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1966-03-09 第51回国会 衆議院 文教委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年三月九日(水曜日)    午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 八田 貞義君    理事 上村千一郎君 理事 小沢佐重喜君    理事 谷川 和穗君 理事 南  好雄君    理事 八木 徹雄君 理事 川崎 寛治君    理事 長谷川正三君       大石 八治君    久野 忠治君       熊谷 義雄君    坂田 道太君       床次 徳二君    中村庸一郎君       長谷川 峻君    原田  憲君       松田竹千代君    松山千惠子君       落合 寛茂君    高橋 重信君       鈴木  一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 中村 梅吉君  出席政府委員         文部事務官         (大臣官房長) 安嶋  彌君         文部事務官         (大学学術局         長)      杉江  清君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 村山 松雄君  委員外出席者         文部事務官         (大学学術局教         職員養成課長) 安養寺重夫君         専  門  員 田中  彰君     ――――――――――――― 三月五日  委員松山千惠子辞任につき、その補欠として  灘尾弘吉君が議長指名委員に選任された。 同日  委員灘尾弘吉辞任につき、その補欠として松  山千惠子君が議長指名委員に選任された。 同月八日  委員櫻内義雄辞任につき、その補欠として久  野忠治君が議長指名委員に選任された。 同月九日  委員船田中辞任につき、その補欠として長谷  川峻君が議長指名委員に選任された。 同日  委員長谷川峻辞任につき、その補欠として船  田中君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 三月五日  国立及び公立学校教員に対する研修手当の  支給に関する法律案鈴木力提出参法第四  号)(予) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 三月七日  義務教育管理下における児童生徒学業災害  補償に関する陳情書外一件  (第一一八号)  公立高等学校設置適正配置及び教職員定数  の標準等に関する法律改正に関する陳情書外  一件(第一  一九号)  公立文教施設整備費予算増額に関する陳情書  (第一二〇号)  学校警備員設置に関する陳情書外五件  (第一  二一号)  同  (第二一五号)  学校保健に関する陳情書  (第一二二号)  学校給食費国庫補助増額に関する陳情書  (第一二三号)  は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法  律案内閣提出第二二号)  文教行政基本施策に関する件(文化財保護に  関する問題)      ――――◇―――――
  2. 八田貞義

    八田委員長 これより会議を開きます。  国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を行ないます。質疑の通告がありますのでこれを許します。長谷川正三君。
  3. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私は、議題となっております国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案に関連いたしまして二、三この際文部省の見解をただし、なお今後について御要望申し上げたい、こういうように考えます。  学校教育法によりますと、小中学校養護教諭を置くということはもう原則でありまして、その必要は何人もこれを認めておるところでありますが、附則百三条によりまして、養護教諭について置かないこともできることになっているために、また一つには今日学校教職員定数というものが、現在の学校教育並びにその他の仕事に比較いたしまして十分でないために、一般教諭としての資格ある方を一人でも多くほしいというような学校経営上の要求から、当然置かなければならない養護教諭をそちらに定数として振りかえておるというような面もありますし、それから反面、養護教諭そのものの正規の資格を持ってこの職につく者の供給面が非常に不十分である、こういうような事情等があって今日に及んでおると思いますが、しかし、これは変則的な姿であって、小中学校に必置するよう附則百三条の撤廃を一日も早くできるような状態をつくり出す、そのために鋭意努力するあらわれとしてこの法律ができ、年々御努力をなさっているというふうに存ずるわけであります。そういう意味で今回も三国立養護教諭養成所設置を加えてこの改正案が出されたと思います。  そこでお伺いいたしたいのは、昭和三十七年の三月に参議院におきまして、翌三十八年から五カ年の計画をもって養護教諭充足をはかる決議案与野党一致で決議されまして以来、これが具体的な一つ施策として踏み出したと思うのであります。しかし、その当初立てました三十八年から四十二年、来年度までにどのような目標を立て、どのような計画で進んできたのか、そして現実にはどういう状態にいまなっておるのか、そういう点をまずお聞かせをいただきたいと思います。
  4. 杉江清

    杉江政府委員 三十九年から四十三年までに公立小中学校養護教員約五千人を増員する計画を立てたわけでございます。この計画によりまして小中学校養護教員総数として約一万五千人、約四五%の学校設置する、こういう計画でございます。その内訳といたしまして国立大学養成課程修了者を約二百四十人、大学短期大学卒業者を約百五十人、県立等養成機関修了者を約三百五十人、養護職員からの配置転換、これは現職職員資格を持たせる、これを五百人、それから国立養護教諭養成所卒業者公立養成機関、そこでは保健婦免許も与えておるのですが、これらを含めまして百五十人、それを合わせまして千四百人、こういうことで年々充足をしていこう、こういう計画を立てておるわけであります。養護教諭養成所につきましては、これは修業年限三年でありますので、この計画には直接影響するところは少ないわけです。しかし将来なお私どもはその基幹要員にしっかりした者を充足し、そして将来ともこれを大いに伸ばしていこう、こういう意図のもとに国立養護教諭養成所を漸次整備していこう、いまこういう計画で進んでおります。必ずしも十分でありませんけれども、おおむねこの線に沿って整備されていくものと思います。
  5. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いま国立大、それから一般大学及び短大、それから県の養成所、それから養護職員講習等によって正式の資格を与える、それから国立並びに県立保健婦資格も兼ねて取れる養成所、それらを合わせまして年間に千四百人、というのは四十一年度計画をおっしゃったわけですか。年々というようにお話があったのですが、これはいまのお話ですと三十九年から四十三年まで毎年この計画で進めて五千人にふやす、こういうことでしょうか。そこのところをもう一度はっきりお願いします。
  6. 杉江清

    杉江政府委員 毎年そのような充足方法で進まう、こういうことでございます。
  7. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これは、三十八年から四十二年とさっき私は申し上げたのですが、そうでなくて三十九年から四十三年という五年間ですか。
  8. 杉江清

    杉江政府委員 三十九年から四十三年であります。
  9. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうしますと、三十九年度も千四百人の目標をお立てになったのですか。
  10. 杉江清

    杉江政府委員 毎年の計画はこのとおりいきませんけれども、大体平均してこの程度でひとつやろう、こういう計画で三十九年度においてもなお漸次充足されておりますし、まあこの計画は一応四十年度に立てておりますけれども、四十三年度までこういうことでいこう、こういう計画にしているわけです。
  11. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 この計画だと七千人になるわけですね。四、五、二十ですから、七千人。しかしなかなか全部が全部収容してもらえないというサバを見越してこの計画にして、五千人を確保する、こういうお考えですか。
  12. 杉江清

    杉江政府委員 この計画は四十年度から立てたということもありまして、おおむね総数としては三十九年から四十三年まで約五千人としております。四十年度計画を立てたということもありまして、おおむねこの計画で当初目標充足できるだろう、こういう考え方で進んでおるわけであります。
  13. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これは局長が大ざっぱな御報告を受けているためにいまのような御答弁になっているのじゃないかと思うのですが、ちょっと数字のつまが逆算すると合わないところもありますから、もうちょっと突っ込んで具体的に伺いますと、初年度の三十九年度はどういう計画を立てられ、結果的にはどれだけ得られましたか、そういうふうに質問を少し切りかえて具体的にお尋ねしてみます。
  14. 杉江清

    杉江政府委員 その辺の詳細な資料、直ちに取り寄せますから、恐縮ですが、しばらく御猶予をいただきたい。ほかの問題で、毎年度の具体的な充足数については……。
  15. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 局長が知らなくとも関係係官がおればすぐ耳打ちができる程度の、これはやさしい質問だと思うのです。特にこの提案から見ますと、これはひとつ早急に、いますぐわかりますか。
  16. 杉江清

    杉江政府委員 いま連絡させておりますから、早急に資料を持ってくると思います。
  17. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それでは時間が貴重ですから、一番基本的なこの数字がどういうふうになっておるかを具体的に私ども知りたいので、そうしてその立場からこの改正案が妥当なりやいなやということを判断しなければならない、こう思うわけなんですが、その数字がどうもちょっとはっきりしませんので先には進めにくいのですが——それではちょっと伺いましょう。  角度を変えまして、さっき国立大というのとそれから大学短大というのとありましたが、この国立大というのとそれからあとのほうに国立大学及び府県立保健婦資格もあわせて与え得る養成所というのがありましたが、この国立大というのと国立保健婦資格も与えるというのとは具体的にはどう違うのですか。
  18. 杉江清

    杉江政府委員 国立大学養成課程というのは、看護婦免許状を持っております者を一年間大学に収容して、教育を授けて養護教諭免許状を得させる課程をいっておるわけでございます。それから保健婦等免許を受けようとしておる者、これは、県立等におきまして保健婦とあわせて養護教諭免許状を得させるような仕組みにしておる養成機関があるわけでございます。そういう者の卒業者をいっておるわけでございます。
  19. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そのあとのほうは国立ではないのでしょう。
  20. 杉江清

    杉江政府委員 国立ではございません。国立では、いま申し上げましたような一年の課程でやっておるものと、それから同時に四年の課程で、ほかの免許状とあわせて養護教諭免許状をとることもできるわけでございます。これは実際には非常に少ないのですけれども、そういうものもあります。私が、最初に申し上げた国立大学養成課程修了者と申しましたのは、看護婦免許状を持っておる者を一年間訓練して養護教諭資格を得させる、こういうものでございます。
  21. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうするとその国立の一年間養成課程というのは、スクーリングは全部で何年になり、どういう免許状を与えておりますか。
  22. 杉江清

    杉江政府委員 これは看護婦免許状を持っておる者、看護婦資格のある者を一年間収容して、それを出れば養護教諭資格が与えられるということです。
  23. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 何級の免許状ですか。
  24. 杉江清

    杉江政府委員 それは二級でございます。
  25. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 二級でございますか。これは高校を出て、看護学校を三年やって、正式に看護婦資格をとって、そうしてさらに一年。そうすると、これはスクーリングとしては十六年になりますね。これで二級免許状ですか。
  26. 杉江清

