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1965-05-12 第48回国会 衆議院 内閣委員会大蔵委員会農林水産委員会連合審査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年五月十二日(水曜日)     午後一時五十四分開議  出席委員   内閣委員会    委員長 河本 敏夫君    理事 荒舩清十郎君 理事 伊能繁次郎君    理事 佐々木義武君 理事 永山 忠則君    理事 山口 誠治君 理事 村山 喜一君    理事 山内  広君       井原 岸高君    池山 清志君       上林山榮吉君    亀岡 高夫君       高瀬  傳君    塚田  徹君       辻  寛一君    綱島 正興君       中川 一郎君    中村 寅太君       二階堂 進君    野呂 恭一君       藤尾 正行君    湊  徹郎君       稻村 隆一君    大出  俊君       楢崎弥之助君    受田 新吉君   大蔵委員会    理事 原山  憲君 理事 藤井 勝志君    理事 有馬 輝武君       岩動 道行君    木村武千代君       谷川 和穗君    西岡 武夫君       毛利 松平君    渡辺 栄一君       只松 祐治君   米内山義一郎君   農林水産委員会    理事 仮谷 忠男君 理事 坂田 英一君    理事 谷垣 專一君 理事 長谷川四郎君    理事 本名  武君 理事 赤路 友藏君    理事 芳賀  貢君       池田 清志君    宇野 宗佑君       亀岡 高夫君    吉川 久衛君       倉成  正君    小枝 一雄君       田口長治郎君    田邉 國男君       高見 三郎君    中川 一郎君       中山 榮一君    丹羽 兵助君       細田 吉藏君    石田 宥全君       川俣 清音君    栗林 三郎君       兒玉 末男君    高田 富之君       千葉 七郎君    松井  誠君       松浦 定義君    湯山  勇君       稲富 稜人君    小平  忠君       林  百郎君  出席国務大臣         大 蔵 大 臣 田中 角榮君         農 林 大 臣 赤城 宗徳君  出席政府委員         内閣官房長官 橋本登美三郎君         内閣法制局長官 高辻 正巳君         内閣法制局参事         官         (第四部長)  田中 康民君         総理府総務長官 臼井 莊一君         総理府事務官         (内閣総理大臣         官房臨時農地等         被買収者問題調         査室長)    八塚 陽介君  委員外出席者         検     事         (刑事局刑事課         長)      伊藤 栄樹君         大蔵事務官         (主計局法規課         長)      赤羽  桂君         農林事務官         (農地局管理部         長)      石田  朗君         専  門  員 茨木 純一君     ————————————— 本日の会議に付した案件  農地買収者等に対する給付金支給に関する  法律案内閣提出第七七号)      ————◇—————   〔河本内閣委員長委員長席に着く〕
  2. 河本敏夫

    河本委員長 これより内閣委員会大蔵委員会農林水産委員会連合審査会を開会いたします。  内閣委員長の私が委員長の職務を行ないます。  農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案を議題とし、審査を進めます。     —————————————
  3. 河本敏夫

    河本委員長 質疑を行ないます。質疑の申し出がありますので、順次これを許します。石田宥全君
  4. 石田宥全

    石田(宥)委員 官房長官がいま見えられるそうでありますから、官房長官が見えられたところでいたしたいと思ったのでありますが、昨日の質疑の中でも取り上げられておるのでありますけれども、農地補償の問題については、昭和三十一年以来国会の問題となってまいったのであります。岸内閣以来今日まで、総理大臣農林大臣大蔵大臣も、農地補償は行なわないということを言明してまいったのであります。今回は報償であるということを言っておられるのでありますけれども、やはり一定の面積を対象とする金銭の給付というものは、単なる報償ではないと私は考えておる。同時にまた、そのことについては、昭和三十八年の二月四日の衆議院予算委員会において、大蔵大臣田中さんが、報償補償についての区別を明らかにしておる。すなわち補償とは対物的なものであって、報償とは対人的なものである。報償という中には表形状をやるとか、記念品をやるとかということを考えられるが、補償というのは反別幾らというような対物的なものであるということを明らかにしておる。この見解は、内閣統一見解であるということをもあわせて発言をしておるのであります。今回のこの旧地主に対する給付金支給ということは、報償するのだと、ただ一言触れてあるけれども、実はわけのわからない給付金支給するのだといっておるが、事実はまさに補償そのものであると考えるのです。補償は行なわないということは、先ほど申しましたように、岸内閣以来一貫した主張なんであります。田中大蔵大臣見解からするならば、明らかに対物的なものであり、補償であると言わざるを得ないのであります。  総務長官に伺いますが、いつどこの時点で、従来の長い間の統一見解が、さらに三十八年の予算委員会において、田中大蔵大臣の口から再確認をされた考え方が変わったのか、まずこれをお伺いをしたいと思います。
  5. 臼井莊一

    臼井政府委員 従来本問題に関しましては、党の中でも、また政府部内においても、世間においても、各方面でいろんな論議のあったことは私も承知いたしておりまするし、また大きな問題であるだけに、いろいろな議論がそこにあることは当然だと考えるのであります。したがいまして、これにつきまして政府部内におきましても意見としてはいろいろございましたが、結局は二十八年の最高裁判決、こういうこともございまして、値段もまた買収の方法についても適法であるし、また適当な価格であるということの見解政府としてもとっておりまするので、そこで補償は行なわない。補償と申しますと、相手方損害とか損失を償うということが目的でございまして、法律に違反したとかそういうような際に——もちろん災害等の場合にこれを補償するというような場合もあります。したがって、政府は本問題に関しては補償は行なわない。しかしながら、一方考えると、この農地開放というものがありましたために、農村民主化農村ばかりでなく、各方面民主化影響もありますし、また経済的に見ましても、農村の非常な一般の御努力もあったことが大きな原因ではもちろんありましょうけれども、しかし、何といっても自分の土地耕作ができるという、そういう農業のあり方としては一番望ましい状況をつくった農地改革の結果というものが、戦後のあの非常に食糧困難な状態を乗り越えて、その後食糧の増産に、またひいては今日の日本の経済の非常な成長、国民生活の安定の基礎をなしたというわけでございます。そこで農地開放功績と申しますか、これに協力し、貴重な土地を開放した旧地主功績というものも当処考えられてしかるべきであり、また、その後の経済的な非常な変動によりましても、この農地買収者方々の心理的な影響、心理的な打撃というものが非常なものであったということは、もう想像にかたくない。また、それがために自殺をしたというような人さえも出たのでございまして、その精神的な苦痛というものに対してねぎらいをし、またその功績に対して何らかの国としての意を表する、こういう意味におきまして報償をする。報償と申しますと、もちろん損害とか損失を償うという意味もないというわけではございませんけれども、しかし、いま申し上げたような報償という意味のそれとは別に、相手方一定の事項にかかわる貢献や寄与というものを考慮してこれに報いるという概念であります。したがって、政府としてはこの機会にぜひ報償を実行したい、こういうことで本案をつくった次第であります。
  6. 石田宥全

    石田(宥)委員 報償をする理由についてるるお述べになりましたが、私はいついかなる時点で長い間の統一見解が変わったのかということを伺っておるのです。
  7. 臼井莊一

    臼井政府委員 この法案を作成いたしまして昨年の通常国会に出したのでございますが、この法案をつくるに至りましたその前に大方の意見がきまったものと、かように考えております。
  8. 石田宥全

    石田(宥)委員 赤城農林大臣に伺いますが、赤城農林大臣は、昭和三十三年二月二十日の農林水産委員会で、私の質問に対して農地補償はやるべきではないという答弁をし、同町に出先で、それは三十二年十一月二十日に栃木県鹿沼市で、旧地主に対しては見舞い金なら筋が通るのではないかという考えを述べておるのであります。そこでその点についても、私がそういう考えを持っておるのかどうかということを尋ねたのでありますが、農林大臣は、私はそういうことは言っていない。海外引き揚げについては一つ理由があった。しかし、農地補償については納得するような筋があるとは思えないし、補償をすることはできないということは話した。見舞い金をやろうというようなことは言っていない。こうはっきり言っておるのです。今日農政上の立場から見て、旧地主にいかなる名目であろうと金品を給付するということは、まさにうしろ向きのものであると言わなければならないと考えるのでありますが、農林大臣の率直な御意見を承りたいと思います。
  9. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 いま御引用になりましたように、農地改革は合法的に行なわれた。価格等も、当時の価格としては適当な価格だった。あるいは最高裁判所判決等もあります。でありますから、これに対しましては、先ほど総務長官答弁いたしましたように、精神的あるいは物質的な損得に対してそれを補てんするという意味補償というものは適当でないと私は考えて、そのように申し上げておったのでございます。しかし、その後の情勢によりまして、内閣にも農地を開放した名に対してどういう措置をとるかというような審議会も置かれ、それに対しましては、旧地主貢献というものを多として、報償でないが補償という甘味におきまして——この字句はまだ熟していないと思いますが、報償というような意味で金を出すということに相なったわけでございますから、これは補償ではないと私は考えております。補償でないものを出すということは、政府として相当研究の上出すということならば、これは当然出しても差しつかえないものだ、こう考えます。  これと農政との関係はどうか、こういうことでございますが、現在の農政は、農地改革の上に立って、その延長線になっておるわけでございます、だから、農地改革を逆に戻す、うしろへ戻すということでありますならば、これは農政の後退だと思います。しかし、いまの農政というものは先へ進んでおるのでございまして、決してうしろ向き農政を後退させる、こういうものではございません。でございますので、今回の措置農政とは関係ない、農政としてはいままでずっと前向きで来、また農業基本法制定以来は農業基本法の線に沿うて進めておる、こういうふうに考えますので、私は、今回の措置農政とは別個観点に立っての措置である、こういうふうに考えております。
  10. 石田宥全

    石田(宥)委員 次にお伺いしたいのでありますが、現在参議院において審議継続中の国民金融公庫法改正法案がありますが、これとの関連はどうかということを伺いたいのであります。その前に、国民金融公庫法改正による旧地主に対する融資法案の概要を承りたいと思います。
  11. 臼井莊一

    臼井政府委員 この内容は、農地買収者の方のうちで生業に困難なために資金が必要だ、そういう方に対して融資をする。それがため国民金融公庫法の一部を改正いたしまして、総額二十億のワクをもちまして、これに対して融資をする。もちろんほかから融資のできなかった場合にその融資が受けられるということであったと思いますけれども、大体の内容はそういうことだったと考えております。
  12. 石田宥全

    石田(宥)委員 わかりました。そういたしますと、国民金融公庫法の一部改正による二十億の融資、これはやはり旧地主対象とする融資立法措置と受け取ってよろしいと思うのでありますが、今回の給付金支給法律案とは二重になるということは明らかだと思うのですが、いかがですか。
  13. 臼井莊一

    臼井政府委員 この国民金融公庫法の一部を改正することによって、農地買収者方々に対しての二十億の融資ワクは、これは工藤調査会の答中にもございますように、生業に困難を来たしている方々に対しての考慮を払っての融資でございますので、言ってみれば一つ社会保障的な意味があると思います。今度の農地買収者等に対する報償のほうは、先刻も申し上げましたように、この農地改革に対する旧地主方々功績に対してねぎらいをする、またその心理的影響に対してねぎらうという意味においての報償でございまするので、社会保障的な意味の善処とはそこにおのずから違うものである、かように考えております。
  14. 石田宥全

    石田(宥)委員 とにかく旧地主に対する措置としては二重の措置であることは、これは否定できないと思うのでありますが、なおしかし確認をいたしたいと思います。
  15. 臼井莊一

    臼井政府委員 もちろん両方とも農地買収者方々に対する対策でありますけれども、ただその対象が、その中から特に生計に困難を来たしておる方々対象としているのでありますから、したがって、農地買収者全体に対しての考え方というわけでございませんで、その中で困っている方々対象にするというのが、国民金融公庫法の一部を改正しての二十億の融資であります。報償のほうはそうではございませんで、一畝以上、最高は百万円で押えてありますが、それらの方々に対して段階に応じて報償をするということでありますので、やはり対象内容がおのずから違っている、こういうことでございますので、両方全然同じ性格のものとは考えておりません。
  16. 石田宥全

    石田(宥)委員 同じ性格でないからこそ、こういう法律を重ねて出すことができたと思うのであります。  そこで私は官房長官にお伺いいたしますが、この間三月二十三日の本会議におきまして、山内議員質問に対して総理大臣は「戦後の処置につきましては必要に応じて解決をはかってまいっております。引き揚げ者の給付金であるとか、あるいは未亡人であるとか、遺族に対する給付金等でございます。今回のこの処置は、これとはおよそ異なっております。戦後の措置ではございません。いわゆる戦争に基づくような処置ではないこの処置でございますので、いわゆる戦後処置と一緒にはなさらないように願いたい、明らかにこれは区別すべきものである。以上のことを十分御了承いただきたいと思います。」と、こう速記録に載っておる。そこで、ここの初めのほうの「戦後の処置につきましては必要に応じて解決をはかってまいっております。」ということは、すでにこれをやりましたということとは非常にニュアンスが違って、「解決をはかってまいっております。」ということは、今後もなおやるという意向のようにニュアンスとして受け取れるのです。そうすると、国民金融公庫法の一部改正という性格はなるほど違うけれども、旧地主の比較的困窮をしておる人を対象とする法案が目下参議院審議中、引き続いて今度は給付金支給に関する法律をいま審議中、そうすると、さらに今後また別な名目——いろいろかってな名目を使いますからね。給付金の交付だとか報償だとか、補償だとか、いろいろな名目をもってさらに第三次も第四次もこれは行なわれる可能性があると私は考える。そういうことになると、すでに引き揚げ者は、前回行なわれた給付金に対しては、暫定的なものであり、見舞い金的なものであるから、本格的な要求運動はこれからやるんだ、こう言っておる。この法案が成立をいたしました暁においては、これらの類似の問題が続出する可能性が十分考えられる。たとえば戦争中職場を強制的に廃止させておる。あるいは強制疎開をやらせておる。沈没船艦補償もやってない。そういうことは戦後措置だから、いまやっておるという答弁ニュアンスというものは、さらに続けてやるんだというふうに受け取れるのです。一体その点については、それは憲法違反であろうとなかろうと、立法府だから、絶対多数党である自民党の党議で政府がそれに基づいて措置をやるということになれば、第三次的にも第四次的にも行なわれる可能性があると私は考えるのでありますが、官房長官は、それに対してはどうけじめをつけようとするお考えなのか。運動がさらに盛んに行なわれれば、これに対してはまたそのような適当な措置を行なうというお考えなのか、内閣がこの法案を提案されるにあたっての決意のほどを承りたいと思うのです。
  17. 橋本登美三郎

    橋本政府委員 ただいまの石田先生の御質問でありまするが、総理が、戦後処理が行なわれてまいっておりますと言う意味は、当時皆さんの御審議を経て、この法案は過去に通っておりまするが、実際上、現在実行に移されつつある段階であるという意味であって、今後新しい問題を予想して、そうしてこれからも起こるであろうというようなニュアンス意味ではないと理解いたしております。したがって、これは総理が本会議等で御答弁申し上げましたように、いわゆる農地報償法案なるものは、戦後処理とは別個のものである。もちろん、これは現実の社会の面からいえば、ああいう大きな戦争がありまして、そのあとにおける一つ社会改善の必要から、ああいうような法案の必要が出てまいったのですが、いわゆる戦後処理ではない。これは総理が本会議でもって明らかにいたしております。そういう意味で、戦後処理の問題とこれとは区別してまいるという考え方は、政府として明確にいたしております。したがって、現時点で、今後戦後処理として必要なものが出てくるかどうかということについては、われわれは戦後処理の問題として出てくることはないと考えております。もし今後それに類似のようなものが出るといたしますれば、これは別個観点から、社会制度進展に伴い、その他社会情勢の変化に伴って、あるいはそういう問題があり得る場合もありましょうけれども、現時点においては、さような考えを持っておらないという点を十分に御理解願って、この問題は戦後処理の問題ではなくして、当時の社会情勢に伴う措置に関する一つの変則的な措置である、かように御理解願えれば、けっこうだと思います。
  18. 石田宥全

    石田(宥)委員 はなはだあいまいでわかりません。一体戦後処理ではないということばの内容——今後起こるいろいろな社会的な諸問題については、またそれぞれの措置をその時点考えるということになると、私が指摘したとおりになるおそれが十分ある。戦後処理か戦後処理でないかというのは、一体どこに線を引こうと考えられておるのですか。
  19. 橋本登美三郎

    橋本政府委員 いろいろこの問題を議論をすれば、議論がむずかしくなりまするが、たとえば、これは例にはなりませんけれども、いま皆さんからいろいろと教えを請うておる医療問題にいたしましても、これが制定された当時と今日における社会情勢では、変わってきておる。そういう意味で、いろいろ皆さんのほうからも、社会保障制度一環として社会保険考えるべきじゃないか、こういう御意見があって、われわれもその考え方については十分尊重しなければならぬと思っております。さような社会情勢進展に伴って、それらが違った時点において、また異なった原因において起きてくる場合があります。そういう意味考えますれば、なるほど形式的に言えば、あるいは戦争原因としたものもありましょうけれども、しかし、社会発展段階において、特殊な展開をしてきたものに対してこれを是正し、あるいはこれを救済する措置は、政治家としても、また政治としても、必要な措置であろうと思いますので、必ずしも石田先生のおっしゃるように、戦後処理一環として考える必要はない。その時点における社会情勢、あるいは今後発展すべき社会情勢に伴って、政治としては救済措置、あるいは補償措置、あるいはこれが積極的な再建措置とか、いろいろ問題が起きてまいりますので、その点はこれとそれとは区別して考えてまいりたい、かように考えております。
  20. 石田宥全

    石田(宥)委員 私は昭和三十一年以来国会で本問題に関与してまいりましたが、今日までしばしば問題になっておりまする旧自創法農地買収対価に関する違憲訴訟事件に対する最高裁判所判決というものが、国会記録の中に実は載っていないのです。その機会がなかったのです。そこで、本日私は、この判決文は非常に重要であるから、朗読をしてもらって、記録にとどめたいと思うのでありますが、時間の関係もございますから、時間を省略する意味において、臼井総務長官から要点だけを確認願って、これを記録に載せることにしたいと思いますが、委員長いかがですか。
  21. 河本敏夫

    河本委員長 よろしゅうございます。
  22. 石田宥全

    石田(宥)委員 それでは臼井さん、この最高裁判決というものは、いかなる場合でも権威のあるものとされておることは言うまでもございません。そこで、この最高裁判決の中では、午前中の参考人意見にもありましたように、憲法違反であるという主張があったわけです。これは岩田宙造氏が最初にその違憲論を唱えました。そのことに端を発して、旧地主農地補償要求運動が展開されたのでありますが、当時の対価は不当であるということが、午前中の参考人の話の中にも出てまいっておりました。しかし、最高裁判所判決では、対価は適正なものである、こう認定しておる。違憲でないという点と、それから買収対価は適正であるという点はお認めになると思いますが、いかがですか。
  23. 臼井莊一

    臼井政府委員 「自創法六条三項の買収対価憲法二九条三項の正当な補償にあたると解するを相当」とする、こういう二十八年十二月二十三日の最高裁判決でございますが、その要旨をということでございます。きわめて簡単に申し上げますと、憲法第二十九条三項の正当な補償は、その当時の経済状態において成立すべき価格に基づき、合理的に算出された相当な額をいうのであって、必ずしも時価と一致することを要しない。第二は、農地買収対価算定は、いわゆる自作収益価格によっているが、これは耕作者の地位の安定と農業生産力の増進をはかるという法の目的からいって当然であり、またその算定の項目及び数字は合理的なものである。第三点は、農地買収対価対価決定後の経済事情変動にかかわらず据え置かれたのは、一般物価の上昇とともに生産費が高くなれば、収益は必ずしもこれに伴うものではなく、したがって、収益に基づく価格物価と並行するとは言えないという事情に基づくものである。  こういうことで、最高裁判決は、農地を国が強制買収した場合における財産権補償として旧自創法買収対価が正当なものであったとしているのでありますが、一方今回の補償は、このような買収対価の追い払いとか財産権保障という見地から行なうものではなくて、先該来申しておりますように、農地買収者農地改革に対する貢献や、これによる心理的影響などを考慮して、国としてこれに報いるという趣旨で行なわれたものであります。個々に支給される給付金の額も、旧自創法による農地買収対価を何らかの前提とするというような関係は全くないので、最高裁判決とは矛属するものでないことでございまして、前段の要旨は簡単でございますが、また御意見によってはさらに詳しく申し上げたいと思います。
  24. 石田宥全

    石田(宥)委員 次にお伺いしたいのは、この農地補償に関する旧地主運動経過でありますが、私はこの経過を無視してこの問題を議論することはできないと思うのであります。特に昭和三十年から三十一年にかけましては、集団的な小作地引き上げの問題が全国各地に起こったのでありますが、いずれも法律に違反し、きわめて不当な要求であったわけであります。これは総理府としてはあるいは資料がお手元にないと御答弁になるかと思うのでありますが、当時の実情を明らかにすることが本日ここで本法案審議する上においてきわめて重要であると考えますので、資料がありましたならば、実態をお示しを願いたいと思います。
  25. 臼井莊一

    臼井政府委員 いまの御質問は、過去における本問題に関する民間側といいますか、そういう運動経過ということかと思うのでありますが、これは昭和二十九年に地主団体の統一がございまして、十二月に全国解放農地国家補償連合会というものができまして、これが一時分裂いたし、さらに三十二年の十二月、再統一をして全国農地解放者同盟ができたわけでありますが、当時二十二年から二十六年に違憲訴訟の受理件数も、数におきましては二百九十、またさらに、別に香川県を中心に全国農業再建協同組合、こういうような運動等が始まりまして、それから民間側の運動があったわけであります。その後の経過につきましては、特に私のほうの資料にはございませんけれども、そして三十四年には農地買収者問題調査会設置法案が二月に政府提出で出されまして、廃案となりました。これは政府のほうの問題でありますし、それから三十五年には、例の工藤調査会といわれる農地買収者問題調査会が設置せられて、これが三十七年に答申があったのでございますが、そういうようなことで、特に民間側の運動につきましては、私のほうも手元にいま資料が詳しいものがございませんので、一応以上お答え申し上げます。
  26. 石田宥全

