運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1965-05-25 第48回国会 参議院 大蔵委員会 第30号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年五月二十五日(火曜日)    午後二時二十九分開会     —————————————    委員異動  五月二十四日     辞任         補欠選任      熊谷太三郎君     野本 品吉君  五月二十五日     辞任         補欠選任      佐野 芳雄君     野々山一三君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         西田 信一君     理 事                 佐野  廣君                 西川甚五郎君                 成瀬 幡治君                 中尾 辰義君                 田畑 金光君     委 員                 大竹平八郎君                 大谷 贇雄君                 栗原 祐幸君                 鳥畠徳次郎君                 中野 文門君                 野木 品吉君                 日高 広為君                 二木 謙吾君                 堀  末治君                 村松 久義君                 亀田 得治君                 木村禧八郎君                 柴谷  要君                 野溝  勝君                 鈴木 市藏君    国務大臣        大 蔵 大 臣  田中 角榮君        農 林 大 臣  赤城 宗徳君        国 務 大 臣  臼井 莊一君    政府委員        内閣総理大臣官        房臨時農地等被        買収者問題調査        室長       八塚 陽介君        大蔵政務次官   鍋島 直紹君    事務局側        常任委員会専門        員        坂入長太郎君    説明員        内閣総理大臣官        房参事官     長村 輝彦君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○農地買収者等に対する給付金支給に関する  法律案内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 西田信一

    委員長西田信一君) ただいまから大蔵委員会開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨二十四日熊谷太三郎君が辞任され、その補欠として野本品吉君が選任せられました。     —————————————
  3. 西田信一

    委員長西田信一君) 農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案を議題といたします。  亀田得治君。
  4. 亀田得治

    亀田得治君 前回の十八日に本件に関する質疑が打ち切られたというふうに自民党のほうでは言われておるわけですが、ただいまの委員長の宣言の中にはその点が何も触れておられないわけでありますが、私たちとしてはああいう質疑打ち切りのやり方ははなはだ不当であるというふうに考えておるわけですが、その間の事情は一体どういうことになっておるのか。これは先例にもなりますので、打ち切られた質疑が何もあいさつがなくここで始められるということでは、多少われわれこの委員会に参加している者として無責任のそしりを免れないわけであります。理事会で何か案文を検討されたようでありますが、その案文について意見がまとまらなかったのか知りませんが、何か勿々の間にいま委員長がお読みになったようなことを言われておるわけですが、それだけを聞いておりますと、何も十八日にはなかったという理解がされるわけでありますが、そういうふうに解釈してよろしゅうございますか、委員長に確かめておきたい。
  5. 西田信一

    委員長西田信一君) お答えいたします。  ただいまの点につきましては、その後におきまして、自由民主党と日本社会党との間におきまして国対委員長会談等も持たれまして、いろいろ今後の審議につきまして話し合いの結果、理事会あるいは委員会開会して審議を続けるという申し合わせもございましたし、また、この申し合わせを基礎にいたしまして、昨日並びに本日委員長理事打合会を開きましていろいろ討議が行なわれたわけでございますが、その結論といたしまして、ただいまのよう運びにいたしたわけでございます。御了承をお願いいたします。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  6. 亀田得治

    亀田得治君 もう一度、これは重要なことですから確かめますが、十八日のいわゆる質疑打ち切りというものは存在しなかったんだ、こう理解していいわけですね。
  7. 西田信一

    委員長西田信一君) その点につきましては、両党の意見が一致いたしませんために、いろいろ協議の結果、ただいま私が申し述べましたような形において審議を続けるということに相なったのでございますから、さように御了承をお願いします。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  8. 亀田得治

    亀田得治君 いや、自民党が言われますよう質疑打ち切りが有効に成立しておるとすれば、私がいま求め、また委員長から許されておる発言自体が問題になるわけでございまして、そういう立場からお聞きしておるわけですが、結局、いろいろ折衝のあったことはわれわれも聞いておるが、質疑打ち切りというものはなかったんだ、こうはっきり断定して差しつかえないと思うんですが、どうなんでしょう。
  9. 西田信一

    委員長西田信一君) お答え申し上げます。  繰り返して申しますが、理事会におきましても、国対委員長会談におきましても、ただいまお尋ねの点につきまして明快な一致点、つまり結論が出ておらない、こういうふうに承知いたしておりますが、しかしながら、この委員会審議は続けるということは一致いたしている点でございますので、いろいろ理事会等において協議の結果、ただいまのよう運びにいたしたわけでございますので、委員会におかれましても、その点御了承をちょうだいいたしたいと存じます。(「異議なし」「了承」と呼ぶ者あり)
  10. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 関連。これまでの前例としてこういうことがあったかどうか。そうしてかりにまあ前例としてあって、こういう形で質疑を続けたときには、前の質疑打ち切りはないものと、そういうふうな前例になっていると思うのですが、その前例について伺いたい。また、今後のこれは議事運営について重大な問題だと思うのですね、こういう点をあいまいにして入るということは。ですから、これまでの衆参両院におけるこういう前例、またその場合に問題になったとき、あと質疑を開始したときは、前の質疑打ち切りはなかったものと、こういう了解に立っていると思うのですけれども、その点はひとつ過去の前例等について御説明を願いたいと思います。
  11. 西田信一

    委員長西田信一君) お答え申し上げます。  ただいまお尋ねような形において白紙に戻したという前例はないそうでございます。
  12. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 前例がない。そうするとこれは異例なことですね、先例になると。こういうことを先例にしていいのですか。委員長、こういうことがしばしば行なわれるということになると、どうなるんですか。
  13. 西田信一

    委員長西田信一君) これは理事会において決定いたしましたので、委員長はそのように取り計らってまいりたい、さように考えております。
  14. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それはこういうことを先例にしていくということになると、これから強引に質疑を打ち切ってしまって、そこで混乱したあとでもってまた新しく質疑をやると、そうするとその質疑打ち切りは有効であるという先例にするんですか。そういう先例になるんですか。そういうことをここで、大蔵委員会で初めてそういう——これは悪例ですよ。そういうものを先例として残すことになると、これは重大な問題だと思う。
  15. 西田信一

    委員長西田信一君) ちょっとお答えします。  これはもし先例になるとすれば好ましくない先例だという御意見でございますが、遺憾ながらこの討議におきましても結論が出ていない。話し合いにおいて、理事会ではこういう運びをおきめになりましたので、委員長といたしましては、その意見に従いましておはかりをしておるわけでございます。また、先例にするかどうかという問題は委員長が扱うことではないのではないかと私考えるのでございますが……。
  16. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 これはただいま委員長も言われましたように、悪い先例であると。ですから、こういうようなことはもう今後やらないということを確認する必要があると思うのです。そうしてあとで疑問が残り、変則的なこういうよう状態になることは、つまりああいう強行採決みたいなことはもうやらない、こういうようなことをここで確認する必要があると思うのです。そうでなければ、いまの御説明では、何だか国民に対して納得が得られないと思うのですよ。ですから、こういう状態悪例である、今後はこういうことはもう先例として残さない、今回限りである、こういうようなことを確認する必要があるんじゃないでしょうか、委員会としては。
  17. 西田信一

    委員長西田信一君) このようなことが繰り返されないようにしたいということは私どもも同じ念願でございますが、そういうふうに努力すべきものだと考えます。(「異議なし」「了承」と呼ぶ者あり)
  18. 亀田得治

    亀田得治君 いや、異議なしとか了承とかと言ったって、土台がこれははっきりしないわけです。もっと端的にいいますと、質疑打ち切りがちゃんとあったんだ、そういう立場に立つで、残る委員に対しまして若干補充的に質問をさせる、そういう意味なのか、いや、そうじゃなしに、あれははなはだ行き過ぎた質疑打ち切りだったから、あの存在を認めないんだ、だから、十分ひとつここで質疑を展開してください、十八日のいわゆる質疑打ち切り以前の状態の引き続きとしてひとつ発言を許します、こういうことなのか、これは二つに一つしかないわけなんです。それがはっきりしませんと、われわれのやはり質問態度というものが非常に違ってくるわけであります。
  19. 西田信一

    委員長西田信一君) お答えいたします。  国対委員長会談あるいは委員長理事会等におきましても、いま亀田委員が申されました前段の意見並びに後段の意見がございました。しかしながら、この意見平行線といいますか、対立と申しますか、意見一致点を見出すことができなかった措置としての今回の措置でございますので、これは理事会においておきめをいただいた線に沿って委員会を運営してまいりたい、かように存じておりますので、ひとつ御了承を願いたい。
  20. 野溝勝

    野溝勝君 議事進行。結局、十八日以前のあれに戻るということは言わないでも、その気持ちでもって審議を、質疑をやっていく、こういうことなんでしょう。はっきり言えばいいんだよ。そうすれば、ぼくらのほうも順調にいくんだよ。そうしなきゃ、あいまいでわからないですよ。
  21. 西田信一

    委員長西田信一君) 委員長としては、ただいままで再三繰り返して申し上げましたとおりでございます。
  22. 亀田得治

    亀田得治君 その繰り返している意味がわからないのですよ。
  23. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 先例になるのじゃないかということを聞いているのです。先例になったらたいへんですよ。これはあと先例にしないということを議決してもらいたいと思う。参議院のやはり大蔵委員会として必要ですよ。これは立場をこえて、今後の民主的運営の場合、こういうようなことをやらせないということをお互いに申し合わせる。これが先例になって、あとで、過去においてこういうことがあったから、今後もそういうことで差しつかえないということになったら、どうします。こういう変則的なことは今後はもうやらないということで申し合わせをする必要があると思う。これはなぜちゅうちょする必要があるのですか。こういう悪例を残さないということをはっきりみんなで申し合わせをする必要があると思うのです。
  24. 西田信一

    委員長西田信一君) こういうことを繰り返したくないということ、先例にしたくないというお気持ち、私もその点は気持ちの上では同感でございます。
  25. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 先例にしないということを申し合わせて、どうして悪いのですか。
  26. 野溝勝

    野溝勝君 委員長気持ちと全く同じだよ。だから、そういうことをやったらどうですか。
  27. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 先例にしないということがどうしていけないのですか。たとえばここでかりに変則的に入る、それが質疑打ち切りの前かあとかということは一応別として、とにかくこういう形はよくないから先例にしないという申し合わせをここでするということが、これはどなたでも異論がないのじゃないですか。ぼくは、そういうことを委員長から言われて、そういうことは先例にしたくない、御異議ございませんか、異議なしといったら——こういうことは先例にしない、この点は私は委員長要求したい。これだけもめた、国民に対しても責任をはっきりしなくちゃいけないですよ。
  28. 亀田得治

    亀田得治君 実際上十八日以前に戻っているんだから、その事実を確認したらいいじゃないですか。
  29. 野溝勝

    野溝勝君 そんな申し合わせをしなくても、それでいいじゃないか。十八日以前に戻って審議を継続する、それでいいじゃないですか。
  30. 西田信一

    委員長西田信一君) ちょっと木村委員お尋ねしますが、ただいまの御意見は、こういう事態が起きたときの処理について、こういうはっきりしない形でやることは先例にしたくないという御意思でございますね。そういう意味でございますね。
  31. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 こういうことなんです。前の質疑打ち切りについては疑義があるわけです。対立しているわけですよ。われわれは、前の質疑打ち切りは、これは有効でないと言っているわけでしょう。そうしておいて、有効であるかないかをはっきりさせないで入る、こういうようなことは今後よろしくないということなんです。ですから、非常にあいまいな形で入る、だから、さっき野溝委員の言われたような形で、そういう気持ちでやられるというならば私はわかるのですけれども、こういうようなあいまいな形で質疑に入るということは今後はやらないということはあたりまえじゃないですか。このままですっといってしまえば、これが先例になって、今後もいつでも問題になるわけです、こういうことがあったじゃないかということで。
  32. 西田信一

    委員長西田信一君) 御趣旨の点はなお後刻理事会等において協議をいたしまして、その扱い等についてなお善処いたします。
  33. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 入る前に——理事会協議する必要があるのですか。こういう悪例を残さないということで、ここでみんなで申し合わせることがなぜ悪いのですか。
  34. 西田信一

    委員長西田信一君) 理事各位によって一応のこういう進行の方法がきまったわけでございますが、なお皆さまから御意見がございますから、なお後刻理事会において十分皆さまの御意見を承って協議をいたします、こういうふうに御了承願いたいと思います。
  35. 野溝勝

    野溝勝君 だから、継続質疑という意味でしょう。そうすればスムーズにいくでしょう。
  36. 佐野廣

    佐野廣君 言うと、むずかしいことが出ちゃう。そんなことを言っては困る。
  37. 亀田得治

    亀田得治君 事実、十八日以前の状態に戻った事実があらわれているわけですから、あまりそういうことにこだわっていることは、私はもうふに落ちないのです。さっぱりと、やはりあれは取り消したのだとか、そこまではっきり言うのはむずかしかったら、ともかく十八日の紛糾以前の続きとしてやるというふうにおっしゃってもらえばいいわけで、それが出ませんと、何か質疑を半分切られてぶら下がってやっているような感じで、おかしいのですよ。どっちなんです、それをもう一ペん聞いておきます。
  38. 西田信一

    委員長西田信一君) 繰り返して申しておるのでありますが、どちらとも結論が出ないままに、こういう結論が出たと、こういうことでございます。
  39. 亀田得治

    亀田得治君 前回、私は佐藤総理出席を求めて、それから本日も理事を通じてもさらに、早い時間からその点の要求を出していたわけでありますが、いまだに総理が顔を出されない。これははなはだ納得がいかない。この法律案の性格から見て、自民党では、もうほかの三十本余りの法律案を犠牲にしてでも、これ一本でもかちとればいいんだといったようなことも言われたやにも伝え聞いておるわけであります。それほど重大な法律案を出しておきながら、再三の、要求があるにもかかわらず、総理大臣出席してみずから責任ある、質問に応じようという態度をとるのがあたりまえなんですが、なぜそれができないのか。その間の事情は一体どういうふうになっているのか。そのうち検討する、すると言っておれば、野党のほうも適当にほかの方に質問をして時間がたっていくだろうと、そんな甘いことを考えてもらったら困りますよ、これは。総理には、私たちは本質的にこの法案についての疑義をただしたいことがあるのです。どうなっているのです、それは。
  40. 西田信一

    委員長西田信一君) お答え申し上げます。  きょう、正午過ぎの理事会において、総理出席要求は確かにございました。ございましたので、政府側に、党を通しましても連絡をいたしまして出席を求めておりますが、第二回AA会議関係関係大使と重要な協議を行なっておるということで、遺憾ながら出席する時間が取りがたいと、こういうことでございますので、御了承を賜わりまして、他の関係大臣に御質疑を願いたいと思います。
  41. 野溝勝

    野溝勝君 関連して。先般の亀田委員質問のときに、総理出席を願ったわけですよ。通告しておいたわけです。そのときに総理は、重要な本案の質疑にあたって特に出席を願っておる際に、労働組合との懇談会に出ておるじゃないですか。その懇談会が必要か、重要なる農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案、こういう重大問題が当面の問題になっておるというのに、出てこないなんというばかなことはない。さらにあらためてその出席要求しておるのに、何の用があるのだ。会期も押し迫っておるのです。会期も延長したのに、こんなばかなことじゃだめだ。ぼくの質問には、そんなことは絶対許さぬ。何です、考えたってそうじゃありませんか。
  42. 亀田得治

    亀田得治君 一体、総理の時間はいつあくのです。
  43. 西田信一

    委員長西田信一君) なお連絡をとってみます。
  44. 亀田得治

    亀田得治君 いや、そういうことははなはだ私たち不満ですよ。こちらは本気で総理出席を求めておるわけですから、二時四十分も過ぎて、開会に間に合わぬとしたら、それじゃ何時になったらどうか、そういったような努力が、あなた、されておるように思われぬじゃないですか。真剣であれば、この時間がだめならこうだとか——どうなんですね。そういう態度じゃ困りますよ。
  45. 西田信一

    委員長西田信一君) お答えいたします。  この連絡によりますと、きょうはそのような、先刻申しましたような重要な協議を行なっておるので、きょうの出席は困難だという連絡がございましたが、なお重ねてのあれでございますから、はたして後刻出席ができるかどうか、さらに連絡をとって、後刻お答えを申し上げます。
  46. 亀田得治

    亀田得治君 どういう会議をどこでやっているのです。さっき、ちょっと抽象的に御説明がありましたが、もっとはっきり示してください。
  47. 西田信一

    委員長西田信一君) その点までは詳しく承知いたしておりません。
  48. 亀田得治

    亀田得治君 だから、この委員会を重んじておるのであれば、そういうことの説明ができるように、きちんと準備がされておらなければいかぬじゃないですか。何でもいい、頭数そろえたところで、さあ間いてくれ。そんなあなた、押しつけなことがあるものですか。こまかいことは、私たち事務当局に聞きますよ。本質的なことが多々問題になるわけなんです。これは総理しかないでしょう、確信を持って答えられるのは。そんなに首かしげたってだめですよ。世間が納得しませんよ。だから、総理をぜひ出してください。これだけ要求してですね、最後は、委員長が五、六回ごちゃごちゃ言うていたら、結局亀田のやつ質問に入った、そんなばかげたことは私はできませんよ。そんなことをするくらいだったら、初めから総理出席要求しませんよ。ただ議事の引き伸ばしだとか、そんなことで要求しておるのじゃない。
  49. 西田信一

    委員長西田信一君) 御趣旨に沿うように、政府あてさらに連絡をとります。
  50. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 いや、連絡をおとりになるのも時間がかかると思うのです。総理はずっと徹夜して会議しているわけじゃないと思うのです。いわゆる日程がちゃんとあって、何時から何時までというスケジュールがあるはずです。ですから、それを明らかにして、そうして何時ごろなら出席できる、こういうふうに具体的にお計らいになっていただいて……。そうでなくて、ただ漫然と待っておるのもおかしい。ですから、その点をはっきりしていただきたいと思います。
  51. 西田信一

    委員長西田信一君) 取り運びいたします。
  52. 野溝勝

    野溝勝君 委員長、待っておるんですか、どうです。
  53. 西田信一

    委員長西田信一君) ひとつ御質疑を続けていただきたいと思います。
  54. 野溝勝

    野溝勝君 要求しておる総理が来ないんです。
  55. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 いつまでも待っていますよ。
  56. 西田信一

    委員長西田信一君) 速記をとめて。   〔午後二時五十八分速記中止〕   〔午後三時十七分速記開始
  57. 西田信一

    委員長西田信一君) 速記を起こして。
  58. 亀田得治

    亀田得治君 総理出席がむずかしいようでありますが、次回の定例委員会、二十七日にはぜひ総理出席を求めてひとつ質疑をしたいと考えておりますので、いまからひとつ総理との約束をはっきり取りつけておいてほしいと思います。私の発言は、本日のところはこれで一応中止しておきます。
  59. 西田信一

    委員長西田信一君) 心得ました。  野溝勝君。
  60. 野溝勝

    野溝勝君 からだの調子がちょっと悪いので、すわったままで質問をお許し願います。  最初に総務長官からお伺いいたしますが、きょうの新聞を見るというと、あなたは閣議におきまして、ごみくずようなものをみなぼくのとこに持ってきたんじゃかなわぬと言って力んだようでありますが、その内容を見るというと、ごみくずよう法案というのは、農地買収者給付金に対するこの法律案、それから今度競馬会法を改正いたしまして回数をふやす、そこで財源を出して体育界のほうに回すというのを、あなたのところでやれ、こういうわけだったらしいのでございますが、そのごみくずという表現でございますが、これは私のまあ想像でございますが、非常にやっかいなものを持ってこられたと、こういうふうにあなたは解釈されておるのか、その点を、審議上必要でございますから、ひとつ所見をお聞きしておきたいと思います。
  61. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) ただいまの御質問でございますが、これは別に正式にそういうことを言ったわけではございませんが、ただ、何といいますか、あと始末といいますか、新聞記者の集まった際に座談的に話したときに、まあよく総理府は、総合調整企画立案というようなことで、また他省でやらぬようなことを私のほうで扱いまするので、あと処理の形においてそこでまあそれを処理するという意味において、ことばで私が言ったのでなくて、よく総理府でなくて掃除夫だと、こういうことを言う者があるということで申したのでございまして、ごみくずようなものを、たとえば、それが法案で出てくるということは申したわけではございません。ただ、私のほうで処理をするということで、そこでどうも総理府というのはよくあと始末をするところだと、そこでそういう意味総理府でなくて掃除夫だなんてからかう人があるもんですから、まあそう言われてみればそんなところもあるかなといって笑ったのが、新聞等ゴシップ欄に載ったわけでございます。
  62. 野溝勝

