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1965-02-23 第48回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年二月二十三日(火曜日)    午前十時二十四分開議  出席分科員    主査 植木庚子郎君       井出一太郎君    稻葉  修君       小川 半次君    川崎 秀二君       八木 徹雄君    石橋 政嗣君       滝井 義高君    野原  覺君    兼務 田口 誠治君  出席国務大臣         文 部 大 臣 愛知 揆一君  出席政府委員         文部事務官         (初等中等教育         局長)     福田  繁君         文部事務官         (大学学術局         長)      杉江  清君         文部事務官         (体育局長)  前田 充明君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 宮地  茂君         厚生事務官         (医務局次長) 大崎  康君         厚生事務官         (児童家庭局         長)      竹下 精紀君  分科員外出席者         文部事務官         (大学学術局教         職員養成課長) 安養寺重夫君         労働事務官         (職業安定局業         務指導課長)  佐柳  武君     ————————————— 二月二十三日  分科員野原覺委員辞任につき、その補欠とし  て滝井義高君が委員長指名分科員選任さ れた。 同日  分科員滝井義高委員辞任につき、その補欠と  して野原覺君が委員長指名分科員選任さ  れた。 同日  第二分科員田口誠治君が本分科兼務となつた。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十年度一般会計予算文部省所管  昭和四十年度特別会計予算文部省所管      ————◇—————
  2. 植木庚子郎

    ○植木主査 これより予算委員会第一分科会を開会いたします。  昭和四十年度一般会計予算及び同特別会計予算中、文部省所管を議題とし、質疑を行ないます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。川崎秀二君。
  3. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 本日の文部大臣に対しまする質問はすべて建設的なものでございますから、学究豊かなる文部大臣には十分御答弁をいただきたいと思っております。ものによっては私の意見のほうが多い場合もあります。私学振興について最後にお尋ねいたしますが、それは私の質問はきわめて簡単で、大臣の抱負をその際に申し述べていただきたいと思います。  最初質問は、立憲政治に対する先覚者表彰の問題でございます。これはわれわれ後輩えりを正して質問をしなければならぬのでございますが、わが国立憲政治が行なわれてすでに七十三年か四年と記憶いたしておりますが、その間藩閥、軍閥等の勢力と戦って憲法政治を守り抜き、また大東亜戦争中にも清節一貫したる行動をなした方がございます。さらにまた、勤続二十五年の表彰を受けられた方も今日は五十六、七人あるかと思うのでありまして、これらの人々表彰については、衆議院では勤続二十五年以上の人には額をあげて表彰はいたしております。しかし、私ども諸外国を歩きまして非常に残念なことには、過去百年あるいは二百年というあまり長い期間でない日本の歴史というものが、ことに政治史というものが外国から日本を訪問する者には全くわからぬ。たとえば尾崎記念会館の周囲などは近ごろたいへんきれいになってまいりましたが、われわれがアメリカを訪れてワシントンモニュメントあるいはリンカーン・モニュメント、近くはケネディ記念会館もできるそうでありますが、そういうものに対するワシントン市民あるいはアメリカ市民全体の敬重というものがはたしてわがほうにありやいなや、非常にさびしい思いをしております。その点では今日尾崎先生一人だけが国民の手によって、これは国会というよりは国民浄財記念会館建設をされて、近くあの周辺が全部きれいになれば、咢堂一人憲政功労者として心の上にも形の上にも日本国民の中に残る。けれども、犬養木堂以下たとえば私があげる次のような人々島田三郎木堂はもとより、河野盤洲大竹貫一鳩山一郎先生のおとうさんの鳩山和夫というような人の事績は額一枚で、一般国民の目には触れない。私はその意味で、物故したる政治家のうち傑出をし、また勤続二十五年という一つののりを越えた政治家に対しては、何らかの表彰をして国民の目にとどめるような機会を設けることが、将来日本国民を背負う次代の青年たちあるいは少年たちにも強い印象を与えて、そこから議会政治への尊重というものが深く根ざしてくるのではないか、こういうくふうをすべきではないか。実はこれは国会自身がやることであるわけですが、国会は行政府ではないものですから、もちろん立法府であるものですから、費用の捻出の方法がない。まあ額を掲げる、あれはずいぶん絵かきを値切って、一枚大きなのを市価の三分の一ぐらいでかかしておるように聞いております。そこでやはりこれは文部省の管轄になるわけですが、文部省社会教育局の斎藤君にしても、年来この問題についてはよくお考えをいただいておるけれども、もうひとつやはり熱が入らない。言う者がわずかである。しかし、最近松村謙三先生川島先生等にもこの話を申し上げつつありますが、非常に御賛成の方が多いので、ことに私は数年前に、尾崎記念会館建設に郷里の関係もあって中心役割りをやらしていただきましたが、ある意味ではたいへん咢堂ばかり表彰されて、ほかの方々のものがそのままになっておるということで、非常に残念に思っております。どうかそういう意味で、この際思い切って文部省の中に憲政功労者表彰審議会というようなものでもつくって、そして年間、たいした金は要らないわけですから、千万円、二千万円、これを計上して、委託事業として尼崎記念財団にやらせるとか、尼崎記念財団は今日尾崎先生のことについての表彰やいろいろなことはもう済んでおるので、もっと新しい生命を吹き込んだらどうかということで、内部でもいろいろ議論があるわけです。憲政記念財団的な性格に脱皮をしなければならぬという気持ちもあるわけですから、そういうものに委託費として出して、あの会館なり国会図書知等日本の生きた政治史を描くとか、あるいは物故したる先輩の十三回忌、十七回忌あるいは三十五回忌という一つの区切りのときには政府協力をして、これを広く国民に知らせるようなくふうをするとか、これは私は相当その案を持っておるわけですが、そういうことについて文部大臣はいかにお考えか、伺っておきたいと思うのでございます。
  4. 愛知揆一

    愛知国務大臣 いろいろとお話を承りまして、たいへん同感することが多いのでありますが、これは文部省という立場だけではなくて、もっと全国民的に、あるいは政府全体として考えるべき問題であると思うわけでございます。ことに明後年は明治百年祭を迎えるときでもございまするし、こういう機会憲政先覚者として功労のあられたような方のことをしのびながら、また将来にいろいろと資していきたいということは、たいへん時宜を得たお考えかと考えますので、ひとつ政府部内でも関係の向きと前向きにこれを取り上げるということで、御趣旨の線を生かしてまいりたいと考えておるわけであります。  実は、そこで多少私見を差しはさむようになりますけれども、たとえば人間像というものを考えます場合にも、どうも日本教育の面におきましては、政治家大人物というようなものが取り上げられることが、外国に比べて非常に少ない。これは政治家のほうにも大いに考えなければならぬことがあるかとは思いますけれども、また同町に、こうした問題の取り上げ方のほうにも問題があるのではなかろうか。これはたとえば教科書等におきましても、諸外国のものと比べておりますと、そういう面から取り上げられている人は非常に日本の場合少ないのであります。こういう点もわれわれとして考えなければならない。あわせて私見も申し上げるような次第でございます。
  5. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 実は二十五年に達したる人々はあそこに額だけは一応あがるわけですから、これは長生きをして選挙に落ちないと大体あがる人があるわけです。あまり功績もない人もあるのですが、二十五年という一つのワクがあるので、これを突破しておる人もある。けれども、安部磯雄先生あるいは三木武吉さん、緒方竹虎氏、こういう大政治家は二十五年にみな達しておらぬ。ところが、保守合同を達成し、政治史上一つの大きな功績を残した、功罪は後にきめることですが、三木武吉さんであるとか、総理大臣寸前で倒れた緒方先輩、こういうような人々もよく吟味をして表彰する一つの手だてをしなければいかぬのじゃないか。ちょうど政務次官見えましたが、大野先生は大衆的な迫力があったり、最近は大野伴睦記念会館の設立とかいうようなものもできて、たいへんけっこうだと思っております、いま私が申し上げた人——実はこの岡安部磯雄さんの生誕百年祭が芝の三田会館というところであった。社会党民社党、ことに民社党関係が、安部さんの血筋を継いでおるのかしらぬが、西尾さんが中心でいろいろやられた。ところが、ざっくばらんな話を申し上げると、会費は取ったが、金が足らない。そこで、社会党民社党、まあ自民党もあんまり深い関係はなくとも出してくれということで、私は早稲田大学関係から幹事長にお願いして協力をさしてもらったことがございます。しかし、これは、党というよりは国などがやはり何がしかのものを出して、国がこれを表影しておるのだ。これはひとつこの機会にはっきりしておきたいと思うのですが、尾崎さんのときも、あれは、尾崎さん個人表彰ということになると、個人表彰を国でするということについては憲法疑義があるというので、国民浄財を集めた。国会は、憲政の大先輩というので、土地を提供してあれをこしらえたことは御承知のとおり。ただ、先覚者が一群となって、ある一定の条件を突破した人を表彰する、それは単一でないということならば、これは何ら疑義がないということであったのであります。したがって、いま申し上げたようなことで、本年度予算はむろんそんなことを組んでおらぬわけですが、ぜひ四十一年を期して何らかの措置に出ていただきたいというこことが一つのお願いであります。これは社会党のほうでも、先般私がこれを申し出したときに非常に拍手をもって応援をしてくれた。ところが、この一年このことに没頭することができませんでして、さたやみになっておる関係もありますので、ことしは思い切って実行力を持って側面的に働きたいと思っておりますから、文部省におかれては、十分各方面と連絡をとりつつ、内閣全体の問題としてもお考えをいただきたい。重ねて御質問をいたす次第であります。  また、それと同時に、渋沢秀雄さんなんかの提唱で、やはり生きた政治史とか生きた日本史というものをやるのには、ろう人形——ロンドンに行くと、マダム・タッソー博物館に、グラッドストンやディズレーリ、あるいは最近なくなったイギリス議会政治中心人物であるチャーチルろう人形があります。あのろう人形チャーチルと同じです。びっくりするほどですね。そういうろう人形博物館というものを上野博物館のあき地にでもつくったらどうかという提案がありましたが、あれを国会としても取り上げてひとつ御質問をしたいと思う。いかがでございましょうか。さっきの質問とあわせてお考えをいただきたい。
  6. 愛知揆一

    愛知国務大臣 前段の問題につきましては、文部省としては、従来から、御承知のように社会教育という関係からとらえて、三十五年以降尾崎記念会館にも若干の補助金を出しているようなわけでございますが、ただいまお示しのように、四十一年度以降におきまして、これを社会教育全般の問題として文部省としては力を入れていく。それからなお政府全体としても、全国民的な問題として憲政先覚者についての顕彰ということを前向きに検討してまいりたいと考えます。  それから後段の渋沢さん等の御提唱については、私も承知いたしておりますが、これを国立博物館等においてやる事業として適当であるか、あるいは補助事業として考えるがいいかというような点については、ひとつ具体的に検討してまいりたいと思います。
  7. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 次は神宮球場の問題でございます。これは先般来関係者を呼びましたり、あるいは河野国務大臣質問した人もありますが、愛知文部大臣には、まだこの問題では、私も質問する機会もなかったし、体育振興委員会も賛同の時間がなかったわけでございます。  そこで、御案内のように、プロ野球神宮球場に進出してきた。進出してきたのはまだよいとしても、本年は国鉄フランチャイズ、本拠地になりそうな傾向になってまいりまして、スケジュールによると、七十試合あそこで国鉄試合をするという。これは国鉄一つの、片方の資本の産経が非常に骨折って、あそこに神宮第二球場というものをつくるときに、相当な費用を出した。これは神宮側としてはありがたいことだと思うのです。けれども、そのことの影響を受けたか知りませんが、学生野球のメッカで、しかも大学野球シーズンの中に十何試合も食い入っている。それはまだいいのですが、一番問題点は、六大学はまだ大きな波及は受けなかったが、あそこで同じように野球をやっておる東都大学のチームは、国鉄試合をする日は朝の十一時から野球をやる、それでないと、二試合消化できないで、午後の五時半からの野球、たとえば国鉄対巨人の試合が始まらないということで、逆算していって学生のほうへ押していったのです。そこで、体育振興委員会では、これでは一体学業に差しつかえはないのかというて問うたところが、六大学野球関係者は、支障はございますと言う。支障があるのを、何でそのような組み方をしたのかと言ったら、まだあれは最終決定でないというので、まあ最後決定がないわけですから、いま世論国会などにおけるいろいろな究明によって、情勢は変わるものだと私は思っておるのですが、これは前田局長教育上好ましくないという答弁をされております。  そこで私は愛知文部大臣に、文部大臣としての立場から、あの神宮球場というのはもともと学生の奉仕、小中学生がもっこをかついでまでつくった学生野球の聖地であるのに、神宮外苑の財政上の問題からとは言いながら、あすこプロ野球が進出してきて、しかも大学野球シーズン——私は、学生野球のないときの、夏場に使うのはまだいいと言っておるのです。春、秋のシーズンに入り込んできて、その余波を受けて、十一時から野球試合をしなければならぬというのは言語道断だ。多くの委員——多くの委員というて、全部の委員がこれは一致しているわけですが、この席上を通じて文部大臣の御言明を承れば、問題が落着をする見通しがあるのではないかと思いますので、はっきりした御言明をいただきたいと思うのであります。
  8. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私は、神宮外苑球場がアマチュアのスポーツのため大いに活用されるということが、国民的な立場からいって非常に望ましいことであるというふうに、第一点は考えております。  それから第二は、体育振興特別委員会でお取り上げになっておりますように、プロ野球フランチャイズ神宮球場に置くというようなことになって、プロ野球がこれを占拠して、かつこれを今後とも長く、恒久的にそういうかっこうになるということは望ましいことでない、かように考えております。ただ、同時に、これはたとえば文部省指揮権を発動するとかどうとかいう問題では法律的にいえばない問題でございますから、私のいまの気持といたしましては、衆議院特別委員会のいろいろ出ております御論議や、われわれの希望や、そういうことを取り入れて、当事者がしかるべく良識によって善処されることを期待している、かような現在の心境でございます。
  9. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 非常に明快な御答弁でありましたが、さらに一番ポイントであります、この授業上好ましくないという点は一番追及されている点なんです。その点で注目すべきことは、学生野球は百二十四試合全部消化しておるから、学生野球を優先しておるのだと、当事者はこう言っておる。ところが、消化のしかたが問題であって、いまのようなプロ野球夜間試合というものの始まりを原則としてやって、そうして逆算して上に時間を繰り上げておるということで、これは学生野球優先とは実質的には言えないのではないかという点が、神宮外苑当事者自民党並び社会党委員意見の相違なんです。ですから、その点はもう一度、そういうことは全く授業上好ましくない、当事者がきめる問題であるけれども、文部大臣としてはなるべく変更してもらいたいということを、この席上を通じて承れればしあわせなのであります。
  10. 愛知揆一

