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1965-02-17 第48回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年二月十七日(水曜日)    午前十時十三分開議  出席委員    委員長 青木  正君    理事 赤澤 正道君 理事 稻葉  修君    理事 小川 半次君 理事 二階堂 進君    理事 古川 丈吉君 理事 加藤 清二君    理事 川俣 清音君 理事 辻原 弘市君    理事 今澄  勇君       相川 勝六君    井出一太郎君       井村 重雄君    今松 治郎君       植木庚子郎君    江崎 真澄君       上林山榮吉君    仮谷 忠男君       川崎 秀二君    小坂善太郎君       中曽根康弘君    中野 四郎君       西村 直己君    野田 卯一君       松野 頼三君    水田三喜男君       八木 徹雄君    石田 宥全君       大原  亨君    高田 富之君       中井徳次郎君    中澤 茂一君       永井勝次郎君    野原  覺君       山花 秀雄君    横路 節雄君       永末 英一君    加藤  進君  出席政府委員         大蔵政務次官  鍛冶 良作君         大蔵事務官         (主計局次長) 中尾 博之君         大蔵事務官         (主計局次長) 澄田  智君  出席公述人        早稲田大学教授 時子常三郎君         武蔵大学教授  芹澤 彪衛君         慶応義塾大学教         授       大熊 一郎君         民主社会主義研         究会議事務局長 和田 耕作君  委員外出席者         専  門  員 大沢  実君     ————————————— 二月十七日  委員大橋武夫君及び稲富稜人君辞任につき、そ  の補欠として大平正芳君及び佐々木良作君が議  長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和四十年度一般会計予算  昭和四十年度特別会計予算  昭和四十年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 青木正

    青木委員長 これより会議を開きます。  昭和四十年度一般会計予算昭和四十年度特別会計予算昭和四十年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会に入ります。  本日午前中に御出席を願いました公述人は、早稲田大学教授時子常三郎君、武蔵大学教授芹澤彪衛君のお二人であります。  この機会に、御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中のところ御出席をいただきましてまことにありがとう存じます。厚くお礼申し上げます。御承知のとおり、国の予算は国政の根幹をなす最重要議案でありまして、当委員会といたしましても連日慎重審議を続けておるわけでありますが、この機会に各界の学識経験豊かな各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ各位におかれましては昭和四十年度総予算に対しまして忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存ずる次第であります。  御意見を承る順序といたしましては、まず時子公述人、続いて芹澤公述人の順で、おおむね三十分程度において御意見をお述べいただき、その後、公述人各位に対し一括して委員から質疑を願うことにいたしたいと思います。  なお、念のため申し上げますが、衆議院規則の定むるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ること、また、公述人委員に対しまして質疑をすることができないことになっておりますので、この点、あらかじめ御了承おき願いたいと存じます。  なお、委員各位に申し上げますが、公述人各位に対し御質疑のある方は、あらかじめ委員長にお申し出くださるようお願いいたします。  それでは、時子公述人から御意見を承りたいと存じます。
  3. 時子山常三郎

    時子公述人 本日は、教育予算増強私学助成の問題をしぼりまして申し上げたいと思います。ただし、問題の性質上、一般的な裏づけといたしまして、世界あるいは国際的な角度から、最初に少し教育予算増強という点について考えてみたいと思います。  ただいま国会で審議されております日本の四十年度一般予算を見ますと、その規模が三兆六千五百八十一億、申すまでもなく前年度当初予算に対しまして一二・四%の伸び率にとどまっております。また、国民所得に対する比率を見ましても、ここ数年来の下回った伸び率でございまして、かなり緊縮のために尽力された結果が見られるのでありますが、それにもかかわらず、その苦しい財源の中で減税をくめんされております。また、他方、佐藤首相の強調する社会開発についてもかなりな努力をされておることがわかるのでありますが、たまたま私、アメリカジョンソン大統領予算書を送ってこられまして見ましたところが、何か両国の間に符合するものがあるので関心を持ったのであります。と申しますのは、アメリカジョンソン予算におきましても、できるだけ緊縮の方針をとる、ことに軍備縮小というようなことまでやります。一千億にわずかなところで、すなわち九百九十七億ドルのところで押えております。しかも、その窮屈な財源の中で税負担の軽減をはかる、そうして、ジョンソン大統領のいわゆる偉大なる社会グレートソサエティーの建設という一枚看板というものを大きく取り上げておるのでありますが、こうして見ますと、佐藤ジョンソン予算というものに共通のものがあって、関心を持ってもう一度アメリカ予算を調べてみましたところが、内容におきましてかなり似て非なるものがあることを発見したのであります。それは、私どもの非常に関心の深い教育予算についてでございます。もちろん、日本の現在の予算で拝見いたしましても、総予算に対しまして文教予算がかなり優遇をされているということがわかるのでございますが、アメリカジョンソン予算と比較いたしますと、きわめて力のまだ弱いものではないか、こういうふうに感じたのであります。ジョンソン大統領構想によりますと、教育というものは偉大な社会を建設するための重要な武器である、プリンシパル・ツールということばを使っております。また、貧困との戦い、すなわち社会開発でありますが、貧困との戦いにおける重要な武器である、プライマリー・ウエポン、かなり思い切ったことばを使っておるのでありますが、そういうふうに考えて、結局社会開発人間開発である、こういうふうに言っておりますが、アメリカグレートソサエティーというものもやはり人間開発ということで、日本佐藤さんの社会開発も、結局は人間開発に帰するのではないか、こう考えるのでございます。ジョンソン構想においては、結局グレートソサエティーを建設するための重要な武器であり、あるいは主要なツールというものは教育というものである、こういう観点から、かなり教育予算に重点を置いております。六十六年度予算、今度提案されました六十六年度予算におきましては、前年度の十五億ドルに対しまして、一挙に十二億ドルを増しまして、二十七億ドルというものを提案をしておるのであります。これをさらに一年さかのぼりまして六十四年度と比較しますと、六十四年度は十三億ドルにすぎませんでしたので、二年の間に二倍以上の増額教育予算において見られるのであります。日本でも、いま申し上げましたように、もちろん増強はされておりますけれどもアメリカと比較いたしますと、まだまだ遠く及ばないということが言えようかと思うのであります。いま私は、単に私だけの考えだけでなくして、この衆議院における文教問題の権威であられます坂田先生ことばをちょっとおかりしたいと思うのであります。坂田先生は文教問題について長い間研究されておることは皆さん御承知で、申すまでもございませんが、世界教育投資競争についてある座談会で発言されておるのでありますが、そこで、世界一つの傾向としてあらわれている教育投資競争によって国も国民も栄える、あるいは生活水準が高まるというような考え方に立って発言しておられます。国を富ませるためには、あるいは国民生活水準を高めるためには、どうしても技術革新をやらなければならないが、しかし、技術革新をやるには、それを背負う人の質を高めなければならない、今日ほど高等教育がわれわれの目ざす福祉国家の実現に寄与する政治の問題となった時代はない、こういうふうに申されます。そして、教育投資ということの意義の深いことを考えてみると、各国もやはりそれを理解しておるようである、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、いずれも教育投資時代に入っておる、こう指摘されております。  さらに、いまアメリカ事情を申し上げましたが、イギリスにおきましても、保守党のほうも、いわゆるロビンソン・レポートというものを発表しておりまして、大学充実計画計画して、ここ十年の間に二倍くらいの大学生を収容するという計画を発表するというようなことを述べておられるのでございます。しかも、私の伺いましたところによりますと、イギリスがこういうふうな大学増強計画をするに至りましたのは、実は日本の戦後の実情を見ますと、日本社会が非常に発展した。さらに経済成長したのは、大きく戦後の日本における大学制度の拡張にあるというふうに見ておるということであります。こういうことで、最近この問題が起こって、日本でも起こってまいったのであります。  したがいまして、最近具体的に起こっておる問題といたしましては、学生がだんだんふえてきて、急増対策ということで、日本では問題としていま取り上げられておるのでありますが、その奥を考えますと、こういう各国における技術革新に照応した教育の必要というものがあるということを私は最初に申し上げてみたいと思うのであります。ことに、技術革新時代にはあらゆる面の革新が必要となってまいるのでありまして、最近、期待される人間像というのが日本でも発表されておりますが、そういう問題にまで立ち至らなければならない。ここまで考えているかどうかもちろんわかりませんけれども日本でも、こういう世界的な教育ブームといいますか、そういうものに照応いたしまして、若い青少年諸君がどんどん進学を希望するようになってきております。もちろん、これは、先生たちとかあるいは親たちが指導をしておる面もあるのでございますが、私は、この中に流動する世界の流れを見ることができるのじゃないか、こういう受験生の動きの中にそういう感じがするわけでございます。よく言われるのでありますが、最近の中学から高等学校進学する学生割合は大体七割に達しておる。さらに、高等学校の卒業生の三割が大学に進んでまいる。こういう情勢でありますので、結局、日本における今日の義務教育を終えた子供たちのうち、大学に進む者は約二割に達しておるという状況であります。ところが、これを昭和十年あたり状況を見ますと、大体尋常小学校を卒業した者が一割八分くらいしか中学に進んでいないわけでありまして、相対的に申しますと、今日の高等学校は昔の尋常小学校状態になっており、今日の短大はいわゆる高等小学校であり、それから、四年制大学は昔の中学というふうになってきておりまして、日本教育の趨勢もかなり変わってきておることがわかるのであります。  こういうことで、急増対策が現在問題になっておりますのは、これは単にベビーブームの結果であるばかりでなく、その進学率を見ますと、単にここ数年の問題でなくして、進学率がさらに上昇するといたしますと、大学増強ということは、かなり基本的な永続的な計画として考えなければならぬ。池田さんのことばをかりますと、日本文教政策も勇断をもって飛躍的な増額をはからなければならない、こういうことが言えるのではなかろうかと思うのであります。ことに、この四十年度、ことしは約四十七万人の浪人が出る、あと四十一年、四十二年と約六十万人の山が続く、こういう状況になっておるわけであります。  そこで、文部省計画いたしました四十年度と四十一年度に短大と四年制大学を合わせて約六万七千五百人の急増をはかろうということで計画をしておるようでございますが、しかし、大学急増というものはそう容易に行なわれるものではありませんので、文部省政府自身計画のほかに、私学に大きな増強計画をいま課してきておるのでございます。最近、私学問題というものは、これと関連して起こってきておるのであります。ついでに申し上げますが、今日の学生の数から申しますと、大体三十八年度あたりで七十六万人でございますが、そのうち、国立は十九万六千人、公立は三万二千、そうして私立が五十三万というふうな状態になっておるのでありますが、今度の増強計画も非常に大きな責任私学に課してきたというような状態でございます。それが今日のいわゆる私学助成という問題を引き起こしてきておるのであります。  そこで、教育予算増強ということについての裏づけに関するお話をいま申し上げたのでございますが、次に、この教育予算増強に伴い、私学に大きな責任を持たせてきており、そのための私学助成ということが今日問題になってきておりますので、まずその点から申し上げたいと思います。  私学助成の問題は、これは単に今日起こったのではなくして、戦後の大きな学制改革に原因しておるとまず申し上げなければならぬと思うのであります。御承知のように、戦後日本教育制度が民主化されまして、教育基本法学校教育法、それから私立大学につきましては私立学校法という大きなワクがきめられまして、さらに、この設置につきましては、大学設置基準というものができました。戦前と非常に違うところは、こういう大きなワクがはめられました結果、私立大学国立公立と同じような教員の組織を持たなければならぬ、同じような資格の教員を任用しなければならぬ、授業科目も同じようにしなければならない、校地、校舎についても同じような制約のもとに置かれるということになったわけでございます。ところが、他面におきまして、憲法の第八十九条というふうなものがありまして、私学には金が出せないというようなことで、他の条件国立公立と同じでありながら、その資金をまかなうにつきましては設置者である学校法人がこれをまかなうということが規定されましたので、それが今日の私学財政問題が起こってきておる大きな前提条件であった、こういうふうに考えるのであります。ところが、そこに大きな矛盾がありましたので、私立学校法第五十九条によりまして、私立学校にも公の資金を出すこともできる、あるいは補助をすることができる、あるいは学校法人に有利な条件貸し付け金もできる、あるいはその他の財産を譲渡することができるというふうな規定がなされまして、自来、主として学校研究施設設備に対して助成する私立大学研究設備助成補助金というふうなものが出されるようになった。それから、私立大学理科特別助成、すなわち技術者の養成に必要な教育をする場合におきましては、これに対して私立大学理科特別助成補助金というものを出すことがきめられまして、幾らかの助成資金が出されたのでありますが、この四十年度予算を見ますと、私立大学研究設備助成補助金は十一億が計上されておるようであります。私立大学理科特別助成補助金は十九億、大体三十億ばかりのところでございます。そのほか、増強政策に対応いたしまして、私学振興会政府が出資十億をする、財政投融資を百億するというようなことで今日来ておるわけであります。ところが、先ほど申し上げましたように、このような程度助成金をもってしては、戦後私学に課せられた教育上の任務から見まして十分の仕事をすることができない。ことに、私学財政の大きな負担となりましたのは、大学設置基準によりまして、教授の数も助教授の数も講師の数も一つワクがはめられたのであります。戦前は比較的私学は多数の兼任講師を外部から迎えておりましたので、経費が比較的楽だったのでございますが、戦後はそういうワクをはめられた専任講師をどうしても置かなければならぬというようなこと。ことに、専任になりますと、退職後の年金までも考慮しなければならないというようなことで、慶応の高村塾長が毎日新聞に、年中行事のように私立大学授業料あるいは学費改定が世間の注目を浴びてきた、しかし改定理由の共通する点は教職員人件費増加にあるということを書いて嘆いておられたのでありますが、どこの学校も、この新しい戦後の学校制度によりまして、人件費による経費の困難ということを経験してまいったわけであります。そのために、学費を値上げするより方法はない。しかし、学費の値上がりもおのずから限度がありますので、多くの大学におきましては、定員増という形でそのつじつまを合わせてきたのでありますが、最近に至りまして、その定員オーバーが大体一八〇%にも達するというようなことになりまして、限界が近づいてきた。その上に、いま申し上げましたように、大学生急増対策というようなことで文部省のその計画ワク内に私立学校が盛り込まれまして、大きな責任を負わせられるというようなことが最近の問題化してきた大きな理由であると思うのであります。  こういうことで、私ども私立大学に関係する者といたしましては、私立大学連盟私立大学協会私立大学懇話会私立短期大学協会というこの四団体が、四十年、四十一年、四十二年のうちに五万一千四百人の大学生を増加する、これに対しまして国の助成金として三百五十三億円を出していただきたいという一つの運動をいましておるのでございますが、結局、六十万人の浪人を消化するためには何か私学も一役を買わなければならぬというようなことで、そういう私学団体の要望が今日出ておるわけであります。  これは、まず第一に、こういう急増対策というような点、あるいは今日までの行き詰まりを一応ここで打開しようという要求から発しておるのでございますが、いま一つ私学にとりまして問題なのは、すでにできておる現在の状態をさらに改善していかなければならない。こういうことに現在直面してまいっておるわけであります。と申しますのは、先ほど専任者を置くことが規定されたと申し上げましたが、私学のいままでの経理の状態から見ますると、どうしてもそれは十分に置くことはできない、あるいは研究費研究施設を十分用意することはできないということが、現在のすでにでき上がった私学の大きな悩みとなっておるわけであります。たとえば、教員一人当たり学生の数を考えてみましても、国立では七・二一人、公立では六・五五人でありますが、私立大学の場合においては平均いたしまして二六・七八人という割合になっております。さらに、学生一人当たり建坪数を見ますと、国立は三・四七、公立は二・〇、私立は平均いたしまして〇・八。これは、もちろん、私立理工系学校が少ないので、比較的教場が要らぬということもありましてこういう小さな数字になっておることも考えられますが、たとえば早稲田大学のように理工科を控えておるところは大体一・九五、公立に近い坪数になっておりますので、事情はいろいろありまして一がいには申し上げられないと思いますが、まずこういう困難な状況を今日迎えておるわけであります。そこで、これを何とか改善したいというのが今日私学助成の問題として大きく取り上げられざるを得ないという段階に来ておると思うわけであります。  そこで、この改善理由といたしまして私学側が大きく期待しておりますのは、いま申し上げましたように、私立大学教員あるいは研究員というものが十分でない、そこで、先ほど申し上げました私学団体が強く要望しておりますのは、国立大学教職員基本給平均額の約二分の一というものの助成をお願いしたいということをしばしば今日まで問題にしてきておるのでございますが、要するに、これも、戦後私立大学の性格が変わりまして、国の教育負担するという教育基本法によって規定せられた前提の上に立って、大学設置基準というものを国立公立と同じように規定されながら、その経費のまかないにおいては憲法第八十九条というふうなものに制約されてきたという、それをさらに一そう是正していきたいという点でございます。そこで、いまの現状改善という点におきましては、もう少しこの私学教員増強する、その場合においては国立教職員基本給平均額の二分の一を助成していただけないだろうかという期待をそこに持っておるわけであります。  次に、現状改善のもう一つ方法といたしましては、研究費増額をお願いしたいということでございます。教員研究費に対する助成といたしましては、現状改善一つ方法としてこれは考えられておることはもちろんでございますが、いままで私立大学研究設備助成補助金、あるいは私立大学理科特別助成補助金というようなものによりましてこの改善が幾らか進められておりますけれども、今回私学側が要求しております問題は、教員設備あるいは施設を用いて研究するに必要な経費助成という点でございます。文部省教育白書によりますと、国立大学におきましては、教官研究費は、大学院の講座を持っておるものに関して申し上げますと、実験を伴わない法経関係でございますが、実験を伴わない場合においては教官一人当たりに六十五万円、実験を伴う場合におきましては教官一人当たりに二百五十七万円という研究費が出ておるのであります。東大などにおきましては、かなりそういう点において大きな資金を持っていっておるようでございますが、その現状改善は、いま申し上げましたように、二つの点でこの助成は必要とすると私学側は考えておるわけであります。いま申し上げましたように、一方において教員あるいは研究者補充のための経費二分の一の助成、それから研究費に対する助成ということであります。  さらに、第三に私学の問題として申し上げたいのは、第一番に増強対策、第二は現状改善でありますが、第三には、これは積極的な意味を持っておるのでございますが、さらに大学の機能を発揮するために、高度の学術研究段階に入るためには、今日の科学技術の進歩に照応して巨額な施設をしなければならない。これに対する私学助成ということであります。これは、最近の自民党の計画の中にもかつて拝見したと思いますが、今日の一国の盛衰というものは科学技術と原料のいかんにあるというようなことが書かれていたわけでありますが、そういう点からいたしますと、この科学技術研究というものに対する学術振興というものが国全体にとっても非常に重要なものでなかろうか。こういう点は、いままで私学団体、この四団体においてあまり問題とされていませんでしたけれども、これは、まだいわゆる大学院大学の域に達しておる私学団体が少ないというようなことでありまして、すでに大学院大学として学術研究に進んでいこうという私学にとりましては、この第三の積極的な研究施設に対する助成ということも大きく取り上げていただきたい点でございます。  時間がだいぶん迫りましたので、大体このくらいにしておきたいと思いますが、最後に、私学助成一つ方法といたしまして、私学に対する寄付金あるいは授業料等に対する免税措置を講じていただきたいということであります。  授業料について申し上げますと、現在私学授業料が非常に高くなってまいりまして、国立の十倍以上になっておるのであります。たとえば、国立大学受験料あるいは入学金を含めまして一万五千円でございますが、私学の場合においてはずっとそれより高くなっております。最近各大学とも授業料を引き上げておりまして、正確にわかりませんので、私、早稲田大学の例でいま申し上げたいと思うのでございますが、早稲田大学におきましては、文科系学費が、受験料五千円、入学金三千円、授業料五万円、施設費五万円で、十四万円。その他の諸会費がございますが、大体十四万円。理科系におきましては二十万円でございまして、授業料文科系より高くて八万円、施設費は同じく高くて七万円、その他諸会費が幾らか高くなるのでございますが、こういうことで、まず二十万円。この状態になっておるわけであります。ところが、昭和十七年あたり私学国立授業料を見ますと、たとえば昭和十年の国立授業料は百二十円でございますが、早稲田大学文科系授業料は百六十円、理工学系の授業料は百七十円であったのであります。ところが、入学金に至りましては、あるいは入学検定料などに至りましては、国立がそれぞれ五円から十円でありましたが、早稲田の場合においてはいずれも五円でありまして、むしろ下回っておる、こういう状態でありましたが、戦後、先ほども申し上げましたように、私学に対する大きな法のワクがはめられて、しかも国費がまかなわれないというようなことで、学生負担をここに課するに至らざるを得なくなったというので、こういう高い授業料になっておるのでございます。そこで、お願い申し上げたいのは、まず授業料に対して、私立大学授業料に相当する所得控除を課税の場合にしていただけないものだろうか。もちろん、これにつきましては、生命保険控除その他と同じように扱うということはあるいは困難であるかもしれませんが、教育の重要性という点から見て、あるいは最近のこれだけの多くの各階層の家庭から大学進学するという点から見ますと、そういう点もあるいはとっていただけるのではなかろうかということで、実はお願い申し上げたいのであります。  それから、学校法人に対して寄付金をなされます場合に、国立学校の場合においては全額損金算入ということになっておるのでございますが、私学についても同じような取り扱いをしていただけないだろうか。これも一つのここで私ども大きく期待するところでございます。  それから、私立大学が独自に育英制度を盛んに持つようになっておりますけれども、こういう場合も指定寄付の制度を適用していただけないだろうか。こういうことを、現在私学に対する課税の特典と申しますか、大きくお願いしたいというふうに考えておるわけでございます。  一番最後に、私、総括的に申し上げたいのでございますが、今日私学に対する助成あるいは資金の割り当てというようなものを、国立あるいは公立であるか、あるいは学校法人であるか、その設置者によってきめておるようでございますが、ここで私どもがいま考えていただきたいと思いますのは、アメリカ一つの例でございます。アメリカは、州立、私立を問わず、そういうことを基礎といたしませんで、その大学社会に対してどの程度貢献をしておるか、社会に対する貢献度によってその助成の配分をしておると伺っておるわけでございます。日本の法律によりますと、単に私立大学はそれを設置した学校法人経費のまかないを責任を持つということになっておりますので、今日のような状態になっておりますけれども、最近の私学は、先ほども申し上げましたように、国の文教政策の中に大きな地位を与えられ、大きな役割りを与えられておるという点から見ますと、また、いろんな法のワクの中で仕事をしておるという点から見ますと、これは、公の支配に属しないというような性質のものでは現在なくなっておりますので、助成の場合におきましては、各大学社会に対する貢献度というようなことを前提として資金の配分を考えていただくように、一つ最後にお願いしておきたいと思います。  時間が参りましたので、これだけ申し上げまして、あとで御質問がございますればお受けいたしたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  4. 青木正