    石田(宥)委員 大体そのように覚えているわけでありますけれども、講和条約の成立以前から実はこの動きがありまして、駐留軍からそのような行動は穏当ではないというメモランダムが出されまして、自来鳴りをひそめておったわけでございますが、昭和二十七年以降この団体が続々とできてまいりました。あとで私は触れたいと思っておったわけでありますが、旧地主農地補償連盟、あるは日本被買収農地国家補償連合会、あるいは日本解放農地国家補償連合会というようないろいろな団体があって、これは経過はありますけれども、これが一部で農地補償要求をしておる団体というものは、圧力団体だというような表現がよく用いられておりました。私がこの団体の役員の名前を見ると、たとえば日本農地犠牲者連盟の会長代行は木暮武太夫、小柳牧衞、原健三郎、日本被買収農地国家補償連合会の会長は山崎巖、日本解放農地国家補償連合会の会長は下條康麿でありますが、後にこれはいまお話がありましたように統一いたしまして、やはり会長としては山崎巖、常任顧問としては原健三郎、木暮武太夫、小柳牧衞、下條康麿、それに田子一民というふうに、もはやその圧力団体的性格というものは漸次本質的なものが変わってまいりまして、自民党の組織の一部になった。もう圧力団体の域を脱して自民党そのものの組織になったと、私は言わざるを得ないと思うのです。こういう点について、従来たまたま言われてまいりました圧力団体などというものでないという点で、私は重要性があると思う。自由民主党が党議をもってきめれば、政党内閣である以上、先ほど指摘したように、また同じような名前の変わったものが出ないということはできないのではないかと思う。一歩踏み誤ると、何回も同じあやまちを繰り返すおそれがある。その理由は、この農地補償団体というものが、圧力団体ではなくて、自民党の組織そのものだからだということを私は指摘しなければならないと思います。こういう点で、今度の法案については私どもはどうしても許しがたい、こう考えておるのであります。内閣官房長官が何かたいへんお忙しいということでありますが、立法府でありますから、多数決をもってするならばいかなる法律をつくることも、あるいはまた憲法改正することも、やはりこれはあり得ることだ。そういうことになると、私はどうしてもこの法案を成立さしてはならないと考えるのでありますが、同時にそれは、立法府だから憲法改正も可能であり、各種の法律をつくることもできるけれども、しかし、最高裁判決が、明らかに憲法違反ではないし、その買収対価は適性であるという判決を下したにもかかわらず、その名称をあいまいにして補償をあえてするということは、今日日本の国民がややもすれば順法精神が希薄になったといわれておるこのときにあたって、最高裁判決の趣旨に反するがごとき措置をとるということは、国民の順法精神をさらに希薄ならしめるところの重大な問題であると考えるのでありますが、この点についての官再長官の御意見を伺っておきたいと思います。
  27. 橋本登美三郎

    橋本政府委員 お話の件でありますが、圧力団体ということについてはいろいろ御解釈があろうと思いまするが、われわれ政府といたしましては、その団体に自民党の幹部の名が掲げられてありましょうとも、あるいは社会党の皆さんの幹部の名が掲げてありましょうとも、われわれは圧力団体とは考えておりませんし、いわゆる陳情する団体であることは間違いないと思うのです。そういうことは私のところにも、この問題でありませんけれども、いろいろな問題で陳情、請願等に参る方がありまするが、それをわれわれは決して圧力団体と考えておりませんので、その圧力によってこの法案が出されたとか、あるいは圧力によって憲法改正もやるのじゃないだろうかという御心配は、どうかひらに御容赦を願います。  そこで最高裁判決の問題ですが、これは佐藤総理大臣皆さんにも御答弁申し上げましたように、最高裁判決なるものはもちろんこれは正しい。かつまた、それを修正する性質のものではない。今度の農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案の説明書にもありまするように、戦後においてあれだけの農地改革ができたということは、何といっても当時の地主諸君が新しい社会状態に対応すべきそれらの改革に対して心からの協力があったからこそ、いわゆる各国においては流血の惨を見るような革命がなければなされなかったこれだけの大きな事業がなされたのである。そういうような点から考え、かつまた、もちろんこうした協力によったとはいえども、法律一片によってこれだけの改革が行なわれたということは、その買収に応じましたいわゆる地主諸君に対する心理的影響の大であったことは、これはもう皆さんも御承知のとおりであります。さような意味からして、いわゆる法案自体も、その協力に対する報償のものの考え方、新しい社会状態においてのこの時点において、かような考え方に立つのであって、いわゆる最高裁判決には全然同感であり、この問題と別個措置であることは、総理大臣が本会議においても再三言明をいたしておるところであります。したがって、われわれは、この法案は圧力団体によって自民党が押され、あるいは政府に押しつけられたものではなくして、この新しい社会状態観点からしてこの種のいわゆる政治が必要である、これがまた人情のある、あたたかみのある政治一つの方法であるとも考えて、今回の法案を出すに至ったのでありますから、その意味を十分に御理解願って、何とぞこの法案の可決されんことを心から希望するわけであります。
  28. 高田富之

    ○高田委員 ただいまの石田委員からの質問に関連いたしまして、主として大蔵大臣に一、二点お尋ねしたいと思います。  今回のこの法案が出るまでの経過、今日までたいへん長い間本問題は国会の論議の爼上にのぼりまして、その間幾たびかかわりました政府の歴代の総理大臣あるいは農林大臣大蔵大臣その他関係大臣から、たくさんの御答弁をいただいております。終始一貫して変わらなかったことは、補償はしない、こういうことであったわけであります。実は一昨年、三十八年の二月四日衆議院予算委員会におきまして、私から田中大蔵大臣に、ちょうどこのときは法案ではございませんでしたけれども、内閣で重ねて調査をするということで一億八千万円の予算が計上されまして、一年間の予定で調査をする、こういうことでありまして、これをめぐりましての質問を申し上げたわけであります。政府としましては、もう従来から一貫しておりますので、補償はしないという態度は微動だもしておらぬ、こういうことであったわけであります。たまたま一昨年の二月四日のこのとき私が質問しましたのは、補償ということは確かにしないということは明瞭でありましたが、報償というふうに名前が変わって調査をすることになったのは、このときが初めてでございます。したがって、名前が変わったという新たな時点におきまして、名前が補償から報償に変わった、補償はしないが報償はするというのであるならば、その間補償報償の違いというものが、はっきり納得のいく違いが明らかになるかどうかということでお尋ねをしましたところ、大臣、ひとつ思い起こしていただきたいです。こういう御答弁をなすっておるのです。苦しいでしょうが、ひとつ思い起こしていただきまして、率直に、正直にお答えをいただきたいです。御苦衷はよくわかるのですが、お互いに協力してこの問題は解決しなければならぬと思いますので、率直にお答えをいただきたいと思います。御答弁はこういうことであります。「補償と言うと、先ほど申し上げた通り、反別幾らというような問題にも当然なるでありましょうし、また、それが算定に対しては争いを起こすことができる」云々、こうやりまして、さらに、「政府補償を行なわない。最高裁判決をそのまま認めておるわけでありますから、すべての者に対して反別当たり行なうというならば当然補償を前提としての話でありますが、政府補償を前提としておらないのでありますから、」「幾ら生活程度がよくともすべての地主対象にして補償を行なうのだという議論は、政府答弁からは全然出てこないわけであります。」そしてさらに続けまして、「少なくとも、一般の世帯よりも十分生計を営み得、しかも十分余力のある者まで報償対象にしようというような考え政府は持っておりません。」こうはっきり御答弁になりまして、さらにその翌日でしたか、同じような問題が出ましたときにもう一度お尋ねしましたところ、この答弁をそのまま確認もされておるわけでございます。ただいまでもその考えに変化はございませんかどうでしょうか。
  29. 田中角榮

    田中国務大臣 大体本質的には変わりありません。ただ、具体的な法律案として御審議を願っております中で私が当時述べましたものと違うものは、所得制限、ある一定の所得以上の者には当然やらないということが原則でなければなりません、こう答えておりますが、その後いま御審議いただいておりますものには、所得制限というものはなくいたしましたから、その面におきますと、当時の私の考え方よりも、決定案、いま御審議を願っておるもののほうがより前向きな案になったというところが違います。
  30. 高田富之

    ○高田委員 ちょっと最後のところよくわからなかったのですが、前のお考えよりも今度の原案に盛られているような案のほうが前向きで前進しているというようなことをいまおっしゃったようでありますが、どういう点がどういう理由で……。
  31. 田中角榮

    田中国務大臣 私が当時申し上げました考え方よりも積極的であり、前進的な案でありますので、その点が違いますと、こう申し上げたわけであります。
  32. 高田富之

    ○高田委員 では、ひとつ、正直に言っていただきたいのですが、前進だとおっしゃるのですね。いまの考えのほうが前進だと、いまあなたおっしゃいましたけれどもですよ。
  33. 田中角榮

    田中国務大臣 私も当時の事実を思い浮かべまして、現在の御質問にお答えをしておるわけでありますから、すなおな気持ちでお答えをしておるわけであります。これは当時は、報償でありますから、一般論で申し上げておるわけです。報償というものでありますから、補償というようにだれにでもやるということは望ましいことではないと思います、ですから、一定の所得以上の人などに対しては所得制限を行なうことが正しいと思いますと、こういう意味のことばを私は述べておるわけです、また私も、その当時はそう思っておりました。ところが、いま最終案がきまって国会で御審議をいただいておりますものは、頭打ちはつくりましたが所得制限はしない、こういう案をいま御審議いただいておるわけでありますから、私が当時申し上げた私の考え方よりも、いま御審議の案はより積極的な案であります、こう申し上げておるわけでありますから、すなおに申し上げております。
  34. 高田富之

    ○高田委員 前に考えたことが間違っていたということであるならば、間違っていたということで御訂正なすっていいのですが、前に考えていたことが正しいとすれば、これはどうあなたがおっしゃいましても、あなたが前にはっきり述べられましたこと、その考え方というものは、今度の案では否定されておるわけです。もし進んでいるとすれば、うしろのほうへ進んでいるわけです。あなたは、補償はしないんだということを明確に言っておる。補償ならば反当幾らということになるのだ、しかし、そういうふうなんじゃなくて、一定の限度以上生活がいい者にまでやるなんという考えはないのだ、反当幾らでやるのじゃないのだ、一律一体にやるのじゃないのだということを言明されておるのです。ここに補償報償の違いがあるのだ。だから、いままでの補償はしないということはちっともくずれていない、こうおっしゃっているわけでしょう。ところが、今度のやつは全部反当二万円でしょう。そうして大きいものに対する漸減のあれはありますけれども、生活程度がいいとか悪いとかなんということは、一切無視しているわけです。何人にも行くようになっております。これはあなたの御説明によれば、はっきり補償ですね、こうなりますと。
  35. 田中角榮

    田中国務大臣 そういうふうにおとりにならないで、ひとつもう少しすなおに考えていただきたい。今度政府がお出しをしまして御審議をいただいておるものも、補償法案ではなく、報償法案でございます。これは間違いなく名前にも書いてございますし、これは法律そのものが報償法案でございます。ただ、私があなたの御質問に対してお答えをした私の発言というものの内容と比べたときに、あなたは補償ではないか、こう言う根拠は、私が補償というものは精算をして、一反歩当たり幾らだれにも補償しなければならないというものは補償でありますが、報償というものは、そういう意味ではなく、一律どうとか、また当然所得制限なども行なわれると思いますと、こう当時、一般論を申し上げたわけでございます。一般的に私が感じたままをすなおに申し上げたわけで、報償とはかくあるもの、補償とはかくあるものという定義があるわけではございませんから、だから、そのときに報償という新しいことばといいますか、そういうものに対して私の考えをすなおに御答弁を申し上げました。まあその後ずっとこの法律案をつくる間に、これは私がつくったわけではございません、これは党でも閣内でもいろいろな協議をして、各省でも関係者がいろいろな協議をして、その結果最終的に報償である、その実態はかくある、こういういま御審議をいただいておるものにきまったわけであります。でありますから、私の当時の報償とはかくあるべきだと思いますというものと違った方向であっても、これは報償ではなくて補償だということにはならないわけであります。
  36. 高田富之

    ○高田委員 しかし、大事なことは、反当割りでやるのじゃない、反別当たりで行なうというのじゃないのだということは、はっきりしておるわけでありまして、少なくとも一般の世帯よりも生計がいい、十分余力がある者まで報償対象にしようというような考えは持っておらないと、こうはっきり言っておるのですね。こういうことになりますと、これは補償でないのだという説明がつくと思うのですよ。しかし、今度のように、反当原則的には二万円という計算なんです。多いところに対する漸減措置という配慮はありますけれども、いずれにしましまして、原則として反当二万円ということで反別に出しておりますから、当然実質的内容においては補償なんですね。ですから、実は午前中も自民党推薦の京大の橋本先生も証言されまして、これは名前は報償と言おうと何と言おうと、実質的に補償であるから、不十分な補償ではあるけれども補償であるから賛成なんだ、こういうことをはっきり言明されております。大体そういうふうに皆さんがとっておるわけでございます。内容的に補償であるから。だから、そういうふうな多少ゆるいものにされておるというのは、その漸減されておる部分が不服だ。しかし、それにしても一律一体のものであるから補償なんだ、こういうことになっておるわけです。これは何とおっしゃろうとも、たいへん御説明がおじょうずですから、いろいろなぐあいにおっしゃいますけれども、これはしかし事実は動かせないのでありまして、私は大蔵大臣の気持ちはよくわかるのです。あの当時は、この委員会においてばかりではございません。委員会以外の場所におきましても、私どもは、ぜひ筋を通してもらいたい、国の政治というものは圧力団体なり党内圧力グループなりの、どう考えても筋が通らぬ、理屈が通らぬと思いつつ、圧力に屈して、じわじわじわじわだんだんに年月をかけるうちに引きずりこまれというようなことがあってはならないということを申し上げた。そのときも、大臣は非常に同感していただきまして、そうなんだ、だからやはりこういう問題については金をやろうというような考えではなしに、たとえば賞状でもお渡しして、協力してくれた地主さんに対してその労をねぎらうという方法もあるので、そういうようなことも検討したいと思うのだというお話もありまして、私どもも、なるほどそういうお考えなのかなということであなたのおっしゃることをすなおに受け取ってまいっておったわけなんです。ですから、私は、今日ここまで押しまくられてきたとしますれば、その過程で大臣としては相当これはいかぬというような立場で御議論もなすっておるだろうし、お力も尽くされたのではないか。しかし、党議決定は多数決であってやむを得なかったというようなことならば、これは私どもは、大臣の個人のお立場というものはわかります。しかし、いまのように言いくるめようというのでは、これは私どもは国民の代表として、言いくるめにさようでございますかというわけには実際まいらないのです。少なくとも大臣は賞状くらいは配ってもいいくらいのことをおっしゃるくらいでありましたから、かりに金一封によって事をおさめようという考えになられたとしましても、最少限度というようなところで、あなたは財政をつかさどる、国民の血税をつかさどる最高責任者としては、相当御奮闘なすっておることはわれわれもよく承知しておるわけです。ですから、あなたの最初出された案というものは、これよりははるかにわずかな案であったということは、天下周知の事実でございます。今日千五百億というふうな膨大なものを、しかも一律一体に反当二万というような基礎計算に基づいて出すということになったことについては、大臣は、これはいいことなんだ、前向きなんだという御答弁は、私は、はなはだ正直でないと思うのです。もう少し率直に大臣のお考えを、気持ちを述べていただきたいと思うのです。
  37. 田中角榮

    田中国務大臣 財政に対して非常に御協力的な御発言は、まことにありがとうございます。過程においてはいろいろな案がある、一つの結論が出るまでにはいろいろな案があるわけでありますが、国会において、いやしくも国会における発言でございますから、国会に対して内閣は連帯して責任を負う、こういうことでございまして、あなたの前で申し上げられることは、やはりいま御審議をいただいております案に対してわれわれは責任を負っておる、こういうことでございますので、その間の事情は御了承賜わりたいと思います。
  38. 高田富之

    ○高田委員 ただいまの大臣のことばは、了解できないことはないのであります。つまり連帯責任という立場上やむを得ない、自分の個人の考え方というものは御推察にまかせるけれども、案を亀した以上は、この案について連帯の責仕を負わざるを得ない、お察し願いたい、こういうことでございます。ですから、私は、大臣があの当時強調されました考えというものはいまも変わっていない、こう考えます。このときの答弁のとおりのお考えをいま持っておられると思うのです。だから、私は問題は重大だと思うのです。財政の最高責任者である大臣が、はっきりとこの法案に対して非常に遺憾である、こういうものであるべきでないという考えを持っていながらも、今日提案者の連帯責任の一人として苦しい立場で答弁しなければならぬ。こういうものを、われわれは実態をやはり十分論議いたしまして、これは国会として通すべきものであるか、通さないほうが国のためになるかということは、与野党超越して私は真剣に考えなければならぬと思うのです。これは冗談ごとではないと私は思うのです。ですから、ただいまの大蔵大臣の御答弁は、いま私が申し上げたような理解、私はそういうふうに理解をいたします。大臣はそれでよろしいというお顔をしていらっしゃるようでございますから……。
  39. 田中角榮

    田中国務大臣 国会でございますから、まじめに御答弁申し上げておるわけでございます。これだけの財政負担をするということは、ただ単に簡単な討議によってできたものではございません。慎重な配慮のもとに、熟慮の後断行したことでございますから、これはひとつ政府の意図を十分理解をされて、この案の早期成立に御協力賜わりたい。確かにあなたも埼玉県における大農地買収者であられますが、そういう非常に熱心な財政の立場でお考えいただくということも、国のあしたを思うお立場でございますし、私たちも、こうすることが将来の国のためだ、こう思っておるのでございますから、これはひとつぜひ御協力の上成立できますように御尽力を願いたいと思います。
  40. 高田富之

    ○高田委員 これはあまり私が念を押し過ぎたために、またかえってたいへん苦しい御答弁をせざるを得ない立場に追い込んで、たいへんこれは成功ではなかったと思いますが、いまのことは聞かないことにいたしましょう。そこで、しかし、これはその後、あのときの一昨年の予算に組まれました一億八千万円で調査をいたしまして、内閣がおやりになったわけであります。おやりになったわけでありますが、その結果、あの報告を見ましても、世論調査の中でははっきり出ているのですね。報償のようなことを旧地主全体に対してやったほうがいいんだろうか、困った地主にだけやったほうがいいんだろうか、あるいは第三の、何かほかの意見はないかというような調査をなすっておるわけなんだ。その結果は、全体にしたほうがいい、全体の旧地主に対して報償措置をやったほうがよろしいというのが、二三・二%でしょう。それに対しまして、生活に困窮している地主にだけやったほうがいいというのが五九・六ですね。その他は二・二、意見なしが一五ですから、圧倒的多数です。およそ六割、圧倒的多数の者は困っている地主にだけはやってもいいんじゃないかという意見なんですね。それから、その前の、二年間かかってやりました工藤調査会内閣の被買収者問題調査会、あれにおきましても、やはり結論的に出ておりますのは、奨学金であるとか、生活資金であるとか、そういうふうなもので、特に農地買収を受けたためにこれを原因として困っている、現に困っている地主に対しては何らかの措置をしてやったらいいんではないかというようなことを示唆している答申が出ているわけです。もっとも、これについてはすでに二十億円の国民金融公庫法改正案というものが、衆議院を通過しておるわけです。ですから、いずれにしましても、どういう角度から考えてみましても、大臣が一昨年の予算委員会で私の質問にお答えいただいたような考え方が、国民一般の世論でもあり、また政府がせっかくつくって検討されました二つの調査会の結論でもある。いずれも権威あるものだ。そういうふうなものがぴしっと出ておるさなかに、これをまたくつがえしてこういうふうな案をお出しになるというようなことは、全くもう理屈にも何にも合いません。これは筋も何もあったものじゃない。世論も何も無視しておる。こういうことが大手を振って通るようでは、これは単に一報償法案の問題じゃないと私は思うのです。政治の姿勢そのものの問題だと思うのです。ですから、こういう点については、田中大蔵大臣はもっとひとつき然とした態度を私はとっていただけるものと、実は期待しておったんです。苦衷はわかりますけれども、もっとき然とした態度をおとりになる。ひとつこの際、さっきの、聞かないことにいたしましょうと申しましたが、そういうふうな態度でなしに、はっきりと、大臣としましては、こういうふうなことについては、これからでもまだおそくはないわけでありまして、本院においてまだ検討中でございますから、ひとつ断固たる決意をもって率直な御意見をお述べになって、そうしてそういう結果にならないように、未然に防止するということについて、与野党を超越した協力をわれわれもやるつもりでおりますので、もう一ぺん御答弁をいただきたいと思います。
  41. 田中角榮

    田中国務大臣 私も、あなたが指摘をされたときの発言以来、この問題に対して世界的な歴史も、また日本のあらゆる歴史も検討して、その評価を十分考えましたその結果、先ほど申し上げましたように、熟慮の上断行いたしたものでございまして、これは必要なものである、こういうことでございます。きのうも内閣委員会でも御答弁申し上げましたが、長いどこの歴史を見ましても、農地開放というものが成功するかしないかということによって、その国の民主化が達成されるかどうかということでございましたし、農民運動の歴史をひもとくまでもなく、そこにおられる石田さんなどは、何十年も苦労してもなかなか農地開放はできなかったということで、農地開放の必要性ということは歴史をもって承知をいたしておられるわけです。それが敗戦という事実の上に立ってではございましたが、円満に行なわれたということによって、日本の歴史も変わって今日あるのも、そこに基盤があったわけでありますから、私は、いまそれらの方々の精神的、経済的な苦痛に対して何らかでも報償をしようという考え方は、政治の上でも間違ったものであるという判断は、これは独断である。私は、やはりこういう報償ができ得るような日本になったということの事実も十分認識をして、価値ある措置だ、このように認識をいたしております。
  42. 河本敏夫

    河本委員長 高田さんに申し上げます。  大蔵大臣の時間が限定されておりますし、なお二、三御質問者があるようでございますから、結論をお急ぎ願います。
  43. 高田富之

