○
大内参考人 大内でございます。
この
事業団法案につきまして、結論を先に申し上げてしまいますと、私は基本的な
構想としては賛成をしたいと思っております。なぜかと申しますと、いま
小倉さんからもお話がございましたように、今日の
日本の
農業の問題を考えますと、どうしても
経営規模を
拡大する、それと同時に、
農地の合理的な利用をはかるという
意味で、いわゆる
農地の集団化を実現するということがどうしても必要になっている。この必要になっているという
意味は、もちろん、
一つは、
農業の所得なり農民の生活なりという側面からも起こっていることでございまして、御
承知のとおり、もはや零細
農家ではございませんで、中堅以上の
農家に至りますまで、今日の状態では、
農業にいわば落ちついて従事することができないような状態になっている。あるいは
兼業化し、あるいは最近非常に大きな問題になっておりますような出かせぎが、大量に起こるというような問題を引き起こしております。こういう農民の生活を安定させるという
意味におきましても、どうしてもこの
経営規模を
拡大いたしまして、さらに合理的な
農業を実現して、
農業らしい
農業がやれるような状態をつくり出すということが必要であろうと考えます。
それと同時に、もう
一つ、ある
意味では、これはいま申し上げましたこと以上に大きな問題かと思いますが、御
承知のとおり、
日本の
農業生産というものが、ここ二、三年明らかに頭打ちを来たすようになっていると私は考えます。そしてこのことが、いわゆる農産物の自給率を非常に下げてまいりまして、輸入の圧力というものを非常に大きくする、こういう問題を引き起こしている。このことは、また単に
農業だけの問題ではございませんで、
日本の国際収支という問題から考えましても、まさに憂うべき状態にあるというふうに思われますが、こういうふうに
農業生産そのものが破壊されるような
条件ができてきているということも、一方では
農業の
労働力の流出が非常に激しいにもかかわらず、他方では
農業の
生産体制がそれについていけない、こういうことから、
労働力の欠乏が直接
生産の縮小というところへつながりそうな形になってきている。こういう問題を持っているわけです。
こういう二つの問題を考えましただけでも、今日の
日本の
農業にとりましては、やはり
個々の
農家の
経営規模を
拡大いたしまして、そして合理的な
農業をやり得るような、あるいは
生産性の高い
農業を実現し得るような、こういう
条件をつくり出すということが基本であろうかと思います。
それにつきましては、従来から
農業の
構造改善事業というものが進められているわけでございますが、ただ、この
構造改善事業につきましては、御
承知のとおり、一番大きなネックになっておりますのは、
農家の整理というものがなかなかつかないという問題であります。したがっていわゆる
自立経営の
経営規模を
拡大し、さらにその
経営を集団化するということがなかなかできないという問題であったわけです。この
事業団の
構想はその点に十分かどうかということは、あとで多少申し上げたいと思いますが、少なくともその問題に正面から取り組もう、こういう姿勢を示しているという限りにおきまして、私は基本的には支持できるものではないかというふうに考えます。そういう基本的な
立場に立ちまして、この
政府のほうの
構想を拝見いたしますと、幾つかの問題があるように思いますが、これも申し上げたいことはたくさんございますが、時間も限られておりますから、特に大きな問題として、
三つだけのことを申し上げたいと思います。
まず第一の問題は、いま申し上げましたような
経営規模の
拡大とか、あるいは
農地の集団化ということを認めるといたしまして、ただ、それをこういう
事業団のような
構想でやるのが適当かどうかということにつきましては、世の中にいろいろな批判があるわけであります。そこで、その批判を多少ここで検討してみまして、こういう
構想がやはり必要ではないかということを申し上げてみたいということが一点でございす。
それから第二番目は、今度はこの
構想そのものを一応認めるとして、この
構想が基本的な点においてどういう不十分さを持っているかということを第二点として申し上げたいと思います。
それから第三点といたしましては、やや細目に入りまして、この
構想が持っております幾つかの
問題点というものを取り上げまして、それについて私の所見を申し上げてみたいというふうに思うわけであります。
そこで、第一の点でございますけれども、
経営規模の
拡大あるいは
農地の集団化ということを考える場合に、こういう方法によらなくてもいいではないかというような
考え方が、いろいろ世間からは出ているようであります。これもこまかく申しますと、いろいろなタイプがあるようでございますが、さしあたりやや有力な批判といたしまして、二つのものがあるようでございます。
