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1965-02-27 第48回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年二月二十七日(土曜日)    午前十時十四分開議  出席分科員    主査 植木庚子郎君       井出一太郎君    稻葉  修君       小川 半次君    川崎 秀二君       八木 徹雄君   茜ケ久保重光君       石橋 政嗣君    野原  覺君       長谷川正三君    三木 喜夫君       村山 喜一君    山中 吾郎君       湯山  勇君    兼務 小林  進君 兼務 川俣 清音君    兼務 坂本 泰良君  出席国務大臣         法 務 大 臣 高橋  等君         文 部 大 臣 愛知 揆一君  出席政府委員         内閣法制局長官 高辻 正巳君         総理府総務長官 臼井 莊一君         警察庁長官   江口 俊男君         警  視  長         (交通局長事務         代理)     鈴木 光一君         総理府事務官         (宮内庁長官官         房皇室経済主         管)      並木 四郎君         総理府事務官         (行政管理庁行         政監察局長)  山口 一夫君         防衛庁参事官         (人事局長)  堀田 政孝君         法務事務官         (大臣官房経理         部長)     勝尾 鐐三君         検     事         (大臣官房司法         法制調査部長) 鹽野 宣慶君         法務事務官         (入国管理局         長)      八木 正男君         文部事務官         (大臣官房長) 西田  剛君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     福田  繁君         文部事務官         (大学学術局         長)      杉江  清君         文部事務官         (管理局長)  齋藤  正君  分科員外出席者         警察庁次長   新井  裕君         警  視  長         (長官官房装備         課長)     長谷川俊之君         警  視  長         (警務局人事課         長)      槇野  勇君         警  視  長         (警務局教養課         長)      小野沢知雄君         宮内庁長官   宇佐美 毅君         検     事         (人権擁護局調         査課長)    辻本 隆一君         大蔵事務官         (主計官)   小口 芳彦君         大蔵事務次官         (主計官)   小田村四郎君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長事         務代理)    平間  修君     ――――――――――――― 二月二十七日  分科員石橋政嗣君及び野原覺委員辞任につき、  その補欠として村山喜一君及び茜ケ久保重光君  が委員長指名分科員選任された。 同日  分科員村山喜一君及び茜ケ久保重光委員辞任  につき、その補欠として石橋政嗣君及び三木喜  夫君が委員長指名分科員選任された。 同日  分科員三木喜夫委員辞任につき、その補欠と  して湯山勇君が委員長指名分科員選任さ  れた。 同日  分科員湯山勇委員辞任につき、その補欠とし  て長谷川正三君が委員長指名分科員選任  された。 同日  分科員長谷川正三委員辞任につき、その補欠  として山中吾郎君が委員長指名分科員に選  任された。 同日  分科員山中吾郎委員辞任につき、その補欠と  して野原覺君が委員長指名分科員選任さ  れた。 同日  第二分科員小林進君、第四分科員川俣清音君及  び坂本泰良君が本分科兼務となった。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  昭和四十年度一般会計予算皇室費国会、裁  判所内閣総理府防衛庁及び経済企画庁を  除く)、法務省及び文部省所管並びに他の分科  会の所管以外の事項  昭和四十年度特別会計予算文部省所管及び他  の分科会所管以外の事項  昭和四十年度政府関係機関予算中他の分科会の  所管以外の事項      ――――◇―――――
  2. 植木庚子郎

    植木主査 これより予算委員会第一分科会を開会いたします。  まず、昭和四十年度一般会計予算法務省所管を議題とし、審査を行ないます。  この際、去る二十四日の分科会における村山喜一君の質疑に対し法務大臣から発言を求められておりますので、これを許します。高橋法務大臣
  3. 高橋等

    高橋(等)国務大臣 先般村山委員からお尋ねのありました硫黄島における日本人労務者出国につきまして、経過を御報告申し上げます。  いずれも総理府特別地域連絡会から、これは南方地域に渡航する者に対して発給する身分証明書に関する政令がありまして、この政令に基づきまして一般身分証明書の発給をいたしております。そして立川の入国管理官より当該身分証明書出国の承認を受け、正規に出国をしたものでございます。なお、最近の出国状況は、一月が十一名、二月が七名、いずれも硫黄島における滞在予定日数は六カ月でございます。要するに出たり入ったり常にいたしておるわけでございます。
  4. 村山喜一

    村山(喜)分科員 ただいま大臣からの説明を承りまして、そのことにつきましては了解をいたします。しかしながら、日本潜在主権は認められても、今日まだ特殊な地域として現にアメリカ軍が占領をし、日本の国籍を持つ者が一人もいないこの硫黄島、小笠原諸島におきまして、こういうような国際的な情勢のきわめて緊迫をいたしておりますときに、米軍のそういうような基地建設のためにそこで働いている者がどういう形で出ていったかということを調べてまいりますと、初めて公開をされたんだというアメリカの通信によりまして、そこに日本人が働いておるということ、そうしてそこには六カ月近くも居住をし、一定の宿舎に入って働いているということが初めてわかって、質問をしてこういうような事情だということがわかる状況でございます。  そこで私は、こういうような問題につきましては単に入国管理局課長どまりのようなところでなくて、やはり局長あたりのようなところまではそれらの情勢を的確に抑えておく必要があるのではないかと思いますので、その点につきましては、今後そういうような措置をおとりになるように要望申し上げておきたいと思います。
  5. 高橋等

    高橋(等)国務大臣 事情は、従来繰り返し繰り返しやっておることなのでございまして、毎月やっておる、そこで下のほうにまかしてありましたが、御趣旨のこともよくわかります。さよう取り計らうつもりでおります。
  6. 村山喜一

    村山(喜)分科員 終わります。
  7. 植木庚子郎

  8. 坂本泰良

    坂本分科員 私は、昨年八月意見書が提出されました臨時司法制度調査会の点につきまして、これに基づくいろいろの諸施策が出ておるようでございますが、その点について若干お伺いしておきたいと思います。  御案内のごとく、臨時司法制度調査会昭和三十七年法律第百二十二号によりまして設置されたものでありまして、その基本とするところは、現行憲法に基づく民主裁判実現をはかり、官僚裁判を排して、そうして真に国民のための裁判実現するために設けられたものであります。しかるにこの法律有効期間でありまする三十九年の八月三十一日までに各委員が設けられまして、そうしてその討議した結果は、司法一元に対する問題についてはとかくの口実を設けまして、何らまとまった意見をやることなく、ただその結論は、現官僚裁判キャリア裁判を強化する、裁判官を擁護して、そうして現裁判制度維持をはかる、まあ一口に言えばこういうような結論が出てまいったのであります。この審議にあたりましては、私は、一昨年十一月総選挙後において委員となったわけでありまするが、その後委員会に出まして、いささかその内容も熟知いたしております。その結論におきましても、裁判所から出た三名の委員検察庁から出た三名の委員、並びに大学教授として我妻、鈴木両君が出ておりまするが、法曹一元化についての熱意に欠けて、ただ現制度維持して、いかに官僚裁判維持をはかるか、こういうことに審議進行等も進められております。この点についてはあとで申し上げたいと思いますが、まず最初に大臣にお聞きしておきたいことは、この報告書総理大臣に報告され、さらにその副本が国会に提出されまして、法務省においてはこの意見書に基づいて、まあ結論的に申しますと官僚裁判維持キャリア裁判制度維持についての、また官僚裁判官に対する問題、また裁判進行等に関する問題、ひいては司法試験に関する問題等、いろいろありまするが、この意見書の全般の問題についてこれを放任いたしまして、現裁判制度維持するために都合のいい制度のみを摘出してやっておられるのじゃないか、こういう疑念が、私だけじゃなくて、在野弁護士会、その他一般国民の中にも非常な疑惑を持っておるわけであります。そこで、この意見書は、法曹一元は望ましい制度であるけれども、制度実現されるための基盤となる諸条件はいまだ整備されていない、こういうようなことを申しておるわけでありますから、まず私がお聞きしたいのは、それではこの法曹一元に対する関係については、この意見書は、意見ができなかったから、今後法曹一元の制度の長所は念頭に置きながら現行制度の改善をはかる、こういうようなことになって、意見書の第一には、司法協議会設置いたしまして、裁判所検察庁、もちろん法務省もそうですか、弁護士会、これが協議会を開いて、この法曹一元の実現のためにはからなければならぬ、これが第一であると思いますが、この点について法務大臣はどういうような処置をとられておりますか、その点をお伺いいたしたい。
  9. 高橋等

    高橋(等)国務大臣 法曹一元化に対します答申趣旨は、いま坂本委員からお述べになりましたとおりでございまして、今後施策を進めてまいります上におきまして、常にこれを念頭に置いてその方向に少なくとも近づけていくという考え方で進んでいく方針を考えております。ただ、いまの協議会の問題でございますが、これは法務省としましても、ぜひひとつ早目設置をいたしたいということで、裁判所弁護士会等と具体的な話を進めておったのでございますが、どういうわけか、弁護士会のほうからこれに対して相当強い反対意見が出されておりまして、いまその調整をいたしておるのでございます。いずれこれはその真意はわかってもらえると思いますので、努力を続けて、まず協議会はぜひこれを置きましてやっていきたいという考え方でおります。
  10. 坂本泰良

    坂本分科員 先ほど来申しましたように、この司法協議会設置趣旨というのは、法曹一元化育成である、こういうふうに考えるわけです。したがって、法曹一元化育成をはかるのについては、いろいろの裁判制度に対する問題よりも、まず先にこれを設置しなければならぬ。しかるに日本弁護士連合会がこれに反対をいたしまして、そうしてこの協議会設置に行き詰まりを生じた。それはどこにその原因があるか。これは臨時司法制度調査会審議並びにその他のことに原因を生じてこれが設置できない、日弁連が強力にこれに、反対しておる、こういうふうに考えられますが、大臣所見はいかがですか。
  11. 高橋等

    高橋(等)国務大臣 この協議会を置きまして、お互いにいろいろな重要な問題で、これはものをきめるのではなしに、話し合っていくための協議会ものを進めていきます上において、これは意思疎通をなす非常に大切なことだと考えておるのであります。弁護士会のほうでなぜこれに反対されるか、どうもわからないのでございますが、結局、裁判所あるいは検察庁ペースへ巻き込まれるのじゃないかというような何か心配があるのじゃないか、こういうように私は考えておるのであります。しかしいま申しましたように、これはお互いに話し合っていくものであって、決定をする機関ではないのでございますから、よくその間の事情了解をつけるようにいまやらしておる最中でございます。
  12. 坂本泰良

    坂本分科員 臨時司法制度調査会委員会におきましても、必ず官僚の諸君から言われることは、この調査会調査をしてその意見を申請するわけである、したがってそれを採用するかせぬかはこの調査会ものじゃないからというところで議論をだんだん進めていく、そして結論をつける、それは参考のためだからいいだろうというところで、人のいい委員なんかは賛成をする。強力に反対すると、反対したのがどうも常識が欠けたふうに持っていく、これが官僚の会合の一番責め手であるし、官僚の悪弊だと思うわけですが、そういうふうにしてこの調査会が進められて意見が出ておる。調査会のほうはそういうふうで日弁連意見なんかは聞かずにやってしまったんだ、そこで今度再びここに司法協議会設置されてここに日弁連が参加したならば、これは法務省裁判所官僚化をお手伝いするだけであって、憲法に基づく民主裁判実現という理想はいつの間にかなくなってしまうんだ、だから臨司のほうには三名の委員を出したけれども、今度はその協議会委員と申しますか代表者を出してもやはりこの官僚化のお手伝いをするだけであって、巻き込まれるのだから、どういうことを協議してやるかという点がはっきりしなければ、日弁連のほうでは出せない。東京の三弁護士会をはじめ、全国の弁護士会反対をしているというのはそこにあると思うのです。だから根本はそこであると思いますから、その点についてどういうような配慮と、この設置についての自信を持って大臣はやっておられますか。その点をお聞きしたい。
  13. 高橋等

    高橋(等)国務大臣 この調査会では、承るところでは、弁護士会もこの問題では異議がなかったように承っておったのであります。ことにものを決定する機関ではないのであって、官僚ペースに巻き込まれるとかなんとかということは少し思い過ごしがあるのじゃないか、こういうように考えます。よくいろんな、いま御指摘になったような点なとも参考として話し合いを進めまして――無理やりにつくりましても参加しなければどうにもなりませんので、よく話し合った上で、こうしたものはあったほうが弁護士会としてもその主張を述べるいい機会を持つわけでございます。決して官僚で、これを押えつけるとかなんとかいうような意味のこれは協議会ではないのでございますから、そうした誤解をなくしますようにひとつ十分話し合いをしてみたい。話し合いの過程におきましては、いまお話しのような、どういうことを話すのだというようなことも出てくるかと思いまするが、弁護士会との話し合いをいま進めておる最中でございます。
  14. 坂本泰良

    坂本分科員 善良な大臣もどうもだんだんペースに巻き込まれているのじゃないかというふうに心配でならないわけです。この意見書に盛られておる、いまからお尋ねもし、申し上げたいと思うことが、いろいろと法律案になって出ようとしておる。しかし私は、その前にこの司法協議会設置して、そうしてここで検討し、いま大臣が申されましたような話し合いをしてからこれは順序としてやるべきである。それを日弁連反対であるからその話し合いあとまわしにして、そうして、そのほか個々にあげられたいわゆる官僚裁判を強化し、やるべき方法をどんどん進めようとしておる、それは本末転倒したものであって、まずこの司法協議会ができまして、その上でこの答申に沿って十分検討をした上で、そうしてその具体的の問題、法律化等の問題その他の処置についてはやるべきだ、こういうふうに考えますが、その点いかがでございますか。
  15. 高橋等

    高橋(等)国務大臣 私はそうは考えないのでございます。協議会でいろいろ相談をすることはこれは非常にものを前進さす上においてけっこうだし、また法曹三者の意見一致したところでものを運ぶことは非常にけっこうである。ただ政府が受け取っておりますもの答申でございます。この答申趣旨は十分尊重してまいって、そうして実現できるものからこれを逐次実現する、法律を要するもの法律、あるいは運営でできるもの運営、将来検討を要するもの検討、こういうふうに区分けをして作業を進めていく、これは政府としましては当然そうしたことを行なう責任があると思う。ところが、これをやるにつきましてもいろいろと各方面の意見というものはこれを十分にお伺いをいたし、そして参考といたすことは当然でございますが、この協議会へかけてからしかるべき後にということは、そうした性格ものじゃない、私はこういうように考えております。臨時司法制度調査会答申実現するのにそうしたことが条件になるということは、これは私は少し過ぎておるのじゃないかというように考えます。
  16. 坂本泰良

    坂本分科員 どうも大臣と私は逆なように考えておるわけなんです。個々もの実現するというと、もう官僚の計画でみんなやっちまうんですね。そうするとこの司法協議会なんというものはもう設けないでもいいことになる。そこに問題があるわけなんです。これは御参考のために申し上げますが、私がこの調査会委員になりまして間もなく、中間報告というものが出たわけです。その前にはいろいろ地方回りをし、一部の議員は海外に行った。私は海外に行くなら欧米のほうにだけ行かずにやはり社会主義の国のほうも行って、そうして視察をしてやらなければならぬ、こういう考えを持っておりましたが、欧米のほうを二カ月もかかって多額の費用を使って視察をしてきている。その視察がどういうふうにして反映しているかといろと、私はさっぱりわからぬ。私は幸い七月に中国に参りましたから、よし、一部の者がその前に欧米に行っているのだから、中国裁判制度検討して、そうして参考にしたい、八月にこの最後検討をする、こういうことであったから出かけたわけであります。帰りまして調査会に出ますと、すでに個々的の問題につきまして審議をして結論を出しておる、その結論は動かせないというんです。私は、個々的に検討して結論を出したのはそれは参考で、けっこうだろう、しかし八月、三回調査会があるから、この三回にはやはり根本的の検討をし、そしていいのはそのままにするし、悪いのはこれを改めなければならない、こういう考えを持ってきましたが、この法律最後審議の、細則ですか、こういうのをたてにとりまして、もう決定したのは動かせないのだ、あとは字句の改正とかごろを直すような程度だ、そういうようなことを言う。それなれば何のために最後の三回の調査会を開いて結論を出すかと言いましたら、それをたてにとってやらない。ですからほんとう結論というのは出ていないわけです。そしてなお、日弁連反対をしているのはどこにあるかといいますと、一例をあげますと、簡易裁判所特進裁判官に、簡単な選考を内輪でやって弁護士資格を与える、副検事の四、五十名の者に対して、やはり内部的の簡単な試験をやって、そして弁護士資格を与える、こういう審議をやっているわけであります。弁護士会から出た三人の委員はそれに賛成している。賛成して弁護士会に持って帰ると、これはとんでもないということになった。弁護士会から出たこの三名は老体でありまして、老兵は語らずと申しますか、簡易裁判所事情がよくわかっていないものだから、とんでもないことをしでかしておる。しかしながら、実情がわかるとそのとおりであるけれども、もう自分たちはその個々的の結論賛成をしておるから、今度は、あなたたちはもう賛成しておるから、賛成した者があとで異論を言うのはおかしいでしょう、といって、官僚的に文句を言わせずに通ったのがこの臨時司法制度調査会意見書なんです。だから、この際この司法協議会設置するにあたっても、日弁連ではこれは簡単に承知できない、どういう構想をもって、どういう方法でやられるかということがわからなければいけない。再び法務省裁判所官僚化にお手伝いすることはできないというので、弁護士会では臨時大会を開いてこれに反対をしておる。もしもこれで無理にやられるならば、弁護士会国選弁護を全部辞退する。国選弁護弁護士会が辞退したらば裁判の運用はできないです。幾ら官僚が横暴をし、自分の意のごとくやろうと思っても、やはりまだそういうもの一つはあるわけなんです。ですから法務省のほうとしても、この司法協議会設置には行き悩んでおるのじゃないか。それが私は真相だと思うのです。ですから再びそういうことがないように、臨司における委員を出して、そして官僚ペースに巻き込まれて、あとで気づいたときは有無を言わさず、結論が出ておるからそれを変更できない、こういうことで運営をされたから、今度も同じような運営をされたならばとんでもないということでこれが行き悩んでおる。そういう不完全な臨司意見書であるから、この意見書でいっておるところの司法協議会をまず設置して、そしてごまかしのない、ほんとう日本民主裁判実現するための司法協議会をつくって、そしてこの協議会話し合いをして、個々の問題について法律化すべきもの法律化し、その他の処置をとるべきは処置をとって進むべきが順序であろう、私はこういうふうに考えますけれども、大臣いかがですか。
  17. 高橋等

    高橋(等)国務大臣 先ほど申し上げましたように、協議会話し合い協議会であって、弁護士会のほうでいろいろ思い過ごしをされているのじゃないかと思います。そしてなお、いま申されるような官選弁護の辞退も辞さないというようなことを、私のところに何か若い人が大ぜい来て言うから、そんなけんか腰にならないでも、これはよく話せばわかることで、そんなに気にもむようなことじゃないのだということを話しました。  いまいろいろ司法制度調査会審議経過についてのお話も承りましたが、ただこの司法制度調査会答申は、内閣はこれを尊重していくべきだ、そうしてこれを実現をいたしますのは内閣責任においていたすのであります。そういうわけで、ただこの運営の問題については、三者それぞれ御相談をして、できるだけ意見一致を求める、どうしても一致はしないが、これが正しいと思えば、また非常に急ぐことであればやらねばならないものもあるわけでございますから、なるべくそういう形を避けて話し合いでいきたい。了解の上でやりたいというつもりでおるのです。ただ、いま言うように、この答申を具体化するにあたって、まず協議会にかけて、その結論によってやるということについては、私はそうした性格協議会ではない、こういうように考えております。
  18. 坂本泰良

    坂本分科員 もう一言。臨時司法制度調査会のことについて、これは重要な問題であるから申し上げておきたいのは、総論段階を終わったあとでしたけれども、私は地方実情視察等に行ったのですが、その総論段階が終わって各論段階に入るのだ、その際に一応の結論を出そうということで結論が出たわけです。案が出たわけです。この調査会には十名の幹事がおりまして、そうして弁護士会からも二人の幹事が出ておられる。しかし八名の幹事はいずれも法務省裁判所関係であって、幹事会では相当がんばっておられたとは思いますけれども、その結論が出たところはやはり八対二と申しますか、相当弁護士会としても所見を持っている人もありますけれども、結局そっちのベースに巻き込まれて結論が出ない。その一例をあげますと、総論段階が終わりました際に、まず幹事会で出た案はこういう案だったのです。「法曹一元の制度臨時司法制度調査会設置法第二条第一項第三万の制度をいう。)は、これが円滑に実現されるならば、わが国においても一つの望ましい制度である。しかし、この制度実現されるための基盤となる諸条件は、いまだ整備されていない。その整備の見通しも困難である。したがって、現段階においては、法曹一元の制度の長所を念頭に置きながら現行制度の改善を図るとともに、」――これがくせものです。「右の基盤の培養についても十分の考慮を払うべきである。」こういう案をわれわれ委員に示されたのです。私は何でこういう案をつくるのだ、それじゃ一年有半にわたっていままで法曹一元制度について何を検討してきたのだ、「一つの望ましい制度である。」「その整備の見通しも困難である。」何が困難か、そういうところもあげずにこういう案は絶対できないというので、調査会の前日に事務局長が私のところに持ってきましたから、これでは絶対できぬと言った。そこでその調査会の当日になって、それじゃというので案を修正してきた。その点は墨でまつ黒に消したのを持ってきたのですが、「その整備の見通しも困難である。」これを消してきた。ですから、この司法制度調査会というのは何を法曹一元について検討したのであるか。私が悪意に考えるならば、法曹一元ということはまくらことばであって、現行制度の改善をはかる、いわゆる官僚裁判官僚の強化と実現にあるのだ、こういうふうにも勘ぐられるわけであります。ですから、これについても私は反対した。反対したから、今度はそれをそう反対するなと言ってなだめにきたのはだれかと申しますと、弁護士会から出ておる二名の幹事なんです。私は、あなたたちのためにぼくは正論を吐いてやっているのだ、あなたたちがなだめるのはもってのほかじゃないかと言ったわけでありますが、そういう結果で私は沈黙を守って、そして次の各論段階に入った。各論段階に入ったならば、その上に立って新しい結論を出すかといいますと、やはりその中間の案と、私並びにその他数名の人が文句を言って修正した案そのままを七月の結論には持っていっているわけです。私はこれも修正しなければならぬと八月に主張しましたけれども、もうきまっているのだからこれは動をせないという。ですから言論を封じているわけです。その結論そのままについてはもうすでに個々的にきめておるからできない、それがこの調査会答申の真相なんです。  まだほかにもいろいろありますが、時間がまいりましたから、さらに一つだけつけ加えたいのは、先ほどもちょっと申しましたが、この司法制度の改善にあたって、その当局者であるところの裁判所から三名の委員を出し、検察庁から三名の委員を出す。これは私は間違いであると思う。連絡員がおればいい。真に憲法に基づいて民主裁判実現をはかるためには、そういう当事者は入らずに、国会並びにその他学識経験者等々が審議をしてほんとう結論が出る。だからこの結論は出ていない。  さらに一例を申しますならば、裁判所の三名の委員が一番主張したのはどこにあるかと申しますと、簡易裁判所の特進判事に弁護士資格を与えることである。検察庁から出ておる三名の委員の極力主張するところは何かと申しますと、副検事四十数名に対してやめたならば選考によって弁護士資格を与えろ、そこにある。裁判官であり検察官である者がいよいよ委員会なんかに出てくると、自分の部下の職域の代表としての発言しかできていない。だからこういう結論が出ておると思うのです。したがって、この弁護士会の案なんかもそのペースに巻き込まれているのだから、今度は司法協議会にはそう容易に応じられないというのがその真相であると、こう思うわけです。  そういう点でありますから、私はまず司法協議会設置をされて、ここで大臣の言われるような裁判所検察庁弁護士会と仲よくほんとう民主裁判のための協議をして、それからこの意見書に盛られておる数項目の点の実現に当たってしかるべきであると思うわけであります。  時間がありませんから次に進みますが、臨時司法制度調査会意見書に含まれておると称して、いま法務省が立案されておるところの法律案その他はどういうものがあるか、その点を承りたいのであります。   〔主査退席、八木(徹)主査代理着席〕
  19. 鹽野宣慶

    ○鹽野政府委員 ただいまお尋ね臨時司法制度調査会意見に盛られた事項法務省におきましてただいま立案準備中の法律案は、一つ司法試験法の一部を改正する法律案でございます。それから裁判所法の一部を改正する法律案というのをただいま検討しております。いま申し上げました裁判所法の一部改正は技術的なものでございまして、直接臨時司法制度調査会意見を出しておりますものそのものではございません。坂本委員御承知のとおり、いま申しましたのは事物管轄の問題ではございません。
  20. 坂本泰良

    坂本分科員 内容は。
  21. 鹽野宣慶

    ○鹽野政府委員 これは検討中でございますが、内容を簡単に申し上げますと、最高裁判所の建物の整備の問題で委員会をつくろうというような技術的な問題でございます。  そのほかただいま検討中で準備しておりますのは、いま申しました事物管轄の拡張と、それから判事補の職権の特例の制限、これは御承知の臨時司法制度調査会意見の中の重要な問題でございますので、ただいま検討を続けている次第でございます。  それからさらに下級裁判所の整理統合の意見が出ておりますので、これにつきましても成案を得るべくただいま検討を急いでおります。  それから意見の中に特許法事件等の特別事件の集約処理という問題が入っておりますが、これも何らかの形で成案を得るべくただいま検討中でございます。  さしあたって検討しておりますのは以上のような諸点でございます。
  22. 坂本泰良

    坂本分科員 その内容、また進められている点はわかりましたが、そこでたとえばこの司法試験法の改正問題を取り上げて申しますならば、この司法試験法の改正というのはすでに戦後四回やっているわけです。そうしてさらに今度の改正というのは、一次試験をなくして教養科目の試験をする、しかもその教養科目については短答式の方法をとる、こういうような点と、さらに教養科目、しかも短答式試験にするということについては、現在のいわゆる六・三・三・四制の大学制度の改革ということが文部省でも行なわれておりますが、この大学制度の改革をまった上でないと、現在の制度の上において単に教養科目を試験科目にする、そうして軽々に一次試験をなくする、こういう点について大問題があるわけなんです。だからいまの大学制度そのものについて、ただこの意見書に盛られているような改正をするということは、教育とマッチしないと思う。さらに司法官になるべき者はやはり法律家でありますから、法律試験は重視しなければならぬ。ただ法律試験を多くすると受験者が一回で通らないから、その合格年齢が上がっておる、それを引き下げるためには、在学生を通さなければならぬ、だから在学生を通さなければならぬというのは、現在の程度の教養科目で通して、法律専門職となる法律あとでやればよろしい、官僚試験に教養科目を中心として合格した者を採用して、そして官僚の言うなりの教育制度を施して、基本的な法律の問題のことはやらずに、ただ技術的に裁判を簡単にやるための裁判官をつくる。だから弁護士に現在ではなる者が多くて、裁判官、検事になる者がない、こういうことになるわけであります。そういう点、いかに年齢を下げても、その目的とする多数の優秀な法曹を獲得することはできないわけなんです。こういう問題についてはやはり司法協議会でもっと検討をしなければ、できない問題であるわけです。そういういろいろな問題を含めて、日弁連、在野の反対があるのをそのままにしておいて、個々的の調査会意見書のみ部分的に実現すると、そこに非常な誤りを生ずるわけです。法曹一元で、真実発見に基づいて国民のために国民の納得する裁判をやるということは不可能になってくるわけです。したがって臨時司法制度調査会設置の目的にも反するし、日本裁判制度の、国民のための裁判実現する上においては逆になってくる。こういう点を憂慮するのでありますから、この点については十分大臣において考えて、ただこの報告書にあるからこれをこれをといって官僚の選んだそれをやるということになれば、とんだ間違いを起こし、国家百年の大計を、裁判制度において失うということにもなると思いますので、こういう点について最後大臣所見を伺っておきたい。
  23. 高橋等

    高橋(等)国務大臣 司法協議会に対しまする考え方は先ほどから申し上げているとおりでございます。なお、法案をいろいろやりまする場合に、反対意見その他も出てまいりますが、できるだけ調整につとめていきたい。ただ必要なものからできるだけ早く実現を期したい、こう考えております。   〔八木(徹)主査代理退席、主査着席〕
  24. 坂本泰良

    坂本分科員 ちょっと一つだけ……。できるものからやりたい。それは官僚のほうでやってくれるわけですから、そういう点をサゼスチョンされるのがやはり大臣の任務である、こういうふうに思うわけです。したがって、出してきたのを大臣が政治的にも十分考慮されて、そうして責任ある法律案その他の作成なり提案等にも善処されんことを要望いたしまして、これで終わります。
  25. 植木庚子郎

    植木主査 続いて昭和四十年度一般会計予算防衛庁及び経済企画庁を除く総理府所管を議題とし、質疑を行ないます。  質疑の通告がありますので、これを許します。野原覺君。
  26. 野原覺

    野原(覺)分科員 先般この分科会の始まりました二十二日であったと思いますが、自民党の中曽根委員から、伊勢神宮の造営、それから式年遷宮に関して国庫から支出ができるかどうか、そういう観点でお尋ねがございました。私もいま少しく、これは政府並びに関係官庁の見解を明確にしておく意味で、この問題をお尋ねしたいと思うのであります。  私どもの考えでは、伊勢神宮は一つの宗教施設だ、こう考えております。したがって式年遷宮というのは、宗教法人伊勢神宮の実施する宗教的行事だ、このように日本憲法のもとでは考えなければならないと思うのであります。総務長官の見解を承りたいと思います。
  27. 臼井莊一

    ○臼井政府委員 お説のように、伊勢神宮は宗教法人法に基づくところの宗教法人伊勢神宮でございます。しかし、その内容の行事については、いろいろ純然たる宗教行事であるものもあり、あるいはないものもあるかもしれませんが、ただいまの式年遷宮につきましては、一応は宗教的の行事とも考えられると存じます。
  28. 野原覺

    野原(覺)分科員 そこで、次にお尋ねをいたしますが、私ども日本国民と伊勢神宮の関係であります。明治憲法のもとでは、政教一体のたてまえをとってきておりました。ところが今日の日本憲法では、御承知のように政教分離の原則をとっておる。こういう点から考えていきますと、戦前の、つまり明治憲法のもとにおける日本国民と伊勢神宮の関係とは異なった関係が新たに今日の憲法のもとで生じてきたのではないか。つまり明治憲法のもとにおいては、特別の関係があったのでございますが、今日の憲法のもとでは私ども国民と伊勢神宮の関係というものはどういうようにこれは理解していったらよいのでございましょうか。総務、長官のお考えを承りたいと思います。
  29. 臼井莊一

    ○臼井政府委員 明治憲法下におきましては、主権が天皇のもとにございましたが、新憲法下におきましては、主権在民でございますから、したがってその間における皇室と国民との関係におきましては、いま申し上げたような差が出てきたと存じまするが、しかし、新憲法下におきましても、やはり国民の象徴としての天皇であり、御皇室でございますので、したがいまして伊勢神宮は皇室と特に深い御関係がある関係におきましては、やはり国民感情におきましても、伊勢神宮に対する信仰と申しますか、尊崇と申しますか、そういう意味においては、やはり相変わらざる国民的な感情を持っておるものと、かように考えております。
  30. 野原覺

    野原(覺)分科員 伊勢神宮は皇室が非常に崇敬されておる。皇室と、つまり天皇はわが国の象徴である。元首ではありません。象徴である。そういう関係においては、間接的に国民感情の面でこれは考えなければならない面は確かにあろうかと思うのであります。ところが、私、名前をあげて恐縮でございますが、私の聞くところでは、自民党の方々の一部でございますけれども、伊勢神宮は宗教施設ではない、こういう考えを持っておられる人々があるようであります。そういう考えに基づいて、伊勢神宮の式年遷宮には国庫から支出すべきだ。国が何がしかの補助金を出すことがあたり前じゃないか。こういった考えがあるように思うのでございますが、ただいま私がお尋ねしました総務長官の御答弁からいたしますと、式年造営の経費そのものを、国または地方公共団体が支出することは、日本憲法はこれを許さない、このように私どもは憲法を理解しておる。いかがでございましょうか。
  31. 臼井莊一

    ○臼井政府委員 伊勢神宮がいわゆる一般の宗教としての神社と、そこに差があるということは、これは学者の間にもいろいろの説はありますけれども、確かに普通の純然たる宗教としての神社とは異なる面があるかと存じます。その点につきましては、やはり伊勢神宮とは違いますが、靖国神社等もやはり同様にいろいろ論議されている点であります。しかし、いま申し上げましたように、現在の伊勢神宮は、宗教法人法にのっとったところの宗教法人伊勢神宮でございますので、したがいまして、憲法八十九条の制約は受けるもの、かように考えております。まあ神宮の中にもいろいろの性格等があることは従来言われておりまして、したがいまして、いわゆる宗教的な活動といいますか、教義を宣布するとか、そういうことを行なう神社とは性格的に相当異なったものがあると存じますが、現在の法制のもとにおいては、また宗教法人としての伊勢神宮については、私がただいま申し上げたように解釈いたしております。
  32. 野原覺

    野原(覺)分科員 国または地方公共団体から国庫の金、地方公共団体の金を、これは何という名目でありましょうとも、補助することはできない。これはできません。これは先般中曽根委員の質問に対しても、高辻法制局長官からもそのような見解が述べられたと私も記憶いたしておるわけであります。したがって、このことはこれははっきりいたしておかないと、憲法の基本的な立場がくずれていくわけです。そこで、私は明確にするために蛇足ではございましたが、このような質問をここで繰り返しておるのであります。  そこで伺いしたいことは、本年から昭和四十八年を一番おしまいの年として、式年遷宮が行なわれます。本年、五月には山口祭が催されるようであります。こういった八年間にわたる式年遷宮の経費を捻出するのに、神宮当局も苦慮いたしておるでございましょうし、また、伊勢神宮に符に関心を持たれる方々も苦慮されていようかと思うのであります。そこで、その苦慮されておられる方々が、何とかして国から補助金をもらえないものだろうか。どうも日本憲法八十九条からいくと、これは憲法違反ということになって、補助金はとれそうにもないから、国庫の経費を支出させるためには、やはり一つの法的根拠がなければならぬ。そこで現行法の範囲で、国庫からその経費を支出されるということにいたしますと、まず着目することのできるのは、一つは皇室経済法に基づく内廷費であります。もう一つは、文化財保護法による、つまり文化財としての指定を受けることである、こういうことで先般も中曽根委員がこれはできないかどうかと詰め寄っておるのを私もこの席で拝聴しておったのであります。  そこで宮内庁長官お尋ねいたしますが、これは長官も御承知のように、内廷費というのは、つまり皇室のお手元金、天皇のお手元金と申しますか、皇室の日常の生活に供するところの経費ということで皇室経済法のたてまえは立てられておる。だといたしますと、内廷費から伊勢神宮の式年遷宮の経費を支出することは、これはできないことだ。私どもはこのような解釈をとるのでございますが、これは重ねて宮内庁長官の明快なる御答弁をお願いしたいと思うのです。
  33. 宇佐美毅

