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1966-04-15 第51回国会 衆議院 法務委員会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年四月十五日(金曜日)    午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 大久保武雄君    理事 上村千一郎君 理事 大竹 太郎君    理事 小島 徹三君 理事 田村 良平君    理事 濱田 幸雄君 理事 坂本 泰良君    理事 細迫 兼光君       鍛冶 良作君    唐澤 俊樹君       佐伯 宗義君    四宮 久吉君       濱野 清吾君    森下 元晴君       神近 市子君    山田 長司君       志賀 義雄君    田中織之進君  出席政府委員         法務政務次官  山本 利壽君         法務事務官         (人権擁護局         長)      堀内 恒雄君         文部事務官         (管理局長)  天城  勲君  委員外出席者         警  視  長         (警察庁刑事局         捜査第一課長) 関根 広文君         文部事務官         (大学学術局大         学課長)    吉里 邦夫君         労働事務官         (労政局労働法         規課長)    青木勇之助君         参  考  人         (国士舘大学舘         長代理)    横山 彦真君         参  考  人         (前国士舘大学         教授)     鹿島宗二郎君         専  門  員 高橋 勝好君     ————————————— 四月十四日  委員森下元晴辞任につき、その補欠として篠  田弘作君が議長指名委員に選任された。 同日  委員篠田弘作辞任につき、その補欠として森  下元晴君が議長指名委員に選任された。 同月十五日  委員早川崇辞任につき、その補欠として鍛冶  良作君が議長指名委員に選任された。 同日  委員鍛冶良作辞任につき、その補欠として早  川崇君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  人権擁護に関する件(国士舘大学問題等)      ————◇—————
  2. 大久保武雄

    大久保委員長 これより会議を開きます。  人権擁護に関する件について調査を進めます。  本日は、国士舘大学問題について参考人より意見を聴取することといたします。本日出席参考人国士舘大学舘長代理横山彦真君、前国士舘大学教授鹿島宗二郎君の二名であります。  参考人各位には御多用中のところ御出席いただき、まことにありがとうございます。何とぞ忌揮のない御意見をお願い申し上げます。  この際、委員各位に申し上げます。参考人の御意見は、委員からの質疑によってお述べいただくことにいたしておりますから、さよう御了承願います。  これより参考人及び政府当局に対する質疑に入ります。上村千一郎君。
  3. 上村千一郎

    上村委員 本日は、国士舘大学舘長代理横山参考人、前国士舘大学教授鹿島参考人がお見えでございます。当法務委員会において、国士舘大学中心としまして、いろいろと問題が審議されておるわけでございます。それでこの問題点につきまして、実は簡単にお尋ねもし、また御意見も拝聴いたしたいと思うわけでございます。その前に、当委員会には法務省の山本政務次官堀内人権擁護局長文部省天城管理局長吉里大学課長方々出席をされております。その方々質問を申し上げ、お尋ねをしていきながら参考人の方に御意見を承ることのほらが、いわば簡明に問題について理解ができるかと思いますので、あわせて質問をいたしていきたいと思うわけであります。  実は国士舘大学に関連いたしまして、あるいは人権侵害事件が発生したとして、これに対して人権擁護局のほらへ提訴している、あるいは民事事件としまして、教授の方が解任されたという意味から、地位保全の訴えを提起しておる、あるいは学校において暴行傷害事件が発生したというわけで、被害者の方から検察当局のほらへ告訴を提起しておるというような問題が生じております。その他文教関係のものとして、また教育関係について問題も提起されておりますけれども、当委員会法務委員会でございますので、法務関係に関連した点に要約いたしまして質問をいたしていきたいと思うわけでございます。  堀内人権擁護局長お尋ねをいたしていくわけでございますが、この国士舘大学に関連しまして、人権擁護局のほらへ人権侵害ありとして提訴しておるかどうか、その内容につきまして、私の質問の時間が約三十分というふうに全体としまして与えられておりますので、時間のいろいろな制約もあるし、同僚各委員方々の御質問もありますので、その方々に御迷惑をおかけしても悪うございますので、ひとつ簡単に要約して、この事件内容などについてお答えを賜わりたいと思います。
  4. 堀内恒雄

    堀内政府委員 ただいま、国士舘大学事件につきまして、人権関係でいわゆる提訴というものがあったかどらかという御質問でありますが、これにつきましては、昭和四十年の十一月十日に、元国士舘大学教授鹿島宗二郎さん、桑田博さん、今川八乗さんのお三名の方から申告があったのであります。その申告内容につきましては、本年三月八日の衆議院内閣委員会におきます稻村委員、及び同月の十一日の衆議院法務委員会におきます神近委員の御質問に対して答弁をいたしましたように、柴田国士舘大学総長が、自分の考えに違うことをする学生あるいは教職員に、手あるいはステッキなどでなぐったり灰皿を投げたりするなどという暴行を加えたというのが第一点であります。  第二点は、同総長は、天皇が国家の象徴であられることにつきまして不満を持ちまして、元首復位を目的とする政治運動を起こしまして、選挙権銀行倶楽部という組織の拡大をはかるために、その本部を学内に置きまして、会員を募集し、その他学生、父兄を強制的に動員している。また募集の成績の悪い学生に対しましては、総長が担当しています科目の点数を悪くしたりするという点、これが第二点であります。  第三点は、同総長右運動に反対する教職員親睦会を持つことを禁止いたしまして、これに反対する申告者を不当に解雇したという点でございます。  以上でございます。
  5. 上村千一郎

    上村委員 ここに参考人とされまして鹿島宗二郎参考人がお見えでございますが、鹿島宗二郎参考人に関連をする提訴、その内容につきまして、ひとつお尋ねをしておきたいと思います。まず最初人権擁護局長お尋ねしておきます。そしてそれに関連しまして鹿島参考人からお尋ねいたします。
  6. 堀内恒雄

    堀内政府委員 鹿島宗二郎さんに関係いたします部分は、ただいま第三点として申し述べましたように、親睦会というものをつくって、その親睦会に参加することを禁止する、そしてそれに参加した者は解雇するというような問題に関連しまして——昭和四十年の六月中に鹿島宗二郎さんが発起人となりまして同学校教員親睦会をつくった。また会の第二回目の会合に際しまして、右の親睦会案内状を受け取った教授四、五名に対しまして、もし親睦会出席するならば首にするということを申し、そして鹿島宗二郎氏に対しまして、親睦会ができれば、待遇問題などから教職員組合が生まれ、また日教組が入ることにもなるから、ああいうものはやめなさいと申し向けまして、そして他の教員にも個別に、親睦会出席しないように、そういう申し渡しをしました。十二月二十六日に、親睦会出席するような同学の高校の教諭四名を不当に解雇し、そうして翌二十七日、同校の教諭桑田博さんに対しまして、あれほど言ったのに親睦会出席したから首にすると申し向けまして、不当解雇したという点、そうして鹿島宗二郎さん自身につきましては、本年の二月十日付をもちまして国士舘大学から解雇した、こういう点でございます。
  7. 上村千一郎

    上村委員 これに関連しまして、鹿島参考人からお伺いたしたい。
  8. 鹿島宗二郎

    鹿島参考人 私が親睦会を開催しようとしたのは、決して選挙権銀行倶楽部に反対するための親睦会じゃございません。学校には教授会がございますが、実際上において、その教授会学校のいろいろなことが自由に討論される教授会じゃございません。これは一種のショーでございまして、学長が大礼服、元帥服にまがえた洋服を着まして乗り込んでくる。そうして演説をして、教授たちの言うことをほとんど聞かずにさっと解散してしまいます。そういう教授会で、学校のことは一ぺんも討論されておりません。そこで私たちは、ぜひ学校の運営に必要な、お互いの教授間の話し合いが必要である、そういう会合を持たなければいかぬというので、親睦会を開こうとしたのです。ところがその親睦会を開きますと——最初親睦会はほとんど全部集まりました。これはアンケートをとりましたところが、教授から、ほとんど全部親睦会をぜひやってもらいたいという手紙が来ましたので、そこでそれに基づきまして親睦会を開いたところが、初めは政経学部の先生はほとんど全部それに参加しました。ところが、二回目に開こうとしましたときに、こちらにいらっしゃる横山さんから手紙が来まして、親睦会を開くと、三上君、佐藤君の問題に触れるから、これは開かないでくれ、三上佐藤問題に触れると、あなたばかりでなく、あなたの子孫お子さん方までもあぶないというようなことを言った手紙をくれました。それから学長に呼ばれまして、この間おまえは親睦会を開いたが、おまえはこの間共産主義毛沢東を礼賛する本を書いた、——私は事実経済往来社から、毛沢東に関する本を書きましたが、この本は毛沢東を礼賛する本である、おまえは毛沢東から金をもらって、第五列になったとある教授がそう教えてくれた、もう一つは、この間の親睦会に行って、おまえは共産党でなければ手に入らない文書を読み上げた——この文書国会文教委員会速記録を読みました。その中で、三上佐藤問題を、二宮議員が取り扱っているところの記事がございますので、これを読み上げました。ところが学長は、それは共産党でなければ手に入らない文書だと言いますので、私は、そんなことはありません、これは文教委員会速記録ですとはっきりお答えしました。ところが、すっかり学長もそう了解しながら、七月の十日に学生ほぼ三分の一を集めまして、学校終業式を開きましたが、その席上、私を壇上に呼びまして、この男が三上佐藤のほうに加担をしておる、そうして私の言うことをちっとも信用しない、みんなでこの男の言いわけを聞こう、こう言って私を壇上に引っぱり出したのです。その席上、学長はまたこういうことを言いました。この男は毛沢東に金をもらって第五列になっている、赤である。もう一つ、この男は、この間の親睦会でもって共産党でなければ手に入らない文書を入手して、これをみなに読み上げた、こういうことを言いますので、私は学生たちに対して、そんなことはない、共産党文書ではないけれども文書を読み上げたことは事実である、それは国会文教委員会速記録です、もし文教委員会速記録共産党でなければ手に入らない文書であるというならば、日本政府は即共産党ということになりますよ、こういうふうに私は申しました。ところが、生徒は大ぜいこれに対して私に賛同の拍手を送ったのです。こういうような事実があります。  それからそのすぐあとでもって教授会を開きまして、私に対して学長が、あしたの親睦会はやめろ、こう言った。ところが私はやめないとがんばった。そのあとでほかの教授たちに、あしたの親睦会に行くのはやめろと電話または口頭でおどかした。それはここに証拠がございます。この間なくなりました山崎靖純という読売新聞の元政治部長ですが、この方のところにきた手紙がございますが、この方にさえ学長電話でもってこう言っております。山崎さんは電話で一応親睦会に出るといって私のほうに通知をよこしておきながら、速達で断わってきたのです。その言いわけとして、終業式のほうにも山崎さんに出席してもらいたいと電報で呼んでおいて、山崎さんは行かれない、あした親睦会があるからきょうはかんべんしてくれ、終業式の欠席はいたしかたがないが、実を申しますと、その親睦会のほうは学校のほうであまり歓迎しないのですということばがありました。はっきりここにも書いてございます。これはもう山崎さんがなくなったから、学長山崎さんを免職しようと思っても免職できないのですから、ここに発表します。こういう手紙がございます。また学長先生たちを、あるいは先生のいないときには奥さんを電話でおどかしております。あなたの御主人親睦会に出せば、あなたの御主人学校でもう私に反対したと思いなさい。それで多くの先生方は私に対して、親睦会に出たいのだけれども学長からこう言われていて、私も妻子をかかえておりますから、どうかかんべんしてくれと大ぜいの人が言っております。そこで親睦会は、私が予定して、私学会館でもって約四十人の席を予約しておいたのですが、親睦会出席すると言いながら、わずか十三人でした。ここに、そのとき私が全部勘定をあとで払いましたから、その受け取りも持っております。こういうような状態であります。  以上。
  9. 上村千一郎

