであったと思うわけでございますが、ただいまも川俣委員から、定時制高校の問題について、その内容の充実をしなければならぬということを申されて、私も敬服をしたのでございますが、恵まれざる勤労青少年のうちで、定時制よりもさらに恵まれないのは、これはいま大臣所管する、いわゆる高等学校の通信教育でございます。NHKの高等学校の通信教育は、これを卒業して、そうして一定の試験に合格をいたしますと、言うまでもなく大学に進めるわけでございます。私は、文部省があまり金を出さないで、そうして勤労青少年に広くしかも有効に教育の機会均等を与え得る道は、この発展して果しなき日本の放送、ラジオ、テレビを十分に郵政大臣あるいはNHKなどと提携して、これを活用されることがいかに大きな効果をあげるかということは、これは相当のものであり、たいへんなものだと思います。これが新しい事業だけに、文部省の担当官も一応は勉強しておられるし、一応は努力しておられることを私も認めるにやぶさかではありませんけれども、まだまだ私の見たところでは研究も足らないし、この方面に対する努力というものもまだ不十分であるという見解を私は持っております。来ていただいていろいろ協議をしてみましても、そういうようなことを感得することができて、私は、まことに一面けっこうなことだと思いながら、一面歯がゆいという気持ちをいまだ払拭することはできないのであります。だから、文部大臣が先ほど述べられたように、昼間普通の高等学校あるいは普通の昼間の大学に通っておるこれらの人たちは、恵まれたる環境の人々だといわなければならぬのでございますが、勤労青少年は、先ほどからだんだんと議論がありますように、私がまた申し上げるように、大臣は身にしみて青年時代これを感得された方でございますから、私はこの機会に、目に見えた、あるいはやりやすい面はみんなおやりになるけれども、あまり目に見えない、いま私が申し上げているような学校放送教育、ことに正式の通信教育、これは文部省が認可したのですよ。文部省が正式に通信教育としてこれを認可したのであって、ただかってにNHKなりがやっているのと違うという意味を、はっきり認識される必要があるのじゃないか、こういうように私は考えるわけでございます。なお、民放でも工業高等学校の通信教育をやっておりますが、これも緒についただけで、まだまだ不十分だと私は思っております。こういう点を、ひとつ文部省が新しい観点から大いに努力していくべきであり、事務当局もまた一段とこの方面にも注意をしていただかなければならぬのではないかと考えます。  そこで大臣、あるいは考えようによっては、あなた方としては時期尚早だと思われるかもしれぬが、私はいま言ったような意味で、たとえば勤労青少年教育部課あるいは学校放送教育部課、こうしたような責任のある担当のところをつくって、恵まれない青少年を一段とひとつ引き上げていくという考え方を持つべきじゃないか。いま私どもが見たところ、これに対する確たる相当の地位の担当官もいないようでございます。私はそういう意味でまことに残念だと思っているのでございますが、時間の関係で、自分だけ解明的に説明をいたしましたが、最後の締めくくりとして大臣からお答えを願いたいと思います。
  113. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 先ほど申し上げましたように、私からは郡郵政大臣に要請し、さらに次官名をもちまして文書で郵政省等に申し出をし、さらに担当官をして折衝を続けてきておりますが、通信教育関係の放送時間を、せめて倍にはしてもらいたいということでいま折衝中でございますが、大体相当の目的は達せられるかといま期待をしておるわけでございます。もう御指摘のとおり、ほんとうに定時制高校よりもさらに気の毒なというか、働きながら遠隔の地で勉強しようという意欲で、講義録によって通信教育を受ける非常にけなげな青少年に対しましては、私どもとして何とか勉強のしやすいように配慮する必要のあることを痛感をして、大いに事務当局にも尽力を願っておるような状況でございます。
  114. 上林山榮吉

    上林分科員 大臣の答弁がございましたので、私も信頼いたしますが、一言御参考に御注意申し上げたいことは、電波は波の割り当てに限界があるわけです。だから、文部省学校放送というものに対して、いま誓ったような高等学校の通信教育というようなものに対して、よほど熱意を具体的にお持ちにならないと、波がないということで、放送の時間等の制限を受けるのです。だから、これもまたむやみやたらに、たとえばいままで五時間なら五時間割り当てておったものを、直ちにこれを二十時間にせよと飛躍的に言ってみたところで、これはまた消化ができないのです。だから、どの辺に基準を置いて、この段階ではどこまでやっていくかということをよほど具体的に話し合いをされないと、その目的を達することはできないということです。私ども多少ながらその方面の知識を持っておる者といたしましては、この点をまず御忠告申し上げると同時に、今日非行少年が非常にテレビの悪い面、ラジオの悪い面のみを摘出して、自分の非行の道具にこれをしてしまっておるというようなことなどもあるわけでありますから、そういうような、いわゆる程度の低い、あるいは青少年が悪い方向に感化しやすいようなものを制限してでも、こういう教育放送のほうに回していただきたいという、そういうような熱意を持って最後の努力をしていかなければならぬのではないか。幸い今国会で放送法が改正をせられるのでありますから、こういう大事な機会をのがすことなく、閣僚ほか事務当局がピントを合わして努力していくべきではなかろうか、こう思ったので、この問題を取り上げたわけでございます。  第二点といたしましては、私は育英制度と、その資金の状態についてお尋ねをしてみたいのでございます。育英制度の拡大あるいはこの資金をふやすことについて、政府は多年にわたって努力をしてまいりました。私ども多少ながらこれに協力を申し上げてきたものの一人としてよく承知をいたしております。  そこで伺いたいのは、事務当局からでけっこうでございますが、ただいままで育英資金を貸し付けた総額ですね、累計はどれだけになっておるか。あまりこれが国民に知られておらない。累計してみると、一体どれくらいの金額になるのか。それから同じように、人員は累計すると、いままで何人ぐらいの人がこの恩典にあずかったか。これは、私は何十万以上だというように考えているのでございますが、こういうことが、個々のことはわかっても、総体的なことが国民にはあまり知られていない点でございますので、まず数字から承っておきたいと思います。  同時に、ついででございますから、四十一年度分も相当増額されたので幸いだと思っておりますが、これも推定して前のに加えて幾らぐらいになるかということも知りたいのでございます。
  115. 笠木三郎

    ○笠木説明員 お答えいたします。  最初にお尋ねのございました資金の累計額でございますが、三十九年度末一ぱいで貸与総額が七百六十四億円でございます。この中身は、政府貸し付け金と、それから返還されましたものを事業費に充当する分がございますので、その内訳を申しますと、政府貸し付け金の累計が六百七十五億円でございます。それから返還金の充当額が八十九億円でございます。これを四十年度末現在で、これはまだ事業が進行中でございますが、四十年度末を推定いたしますと、貸与総額で八百八十二億円、内訳が、政府貸し付け金の分が七百五十七億円でございまして、返還金充当額の累計が百二十五億円でございます。さらに、現在御審議中でございます予算を加えまして、四十一年度末の推定をいたしますと、貸与総額の累計が一千十二億円、そのうち政府貸し付け金の累計が八百五十三億円、返還金充当額の累計が百五十九億円と推定されるわけでございます。  それから第二の人員累計でございますが、これは三十九年度末では百四十二万人でございます。四十年度末では百五十二万人と推定されますが、さらに四十一年度末の推定をいたしますと、百六十一万人というふうに推定されるわけでございます。
  116. 上林山榮吉

    上林分科員 四十一年度まで加えると、資金の貸し付け高が千十二億円、人間にしますと百六十一万人、これは恵まれない人たちに対して政府が非常なる貢献をしているわけでございますけれども、その貢献のわりあいに、これもまた知っている人は知っていますけれども、多くの国民というものは知らないのではなかろうかと思います。そのために、いろいろと教育に対するととろの批判がよけいにわいてくるのだと思いますので、私は機会があったら文部省はこういうものを、こういうような機会を通じ、あるいはその他の機会を通じて、やはり国民に密着した教育行政をわれわれはやっているのだし、これからもさらに拡大してやっていく意欲があるのだということをお示しになる必要があるのじゃないか、こういうように考えるのです。  そこで私は、早稲田大学の授業料値上げ問題だけを取り上げるわけではございませんが、早稲田大学の学生運動は、決して授業料の値上げだけでは済まされない問題でございまして、これは極端な左翼運動あるいは学生運動を職業としておるぐらいに思われるような人々が、政治的な目的を持っていろいろなことをやっておることも承知をいたしておりますので、決して授業料が安いということだけでこういう問題が解決できない、まことに複雑な、残念な状態である、こういうように私は解剖いたしておりますが、そういう観点からだけ申し上げるのではございませんが、今日、国立の授業料と私立の学校の授業料と比べてみれば、雲泥の相違があるほど国立のほうが授業料が安いわけです。そこで私は、せめてもが育英資金によってこのアンバランスをある程度修正する方向に、文部行政、育英行政を持っていったらどうだ、これが私の主張でございますが、それはどういうことかと言いますと、国立やあるいは公立の大学は授業料が安いから教育費がかからないのです。ところが私立のほうは、授業料が安いから教育費がかかる。だから、国立のほうにかりに百人育英資金の人数を割り当てるとするならば、私立のほうには二百人割り当ててもいいのではないか。人員ですよ。そういうような考え方が実際ではないだろうか、こういうふうに考えるのでございますが、将来の育英資金の運営方法、こういうものはいままでどおりでよろしい、こういうお考えか。いま私が申し上げるように、そうしたような方面にもう気を配る時期にきておると思う、こういうように思われるか、これは大臣の御意見を伺いたいと思います。
  117. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 御指摘の点は、確かに一つの考え方であると思いますが、私どもとしましては、目下私学振興方策調査会で私学振興の問題を取り上げておりますが、この私学振興とかみ合わせた研究として、いまのような育英制度のあり方というものも、あわせて研究を続けてもらいたいと思っておるわけで、そういう角度で今後研究をしてまいりたいと思っております。
  118. 上林山榮吉