    ○高田委員 いま、日本もこういうふうに余裕ができてきて、そういうふうなことができるようになったことはいいことだとおっしゃいますが、これは大蔵大臣としてはいかがかと思うのです。金があり余って、理屈が立たなくても、どこでも金の一千億やそこら出してもいいというのは、大蔵大臣の暴言だと思うのです。現にこの問題は、本来農地改革に関連のある、また地主に対する問題でありますから、どう考えたって当然農林省が所管すべきものでしょう。当時黒金官房長官は、ぜひ今度の調査は政府としてやりたいのだが、農林省がやるのがこれは一番至当である。特に農業委員会等の協力を得てやらなければならぬというので、再三赤城農林大臣にお願いをしたはずなんです。ところが歴代の農林大臣——赤城さんだけではございませんが、農林省は、断じてそういう筋の通らぬことはやらぬ、やれないといって突っ返された。困り扱いちゃったのです。どうしようもない。それはあなたがよく御承知のとおりでございます。しかも、そのいまの農林行政を考えてごらんなさい。いまのような財政の中で、あなたは大なたをふるわれて、そうして農林省の要求を片っ端からぶった切って、そうして一枚看板である構造改善事業、これがいまの前向きの日本の農政の根幹だといっているが、十年間にたった三千億ではないですか。農地報償はその半分です。こんなべらぼうな金をいわれのないところにどんどん出して、そうして政府、自由民主党が一枚看板として担げている農政の根幹をなす構造改善事業はたった三千億、こういうときに、この日本の国力ができてこのぐらいの金が出せるようになってけっこうだ、そういう暴言は、ひとつ大蔵大臣はっきりお取り消しを願いたい。
  44. 田中角榮

    田中国務大臣 暴言だということ——あなたのお気持ちに沿わないことはみな暴言だ、こうとられてはやむを得ませんが、暴言とは考えておりません。あなた自身、私も承知いたしておりますが、農地買収者であります。何かこう、農地買収が行なわれた当時、いろいろやはり精神的にも苦痛をお感じになりませんでしたか。農政の中でもこれだけの大きな歴史的なことが円滑に行なわれたために、現在の農村の民生化も、日本自体の民主化もなし遂げられております。しかし、この中にも、どう考えてみましても、農地買収された方々とこれを受けた方々との間には、精神的にまずいものが現在でもあります。それは、正当な対価によって支払われたということでありますし、それは下火でありますが、どう考えても、この二十年ばかりの間に、開放を受けた人は他に転売をして利益があったり、いろいろな問題があります。農政を行なう中でも、農村にこういう感情的な問題があることも好ましいことじゃありません。政治というものは、より高い立場で静かにものを考えて、どうすれば一番よりよい社会がつくれるか、こういう面にも心をいたさなければならぬわけでありますから、今日財政の中で報償を行なうということでありますから、真剣にその評価というものはしなければなりませんが、真剣に考えた結果、財政負担をしても、こういう措置はとって一つの線を引くべきだという考え政治的に内閣は判断をしたわけでありますから、こういう考え方がすべてマイナスだ、言ってはならない、取り消すんだ、こういうことを言われても、それはこの法律案を取り下げろという立場においての御発言でございますから、あなたのお立場やお考えはわからないことはありませんが、出しておるのでありますから、御審議をお願いします。
  45. 高田富之

    ○高田委員 これで終わります。いまあなたもわかるでしょうなんということをおっしゃいましたが、それは私も開放したほうです。また私の友人その他親戚も相当あります。しかし、あの当時多少の心理的打撃があったとしましても、新しい時代というものを考え、新しい条件の中で農村でさらにやっていこうという決意をもって立ち上がったところでは、調査にも出ておりますように、相当りっぱな指導的な立場でいまでもやっておるわけです。ところが、一部、ごく一部の不平不満を唱える地主があって、たまたまそれと政治家とが結合いたしまして、そうしてこれを利用するというようなことで、だんだん雪だるま式に不平不満分子の運動が広がってくる。いつかこれが可能だというような幻想を持ちつつ、もうここ十年近い間運動がだんだんだんだん盛り上がっていったわけです。だから、当初からそういう筋の通らないことはだめなんだということを自由民主党がはっきり打ち出せば、もうそういう運動は発展しないで終わったわけです。いつか可能性があるかのごとく見せかけながらずるずるずるずる引っぱってきて、とうとう問題が大きくなってしまって、いまや収拾がつかなくなってしまったというのが、結局あなたのような良心的な方までがこの圧力に属せざるを得ない羽目まで追い込められた、こういうことなんです。(発言する者あり)ですから、私は、そういう意意味において、この問題は、政治の姿勢に関する非常に重大問題でございまして、単なる報償法案の一問題と考えるべきではないと思うのであります。ですから、さような意味におきまして、なお今後徹底的に慎重審議を続けまして、そうして大臣からももら少し腹を割った御答弁のいただける機会を今国会中にさらに得たい、こう考えておりますので、関連質問でございますから、以上をもちまして石川委員にかわります。
  46. 石田宥全

    石田(宥)委員 先ほど長官は、旧地主の団体というものが与党の一部になっておるじゃないかという私の質問に対して、陳情を受けてこれをやったんだという御答弁であったわけであります。そこで、私は旧地主との関係というものをもう少し掘り下げてみなければならないと考えるのであります。  この点については、今日になるとかなり情勢は変化をいたしておりますが、綱島委員盛んに不規則発言をやっておられますけれども、綱島委員が農林水産委員長をやっておられました当時は、この旧地主の団体に対しては、これは許しがたいものであるという見解を明らかにしておられたのであります。君子豹変と申しますか、今日では別な立場に立っておられるのでありますが、昭和三十一年の六月三日には、衆議院農林水産委員会はこういう決議をやっておるのです。「戦前の土地所有権の復活を内容とした農地改正を企図する運動が台頭し、各地に小作地取上げが頻発していることは寔に遺憾である。本委員会は、農地買収が適法であった趣旨に鑑み、政府農地改革以前の地主制の復活を阻み、耕作者の地位の安定と農業生産力の増進を目的とする現行農地法を厳正に施行するととも、創設された自作農の維持育成について万全の措置を講ずべきことを期待する。」という決議を行ない、同町に私どもが現地に調査に参ったのであります。  そこで、こういうことはひとつ参考としてお聞きを願っておいて、次に地主団体と与党との資金の関係でございますが、これは三十二年の九月十六日の東京新聞でありますけれども、こういうふうに書いておる。前段は省略しますが、「この朗報に明るい希望を抱いたのは全国の地主家族約八百が人。だがそれにも増して喜んだのは農地補償実現のために生まれた全国解放農地国家補償連合会(会長、原健三郎農地犠牲者連盟(責任者、小柳牧衛、原健三郎)および被買収農地国家補正連盟(会長、山崎猛)の以七三団体の指導者たちだ。全国の地主たちから年平均二五五十円の会費を集めて運営されている三団体だけに、自由民主党を動かして調査会設置に成功したことは「会費だけ集めて幹部は一体何をしているのだ」という地主の不満を和らげることができたからだ。ところで、この三団体は目標が農地の国家補償という点で完全に一致しているのにいずれも犬エンの仲。地主の獲得、各府県のナワ張り争いに三派入り乱れての醜争を全国をまたに展開している。これまで幾何となく統一の動きがみられたが、激しい感情的対立におち込んでいる三派だけにこの努力も水のアワでいまのところ統一の望みは全くない。なぜ三団体が対立して、統一ができないのか。このナゾを解くのは簡単だ。全国の地主三百万から年二百五十円の会費が完全納入されるとなると総額七億五千万円の巨額の運動資金がころがりこむ計算になるが、三団体の幹部とくに政治家にとっては、これがたまらない魅力であるわけだ。幹部は「職業ボスと化して生活にあえいでいる地主運動資金を食いものにしている」とのシンラツな批判がきかれ、」云々こういう記事が出ておる。そこで、この問題は今日に及んでおるのであります。先ほど総務長官答弁されましたように、いま二つの団体になっておる。そこで、この問題は私は非常に重要だと考えるのでありますが、いまこの二つの団体がそれぞれやはり会員を獲得し、それから登録票というものをつくって、登録票を交付し、負担金を納めさしておる。それで登録票の交付を受けて会費を納入した者でなければ、法案が成立しても給付金支給は受けられませんぞといって会費を集めておる事実がある。一体、その同盟員である、登録票を持ち、会費を納めた者でなければ、この支給金の交付は受けられないのかどうか、これはひとつ長官、明かにしてください。
  47. 臼井莊一

    臼井政府委員 ただいま、何かそういう同盟の登録票がなければ支給が受けられないのかどうかというような御質問でございますが、これはもう法の前には平等でございまして、そういうことは全然関係ございません。そういうものに関係なく、対象となる農地買収者にはこれが適用されるわけであります。
  48. 河本敏夫

    河本委員長 石田君に申し上げますが、先ほど理事会の討ち合わせで、先に大蔵大臣に対する質疑を終えることになっておりますので、お含み願います。
  49. 石田宥全

    石田(宥)委員 いまの総務長官答弁に関連いたしまして、法務省の刑事課長に伺いたいのでありますが、いま私が申し上げたように、登録票を交付して会費を集めておる、そうして登録票というものをもらって会費を納めた者でなければ、法案が成立しても給付金の交付は受けられないといっておることは、これは一部の地主の間に起こっておる議論でありますが、それは明らかに詐欺行為ではないか、こういわれておる。それは少なくとも法律の前には平等であるという総務長官答弁は、正しいと思うのです。もしそういう事実が——すでに地生の間にそういう意見が出ておる。指摘されておる。そう言う場合に、これは詐欺罪を構成するのではないかと私は考えるのであります。課長は法律の専用家でありますから、そういう事実は、一体刑法の詐欺罪というものの適用を受けるものかどうか、ひとつ御答弁願いたい
  50. 伊藤栄樹

    ○伊藤説明員 ただいま承りました事実関係だけで、そういうことを申しました人の意思でありますとか、そういうことをいわれてお金を出した方の、いわば詐欺でいえば被害者になります人たちが、ほんとうにそう信じたかどうか、その辺の事実関係がよくわかりませんので、はっきりしたお答えはいたしかねますけれども、もしただいまおっしゃいましたようなことを故意に言い回りまして、全く現在御審議を願っております法案について不知な旧地主、こういう善良な人たちをだます結果となっている、そのために全員の供与を受けたというようなことになりますれば、詐欺罪を構成する場合もあり得るのじゃないか、こういうように考えます。
  51. 石田宥全

    石田(宥)委員 この点は、具体的な事実を私は指摘をしておるのです。私のところへ、この地主さんがこういうことを言ってきておる。これは詐欺罪を構成するものと考えるが、国会でひとつこれを取り上げてもらいたい。私の中間である旧地主も、法律が成立すれば、法の前で平等であるべきにもかかわらず、会費を納めて登録票の交付を受けなければ給付金は交付されないということは、納得がいかないと話し合っておる。だから、これはぜひ国会でこの点を明らかにしてもらいたいという手紙が、何通もきておるのです。だから、私は言っておるので、具体的な事実がこれくらい明らかになれば、持ち回らないで、もっと端的にひとつ答弁をしていただきたい。
  52. 河本敏夫

    河本委員長 石田君に申し上げます。先ほど理事会の打ち合わせで、大蔵大臣の時間の都合がありますので、なお社会党のほうにも二、三、大蔵大臣に関連する質問がございますから、先に大蔵大臣に対する御質問があれば、お済まし願いたいと思います。
  53. 石田宥全

    石田(宥)委員 大蔵大臣ということですけれども、せっかくいま質問をしておるのに、中にほかのものをはさむという手はないのです。だから、一応簡単な答弁をすればいいのですよ。そんなばかな話ありませんよ。質問をしたのに答弁しないで別なものを入れるなんて、そういう審議はおかしい。だから、簡単な答弁でいいから……。
  54. 伊藤栄樹

    ○伊藤説明員 ただいま先生がおっしゃいましたようなことが事実でございますれば、詐欺の嫌疑はあるのではないかと思います。したがいまして、当該被害者から訴え出あるいは告訴等の手続がありますれば、検察当局としてもさっそく調査いたすことになっております。
  55. 石田宥全

    石田(宥)委員 大蔵大臣に伺いますが、先ほど高田委員に対する御答弁の中で、特に私の名前も名ざされて答弁があったわけでありますが、私非常にその点については関心を持つところでありまして、実は質問の予定をいたしておったわけであります。それは今度の本法案提案にあたりまして、提案難曲の説明やら、あるいは昨日の質疑応答の中でも、総務長官は、旧地主農地開放による社会的、経済的、特に農村民主化の上における功績の偉大であることを強調されております。私は、その点を認むるにやぶさかではございません。ただしかしながら、その地主が開放したところの農地は何人の努力によってでき上がったかということは、農家の出身である大蔵大臣はよくおわかりだと思うのです。よくおわかりだと思う。これは、本法案が戦後措置ではないという、こういう答弁と関連があって、私は、むしろその農地というものが農民の汗とあぶらの結晶であるという点をいかに認識するかということは、この法案審議の大前提でなければならないと考えるのです。それを無視してその以後のことだけを議論されておることは、私は妥当を欠くものであると考える。私は、貧農の家に育って、小学校を終わったときに、十六歳の年に、一反六俵の収穫のあるところで四俵の小作料を納めるために、その四斗俵の俵を同じ部落の地主の家にかついで行った経験がある。私は、そういう高い小作料のためにいかに農民が苦しんできたか、その農民の努力によって農地というものはでき上がったんだ。だからこそ、戦後、あるいは戦前もあったことであるけれども、不労所得でその小作人から小作料を収奪して、ぜいたくな生活をするということは、これは人道上の問題であって詐さるべきでないといって、この点は社会党にも、自民党にも、赤城農林大臣もその一人でありますが、農地は無償で開放すべきであるということで、無償で農地を開放した地主が数多くある。一体この事実の上に立って本法案は論議されなければならないと考えるのでありますが、田中大蔵大臣は、その点やはり農家に育たれた大蔵大臣として十分お考えになっておると思うのでありますが、いかがでございましょうか。
  56. 田中角榮

    田中国務大臣 農地開放、農民運動というような問題に長いこと挺身されたあなたのお気持ちは、よくわかります。私も米どころ新潟県の出身でありますし、暗い農村の歴史も承知いたしておりますから、あなたがそういうお考えを持つということを理解するにやぶさかでありません。しかし、この法律案というものは、感情を抜きにして、もう少しすなおな立場で考えるということをひとつお願いしたいと思います。これは、あなたが言われましたように、農村民主化は必要である、理論的にこれを農民のものだということを長いこと叫ばれ、長い闘争の歴史がありながらも、なかなかこれが実現しなかった。また世界の歴史を見ても、国の民主化が行なわれる前提としては、農地の開放ということですべての為政者また国民はやったのですが、この歴史の中には血なまぐさい血の粛正とか血の犠牲とか、こういう歴史がたくさんあるのです。そういうことができないため民主化が挫折をするという例も、たくさんあります。しかし、日本においては、確かにあなた方も長いこと苦労されましたし、また国民全体もいろんな見方でこの問題に対処したわけでありますが、敗戦という事実の上に立って、この農村民主化のもとであり、国の民主化のもとである農地開放ということが、行なわれたのです。行なわれましたが、あなた方も選挙でわれわれと争った一つのスローガンには、報償をする、補償をするという場合に、土地をまた取り上げるのじゃないか、また他に転売したり利益を巻き上げて、これを財源として地主補償をするのだというような、そういうお考えもありました。そういうことを前提とした法律案であれば、これは問題があります。しかし、そうではない。御承知の自作農維持創設の問題は、自作農にするということであの措置がとられたわけです。しかし、昭和二十九年に法律改正になりまして、これを他に転売するということが可能になったわけであります。でありますから、目の先で二百円、三百円で売り渡したものが団地になって何万円、何十万円になるという事実もあるわけであります。そこで被買収者と開放を受けた者との間に感情的な何かがあるということは、事実でございます。こういう事実を十分考えるときに、また自作農がつくられた前の状態に逆戻りをしたりということではなく、国が全然別な立場で報償を行なうということでありますから、開放を受けた人も、いいことではあったが、地主も何かおもしろくない気持ちでおるということで、お互いの間が気まずいようなものもあるわけで、政府が何らかの処置をとることによってこの農地開放という大事業に終止符が打たれる、こう考えれば、実際においてこの法律案は意義があるのです。そうでないと、お互いにどうも、あそこには嫁をやらぬ、あそこから婿をもらわぬ、われわれのところにも、そういう国民的感情がそういうような面であります。こういうものをよく見て、これを円満に終止符を打ってあげる、これも政治のつとめでございます。あなた方も、長いこと努力をして農地開放を叫んできた。お互いが目の黒いうちにこういう大事業ができたのですから、この犠牲になった人たちに幾ばくかの報償を行なう、これは社会党も賛成しよう、これがこの歴史的な大事業に一つの終止符を打つことだ、こういうお考えになれないものでしょうか。私もいろいろ考えて、結論は、やはりこれは必要だ、こう考えたのですから、少し感情を去って、歴史の上に有終の美をなさしめる、こういうことで、ひとつ別な角度からも評価をしていただきたいと思います。
  57. 石田宥全

    石田(宥)委員 大蔵大臣は大いに説得をされておるようでありますけれども、これは納得がいきません。さっき高田委員も触れられたように、いまの農村の実態というものは、私から繰り返しませんけれども、構造改善事業というものが、政府や与党の一枚看板であるにもかかわらず、十年間で三千億出して日本の農業を構造改善するのだなどといっておるときに、一体千五百億も出して——実際には二千億くらい要るかもしれない。そういうことでは、これは全く感情じゃなく、日本の今日の現状——私は、大蔵大臣ですから、大蔵大臣としての答弁を願いたいと思うのです。ほかではほかの議論をいたしますけれども、昭和三十九年の日本の輸入総額は七十九億数千万ドルですね。ところが、農林水鹿物資の輸入総額は三十四億数千万ドルなんです。輸入総額でこれは四〇%をこえておるのです。一体四〇%をこえておる農林水産物資の輸入が、飼料、食糧を中心として年々大幅にふえておる、こういう状態で、この趨勢で農林水産物資の輸入がどんどんとふえていって、数年後における国際収支については、一体大蔵大臣はどうお考えになっておるか。この間も外務委員会ではガットの改正が行なわれて、開発に関する条章も入りました。低開発国の一次産品輸入に対する措置も議決されましたが、これは将来の日本の国際収支の面から見てゆるがせにできない問題であると私は考えるのであります。この点について、大蔵大臣の所見を伺いたい。
  58. 田中角榮

    田中国務大臣 いま御説明、御発言になりました数字の中で、飼料とか食糧とか、こういうものは十五億ドル程度でございます。ただ、綿とかいろいろな農水産品を入れますと、御指摘になるような数字でございますが、とにかく食糧というものを輸入に仰ぐということは、国際収支の上で一番大きな問題でありますから、できるだけ自給体制をとりたいということは当然であります。食ってしまうものを外国から入れなければならぬ、これでは外貨をかせぎようがないわけでありますから、できるだけ自給体制をつくるということでやっております。しかし、ある時点において、工業国となって、低開発国に対しての輸出も片貿易になっておって、当然その見返りとして一次産品を輸入しなければならぬというような事態も、起こり得ることはございます。ですから、国民の経済状態を見て、いかに安いものであっても、ただで持ってきてくれるわけはありません。ですから、国の中で自給体制をとることと、それから自分たちが鉱工業的な発達によってどういう一次産品を輸入したほうが国民の利益を守れるかということのバランスは、絶えず考えていかなければならない問題であります。いずれにしても、米が不作であるというだけで国民的な気持ちが下向くのでありますから、米とか塩とか、こういうものが財政の中心ではありませんが、現在においても米が不作か豊作かによって経済的な気持ちの上に非常に違いがあるわけでありますので、農水産品の増産に対しては、政府も全力をあげておるわけであります。三千億、小さいなということでございましたが、三、四年前に三千億といったときには、そんなにできるのか、こういう気持ちもあったことは事実でございます。とにかく一年間毎年毎年そのときの財政の事情考えながら、だんだんと前進をしておるわけでございますので、農政に対する投資というものには、これからも農業基本法の精神にのっとりまして十分な配慮をしてまいりたいということであります。実はこの農政問題の予算とは、ちょっと別なものでございます。歴史的事実に基づいて、また農地開放というものが、現在の日本、現在のわれわれをつちかう上に果たした役割り、こういうものに対する報償ということでありますから、おのずから分けてひとつ評価をしていただきたいと思います。
  59. 石田宥全

    石田(宥)委員 私は、ここで農政をそんなに議論するつもりはないのですけれども、いま申し上げたような実態でやるということについては、やはり大蔵大臣は十分留意されなければならない事項であると考える。ことに、これは農林大臣の責任でもあるわけでありますけれども、食糧のうちで、たとえば鶏のごときは、何としてもアメリカのものとは比較にならないで、どんどんと種鶏は入れる、ひなは入れるで、比較にならない。そういうふうに立ちおくれておる部分にもう少し予算を使って、こんなうしろ向きの予算を使わないで、前向きのほうに予算をつけて——これは大蔵大臣はよく知っておるのだから、それは五年、十年後のことを考えたら、たいへんな問題なんですよ。だから、大蔵大臣はその点は大体のことはわかっておるだろうけれども、専門的なことは知らぬのだから、やはり農林大臣が専門的なことをよく教えてやって、そして予算措置などについても、中途半端な予算はやめて、そういう面でもっと積極的に大蔵大臣に要求をされるべきだし、また大蔵大臣もいま私が指摘したような点で——今度は国際的に食糧危機が迫っておるといわれておるような段階において、ことしが大凶作というようなことになったら、私はたいへんな社会問題になると思うのです。そういう対策のほうがむしろ先行さるべきであろう、こう考えるのです。これについては、くどいようですけれども、もう一度大蔵大臣から答弁をしていただきたい。
  60. 田中角榮

    田中国務大臣 食糧や農水産品が日本の国際収支を圧迫するような状態をつくってはならないという基本的な立場に立ちまして、農政の伸展のためには最大の財政上の努力を払いたい、こう考えます。
  61. 石田宥全