    杉江政府委員 失礼いたしました。いま申し上げたのは一級でございます。
  27. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ひとつそういうところは正確によく承知しておいていただかないと、全体の計画というものが予定どおり進まなかったりいろいろ支障を来たしますから、特にひとつそういう点は十分御注意を願って、局長も詳細に御承知の上で施策を進めていただきたいということを特に要望しておきます。  それから局長はさっき国立といって、保健婦云々あとのほうで言われたんですが、私書いてちょっとここのところ疑問を持って質問しているのですが、いま一度目の質問では国立ではない、そうするとこれは何立ですか。私立ですか、公立ですか。
  28. 杉江清

    杉江政府委員 先ほど申し上げましたのは、百五十人をこういうところで養成しよう、こういうところからの養護教諭になる者を期待するというふうに申し上げたのは、国立養護教諭養成所卒業者、これが最後の年には出ますから、それと公立養成機関等で、保健婦免許を受けている者、こういう二つの範疇から百五十人を期待している、こういうふうに申し上げたわけでございます。
  29. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 またおかしくなったんですが、さっき国立養成所からくる者は二百四十名というふうにおっしゃって、あと保健婦をかねて、保健婦資格も与える公立のものとして百五十、こういうふうに言われたように思ったんですが、いまこの百五十の中に国立のを含めるという御説明になると、ちっと説明がおかしくなったように思うのですが……。
  30. 杉江清

    杉江政府委員 国立大学養成課程修了者と申しますのは、先ほど説明申し上げましたように、看護婦資格のあるものを一年間収容して、そういった特例の課程を設けて、そこで養成するものでございます。それから、いま百五十名の説明として申し上げましたのは、これは御承知養護教諭養成所と、それから保健婦とあわせて養護教諭資格を得させるようにしている公立施設養成される者、こういうことを申し上げたわけでございます。
  31. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そのあとのほう、公立のほうは免許状は何級ですか。
  32. 杉江清

    杉江政府委員 二級でございます。
  33. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 二級、間違いないですか。どうもおかしいのですが……。
  34. 杉江清

    杉江政府委員 二級に間違いございません。
  35. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それでは、国立先ほどの一年課程のは現在幾つあるのですか。
  36. 杉江清

    杉江政府委員 八つの大学に設けられてございます。
  37. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 あとのほうの、保健婦資格も兼ねた養護教諭免許状は二級というお話でしたが、それを出す公立養成所は幾つありますか。
  38. 杉江清

    杉江政府委員 三十でございます。
  39. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 三十ですか。間違いないですか。
  40. 杉江清

    杉江政府委員 三十でございます。
  41. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これはこの三十にさらに国立養護教諭養成所と合わせて百五十名なんですね。
  42. 杉江清

    杉江政府委員 四十年度に二つ設けられておりますから、それが最後の年に入るという計算をいたしております。(「違うでしょう。これは年度計画でしょう。」と呼ぶ者あり)はい。だからここでは両方合わせて書いているわけでございます。先ほど申し上げましたように、これは全体としていろいろなものからこの養護教諭資格が得られるし、そこから実際養護教諭になるわけでございますが、それを配列してこのような計画を設けている。しかしこれは年度によって違うわけでございます。ある場合にはこれは一つ範疇のものから多く入り、他のものが少ないということはあるのだが、平均しておおむね毎年こういうふうなことでひとつ努力しようという計画でございます。いまの国立養護教諭養成所は、これは四十年度から始まるのですから、当分の間出ないけれども、しかしこの計画には一部入ってくる、そういう意味でここに及びということで、あわせて計画にしている、こういうことでございます。
  43. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 先ほど数字、わかりましたか。
  44. 杉江清

    杉江政府委員 先ほどの保留いたしました御質問に対しては、課長から説明させたいと思います。
  45. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答え申し上げます。  昭和三十九年度から四十三年度までの間に養護教諭充足を要する数は約五千ございます。その充足をいろいろ考えておるわけでございますが、大体国立大学養成課程を修了いたす者、あるいは一般大学短大卒業いたします者、あるいは県立、市立の保健婦養成所がございまして、そこから資格を得て出ます者、あるいは養護職員と申しまして現在四千名くらいありますが、それらの人が逐次資格を得まして養護教諭として配置がえされるというような数を総体含めまして、この五千名増員充当計画を立てておるわけでございます。ほぼ平均をいたしますと、年間大学卒業しまして養護教員になるものと見込まれる数字が約四百弱、県立保健婦養成機関から出ます者で充当し得る見込み数約三百五十、なお現在養護職員としております者から資格を得まして——また現にこのために本年度から向こう六年間にかけまして本省主催資格付与講習を開始したわけでありますが、こういう有資格者から見込まれる数約五百名、そのほかに国立養護教諭養成所卒業生、その他すでに保健婦看護婦資格を持っておられる人から約百数十名はこちらのほうへ転換されるのではないかというような数を見込みまして、年間ざっと千四百から千五百という数字を平均的に充足し得るものということで見込んでおるわけでございます。
  46. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまの安養寺さんの御答弁で、一番最初杉江局長が言われたことが若干訂正されたかっこうで、ほぼそのことをいま概略の五年間見込みとしての、その一年間の見通しという形で、千四百ないし千五百の養成、こういうふうにお答えがあったと思うのですが、私が、さらにそれではもう少し具体的にお伺いしますと言ったほうはいまのお答えにはなかったので、再度お尋ねしますが、そうしますと、三十九年度には具体的にはどれだけの養成見込み、実際にはどれだけ養護教諭として得られましたか、こういう質問を申し上げたのですが、それも先ほどは調べさせるということだったので、その点をひとつお答え願いたいと思います。初年度の三十九年度ですね。
  47. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答え申し上げます。  三十八年度一ぱい養護教員の数が、公立小中学校で九千七百名弱ございまして、三十九年度はその九千七百名弱の者が約三%減耗いたす、なお新規に要増加教員数というのが七百という数を定数法の上から算出いたしまして、合計千という数が三十九年度充足を要する養護教諭ということになったわけでございます。その充足の結果は、養護教員大学養成課程——これは国立大学にございますが、ここから出まして収容しました者が、こまかくなりますが、百十八名、一般大学短期大学卒業資格者養護教員になりました者百九名、養護婦養成機関修了者資格をとりまして採用されました者百七十八名、そのほかに養護職員から資格を得た者、もしくは得ました者から養護教諭配置がえされました者が二百七十八名、その千名の要充足数との差が三百十七ございますが、これは一部は助教諭というような形で充足をされておりますけれども、まず三十九年度計画としてはほぼ予定どおりの数が出たというぐあいに見ておるわけでございます。
  48. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまのお話で、この計画初年度の三十九年度に千名と見込んで、実際には六百八十三ということですか。それで残りの三百十七は養護助教諭で充てた、こういうことですね。これは文部省予算では二千名をふやすようになっていませんでしたか。
  49. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答え申し上げます。  御承知のように公立義務教育学校教員定数の算出によりまして、三十九年度から四十三年度一ぱいにかけまして約五千二百名の充足を要するものというのが計画目標数でございまして、三十九年度はそのうち七百、本年度で千三百、その他は毎年児童生徒数増員によりまして、われわれのほうで計算をしていくということでございますが、約千名ずつ各年度要するのではなかろうかという推計をいたしておるわけでございます。
  50. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 三十九年度は千名で、四十年度は、いまのお話ですと千三百ですか。——それでは四十年度養成目標と、それから実際得られた数、それもおっしゃっていただきたいのですが、その前に私が申し上げた三十九年度は二千というふうに予算化されたのじゃないかという点については、これは三十八年度ですか。二千という数字を私記憶しておるのですがね。
  51. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答えいたします。  先ほど三十九年度千名と申しましたのは、定数ではございませんで、要充足総数でございます。したがってそのうち三百名というのは減耗補充というものの数字、さらに七百名の増員というものの合計が千という内訳になっておるわけでございます。四十年度は一応同じ減耗率三%ということで、ほぼ三百名の減耗補充の数は不動でございますが、新規増員数見込みというのは一応千三百という形に推計をいたしております。したがって総数需要増というのが千六百名というかっこうで伸びておるわけでございます。  なお二千名の初年度増員というお話がございましたが、一応公立義務教育学校養護教諭定数計算は、三十九年度から始まりました第二次の増員計画の中に見込まれまして、その数によっていま申し上げたような数に決定をしたというようにわれわれ考えておるわけでございます。
  52. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうして四十年度はまだ終わってないわけですけれども、どのくらい事実上は養成され、新たに得られましたか。
  53. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答えいたします。国立にございます養護教員養成課程修了者が二百名、一般大学短期大学卒業生で約百五十名、保健婦養成機関卒業者によって充足見込み三百名、なお養護職員講習会等もいたしておりまして、その需要を相当大幅に見込んでおりまして約七百名、その他二百五十というような形で、この千六百名の現実充足見込みというものを計画しておるわけでございます。  なお年度途中でございますので、全体の結果はまだ確認をしておらぬわけであります。
  54. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 現在までの概数もつかめていませんか。
  55. 安養寺重夫

