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1966-06-21 第51回国会 衆議院 法務委員会 第47号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年六月二十一日(火曜日)    午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 大久保武雄君    理事 上村千一郎君 理事 大竹 太郎君    理事 小島 徹三君 理事 濱田 幸雄君    理事 井伊 誠一君 理事 坂本 泰良君       鍛冶 良作君    唐澤 俊樹君       四宮 久吉君    田中伊三次君       千葉 三郎君    馬場 元治君       濱野 清吾君    早川  崇君       横山 利秋君  出席国務大臣         法 務 大 臣 石井光次郎君  出席政府委員         法務政務次官  山本 利壽君         検     事         (刑事局長)  津田  實君         検     事         (矯正局長)  布施  健君         厚 生 技 官         (医務局長)  若松 栄一君  委員外出席者         警  視  長         (警察庁交通局         交通企画課長) 片岡  誠君         警  視  長         (警察庁交通局         運転免許課長) 丸山  昂君         専  門  員 高橋 勝好君     ————————————— 六月二十一日  委員森下元晴君辞任につき、その補欠として鍛  冶良作君が議長指名委員に選任された。 同日  委員鍛冶良作辞任につき、その補欠として森  下元晴君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 六月二十日  ベトナム中央歌舞団日本公演実現に関する請  願外二件(赤松勇紹介)(第五五一六号)  同外五件(岡田春夫紹介)(第五五一七号)  同外五件(黒田壽男紹介)(第五五一八号)  同外二件(河野密紹介)(第五五一九号)  同外三件(鈴木茂三郎紹介)(第五五二〇  号)  同外三件(戸叶里子紹介)(第五五二一号)  同外四件(原彪紹介)(第五五二二号)  同(帆足計紹介)(第五五二三号)  同外六件(穗積七郎紹介)(第五五二四号)  同外三件(細迫兼光紹介)(第五五二五号)  同外三件(松浦定義紹介)(第五五二六号)  同外二件(山花秀雄紹介)(第五五二七号)  同外五件(石野久男紹介)(第五六五四号)  同外三件(坂本泰良紹介)(第五六五五号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  刑法の一部を改正する法律案内閣提出第三八  号)      ————◇—————
  2. 大久保武雄

    ○大久保委員長 これより会議を開きます。  刑法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑申し出がありますので、これを許します。大竹太郎君。
  3. 大竹太郎

    大竹委員 いろいろ御質問申し上げたいことがあるのでありますが、時間もございませんので、簡単に御質問いたしたいと思います。  まず総括的な問題として一点だけ、次官も見えておりますので、次官にお尋ねをしたいと思います。  ついこの間のテレビでございますかが報じるところによりますと、ことしになってから交通事故で死亡した者がすでに六千人を突破したということでございまして、おそらくことしはいままでにない交通事故による死亡者の新レコードをつくるだろうということがいわれております。政府におかれましてもいろいろこれに対しては対策を立てていられるようでありまして、もちろんこの刑法改正なんかもその一環でありますが、たとえば交通安全国民会議でありますとか、そのほかいろいろのことをやっておられるのでありますが、いま申し上げましたように、率直に申し上げてあまり効果が上がってない。逐年この交通事故による死傷者がふえておるということでありますので、この際、政府考えておられる——いままでおとりになっている施策というものは大体承知しているつもりでありますが、このままで一体いいのかどうか、今後一体どういうようなことを考えてこれに対処しようとしていられるのかというようなことを、これはなかなか広範囲にわたる問題でありますが、ひとつ政府考え、決意というものをこの際御説明をいただきたいと思うわけであります。
  4. 山本利壽

    山本(利)政府委員 仰せのように、最近非常に交通事故がふえてまいりました。これはやはり自動車とか単車とか、そういったようなものを利用する度合いが、社会の経済状態発展に伴い、また文化生活発展に伴ってふえるということが大きな原因であると思うのでございます。それに対しては、やはり政府としては今後ますます道路、橋梁その他の改良につとめるという点も非常に大切なことでありますし、またゴーストップの信号機の整備であるとか、あるいは踏切におけるところの遮断機、あるいは踏切番の増員であるとか、そういったようなことは、それぞれ建設省、あるいは運輸省等におきましても逐次力を入れておられるようでございます。  それで、警察関係におきましても、さらにこれらの事故の非常に多くが運転者、あるいは通行者の不注意によることも非常に多いと思いますから、それに対しての注意を喚起することが大切であると考えまして、それぞれの機関を督励しておるわけでございますが、今回御審議をお願いしておりますところの刑法の一部改正も、これに重大なる関係がございまして、いろいろ過失とはいえ、少し注意をしたならばその過失を防ぎ得るというような場合が非常に多いのであります。そのわずかの注意を怠って人命に損傷を与えるというようなことがないように努力したいのでございますから、その一端として、やはり現在までのところは「三年以下ノ禁錮」といったようになっておりますのを、「五年以下ノ懲役クハ禁錮」ということに今度の改正法案で改めておるわけでございますが、これも過失を犯した者の情状によりましてその刑量はきめられるべきものでございまして、五年にしたから片っ端から五年の刑を科するというわけではございませんけれども、このことによってその自動車運転せられる、あるいは交通機関に携わる者の慎重度を非常に加えるのではなかろうかということが一つの主眼であるわけでございます。
  5. 大竹太郎

    大竹委員 ただいまのお答えについては、いろいろまだ御質問を申し上げたいことがあるわけでございますが、時間もございませんので省略をいたしまして、次に御質問を申し上げたいのでありますが、私、この事故対策には二つあると思うのであります。  この刑法改正なんかを含めまして、やはり運転者その者に対する対策と、それからまたいまの御説明にもありましたように、この事故の中では、運転者責任における事故でなくて、たとえば道路が悪かったとか、あるいは歩行者が不注意であったとかいうようなものに対する対策と、二つあると思うのでありますが、今度のこの刑法改正は、運転者その者に対する対策というような面からいたしまして、御質問もこの運転者その者に対する対策という点にしぼって若干御質問をいたしたいと思うのであります。  まず第一に、やはりこの運転者ということになりますと、現在の運転免許制度についての検討をまずやってみる必要があるんじゃないかとも思うのでありますが、現在、たしかこの運転免許指定自動車教習所と申しますか、ここで実技の免状を得て、今度は学科の試験を県の公安委員会でありますかがやるのと、また一般県がやっております試験に合格した者に対して免許を与えるという二つの制度があると思うのでありますが、特にこの指定自動車教習所制度につきましてはいろいろ問題があるようでございまして、まず第一に、この自動車運転免許制度概況、どういうようなぐあいにして免許を与えているかという——これはもちろん県によって私の聞いているところでは多少違っているようにも思うのでありますが、国のほうにおいてこれをどういうように統一していられるかというようなこと、またその内容についてまず御説明をいただきたいと思います。
  6. 丸山昂

    丸山説明員 ただいま御質問のございました指定自動車教習所制度についての概況を御説明申し上げたいと存じます。  ただいま全国指定自動車教習所指定を受けておりますのが一千八十五ございます。年間、この教習所を卒業いたしまして免許を受けております者が、昨年度の統計によりますと、全合格者が二百四十六万五千九百七十九人、このうち教習所の卒業生が百八十七万六千二百四十六人、率にいたしまして七六・一%という状況でございます。この内訳を申し上げますと、大型につきましては五四・一%、それから普通がかなり高くて八三・六%、それから軽自動車が五五・一%という状況でございます。  県によって多少の差異があるという御指摘があるのでございますが、私どもできるだけ県の教育水準を均一にするように指導監督を行なっておりますが、最近やや指定自動車教習所の数が多過ぎるというような関係から、教習内容について必ずしも適切な運営がなされておらないというような点もございまして、確かに御指摘のような問題もあると思いますので、できるだけ各県の差をなくすように指導いたしたいと存じておるところでございます。
  7. 大竹太郎

    大竹委員 次に御質問申し上げたいのでありますが、これはこの前の国会で刑法改正審議されましたときにも私のほうから御質問を申し上げたと思うのでありますが、一番教習所で問題になりますことは、やはり技術習得させるというような問題ももちろん一番大事なことでありますけれども、やはりそれと同時に、精神的な面も非常に大事だと思うのでありまして、たしかこの前問題になりましたときに私御質問したら、その質問に対して、事故を一つ一つ検討してみると、技術が未熟であるとか、あるいは法規をよく知ってなかったということによる事故よりも、むしろ知っておってもこれを守るという精神的な要素が欠けておるために事故が起きる率が多いという御答弁も、実はたしかいただいたと思うのであります。そういうような面から見ましても、何とかそういう精神的な面を——これは教えるというものではないかもしれませんけれども、何とかそういう面をしっかり教習所において身につけるように、指導といいますか、そういう面も今後力を入れてもらいたいということを御要望申し上げておったのであります。それらのことが教習所においてその後どういうように取り入れられているかというようなことについて、ちょっとお伺いいたしたいと思います。
  8. 丸山昂

    丸山説明員 ただいまの御質問に対しましてお答えいたします。  ただいまの御指摘のとおり、本人の教養につきまして、特に精神的な面に重点を置かなければならないということは、非常に重要なことでございます。ただいまの実際の運用を見ますと、教習所の入校、それから卒業のときに、教習所の所長、あるいは責任者が、よくこの面についての訓育をするということになっております。また、法令講習の際には、ただ単に法令の知識を植えつけるということでなくて、その法令が定められた基盤である社会的な要請をよく納得させるというようなことに重点を置いておるわけでございます。ただ、これではまだ十分でないと考えておりますので、技能の習得も、ただ単に技術的なことを覚えるということにとどまらず、技術が上達すればいわゆる運転マナーもよくなるということで、運転マナー技術習得をうまくかみ合わせた方式を考えるべきではないかというふうに考えておるところでございます。
  9. 大竹太郎

    大竹委員 次に、やはり非常に重要な問題になるのでありますが、もちろんいまの交通道徳その他を習得させるということも大事でありますが、先天的に精神的に自動車運転者として不適格な——特にその人間人間的にどうということではなくて、精神的に自動車運転者に不適当という人間——もちろん精神的な欠陥があれば当然でございますが、そうでないにしても、精神的に自動車運転者として不適格な人間があると私は思うわけであります。たしかこの前に御質問したときには、いまいろいろ考えておるので、機械その他を使って精神的——何といいますか、私は医者のほうのことばが、その術語はわからないのでありますが、そういう機械によってこの精神的な欠陥を見出す、あまり金をかけないでそういうことを発見する機械考えておるというお話があったのでありますが、そのほうは一体どうなっておりますか。
  10. 丸山昂

    丸山説明員 昨年の九月に法律改正がありました際に、各府県臨時適性検査場を設置いたしまして、道交法違反、あるいは事故を起こしました者について、本人申し出により適性検査を実施いたしまして、不適格者を排除するという制度ができたわけでございます。まだ現実に各府県ともこの体制が整ったわけではございませんが、逐次そういう体制に移行しつつあるわけでございます。ここで問題になりますのは、あくまでも本人自由意思ということでございまして、強制的に適性検査を実施するというたてまえにはなっておりません。本人申し出た場合に、そこでごく簡単な検査でございますが、一応行ないまして、あとは精神医学専門家に正確な判断をしていただくというたてまえになっております。
  11. 大竹太郎