    ○宇佐美説明員 先日の中曽根議員の御質問にもお答えしましたが、神宮の式年御遷宮ということは、すでに千二百年以上の昔から、持統天皇の四年に第一回が行なわれまして、今回で六十回目に相なります。その間、戦国時代等におきまして非常に国内の乱れたときに、二十年ごとに行なえなかったことが百数十年続いた歴史もございます。しかし振り返ってみますと、明治憲法以前、古い歴史におきまして、常に朝廷なり、時の政府の公なお金で式年遷宮が行なわれてきたという長い伝統、歴史に基づきまして、関係方面あるいは国民の中にもそういうような昔の古い伝統を守っていきたい。単にお金を集めるのがむずかしいというのみならず、そういう考え方もあるのも事実であろうと思うのでございます。しかし先ほど御質問にございました明治憲法の時代におきましては、いわゆる神官のみならず、神社を宗教と見ずに国家の宗祀ということばであらわしまして、国からも供進金とか経費というものが出ておったわけでございます。しかし新しい憲法によりまして、八十九条の解釈からいって、直接国費を支出するということは、憲法の解釈上非常に困難な問題であろうと思います。  内廷費の御質問でございますが、内廷費も御指摘のとおりに天皇をはじめ内廷におられる皇族の日常の経費に充てる、これを公金としないという規定でございます。しかもその額は法律によって定められた定額でございます。その中から用を節せられまして、災害のお見舞いとか、いろいろお出しになっておられるわけで、こういう場合に式年に際しても皇室との深い関係から、その範囲内においてお出しになることは、私はこれは憲法違反でもない、皇室経済法から申しましても、できることだと考えております。しかし、式年二十年ごとに行なわれるものに対しまして、巨額のものを出すということは、現在の皇室経済法の解釈としては、なかなかむずかしい問題があるというふうに私どもは考えておるわけでございます。これは法制局当局のお考えもあろうかと思いますが、私といたしましては現在そのように考えるわけでございます。
  34. 野原覺

    野原(覺)分科員 法制局長官の見解を承りたい。
  35. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 結論から先に申し上げますと、ただいま宮内庁長官が仰せになったとおりに私どもも解します。つまり現在の内廷の諸費という現行規定の文言からは、現行規定を中心にして考えれば、おのずからそこには限度があるのではないかというふうに考えるわけでございます。
  36. 野原覺

    野原(覺)分科員 現行法の規定からいきますと、日常の経費、つまり日常的な皇室のもろもろの費用に充てる、こういうことであるから困難だということでございますが、それではこの皇室経済法の内廷費の条章が改められますと、支出が可能になりますか、法制局長官。
  37. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 その問題は憲法との関連で、皇室が御自分のそれぞれの御宗教あるいは御信仰の関係でお手元のお金をお使いになるということは、憲法八十九条そのままの問題にはならぬだろうと思います。ただ内廷費というものは、いま御指摘のように内廷の諸費ということでございますので、それがいまあります賢所等のことでありますれば話は別でごございますが、別の団体等になりますとその限りで読めるかどうか、これは非常にむずかしい問題ではないか。また同時に、これは御質問にはございませんが、外にお金を出すということになりますと、御承知のとおりに皇室が使用する場合には、国会の議決を経るというようなこともございまして、ただ単純にそれだけで考えられないようないろいろな問題があるような気がいたします。
  38. 野原覺

    野原(覺)分科員 私は、内廷費のこの条章が単に式年遷宮にお金を出せるように改正されてみましても、やはり日本憲法たてまえからいうと、問題になってくるのではないかという気がいたすのであります。しかし、このことは、私も憲法の専門家でもございませんからおきます。  そこで何とかして式年遷宮のお金を捻出できないかと苦慮される方々が、内廷費については非常に困難が伴う、そういうところから次に目をつけてまいりましたのが文化財保護法であります。文化財保護法に基づいて伊勢神宮の建造物ないしは式年遷宮のあの行事、こういうものを文化財として指定してもらう、これを文化財として指定していただきますと国から補助金がいただける、これはいいではないか、こういうことに考えが進んできておるように私は聞くのでございます。これは文化財保護委員会当局にお尋ねいたしますけれども、文化財保護法によって伊勢神宮が補助金を受けるということはできるものかどうか。これは文化財の当局から御答弁を願いたいと思う。
  39. 平間修

    ○平間説明員 文化財保護法によりまして指定されれば、従来他の物件について行なっておるように国庫補助をすることは可能かと思います。
  40. 野原覺

    野原(覺)分科員 さらに文化財保護委員会当局にお聞きいたします。その指定でございますが、つまり建造物としての指定は可能でありましょうか。
  41. 平間修

    ○平間説明員 建造物としての指定につきましては、従来われわれがとってきたやり方から考えますと、非常に困難な点があると思います。と申しますのは、従来建造物を指定してきましたものは、そのものを押えておるという形でございます。この伊勢神宮の建築様式は、私専門家でございませんからはっきりはわかりませんが、唯一神明づくりとかと申しまして、たいへん貴重な構造形式であるというように聞いておりますが、ただ従来はそのものを押えてきたという観点から見ますと、建物として押えることはなかなか困難でなかろうか、これはもっと慎重に考えてみなくちゃならない問題だろう、かように考えます。
  42. 野原覺

    野原(覺)分科員 文化財保護委員会が建造物を指定する場合には御承知のように第二条があります。「この法律で「文化財」とは、左に掲げるものをいう。」「建造物」「その他の有形の文化的所産でわが国にとって歴史上又は芸術上価値の高いもの及び考古資料」これが建造物に対する指定の条文であろうかと思います。ところが伊勢神宮の場合には新しく建てかえられるわけです。考古資料にならないですね。文化財保護法の第三十三条に、重要な文化財の全部または一部滅失の場合には届け出をしてもらいたいという届け出義務が述べられてある。伊勢神宮の場合には考古資料として残すのではない。二十年きたらつくりかえるわけです。こういう点から申しましても、建造物としての指定は、困難というよりも、むしろ不可能ではないか。まあしかし、このことは文化財の専門委員の皆さんによって検討していただけばけっこうであります。私どもはそのように考える。そこで建造物としては困難だ、不可能でないにしても困難だ、こういう事務当局の見解のようでありまして、一部の資金捻出の点で苦慮されておる人々も、このことについては半ばあきらめざるを得なくなってきたのです。そこで次に目をつけたのが文化財保護法の民族資料の条文であります。これも文化財保護法によって条文がございますが、これを民族資料として見ていく、つまり信仰の行事、こうして見ていくということになれば、指定は可能ではないか、こういう見解が出されておるようでございますが、この点どのようにお考えになりますか。
  43. 平間修

    ○平間説明員 行事、つまり年中行事と申しますか、そういう行事の一種としてこれをとらえた場合は検討の価値はあるのじゃないか、現在そういうふうに考えております。
  44. 野原覺

    野原(覺)分科員 第二条の三に民族資料としての規定がありますね。これは参考までに読み上げてみます。「衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗慣習及びこれに用いられる衣服、器具、家屋その他の物件でわが国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの」これは指定されることの条件になっておる。そこで伊勢神宮の式年遷宮、遷宮の式典は信仰の行事だ、こういうところに目をつけてまいりますと、つまり信仰についての慣習だという点に目をつけていけば、これは民俗資料としての指定が、この条文からすると不可能ではない。けれども今日まで伊勢神官の式年遷宮が文化財として指定されていないのです。これは何か理由がございましたか。
  45. 平間修

    ○平間説明員 率直に申し上げまして、皇室関係ものにつきましては、大体指定しておらなかった戦前の慣習でございます。その慣習が現在までに及びまして、従来はその点はあまり積極的にはやっておらなかったということは率直に認めなくてはならないと思います。しかし、今後、直接皇室財産であるからというようなことで、価値のあるものを全然指定しないということもどうかということで、そういう面についても現在検討をし始めておるという状態でございます。
  46. 野原覺

    野原(覺)分科員 これは検討されて指定されるということになれば、文化財として残されるということも私はわからないではない。現に京都の祇園祭り、これは指定されていますね。それから関東では秩父祭りが指定されておる。ところが京都の祇園祭りは祭りの行事そのものではない。秩父祭りもそうなっておる。つまり祇園祭りの場合にはあの祭りの行事の中で使うところのだし、それから秩父祭りでは屋台ですか、このだしや屋台をつくるところの費用について一部の補助がなされておりまして、その行事そのもの、お祭りそのもの、つまり無形的なものは、指定の対象にしていないと私は聞いておりますが、これは間違っていますか。
  47. 平間修

    ○平間説明員 おっしゃるとおり、秩父祭りあるいは祇園祭りにつきましては、屋台そのものを指定しているというのが現在の形でございます。ただ行事といたしましては、全く無形の民俗資料が指定されておらないわけではないのでございまして、たとえば田植えの習俗とか、そういう種類のものは無形の民俗資料として指定されております。なお、屋台のみを指定するのでは不十分であるからという希望が各地からございまして、そういう祭りとしての行事も指定しなくちゃならないのではなかろうかという点についても、検討し始めているという現状でございます。
  48. 野原覺

    野原(覺)分科員 検討されるのは非常にけっこうであります。文化財保護委員会としては当然検討していただいたらいいと思う。いいと思いますけれども、私が先ほど申し上げましたように、式年遷宮の経費を何とかして捻出しなければならないという、そういう目的のためにこれを文化財に指定するという考え方で指定されては、これは文化財保護法が泣くと思うのであります。純粋にこれは文化財だ、学問的、科学的に見てこれは文化財だ、これを文化財として指定しなければ消えてなくなる、指定についての私どもの理解は、保存をするための要件であったと思う。お金持ちが宝ものを持っておる。これは指定をしなくとも保存できるものは指定してこなかったはずです。国の限られた財政の中から多額の金を出すことは容易でございませんから、指定をするための要件は保存をするということ、だからして十分に保存ができる場合には、いたずらに無形の文化財を指定して国の金をむだに使うべきではない、私どもはそういう考えであります。ほんとうに国が金を出さなければ式年遷宮がなくなるかもわからない、こういう事態がきたら、これは当然考えていいでありましょう。これが従来の文化財保護委員会の考え方であったと私は思うのです。  そこで私が特に申し上げておきたいことは、式年遷宮に三十億円要ると、こう申されております。この点はどれだけ要るか私も知りませんけれども、この金を捻出するために、なんとかしてこれを文化財として指定を受ける、こういう逆の行き方をとってはいけない。このことをまず私は第一に申し上げておきたい。そうしないと、今度は長崎の天主堂も、京都の知恩院も、本願寺も、あるいは富士山ろくの身延山も、これは歴史的、文化的な価値があるのだということで指定を申し出てくる。伊勢神宮は、あれは宗教法人じゃないか、われわれのところも宗教法人なんだ、こう言って仏教やキリスト教や天理教やたくさんのそういうものが指定を申し出てまいりますと、これは非常に困ったことになるのであります。私はそういうことになることをおそれますがゆえに、文化財として指定されるにあたっては、もとより専門委員が、文化的な価値があるものかどうか、指定の要件に合致するものかどうかということで、慎重に検討されるでございましょうから、私は申し上げる必要はなかろうと思いますけれども、この点はひとつ慎重にやっていただかないと、問題をあとに残すと思うのであります。自民党の憲法調査会の中に伊勢神宮小委員会というのが設けられて、その小委員長に中曽根君が当たっておるようです。その伊勢神宮小委員会でいま検討されておるのが、式年遷宮の金をいかにして国費で捻出させるかという命題で研究を続けておられるように私どもは聞いておるのであります。そこで目をつけてきたのが、この文化財だ、こういうことにだんだん結論が煮詰まってきたようであります。この結論を、今度は文化財保護委員会に一つの政治的な圧力で押しつけられて、これが指定をされるということになりますと、私がただいま申し上げましたように、その他の宗教法人が黙っていない、こういう事態をつくり出すことは、せっかく皇室が伊勢神宮を皇室の御先祖としてあがめ奉っておる、国民もまた国民感情としてそう考えておるのに、いたずらに煩瑣な問題を次から次へと起こしてまいりますことは、私は皇室に対してもむしろ申しわけないことではなかろうかと実は考えるのであります。内廷費の増額にしても、あるいは文化財に指定することにしても、これは伊勢神宮の尊厳のためにも、あるいは皇室に対する私どもの考え方からいっても、あまりに事を急いで、いたずらにそういった国庫の金をとるのだということで文化財にこれを指定させる、こういうやり方、考え方は、十分慎重に検討しなければならぬのではないか。これは私は答弁は要りません。このことを文化財保護委員会に特に申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。
  49. 植木庚子郎

  50. 川俣清音

    川俣分科員 法制局長官にお尋ねしたい点が一点ございます。  それは憲法に三権分立の基本方針がありますることは、国民も十分理解しておるところでございます。   〔主査退席、八木(徹)主査代理着席〕 そういう意味でお尋ねしたいと思うのですが、この委員会でも問題になった国有財産の境界等は、これは行政の範囲内だと思いますが、いかがお考えになりますか。国有財産法等に基づいてその境界の査定にあたっては、大蔵大臣の諮問機関として国有財産審議会があり、しかもその審議会の中に、境界の紛争が非常に多い、民間におきましても土地の境界等の紛争が非常に多い。しかも境界等については専門家でなければならないというところから、行政として境界等査定に関する部会を開いて、境界の査定に誤りのないようにしようということになっておりますことは御存じのとおりです。こういう査定がいいか悪いかというのは、もちろん訴訟になることはあり得ましょうが、警察当局あるいは司法当局が、それが誤っておるのだ、誤ってないのだという見解を出すことは、これは行き過ぎであり、職権乱用ではないかと思うのですが、この点はどうでございましょうか。
  51. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 お答え申し上げます。  ただいまの具体に御指摘になった問題についてあまり知識がございませんので、そのことはさらにお尋ねがあれば別でございますが、大体ただいま仰せになりましたように、特定の国家目的を実現するといいますか、とにかく広く行政目的というそういう観点から一つの措置といたしまして境界をきめるというようなこと、そのことが行政であることは、これは言うまでもない。むろん川俣先先いま仰せになりましたように、その定められたものについて法律上の争いを生じた場合に、それが司法の機能に属することもこれも言うまでもございません。ところでお話が、そういう措置を講じた際に、その措置が当局から見て正しいものであったかあるいはなかったかということがどうかということでございますれば、それはやはり当該当局が責任を持ってやりましたことにつきまして、その責任の遂行上それについて自分らの考えはこうであるということは、これは差しつかえないのではないか、私あるいは御質問の中心をつかんでないせいかもしれませんが、もしそのことであればその限りちっとも差しつかえないのではないか、こういうふうに考えます。
  52. 川俣清音

    川俣分科員 私は具体的な事例を一々あげませんけれども、こうした行政処分があって、その上でその行政処分の内容について司法的な問題があれば初めて司法活動が入ることもこれはあり得ると思うのです。しかし境界自体が司法の問題ではない、行政の問題だ、明らかに行政組織があるからには、この行政組織を尊重することが、三権分の立たてまえではないかと思うのです。そこに介入することは越権行為ではないかと、私はそういう意味でお尋ねしたのですが、この点どうでしょうか。
  53. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 法律上の問題になりました場合に、当局が一方の当事者となり、訴訟においてそれぞれの立場を守るためにいろいろな行為をすることは、これはお認めになると思います。そういう訴訟事件になりました際に、むろん自己の主張を擁護するためにいろいろ陳弁、弁明等をすることは当然のことであります。そのほかに純粋に法律上の問題になった場合についておっしゃっているのかどうかわかりませんが、いずれにしましても行政上の措置をやった、それが何かやはり法律上の争訟になる、ならぬは別といたしまして、何か実際上の問題としてそれはどうかというようなことになったその際に、自分らが当局としてやった措置はこういうものである、尋ねられれば、こういうつもりでやった、自分のほうはそれで正しいと思う、こういうことは、お尋ね趣旨であるかどうか私自身いぶかりますが、それであるとすれば、それは差しつかえないのではないかというふうに思うわけでございます。
  54. 川俣清音

    川俣分科員 重ねてこの点お伺いしたいのですが、時間がございませんから、私の見解を述べてそれが誤りであるかどうかというふうにお尋ねしたいと思います。境界というものは、現在の裁判所の取り扱い件数から見ましても、非常に長期に民事上の争いなどもできておる、紛争が絶えない問題であります。したがって、紛争が絶えないということは、いろいろな内容があるということだと思います。お互いに主張しよう、経費をかけても争うというのですから、それほど境界については紛争の絶えない問題である。したがって、簡単にこれを判断するわけにはいかないので、行政組織としてわざわざ国有財産については、その境界の査定等はなかなか一般の行政官では判断しにくい結果も生ずるであろうということで、あえて行政組織が諮問機関をつくり、境界査定については部会をつくって学識経験者の意見を入れて誤りないよう期待しようという行政活動が当然出てきておるものと理解するわけです。したがって、そういうむずかしい問題だけに、行政官ですらなかなか査定が困難だというので、特殊行政機関をつくっておるわけです。それほどむずかしい問題を、そういう問題からいけばしろうとであるべき司法が、それが誤りであるとか誤りでないとかいう見解をもって行動することは越権行為ではないか、私はこういうふうにお尋ねしておるわけです。具体的でなければわからないとおっしゃることも言えないことはないけれども、私は、やはり立法府としてはそういうたてまえでこの組織をつくったと思うのです。その組織を活用してもらうためにつくった法律だと、私どもはこう理解するがゆえにあえてこの点をお尋ねしている、こういうことなんです。
  55. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 だんだんお尋ね趣旨がよくわかってまいりました。いま仰せになりますように、行政というものは分野が非常に広い。そこで御指摘のようなものも含めまして、そこには非常に専門的なものがある。一行政官が容易にそれを判断することがむしろあぶないということすらもあるわけです。そういう意味でお話にありますように、行政組織としてはそういう専門的な事項、あるいはまた非常に公平に処理しなければならぬようなこと、そういうものにつきましては、あるもの委員会を設定してやるとか、あるものは当該主管大臣の権限に属していても、それぞれ審議会等を設けまして、いろいろな方々の意見を聞いて処分をするということになっていることは、まさにおっしゃるとおりで、それが行政のあり方として正しいと思うわけでございます。  ところでそういう経過を経て行政当局が何らかの処分をした、あるいは措置を講じたという場合に、その措置について、何も当局側から大いばりで宣伝これつとめるということもございませんでしょうが、何かそこに疑義を生じて、当局に対して説明を求める。これは、いろいろ行政処分なんかについてはよくあることでございますが、そういう場合に、当局側としてこう思った。当局側としてはこういうふうに信じてその措置をとったんだ。それはむろん審議会等にかかったものについては、審議会の意向がこうであったといってもかまいませんが、ともかくも責任者としては、何も弁明ができないというほうがむしろおかしいので、やはり当該処分なり当該措置をした以上は、それについて説明をするだけの責任を同時にかぶらなければいかぬと私なんか思うわけでございます。そういう意味でその処理に当たった責任上、そういうものについて説明を加えるということは、お許し願っていいのではないか、こういうふろに思うわけでございます。
  56. 川俣清音

    川俣分科員 私の質問の要点をちょっと理解しかねた答弁のようでございますが、たとえばそれらの査定がありましても、所有者の権利は裁判の結果をまたなければならないでありましょうし、裁判の対象になって審議を求めることも決して、不当だとは言わない。そういう意味でのお尋ねではなしに、検察当局なり警察当局が、その境界査定は間違いなんだということを主張することは、これは司法の越権行為ではないか、こういうことをお尋ねしたわけなんです。そういうりっぱな行政機関があるのであるから、行政機関の決定をまって、――その決定の中に不正行為があったということならば、これは別です。一応その否定をまって、その中に不当な行為がある、違法行為があったという場合に、司法が活動することは、私はそこまでいけないなんというのではなくして、そういう境界というもの司法事務じゃなくて、行政事務でもなお欠陥があるのじゃないかということで、あえてつくった組織を軽視して行動することは、行政ですら困難なために適正を得られないというところからつくった機関を無視した行動は、越権行為じゃないか、こういうふうにお尋ねをしたわけなんです。これはどうですか。
  57. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 まことに恐縮でございます。いきなりのお話でありましたために、すぐにどうもぴんとまいりませんでしたが、お話をだんだん伺ってまいりますと、いま申し上げたように、一定の手続を経て処分があった。その処分についてどうこう言うのではなくて、そういう一定の判断を下すには一定の組織を経てやるべきときに、その組織による判断をまたないでとやかく言うのはどうかということのように伺います。その場合には、そのこと自身は実は法律上の問題といいますよりも、そういうことが好ましいことかとか、あるいはそういうことはないほうがいいのじゃないか、とかいうようなたぐいの問題になるのではないかと思うわけなんです。それはたとえばこういう問題についてどうだろうかと、まあかりに私ども法制局なんかにおりますと、法律判断みたいなものはよく尋ねられるわけでございます。そういう場合には法律判断でございますから、ものによっては司法裁判所等を経てでないと、実は確定しないということもございますが、そういう場合にはわれわれはわれわれの知識の限りにおいてこうであろうということが言えるだろうし、またそれが言えないと、行政を筋道を立ててやろうというわけにもまいらなくなるというようなことで、私どもはおのずからそういうことがございますが、行政当局におきましても、その場合の必要性いかんということとの関連であろうと思いますが、当該衝に当たっておる者が、いずれにしましても公的にはそういう一定の機関の判断を経てやらないような場合でも、自分の私見としてはこうではないかと思うと言うことが、先ほど法制局として言ったような意味においてなら、これはその限りでは許されていいのではないか。しかしお尋ねのお話にございますように、全然これを無視したようなかっこうで言うというのはそもそも間違いでございますので、その辺は事態に応じて見てみないと、これまた十ぱ一からげにも言えないような気がいたします。まことに歯切れの悪い申し上げ方でございますが、それで御了承いただければ幸いであります。
  58. 川俣清音

    川俣分科員 これで終わりますが、私の疑念を晴らしていかなければならないということでお尋ねしたわけですが、何といってもやはり三権分立の基本的な考え方は、あらゆる場合に貫いていかなければならぬではないか。それを逸脱するような行為は、憲法上であろうと許されないのではないか。したがってそういう行き過ぎについては、私どもは厳重な態度をとらざるを得ないという意味でこの点をお尋ねしたわけなんです。せっかく行政組織があって、その結果をまって初めて事案に関係するようなもの法律関係するようなものがその中にあった場合、たとえていえば審議会の委員の中に、収賄によってあえてその意見を曲げて述べたというようなことによって、司法活動があることは、これはあってしかるべきだと思いますけれども、査定をまたないで、こういう査定をするであろうとか、あるいはその査定は間違っているのだ、これは誤っておるのだという判断を司法当局が下すことは、これは行き過ぎじゃないか、こう申し上げたのです。したがって、そういう査定があったあとで、そこに事案上の問題や違法の問題があれば、それから活動する、それを内容にして活動するということはあり得ると思います。しかしそれは境界の問題ではなくして、それを決定する上に過誤があったといいますか、司法上の処分を受けなければならぬ問題があったとすればその事態なんであって、それが誤っておるとか誤ってないという判断は、これは司法当局が下すべき事項ではないのではないか。その組織が判断して、その結果その判断の中に過誤があったというならば、これは司法活動でしょうけれども、それ自体が誤っておるのだというような考え方は、これは司法の行き過ぎではないかと思うのです。事件の内容は申しませんけれども、どうも私から言うと、司法官が、検察庁が国有財産法なんて知らない判断じゃないかというようなことで紛争になっておる問題です。国有財産についてはその権限は、大蔵大臣が最終判断をするべきでありますのに、これが間違っておるのだ、間違ってないのだというような判断を、司法当局が下すのは行き過ぎじゃないか。しかも司法当局といいましても、これは裁判による司法ではなしに司法行政官です。お互い司法行政官にしても行政区分があるのです。区分を越えた判断をすることは、三権分立の思想からいっても――三権という場合には裁判をさすのでしょうが、これは司法行政です。これが他人の、権限以外の行政にも入ってくるということは行き過ぎじゃないか、こう私は思うのです。せっかくつくった法律が有効に働かないということになりますと問題であって、その領域を司法官が荒らすということは、三権分立の基本的な考え方を逸脱するものだという意味で私は重大に考えておるわけなんです。この見解が誤っているなら誤っていると指摘を受けてもけっこうですが、どうぞ御判断を願いたいと思います。
  59. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 憲法が権力分立の組織をこしらえて、三権というものを分けております以上は、その三権の行使がそれぞれ相干犯することなく、これは憲法やそれぞれで、相関連する管掌にわたることはむろんございますが、とにかくそういう域を越えてやることが許されないことは申すまでもないと思います。非常に抽象的な論議でございますので、またこちらも抽象的に申し上げざるを得ないのですが、かりに何か問題が生じた。その問題が争われている際に、その問題について当事者になるものは、その一方当事者として、その問題がかりに先ほどございました審議会を経ているとか経ていないとかということも、むろんそれはそれなりに問題でございますが、そういう場合について当事者の一方が自己の主張をやる場合に立ち至ることも往々にして行政部内でもあるわけでございます。その場合に、一つの争いの場において自分の見解について一応の自分なりの判断を下す、そうしてそれを裁判所の終局的な判断にまかすということはあり得るわけでございますので、いろいろな場合がございましょうが、先生がおっしゃるような場合もあると思います。同時に、われわれ商売がら非常に用心深い癖がございまして、どうもふしぎに思われるかもしれませんが、場合によっては一定の事案の際に、その事案については当方はこう思う、しかし最終的には裁判所の判断にまつという中途の段階で、自分らの主張の一環として言うことは許される場合もあるのではないか。結局最初申し上げたことと関連してまいりますが、したがって、おっしゃる点は、あえて先生具体的な事例をお示しになりませんが、ケース・バイ・ケースでやはり考えられるものではないか。したがって、先生が仰せになるような場合もあるだろう。しかし、具体的な場合について考えてみると、そういう事項について自己の判断を下すのが、適法でもあるし妥当と認められる場合もあるのではないかというふうに考えられるわけであります。
  60. 川俣清音

    川俣分科員 どうもピントが合わないような気がします。私は実際の実例を頭に描きながら質問しているわけです。抽象的な答弁になっておりますが、私は抽象的な答弁も非常に重要だと思っておるのです。というのは、行政組織として、あえて国有財産などについて審議会を設けるということは、一般の行政では不十分であろうというところから審議会を設けたのであることは明らかでございます。それでもなお不十分だということで、ことに紛争の多い境界問題につきましては専門家の判断を要するということで、わざわざ国有財産審議会の中に特定の部会を法律上つくったわけです。運用上つくったわけではなくて法律上つくったわけですから、それほど境界というものはむずかしいということの前提を置いておるわけです。そのためにつくった組織である。そういうむずかしいことだという判断でつくられた組織を無視して、司法行政当局がそれは誤りだというような判断をすべきじゃないのじゃないか。むずかしいということを前提にできておる組織でありますから、それをしろうとの判断でこれは誤りだということは――専門行政ですら不十分じゃないかということでつくった組織です。それを専門以外の司法行政官が、それは間違っておるというような判断を下すことは、立法の趣旨からいっても越権行為ではないか。せっかくできた組織を活用しないで、かってな判断をしてはならないぞという立法趣旨があるにかかわらず、それを逸脱するような行為は行き過ぎではないかということであなたにお尋ねしておるわけです。司法行政官といえども、やはり法律の存在を無視したような行動は行き過ぎではないか。ところが、とかく司法行政官などというと、従来、国家権力を自分が持っておるのだ、自分が最終的な権威を持っておるのだというような行動なきにしもあらずなんです。そこで私はこの問題を問題にした。わざわざ行政組織として紛争の絶えない問題についてはそれを解決する機関があるにかかわらず、おれが解決するのだというような行き方は誤りじゃないか、こういうことなんです。
  61. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 ただいま解決というおことばをお使いになりましたので、それをたよりとして申し上げますが、要するに具体的な行政上の処分なり措置なりをする。つまりそれは事の処理で司法上の争い等が残る場合もむろんございましょうが、とにかく行政部内における一つの結果を実現するということ、いまお話のように、専門知識を得るための機関であるとか、あるいは公平に処理するための機関であるとかいうようなものを無視して、そういう解決、いわゆる当局としての処分、措置をするという場合に、それを抜かしてよいというようなことはあり得ない、これは先生のおっしゃるとおりだと思います。  ところで、それとは別に、ある結果について、これが何らかの問題になった場合に、その問題をどう考えるかという場合の考え方といたしまして、これは多くの場合法律上の解釈問題になると思いますが、その法律上の解釈問題として特に法律上のことが問題になっておるときには、その法律上の解釈としてそれがいいとか悪いとかいう判断というものは別個に成り立ち得るものである、そういうものならば、これは必要に迫られることもありますし、そういう際にやることは許されてもいいだろう。しかし一番大事なことは、先生のおっしゃいますような行政上の措置あるいは行政上の処分、つまり十ぱ一からげで言えば、ものを最終的に行政部内で解決するという場合に、そういう審議会の議を経てやるとかいろいろな形がございますが、そういう場合に審議会を無視してやってよろしいということはあり得ない、これだけは確かだと思います。
  62. 川俣清音

    川俣分科員 境界等は、御承知のとおり国有財産法に基づいて境界の画定が新しく行なわれるような場合は、民間の経済活動に非常に影響するものでありますから、告示をする規定もございます。その告示のときに誤りがあるというような場合には、国有財産法に基づいて査定を受けなければならないということもこれは伴うと思います。国家権力として行政的に意思表示したものを、司法行政官がそれが誤りだという判断を下すことは、私は越権行為だと思う。国が行なった告示行為で表現されたもの、それも誤っておったのだ、あれは間違いなんだ、こういう判断を司法行政官が下すことは誤りじゃないか、行き過ぎじゃないか、こういう問題なんですね。そういう点について、三権分立の考え方からいっても、あるいは告示行為が誤っているのだというようなことを言うからには、いま申し上げたようにそういうこともあり得るかと思いますが、そういう場合は、この紛争は、誤りか誤りでないかということは、国有財産法に基づいて、こういう権威ある部会の査定を待って、その行為が誤っておるというようなことをすべきであって、しろうとの司法行政官が、早くいえば検察庁が、これが誤りだというようなことを判断することは、あるいは誤りがあるかもしらぬという判断をすることは、行き過ぎではないか。誤っているというよりも、誤りがあるという判断のようですけれども、その誤っているか誤っていないかという判断は、司法行政官の判断ではなく、行政組織法があるのであるから、その組織法に基づいた判断を下して、その結果、その判断には不法行為があった、不当行為があったということで検察庁が活動することは私はあり得てもいいと思うのですが、領域を侵していくということは、これはおそろしきファッショだ、司法ファッショだとも言いたいところでございますが、そういうことばを慎んでも、三権分立の基本的なものを侵すということそれ自体は非常におそろしいことだという意味でお尋ねをしたわけです。しかもそういう組織法というものお互いに守らなければならない、国民も守らなければならないと同時に、司法行政官などはもっと守らなければならぬ問題を守らないということは、これは私は越権行為だと思うし、また国政紊乱のもとだというふうにも判断いたしまして、なおはっきりしたお考えを得たい、私はそういう意味で今後これは問題にしてまいりますけれども、私の判断に誤りがあってはいけないということで法制局長官の御意見を伺った、こういうことでございます。大体私の判断に誤りがないようですから、もうこれ以上進めません。一々の問題について私はお尋ねしたのではなくて、こういう国家行為に対する判断は、行政組織法があるからには、それを尊重していかなければならぬじゃないか、それを逸脱してはならないのじゃないかということをあえて指摘したわけです。これは国会の権威からいっても、組織法をつくった権威が侵されるということは国会にとっても重要なことだ。自分責任をもってつくった組織が誤りだというような判断をされること、あるいは知らなかったという判断をされることは、国会としても無視できない行為だというふうに考えて、あえてあなたの御意見を伺ったというにすぎないわけです。大体これで間違いないでしょうな。
  63. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 三権分立を紛淆するということが、一般的にいって、いけないことは当然でございますが、いま仰せになりますのは、むしろ当該公務員の――実際に法律的な観点からすると、その結果が三権の紛淆というような結果をまだ生じていることにはなっておりませんので、先生のおっしゃるのもそこだと思いますが、私は、主として心がまえの問題として、法律的にどうかという問題以前の問題のように思います。一般的にいって、先ほど来いろいろ申し上げておりますように、公務員が、ある処分について、その処分の適法、違法あるいは当、不当等を争うような場面の一当事者となりましたときに、その他方について、自分の判断はこうであるというふうに、判断を迫られることがあることは当然のことでございますが、そういう場合はやむを得ない、むしろお互い自分考え方を述べ合い、主張を述べ合って、最終的にそれぞれの当局が決定するということでございますから、その過程においてそういうことがあるのはやむを得ないのではないかと思いますが、一般論としていえば、その権威あるといいますか、責任をになった当局が、一定の処分をする際にはこういう手続を経てやるという場合に、その処分の手続を無視してものを言うということは少なくとも慎むべきことではないかというふうに考えます。
  64. 川俣清音

    川俣分科員 大体その程度にしておきますが、私は、行政官の中に逸脱行為があった場合は、行政処分が当然行なわれるわけであって、その行政処分が行なわれた上で司法処分の追及を受けることはあり得てもいいと思うのです。しかし、行政処分もないうちに、その行為が行き過ぎだというような判断、しかも、その査定が間違いだというような判断を下すことは行き過ぎではないか、こういうことなんです。一方の国有財産の行政官がそういう見解を持ったものに対して、行政の長官が、あるいは責任者が、それは行き過ぎだということで行政処分があってもいいと思うのですが、司法行政官が、それは行き過ぎだというような判断をすることは、問題が境界だけに、非常にむずかしい問題だけに――内部においてすら、その審議会の決定を待たなければならぬようなむずかしい問題、したがって行政処分もできないでおる問題を、司法の手にゆだねる、ゆだねるよりも、取り戻すというようなことは、行政がなまぬるいから取り戻すというような行為は、行き過ぎじゃないかということをあえて申し上げたわけで、参考に申し上げて見解をただしたい、こういうことなんです。次の行動に移るための法律的準備をしたというにすぎないわけですが、そういう見解を持っておることについて、誤りであるかどうかをあなたにただしたわけです。法制局長官は、実際の問題が出てくると、ということで非常に用心深く言われる。用心深いことはいいですよ。ですけれども、司法、行政、立法を紛淆させるということは、何といっても、あなたの法制局の一番注意をしなければならぬ問題じゃないか、この紛淆というものは非常におそろしいということをあなたに特に指摘したかったわけで、これは国家を紊乱におとしいれる大きなもとである。そこでわざわざ法制局をつくっておるのでしょう。そういう紛淆を防ごうというのが――裁判所のように法律的な見解を聞くとか、あるいは弁護士に聞くというような問題ではなしに、私があえてあなたに聞いたのは、こういう紛淆があることは国家組織としておそろしいことだ、そのためにわざわざ法制局を設けているのだということであなたにお尋ねしたわけなんで、それを何か弁護士に聞いておるようにあなたは感ぜられておるようですけれども、私はそうであってはならないと思う。一番の問題は、何といいましても、司法、行政、立法三権の紛淆を実際に起こされることのないように、行政組織として法制局を設けた、その趣旨はそこにあるのじゃないかと思うのです。それをあなたは巧みに、実際問題が起こると困るというようなことを言うのは、依然として弁護士とかそういうほうの考え方なんです。法制局というのはそうじゃないはずです。行政、司法、立法の紛淆等をなからしめたいというのが、法制局設置の一番の趣旨じゃないですか。それをあなたみずから紛淆するようであってはだめだ。法制局長官の任務はつとまりませんよ。そういう意味で設けておるのを、弁護士か何かに相談にいったような返事をするのは誤りなんです。紛淆を避けるという意味で設けられた趣旨を没却して、何か法律相談所みたいな返事をするのは誤りだ、私はそう言いたいのですが、この点どうですか。
  65. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 私は全く誠心誠意お答え申し上げるつもりでおるわけです。そこで、実は非常に歯切れのいい御答弁を申し上げたいのですけれども、問題の中心がどこにあるのか、まことに恐縮ですが、実はつかみかねるものですから、きわめて一般論、抽象論にならざるを得ない。先生が御指摘のように、法制局のあり方としては、全く法から見て何が正しいかということを中心にしてもの考えるべきであることはもとより当然で、それがなくなってはわれわれの職責はつとまらぬということにもなると思います。そういう観点からわれわれは職務を遂行しているつもりでございますが、ただ、いま御指摘の問題は、どこを中心にして申し上げていいか、いろいろな場合があり得ると思うものですから、つい抽象的になりました。これは先生の御質問自身が抽象的であったと思いますが、そういう限りで御答弁申し上げた趣旨でありまして、その点はあしからず御了承願いたいと思います。
  66. 川俣清音