    上村委員 実は、きょうは参考人がお見えになっておりますので、参考人に関連することに集中をして国士舘大学の諸問題をやったほうがいいかと思いますので伺いますが、いま鹿島参考人がお述べになりましたことについて、横山参考人はどういう御意見を持っておりますか。と申しますのは、中心お答えを賜わりたいのは、横山参考人国士舘大学教授であったかどうか、ありとすれば、そこに雇用契約があるわけであります。またこれを解雇した事実があるかどうか、解雇するとすれば、いかなる原因のもとに雇用契約を解除したのか、こういうようなことをもお含みになりながら、ひとつ先ほどの鹿島さんの御意見について、あなたの御意見をお聞かせ賜わりたいと思うわけでございます。
  10. 横山彦真

    横山参考人 まず、私の身分でございますが、私は昭和十四年以来いまの柴田総長と懇意でございます。故徳富蘇峰先生が、横山さん、柴田という男は非常な長所のある男でございますから、どうかよろしくお願いしますということを、あたかも遺言のように懇々と頼まれました。またいろいろお世話になったことは、お許しがあればあとでお話しいたしますが、そこで懇意にいたしております。  私の身分でございますが、これは舘長代理という名をいただいたのでございます。この舘長といいますのは、あそこの国士舘というのは、舘というのは昔の塾、家庭的な教育をするという、その塾の長所と、それから当代の学校長所を併有いたしまして、そうしていわゆる知行一致、空理空論でない実際に役に立つ人間をつくるというのが根本でございます。そこで私がその訓育面といいますか、しつけの面を担当させられて、そうしてそこにおられます三上さんとは机を並べて仲よくやっておったのでございます。舘長代理という名は、世間で誤解を受けるといかぬから、いずれいい名に変えましょうということを言っておられますが、まだ忙しいので、そういう名は実際にもらっておりません。それから訓育のほうに携わっております。教授という名はもちろんございません。  それからその次は鹿島先生との関係でございますが、私が上海報道部長をしておりますときに、鹿島先生陸軍特務機関おいでになりました。いまの柴田学長やあるいは徳富、頭山その他の先生の御好意によりまして、私が昭和十四年の十月に共産地区でいわゆる産業技術の指導というのを行ないまして、非常に喜ばれまして、そこの援助をした人は、たしかここに田村さんという議員おいでになるそうでございますが、そのおとうさんあたりに、たいへん力を入れていただきまして、それで田村先生おとうさんは向こうからたくさんの技術家を連れてきて、日本へ御案内になり、それらの技術家が非常に日本産業技術の発達に驚きまして、私にどうかうちの子供も頼みますから、日本へ留学させてくださいと、ずいぶんたくさんいましたけれども、私は孟子の子孫以下二十名、名望家子供を連れてきたのでございます。そこの晋県の知事の補佐役井上肇と申しまして、柴田学長の娘さんが結婚された人でございます。それが私を紹介したのであります。私の地区はずいぶん断わりましたけれども、どうしても映画にとるというので、いまの共同通信が同盟という時代に「新大陸」という文部省推薦文化映画になりまして、そこにみんな出ております。  これは余談になりましたが、そういうふうでこの子供あたりが私が上海へ参りましたときに非常に私を援助いたしまして、まことにどうも私の身に余る好遇をシナで受けまして、それに協力してときどき日本人とシナ人との懇親会、それをときどき来て援助していただいたのが鹿島教授でございます。以来私は鹿島先生とは非常に仲よくしておりました。  また、鹿島先生のむすこさんが、たしか読売新聞記者をしておられまして、若くしてたしかガンだと聞いておりますが、死なれましたので、その告別式にも行ったような仲でございます。でございますから、この三上佐藤先生あたりの問題が起こりましたときに、いわゆる君子は危うきに近寄らず——鹿島先生のいまのお話でございますと、私がその子孫まで何か脅迫するようにおとりでございます。ここではっきり申しますが、いろいろ官報あたりを見てみますと、まことに憎悪に満ちたものでございます。これはわれわれは何としても許されない。さような学校であれば、今日皆さんおいでになればわかるように、どうしてあれだけの志願者が来るでありましょうか。またどうして電話あるいは手紙で激励がくるでありましょうか。これは皆さんおいでになればすぐわかります。  そこで鹿島先生に忠告をいたしましたのは、そういうふうな鹿島先生とのかつての交友があり、しかも家庭にそういう御不幸があって、これ以上鹿島先生に御不幸があってはならぬというので——私は深く明治天皇様を尊敬しておりますが、明治天皇様の御製にも「あやまちをいさめかはしてしたしむが誠の友の心なるらむ」と仰せられております。また子孫のことをおっしゃいましたが、鹿島先生陸軍特務機関おいでになりました。そこで軍人勅諭は心得ておいでになるだろうと思います。その信義の章に、かりそめなことをうべなって云々とおっしゃいまして、昔から「英雄豪傑ともか禍に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まて遺せること其例尠からぬものを深く警めてやはあるへき」とこうおっしゃっておる。そこで鹿島先生を思うがゆえに、私は友人の義務としておいさめしたのでございます。わかりましたか。それは往復文書があります。  そこで暴力とか何とかおっしゃいますが、鹿島先生手紙がここにありますが、こういうことが書いてあります。この間、もし舘長その他が私に手でも上げたら、その場で張り倒してやるつもりでしたと、私はそういうことをいまだかつて上官にも、ことに、お聞きになればわかりますが、私は最も暴力ということはいかぬと主張しておるものでございます。いいですか。それから、もし自分を首を切ったならば週刊誌に出しますよ、印刷物をまた配布しますよ、これはいわゆるわれわれの言っている印刷暴力じゃありませんか。何びとよりも暴力をおっしゃるのは鹿島さん——そういうふうでありまして、われわれの行為が片端から憎悪をもって迎えられた、これは私は鹿島先生、どうして、何かどういう御経歴をお踏みになってこういうふうな憎悪をわれわれに言われるだろうか、これははなはだすみませんが、委員の方で鹿島先生のためによく理由を調査していただきたいと私は心から念じておるものでございます。終わります。
  11. 上村千一郎

    上村委員 実は参考人としてお呼びしたのですから、御意見は時間をかけて十分承るべきもの、それが礼儀かと思いますが、先ほど冒頭に申し上げましたように、私に与えられている時間が三十分ということになっておりますし、いろいろほかの方のこともございますので、要点を今度はお尋ねをしていきますから、そうしたほうが時間的に早いかと思います。  まず、この鹿島先生国士舘大学教授としていつなられたかということ、そしてこれを、もし教授としてなられておるとすれば、解雇した事実があるかどうか、解雇いたしたとすれば、雇用契約ですから、どういう原因のもとに解雇したのか、こういうことをひとつお尋ねをしておきたいと思います。
  12. 横山彦真

    横山参考人 さっきも申しましたように、私は教授のほうの取り扱い者でございませんが、とにかく鹿島教授は、私は三十五年でございましたが、私より前に学校に来ていらっしゃいました。そこで、そういうほうの取り扱いは、ここにおられます三上先生取り扱いでありまして、私は、御着任になったときはよく存じません。それから解雇のことでございますが、ついでにお許しを得て、それより前に申しますが、懇親会とおっしゃいますね、この懇親会というものは、私どもは、特に学園では、人間の平和というものは敬と愛とからなっておる。愛というものは、生物の……(「講釈はよしたまえ」と呼ぶ者あり)しかし、これは根本的な主義でありますから、愛というものは、生物の共有するところの平和の基礎の要素である。敬というものは、万物の霊長であるところの人間が特有するものである。(「講釈は必要でない」と呼ぶ者あり)いや、これは大事なことでありますから……。そういう関係でございますが、鹿島先生懇親会なるものについて、現にここに手紙もありますし、印刷物もありますよ。ほかの先生のことを小人物どもがと書いておられる。そういうふうな、人を侮べつするような懇親会がございますかね。互いに尊敬し、憎悪を一掃しまして……(「質問に答えてください」 「講釈をされる必要はない」と呼ぶ者あり)憎悪で満ちてしまうことは許されませんよ。私ども学校先生のような態度は教えていません。それだけははっきり申し上げます。
  13. 上村千一郎

    上村委員 私が御質問を申し上げておることにお答えを賜わりたいと思います。もし横山参考人がそういうことを事情を知らなければ何もおっしゃらなくてもよろしい。知っておるということになれば、それを中心におっしゃっていただいて、それに付言をされればいいのです。
  14. 大久保武雄

    大久保委員長 この際、参考人に申し上げますが、答弁は、時間の関係もありますので、質問に対し的をはずれないように簡潔にお願いいたします。
  15. 横山彦真

    横山参考人 学校の規則といたしまして、職員心得に、意見があったら礼を尽くして学長に言えという規定がございます。鹿島参考人がしばしば学生に呼びかけ、あるいは職員に呼びかけられてやりますので、隠忍自重をしておりましたけれども職員間でもこれは許してはおけないという進言がたくさんございまして、舘長が涙をのんで解職したというのが事実でございます。
  16. 上村千一郎

    上村委員 御当人がそこにおられるから、お察しすればなかなか言いにくいということがあるのか、それともいま言った程度ばく然とした理由なのか、ちょっと解しかねるわけなんです。もし御当人もお見えになられるから、そこにはおのずから限度があるならあるといたしましても、もしありとすれば、いまの程度ではあまりにもばく然とし過ぎております。というのは、少なくとも教授としての立場があるということになりますれば、法律関係においては雇用契約があるわけでありまして、雇用契約があって、そうして解雇したということになりますれば、そこに解雇原因がある、あるいは両方協議の上でおやめになったというのか、それとも一方的に解雇したというのか、それとも学校側から解雇したわけではないけれども、要するに御当人辞任をされたというのか、こういう点です。その点が人権侵犯事件として大きな法律的な急所になっておるかと思いますので、その点について知っておられる限度において簡明にひとつお答えを賜わりたいと思うわけです。
  17. 横山彦真

    横山参考人 教授の配置につきましては、これは学長としてやり得ることでありますが、教授の任免ということにつきましては理事会できめることでございまして、学長はその理事会にはかりまして合法的に解雇したというのが事実でございます。そこで、私はそれには関係しておりませんけれども、その解雇のいきさつを読みますと、「専任教員学校当局に対し、意見がある場合「教職員心得」第十四項中に記載されている通り、常に建設的意見学校当局に具申するのが建前になっています。それにも拘らず左記の違反行為を行なったわけです。先に退職した三上弘之、佐藤嘉祐、佐藤英夫氏等の学校に対する訴訟について審理中ですが、鹿島氏は、三上弘之氏等王氏の意見に同調、学校当局の処分を不正とし、「親睦会」という名儀で昭和四十年六月六日より十一月二十六日の間に四回もの「弁護の会」を聞き、常に三上弘之氏等三氏を出席させて学校当局を誹謗した事実があります。特に初回においては昭和四十年四月七日及び四月二十三日に開かれた衆議院文教委員会における二宮武夫議員の発言項目を特に指摘、これを(議事録)もって学校側をあたかも誹謗するような印象を参集者全員に与えました。また三上佐藤両氏を一方的に弁護し、しかもその後、鹿島氏に「懇親会」の主旨に反する言動があったので大多数の方々が第二回以後の参加を断わった」次第であります。これは現に私にも、第一回に出席された方々が、とんでもない会で驚いたということを言っておられます。そういうふうで、理事会にはかられまして解雇したのが事実でございます。
  18. 上村千一郎