    大竹委員 いまのお答えで私納得できない点があるのでありますが、本人が、自分はちょっと頭のぐあいがおかしいといって申し出たものを調べる。これはもちろん免許をやるのでありますから、自分がおかしいと思っているぐらいなのは当然調べなければならぬと思いますが、それでなくても、ことにいま免許をとりたいという者が非常にたくさんあるのでありますから、いろいろ手数がかかるというようなことで、全部が全部調べられないかもしれませんが、本人申し出たのを調べるというたてまえじゃなくて、全部を調べるというたてまえに当然しなければならないと私は思うわけであります。と申しますことは、私こまかいことはわかりませんが、実は私の会社でバスをやっておりますので、運転手をとりますときには会社としていろいろ調べるわけでありますが、いろいろ適性を調べる機械で調べますと、二種免許を持っておる人の中でも、その検査によって、これはとるのを差し控えなければならぬという人間相当出るということを聞いておるわけであります。もちろん会社としても、専門医を頼んで調べるのではないようでありますが、やはり簡単にそういうものが出る。しかし、そういう者にただ免許を与えないということは、その人の職業その他に関係することでありますから、国としてそういう者に一切免許を与えないのだということができるかどうか、その点は私は非常に疑問もあるわけでありますが、やはりこういうように事故が非常に問題になるような時点に立って考えた場合には、場合によってはもう少し、希望しない者も無理に検査する、そして多少でも疑問といいますか怪しいというのには免許を与えないというくらいにしなければ、ほんとう事故を少しでも少なくするという方向には持っていけないのじゃないかというふうに私は考えるのでありますが、それらについてどういうふうにお考えですか。
  12. 丸山昂

    丸山説明員 まずただいまのお話で、御案内のように現在道交法では、精神病者あるいはてんかん、アヘン中毒アルコール中毒というような特定の症状にある者につきまして、免許の不適格者免許を与えてはならない者ということになっております。最初に免許試験を実施いたしますときに、適正検査を実施するたてまえになっておるのでございます。しかしながら、実際問題といたしまして、個々の受験者について適性検査を実施するということが、現在の医学水準では相当の時間をかけなければわからないということから、場所によりますと、一日二千人以上の受験者を扱うような場所におきましては、これが事実問題として不可能であるということで、御案内のように身体的な条件、それから目の程度がどうであるかということを確かめる程度にとどまっておるわけでございます。そこで、こういった精神病者その他の問題につきましては、ただいま私どものほうで検討しておりますのは、受験の際に、こういう不適格者ではない、こういう病気にはかかっていないという医師の診断書を添付して受験の申請をするというような制度考えてみてはどうかということで、ただいま検討中でございます。  また先ほど、私説明が不十分で申しわけないのでございますが、県の適性検査場の際には、ただいま申し上げましたような精神病者と、それから精神病者ではないが、運転をするのに適格でない、妥当でないという者との二種類に分けて考えておるわけでございまして、前者については、先ほど申し上げましたように精神医専門家に見てもらう、あるいは嘱託にそういう方におっていただいて決断を下していただくということでございまして、その程度までに至らない者で運転をさせることが好ましくないという者につきましては、さらにそのどこに問題があるか、精神的な問題に欠陥があるか、あるいは技術上の問題に欠陥があるかというような点を検討いたしまして、技術的な問題については、御案内のように安全運転学校に入って、そこで改善措置を受けていただくということを考えておるわけでございます。不適格な者については、雇用関係にある場合には事業主体でその措置を講じていただくということを考えておるわけでございます。
  13. 大竹太郎

    大竹委員 それで、いまの問題でありますが、配付していただいた「警察の窓」という小冊子を読んでみますと、現にこの中に、精神的な欠陥があって入院している患者一万二千三百人の中で免許取得者が三百五人いたとされている資料が載っております。こういうふうなところから見ますと、私は医学のことはわかりませんが、免許証をとってからそういう欠陥が出てきた人間がないとも申されませんが、この中の相当の者は、やはり免許証をとるときに何らかあったものではないかというふうにも考えられてならないわけであります。こういうところから見ましても、免許証をやるときの検査が完全でないといいますか、お粗末だといっても私は差しつかえないのじゃないかと思うわけであります。こういうことは、事故を起こしてしまってから、よく調べてみたら実は精神的な欠陥があったのだ、——もちろん事故を起こせばよほどよくお調べになるでありましょうが、やはりその前に調べるという制度がなければならぬと思うわけであります。ことに、ついこの六月十七日の新聞でも、電車の安全地帯に乗り上げて大きな事故を起こした青年を調べてみたら、やはり精神的な欠陥があったというような記事もあるわけでありまして、これらについてもう少し今後、一口に言えば厳重にやるという方針を立てられて——手数がかかるからできないというだけのことでは、私は済まぬのじゃないかと思うのですが、ひとつそれらについてもう少し的確なお答えをいただきたい。
  14. 丸山昂

    丸山説明員 確かに御指摘のとおりでございまして、先ほど申し上げましたように、現在一般の新規の免許試験の場合には、実際の適性検査は非常に簡単なものを実施しておる状況でございまして、実際精密な検査を実施するということになりますと、かなりの時間をかけなければならないということになりますので、簡単な検査で一応精神病、あるいはその他の不適格者であるという容疑が出るかどうかという点につきまして、ただいま精神医学界の諸先生方にこの問題について御検討を願っておるところでございます。もしこれが可能になりますると、窓口で簡単なテストをいたしました場合に、一応の端緒が得られまして、それによって専門の先先方に見ていただいて、はっきりした結論を出していただくということが可能になるのではないかと思っておるわけでございます。  それから、先ほど申し上げましたように、免許を受けます際に、その病気でない、あるいはその病気であるというような意見の診断書をもって試験を受けていただくというようなことも、あわせて考えてまいりたいと思っておるわけでございます。
  15. 大竹太郎

    大竹委員 いま一つついでにお尋ねしておきたいのですが、いままでは事故を起こした者については、各府県におきまして、たしか講習という名前を使っておるかと思うのでありますが、講習を受ける。しかし、たしかこの講習任意制だったと思うのでありまして、そのまま講習を受けなくても、一定の期間たてば、またハンドルを持てるというたしか制度になっていると思うのでありますが、私はやはりこの講習義務制といいますか、強制的にやっていただくべきものだと思うのでありまして、そういう講習を受けると同時に、いまの精神病的な面というか、そういうときによく調査していただけばいいし、また交通道徳を守らぬような精神的にだらな人間に対しては、そういう面の教育もしていただければよろしいし、そういう機会にこそ、ほんとうに再教育を施すべきものだ、また施せばきっと私は効果もあると思うのでありますが、それらについて、現在の実情並びに今後のお考えを伺いたい。
  16. 丸山昂

    丸山説明員 ただいまお話しのございました安全運転学校と申しております違反者の再教育機関でございますが、昨年の九月の法律改正以後各府県にそれぞれこういう施設ができまして、違反を起こした者、あるいは事故を起こした者につきまして、それぞれ短期、中期、長期の三つの分類を行ないまして、講習を実施しておるわけでございます。この講習は、これに参加いたしますと行政処分の停止の期間が若干短縮になるということになっております関係もあるかと思いますが、それ以前の制度に比べますと、受講率は比較的よろしいようでございます。やや古くて恐縮でございますが、昨年の九月から十二月末日までの統計によりますと、全国受講率の平均が六六%でございます。これはそれ以前に行ないました同種の講習があるわけでございますが、これが五三・一%でございまして、約一三%程度上昇をしております。それからこの受講率は逐次上昇傾向を示しており、一番高い受講率を示しておりますのは、八六・一%というようなところもあるわけでございます。確かに御指摘のように、すべての違反者がこの講習を受けることが望ましいのでございますが、いろいろ問題もございまして、現在はこのような任意制という形をとっておるわけでございますが、十分今後も検討していかなければならないと存じております。
  17. 大竹太郎

    大竹委員 まだいろいろ免許制度その他について御質問もいたしたいのでありますが、時間もございませんので、次には条文そのものについて若干質疑をいたしたいと思います。  やはり一番問題になりますのは、過失犯にいわゆる懲役、しかも五年以下の懲役ということで相当重い刑を刑罰として加えるということが、刑法全体の過失犯に対する観念を変えるということ、それから刑罰の体系を変えるということが一番の問題だと思うわけです。この前に審議をいたしましたときには、未必の故意というものと紙一重というようなこともあり、この点裁判段階において立証することがなかなかむずかしいといったような御説明もあったかと思うのでありますが、しかしむずかしいからといって、今度は過失のほうで刑罰を重くして、そのほうに乗りかえるということも、理論的にはやはり当たらぬというようにも考えられるわけであります。もちろん未必の故意ということで、殺人罪そのもので起訴に踏み切られた案件も、その当時からあったように思うのでありますが、それらの事件はその後一体どうなっておるかというようなこともあわせてひとつ御説明をいただきたいと思うわけであります。
  18. 津田實

    津田政府委員 過失犯懲役刑選択刑として設けることにつきまして、ただいまの御質問はまことにごもっともであると思うのであります。そこでこれは前回の御審議の際にも御説明申し上げたわけでございますが、ただいま御指摘のように、未必の故意紙一重の事犯が相当出てきておるということは、すでに御承知のとおりでございます。たとえば相当量の飲酒をした上で、いわゆる酒に酔っての運転、これは正常な運転ができないということは重々わかっておると思われる点、それから運転技術が非常に未熟である者の無免許運転、これもやはり正常な運転ができないという認識はあるわけであります。あるいは都市部分等をはなはだしい高速度、すなわち制限速度を数十キロ、オーバーするような速度で運転するというようなことも、危険を全く意識しないはずはないというような運転、かような運転の事例が、このごろ新聞紙上でしばしば報道されておりますし、現実の事件としても相当数出てまいってきておるわけであります。  そこで、さようなものはそれじゃ未必の故意ではないかということでありますが、故意と申しますのは、御承知のとおりやはり意識内容の問題でありまして、本人が自白をいたしますれば別でございますけれども、本人が自白をしない場合には、外的にはやはり推測と申しますか、推定をして、証拠の正当な判断、ある程度の推定を加えて認定する以外には方法はないわけでありまして、ある程度の証拠によりまして、はたしてこれが認定できるかどうかという問題は非常にむずかしい問題に属するわけであります。  そこで、さような点を考えます場合におきまして、いま申し上げましたような事例は、はなはだしい社会的非難を買うべき事犯である、しかしながら、それが本人の自白等がなければ故意犯と認めることができない、あるいは故意犯として取り扱うことについては、証拠上相当の問題があるというようなことがしばしば出てまいっております。もとより、合理的な推定をすれば、当然故意犯としてもよろしいとも言えるわけでありますけれども、現在の裁判の実際におきましては、かような点までは踏み切っておらないのが実情であります。  そこで、それではさようなものをいかにして非難をし、いかにして再犯を防止するかということになりますと、これはやはり過失犯の範疇において刑を上げるより方法はない。しかも、さような社会的非難の対象となるべき事項は、実質的には、過失犯として結果の予見に意識がなかったということだけで、それじゃ禁錮というような刑で非難してよいのかと申しますと、先ほど申しましたように、きわめて軽度の注意を払えば事故発生が当然わかるわけでありまして、そういう意味におきまして、これは高度の非難に値するということで、やはりものによっては懲役を科する必要があるのじゃなかろうかということから、かような改正を御提案申し上げた次第でございまして、御承知のように、すでに公表されております改正刑法準備草案におきましてもこれと同じ規定を設けておるわけでございます。  なお、未必の故意といたしまして故意犯として取り扱いました事例につきましては、前国会に資料として差し出しておりまして、今回はまだ新しく整理いたしておりませんので、御提出申し上げてないかと存じますが、事例としては、少数の事例でございますが、最高裁判所までいってもやはり故意犯として認められたというものもあるわけでございます。
  19. 大竹太郎

    大竹委員 次に、やはり刑の均衡の問題からでありますが、自由刑のほうはいま五年の懲役禁錮まで上げられたのですが、罰金のほうは上げないということになりますと、ほかの過失犯、ことに失火の問題その他の問題から見て、非常に均衡を失しているのじゃないかという問題も考えられるわけでありますが、その点についてはどうお考えになりますか。
  20. 津田實