    川俣分科員 私はこれでやめようと思っていたのですが、一体、法制局の答弁は、政府が苦境におちいるような場合に、往々にして手助けをしなければならないということで、いつでも歯切れが悪く、あと責任を追及されないように、あるいは内閣が苦境におちいらないように弁護してやる弁護士の役目だとあなた方は思っている。それであってはならないと思うのです。そんな意味なら必要ないですよ。そういうために立法化しているのじゃない。もしもあなた方がいつまでもそういう考え方でいるならば、これは行政組織として法律の改正を行なわなければならないだろうし、あるいは廃止をしなければならないということになるのじゃないか。私が申し上げたように、三権分立を紛淆させてはならないというところにあなた方の使命があるのに、政府を擁護してやろうという弁護士的な役目をあなた方は果たそうとしている。それが身についてしまっているのです。ですから、なるべくあとで問題が起こらないように、行政府が困らないように答弁しておこうというなら、これは立法と行政の紛淆なんです。どこから見ても、そんな弁護をしてやる任務じゃない。政府責任国会責任を常に明らかにしていくという任務を持っておるのであって、内閣の付属機関じゃない。私があえて申し上げておりますのもそういう意味なんです。どうもいつも法制局の答弁というものは、歯切れが悪いのじゃなくて、どこかを擁護するのでなければならないというような弁護士的な答弁をされることに、私常々不満を持っておるのです。不満を持つばかりでなく、これは組織法を変えなければならないのじゃないかという意見すら持っておるのです。長官、いまの答弁が悪いということで申し上げておるのじゃないのですよ。裁判所弁護士がするように、どこかに用心をしながら答弁をする。そういう目的で置いているのじゃないのです。三権分立を紛淆させないために、正確な判断をしてやろうという趣旨で設けられておる。国会のほうが行き過ぎだという場合には、そういう批判をあなた方が下してちっとも差しつかえないと思う。それを、そういう判断をしないで、いつでも政府が苦境におちいらないように弁護してやろうということは、これは国家組織を非常に誤った方向へ持っていくのではないか。常々そう思っているところに、あなたがまたそういう答弁をするから、そこで一言なかるべからず、こういうことであって、やめていいつもりだったのですが、どうも法制局長官は歴代そうです。うまく政府を擁護したのがいい法制局長官だというのは、誤った考え方です。行政府なり内閣なりにあやまちなからしめるための機関であって、それを擁護する機関じゃないのですよ。擁護しようとするから、歯切れが悪くなってくる。そういう態度を改めていただかなければならぬ。私は、いまの答弁が悪い、こういうことを言うのではない。何かどこかに逃げ口を見つけておいて答弁をしようというその心がけがたまたまきょうも出てきたので、私はあえて指摘をするわけですが、長官、もう一ぺん答弁してください。あなたの答弁によっては、組織法を変えなければならない。
  67. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 川俣先生から法制局に対する御忠言をいただきまして、それ自身はなはだありがたく思います。いま御指摘の点は、どうも弁明ばかりに走っているのじゃないかということでございますが、実はほんとうを言いますと、お聞き願いたいこともございます。たとえば国会等に出ました法律案につきましては、われわれが実は全責任を持っております。これは法制局長官が判を押すといいますか、決裁をして、このとおり決定されてしかるべしという閣議にかけて、そして国会に出るわけでございますから、その段階でわれわれはわれわれの責任を全うする意味で大いにそれこそ弁明を申し上げる。それまでの過程で、法制局の中では、各省からの法律案審議する際には、これは行き過ぎであるとか、これはいいだろうとか、いろいろ中ではございます。ございますが、それを何も申し上げることもございませんので、結果においてできたもの、これはわれわれはほんとう責任を持つわけでございますから、したがって、むしろ弁解ではなくて、われわれの考えているところを申し上げるという場合が多いものですから、勢いどうもいつも弁解ばかりしているように見える点もあるのではないかというふうに思うわけでございます。ただいまのことをとやかく言っているわけではないという仰せでございますが、御発言の具体的場合が実はよくわかりませんので、私もわからずながら大きく二つくらいに分けて、そういういい場合もある、また同時に、ゆえなくしてそういうことをやるのはどうかということもあるというふうに申し上げたわけでございます。いま御指摘の点は今後も十分気をつけてまいりたいと思います。
  68. 川俣清音

    川俣分科員 時間がありませんが、どうもだんだん途中で終わるわけにいかなくなった。たとえば、私前に国家公務員法の改正案を出しました。これは高級官僚が私企業に天下り就任をする禁止規定をつくったわけですが、これは行政官から非常な反撃を受けたことは、よく私も知っております。しかしながら、いまも人事院の指摘事項に出てくるように、あるいは承諾が行なわれなかったように、これがなかった場合にはこういうことが横行しておったことを物語っている。いまでも承認条項あるいは承認した理由等を国会等へ報告いたしておりますから、これで非常に厳重になったということになるわけです。これほど有効なものであっても、あなた方のほうの見解だと、この法律は行き過ぎではないかというような批判を受けた。これは国会の法制局につくらしたので、その審議中にあなた方のほうと相談してみると、これは行き過ぎではないかというような話も出たそうです。結局最終的には了解されたようだけれども……。したがって、日本の法制組織からいうと、いまの内閣なんか問題でないのです。内閣自体はこれは尊重していかなければならないけれども、いまの内閣などを何も尊重しなければならぬという立場は一つもないはずです。ところが、往往、法制局長官は、現在の内閣をどう擁護するかというような感覚におちいっておるようなんです。次の内閣ができればまた次の内閣を擁護する。これはまあ内閣全体を擁護するという意味ではいいですけれども、そのときどきの内閣、そのときどきの政府を擁護していくというようなことは、これは市井のヨタモノのようなやり方だと思うのです。しかし、国家権力の上からいって、行政組織上の内閣を守っていくということはこれは必要でしょうが、そのときどきの、何々の内閣、何々の内閣を守っていくというような考え方が往往にして出てくる。これを私は戒めたいというのがきょうの質問の要点でございます。ほんとうに私は腹を据えて、こういうあり方であったならば日本の国家組織に大きな障害を来たすのではないかということで、こうしてきょう、これははったりを言うわけではなしに、実は内閣組織のうちで、憲法はできないにしても、立法的にできる措置については何らかの制限の方法がないかと思っていま苦慮しておるわけですが、どうもこういう答弁があると、これを実施していかなければ立法府の権威が落ちるのではないかという感じも持っておりまして、あえて続いて御質問したのですから、これ以上言いません。内閣の任命するところだ、続いて長官になるには、その内閣を擁護していかなければならぬ、そんなことをやっていると、内閣が急転した場合には、法制局全体が、非常な悲惨なというか、私から言えば悲惨、それはあたりまえのことでしょうが、目におちいるのではないかということが――世の中の変遷が激しいのですよ。国際情勢が激しいばかりでなく、国内組織だってなかなか変遷が激しいときに、そのときの御用をつとめるなんということは、いまでは世界感覚に乏しいとも言えないことはない。環境の変化というものがおそろしく変転しておるときに、変転したものを守るなんということはできるわけがないのですから、どうかそういう意味においてこれからよほどしっかりしてほしいということを最後意見として加えて、私の質問を終わりたいと思います。
  69. 八木徹雄

    八木(徹)主査代理 次に、茜ケ久保重光君。   〔八木(徹)主査代理退席、主査着席〕
  70. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 質問に入ります前に、何かただいま警察庁長官所用で出席できぬというのでありますが、国会の開会中、しかも予算の分科会自分たちの組んだ予算を審議する場合に、国会に来れないような用はどんな用か、これをまず聞きたいと思います。
  71. 新井裕

    ○新井説明員 お答えを申し上げます。  突然用事ができまして出かけたものですから、私、次長兼警務局長でございますが、かわってお答え申し上げたいと思います。
  72. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 そんなことを聞いているのじゃないのです。国会審議中である。ただいましかも予算分科会で警察庁の予算を審議しているのです。重大なときだと思う。どんな用か知らぬけれども、突然用ができて国会に来れぬなんてばかなことはない。警察関係の予算を審議してもらわぬでもいいならけっこうですよ。次長でも答弁はできましょう。しかし、警察庁長官が、自分の予算を出しながら、国会審議中に突然用ができて出ていないなんて、そんなばかなことはない。どんな用でどこへ行ったか、はっきりしてもらいたい。
  73. 新井裕

    ○新井説明員 駐留軍関係に打ち合わせが、突然先方から要求がございまして出てまいりましたものですから、出られませんで、たいへん御指摘のように遺憾でございますけれども――アメリカ軍関係の用事で突然出てまいりましたものですから、私かわりまして出席いたしました。
  74. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 日本警察庁長官は、アメリカ軍のための長官か、日本の治安を守るための長官か。そんなら質問を待ちますから、早急に用を足して国会に出るようにひとつ手配をお願いいたします。  主査、警察庁の予算を審議する分科会でしょう。それに長官がいないなんて、とんでもないと思うのですよ。しかも、いま聞くと、駐留軍の関係で出ていったというのだ。駐留軍が大事なのか、予算分科会審議が大事なのか、こういうところに私は問題があると思うのですよ。いまも川俣先輩が法制局にいろいろなことを言っていましたが、われわれは何もだてに審議しているのじゃない。国の大事な多額の予算を使わせる、それは国民のために使わすために審議している。それに警察庁長官が、駐留軍から呼ばれて、いない。そういうことではいけないと思うのですよ。私は警察庁長官に質問したいのです。きょうはまだ時間があるので、時間を延ばしますから、早急にひとつ長官を呼んでもらいたい。もし来れぬなら、これは私どもとしては考えがある。主査としても、あなたの責任においてもこれはぜひやってもらいたいと思う。
  75. 植木庚子郎

    植木主査 速記を中止して。   〔速記中止〕
  76. 植木庚子郎

    植木主査 速記を始めて。  茜ケ久保君。
  77. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 私としてはいまの主張は絶対あとへは引けないのですが、主査からの折り入ってのお話でありますので、これはこれとして別な機会に回しまして、本日は質問を続けてまいります。今後は、ぜひそのことはひとつよく話していただいて、これは地方行政委員会もありますから、また他日いたしますが、きょうの質問通告がおそかったにしても、きょう分科会のあることはわかっているのでありますから、次長以下もそういうことについてぜひ留意していただきたいと思う。  次長にお伺いいたしますが、日本の警察行政も、戦後二十年、民主警察ということを一番根幹として今日まで運営してみえたわけでありますが、最近、いままでかつてない暴力団の検挙等にはかなり思い切った決意と実行を示していただいておるようでございます。これを私ども、また一般国民も非常に歓迎し、なお、検挙と申しますか、本質的には暴力団の存在というもの日本の社会から消えることを大いに期待しております。しかし反面、民主警察といわれることばの陰には、いまだ明治憲法の時代のいわゆるおいこら警察と申しましょうか、国家権力をかさに着た行為がかなり出てくるようであります。今日の時点において日本の警察行政が末端にまではたして民主的な運営ができているかどうか、これに対する次長の御所見をまずひとつ承りたい。
  78. 新井裕

    ○新井説明員 戦後二十年の教養あるいは新人の採用によりまして、戦前と比べまして、一般の民衆に非常に親しまれる、そういう意味の警察に変わりつつあると、全般的に申せば申し上げられると思います。ことに、いろいろの世論調査をわれわれのほうもやっておりますが、一般の世論調査の結果を見ましても、こわいものというものと巡査というものの連想が非常に少なくなったというような世論調査も最近拝見いたしたわけでありますけれども、そういう意味におきましては、非常に親しまれる警察官になりつつあるというふうに見ております。
  79. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 私もいま申しましたように、かなり戦前の警察とは変わってきていることは認めますが、しかしまだ、皆さん方のようにかなりの教養を持っておられる方といろいろな社会生活の範囲も違いますから、末端にまいりますと、これは何も警官でなくても、なかなか日本の民主主義の実態もそう思うようにはいっておりませんから、無理からぬと存じますが、しかし、事警察に関しますと、一般の民衆というものは、かなり民衆自体の中に過去の警察の幻影を持っておる者が多いものですから、警察の側が非常に民主化したようなことでありましても、受けるほうがそれをすなおに受けぬということもありまして、やはりかなりのトラブルがあるようであります。ほんとうに民衆と溶け合った警察――もちろん警官としての職務の厳正はあくまでも堅持しなければなりません。しかし反面、民衆の中に溶け込んだほんとうの民主警察が生まれることを期待するわけであります。私、これはこの分科会でも何回か指摘したのでありますが、警察官を民主化するためにはいろいろな方法があると思うのであります。もちろん精神面の教育も必要でしょうし、民主的な教育も必要でしょうし、いろいろなことが必要でしょうが、これは当然、学校なりその他のところで、あるいは署長の訓辞あるいは本部長のいろいろな通達等で絶えずやっていただいております。これは私の長い間の持論でありますが、そういった精神面の民主教育も必要であるし、また反面、いわゆる幾ら精神をそういうふうに持とうとしても、生活の実態からくる面が多分にあると思うのであります。私は、現在の末端の警察の諸君は、特別な給与表がありまして、一般の公務員よりは幾らか給与の率がいいように伺っておりますけれども、それとてもたいしたものじゃなくて、職務柄から考えますと、私の見解では、第一線警察官の給与が低いのじゃないか、安心して生活をするという実態にないんじゃないか。いい例が、派出所とか駐在所あたりの燃料費等も非常に少なくて、近所のいわゆる商店、あるいはそういった有力者のところから燃料費を補給してもらっておる実態もあるようであります。こうなりますと、その派出所なり駐在所に勤務する警官自体は、長官なんかの御指示のように、一般のだれにも愛され、しかも、それこそぼろを身にまとうような、ほんとうに生活に苦しむような人たちとも溶け合った警察行政をしようとしても、そういうことになると、いろいろな関係でできなくなる。かつて暴力団なんかとかなり結びつきのあったことも、そういう実態もあろうかと思うのであります。私は、警察官の、特に第一線警察官の給与が、現在の社会生活の中で低いのじゃないか、これはもっと給与の面からかなり考えるべき点があるのじゃなかろうかと思うのでありますが、次長は、現在の社会情勢の中で第一線警察官の処遇がどのような位置にあり、また、現在の職に満足をして第一線警察官の諸君が勤務に精励しておるか、この点はいかがでございましょうか。
  80. 新井裕

    ○新井説明員 御指摘のように、私どもも十分だとは見ておりません。いま、国家公務員についてのことだと思うのでありますけれども、一般公務員よりも若干上回った給与表を適用されておりますけれども、地方公務員につきましては実際ほとんど一般の公務員と変わりのない水準でありますが、本俸のみならず、超過勤務手当その他の給与、あるいは、いま御指摘のように、職務執行に必要な経費、こういうものが非常に不十分でありまして、毎年これを改善するようにつとめております。私どもは、給与の改善というものは、いま申し上げましたように、また御指摘のありましたように、本俸だけでなく、その手当、あるいは、いま申されました燃料費その他を含めまして、ことに住宅の問題にいま一番重点を置いておるのでありますけれども、総合的に考えてまいりたいと思っております。
  81. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 これは予算を伴うことでありますから、そう一朝一夕にいくとは思いません。そういう見地から、警察官の給与改定に対して、警察庁自体の試案というか、試案とまでいかなければ、このくらいの給与はぜひほしいものだといったようないわゆる検討でもされたか、あるいは考えたことがあるか、いかがですか。
  82. 新井裕

    ○新井説明員 御承知のように、全国の警察官の大部分は地方公務員であります。したがいまして、先ほど申し上げました国家公務員について認められております給与水準差、約三号ないし四号の差、これだけはぜひ実現したいというふうに思っております。そのほか、いま申し上げました住宅その他を総合的に推進して、本俸とあわせてやっていきたい。ただいま御質問のありました数字から申しますと、いま申しました給与の水準差というもの実現したいというのが目下の目安であります。
  83. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 私は、数年前の当分科会で、ほかの給与関係等との割り振りをあまり考えないで、当時、第一線警官の平均給与を三万円くらいのところで考えたらどうかと申し上げた。今日はもうすでに数年経ておりますから、三万四、五千円あるいは四万円ということになりますが、私は、警察官の職務執行ないし勤務状態というものが、ほんとうにそれこそ民主的に、一般の子供に至るまで警察官に対して信頼と親愛の情を持つような状態になりますならば、警察官何万人いるかわかりませんけれども、そんな給与からくる予算措置は、国から考えて決して多いものじゃないと思う。せっかく多額の費用を使って置いておく警察が、逆に国民の生活を圧迫し、国民の精神的な生活面に非常な危機を与える状態では、むしろ害である。したがって、私は常に持論として、警察官の給与は一般公務員よりもはるかに高いものとしなければならぬ。もちろん、私は、給与が高いだけで警察官の民主化が促進するとは言いませんけれども、しかし、これは大きなウエートを占めている。私は昨年末、自由諸国を二十カ国ばかり回ってきましたが、私は、警察官の処遇なり勤務状態について、かなり、視察の目的とは違っておりましたけれども、私の個人的な意思で検討してまいりました。それは、それぞれの国によって違いますけれども、警察官が、いわゆる民衆と、われわれが見ていてもほほえましい状態が随所に見られる。もう民衆自体も警官に非常な親愛感を持っているし、警官も、何かしら警官という一つの観念からすると行き過ぎるくらいな状態で接している。私はそれぞれの国のことばがわかりませんから、立ち入ったことはわかりませんけれども、とにかく、外来者として見ても全く心のあたたまる状態に接したことがたびたびあるのであります。これは私は、その人の精神生活にもありましょうけれども、やはり何といっても、生活が安定してなくて、あすの生活を心配する状態で、いかに警察官の民主化、あるいは国民から親しまれる警官になれといわれましても、これはなかなか容易じゃないと思うのです。衣食足って礼節を知るじゃありませんけれども、やはりある程度の生活の余裕というものが人に余裕を与える。まあ皆さん方はかなりの高給を取っていらっしゃるから、それはよろしいでしょうけれども、少なくとも第一線に昼夜を分かたず、非常に不安な社会情勢のもとに警察行政をする諸君には、それはあると思うのです。ことで私が警察官の平均俸給を三万五千円にしたらどうかと申しましても、これはできるとは思わぬけれども、私はやはり国会でそうしたものをきめる、国会でそういった論議がなされ、そういう意見が大きくなり、国民もまたそれを期待し、国民も了承をするというようなことがあって、初めて皆の希望も通ろうと思います。私は十何年来この委員会を通じてそれを主張してまいっておりますが、これはなかなか容易じゃない。しかし、私はそれは今後も主張いたします。それは私は私なりの長い体験-私もずいぶんかつては警察のごやっかいになりました。治安維持法下の警察ですから、これはとてもあなた方の想像もつかないような警察の中でごやっかいになりましたが、それはそれとしても、ほんとうにそういった民主警察をつくるためには、そういう努力が必要だと思うのです。これは私どもも国会の中でやはりそういった方向へ推移できるような努力をしなければならぬと思う。やはりあなた方も、ただ、単に、予算の取り方がむずかしいとか、大蔵省がやかましいとかいうようなことではなくて、もしそういうととが必要とあれば、何べん削られようとも、何べん却下されようとも、やはりその努力をすることが必要だと思う。また、そのことができないまでも、末端の警察の職員にはこれは非常に大きな感銘を与えると私は思うのです。おまえたちはこのままでいいんだ、おまえたちはこの状態でこれだけの仕事をしろという押しつけじゃなくて、やはり当局者は、常にそういった末端の警官の諸君の生活の実態を把握して、これに対してできるだけの努力をしているという一つの姿だけでも、私は大きな影響があると思うのです。そういった意味において、私はきょうは長官にことばをきわめてぜひ要望したかったのですが、これは次長でけっこうです。そういう決意をもって今後そうやってもらいたいと思うが、いかがでございましょうか。
  84. 新井裕

    ○新井説明員 たいへん御理解のあるお話で、ありがたく思います。私どもも、いま申しましたように、具体的に申しますと、三号差の水準をつげるように努力するというのが目標でありますし、そのほかの給与ももちろん、たとえば、超過勤務手当も十分もらっていない実情でありますから、こういうものも上げるということ、それから、先ほど申し上げましたように、たとえば一万円の住宅に入っているものを、公営の住宅をつくって三千円で入れてやるということになれば、たちどころに七千円の昇給と同じ効果があるわけであります。そこで、先ほど申し上げましたように、目下一番急務として力を入れているのは、住宅を安く供給してやる。御承知のように、われわれは非常に転勤の多い職務でございますので、そういう意味におきましてもやっておるわけであります。今後とも御趣旨のあるところに従いまして私どもも懸命の努力をしてまいりたい。毎年努力は繰り返し、何回却下されましても、それは繰り返して要求しておることを申し添えておきます。
  85. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 われわれも決して国会であなた方の失態や欠点をあばいて攻撃するのが能ではない。警察機能という大事なものは、やはりお互い協力して、国民に信頼される、国民が安心をして社会生活を送るための重大な機関でありますから、いい方向へ育てるお互い責任もあるし、これは努力しなくてはならぬ。そういう意味で、冒頭言ったような、長官は、国会開会中は、多用ではあっても、国会に出てきて長官としての責任を果たすことが大事だと思う。私が怒りたくなるのも、そういう意味で怒っている。何も長官でなくては答弁ができないのではないけれども、少なくとも警察庁長官がこういった大事な予算の審議責任を持って出る。やはり末端の警察官諸君には、自分たちの大事な問題を審議するのに長官がいないということでは、士気にも影響すると思う。  それからもう一つ、私は常に主張してまいったのですが、昨年のオリンピック開催前に何かの新聞で、警察庁が警官の服装を改定する意思があって、何か有名なデザイナーに委嘱をして、服装の改善に対するモデルをつくっている。オリンピックまでには日本の第一線警官の服装をもっとスマートにしたいという意向とかで、その幾つかのモデルを拝見して、非常に喜んでおったのです。私は、この給与改善とともに服装の改善について常に主張してきた。いま大きな拳銃と警棒をぶら下げて、大きなバンドをしている、私はいつも全く気の毒に思う。あの服装は何とかならぬか、私は十年来ここで主張してきた。あなた方は平服だからかまわぬ。警察の本部長も平服だ。課長諸君も平服を着ている。しかし、第一線の警察官は、ほとんど警部補以下の諸君は、あのぶざまなかっこうをして歩いておる。これも、先ほど私が言ったように、自由諸国、アメリカ、中南米、ヨーロッパと二十カ国歩いたって、日本の警官ほどぶざまなものはございません。全く気の毒です。私はこれも十年来主張している。拳銃をはずしなさい。警棒も、いわゆる勤務以外にはこれを持たせるな。もっと服装をスマートにしなさい。ことに、からだの小さい警官諸君は、警棒が歩いておるのか、拳銃が歩いておるのか、わからない。あんなかっこうでは、幾ら皆さん方が民主警察を主張しても、なかなかうまくいかない。私はオリンピック前の新聞を見て喜んだのだが、オリンピックが終わっても、警官の服装は変わらない。立ち消えになったらしい。時間もありませんからいろいろ言いませんが、私の調査では、警官が拳銃を持っておるために、強盗の逮捕、殺人犯の逮捕といった凶悪犯の逮捕に非常に役立ったという例はほとんどないけれども、拳銃の暴発で人を殺し、あるいは拳銃をとられるために警官が犠牲になる、こういった、拳銃を持っておることによる警官の死傷、あるいは強奪されてそのために免職、拳銃を持っているためのいろいろな弊害はもう枚挙にいとまないけれども、拳銃があるための警官としての職務遂行にプラスの面はほとんどない。これは私の綿密な調査の結果です。したがって、歴代の長官に、一日も早く服装を改正して、拳銃は、もし必要ならば、派出所なりあるいは本署にこれを保管して、そうたびたび拳銃を使うような事件はないのだから、必要な場合にそのとき拳銃を与えなさい。警棒は、いわゆる普通の交番の立番等においては用はないはずなんです。何も腰に下げる必要はないと思うのです。警らあるいはパトロール等については警棒はやむを得ぬでしょうが、これをなぜかえないか。大きなバンドにつるして――私は一度言ったことがある。もしそれがどうしても必要ならば、長官がみずからあしたの本委員会にあの服装をしていらっしゃい、それこそりっぱな服装だろうと言ったことがある。今日も依然としてかわっていない。当時の荻野とかいう警務部長は、検討しますと言っているが、一向検討していない。私は、この辺で、処遇を改善するとともに、警察官の服装の改善を思い切ってやるべきだと思うのだが、これに対して次長はどのようなお考えをお持ちになりますか。
  86. 新井裕

    ○新井説明員 オリンピックの前に、服装をかえるという記事が出たというお話でございますが、私のほうで全面的に服装をかえるという計画をオリンピックの前に特にしたことはございません。ただ、警視庁におきましては、一部、特殊の儀礼服その他の服装についてこの際考えようということで、研究をしたように聞いております。警察庁あるいは警視庁、各府県本部を通じまして、いまの服装が一番いいというふうには必ずしも実は思っておりません。しかし、いまの服装の悪いのの原因は、一つは、一着しか支給されないこと、これを二着、三着と支給されれば、もう少しきれいな服が着られるという一つの現実がございます。いまの服装にかえましたときも、見本を、いい生地で、いい染料で、いい仕立てでスマートなものにすると、たいへんスマートなわけであります。ところが、現実にまいりますと、服装もあまりよくない、染色もあまりよくない、あるいは縫製もよくないということで、たいへん見にくいものも、おっしゃるとおりでございます。そういうことで、あまり理想的なといいますが、生地、染色までも考えてやらないと、いい服装はなかなかできがたいということをひとつ御了承願いたいと思います。  それから、おそらく、そういう服装全体はもちろんのことですが、拳銃のことをおっしゃっているのが一番重点だと思うのでありますが、拳銃は、アメリカからもらいましたときに、アメリカ人のからだに合った、四十五口径という、たいへん大きなものが相当部分を占めておりまして、これが日本人のからだに適しないというので、逐次かえつつあるのでありますが、いまだに大きいものも残っております。したがって、日本人のからだに合わないものをやっているという実情は、まだ全部なくなったわけではございません。ただし、第一線で仕事に従事している立場から申しますと、あれを全部はずすということに必ずしも賛成でないようでございますので、いまああいう形でやっておりますが、これは世の中の状況の進展あるいはそのほかの装備の改善によって要らないということであれば、何も私どももそれに執着するつもりはございません。御指摘のように、たとえばロンドンの警察官のように拳銃は格納しておりまして、必要なときに装着するということもやっております。一方、アメリカ人は、たいへん拳銃というものに特殊の感じということじゃなくて、まるで手の延長のごとき感じで常時持って歩いておる。これは、あの暑いハワイにおいでになられましても、あのハワイで、まつ黒い制服を着て拳銃を下げて執務しておるわけであります。そういういろいろ国民性の違いもあるようでありますが、そういうもの参考にしながら、日本に最も適したものをやりたいと思っておりますけれども、金のかかること、それから更新中に非常にちぐはぐになるということで、われわれとしては非常に慎重にやっておるつもりでございます。これは先ほど申し上げたように、将来もいまの服装は一点たりとも変える必要はないというふうにわれわれは思っておるわけではございません。しかし、すぐに変えるという見通しはまだ持っておりません。その点を御了承願いたいと思います。
  87. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 いまのことは私も十年来主張しておるのだが、なかなか変わらないのだから、あなた方にも理屈があると思う。しかし私は、これはもうここで言うのはおかしいが、去年の当委員会でもその話をして、実はだいぶ第一線の警官に聞いてみたが、これはやはり警官もみんな反対です。これははずしてほしいということを言っている、そう言ったら、さっそく群馬県警に電話している。そういうことは注意しないと、帰ってみたら、群馬県警がだいぶたまげている。何だと言ったら、先生が国会で質問をしたものだから、すぐきたという、そういうことも、あなた方は御連絡もいいけれども、何かわれわれが質問すると、すぐその県の警察に連絡して、何か言ったのじゃないかと言っては、これは困るのだ。たまげちゃってさっそく群馬県警の諸君があわてて飛んで来て、何か質問しましたか、いや、君、こう言ったと言ったら、本庁からさっそく指令がきて、何かおまえたち言ったかと言ってきたという。それは困るので、そういうことも注意してもらわぬと、それはいろいろな連絡網があってやるのはいいけれども、何か国会議員が質問したら、さっそくその県の警察に指令をして調査するようでは、われわれは何でもないけれども、これは非常に困るから、注意してもらいたいと思う。実を言うと、これは私が十年来主張しているから、ずいぶん前にもいろいろ聞いてみた。やはり第一線の警察官の諸君は、あれはぜひはずしてほしいという意見が多数です。あなた方がお聞きになるとあるいはそうではないかもしれない。これはやはり系統柄からね。私は長い間主張している。もちろん、群馬県だけじゃない、日本中回っていますから、あらゆる場合に聞きますと、署長諸君になると、職掌柄、それを必要としておられるけれども、第一線で働いている、みずから毎日つけている諸君は、ほとんど百%、拳銃、警棒はできるならばはずしたいという意向のようです。これは参考までに申しておきます。  次に、人事課長にお聞きしたいと思うのですが、現在の警察庁本庁並びに地方の県警本部等に、警視長以上に、一般のいわゆる巡査、県警の警察学校出身の一般の警官から上がった人が何人いるか、その比率はどんなものかをお聞きしたい。
  88. 槇野勇

    槇野説明員 都道府県で、いま御質問は警視長ということでございましたが、警視正以上のことだと思いますが……。
  89. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 いや、警視長以上ですよ。
  90. 槇野勇

    槇野説明員 つまり私のほうで人事をやっておりまして、これは地方警務官と称しておりますが、そういう階級の方は大体警視正、警視長でございますけれども、地元出身の方が百八十五名おります。
  91. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 そうでないのは。
  92. 槇野勇

    槇野説明員 全部で地方警務官が三百おりますから、地元出身が百八十五、残りがわれわれのほうの、つまり警察庁から行っておりますところの人であります。
  93. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 地方の警察本部長の中に、いま言ったような特進といわれるのが何人いますか。概数でもいい。
  94. 槇野勇

    槇野説明員 ただいまは約三名ぐらいだと思います。
  95. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 昔の高文といったような、資格者と昔はいったですね、資格者でない、一般の各都道府県の警察学校を出た警官というものは、大体いま概数何人ですか、全国で……。
  96. 槇野勇

    槇野説明員 一月一日の警察官の定員が十四万三千九百十名おります。
  97. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 これも私が長い間主張していることなんですが、もちろん警察行政の中にはいろいろな分野がありまして、そう一がいに一般の警察官から出てきた者が、だれもがあらゆる部署につけるとは申しません。しかし、少なくとも現在の一般的な日本人の教養あるいは警官の素質等から考えますと、四十六都道府県ある中の警察本部長という職務が、十何万の警察官の中から出てくるいわゆる警視正とか警視長といったものの中に適格者がないとはいえないと思うのです。これは私は、全部都道府県の警察本部長をそうした一般の警察官の出身者にしろとは申しませんが、せめて三分の一ぐらいの数はこういった一般の警察官の出身の諸君でできると思う。  群馬県の例を見ましても、最近また異動があるようでありますが、現在一般の公務員諸君は六十歳近くまでその職にありますけれども、警察官の諸君は、五十二、三歳で警視正の諸君はやめていくようになっておる。かなりりっぱな者がおります。やめるときにはそれぞれ他に職を考えているようでありますけれども、やはり一たん警察官としての職に奉じ、警察官としてのプライドを持ってやっている諸君は、まあ五十二、三歳でやめるのもけっこうでしょうけれども、有能な諸君が、そう五年、十年、県警の本部長をさせろとはいわないけれども、県警本部長を三年や四年できないことはないと思う。  それをいま聞いていると、四十数都道府県の中でわずかに三名、これはおそらく皆さん方は何かの申しわけでやっているとか思えない。三人しか適格者がないとはいえないと思う。したがって、警察官の民主教育もけっこうだし、いろいろな点で大事ですが、ひとつぜひこれは、一般の警察官の中の適格者はどんどん引き上げて、あるいは本部長なり、あるいは本庁の課長その他の要職なり、そういうところにどんどんやはり抜てきをしてやるべきだと思うのだが、これも私の長い間の主張にもかかわらず、なかなか実現しない。何かあなた方は、そういったいわゆる一般の警察官の出身ではできないという一つの科学的な根拠があるのか、あるいはまた、依然として昔の内務省時代から伝わっている内務官僚のいわゆる卵でなければそういった要職にはつき符ないという何かがあるのか。これはいかがです。人事課長
  98. 槇野勇

    槇野説明員 そういう考えは毛頭ございません。十四万何がしの警察官の中で人格識見優秀な方はそれぞれのポストに、まずそれぞれの府県で署長になり、課長になり、あるいは部長になる。それからさらに、これはもちろん本人の希望もございましょうが、元来はその県で幹部になることを志望してそこの警察官になる人が大半でございますが、その中でさらにそういう人格識見すぐれた方で、県並びにわがほうでも優秀な方が、また他県においても幹部として、あるいは本庁においても幹部として働くというのが現状でございます。
  99. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 次長に。各都道府県の警察本部長は、もちろんいま言ったように、弔うほとんど九〇%以上がいわゆる有資格者でありますが、それからさらに、いま各部長には警務、警備、交通、刑事と、大体普通の県で四部長あるようでありますが、その中で警務部長だけは中央から全部回しておりますね。まあ大体有資格者で三十歳前後の若い諸君。ほかの部長諸君はみんな五十歳前後の老齢の人だ。私どもがこう始終出入りしておると、そういういわゆる警察官として二十数年なり、あるいは三十年勤務して、ベテラン中のベテランの諸君が、三十歳前後の若い警務部長にやはり何か一日置かされておる。何かこういわゆるひけ目を感じておる。これは事実です。私どもはまことに遺憾と思うし、また一面、その警務部長以外の部長の諸君に対しては気の毒な気持ちを持っておりますが、警務部長だけは何か内規でもあって有資格者を回すということになっているのか、どうなんです。一般のその県出身のベテランのほかの部長などは警務部長にしてはならぬという根拠でもあるのか、いかがですか。
  100. 新井裕

    ○新井説明員 そういう内規も何もございませんし、現実に、確かに数は少のうございますけれども、若い諸君以外の者が当たっている例がございます。現在もございますし、過去にもございました。
  101. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保分科員 本部長のいわゆる一般警察官の出身は三人あると同じように、警務部長もあるいは幾らかあるでしょう。そういうところに私はやっぱり現在の――これはほかにもありますよ。決して警察だけじゃないのです。しかし、警察は先ほど言ったように民衆と特殊な関係で接するものでありますから、私は特に問題にする。ほかのところならばある程度そういうことがあってもまあいいけれども、警察という特殊な部署であるから特に問題にするのです。ということは、先ほど言ったように、一面精神訓練も大事だし、服装もりっぱにしたい、給与も上げたい。しかし、何といっても一般の警察官はここでとまるのだ、これ以上行けないのだ、部長も四人いるけれども、三つの部長にはなれるが、警務部長という部長にはなれぬ。優秀であっても、本部長になれぬ。こういったぐあいに、いわゆる頭打ちの一つの宿命を持っている。ここにある時期に達すると、若い時分にはかなり一つの希望と期待を持ってやるけれども、一定の段階にくると、もう先は見えている。おれはもう幾ら働いてもこれ以上になれないのだということになると、これはもう私は大いに士気が鈍ると思う。現にそれがある。これはおそらく各県もあると思う。いわゆる中央から来た有資格者は、一応何年か腰をかけていればまた伸びていく。そこではっきり分かれている。これじゃいかぬと思うのです。これは私どもにも責任があると思う。これは私は政治家にも責任があると思う。こういう状態をどんどんやっぱり直していく。これはあなた方に要求するのじゃなくて、われわれはやっぱりこういうところに留意して、どんどんそういう状態をなくするようにしなくちゃならぬ責任もあるけれども、端的にはあなた方がその当事者である。ここで私がこう言ったからといって、すぐ直るものではないけれども、こういう点もやはり私はよほど考えていただかぬと、長い間に、いわゆる一線の、民衆と接触する警官の中に、いろんな不純な気持ちができぬとはいえないと思う。ぜひひとつこの点は留意してもらいたいと思う。  と同時に、要望したいことは、これは同僚の帆足委員から質疑があったことでありますから、私は重複を避けますが、最近のあなた方の努力で暴力団検挙は非常に進展をしている。かなり社会的に感謝もし、また協力していることは、先ほど指摘したとおりです。特にその中で、芸能人が非常な困難な中から立ち上がって、みずから暴力団と縁を切る努力をしております。全くこれは私は敬意を表しているのであります。しかし、これも、よほど一般社会人の協力と、特に警察当局の力強いバックアップがなければ、竜頭蛇尾に終わる危険もあるし、また逆に、芸能人の諸君はいろいろな弱い面を持っている。したがって、逆にそのためにひどい自にあうことも、これは決して予断を許さぬと思う。これに対しては、ひとついままで以上のあなた方の力強いバックアップを要請したいし、ぜひひとつあのことが一場の線香花火に終わらないで、必ず実現するように。そうなりますと、あなた方が心配する資金源というものと大きな関係がありますから、私は、あの芸能人諸君の決意がそのまま具体化するならば、あなた方のいわゆる暴力団撲滅に対して、全く大きな力になると思うのであります。これはひとつ警察当局、われわれもあげて協力するのでありますから、またおそらく今後は一般社会人も、これはあらゆる困難を克服して協力すると思うのです。ぜひひとつ大きな決意をもってやってもらいたいと思うが、ひとつあなたから重ねてこれに対する決意を表明してください。
  102. 新井裕

