○吉田賢一君 ただいま報告せられました
昭和三十九
年度一般会計、特別会計、
政府関係機関の決算等につきまして、民主社会党を代表して、若干御
質問申し上げたいのであります。
先刻の各
質問につきましては、勝澤君の分は、前半は同意見であります。また、押谷君の御
質問につきましても、われわれ決算
委員会の
審議の過程におきまして、全面的に同感であったのであります。そこで私は、別の角度からこの決算の諸問題につきまして御
質疑を試みたいのであります。
第一は、
総理もいま決算の重要性をイギリスあたりも引例して申され、また、事実そのように一般にもいわれるのでございますが、しかし、現実といたしましては、何しろ、国の収支のあと始末、二年ないし三年前の金の使い道のあと始末が実際決算でありまするので、重要ではあるけれ
ども、とんと興味がない。言うならば、まことに、これほどじみな
仕事はないのであります。したがいまして、予算におきましては、はなばなしい論戦が展開されますけれ
ども、決算
委員会は、御承知のとおりに、
委員会の
実情りょうりょうたるものであります。大臣が出てきて、行政責任としてとっちめられるような問題が起こっておるときには満員でありまするが、平素は一名ないし三名くらいが常態であります。このような、国会みずからが決算に対する態度まことに冷淡というのは、何でありましょうか。要するに、私は、第一の
問題点は、国会みずからが、憲法に
規定しておりまする
財政の監督権の行使につきまして、その地位につきまして、厳格に反省するということに出発をせねばならぬのではないかと
考えるのであります。(
拍手)そこで私は、一体これはどうすればいいのであろうか、これについて一、二提案をいたしまして、
総理大臣並びに
大蔵大臣の御所見を伺ってみたいのであります。
国会は、申すまでもなく、予算に出発して決算に終わるという、この
財政処理におきまして、一体三十九
年度の決算が四十一年に審査しなければならぬというようなこと、これを改めてはどうか。アメリカにおきましては、御承知のとおりに、連邦の会計検査庁が事件ごとに報告をいたしまして、そうして各常任
委員会におきましてこれを審査いたします。報告書によりますと、一九六四年におきましては、たとえば朝鮮に対する援助資金等の調査なんかは、相当十字火的な辛らつな
質疑等が行なわれたようでありますが、ともかくその年だけで、検査庁の報告を審査いたしました結果、連邦
国民が利益となったものは三億ドルにのぼるといわれるのであります。これは要するに、そのつどそのつど常時検査的にやるからであります。そこで、
わが国におきましても、二年ないし三年後にこれを国会が
審議するというのではなくして、常時検査的に国会に報告し、これを審査の対象にするということにしてはどうか。もちろん、それにつきましては、若干会計検査院法その他の
改正を必要といたしますが、ともかく、決算
重視ということを、国会の運営の上におきまして、また行政面におきまして、また、その目的からいたしまして、これを明らかにする道は、常時検査的な体制を国会みずからがとるほかはないと思います。そこで、随時に審査し得る制度に切りかえてはどうか。要するに早期検査であります。この点につきまして
総理大臣の御所見を伺いたい。これ以外に手がないと私は思っております。
それからいま一つは、ここだけの問答に終わらずして、厳重に、決算の結果は、翌年の予算編成、次に来たるべき予算編成にこれを反映せしむるということを実行すべきであります。そこで、大体そのような方針である、決算の結果、検査院の意見を尊重するというのが、いまの
大蔵大臣の答弁でありますけれ
ども、しからば、
昭和四十一
年度予算において、
昭和三十九年あるいはまた四十年、その前々年からの問題でありますけれ
ども、国会において幾多の問題が指摘せられまして、各省の予算執行に対する
批判、
改善意見等が述べられているが、はたして、どのような角度で、どのような
程度で、どんな内容でこれを予算に反映せしめたのであるか。でき得べくんば、その実績を具体的に御
説明願いたいのであります。
これは要するに、国会の立場に対する重大な反省をわれわれみずから求めつつ、
内閣の行政とともに責任を分かって国の
財政を担当していこうというためであります。
第二の
問題点は、会計検査院の権限尊重の問題であります。これまた憲法上明確であります。検査院法第一条によりましても、
内閣に対し独立するということが明確になっておりますので、これはまた議論のないところのようでありますけれ
ども、現実におきましてははたしてどうか、こういう問題であります。行政に独立というのは一体何を
意味するのであろうか。憲法は立法、司法、行政、三権分立というのが、憲法学者の通説であります。はたして検査院の権限というのは第四権になるのであろうかどうか、この点については統一した見解は学者にはないようでありまするけれ
ども、しかし、異例なことには、憲法上明確に検査院の地位を保護しておる。さらにまた、検査院法において、