    津田政府委員 御承知のとおり、ただいま御指摘がございました失火罪につきましては、罰金刑は十五万円——これは罰金等臨時措置法の適用をいたしました場合において、十五万円ということになっております。今回の改正案の業務上過失並びに重過失につきましては、依然として罰金五万円、これは罰金等の適用上でありますが、据え置いておるという点であります。この点は、法制審議会におきましても論議がございましたわけでありまして、罰金刑も上げるべきではないかということも意見がございました。しかしながら、今回の立法の趣旨が、ただいま申し上げましたように、未必の故意に匹敵するようなきわめて悪質な事犯に対する量刑を引き上げようということでありまして、現在、統計にも示しておりますように、ある程度いまの禁錮三年のいわゆる頭打ちケースというのが出てまいっております。そこで、その頭打ちケースでもまかない切れないような悪質なものというのを対象にしておるわけであります。ところが、一般にたくさん起こりますところの業務上過失事件につきましては、それぞれ情状は、別に特段にそういう事件の情状が悪くなっている、したがって、そういう事件についても重く罰しなければならぬというような緊急性というのは出てきておらない。そういたしますと、かりに罰金刑を引き上げますと、罰金段階で処分すべき業務上過失あるいは重過失についての刑が、勢い上がるのではないかというようなことも考えられますので、その点は、今回の立法趣旨に照らせば、かえって据え置くべきであるという意見が有力になりまして、据え置くということに私どももきめておるわけでございます。  なお、業務上失火の場合の基本的な刑法の規定している罰金刑がすでに高い事実は、やはり財産的な問題も加味して罰金刑を高くしておるということが考えられるわけでありまして、特に失火につきましては、賠償問題についても制限がございますので、さような点からかような規定になっておるものと考えますので、その比較は一般の人身事故関係とは少し違うというふうに考えております。
  21. 大竹太郎

    大竹委員 次にお尋ねしたいのでありますが、今度の改正で、業務上過失と重過失というものを五年の懲役禁錮というところまで引き上げたということからいたしますと、やはり業務上過失とそうでない過失、それから重過失とそれ以外の過失というものの観念を、やはりこの際はっきりさせておく必要がある。これはある程度判例その他によってはっきりしているようにも思うのでありますが、御承知のようにこういう、何といいますか、非常にいろいろの観念をもってすることは、とかく混同するおそれもあるので、重過失とそうでない過失というものを、四本立てでなくて二本立てにしたほうがいいんじゃないか、ことに外国の立法例その他にも、そういう例があるそうでありまして、そうしたほうがいいんじゃないかというような説もあるわけでありますので、この際この業務上の過失とそうでない、業務外の過失、重過失とまあ軽過失と申しますか、普通の過失と申しますか、そのものの定義とでも申しますか、それを一応お伺いしておきたいと思います。
  22. 津田實

    津田政府委員 「業務上必要ナル注意ヲ怠リ」という規定になっておりますが、この規定の考え方におきまするこの業務というのは、御承知のように判例によりますると、人が社会生活上の地位に基づいて継続して行なう行為であって、他人の生命、身体に危害を加えるおそれがあるもの、こういうふうな判例になっております。したがいまして、この業務は本来の業務であろうと、あるいは兼務であろうと、あるいは補助的、付随的な業務であろうと、それは問わないわけであります。またこれによって収入を得るとか得ないとかいうこととも関係がない、全く社会生活上の地位に基づいて継続して行えばよろしい、継続して行なうということでありましても、行なうという意思でやれば、第一回目でもなるというようなことは、従来学説上の通説でもあり、まあおおむね判例でもある。  そこで、なぜ業務上の過失を重く罰するかということなんでありますが、これはいろいろ議論があるところでありますが、まあ通説、判例の示すところによりますと、業務上過失致死傷というようなものは、一つの身分犯でありまして、行為の主体が業務者であるということによりまして、その者に対しましては、通常人よりも特別に重い注意義務を課せられておる、したがって、義務違反には重い責任が問われる、こういうことになっております。  そこで、なぜさようなことになっておるんであろうかと申しますると、やはり反復継続して行なう場合におきましては、当然相当注意義務を払い得る地位にあるにもかかわらず、さような注意義務を払わなかった。第一回と申しますか、単にたまたま一回行なったというふうな人より見れば、継続してやる意思で、あるいは継続して現にやっておる人につきましては、やはり相当注意義務は当然払われるべきものであり、また注意義務を払うべき、したがって、危険な業務を行なうチャンスは非常に多いというようなことから、さような人には重い注意義務を課するのが相当であるという判断に出ておると思うのであります。  ところが一方、この重過失の点につきましては、注意を怠る程度が非常に大きなものということでありまして、逆にいえば簡単な軽度の注意を払えば結果の発生を予見することができたというような、したがって、予見することができたからそれを防止する他の措置に出ることができたはずであるのに、さような軽度の注意すらしなかった。そこにおいて、軽度の注意すらしないで危険な行為をするということにおいて、本人責任は重大であるという考え方でありまして、一方は、この責任注意程度からきている問題であるわけであります。もちろん業務者の場合も注意程度からくるわけでありまするけれども、それはその身分からいって、当然さような程度注意を払う必要がある、こういう観念から出ておるわけでありまして、もちろんその両者を一本にするという考え方も理論的には成立するわけでありますけれども、長い年月にわたりましてわが刑法がかような立場をとっておりますので、この問題はさらに刑法改正の問題において議論するというのが学説であります。当面本改正といたしましては、ただいまのような改正をして、従来の考え方を踏襲するのが相当であるという結論を出した次第であります。
  23. 大竹太郎

    大竹委員 次に、本改正についてよく問題になる点でありますが、この改正自動車事故を主として目的にしたものであり、しかも悪質な酔っぱらいとか、あるいは無免許、あるいは無謀なスピード違反というものを主たる目的としてこの改正がなされたのだからというようなことからいたしまして、特に鉄道、それから船、飛行機というような、ほかの運転関係している者の立場として、自動車を目的としておるのなら道路交通法に酔っぱらい運転、あるいはスピード違反というものが、それぞれ処罰の対象になっているんだから、その結果として引き起こした過失傷害というものは、一口に言えば結果的加重犯として取り扱ってくれればそれでいい。一口に言えば、刑法で十ぱ一からげにしてわれわれまでもともすれば刑罰の対象になるということは困る、何とか道路交通法の改正によって自動車違反というものを考えてもらいたい、そうできないものかという意見があるわけでありますが、その点についていかがですか。
  24. 津田實

    津田政府委員 ただいまの御意見につきましては、かつてさような問題といたしまして、これは主として警察庁の関係でありますが検討いたしまして、私ども法務省におきましてもいろいろ相談を受けまして検討いたしたことがございます。しかしながら、業務上過失あるいは重過失致死傷というものは、本質的には刑法の犯罪であるべきではないか。なるほど先ほど申し上げましたような事例に徴しまして、通常の自動車の高速運転、あるいは危険運転、無免許運転というようなことから問題が起こっておることは、それが直接の動機になっておることは事実でございます。しかしながら、これを立法の上で考えてみました場合に、はたして自動車によるものだけという制限をすることが適当であるかどうかという問題に帰着するわけでございます。ことに、現在かりに鉄道、あるいは船舶というものを考えてみましても、これはことに鉄道でありますが、一定のルールに従いまして、運転規程と申しますか、さようなものに従って運転を継続しておる限りにおきましては、ただいま申し上げましたような事例は生ずる余地がないと考えられるわけであります。その点は私は自動車でありましても、路線バスについては同じことが言えると思うのです。相当の規定によって運転させられておるわけでありますから、この問題は、路線バスについても同じである。そういたしますと、路線バスについては自動車の範疇に入るから重くなる。しかしながら、鉄道は自動車でないから重くならない、こういうことははなはだ奇妙であるということに私はなると思う。もしも鉄道におきまして、かりに酔っぱらいの運転があったとしたらこれは非常に重大なことであって、やはりこれと同じ非難を加える必要があるべきだと私は思うのであります。そこで、そういう意味におきまして、厳重な規定によって運転している人は路線バスにもあり、鉄道にもある。その点は私は同じだと思うのです。そこで、鉄道にいたしましても、船舶にいたしましても、航空機にいたしましても、もしさようなことがあったら、当然社会的非難は非常に高いものであると言わざるを得ませんから、それを区別するのは相当である、刑事規定としては少なくとも相当であるという結論から、かようなことになっておるわけでございますが、しかしながら、さような厳重な規定によって運転しておる場合におきまして、今回のこの改正規定が適用されるような事例は、私は絶無であると考えております。
  25. 大竹太郎

    大竹委員 時間がきましたので最後に一点だけお尋ねを申し上げたいと思いますが、いま一つ今度の改正について非常に問題になっておりますことは、上限が三年のものが五年に引き上げられたというようなことから、一般に罰金刑まで——罰金は上に上がっていないからいいのでありますが、自由刑の面におきましては七〇%上がることになるのですから、それに応じて一年だったものは一年半とか、二年だったものは今度三年になるとかいうようなことで、一般に業務上過失として自動車事故なんかの問題が引き上げられるんじゃないか。もちろんいままで三年しか刑がないんだから、四年も五年も、もっと科したいんだけれども、しかたがない、三年にしておくというのを、四年ないし五年にされるのはいいんだけれども、いままで一年とか二年だったのをそれに応じて引き上げられたんじゃ困るんだ、一般の交通事業等に携わっている人々の間からそういうような心配の声が出ているわけでありますが、そういう点についてのお考えを承っておきたい。
  26. 津田實

    津田政府委員 今回の法定刑の引き上げの趣旨が、ただいま御説明申し上げましたとおりの事情によるのでございますので、自由刑につきましても、上が上がればしたがって下も上がるんじゃないかという御懸念はごもっともでございますが、先ほど申し上げました趣旨による頭打ちを是正するという考え方で出ておるわけでありまして、その意味におきまして頭打ちケースについて今回の改正規定が適用されるという立法趣旨になっておるということであります。この点は、検察官が起訴いたします場合、あるいは求刑をいたします場合の求刑については、これは政府部内のことでありますので、その点は当然指令をいたすことになっておりますし、現在検察官につきましても、すでにかような改正点については十分説明を遂げておりますので、その点は十分心得ておると思います。問題は裁判所のことでありますので問題でありますけれども、裁判官といえどもやはり立法趣旨、あるいは当委員会、あるいは国会での御審議状況は、当然立法趣旨として参照して考えるわけでありまして、さような点につきましても、裁判官は十分認識した上で量刑をいたすと私は思いますので、さような御懸念はないものと考えております。
  27. 大竹太郎

    大竹委員 まだ少年関係の問題その他御質問いたしたい点もありますが、家庭裁判所のほうではきょうお見えになっておりません。もし次回その他で時間がございましたら御質問をさせていただくことにいたしまして、きょうはこの程度にいたします。
  28. 大久保武雄