    ○新井説明員 ただいまやっております暴力団取り締まりが非常な成果をあげつつありますのは、私どもから申し上げるのもどうかと思いますけれども、長年にわたる関係者の努力ではございますけれども、何と申しましても、一番大きな力は世論の高まりでございます。われわれは、この世論の高まりに対して、非常な力強い援軍を得たつもりでやっておりますから、ただいま御指摘になりましたような事案につきましては、全力をもってその要望にこたえるようにいたさなければ申しわけないという気持ちでやっております。     ―――――――――――――
  103. 植木庚子郎

    植木主査 次に、法務省所管について、三木喜夫君から質疑の通告がありますので、これを許します。三木喜夫君。
  104. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 先日、自衛隊の富士学校で差別事件が起こりました。そういう疑いがあるので質問をしたわけです。  事件の発端は、御存じのように、陸上自衛隊姫路駐とん部隊のA一尉が、妻の出身に干渉され、一家離散するというようなうき目を見ておるので、同地方の人権擁護委員会に訴えた、これが発端でございます。  ここで問題に私、考えますことは、先日も申し上げましたように、一つは部隊内におけるところの差別事件ということと、次は隊内の黒いうわさと関連しておったということと、三つ目には、これが家庭破壊にまで及んだという点で御質問申し上げましたところが、防衛庁におかれても、さらに人権擁護局におかれましても、この事件を調査するということでございましたので、私は以後の質問を保留いたしました。  なお、当日もう少し明確にしておきたい点もございましたので、それをあわせて本日はお伺い申し上げたいと思います。  そこで、第一には、さてどのような調査をなさったか。人権擁護局、続いて防衛庁のほうから、簡単に要点をあげて御説明いただきたい。
  105. 辻本隆一

    ○辻本説明員 局長が病気でこの席へ出られませんので、かわって御説明申し上げます。  前回御質疑がございまして、翌日さっそく地元の神戸地方法務局から、とりあえず調査しておる状況の資料を取り寄せたのでございます。届きました資料によりますと、被害者に当たります山北敏彦を神戸地方法務局姫路支局において取り調べております。この取り調べの内容を見ますと、ほぼ地元新聞に載っておりますのと同じようでございまして、要するに被害者の妻をさしまして、差別待遇の言辞を吐いていることが判明いたしたのでございます。  自後、本件についての調査計画を立てまして、現在調査中でございます。何ぶん加害者に当たります者が静岡県の富士学校あるいは関係人、その言辞を吐いたときにこれを聞いていたかと思われる者が、これもやはり静岡県あるいはその他に現在転勤いたしておる模様でございまして、関係者の所在とそれから取り調べの内容について、現在調査計画を立てて進めておる次第でございます。
  106. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 お答え申し上げます。  二十四日の当分科会お尋ねがございましたときに、私どものほうに十分な調査の記録がございませんで、しばらく調査のために時間をおかしいただきたいと申し上げましたが、そのときには、その前日二十三日に直ちに陸上幕僚監部に命じまして、特別に調査をするための調査員を指名をして、それぞれ姫路、富士学校等に派して、事実を調査するようにという指示をいたしておったのでございます。大体本日土曜までに、私は一応調査をまとめるように指示をいたしておったのでございますが、実情を調べてみますと、いま先生が御指摘の三点、特に第一の、上官である某班長が差別的な言辞を弄したために、家庭が不和になり、ついに離婚するに至ったという事実、それから、何年もこのことについては上司に苦情の申し立てをしたのであるけれども、全然取り上げられなかったという事実、この点につきましては、離婚をしておるのは事実でございます。しかしながら、離婚の理由は、少なくとも私のところへきょうまいりました報告だけでは、当人の申し出とは全然違う事情であるかのような調査がまいっております。また、本人がたびたび申し出をしたにもかかわらず取り上げられなかったという事実も、本人の申し出とはだいぶ違っておるのであります。特に離婚につきましては、本人が富士学校に参ります前に習志野の空挺団に勤務をし、あるいは秋田の連隊で勤務をいたしておりましたときのこと等にも関係があるのではないかということで、それぞれ旧勤務地についても調査をしなければならないと思いまして、実はけさほど関係者を集めまして、新しく調査をすべき事実、特に本人の申しております事実と違うだけに、入念に調査をしなければならないという指示を実は与えたところでございます。  つきましては、もう三、四日ところを御猶余いただきますれば、完全な調査ができて、御納得のいくような説明ができるのではないかと考えるわけでございます。
  107. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 いまお聞きいたしますと、だいぶん違うというような話なんですが、ここに私は事件を調べるところの調べ方に問題があると思うのです。これはあなたにひとつ言っておきたい。それは、自衛隊の命令系統をたどって、そしてその部署、部署に起こったところのこうした非常に不名誉な問題を調べられる場合に、いまおっしゃったような結果が出るということは、大体どこにおいても一致した傾向でございます。  これをどのようにして事実に接近していくかということが私は大事だと思うのです。事実に接近していく方途をとらなくて、調査いたしました調査いたしましたということで、ルートをたどっていけば、直属上官から調べられることにつきましては、なるべくならば隠蔽していきたいというのが、これは人間の弱点です。しかし、これを隠蔽するようでは、自衛隊におけるところの今後の軍紀というもの、隊内の規律というようなものも、こういうようなところで上の者が事をまことしやかに調査をしたかのごとく世間に見せつけて、そうして事を隠蔽していくというようなことが行なわれるとすれば、国民の不信もさることながら、自衛隊内におけるところの教育上も大きな問題になろうと思うのです。こういう点を一点十分お考えの上で、事実にどのように接近するかという方途を考えてもらわなければだめだと思うのですが、その点ひとつ伺っておきたいと思います。どのように事実に接近していくか、そういう形式的な、命令的な調査だけではだめなのです。その点をまず最初に伺っておきたい。
  108. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 お答えいたします。  まことに御指摘のとおりでございまして、私も自衛隊の中だけで調査をしたのでは不十分であろうというおそらく御批判が出るであろうと思いましたので、ただいま人権擁護局のほうでも独自の調査計画を立てて御調査に相なると聞いておりますので、これについても資料の提供等極力御協力を申し上げるということをいたしまして、調査の万全を期したいと考えております。  またもう一つ、自衛隊の中でもやはりいまの御心配のような点があってはいけませんので、なるべく本人に対して批判的な人たちの話ばかりを聞いてはいけない。むしろ本人に好意的であった人たち、こういう人たち意見、あるいは自衛隊に関係のない、彼らが居住しておりました近所の人たち、この人たち意見も調べる。あるいは習志野の空挺団におりましたときには、本人の妻がよそにつとめておったという事実があるそうでございます。ついては、そのつとめておった先の人たち意見あるいは話、当時の状況等をも十分に聞いて、本人にとって不利もしくはわれわれにとって有利な状況ばかりを集めてはいけないという指示を私どもはいたしております。
  109. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 客観的な条件を整備されて、その上に立ってこの事件の真相を究明されようということは、私は一つ方法だと思います。しかし、結論するところ、そういうことを言ったか言わないかということは、これはテープコーダーに残っておるのでも何でもない。そこで拒否すれば拒否はできるわけなんです。しかしながら、拒否できないというようなぐあいに事を持っていかなければなりません。  そこで、あなたはいま、資料を人権擁護局のほうにできるだけ便宜をはかって提供いたしますということですが、その資料たるや、一方交通においてあなたのところだけで調査されたものの資料であれば、これは何の役にも立たない。結論するところ、私は、この新聞で見ますとC班長、C班長というのはこのA一尉に対してしばしば差別言辞を弄して本人を苦しめたといわれておる人です。この人と、それからA一尉の部下の前でたびたびこういう差別言辞を弄して屈辱的な感じを与えた、こういう人とを面通し、呼んで両者の話を合わすというようなことがなければ、事件の真相には近づけないわけなんです。こういうことに対して、人権擁護局が求められるならばそういうことを与えてもいいということが、資料を提供する中にも含まっておるわけなんですか。
  110. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 お答え申し上げます。  私どものほうでつくりましたものをただお渡しするということではございませんで、人権擁護局のほうで独自の御調査をなさるということについてはあらゆる協力を惜しまない、こういう意味でございます。
  111. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 あらゆる協力の中にいま私が申し上げましたことは入っておりますか、どうですか、それだけを念を押しておきたいと思います。
  112. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 いまの先生の御指摘は、本人同士必要とあれば対決させたらというお話であろうと思いますが、必要とあれば私は当然やらせるべきであろうと考えております。
  113. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 次に、局長にお伺いしたいのです。  私の質問に対するあなたの先日の御答弁の中で、自衛隊の団結のために遺憾であるというような所信の表明がございました。それから続いて、同日の吉田分科員の質問に対して、事実であれば指揮官としてふさわしくない、改めさせるよう十分教育していきたい、このようにお述べになっております。  いま私が心配しました、一方交通にならないかという心配一つありましたが、これはいまの御答弁で解消いたしました。しかしながら、あなたのお考えの中に、もう一つ私は十分考えてもらいたいことは、差別言辞というものは、これは自衛隊の団結のためにというこのとらえ方、さらに、事実であれば指揮官としてふさわしくない、どこまでも自衛隊本位にこのことが考えられておるところに私は第一の質問をした理由がございます。これはどこまでも憲法に保障されたところの基本的な人権でございますから、自衛隊の団結とか指揮官とかいうようなこと以前の問題でございます。そのようなとらえ方を私はしていただかなかったら、あなたのこのものの真相を見きわめようとされるところの態度に私は疑問を抱かざるを得ないわけなんです。その点、あなたは、十分教育したい、こうおっしゃておるが、教育の内容にもなってくるだろうと思いますので、私はその点お聞きしておきたいと思います。
  114. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 お答えいたします。  差別意識を持ってはならないということは、人権を擁護する、人権を尊重するというたてまえから当然のことでございます。私は、差別をすることそのことがもう基本的に間違っておるという認識をいたしておることは、先生御指摘のとおりでございますが、ことさら、特に部隊というような集団生活におきましては、まずその集団の団結あるいは集団の運営につきましては、団結心と規律というものが命脈でございます。その団結心、規律というものをささえるものは、深くは先生のおっしゃる、人間はみな一つである、人権を擁護するという基本理念に徹するということ、これが根本であろう、そういう意味で私は申し上げたのでございまして、先生の御指摘の点と私の考えておりますところは矛盾しておらないというふうに私は考えます。
  115. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 その点に関して、もう一点お伺いしておきたいと思うのです。  たとえば十分教育をされる、ということなんですが、その教育をされる内容は一体何なのかということに触れて私は疑問を持つわけです。その点ひとつお聞きしたいと思います。
  116. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 まだその事実を究明いたしておりませんので、そういうような意識を本人が持っておるかどうか、これがはっきりいたしません。しかしながら、もし本人がそのような意識を持っておりました場合には、いま私が申し上げましたような部隊の育成、部隊の運用についてはふさわしくない考えを持っておる人物であるということになりますので、どうしても自分考えが間違っていないのだ、人事局長が何を言ってもおまえが間違っておるのだというのであるならば、私はやはり去っていただかなければならない、こう思うのであります。それから、もし彼が考えておりますことが、私と討論をし、あるいは私以外の組織なり人なりによって話し合った上で、やはり自分は間違っておった、あなたの言うとおりであるというふうに了解をしてくれたらば、私は彼を許すべきじゃないだろうかと思います。また、彼が了解するところまで彼を説き伏せるということが教育だという意味で申し上げたわけでございます。
  117. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 教育の結末についての考え方をいまお述べになりました。私は、教育の内容と、そうしてどういう方向をさすかということについてお伺いしておるわけなんです。すなわち、教育ということは、さきがたからずっと言っておりますように、自衛隊の団結、指揮官としてふさわしくないという、そういう考え方での、自衛隊オンリーの考え方の上に立っての教育か。あなたもおっしゃいましたように、基本的人権を尊重しなければならないという自衛隊以前の人間の問題としての教育、これをさしておられるのか。それなれば、人間としてふさわしくないような言辞を弄して、それが、ああ悪うございましたというようなことを言えば、あなたは許すんだ、このような教育の結末についての話もされましたけれども、私は、これはアメリカ人であろうが、さらに日本人であろうが、どこにおいても許されるべき問題ではないと思うのです。自衛隊の団結、統一、こういうような問題に関しては、そう改めるというならば、その後にはそれが起こらないでしょう。しかしながら、一方人間として考えた場合、人権擁護委員会に、あるいは擁護局にこれが提訴されておるのですから、そういう問題を起こしたということは、それ自体行政罰的な意味も私はあると思うのです。そこに非常にあいまいなものがあるからして、あなたのような御答弁になると思うのであります。その点どうですか。
  118. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 お答え申し上げます。  私は一般的にこうであるならばこういうことになるというようなお答えをいたしましたので、あるいは先生が御心配になりますような感じをお持ちになったかもしれませんけれども、真相がはっきりいたしておりません。したがって、彼がどういうことを考え、どういうような言い回しで、どこでどういうふうに言ったのかということがはっきりいたしませんと、これをどういうふうにするかという具体的な答案は出ないわけでございます。やはり教育の結果をどうするかということにつきましても、調査がはっきりいたしましたあとで、具体的に申し述べさしていただく機会をお与えいただきたいと思うわけでございます。
  119. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 吉田分科員の質問に対して、事実であればという前提を置いて、あなたは、指揮官としてふさわしくないから改めさせるよう十分教育をしたい。あなたのおっしゃるのは、指揮官としての資格条件を備えるための教育なんです。教育の内容はそれでいいのですかと私は言っているわけなんです。そうでしょう。具体的に私は、その加害者がそういうことをしたということがはっきりしていないから、具体的なものは聞いてないのです。あなたが教育するとおっしゃったから、どういう方向に向かって教育されるかということをお聞きしておるわけなんです。その点をひとつ明確にしてください。これは時間ばかりたてば皆さんに相すまぬと思いますから、簡潔にあなたの考えを言ってください。
  120. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 お答えいたします。  もちろん部隊団結のためということだけではございません。その基本になっておる人間尊重の見地から間違っておるのだということであるならば処分をいたします。こういうふうに申し上げたわけでございます。
  121. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 わかりました。  しからば、この前信太山の事件がございました。この信太山の事件においても、当時やはり教育をするということをおっしゃっているわけです。さて、本人に対してどういうような教育がなされ、具体的にそれはどういう経路をたどったか、これも参考のためにひとつお聞かせいただいておかなければいかぬと思いますので、お伺いいたします。
  122. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 お答え申し上げます。  実は教育は教育担当者の所管でございますので、私、詳しい資料を持ってまいっておりません。まことに恐縮なのでございますが、信太山事件以後、この同和教育につきましては、陸上幕僚監部で特に「隊員の服務の指導について」という文書を起案いたしまして、これの徹底をはかっておる。部隊長会同等の際には必ずこれが問題になり、大隊長、中隊長教育のときにもこれが常に問題になっておる。したがいまして、某師団長が着任をいたしましたときの訓示にも、明瞭にこの同和教育についての徹底がうたわれておるというふうに聞いております。
  123. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 この教育のやり方によっては、同和教育ということが目的を達せずして、そういう意識というものが非常に裏面に入ってしまうといいますか、内攻してしまうおそれがあるわけなんです。具体的に申し上げますと、教育のやり方によって、君たちがそういうことをやればこれは社会的に大きな事件になるぞ、したがって、そういうことを避けていけ、しかしながら心の中で思っておってもいいのだ、そういう考え方を助長することになって、内攻してしまうおそれがあると思うのです。あなたがいまおっしゃったように、こういう問題は部隊長がいつも重要に考えておるから、これを取り上げておるのだと、こうおっしゃいますけれども、それは表面的な取り上げ方をすれば、問題の意識というものが内攻してしまうというおそれがあるわけなんですね。  そこで私は、教育の問題を聞いておるわけなんです。今後の影響というものは非常に大きいですから。しかし、それは日本のこうした非常に恥ずかしい恥部が何十年たっても改められないという、基本的な人権阻害の問題です。どっかでやはり排除していかなければいけない。これは教育の場においても当然です。しかしながら、自衛隊も人間教育の場ですから、私はそういうぐあいに取り上げておるわけなんですが、そこでもうそういう内攻するような取り上げ方をしてもらっては困ると思うのですが、その点は心配はございませんか。
  124. 堀田政孝

    ○堀田政府委員 お答えいたします。  やはり御指摘のような心配がございますので、この問題の取り扱いについては、慎重が上にも慎重を期さなければならないと私どもは考えております。  しかしながら、隊員の個々をたばねまして、その身柄を預かる最小の単位が中隊長でございます。この中隊長が、部隊のことばで申しますと内務と申しますか、朝起きましてから、食事をし、訓練をし、夜寝るまでのめんどうを見るわけでございます。一家で申しますと母親のような役目をするわけでございますが、その中隊長に、やはり人権尊重の意識、差別意識というものが間違っているということについての徹底した感覚、これがございませんと、隊員のいわゆる母親がわりの生活で差別意識を抱かせない、あるいは差別意識を抱いておる人を啓蒙し洗脳するということが不可能になるわけでございます。そこで、やはり中隊長のところまではどうしても組織を通じまして徹底をさせるという形をとりませんと、ほかにはとりょうがないということで、ただいま申し上げましたような形をとっておるわけでございます。
  125. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 教育の取り上げ方についての経路についてはそれでいいかもしれませんけれども、心がまえとしてその二面性を十分持っていただきたい、よろしゅうございますか、その点。防衛庁に対する質問はそれぐらいにいたしまして、関連においてあればまたお聞きしたいと思いますが、一応終わりまして、次に人権擁護局のほうにお聞きしたいと思います。  ただいまの御答弁では、なるほど加害者と目されておる人、これが静岡富士学校、及び関係者が転勤しているので、まずその所在を突きとめなければならない。それから、取り調べ内容についても計画中だというように、事件を取り扱う方法、態度を多少不明確にされました。一体どういうような計画をされておるのか、その計画を明確にしていただきたい。
  126. 辻本隆一

    ○辻本説明員 お答えいたします。  地元のほうで、地方法務局が法務局と相談をいたしまして計画を樹立するのでございますが、中央におきましては、大体大きく分けてこういう方向で指示をするつもりでおります。  第一は、この差別言辞の出たと思われる時期以前のいろいろな行為、つまり加害者と目される者と被害者との間のいろいろの事情があるようでございますので、これの個々を分析しまして、それにまつわる関係者がかなりございますので、そういうものをひとつ確実にしていく。それから、第二段としまして、差別言辞にまつわるいろいろの関係者の調査。この二つにポイントを置きまして、まず関係者の所在、それから関係者の取り調べ日時、場所、それに要する取り調べ員数、こういったものを概略きめまして実施していきたいと思っております。  この事件には、防衛庁関係の御協力を得ないと、かなりむずかしい問題もございますので、一両日の間に防衛庁へ参りまして、そちらの資料も一つ尋ねた上、人権擁護局独自の調査方針を立てて、これを現地へ指示してやりたい、こういうふうに考えております。
  127. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 前と何ら前進はないと私は思うのです。そういう項目だけを並べられましても、所在は防衛庁に聞けば直ちに私はわかると思う。所在を調べるというのに、手間ひまかからないと思うのですね。それから、日時はいつにされるか、人数をどれだけ充てられるのか、それはきまっておるのですか。そういうマンマンデーなことをやってもらえば、事件はぼやけてしまうと思うのですね。事件の真相に突き進まなければならない人権擁護局の使命というものが、事件がぼやけてしまってから、くつの上からかゆいところをかいておるというようなかっこうになってしまうおそれはないですか。  その点、所在と――所在はもうわかっておるはずなんです。それから、日時、人数、これをちょっと言ってください。
  128. 辻本隆一

    ○辻本説明員 具体的には、被害者と目される者の調書をこちらで入手をしただけでございまして、まだ被害者と思われる人の奥さん、あるいはその親戚、こういったものを調べまして、その中から加害者と目される者にまつわるいろいろな関係者を割り出していかなければなりませんので、まず被害事実が大体判明いたしました上で、それに相応する関係者の確定ということになりますので、いまの段階では、ちょっとまだ確実なことは申し上げられないわけであります。
  129. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 本人あるいは奥さんを調べなければならぬというその前提の上に立っての方法ということもわかりますけれども、いまおっしゃるように、本人と奥さんと、相即不離のものじゃないですか。なぜ別々に調べられるのですか。同じ日に調べられないのですか。そういうところに私は官僚行政の非常に緩慢性があると思うのですね。そんなことしておられたら、基本的人権をあなた方に守ってもらうということがおぼつかなくなってきます。もはや日もだいぶたっておるわけなんですから、現地に聞いてどうこうと言わずに、もう少しそういう点は敏速にやっていただきたいと思います。  それから、いま、防衛庁が協力してくれなければかなりむずかしいことになるだろう一そのとおりでありますので、私はいま防衛庁に聞きました。防衛庁の最も問題にされる点は、本人同士あるいは部下、あるいは加害者と目されておる人に面通しをする、面と向かってお互いに聞く、あるいは人権擁護局が聞く、こういうことが困難であってはいけないので、防衛庁に来ていただいて、いま確認をしていただいた。これもだいじょうぶやります。人権擁護局がそれを望まれるようならば本人も出します。被害者と目されておる人も出します。加害者と目せられている人も出します。こうおっしゃっておるのですから、それも容易な問題ではないかと思うのですが、その上でさて独自の捜査方針――一体独自の捜査方針とは何ですか。
  130. 辻本隆一

    ○辻本説明員 これは人権擁護局自体の立場としての方針を立てたい、こういう意味でございます。つまり、防衛庁防衛庁で独自の御捜査をなさると思いますが、人権擁護局は、人権侵犯という立場でひとり独自に調査していきたい。ただ、相手が軍人さんその他でありますので、演習とかその他でいろいろ都合もあるでしょうから、防衛庁の御協力を得て、こちらの呼び出しその他がスムーズにいくようにお願いしたい、こういう意味でございます。
  131. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 現地の人権擁護委員会では事慎重にやりたい、こうおっしゃっております。これはけっこうです。人権に関することですし、相手の人の人権もありますから、この点はけっこうですけれども……。  その次に、自衛隊の内規等、数々の支障があるので説明を差し控えたいといっているが、一体、自衛隊の内規のどこがひっかかるのですか。いま防衛庁のおっしゃったところでは、この調査の上ではひっかからないと思うのですが、何がひっかかるのですか。ひっかかるようでしたら、私は、防衛庁にお聞きしておきたいと思うのです。それをひとつ言ってください。現地でそういうことを言っておるんですから、あなたも御調査の担当の調査課長ですから、この点は十分調査されただろうと思うのです。どういう内規がひっかかっておるのですか。
  132. 辻本隆一

    ○辻本説明員 その点につきましては、私のほうでまだ情報をキャッチいたしておりませんので、もしひっかかるような点があるならばそれを除いていきたいと思います。いまの段階で、まだその点について具体的なひっかかる点の報告がまいっておりませんので、もしひっかかる点があるならば、それを確認した上でよく善処していきたいと考えております。
  133. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 そんなことじゃ困るじゃないですか。地方の人権擁護委員会でさえいろいろ調べてみると、内規というものに行き当たる、こう言うておるんです。それはいいかげんなことを言うたんですか。新聞をごまかしたんですか。新聞社が聞きに行ったんですよ。それだからものが言えません、こう言ったんです。あなたの命令系統からいえば、末端にあるところの委員会でさえそういうようにとらえておるのに、こちらの独自の解釈で、内規というものにひっかかりますか、ひっかかりませんか。あなたは、報告が来ていないから内規にひっかかるかひっかからないか私はわかりませんと言っているが、現地がどれをさしておるかがわかっていないだけであって、あなたは自衛隊の内規のどれにひっかかると思われますか。そのお考えをひとつ聞かしてください。
  134. 辻本隆一

    ○辻本説明員 その自衛隊の内規のどの点が、どういう内規の存在がこちらの調査に都合が悪いのか、いまのところ私のほうでその報告を得ておりませんので、ひっかかるかひっかからないかが判別しにくい、したがって、どういうことの点で支障を来たしておるのかが判別しにくいのでございますが、それはよく地元に問い合わせまして善処していきたいと存じます。
  135. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 そんなことじゃ困るのですね。現地はどれにひっかかっておるかということは、向こうの見解はわからないでしょう。しかしながら、現地でそういうことを言うておるんだから、こちらの人権擁護局として監督官庁の立場として、上司としても、これについてひっかかるか、ひっかからぬかの見解を明快にしてもらわなければならぬ。どこがひっかかっておるのかというのは、向こうの見解でしょう。いまあなたは、防衛庁がこちらに協力してくれなければできないということは、そういうことをあなたが頭に置いておられるから言われるのであって、あなたがそれを知らないというようなことじゃ困るのです。それはどういう内規にひっかかるか知らないのですか。
  136. 辻本隆一

    ○辻本説明員 何度も申し上げるようで申しわけございませんが、内規のどの点がひっかかるかということについての資料がまいっておりませんので、はたしてひっかかるのかひっかからないのかの判断がしにくうございますので、その点をよく調べました上でまた地元に指揮をしたいと存じます。
  137. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 私は納得できないところです。あなたの見解を聞いておるのです。事が自衛隊に関係しておる以上、人権擁護局としても、自衛隊の立場というもの法律的にも考えなければいけないと思うのです。そういう検討もされただろうと思うのです。それなしに自衛隊に協力を求めるといっても、求められぬと思うのです。そこで、法律的に内規的に見て、それにひっかからないという見解を持てれば自衛隊の協力も得られる、そんなものがあれば得られないという一般的な研究をされないことには、現地から報告を聞いてということも言えないし、現地に指示もできないじゃないですか。そういう一般的な勉強をしてもらわなんだら困るというのでお聞きしておるのです。あなたは三回もここに立たれましたけれども、現地から報告がなければわからないのだとおっしゃるのだから、現地の報告を待って、またそのときに私はお聞きいたしましょう。これは法務委員会でもけっこうです。もう予算の分科会は終わりますからね。  しかし、防衛庁にお聞きする必要はないと思いますが、要は、人権擁護局がこのことを早く処理していただかなかったらいけないということです。いま聞いておりますと、事の運び方が私は非常におそいと思います。これではきょうお聞きした意味がないと私は思いますので、もう一回法務委員会で私は聞かしてもらいたいと思います。こういうことでは人権擁護もへったくれもないのですね。こういうことをやっておってもらっては、直接のお役所がこういうことでは私は困ると思いますので、ただいまの御答弁は非常に不満に思いますけれども、しかしそれ以上出てこないのですから、いたしかたございません。  時間も参りましたから、以上をもって、私は、この場の御質問はこれで終わらしていただきたいと思います。どうぞひとつ早く御調査をお願いいたします。
  138. 植木庚子郎

    植木主査 午前の会議はこの程度にとどめ、午後は、二時四十分から再開し、文部省所管について質疑を行ないます。  この際暫時休憩いたします。    午後二時七分休憩      ――――◇―――――    午後三時一分開議
  139. 植木庚子郎

    植木主査 休憩前に引き続き会議を開きます。  昭和四十年度一般会計予算及び同特別会計予算文部省所管について質疑を行ないます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。小林進君。
  140. 小林進

    小林分科員 文部大臣にお伺いいたしますが、何か限度政令なるものをまたお出しになりまして、これは昨年の話でございましょうけれども、またどうも実情に即した日本の教育行政をいたずらに混迷せしめるような悪い画一的な中央集権的なことをおやりになっているという、そういう非難の声がほうはいとしてわれわれのところへ来ておるのでありますけれども、それに関しましてごく簡単にお伺いいたします。  現在文部省に登録されてない、あるいは文部省が認めない、県だけが全額を負担しながら小中学校の教育に任じているような、そういう教職員が概算全国で何名いるか。また、県の段階でも認めない、市町村だけが教育の立場上やむを得なくして全額市町村の経費でまるがかえながら教育を行なっている、そういう教職員が概算全国で何人いるか、お聞かせを願いたいと思うのであります。
  141. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 限度政令の問題につきましては、昨年の九月以来、与野党の文教の委員の方々を中心にいたしまして、いろいろと御心配をいただいておりますが、ただいまの御質疑でございますが、まず第一に、従来からのやり方といたしまして、いわゆる富裕府県の場合におきましては、この限度政令関係と、それから標準法、国庫負担法等の関係におきまして、二分の一の国庫負担をしておりませんものは相当ございます。その人数は、御必要に応じまして政府委員から申し上げたいと思います。それから、その他の府県につきましては、九月四日と記憶いたしますが、限度政令を出しました前のものにつきましては、全部二分の一国庫負担は現実にやっております。制度の上にもこれは実行しております。それから、限度政令を出しまして以降におきましても、二分の一国庫負担の対象外になっておりますものは、三十九年度においてはないと私は考えております。それから、これから始まります四十年度におきましても、府県できめますところの定員を尊重いたしまして、これらにつきましては、いわゆる実額としての二分の一の国庫負担をすることにいたしておりますので、これをたとえば御審議参考に配られてある大蔵省から出されました予算の説明で見ますと、むしろ現在員よりも定員が百四人でございますか増額になることになっておるくらいでございまして、四十年度におきましても、その制限を超過すると申しますか、二分の一国庫負担の対象にならないという教職員の数は、実際上においては起こらないように措置いたしたいと考えております。
  142. 小林進

    小林分科員 初中局長、あなたはいまの大臣の答弁でよろしいですか。
  143. 福田繁

    ○福田政府委員 補足いたしましてお答え申し上げますと、先ほど大臣からお答え申し上げたとおりでございますが、三十九年度におきましてこの限度政令にかかりました数、これは昨年の八月に調べた数でございますが、もちろん年間を通じて定数は一定いたしておりません、年度末に従いましてだんだんと減るわけでございます。したがいまして、この限度政令にひっかかると申しますのは、要するに標準法で計算しました定数以上に上回っているものでございます。それは八月現在におきまして百九十人余りでございました。それから、小中学校はもちろん御承知のように、教員の給与は都道府県費負担でございます。したがって、市町村で雇っているものはほとんどないと思いますが……
  144. 小林進

    小林分科員 一人もいませんか。ぼくの聞きたいのはそこなんです。
  145. 福田繁

    ○福田政府委員 市町村負担のものが若干いるだろうということは私どもも推定いたしておりますが、正確な数はつかんでおりません。
  146. 小林進

    小林分科員 それを聞いているのだ。(「それはやみだ」と呼ぶ者あり)やみじゃないのだ。やみというからいけないんだ。それを私は聞いているんですよ。ほとんどないどころじゃない。貧弱な市町村にこそ、それが多いんですよ。あなたは若干いると推定するなんていう、そういうようなことで逃げようとするから、だからぼくは官僚の教育はけしからんと言っている。それをつかめずして生きた教育ができようはずはないじゃないですか。それをまた自民党の先生方はいまも、それはやみ教育だと言う。教員にやみがありますか。教員にやみがあるという考え方でいるから、教育は生きない。それはやみ物資でも買って物を横に流してもうけようというんなら、それはやみ物資の横流しもいいだろうけれども、ほんとうの子弟に対する愛情のために、貧弱な貧乏町村が、国も認めない、県も認めないということで、子弟に対する愛情やみがたいというので、それこそ食うものも食わないで父兄が金を出して、そうしてまるがかえにして町村で雇っている先生がいるんですよ。それを、ほとんどいませんなんて、それはいるだろうと推定するけれども若干でございますの、それはやみでございますのという、そういう冷酷なものの言い方が一体ありますか。私はそれが気に入らない。答弁しなさい。そんなおちゃちゃらなことじゃいけません。
  147. 福田繁

    ○福田政府委員 御承知のように、小中学校の教員定数につきましては、各都道府県が条例でもってきめるわけでございます。したがいまして、その条例に基づいてきめられた定数を各学校に配当するのも、これは当然に県の教育委員会、あるいは市町村の教育委員会と協力してやるわけでございます。したがって、その定数に基づいて各学校の配置人員というものがきまるわけでございますから、それ以上のものはないはずでございます。しかしながら、御指摘のようなものがあるということも私どもも若干聞いておりますけれども、私どもの調査ではそういうものは上がってまいりません。
  148. 小林進

    小林分科員 それが調査に上がってこないというようなことで責任を回避していられるところに大きな問題があるんですよ。それをあなた方は中央で定数をひっかけていくが、県はまたあなた方の押しつけた定数で何とかやりくりをするが、やりくりがつかなくてあらゆる苦労をして、実情に沿うた数字をそろえながら、やりくりをしながら苦労している。その県がまた官僚的に下に流すその数字に基づいて、また市町村がやれなくて苦労しながら、結局県も認めないというような先生を、貧弱な市町村財政の中から、あるいは別途市町村民の寄付という形で先生をかかえているという実情があるのを、あなた方の調査の中に浮かんでこない、吸い上がってこないから、それはわれわれの知る範囲でないなどと言う。一体そんな冷たい教育のやり方がどこにありますか。文部大臣、あなたはそれでほんとうにいいと思っているの。しっかりしなさいよ。あなた、教育の問題ですよ。
  149. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 教育の問題、ことに人の問題でございますから、私もこれは非常に細心の注意を払ってやっておるつもりでございますが、いま局長から答弁いたしましたように、この根本は標準法からきておる問題でございますし、標準法ではずいぶんこまかく配慮をいたしておりますから、そこで認められた定数の範囲内で、各都道府県としても細心の注意を払ってやっておられる。そしてあとう限り毎月各都道府県で実員がどういうふうに現存しておるかということは、もうできるだけ詳細に、これは私みずから非常に気になります問題でありますから、表の上でも的確に実員を掌握しようとつとめております。そこでまず第一は、全国的に見ますと、この範囲内で十分に処理できている。  問題は、御指摘のように、各都道府県の実情がどうなっているか、あるいは各市町村の実情がどうなっているか。ところがこれはなかなかっかめない実情もございますが、原則的に言えば、そういうふうな問題は観念的にはあり得ますけれども、実際上には、各都道府県におきましても十分注意して配置等について配慮いたしておりますから、観念的にはあり得るし、あるいは実際の上においても若干はあるかもしれませんけれども、まず御心配の点はないと思っております。しかしなおその上、具体的にここの村でどういう状況であるか、ここの町ではどういう状況であるかということがわかりますれば、さらに私どもとしてもそれにつきましては各都道府県の教育委員等にも御相談をいたしまして善処いたしたいと考えております。
  150. 小林進

