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1966-04-20 第51回国会 衆議院 決算委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年四月二十日(水曜日)    午後一時十二分開議  出席委員    委員長代理 理事 押谷 富三君    理事 白浜 仁吉君 理事 壽原 正一君    理事 田中 彰治君 理事 田原 春次君    理事 山田 長司君       根本龍太郎君    原 健三郎君       山手 滿男君    神近 市子君       中村 重光君    森本  靖君       吉田 賢一君  出席政府委員         防衛庁事務官         (防衛施設庁施         設部長)    財満  功君         検     事         (民事局長)  新谷 正夫君         運輸政務次官  福井  勇君         運輸事務官         (航空局長)  佐藤 光夫君  委員外出席者         大蔵事務官         (国有財産局国         有財産第一課         長)      塚本孝次郎君         会計検査院事務         官         (第三局長)  佐藤 三郎君         専  門  員 池田 孝道君     ————————————— 本日の会議に付した案件  国有財産増減及び現況に関する件(羽田空港  敷地問題)      ————◇—————
  2. 押谷富三

    押谷委員長代理 これより会議を開きます。  本日は、委員長が所用のため欠席いたしまするので、その指名により、私が委員長の職務を行ないます。  この際、資料要求をいたしたいと思います。  これは都下清瀬町の都営住宅団地におきまして、一昨日から起こりました白バス事件関連をした資料でありますが、白バスを運行いたしておりました責任者が警視庁に逮捕されたのでありますが、諸般の事情を考えますと、白バスを運行しなければならぬ状況に追い込んでいる官庁の責任がより大きいと思いまするので、そこで運輸省建設省並び警察庁に対して、資料要求をいたしたいと思います。  その資料は、第一に、大規模団地建設にあたって、運輸省建設省との間において、団地住民交通関係、いわば足について、事前の協議をしておるかどうか、しておるならば、その間の証明する資料出してもらいたい。  第二は、現存する公営または公団住宅居住者のために、国鉄の停車場とか私鉄の停留所と団地連絡バス運行状況について、調査が遂げられているかどうか、運輸省について、その資料出してもらいたい。  第三に、団地連絡バスの初発、終発の時刻でありますが、これが非常に実情に沿わない時刻になっているようでありますが、運輸省として、これに対する指示、監督状況について調査をなされておるか、その他の資料をお出しを願いたい。  それから第四に、団地住民がこういう欠点を補うために、互助的にお互いが協力し合った、その目的のために白バスを運営しているという場合における道路運送法との関係について、警察庁から、こういう場合にはいかなる処置をなすか、判例あるいは事前取り扱い等についての警察庁資料をお出しを願いたい。  それから、問題の都下清瀬町の都営清戸団地に起こった白バス事件類似ケースが他にもあろうかと思いますが、その類似ケースがあるかないか、警察庁において持っておられる資料出してもらいたい。  この五点の資料要求をいたします。      ————◇—————
  3. 押谷富三

    押谷委員長代理 続きまして、国有財産増減及び現況に関する件について調査を行ないます。  質疑の通告がありますので、これを許します。田中彰治君。
  4. 田中彰治