    ○大久保委員長 上村千一郎君。
  29. 上村千一郎

    ○上村委員 私は、この刑法の一部改正につきまして、多くの質問者もございましょうし、すでに過去において何回もこの法案について質問がされておりますし、私自身も過去において詳細に質問をいたした関係もございますので、きょうは一、二点だけ問題点をしぼりましてお尋ねをしておきたいと思います。  実は、昭和四十一年六月九日の朝日の「天声人語」を拝見いたしますと、この刑法の一部改正につきまして、従来の業務上過失致死傷罪の法定刑が「三年以下ノ禁錮又ハ千円以下ノ罰金」となっている。これを「五年以下ノ懲役クハ禁錮又ハ千円以下ノ罰金」に改めようとする今回の法改正については実は大いに賛意を表する。またこれが国民の一般の世論であろうというような趣旨の点が述べられております。もちろんこれは法案自身につきまして専門的な検討を加えてという欄でもございません。ですから、単に国民感情といたしまして意見の一面を表示されておる。私はこの点は確かにあろうかと思うのでございます。  それで、この法改正につきまして、まず第一に「五年以下ノ懲役クハ禁錮又ハ千円以下ノ罰金」——現行刑法ができたときは、明治四十一年、東京に自動車が十六台しかなかった当時のできごとであります。現在は交通事故死傷者が年間何十万というふうにできておる実情から考えてみる場合に、相当検討をする必要がある、こういうようなことは私は穏当な、正常な国民感情であろうと思うのでございます。ただ「五年以下ノ懲役又ハ禁錮若クハ千円以下ノ罰金」というような範囲が、バランスの上において、法の構成の意味において、妥当であるかどうかというようなことに相なろうか、こう思います。私自身の考えからいたしますれば、道路交通法の百十五条とかいうような点を考えましても、すでに道交法におきまして、人身事故というわけではございませんけれども「五年以下の懲役又は十万円以下の罰金」というような刑の規定が出ております。また諸外国の立法例を見ましても、業務上過失致死というような場合におきましてのかかる関連の事項から考えましても、上限を懲役五年というふうにいたすことは、現在の点からいたしまして妥当であろうというような感じを持っておるものでございまするが、現行刑法におきましてのたてまえから言いますれば、過失犯というものにつきましては、法定刑におきまして非常に軽く扱っております。要するに、過失である以上は、その責任追及について厳重な処罰を施したからといってその目的を達するわけじゃなかろう、過失事犯でございます。こういうような観念が現行刑法に流れておることは明白でございます。たとえば、失火の事件にしましても、刑法百十六条は「千円以下ノ罰金」になっておりますし、百十七条ノ二の業務上の過失、あるいは重過失の場合におきましても「三年以下ノ禁錮又ハ三千円以下ノ罰金」ということになっておる。過失傷害の人身に対する被害というような点からの規定としまして、二百九条によりますれば「五百円以下ノ罰金又ハ科料」ということになっておる。また、この点は、第二項において親告罪というふうになっておる。それから二百十条の過失致死の場合においては、「千円以下ノ罰金」というような流れを来たしておる。ですから、日本の刑法の体系から言いますれば、過失の者につきましては、それについて刑を要するに厳罰主義で処したからといって、真の法の目的を達するというわけでないというような考え方が流れておることは確かでございます。そのつり合いというような問題であります。今回刑法の二百十一条の業務上過失致死傷の点について「三年以下ノ禁錮又ハ千円以下ノ罰金」というものを「五年以下ノ懲役クハ禁錮又ハ千円以下ノ罰金」という点に改めて、他の過失犯の規定について手を触れていかないという点については、何か刑法全体に対しての均衡感といいますか、アンバランスの感じが起きておる。もちろん刑法改正の準備草案によりますれば、先ほど局長が御答弁になりましたように、今回の改正に沿うような点が述べられております。でございますが、一体全刑法の体系というものにつきまして今後どういうふうに改正をされていこうとするのか、もちろん交通事犯というようなものを、現在の緊急性によりまして二百十一条について当面改正をされるという御意思はよくわかります。また、それをたびたびお述べになっておるけれども、刑法は全体の基本的な法律であります。要するに、もとになる法律である。その中をいじくる際におきましては、全体のバランスということも考えなければいけない、こういう点について、どういうお考え、見通しを持っておられるか、こういう点についてお尋ねをしておきたいと思います。
  30. 津田實

    津田政府委員 過失犯につきましては、今回は、現行刑法のもとにおける改正としてかような改正をいたすことになったわけであります。その根本には、現行刑法にも過失犯の規定はたくさんございますが、先ほど来お話の出ました業務上失火というような関係につきましては、少なくとも現状据え置きであり、罰金刑についても形式的なアンバランスがあるというようなことが出てまいっております。しかしながら、なぜ今回それを手をつけなかったかと申しますと、それは現在起こっておる犯罪の状態と統計上示される頭打ち現象が起きているということ、業務上失火等につきましては、禁錮刑に処せられる事件が非常に少のうございます。のみならず、最高刑を言い渡された者がほとんどないというようなことでありますので、そこで頭打ち現象はない。したがって、それを上げる必要性が現在はないという意味におきまして、今回の部分改正ではそこは取り上げておらないわけでございます。  そこで、将来の刑法としてどういうことであろうかということでございますが、業務上過失致死傷につきましては、先ほど申し上げましたとおり、今回と同じような規定になっております。そこで、それでは単純過失傷害はどうであろうかということになりますと、改正準備草案によりますと、単純な過失傷害については、五百円でありますから、二万五千円でありますのを十万円にしております。それから過失致死につきましては、現行法は千円以下の罰金でございますから五万円でありますが、今度は、改正準備草案におきましては、過失致死につきましては、一年以下の禁錮を加え、二十万円以下の罰金にしております。そこで、過失犯につきまして、この単純な過失致死についてもかなり刑の引き上げが考えられております。もちろんこれは現在法制審議会で論議されておりまして、最終案ではありませんが、やはりそういう意味におきまして、この人命に対する問題としては、いわゆる過失という意識がない、結果に対する予見認識がなかったということによって、本人に対して責めるべき点はかなり少ないといわれるようなものにつきましても、かなり結果を重視するというような方向にいっているのではないかと私どもは考えるわけであります。ここがやはりこの罪を犯すような行為は罰するというようなたてまえと、それからそういうことによって起こった結果とのバランスをどこに求めるかという問題であろうと思うのでありまして、いまはその改正準備草案の考え方の一例を申し上げたわけでありますけれども、そういう意味におきまして、将来はやはり人命尊重ということは相当程度重視されるというふうに私どもは考えておるわけであります。
  31. 上村千一郎

    ○上村委員 実はこの刑法の場合におきましては、もちろん国民感情というような、そのときどきの感情というものもよく反映をしなければならぬでございましょうけれども、しかしながら、一つの基本的な法律でございまして、ある意味においては自然法、その流れをくんでいるといわれている性質のものでございます。もし、そのときどきに応ずるものであるならば、むしろ道交法その他の取り締まり法規にゆだねるべきものではなかろうかという議論が出てくる可能性もありますので、質問をしているわけであります。少なくとも一つの刑法の体系ということになりますれば、これは単にそのときの要請ということももちろんございましょうけれども、一つの長い歴史的な、しかも国際的な一つの刑法観念というものに立脚しなければならないだろうと思うのでございます。そこで、この業務上過失の場合に、道交法でという観念につきましては、少なくとも一つの刑法体系を乱す点において、刑法に一つの条文がある以上これを改正していくという態度が正しいであろうと私は思いますが、しかしそれに触れるならば、いまの人命尊重という大きな流れ方からするならば、二百九条の過失傷害の場合におきましても、少なくとも罰金の金額を引き上げたという態度でなくて、何か基本的な一つの論議というものがかわされてしかるべきではなかろうか。そういう意味において、何かこの問題について論議をかわされておるか。たとえば二百十一条の刑を引き上げる意味において、二百九条というものにつきまして少なくとも一つの罰金刑以上のものを科すべきものでなかろうかというような考え方もあったのだから、その点についてお尋ねをしておきたい。
  32. 津田實

    津田政府委員 これは、私ども立案の過程におきましては相当論議をいたしたわけでございまして、二百十一条につきまして今回の案のような改正をする場合に、ほかとのつり合いの問題はいかがであろうか、ことに同じ章のもとにあります過失致死との関係はいかんということについてはいろいろ考えたわけでございます。しかしながら、現在の過失傷害あるいは過失致死につきまして、それが刑が非常に軽いではないかという論議も、ことに過失致死についてはないわけではありません。しかしながら、やはりその故意というもの、さらにその過失致死というようなことに対する一般的な非難の度合いというものが、それほどひどく盛り上がってはいないというふうに私どもは認識をいたした次第であります。刑法全体のつり合いから見れば、改正準備草案等の方向に向かって全体を考えるべきであろうとは重々考えるわけでございますが、その問題は、過去三年間論議いたしております刑法全面改正の問題として、さらに慎重に検討してもらうということで、今回は、さしあたって緊急な刑法上の二つの点について改正を要する。しかも二百十一条の刑を引き上げることは、現行刑法の他の規定とさしあたってアンバランスが起こる問題ではないというふうに私どもは考えた次第でございます。
  33. 上村千一郎

    ○上村委員 局長が御答弁されておることはよくわかるわけです。二百十一条の点につきまして、懲役五年以下もしくは五年以下の禁錮あるいは千円以下の罰金、これは、その法定刑の点につきましては私はそうアンバランスというふうには思わない。諸外国の立法例から見ましても、また道交法その他で規定するというよりも、もちろんこの基本の刑法にその根拠法があるわけですから、これに手をつけていくということが私は本筋だろうと思います。ただ、私が質問しておりますのはちょっと角度が違っておりまして、要するに刑法の中に流れておる過失という観念を論点とするわけです。  それで、過失犯というものについて、この刑法の基礎観念というものについては、厳罰主義というよりも、そうしなくてもその刑の目的を達するのではないかという流れ方がある。だからこそほかの条文にそれが出ておる。だから、いま二百十一条というものの改正というものに手をつける、これは準備草案にもあるとおり私はそれでよろしかろうというふうに思うのでございますが、他のほうへ地すべりを起こしていく可能性がある。またそれは一回考え直す必要もあるであろう。もし過失ということの点でずっといこうとするならば、未必の故意という意味で殺人罪の百九十九条を適用してもいいわけである、うんと悪質な事故というものにつきましては。もちろんこれは適用の問題におきまして非常にむずかしい問題があるであろう。少なくとも未必の故意というような状態に近いものがたくさんあると見て、最近そういうふうな法の適用をとっていく事例もあるわけです。あるいは傷害致死というような問題も出てくるでしょう。あるいは傷害の規定を適用しても、もし厳重に処罰しようとすれば、いまの場合の法令においてできるわけである。そこに故意犯と過失犯との関係の量刑というもの、あるいは法定刑というものの一つの基本的な考えが流れておるわけである。ところが、その立証がむずかしいというような一つの技術的な問題におきまして、ただそれを厳重にしていく、法定刑を上げるという便宜論ということでなくて、一つのしっかりした観念をここに植えつけていく意味においては、他の過失犯においても相当検討というものが行なわれる、特に人命というものについての尊重という観念からいえばそういう観念が起きてこないだろうか、またそういうような点について、法制審議会その他におきまして論議はかわされておるかどうか、こういうようなことをお尋ねしておるわけでございます。二百十一条の、たとえば今回の改正をする場合の法定刑、その範囲というものにつきましては、私はこの点について決して妥当を欠くというようには思わないし、また世論もこれを支持しておるだろうというふうに思うわけでございますが、一つの過失犯というものを中心としてどうお考えになっておるのかということをこの際お尋ねするとともに、ある意味におきましては、これが全面的なアンバランスというものについて早急に検討を進めていくお考えがあるのかどうか、こういうような点をお尋ねをしておるわけでございます。この一点にしぼりまして私の質問を終わりたいと思うわけでございますが、よろしくお願いしたいと思います。
  34. 津田實

