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帆足委員 きょうは有益な
統計の御
説明を願いまして感謝いたしますが、最近、
日本の
中産階級が没落しつつあることは好ましくありませんけれ
ども、しかし、
大衆の
生活と
中産階級の
生活が接近しつつあるということは、また反面私は慶賀すべきことで、この
統計局の
調査で大いに啓蒙されるのでありますが、なぜ
理髪業が、また
パーマネントが、また
ふろ等がそう高くなったかということは、だれしも疑問に思っておりますけれ
ども、しかし、それによって過去の
徒弟制度の体系が
近代化されて、そしてその
人たちに市民としての
生活がだんだん保障される傾向にあるとするならば、
サービス業が向上しつつあるということに対しては、われわれも、また
物価の抑制に骨を折ってくださっておる主婦連の諸君も、この趨勢だけは正しく理解せねばならない。だとするならば、いままで想像もできないような低
賃金、五木の
子守歌のような低
賃金で働いておった
人たちが全面的に
人間的生活に移ってくるならば、これは
一般の小商人、
小売り商にも響くことであろう。だとすると、これに対する
側面からの
援助は、一つは
施設についての金利を安くし、
金融を楽にし、税制を楽にし、そして
金融期間を長くして償却について考慮する。もう一つ重要な問題は、
徒弟さん
たちの住宅問題に対して格別の配慮を払ってあげる、この
側面援助によって
コストの暴騰を抑制するということが最も適切なものであろうということを痛感するわけです。
そこで要望をかねまして質問するわけですが、第一に、私は先日ある
大衆食堂に行って
運転手さん
たち、秘書さん
たちと一緒に食事をしました。それはたくあんと、
冷ややっこと、ホウレンソウと、それからサバの塩焼きでしたけれ
ども、おなかがすいていたせいかたいへんおいしかったです。もしこれが
一流の
料亭で食べたならば、
ふるさと料理などといって二千円もとるだろう。しかし百五十円で食べることができました。私は、こういうまじめな
おじさん、
おばさんたちが経営している
大衆食堂などが、
個人恩借や質屋に行かなければならぬようなことでは困ると思うのでありまして、やはり
民主主義といっても、多少進歩的、
指導的民主主義ということは、
日本の今日の段階としては必要ですから、こういうようなまじめな
大衆食堂などに対しては
金融の道をあけてあげる。いたずらに
高級食堂のみ、
高級料亭だけが
豪華けんらんたる、まるで
織田信長でも、
封建大名でもそろって豪遊しているのではあるまいかと思われるような不夜城が居並んでいて、他方では、こういう堅実な
大衆食堂が
資金に困っておる、重税に追われておるというのでは困るのでありまして、この点については、いまの
環境衛生金融公庫が挫折したとするならば、
国民金融公庫の中にそういう部局があるときに、その
運用方針に対して、
監督官庁及び
厚生省はもっと話し合う必要があるのではないか。私は今日の
高級料亭の
値段は目に余るものがあると思う。客を一人呼んで一万円もする。昔は、私は経団連の
係長をしていたときに、くにから
おじさんがきまして、
金田中で
昼飯をごちそうしました。そのときの費用は
自分で払ったものです。
金田中といえば
一流の
料亭です。最近は行く機会がありませんけれ
ども、一
係長のときでも
昼飯くらいは、おじが上京したときはそこでごちそうすることができた。いまは思うもおそろしいので、そして金持ちのお
めかけさんにそれ以上さらにチップを上げる必要はありませんから、
自分で払うことは原則としてやめまして、お客になったときだけ行くことに改めました。しかし、とにかく高級料理店のありますことも、時としてはこう然の気を養い、ことに、外国のお客さまを案内する場合には社交場として適当でありますから、必ずしも悪くありません。悪くありませんけれ
ども、アンバランスがあまりにもひどいので、やはり
大衆食堂というものが、いかにかわいらしい、愛すべきものであるか、また
国民の保健上いかに重要なものであるかということについて私は痛感いたしておりますので、ぜひ
政府当局の御注意を促したい。
第二には理髪、パーマにつきまして。パーマのほうはセットがむずかしいから高いと思っておりましたところが、指数で見ると、パーマの