    愛知国務大臣 学業上の点をお答えに及びませんで失礼いたしましたが、もちろん学業上は十一時から試合を開始するというようなスケジュールは無理がある、私もさように考えております。たとえば先ほど申しましたように、当事者間のくふうといいますか、話し合いと申しますか、あくまでこれは学生野球を重しとして、その範囲内でたとえばナイターのほうを重点にしてプロ野球考える、あるいはその時間繰りなどもいろいろくふうの余地があるのではなかろうか、かように考えておるわけでございます。
  11. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 その次は、札幌冬季オリンピック大会の問題にからんで、これは文部省予算で将来やっていただきたいと私ども考えておりますので、御質問かたがた、いまスポーツ界に起こっている世論、それから文教部会の模様なども参酌して御質問いたしたいと思います。  この前の東京オリンピック大会が成功しました一つの基礎は、いち早く国立競技場をあそこに整備したことでございます。国立競技場は初め五万五千の収容能力でありましたが、後にオリンピックが来て七万一千と改めて昨年の大会をすることができ、それに付随をして駒沢の諸競技場、あるいは丹下博士の独特な設計によって世界的にも優秀さが保証された室内水泳場というものが後にできたわけです。国立競技場がなければ東京大会というものはたとい来ても、六十四年が六十八年になり、あるいは七十二年になったかもしれぬ。早くあれを整備をして、そうしてアジア大会運営に成功した。アジア競技大会運営に成功したことが東京オリンピックを招くかぎになったわけでございます。ところが、冬季のほうはいまだ札幌にはスキースケートの十分な設備がない。大倉山シャンツェというものはありますけれども、国際的なスキー通に言わせると、これは国際競技を施行するにはまだ不十分であるということでありますので、私は冬季競技にもひとつ国立競技場をつくるべきじゃないかと思う。それはどれをつくるかということになりますと、スケートのほうは、御存じのように、スケート場をつくってしまえば、あとはあれはペイにすることができる。近ごろ非常にスケートばやりで室内競技場は、たとえば札幌市がつくってもあと運営することができる。シャンツェのほうは、これはなかなかそろばんに合わぬです。そこで札幌はかねや太鼓で招致運動をしても何にもならないじゃないかということになったように私どもは思っております。そこでやはりこれは国立シャンツェというものを国でつくって、そして四十一年度の予算から少額でも文部省予算に計上し、四十二、三年と三年計画くらいでやれば、国があげて冬季オリンピック大会を招致しておるのだという姿勢がIOCに反映すると思うので、これはいまようやく国会スポーツ議員連盟あるいはスキー関係者等世論が高まっておるおりからですから、そういう議論がもっと盛んになれば、文部省としてはぜひ考慮していただきたい。この御答弁をいただきたいと思うのです。
  12. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これは全く御同感でございまして、実は文部大臣としてと申しますよりも、私個人といたしましても、ぜひ冬季オリンピックを招致いたしたい。それにはやはり先立つものは施設の問題、ことにシャンツェにつきましては、全くこれは国家的にと申しますか、相当援助しなければできないものであると考えております。たとえば札幌におきましても、ほかの施設については十分私は個人的には、名のりを上げる条件は整っておると思いますが、主としてスキー、特にシャンツェの建造、これについては私は非常な意欲を持っておるつもりでございまして、御協力を得まして、四十一年度の予算のときから具体的な一つ措置を講じたいと私は胸の中では考えておったわけでございますが、いまこの委員会を通してそういう御質凝がありましたことに対して、私として非常な意欲を持ってやりたいと考えておりますことを、非常にいい機会でございますから申し上げておきたいと思います。
  13. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 ただいまの御答弁はたいへん力強く、冬季競技招致者にとりましても非常な福音であると思います。ことに具体的に御答弁がありましたので、われわれスポーツ界関係者並び竹田JOC委員長以下、今後勇を得て、力を得て邁進することと思います。  次は、これは多少問題があるのですが、国立第二劇場の問題です。国立劇場はやはり古典芸能古典芸術というものを保存して、わが国文化財一つの貴重なものである歌舞伎、能というようなものを長く国家の手によって保存しようということが第一の眼目で、これとともに、近代国際芸術の粋であるバレーオペラというものをしたいというのが、国立劇場を総合的に推進した文化財保護委員会最初の着想であった。ところがなかなか敷地がなくて、最後にきまりました現在の国立劇場敷地は、お隣が最高裁判所敷地ということになって相当広いのですが、駐車場その他の関係を入れると、建ぺい率などもあって近代国際劇場のほうは割愛せざるを得なかった、こういうことでございます。しかし当面考えてみると、それは長い将来のことを考えますと、確かにまあ古典芸術のほうが先であるわけですが、また古典芸術のほうは一応歌舞伎座というものもあって、松竹の手によって今日まで保存され、コマーシャルのベースにも乗っておる。ところがあの当時一生懸命に陳情したり、運動したり、わが国国際芸術の低い水準を打破しようとして働きかけておったのは、藤原義江さんとか、あるいはその他のオペラバレー関係者なんですね。われわれ外国へ行って、やはりひまがあると、大使館が招待をしてくれたり、あるいは自分で見に行くものはオペラなんです。オペラというものはもう、近代先進国家に欠くべからざる要素である。ところがこの第二劇場はその後どうも文部省のほうでは、敷地難関係もあって、あまり乗り気でないように思う。そこへ上野文化会館というものが都によってできたものですから、あすこでやればいいじゃないかというようなこともあるわけです。事情はよくわかりますが、上野文化会館は、講演にもあるいは舞台にも、いろいろなものに使おうと思ってやった関係で、あれでまだせりが足りない。それから背後はそれほど大きくないから、大きなオペラはできないのです。ですからこの際、第一劇場が完成してからでもいいですから、第二劇場というのをやはり取り上げてやるのが筋じゃないか。中曽根康弘君が会長をしておる国会芸術議員連盟でも非常にこのことに熱心で、前のいきさつもあって私もその推進の中心になっておるわけなんですが、この国立第二劇場を将来、第一劇場完成と並行して着手する意図が文部省にあるものかないものか伺っておきたいと思います。
  14. 愛知揆一

    愛知国務大臣 この問題はただいま御指摘がございましたとおりで、私も文部省関係いたしますもうずっと前から、国立劇場の問題につきましては非常な関心を持っておったつもりでございまして、川崎議員をはじめ、なくなった参議院議長をやっておられた河井先生その他非常に御熱心な運動で、いまお話がございましたように、実はオペラ方面からも非常に強い御希望があった。いまお話しのとおりいろいろの経緯があって、ただいまの国立劇場日本固有の古典ということを中心に計画されておる。いまのところ、実は率直に申しますと、私はいまの国立劇場は来年の秋までに開幕をしたい、その開幕をするとき並びにその後の運営をどういうふうにうまくやっていくか、あるいはまた、今年度は十数億の予算がいただけたわけですけれども、四十一年度さらに相当の予算がございませんと、四十一年の秋に開場に至らないわけでございますが、この現に進行中の国立劇場をいかに適切に運営することができるかということで、実はいまのところは頭が一ぱいでございまして、これが計画どおりスムーズに建設もされ、運営も十分できるということが確算がつきましたその上におきまして、新たにこのオペラその他についても考えなければなるまい、こういうふうに考えております。非常に率直に申し上げまして、第二劇場についてごうごうというところまでまだ具体的な案はできておりませんけれども、従来の経緯もよく知る者といたしまして、いまの国立劇場が完成し、かつ運営にめどがつくというところを、まず何といいますか、りっぱに実績をあげ得るようにして、それから第二のほうに取りかかるようにいたしたいと考えております。
  15. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 最後に、私学振興の問題でございます。たぶん来年が大学志望者のピークになる。その後多少漸減はするものの、私立大学に入学しようという者が非常に大きな数になってきて、これが今日私学の財政難というものとからんで、前途はなはだ大きな政治問題になりはしないか。本年は医療費の問題が政治問題になっておる。来年はどうやら風向きはそういう方向にいくように思うのですが、いまからこの私学振興の問題については抜本的な考え方をもって文部大臣は当たっていただきたいと思います。  私は今日はほかの問題で議論を申し上げたので、私学振興については深く触れませんが、時子山早稲田大学教授がここで、公聴会で述べられたいきさつは今日の私学の苦悩をそのまま物語っておると思うのです。公聴会へ来ていろいろな問題を話すのに時子山さんは、このたびは私学問題に持ち時間のうち大部分を費やすほど、政治問題化する前夜の状況のように私は思うのでございまして、この際、先ほど予告して申し上げたように、私学振興に関する愛知文部大臣の施政の根本を伺えればはなはだしあわせであります。  私の質問はこれで終わります。
  16. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私学の問題は当面の最大の問題でございます。私も就任以来非常に頭を悩ましておる問題でございますし、ことに先般時子山さんの公聴会における公述は、私もこの場では伺いかねましたけれども、十分語録等において承知いたしておるつもりでございますが、非常によく問題の焦点を浮き彫りにされていて、私も非常に高く評価し、尊敬をいたしておるわけでございます。  そこで、いまの施設はどうかということでございますが、まずやはり四十年度は相当な問題だ。これについては、だれしも問題なく御意見が一致するところは、私学振興会で長期で低利の融資をするということ。これは最近の私立学校の経営の状況を見ましても、たとえば設備の拡充費というものが非常に多い。そこで入学金その他学化ひいては父兄の負担になるようなものが累年激増してまいっております。反面借り入れ金が非常な勢いで増加しておりまして、債務償還費でも、普通のたとえば企業に比べるわけにはまいりませんが、企業として考えた場合には、現在のような債務償還費が今後続くようでありましては、これはたいへんな問題になる。そこで学生の負担になるものが今後ますますほおっておけば多くなり、父兄の負担がひどくなり、そして官学との間の格差がますます広がってくる、こういうように考えますので、とりあえず四十年度におきましては、私学振興会の融資の計画が大体百五十億ぐらい。そしてその中の六十四億円くらいをいわゆる急増に対する設備の拡充に向けるわけでございまして、これで率直に申しますと、かろうじて財政的に申しまして一万五千人の定員の増ということになるわけでございます。それで、同時に大学というものについては資質を低下してはたいへんなことになる。それから同時に、社会的な人材に対する需要の趨勢がどういうふうになるか、あるいは大学教育というものを教育の場において、学校教育社会教育全部を通じてみて、どういう位置づけをしたらいいかということも、これはたいへんな問題であると思うのであります。ただ単に人口が増加するといいますか、ベビーブームがちょうどその時期になって最高潮に達する、いままでの入学志願率をそのまま伸ばしていけばこれこれがふえるから、それだけは入れものをつくらなければならないと、単純にこうも考えられない問題であるかと思うわけでございまして、現に私が就任いたしました当時は、官公私立合わせて四十年度、四十一年度で十万人の定員増をしなければならないというふうな考えがございましたのは、いま申しましたように、ただ単純に人間の伸び方とそれから志願の率をかけてみて、自然の成り行きからいってそのくらいが必要ではないかという根拠が出ておったわけでございますが、それに対して、いま申しましたような、資質を低下させてはいけない、教授陣をりっぱな者でつくっていかなければならない、それから社会的なものの見方、あるいは需要の趨勢というようなものをどう見るか、いろいろな点から顧慮いたしまして、現在は大体六万人余りのところを四十年度、四十一年度でというふうに考えております。そうしていま申しました私立につきましては一万五千人、それから国立については三千四百人というようなことで、公立を合わせて大体一万八、九千人のところになろうかと思います。そうしてそれに対して、金の面からいって御協力できる、現在の政府財政のほうからいってぎりぎりのところと思いまして百五十億の融資と、六十数億を特に急増施設のために考えております。  そこで、一方において四十年度についてとりあえずどうやっておきながら、いま御審議願っております法律に基づいての私学助成方策調査会というものをつくっていただきまして、これはいま申しましたような大学の問題の位置づけ、とらえ方から予算の問題、あるいは経常費に対して私学のどの辺までを助成すべきであるか、あるいはすべからざるものであるか、あるいは税金の問題等につきましても、実は私もずいぶん熱心にやったのでございますが、従来の税制のかたい考え方に対して、たとえば授業料のある限度の負担は所得から控除してもらいたいというようなことも含めまして、税制調査会等にもずいぶん力を尽くしてお願いいたしましたが、十分な成果をまだあげるに至っておりません。そこで私学助成方策調査会などではそういう面もひとつ取り上げていただきまして、世論的なバックをしていただいて、税の当局や税制調査会にも一段と御協力をいただきたい、こういうふうな考え方でおるわけでございます。この調査会はあるいは例によって隠れみの的にやるのではなかろうかというような御批評も一部にはあろうかと思いますけれども、やはり私は私学問題ということは各方面から検討してたたいていただかないと、文部省だけで独善的な案もできかねると思っておりますので、隠れみのという意味でなくして、ほんとうに切実な声を国民の間から聞かせていただきたい。そうして政府部内あるいはそのほか関係の向きにも十分御認識を新たにしていただきたい、こういうかまえ方で誠意を尽くしてひとつやってみたい、かように考えておるわけでございます。
  17. 植木庚子郎

