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三森参考人 ただいま御
指名ございました私、
日本共同証券の
三森でございます。
御指示によりまして、これから
設立の経過並びにその後の
運営の
状況につきまして、簡単に御報告申し上げたいと存じます。
すでに皆さま御
承知のとおり、
わが国の
株価は、
昭和三十六年の七月に天井を打ちましてから以来部分的な波動は見受けられましたけれ
ども、大勢といたしましては、二年有余にわたりまして
下げ調のままに続き、三十九年を迎えるように相なった次第でございます。
このような
株価の不振は
投資意欲を低下させまして、
市場への
資金流入をとだえさせるところとなり、したがいまして
株式需給のバランスが大幅にくずれるようになったのでございますが、この
需給関係の
悪化がまたさらに
株価に
悪影響を及ぼすというふうに、
株価と
需給関係との悪循環を招く結果と相なった次第でございます。
かようにいたしまして、この
流通市場の不振というものがまた
発行市場の
機能をも漸次低下させるに至りました。
開放経済体制を控えまして、
企業の
自己資本充実ということが非常に大切となりましたにもかかわらずこういうような
情勢に相なりましたことは、
わが国の
経済にとりまして少なからざる
悪影響を及ぼすものとして非常に憂慮されておった次第でございます。
こういうふうな
情勢に対処いたしまして、
金融界、
証制界には、互いに相協力いたしまして新しい
会社をつくり、他の諸施策と相まちまして、
株式の
需給調整の面から一そう強力な
資本市場の
育成を推進しようという機運が高まってまいりました。三十九年一月二十日に
都市銀行、四
証券会社の人々が集まりまして、授権資本百億円、
払い込み資本金二十五億円の新
会社、つまり
当社が発足するに至った次第でございます。
さて、
市況を見ますると、
当社設立前後一時立ち直るように
見えましたが、その後、
国際収支の
悪化と
金融引き締めの懸念、こういうふうなことを反映いたしまして、薄商いのうちに相場もじり安をたどりました。
当社といたしましては、こうした
情勢に対処いたしまして、
市場の
浮動株の吸収を通じて
需給の
アンバランスの解消をはかり、
流通市場の
機能の
適正化に資するために、三十九年三月六日を皮切りといたしまして買い
出動に出てまいりました。引き続きまして、四月二十五日までの間に約一億三千万株、百五十五億円の
買い入れを行ないました結果、
市場はようやく小康を得るに至った次第でございます。その後、
市況は仮需要を中心として一時
反騰に転じましたけれ
ども、秋口に入りますると再び
市況は反落に転じました。ことに、
株式投資信託が
月々元本の
純減を来たして、組み入れ
株式を大量に売却せざるを得ない
事情にも立ち至りましたのに加え、
金融難よりする
法人筋の
手持ち株処分も続出いたしまして、
需給の
アンバランスはさらに拡大をいたし、また、この間予期しなかった内外の悪
条件の出現もございまして、
市場の不安と動揺が相当目立つような
状況に相なったような次第でございます。
こうした
状況に対処いたしまするため、
当社といたしましては、八月下旬から再び買い
出動を始めました。特に十月以降はほとんど連日のように
市場に買い
出動をいたしまして、その結果といたしまして、年末までに十四億九千万株、千七百四十億円の
買い入れを行なったような次第でございます。したがいまして、
先ほど申し上げました三月から四月へかけての
買い入れを合わせますると、三十九年末におきましては、
当社が購入いたしました
株式の累計は約十六億二千万株、千九百億円の多額に達した次第でございます。
こうした
買い入れを円滑にするため、その
所要資金といたしまして、当初
資本金二十五億円で発足いたしましたけれ
ども、数次にわたりまして
増資を続行いたしました。
最初は、
株主も、
銀行十四、
証券会社四でございましたのが、その後ほとんどの
銀行が
株主として参加され、また、
保険会社も全
保険会社が
資本参加をされて、
証券会社も十九社、四社のほかにさらに十五社が
資本参加をされまして、合計百三十九社、
資本金総額として三百億円に相なった次第でございます。この三百億円の