    田中(彰)委員 本日、ここに運輸省福井政務次官佐藤航空局長、大蔵省の塚本国有財産第一課長、法務省の新谷民事局長防衛施設庁の財満施設部長会計検査院佐藤第三局長、これだけ実はおいで願ったのですが、時間の関係で、全部の方にお聞きできないかもしれません。しかし、これはいずれその次に来てもらってお聞きするのですから、ひとつ私の申し上げることをよく聞いていただいて、御答弁を願いたい。  そこで、一体この事件はどうしてここでやるのか、内容は一体どんなことになっているのかということを一応速記録に載せていただいて、そうしてこの事件が進むに従ってそれを了解していただきたい、こう思いますので、私が参考にひとつ申し上げたいと思います。  実は、野本事件といって、いま裁判にもなっており、あるいは世間のうわさにもなっておりますが、私は、土地野本のものでなければ、国の土地として、安全に保存して心配のないようにしたい、野木の土地であれば、国はそういうものを取って、そうして民間の土地を取り上げるようなことはやめてもらいたい。国有財産増減に関する問題ですから、申し上げているのです。  野本所有の羽田における土地国有であるかどうかについて、目下裁判係属中でありますが、同時に、この事件国会において審議せられることについて論議せられる向きがあります。しかし、私の所見をこれについて述べたいと思います。  申し上げますまでもなく、国会は、国権の最高機関であり、いやしくも国政に関する限りにおいては、これが審議を妨げられることはあり得ないことであります。裁判所は、三権分立の原則に従って、司法権を行使するものであり、その裁判に関しては国会の関与するところでないことは当然なことでありまして、立法権司法権は相互に侵すことのできないことは立憲国の原則であります。  国会は、憲法を初め、国会法等各種の法令のもとにおいて、その権限を行使することは当然の権利であり、同時に、これは義務でもあります。同一の事件裁判所において審理せられておるからといって、国会がこれに関する審議を妨げられるということは絶対にあり得ないのであります。本件における具体的の場合を考えますに、野本は、その所有する土地を合法的に買収し、その淵源にさかのぼりますれば、内務省が払い下げた土地であることは、各種の証拠によって明白なところであります。しかして、この土地に関して、野本は、法令の定めるところによって所有権保存登記をし、さらに国は土地台帳にこれを登載し、国税を課し、また東京都知事はこの物件を新しき土地台帳に登載して地方税を課し、野本はこれに対して納税してまいったのであります。さらに、このことについては、東京港湾局長は、国の機関である立場から、野本土地であることについて証明書を交付し、また駐留軍接収にあたっては、特別調達局は、これが野本所有地であることを、現地において野木立ち会いのもとに確認し、これに対して賃借契約を締結して、対価を支払っていたのであります。  さらに、当該土地は、占領軍飛行基地とするために、二十四時間以内にすべての住民の立ちのきを命じ、公私の土地、建物を問わず、一切の障害物を除去して、滑走路をはじめ、すべて飛行基地として施設したのであります。したがって、従来存在した建物、工作物はもとより、土地は変形せられ、町名番地公私有地境界も全く混淆して不明となったのであります。  ここにおいて、所管庁である特別調達庁及び航空局は、新たにこの土地所有者と、所有権境界を確認するために、現地において実測し、民有地については七十名の所有者を立ち会わせて、これが納得を得るため、昭和二十八年の三月二十日、東京調達局航空局との共同主催で、大田区役所蒲田支所会議室において、当該土地所有者である野本ほか七十名の出席を求めましたが、当日は六十七名の出席を得た上、国の作成による羽田空港調査図を示し、各地主の確認を求め、野本はじめ各地主はこれを確認して、調達庁不動産部長あて確認書に署名捺印し、これによって、国の機関としての調達局航空局は、形式上においても、野本ほか七十名の土地所有者所有権境界線とその面積を確認したのであります。しかるに、その後、航空局の官僚によって、何ゆえか、これほど明確なる経過と証拠のあるものをくつがえさんとして訴訟を提起したのであって、現に係争中でありますが、一方、被害を受けました野本側は、この不合理を訴えて、当委員会に陳情するに至ったのであります。  私は、これらの経過と証拠を検討いたしまして、まことに立憲国としてあるまじき奇怪しごくなることと考えたのであります。これは単に私一人ではありません。社会党の諸君も同様にお考えになっておることと思いますが、この事件を通じて検討いたしますると、国政上、特に国有財産増減及びこれが管理処分等について審議の責めにあります当決算委員会とは、最も深い関係にあることが認められるのであります。もとより、次に申し上げます各項については、あるいは法務、予算運輸等委員会関係を持ちますが、一貫して国政に関することであり、裁判所の行なう裁判よりもさらに範囲も広く、かつその目的も異なるものであります。すなわち民事の裁判においては、原、被当事者の主張とその提出する証拠を主たる根拠として、その両主張の範囲内において法の適用を審判せられるに反して、国会においては、これら両当事者の主張にとらわれることなく、もっぱら独自の立場において正否を判断いたすものであって、しかも国利民福のために、大所高所からこれが解決をはかるとともに、私権の擁護よりもむしろ公益を先に考えねばならぬ立場において、これが収集する資料証拠あるいは証言が、裁判所よりもさらにその範囲は広く、かつ深いものであり、したがって、場合によっては、その結論は裁判所と異なることがあるやもはかられぬのであって、これは国会審議裁判所裁判が、その目的と、したがってその証拠資料範囲の差によって、当然起こってくることでありまして、すべては国民の判断するところであります。  私は、次に、この問題がいかに国政関係の深いものであり、したがって国会において取り上げねばならぬ問題であるかについて、これを列挙いたしたいと思います。  第一に、同一の土地に二重の登記のあること。申すまでもなく、不動産登記は、不動産に関する権利の設定、保存、移転、変更、処分の制限または消滅について、これを明白にするためになされるものであり、公権はもとより、私権の存在について、国家が公に保証するものであり、すべての国民生活の根幹、経済活動の根源でありまして、もし登記が信用できないものであるとすれば、経済活動は全くその目標を失うこととなる一大事であります。しかるに、ここに同一物件に二重の登記が実在している奇怪な事実があるのであって、これは必ずいずれかがにせものであり、いずれかが本物であるということをはっきりさせねばなりません。不動産登記については、不動産登記法、同施行細則があり、その手続においても詳細に定められ、いやしくもかかる誤りの絶対にないこととなっているのであります。しかるに、これに誤りがあるとするならば、必ずやそこには不正がある。これについては登記官吏に絶対誤りがなかったかどうか、登記申請に詐欺の手段がなかったか、これらの点を明確にすることは、国政の重要な問題であります。聞くところによると、登記所は、航空局の申請に対して、一回は拒否し、二回目は書類がそろっていないままに登記を強要せられたともいわれているのであります。  国際法規から見た占領軍の行動と政府の対策について。占領軍が上陸の直後、羽田に飛行基地を設けるため、二十四時間以内に住民を立ちのかせ、建物、工作物除去しり土地の地ならしをして、町名、番地はもとより、所有権境界すら不明にしてしまったことは、大田区役所発行の「大田区政十年」の一七三ページに、当時の状況を詳細に記述せられているとおりであります。これらのことは、戦争法規上やむを得ないことでありまして、これらの接収地の返還後に対する被害国民に対して、接収前の所有権をいかにして確定するか、さらに、これに対する国家の賠償をいかに処置するかということは、まことに重大な問題であったと思うのであります。かつて本院行政監察特別委員会において、目下当委員会において審議中であり、数日前にも委員長はじめ山田、神近両先生が、委員として、日銀の地下金庫を視察せられたのでありますが、この被接収ダイヤモンド貴金属等接収解除になり、各物件が附合し混和して、所有権の帰属が判明せず、いかに処置すべきかについて、当時、国際法では権威である現横田最高裁長官、民法では我妻教授行政法では杉村教授の意見を聞いて、特別の立法手続によって、問題を処理することになったのであります。こういう先例があるのでありますが、本件のごとく土地境界が判明せぬに至った場合、接収解除後、当然種々の問題が起こるにもかかわらず、幸いにして、当時特別調達局航空局は、現地の実測の上に、これが境界の確定について、七十名の土地所有者の納得を得たことは、まことに時宜を得た処置であったと思われるのでありまして、しかもこれを文書として、確認証とまでして出したのであります。かかる手続を経て、それぞれ権限に基づいて確認した所有権境界を、何がゆえに七十人のうちの野本に限って、これを取り消して訴訟にまで持っていったか、この場合、野本は財政的にもきわめて弱い立場にあるに対して、航空局は何らこれらの憂いがない。ただその訴訟が長引いて、老衰した野本の死亡を待っているのみとのことでありますが、これはゆゆしき人権問題であり、同時に国家として一たび確認した行為を、不公平に一人に限りこれを破るがごときは、きわめて不公平なる処置といわねばならぬのでありまして、これまた、十分に究明を要すべき国政上の重大な問題といわねばならぬのであります。  第三、課税に関してです。本件野本治平当該土地に対しては、東京都知事固定資産税を課し、さらに滞納に対しては強制手段を講じ、また当該地は公共の用に供されるため非課税の処分をしているがごとく、もし国有地であるならば課税の根拠がないにかかわらず、かかる手続をしていることについても、東京都知事に対する行政上の監督について、当然国政上の問題といわねばならぬのであります。特に野本治平の所有なることを明白にする土地台帳のごときは、場合によっては虚構なものとなり、土地の権利の根本証拠がくずれることとなり、土地台帳作製者たる知事の重大な責任問題となるのであります。  公有水面埋め立てモノレール道路建設等の国の行政行為について。航空局は、羽田空港の拡張に伴い、公有水面埋め立てをやったのでありますが、これについては、当然公有水面埋立法の定めるところに従って、東京都知事の承認を要し、さらに各種の告示等も行なわねばならぬにかかわらず、知事は、当該土地には民有地があり、かつ不承認のため、知事としても承認いたしがたい旨回答しているにかかわらず、航空局はこれを無視して埋め立てを行ない、したがって何ら必要なる告示も行なっていないのでありまして、公法上、羽田空港は、いまだ東京湾の一部として海の中にあることとなるのであります。また、当該土地の上にモノレールが走っており、国道が新たに通されているとのことでありますが、国家が法律を無視してあえて無法をやったのか、それともその役人が個人として処罰を受くべきものか、これらを審議することは重大なる国政問題といわねばならぬのであります。  予算決算現金出納手続について。本件は、逓信省が、昭和四年十二月二十八日に、二百一万六千円で飛島文吉から購入したことになっているが、予算決算及び日銀よりの支出した形跡も認められず、まことに予算の執行上ふしぎな事件であり、しかも会計検査院がこれを認めているとすれば不可解なことであり、多数の国有財産管理処分が不当に行なわれているおり、これまた一つの新しいケースとして、当然決算委員会において明白にせねばならぬ事柄であって、当然国政上の問題といわねばならぬのであります。  その他関連事項について。航空局においては、これらに関連して、汚職事件、あるいは各地における新設飛行場が、飛行機の飛べないものが数カ所あり、あるいは三宅島飛行場のごとくばく大なる国庫補助金があるにもかかわらず、監督上のミスで大損害を来たしたごとき、あるいは第二国際空港問題等に関連して、いろいろとうわさが飛んでおります。こういう問題もたくさん山積しているのであって、とうていこの会期中には審議の見込みはなく、おそらく閉会中の継続なり、あるいは特別小委員会等設置によって、徹底的にその責任の所在を追及する必要を感ずるものであります。以上各項によってこれを考察いたしましても、裁判係属中のゆえをもって、国会で取り上げられない問題だという結論は、みずから国会の権威を失墜する愚論と言うべく、国会議員本来の使命を全うし得ないものと申さねばならぬのでありまして、この際、いささかこの疑問についても私の所見を申し述べて、これをひとつ究明したい、こういうぐあいに考えております。  航空局長にちょっとお尋ねしたいのですが、あなたのほうで、飛島文吉ですか、これから、土地を十六万坪、二百一万円ぐらいで買ったとおっしゃいますが、その買ったという金が、決算にもこれがないし、あるいはまた日銀からも、当時としてはこの代金が出ておらない。いろいろ調べたのですが、これは出ておらない。ところが、あなたのほうからこの間出された書類ですね、その中に、これを買ったという予算書が出ていますね。あれは一体何を根拠に、あなたのほうで買ったというあの資料を出されたのですか。昭和二年からのやつですが、これをひとつ説明してもらいます。
  5. 佐藤光夫