一つの案は、つまり、こういうふうに
農地の所有権なりあるいは耕作権なりを
移動させるという形で
自立経営を中心に育成をしていく、こういう
考え方より、むしろ
農業の
共同化を進めていくという形の
経営規模の
拡大なり、あるいは集団化なりというものを達成したほうがいいのではないか、こういう形の批評でございます。この点につきましては、すでにいま
小倉さんもある程度おっしゃいましたので、あまり詳しく申し上げる必要はないと思いますが、私も
小倉さんと同じように、
自立経営ということと
共同化ということとは必ずしも相いれないものではない、あるいは相対立するものではないというふうに考えております。むしろ、今日の
農業技術そのものから申しますならば、もはやとてもいわゆる
自立経営だけでこなせるような
技術ではなくなっているというふうに申し上げたほうがいいと思います。もちろん、これは
農業のいろいろな部門によって違いますから、一がいには申せませんが、たとえば
日本の
農業の中心でございます水田のようなものを考えれば、今日の
技術体系の中で考えられております合理的な、
機械化された水田
経営というものを考えれば、その適正
規模というものは、おそらく数十
町歩というようなところに達するものだろうと思います。そうなりますと、いかに
日本の
農家がさか立ちをしてみましても、数十
町歩の
自立経営というものを実現するなんといこうとは、まず当分の間は不可能でございます。したがって、その点からいえば、
技術的には、いずれにせよ私は、
協業経営あるいは
共同経営という形を発展させる以外には方法はないのではないかと思います。しかし、
共同経営なり
協業経営を発展させるにしても、それではその
共同の中に入る
個々の
農家は、いかに
経営規模が小さくてもいいのか、あるいは半ば
兼業化していてもいいのか、こういうふうに考えてみますと、私はやはりそうはいかないと思うのでございまして、やはり
農業に専業的に従事をいたしまして、相当高い
技術水準をこなすということになれば、ある程度の
経営規模があり、その
経営規模から相当の所得、たとえば百万円なら百万円という所得が上げられる、こういう
条件を備えてまいりませんと、ただ三反であろうと五反であろうと、そういう農民を
共同化さえすればそれで問題は解決するというようには考えられない。したがって、私は、
技術的にはもちろん
共同化が必要であるけれども、その
共同化の
前提として、やはり
経済的な
意味においては、専業的に
農業に従事して、しかも他産業と均衡のとれるような所得を実現し得る、これだけの基礎を持った
農家というものを育成する必要があるというふうに考えるわけであります。そういう
意味では、やはり単に
共同化だけでは問題は解決しない。こういう方法によって零細な
兼業農家をできるだけ整理をしていって、そうして専業的に
農業に従事する
農家に対しては、必要なだけの
土地資源というものを与えてやる、こういう方策を考えざるを得ないのではないかというふうに思うわけであります。
それからもう
一つのこの
構想に対する批判点として、かなり有力に出ておりますのは、これもいま
小倉さんのお話にも多少出てまいりましたが、こういう形で
農地の所有権を
移動させるということを考えるよりは、いまの
農地法の体制を変えていく、ことに
農地法の非常に強い
農地に対する統制というものをゆるめてまいりまして、特に小作
関係についてのいまの規制をゆるめ、それによって
農地の
流動化をはかる、そういうふうにすれば
土地の貸借が広範に起こるだろうから、したがって、こういう方法をとらなくても
経営規模を
拡大することができるのではないか、こういう
考え方があったようであります。詳しくは存じませんが、新聞の報ずるところによれば、予算折衝の段階では、大蔵省側にはそういう御
意見が非常に強かったということが新聞に報ぜられていたようであります。もちろん、私も、
小倉さんがおっしゃいましたように、今日の
農地法をそのまま維持しておくということがいいとは考えていません。
農地法から申しましても、ある程度の
流動化をはかる、こういうことが必要のように思われます。しかも、この点につきましては、
農地法のたてまえをもしゆるめると、戦前と同じような地主、小作
関係が復活するのではないかというような心配を持っている向きもあるようでありますが、私は、今日の
農地に対する需給
関係というようなものを考えましても、かりに
農地法の、ことに小作に関する規制を全部撤廃して自由にしてみても、おそらく、戦前のような地主、小作
関係が復活するというような心配は、まずほとんどないと考えていいのではないかというふうに思っております。