    青木委員長 ありがとう存じました。  次に芹澤公述人にお願いいたします。芹澤公述人
  5. 芹澤彪衛

    芹澤公述人 私には物価の問題とそれから中小企業の問題について報告をせよとのお話で、実は物価問題というのはたいへん大きな問題で、もちろんあらゆるところでもう問題にされておりまして、それに、私の申し上げることがお役に立つかどうか自信はないわけでございますが、ただ、念のために、きょう、時間があまりありませんでしたが、いろいろ新聞の切り抜きをつくってみまして、非常におもしろい——おもしろいと言っては失礼ですが、二月の十三日の読売ですか、IMFのほうで、各理事国が日本の例の対日年次協議の報告に対する理事者の批評ですけれども、その中に、消費者物価の安定を考えるべきことというようなことがある。外国まで日本の物価騰貴がかなり有名になっておるらしいのです。しかも、IMFの関係で、要するに八条国に入れば自由化いたしますから、そうしますと、国際収支が困難になった場合に、日本のいわゆるそういう通貨の、前のような外貨割り当てみたいなことはできなくなる、そうしますと、物価が騰貴したとき日本がお困りだろうということらしく思います。  それほど大きな問題でありますし、もちろん政府におかれましても、幾たびか物価対策を考えられましたし、ことしも物価対策は、一月の二十二日ですか、閣議了承でいろいろ対策を立てられております。そして、一々ごもっともなことでございますが、それじゃ具体的に物価を押えるにはどうすればいいかということで考えますと、学者の間にもいろいろ意見の違いもある。それから、現実に物価と申しましても、いろいろ品物によってみな原因が違う上がり方をしております。それをまとめて何か一本で言えないかと言われると、私ども実はよくわからない。ただ、大体こういうことが言えるのじゃないかと思いますが、第一の問題は、現在よくいわれておりますが、生産性が低い産業部門のほうの物価がこういう段階には上がってくるのだ、これは、現時点といいますか、現在の状態だったら、確かにそうだと思います。現実に人手不足が起こってきた。これは、高度成長の結果のいい面であるか悪い面であるか、いい面でもありましょうし悪い面でもある、まあ両方ございますけれども、事実としては人手不足が起こってくる。人手不足が起こってきますと、一般の現象としまして、いままで日本にあったところの、これも日本独得の傾向だといわれておりました賃金格差がなくなってきて、そのために一般のいわゆる生産性の低い産業でも賃金が上がってくる。そのために生産費が上がってくる。これは、賃金コストといわれておりますが、そのために製品価格が上がる。あるいは小売り商あたりで従業員の待遇をよくしなければならぬ。そういうことから、流通費用と申しますか、要するにマージンでございますね、これがどうしても高くなる。そのためにいろいろ物価が上がる。これは、ほとんど常識的にも感じられていることでございますが、いま消費財に関係する品物のほうが生産性の低いものが多いわけでございます。早い話が食料でございますね。肉類なんかも、二、三年前から政府のほうでもたいへん問題にされておるようでございまして、これは当然そうなるし、一般的に言えば農産物、それから中間マージンとしては小売り商の収益率の問題。もとの原価がたとえば百円しても、小売りの場合には二百円になる。高過ぎるからという議論がずっと毎年行なわれておりますけれども、高過ぎるといいましても、実際に小売り商も生活をしていかなければならぬから、そういうところに値段が落ちついてくるわけであります。もちろんこまかい点については私もよく知りませんけれども、たとえば牛肉の場合なんか、大体小売り価格は五円刻みで上げたり下げたりするという話でございます、小売り商の方に聞きましたのですけれども。そういう場合には、五円の間では上がらないけれども、五円すぽっと上がる。だから、そのかわりに、下がっても五円下がらなければ下げないといわれておりますが、おそらく下がるときにはなかなか下がらないのじゃないかと思います。そういうこまかい問題もございますが、一般にやはりそういう生産性の問題が影響するために、消費者物価、特に食料品関係が上がるだろうということ。これはもう皆さん方も御承知でございましょうけれども、農業について特に大きな問題があります。これは、私よりか、また別に公聴会でどなたかお話しになると思いますが、しかし、今度の近代化の問題についても、中小企業、これはあとで触れたいと思いますが、と同時に、やはり農業の近代化という問題を考えなければならない。しかし、これは大内力さんが非常に詳しいようでありまして、大内力さんとせんだって会いましたが、農林省のやり方には協力できないと言っておられました。これは、学問的にはむずかしい問題でありますが、政府だけの問題ではないのでありまして、おそらくは米の価格あたりは、外国の輸入価格に匹敵するくらい下げるのだったら、専門家のほうで見ますと、三十町歩ですか、そのくらいで機械化しなければとてもやっていけないのじゃないだろうか。ところが、あそこの八郎潟なんかは十町歩に切られておる。今度は地元あたりでは五町歩にしろというような要求があるようであります。それは、まわりの大きいところでも一町五反、一ヘクタール半くらいですから、それに対して三十町歩なんていったら、これは企業格差でございます。であるから、従来の農業の方々の反感が起こるという非常にむずかしい問題があるようでございます。だから、政策的にいけない。だがしかし、結果といたしましては、たいへんな問題が起こると思います。これは農業問題で、特に専門の方にお聞き願いたいと思います。しかし、これもやはり生産性がおくれてくるために上がってくる。米価問題に非常に困難が起こってくるのはその点だと思います。それで、今度のことしの予算なんかにも、そういう生産性のおくれているのは中小企業関係が多いので、それの近代化の予算をお入れになって、これはふやされておる。けっこうなことだと思います。それがどの程度効果があるかということは、中小企業問題としてあとで触れたいと存じます。  その前に、一般的な物価につきまして何か具体的な施策があるかどうかということでありますが、これについて二つの問題があります。その一つは全般的な通貨価値の問題、それから、いま申しましたように生産性と、二つありまして、近代化云々というのは生産性を上げるということだろうと思います。  しかし、もう一つの通貨問題が非常に重要なことになります。これは、よくコストインフレ論というのがありまして、結局、最近人手不足で賃金が上がっておる、賃金が上がってくれば生産費が上がる、生産費が上がるから物価一般が騰貴する、したがって賃金を押えなければならぬという議論が相当広く行なわれております。さっき申しましたように、生産性のおくれた産業においてはそういう現象が起こっていることは事実でございますが、全般的にすべての物価で一斉に上がるかどうかというと、必ずしもそうではない。これについては、学説もあるし、いろいろ問題がありまして、私もここであまり深入りはしたくないのでありますけれども、やはり問題になっているので、ちょっとめんどくさいことでありますけれども。実際生産性が上がらないから物価が上がるというなら、生産性が上がったら物価は下がるかというと必ずしも現在はそういうふうになっておりませんので、これが一つ問題であります。これについてはちょっと原則的なことに触れたいと思いますが、経済学者のほうではどの学派でもほとんどこれは意見が一致していると思いますけれども、純粋の資本主義というか、自由経済という条件ならばそういう現象は起こらないということは、これは、いろいろ学派がございますけれども、大体意見が一致していると思います。ただし、それには条件があるわけでございまして、一つは完全な自由競争が行なわれるということ、それから、もう一つは金本位制度をとるということです。ところが、この二つが現在行なわれておるかどうかということになりますと、ここに非常に問題があるわけでございます。御承知のように、大体一九二九年から三〇年、いわゆる戦間期間、第一次大戦から第二次大戦の間に世界的な大恐慌がございまして、そのあと自由主義諸国——社会主義諸国も同時でございますが、金本位制というのは放棄してしまった。それ以後は管理通貨制度の段階だといわれております。現在ももちろん管理通貨の段階であります。この管理通貨の段階になりますと、通貨価値の安定が非常にやかましく政策の中に入ってくるわけであります。金本位制の場合ならば、金と中央銀行のお札は兌換いたしますから、当然に絶えず金の値打ちで貨幣価値が落ちつけられる。それができなくなったということは、御承知のように、非常な不景気があって、国際収支の問題からついに金の兌換ができなくなった。それじゃ現在金本位制を完全に世界じゅうが放棄しているかというと、必ずしもそうではない。たとえばアメリカは、国内においては兌換いたしませんけれども、国際的にはやはりよその銀行がアメリカの金を要求すれば渡す。このことがいまのドルの危機の原因になっておりますが、いずれにいたしましても、金本位制は国内的にはどこもとっていない。そういう条件が第一の問題になります。そこで、そういう状態においては、ことしの予算編成方針、十二月十八日閣議決定にちゃんと通貨価値の維持云々ということをうたっている。これは毎年のことだと思いますが、実際はなかなか維持できない。維持できないことがやはり徐々に一般的な物価騰貴の原因をつくっているのじゃないだろうか、これが通説でございます。また、事実、数字をあげましても、たとえばこれは経済企画庁がお出しになっている経済月報がございますが、これを見ましても、一体どこに問題があるかというと、そのものずばり申し上げますと、やはり日本銀行の貸し出し残高がふえておるということ。これは非常に大きな問題だと思います。この古い数字はここに出ておりませんので、ちょっと調べてまいりましたが、昭和三十三年ごろの貸し出し残高は三千七百億くらい。三十四年はむしろ下がりまして三千三百億くらい。それが三十五年、つまり池田内閣ができた前後からでございますが、大体三十五年の十一月ごろからだんだんと貸し出しがふえまして、十二月はすでに一兆二千億円。その後は一兆二千億円から一兆一千億円の間をずっといっておる。つまり、これだけ焦げつきということになっておるわけです。つまり、前から見ますと三倍か四倍くらいに日銀の貸し出しがふえたまま来た。と申しますのは、三十六年以降の高度成長は少し行き過ぎだったということ。これは、皆さん御承知でしょうが、あの当時所得倍増計画をつくった大来佐武郎さんが、たしか三十六年の春です、自分が中心になって計画を立てたのだが、その初年度においてすでに十年後の設備投資四兆八千億になろうとしておる、これであとはどうしてくれるのだという論文を書いて問題になったことがございますが、そのあとからどういう現象が起こったかというと、同時にそのころから消費者物価指数が上がり始めております。これは事実でございます。なぜそうかということは、またいろいろ議論がございましょうが、政府でお調べになった数字から見ましても、この三十五年まではむしろ消費者物価は、たとえば三十四年から三十五年には少し下がっております。大体横ばいである。三十五年以後じわじわと上がり始めております。ちょうど偶然と申しますか、何と申しますか、とにかく日銀の貸し出し残のふえ方とほぼ同時にそういう現象が超こっておるわけであります。でありますから、これは非常に大きな問題じゃないだろうかと思います。なぜ大きな問題かというと、どうすればいいかという場合に、当然でありますが、そういう段階になると、いつでも輸入がふえて、それから国際収支が悪くなって、金融引き締めということが繰り返されておるわけですが、金融引き締めがされたならば、いままでだったら大体そこで物価が落ちつくという段階になったのが、引き締めても下がらないという段階に入ってきたわけであります。これは非常な広い範囲に広がっておりますので、病気で言うと、かなり重症な第三期症状になっておる。荒療治をしないとなかなかなおらない。これもちょっと参考に、私が申すのではなくて、新聞に記事が出ておったから、それを引用するわけでございます。別に皮肉るわけじゃございませんけれども、一月五日の朝日新聞でございますか、「見当らぬ特効薬、物価対策」とあって、その中に、ただしある、大平自民党剛幹事長は「特効薬はやろうと思えばある」とおっしゃる。「イタリアは物価対策のための増税をやった。」、これは田中さんです。それから、大平副幹事長は、「国の予算をめっぽう小さくして枯木財政をやり、日銀のカネを極端に締めるのさ」と言っている。これはほんとうにそのとおりなんです。それをやられれば物価は確かにとまります。ただ、実はその問題で去年あたりは問題が自然中小企業の問題に移っていくわけでございます。それをある程度でもやられますと、どこかにしわが寄っていくという現象がいま起こっております。それは、去年の秋ごろから中小企業倒産が激しくなってきて、現にこの二、三月危機というのが毎日の新聞に出た。ここにも念のために持ってまいりましたが、かなり新聞紙面をにぎわしておるわけでございます。そういうような形でしわ寄せがどこかにいく。ですから、確かに物価を押えることは押えられるのでありますけれども、ひどい出血をしなければならぬ段階に来た。このことをお答えいただきたいと思います。学者はそういうときに非常に簡単に、それはもう資本主義の持って生まれた運命だからしようがないと言われるかもしれません。そう言えばそうであります。ですが、とにかく曲がり角に来たといわれることは、おそらくはそこにあると思います。これは、私が申すのではなくて、基本的な問題でございまして、これも大内力さんの日本経済論というのにある。これは非常に興味のある問題です。これは、全部の学者じゃないかもしれませんが、一部の学者の間ではいわゆる国家独占資本主義という名前が使われて、非常に議論されたのでありますけれども、国家独占資本主義の特徴をどこに求めるかということになりますと、これはお聞き捨て願っていいのですが、ただ、理論的な問題でありますが、大内さんはこういうことを言っておるわけです。つまり、管理通貨制度は、資本の労働に対する関係を、国家権力によって媒介される関係に転化する、たいへんむずかしいことばでありますが、労使の間の賃金決定に関して、管理通貨制度の段階では、物価一般を上げることによって実質賃金が下がる、こういう傾向を生み出してくる。意識的にやる場合もあるし、意識的にやらない場合もありますが、少なくとも前総理大臣の池田さんは十分それを御承知だったと思います。でありますから、高度成長の段階において、ある程度物価が上がる、それから名目賃金が上がるのは当然じゃないかということを言われましたのは、大体管理通貨の政策としてそういうことをとらざるを得ない。そのおかげで絶えず労資の分配率、これは近代経済学で言うことばでございますが、資本のほうの利潤部分、つまり企業の収益分の分配率というものがまた押し戻されるということになるわけです。絶対的にふくらんでくるわけです。そういう現象は、つまり全体として現在の自由主義経済の土俵というものが徐々にふくらんでおりまして、それで自由主義経済というものは成長ができる、そういう考え方が私ども基本的にあるのではないかと思います。ですから、適当にやっておれば、幾らか物価は上がりますが、たいした問題は起こらない。ですから、これはアメリカあたりの近代経済学、ケインズ系統の経済学者でありますけれども、そういうのをクリーピング・インフレ、忍び寄るインフレというのですが、そうしますと名目賃金が上がる。しばらくたつと物価が上がる。また、名目賃金は上がったけれども、実質賃金はもとに戻る。アメリカはそういう段階であります。むずかしいのは、そういう段階ではかなり成長率が低い。成長率というものをどう見るか、またいろいろ問題がありますけれども、普通少なくとも四%から五%くらいの成長率でなければならないと近代経済学で言われております。それをこしてきますと、クリーピング・インフレでなくなるということが言われておる。それが、たまたま日本では昭和三十五年以降の政策でその段階が変わってきた。これが現在の問題を非常に困難にしたことじゃないだろうかと思っております。それは、いまの大平さんとか田中大蔵大臣が言われているように、財政規模をぎゅっと締める。アメリカなんか減税政策というのをやっております。一応の安定をさせるということができるのでありますが、日本では、現在財政一般の一体どこを締めるんだという問題がいつでも問題になるわけでございまして、なかなか締められないだろう。締められれば、またいろいろどこかにしわが寄ってくる。ですから、これはお考え願いたいのですが、しいて締めるとすれば、これはある場合におしかりを受けるかもしれませんけれども、やはりおもに公共事業の土木事業、これを締めるよりほか方法はないだろうかと思います、当然増のものが非常に多いものですから。財政政策としてはほかに方法がない。  それから、もう一つは、物価一般の点について、現在でもこれはもうすでに政府のほうでもお考えになっていらっしゃって、これはぜひひとつやっていただかなければならぬ問題と思いますが、例の地価対策であります。これも大体着々とお考えになっていらっしゃるようですから、ぜひこれはやっていただきたいし、これは、新聞記事を読むまでもなく、皆さん方のほうがとくと御存じでしょうから、引用いたしませんが、これは相当思い切った対策をされる必要があると思います。農地改革が行なわれて、耕作地は小作がなくなりましたけれども、宅地関係というものは自由にされておる。これが一番困るんで、物価騰貴と申しましてもいろいろあるので、結局、物価騰貴は、一般の国民生活、特に勤労者に響いてくる場合には、やはり地代、家賃、これが一番大きく響くと思います。しかも、たとえば日常の食品その他の値上がりをとめろといっても、一般通貨対策でなければ片づかぬということになっておりますが、これはあとの中小企業問題でちょっと触れさしていただきますが、一般的には土地というものは独占でありますから、これをどんどん値上げをされていったらどうしようもない。何も経済学でなく、常識で皆さん方お気づきと思いますから、この際これは思い切って何か手を打っていただきたい。どうするかということになったら、空閑地税とか、去年からいろいろ問題になっておりますが、やはり、できたらある程度目的税みたいなもので空閑地税をかけて、その空閑地税は別にプールいたしまして、それで、そういう土地をどんどん買い上げるというような考え方、別にこれは新しい考えじゃない。イギリスの昔の有名な文士の方、ちょっと名前は、年をとると忘れますが、そのうち思い出しますけれども、その人が言ったように、土地の値段が上がることはイギリスでもやはり問題だったのです。そのときに、自分も地主だ、だから国に無償で取り上げられるのはいやだ、税金をかけてくれ、税金をかけてもらって、みんなその税金で買ってくれればいいのだ、こういうことを言われた人があります。空閑地税なんかの考えもそうでしょうが、いずれにしても、現在あっちこっちが行き詰まっておるときに、とにかく一応やれるのはそこだ。ただ、この点も、具体的に申しますと、非常にたくさん金融機関のほうで土地をお持ちになっていらっしゃる。それから観光事業、この辺から猛反対があるのじゃないかと思います。しかし、最近はかなり問題が切迫してまいりましたので、地価だけでも押えようじゃないかという政治的な御意見が強くなっておるのは非常にけっこうだと思います。これはぜひとも何とか一般のやり方としてやっていただきたい。  それから、片方の通貨政策のほうでございますが、これは非常にむずかしい。というのは、ちょうどゴム風船みたいなかっこうになりまして、オーバー・ローンといいますが、一兆二、三千億円になっておる日銀の貸し出しを、つまり市中銀行に対する貸し出しですから、これを引き揚げる。引き揚げると、市中銀行はまた産業界に対する貸し出しを引き揚げる。そうすれば企業倒産が起こるだろうという問題でございます。それがあらゆるところに響いておって、これもすでに過去の既成の事実になっております。これはひどいものでございまして、現在は、いわゆる金融費用、つまり銀行から借りた金に対する利息あるいは社債発行の手数料、そういうものが人件費に非常に接近してきております。ですから、各企業があんなに借金をしなければ、収益率はほんとうなら高いはずなんですが、最近は幾らかせいでもみな銀行に払うということになっておる。そこで、人件費を切り下げようとする。人件費を切り下げるためには設備を入れなければならぬ。設備を入れるためには借金をしなければならぬ。こういう悪循環がいま起こっております。しかし、これも必ずしも全部がそうだとは言えない。これはある学者が調べたので、ここへ持ってこなかったのですが、一般的にはその傾向があるけれども、非常に高度成長を遂げた個々の会社、個々の企業については、必ずしもそうでない。たとえば、具体例を申しますと、日産、トヨタというような自動車会社なんかは、資産状態は非常によろしいわけでございます。どんどん売れていて、しかも借金はふえていない。むしろ鉄鋼関係とか——鉄鋼関係は横ばいとも言えません。成長しておりますが、それ以外のわりあいに成長しない産業は借金が多いわけでございます。これはいま既成の事実、つまり昭和三十年以後そういう既成の事実が積み重なったので、この解決は急にはできないと思います。もしあれだとするならば、その問題はたな上げでございますか、前からオーバー・ローンたな上げ論が何度も金融界あるいは財界のほうにも出ておりますが、くぎづけしてしまう。現在その問題が、実は風船玉の横のところをぎゅっと押えられて金融引き締めをされますから、会社は苦しまぎれに増資と来る。増資と来ると、今度は証券界に増資株がぱっと出てくる。そこで株ががたっと落ちてしまう。さあたいへんだというので、今度は共同証券をつくる。そこに日本銀行がてこ入れをする。今度は株が上がった。下がらない。下がらなければ買い手がないだろう。こういう矛盾がいま起こっておるわけです。インフレ的傾向の解決策をこう薬ばりでやると、こういうふうにだんだん広がっていっておりますので、この際急の引き締めをすれば、中小企業問題がすぐ起こる。これも、新聞なんかで二、三月危機が問題になっておりますのは、そういうことになるわけでございまして、実は、この関係につきましても、政府側もずいぶん注意されたり、去年の十二月には、商工中金とか、中小企業金融公庫、あるいは国民金融公庫あたりからたくさん金をお貸しになっておられる。それが大体この三月ごろ返済期になる。返す見込みがない。それでどうしようかという問題でありますから、今度の予算で切りかえということで何とか救済をされることと思いますけれども、しかし、民間の間で起こっておる問題があるものですから。それは企業間信用ということで、きょうの新聞にも、二、三の新聞に出ておりました。日本経済新聞に一番詳しく出ておりますけれども、前から言われておったのですが、日銀の吉野さんが調べたものらしいですが、大体会社と会社の間の信用がいま二十兆くらいになっているだろう。日銀の貸し出しが一兆何千億と言いますけれども、それから見ると、二十兆というのはたいへんなものであります。つまり、Aの会社がBの会社から品物を仕入れた分を借金にする。そうすると、今度は売ったほうのBの会社はまたCの会社に借金をする、堂々めぐりであります。だから、どっかで支払いができなくなると将棋倒し。連鎖反応、連鎖倒産と言われているのがそれになりますが、そのうち、つまり融通手形はおそらくは四兆円くらいあるだろうと専門のほうの人たちは言う。これははっきりわからぬですけれども、それがちょくちょく顔を出してきた。融通手形が表に出ますと、その会社がつぶれるという現象が去年の秋ごろからずっと広がっておるわけであります。これにてこ入れをしなければならぬですが、そういう場合に、銀行が親会社のほうに金を返させますと、今度はその親会社は下請会社のほうの支払いを延期する、こういう現象が起こる。これも一般にすでに認められておるが、なかなかつかまえられない。ですから、立ち入り調査までやったらどうだろうかということが、公取委あたりを中心にして、あるいは議会でもおそらく問題にされておると思います。とにかく下請をしぼるという形をとってくる。つまり、そういうものは高度成長のひずみで、引き締めが行なわれて物価騰貴を押えようとすれば、そういうふうに大企業が下請企業にしわ寄せをやっていく。それからもう一つは、全体として今度はいわゆる不況カルテルというもの、この不況カルテルはやむを得ないとは申しますけれども、景気のいいときには物価が上がる、これは当然であります。そして、景気の悪いときには物価が下がって売り上げ高が減る、収益率が落ちる、これがノーマルな形である。いままでの行き過ぎ、金融引き締めのサイクル、昭和三十五年くらいまでの動きでは、大体会社の経理状態を調べましても、そういうふうに景気のいいときにもうけはうんとふえる、景気の悪いときにはある場合には赤字まで出る、これを繰り返してとにかく現在まで続いております。それが現在の場合では、引き締めをやると、倒産までいってしまう。ということは、さっき申しました借金がふえ過ぎておる、どうにも処置ない。つまりゴム風船がふくらんだまま縮まらなくなったということです。それで、引き締めをやっても、ある程度ちょっとやりかけますと、すぐ中小企業にしわ寄せがいく。現に、片方のほうでは不況カルテルをつくる、片方のほうでは系列の切り捨てをやる、つまり注文をだんだんと減らされていきます。それで、いわゆる下請系列がつぶされていく。これはしかたがないといえばしかたがないでありましょうし、てこ入れしたらどうかという問題もございますが、いまのところは、徐々にてこ入れを進めていってやりながら、片方のほうで何か転業する人は転業してもらうということよりほかにいい知恵はないのじゃないか。でなければ、さっきの田中大蔵大臣の言われるような思い切った政策をとる。しかし、実際それができなければ、様子見と、それほどむずかしい問題が起こっております。それで、もちろん中小企業については選別融資をされる。大企業のほうへなかなか貸し付け金の引き上げはできないでしょうが、少なくとも中小企業のほうには、やはり特に当分の間、そういう事情でございますから、重病がなおるまで安静状態ということで、かなり巨額の資金をつぎ込む必要があるだろうと思います。その点がことしの予算の中小企業対策の中に出されておりますが、財政関係の金庫及び公庫あたりから二千億円くらいの金も出される。つまり去年貸し出したものを引き揚げないで、そのまま続けていくということをやられる。それから、ある意味ではやはりそういうものの利子の補償をする。これについても、銀行との間で歩積み、両建てというやかましい、つまり実質上の金利引き上げをやっておるが、これをやめろ。去年のもう夏ごろから問題でございましたが、これは、ラジオなんかの放送で中小業者の意見が出ても、それをやめられたら困るんだ。たとえば、私のほうは銀行に百万円借りに行ったら二百万円貸してやる、そのかわり百万円を預けろ、そうすると、利息はその分だけ高くなります。そういうことをされておる。だから、それを政府が取り締まる。公取委のほうでも考えられた問題ですが、取り締まろうとしますと、そのためには結局は借りたほうが報告しなければならぬ。ほんとうのことを言わなければならぬ。そうすると銀行は貸してくれれない。困る。こういう事実がございますので、たいへんむずかしいのです。むしろ私は、一般の公共企業その他政府保証債の利子を補償するというやり方をやっておられますが、中小企業金融についても利子の補償をされたほうがいいのじゃないかと思います。結局、それは銀行は歩積み、両建てでもうけるからよくないという御意見もあると思いますが、それは、倫理的な道徳的な批評としてはそうでございますけれども、実際はなかなかそんなことはできない。できないことを要求してもできないでありますから、むしろ公庫関係を通じまして金を出される。それから、そういうことをなさらないでも、実際いま中小企業は二つに分かれている、どんどん下向きになっていく企業と、それから成長する企業に分かれておるようでございます。だから、それもいまの状態ならば安静状態にしておいて、だめなものはだめ、もはや資本主義というものはしようがないといえばそういうことでございましょうが、そして職業をかえてもらうとか、そういうことを考えなければどうもほかに方法がないだろう。  私の報告は、実にお役に立たぬことばかり申しまして申しわけないのでございますが、これは、企画庁あたりがさんざん御研究なさってもなかなかいい知恵が出ないので、一人の人間に出せといってもこれは無理でございます。  そういうようなことで私の報告を終わらしていただきたいと思います。(拍手)
  6. 青木正