    上村委員 実はここで御意見を承って、もう時間が過ぎてまいっておりますので、私の質問は終わりたいと思いますけれども、どうもいやしくも教授の立場にあられるという方、あるいは教授でなくてもあれですが、法的にいえば雇用契約が結ばれておるという場合におきまして、これをもし相手方が同意をしておれば文句はございませんが、同意なくして解消をする、要するに解雇するということにつきましては、いやしくも一定の理由が必要であろうと思うのであります。そして、しかもそれは雇用契約の中に含まれておるのが通常であろうと思うのであります。要するに、雇うときに、こういうことをしたならば一方的にでも解雇できるんだという解雇原因というものがあるのが通常だと思うのです。ただ理事会で決議さえすればというような式では、雇用契約の中に、理事会解雇原因を一切まかしてあるというような趣旨であればまた別でしょうけれどもが、これまたいろいろと法律上問題を生ずると思うのです。ですから、いまお聞きいたしておりますというと、もっと何か法的な根拠といいますか、雇用契約というものは元来法律的な問題ですから、解雇原因ありとすれば、もっと明白な点があるべきではなかろうかという感じを得るわけです。ですから今度逆に一点お聞きしますけれどもが、この雇用契約の解消につきましては、鹿島参考人は了承しておる、要するに合意解約になっておるのか、そうでないのか、一回承っておきたいと思います。もちろん先ほどの侵犯の内容を見ますれば、鹿島参考人はこの解約については合意してないと見るべきが常識でございましょうが、横山参考人から、事実を明白にする意味におきましてその点をひとつお聞きしておきたい。事実の問題ですから……。
  19. 横山彦真

    横山参考人 中共へ、去年の夏でございましたか、おいでになる際に、学長のほうへは断わってないということが一つ理由になっております。学長職員、生徒の身分を十分に保障しなければいけませんので、そういうことははっきり言われないといかぬと思います。それからいまの親睦会でございますね、これは私どもは非常に重く見るのでございます。といいますのは、ちょっと脱線するといわれるかもしれませんけれども、近ごろ共産党その他の攻勢がまことにひどうございまして、早稲田のようなまねはわれわれは絶対できませんので、それで十分にあらかじめ禍根になるようなことは除いておきませんと、ここでございますから特に御注意をお願いいたしますが、私ども学校は大正六年に日本の皇室をとうとび、国を愛し、そうして日本の精神によってこういうふうにしますという、そういう誓いを立てて文部省から許可を得ておるのでございますから、それを何回注意をしても聞かれないということは、これは文部省を欺き、国を欺くことになります。これはできません。
  20. 上村千一郎

    上村委員 非常に時間が、皆さんに申しわけないと思うのですが、ぼくは打ち切りようがございませんから、ちょっと時間をいただきたいと思いますが、私がお尋ねしておるところをひとつお答えを賜わりたいと思います。というのは、実は鹿島参考人は、この雇用契約について、解消することについて了承をしておるのかないのか、要するに了承しておるとすれば合意解約になります。そうでないということになれば一方的解雇になる。一方的な解雇ということになりますれば、そこに解雇原因というものが必要になる。こういうところにしぼって、与えられた時間が限られておりますから、お尋ねしておるわけです。  いま一点は、先ほどの経過で大体わかりますが、鹿島参考人は本件の解約について同意はしてない、一方的解約であるかどうか、この点まず一点だけお尋ねしておきます。
  21. 横山彦真

    横山参考人 私は、その点は学長には聞いておりませんが、学長はしばしばいさめ、またほかの教授と何回も合議をしておられまして、教授あるいは理事長ですね、それで解約つまり免職をされたのでございまして、それ以上のことは私はよく存じません。
  22. 上村千一郎

    上村委員 それでは、これは経過を言いますと、それは学長が再三鹿島参考人とお話しされておるから、あるいはその過程において鹿島参考人は了承されておるのか、それともそうでないか、自分としてははっきりその点はわからない、これでよろしゅうございますか。
  23. 横山彦真

    横山参考人 ただ、その行動が建学の趣旨、精神と反するということは、はっきり私どもも認めております。
  24. 上村千一郎

    上村委員 最後に一点だけで、時間が非常に超過しましたから打ち切りたいと思います。そうすると、本件雇用契約の解消について舘長がたびたび鹿島参考人とお話しされておるから、鹿島参考人があるいは了承しておるのかせぬのか、その詳しい事情はよく存じない、しかしながら自分学長の身辺から聞いたところ、あるいは自分の感じたところによれば、要するに中共へ無断で行かれた、渡航された、そういうことも一つ原因になっておる、それからいろいろと学校の教職員心得というものに違反をしておる、こういうような点があって、そして本件雇用契約は解消したものだと思う、こういうふうに承っていいわけですね。
  25. 横山彦真

    横山参考人 そのとおりでございます。
  26. 上村千一郎

    上村委員 もう非常に時間がたっております。これでは非常に不十分な点がたくさんあり、未解明な点がたくさんあると思いますけれども、いずれほかの委員からもお尋ねするかと思いますので、私はこの程度で……。
  27. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 議事進行について。横山参考人は、委員質問に対して肝心な点を答えずにほかのことばかり言っておられる。それは委員長から注意をして、こちらの質問に答えるようにしてください。
  28. 大久保武雄

    大久保委員長 参考人に申し上げますが、先ほども委員長から申し上げましたとおり、時間の関係もございまするし、委員質問の要点を把握されまして、質問に対しましては簡潔に御答弁を願うように、重ねてお願いを申し上げます。神近市子君。
  29. 神近市子

    神近委員 いまお話を聞いてみますと、横山さんにお尋ねいたしますけれども、何か中国にいて報道課長をやっていたことがあって、そのときに鹿島参考人が何とかかんとかおっしゃいましたが、あなたは前は軍人さんですか。
  30. 横山彦真

    横山参考人 さようでございます。
  31. 神近市子

    神近委員 たとえば尉官とか佐官とかいうことがありましたけれど、どこらまでいかれたのですか。
  32. 横山彦真

    横山参考人 中佐でございます。
  33. 神近市子

    神近委員 わかりました。  どうも国士舘大学というところがそういうような感じがしたので、きょうはいろいろ問題があっているわけですけれども、最近に、渡辺銕蔵とかああいうふうな反共グループを集めてニュージャパンで御招待があった。そこで、みんな反共グループというから相当の人たちだろうと思うのですけれど、そういった人たちが、選挙権銀行倶楽部あれは、あんなものをつくったって何にも役に立たないじゃないかということを舘長に言った。ところが、舘長がコップをほうり出しておこった。それで、その会は、もうさっさとみんな帰ってしまったという事実があったということですけれど、それは御存じですか。
  34. 横山彦真

    横山参考人 それは、私が全然存じておりません。ちょうど病中でございまして、私は十月二十六日から三月一日まで休んでおりました。そういうことでほかの用事がありまして、そういうことはよく存じておりません。
  35. 神近市子

    神近委員 それでは、あなたの御存じのところがあるはずですが、三十四年の十二月二十四日ですか、そのときに、百二十名くらいの人で古希の祝いをして、あなたが司会をしておられました。そのときに、古希の祝いまでにはまだ一年とか十カ月とかある、わしはまだきょうは古希になっていない、そのときに、お祝いの漢詩を書いてきた人があった。ところが、その漢詩を破ってしまって、それで鼻をかんだというようなことを舘長がしたということをあなたは記憶がありますか。あなたが司会をしていました。
  36. 横山彦真

    横山参考人 それは、私が司会しております。しかし、これも非常に針小棒大に言われておるように思います。そういうことで鼻をかんだとかなんとかいうことは私はないと思います。絶対にそれはないと思います。
  37. 神近市子

    神近委員 なぜこういうことを出したかというと、少なくとも大学の学長という人が、そういう異常神経を持っている人ということの一つの例証になると思うのです。それで私は、この点を劈頭にお出ししたのですけれども、それと関連してよく伝わることが、私のちょっと知り合いの者が国士舘大学の近くに住んでいますので、よく風評を聞くわけです。暴力が行なわれることだの、あるいは生徒たちがどういうことをぼやいているかということがよく伝わるのです。それで、いろいろ私はお尋ねしたいと思うのですけれども暴力が非常に安易に行なわれる。それが、私どもがここで問題にし、また、過日文教委員会で問題になったのですけれども、あなたのところの学則の第一条には、教育基本法及び学校教育法の精神に基づき教育を行なう、こういうふうに明記されているはずです。これは間違いありませんか。
  38. 横山彦真

    横山参考人 間違いないはずでございます。  ちょっといまの問題につけ加えさせていただきます。  初めに申しましたように、非常にこの問題を針小棒大に取り扱っておられまして、これは学校では納得のいかないことでございます。学長は非常に愛情のある人で、私を始終呼んで、生徒の身上あたりについては非常に熱心に聞いておるのが実情でございます。おそらくこういう点は鹿島先生なんかは御存じないと思います。そうして、たとえば上級生が二名で下級生を注意しても、共産党ばりの集団暴行だとしてこれは許しませんよ。それから、よくほかの学校にありますが、上級生が体育のあとなんかで下級生に肩をたたかせたりなんかすると、それさえ許しておりませんよ。そういう半面は一切なくて、しかも、私は官報を読んでみましたが、しょっちゅうたたくというようなことが書いてあります。これは私はある方面の心理戦であるという印象を受けております。
  39. 神近市子

    神近委員 あなたは舘長は非常に愛情の深い人だというのですが、愛情の表現だっていろいろありますよ。それは、昔よく子供をしつけるときには、ほっぺたぐらいなぐったという母親がある。だけれども、その舘長の愛情というものは、ずいぶん違ったものなんです。愛情の問題が出たから一つ出しますけれども、この間佐藤英夫博士が瀞になった。あのときだって愛情がからんでいますよ。これは生徒に対する愛情でなくて、女に対する愛情であります。自分のところの女生徒をめかけにして、そして国学院に入れて、そこを卒業させて秘書に使っていた。それで、佐藤博士は、奥さんと非常に親しいものだから、そのことを言って、そしてそれで首になった。ところが、その女の子が看護婦と同室させられていて、その看護婦だけはどういう関係があるかということを知っていたはずです。そして、一昨年の十月ですか、伊香保に著書を書きに行くというので、その看護婦を連れていこうとなさった。ところが、佐藤博士は、自分が使っているところの看護婦でありますから、一人で行くのはあぶないぞ、行かないほうがいいぞ、やめなさい、もしぜひ来いというならば看護婦二人で行ないなさいということを忠告したそのために看護婦が伊香保に行くことをお断わりした。それがからんで、そして翌日——なぐったりけったりするのは十月の二日ですか、その日に、あなたは知らないかもしれないけれども、ともかく医務室でそのお気に入りの看護婦と学生が立ち話しているところを見て、佐藤博士の管理が悪いというので、翌日なぐったりあるいはけったりした。普通だったら注意をするぐらいのことに、ステッキでなぐったり足でけったりするということは、ちょっと考えられない。やっぱりこれは愛情がからんでいるのじゃないですか。そうお考えになりませんか。あなたはそういうことを一切知らなかったのですか。七十幾つかのおじいさんですけれども、女の子はやっぱりかわいい。そういうところにいざこざが生まれているということがわからないですか。あなたは学長代理でしょう。学長のそばで監視して、そして学長に、そういうような道徳をはずれたようなことがあり、ともかく学校の中でそういうことを行なわせるべきじゃないというくらいのことを、あなたは忠告をする立場にいやしませんか。
  40. 横山彦真