    佐藤(光)政府委員 まず、御要求資料がたいへんおそくなりまして、恐縮でございますが、いまお尋ねの、本件問題の用地約十六万坪の取得の事実を証明する資料を提出しろということにつきましては、お手元資料七でお届けをしておるわけでございます。田中委員の御指摘のように、昭和二年から昭和六年までの、これに直接関連すると思われます航空路設置年度別決算額というようなものを、お手元にお届けしておるわけでございます。  ただ、私のほうが本件土地を取得したと思います直接の説明資料といたしましては、国有財産台帳土地台帳謄本土地登記簿謄本、それから昭和年度におきます国有財産増減報告書逓信省経理局営繕課経理係保管東京飛行場関係文書等によりまして、こういうような事実を、いまお話のございました訴訟の必要な資料としても提出し、これの証明の用に充てておる次第でございます。
  6. 田中彰治

    田中(彰)委員 ところが、ここに、いまあなたのおっしゃる昭和年度、三年度予算について、第五十六帝国議会衆議院予算委員第六分科会において、当時の久原国務大臣が、こういうことを言っていますね。「次二航空路設置ニスル経費——本邦航空事業ノ發達ヲ促進シ且ツ外國航空機飛來ニ備フル鳥メ昭和年度及三年度ニ於テ一部飛行場設備致シマシタガ、尚ホ航空路施設ノ完成ヲ計ル爲メ東京飛行場ノ本設備長崎縣對馬及五島方面ニ航空用無線電信所新設有線電話連絡施設等爲サントスル次第デゴザイマス、仍テ之ニ要スル経費総額三百八十四萬五千二百九十二圓ヲ昭和年度以降三箇年度繼續費トナシ其本年度年割額百二十四萬八千百三十五圓ヲ計上シタ次第デアリマス、」すなわち、右のうち、工事費百十八万八千四百三円を初年度に計上したものであることは、当時の会議録昭和四年二月八日及び予算要求明細書によって明らかとなっておるのです。それから、しかして昭和年度における支払い済み額は八十万九千七百八十八円八十一銭であって、翌年度繰り越しが一万九千四百七十五円七十四銭、不用額として四十六万八千六百八十四円二十六銭を出している。これは昭和四年ですよ。もし飛島文吉に二百一万六千円を支払うならば当然不足するにかかわらず、何ゆえ翌年度繰り越しのほか不用額を四十六万円余を出したか、さらに、この工事費のうちには、久原大臣説明しているとおり五島、対馬経費も支出しているはずであって、これはどのようになっているのか、ひとつ御説明を願いたい。
  7. 佐藤光夫

    佐藤(光)政府委員 ただいまの先生指摘のような決算額につきましては、先ほど申し上げました資料七にも一部出ているわけでございますが、(田中(彰)委員「どこに出ておるのですか」と呼ぶ)その次の、航空路設置費年度別決算額という表がございますが、いまお話しのように、昭和年度予算現額がございまして、支出済み額、それから翌年度繰り越し額、この下の欄でございますが、これがいま先生お読みになられました数字でございます。  結論といたしまして、御指摘のように、この予算数字からしますと、二百一万円が、この予算とどういう関連に相なるかということは、十分われわれも、非常に時間が経過しました今日、それを内容的に御説明することが困難であるわけでございます。これは当時の関係者等も、相当いろいろ各方面にわたりまして調査をしたわけでございますが、困難でございますので、現在におきまして考えますのに、この飛行場用地買収費が、すべて逓信省所管航空路施設費だけに積算されているかどうかというようなことについても明瞭でございませんし、もしかりにそうありましたといたしましても、御承知のように、当時継続費制度等がございましたので、あるいはそういうもので組まれておって、それが現実に支出済み額として出てくるというかっこうになったのかどうか、そういうような関係が、われわれとしては、今日におきましては、時間の経過その他の事情で十分に明らかにし得ない点であるわけでございます。
  8. 田中彰治