    安養寺説明員 いま申し上げました数字のうち、国立養護教諭養成課程を出ました者と、一般大学短期大学卒業しました者、並びに保健婦養成機関卒業しました者の数につきましては、ほぼこれで、概数で一応この程度のものは確定をしたというぐあいにわれわれは見ておるわけでございます。最も数多く見ました養護職員からの切りかえ、これが年度末を待ちませんと、はっきりした数が決定という形で確認いたしかねておるわけであります。
  56. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 大体文部省でつかんでいる数字についてはいまもお聞きしてわかりましたが、現場のほうからのいろいろ報告を受けておりますところによりますと、実際充足されたというのは非常に下回っていると思う。たとえば四十年度で現在まで私の集めた資料では、千六百のところ、大体九百名くらい。そういうふうに承知しておるのですが、そういうことを根掘り葉掘り伺いますのは、五カ年計画で五千名あるいは五千二百名充足するといいながら、実際はなかなかそこまでいっていないのじゃないか。したがって、まだ今後よほど鋭意努力しませんと、この参議院の議決を踏まえての文部省施策が順調に実施されていくということになりませんので、今回この法案をここで承認するにあたりましても、これではまだまだ非常に不十分だろう。したがってこういうことをお聞きしているわけなんです。  そこでもう一つだけ伺いたいのは、いまいろいろの国立公立私立あるいは教員講習による転換、こういったことをずっとおあげになりましたが、この中で養護教諭として比較的喜んで就職してくれる養成機関と、みんな逃げていってしまう機関とあるのじゃないかと思いますが、そういう観点から見て、どういうところの機関養成した者は養護教諭として比較的実際に実務についてもらえているのか。相当数逃げていっているのはどういうところなのか、おわかりになっていたら、今後の施策上も十分配慮を必要とすると思いますから、お尋ねをしておきたい。
  57. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答えいたします。種々養成機関がございまして有資格者が出ておるわけでございますが、国立養護教諭養成課程、これはそのために設けられたものでございまして、最も多くの者が卒業後直接養護教諭になるという機関でございます。一般大学短期大学卒業生は、養護教諭資格を得ますほかに、他の教諭としての資格を取得するという場合が多うございまして、必ずしも多くをこの卒業者に期待できないというのが実態でございます。  さらに養護婦の養成機関でございますが、これは本来養護婦の養成機関として設けられたものでございまして、その卒業者であわせて養護教諭資格を取る者もあるというようなかっこうのものでございますので、この部分が一番期待しがたいものではないかというぐあいに考えております。  なお、三十九年度から四十三年度までの間に、現に約四千名の養護職員という方々が勤務されておるわけでございまして、これらの人々に資格を付与いたしまして、できるだけ早い期間に多くの人を養護教諭に採用したいという計画を持っておるわけでございます。なおこの点につきましても、いろいろ女性でございますので、任地の関係とかいろいろ事情もございまして、必ずしも当初期待したほどの効果はまだ出ておりませんけれども、年度間にはぜひそういう形の結果を得たいものである、これは努力したいと思っておる次第でございます。
  58. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いま伺いまして、養護婦ですか、保健婦ですか。養護婦の養成と兼ねてというお話があったのですが、これは保健婦でしょう。そうですね。——保健婦、ここはそっちが本来だから保健婦になってしまって、養護教諭にはならない方が多いということが報告されたわけです。それからもう一つは、養護職員養護教諭養成するという、これもたいへん安易な便法のような気もするのですが、本格的な養成ということについてもう一段と国が施策をする必要があるということを、いまの報告を伺っても痛感をするわけでございますが、これから今後四十三年までにどういう計画を持たれているのか、この点について明確にしていただきたいと思います。
  59. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答えいたします。大体いままで申し上げましたような養成機関卒業もしくは終了者で資格を得た者を、養護教諭のほうにお迎えをするというかっこうになるわけでございますが、現在やっておりますことで将来最も期待をいたしたい部分は、一般大学短期大学養護教諭になることのできるような用意を、つとめてたくさんしていただきたい。したがって、そこに学ぶ者の多くの者がその資格を取れるというかっこうに持っていきたい。なお、本年度から始めました養護職員資格付与講習会はきわめて順調にいっておりますので、その結果をさっそく人事、採用の面で具体化していただく。なお、養護教員養成所を本年二カ所設けたわけでございますが、さらに来年度三カ所増設をする。なお引き続いて今後も増設するという形で、この卒業者に期待をいたしたいというようなことを考えておるわけでございます。
  60. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 本年は三カ所ですか、これでは非常に足りないと思うのですが、文部省としては当初からこういう考えでございましたのですか。たしか六カ所くらいの要求をなすったように伺っておるのですが、どうですか。
  61. 杉江清

    杉江政府委員 当初計画は八カ所に国立養護教諭養成所をつくる、こういう計画であったわけでございます。初年度と言いますか、四十年度二十所つくりましたから、本年度は六カ所の新設を要求したわけでございます。ところでそのうち半分の実現を見たわけでございまして、今後なお増設をはかりたいと考えております。
  62. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 大体文部省としては、もっと積極的な施策をお持ちになっていたけれども、政府全体の予算の切り盛りの中で、今回はこの程度にとどめられたということでございますので、やむを得まいと思いますが、先ほど来申し上げているとおり、計画どおりなかなか充足されておらないという実情にかんがみまして、これは附則百三条というものが取り払われる日が一日も早くくるように、全部の小中学校に完全に設置されて、子供たちが安心して養護面は守られるような状態をつくり出すために、特段のひとつ今後の努力をお願いするとともに、ぜひひとつ精密な今後の計画——ただずさんな大ざっぱなものでない、そういうものをさらにしっかり立てていただく、そしてお示しいただくということを強く要望いたしまして、私のきょうの質問を終わります。
  63. 八田貞義

    八田委員長 川崎寛治君。
  64. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 学校教育法の二十八条では「置かなければならない。」しかし百三条で「当分の間、」こういうふうになっておる。このことについては先ほど長谷川委員のほうからも指摘があったわけでありますけれども、当分の間というのが昭和二十二年以来当分の間で、すでに二十年間当分の間が続いておるわけですね。そこで、百三条の「当分の間」というのをはずして、つまり本則どおりに置くということになれば、局長答弁では、四十三年に一万五千で約四五%の学校に置ける、こういうことであったわけですが、本則どおりいった場合には、小中学校全体含めまして何人要るか、これをまず第一にお尋ねしたいと思います。
  65. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答えいたします。学校の数は多少変わるかと思いますが、公立の小学校で約一万、中学校で約一万二千という数がございますので、分校をはずしますと三万二千という数が、総数として要るわけであります。
  66. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 それだけを置けばいいというわけですか。
  67. 安養寺重夫

    安養寺説明員 さようでございます。
  68. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 そうすると、四十三年でいって残るのは一万七千ということですか。
  69. 安養寺重夫

    安養寺説明員 さようでございます。
  70. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 それでは高等学校、養護学校、幼稚園、特に幼稚園の場合は「努めなければならない。」こういうふうになっておるわけでありますが、そこまでを充足することになると幾らになりますか。
  71. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答えいたします。高等学校は約三千九百でございます。幼稚園、これは幼稚園教育振興計画というものの推進の結果を見なければ、目下のところ数字としては不明確でございますが、約七千五百、その他特殊教育学校がございますので、合わせますと四万三千くらいになるでしょうか、一応それだけの数を各学校一名必置ということで養護教諭のポストとして見込まれるわけであります。
  72. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 そういたしますとたいへんな数をそろえなければ、この法律の精神を貫いていくことはできない。三十九年度から四十三年度末までの五千二百の計画に対しましても実際にはいろいろと問題が出てくるわけです。そして、去年の説明の場合には五千二百という五カ年計画であったわけですけれども、それがことしは五千人、こういう言い方になっておるわけですが、それじゃ二百人はいつ削ったわけですか。
  73. 安養寺重夫

    安養寺説明員 お答えいたします。  昭和三十八年であったかと思いますが、当時公立義務教育学校定数法の改定を前にいたしまして、養護教諭増員ということが国会でいろいろ御審議があったわけでございます。その際、できれば三十八年から始まる五カ年のうちに約五千名程度養護教諭定数増に努力をいたしたい、こういうことを文部省から御説明をしたかの記憶がございます。そのときの計画のうちで、三十八年度にとりあえず二千名を、そういうような形で一応の見込みを申し上げたということでございます。
  74. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 あまりばかにしないでほしいのだが、ぼくはゆうべ去年の議事録を読み直したのです。去年は杉江局長が五千二百ということで説明してきているのですよ。きょうはもう五千なんだ。いま約五千ということで課長は言おうとしている。あまりいいかげんな数字を言いなさんなよ。文部省数字というのはそういういいかげんな数字でいいのだということになれば、私たちは頭からそういうことで審議に臨みますよ。少し数字の扱いがいいかげんですよ。だから、いつ五千二百人という計画であったのが五千という言い方になったのか、そういう計画が変わったのか、あるいはただばく然と五千程度ということなのか。国立教員養成所の問題が当初は八カ所、それが去年が二カ所、ことしが三カ所、去年のここの答弁では、来年は、つまりことしは六カ所と附帯決議もあったわけです。ですから、ことしは六カ所を確実に取るべきだ、こういうことだったわけですが、結局延びた。そうしますと、先ほど局長なり課長答弁では、国立養護教員養成所卒業生というものも計画の中に含めて言っておりますけれども、実際には昨年入っているのが二カ所で八十三名、そうしますと、それがこの計画の中で四十三年に出てくるのは、事故なしでまっすぐ出たとして、四十三年の末にようやく八十三がこの数字に入ってくるのであって、それを千五百や千六百の計画の中で、あたかも国立養護教員養成所卒業生というものが年度計画でずっと入っているような印象の説明をしておる。そういうものから五千二百人がいつの間にか五千になっておるのですけれども、この辺の数字の扱いについては、きちんと委員会答弁をしたことは、たいして見てもいないだろうというふうないいかげんな形で臨んでもらっては困ると思うのですよ。委員会答弁したことは、一応きちっとその上に立って、それを踏まえて答弁をしてもらいたい。これはあとのほかの法案でもこの点については私は触れたいと思いますが、政府側の答弁はその場その場を乗り切ればいいんだ、こういう姿勢が実に明らかに出ているのです。ですから、そういう点は私は許せないと思う。ですからその点についてはきちんとしたことで臨んでもらいたい。これ以上数字については触れません。  次に、昨年の本法案を扱います際にも、山中委員のほうから繰り返し繰り返し質問をいたしまして、また局長答弁をされ、当時の愛知文部大臣も明確に答弁をされておる点でありますけれども、この国立養護教諭養成所を出ます者は四十三年にようやく実際の計画に乗ってくるわけですね。それに対しては育英資金の対象になっておる。ところが、ほかの者については育英の対象にならないわけです。各種学校の者としてはいろいろ問題があるから、これは谷川委員質問をされた点でありますが、昨年のその質問の際に、局長は育英対象に各種学校をするということは今後の課題として十分検討してみたい、こう言われたわけです。一年間たったわけですが、どのように検討されたか。
  75. 杉江清