    上林分科員 私学全体の振興方策を審議中であることは私も承知をいたしておりますが、きょうは私は、育英資金だけをピックアップいたしましてそういう主張を申し上げたわけで、そういう主張を織り込みながら、私学振興を根本的に立て直すのだという御意見には全く賛成でございますので、しばらく大臣の答弁を信頼いたしまして、これ以上申し上げないことにいたします。  最後に私がお聞きいたしたいのは、いつかの大学事件で急先鋒となって、しかも何か事件を起こして、たしか刑事事件になったのではなかったかと思うのでございますが、その人を洗ってみると、この学生運動の首謀者のその人は、育英資金を借りておったのです。私は国民の貴重な税金というものを、そうしたような、単なる運動ならいいのですけれども、それを超越した、あまりにも政治的な極左運動に走る、しかもそれが暴行であったか公務執行妨害であったか何であったかよく記憶しませんが、そうしたような類の刑事事件にたしか関係いたしまして、検挙されたと思うのでございますが、私は貸し付けの対象については、なるほど思想は自由でございます。また、思想や宗教によって区別をすべきでないことも知っておりますが、これを借りたいという人はたくさんおるわけです。いないのならばともかくも、たくさんおるのでございますから、まじめに勉強して、そして学校を出ようとする人たちために、できるだけ使っていくという心がけがなければならぬのじゃないか、こういうように考えるのでございます。これは私のただ意見としておきます。  次に、せっかく貴重な国民の税金によって育英資金ができて、自分は大学を卒業した、相当のところに就職した、これを分割して、わずかずつでございますから返せば返せるんだ、しかるに幾ら督促をしてもこれを返さない、この人たちは、国民に対してどういう考えを持っている人たちであろうか、あるいはまた自分たちの後輩、自分と同じ境遇にある者のために、この育英資金制度というものはあるのだという自覚はないのだろうか、こういうことを思って、私はまことに残念に考えておるのでございます。幾らか最近は督促をしたり、非常に悪質な者は裁判の手続をしたりしておるとか、強制手続をしておるとか聞いておりますが、幾らか成績はよくなったと思っておりますけれども、この状態はどうか。  それから、もう時間がございませんのでついでに申し上げますが、私は本人に督促をしても本人が返さない場合は、相当のところに勤めておる人で、返せる人だと思われる人の場合は、そこの管理者なり責任者に勧奨してもらう。こういうふうに言ってきておるぞ、だからあなたひとつお返しなさい、こういうふうにやさしくさとして、そして勧奨してもらう、こういうようなところまで手を尽くすべきだと思うのでございますが、いかがでございましょうか。
  119. 笠木三郎

    ○笠木説明員 返還状況でございますが、ただいま御指摘のとおり、数年前におきましては楽観できない状況があったわけでございます。実際の数字を申しますと、たとえば三十七年度末現在までにおきましては、返還さるべき金のうち、五九%のものしか返ってこないという状況がございました。その後いろいろ育英会のほうも手を尽くし、なお、御案内のとおり文部省におきましても、特に返還、回収につきましての省令をつくりまして、最悪の場合には強制徴収ができるようなかまえをとったわけでございますが、いろいろな関係の措置が実を結びました結果、三十九年度末におきましては、返さるべき金につきまして、八〇%の返還率を見るに至ったわけでございます。四十年度末につきましては、これはまだ推定でございますが、要返還額は百六十二億円でございますが、そのうち返還を見込まれております金は約百四十三億円でございまして、その割合は約八八%程度に上昇するという見込みを立てております。
  120. 上林山榮吉

    上林分科員 総額幾らですか、滞納している額は。
  121. 笠木三郎

    ○笠木説明員 貸与しております総額は、四十年度末で八面八十二億円という推定でございます。そのうち、これは原則として割賦で返していくわけでございますので、しかもその期限は大体二十年以内、おおむね十四、五年程度で各人が計画を立てております。したがって、この貸与総額のうち、現実にその年度において返還さるべき金は、いま申し上げました四十年度末推定で百六十二億円ということになるわけでございます。そのうち百四十三億円が返還される見込みを立てております。したがって、延滞額といたしましては、百六十億円から百四十三億円を引きました十九億円ということに相なるわけでございまして、いま申しましたように累年おかげさまで返還の回収成績はあがってきておりますが、なお十九億円という延滞額がございますので、この点の解消につきましては、なお育英会ともどもできるだけの努力をしていきたいと考えております。
  122. 井出一太郎

    井出主査 次に玉置一徳君。
  123. 玉置一徳

    玉置分科員 私は双ケ岡の問題に関連いたしまして、政府の文化財、名所並びに重要文化財というようなものについての取い扱いについて御質疑を申し上げたいと存じます。  御承知のとおり、双ケ岡の問題は三十六年ごろから出始めておりまして、京都の有名な名勝地帯でございます双ケ岡を仁和寺から買い取りまして、観光開発されるというようなうわさが三十六年ごろから出だしまして、非常に世論がわいたわけでありまして、ある意味では京都、奈良その他におきますこういった文化財の保護という意識を臨めた価値はあったとも思いますけれども、こういう機会にひとつこの問題についてもう少し掘り下げてみたいと、こう思うのです。  なるほど、日本の法律によりますと、文化財保護法では、この種の名勝はただ所有権を移動するときに新しい所有者が届け出をすればいいということになっておると思うのですが、この双ケ岡の問題がこれほどまでにやかましくいわれましたのは、いずれもその買い主であると思われる方が、二億六千万円もの金を出しまして、これを法律に明記されておるような保存をしてくれないだろうというおそれが非常に多いために、きょうまで騒ぎが持ち上がっておるのだ。佐藤虎次郎さんの名前が浮かび上がったと思いますと、今度は前の府会議員ですか、小西繁一さんの名前で売買がされて、それが登記の場になったときに初めて違う人の名前が出てまいりました。  そこで、御承知のとおり、これが現状変更の場合には許可の申請をせなければなりませんわけでありますので、きょうまで京都府のほうでも、あるいは市のほうも、もちろん文部省のほうでも、現状変更の申請があった場合には許可をいたしませんというように言い切っておいでになりますのに、なぜこういう売買が行なわれていくかというところにこの問題の問題点があるような気が私はするのです。そこで現状変更を無断でされた場合にだれが告発するのか、こういうことを、ひとつ局長からでけっこうですからお答えいただきたいと思います。
  124. 村山松雄

    ○村山政府委員 文化財保護法によりまして、名勝指定地を無断で現状変更いたしました場合には、罰則がございまして、第三者である場合には五年以下の懲役または三万円以下の罰金が科されます。それから所有者である場合には二年以下の懲役または一万円以下の罰金が科されます。これは刑罰でございますので、事犯がありと認められる場合には、警察、検察庁が独自に捜査いたしまして告発、起訴をいたしますし、また、何人といえども告発できるわけでありまして、文化財保護委員会、あるいは府県の文化財担当所管課のごときは当然、むしろそういう事犯がありと認める場合には告発する責務があると考えてよろしかろうと思います。
  125. 玉置一徳

    玉置分科員 そこで私が一番心配いたしますのは、第三者という名前でやられた場合に、だれが処罰を受けるのか、二億六千万円金を出したと思われる人間じゃなしに、第三者がやりよったといわれる場合に、一体処罰を受けるのはだれなんだ、こういうことなんです。
  126. 村山松雄

    ○村山政府委員 処罰を受けますのは、捜査の結果、当該無断現状変更に故意、過失の責任ありと認められる者でございます。したがいまして、第三者がやった場合には、そういう現状変更の事犯をやった本人ということになります。前例で申し上げますと、昭和三十七年に鹿児島の城山という史跡、名勝の二重指定地がございますが、ここを城山観光という開発会社が無断で現状変更いたしました。この際は、会社に対しまして罰金が三万円、それから破壊行為を実際に実施したその会社の社員に対しまして懲役八カ月、執行猶予三年という判決が、鹿児島の地方裁判所において下されております。したがいまして、捜査によって責任ありと認められる者、法人たると自然人たるとを問わず、妥当なる量刑に伴う刑罰が科される、こういうことになります。
  127. 玉置一徳