    青木委員長 ありがとう存じました。      ————◇—————
  7. 青木正

    青木委員長 これより両公述人に対する質疑を行ないます。永井勝次郎君。
  8. 永井勝次郎

    ○永井委員 芹澤先生にお尋ねしたと思います。  いま中小企業の問題で、最後に、だめなものはだめ、成長するものは成長する、大体早く見切りをつけろ、こういうお話であったと思うのですが、それならそれで、お医者さんの診断で、おまえは先はないぞ、こういうふうに引導を渡されれば渡されたで覚悟はつくと思うのです。ところが、政府のいまやっておる中小企業対策というものは振興対策、そして、全般的にそれを安定させる、向上させるという呼びかけだけをやっていて、実質は中堅企業を育成していく、中堅企業というところに線を引いて、いま言ったようにそれから以下のものはもう切り捨てておる。切り捨てておるんだが、引導を渡さない。見込みがありますよ、こういうふうにして一時ごまかしておる。お医者さんでも、ガンのようになおらない病気について引導を渡さないで、ガンと言わないでごまかしておるのが医者の臨床態度だ。こういうふうに言うので、中小企業に対する臨床態度というものは、見込みのないものにもそう言っておる。そういうことがますますこれを混迷させておると思うのです。そこで、政府は、倒産が激増していく、その倒産の激増に対して金融を引き締め、緩和して、そして倒産対策として今後はこうやる。それは税金の問題にしても、取引改善の問題にしても、金融の問題にしても、数だけはたくさんあるけれども、きめ手になるものは一つもない。何か野党から攻撃されたら、こういうことをやっています、ああいうことをやっていますというだけの言いわけで、中身はきめ手になるものは何にもない。こういうのが政府のやり方だと思うのです。そこで、だめなものはだめ、成長するものは成長するもの、そうだと思うのですが、それをもう少し学問的な裏づけをしていただきたい。いまの倒産をとめるのは、金融緩和ぐらいじゃだめだ、税金だっていまのような対策ではだめだ、やはり構造的な変革過程で、それに乗らないものはどんどん切り捨てられていくんだ、こういう政策が政府のいまの政策だ。自民党の中小企業対策というのは、そういうふうに、だめなものはだめ、いいものはいいもの、こうことばでは言わないが、実質的にはそういう切り捨て政策をやっているんだ、こういうふうに判断していいのかどうか、それを学問的にもう少し分析していただきたい。  それから系列化の問題ですが、中堅企業についてもほとんどが系列化されている。あるいは下請化されている。そこで、系列のほうは工業関係ではもう六割以上が系列なんですが、これは、もう単価の切り下げをどんどん押しつけている。あるいは支払い代金を、先生のおっしゃったように、何百日というようなものを押しつけている。こういうような関係で、まあ生かさず殺さず、そして、それもできないものはどんどん切り捨てていく。中堅企業は中堅企業の中で、また大企業から見て切り捨てを食っている。こういうのが実情だと思うのですが、いまの政府のやり方をこのままやっていきますならば、倒産はどんどんふえていく。そして、どんどん弱いものは切り捨てられる。そうして、残ったものは大企業のほうに利益はほとんど吸い上げられて、生かさず殺さずで、飼い殺しにされてしまう。こういうやり方である、こう思うのです。たとえば、先般九州のほうで近代化資金を借りて設備を近代化しました。そうしたら、それに対して三菱造船が技術指導として、その団地に技術指導をしました。技術指導をしました結果、今度は三菱造船のほうから発注をする。おまえのところは機械を近代化し設備を近代化した。そうして、相当おれのほうから技術指導をして、これだけコストを下げられる。これだけの注文に対して、これだけのコストでできるはずだというので、利益は全部上へ吸い上げてしまう。こういう形でどんどんやっていく。でありますから、トップクラスの親企業にくっついていたら、もう息の根までとめられる、こういうのが中堅企業界の実情です。いま自動車工業がどんどん値段を下げています。値段を下げていますが、その原料はどんどん値下げを押しつけられたために、日本特殊鋼はつぶれたのです。それから、それの系列にあるなには、もう四苦八苦しています。親企業は国際競争を強化するためにというので、コストダウンをやる。それを全部原料と下請へ押しつけている。そういう犠牲でコストダウンをしている。こういうやり方をどんどんやっているのが自民党のいまの中小企業対策ではないか、こう思うのですが、そこの実情をどういうふうにお考えになるか。そして、この実情を学問的に分析していただいて、いまの政府の政策が続くならば、長期にわたって倒産はどんどんふえていく、こういうふうな見通しが立つのですが、これらの点についていかがですか。
  9. 芹澤彪衛