    石田(宥)委員 大蔵大臣に時間がないそうですから、私はあまり無理をいたしません。  そこで、総務長官、これは参事官でもいいと思いますが、農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案参考資料を配られておりますね。これの二ページの横井きの(1)から(7)まで、それから三ページの(7)の次の(1)から五ページの初めまで、ここに調査会の答申の大事な点が集約されておりますから、ひとつこれを朗読をしていただきたい。
  62. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 工藤調査会の答申の全文の朗読でございますが、  農地買収者問題調査会は、昭和三十五年十二月二十二日第一回会議を開き、「農地改革により農地買収された者に関する社会的な問題及びこれに対する方策の要否について貴会の意見を求めるとの諮問を受け、その後、会議を重ね、調査の基本方針を樹立し、この基本方針に基づき、専門調査員を煩わして全国的に調査を行なつてきたが、その調査結果を基礎として審議を行なった結果、次のとおり答申する。  昭和三十七年五月二十二日      農地買収者問題調査会会長              工 藤 昭 四 郎  内閣総理大臣 池田 勇人殿  本調査会は、昭和三十五年十二月二十二日第一回会議を開き、その際内閣総理大臣の諮問を受けてから、昭和三十七年五月二十二日に至るまで十三回にわたり審議を重ねた。本調査会は、先ず始めに、農地改革により農地買収された者に関する社会的な問題の本質の究明を行った。これにともない、戦争による国民の生命財産に対する被害とこれに対する措置及び戦後処理諸方策、なかんずく経済民主化政策との関連における農地改革の意義等についても検討を加えた。その間、農地買収価格の適否及び農地改革の個別的事情についての意見の開陳も行われた。しかしながら本調査会において農地改革そのもの殊に農地買収価格等について重点的に調査検討を行うことは、本調査会に課せられた任務を実行するうえに適当でないと考え、本調査会は「農地改革により農地買収された者に関する社会的な問題とは、旧地主の現在における困窮その他の生活上、生業上の問題であり、正当な法律に基づいて、正当な補償をもつて行われた農地改革そのもの及び現行農地法の建前を検討することは適当でない。」とする政府見解を前提として調査審議を進めることとした。従って、本調査会は調査の重点を「旧地主の現在における生活上、生業上の問題」におくこととした既に時期は農地改革から十数年を経過しており、農地改革影響の範囲を明瞭にすることははなはだ困難でありたが、できる限り客観的に実情を把握することに努めた。このためこの調査の設計及び集計については、学識経験者をもつて充てられた専門調査員の多大の労を煩わした次第である。  以上のようにして行われた調査の結果は別紙のとおりであるが、その概要は次のようである。  (1) 被買収世帯の収入は買受世帯及びその他の一般世帯に比べて必ずしも低くない。  (2) 田畑山林の所有及び経営についても、被買収世帯は買受世帯及びその他の一般世帯に比べるとその面積が比較的に大きいものが多い。  (3) 被買収世帯の世帯員で、市町村長、地方公共団体の議員、教育委員等の公職に、戦前においてついたことのある世帯の比率は、買受世帯及びその他の一般世帯のそれに比べてかなり高いが、戦後においても、その差は必ずしも縮まつてはいない。  (4) 世帯員のうちから戦死者、戦傷者、引揚者及び抑留者を出した直接の人的戦争被害や世帯が戦災にあったり強制疎開にあったりした直接の物的戦争被害については、被買収世帯は買受世帯その他の一般世帯に比べてその比率が高い。  (5) 暮し向きの自己評価については、戦前の方が現在に比べてよかったとする比率が、被買収世帯は買受世帯その他の一般世帯に比べてかなり高いが、現在においても、「中」より「上」の暮し向きであると見る世帯の比率は、被買収世帯は買受世帯その他の一般世帯に比べてかなり高い。  (6) 解放した農地の転売転用については、その後の経済情勢の推移のために、大都市近郊等にその事例が多いが、これについては農地買収価格と比較して開きが大きすぎるのでかなり不満がある  (7) 農地改革そのものについては、「よかった」とする世帯の比率は、被買収世帯は買受世帯に比べてはるかに低い。 概略以上の一ような調査結果に基づき、審議を重ねた結果、本調査会は次のような結論に達した。政府は、農地改革により農地買収された者であって、現状において  (1) 生活上文は生業上困難な状況にある者に対し、生業資金の貸付の措置を構ずる。  (2) その子弟を進学させるのに困難な状況にある者に対し、育英その他の 制度の運用において配慮を加える。 等必要な措置をとることが適当である。  これは、農地改革社会経済的基盤に大巾な変動をきたし、調査の結果においては、被買収世帯の中には、現在生業に困難をきたしている者もあるという事実に基づくものである。  本調査会の論議において、一方においては、当時激しく進行していたインフレーションが農地改革に与えた影響から考え農地買収価格は実情に沿うものでなかったとする見地、農地買収価格算定が適正でなかったとする見地、農地改革諸法令の適用に当って行き過ぎがあったとする見地、農地改革により売渡を受けた農地を高い価格で転売し、又は農業以外の用途に転用して利を得ることに対する批判的な見地等から、本調査会においては、農地改革とくに農地買収価格について検討を加えることが必要であるとする意見が提示された。又他方においては、歴史的社会的に見て農地改革は必然の過程であり、これによって戦後の日本社会の近代化の基礎が築かれたとする見地、農地買収価格を合憲とする最高裁判所判決を支持し、農地買収価格について論議する余地はないとする見地、農地改革実行の段階においても大過はなかったとする見地等から農地改革について論議することは適当ではないとする意見も提示された。このように、本調査会の審議の過程において意見の相違があった。  なお、農地改革が被買収者に与えた心理的影響が強く残っていることは調査の結果からも明らかとなっているが、それにしても、巨額な金額を被買収者に交付することは諸般の情勢上適当でないとする見解が多かった。ただ意見の相違がある状況にかんがみ、これについての本調査会の結論を差し控える。
  63. 石田宥全

    石田(宥)委員 この答申がすべてを物語っておるわけでありまして、この答申を尊重すれば、本法案のごとき法律案を提出することは、きわめて妥当を欠くものであることは明瞭だと思うのです。しかも、この調査は、昭和三十年に農林省がすでに行なっております。さらに昭和三十三年に自民党が各地の農業委員会等に委託して調査を行なっております。しかし、自民党の調査会が委託調査をやったことは、私はここに問おうとするものではございませんが、昭和三十年の農林省が行ないましたこの調査資料、これはお手元にあると思います。この三十年に農林省が行なった調査と、今度の農地等被買収者問題調査室の行なった調査との間に、一体相違があるかどうか。ほとんど相違がないじゃないか。何回行なっても同じような結論が出ておるじゃないか。そうして高額な補償をすることは適当ではないという意見が、圧倒的に多かったということを明らかにしておるにもかかわらず、千五百億にも及ぶ補償をするということは、名前は何と言おうと、これは補償以外のものではないのであって、そういう点においては、本法案に対して私はどうしても賛成をするわけにはいかないのであります。それらの経緯について、お手元に資料がありましたならば、明らかになれば、一そう明瞭になると思います。
  64. 臼井莊一

    臼井政府委員 工藤調査会の調査の趣旨、結果は、ただいま朗読いたしたとおりでありますが、お説のように、被買収者農地買収者とを比較してみると、被買収者のほうが農地買収者よりもむしろややよろしい、こういう結果も出ておるのでありますが、しかし、一方においては、いま報告にもありましたように、生活にも生業にも困難をしておる者、また子弟を進学させるにも困難をしている者が非常にあるとか、そういうこと等がありましたので、社会保障上の見地からは、国民金融公庫法の一部を改正する法律案を現在国会にも出して御審議をいただいておりますが、そういう面において処理をいたしたのでありますが、しかし、この工藤調査会の調査の要点は、農地買収者の生活上の問題に重点を置きまして、調査をいたしたのでありまして、したがっていまのような結論が出たわけでありますけれども、しかし、それとともに農地買収価格についてのいろいろな論議もありましたし、また心理的影響を強く農地買収者が受けたというような論議とか、そういうような論議も強くありましたために、これに対してどういう処置をしたらよろしいかということについては、結論を差し控えるということであります。もちろんその中には、いずれにしても多額の金銭を給付することは適当でないというような趣旨もあるのでありますが、いずれにいたしましても、そういう社会保障的な見地から見ました工藤調査会だけでは、一般関係当事者はもちろん、政治的な見地からもなかなか解決が困難であるということから、総理府に臨時農地等被買収者問題調査室を設けまして、そうしてその後も、実態の調査とか、あるいは農地買収者の生活の状態とか、あるいは世論とかを調査いたしました結果、たびたび申し上げているような趣旨によりまして、今度の報償ということの結論を得て、法案を提出、御審議をいただいておるわけであります。
  65. 石田宥全

    石田(宥)委員 農林大臣、どうも退屈そうですが、総務長官も、それから田中大蔵大臣も、地主心理的影響が大きいということを非常に強調されるのです。それは私はやはり相当あったと思うのです。しかし、その心理的な影響云々という問題の前に、実はこの調査が適正な調査であったかどうかというところにも問題がある。要するに聞き込み調査が大部分なんですね。そうすると、誘道質問ということが行なわれやすいのです。そういう点で私は問題があると思うが、しかしそれはそれとして、一体心理的影響云々というものについては、これは赤城さん体験者でありますが、かつての地主というものは非常な特権意識があった。特権者階級的な意識が非常に高かったということですね。この点については、私は一、二の実例をあげたいと存じますが、大正十五年に私ども小作争議をやりましたときに、私の地元の村松町というところでは、警察が警鐘を乱打して消防団を集めて、警察と消防が一緒になって農民組合の弾圧をやっているのですね。そういうふうに、旧地主というものは、警察官であるとか消防団であるとかいうものは、自分の召使のような意識があったいわゆる特権意識があった。だから、そういう特権意識を持っておったということが、結果として心理的な影響が大きいという一つの要因であると思うのでありますが、農林大臣の所見はどうですか。
  66. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 地主にもいろいろありまして、特権意識を持っておった者もあると思います。それからまたほんとうに小さい地主で特権意識どころか、苦しい立場で農地を開放した、こういう人もあろうと思います。でありますので、特権意識から心理的なショックを受けたということは、私はそれはどウエートを持っているとは思いません。ただ、こういうことはあると思います。農地開放のとき、小さい地主などが農地に単に小作人を入れておいた。それで、そういう人は、耕作権を所有権に移転して自作農化したい、これから自分も地主としてでなく、自作農化して生きていこう、こういう考えを持っておった地主もあると思います。ところが、御承知のように、耕作権が非常に強かったのでございますけれども、土地の取り上げということは絶対禁止されておりましたから、そういうことで、地主が自作農として生きる道が、小さい地主などに閉ざされておったという面があると思うのです。地主として生きていくのではない。これから自分も自作農として生きていく。しかし、土地は持っておるが、その土地を自分は耕作することはできない、こういうことで非常に苦しんでおったという小さい地主が、相当あったと思います。そういう地主が、精神的に非常に苦悩したというか、苦しんだ、こういうような事態はあろうと思います。しかし、特権意識からということではなかろうと思います。特権意識くらいあった者は、何とかまた再生しているかもしれません。特権意識などなくなった小さい地主などが、自分が耕作をする農家となり得なくて非常に苦しんでおった、こういう事態があると思います。
  67. 河本敏夫

    河本委員長 石田君に申し上げます。あとの質問者の時間の予定がございますので、結論をお急ぎ願いたいと思います。
  68. 石田宥全

    石田(宥)委員 農林大臣答弁の一面は、私も認めます、しかし、この調査の資料によりますと、非常に面積の少ないものが多い。そうしてその面積の少ない人たちほど、実は執拗に運動をしたということを私は認める。その反面において、いかに小作料の高額であったかということを私は雄弁に物語るものだと思うのです。五反か七反かの地主で、その小作料で生活をしておった地主が非常に多かった。私、さっきも田中大蔵大臣に申し上げたのですけれども、私自身が六俵の収穫の中で四俵小作料を納めておった。私の近くには、私が農民運動を始めた時分には、二石しか収穫のないところへ一石八斗の小作料を取られておった小作人があったのです。その結果どうなったか。大臣はそれを自覚されたから農地を開放されたのでしょう。その結果どうなったかというと、一町や一町五反つくっても、大部分を小作料として収奪をされるものだから、飯米がないのです。私自身が、一町歩つくって飯米がなくて、外米を買って外米を食べておりましたよ。そういう状態で、なおそれでも食えない。そこで小作料の未納が借金の証文になった。一俵の不納に対しては、一年に一斗も利息がついたのです。四斗の小作料に一斗の利息がついたのです。これがかさんでまいりますと、絶対に納入できない。その結果、どうですか、あなたの周辺にもありましたよ、たくさんの未納小作料がたまって、その借金のカタに農家の娘やむすこが下女下男として牛や馬のごとくにとられたという事実を、あなた御承知でしょう。全く戦前の小作人というものは、奴隷そのもののような扱いですよ。国会でこういう論議をする場面はもう二度とないと思いますから、これは記録にとどむべき問題だと思うのでありますが、私と小学校を一緒に出た友だちは、借金のカタに地主のうちへとられて、そうしてうまやの二階に住ませられておった。馬や牛と同じように取り扱われておった。その地主が必要がなければ、債権譲渡によってほかのうちに年期奉公をさせられておった。あなたの周囲にもあったはずですよ。そういうような不当な、人道を無視し、法律に反するような、そういう高率小作料と、いま申し上げるような不当な取り扱いに、かつて農民は苦しんできた。だからこそ、その農民の反撃というものが農民運動となってあらわれて、私どものように何回も監獄に入れられようが、留置場にぶち込まれようが、やはりこの土地の問題を解決をしなければならないという決意で進む。農民は強い支持をこれに与え、みずからも牢獄の犠牲を乗り越えて農民は戦ってきたから、地主の地位も低下してきたのじゃないですか。地主の地位というものはうんと低下してしまったから、だから、そのことに対する心理的な影響も、これは軽からざるものがある。単に農地開放というものが行なわれただけによって、そんな大きな心理的な影響があったとは私は考えないのでありますが、一体農林大臣は、やはりこれは基本的な問題だから、それらの点についてどういうお考えであるか。そうして農林大臣は、またなぜ一体農地を開放する気になられたのか。無償開放をたくさんの人たちがやっておる。社会党にも自民党にもあるが、その人たちは、そういう事実を踏まえて、良心の呵責に耐え得ずして農地を無償開放した人たちが多いのです。私は、これは私の信念として、そういう点で農林大臣の所見を伺っておきたいと思うのです。
  69. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 戦前の小作人の立場というようなものは、いまお話の状況であるということは、私もよく承知しています。ただ、私はそういう事態であるから、農地改革というものに対しましてこれを高く評価するといいますか、そういう改革というものはいい政策だったと、こう思うのであります。しかし、戦前小作人がそういうようなみじめな立場にあった。それだから、復讐心をここで思い起こして、戦後の改革に対してのいまの報償制度を否定するということは、またいかがかと私は思うのでございます。これは別個の立場から国が考えておることでございますので、どうかと思います。  それから、私が農地を開放したというのはどういう心境かといえば、いまお話のような悲惨な立場を見ておられませんかやら、また土地を持っておるということが苦しみでございますから、むしろ裸になったほうが気が軽くなる、身が軽くなる、こういう意味で開放したのであります。
  70. 石田宥全

    石田(宥)委員 大体あとの予定もございますから、この程度にとどめておきます。
  71. 河本敏夫

    河本委員長 川俣清音君。
  72. 川俣清音

    ○川俣委員 私、時間の許す範囲で、いま旧地主の被買収者に対する補償法律案が提起され、しかも強行されようとする段階に立って、日本の将来の農政の展望から見て、はたして妥当なものであるかどうか、または国の予算的な財政措置から見て、はたして妥当であるかどうかということを詰めで、いきたいと思うのでございます。  そういう意味でまず第一に農林大臣並びに総務長官にお尋ねいたしますが、佐藤総理大臣は、本会議または他の委員会におきましても、旧地主が日本の農地改革に対して非常に協力された態度に対して何らかの報償の道を講ずるのが妥当ではないかという意見を述べられております。そういう立場でおそらくこの法案を出されたのだと思いますが、一体旧地主農地改革に協力したというのは、個々が協力したのですか、旧地主全体が協力したということなんですか。その意味がはっきりしないんです。個々の地主が協力したと言われるんですか、地主総体があげて協力した、こう言われるんですか、この点、提案者であり、説明者である総務長官、どう理解をされておるか、明瞭にしていただきたいと存じます。
  73. 臼井莊一

    臼井政府委員 旧地主の方も数多いことでございますし、またその一人一人いろいろの気持ちを持っておられますし、また生活の状態もいろいろであるということでありますから、これは簡単に端的に決断を下すことはむずかしいと思いますけれども、進んで協力された個人の方ももちろんあるし、マッカーサー指令の出る前から農林大臣のようにやられたという方もあるし、これはいろいろございますが、協力をいやいややられたにしても、結果的にはこれに応じて、法律の命によってのことではありますけれども、これを完成した。そういうことから、結果的には協力をしたと見てよかろう、こういうことでございますから、全体と個人と分けないで、両方考えれば協力を全体的にした、こう考えてよろしかろうと思うのであります。
  74. 川俣清音

    ○川俣委員 私がお尋ねしておるのは、総理はそうい、表現を使っておられるけれども——私が使うんじゃない、総理が使っておられるけれども、どういう感覚でそう説明しておられるのか、総務、長官の見解をお聞きしたい総理の意向に基づいてあなたは提案説明なされておるのですから、どうあなたが理解をされておるか、これはむずかしい問題ですよ。むずかしい問題をあえて発言をされておるのだから、これをあなたはどう理解をしておるのか、あえてお尋ねしておる。
  75. 臼井莊一

    臼井政府委員 総理のお気持ちは、ほんとうのあれは総理にお聞きいただかないとわかりませんけれども、しかし、私どもこの法案を出し、また提案の理由にも書いてありますし、そういうところを推察していま申し上げたのが、大体総理のお考えではなかろうか、こう考えております。大部分は私の考えでございますけれども、総理もやはりそういうふうにお考えである、こう考えております。
  76. 川俣清音

    ○川俣委員 さらに具体的にお尋ねいたしますが、御承知のように、農林省の統計にありますように、いやいやということよりも、むしろ不当だということでこれに反抗して請願等、あるいは訴訟を起こされておる力があるわけであります。これは統計に明瞭です。個々ではそういう行為が行なわれておる。日本の裁判にかけて、経費をかけさせて、そして相当反抗した者もおる。あるいはあきらめて従った人もおる。報償というからには、その行為を奨励をするとか、あるいは好ましいということの結果、生ずる報償であろうと思うのです。そうすると、反抗した者が好ましいという見解に立つのかどうか、好ましい者だけに報償するというのか、この点明らかにしてほしいのです。
  77. 臼井莊一

    臼井政府委員 いやいやではあったけれども、開放せざるを得なくなった。しかし、これに対しましても、やはり開放したという事実に対しての結果的な功績というものに対しては、これは当無多としてよろしかろう。逆に、むしろ反抗するような方というか、反抗というと私はどうかと思いますけれども、先生のおことばどおりにしますと、そういう方は、いやいやでありますから、むしろ精神的な打撃というものはそういう方のほうが多い、こうも考えられるので、そこで精神的な影響ということをこの法案においても考慮しての法案でありますから、そういう意味では、やはり精神的な影響に対してのねぎらいという意味においては、いやいや開放せられた方に対しても、これは当然適用しよう、また進んでやられた方に対しては、さらにその功績という点を多とする、こういうことだと考えております。
  78. 川俣清音

    ○川俣委員 それは非常にいいことであると思いますよ。しかし、それがある特定の者だけに行なわれるということになると、これは問題だと思うのです。日本の政治が特定の者だけに行なわれる。土地を取られて一番心理的に影響を受けておるのは、どういうところです。農地開放ではなくて、近代的な設備を施すために取られたところ、公共施設として取られたところ、ダム建設等のため土地買収されたところが、心理的には一番大きな影響を受けております。自分の先祖の墓を捨てて、幾多の歴史を捨てて移転をしなければならなかったという者が、一番大きな心理的影響を受けているのです。心理的にはこれ以上のものはないでしょう。それが当時非常に安い価格買収されたけれども、買収に応じた。これは強制でやられた場合もたくさんある。土地収用法なんか強制です。しかし、いまでは強制されたというより問題にされていないところがあるんじゃないですか。いま岩手県にもこの問題は起きています。建設省あたりは、一度補償したものを再び要求することは不当だという。あなたの見解をもってすれば、これは不当なものじゃない。精神的な慰安もやらなければならない、こう理解をしてよろしゅうございますか。そういう問題もあるのですよ。あまり説明していくと、いろいろなふうに幅が広がってまいります。たとえば墓地のあったところの土地を道路にされた。これは何といっても金にかえがたいものだ、こういうことで抵抗しておっても、公共用地のため土地買収をされております。しかも任意じゃない、土地収用法という形で収用されておる。価格も、当時の価格としては必ずしも高い価格ではない。被買収者だけが安く買ったものじゃないのです。実例を申し上げましょうか。大蔵大臣は、私にはそういうものには報償しないという答弁をしておりますが、秋田県の地主の例をとりますというと、名前をあげてもいいのですが、当時農地開放で得られた金でもってすぐ裏山を買った。いま村では一番の資産家になっておる。付近にないほどの資産家になっておる。その人の家には家憲があって、不動産を処分した場合には必ず不動産に買いかえておけという家憲があるそうです。何も知らなかったが、家憲に従って土地買収費をもって山を買った。それがいまでは村で一番大きなものになった。これは私の親戚ですが、北海道で三百八十何町歩、四百町歩ばかりある土地を捗っておった。これが農地開放になった。それを時ってきて麻布に土地を買った。坪数でちょうど四百坪買った。北海道の一町歩の開放農地価格と、当時の東京都内の麻布の土地の一坪とでは、同額だった。四百町歩がただ四百坪になっただけですが、いまは一億数千万円もするでしょう。開放されなければ、北海道で依然としてあるいは百姓のまねをしておったでしょうが、開放されていやいやながら取られたために、換金をし、換地をしたために大きな資産を得た。こういう頭のいい人がいる。頭のいい人も悪い人も——頭が悪いからおまえは補償してやるのだというなら、これは話がわかりますよ。そういう人もある。これに対して大蔵大臣は、国の少ない予算で補償をするのですから、そういう特別な利益を得たものについては報償外だ、こういう説明が予算委員会の場合に行なわれておる。そういうたてまえで国の予算が組まれておるのに、この法律はだいぶ違うのじゃないですか。予算委員会における大蔵大臣の説明とこの法案とは、だいぶん迷うのですが、こういう点を究明しなければ、予算委員会でやった説明、すなわち国民に約束した財政上の措置法律とが違ったたものを提案されるということになると、無責任だと思いまするし、この点では、総理の説明を要すると思う。それなくしては、審議は進まないと思いますが、この点について御意見を伺っておきます。
  79. 臼井莊一