    津田政府委員 ただいま二百十一条の適用の問題につきまして、未必の故意との関係においてはしょせん最終的には立証問題であるということになるという問題が出てまいりました。私どももそれはそのとおりであると思っております。そこで、立証問題について刑で片づけて、その裁判上の立証問題をおろそかにすることは相当でないことは、これは当然のことであります。しかしながら、これにつきましてもやはりいろいろ限度がありまして、人間の合理的な判断によって立証するというものには限界があろうと思うのでありまして、今回の刑法全面改正の問題につきましても、推定規定を設けるべきだという議論は相当有力だったのでございます。そこで、現行刑法でも多少は論議がございますが、たとえば名誉棄損に関する関係におきましてはやはり立証責任という問題が相当浮かび上がってくるわけです。そういう点もございますから、刑法で全然立証問題を度外視して、純理論だけで片づけなければならないという点についても、やはり実際上の限界があろうかと思うわけでございまして、やはり社会に適応した刑法ということになれば、場合によってはある程度の推定規定なりあるいは立証責任の転換というようなことも必要であろうというふうに考えられるわけでございます。今回の二百十一条の立証責任の転換といった問題とは関係がございませんけれども、やはりそういう面の困難性ということを考えたことが一つ動機になっておることは御指摘のとおりであるという点で、その点は私どもも認めるわけでございます。  そこで、将来の刑法の問題といたしましては、さような論議がやはり法制審議会等でも行なわれておりますので、そういうような社会的な必要性ということとのバランスをどこに求めるかということによって規定ができてくるというふうに私どもは考えておる次第でございます。
  35. 上村千一郎

    ○上村委員 私の質問はこれで終わります。
  36. 大久保武雄

    ○大久保委員長 横山利秋君。
  37. 横山利秋

    ○横山委員 時間の関係で十分御質問することができないのですけれども、いま同僚委員から質問をしておりました点について、やや気にかかることから質問をしたいと思うのであります。  最初は、先ほど津田刑事局長が、これは重過失ないしは非常に未必の故意というか、そういうようなものに対する刑であるから、それ以下のものについてこれが判決で全般的に影響を与えることはなかろう、なぜならば、それは国会の審議の模様も裁判官が十分知られるであろうから、そのようなことはないと考えると、こういう御答弁がありました。私も実はそれを願うわけであります。国会の審議というものを裁判官が十分に承知をして、立法の趣旨、国会における質疑の応答の経緯というものを十分判断をしてこれはされると思うのです。思うけれども、私のようなしろうとには、一体どうして裁判官が国会の審議模様なり立法経過というものを承知するのか、いかなる影響があると確信をされるのか、その根拠を承りたい。
  38. 津田實

    津田政府委員 裁判官といたしましては、ある法律ができ上がります、ことに多年行なわれておる法律につきましてはいろいろ判例もございますし、下級審の判例等もたくさんございますので、それは裁判官、よく承知しておるわけであります。そこで新しくできました法律、改正法を含めまして、法律につきまして、まず裁判官はいかなる態度をとるべきか、現実にとっておるかという問題であろうと思います。とるべきかという点につきましては、やはり立法趣旨に関するあらゆる説明書はもちろんのこと、国会の審議につきましては審議録によってその内容を知る必要があることは、これは当然のことなんで、裁判官といたしましてはさようにしなければ、単にでき上がった法律の文理だけを解釈してやるということになると、それは私は裁判官の資格はないと思うのです。  そこで、私も過去におきまして裁判官をしたこともございますが、新しい立法につきましては、必ずその理由書というものを検討いたし、あるいは国会の審議検討いたしておりますし、その資料は、裁判所当局においていろいろ印刷物等によってこれを裁判官に配付してその便宜に供する。あるいはその便宜に供されなくても、裁判官自身が図書室等において当然これを検討して適用するというたてまえをとるべきでありまして、私も過去においてさようなことをやってきたことがございます。私は、過去において、いろいろ立法の変革期の際にも裁判官をしておりましたが、その際はそういう態度をとっておりますし、当時の私どもの同僚もそういう態度をとっておったことを私は現に見ております。  現実に、最近の裁判官の執務状況というのは私は知りませんけれども、おそらくその伝統というものは、私は変わっていないと思いますし、現に裁判所が多数発行しておりますところのいろいろな部内の文書あるいは文書の集積というようなものから徴しますると、おそらくそういうことをやる資料については、私は不足しておると思わないのであります。それと同時に、これは裁判官自身がそうかりに気がつかなくても、弁護士なり、場合によっては検察官なりが当然その事実を知っておるわけであって、お互いにその主張をするということになるわけであります。ことに今回、かりに刑が重いとか、刑は重くすべきでないという趣旨であれば、弁護人としては当然主張すべき事柄に属すると思うのでありまして、かりに裁判官がそれを怠ったか、何らかの関係において思い違いしておったということも、そういうことによって訂正されるというふうに私は考えております。
  39. 横山利秋

    ○横山委員 いま政府側がわれわれの質問に対して、何といいますか百歩譲って説得力があるというように思われることは、三年以下の禁錮という上限が頭打ちになっている、その頭打ちを少し青空にしなければならないのだ、そういう頭打ち以外の下のほうの部分に影響はこの改正はないという言い方なんです。私どもが心配するのは、頭打ちといいながら、全般的に刑をつり上げる可能性が十分ある、こういう論争が一つの焦点だと思うんですね。あなたの言うように、全般には影響はない、頭打ちを解除し、本来この四年、五年にならなければならないところを、そのわずかの人たちを適当な刑にしたいという主張がほんとうに裁判において実行せられるであろうか、あなたの言うのは単なる期待にしかすぎない。この国会における政府側の答弁がほんとうに実行せられる保証は何らないではないか。裁判官がかりに議事録を読まなければならぬ、政府の答弁を見なければならぬといったところで、拘束されないでしょう。あなたは、そういう人は裁判官の資格がないとまで断言をした、これは驚くべき私は断言だと思うのですが、そういう信念であればまことに私はけっこうだと思う。さりとて、それを強制する何ものもないではないかという点については、どう思いますか。
  40. 津田實

    津田政府委員 御指摘のとおり、理論的には裁判官を拘束するものは法律以外にはございません。そこで法律と申しますのは、その文章だけかという問題に私はなると思うのです。法律と申しますのは、その文章は非常に抽象的な文責でございますけれども、その背後に流れているやはり立法思想というものが、当然法律の解釈に重要な資料とならなければならぬと思うのであります。そこで、この国会の御審議、あるいは提案理由というものは、当然裁判官としては参酌しなければ、私は裁判官の資格がないとあえて断言できると思うのです。ただ、しかしながら、その主張にもかかわらず、あえて裁判官がさような——これはそういうこととは無関係だ、一般的に刑を引き上げた趣旨であるというふうに解釈をして法律を適用するということは、それは形式上は私はできると思います。それを制限する何ものもございません。もちろん検察官につきましては、求刑につきまして法務省が統轄いたし、あるいは最高検察庁が統轄いたしておりますから、立法趣旨に反する求刑というものは当然いたさせないことは私は確信がございます。しかしながら、その求刑にもかかわらず、裁判官がそれと違った重い刑を盛るということを防ぐ方法はもちろんございません。しかしながら、先ほど申し上げました立法とは、形式ではなくて、その背後に流れる思想が内容であるというふうなことでございますので、かりにあやまってそういう裁判官がいたとしても、これは上訴で当然是正される性質のものであって、私は最高裁判所の系統を含むこの裁判機構というものは、その点は信頼できると思うのです。個々の裁判官については、あるいはそういう極端な考え方を持つ人が絶無であるとは、私は言えないかもしれぬと思いますけれども、全体としての裁判機構のうちにおいては、当然是正されるというふうに私は確信しておるわけでございます。
  41. 横山利秋

    ○横山委員 重ねて言いますが、それであるならば、私はいわゆる上限論とかりに端的に言いますが、上限論であるならば上限論らしい政府側のPRなり理論展開があってしかるべきだ。しかし政府側の理論展開なりPRは一にかかって交通事故がふえている、この交通事故をなくするためには何とか刑を重くしなければならぬ、世論のムードに訴えておるものはすべての交通事故に対して訴えておる。ちょっとしたけが、ちょっとした傷、そういうものを交通事故全般を押えるために訴えておる。先ほど引用された朝日新聞なんかも、それを書いた人も大体そういう感覚で書いている。世論が受け取っておる考え方とあなたの言う上限論とは非常な背馳がある、そう思いませんか。こすいですよ、政府は。
  42. 津田實

    津田政府委員 非常に簡単に世論が受け取るとすれば、刑法が重くなった、業務上過失が重くなった、それは交通事故を防ぐためだ、あるいは交通事故を防ぐために刑法改正するのだ、端的に言えばそういうことになると私は思うのです。しかしながら、それでは言い尽くせないことであって、その内容自体が問題であるということになるわけであります。現在かように自動車がふえておりますので、小事故と申しますか、多彩に起こる日常の事故というものは、なかなか防ぐことができない、これを絶無にすることは困難であるということは、私は世人は承知していると思うのです。しかしながら、先ほど申しましたようないわゆる無謀な運転に基因する事故というものは、どうしても世人は承知しないだろうということになっておる。むしろその承知しないというところの問題、極端に人命を軽視したような運転のしかた、自動車の取り扱いのしかたというものは、世の非難がごうごうであるということが、今日の交通事故の問題として議論されておると思うのであります。したがいまして、そういう意味において世論というものを分析してまいりますと、自動車の台数のふえたこと等による日常起こる事故ということじゃなしに、絶大な重大な悪質事故についての非難ということがやはり前面に出てまいっておると私は思うのでありまして、それに対処するということが結局交通事故に対処するという問題であろうということになると私は思います。必ずしも刑を上げることは交通事故に対処する問題ではなく、ごく一部だと思いますけれども、私はその一部としてもそういう問題だというふうに考えておるわけであります。
  43. 横山利秋

    ○横山委員 私はその説明に納得できない。政府は世論のいわゆる感情論に訴えておる。法律を利用しながら、国会通過に際しては上限論を展開して防衛線を張っているという気がしてならない。しかも上限論というものは、裁判においてそういう論理は保証しがたい。あなたの個人の信念かもしれぬけれども、裁判官があなたの言う上限論に従わなくても、これを拘束すべき何ものもない。これはあなたの言う弁護士やあるいは検事が立法経過を述べたところで、最高裁判所の裁判官の判断によるものであるから、これまた保証しがたい。したがって上限論は、政府が立法にあたっての国会防衛線として張っておるにすぎない、こういう感覚を持たざるを得ない。  そこで今度は上限論になる。政府からいただきました「刑法第二百十一条関係統計資料」を拝見して、上限論とはいかなるものぞというふうに考えてみるのですが、十一表の「業務上過失傷害」を見ましても、それから一二ページにあります「業務上過失致死」、一三ページの「重過失傷害」、一四ページの「重過失致死」等を見ましても、上限論が、どうにもならなくなっておるという理論展開の解明に不十分だと私は思う。なぜならば、たとえば一二ページの三年以上が十二人あるからふえているというこの点を解明してみましょうか。そうすると、終局総人員は二千九百四十八人である。二千九百四十八人の中の十二人である。この十二人が、あなたの所説によって四年ないしは五年の懲役に処すべきものがあると仮定しましょうう。しかしこれはまさに〇・四〇%にすぎない。かりにそれを昭和三十年、三年以上が三人で、終局総人員が六百二十四人だとしますと、〇・四八%だ。この終局総人員に対する比率は、三十八年になると下がっておるのですよ。総人員に対する最高限の禁錮にされておる人は、まさに三十八年においては下がっておる。しかも、その比率は〇・四〇%ですね。この十二人のうちどのくらいが該当するか知りませんけれども、この全くわずかの者のためにこの立法をしなければならぬ必要性がはたしてあるであろうか。かりに一四ページにおける三年以上の禁錮を例に引いてみますと、最初に出てまいりますのが三十五年百六十五人のうちの二人である。この比率は〇・〇一二だ。ところが、三十八年は百七十七人に対して二人であるから、〇・〇一一だ。下がっている。この統計をもってして、私の聞いたところによりますと、法務大臣は「朝の訪問」か何かで、統計上からふえてふえて困る、こういうことをおっしゃったらしい。あれはNHKか何か知らぬけれども、こういうような引例をされるならば、私は、この刑法に異議があるわれら法務委員もあわせて出席をさせてやらせなければ、NHKは片手落ちである。いわんやこの統計を見ますと、そういう条件にある人間が多過ぎて困る、何としてもそれが激増しておるから刑法改正をしなければならぬという理屈はないではないか、こう考えるのですが、どうですか。
  44. 津田實