    杉江政府委員 この前の本委員会における強い御要望に即して十分検討いたしました。そうして私どもは、はっきりと養護教諭養成する府県立養成機関、これだけは少なくとも育英奨学の対象にしたいということで、予算要求も私たちとしては十分努力したつもりでございますけれども、実現いたしませんでした。その理由は、結局はっきりした法律に基づく機関でない。いわば各種学校としての性格を持つ、そういうふうな機関に育英奨学の対象範囲を広げていくと、いろいろ区切りがむずかしくなって他の機関に及ぶ。他の機関というのは、たとえば保健婦養護教諭資格をあわせ与えるような機関が相当あるわけで、そういうものとの区別がつかない。育英奨学については他から範囲を広げてくれという要望があるわけでありまして、それらを全体を見通してその範囲をしっかりと確定しないと、どこまで広がるかわからぬおそれがあるからこの点は困る、本年度はそれは認められない、こういうことで実現いたさなかったような次第でございます。
  76. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 それでは、文部省としてはぜひ対象に加えたい、財政当局に問題がある、こういうふうに理解していいわけですね。
  77. 杉江清

    杉江政府委員 そのとおりでございます。
  78. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 それでは今後さらに実現をするために努力してもらいたいと思います。  次には、先ほどちょっと触れました点でありますが、当分の間ということによって、実際には必要なものが、五カ年計画が過ぎて、なおかつ半分以下に小中学校の場合なるわけであります。ですから、この当分の間というのをいつはずす予定ですか。
  79. 杉江清

    杉江政府委員 この計画は、実現いたしましてもなお四五%の設置率になるわけでありまして、まず当面はこの計画の実現に最大の努力をいたしたいと思います。漸次なおこれ以上の充足をはかり、そういった実態が次第に整備されてきましたときにいまのような附則をはずす措置をも十分検討したいと考えております。
  80. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 大臣にお尋ねしたいのですが、いま局長のほうの御答弁はそういうことで、なかなか資金の関係もあって十分にいかない、こういうことでありますが、こういう今日の時代の中で、次の日本を背負う子供たちを育てていくためにどうしても必要だと思うので、本則どおりの実現をしてもらいたいと思うわけです。ですから、五カ年計画というものは四十三年で終わるわけでありますけれども、それでは百年河清を待つと、いまの局長答弁でもそういう感じがいたすわけですが、大臣として、この五カ年計画とにらみ合わせながら、あるいは五カ年計画を修正をするということで、この当分の間というものをはずせる年度計画、そういうものを根本的に検討していただけるお気持ちがあるかどうか、お尋ねしたいと思います。
  81. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 四十三年までの五カ年計画は、これはもう計画どおり達成をいたしたいと思いますが、御承知のとおり今年の予算編成の経過を見ましても、よほど努力をしませんと計画どおり達成をすることがなかなか困難でございますので、いま本則どおり必置計画を実行するというのはいつになるかというお尋ねをいただきましたが、実際私どももそのお答えに困難をいたす次第でございますが、要は、この五カ年計画をできるだけ強力に推進をいたしまして、これが完成しますと約半分の学校設置されることになりますから、引き続きこの五カ年計画よりもさらに強力な一定の年次計画を立てまして、できるだけ早く必置目的を達成するように私どもとしては最善を尽くさなければならない、そういうふうに考えておる次第でございます。
  82. 八田貞義

    八田委員長 ほかに質疑はございませんか。——なければ、これにて本案に対する質疑は終了いたしました。     —————————————
  83. 八田貞義

    八田委員長 これより本案を討論に付するのでありますが、別に討論の通告もございませんので、直ちに採決いたします。  国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  84. 八田貞義

    八田委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決いたしました。  ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  85. 八田貞義

    八田委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。   〔報告書は附録に掲載〕      ————◇—————
  86. 八田貞義

    八田委員長 文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。長谷川正三君。
  87. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 本日は文部大臣がずっと御出席になっておられるので、実はそうでしたら文部大臣の先般の所信を中心に御質問を申し上げたいのですが、参議院の関係でおいでになれないことも予想されましたので、きょうは文化財問題に集中して二、三御質問をいたしたいと思います。  第一番目に、これは四十六国会あたりから私が何回か御質問を申し上げた武蔵国分寺史跡の問題について、まず質問を申し上げます。これはすでに御記憶にもありますと思いますが、この史跡に指定された地区に、いつの間にか管理が不十分となりまして建て売り住宅等が建ち始めたというところから端を発しまして、文化財保護委員会も急遽手を打ち、管理責任の直接あります国分寺市当局者等もきびしい御叱責を受けまして、急遽その対策に乗り出したといういわくつきの問題でございますが、その後幸い文化財保護委員会の非常な御鞭撻あるいは予算上の措置、さらに東京都、当該国分寺市等の協力と相まちまして、何回か発掘調査等も行なわれてまいったと思いますが、これはどうしても国が相当力を入れて保護に乗り出しませんと、貧弱な市町村等ではとうていその任にたえないような問題ではないか、ことに国分寺史跡は、最も大きく、かつ代表的な、かつ完全な形でその基礎が残っておるという意味では非常に学問上も価値の高いものでありますから、これはぜひひとつそこの土地を何らかの形で買い上げて、公園化するような形で完全な保存が望ましいということをしばしば申し上げ、当局もそういう方向にだんだん方針を固められたように承って、これは非常に適切な処置であるというように感謝をしておるところでありますが、しかしその後またうちが建っているというような話も聞いておりますし、一体経過がどうなっておるのか、それから現状はどうなっておるのか、すでに建ってしまった家の住民は住民なりに、住んだ人には責任がないのでございますが、これをどう処置されることに最終的に御決定になっておるのか、それから残余の分について公園化の方向が大体とられておるようですが、それについて国としてはどのような施策あるいは指導、援助をすることにしておられるか、そういった点につきまして、ひとつ現段階の具体的な御報告と御方針とを承りたいと思います。
  88. 村山松雄

    ○村山政府委員 武蔵国分寺の指定地域内に若干望ましからざる現状変更が行なわれたのは事実でありまして、それを契機といたしまして、国におきましては国分寺市並びに東京都に呼びかけまして、必要な部分は公有化して保存する、それからそれに必要な調査を進めるということで現在やっております。現在までに望ましからざる現状変更がふえておるという事実はございませんで、以後現状変更は停止しております。  発掘調査事業並びに買い上げ事業の進捗状況でありますが、これはいろいろ努力をいたしておりますが、なかなか予算その他の関係もありまして順調に進捗しておるとは必ずしも言い切れない状態であるのは遺憾であります。さしあたり調査事業のほうはほぼ順調に進められております。それから買い上げにつきましても、西院跡のほうにつきましては本年度補助事業として買い上げることに踏み切りまして、補助の措置も進めておりまして、来年度も引き続き補助事業として買い上げを進める計画になっております。  なお、来年度事業につきましては、補助事業全般につきまして目下予算も一応内定しておりますので、関係都道府県教育委員会と具体的な計画を詰めておる段階になっておりますので、一、二カ月中には具体的な計画がきまりまして、御報告できるような段取りになろうかと考えております。
  89. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 一部好ましからざる現状変更がすべてになされた、その後は進んでない、こういうお話なので安心したのですが、それは今後どう処置するのですか。
  90. 村山松雄

    ○村山政府委員 処置といたしましては、指定地は買い上げることによりまして史跡としてふさわしい整備を行ないたいと思っておりますが、具体的にこれをどうするかにつきましてはまだ確定いたしておりません。
  91. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまの事務局長の御答弁は私の質問とちょっとはずれていると思います。建ってしまったうちの始末はどうするのか、これは取りこわさせるのか、これはあとから、遺憾なことだけれどももう既成事実だからこれを認めて、そこは史跡からはずすということにしてしまうのか、どういうふうに具体的に措置されるのか、そこをお尋ねしたわけですから……。
  92. 村山松雄

    ○村山政府委員 建ちました家は史跡の中ではありますけれども、かなり周辺の部分でございます。これをどうするかにつきまして、一口にお答え申し上げれば、まだきまっておらないと言わざるを得ないのでありますが、それをどかせるのかどうかということになりますと、これは市のほうの考えもあることでありまして、それもまだはっきり最終的にこうしたいという案がきまっていない事情もございます。市それから東京都、文化財保護委員会におきまして協議をいたしまして、どかせるかあるいはその部分は周辺部でもあるし、やむを得ないこととして指定区域の変更をするか、端的に申せば、最終的な処置のしかたとしては二つしかないわけであります。そのいずれかの方法をとらざるを得ないと思います。
  93. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 その点はまだきまってないということで了承いたしますが、ひとつ慎重な配慮の上に今後に疑義を残さないような処置をしていただきたいということを要望いたします。  それからただいま買い上げ等については、順調に進んでいるとは言いがたいけれども、しかし本年度並びに来年度予算で買い上げていくという方向で、いま関係それぞれ地元の市、東京都と折衝を進めて一、二カ月中に煮詰まる、こういうお話でありますから、いろいろ機微の点もあろうかと思いますから、幾らでどれだけの面積を買い上げるのかというような質問はあえてここではいたしませんが、とかくああいうものの保存が、従来の文化財保護の、特に史跡、遺跡というようなものが点の保護に終わっているために、実際の効果が非常になくなってしまうようなやり方があったと思います。それが先般の古都保存法というようなものを応急的にきめざるを得ない事態を招いておると思いますが、この国分寺の問題につきましても、こそくな計画にならないように、せっかく手をつけたらば、ひとつ完全な形でこれが保存されるように格段の御努力を要望いたしまして、国分寺問題についてはその程度にとどめます。  次に、やはり大きな問題になっております千葉市の加曾利貝塚問題について質問をいたしたいと思います。  この件につきましては、衆参両院の文教委員会で過去何回か取り上げられてまいったと思いますし、現在全国的にこの貝塚の保存につきまして世論が起こりまして、国会にも相当の請願が来ておると思いますが、その実情をどのように把握しておられるか、まずそれから伺います。
  94. 村山松雄