    芹澤公述人 たいへんむずかしい問題を出されまして、私も弱りますが、これが具体的な何か方法をということですが、その第一の問題は、御承知のとおりに、これなんか露骨に申しますと、たとえば八幡製鉄の桑原君というのがぼくの後輩ですが、いつか日経新聞に、去年でしたか、大体中小企業なんというのは、大事にしてもどうせ見込みがないから、、あんなものはつぶすとはっきり言ったらいいじゃないか。これは桑原君だから、ぼくは個人的に知っておりますから申しますけれども、そういう大企業は、かりに私がやはり大きな会社につとめておれば、もう小さなものをしぼるほうがいいじゃないかというふうに考えるらしいんです。それが政治的にどこのほうにあらわされるか、私はよく存じませんが、つまり、そんなに表と裏と違うようなことをするよりか、大企業としてははっきり打ち出したほうがいいんだということをはっきりおっしゃる方も、そういうふうにあります。親しい人だからぼくは言うんで、でないと私も言いにくいのですが、桑原君なら言っていいだろう、どうせ言っても、ぼくがあとでしかられるだけのことで、芹澤、よけいなことを言ったと言われますけれども、そういうのが本心でございましょうね。  それでは何か方法がないかということだと、たとえば、石炭で有澤先生が非常に苦心されましたが、やはりそういう職業の転換その他のことの最後のつまりガン、ガンといってもこれはいわゆるガンと違いまして、ガンはほんとうに死ぬんです。商売というものは飢え死にになりますから、何とか対策をとらなければならぬ。職業の転換その他を考えなければなりませんが、その改善の策については、今年もちょっと出ておるようでございますが、私はやはり二つのことをお願いしたい。  現実に、これは妥協案でしょうが、一つは、同じ金を政府がお出しになるなら、なるべく小さい業者のほうに貸していただきたい。つまり国民金融公庫中心に出していただきたい。そういうふうにお願いしたい。これは、かつて中小企業金融公庫ができたときに、あのときには、その総裁の名前は申しませんが、私は親しかったのですが、そっちのほうにおれのほうで渡す金をみんな持っていかれちゃった。しかも、社会党の方もぼんやりしておった。あれは何かと私は悪口を言われたことがあるのです。これは考えていただきたいです。これは社会党、自民党、そんなことなしに、実際にそういうふうにつぶれかかっているのが事実出てきておりますから、その場合にはなるべく小口のほうに貸し出しをやっていただきたい。これは、実際にそういう小さい業者の話を聞きましても、とにかくあそこは一番別息が安い、わりあいに条件もいいんだから。そして、公庫のほうに聞きますと、ほとんど貸し倒れはないと言うのです。というのは、個人的に責任を持つ人はまじめですから。これが一つ。ですから、なるべく小口のほうに貸し出しの重点を置いていただきたい、大きいほうはこの際ちょっとしんぼうしてもらいたい。というのは、さっき申しましたように、ほうっておけば、どうせ親会社が子会社、下請企業をしぼるのですから、それをしぼるなと言って、こいつを調べて、さっき申しましたように、政府なり公正取引委員会あたりに顔を出せば、今度、おまえはよけいなことをしゃべったから、あしたからもう取引禁止だと首切りをされます。そういう事実がございますので、それだからやはり金融のほうでしりをふくよりいまのところはどうしようもないだろうと思います。  それからもう一つお願いしたいことは、オフィシャルな、国あるいは地方自治団体で親切な経営相談所をつくってもらいたい。これは、私が昔終戦直後、一応そういうことを出して、たまたまいまの興銀の頭取中山さんにお話をしましたら、政府なんかそんなことをやってくれそうもないというので、何とかそのとくらいの金をつくろうじゃないかという話がありまして、どのくらいかかるという。ぼくは、そのとき、事務所をこしらえて一月二十五万円あったら民間でもできると言いましたら、一ぺんに二十五万円なら集めてやるが、どうも毎月二十五万円というのは見込みがないと言われた。中山さんもあきらめられましたけれども、私はこれは政府とか地方自治団体、特に政府がやられるべきだと思います。そうすれば、いまのような企業が税理士その他と相談して、もっぱら税務署の税金の切り捨てのような運動をするとか、そんなことなしに、もう少し見込みのある企業がやっていける。それからまた融資をする場合でも、利子の信用保証というのはございますけれども、信用保証で金を借りるということになると、やはりその保証料だけ利息が高くなるので、非常に借りるほうはつらいらしいのです。これは、今度政府のほうもお出しになるような御計画で、たいへんけっこうでございますが、と同時に、そういうような企業の指導をして、相談に乗ったところは、そこで太鼓判を押したら、もう信用保証なんか要らない、そういうものはじかに公共の金融機関からお貸し願う。そういうことになれば、さっきの御質問の点がある程度解決できるのじゃないか、これが理論よりか具体的な感じがいたします。  それから系列化のあとの倒産はどうなるか、これを学問的にどう見るか、これも、さっきすでに申し上げたことでありますけれども、これは日本独特の形でございまして、欧米だと、中小企業というものは別に独立した産業部門を担当しております。これは、やはり貿易政策の問題があるかと思いますけれども、たとえば五人、六人の人を使っておっても、その賃金水準というものはあまり格差はございません。これは、皆さん方十分御存じと思いますが、なぜそういうことがあるかというと、一応それは、特殊な品物をつくっておって、日本のように系列化の傾向を持っていないわけでございます。ですから、系列化そのものの中に、いまのように自然に下の系列下のものを整理し、あるいはつぶし、あるいはこれにしわ寄せする制度ができておる。これは、何とかなおる方法はないかということになりますと、たとえば自動車メーカーの場合でもそうですが、特殊鋼の話が出ましたが、たとえば全メーカーに対して、特殊鋼なら特殊のスプリングならスプリングというものを一メーカーが供給すれば、これはコストダウンはできる。系列化でなしにむしろ専門化でございます。これは、通産省のほうもずいぶんお骨折りになっていらっしゃるようですけれども、大会社からすると、系列化のほうが便利だということでございますね。これはどうすればいいかといっても、通産省でさえも御苦心なすっていらっしゃるのに、なかなかいかない。これは、皆さん方政治上の問題として御判断願いたいのですが、何らかの形で政府がいろいろコントロールすると、これは官僚統制だ、困る、官僚統制でなしに自由にまかしておけ。これは、業界の方としてはごもっともなことで、また自由競争というものを前提にしておればそうでありましょうが、そうすると、系列化のほうへどんどん進んでいく。だから、いつも堂々めぐりになっております。それで、私どもみたいな第三者と申しますかに名案を出せと言われても、むしろそういうふうに整理をしながら、つぶすべきものはつぶしていく。それから、日本ではそういう賃金格差がなくなったとは申すものの、やはりこれはもう一つの傾向がございまして、日本ではよく、これは労働省とか厚生省でお出しになるものの中で、多就業世帯といっていますが、これはむずかしいことばなんですが、学者はすぐむずかしいことばを使う、お役人もむずかしいことばを使いますが、一家共かせぎというのです。つまり、一人で食えないときには子供たちまで一緒にかせいで相当の生活ができる。たとえば隣でテレビを買った、そうすると、とうちゃん、テレビを買ってくださいというわけですね、おまえ新聞配達をしろや、きょうだい二人新聞配達をすれば、テレビぐらい買えるだろうというようなことで、一家共かせぎなんです。それで賃金水準が下がるのです。そういうところで、やはり零細企業というやつが上から締め上げられながら、さっきのお話のように、生かさず殺さずの状態がある。そしてまた、中小業者の方々がみずからそれを守るかというに、なかなか守られない、そこに非常にむずかしい問題がございます。ですから、その中でそういう中小業者の方々も、自分たちもひとつがんばらなければいかぬという意識も必要でございましょうし、そういう世論を一般に起こすこともやはり必要でございましょうが、同時に、やはりいまのような系列化から今度は専門化のほうへと、ものをずっと切りかえていく。それにつきましては、やはり政府ができることといえば、これは貿易で安定した外国市場をある程度つくることじゃないかと思っております。たとえば高級繊維物というのは、御承知のようにみなイギリスでございますが、高級繊維物だったら、五、六人ぐらい人を使って、中小企業で十分やっていける。それはなぜかと申しますと、高級繊維物は世界じゅうに売れる。世界じゅうに売れた場合には、王さまであるとか、総理大臣とか、えらい人、金持ちが着るのでしょうが、そういう方は同じ地は着ませんから、千反から二千反、二千着ぐらいの分が世界じゅうに出る。これは三十万、四十万で売れますね。それでちゃんとやっていけるのです、外国市場を持っておりますから。日本ではそういうものがないのですね。ですから、つまりジェトロあたりもございますけれども、ジェトロあたりでも、これもあまり御活動がないし——これはたいへん失礼ですが、ああいう貿易振興のための組織その他の場合にでも、そこをお役人あたりの御隠居なさった方の失業救済所に使われては困るということなんです。もっとばりばりした仕事のできる人を使ってやれば、相当資金も出ておりますから、将来そういう安定した外国市場をつくることができるだろう。また日本の商社が、あまり外国で日本人相互の競争をやっているのをとめるということも考えていただきたい。そういうような広範にわたる政策をとらなければ、ただ口で言ってみても片づかないだろうと思います。この点は、今後もう少し政府の方々も御研究いただくし、それから政治に関係される方々もひとつ御研究いただいて、そういうときには、私どもに何か調査しろと言えば、できるだけ御協力いたしたいと思っております。よろしく。
  10. 青木正

    青木委員長 次に、時子公述人はお急ぎのようでございますので、時子公述人に対する質疑を先にお願いしたいと存じます。川俣清音君。
  11. 川俣清音

    ○川俣委員 時子山先生に簡単にお尋ねをいたしたいのですが、公述の中に、アメリカジョンソン大統領佐藤首相との比較がございましたが、これは比較にならないという感じを持ってお尋ねをするのですが、アワ粒と人間との比較みたいなもので、人間をさすのではなくして社会開発なんということは、何だか意味がわからないですね。先生もわからないように御説明になったと思うのですが、ジョンソンは、少なくとも偉大な社会を建設するということが大きな目標になっておる。しかも、その中に教育、貧乏の追放、保健衛生から都市計画まで入れておりまするし、アメリカの自然美をどうして保持しようかということも入っておるわけです。日本社会開発なんというけれども、一体何をやるのかということがはっきりしないわけで、公述にもお困りになったようでございますが、少なくとも教育については不十分だという御意見ですね。私は、何といってもやはり教育、あるいはジョンソンの言うように貧乏の追放、保健衛生にわたらなければならぬわけですが、都市計画はもちろんのこと、減税も立法処置をとっておるのですが、社会開発では、時子山さんが見られるところでは、そのために必要な制度を打ち出すような構想がこの予算の中に出てきておるかというと、私は出てきていないように思うのですが、時子山先生は御研究になっておるでしょうから、どこにどういうふうにそれが出てきているのでしょうか。構想程度、発想の程度は比較にならぬことは明らかですが、社会開発なんというのは、もっと具体的でなければ意味をなさないのではないか、こう思うのですが、今度の処置の中で、私どもずいぶん虫めがねで見ましても、社会開発なんというものはどこにも見当たらないのですが、先生の眼識で見るならばあるいは見当たるかもしれませんので、そこをお知らせ願いたいと思います。
  12. 時子山常三郎

    時子公述人 ただいま佐藤予算ジョンソン予算に出てくる社会開発と、偉大なる社会の建設ということが比較にならぬじゃないかということでございますが、大体社会開発というものは、先進国が後進国に技術・資本を盛んに導入する。ところがさっぱりそれがはね返ってこないということでございますが、そのはね返ってこない理由は、その社会が非常な障害を持っておる、したがって、それを生き返らせるためには、まず社会開発の必要があるということから起こってきたのであります。したがいまして、進歩した国とおくれた国とでは、社会開発条件が非常に違っております。たとえば先年ウイーンの会議に私が参りましたときに、オランダの代議士から、日本は明治維新以来、資本も技術の輸入も全然受けないで隆々と仲びてきた。また戦後あの壊滅の中からどんどんと伸びてきた秘訣を教えろということを言われたのであります。そのとき私は、日本の明治維新当時の条件と、今日のアジア・アフリカの後進国の条件とは全く違うのだというお話をしたのであります。と申しますのは、近代発展をするためには、たとえばマニュファクチュアが相当程度発展しなければならぬ、商業資本の蓄積が相当なければならぬ。また日本の例で申し上げますと、三浦梅園の弁証法がすでにある、あるいは関孝和の微積分がある、あるいは十返舎一九の文学がシェークスピア時代に相当するものであった、あるいは数学におきましては微積分あるいはその他の算木というのがございましたが、これらは、いずれも未知数を入れますと代数の三元連立方程式ができる。そういうふうなすでに人間開発があったために、日本がああいう進歩を遂げたんだということを申し上げましたところが、そのオランダの代議士が非常に驚嘆しておりました。したがいまして、今日私どもが問題としております社会開発というものは、佐藤内閣の中にどこにあったかというふうにいま御質問があったわけでございますが、日本が非常に住宅において立ちおくれております。これは、西洋諸国は長い間の近代の経過を経まして、かなり潤沢な住宅を持っております。また建設様式が違いますので、住宅を持っておるけれども日本の住宅は非常に貧困である。それを考えますと、これは一つ日本の特有の社会開発と言えると思うのでありますが、住宅政策のためにかなりの予算を今度の佐藤内閣は組んでおられます。あるいは社会保障にいたしましても、やはりこれは人間の社会開発でございますが、生活保護費、社会福祉費、社会保険費、失業対策費、保健衛生対策費というようなものに対しましても、前年度予算に対して約二〇%増の予算を組んでおられるのであります。そのほか、恩給、遺族年金についてもかなりな改善をしておられます。ただジョンソン大統領のやり方と違うのは、まだ人間開発については十分な資金を盛られておらない。社会開発、ソシアル・デベロプメントが結局ヒューマン・デベロプメントでなければならない。その点は、これは本質的に佐藤内閣の社会開発とは違っておる。そこで、私、先ほど世界の情勢から教育予算の必要、教育行政の強化ということを訴えたわけでございます。先ほども申し上げましたが、今日ほんとうの社会開発を考えるには、まず人間開発でなければならない。私は、この時期の文部大臣がほんとうに行政改革をしたならば、もう次の総理になる資格があると思うくらいなのであります。  さっき、ちょっと申しおくれたのでございますが、私、留学から帰りまして、昭和十二、三年でございますが、専門部というのがございましたが、そこの政経の教務主任をいたしました。学科配当をいたしましたが、それで驚いたのは、全く自由な立場で学科配当でき、自由な人を呼んできて、そうしてこの授業をすることができた。そして卒業の資格は官立の専門学校と同じ資格を与えられておる。これが私はほんとうの私学の姿じゃないかと思ったのでありますが、それが今度の学制改革まで続いております。  ところが、さっき申し上げましたように、終戦後の私学というものは官学と全く同じ状況になっておりまして、ただ違うところは、国民の税金によってまかなわれておるか、まかなわれていないかということにあるのじゃないかと私は思うのでございます。中には、オールド・リベラリストが、私学でありながらなぜ国の経費を要求するのだというようなドンキホーテ式の発言をする者がありますけれども、事態はすっかり変わっておるわけでございまして、その意味では、ジョンソン大統領のほうのいわゆる偉大なる社会の建設というものはかなり徹底しております。いま言われましたように、自然美の保護まで祝い、ておられます。いまその原文をここへ持ってまいったのでございますが、かなりわれわれとしては学ばなければならぬと思います。佐藤さんの社会開発も、私は、池田さんの経済開発に対しまして、その経済開発をほんとうに生かすためには、その前提としての社会開発が必要であり、また経済開発の効果を生かすためにも、やはり社会開発が必要であるという点におきましては、池田さんのあとを継ぐ佐藤さんの政策としては、これを大いに伸ばしていただければいいのじゃなかろうか、こう考えておるわけであります。
  13. 青木正

    青木委員長 中澤茂一君。
  14. 中澤茂一

    ○中澤委員 芹澤先生にちょっと伺いますが、アメリカでは成長率が三ないし四で、例のクリーピング・インフレーションが問題になっているわけです。ところが、私はどうも日本の三十五年からの池田政策は、本年度の財投合わせて五兆三千億という、こういう膨大な予算を組んだものは、もはやクリーピング・インフレーションの段階を過ぎて、インフレーション段階へ入るのじゃないか、その徴候としては、国会で連日論議しておるのですが、物価問題が、もうすべてが上がってきちゃった、この悪循環が次から次と積み重ねられておる、こういう形がもうはっきりと出てきたのじゃないか。実は平和経済会議の高橋先生や、あの皆さんに数回にわたっていろいろこの問題で御意見を伺ったのですが、インフレーションと規定する段階研究というものは、まだ日本の学者の皆さん方にはできていない。しかし、私は、アメリカのクリーピング・インフレーションとはちょっと様相が違っている。そこで、いよいよ本年度の膨大な予算からインフレーション段階に突入したのじゃないか、こういう判断をしておるのですが、何か、クリーピングじゃない、もうそれが一歩前進したのだというようなお考えが先生におありかどうか、これが一点。  いま一つは、いまフランスのドゴール発言から、国際流動性が非常に資本主義国全体のインフレ問題とからんできておるわけなのですね。そうすると、決してアメリカのドルに対する巻き返しとばかり私は判断できないと思うのです。やはり管理通貨そのものにいまひとつ問題が出てきているのじゃないか。もうだれも昔の金本位制など考えていないと思うのです。しかし、何か管理通貨そのものに対する国際的な処置というものがとられなければならぬ段階じゃないか。政府は、私のそういうような質問に対しては、やあ通貨維持はもう絶体大丈夫だと言うが、私は、大体本年度の日銀の通貨維持は、平常残高で三千五百億くらいふえやせぬかと思っております。大体二兆円にいきはしないかと思っている。そうすると、二兆円にいって、要するに擬制資本であるところの先ほどの土地価格の増大ですね。特に公共事業費は、都市なんかでは大体土地用費の占める割合が道の六割から七割は占めておる。これは、まさに国富でもなければ国民所得でもないわけです。まさに擬制資本です。そういうところからますます通貨増発が重なってきた。ここに私は非常なインフレーションに突入する段階じゃないかという判断をして政府に質問したのだが、総理も大蔵大臣も、そんなことは絶対ありませんと言っているのです。この辺を学問的に、いま少し日本の経済段階の分析というものをどなたかがなさっているかと思って、私は平和経済会議の学者の皆さんにずいぶんお聞きしたのですが、まずインフレーションと規定するだけのところまではきていないという御意見なのですが、先生、それについてお考えがありましたらひとつお聞かせ願いたい。
  15. 青木正

    青木委員長 途中でありますが、時子公述人はお急ぎのようでありますので、これにて御退席になってけっこうでございます。  なお、時子公述人には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとう存じました。厚くお礼申し上げます。(拍手)  芹澤公述人
  16. 芹澤彪衛