    小林分科員 そういう標準法だとか定員法などという画一的な方法で教育を律されようとするところに、こういう無理が出てくるのです。私なんかちゃんと知ってるんです。私なんか全国を足で歩いているから、だんだん話を掘り下げて井戸ばたで話していると、そういうのが出てくるのです。これはもう文部省も認めていません、県も認めていませんけれども、こういう貧弱な町村のわれわれの子供は、親は食わなくたって、親がどうなったって、親がこれほどみじめな思いをしているだけに、子供だけは一人前の教育をさせたいというので、学校の先生はわれわれが特別の金を寄付して出しながら村でかかえている先生ですなんて話が出てくる。あなたが考えているより相当いますよ。それも、こういうのは都会の日の当たる場所じゃないのだ、日の当たらない一番気の毒なところにいるんですよ。それを知らないでいられるというところに、文部行政というものがいかに血が通っていないか――私は時間があればこういう実例を一晩でも二晩でもあなたとやりたいのだけれども、たった三十分とかけちなことを言うから、最も端的な実例をあげて、あなた方の行政がいかに死んでいるものであるかということを申し上げている。それでも文部大臣はおせじでも、それじゃ教育委員会相談して実例を調べながら、それに基づいて実情に即した方策を設けたいなどと言われたから、私はこの問題はこれで打ち切ります。打ち切りますが、あなたも言われた限りは必ず実情調査して、そういう問題をひとつ事実の面において解決していってくださいよ。いいですか。またやみ教員がいるなんて、あなた方権力で押えるようなことをしないで、ちゃんと実情に沿うてやってもらわなくては困る。  その次に、現在いわゆる限度制でおやりになる、あなた方また、中央でそういう標準をお示しになった。それは人数が変わっているということもあるけれども、いま教員の定数が新年度から各県で大幅に減らされるというので、各県で大騒ぎしています。あなた御存じですか。そういう問題について一体文部省はどういう指令とどういう手をお打ちになっているか、これもあわせてひとつお聞かせを願いたいと思う。
  151. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 これも先般来申し上げておりますように、この全体を通観してみますと、この五年間くらいの間に三百万人以上の児童数が減少いたしますから、このままにしておけばおそらく教職員も七万六千人ぐらいオーバーになるわけです。そこでそうなってはいけませんので、あわせて教育の内容を充実したいということで標準法ができ上がって、この五年間に最高の学級編制の定数を四十五人にしよう、今回はこれを四十八人にするわけでございますが、こうやって学級規模を適正にして、児童数の一学級当たりの人数をだんだん少なくして、できるだけ世界的水準に近いようにするということをあわせ行ないますことによって、七万六千人というような過員が生じないようにするというのが、標準法の趣旨であると私は心得ておるわけでございます。そうしてそこできまりました定数の者については、必要な実支出額について二分の一を法律の定めるところによって国家が、精算払いといいますか、実支出額の二分の一はきちんと国でお払いをする、こういう制度になっておるわけでございますから、児童数が急激に減少するけれども、教職員は落ちついて教職に従事していただきたい、これが本則でございますから、その本則、その考え方が十分全国の末端にまで行き渡るようにしなければならないというのが私の責任であります。そこで、責任が完遂できますように、いろいろの御批判や御懸念がございますけれども、まず私の今日見ておりますところでは責任がとれる、そういう運営になっておる、私としてはこういう信念を持ってやっているわけでございます。
  152. 小林進

    小林分科員 いまの四十八人を四十五人にせられるという、それは決して世界的の水準ではありません。社会主義国家なんというものは、もっともっと、三十人から三十五人くらいを定員にして、それは微に入る個性教育を徹底的にやっておりますよ。けれども日本の経済の実情からながめて、私はそこまで一挙にやれということを言っているのじゃない。ただ問題は、そういろ多くいる学年を四十五人にすると言うけれども、一学級に三人しかいないとか、一年生から六年生まで集めて二十人しかいたい、三十人しかいないという、こういう僻地における子供の教育を一体どうしてくれるかと言っているのです。あなた方四十八人を四十五人にすると、大きなところばかり言っているが、ちっちゃなところ、最初から二人、三人しかいないところの子供たちをあまりにも格差をつけて悔辱しているじゃないか。満足な先生もやらなければ、満足な教育もやらない。一学年から三学年、四学年まで一まとめにして、子供を石ころのように扱っている。その教育をどうしてくれるか。あなた方、先生を減らすことばかり考えているじゃないか。文部大臣、それをどうしてくれるかということを私は言っている。
  153. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 まず、先ほど御説明いたしましたところでございますが、最高を四十五人にしたいということであって、実情は、先般野原委員や加藤清二委員の御質問にもお答えいたしましたように、全国平均いたしますと、たとえば一人の教師当たりの受け持ちの児童数というものは二十人台、三十人前後になる。それから一学級全国平均の児童数というものは三十数名というところまできておりますので、これは全国平均からいえば、世界的な水準にほぼ近づきつつあるということが言えると思います。この点は念のために申し上げておくわけであります。  それから、確かに御指摘のとおり、私の非常な重点を置いておりますのは僻地の教育の問題、これは四十年度の予算でも、たとえば僻地教員につきましては、特に特別昇給を認めていただくことに財政当局からも了解を得まして、三年に一回でありますか、一号俸の特別昇給ということで必要な予算措置も講じたわけでございます。それからたとえば僻地教職員につきましては宿舎をつくるとか、あるいはその子弟のための特別の措置をするとかいうような措置も講じ、同時に僻地の子供たちに対しましても、スクールバスの拡充をはじめといたしまして、遠距離通学の補助を四十年度から一億五千万というような、これは新しく始める制度でございますが、僻地教育については、そういうような、いろいろ従来考えられても実現の緒につかなかったようなことを始めつつあるわけです。あるいはまた医療班の派遣などにつきましても、従来はトラホームの関係というようなことが重点でありましたが、小学校在学中一度も歯を見てもらうことがないというような子供さんも僻地には多いわけでございますから、今度は歯医者さんにもひとつ診療班に入って巡回治療をしてもらうということにも若干の予算を配当いたしました。  こういうようなわけで、おしかりをいただくことは重々あろうかと思いますけれども、できるだけの配慮は前進させておるつもりであります。
  154. 小林進

    小林分科員 そういう僻地に特別の手当を出すとかということは、私は新聞紙上その他で拝承しておりました。私の言いたいことはいわゆる一年生、二年生、三年生、はなはだしいのは一人の教師が三年も四年も――四年はいまのところ私は経験ないが、あるいはあるかどうか知りませんけれども、そういうふうな教育のしかた、人数が足りないからといって、それを一体そのままに放置せられている考えかどうかということをあなたにお伺いしているのであります。
  155. 福田繁

    ○福田政府委員 先ほど大臣からお答え申し上げましたのは、単式の一般の学級の編制につきまして申し上げたわけでございます。標準法の改正によりまして、いま御指摘の単級の学級でございますが、これは一年から六年まで一緒に編制しているというような学級の場合は、改正前は最高二十人でございました。これを最高十五人までに生徒を減らしました。それから複式の場合でございますが、これも最高三十五人から二十五人に減少いたしました。こういうぐあいにいたしまして、それぞれ単級、複式などのいわゆる僻地にございます学校の教育効果を高めるということを、三十九年度からこれは一挙に実施をいたしました。  それからなお、いわゆる僻地の学校には小規模学校が多いわけでございますので、いわゆる一学級から五学級程度の小規模学校の教員充実につきましては、従前の旧基準に比較しまして約二五%アップというような措置をとりました。  それから、いまのは小学校でございますが、中学校につきましても、九学級以下の学校につきましては、平均いたしますと大体一五%程度教員配当基準を引き上げまして、できる限り小規模学校の子供の指導の充実をはかるというような措置を講じておるわけでございます。
  156. 小林進

    小林分科員 どうもいままでのお話で、若干努力されたようでありますけれども、やはり人数でそういうふうに制限をされていかれれば、また人数の少ないところは、一年からどうも四年も五年も一緒にならなければならぬという勘定になってくるのであって、そんな三十五人を二十五人にした、二十人にしたという人数の制限でなしに、一年生から二年生くらいの複式にして、一年二年三年四年と、四学年も一緒に併級するような、そういうことを禁ずるというふうな一体法改正ができないものか。いかに先生が能力があったって、一年生から六年生まで一緒にして、そうそう回り切れるものではない。それをあなた方は平気でやらしておるのだ。やはり人数で制限をしている限りは、そういうようなことではやはり生きた教育はできません。いいですか、文部大臣。これはひとつ考えてやってくだざい。あまり多くの学年で複式をやらせるということを禁止するという形で、ひとつ処置を考慮していただきたい。いいですか。大体この問題は時間がないからこのくらいにして、次の問題に移ります。  いまのお話のとおり、五分間ばかりあなたと問答をいたしました経過においても、日本の教育というものは実に文部省がかくのごとく支配をしておいでになることは明らかになりました。文部省の力はわが日本の義務教育というもののまず全権をお握りになっておる、こういうことが言い得るわけであります。  問題はILO、ドライヤーの問題は入りますけれども、ドライヤーが実情調査調停委員会委員長ということでわが日本調査に参りまして、その調査結論は文部大臣御承知のとおりであります。これは日本においてILO八十七号を批准できないというその困難な実情は、ただ一点だと彼は明らかにいたしました。この点だけは彼らの調査の結果も、われわれが懸念したことも一つであります。いわゆる中央交渉。何でもない。いわゆる中央交渉だけ、ILO八十七号が批准できないただ一つの難点であるということが明らかになった。中央交渉ということばがいいか悪いか、石田労働大臣に言わせると、この中央交渉ということばはあまり使いたくありません、それは使いたくなければ使わぬでもよろしい。どっちでもよいのだ。要は、もっと具体的にいえば、政府の代表と地方公務員たる日教組であります。教職員組合と政府代表たる文部大臣、これが一対一の関係話し合いができるかどうかという、この問題なんだ。この問題は、あなたの前々任者ですか荒木何がしという頑迷固陋の文部大臣がおって、それが拒否をしたという、そこからだんだん意地が高まってきて、それをやらないというそのことが、ILO八十七号が批准できない根本の問題であり、日本が国際的に信用を失っておる根本の理由になっておる。そこでその問題に関連して、これはドイラヤーもよく見た。見たその結果、彼も考えた。考えた結果は、彼らも、調査には来たけれども、しかし日本の政治、日本の行政というものに具体的に干渉するわけにはいかない。内政干渉を極力避けながら、しかも実情調査調停委員会の目的を達成したいということで考えたのが、ここに資料を持ってこなかったが、二十三日のいわゆる彼らの提案となったわけだ。その提案に基づくと、いわゆる内閣総理大臣のイニシアチブにおいて、責任において労、使、政府、彼らのことばをもってすれば政府、使用者、労働者、三者の定期会合を持って、そしてひとつ話し合いをせよ。そして問題を解決をしながら、その話し合いの結果というものは適宜ひとつ国会に報告をせい、こういう提案をしたわけでございます。いま申し上げましたその提案というものは、それは申し上げるまでもなく、一番問題になっている、いわば文部大臣と日教組とのいわゆる話し合いの問題に対するこれが回答なんです。何も問題のないものに彼らが、三者構成で総理大臣のイニシアチブ云々ということは言う必要はない。この総理大臣のイニシアチブによる云々というのは、いま一番問題を起こしているこの中央交渉の問題に対する彼らの提案なんです。いま当面の衝にあなたがいられるのですから、この提案をあなたは一体どう受けとめて、どうこれを実現しようとお考えになっているか、お聞かせ願いたい。
  157. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいまの御質問の中で、いわゆる中央交渉ということがILO八十七号条約批准のただ一つの焦点であるというような趣旨の御発言がございましたが、私はその点においては意見が違うのでありまして、そうは理解いたしておりません。と申しますのは、詳しく申し上げるまでもないと思いますが、政府といたしましては、ドライヤー調査団なるものが参りまして、いまお示しの提案というもの日本を去るに際して発表してまいりました。政府としてはこれを受諾と申しますか、これからいろいろとあの線に沿うたような手段をとっていきたい、このことにおいては政府一致しておるわけであります。不幸にして労働界のほうがあの提案というものを受諾されなかったということは、まことに私は残念に思っているわけであります。しかし、それはそれとして、日教組がいわれておるいわゆる中央交渉というようなものは、制度の上から申しましても、あるいはまた政策といいますか、政治上の問題といたしましても、これはわれわれと意見が全く違うわけであります。それから、特に提案の中にも中央交渉というようなことは全然出ておりませんし、文部大臣という字も出ておりませんし、日教組という字も出ておらないことは、御承知のとおりでございます。私どもとしては、いま申しましたように、総評側はお断わりになりましたけれども、あの線に沿うた措置をとっていきたいということで、ただいま予備的なと申しましょうか、さらにその前段であろうかと思いますけれども、政府代表者と総評の代表者との間に内相談が行なわれているということは、御承知のとおりであります。  それから、今度は日教組と文部大臣との問題につきましては、前々から私が申しておりますように、まず制度の上から申しますれば、文部大臣地方公務員である教職員との間には、人事の任命権とか給与の支給権であるとか、そういったような、いわゆる広い意味の労使関係も存在しておりませんから、その労使関係のない両者の間に団体交渉権的な中央交渉というようなもの制度としてもあり得ないわけであります。そういう点から申しましても、まあほかにもいろいろ申し上げたほうがいいのかもしれませんけれども、前々任者がどうであったかこうであったかという問題じゃなくて、これは筋の問題であって、私といたしましては、いわゆる中央交渉というようなもの考えておらないわけでございます。
  158. 小林進

    小林分科員 この前の国会でILO特別委員会が設けられて、当時は大橋武夫君が労働大臣で主としてその答弁に立たれたときには、あなたは文部大臣でなかった。ILO特別委員会の常任理事をされて、もっぱら議事の運営のほうを担当せられておったわけです。そのときのあなたの見解は、いま問題になっているその中央交渉を法文化するかどうかという問題と、事実の面において文部大臣との話し合いができるように他の方法で確約するかという二つの意見があるわけだ、組合の諸君は、文部大臣はうそばかり言うから、と言っちゃ失礼でありますけれども、これは私が言うんじゃないですからね、私が言えば失礼になるけれども、世間の人が言っているわけだ。文部大臣なんというのはうそばかり言っているという、そういう世間の人の話もありまするものですから、これはあくまでも法文化してきちっとしなければ、われわれはもはやその手は食わぬということで、非常に強硬に申し入ておるようでありますけれども、その問題については、あなたはいわゆる特別委員会の理事をしておられるときには、法文化などというかた苦しい話をしなくたって、そんなことは簡単な問題だ、事実上において話し合いなんて簡単にできる問題だ、それほどいきり立つ問題ではないのじゃないかという、これがあなたの見解だったと私は思っている。いいですか、違ったら違ったとおっしゃってくださいよ。私はそう聞いていた。ところがたまたまあなたは在野の地位を離れて文部省に乗り込んでいかれた。その乗り込んでいくときも、これは直接私が聞いた話ではないが、人づてに承ると、あなたは文部省に行ったところで、なに事実の面において教組の代表なんかと話し合いすればいいじゃないかと簡単な気持で入っていった、入っていって文部大臣のいすにすわってみたら驚いた、その周囲いる文部省の官僚があげて絶対反対だ、事実の面においても日教組なんかと話し合うべきではないかといって強硬に官僚が抵抗している。それから今度はその官僚の多郭におけるいわゆる古手の、OBといいますか、文部省を取り巻く連中が、これまた全部強硬で、そういう教職員なんかと話すべきではないというので、とても私が――私がというのはあなたのことですよ。あなたがILO特別委員会について考えていたときと、文部省に乗り込んだその実情というものは全く違っている、この官僚の大きな抵抗のためにすっかり私の考えを変えなくちゃいけない、これは事実の面においても日教組などと話し合いを行なうべきではないという心境に変わりつつある、こういうことをあなたは漏らされたという。これは私に漏らしたわけではない。確かなる方面から承るところによればでございまするから、這般の事情をちょっとお聞かせ願いたい。
  159. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 いろいろとお話を承りましたが、私は文部大臣といたしまして、先ほど申しましたとおりの態度であり、これが私の信念でございます。  なお念のためつけ加えますれば、もちろん憲法に保障されている国民全般が陳情することも請願することも、当局に対しては御自由でございますから、そういう角度から何か話を申し入れたいということであれば、これは自主的な判断で文部大臣がそれに応ずるか応じないかということはきめるべきものである、かように考えております。
  160. 小林進

    小林分科員 あなたは、いまの中央交渉の問題をそういう陳情だとか、いわゆる憲法で定めた国民一人一人が持つようなそういう問題にすりかえようとするところにずるさがある。話し合いをするということには、三つのケースがある。あなたのおっしゃるように陳情――陳情なんというものは、国民一人一人が持っている。そんなものは、話の材料にすべきものじゃないですよ。いま一つは団体交渉権、いわゆる交渉をして団体協約を結ぶ、そういう団体交渉権、明確なものだ。けれども、団体交渉権には至らないけれども、お互い話し合いをして、話し合いの結果妥結したものをメモかなんかにきらっと確約をするという、これは団体交渉権ではないけれども、団体交渉権に準ずべき権威のある話し合い。私どものいま論じている中央交渉の問題は、その団体交渉権をとるか、少なくとも団体交渉権に準ずべき話し合いをして、お互い一致点に立ったものは実行する責任と義務を持つ、そういう話し合いをするかせざるかということを問題にしているのであって、陳情、請願とは一体何事をおっしゃるんです。そんな人をこばかにしたような答弁をしてはいけません。あなた小林進なんてたいしたことないんだとなめているんだろう。人をなめちゃいけませんよ。そういうなめた答弁をしちゃ私もおこりますよ。愛知先生、なめちゃいけません。そういうことだ。いま私は中央交渉の問題は、団体交渉権か話し合いをして妥結に至ったものお互いにその話し合いに拘束せられるような話し合いをやらせるかどうかという問題のために、いま話し合っておるのです。さっきも私が申し上げているように、ドライヤーが実情調査に来まして、その問題をとらえたわけだ。これさえ解明をしていけば、問題は氷解できるじゃないか。それをあなた、先ほど何です。そのドライヤーの提案の中には文部大臣もない、あるいは日教組もない、だからあの回答は中央交渉の問題だけをさしたものじゃないと、あなたは言われた。私はそれが実に脆弁だというんです。ドライヤーは問題の解決のために調停に来た。その調停できない難点、問題点が一体どこにあったか。私が言っているように、日教組の中央交渉だけじゃないですか。そのほかに専従の問題もあるだろう、当事者能力の問題もあるだろう、人事院の問題もあるだろう、公務員や公労協やいろいろな問題もあるけれども、それはいま組合側はそれほど重大な問題にして言っているのじゃないのです。ドライヤーにも提訴していないのです。組合が最後に至って、ドライヤーの提案を賛成できないといって拒否した理由は何だ。この文章では中央交渉ができるんですか、できないんですか、いま少し明確に示してくれ、こう言ったときに、ドライヤーはこれ以上は明確にできない、これ以上具体的に示せば日本の政治に対する内政干渉になる、われわれは内政干渉はできないから以上のことは言えない。言えないならば、この文章には一方には中央交渉がやれるようにもできているけれども、あるいは逃げられるようにもできている。あいまいもこだ。日本の文部大臣はこの文章をもって中央交渉をやりなさいという明確なドライヤー委員会意見ではないというふうに逃げるだろう。そうすれば組合側はまた苦労しなくちゃならないから、いま少し中央交渉の面を具体的に示してくれなければわれわれは賛成できないと言ったら、彼はそう言って逃げた。だから問題は、私がさっき言っているように、総理大臣のイニシアチブにおいて云々というのは、あれのさしているのは中央交渉の問題だけなんだ。その中央交渉をいまあなたが言われるように、それは決して一対一をさしたものではないとあなたが拒否せられるならば、拒否せられる理由が一体どこにあるか。私が言っているように、ドライヤーはあの抽象的な文章の中に、文部大臣と日教組とは当然話し合いをすべきである、その話し合いをすべきイニシアチブは文部大臣じゃだめだ、総理大臣みずからの責任においてその窓口を開くべきであるというのが、あの提案の内容である、私はこう解釈する。いかがですか、文部大臣
  161. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 小林委員がそう御解釈なさることは御自由でございますけれども、私はさようには解釈していないのでありまして、私は政府全体の立場において、あの提案にはいろいろのことが書いてございますが、その中の一つに、政府側、使用者、労働者、三者の複数の代表者、複合体の何らかの形の話し合いというようなことが総理大臣のイニシアチブにおいて行なわれるならば、これもいろいろの労使間の不信を解明する一つのよすがであろう、こういうことが示唆されておりますから、その示唆に従って内閣全体が行動しておる、かように理解をいたしておるわけでございます。
  162. 小林進

    小林分科員 それでは言いますけれども、ドライヤーが帰ってきまして、同じ地方公務員でも、自治大臣と自治労の代表とは会っているじゃないか、会っている。彼は、これが国際的に見ても、世界的に見ても非常に自然の姿、あたりまえの姿、同じ地方公務員の中でも自治労にはこういうあたりまえの姿ができているのに、なぜ一体文部省だけがこれができないのか、これは彼は明確に言いました。そしてこういうようなことはもはや法文化するとか文章化するとかいう以前の問題だ、こんなあたりまえのことが同じ日本国内の他の官庁にはちゃんと行なわれているにもかかわらず、文部省だけに行なわれないのはふしぎじゃないか、当然それはやるべきじゃないかというのが私は彼の趣旨だったと思います。もしあなたの言われるように、文部大臣は雇用者じゃない、雇い主ではないという理屈によって、これほど強力な文部行政に対する権力を持ちながら、なおその団体交渉を拒否せられるならば、自治大臣も当然それを拒否しなければならぬだろうし、またドライヤーも文部大臣の中央交渉を拒否する理由を正当と見られるならば、自治大臣に対してもその話し合いをしていることこそ矛盾しているという話が出てきていいわけだ。ところが、反対に自治大臣が自治労の諸君と会っているのはしごくあたりまえのことだ、世界的に普通の常識だ、そのあたえまえのことが一方に行なわれていないのはおかしいじゃないか、こういう解釈をしているのであります。その意味においてもあなたが拒否しているのは間違いであると感ずるが、いかがですか。まだ反省せられる余地がありませんか。
  163. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 これは日教組の側におかれても反省していただきたいことがたくさんあると申し上げざるを得ないと思います。
  164. 小林進

    小林分科員 主査、いま一問で終わりますから……。それでは一月二十一日、みんな各地方を回りましてコール委員が福岡へ行きましたときに、地方公務員といえども当然団体交渉権を与えるべきであるという発言をしている。それはあなたも発言をお読みになりましたでしょう。あれは二十一日の朝日新聞ですから、二十日の発言かもしれませんが載っておりましたから、私はこれは重大な発言であると思って、それを私は念を押して聞いてみました。その発言に間違いない、こういうことを言っている。それならば、あなたはそれは地方の教育委員に対する日教組の団体交渉権とおっしゃるだろうけれども、ひいてはやはり教育の責任を持っておられる文部大臣に対する交渉権も、そこからおのずから開けてくると私は解釈しているわけなんであります。直接にはそこまでいきませんけれども……。そこでやはり、日教組等が組合をつくって団体交渉権を持つのが当然である。団結の自由と団結の自由に基づく団体交渉権の自由というものを与えるのがILO八十七号の精神であるから、国家公務員や地方公務員の争議権は別として、団体交渉権までは当然与えるべきであるというコールの発言を、一体あなたはどのように考えられますか。
  165. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 私もコール委員がそういう発言をしたということを新聞の報道の上で見たことはございますけれども、私は公式、非公式に何回かこの一行の人と会っておりますけれども、私の承知しておりますところでは、そういう断定的な意見を言っていることは聞いたことがございません。
  166. 小林進

    小林分科員 主査ほんとうにどうも長い間ありがとうございました。これで終わりますが、実はこの問題は私は労働大臣にもお尋ねをいたしました。労働大臣はまだ直接文部大臣と日教組の一対一の団体交渉を法文化せいというまでコールが提案をしたかどうかということは、残念ながら労働大臣は認めるわけにはいかない――私どもは、あの抽象的な文章をそこまで言っているものと解釈しているけれども、労働大臣はそこまでは解釈できない。けれども、総理大臣のイニシアチブによる複数式というか三者の話し合いをせいということは、そこに至る土台づくりをせいという勧告であると解釈しているという前向きのお話があったのだが、あなたは一体労働大臣の御解釈をどのようにお考えになりますか。あの総理大臣のイニシアチブにおいて政府と使用者と労働者の三者の代表の話し合い、これもただの話し合い、陳情だったら、何もそれを国会に報告せいと言う必要はないのです。陳情まで一々国会を開いて報告せいということはないのです。国会に報告せいということは、少なくとも三者の話し合いを団体交渉に準ずべき権威あるものにせいということを、コールがきびしく政府と文部大臣にきめつけた。裏を返せば実にきびしい要求なんです。私はそう解釈している。そこで、いま一番問題になっている日教組と文部大臣間の不信感を払拭するように土台をつくりながら、最後は一対一の話し合いに持っていけというふうな勧告である、私はこう解釈をいたしておりまして、大体労働大臣もその点はまことに同感の意を表されておるのでありますが、あなたの考えはどうですか、そこまでいっていませんか。
  167. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ドライヤーの提案というものを、忠実にといいますか、その示唆していることを実行に移す、さような意味におきまして、御指摘のように三者の会談をまず行なうことが、いろいろの点からいってよい方法であろうということについては、先ほど来申しておりますように、その線に私も賛意を表しておるわけでございます。  それからコール委員の説について先ほどお話がございました。私も、そういうことを話したということを新聞で見たことはありますけれども、私は直接そういうことを聞いたことがない。さらにその後岐阜におきましてコール委員が、自分の言ったと伝えられたことはミスコートされたものであって、自分はさようなことを言ったのではない、さらにこういうコールの発言がございましたことも、私は新聞で承知しておるような次第でございます。
  168. 小林進

    小林分科員 時間がまいりましたのでこれで失礼をいたしますが、残念ながらILO中央交渉の問題に関する限りは、あなたの御答弁で私は満足するわけにいきませんので、あらためてひとつ別の機会において――別の機会というのは、ILO特別委員会が開催されることになるのでありますけれども、しかしいまのあなたのようなお考えがある限りは、残念ながら野党はILO特別委員会の開催に応ずるわけにいきませんので、ILO特別委員会において両雄相まみえるわけにいきませんから、次の文教委員会で機会あればこの問題をとらえて再びお目にかかるということを申し上げまして、私の質問はこれで終わることにいたします。
  169. 植木庚子郎

    植木主査 川俣君。
  170. 川俣清音

    川俣分科員 愛知文部大臣に二点にわたってお尋ねしたいと存じます。  その前提に大臣に要望申し上げておきたいことがございます。予算委員会もだんだん終結の段階にきておりますので、何とか早く政府の要望にも沿うて、予算委員会の円満な終了を見たいという考え方に立っておるわけですが、その点から未解決とも言うべきものでございましょうが、最終取りまとめをする上において必要な問題について、端的にお尋ねをいたしたいと存じます。  それは愛知文部大臣が日ごろ主張しておられます勤労青年の教育について、愛知さんは非常に熱心のように私はいままで受けとっておったわけでございます。勤労青年、産業青年と申しますか、こういう青年に希望を持たせていきたいというお考えだと思うのでございます。私もこれらの産業青年、勤労青年に向上の精神を旺盛にすることが、何といっても必要だろうと考えておりますが、文部大臣もやはり同様なお考えではないでしょうか。この点先にお尋ねしておきたいと思います。
  171. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 私もこの勤労青年男女の教育については、年来非常な関心と熱意を持っておるつもりでございますので、いろいろの面にわたりまして、予算等につきましても配慮をいたしたつもりでございます。まだまだきわめて不十分の点が多いわけでございますが、時間の関係もございますから一々こまかいことは申し上げませんけれども、たとえば一例を申し上げますと、先般来非常に御論議をいただいております高等学校の授業料の問題、これにつきましても、一番その中で焦点を集めております東京都の場合におきましても、かりに一般の授業料は上がることになりましても、定時制については百二十円に据え置かれる、これは東京都もわれわれの考え方に非常に協力をしてくれた。ほんの一例でございますが、さような配慮をいたしております。
  172. 川俣清音

    川俣分科員 愛知さんが大臣になろうとなるまいと、これは愛知さんの年来の考え方で、その点に対しては私は愛知さんに敬意を表しておったわけでございますが、勤労者の青年男女の質的向上をはかる上から、また教養を高める上からも、あるいは勤労意欲をさらに高める上からも、将来の国民の中堅でありますこれらの青年男女が、向学心に燃えて勤労するということは、日本の将来にとって非常な大きな力でありますことは、私が申し上げるまでもなく、愛知さんも十分念頭に置かれている点でございまして、そういう点からいま御答弁があったわけだと存じます。東京都は定時制の授業料等については据え置くという方針をとっておりますが、地方へまいりますと、定時制もやはり普通高校と同じように授業料を上げる。もちろん基本の授業料は安いわけですけれども、その安くしておくという本質を忘れて、普通の高校並みに上げないと不公平だという考え方が出ておるようでございます。これは私はたいへんな誤りだと思う。初めから授業料等の負担が重過ぎるというところから、一般の高校よりも低いところに押えておるのでございます。その精神、その方向というものは、できるだけ勤労青年の向学心を助長したいというところから、おそらく下げておるものだと思うのです。また家庭的にもそうだろうし、経済的にもそうだろうと思う。ところがこの値上げが各地に起こっておることは、御承知のとおりです。これは何とか手を打つ方法がないものでしょうか。もちろん地方自治体のやることで、指示権がないといって逃げれば逃げられないことはないですよ。しかし大臣、これは何とかならぬものかという考え方を出すのも、これは無理じゃないと思うのです。そこを何とか愛知さんがいい知恵をしぼって、何らかの対策を講じてやったらいいじゃないか。特にわずかな授業料のことで青年の向学心を除去するようなことになったのでは、痛手は国全体に大きいと思うのですよ。むしろ奨学金くらい与えていく考え方をするほうが妥当だと思うのですけれども、それも予算上なかなか困難でしょうから、せめても授業料くらいは上げないで、もっとしっかりやれという激励の形が出てくることが好ましい、私はそう信じますが、愛知さん何とかいい方法はないものでしょうか。それをまた予算化するに困難であれば、われわれのほうも考慮したいと思いますので、お聞かせいただきたい、こう思います。
  173. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 先ほど申しましたように、東京都あるいは東京都議会は、かねがねの私どもの念願を受け入れてそういう措置をしていただいたわけで、非常に感謝しておりますが、中には、現状を申しますと、一番高いところが四百円になっております。その場合は全日制が八百六十円、これも他府県よりも従来非常に高かったところでございますが、その一番最高のところが四百円というところがございます。これは方法論はどうするかということでありますが、私の率直な考え方から申しますれば、平生から教育委員会等の方々にも接触が非常に多いのでございますから、一片の通牒とか依頼状とかということでなくて、私どもの気持ちが通じ合うようにして、そうしてそれを実行の措置にやっていただくことが一番実際的でもあり、適当な方法かと考えておるわけでありまして、現にそういう方法は常に配慮しておるつもりであります。これは手続からいえば、各都道府県の教育委員会がきめますわけで、また条例に基づいているわけでございますが、教育委員会が認めた場合には、当該校長の配意によって授業料の減免をすることもできることになっておりますので、さらにこの定時制関係の校長さん方にもそういう気持ちをこの上とも一段と体していただくように、これは内面指導というようなことは言うべきことばではございませんが、事実上内面指導というような気持ちでやってまいりたいと思っております。
  174. 川俣清音

    川俣分科員 大臣がいろいろ苦慮しておられることは十分わかりましたけれども、授業料の免除等の規定もありますこと承知ですが、ここが青年教育のむずかしいところであることは、大臣もおわかりだと思う。免除してもらうということは、青年のプライドからいっても、差別をつけられることを一番きらうのが青年だと思うわけです。そういう青年のプライドまで傷つけて授業料を免除してやるということは、はたしていい教育の方向かどうかということについては、私も非常な疑問を持つわけです。ことに定時制というのは、御承知のとおり、収入のあるべきのをさいて通学をするという者も多いわけです。あるべき収入をみずからさいておるわけですから、そういう点でも負担からいって大きい負担をしておるわけです。それでもなお向学心に燃えて通学をしておるのでありますから、これは普通のいわゆる授業料だという考え方ではなくして、多くの高校生は家庭の負担になっておりますが、定時制は自己負担になっておる分が非常に多いわけです。授業料自体が自己負担なんです。しかも勤労時間、収入のあるべき時間をさいて、意欲を燃やして通学しておるのでありますから、普通の授業料と同じような考え方で判断すべきものじゃないと思うのです。大臣もそういう判断はしておられないと思いますけれども、いわゆる内面指導もけっこうでありましょうが、やはり文部省の方針をもう少し強く、勤労青年に対してはこういう考え方だということを打ち出すべきだと思う。とかく府県の当面の財政に追われて、教育という基本的なものが軽んぜられる傾向があるわけです。どうも自治団体におきましても、国もそうですか、眼前のことにとらわれやすくなって、基本的な問題については軽視しがちでございます。そういう点からいって、大臣地方財政からいけばやむを得ないでしょうが、やむを得ないと済まされないで、日本の基本的な考え方として、こういう勤労青年の意欲を高めていって向上心を旺盛ならしめる上の基礎であるという考え方に立つならば、私は国の財政負担もそう困難ではないのではないかと思うのです。それほどまた大きな金額でもないようでありますから、一部補助でもけっこうです。免除することもけっこうでしょう。あるいは据え置くということもけっこうでしょうが、そういうことによって君らの向学心を大いに発揚してもらいたいんだということが、私は今日一番望ましいと思うのですよ。単に据え置くというのでなく、それまでして勤労青年の意欲を盛り上げていくという積極的なことがむしろ望ましいと私は考えますので、大臣もう一ぺん何か考慮していただけないものでしょうか。
  175. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいま授業料の問題から申し上げまして、これについては据え置きというやや消極的な感じでございますが、積極的な面についてこれも一、二の例を申し上げますと、四十年度の予算におきまして、定時制教育についての教育手当の補助金の増加をいたすことにいたしました。それから定時制課程の校舎の新築、増築費の補助金を相当増額いたしました。それから夜間給食費の補助金については単価を増すことにいたしました。それから運動場の夜間の照明施設、この補助金もできるだけ増額することにいたしました。こういう目に見える面におきましてできるだけ施策をして、大いにひとつ国家的に定時制に対する敬意と申しますか、積極的な国家的な意欲をあらわしてまいりたいと考えておるわけでございます。  それから、たとえば定時制を卒業いたしました青年に対しまして、これは制度としては全日制と全く同一の資格が与えられておるわけでありますけれども、ともすると実際上は差別待遇を受けるおそれがございますので、再々にわたって企業者自体に対しましても、何回となく同一の条件で差別待遇なしに採用してもらえるように、できるだけの協力方をお願いをいたしておるわけでございます。  さらにまた、たとえば定時制、通信制等に対しまして、これを雇用しておる雇用主の側におきましての協力をもっと広げていくという意味において、たとえば企業者が授業料を負担しておりますような場合には、その授業料分だけは免税の扱いにしてもらいたいということも、これは今回実現いたしませんでしたけれども、税制調査会等に対しましてもわれわれの衷情を訴えておるようなわけでございまして、不日ぜひその実現をはかりたい、こういう面につきましては、ぜひ超党派的な積極的なお力添えを賜わりたいと思っておる次第でございます。
  176. 川俣清音