    野溝勝君 ナンセンスのようなことでございますが、私、あなたは本音をはかれたと思うのです、本音をね。とにかく本法案委員会にかかっての審議の過程から見ても、あなたが非常に答弁に当惑しておる。どんな質問をされましても、報償である、報償以外は何も考えておりません、こういうふうなことを言われておるのでございますが、これはあなたの答弁から見て納得するよう答弁ではない。それからまた、納得できるよう答弁もできないと思います。で、私は、あなたの答弁が終始一貫しておりますから、私はあなたへの質問は、いずれ最高責任者である総理が来た際にお伺いしたいと思います。  そこで、農林大臣にひとつお伺いをするのでございますが、この法案が農林省に関係を持っておる法案である、出発はやっぱし農林行政の問題なんです。これは自分のほうの主管でないとあなたは言われますが、これはうらはらの問題なんですよ、農地解放から出発した問題なんですから。この法案が内閣の総理府の所管となったときに、あなたはそのときの考え方はどんな心境にあったのですか、お伺いしておきたいと思います。
  63. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 農地解放は当時合法的に行なわれ、解決済みの問題でございます。でございますので、この問題につきまして報償をするかしないか、こういう問題は農政とは別個の立場から措置をとる、こういうことに私は了解しております。農政といたしましては、農地改革の上台に沿うて、現在におきましてはその基礎の上に立って農業基本法等に規定された方向に農政を進めていく。でございますので、このたびの措置は私は農政プロパーのものではない、別個の立場から報償という措置をとるのだ、こういうことになりまするならば、総合的な立場に立つ総理府でこれを扱っていくのがこれは適当である、こういうふうに考えましたので、私としては別にどういう心境もございません。ただ、そういう立場から総理府で扱うのが筋だ、こう思っておるだけでございます。
  64. 野溝勝

    野溝勝君 あなたはそう言われますが、この法案農地解放に際して非常に努力を払われた旧地主階級に対して報償するのだというたてまえなんですよ。それと農政プロパーと関係ないと言われますけれども、農地解放自身は日本の民主化に大いに役立った、このことは認めるでしょう。それはどうなんです。
  65. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 農地解放を私は否定しているものではありません。いまのお話のように、日本の民主化に非常に貢献した、あるいはまた戦後の食糧飢饉のよう状態をこの農地の解放ということによって免れ得た、その他もろもろの農地解放による効果は私は認めます。それはずっと認めて、その線に沿うて農政をいま行なっている、こういうことでございます。でございまするから、それを認めないわけでございません。大いに認めております。
  66. 野溝勝

    野溝勝君 その農地解放が非常に民主化に役立った、またあの当時における食糧危機を乗り切った農地解放の成果も認める、しかし、ここではこの小作に対してとか、あるいは耕作者に対してというものじゃないんですよ。旧地主に対しての報償なんですよ。だから、あなたに聞かんとするのはね、旧地主が農地解放に努力をされたのか、あるいは他の農民が努力をされたのか、この点はあなたは大体わかっていられると思うのです。私は、農地解放には旧地主が努力しないとは言いませんよ。言いませんが、農地解放の歴史というものを十分あなたは御理解願っておると思うのです。あなたは当時地主でありながら——私どもが農民運動をやっておる当初から、茨城県における赤城氏が地主でありながら率先して農地解放に先べんをつけた、この点、われわれは非常に模範的な地主であったというふうに解釈しておりました。だから、農民が農地解放に努力したあの当初の経緯から見て、地主だけを報償するというこの筋がどうしてもわからぬから、そこであなたに私はお伺いしたいのです。あなたが農政とは別だ、プロパーとは別だということは、いかにしてもあなたは少し責任を回避しておるように思う。この間の事情を、むしろこの給付金を出すときに堂々と私はその間の事情を力説してもらいたかったのです。あなた自身がこの報償金は私は受け取る意思がない、まことに私はけっこうなことだと思う。そのくらいの気持ちがあったなら、この報償制度、給付金制度に対してもっとあなたは心底から、その間の事情を閣議において披瀝して、あなたの真意をその際主張してもらいたかったのです。私はあなたを責めるのではなく、あなた個人としてりっぱな人であるだけに、またりっぱな地主であっただけに、強くあなたの気持ちを私は閣議において主張してもらいたかった。その点をひとつお聞きしたい。
  67. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) どうも御指摘の御趣旨をよく私も了解しかねるのでございますが、報償に対しまして多くの農民あるいは国民が協力したので、地主ばかりじゃないということを強調すべきであったのではないかという、こういう御趣旨ようにもお聞きするのでございますけれども、私は農地改革につきまして否定的な批判をするわけでございません。先ほどから申し上げましたように、非常に農地改革というものは日本の再建に寄与している、こういうことを申し上げておるのでございまして、また、農政といたしましても、それを基礎としていまの農政が行なわれておる、こういうことでございまするから、これは逆戻りするようなことにつきましては私は賛成いたしませんが、それとは別個の立場で、地主の立場を考えてのこのたびの報償制度、報償措置をとろうということでございまするから、そのこと自身はけっこうなことである、こういうふうに思うわけであります。  というのは、農地解放のときに考えられました一つの地主に対しての気の毒な面がございます。これは主として小さい地主です。たとえば学校の先生が一町歩の土地を所有しておる。外へ出て働いておる。二反ぶりしか自分では耕作していない。八反ぶりは小作に入れておる。あるいは召集を受けた人がそういうよう状態である。ところへ農地改革が行なわれた。農地改革の趣旨というものは、耕す者がその土地を所有するのが一番いい、こういう思想に基づいたのでございますけれども、同時に、あのときには小作料というものの上にあぐらをかいておるようなことなしに、自分から耕作して自作農として全農民が精進するような方向に進めようじゃないか、こういうことだったのです。ですから、小さい地主といえども、いまからは地主という立場を捨てて、そしてほんとうに自作農として精進していこう、自作農として生きていこう、こういう気持ちを小さい地主でも持ったわけであります。ところが、土地取り上げということは禁止されておりました。一町歩のうち八反ぶりを小作に入れており、二反ぶりしか耕作していない。しかし、二反ぶりでは生きていけない。二反ぶりのその地主が生きていけない。しかしながら、あるいは五反ぶりくらいはほしい、こういうように考えましても、その取り上げはできなかったわけであります。耕作している者は耕作権をそのまま所有権に移すことができたけれども、小さい地主で、土地は所有しておるけれども、自分もこれからは自作農として生存していこう、生きていこう、そういう生きていく道を閉ざされておった。これは法的に土地取り上げができなかったからしかたありません。そういうような気の毒な立場にあった小さい地主というものも相当あったわけでございます。そういう小さい地主等が、極端にいえば、いままでの地主の立場を捨てて、自作農として精進しようという気持ちを持ちましても、それができなかった。所有しておってもそれができなかった。こういう立場の人もありました。これは耕作権が優位でありましたから土地の取り上げというものができませんので、そういう羽目にあった小さい地主というものもあったわけであります。そういう点から考えますれば、非常に気の毒な立場にあった。  だから、農地解放そのものは合法的、合理的に行なわれたけれども、気の毒な立場にあった小さい地主というものがあったわけでございます。でございまするから、今度の報償等におきましても、あるいは最高百万円に押え、あるいは一反ぶり以下を均等に報償する、小さい一町歩以下のもとの地主が八五%以上、こういうようなことでありますので、そういう点につきましての気の毒な立場に対して報償よう、こういうことでございまするから、私は農政とは別個の立場で考えられると思います、こう考えます。
  68. 野溝勝

    野溝勝君 赤城さんは当時相当の地主で、農地解放のいきさつを御理解いただいたと思っておりますが、なかなかどうも理解をされていないようにうかがえます。  私は、あの当時の経緯というものを静かにあなたは考えて、またはあの当時の経緯を分析すればおわかりだと思う。大体農地解放は旧地主の方がみずから解放に努力したわけじゃないのですよ。あれはやはり御承知のごとくマッカーサーからのメモランダムによりましてああいう状態になったのです。そのマッカーサーがメモランダムを出すまでにだれが一体努力したかというならば、日本の農民運動をやっておった農民組合なんですよ。微力ながら、私もその責任者の一人でございました。財閥を解体し、軍閥を解体し、労働三法をつくりましても、それだけでは日本の民主化はできないということを私どもは強く叫んだのです。日本におきましては数世紀にわたる農村の封建性というものから脱皮しなければだめだということを強く主張したのです。ところが、その当時におけるわれわれの主張であります高い小作料の、五公五民、大公四民という旧地主制度打破の主張は相手にはなかなかわかりませんでした。もちろん、われわれは戦争前からもこの高額小作料の解決のための努力をしてまいりました。戦後といえどもいち早く農民組合をつくりまして、以上のような財閥、軍閥、あるいは労働三法をつくりましても、それだけではだめだ、農村の封建制であるこの農地を解放してもらいたい。それで、その当時は民主局長がホイットニー、経済科学局長がマーケット、民生次長がケージス、それにあなたも御承知のとおり、おもに農地解放をあずかったのは天然資源局長のスケンクです。それから農業課のウィリアムソン、リッチー、こういう諸君が中心で私どもの意見を聞かれたのであります。しかし、その当時の幣原内閣はそのことに対して反対をしておった。たまたまその当時の農林大臣は自民党の松村君であったけれども、松村君は私どもの主張にやや傾いてまいりました。そこで、われわれは占領関係のその諸君にいろいろ話をしたのだがわからぬから、いろいろ資料を持ってまいりました。そこで、最後に持っていったのが愛知県の尾張における大名のもとにおける小作制度の残酷な物語を具体的に示しまして、このスケンクなどが、そんなことが日本にあるかということで全国を調べて、その結果私どもの言うことは虚偽でもなければでたらめでもないということから、日本の民主化をするためにはこれをやらなければいかぬということになり、これが動機となったのです。  でありますから、いまあなたがお話しになりましたように、第一次の農地改革は五町歩以上。五町歩以上の農地が解放されたところで、全国の耕作農民は浮かばれない、こんなものは少数の解放である、これは擬装だということで、追撃戦を私どもは努力いたしました。その当時われわれはマッカーサー司令部に押しかけまして、ハエのごとく追い散らされ、また追いまくられ、それでも屈せずしてこの運動に邁進をしたのでありますが、それでできたのが第二次農地改革、百八十万町歩が解放になったのであります。  そこで、第一次農地解放をするときには、御承知のごとく、当時の農地調整法、第二次農地解放をするときには自作農創設臨時措置法、これによってできたわけでございます。で、この法律の目的というものは、赤城農林大臣もお話しになりましたとおり、「この法律は、耕作者の地位を安定し、その労働の成果を公正に享受させるため自作農を急速且つ広汎に創設し、以て農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進を図ることを目的とする。」、大体、農地調整法とまあ内容的には少し違いはございますけれども、耕作者本位でございます。そこで、農地解放によりまして生産性が発展いたしまして、あの危機を乗り越えたのが農地解放の成果だと思います。解放された農民は土地の生産の拡大、技術の研究、栽培に対する非常な努力、病虫対策、かような真剣な努力を払いまして、御承知のごとくぐんぐんと生産性が伸びて、あの危機を突破、乗り越えることができたのでございます。あなたのお話によりまするというと、あの当時気の毒な地主もあったという。確かにありました。いまお話しになったような学校の先生のお話もありました。私ども承知しています。しかし、それならばどこで線を引くかということなんです。私どもそれだけじゃありません。宅地、山林原野、一切を解放せよと主張したのでございます。ところが、スケンク氏は、この農地解放をやるのでさえも官僚の抵抗がある、宅地あるいは山林等を解放するといえば、とてもそんなことはできない、官僚の抵抗が強くてだめだ、そこで諸君らが民主的に今度は戦い取って民主政権をつくった上で君らの政策をだんだんやったらいいじゃないか、だから、これだけにとどめる、これ以上はできない、日本の官僚の抵抗が強くてできない、こういうことでわれわれはそれで一応手をおさめたのであります。しかし、そのときにいま大臣が申しました小さい地主、特に不在地主などありました。そういう諸君は非常に気の毒な状態もあります。けれども、それでは不在地主の場合にどこで線を引くか、君たちの言うことを聞いておったらできやしないじゃないか、ここで私どもは農民組合に対しまして、小さい地主——小さい地主といえども善良な地主もあれば、大地主より悪らつな高額な小作料を取っているものもあったのです。だから、それをどういうふうに処理するかという問題についてはわれわれもいろいろ討議いたしました結果、農民組合の自主性、農民組合の判断によりまして、そういう小さい地主の諸君に対してはやはり生活のでき得るように、耕作でき得るように考えてやるように私は主張いたしました。しかし、それは確実にはいきませんでした。いまのように農林大臣が非常に気の毒だと言いますけれども、高い小作料を取って、小さい地主がですよ、圧迫していたのもあるのですから、そういうのはどうしても農民組合との間に融和ができませんでした。  しかし、そういう考えで進めてきたのでございまして、ただいまあなたのお話によりまするというと、その例をあげましていろいろ説明されますが、それは農業以外の仕事に従事されておるのでございます。もし従事するという場合におきましては、私は農民組合との間に話ができなければ、未墾地、そういう土地を整地いたしまして耕作のでき得るようにやったらいいじゃないか、その相談あるいはあっせんに労を尽くせと、こういうことを私は指示いたしました。しかし、そのときにそういった小さい地主に対しましては、未墾地がありますからその未墾地を整地してやるようにする、その努力を払うからという折衝もしたのでございますが、その当時そういう地主の方々は、そんなことするのはいやだということでがえんじなかった方もあります。でありますから、その間の事情を十分了承されてくださるならば、私は今回の被買収者給付金の問題についても、最高裁の判決で正当な価格とかなんとかということでなくて、その経過から見ればわかると思います。  なるほど旧地主の諸君にもいろいろと問題もあるでしょう。あるでしょうが、そういう人々には農地をやる、経営するつもりか耕作するつもりかということを真剣に聞いて、国がこんな報償金というような無理なことをやるのではなくて、むしろ整地までして農業経営に真剣になってやる気が、もしやる気があったならば、これに対してひとつこの際農業の生産性を上げるために、貿易の自由化等のために農業基本法というものを適用いたしまして、もっと近代的なそういう一つの施策を持った経営に従事してもらえるかどうかというようなことを、親切に農林大臣のほうから案を提示すべきものだと思う。こういう点について大臣はどういうふうに考えておるのか、この点を私はお聞きしたいわけであります。農業基本法という問題を先ほど出されましたけれども、それならばいっそうのこと、この諸君が土地から離れ困っているのだから、そういうことを考えたことがありますか、また近代化なり、あるいは将来の貿易自由化の対策として、農業政策をどういうふうにしていくかという点について協業化の問題もあります、いろいろあります。そういう点について大臣は少しでも考えたことがおありでございますか、参考にこの点お伺いしておきたいと思います。
  69. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 先ほどから申し上げておりますように、いまの農業政策は農地改革の基盤の上に立っておる、それを推し進めておるということを繰り返し申し上げるわけでございますが、そこで、農地改革にお骨折りされた事情等も私もよく承知しております。ただ、その農地改革の後における点におきまして二つの点で私どもは努力が足らなかったと、こう思うのです。  一つは、せっかく耕作する者に自作農として土地が所有されることになったことにございますが、この生産の基盤の整備、ことばをかえていいますならば、土地の改良等におきましてその力の入れ方が足らなかった。最近におきまして相当力を入れておりますが、当時改革の力の入れ方が足らなかった。だから、土地の制度から見れば、耕作権が所有権に移った、これだけであって、その土地の質の向上といいますか、その質の向上に努力が足らなかった、こう考えます。でございますので、私はこの土地基盤を徹底的に整備するということで歴代つとめてきましたが、一そう土地改良等によりまして基盤の整備を進めていかなければ、せっかくの農地解放がほんとうに生きて行かない、こう考えます。  もう一つは、先ほど申し上げましたように耕作権が所有権に移った、これだけでございまして、日本の農業の非常な欠陥でありますが、他産業との競争力が弱い。あるいは、いまお話しの自由化にでもなりますならば、日本の農業というものは自由化を全面的に何の措置もなしに進むということになれば、国際競争力の弱い日本の農業でございまするから、非常な痛手をこうむります。それの一つの大きな原因は、やっぱり日本の農業経営規模の零細、こういうことにあろうと思います。でありますので、農地改革の後において行なうべきことは、土地の再配分といいますか、経営規模を大きくできるような形で進めていくということが必要だったと、こういうふうに思いますので、いまからでもおそくないので、そういう方面を進めることにいたしておるわけであります。  その他、御承知のように、私から申し上げるまでもなく、他産業との生産性あるいは所得の格差を是正していく、こういう面におきまして基本法に基づいた農業の政策を行なっておるわけでございますが、いまの自由化の問題等につきましても、開放経済下におきまして他産業に対する競争力あるいは国際競争力を増していかないということでありまするならば、日本の農業は非常に危殆に瀕するのでございまして、そういう方面はこの問題とは別個に推し進めておるような次第でございます。
  70. 野溝勝

    野溝勝君 私が大臣に聞いておる趣旨——旧地主が農地解放に非常に努力された、それでその報償を出すという法律案ですね、だけれども、その旧地主よりは農地解放に努力したのは貧農や耕作農民であるということを私は強く主張してきたのです。だから、報償するならば、むしろ民主化のために、食糧増産のために努力されたこういう諸君に考えを及ぼすべきものであって、私は、主客転倒しておると、こういう意見なんです。そこで、あなたに、農地解放当時の努力された分野、その経緯、そういうものを私は主張したのでございますが、あなたは農業政策の話をされたようでありますけれども、私はそういう点を聞いておるのです。それに対して、農政とは別個の問題だというあなたの説明に対して、私はどうしても納得がいきませんので、そういう点を私はお伺いしておるのです。だから、私の言ったことがあなたにおわかりになれば、はっきり言ってもらいたいと思うのです。全く当初の農民は気の毒であった、そうして農地解放に非常に努力され民主化に努力された、そういうことをあなたの口から聞けば、私は話を先に進めたいと思うのです。
  71. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) お話のように、農地解放前の地主対小作の関係は、非常に耕作者の立場は気の毒な立場でありました。これを是正するという意味合いにおきまして農地改革が非常に貢献をなしたということは、これは繰り返し申し上げておるような次第でございます。こういうふうに土地所有者になって、そうして食糧の危機も突破してくれたその努力、こういう点を考えますので、農業そのもの、あるいは農民そのものの地位の向上といいますか、そういうものに努力を続けてそれに報いたいと、こういうふうに考えております。
  72. 野溝勝