    芹澤公述人 いまの問題もたいへんむずかしい問題で、先刻中澤さんおっしゃったように、平和経済は大体相当一流の学者が集まっておられるところですが、それでもインフレであるかないかというめどをいまきめるかきめぬかということはたいへんむずかしい問題でございます。私もちょっとはっきり申しかねるのでございますが、ただ、危険性が非常に迫っておるということは、さっき申しました、ゴム風船がふくらんで縮まらなくなったという感じ、それは、さっき申しましたように、会社が非常に金融費用がふえておる、つまり他人資本の借入金が非常に大きいということ。そして、それに対して政府が二、三年前から、自己資金でこれを借りかえをせよ、切りかえをせよというので、今度は増資という形になったら証券界のほうにショックがきた。今度は証券界のてこ入れのために共同証券、これに日本銀行が貸し付けをする、これは明らかに本来の中央銀行のやる仕事じゃございませんので、いわば滞貨金融になるわけです。こういう現象がすでに去年からことしにかけて起こっておるという金融上の変貌といいますか、それが一つあること。  それから、私もさっき触れました土地の問題でございますけれども、土地も金融機関その他有力な大企業がたくさん持っておりますので、それで、土地の国有その他の安定策が非常に抵抗があると思いますが、物価をもしかインフレにしないとすれば、これがてこの一つのキーポイントになると思います。ですから、思い切った対策をとられれば、必ずしもインフレといかないかもしれませんが、この状態を放置されれば、そこからも一つ危険性が起こってきやしないかということ。  それから、もう一つ、これも統計的現象でございますが、この一月になりましたら、まだ一時でよくわかりませんけれども、卸売り物価が上がり始めたということです。これはもちろん具体的に、企画庁の御報告では、米価の引き上げがあったのでこれが卸売り物価に影響しておるのだ、だから一時的であるとも何とも新聞では書いてございません。でありますけれども、この次に公共料金が上がる。これは、一年ストップというのにもうすでに無理がございますので、資本主義的経営で独立採算ということならば、それでまかなえというやり方をいま続けていらっしゃいますが、そういうやり方をするならば公共料金を上げざるを得ない。それをよすならば、やはり一般財政負担、中央、地方の財政負担で何らかそういう事業というものの赤字を埋めるということをやらなければ、この点からそれが回り回って必ず卸売り物価の引き上げに影響してきます。だから、現象としまして、いままでは卸売り物価は大体横ばい状態、消費者物価がずっと上がってきたわけでありますが、いずれはその消費者物価の上がったのが、今度は卸売りに一回り回って影響してくる。そうすると、いわゆるインフレの悪循環が起こってまいります。ですから、いまの御質問のとおりに、現段階はよほど思い切った政策をとらないと、そのままインフレに飛び込むかもしれない。ですから、イタリアは日本よりもかなりひどかったようでございますので、それでイタリアは、さっきの大平さんですか田中さんですかの、税金をうんと取り上げたという、思い切ったやり方をした。これは、私もイタリアは最近勉強しておりませんのでよくわかりませんけれども、かなりはげしい政策をとってきたかと思います。そういう何かやり方をしないと、このままいけばだんだんとインフレというものが表に出てくる可能性は十分そういうところにあらわれておると思います。ただ私、これはよけいな推測でございますが、さっきドゴールの話が出ましたが、確かにドゴールがドルをゆさぶる、アメリカをゆさぶるという政治的な意図もありましょうが、アメリカのドルは、一九三四年にきめました、金一オンスが三十五ドルという法律がございまして、絶えずそれで、ロンドン市場で金の値段が上がるということはドルが下がることでございますが、一九六〇年の十一月ごろ、一度一オンスについて五ドルほど金の値段が上がったことがあります。それで、この場合に、イギリスも自分の手持ち金を売りに出す。さらに飛行機でもって南アのほうから産金をすぐ運んでロンドン市場に売りに出すということまで緊急措置をした。その後は一つの秘密カルテルと申しますか、ヨーロッパ諸国、これは日本も入っておると思いますが、共同出資をいたしまして、世界の金を買い、それで、金の値段が上がり過ぎるとこれを売りに出すということをやっておりますが、しかし、イギリスのエコノミストという雑誌が、十年ほど前に、すでにアメリカのドルは一オンス七十ドルにすべきだということを書いております。それがやれないというのは、一つはメンツの問題もありますし、それから、最近は調べておりませんが、おそらくアメリカが外国から預かっておるお金が少なくとも四百億ドル前後ぐらいあると思います。それを返す問題がありますので、いままでの法律を守らなければならぬ、これは非常に無理があるわけです。ですから、ドゴールさんはその問題を考えて、かりにポンドその他が危機に瀕した場合に、フランが引きずられるのはいやだ。だから、この際もう外国為替、ポンドとかドルを持つぐらいならば金にしたほうがいい。これは、日本では三井銀行の佐藤喜一郎さんが七、八年前に、日本政府はなぜ一体金を用意しないか、あぶないじゃないかということを言われたことがありますが、あれは珍しく金融界であの方だけだったのです。まあ外貨を預金しておれば、利息が幾らか入ってくるからいいというのでございましょうが、もしドルが下がれば、日本の円はそのままずるずる下がるわけです。だから、池田さんはたいへんおえらいのじゃないか。あれは下村さんが相談役になっておられたようですが、下村さんの考え方でも、どうせ一九六〇年にドルの危機が来たのだから、もう一ぺん今度はポンドの危機がくればドルは落ちるだろう。そうすると日本は、何も日本政府責任でなくても、ドルが半分になれば日本の円も三分の二なり半分になります。平価切り下げを自力でなしに、アメリカさんのおかげでできる。そこまで考えておればあまり責任を痛感せぬでもいいじゃないかという、これは想像にすぎません。あるいは池田さんは、ほんとうはそうだとおっしゃるかもしれませんが、まあ大体そうだとすれば、相当見通しは遠大なる理想を持っておられたことと思います。私、いまの感じでは、そういうこと以外にお答えできません。お許し願います。
  17. 青木正

    青木委員長 簡単にお願いします。
  18. 中澤茂一

    ○中澤委員 そこで、管理通貨そのものの問題として先生のおっしゃった、佐藤さんのおっしゃったいまの金の手持ちの問題ですね、いま日本は三億六百万ドルぐらいしか金の手持ちはないわけですね。だから、他力本願で平価切り下げになるという。それも確かに一つの考え方だと私は思うんですよ。だけれども、そういうことじゃなくて、金の保持というものが少ないところにも、私は、インフレーションに入った場合非常に加速度的に問題が出ていく危険があると思うのです。私は、いまの日本の経済の状況を見ていると、これはもう政府はインフレ基調で政策を進めていくよりしかたがないだろう、要するに、日本の高成長というものは体質になってしまった。そうすると、インフレ政策を進めていって、どこかでデノミネーションを打つ以外に手がないのじゃないか、私はこういう判断をしておるのですが、先生、その点、一問だけひとつ……。
  19. 芹澤彪衛

    芹澤公述人 いまの御意見、私もごもっともと思います。実際いい悪いの問題は別といたしまして、新聞の記事を私読み上げましたけれども、手の打ちようがないというのがおそらく現状だろうと思います。そこで、どこかで平価切り下げをしなければならない。そうすると、非常にこまかい、たとえば地価対策であるとか、中小企業の近代化であるとか、いろいろなところで幾らかずつ手直しを、まあこう薬ばりでございますが、それをやっておいて、それで外国の通貨に何か異変の起こったときに、それにつれて日本の平価切り下げをやれば、政治上の責任は軽くなる。そして、そこで再出発をする。実はさっき大内力さんの本を読み上げましたのは、管理通貨というものになったときに、そういうふうにじわじわ物価を上げて、相対的に賃金水準を下げてくるということ、これはハイエクという学者ははっきり言っておりまして、資本主義も最後の段階になると、労働組合が非常に強くなってきて、これは向こうでは、労働組合も一つの独占というのですが、とにかく賃金のアップを押えることはできない。このハイエクという人はイギリス労働党の顧問ですが、その場合には、通貨価値を落とすことによって実質賃金を下げていけば、資本主義が長生きができる。これが管理通貨の本質であるということを言っておられます。大内さんはそれを引用しておりませんけれども、ケインズという人の偉大な発見というのはそれなんです。ケインズは、前のピグという経済学者の批判から、あの雇用理論という本が出たのです。そのピグの理論が間違っておるというケインズの出発点は——ピグの場合には、労働者というものは実質賃金で雇用条件をきめるのだ、つまり自分の生活ができるという条件がなければ働かないということで経済学をつくっておるが、それは誤りである。労働者というものは、実質賃金には非常に鈍感である。むしろ名目賃金、つまり貨幣賃金に非常に敏感である。これはアメリカイギリスの組合の例を見ましても、アメリカでもそれはわずか一セント、二セントの賃下げでもたいへんな騒ぎになりますね。百日ストになります。しかし、物価が上がってそのために実質的に賃金が一割下がっても、そう感じない。それをケインズが言っておるわけです。管理通貨は、意識的に金本位を放棄したのではないのでございますが、やった結果は、そういう効果があるのだ。それによって資本主義が長生きができるということをケインズは指摘したと私は思います。池田さんが高度成長政策をとられたというのも、そういう理論を十分御了承の上で——下村さんは知っておる——それをやられたとすれば、なかなか巧妙な政治である、こういうふうに私考えます。そのかわりに、ある程度まで発展しますと、インフレはブレーキがきかなくなります。ブレーキがいまきかなくなる段階にきていることは確かだ。ですから、それから先は、どうもまあ学者というものは、大内力さんもよく言うの一ですが、前向きの議論をするのは易者がすることで、われわれはそうしちゃいかぬということでございます。その辺でごかんべん願います。
  20. 中澤茂一

    ○中澤委員 どうもありがとうございました。
  21. 青木正

    青木委員長 以上で質疑は終了いたしました。  芹澤公述人にお礼を申し上げます。長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとう存じました。厚くお礼申し上げます。  午後は一時より再開することといたします。  暫時休憩いたします。    午後零時十分休憩      ————◇—————    午後一時二十二分開議
  22. 青木正

    青木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  昭和四十年度総予算についての公聴会を続行いたします。  本日午後御出席公述人は、慶応義塾大学教授大熊一郎君、民主社会主義研究会議事務局長和田耕作君であります。  この機会に御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙中のところ御出席いただきまして、まことにありがとう存じます。厚くお礼申し上げます。御承知のとうり、国の予算は国政の根幹をなす最重要議案でありまして、当委員会といたしましても、連日慎重審議を続けておるわけでありますが、この機会に各界の学識経験豊かな各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ各位におかれましては、昭和四十年度の総予算に対しまして忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存ずる次第であります。  御意見を承る順序といたしましては、まず大熊公述人、続いて和田公述人の順で、おおむね三十分程度において一通りの御意見をお述べいただき、その後、公述人各位に対し一括して委員から質疑を願うことにいたしたいと思います。  なお、念のために申し上げますが、衆議院規則の定むるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ること、また公述人委員に対しまして質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御承知おき願います。  なお、委員各位に申し上げますが、公述人各位に対し御質疑のある方は、あらかじめ委員長にお申し出くださるようお願いいたします。  それでは、まず大熊公述人から御意見を承りたいと存じます。大熊公述人
  23. 大熊一郎

    ○大熊公述人 明年度予算につきまして、私の感想を述べさしていただきます。  予算の支出面におけるいろいろな内容につきましては、すでにいろいろの批判が出ております。私は、今回はそうした支出の内容にあまり立ち入ると申すますよりは、いわば財政政策の観点から、財政の規模あるいは予算のきめ方等について若干の感想を述べたいと思います。  まず、明年度の予算につきましては、財源難ということが前提になりまして、そうして自然増収が四千八百億円、そのうち八百二十億円の減税を行ない、そうして残り四千億円程度が支出予算の増加に充てられる、こういう形できまったわけであります。ところで、この財源難ということは、これは明年度の自然増収が少ないということでありますが、この明年度の自然増収と申しますのは、今年度の税制を一定にして、明年度の国民所得を見積もった上で算定されるわけでありますから、したがって、財源難といいますのは、もっぱら明年度の国民総生産、GNPの名目成長率一一・〇%という見通しに依存をしているわけであります。  ところで、従来、経済見通しといわれるものは、実績に比べていつも少な目であったということは事実であります。成長率の見通しとその実績とがほぼ一致したと申せますのは、大体三十三年くらいでありまして、最近では年々ずっとこの見通しよりも実績のほうが大きかったわけであります。つまり、例を申しますと、三十八年度は、見通しの八・一%に対して、実績はその二倍の一六・三%である。三十九年度は、見通しの九・七%に対し、実績は一二・九%。こういうように、よほど経済界に大きな変動がない限り、やはり一一・〇%というものも過小な見積もりになるであろうということが想像されるわけで、あります。  しかし、ともかくそうした中で組まれました一般会計予算は、前年度当初予算に対して一二・四%の増加であります。このことは過去の増加率に比べてかなり緊縮的であるということはいえるわけであります。例を申しますと、たとえば、三十七年度は一般会計の前年度予算に対する当年度予算の増加率は二四・三%、三十八年度は一七・四、三十九年度は一四・二%でありますから、一般会計の一二・四%というのは、かなり緊縮的な性格を持っているということはいえると思います。ただ、もちろん、財政投融資のほうは前年とほとんど同じパーセンテージで増加しておりますから、この一般会計の緊縮が結局財政投融資にしわ寄せをされているということは、これも否定できないところであろうと思います。このような一般会計の一二・四という低い伸び率を見込んだ予算というのは、それに匹敵しますものは、ちょうど三十五年度の一般会計予算の増加率が一〇・六%というわけでありますから、それに匹敵するわけであります。ただ、三十五年度の一般会計予算の増加率というのは、その年のGNPの増加率を下回ったという事実があります。それ以後は、当初予算の増加率というものは常にGNPの増加率を上回ってきております。はたして明年度、四十年度の予算の増加が成長率を下回るかどうか、そこが問題になるわけであります。  このような緊縮的な形の予算といいますものは、これがほとんど物価の騰貴であるとか、ベース・アップというようなことで既定の経費が増加をした部分に相当するといたしますと、財政支出が非常に弾力性を欠いている今日では、もしも成長率が鈍化をしたならば、財政のGNPに対する負担割合というものは当然増大をし、今日行なわれている健全均衡財政という一つ財政原則は大きな支障を来たすことになると思うわけであります。  そこで、こうした予算のきめ方について二つの問題点があります。  第一点は自然増収と財源難といわれる問題でありますが、先ほども申しましたとおり、自然増収が見積もられるのは、成長率の見通し名目一一〇%というものに依存をしているわけであります。そうして、もしこの成長率が実際の成長率と大きく変われば、たとえば今日までの例のように、実際の成長率がこの見通しを大きく上回れば、そのたびに財政には大きな黒字が生じてくるわけであります。問題は、このように一体成長率の見通し——予算を編成するにあたっての大前提となる成長率の見通しというものには一体どういう性格を与えるべきかという問題であります。もしこの成長率一一%というものが——まあ一一%というのはかりに想定をしたわけでありますが、もしもこの見通し一一%というものが単なる見通しであるならば、単なる見通しによって自然増収を計算し、それを予算編成の基礎にするということは、あまり意味がないわけであります。そうではなくて、この成長率の見通しが、実はこれは経済計画上必ず守らなければならない性質の成長率であるとするなら、そのときにはじめて自然増収に財政規模の限界を求めるという政策は意味が出てくるわけであります。したがいまして、インフレーションあるいは国際収支の赤字、その他いろいろな制約条件のもとで、どうしても安定成長率は一一%が望ましいということであるならば、むしろ財政政策は、予算はそのもとで組みますが、積極的にこの一一%という成長率を維持するような努力が財政政策を通じてなされなければならない。そのときにはじめて現在のような予算の編成方針が意味がある。つまり、見通し一一%があくまでも守る必要のある計画的な成長率であるということで、はじめて現在の予算の編成に意味があるわけであります。そういう意味で、私は、この中期経済計画その他にあらわれているGNPの成長率というものの性格をはっきりさせる必要がある。むしろこれを、やはり安定成長のための守るべき計画数字、経済計画上の数字と考えて、そうして、それを守るように財政政策を運営をするというのが望ましいと思うわけであります。  それから第二点は、先ほど申しましたように、たとえこれが見通しであり、実績が大きく上回るといたしましても、年々一般会計の予算伸び率はGNPの伸び率よりも大きいわけであります。したがって、そこには思い切った財政支出の増加がなくても、やがて財政支出の財源をもっぱら租税収入に求めるということは困難になる時期がくるわけであります。そこで、そういうときに、当然その赤字を埋め合わせるための措置ということが問題になりますが、私は、そういう状態に立ち至る前に、むしろこの際、積極的に国債発行政策というものを考慮すべきである、こういうふうに考えるわけであります。そうして、もちろん国債の発行は、これは主として民間の買い入れによる、つまり民間によって消化さるべきものでありますが、それによって、国債の発行を通じて金融政策との十分な協力も行ない得るという副次的な効果も伴なうわけであります。もちろん国債の発行が単なる赤字の穴埋めという形で行なわれることは、決して望ましいことではない。したがって、そうなる前に、国債政策についてはっきりした考えを打ち出しておく必要があるというわけであります。つまり、今日、御承知のように国債にかわって、政府保証債という形で非常にそれが増大をしてきております。今年度の予算にもそれがあらわれておりますが、そういう形で政府の債務を民間に負わすよりも、むしろ国債を発行して、少なくとも公共投資の相当部分を国債発行によってまかなう、そして副次的に金融市場の正常化をはかっていくというのがやはり望ましいし、予算が窮屈になったときに初めてそういう国債の問題を考えるよりも、今日において十分早目に検討をする必要があると考えるわけであります。  ところで、この明年度の予算については、支出面については具体的な問題には触れませんが、しかし、幾つか支出のしかたについて問題点があります。  第一は、これは財政投融資について、政府出資というものが三十九年度のほぼ半分に削られ、そのかわりに利子補給という形の新しい財政支出の形態——もちろん新しいというのは、これまでなかったという意味ではありませんが、そういう形態が大幅に取り入れられている。あるいは債務負担行為という支出形態が大幅に取り入れられているということであります。こうした方式がはたして望ましいかどうかという問題でありますが、この利子を補給をするということは、これは結局将来にわたって財政負担というものをかなり大きくするという意味で、はなはだ問題があるのではないかと考えられます。特にこの利子の補給が、結局において民間のあるいは政府の投資の大きさに依存をしているわけですから、ずるずると次第に大きくなってくるおそれがあるわけであります。財政には、景気がよくなると税収がふえ、景気が下がると税収が減少をするという意味で、税率の構造の中に自動安定装置という、一つの自動的に景気を安定する効果を持った仕組みが仕組まれております。もし利子補給というものをそういう見地から考えますと、むしろ自動不安定装置といわれるものになるおそれがあるのではないか。この点がいささか心配な点であります。  それからもう一つは、このように財政投融資の出資を大幅に減らすということは、結局それを民間の債務、特に政府保証債の発行という形でこれを肩がわりさせているわけであります。今日民間に公社債市場が育成されていない現状におきましては、政府保証債の増大というものは民間の金融市場をかなり圧迫する材料になるわけであります。このように、財政政策が間接的に金融面で大きな効果を持つということは必ずしも望ましくないことでありまして、こういう意味でも、本年度の財政投融資が一般会計のしわ寄せを受け、それが民間資金市報に影響を与えるという、このマイナスの効果を心配するものであります。支出の形態については、そういう点が問題でありますが、もう一つ財政投融資について私の感想を述べさせていただきたいと思います。  そもそも財政投融資というのは、政府の民間への貸し出し並びに政府企業の直接投資を含んでいるわけでありますが、これは結局政府の租税でまかなわれた資金と、それから郵便貯金とか政府保証債というような民間から借り入れた資金でもって財政投融資が行なわれる。そうして、それが何らかの政策目的に基づいていろいろな企業あるいはその他の団体に配分をされる。いわば財政投融資計画が投資資金の再配分計画という機能をになっているわけであります。ただ、現状におきましては、特にこの政府関係の金融機関がそうした投資資金の再分配計画をになっているわけでありますけれども、しかし、現状のように政府関係の金融機関が多数乱立することは、そうした財政資金の再分配計画というこうした資金計画を非常に阻害するおそれがある。資金の流動性を阻害をするおそれがある。したがいまして、できるだけ政府関係の金融機関というものを整理いたしまして、そうして、従来から貸し付けた財政投融資資金の回収金も含めまして、もっと流動的な財政投融資計画、言いかえれば、財政資金の再配分計画というものを立てる必要がある。こういう意味では、今日の政府関係機関の乱立というものを十分整理する必要があるのではないかというふうに考えられます。  それからもう一つ、これは収入面でありますが、収入面では、これは税制調査会の答申に基づいて、明年度自然増収のほぼ二〇%を減税に充てるという線に沿って明年度の減税も行なわれているわけであります。このような減税の基準が自然増収の二割という形できめられましたことは、従来のように、租税負担率が国民所得の二割あるいは二割何がしというような形できめられるのに比べると、一歩前進であるということは確かであります。しかしながら、本来減税といいますものは、これは政府の経済成長並びに経済安定という見地から行なわれる政策でありまして、この減税の割合自体を固定してしまうということは、これは実はそうした経済の成長安定のための財政政策からいうと、まだもの足らない点があるわけであります。  今日日本財政は、経済の安定という面においてはもっぱら金融政策にしわ寄せをして、財政はほとんど関与しないというようなことが申されております。財政政策と金融政策とどちらが経済安定政策にとって有効かということにはいろいろの論議がありますが、少なくとも今日の新しい財政政策のあり方としては、それがやはり経済安定のための重要な方法、手段であるということは見のがせないわけであります。したがいまして、今後こうした減税というものが、そうした経済安定のための財政政策という見地から、もっと弾力的に柔軟性を持って取り扱われる必要があると思います。  われわれがこの租税について考える考え方といいますのは、単に租税はこれは支払うのが国民の義務である。したがって、本来この負担はできるだけ軽くて、そうして国民生活に大きな影響を及ぼさないほうがいいという考え方があります。しかし、今日の政府の大きな財政規模を通じてながめましてもわかりますように、民間部門に対する公共部門というものの持つ地位というものは、経済的にも、社会的にも、われわれ個人の生活にとってきわめて不可欠な部分を占めているわけであります。したがいまして、われわれが支払う税金というものも、これは政府の手を通じて提供をされる公共サービスをわれわれが受け取るための一つの対価である、こういう考え方も成り立つわけであります。もっとも、これが成り立つためには、政府の支出の中身というものが、十分国民の公共の利益にこたえるものでなければならないことは当然であります。もしそう考えますならば、われわれにとって租税の負担というものは、これは公共サービスの対価でありますから、単に租税面だけで負担が重い、だから減税しなくてはならないというのは、若干片手落ちの議論であります。むしろ私は、減税政策というものは経済安定のための財政政策としての見地から弾力的に行なうべきものである。租税の負担が重いか軽いかという問題は、これは何で判定をするか。私は、やはり、もしそれが公共の利益のための租税負担であるならば、それが減税にならなくてもある意味ではやむを得ない。今日日本の租税負担率が世界的に見てきわめて低いことは御承知のとおりであります。ただ問題は、やはり同じ税金を負担するのに、できるだけ公平に負担をする必要は、これはあるわけでありまして、私はむしろ税負担に関しては、減税よりも負担の公平ということにもっともっと積極的に重きを置いてやっていただきたい。若干の税金が減るよりも、負担が公平であるほうがわれわれにとってはよほど負担の感じの軽減になるわけであります。  以上、本年度の予算を中心にしていろいろ申し述べてまいりましたが、最後に、私の財政政策全般に対する考え方を若干述べて御参考に供させていただきたいと思います。  第一は、この政府の支出でありますが、私は、政府の支出というものは、民間の支出と切り離して独立に議論をするわけにはいかない。それからもう一つ政府の支出の中には、消費的な支出と投資的支出があるという点であります。そこで、政府の消費的な支出、たとえば公共サービスの提供であるとか、社会保障であるとかいうような政府の消費的な支出というものは、これは民間の消費的支出とのバランスにおいて考えるべきものである。私は、その意味から申しますと、まだまだ政府の消費的な支出、すなわち、公共サービス並びに社会保障の大きさというものは、民間消費に対してまだまだ現状においては少ないのではないかと考えられます。  それから、政府の公共投資でありますが、公共投資も、民間投資とのバランスの上で考える必要があるわけであります。ただ、このバランスを考えるときに、やはりもし公共投資が、正常な民間の市中消化によって国債発行が行なわれており、それが公共投資の財源になるといたしますならば、私は、公共投資と民間投資とのバランスというものは、国債と民間の債券との証券市場における競合、せり合いを通じまして十分両者のバランスをとることができるというふうに考えます。公債の発行が往々インフレに通ずるというふうなことは、今日ではほとんど問題にする必要がないかと思いますが、ともかくそうした形で、私は、公共投資は国債を発行することによってその資金の相当部分をまかない、そうして、民間投資と公共投資との調整、バランスというものが、自由な証券市場を通じて行なわれることがやはり望ましい、こういうふうに考えるわけであります。  それから、最後に、経済安定のための財政政策でありますが、先ほどもこれは繰り返し申しましたが、ただ、ここで、こうした経済安定のための財政政策というのは、財政を通じて有効需要、すなわち消費需要、投資需要という有効需要を調整するのが主目的でありますが、どうしてもそこで副次的に金融市場への影響というものがあらわれてきます。私は、やはり経済安定のための財政政策というものは、有効需要の調整に重点を置くことにし、そこから派生する金融市場へのいろいろな逆効果というものはできるだけ排除する対策で行なう必要があるということ、それから、今日のような有効需要調整のための財政政策は、成長経済のもとでは、この減税の幅を調整することによってかなり行なうことができるという点であります。  以上、最後に私の基本的な考え方をつけ加えまして、公述を終わらせていただきます。(拍手)
  24. 青木正

