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1965-04-27 第48回国会 衆議院 法務委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年四月二十七日(火曜日)    午前十時四十一分開議  出席委員    委員長 加藤 精三君    理事 上村千一郎君 理事 大竹 太郎君    理事 草野一郎平君 理事 横山 利秋君       唐澤 俊樹君    木村武千代君       四宮 久吉君    中垣 國男君       馬場 元治君    藤枝 泉介君       山手 滿男君    赤松  勇君       井伊 誠一君    畑   和君       志賀 義雄君  出席政府委員         検     事         (刑事局長)  津田  實君  委員外出席者         検     事         (刑事局刑事課         長)      伊藤 榮樹君         運 輸 技 官         (自動車局整備         部車両課長)  隅田  豊君         日本国有鉄道参         事         (総裁室法務課         長)      上林  健君         専  門  員 高橋 勝好君     ————————————— 四月二十七日  委員山本幸一辞任につき、その補欠として畑  和君が議長指名委員に選任された。 同日  委員畑和辞任につき、その補欠として山本幸  一君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  刑法の一部を改正する法律案内閣提出第一〇  二号)      ————◇—————
  2. 加藤精三

    加藤委員長 これより会議を開きます。  刑法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の通告がありますのでこれは許します。横山利秋君。
  3. 横山利秋

    横山委員 今度のこの刑法の一部改正については、いろいろと法務省議論はあったと思いますけれども、きわめて私どもとしては問題を慎重に考えたい。したがって、審議にあたっては、私ども内部におきましても、ずいぶんいろいろと議論を尽くしてきたのでありまするが、まだきわめて慎重論が強いのであります。どうしてそう言うかといいますと、いろんな原因がありますけれども、まず第一には、この刑法根本法規であります刑法をどうしてもいまこれだけに限って改正をしなければならぬという積極的な必要性が乏しい。何か酔っ払い運転、無免許運転スピード違反という社会的現象におもねているのではあるまいかという考え方が強いのであります。この法律をどうしてもいま緊急に、刑法全面的改正を待たずしてやらなければならないという積極的な理由を伺いたいと思います。
  4. 津田實

    津田政府委員 ただいまのお尋ねの点でございますが、御承知のとおり、交通事故の問題は現下の最も大きな社会問題の一つであるといわれておるわけでございまして、しかも交通事故防止ということはまさに国民の悲願であるというふうにいわれておるわけでございます。ことに年間の死者が一万三千人という非常な数字にのぼっておりますることはきわめて遺憾でありますが、これは現実であります。そこで交通事故による死傷者の数をできる限り少なくするということがとにもかくにも必要第一であるということになってまいるわけでございます。交通事故につきましては、もう全く不可抗力によるものもそれは中にはございますが、主としてやはり加害者側の不注意によるというようなものがきわめて大きな部分を占めておるわけであります。したがいまして、加害者側注意義務違反ということにつきましては、現在刑法のたてまえでは明治四十年以来これを過失業務過失、あるいは終戦後さらに一般について重過失というものをもって重い犯罪といたしましてこれに対処してまいってきたわけでございます。そこで厳罰主義をもって臨むということは、交通事故防止、すなわちこれらの犯罪防止のために万能薬というふうには私どもはもちろん考えないわけでありまするけれども、いままでの科刑実績等から見ますと、やはりすでに禁錮刑、つまり自由刑に処せられた者は、たとえこれが執行猶予でありましても、きわめて再犯が少ないというようなことが実績上あるわけであります。したがいまして、これらの重要な犯罪防止刑罰法規の威力といいますものはやはりこれは無視することができないことであるというふうに考えられるわけであります。そこで、現在一般国民感情というものを考えてみますと、すなわち、交通事故による悲惨さというものは実に身にしみておるわけでありまして、そういう意味におきまして、この加害者の罰が相当程度にやはり被害者感情をやわらげるという面も出てまいるわけであります。再犯防止と同時に被害者感情をやわらげるという場合も出てまいります。さような意味におきまして、かような業務過失致死傷あるいは重過失致死傷に関する社会的非難程度は、今日においてはきわめて高まっているというふうに言えるのでありまして、その意味におきまして、やはりこれらの刑については引き上げる必要が出てまいったというふうに考えたわけでございます。ことに最近におきましては、だんだん最高刑を科せられるという事案が出てまいっております。裁判統計はいささか古いので遺憾でございますけれども、すでにお手元に差し上げております統計表によりましても、他の同種の犯罪については、刑の頭打ちという現象がほとんどないにもかかわらず、これにおきましては頭打ち現象が出てまいっているというような点を考慮いたしまして、今回これを改正することがやはり必要であり、緊急性があるというふうに考えた次第でございます。
  5. 横山利秋

    横山委員 お話によれば、刑を引き上げることが被害者側感情をやわらげる、私はいささか意外なことを聞くと思うのでありますが、この犯罪について、その結果によって刑を科するということはあるのでありますけれども、何か一罰百戒主義といいますか、庶民的ないまの交通事故について、なくするために、本来こうまでかけなくてもいいけれども、この際民衆の感情をも、特に被害者感情をも考えて、少し重過ぎるくらいにやったほうがいいではないかという点については、いささかいかがな考えかと私は思うわけであります。本来交通事故というものが、刑を重くすればとだけおっしゃっているわけではありますまいが、何か優先して刑を重くすれば交通事故がなくなるかのごとき錯覚におちいっているのではあるまいか、本来の交通事故に関して議論をするならば、まことになすべき点が実に多いのでございまして、交通事故防止するには、交通事故の阻止をするには、まず未然防止をするということに力点が置かれなければならず、たとえば警察庁においてはおまわりさんの陣容を、もっと交通関係の人をふやしたり、防犯に努力をしなければなるまいし、運輸省については、損害賠償の問題について改善をすべき必要があるだろう。いま刑を重くするということになりますと、私は心配いたしますけれども、示談がうまくいかなくなるのではないか、お金をたくさん被害者に贈れば、被害者もまあそれならという気持ちで、刑のことよりも自分たち被害者賠償をしてもらいたい。ところが、事故を起こしたほうとしては、どんなに被害者にたくさんお金を出したって刑が重くなるなら、そんな銭を出すこともつまらぬという感じも起こりはしないか。また厚生省の面では、私どもは名古屋でいま一生懸命にやっておるのでありますが、交通事故というものを現場で直ちに措置をすれば、いままでの死亡者の三分の二が助かる、こういう統計が出ておるわけです。ですから、厚生省のほうでなすべき点は多いではないか。それから総理府のほうにおきましても、最近政府がやっている国民会議なり基本問題調査会、あの答申が出ているのだけれども、一体どうなっているやら全然行くえ不明じゃないか。また大蔵省においては、交通に関する予算の支出というものはきめわて微々たるものではないか。通産省通産省で、スピードの出る自動車さえもっともっと多く生産すればいいような考えで、交通事故ということについて通産省の配慮が足らぬのじゃないか。建設省は自動車の走る道路ばかりつくって、横断歩道、陸橋についてちっとも予算が計上をされないではないか。自治省においては、街路灯やガードレールなんか、まだまだなすべき点は多い。こう考えますと、まことになすべき点は多いと思われるのに、いまそれらに率先して、起こした事故の結果に対する刑だけを重くするということは本末転倒ではないか。なさねばならぬことは事前に交通事故をなくするということであって、交通事故を起こそうと思って起こした人は万に一、億に一の状況じゃあるまいか、私はこういうふうに確信をいたしておるわけであります。したがって、何度も聞くようでありますけれども、いま刑を重くするということを率先して優先して行なわれなければならないという積極性は乏しいのじゃないか。法務省だけが飛び上がり、はね上がったような気持ちで、刑さえ重くしたら交通事故が激減する、そういう錯覚におちいっているのじゃないか、こう思われてならぬのであります。どうですか。
  6. 津田實

    津田政府委員 ただいま御質問の点は、まさに私どもも重要な問題として考えておるわけでございます。すでにお手元に差し上げました「交通事故防止のため政府の実施した施策の概要」という資料がございますが、ここに道路の問題、交通環境の問題、交通安全教育の問題、秩序維持の問題、事犯罰則強化の問題、運転者改善対策の問題あるいは交通事故被害者の救済の問題というようなものが掲げられておるわけでございまして、この施策を一貫して行なうということが現在政府におきます施策でございます。  しかしながら、道路整備の問題にいたしましても、これは一朝一夕にでき上がらないことは当然でございまして、しからば道路が悪いから事故が起こってもやむを得ないというふうにいえるかというと、これはもういえないことは当然であります。そこで、たとえば道路が狭いところはスピードその他安全措置については十分運転者に考慮をしてもらわなければならないということに結局なってまいると思うのであります。したがいまして、道路が悪いから事故が起こってもやむを得ない、こういうふうにはならない。そこで運転者自体の戒慎をどうして求めるかということになってまいりますと、それは安全教育の問題その他いろいろ問題がございますが、交通について責任のある事故についてはみずからの責任を十分問われてもやむを得ないということを明らかにすることは必要であるという意味におきまして、今回の措置もその一環としてぜひ必要であるというふうに考えられておる次第でございます。
  7. 横山利秋