値上げ率のほうが小さい。これはあるいは女子の低
賃金の一種であるまいかと考えるのは、
パーマネントに出ている女の子で、しかたがないからアルバイトで
バーに来ているという娘にときどき会う機会があるわけです。職業は何かと聞くと、パーマしていますと言う。やはり相当指数は上がりましたものの、低
賃金でなかろうか。また住宅問題のために、下宿料が十分でないというので補わねばならぬのではなかろうか。聞きますと、理髪及びパーマにつきましては非常に厳重な国家試験がありまして、試験問題など見ますと、私など受けたら、あるいは落第するかもしれぬと思うようなむずかしい試験問題がある。しかも、長い間インターンを経てそして。パーマになる。功成り名遂げてパーマになったときは、小僧よりも安い給料で働く。そしてまた、幸いに近ごろ環境衛生の同業
組合の人も自覚されまして、女の子のことですから、夜なるべく早く店じまいしようというので、昔は九時ごろでありましたのが、六時とか七時とか、早く切り上げるように同業
組合の申し合わせができた。私はそれに対して尊敬しておりますけれ
ども、その余暇の時間を読書とかデートに使うのではなくて、またかせがねばならぬという低
賃金の
現状を見まして、あれほどむずかしい、まるで短期大学のような国家試験を受けて、なおかつ口をすすぐに足らぬということは。同時に幼稚園の先生とか、託児所の先生とか、精神薄弱児を引き受けておる娘さん
たち、看護婦さん
たち共通の問題でありまして、どうも
厚生省というところは、私は政治力が少し足らぬのじゃないかと思う。
厚生省は昔の内務省衛生局のような劣等感を持っているのではあるまいか。われこそは福祉国家において宮中第一次の席次を持っておって、まず
厚生省の予算をとってあとの予算はゆっくり考える、このくらいの気魄があればいいのに、予算は全部よそへとられてしまって、最後に一月ごろになって、語るも涙聞くも涙、予算はもうきまってしまって、きまった予算は、汽車は出ていく煙は残る、残る煙がしゃくの種、(笑声)これが
日本の
現状ではないかと思うのです。私はそれを心から痛感します。わが親愛なる同僚議員諸君も笑ってくださるところを見ると、大いに共鳴してくださるものと心強くなるわけです。
そこで、
施設に対する問題を外国と比較してみました。すると、パーマにしましても、理髪にしましても、サービスは
日本は非常にいいのです。最後には背中のあんままでしてくれますし、世間話もする。しかしその
施設においては、まだ夏目漱石が「草枕」や「二百十日」に書いてある江戸っ子の散髪屋の風景のような
施設のところが非常に多くて、がりがりさかぞりして、シャボンでぎゅうぎゅうこすって、井戸水でさっと流すというようなところがたくさんある。いなかに参りますと、じょろで頭に水をかけるところもございます。まあアサガオじゃあるまいし、じょろ水をかけられるのも風雅でけっこうでございますけれ
ども、衛生上からいえばあまり感服いたしません。したがいまして、これらの住宅
資金は、散髪屋のおやじの二号さんを囲う手当じゃなくて、これは一たん設備をつくったならば、公共集会所のようなものです。散髪屋は庶民のクラブのようなものであります。いわば赤十字のようなものであります。赤十字に対して重税を課し、
資金も安い
資金を十分貸さないということは悪いことである。私は、ギリシアやその他のややおくれた国々の理髪に参りましても、設備は非常に優秀です。しかし技術は
日本のほうが優秀です。そして丁寧丁です。したがいまして、環境衛生に対しましては、
人件費が上がってくるにつれまして、これを緩和しますのには、どうしても設備
資金及び
従業員の住宅
資金、この施策が伴わなければ、せっかく
物価委員会でこうして話し合ってもむだではあるまいか。
最後に、
統計をいただきたいのですが、これにはわが親愛なる
バー、
キャバレーが入っておりません。
バー、
キャバレーというものの功罪は相半ばでございます。功は、やはり人生ですから、わが親愛なる議会においても、ときにはしゃくにさわることもありますし、それから会社におきましては、わけのわからぬ上役にゆえなきしかられ方などをされて、それをそのままわが家に持ち帰りますと爆発しますのが、