    横山参考人 ただいまの質問に対して答弁いたしますが、ずいぶん突っ込んだことを言われましたが、私どもはちょっとそう信ぜられませんのですね。看護婦の問題あたり、舘長は始終——これはどこでもあることでございますが、なまける学生はとかく医務室へ行きたがるものであります。それで、今度の問題も、北田といいますが、それが医務室へよく行く。そして、あとではわかりましたが、これが看護婦に金を借りておる。そのことについては、そういうことがあってはいかぬというので、担当の学生監に、よくおまえ注意しなければいかぬぞということを言っておられたことは私は知っております。そこらが舘長と何か関係がある看護婦を擁護したような——これも私は非常な憎悪をもって伝えられておると思います。そういうことは私はとても考えられません。  それから、舘長職員及び学生の病気に対しては、非常に注意深く、悪かったらすぐ休めとしょっちゅう言っておる人でございますよ。(志賀(義)委員「それでステッキでなぐるのかね」と呼ぶ)ステッキなんかは私はよく存じません。そんなことはあり得ぬと思いますが、これはいま検察庁でございますか、そこになっておりますから、そこではっきりすると思います。
  41. 神近市子

    神近委員 私どもが考えているのは、一体、学校学長ともあろう人が、二百人も生徒や教授がいるところで、足でけったりなぐったりするその感情、これは平衡を失っていると思うのです。これはちょっと頭にきているのじゃないかということが私どもには想像される。そうして、こういう人が一万人もの青少年——今日青少年の問題が非常にやかましいときに、こういう人が暴力を日常見せて教育するということの問題、これは文部省あとでまた御相談しなければならないことなんですけれど、それがいいかどうかということが今日ここであなたにいろいろ伺っている理由一つであります。  それで、あなたの学校の規約の第一条には、学校教育法によって教育するということが明言してあります。それでいて体罰——これは何条ですか、体罰という暴力をふるうことはできない。学校教育法の十一条です。罰は体罰を加えることはできない。だけれど、おたくは、私はあの近所にいる人によく聞きますけれど、たとえば、パンを買いに来る、あるいはお茶を飲みに来る、そういうときに、彼らが話しているところを聞くと、いやあきょうはあれがやられたぞ、学長にやられて足でけられていた、あるいはなぐられていたということは日常茶飯事じゃありませんか。それはどういうようにあなたはお考えになりますか。あなたは学長代理だから、学長のそばについていて、学長にいいことか悪いことかということをアドバイスする立場にいらっしゃるでしょう。それがあなたにできないというのは私はおかしいと思う。目の前でなぐられているとき、学長、そういうものではありません、学校教育法では……。(笑声)そうでしょう。そのくらいの役割りをあなたはできないのですか。それならやめたほうがいい。
  42. 横山彦真

    横山参考人 いま学長代理とおっしゃいましたが、私は学長代理という名ではございません。  それから、私の目の前でなぐられたということを言われますが、私はそういう場面を見たこともございません。  それから舘長に対していろいろ忠告すべきだと言われますが、私は大いにやっております。(神近委員「やっていますか」と呼ぶ)もちろんでございます。  それから、あなたが近所で聞くと言われましたが、もっと広く聞いてごらんなさい。どういうわけでこれだけ学校へ激励や何かが来るのでありましょうか。牛乳屋あたりにみんな聞いてごらんなさい。国士舘のは非常に責任観念が旺盛だといろいろなところから言ってきますよ。われわれもしょっちゅう応待に弱っているくらい、しっかりやってください、こう言ってきていますよ。あまりにも一方的でございます。
  43. 神近市子

    神近委員 それは逆です。私の近所で——あなたのところに電話、電報が来るのはどういうところから来るのか知りませんが、あの世田谷という地域は、私は昔からずっと住んでいるのでよく知っていますけれど、入学者が地元からはひとつも行かないというじゃありませんか。それであなた方は、卒業生に、後輩誘導という名前で必ず二人か三人の入学希望者を紹介しなければ、卒業試験を受けさせないという事態があるじゃありませんか。それをあなたが電報が来るとか激励が来るとか言うのは、あなた方の仲間がやることで、この点私は鹿島参考人に伺いたい。暴力というものは絶対にございませんと学長代理はおっしゃっていらっしゃるが、あなた方がごらんになったときに、そういうことがなかったということが断言できますか。
  44. 鹿島宗二郎

    鹿島参考人 ただいま学校暴力が行なわれておるかおらないかということにつきましては、すでに佐藤英夫事件が、これはいま捜査中であります。  それからもう一つは、三隅という人がその前の年に日体大との水泳大会の席上でもって、掃除が悪いというのでステッキでなぐられております。これは目下人権擁護のほうに私から言ってございます。  それから、最近におきましても、去年の十一月二十六日に学生が一人なぐられております。それからまた、その前には、始業式のとき、三十九年の九月一日に、約二千名の学生が集まって聞いておりましたが、学長の講話が非常に長くなったので、そのうちの二人がちょっと話をした。それをつかまえて館長は、二千名の目の前で演壇に呼びまして二人に平手打ちを食わせております。そのほかこういう事件はたくさんございます。最近でもこういう事件がある。この先月にも二人なぐられております。これはこの間のこの委員会で志賀議員から質問しておりますから、これについては述べませんけれども、こういう事実はたくさんございます。  それから、さっき横山さんは、鼻をかんで投げたということを否定されましたが、そのときには私もそこに参加しておりまして、新田という先生が漢詩を書いて持ってきたのをさっとやって投げ出した。これは私は事実を見ております。以上。
  45. 神近市子

    神近委員 一応こういうふうに一つの事案が対立すると、われわれはどっちを信用していいかということになるわけで、具体的にやられた者の話を私たちは一番信用していい。学長代理はきょうべらべらおっしゃっているけれど、何か非常にうそをついていらっしゃる。われわれの質問に対して、ああいう事例が、大ぜいのところで学生がなぐられているというようなはっきりとした事案があれば、あなたがそういうことはないと言われるのは私はちょっと納得できないのですけれど、それはどういうことなんですか。学長をかばってというようなことなんですか。あと質問が少しなにしますから、簡単に願います。
  46. 横山彦真

    横山参考人 私は、私がそういう場面に遭遇していない、見たことがないというのでございます。それで、もちろん、そういうことは私が一番やかましく言って、絶対にそういうことがあってはいけないというふうに教えております。  それから、いま学生募集あたりを強制的に、——何でも強制的、強制的とありますが、そんな強制なんかやりませんよ。そして、学校の使命としまして、あなた方御承知のとおり、いま全国に非行がたくさんある。私どもも、外国の友人から、日本教育はだらしがないということは、アジアの人からも、イギリスも、アメリカも、多くの人から聞いております。そこで、できるだけ優秀な者を選んで、鹿島先生三上先生のりっぱな教育を受けさせて、そうしてそれを社会へ出して、できるだけ多くの接触面を持たして、日本をりっぱな、闘争やなんかのない、本来のやまと魂といいますか、大いなる和の国にして、そうして、さらにこれも、アジアはじめ世界へ及ぼしたい、こういうふうな教育をやっておりますので、それをしも、学生募集まで強制的であるとか、いろいろ疑いの目をもって見られることは、これは学校の設立の趣旨に反しますので、そういうことはできません。私どもは、まずそれを目標にしてやれよ。そうして、それが少ないために学業をどうするとか、強制的にどうこうするとか、それはもう全然猜疑といいますか、憎悪によるお考えで、さようなことはございません。
  47. 神近市子

    神近委員 鹿島教授三上教授、りっぱな人たち教育を受けさせようというのはわかりますよ。だけれど、学校教育法に教授会というものをつくらなければならないということがあるのに、あなたのところでは教授会がない。そして、親睦会という名前でこれをつくられる。教授会ではないですよ。だけれども教授が集まって自分たちの考え方を話し合う、これは一種の教授会でしょう。そうすると、これを弾圧するということが一点。  あなたのところの学校は、暴力を自由に行使するということ、教授会をつくらせないということ、こういうことは、はっきりと法律に違反しているじゃありませんか。それが一点。  もう一つ、入学者が東京地区ではないから、卒業生に二人ずつ、後輩誘導という名前で連れてこなければ、卒業試験を受けさせない。ちょっと聞きたいことがここに書いてあったので、私はそれを読み上げてみます。  卒業試験を受けるときに条件がある。それは後期のお金を二万何千円か払い込む。それから暖房費、就職資料費、選挙権銀行倶楽部の会費を全部納めさせる。そしてその中に木が二冊あるのです。本を二冊買わなければならない。五百円程度のものを二冊。そして合計二万八千二百五十円、これを二月二十日までに納めないと卒業試験は受けさせない。よろしゅうございますか。それで、この二冊の本の名前でありますけれども、「革命は如何にして起るか」というようなことです。あなた方はいろいろの点で、日本にともかく右翼的な革命を起こそうというようなことが考えられているようですけれども、この革命というものの——私はその木を見ていないから、内容を言うことができないんですけれども、この革命というものは、どういう革命をあなた方は意図しておられるのか。たとえば選挙権銀行倶楽部、これは特定の政党のために投票をしてもらって、あなた、その効果がないとみんなの批評があったので——よくわかるじゃありませんか、この間都会議員の選挙のときに、あなたのところで相馬雪香という人を推薦して、そうして選挙権銀行倶楽部で支持した。それで何票取りましたか。そういうことと、とにかくあなた方が意図する革命というものの性格、これをちょっと聞かせていただきたい。
  48. 横山彦真