    ○植木主査 滝井義高君。
  18. 滝井義高

    滝井分科員 私は二点お伺いいたしたいのです。第一点は、最近における新規若年労働力の不足、それから技能労働者あるいは技術者の非常な、不足にあたって、その激しい奪い合いが起こって、その結果学校教育に重大な影響を与えつつあるという問題が一つ一つは、インターン教育の確立というものが混迷の中にあって、例年同じようなトラブルを繰り返しつつあるという、いわば政治不在の姿、この二点についてお尋ねをしたいと思うのです。  そこで、まず第一点の、労働力の非常な不足によって、各事業場が、新規若年の労働者なり技術者を奪い合う姿が学校教育にどういう影響を与えておるかについてお尋ねしたいのですが、その前に、昭和四十年三月に中学校、高等学校、大学を卒業をする人の数と、そしてその——大学はもちろん全部就職するでしょう、もちろんある程度は大学院その他に残るのでしょうけれども、大学卒業者の数と、その就職者の数。それから中学校の卒業者の数とその進学、就職の状態、高等学校の就職と進学の状態、これをまず文部省でもよろしいし、労働省の職業安定局からでもよろしい、どちらでもひとつわかっておるほうから御説明を願いたい。
  19. 福田繁

    ○福田政府委員 お答えを申し上げます。  まず、中学校のほうでございますが、昭和四十年の卒業見込み数が二百三十五万人でございます。この中で進学いたします予定のものが七一・五%程度であろうと思います。したがいまして、その残りが実務につくということになるわけでございます。数にいたしまして、約八十万程度でございます。  それから高等学校のほうでございますが、四十年の高等学校の卒業者につきましては、百十六万でございます。
  20. 杉江清

    ○杉江政府委員 大学、短大の卒業者の数について申し上げます。  三十八年三月に大学を卒業した者は約十四万で、短大は約四万であります。昭和三十八年度の卒業生は、大学、短大合わせて約十五万人でございます。四十年度は、これより多少ふえると思いますが、いま正確な数字を持ち合わせておりません。まだ、未定でございます。  就職状況ですが、これは御存じのような事情で、すでに大半はきまっておりますが、この二、三年来、三月一ぱいでほぼすべてきまっておる。率にして就職希望者の九二・三%が卒業時にきまる状況にございます。本年もおそらくそういう状況だろうと思います。
  21. 滝井義高

    滝井分科員 中学校が二百三十五万人で進学七一・五、それから就職、実務二九%、約八十万人。高等学校百十六万人のうち、進学が幾らで就職が幾らになるのか。
  22. 福田繁

    ○福田政府委員 高等学校から大学に進学します者の数は、もちろん推定でございますが、三十六万でございます。一三%程度と考えております。
  23. 滝井義高

    滝井分科員 そうしますと、残りの人が就職することになる。労働省来ていますか。労働省は御存じのとおり地域刑、産業別の雇用計画をお立てになっておるわけです。したがって地域別、産業別の雇用計画をお立てになる場合は、この中学校、高等学校、大学の進学、就職の実態というものを明確に把握しておかぬと、御存じのとおり新規若年労働力というものは極度に不足をしております。技術者も不足しております。したがってこの計画を立てるためには、この三月に卒業する人がどういうように動いていくかということを明確に把握をしていなければ、各企業の雇用計画は立たないわけです。ことしの政府の経済見通し等を見ても、四十年度の経済見通しの中では、四十年度の新規就労可能人口は、昭和三十九年に比し、約二十五万人増加することが予想され、四十年度の雇用増は三十九年よりやや増加し、百十万人程度となるというように見通しをつけてきておるわけですね。したがってあなたのほうは、いまの文部省の見た数字をどういうように見ておるのか、労働省として一体どう見ておるか。
  24. 佐柳武

    ○佐柳説明員 佐柳業務指導課長でございます。  ただいまの御質問でございますが、労働省におきましては産業別、地域別雇用計画の試案を昨年つくりまして、お説のとおり、今後におきまする各地域別の産業需要と、それぞれ需要地、供給地における労働力の必要性というものを考慮いたしまして、今後の新規学校卒業者中学校、高等学校、大学卒業者の就業見込みと、そのほか第一次産業等からの転職見込みであるとか、そういう面からの全般的な分析をそれぞれ地域ごとにいたしてまいるわけでございますが、この計画につきましては、目下のところ、昨年試案をつくりまして、昭和四十年度におきましては、各都道府県の安定所段階における計画におろしまして、その計画数というものに基づく将来の配分が、これら試案が実際のものとなっていくわけでございます。現在のところにおきましてはまだこの試案というものが動き出す段階に至っておらない。先ほど御質問のございました、労働省といたしまして把握しておるところのそれぞれ学校別の就職見込みにつきましては、先ほど文部省のほうからも御説明のあったところでございまして、私ども職業安定機関といたしましては、毎年十月に、翌年の就職を予定いたします者についてその希望の数を取りまとめておるわけでございます。これらの数字は、卒業いたします者から進学いたします者を差し引けばそのまま就職ということには必ずしもなりませんで、自営、それから家業手伝いというものがございますし、若干無業というものがございます。それで、私どもがとらえておりますのは、雇用労働者になることを希望するものの数、これを大体毎年十月で押えておるわけでございます。この面から申し上げますと、中学校におきましては、ことしの春卒業いたしまして雇用労働者になることを希望しております者は大体四十三万、それから高等学校におきましては、概数でありますが、六十五万、合わせまして約百万の新規労働力が産業界に巣立つ、大体このような見込み調査を十月現在でいたしておるわけでございます。
  25. 滝井義高

    滝井分科員 文部省の実務就職が二九%、八十万というのが、労働省がいわゆる雇用労働者として把握すると、半分になってくるわけです。ここらあたりが非常に重要なところです。四十三万になる。高等学校が三十六万の進学で、したがってあと八十万くらいが実務就職になる。これは六十五万と、十五万人程度減少してくることになるわけです。  そこで、まず先に労働省に聞いておきたいのは、殺到率と申しますか、求人倍率ですね、求人倍率は、中学、高等学校、大学、一体どういう形になっておるのですか。就職希望者に対して求人の数、その倍率ですね。
  26. 福田繁

    ○福田政府委員 中学校につきまして昨年の数字を見ますと、求人率三・六倍でございます。高等学校につきましては、ちょうど四倍になっております。したがいまして、これは年々上昇しておりますので、四十年におきましては、中学、高等学校ともに大体これ以上になるだろうという見通しをつけております。
  27. 滝井義高

    滝井分科員 そうしますと、労働省のことしの求人率の推計はどの程度になっていますか。
  28. 佐柳武

    ○佐柳説明員 四十年三月卒業時に見込まれますところの中学校卒業者に対する求人の倍率は、これは十月現在でございますが、約四・四倍、高校につきましては、前年よりも就職希望者数がやや増加いたしました関係かと思いますが、倍率は二・九倍となっております。
  29. 滝井義高

    滝井分科員 そうしますと、中学校は倍率はふえたけれども、高等学校は就職希望者がふえたために、昨年に比べてやや競争が緩和して二・九倍になった。それにしても、求人側からいうと、これはたいへんな求人難ということが明らかになってきたわけです。   そこで、文部省にお尋ねしたいのはこれからになるのですが、一体この中学校、高等学校、大学の求人の姿というものはどういう姿で行なわれておるかということです。たとえば、現在、理工科系統になりますと、三年のときに大体就職がきまっておりますね。いわゆる世にいう青田買いと申しますか、先物を買ってしまれておるわけです。はなはだしいのになりますと三つから四つくらい就職先を持っております。ところが、さてその学生は、どの会社に行ったらいいか、非常に悩んでおります。そこで、四十二年以降になるとベビーブームが終わったあとになりますから、もっと新しい働き手、そして技術を持っておる大学、高等学校の卒業生については、娘一人に婿八人どころではないと思う。十人、二十人の婿が来ることになります。したがって、当然、求人活動については、学校教育の側から、こうしてもらいたい、こうしなければならぬという点がなければならぬと思うのです。一体、これだけ激しい求人活動に対して、学校教育の側からいかなる処置をとっておるかということです。これをひとつ御説明願いたいと思う。
  30. 福田繁

    ○福田政府委員 お答え申し上げます。  大学関係のことにつきましては別の政府委員から申し上げると思いますが、高等学校あるいは中学の卒業生の就職につきまして概要を申し上げますと、現在学校の紹介によって就職する者も相当ございますが、職業安定所の紹介によるもの、あるいはその他親戚、知人などの縁故紹介によって就職する者も若干ございます。そういうのが大体いまの就職のやり方でございますが、おっしゃるように求人難でございますので、学校としても、各会社、事業場等におきまして卒業化がどういう受け入れ方をされておるかということは、非常に教育上に重要な問題を持っております。したがいまして、各学校におきましては、中学校、高等学校には職業指導主事というものを置きまして、主としてこの職業指導主事というものが、校長の命を受けまして、会社あるいは工場等とできる限り連絡を密にして、アフターケアと申しますか、そういう卒業生の就職しております先を回ってその状態をよく調べるというようなことをいたしますと同時に、その結果から、それぞれの学校の中で今後卒業生を出した場合にどういうやり方をしていくかという具体的問題について、いろいろ各担当の教師と相談しながら進路指導をやっておるというような現状でございます。ただ、工業等につきましては、御承知のように、工場における実習なども特に教育の一環として必要な場合が多々ございますので、そういう場合におきましては、学校の実習として工場等に出かける場合もございます。したがいまして、実習に出かけた場合に、やはりその会社が非常にいい会社でありますと、実習生なども非常に優遇され、また教育的にも非常にいい受け入れをしてくださいます。そういう場合には、自然にその会社と学校との関係が結ばれて、そこに卒業生が多く就職するというようなケースもございますが、いろいろそういうことで、学校の教育の中でも、あるいはまた、工場に入りまして就職して後におきますいろいろな受け入れ方というものが学校教育にいろいろな影響を持っておりますことは、御指摘のとおりでございます。そういう点については、できる限りそれらの問題を解決するように学校の中では指導いたしておるわけでございます。
  31. 杉江清

    ○杉江政府委員 大学におきましては、就職は、大学事業主との直接取引と申しますか、で行なわれておるわけでございます。これにつきましては、前から、その採用時期が早くならないように、業者側と大学側との会合を持ちましていろいろ協定をしてまいったのでありますけれども、御承知かと思いますが、三十六年に至って、業界側の要望によりましてその協定から事業主が脱退いたしました。しかし、その後におきましても、大学の自主的な立場において、その就職時期の繰り上がりを抑制するような申し合わせを行ない、お互いにその申し合わせを守るような努力をいたし、また業界側にもそれを守っていただくような要望を続けてまいっておる次第でございます。
  32. 滝井義高

    滝井分科員 いろいろ両局長から御説明がございましたが、労働省にここでお尋ねしておきたいのは、職業安定所を通じて新たに卒業する中学、高等学校の生徒の紹介の率は一体どの程度に実績としてなっていますか。
  33. 福田繁

    ○福田政府委員 私からかわってお答え申し上げますが、公共職業安定所によりますあっせんのものが、中学校の場合には八一・八%、席等学校の場合には九・九%でございます。それから二番目に、学校と公共職業安定所が協力して行なっておりますあっせん、これが中学校の場合一三・九%、高等学校の場合、五九・五%となっております。したがいまして、両方合わせますと、公共職業安定所の手をくぐるものが中学校の場合には大多数でございます。それから高等学校の場合は、両方で約七〇%というような率になろうかと思います。
  34. 滝井義高