ですから、そういう心配は私は持っておりませんけれども、それでは、ただ
農地法をゆるめて小作
関係をより自由にすれば、
経営規模の
拡大ということが達成できるかどうか、こういう問題になりますと、私はたいへん疑問に思っております。それはなぜかと申しますと、戦前のような
日本の
農業の状態でございますならば、
土地を借りるほうから申しましても、たとえ一年でも借りて、それが耕作できれば、それだけ所得がふえる。翌年は地主のほうから返してくれと言われれば、返しても――返せば困ることは困りましょうけれども、しかし、
農業そのものとしては、翌年返すということに対して、それほどの支障が生じないような
農業であったわけであります。これは言うまでもなく、
農業に対する固定投資というものが非常に小さい。もっぱら手労働と肥料その他に依存した
農業でございましたから、したがって、その
土地の利用期間というものにそれほど神経質にならなくてよかったわけです。ところが、最近のように
農業の
技術が非常に発達してまいりまして、
農業に対する固定的な投資が非常に大きくなると、特に
土地改良
事業を初めといたしまして、いわゆる
土地に固定する投資を非常に必要とするようになる。こういうことになってまいりますと、小作期間が不安定であるということ、あるいは小作権が不安定であるということは、そういう投資に対しまして非常に大きな支障を来たすということになるわけです。もし借地人のほうがそういう固定投資をいたしましても、二年とか三年のうちにその
土地を返さなければならぬというような
条件が出てまいりますと、そういう固定投資そのものができないということにならざるを得ないわけであります。この問題は、御
承知のとおり、イギリスやアメリカの
農業におきましては、すでに十九世紀から非常に大きな問題になってきているわけでございまして、そういう場合に、小作人が投資をいたしました固定投資に対して、地主に何らかの補償をさせる。つまり、契約を解除して
土地を取り戻すときには、地主のほうに何らか補償をさせるべきだ、こういう議論は、すでに十九世紀の後半からイギリスやアメリカでは非常にやかましくなっております。そしてイギリスについてはある程度の立法
措置が行なわれておりますし、アメリカにつきましては、私の知っている限りにおきましては、小作契約の文書化を行政的に非常に奨励いたしまして、その小作契約のひな形の中に、いま申しましたような地主の補償条項を必ず入れさせる、こういう形でもって問題に対処しようとしているように私は理解しております。いずれにせよ、そういう大きな問題がございまして、したがって、今日のような
日本の
農業の
技術水準を
前提といたしますと、やはり小作地であっても、耕作権が相当長期にわたって安定するということが、
農業経営の発展のためには不可欠である、こういう問題を持ってくるわけでございます。ですから、
農地法のたてまえをただ
流動化いたしまして、いつでも地主が取り戻せるような状態にすれば問題は解決するというふうには決して言えないわけでございまして、やはりその
農業経営に対しては、安定した耕作権をいかにして保証するか、こういう問題を考えておかなければならぬ。ところが、御
承知のとおり、この問題は、
土地の貸し手のほうから申しますと、非常に大きなネックになるわけでございまして、小作権がそういうふうになかなか取り戻せないものならば、貸さないでおこう、こういうのがいまの貸し手のほうの
態度であるわけです。そうなりますと、この問題は、どうも
農地法だけではやはり解決しないのではないか。基本的には、一番安定した耕作権というのは、やはり
土地を所有するということであって、そこで、
土地の所有権の
移動ということをやはり中心的に考えざるを得ないのではないか、こういうふうに思うわけであります。
以上二つが、世間
一般でこの
構想に対して論じられております批判点についての私の
考え方でございますが、今度は第二番目の点として、この
構想そのものを認めるといたしまして、ただ、基本的にこの
構想にどういう
問題点があるかということでございますが、これにつきましても、二つのことをさしあたり申し上げたいと思います。ただ、その
一つのほうは、いま
小倉さんからお話がございましたので、繰り返すことを避けたいと思います。
ごく簡単に申しますならば、この
構想そのものが、他のいろいろな施策とどういう連関を持って実施されるかということが非常に重要だという論点で、それにつきまして、
小倉さんはいま
離農対策との関連ということをお話しになったわけでございまして、このことも私はきわめて重要なことだろうと思います。特に、こういう施策が行なわれます場合に、国の
政策に協力をいたしまして、
農地を手放して
農業から離れていく、こういう
農家がありましても、その
農家が