内閣に対し独立するということを明記しておる。あるいはまた、第九十回帝国議会の貴族院の憲法
改正特別
委員会における当時の金森
国務大臣の答弁によりましても、検査院は行
政府に独立するということを明確に答弁いたしておるのであります。等々、憲法制定の経過の事情にかんがみまして、私は、検査院の地位というものを品も
重視すべきものであろうと
考えるのであります。私は、本日この席に検査院長の出席を要求したのでありまするが、法律上不可能とかなんとかいうような見解のもとに、議運ではこれを採用しなかったらしいのであります。私は、国会に対しまして独立するという検査院は
考えておりません。しかし、行政に対する独立の検査院は、同時に、国会に対しましては、行政と同じような立場において協力し得るような道を開かねばならぬ。ゆえに、この点につきましての法律の
改正が必要であるならば、
改正すればいいのであります。検査院長が当院に出席いたしまして、そして
国民の代表の前に検査院の意見、検査の過程、結論等々についてこれを報告するということは、憲法の条章の
趣旨を恪順するゆえんでないかと思うのでありまするが、
総理大臣の御所見はいかがでありますか。(
拍手)
第三番目には、これは行
政府の態度であります。
政府の態度であります。これは私
ども表裏一体の関係におきまして、決算
審議上まことに重要な点であろうと
考えるのであります。第一、
大蔵省は、会計法四十六条によりまして、常時監査の権限を持っております。しかしながら、実績によりますと、
昭和三十三年ごろからほとんどこれを行なっておらない。
昭和三十八年、九年は全然検査を行なっておらぬのであります。一体その
理由いかん。
大蔵大臣の明答を求めたい。法律を無視するのではないか。
また、行政管理庁は、行政の面から行政の実態、運営につきまして常時監査をしつつあります。また、検査院は、
さきに申しましたごとくに、これまた常時検査の方法があって、千五百人の職員を動員して膨大なマンモス行政と取り組んでおります。なかなか手が届かぬらしい。そこで私は、行政部門の立場といたしましてこの国の膨大なる予算の執行の問題について検査、監査、監督といったようなことを、これらのそれぞれの機関が横の連絡をとりつつ総合的に運営していくという必要がないか。一つは休止しておる、一つは大き過ぎて手が回りかねる、一つは行政一本でやる、これが大蔵、検査院、行管の三者の立場であります。いずれもこれらをお互いに調整、総合いたしまして、横の連絡をとりつつ予算の執行に対しましてその適正を期し、効率的な執行を慫慂するというふうに持っていかねばなるまいと思うのでありまするが、とかく日本の行政の運営というものはばらばら行政でありまして、横の連絡調整が欠けておるということは、これは臨調の
答申の結果をまつまでもなく、全
国民の常識的に身をもって体験をするところであります。ゆえに、この角度からいたしまして、これらの三機関がそれぞれ常時横の連絡をいたしまして、そして
財政執行につきまして十分なる監督の実をあげていくということが必要ではないか、これに対する
総理並びに
大蔵大臣の御所見を伺いたいのであります。
次は、補助金の問題であります。少し具体的の議論を展開してみたいと思います。以上は一般論でございましたが、具体的な問題といたしまして、決算の角度から
考えましたときに、
わが国の
財政に対する
批判、
わが国の
財政に対する疑問というものは山積いたしております。しかし、この本
会議におきましては、その時間もないことでありまするから、二、三の点だけを指摘いたしまして、重要と思われる点を御答弁願いたいのであります。
補助金の問題であります。補助金はあらゆる名目によりまして、あるいは交付金あるいは
負担金、その他等々、要するに、何らの反対給付なくして国から給付金を受けるというのが補助金であります。かかる補助金というものが一体どういうふうになっておるのでありましょうか。まことにこれは重大な
傾向にあることをわれわれは指摘しなくちゃならぬのであります。試みにここに
数字をあげてみますると、三十九年には、七百六十六日で、八千九百四十六億円、一般会計であります。同時にまた、四十年は、一兆八百四十億円、四十一
年度は、さらに上回りまして、一兆二千七十六億円という多額の予算が計上されております。臨調の報告によりましても、
昭和三十八
年度一般会計、特別会計、
政府関係機関等の補助金を総合いたしますると、一兆五千八百七十九億円ということになるのであります。まことに膨大な
数字であります。
わが国の
財政における補助金のウエートは実に大きい。種々さまざまの要請から補助金の
需要が出ておることは、いまさら申すまでもありません。しかしながら、池田
内閣以来、補助金整理に関しましては、すでに膨大なる
答申が出ております。しかし、これに対しまして、具体的な、一貫した総合した補助金対策というものが、いまだ行
政府からは示されておらぬのであります。まことに遺憾であります。これらに対する一般的な態度いかんということを、