    滝井分科員 まず第一に、中学、高等学校のほうからの問題ですが、御存じのとおり、現在学校と公共職業安定所とのコンビで職業紹介をやる。しかし、公共職業安定所だけでやるものは中学校が八〇%、非常に多いように見えるけれども、こういう点についても、これは学校が無関係ではないはずです。すでに御存じのとおり、典型的に一つあらわれたのは、労働大臣の足元の秋田であらわれてきたですね。秋田の職業安定所が検察庁から摘発をされた姿が出てきている。これが私はいまの日本の縮図だと思うのです。たまたま秋田にあらわれましたけれども、いまのこの非常な新しい働き手の不足、あるいは技術労働者の不足ということにつけ入って、職業安定所というものが非常に権限を持ってきたわけです。ここに何らかのコネクションを求めなければ新しい働き手というものを企業が獲得することができないという状態が、中学校と高等学校の働き手、これを獲得するために出てきている。企業が自分の運命を切り開くためには、優秀の人材を集めなければならない。いま日本の中小企業が倒れようとしているのは、働き手が来ないというのが一つの大きな原因にもなっているわけです。そうしますと、今後の職業安定所のあり方というものをどうするかということは、われわれが文教行政の面からも十分これは配慮しておかなければならぬ問題です。  いま一つは、それならば、一体職業安定所の片棒をだれがかついでいるかというと、学校の古手の校長先生がかついでいる。これは校長先生は自分のおった学校に顔がきけるわけです。そこで何々会社の駐在員にその古手の校長先生がなる、こういう形が出てきたわけです。かつて教科書の問題でいろいろ指弾を受けました。しかし、いまや今度は人間の問題でこういう問題が起こってきているわけです。この問題は、新しい人間像とかなんとかいう前に、まず私たちは文教行政の中で学校当局が十分これは戒心をしておかなければならぬ問題点になってきたわけです。そこで、これは職業安定行政と文教行政というものがほんとうに密接な連携をとって、そして新しい人生に向かって希望を持って卒業していく学生諸君、生徒諸君に対して、やはりよほど注意をした指導をやらなければならぬ。そのためには、求人にやってくる会社に対しても、よほど連絡をとり、懇談をやってやらなければならぬ。そのためには、いま福田局長から御答弁がありました、現在、学校で紹介して就職をする、職業安定所で就職をやる、親戚、知人の紹介でいく、それから中学、高等学校に指導主事を置いている、さらにアフターケアのために、就職した先その他についても絶えず連絡を密にしておるということを言われましたけれども、中学校は、会社が来て、そして自分のところに何人ほしいとかいうことを、職業安定所なりあるいは指導主事のところに申し出てきて、正式に最終的には職業安定所を通ずることになるかもしれませんが、やるにしても、そういう活動をやる時期というものはやはり全国的にきちっときめておかなければならぬと思うのです。私が調べたところによると、中学校では、求人をやるのは一月一日、それから高等学校では十一月一日、大学では十月一日となっておるようなことを書いている文書があるのです。しかし、こんなものはひとつも守られていない。そこで、ここらを一体どうするかということです。これがもしはっきりしないと、学校教育というものはむちゃくちゃになってしまう。六・三・三・四の学校体制というものが——これは教育の半ばすでに就職がきまるということになると、人間は学問に身が入らなくなる、学校教育に身が入らなくなる、これはわれわれも経験がある。これは杉江さんのほうになりますが、大学でこれが最も顕著に最近あらわれてきた。そして大学は、さいぜん川崎さんの質問にも文部大臣が答えておりましたが、そうどんどん安っぽい私学をつくるわけにはまいらぬ、これは何としても大学の質を落としたくないからだということを言われたが、まさに私は卓見だと思う。ところが現実は、各事業会社がどんどん大学に押し寄せてきて、そして優秀な人材を採っていく、いゆわるスカウトしていく姿というものは、もはや工科のごときは三年から始まっておる。法文科系であってももう春から始まっていますよ。四年の春にはもう優秀な学生はきまってしまう、こういう形です。そうしますと、六・三・三・四の、一番専門教育をやらなければならぬ後期の二年における四年目というのはブランクになってしまう。一番専門教育をやらなければならぬところがブランクになる可能性がある。学生は就職活動をやらなければならぬ。いいところをとらなければならぬ。あるいは二つも三つもとった優秀な学生は、どこへ行こうかと悩みに明け暮れなければならぬ、こういう姿です。このことは、もうちょっとそれをさかのぼっていってみますとどういうことになるかというと、いまの日本における、これはお母さんばかりでなくて、おやじもみんなそういう気持ちがあるのですが、みんな一流大学にいこうといろ熱意がある。一流高校にいこうという気持ちをみんな持っておるわけです。そこで、その一流にいこうという気持ちが、まず一流幼稚園になるし、一流中学になるし、名門高校になるし、そして東京大学になる、こういう形になっておるわけでしょう。企業の側も人材をそれだけ選択する機関を持たないわけです。そこで、一流大学ならばまず十分優秀な人材を選択して集めてくれておるから、もはやそこに弓矢を向けて的を射さえすれば、安心の人材が採れるという安易な気持ちになってきておるわけです。したがって、いまの企業というものは、そういう形でエスカレーター式に一流の幼稚園から一流の大学まで出てきた者を一流の会社が採る。採れば、その形態はどういう形になっておるかというと、終身雇用、年功序列の賃金体系だ。だから、それはウナギ登りに出世街道をいくことになる、こういう形になっておるわけです。したがって、いまの就職競争というものは、まず優秀な者を採らなければならぬから、他の会社に負けないように早くスカウトする以外にないわけです。もはや入学試験のときから就職のコースというものはきまる、こういう形がますますこれを激化している。しかも優秀な学校にそれが殺到しているわけでしよう。私何か読んでおったら、近代社会においては、エリート的な地位につく者は大体全人口の六%そこそこだ。昔は日本では大学を卒業するのは三%か四%しがなかった。大学を卒業しなくてもエリートの地位につく者は少なくとも二%か三%あった。ところが、さいぜんの御説明ではないけれども、大学に高等学校を卒業した者の三割六分もいくということになりますと、この三割六分の中からエリ−トに選ばれる人が六%か七%だとすると、たいへんな競争になるわけです。だから優秀なところにいっておかないと出世街道をいけぬという、きわめて立身出世主義的な、利己的な形が出てくる。  そこで、やはりこういう形で就職戦線のためにあるいは労働力が不足し、技術者が不足しておるということのために、日本教育がいまや非常に乱されようとしておる。今日もしこの問題について文部省なり内閣として断固たる処置をとらないならば、日本教育というものは、四十二年以降になったらたいへんな状態が起こってくる。私は、今日、ころばぬ先のつえとしてそれを要望しなければならぬと思うのです。そこで、一体こういう問題について文部省なり文部大臣としてはどう処置していくのか、これをひとつこの際明らかにして、そして大臣も佐藤内閣の実力者ですから、愛知さんは実力者ですから、やはり日経連なりあるいは商工会議所の首脳を集めて、これをえりを正してけじめをきちっとさせなければいかぬと思うのです。そうでないとたいへんなことになると思うのです。  それから、労働省は職安行政というものをきちっと自粛して、その職安行政の中で、人を紹介することの中からわいろを取ったり何かしないように、きちっと労働力の配置というものを考えなければいかぬ。いま新しく卒業していく人のおそらく六割は、太平洋ベルト地帯のこの中にみな就職していますよ。調べてみると、太平洋ベルト地帯の中に六割六分程度就職しています。こういう状態ですから、その地区からはもう殺到して学校に優秀な人材を選考にくるわけです。こういう点ではやはり職業安定行政というものは今後えりを正さなければいかぬ。そうして学校と唇歯輔車の関係になって、それぞれやはりみんなが満足いくような形で就職をさしてあげる、こういう形を、やはりこれは就職の統制ではなくて、十分自主的な、職業の自由という憲法に保障された精神を守りながら、そういう方向にみんなの気持らを向けていく形をつくらなければいかぬと思うのです。  きょう労働大臣が来ておりませんが、内閣を代表して、一体愛知さんは今後この問題をどう処理していくのか、ひとつ御答弁願いたい。
  35. 愛知揆一

    愛知国務大臣 ただいま御指摘になりましたことは非常に大きな問題で、私どもも頭を悩ましている問題でございます。それで、現在の扱い方についてまず申し上げますと、やはり学校の関係からいいますと、職業指導主事を大いに活用といいますか、働いてもらいまして、職安との連携を密接にとっていくということが、まず何よりも現在必要なことであると考えておるわけでありまして、これはできるだけただいま御指摘になったようないろいろの心配や条件を十分取り上げて、そしてわれわれの気持ちというものが、適材を公正にできるだけ適所に回すことができるように、教育立場も十分尊重してもらえるように、そしてこれはいまお話もありましたように人間の問題でございますから、統制というようなことは行なうべきでもないものでありますから、各地域地域の実情に応じて十分お互いに意思が疎通できるように、学校の立場も尊重してもらいたい、これが当面の一番の重点であると思います。たとえば、これは中学校と高等学校とでもだいぶ様子が違うのでございまして、中学校の場合におきましては、何といってもその地域社会における求人であるということが実情でございますが、高等学校になりますと、だいぶ地域を越えての需給関係が起こってまいります。したがって、中学校における場合と高等学校における場合とでは、労働省関係の機関との話し合いというものもおのずから様相が変わってくることになると思います。  それから具体的な問題としては、ただいまも若干御説明をいたしたわけでございますけれども、そういう書類があっても一つも実効をあげてはいないではないかという話もありましたが、中学校については特にそうでありますし、高等学校についても、三年の後半の教育が就職関係で乱されて教育の実があがらないということがあっては一大事でございますので、書類の上におきましても協定をはっきりして、たとえば三月卒業を控えての一月一日以降でなければ就職のあっせん等はやらない——これをやっても効がないではないかという話もございます。しかし、またやらなければならないところでございますので、そういう具体的な措置も十分戒心してやっておるつもりであります。  それから今度は大学の問題になってまいりますと、これはまた御指摘のような実情でありますので、経済団体等もいろいろこれについてはくふうをしたわけでありますけれども、必ずしもうまくいかない。そこで、実は今月の初めにおきましても、文部省から、局長の依命通牒とでも申しましょうか、求人を予想される数千の企業主に対しまして面接書簡を出しまして、そしてこれは国大協あるいは私大協その他大学方面とも十分に連絡をとりながら、またその基礎の上に、企業主直接にあてまして、文部省といたしましても、いまから申しますと再来年の卒業生についての採用というようなことについては、来年の秋以降でなければやらぬようにしてほしいということを、すでに二月の何日かにも、通知といいますか、お願いを出しているようなわけでございます。現存あとう限りの努力はいたしておるわけでございます。  それから、さらに率直に申しますと、先ほどいわゆる大学志願者の急増対策の話も出たわけでございますが、この問題のとらえ方も、いま御指摘がございましたような現実のいろいろなむずかしい問題、あるいは社会的な需要の趨勢ということからいえば、たとえば高等学校の卒業生にすらこれだけの求人がある、中学校の卒業生に対してはより一そう激しい求人の状況がある、こういうふうな状況において大学教育の位置づけというものをどういうふうに考えたらいいかというようなことも、大所高所から広い立場で検討しなければならない。  さらには、御質問以外になりますけれども、高度の技術者等については国際的な求人ということもある、これをどうして紡ぐかというようなことも、これまた一大問題でございます。これは人数においては必ずしも多くはございませんけれども、やはりこういったような点に対しても、これは全国民的な良識にまかせなければならないようなこともあるわけでございます。  事は人間の問題であるだけに非常にむずかしいことでありますが、教育の整備という点から、御指摘のとおり、あるいは御心配のとおりの状況でありますから、われわれも真剣にこれに対処していかなければならない。いろいろ各方面からの御注意や御意見を謙虚に取り入れて、そして間違いのない道を歩んでまいりたいと考えておるわけであります。
  36. 植木庚子郎

    ○植木主査 滝井君に申し上げますが、持ち時間が大体経過いたしましたから、残余の御質問についてはなるべく簡潔にお願いいたします。
  37. 滝井義高

    滝井分科員 一流の学校というのに入りたいという気持ちは、何もこれは日本だけではなくて、たとえばイギリスでいえばオックスフォ−ドとかケンブリッジがあるし、フランスでもパリ大学があるし、アメリカでもハーバード大学があるし、ソ連でもモスクワ大学があるというように、それぞれみんなそれにいきたい、そこにいけばエリートの地位につく可能性が非常に強くなる、こういうことはあると思います。あると思いますけれども、そこに今度は会社側が人材選考の手を省いて一切を学校にゆだねてやっていくというようなことで非常な学問上の混乱が起こることは、いま大臣も御説明があったとおり、どうしても私は避けてもらわなければならぬ。そのためには、やはり就職の説明会とか、あるいは学校が推薦する時期とか、あるいは学生一と会社側とが接触する。あるいは、就職訪問をする時期とかいうものをやはりある程度けじめをつけて、そして就職戦線の混乱の起こらないように、しかも大学の学問の前進ができる形でしてもらいたいし、高校あるいは中学校における就職戦線が混乱しないような形でぜひひとつ前進してもらいたいと思うのです。具体的にはいろいろなかなかむずかしい問題だと思いますけれども、これはやはり勇断をもって何らか学問の前進をする形をとっていただくことを期待して、次の問題に入ります。  次は、やはりいまの問題の応用問題になるわけですが、インターン問題です。毎年いまごろになりますと、医学部の卒業生の問題が問題になってくるわけです。このインターン制度に対し文部省は一体どういう考え方を持っているのか。一体このインターンの所管は厚生省なのか文部省なのかと聞くと、文部省であるがごとく、厚生省であるがごとく、どちらかわからぬ、こういう形になるのです。そこで、まず文部省のこのインターンに対する考え方ですね、実地研修生と申しますか、まずこれに対する文部省の基本的な考え方を簡単に御説明願いたいと思います。
  38. 愛知揆一

    愛知国務大臣 インターンの制度は、御承知のように医師法できまっておるものでありますから、その限りにおいては厚生省が担当しておるわけであります。厚生当局が年来いろいろと検討しておられますので、その結果をまちまして、文部省としては医学教育との関連において検討したい、かようにまず第一に考えておるわけでございます。  それから、医学教育の面からこのインターン制度をどう見ておるか、これは第二段の文部省的な角度でございますけれども、これも滝井さんよく御承知のとおりに、医学歯学委員会あるいは医学部長会議、あるいは大学病院長会議というような関係の向きで、医学教育者が、インターン制度について、独自の立場と申しましょうか、そういう立場から検討を進めてもらっております。いままで出ておりますそれらの中間的な結論とでも申しましょうか、これを申しますと、大体現行のインターン制度には多くの問題がある、むしろこれは廃止することが妥当ではなかろうかというのが、これらの委員会とか会議のおおむねの中間的な態度である、こう申し上げて間違いないのじゃなかろうかと思います。そこで私どもといたしましては、そういうような意向を背景にいたしまして、インターン制度を廃止することになったならば、臨床医学教育の充実をどういうふうにしたらよいか、あるいは年限の問題もございましょう、あるいは教科課程の内容もございましょうが、インターン制度が廃止された場合に、医学教育立場でどうしたらよいかということについても、寄り寄り検討しておるわけでございます。
  39. 滝井義高

    滝井分科員 そうしますと、いまの専門の委員会の中間報告で、現行のインターンを廃止するという一応の方針がきまったということになると、大学の医学教育、特に臨床医学教育を充実しなければならぬということになるわけですが、一体いつからこれを廃止することになるか、そうしてその過渡的な間はこのインターンの処置を一体どうすることになるのか、その二点についてちょっと……。
  40. 愛知揆一

    愛知国務大臣 この点については、先ほど申しましたように、厚生省のお考えというものが重点でございますから、私からお答えをするだけでは足りないと思いますけれども、ただ私から申しますと、インターン制度は、先ほど申しましたように、いろいろの委員会等で、廃止するほうがいいのではないかという意見が多く、また強いのであります。しかし、その場合に、医学教育あるいは厚生省の関係からいって、廃止した場合にどういう点を検討しなければならぬかということについては、たとえば国家試験についてはどの段階で受けさせるのがよいか、あるいは医師の免許についてはどの段階で免許を与えるのがよいか、あるいはまた、医学教育立場におきまして臨床の実地修練についてどういうふうに措置したらいいかというふうに、具体的個別的な問題が相当ございます。そういう点になりますと、先ほど申し上げましたが、たとえば医学部長会議の考え方あるいは全国大学病院長会議の考え方、いろいろその細部にわたりますと意見が分かれております。実はここにも若干資料を持っておりますけれども、そういう点については問題がなかなか専門的であり、また非常に大切な問題でありますために、いろいろの意見も中間的であり、かつ昨年十月とか十一月ごろに出ておる意見もございますので、当局側としてこれらを総合整理いたしまして、厚生省の最終的な態度もまだきまっておらないように承っております。われわれといたしましても、それを受けてこれをこうやろうという具体的な成案をまだ得るには至っておりません。できるだけすみやかに成案を得るようにいたしたいと考えております。
  41. 滝井義高