農地から離れてみたら、何年かうちには路頭に迷ったというようなことでは、これははなはだ
政策としては片手落ちでございます。あるいはまたそういうおそれがあるときには、農民はなかなか
農地を手放そうとしないことも事実であります。したがって、との
離農対策として、あるいはこの
離農したあとの将来の保障という点について、どれだけの
政策を
政府が準備しているかということがきわめて大きな問題でございまして、それなしには、この
構想は決して私は成功しないであろうというふうに思います。その点をだんだん明確にしていただく必要がありはしないかということでございます。
もう
一つ、他の施策との関連ということについていえば、先ほど申し上げました
構造改善事業というものとこの
構想をいかに結びつけるかということが、これから十分研究さるべきことであろうと思います。先ほど申し上げましたように、今日の
構造改善事業というものが行き詰まってまいりましたかなり大きな理由は、
農家の整理がなかなかつかないし、したがって、また残る
農家の
経営規模の
拡大がなかなかできないという問題だと思うのです。そこで、そういう
構造改善事業のネックを開いていく、こういうことのために、この
構想は十分活用すべきだと思うのであります。ただ、この
法案を拝見した
範囲におきましては、その両者の結びつきというものが必ずしも明確になっていないというところに、多少問題がありはしないかという感じがいたします。
ともかく、
一つは、他の施策との
関係ということでございますが、もう
一つ、基本的にこの
構想について疑問といいますのは、要するに、この
事業の
規模がはなはだ小さいということです。一、二ヵ月前に、私はある雑誌にこの
構想の批評を書きまして、これはまさに二階から日薬だというふうに書いたのでございますが、薬であることは間違いないと思いますけれども、ただ、その薬を二階から落とした程度で、今日の
日本の
農業の持っておる問題に対処しよう、こういうふうに言われてみましても、これでいいのかという疑問はどうも抜け切らないわけでございまして、今日の
日本の
農業の非常に重大な問題というものをほんとうに考えますならば、もう少し大きな
規模の
構想というものがあってもいいのではないか、こういう基本的な疑問を持っておる、こういうことを申し上げたいわけであります。
そこで、第三の問題といたしまして、そういう
前提に立ちまして、やや細目について、幾つか問題になりそうなところを拾って簡単に申し上げてみたいと思いますが、
法律案そのものにつきましては、どうもはなはだ条文が込み入っておりまして、なかなか私のような
法律のしろうとにはよくわかりませんので、こちらの
法案要綱のほうに従いまして、幾つかの
問題点を申し上げてみたいと思います。
まず第一の
問題点は、この
構想では、対象となりますものが
農地に限られているということが、
一つの問題ではないかという感じがいたします。つまり、
農地及び採草放牧地ということになっております。採草放牧地というのが入っておりますだけに、多少のゆとりがあるといえばゆとりがあるのかもしれませんが、これからの
農業の発展というものを考えますと、たとえば果樹園を
拡大していくとか、あるいは放牧地を
拡大していくとかいうことを考えます場合に、やはりその未墾地、特に未墾の山林原野というものの利用権をいかに開放していくかという問題が、非常に大きな問題のように思われます。この点につきましては、御
承知のとおり、国有林の開放という問題はある程度取り上げられておりますが、私有林地につきましては、すでにもう数年前に、農林漁業基本問題調査会で、そういう私有地についての利用も開放すべきだという答申が出ているにもかかわらず、積極的にほとんど何らの手が打たれていないといってもいい状態です。このことが、やはり
農地の
拡大なり
経営の合理化なりに非常に大きな障害をなしつつある。すべての地方についてそうだとは申しませんが、なしつつある地方もあるわけでございまして、したがって、この
構想の中に、いっそのこと、この未懇地の買収、その買収による開放という問題が取り入れられなかったかどうかということが、当然
一つの問題として出てくるかと思います。
それから第二の問題は、言うまでもなく、買収
規模と申しますか、この
事業規模というものがあまりにも小さいということであります。ことしの御予定で、これは試験的に、いわばパイロット的にやってみるのだ、こういうことでございますから、ことしにつきましては、こういうむずかしい問題ですから、いきなり間口を広げるよりは、多少試験的にやってみよう、こういうお考えに私は必ずしも反対いたしません。しかし、一年なり二年なりのそういう試験的な期間を経まして、いよいよこの
仕事が軌道に乗ったというときにも、農林省のほうの御説明では、大体一万五千