    横山参考人 第一の問題でございますが、教授会がないと言われるのは事実に反しております。教授会がございます。ことに緒方竹虎先生が非常に力を入れて、三十一年にできました体育学部、これが一番早いのでございまして、それはずっとやっています。それから、その後も教授会はやっております。教授会がないと言われるのは事実に反しております。  それから次の点、東京方面に志願者がないというのは、これはだれでも御承知のように、東京方面の人よりも、九州とか北海道とかいうほうの人がどうも意思が強い。そのほうから志願者が来るので、別に東京付近が、特に国士舘をきらって来ないなんということはございません。ずいぶん優秀なのが来ておりますよ。  それからその次、選銀に入らなければ卒業試験を受けさせないとかなんとかということ、こういうことも、これは二月でございますので、私の病中でございますので、一体どこからそういう資料をお入れになりましたか、だれがそういうことをやりましたか、ちょっとはっきりさせていただきたいのでありますが、われわれは断じてさようなことをやっておりません。現に学生の中でも、入っていないのがたくさんございますよ。  それから、どういう革命をお考えでございますかと言われましたが、この点は皆さんにはっきり申します。われわれの日本は大いなる和の国であって、断じて闘争の国ではございません。これははっきり申します。そこで、みんなが和をもって、つまり敬と愛とによって実際に和をはかるような、日本本来の姿に返したいというのがわれわれの期するところであり、かつまた学校が文部当局に申請して許可になったところでございますので、このルールというもの——ルールといいますか、この軌道はあくまでも守ろう。そうでなかったならば国を欺くことになります。これはわれわれは断じてできません。  それから親睦会のことでございますが、別に親睦会をきらってやめさせるということはありません。われわれが知っておるのでも、ずいぶんやっております。ただ、親睦会と称していまのようなことがありましたり、小人どもがと言うて、お互いの仲を中傷されるような、そういう真の意味の親睦会でないものは、これはお断わりしなければいけません。学校の建学の精神は、誠意、勤労、見識、気魂でございまして、それで、どこまでも誠意があって、ごまかしがあってはいけないというのがわれわれの考えでございます。
  49. 神近市子

    神近委員 教授会はあるというような返事がいまあったようですけれども、ひとつ鹿島参考人に、その教授会というものがどういうものであったかということを伺わせていただきたい。
  50. 鹿島宗二郎

    鹿島参考人 ただいま横山参考人の言われるとおり、学校には規則の上では教授会がございます。しかし、その教授会というものがどういうものであるかということは、ここに体育学部の先生、名前は言っておりません、一教授とございます。この教授から私に来た手紙がございます。「柴田学長は大学を私有物だと思っている。ちょうど昔の大名あるいは君主が土地も住民もすべてわがものと思うのと同じようなものです。」こうずっと書いてあります。そこで、教授会のことにつき、「私は大学の短大当時は教授会に出ました。その席上で、いたずらに学生数だけをふやすのは考えものだ、入学試験も形式だけでなく、素質のよい学生をとれるようにしなければ、将来大学として重きをなすことはできぬと申しましたら、これが非常に学長の気にさわり、君、経営のことに口を出すのは教授として不適格だ、辞表を出しなさいと言う。その場は同席の教授のとりなしで事なきを得ましたが、それ以後私は教授会に出ないことにしました。」そのほかこれに類する手紙がございますが、あとは名前がございますから、私はこれは省きます。  それから、この間三月十九日の二時に開かれました教授会学長は私を首切ったことと、それから朝日新聞が学校の悪口を言ったからこれを排撃する決議案をつくろうとしました。そうして教授会にこれを一応はかったのです。報告した。そのときに、きょうここに欠席なさいました沢田教授が、こう言いました。教授会というのは諮問をする機関だと学則にはあるけれども、先に既成事実をつくってしまってあとから諮問をするのはどういうわけだといって署名を拒否されました。もう一人二宮先生は、教授の任務というものは教授と研究の二つである、朝日排撃などというのは、これは教授の任務じゃないと署名を拒否されました。そこで第三の人が立ち上がりまして発言しようとしたら、学長は、君、発言禁止、こう命令した。そして、それから朝日の元記者で現在学校教授になっておる人に指名しまして、君が説明したまえと言って金子という教授に朝日排撃の理由を説明させたのです。そして明日開かれます学校の入学式には橋本徹馬という人を呼びまして、朝日排撃を入学式でもって演説させるわけなんです。こういうようなばかげたことをやっております。これが教授会です。
  51. 神近市子

    神近委員 いま革命の論議のときに和をもってということをおっしゃったのですが、新憲法は和をもってやるということ、これは、平和——軍備をやらないということが新憲法です。あなたのほうは、新憲法で規定されたいわゆる祝日というものは全部排撃して、昔ながらの紀元節、天長節、元日祭ですか、それから教育勅語の記念日、これを祝日としていらっしゃる。私は、あなた方が、まあその点ではっきりわかるように、この新憲法を廃止しよう、あるいは、これに反抗しようというようなものをかかえていらっしゃるのが革命と称されるものじゃないかと思うのですけれども、それはあなた方は何も考えないで——新憲法の人権の擁護というようなことはあなた方の頭にあるのですか、ちょっとそれを聞かせてください。
  52. 横山彦真

    横山参考人 まず祝日の問題でございますが、これは昔の祝日を使っておるとおっしゃいますが、そういうことはございませんよ。どうしてそういうデマが飛びますかね。それはその日に、たとえば憲法記念日あたりには半日休ませて、いろいろ憲法のできたいきさつあたりは話しますけれどもあとはみな休ませております。それで、そこらが私が言う非常な針小棒大といいますか、うそのことが取りまぜられてあるというふうに言うわけです。
  53. 大久保武雄

    大久保委員長 神近委員にお願いしますが、十二時までに参考人に対する議事を終了することに理事会で申し合わせております。若干答弁その他の関係で時間が延びておることは委員長もよく了承しておりますけれども、何とぞ簡潔にお願いいたします。
  54. 神近市子

    神近委員 では鹿島参考人はその点はどうお考えになりますか。紀元節というようなものを祝われて、それにパレードか何かつけてやっていらっしゃる……。
  55. 鹿島宗二郎

    鹿島参考人 この学校では、いまの憲法というものは犬法——犬の法だといって、憲法記念日には一切休ませません。これは学長の演説にも、新聞にもちやとん書いてございますから……。
  56. 神近市子

    神近委員 犬の法、犬法なんというのは、こんな侮辱した話はない。これは私は国民全体に対する非常な侮辱だと思うのです。それをあなたは黙って見ていらっしゃるということなのですか。
  57. 横山彦真

    横山参考人 大体私は、戦争前からアメリカの宣教師団あたりと、太平洋はどこまでも太平にするというので、平和をやったものでございますが、共和党の有力者その他から、いまの憲法は日本を弱化するためにつくったのだから、あれは改正しなさいということあたりはずいぶん聞いております。そのほかの文献もいろいろ研究されております。だから、いいところはもちろんとっておりますけれども、悪いところは直さなければならぬという考えを持っております。また教育基本法でもそうでございます。現にソ連の憲法でも秩序を乱すような者を政党の中に入れておりません。これは……。
  58. 大久保武雄

    大久保委員長 なるべく答弁を簡潔に、要点を把握してお答えください。
  59. 横山彦真

    横山参考人 これは大きい話でございまして、私は、舘長の、ただ、何といいますか、話術といいますか、それくらいなことだと覚えますが……。とにかく、それくらいに考えておりまして、私自身、それよりも何よりも大きな問題は、暴力革命というものが日本に行なわれないこと、それを一番心配しております。
  60. 大久保武雄

    大久保委員長 参考人に申し上げますが、要点に対してお答えを願いたいと思います。時間が経過しております。
  61. 神近市子

    神近委員 あなたは非常に夢を見るのが名人だそうですね。そして夢を見ると大体それが実現するということですね。それで、昨年マンションで殺された倉地武雄の件でありますが、倉地武雄が殺されるという夢を見たところが、はたして殺されたということが一点。それから、いま訴訟を起こしていらっしゃる方々にあなたがお手紙をお書きになって、その中に、やはり夢を見て、あなたの家族が非常に不幸になる夢を見たというようなこと、私の夢は倉地の場合のように必ず実現するのだというふうなことをあなたが言うていらっしゃるということ、それはほんとうですか。
  62. 横山彦真

    横山参考人 ここで申しますと、あなた方は神がかりとお考えになるかもしれませんけれども、私はたいへん皇族から大事にしていただきまして、いろいろ困ったときは必ず夢を見ます。これはだれが何と言っても事実だからしかたがございません。それで、この倉地氏の問題でも、倉地氏とはわかりません、倉地氏とは書いてないはずでございますが、とにかく倉地氏というのは三上先生から学長の部屋で紹介されまして、大いに国士舘の趣旨に賛成して、そうして活動されるはずだったのでございます。それでそうかと思いましたら、どうもこつ然として、ああいうマスコミ新聞あたりが出て実は驚いたわけでございますが、どうも年寄りの夢というのはそうだそうでございますが、はっきりはわかりませんけれども、どうも倉地氏のことじゃなかろうかと考えておったら死なれたので、それで——倉地氏だなんということをはっきり私は言った覚えはございません。  それから、次は村岡さんのことでございますが、三上さんだったか、村岡さん、三上先生は坊ちゃんをしょっちゅう連れてこられたのですね。私は机を並べて非常に懇意にしておった。そこでおやめになったり、これは話してもようございますが、汚職の疑いでおやめになったということあたりは、これは常識で考えてごらんなさい。就職だって、われわれは舘長がいろいろ採用を出すにもそうですよ。そういうふうに子供のことをわれわれは考えておるのでありますから、それで三上さんのむすこさんにもまことに気の毒だ、気の毒だと平生思っておったのですが、村岡さんのことに対してもそうです。それで朋友のつとめとして忠告をしただけでございます。(「脅迫だ」と呼ぶ者あり)それを脅迫ととるのがわれわれには納得いかない。
  63. 神近市子

    神近委員 時間が切れましたから私の聞いたことを簡単にお願いします。  この間、朝日新聞へ行っても同じようなことを、夢の話をしたんじゃありませんか。それから、ついていたあなたのほうの運動部か何かの学生が、この輪転機に砂をかけて動けなくしようというようなことがあった。そうしたところが、いや夢を見たから、社長が不幸になる夢を見たからやめろとあなたが言ったというんですが。  それからもう一点。石井法務大臣はあなたのところの顧問ということで文書には書いてある。たとえば文部省の大学申請についても顧問という名前で出ている。ところが、石井さんは、次官がおいでになるからよく御存じだと思うのですが、ここで、あなたのところから顧問を頼まれて承諾したことはないということを言っていらっしゃる。その二点。朝日新聞へ行ったときに、やはり夢で片づけるというようなことを言ったということ。それから石井さんは、承諾した覚えはないとはっきりおっしゃるのに、あなたのほうでは顧問という名前を始終使っているということ。この二点をはっきり御返事願います。
  64. 横山彦真

    横山参考人 第一点。朝日新聞に私が参りまして、夢だとか、夢のことだとか、そういうことは絶対に言っておりません。はっきり申し上げます。  それから、朝日新聞の社長に会って、砂をどうだ、こうだ、そういうことも絶対に私どもは言っておりません。ただこれだけは御承知になっていただきたい。朝日新聞が非常に一方的なことを書いた。これに対しては学園があげておこっております。それだから、いろいろな意見があるかもしれませんけれども、それは私どもが言いますように、どういうわけでああいううそまで書かれるか。納得がいかない。  それから顧問の問題でございます。これは、私は直接交渉したわけではないので知りませんけれども、私は緒方先生が趣意書を書かれてそれにずっと名士の名前が書いてあるのを見たことが数回ございます。その中に書いてありますので学長の言われるとおり顧問だと心得えております。終わり。
  65. 大久保武雄