バーによってワンクッションして緩和される。また、平素心の通ぜぬ友だちとも
バーでともに語れば、心も解け、誤解も解けて、ヒューマンリレーションはよくなる。こういう効果もあるわけです。罪のほうは、ややもすれば行き過ぎる傾向がわれ人ともにございますが、そのほか
値段がめちゃくちゃに高い。もちろん、よい
施設で適当に
値段が高いことはけっこうですけれ
ども、わが国の
バーは世界の恥辱だと思っております。というのは、
値段の高いことはめちゃくちゃでございます。ギリシアの暴利
バーに匹敵する。
価格表示
制度というのが
法律できめられておりますけれ
ども、実行されておりません。たまたま実行されておるとすれば、サントリーのハイボールが幾らとか、ピンクレディがどうだとか、サイドカーがどうだとか、フルーツいかがということになると、もはや一週間分の給料が飛んでしまう。私は丸善で四百五十円の英書を買いました。その英語の本を友だちに渡すために、銀座裏のちょうど近所に
バーがありましたから、そこにとりに来てくれと言って待ち合わせた。待ち合わせている間に三本飲みましたら、その支払いが四千五百円、丸善で買ったわが親愛なる洋書は四百五十円、これでは人生のバランスがとれたといえるかどうか。まだ宵の口でありますから、丸善が終わってすぐの時間ですから、まだ宵やみ迫るころでもあります。宵やみ迫れば悩みは果てなしという、これはまた別でございますけれ
ども、そこで、私はこの
統計の中に
バーの
統計が入っていないのはよくないと思うのです。外国では、
バーのかわりにおおむねクラブがワンクッションとしてございます。また、わが家も民主化されて、友だちを呼び、妻とともに、娘とともに友だちを訪れて楽しむことになっています。私
どもも、昔はゆかたがけで友だちのうちを訪ねて楽しい日を過ごしましたが、いまの大
東京になりますと、ゆかたがけでふらっと遊びに行く友もゆかりもございません。だとすれば、つい友だちと会う場所、新聞記者諸君と会う場所となれば、やはり
バーを選ぶでありましょう。したがいまして、今日
バーの持っている意義は、単に
中産階級だけでなくて、
一般の勤労階級にとっても、レクリエーションの場所として非常に大きな意義を持っておるのでありまして、この点は婦人議員の方はたぶん御存じなかろうと思いますけれ
ども、
バーというものの男性に対する鎮静剤としての役割りは、実にハーモニー以上でございます。したがいまして、そこで消費される金額はばく大なものでありまして、生計費の中で、もしパーというものがもう少し
合理化されておったら、またはそれがなくて済むような世の中であったならば、家庭の電化のごときは、もう
たちまちにして私は完成するものと思います。安月給取りでも、なおかつやはりレクリエーションの場所としては、パーを除いて適当な、ちょっと話し合う場所がないというのが
現状です。したがいまして、パーなどといってばかになさらずに、やはりきちっとした
統計をおとりになって、そしてそこから一種の社交的雰囲気もでき、明朗にして健康な場所にしていただきたいと思うのでございます。それの持っている
日本に及ぼす影響は非常に大きいのでございまして、わが国のへぼ作家などというものは、ほとんど
バーを舞台として小説を書いておりますが、あまり感心した文章はございません。しかし、それは重要なことですから、一ぺん
統計をお出し願いたい。それで、私は
バーを弾圧せよと言うわけではないのです。そうなるほうがやがてもっと栄えるし、もっと能率的であろう。いまのような
状況を続けますならば、ちょうど
映画館が今日まさに滅びる前夜にあるように、みずからいやしめれば人これをいやしむ、ついに経営が没落する。もうすでに銀座裏の
バーの没落は始まっているわけです。せっかくの場所ですから、健全な意味で、
国民の心身の健康に役立つような
指導行政というものが必要であると思いますが、きょう拝見した
統計の中に入っておりません。おおむね生計費
統計などでも、これを隠して言わないのですから、亭主の隠し金なんかでやっておりますから、
統計に出ておりませんけれ
ども、案外に大きな
数字である。私は、かつて会社の部長をしていました時代に、
自分で
統計をとりまして、その大きさに驚いておる次第でございます。したがいまして、これに対する
統計をお出しいただきたい。