    臼井政府委員 ただいまダム等のため土地を収用せられた者と農地買収者との比較のお話があったのですが、なるほど、農地買収者と同様に心痛を感ぜられた方や、御不満な方はあるかと存じますが、しかし、これはその規模において、また額においても、あらゆる点で農地買収者状態と同じには論ぜられませんし、とにかくわずか三年ばかりの間に二百万町歩、戸数にして四百五十が戸というものの自作農をつくったというのは、一つの革命的な農地改革でありまして、したがって、非常に影響する範囲も広い。もちろんダム等の数は少ないし、額も違うからどうでもいいというのではありませんけれども、そういう個々の問題について、強制買収によっての補償に御不満の方は、個々に裁判なり行政訴訟によって、それを訴えてやっていただく、こういう道もあるわけでございます。  今度の農地開放につきましては、いま申し上げたように、戦後の食糧事情、日本人が飢え死にするのじゃないかといわれたぐらいの状態を、これによって農産物が非常に増産できた。もちろん個々の耕作者の努力、こういうものによったことではありますけれども、しかし、その基盤となった自分の土地を持って自分で耕作するというその励みが、自作農創設によってできたわけで、そういう意味で、何といっても非常な貢献があり、かりにもし農地改革が行なわれなかったということを反対に考えてみると、その後の日本の国内の社会的な混乱というものも、相当なものであったろう、こう考えるわけであります。したがって、今度の法案につきましては、高度の政治的判断に従って、特別にこれを考慮した、こういうことだと考えます。
  80. 川俣清音

    ○川俣委員 臼井総務長官は、みずから答弁してみずから少ししまったというような形ですが、もしも農地改革が行なわれなかった場合には、どうであったろうかということですが、もしも行なわれなかった場合だと、地主がもっとみじめな迫害を受けたであろうということは言えると思います。なぜかというなら、一体米がとれたかとれなかったか。とれない中に一体、だれが生きていられるのですか。一番みじめな形をとらなければならぬのは地方の農民、これなんですよ。おそらく焼き打ちもされたであろうし、小作争議がもっと激化したであろう。一体心身の保障はだれがしてくれたであろうか。社会の援護のもとに地主があるのであって、自己の力でもっておるのじゃないのでです。今日までの地主というものは、自己の力じゃないのです。経済の変遷の中を巧みに泳いだということの力はあったでしょうけれども、自己の力でもっておったのじゃないのです。これは農林省の統計では明らかだと思いまするけれども、資料が十分でないようでありますけれども、開放されるまでの地主の成立過程を見てごらんなさい。合法的に土地を所有したかというと、必ず脱法行為のもとに行なわれておりますよ。(「どういう点で」と呼ぶ者あり)どういう点かわからなければ、教えましょうか。たとえば、昔からの地主というものはないんです。徳川時代には、殿様以外には地主はなかったんです。それがどうして地主という者が出てきたか。みな当時分配された土地を収奪した。どういう収奪をしたかというと、金を貸したり、あるいは物品を貸し付けて、金銭にかえて(「違うよ」と呼ぶ者あり)違わないです。綱島君自身が、その小作争議の先頭に立った弁護士だったんだ。地主の収奪に対抗して弁護士に立って、弁護料をもらった。その人が違うなんて、昔の弁護料なんかみな返さなければならぬ。(笑声)そういう形で一割二分という規制を越えた収奪をやっておる。だから違法だと言う。違法でしょう。それから、物品を金にかえるというようなことは、承諾があったかもしれぬけれども、強圧でやったんですから、これも違法でしょう。金を借りたんではない。金にかえたんですよ。物品を金にかえたんです。そうしてみなそれに金利をつけて——物品に金利をつけるなんというばかな話が、どこにあるんですか。販売品に金利がつくなんて、どこにあるんですか。みなこれをやった。過去の成立過程をずっと見てごらんなさい。金貸しか繊維製品などの商人が、地主に変わってきたんです。(「酒屋も」と呼ぶ者あり)そのとおりです。綱島先生も酒屋をやったことがあるから、ちゃんと知っておられる。だから、飲み食いしたものを金銭にかえて、そうして土地と取りかえた。それは知能が低かったということもある。りこうだったらそんなことはできなかったでしょうが、綱島先生を頼むようなこともできなかった人は収奪された。だから、ばかだったからおまえはだめなんだというならば、いまの地主でも同じです。りこう者は、そういうように自分の土地を他の宅地やあるいは家屋にかえたり、あるいは山林にかえておる人もある。だから、私は、個々が対象になるかというと、そうでもないと思う。個々が対象にならないのだと私は思いますよ。個々が対象にならないならば、一反歩幾らということはおかしい。地主総体として協力したというならば、地主団体全体に何かの救済機関をつくってやる、それならば話は別ですが、それからといってこれには賛成しませんが、考え方としてはそうだと思う。個々が協力したというならば、個々によっては、もうけた者、あるいはそれによって恩恵をこうむった者はむしろ低減しなければならぬ、補償する必要はない。むしろそれによって恩恵を受けた者から出させなければならぬだろうと思うのです。いままで綱島先生をはじめ大いに運動した人は、あんな気の毒な地主は何とか助けてやるのが人道上必要じゃないかというお話です。私は、人道上考えてやることは、地主であろうと犯罪人であろうと、その人が窮地におちいった場合に、それを人道的に救済するということは、国民として当然だと私は思いますよ。しかし、全部が一致して協力したならば——形の上では結束して協力したのではないけれども、総体として日本の農政の大きな役割りを果たしたのだ、あるいは国民経済の上に大きな役割りを果たしたのだというならば、側々じゃないのです、地主槽という全体なんですね。全体として考えるというならばまだ話はわかる、こう申し上げておるのですが、この点はどうなんですか。あくまでもやはり個々なんですか。個々だというと、個々にはもうけた人もある。損をしなかった人もある。それでもなお救済しなければならぬか。一方においては、うちから屋敷からあるいは墓地まで買収されて——墓地なんというのは、普通は買収対象にならないのです。ダムのときだけは墓地も買収対象になるのです。そういう心理的に一番悪影響のあるものについては、心理的だとは見ない。旧地主の分だけは心理的な影響考えるということは、何かもったいをつけてわざわざこうやってやらなければならないというこじつけであって、そのために日本の予算、国の会計を使ってはならない、私はそう思う。これはとうとい血税ですよ。国民全体が不利益を受けたという場合には、国民の血税で払うことは決してやぶさかではない。食糧問題等でまだやらなければならぬ問題、前向きの解決をしなければならぬ問題があるときに、予算が不足だということで解決がつけられないでおるときに、なぜそういううしろ向きのものだけはやらなければならぬというのですか。こういうことをやっていると、大きな反動がくるということをおそれなければならないと私は思う。
  81. 臼井莊一

    臼井政府委員 私先ほど申し上げましたのは、貢献という点では総体と個々と町方ということを申し上げたわけでありまして、どちらに限定しているというわけではございませんけれども、しかし、今度の報償という問題については、個々の問題を当然対象としているわけであります。いろいろお説にございましたように、地主の成立過程というようなことにつきましては、いろいろの経過、千差万別であると思います。それは相当無理をして地主になった方もあるでしょうけれども、また耕地などをみずから干拓、開発等をして土地を広げて、むしろ耕地を造成していったというような地主もあるわけでございます。したがって、これは一がいには言えないと存じますが、しかし、少なくとも現在の憲法下に保障せられておる財産の所有権、そういうものについて相当の制限をして、そしてこれを開放したということから、しかもその規模が非常に大きかったということから、政治的にもこれをそのままにしておくというわけにもいかぬ。それからもしこれを開放しなければトラブルが起こるということを申し上げたのですが、地主の方もトラブルが起こればお困りでしょうけれども、やはり日本の国全体として、国民経済的な見地から見ましても、食糧増産がはばまれる、ますます食糧が不足する、ひいては国の経済の復興なり経済成長ということがはばまれるわけで、今日のようなこういう日本の復興がはたしてできたかどうかということも問題であります。そういうような点を考えると、この農地改革の成功の効果というものは、非常なものである。それにはいろいろなお考えの方もあったでしょうけれども、旧地主の方に対しても、その心理的影響とか功績に対して日本の財政を考慮しつつこの機会にできるだけのことをやるということにしようじゃないか、こういうことに相なったわけであります。
  82. 川俣清音

    ○川俣委員 今日日本の発電力のもとである貯水ダム、または飲料水の貯水ダム、工業用水の貯水ダム等によって大きな犠牲を払っておる人があります。その犠牲なしには今日のような日本の工業の発展は期し得られなかったことと思います。その陰にはやはり犠牲者があるのです。この犠牲者は救うのだ、あの犠牲者は救わないのだということになると、日本の産業というものは発展しないのじゃないかと思います。したがって、犠牲者に対して全部救済するならば、一様にやられたらどうですか、こう言うのです。公正にやることが政治の眼目じゃないですか。佐藤内閣があえて公正なことをやらないというなら、これは別問題です。ですけれども、普通政治の姿勢というものは、公正にやるのだというたてまえをとっておらるべきだ。  それからもう一つ続いて、これは農林大所にも関連してくることですけれども、この補償がもう一回、三回と続くのじゃないかという心配を持つ人に対して、絶対そういうことはありませんという答弁をされておりますね。もしこういうことがあったらどうするのですか。あなたは知らないのじゃないですか。これは御承知のとおり、旧自作農創設維持法によって一ぺん買収したものを、反当二百二十円、畑で百八十円補償したじゃないか。これも報償だ。初めてこのときに報償ということばを使ったくらいです。報償の前例はあるのですよ。また報償でしょう。報償を二度繰り返しておるのですよ。このとき初めて報償ということばを使ったくらいで、報償したことがあるのです。今度はないのだというけれども、前一回やってまたやるのだから、ないのだということはどこで言えるのですか。
  83. 臼井莊一

    臼井政府委員 農地を自創法によって開放した際に、補償金とまた別途に報償金をつけたことは私も聞いておりますが、それは要するに売買を円滑ならしめるために、そういういわば奨励金みたいな意味においてつけたということを聞いております。今回またさらに、奨励という意味でなくても、報償ということばで今回の法案を出したので、また何か運動でも起こったり意見でも出ると、もう一度やるのじゃないかというような御心配、この点についてはごもっともかと思うのでありますが、これにつきましては、昭和三十九年、昨年の六月池田内閣当時におきまして、農地買収者に対し給付金支給すること、及びその金額、方法等について決定いたしましたが、その際に、今回の報償措置をもって農地買収者問題の最終的解決とすることについて当時の大蔵大臣官房長官及び総務長官の間で合意を見ているということでございまして、したがいまして、現在の佐藤内閣においてもこの方針を踏襲いたしておりまして、もう一度報償をこのあとにやるというようなことは考えておりません。
  84. 川俣清音

    ○川俣委員 再びやるなんということは言えないだろうと思う。しかし、昭和になってから二度やっておるのですよ。これが二回目なんですよ。そうすると、またやらないという保証はないでしょう。このときも、説明は再びこういうことはやりませんと国会で言明しておやりになっている。再びやりません。今度は再びじゃないですか、報償は。前のときも再びやりません、今度も再びやりません。これは再びなんです。前にやったことがなければ、今度はやらないだろうと思いますが、二回です。二回あったことは、三回あるかもしれない。あなた方が人をおこるときに、この前もやったからまたやるだろうとおこりつける、これと同じことですよ。御答弁願います。
  85. 臼井莊一

    臼井政府委員 前回の補償の際にそれにプラスして報償を加えた、その際に、今後報償をやらないというようなことを当時内閣が言ったかどうか私は知りませんけれども、しかし、いずれにしてもその当時の報償ということばは同じでございましても、内容が非常に違っておりまして、そして要するにできるだけすみやかにこの農地の改革を実行したい、そういう意味で、補償にプラスアルファを加えて促進を急速に行なう関係からそれを加えた。今度のは、御承知のようにそうでなくて、農地改革によっての心理的影響に対するねぎらいとか、功績をたたえての報償、こういう意味でございますので、前回と意味が違いますので、先ほど申し上げましたように、今後においては報償をさらにやるというようなことは必要なし、こういう考えであります。
  86. 川俣清音

    ○川俣委員 あなたは事情が違うのだといいますけれども、事情が違わない。前は旧自作農創設維持法に基づいての買い付けた国家買収したやつです。開放とは言わない。これは買い付けたのですね。これは強制買い付けなんです。それが強制買い付けしたやつが、またその後に地主に転売している場合もあるのですよ。同じ川地である場合もあるのですよ。ないのじゃないのです。あるのです。一ぺん国で買い付けたものを自作農にして、さらにまた転化されていって、また補償対象になる。同じ土地がダブって補償になるわけです。そういうことが行なわれておるわけだから、そこで違いますよというけれども、違わないですよ。これは自作農創設のための政策としてやられた。今日の農地開放も、自作農創設のための手段としてとられた広範なやり方、この点では同じなんです。したがって、再びやらないんだなどということを閣議決定したなんというけれども、閣議決定なんか当てになりません。大蔵大臣予算委員会で説明したことと違うことをやっているのです。ついこの間ですよ。予算委員会が終わってまだ何日もたたないじゃないですか。本年度予算成立について言明されたことと違っておるじゃないですか。
  87. 臼井莊一

    臼井政府委員 大蔵大臣の言明明につきましては、私も速記録等で読んで——先ほども御答弁があったのでございますが、それは法案が、今度のあれが、昨年の通常国へ会、これは三月ごろでございましたか、出てからのあれではございませんで、その前のあれで、そこでまあ大蔵大臣として財政上の見地からいろいろ御意見はあったのですけれども、しかし、前内閣当時でありましたけれども、全体的な政府の方針としては、いまのような内容にきまった、こういうことでございまして、先ほどここでも大蔵大臣もぜひひとつすみやかに御審議、通過を願いたいということを申し上げておるわけでございます。
  88. 川俣清音

    ○川俣委員 それはそのとおりです。しかし、大蔵大臣はここで予算委員会で言明されたのは、これは予算委員会のこの構成上からいっても、主管大臣が大蔵大臣で、これは政府を代行してという理解のもとに従来審議されてきておるわけです。大蔵大臣個人の見解とは思わない。したがって、内閣全体の意向です。ことばそのままかどうかということは別にして、大綱としては、大蔵大臣は個人の意見を吐かれたものと私どもは理解しないわけです。国の財政全体を受け持っておる大臣として、やはり責任ある発言である、私はそう思う。それをいま責めておるのじゃないのですよ。あなたは再びやらないと言うけれども、やらないと言ったってやるんじゃないかという不安は、過去に一回あるじゃないか、再びやっているじゃないか、大蔵大臣が言明しておったのにまた変わっているじゃないか、こういうことを繰り返している以上は、やらないなんということは当てにならないという判断で、この法案審議するよりほかないじゃないですか。やるかもしれぬ、またやらないかもしれぬけれども、やるかもしれぬという不信を持つのはあたりまえじゃないですか。大蔵大臣が先般の予算委員会で言明したことは、大蔵省の立場であると同時に、政府の立場として、そういうことは、報償はするけれども、こういう財政の状態の中では、そういう利益を特に生活上困難なものにやるというたてまえで報償するのであります、そういう決定であります、それには私も賛成だ、こういうような発言なんです。これで賛成だという発言じゃないのです。そうすると、国会審議答弁との間にこれだけ食い違ったものを、なおあなたが強行しなければならないという理由がわからないのです。これで十分将来にわたって検討してほしいというなら、話はわかりますよ。こういう方針にしたから検討してくれというならわかります。けれども、これはきまった閣議決定事項だ、こう言われるならば、食言がある、こういうことになる。責めざるを得ないじゃないですか。それなら予算委員会にもう一ぺん戻してやりましょうか。それはできないというのでしょう。法案を通すばかりの方便に使うと、こういう問題が出てくる。この点についてどう答弁なさいます。
  89. 臼井莊一

    臼井政府委員 この点はただいまも申しましたように、昨年の六月にこの法案が提出された当時でございますね、それから当時の官房長官大蔵大臣、これは現大蔵大臣でございます。それから前総務長官が、いま申し上げたように、これはもう今回限りで全部解決、今後はこういうことはないという、裏返せばそういう意味のことをきめたわけでございます。でございますから、これを御信用にならないとおっしゃられると、これはどうにも将来の保証といっても何も担保に出すものもございませんからこれはちょっと困るのでございますけれども、しかし、これだけ熱心に御審議いただき、また野党の皆さまからもいろいろくぎをさされておりますことでございますから、これはもう今回と同じようなことをもう一度やるということは、少なくとも自由民主党においてはない、私はこう申して差しつかえないばかりでなく、現に大蔵大臣もさように申しておるわけでございますので、また総理もそういうお考えでございますので、どうぞこの点は御信用をひとつ願いたい、かように考えます。
  90. 川俣清音

    ○川俣委員 同じ自民党でも、内閣が変わると、被買収者の圧力に負けてもう一ぺん、少し足りないからというようなことが起きないという保証はないでしょう。佐藤内閣限りにおいてはやらないということは、同じ構成でありまするから、ある程度まで責任はありましょうが、内閣が変わった場合には、これはまた別な角度だ。池田さん時代のときには旧地主を救済する必要があると言ったけれども、補償する必要があるなんということは言っておらない。何らかの報償だという。あれは補償じゃないのだ、何らかの報償だ。今度は大体補償に近いものでしょう、個々のものですから。個人になるというと補償になる、こういう見解を持っておられたのですから、今度はそういう点からいくと、やはり補償みたいなものなんです。内閣の法令解釈集によると、報償というのは、奨励を含む、奨励することを含むのだ、そういう見解を出しているじゃないですか。そうすると、旧地主を救済する、奨励をする、なぜ奨励をしなければならないか。二回も三回もなぜ一体奨励をしなければならないのか。
  91. 臼井莊一

    臼井政府委員 この前回の報償は、これは農地補償をすると同時にいたしたのであります。ただ、その後、いろいろの論議がございまして、そこで、さらに総理府に臨時農地等被買収者問題査室を設けて、そして被買収者方々の実態とか、生活状態とか、さらに世論も調査をした結果、この法案を出したのでございます。したがいまして、今後もう一度このようなことをやるということは、国会においてこのように皆さまから御熱心に審議をいただき、政府からもくれぐれもそういうことはないということを申しておる以上、将来このようなことをさらにやるということになりましたら、これは世論も許さないわけでございますし、したがいまして、そういうことは再度は行なわないというばかりでなく、世間もこれは許さぬであろう、こういうことで御了承いただきたいと思います。
  92. 川俣清音

    ○川俣委員 それでは角度を変えてひとつ総務長官にお尋ねしますが、プロシャの領土解放のときにしくじった例があると思います。これは解放というもので、旧藩主に当たる領主の領土を解放したわけですけれども、これでみごとに失敗した例があるわけです。どういうことかというと、結局、土地を分散して売ったために、だれも買えるようになって、土地価格が上がったということが一つ。もう一つは、これでインフレが起きたということが一つ。私どもが心配するのは、気の毒な地主を救済することはよろしいが、さらに気の毒な国民が生ずるようなことがあってはならないと思うのです。それはインフレになるおそれが多分にあるのじゃないかということでございます。(「無利息だ」と呼ぶ者あり)無利息であろうと何であろうと、金を使うということは、ばらまかれているんだから……。そんなことがわからないで政治家になっているのか。こういうおそれがあるのじゃないかということです。あればどうなるのか。一人を救済するために多くの国民経済に悪影響を与えるようなことは、国民の金を使って国民に悪影響を与えるようなことは、これはどんな犠牲を払っても阻止しなければならないと私は思う。これは政治家の任務だと思うのです。いまみんな物価高で悩んでおるときに、さらにインフレの物価高が来たならば、日本の経済は破綻を来たすばかりでなく、一番低所得層の多くの国民が不況のどん底におちいるおそれがあるのではないか。一方を救済するために一方を悲嘆のどん底におとしいれるようなことがあってはならないと思うのですが、これはどうですか。
  93. 臼井莊一

    臼井政府委員 この点は、大蔵大臣の御意見によっても、別に御心配はない。ということは、総額においては約一千四百五十億くらいになりますけれども、これも無利息で十年間にこれを均等に償還する。もっとも、たしか一万円の分でございますか、これは五年間ということでございますけれども、そういうふうに分割して十年間に償還をするということでありますので、そういうインフレというようなことの原因にならぬようにもちろん配慮もしておりますし、そういう点は、日本の現在の国力の状態においては、この問題については御心配がなくてよろしかろう、こう考えております。
  94. 川俣清音

    ○川俣委員 そうならないというのですけれども、ここにあなた方の説明の根拠の動揺性があるのですよ。生活に窮しているから救済するのだ、こういうことになると、その金というものは換金されるということでしょう。拠金の対象になり得るでしょう。(「ならない」と呼ぶ者あり)ならないなら、救済するということにならない。わずかな金をやるのに、十年もかかってやるなんて、これで救済だなんていうことはだましですよ。これは政治家が大衆をだましていることになるのですよ。救済してやるといいながら、その金が使われない金を渡して救済だなんということは、おかしいことになる。救済なら救済でいいですよ。救済ならば、その債券というものは換金されるし、売られるということを予想しなければならない。出港のためには、それを幾ら安くたって売るということが行なわれるはずですよ。生活に困らないというんなら別ですよ。これは預金だとして持っている。これはひとつ使わないで持っておるというような預金的な作用をするんなら問題ないでしょうけれども、生活に困っておるからやるんだということになったら、日常生活に困っているという意味だろうと理解解します。この点はどうなんですか。だから、あなた方の説明することが、困っているからやるんだ。今度は、渡してからこれは使わないであろうというのは、どういうことなんですか。
  95. 臼井莊一