    大久保委員長 志賀義雄君。
  66. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 先ほど手紙が問題になりました。ここにあなたが出された手紙があります。その中に「三上先生とのことについて、この手紙をあてられた先生が裁判に持ち込まれることは貴兄のために不幸であるばかりでなく、御家庭、御子孫のために真の不幸となるとの意見に一致しました。貴兄の御子孫も同様の羽目におちいられることは、あの告訴の理由を貴兄の御就職にならんとする職場に見せたらおそらく貴兄を裏切り者と考えて危険を感じて採用しないであろう。のみならず貴兄の御子孫も同様の羽目におちいられることは明らかであるとの意見です。」こう言っておられます。また「あの告訴理由を示すならば、御子孫も路頭に迷われるであろうと心から貴兄及び御一家のために憂慮しております。」こうなっております。もう一人の先生にあてた手紙には、やはり「先生のためにも御一家、御子孫のためにも良結果をもたらすもの……」「告訴状取り下げになるものと確信しているのです。」こう言っております。「私は実は昨日可憐なる御愛息が非常にお困りになっている夢を見たので、黙することあたわずここにすなおなる愚意を申し述べたのであります。」あなたはこう書かれている。なお二伸で、「なお神がかりのようですが、倉地氏の奇禍にあわれる二日前にも倉地氏の不吉な夢を見たのであります。」神近委員質問に対してあなたはことばを濁して、倉地氏であったかどうかはわからないが、こういうふうに言われている。これは一体何ですか。
  67. 横山彦真

    横山参考人 それは私は気を使って、とにかく……。
  68. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 手紙を出したか出さなかったか。
  69. 横山彦真

    横山参考人 手紙は出しました。はっきり申します。私は、友情からあれで、それより前にどういうわけで三上さんや佐藤さんの問題が起こったかということをお調べになればわかるのです。これは松本という先生が非常に困られて、金銭、それから物品を要求されて、どうしたらいいだろうかと私に相談されましたので、概要を申しますと、そこでそういうことは断固断わりなさい。学校の綱紀が紊乱する、そういうことがあれば、本人のためにもこれはよくないからということを申し上げて、そうして学長に、万一こういう気風があったら学園がよごれますから、こういうことのないようによほど注意してくださいと言ったのが事実でございます。それだけで、そこでそれが事実だとすれば、いま言いましたように、そのむすこさんあたりは、あの親はこういうふうな親だったということになれば、数人の希望者があってもどっちを採りますか。そういう親なんかに、汚名のない者を採用するのは当然じゃありませんか。
  70. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 あなたのところの国士舘大学法学部、文学部設置認可申請書、この中に、ここに参考人としておいで鹿島先生について俸給八万円と書いて申請書を出しておりますが、どうです。税金を込めてそれくらいありますか。
  71. 鹿島宗二郎

    鹿島参考人 私の俸給は五万円でございます。前から八万円にする、八万円にすると言っておりましたが、一向に八万円にしたことはございません。八万円にしろと言ったときには四万円でしたのが、やっと一万円上げたわけです。ずっとそうです。
  72. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 そうすると、これは文部省に対して全くうその認可申請書を出したということになります。きょうは時間の関係がありますから、いずれ——文部省の局長おいでですね。こういう点もお聞きしますから、ここに書いてある俸給表が全部うそのものである。それに従って認可申請書を出している。いいですか横山参考人、あなた方は、人がここにいたらいい、しかしこの問題を告訴ざたにすると路頭に迷うといっても、あなたのところのようなひどい学校でなくたって、よそには幾らでもありますから、そういう路頭に迷うとか、殺された人を引き合いに出して、これをやるならおまえもそういう目にあうぞ、日本人の常識としては脅迫ですよ。あなたがそういうことでないと言われるなら、あなたと舘長の頭がよほどどうかしているということになる。  一つの例をあげよう。あなたが舘長に何を言っているか、これは聞いた証人が何人もいます。あなたが何と言っているか、舘長は———だからどうしようもないんだ、あれは————なんだ、こういうふうにあなたは繰り返して言っておられる、いざとなればその証人が出ると言っておる。あなたはそういうことを言われた覚えがあるかどうか。
  73. 横山彦真

    横山参考人 その覚えはありません。私は医者ではありませんから、そんなことはわかりませんよ。  それから、八万円とかいろいろな問題、給与の問題がありましたが、これは学長が非常に努力しておることは間違いございません。御承知のように、自分は創立以来学校のそばにおりまして、七十五歳になる今日まで、あの忙しいところでやっておる、これだけは認めなければいけません。私ども長所と短所を両方見ておりますからね。それであるいは物価騰貴あたりでできなかったかもわかりません。  ここで一つつけ加えておきますが、そういう面で鹿島先生は経済学の教授でございますが、経済学の教授として学生募集も反対されております。それから授業がありましたら、そういうことはこういう経済学の教授から言っていただかなければならぬ。そういう建設的な意見もいまだかつて承っておりません。それで、御承知のように学校経営には土地は要る、建物は要る、先生は要る、書籍は要る、そういう中で、たくさんの希望者がどんどん来る、なかなかこれは理屈どおりにまいらぬのが真実でございますが、学長は非常な努力をして、逐次よくしておることは、これはもう万人が認めております。  終わります。
  74. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 これは四十年六月の「国士舘大学昭和四十年度夏期後輩誘致活動のしおり」これはあなたの学校のものですね。いま鹿島教授は後輩を誘致しないと言われている。これが実践倫理の必修科目の一部として実施され、進級、卒業の最大の条件となる、これははっきりとこの第一ページに書いてあります。いいですか、これはあなたの学校の机に書いた落書きですよ。何と書いてある。学生が彫ったものです。後輩誘致とんでもありません、私は一人でも少なく、この学校にいることだけはさせまいと反対運動しますと書いてある。その下に別の筆跡で、共鳴すると書いてある。こういうような反対があること。これを進級、卒業の条件にする、そういうことをすれば教授の中にも反対が起こるのはあたりまえです。あなたはそれで鹿島参考人をけしからぬように言われるけれども学校に帰って机を一つ一つ調べてごらんなさい、ちゃんとこういうふうに彫りつけてある。こういうことを強制して学校を何とか維持しよう、しかも用員の一人も置かずに、門番から——休暇のときには学生に停学を食わせ、それでもって用員を補っていくというやり方、これは国、政府をあざむくやり方にはなりませんか。
  75. 横山彦真

    横山参考人 それがどこから出ましたか、ひとつ詳細にお知らせ願います。本人の名前も何も、そういうことがあったかどうか……。
  76. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 ニュースソースというものは新聞社でも出さないのです。だから、私は言ったろう、あなたが自分学校に帰って……。   〔発言する者あり〕
  77. 大久保武雄

    大久保委員長 不規則発言をやめてください。
  78. 横山彦真

    横山参考人 それから次に、それは強制だと言われますけれども、私どもは決して強制はしてはいかぬ、これは何回も言いました。これは非常に悪意にとっておられるのが、私どもはどういうわけでそういうふうになるかわかりません。現在われわれが調べたところによりましても、やめられた方、あるいは辞職された方が、盛んに学校に運動されて、破壊的な運動をされておるということは事実でございます。かるがゆえに、学生の中には、あるいはおらぬということは断言できません。また、私どもは、いまの世間を、御承知のように、いろいろな学生を集めてそれをよくしようとしておるのでありますから、多少そういう者がおるということはこれは認めざるを得ません。それを教育するのがわれわれの学校でございます。  それから、門衛の用員をどうのこうの言われますが、これはひとつはっきり申しますが、あそこに置いておりますゆえんは、最も力を入れております点は、昨今御承知のように、飛行機事故、あるいは火災、あるいは炭鉱の事故、たくさんの貴重な人命が失われておるのは、もっとそういうことのないように、指導者が的確な指揮をされなければ、大事な人命を取り扱うことはできないから、そこでその練習をさせるというのが一番大きな問題であります。それから、父兄の血と涙のかてでできております学校並びに器材、それらを盗難にかけたり、あるいは某学校のように、いす、机を並べて雨ざらしにしたり、あるいは金庫破りをやらしたり、そういうことがあってはいけない。  それから、もう一つは、特に最近いろいろ学校に向かって攻勢に転ずる破壊分子といいますか、遺憾ながらそれが参ります。それらに対して学校を守るというのが主でありまして、しかもそれは、全校最も公平にやりまして、年にいまの人数で二回くらい当たるのが事実でございます。終わります。
  79. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 破壊分子ということを言われましたが、あなたの学校のような、わけのわからないことをやっている学校をよくしてあげよう、それが運動の趣旨ですよ、あなたの学校で起こっている運動は。そこで破壊ということになると、憲法の問題に関連してくる。教育基本法の中でははっきりとこういっているでしょう。第八条の二、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と、こうなっている。先ほどからのあなたの各委員に対する答弁、その中から出てくることは、特定の政党あるいは政治活動について偏見を持っておられる。いまの日本で合法的に存在する政党、こういう思想の自由は大学において認められているはずですが、あなたはその点を認められるかどうか、それを簡単に答えてください。
  80. 横山彦真

    横山参考人 もちろん教育基本法の趣旨というのはよく私どもも存じております。しかしながら、実際の問題といたしまして、ことに私は、闘争、闘争といわれると、末端においていかに悲惨な、非人道的な、残忍なことが行なわれておるかということを身をもって体験しておりますので、これだけは極力防遇をしております。またそういう政党のないことを私ども日本のために希望しております。時間が許されましたら幾らでもその実例は証明いたします。
  81. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 あなたの学校柴田舘長が書いた本を実践倫理の必修科目として学生に買わせておりますね。その中にこういうことが書いてある。「今や敗戦の日本では人間の皮をかむった豚が、洋服を着た豚が、神聖な議会の中で、」「国家の役所で」「噛み合い、蹴り合い、殴り合い、傷付け合い、殺し合い、血みどろな仲間喧嘩に、来る日も来る日も朝から晩まで猛り狂って居る。」ここにいる大久保委員長、それから法務次官以下、人権擁護局長もみんな豚にされている。これはどういう意味ですか。
  82. 横山彦真

    横山参考人 いま志賀委員が言われましたように、あの本を強制的に買わせておるとか、あるいはこれをテキストに使っておるとか言われるのがまたこれが行き過ぎでございまして、われわれは承服はできません。議会においていままでありましたことは、これはもう事実でございますから、そういうことがあってはいかぬよと生徒に教えたことは間違いないと思います。私はその教場には列席しておりません。私どもは、人間というものは闘争はいけません。これはもうあなたと根本的に意見が違います。   〔志賀(義)委員委員長講釈はやめさせてください。」と呼ぶ〕
  83. 大久保武雄

    大久保委員長 重ねて申し上げますが、発言は一なるべく要点をつかんで簡潔に願います。
  84. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 強制的に買わせていないと言うけれども、これは二月十四日にあなたの学校に掲示されているものを撮影したものです。「受験許可証之件」授業料後期分二万五千五百円。政経学会会費ほか八百五十円。暖房費五百円。就職資料費二百円。これから著書になりますが、「革命は如何にして起るか」五百円。「日本はこうすれば立直る」五百円。最後に選銀会費、悪名高い選挙権銀行倶楽部会費、二年度分二百円。合計二万八千二百五十円。「以上を完納し、出席日数三分の二以上の者に二月七日より受験許可証を渡す。本証の無い学生は後期の受験はできない。政経三年学生監」と書いてある。いいですか。これについて文部省の役人は、ここで調べてみたらそういう掲示はしていない、だから学校の言うことを信用するほかはない、これくらい法務委員会を侮辱した発言はないです。だから文部省の役人が一番不誠実だと言ったのだが、鹿島参考人に伺いますが、こういうことが出ているかどうか。
  85. 鹿島宗二郎