    玉置分科員 もちろん故意、過失その他いろいろな事犯の実態を検察庁が調べてやると思いますけれども社会通念上私たちが一番心配するのは、こういう多額の金を売買に要しながら、これを開発するというような人々は、身がわりの者が通常これをいらうのが――通常と申しますと、かえってことばとしては変ですが、間々あるわけでして、その所有者、それからそれを現状変更さすことによってもうける人間、こういった人間の把握がえてして法律の上ではむずかしいような感じがするのです。  もう一つ、ここに五年以下の懲役とかなっておりますが、罰金はわずかに三万円、社会通念上、五年の懲役を受けるのと三万円の罰金とではものすごい差があるわけで、金銭的な苦痛からいえば三千万円か三億円ぐらいが五年以下の懲役と匹敵すると思うのですが、古都保存法におきましても、われわれ先般議員立法いたしました場合に、一千万ぐらい書こうじゃないかといってみんなで主張したんですが、法務省が、全般の法益の関連上、これは五万円だとか、あるいは十万円ぐらいというので、あれはそうなってしまったと思うのです。私は、こういう現在の状態から見れば、生活程度と申しますか、あるいは個人の懲役のときの一日幾らというやつで換算して、五年以下を三万円というようなことになっておるんじゃないかと思うのですが これはいつ一体つくった法律で、いまとしてはふさわしくないのじゃないだろうか、こう思うのですが、いつつくった法律だということは局長からお答えいただいて、こういう量刑で、はたして無事に文化財を守っていけるかどうか、あるいは法務省の管轄でございますので、とやかく言うことはでき得ないのだろうと思いますけれども、古都保存法におきましても関連しており、その他の法律も、この懲役刑と罰金刑と書いてある場合の罰金刑が、社会通念上著しく低いんじゃないかというような感じがするのですが、国務大臣として、ひとつ大臣からあとでお答えをいただきたいと、こう思います。
  128. 村山松雄

    ○村山政府委員 史跡名勝天然記念物の無断現状変更にかかる罰則規定は、文化財保護法の第百七条の二の規定であります。これは文化財保護法のもとの法律には入っておりませんで、昭和二十九年法律第百三十一号によりまして追加されたものであります。したがいまして、この条文が入りましたのは昭和二十九年ということに相なります。  なお、刑罰法規の適用の問題でありますが、これは私、たまたま古都保存法を審議されました建設委員会におりまして、法務省刑事局長説明を聞いておったのでありますが、懲役刑と罰金刑とは、並列的に並べてどちらかを選択するのではなくて、重さに従って、重いほうは懲役刑、懲役刑を科するほどでないものは罰金刑、こういうように縦に並べるのだそうでありまして、事犯があった場合に並列的に罰金刑が選ばれるということではないそうでございますので、申し添えます。
  129. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 刑罰を織り込みました立法をいたしますときには、もちろん法律全体として内閣法制局で審査をいたしますが、同時に、必ず刑罰の事案を取り扱います法務省に協議することになっております。そこで法務省は、従来の刑罰体系といいますか、そういうものから基準をきめてこられるわけでありますから、昭和二十九年の制定された当時としては妥当な線であったと思うのですが、今日としては、なるほど通貨価値その他から見て妥当でないかもしれませんが、いま村山局長がお答えしましたように、重い場合には当然体刑で臨むべき刑罰の法規であり、かすり傷のようなごく微弱な場合には罰金で処理できる、こういう考え方のようでございますから、私どもとしましては、この問題は、確かに御指摘のとおり、なぜ一体現状変更が認められないという場所に何億円もの金を出して買い手があるかということを考えますと、御心配になるような心配はだれも持たざるを得ない。そこで、もしそういうようなことに着手をされたら、即座にこの罰則を適用して検挙されるような態勢をしいておくことが、これだけ世論の為まりの中に心配されておる問題でございますから、必要かと思いますので、こういう点は地元の京都府とも十分に、あるいは京都の市とも連絡をいたしまして、手落ちのないように進めていきたいと思っております。
  130. 玉置一徳

    玉置分科員 事務局長のおっしゃいました並列という問題は、私はまたそうは思いません。いかに並列でも、五年以下であり、罰金も以下なんでして、まあ大体似通ったものを書いておらぬと、あまりにも差が多いのではないか。昭和二十九年に法務省の法益の大体見合ったということは、終戦直後ぐらいに書いておるものに大体見合ったということに私はなると思うのです。あの時分高等学校を出ましても月給千四百円ぐらいの終戦後、いま一万五、六千円から二万円になってきておる今日、全然違ってくるのではないか。ただし、入れられる懲役または禁錮五年という刑は、どこまでも苦痛の対象として、これはいまでも同じ五年は五年の値打ちがあると思うのですが、貨幣価値はそれと非常に違ってきておるというところに――何か刑罰を重くすることを好むのじゃございませんけれども、かかる社会を乱すようなことのないための刑罰とすれば、それに相応するようなことにいつか一度直す必要があるのじゃないか、こういうような感じがいたします。終戦後の金額に大体歩調を合わせますから、二十九年には終戦後のものにこれは歩調を合わせておったと思う。したがって、このごろできました古都保存法でも、法務省全般から見れば、終戦後のものに合わせているのと同じことになるのじゃないかという感じが私はいたします。いま大臣のおっしゃいましたように、この種の事件は、結局かなりきびしく監視しておらなければ、それ見ろ、法益をくぐられたじゃないかという形で、世人の法律に対する不信感を非常に抱かすようなことになる心配がありますので、ひとつよろしく御配慮をお願いを申し上げたいと思います。  私は、さらに、重要文化財の問題でございますが、大臣お尋ねいたしますが、重要文化財は、移動しますときにとりあえず国に申し出をいたしまして、先買い権が国にある。こういう話ですが、一体幾らほど金をそのためにお持ちであって、それだけでもってはたして十分であるかどうか、こういうことをひとつお伺いしたいと思います。
  131. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 年度一億円の予算でございます。したがいまして、重要文化財等について所持品の維持ができないというような場合で申し込みがあった場合には、余儀なく年度を割って話し合いをつけるというようなこともございます。いままでの経過から見ますると、前年も一億円の予算でございましたが、従来さほど不足をして難儀をしたことはないようでございます。これらの予算は、考え方によればいまの時世に一億円は非常に少ないじゃないかということも考えられますので、今後の推移を見まして検討していきたいと思います。
  132. 玉置一徳

    玉置分科員 私は、さきに双ケ岡の問題が起こりましたときに文部省の方々とも御相談を申し上げたことがあったのですが、いずれにいたしましても、重文のほうの一億円、それから名勝史跡は、そんなところを片っ端から買い取ったら切りがないだろうと思いますけれども、ここまで問題になっておるものを、国がどうともならないということもあまりにもふがいない。政治といたしましても、行政としても、あらゆる文化人が立ち上がったようなあの問題を処理できないのだ、ただ、やられたら罰則があるのだというだけで抑えておるのも、ちょっと行政としてはうまみがありませんねということを申し上げておったときがあるのですが、そのときにお話をしておりましたのは、国でもってこういうものはあらゆるものを買い取っていくなどということはとうていできないけれども、何とかして、国自体だけじゃなくて、民間の心ある人々の募財をいただいて、財団法人でもってそういうものを買い取っていただくような、そして厳重に保管をいただくようなものをつくることも非常にいいんじゃないだろうか。必ずしも国自体が全部責任を負っていくという形の行政というものが万全でもないのじゃないだろうか。当時非常に景気のいいときでございましたので、あるいはこれをこういう財団法人に買い取ってもらう資金を出していただいた会社その他には税の免除をしてもらう方式をやれば、必ずしもむずかしいことないのじゃないだろうかというようなお話をしておったことがあるのですが、何かそういうこともひとつ時に触れお考えをいただく値打ちがあるのじゃないかというような感じがします。一億円あるいは二億円と言うてきたから、二億円国が予算が要るというような形は、行政としての国が全部責任を持たなければならぬというほどのものでもありませんし、というて横へ散逸されるのは困るというようなものでありますので、こういうときに、そういう財団法人の篤志家の御寄付をいただくような形態のものをつくったらどうだろうということを御提案をしておったことがありまして、私も、それだったら二、三億お出しになる方は一番トップに持っていきますよと言うておったこともあったのです。ただいま申します名勝あるいは史跡なんかのものを売買されるようなときに、もう売買すればあぶないということがまず大体常識でわかっておるのに、これは現状変更したときにやっつけるぞというようなことばかり言うておらなければならぬところに、行政のもう一つ行き届かないところがあるやに思いましたものですから、そういうお話を申し上げておったことがあるのですが、これは重要文化財の問題と関連をするわけでありますが、大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  133. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 確かに一つ方法で、私どもも、今後この種の問題につきましては、研究をしていかなければならないと思います。やり方としましては、府県、市等に買い上げてもらって、これに対して国が補助するという道もありますし、あるいはいまのような、史跡、名勝を保存することを目的とした財団法人のような組織で、寄付金免税等の方法で進めるのも一つ方法であろうかと思います。いずれにしましても、こういうような危険性がとにかくありまして、心配を続けるような姿はかんばしくないと思いますから、今後の方法として研究をいたしたいと思います。
  134. 玉置一徳