町歩とか二万
町歩とかいう程度のことをお考えになっているようです。しかし、今日
構造改善事業というものを考え、その中で、どの程度の
農地を動かしたならばやや合理的な
日本の
農業を実現できるか、こういうような
構想を立ててみますと、これはなかなか見当がつきませんが、いろいろの人が議論しているところを総合してみますと、少なくとも二百万
町歩程度の
土地が動かないと、
日本の
農業の基本的な
構造改善にはつながらないだろう、こういう
意見が多いようでございます。それが二百万
町歩であるか、百五十万
町歩であるか、あるいは二百五十万
町歩であるかという議論は別といたしまして、とにかく今日処理しなければならない
農地は非常に大きいということです。それを二万
町歩とかそのくらいを動かしていくということを考えてみますと、まさにこれは百年待っても、問題は解決しないんじゃないかという感じがする。他方において、先ほど最初に申し上げましたような
農業の問題がきわめて重大化しているということを考えますと、あまりにもタイミングが合わないような
考え方になっていやしないか、こういう疑問を持たざるを得ないということです。
それから第三番目に、そのことと多少関連いたしますが、やはりせっかくこれだけのことをおやりになるならば、私は、
農地の自由な
売買をなるべくこの
構想のワクの中に入れるべきであろうというふうに考えます。つまり、せっかく一方でこういう
構想が進んでおりましても、他方では
個々の農民なりが自由に
土地を
売買しておりまして、したがって、この
構想あるいは
農業構造改善の
構想と全然相反するような方向に
農地が流れている、こういう問題があれば、一方でこれをやっているときに、他方で絶えずそれがくずされていくという危険性が非常に大きいわけです。こういうことを考えますと、農民が
農地を売るときに、今日の
法案では、ただ
事業団に対して通知をするというだけのことになっているようでございますが、やはり
事業団そのものが先買い権を持っている、こういうことを
法律的に明らかに規定して、それによってできるだけ多くの
農地をこの
構想の中におさめるということを考えるべきではないかというのが第三点です。
それから第四点として問題になりますことは、この
構想では、その
土地の
売買を
事業団が行ないますときには、いわゆる時価主義でいくという
構想になっております。ところが、やや皮肉なことを言う人は、時価でもって
農地を
売買するなら、何も
政府のお世話にならぬだって自由に
売買できるじゃないか、時価でやるのでは、ちっとも
農地の
流動性を促進することにはならないじゃないか、こういう議論があるわけです。もちろん、これは多少誇張でございまして、時価で
売買すると申しましても、
土地の時価なんというものは、あるような、ないようなものでございます。それから実際にはなかなかうまい
買い手が見つからないとか、あるいはうまい
売り手が見つからないとか、こういうことで
農地の
流動性が妨げられておるという問題もございますから、時価でおやりになりましても全然効果がないというふうには私は申しませんが、ただ、せっかくおやりになるならば、もう少しそこにある色をつけて、
土地の
流動性を
政策的に促進するということを考えるべきではないかというふうに思います。他方では、またこれは先ほどの
離農対策とも関連いたしますが、
農地を手放して
離農する人の
立場からいえば、なるべく高くその
財産を処分して転業資金に充てたいという希望が出てくるのは当然のことであります。そういう点から申しましても、時価主義というのは再検討さるべきでございまして、私は、たとえば時価が二十万円であるとするならば、せめて三十万円ぐらいというような
価格をひとつ考えてみたらどうだろうか、こういうふうに思います。
ただ、それにつきましては、先ほど
小倉さんがちょっとおっしゃいました二重
価格制という問題が出てくるおそれがございますが、私は二重
価格そのものには反対でございまして、先ほど申しましたように、非常に広大な
面積を動かさなければならぬという
構想を立てますと、二重
価格なんかでやっておりましては、とても財政的に持ちようがないと思いますので、二重
価格によらないで、しかも時価よりも高く
農地を買い上げる、こういう方法を発見すべきではないかというふうに考えます。
そのことは、第四番目に申し上げます金融の問題と関連いたしますが、この金融につきましては、この
法案要綱を拝見いたしますと、三十年以内、年利率三分、こういう
構想が出ております。この利率三分というほうは、私は必ずしも反対ではございませんが、むしろ、こういうふうに人為的に無理に利率を下げるというよりは、利率は四分でもいい、あるいは五分でもかまいませんから、年賦償還期限をはかるに長期化すべきであろうというふうに考えます。三十年というようなきわめて短い期間にいたしますよりは、せめてその倍の六十年なり、あるいは三倍の九十年なりというふうな長期の年賦の