    田中(彰)委員 局長、あなたそんなこと言われますが、これはあなたのほうから出された昭和年度決算書ですよ、私が持ってこうやっておるのも。これはやっぱり昭和二年、三年から調べてきてあるのですよ。そういう書類は残っているのに、飛島から買った土地書類だけがどうなったかわからないというのはおかしいじゃないですか。ここにこういうぐあいに出ていますよ。たとえば、この決算報告説明によると、不用額を生ぜしめ、節約をなした予定費の額を……、これはこういうぐあいになっているのですよ。航空局提出資料七によると、昭和年度は、予算の現額、工事費百二十五万四千四百七十五円七十四銭となっているが、明細書によると、経費総額が三百八十四万五千二百九十二円になっている。昭和年度より昭和年度にわたる継続費なるもののうち十一万一千五百六十一円を節減して、かつ事業繰り延べを行なうために、既定の年限を延長して、昭和年度以降の総額及びこの支出年度の割りをこのように改定することとしていますね。たとえば既定額が百二十三万五千円、節減額が五万九百七十五円、繰り延べ減額が四十五万七千二十円、組みかえ減額が千八百五十七円、改定額が七十二万五千百四十八円、こういうぐあいになっているのです。そうすると、航空局提出資料第七によるように、この経費は、昭和年度から六年度までの継続事業費のように思われるが、久原大臣説明のとおり、昭和年度から三年間の継続費であって、さらに五年度においては一年延長せられて、七年度までに継続事業費となったのであるから、航空局資料の七によると、昭和年度に限りとなっているが、との資料によっても、各年度にこれは繰り越し金不用額が認められて、昭和四年、五年、六年度予算総計が三百三十二万二千五百三円四十六銭となっているので、支出したこの金額は二百三十一万六千三百十一円八十銭であって、これは単に東京空港設置費のみならず、対馬、五島における各地施設費を組んで、ことに昭和年度においては翌年度に一万九千四百七十五円七十四銭を繰り越して四万六千八百八十四円二十六銭の不用額を生じ、五年度においても五十一万六千二百三十一円六十六銭の不用額、六年度においては一万八千円を繰り越しているのであって、どうあなたがおっしゃっても、こういうものがあって、当時二百一万と大きな金でしょう、それが出ておらない。もう一つ飛島からこれだけのものをお買いになったんだから、その契約書か何かございますか。
  9. 佐藤光夫

    佐藤(光)政府委員 田中先生御説のように、戦前のこういう決算でございまして、先ほど申し上げましたように、本件該当の経費が明瞭にどういう内訳であるかという、実は内訳資料がないわけでございます。同時に、これも御承知のように、昭和十五年に航空局は火災にあいまして、関係書類等が焼失いたしておりますので、その後できるだけ資料を集めるということで調査を進めたわけでございますが、十分に先生の御質問にお答えし得るような決算内容というようなものが、長年の経過のために、そういう資料がないというのが現状でございます。
  10. 田中彰治

    田中(彰)委員 だって、あなたのほうで出したのは、昭和二年からこう出しているじゃないですか。資料がないものを、どうしてこんなこまかいこういうものが出るのですか。資料があるから出るのでしょう。  それから、あなたのほうでこれをお買いになるときには、日本銀行から小切手を切るのにきまっているでしょう。よくごらんなさい。(資料を示す)日本銀行は全部調べている。日本銀行はどこからも金が出ていませんよ。そんなに小さいいいかげんなものじゃありませんよ。金を出さないで、契約書もなくて、そして都合のいいようなものを持ってきて、あとの資料は焼けましたで、一体済むのですか。焼けたら、飛島から、書類が焼けたからといって、書類をとるのが当然でしょう。おかしいじゃないですか。予算にもない、決算にもない、日本銀行からも金が出ていない。そしてあなたのほうは、それはおれのほうで買ったのだと言いますけれども、証拠がないじゃないですか。しかも、ここに一つ飛島土地があって、その隣にまた一つ土地があるなら当然だけれども、一つ土地を二重登記している。その登記も、飛島のほうの、野本治平が先で、あなたのほうがあとなんです。予算決算も全部調べている。まだ書類がたくさんあるのですが、どこを調べても、買ったものがないのですよ。それでも日本銀行からこれだけのものを買えば、小切手が出てくる。日本銀行で小切手を出すけれども、その小切手が出ておらない。しかも地主が七十人あるのを、六十八人か六十五人か集めて、区役所で地主会議を開いたときに、これは野本土地だ、これはだれの土地で、これが何だということを調べて、確認したりっぱな役所の証明があるのです。しかもあんたのほうで、羽田飛行場が狭いから埋め立てしたいと言ったときに、書類が出てきたら、東京都知事から、この埋め立てば許可できない、それは野本治平土地だから、その前を埋めるのだから、野本の許可がないからできない。これを民間でやったら刑務所行きです。無断で埋め立てしたということになると、刑務所に行かなければならない。どうもそれをあんたのほうで、いつの日か買ったんだ、契約書があるんだ、金は出ているんだ。国会の——あんた、判決文を見てもわかるでしょう。どうして買ったかわからないけれども、必ず国会の議決というものを得て、そうして、この経費が払われているものと見なして、この判決をするとしたら、買ってなかったら、この判決も違ってくるじゃないですか。この点、局長、あんたが何と言われても、私はどうもおかしいと思う。みんなも聞いているんだから、田中君、おまえそんなことを言うけれども、国のお金を——昭和四年の二百一万だから、いまの二億円です。これをちゃんとこういうぐあいにして買って、小切手はここから出た、契約書はここにあって、こうやって登記したんだというお答えがない以上は、人のものを取ったことと同じじゃないですか。野本が取られたと言っておる。しかも野本のほうは、調達局東京都、その他全部が——これからだんだん出してきますが、立ち会って、そして立ち会いの上でもって測量して、野本のものであるという証明書を書いておる。全部出ている。あんたのほうの証明書はない。これはおかしいじゃないですか。そういう証明をここであんたのほうからできないというなら、やはりあの土地野本の言うとおり、横領されたんだと思う。  それから、ちょっと委員長、民事局から民事局長さんがおいでになっておるはずですが……。私は、法務省の登記事務の監督官に対してお尋ねするのですが、不動産登記法による土地建物登記において、同一土地に対して異なった二人の所有者が、それぞれ土地所有者として、所有権保存登記をすることが、一体あるのでしょうか。そういうことができるのでしょうか。
  11. 新谷正夫