    川俣分科員 時間がありませんので、大体これで一問の分は打ち切りたいと思います。愛知さんは意欲がないわけでございませんから、私質問によって大臣の意欲をあえて燃やす必要もないものと存ずるのでございます。だんだん御説明のように、確かに定時制についてはその予算化も前進していることは、私どもも予算書を見まして認めておるところでございますが、いま申し上げましたような授業料の問題等で、せっかくの意欲がチェックされるようなことになりますならば、まことに残念しごくだと存じますので、こういう点についてもう一段の努力をお願いして、私のこの部分の質問は終わりたいと存じます。  いま小林委員から問題を提起されました文部省の態度の問題ですが、私は、文部省は、教育行政府であるけれども、教育者だとは思わないのでございます。したがいまして、教育行政をやるからには、各方面の意見を聞くことはもちろんのこと、関係者の意見を率直に聞き合うというような会合は持たれていいのではないか。それは団体交渉だとかいわれるかどうかは別にしましても、お互いに話し合っていこうということが必要なのではないか。行政官はそういうふうに話し合っていくべきものじゃないか。教育者であるなら――教育者であってもそうあってもいいと思うのですが、教育のプライドの上からいって、人の意見を聞きながら教育するなんというのは不見識だという問題も出てまいりましょうから、私は、そういう点では必ずしも教育者は意見を聞かなければならぬとは申し上げない。しかし、行政をやっている者は、教育行政であれ一般行政であれ、広く意見を聞きながら行政を進めるというほうが好ましい姿だと存じます。愛知さん、前に大蔵省におられたから、なかなか計算ずくで、法規典礼にも明るいわけですけれども、法規典礼どおりだけではなかなかうまく運営しない問題がございます。たとえば、愛知さん、筋からいうと分科会なんか、これは成立しないといわれるかもわかりません。国会法からいえば、定員に達するまでは開会もできない。しかしながら、これをひとつ円満にいこうということで、この程度のことでも進めようじゃないかということで進んでいるのですよ。これは筋からいうとおかしい。国会法を無視してやっているのではないかといわれるわけですから、議論からいえばおかしい。無効だと言えないことはないですよ。しかし、そこは話し合いだということで進行しているのですね。すべてがそういう点もあるわけですから、あまりこだわらないで、お互い話し合いをしていい行政をやろうかということは、決して私は悪いことではないと思うのです。それは団交だとかなんとかいろいろなことを言うでしょうが、これだって正式に話し合いなんて四角四面にいうと、国会法に基づいて会議を開くんだなんてそういうふうになってきたら、話し合いの余地はないですよ。それが筋ですからね。国会法に基づいて会議を開くのだというのがこれは筋ですから。それだけではうまみもないので、そこで話し合って、この程度でも進めようかとこういうことになっているだけです。そうじゃないですか。これは国会法どおりやったら運営できないこともあるものです。できないからこういう便法を講ずるというわけではないけれども、この程度のことでも話をしていとうじゃないかということが起こっているわけですから、どうかそういう意味で、お互いが話し合って、いい方向を見出そうではないかということになったならば、これは愛知さん、あんまりとらわれないほうがいいじゃないかと思うのです。いろいろないきさつも従来あるようでございますけれども、あんまりとらわれてくると、これはむしろ野党のほうがほんとうはとらわれるのです。権力のある者から遠ざかっておる者ほど、ある典礼を活用するといいますか、利用するということになりがちです。しかし、文部省はそういう立場にあるわけじゃなしに、やはり広く胸襟を開いて、各方面の意見を聞く、そういう教育行政に当たっておる者の意見はもちろんのこと、いわゆる教育者の意見も広く聞く、あるいは団体であろうと、個人の集団であろうと、聞くという形で話し合いをする。話し合いですからね。話し合いをするという慣習は私はいい慣習であって、悪い慣習であるとは思いません。私も、社会党の理事の間でいろいろ話し合って、こんなことで進められるのはけしからぬという批評を受けますけれども、話し合いは決して悪いことじゃない。都合の悪いときは話し合いはだめだ、都合のいいときは話し合いするというべきものでなく、常に話し合いの中で問題を片づけていくということも悪い方向ではないと私は信じておる。愛知さんのようにあんまりかたく言うと、この分科会もほんとにできないことになりますよ。分科会などは、あんまり愛知さんかたく言うなら、開けないことになります。そういう意味で申し上げているのじゃないですけれども、もう少しお互いが話し合ってものを前進さしていこうという話し合いは好ましいものじゃないかと思うのです。交渉とかなんとかというと、愛知さんまたここで答弁しにくくなるでしょうが、お互いに話し合っていい方向を見出そうじゃないかということなら、愛知さん反対されるわけはない、こう思うのですが、何か小林君の意見を聞くと、それも反対のように愛知さんの答弁が聞こえたので、私は残念だと思ってあえてお答えを願いたいわけです。
  177. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 長い間にわたりまして予算委員会において特に御指導、御協力を願いました川俣委員の御意見でございますから、私も大いに傾聴をいたしておるわけでございます。ただ、今日の具体的な問題につきましては、先ほど来申し上げておりますように、ドライヤー提案なるもののいわゆる三者の複合体の、何と申しますか、話し合いというようなものについての根回しというものも現に進行中のように聞いておりますので、私は、そのドライヤー提案の線に沿うて順次問題が解決されていくということは、一般論として望ましいことである、かように考えております。
  178. 川俣清音

    川俣分科員 どうも私が質問すると愛知さんそういう答弁をして、小林君だとなかなかきつく答弁されますし、聞いておると非常に愛知さんの趣旨に反するようにも聞こえたので、愛知さんみずから訂正する部分ではないのですけれども、訂正するという意味で聞いているわけじゃないのですけれども、もっと前進の姿で愛知さんも文部行政をやられるということになれば、私はそれでけっこうなんです。あまりとらわれ過ぎておることは文部行政としてとるべきじゃないのじゃないか。ものをなるべく前進の形でとらえてほしい。後退するような形でとらえるべきじゃないのじゃないか。私は現実の問題をどうしろなんということでお尋ねしたのでないのですよ。そうでないと愛知さんもなかなか答弁しにくいでしょうし、そのことも万々わからぬわけではないのですけれども、やはりすべての問題は前進の形でとらえていくところに教育行政のよさもある。普通のようにいろいろなものにとらわれ過ぎておる官庁と違って、大いに将来をになおうとするのが教育行政でありますから、あまりものにとらわれないで、もっと広く国民を指導する、全体を指導することも教育だというような考え方に立っていただくならば、あらゆる問題も解決していくのじゃないか、こういう期待も持ちましてお尋ねをしたわけでございます。どうか前の答弁にこだわらないで、むしろ私に答弁されたような形でものを前進さしていきたいということを希望いたしまして――この希望は私は無理じゃないと思いますが、大臣どうでしょうか。それで質問を終わりたいと思いますから。
  179. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 私、小林委員にお答えいたしましたことと筋は同じことなんでありますけれども、あるいは言い方が多少変わったかと思いますが、一般的な問題といたしまして、川俣委員の御意見を十分傾聴をいたしましたということにとどめさせていただきたいと思います。
  180. 植木庚子郎

  181. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 私は、大臣もおいでになっておりますので、簡単に日本の大学の教育のあり方ということから、今次、南極観測を再開されるということになっておりますので、その問題に言及してお尋ねしたいと思います。オーバーな言い方かもしれませんけれども、今日大学の危機がいろいろな角度から叫ばれております。その角度を申し上げて御意見を承りたいと思うのです。  第一は、私学の財政的な危機です。原因はいろいろあろうと思いますが、一つには、大学生の急増に備えてその設備を借り入れ金によって拡充した。この問題の論議はこの前文教委員会でやりまして、その公共性、特殊性という問題から私学の問題が浮き彫りにされなければならないということと、それから経常費に国が助成するかどうかということも検討することになり、調査会を設けてやられようとしておるので、この問題の論議は文教委員会に譲ることにいたします。その次の問題は、これは資料も出していただいて私も検討してみましたが大学生の急増対策を文部省としてはどう考えるかということです。あなた方に出していただいた資料によりますと、四十年度大学志望者中高等学校の新卒の希望者が三十六万、浪人が十一万六千、合わして四十七万六千ですが、これが入学者の計画によりますと二十九万八千、あなた方のは当初計画を入れておられますから違っておりますが、差し引き十七万人の浪人ができてくるわけです。これは次の年八〇%受験するという計画が立っておりますが、そのまま残るとしますと、四十一年には、六万七千五百人の増募をしても今度は二十七万人の浪人ができる。それがそのまま残るとすると、四十二年には三十四万と計算が出るわけです。そこで、文部省は一体この質をよくするとかなんとかいうことばで、大学生急増に対してこのままのつもりでいって浪人をどんどんつくっておいてそれでいいと考えておられるかどうか、これについては新聞論調はなかなか手きびしいんです。私たちもこれについては重大な関心を払っておるわけなんですが、毎日新聞によりますと、これは文部省の責任だといっておりますし、朝日新聞は、ピンチの大学急増対策、浪人ラッシュが心配で、半分があふれるというように、この急増期を迎える受け入れ態勢としての文部省の考え方がどうも固まらない。私も文教委員会でこれは質問したのですが、固まっていないように思います。どうする気か。一説によりますと、そうこう言っても、私学はすでに八〇%の水増しをしておる。さらにそれが激増されて一〇〇%の水増しになるだろうといわれておりますが、それを許諾しておる、そのままでいいというようなかっこうに受け取れるという論もあるわけなんです。まず、これからひとつお聞きしたいと思います。
  182. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 大学のいわゆる志願者の急増につきましては、実にこれはむずかしい問題でございまして、そういうことを私から申し上げるのもいかがかと思いますけれども、文部省として、主として従来の傾向値とでも申しましょうか、それからこの趨勢を見て計算いたしました一応の数字はお手元にもございますわけですが、何ぶんにもこれは人間の問題でもありますし、それから社会的な趨勢の問題も見通しをすることはなかなか困難な問題でもございますので、いわばこれは腰だめの一つの見通し作業と申し上げることが一番正直な言い方だと思うのです。それと同時に、いま御指摘がありましたように、入学難が激増して浪人がちまたにあふれるということはまた社会的な大問題である。その間に処してどうしていくかということで、結局、さりとてバラック建ての建物さえ建てればよいというとらえ方ではとらえられませんから、やはり大学の内容を充実して、許容し得る限度において予算的あるいは融資のほうの裏づけをしていかなければならない。こういうことで、結局四十年度の急増に対して二万人弱の定員増ということに一応落ちつけて具体的計画を進めているわけであります。その場合において、その中で、たとえば私学は約一万五千人でございますけれども、いままでの実績その他からいって、結果的には水増しが相当あるのではなかろうか。これも御指摘のような心配が確かにあると思います。しかし、今回の場合におきましては、たとえば教授の陣容の問題、あるいは建物の問題、あるいは研究施設、あるいは図書の問題というようなことから、審議会においても十分に審査されたのでありますから、この計画について、私は水増しということは考えたくない。従来においても、水増しということは本来はあるべき姿ではございません。したがって、四十年度ではこの一万八千九百人の計画、私学一万五千人の計画を完全に達成していくということに全力をあげる。そして、御承知のように調査会設置等にかんがえまして急速にひとつ各方面の御意見も伺ってみたい。さらには、恒久的な対策も講じなければなるまい、大体こういうような考え方でおるわけであります。
  183. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 第三の問題点ですが、これは大学局長からひとつ聞かしてもらいたいと思うのです。公立大学におけるところの財政の危機がいわれておる。公立大学に今度の急増期の大学生をまかすならば、それに対して相当な裏づけをやはりしなければいけない。それにもかかわらず、大体五十一億起債のワクを求めておったのにもかかわらず、十億のワクを認めただけ、わずかに理工系の公立大学に対して三十八年から少しずつの補助をふやしただけで、公立の大学協会からいえばほんとうにスズメの涙だ、これでは地方の大学がやっていけないということを如実に物語っておる。一体地方の大学をどのように育てようとしているのか、これも問題だと思います。その点をお答えください。
  184. 杉江清

    ○杉江政府委員 地方大学の育成にあたりましては、私どもは、基本的にはやはり私学に対しておりますと同様に、必要な施設拡充に対して融資をするということが、まず第一の助成方策であろうと思います。次いで、現に行なわれております理科設備等、国の緊急な課題をになっておられるものについては、補助金も計上する、この二つの方式をもってその育成をはかっていくべきものだと考えております。ただ従来この助成が非常に不十分でありました。この点私どもの努力も足りなかったと思いますが、今後ひとつ十分この二つの方法を拡充してまいりまして、その育成に努力したい。ことに志願者急増期間にあたりましては、公立大学においても大いに志願者急増に対する拡充措置をしていただくことが望まれるわけでございますので、国の助成等に今後一そうの努力をいたしたい、かように考えております。
  185. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 大臣のお答えで大体方向はわかったと思いますけれども、結局私たちが非常に望むことは、英国のように大学をエリート教育というふうに考えるのか。英国でも非常に反省が出てきておるように、これは国民一つの英知を、大きな力を結集するんだという総進軍の形でいくのか。この態度が明確でなければ、大臣のよく言われる、二十一世紀から呼びかける教育とか、さらにまた百年をはかる者は人を育てよ、こういうふうにおっしゃることがどうも空白になってくると思うのですよ。  そこで、もう一つのこれから来るところの害悪、日本の教育の中に大きな問題点を残しておるのは、塾ができ、予備校ができ、そして浪人ができ、テスト屋ができる、そういうものができるのはまだけっこうといたしましても、将来国の運命を背負うようなこういう良識が、そういう非常に暗い関門の中を通してこなければ大学に入れない、こういうことになれば、国の将来にとって非常にゆゆしい問題だと私は思うのです。大学局長もいま予算上の措置は今後うんとやりたい、こういうお話で、急増期にはそれを受けて立つという考えがいま出たように思うのですけれども、ひとつ愛知文部大臣もこの点には抜本的に、国の施策を前向きにするようにしていただかなければならないと思います。この点をひとつお願いしておきたいと思うのです。  次に、さて大学における研究者あるいは技術者としての養成をするという、その態度を育成する上に非常な問題は青田買いの問題です。これは大学における四番目の問題だと私は思っておるのですが、文部省としては、いつもそういう産業界との話し合いをして、あるいは大学当局と話し合いをして、そうして時期をきめる。しかし、それが一向守られない。大学当局の掲示板にはどんどんと募集人員、募集者を張り出す。そして昨年になかったことが、ことしでは五人、六人と大学生が会社を訪問し回る。そういたしますと、前の一年は、やれやれ入学したということで大学に入った者は、ほとんど足を伸ばして休息のかっこうです。そして、卒業期の一年は青田買いのために奔走する。まだ苗のうちから――青田買いと言いたいけれども、苗のまま持っていこうとするような動きが出てきた。これに対しも文部省はどうも弱い。大学に対しては非常に強いのですけれども、統制をしたり、あるいは行政指導をやる。――これはあとで触れますけれども、こういう点には一向考えは及んでおらない。考えは及んでいるのですけれども、根っからこれに対する拘束力や、あるいはそのきめを守るという意識の上に立たすところの努力が欠けておる。そうして新聞などを見ますと、これはどうにもしかたがないのだ、しかたがないならそういうきめをやっても意味がないじゃないですか、この点ひとつお聞きしておきたいと思います。
  186. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 まず最初の御質問でありますが、これはどうも再々申し上げておりますように、率直に言って文部省ひとりのよく考え得ないところでございまして、そういう点から言いましても、私は調査会に相当の期待を持っておるわけなんであります。たとえば外国等の例を単純に比較してみましても、最近の高校卒業生の大学志願の率から言いまして、もしこの趨勢がずっと続き、かつ相当の拡充の政策がそれと裏表になってきますと、おそらく、たとえば二十歳の同一年齢層で大学に就学する率は二割にもなる。これはちょっと諸外国にも例のないことであります。イギリスの点を御指摘になりましたけれども、正確なことはちょっとここには持っておりませんので、大ざっぱに常識的に申しますと、現状はおそらく十人にもなっていないと思います。そこでイギリスあたりでは、日本状況なども見まして、すでに一五%以上くらいにもなっておりますので、イギリスはあらためて大学生をもう少しふやさなければいかぬのじゃないか、こういろ意見が出、それに対して相当積極的な措置をしておるようでありますが、それにしても相当の年数がかかっても現状の日本程度に行くのにはかなりな年数がかかるのではなかろうかと、私は常識的に想像されるわけであります。一面において、大学に志願者が急増することは文化国家の象徴でもあり、日本国民らしい全国民あげての向学心の象徴でありますから、これは非常に喜ぶべき現象であるとは思いますけれども、さてそういうふうな大学、大学ということだけでいいのであろうか。たとえば現に高等専門学校が全国にもいよいよ四十以上できることになりますが、この卒業生も一、二年のうちには世の中に出てくるわけで、現状においては非常に評判がよろしい。大学でなくても、そういうところのほうが、むしろ伸び伸びと腕に仕事をつけた社会の要請にこたえ得る人たちが大いに出てくるのではないかと期待されておる。あるいは農業関係で申しましても、農業高等学校の大規模なもの、これも三十九年度にさらに七カ所できるわけで、大体五カ所は決定しておることになりましたけれども、こういう篤農家、自立農家を養成していくことは、やはり国家的な要請であり、こういう農業高等学校の助成と申しますか、拡充ということが、一方においては国家的に非常に望ましいことではなかろうかということで、学校制度全体を私はこの際、あるいはおそまきであるかもしれませんけれども、真剣になって取り上げていかなければならないのではなかろうかと思います。  それからまた私がこういうことを言うといかにも無責任になるかもしれませんけれども、大学の現状はいかがであろうか。全体について言うわけではございませんが、とにかく入学試験を通って大学生にさえなれば、いまのような青田買いのような社会情勢でございますから、もう勉強しなくともいいんだ、そうして昔のような学年制ではございませんから、落第ということもないし、とにかくのんびりやっておれば必ず就職ができる、こういう状況が、はたして学問を中心にしたまじめな行き方であるかどうかということにも非常に私は疑問を持たざるを得ない。それから一面においては、大学の入学試験というもののやり方もこの際ほんとうに真剣に考えられなければならない。これは御承知のように、能率研究所その他におきましても、大学協会等の御協力によりまして、入学試験制度、あり方についても、相当真剣で前向きな研究が行なわれておるわけでございますが、こういう点も大きな問題ではなかろうか、こういうふうに考えます。  要するに、むずかしいような要素、あるいは考えなければならない要素の二、三を申し上げたわけでありますけれども、文部省もほんとうに真剣になって世に問いながら、世の識者の御意見も大いに伺いながら、ほんとうにあるべき姿、日本としてあるべき教育制度ということについて、この際ほんとうにこれは徹底して考えていきたいものである。私は、率直に言わしていただくならば、ほかの政策よりも、政治の責任はまさにこういうところにあるのではないかとさえ考えているくらいでございます。  それから青田買いの問題は、もう御指摘のとおりで、文部省も年来――前には、たとえば経団連とかあるいは日経連とかいうような団体相手に協力を求めておったわけですけれども、これでは残念ながら効果がない。そこで、数千、あるいはそれ以上になるかもしれませんが、これはという大学卒業生を需要しているようなところに、個別的に、手数と煩瑣を顧みずに、雇用者側に対する真剣な要請を繰り返しやっておるわけであります。要するに、せっかく大学に入った人たちがまじめに大学で勉強する、そうして就職、青田買いに応ずるために勉強ができなくなるというようなことがこれ以上広がっては、大学の意味も私はなくなると思いますので、これは真剣な手を尽くしているわけです。しかしこれもさっぱり効果がないじゃないかと仰せられる。これも実際なかなか効果があがらない向きもありますけれども、効果がないからといって、それならしようがないと手を上げているべき問題ではございませんから、手はかかりますし、たいへんむずかしい問題でありますけれども、反復し、執拗に、誠意を尽くして雇用者側にもお願いをいたしたい、また学生諸君にも呼びかけたい、かように考えているわけであります。
  187. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 青田買いの問題は、大臣、もう少し具体的な策を立てなければいかぬと思うのです。そういうことをやった会社名を文部省としては公表しなさい、公表して反省を求め、その道義的責任を負わさなければいかぬです。あなた方は、せめて文部省だけは、こういう産業界に頭を下げて、産業界に遠慮しておってもらったら、国の大事な大学の研究機関、研究する場が乱されてしまう、人間をつくるところであり、学問をするところが、ふらふらふらふらと行き回るようなうわついた人間をつくる、それでは学問の研究はできないのですから、産業界に重大な反省を求めるために私はやってもらいたいと思う。産業界も、読売新聞を見ますと、いまの大学生はものを知らんねえとか、いまの大学卒業生は頭ができておらぬ、なっとらん、こういうことを言っておりますけれども、なっとらんようには一体だれがするのかということを、強く反省を求めてください。  そこで、いまの大臣の認識の中で、私はたいへんな錯覚を起こされているのではないかと思うことが二つあります。その一つは、あと湯山さんも触れられるだろうと思いますが、農業高校けっこうです。こうおっしゃっておるけれども、しかしながら、いまの入学試験地獄の中でいまの青年たちはどういうことを考えているか。農業高校必ずしも受けがいいことないのですよ。これはあと湯山さんが言われますから、よく聞いていただきたいと思います。それから高等専門学校、高専、これは人気がいいのでたくさんつくったと言われる。私たちは、そんなものをつくったって、インスタントに人をつくろうとしたってだめだ、もっと根底につちかうようなところの教育をやらねばいけない。これはインスタントである。工業教員養成所の問題も同じことです。このときに非常に論議したのですけれども、高専はいまやはり受けが悪い。総スカンを食っている。そうして中においても、大学へやはり昇格させてもらいたいというような意向が出てきておる。これもひとつお考えの中に入れて考えてもらいたいと思うのです。  そこで、いま英国の話が出ましたけれども、英国は、要するに、日本の経済成長が非常に進展をしておる、これは一体どこに原因があるだろうかということを検討してみた結果、私も昨年英国へ行ってそのことをどこへいっても言いました、やはり日本は、質は多少落ちても大学教育があれだけ進んで量産しておるからだということを指摘しております。このことのよしあしは別問題にいたしまして、いま大学をどんどんふやしていく、あるいは大学生をふやすという方向に向いておるということはいなめない事実ですし、それから私は、いま一番産業界にも協力を求め、あるいは大臣も言われましたように、文部省だけではできなければ、内閣全体の責任として、国の富を増すのも、貿易を盛んにするのも、いまの日本で一番望まれておるものは、科学、そして次にくる技術です。その科学者を養成するのですから、このあり方というものは、学校で、大学で考えてもらわなければならない。そして技術を革新して、技術を売るわけなんです。私は昨日、日立の研究所も見てきましたし、そのほか国立の研究所もずっと見て回りました。そして産業人が、いま静かに考えてみると、技術者養成技術者養成ということで先を急いでは困る、もの静かなところで人間からつくっていくというようなことで、日立はそういうように考えております。しかしながら、日立のいまの研究費というものは、好況が続けばいいけれども、続かない場合には、国としてこの技術者養成に対するプールしたところの財源をつくってもらいたい、それは国の責任でやってもらいたい、いまは企業の責任でやっておるけれどもということを、非常に口をすくして言っておりました。これはここで申し上げるのは場所柄が違うかもしれませんけれども、そう考えてきたときに、科学技術庁の大臣が、はやここ五、六年ほどの間に十人もかわった――これは日立の会長の話なんですが、それからあそこの科学館ができてからはや五人も大臣がかわっておる、一体日本の科学技術政策というものはどちらを向いておるかということで、中には、私は科学のことは全然わかりませんというようなめでたい大臣まで出てきたということで、非常に遺憾に思っておられました。私は、そういうように日本の国力、国富をふやすということがいまの最大の使命だと思うのです。何だかだいってもね。そういう考え方からすれば、大学教育のあり方というものを文部省こそほんとうにたいへんな決意を持ってやってもらわなければならぬ、こういう立場から申し上げるわけです。  次に、大学の研究のあり方、これをどういうぐあいに考えていくという問題です。これも私は、数日来、科学技術会議と学術会議と科学技術庁、国会議員、四者の会合を持って、例の、御存じであろうと思いますけれども、科学技術基本法をどうするかという問題でした。学術会議は、依然として人文科学、基礎科学、こういうものを主体に置いてそして基本法をつくらなければならぬという考え方です。私たちも大体それに同調する考え方を持ってきておるわけです。しかしながら、科学技術会議は、いや、科学と技術のうちの技術に主体を置いてつくるべきだ、私たちはこう思うと言う。あなたも科学技術会議の一員ですから、そこの考えをしっかり聞いておかなければいかぬと思うのです。そうすると、それを両者一致する考え方でなかったら、別に文部省はまた学術振興の基本法をつくらなければならぬ、こういうことになるわけです。これが一つ考え方にあるということですね。そして大学教育をどうするかということを考えてもらいたい。  第二は、これは文部省からいただいたのですが、私も全く意見一致しておる。これは科学技術対策特別委員会で、大屋さんも来られ、あるいは高木宇宙開発本部長もおいでになって、そこでいろいろ討議しておる間にはっきりしてきたわけですが、大学の経常費を一括計上して科学技術庁で握る、そうしてそこから全部を統制してやっていこう、それが科学技術を推進する道である、そうして科学技術庁を強化することが科学技術振興になるという、こういう錯覚はこの際改めるべきではないか。大学は大学独自のやはりりっぱなところがあるのですから、これはいま文部省が強調しなかったら、科学技術庁科学会議というものができて、技術技術ということに足をとられてしまって、足もとの研究ということ、科学ということが私は宙に浮くと思うのです。そういう点を、大臣として、あなたは幸いにも科学技術庁の長官でもあり、文部大臣でもあるのですから、その点をひとつはっきりとここでお聞きしたいと思うのです。どういう態度で進んでいくか、これは四者会談ではその意見がまだまとまっていないのです。
  188. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 非常に広範な御質問でございますので、答弁漏れがございましたら、また補足いたします。  まず、一番最後にお触れになりました科学技術の問題、特に基本法がいかにあるべきかということについては、ただいまお述べになりましたように四者の会談が行なわれておりますことも、私もよく承知いたしております。そうして同時に、科学技術の長期計画を一日も早くつくり上げて世に聞いたいと考えておりますが、同時に、基本法については、私もただいま御指摘のとおり科学技術会議の一員でありますけれども、科学技術会議としての組織体として、これでなければならないというだけのまだ最終的な態度はきめきらないでおるわけでございます。したがって、人文科学をどう取り上げていくか、科学技術だけでいいかどうかというような点については、同時により高い立場で政治的にも総合的な判断をしていかなければならないことと考えますので、この上ともに三木委員はじめ御関係の皆さまの御協力をお願いいたしたいと考えております。できるだけ早くこれは取りまとめたいと思っております。  それから、科学研究費を一括してはどうかということについては、これも私の個人的な意見でございますが、私は、科学技術については、研究費、開発費というようなものは、一括してしかるべき機関がこれを配分するようになれば理想的ではないか、御意見と違うかもしれませんが、こういうふうな考え方を年来持っております。それから、この面については予算の単年度制というものについても再検討する必要があるのではなかろうか。これはまたイギリスの例になりますけれども、いわゆるころがし予算というような制度もありますが、これなども相当参考になるのではないかと考えまして、科学技術庁においても文部省においても、事務的な研究もさせておるようなわけでございます。しかし、ただいま御指摘がございましたように、大学の学問の自由あるいは基礎的な研究ということになりますと、これはおのずからまたとらえ方が別になってこざるを得ないと思います。たとえば臨時行政調査会では、いま私が申しましたように、こういう関係の経費は政府として一本にして、そうして年度を越えて編成し使用し得るようにしたらばどうであろうか、科学技術庁がそれを担当して、総理直轄のブレーンとして運営するのがよろしかろう、その場合においては大学の研究もその中に入れるのがしるべきである、こういう答申が出ておりますことは御承知のとおりであります。ほかにも、この答申にはいろいろの点につきまして私若干意見を持っておりますけれども、大筋としては私はけっこうな案だと思います。ただ一点、この大学の基礎研究についても一括的に取り扱うということについては、これは非常な重大な点でありまして、この点については、学術会議あるいは大学学長の会議その他いろいろな方面からも要請書や意見書が出ておりますことは、御承知のとおりでございますが、この大学の研究ということと、それから行政的なといいますか、科学技術の取り扱い方ということについては、非常に重大な問題であると思いますので、うんと掘り下げて知恵を集めて結論を導かなければならないのではなかろうか、かように考えております。ただ、いつも申しますことでありますが、それにしても、基礎研究の範囲をどの程度にするか、あるいは大学の担当する役割りとその他の面の担当する役割りにどこにけじめを引くか、分界をどこに置くかということは、これまた非常にむずかしい問題でありますから、たとえば宇宙開発の関係などについては、人的に両方を見てジョイントスタディをするというような実際的なアプローチをしておりますことは、そういうことを始めましたことは御承知のとおりでございまして、こういう点が相当の効果を上げていくようになればまことにありがたいことだと考えているわけです。  それから、さらに、前段でお触れになりましたが、先ほどの青田買いで産業界の協力を求めるためには、協力をしたところとしないところを公表したらどうかというような御意見も拝聴いたしましたが、まあ一面においては、産学協同ということも大きな年来のテーマでございますが、罰則的に、ここは協力しなかったということを発表して警告をするということも一つ方法ではございましょうけれども、それよりは、より積極的に学界というか学校のあり方と産業界との結びつきというようなことをやはりより高い立場で取り上げていって、それこそ相互が調和を持って協力していくということのほうがむしろ本筋ではないだろうかと、私はそういうふうに考えているわけでございます。  それから、高専や農業高校についても御意見がございまして、またあとでも御意見を承りますけれども、インスタント教育ということを仰せられたことに対しては、私は、率直にいって、抵抗を感ずるのであります。これは何も学校は大学でなければならないというふうには私は必ずしも考える必要はないのではなかろうか。むしろ、インスタント教育というようなことを仰せになりますのにつきましては、私は、教育全体の問題として、小学校あるいは幼稚園から始まって中学校、高等学校等の教育のあり方というようなことが、そういう点になってまいりますと、より本質的な問題、こういう面もあわせて私はお考えを願いたいというような気がいたしますことを率直に申し上げたいと思います。
  189. 植木庚子郎

    植木主査 三木君に申し上げますが、おおむね持ち時間が経過いたしましたから、なるべく御協力をお願いいたします。
  190. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 いま臨調の報告書、これについて大体基本的に賛成だというようなお話がございましたが、大学の分については、そういうおそれがあることはやはり考えに入れなければならぬ、こういう話なんです。国大協あたりからもそれについては意見が出ておりますから、御存じのとおりであります。  そこで私は、最後の問題点ですが、国民と大学との関係、研究と教育との統一、そういうところから確たるビジョンを打ち出す必要があると思うのです。そういうところから、大学人としてこれをやるということは、私は、喫緊の仕事でもあり、文部省の大きな仕事だと思うのです。いままで大学の白書が出ておりますけれども、あれにはビジョンがない、こういうようにいわれておるのもそこじゃないかと思うのですが、そういう意味合いで、大学としての学問研究、それに対して国家統制を回避して研究のための教育条件の整備に道を開くことが私は大きな使命じゃないかと思うのです。それにもかかわらず、端的に申し上げますと、大学の能率化というようなことを考えて、そうして大学の格差を設けようとしておる、これが一つの問題点。それから教育と研究とを分離しよう、こう考えておる。愛知大臣の地元でもそういう動きが――宮城学芸大学というところに、そういう考え方から、これは行政指導のもとに、あるいは国立大学設置法一部改正、こういう手段によってなしくずし的になされているところにも問題があると思うのです。  こういう論議は文教委員会でやるといたしまして、ただ一つ杉江さんにお聞きしておきたいことは、あの消えたはずの大学管理法案なるものを、昨年七月に大学に配ったといううわさがあるのです。そういううわさが出ておるわけなんですが、一体どういう意図でこういうことをやられたか・私はこれは非常にふしぎに思うのですが、そういうことはございませんか。これはあなた方が教育大学を別につくろうという意図があったり、あるいは研究と講座名を一致させようとしていろいろ画策されて、それで大学から反発があった、それを押えつけて官製的な学科目にそれを合わして行政指導をしようとした、こういう一連の動きとあわせて考えてみたときに、私はまことに危険だと思うのです。そういうものは配っておられませんか。
  191. 杉江清

    ○杉江政府委員 以前につくりました管理法案を全大学に配付したことはございません。ただ、あの法案を国会提出をあきらめました際に、国大協のほうで何かそれを大学に配ったというようなことはあるようでございます。なお、私どもの研修会で一つの資料としてこれを用いたことがございます。そういうものが流れたことはあるかと思いますけれども、これを統一的に全大学に配付するというようなことはいたしておりません。
  192. 三木喜夫

    三木(喜)分科員 研究の自由と、それから人間をつくるという大学教育のあり方からして、やはりいろいろな問題点がございます。種々問題点がある中で、その大学の質を行政的に落としていくというような考え方は、内容指導としても私は問題があろうと思いますので、こういう点の詳細にわたっては文教委員会で触れたいと思います。  ただ、大臣が言われました中で、これは考えておいていただきたいと思うことは、科学技術基本法、これをつくろうということについて、約三年間になると思います。一時は、技術だけでいいじゃないかという考え方も持ったし、また、それではいけないという考え方も持ったし、大学側は終始そういう考え方だったのですが、もう三年たっておりますから、まだこれは態度が固まっておらないということでなしに、早く態度をきめてもらわないと、大学を統制しようとしたり、そういう行政指導の名のもとに大学の質を落とすというような、格差をつくろうというような営みが行なわれることになってくる根源ですから、私は最初から、大学に対するところの文部省の考えをきっちり固めてくれ、急増に対してもしかり、あるいは財政の危機に対してもしかり、あるいは内容についてもしかり、青田買いについてもしかり、入試の激化についてもしかりということで申し上げたのです。   〔主査退席、八木(徹)主査代理着席〕  時間が来ましたので、これでおかしてもらいます。
  193. 八木徹雄

    八木(徹)主査代理 次に、湯山勇君。
  194. 湯山勇

    湯山分科員 いま三木委員のほうから大学の問題について御質問がございましたが、私も大学のことについてお伺いいたしたいと思います。  その前に、いま大臣がお触れになりました大学の学力の問題でございますが、私は外国の大学生にも幾つか接してみまして、いまの日本の大学の卒業生の学力では、これはたいへんなことになるのじゃないかということをつくづく感じております。早い話が、英語にいたしましても、中学で三年、高校で三年、それから大学で四年という英語なら英語をやって、はたしていまの全体の大学生がどれだけ一体力を持っておるか。私の見たある国では、大学へ行って二つ外国語をとっておりますけれども、その二つとも読み、書き、話すこと、ほとんど自由です。日本語なんかやっておるのは、テニヲハも間違わない。そういうのを見まして、一体日本の大学はこれでいいかどうか。最も知識欲の旺盛な伸び盛りの大学生をいまのような状態に置いておく-いろいろ個人的な差はありますけれども、置いておくというのは、私はこれは大きな政府責任でもあるし、われわれもまたこの問題については真剣に取り組まなければならないということを痛感いたしておりますので、この点については、そのことを申し上げまして、さっきの大臣の御答弁に関連して善処をお願いいたしたいと思います。  次に、大学について、二十二年に学校教育法が施行されましたときに、なお旧制高等学校十三校でございましたか、それと千葉ですか、この十四校が、何という名前をつけたらいいのかわからないで、沿革、伝統といいますか、いろいろその当時もやもやした状態の中で、文理学部というのを設置いたしました。この文理学部というのは、早晩これは改めなければならない、実情に合わないというようなことで、検討は続けられましたし、文部省としても、大学のほうでひとつ適当な案を持ってこいというような指導もなさって、えんえん今日に及んでおります。ですから、それぞれの文理学部では、非常に奇妙な、何と申しますか、区分をしておりまして、ある大学の例ですけれども、文理学部を文科、理科に分けまして、そうして文科の中は、人文の甲、これは英文、国文、独文、哲学、史学、こういう区分をする、人文乙というのを設けまして、その場合には、経済専攻、法律専攻というようなものをつくっている。全く実情に合わないし、それから不便もあるし、社会の期待にも沿っていないと思います。こういうことを今日まで放置した責任の問題もありますけれども、ようやく四十年度予算で四校だけこの文理学部の改組ということをお取り上げになっておる、そのことはたいへんけっこうだと思います。ただしかしながら、急増対策に便乗して、そこでまあとにかく多年の懸案である二十年近くもほうっておった文理学部を何とかしょうというような安易な考えであってもいけないと思いますし、また、文理学部という名称も、法文学部にするのか、あるいは何学部にするのか、ともかくも名前だけ変わったということであっても、これも意味のないことだと思います。実質的に、最初申し上げましたような趣旨で、この文理学部の改組についてどういう御方針をお持ちになっておられるか、そしてそれはどういう計画でおやりになるのか、これをまずお尋ねいたしたいと思います。
  195. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいまお尋ねのとおり、文理学部の問題につきましては、その当初からいま御指摘のような経過でできておりました十四大学がおるわけでございます。これにつきましては、かねがねから関係大学の意向なども聞いて、改組についての案を検討しておりましたが、ちょうど一昨年中教審の答申も出まして、文理学部はそれぞれの実情をしんしゃくして改組されることが必要であるというふうに指摘されたわけでございましたので、これを受けまして、四十年度に、そのうち、とりあえず弘前、埼玉、静岡、鹿児島、この四大学について文理学部を改組することにして、所要の法案等を御審議願っておるわけでございます。この改組についての方針でございますが、それぞれの地方大学の特色を生かしていきたい、地元のいろいろの状況などもかんがみまして教育の質的な改善をはかりたい、特色を発揮してもらいたいということで考えまして、いま申しました四学部におきまして、それぞれ、ところによりましては人文学部と理学部、あるいはところによりましては教養部、経済学部、理工学部、あるいはまた、人文学部、理学部、法文学部というようないろいろのバラエティがございますけれども、それぞれ四カ所の大学の伝統、それからその占めておる地方的の地位あるいは教授陣の内容等を十分加味いたしましてこの際四大学を改組する、さらに進んで、あとの十大学につきましても漸次いま申しましたような考え方で改組拡充をやっていきたいと考えておるわけであります。
  196. 湯山勇