    青木委員長 ありがとう存じます。  続いて和田公述人にお願いいたします。和田公述人
  25. 和田耕作

    ○和田公述人 私は、民主社会主義研会議の事務局長といたしまして、蝋山政道さん以下百六十人くらいの第一線の大学の先生方と平生、いつもいろいろ意見をかわしております。したがって、これから申し上げることは、このような方々がいつも話をしておる問題点について、私自身の責任でとりまとめた意見を皆様方に申し上げまして、何とかひとつ国政の、あるいは予算の審議に参考にしていただきたいと思う気持ちで申し上げたいと思います。  私は、以下三つの点について申し上げたいと思います。第一点は、予算の編成あるいは遂行についての根本的な問題でございます。第二は、当面の文教政策についての具体的な幾つかの提案でございます。これは、まあ主として文教政策の量的な問題になると思います。第三点は、現在の民主社会において最も必要とされるような教育の質的な問題について申し上げてみたいと思います。  まず、佐藤内閣総理大臣は、早くから所得倍増計画の実施に伴う産業、経済、社会に起こりつつあるひずみの問題に対して真剣に取り組まなければならないということを指摘されております。また、この昭和四十年度の予算計画も、このような観点から佐藤構想というものが取り入れられておるといわれておりますし、また、その名も社会開発という名前で呼ばれておるわけでございます。経済成長の成果が国民の真の福祉と結びつくようにというのが、その政策の基調だというふうにいわれております。このような立場から予算に盛られております物価対策、あるいは中小企業や農業対策、また社会保障政策の充実、文教政策振興と、いろいろと出ておるわけでありますけれども、実際に本国会に提出されておる予算の内容を見、また佐藤内閣が成立して三カ月間におやりになった実績等を考えてまいりますと、この社会開発として宣伝しつつある政策の内容とその実際の実態と存じますかはいささか大きくかけ離れておるような感じがするのでございます。いい例が、物価引き上げを抑制するために根本的に取り組むというふうな言明をされておりますけれども、実際はその逆でありまして、米価、医療費その他の公共料金の引き上げが行なわれておることは、御承知のとおりでございます。その他一般物価も、これに便乗して追随するというような形勢もありますので、このようなことが続いておりますと、賃金の問題について適正な、合理的な立場をとれというふうに何ぼ申されましても、これはとてもできない相談になりはしないか、つまり国民の協力を得られないことになりはしないか、こういうふうに思うわけでございます。私は、この物価対策に象徴されるような佐藤内閣の政治の方向にほんとうに深刻な不安を持つものでございます。  ここで思い出しますのは、池田前総理が所得倍増計画を掲げて登場してきたときのことであります。所得倍増計画というものは、働く者の生活などはいわば二の次にして、設備の拡大、経済の成長と奔馬のように日本経済の拡大に拍車をかけていったときのことを思い出しておるのであります。当時の自民党の政治は、いかにもさっそうとした自民党らしい政治を行なっていたという感じがいたします。大企業中心の自由放任の政策は、まことに目をみはるような成果を得た、これは高く評価したいと思うのでございます。しかし、それは当然行き詰まる時期があるわけでありまして、現在その行き詰まりの段階にきているということで、物価問題以下のさまざまのむずかしいひずみが出ておるというわけでございます。このような問題は、驚くべき農村からの都市への労働力の流入、あるいは社会環境の悪化、青少年の不良化等の問題もあるわけでございまして、また教育上の問題でも、たとえば物質の偏重、精神的なものを軽視しているというような問題も、さまざま出ておるわけでございます。  私は、ここでよく考えるのでありますけれども、本来であるなれば、多くの先進諸国の政治が物語っておりますように、このような変化した局面を合理的に調整し、打開し、立て直すためには、同じ自民党の政府ではいささか場違いではないか。自民党の政府がそういう問題をやり、そういう悪い結果が出ておるわけでありますから、同じ自民党の政府では、なかなかこういうふうな問題を収拾することは困難ではないかという感じがあるわけでございます。つまり、そういう問題点を持っておる。ほんとうであれば、ここでつまり政治の政策の基調を異にする革新勢力というものが登場をして、そしてこの対策に当たるのが必要な時期であります。たとえば物価の問題にいたしましても、賃金の問題にいたしましても、あるいは生産性の向上の問題にいたしましても、すべて現在の社会のひずみといわれる重要問題は、その政策の基調になっておる国民勤労大衆の心からなる協力なしには打開できない問題ばかりだと思うからであります。このような意味から、つまり行き詰まった保守党の政権では、国民の心からなる協力がなかなか得られないのではないか。このような意味で、私は先ほど申したように、場違いな感じがするということを申し上げているわけでございます。しかし、このようなことを申しましても、これは保守党の政府のことではありません。むしろ野党の有力な方々の問題だと思いますけれども、こういうふうにあることが望ましいといっても、事実はそうでない。野党の第一党を占める方々は、そういう政権を獲得する準備がない。極端に言えば、その気になっていない。こういうような問題もありまして、こういう点につきましては、こういう会場で何とも申しますけれども、野党の皆さん方にもひとつ心から反省をしてもらわなければならぬのじゃないか、こういう感じがするわけでございます。いろいろそういうことを、私は全般的にぜひともこういう機会に申し上げてみたいと思いますので、何かちょっとこれこそ場違いな発言のような感じもしますけれども、一言申し上げた次第であります。こういう気持ちを持ちながらも、何とかひとつ佐藤さんの政治でうまくやってもらいたいという気持ちが一ぱいでありますので、そういうふうな気持ちから、これから第二点の問題について、若干教育政策の具体的な問題について申し上げてみたいと思います。  つまり、総理も、この予算の説明において、たいへん教育政策というようなものを重視するのだということを申しております。また大蔵大臣も、教育水準の向上、教育環境の整備等をはかるというような問題、教科書の無償給与の拡大、学校給食の拡充、僻地教育、特殊教育振興等々、各般にわたってきめこまかい配慮をしたという御説明を申しておるわけでございますけれども、どうももっと具体的に内容を見てみますと、確かにきめこまかいわけですけれども予算のきめがこまかいだけであって、気持ちが必要な教育のところにさめこまかくしみわたっていないのじゃないかという感じを持つわけでございます。ここで一つの例としまして、本年度の教育予算の中に一つの重点的なものとして取り上げられているものに特殊教育というものがございます。この特殊教育の項目には、本年度は二十六億という金を計上しております。そして、これは昨年度の二十億円に比べますと、約六億円の増加になっております。しかし、この特殊教育というものの内容を見ますと、これは六つくらいのかなり大きな問題を内容に含んでおる。定時制の教育だとか、あるいは通信制の教育だとか、あるいは僻地の教育だとか、さまざまのその他三つ四つの内容が含まれておって、そのトータルが二十六億、去年に比べて六億円の増加ということになっておるわけでございます。この説明の中には、非常に力を入れたようなことですけれども、実際はたくさんの重要な特殊教育の問題に対して六億円の増加しかしていないということと、ここに問題にしたいつまり身体障害者を中心とする特殊児童の教育に限ってみますと、四十年度の予算には全体でわずか六億、二十六億の中の六億しかこの特殊児童の教育に費やしていない。この六億という金は、三十九年度の予算に比べますと、これは四億八千万円ですから、一億二千万円の増加になっている。こういうことは、申すまでもなく物価高あるいは経費の一般的な増加というようなものも考えなければいけませんので、実際に特殊児童の教育対策として盛り込まれた額はほんとうにわずかなものじゃないかという感じがするわけでございまして、最初に申し上げたように、非常に宣伝はされますけれども、実際の内容から見ると、それほどでもないという感じがするわけでございます。と申しますのは、日本では現在百六万人というたくさんの特殊児童がおられます。つまり身体障害を持っておる特殊児童がおるわけでございます。この百六万人という数は、義務教育の年齢に該当する人の数でございます。この人たちは、政府の施策がかなり貧困でありますので、極端な教育施設教育の不足を来たしております。そのために、特殊児童の教育に就学できる比率を申しますと、精神薄弱児、これは七十三万人もおりますが、その中のわずか七・二六%しか就学できない。また手足の不自由な子供、これは五万八千人もおりますけれども、その中の一二%しか学校に行くことができない。身体虚弱児、病弱児というものが二十三万人のうちで二・三三%、あるいは盲ろう児、目や耳の見えない、あるいは聞こえない人が、三万四千人のうちで半分くらいしか学校施設につくことができない、こういう状態でございます。私は思うのでありますけれども、このような問題は、つまり日本が近代的な先進国である、民主国であるというなれば、何をおいても先にやっておかなければならない問題という感じがいたす、またやる気になれば、そうたくさん金のかかる問題ではない、こういう問題がたくさんまだ残っているということを感ずるわけでありまして、またこのような子供を持っておる父親あるいは母親は、たいへん大きな苦労をなさっている。こういう問題は、しかしおとうさんやおかあさんだけが苦労をするという問題ではないのじゃないかと思うわけでありまして、何とかひとつ皆さん方の力によりまして、こういう問題を一日も早く解決できるようにお願い申し上げたいわけでありまして、当然国がこの基本的な設備に対しては一〇〇%の金を出すべきだというふうに、私は感ずるわけでございます。こういうことは、外国に比べていかにおくれておるか、一流国ということではなくて、もっともっと中流国の外国におくれておるかということは、パラリンピックの競技で如実に示されたことでもありますので、何とぞひとつ皆さん方のお力添えをぜひともお願いしたいと思うわけでございます。  次に問題にいたしたいのは、つまり近代国家の教育の基本的な一つの要請といたしまして、すべての国民高等教育を何とかして与える方法を考えなければいけないのじゃないか、これが一つの根本的な問題だと思います。これはいわば近代国家のなすべき義務というふうな気持で考えなければならない問題じゃないだろうかと思うわけでありまして、こういう立場から、現在いろいろ問題になっております私立大学の問題、私立学校の問題と定時制等の問題について若干意見を述べてみたいと思います。  まず、私立大学の問題でありますけれども、これは、午前中に他の専門的な方が申されたようですから簡単にはしょって申し上げます。私立大学授業料の値上げというものは、まことにすさまじいものだと思います。一、二の大学の例をとってみますと、最近大問題になった慶応大学——ここにおられる大熊先生も慶応大学の出身ですから、どうも言いにくいことが多いのですが、慶応大学の例をとってみますと、文科では十六万五千円から二十八万五千円に、医科では四十六万円から六十一万円に入学する場合のお金が引き上げられておると聞いております。これは、御承知のように、学生が親孝行ストライキというようなものをやりまして、そうして検討中だということでございますけれども、こういうような状態でございます。また比較的少ないといわれる中央大学の例を引きましても、文科が十一万三千円から十四万九千円に、理科が十五万七千円から二十万三千円ということになっておるようです。また東京だけでなく、関西の例を見ますと、関西大学の例では、文科が八万七千円から十三万四千円に、工科が十一万六千円から十八万四千円に、それぞれかなりの入学の場合の授業料その他の引き上げをしておるということでございます。  こういうふうな事態がどうして起こっておるのか。いろいろ物価が上がっておるから、入学費授業料も上げなければいかぬという一般的なことはわかりますし、また政府もなかなかこれに対して、おまえさん上げるなということも言えないような弱みを持っておると思いますけれども、それにしても上げ方がかなり大幅なことが注目されるわけです。これにはいろいろむずかしい問題がありそうですし、時間がありませんので詳しいことを申し上げることはできませんけれども学校として完全なことをやっておるか、これは、やっておるとは言えないと思います。いろいろ問題があると思います。思いますけれども、とにもかくにも、この私立大学の経営がたいへん苦しいという事実は否定すべくもない。何とかこれは見る必要があるのではないかと思うわけでございまして、私が先ほど申したように、全国民高等教育をできるだけ公平に与えなければならぬという基本的な要請から見て、もっと国が真剣にこういう問題と取り組む必要があるというふうに思うことだけを申し上げまして、できるだけ合理的な形での国庫補助、あるいは私立大学への寄付金に対する免税措置等々のたくさんの問題があると思いますけれども、そういう問題について適切な御配慮をお願い申し上げたいと思うわけでございます。また当然国の税金を使うわけですから、その税金がどのように使われておるかということについての監査等の問題も、これは私立大学当局と具体的に打ち合わして、しかるべき合理的な点に到達することも可能ではないかと思うわけでございまして、何とぞひとつお願い申したい。と申しますのは、これは文部省の調査でありますけれども、いまの大学学生の約三〇%は五万円以下の収入しかない家庭から出ている。大学生の三分の一の人が五万円以下の収入しかない家庭から出ているという事実だけを考えましても、つまり五万円以下と申しますと、大学生を一人出すためにはたいへんな苦労をしなければならない。それでも子供のために血の涙で出している家庭が非常に多いんじゃないか。金がなければ勉強しなくてもよろしいなんということは言えますまい。そういうこともぜひひとつお考えになっていただきたい。しかし、この問題は非常に複雑な問題ですから、とにかくすべての人に、先ほど申したように、高等教育を与えなければならない。これが近代国家のイロハだという点から、真剣に取り組んでいただきたいと思うわけでございます。  すべての人たちに高等教育をというもう一つの重要な問題は、これは、私一昨年のこの場での公聴会でもそれを中心に取り上げた問題でありますけれども、定時制高校の働いている人たちの問題であります。もっと一般的に申し上げますと、働きながら高等教育を何とか獲得したいと願っておる人たちの問題だと思います。一昨年私この場でいろいろ問題を取り上げて申し上げたのでありますけれども、そのときは、特に皆さん方の相当な人たちからそうだそうだという答えを得たのでありますが、しかし、私が公聴会で述べたことに対しては、たいして反応はなかった。それから半月くらいして、池田総理が北海道のNHKの聴取者からの投書という形で、かなりジャーナリスティックな形でこれを取り上げられたということを覚えております。私は、自分が取り上げたことを私の点数にしたいというさもしい気持ちはありませんけれども、内心少し心外なことでございました。こういう公式の場でもっと系統的に、もっと真剣に取り上げたことに対して御返事なさらないで、一聴取者のあれに答えるという形で取り上げられたのでありますから、ちょっと心外に思ったのですけれども、まあそんなことはどうでもいいです。とにかくあのこと以来、定時制の問題が大きく国の政治の中に組み入れられたことを感謝しております。  しかし、問題は、ほとんどお金を使うような形で解決されていない、いろいろなことで何とかめんどう見てやろうという形で解決されているということでありまして、問題はそういうことでなくて、働いておる人たちが、また向学心に燃えたりっぱな日本の若い国民たちが、自分のからだをすり減らしてへとへとになって、そしていよいよ力尽きて学校をやめるということがないようにしてもらいたい。そして、できることなら学びながら会社のほうの配慮、あるいは政府のいろいろな施設等によって高等学校を卒業する、あるいは大学を卒業するような資格が得られるような、そういう道に対してもっともっと真剣な配慮をしてもらいたい。実はすべての国民への高等教育という問題は、そういう問題を解決することなしには解決できない。ただ全部の人たちを全日制の高等学校へはめる学校をつくれ、教師をたくさんつくれ、こういうような御主張をなさる人もありますけれども、つまり高校全入、これは非常に形式的でありまして、事実内容的にいってもそう好ましいことだとは私は思わない。いま申したように、働きながら向学心に燃えている人、その人に対し、その人にふさわしい教育が何とかできるように配慮をしてもらいたいと思うわけでございます。こういうような問題が、具体的に、しかもこの予算にはほとんど載っていないという問題でございまして、ぜひともひとつお願いしたいと思います。  最後に、当面の日本教育問題を見て特に感ずる点でございますけれども、これは、ある大学総長に直接聞いた笑い話みたいな話ですけれども、真偽のほどはむろん知りません。明治神宮の外苑に絵画館というのがあります。そこにある親子連れが絵画館を見に行った。そうすると、その子供が、あっ、アラカンがおる、こう言った。アラカンというのは、御承知のとおり嵐寛十郎さんですね。明治天皇の役に扮した嵐寛十郎さんのこと。明治天皇のお写真を見て、子供がアラカンだと、こういうふうに思う。これはきわめて明朗な話ですけれども、よく考えてみますと、このあたり日本の現在の教育一つの盲点が示されているような感じがしてしかたがないと思うのであります。つまり、一口で申しますと、民族の歴史に対する確信を持たない教育の欠陥とでも申しますか、そういうふうなもののずぼしをついているという感じがするわけでございます。近代日本の独立を獲得した明治政府、その象徴である明治天皇という人に対しては、それ以上のことを教える必要はありません。また、それ以下のことを教える必要もないと思います。このような問題を避けて通るという教育の基本的な態度というものを、もうそろそろ計画して、もっと系統的に検討して直す時期ではないかという感じがするわけでございます。  もう一つの問題でありますけれども、これもちょっと笑い話みたいになりますが、ある新聞に載っておったことをなるほどと思ったことですけれども、人間はパンのみにて生きるものではないという、最近有名になったのは、ロシアの新しい波を代表する人たちの相ことばのようなものでございます。この人間はパンのみで生きるものではないということばをある青年のグループである人が話をすると、青年の半分くらいが、そうだそうだ、ミルクもバターも要る、こう言った。(笑声)つまり、これもきわめて象徴的な話でございまして、そのとおりですけれども、つまり、そういうふうな理解が頭へぴんとくるような戦後の教育ということが、たいへん問題だと思います。もしこの話をソ連の新しい波の人たちが聞きますと、びっくりするのじゃないかという感じがするわけでございまして、このような形で出てきておる現在の政治というものは、一言でいえば精神的なもの、人間の行動のバックボーンになるようなものについての検討が足りない。そんなことを言い出すと、何か反動的な、あるいはわからず屋というようなことばにおそれをなして、そういうものに対して意識して取り組まないという感じがあるのではないか、そういうことが思われるのでございます。  いろいろ例を引けばたくさんございますけれども、このような問題を、現在の教育の基本問題としてそろそろ取り上げる時期だというふうに思うわけでございます。  また、このようなことと関連して、わが国の民主主義の中には、とにかく利己主義、享楽主義というものがおどり出ているような感じの状態があるわけでありまして、これがこのまま拡大あるいは発展していけば、せっかくの戦後の民主主義というものも空中分解をしかねないのじゃないかという危険を感ずるのでございます。何とかもっと正しい立場で、人のために尽くそう、あるいは社会と国家のために献身しよう、あるいは民主主義的な連帯観念というものを取り戻してこようというような問題について、一段と努力を願いたいと思うわけでございます。最近よく伝えられるように、期待される人間像という問題をお取り上げになっております。たいへん一つ理由がある提案が出ていると思いますけれども、残念なことに、こういったものが出ましても、他のすべての委員会がそうでありますけれども、どういう方法でこれを実行するのかということになると、出ていない。あとで考えるというポーズはとりますけれども、結局考えられないでそのままになってしまうということでございまして、こういうような問題をせっかく取り上げられておりますから、これを実際に実行していく——間違えれば直したらいいので、実行していくような手だてをぜひともひとつお考え願いたいと思うわけでございます。  以上、少し長くなりましたけれども、私のきょうの文教政策に対する公述を終わらしていただきます。ありがとうございました。(拍手)
  26. 青木正