    玉置分科員 続きまして、人間文化財のことにつきましてお伺いを申し上げたいと思います。人間文化財、いわゆる人間国宝というので、当時文部省の行政としては、非常に目新しい感覚を持った行政として、好感を呼んだものでございますが、ただ指定のしっぱなしで、いわば、かえって御迷惑だけをおかけするようなきらいがございましたので、三、四年前、この委員会で毎年お願いを申し上げまして、一昨年だったと思いますが、伝承費二十万円――一律三十万円という意味じゃございませんけれども、伝承費形式でもちまして、逆算すればほぼ三十万円かと思われるような年金をお出しいただきまして、当時感謝を申し上げておったのであります。その年だったと思いますが、文化功労者の年金五十万円を百万円にお上げいただいたわけです。文化功労者の年金百万円が高いというわけではございません。決して高くはないのですけれども、その功労とかそういう意味ではなしに、文化功労者年金をお受けいただく人々は、名実ともに、物心両面においてかなり日本的な人々だと思うのです。片や人間国宝に指定される方は、伝承責任を課さなければ滅びていくだろうと思われる日本固有の文化を、その人間の技術によって継承してもらうわけでありますので、これこそ継承費を持っていってあげなければ継承できない人々に対してやっておるわけでありまして、ほうっておいても、経済効果があったりしまして、当然そのことが続いていくようなものをわざわざ人間文化財という、人間国宝というもので指定をしていないわけであります。こういうような意味では、せめて最低の生活費だけでもこういう制度でもって補ってやっていただかなければ、かえって人間国宝に指定されたばかりに、多数の人々が見学に来られます。そういうので、きょう金になるようなものができずに、見てもらう、いつも見に来られるものですから、非常な無理をなさるように聞いております。私と同姓の玉置というおばあさんが、いつかそのために自殺をしたということも新聞に報道されたわけでありますが、こういうような意味で、ことしも大体同じ三十万円で、横ばいのような予算であるらしいのでございますが、ことしのことは申しませんから、ひとつ来年あたり、ちょうど五十万円を百万円にされました文化功労者に右へならえというわけじゃございませんけれども、この方々が安んじて法律に明記せられました使命を果たしていただけるような最低の伝承費をお盛りいただくように、ひとつお願い申し上げたいと思いますが、大臣の考えをお述べいただきたいと思います。
  135. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 この伝承者の資金は三十万円の標準で制定以来横ばいであると思います。すでに年月も経ておりますから、研究して改善の道をはかってみたいと思います。
  136. 玉置一徳

    玉置分科員 これと同じことが、もう一つは名所、史跡、ことに史跡でございます。奈良の平城宮のあとを、毎年多額の予算を盛ってやっていただきまして、非常にありがたいと思っておりますが、静岡県でも、幾多の史跡がその他の開発とぶつかっていくのが間々あるわけでございます。社会主義の国家におきましても、中共しかり、ソビエトしかり、やはり昔のその国に伝わった文化というものに対しては、異常な熱意を持ってこれを保存するようにつとめておるわけであります。ましていわんや、私たちのこの日本の固有の史跡を守るためには、従来よりも思い切ったお考えのもとに、こういったものをお守りいただくようなことがぜひとも必要じゃないだろうか。ここ四、五年来、そういったほうにかなりの力は入れていただいておるのでありますけれども、産業の高度成長に伴う住宅事情の変化等に伴いまして、従来よりはより一そう痛切にそういう問題が起こってきておるわけです。大体予算というものは、平均が一七、八%上がりましたときに、文部省のそういう予算は三〇%上がったといえば、お手柄になるものでありますが、そのくらいの速度では、この種の問題は片づかないような感じがするわけでありますので、ひとつぜひとも努力の上に努力を重ねていただくようにお願い申し上げたいと思いますが、御所見を承っておきたいと思います。
  137. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 史跡の買い上げの経費は、御承知のとおり、三倍程度に四十一年度は増額されました。しかし、まだまだいろいろな懸案があるわけでございます。私どもといたしましては、史跡の保存につきましては逐次配慮してまいりたい、かように考えております。
  138. 玉置一徳

    玉置分科員 最後に、これは文部省所管じゃなくてまことに恐縮なんですが、神社仏閣に関連するものでありますので、御存じであればお答えをいただきたいと思うのです。  双ケ岡の問題と同じように、昭和二十七年でございましたか――いままで神社仏閣の山林でありましたものが、終戦後でしたか、国に移管になった。そのうち昭和二十三、四年ですか、七年ごろですか、どっちか忘れましたが、申し出によっては、そのある程度の分を神社仏閣に無料で渡したわけであります。双ケ岡と同じ問題じゃないかと思います。こういうようなのが各地にございまして、私の調べましたのでは二万数千件日本じゅうにあると思います。それが手続その他、終戦後のことですので、ほうっておったのではないかと思いますが、私の近くにもその問題がございました。国有財産になったままになっております。それであたりまえなんです。届け出しなかったから。いずれもみんな小さい、お宮さんの森というようなのが多いと思いますが、それが国有財産でございますので、評価がえがどんどん行なわれます。その評価がえのために、賃貸料がものすごく上がってきた。それでみなびっくりしておるわけです。いまでも買い取りは幾らでもできるようになっておりますが、評価がぐんぐん上がりましたのと、賃貸料も上がってまいっておりますので、何とかしてくれというような泣きつきが多うございまして、私は大蔵省の国有財産のほうとかけ合ったわけです。その二万数千件のうちで約二割だけ、買いなさいということで、気の毒に買い取っているわけです。その買い取りがなかったら、これはもう一回皆さんと相談して、ただでお渡しするような立法措置ができるんだということをその人は言うております。その二割は現に買ってくれたものですから、これは気の毒だ、不合理だということもわかり、できないんだ。だから何とかして議員立法するぞといっておどかしたりしてやっておるわけですが、評価を二十三年にさかのぼれとは申しませんけれども、いまのような高くなった評価じゃなしに、少なくともある程度向こうへ、二十三年とのまん中ごろまででも戻りましたもので、無利子で十年閥くらいの年賦で返やしてやらなければ、もともと向こうのものだったのを、敗戦その他の関係で国有に一ぺんなったわけです。それで昭和二十六、七年ごろに双ケ岡が無償で返してもろうたような形で、あのときに申し出ればできたものが、二万数千件まだ残っております。これは文部省の面接の所管ではございませんで、大蔵省の国有財産の問題ではございますけれども、やはり純風美俗と申しますか、こういった日本の歴史のことは文部省の御所管でもございますので、大臣ひとつお調べいただきまして、一番妥当な方法文部省の側からもお口添えをいただけましたら非常にしあわせだと思うのですが、御意見と申しますか、お考えいただきたいと思います。
  139. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 社会局の所管と思いますから、ひとつ研究をさせます。
  140. 玉置一徳