    新谷政府委員 たてまえといたしましては、一つ土地につきまして、登記簿が二つできるということはないわけでございます。ただ、御承知のように、不動産登記法は、実質的な審査権を登記所に与えておりません。実質的審査権と申しますと、申請をしてまいりました者がたとえば所有者であるという場合に、その所有権があるかないかということを実質的に調査いたしまして、所有権ありと認定いたしました上で登記をいたすわけでございます。これが実質的審査主義ということになっております。ところが、わが国の登記法はそうではございませんで、形式的審査主義というたてまえをとっております。これは書面が一応形式的にそろっておれば、これを受け付けて登記するというたてまえになっておるわけです。これは現在の登記法が民法の不動産物権の対抗要件として設けられておりますので、実質的な権利関係は別途確定すべきものであって、その上に立って対抗要件としての登記をするというたてまえになっております関係上、そういう仕組みになっておるものと理解するわけでございます。そこで、形式的に書類がそろっておりますれば、登記所としては受け付けざるを得ない。したがいまして、同一土地についてたまたま二重の登記が出てくることもままにしてあるわけでございます。これはいろいろ従来も訴訟になりまして、二重登記が起きて、それの一つが間違っておるということで、判決によって抹消する事例があったわけでございます。私具体的な事実関係を存じませんけれども、今回も、ただいまのお話のように、二重登記になっておるということも、あるいは場合によっては考えられるわけでございます。判決によりましても、それが二重登記になって、一部重なり合って、同一土地について二つの登記がなされているという認定のようでございます。そうなりますれば、どちらか正しいほうを残して、間違っているほうを抹消する、こういうことになるわけでございます。
  12. 田中彰治

    田中(彰)委員 そういう場合に、図面か何かつけなければいかぬのじゃないですか。たとえば、大きな土地がある、ここに私の土地がある。あんたがこの私の土地登記するというような場合には、私の土地の図面がついて登記所にあるんだから、その登記にやはり図面をつけてやるんじゃないですか。
  13. 新谷正夫

    新谷政府委員 これは保存登記でございますと、まず土地台帳に登載されます。これは御承知のように、税務署が所管いたしておりまして、税務署が課税のために土地台帳というものを設けたわけでございます。この土地台帳に載せられますと、それに基づいて、税金を課するという税法上の事務が行なわれたわけであります。それを前提にいたしまして、土地台帳物件が表示されますと、その謄本をもらいまして、謄本をつけまして、保存登記申請をする仕組みになっております。したがいまして、登記申請につきましては、別に図面はつけませんで、土地台帳に載っておるところを基礎にいたしまして、所有者登記申請をする、こういうことになっておるわけであります。
  14. 田中彰治

    田中(彰)委員 そうすれば、人の土地を取るのに、どこか大きな土地があれば、そこに自分のほうが土地台帳保存登記して、それを持って行けば、人の土地が自分のものになるんじゃないですか。そういうものをどうやって防ぐのですか。
  15. 新谷正夫

    新谷政府委員 これは土地台帳の登録の段階での問題でございます。これは前に税務署の所管しておりました当時も、土地台帳に登録すべき新しい土地を生じたというふうな場合には、これは担当の税務官吏が実質的にそこを調査いたしまして、ここは間違いないということを確認いたしますと、台帳に載せるわけでございます。それに基づいて土地台帳というものができまして、登記のほうは、ただ土地台帳に記載をいたしまして、登記をいたすわけでございますから、実質的に所有権があるかないかということは、登記官吏のほうでは調査いたしません。形式的に整っておればよろしい、こういうことになるわけであります。
  16. 田中彰治

    田中(彰)委員 図面なんかつけて登記所出したり、そういうことをやるのは、一体何のためですか。今後は図面は要らないのですか。
  17. 新谷正夫

    新谷政府委員 土地につきましては、かつてはそういう図面をつけませんでした。昭和二十五年に地租法が廃止になりまして、固定資産税ということになりまして、市町村に移管になったわけであります。そのときに、税務署が所管しておりました土地台帳登記簿のほうに引き継いだわけでありまして、その後、従来の土地台帳制度というものと不動産登記制度というものが併存いたしまして、両方が行なわれてまいりまして、その事務の扱い方は昔と変わらない状況下にあったわけでございます。もちろん、現在は、そういった二重の手続を防ぐために、若干事務の合理化をはかるように、制度の改正をやりつつございますけれども、かつての仕組みは、そのようになっておったわけでございます。したがいまして、登記の面で、特に土地の場合に、図面をつけて登記申請をするということはなかったわけでございます。
  18. 田中彰治

    田中(彰)委員 これは昭和二十七年、八年に改正される前の登記です。いまのあなたのおっしゃることと、二十七年と二十八年に改正した後のものと、違うじゃないですか。
  19. 新谷正夫

    新谷政府委員 この本件につきましての、登記申請のときの具体的な手続は存じませんが、戦災によりまして、土地台帳登記簿も全部焼けたようでございます。その後、土地台帳登記簿の復旧をそれぞれの所管庁でやりまして、したがいまして、終戦の前後から、おそらく焼けたところについては、そういった帳簿の復元が行なわれたと思います。したがいまして、税法上の関係から申しましても、登記簿はともかくといたしまして、土地台帳のほうは、課税のためにどうしても必要でございますから、いち早くこれは復旧されておると思います。台帳に載ったままの形でずっときておって、最後に保存登記ということが、昭和二十七年でございますか、二十八年でございますか、そのときに、その台帳に基づいて行なわれた、こういう手順になっておるのじゃないかと思います。
  20. 田中彰治

    田中(彰)委員 それじゃ、野本治平氏が、焼けてから、区役所に全部で六十八人も寄って、そして台帳をつくり、都知事証明をもらい、登記所証明をもらって、そして納税もしておったということになれば、やはりそれは野本治平のものだと認定されてもしかたがないんじゃないですか。どうなんです。
  21. 新谷正夫

    新谷政府委員 当時の経緯は、そういう事実があったかもしれません。ただそのように認定されました土地と、それから国のほうで主張しております別の土地と申しますか、地番が違うようでございます。その国のほうで主張しております土地とが、形式的には別個のものになっておりますけれども、判決の結果によりますと、それが実質的には一つ土地をあらわしておった。つまり二重登記になっておるということになっておるわけでございます。そこで、その二重登記のなされておる土地が、実質的に所有権がどちらに帰属するかということが、この問題の争点でございます。所有権がいずれにありゃということが確定いたしますれば、その確定した方向に従って登記処置する、このようになるわけでございます。
  22. 田中彰治