    津田政府委員 ただいま御指摘の表の事実はこのとおりでございます。たとえばいまの第一二ページの表で三年以上というのは禁錮十二人ということでございます。そこで、全体に対する割合は非常に少ないではないか、こういうことでございます。確かに少ない。ところが、この三年と申しますのは、私どもから申しますと、この規定は極刑であります。極刑がこれだけの数が出てくるということは非常に問題であります。たとえば現在窃盗が十年、詐欺は十年でありますが、初犯で窃盗で十年になるというケースは、私はこれは絶無だと思う。何犯も重ねれば窃盗で十年という言い渡しを受ける者は出てまいります。しかしながら、初犯では十年というのは希有であります。したがいまして、この禁錮の頭打ちが十二人あるということは相当の問題であるというふうに思うわけであります。と申しますのは、裁判官と申しますものは、刊法にきめてある極刑を科するということはよほどのことであるわけでありまして、御承知の死刑についてもそうでありますが、その他の最高刑についても当然さようでありまして、まず極刑というのは、これ以上の重い情状のものはないというものについてだけ言い渡さなければならないというのが裁判官すべての者の意識であります。そういたしますと、これ以上のものはないと思うような事件が三十八年に十二人あるということは、これはきわめて重要なことだと私は思います。したがいまして、この数が全体の比率から少ないということだけをもって、現在この刑の引き上げが必要ないという議論には必ずしも私はならないと思うのでございます。
  45. 横山利秋

    ○横山委員 その一人でもあれば刑法を直すのだ、二人でも多くなればたいへんなことだ、こういう論理展開ならば、これは何をか言わんやである。けれども法務大臣の言うように、もう上限になっているやつがどうにもならないのだというようなことは、これは統計の引用が誤っておる。私はそう考えるのでありまして、政府側としては、法律を通さんがために統計の引用を誇大に宣伝をしたり、あるいは総人員に対する比率がむしろ下がっておることも隠して国民に説明をされるということは、いささか穏当を欠く、私はそう考えます。  それからその次に、この間、資料をお願いいたしましたところ、「救急医療対策関係について」という各地の状況を、簡単なプリントでありますがいただきました。私は、かつて厚生省の統計か何かで見たのでありますが、交通事故があった場合に即座にその場で処置よろしきを得たならば、死者の三分の一は人命が救助されたであろうという統計を見たことがありますが、これらの点について、医務局長が御出席だそうでありますが、どうあればいいかという医療対策について説明を伺いたい。
  46. 若松栄一

    ○若松政府委員 救急医療、特に交通事故の場合にその傷害が一般の外科よりも非常に重いということも事実でございます。また特に頭部の傷害が非常に多いということも、他の傷害に比べて圧倒的に多いわけでございまして、そういう意味でいわゆる救急という性質が非常に強い。即座に適切な手当てを加えれば生命を救い得るけれども、時間的に手おくれになるということのために致命的になる、そういう率が非常に高いというのは事実でございます。現在全般的に何割というようなことは、はっきり手元に持っておりませんが、そういう事実がございますので、特に交通傷害につきましては、できるだけ救急の医療機関を整備して、有効な救急処置が行なえるような体制を整えるということが私どもの対策でございまして、そのために第一段階といたしまして、消防庁の規定等によりまして、救急患者がいかにスムーズに医療機関に運ばれてくるかということをできるだけ円滑に行なえるような体制を整えるということと同時に、医療機関内においていかに適切な処置が確保できるかという第二段の問題がございまして、これにつきましては、最近における頭部外傷等の処置を行ないますためには、できるだけそういう専門家を数多く養成するということが必要でございますので、先年来頭部損傷等を主なる対象といたしまして、医療機関の医師の養成、訓練というようなことをいたしまして、医療機関の数の整備とともに質の向上をはかるということを目途に対策を行なっているわけでございます。
  47. 横山利秋

    ○横山委員 この統計ですか、資料を見ますと、「昭和四〇年四月現在における都道府県知事の告示による救急病院の数は二九九八」であるとしています。そのほか神奈川、京都、愛知、東京、大阪等におきまして、交通救急センター等、専門的な救急センターの構想が各地にあるのでありますが、神奈川は全額県の起債、京都の第二日赤は年金事業団からの融資、愛知の東海交通災害コントロールセンターは、県市から費用の一部補助で財団法人、東京は都立病院等を整備することで検討中、大阪の大阪府立救急センターは、大阪府及び国家の補助と合わせて建設中、——何か非常にばらばらで一貫した一つの太い線があって、国が全力をあげて交通災害の多い主要な都市にこれらのものを設けるというその意欲というものが見られないという感じがするのでありますが、この点は、なぜそういうことになっておるのかという御意見を伺いたい。
  48. 若松栄一

    ○若松政府委員 お話しのように、主要都市におきましては、それぞれ都市が救急のための体制を整備するということが、それぞれ県なりあるいは大きな都市の固有義務として当然やらなければならぬわけでございまして、したがって、その形が京都においては日赤がこれを担当し、神奈川県においては済生会にこれを委託して実施する、あるいは仙台市においては市立病院がこれに当たるというようないろいろな形がございます。しかし、そういう形については、私どもはどういう形が望ましいというようなことは現在出しておりません。何ぶんにもそれぞれの地方において特殊な機能を持った病院というものは、必ずしも斉一ではございません。ある地方では市立病院が脳外科の医師を十分かかえておる、あるところでは日赤病院がその能力を持っておるというようなことがありますので、必ずしも斉一に市立病院がやれ、あるいは県立病院がやれという形にはまいりません。いずれにいたしましても、そのような十分な能力と医師をかかえた医療機関を助成していく。そのために医療機関の整備については融資なり、あるいは補助なりを行なうということでございまして、結果においては、医療機関としては非常にばらばらになっておりますが、それぞれの都市がそれぞれ固有の義務として、それぞれの立場で整備していただくという趣旨でございます。
  49. 横山利秋

    ○横山委員 それぞれの立場で整備する、だからやるならやれ、少しは応援してやるというようなことで、現場における救急医療に対する厚生省のお考えとしては、私は何と情けないことであるかという感じがします。この間厚生大臣が愛知県へお見えになりまして、東海交通災害コントロールセンターの問題について発言がありました。聞くところによれば、私はこの災害コントロールセンターについて、数年緊急性を認識して県並びに市と努力をしておるものでありますが、遺憾ながら大阪に比較いたしますと、国庫補助金を出してくれないのですね。何かかんか言って出してくれぬ。そうして自転車振興会のお金が本年度ようやく回っただけでありまして、まことに厚生省の愛知県に対する援助の手というのは情けないと思っておる。厚生大臣が名古屋にこの間来られまして、来年度予算にはこの愛知県の東海交通災害コントロールセンターに対して補助金を何とか考えようというお話があった模様でありますが、愛知県に対してどういうお考えであるか伺いたい。
  50. 若松栄一

    ○若松政府委員 ただいまお話に出ました愛知の災害コントロールセンターはきわめて特殊な形でございまして、先ほどお話に出ました京都の日赤とか、あるいは神奈川の救急センター、あるいは仙台市立病院というようなものは、それぞれ消防庁の救急車が運んできました患者を引き受けて、適切な医療を行なう設備を完備しておる。二十四時間勤務で専門の医師が待機し、またベッドをあけておくというような医療方面の整備でございます。愛知のTACCというお話の施設は、医療機関それ自体ではなくて、主として救急の第一段階を適切、迅速に行なうという組織でございますし、その中にもちろん走る病院というようなものを設備しまして、救急病院に着くまでの間に応急処置もできるという特異なやり方でございます。ことにその情報連絡のために無線装置を活用するというような非常に特殊な形でございますので、国としてこのような施策あるいはこのような方法を画一的に採用し、普及すべきかどうかということについては、私どもはまだ確信を得ておりません。しかしTACCの構想は非常に雄大でございますし、また非常に期待のかけられるやり方でございますので、この成果を見まして、これが非常にいい方法であるとなれば、国が全国的に統一的な施策として国の意思でそういうものを助成、育成していくという段階になりますと、国としてはこれを助成するための補助金を考えるというような段階になろうかと思います。しかし、そのような名古屋の場合はなお実験的な段階でございますし、これが所要の経費とにらみ合わせてどの程度効果をあげ得るものであるかということもまだ未知のものでございます。そういう意味で、一つの実験的な作業といたしまして、私どもはこれをいま直ちに国が助成するということはやらないで、民間の資金である自転車振興会の金を、非常に異例ともいうべき七千万円という巨額の金を、自転車振興会の補助をお願いして、これを育成していこうという段階でございますので、いまのところそういう段階で国として直接これを援助すべきかどうかというところの決意まではきまっていない、こういう段階でございます。
  51. 横山利秋

    ○横山委員 これはきわめて愛知県にとっては重大な発言なんで、大臣のお話と少し違うので、これは厚生大臣にここへ来てもらわなければいかぬのですが、私はそういうお答えがあると思ってなかった。あなたのおっしゃるように、東海交通災害コントロールセンターはまさに非常に特異な方法でやろうとしている。その特異な方法になったゆえんのものはあなたも十分御存じだと思うのですけれども、医師会との各地におけるいろいろな問題があって、この愛知県方式ならば全面的に医師会は賛意を表し、そして財団法人が設立され、県知事が会長、市長が副会長、そして県、市もひとつ協力しよう、中日新聞がそれじゃ全力をあげてやろう、民間の募金もどんどん集まる、あなたのほうも補助金は出さぬけれども、自転車振興会から金を回そうというようなふうに非常に発展をしまして、昨年敷地も決定し、建設にも着手をする、そして本年中にはできあがる。だからいよいよノーマルな状況になるから、厚生大臣が来た機会にひとつ経常経費の——建設費はまあいままでの話で継続するから、経常経費の面について補助金を頼む、これは何とかしなければならぬという話になっておるのです。あなたは大臣が名古屋へ来て発言されたことをお聞きになっていないのですか、お聞きになっておってそれはあかぬ、様子を見なければ出せぬということをおっしゃるつもりなのか、あるいはあなたは大臣がおっしゃったことを知らなかったとおっしゃるつもりですか、どっちなんです。
  52. 若松栄一

    ○若松政府委員 先般大臣が名古屋へおいでになりましたとき、私は大臣のお供をしてまいりました。そして大臣が駅長室で記者会見をされる場合に私は立ち会っております。その際に、大臣は地元新聞記者の諸君の要請にこたえまして、これは非常にいいことだということは確かにお話しになったと思いますが、経常費に対して補助を考えるというようなことを正確におっしゃったとは私は実は思っておりません。地元の夕刊ですか、TACCに対して援助をしようというようなふうに大臣が言明された趣の記事が載ったことも承知いたしております。そしてこれは大臣の発言と必ずしも合ってないんじゃないかなというふうに感じたことを記憶しております。そういう意味で、大臣の発言がどうであったかは、私帰りまして大臣にもう一度聞きただして確認したいと思います。
  53. 横山利秋