    ○村山政府委員 加曾利貝塚の問題につきましては、従来の経過を申し上げますと、これは南北にわたる二つの環状貝塚からなる全体で約三万坪の非常に大きな貝塚でありまして、南半分は会社の所有地となっておりまして、プレハブの工場が建てられる予定地になっております。そこで、北の半分は千葉市において買い上げて史跡公園のような形で保存整備することにいたしまして、それから南半分につきましては日本考古学協会に委嘱いたしまして発掘調査をいたしまして、そのあとは埋め戻して会社に使わせるというようなことで、三十九年度から調査をやったわけであります。調査をやっておりますうちにこれは非常に大きな遺跡であって、短時日にしかも十分ならざる経費では完全な調査ができないので、発掘調査は中止してむしろ保存の方に重点を置いて考えてほしいという要望が考古学協会からなされました。そういう関係もありまして、四十年度に入りますと調査を中絶した状態でしばらく経過したわけであります。その間に公有化して保存することができるかどうか、それから会社の側において早急に現状を著しく変更するような計画があるかどうか、しばらくはそのままにしておいてもらえないものであるかどうかというようなことにつきまして、関係者の間で種々打ち合わせ、懇談をいたしました。その結果判明しましたことは、会社としても直ちに掘り起こして工場をつくるというような計画はない。当分は製品置き場でもよろしい。しかし野積みで製品置き場にするにしても先々どういうことになるかわからないと困るし、最小限度の処置としては置き場に至るまでの、たとえばトラックの入る道路をつくるとかその程度のことはやらせてもらわないと困るというようなお話がありました。しかししばらく待つことはまあよかろうということで、その間に関係者でいろいろ折衝をいたしまして、とりあえず四十年度の問題としては、発掘調査が中絶した状態になったままでは、これは調査のためにもあるいは所有者の管理上も問題がありますので、四十年度の後半、最近に至ります間に最小限度の調査を再開いたしまして、現在までに一応埋め戻してもとのような状態にしてございます。  そこで、最終的にこの南半分をどうするかにつきましては、これも一言で御説明申し上げれば、きまっておらないと言わざるを得ないわけでありますが、関係者の中間的な考え方をあえて申し上げますと、地元であります千葉市におきましては、この加曾利貝塚が南北合わせますと日本でも最大の規模の貝塚であるという意義は十分了解されておりまして、できることならば公有化して保存することが必要ではないかという意見はかなり強くお持ちのようであります。その場合問題になるのは、国がどれだけ補助してくれるかということが大きな要素になるわけでありまして、この点につきましては、国としましても地元である市が公有化して保存するという決意に踏み切るならば、相当な体制で援助すべきである、それだけの価値のある遺跡であるという認識は持っておりまして、いろいろ検討しておりますが、四十一年度予算の問題といたしましては、史跡の買い上げ補助金の予算は相当増額になったのでありますけれども、何と申しましても従来の絶対額が少ない関係もありまして、増額になりましても全国にあまたある遺跡買い上げのための予算を合わせまして一億五千万程度でありますので、率直に申し上げますと、加曾利貝塚南半分の買い上げの問題は、四十一年度の一億五千万の予算折衝の積算基礎には入っておらないというわけでありまして、四十二年度以降の予算の問題として、地元が決意をかためるならば、国もそれに対応して努力すべきであるという認識のもとに現在いろいろ検討を進めておるというのが実情でございます。
  95. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私がその経過について御質問申し上げようと思っているうちに、そこまで全部お話があったんですが、私が質問申し上げたのは、まず第一に、全国的に保存の世論が超こって、国会請願等も出ておるんだけれども、その状況をどう把握しているかという質問最初申し上げたわけです。
  96. 村山松雄

    ○村山政府委員 たいへん失礼申し上げました。遺跡は御承知のようにわが国には全国に無数ともいってよろしいくらい存在しております。従来その中で、史跡その他文化財保護法により指定をしたものは、数からいえばむしろきわめて少なくて、大部分が遺跡の存在は知られておるけれども、指定をして特に保護、整備するという状態に至らないままで存在しておったわけであります。文化財保護法による保護整備事業といたしましても、沿革その他の事情がありまして、宝物、建造物等に比べますと、史跡、名勝、天然記念物という分野につきましては、必ずしも体制が十分でなかった面がございました。最近国土開発が急速に進んでまいりますと、宝物とか建造物よりは、むしろ史跡、名勝等の記念物関係の保護のほうが、たとえば国土開発あるいは公益との調整といったような深刻な問題を生じまして、その調整が急務となってまいりまして、文化財保護委員会といたしましても、まず実態調査をして、実態を明らかにした上で適切な対策を立てるべきであるという認識のもとに、昭和三十五年以来全国の遺跡をまず聞き込み調査などの方法で調べまして、そのうちから重要なものを、学識経験者を委嘱して研究調査会を設けて、検討して、拾い上げて、必要なものは指定をして保護していくという体制をとってまいっておるわけであります。特に最近に至りまして、昨年末京都、奈良、鎌倉三市にわたりまして、古都保存法が制定されるというような事情になりますと、全国に散在しておる史跡の所在しておる市町村におかれましても、その史跡保存ということにつきまして、きわめて強い認識のもとに、具体的な要望、行動に立ち上がられたわけでありまして、本年早々史跡所在市町村の全国協議会というようなものも結成されまして、史跡の保存整備に格段の力を国としても払うように要望がなされるに至っております。そういう体制を受けまして、文化財保護委員会の四十一年度予算といたしましても、史跡の保存整備ということを重点事項として取り上げまして、いろいろ努力いたしました。その結果、先ほども御説明申し上げましたように、買い上げ費が従来約六千万足らずでありましたのが、四十一年度には一億五千万程度に伸びましたし、それから指定後における環境が荒れておるのが整備できないという問題を解決するために、環境整備費の増額がこれまた一方において急務となっておりましたが、これが従来一千万円程度でありましたものが、三千七百万程度に増額になりました。それで従来の実績から見ますと、かなり大幅に増額されたわけでありますけれども、最近急激に盛り上がってまいりました史跡保存整備の要望に対しては、極端に申せば、まだ焼け石に水のきわめて不十分という結果になっておりまして、今後全国の要望に対しまして、これにできるだけ対応できるように実態調査の面におきましても、それからその後における保存整備の面におきましても、予算措置と合わせまして努力しなければならぬ、かように考えております。
  97. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 全国的な情勢についていまお話がありましたが、なお私の質問から見ますと、ちょっと一点まだ足りないのは、特に加曾利貝塚についてどうかということを伺っておるわけですがね。かなり広い請願運動が起こっておるように思うのですが、どうですか。
  98. 村山松雄