    鹿島参考人 その写真は、私が運動を始めますと多くの学生電話をよこしまして、そうして一緒にやりたい、いまの学校ではとても私たちは息がつけないからどうかやってくださいと、共鳴する者がたくさんありまして、そのうちの二人が手分けをいたしまして、そのときに、——その後に学校はすぐ改めたかもしれませんが、そのときに学校にあったビラを全部写真にとりました。そのほかいろいろな種類の写真が残っております。私は二月十日に電話でもって首を切られて以来学校に出入りしておりませんし、出入りすることもできません。そこでそういうものを私がとるはずはないし、もうみんな学生が持ってきてくれたものであります。これについては単に学生ばかりではなしに、いろいろな人が見ております。教授もみな見ております。私も見ております。これは事実であります。
  86. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 横山参考人に伺いますが、あなた方の学校から、国士舘大学から文部省に対してそういうことはない、していないという回答があったということをここで文部省の役人が言っておりますが、いま鹿島参考人の言われるところによると、これははっきりした事実のようです。あなたはいま議員を豚だ、役人を豚だと言われた、そういうような本を強制的に買わせた覚えはない、また選銀倶楽部の会費を強制徴収して、それを出さなければ受験証を出さないということを言ったこともない、こういうように文部省に回答しておられる。どうですか。
  87. 横山彦真

    横山参考人 そういうことを学校が強制したということは絶対にございません。はっきり申し上げます。それでどういうところからそれが出たか、もう少しはっきり教えてください。私どもはそういうことはやってはいけないと教えております。
  88. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 先ほども言うたでしょう。新聞社でもニュースソースというものははっきりさせないのだ。これは憲法に保障された権利です。えらそうなことを言うものじゃない。多くの人が見ているのです。佐藤博士を衆人環視の中でステッキでなぐり、靴でけ飛ばした、それすらもあなたは否定される。こういうように強制しないけれども、受験証を渡さないというもう一つのほうには「未納学生はもう二十四日からの試験には出席するに及ばない。右学校当局より指令。」——「及ばない」と書いてあるから強制的に言ったのではないということで、言いのがれになりませんよ。こういう掲示をしたかどうか、それをはっきり言ってください。
  89. 横山彦真

    横山参考人 さっきも申しましたように、私どもはそういう強制は絶対にやってはいけないと教えておりますし、それからまた、そこに出されておる写真のときには私はおりませんでしたが、万一私がおったならば、そういうことはすぐ注意してやめさせます。学校がやられたということは行き過ぎであります。
  90. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 ここにちゃんと、学生監というのは学校当局の一人でしょう。それがこういうふうに書いておる。あなたは強制はしないと言われるけれども、こういうものを一般の学生が見たらどうなるのです。これは事実上の強制だ。あなたがここで幾ら強制でないと言おうと、日本人の常識はこれを強制と認めますよ。あなたのほうがよっぽど日本人離れしている。こういう掲示を出したかどうか、それをあなたは責任を持って調べる、知らないと言われる。肝心の点になるとそれは舘長のしたことで、私は知りません、病気欠席したとか……。あなた舘長代理でしょう。そうして舘長は非常に慈愛に満ちた人だということを盛んにここでは講釈される。多勢の人が見た、ステッキでぶんなぐって、いま刑事事件にまでなっている。そういうことはないと言われるのかどうか。その点もはっきりしてください。
  91. 横山彦真

    横山参考人 写真にあるような掲示をした覚えはないと思います。いいですか、それだから私は、あなたがここで盛んに言われるから、だれから出たか、どういうふうな経路で出たかということをはっきり具体的に答えてくださいと言うのであります。
  92. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 あなたは参考人に来ているので、議員に指図する場所じゃないですよ。あなたの学校は何だ。ちょっとでもこういうことをしたらすぐ退学でしょう。いままで幾らも事例があります。そんなときに、だれが、これはだれそれの学生がやったということを言うものがありますか。ニュースソースを明らかにしないのは当然の権利であります。それを明らかにしてくれと要求するのは撤回しなさい。
  93. 横山彦真

    横山参考人 賞罰の問題もまことに針小棒大に……。
  94. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 委員長、私の聞いたことに答弁するように注意してください。
  95. 大久保武雄

    大久保委員長 横山参考人に重ねて申し上げますが、発言者の質問の要点にお答えを願いたい。
  96. 横山彦真

    横山参考人 退学のことを言われましたが、しょっちゅうやっておるということは言っていません。それから停学ということも不定期の刑でございまして、学長は反省すればすぐにでも許します。私どもも実際はこれは驚きましたけれども、反省して自分が悪かったと言えばすぐ許します。
  97. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 私がいま言ったのは、横山さんはここで参考人に来ているのです。ニュースソースのことについては私は繰り返し言っている。それを明らかにしろという要求をする、そういうことは出過ぎたことです。横山さん、取り消しますか。
  98. 横山彦真

    横山参考人 私は取り消しません。
  99. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 あなた、全然法律も何も無視している。先ほど神近委員から言われたことだが、これはことしの紀元節奉祝式典の舘長の講話の中で、大民新聞に出ていますが、社会党は、アメリカを日中共同の敵なんぞと言った浅沼稲次郎が死んでよくなるかと思ったら、佐々木という政治などもわかりもしない委員長が出てきた。あの秋田なまりだけはごあいきょうで、ちょっとかわいいところがある。いまの憲法は憲法ではない。「犬」法である。全くの詐欺文書である。私たちは天皇を元首にお迎えし、いまの詐欺憲法を焼いてしまおうと言っている。ほんとうに柴田舘長は詐欺文書として憲法を焼くつもりか。そしてあなた自身は、館長は非常にいい人だと言われている。この館長の意見に賛成されるかどうか。
  100. 横山彦真

    横山参考人 私はよく人に聞かれて言うのでございますが、まず舘長の性格について言いますと、お互い天の修養道場に通わないうちは、これは私はじめ多少の欠陥も持っておる。しかし愛国ということ、生徒の教育に熱心なということあたりは、これはまれに見る人で、そうでなかったら、いまのように学校が発達しませんよ。  それからいまの憲法問題でございますが、紀元節で言われたかどうか私は実際によく覚えておりません。しかし多くの人、学者から、いまの憲法が適当なものでない——現に私もさっき申しましたように、アメリカの有力者からそういうふうに聞いておるので、これについては大いに疑義を持っておることは間違いございません。終わります。
  101. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 時間がありませんから、はしょりますが、学校の運営方針にしても、あなた方の国士舘の総則の第一条にある教育基本法は憲法に基づいたものだ。あなた方はそれを一アメリカ人から聞いたということで、それでまるで行動されるようにしておる。憲法を守ることはこれは国民の当然のやるべきことなんですが、それをこういうふうに学生の実践倫理の必修科目として、本もある中に、議員のことも憲法のことも書く、また新聞にもこういうことを書く、それが正しいことかどうか、それを言ってください。
  102. 横山彦真

    横山参考人 学校には政経学部がありまして、こういうことをよく教え、また研究する会もございまして、当然これは研究しております。  それからアメリカ議員と言われましたけれども、とにかく法律にありますが、「詐欺又ハ強迫ニ因ル意思表示ハ之ヲ取消スコトヲ得」とはっきりございますね。私どもはあなた方と同じように原爆なるものが最大の脅威と考えております。
  103. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 最後に質問します。去る四月八日に始業式の際、柴田館長は開口一番朝日新聞の攻撃を行ない、朝日は赤だと言っている。そして四月二十九日天長節の際、日比谷公会堂及び町外音楽堂を借り切って、朝日新聞社に膺懲デモを行なうと言っております。なお同日始業式のあとクラスで、学生——名前はわかっておりますが、学生監は黙って見ているから、お前たちが自主的にやるのだと発言している。やるつもりですか。
  104. 横山彦真

    横山参考人 これはさっきもちょっと触れましたが、朝日新聞が一方的に非常に歪曲したことを書きましたので、学校でものすごく憤激しておることは間違いございません。そこでいろいろな案が出たと思いますが、これを実行するかしないか、おそらくこういうことはデモなんかは実行しないのではないかと私は考えております。しかしながら、朝日がいわゆる社会の木鐸として無責任な記事を書かれるということは、これは私どもは非常に困るから、どうしても反省をしてもらわぬと社会が悪くなると思います。  なお赤の問題でありますが、これはもう読者がみな見て知っておる問題でございます。二月五日の新聞の広告、これをごらんなさい。優良図書の筆頭に赤旗が推薦してあるじゃありませんか。これを何と考えられます。終わります。
  105. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 それが何の関係がある。あなた方はその始業式のあと、四月八日、「始業式所感」というこういうガリ版刷りのものを学生に配って、特に朝日の偏向及び早大の騒動について感想並びに対策、こういうことを言っておる。それから四月十六日新入学生の始業式及び入寮式がありますが、それはあなたが総指揮になっておりますが、違いありませんね。
  106. 横山彦真

    横山参考人 そうでございます。
  107. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 その式次第の第五に、来賓の朝日征伐の辞、こういうのがあります。あなた方は頭が曲がっているから人のすることがみんな赤に見えたり、私を野坂に取り違えたり、学校では志賀義雄を間違えて、志賀直哉はけしからぬと言ったり、正気のさたではないのです。そういうことだから私どもは法務委員として今日までこの問題を取り上げてきました。きょうのあなたの答弁は全然普通の日本人の感覚になっていない。あなた方がおやりになればわれわれもやります。なおこの問題については、必要とあれば政府に当法務委員会に出てもらってやります。とことんまでやりますから、それは覚悟しておいてください。  これで終わります。
  108. 大久保武雄

    大久保委員長 本日の議事に関し、品位を欠く等、もし不穏当にわたるような言辞があれば、後刻速記録を取り調べの上、委員長において善処いたしたいと考えます。さよう御了承願います。  これにて参考人に関する議事は終了いたしました。  参考人各位におかれましては、御多用中のところ長時間にわたり委員会の調査に御協力をくださいまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、ここに厚くお礼を申し上げます。どうぞ御退席ください。  人権擁護に関する件について質疑を続行いたします。坂本泰良君。
  109. 坂本泰良

    ○坂本委員 昨年来、小野田セメント会社におきまして、希望退職、大量の首切りということが実施されておりますが、これに関連いたしまして従業員の方が三名自殺をされた、こういう事件が発生いたしておりますから、これについて若干お尋ねをいたしたいと思います。  まず、この小野田セメント会社の整理と申しますか、希望退職、首切りについての労働省の御答弁を願いたいのです。
  110. 青木勇之助