    横山委員 この間もらいました「刑法第二二条関係統計資料」の十一ページ並びに十二ページの「法定刑上限禁錮三年の刑法科刑状況」を見ますと、有罪禁錮が総件数千二百八件、その中で三年の者はわずかに七件、それから十二ページを見ますと、二百十一条前段の業務過失致死有罪の総数二千八百二十件のうち禁錮三年になった者はわずかに九件、このような状況で、二千八百二十件のうちわずかに九件でありますから一%にも足りない。こういう実際の科刑状況からいって、三年を引き上げる実質的な価値というのは一体何だと私は思うのでありますが、どう説明されますか。
  8. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 御指摘統計表数字でございますが、昭和三十八年あるいは三十九年度の統計裁判所関係で出ておりませんのは遺憾でありますけれども、ここ二、三年のうちに科刑状況が次第に上がってきておりますことは私ども関与いたしております者にとりましては顕著な事実でございます。それはさておきまして、いまこの統計上三十七年の数字を見ますと、横山委員指摘のとおりでございます。しかしながら、これと同じ法定刑を定めております十五ページ以下の業務過失往来妨害あるいは業務失火、重失火あるいは虚偽診断書作成、同行使、こういうものと比較してごらんいただきますと、あとのほうで申し上げましたものにつきましてはほとんどが一年以下、あるいは一年以上というところの数字を拾いましてもきわめてわずかでございます。要するにまず一つ言い得ますことは、同じ禁錮三年という法定刑上限を定めております刑法所定の各罪のうちで、業務過失あるいは重過失関係事犯に対します裁判所評価と申しますか、これは当然国民感情を反映した結果の評価であろうと思いますが、次第に懸隔が生じてきておるということがまずいえると存ずるわけでございます。  それから、さらに交通事故の中でも、今回の法案提出の動機となりましたようなきわめて悪質な違反というものがそうざらにあるとは私ども考えないわけでございます。それらきわめて悪質なものが二年以上あるいは三年、このあたりで頭打ちになっておる。かりに一般のものが、禁錮にいたしましても六カ月未満とか、あるいは六カ月から一年というところで評価されるといたしますならば、それに比較しまして三年をこえて処断さるべき悪質事犯が次第に出てきておる。それが二年以上あるいは三年というところで処断されておるのが現実である。その具体例といたしましては、別途資料を差し上げてあるとおりでございますが、そういった他罪との比較、あるいは二年以上、三年という刑を言い渡されました個々の事犯内容等に徴しまして、やはりこれは上限を二年程度引き上げる必要がある、かように考えた次第でございます。
  9. 横山利秋

    横山委員 そうしますと、あなたの説明によると、傷害と致死両方を合わせますと、終局の総人員では、合計しますと五千五百人くらいですね。五千五百人の中で三年の刑を科された者は十六人ですね。総人員の中の十六人が罪が軽過ぎる。五千五百人の中でその十六人だけを対象にして、その十六人のために法律改正する、こういうわけですか。
  10. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 いま御指摘になりました十六という数字でございますが、私ども二年以上というところの欄以上の数を一応いまの御質問の趣旨に即してとればとりたいわけでございますが、それはともかくといたしまして、いま御指摘の点は、一応の筋として結果から見ますとそういうことも一応いえるわけだと思います。私どもは、この法改正の結果といたしまして、現実に三年をこえて処断されます者は、いま御指摘のように、たとえば三十七年度にいたしますと、数十件あるいは十数件というようなことになるかもしれないというふうには存じますが、刑を定めます場合には、やはり一般予防的な効果というものも考えるわけでございまして、これらの罪種につきまして三年というふうに評価するか、五年というふうに評価するかは、やはり一般的にいわれますことばで言いますと、威嚇力と申しますか、一般予防的な効果という面において相当の開きが出てくるのではないか。一般的に法定刑上限と申しますのは、考え得る最も悪質重大な事犯対象考えるわけでございますから、そういう意味威嚇力あるいは一般予防的な効果というものも勘案いたしますれば、現在の法定刑の最上限まできておるのがすでに若干出てまいっておる。この趨勢を見ますと、やはり科刑の面からも、あるいは一般予防の面からも必要ではなかろうか、かように考えておるわけでございます。
  11. 横山利秋

    横山委員 そうしますと、威嚇的な、あるいは予防的な意味において全般に影響があるということは、三年を五年にすることによって、いままで六カ月未満だとか一年以上だとかというておったものについての影響として、この罪を重くするということを期待をしておるわけですか。
  12. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 私ども考えておりますのは、この法案提案理由の御説明にも申し上げましたように、三年をこえる分、特に懲役刑を選択的にとります場合には、もっぱら故意犯と紙一重のようなものを考えておるわけでございます。実際に三年をこえて処断されるというケースにつきましては、かりにこの統計で申しますれば、二年以上の中で三年に近い部分で処断されておる者あるいは三年で処断されておる者、こういう者がそちらのほうに乗り移ると申しますか、三年をこえるほうに持っていかれる可能性がある、かように考えております。
  13. 横山利秋

    横山委員 国鉄からいらっしゃっておりますが、この間西武鉄道で起こった事件なのでありますが、第一審の判決をちょっと読んでみますと、「被告人は、西武鉄道株式会社池袋線保谷駅に勤務し、駅務手として、旅客の誘導、案内、整理、乗降の危険防止などの業務に従事していたものであるところ、昭和三十六年五月十一日午前雰時三十三分保谷駅に到着した四輛編成の第四六九電車を入庫させるため乗客降車整理に従事中、四輛目車輛中央座席矢島喜一(当時二十九年)が酩酊熟睡していたので、これを起こし中央ドアよりホームに下車させたのであるが、かような場合駅務手としては、同人が酩酊のうえ熟睡より目ざめたばかりで、歩行蹌踉としていた状態であり、ホームから線路敷地上に転落したり或い、電車発進の際これに接触して転倒する等の危険も予想されることであるから、同人を待合室など安全な場所に誘導し、また客扱い終了異状なしの合図をするにあたっては、自己の担当する車輛とホームの近接する部分に注視する等危険の発生を未然防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらずこれを怠り、漫然同人ホーム降車させたのみで、他の乗客降車整理に移ったため、同人ホームから三輛目と四輛目の間隙から線路敷地上に転落し、ホームに這いあがろうとして、上半身をホームに乗り出していたことに気付かず駅務掛恵沢一夫を介し車掌篠武弘に対し客扱い終了異状なしの合図をなし、同人をして戸閉操作をなさしめたうえ、運転士鈴木崇弘をして同電車を発進させたため、右恵沢一夫篠武弘において前記矢島喜一が三輛目と四輛目右側下部ホームの間で圧轢死させたものである。」これが第一審の判決であります。私がこの判決を見て痛感いたしますことは、この駅務手は、午前零時三十三分、真夜中にめいてい熟睡をしておった人を中央ドアよりホームに下車させた。おりてくださいと下車させた。そしてほかの乗客整理にあたった。そこまではこの駅務手は、駅務手としての職制上の任務を果たしたものであると私は思っている。ところが、この判決を見ますと酔っぱらいだから最後まで、言うならば改札を出ていくまできちんと見届けなければならないのに、ホームに下車させただけで自分任務を終わったと考えたのは業務上の注意義務を怠った、他の乗客降車整理に移ってはいけなかったのだ、こういう判断のようであります。この判決を見て、私も交通関係の出身でありますからよく当時の状況がまぶたに浮かんでくるわけでありますが、ここまで駅務手なり交通関係従業員注意義務を課するということはいかがなものであろうか、こういうことを考えるのでありますが、いかがでございますか。
  14. 上林健

    上林説明員 ただいま横山先生のおっしゃいました西武鉄道の件につきましては、新聞等によりまして承知しておりますが、まだ具体的によく存じておりませんので、したがって、一般的にどういうふうに思われるかということにつきましても、実は国鉄として一般的に人身事故というものについて、刑事事件としては当時者ではありませんが、民事の点につきましてはやはり責任があると思いますので、当然関心を持って調査をいたしますが、この点につきましてはまだ具体的に承知しておりませんので、特にどうこうということは申し上げられないのであります。
  15. 横山利秋