構想を考えて、それによりまして、人為的に利子率を下げるというよりは、むしろ
農家の負担を大きくしないで、しかも
農地が取得できるような方法を考えるべきだろうというふうに考えます。かりにその年賦の期間を非常に長くすることが可能ならば、
農地が多少高くなりましても、たとえば二十万円が三十万円になりましても、償還期間が三十年から九十年になれば、
農家の負担がそれだけ少なくて済むわけでありますから、そういう方法をもう少しごくふうになっていいのではないかという気がいたします。
そのことに関連いたしまして、当然これを十分に活用いたしますためには、
農地の
売買というものを現金でやるということに私は非常に疑問を感ずるわけであります。この
構想では、
管理事業団が債券を発行し得るという規定もあるようでございますが、ただ、その債券がどういうものかということがはっきりしておりません。しかし、私は、この
農地の買収は、できるだけ
農地証券のような形の交付公債で買い上げるという方法を開くべきであろうと思います。ただ、その公債につきましては、
政府の公債
政策そのものと関連いたしますから、なかなかむずかしい問題がございますが、できるだけ市場性のある、市場で
売買できるような形の
農地証券を発行いたしまして、したがって、
農地を手放した人が現金化したい場合には、市場でもって現金化できる、また、それを持っておれば
財産として長年にわたって保有することができる、こういう形の
農地証券をお考えになったらどうだろうかという感じがいたします。その場合に、もちろん、
土地の
売買をいま申しましたように、非常に長期の年賦にするわけでございますから、この
農地証券のほうも、できましたらイギリスにございますような永久公債の形をとるべきだというふうに私は考えます。つまり、
政府は償還の義務を負わないで、利子だけを年々払うという形の永久公債の形でお出しになるのが適当ではないかという感じがするわけでございます。
それからもう
一つ、五番目には、
事業団が
土地の貸借をする場合につきましては、先ほど申しましたような、耕作権をいかに安定させるかという配慮が必ずしも十分見られないという問題と、それからもう
一つは、小作料につきまして、これもいまの
農地法の統制小作料をそのまま適用するという
構想に立っておるようでございます。しかし、これでは、いかにこの
事業団ができましても、
土地の貸借をしようという者はほとんど出てこない。たとえば、いま行なわれております契約耕作とか契約栽培とかいわれておりますものでも、あるいは請負耕作とか呼ばれておりますものでも、大体地代に相当する部分が、水田の場合一万五千円くらいになっているのが普通でございます。ですから、この辺のところは、
農地法等のたてまえもございますし、先ほど申しましたが、
農地の
流動化を
農地法のほうからどう処理するか、こういう問題と関連いたしますが、全体として、この小作料の体系というものを検討し直す時期に来ているのではないか、こういう感じがいたします。
それから、時間がまいりましたが、最後に、もう
一つだけ申し上げておきますと、こういう
事業を進めていくに際しましては、私は、
制度そのものよりも、やはり
日本の村ではどういう人がこれを動かすかということが非常に重要な問題だろうと思うのです。これを動かすのは、この
構想では、管理協議会みたいなものができて、そこに村長なりあるいは
農業委員会の
委員長なりというような人が入るということになっておりますが、そういういわば村側の人につきましても、もちろんいろいろ問題がございましょうが、特にそれを現地に行っていろいろ指導をするという
立場に立つ人、あるいは国の施策なり県の施策なりを村でのそういう動きと結びつけるようなチャンネルをなす人、これに非常にすぐれた人を得るということが一番大きな問題のように思うのであります。たとえば今日の
構造改善事業につきましても、各県に
構造改善官というのが置かれておりますが、率直に申しまして、この
構造改善官の人選というのが、県によっては必ずしもうまくいっていないように思われます。したがって、
事業団がこういう
仕事をおやりになる場合に、どうせ
事業団の職員が村に駐在して、いわば指導に当たるということをおやりになるのでしょうが、その場合に、どういう人材を確保するかという点が非常に重要な問題だろうと思います。その点につきまして十分な御配慮をしていただきたい、こういうことを申し上げまして、やや時間が過ぎまして恐縮でございますが、私の
意見を一応終わりたいと思います。御
参考にしていただきたいと思います。(拍手)