    ○横山委員 言いようが悪かったか、聞きようが悪かったか知りませんけれども、同席した各新聞社がそのように受け取って愛知県民に報道したという点は、どちらが悪かったか、これは私にはわかりませんが、少なくともそういう期待を与えたことは事実で、この期待によってますます現場における救急医療の事業発展の非常な刺激剤になっておることも事実なんです。いまあなたがそれをやや打ち消されるというような結果になるということは、これは非常にマイナスになる。したがって、私はかりに百歩も千歩も譲って、事実はそうであった。言い違いか、聞き違いか、どっちかであったにいたしましても、この本来の目的である全日本に非常な特殊な構想で、しかも各界の非常な賛意を得ていよいよ建設に着手し、年内か年度内にはこの機能が発展をするこの機会に、明年度の予算編成にあたっては——大阪だって補助金を七百万円出しているじゃないですか、ほかのほうだってあなたのほうが厚生省として救急医療について努力をするという段階であるならば、あらためて明年度予算の編成に際して十分検討をされるべきが望ましいと思うのですが、どうです。
  54. 若松栄一

    ○若松政府委員 このような名古屋の特別な施設に対して、私どもも衷心からそのいい結果の出ることを期待しております。そのために、そういう民間の資金等のあっせんもいたして、その経過を見守っているわけでございますが、その成果によりまして、国が全国的な統一的な施策として取り上げるという段階になりますれば、これはそういう設備の整備に対して助成をするのか、あるいはその運営に対して助成をするのかというようなことは、もう少しあとの段階になって決定さるべきものと考えております。ただこの施設はパイオニア的な一つの実験でございますので、実験に国が直接援助をするということは従来のいろいろな関連から見ましてなかなか困難な事実ではないかと存じております。何ぶんにも、大阪の場合、あるいは神奈川県の場合も、施設の整備そのものについて助成なりあるいは融資のあっせんなりはいたしておりますが、運営費については助成はいたしておりません。この運営費となりますと、運営の費用というものが非常に複雑でございまして、本来ならばそれぞれ救急医療の医療費でまかなうべきものであるとか、あるいは医療費ではとてもまかなえないから公費をつぎ込むべきだというようないろいろな議論が出ておりまして、そのような議論の決着も見ておりません。そういう意味で特に運営費に対する恒常的な援助ということについては、現在まだ客観的な情勢が煮詰まっていない段階でございます。
  55. 横山利秋

    ○横山委員 これはだめですな。厚生大臣に一ぺんそのときの実情、いきさつを確かめなければなりません。ただ、私はあなたに申し上げておきたいのですけれども、この救急医療、神奈川をはじめ全国で五カ所いま努力をしておりますこの救急医療について、何か経常費が採算に乗るような印象を、あなたは持っていらっしゃらないと思うけれども、採算面においてはこの種の問題がうまくいくはずがない。しかもこの種の問題はすべて公共的な立場において行なわれ、今回刑法改正の一環としてあらゆる面で交通事故、交通医療、その原因というものを究明する中で、厚生省がいまおっしゃるようなこの救急医療に対して消極的な態度とも思われるようなお考えを持つならば、まことに遺憾千万だと私は思うのであります。あなたのほうで救急医療はいかにあるべきかという大方針がどうもなくて、各地でいろいろなやり方がある、やってみてくれ、パイオニア精神を発揮するならばそれを一ぺんやってみてくれ、うまくいくようならば応援してもいい、こういうお考えのような感じはまことに遺憾千万だと私は思うのであります。お帰りになりまして、一ぺん厚生大臣にとくと名古屋における御発言の意思はどうであったかということを確かめ、本委員会質疑応答につきましても御連絡を願って、あらためて愛知県並びに名古屋市、このセンター側から発足にあたっての要望があると思うのでありますが、十分にそれに対して善処をしていただきたいと思いますが、いかがですか。
  56. 若松栄一

    ○若松政府委員 ただいまの御趣旨も大臣にお伝え申し上げ、また当時の大臣の御発言の内容もお聞きいたしまして、十分意を尽くして将来に善処したいと思います。
  57. 横山利秋

    ○横山委員 法務大臣に一つ苦情を申し上げたいのであります。  あなたがいらっしゃらない前に津田さんに言うたのでありますが、最近になりまして、法務省が会期末になると、いやテレビにお出になる、やれ新聞社にどういうPRがあったか知りませんけれども、刑法の一部改正はどうしても云々というようなことで、大臣は「朝の訪問」で、統計的な数字を用いられたかどうかは知りませんけれども、これを通さなければいかぬ、これに反対している人はどうかと思うというくらいのお話をなさった。もしもそれくらいの熱望があるならば、そんなことはわれら審議に当たっておる者に対しまして、率直に何らかの方法をもっておっしゃるべきであり、審議がまだ始まらない段階から、われらを素通りしてそういうことをなさるということにつきましては、私どもとしてはあまりいい気持ちがしなかったわけであります。特に津田さんに申し上げたのは、この有罪になりました禁錮の上限のほうが、この法律が通らぬとうまくいかぬのだという上限論を、津田刑事局長は展開しておられる。その上限論はいま論戦になったわけでありますけれども、三十年と三十八年、ここ数年間を比べてみましても、やや絶対数は上がっておるけれども、相対比率数は逆に下がっておる。そうして三十八年の統計を見ますと、二千九百四十八人のうちの十二人の問題である。二千九百四十八人の十二人、〇・〇〇四〇という数字である。そのわずかの数字が、あたかも絶対的な観念を持って、法務大臣が国民にお話をなさるということについては、統計上の数字のこれは故意な悪用ではないかということを、私は津田刑事局長に言うておるわけであります。今後世論に訴えられますときには、統計は確実に数字を使い、客観的にお話をなさって、その上に意見をつけ加えられることを要望いたしたいのでありますが、どうでありますか。
  58. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 いまのお話だと、私のテレビ放送をお聞きになっていないようですけれども、まことに遺憾でございます。聞いておられますと、なかなかあなたは微に入り細にうがっていろんな点をおっしゃるから間違いないと思うのですが、ちょっと少し違っているように思います。  第一段の、私はけしからぬというようなことは言うた覚えはない。この法案がどうなっておるかということのお話で、二月に提案をしたが、それがようやく審議の段階に入った状態であるというようなことはまことに遺憾でありますということを申したのであります。それだけのことでございます。それでけしからぬとも何とも申しておりません。遺憾である。せっかく出したものが審議されないのは私としてははなはだ遺憾であるというのは、当然だれにでも私は申しておるわけであります。どこででも申すことであります。それ以外のことは申しておりません。だれを非難もいたしておりません。国会も非難をいたしておりません。それだけであります。  それから、内容の問題については、たとえばどういうわけでそういうものをこさえるんだというと、交通事故がどんどんふえておる。特に一般自動車事故が盛んにふえてくるんだ。それに酔っぱらい運転であるとか、無軌道な速力を出す連中があるとか、無免許運転であるとか、そういうふうなほとんどめちゃくちゃなことをやる者に大きな刑罰を与えて、それをもあえて犯すというような場合は、故意に人命を無視するような者とほとんど紙一重くらいな状態になるんじゃないかというような心持ちで、われわれは、そういう場合においてはちゃんとこういう罰をやるぞというようなことをやるには、いまのでは軽過ぎる。いまのはもう頂上に来ているようなものだというような意味で申したのでございます。十二の数が少ないとおっしゃいますが、十二の数は私は少ないとは思わないのでございます。あなたは比例をおっしゃいますけれども、比例の問題ではないと私は思うのでございますが、どうでしょう。これはものの考え方でございます。私は一人の人が死んでも、問題のときは非常な問題になる問題だと思うのでございますが、十年前には三人くらいの人であったのが、最近においては十二人死んでおる。重過失か何かで死んだ者が出ておるということは、私は非常に大事な問題だと思って、これを取り上げなくちゃならない。これでいいのかということを、やはり私どもとしては考えなくてはならない。交通事故というものがなくなり、そうして人命が脅かされないようにするのは、いつも申しますように、刑法改正だけでは満足でないということは当然のことでございますが、刑法の面からだけ見ましても、そういうふうなことを大事に考えなくてはならない。それにはどうも三年の禁錮ではもういかぬじゃないか、もう一つ上げて、五年の禁錮、五年の懲役というものをここに出して、こういうことはこんなに大事な問題であるということを、大きく警鐘を鳴らすことが一番大事なことである。これは、そういうものにひっかからないような状態なり、そうしてこの数がほとんどなくなるというようなことになることが一番のねらいでございますが、少なくも数が減っていく、これからふえないようにしてもらいたいというのがねらいで私は申したわけでございます。
  59. 横山利秋

    ○横山委員 きょうは時間の関係上、これから細密にわたって質疑をする時間がございませんので、いま大臣が意見としておっしゃいましたような点につきまして、私も大臣にお考え願いたいという点について意見を少し申し上げて、御参考に供しておきたいと思います。  先ほど津田さんにも言ったのでありますが、この法律改正案が世論に与えておる印象は上限論、つまり重過失だとか未必の故意だとか、そういう上限論が主軸でなくて、交通事故が起こってどうにもならぬから何とかしなければいかぬという一般論で展開されておる。その点はこすいと私は見ておる。いまこうやって開き直って話を聞けば上限論だ、一般交通事故に対する刑罰に影響はないんだということを、法律論としておっしゃる。それは私に言わせればこすいやり方だ、これが第一の問題であります。  したがって第二番目に、最近の交通事故は酔っぱらい、無免許、スピード違反、そういうような世俗的な問題を頭に出しておられるけれども、それならばあくまで交通に限定した訴え方である。しかし、法律として提案されておるものは刑法の一部改正というわけで、あらゆる業務上過失事故にこれが適用される。そこに立法の趣旨と、それから改正案の適用範囲との非常な違いがあるではないか、これもこすいと言っている。そうすると法務省の見解としては、なるほどそれはそうであるけれども、法律論としてはそううまくいかないんだという法律技術論を展開される。法律技術論によって、うまくいかないから酔っぱらい、無免許、スピード違反、特にその中の悪質が目的であるけれども、法律技術上うまくいかないから刑法二百十一条を展開するんだ。それもこすい。それも法律技術論によって、広範囲に網をひっかけられるということは適当でないということが私どもの意見です。  それからその次には、業務上過失事故ということの問題でありますけれども、業務上過失事故というものの範囲があまりにも広い。先般の三十三年でありますか、先ほども刑事局長が援用されたのでありますが、業務上過失事故というのは、本来人が社会生活上の地位に基づいて反復継続して行なう行為であって、それによって収入を得るといなとにかかわらず、またその欲望を満たすといなとを問わず、たとえ娯楽のためであっても業務として扱うべし、こういうような判例がある。まさにそれは実に広範なものであって、単純過失の場合と違って刑も重いのであるから影響するところ実に甚大である。したがって、その立法の本来の趣旨から、今度は非常に影響する甚大なほうへまいるということはいかがなものかとわれわれは考える。この間私の要望に基づきましてこの最高裁の判決の全文をいただいたのでありますが、六月十四日の横田正俊さんの判決を見ますと、今度はその業務上過失ということについて、運転従業員の責任分野についてはあまりにも広範な責任を課するということは過酷であるという判断である。これは最近われわれの主張というものがいささか反映をしたような気もして多少心あたたまる思いでありますが、こう判決が最高裁で出ますと、業務上過失事故というものについても論理的に考え直すべきではないか。いま政府がこの法案に関連をして持っております業務上過失というものと、最高裁の判決というものについて見直す必要があるのではないかということが私の次の意見であります。  それからその次の意見は、先ほど同僚委員——それに対して与党からも質問があったわけなんですが、刑法は基本法だ、しかも、いま全般の改正草案を政府部内でやっているではないか。そうしてそれは実に成熟したような段階にもなりつつあるではないか。何を好んでいまどうしてもこの基本法である刑法改正によらなければならないのかという点についてはどうも納得がいかぬのであります。先ほども与党からも意見が出ておったのですが、なぜ道路交通法の改正によれないのか。これはまた法律技術論としてむずかしいというお話がある。けれども、刑罰というものについて法律技術的に悪用、乱用される可能性のある方法を選ぶべきか、あるいはなるべくそういうことのないような方法を選ぶべきか、いずれもその法律技術論で問題点があるとするならば、私は後者、すなわち道路交通法の改正によってこれをなさるべきではないか、こういう考えのほうが穏健妥当ではないかと思われる。  それからその次は、先ほど申しましたように、頭打ち論というものについて、いま刑罰が頭打ちしておるという点については首肯しがたい。これは裁判官の運用によって足りる条件がまだある。全然頭打ちで、どうにも何にもならないというようなことではないと考える。  その次には、いま法務大臣も津田刑事局長自分でおっしゃっておりますように、交通事故をなくするということが何かいま刑法ムードによって刑罰を重くすれば、ムードとして交通事故がなくなるかのごとき印象を与えておられるような気がする。この点については今後、きょう資料として提出をされました政府関係交通事故対策についてどういうことが行なわれておるか、十分に質疑、討議を行なわなければ、この議論は煮詰まらぬではないかと思いいますが、いずれにしてもいまこの刑法ムードによれば、根本的対策政府が不十分なところを、刑罰を強くすることによって何か問題をそらそうとしているのではないかという感じがしてならない等々、先ほど大臣が意見らしいことをおっしゃいましたので私も一応自分の意見を申し述べて、どちらが正しいかにつきましては今後政府関係機関あらゆるところにこれへ出てもらって、大臣とも十分に議論を尽くしたいと思うのでありますが、さしあたりそのような意見を開陳をいたしまして、国民の皆さんに平等に判断してもらいたい、こう考えまして、以上私のきょうの質問を終わりたいと思います。
  60. 大久保武雄