    臼井政府委員 この報償は、別に困っているから出すということではございませんで、困っている家庭に対しての措置は、例の国民金融公庫法の一部改正法案で、二十億のワク生業資金ですね。今度はそういうことではございませんで、したがって、これは記名の債券であって、原則としては譲渡とか現金化するということはできないということになっております。
  96. 河本敏夫

    河本委員長 川俣君に申し上げます。農林大臣は五時から約一時間退席されますので、お含みおきください。
  97. 川俣清音

    ○川俣委員 農林大臣はこれから入ります。  農林大臣にお尋ねしますが、これが農政影響がないということをたびたび大臣は言っておられるのですが、私はこれは農政影響するのじゃないかと思うのです。実は赤城大臣にこの質問をすることは、私は少し窮屈な思いをするのですけれども、やはりこれは農林大臣にお聞きしておかなければいかぬと思うのですが、米価算定の基礎になるのは、いろいの肥料とかその他の生産費の調査が入りますが、何といいましても、土地基盤の評価が大きく農作物の価格決定に影響することは、御存じのとおりです。どういう算定方式をとろうと、あるいは野菜の値上がりにいたしましても、土地価格が上がることによって一番大きい影響を与えるのが、農産物であることは間違いがない。したがって、これからきめられるであろう米価などについても、こういう補償されない形であった場合の土地——土地価格に拍車をかけて値上がりするような傾向が徐々に出てきておりますが、この点はお調べになっておるのじゃないでしょうか。私の知るところでは、農林省がまだ積極的に指示を与えておらないようですけれども、土地価格が上がりそうだということは、一般にいわれておりますが、土地価格が上がるということになると、また米価を上げなければならないということになってくる。こういうことを官房長官考えましたかと言ったって、これは少し無理だと思うから、農林大臣から御答弁願いたいと思います。
  98. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 この旧地主報償農政でない、私はこういうように申し上げたのでございますが、しかし、農政に全然関連ないとは考えません。しかし、これはプロパーの農政ではない。でございますので、農業政策として取り扱う問題じゃない、こういうふうに御答弁申し上げたわけでございます。  それから、こういう金が出るため土地価格が上がるのじゃないかというような御心配でございますが、このため土地価格が上がるとは思っていません。いま農地価格は、大体頭打ちでございます。しかし、これがまた一般的の宅地等の価格が上がっておりますので、それに引きつれて上がるという傾向がないとは申しかねると思います。  それで、このために今度米価との問題はどうか、こういうことでございます。私は、土地価格のある程度の変動が直ちに米価に影響する、こうは思いません。いまの見通しでの農地価格変動等が、米価に影響する——地代への関係がありますけれども、それほどの関係は持たない、むしろ米価に関連の深いのは、御承知のように賃金、ベースアップ等によります影響が非常に大きいと思います。そういうふうに考えていますが、具体的に数字的にまだ調査しておりませんので、その点ははっきり申し上げられませんが、大体の傾向を申し上げると、そのように考えております。
  99. 河本敏夫

    河本委員長 農林大臣は一時間後に帰ってまいります。   〔「休憩」と呼ぶ者あり〕
  100. 河本敏夫

    河本委員長 川俣君、御発言願います。
  101. 川俣清音

    ○川俣委員 農林大臣についての質問は保留をいたしまして、官房長官がおいでになりましたからお尋ねしておきますが、いままでいろいろ問いただしてまいりました中に、再びこういう旧地主に対する補償が繰り返されるおそれがあるのではないか、こういう質問に対して、佐藤内閣の限りにおいてはない、こういう言明があったわけです。佐藤内閣もそう長いことも続けられない内閣ですから、佐藤内閣の限りにおいては再びやらない——ここ二、三年の間に再びやるということは考えられませんけれども、これを再びやらないと言明できるには言明を実行するような法律にしなければならないと思うのですが、この点についてどうお考えになっておりますか、お尋ねをしたい。私は佐藤内閣官房長官で、よその内閣官房長官でないと言って逃げられればそれまでですけれども、実は再びこういう疑問を持つのはなぜかというと、かつて旧自作農創設維持法によって賠償したときに、また補償をしておるわけです。あるいは池田内閣から旧地主の生活の窮迫している者を人道的にも何とか救済しなければならないという説明が行なわれて、御承知のような公庫法によって救済をしようということをやられたわけです。その限りにおいて法律がいま進行しておるわけです。ここでまたこの法律を出してくる。そうすると、どこまでが一体国民負担に耐え得る処置なのかどうかということが、非常に疑問になってまいりますし、もう一つは、こういう国費の乱費というような形が出てまいりますと、インフレの危険も出てくるのではないか。いま物価を抑制しようとつとめておられるときに、こういうからな債券を発行されるということは、物価を引き上げる要因になるのじゃないかという心配を非常に持つので、一つは、再び補償しないということが一体この内閣で将来の内閣まで規制できるというふうにお考えになりますかどうか。あなたの内閣ではやりませんということならわかりますが、将来の内閣まで規制をするということが一体できるのかできないのか、この二つの点についてお尋ねしたい。
  102. 橋本登美三郎

    橋本政府委員 川俣さんの御質問に対しましは、臼井総務長官からも答弁がありましたので、これはあらためて申し上げる必要もないぐらいでありますが、農民の父といわれる川俣さんもよく事情を御存じでありまして、これは御承知のように、今回の法案は、法案の趣旨説明にも申し上げましたように、当時地主、被買収者と申しましょうか、その方法が大きな社会改革に協力をした。そのために、これは統計にも出ておるようでありますが、日本の自作農創設というものが非常にスムーズにできて、これは農民の父といわれる川俣さんよく御存知のとおりであります。さような協力というものに対しての報償意味において、今川の法務が考えられた。地主が困っておる、困ってないという——九割というものは零細地主でありますからして、もちろん困っておる人もあろうと思います。しかし、この問題は、やはり同じく国会に提出をされております国民金融公庫法改正によって、その人たちの生業資金の貸し付け等の特例を設けようとしておりますので、この法案自体は、困っておる地主を助けるという意味ではなくして、先ほど申しましたように、当時の大きな意味での社会改革といいましょうか、農地改革に対して協力してくれて、それがために日本の経済基盤を強化した、こういう協力に対して報償意味があろう。これはわれわれ地方に参りましても、こういう法案政府において考えられておることは、これは全部じゃありませんけれども、好ましいといいましょうか、というような意味合いの話も、御承知のように聞いております。そういう意味で、報償という法律用語の上でどういう意味があるかというような御質問になりますと、これは報償ということばが、法律的のことばとしてどこまで熟しておるかどうかは、これは問題があろうと思いますからして、法律用語としての報償というものは、いずれ法制局長官から説明をしてもらいますが、これは要するに補償とは性格が違う。補償損害に対する補償とかいうようなことであって、この報償のほうは、相手の一定の事項に対する貢献あるいは社会的な寄与、こういうものに対する何といいましょうか、ごほうびと言っては失礼かもしれませんが、それに類似した一つ考え方である、これが報償一つ考え方である。これはまあ一つ報償考え方であろうと思います。さような意味でありますので、この法案と、先ほど申しました零細地主、被買収者を救済するものとは別個であるという考え方でこの法案が出ております。  なお、川俣さんからして、こういうことが行なわれることは、将来にもまた情勢によっては出すのではないか。少なくとも佐藤内閣は再びこういうものの類似のものは出すことはないかもしらぬけれども、将来においてもあるいは理屈をつけて出すんじゃないかというようなお話でありまするが、先ほど来から申しておりまするように、いわゆる農地改革で出されました法案は、御承知のようないわゆる一種の補償であります。土地を買い上げた補償である。今度の場合はそれとは違った性格であって、必ずしもこういうものが今後次々と出てくることはあり得ないのではないか、あり得ないと申し上げてもよろしいと思います。したがって、これは理論的に申しましても、佐藤内閣が今後長く続きましても、あるいは自民党内閣が将来できましても、この種のものが再びあらわれることはあり得ないと、かように考えておるので、さような意味での川俣さんの御心配はないように考えてよろしいと考えております。
  103. 川俣清音

    ○川俣委員 私の心配はますます増大してきたのです。補償をしたものですからまた報償をしようと、こういうのですからね。これは報償であれば、もう一回また繰り返されないということはない。補償ならば、それで済んだということが法律用証としては明らかです。ところが、これは報償だというのですから、とどまるところを知らないのじゃないかということを感じるのです。補償したものですらさらに補償するというのですから、これはあなたの内閣のときはやらぬだろうけれども、次の内閣まで強制力はないのではないか。補償ならば、これは法律用語とすれば、補償されたんだから、もうないということは、これは常識的な法律用研として考えられると思うのです。報償ということで逃げられれば、再び報償が行なわれる危険性があるのではないか。なぜかというと、前にもお話ししたように、前の旧自作農創設維持法で補償をしたことがあるのでしょう。買収した価格にさらに報償したことがある。このときは報償という名前で、補償は済んだけれども報償は残っておるということで報償されたのですね。そういう法律の歴史的経過から見るというと、これはおそらく官房長官でもそうです、補償ならば再び行なわないということは言明できるが、これは報償ですから、任意報償ですから、そのときの政策によってやれないことはないのですから、内閣がかわることによってまた起きるのではないか、こういう心配を持つのはあなただけだといわれましても、国民の負担に関することですから、国会としては十分これは警戒しなければならぬのは当然だ、私はそういう理解の上に立ってお尋ねをするわけです。どうですか。
  104. 橋本登美三郎

    橋本政府委員 お話でありまするが、まあこれは社会通念といたしまして、一つのことがほめられますというと、また同じことを今度何年かたってからほめられるということはないのでありますからして、やはり一つ報償が行なわれたから、また同じ件に対して報償ということは、社会通念からいってあり得ないじゃないかと思うのです。そういう意味で、この報償が、将来自民党内閣が続いた場合に、またぞろ理屈をつけて出すんじゃないかという御心配がありますが、一つの事柄についてまあ二度同じく報償する例は、社会通念としてはないのでありますから、われわれは、この問題は、将来御心配のことはないと申し上げてよろしいと思います。
  105. 河本敏夫

    河本委員長 川俣君に申し上げます。次の質問者の時間の約束がだいぶ経過いたしましたので、結論をお急ぎ願いたいと思います。
  106. 川俣清音

    ○川俣委員 私は結論を求めておるんだけれども、答弁のほうが結論を得ないのですよ。私がお尋ねしているのは、前例があるからお尋ねしているのです。しかも同じ自作農業創設、自作農のために国が買収をしたのを報償をしているのですね。補償をしたのに対して報償したわけですね。こういうことさえ行なわれるのでありまするから、懸念を持つといっても前例があるのです。ことにこの旧地主運動の中には前例があるではないかということで、この運動に拍車をかけてきたのです。この前例がなければ、これほど運動が起きなかったかもしれない。前例があるということなんです。この前例というのは何かというと、先ほど来指摘しているとおり、旧自作農創設維持法で国が土地買収をした者に対して補償をした、報償を行なった、そういう前例がある。前例があるではないかというのが運動に拍車をかけた原因なんですから、再び前例がある、前例が二回もできておるじゃないかということが起きないとは限らないと思うのです。しかも説明によるというと、国の政策に協力して大きな経済的発展の基礎をなしたのは旧地主だという説明ですから、先ほどからも指摘しているとおり、道路敷地に買収されたような問題、あるいはダムの建設に協力させられたような補償の問題、そういうこともこれから拍車を加える危険性があるのじゃないか。地主と同じなんです。当時の価格は大体地主と同じような価格なんですね。最近の値上がりにおいて時価が上がってきましたから変動しておりますけれども、当時あるいはダムの土地買収にいたしましても、あるいは道路の買収にいたしましても、時価というのは大体農地開放の例にならうという、それに幾らかつけたりなんかしたでしょうけれども、いまのような補償まではつけていなかったと思います、幾らか涙金的なものは加えてはおりますけれども、いわゆる買い取り価格というものは時価によって買い取ったわけですから、その時価を形成したのは、当時の土地買収価格であることは、大体お調べになればおわかりになる。いわゆる旧地主ばかりじゃないのです。あるいは自作農業であったにしても、ダムのための犠牲になった、これは大きな日本木の経済開発に役立っているのですよ。土地を持っている人で日本の経済開発に役立たないなんという人は、一人もおりませんよ。もうけながらもこれは経済開発に非常に役立っているということです。あるいは宅地にしたってそうです。みんなそうですよ。これは土地というものは国民資産なんですからね。国民資産なんです。地主の資産でない、国民資産なんです。価格変動というものは国民経済変動によって生まれてくるので、地主の力によって価格が生まれてくるのじゃないのですよ。国民資産なんです。社会資産なんです。社会資産を、社会の発展が価格を上げてくれるのを、それはおれが上げたのだ、おれの土地の値打ちだというような考え方に対しての補償ですから、私はこれを問題にしておる。(「差しつかえない」と呼ぶ者あり)差しつかえないという人は、その運動によって目がくらんだ人の話で、とるに足らないものです。したがって、私が問題にするのは、個々には気の毒な人もあるでしょう。これは否定しない。それはそれなりの救済をすればいい。大きな貢献をしたというならば、国民全体が大きな貢献をしておる。その中に泳いでおったにすぎないのですから、それをもって再びやらないという保証はないじゃないか。一度出したならば、再び国民が負担をしなければならないというような犠牲を国民にしいるようなことは、私はこれは断じて阻止しなければならない、こう思うのです。そういう意味において、だから説明がよければ、断じて阻止するなんということは言いませんよ。説明が悪ければ、断じて阻止するということにならざるを得ないじゃありませんか。
  107. 橋本登美三郎

    橋本政府委員 当時の買収がどういうような計数の基礎で行なわれましたかは、担当の総研長官から答弁があろうと思いますが、私たちが考えております点から、あるいは私自身の考えております点から言えば、当時の買収価格というものは、いまおっしゃったように、当時の地価から見て当然の価格だったろうと思います。しかし、その価格の中に、いま川俣さんがおっしゃったような社会貢献したプラスアルファが加わっておるかどうかということになりますと、必ずしもそうじゃないのじゃないか。純粋に価格の形成から判断をして、そうして標準価格としてこれが買い上げの対象になった、こういうことであります。そういう意味では、今回の報償性格とは異にしておる。そういう意味で、この前の買収された補償というものが今日の報償というものを兼ね構えておるかということになれば、それは考え方を異にしておる、かように政府考えて、今回の報償意味した法律案を出した、かように御理解を願いたいのであります。
  108. 河本敏夫

    河本委員長 川俣君に重ねて申し上げます。次の質問者との時間の約束がだいぶ経過いたしておりますので、お含み願います。
  109. 川俣清音

    ○川俣委員 委員長の要請はよくわかりますが、しかし、これはいま十分審議しなければ、この法案についての見通しがつかないところでありまするから、答弁を要求しておるのでありまして、答弁が十分であれば何も問題はないのです。  そこで私は、たとえば宅地に提供したところとか、あるいは道路に協力したところとか、ダムに協力したようなところが、再び問題を起こすと思うのです。あなた方の説明のとおりの考え方ができるとなると、ダムの敷地であろうと道路の敷地であろうと、これはできるのじゃないかと思うのです、特に心理的な影響を非常に重要視されるならば、ダムの敷地になったなどというところは、先祖代々からの歴史の存すところを提供しておるのです、これを価格で見るなんということにはいかぬような土地を、価格で決定しておるわけであります、それは日本の経済の発展のために犠牲になれということで犠牲になってきた。どんなに金を積んでも放さないというものを、日本ではいまでは金で価値を片づけるということで片づけられてきているのです。これは買収に応じないというのを強制買収をしておる。これは農地開放よりもっとひどい収用なんです。金の価値だけでものを判断している。金の価値以上のものだという歴史的なものを否定しているのです。歴史を否定しているのです。歴史のないものですら再補償するということになると、歴史的なものに対する補償なんというものは、できることもないようなほどばく大な心理的影響を与えるものです。この点は非常に市大ですから、もう一ぺん内閣考え直す必要があるのじゃないか。この点については官房長官からの説明ではまだ不十分です。今後の農政に与える影響が非常に大きいし、すぐ米価に影響する、あるいは野菜価格にも影響することでございます。野菜を押えようというのか、あるいは野菜の値上がりを誘致するような、あるいは野菜の値上がりに拍車をかけるようなことを、あえて国民の金を犠牲にしておやりになろうとするのか、この点は農林大臣をあらためて究明しなければならぬと思います。官房長官は専門でないからこの程度で了しますが、大蔵大臣並びに農林大臣の出席を求めて質疑を続行したいと存じます。あとは保留しておきます。
  110. 河本敏夫

    河本委員長 稲富稜人君。  稲富君に申し上ます。農林大臣は六町過ぎに参りますから、それまで官房長官及び総務長官に対する質疑をお願いします。   〔発言する者あり〕
  111. 河本敏夫

    河本委員長 静肅に願います。——稲富君に申し上げます。農林大臣は六時過ぎに参りますから、それまで官房長官及び総務長官に対する質疑をお続け下さい。
  112. 稲富稜人

    ○稲富委員 私は農林大臣質問して、その農林大臣答弁によって官房長官質問しようと思っているのです。それで基本的な問題は農林大臣に聞きたいと思っているのです。
  113. 河本敏夫

    河本委員長 この際三十分間休憩いたします。    午後五時三十二分休憩      ————◇—————    午後六時十一分開議
  114. 河本敏夫

    河本委員長 休憩前に引き続き、会議を開きます。  休憩前の質疑を続行いたします。稲富稜人君
  115. 稲富稜人

    ○稲富委員 まず、農林大臣にお尋ねいたしたいのでありますが、政府は元来この農地補償は行なわないということをしばしば主張してまいられたのでございます。ところが今回、もちろんこれは農地報償というように題目は変わっておりますけれども、事実上においてはやはり旧地主が何らかの形において国からの援助を受けるという形の結果には間違いないわけでございますが、こういうようなことに変化したということは、元来政府が、従来の農地改革というものは最も妥当であり、最も合憲の上に立った正当な行為として行なわれたということを主張してこられておったのが、今回こういう違った立場をとられたということ、これはいわゆる農地改革当時における政府が何らかの責任を感じられたからこういうことになったのであるか、幸いにこの機会に、あの農地改革が行なわれたその経過、動機等に対して、ひとつ農林大臣は十分事情を知っていらっしゃると思いますので、その点のことをひとつ経過を御説明願いたいと思います。
  116. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 原則として農地耕作する人がその農地を所有する、こういう形が一番すなおな形だと思います。でございますから、あの当時——あの前でも、翼賛会などがあった当時におきましても、孫文などが唱えておった耕す者がその田を有す、耕者その田を有すというような考え方が、相当強く戦争中においてもある程度行き渡っておったと思います。だんだん食糧事情も逼迫いたしまして、労働力も減った、困難なる事情に入ってきた、一方自作農創設という形で自作農の創設を進めておりましたが、はかばかしくない、敗戦になった、こういうときでありましたので、やはり一般の風潮として民主化風潮が非常に強く行き渡っておったということ、食糧事情からいいましても、耕作者がその土地を自分のものとして所有したほうが、土地に対する愛着もあるし、増産のほうにも非常に力を入れるだろう、こういうことで、御承知のようにマッカーサー司令部からの指令がないときに、すでにあの二十年の募れの国会でございますか、松村謙三さんが農林大臣で、第一次農地改革を指令をまたずして手をつけたわけでございます。ところが、その中でいろいろ地主の保有地などに多くの保有を認めました、約三町歩、そういうことに認めておるということになるというと、開放される土地が少なくなる。それでは先ほど申し上げましたような食糧を増産して食糧危機を救わなくちゃならぬ、自作農を創設して、そうして日本を民主化して、まあその当時いわれていましたことは、封建的な制度を打破して日本を民主化しなくちゃならぬという要請にこたえるには、第一次農地改革だけでは所期の目的は達しないだろう、こういうようなことで、第一回国会で議決したところヘマッカーサー司令部から、それでは不十分だ、こういうような指令を受けまして、第二次に、たとえば保有地を内地は一町歩にするということで大部分を開放する、その他民主化の線に沿うような改革を行なった、こういうのが私の知っておる大体のいきさつでございます。
  117. 稲富稜人

    ○稲富委員 大臣も御承知のとおり、従来の日本の農業の健全さがないということは、農村におきまする地主の存在というものが非常に大きな問題であった。そういう点から、日本の健全な農業を建設するという意味から、いま大臣も言われたように、耕作をせない者は土地を所有せない、こういうような原則でいくことが最も必要ではないかということが各方面主張せられ、そういうようなことと相まって農業の健全性と農村民主化だということで、この農地改革というものが最も適当なものとして政府は踏み切ったと思う。その間においては、あるいは農地調整法の改正であるとか、そういういろいろな手を尽くしてこれが実現されたので、おそらくその当時これを実行したときに、その当時の政治家は、これによって生ずる地主に対する補償をやろうとか、あるいは報償をせようというような考えをおそらく持っていなかっただろうと考える。私はそう思いますが、これに対して大臣はどうお考えになるか、承りたい。
  118. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 その当時にいたしましても、非常にインフレ傾向が出てきておりまして、食糧不足であったものですから、いわゆるやみ米などは非常に高かったわけであります。でありますから、農地開放の一反ぶりの金がやみ米の五、六升、もっと少ない金で開放できるというような点はございました。しかし、当時といたしましては、土地の賃貸価格にある一定率をかけて農地価格算定したのでございますから、一般物価その他と均衡がとれた正当な、妥当な価格だったと、当時われわれも考えておりました。でございますの、で、その後のインフレが非常な速度で進みましたから、そういう関係があって非常に安いというふうに考えましたけれども、その開放当時におきましては妥当な価格だ、しかし二、三年かかっておるうちにどんどんインフレが進んだというふうなことで、これでは安過ぎはしないかという感じは、私は持ったと思います。しかし、算定の方法につきまして、あるいはその当時におきましては、妥当な価格であった。でありますので、あえて補償をまた要求するというようなことではなかった。しかし、インフレがその後続いたということは、御承知のとおりでございます。
  119. 稲富稜人