    横山委員 私があなたに聞いておるのは、運転取扱心得とか、あるいは国鉄なら国鉄運輸業者なら運輸業者として、従業員に守るべき業務上の法規令達、それを実行した上でさらに人間としての注意義務を課しておるのかどうかということであります。従業員としては、運転取扱心得なりいろいろな法規というものは、人間としての注意義務を含めてこれを守っておれば事故は起こらないという立場において法規令達が定められておるのではあるまいか、その点はどうなんです。
  16. 上林健

    上林説明員 国鉄職員業務過失によって旅客等を死傷せしめた場合に刑事事件に問われたケースが多々ございますが、私の承知しております範囲内では、必ずしも業務上の規定、たとえば運転取扱心得その他を順守しておったから、それをもってたとえば乗務員としての注意義務を欠かなかったということには当然ならないので、やはりその場その場に応じて尽くすべき注意義務というものがあるので、これをもし欠けば、やはり刑事処分に問われるおそれがある、こういうふうに承知いたしております。したがって、規定等順守したから当然にそれで免責になり得るということではないと承知しております。
  17. 横山利秋

    横山委員 私の承知するところでは、たとえば国鉄を例に引きますが、国鉄事故があった場合の処分判断国鉄側処分判断と、それから検察当局なり裁判所刑罰をするにあたっての判断と、ときおり違うのです。国鉄側としては、事故についての責任のあり方について、裁判所検察側と違う意見を持っておる場合が非常に多いわけですね。そういうところは一体どこから起こるかという意味において、私は法規令達国鉄の機能、そういうものを十分にしたのであるから、それを最高人間的注意をしなかったからいけないというのはいかがなものかという判断が基礎になっておるのではあるまいか、こう考えるわけです。従来国鉄当局事故についての責任性従業員責任はいかん、いかに限界があるか。それに対して検察当局が、いやそうではない、人間としてあらゆる全知全能をしぼって注意する義務があるにかかわらず、というこの判断の違いが私はあると思うのです。どこにそういう問題があるかという点を私はその角度から伺っておるわけです。
  18. 上林健

    上林説明員 国鉄といたしましては、その職員に対して規定順守、これはほかの事項とともに非常に重く見ておりまして、これの励行につきましては、日ごろから訓練の大きな主眼に置いておるわけでございます。規定順守、これは非常に絶対的といっていいほど強い要請を職員にいたしておるわけでございます。しかし、具体的に業務上の過失により旅客等を死傷せしめた場合に、この国鉄内部規定順守したからといって、それで必ずしも刑事免責になり得るというふうには結びつかないのではないだろうかというふうにいままで私どもは解しております。実際にそういう判決も私どもは承知しております。しかし、規定順守というのはやはり運転の安全上きわめて大きな要素であるということは当然のことで、これをもって日ごろの訓練主眼としておる次第でございます。
  19. 横山利秋

    横山委員 そうしたら、一体ぼくの言っている国鉄裁判所におけるしばしば行なわれる検察側との意見相違はどこに基盤があり、三河島事故なり方々で行なわれる国鉄事故について検察側国鉄側意見相違点というのはどういうところからあらわれるか。
  20. 上林健

    上林説明員 実際の訴訟においては、もちろん国鉄当事者でございませんので、そういう当事者としての争いという点はないわけでございます。しかし実際問題として、かりに国鉄乗務員注意義務内容についてやはり乗務員立場から主張すべきものがあると考える場合には、国鉄被疑者あるいは被告人の選任する弁護人の費用を負担いたしまして代弁させているというような事情がございますが、直接国鉄当事者としての見解を述べる機会はもちろんないわけでございます。したがいまして、意見を述べたことは実際としてもないわけでございます。
  21. 横山利秋

    横山委員 どうもあなたはくつを隔てて足をかくような答弁ばかりをしていらっしゃるのですけれども、かりにワンクッションを置いて言ったところで、私は国鉄を題材に言っておるのでありますが、たとえば大きな意味で軌道上の事故において、どうも私の感ずるところは、単に業務上の過失事故が、人間として守るべき注意限界なしに、人間としてあらゆる点に注意をもう集中的にしておらなければならぬという、人間可能性限界を越えてこの判決はなされておるのではあるまいか、またそういうことを要求しておるのではあるまいかと思われる。そういうことは期待するほうが無理ではないか。交通労働者としての一つのめどというものは、その機構なり、あるいは理事者側から言われれておる法規令達順守をして、そうして交通に従事しておることが必要なのであって、それを越えて、法規令達はそうであるけれども、さらにそれを越えてあらゆる努力をしなければだめだ、そのあらゆる努力をしなかって、事故が起こっておまえの責任だという点については過酷ではないか、こういうことを交通労働者はみんな言うておる。この西武鉄道においても、夜中に酔っぱらって乗っておったお客さんを、あなた起きなさいと言ってドアからホームに出して、向こうへ行った。もういいと思って次のお客さんのほうへ行って整理をした。そうして発車合い図をしたら、酔っぱらいがまたふらふら戻ってきて電車に乗ろうとしたかどうか知らぬけれども、車両と車両の間に落ちておった、それで死んだ。おまえが気がついて出したのだから、とことんまでめんどうを見なかったのはおまえの責任だといろことは、一体あまりにも過酷な責任追及ではなかろうか。もし万一そういろ酔っぱらいに気がつかなかって、向こうをずっと見ておったら、あるいはかえって責任がなかったかもしれぬとすら思われる。こういう点について、あなたは理事者側の人であるけれども交通労働者の立場というものを、この機構というものを見ておられるのであるから、この点まで、ここまで交通労働者に責任を追及されるということについてはいかがなものか、こう私は聞いておる。
  22. 上林健

    上林説明員 訴訟の過程におきましては、もちろん国鉄としては先ほど御答弁申し上げましたように、国鉄としても本人のために弁護の要ありと思量いたしますときは、国鉄としてもただいま申しましたような弁護をやっております。しかし、判決そのものにつきましては、国鉄としては公正な判決に期待し、かつこれに従う、これは当然のことと思います。ただし、おおむねこういうような事件の場合には民事上の法行為に基づく損害賠償の請求がなされるのがケースとしては多いものですから、この場合には、やはり民事は民事で同じような内容につきましては、本人が注意義務を欠いたかどうかにつきましては、争うべき場合には当然当事者として争うわけであります。
  23. 横山利秋