    湯山分科員 いまの御答弁で大体要点は理解できましたけれども、一番最後の点がはなはだ不明確だと思います。現在やっとまあ二十年越しの問題の四校だけこれから手をつけよう、あとの十大学については漸次というのは、一体何年間でやるのか、四十年度四校、四十一年度に四校というような方法でおやりになるのか、あるいはもっとスピードアップをして四十一年度には残り全部、こういうお考えなのか。実はいままでの期間が長かったから、おやりになるのなら一挙にやるべきだ。そう三年も五年もかかるべきものではないと思うし、かけてはならないと思います。そういうことでお尋ねしておりますので、漸次これを改組していくというその内容をさらに明確にひとつ御答弁いただきたいと思います。
  197. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 率直に申しますが、実は四十年度でこの四大学の文理学部を改組する、これに実に苦労をいたしました。その経緯から申しまして、目標としてはなるべくすみやかに、気持ちとしては一挙に今後解決したいところでございますけれども、なかなかそうもまいりますまいというような見通しを持っておるわけでございます。したがって、まだ的確に年次計画を申し上げることまで考えておりませんが、まあいまのところなるべくすみやかにというふうにお答えするわけでございます。
  198. 湯山勇

    湯山分科員 せっかく大臣の御答弁ですけれども、これで了解できないのは、手をつけてないのなら、それはそういう御答弁も私はやむを得ないと思います。しかし、もう第一年次のものは、四校というものははっきり――予算が通らなければというような形式的なものはありますけれども、やることにきまっている。そうしてあと残った十については、早くやりたいけれども、いつになるかわからない、これでは責任ある御答弁とは思われません。そこで、手続的なものが終わらなければということであれば、それはそれで私は了承いたしますけれども、文部省としては来年はもっと多くやる、少なくとも何年以内にはやるという、これくらいのことはお示しいただかないと私も納得できないと思いますので、重ねてお尋ねいたします。
  199. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 まことにごもっともなお尋ねだと私も思うのでございまして、まあ今年度も非常な苦労をして四大学の改組をできることになりましたが、すでに三十八年、一昨年の中教審の答申にも勢いを得てここまでまいりましたから、今年が四つならば残りは十でございますから、あと五つずつで二カ年くらいの間には完了したい、私はそういう気持ちを持っておりますが、ただいま御質問の御前提が、手続等あるいは財政的ないろいろの問題もあろうから、こうおっしゃっていただきましたので、その前提のもとに、そのくらいの気持ちでおりますということを申し上げておきます。
  200. 湯山勇

    湯山分科員 ただいまの点はそれでやむを得ないと思います。ただ希望申し上げたい点は、五つ、五つなどと御遠慮なさらないで、四十一年度には全部やる、こういう御決意にひとつ変えていただきたいと思います。  それからいま一つは、改組されたものの内容でありますけれども、現在の教授陣営が大体軸になっておると思います。しかし、それはそのままでただ部という名前がついただけでは、まことに貧弱な、ちゃちなものにしかなりません。部となればそれだけの権威がなければ、大学全体の権威の低下にもなると思います。大体どういう御方針でしょうか、相当増員等も行なわれるというのでございますか、その点はいかがでしょう。
  201. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 これは少しこまかくなるかと思いますけれども、たとえば弘前大学の関係で申しますと、教授だけでも四人は初年度だけで増員をしなければならないという計画でございます。それから埼玉大学は、初年度だけで教授が八人、助教授七名の増員というような規模になっております。静岡大学におきましては、やはり初年度において、教授五名、助教授四名、鹿児島大学では、初年度、教授五名、助教授四名、こういうふうな規模でございますので、施設、研究費その他もこれに相応して増額になるわけで、内容の充実改善ということを当然伴っておるわけでございます。
  202. 湯山勇

    湯山分科員 御要望申し上げたい点は、それにしても、まだ大学側で希望したものとは相当隔たりがあると思います。ずいぶん大学側も苦心して検討してきておる案でございますから、それをできるだけ尊重していまのような改組を早急にお進め願いたいことを要望いたしまして、この点についての質問を終わります。  次は農業高校の問題でございます。現在農村の後継者養成の中心が農業高校であるということについては、文部省もよく御認識になっておられると思います。そしてそれについてのいろいろな案もお出しになっておられるし、また全寮制高校というようなものもおつくりになったことは、先ほどの御答弁にもございました。しかし率直に申しまして――一々お尋ねしてからがほんとうですけれども、時間がありませんから、こちらから申し上げますと、現在の農業高校が八百ばかりあるようでございますが、それらはいずれも文部省で御期待になっているような状態にはないということを指摘しなければならないのはたいへん遺憾だと思います。具体的に申し上げますと、それらの学校は応募者が少のうございます。そこで定員を一体どう確保するかということで苦労しておる学校が相当あるということが一つでございます。それから第二は、それの補充策として、それを何とかまかなっていくために、たとえば農業土木だとか農業化学、そういう学科を設けまして、それによって、実は工業の土木科あるいは工業化学、そういうもののかわりをする、工業学校の新設ができないためにそういうことをやっておる、それも相当ございます。それからもっと直接的なのは、農業高校を廃して工業高校にかえているというような例もあると聞いております。さらにまたそういうふうにして農業高校を出ても自分のうちの農業に従事しない、外へ出ていく者の数がこれもまた順次ふえております。これは愛媛大学の農学部の実例でございますが、ここは比較的自分のうちの自営農業に就業する者が多いというので学校でも自慢しておりました。それは三十四年ころまでは六割方が農業に就業いたしましたし、それから三十五、六年は四割くらい、それが三十八年三〇%、三十九年ではわずか二三%、こんなふうに低下してきております。それでは、かりに農業高校を出ていった者が就職していって、はたしてしあわせかどうかという問題ですけれども、これもはなはだどうも思わしくございません。二十五歳の農業高校を出た青年ですけれども、他へ就職して後継者対策の論文を出しております。そこで率直に言っておることは、ここへ来て言われたことは、農業高校の卒業生はからだが鍛えてあるから重労働によい、こういうことを言われております。これでは非常に失望したということを率直に訴えておりますから、こういうことを見てまいりますと、現在の農業高校については抜本的に考え直す必要がある、このように考えます。その点について、一体これをどうなさろうとお考えになっておられるか。まずこの点をお伺いいたしたいと思います。
  203. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 高等学校の農業科と申しますか、農業高等学校と申しますか、農業関係の高等学校の昨年の大体の状況は、千八百三十七学科ございます。そして生徒数が、男子が十八万六千、女子が五万七千、これが現状でございます。そこで、いま湯山委員からもいろいろ御指摘がございまして、私もそういう点については、かねがね実情も若干は存じておるつもりでございますけれども、先ほど三木委員にお答えのときにちょっと触れましたように、私は、農業高校は、今後のやり方はできるだけ大規模のものに集約をいたすべきではなかろうかと考えております。そして数十ヘクタールの農場を持ち、そうして全寮制度にして、ほんとうに自立農家たるにふさわしいりっぱな自立農家の後継者を養成するというところに目標をしぼりまして、専門的な教育を十分いたしてまいりますならば、相当社会的な需要にもこたえられるし、またその修得した学業が実地に役立つようになって、いまお話がございましたからだが強いから肉体労働のほうに回して使うということにならないように農業政策の構造改善や農業の将来も見通しながら、私としてはそういう方向に漸次向けていくのが一番いい方法ではなかろうか、かように考えているわけでございます。
  204. 湯山勇

    湯山分科員 私は、いま大臣がおっしゃられた全寮制度高校、これについても非常に問題があると思いますが、その前にちょっと確かめさせていただきたい点は、文部省としては全寮制の農業高校を将来は全国的に拡大していこう、そして全国では約二百七十五校ですか、それくらいな全寮制の高校をつくって、そこで毎年四万四千人の卒業生を出す。もちろんこの高校は一学年百六十名程度で、いまおっしゃったように三十ヘクタールの大規模の実習地を持って、大型トラクター、それからスピードスプレーヤーあるいはコンバイン等を入れる、それから早朝や夜間の実習も入れるのだ、こういうような御計画で、さしあたっては四十三年までに百校にしようという計画があるように承っておりますが、そのとおりでございますか。
  205. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 その全体の校数について的確にそうでございますと自信を持って言い切れるまでになっておりません。と申しますのは、ただいまいよいよ開校を決定しようといたしておりますところが五校でございます。そしてあと二校は、さらに諸般の状況を見まして開校をしたいと考えているわけでございます。
  206. 湯山勇

    湯山分科員 そういう来年度予算に関連のある問題もですけれども、全体の構想としては、いま申し上げましたように、四十三年ごろまでにできれば百校くらいつくりたい、さらにもっと将来にわたって二百七十五校くらいにしたいという御意向はお持ちになっているでしょうか。
  207. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 大体計画としてはさように考えておりますけれども、先ほど申しましたように、これは新しい試みでもございますので、漸次これが社会的にどういう位置づけになるかということ等も見比べまして、着実な計画にして伸ばしてまいりたいと思っております。いまのところ開校の運びにまでなりましたところは、まあ見方もいろいろございましょうが、私の見ておりますところでは、その地元、その周辺等におきましてはたいへん期待されているように考えております。
  208. 湯山勇

    湯山分科員 そこで申し上げたいことは、おそらくその案というものは事務当局なり何なりでおつくりになったのだと思いますが、これは非常に大きな誤りをおかしているのだと思います。と申しますのは、農業高校の実習地が多いということは決して悪いことではございませんけれども、そのことが農業の後継者の養成にはつながっていない。それから、いま大臣のおっしゃった全寮制高校の性格、そのこともひょっとすると農業のきらいな者を養成する、こういうことになるおそれがあるということを申し上げたいと思います。と申しますのは、この中に、新潟県の農業高校の教頭さん、五十歳のずいぶん経験のある。人ですが、その人が述べておるところによりますと、実際に見ていくと、農業高校の卒業生よりも普通科卒業生が農業で社会的期待に沿い得る活動をし、業績をあげている例が非常に多いという指摘が一つございます。それから二十五歳の青年も言っておるのですけれども、実習がずいぶんむだが多い。この実習には何ら教育性が認められないというような指摘もしております。   〔八木(徹)主査代理退席、主査着席〕 特に教頭さんの指摘では、あちらのほうで調べたところですけれども、年間三百ないし五百時間が実習に使われている。その実習というのは、これは学校の予算も窮屈ですから、結局農場の粗収入の増大のためであって、ほとんどが労働力の提供である。単なる経験にしかならない。ですから、これは指導の対象にもならないし、教育的な意義を持たないことで、特に今日のように農村に人手がなくなったということになると、そういうことに使われる時間というのはますます増大してきている。そのために、これは私も自分の県でも知っておる実例ですけれども、農業高校の一年での自発的な退学者率が他の高校に比べてはるかに多うございます。これもいまのことを物語っておると思います。また、この教頭さんが指摘しているのは、学校というのは決して経営体でもなければ試験場でもない。真の実習の効果というものは、農場の小さい学校でむしろあげている例が多いという指摘もしております。これらの問題は、今後これを進めていく上に非常に考えなければならない問題ではないかと私は思うので御指摘を申し上げたいわけです。これも農業教育に携わっておる数人の先生といろいろ話をしましたところが、結局いまの農業高校三カ年でやっておるものは、いまのようにほんとうに必要な実習だけにして、あとは人を雇ってやる。それから現在の単位制のワクというのは、はたして農業高校に適切かどうか、この単位制のワクをはずして、もう少しその点についての機動性を持たせてやっていけば、現在三年でやっておることを二年でやることはそんなにむずかしいことではない、これは全部一致してそう申しております。ところが、そういうことを無視して、三十ヘクタール以上の土地を持ち、全寮制にして早朝、夜間の作業をやらせる。早朝、夜間の作業をやるなどということはむしろ逆行で、若い眠たい盛りの者に早朝作業をやらす、夜間作業をやらす。昼間は眠たくて、教室で居眠りする、こういう考えで農業教育をやって近代化しようとしても、これはできるものではないと思います。全寮制というものが訓練所ということならば私はあえて申し上げませんけれども、そういうかまえの中からは近代的な農業のにない手は育っていかない。ですから、それは予算的なこともあろうけれども、全寮制高校についてはしろうと目には期待をかけておりますけれども、実際自分の子供をやろう、行こうという子供は、これはむしろしり込みをしておるというのが実情ではないかと思います。これはそういう面からだけ解決のできる問題じゃなくて、いまの教育全体の中での取り組みを変えなければならぬのではないか。と申しますのは入学試験です。これは決して農業の適任者ということで選ぶのではなくて、ただ進学に都合がよい、いまの上級学校に行く、あるいはよいところに就職する。そういうたてまえで学科試験をやって点数によって拾い上げておるいまの農業高校の選抜方法で、はたして一体期待されるような者が入るかどうか。農業の自営者としての適性というものはここでは一つも見られておりません。そうしてワクにはめたいまの教科課程でやっておる。そして意味のない人夫がわりの実習を強制されておる。これで幾ら力を入れておると言っても、大臣の意図するものと全然違ったものができてきておる、こういうふうにしか考えられません。おそらく机上でお考えになったことだと思います。けれどもいまのような構想はもう一ぺんひとつ根本的に練り直す必要があると思いますが、大臣の率直なる意見を伺いたいと思います。
  209. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 全体の校数や年次計画は、先ほど申しましたように、一応の希望的な計画はつくっておりますけれども、毎年実情をよく掌握した上で、また全寮の農業高校が先ほど申しましたように新しい制度でもございますので、実情をよく見て善処してまいりたいと思っております。ただいま御意見にございましたいろいろの点については、私も十分配慮してまいりたいと思います。実は私も一、二の全寮制高校を現実に知っておるのでありますが、ただいま御指摘もございましたように、一つのポイントは農夫、牧夫等の専門に従事する者をある程度配置しておくということが一つのきめ手である、こういう点は全く御同感でございまして、いまの制度におきましては、これは各都道府県でその定数などをきめることになっておりますけれども、文部省といたしましても、現実の状況を見ますと、私自身がそういうふうに考えられますので、そういう点については具体的な措置を進めて、都道府県等についても適切な指導をしてまいりたい、かように考えております。  それからなお、中途退学の率のことにお触れになりましたが、これは全寮制の高校についてはまだわかりませんけれども、農業高等学校の現在のあり方から見ますと、三十九年に卒業いたしました全国の平均をとってみますと、約一二%が中途で退学いたしております。これも事実としてはっきり直視しなければならない問題であります。ただどういうわけでございますか、高等学校の水産科の中退が実はそれを上回っております。それから工業学科は農業学科と同じ一二%という数字が出ております。これが実情でございます。
  210. 湯山勇

    湯山分科員 特に私がその場合自発的に自分の意思で退学したということをつけ加えたのは、大臣のおっしゃったようなのもございます。それからその数は公立、私立の別でもかなり区分がございます。しかしそれらは自発的に学校をいやになって退学したのではないのが相当ございますから、そういう点で大臣の御理解と私の申し上げたこととはズレがないものと思います。  そこで、いま大臣が、私がいまから申し上げようと思うところを申していただいたので、全寮制高校についての農夫、牧夫と申しますか、それをやはりうんとたくさんにしなければならないという御意見は、それはもう私もそう思っておりましたが、しかしそれがわずかに全国でいまのところ五校程度しかないわけでございます。問題は残っておる七百九十幾つの農業高校、これをどうするかの問題です。これはもう申し上げるまでもなく、いずれも同じような状態、あるいはもっとひどい状態です。そこでそこをまず解消する必要があると思いますが、これは何も県の予算だからといって文部省が手がつかない問題じゃなくて、設置基準その他でこのことに対する拘束ができるわけです。十分過ぎるほど十分な定員を組んで、費用を組んでも、おそらくまだ相当生徒が犠牲になると思います。この点については早急にひとつ対策を御通達なりあるいは何らかの方策で――もう府県も昭和四十年度予算にかかっておると思います。その中でいまのようなことができるようにひとつ御措置願いたいと思うのですが、いかがでしょうか。
  211. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 学校教育法で「必要な職員」ということが規定されておりますが、その中には農夫、牧夫も入っている、こう解釈しておりますので、私の就任前でございますけれども、すでに文部省から通牒等で各都道府県にもお願いをいたしておるようでありますが、現状は大体平均して二人半ぐらいの配置になっているようでございます。
  212. 湯山勇

    湯山分科員 数をふやさなければならないので、平均して二人半、それじゃとてもいまのように生徒は労務の提供だけするということになるので、これを何倍にもふやすということが緊急の必要な事項だと思います。それについて早急に対策をおとり願いたいというのでございますが、いかがでございましょうか。
  213. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 実際問題として農村の人手不足のおりからでもございますから、なかなかむずかしいことかと思いますけれども、善処いたしたいと思います。
  214. 湯山勇

    湯山分科員 これは常用とかいうようなことはあるいはむずかしいかもしれません。けれども、出かせぎに行っている人も相当ある。その人も農繁期は忙しいということでしょうけれども、平素の作業には相当そういう人たちを臨時に使えば使えないことはないと思います。むしろそうすることが農村の労務対策からいってもプラスの面が多いと思います。そういうことを御勘案になって、ひとつこれは強力な指導をしていただかないと、なかなか県のほうは、教育委員会関係の予算ですから、うんと申しません。ひとつぜひ強力な指導をお願いいたしたいと思います。  それからもう一つは、学生の問題です。全寮制の生徒については補助を出すというようなことでございますけれども、それだけではやはり片手落ちではないか。他にもそういう例はたくさんありまして、たとえば学校の教職員になる者には、在学中に借りた育英資金の免除の規定がございます。そうすると、いわゆる農業高校におる者には学資を貸与して、そして自家農業に従事する者にはそれを免除する、こういう方法はとれないことはないと思います。いまのように今度はそれを幼稚園の先生にも拡大されるということで、たいへんけっこうなことだと思いますが、そういう制度については文部省は非常に得意なはずでございますから、全寮制を出て外へ行く、そういうことをとめるというのはなかなかできないことですし、そうなると憲法上の問題等も出てまいりますから、そうじゃなくて、補助とかいうことじゃなくて、そういう貸与制度にして、そしてその返還を免除するということを全面的に実施する。それなら私は、期待されるような者が、そしてうちは貧しくても実際に農業に熱意のある者が入学できる、他の学校へ入れなかった者がやむを得ず入るというようなことは、なくなるとは申しませんが、だいぶん緩和できると思いますが、そういう制度をおとりになるお考えはございませんでしょうか。
  215. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいまのところ、そこまでは実は考えておりませんでしたので、ひとつよく検討させていただきたいと思います。
  216. 植木庚子郎

    植木主査 湯山君に申し上げますが、持ち時間が経過いたしましたから、なるべく簡潔にお願いいたします。
  217. 湯山勇

    湯山分科員 検討されるという意味は、これはそんなにほかのほうとの関係なく、文部省御自身でおやりになれる部分が非常に大きいわけです。そこで、やるということで検討されるわけですか、やれるかやれないかわからないということで御検討になられるのでしょうか。それによって私もう一つ申し上げたいことがあるのですが。
  218. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいま湯山委員からのお話は、御発想の趣旨なり目標はたいへんけっこうなことだと思いますけれども、教職員になるというような場合と多少違いまして、たとえば、そうなりますと、そのときそのときの社会の情勢等からいって、他にも同様に扱わなければならぬ問題もあろうかとも思いまするので、その辺もあわせて、とくと研究させていただきたいと思います。
  219. 湯山勇

    湯山分科員 これは、ほかとの関連ということでは、お医者さんにもそういう規定がございます。それからなおそのほかにも実施しておられる例は、ずいぶんたくさんございます。しかもそれらは、やはりその社会の情勢によってやっておるわけですから、そこで、大臣がいまおっしゃったような意味で御考慮にならないで、現在の日本の要請がどうであるのか、社会の要請がどうであるのか、このことで御判断いただいていいのではないかと思います。決して、これをやったからといって、ほかがはなはだ差別待遇でけしからぬということにはならないと思いますが、もう一度ひとつその点……。
  220. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいま申しましたように、実はそこまでただいままで考えておりませんでしたから、あまり軽率なお答えを申し上げるのもかえっていかがかと思いますので、真剣に検討させていただきたいと思います。
  221. 湯山勇

    湯山分科員 終わります。
  222. 植木庚子郎

  223. 長谷川正三

    ○長谷川(正)分科員 私、四十年度の文部省予算について、数点の質問を用意いたしましたが、議事進行に協力しまして、そのうちの一点に集中して御質問を申し上げたいと思うのですが、どうしてもこの予算委員会でもう一点だけ簡単に触れておきたいと思いますので、合わせて二点についてだけ、ごく簡単に質問申し上げたいと思います。  第一は、今回の予算の重点施策の中に、幼稚園教育の振興ということがあげてあると思うのであります。今日、教育科学の進歩は、幼児期におきます教育の重要性というものをますます明らかにいたしておりますし、また、国民の幼児教育に対する熱意なり要求というものも、非常に高まり、大きくなっておるわけでありまして、こうした社会的要求にこたえ、また、日本国民の将来のよりすぐれた発展より豊かな成長の基礎を固めるという意味で、幼児教育はまことに重要だと思うわけであります。幸い当局も昭和二十七年から五カ年計画を立てて、幼稚園の普及のために国から補助をいたしてかなりの成果をあげてまいったと思いますし、その後さらに前灘尾文部大臣のときに七カ年計画を立てまして、昭和三十九年度からさらに画期的な幼稚園の普及のための施策を講ぜられようといたしておることは、まことに時宜に適したことと存じますけれども、ただ私、ここで一点御質問申し上げたいのは、文部省から出されました資料で、七カ年計画の中で、四十年度は、当時の計画によりますと、新設二百五十四、学級増百四十七というふうになっておるかと思うのでありますが、今回の予算を見ますと、これは予算書の見方が私はまだ未熟でありまして、間違っておりましたら御指摘を願いたいのですが、新設百十二園、学級増六十八学級となっておるのであります。それで先般の文教委員会におきまして、この点でなく、幼児教育について文相に御質問申し上げた際に、できればこの七カ年計画をさらに短縮し、そして幼稚園の普及を伸ばすというふうに努力をしたいというような御答弁がありまして、非常に私も期待をいたしておるわけでありますが、このことと、いまの数字が逆にこの七カ年計画すらも縮めるどころか、いまの数字でありますと、ことしは逆にしぼんでいる。これは非常に国民の期待にそむくのではないか、こういうふうに考えますので、この点について御当局の御見解をお伺いしたいと思います。
  224. 福田繁

    ○福田政府委員 七カ年計画におきましては、当初いろいろな考え方があったわけでございますが、私どもといたしましては、当然に幼稚園の新設されるもの、あるいはまた学級増が行なわれますものも含めて、各地域において少なくとも人口一万について一幼稚園というような観点から計画を策定したわけでございます。そういう数字がさきに御指摘になりました四十年度において新設二百五十四、それから学級増加百四十七という数字を一応考えたわけでございます。しかしながらこの中で具体的に補助の対象にいたしますものは、この内輪でございまして、と申しますのは、具体的に地域的にいろいろ考えてまいりますと、いろいろな重複その他もございますので、そういった観点から補助の対象としては、この内輪の数字をとりまして、先ほど御指摘になりましたような数字に四十年度はなっておる次第でございます。ただ年度によって、年度区分も一応考えなきゃなりませんので、四十年度あるいは四十一年度、それ以後の幼稚園の普及状態等、勘案をいたしまして、今後の予算編成等は考えたいと考えております。
  225. 長谷川正三

    ○長谷川(正)分科員 そうしますと、この七カ年計画の数字は、ことしの予算に組まれた数字とは別であって、別にこの計画がしぼんでいるとは考えなくてよろしい、そういう御答弁ですか。
  226. 福田繁

    ○福田政府委員 これはもちろん四十年度の当初計画は、公私立合わしての計画でございます。したがいまして当然に――当然と申しますか、自然にそれぞれの計画の対象になってまいります幼稚園の設置あるいは学級増というものがあるわけでございます。そういう点から、予算としては一応この内輪で、それぞれの年度で考えるというようにいたしておるわけでございます。
  227. 長谷川正三

    ○長谷川(正)分科員 そうしますと、この差の数は、私立幼稚園が全く国の補助を仰がずに建てるもの、あるいは市町村等で公立幼稚園を、国庫補助の対象とは全然別に、全部を自分持ちで建てる、こういったものを期待した数字でございますか。
  228. 福田繁

    ○福田政府委員 さようではございませんで、公私立ともに設備につきましては計画的に、基準に合うものにつきましては、設備の補助をいたすわけでございます。また公立につきましては施設の補助もいたします。私立のほうは、施設のほうは振興会の融資でこれを建設していただく、こういうようになっているわけでございます。
  229. 長谷川正三

    ○長谷川(正)分科員 ちょっといまの御答弁は、私の質問の、つまり新設二百五十四に対して百十二というのが組まれておりますね。これはもちろん補助の対象が百十二だから……。その差の新設は補助の対象になっていないわけでございましょう。いまのいわゆる融資のほうは、もちろんこれに入っておると思いますけれども、これは文部省の予算の中に入っていないわけですね。
  230. 福田繁

    ○福田政府委員 四十年度で予算の対象に計画しております園数以上は、これは設置がありましても補助の対象にはなり得ないという一応の制約がございます。
  231. 長谷川正三

    ○長谷川(正)分科員 そこで私は申し上げたいのですが、今日多くの、ほとんど大部分の市町村が、特に東京の場合など考えましても住宅の激増、そういったようなことの中で、義務制の諸学校を建てることだけでも、あるいはその用地の買収等だけでも非常に貧困な地方財政の中で負わされておって、住民の要求は、幼児教育に対して非常に大きいけれども、どうにも応じかねてばたばたしているというのが現状だと思います。私立にいたしましても全く独自に建てるというようなことになりますと、これはよほどの篤志家ででもないとできないことであります。したがって、七カ年計画はごりっぱだけれども、現実にことしの予算がこういう組み方では、文相が先般御答弁になったように、七カ年をさらに短縮していきたい、もっと伸ばしていきたい、そういうお気持ちがこれでは十分に生かされていないんじゃないか、こういうふうに考えますので、こういう点につきましては、特に今後特段の御努力を願いたいと思うわけであります。ことに私は、この幼児教育について全面的に普及をしていこうという御方針についてはもちろん賛成でありますが、せっかくそういうふうに乗り出しまして、途中で、中途はんぱのまま長い停滞期を持ちますと、いろいろな逆現象が出てくるのであります。たとえば、私も身近な例をたくさん知っておりますけれども、今日都道府県営、あるいは市町村営の集団住宅が次々に建てられておりますし、また大きな公団住宅、そういう集団住宅がある場合に、これは母親が職業についているというような形態がやはり非常に多いという面もありまして、幼稚園に対する要求は非常に大きいわけであります。しかしながら、公立幼稚園なり私立幼稚園が非常に狭いために、入学難ということが大きな社会問題となっておりますとともに、いわゆるかぎっ子というような子供たちの中で、幼稚園に行く子供と行かない子供、この間に非常なトラブルが起こっておったり、それがひいては親の日々の生活の中にもいろいろなひびの入るような事態を起こして、これがますます非教育的な現象に拍車をかけている。せっかく普及し、過渡期の現象としてはやむを得ませんけれども、一たびこういうことに手をつけた以上は、一刻も早く全面的に幼稚園希望の子供がすべて幼稚園に入られるような体制に、せっかくりっぱな御方針をお持ちなんですから、ぜひひとつ今年度の補正なり来年度の予算の際には、これらの面について先般文相が文教委員会でお答えになったような精神を全面的に生かすように、強く御要望を申し上げたいと思います。これに対する大臣の御決意を伺いたいと思います。
  232. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 一々ごもっともで、全く御同感でございます。私としては、一日もすみやかにこの計画が充足できるようにいたしたい、熱意をもってやってまいりたいと思います。  そこで、どうもこういうことを申し上げるのはたいへん恐縮なんでありますが、四十年度、ただいま御指摘のような数字があらわれてまいっております。義務制でもない関係もございますし、それから全然国家なり市町村の援助なくして、私立で幼稚園をお建てになる篤志の方がございます。これが三十九年度の計画をごらんいただきますとなんでございますが、新設幼稚園百九十と一応計画したわけなんでありますけれども、三十九年度中に三百二十幼稚園が新設されているわけなんであります。それから人数にいたしましても、したがって三十九年度では約十二万人の就園の幼児がふえておりまして、これは文部省が一応考えましたものよりもかなり上回っておるわけであります。そこで、どうも数字的にあまり正直でなかったり、微妙であるかもしれませんですけれども、私こういう趨勢を見て、これならば民間の御協力によってもこの計画というものがかなり急速にいくのではなかろうか。同時にまた、御指摘のとおりでございまして、政府の補助対象その他がもっと多くなければいけないではないか、こういうことは私も全く御同感で、それらの点についてはまだまだ不十分な点があることを認める次第でございます。
  233. 長谷川正三

    ○長谷川(正)分科員 ただいま文相から念のための補足の御説明がありまして、それはそれとしてよくわかります。  それは、それほどに熾烈な国民の幼稚園へ要の求がある。それからまた、篤志家ということもありますが、幼稚園が十分採算のとれる、一つの営利事業――とまで言ってはいけないけれども、、ややそういう傾向をもってふえているという点もございますので、単にこういう計画でもふえるというように楽観をしてはいけない。これは、ふえたという現象自体は必ずしも悪いことでないので、けっこうなことだと思いますが、そのうちに貧富による幼稚園教育を受けるか受けないかの格差、そういうものが逆に増大する、こういうような面もひそんでおるということを十分御銘記をいただきまして、いま文相が言われました御決意に立って今後の御努力を願いたいと思います。  次に、もう一点だけしぼって御質問申し上げます。  それは、すでに再三文教委員会でも問題になっておりますが、御承知のように、大学志願者の急増期にかかっておりまして、今日の文化の進展なり科学の驚威的な進歩、新しい近代的なこの時代の趨勢の中におきまして、日本国家としてもこの急増期を単に大学を水増しして生徒の収容力をふやせばいいとか、比較的収容力の多そうな学部なり科目をふやせばいいというような安易な対策でこれに対処してはいけないと思うのであります。むしろこの際に日本の大学教育というものの拡充整備を飛躍的に、しかも国の将来を見通して百年の大計に立つ整備をこういう機会をのがさずにいたさなければならないのではないか、こういうふうに考えるわけであります。  そういう立場から先般も御質問申し上げ、特に文相にそれについての御計画をお聞きしましたところ、率直に、それらの総合的な施策についてはなおここに具体的に提示をする段階にまだ至っていないということをおっしゃいまして、私は、単に経済界からの要求によって、ただそれの要求に応ずる学部だけふやせばいいとか、ただ水増しすればいいという考えでない文相のきわめて慎重な深慮に対しまして、深く敬意を表する次第でございますけれども、同時に、さればといって、この急増期は一つの大きな機会でありますから、この機を失してはならないと思うのであります。そういう意味におきましては、相当根本的に今後の日本の全体の政治、経済、学術、文化全般の向上推進のために、大学教育というものをどう整備するかということを十分御検討願いたいと思うわけであります。  その際に、私は、いまの大学の中で一点陥没地帯になっておるのではないかという点を気づきましたので、ぜひひとつ今後御検討をいただきたいと思って御質問を申し上げるわけであります。それは、御承知のように、わが日本は相当山岳地帯も多く、国土の六八%が林野であるというようにいわれております。そしてまた、今日の時代の趨勢の中で、単に建築用材としてばかりでなく、木材なり森林資源というものが広範な需要を持っておるわけであります。輸出入の数字を見ましても、こうした林産物の占める地位というものが私ども予想外に多いというふうに見ております。こういう中で、これは農林水産委員会でも非常にいま問題になっておりますが、農林省というものがありまして、むしろ農業と水産業についてはかなり力が入っておるが、林業については非常にその計画性においてもおくれ、かつ不備ではないかということが指摘をされております。こういう中で、私はやはりすべて産業経済の発展の基礎に学問というものが確立しておらなければ、ほんとうに誤りのない進展を期することができないのではないか、さように考えるわけであります。  そういう意味におきまして、先般日本の全国大学一覧というものを文部省からいただきまして、それを調べてみますと、驚いたことは、林学に対して、これだけ森林の多い国でありながら、単科大学はありませんし、それから国立、公立、私立を通じて林学部があるところが一校もない。わずかに農学部の一片すみに林学科が置かれている程度であります。したがって、こういう状態では、農林行政なり林野行政に携わる者の中にも、その道のほんとうのエキスパート、あるいはこれを常に推進しバックアップする有力な学者陣営、こういったものはほとんどないにひとしいのではないか、こんなふうにさえ私は感ずるのであります。  こういう意味におきまして、日本の今後の林業の振興の問題とも関連し、あるいは国土保全の問題とも関連し、あるいは水資源確保の問題とも関連し、さらには国民の精神生活の上に、このうるわしい緑の山河というものがいかに永遠に保存されていくか、しかも効率の高い林業としても成り立っていくか、こういう面については、特段の学問的樹立ということが先行しなければならない。これについて、文部省は十分ひとつ国政全般の上に指導性を発揮するという責任があろうかと思いますので、この点についてぜひひとつ今後の拡充を要望したいわけであります。  こまかい点について実は御質問申し上げたいわけですが、結論的にそういうことを御指摘だけ申し上げ、これに対する文部当局のお考えを伺いたいと思います。
  234. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 林学の問題につきましては、ちょうど林業基本法の制定も見た今日でございますので、文部省でもかねがね研究を進めまして、ちょうど昨年二月に大学における林学教育の改善という、学識経験者の御協力による一つの案を得たわでけございまして、その研究の内容に従って、四十年度におきましても国立四大学に林産学科、森林工学科等、四学科を増設することにいたしておるわけでございます。  ただ、御指摘のように、林学部というものがございません。林学部を新たに創設してはどうかという点につきましては、いま申しましたような関係、権威者の間でも相当論議をしていただきまして、文部省としても成案を得たいと思ったのでありますけれども、まあ専門のことを私もようわかりませんけれども、林学についてはむしろ農業と一体的に、何か農産物の基本的な研究というような意味で、林学の研究は農学とあわせてやるほうが望ましいのであるということが大勢であったように承っておるわけでございまして、林学部独立あるいは新設等の問題はしばらくあとにいたしまして、そして森林生産、森林工学、森林経営、この三つの分野のいずれかに重点を置いて林学科を充実をさせよう、特色をもって整備をしたいというのがこのときの結論であったわけでございまして、とりあえず四十年度には、その結論に基づいた、ただいま申しました四学科の新設、これを計画をいたしました。東京農工大学、名古屋大学、京都大学並びに信州大学で拡充をすることにいたしたわけでございます。
  235. 長谷川正三