    田中(彰)委員 これは野本治平が、自分の土地であって、しかも内務省から買った土地です。内務省というのは、昔、御存じのとおり、警察部長までを各府県に送っておる。悪いことをしたやつを全部取り締まるのが内務省の役目、いまの警視庁以上のものです。そこから払い下げして、その後税金を納め、登記はしてある。もちろん保存登記はしてある。東京都も、野木のものと認めて、税金を取ってきた。あるいは調達庁がこれを進駐軍に貸すときに、東京都からも、調達庁からも、登記所からも行って、立ち会って——書類があります。測量して、これは野木のものだという図面をつくっております。これは役所がつくった図面で、野本がつくった図面ではない。そうしておって、今度税金を滞納したら、それを野本の名前で押えて、東京都が野本に執行しておる。ところが飛島にはそういうものもなければ何もない。それで争ったら、土地は国のものだ。国のものなら国のものでけっこうなんです。ところが、国がこれだけのものを買うなら、日本銀行から金を出すか、国会審議を得るか、予算決算を通すか、何かしなければならぬが、その書類はない。飛島から契約した契約書がない、どこかへいってしまった、出すものは出してくれ……。それから、この登記を、あなたの専門から見てもらうとよくわかるのだが、これは土地台帳、焼けておるとうそ言っておるけれども、土地台帳焼けてないのです。これはひとつあなたにごらんに入れますが……。これは、もと印紙の二重使用事件というのがございましたでしょう。あのときに書類を全部持っていったのです。その中にこの書類も入っていた。ところが、要らなくなったから持ってきた。それを早く焼け焼けといって、上から命令する。ところが四日ばかりたったら焼こうかといったときに、私どもはその地下室を押えて、焼けておりません。  それからこういう登記もあるでしょう。土地台帳の写しです。これはあなたごらんになればわかるでしょう。これは当時の登記したものです。これだけです。   〔田中(彰)委員新谷政府委員書類を示す〕
  23. 押谷富三

    押谷委員長代理 田中君、速記がとれませんから、自席で、速記がとれるようにしてもらわぬと……。
  24. 田中彰治

    田中(彰)委員 民事局長、ここへ来てください。  これは登記簿です。この登記簿は、ただこれだけの簡単な登記です。しかもここにやってありますが、所有権登記のあれを受けて、やっていますね。しかし、この番地が——登記簿の番地が違うことはないのです。この番地とこの番地と違っています。そうでしょう。こんなところで一番地違ったら、これは何十万坪と違うのですよ。違って登記している。だからこんな登記なんというものは、全くしろうとの知らぬ者に見せるより、本職がちょっとごらんになったら、雑なおかしなものでしょう。持っていってよくごらんくだすってけっこうですよ。  民事局長、これは土地台帳の新のやつです。さっきのは旧です。
  25. 新谷正夫

    新谷政府委員 御提出の書類、いろいろ拝見いたしました。  一つずつについて申し上げますが、この土地台帳の写しとして、いま拝見いたしておりました大田税務事務所保管土地台帳写し、それから土地台帳大田税務事務所保管と書いてあるものでございますが、これは土地台帳の形式とはずいぶん違ったものでございます。したがいまして、これが土地台帳の謄本とか写しとかいうふうに見てよろしいかどうか、これは私にはちょっとその辺の判断はいたしかねるわけでございます。土地台帳は、こういう形式のものではございません。  それから登記簿のほうでございますが、登記簿のほうにつきましては、これは千五百九十二番の一ということで、逓信省用地という地目で登記されております。この登記の嘱託は二十八年の九月に、運輸省航空局長からなされておりますが、その嘱託書も、同じく千五百九十二番地の一として嘱託がございまして、そのままこの登記になっておるようでございます。そのほかに数筆ございますが、これは登記簿の写しがございませんので、その余の登記はどうなっているかということは、ちょっとここでは申し上げかねます。  そのうしろについております。東京大田羽田江戸見町千五百九十一番地の一外五筆の土地が、逓信省より運輸省に所管がえされるまでの経緯というものが、二十八年の九月九日付でございます。これは運輸省航空局長のつくられたものでございますが、これに羽田江戸見町千五百九十一番地の一、とこういうふうになっておりますので、地番は確かに登記されたもの、登記の嘱託をされた地番とは異なっております。一と二の違いでございますので、これは単にこの経緯として書かれたものでございますから、はたして千五百九十一番地の経緯なのか、あるいは千五百九十二番地の一のミスプリントなのか、その辺は何とも判断いたしかねますが、これは少なくとも、いままでの経緯をメモとしてつくったものじゃないかと思います。  それから土地台帳の謄本がございますが、これは千五百九十二番地の一でございまして、これは逓信省のものとして土地台帳に載っておるものの謄本でございまして、これはおそらくこのままのものであろうと思います。もう一枚、登記簿の旧表題部の謄本がついております。これはちょっと文字が判読いたしかねますので、いかなるものか申し上げかねますが、拝見いたしました結果は、大体以上申し上げたようなことでございます。
  26. 田中彰治

    田中(彰)委員 ところが、ああいう広いところで番地が一番地違うというというと、二十万坪に番地が二つしかないのですから、たいへんな違いだと思います。  それから、いまあなたのほうに新旧の土地台帳をあげたでしょう。それは東京都からとったものですから、東京都の土地台帳と比べてもらってけっこうです。
  27. 新谷正夫

    新谷政府委員 そういたしますと、先ほどお答えしました土地台帳の写しというふうに書いてございましたのは、おそらく都庁が持っております固定資産税課税台帳の写しではないかと思います。土地台帳の写しではないだろうと思います。
  28. 田中彰治

    田中(彰)委員 そうするとあなたは、だれの土地か、図面をつけないで登記したり、あるいは保存登記したりすると、それは都庁なりどこなりが、課税の対象として載っているから、それを基礎としてやるんだと、さっきおっしゃいましたですね。ところが、いまの東京都の新旧の台帳には、野本のものであるということがちゃんと証明されている。しかし民事局長として、飛島文吉がどれだけの税金を納めて、どれだけのあれをして、どうなっているかという証明書は出ておらないのです。飛島のものであれば、飛島がちゃんとそれだけのものを出さなければならぬ。それが出ておらない。これはどういうわけですか。
  29. 新谷正夫

    新谷政府委員 先ほど私申し上げましたのは、保存登記をいたしますときには、土地台帳に基づいて保存登記をいたすわけでございます。先ほどお示しになりました書面は、土地台帳写しと書いてございますけれども、先ほどのおことばのように、東京都が保存している固定資産課税台帳の写しのようでございます。したがいまして、固定資産課税台帳をもとにして登記はできません。あくまでも、保存登記土地台帳に基づいていたすわけでございます。したがいまして、その当時の扱いといたしましては、そこにお示しのものが基礎になって保存登記はしていない、このように考えるわけでございます。   〔田中(彰)委員新谷政府委員書類を示す〕
  30. 田中彰治