    青木委員長 ありがとう存じました。     —————————————
  27. 青木正

    青木委員長 これより両公述人に対する質疑を行ないます。  なお、大熊公述人にはあとの御予定の都合上、三時には退席いたしたいとのことでありますので、大熊公述人に対する質疑を先にお願いいたしたいと存じます。中澤茂一君。
  28. 中澤茂一

    ○中澤委員 大熊先生にお教えを願いたいのですが、先生は先ほど公述の中で、国債発行はインフレにつながらぬ、そういうことはない、こういうことでした。前提条件として、公共投資の国債発行だという前提条件があったようですが、しかし、国債の問題は学者の間でも全く百家争鳴、あらゆる議論が出ております。先生のはおそらく世代公平負担論というような立場にお立ちだと思いますが、私はいまの日本の現状で、先生のおっしゃるように、なるほど政府保証債が十一月末でしたか六千五百億くらいあるのです。そういう中で、むしろ国債に切りかえたほうがいいじゃないか、これも確かに私は一つの議論だと思うのです。しかし、いまの日本の経済情勢の中でも、御承知のように、資本市場の未発達という問題があるわけです。今度の政府の分離課税などは、ひとつの資本市場育成という考え方が出ていると私は思うのです。しかし、これではとても日本の市場育成などということはできないと私は思うのです。そういう資本市場の未発達がある、  それから第二点として、国債を発行した場合は、いまの財政需要の旺盛化、すなわち社会資本と一般資本とのアンバランス、そういう社会資本充実の財政需要の旺盛に対して、国債を発行したらブレーキがかからないのじゃないか、次から次へとふえていってしまうのじゃないか。それが第二点です。  第三点には、要するに通貨が昨年度で大体一兆六千億ちょっとこえておるのです。今年度はへたすると二兆円の通貨増発になる。これは午前中にも芹澤先生にお伺いしたのですが、そういうような通貨増発が行なわれ、貨幣価値が低落していくのがいまの物価高の原因だと思う。これはアメリカでもクリーピング・インフレーションが問題になっているのですが、アメリカの成長度以上の高高度成長を遂げている日本において、いま国債発行というものに踏み切ったら、私はとんでもないインフレになるという判断をしておるのですが、以上三点について、先生のインフレにならないという点についての御説明を願いたいと思います。
  29. 大熊一郎

    ○大熊公述人 私のことばが若干足りないようでしたが、公共投資の見合いで公債を発行すればインフレにならないというふうに実は申し上げたのではなくて、国債を民間に売り出して、民間で消化をすることでインフレにはならないというふうに申し上げたかったつもりであります。国債発行が日銀の引き受けという形で出ますと、これは直ちに通貨の増発につながる。しかし、私が申し上げましたのは、これは今日の政府保証債の形が曲がりなりにもそうでありますが、やはり市中で国債を消化する必要があるということであります。ただ、その場合に、御指摘のように、民間の公社債市場というものが今日育成されておりません。この場合、やはり私は国債を発行する前提条件として、もちろん民間の公社債市場が育成される必要があるということは前提にありますが、しかし、反面において、良質の債券である国債というものが民間に発行されなかったら、やはり民間の公社債市場の育成もまた十分にはいかない。こういう意味で、国債の発行と公社債市場の育成というものは、お互いにやはり前提条件となり合っているような問題がありますので、やはり徐々に育成するということと、徐々に国債を発行するということが並行する必要があるということであります。したがいまして、公共投資が国債で行なわれるからインフレにならないというのではなくて、民間で国債を消化すればインフレにはならない。むしろ民間で国債を消化するということは、もし理論的に考えますならば、それだけ民間の現金を政府に吸収するわけでありますから、その面ではむしろデフレ的な影響さえつき得る可能性もあるということであります。  それから公共投資が国債で発行されても、今日財政需要が非常に大きいから、したがってこれがずるずるとどまるところを知らないのではないかというふうなお話でございますが、もし国債が民間で消化され、市中で公募されるという形を厳守しますならば、その限りにおいて、つまり民間の国債に対する需要の面から国債の発行がチェックされることになるわけでありまして、それほどその点について心配する必要はないのではないか。ただ、もちろん何をもって公共投資とするかは、今日資本勘定のない政府の会計のもとでは、その点がむしろあいまいなので、むしろ公共投資の概念規定と、それに対する債務の償還についてのはっきりした原則というものをつくることが、むしろ重要ではないかと考えられます。  それから最後の第三点でありますが、通貨の増発が今日の物価上昇につながるというお話でありましたが、なるほどわれわれの経済では、通貨が増発されなかったならば値上げりした分の売り上げをまかなうわけにはいきませんので、物価が上昇をするという背後には必ず通貨の増発があることは確かであります。しかし、それは通貨の増発がただ需給関係を円滑にするだけでありまして、物価の上昇がすぐ通貨の増発によって行なわれたというふうに考えるのは、もう少し考えてみる必要があるのではないか。——これは、物価問題を議論いたしますと大問題になりますので、省かせていただきますが、少なくとも今日の物価上昇の原因というものは、単に通貨の増発によって行なわれるというわけでは決してないけわであります。むしろこの通貨の増発ということが、実は異常な事態、たとえば戦争直後のインフレというような事態を除くならば、それは結局通貨の増発が民間の資金市場の需給関係に影響を与え、それが民間の有効需要を増加させるという間接的な経路を通じて物価上昇にあるいはつながるかもしれませんが、直接通貨の増発イコール物価上昇となることはないのではないか、これは私の見解でありますが、そういうふうに考えております。
  30. 中澤茂一

    ○中澤委員 どうも、これは別に議論じゃありませんが、ちょっと私の考えとは食い違うのです。そうすると、先生は、いまの物価上昇というものは、例のアメリカで問題になっているクリーピング・インフレーションの問題を考えた場合に、日本の物価上昇というものは一体どういう原因からきているのか。先生は、有効需要の問題を取り上げられましたが、有効需要の問題だけでこのように物価が軒並みに一体上がるものかどうか。私がこのごろ実は政府にいろいろ申し上げたのは、やはり擬制資本というものが、土地価格の大暴騰、それから民間企業信用二十兆にのぼる中に、融通手形が大体四兆から五兆と推定される。これは完全な擬制資本です。そういう前提要件があって、やはりクリーピング・インフレーションよりか日本インフレーションはむしろ前進するのではないか。今度の膨大な財投を合わせて五兆三千億の予算で。そういう考え方を持っておるのですがね。物価上昇というのは、議論すれば、これはいろいろな議論が出てくるのですが、いま軒並みに公共企業体も物価を上げなければどうにもならぬというところに追い込まれている。水道が上がるとおとうふが上がる。すべて水関連が上がってくる。そういうのは、一体先生はどこに原因があるというふうに御判断なさっていますか。
  31. 大熊一郎

    ○大熊公述人 私は、物価の上昇にはいろいろな原因があり、需要面からも供給面からもあると思います。ただ、今日の物価上昇についていわれますことは、やはり経済の成長というものは当然構造の変化を伴うものであります。需要面の構造の変化、それから供給面の構造の変化を通じまして当然相対価格というものが変わってくる。相対価格が変わるということは、需要が増加したものは上がるが、需要が減少したものは下がるはずであります。ところが、今日の経済には、これは日本ばかりではなくて、賃金、物価すべてに下がり得ない構造的な要因がついている。そういたしますと、上がるものは上がり、下がるはずのものが下がらなかったら、全体として当然一般物価の上昇という形にあらわれてくると思います。私は、そういう意味で、構造の変化が物価の下方硬直性のもとで物価上昇に結びつく、こういうふうに考えます。
  32. 中澤茂一

    ○中澤委員 いま一つお教え願いたいのですが、管理通貨の問題、これは午前中も芹澤先生に同じことをお伺いしたのですが、フランスがドゴール大統領以来ああいう形になってきた。管理通貨というものと資本主義経済圏全体の物価上昇というものは、私はわからないんですが、何か開運があるんじゃないか。そうかといって、私は昔の金本位制に返れという主張ではありませんが、何か管理通貨というものは限界にきておるんじゃないか。ドル危機、ポンド危機、そこに管理通貨と資本主義国全体の物価上昇、これに何か関係はあるんでしょうか、どうでしょうか、その辺がよくわからないのですが。
  33. 大熊一郎

    ○大熊公述人 管理通貨の問題でありますが、私は、この国際間の決済という問題、つまり国際間の決済がどういう形で行なわれるかというときに、極端な形を二つとれば、金本位制と、それから金など要らないという意味で変動為替レートによるものというふうに考えます。ただ、それと今日の国際的な物価上昇とを直接結びつける理由はあまりないのではないかというふうに考えます。国際的な物価上昇というのは、これは、各国ともそれぞれ違いますけれども、いずれもやはりこれは物価、賃金の下方硬直性というような経済構造がどこの国にもほとんど行き渡っている。そのもとで賃金の上昇、あるいは一部物価の上昇が他に波及をしていくというわけです。もちろんその場合、賃金の上昇が生産性の上昇を引き起こすならば、これはある意味では物価の上昇は吸収されるわけであります。そういう意味では、国によって卸売り物価も消費者物価も騰貴する国もあれば、消費者物価は騰貴しても卸売り物価はコンスタントであるという国もある。両方一定している国もあるわけでありますが、したがって、これは、管理通貨の問題というよりは、むしろ世界各国ともそうした物価の下方硬直性というものがその経済構造の特色として各国に浸透しておるのだという、その実態面のほうに理由があると私は考えます。
  34. 青木正

    青木委員長 加藤清二君。
  35. 加藤清二

    加藤(清)委員 大熊先生にお教えをいただきたいのでございますが、実は先ほど減税よりも税負担の公平化が先であるとおっしゃった。これは、もう私の意見と全く一致いたしておりまして、たいへん心うれしく存じたわけでございますが、しかくさようとすれば、まず日本の政治家が公平化をはかるにあたって、何からどのような計画で行なったらよろしいでしょうか。その銘柄をあげることがいま直ちにできなければ、せめて公平化の実行基準、これなりともひとつお教え願いたいと思います。  そこで、私の考え方の一端を申し上げますと、特に租税特別措置法、その中の大企業の投資が、設備費が三年間で償却できるというようなあり方は、企業蓄積の増大には役立つけれども、決して利潤の分配の公平化とか、あるいは物価下落、先生のいまおっしゃった下方硬直性には害があって益がない、かように心得るものでございます。一例を言うと、租税特別措置法、あるいは固定資産税の問題、あるいは所得税の問題、次には今度行なわれようとしておりますところの配当分離課税と資本利子税の問題。だんだんと公平化されるのではなくして、不公平化されようとしている。しかも、そのおかげで、格差はますます是正でなくして拡大の方向に向かいつつある、かように心配でならないわけですが、先生の御高説を承りたいわけです。
  36. 大熊一郎

    ○大熊公述人 いまの御質問、私も全く賛成であります。私は負担が公平でなくてはいけないと申し上げましたが、この負担の公平の中でまず守るべきことは、同じ所得の者が同じだけ税金を負担するということでありまして、同じ額の所得であるにもかかわらず税負担がまちまちであるということをなくす必要がある。その意味では、私は、まず何から実行をするかという御質問でありますが、やはり租税特別措置をこの際できるだけ整理をするところから手をつけるべきだというふうに考えます。  私は、租税特別措置についてはこういうふうに考えます。それは、租税特別措置というのは、ある特定の経済政策目的、輸出の振興とか経済の成長とかいう特定の政策目的についてぜひとも必要だということで、期限を限って行なわれる性質のものである。もしその効果がなくなってしまったか、はっきりしないのであったならば、それはやはり公平の原則が優先すべきである。もし効果がはっきりわかっているのだったら、若干公平の原則はゆがめても、ある期間特別措置をすることは当然やむを得ないけれども、しかし、遺憾ながら今日ではその効果がはっきりしないもの、統計的にも、そのほかどうやってみてもちっとも効果がわからないものが実は案外多いのであります。もしそうであったら、やはりこの際むしろ公平の原則というものを優先させるべきだ、こういうふうに考えます。  それから、その中の特に特別償却でありますが、特別償却にいたしましても、償却込みのグロスの企業の利潤をとりまして、それの法人税負担を見ますと、産業間、企業間の格差が非常に大きい。これは、やはりそうした特別措置その他の影響があるわけであります。したがって、そういうふうに企業間に、企業が同じスタート線上から出発して競争すべきところを、スタートを最初からそのように変えていくというのは、やはり企業に対する公平の原則からいってこれはおかしい。したがって、私は、もしそうした意味で国の政策から見て必要不可欠な投資を行なうのであったなら、それはむしろ投資補助金という形に切り変えて、何に使ってもいいような形の隠れた補助金である特別償却というようなものは、むしろこの際整理をしたほうがいい、こういうふうに考えます。
  37. 加藤清二

    加藤(清)委員 きわめて同感でございます。大熊先生とこんなに意見が一致するとは思わなかったのです。  もう一つの問題をお尋ねしたいと存じますが、いま先生のお説を承っておりますると、物価の上昇下落、それはあながち流通貨幣の増減だけではない、その他のあるいは投資であるとか所得であるとか、あるいは消費であるとか、そういう構造的なものからくるんだ、こうおっしゃられたようでございます。そうなりますると、それはもはやヒェームやフィッシャー説ではなくして、ケインズの系統に属した考え方である、かように存じます。アメリカもケインズの経済学が風靡しているようでございますが、その中におきまして最もアメリカが努力している問題が、いまあなたのおっしゃられましたところの、物価下落を押し出すには下方硬直性を是正せんければならぬという運動であり、政策であり、そういう学説のようでございます。私も実はそう思っている。  そこでお尋ねしたいのでございますが、日本の物価の下方硬直性、すなわち上がるものはときにあっても、下がるものがない、それが物価上昇の原因である。一方交通である。上がりっぱなしであるというところに大きな原因がある。これは、下村さんも同じようでございます。池田さんの顧問の下村さんでさえも同じ意見のようですが、政府のほうでは下方硬直性をなお硬直させるような政策をいつまでもたくさんにおとりのようでございます。たとえて申しますと、カルテル価格ですね。カルテルを結んで、あなたのいまおっしゃった一時期を画して行なうべきカルテル価格、これがその任務が終わった後においてもなお行なわれておる。今日千二百種類余の銘柄を数えなければならぬ。こんな国はよそにありません。  次に、いわゆる管理価格と称するあのお手盛り値段ですね。生産性が向上して生産が上昇したとすれば、当然物価は下がるべきなのに、お手盛り価格であるところの管理価格が行なわれるがゆえにこれは下がらない、こういう問題。しかも、その銘柄がまた今日数えあげただけでも性基本産業において三十種類の余ある。したがって、どういう結果が生ずるかといえば、日本の卸売り物価はコンスタントであるが、小売り物価は上がっておる。しかし、同じ卸売り物価でも、この値段は、国内には及ぼせるけれども、国際プライスには影響することができない。したがって、輸出FOB価格は日本内地卸よりも二割ダウンであり、FOB価格だけが世界プライスなんである。こういう矛盾した結果が出てきておるんですね。そこで、もしその下方硬直性を是正せんければならぬ、それが物価の下落するもとであるというならば、まず何からどのような計画で手をつけたらよろしいでございましょうか。こういうことでございます。
  38. 大熊一郎

