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横山委員 ところが、高裁の判決の趣旨は、「局舎立入権、
書類の閲覧権は組合側には存在せず、立入りについての拒否権は庁舎管理権の建前から当然局長が有している。」という点を繰り返し主張しておるのであります。しかしこれはあなたに判決の批判を求めるのは無理でありますから、あなたもおっしゃるように、局舎立ち入り権、
書類閲覧権については限界を侵さざる限りにおいては本来的に組合が有しておるものとお考えならば、それでけっこうでございます。
次に、先ほど申しました十四名のうち一人しか証人申請が許されなかったために、この実刑——それだけではもちろんございませんけれ
ども、事実が十分に高裁の判決に反映をしなかったということに対しまして、当時、
理事者側の圧力をおそれて十分に主張をしなかった人あるいは証人申請に委託されなかったために行かなかった
人たちが、非常に心配をいたしまして、進んで当時の記録を最高
裁判所に見てもらいたいということで、ここに、手元に上申書が十九通あります。試みにその
一つ、二つを引用してみますと、
上申書(十八)
安西郵便局点検斗争について十二月六日の朝、全逓
地区本部に電話をしたことについて上申致します。
昭和三十三年十二月六日(土曜日)朝、八時三十分少し前に私は静岡城北郵便局に出勤すると、仲谷さんや、八木さんの様子で「今日何処の局え点検斗争に行くらしい」事を知りました。それなら種々、問題の多い安西局え行って貰いたいと思い。とっさの思いつきで一軒おいて隣りの藤山さんの家の電話をかり、
地区本部え電話をしました。私はもと安西局に勤務して居り栗田さん、杉山さんと共に仕事をして居りましたが暗い職場で毎日、いやなことばかりが多く城北局え転勤してあまりの違いに驚いていました。
九時少し前、
地区本部え電話をしました。「今日は何処かの局え点検斗争に行く様ですが安西の局え是非行って下さい。種々問題が多い局ですから」という事を話しました。私は今まで何回かこのことを云うか、云わまいかで迷い、一審の公判でも云いませんでした。その
理由は、
事件があまりにも大きく
新聞にものりましたので自分のかけた電話で
事件がおきたと感違いし、局長さん達が恐がったのです。又時間中に電話をかけたことが何かとがめられるのではないかと思い迷っていました。電話をかけたことは間違いありません。
昭和四〇年四月二五日
住所 静岡市城東町四番地の九
氏名 久保田広子マル印
年令 二十九才
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上申書(十九)
安西郵便局長(伊藤淳平氏)から組合のことでしかられたことについて上申致します。
私達は
昭和三十三年十二月七日夜、
支部役員の榎田さん、中谷さんの二人が自宅に来て組合の話しをされました。いろいろ話を聞いて全逓に残る事に決め確認書を書きました。
十二月八日、安西局に出勤すると局長さんから昨晩、全逓の役員が家え行かないかと聞かれたが榎田さん達から局長に云うと又、うるさいからだまっていた方がよいと云はれていたので「来ません」と返事をしました。
十二月九日、安西局で夕方、石川さんが来たので帰り際に外え呼んで「私
たち二人は全逓に残る」と云ってそのまま家え帰りました。
十二月十日、安西局で昼前に局長さんから「局長に恥をかかせる気か」、「若し全逓に残るならば全逓の連中と同じ様に
警察え訴えてやる」等のあまりにもひどい言葉を云われて私達二人はくやしくて其のままその場で泣いてしまいました。
今まで私
たちは一審の公判で申し上げませんでしたが、それも局長さんに気兼ねしたり何だか恐い気持ちがあったからです。
昭和四〇年四月二五日
住所 静岡市中島二五六三
氏名 栗田ヨシ江マル印
年令 三十一才
住所 静岡市上足洗七一七の三番地
氏名 杉山悦子マル印
年令三十二才
最高
裁判所裁判長殿
この種の上申書を読みますと、実に安西局長がいろいろなことをやっておるということがあるのでありますが、その一端の竜宮会談、
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上申書(五)
静岡市内の特定局長会が
昭和三十三年十月頃から全逓の点検斗争や組織改編による組合活動の活発になることをおそれ、市内特定郵便局の全逓組合員を脱退させる動きをしていたことについて上申致します。
静岡市駅前の松坂屋裏にある竜宮旅館で脱退工作をした事実がありますが私
たちは通称この会談を竜宮会談と呼んでおります。
昭和三十三年十一月二十九日(土曜日)午后三時頃と思いますが自宅に居りますと、特定局の仲間の大谷局の島崎君、井ノ宮局の牧野君、手越局の沢村君(現在免職)、安西局の石川君の四名で自転車にて来ました。私は何んな用件にて来ましたか解りませんでした。用件に付いて聴きますと全逓を脱退するための工作話しとの事でした。
私も突然の事でびっくりした事を現在でもはっきり覚えて居ります。なぜ、全逓を脱退するか私には解りませんでした。
その事について松坂屋の裏の竜宮と云う料理屋で局長連中が四、五名と全特定の遠藤さん等と色々と相談をしているから来て貰いたい、織田君も集るとの事でした。局長は新通局長八木さん、安西局長伊藤さん、東稲川局長設楽さん、鷹匠局長増田さん、伝馬局長山下さんと聞きました。
私は全逓を退く事はいやなため諸君にさそわれましたが出席をこばみましたので竜宮にいる局長さんの顔は見ていません。
島崎君以下の諸氏は色々と話しも出ましたが二〇分か三〇分后にあきらめて帰りました。
昭和四十年五月六日
静岡市東若松町一丁目一八
森下 正男
これは枚挙にいとまがありませんが、要するにこの上申書の十九通並びに当時メモをしておった人の手帳を全部提出をいたしたのでありますが、これらを見ますと、高裁の判決によります、要するにその不当労働行為がないにかかわらず、全逓の役員があったと独断をして、報復したやり方をしたというものの考え方が高裁の判決に貫かれておるのであります。不当労働行為がないにかかわらず、不当労働行為があったものと独断してその報復にやってきた、こういう思想が高裁の判決の中心をなしておる。したがってもし十四名の人々がこの証人申請が許可されて、そしてこの種の竜宮会談やあらゆる問題がこの俎上に上がりますならば、当然高等
裁判所の裁判官の
判断というものは私は違ってくるものだ、こう考えられるのであります。
そこで、
最高裁に対しまして、この「安西郵便局
事件当時における安西郵便局長等の不当労働行為の事実並に組合機関としてのこれに対する組織行動に関する上申書、新
証拠としての記録ノート及びこれの解説。」等を提出をすると言っておりましたが、
最高裁においては受理がされておりますか、御存じでございますか。