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木村禧八郎君 もちろん私も、政治の姿勢としては最高の姿勢だと思うのですよ。しかし、この発想につきまして、愛知
大臣がいま御答弁になりましたが、かなり基本的な点にやはり触れておられるわけです。もちろん哲学者でないからというかなり謙遜されましたが、非常に愛知さんよく勉強もされ、有能な方だと思いますが、やはり政治には
一つの哲学というものがやはり裏づけされなければ、厚みが出てこないと思うのです。そこで、ただいま確かにこのプラグマチズムの風潮、それからまた非常な
個人主義的な、自分だけよければいいというようなそうゆうような
考え方、
個人主義的な
考え方というところに人間性が失われる非常な原因があるのじゃないかという
お話でした。単に科学
技術の、あるいはまた機械文明の発展が人間性の喪失を招く、こういう単純な考えじゃないことはわかったんですけれども、しかしこれは、人間を疎外させ、あるいは人間を孤独化させている根本の原因は、一体どこにあるかという問題が非常に私はもっと基本ではないかと思うのです。で、私も哲学者じゃないんですが、やはり政治を行ない、あるいは経済の問題を論ずるにいたしましても、やはり絶えず
一つの哲学を持たなければならないわけです。私は私なりに哲学を持ち、そうして経済の問題なり政治の問題に取り組んでいるわけですが、たまたま「期待される人間像」を出されましたので、これについて私も、非常に重要な問題でありますし、こういう問題がこれから政治に取り入れられ、また、それがいろいろな経済政策の裏づけ、裏打ちとされるということになりますと、これは
長期的に見ましても、非常に重要な意義を持っておりますので、この際にもっと突っ込んでお聞きしてみたいと思うわけです。それでもっと問題点を明らかにしてみたい。私は自分が
国会におりながらそう申してはあれですが、今
国会でこの問題が非常に大きく取り上げられるのじゃないか。自分はまあ教育者でもないし、哲学者でもございませんから、経済専門にやっておるものですから、こういう問題をお聞きするのはいかがかと思っておったのです。しかし、やはり何かの機会にこの問題については、もっと根本的に掘り下げて議論しておく必要があるのではないか。特にわれわれ社会党は、
一つの哲学なり、思想なりを持っておるものですから、それがいろいろ御批判もあろうが、そういう
立場に立って、いろいろまあ
国会活動をやっております。この問題について、もっと掘り下げて質問してみたいと思ったのです。そこで、愛知さんには、先ほど人間疎外という
ことばを使われましたが、この
ことばは、ずいぶん長い間使われておるわけです。御承知のように、もうすでにマルクスの時代から人間疎外という
ことばが使われておる。最近これはドイツの学者で、まあアメリカ等でまた教授なんかやっている人ですが、パッヘンハイムという人が「近代人の疎外」という本を書いているのです。お読みになっておりますか、私も翻訳で見たのです。岩波新書です。ここで人間疎外の問題を歴史的にずっと取り上げておるわけです。そして、この著者によりますと、やはり人間疎外の一番基本になっているものは、いわゆる現代社会、現代社会というのは資本主義社会。だから、この資本主義の制度、資本主義の仕組みというものに、
一つの人間を疎外させる、人間を孤独化させる、孤立化させる
一つの大きな要素があるのじゃないか。
一つの大きな要素というより、それが基本でないかと思うのですが、この点について、
大臣はどうお考えになりますか。