    横山委員 どう本要領を得ないのだが、まだ私の言うことがようわかっていないようだから考えておってほしいのです。  法務省に伺いますが、業務過失致死傷罪というのは昭和三十三年四月十八日の判決によりますと、「刑法二一一条にいわゆる業務とは、本来人が社会生活上の地位に基き反覆継続して行う行為であって、かつその行為は他人の生命身体等に危害を加える虞あるものであることを必要とするけれども、行為者の目的がこれによって収入を得るにあるとその他の欲望を充たすにあるとは問わないと解すべきである。」と最高裁の判決に出ています。これによりますと、まことに常識上私どもが庶民の中でいう業務上と最高裁の判決のいう業務上とは天地雲泥の相違がある、こう思われるわけであります。はたして一体反復継続して行なう行為であるから業務上とし、その人はそれだけの知識を持っているから持っていない人が犯した罪より本重いということを判示しておると思うのでありますが、この点については、私は結果として同じ人が死傷したことについて、その加害者側といいますか、その人の知識のあるなしによって刑罰を強くするということについて、刑法としてほんとうは適当であろうかどうかということを私は考えるわけであります。いろいろとこの点について各界の意見考えてみるのでありますが、たとえばこの人は最高裁の調査官坂本武志という人のジュリストに載ったものでありますが、「とくに問題なのは、業務過失致死罪のそれである。無免許、酒酔い、ひぎ逃げというような悪質なものについてはもちろん、そこまでいかないものについても、しかもかなりの額の損害賠償がなされているものについても、禁錮の実刑を科した事例が相当多くなっているように思われる。激増するこの種事犯の取り締りの必要からすれば一理あることであるが、他の一般の罪、ことに殺人、傷害、傷害致死などの罪の量刑と比較してみると、いささか重きに失しているのではないかと本思われる。ここらで一度との問題をふり返ってみる必要があるのではないかと思う。」それから東京高裁昭和三十年四月十八日の判決でありますが、「取締の徹底という見地について考察してみるに、なるほど事故防止のためには故意犯過失犯も等しく処罰するのが相当とも一応考えられるのであるが、不注意による違反防止するためには、先ず何が違反であるかを認識させその規律の遵守を徹底させるのが前提である。さればこそ、同令(道路交通取締令)第五条においては当該公安委員会に道路標識又は区画線によって適当な表示をなすことを義務づけておるのである。刑罰をもってする威嚇よりまず規律の周知徹底が先決問題であり、これに努力しないで処罰の徹底のみを期するは本末顛倒と考えられる。」次は法務省の発行いたしました犯罪白書、昭和三十九年版、「暴力犯罪の現況三問題点をとってみますと、「なお、事故の発生については、道路の不整備交通信号および標識の不明確、自動車自体の構造的な欠陥などが、その遠因をなしている場合もあるが、運転者および歩行者が道路交通法規を遵守するよう、いっそう努力することによって、事故発生件数を大幅に減小させる余地があるものと考えられる。」同じくこの犯罪白書でありますが、「(四)業務上の過失致死傷事件の処罰強化の問題 昭和三〇年以来、数年間の検察庁および裁判所における前記のような事件処理状況によれば、一般的にいって、自動車による業務過失致死傷事件の処罰が強化されつつあると考えられるが、立法上の面からも、この種の罪について、刑法所定法定刑の長期である禁錮三年を、より重い懲役刑等に改めるべきであるという考え方がある。改正刑法準備草案が第二八四条に業務過失致死傷罪を規定し、その法定刑の長期を五年以下の懲役もしくは禁錮としているのも、その一例である。しかしながら、前述したように、裁判所科刑は徐徐に重くなりつつあるとはいえ、1−48表に示すとおり、多くの事件が一年以下の禁錮に処せられており、二年以上の禁錮に処せられている事件はきわめて少ない現状からみれば、今直ちに、法定刑の長期を引き上げるべきであるかどうかの点は、検討を要する問題の一つであろう。」まだその引用をいたそうとすれば枚挙にいとまがありませんが、たとえば中央大学の吉田常次郎教授は「過失死傷罪につき業務上のそれと然らざるものを包含せしめ、その法定刑の種類範囲を広くする規定を設けるのが妥当だと思う。現行法の如く業務上の過失死傷罪と普通のそれとを区別する如きは徒に上告を多くするばかりである。」九州大学の井上正治教授は「過失犯の構造」として論文を掲げておられるけれども、やはり「業務過失」を削除して「重大ナル過失」のみに限るとする考え方にも賛同をしておられる。  こういうふうに考えてみますと、法務省内部はもちろん、各学会その他におきましても量刑を引き上げる等についてあまり全面的賛成者がございません。また、量刑引き上げ以前の問題がある。また量刑を引き上げるべき筋合いの人数というものはあまりにも少ないというような見解がきわめて多いと思っているわけであります。それらの意見の中には、根本的に業務過失事故というその業務上という範囲がめちゃくちゃに広過ぎて、通常われわれのいう業務上という範囲から全く違うという点をも指摘されておる。このようないろんな意見を総合してみますと、私は、法務省が何か気をはやって、この法律改正すれば、世間に与える影響交通関係者に与える影響がきわめて甚大であって、交通事故がなくなっていく、激減していくという錯覚におちいるのあまり、あなた方がうたい文句で言っているような酔っぱらい運転、無免許運転スピード違反、主としてこの判決内容を見ましても、これはマイカー族に多い。マイカー族の中にあらわれた酔っぱらい、ひき逃げ、無免許を刑を重くすることによって、それらと縁もゆかりもないこの交通労働者——酔っぱらって汽車や飛行機や船やあるいはタクシーを運転している人はいない、無免許でそういうことをやっている人はいない。それから汽車や電車や飛行機をスピード違反をするばかはない。したがって、マイカー族が庶民の中で問題になったものを正しくとらえないで、正常な運行、正常な努力、注意をしている人たちに——実はあなたの言うところによれば、十六人のためにやるわけじゃない、全部のためにやるのだ、それが威嚇、予防のためになるとすれば、マイカー族をしかりつけるためにやるやつが、すべての交通労働者、すべての交通関係者にあらぬしわ寄せを与えるということになりはしないかということを私は痛感するわけですが、その点の御意見はいかがですか。
  24. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 私どものほうで刑の引き上げを考えました理由については、しばしばお答えしておるとおりでございまして、私どもといたしましては、これがいわゆるマイカー族でない交通労働者の方々に不必要なしわ寄せを加えるというふうには全く考えておらないのでございまして、しばしば申し上げておりますように、きわめて悪質な交通事故を起こしました場合、これを重く処罰することといたしまして、現実の処断をいたしますとともに、一般的な予防の役に立てたい、こういうことでございます。なお、すでにお配りしてございます「重い人身事故の具体的事例」というのによりましても、必ずしもマイカー族が非常に悪質重大な事犯を起こしているというふうには言い切れないようにも思うわけでございます。
  25. 横山利秋

    横山委員 そういうことはないですよ。この傾向を見ますと、重大な業務過失傷害の状況を見ますと、いただいた資料はどこでしたか、私はそういうふうに判断をしております。その三年の刑を科せられたものの具体的事例はどこに出ていましたか。標題はどういうのですか。
  26. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 「業務過失致死傷および重過失致死傷事件に関する事例集」というのと、それから一枚の紙で「重い人身事故の具体的事例」というのでございます。
  27. 横山利秋

    横山委員 一般的にこれを見ますと、これは法務委員会用にお出しになったのかしりませんけれども一般的に酔っぱらい運転、あるいはスピード違反、ひき逃げというものについて統計的に出ていますものには、私はマイカー族が非常に多いと思っておるわけです。かりに一歩譲って、いまあなたの出している事例集を見ますと、これはトラックの運転手ないしタクシーの運転手ですね。軌道上の事故というのはこの中にありませんね。それはお認めになるでしょう。私の言う無軌道のところにおける事故と軌道上の事故との比較についてはどうお考えになりますか。トラックやタクシー、マイカー族をかりに一括いたしますと、そのあとの軌道上における圧到的多数の人々、そういう人たちがこれによって相当しわ寄せを受けるということについてはどうお考えですか。
  28. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 二百五十一条の法定刑に懲役を加えて上限を引き上げようといたしますのは、繰り返して述べておりますように、主として自動車交通の中の悪質な事故考えて上げているわけでございますが、それ以外のお尋ねの軌道上の問題、あるいは航空機、艦船の問題、これにつきましては、従来の実績を見ましても、事案によって過失の態容あるいは程度、それから過失によって発生しました結果の大小にいろいろ相違はございますが、最近における自動車交通の一部に見られますような、人命を無視するような態度でなされる、故意犯と紙一重というようなものは絶無といってよろしいわけでございまして、そういう観点から、現在でもその科刑は、過失程度を勘案しまして、自動車交通に伴う事故に比して一般的に軽いと申しますか、重くない科刑がなされておるわけでございまして、国民感情の上からいいましても、こういった軌道上の一般的な過失あることによって起こされる事犯につきましては、自動車による人命を無視するような態度による悪質な事故、こういうものとは全く異質の社会的評価がなされておるというふうに考えられますので、軌道上の問題等につきます科刑につきましては、今後とも従来と差異は出てこない、かように考えておるわけでございます。
  29. 横山利秋