    滝井分科員 そうしますと、まだ中間報告だけで、国家試験を受ける時期、免許付与の時期、臨床の実施修練のやり方も、なかなか問題があるということですが、現在インターンの学生諸君が三つ問題点を指摘しているわけです。  これはもうインターンの学年だけでなくて、インターンを指導する先生方も、それから受け入れる病院のほうもみんな同じことを言っているのです。それは、いまのようにまだ根本的な対策がはっきりしない、言うならば過渡的には一体どうこれを扱っていくかということが問題になってくるわけです。  その場合に、インターンの身分というものが法律的に明確にされていない、で、安心して医療行為が行なわれような形にしてもらわなければ因る、すなわちインターン生の診療の範囲と限界が不明確だ、治療することができるのかどうか、その限界や範囲が明らかでない。この点については、受け入れる病院も、指導者も、インターンの諸君も、みな口をそろえて同じ意見を言っています。  それから、インターンに行った場合に、そこでは何ら経済的な保障が与えられてない。親のすねを長い間かじったが、この上親のすねをかじろうとしても、かじるべきすねがない。われわれの経済の保障は一体どうしてくれるのだ。アルバイトをやれというけれども、そんな勉強の期間に患者を盗み見るというわけにもいかぬ。そういうアルバイトはできません。そこには国の指導と助成が何ら与えられぬじゃないか。  それから、泣く泣く行けというから、実地修練の指定を受けた病院に行ってみると、そこでは何らの指導体制の確立も設備の充実もされていない。御承知のとおり、いま国立病院その他医師が不足をして、指導できるような体制にないわけです。  こういう三つの点についてはみんな意見が一致している。それならば、恒久的な対策はなかなかすぐまだ意見の一致を見ないからだめだとするならば、過渡的にはこういう三つの重大な問題をはらんでいる。社会人でもない、医者でもないし、学生であるかないかわからないが、学生か社会人か中途はんぱみたいな、いわば両棲動物みたいな状態に置かれておるわけである。海にも陸にもというわけにもなかなかいかぬ状態にあるのだが、一体これをどうしてくれるかという問題です。そこで、これを何ともしてくれないので、毎年いまごろになると混乱が起こってきているわけですね。これはもうここ二、三年繰り返してきているわけです。それではあまり政治として情けないと思う。少なくとも全国四十六の大学から出てくる三千二百人のこれらの優秀な青年に、毎年春ごろになると同じことを繰り返さしておる。同じことを繰り返しておるというのも、これは政治不在だといわれてもしかたがないことになる。一体過渡的な措置としてどうするのだということですね。この責任は私は厚生省にもあるし、文部省にもあると思うのです。  そこで、根本的な問題がまだ星雲状態にあって固まらぬとすれば、過渡的な状態は一体どうするのですか。
  42. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これはただいま御説明申し上げましたように、文部省だけではお答えがし切れないところでありますけれども、私の希望といたしましては、このインターンの問題は根本の考え方をきちんといたしますれば、それがすなわち過渡的な対象にもなる、こういうふうに思いますので、根本的な対策をすみやかに政府としてきめるべきものである、かように理解をいたしておるわけでございます。
  43. 滝井義高

    滝井分科員 そうしますと、その根本の問題というのは、廃止するか廃止しないかということがまず一番の根本の問題になると思うのですが、これは厚生省、あなたのほうとしてはこの根本の問題を一体どういうように考えておるのか。
  44. 大崎康

    ○大崎政府委員 インターン制度につきましては、先生ただいま御指摘のようないろいろな点がございますので、昨年の三月以来、医学歯学委員会及び厚生省の医師試験審議会の委員等の中からお集まりをいただきまして、厚生省におきまして、学識経験者によるお集まりを持ったわけでございます。その集まりにおきましては、医学教育に関連する問題を含めまして、インターン制度の改革につきまして広く意見を出していただきまして御議論をいただいたわけなんであります。それにつきましては、昨年御答申をいただいたわけでございます。  その御答申の趣旨といたしますところは、現行のインターン制度の仕組みはこれを廃止いたしまして、医科大学を卒業した場合には直ちに医師の国家試験の受験資格を認める、この試験に合格した者に対しましては、特定の教育病院におきまして一年以上の研修を受けるということによって医師の資格を与える、というのが骨子でございます。この骨子に従いまして、私ども厚生省におきまして目下その具体案を検討中でございます。このような具体案の検討によりまして、成案を得ました暁におきましては、医師法の改正になるわけでございまして、目下その改正案を準備中でございます。
  45. 滝井義高

    滝井分科員 そうしますと、卒業したらそこで国家試験を受けて、医師免許をやる、しかし、一年間は教育病院でやらなければならぬということになると、やはりイーターンがあるじゃないですか。インターンがあるのでしょう。
  46. 大崎康

    ○大崎政府委員 お答えいたします。  実地の研修制度というものはその御答申の中にもあると私どもは考えております。ただし、その実地の研修制度そのものは、現行のインターン制度の仕組みと相当御答申の趣旨は変わっているわけでございます。したがいまして、この辺を中心といたしまして、ただいま各論点につきまして検討をいたしているわけでございます。
  47. 滝井義高

    滝井分科員 そうしますと、まず第一点は、いつからそういうことになるのですか。  第二点は、さいぜん言った医師免許をもらうのだから、医療行為は何をやってもいいということになるのか。  それから、経済的な保障があるのかどうか。  あとは、指導体制その他、これは予算の問題ですから、もちろんその予算がきちっと確立をされればいいわけです。  したがって、いつからそういうことになるのか。それから治療の範囲及び限界、診療行為の範囲と限界がどうなるのか。それから、経済的な保障が一体どうなるのか、その三点について……。
  48. 大崎康

    ○大崎政府委員 お答え申し上げます。  実施の時期でございますが、実施の時期につきましては、準備期間も相当必要でございますし、具体的に国家試験の準備は前年からかかるのが例でございます。したがいまして、もしこの法律案がまとまりますれば、その実施時期は四十一年度からになるというふうに一応考えているわけでございます。  その場合に、国家試験に合格した者に対しまして、いかなる範囲において医療行為をなし得る範囲にするかということは、先生御指摘になりましたとおり相当重要な問題でございます。この点につきましては、目下法制的に検討を加えている最中でございます。  それから、その次の経済的な保障の面でございますが、これはインターン生の身分というものともからまるわけでございます。現在のところこれは各施設からお出しをいただきまして、各施設に対しては国から助成の措置をとるというふうな方法しかなかろうというふうな中間的な結論に達しておるわけでございます。なお検討さしていただきたいと思います。
  49. 滝井義高

    滝井分科員 では、先のことはまた先にするとして、四十一年から実施をするとすれば、これは実際に動くのは四十二年の三月に卒業する者から適用されることになるわけですね。  そうすると、四十年と四十一年のこの過渡的な措置をどうするかということをさいぜんからお尋ねをしているわけです。問題は、その過渡的な処置をどうやるかということで、いま医学生の諸君が非常に憤激をして、混乱しているのを救済することができるわけです。過渡的な措置を一体どうするのか。
  50. 大崎康

    ○大崎政府委員 お答え申し上げます。四十一年度から実施になりますと、来年度末に卒業した者から適用になるわけであります。
  51. 滝井義高

    滝井分科員 来年度末というのは、何年何月からですか。
  52. 大崎康

    ○大崎政府委員 四十一年三月三十一日に卒業をいたした者から適用になるというふうに一応考えているわけであります。その間は現行制度でいかざるを得ないわけでございます。これは医師法の規定でございます。私ども、その間につきましてはできるだけ現行体制の不備を実行上補おうと思いまして、来年度予算につきましては相当の増額を計上いたしたわけでございます。もちろんこの増額によってそれで十二分であるというふうには考えておりませんが、現行の体制でもって医師試験審議会の御意見等も参酌しつつ、指導体制を強化していきたい、このように考えておるわけであります。
  53. 滝井義高

    滝井分科員 いままで、小林厚生大臣の当時からいろいろなことを約束したわけです。たとえば国立病院に行っても、国立病院ではだいじょうぶ経済的な保障をするとかいうようなことを約束したのですが、そういうものを今度は国立病院の会計の中から出せということになる、なかなかうまくいかないのです。実態は、三十九年度の予算を審議するときにいろいろ小林厚生大臣が約束したことが、一体四十年度予算に盛られて実行する体制ができつつあるかどうかということです。三十九年度は二千百八十七万九千円、ことしは三千六百九十四万四千円で、千五百六万五千円増加をいたしております。増加をしておるけれども、これを見ますと、実地修練生費三千五百九十七万七千円、実地修練教材整備費が九十六万七千円程度で、なるほど千五百万円程度増加しているけれども、実質的にたいして違っていないのですね。そうすると、その教官の指導体制も、大臣がお答えになったようないろいろな設備、指定病院の充実の費用その他についても非常に少ないのですね。  これでは、毎年同じことを予算委員会で言い、あるいは分科会で言い、社会労働委員会で言っても、ちっとも前進しないのですね。こういうことでは、日本の科学技術がだんだん荒廃をして、学問の権威がなくなってくるわけですよ。青年期の一年というものは一番大事な時期で、壮年、中年の三年、四年に匹敵する一年ですよ。青春再び来たらずです。この一年間をもう少し金を出してきちっとやる体制をすみやかに整えてやらなければいかぬと思うのですよ。あなたのほうがそういう形をやるとともに、文部省に向かっては臨床教室の充実をはかるように要請しなければいかぬ。文部省もまたそれに協力をしてやってもらう体制をつくらなければいけないと思うのです。いま東京大学にしてもその他の国立大学にしても、百人、百二十人の、他の学科に比べて非常に少ない医学部の学生を全面的に大学病院に受け入れて、臨床指導できる体制があるかというと、ないのですよ。  いま私が、大臣にぜひ知っておいていただきたいのは、各大学で、なるほど優秀なプロフェッサーのおる教室には百人とか二百人の助手がおります。しかし、実際に給料をもらっておる人間は何人おるかというと、指を折って数えるほどしかいない、あとはみんな無給の名でやっているわけです。それらの人たちが今度は片手間にインターンを指導するという形です。主任教授なり助教授が先頭に立ってインターンを指導するという体制ではない。というのは、医学部の学生教育をやらなければならぬ。インターンまでは及ばないわけです。それから研究生の指導もやらなければならぬ。自分の研究もやらなければならぬ。臨床の治療の方面も見なければならぬというように、四足も五足ものわらじをはいているわけです。とても応接にいとまなしで、一人一人の学生を主任教授が手をとって指導するという体制にはないわけです。これをやろうとすれば、そこに適正な人数を配置してやらなければならぬ。  いつか私は、大学課長さんに来てもらって、この実態を質問したことがあるのです。無給と有給と分けたら一体どういう形で助手がいま大学におりますかと言ったら、ばく大な無給の人がおるというわけです。けしからぬじゃないか、これを当然有給の形にすべきだというので、主計官を呼んだら、主計官はそんなものはみんなやみです、私どもは全然そんなものは認めておらぬ、そんなものを置くのは大学病院なり文部省がかってにやっておるのだと公言した。いま大学病院にあれだけのたくさんの患者が押し寄せておるのに、主計官がやみであると言う無給の助手や副手をのけてしまったら、大学病院の運営というものはできない。大学病院の教育も一日にして停滞してしまう。それを主計官はやみだと言って平然としておる、こういう形ではとても大学における臨床の教育体制、医学教育の指導研究体制の確立というものはできないと思うのです。  臨床の状態がそうなっておるばかりでなく、いまの基礎の荒廃を見てください。基礎教室へは来手がないでしょう。こういう形になって、ほんとうの基礎教育の推算なり、あるいは臨床の指導体制はできてない。  だから、優秀な頭脳が——さいぜん大臣が指摘されたように、高級の技術者は国際的なものも考えなければならぬということで、日本の優秀な頭脳が、大学における研究体制がうまくいかぬということからみんな外国に逃げてしまう。そして日本人が行って研究したものを、今度はロイアルテイーを払って日本が買わなければならぬ。頭脳は外国に出ていき、その頭脳が生み出した技術なり設備を日本が買うてパテント料を払わなければならぬという形になっている。  だから、基礎教育なり、臨床的なところに相当力を入れてもらわなければならぬのじゃないか。インターンの問題は実にこういうところに問題の基本がある。結局日本の科学技術の劣悪性というか、後進性というものが、一つのあらわれとしてインターンにあらわれているのじゃないか。大学でできないから、おまえたちはまだ医者じゃないんだぞ、しかしそこいらの病院にいってやってこい、こうやって、大学はいまや医学の卒業生をでっち小僧に一年間出すわけですよ。でっち小僧に出して、一年したら帰ってこい、そうすれば免許をやるぞ、学位試験を受けさせるぞ、医師試験を受けさせるぞ、こういう形でしょう。こういう封建的なでっち制度みたいなものをいまの最新の医学教育はとっておるのですよ。だから、こういう点はやはり思い切って廃止をするなら廃止をしてしまう。廃止をしてしまったら、今度は大学の中で——われわれはそれを受けてきたのです。戦前はみんな大学教育の中でけっこう臨床まで受けられた。それをいまになって受けられないはずはない。それは金を入れて、そして知恵を出して、創意くふうをもってやればできるわけなんです。それをまた依然としてでっち小僧の形を大学の充実ができないためにとろうとしておるところに、安易につこうとする日本の悪い癖が出ておると私は思うのです。  こういう点、ひとつ科学技術を尊重し、学問の前進を非常に願っておる愛知文部大臣の見解を最後にお伺いをして、私の質問を終わりたいと思います。
  54. 愛知揆一