    野溝勝君 そこで、旧地主の諸君が非常に不満という点は、農地解放のときにただ安く取られてしまった、それから取られた土地がべらぼうな高い値で売買されておる、これじゃわれわれは行くところに行けないというよう意見が出ております。私はこの点については幾分わかるところもあるのでございます。しかし、それは昭和二十七年のときですか、あなた方が農地法を改正したんですよ。河野君の農林大臣のときです。私はあのときに意見を言ったんです。農地を他の目的に使用することができるようなことをすると、土地の値上がりやなんか問題が起こってくるからと。——しかし、耕作以外の目的にその土地を使用することができるように改めたのでございますが、そのときから問題を起こしたんですよ。だから、地主連中が不満を言うなら、私は、自民党が昭和二十七年当時にさかのぼって反省しなければいかぬと思っておる。その当初私は心配しておった。速記録を見てください。ちゃんと土地のつり上げになってきておる。工場地帯あるいは都会地周辺。だれが一体これをさしたんですか。私は、そういう反省がなくてこんな法案を出すということが心外でならぬ。実際、心ある旧地主諸君——きょうも傍聴に来られたか知りませんが、心ある旧地主の諸君、社会党や農民組合が反対するというが、私は反対じゃないのです。やっぱり筋を通さなければいかぬと思っておる。  さらに、これは総務長官も聞いておいてもらいたい。君らの評価というものが発表された。しかし、これはちゃんと評価して給付金を出す、その対象とする対価額等を大体きめたらしいのでございますが、大体これはすでにこの対価をきめるときに経過というものをよくごらんになったと思うのでございますが、これはかってにきめたんじゃないですよ。あの当時ちゃんと農地委員というものが出まして、地主からも三名、自作から二名、小作から五人、市町村農地委員会はこういう委員の選任をやったわけなんです。だから、何も農民運動が強くて当てがいぶちで価格をきめたというのじゃない。さらに、きょうはこまかい話になりますから申し述べませんが、大体長い間の小作料から換算すれば、決して安い値段じゃなかったのです。あの当時、これは最高裁の判決例を待つまでもなく、われわれでもその数字はちゃんと出してあります。むしろ物価をつり上げたり農地法を改正いたしまして、ブローカー的な者にもうけさせるようなことをしたのはあなた方じゃないですか。これは時間があり、余裕があるならば、むしろその当時の松村君のひとつ意見を聞きたいと思っておるくらいです。これは政府委員じゃありませんから公の席上に出るわけにいきませんでしょうが、むしろ参考人として出ることができればそういう意見も聞いて、お互いにこの法案審議する一つの資料にしたらいいと思っております。  そういう事情もあるのでございまして、この点に対して政府はどういうふうに考えておるのか。昭和二十七年当時の、農地を他の目的に使用することができるというように改正したあの当時の経緯、あの当時の事情、そういうところを勘案して、この報償給付金の問題についてあなたたちは一応それを検討したことがありますか。総務長官にひとつこの点を参考にお伺いしておきたいと思います。
  73. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) 昭和二十七年当時まで禁止されておりました解放農地の転用を許したということにつきまして、さらにそういう際には何らかの制約をするような条件かなにかを取りつけるべきではなかったか、こういうような問題につきましては、確かに御説のように論議の余地は十分あると存じます。その際に、農地以外に使う場合においては、その余剰部分というか、値上がり部分のある程度をどうするとか、国のほうに納付するとか、あるいはさらに転売する場合には国にまた売り戻すとか、そういういろいろの点は、これはまああったかと思うのであります。しかし、実際の問題としては無条件でされたということは、一つは、憲法上の私有財産ということで一度許されたからということがあって、公益の目的であればそれは制限ができるのでございましょうが、そういういろいろの問題もあって、それもそのまま許された。ただ、しかし、そういう制限をつけますと、さらにまた逆に土地の値上がりということも考えられまするし、解放を受けた地主に非常な、逆にいえばそれだけの強い制限をすることになります。そういういろいろな理由は当然あって、これはそういう制限をつけなかったものとは存じますけれども、確かにそういう点はあるかと存じます。  ただ、しかし、まあそれだからといって、旧地主の、いわゆる農地買収者のこの解放農地に対する貢献度合いが少なくなるという問題でもなし、また、心理的影響というものはむしろそれによって非常な影響を受けた。したがいまして、今度の法案につきましては、非常な心理的影響を受けたことを、また貢献というものを多としてやったわけでございまして、ただいまのような議論のあることはまた別途の問題かと、かように考える次第でございます。
  74. 野溝勝

    野溝勝君 この間から同僚委員質問をしておりまして、臼井長官の答弁もありましたが、臼井長官は、まあ所管が総理府に来たという関係で、序論において申し上げましたとおり、全くごみくずと申しては何でございますけれども、やっかいなものを持ち込まれたというようなことで、その答弁もしかたなしなし答弁をしているのでございますから、そこでやはり亀田君も木村委員ももの足りないというわけで、総理を招致してその点の事情をよく質疑したい、こういうわけなんでございます。  まあ私は、心理的影響といっても、何も解放したところの旧地主の心理的影響のみが戦後の心理的影響があったのではない。全国民がみんな大きな心理的影響、ショックを受けているのです。だから、ここであなたに私はこまかいことをあまり質問はいたしませんが、いまお話もありましたとおり、二十七年当初、私どもが十分警告もし注意もしてあることが、御承知のごとくの土地つり上げみたいになってきたのでございます。それはやはり自民党自身が反省しなければならぬことである。こういう無理な、何といいましょうか、手形を出してあるようなことは、国民の心理的影響にかえってまずいと思う。なぜ一体解放した旧地主ばかりがこうした恩恵に沿するのか、むしろ一般の国民は不審がっているのです。その心理的影響のほうが大きいと思う。まあみてごらんなさい、次から次へとこういう問題が出てきますから。  そこで、私は大蔵大臣にお伺いするのでございますが、あなたには私は財政問題でいろいろと質問をしている際に、国の財政が非常に困難である、容易なことではないということを言っているかと思うと、千四、五百億ぽんと出してやる。ずいぶん隠し資産があると見えて。もしそういうような隠し資産があるとするならば、私はひとつお聞きしたい。しかし、政府の予算並びに財政事情は、私どもは資料によって知る範囲では、そんなゆとりはないのでございますが、それほどせっぱ詰まった問題ですか。大蔵大臣はどんな心境でこれに賛成しているのか、どうしてこうしたばく大な金を出すか、日本の今日の財政にはひとつも支障をきたさないのか。あるいは貿易をふやさなければならないといっておりながら、中国へのプラントの輸銀延べ払い輸出はいけないという。共産圏や低開発国貿易増進の外為資金にしてはどうか。何だかさっぱり、私どもにはわからぬのでございますが、この際、大蔵大臣にその心境をひとつお聞きしておきたいと思います。
  75. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 御指摘のとおり、財政はそう豊かなものではないということは、間々申し上げているとおりでございます。また、いままでは非常に高い成長率でございましたから、名目的な国民所得も上がって、税額も政府が企図いたしましたものよりも自然増収が多いというような事態もございましたことは事実でございますが、安定成長期に入りましたので、いままでのような税の増収を期待することはできなくなりつつあるということも事実でございます。そこで、財政当局者として金は出さない、国民の税を預かっているのでございますから、もちろんこれが歳出につきましては、真剣な配慮をやらなければならないことは、これはもう当然でございます。でありますので、歳出要求に対しましては、いずれを優先せしむべきかということに対しては、重大な関心を持つとともに、しさいな検討をして、慎重な検討の結果、最終的にきめているわけでございます。  農地報償というものが他の歳出に比べて全く価値なきものだ、こういう御判断であれば別でございますが、まあ総務長官が申し述べましたように、また農林大臣が述べておりますように、私も申し述べておりますように、これは長い懸案の問題でございましたし、あなたが先ほど御指摘になったように、戦後というよりも、世界的に見ても非常に大きな画期的な事業だということは、これはいなむことのできない事実でございます。また、同時に、この農地解放が円滑に行なわれたという結果、今日の日本の繁栄の基礎はこれによって築かれた、農村の民主化のみならず日本の民主化も、この農地解放の円満な遂行によって築かれたという評価も、あながち間違った評価ではないと思います。また、そのような大きなものをやるにつけて、法律を制定する当時、特にメモランダム・ケースのものでございますが、もっと慎重に配慮すべきであったということもございます。あなたが先ほど指摘されたように、これは二十七年か、二十九年か、私もさだかにいたしませんが、農地法で、他に転用しても先買いをしない、これは憲法論からそうなったわけでありますが、その前に自作農をつくるという場合、これを自作農以外の用に供する場合には、大体、解放地主に先買い権を、先取特権を与えるとか、そういう法律上の条文が整備をされておれば、私は今日農地報償の問題は起きないと思います。ところが、あれだけの重大な問題をやるにしては、やはりどこかに水が漏れるものがあったわけでございます。もちろん、またそれが二十七年に改正になって、他にこれを転売できるということになったわけであります。  でありますから、非常に大きな事業が行なわれ、その結果としては、戦前のように小作と地主というような対立は農村においてはないのであります、対立すべき何ものもないにもかかわらず、今日依然として対立がある。それはなぜか。ものいわぬ感情的対立があることはこれは事実であります。これは私が毎々申し上げておりますように、小作に売られた価格、それはもちろん解放地主から直接やられたものではありません。ありませんが、非常に安い値段で、それは対価としては合法的なものであり、当然な評価であったとはいえますけれども、戦後の混乱時においてこれが直ちに現金で支払われなかったというような、いろいろな問題もございまして、農地を解放した人の気持ちと、解放を受けた人が他に転売をして利益を得ているというその間に、何らか割り切れない気持ちが存在する、人間社会にこういうことがあることは、これはまたいなむことができない事実であります。  そういうことで、十数年間にわたってこの問題が議論せられてまいったわけであります。でありますから、しいて申し上げるとすれば——しいて申し上げるというのは、農地報償というものの真の意味はそこにあると私は考えるのです。これだけの大事業を行ないながら、なお依然として対立すべき根拠のない対立が続いておる、何らかの措置によってこれに終止符を打ちたい、これは政府としても、文教や、公共投資や、社会保障に劣らない政治の上の施策の一つを必要とする、こういう考え方に立って、またそういう考え方に立たなければかかる法律を立法しようはずはないのであります。最高裁は明らかに、合憲であり、適正な対価をもって支払われたものであると、何らの違法性も指摘しておらぬのでありますから、政府もまた、この最高裁の判例、判決というものをそのまま受け入れておるのでありますから、ですから、補償、再補償というような問題ではなく、いみじくもあなたが述べられた第二次農地解放、第三次山林解放も行なわれようといたしました、そういう過程から、戦後二十年の今日、見てまいりますと、何らか政治の上に配慮を必要とする、こういう考え方で、政府としても慎重に検討の結果、他の歳出との優劣を十分比較評価をした後、本法の御審議をいただくということになったわけでございます。  ですから、財政当局者としては、国民の金でありますから、なるべく出したくない、出さないようにすべきであるということは、これは基本姿勢でございますが、内閣として何も出さないで内閣の責めが終わるものではありません。そういう意味で、内閣は連帯して国会に責任を負っているのでありますから、内閣が全部できめて、この法律案を御審議をいただいておるということでありますので、財政当局者としては、責任者として国民の金を使うことにはどんな場合でもより慎重にという気持ちは確かにございますが、慎重に配慮の結果、御審議をいただいておるのでございますので、その間の事情は特に野溝さん十分に御承知の案件でございますので、政府の意のあるところも御了解を賜わりたいと思います。
  76. 野溝勝

    野溝勝君 田中大蔵大臣は、財政上についてはきめこまかく配慮しておる、むだに扱わぬというようなことを言われておるのでございますが、政府はかわりましても、日本の財政が非常に困っておるというようなことで、むしろ私は大蔵大臣に同情しておる。私は、あなたが予算方針を説明するにあたりまして、あるいは大蔵委員会において日本の財政状態説明するにあたって、非常に窮迫しておる事情をよく訴えられる。しかるに、別に、いま絶対必要だという国民全体の要望である法律案じゃないのです、これは。これで千四、五百億も——百五十億年々出して、さらに、山一証券の、まるでかってに土地を買ったり、そこらじゅうに思惑をやったのが失敗した、そのしりぬぐいにばく大な金を出そうとしてみたり、そんなものよりは、私は非常に心配しておるのは、大体いま日本の財政がインベントリー・ファイナンスを取りくずさんとするよう状態でしょう。もしそんなことになったら、国際的信用が落ちまして、国際収支にも響いていることになると思いますよ。さらに大きく、IMFの通貨基金のほうでもなかなか問題になってくるでしょう。そうなってくれば、さらに、本年度の所得税の八百億減税に倍もするような金を出しているわけです。健康保険だって、あなた、負担金が非常にふえている。この分の百五十億を一年だけで解決するじゃないですか。給付金の年間百五十億、もしこれを健康保険に充てれば、被保険者は非常に助かるわけです。これは社会保障の一部でございます。その他保育の施設の問題であるとか、あるいは給食の問題でありますとか、当面やらなければならぬ問題が山積しておるのです。むしろ、こんなことをやるならば、先ほど来赤城さんにも言いましたとおり、数百年も圧制をこうむったその治下で人間にあるまじき生活をやってきたような旧小作貧農の階級が、その先羅に対し、その霊を弔う意味において、むしろこういう人々、それからその遺族、そういう人々を慰労してやる、あなたの言われたとおり、日本の民主化に非常に役立った功労者です、こういう人の記念碑でもつくって、各町村で除幕式でもやったらどうかね。そういうことを、赤城さんもだ、新潟県から出ておるところの大蔵大臣もだ、真剣に考えないというのは私はおかしいと思うのだよ。これはひとつ、私の言うことも真剣に聞いてもらいたいと思う。私は、絶対にこれは反対ということを言っておりますけれども、ゆとりができてくれば、まあそのゆとりもできてきますよ、私どもも。  しかし、私はその前に、先ほど大蔵大臣見える前に、農地を解放したというたてまえで、その犠牲者というならば、私は整地をしてやれというのです。そうしていまの日本農業では、自給できずに食糧を中心に農林物資を大量に輸入している。食糧農産物だけでも十八億ドル、二十億ドルにもなろうとしておるじゃないですか。ごく近々に農林物資輸入は総輸入の半ばをこえますよ。だから、むしろ旧地主の方々にその意思があるならば、整地をしてつくらせる、そういう方面に大蔵大臣は配慮をしなかったかどうかということを私は聞いておきたいと思うのであります。  それから、先ほど私の言ったのは、そういう方面に考えを及ぼしたことがあったのかどうか。それと比較対照して見て、こっちのほうにどうも国民の金を出したほうがいいとお考えになったんですか。
  77. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 歳出をきめますときには、非常に慎重な配慮の上で検討し、その効果を、投資効率というものを十分見まして、そして取捨選択を行なっておるということはこれは事実でございますから、そのとおり申し上げます。  ただ、農地解放を行なった被貸収着に対しては、こういう給付金を給付するということはいけないことだという前提に立っておれば、これは問題は全然別でございます。これは自衛隊をやめてその費用で食管の赤字を埋めて米を安くしろ、こういう議論と同じでございますから、これは考え方の相違、遺憾ながらそう言わざるを得ません。しかし、われわれがこの結論を出すまでには、一年や二年で出たわけではございません。御承知の、もう十二、三年来本件に対しては十分な検討が行なわれ、いろいろな角度から評価が行なわれた結果、こういうことを必要とするということになったわけでございます。  純農政費が三千七百億しかない、また年間減税を行なったものはわずか九百億近くしかない、また米や食糧に類するものが年間十六億も十七億も輸入をしなければならないから、そういうものに優先をすべきである。比較検討して、文教を優先すべきであるという人もありましょう。また、託児所や保育所にやるべきだという人もありましょう。これはいろいろな評価はございますが、そういうことは十分比較をして、しかる後に限られた財源の中でも農地報償を必要とする、政府はこういう認定に立って御審議をいただいておるわけでございます。  あなたも、先ほど、まあ時が来れば、財政許すよう状態になれば、必ずしもこれは絶対反対というのではない。それは農地の解放ということに半生をかけられてきた野溝さんとしては、私は理解のある態度だと思います。私も新潟県人でありますから、新潟はとにかく米どころであります。しかし、一毛作であるために、ほんとうに不作になれば三年も五年も困るというところにおりますから、農政や土地問題に対しては深刻な考え方を持っておるわけです。持っていますが、私は地主のむすこではない、俗にいわれる小作のせがれでございますが、新潟県の中でも長いこと、主審田の争議や木崎村争議など、もう血で血を洗う歴史を私は承知いたしております。お互いの間でこんな闘争の歴史というものは好ましい姿ではないと、子供心に強く肌に感じておったわけでございますが、それが敗戦後、敗戦の悲しい中ではありますが、結果的には思いもかけない農地解放ができ上がった。私はそういう意味において、解放を受けた側ではありませんけれども、少なくとも大きな歴史であり、われわれの時代にこの大事業をなし遂げられたということは非常に慶賀にたえないという評価はいたしております。  同時に、それだけ大きなことをなし遂げられて、そして今日の民主化の基礎になった大きな事業の陰に、対立感情を持たなければならない原因は皆無であるにもかかわらず、依然として農村に対立がある、こういう問題を排除するために政府が何らかの施策を行なう、これはやっぱり責任ある立場に立って——、対立があるところにはいつでも金を出す、国民の税金をもってまかなうという考え方に立っているわけではもちろんありませんが、ほんとうに民主社会をつくっていく、高い福祉国家をつくっていく過程において、そういう面もひずみの一つであります。私はそのひずみの解消に国民の税金を一部さくということも、政策であれば国民の理解は得られる、こういう考え方のもとに政府は慎重に検討した結果、そのよう措置をとったわけであります。  あなたも先ほど、九百億か八百億の減税に比べて千五百億もと言いますけれども、これはことばのあやで言われたんだと思います。千五百億を十年間で均等償還を行なうということと、八百億、九百億の今年度の減税が平年度に幾らになるかといえば、これはもう八倍、十倍という大きな金額になるわけでありますから、私も単なる比較で申し上げておるわけではありませんが、政府も本件に対しては非常に慎重に考えて、最終的な段階においてこれはやったほうがいい、われわれの時代にやっぱりけじめをつけておくべきだ、それが次代の国民のためになるんだ、こういう深刻な気持ちで考えたのでございます。ですから、私も深刻な気持ちで御答弁しておるのでありますから、どうぞひとつ、その間の事情を十分知っておられる野溝さんは、特に御自分で、片山内閣から芦田内閣、吉田内閣に引き継がれたあの当時の混乱の中で大事業をなすべく推進された方でありますから、やっぱり少しよくなったらこういう大事業には何ぴとかがけじめをつけなければならない、こういうことは了解していただけるんじゃないかと思います。今日、そういう意味で政府のいままでに至った事態も御理解賜われば私は幸いだと思います。
  78. 野溝勝