    横山委員 いま拝見したのですが、「重い人身事故の具体的事例」、十二件あるわけですが、十二件の中で、無免許が六件ありますね。それから普通自動車がほかに二件ですか。そうしますと、私の言う正規な運転手、トラックなりタクシーの運転手の事故というのは、十二件の中で四件ぐらいしかない。それじゃ、あなたの言う話と違うじゃありませんか。私は無免許だとか、酔っぱらいだとかあるいはスピード違反、つまり正規の運転手が起こした事故よりも、マイカー族的なもの、あるいは無免許運転的なもの、そういうものの事故のほうが多いと言ったのが、ここで実証されているじゃないですか。  それからもう一つ、あなたはいま軌道上の問題については従来と変わりはないとおっしゃるけれども、それじゃあなた、さっきの話と違うじゃないか。法律の全般的なものの考え方は、三年以上を罪を重くすることではあるけれども、これによって全般の事故を起こした者に対する威嚇、予防という意味がある。したがって六カ月でも一年でも罪が重くなることが期待されるということを暗に言っておられる。そうだとするならば、あなたがいま言った軌道上の問題については従来と変わりはないということは、あなたがかってに言うだけであって、裁判官はそう判断しない。私の言うのは、これらの極言すればマイカー族の起こすようなこと、無免許運転が起こすようなことがいかぬということを、たくさんの交通事故の中のごく一部の問題を特定して、一部の問題のために、正規の仕事をきちんとやって、たまたま事故を起こした人に対して、この刑法改正が全般的にしわ寄せせられるということはいかがなものか、こういうことを、先ほどからいろいろな角度から立証して質問をしておるのです。あなたの話では堂々めぐりで、いや、重い人身事故はそういう人たちが入っておるといったって、あまり入っておらぬ。やっぱり私の言うとおりだ。それから、軌道上の問題については、これはいままでどおりやりますと言ったって、だれがそんなことを保証してくれるのですか。
  30. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 御説明が不十分だった点があるかもしれませんが、刑の威嚇という場合に、今度の改正部分意味を有しますのは、人命を無視するような態度の非常に粗暴な運転等をいたしまして人身事故を起こせば、こういう重い刑にも処せられるのであるということが自動車運転者に自覚せられるということをさして申したわけでございます。したがいまして、軌道上の問題とかそういう問題を考えてみますと、私ども考えております、また一般国民考えておりますような酔っぱらって、あるいは資格なく、あるいは極端なハイスピードで軌道上の列車等を走行させる、その結果事故を起こすということはほとんど考えられないわけでございますので、そういう意味におきまして、現実科刑の面において、現在よりもそういった軌道上の問題につきましても科刑が上がってくるという現象は生じ得ない。これは当然裁判所といたしましても、国民の社会的な一般的な非難の度合いというものを踏んまえまして処断をするわけでございますから、社会的な非難の度合いがそういった軌道上の問題につきまして特に重くなっておるというような事情がございません限り、科刑の点に開きは出てこないというように考えております。
  31. 横山利秋

    横山委員 もう一ぺん国鉄側に聞いておってほしいのですが、これは大審院昭和十五年の判決です。これは宇部鉄道なので、国鉄じゃないのですが、これによりますと、被告人、つまり運転手は、「時速約六〇キロで進行し、陸橋の手前で警笛を吹鳴したが、陸橋手前六間八分(踏切より三一間七分前)の地点にいたってはじめてY女の姿を発見し、非常警笛を連続吹鳴すると同時に急停車の措置をとったが及ばず、遂に衝突して同女を死亡させた。」起訴になりましたのは、注意義務が足りない。こういう判決があって、被告人から上告がなされたが、大審院は原判決を破棄して無罪を言い渡した。この大審院の判決をちょっと朗読いたしますと、「凡ソ専用軌道ヲ有スル電車ハ高速度ヲ持シテ一定ノ軌道上ヲ疾走スル公許ノ交通機関ニシテ、其ノ進退操縦普通人ノ如ク自由ナラザルが故ニ電車線路ト人道トノ交叉セル踏切ニ於テ通行人ト電車トガ衝突スル虞アル場合ニハ、通行人ハ宜シク線路ノ外側ニ在リテ電車ノ進行ヲ待避シ其ノ通過シ去ルヲ待チテ線路内ニ入ルベク、電車ノ転運手ハ進行中ノ電車ヲ停止シ通行人ヲシテ先ヅ線路ヲ横断セシメタル後電車ノ進行ヲ継続セザルベカラザル義務アルモノニアラズ。」まことに常識的なはっきりしたことを言っている。「換言スレバ、進行中ノ電車ノ前面ニ於テ通行人が線路ヲ横断スルニ因リテ生ズル衝突ノ危険ヲ予防スルノ責任ハ主トシテ通行人ニ在リトナスベク、電車運転手ハ通行人ガ其ノ姿勢態度其ノ他ノ状況ニ依リ電車ノ進行ニ介意セゼシテ線路ヲ横断セントスルモノト信ゼラルベキ特別事情ナキ限り、通行人自ラ危険ヲ回避スルニ必要チル注意ヲ為シ電車ノ進行シ去ルヲ待チテ線路ヲ横断スベシト予期スベキ理由アルヲ以テ、踏切地点ヲ通過セントスル場合ニモ運転手が特ニ電車ノ速カヲ低減シ又ハ其ノ進行ヲ停止シテ不慮ノ衝突ニ備フベキ注意義務アルモノト為スベキニアラザルコトハ当院ノ夙ニ判例トスルトコロ」である。  その判旨を見ますと、まことにあたりまえで小児に教えるがごとく書いてある。これはあたりまえのことなんです。「原判決は、みぎのようなばあいには、電車運転手たる者は、単に警笛を吹鳴するだけではなく、電車の進行に気がつかないで踏切を通過しようとする者があるかもしれないから、いつでも臨時急停車ができるように速度を調節しておくなど応急の措置を講じ、よって事故の発生を未然防止する注意義務があるとし、被告人はこれを怠ったものとして業務過失致死罪の成立を認めた。」  私が先ほどからいろいろあなたに言っているのはこういうことなんです。こういうことが裁判の結果、業務過失致死傷罪に問われ、そして注意義務が足らなかったといってしばしば交通労働者はやられておる。この大審院の判決はまさに赤ん坊に教えるように、電車運転手は踏切に来たらいつでも急停車できるように、そして線路を横断する者があるかどうかよう確かめてから電車を走らせろ、そんなことは通行人のやることであって、電車のやることじゃない。運転取り扱い法規をきちっとやっておれば罪にはならぬぞ、あたりまえのことだ。こんなことを読んでばかばかしいようなことだけれども、これが原判決では有罪になって、数年間争って大審院で無罪になった。これは一つの例であります。  いま検察当局は、酔っぱらいや無免許運転やマイカー族、町にあったショッキングな問題をとらえて、これはあかぬ、だからひとつこれは何とかせにゃならぬというて刑法改正をやる。今度の刑法改正案のどこに一体マイカー族だとか、酔っぱらい運転だとか、ひき逃げ、無免許と書いてあるかというと、何も書いてありゃせぬ。業務過失致死傷は「三年以下ノ禁錮」とあるのを、今度は「五年以下ノ懲役若クハ禁錮」ということで、徴役も含めると書いてあるだけなんです。だから私がくどく言うように、マイカー族をやっつけようということでここでは説明があるけれども、酔っぱらいやひき逃げや無免許だと言っているけれども刑法改正されて一番しわを受けるのは、軌道上において正直な運転をやっておる人たちが、地裁でいわれているような人間としての注意義務最高度に要求されて、今後不利な判決をされるおそれのほうがきわめて強い。わしが声をからしでいるのはこれでからしでいるのではない。市長選挙で声をからしでいるのですけれども、しかしその上に声をからして警告を与えておる。私の言うことようわかりましたか。わかったらそういう角度でひとつあなたの真摯な御意見を承りたい。
  32. 上林健

    上林説明員 ただいま先生があげられました判決、大審院の判決ですか、これは国鉄側から見ましても妥当な判決だと思っております。ただ、ケース・バイ・ケースによって、たとえば逆の判決でございますが、最近の最高裁の判決などを見ましても、これと同じ状況ではなかったのですが、必ずしも動力車の乗務員規定に従ったからといって注意義務免責されるものではない。これはやはり同じく幼児の死亡事件か傷害事件でございましたが、そういう例もございますので、そのときの状況、それから被害を受けた者がどういう人間であったかどうか等々、具体的に見なければ一がいに妥当であるかどうかということは言い切れないのではないかと思います。
  33. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 検察当局といたしましても、従来から、交通違反の処理につきましては、やはりあくまで具体的事件に即しまして、被害者のほうの過失程度、あるいはもちろん被疑者過失程度、その結果の大小等を総合的に勘案しますほかに、被疑者の年齢とか性格、犯罪後の情状等を十分参酌して、寛厳よろしきを得た処理につとめてまいったわけでございます。今回の改正後も、当然のことでございますが、最近の交通事情にかんがみまして、特に悪質で、厳罰をもって臨むのが相当であると考えられる事案について、より妥当な刑を科そうというだけのことでございますので、本来重かるべき事案は重く、軽かるべき事案は軽くという方針は堅持するつもりでございます。また当然堅持されるわけです。これを受けます裁判所といたしましても、国民一般的な感情というものを勘案しまして、全く同じような考えを持って従来もやってまいりましたし、今後もやってまいると信じておる次第でございます。お尋ねのような、特に軌道を中心とする交通労働者に過酷な取り扱いになるというようなことは、私どもとしてとうてい考えられないところでございます。
  34. 横山利秋