    ○稲富委員 その当時農地制度の改革が断行されたということは、いま申し上げましたような非常に出村の民主化であり、農村の前進だということで、政府は思い切ってこの改革を断行したと思う。これが日本の農業に対して貢献したことももちろんであると私は思うのでございますが、ただいま大臣の言われたように、その当時は妥当な価格であるし、おそらくその当時これを断行した政府は、将来これによって地主補償しようとか、あるいは報償しようとか、そういうようなことは計算には入れてなかったろうと私は思う。おそらく大臣はこれをお認めになると思う。その後の経済変動によってあるいはこれに対する補償をしなくてはいけないというふうなことになったのだ、こういういまの大臣の御答弁のように私は承ったのでございますが、大臣はそういうようにお考えになっているのでございますか。
  120. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 経済事情変動によって補償しなくちゃならぬというふうには、私は申し上げたわけではございません。買い上げ価格は買い上げ価格としてその当時妥当であった。だから、補償をしなくちゃならぬというような考え方はなかった。しかし動きは、インフレということが非常に急速に進んでおりまして、御承知のようにベースアップ等の基準等につきましても、驚くべきベースアップをしていかなくちゃならぬというような経済事情の変更がありました。経済事情の変更があたっから補償しなくちゃならぬとは、私は考えません。だから、補償は、私は再々申し上げましたように、もうしなくてもいいんだ。しかし、実態がいろいろ気の毒な実態であり、あるいはこの農地開放貢献したというそのメリットといいますか、そういうものを考えるときに、ただいま措置されているような報償というようなこともいたし方ないことではなかろうかと私は考えるわけであります。
  121. 稲富稜人

    ○稲富委員 この補償の問題と報償という問題は後かた私はあらためてお尋ねしたいと思うのでございますが、要は補償であろうと報償であろうと、ともかくもその当時の地主に対して何らかの国が経済的な援助の処置をやる、こういうようなことで、報償でありましても補償でありましても、この場合は——これは最後にこの問題をきわめることにいたすわけでございます。  ただ私は、この際、いま大臣の言われたように、これが農地制度が改革された当時は妥当な価格であったのだ、政府もそういうつもりで断行したと思う。ところがここで考えなくちゃいけないことは、この農地制度が改革されたということは、その当時もはっきりいわれておるように、健全なる農家の育成によって農家生殖の発展をはかると同時に食糧生産を確保するということが非常に目的であった、こういうふうにわれわれは記憶いたしております。ところが、その後この問題が起こってきたということは、いま大臣の言われる経済変動というのかしれませんが、そういうような価格によって農地を取得した人たちが、やはり土地価格が非常に上がってきた、こういうようなことからあの開放当時を顧みて、その当時の開放価格というものが非常に安いのじゃないか、こういうような考えが出てきたのではないかと思うのでございますが、この点はどういうように解釈なさっておりますか。
  122. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 このたびの報償は、そういう土地価格が非常に暴騰したということから出ているとは、私は考えません。しかし、開放した旧地主から考えますと、自分が三百円か五百円くらいで開放したものが、一反ぶり二十万円、三十万円だ、こういう経済事情変動でありますから、何か割り切れないような水持ちは持っておるだろう、こう考えます。ですから、よけいなことでございますが、今度の法案などに私の意見が入りませんでしたが、そういう意味におきまして、私は他に転売する場合に、もとの旧地主にひとつ申し出て、先買い権といいますか、そういう制度を入れたらどうか。もちろん、こういう高い価格で買い戻すという気持ちにならない場合が多いと思います。それにいたしましても、もとの地主に対して、ほかへ売る場合には、買うか買わないか、また、もとの地主によりましては、いまの自作農資金あるいは土地取得資金等もあるのですから、そういう資金によって買い戻すということもあるかもしれません。そういう点で慰めるといいますか、当時少ししか耕作していないために農家としてやっていけないという旧地主もあるわけでございますから、そういう制度を今度の措置法の中に入れたらよかったのではないかというような気もいたします。話は横にそれましたが、今度の報償法案は、土地価格が上がったからということではないのでございますけれども、開放をしなくちゃならなかった旧地主の気持ちの上におきましては、何か不均衡感といいますか、何か割り切れないような気持ちはあるだろう、こういうふうに想像されます。
  123. 稲富稜人

    ○稲富委員 もちろん今回は報償ということになっておりますが、これに対する補償をしろ、こういうような声が非常にあった当時にさかのぼって考えますならば、やはり補償の問題は、いま言う土地価格の問題、そういうような問題が起因したであろうということは一応考えられると私は思う。  ただ、ここにおいては私が政府にお尋ねしたいと思うことは、少なくとも農地開放というものは、食糧生産を確保する農業経営をなす土地であるということを主体として改革は行なわれたものだと、かように思う。これがその後いろいな土地農業以外に転用される、こういうような問題が次々に生じている。これに対して政府はいかなる考えをもって処してこられたか、やむを得ない現象としてこれをやってきたか、この点は手抜かりなかったかということも、われわれは十分検討しなくちゃいけない問題ではないかと思うのでございますが、これに対しては大臣はどうお考えになっておりますか。
  124. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 農地が宅地等に転換すれば、相当価格になるわけでございます。そういうことを任意に許すというようなことにいたしましては、これは不当な利益を得るというようなかっこうになりますので、農地法において移動等につきましての許可制を設けたり、あるいは農地法のできる前におきましては、農業に精進しない、こういうようなものに対しましては国が先買い権を行使して国が買い戻す、こういう制度等を設けまして、ほんとうに食糧の増産に寄与できるような、農地改革をした目的が達せられるような方向にそれぞれ措置をとってきたわけでございます。しかし、これもよけいな談義になりますが、農地改革においてやるべきことでやらなかった二つの欠点がある。それは土地の再配分をしなかった。耕作者がそのまま土地の所有権を持ったというだけで、耕作権が所有権に移ったというだけで、これをせっかく国で一度管理しておる間に再配分——これは理想でございます。これはなかなかできるとは思いませんが、再配分をして、そうして適当に耕作できるような再配分をすべきであったのではないか。それが耕作権が所有権に移った、こういうだけでそのままであった、こういうことでありましたから、これをいまになっても直していかなくちゃならぬというようなこと、すなわち今度の農地理事業団などの考え方もそれであります。日本の農業が非常に零細農だ。零細農であるがために、他産業に対しての競争力もあるいは国際的な競争力も非常に薄弱だ、どうしても経営規模を大きくすることが必要だ、こう考えます。そういう点においての措置が、農地改革のときにはとられなかった。  それからもう一つ土地基盤の整備、土地改良を国の管理下にある間にできるだけこれは計画を進めておくべきだった。土地買収などということも国の管理の間には必要、ないのでございますから、そういうようなことではほんとうに年産基盤を整備する、そうしてそれを耕作者に配分する、こういうことが必要でなかったかと思いますが、またそういう議論を私もしたことがあります。取り入れられなかったのでありますが、また実際にあのときにそういうことまで行き届いた政策は施せなかっただろうと私は思いますけれども、そういう点をいまからでも直していかなければならぬ、こういうふうに考えておるわけでございます。
  125. 稲富稜人

    ○稲富委員 結論は、従来の農地改革というものは、大きな農村の改革として思い切った断行がされた。ところが、その後わが国の歴代の政府農業政策の失敗といいますか、やり方において、この艇地改革という大群業を十分生かし得なかったという事実は非常にあると思うのですが、これはお認めになりますか。
  126. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 御説のとおりでございます。せっかくの農地改革を生かしていかなかった。でございまするから、先ほど申し上げましたように、零細性を脱却せしめるとか、あるいは生産基盤を整備するとか、そういうことをもっともっと強力に推し進めていくべきであった。しかし、いまからでもおそくないので、そういう面に力を入れていかなくちゃならぬと私は考えておるわけでございます。
  127. 稲富稜人

    ○稲富委員 ここにおいて私は大臣に特に申し上げたい。農地改革出町、旧地主も、やはり日本の健全な農業建設のためには、非常に国家的見地において賛成をしておった地主もたくさんあったと思う。ところが、その後せっかくの農地改革政府が生かして十分なる運用をしない。ここから、せっかくわれわれが犠牲を払った農地改革によって政府がこういうような態度をとるから、われわれもこれに対して何とか補償でも受けなければいけないのじゃないかという、こういうような不満が起きてきたのだろうということは、一応われわれは考えなくちゃいけないだろうと思うのですが、この点は、大臣としてはどうでございますか。これは日本の農政をあずかってきた歴代の政府にその責任があると思いますが、この点はどうお考えになるか。
  128. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 私は、農地改革のときの小さい地主の立場に立って考えまするときに、これもなかなか当時ではできなかったことでございましたが、一つの欠陥を持っておった。いままでの地主という立場を捨てて、そうして全部自作農になって農業に精逃しようという決心と腹がまえで新しい改革に直面したわけでございます。だから、すべての人が農業なら農業として生きていきたい、自作農として生きていきたい、こういう考えを持ったはずでございます。だから、小さい地主などもやはりそういう気持を持ったと思います。ところが、例を申し上げまするならば、自分でつくっているのは二反ぶりしかつくっていない。一町二反土地を持っている。一町ぶりは小作に入れておる。そうすると、一町歩の保有はできますが、自分で百姓して生きていこうとするのに二反歩しかない。一町ぶりを取り上げるということはできませんから、したがって地主の自作農化を阻止した。自作農化を許せば小作人から取り上げることになりますから、そこに摩擦が起きますから、その辺の調整は適当にして——小さい地主が一町二反持っているのに、一町ぶりは小作に入れておくから取り上げられない、自分では耕作できない。自分では二反ぶりしか耕作できない。二反ぶりで生きていけ、こういうことになっておった。これはやはり一町二反あったら、二反ぶりにプラス二反ぶりでも三反ぶりでも耕作するようなことにして、ほんとうに地主地主としての立場を捨てて耕作者としてやっていこうということになっわけでございまするから、そういうことも認めてできればよかったのじゃないかと思いますけれども、これは土地を取り上げるということに関連いたしまするから、それは禁止されておったようなわけでございます。そういうようなひずみというようなものがありましたので、そういう面から、やはり農業として牛きていくためには、土地は持っておってもその土地は使えない、使える土地はその一部分で、先ほどの例で言いますならば、一町二反歩時っておっても二反だけでしか生きていけない。こういうことになりますと、農業としてやっていけないというような不満を持つ。そこで何らか措置をとってもらえないものだろうかというような要望が荷まってきたというように私は考えられます。
  129. 稲富稜人

    ○稲富委員 それで報償の時代よりももっとさかのぼって補償の時代を振り返ると、農民の中から農地補償をしろという声が非常に強くなってきた。これはいま申しましたように、農地改革によってなされたその後の——いま大臣がいろいろこういうこともやったがよかっただろうということを率直に申されておりますが、歴代の政府がそれをやらなかった、ここにやはり農地補償という要求が非常に強くなってきたのではないか、こういうことを率直に私たち一応考えなければいかぬのじゃないかと思うのですが、この点どうですか。
  130. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 政府として農政、ことに土地制度に関しての農政に十分でない点があって、せっかくの農地改革が万全的に生きてこなかったという点は、私も率直に認めてよろしいと思います。
  131. 稲富稜人

    ○稲富委員 ここで農林大臣に特に私も率直にお伺いしたいのです。農地改革によって、政府は十分これを生かせなくして、そうしてそういう状態になしておる。一方では農地改革によって犠牲をこうむった旧地主は、この政府のやったやり方に対する不満というものが、一つ補償という要求で非常に起こってきた。それに応じて政府の与党である自民党の中には、この地主補償要求に対して強力なる支持をされて、これを非常に推進されたというような方もたくさんおありになったと私は思う。いわゆる政府がそういうような農地改革後の失政をおかしたということは、与党にも責任がある。その責任は放任しておいて、一方には農地補償に対して大いに手伝をする、こういうようなやり方というものは、南面に申し上げまして私たちおもしろくないと思うのでございますが、大臣はどうお考えになりますか。
  132. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 農地改革のあと適当な農地等の改革を推進すればよかったのでありますが、その推進が改革のときのままであった、こういうことでありますから、いろいろのあきたらない気持ち、そういうものもだんだん強くなってきた。しかし、過去にさかのぼってはできませんから、土地関係などにつきましては、私どもも農地管理興業団などという構想で考えておるのでございますが、それと別個にやはり旧地主に対して、その農地改革がたいへんな混乱なしに済んだ。またそとでいえば相当革命的な様相などもあるいは起きたではなかろうかというような事態を振り返り、あるいはまた戦後の食糧の危機を救ってきた改革である、こういうことを混乱なしに済ました一つの旧地主のメリットを買っていこうじゃないかというような考え方を持ってきた人も、相当多いと思います。そういう面から、いろいろ調査会等を置いて調査した結果や世論などを調査いたしまして、そして今度は補償段階ではなく報償段階措置をしていこうというような経路をたどって結論にまできた、こういうように私考えております。
  133. 稲富稜人

    ○稲富委員 報償の問題はあととしまして、あるいはこういうことを申し上げたならば、自民党の皆さんからおしかりを受けるかもわからぬことでございます。しかし、私率直に考えますときに、農地改革によって政府が打つべき手を十分打ち得なかった、それがために旧地主の中に不満が起こった、こういうような事態をとらえて、あるいは革新政党が農村に農民組合その他の農村団体によって一つの新しい運動を起こしていくという、こういう明美に対して、一方には旧地主農地改革によってかなり不満を持っておる、この不満をひとつ農村に対する一つの党の基盤として生かしていこうというような魂胆があったのではないかということ、この点は、私たちは否定するわけにはいかないと思うのでございます。この点はどうお考えになるか。私は、その点もこの際十分検討する必要があると思うのでございます。
  134. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 これはそういう人もあったかと思います。たとえば参議院の某氏のような立場で、これを基盤としてというような人もあったと思います。しかし、党としての考え方政府としての考え方としては、やはり気の毒な人、こういう人に対してはやはり土を盛って平らにしていこう。社会保障制度でもそうでございます。あるいは地域格差の是正というのもそうでございますが、そういう意味におきまして、気の毒でしかもそれ相当のメリットといいますか、貢献をした、こういう者に対しまして、あたたかいといいますか、政治的に言えば公平の原則といいますか、そういうような形で措置をしよう、こういうふうに考えたのが、政府及び与党だと思います。中にはいろいろこれを基盤に利用しようというような考え方の人がないわけでは私はなかったと思いますけれども、全体としてはやはり一つの不均衡是正といいますか、そういう谷間に光を与えるといいますか、そういうような一つ考え方から出たものだ、こういうふうに考えます。
  135. 稲富稜人

    ○稲富委員 そういうような事情のもとに、やはりこれは個人的な行ないであっただろうと思いますけれども、農地補償を要求する団体等は相当な負担をしてこの運営をされておった。これに対してどのくらい個々の旧地主が負担をされておったか、これは政府のほうでわかっておりますか。わかっておれば承りたい。
  136. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 いろいろ断片的には全然耳にしないわけではございませんけれども、私どもでそういうことについての資料はございません。
  137. 稲富稜人

    ○稲富委員 これは先刻石田君からその資料は質問の中に入れておりましたので、それを参考にしていただければわかると思うのでございますが、元来、旧地主農地補償がしてもらえるものである、しかもこれは強い与党のうしろだてがあるから、こういうことで相当な出資をされておったことは事実でございます。そういうようなことをずいぶん長くやってこられたので、これは政府としても何とかしなくちゃいけないというような抜き差しのできないような状態になったことが、今度は報償でもしようということになったのではございませんか。この点ひとつ率直に承りたいと思います。
  138. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 金を集めて運動したからと、こういうことでは私はないと思います。先ほど言いましたような不均衡感といいますか、そういうものを是正していくという措置から出たと、私は考えております。
  139. 稲富稜人

    ○稲富委員 さらにお尋ねしたいと思いますことは、実は先般石田君の質問に対しましても農林大臣は、今回の農地報償というものは農政には関係がないのだ、こういうことを言っていらっしゃるのでございますが、私は農政関係ないとは言えないと思うのです。しかも先刻大臣の御意見を聞きますと、農村に対しての重大な今回の農地報償のこの立案に対しても、農林大臣意見が十分尊重されていないというようなことを聞くのでございます。これは大臣から先刻お話がありました。これは私は最も遺憾であると思うのでございます。これはひとつ総務長官にお尋ねしたいと思うのでありますが、総理大臣が来ておられれば総理大臣に聞きたいのですけれども、少なくとも農村に最も重大な今回の処置をとるのに対して、私たちは農政関係がないとは言えないと思う。これを農林大臣意見も十分入れなくしてこういう立案をするという政府考え方というものは、非常に間違っているのではないかと思うのでございますが、これに対して総務長官どうお考えですか。
  140. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 私は、農政関係ないとは石田さんのときにも申し上げなかったわけであります。プロパーの農政でないと私は考えています。ただし、農政関係が全然ないとは申し上げられないと、関係はあると、こういうことを申し上げておったのでございます。
  141. 臼井莊一

    臼井政府委員 もちろん本法案をつくる上におきましては、閣内においていろいろ論議もし、また最終的には閣議にもはかったわけでございまするので、したがいまして、おそらく農林大臣意見もいろいろあったことと存ずるのでありますが、しかし、いずれにいたしましても、いまも農林大臣のお話のように、農政プロパーの問題ではない、こういう点で、そこで世上にはいろいろのこの問題に対しての世論もありますし、また党内もそれぞれに意見がございましたので、そこで三十八年に政府部内の、総理府に臨時農地等被買収者問題調査室を設けまして、そこで旧地主の生活状態とかあるいは基本的な問題、さらには世論を調査いたしまして、その結果やはり報償するのが適当である、こういうことで結論を得て、本案を昨年の春に作成、提出いたしたわけであります。
  142. 稲富稜人

    ○稲富委員 それならば総務長官から聞きたいのですが、先刻から申し上げましたように、元来この問題は農地制度改革から起こってきた問題であるということは、これはもう否定することはできないのであります。しかも農地制度改革によって損害をこうむったという、この旧地主からの補償要求があったことも事実でございます。この補償に対してどうするかということが、多年の間論議されたことも事実でございます。ところが、政府がそういうような、今度の法案にありますが、困った地主に対して報償するというのだが、当然出さなくちゃいけないものであるならば、何がゆえに補償ということで堂々とおやりにならなかったか。私たちは、補償する必要はないと思っております。これは妥当な農地改革が行なわれたものであるし、合憲であるという最高裁判決も出ていることからいって、われわれは補償すべきものではないと思いますけれども、何かの形において地主に出さなくちゃいけないというならば、なぜそれを堂々と補償という立場に立って政府は立案をしなかったのか。報償というのは、これはやるということなんです。かつての地主から言うならば、投げ銭をもらうような失礼な行為じゃないかと私は思う。政府が当然やるべきものだというならば、堂々と出せばいい。何だかそこに報償というような恵みの金をやるようなことをやるところに、政府もあまりにも自信がなさ過ぎるのじゃないか。それだから、先刻言ったような、何とかこれはあと始末をつけるためにこういうことでお茶を濁しておこうじゃないか、こういうような根拠があるんだというそしりを受けざるを得ないと私は思う。そういうようなことは、私たちは、なぜ補償という問題が報償に変更されてごまかされたかということを申し上げたい。
  143. 臼井莊一

    臼井政府委員 これはもうただいまお話に出ましたように、農地開放に対する買収、そのときにまた、一部円滑に買収が行なわれるようにいわゆる報償もあわせて行なわれたのでありますけれども、しかし、いずれにしてもこれは最高裁判決にも出ておりますように、すべて合法的でありまして、その買収の方法においても、その価格においても、適正である。したがって、政府といたしましても、やはり同様に考えて、これをさらに補償をする、こういう必要はない。補償報償とはどう違うかということをよく言われるのでありますが、補償といえば、損害とか損失に対してこれを補う、こういうことでありますが、報償といえば、もちろんそういう意味も全然ないとはいえませんけれども、また別の意味におきましては、何らかの寄与をしたその功績なり何なりに対してこれを多としてねぎらう、こういう意味があるわけでございます。そこで先刻申し上げておりましたように、広く世論等にも問い、またいろいろの調査もした結果、そういうことに踏み切ったわけでございます。したがって、別にこそこそとやるというわけでは決してございませんで、堂々とやっているつもりでございます。
  144. 稲富稜人

    ○稲富委員 先刻から話を承っておりますように、これは社会保障的な考えをもってやったのだというような話もしていらっしゃいます。社会保障的な考えであるとするならば、困窮した地主に対して何かの方法を考えるという、これは全体に報償するのじゃなくして、何かその点の違いがなくてはいけないと私は思うのであります。また心理的影響を受けたものにやったのだとおっしゃるならば、心理的な影響に対する報償であるならば、これは経済的な意味じゃなくしても、質問にもありましたごとく、感謝状とか、何かの形において心理的影響をねぎらう方法はあったと私は思う。これを一律にやられるところに、報償でありながらも補償的な意味が非常にあるじゃないかという、この点の誤解といいますか、含みがあるのではないかと言われるゆえんも、私はそこにあると思うのでありますが、しからば報償であるとするならば、なぜどこまでも社会保障的なそういう取り扱いをされなかったのか、この点を承りたい。
  145. 臼井莊一

    臼井政府委員 この報償法案内容意味は、社会保障的な意味はございません。社会保障的な意味におきましては、やはりただいま御審議をいただいております。これはもう何回も出て、実はまだ通らないのでありますが、国民金融公庫法の一部改正による二十億の融資、これは旧地主の生活上あるいは生業上困難を感じておる者に対しての融資をするという、このほうは社会保障的な意味が多分にあるわけでありますが、今度のこの法案は、社会保障的な意味というものでなくて、先刻来申し上げておりまするような心理的な非常な影響を受けた、また農村並びに戦後の民主化に非常に役立ち、食糧の増産とか日本の生産のため貢献したということを多として、これをねぎらう意味において出すわけであります。  そこで、それならば他の方法があるじゃないか。これはもうお説のように他の方法、たとえば勲章等を上げて国家的に表彰する、こういう方法もあるのでございますが、ただ、これが精神的な影響を受けたにしても、やはりもとをただすと農地という財産を強制的に売り渡さざるを得なくなった、それからきた心理的影響でありますから、そこでやはりこれを金銭をもってねぎらうというのが一番適当であろう、こう考えてこの法案をつくったわけであります。
  146. 稲富稜人