    愛知国務大臣 インターンの問題につきましては、先ほど申しましたように、私といたしましてはすみやかに政府全体としての結論が出るようにいたしたい。そして、それに応ずるような医学教育を充実をいたしたい、こういう考えでおるわけでございます。  それから、インターンから発展いたしまして、大学病院のいわゆる無給助手の問題にお触れになりました。これも前々から、滝井委員の御所見につきましては、実情をよくわきまえられた上での御意見でありまして、敬意を表しているわけでありますが、これもおしかりを受けると思いますけれども、ともかく昭和四十年度におきましても四十一名の定員を増加いたしました。少しずつでも無給副手というものの考え方を整理をして、そして必要な要員については有給の定員としてこれを確保するということにいたしたいと考えておりまして、財政当局にもいろいろ協力をお願いいたしております。本年度四十一名というのは少ないかもしれませんが、ここ数年来からの傾向をごらんいただければ、四十一名でも実は画期的というくらいのふえ方でございます。  この無給副手という中には、いろいろな名称もありまして、病院によって副手といい、研究生といい、専攻生といい、研修生といい、いろいろの名称が使われております。  それから、こういうような人々が現実に大学病院でどのくらいの役割りを果たしているか、質的にはなかなかよくわかりませんけれども、たとえば実際診療なり研究に従事している日数なども調べてみましたが、これまたいろいろ千差万別の態様でございまして、いわゆる無給副手といわれているものの中でも、一週間の中で二日以下だけしか診療や研究に従事していない人たちの数というものが意外に多いのでございまして、無給副手なるものの中の半数以上は一週間のうちで二日以下医療、診療に従事している。  こういうような実情も一つの大きな参考資料になるかと思いまして、無給副手というものの制度、あり方というものも、先ほど申しましたようにしさいに分析検討いたしまして、ほんとうにこれは国家として、国立大学病院で申しますならば、有給にしなければならぬ。こういうものについては今後もできるだけ定員をふやしてまいりたい。そうして専門的に与えられた仕事に従事するようにしていただきたい、こういうような考え方で今後も進めてまいりたいと思います。
  55. 滝井義高

    滝井分科員 これで終わりました。  インターンの問題は、インターンを終わって卒業試験をしたらまた無給の状態になっていくわけですから、インタースはでっち小僧で働かせて、また卒業したら五年か六年無給でやらされる、こういう連続の形態というものをとればとるほど、日本の優秀な頭脳は外国に出ていってしまうという可能性も出てくる。それで、インターン制度をぜひ抜本的に解決することを至急内閣として結論を出していただくことを要望して終わります。ありがとうございました。
  56. 植木庚子郎

    ○植木主査 小川半次君。
  57. 小川半次

    ○小川(半)分科員 私は、一点だけ重要文化財保護の問題についてお尋ねしたいと思います。  重要文化財に指定されておる建造物あるいは用地がわが国にはかなり数多くあると見られるのでございます。これらはそれぞれ文化財として当然の歴史と文化の背景を持ったものであって、それぞれ重要文化財として意義を持っておるものと思うのであります。  ところが、近年、これらの重要文化財が、歴史や文化に理解のない、営利を目的とするものに買い取られて、その用途が変更されたり、あるいは文化財のその形が変えられたり、はなはだしきはいつの間にかあとかたもなく失われてしまうということがかなり各地に起こっておるのでございます。これは、文化財保護委員会がこの重要文化財を保護するという点について、もう少し強い立場を持っておらないからである。どちらかというと、ちょっと態度が弱い。また、これの解釈についてもあいまいな点などが往々にしてあるのです。  まず文部大臣に、一体今後この問題について文部省はどういう態度で臨んでいくのか。それから、保護委員会の担当者からも、文部大臣に続いて、この問題についての態度を伺っておきたいと思います。
  58. 愛知揆一

    愛知国務大臣 文化財の保護につきましては、実は文教委員会におきまして私が文教政策についての所見を申し述べましたときにも、特に文化財保護ということについては重点政策の一つとして取り上げていきたいという決心を吐露いたしたわけでございます。と申しますのは、近来経済の発展ということがすばらしい反面におきまして、いろいろの事業、工場あるいはホテルその他の建造が盛んになり、あるいは多目的ダムの開発というようなことや、道路の問題、港湾の問題という場合に、ともするとその計画のほうがどんどん具体的に先行いたしまして、そしてそういう事業が進むに従って、ここにこういう文化財の保護しなければならぬものがあるではないかというようなタイミングがおくれて問題が起こることが再々でございます。  そこで、それに対しまして行政的な処置、たとえばそういった事業担当の官庁との間の連絡を密にすることはもちろん必要でありますが、さらに文化財の調査なり、あるいはこれを公示することなりということについては、実は文化財保護委員会なり文部省として努力が足りなかったこともあるようでございますから、そういう点をあらためて取り上げてまいりたいと考えております。  なおまた、先般衆議院で御承認をいただきましたが、文化財保護委員会委員の人選につきましても、特にそういった面の、古代の日本の伝承としてとうとぶべきことについての卓越せる識見を持っておる方に特に入っていただきまして、私の考えておりますようなことがその方面からもバックアップされるように措置をいたしたようなわけでございます。
  59. 宮地茂

    ○宮地政府委員 御質問に対しましての基本的な考え方は、ただいま文部大臣答弁されたとおりでございますが、なお若干補足して申し上げたいと思います。  先ほど大臣が申されたような考え方で進んでおりますが、具体的にはいろいろ文化財が破壊されます場合、特に史跡、名勝、天然記念物といったような土地関係文化財が破壊される事例が多いのでございますが、こういうことに対しましては、閣議決定で、関係各省庁が事前によく協議をやってやるようにという決定もしていただいております。それに基づきまして、ただ口頭だけでなく、文書等によってのお互いの協力のしかた等につきましても、文言交換もいたしております。  また、いろいろなケースがございますが、一例を申し上げますと、平城宮跡のような非常に国家的な、きわめて大きな問題を持つものにつきましては、国が直接その土地を買収して保存するといったような措置を講じますし、また、都道府県、市町村等にいろいろな史跡、名勝、あるいは指定はされておりませんが、埋蔵文化財包蔵地といったようなものがございます。こういうものが破壊されるような場合、当該地方公共団体が主体となって、この土地を買収する、国はこれに補助金を支出するということで、金額はあまり多くはございませんが、年々買収補助金も増額を見ておる次第でございます。  それから、一般に史跡、名勝等は学術的に価値があるのですが、厚生省所管のいわゆる公園のように非常にきれいであるという場所でないところも多うございますが、そういう場所はいわゆる環境整備をよくいたしまして、国民から愛され、親しまれるような地域にする。  それから、何と申しましても一番大事なのは、私ども文化財保護の任に当たります役人が努力するのももちろんでございますが、国民一般が史跡、名勝、文化財に対します深い理解と感情、認識を深めることが大事だと思いまして、いろいろ具体的な方途を講じておる次第でございます。
  60. 小川半次

    ○小川(半)分科員 重要文化財が簡単に売却されたりする原因はどこにあるかという問題ですが、これは文化財保護委員会などにおいても、譲り受けた者が用途変更などの届け出をしますと、簡単にこれは承認するからいけないんですよ。重要文化財は、だれが譲り受けても、だれが買い取っても、絶対用途変更をしないというこの態度さえあれば、たとえばせっかく一つの丘を買うても、この丘は絶対用途が変更できないんだ、この丘のままの姿以外にどうにも形を変えることができないのであるということになっておれば、そこにホテルを建てる者もいない、そこに旅館を建てたり、いろいろな施設をする者もいないんです。ところが、一つのきれいな、文化財に指定されている丘を買収するとする。そして、そこを削ってホテルを建てたり、旅館を建てたりする。その用途変更ができることになっておるから、今日営利を目的とする者は、とにかく金の力でこれを買い取るというようなことが起こっているんです。  現に、京都の双ガ岡というのを御存じでしょう。これは片から歌にうたわれ、文章につづられてきたところの文化的な背景として長い歴史を持っている。しかも、重要文化財として指定されている丘なんです。これが多くの文化人に、また歴史を愛する人たちにどれだけ心のいこいになってきたか。これは文章などによってそれが書かれてきております。それが、最近営利を目的とするある者が、この双ガ岡を買収したんです。買収して、すでにここでホテルを建てる自信があると言っておる。しかし、これは用途変更を文化財保護委員会が認めなかったらホテルを建てることもできない。だから、文化財保護委員会は、従来そういうものを認めたような例があるから、そういう弱いところにつけ込んで、その双ガ岡を買収して、ここにホテルを建てよう、そういう計画でこれが譲り受けられたもののようでございますが、私の申し上げたいのは、絶対今後そういう重要文化財は用途変更を認めない、こういう態度でいくのかどうか。双ガ岡の場合も、用途変更を認めないかどうか、これを伺いたいのであります。
  61. 愛知揆一

    愛知国務大臣 双ガ岡の問題につきましては、私も承知いたしております。これは用途変更は絶対に認めません。これは所有者がかわりましても、指定された文化財は、国家的な目的から保存さるべきものでございますから、用途変更は絶対にいたしません。
  62. 小川半次

    ○小川(半)分科員 大体文部省の態度が明らかになって、私もうれしく思います。双ガ岡の用途変更は行なわないということがここに明らかにされました。この双ガ岡のみならず、今後、いま申し上げたようなことがしばしば起こるおそれもあると思いますから、いま文部大臣が申されたそういう態度で、将来重要文化財については、だれが譲り受けても、あるいは売却されても、用途変更は絶対行なわないんだという、こういう方針でひとつ進んでいただきたいと思います。
  63. 宮地茂

    ○宮地政府委員 先ほど大臣が、双ガ岡につきましては、用途変更をするかという御質問に対しまして、用途変更いたしませんという御答弁がございましたが、趣旨はそのとおりでございます。  ただ、ことばとしまして、用途変更と申しますといろいろ誤解がございますので、それをちょっと補足さしていただきたいと思います。  現在、双ガ岡は名勝地になっております。先先のおっしゃる点は、双ガ岡そのものの用途変更ということもあるとも思いますが、双ガ岡というのは、御承知のように五万坪ばかりの非常に広大な地域でございまして、その買収をしようとしておる人が、伝え聞くところによりますと、ホテル等の観光的な施設をつくるということございますので、いまの用途変更という趣旨はそういうことでございますが、具体的な問題としてはそうしたホテルの——法律用語では原状変更と申しますが、現在ホテルがないものをホテルを建てる、いわゆる原状を変更していく、そのことは慎重に検討して、簡単に許可するようなことはしない、そういう意味を用途変更というふうに大臣が御答弁になったと思いますので、補足していただきます。
  64. 小川半次

    ○小川(半)分科員 けっこうです。
  65. 植木庚子郎

    ○植木主査 田口誠治君。
  66. 田口誠治

    田口(誠)分科員 時計をにらみつつ順次質問をしていきたいと思います。  第一の質問としてお聞きいたしたいと思いますことは、養護教育関係でございます。  御承知のとおり、新制中学、いわゆる義務教育に該当する年齢層で、軽微な精薄児が八十万人くらいおると思うのです。したがって、その人たちがほんとうにそれぞれの学校で養護学級をつくり、その施設へ入って勉強いたしておる者は、これは何十分の一なんです。だから、そういうことからまず数学的にひとつお示しをいただいて、こうした問題をどう解決していくかということについて、順次お聞きをいたしたいと思います。  まず、義務教育に該当する年齢の精薄関係の児童が、軽微なものがどれだけ、重度なものがどれだけおるか、そして重度なものはそれぞれの施設へ入っておりますけれども、軽微なものはこれは養護学級において教育をするということになっておりますけれども、それがきわめて少ないわけであります。そういう点でまず数字の面からお示しをいただきたい。
  67. 福田繁

    ○福田政府委員 現在精神薄弱児童生徒数が約六十九万七千人くらいと推定されておりますが、その中で現実に小学校、中学校あるいは養護学校等に収容されておりますものの数は、約六万五千人くらいでございます。率にいたしまして九・三六%というような数字でございます。ただいま御指摘になりました重度のものと軽度のものということでございますが、現在学校に収容いたしておりますのは、養護学校のほうに入っておりますものが、やや重度のものでございます。一般のいわゆる精薄の特殊学級に入っておりますものはやや軽度のもの、こういうことになっておるわけでございます。
  68. 田口誠治

    田口(誠)分科員 いまの御説明からいきますと、小中学校、養護学校、こういう表現が入っておりましたが、軽度なものについては、これは普通小学校、中学校へ行く人は精薄児の対象にはしていないと思うのです。精薄児の対象になっておる人が、いわゆる義務教育該当年齢者が六十九万七千人、こういうことなんですか。そしてなお九・三六%が養護学級で特殊教育を受けておる、こういうように受け取っておいてよろしいのですか。
  69. 福田繁

    ○福田政府委員 お答え申し上げます。そのとおりでございます。
  70. 田口誠治

    田口(誠)分科員 大臣、いまお聞きになりましたように、小中学校の義務教育該当年齢の軽度な精薄児が六十九万七千人おる。そしてなお養護学級で特殊教育も受けられない、その他の学園でいろいろと教育をしなければならない重度な児童が、これまた非常に多いわけなんです。したがって、重度の関係はこれは厚生省にも関連がありまするが、きょうは文部省関係だけをお聞きするのですが、現在数字をお示しをいただいた面からいきますると、一割のものしか教育を受けておらないという程度なんです。これではいままで主張してこられた政府の主張なり、特に佐藤総理が教育の問題とか、あるいは人づくりの問題、いろいろと施政演説の中で所信表明をされておりまするが、今年度の予算の内容を見ましても、非常にそうした点に気をつかった予算というものは、新しいものは見当たりませんので、この点を非常に遺憾に思っておるわけです。こうしたほんとうに不幸な児童こそ、あたたかい手を伸ばして、そして予算もつけて、その能力に応じて社会人としてそれぞれ社会のために貢献のできるようなものをつくり出さなくてはならないと思うのです。いまのままの実態ではそれができないと思うのですから、大臣の大まかな抱負として、この実態をどうしようと考えておられるか、ひとつ抱負をお聞かせいただきたい。
  71. 愛知揆一

    愛知国務大臣 ただいま政府委員からお答えいたしましたように、いわゆる精薄児童が六十九万七千人おる、こういう事実に基づきまして、たとえば養護教員の増員を年次的に増加をさせていきたいということも、一つの具体的な対策と考えているわけでございます。たとえば特殊学級を四十年度の予算におきましても、千学級を増設をいたす、あるいは養護教員については千人余りの増員をする。そして四十三年度におきましては、小学校においては児童数千人について一人、それから中学校につきましては生徒千二百人に一人の割合で、養護教員を置くことにいたしたい。この目標に向かいまして、各年度におきまして所要の養護教員の増員をはかってまいりたい。また養護教員の充足育成ということにつきましても、別途御審議をお願いいたしておりますような養護教員の養成についても、新しい施設をつくって拡充してまいりたい、こういうように具体的に一歩ずつ前進してまいりたいと考えておるわけでございます。
  72. 田口誠治