    横山委員 そうしますと、要するに五千五百人のうち十六人の三年の罪を重くしてやりたい。あとは威嚇予防ということに意味があるのであって、それ以下の禁錮に該当したような人たちの罪を実際重く科するつもりではない。また、無軌道の場合と軌道の場合、軌道上における事故について、この刑法改正影響を与えるという意味も実際問題としてはない。こういうふうに解釈してよろしいか。
  35. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 私どもでまず考えますことは、統計表のたとえば三年というところにございます案件が、今度の改正によりましてゼロになることを最もまず期待するわけであります。かりに従来三年というようなところにあらわれておったようなケースが、遺憾にして今後も発生いたしますれば、事案に即してさらに重く処罰し縛ることといたしたい、こういうふうに考えるわけであります。  なお、軌道上の問題等につきましては、従来の実績をながめまして、それから将来を予測しますと、おそらく改正法の影響を受ける事例はほとんどないだろうというふうに、結果的に予想されるわけでございます。
  36. 横山利秋

    横山委員 運輸省、いまごろおいでになったので時間がなくなってしまったが、ひとつ聞いておきます。  私はこういうことを考えるのですが、先ほどもちょっと言ったのですが、事故が起こると、示談が行なわれる。示談が行なわれると、最初被害者加害者に対して、憎さも憎し、懲役にでもほうり込んでもらいたいという気持ち一般にあるけれども、だんだんと加害者のほうも、責任の軽重はともかくとして、できるだけのことは人情としてしたいということにもなって、なるべくたくさんの慰謝料なるあるいは弁償なりをするということが行なわれる。それと刑罰とが関係がないように見えて、実質上は関係がある。被害者のほうとしては、いろいろ考えてみると、けがしたり、死んだことは、こちらに多少責任もないのじゃないから、十分なことをしてくれれば、それでいいんだという気持ちにだんだん変わっていく。ところが、一方相手側から見ると、慰謝をし、損害賠償をすることによって、いささかなりとも刑罰が軽くなるならば、自分もできるだけのことをしたいという気持になるのは理の当然である。ところが、こういうふうに科刑を重くすることによって、それだけ、そう処罰をされるならば、示談のほうはどっちでもいいじゃないかという気持ちに相対的になっていくと私は考えられるのです。起こした結果についてどうするかということを考えますときには、被害者側気持ちを買って何とかしなければならぬのならば、科刑を重くするよりも、被害者側のあとあとのことについて十分なことをすべきことのほうが、むしろ先決ではあるまいか。罪刑を上げるということは、そちらうのほうの問題をなおざりにするというか、解決を不十分にするという心理的影響を実際にもたらしはしないか、こう考えるのでありますが、その点は、運輸省並びに法務省はどうお考えですか。
  37. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 刑が重くなりますと、示談ができにくくなるという御指摘でございますが、私どもはさようには考えないのでございます。もちろん、おっしゃいます御趣旨は、実はそこを重点としておっしゃっているのではなく、被害者の慰謝というものを十分講ずるのが大事だということをおっしゃっているのだろうと存じます。その点につきましてはまことに同感でございまして、今後とも被害者の救助と申しますか、広く言いますと、救急医療施設の整備でございますとか、自動車損害賠償保険制度の整備の問題、あるいは被害者賠償請求権の確保のための法律上の制度でございますとか、民事訴訟の促進とか、いろいろ手段が講ぜられる必要があろう。私どもが現在考えております法定刑の引き上げと相まちまして、それらの諸施策が完備されるということがきわめて望ましいことであるというふうには考えております。  ただ、そうでございますが、刑が軽ければ、むしろ逆に、私どもは常識的に考えまして、めんどうで高い金を払うよりも、簡単に罰金なり短期の自由刑なりで済ませようということになる。しかし、相当重く罰せられる、特に重大な人身事故を起こして、その過失程度も大である。しかも犯行後被害者に対し何らの慰謝を講じておらない。こういうことになれば、法改正によりまして、そういう悪質の者については五年というところまでいく可能性がある。こうなりますと、むしろ事故を起こしてしまった被疑者のほうが、刑を軽減してもらおう、あるいは執行猶予にしてもらおうというようなことも手伝いまして、現在よりも逆に示談をするような方向に行くのではないかというふうに考えるのでございます。
  38. 隅田豊

    ○隅田説明員 保険金額の限度の問題でございますが、昨年、いままでの保険死亡の限度五十万円を百万円に引き上げまして、今後とも世の中の情勢に合わせるように努力したいと思います。
  39. 横山利秋

    横山委員 私の言っているのは、保険金額の限度の問題でなく、それ以外の示談の場合を含めて言っておるわけです。私は法務省の見解は少し甘過ぎると思う。それとこれとは話が違うということは、むしろこちらから言いたいので、人間の心理の機微を考えれば、刑を重くすることによって示談があまりうまくいかなくなるという考えを持つんだが、運輸省はどうお考えか。
  40. 隅田豊

    ○隅田説明員 示談の問題につきましては、運輸省といたしましては、損害賠償保険の賠償の金を被害者に払うということの行政をやっておるわけでありまして、示談をどういうふうにするかということは、運輸省の所管ではございませんので、御了承願います。
  41. 横山利秋

    横山委員 まことにお役人というものはどうしようもないですね。ばかな話をなさるもんだ。私は意見として聞いているので、損害賠償のことをやっておれば、示談がどういうふうに行なわれるか、どういうふうになっているかということくらいは、あなたは御存じだと思うから、意見はどうだと聞いているのに、わしゃ実はこれだけやっていて、ほかは一切知らぬなんということはどうかと思いますが、御意見がなければそれでもいいでしょう。  委員長、まだ私だいぶあるのですけれども、きょうは畑さんがあとありますから、私は後日に譲りまして、きょうはここで終わります。   〔委員長退席、大竹委員長代理着席〕
  42. 大竹太郎

    ○大竹委員長代理 畑和君。
  43. 畑和

    ○畑委員 大体ポイントになる点はいま横山委員のほうから質問がなされておりますので、なるべく重複しないようには質問をいたしますが、どうしても重複しなくてはならぬときもあると思う。したがって、その点は御了解願いたいと思うのです。  今度の改正案によって懲役刑が加えられた。刑の上限を引き上げて、三年以下の禁錮というのが、五年以下の懲役または禁錮になり、罰金のほうはそのままだというようなことになっておる。ところで、いままでの日本の法体系からいたしますると、過失犯に対しては懲役刑は科さない。過失なるがゆえに禁錮ということが相当だということで、禁錮刑に処せられておった。これがまた過失犯の法体系としての原則だと思うのです。ところで今度懲役刑を科するようにした。先ほどの横山委員質問に対する答弁によりますると、同じ無謀運転による過失としても、そのうちで故意犯すれすれのような未必の故意あるいは故意犯にすれすれだというような場合のときに、この懲役刑で処断する必要があるから、それで懲役刑を新たに加えたのであるというような答弁がありましたけれども、ちょっとそれだけでは納得できない。やはり私は、かりそめに簡単に法体系を乱すべきではないと思うのだ。一時的な便宜——最近無謀運転による交通事故が非常にひどくなったから、これを処罰するために懲役刑を加えるのだというのは、本来の法体系の原則を乱すものだと私は思うのでありますが、単にそれだけの理由ではちょっと納得できない。その点についてどうお考えになるか、ひとつ承りたい。
  44. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 御指摘のとおり、現行刑法規定の中には、過失犯につきまして懲役刑規定したものはないわけでございます。もともと禁錮刑と申しますのは、沿革的に、政治犯のような確信犯あるいは非破廉恥罪に対する刑罰として、懲役刑のほかに設けられたものであるわけでございますが、その意味におきまして、わが国におきましては、過失犯に対しては一般的に禁錮刑で臨むということが例であったわけでございます。しかしながら、しばしば申し上げておりますように、最近の交通事情を見ておりますと、人命を無視するような態度で無謀な運転をいたしまして、人を死傷に至らすというようなケースにつきましては、故意による殺傷犯と紙一重だ、むしろ国民的な道義感覚からいいましても、この種の事犯に対して懲役刑を科することができるようにしたほうが、より適切妥当な刑を科し得るのではないかというふうにも考えられますし、なお、諸外国の立法例におきましては、この種事犯に対して、わが国で申しますと懲役刑相当する自由刑を科するというふうに立法的な措置をしておる場合が多いわけでございます。また、かようなものを刑法中に取り入れますことによって、刑法の体系が乱れないかという問題でございますが、すでにその点は、改正刑法準備草案をつくります段階でも、十分各般の学者等の意見も聞きまして、その結果、準備草案では御承知のとおり懲役刑を選択的に設けておるわけでございます。改正案の、こういう故意犯と紙一重のような悪質事犯について懲役刑で臨むという態度は、裁判官の良識ある判断によって適正妥当に運営されるというふうに思うわけでございまして、お尋ねのような体系を乱すような心配は、理論上あるいは実際上ないというふうに存ずるのでございます。  なお、蛇足でございますが、現行刑法で、過失犯については別でございますが、その他の罪につきましては、懲役刑禁錮刑を選択的に定めております規定相当数ございます。たとえば公務執行妨害でございますとか、職権乱用とか、あるいは礼拝所不敬というようなものが相当数ございますし、また特別法にもそういった例はあるわけでございまして、過失犯だから懲役刑は絶対科せられないというような、逆にそういう理論的な根拠というものはなかなか出にくいのじゃないか。諸外国の立法例等もしんしゃくいたしまして、あるいは国民の道義感覚をそのまま反映いたしまして、懲役刑を選択的に設けるということは、決して刑法典の統一と申しますか、これを乱さないというふうに考えておるわけでございます。
  45. 畑和