    野溝勝君 どうも頭のいい田中大蔵大臣の答弁としてはまことに抽象的でございまして、少しく納得できないのでございますが、この法案に対しまして給付を受ける側にある赤城農林大臣は、これを辞退しよう、そういう点から見ても、ちょっとこの法案に対する疑義というものが出てくるんですね。特に佐藤内閣でほめたものはないけれども、閣僚の中で田中、赤城というものはそつがなくて謙虚でいいといわれているんだな。その二人が口をそろえて心理作用とか旧地主の犠牲とか言っておるんだけれども、私はどうしてもふに落ちない。ふに落ちないことを聞くのがわれわれ委員でございますから、あなたもざっくばらんにお答え願いたい。  これはおかしいんだよ。大蔵大臣は、とにかく自然増収が四千五百億を欠ける、ところが、今度は固定的な経費の増といたしまして、やはり三千九百億から四千二百億、使途特定の増として千三百億、あるいは給与、医療の問題の値上がりその他等々で二千億、道路の長期的な改良計画費用として八百億、そうすると差し引き五百億くらいの増しかならぬ、災害があったりその他いろいろ出てまいりますれば、こんなものは吹っ飛んでしまう、こういう哀れな日本のふところ勘定じゃないですか。それで、中期経済計画なんて酔ったようなものを出しておるけれども、小汀利得君の放言じゃございませんが、あんな酔ったようなものを出しておる。ああいう経済企画庁あたりが出すならば、内閣を動かすような材料を持っているのならいいけれども、内閣の都合のいいように数字を合わせてくる。そんなものは信用できない。あんな経済企画庁なんかつぶしたほうがいいです。小汀利得君に言わせれば、つぶしたほうがいい。わけがわからない。まあこの話は別でございますけれども、とにかくこういう苦しい状態にあるのですよ。成長率もあなたの言われるとおり非常に狭められてきておる。何が当てで一体今後の国のやりくりをしていくのでございますか。国際収支だってえらいよくない。貿易が黒字黒字といってみたところで、あんなものは出血貿易です。こんな金があるならば、どうして——中国貿易であろうと何であろうと、共産圏の貿易だっていいじゃないですか。思想と経済は別だと、どんどんやっていけばいいじゃないですか。こんなことは子供でもわかる。賢明な大蔵大臣はわかっているわけだ。それをどうです、この千五百億を、あなたは先ほど私の言った千五百億について、減税の八百億というのはこれは一年間、その倍と私が言うと、これは何年間の分だということを言われましたけれども、それはあなた、大体常識ですよ。いずれにしても総額千五百億出すのだから、そうすると八百億の倍じゃないですか。これは間違いない。間違いないのですよ、私の言ったことに。ことばのあやじゃないのだ。そのとおりなんだ。だから、そういう状態にある際に、どこから財源を持ってくるか知らぬけれども、これを出してしまったら、あと大きな災害があったり、その他新規事業なんぞ何にもできないことになります。それをどうするのですかということを私はさっき聞いたのです。  そこで、こまかいことはきょうは私は聞きませんよ。こまかいことを聞いていくと、これから一々条文に触れていかなければならないし、さらに、御承知のごとく、今後固定資産税をきっとふやすに違いない。農村は三カ年延期したというけれども、これが通るとまたこの部面にちょこちょこ手を出すのじゃないですか。いや、大蔵大臣、頭振ったってだめだ。あなたはぼくの言うとおり幹事長になるのだから、だめだ。(笑走)一番迷惑をしてくるのは農林大臣ですよ。あなたのところに今度は火の粉が行きますよ。私が当時政府にごやっかいになっておるときに、解放された農民は非常に利益をしたのだから、これから反当たり二千円、三千円の土地使用税を取るという。私は絶対反対いたしまして、ついに一文も取らぬことが決定的になっております。そのために内閣はやりづらくてしようがないから、おまえは考えたらどうだ、やめろといって激論したこともございます。これがまた、形は変わりますけれども、固定資産税の形になって耕作農民に非常に重圧がかかってくるのではないか。都会地周辺の農民は、これはある意味においては相当ブローカー的な根性もある。また、工場敷地に売った農民の中にはいい利益を得た者もある。しかし、一般の耕作農民はそう影響はないのですから、今度はこの方面にしわ寄せが来る。これを私は非常に心配しておる。この点に対してどうなのか。大蔵大臣、農林大臣、ひとつお二人の御意見を聞いておきたい。
  79. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) この農地買収者に対する給付金を交付いたしましても、それが財源を得るために他の税率を引き上げる、固定資産税などを引き上げる、という考えは毛頭ありません。そんなことは絶対いたしませんということを申し上げておきます。これは公約して申し上げておきます。
  80. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) この問題と関連して、固定資産税を上げるというようなことはございません。
  81. 野溝勝

    野溝勝君 このためじゃなくて、上げてくるのじゃないか。
  82. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) この問題と関連しなくても、私は固定資産税はむしろ低めていくべきだと思っております。高くするという気持は持っておりません。
  83. 野溝勝

    野溝勝君 まあ、政府の閣僚諸君はその場その場をあれすれば済むのでございますが、われわれみたいに全く農民と接触して、農民の生活をやはり自分たちの体験で政治の上に反映していこうという者からすれば、あなたたちは永久に農林大臣をやっているわけでもなんでもないからいいけれども、おまえたちは政府にだまされたのだというようなことになるのでございます。そういうことは幾らでもあるのです。私が先ほど言ったとおり、こんなものは昭和二十七年のときに、こういう土地を他に転用することができる、これが問題になってこうなったのだ。だから、あなたたちの責任なんだ、ほんとうは。  きょうは私はそんなことでいつまでもあれはいたしませんが、最後に、時間が相当経過しているのでございますけれども、私は総理大臣が来た際にまたお伺いするつもりでございますが、総理大臣といってみたところで結局自民党の方針なんだ。で、自民党の方々は、せっかく民主化の基礎をつくってきた農地解放に対して逆戻りの政策をやったということで、民主化を逆戻りさせるものだという非難は受けますよ。そうしてこの問題のために今度多くの予算を要求した場合、社会保障だけでなく、ほんとうに国民の生活に必要ないろいろの予算が出てまいります。その際に、いろいろ理由を話しますと、あなた方は緊急必要でないこの被買収農地のこの給付金の問題を案外簡単に片づけちまったのじゃないか、財源がなくても幾らでも出したじゃないかというようなことを言われますよ。そのときの責任はあげて自民党が負ってもらいたいと思っております。  きょうは私はこれをもって私の質問を打ち切りますが、十分反省して、いまからでもおそくないと思いますので、十分総理と相談をされまして、本国会にこれを出さなければならないことはない、そういう点を十分ひとつ総理とも、もうだめだということを言わないで、野溝がくどいよう質問をしたけれども、もう一回総理と相談をしてみろ、こういう意見だがどうかということを、ひとつ相談してください。私が総理が来た際にさようなことを聞いた際に、いや、田中君、赤城君からもそんな話を受けておりません、そう害われたのじゃ私は承知できませんから、必ずそれを約束してもらいまして、私の質問を終わりたいと思います。
  84. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 野溝さんのお気持ちは十分理解をいたしました。いたしましたが、総理に赤城さんと二人でもって一ぺん取りやめたらどうかと、言うということは少し不見識になりますので、それはひとつごかんべんいただきたいと思います。
  85. 野溝勝

    野溝勝君 私の意見があったということを伝える分には……。
  86. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) そういうことであれば……。     —————————————
  87. 西田信一

    委員長西田信一君) 委員異動について御報告いたします。  佐野芳雄君が委員辞任され、その補欠として野々山一三君が選任せられました。  午後六時まで休憩いたします。    午後四時四十分休憩      —————・—————    午後六時五十九分開会
  88. 西田信一