    ○村山政府委員 加曾利貝塚につきましては、先ほども御説明申し上げましたが、学界としては日本考古学協会から、これは発掘調査に従事された主体でございますが、発掘調査を進めておるうちに、これは簡単な調査であとは現状を変更して使うというような筋合いのものではなくして、保存すべきであるという要望が出されておりますし、それから地元関係におかれましては、これまた千葉市長はじめきわめて御熱心に要望されております。国会に対して請願がなされておることも承っております。
  99. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私がかつて本委員会で加曾利貝塚問題について御質問申し上げた最初のころは、この南半分については学者の意見も聞いた上で、これは一応調査してあとさっきお話のように埋めて工場に返すという方針であったのを、どうも学者が途中で意見を変えるというようなことは見識がなくて困るんだ、困るんだとは言わなかったかもしれないけれども、そういうようないわば態度であられたと思うのです。しかしいまのお話を伺いますと、文化財保護委員会あるいは文部省当局としても、事の重要性、この貝塚の歴史的あるいは学問的な価値というものについて十分な基礎認識を持たれて、なるべく一括して保存の方向がやはり望ましい、こういうふうに態度が変わってこられて、でき得るならばこれはひとつ公有地として、地元がその気になればできるだけの援助をしたいというような御方針に変わってきておる点は私は非常に心強く、まことに文化財保護という立場からもあるいは学問の振興という立場からも非常に望ましいことだというふうに喜ぶものであります。ただ伺いますと、非常に飛躍的に増額されたとはいえ、絶対値が一億五千万では、全国を対象としてこれでは確かに焼け石に水でどうにもならぬだろうということで、また半面非常に心を暗くするわけであります。実は私も、この点につきましてはやっぱり現場を見ておく必要があると思いまして、つい最近急でしたけれども、単身行って見てまいりました。日曜日でしたが、やはり日曜でも市の職員がいて、いろいろあそこの掘り出したものを入れる場所をつくるための工事等もやっておりまして、働いておられたわけで、現場をよく見て、いろいろまた説明も聞いてきて、それから市の態度等についても若干ただしてきたわけでございます。いまお話がありましたが、市としてはとにかく今日地方財政が、富裕といわれる東京都でも非常に困っておる、こういう状況の中で、千葉市が北貝塚のために三十九年度に一億二千万の金を出して、これは国から見ればたいした金ではありませんが、一市から見ればこれはたいへんなお金だと思います。それで単独にこれをとにかく北だけでも買い上げて、公園化して、史跡公園として保存するというふうに踏み切ったことは、私はそれ自体、千葉市にもたくさんの住民の要求の中では非常な批判も一面にはあったろうと思いますが、実に卓抜な見識としてたたえていいことだと思います。しかし今日の地方財政の状況を見ますと、とうていこういう事業は県や市にまかせたのではこれはできることではない。ことにこの南半分は、先ほどの御報告のように、考古学協会が大々的な調査団を組織して調査してみますと、線を入れまして、そこだけをずっと丁寧に掘ってみたわけですが、これは実にもう重要な遺跡であり、かつ北と南とが全く一体をなして、しかも時代を変えて逐次発展していった経過が如実にわかる、世界的にも貴重な資料である、こういうことが明らかになったために、これを掘り返して埋めてしまうという当初の方針は、これは変更せざるを得ない。私もその報告書をここに持っておりますが、この末尾にも、これは一日も早く保存の方法が講ぜられることを祈ってやまないということで結んであるのです。したがってこれはこのまま保存という方向が、学者の意見として一致したわけでありますし、文部省もそういう方向をとられたわけですが、これは何とか、まだきまらないでなく、ふん切りをつけて、これは国がもう大幅な援助をしてでもぜひ公有化して、南北一体となってやるということが、文化財保護委員会としては当面している大きな重要な仕事の一つだと私は思うのです。  ただ伺いますと、私非常に心配しておる、特にもう十二時も過ぎておりますから、なるべくならあまり長くやりたくないのですけれども、緊急を要するとひしひしと感じましたのは、この三月一ぱいであそこの南半分は、すでに東洋プレハブ工業株式会社が買って工場建設地としておるところを、特に発掘調査をするからということで、三十九年八月から一年という契約で市がその間を管理した。借りたと言っても、一銭の借用料を払ったわけではなく、そこを市が一年間借りて調査した結果そういうことになりましたので、そこでその後、すでに三十九年八月からですから、七月で期限が切れている。しかしなお暫時会社の好意によって今日まで延ばしているけれども、この三月には返さなければならない、こういう状態に立ち至っている。しかも会社としては、当分物置き場と言っても、物を置くにしても、自動車が入るようにしなければいけませんし、それから下は整地をして平らにしなければならない。行ってみますと、あそこは貝塚があったところですから、まわりが環状型にふくらんでおって、まん中がへこんでおる。これをくずして平らにして、そして鉄筋を入れて、コンクリートを入れて、少なくともトラックの重いものが適当に入れるだけの道をつくらなければならないとなりますと、完全にあそこは破壊されます。それだけで破壊されます。そういう事態に立ち至り、差し迫っておるわけですから、これはやはり緊急な措置が必要だということを痛感いたします。しかも幸いにと申しますか、市当局に聞きますと、そのすぐ隣接地を学校用地として一部買い上げの交渉がいま進んでおるようです。ほぼこれは成功しそうです。そうしますと、それをさらにもう一部別の隣接地を買い上げて交換をするならば、会社は決してそれを拒否しない、せっかく遺跡だというなら、それをこわすという意思はない。ただ代替地を隣接地にもらえればそれは譲ってもいいという会社側の態度なんです。もちろんこれは時期が遷延すればするほど地価もどんどん上がりますから、それだけ負担も重くなるわけですから、その意味からも、これは緊急を要すると思うわけです。そういうことを大蔵省関係の係官に理解をさせるということが、私はなかなかむずかしいのじゃないかと思いますが、大臣もここにおられますけれども、これはぜひひとつ、長い目で見た国の学問文化を守るという態勢から見まして、特段の英断を持って緊急措置を講じないと、四十二年度以降何とか年次計画というようなピッチでは、これはちょっと防ぎ切れない、こういう印象を私強くしておりますので、この点についてひとつ特段の御配慮を願い、対策を立てていただかなければならないのじゃないかということを痛感いたします。  それから、なるほど縦のみぞを掘ったところは埋めてありますが、一部平面発掘もされておりますね。それは掘ったままにされております。したがってあのまま荒涼とした状態で放置しておくということは、いろいろな面でくずれたり変質したりするおそれもあるんじゃないかということを、しろうと考えにも感じたわけです。一刻も早く完全な管理体制をつくる必要があるんじゃないか、これは本来は千葉市としては、伺いますと、ここをもし国の大幅の補助を得て買って、公園化するとしても、その完全な保存、公園化の態勢をつくるためにも相当の費用が要りますし、これは年々のいわば非生産的な管理費というものが、目先の損得から言えば——長い国の文化を守るという面からは、これは大きな成果があるわけですけれども、市が直接これを管理するということになりますと、その面でもたいへんなことであって、管理費についても、今後国が相当長きにわたって援助するような態勢をとらなければ——ほんとうは国が直接やればなおいいんでしょうけれども、そういう点も理解ある配慮を必要とするのじゃないかということを痛感するわけですが、そうかといって、あまりそういうことを申し上げることによって、これはたいへんだ、うっかり手を出したらと大蔵省あたりにしり込みされたのではたいへんですけれども、とにかくこれは非常に緊急を要しますので、ぜひ適切な対処をひとつ大臣におきましてもとっていただきたいと思います。ことに、これも私どもの主張に皆さんの御賛同が得られまして、文部省当局も特に文化財保護委員の中に石田茂作さんという、直接考古学の大家をお入れになってもおるので、石田さんあたりがお入りになって、この貝塚がだめになったなんていうことになったら何もならないと私は思うのです。考古学関係の方を文化財保護委員に特に加えていただいたということは、いま国が、私再三申し上げているのですが、国土の造成促進、大きな道路やあるいは大住宅やあるいは工場の開発等が全国で進んでおりまして、極端な自然破壊と見られるような状態も起こっております。特にこの埋蔵文化財の問題については、全く危殆に瀕しているといっていいので、そういう中だからこそ特に私は石田さんが保護委員に加えられた、こう思うのですけれども、その実がこういうところに一つ一つあがっていっていただかないことには意味をなさないと思いますので、ぜひひとつこの点について強く要望するとともに、何とか緊急に知恵を出して——市としては国が援助すれば何とか無理しても、代替地を与えてでも買って、完全な保存をしたい。縄文中期から後期、晩期というのですか、にかけての移り変わっていった様相というものは、この二つを完全につなげることによって、実に典型的な形で残されるという学問上の非常な価値もあるようでありますし、先ほどお話にあったように、全国第一の大貝塚であります。世界的な貴重な資料であろうと私は思いますから、万遺漏ない態勢をとっていただきたいと思います。その辺についてひとつ事務局長なり大臣から所信をお聞きしたいと思います。
  100. 村山松雄

    ○村山政府委員 南貝塚の保存の問題につきまして、いろいろ御示唆をいただいたわけでありますが、実は私ども関係者の間におきましても、御示唆をいただいたような諸点につきましては、関係者のそれぞれの試案としてはいろいろ議題にのぼせて相談をしておるところであります。ただ予算その他の関係がありまして、今日どの方法で保存に踏み切るということまで私としては申し上げかねるわけでありますけれども、御示唆いただいた点を含めまして十分検討努力いたしたいと思っております。  それからとりあえずの処置といたしましては、掘りましたところは一応今年度の補助事業で三月末までに全部原状に復して、一応会社に対しましては約束違反というようなことにしないようにいたしまして、それからの問題はまたさらに懇請するというようなことで対処いたしたいと思っております。  それから出土品につきましては、収蔵庫の建設につきましても、補助事業といたしまして千葉市が建設して、出土品の保存には遺憾のないように対処いたしております。
  101. 中村梅吉

    中村(梅)国務大臣 たいへん長谷川さんわざわざ現地まで御視察されまして、熱心な御関心をいただいておりまして敬意を表します。  私どもといたしましては、いま文化財保護委員会及び事務局を中心にいろいろ検討しておる段階でございますが、何とか努力をして保存のできるように道を開きたい、こういう気持ちでおるわけでございます。
  102. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまお二方からそれぞれ力強い御答弁をいただきまして深く期待を申し上げるわけですが、何ぶんにもこれは政府全体なり大蔵当局なりの十分な理解を得ないとできないような問題じゃないかと思いますが、幸い有力な中村文部大臣をいただいておるわけですから、ぜひひとつ特段の御努力をお願いしたいと思います。  なお、この問題についてもう一つだけ質問をさせていただきますが、先ほどお話がありましたように、全国にこういういろいろな史跡がいまあがってきておるけれども、さてどれを正式な史跡として指定するかということについては、慎重な御考慮をめぐらしておると思いますが、この貝塚も文化財保護法による保護の指定は受けてないわけですね。それについて早急に指定をする必要があろうかと思いますが、その点はいかがでしょうか。
  103. 村山松雄

    ○村山政府委員 確かに史跡につきましては、前にも申し上げましたように、指定が宝物、建造物のように進んでおらないのは事実であります。なぜそうなっておるかということは、いろいろ沿革もありますし、それから体制の問題もあろうかと思いますし、また文化財それ自体の性質上、史跡は、国土開発が今日のように急テンポにならない時期におきましては、あるいは山林なり田畑なりに、平穏無事に住民がそのままそこなわないで活用と申しますか、利用ができる状態で今日に至ったのでありまして、それをことさらに指定というような権利の規制をしなくてもいいのではなかろうかというようなことで、おくれておったのではないかと思います。最近は事態がまさに逆転いたしまして、史跡を含む記念物関係の保存のほうが宝物や建造物よりもむしろ危いというような事態になっております。そこで指定すべきものはやはり指定して保存をはかる、そうすべきであるという認識は私ども全くそのように思っておりまして、ここ一両年来遺跡の緊急指定のための調査会議を持ちまして、極力検討を進めております。何ぶん事柄が学問上の問題にもなりますし、指定をするというからにはきわめて慎重にその指定の理由を検討しなければなりませんし、具体的な問題としましては、従来法律上は指定は一方的になし得るわけでありますが、行政の実例といたしましては、やはり所有者の同意のもとに指定をやっております。それからまた慣例といたしましては、関係者の申請をとりまして、それを受けて指定をするというやり方をしております。  それからさらにまた、指定を慎重にするために、文化財保護委員会に、委員会はもちろんでありますが、専門審議会を設けまして、そこに諮問いたしまして答申を得て指定をするという手続をやっておりまして、指定をするには相当の準備期間、調査資料を整え、審議会に付議するという手続も要します。それらを現在きわめて集約的に急速に進めておるのが実情でございまして、必要なものは指定をするという方針につきましては、全くそのとおりと承知して努力をいたしておる次第でございます。
  104. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 一般的に御努力をなすっておるのはよくわかりましたが、加曾利貝塚について具体的にどうお考えになっておりますか。
  105. 村山松雄