    玉置分科員 終わります。
  141. 井出一太郎

    井出主査 次に山中吾郎君。
  142. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 最後の質問でございますが、二日間いろいろの角度から質疑が行なわれまして、誠意のある文部省の答弁に感謝をいたしたいと思うのですが、いろいろの質問の中で、参考になるもの、あるいは政府当局のほうでは蛇足になる質問もあったかもしれませんけれども、いずれにしても五千四百二十六億の、国民が額に汗をして働いた税金を一年使う権限を承認される問題でありますから、もし儀式とすれば最高の儀式だと思うので、やはりばかばかしいとか、あるいは当然わかったことだというふうな考えをお持ちにならないで、今後ともこういう国会の中における審議を誠意をもって聞いていただくし、また反映する努力をしてもらいたいと思うのです。同時に、私思いますのは、教育に対する関心が国会の中で非常に高まっておるんだということを、質疑を聞きながら私非常にうれしく思ったのです。  さらに第二点は、やはり現在の日本の教育政策にアンバランスが非常に多い。いわゆる個々の領域でなくて、教育政策全体あるいは教育体制というふうなものにやはりひずみが多いのではないか。教育構造――農業には農業構造改善事業がありますが、教育構造の改革、改善というようなことが次の年度あたりから予算の中でもあらわれてくるような段階にきておるのではないか、そういうように私は思うので、来年の予算編成その他にも参考にしてもらいたいという希望を持ちながら、提案を含みながら質問をいたしたいと思うのです。  その前に、そういう全体的な問題でなくて、僻地の先生から私に手記をよこしてきておるので、これをひとつ読みますから、大臣も来年度の僻地教育予算編成にさらに前進をしていただきたいと思います。今度の予算については、かぎっ子の問題あるいは僻地教育については、確かに文部省教育政策にヒューマニズムが浸透してきましたので、非常にいい方向に進んでおることを敬意を表しておるわけでありますが、ただ、そういう善政の芽が出たという感じであり、さらに前進をしていただく必要がある。敬意を表しながら、さらに今後に期待することが非常に多いと思うのです。  それで、いま私がここで論議をするよりは、手記を申し上げたほうが早いと思うので読み上げますが、これは岩手県の君泉町立釜津田小中校の櫃取分校の菅原先生が私によこした手記なんですが、その中で、ある女の先生が非常に悲劇的な人生を僻地教育の勤務の中で味わっておることを例として出しておるわけでありますので、これの要点を読みますから、ひとつお聞き願いたいと思うのです。  「それは去る三十七年春まで櫃取分校に勤務していた高橋れい子先生のことです。彼女は、当時同じく当分校に勤務していた御主人と結婚して、三十六年春、本校から転勤して来たのでした。そして、れい子先生は中学校に、御主人は小学校に籍を置いて、共かせぎをしていましたが、れい子先生は間もなく妊娠したのでした。このようなところで妊娠した場合、外部との往来が思うようにならないので、専門医に見てもらったり、助産婦の手当を受けようとすれば、最低三日間の休暇をとって、さびしい山道をてくてく歩いたり、妊婦が乗ってはいけないはずのオートバイに乗ったりして、数十キロも出かけて行かなければなりません。」こういう状況の中で「十一月のある日には、御主人と一緒に、妊娠四カ月の身で松草駅」これはこの付近の駅です。「松草駅から櫃取まで歩いて来たことがありました。その日は、松草駅を出るころにはそれほど悪い天気ではなかったのでしたが、いよいよ坂を登り始めたころから次第に雪が降り出し、峠の頂上に近くなったころには、とうとう吹雪になって、前を歩いている御主人の姿さえも見えないほどでした。頂上では、腰まで入る雪の中を、先を歩く御主人に縄で引いてもらって歩きました。」「もはや足を上げる力さえも尽き果てるまでに歩きとおして、やっとのことで分校にたどり着き、教員住宅に入るやいなや、ばったり倒れてしまいました。」「今にして思えば、いかに交通の便がないとはいえ、妊娠四カ月の身で、標高一千百メートルもある雪の峠を越えて、しかも吹雪の中を十六キロも歩いたとは、ただただ聞いておどろくばかりです。ひどいつわりも、激しい腰痛も、持ち前のファイトと、僻地勤務教師としての使命感とで一蹴し、産休になるまでは、生徒や同僚に迷惑をかけてなるものか、と歯を食いしばってがんばり通したのでした。しかし、先生は春休みに実家に帰りましたが、そのまま入院生活を送らなければならなくなり、分校へはついに戻らなかったのです。難産のあげく、帝王切開してやっとお子さんは産みましたが、いつ発病したかも知れない骨髄炎が重くなり、身に五キロのおもりをつけられて、身動きすらも禁じられてしまったのです。」これで入院生活を始めて、彼女は、岩手医大三戸町分院のベッドの上で、いまなお病臥をいたしております。これは盛岡です。いろいろと心境を書いておりますが、「これが僻地教育に挺身して、みずからのからだを捧げた女教師に対する報いなのでしょうか。」治療費その他が全然出ないといういろいろのことが書いてありますが、「もしも、彼女が櫃取分校に赴任せず、町の学校につとめていたら、彼女と彼女の家庭をこのような羽目に追いやることもなく、親子三人そろってしあわせな家庭生活を送っていたことと思います。「彼女はまだこうして病院のベットの上にいるのに、間もなく休職期間が切れて自然退職になり、教育界からさびしく姿を消していこうとしています。僻地教育にからだをかけ、職をささげ、家庭のしあわせまでもささげ尽くして、いまなお病床に呻吟している人が、何の償いもないままに、私たちの仲間からそっと去っていくのを黙って見ていることはできません。」  あと、いろいろ書いておりますが、「明らかに僻地の悪条件の中で公務を遂行せんがために肉体を酷使したことに基因する、いわゆる業務上の傷病だと断言できるのです。それなのに、国家がこれを制度的に救済し、補償する道がないでしょうか。」「私も、かって四級地の分校に勤務したころ、日ごろの無理がたたってからだをこわし、病気休暇をとって入院したことがありました。半年間ほど入院生活を送りましたが、同僚たちに迷惑をかけていることが気になってならず、医師の退院許可を待たずに退院して出勤しました。ところが、病気で長期休暇をとったために、昇給がストップになり、ボーナスが減額になりました。現在の私の俸給は、そのとき俸給が延伸された分低い号俸になっているわけです。」「教育界にはこのような例がほかにもたくさんあるということを聞いております。」「僻地の学校には、艦橋れい子先先のような悲劇のヒロインが今後出ないという保障は一つもないのです。」「当然公務上の傷病として取り扱い、本人の不利益に対しては補償がなさるべきだと思うのに、現在の制度ではそれが無視されております。」いろいろと書いております。  この岩手の僻地の場合については五級地です。しかし、二級、三級、一級、これはいろいろ条件が違うのですが、教師の僻地における勤務状況は、東京に住んでおる皆さん、あるいは文部省の行政をしておる皆さんでは、ちょっと想像がつかないものがある。ところが、現在日教組という組織に対する文部省の役人の諸君の感情というのが、どっかにこういう僻地の教師に対する理解というものを薄める一つの条件になっているのじゃないか。そういう中で戦後の僻地教育について、教師及び子供を含んで、厚い手当てをするということが非常に立ちおくれておると思うので、この点は全国的な統計というもの、統計という数字、そこには情がない、数字はすでに愛情とか情を抜き取ったものである、無味乾燥な数字です。だから、こういう直接の実例の中でひとつ政策を進めていただきたい。  それで、若手のこのいま申し上げた横取分校そのものをひとつ調査していただいて、どういう勤務状況にあるか、それをぜひ事実調査をしてもらいたい。この中に、この先生が、三十名いる子供たちのうちで、満足に弁当を持ってくるのはたった五人だけだと書いております。それから父親をなくした母子家庭が工世帯ある。未亡人が五人もおる。それも夫の無理に働くという中で短命になるというふうなことも書いております。さらにそういう中で、この先生が自分でオートバイを買って、先先を運んだり子供を運んだりするが、月に数千円の修理代とか油代が要るというふうなことも書いておるのです。ジープなどが配給になるということは実にうれしいことだと書いておりますし、ちょっとわれわれが想像する、いわゆる統計では考えられないものがあるので、ぜひ調査をしていただきたい。その調査をすることだけ約束していただきたい。
  143. 齋藤正

    齋藤政府委員 よく実情を見て、僻地教育の振興の参考に資したいと存じます。
  144. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 こういう僻地の中で倒れた先化その他には、やはり終身休職として、三分の一の給与をあげるとか、何かもう少し制度的にも実態に即したような政策をひとつ進めていただいて、だんだんと都市と僻地の教育格差というものが縮まるように最善の努力をしていただきたいと思うのです。  そこで、僻地教育振興法そのものについても、やはり根本的に改正をしていただく必要があるのではないか。ここに大蔵省の主計官もおりますが、いまの僻地の定義は、交通困難にして経済的、文化的に立ちおくれた地域学校になっておりますが、私は、経済的に文化的に立ちおくれて、教育水準を特別の措置をしない限り維持できない地域というふうな、いわゆる都市と農村の格差がだんだん経済成長に従って拡大をしていくときに、バスがついたから僻地をなくしてしまうのだ、暫定措置は弔う僻地は来年で終わりだというふうな、いわゆる血の通わない政策でなしに、僻地というものについての定義も根本に変えて、義務教育でありますから、いわゆる国が期待をしておる教育水準を、特別の措置をしなければ低下するという条件にある地域というかっこうで、相対的な考え方で僻地対策をお立て願うことが必要である。そういうことも含んで僻地教育振興法の再検討を要望いたしたいと思います。その点は、しておられるようにも聞いておりますが、いかがですか。
  145. 齋藤正

    齋藤政府委員 実は僻地教育の中で、特に指定基準等の問題につきましては検討いたさなければならないというふうに思っておるわけでございますが、今回実は暫定一級の問題等の取り扱いにも関連いたしまして、これを再延長しない、二年で暫定一級地をその間に全部検討し直すということを考えておりますので、できるだけ早く検討を開始いたしたい、かように存じます。
  146. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 大臣、ひとつ検討を進めるようにしていただきたい。  次に、進学制度、入学試験問題について、この機会でないと機会がないので、私の意見を申し上げて大胆の善処方を期待いたしたいのですが、いまの大学から幼稚園に至るまで、予備校化しておるということは世間では常識のようにいわれております。そして有名校という日本独特の学校格差があるために、この幼稚園に入れなければ東大に入れないという、幼稚園から中学、高等学校、大学に至るコースがあって、そしていわゆる教育ママといわれるような変態的な心理状態が生まれてきて、東京都では越境入学が出ておる。教育長は、それに対する禁止の通牒を出したりいろいろ苦心しておりますが、こういうふうに大学から幼稚園に至る学校制度がさか立ちしておるのは、やはり日本の競争試験の弊害にある。これを直さなければ日本の学校制度は、一貫した幼稚園から大学に至る学校制度の姿勢を正すことはできないと私は思うのです。出発点も、いわゆる進学制度の欠陥にあり、そしてさか立ちをせしめて悪循環を重ねていくのもこの入試制度だと思うのです。その点について、まず大臣に御意見をお聞きしておきたい。
  147. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 確かに名門校に集中する進学競争、これは何とかして解決しなければならない重大な問題だと思うのです。それにはやはり一般社会も、人を遇するのに、学校の格差あるいは学校のよしあし、こういうことに左右されないような社会環境をお互いに努力をしてつくっていく。そうしないと、どうしても名門校に集中をする。親心といいますか、そういうことから無理が起こってくる。そういう社会環境の是正に努力すると同時に、何かもっとほかにいい知恵はないものかということで、私どもも頭を悩めておるところでございますので、これはひとついい知識はどしどしと御発表いただいて、そして何とかこういう状況を解決していきたい。そしてしかも、たとえば東大に無理に無理をして入ってきて、学生の健康状態を調べてみれば、一〇%以上がノイローゼで、いわば精神、肉体的に故障を生じておる。こういうようなことは、本人にとってもありがたいことじゃないだろうと思うのです。ですから、本人の健康なり健全な育成ということもあわせ考えまして、何とかこの弊害を是正するようにしたい。そうするにはどの手段が、どういう方法がいいかというようなことは、単に一片の補習教育全廃ということだけじゃ徹底しないのじゃないか。いろいろな手段なり方法がまだまだ考えられると思いますので、私どももひとつ真剣に研究していきたいと思います。
  148. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 大臣認識をされた点は、私も最初はそう思っておったわけです。日本の社会のほうで、いわゆる学歴、有名校に対する偏重ですか、そういう考えを捨てていかなければ、これはとうていどうにもならない。教育政策の周辺を変えるほかないのじゃないか。最近私、そうでない、文部省の政策がおくれておるんだと思い出したのですよ。たとえばソニーという会社などは、採用すると、東大であろうが、慶応であろうが、どこでも免状を焼き捨てて、履歴を焼いてしまって、実力で能率を上げようという一つの会社のやり方をしておるし、大体利潤を求める、能率を考える企業の性格からいっても、肩書きでは能率が上がらないので、やはり実力というものを中心として考える。これは性格からいっても考える。どんどん進んでいると思う。おくれておるのは文教政策の文部省だと私見ているのです。文部省の皆さんのほうで、社会のほうが変えないからどうにもならないとあきらめておるのか、現状分析にあやまちがあるのか、どっちかである。そういうふうに私思ってきたのです。そこで私はこの問題を取り上げたいわけです。いわゆる有名校とか、学歴主義の亡霊にいま父兄がとらわれておるのであって、会社は進歩してしまっておる。そうすると、文部省の政策の問題である。文部省責任問題になってくると私は思うのです。  戦前の学歴主義、有名校主義というのは、私は大きい機能を果たしてきたと思うのです。明治初年から、いわゆる士農工商の身分社会があって、さむらいの子でなければ出世できないという時代から、貧乏人の子供でも、学問さえできれば大臣にでもなり、大将にもなるのだという時代になったときに、競争の激しい東京大学その他に入れば、どんな貧乏の子供でも三井、三菱の娘婿になったり、そして大臣になったり、総理大臣になっている。その中に、あの学校というものは、貧乏人の秀才を能力に応じて社会的地位を与えるという大きい機能を果たしておった。だから、明治時代から大正にかけて、この学歴主義とか有名校主義は大きい意味があったし、そこで日本の古い封建身分秩序を新しい実力の秩序に切りかえる一つの制度として私は認めます。  戦後になってまいりますと、学校が大衆化して、大学も一五、六%、同一年齢人口の者がどんどん入っておる。ところが、まだその前の封建社会から人間を解放するための役割りの有名校主義が亡霊として残っておるのだ。社会全体は進んでしまっている。そうすると、私は文部省教育に対する識見がおくれてしまっていると思う。これを取り上げていけば、直ちにもう前向きの姿に切りかえられると思う。したがって、進単制度について、もっと真剣にお考えになるべきじゃないか。変な日教組対策とか、そういうことを考えておるからおくれてしまっているのだ、私はそう思うのです。その点は、いま大臣がおっしゃったことは、私はちょっと認識が違うのですが、その点、認識を改めていただかないと、これは進まないと思うのです。もう少しお答え願いたい。局長でもいいです。
  149. 齋藤正