資本金に加えまするに、
市中銀行から
協調融資を受けました額が一千億円であります。さらにまた、年末に至りまして、
日証金を通じまして
日本銀行の
資金を
借り入れました
金額も六百七十八億円に相なった次第でございまして、こうした三つの
資金源も得まして、
先ほど申し上げました
株式の
買い入れを実施いたしたような次第でございます。
この間、私
どもも、
業務の
運営にあたりましては、こうした
会社の
特殊性にかんがみまして、常に中立公正な立場から、
株式の
需給調整、
市場の安定ということをはかって、そして
資本市場の
育成に資する、これを
基本方針として
株式の
買い入れに当たったような次第でございます。
こういうふうにいたしまして、
先ほどの
金額の
買い入れを
実行いたしましたが、たまたま、同年末になりますると、新たに
過剰株式を処理する
機関といたしまして、ここにお
見えになっています、いま
山崎さんの主宰される
日本証券保有組合の
設立が決定し、さらにまた、新年早々には
公定歩合の
引き下げが予想されるに至ったために、
株価は
年あけ後
反騰に転じまして、
商い高も久しぶりに活況を呈するような
情勢の好転が見られましたために、
当社といたしましては、四十年初頭以後は買い
出動を停止し、もっぱら
市場の動向を静観する
態度に出た次第でございます。
しかしながら、一方におきましては、景気の
回復はなかなか進まず、むしろ
企業の業績は漸次低下をするという
状況が明らかとなり、三月にさらに
山陽特殊鋼という問題も出てまいりました。また、五月になりますと、一部
証券会社の問題が表面化するということもございまして、
投資信託や運用預かりの
解約が激増する
情勢と相なった次第でございます。
そこで、私
どもといたしましては、万一の場合にはやはり
市場の不安を除去するために再び買い
出動せざるを得ないかと考えまして、ひそかにこれに備える準備だけはいたしたのでございますが、御
承知のとおり、七月の後半に相なりますると、
政府の
財政政策の転換ということをいれまして、
市況も急激に反発に転じてまいりましたために、昨年は、
当社といたしましては買い
出動という
事態は回避することができたような次第でございます。
その後の
状況は、皆さん御
承知のとおりに、
市況も相当顕著な
回復を見、また
取引高もだいぶ多くなる等の
状況を示してまいりましたのでございまするが、こうした
情勢の推移に応じまして、私
どもとしましてはそれに応ずる
体制をとってまいったのでございます。
申し上げますると、昨年の末には、
金額的には非常にわずかではございまして、わずか二億円弱ではございましたが、
最初買い入れましたとき独禁法との
関係の問題が
一つございました。
持ち株比率が
一つの
会社の一割をこえますものが実は三銘柄生じたのでございます。これを
証券会社は一年町は持ってもよろしいということに相なっておりまするが、ちょうど一年間という期限も大体きましたので、これを実は昨年の末に
処分をいたしました。
金額はわずか二億円弱のものでございまするが、そういうことをやりました。次いで本年の三月にいたりますと、当面の
借り入れ金の
返済かたがた、
利払い賞金とか
増資払い込み資金などを白まかないするという
体制をとることがいいかと存じまして、
市場への
悪影響を回避するために、慎重な
態度はとりながらも、
持ち株の一部約
行徳円を
処分いたしたような次第でございます。
最近までに私
どもが現実に動きました
運営の
状況はこういうふうなことでございまするが、御
承知のように、
証券市場を取り巻く問題、今後
免許制に備える
証券業者の
体制整備、あるいはまた
投資信託の
体質改善等、いろいろな問題が多いのでございまするが、
市場の
状況は、幸いにいたしまして漸次明るさを加えていく、底がだんだん固まるというふうにも見られるのであります。
こうした
情勢に対しまして、私
どもとしましても、今後こうした
市場の地合いをくずすようなことがないように、慎重な考慮をしながらも、漸次
所有株の
処分をいたしまして、
日本銀行の
借り入れ金のほうを漸次お返しするようにつとめたい、かように考えておる次第でございます。
はなはだ簡単でございますが、これをもって終わります。