    ○村山政府委員 具体的な処理といたしましては、率直に申しますと、指定の手続は、ただいま申し上げました専門審議会に毎年一回はかるわけであります。四十一年度の分をこの三月中旬からやるわけでありますが、それにはまだ加曾利貝塚は付議する段階に至っておりません。これは事柄がきわめて重大でありますので、重大であるだけにまた逆に慎重を要する点がありまして、今年度の指定の諮問事項には実は入っておらないわけでありまして、来年度以降の問題として検討させていただきたいと思います。
  106. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いろいろこれにはむずかしい影響もあるので、慎重にされておると思います。たとえば会社がせっかく買ったところをいきなり指定することによって、法的にこれを手がつけられないようにしてしまうということで、今後の円満な解決を阻害してはいけないという御配慮もあり得るのじゃないかと思いますし、学問上の価値、系列とか、そういった問題もあるのかもわかりませんが、いずれにしてもここはやはりぜひ指定して、完全にそこなわれない法的裏づけの体制をとることが必要ではないかと私は思いますので、この点についても十分慎重な御対処を要望いたします。  時間がだいぶ過ぎて恐縮でありますが、もう一つこの機会にどうしても伺っておきたいのは、加曾利貝塚は以上で終わりまして、三多摩ニュータウン計画の問題であります。これは現在、三多摩ニュータウン計画の進行自体は文化財保護委員会として別に所管するところではありませんが、これは東京都の都市計画の問題であると思いますけれども、しかし非常に広大な地域にわたって三多摩のニュータウンが計画されまして、そこの山河が一変するような大工事が始まろうといたしておるわけでありますが、関東は史跡の埋蔵文化の非常に豊富なところといわれております。中でも三多摩の、あの多摩丘陵地帯の付近は各時代の遺跡がよく残っておる、しかも集約的に残っておるところというふうに学者間でいわれておりますが、これにつきましては従来、工事が始まってから遺跡が見つかっては、やれ計画変更だの、調査だの、道路公団の予算が幾らしかないだのということで、すったもんだしてきている実例からかんがみまして、これからかかるところについては、周密な事前調査をやり、残すべきところは残す、取りこわして土地なり道路なりにするところは完全な記録保存なり発掘による発掘物の保存、こういったようなことをひとつやってほしいということを、再三私もこの委員会で要望をし、あるいは文部大臣からもまことにお説のとおりだ、今後掘るところについてはできるだけ万全を期したいという御答弁もいただいており、直接保護委員会としても十分な御指導をいただいておると思いますが、この三多摩ニュータウンにつきまして、その地域面積あるいはタウン計画自体の進捗に関連して、文化財保護に関する事前調査なり分布調査なりというものはどの程度に進んでいるのか、今後どういう方向でこの調査なり保存なりを進められようとしているのか、経過と現状をひとつお聞きしたい。
  107. 村山松雄

    ○村山政府委員 多摩ニュータウンは、御指摘のように全域約九百万坪に及ぶ大宅地造成計画のように承知しております。そこで、そこには従来東京都で承知しておるだけでも百数十カ所の遺跡があると推定されておりますので、事前調査が緊要であるという御要望がございまして、それに対応いたしまして、東京都の教育委員会が中心になりまして調査の組織をつくっております。調査団長は早稲田大学の考古学教授の滝口宏氏でありまして、それに対しまして文化財保護委員会におきましても補助金を出しまして、分布調査を現在までやっております。昨年の十一月から今年にかけてやったわけでありますが、分布調査は一月の下旬にほぼ完了いたしまして、二百数十カ所の遺跡が判明いたしました。東京都の遺跡台帳にあった件数の約倍が分布調査によって判明したわけであります。そのうちでどこがどういうぐあいな重要性があるかというようなことを現在検討されておるわけでありまして、さらに、それに基づきまして、次には発掘調査もやる計画であります。これはこの三月から六月までの間に発掘を計画いたしておりますが、これにつきましては経費を住宅公団の負担でやっていただくという予定にしております。分布調査、発掘調査が済んだ結果、これをいかにニュータウン建設計画に取り入れるかにつきましては、これは出ましたものの性格や、それからむげにタウン計画を曲げるということもできれば避けたいというような気持ちで、両者の調整をはかる。具体的に言えば、重要遺跡が集中して出たようなところは——住宅計画におきましても緑地は設けるわけでありますので、緑地計画の中に取り入れて残すというような方法が考え得るわけでありますが、どのように両者の調整ができるかというようなことを検討しながら進めていただくように、関係者の間で必要に応じて逐次協議していくというようなことになろうかと思っております。
  108. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 概略の状態と御方針はよくわかりましたし、強力に進めていただきたいと思うのですが、もうちょっと具体的にお伺いしたいのです。  その緑地と残すべきところというようなことはまだ抽象的な段階で、具体的に東京都のほうなり住宅公団のほうの計画と、どういうところをどうというような話に入っているのかいないのか、どうですか。
  109. 村山松雄

    ○村山政府委員 分布調査の結果、調査団としては一応ここは保存してほしいという具体的な個所の要望も出てまいっておるようであります。それを宅地造成計画にどう取り入れるかにつきましては、計画のほうが必ずしもまだ青写真が明確でない関係もありまして、具体的には進んでおらないと思いますが、保存してほしいという要望地点のほうはかなりはっきりしてまいっておりますので、協議、相談は十分な根拠を持ってこれからなし得ると考えております。
  110. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 現在の文化財保護委員会事務局の陣容で、全国各地に散在して起こっておるこういう事業、それに関連する遺跡、史跡を適切に指導するというのはなかなか容易なことでなくて、これはもうちょっと抜本的な協議を必要とするというふうにも思いますが、その点はまた後に機会を得てひとつ意見を申し述べたり、御見解をただしたいと思いますが、いまお話しの滝口さんを団長とする調査団ということでありますが、私が心配いたしますのは、さっきもちょっと触れたんですが、どうも従来史跡とか遺跡というようなものは、あるところで一カ所見つかったら、ただそれを点としての存在としてそこだけ調べればいいというような行き方が多かった。ところが、特に今回の三多摩ニュータウンの場合に十分配慮しなければなりませんのは、ここに非常にいろいろな過去の史跡が密集しておる。しかも学者の方々の意見を伺いますと、すでに過去人類の歴史の中の数万年以前の時代の、いわゆる先土器時代というのですか、その時代からその後の縄文時代、その縄文時代も前期、中期、晩期というのですか、その後期、それからさらに農耕時代に入っての弥生時代、それから古墳時代、さらに奈良、平安時代というような各様相が、それぞれの谷筋谷筋に住居あとその他のものが時代の経過をたどってずっと集約的にあの辺全体に分布している。だからいま東京都の台帳の倍も事前調査で見つかった。この事前調査団の構成等もまだ詳しく伺っておりませんが、おそらく今日の情勢では、学者やこれに伴う作業をする方々の動員も非常に貧弱と申しますか、非常に予算もないし、考古学を愛する学生たちの献身的な奉仕をかき集めて、かろうじてやっておるというような状態ではないかと思うのです。だから調査は詳しくすればするほどまだ幾らでも出てくる可能性もある。それを何もすべて残せというようなことはだれも言わないわけでありますけれども、そういう時代の典型的な様相が各谷筋谷筋に残っておるような一大個所でありますから、相当広範な学術調査団というようなものを組織して焦点を当てませんと、同じ考古学を研究するにしても、いろいろな学説をなす方もありましょうし、いろいろ専門部門もありましょう。したがって、かなり総合的なりっぱな調査団をつくってこれを調査し、かなり期間的にも時間をかけませんと、ただおざなり調査に終わって、若干掘り返して、どこからこれだけの土器が出ましたということで終わってしまう。これは貴重な初めての試みであり、こういうものを全体として掘り返していく中で、これを丁寧にやってまいりますと、非常に貴重な学問的資料が得られる。しかもこれは典型的なものだから、さっきお話しのように、これをそっくり残したほうがいい場合には、そこを緑地計画の中に取り入れる。あとは全部記録をしっかりとりまして、あるいは写真に撮影するなりあるいは発掘をし、系統的に陳列する場所をつくったりすればいいわけでありますが、とかくおざなり調査をやったり、幾つか掘りましたあとはがりがりブルドーザーでかき回した、その中からいろいろな貴重なものが出てきた、こういう事態がすでに八王子の例でも出ておりますので、今回はひとつそういうことがないようにやっていただきたいと思いますが、その調査団の構成であるとか、現在どの程度の陣容をもってやっており、それで満足だとお思いになっておるか。これはもうちょっと検討して相当総合的な調査団の協力を得てやらないと、悔いを千載に残すことになりやしないかというように私は心配するのですが、その辺の御見解はいかがですか。
  111. 村山松雄