    委員長西田信一君) 委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案を議題といたします。  中尾辰義君。
  89. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 この農地報償法案に対しましては、いろいろな疑問点、不可解な点がはなはだ多いのでありまして、われわれといたしましても納得しがたい点が多くあるのであります。たとえば、最高裁判所の判決が二十八年の十二月に、農地改革の買収価格等については適切である、しかも買い上げそのものは憲法違反ではない、このような判決も出ております。また、今回の報償を与える前にすでに第一回の報償金が交付されている、その点。さらに、工藤調査会の答申を見ましても、旧地主はそれほど生活には困ってはおらない、こういうような点があるのであります。しかも、四十六国会におきましては審議未了になったいわくづきの法案であります。  したがって、まず私がお伺いしたいのは、農地改革以後この報償法案を提出するに至ったところの経緯、それにつきまして、概略でけっこうでありますから、臼井長官にお伺いしたいと思います。
  90. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) この問題のいきさつの発端といたしましては、農地改革実施中からすでにこれに対して被買収者等からいろいろの意見が出ていたわけでありますが、そこで、先刻お話しの最高裁の判決が出る前に対価につきまして違憲訴訟がなされましたのが、昭和二十八年十二月二十三日に合憲という旨の判決があったわけであります。その後被買収者の方面からの非常な叫びがあがりましたのは、講和条約が発効後次第にそういうあれが出たのであります、叫びがですね。そこで、農地買収者問題調査会というのが昭和三十四年二月の国会に法案が出されたのでありますが、審議未了になりまして、翌三十五年の六月にこれが成立いたしました。これがいわゆる工藤調査会でございまして、総理府のほうにこれが設置されたわけでございます。この調査会の調査が、三十五年十二月から三十七年五月まで、農地買収者問題を中心といたしまして、国民生活についての実態調査を行なうとともに、ことに被買収着の生業の問題、生活の問題に重点を置いて、これを調査をいたした答申が三十七年の五月に出たわけでございますが、その内容の点はあとでまた御質問がございましたら申し上げるとして、経過だけを申し上げますと、三十七年度予算編成の際に、自由民主党のほうでこれに対して何らかの措置をすべきであろう、こういう決定がなされまして、そこで、三十八年度予算におきましてこの調査費一億八千九百万円というものが設けられました。この予算の実行といたしまして、臨時農地等被買収音問題調査室が総理府のほうに設けられたわけであります。次いで、三十八年三月十二日にいわゆる交付金法案というものが、これが議員立法で提出してはという話もありましたが、三十九年におきまして、つまり前通常国会におきましてこの法案が一応つくられて、会期末でございましたけれども、法案が一応提出された、こういういきさつになっております。概略は以上申し上げたとおりであります。
  91. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それで、この二十八年の最高裁の判決がありましてから、一応地毛をはじめこの判決によって再補償の要求につきましてはあきらめておったのじゃないですか。私はそのように思うのですが、この点はどうですか。
  92. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) 別にあきらめていたというふうにも見受けられませんが、ただ、最高裁の判決でございまして、政府といたしましても、先刻お話しのように、これは農地の解放は適法であり、またその買収、価格も適正であるという判決が出ましたので、したがって、これをその上さらに補償するということは、政府の見解もそういう最高裁の判決と同様な見解をとっておりまするので、補償ということはむずかしいというように世間でも一般でも考えまして、そこでこの報償という問題が議論にのぼってきたわけでございます。
  93. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 ですから、その最高裁の判決によって、政府もその後はあくまでもこれは補償をしない、このようにやってきたのでしょう。
  94. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) お説のとおり、再補償はしない、こういうことでございます。
  95. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それが、その再補償をしないということが、政府の見解がどの辺から変わってきたのか、この点についてお伺いしたい。
  96. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) これは現存でも、最高裁の判決が出て以来ずっと再補償はしない。したがいまして、今度の法案につきましても、これは補償の追い払いとか、あるいはまた再補償、こういう意味ではないという見解をとっております。
  97. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 まああなたの答弁はいままで何回か私は開いておるわけですが、再補償ではなく報償でありますと。しかし、この点がわれわれも非常に納得をしがたい点でありまして、報償にしても、補償にしても、これはお金を出すことには変わりはないじゃないですか。実質的には補償と何ら変わりはない、そういうような疑問点が出てくるわけですね。名目はそうでありましても、旧地主としてはお金をもらえばそれでいいわけですからね。ですから、報償ということは受け取れないですね。そういう点をもう少し納得のいくよう説明をなさらないと、われわれも納得できない。そういう点……。
  98. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) この点は、なるほど金銭をもって報償をしておるのでございますが、同じ金を払う場合にもその意味がいろいろの場合があるわけでございます。この点は、本法案と、また前に補償として払ったときの金額とは、金銭は金銭でも、お払い申し上げる目的が違いますものですから、したがいまして、世間でも、たとえば表彰をする、あるいは感謝の意を表する、そういう場合でも、品物を贈る場合もありますし、またお金を贈る場合もありますし、同じ金を出すのでも、これは賞与として出すときもありますし、あるいはまた俸給として出すときもありますし、その他債務の支払いと、金の使い方はいろいろございますが、目的が違っておる、こういうことでございます。  それから、なお申し上げますが、補償のあれには買収の土地に全部比例して支払うのが原則であります。今度の場合には、たとえば一畝未満につきましてはそれはもう全然これには考えていない。それから、まあ一畝以上一反未満については一万円、それから一反以上一町歩以下は二万円、こういうふうに減退率を掛けまして、そうしてまあちょうど三十五町歩で百万円になるわけでありますが、それ以上は何町歩の旧地主でございましてもこれはもうそれで打ち切り、こういうふうにいたしておる点も、いわゆる補償と報償とのそこに区別が相当あるわけでございます。
  99. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それで、その最高裁の判決が山山ましてから、この補償の要求につきましても、私は一応地主も最高裁の判決がありますから納得をしておったように思うのですね。それから、その旧地主の補償に対する要求運動というものが起こってきたのですが、なぜ起こってきたのか。最高裁の判決がありましてから、政府は再三再四補償はいたしませんと、このように言明をしておるのでしょう。それがだんだんと変わってきた。それにはまあ旧地主の補償要求の運動もあって、そこへ与党議員の自民党諸君がこれに参加をして今日に至ったように私は思うのですな。そうしますと、これは旧地主ということもありますが、この報償法案提出に至ったところのその火元というものは自民党諸君じゃないかと、私はこう思う。まあそういうところに世間が疑惑を持っておる。自民党の選挙対策じゃないか、こういうふうにいわれておるんですから、あなた方としてもここのところをはっきりと明瞭な答弁をしなければ、非常にまずい点があるんですね。ですから、私はまあ親切に言っているんです。どうですか、その点は。
  100. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) その点は、工藤調査会で調査いたしました際に、これはさっき申し上げましたように、生活問題、それから生業の問題を中心にいたしまして、そこで気の毒な、非常に困っている地主に対しては、生業資金の貸し付けということで、国民金融公庫法を直しまして二十億の融資をしたい。しかし、それだけではなかなか——一応社会保障的な面につきましてはそれによって、これはまだ法案は通りませんけれども、ある程度緩和される面もあるのでございますが、しかし、それだけではなかなか、心理的影響という問題につきましてもそういったようなことだけではいやされないし、また、これはもう当初から申し上げておりまするように、農地改革の成果というものは非常なものでございまして、これによって日本の今日の復興というものがなされた基礎をなしたものである、したがって、これの貢献というものについて、これを非常に多として、そしてこれをねぎらうという、こういうことをやるべきじゃないかということの意見が出てまいりました。と申しますのは、先刻申し上げましたように、総理府に三十八年から臨時農地等被買収者問題調査室を設けまして、そしてこれは生活問逆ももちろん調べましたが、基本的な問題とか、あるいはまた世論とか、そういう各方面について調べたのでございまして、しかも、この農地買収者のこういう点を調べてみますと、一畝以上一反未満の者は一八%でございますが、一反から一町歩未満の者が六四%。でございますから、一町歩以下という者が合計して八二%というふうに、このクラスの者が非常に多いわけでございまして、まあこれらの点も考慮いたしまして、やはり何らかのことを、いま申し上げたような二点に重点を置いてでもしなきゃならぬ、こういうことで、補償というよう意味とは全然別個に、しかも社会保障という点も離れまして、世論調査の結果をも見まして、これをいたしたのでございます。  ただ、世論調査の結果で、本委員会においても問題になりましたのは、社会保障的な見地をこれに入れなかった。要するにまあ所得制限をしなかったというところに、この前もいろいろ御意見を伺ったのでございますが、そういう点で、社会保障的な見地を入れなかったというところのいろいろ御意見はございまするけれども、もともと本法案がその社会保障的な点でやったのでない、こういうことから、それだけは入れなかった、こういうことでございますが、しかも、これにつきましては、さっき申し上げましたように、百万円で頭打ち、そういうことがありますので、入れなかったと、こういうことでございます。
  101. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 まあ、大臣は私の質疑に対して答えてもらえばいいのでありまして、しまいまで言うてもらわなくてもいいわけです。  いまの問題につきまして、大蔵大臣の答弁を先ほど私はちらっと聞いたのでありますけれども、再確認の意味におきまして、本法案を出すに至った見解についてひとつ大蔵大臣からお伺いしたい。
  102. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) もう間々申し上げておるとおりでございます。大体いま総務長官の答えたことで御輿解いただきたいと思います。
  103. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 これはね、答弁があまりにも懇切を欠きますよ。特に私はあなたを指名して質問をしているのです。臼井長官と大体同感でありますというよう答弁では、私は困るわけです。公明党を代表してあなたに聞いている。
  104. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 本件を提案に至ったまでの事情は、間々申し上げておりますとおりでございます。先ほども野溝委員にも申し上げましたが、最高裁の判決は政府もそのとおりこれを認めておるわけでございますから、農地解放に対して再補償するというような考え方は毛頭ないわけでございます。しかし、先ほど申し上げましたとおり、非常に世界の歴史の上から見ましても大きな仕事でございますし、また、日本の農村の民主化の歴史の上には、この農地解放、地主と小作の問題はまさに特筆大書されておったわけでございます。どこでも敗戦というようなものを契機にして、民主化をはかるという根底の大事業として農地の問題、解放問題が取り組まれておるわけでございますが、これが無血の状態において円満に遂行されるということはその例が非常に少ないのであります。また、戦いに敗れて非常に苦しい悲惨な状態でございましたが、まあ二十年を顧みますと、あの敗戦の中で農地解放という歴史的にも非常に大きなものが無血で、しかも円滑に行なわれた、この事実はだれも否定できないことであります。しかも、それはただに農村の民主化というようなものではなく、戦後の民主化の根幹をなしたと、政府はそういうように考えて高く評価をしているのであります。でありますから、この農地解放というものに対しましては、国民も私はこの評価というものに対して異論を差しはさむ者はないと思っております。特に政府はそのように評価をしておったわけであります。  で、実際は、御承知のとおり、自作農創設ということで農地解放が行なわれたわけでありますから、自作農以外の用途に供することはできないというのが原則であらねばならぬわけであります。これは国有財産も同じであります。国有財産をある目的をもって払い下げられたものは、他に転用した場合はその差額を徴収せよということは、この委員会でも、また決算委員会でもどこでも言われておりますように、当初の目的の用に供するということで、この大事業が行なわれたことは事実であります。しかし、その後、昭和二十七年でございますが、法律改正が行なわれまして、その他の用に供することを認めたわけであります。ですから、この農地解放というものの処置には二つの問題がある。  その一つは、第一番目の第一次、第二次の農地解放、いわゆる占領軍のメモによって政府がこれを起案したというときに、自作農以外に転用する場合には、やはり旧地主の先買い権というようなものを規定すべきであったことは当然のことである。ですが、それは当時法文に欠陥があったということを私は感じているのでありますが、そういう問題に対しての明確な処置が欠けておった。それだけではなく、二十七年の法律改正で、他にも売買することができるようになりました。ここで問題が起きたことはもう皆さん御承知のとおりなんです。  まあ当時二百円とか二百五十円とか三百円とか、幾ら高くても四百五十円とか、こういう価格でもって売り払いを受けたものが、都市周辺においては坪当たり何十万円。こういう利得に対して、これは不当利益であるから、不当利益は差額を徴収すべきである、こういう議論が一部にございました。私たちもこういう問題に対して検討いたしたのでありますが、これはもう第一次、第二次農地解放のときに失敗があったんです。ですから、一ぺん国民に与えた権利はこれを侵すことができない、こういう考えでこの差額徴収というものは法律上も憲法上もできなくなってしまったことは、もう歴史の示すとおりなんです。  本件に対してはもうあらゆる角度からこういう問題があったことも、皆さん御承知のとおりであります。ですから、政府はこういう事態に対処して一体どう処置するかということを、十数年にわたって本件は自民党においても政府においても、また世の識者においても検討せられてきたことは、もう御承知のとおりであります。まあ、最終的には——まあ戦前のように地主と小作というものの中には争う何ものもないわけであります。ですから、昔は搾取されたとか、収奪の暗い歴史があったとか、血を流した小作争議があったとか、そういうものをあっさり第一次、第二次農地解放で農村の民主化が行なわれてきれいになったと、こう思うわけでありますが、事実はしからず、農村においても依然として対立抗争の感情的なものがあります。これは何か。正当なる補償の上に農地を国に売り渡したものであっても、かつての小作は先ほど申し上げたように他に転売して何百倍というような価格で収入を得ている。これはもう感情的に相いれない。こういうものは、大事業をして有終の美をなさしめるためには、何らかの処置を必要とする、こういう考え方で政府が取り組んだのでありまして、農地買収者の圧力や団体の圧力に屈したのでは断じてありません。これはもう将来のために私は明らかにしておきたいと思う。大事業をなしてもそれはあたりまえである、こういう考え方では大道につく人はなくなると思います。ですから、政府は補償することは当然のことであっても、補償でなくても、善行に対して、大きな問題で稗益した国民に対して何らかの処置を行なうということは、これはやはり政府のつとめでもあるわけです。ただ、政府がつかみ命でどれだけでやるわけではありません。国会の議決を経て、国会の意思が決定したならば、法律に基づいて補償あるいは報償給付金を交付する、こういう非常にこまかい、しかも深刻な、また世論の批判に十分たえるような慎重な態度で今日までまいりました。それで皆さまに御審議をいただいている、これが政府の見解であります。今日に至った私の大蔵大臣としての本法律案に対する見解であります。
  105. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それで、いまの大蔵大臣の答弁につきまして、まあ地主と小作人の対立というものはなかなか解けない、安く買った土地が高く売れるのを見て、まあそういう感情的なわだかまりというものがあるので、これを何とか政治的に解決しなければならないということでありましたが、これは報償金を与えることによりまして、まあわずか反当たり二万円程度でありますが、これは感情の対立というものが今回で、この法律の施行によりまして解けるかどうかという問題です。やはり対立というものはある程度残るのじゃないか、こう思うのですがね。この点はどうです。
  106. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) まあ対立抗争のよう状態があることは望ましいことではない、こう申し上げているわけでありまして、これを交付すれば全部なくなるということではございませんが、なくなるかなくならぬかわからぬから、そういうものを交付しないでいいという議論にはならないわけであります。ですから、私は、ただそういう対立抗争があるから、この給付金を交付すればなくなるということだけで言っているのではありませんが、これは提案理由にも申し上げたように、これだけの大事業を行なう過程において、精神的に経済的に受けた有形、無形の苦痛、こういう精神的な苦痛に対しても何らかの報償を行なう、こういうことでありますから、すなおにひとつ報償ということで御理解を賜われば幸いでございます。
  107. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それで、大蔵大臣が、いろいろなことを多角的に検討を加えた結果このよう法案を御審議を願いますということでありますけれどもね、例のこの工藤調査会の答申に基づきましても、被買収世帯の収入は買い受け世帯及びその他の一般世帯に比べて必ずしも低くない、その生活状態というものはむしろ中より上の暮らし向きのほうが多い、こういうような答申が出ておりますし、しかも、この一千四百五十六億というものはただ政府の一存ではなかなか使えない財源であります。やはりいろいろな角度から検討を加えていかなければならないのであります。この答申をどうお考えになるのか、それをお伺いしたいのですね。一番最後のほうには、「巨額な金額を被買収者に交付することは諸般の情勢上適当でないとする見解が多かった。」とある。これは国民意見じゃないか、私はこう思うのです。どうでしょうか。
  108. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 私からお答えしましょう。  そういう問題に対しての御質問も過去にも何回かございましたが、これはサンプル調査ということでございまして、何百万世帯に対してやったわけじゃございません。まあ大体サンプル調査だから的確な数字ではないがということで、御答申をいただいておるわけであります。私は、その工藤調査会が、こういうものをやってはならない、こういう御答申であれば、これは政府を拘束いたします。いたしますが、やってはならないというよりも、すなおな状態において審議をした結果、一般よりも高いという人もあります、低い者に対しては、生業資金云々に対しては何らかの処置を講じたらよかろう。すなおな答申でありますから、私たちは、工藤調査会の答申といま御審議をいただいておる本法というものとは競合して全然相反するものだという考えには立っておらぬわけであります。先ほどから申し上げておりますとおり、実情調査はこれはサンプル調査でありますし、農地解放というものに対する評価というものは、政府が独自の見解に立ってより高い立場でこれに対して最終的判断をするということは、これは政府が独断でやってしまうということがあれば刑でありますが、国権の最高機関である国会の議決を求めるのでありますから、最終的に効力の発生は政府独自の見解ではできないのであります。憲法の定めるところにより、国会の議決がなければならぬということでありますから、私たちはいまの工藤調査会の答申と政府が御審議をいただいておる本法律案との間に相反するものはない、こういう見解をとっております。
  109. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 そこで、大体農地報償の問題がですよ、自民党内部におきまして問題になったそのときにおける大蔵大臣の見解がここに出ておりますが、自民党農地問題懇談会特殊財源等調査小委員会でこの検討を加えた結果、巌初植木庚子郎案ですか、案によりますと、報償等が九百五十億円、こういうふうに出ておるんですよ。それに対してあなたの御意見はですよ、この財源難のときに九百五十億円も報償するなんてとんでもないことである。植木試案をぐっと下回る政府試案をつくって対抗すると、このようにいきまいておる、こういうふうにあるんですが、そうしますと、あなた自体も大蔵大臣として財源等も考慮して一番最初は反対であった。ところが、だんだんと変わってきた。これは心境の変化というものはどういうことになったのですか。これをひとつお伺いします。
  110. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) そういういま御引用なさったような記事がどっかに出ておったことは、私もさだかではありませんが記憶いたしております。まあ私もそういう心境であったのでありましょう。確かにそういう時代がございました。これは財政の責任者としては国民の税金を預かるのでありますから、幾らでも金を出すということじゃ、もうそれこそ指弾をせられるわけでございまして、間違いないというものに対しても、もう一度拡大鏡で見るというくらいな態度が必要であるということは、もう当委員会でいつも御指摘を受けておるとおり、これはあたりまえのことであります。  本件に対しては、一番初め新聞その他でもって報道せられたのは一兆円なのであります。八千五百億円案、七千億円案、六千億円案、五千億円案、三千億円案、だんだんと四、五年のうちに縮めまして、最後に植木試案は約千億ということでございます。私の案は当時は三百億くらいの案であった。よく見たらこれは百億くらいであるということで、こういうようなことで党側から非常につるし上げられた、こういう状況であると覚えております。しかし、大蔵大臣はどなたがおなりになってもそういう姿勢であるべきであるということで、私も例外ではなかった、こういうことでございます。  しかし、いろいろなことを、その間さらに政府と与党の間でも、工藤調査会の調査においても検討しましたし、政府自体もその後費用を計上しまして調査した。だんだんその全貌というものがわかってまいりまして、最終的にはこれはもう内閣できめて、国会に対しては内閣は連帯して責任を負っているわけでございます。でありますから、ただいまの農地理事業団などに対しましても大蔵省は初めは反対でございますと、こういうことでありましたが、農林大臣の話をよく聞いているうちに、いいことだからこれは国民の税金を使ってよろしい、こういうことでだんだん賛成をする。こういう過程のことでございますから、その間の事情は御了解いただきたいと思います。
  111. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それでは、この今度の給付金交付は一応まあこれは補償ではない、報償であるということになっておるわけですが、ここで私が少し納得がいかないのは、農地改革によって買い上げられた解放農地というものは、田と畑と、その以外に未墾地あるいは採草放牧地等も買収されておるはずです。それが一体解放地の何割くらいになっておるのか、またその世帯主というのはどのくらいであったか、その点についてお伺いしたいのです。
  112. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) ただいまお話にございました、田畑以外に未墾地等が農地改革の際に買収されたではないかという点が第一点でございましたが、確かにお話のとおり、未墾地につきましては自創法で買っております。ただ、これも御水知かと序じますが、未墾地に関しましては、すでに昭和十三年から土地利用の高度化というような観点で買っておりますし、現行のいわゆる農地改革が終わりまして農地改革の成果維持という現行の昭和二十七年からの農地法のもとにおきましても、現在なおかつ未墾地はやはり買うという制度があるわけでございます。そういう意味におきまして、いわゆるプロパーの農地改革とはかなり趣を異にするわけでございます。そういう点で今回の対象にいたさなかったのでございます。  なお、面積の割合といたしましては、ここの資料にありますように、田畑では百八十万八千町歩ということになっておりますが、未墾地は約六十万町歩を累計で買っております。これは旧自創法だけではなくて、その後の分も含めまして約六十万町歩買っていると思います。その中に何戸世帯というのは、ちょっとすぐいまわかりかねます。
  113. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それで、今回の報償は田と畑はありますけれども、いまの未墾地についての報償がないじゃないか、こういう疑問が私は生ずるわけであります。あなたの言い分によりますと、戦時中に食糧増産に貢献をした、また農地制度の近代化に協力をした、そのほうびとして上げる。こういうことになれば、この未墾地というものは食糧増産に貢献をしなかったのか、しなかったから今回お礼が出ないのか、この辺のところは私は少し納得がしがたいのですが、どうですか。
  114. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) その点について私ただいまお答えをしたつもりでございますが、なおことばが足らなかったように思います。いまも申し上げましたように、農地改革というのは要するに地主と小作の関係を改革するということ、これが大前提でございます。その上に立って農地制度の民主化なりそれに基づきます経済の民主化というようなことがあるわけでございます。あるいはそういう改革をするということにおいて、その過程で心理的影響なりそういうものが出る。そういう意味におきまして、地主と小作という関係、これは先ほども大蔵大臣がお話しになりましたような地主と小作というものの関係に着目した改革ということでございまして、そういう意味で未墾地と田畑というものとは非常に取り扱いが異なっている。逆に、先ほども申し上げましたが、現在の農地法におきましても未墾地はやはり買うということになっておるわけでございます。しかし、農地改革というものではないことは、これはもう現在の時点で、農地改革をやるという時点ではございませんから、明白でございます。そういう意味におきまして、私どもは区別をする必要があるというふうに考えたわけでございます。
  115. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 どうも、いまの答弁は私は納得がいかない。あなたが一番最初は、先ほど申し上げましたように、戦時中の食糧増産に協力をしたそのお礼である。未墾地だってやっぱりこれは協力しておるはずですが、そういうような点からいうと何がしかのごほうびがあってしかるべきじゃないか。そうしないと、これははなはだ不公平である。もう一ぺんあなたの答弁をひとつ、これは大臣から……。
  116. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) これはただいま室長からお答え申し上げましたように、田畑以外の土地につきましては、いまお話がございましたように、戦時中から食糧増産というような点からも国が買っていたことは事実でございますが、しかし、これは戦後の農地改革とは多少違う観点から戦時中からやっておりました。結局、地主と小作との関係を解決して自作にしようというのが農地改革の一番大きなねらいでございますが、それが戦後行なわれたわけでございまして、今度の農地報償につきましては、戦時中の食糧増産というけれども、確かにこれは貢献したことではございまするが、それでなく、戦時中ということから離れまして、戦後行なわれた農地改革についての問題を取り上げまして、戦後のあの食糧が非常に困難な時代に、この農地改革によって自作農がたくさんできて生産意欲も向上して、そしてこの食糧難、当時のあれから、もちろん米軍の余剰物資のいろいろ贈与、そういうものがございましたけれども、それは一時しのぎでございまして、根本的に立て直りましたのがやはりこの農地改革によってである、こういうことで今回はこの農地改革による部面について取り上げたわけでございます。
  117. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 どうも大臣の話、私はわからぬのですが、あなた農地改革の面のみを取り上げておりますけれども、この前からの答弁によりますと、やはり食糧増産にも協力をしたことのほうびである、ああいう答弁をなさるから、私は、それでは未墾地は未墾地であって、これはやはり耕してイモをつくるなりいろんなことをやって食糧増産には全然協力をしなかったのか、こういう疑問がやはり出てくるんです。そこのところを、これは農林大臣でけっこうですが、納得するよう答弁をしてもらわないと、やはりそういうような疑問な点が残ると、私どもはこれは断じて反対をしなければいけない、こういうことになるのですからね。ただおざなりの答弁では因る。私どもが聞いて納得のいく答弁をひとつ、今度は農林大臣でけっこうです、お答えいただきたい。
  118. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 農地改革がどういう寄与をしたかというと、いままで大体三点を、占われておるわけです。農地改革の結果小作人であった者が地主になった、自分が所有者にもなった、こういうことで、その土地に力を入れて、その結果非常に食糧の危機を突破した貢献がある。もう一つは、地主・小作という制度はよい制度じゃない。やっぱりつくっておる者がその土地を所有する、こういう形態のほうが制度としていい制度だ、こういう点から、地主対小作というよう関係を大体耕作者本位、自作農本位、こういうことに直していった。その制度に対してメスを入れた。こういう二つの点が農地改革がこの社会に寄与した大きな功績だ、こういうふうに見ておるのであります。  第一点の食糧増産といいますか、食糧増産に寄与した点においては、未墾地の買収と農地改革と同様じゃないかと、こういう御指摘のようでございます。ところが、未墾地の買収につきまして寄与したという点が農地改革と同じなのは、未墾地を買収してそれを耕作する人が一生懸命に励んで食糧増産をした、この点におきましては、農地改革におきましても、農地の所有権を取得して耕作者がその土地について励んだ結果が食糧増産に寄与したという点では同一だと思います。しかし、この法案報償というものは、その耕作者に対する寄与と、こういう面では前からこれは農政としていろいろそれに報いていかなくちゃならない——われわれずっとやっておるのでございますけれども、それとは別に地主の貢献という面をとらえて報償する、こういうことでございますから、未墾地につきましては、農地改革前、戦争あるいは現在におきましてもこれは継続しておりますので、これは農政面としていろいろ考えてますますいかなければならぬ問題でございますが、この法案におきましては、農地改革を契機とした旧地主に対する問題を取り扱うと、こういうことでございますので、おのずから観点が違っておると、こういうふうに私は考えております。
  119. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 しかし、納得がいきませんけれども、次に移ります。  それで、問題の発生は、買収をされた農地がその後非常に高値に売れて、それに対するところの旧地主の不満ということになっておるわけですが、そこで、農地改革後の農地の移動状況につきましてどういうふうに移動しておるのか、その実情についてひとつ説明をお願いしたい。つまり、自作地の所有権の移動ですね。
  120. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) 最近の農地の移動につきましては、現行の農地法によりまして移動統制があるわけでございます。それにつきましては、農林省の統計によりますと、三十八年におきまして自作地の有償移動、これが三十八万五千五百八十五件ということになっております。つまり、自作地を売るという場合でございます。それで、面積にいたしますと、これは七万一千三百三十九町歩ということで、全体の現在の農地面積が五百万町歩かと存じますが、パーセンテージにいたしますとごくわずかでございますが、大体そういうことになっております。
  121. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 ですから、これは大体全農地のパーセントにしたらどのくらいになっておりますか。
  122. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) 約一・二、三%かと存じます。
  123. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それから、この農地転用の状況ですね。これもわかっているはずですが、これはどうなっているのですか。
  124. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) これも三十八年の数字でございますが、件数にいたしますと三十五万八千四百十八件ということでございまして、面積にいたしますと、三十八年度間で二万六千二百三十二町歩ということになっております。
  125. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それから、このいまあなたからお伺いしました農地移動あるいは農地転用の行なわれた土地のうち、いわゆる解放農地の面積はどのくらいになっておるか。これが大体もとになっておるわけでしょう。ですから、私はお伺いしたいのです。どのくらいですか、転用されて高値で売れているのは。
  126. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) 農林省の統計におきましては、先ほど来も問題がありますように、現在はそういう点についての創設農地、いわゆる解放された農地について区別をいたしておりませんので、その部分の統計数字はございません。ただ、類推といいますか、推計をいたします場合には、全農地に対して百八十万町歩が解放されたわけでございますから、その比率で考えていくということに推計するよりいたし方がないという状況でございます。ですから、そういう推計をいたしますと、三十八年度では年間五千二百町歩が転用面積のうち創設農地であろうということに一応推計ができるわけであります。
  127. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 いままでの累計で、どうですか。
  128. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) これは十年間にしますと、十年間、つまり二十八年からにいたしますと、これは十倍で五万二千町歩くらいになると思います。
  129. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 そうしますと、百八十万町歩の解放農地のうち、実際農地が転用されて、いわゆる旧地主が言われるように、われわれの売り値より非常に高く売られておると、そういうものが百八十万町歩の中で五万町歩くらい、こういう見当になりますか。
  130. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) 転用をいたします場合には、大体そういうことでございます。  それからなお、農地の価格に、つまり先ほども申し上げましたように、そうでない移動、つまり転用でない移動も、これのほうが大きいわけでございますが、十年間に約一五%程度になる。それもやはり一応影響するかと存じます。
  131. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 次に、農地の買収価格についてお伺いしますけれども、当時は田のほうは賃貸価格の四十倍で七百六十円四十銭、畑は四十八倍で四百四十七円八十四銭と、こういうことになっておりますが、この賃貸価格の四十倍あるいは四十八倍という数字ですね、これはどういうところからそういう算定の基礎が出されているのか、それについてひとつ説明してほしい。
  132. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) まず、農地の買収価格をどういう考え方でやるかということにつきましては、考え方として、つまり自作収益価格でいくということになっておるわけでございます。昭和十五年から十九年の平均の水稲の反収を一応三石と、実収高を一応二石といたしまして、もちろんその三石が供出と自家保有に分かれるわけでございます。まあ分ける理由は、供出分とそれから自家保有分とがそれぞれ単価が違うということで分けるわけでございますが、単価がそれぞれ、生産者の分は高いわけでございますから単価が違う、そういうことで計算をいたします。なお、当然副収入、わらその他の副収入が入るものでございまして、そういう計算をいたしますと、反当玄米で三石といたしますと、粗収入二百四十八円七十五銭というのが昭和二十年計算でございます。一方、どれだけの生産費がかかるかということを、これはやはり食糧節理局の統計で見ますと、二百十二円三十七銭ということに相なる。そういたしますと、純収益が一反歩当たり三十六円三十八銭ということになるわけでございますが、農家は、これは自分で働き、自分で経営し、自分で土地を持っておるということでございますから、利潤部分、つまり経営者としての利潤部分を一応原価として見る。そういたしますと、残り二十七円八十八銭というのが地代部分に当たるということでございます。つまり、その地代部分が持っておる値打ちが二十七円八十八銭。これを当時の国債利回りで還元いたしますと、自作収益価格、つまり田の自作収益価格というのが七百五十七円六十銭ということになるわけでございます。これはもちろん中庸の平均的な値でございますが、ところが一方、全国の土地はそれぞれ地力等級いろいろあるわけでございますが、これを一応あらわしておるのが賃貸価格である。したがって、賃貸価格の、平均が当時十九円一銭ということになっておりましたので、その自作収益価格から見ました七百五十七円六十銭を十九円一銭で割りますと三十九・八五、大体四十という数字が出るわけでございます。つまり、賃貸価格は各反歩についてあるわけでございますから、賃貸価格の四十倍をすればその土地の自作収益価格が出るということで計算をされたのであります。  畑につきましては、畑と田の当時の格差というものは六割、五九%というのが、当時最も権威のある勧銀調査に基づいていわれておりましたので、それを計算いたしますと、畑のほうは賃貸価格の四十八倍になるということで計算をされたものでございます。
  133. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それでは、この買収価格が問題になるのは、前回発言があったようでございますが、私はもう一つ納得しない、それは買収価格のほかに、そのときに報償金を出しているでしょう、第一次の報償金。これが田のほうが反当たりで二百二十円、畑のほうは百三十円を出しておる。そこで一ぺん出したものをまた二回も出すのか、このように言われるわけですね。それが一つと、この二百二十円ないし百三十円というものがいまの貨幣価値に換算をいたしましてどれくらいになるのか。その二つの点について納得のいく答弁をしてください。ここのところが一つの問題になっておりますから。
  134. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) この点は、同じ報償という字句を使っておりますけれども、農地を解放する際に補償金と一緒に報償金を支払いましたのは、この解放が円滑にいくように、スムーズにいくようにということで、結局奨励金という意味において出したものと解釈いたしておるわけであります。本案につきましては、法律の中には報償という字句は前回と違って使っておりませんで、交付金、こういうことでございますが、ただ提案理由の説明の中には、わかりやすいと申しますか、そういう意味で交付金といってもその内容の意味報償であるというふうに申し上げたのでございますが、今度の報償前回と違いまして、これはもう農地解放が済んだ後の、いわば私はこれはアフターケアと言っているのですが、そういうようなもので、結局済んだあとにおいて心理的影響というものを、またその貢献というものを評価して、それに対して何らかの報いをしたいといいますか、ねぎらいをしたい、こういう意味において今回は交付金として出しているわけでございます。これをやはり報償ということばで説明申し上げましたので、前回の法律上の報償と今度どう違うかということでございますが、内容の違いはただいま申し上げたような相違がございます。  それからなお、当時の金をいまに直してのあれは事務当局から御説明をいたします。
  135. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) ただいまお手元にございます日銀卸売り物価指数で申し上げますと、昭和十一年を一〇〇といたしますと、二十年は三〇二ということになっております。そうして三十九年は三四〇六五ということになっておりますので、二十九年から三十九年は約百倍というふうに考えますと、二百二十円は現在二万二千円ということになろうかと思います。
  136. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 この点はいままでも何回も質疑をされ、また私どもも非常に納得がいかない点でありますので、これは農林大臣と大蔵大臣にひとつ答弁をお願いしたいと思います。
  137. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 前に報償金を出しました。これは農地改革に手をつけてから、御承知のように非常にインフレ時代でございます。でございますので、土地を解放してから国債とか金が渡るまでの間に二、三年かかっているはずでございます。そういうようにインフレが進行しているときで、ベースアップなんかもどんどん行なわれ、どんどんベースの基準が違っていった、こういうときでありますから、土地を解放さしたときと金を払うときと非常にインフレ的な状況でありましたので、前の報償はその賃貸価格の四十倍あるいは四十八倍に対しての追加払い的な、いわゆる報償とはいいながらそういうよう意味を持っておったと、こう考えます。現在のものは、そうインフレの結果とか価格の差とか、こういうようなことで補償するというような考え方でこの法案は行なわれておりませんので、精神的な打撃あるいは貢献に対して報いる、こういう意味でございますので、前の報償金と、内容の点においては報償ということばを使うといたしましても違っておる、こういうふうに了解いたしております。
  138. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) まあその当時一番問題になりましたのは、現金を当時すぐやらなかったというところが一番問題であります。ポイントであります。二十三年、二十四年、二十五年の三カ年で払ったわけでありますが、昭和十一年を一〇〇といたしますと、二十三年には一二七九二、二十四年には二〇八七六、二十五年には二四六八〇、こういう時代の金でございますから、ここに非常に大きな問題があったということ、本件の調査をいたす過程において一番の問題はここにあるわけであります。
  139. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 だから、問題のあるのを納得のいくよう答弁をしてもらわなければ、私どもも納得できないのであって、ただ、ここに問題がありますと、これだけでは答弁にならないのですよ。農林大臣の答弁では、第一回目のいわゆる買収価格に対する追加払いとして二百二十円というものを報償を与えた。ところが、臼井長官のほうは、農地改革の促進をする、そういう意味におきまして出した。その価格は二万二千円、現在ただいまの貨幣価値で。そういうことになるのですからね。ですから、そういうところをいいかげんな答弁では困る。私は何もあなたをとっちめようというのではない。ただ、公明党は、あなたの答弁によって反対をするか賛成をするか、その資料として聞いているのだから、お願いしたい。
  140. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 御承知のとおり、この当時の報償金というのは、促進的な奨励的なニュアンスを持ったものであるということは、中小地主三町歩以下、こういうものに対して交付して、制限しておるのでありますから、そういう根拠に出るものだということはそのとおり、でございます。  それから、この農地報償問題が起こるまでの間にいろいろな問題が起きましたのは、たしか先ほども申し上げましたように、昭和二十三年、四年、五年でございますが、二十三年の二万二千円が二十五年にはすでに二万四千円、約倍になっておるわけでありますから、そういう意味で、同じく三百円のものが百円、百円、百円ということになれば、実際の初年度の百円は、次の年の百円というものは七十円になっておりますし、三年目の百円は五十円以下になっておる、こういうように非常にインフレが高進したときの交付になっておって、そこで非常に問題があったということは、いままでの調査でも明らかになっておるのであります。
  141. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 いずれにいたしましても、この問題は、第一回の報償をやって、さらに今度やる、第二回の報償をやる、こういうようにわれわれは受け取らざるを得ないですね。それで、水かけ論になりますから、次に移ります。  最近における農地価格の推移ですね、これは全国の平均価格でよろしいですが、どのようになっておるのか、これ参考のためにお伺いしたいのです。
  142. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) いろいろな調べがございますが、日本不動産研究所、これは勧銀の調査の流れをくむものでございます。これによりますと、田で約十九万八千円、畑で十三万円ということでございます。まあ内地、北海道その他ございますが、大体そういうことになっております。
  143. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 それから、最後に、報償ということでありましても、やはり何らかの根拠がなければ、われわれとしても非常に判断に苦しむのでありまして、今回の報償はまあ反当たり二万円ということになっておりますが、この二万円というものをどういう基準であなた方がおきめになられたのか、ここのところをひとつ説明をしていただきたいと思います。
  144. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) まあすでにいろいろ質疑応答ございましたように、本問題は非常に、先ほど申し上げましたように長の間の問題でございます。それで、どうしたならばこの問題を最終的に解決できるかという点も考慮に入れたわけでございます。そこで、まあ先ほどの農林大臣のお話のように、旧地主の側からのような考え方からいくというと、それはえらい、一兆円というような考え方のものもそれはございまするし、これはまあ旧地主ばかりでございませんで、そういうあれもありますが、もう一つは、財政的な負担にたえられなければこれはもうできないことでございますので、そこでまあいろいろのあれを考慮いたしまして、先刻申し上げましたようなこの頭打ち百万円やら、また減退率等もそういう上において考慮いたしまして、総合的に判断して二万円と。これはもうくどく申し上げますように、要するに農地改革に寄与した旧地主に対する功を多としてのごほうびと申しますか、感謝の意を表するといいますか、そういう意味でございまるすから、受け取る側では少ないと思うかもしれませんけれども、出すほうの国からすればずいぶん群発して出してあると、こういうことであります。  そこで、工藤調査会も、先ほど先生から御指摘のございましたように、出すとしても巨額な費用は出すべきでないという、こういう注意書きもございまするので、そこで千四百五十六億、これを十年で償還するといたしましても、これは決して僅少な金とは申せませんけれども、しかし、一人一人にこれを割ってみますると、平均すると約八万円くらいになる、こういうことでございまするから、一人一人にすればいま申し上げたようないろいろの考え方からこれを支給し、しかも今度を最後としてこういう問題はもう解決をするんであるという、そういうことで納得もさせたい、させなければならぬ、こういうところをいろいろ勘案いたしまして、いま申し上げたように苦心の作がここにこういう額で出てきた、こういうまあことでございます。
  145. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 どうも私も納得がいかないのですが、二万円という報償をするにいたしましても、ただ総合的判断であるとか、腰だめ的なそういうことできめるということは、国会答弁としては納得がいかないです、われわれは。それで、幾ら報償でありましても、やはり何か根拠というものがなければならぬじゃないか、こう思うのですけれどもね。
  146. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) それは坪数に厳格にこれを比例してやるということになりますると、これはまあ補償という意味になるわけです。そこで、報償ということになりますれば、さっき申し上げましたように、これはまあこれをつくる過程におきましても議論がございましたように、勲章を出すのもいいじゃないかとか、あるいは銀杯を出すのもよかろう、こういういろいろ議論としてはあったのでございますが、しかし、やはり土地という、耕地という財産を、まああまり十分納得もいかぬけれども、それによって売ったということから生じた心理的影響とか、あるいはこれによっての貢献を多とするということでございますから、やはりまあ金ですることが一番よかろう、また受け取るほうでもこれはまあ金であれば一番便宜でございまするし、一番納得がいくであろう、こういうふうに考えまして、現在では紺綬褒章でも百万円の額になっております今日でございまするから、これはまあいろいろの考えようによって多いとも少ないともいわれますけれども、一応まあまあという線でこういうことにきめたということでございます。
  147. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 まあまあでは、それはあなた方はまあまあでいくかもしらぬけれども、われわれはなかなかそれでは納得できない。それで、現行の農地法によりまして国が買収する場合はどういう基準になっておりましょうか。これは農地法の施行令によればどうなりますか。
  148. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) 農林省からお答えするのがあるいは至当かと存じますが、農地法では十五等級、十五級地に分けまして、各級地にそれぞれ点数制で分けるわけでございます。田につきまして、一級地でありますと一万五千五百十円ということでございます。十五級地は六千二百七十円と、六級地一万二千二百十円ということで田はなっております。これはつまり、現行農地法によりましても、当然農地改革の成果の保持、維持ということでございますから、所有制限があり、その所有制限を足を踏み出すという場合に政府が買収する価格でございます。一般に売買される価格はもちろん、先ほど言いましたように、平均して二十万円というようなことになっておるわけでございます。
  149. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 この施行令によりますと、国の買収価格というものは、第二条に、小作料の最高額に十一倍すると、こういうふうになっているのですがね。小作料の最高額の十一倍、これが現行法によるところの国の買収価格である。そうしますと、小作料の最高額というものは、大体平均どの程度になっておりましょうか。
  150. 八塚陽介