    齋藤政府委員 いま提起されました問題、非常に大きな問題でございますから、私ども全般的にどうこうということはございませんけれども、たとえば私ども所管をしております初等中等教育の中で考えまして、改善すれば少なくとも一歩踏み出すではないかという問題が二つございます。  一つは、先ほども御議論がありましたように、高等学校の進学というものが、これは理屈抜きに、全国七二%、ある県では八〇%、国民の大部分が行くという時代になりました。そのためには、これはいわゆる旧制の中学のように、アカデミック・コースというだけを踏んでおったのでは、やはり人材を真に養成することにはなりませんので、これは高等学校の段階、七〇%をこすような国民を収容するという前提に立ちますれば、これを多様化して、真に進路、適性に応じ、しかも子弟や父兄がそれを受容しやすい方法で多様化していくという仕事が一つろうかと思います。もう一つは、直接、入学試験の選抜方法の問題をもう少しより合理的に、より客観的な方法がないか、この改善をはかっていくという二つのことが、具体的な問題としてあろうかと思います。  なお、一般社会の父兄の考え方というものを直す方法といたしましては、やはり社会教育あるいは家庭教育のいろいろな学級というようなものを通して、われわれ、父兄がともに自分で考えるということの場を広げていき、また深めていくという必要もあろうかと思います。  文部省といたしましては、現在中教審におきましても、高等学校あるいは高等学校以外の教育訓練機関合わせまして、後期中等教育の拡充を御審議中でございますけれども、その審議の方向を予測いたしまして、私どもといたしましては、まず高等学校問題については、その多様化をはかっていく措置は何かということを検討し始めております。
  150. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 私にはあまり参考になる答弁にならないのです。現在私は、どうしても文部省責任あると思うのは、国民の税金を有効に使うことになっていないという立場から申し上げるので、いま高等学校の入学試験が出たのですが、むしろ大学が中心になると思うので、大学の現在の試験は、能力のある者を入学せしめる試験ではない。落とすための試験である。したがって、大学に進学した者は、年間二千億の国立大学の運営費を使っておるが、その能力に応じて国民の税金によって勉強できるいわゆる憲法の能力に応じた者が進学をしていない。まず第一、これは税金のロスである。だから、国立教育研究所の実験の結果の発表にも、入学試験の成績と進学後の大学の成績はあまり関連性がない発表をしておる。そうすると、憲法の趣旨からいうと、同時にまた、国民の税金を有効に使わねばならぬという文部省教育政策の責任からいっても、この進学制度をもっと検討すべきである。これは民主政治の前提としてあると思うのです。  それから次に、能力に応じて教育を受ける権利ということばの中に、私個人としては、努力に応じて教育を受ける権利を与えたい、そういう気持ちがぼくにはほんとうは多いのです。一生懸命努力して、努力に応じて上の学校に希望を持って行きたい者は――天才は努力の異名というから、能力と努力というものは私は大体表裏一体をなすものであると思うけれども、ただ能力ということばの中に努力を含まない能力は、また民族の精神の問題として問題がある。その場合に、現在のいわゆる進学についても、スポーツ選手入学がある、寄付入学がある、それから私学問題で負担の不公平その他の問題があって、努力に応じて入学する制度も現在の進学制度にはないと見ている。能力に応じても進学をしていない。努力に応じても進撃する制度としては非常に不適当である。そして一方に、いまのようないわゆる競争試験をやれば、いわゆる戦後の赤ちゃんブームのために、ことし来年のように多く子供がおる場合には、できても大学に入れない。同一年齢人口が減れば、できなくても入れるという制度である。これも、国民に対する立場を考えたときには、何とかしなければならぬ問題である。また一方に、いまのような激烈な競争の中に、お互いに友情を喪失せしめておる。あいつは死んだほうがいいんだ、できないほうがいいんだといって、だんだんと国民の精神をエゴイズムの中に追い詰めていくような制度になっておる。そしてさらに、大学に入ったあとは勉強しない。押し出しである。そのまま押し出しで卒業していくのであって、日本の大学ではカンニングが常識化しておるじゃないですか。そういうことを考えると、この進学制度に手をつけなければ文部省責任は果たせるものではない。どんなに困難であっても、国民の立場、あるいは憲法の精神からいっても手をつけなければならぬ問題だと思うのです。その一つ方法として、司法試験とかそういうふうに、いわゆる資格試験制度に切りかえたらどうだという説もございます。あるいは、天野貞祐さんはさすがである。独協大挙をみずからつくって、入学はたやすく卒業はかたいという方針で、入れる一定の資格、努力と能力を認める場合には入学をせしめて、そのかわり在学したらどんどん落とすというヨーロッパ式をやって実験をしておるじゃないですか。そのときに文部省が手をこまぬいて、ただ見ておるという手はない。そういうことをしないで、ほかのことをいろいろとやっておっても――戦後の憲法と教育基本法に基づいた教育に対する責任を持たなければならぬ。そして真理と平和を希求する人間をつくるというふうに教育基本法にあって、科学的な真理を最も大事にしなければならぬときに、学者がこぞって反対するような紀元節をまた復活する、そういうむだなエネルギーを使ってどうするのですか。私は、この進学制度というものは、民族の将来の発展のために真剣に取り組むべき問題だと思う。来年度予算編成の前において検討すべき問題だと思うので、これは私は総括質問で総理大臣と論議しようと思ったのです。時間がないので、この機会に、ひとつ真剣に取り組んでいただきたいと思うので、大臣に申し上げ、大臣責任のある答弁をいただきたいと思います。
  151. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 実際私どもも、これならば一発で解決するという名案が実は浮かんでこないわけであります。ソニーのように、採用したら履歴書は燃やしてしまい、あとは実力主義であるという会社もできてきたようで、まことに歓迎すべきことでございますが、まだ、しかし、会社によっては、私立大学ならば早稲田、慶応あるいは成城というような幾つかの学校以外の者は受験をさせないという昔なりの姿のところも相当あるようですから、こういうことを改善をするということと、今日では公立高校というものがかなり全国的に普及してまいりましたから、高校につきましても、私はできるだけ全国のレベルというか水準の平準化をはかる。これには設備も平準化しなければならない。同時に、教鞭をとる教師の力も平準化しなければならない、こういうふうにして、全国的に普及されておる公立高校などを、急にはできないことでありますが、極力努力をして平準化していく。公立以外の私立のぜいたくな学校を望む父兄はそれは別でありますが、しからざるものは、公立高校に入った限りはどこの県の公立高校であろうとも、卒業すれば同一能力がつちかわれておるというような状況ができるようになれば、非常にこういう問題の解決の基礎にもなっていくのではないかというような点もおぼろげながら考えておるわけでございます。  それともう一つは、これだけ全国に国立大学ができておる。しかし、地元の県にある国立大学には入学しようとしないで、わざわざ非常に競争激甚な都会地の大学を目ざしてくる。これも間違った状態で、国立大学もこれだけ大学が、よかれあしかれいろいろな批判も考え方もありますが、存立する以上は、これらの国立大学が同一水準の内容を整えるように推進をしていく、これもやはり私は過度の競争というものをなくしていく一つの道ではないだろうかというようにも考えておりますが、まだまだそのほかに、さしあたり選抜試験はどうあるべきかとか、いろいろあると思うのです。ひとついろいろ識者の御意見、ことに山中先生のように教育問題については格別の情熱と見識を持っていらっしゃる方々に大いに意見を伺いまして、何とかこういう弊風を一掃するような社会状態をつくりたいというふうに考えておるわけでございます。
  152. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 進学制度を検討するということをお聞きしたいのです。
  153. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 もちろん進学制度につきましても、ひとつ十分に研究をいたしたいと思います。