    ○村山政府委員 調査団は、団長が早稲田の滝口教授でありまして、その下で調査に専念しております者は、東京大学大学院を出た者、それから国学院大学大学院を出た者、要するに大学院終了程度の若い考古学専攻の方々が調査に専念しておられるわけであります。あとは手伝い程度の作業員程度のものは使っておると思いますが、考古学の専門家としてはその三人かと思います。  そこで、拡充すべきではないかという御意見でありますが、考古学の研究者それ自体がわが国では必ずしもそうたくさんいらっしゃるわけじゃありませんし、その大部分が学問の性質上大学の研究室に所属されておるわけでありまして、いわば大学が本務で、必要に応じて文化財保護委員会なりあるいは都道府県の委嘱に応じて調査に従事しておるというのが現在の調査の体制であります。文化財保護委員会の事務局といたしましては、記念物課に専門の技官が若干おります。それから付属機関といたしまして、奈良の文化財研究所は平城宮跡の調査事業に従事しております関係で、平城宮跡発掘調査部というのを設けております。これは動機はやや臨時的でありましたけれども、組織としてはやや恒久的な組織で、平城宮の発掘調査部は四室からなる構成で、これはたてまえは平城宮跡の発掘調査に専念するのでありますけれども、若干要望に応じまして、近畿地方の発掘調査などにつきましては係官が現場におもむいて相談に応じたり、あるいは指導するというような体制を持っております。そういう日本全体の体制がその程度でありますので、個々の調査発掘事業に多人数を動員することは、極端に申しますと可能でないのが現状であります。  多摩ニュータウンの調査体制としては、一応先ほど申し上げましたような体制で、率直に申しますと、特に学会などから、あれだけでは人数が偏して困るというような御批判も聞いておりませんので、まあ若干増強する必要はあろうかとも思いますが、現在までのところ分布調査は一応調査団としては自信のある調査が完了できたという報告を受けていますし、発掘調査にしましても、つゆが本格化する六月ごろまでには大体主要な地点はやれるという報告を受けております。せっかくの御指示がございますので、その点はさらに実態をよく見きわめまして対処いたしたいと思いますが、現状は大体以上のような体制でやっておるわけであります。
  112. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 文化財保護委員会の事務局長として現在やっておられるのですから、そういう御答弁になると思いますが、たとえばあの加曾利貝塚というのは三万坪の、しかもきわめてきちっとまとまったところですね。それだけでも、この調査団を見ますと、東京におきます考古学の講座を持っているなり、あるいは科目を持っているような学校の教授連がほとんど総動員された調査団ができ、したがって発掘調査などをする場合には、へらで一枚ずつやるような作業でありますし、常時学生などが動員できるわけでもありませんから、特に夏休みなど集中的にやったと思いますし、三月休みなどもやると思いますが、これと比較していまの例は、この数に比べたらはるかに九百万坪といろ広大な地域に、しかも非常に広くいろいろ二百数十カ所にわたってあるということ、このような調査団としましては、どうにも私どもはこれでは粗漏になるのではないかという危倶をしろうと考えかもしれませんが、持つわけです。これは日本考古学協会という組織もあるわけですから、そういうところと密接な連絡をとり、発掘調査団等とももちろん御相談の上で、この調査団はもう少し強化——もう少しということばもよくないと思うのですが、思い切って強化したものにしてやりませんと——これは予算の裏づけが必要でしょうから、そう申しましてもなかなかおいそれといかない面もあると思います。しかし学者や学生は学問のために——それに甘えてはいけません。献身的に協力しているのがいままでの体制であります。このままでは非常な不安を感じますから、ぜひこの点は十分な御検討を——新しい考古学界から代表の方も出ていることでありますから、その方々も十分陣頭に立つような向きでこれは強化していただかなければならないのではないかということを痛感いたしますので、ひとつ指摘をし、善処を御要望申し上げたいと思います。  本年度の具体的な計画は、六月のつゆどきまでに発掘調査も終わるというふうに言われているのですが、どの程度予算を見込んでおられ、大体そこまでは一通りこの広大な地域の調査が完了するとお考えになっているのか、その点をひとつ……。
  113. 村山松雄

    ○村山政府委員 分布調査のほうは、全域にわたって一応やったわけでありますが、発掘調査のほうはその広大な地域を全部やるわけにもまいりませんので、これは公団の事業とにらみ合わせてやるような計画にしております。したがって本年の六月までにやるというのは、全域の遺跡のありそうなところを調べ上げるわけではなくて、さしあたり公団のほうで工事を急がれている地域を、率直に申せばごく小部分をやるわけであります。予算としましては、そういう次第でありますので、公団負担で約二百八十万円程度のものを予定しております。今後の発掘調査は、大体の公団の事業計画とにらみ合わせて、公団の事業計画がまとまれば、工事計画よりは先立ってやる、大ざっぱに申せばそういう構想で進めていくわけであります。
  114. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 どうも私はいまの御答弁で不安を感ずるのです。これは別に村山事務局長が熱意がないとかなんとかいう問題ではなく、どうも従来公団の計画なり事業なり、もっと極端に言うと工期、あるいは雨季までにどこまで完成する、そういう計画のぺ−スの中だけで文化財保護の仕事がやっとこすっとこあとをついていっている。ですから、もう最後の場にいくと間に合わなくて、こわれるものはこわしてしまう、残しても非常にちぐはぐなものを残してしまう、こういうことになるおそれがあるのではないかと思います。ですから、この三多摩ニュータウンについては、今度は文化財保護委員会が今後の日本のこういう事業をする場合の一つの前例としても、そういう基礎的な調査や保護という問題についてばんと手を打って、大々的なことをやって、その基礎の上に工事が進められていく、この面ではこちらがリードするようなそういう体制といいますか、それくらいの気魄を持っていきませんと、ただ何月何日までに工事をするのだ、それまでに掘るなら掘っておきなさい、期間がきたら、それでやめて、あとはこわしてしまえ、こういうようなやり方がどうも積み重ねられるおそれがあるのではないかということをいまの御答弁から心配するのです。したがいまして、もともと調査費自体を住宅公団から出させるのですから、何か文化財保護委員会として強力な指導のもとに命令をしてこれをやるというような指導よりも、もみ手をして、ここを調査するから何とか出してもらえないかという姿勢では、これは今後推して知るべしという感じがしてくるのですが、そういう点について、私の申し上げることが杞憂であるかどうか、もし当たっているようなところがあれば、この際特にふんどしを締めて取り組んでいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  115. 村山松雄

    ○村山政府委員 住宅公団、道路公団関係におきましては、その工事に先立つ文化財関係の調査はいわば障害物としていやいややっているわけではないと思います。この点につきましては、昭和三十二年の閣議決定によりまして、関係各省庁は文化財保護に協力することに定められております。その線にのっとりまして、関係各省それから公団関係がいわば当然の責務の一つとして文化財関係の調査もやっておるわけでありまして、経費の負担区分につきましても、予算の関係もございますが、全国的なものあるいはきわめて学術的なものは文化財保護委員会が負担いたしまして、あるいは補助事業として施行いたしますが、主としてその結果が施行者の利害にかかるようなものは施行者の負担でやるという協定で、喜んでと申しますか、積極的に経費を負担されて実施しておるわけでありまして、経費を負担するから、工事の都合に合わせてないがしろにするというようなことはないと信じておりますし、現在までもそういう事例はないという報告も受けております。今後とも十分留意はしなくてはならぬと思いますけれども、留意をすることによりまして、公団負担による発掘調査といえども文化財保護、保存の目的に沿うごとく指導してまいることは可能だと思いますし、またそのようにつとめたいと思います。
  116. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ひとつその点は御善処を願いますが、具体的なことを一つ指摘しておきますと、多摩町のそばに現場事務所がつくられた、その事務所をつくったために、そこにちょうど国分寺時代の遺跡があるのが、すっかり破壊されてしまっている、そういうことを聞いております。すでに分布調査がされていながら、そういう事態も部分的には起こっているように聞いておりますので、これはあなたのほうでも御調査を願いたいのです。多摩町のそばにある現場事務所付近がやはり遺跡のあるところなのだそうですが、これがこわされている、こういうような事実もあがっておりますから、この際ぜひひとつ——公団側の工期や計画についていくというお話もありましたが、これも具体的にはわかります。これもやはり半年や一年で完全な調査ができないと思いますし、同時にこのニュータウン計画もそう一挙にいくものでもないと思いますから、その工事の進捗状態と相関連してやっていくということは当然やむを得ないことと思いますが、その場合にも常に皆さんのほうの指導なり調査が優先して、工事そのものに引きずり回されていくというようなかっこうにならないように、ぜひひとつ御要望をしたいと思います。  それからこれにちょっと関連しまして、もう一つ具体的な事例を質問したいのですが、この三多摩ニュータウン計画の中に入っているのではないのですが、最近の週刊誌でも、三多摩が全く削り取られていくというような特集みたいな写真が出ている。何かの週刊誌で最近見ましたが、東名高速道路ですか、あれの予定地になっているところで、川崎市の長尾下原遺跡というのがいま問題になって、若干調査が進められておるようですが、ここでやはり非常に重要な典型的な遺跡があるということで慎重な調査が望まれているにかかわらず、何か四メートルぐらい一挙にほじくってしまう機械がここを破壊してしまうというようなことが現場では進められそうになっておるということを聞いておりますが、そのことを承知しておられますか、これに対してどう対処せられておりますか、それをお伺いいたします。
  117. 村山松雄

    ○村山政府委員 先ほどの多摩町の現場の件は、報告が来てないようでございますので、よく調査いたしたいと思います。  それから川崎市の問題は、これは公団のほうで調査を進めておるわけでありまして、若干問題があったように聞いております。これはおそらく、他人のことを言って恐縮でありますが、公団内部における連絡の不十分等に起因するものと思われますので、こちらとしてもそういうことのないように留意いたしたいと思います。
  118. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 時間ももう一時になろうとしていますから、本日はこの程度にとどめたいと思いますが、ただ、いままで加曾利の問題あるいは三多摩ニュータウンの問題等を通じましても、私はこの際、文化財保護に関し、ことに埋蔵文化の保護に関しましては、再三指摘申し上げているとおり、いま日本全体がそういう危機にさらされている時期なんですから、したがって文化財保護委員会としては特段の決意と施策が必要だということを痛感いたしております。ことに先ほどの御答弁の中にもありましたとおり、考古学者も多くない、こういう全国的なものを調査するといってもなかなか手が届かない、こういうような事態がありますと、実際日本の公立私立大学で考古学の講座やあるいは科目や、あるいは考古学科がどのように配置され、どのように養成されているのか、そういった点にも突っ込んで検討を要する問題もありますし、また道路公団としても、あるいはこれは住宅公団も今後必要になってくると思いますが、こういう責任者としても文化財問題については十分な御認識を願っておかなければならないと思います。ことにまた大蔵省関係のこういう文部関係の予算を担当する方々にも十分な認識をこの際深めていただく必要があると私は思いまして、これは予算委員会の分科会等でもやらなければならないことであったと思いますけれども、ぜひこういう点についてもう一ぺん私は全体的な文化財保護対策について御質問を申し上げたいと思いますし、その際は、いま言ったような大臣をはじめ文化財保護委員長、あるいはできたらば石田委員、あるいは道路公団なり、同時にまた大学学術局長なども御出席をいただいて、総合的にこの問題をもう少し検討を深めさしていただきたい、こういう強い希望を持っておりますことを申し添えまして、本日はこの程度質問をとどめます。
  119. 八田貞義

    八田委員長 次会は明後十一日午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十八分散会