    ○畑委員 いま、たまたま改正刑法準備草案のお話が出ましたけれども刑法の準備草案によりますると、いまのような形になっておる。これは業務過失致死傷の問題について刑の加重をする。それで懲役刑を加えるということになっておる。それからいたしましても、刑法の準備草案で一つの体系として全部が変わることが予定されておる。しかも来年あたりそれが審議されるようになるかどうかわかりませんが、とにかく近い将来である。そういうところにまかせるべきであって、これだけぽつんと取り出して一年早くやるという理由は、私は乏しいと思う。またこのことは、結局先ほどの横山委員質問とも同じようなことになるのでありますけれども、そんなに一年早く実施しなければならぬ理由はないのじゃないかと私は思う。  先ほども言われておりましたが、五千件について十六件とかいう最高限の頭打ちは一あなた方頭打ち頭打ちと言いますけれども、五千件あるうちでわずかに十六件くらいが最高限であります。ところで、いま一般的な警戒の意味もあって、そういうわけで最高限が頭打ちになりつつあるから、それが今度は五年になる。そうすると、いままで三年、それ以上に処断したいと思っていたやつも、五年になれば五年に処断できる。そのほかにも一般的警戒の意味もあって、ふやしたほうがいいのだ、こういうような論拠のようですけれども、しかし、刑罰の加重というようなものをそう簡単に私はすべきではないと思う。先ほど来非常に議論せられておりましたように、交通事故の原因はどこにあるのか、こういうことを探求する必要がまずあるのでありまして、単にこれを運転者責任、そういうものにばかり求めるということは、私は非常に本末転倒だと思う。道路も悪い、あるいは過密ダイヤ、そのほか自動車がこれだけ多いのでどうしようもない、そういったいろいろの事情もある。そういったほかの一般的な行政的な措置をいいかげんにしておいて、総理がやられた交通安全国民会議ですか、あれはわずか一日やって、一人で十分間か十五分間の発言しかなくて、それでわがこと終われり、これでやりました、そういうことでは私はもってのほかだと思う。そういうことをやって、それから後に刑法の一部改正をやっても決しておそくはない。結局安上がり行政だと思うのですが、そういうことを考えないのですか。何も法務省のほうでお先棒をかついでやらぬでもいいじゃないですか。建設省だとか、厚生省だとか、運輸省だとか、おまえらのほうのやり方が悪いからこうなっているのだ、おれのほうにばかりやらせるのはひどいじゃないかということで、そっちのほうのけつをたたくべきであって、法務省のほうでお先棒かついで、あと一年もたてば刑法準備草案で一般的に刑法改正をやられるのが目に見えているときにやる必要はないと思うのですが、どうですか。
  46. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 刑罰だけで万事が済むかということは、まことに仰せのとおりでございます。政府としても、先ほど例に出されました建設省なら建設省、あるいは運輸省なら運輸省の各省庁にわたりまして、それぞれ施策を鋭意検討し、あるいは検討の済みましたものから実施に移しておるわけでございますが、法務省といたしましては、交通問題の一環としてこの法改正という一つの施策を講じたい。もちろん、これだけで万事終われりということではございません。しかし、法務省もやりますし、各省庁も鋭意交通対策の問題に取り組みまして、くつわを並べて努力をするということで、初めて交通問題が好転していくのじゃないかというふうに思うわけでございます。  なお、準備草案との関係でございますが、現在法制審議会におきまして、刑法の全面改正について審議をいたしておるわけでございますけれども、ややわき道にそれますが、改正刑法準備草案そのものを議題としてやっておるわけではございませんで、これを参考にしながら刑法の書き直し作業というのをやっておるわけでございます。その進捗状況は、一応発足当初以来三年程度で答申ということを目途にいたしてやっておるわけでございますが、それでは来年は必ず答申になるかと申しますと、現在の進捗状況からしますと、必ず来年度答申が得られるというふうにも確言できないのでございます。なお、答申がございましても、これを法務省といたしまして法文化いたします、さらに国会の御審議をいただくということに相なりますると、諸外国における刑法全面改正の作業の実績等を見ましても、必ず来年あるいはその翌年全面改正が実現するというふうに私ども申し切るまでの自信はないわけでございます。その改正刑法準備草案的な全面改正の実現がいつになりますかは別論といたしましても、当面、交通戦争といわれております交通問題につきまして、政府部内あるいは国民の皆さんも、それぞれができる何らかの方策を講じていくということは現下喫緊の問題だろうと存じます。そういう意味で、私どもといたしましては、もちろん万能薬じゃございませんことは重々承知しておりますが、この改正によりまして交通事故防止の一助にもいたしたい、かように考えておる次第でございます。
  47. 畑和

    ○畑委員 いま法務省のほうで刑法の一部を改正する法律の論拠となっておるところは、先ほど来の説明でもわかりますが、交通事故特に自動車運転事故、これが一番中心である。もうほとんどそれがすべてであるといってもいいくらいだと思うのです。めいてい運転、無免許運転あるいはスピード違反等のいわゆる無謀運転によって死傷が続出しておる。これを取り締まる根拠が、いまのままではしようがないじゃないか、威嚇的な意味もあってやるのだ、こうおっしゃるわけです。それはよくわかる。私もその点について別に反対するわけじゃないのです。ところが、先ほどの横山委員の御質問の中にもありましたけれども、これによって最高限を上げますれば、自動車の無謀運転以外のものまでも自然と実際の刑の量定の場合引き上げられるおそれがあると私は思うのです。特に鉄道関係等の運転事故の場合、多数の乗客を乗せて運転しておる鉄道の運転者がめいていしてやるようなことはおそらく考えられないことだと私は思う。相当注意義務を払っておる。にもかかわらず、現在の国鉄の過密ダイヤによっては注意がしきれないというような点が相当ある。そうした事故が最近あちこちにあるわけですが、それらに対するものまでも——最高限が引き上げられるわけですから、それを除外するわけじゃないのだから、そうなると、そういう場合にはたいてい事故として大きい事故になるわけで、偶発的なことですが、人が乗ってない貨車の場合で、それだけで済めばだれも死なないで済むだろうけれども乗客の場合はたくさんの死傷が出る。あるいは貨車がひっくり返って、その上にこの間の三河島事故みたいに客車が来てそれが引っくり返る、多数の被害者が出る、こういうケースが多いわけですが、そうなりますと、注意義務の点では相当尽くしておるけれどもかすかな過失が残っておるというような場合でも、結果的に大きな死傷者が出た場合には、どうしても引きずられて、裁判をやる場合、裁判官はその結果によって裁判をするというようなことを私は実際に法廷に立っている関係で承知いたしておるのですが、そういうことにまで波及をする。あくまで刑事学的に判決すべきであるにかかわらず、結果によって、最高限が五年になれば最高限で、注意義務のほうは相当果たしておるけれども若干の問題がある、結果が非常に大きな死傷者が出た、したがってこれは最高限の五年だ、こういうふうになるおそれがある。こういうことを横山委員も心配して質問をいたしておったのですが、それに対して法務省のほうは、そういう場合はまた別なのだ、それはその裁判官が、賢明な裁判官だから適当にやるでしょう。こう言われるけれども、私はそれが非常に心配だと思うのです。そこで私の提案なのですが、こういう改正という形じゃなくて、諸外国にも一部にその例があるが、何とかして自動車の——必ずしも自動車と限らなくてもよろしいが、とにかく自動車の無謀運転という形による交通致死傷をとらえて、構成要件として、それを特に別に処断する、それが一番重要な問題なのだから。そういう形でやらなければ、いま横山さんが心配しておったようなことの心配がなくならない。こういうふうに私は思うのですが、そういうほうの研究は、こういった一部改正をされる前に法務省では研究をされたかされないか、また、されたとすればどこが隘路であったかということをひとつ御説明いただきたい。
  48. 伊藤榮樹