    ○青木説明員 小野田セメントの合理化に伴います整理問題の概要を申し上げます。  昨年の十一月二日に会社側より、二期連続の赤字決算の再建策の一環といたしまして、一般従業員八百名の希望退職及び臨時雇い百五十名の整理を提案いたしました。これに対しまして組合側は反対をいたしまして、十一月二十八日から五日間、全面ストライキを行なっております。その後、希望退職者募集の最終期限でございます十二月十五日までに応募者数が約半数程度でございましたので、会社側といたしましては期間を十八日まで延長いたしました。この十八日までの間になお希望退職目標数に達しない場合には、十二月二十五日をもって指名解雇を行なう、こういうことを決定したようでございます。その間、十二月十八日には組合側より中央労働委員会に対しましてあっせんの申請をいたしました。中労委が事情を聴取いたしまして、同月の二十三日にあっせん案を提示いたしております。その内容は、指名解雇は行なわないこと、会社は二十八日を期限として希望退職募集を行なうということを骨子といたしております。組合側は同日これを受諾いたしております。しかし、会社側のほうでは、目標数になお達しておらないというようなこともございまして、十二月二十五日に中労委に対してあっせん案拒否の回答をいたしました。同日、津久見工場につきましては六十八名、八幡工場につきましては三名、合計七十一名の指名解雇を行なっております。この指名解雇につきましては、組合側といたしましては不当労働行為であるということで、一月二十一日に大分地労委——これは津久見工場関係でございますが、不当解雇及び支配介入の不当労働行為の申し立てをいたしております。次いで一月三十一日には、八幡工場関係事件につきまして、同じく労組法七条一号及び三号に規定いたします不利益取り扱い及び支配介入を理由といたしまして、不当労働行為の申し立てをいたしております。その後大分地労委及び福岡地労委におきましては、それぞれ数回にわたりまして関係当事者からの事情聴取をいたしまして、四月段階から審問に入る、こういう状況に相なっておるようにわれわれはいまのところ了知いたしております。
  111. 坂本泰良

    ○坂本委員 そこで、人権擁護局長にお願いいたしたいのですが、西村市太郎、磯村筆雄、三縄豊子、この三名の方が自殺されておるのですが、この自殺について御調査いただいたか、その点について御報告をお願いいたしたいと思います。
  112. 堀内恒雄

    堀内政府委員 ただいま御質問の点でありますが、第一は西村市太郎という方、第二は三縄豊子、第三は磯村筆雄、この王氏が自殺したという事実はございます。  まず西村さんのことを申しますと、三重県にあります小野田セメントの藤原工場の現場工員でありまして、西村さんは勤続六年に及ぶ方でありますが、昨年十二月十五日に会社の希望退職の呼びかけに応じまして退職したものであります。退職いたしまして六日あとの十二月二十一日の夜に自宅の物置き小屋で首つり自殺をいたしております。  次の三縄豊子さんの場合は、昨年五月の下旬から小野田セメントの東京本社の電話交換手として勤務いたしておりましたが、昨年十二月三日に希望退職いたしました。そしてそのあと、希望退職後郷里に帰りもせぬでそのまま下宿におりまして、本年一月十一日にアパートの自室におきまして首つり自殺をいたしております。  第三番目の磯村筆雄さんの場合は、小野田セメントの同じく三重県の藤原工場でありますが、三十五年間勤続いたしまして、退職の際には同工場の生産課保全係長でありました。ところが昨年十二月十日に会社の希望退職の呼びかけに応じまして退職いたしましたが、本年一月二十七日に妻の外出中に自宅におきまして首つり自殺をいたしたものであります。
  113. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういたしますと、この三人のことについて、首つり自殺をされたという日にちとか、希望退職の日はわかりましたけれども、どういう理由でこういう自殺をしたかということについては、調査なさらなかったのでございますか。
  114. 堀内恒雄

    堀内政府委員 私ども、まだ十分の調査をいたしておりませんが、昨日、会社側の言い分を聴取いたしました。その会社側の言い分によりますと、次のようになります。  まず、西村市太郎さんの件でございますが、昭和三十七年の春ごろ、西村さんはよその家の養子になったそうでございます。ところが、その同じ三十七年の七月に睡眠薬を飲みまして自殺をはかったことがある。それは自殺未遂に終わりましたが、精神病院で診断を受けましたところが、憂うつ症であると、そういう診断がありまして、昭和三十七年の十月に養子縁組を解消いたしました。そして、引き続き会社につとめておりましたが、昨年の十二月十五日に、会社に対して希望退職の申し込み書を提出いたしました。そして家族と相談をしないで出したらしいので、家族から反対がありまして、母親から、会社をやめるのならば家を出てしまえというようなことを言われまして、そうして一たん提出しました希望退職書を十二月の十八日ごろに取り下げたということでございます。ところが、また同じ月の二十日に至りまして、希望退職の申し込み書を再度提出いたしました。そして希望退職をした。ところが、その翌日になりまして、何らの遺書もなく自殺をしたということだそうであります。十分な理由はまだ不明であるということでございます。これが西村さんの分ございます。  三縄豊子さんにつきましては、これも十分な事実を調査いたしておりませんで、不明でありますが、会社側の説明によりますと次の通りであります。  三縄さんは、昨年の八月ごろに、所属の上司に、会社をやめたいという意向を漏らされた。しかし会社としては、電話交換手は不足しておりますのでやめないでほしいということを申し入れまして、引き続き仕事をしておったところが、今回の希望退職の募集に際しまして、三縄さんは希望退職を申し入れをした。しかし、会社としては電話交換手は不足しておるので、やはりやめないでほしいということで、会社としては慰留したそうでありますが、三縄さんから、十二月三日になりまして、正式に書面によりまして希望退職の申し込みがありましたので、会社側としてはやむを得ず退職を認めた、そういう事情であったそうであります。  三番目の磯村さんの場合は、磯村さんという方は、会社の言い分によりますと、非常に資産のある方で、また退職金は六百万円という金額であったので、家庭の事情からいえば自殺をされる理由はないはずである。おそらく、この方には妹さんがあって、この方は病身である。そのほか、何か家庭的な悩みがあったのではなかろうか。会社のほうはこう申しているようです。  以上のとおりでありまして、私どもとしてはまだこれらの自殺のほんとうの理由の詳細までは突きとめるに至っておりません。
  115. 坂本泰良

    ○坂本委員 これは、いわゆる合理化という名目のもとに、また、相当の借金をしているという名目のもとに、会社の都合のいい合理化を推進している、そうしてこれを強行している、その一つの犠牲である、こういうふうに考えます。したがって、もちろん時間もありませんでしたが、会社側のほうに御調査においでになっても、会社の過失であるとかどうとかということではなくて、むしろ責任のないようなことを言うのは、これは常識上推測できるわけであります。ですから、この点については、先ほど労働省のほうから御説明がありましたように、指名解雇の問題から希望退職、さらに指名解雇の問題に発展しまして、そうして中労委に提訴をする、こういう段階になっておりますし、さらに会社の、あっせん案に対する拒否、こういうことが行なわれまして、ついに指名解雇になり、それに対して組合側では、不当労働行為で、大分、八幡の地労委に提訴をしている。労使双方の見解が非常に異なりまして、労働者側としては、不当な合理化、首切りということで提訴している問題であります。したがって、この間に三名の首つり自殺があって、労働者として自殺をするというのはよくよくのことではないかと思うわけです。ですから、これはひとつ、不当労働行為に対する救済申し立ての地労委の関係機関等もございますから、この点を十分調査して、そうしてさらに自殺された三名の方の——本人は自殺されておりますけれども、この西村さんについては、社会新報には、涙に暮れている写真も載っており、一部の記事がございますが、本日は、この内容についていろいろ申し上げても、まだ御調査ができておりませんから、今後ひとつ早急に御調査をいただきまして、そうしてその経過等の発表も当委員会でお願いしたい、こういうわけであります。そこで一つだけ、交換手をしておってなくなられた三縄さんの問題ですが、これは自殺した当時遺書があったらしい。新聞の記事によりますと、「三縄さんは遺書を残しているが、警察は「遺書を見せるのはまずい」として、「内容は〃お世話になりました〃という意味のことが書いてあるだけだ」」、これは池上署の刑事課長の談話だと思いますが、「遺族も「かかわりあいになりたくない」と遺書をしめすのをこばんでいる。」こういうような点でございますが、「警察では「死ぬときオーバーを着ていたのは頭がおかしかった証拠」「郷里の熊本では精神病院にかかっていた」と、しきりに豊子さんが「異常であった」ことを強調しているが、千葉市に住む実兄は「そんなことは信じられない」」こういうふうに否定しておられる。こういう点があるわけですが、やはり推測しますと、退職の問題で非常に悩んで、そうしてそれを打ち明けることができずに自殺をした、こういうことも考えられるわけですが、警察当局にお聞きしたいのは、このように遺書が警察の手で発表しない、見せないというと、事実の内容は、あるいはそうかもしれませんけれども、いろいろそうでないという疑念がたくさん出てくるわけですが、この点についてはもっと池上署のことですから、はっきりして、いずれにしても合理化首切りに関する大きな人の生命をなくするという事件でございますから、この点について、遺書の問題について、御見解を承っておきたいと思います。
  116. 関根広文

    ○関根説明員 ただいまの点につきまして、報告によりますと、三縄豊子さんがことしの一月十七日になくなられて、十八日に発見をしております。発見をした方がめいの中村さんという方なんですが、翌十九日にその死体を検案いたしまして、その死体を千葉におられる三縄利光さんに引き渡した、その際に遺書はめいの中村さんに渡した、こういうふうに報告を受けております。ただいまの点は、めいの方に渡したその翌日の二十日に社会新報の記者の方が来られまして、池上署の刑事防犯課長の警部に遺書の内容を尋ねられましたので、課長は、遺書はすでに渡してしまってないけれども内容はおじさん、おばさんすみません、こういうふうな簡単なことであった。遺書はめいの方に渡してございますが、めいの人の住所はここですということで、その住所と場所を地図に書いて記者の人に渡してあげたという報告を受けております。したがいまして、このときには遺書はなかったというふうに私どもは判断いたしておりますが、かりに、これはかりでありますけれども、遺書がございましても、内容の差しつかえないことを最小限言う場合はありましても、お見せするということは通常やっておりませんので、この場合と関係ございませんけれども、遺書の取り扱いということにつきましては通常公開しないというふうなことでやっておると思います。
  117. 坂本泰良

    ○坂本委員 この三縄さんの場合は遺書の点が問題になったのでありますが、ほかの二人も、これは自殺、首つりのような場合は、全部警察から行って検視をして、あるいは行政解剖をやるとか、あるいは司法解剖をやるとかいうことの手続が行なわれると思うのです。それで、これは警察庁のほうでも、遺書はもう実際警察が持っていなかったから見せるわけにいかなかったわけですが、その後このめいの方がどうしておられるかは、これは警察は知らぬわけですから、その先の問題のことはわからぬわけですが、これはひとつ人権擁護局のほうでもこういう点もあわせて御調査願いたいと思うのです。それからほかの二人の方についても御調査願う際に、そういう点まで触れてひとつ調査を願いたいと思います。これはこの事件一つ一つを掘り下げますと、やはりそれは悩みがあって自殺したわけなんですが、しかしながらやはりこれは小野田セメントの大量の合理化首切りに関連することでありますから、相当悩んで自殺をする。磯村さんのごときは三十五年勤続で、金持ちだから自殺せぬでもよかった、というような会社の話がありますけれども、この人はやはり三十五年も勤続して、そうして聞くところによると、やはり希望退職というようなことが出れば、内心は非常に不満であり、やりたくないけれども形式上出す。それが悩みでやはり自殺をする、こういう結果も想像できるわけでありますし、ひとつこれは早急に御調査を願いまして、次の委員会でまた御報告を願って御質問申し上げたいと思いますから、本日のところはこれで保留をしておきまたいと思います。
  118. 大久保武雄

    大久保委員長 本日の議事はこの程度にとどめます。  次会は来たる十九日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後一時十六分散会