    政府委員(八塚陽介君) 結論的にいま絶対植を申し上げたのでございますが、お話のように統制小作料がきまっていて、それの十一倍がいまのように相なるわけでございます。したがいまして、結局先ほどの価格の十一分の一というのが小作料で、約いま千百二十四円、千百円程度のところを中庸にいたしております。
  151. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 国が買い上げる場合も、これは最高額はいまおっしゃったように平均反当たり千百十円である、こうなればその十一倍の一万二千二百十円ということになるわけですね。国が買い上げた場合でもその程度の価格である。そうしますと、今度の報償はそれをさらに上回って二万円である、こういうところが買い上げ価格よりもさらによけいに報償を与えておるということが、どうしてもわれわれとしてはこれは納得いかない。これはどういうことになっておるのですか。これは大臣からひとつ答えてください。
  152. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) この点は、先刻も申し上げてございまするように、補償の補いということでもなし、まあ先刻来申し上げておりまするように、心理的影響とか、その貢献というものに対するねぎらい、こういうことでございまするから、したがいまして、必ずしも買収の価格につり合いをとってと、こういう点ばかりにこだわっているわけではないわけであります。
  153. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 どうも臼井長官の答弁では私はわからない。これは、だから、ひとつ大蔵大臣、答えてください。
  154. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 私は、統制小作料の十一倍、大体一万二千円見当だろう、こういう案を当初出しました。出しましたのですが、報償ということをいろいろ広範な立場で検討いたしまして、反当たり基準価格二万円、こういうことにいたしたわけであります。一万二千円と二万円との差額、これは政府が最終的に決定するまでのことをざっくばらんに申し上げますと、農林省で当時の全国平均の農地売買価格の実例価格を徴したわけであります。このときに農林省の価格は少し高かった。二十万ちょっとでございました。私は、新潟県などは十万円というところもあるのだ、こういうことで、相当私の説を大いに主張したわけでございますが、まあそれは山の中でもって、もう山田で、だんだんとつくり手がなくなるようなところであって、いま平場で、建設省が国道の用地買収というような例からいたしましても十五万円以下はないというようなことで、全国平均の農林省の価格のおおむね一〇%、二万円、こういうものを丸くラウンドの数字にしたということでございます。
  155. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 あまり納得いかないのですが、次の問題に移りまして、最後に大蔵大臣にお伺いしますが、この報償法案が通りますと、例の戦時中の貴金属を供出した者に対するところの賠償の問題だとか、あるいは戦災者、在外資産の要求、そういったことに対して大蔵大臣も衆議院等において弁明をされておりますけれども、私はこの際にあなたからじきじきに今後ひとつこういう問題はどうするのか聞いておきたいと思います。  それはやはり旧地主が非常に損をしたようなことを言っておりますけれども、インフレによるところの被害というものは、これはお互いさまなんです。ですから、当然こういうようなことが起こってきますよ。現に旧地主の運動というものも最高裁によって判決が出されたけれども、軍人恩給等においても出したじゃないか、われわれの問題も解決してもらいたい、こういう要求があったでしょう。これを解決するというと、こういうような問題が当然出てくることであります。あなたももう答弁は何回もしていらっしゃるか知りませんが、この際ひとつはっきりとどうするのかという答弁を私は伺っておきたいと思います。
  156. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) まず大体この農地報償が実現をするということになりますと、その他のものが、もろもろのものが出てくるが、どうするかという議論が絶えずあるわけでございます。とにかく原則といたしまして、農地報償法案は戦争被害と直接関係はない、こういう基本的な立場をまず政府は前提といたしておるわけでございます。なお、でありますので、この農地報償法案が可決実現の運びになっても、これを契機にして、もろもろのものがこれのあとに続くということは全然考えておらないということを、まず前提として申し上げます。  それから、いままで戦死者の遺族に対しましては、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法、戦没者等の妻に対する特別給付金支給法、こういうものによりまして措置をいたしておることは御承知のとおりでございます。また、戦傷病者に対しましても、恩給法や戦病者特別援護法等によって措置をいたしておりますし、引き揚げ者に対しましては、引き揚者給付金支給法に基づきまして、約五百億の交付を行なっておるわけでございます。なお、原爆被災者につきましては、原子爆弾被災者の医療等に関する法律等によりまして、それぞれ措置をいたしております。また、戦災者につきましては、国民金融公庫の前身である庶民金融公庫当時、更生資金貸し付けの制度を創設してまかなったわけでございます。なお、昭和三十二年には、引揚者国庫債券担保貸し付け制度というものをつくりましたし、三十九年には戦没者等の妻に対する特別給付金国債の担保貸し付け制度、こういうものをつくりまして、措置をいたしておるわけでございます。  戦争犠牲ということは、国民は大なり小なり、すべての者が戦争に対する犠牲をこうむっておるわけでございます。被害をこうむっております。でありますので、日本の中にもいろいろな戦争犠牲というものに対する態度というものはかつて議論をせられました。同じ西ドイツは、まず、戦争に負けてから、全国民働いたもので戦争の犠牲を払おうと、こういうことになりましたが、日本は社会保障という戦後急速にやらなきゃならない、国民の税金によって先進国水準にまで社会保障をしなければならないという大きな命題の実現がございましたので、まあ国民は大なり小なりみな戦争犠牲に甘んじておるんだから、ひとつ社会保障を伸ばそう、こういうことで社会保障を伸ばしてくると同時に、いままで可能な限り最大の努力をして、いま申し上げたよう措置を行なったわけでございます。  あとに残ります一番大きな問題は在外財産の問題でございます。在外財産の問題につきましては、もう先ほど申し上げたとおり、五百億にのぼる引き揚げ者に対する交付公債を出しておりますが、まだ議論もございますので、再び総理府審議会を設けまして、ここで広く世界じゅうの問題、戦敗国というものが在外財産とかそういうものに対してどうすべきだとか、非常に広範な問題がございますので、そういう問題を検討していただく、こういうことを政府としてはやっておりますから、政府としては可能な限り努力をいたしておるわけでございます。  でありますから、この農地報償法案が出ますと、戦時疎開の補償のほうから、預金の打ち切りとか、財産税とか、新円封鎖とか、戦時補償の打ち切りとか、これまでやるということになると、これは幾らあっても足りません。船の戦時補償だけでも何千億、こういうことでございますから、そういう問題とこういう問題を軌を一にしたものではないという明確な政府は線を引いて考えておるわけでございます。
  157. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 ですから、これが実現しますと、いま言ったような問題が出てくるのですから、再三再四言われておりまするように、最近のような非常に財源が少ない、しかも、減税をして公債を発行しようかと、こういうような論議がかわされるときに、うしろ向きのこういうような策を講ずるということは、非常にこれは国民としても賛成をしかねる。ですから、今後ひとつうしろ向きのこういうことについては、政府は次々と態度を変えないように、このようにしてがんばってもらいたいと思う。  以上、私はこれで質疑を終わります。
  158. 西田信一

    委員長西田信一君) 田畑金光君。
  159. 田畑金光

    ○田畑金光君 関係大臣お尋ねいたしますが、最初に特に私お願いしたいのは、答弁は、質問者に質問事項についてよく理解納得させるような、そういう答弁を願いたいと思っております。  先ほど来、答弁をお聞きいたしまして、この法案の提案された趣旨がさっぱりのみ込めない、このことです。この法律案の提案の政府説明を読みますと、結局、農地改革における農地買収者の貢献を多とし心理的な影響を顧慮されてこの交付金法を提案された、こういうことになっておりますが、「貢献を多とする」、実はそのことば自体が私わからないのです。貢献を多とするというのは、よく労を多とするということばを世間で聞きますけれども、貢献を多とするということは、労を多とする、こういうことと同じなのかどうか、説明願いたいと思うのです。これはひとつ臼井大臣と大蔵大臣、両名から御説明をいただきます。簡潔にひとつ頼みますよ。
  160. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) まあ、多とするという意味は、私は労を多とするのも貢献を多とするのも同じだと思いますが、ただ、貢献と労というものを同じに考えるということについては、必ずしも私はそうではないと思いますが、貢献は貢献であり、貢献するにはもちろん労というむのが必要でございましょうけれども、したがって、そこに差別はございましょうけれども、多とするということにつきましては、やはり私は国学者でも言語学者でもないので、なかなか御納得いくような学説的な解説はむずかしいかと存じますが、常識から申し上げるわけでございまして、まあ私の考えているのは、そういうような差はある、こう考えております。
  161. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 農地解放が円滑に行なわれたということにつきましての評価は、先ほど申し上げたとおり、農村の民主化のみならず、今日の日本の民主化の礎石に大きく寄与したことは、私はこの評価は国民すべてが認めておることでございますから、まあこの事実をどう表現するか、こういうことで御理解いただければ十分おわかりかと思います。  農地補償、農地改革というものが円滑に行なわれた、その農地解放の評価ということに疑問を国民全体が持っておらぬのでありますから、これはまた野党の皆さんもそれは承知しておる、こういうことでございますから、それをどうあらわすか、こういうことでございますから。昔われわれがシナ事変に兵隊として一生懸命でやると、その功績をよみせられて賜金何十円を下さる、こういうことがございましたが、これは今度主権は在民でございますから、国民を代表して政府が、貢献をしたその実績を評価してということも、多としてということも、これは日本語でございますから、そこはひとつ御理解いただきたいと思います。
  162. 田畑金光

    ○田畑金光君 要するに御苦労さまでした、こういう意味ですね。どうですか。
  163. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) もちろん、そういう意味が多分に含まれております。
  164. 田畑金光

    ○田畑金光君 大蔵大臣にお尋ねしますが、御苦労さまでした、こういうことがほとんどの意味だというのですね。そうなれば、まあ世間常識からいうと、よく大蔵大臣、常識、常識と言われているが、常識からいうと、金一封を包むくらいなら御苦労さまでしたということになるのですけれども、千五百億の金を包むのにもやはり御苦労さまでした、こういうふうな包み方があるかどうかということですね。これはどう理解したらよろしいでしょうか。  特に、大蔵大臣は先ほど、金を出すときは、実にそれは大蔵大臣としてできるだけ圧縮しなくちゃならぬ、これは大蔵大臣の姿勢である、こう言われましたが、御苦労さまでしたと、千五百億ぽんと出しますね、それはどうでしょうか、大蔵大臣の姿勢としては。
  165. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 私は初めから、千五百億を初めからもう無条件で出したのじゃございません。非常に長い年月、たくさんの人たちが努力をし、いろいろな考え方がございましたものが集約されてこのようになったわけでございます。でございますから、この案は、私を含めた現在の政府の提案でございますから、そういう意味でひとつ御理解をいただきたいと思います。  千五百億というものが、御苦労さまでございました——まあこれは田畑さんも承知しておられて、端的にこうむずかしい、非常に平易な表現でむずかしいことを企図して御発言になっているようにも思います。そうではなく、農地報償というのは、ただ御苦労さまでしたというだけではなく、精神的、経済的な農地買収者の苦痛に対してのねぎらい、こういうものでございますし、これらを総合して、その被買収者の行為に対して報償を行なう、こう言っているのでございますから、御苦労さまだけだということで、御苦労さまでぽんと千五百億かということではなく、先ほど申し上げたとおり、農林省の統計からいうと、昭和三十六、七、八年の全国売買実例が二十万円余であるということになりますと、非常に大きい金額。一体いまの状態農地解放というようなことが行なわれるだろうかどうか。いまの時点で考えたら、これは不可能、だれが考えても不可能だと思うくらいに大問題でございます。しかし、これは昭和二十二、三年のあの全く国民が失意のどん底にある、こういうときに、メモケースのものではございましたが、とにかく円満に行なわれた。それが農村の民主化の基盤となったことであるし、日本の現在における民主化の基盤をなしたものであると、この評価は国民ほとんど全体がしておるのでありますから、そういうものに対して報償を行なうということでありますので、狭義なものではございません。これはもう評価そのものが違えば面でございますが、社会党の皆さんでも私の過去の発言に対して、評価にはみんな賛成しているのです。ですから、そういう事実に対しての報償でございますから、そこにはひとつ——まあ少し意地の悪い、そういう私から考えるとどうも、私から率直に申し上げられないようなむずかしい意図をもっての御発言ということではなく、政府が報償ということを考えた経緯にかんがみまして評価をしていただきたいと思います。
  166. 田畑金光

