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茜ケ久保委員 大臣のおっしゃるようなことであるから、
宗教法人法の
改正が必要ではないかと私は指摘している。問題の第一点は、いま言ったように、
宗教法人法自体に問題がある。檀信徒の意思を無視して一
住職がかってに
責任役員をきめて、かってなことをやれるという現状なんです。いまの問題が起こっているのもそこに問題があるわけです。檀信徒は
責任役員の選任に対して現在においては何ら権限がないのです。お寺という一つの
宗教法人を形成するのは、いわゆる
住職を中心に檀信徒があって初めて成立するわけです。ところがその大事な檀信徒がそのお寺の運営なり全責任を負う
責任役員の選任に何ら権限がないわけです。全く非民主的というか、これはもう民主日本の現在の中で全く奇怪な状態です。こういう問題が一つあるのですね。
一つはいま
大臣のおっしゃった八十五条、こういうことは
宗教というものを至上のものという前提に立って書いたと思う。
宗教法人なり
宗教団体は悪いことはしないという前提で書いたと思うのです。ところが実際は悪が横行している。
曹洞宗という
宗教は騒擾宗と言われているくらい現在こういう事例は全国に非常に多いのです。こういうことが起こるところにこの
宗教法人法の欠陥があるのであるから、たとえば
責任役員の選任なり——この八十五条もこのままに見ればけっこうな条文であるけれ
ども、そういう
宗教の信仰活動とかあるいは
信教の布教とか、そういうことについてはこれは絶対介入してはならぬけれ
ども、しかし
宗教法人にいま言った具体的にあげたような行為があった場合には、現在の裁判では
宗教法人法に違反していないから、いま言ったように
法律を研究し、悪らつなお坊さんは思うようなことをやっている。一般のお坊さんは
法律なんかあまり研究しておらない。私自体さえ必要に迫られて
宗教法人法を研究したので、おそらく
宗教法人法などあることすら知らぬ人がずいぶん多いと思う。普通のお寺のお坊さんなんかほとんど知っておりませんでしょう。したがってこれを少し研究し悪用する、たとえば安本さんというお坊さんが出てくると、みな手玉に取られて自由にされておる。その陰には無数の檀信徒が泣いているし、困っている、寺族が泣いている。それはいま言ったように法的には何ら矛盾がないから、堂々と白昼そういった悪が横行している。したがって私の指摘しているのは、
大臣はこの
宗教法人法をそのまま容認されての答弁でありますから、それはそれでいいのです。しかしそういうことが起こっているところにこの
宗教法人法の欠陥、
盲点があると私は指摘している。したがって、これはせっかく
宗教審があるのだから、この際思い切って
宗教法人法を検討していただいて、こういうことが起こらぬような対策を講じてもらう必要があるのではないか。でなければ、このままほうっておきますと、こういうことは今後も次々に起こってまいります。そうすると、みなこれは表に出ませんから陰で泣いておるのです。
しかもこの
宗教法人法によってできておる
曹洞宗の宗制というものを見てみますと、
住職はいわゆる檀信徒に対して信仰に関するいろいろな活動をしなければならぬことが規定してある。ところがこのお坊さんらは全然それをやっていない。ただお寺を乗っ取って、寺の手入れをして、いま言った
恩金という形で第三者に転売をしておる。したがって、私は、最近つくづく思うのは、
内容はよく知りませんけれ
ども、創価学会は別として、立正佼成会という
宗教団体がございますが、これはあまり葬式をしたということは聞きませんけれ
ども、現在も何百万という信者をかかえて、かなり積極的な
宗教活動をしておる。会長と称する人が地方に出て、何千人という者を集めてかなり積極的な信仰上の話をしたり、やっておるわけであります。しかるに
曹洞宗の中で、道租道元禅師なんかは日本でも不世出と言われるほどの学僧であったわけでございますが、ああいうりっぱな高邁な人を持ちながら、現在はそういうことが全然なされていない。そうなりますと、こういう人たちのやっておることは、実際には
宗教法人としての資格はないと思うのです。それでも国は放置しておるというところに問題があるので、私は、はからずもこうした問題に出っくわして、いろいろと資料を集めて検討してみますと、検討すればするほどこの
宗教法人法が欠陥だらけというか、無責任というか、むしろ悪を助長するような状態があることを痛感しましたので、わざわざお忙しい
大臣においで願ってお尋ねをし、御所見を求めた、こういうわけであります。
話を聞きますと、当
委員会では
宗教に関しての
質問なり論議はあまりなされていないようでありますが、これはあまり問題がないことでございましょうし、また実際の具体的な社会生活上、現在の
宗教に対することが何かたな上げされたような形でございます。しかし私は佐藤総理の社会開発、人間開発という基本的な施策から考えますと、やはり
宗教の持つそういう面の責務は大きいと思うのであります。したがってそれが社会開発、人間開発の面と逆なことがどんどん実際行なわれている、そうなりますと、やはり放置するわけにはいかぬと私は思うのでありますが、時間があればその
内容の一部を申し上げますと、なおぴんとくるのですが、時間がありませんから、それは一応きょうは省略しますが、そういうことを考えてもやはりまだ
大臣としては
宗教法人に対する根本的な検討をなさるような考えにはならぬものかどうか、いかがでございましょう。