    ○大久保委員長 濱野清吾君。
  61. 濱野清吾

    ○濱野委員 大臣がお見えになっておりますから、せっかくですから一言大臣にお聞きしたいのであります。  最近刑法改正、これの一つの大きな世論が出てきたわけでありますが、これを改正するに至った政府考え方は私ども了承しております。ただ一つ、私残念に思うことは、こういう刑法改正案を提案する前に、業務上の傷害とかいうようなことを防止するための施策というようなものを総合的に行なわなければならぬと思うのでありますが、閣議等におきまして、この防止に対する総合的な対策が論議されたことがございますか。私考えますと、事故を起こしてからの、こうした刑法条文を適用して将来を戒める、ただ、この法の威力によって事故の惹起を防止する、実際これが今度の両法の改正の目的だと思うのであります。しかし、事故を起こさない前に直接タッチしている政府の管轄というものがあるはずだ。具体的にいえば、運輸省のごときは重大な責任を持っておるわけであります。刑法改正でありますから、一般論になりますが、さしあたりのねらいは交通事故だと思います。この交通関係に直接タッチしておりますのは運輸省であります。過般のボーイングの事故にしてみたところで、あるいは頻発しております自動車事故にしてみたところが、あるいはまた国鉄その他電気軌道車などの事故にしてみましても、その主管事務は運輸省でなければならぬ。運輸大臣は、ほんとうに人の生命が大事だというなら、今日の事故統計を見ましていても立ってもいられないはずなんだ。法務省がこういうことをたいへんだから何とか実体法を改正して防止するという考え方以前に、直接の監督官庁はこれはいても立ってもいられないのが大臣の立場でなければならぬ。しかもそういうことが閣議で真剣に論議されないということはおかしい。たとえば、いまの内閣には調査室というものができておる。世間では交通戦争だという。政府もまた交通戦争だといっている。そのために総理府には特別な機関まで設けて、各省からそれぞれの有能なる役人諸君が出て、いろいろと施策をめぐらしているはずであります。そういうことを私ども見ておりますと、確かに建設省は一生懸命です。これはむろん国会の協力によってあれだけの予算をとっておるのでありますが、しかしその他の直接関係しております運輸省のごときは、のほほんとかまえている。こういうことが閣議で論議されないのはおかしい。法務省だけが一生懸命実体法を改正してまでこういう事故を防止しようといっているのに、直接責任を持っている運輸省がこのままでいいはずがないし、また閣議が十分に人の生命が大事だ、交通戦争だといわれるほどのものなら、これは何も主管大臣でなくても国務大臣の立場で大いに論議されてしかるべきだと思いますが、石井法務大臣どう思いますか。
  62. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 私もその方向は、全然おっしゃるとおりだと思います。これは起こってからの問題ですから、起こらないようにするのが一番大事なことであります。人命に傷害を及ぼすというようなことが起こって、それをどうする、こうするというより、交通事故が起こらないようにということが一番大事なことであります。いまさっき非常な極端な例として、酔っぱらい運転だとか、無免許運転だとか申しましたが、そういうことでなくて、いろいろな故障、交通事故でいろいろ問題を起こしておることがたくさんあります。それは設備が悪いから起こっているのもたくさんあると私は思います。だからそれをやらないでいろいろなことを言うのは本末転倒なんです。だから、それをしっかりやらないで、罰するというほうをやるということは、ほんとうを言うとけしからぬということになります。政府も、もちろんその問題が論議されぬことはありません、かなりしておる。そうして出た結果が、まだもっとやるべき問題——内容的に入っていくと、あれもこれもやりたいのでありますが、三カ年計画で交通安全施設として三百億の予算ということで、ことし百九億の予算が見積もられておる。今後三カ年間に三百億というもので、道路のあかりを明るくするとか、標識をよくするとかあるいは安全のフェンダー等をつけるとか、できるだけのことをやっていく、これも一つの進歩だと思います。全国的に考えればもっともっと金を出してもらいたいし、また地方には地方のそれに応ずる予算の支出もあるだろうと思います。国家の支出がことし百九億という問題でございますから、これがだんだん進んでくれないと、おまえはけしからぬと言うには——お手元はと言われて政府が赤い顔をせずにおられるかというと私はできないという心持ちでおります。一生懸命努力いたします。
  63. 濱野清吾

    ○濱野委員 私は全く同感なんです。そうした予算をとって、たとえば陸上輸送関係交通事故をなくそう、その点で一生懸命になっておりますのはおよそ建設省関係であり、また真剣に取り組んでいるのは、やはり道路の施設というようなものが事故を発生する一つの要素になっておりますから、それに目を向けて政府が努力していることはよくわかります。しかしそれだけでは交通事故あるいは傷害致死事件というようなものは解決しない。ですからもっと閣議で総合施策のために基本的な論議が展開されてしかるべきだ、しかも石井法務大臣は熱心に刑法改正を提案された立場でございますから、これは閣議で論議さるべきだ、そう私は思うのです。  そこで、私どもが考えております三つの条件をひとつ参考のためにお話し申し上げたいと思います。大体船舶、列車、電気軌道車、航空機、あるいは路面自動車、これらの事故の起きるのは何といってもハンドルを握ったその人の技能、その人の経験、その人の知識、そういうようなものが文明の利器を操作するだけの能力がなければ私は非常に危険だと思う。ところが世界を通じての一つの流れでありますが、速度があらゆる面においてアップされておる。これは飛行機も、列車も、自動車もそうであります。ところがこれを操縦する人々の技術というようなものは必ずしもアップされていない。ことに日本のような場合を静かに見ますと、池田内閣以来高度の経済成長を遂げましたから、輸送産業の担当者であるそれらの操縦桿を握る人々の免許基準というものが、実際今日の基準では私は事故が頻発すると思う。こういうものを取り扱っておるのは運輸省であります。それはなるほど基準の引き上げはしました。しましたけれども、日本のような悪い道路で、日本のような性能のいい自動車を、しかもいまの運転者諸君の技能で事故なしに運転しろというのは無理なんです。たとえば自動車の場合を考えますと、まず先ほど申し上げました道路事情です。国道の延長の約四二%は七メートル半以下です。そこに電信柱が突っ立っておって、自動車は毎日われわれが経験しておるように電信柱をよけて通るのが今日の国道の四二%だといわれておる。ですから、建設省が一生懸命になっておることは——かりに四二%あっても、われわれは将来直るであろうという期待を持って協力しておるわけです。ところが、そこを走らせる自動車の安全装置というようなものに対しましては、一向に運輸省は熱意がない。そして性能の高いその自動車を運行する人々の技術の訓練等におきましても、あまり見るべき熱意はない。ですから事故の起きるのは当然ですよ、事故の起きるような状態において起きているのですから。これを直すのは、やはりせっかくできている政府の調査会あたりが十分実態を検討して、そしてそれぞれの機関に具体化するような指示が行なわるべきだと私は思うのでありますが、私どもの見るところでは運輸省はほとんど熱意がない。四二%の七メートル半以下の、センターラインを引けない道路を走るのが、世界の水準を突破しておるような自動車、アクセルを踏めば気違いのように飛び出し、七十キロから百二十キロまで出る自動車、そしてそれを運転する責任者は急増しましたから、それだけの技術を体得し得ない、こういう日本でありますから、年間四十三万数千人の死傷事件を出すのはあたりまえです。これを直接担当しているのは運輸大臣なんです。ですから、そういう怠けている、しかもこの実態を究明して自己の責任を感じない役所のあることが、何とか閣議で論議になりそうなものだということを私はしきりに期待しているのでありますが、一向に閣議で真剣に取り上げてくれたことがないようです。ただあなたが法務大臣としてお役所にいらっしゃる法務省だけは、法の威力によってこれを予防しよう、あるいはどうしてもいけないものは処罰しようという法律を出して、今日論議が戦わされているわけなんです。この法改正によって事故の発生を少なくするということは不可能であります。事故の起きるような状態で日本の交通はどんどん発展していくのでありますから、それにマッチしない。タイミングが合わない。これは石井先生、私はあなたにお願いいたしますが、ひとつ閣議で運輸大臣と十分御相談くださいませんか。法務省だけが独走して実体法を改正して、さて期待するように事故件数が減るだろうか、専門家はそう見ているのです。私は、ないよりはいい、そういう意味でこの問題については賛成しておりますけれども、しかし交通戦争といわれ、しかも気がついておって、閣議でこの問題が大きな議論にならないというのがおかしいと思う。運輸省あたりがこのままでいいということがおかしい。ですから、どうぞこういう機会でありますから、法務大臣からも閣議で論議されることをお約束願います。当然だと思うのです。いかがですか。
  64. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 趣旨はまことに賛成でございます。その心がけで相談していきます。
  65. 濱野清吾

    ○濱野委員 心持ちだけでなしに、やってください。私は身体生命が大事だなどと言って演説したってだめだと思うのですよ、法務大臣、国民はついてこぬと思うのです。ですから、先生、人の主管事務について干渉するのはどうかと思うという大人の考え方ではなしに、毎日失っていく人の命というものをほんとうに大事だと思ったら、他の大臣の主管事務でもかまわないじゃありませんか。たった一人の大臣でも真剣にやってくれれば、これはできますよ、簡単なんですから。私から特に強く先生を信頼して希望するのでありますから、この気持ちをくんでください。お互いの女房でも子供でもひっかかってごらんなさい。それはもう人間ですから、真剣に考えるべきだと思うのです。  以上で終わります。
  66. 大久保武雄

    ○大久保委員長 本日の議事は、この程度にとどめます。次会は、明二十二日に開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後一時二十分散会