    ○田畑金光君 いまの大臣のお答えは、よく気持ちはわかりますが、要するに、私は、大蔵大臣は反対したけれども、内閣全体、与党、全体、こういうことで私は賛成しましたということは言外によく読み取れましたが、また、御答弁の中に、これだけの大きな農地改革というのは今日やろうと思ってもできなかったであろう。私もそう率直に思いますよ。認めますよ。  そこで、私はそこが大事だと思うのでお尋ねすることは、あんた方の御答弁を聞いておりますと、この今回とられた法律上の施策というのは、占領政策のあと始末でもなければ戦後処理の問題でもないというお答えを一貫してやっておられますね。そうでしょう。今日の民主的な諸制度の進んだ時点においてすらこういう大きな農地改革はできぬということは、いま大蔵大臣がお認めになるわけです。しからば、それじゃ戦争前の日本のあの状態においてこれだけの大きな農地改革はできたかというと、より一そう困難であったと思うのです。これはお認めになるでしょう。そうなってきますと、結構これは戦後政策、戦後処理の問題として初めてこれは登場してきたと思うのです。なぜなれば、あなた方の答弁を聞いておりますと、この農地改革は歴史的あるいは社会的に必然的に出てきたのじゃなくして、これは私は占領政策の一環として出てきた問題だと思うのです。言うならばここに私としてもいろいろ資料を持っております。が、たとえば一九四五年十二月九日の農地改革についてのメモランダム、これを受けて自作農創設特別措置法などという法律が出てきたわけですね。そういうことを掘り下げて考えてみるならば、今回のこの旧地主に報償金を支給するというこの施策というものは、そもそもこれは占領政策あるいは戦後処理施策の一環として生まれてきたのだということは当然なことじゃございませんか。それはお認めになりますね。大蔵大臣の答弁からいっても、それは当然認めてもらわなくちゃならぬ。
  167. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) なるほど戦後の農地解放から起こった問題ではありますけれども、いわゆる戦後処理という問題ではないと。戦後処理という問題は、戦時中——これは私の解釈といたしますると、戦時中のいろいろ戦争によって起こった事柄を戦後において処置すると、こういう点の意味で戦後処理ということを使っているのだと思うのです。この農地解放の問題は、いまも申し上げましたように、なるほど戦後起こったことではございますけれども、それから、もう一つは、お説のように、これが行なわれたということも、戦争によってなるほど非常なあきらめができた、あまり欲もなくなった、命が助かったくらいであるからというような、当時としてはみな非常に欲というものがなくなった時代でございまするところへもってきて、占領軍からのメモランダムも出たのでさらにこれが促進される、また先刻からお話しのように当時補償金と一緒に報償金もつけてこれを促進する、こういういろいろのもろもろのことが重なって、これは大事業、大改革が行なわれたのでありますが、しかし、この農地改革というものは、いま申し上げた意味においてのいわゆる戦後処理という問題とは別である、こういう解釈をしております。
  168. 田畑金光

    ○田畑金光君 大臣諸公の答弁は非常に長いですよ。そうしていつの間にか質問者の質問の焦点というものをぼかしてしまって、行くえ不明にしてしまうんです。いまの答弁もそうだし、大蔵大臣の先ほどの答弁——先ほどの答弁はいいですよ。だから、その答弁を前提として私は質問をしているんですがね。今日の時点において冷静に考えれば、おそらくこれだけの農地改革はできなかっただろう。それは私はそう思うんですがね。それから、戦争前、少なくとも戦争の終わる前においてそれができたのか。これはできなかったと思うんです。現にこれは農林大臣にもひとつお答え願いたいんですが、いろいろ自作農創設の立法措置あるいは政府の施策というものは戦前からなされているということはわれわれも認めるんですが、ところが、昭和二十年までにどの程度一体自作化というのが達成されたかというと、二十九万九千町歩、そうして該当戸数が五十五万五千戸、こういう記録が残っておりますね。ところが、戦後の二十一、二年のこの農地改革政策の結果、二十八年度までの実績を見ますると、この資料にも出ておりますように百八十万八千町歩買収されて、そして四百四十七万八千戸の農家に対してこれが売り渡されている、こういう実績が出ておりますね。この数字から見ましても、農地改革というものは、農地解放というものは要するにGHQの力を背景として推進されたということは、率直に認められると思うのですね。したがって、今回あなた方がこの旧地主の報償法律を出されたこの趣旨というものも、結局この戦後のいわば大きな制度改革のあと始末、戦後処理、この施策であることが、これはいなめない事実だと思うのです。ところが、皆さん方、どうしたわけか、戦後処理のあれじゃありませんとか、占領政策のあれではないのです。こういう答え方をしているから、わからなくなるわけで、率直に私の言うことをお認めになったらどうですか。それがわれわれとしても非常に理解が早くできるわけですが、この点どうですか、農林大臣。
  169. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 戦争に原因して農地改革をしたものではないということは、お認めのようでございます。私もそう思います。占領政策の一環としてやったのか。あの当時御承知のようにGHQからのメモが来ない前に手をつけたのでございますが、それはまずいということで、メモでもって直されてやったのでございますから、占領政策の一環であるということは私もそう思います。しかし、それがいま報償するのは戦後処理かというと、農地改革は農地改革でもう済んでいるのでございますから、いまはその処理をしておるんだというふうには私は解しません。
  170. 田畑金光

    ○田畑金光君 まあ、その辺は議論しても並行線でしょうからね。しかし、私の言っていることもあなた方としては認めてもらわなくちゃ出ると思うんです。これはまた後ほど関連して問題が出てくると思っておりますが。  それから、もう一つの心理的な影響と、こうお話しになりますね。これは精神的なショックという意味ですか。ショッキングなケースで、地主の人方が非常に精神的にいろんな気持を持たれたというまあ意味だと思いますが、心理的な影響ということは具体的いうとどういうことでしょうか。さらに、その心理的な影響をもたらした問題点、本質は何なのか、この点はひとつわかりやすくもうちょっと説明してもらいたいと、こう思うんです。
  171. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) 心理的影響ということがショックということかというんですが、まあ私も外国語には弱いんで、ショックという正確な解釈はあれですが、やはりまあ同様な意味は、その中に、ショックを受ければ心理的と関連があるんですから、これはもう非常に相類似したことだと、精神上の問題だと思うんです。  で、そこでどういうわけでそういうふうにショックを、また心理的影響を受けたかということは、これは私、解放地主でございませんから自分の体験で申し上げるわけでございませんけれども、まあはたから見ましても、日本では私有財産制というものが確保せられて、そういう制度のもとにある。もちろん、公共のためにはこれは強制買収もできるんでありますけれども、それが大規模のああいうような強制買収をせられて、一つの社会改革的な農地制度というものが大改革をしたということで、それでまあ一つの従来の長い間の制度の変革によってもたらされた心理的影響というものもあろうと思いますが、もう一つは、しかし、これは農地を、増産するというために、まあしかしそれにしても売却をした。ところが、その後これが目の前で工場ができる、宅地ができるということのために、転用が許されて以来というものは、自分の売った値段の百倍、数千倍というような値段で売買せられていくと。これなどは非常な精神的なショック、心理的影響というものを受けられたんじゃないか。で、それにつきましては、本日の当委員会におきましても、そういう転売を許したことについてのいろいろ論議がございました。それはそれとして、確かに大きな問題点で、論議の余地があると存じますが、しかし、それはそれとしても、とにかく旧地主にとりましては、そういうようなことが公然と行なわれるということに対してのこれはもう心理的影響を非常に受けている。これは自分が農地として売り渡したのに、これが目の前で他のほうに転用せられて、そしてえらい値段で、これは人間でございますから、もしあの地所をおれが持っていたならば、これは相当なここに収入源があるという、これに対する影響ということもあったのでありましょうし、その影響によってまあ気がおかしくなったり、首をくくって死んだと、こういうような者もあるくらいでございますから、しかし、この影響力というものは個人によって違うのでございまして、それは一概にはいえませんけれども、非常にそういう影響を受けた者が相当あったということは、これはもう想像にかたくないし、現実にそういう事例もあるわけでございます。まあ、そういうことを申しておるわけでございます。
  172. 田畑金光

    ○田畑金光君 臼井総務長官の御答弁ですね、まあその限りにおいてはよくのみ込みましたが、長官だけ答弁されても、非常に汗かいて御苦心なさっておるようだから、ひとつ私は農林大臣にいま少しお答え願いたいと思うのですよ。  大体、この法律案は農林省が受け持ってやるべきやつを、総理府総務長官に押しつけたという、私はどうもいきさつ等を考えてみると、もっと農林大臣もひとつお答え願わなくちゃ気の毒だと思うのですね。そこで、私は、いまの総務長官のことばの中にも、いろいろ説明の中にもありましたが、心理的な影響というのは、砕いていうと、農地改革という制度そのものが地主の人方に対する心理的な影響、あるいはショックというものを与えたのか、それとも、農地改革制度そのものについては、これは大きな流れだということで、地主の人方も理解をされた、しかし、農地の買収の価格というものがあまりにも低かったというところに心理的なショックというものが生まれたのか、出てきたのか、あるいはまた、先ほどから議論の中に出ておりますが、インフレによって農地の買収価格というものが不当に、そのときそのときの経済情勢から判断すると低過ぎたというところに心理的なショックというものが出てきたのか、どっちの何が心理的なショックを与えたかという、その点を農林大臣はどのように観察しておられるのか、これをひとつ承っておきたいと、こう思うのです。
  173. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 価格が安いから、それについ心理的影響を受けた、こうは考えません。インフレになったから、それによって心理的影響を受けたとは考えません。私が報償をしなくちゃならぬという理由を私なりに考えますならば、農地解放というものは所有権と耕作権を一致させた、耕作者が所有権を取得したというだけです。そのとき土地の再配分というものが行なわれた。それで、たとえば例を引きますならば、小さい地主等で一町歩くらい持っている、八反ぶりは小作に入れている、二反ぶりは自分でつくっている。そうすると、八反ぶりは解放しなければならない。つくっている二反ぶりだけで生きていかなければならない。これは土地の取り上げを禁止されておりましたから、いかんともすることはできません。自分は一町歩持っておっても、二反ぶりで、いままでの地主という立場を捨てて自作農として精進して、心を改めて今度は自作農になろうとしても、二反ぶりしか耕作していなかったら、二反ぶりしか自分で耕作できない、一町歩あっても。こういうことに対しましては、同じく日本人でありまするから、これからあらためて自作農として出直そう、地主としてでなく。ところが、出直す道を閉ざされている。これは法律上そういうふうになっておりましたから、しかたありません。そういうものは、私は小さい地主等において相当な心理的な影響があった、こういうふうに考えます。
  174. 田畑金光

    ○田畑金光君 そうしますと、大臣、あれですか、心理的影響というのは、いま言われたような事例は特に深刻な問題であるということは率直に認めますが、それだけだというならば、それは制度そのものに対する地主のレジスタンスということになるでしょう。農地の民主的な改革の制度そのものについて地主が抵抗した、反対したということになるわけでしょう。あなたのお話のやつは、一町歩持っていたが、八反歩小作に出していた、二反歩しか自作していなかったから、二反歩しか残らなかったということが、すべての解放農地全体に通ずるという原則になるならば、制度そのものに反対だ、地主の心理的な影響は制度そのものに対する抵抗だ、こういうことになりまするが、それならば、これはとんでもないことになりはしませんか。私は、そうじゃなくて、私は善意に読めば、農地改革制度そのものについては、大きな時の流れであるので、旧地主の方も、これは抵抗しがたい、そうしてまたそれが今日の日本の民主的な社会の建設に大きな貢献をなしたと、こう思うのです。  問題は、買収された農地の値段があまりにも低かった、ここに私は問題が、旧地主の人方の不満が出たと思うのです。それは率直に認めてもらわなければ困るのじゃありませんか。いろいろ最高裁の訴訟の問題その他が議論として取り上げられておりましたが、たとえば、特に東北地方を中心とする大地主の合法的な農地訴訟の問題、これは記録に残っておりますね。大地主中心の合法的な農地訴訟を運動方針とする団体が全国的にある時期には組織されて、違憲訴訟というのが百何十件にものぼったというこのことですね。あの最高裁の判決に出ておった問題それ自体が、私は旧地主の人方が不満とし、したがってこれは心理的な影響となって、私はああいう問題が起きたと、こう見るのですが、その点は農林大臣お認めになりませんか。
  175. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 農地改革そのものに対して反対したといいますか、そういうことはなかったと思います。反対しないから、それに貢献したと、こういうふうに見ている。すなわち、これは時勢の流れであり、それから耕作者が土地を持つということは、これは筋として正しい筋だ、こういうふうに大体理解せざるを得なかった、あのときの情勢が。そういうことでございまするから、その改革そのものに対しまして反対しないで、こういう無血に土地改革が行なわれた、だから、そういうことに対しての私は貢献という意味を持つと思います。心理的な影響というのは、そういう価格が低いというようなことで訴訟をした者もございます。また、大地主等におきましては、実際価格が低いといいますか、当時財産税等に納めればそれで残るものは一つもなかったのです。そういう点から、大地主の中で訴訟などを起こした者がありますが、一般におきましては、その最高裁の判決のありますとおり、当時においてはいたし方ない、当時の賃貸価格の四十倍も四十八倍もの価格できめられたものはいたし方ないということで、一般の人々は訴訟等を起こさなかった、こういうことでございます。しかしながら、私が申し上げるのは、土地改革をしたが、土地の再配分というものをその当時しなかったということにつきまして、その当時の不公平というようなものが相当私はあったと思います。そういう面につきまして心理的な影響はあったというふうに私は考えております。
  176. 田畑金光

    ○田畑金光君 だから、私の言いたいことは、違憲訴訟というのが百何十件にのぼったと私は言いましたが、それは事実あったわけですね。問題は、すべての旧地主の人方が訴訟したくても訴訟できなかったわけです。それは財政的な理由、訴訟技術、いろいろな問題がからまっておりますから、だから、百何十件も違憲訴訟が起きたということは、そこに私は旧地主の人方の共通の心理が流れていると、こう思うのです。すなわち、共通の心理とは何かというと、あの戦後の農地改革のもとにおける買収価格というものが一体、憲法二十九条の私有財産を公共のために使った場合の正当の補償というものに該当するのかどうか、正当の補償とはいえないという心理的な、これが一番大きな影響等をもたらしている心理的なまあいわばショックというか、そういう気持ちが衝動的にと申しますか、起きて私は訴訟問題に発展したと、こう思うのでありますが、その点はどうでしょうか。お認めになりませんか、それともある程度は認められますか。
  177. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) それはいろいろな旧地主のお方がありますので、そういう面でショックを受けた人もありましょう。しかし、根本的に政府から見ての心理的影響ということを考えますならば、私は土地の再配分ができなかったのでその辺の不公平があった、こういう点、それからその後の、確かにいま仰せのとおりインフレ等によりまして、あとから考えてみれば非常に安かったというような点で心理的影響があったということは、一部あるいは相当あった、これは地主側から見ればあったと思います。政府側から見るのと、また地主側から見るのと、少し違うと思います。
  178. 田畑金光

    ○田畑金光君 まああまりこういう問題にかかっていてもどうかと思うので、まあこの辺でこの問題だけは終わりたいと思いますけれども、しかし、いまのお話を承っても、また先ほど臼井長官の御答弁を承っても、結局のところ、旧地主の心理的な影響はいわば不満なんですよね。この制度改革に伴うもろもろの不満を総称されて心理的影響と、こういうことになっておりますが、私は結局尽きるところ、心理的な不満の内容を探求してみれば、あの違憲訴訟の中にはっきり問題が出ていると思うんです。したがって、私の言いたいのは、あなた方がこれは報償とかあるいはごほうびだとかなんとか言われておりますけれども、結局これはあの買収価格に対する追加支払いなんです。これは追加支払いなんです。追加支払いというのが、補償ということばを使うか、報償ということばを使うか、ことばはどっちでもいいんです。問題は、最高裁の判決の手前あなた方が補償ということばを使えないだけであって、実質的な補償ということと変わりないんですね。私はそう見ておるんですが、その点はどうでしょうか。
  179. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) やはり報償と補償とは、御承知のように違うわけで、補償でございますると、やはり国なら国が法律に反して、そこに損害を与えたとか、そういうような理由がなければ補償というものに対しての——それを補うためにやるんでございますが、そういう必要はないんでございますが、ところが、報償はそうではなくて、必ずしも国の義務ではない。だから、言ってみれば、出さなくても出しても義務的な問題についてはよろしいわけでありますけれども、しかし、このような大きな改革によっていま申し上げたような心理的影響もあり、また貢献というものがなされたと。それはあの農地改革によって、食糧増産とともに、農村の平和——これは農村の平和は、これはやはり日本国の平和でございまするので、その平和のもたらされたところの農地改革の功績は、また旧地主に対してもやはりそれは認めるべきであろう、こういうことで、義務ではないけれども、まあ言ってみれば高度の政治的判断によって多年のもろもろのものを解決して、一つの社会的緊張ともいえるような旧地主と小作人との間の感情的な対立といいますか、緊張といいますか、さっき大蔵大臣のお話のような事柄がいまだにあることを、それを解くことは、これは日本の将来にとっても非常に有意義なことであるということで、ここに心理的影響と貢献を多として報償を出そう、こういうことでございます。この点は御了承願いたいと思います。
  180. 田畑金光