    田口(誠)分科員 養護教諭の不足の点についてはまたあとからお伺いをいたしたいと思いまするが、大まかな考え方で、こういう実態を解消するために努力をしていきたいということは、これはこうした予算の審議なり、あるいは文教委員会でそれぞれの審議をするときに答弁をされる内容であって、私のお聞きいたしたいことは、こうしたはっきりした数字が出ておりまするし、そして不幸なこうした子供を何とか全員特殊な教育を受けさせて、そして能力に応じた仕事につけて、社会人としての一生を終わらせてやりたいという、こういうことからいきますれば、年次計画というものがなければならないと思うのです。それで私は年次計画として、いつまでにどうするのかという点をお示しをいただきたい。
  73. 福田繁

    ○福田政府委員 先ほど大臣がお答えになりましたことを補足しながら、ただいまの御質問にお答え申し上げたいと思います。  まず養護学校のほうでございますが、従来から文部省といたしましては、計画的にその設置を進めてまいっております。ところが精薄関係の養護学校は、現在都道府県にあまり多くございません。肢体不自由児の養護学校などはかなり普及してまいりましたけれども、これは多くございませんので、養護学校につきましては、毎年十六校ずつ、これは肢体不自由児その他を含んでおりますが、都道府県で計画的に設置するものを毎年十六校ずつ補助いたしまして普及につとめております。しかしながら現在の状況でまいりますと、できる限り私どもとしては、全部の都道府県にこれが義務設置をされることを希望いたしております。少なくとも四十三、四年以後において、なるべく早い機会に各都道府県に全部、少なくとも一校ずつはできるようにという考え方で、養護学校については普及につとめてまいっております。そのほかに、一般の特殊学級につきましては、これは御承知のように、昨年標準定数法を改正いたしましたときに、精薄の特殊学級を毎年一千学級程度ふやしていくという計画を立てまして、昭和四十三年までに五千学級計画的にふやすというつもりで、少なくとも人口一万未満あるいは一万から三万、あるいは三万から五万、五万から十万あるいはそれ以上といったように、人口段階に応じまして、少なくとも小学校、中学校の特殊学級がそれぞれ各町村に行き渡るようにという計画をもって進めておるわけでございます。しかしながら、五千学級の計画設置が終わりましてもまだ不十分でございますので、少なくとも私どもとしてはそれ以後にも、計画的に進めてまいりたいと考えております。およその見当といたしましては、いま申しました人口段階の計画を進めてまいりますと、十年後には就学率大体四〇%程度には達するであろうという計画でおるわけでございます。いろいろこの方面に力を注いでまいりたいと考えておりますが、これはむしろ教育委員会関係の方も、あるいは一般の父兄の方も十分に御理解をいただいた上で、こういう問題は大いに計画的にやれる問題でございますので、そういう点もあわせ考えながらできる限り普及してまいりたいというつもりでございます。
  74. 田口誠治

    田口(誠)分科員 今年十六校というのは、およそどことどこに設置するということはもうきまっておるのですか。
  75. 福田繁

    ○福田政府委員 本年の十六校の設置につきましては、まだ決定いたしておりません。各都道府県でいま予算の否定の最中でございますので、そういう関係からも、来年度やりたいというところが決定いたしますれば、できる限り考慮してまいりたいと考えております。
  76. 田口誠治

    田口(誠)分科員 そこで、この十六校に対してそれぞれ都道府県で予算措置をとって行なうわけですが、そういう場合の国の予算の面はどこに出ておりますか。
  77. 福田繁

    ○福田政府委員 お手元に差し上げております昭和四十年度文部省予算の説明というものの中に、一六ページの二でございますか、養護学校設備費として、これは設備費だけでございますが、ここに出ております。それから施設につきましては、公立文教施設費の中に計上されております。
  78. 田口誠治

    田口(誠)分科員 私がいま質問を申し上げておりまする思想の中には、教育機会均等という面から、義務教育の年齢に達した者はやはり義務的に教育のできるような——もちろんこういう精薄関係だから、その重度によって親御さんの意見も聞かなければなりませんけれども、出したい家庭は全員が入れるような受け入れ態勢をとらなければならないと思うのです。したがって、いまの予算面から見ましても、これは幾つかに分かれてはおりまするけれども、いまの十六校というこういう考え方を持っておられまするが、きわめて形式的な予算になっておるように思うわけです。したがってこの十六校という問題を私どもが今後どう伸ばしていくかということになりますると、大体五ヵ年計画なら五ヵ年計画、ただいまの答弁からいきますると四十三年、四十四年というような一つの目標を置いて、少なくとも人口一万以上くらいの市におきましては義務的につくらせたいという考え方を持っておられるわけで、そういう考え方からいきますると、四十年度の十六校というこの数字というものは単なる、予算要求をしたときに大蔵省が認めてくれたのでこの程度のものができたということだけで、文部省としてこの問題に対しての年次計画というものにのっとっての予算要求というものはなされておらないように思うのです。したがって、こうした問題を解決するときには、いずれにしても予算がつきまとうものでございますから、文部省としてははっきりした年次計画というものを立てて、それにのっとって予算要求というものをしてもらわなければ、答弁だけでは、いろいろ答弁のしかたはございまするけれども、実質が伴わないということになりまするので、私はそうした考え方をおそらくお持ちになっておると思いますので、答弁がまだ不足でございますれば補足してその数字をお示しいただきたいと思います。
  79. 福田繁

    ○福田政府委員 先ほど申し上げました養護学校の中で精薄の養護学校の問題でございますが、これは明年度の予算の中には入校分が含まれております。ところで、現在都道府県に少なくとも一校ずつという希望をいたしておりますが、まだ三十数県にわたりまして一校すらないという状態でございます。したがって私どもとしては、都道府県にその養護学校の設置義務を課しまするにはまだ数年かかる。したがって毎年八校ずつ程度つくりましてもまだ数年かかりますので、大体昭和四十四年ぐらいを目途にいたしまして設置義務が都道府県に課せられるようにいたしたいという見当で普及につとめているわけでございます。そのほかに、先ほど申し上げました人口段階に応じた養護特殊学級でございますが、これはもう少し詳しく申し上げますと、人口一万未満につきましては小学校の学級あるいは中学校の学級、それぞれ一学級ずつは置きたい、それから人口一万から三万には小学校、中学校ともに少なくとも二学級は置きたい、それから三万から五万の段階には小中学校おのおの三学級は置きたい、五万から十万ぐらいには少なくとも小中学校おのおの四学級ずつを置いていきたい、こういう計画的な設置と、それ以外に、市町村の必要に応じていわゆる自主的に置く学級もございますので、それらを合わせますと、かなりなものにのぼると思いますが、少なくとも計画的に置きます分につきましては、先ほど申し上げましたように、十年後には就学卒四〇%程度にもっていきたいというつもりで、設備の充実あるいは施設の補助、それからそれに対する教職員の定数の増加というようないろいろな方法を講じておるわけでございます。
  80. 田口誠治

    田口(誠)分科員 ただいまの答弁を聞いておりますると、まあ文部省の方針としておそらく述べられたと思いまするが、三十九年の一月二十五日に文部省が発表した計画案は、養護学校については、四十二年度から手や足の不自由な人をという対象、それから四十四年度からは精薄を各都道府県に一校以上義務的に設置する。それから特殊学級については、四十四年度から市及び三万以上の町村に、四十九年度から三万以下の町村に設置を義務づける、こういう方針が計画案として文部省から発表されておるのを見たわけですが、これはこのまま受け取っておいてよろしいのですか。
  81. 福田繁

    ○福田政府委員 特殊学級のほうにつきましては設置義務ということは考えておりませんが、これは現在のところでもかなり普及しつつあるわけでございます。養護学校につきましては大体そういう目安のもとに計画を進めております。
  82. 田口誠治

    田口(誠)分科員 こういう計画を立てられて精薄関係の児童に対しての教育同順を解消していきたいという文部省の熱意を、完全に実施されるように希望しておきたいと思うわけです。  そこでこれに関連をして、厚生省の児童局長にちょっとお聞きいたしたいのですが、いままで軽度な児童に対しての教育の方法あるいは設備の拡充強化というような面から数字的に答弁をしていただいておるのですが、重度な児童に対しては現在どういう状況にあるかということをひとつ御答弁いただきたいと思います。それでその内容は、員数的に何名おるが、施設はこの程度であって、その中に何人収容されて、こういうような教育を行なっておるのだ、こういうように分けてひとつ答弁をいただきたいと思うのです。
  83. 竹下精紀

    ○竹下(精)政府委員 私どものやっております児童福祉施設の中の精神簿弱児施設でございますが、一番新しい資料が三十九年の七月でございまして、この資料によりますと、現在精神薄弱児施設が百八十八ございまして、その中に収容されております人員は約二万二千名近くでございます。それからそのほかに精神薄弱児の通院施設が五十三カ所ございまして、それに約二千人が通っております。この中の児童につきましては、まだ特殊教育につきまして十分な学校設備がないというような関係で、それに収容されております児童の約六〇%くらいは特殊教育の対象になっておりますし、また特殊教育を受けておるという状況でございます。私どものほうでは、そういった特殊教育施設の増加につれまして、だんだん重度の子供を入れていくということが本来の目的であるわけでございますが、これにつきましてはまだ必ずしも十分でございません。大体現在申し上げました精神薄弱児施設の収容定員が約一万二千あるわけでございますが、そのうちの二割程度は重度の精神薄弱児を収容したいということで努力をいたしておるわけでございますが、現在のところ、これに応じまして重度の精神薄弱児を収容しておりますのは約十五ヵ所でございます。このほかに国立の秩父学園というものがございまして、これは重度だけ収容いたしておりますが、ここは百二十五名でございます。  大体予算関係から申しますと、昭和三十八年度に五棟を新設いたしまして重度用としてつくりました。三十九年度に七棟をつくったわけでございますが、昭和四十年度には十棟をつくってこういう重度の子供を収容したい、かように考えております。
  84. 田口誠治

    田口(誠)分科員 義務教育該当の児童とそれから義務教育までに至らない子供たちの、いわゆる特殊教育、養護学校へ入れられない程度の人たちは、大体どの程度おりますか。義務教育年齢該当者の数はただいま聞きましたけれども、それ以下の人で、それから軽度な人だけ聞いたわけですが、重度な人は員数としてどの程度おるか。
  85. 竹下精紀

    ○竹下(精)政府委員 若干資料が古いので恐縮でございますが、三十七年の施設児童の調査によりますと、入っております児童の中で九%は未就学でございます。学校へまだ就学していない。それから先ほど申し上げましたように、約六〇%は特殊教育の対象の児童でございます。それから中学を卒業した者が七%、それから就学免除、これは義務教育を免除された者で、これが一八%でございます。
  86. 田口誠治

    田口(誠)分科員 御答弁をいただいたが、私のお聞きしたいのは、重度な子供を持っておるけれども、施設が足りないから入れないという。だから重度な子供たちは何名おって、そして施設には、先ほど答弁のありましたように、一万二千名とそれから二千名と分けて答弁がありましたが、総数どれだけおるかということをお聞きしたいのです。それをお聞きしなければ——何名おるけれども、施設が足りないからこれだけしか収容されておらないということがはっきりすれば、今後これをどう解決していくかということになるわけです。そういうことからお聞きしたいと思うのです。
  87. 竹下精紀

    ○竹下(精)政府委員 精神薄弱児の調査につきましては、私のほうで、非常にむずかしい問題がございますので、しっかりした調査が必ずしもできておりませんが、私のほうで推定いたしております施設へ収容して保護指導を必要とする児童は、約四万八千というふうに推定をいたしております。
  88. 田口誠治

    田口(誠)分科員 四万八千、これはけた違いだと思いますが、きょうの場合、その数字の答弁でしかたがないと思いますけれども、こんな少ない数字ではありません。ほんとうに重度な精薄児で年齢が義務教育の年齢に達して、そして養護学級なりあるいは特殊教育を受けることのできない重度な人は相当に多いわけなんです。その多い員数の中で、全くわずかしか施設がないために収容されておらないというのが実態であるから、このことを私はお開きしておるのです。これは四万などという、そんな数字じゃありません。どうですか。きょうわからなければ、それ以上聞いてもしかたがありませんので、次に移りたいと思いますが……。
  89. 竹下精紀

    ○竹下(精)政府委員 先ほど申し上げました数字は、特にできるだけ早く施設へ収容しなければならないというのが約四万八千ということでございます。重度児童が全部で幾らかということにつきましては、正確な数字を現在持ち合わせておりません。
  90. 田口誠治

    田口(誠)分科員 正確な数字がなければ、きょうお聞きすることはむずかしいと思いますが、いずれにいたしましても、先ほど答弁をいただきました中で六十九万七千人という数字を出していただいたのですけれども、これは軽度なものでございますから、重度なものはこれにプラスされるわけで、日本には精薄関係の児童が相当多いわけであります。特に重度な人たちを収容する設備というのはきわめて少ないし、そういうことから親がいかに望んでも、そういうところへ収容をして能力に応じた教育をさせるということができないというのが実態でありますし、それからもう一つは、お金が非常にかかるから、それでそういう施設へ入れられないという家庭が相当多くあるわけなんです。だからこういうような点を総合的に調査をしていただいて、希望する親御さんは重度な人たちを一〇〇%収容できるように、施設を拡充強化をして、そして教育機会均等の面からいきましてもそうした施設を行なってもらわなくてはならないと思うのです。そういうほんとうに弱い谷間におる人たちの施設とかあるいは対策というものが日本の政治では抜けておるわけなんです。これは外国の例等と比較をいたしますと時間が長くなりますので、省略をいたしますが、調査をしていただければ、おそらくもう少しこういう方面に重点的な政治をしかなければならないということになろうと思いますので、そういう点をひとつ十分に調査をしていただいて——おそらく調査はしてありますけれども、局長の手元にはいまその数字がないのだろうと思うのですが、十分にそうした数字を見ていただいて、そして施設の数、施設に収容されておる児童の数、こういうものをよく調べていただいて、万全を期するように今後してもらわなくてはならないと思いますので、そういう点を強く要望いたしておきます。  そこで、先ほど来、年次計画を立てて養護学級なり特殊教育を行なうという答弁をいただいたのですが、いずれにいたしましても、現在のところでは特に養護学級の教諭等が足りないわけなんです。この教諭が足りないために、今年度は幸い予算の面では二カ所、これは養護教諭の教習所という名称になっておりますか、そうした先生をつくる学校を計画されてはおりますが、現在足りない員数のところへ、今後年次計画で伸ばしていこうとされると、やはり相当そうした方面の先生を養成していかなくてはならないと思うのです。したがって、これも一つの県に一校くらいは養護学級なり特殊教育をするところの教諭を養成する学校をつくってもらわなくてはならないと思うのです。今年の計画は予算の面でわかっておりますが、今後どういうようなお考えでおられるか、これもひとつお示しをいただきたいと思うのです。
  91. 杉江清