  154. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 私は、進学制度もというより、進学制度がすべてのきめ手になる。その中で社会に対する指導もできるし、あらゆるさか立ちした学校制度というものを正常の姿に持ってこれる唯一のきめ手だと私は思っておるので、御検討願いたいと思うのですよ。古い統計ですけれども、いまの試験制度の一発主義のやり方で見ますと、浪人と現役の入学率――これは古いですよ、三十五年で、あとはその後またどう経過しておるか知らぬですが、東大の場合には、浪人には一浪、二浪、三浪と称して変な名前まで出ておるけれども、一年浪人は四四・七%が合格、現役が三九・四%、二年以上の浪人が一五・九%、とすると大体六〇%以上が浪人でなければ入れないという。そんなばかな試験制度はないでしょう。過半数が浪人でなければ入れないというなら、高等学校教育自体も問題であり、大学の入学制度そのものが問題である。早稲由大学においても一年浪人が四一・九%で、二年以上の浪人が二二・六%、これも六五%くらいが浪人なんです。これを捨てておくという教育政策はないと思うのです。  そして、さらに私が遺憾に思うのは、浪人というのは豊かな中産階級であって、予備校に行けるような、行けなくても家でふらふらしておれるような青年に限るので、この浪人というのは何の意味があるかということが問題です。金があるから三回でも四回でも受けてある学校に行くということは、貧乏人の子供にはできない。浪人は、貧乏人の子供にとって何の縁もないことであると思うのです。そして浪人をしておるのを、ある調査で聞きますと、大体浪人生活のために一億七千万ぐらいの金が浪費されておるといっております。エネルギーの浪費、それから遊んでおるための年々一億七千万ぐらいの浪費、そしてそういう灰色の生活の中で、劣等感と優越感の中で人間が曲がっていく人もあるでしょう。そういうふうなことを含んで、これは全部進学制度の問題ですから、進学制度を中心として検討する段階にもうきているのだ。これはやはり文部省内にそういう機構を持ってやるべきだと思うのです。中教審の顔ぶれといいますと、七十ぐらいのおじいさんばかり集めてどうなるんですか。ほんとうにやるなら、もっと人を変えねばだめですよ。それは特に真剣に取り組んでもらいたいと思うのです。  次に、あまり一つに拘泥しないで早く終わりたいと思うのですが、私学問題についても、質問答弁というものは、私はそう質的に進んでおるとは思っていないのです。私は、私学問題については、まず一番の前提条件として、日本の大学というものはどの程度が妥当であるかという教育計画立場で、民族の発展を考えて、国はこれだけは大学、高等教育が必要であるという一つ教育計画を前提としなければ、大蔵省だって納得しないだろうし、それから一般の者も納得しないと思うのです。労働省が文部大臣に一応の大学の教育計画について希望というのか、意見を述べたことがありますね、それは私、新聞で見ました。それを見ると、同一年齢人口の二割に大学生はとどめてもらいたい。きっと職場の関係も検討してみたのでしょう。労働大臣文部大臣に申し出た。中村さんのときですか、その前ですか……。そういう一つの考えもあるので、佐藤総理大臣が二十一世紀の青少年に対する期待を持っているのなら、二十一世紀に向かった日本の教育体制をつくるならば、同一年齢人口で義務教育が一〇〇%、高等学校の中等教育をさすのが七五%、そして高等教育は二〇%、最高のタレント、ソ連、アメリカの宇宙開発の最高の科学技術の最も高い思想を持った者は大体五%ぐらい。そうして日本民族のおのおのが持っておる素質を最大限に発揚するというような教育ビジョンをお立てになって、国立、私立を含んで現在の大学が多いか少ないか、そういう中でこの問題を解消しなければならぬと思うのです。いま短大を含んで大体一五、六%ぐらいでしょう。労働省は二〇%は引き受けたというのですから、また百人同一年齢の人がおれば、二十人ぐらは高等教育を受けて、能力、努力に応じて国が責任を持って教育する、これが私は民族の能力を最大限に発揮する方法だと思うので、そういうものを前提として国立、私立の差別を捨てて、国が責任を持つ体制をおつくりになる、こういう行き方の中で経常費の問題も解消すべきだと私は思うのです。それをお考えにならないで、寄付金の問題であるとか、ある程度融資をどうするとか、百億どうするかというような問題で解決するはずはないと思うのですが、それは文部大臣はどうお考えになっているのか。前提として、大学教育計画問題として……。
  155. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 御指摘のように、大学教育も、もっと根本的な計画の上に立って企画をされ、進めらるべきであると思いますが、現段階では、高校生急増期から大学生急増期を迎えまして、その現状をどうさばくかということにきゅうきゅうとして今日に至ったのが現状であります。これに伴いまして、われわれとしましては、この急増期の山を越す時期において、高等教育のあり方というものについては根本的に恒久対策を立てるべき時期であるというように想定をいたしております次第で、御指摘のような点は十分に検討してまいりたいと思います。
  156. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 教育というのは、その民族の一人、一人の素質を最大限に発揚せしめるというのが一国の教育政策の目的だと思うのです。憲法に平和、民主、人権を掲げているのですから、平和、人権、民主の柱を持った日本民族共同体を目ざして堂々と教育政策をお立てになったらいいじゃないですか。大学教育はこれだけするのだ、専門学校を含んで同一年齢人口の二〇%は大学教育をする。大学は、東京とか大阪あたりは専門に大学院をつくって、それは国が全責任を持って、私大にまで背負わせないで、大学院の最高タレントは国が全責任を持つとか、何か手を打って、もっと希望のある政策をお立てになって、いまのように融資を百億多くするとか、寄付金がどうだとかいう段階を越えて、大学制度全体を検討する段階にきていると思うので、進学制度を含んでもっと雄大な一つ構想をお立てになるべきである。それは国会だってもう熟しておりますよ。おざなりな行き方ではなしに、一応御検討願いたいと思うのです。  これも東大の理学部の地質学教室の理学博士で、生越忠さん、私のよく知っている人ですが、この人たちもこのことを痛感しながら一つの試案を出したりして努力しているので、これも私は読ませていただきたいと思うのです。「現存の日本の一大学は、国立、私立を通じて、その基礎科学研究機関としての機能と、六・三・三・四の教育体系の頂点に位置する教育機関としてのそれとの調和がとれず、全般的にいって、その機能が麻痺してきている。国公私立大学の間に、また、同じ国立大学の中でも東大を筆頭とする旧帝大とその他の大学との間にきわめて大きな格差が存在する。この格差は明治以来の日本の社会の伝統である官学偏重、私学べっ視の風潮や東大万能主義にささえられて、年々、むしろ拡大していく傾向さえ出てきている。そして、このことが高校以下幼稚園に至るすべての教育の正常な姿をゆがめ、いわゆる有名校への深刻な入学難や越境入学などの好ましからぬ事態を引き起こし、あらゆる社会悪や社会悲劇を生む原因の一つにもなっている。国公私立大学問の制度的差別は、右に述べたように、官学偏重などの風潮を生んでいるほか、大学生の経済的負担や大学教職員の待遇に著しい差別をもたらしている。こうした差別は、戦前の日本の大学には見られなかったものである。特に最近の入試競争の激化に伴い、東大などの有名国立大学には、幼稚園のころから入試のための万端の準備をしてきた富裕家庭の子弟の入学率が高くなる一方、私立大学には、特殊の大学を除いて、経済的に貧困な家庭の子弟の入学率が高くなるという傾向が顕著にあらわれてきている。したがって、富裕家庭の子弟は授業料の安い国立大学に、貧困家庭の子弟は授業料の高い私立大学に多く入学するというさか立ちした現象が生じているだけでなく、貧困家庭は富裕家庭の子弟のための国立大学の運営費をも、税金の一部として二重に負担するというきわめて矛盾した結果を生むに至っているのである。」こういうふうな切実な――これは一つの分析として私は正しいと見ておるのです。国民の負担の公平ということ、税金の正当な使い方という意味からいって。また七〇%、私立大学の卒業生が社会的機能を負担をしておるということ、これは理屈なしに国立と私立は依然として違うという大蔵大臣とか大蔵省の伝統的な非合理的な考えなどを卒業さしてやらなければならぬ。いまの大臣の答弁のようなことではいかぬと思うのですよ。もっと熱情を持って、迫力を持って、自信を持って、閣議においてもそれを訴えるような姿勢でなければこの矛盾はなくならない。いまにますます貧乏人の子供教育の機会均等を喪失して、そうして優秀な能力を一〇〇%活用するという教育体制からどんどんと隔たっていくと私は思うのです。これは真剣に論議をすべきであり、おそらく国会の中でも与野党一致した挙党体制の中でこの解決をするだけの条件は熟しておる。私はそう確信をするので、もう少し高姿勢で文部大臣が提唱する立場をおとりにならないと、やはり責任を果たす立場にはならない。私はそう思うのです。この間、きのうきょうの質疑応答の中でも、文部省というものは欠くるものがたくさんある。文部省にまず主体性がない。厚生省かどこかからいわれて、村山委員が言ったように、高等学校生徒の献血ですか、ああいうものをただ引き受けて、そうして商品券をほうびにもらって、子供が疑問に思っている。それは子供を守るいわゆる文部省教育政策に主体性がないからこうなるのです。マスコミに対しても同じでしょう。また、文部省計画性がないから、量的拡大はできても、質的に教育の構造改革の姿勢が出ていない。そして一方にまた、小林委員から指摘されたけれども、どこかに民主化されていないものがある。やはり全体の姿勢を正して、その中で前向きの、民族の発展のため教育体制を確立するという高い姿勢というものを、文部大臣、もう出していただきたい。どの大臣がなってもこれを出していただかなければ、大臣の資格がないと思うのです。もうこの段階においては。その点を熱望いたしておきます。  