    田中(彰)委員 いまの新しいのは東京都の写しです。それから旧は国のものです。よく見てくださいよ。
  31. 新谷正夫

    新谷政府委員 大田税務事務所保管土地台帳写しと書いてあります旧の関係のものは、大田税務署に保管中であるという説明書きが書いてあります。
  32. 田中彰治

    田中(彰)委員 大田税務署に書類があるのです。
  33. 新谷正夫

    新谷政府委員 それから写し取ったものではないかと思いますが、先ほど申し上げましたように、土地台帳の形式は、このような形式になっておりませんので、これがはたして真実のものであるかどうかということは、私からお答えいたしかねるわけであります。
  34. 田中彰治

    田中(彰)委員 どういうことになっておるのですか。そういうことになっておらないということは、どういう形式のものですか。
  35. 新谷正夫

    新谷政府委員 先ほどお示しのありました土地台帳の写しというものが、お手元にあります。それにありますような形式になっております。
  36. 田中彰治

    田中(彰)委員 これは、こまかく書いただけでしょう。それでは、その写しをとってみましょう。
  37. 新谷正夫

    新谷政府委員 先ほども申し上げましたように、これが土地台帳の記載を引き写したものかどうかということは、私からは何とも御返事申し上げることができません。形式が土地台帳の形式になっておりませんことと、そのまま複写でとったものというふうにも認められないし、奥書きもございませんので、あるいはどなたかが写されたものというふうに想像もできますが、これ自体が土地台帳になっておるという確信は、私ちょっと持っておりません。
  38. 田中彰治

    田中(彰)委員 それでは、あなたがそれを土地台帳の写しとみなされないとおっしゃるならば、土地台帳の写しというものはどういうものですか。これに似ているとおっしゃるけれども、それはあなたもはっきりわからないでしょう。そういうものの写しがあるかもしれないでしょう。どうですか。
  39. 新谷正夫

    新谷政府委員 この写しというふうに書いてございます書面は、土地台岳の形式を備えておりません。したがって、土地台帳から引き写されたものかもしれませんけれども、こういうものが、土地台帳に載っておるということは、私には現在わかりません。普通ならば、土地台帳の謄本あるいは抄本という形で、こういうものをとられるわけでありまして、所管庁の奥書きのある謄抄本の認証がございますれば、普通これが写しだということはわかるわけでありますが、これのみによって、こういう台帳の記載があるかどうかということは判断いたしかねるわけであります。
  40. 田中彰治