    ○田畑金光君 社会的緊張とか高度の政治的判断とか、おそろしくことばだけが大きくて、私の聞かんとする問題には幾つも答えていないのですね。周棚をぐるぐる回っていて、私の開きたいということについては一向答えてくれない。いや私だけじゃなく、ほかの人方の質問に対しても、一向聞かぬとするところに答えないで、大きなことばだけでぐるぐる、ちょうど煙に巻くようなものです。それじゃ少し答弁にはどうかと思いますね。  白片国務大臣、補償というのは、何か先ほどあなたは変なお答えをしておりますが、だんだんこれを調べてみますと、これは私は有権的な解釈などというつもりはございませんが、補償というのは、国や公共団体その他公権力の主体の公法上の適法行為により特定の人に財産上、精神上損害を与えることによって生じた損失を償う、これが補償というのですね。私は、今回のこの給付金支給法というのはまさにその補償に該当するのじゃないか、こう思うのですよ。それに関して実は農林大臣にちょっとお尋ねしておきますが、旧自作農創設特別措置法の第十三条の第四項ですが、「一段歩當りの額は、田にあっては二百二十圓」と報償金というのがこれに出ておりますが、これは先ほど何か奨励金みたいなことを臼井長官はお話しなさったし、今度は農林大臣はインフレ的な要素が出てきたのでそういうものもカバーするものだというお答え方をしておられるわけですね。臼井長官は奨励的なものとお答えになった。奨励的なものとインフレ的な要素を加味したまあ財政的なと申しますか、経済的な条件の配慮と、こういうことは大きくこれは違いますよ。しかし、私はそれよりも何よりも、第十三条の第三項の報償金というのは、どっちかというと私は補償的な性格のものだと、こう思うのです。端的にいうと、補償的の性格のものだと思うのです。こめ点はどうでしょうか。これは農林大臣にお尋ねしておるわけですが、農林大臣はその点をお答え願いたい。  さらに、臼井長官に簡潔にお答え願いたいのですが、ここで使われておる、この法律を提案された趣旨報償ということばは、これはごほうびという意味ですか。簡単に申しますと、ほうびだ。要するに報償という中には、「ほうしょう」の「しょう」というのは元来、人べんのない賞、私のいうのは報賞、優等賞の賞、これは人の功労、功績、善行はじめそれに報いる場合に用いる。まあ普通「ほうしょう」というのはそういうものですが、人べんのない賞。ところが、この場合の、今度は人べんのある今回の報償というのもどうも同じようなものなのかどうか、その辺がちょっとわからぬのですが、簡単にひとつお答えくださいませんか。ああだこうだと言ってしまうとわからなくなりますから、簡単にひとつ。
  181. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) それでは、最も簡単にお答え申し上げますが、報償というのは、一定の事項にかかる貢献や寄与を考慮してこれに報いると、こういう意味だと考えております。
  182. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 自作農創設法の十三条三項あるいは四項の「報償金」、これは中小地主に対しての奨励的な意味を持つことは総務長官の御答弁のとおりであります。ただし、その動機、こういう報償金を出す動機はどういう動機であったかといえば、当時インフレが進行しておりまして、でありますので、こういう報償金を出してスムーズに進めていきたいと、こういう動機から出たものと思います。というのは、十三条の一項に、「第三條の規定による農地の買収については、政府は、その對價を買収の時期における當該農地の所有者に支拂はなければならない。」とあるその買収の時期です。ところが、支払う時期はそれよりおくれている。おくれているうちにインフレはどんどん進行していく、こういうことでございますから、奨励的なものではございますけれども、動機はインフレに影響されておる、こう思います。
  183. 田畑金光

    ○田畑金光君 そこで、その辺はその程度にとめておきますが、農林大臣、この法律の施策は農業政策ですかの一環ではない、農業政策でもなんでもないというお答えがありましたね。農業政策でないというのは、これはどういうことですか。この中に農業政策というのが加味されていないわけですか。その点、ちょっとわかりませんので。
  184. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 農業政策に関連がないとは私は申し上げません。しかし、農業政策プロパーの問題ではない。農地改革の上に立って私どもは農業政策を推進しておるわけでございます。でございますので、これが農地改革を逆戻りさせるということであるならば、これは農地政策というようなことに非常なる強い関連を持つものでございますが、私は、農地改革の上に立って、現在といたしましてはそれをだんだん集約しまして、農業基本法の立場に立って農業政策を推進していく、そういう点から考えますならば、これは農業政策プロパーの問題じゃない。農業政策に関連はございます。それから、農業政策を逆戻りさせるよう報償給付金の制度ではないと私は考えるものですから、農業政策プロパーのものではない、こう御答弁申し上げました。
  185. 田畑金光

    ○田畑金光君 臼井長官の先ほどの御答弁、これはまあ私もわかりましたが、社会保障でもないわけですね。そうしますと、簡単なことばで申しますと、これは社会政策の一環としてこの法律を出されたのか、どのように理解したらよろしいのか、この点はどうでしょうか。
  186. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) これはまあ社会政策という解釈にもよることでありますが、普通いわれているいわゆる社会政策、困っている人に対しての福祉を増進するといいますか、そういう意味においての社会政策としての社会福祉、社会保障ではないと、こういうことでございます。
  187. 田畑金光

    ○田畑金光君 私もよくわからなくなったのですが、要するに、私のお尋ねしているのは、農業政策プロパーでもないということも、これはわかりましたが、社会保障でもないこともわかりました。それは資産所得による制限がないのですからね。そうすると、一体これは戦後処理のあれでもないという先ほどお話でしたね。戦後処理でもない、占領政策のあと始末でもない、一体それじゃあとは何が残るかというと、社会政策的なものとしてこれは理解すべきなのかというと、またこれむずかしくなってきますけれども、たとえば、後ほどちょっと触れますが、在外財産問題の処理の一環として先ほど大蔵大臣が例に引かれた昭和三十二年の引き揚げ者の人方に対する給付金支給、あれは社会政策的な一環として、引き揚げ者の人方は困っておるから何らかの施策をやりなさいということで答申が出て、そうしてあの法律ができ、あの五百億という給付金になったわけですよね。まあそういう意味のこれは社会政策として解していいのかどうか。どうなんですか、それは具体的な事例に即してお尋ねするわけですが。
  188. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) いまお話しのような社会政策ではないと考えております。もちろん、さっき申し上げたように、社会的ないろいろの緊張を解くという意味において、これを解くことが社会政策じゃないかとおっしゃられれば、そういう意味が全然ないということはいえ、ませんけれども、いわゆる一般に考えられているような社会保障等を行なうというよう意味における社会政策ではないと、こういうことです。
  189. 田畑金光

    ○田畑金光君 しかし、まああなたはたいへんどうも、私が質問すると、何か含んでいるのではないかと思ってすぐ逃げられますが、私はやっぱり社会的な正義の実現というか、公平の原則にのっとった私は一つの社会政策的な意味でこの問題を処理されるためにこの法律が出されたのではなかろうかと、こう考えているわけなんですよね。決してあなた方をどうのこうのというわけじゃありません。  そこで、私は、そういう意味においてはいろいろな問題が出てくると思うのです、私はね。そこで、特に総務長官は臨時農地等被買収者問題調査室を所管されておると同時に、臨時在外財産問題調査室もあなたが所管されておりますね。そこで、私は戦後処理ということばを使うとあなた方たいへんどうも敬遠されておるようですから、あまりそういうことばを使いませんが、ただ、大蔵大臣に私はこの際お尋ねしておきたいのですが、衆議院の内閣委員会質問に対する大臣の答弁の中で、私はある新聞を読みまして、在外財産問題については、この旧地主の報償をやったからといって在外財産の補償なんということは考え、ていない、こういうようなことを新聞記事で読みましたが、この問題についてあなたのひとつ考えを聞いておきたいのです一在外財産問題については補償なんということは考えていない、あるいは補償ということばでなくても、今後これの処理については考えていないといったよう趣旨の記事を私は読みましたが、その点どうですか。
  190. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) これは私だけではなく、内閣、政府としての統一的見解でございます。農地報償が実現をしたからといって、引き続いて在外財産の補償等を行なうというような関連性は持っておりません。これは明確になっておるわけであります。  それから、在外財産につきましては、審議会の答申をもととして、五百億にのぼる交付公債を交付済みでございますから、そういう意味では、在外財産に対しては処理済みであるという統一見解をいままでとっております。が、しかし、在外財産の問題に対しては、世間的にまだ多数意見もあるようでありますので、慎重を期する意味からも、総理府に再び在外財産に関する審議会を置いて、広範な立場審議をいただいておりますので、すべてこの審議会の答申を待ってからということでございまして、ここまではもういままで政府が、歴代の大蔵大臣でもだれでも、総理大臣でも、みな統一的に国会において明らかにしているところでございます。
  191. 田畑金光

    ○田畑金光君 あなたのあとの御答弁で大体わかりましたが、申すまでもなく、昭和三十九年、すなわち昨年の十二月二十二日佐藤総理の名において、第三次在外財産問題の諮問を発しております。その諮問の内容を見ますると、「在外財産問題に対しなお措置すべき方策の要否及びこれを要するとすればその処理方針について貴会の意見を求める。」、こうなっておるわけですね。審議会が現在進行中であり、審議会が答申を出して初めて、政府はその答申を受けてどう処理するかということが今後の政府の方針でなければならぬと、こう思うんですね。そういう段階において、旧地主の報償がこうだからといって在外財産問題については考えていないというような答えをするとすれば、こういう審議会を設けて答申を求められたという、こういう政治的な行為に対して、これは非常にこの政治的な行為に照らして軽率な態度であり、軽率な答え方である、こう私は思うんですがね。この点どうですか。
  192. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 軽率じゃありません。当然のことを言っただけにすぎません。これは間違っていただいちゃ困るんです。これはもう在外財産につきましては政府は統一見解を明らかに前から出しておるんです。これはもうすでに審議会の答申によって処置済みであると、こういう考え方でございます。  第二点は、これは私が一方的に言ったんじゃありません。質問で、こういうものを出すと、また在外財産も要求が来ると思うが処置いかん、こういう質問がございますから、在来申し上げているとおり、在外財産につきましては処置済みであるという見解をとっております、しかし、いろいろ世の中に議論もございますので、なお措置すべき方策の要否、あるかないか、あるとしたならばその方針その他について御審議をわずらわしたいと、こういう総理大臣が諮問をしているのでございますから、私の答えは何ら問題にならぬ。質問があるのです、こういう要求があったらどうしますかと。まあ、もちろんそういう要求も出ると思うからこれを引っ込めろと、こういう善意な御質問ではございますが、いずれにしましても、政府が尋ねられれば、政府がいままで決定している方針を明らかに宣明する、これはもう当然のことであります。
  193. 田畑金光

    ○田畑金光君 いや、私の聞いていることは、政府が、総理大臣審議会に諮問をしているわけでしょう。諮問をしておりますから、当然答申が出てくるでしょう。答申によってどうするかということに問題は発展しなければならぬと、こう思うのです。その点はどうですか。
  194. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 私の申し上げていることを、速記録もひとつずっと全文読んでいただくと、何にも異議はないと思うのです。農地報償との関係があるという質問でございますから、農地報償と在外財産とは明確に区分をしている問題でございまして、農地報償の問題は直接戦争被害とは関係がないと、こういう前提に立って政府は考えているのでございますから、これが在外財産の補償の再燃というようなものにつながるものではないという政府の見解を、まず申し上げております。それから、在外財産につきましては、過去何回も申し上げましたとおり、補償は済んでいると、こういうたてまえをとっておりますと、こういうことを第二段に申し上げております。が、しかし、いろいろな議論もございますので、政府はなお慎重に検討をいたしていただくために、総理府の中に審議会を設けて検討していただいております。でありますから、この後のことは審議会からの答申待ちでございますと、こう明確に三段に分けてお話をしているのでございますから、私のどう答弁は不穏当でもないし、もうこういうことを言わないと不親切だと、こういうことになるわけであります。
  195. 田畑金光

    ○田畑金光君 それで、臼井総務長官お尋ねしますが、在外財産の問題に関しまして、本年の一月三十日に東京高裁が判決を下していますね。その判決の内容、御存じですか。御存じであれば、その要旨をひとつ説明してください。また、それ全部読まれたらたいへんですからね、それの骨子をですね。
  196. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) 私の頭に残っておることについての補足はあとでまあ担当のほうから御説明いたしますが、在外財産については補償すべきであると。ただし、いまその補償をする法律というものはないので、したがってこれを払う方法がないと、こういう、簡単にいうと何かそういうよう意味だったと思います。
  197. 田畑金光

    ○田畑金光君 長村参事官、ちょっとね、骨子だけ簡単に説明してください。
  198. 長村輝彦

    説明員(長村輝彦君) 戦前カナダに財産を持っておられた原告が、戦後カナダ政府によってその財産が処分されたということについて、その損害の発生の原因が日本政府が在外財産を賠償という公の用に用いたことにあるということで、これに対して補償の請求を出された事案でございまして、一審、二審とも国が勝訴しているのでございますが、それぞれその判決の理由とするところが非常に違っておりまして、最近の高裁のほうで言っております考え方は、在外財産は賠償に充当されたものと解する、国としては憲法の趣旨に照らして正当な補償をなすべき責務を有する、しかし、現在はまだ補償に関する法律が制定されていないから請求することはできないという理由で請求を退けたということが、判決のおもな理由として書かれております。
  199. 田畑金光

    ○田畑金光君 まあ骨子はそれでけっこうですが、そこでですな、これは大臣にお尋ねしますが、臼井長官、一九四七年十一月発効したイタリア平和条約第七十四条、それから第七十九条、これをひとつ、どういう内容を規定しているか、簡単にこれをちょっと説明してください。
  200. 長村輝彦

    説明員(長村輝彦君) イタリア平和条約の七十四条及び七十九条におきましては、イタリアが連合国に対しまして、ソ連等の特定の国に対していろいろの賠償をしろという規定が一つと、それからそのほかの各連合国に対しましてそれぞれの国に所在するイタリア財産を処分する権利を認めるという規定がございます。また、この在外財産の問題に直接関連いたしましては、イタリアがこれらの処分された財産についての補償措置を講ずるということについての規定がございます。
  201. 田畑金光

    ○田畑金光君 声が小さかったので、よく聞き取れなかったのですがね、第七十四条にはこういうことを書いてありますね。「イタリア国政府は、この条に基づいて賠償目的のために財産が取り上げられる一切の自然人または法人に対し、補償を与えることを約束する」、こういう条文が載っておりますね。御存じですか。いいですね。で、イタリアはこの平和条約のこの補償条項に基づいて国内法律をつくって、すでに在外財産の補償については払っておりまするが、この点は、御存じですか。
  202. 長村輝彦

    説明員(長村輝彦君) 一九五四年にこの平和条約の実施の結果、在外財産を喪失した者のための国内立法措置が講ぜられたことを承知いたしております。その実施状況につきましては、現在いろいろの資料、つまり財産が所在した事実、条約によって処分された事実、あるいはそれらの財産の評価の問題ということで、国によっては非常に資料のとり方がむずかしいということがあるために、法律は一九五四年にできた、現在その法律を受けて実施中であるということで、実施のなお途中の段階であるというふうに承知いたしております。
  203. 田畑金光

    ○田畑金光君 西独は、一九五〇年十月締結した対独平和取りきめ、いわゆるパリ条約ですね、一九五五年にこれを発効しておりますが、その条約第六章に賠償の事項を設けており、さらに、この条約の賠償条項に基づいて、一九六三年七月西独の連邦議会に賠償損害法案というのを提出して、いまこれは継続審議中、こういうことになっておりますが、これは御存じですね。
  204. 長村輝彦

    説明員(長村輝彦君) ボン・パリ条約にお話のような規定があること、いわゆる賠償損害法案が現在提案されていること、それぞれお話のとおりのようにわれわれも承知しております。
  205. 田畑金光

    ○田畑金光君 これはまあ臼井総務長官に念のために確認の意味お尋ねしますが、突然こんなことを質問してまあ気の毒だと思いますけれども、ヘーグ陸戦法規第四十六条を読みますと、私権の尊重、こういうことで、その第二項に「私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ス」、こういう原則がうたわれているわけです。これはまあいわば長い長い国際法の原則として続いているわけですが、これは御存じですか。
  206. 臼井莊一

    国務大臣臼井莊一君) 何かそういうあれはあるということを聞いておりますが、内容については私は詳しくつまびらかには承知いたしておりません。
  207. 田畑金光

    ○田畑金光君 長村さん。
  208. 長村輝彦

    説明員(長村輝彦君) 四十六条にそのような規定があることを承知いたしております。
  209. 田畑金光

    ○田畑金光君 そこで、私はこの問題実はあまり深追いしてもどうかと思いまするが、結局これは大蔵大臣に聞いておいてもらいたいと思うのですが、いまのヘーグ陸戦法規という国際法のたてまえから見ても、私権の尊重というのは明確に、私有財産を没収してはならぬということは明確になっているわけで、大蔵大臣御承知のとおりです。また、同じ敗戦国である西独とかイタリアとかオーストリアの国々を見れば、その条約そのものの中に日本の平和条約と違って賠償条項があり、その賠償条項に基づいて、イタリアにおいては、先ほど答弁にありましたように国内法律でもって在外財産の処理をすでに始めておる、西独は連邦議会に法律が継続審議されておるという状態にあるわけですね。さらに、先ほど東京高裁の判決を私はお尋ねいたしましたが、東京高裁の判決も平和条約の第十四条の問題を取り上げておるわけです。簡単に申しますと、日本は敗戦国である、敗戦国として当然負担すべき損害賠償というものを結局は在外財産という個人の負担で払っておる、こういうことを規定して、したがって、国に憲法上から見ても国際法の原則から見ても補償の責任があり義務がある、こういうのが判決の趣旨である。  問題は、私はこういうことを考えてみますと、今回のこの旧地主の補償法案、あるいは報償法案でもよろしいですが、これは皆さんが何と詭弁を弄されようとも、戦後処理あるいは占領政策に基づくいろいろな制度改革に伴う国内問題の処理として、今回のこの立法措置を講じられたものだと私は解釈し、反対しておるわけです。皆さん方がこの法律を提案されたということは、いろいろ質疑応答の中で御答弁がございましたが、結局は私は、労を多とするとか心理的影響とか、こういう二つの理屈だけでは納得がいかないのです。納得のいかない、国民にとっても理解のしにくいことばで千五百億の交付公債を支給される、これは今回とられた措置でございますが、しかし、私は在外財産問題の処理という戦後処理のこの大問題等は、国際法のたてまえから見て本、憲法の精神から見ても、負担公平の原則から見ても、社会正義実現というたてまえから見ても、むしろこういう筋の通った問題こそ私は政府として取り組んでしかるべきだと、こう思うのです。そういうことを考えてみますと、私は今回のこの報償法律案というのはもっと皆さん方も納得ができる説明国民になされなければ、先ほど来のこれは撰挙対策のためじゃないかというそしりを免れないわけですね。この点について大蔵大臣のひとつ御所見を承っておきたいと、こう思うんです。
  210. 田中角榮

    国務大臣(田中角榮君) 在外財産は補償はしなければならない、こういうことを前提にして立論をされております。私たちも判決は、東京地裁のもの最高裁のものも承知をいたして一おります。おりますし、その考え方は、賠償に引き当てた、個人の財産を公共の用に供したという場合には当然正当な補償をしなければならない、こういう憲法上の規定もありますし、当然そういう状態をさしておることでございます。あなたが先ほどヘーグの陸戦法規の話をなさいましたが、確かにそれはもう国際通念でなければならぬし、守られなければならぬことでありまするが、この日本国との平和条約はその十四条(a)項の2の(1)で、差し押えかつ留置した財産、そういうものの処分をする権利というものを日本は無条件に承認をしたわけでございます。それがその賠償、そういうことに個人の財産の処分等がこの平和条約において認められたということは、それによって賠償の責めを減殺したのだということになれば当然補償しなければならぬ、こういう問題が出てくるわけであります。  ところが、全く無抵抗という状態においてイエスかノーかという、同じ状態において日本の主張がほとんどできなかったという状態のもとにおけるものでありますから、こういうものが実際において正当な補償という国の補償義務の範疇に入るのかという問題はいろいろ問題がございます。でありますから、政府はこういう無抵抗状態の在外財産に対しては政府自身がその責めを負えない状態にあったわけでありますので、その補償の責任はないということをいままで政府の統一見解として申し上げております。これらの問題に対しては最高裁が判決をするということで、将来この種のものにどう対処しなければならぬかということは、最高裁の判例を待つ、判決を待つということになると思います。  それから、農地報償の問題とこれを直接結びつけて論断をしておられますが、本件は直接の関係はないという立場に立っての御説明を申し上げておるのでございますので、農地報償というのは別な角度から、あなたが先ほども申されたとおり社会保障的な政策ではありませんが、広義の社会政策として取り上げたものでございまして、在外財産の問題とはおのずから区分して論ずべきであるというたてまえに立っております。
  211. 田畑金光

    ○田畑金光君 私は、この問題についてはもっと掘り下げて質問もし、問題点も持っておるわけですが、この時刻でもありますので、きょうはこれでやめておきますが、また近く総理大臣出席されると、こういうふうなことでございますので、その節あらためてまた総理大臣にひとつ質問をしたいと、こう思っております。
  212. 西田信一

    委員長西田信一君) 本日はこれにて散会いたします。    午後九時四十六分散会