    ○長谷川(正)分科員 終わります。
  236. 植木庚子郎

  237. 山中吾郎

    山中(吾)分科員 長時間にわたっての質疑なので、大臣も飽かれたようですから、一問一答で、あとは文教委員会に残したいと思います。  第一点は、学園都市の建設について、野原委員のほうから御質問があったときに、東京教育大学などは移転に適当であると考えて内々計画をしておるという御答弁があったのです。単に移転をするというふうなことでは、これはあそこの関係者も賛成はしないでしょうし、何か前進する中身がないと、私はこういうものは解決しないと思う。それと同時に、私の考えでは、教育大学というものは単科大学という考えでは間違いだと思うので、広い学問的な、総合的な学問の研究という雰囲気の中で、識見の高い教育者が生まれてくる。単に教授法を中心として教科課程だけを教えるという単科大学的構想の教育大学では、教授技術は上手になる人があるかもしれないけれども、いわゆる創造的な、民族の将来に向かって発展をせしめるための責任を持ったそういう教育者は生まれないと思うのです。  そういう点からいって、あの東京教育大学をもし移転するなら、その機会に教育総合大学として研究と学問教育が一致するような、そういう雄大な、魅力のあるビジョンを先にお出しにならないと、私は、おそらく成功もしないし、たいして意味もない。また、そういうビジョンを立てたときに、われわれもまた賛意を表するという立場に出ると思うのですが、その点についての大臣の御意向を聞いておきたいと思います。
  238. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 研究学園都市の十カ年計画ということについては、政府全体としても非常な意欲を持っているわけでございます。  そこで、私といたしましては、もし大学の設置ということを考えるならば、この際、ただいま御指摘がございましたが、りっぱなものをつくりたい。そこで、かねがね東京教育大学ということも話題にのぼっておりましたので、これは事務的な問題ではございませんけれども、大学の自主性ということからも考えまして、大学のほうで、この際こういうふうな大学にしたいというような意欲的な御計画があったならば御遠慮なくひとつ御提案をいただきたい、私も積極的にひとつ取り組みたいと思います。こういう態度で、いま何と申しますか、内相談を始めかけたところでございます。私はそういう意欲で、たとえば大学院の設置であるとか、あるいは新しい学部の新設であるとか、あるいは、伝統のある大塚から離れられるわけでありますが、あと地に記念になるようなものをつくりたいとか、いろいろの御希望が私はあろうかと思うのですが、ひとつできるだけ雄大な御計画を大学のほうでもお考えいただけませんかと、私も事務レベルを離れてひとつ御相談に応じてみたいと、こういう態度で内談を進めてみたいと思っております。
  239. 山中吾郎

    山中(吾)分科員 私もその出身ですから、いずれいろいろと関係させられるものですから、この機会に御質問だけしておいたので、一応大臣のいまの御答弁をそのまま腹におさめて、今後の発展を見ていきたいと思っております。これはそれだけです。  次に、全部はお聞きいたしませんが、僻地のことについてお聞きしたい。  私は、僻地の振興についてはいろいろの方法があると思うのですが、僻地の学校の実態からいいまして、分校が二つある学校、分校と本校の連絡、それから遠隔地、バスの停留所その他から五里、六里離れた遠隔地は、そこに国産品の自動車、産業発展を考えていいわけだが、国産品のいわゆるジープといいますか、そういうものを若干の国の補助制度をつくってやると、ほとんどいろいろの点において、それがある、ないによって非常に便、不便が違うので、非常に喜ぶであろう。これは私、実際に足で歩いてわかっておるわけです。そういう点について、ひとつ次の予算の関係についてぜひ考えていただきたい。  ある岩手の僻地の校長が、自分で自動車を買って、それを学校経営にほとんど毎日使っておる。それで、何月何日はこういうものに使った、これに使ったという表を出さしてあるのです。これを見ますと、たとえば学期初めの四月になりますと、修理ストーブの運搬、PTA総会用茶菓運搬、それから眼科医を子供の目を見てもらうために自分の自動車で迎えて学校に来てもらっておる。それから、学校来賓の送迎もある。児童生徒用机、腰かけの運搬。それから養護婦、BCGを打ってもらう人たちの送り迎え、さらに歯科医の送迎。先生が研究会に出るときにそれを乗せてやる。そういうふうに年全部、自分の自動車をどう使っているかを書いてある。  こういうものが学校に備品としてあれば、僻地というのはもう学校教育と家庭教育、社会教育は夫分化ですから、全村教育みたいなものですから、これをやると非常に喜ぶのじゃないか。ことに、たとえば僻地にバスから六里くらい離れておりますと、そのバスの停留所まではなかなか歩けないから自動車で乗っていくと、その自動車賃が五、六百円になるのですね。それはどこからいっても旅費の対象にならないわけです。それから本校から分校に山を越えていくという場合も、本校勤務から分校勤務になるという場合も、馬車を使って荷物を運ぶということは費用がかかる。これは転勤にはならない。各県で特別の措置をしておるというふうな状況にある。学校給食その他の関係についても、そういうジープ型の自動車を若干補助の対象としてやるということは、非常にその学校経営のプラスになると思うのです。  その点について、ぜひ次の予算あたりの編成についてはお考え願いたいと思うのですが、その辺の大臣の御意向をお聞きしておきたい。
  240. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 たいへんいいお話を伺いまして、私も御同感に思います。御承知のように、四十年度の予算編成のときに、実はそこまで気がつきませんでした。それから、文部省に、事務的にも御要望がなかったものでありますから、この四十年度予算にはそこまでは見ておりませんでしたけれども、たいへんいい御提案と思いますし、いまお触れになりましたように、給食の関係とか、あるいは今回発足することになりました歯医者さんの巡回診療というような点から申しましても、ぜひひとつ積極的に考えさしていただきたいと思います。
  241. 山中吾郎

    山中(吾)分科員 そのほか、一応いろいろ質問することを予定しておりましたが、どうも、隣の八木さんも早くやめてほしいような顔をしているから、これは省きましょう。  ただ一つ、これは端的に言って、限度政令を出された。その限度政令は、各県ごとに特別な事情ある場合には限度政令を出すことができる、こうなっています。  特別の事情がなくなったら撤回をするのが法律たてまえなのですか。その点はいかがですか。
  242. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 限度政令の問題につきましては、いろいろと御心配やおしかりをいただいておりまして、私も十分今後とも誠意を尽くして検討をいたしたいと思っております。
  243. 山中吾郎

    山中(吾)分科員 私の質問の答弁にはなっておりません。特別の事情があるときに、限度政令を出すことができる。特別の事情がなくなれば、限度政令を廃止することが当然だと思うので、廃止されるのですかと聞いたのですが、当然じゃないですか、法律がそうなのですから。いかがです。
  244. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 特別の事情があるときに政令を出した、というふうに御了解を願いたいと思います。
  245. 山中吾郎

    山中(吾)分科員 少し時間が長くなるのですが、あまり知能的にうまく答弁されておりますけれども、特別の事情があるときには、限度政令を出すことができる、法律はただし書きで。なくなれば限度政令は出せない。したがって、特別の事情がなくなれば、限度政令は廃止しなければならない。最も自然な法律解釈でしょう。それを肯定されるかどうか、お聞きしておるのです。
  246. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 特別の事情があると認めました場合に、政令を出す、こういうこと。裏からいえば、そういうことにもなろうかと思います。
  247. 山中吾郎

    山中(吾)分科員 幾ら言っても大臣はごまかしの御答弁です。どっから言ってもきょうはごまかしの答弁です。そのまま保留して、文教委員会でさらに論議をいたしましょう。  それから、私学問題について、三点について検討したあと御回答願いたいと申し上げておいた点がございます。  一つは、入学の負担が非常に多いので、中産階級以外ははいれない。したがって、必要悪であるけれども、調査会設置をして結論が出るまでは、育英制度を少し活用して、一時入学資金を貸与してやるという制度はとれないかどうかということが一つ。  それから、授業料あるいはその他寄付については免税制度を思い切ってできないかどうかということ。  さらに、私学の公共性と自主性の内容を明確にして、間違いのない行政方針を立てる必要があるので、それを明確にしてもらいたい。  こういう要望を文教委員会でしておきました。結論がもし出ていなければあとでけっこうですし、あればお答え願っておきたいと思います。なければ、この国会開会中でけっこうです。
  248. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 この三点につきましては、公共性を明確にするということについては、この前も大体お答えをしたつもりでございますが、憲法のいわゆる公共の支配に属するということを基本にいたしまして公共性ということを明確にしたい。ただ、その私学におきましても、学の自由独立というようなこと、平たくいえば、口は出さない限度というものをはっきりさせなければいけまい、かように理解をいたしておりますし、そういう方向で調査会にも私どもとしては臨みたいと思っております。  それから、寄付の免税につきましては、実はこれも非常に残念でありますが、四十年度の税制改正には間に合いませんでしたけれども、私はもう信念としてこれはどうしても実現をいたしたい。現在でも、こまかくいえば、こういうふうなことをやっているではないかと、税のほうの方々から言われるわけですけれども、私は満足できないのでありまして、たとえば授業料などの一定の額は勤労控除か所得控除をやったっていいのじゃなかろうか。ことに先ほど来いろいろ御論議がありますように、今日では金持ちの子弟だけが大学その他へ進学するわけではないのでありまして、そういうバックグラウンドの認識ももう少し世論的に広めていただきたいものであると考えております。  それから、入学金の貸与は、きわめて接近した問題で、山中委員の御要望は、四十年度の入学金ににいてもこれの必要なものは貸与の対象にすべきであるという御意見と承知しておるのでありますが、これは現在までの貸し付けの規定あるいは慣行等からいうとやっておりませんだけに、さらでだに貸与の希望者が現在の制度からいっても非常に多いものでありますから、なかなかこれは四十年度の入学金について貸与ということを一般的にやりますことは、真剣に検討いたしましたけれども、まことに残念でございますがむずかしい、こういう一応中間的な御返事でございますが、こういうふうな状況でございます。
  249. 山中吾郎

    山中(吾)分科員 公共性、自主性については、私まだ、三木委員がたしか大臣と話されたので、直接質問の中で深めていないので、文教委員会に譲ります。  それから、やはり二カ年を前提として調査会設置されるのですから、その二カ年の間の暫定措置は、できる限りの措置は考えるべきである。大学急増問題も目の前にあって、いろいろ問題があるから、そういうことで私は暫定措置の問題として論議をしたいわけです。  そこで、入学許可という法律性格はどうかということからも、一体入学金などはかってに一方的に取れるものかどうか、授業料もかってに一方的に値上げできるかどうか、これは法的に考えていろいろ論議すべき問題があると思うのです。そういうことは文教委員会に譲りましょう。  それで、私はこれで終わりにいたしますが、いずれにいたしましても、予算分科会が中心になるものですから、文教委員会は予算に関係ないような法案だけの審議のようになりまして、どうもこういうところで質問しなければ責任のある答弁も出ないようなことでは、国会のあり方について疑問があるのですが、しかたなしにここへ来て、こんなにおそくなっても質問せざるを得ない。まことに遺憾です。そして、やめろやめろと一言うから、どうにもならないので、まずきょうはやめますが、これは、文教委員会ほんとうに予算の審議の内容を持った権限があってやるなら、私は来ないのです。そうでないのですから、したがって、ほんとうはもう少し時間をかけてやるのが議員の責任だ、そういうことを考えて、来年あたりはあまり時間を制限しないで、文教委員が全部ここへ来てやるかもしれませんから、その点はひとつ覚悟をしておいていただきたいと思います。以上で終わります。
  250. 植木庚子郎

    植木主査 総理府所管、特に警察庁関係について川俣君から質疑の通告がありますので、これを許します。川俣清音君。
  251. 川俣清音

    川俣分科員 警察庁並びに国家公安委員会お尋ねをしたいと思うのです。  いまは交通地獄といわれたりいたしまして、本予算委員会におきましても、各方面から交通問題並びに事故被害等について、あらゆる角度から質疑が行なわれておるわけです。  私のお尋ねしたい点は、角度を変えまして、いまの交通取り締まりと申しますか、指導について、警察官を一体どう教育しておられるであろうか。ただ警察官を配置すれば交通が円満に行くというふうな考え方でおられるのか、基本教育をどこに置いておられるのか、この点をお尋ねいたしたいと思います。特にまた、全国的に見ても、これらの指導及び取り締まりの上において、人員が不足であるのか、未熟であるのか、ということについて検討が行なわれておるはずだと思います。そういう点で、予算書を見ますと、明らかでございません。そういう意味で一つお尋ねをしておるわけですが、単に人員だけふやしましても、未教育な、不熟な者を置きましたのでは趣旨が徹底しないと思います。そこで、具体的にお尋ねします。  道路交通法によって、道路とは一体どういうものだということを認識させるような教育をしておるのでしょうか。私は、道路というものを理解して交通取り締まりをしている人が少ないんじゃないかと思うのです。道交法はずいぶん勉強していますけれどもね。道路というものの本質は何であるかという理解が足りないんではなかろうか。道-路というからには、陸上の国民の経済活動または生活活動のために通行するのが道路だというふうに私は理解をしております。したがって、一級国道があり、あるいは二級国道があり、さらに府県道があり町村道があり、あるいは産業道路的な農道あるいは林道等があるわけですですけれども、道路というものを一体どう理解をしておられるのか、非常に不明な場合がたくさんございます。一方交通を曲がって悪いとかいいとか、こういうことについてはわりあいによくおわかりのようですけれども、一体道路というものの本質をどう理解をしておられるのか。どうもこれは警察庁長官でもはっきり把握しておられぬのじゃないか、はなはだ失礼ですけれども。そういう意味で、私はあなたの不十分な点を追及するのではなくて、教育上もっと重点を置く必要があるのじゃないか、こういう意味でお尋ねをしておるのです。一体、道路というものについて一般にどういう認識を持っておるのでしょうか。また、どういう教育をしておられますか。この点をお尋ねしたいと思います。
  252. 江口俊男

    ○江口政府委員 お答えをいたします。道路につきましては、ただいまおっしゃったような意味に私たち理解をいたしております。
  253. 川俣清音

    川俣分科員 そこで、時間がないので、私、具体的に示しますから、それについてあなたの判断並びに今後の指導を願いたいと思うのです。  一つの点は、重量トレーラーが、私どもの通る渋谷の道玄坂の上、環六といわれている道路、代官山のほうから六号線のほうへ進行してきて、あそこを右折したわけです。ところが、あそこは右折を禁ぜられておるところである。そこで、取り締まっておる警官が追いつきまして、停止をした。これはいい、名前聞くのもいい。これをバックさした。ほんとうの道路に行かなければいかぬ、右に曲がったのはけしからぬといって、もとに戻させる。トレーラーのような長いものを戻すというと交通の障害になることは明らかなんですね。だからといって、寛大にしていいという意味じゃないですよ。ああいうものが間違って通ったときにバックさしていくなどということは、これは交通取り締まりどころか、交通を乱雑にさせるような結果になるのではないかと思う。私はああいう重量物を運行する時間外でやったのではないかと思ったのですが、そうでなくして、右折が悪いということで、右折禁止の標識を見ないで曲がったということのようでありました。  そこで、私が注意をした。こんなにあとから来る車を渋滞させるようなバックはやめたらどうか、非常にみんなが困っておる、こういう話をした。そして、少し注意をして、運行させなければ交通取り締まりにならないじゃないか、私はほんとうに好意をもって注意をした。ところが、ここなんです。それが一つ問題ですけれども。私が注意をして、それから何番目かの国会の車に乗って来たところが、私の車にストップをかけた。運転手に、「免許証を出せ」。注意を与えられたことをもって、その運転手の免許証を取って、「しばらく待て」。いや、わしは国会へ行かなければならぬのですからといって、名刺を出して、問題があったら、あとにでも注意してもらいたい。運転手さんは、見られたとおり、逃げるわけでも何でもない。私の名刺をやって、悪かったのならあとで注意されてもいいし、あるいは処罰を受けなければならぬのなら受けてもいいけれども、何も処罰を受ける行為をしていない。ただ注意を受けたことを怒りに感じて、運転手に憤激して当たったわけです。何も運転手が悪いわけじゃない。私が好意的に注意をした。私の車が困っているばかりでなく、みんな坂下まで車が詰まっておるから、そういう運行のしかたをするよりも前進させるようにしなさい、と注意した。トレーラーを曲がり角でバックさしてごらんなさい。とまるのはあたりまえです。こういうものは常識的に考えてもそうでしょう。  そういうことをあえてするようですから、私はあとで渋谷署長に注意をした、署長は、非常に恐縮した点もありましょうが、何と言ったかというと、交通がひんぱんなために、なれない交通の者もおりまして、たいへん失礼をいたした。なれない者を、未熟な者を交通取り締まりさしておるということになると、もっと問題になるのではないかと私は思うのです。あるいは答弁に窮してそう言われたのかもしれませんが、これはあまり問題にするつもりはないのですが、交通がひんぱんになって、とても手が足りないので未熟な者までやらしております。はなはだ失礼しました、と陳弁されたのです。  未熟な者までやらしておるからそういう結果になったという、このことに対してどうお考えになりますか。私はその人をさすのではない、署長をさすのではない。未熟な者に取り締まらしておるという状態、ふなれな者、未熟な者を一番ひんぱんなところに立たしておくということが妥当かどうかということは、警察庁の御意見を聞かなければなりませんし、国家公安委員会意見も聞かなければならぬ。私ども、予算から見ると、そういう未熟な者を取り締まりに立たせなければならぬような予算は組んでいないつもりです。もし組んでいれば、直さなければならない。こういう意味でお聞きしているのです。
  254. 江口俊男

    ○江口政府委員 その具体の事例の場合は、署長がそう言ったとすれば、やはり未熟な者を置いたものと思いまするが、御承知のように、交通だけに限らず、警察官の中には経験の富んだ者もおりまするけれども、あらゆる面に未熟な者もおるわけでございます。ことに交通警察につきましては、一昨年と昨年でございますか、全国に一万人の増員をやりまして、その後の配置がえ、ほかとの転換なしにその者を使いますと、とかく未熟な者が交通に回わるということで、できるだけ従来の経験の富んだ警察官と交代をして、交通のほうにベテランを回すという心がけをしているはずでございまするが、いずれにしても、どういう分野でも老練の者ばかりそろえるというわけにいかぬわけでございますが、ただ、先生のおっしゃるように、ああいうひんぱんというか、比較的重要なところについては、やはり常識的な経験でさばけるような者を配置するのが適当だろうと私は考えております。
  255. 川俣清音

    川俣分科員 交通については、傷害事件その他死傷事件の起きないような取り締まりも必要でありましょうが、それ以上に必要なのは、やはり円滑な運行をさせるということが目的でなければならない。円滑な運行をさせないところに、いろいろな傷害事件などの発生する原因があるのじゃないかと思いまするから、取り締まることではなくして、交通を円滑ならしめる指導をするのが交通取り締まりだ、私はそう理解をしたいのですが、私の理解は間違っておりましょうか。あなた方はやはり何か事件が起きることを取り締まっておるようにも印象を受けるのですが、またそうでないように受けるのもあります。最近やっておられまする公開交通取り締まりなどは、これは明らかに指導を重点に置いておりまするから、こういうのはいいと思いまするけれども、中には事件の起きるような、事犯の起きるようなところへ隠れておって、通ったならばさっそく処罰してやろうというような、全く取り締まりが主であり、罰金が主であって、左へ曲がるのが悪いことならば、曲がらせないようにする、そういうことでなく、曲がったが最後、すぐつかまえてやると待ちかまえておるのは、交通の取り締まりじゃないと思うのです。交通の取り締まりというのは、やはり車馬及び人々の円滑な運行をはかってやることが、私は交通の最も重要な点ではないか。それにそこが来るというと、方々で衝突事件が起きましたり、不祥事が起きるのだ、私はそう見ておるのですが、私の見方が一体間違いでしょうか。もっと別な指導方法を講じておるのかどうか。その点をひとつお尋ねしたい。
  256. 江口俊男

    ○江口政府委員 お答えいたします。  私たちの交通取り締まりの眼目は、道路交通法にもございますように、二つの眼目があるわけでございます。一つは、やはり交通の安全、第二は、いまおっしゃったように、道路本来の目的である交通の円滑という二本の柱でやっておるわけでございますが、その円滑を期するためにも、また安全を期するためにも、規則の順守ということをもちろん厳格にやらなければならない。だから、規則に違ったものについては、それをどう処置するかということは、いろいろな場合もございましょうけれども、やはりそれをとがめ立てしていくということになるわけでございます。私たちも経験ございますが、隠れていて、ぱっと横から出て、おまえの車は速度違反だということでやられた事例は、私自身もございますけれども、ああいうことはなるべくやらないようにという指導はいたしております。しかし、ところによって、一斉取り締まりの場合は、何件自分は注意したというようなことをやる向きも皆無ではございませんので、できるだけそういう卑劣といいますか、人が納得しないやり方というものは避けて、みんなが納得のできるような取り締まりをやっていきたい、こういう考えでおります。
  257. 川俣清音

    川俣分科員 もう一つ、私は特に農業問題から重要に考えておりますのは、地方によりまして、いわゆる市場等の設置のない場所において、生産品の流通を円滑ならしめ、流通価格等の動向を明らかにするために、野菜等の市日ができておる場合がたくさんございます。  御承知のとおり、私どもはこういう流通過程における価格が適正になることが望ましいということで、その流通価格がどの辺におさまりをつけていくべきかということが重要だと考えております。そういうところからああいう市日ができまして、特に野菜等の場合は、朝と昼と夜と違ったりして、株ではございませんが、最終価格が翌日の朝の価格になる。それから、売れ行きのいかんによってはまた、下がりもするし、上がりもするというような動向を示しております。それによって適正な市場価格が生まれ、その市場価格によって翌日の集荷がきまる機構がいわゆる市と称するものなんですが、これを道路のために制限をいたしましたために、地方の野菜市場等の価格が非常に動揺いたしまして、国民生活にきつい影響を与えているようなことがございます。  実は、この道路というものは、私どもから言うと、先ほど申し上げましたように、このごろは大衆の経済活動を旺盛ならしめるために通行する道路でありまするから、単に通行するだけでなく、その地方の経済生活に影響の大きい問題でありまするならば、道路というものは、通行よりも経済活動に十分な余地を与えるということも必要なのじゃないかと思っております。いま政府は流通機構などをやっておりますが、なかなか適正な価格を得られないでおるときに、自然に適正価格が生まれてきて、不当な利益を得るようなことが制限されておる。みんなの面前で価格が決定されておる。しかもそれによって流通も行なわれておるようなところは、これは一定の条件を限って寛大にすべきじゃないかと私は思うんですが、画一的に、いや道路での販売はだめだというふうに、いまは取り締まっておられるようですが、この点について再考する必要があるのじゃないか。政府が市場をつくってすらなかなかうまくいかないのに、多数人がつくる価格形成というものは穏当なところ、妥当なところに形成されておる。この機構を失いまするならば、野菜の流通にいたしましても、価格の構成にいたしましても、できがたいのではないかと私は思うのでございまして、こういう問題について警察庁はどんなお考えか。警察庁というものは、経済活動については鈍感であってもいいのかどうか。一面鈍感であってもいいけれども、あまり鈍感過ぎると、国民生活を陰の面から消極的に制限することになると思うのです。あまり経済活動に重点を置き過ぎると、警察官の本来のこともできなくなるが、あまりにも無関心であってはならないと思うのですが、この点についてどうお考えになりますか、ひとつ方針を明らかにしてほしいと思うのです。一級国道のような、あるいは二級国道のような交通のひんぱんなところは、それらの交通量に応じた取り締まり並びに制限を加えなければならぬと思いますが、町村道のようなところは、それほど交通量も激しくないために町村道となっておるだろうし、県道等におきましてもそういう意味で国の援助も薄いところであります。そういうところはそれなりに考えていくべきじゃないか。しかし一級国道のような、あるいは高速道路のようなところに制限するような施設を講ずることは、これは当然だと私も思うのですが、市町村道のようなところはむしろ主体を経済活動に置くべきじゃないか。道路の取り締まりよりも、そういう経済活動に主力を置くべきじゃないかという私の見解ですが、この見解に対する意見をお聞きしたい。
  258. 江口俊男

    ○江口政府委員 結論から申し上げますと、どちらに主体を置くかということになれば、道路はやはり交通に主体を置く、私はそう思います。しかしおっしゃるような町村道等で、市場等を兼ねても、そういうことをやっても交通ができるという状態であれば、道路管理者と警察署長、両方で判断をして許すか許さないかをやっているようでございますから、警察がえこじになって道路のある幅の限りは何もなくてもあけておかなければならぬというような考えを持っておるわけではございません。
  259. 川俣清音

    川俣分科員 多くの問題のときは市町村道でございます。したがって、市の管理者、町の管理者などはやはり市町村内の経済活動を主にしておるわけですけれども、警察は比較的運行道路というものに主力を置いて、万一自動車が来ても妨げにならないようにという考え方が主のようでございます。しかもそれに一日に何台も通らぬようなところをあけておくほど、日本の道路というものは余裕を持っているものではないわけです。むしろ比較的道路も少ないし、町村道に至っては少ないし、したがって日本のような領土の狭いところでは、お互いに狭い領土を利用し合うということが必要なんではないか。どこにでも一級国道ができたり、高速道路ができておれば、そういうことも比較的ないと思いますけれども、町村道のようなところはお互いが利用し合うところです。単に運用のためばかりでなく、単に自動車のためばかりでなくして、お互いの経済活動を助け合うというのが美風であると同時に、必要な領域じゃないかと思うのです。ところが、やかましく取り締まれなどと言われますと、地方の署長などはくそまじめになりまして、どんなところでも道路を取り締まらなければならないのだということが起きておるようにも思うわけです。したがって、それに対して市町村長あたりが、もう少し寛大にしてほしいと言いましても、いや取り締まり上だめだということで拒絶している例も、現に私一つ二つ見ておるわけです。私どもから言うと、それも必要だと思う、不必要だとは思いませんけれども、先ほど申し上げた野菜価格のように、流通なども悪い中において、そういう市場があることによって、集荷能力を持ち、市場能力を持つことによって国民生活に与える影響は非常に大きいわけです。売りやすくなる、価格がわかりやすくなる。消費者にとっても農家の販売者にとっても、価格形成の上から流通機構の上からいって非常にいい方法であると思うにかかわらず、ただ単なる道路の取り締まりだということで市場を出すことを禁止するようなことは、再検討すべきじゃないかと思います。もちろん一律に言うわけではないのですよ。そういうことも考慮してやるべきじゃないかと思うのです。したがって、交通量の激しいところとか、そういうところはそれなりに取り締まることは必ずしも不適だとは思いませんけれども、単に交通取り締まりだという頭でやることよりも、全体の市民及び町民の経済活動にどういう影響を与えるかということを主体に考えていくべきじゃないかというのが私の意見でございますが、そういうわけにはいかないのですか、どうでしょうか。
  260. 江口俊男

    ○江口政府委員 お答えいたします。  先ほども申し上げましたように、道路というものの目的は、やはり交通をさせるということが本来の目的でございますから、私たちとしては最小限度、そういうことをもちろん考慮に入れて町村長と協議をして、許すべき場合は許すということにしましても、やはりどういう緊急な自動車が来ないとも限りませんから、代替的な道路があれば、これはまた別の問題でございますけれども、それしかないというような場合は、やはり道路の本来の目的を阻害しない限りにおいて、おっしゃるようなことを十分考慮のできるだけは考慮するというような立場が正しいのじゃなかろうかと私は考えております。
  261. 川俣清音

    川俣分科員 これからの経済情勢というものが刻々と変化をする中で、経済活動というものが非常に大きな変化をするわけでして、したがって、国民の経済生活にもいろいろな変化が起きるときに、ただ道路取り締まりだという観点ばかりではなしに、一級国道なんというのは全く国が交通を主にしてつくったところでございますから、これは問題がないとしても、市町村道のようなところはこれはお互いに経済活動するに便利な道路でございましょう。もしもこれがほんとうに交通を主体にして考えるならば、県道とかあるいは二級国道にならざるを得ないのだと思いますけれども、それほどの交通でもないというところに市町村道がある、私はそう理解をしておる。したがって、そういうところであれば、しかも県道なり国道なりが別に並行してあるようなところは――これは現に並行してあるわけです。そういうところを、ただ道路だという観点からだけ取り締まるということは、好ましくないのではないか、この意見を実は県の本部長にお知らせしたところが、ある本部長は、それはそのとおりだ、それで交通量などを調べてみたところが別にたいして差しつかえないようだというので、一回はそれを容認することになった。本部長意見で容認することになったのです。ところが本部長がかわると、それ道路を取り締まれということになって、またもとどおりやられる。その後まだ私は話をしておりませんけれども、いろいろお調べになって、そのほうがよかろうということになったのですが、いま情勢も幾らか変化しておるかもしれませんけれども、そういうこともあり得るわけです。やはり本部長になると、いろいろな見識を持つわけです。署長になりますと、こう言っては悪いですけれども、なかなかありきたりの感覚から離れ切れないのがございます。警察取り締まり全体の上からいっても、国民の経済活動については非常な関心を持っていなければならぬところでありますから、道路に対する関心と同時に、国民の経済活動に対する関心も深めていただければ、これは解決する問題ではないか、私はそう思うのです。そういう意味で、もう少し経済情勢についても考慮されなければならないのじゃないか、教えらるべきじゃないか、こういう点で、なかなか教育ということになると一朝にしてできることでないので、御苦労だと存じます。また予算面でもそういう点については手抜かりがあるのじゃないかと思いますが、どうも国の予算も、目の前のことだというと予算がつきまするけれども、警察官の教育だとかそういう面については、なかなか予算化が困難な情勢もないとはしません。私どもみずからそう認めますけれども、やはり積極的に教養を高めると同時に、日本の経済の情勢について教育して、これを人間としても、また警察官としても完成させるような必要がますます起きてくるのじゃないかと思うのですが、この点いかがでございましょうか。
  262. 江口俊男

    ○江口政府委員 交通も経済活動の大きな要素になるものでございますから、できるだけ警察官に対しましては、経済的な常識というか、感覚というものを植えつけるようにかねがね努力はいたしておりまするけれども、中にはその感覚がにぶいという者も、それはないわけじゃないと思います。ただいまのような事例につきましては、町村道ならまあいいとかどうとか、抽象的にここで申し上げるわけにいきませんので、ある本部長がその場合いいと判断したということでございますれば、私もそういうところならそういう考えの余地もあろうかと考えますが、ただ、名前が町村道だから、これは交通目的よりも、そういう市場の代用に使うほうが大事だというようなことを一律に申し上げかねるというとを御了承願いたいと思います。
  263. 川俣清音

    川俣分科員 一律にやることによって人命に支障を来たすようなことがあってはならないと、こう私も思いますから、必ずしも一律でなければならぬということにはならないと思います。私一例を引いたのは、本部長が交通調査なとさせた上で、適切であろうという判断を下されたところがあるわけです。したがって、その当時の本部長は、いろいろ調査した上でお認めになったのでありますが、新しくかわられて、そういう歴史を知らないで、あるいは交通課長や警務部長がそういうことをお知りにならないで、とにかく取り締まれということになったようでありますけれども、こういう点についても関心を持って検討するということが望ましいのじゃないか、こういうことです。何も取り締まるなとも申し上げません。また、ぜひつくれとも申し上げませんが、逆に、一律に道路は取り締まらなければならないのだという感じで、検討もしないのです。ほとんど交通量からいって差しつかえないという結論が出れば、それも一つ方法だというように、打開することの必要はあるのじゃないか。打開力がなければ、やはり能力が不十分だという判断のもとに私はお尋ねをしておるわけです。そういうものについては全く無感覚だ。あるいは頭から必要がないのだ、こういう判断をすべきでなくして、これは私は一級国道などについては頭からそういう決定をしてもいいと思いますけれども、地方道のようなときには、全体から見てどうであろうかという判断、または交通量から見て、あるいは自動車の運行状態から見てはたして無理があるのか、あるいは市場をつくらしてもいいのかという判断を下すべきじゃないか。これは市町村道ばかりじゃない、県道にいたしましても、比較的交通量の少ないところ、あるいは自動車の、あるいはトラックの運行の少ないところは、そういう方面に活用させてもいいのじゃないか。大体日本の国自体が狭いのですから、お互いに活用しなければならぬ。また、市場をつくるということは、市町村の財政ではなかなか困難です。そうするとやはり、ある道路を活用させることが一番市場性が高まる。施設をやるということになると、なかなかこれは経済的に市町村では負担しきれない問題がありまして、まず道路を利用させるというようなことが往々に行なわれておる。東京のように交通が激しいばかりじゃなく、市場を持っておるところは、これは別ですが、市場もない、ないというのは、これは政治的に言うと一つの欠陥があるわけですけれども、そういう欠陥のほうに目をつけないで、ただ道路だから――道路ならば、これは市町村財政でも無理してもつくろうということになりますが、そういう市場はなかなかつくれない状態にありますので、これを利用するということが起こってくるわけです。そういう意味でひとつ単に道路取り締まりだという感覚でなしに、国民の経済活動並びに国民生活の上に寄与するような道を開いていかなければ、政府のほうでもなかなか市場をつくるなんていって、あるいは流通機構をやるといっていますが、容易に実はできない状態です。こういう自然の姿にありまする有力な市場に対しては、それをむしろ助成をしていくような形をとらなければならないのじゃないか、こういうふうな意味で実はお尋ねしたわけです。これは一律にはいかないこともおっしゃるとおり。一級国道などは一律でもいいけれども、市町村道などについては必ずしも一律な考え方をしないで、適切な配慮があっていいんだ。そういうことを教えることも必要なんじゃないか、指導することも必要なんではないかというふうに思うわけでございます。どうも先ほど申し上げておるとおり、取り締まるということだと予算がつくけれども、指導するなんていうことについてはなかなか予算が不足であるので、この委員会としてはなかなか言いにくいことでございますが、自分のほうでもっと予算も出さないでおいてやかましく言うなということにもなるかとも思いまするけれども、私どもはそういう意味で、教育のために不自由なことがあるならば、やはり大蔵省なりに国会の意思表示をいたしまして、さらに進んだ治安対策を講じて――治安ということになると、やはりこれは物価が非常に影響してくるんですね。したがって、そういうことからいっても、物価の問題については無関心であってはならない。流通機構の問題については無関心であってはならない。最近そういう情勢が起きてきたのじゃないか。その道をどう開くかということについて、単に道路の取り締まりだけでなくて、広範な国民経済活動について関心を持っていくということにひとつ前進してほしいと思うわけでございます。これだけを述べて終わるわけですが、最後にひとつ御答弁だけ願いたいと思います。
  264. 江口俊男

    ○江口政府委員 お答えいたします。  おっしゃる。意味はよくわかりますので、その御趣旨に沿って努力をしたいと考えます。
  265. 川俣清音

    川俣分科員 これだけで終わります。  もしそういう点で予算の必要がありますなら、率直に大蔵省に要請され、それが達成できないときには国会が推進するということが私望ましいと思います。主査もそういうつもりでひとつ善処願いたい、こういうふうに思うわけです。
  266. 植木庚子郎

    植木主査 以上をもちまして、本分科会における質疑は全部終了いたしました。     ―――――――――――――
  267. 植木庚子郎

    植木主査 この際、おはかりいたします。  昭和四十年度一般会計予算及び同特別会計予算皇室費国会裁判所内閣防衛庁及び経済企画庁を除く総理府法務省及び文部省所管並びに他の分科会所管以外の事項昭和四十年度政府関係機関予算中他の分科会所管以外の事項に対する討論採決は、予算委員会に譲ることといたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  268. 植木庚子郎

    植木主査 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。  これにて本分科会の議事は、全部終了いたしました。分科員各位の御協力によりまして円満裏に本分科会の議事を終了することができましたことを、ここに深く感謝いたします。  これにて、第一分科会を散会いたします。    午後七時十分散会