    ○大熊公述人 ただいま下方硬直性の問題が出ましたが、第一に、私自身は、自由競争経済というものをやはり今後も守るべきものであるということを確信しておりますけれども、ただ、自由競争経済というものは、きわめてルールの厳格な土俵の上で行なわれるものでありまして、単に野放しにかってなことをするのが自由競争経済ではなく、自由競争経済が行なわれるためにはきわめて厳格なルールを必要とします。したがって、先ほどカルテルのお話が出ましたけれども、需要と供給が価格の調節を通じて自由に動く、そういう自由経済が維持されるためには、他面において、そうしたカルテルその他を厳重に監視するような意味の独占禁止政策というものがはっきりと前面に打ち出されておらなければいけない。自由競争経済がそうしたルールのもとで行なわれる必要があるというふうに考えます。  もう一つつけ加えたいのですが、下方硬直性というのは、これは物の製品の値段ばかりでなくて、今日一番基本にあるのは賃金であります。賃金の下方硬直性というものが御指摘のケインズの経済学の基本になっておりますが、やはりわれわれの所得が下落するということは何としてもわれわれとしては阻止するわけでありますから、賃金の下方硬直性というものをまず前提にして問題を考える必要がある。そのときに下がるべき物価が下がらないということは、もし賃金が上がったときに生産性が上がらなければ物価は当然下がらない、むしろ上がるわけであります。賃金が上がって生産性がそれ以上に上がって、しかも自由競争経済の原則が守られておれば物価は下がる、こういう筋道をたどるわけであります。したがって、究極においては、今日の経済構造のもとでは、この下方硬直的な賃金と労働生産性との関係というものが、当然その背後に前提となっておらなければならないわけであります。問題は、賃金が上昇したときに、それが刺激になって企業が生産性を向上するような設備投資をする、そういう形の経済であれば、私はまだ物価が下がるべきものは下がることは十分あり得ると思います。しかし、賃金が上昇しても生産性が上がらないというような状態では、これは問題外でありますが、少なくともそうした関係を前提とすべきではないかと考えます。
  39. 加藤清二

    加藤(清)委員 もう一点だけ。先ほどおっしゃられました公共投資のためならば公債を発行してもやむを得ないとか、あるいはいまの下方硬直性の場合に賃金を最初に取り出すという点については、遺憾ながら一致どころか反対でございます。なぜかならば、同じケインズの経済学でも、あのケインズの経済学は、御承知のとおり、アメリカの実情から生まれ、それが欧州に行って発展拡大された理論である。したがって、日本の場合のようにチープ・レーバー、レーバー・ダンピング、アメリカでさえもそう言って日本の輸出を阻害しておるような場合に、下方硬直性を取り出すその筆頭に賃金が上がってくるというのは、これは少しいただけない。と同時に、公共投資の場合に、これは、その時代の短時間の人でもってその負担責任を負うということは間違いである。したがって、公共投資は長期にわたる設備であるから、後代の人も利益を受ける者が負担すべきである、ここまでは一致するんです。ところが、だから公債でよろしいということは、論が少し飛躍するのではないか。なぜかならば、日本の今日の実情は、先ほど来お話しになりますように、通貨の増発だけでもたいへんな時期である。同時に、証券がこれほど下落して、投資証券のごときはもう三割から四割の価値しか認められない。いわんや、企業間信用が増大して、手形の乱発は四兆億の余になっているという時期に、なお公債と、政府がそれに輪をかけるようなことをやったら、これは日本経済にとってはよろしくない。理論としてはいいでしょう。永久理論としてはいいでしょうが、今日の実態には少し飛躍があるではないかと思われます。この点、いやそうでない、公債を発行してもだいじょうぶだという理論的根拠があるんだとおっしゃるならば、ひとつお漏らし願いたいと思います。
  40. 大熊一郎

    ○大熊公述人 先ほど来の公債インフレ論、私はうっかり考えてもみなかったんですが、実は、公債を発行する、それがすぐ通貨が増発するというふうにお考えのようでありますが、公債を発行するということは、公債で民間のお金を吸い上げるわけであります。それは、企業が社債を出して、証券を出して民間同士で個人のお金を吸い上げるのと全く同じことであります。そこで、公債を発行して公共投資を行なうということは、この民間の貯蓄というものが投資に使われているわけでありますが、民間の貯蓄を、公債を発行した分は公共投資で使う、社債あるいは株式で発行したものは民間投資で使うということでありまして、要するに貯蓄が投資になる。その場合の貯蓄を国と民間で分け合う、すなわち公共投資と民間投資で民間の貯蓄を分け合うということでありまして、その限りにおきまして、別にそれがすぐインフレに通じるというふうには考えられません。ただ、もちろんそれは、公債の発行が市中で消化される、つまり民間の貯蓄を吸い上げることによって発行されるという前提があるわけでありますが、それが守られている限り、すぐインフレになるとは考えられないわけであります。
  41. 加藤清二

    加藤(清)委員 わかりました。これで終わります。つまり、公債発行とは、市中の金、民間の貯蓄を吸い上げるんだ、こういう意味における公債であって、決してそれは、日銀引き受けとか、あるいはそれがコール市場であるとかオペレーションに影響を及ぼさないものである、こういう意味の公債でございますね。
  42. 青木正

    青木委員長 この際、大熊公述人には次の御予定の時間もあるとのお話でありますし、別に質問もありませんので、御退席なすってけっこうであります。  大熊公述人には、長い間まことにありがとう存じました。厚くお礼申し上げます。(拍手)  次に、永末英一君。
  43. 永末英一

    ○永末委員 私は和田公述人に、二、三の質問をいたしたいと存じます。  資本主義社会におきましては富の分配が不平等になる、これはもう資本主義社会の論理上決定的な問題であると思います。しかし、その資本主義社会における政治の役割りは、富の不平等がそれぞれの個人の社会行動の不平等を当然結果するもの、こういうような形になってはならぬというところに政治の役割りがある、私どもはそのように考えております。そういう考えからいたしますと、政治の役割りによっていわば富の不平等を埋める、こういうところが一番の眼目ではないか、福祉国家と称するものもいわばそこをねらっておるものであると思うのでありますが、そういう目標を立てながら、一体われわれの人間行動が何によって律せられておるかということを考えてみますと、これは実験心理学、社会心理学等のそれぞれの分野で研究をされた成果でございますが、私の見るところによりますと、生まれながらわれわれ人間が持っておる資質と、われわれが生まれてから生活行動したときに環境から与えられる影響とを比較勘案いたしますと、むしろ後者のほうに大きな人間行動を決定する要因がある。これは学界の定説ではないかと思います。  そう考えてまいりますと、教育の問題は非常に重要な問題であり、また大きな範囲をその中に持つべき問題だと思うのです。ところが日本のこのごろの教育制度は、政府の役割りは、単に官公立学校教育だけをやればいいんだ、こういうようなところに基本が置かれて、教育問題の取り扱いがされてきておる。したがって、予算において審議せられるものも、主としてこの部面の審議がすべてであって、それ以上のところにまで及ばない。こういうことを考えてみますと、先ほど教育内容についてのいろいろな御所見を伺いましたが、一体いままでのような政府教育に対する考え方を変えるべき段階に立ち至っておるのではないか、こう思われてなりません。ところで、問題になりますのは、すでに学校教育基本法で明らかにされておりますように、教育は中立を旨とすべきものであって、それに政府がある一定の内容を与えてはならない、こういうことになっておるわけです。  そこで、和田さんに伺いたいのは、私どもは、その時点時点において政府が一定の行動を教育によって教え込むということがあっては、政府のかわるごとに国民の進むべき道が変わる、こういうことになるのははなはだ望ましくないと思いますが、いまのような観点からいたしますと、教育全体の方向づけを行なう場合に、どの程度政府は、学校教育の内容にまで立ち至るべきものだろうか、こういう点についてのお考えを一点伺いたいと思います。  第二点は、先ほど申し上げましたように、富の不平等が人間行動の不平等を結果すべきものでない、こういう観点に立ちますと、私どもは、何よりもまず、人間が社会行動する問題について、平等な一つのスタート・ラインにつかせる、それが政府の最小限の役割りではないかと思う。そうなりますと、特殊教育に対するいまの政府のかまえ方は、まことに小さ過ぎるのであって、政府の当然の役割りを果たしていないと思います。同時にまた、もう一つの問題は、学校教育だけで教育の方向がつけられるのでなくて、大きくは学校教育を終えてからの社会活動における一つの方向づけ、そういうものが大きな問題ではないかと思います。つまり、社会教育に対して政府が何ほどか大きな関与をしていくべきものか、また、社会教育を考えるにあたって政府予算をもってこれを何らか担当していくべきものであるか、この問題を考えました場合に、現在の日本の事態で、学校教育を終えますと野方図に放されておる。そういうところで、現在の資本主義社会のいわば非常に悪い沼の中に落ち込んでおる人々の中で、ことばで解決を求めようというので、新興宗教、いろいろそういうことばの解決、実際的な解決ではないにかかわらずことばの解決だけで、頭で解決したかのごとくに妄想させる、こういうことが行なわれておると思うのです。一体こういうものを教育の中立ということによって政府は野放図にしていくべきものか、それともまた、これらの問題に対して対処すべきであるとお考えであるかどうか。  この二点をひとつお伺いしたいと思います。
  44. 和田耕作

    ○和田公述人 どうもたいへんむずかしい質問をいただきまして、実は私は、そういう質問に対して納得のいくような答弁ができないと思います。ただ、私が先ほどから強調しております点は、つまり、一つの問題は、われわれが一番りっぱな社会と思うのは民主主義の社会だと思っておるわけです。したがって、民主主義の根幹が危うくなるといったような基本的な問題については、私は、政府が相当積極的に出ていいのじゃないか、そういう感じを持ちます。つまり、そういう場合の一つの基準になるのは、民主社会というものが何よりも大切な価値である。この問題については、政府が、つまり教育の中立性云々の限界を越えても出動していいんじゃないか。しかし、民主主義の根本的なものでもないのに、政府がかってにそういうふうにきめて教育の中立性の問題に入っていくというのは誤りだ。ごく一般的に申せば、そういうような基準があるのじゃないか。政府教育の中立性を持つからといって、すべての基本的な、非常に重要な変更が行なわれ、それが拡大しようとしているのに、それをなおかつ放任するという立場は、ぼくは許されない。つまり、一つの判断の基準は、民主社会を伸ばし、深め、発展さしていくというところに判断の基準を置いて、そこで現実的に政府の役割り、教育の中立性という問題をきめていくのが正しいのではないか。そういう感じを持つわけでございまして、ただいまの日本の民主社会における、つまり利己主義、享楽主義というものは、ともすれば、私は、日本民主社会をばらばらにするような危険性を持っている、そういう段階に入りつつあるのではないかという判断がありますので、先ほどから申し上げたような立場での政府の積極的な施策を要請したわけであります。かりに、そういうふうなことをしないと、たとえば現在日本でも、ファシズムということばはいろいろ語弊がありますけれども、あるいは反民主的だというふうに言ったらいいと思いますが、左右いろいろな形でそういう問題が新しく出ている。青少年の問題にしましても、左のほうの全体主義、右のほうの全体主義的な傾向が出てないとはだれしも否定できない。こういうような状態を見ながら、そういうことにならないような先手を打った教育が行なわれるように政府が指導していくということは、私は、正しいのじゃないか、そういうふうに考えております。  そして、第二点の問題は、ちょっと意味がよくわからなかったのですけれども、いまの問題は、学校教育以外の問題について、それをどういうふうに日本教育の根本問題から見て考えるかということでございますか。
  45. 永末英一

    ○永末委員 社会教育は、いま申しましたような角度からすると、非常に重要な比重を持っている。それにもかかわらず、政府がやる仕事は、いわゆる学校教育だけに重点が置かれておるために野方図にされておる。そこへ、いわば正常な解決のしかたでない解決のしかたを国民が求め、新興宗教等々の妄想により、解決が行なわれているのではないかと思われる。したがって、政府として社会教育の面にもっと大きな力を注ぐ必要があるのではないかと思いますが、いかがですか。
  46. 和田耕作

    ○和田公述人 そのことにつきまして、私も最近思わぬ経験をしたのでありますけれども、ただいま新興宗教というおことばがございました。しかし、新興宗教にもどうもいろいろと種別があるようです。これは、私どもがいままで無関心であったので、そのような区別がよくわからなかったんですけれども、実は、最近、これは申し上げて語弊があるかどうかちょっとわかりませんけれども、杉並に本部を持つある新興宗教の大小の会合に出たことがございます。率直に申しまして、私は、新興宗教というのは、何かおまじないを朝から晩までやっている、あるいは病気なおしをやっている団体というような感じを持っておりました。ところが、その会議を初めからしまいまでずっと傍聴しておりますと、そういうものじゃないですね。大部分の時間を、家庭はどういうふうに親なり子供が行動したらよくなるのか、あるいは隣近所の人にどういうふうに親切にしなければならないのか、あるいは社会国家に対して、つまり公共的なものへの献身というものがどれほど価値があるのか、このようなことをたくさん積めば積むほど自分のしあわせが来る、こういうふうな考え方なり論理で、会合の全部のものが行なわれているという感じがするのです。これを私聞いておりまして、そして、具体的に実行できるような形、たとえば三つの誘いとか、十二のおきてか、その項目、その内容を見てみますと、全部利己主義と享楽主義をチェックするような内容ばかりなんです。私は、これを見まして、率直にこういう感じを持った。ヨーロッパの民主主義社会というものをささえているのはキリスト教精神だ、こういうことをふと頭に思い浮かべたんです、つまり、だれが見てなくても神さまが見ていらっしゃる、仏さまが見ていらっしゃるという感じを持たないと、人間はいいことばかりする動物じゃない。したがって、民主主義の自己の主張というもの、利益の主張、享楽的な主張という人間本来の自然に持っておるものは、そういうものによってチェックされなければうまくいかないのじゃないか。そういう意味で、西欧の民主主義というものはキリスト教精神によって基礎づけられているということがいわれておったんじゃないかということに気がついたわけなんであります。私は、新興宗教のある種の、一つや二つでない相当たくさんのものは、日本の現在の民主主義のかなり片寄ったあらわれ方に対するバランスをとる役割りを持っているのじゃないか、そういう意味で、いままで持たなかったある理解を持つ必要があるのじゃないかという感じがしてならないんです。いろいろ問題点はあると思います。たとえば、あまりだらしない生活をたくさんやっているので、もっと強力な統制的な、あるいは独裁というようなものにわたるような感じを与えるあらわれ方も確かにあります。つまり、こういうふうな問題に対して、政党なり政府なりが、つまりいろいろ限界があると思いますけれども、それらしい深い関心を持って民主社会を守り、育て、そして高めていくために適切な対処をする必要があるのじゃないか、こういう感じを持っております。  お答えになりましたかどうか。
  47. 永末英一

    ○永末委員 予算に返りまして、先ほどから特殊教育あるいは私立学校あるいは定時制高校等の予算について御注文をいただいたようでございますが、現在の教育予算の立て方が、いままであったそれぞれの費目を、ある年度、ことしで言えば四十年度の予算伸び率と照らし合わせながら、物価の上昇とにらみ合わせて少しずつ手直しをしたり、その上げ率を上げたりしておるというような考え方。そこには、私どもの見るところでは、先ほど申した観点からすると、日本教育全体を一つ考える、その中で最低限特殊教育等はここまでやるべきだ、それから定時制の教育というものは別の意味合いがあるわけでありますから、働きつつ学ぶ制度を広めていくことが必要であるというならば、そういう一つのはっきりした目標を持ってこの予算をとるべきである。しかも、大学教育というものは、先ほど申し上げましたように、いままでは官公立学校だけが政府責任であって、あとの私立大学責任がないのだ、こういうかまえの教育方針を一てきして、日本人の教育全体の中で、いわゆる高等教育大学教育の持つ役割り、その中で私立学校の持つ役割りをきめて、その中で現在の法律でそぐなわないものがあるならばこれを改正し、また税制上そぐなわないものは改正して教育を全うする、いわば最低限のそういう用意をする、そういう用意に欠けているのじゃないか。あなたはそう思われませんか。その点を伺っておきたい。
  48. 和田耕作

    ○和田公述人 全く同感でございます。これは、どこの国でも先進国はそうですが、たとえばイギリスならイギリスの例の戦後の十代を教育する改革の政策が、二つも三つも大きな委員会が持たれて決められて、それが実行されている。そのどれを見ても、五年なり十年なりの一つ計画を持って、目標を持って、これは必ず達成するとして計画的にやって、大きな成果をあげております。こういうような考え方を現在日本でも持つべきだというふうに感じております。  ただ、その場合に、たとえば現在、去年に比べて、あるいははおととしに比べて、あるいは五年前に比べて教育予算はかなり伸びております。三十五年に対して、現在四十年の教育予算の量から言いますと約倍くらいに伸びています。伸びているけれども、最近のような物価の異常な上昇を起こすような政策をしながら、こういうものが伸びたと言っていばることはできないわけです。そういうふうな一定の計画のできないような政治の基本的なスタイルがあるというところに問題があるわけなんで、そういうような問題を考え合わせて、あくまでも年度計画をしっかりと持つ、特に教育なんという問題は、実行できる、積み重ねていく年度計画をしっかり持つということが眼目だと思います。そういう点がきわめて欠けている、形はそういう形をとったとしても、その内容が行なわれないような他の政治が物価等の問題で行なわれておる、そういう感じがいたします。
  49. 青木正

    青木委員長 以上をもちまして両公述人に対する質疑は終了いたしました。  和田公述人には、御多忙のところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとう存じました。厚くお礼申し上げす。(拍手)  次会は明十八日午前十時より公聴会を続行いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時十分散会