どこかの姿に、来年度予算編成の中でそういうものが生まれてくることを私は期待するし、そういう予算編成の中にあらわれてくれば、国民はこぞって文部大臣及び文部省に対して賛意を表する。文部省廃止論なんか出はしません。切望いたします。  次に、青少年の問題について、私がどうしても提案したかったものが残っておるので、この機会に要望いたしたいと思うのです。現在、いなかに行きますと、教育委員会における社会教育関係、民間、行政を通じて、日曜日に社会教育行事をやるのです。あらゆる会合をやる。したがって、日曜日というものは逆に家庭から父親不在になり、おかあさんも婦人会その他へ行って、そして親子一緒になってお互いに語り合う家庭教育の場所というものが喪失をしておる。そこで、あらゆる行事をやらないで、親子夫婦が家の中でいろいろと語り合いできる日を設定するということは、祝祭日などを越えて――そんなへんてこな祝祭日は何のためにもならぬ。それをつくって、家庭教育の機会を与えるというふうな着想がなければならぬと思うのですよ。幸いに、鹿児島県から出発をした「家庭の日」というものは、鹿児島県が独自の立場で、知事が音頭をとってつくった「家庭の日」というものは、こういう社会教育文部省に自主的に取って、これを進めていくということが非常にいいんじゃないか。鹿児島の場合には、第三日曜日には、全県のパチンコ店からあるいはバー、それから飲食店、理髪、美容、すし屋その他というふうなものに対しても特別の措置をするように手配をしながら、動物園、遊園地も無料にするとか、そして親子一体になって、この機会だけはあらゆる公の行事を捨てて行けるように態勢をつくって、「家庭の日」をつくっておる。こういう行き方の中に青少年問題の解決があるので、総理府に、青少年問題協議会で国民運動を起こして、六十をこえたおじいさんが月に一回くらい連絡会議して国民運動なんて、これはちゃんちゃらおかしいと思うのです。そういうところに一千万の金を予算計上しておるならば、「家庭の日」をつくる中で二千万、三千万お使いになるほうが有効である。それは文部省の政策でできるんじゃないか。こういう「家庭の日」の設定について再検討していただいて、実施の方向に内部で構想を立ていただきたい。それはいかがですか。
  157. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 鹿児島県の「家庭の日」、第三日曜、これが実際にどういう成果をあげておるか、私もまだ詳しく事情をつまびらかにいたさないわけでありますが、最近では、商業関係でも、少なくとも週一回は休日を設けるような国民習慣になりつつある、というよりも大体その完成を見つつあるような現状のようでございますから、こういうようなことは非常にいい試みとして、研究すべき価値の高いものであると思います。ただ、これはやはり政府の号令でやるということよりは、鹿児島県のような実績が実を結んで、そして各府県が自主的にやられることが一番望ましいわけでありますが、しかし、ある程度の社会教育に関する指導助言は、文部省としても指導助言の権能がありますから、こういう文部省の本来の権能の範囲でできることは、ひとつ研究をいたしまして、そういう風習が全国的に生まれれば、これは非常にいいことだと思います。特に青少年の不良化ということは、やはり親子が団らんをする――ことに小さい子供であれば、子供学校から帰ってくるときには、親が外で集会その他があっても、時間には帰ってきて迎えてあげるというようなことも必要であるし、そのほか、毎日でも、できれば団らんの時間がほしいわけでありますが、それが職業その他の関係で怠りがちであるとするならば、何か、月のうちに一ぺんくらいそういう特設した日を設けるということはたいへん有意義なことだと思います。大いに鹿児島県ではやっておられるという話でありますから、その実績等を勉強いたしまして研究をいたしたいと思います。
  158. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 下からそういう一つの実例が出ておるので、下から盛り上がったものを上が取り上げるのが指導行政だと思うので、上からつくってじゃないですから、もう取り上げてしかるべき段階です。ことに、地方社会教育事業というのは日曜日にやるのですから、文部省責任ですよ、やらさないようにするのはできると思うのです。そうすると条件が整ってきて、少なくとも一カ月の日曜日のうち一日だけは父親は外に出なくてもいい、子供と遊べる、それで青少年問題はほとんど解決するんではないかと思うほど有効な行事であると思うので、奨励をする方針をとっていただきたいと思うのです。  次に、成人式の問題ですが、これは、いなかに行くと、女子にとっては、きれいな着物を着て虚栄心をそそるだけ。青年は、これから一ぱい酒を飲む習慣をつくる日、それだけです。おとなが一ぱい飲まして、きょうからもう飲んでいいのだ、こんなことはもう廃止すべきだと私は思っている。考えてみると、満二十才になったからというので、単なるお祝いなんで、教育意味がないんです。もうこれから何をしてもいいというような、おだてる日である。そして、政治家が成人おめでとうといって電報を打つにすぎない。こういうものでなくて、現在の刑法においても満十四才が刑事責任の発生する日だ。それから、日本の庶民生活の中に、満十四才というのは昔は元服という一つの庶民生酒の様式もあり、日本児童文化協会においても、二月四日の豆まきという庶民生活の様式に合わして、十四才を立春式というので、地域の者を自発的に集めて、これから責任が出るのでお互いに責任を持つ人間になろうというふうな、ほんとう意味教育的な日に有効に使われておる。新宿においても伊勢丹でことし立春式が行なわれたというようなことも書いておりますし、こういうものを取り上げて、そして、おだてる、虚栄心をつくる、酒を飲ます。そういう日になるような成人式をやめて、刑事責任能力というものが発生する十四才、むしろそれに切りかえてやる、こういうことが青少年対策だと私は思うのですが、これも御検討なさったらいかがですか。衆議院の場合は、祝祭日法案なんというのは内閣委員会にかかるが、われわれ教育政策などに熱心な者が何にもタッチをしない。参議院は文教へかかっている。そういうことで、タッチするときがひとつもない。そして、有名無実で、むしろ有害であって一利もないようなものもたくさんあります。変なものをおとながつくってくる、こういうことも検討されてしかるべきだと思うのですが、社会教育行事として、これを大臣、検討してください。御答弁を願います。
  159. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 研究してみます。
  160. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 大体これで終わります。終わりますが、一つだけ、質問の中で医学教育の問題が出ておりました。付属病院の無給医局員の問題、インターンの問題、医学教育についてはこの矛盾がもう極限に来ておると思うので、やはり大学教育の中の医学教育文部省が自主的に検討しなければならぬ段階に来ているのじゃないかと思うのです。これは、六年も七年も大学の教育を受けて、さらにインターンをしなければ医師の免状を与えられないということは、やはり教育政策の中で日本の場合は医師の専門的知識と一般国民の医学に対する無知の断層がこんなにあるからああなってくると思うんですよ。小中高の中で医学は教育課程の中に入れるべきだ。人間のいわゆる生命科学の問題ですから、お医者さんが患者に処方せんを書くときに、日本語で書かないでドイツ語で書いて、何書いているかわからぬようにして、スペルが間違っているかどうか、こっちはわからぬ。そうして神秘感を与えて、一方に国民は弔う医学的に無知に追い込まれてしまったような姿であるから、大学教育で、ほかの大学では四年でできるのに、お医者さんだけは六年かかってなおインターンをやらなければならぬという。私は、したがって、医学教育というものは日本の学校教育全体の中でこれを解決すべき問題だと思うのです。そういうことについて、いま教育課程の改善をやるということになっておるようですから、その基礎教育の中で、人間の生命学に関する一般の問題をやはりもっと教科課程に取り入れるべきだ。物理、化学からは人間はできないが、植物とか動物界の生命科学の中からは、人間、人生観もできると思う。その中でやはり医学常識をもっと一般国民は高める。高めれば、大学は四年で医者にできますよ。しかも、一番金のかかるコースなのですから、国立大学の卒業生は都市にしか就職しない。僻地の診療所には来ないのです。そういう矛盾もありますし、医師免状をもらっていないのに実際はアルバイトで診断をして、医師と同じように金を取って、医師法違反のままに自分のアルバイトをし、そうして、研究することができないままにインターン制度が矛盾きわまるものになっておる。医学教育問題も文部省責任において取り上げていただきたいと思います。  ほかの人々の質問の機会を多くつくるために最後に私残ったものですから、少し長くなりましたけれども、来年度予算編成の中でそういう方向をひとつ見出していただくように切望いたしまして、私の質疑を終わります。
  161. 井出一太郎

    井出主査 これにて文部省所管についての質疑は一応終了いたしました。  明二日は、午前十時より開会し、国会所管について質疑を行なうことといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時四十六分散会