    田中(彰)委員 それは、土地は一体どういうことになっておるかと言ったときに、東京都の都知事から公文書として来たものです。片一方は大田区の税務署でこうなっておると言ってあれしたものだから、もしあなたのほうで納得がいかなかったならば、ほんとうにほかにあなたのおっしゃるようなものがあるかどうか、もう一回調べてみましょう。しかし、それはいいかげんなものを写したものではありません。お聞きになってお調べになってもわかると思います。片一方は大田区のもの、片一方は都知事からのものです。どうなったのか聞いたときに、都知事から来たものです。われわれは都知事とか税務署とか、そういうものを信じないで、一体何を信ずるのですか。民事局長は法律の大家でしょう。土地を買ったのだ、国のものだと言っても、どこから何を買ったのか、どこで金を出したのか、契約書もないし、国会の議決もないし、日本銀行の金も出ておらない。それでは予算がないのかというと、幾ら幾らと、とった予算はきちんと明白になっておる。書類がないというようなことはありませんよ。図書館に行って調べてごらんなさい。全部ありますよ。おかしいじゃないですか。それでは、私のほうで写しを納得がいくようにあれしてまいりましょう。  そこで局長にお尋ねするのですが、あなたのほうでも、人の土地を十六万坪ということになると、たいへんな金額ですよ。しかも昭和四年の二百一万なんといえば、いまの二億の金です。その金を出すのに、とにかく決算にも予算にも国会の議決にも、日本銀行からも出ておらぬ。飛島からの契約書もない。それでは、飛島文吉がどうやって納税して、どうやってあなたのほうに売ったのだということを、はっきりあなたのほうでお出しにならなければだめです。この次までにその資料出してください。飛島から買った契約書です。それから、どこからどの予算で買ったかということの明確なものを出してください。それから、飛島がどれだけの固定資産税を納めておったか、これをあなたのほうからどうしてもはっきりしてもらいたい。片一方ははっきりしている。しかもこの土地は民間から——お互いに古いことですから、売買したということなら、私は、この事件を持ってきても、やりたくなかったけれども、当時の内務省というのは、いまは創価学会や何かはつぶせないけれども、ひとのみち教でも大本教でも、内務大臣がつぶせと言ったら、その日のうちに、あの大きな宗教でも何でもつぶしてしまう。ここに社会党の方々がおられるが、ちょっと思想的な間違いがあれは、連れていって、そうしてつめと指の中に針をさしたり、あらゆることをしていじめて、国民を恐慌におとしいれた内務省ですよ。悪いことを取り締まる内務省から買ったということが、登記の名簿にあるのですから、これがうそだったら、何を信ずるのですか。何かここで、田中委員、君そう言うけれども、この金で買ったんだよ、国会のこういう議決を経ているよ、契約書があるよ、飛島のものだという証拠がここにあるよというものは一つもない。そうして、番地でもそのとおりなんです。民事局長が、番地が一番地違っておりますねとおっしゃる。あなたも私も、そんな屋敷は何万坪、何十万坪ないから、お瓦いに百坪か五十坪のうちに住んでいるから、一つ番地が違ってもそれは間違いで済む。この番地は、一番地違うと五万坪以上違うのですよ。こんなりっぱな公簿に、一番地違えば五万坪も違う。番地の違う登記簿なんですか。しかもこの登記は図面もついておらない。少なくともこれだけのものを登記するには、最後の登記をして、国のものだと立証するには——国が民間から買うんでしょう。だから、ちゃんと図面をつけて、正式に登記したことを調べて買うのがあたりまえじゃないですか。いま民事局長のようなことを言われるなら、あしたから悪いことをする人は幾らでもできるでしょう。大きな土地のところに行って、これは私の土地だといって手続をして、税金を納めて、そうしたらすぐその証明をもらって登記して、自分の財産として売ったりなんか幾らでもできるじゃないですか。番地一つや二つ違ってもいいんだということになる。われわれが使っている土地なら、一番地やそこら違っても、間違っても百坪か二百坪ですよ。千坪以下のものです。これは半分にしても五万坪でしょう。それで、あなたがいまおっしゃるとおり、やはり一つ土地に二重の登記をしてある。それがあとから登記したものの土地であって、前から税金を払って、たくさんの役人が立ち会ってつくった図面がうそだという。私はきょうは図面を持ってきませんでしたが、この次図面を持ってきて、あなたにお目にかけます。全部立ち会って、証明書を、野本土地であるということをちゃんと押しておる。東京都知事も押しておる、調達局の人も押しておる、内務省の払い下げの登記等もある。納税しておる、駐留軍に貸した金も取っておる。これをみんな無効にして、ただ航空局が、これはおれの土地であると言っている。これだけを信じて、これだけのものを取り上げられるのですか。裁判の判決だって、局長あなたがごらんになればいいですよ。あの判決の中に、予算その他では、買ったという証拠はここにあらわれてないけれども、これだけの土地を買うのだから、必ず国会の議決を得ておるものなりと思料してこの判決を言い渡すとしてある。国会の議決を得ておらなければ、この判決は無効じゃないですか。だから局長国家のものだからうんとがんばって、ここへ証明出して、国のものなんだということをやっていただければ、私も非常にうれしい。契約書はどこかで焼いてしまった、金は全部調べても三年も四年もかかっても、日本銀行から出ておらない、予算決算はない、そこでただ登記してあるからおれのものだ、その登記簿を見れば、ああいう大きなところで番地が二つしかない。二十万坪で番地が二つしかない。その番地も違えている、図面もついておらない。少なくともやはり図面をつけて本登記するのに、図面もついておらない。こんな理屈の合わない、こんな横暴なことが、一体昭和の御代に行なわれるのでしょうか。こんな点から、私は全くふしぎでしょうがない。いまあなたが、あなたのうちはどこから買ったか、ここから買った、幾らで買ったんだ、どこでこうして金を払った、契約書を見ろ、登記所に行って見てくれと言うでしょう。これ以外にないじゃないですか。登記所のことも信じない、東京都知事証明も信じない、調達庁、航空局全部が立ち会ってつくった図面も信じない、大田区役所、この当時の登記所がつくった、六十八人立ち会ってつくった図面も信じない、金はどこから出したかわからぬ、契約書がない、十六万坪の土地をただもらった。私はこれに対して言っておきます。実はこの事件は、こんなところに出る前に問題になったことがある。そのときの大蔵大臣は水田三喜男氏なんです。そこで、水田氏のところにこの書類を全部持っていって、忙しいけれども読んでくれといって読んでもらって、みな証人が行って水田氏に会ったときに、これは野本治平のものだ、困ったことができたというので、水田氏が死んだ池田さんのところに相談に行った。それは困る、何とかならんか、もうおまえ、九十近くになっているのだから、棺おけに片足以上突っ込んでいるのじゃないか、死ねばおしまいになってしまう、何とか裁判でもして長引かせて、何とかならんかと、池田に言われたと、水田氏が言っておる。ここに委員長がおられるが、証人に出しますと言っておる。だから、この次の時期に、あなたのほうから、買ったという証明、金の出どころ、国会の議決、予算決算のすべて、それからもう一つ資料要求しました。そういうものを全部あなたのほうから出してもらう。それから、飛島がもし国に売ったとすれば、当時の二百一万ですから大きな金です。ただもらった土地ですから、金が飛島のところに相当入って、飛島が国税庁に税金を納めておらなければなりません。飛島が税金を納めておるかおらぬか。これは昭和四年に、売ったとすれば二百一万であなたのほうにお売りになったんだから、飛島が買った土地は、国からただもらった土地だと言っておるのだから、そのただもらった土地を買ったのだから、利益がうんとあるから、税務署に税金を納めているはずだ。それからもう一つ私がふしぎに思うのは、この飛島に売ったもとの人が、これは自分の土地だと主張してから六年もたって、内務省がこの土地は全部国のものだとして取って、登記をしている。そうして内務省が売っておるのだから、これを信ずるよりしかたがありません。その当時のものが、自分が埋め立てするから、なにするからといって、これをもらった。片方は埋め立てするからもらったというなら、この話がなくたってしょうがない。けれども、全部埋め立てしないのです、これはだんだん水がなくなったから。それを内務省が国の土地でございますと言って、それから六年たってから全部登記している。その内務省が今度は払い下げをしたのだから、これを信ずるよりしかたがない。あなた方、出ておいでにならぬから、私もちょっと足が病気なものだから、書類をよく調べておりませんから、これは全部調べ上げて、はっきり、国のものなら国の財産として管理しなければいけない。国が間違ってとったのなら返してやらなければいかぬ。私はここで局長から、きょうはせめて一つぐらいは、予算に、買ったのを、ここでございます。国会で議決してございます。契約書もございます。何か出ると思ったけれども、どうも何も出ない。しかもこの登記を、いま局長が言ったように、番地一つ違っています。番地一つが五万坪違うのですから、局長よく考えてください。百坪や二百坪、千坪違うのなら、番地一つ違っても……。公文書です。しかもたくさんではない。たった二つ、二筆かそこらの登記をするのに、番地が違っておる。番地一つ違えば五万坪か十万坪違う。野木治平が、二十万坪私の土地だと言ったのは、番地二つしかありません。御存じでしょう。だから番地一つ違ったら十万坪違う。ここをひとつ、私のほうもこれからどんどん研究して、あなたのほうへお伺いしますから、あなたのほうはどうか研究されて、ここでひとつ堂々と、これは国のものであるということを発表できるようにしていただきたい。  これをお願いいたしまして、私の質問を終わります。
  41. 福井勇

    福井政府委員 田中委員の御了承を得ましたので、大臣が来るのがほんとうでございますが、私が出ておりまして、たいへん物足りなかったかと存じますが、本日の冒頭に田中委員が陳述されました中にありますが、この物件が国のものであれば、当然国のものに早くならなければいけない。また個人のものであるならば、個人のほうへ当然返さなければならないというのは、全くりっぱな御主張であるし、また同感であります。私の考えでは、その件は同感でございますし、こういうようなことが、日本の官庁の向きにおいては五年も十年も二十年も長引いておるというようなことは、まことに私は、これは公式の私の答弁というようなことになってはどうかとも思いながらも、残念に思うということを表明いたしまして、ちょっと発言させていただく次第でございます。
  42. 押谷富三

    押谷委員長代理 本日は、これにて散会いたします。    午後二時四十四分散会