総理に承りたいのであります。あるいはこの点は
大蔵大臣でもよろしゅうございます。
そこで、いろんな問題があると思いまするが、私
どもは、この補助金問題につきましては、臨調がかなり詳細な
答申をいたしておりまするので、原則的にはそれらをあるいは採用すべきだと思いまするが、いずれにいたしましても、この補助金なるものがはたして効率的にほんとうに使用されておるのであろうかどうか。あるいはまた、補助金が効率的に使用されない、検査院は、毎年のごとく、膨大なる項目の補助金の不正、不当を指摘するのであります。なぜでありましょうか。原因はいろいろありましょうけれ
ども、たとえば補助金を交付する時期が誤っておる。おそくて困る。おそければ、
効果、効率が半減するということもいわれるのであります。あるいはまた、名目補助金というものがあります。百万円もらうために八十万円使っても、その村長さんは名村長になるというのであります。というような風潮が
国民的な背景をなしておるということも、われわれは見のがすわけにはまいらぬのであります。
もう一つは、御承知のとおりに、この膨大なる補助金はその手続がなかなかむずかしいのであります。手続が煩瑣なのであります。煩瑣な手続を経てやるということが、とかく効率を阻害する遠因になることは、申すまでもないのであります。
こういったようなことをあれこれと
考えてみましたときに、私
どもは、補助金制度につきましては、ほんとうに取り組んでいかねばならぬと思うのであります。たとえば補助金を交付するときにおきましても、補助金を受ける地方公共団体におきましては、それはあらゆる施策、行政を行なっていかねばなりませんので、どうすれば適当な時期に補助金が受けられるか。また、補助金を更けることにつきまして、地方行政団体が、交付税あるいは特に特別交付税につきましては、もっと明確にこれが種類等を明らかにすることが必要ではないであろうか。一体補助金の項目を見てみますると、実に種々雑多でございます。八百、九百という補助金を、私も一ぺん、これはどんなものだろうと思って見たのでありますが、実にそれは何とも言えぬほどいろいろな名前が使ってあります。要するに、補助金というものの本性をもっと明確にし、その範疇、その概念を明確にし、そのものさしを明らかにするということが必要でないかと思うのであります。こういう点につきまして、便宜的ないろいろな名前を用い、いろいろと行なわれておりまするけれ
ども、時期を誤らないこと、そしてまた、その規範を明確にすること、概念、範疇を明らかにするといったようなことが一つは前提になって、なるべく簡易、簡便にこれを与える、あるいはまた、これを定額化する。必要なものは定額化すればよろしい、一々煩瑣な手続は要らぬのであります。あるいはまた、無用なもの、非効率のもの、そういったものはどんどん切っていったらいいのであります。
かくして、私は、補助金問題につきましては、一兆五千億円という膨大なる
国民の血税を使っておるということを
考えてみまして、この段階におきましては、真剣に取り組んでいくというきわめて大きな課題であって、この次の年からは補助金問題についてあのたくさんな検査院の批難指摘
事項なからしめるように
期待せざるを得ないので、この点に対する
総理並びに
大蔵大臣の御所見を伺っておきたいのであります。
第五番目には、国有未利用資源の問題であります。この点は行管が三十八年に指摘いたしました。行管の指摘によりますと、国有
財産の未利用のもの、これが、何と皆さん、公簿
計算が二百四十一億円に達するのであります。公簿
価格でありまするので、不動産時価にいたしますると三倍以上であります。三倍以上の国有
財産が未利用のまま放置されておるというのが、普通
財産管理の実態であります。普通
財産の管理はとかくなおざりにされておるということは、長い間幾たびか国会におきまして決算
委員会で指摘されたのでございまするが、この際、私
どもは、このような膨大なる未利用不動産の普通
財産がもっと有効に、ほんとうにこれが
国民のものであるとするならば、
総理のいわく、
国民のものであるとするならば、適切に効率的にこれを活用し、あるいはまた処分をしてはいかがか。これを保管するものは、処分をすることはとかく遠慮します。そういうようなことではなしに、積極的な態勢で取り組む必要はないか。
さらにまた、公社、公団におきましても、未利用ないしは不要の多くの
財産を持っておるのでございまするが、こういった点につきましても、行管は進んで調査の対象に取り入れてはいかがか。
私は、これらの諸問題は、
わが国の国家の一般会計その他の
財源確保の観点からいたしましても、重要視すべき案件であろうと思うのであります。七千三百億円の
公債発行は、とかく異常なる一種の
財政方針になりましたが、こういうときに、このような膨大なる未利用普通
財産があるということに目を見開くということは、これはほんとうに決算を
重視すべき
国民の立場でなければなりません。