    伊藤説明員 まずお尋ねの前段で、裁判上の実務として結果の大きいことに目を奪われた裁判が行なわれる傾向がありはしないかというお尋ねがございましたが、本来過失犯につきまして、結果の発生があって初めて犯罪とされるわけでございますから、結果の大小は犯罪の軽重をはかる上に相当なウエートがあるということは否定できません。しかしながら、過失犯を処罰します本質は、当然尽くすべき注意義務を怠ったということに対する社会的非難にあるわけでございますから、いかに結果が大きくても過失程度が軽い場合には、その処分は当然十分これを参酌しなければならないわけでございまして、そういう意味におきまして、たとえばただいま承知しております例としても、以前鹿児島本線で起こりました追突事件なんかを例にとってみましても、前方不注意過失等によりまして、前方の先行の旅客電車に追突させて六十余人に重軽傷を負わせたという事案につきましても、短期の自由刑執行猶予がついておるということで、必ずしも仰せのような過酷な刑にはなっておらないのではないかと存ずるわけでございます。  お尋ねの第二点の、もっぱらこの改正自動車の無謀運転に基因する事故をねらっておるとするならば、そういった直截な自動車の無謀運転の結果死傷事故を起こした場合を特別な構成要件としてとらえて、これに対して刑を加重するというふうな法改正について検討をしたかどうかというお尋ねでございますが、このたびの改正案の立案の過程におきましては、御指摘のような考え方に基づきます案、これは当然のことながら十分検討いたしたわけでございます。すなわち、自動車の無謀な運転の結果死傷事故を起こしました場合を刑法学上いいます結果的加重犯という形でとらえることにつきましては十分検討を行なったのでございますが、このように結果的加重犯として規定いたしますことは、その原因となります自動車の無謀運転行為それ自体が故意犯であるということを前提としておるものというふうに考えざるを得ないのでございまして、したがいまして、刑法の全体の行き方からいたしまして、この結果的加重犯に対する刑もすべて懲役刑一本でいかなければならないということになるわけでございます。ところが他方、自動車の無謀な運転というような概念は、それ自体その内容が必ずしも明確ではございませんために、特に悪質とまで思われないものまでこれに含まれる危険性がある。この点につきまして、いろいろ法文の書き方についても一応の検討を試みたのでございますが、表現上の工夫によっては容易に解決し得ない問題というふうに考えられます上に、またそういった構成要件を立ててみますと、そういった罪と刑法の所定の暴行罪、傷害罪あるいは傷害致死罪、さらには現行の二百十一条の罪、これらの罪との関係、たとえば罪数関係でございますとか、解釈の関係等につきまして種々の問題点が生じますほかに、さらにこの新しくつくろうとします結果的加重犯規定刑法典のどこに位置づけるかという点についても、解釈上非常に解決の困難な問題があったわけでございます。そこで、それではこのような罪を刑法の中に書かないで、たとえば道路交通法の中に、悪質な交通違反を犯した結果人を死傷にいたした罪というような形で、特に重く罰するというような規定を置いてはどうかということも検討の対象になったわけでございますが、このようにしましても、やはりただいま申しました刑法典中に書きましたのと同じような種々の難点がやはり解消されないのみならず、これまで明治四十年以来刑法典にあげられまして、いわゆる刑法犯として高度の道義的非難に値するものとされてまいりました業務過失致死傷罪並びに重過失致死傷罪の中で、その中でも特に悪質と認められるものが刑法典から抜き出されまして、行政取り締まり法規でございます道路交通法に移されるということは、やはり法律のたてまえからいたしまして、ことばは悪うございますが、本末を誤ることにもなりかねないというふうにも考えられるのでございます。かような経緯からしまして、結局このような考え方による立案がいかにも難点が多く出過ぎますので採用ができないということになったわけでございます。その他いろいろな構成要件等も勘案いたしまして、このたび提案いたしております改正案のような形をとりますことが緊急に事態の改善をはかる上においては最善の措置であるというふうに確信するに至ったわけでございます。
  49. 畑和

    ○畑委員 いろいろ当局としては研究もされたようでありますが、それはわかるのです。そういったいろいろな研究をされて、こうしてはどう、こうしてはどうということでやっても、結局、なかなかそこでも体系上ぶつかるところがある。それよりも安易な道ということで、要するに三年を五年にすれば簡単でいい、そして懲役刑を加えればまことに簡単で、当局にとっては非常によろしいかもわからぬけれども、しかし、いま言ったようないろいろな問題があるわけなんです。だからぼくは、それからすれば少しはびしりといかぬでも、そういった例も諸外国にないではないのです。現行法としてやっておるところもある。大体私は業務過失なるものがおかしくてしようがないのです。ちょっとわからない。大体業務上の過失というのは、おもに行政取り締まり上の問題でしょう。それを刑法の体系に持ってくること自身がおかしいと思うのです。大体いままで旧刑法の時代でも御承知のように業務過失というあれはなかったわけです。新刑法になってから業務過失が出てきて、そして新刑法を途中で改正したときに重大な過失がそれに加わった、こういうような経過があるわけです。もともとは旧刑法時代にはなかったのですね。そういう点からしてもなかなか業務上というのはむずかしい。御承知のように、いま判例としては大体固まっておるようなものだけれども、職業としてやらなくても、免許証を持っていなくても、何回も反復継続してやりさえすれば業務だ、また一回であっても、そういう意思があればいいんだということで非常にばく然と範囲が広い。しかも行政取り締まり法的な本質を持っておると私は思う。それを刑法の体系に持ってくるということ自身が私はおかしいと思う。しかし、新刑法できまってずっと使われてきておるのですから、これはやむを得ないと思うのだけれども、私はむしろその点を重大な過失だけでやったほうが問題はないんじゃなかろうか、かように思うのでありますが、その点はどう思いますか。
  50. 津田實

    津田政府委員 御指摘業務過失傷害罪の解釈については、その趣旨については学説上いろいろな論議があるところであります。しかしながら、結局業務として反復継続して行なっておるものにつきましては、少なくとも社会的非難が高い。通常の者より高度の注意義務業務者には要求されるんだという考え方ももちろんあります。しかしながら、それをそうまで割り切らないといたしましても、少なくとも反復継続して行なっている者につきましては、常にその経験に基づいていろいろな注意を当然行なうべきことになってくるわけであります。したがいまして、その者がさような注意を怠って結果を発生せしめたということになりますと、その者に対する非難はやはり高いわけであります。その意味におきまして業務者を業務過失致死傷として重く罰するということについては、やはりそれだけの意味があり、それが過去数十年容認されてきたわけであります。しかしながら、さような業務者でない者につきましては、終戦後の改正によりまして、少なくとも業務者と同じような刑責というように解釈せられる重過失につきましては、通常の者につきましても、その非難の度合いが高いということにつきまして、自由刑によって処断するということを考えたということは、これまた自然であります。しかしながら、業務者についても一般の者についても重過失のみでいくべきかということになりますと、これは業務者に対しては少なくとも現在より軽くなる面が相当出てくる。それがはたして一般国民感情に合致するものであろうかということになりますと、それは国民感情に合致しない。従来の業務者に対して要求されているところの注意義務その他の点、あるいは業務者であることによって非難の度が高いという面をこの際ゆるめることはとうていできないというのが国民感情の問題だというふうに思うのです。
  51. 畑和

    ○畑委員 その辺はいろいろ議論してもしかたがないから、もう時間がきましたから最後に結論的に申します。  先ほども横山委員が言っておられたけれども、刑を加重することによってはたして悪質の交通事故が少なくなるかどうかということについては、少なくなるという見通しでこの改正法を出されたと思います。したがって、これの答弁を求めてもしようがないと思うのですけれども、私は少なくならぬと思う。少なくしたいのが私の信条だけれども、少なくならぬと思う。この前も道路交通違反刑罰を引き上げ、懲役刑については五倍も引き上げた。それから罰金刑については二倍から十倍引き上げております。これは道路交通法の罪だからそうたいして重い罰則ではないけれども、しかし二十五年にそれほど引き上げられて以来の統計というものは減っていない、ふえておる。こういう統計が出ておると思う。今度刑法の一部を改正することによっても、私は決して少なくならぬと思う。自動車の数を減らさない限り少なくならぬと思う。これは意見だからあとで見ておれということだけの話で、どっちがあれなんだか、あとでその結果を見ようじゃないかというそれだけのことを言いっぱなしでこの質問をやめます。
  52. 大竹太郎

    ○大竹委員長代理 本日の議事はこの程度にとどめます。  次会は明二十八日午後一時開会することとし、これにて散会いたします。    午後雰時三十五分散会