    ○杉江政府委員 お答え申し上げます。  現在、現職教育といたしまして短期コースを開設いたしております。五大学に一年コースと半年コースを開設しております。
  92. 田口誠治

    田口(誠)分科員 五大学というと、どことどこですか。
  93. 杉江清

    ○杉江政府委員 北海道学芸、東京学芸、京都学芸、広島、熊本です。そこで一年コースは百人、半年コースは百人ずつ二回になるわけでございます。このようなコースを現在設けておりますが、四十年度予算で八大学の各学芸学部にこの課程を新設いたしました。なお、今後教員養成の全学部、大学にこの課程を設置いたしたいと考えております。
  94. 田口誠治

    田口(誠)分科員 これはただいまの答弁でいきますと、現在ある大学に一年コース、半年コースで教諭の養成をするようにしているということでございますが、これはやはり大学に置かなければならないのか。こういう特殊な教育をしていただく先生は別に学校をつくって、そしてそこで養成する必要があると思うのですが、こういう点の関連はどういうようにお考えです。
  95. 杉江清

    ○杉江政府委員 学校教育のあり方から考えまして、やはり四年制の大学で学校を受ける者にこのようなコースで特別な養護学校教諭としての資格を付与する、このやり方がやはり本体であってしかるべきだ、このように考えております。このほかに、現職教育等によってもその資格を与えるというような方法もあわせ用いたいと考えております。
  96. 田口誠治

    田口(誠)分科員 現在不足しているということと、それから先ほど来答弁のありました年次計画によって学級をふやす、それから生徒数がふえる、こういうことになりますと、勢い教諭もふやさなければならない、こういうことでございますから、現在は五つの大学に一年コース、半年コース、こう設けておられて、そうして四十年度には今度は八つの大学につくる、こういうことなんですが、これは算術的にどの程度毎年養成していけば、現在の不足を補って、そうして学級をふやしていけると計算済みなのか。予算面でことしはこういう程度のことなのか、その点どうなんですか。
  97. 杉江清

    ○杉江政府委員 現在におきましては現職教育の方法、あるいは他の免許状を持っている者がこの教育に携わり得るという、まあ便法と申しますか、そういう応急措置等によって何とか処理しているわけでございますが、やはりしっかりした教員を養成するということを考えまして、教員養成の学部、大学に全部これを設けるようにいたしたい。そのようにいたしますと、大体いまの不足を補うに十分な教員を養成することになると考え、そのような方向で努力したいと考えております。
  98. 田口誠治

    田口(誠)分科員 どの局長さんからでもよろしいですけれども、現在どれだけ不足をしておるというように把握されておるんですか。
  99. 福田繁

    ○福田政府委員 養護学校の教員につきましては、現在六校ないし八校程度の増設でございますと大体間に合っております。問題は一般の特殊学級、公立小中学校に置かれます一般の特殊学級の教員でございますが、これは特別な免許状でなくして、一般の教員をもって充てるわけでございますから、このほうは定数を増加すれば大体一般大学を出た教員で十分間に合うわけでございます。ただ、それに加えて、若干のそういった方面教育をやっておって、その扱いなどについていろいろな知識を持っていることが望ましいわけでございますが、五千学級の特殊学級の分につきましては、これは一般の教員で十分間に合う現状でございます。
  100. 田口誠治

    田口(誠)分科員 一般の先生で間に合うということはもうわかりますが、現在定員不足なんですね。定員が足りないということなんです。だから特にこの特殊教育を担当してもらう先生には非常に各県市町村とも悩んでおるわけなんです。だから、私はこうした不足の数字をどのようにつかんでおられるかということをお聞きしておるんです。まあわからなければわからぬで、それできょうのところはよろしいですけれども、わかりましたらその数字をお示しいただいて、それでこれだけ足らないんだが、今後こういう計画でこう補っていくんだということが、やはり文部省のほうで計画がなければならないと思うので、そういう点をお聞きするわけなんです。ちょっとこまかい面に入りましたけれども、非常に地方では悩んでおる問題ですから、私は特にその点を追及してお伺いをするわけなんです。
  101. 福田繁

    ○福田政府委員 数の問題としては先ほど申し上げたとおりでございますが、今後養護学校を増設していきますためには、それに必要な教員養成をある程度やらなければなりませんので、大学学術局長から申し上げましたように、四年課程の大学におきましてはそういう養護学校の教員を養成する方法を講じております。したがって、現在の見通しでは、その養護学校教員として養成された者がそのほうに就職してくれるならば、数としては間に合うという考え方をいたしております。
  102. 田口誠治

    田口(誠)分科員 現在養成しておる生徒たちが卒業して、それぞれその職務についてもらえば間に合うということでございます。これはもちろん学芸学部の学校を言っておられると思いまするが、なかなか学芸学部を卒業されても、待遇の関係等で先生になってもらう人が十分でないということが実態なんでございますから、そういう点考えますると、いまの答弁答弁としての答弁にはなりまするけれども、実際に即して問題を解決していこうとするにはもう少し具体的にお示しをいただかなければならない内容だと思います。  きょうのところはこれ以上突っ込んで聞きませんが、いずれにいたしましても、もう少し計画的にこういう場でも数字的にお示しをいただいて、そうして足りないものは欠員を補充していくのだというようなぐあいにひとつ答弁をいただくことが、私どもの望んだところでございますので、そういうように今後はしていただかなければならないと思います。その点は強く要望しておきます。  そこで、先ほどの答弁では四十年度は八つの大学に云々と言われましたが、学校はもうきまっておりますか。
  103. 杉江清

    ○杉江政府委員 以下の八つの大学にこの課程を新設することにいたしております。弘前大学、山形大学、千葉大学、福井大学、岐阜大学、鳥取大学、岡山大学、香川大学、いずれもこの学芸学部ないし教育学部に設けるものでございます。
  104. 田口誠治

    田口(誠)分科員 前の五つの大学でも、あとの八つの大学でも、中部地区管内にはないということですね、地域的に見まして。
  105. 杉江清

    ○杉江政府委員 このたびの新設には含められておりませんが、既存のものにございます。
  106. 田口誠治

    田口(誠)分科員 既存はどこにあるのです。五つの大学は、これは入っておりませんね、北海道、東京、京都、広島、熊本だから。そうしていま八つお示しになった中にも入っていない。
  107. 杉江清

    ○杉江政府委員 養護学校教員養成課程ですね。これは中部でございますと、たとえば静岡……。
  108. 田口誠治

    田口(誠)分科員 静岡大学ですか。
  109. 杉江清

    ○杉江政府委員 はい。静岡の教育学部、それから愛知、三重、こういうところに現在設けているわけでございます。
  110. 田口誠治

    田口(誠)分科員 そうしますと、先ほどぼくがお伺いしたのでは五つの大学と八つの大学、これだけしかないということですけれども、その他既存のものがたくさんあるのですね。これはどうなんですか。東海筋でいいますと、静岡にある、愛知にある、三重にあるということになりますと、岐阜にないということになるわけですね。
  111. 杉江清

    ○杉江政府委員 いまの私の答弁はちょっと混同しているところがございますから、課長に正確なところを申させます。
  112. 安養寺重夫

    ○安養寺説明員 私から補足して説明いたします。  先ほどの四十年度の八大学の新設をも含めまして、四十年度になりますと、十九の大学に四年コースの課程が設けられることに相なります。その十九を申し上げますと、北海道学芸大学、弘前大学、山形大学、千葉大学、東京学芸大学、金沢大学、福井大学、山梨大学、岐阜大学、静岡大学愛知学芸大学、京都学芸大学、大阪学芸大学、鳥取大学、岡山大学、広島大学、香川大学、高知大学、熊本大学、以上でございます。
  113. 田口誠治

    田口(誠)分科員 だいぶんあります。岐阜も入っておりますが、これはあるとしても、その方面を志望される生徒がないのかもしれませんけれども、いずれにしても不足いたしておるわけなんです。だからこれは特別に三年コースでも二年コースでも、四年でなくともこの特殊教育の教諭の免許を与えられる学校を新しく新設する必要があろうと思うので、その点についてはどうお考えなんですか。現在のようなやり方でいいということなんですか。同じ四年では、精薄児童を教育するという非常に困難なコースを選ぶよりも、それよりも一般のコースを選ぶほうの生徒が多いということなので、それで私は四年でなくして三年なり二年のコースでりっぱにそれだけの資格を与えられる学校をつくる必要があるのではないか、こう考えておるのですが、その点どうなんですか。
  114. 杉江清

    ○杉江政府委員 先ほど申し上げましたように、やはりたてまえとしては四年制の課程でこれを養成するというのを本体にしてまいりたい、かように考えております。
  115. 田口誠治

    田口(誠)分科員 たてまえは四年ということですが、私のいま突っ込んでお聞きしていることは、四年コースで、そういうコースをつくっていただいても、さて学校を出て教諭になった場合には精薄関係の児童を教育するには人一倍の骨が折れるわけなんです。したがって、そういうコースヘは選択をしたがらないわけなんですよ。だからこういう中において不足しておる教諭を確保していく上においては、これは待遇の面においてやるか、それともいま言った四年コースを三年のコースにしてやるか、いろいろな方法があろうかと思うので、四年のコースが原則であってこれでやるのだ、これより方法はないのだということなら、私はそれでけっこうだと思いますが、いずれにしても、そうした先生が出てくれることを好んでおるのだかし、先生の不足を解消し、将来こうした学校を増設していく上においては、なお不足を来たして生徒がふえても先生がいないということになってはいけませんので、いまからその対策を立ててもらわなくてはなりません。そのことをお聞きしておるのですが、私の質問しておる気持ちがあなたのほうでわかっておるかどうか。わからなければわからぬように質問し返していただきたいと思います。
  116. 杉江清

    ○杉江政府委員 現在私どもの方針としましては、本体を四年制で置く、そのほかいろいろな短期コースその他現職教育、いろいろな方法で補っていく、こういうたてまえをとっておりますが、それではたとえば養護教諭ですね。学校看護婦的な仕事をしております養護教諭、この養成に今度三年課程の養成所を設置するという方法をとりましたけれども、それと対比いたしましたときに、まだそこまで行く段階ではない、むしろやはり四年制を本体にし、その他いろいろな方法が補うこの方法を維持することが特殊教育の充実という点から適当だ、かように私は考えております。これは採用のしかたとかあるいは基本的には待遇の問題に関連するわけでありますが、まだ私どもはそのたてまえをくずしたくないと考えております。
  117. 田口誠治

    田口(誠)分科員 その原則はそれでもよいと私は思いますが、ただ現場に行ってみますと、いずれにしても先生が足りない。いまあなたが答弁で言われました、三年コースの看護婦さんに類する先生、こういう人たちがやはり一般の教諭の代行をしておるというくらい教諭が足りないわけですよ。だから私は、その三年コース云々ということは、やはりそういうことを含めての質問であったので、あなたのほうで四年コースで将来現在の不足を補充し、なお計画にのっとって先生の養成ができるということならばそれでよろしいと思います。  それから、その看護婦さん等の養護関係に従事する先生は今年の予算では二学校でしたか。
  118. 杉江清

    ○杉江政府委員 さようでございます。
  119. 田口誠治

    田口(誠)分科員 それはどことどこですか。
  120. 杉江清

    ○杉江政府委員 北海道学芸と岡山大学教育学部であります。
  121. 田口誠治

    田口(誠)分科員 これは将来地域的な面も考慮しなくてはいけないと思いますが、順次こうした学校を新設していかれる考えであるかどうか。
  122. 杉江清

    ○杉江政府委員 基本的には今後養護教諭をどの程度配置するかということと関連いたしますけれども、現状においてその減粍補充等を考え、当面の充実を考えても、現在の養成状況では非常に不確実でありますし、また良質の教員を得がたいと考えますので、とりあえず二つの養成所をつくりましたが、今後さらにこれをふやしていきたい、かように考えております。
  123. 田口誠治

    田口(誠)分科員 これは当面北海道、東北、関東、中部、関西、中国、四国というような式に地域的に考えていただいて、まず地域別に養成所をつくっていただかなければ、この点も非常に足りないわけでございますので、これも私の要望として申し上げておきます。  いま北海道、岡山が対象になっておりますが、次に計画されるときには中部に持ってきてもらう、名古屋、岐阜というような方面にひとつつくっていただかなくてはならないと思います。  それでは時間もきましたし、一つの問題しかお聞きすることができなったので、それもまだ徹底した数字を突き詰めてお聞きすることもできず宿題にたくさん残しておりますが、これはおそらく私の関係している委員会文部省の設置法の問題も出てまいりますから、そういうときにきょう答弁いただけなかった点は答弁をしていただくということにしたいと思いますけれども、ひとつこういうようなことは次には聞かれて十分納得のいくようにしなければならぬということを各大臣はじめ局長さんは頭に置いていただいて、そして次の私の質問のときには、きょうのような抽象的なことでなしに、具体的に計画的な対策を示してもらわなければならないと思いますので、その点を強く要望しまして、時間の関係も考慮して私の質問を終わります。
  124. 植木庚子郎

    ○植木主査 午前の会議はこの程度にとどめ、この際、暫時休憩いたします。    午後一時四十分休憩      ————◇—————   〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