    ○稲富委員 総務、長官、それでは私は申し上げたいのですが、これは先刻私の農林大臣への質問をお聞きになっておったと思う。農地改革が断行された当時、その断行された政府は、これによって何らかねぎらおうとか、何らかの補償をしようとか、報償をしようという考え方は、私はなかったと思う。妥当なものとして、日本のこの増産のために、しかも健全な農村を建設するという意味から、思い切ったこれだけの大事業を断行していると私は思う。それをいまになって経済状態の変化によって何とかねぎらわなくてはいけないという、こういうような考えが出たということは、一部にはやはりそれによって経済的な非常な影響をこうむっている人もあるのではないか、こういうような問題があるからなされているのではないかと私は思います。それで、全体にこれに対する同じような方法でやるということが、やはり報償だといいがらも補償というような、こういう意味合いが非常にあるのではないかという問題が起こってくると思うんですよ。私たちは、どうもあなた方の答弁せられることに納得がいかない点が、そこにあるわけです。この点どうお思いになりますか。
  147. 臼井莊一

    臼井政府委員 御質問要旨は、報償であれば、全般ではなくて、その心理的影響の一番強かったと思われるものとか、あるいは貢献の一番多かったものとか、そういうものだけを選び出してやればいいではないかという意味の御意見かと思いますが、これはそういう御意見もあろうかと思うのでありますが、ただ、たとえばたくさんの土地を売った者と中小旧地主との影響と、どっちが心理的に強く影響を受けたかというと、これはなかなか判断にむずかしいし、またこれは樹々の人の個性といいますか、性格、個人的ないろいろ差があるわけです。ですから、進んで開放さえしようという人もあるし、国家社会にこれで尽くしたのだ、こういう気持ちで満足される方もあるでございましょう。しかし、不平満々の人もある。そこでもって心理的影響というものは、必ずしも中小地主だから少ないとか多いとか、こういうようなことはなかなか判断にむずかしいわけでございまして、むしろあるいは小地主のほうが心理的影響というものが強いという場合もあろうかと思う。そこで、この点についても差別というものはむずかしい。それから貢献のところになると、これは多いほうが貢献したということもいえるでしょうし、しかしまた反対に、たとえ小さな土地であっても、いわゆる貧者の一灯で、これを売り渡したことは、やはりその人から見れば大いなる功績ということもいえる。そこでこれをどう区別するかということはなかなかむずかしいことでありますので、やはり常識に従って、社会通念に従って、金で出すということであれば、やはり売り渡した耕地というものをある程度尺度にして——しかしこればかりやると、いわゆる補償であれば、それに比例してということで全部比例していいわけですけれども、報償という意味ですから、いろいろ減歩率をやり、一畝以下のものはしない、下のものは一反から一畝までの間は一万円とか、最高は百万円、こういうふうに制限をして、そうして一応常識的といいますか、社会通念として大体御了承をいただけるというような考え方法案をつくったものである、こう考えております。
  148. 稲富稜人

    ○稲富委員 どうも臼井さん、われわれ納得のいかないのは、報償という名を使っているけれども、さかのぼれば、やはり補償というものが非常に意味を持っているということなんです。補償は、いろいろな判例等があるから出しにくい。また、補償ということにしてやれば、また今後いろいろな問題が起こってくる。そういう点から、報償だということばの先でこいつを何とか処分したというような感を非常に深くするわけです。先刻から質問を聞いておりますと、やはり農地開放によって何らかの犠牲をこうむったこういう人たちに何とかしてやらなければならないということは、これはやはり補償ではないか。この点、政府があまりに報償ということは、詭弁にしかわれわれには受け取れない。ここに納得のいかない点が非常にあるわけです。  さらに、この際私はお尋ねしたいと思いますことは、これを立案された中にも、農業経済の安定向上の基盤が農地改革によって確立したんだ、もうすでに農村というものは非常に有利な体制に置かれたから、さらに一歩前進してこういうことをやるんだというふうにもうかがえる。ところが、現在の農村状態というものは、そういう状態ではございません。これは、赤城農林大臣が身をもって現在の日本の農村状態は御存じになっていると私は思う。御承知のごとく、農業基本法が成立してからでも、日本の農業というものが満足し得るような健全性を持たない。最近はさらに農村は去られていく。農村の青年はすでに農村を去っていくというようなこの悲惨な状態の中に、わが国の農業としてはまだやらなくちゃいけないものがたくさんある。たくさんにもかかわらず、国の財政的な十分な処置さえも行なわれていないというのが現状だ。こういうような状態の中に、農村としてやるべき問題がある中に、何がゆえにこういう報償というものに対してこういう金を出してやらなければいけないか。もちろんこれは農政のプロパーでないかわかりませんけれども、少なくとも日本の農業に対しても、もっとやらなくちゃならない問題があると私は思う。こういうような前向きにおって日本の農業の健全さをはからなけれ、ばいけないときに、いま申し上げましたような補償とも報償ともつかないよらな何か理屈をつけて、わざわざ金を出そうという政府の本態というものは、私たちわからない。ただ、これを特別に探っていくならば、先刻も言いましたように、長い間何とかしてやるんだと言って旧地主を扇動した、と言ったら語弊があるかわからぬけれども、ともかくもこの線に引っぱってきた、何とかこの際においてお茶を濁してケリをつけなくちゃいけないから、まあこのくらいの報償でもしようじゃないかというようなことから出てきたんじ、やないかというような感じをわれわれは持つ。非常にこれは遺憾だと私は思うのです。あまりにうがった考えかわからぬけれども、私は真意はそこにあるんじゃないかと思う。これではたして日本の農業対策がいけるかどうかという問題に対しては、もっと政府は真剣に考えなくちゃいけない問題じゃないかと私は思うのです。この点から私は、農林大臣の意のあるところをひとつ率直に、承りたい、政府の意のあるところも率直にこの際承りたいと思います。
  149. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 財政の余裕があるというわけではございませんが、財政でこれだけのものくらいは十年間に出せる、こういうめどから報償の金を出すということに相なったと思います。しかし、それがため農政プロパーの財政投融資あるいは予算の措置というものが阻害されるようであっては、私は相ならぬと思います。いま稲富さんのおっしゃるように、農政としては相当壁にぶつかっておるような状況でございまして、あれもこれもやりたいことが山積いたしております。農村事情等も、なかなか憂慮すべき状態でございます。でございますから、これがため農政の財政的な裏づけが阻害されるということでありまするならば、私は断固としてこの問題に反対いたします、しかし、財政当局とも話し合いの上で、このため農政プロパーの財政的な予算措置等につきましては支障を来たさないような話し合いも進んでおりますので、私としては、それならばこの措置もやむを得ない措置である、こういうふうに考えているわけでございます。
  150. 臼井莊一

    臼井政府委員 農政にやるべき問題とここに使う費用との問題は、農林大臣からいまお答えのとおりでありまして、それは見方によると、稲富先生の御意見のようなあれも確かにあろうかと思いますが、しかし、大きく考えてみると、先刻もその話を申し上げたんですが、この農地開放がとにかく三年間に二百万町歩、四百五十万戸の自作農をつくったというような、こういう世界でもまれに見るような、しかも平和裏に、円満にこの大事業の農地改革ができた。これがもしやれなかったとすると、第一次大戦直後に起こったような小作争議というものが起こって、この食糧事情の困難な中でごたごたいたしますと、食糧増産ができなくて、これは国民にもますます不安を与え、困窮に日本の国がおちいったかもしれないというようなことも考えられるわけでございますが、これが円滑にやれたということについては、それは非常に不満を持ちながらやられた方もありますけれども、とにかく地主もこれに協力して結果的においては円満に行なわれたということに対しての感謝と申しますか、労をねぎらう、功をたたえるといいますか、そういう意味において、一言で言えば報償ということばが一番適当であろう、そこで法案の中にはこの報償ということばは使っていないのでございますが、よく補償かどうかと言われますから、そこで補償ではない、まあしいていえば報償という意味である、こういうふうに申し上げるわけでございまして、そこで画一的に——そんならもしこれが補償であれば、これは全部面積に比例してやるのが当然であるのに、そうでなく、平均してみると大体一町歩、こういうことでありますので、ちょうど一町歩で二十万円になります、そこで平均して、最高三十五町歩以上の人でも、これは百万円で打ち切り、こういうようなことで、補償でないということのあれもそこにあらわれているわけです。
  151. 稲富稜人

    ○稲富委員 その内容はわかります。それはいま総務長官が言われたように、私も、あの終戦後農地改革がもしもできていなかったならば、日本の農村は大混乱を生じたということがあったであろう。そういう点からも、農地改革というものは非常に大事業であり、非常に生産の向上が行なわれたと思います。ただわれわれが考えなくてはいけないことは、農地改革が行なわれる前の日本の農村状態というものは、先刻石田君からもいろいろ言われておりましたが、農村の健全性をこわすというようないろいろな悪条件があった。それがために多くの小作人は、働いても食えない、どんなに働いても、ただ残るのは苦とわらだけであるという、こういう芳しい農村状態であった。その時分の地主は、非常にぜいたくな生活をしておった人があった。そういうような矛盾した社会情勢のもとで、農地改革によって一つ農村民主化が行なわれたということは、別のことばで言うと、農地改革が行なわれたときの地主さんは、生れ合わせが悪かったということなんです。これはそのときの地主さん、現在の旧地主がそういうことをしたのではないだろうけれども、従来のその地主の先祖というものは、働かずして高禄をはんで、多くの小作人は奴隷のごとく働かされて、そうして小作料を持っていって生活をしておったという、農村の最も不健全な状態に置かれておった。それが農地改革によって健全な農村に一応なったということは、やはりその時の変わり目におった地主が生れ合わせが悪かったという状態に置かれておったのだと思う。しかしながら、その後、日本の農村というものは、先刻から申し上げますように、農地改革がせっかく断行されたけれども、政府農業対策の施策が十分でなくして、この農地改革の精神を十分生かすことができなくして、依然として今日の農村というものは困窮の状態に置かれている。私は、今日の日本の農業は、もっと政府が真剣にやらなければいけない問題がたくさんあると思う。先刻から農林大臣も言っておりましたように、あるいは基盤整備の問題にしろ、やろうとしても経済的な素地がなくてやれないという状態なんです。迫りくる国際農業の中において、いかにして日本の農業を一日も早く立て直しをやるかということは、今日の緊急な問題であると私は思うのです。これがためには、政府はもっと積極的な基盤整備をやる、農業対策をやるということをやらなければいけないと私は思うのです。そこで農林大臣は、この農地報償に出す金は農村には影響しない、こうおっしゃいますけれども、こんな金があるならば、なぜこれを将来の農村を建設するために使わないのかということなんです。なぜ政府はそれを使わないのです。この点をやらないで、ただ今度の農地報償に出す金というものが農村の予算には影響しないのだからやむを得ないのだということでこれをながめるということは、あまりにもふざけておると思うのです。もっと農村は真剣に取り組まなければならない問題がある。しこうしてほんとうに健全な農村を建設して、農民が喜んで農業経営をやれる状態になって、しかる後に考えるというならばまた別だ。現に今日農村は建設途上にある。しかもそれが十分な建設ができていないという状態なんです。どれほど政府は現在の農村を認識しておるか。農村の経営をどうするかということは、農村全体の悩みなのです。こういうような農村の重大なさなかに、しかもこの農地改革をやった時分は出そうとも思っていなかったものを、二十年後の今日になって昔のことを救ってやろうかというのは、ふざけているじゃないかと言わなければならないと私は思うのです。こういうような考えで、日本の将来の政治というものはやっていけますか。こういうようなやり方で、ほんとうに健全な農村の建設ができますか。政府を代表してひとつ十分な政府の意のあるところを承りたいと思います。
  152. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 お話しのとおりでございます。でございますが、この金を出さないからこの金がそのまま農業の施策に回るかというと、なかなか実際問題としてそう簡単に回すような財政当局ではございません。でございますから、これはこれとして、農業を前進させるためには私は全力を尽くしてその裏づけをしていく、こういうふうに考えております。
  153. 河本敏夫

    河本委員長 稲富君に申し上げますが、約束の時間がまいりましたので、結論をお急ぎ願いたいと思います。
  154. 稲富稜人

    ○稲富委員 報償すること、これに対して国が困難な経済財政の中から金を支出する、これをもって一つも前進を妨げない、こうおっしゃることは、私たちはふに落ちないのです。これほどのこんな金があるならば、なぜこれを前進するほうに使わないのかということなんです。それほどこの問題は重要な問題でしょうか。私はそうは思わないのですよ。ただ、これに対して政府が出そうと言っているのは、先刻申し上げましたように、何らか旧地主に対する政治的な配慮があるのじゃないかということなんです。それだから、こういうことまであえてやられるのじゃないか。おそらく農林大臣としては、そういう考えは言えないでございましょう。言えないでございましょうけれども、そこにあるのじゃないか。そうであるとするならば、私たちは実に政治の邪道であるといわなければならないと思う。こういう点から、私たちはどうも納得するわけにまいらないのです。ひとつ今後の日本の農政というものに対して、もっと真剣に政府は取り扱わなければならないと思うのです。しかもこの法案審議にあたっては、法案の立案にあたっては、農林大臣意見も十分入れないでやったという。実に私たちは驚かざるを書ない。やはりこの農地報償の問題は、日本の農業としての一つの問題なんです。この問題を農林大臣意見も聞かずして政府はこれをやったのだという。農林大臣はそう言っている。農林大臣ははっきり、自分の意見は言わないと言われておるのです。そういうようなことで政府がこういうような法案を出そうというところに、政治の不純性があるということを言わなくちゃいけないと思うのでございます。これはひとつ総理大臣から決意を聞きたいのだけれども、おりませんので、私の時間の都合がありますから、こういう問題に対して将来どういうような心がまえで政府はいこうとするのであるか、最後に承りたい。
  155. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 全くいまのお話は、総理大臣の心がまえと総理大臣答弁でなければ十分でないと思いますが、私は、農林大臣といたしましては、こういう措置をいたしたといたしましても、農政につきましては真剣にお話しのような気持ちで当たっていきたいと思います。
  156. 稲富稜人

    ○稲富委員 非常に不満でありますけれども、時間がきたそうでありますから、一応私の質問はこれで打ち切ります。
  157. 河本敏夫

    河本委員長 松井誠君。
  158. 松井誠

    ○松井(誠)委員 私はこの法律案審議で、実はきのうから内閣委員会を傍聴いたしましたし、きょうはこの委員会でずっと聞いておりましたけれども、一体なぜこの法律案を出さなければいけないのか、なぜ旧地主報償をしなければいけないのか、あるいはまた少し見方を変えて、なぜほかのこれと類似した境遇状態にある人たちに報償をしないのか、してはいけないのか、そういう問題についてさっぱりわかりません。いろいろと政府側が御答弁をされておりますけれども、さっぱりわからない。これはおそらく平均的な国民はみんなわからないだろう。しかし、考えてみれば、この法律案はわけがわからないというのが、この法律案の本質かもしれません。しかし、そうばかりも言ってはおれませんので、一体なぜこの法律案はどうしてもわけがわからない仕組みになっておるのか、そういうことをこれからひとつ具体的に提案理由に基づいてお尋ねをいたしたいと思います。  最初に総務長官にお尋ねをいたしますけれども、この提案理由を拝見いたしますと、先ほどから問題になっておりましたように、この報償という名前の給付金は二つの理由があるようであります。一つ農地改革貢献をした、もう一つは、心理的影響というものを考慮した、この二点が報償の根拠になっておるようであります。時間を節約する意味で私のほうから要約をいたしますと、いままでの答弁では大体こういうことじゃなかったかと思うのです。つまり農地改革がいろいろ日本の戦後の処理貢献した、その貢献に対するお礼なりほうびなり、そういう趣旨のものが一つ。もう一つは、この心理的影響という意味は必ずしもはっきりわかりませんけれども、そういう心理的影響に対するお見舞い金的なもの、この二つをあわせて報償という名前で給付をする、要約すれば大体こういう趣旨だと理解をしてよろしゅうございますか。
  159. 臼井莊一

    臼井政府委員 いまの御質問の中で、戦後の処理貢献をしたとは申しませんで、これは戦後処理内容とは違うわけでございます。要するに農村民主化、ひいては日本の民主化、それから当時の日本は非常に食糧に困っておりましたので、その食糧増産、農村の安定、国民生活の安定ということに非常な貢献をした。そこでこの貢献に対してねぎらう意味、もう一つは、お説のように非常に心理的影響を受けた、この影響に対してねぎらう、こういう意味でございまして、前段のところがちょっと、多少ことばのあれでございますが、違いますので、その点だけを申し上げます。
  160. 松井誠

    ○松井(誠)委員 具体的な内容についてはだんだんお尋ねをいたしますけれども、農地改革に寄与した、もう一つ心理的影響を考慮したという二つの理由報償金が出る。さらにそれにつけ加えて、提案理由の説明によりますと、この問題に対する世論の動向等を勘案して、ということになっております。これは提案の理由というよりも、むしろその皆掛を述べたものでございましょうけれども、この点について最初にちょっとお尋ねをいたしたいと思います。  先ほどからこれも問題になっておりますけれども、この世論の動向というのは、具体的には何を言うのか。
  161. 臼井莊一

    臼井政府委員 これは各方面で、これに対する意見やら、要望やら、いろいろございました。そこで工藤調査会がそれの調査に当たったわけであります。ただ、工藤調査会は、旧地主の生活とか生業とかという、そこに重点を置いて調査をいたしました。その結果、いま二十億の国民金融公庫法の一部改正ということで、融資の形で法案一つは出ておるのですが、それからその後もいろいろ意見等もございましたので、この世論の意見にかんがみまして、三十八年に総理府に臨時農地等被買収者問題調査室が設けられました。この調査室で、やはり旧地主の生活状態と、それから基本的な問題と、さらにいまお話しの世論調査を行ないまして、その世論調査の結果が……(「所得の多い者には出すなだ」と呼ぶ者あり)その点につきまして、この問題を知らない者が四二・八%に対して、知っておる者が五七・二%で、この五七・二%のうちの、報償をすべきだという者が三三・四、またはしてもよいというのが二八・四で、合計すると六一・八%に対して、しないほうがよいとか、またはすべきではないという者は二二・五%、こういうことで、そこでやはり報償はするほうが適当だろう。これらの問題をずっと話したあとで、さらに意見を聞いた結論といたしましては、すべきだというのが一二・八%、またはしてもよいが二八・九%で、やはり五〇・七%で、しないほうがよいとか、またはすべきでないというのが二六・一%、こういうことの意見が出ておりました。  ただ、いまもちょっと御意見が出たように、困った人だけにやったほうがいいという意見が、確かに五九・六%というものがあるのでありますが、しかし、これは社会保障的な意味でやるのではない、こういうたてまえから、いわゆる所得制限というものはいたしませんでしたが、しかし、それにしてもそういう意見もございまするから、また補償という意味でないという点からいたしまして、最高は百万円、そして一反歩について二万円、一番下のほうは一万円、こういうふうにして、しかもその間に累退率を設けてやったような次第であります。
  162. 松井誠

    ○松井(誠)委員 この点は昨日も村山委員からいいろいろ質問がありましたけれども、私がお伺いをしたいのは、やはりいま問題になりましたように、補償を、あるいは報償をすべきかどうかという、そういう世論の調査のほかに、具体的にどういう措置をすべきかという問題まで聞いておる。その聞いておる中で、たくさんある者にはやらなくていいという、あるいは困っておる人だけにやるのならまあいいという、そういう形でこまかく区分けをすれば、この法律案というのは世論に合ってない。逆に世論に逆行しておる。この提案理由に、世論は反対であるけれどもとか、あるいは世論にもかかわらずという形容詞がついておるのならば、私は話はわかると思う。しかし、そうではなしに、まさに世論に逆行する形でありながら、何か世論に口実を設けて、世論等を勘案してというきわめてばく然たることばで、何か世論と結びつけようとする、その態度が私は非常に卑劣だと思う。むしろこれは世論から言えば逆行するのだ、しかし、政府はこうなんだという姿勢を示せば、それはそれなりに意味がある。現実にはやはりそうでしょう。あなたがいま言われた、困っておる人だけにやるのならやってもいいというのが過半数なんだ。この工藤調査会の答申そのものをこの法律案は無視をして出しておるじゃありませんか。そういうことをお認めになりませんか。
  163. 臼井莊一

    臼井政府委員 総理府の調査室で調べたところによりましても、旧地主のほうが必ずしも農地買収した行より生活が悪いとはいえない、むしろいいというようなこと、ただし、いろいろ生計費等を勘案して差し引くと、やはり旧地主のほうが赤字が多い、そういう結果も出ておるわけです。これは考えてみますと、旧地主の方は、うちがいろいろ広かったとか、あるいは倉庫がいろいろあったとか、それらに対する固定資産税とか、そういうようなもの等々の経費がかかる。またつき合いも従来の関係で多いとか、そういうようなことでそういう結果になっているのだろうと思うのであります。そこで、ただ、いまお説のように、所得制限をしなかったということについては、確かにそういうような御意見は成り立つと思うのでありまするけれども、しかし、これもたびたび申し上げておりまするように、社会保障的な意味でやるのでない、いわゆる報償という意味でするのだという観点からいたしますると、やはり所得制限をするということはむしろ適当ではない、こういう結論でいたしたわけであります。
  164. 河本敏夫

    河本委員長 松井忍に申し上げます。大蔵大臣は時間の都合がございますので、質問がございましたら、先にお願いいたします。
  165. 松井誠

    ○松井(誠)委員 いまの長官の御答弁は、私は、やはりたとえばこの工藤調査会の答申そのものをむしろ無視しておるということを、ことばの中にはっきりと告白をしておると思う。つまり所得制限をするかしないかというのは、この給付金というものの性格をきめる非常に重要な役割りをしておる。あなたは、これは社会保障性格を持つものではない、そういうことを言われた。しかし、この工藤調査会考えておる考え方、あるいはその底にある世論というのは、困っている人にだけやれという。つまり、給付金は初めから社会保障的な性格を持っておるものとして、やるのならばそれをやれというのが世論であり、調査会の意見である。ところが、そういう基本的な性格というものを、これは社会保障的なものではないのだというように変えて、この法律案を出したということになれば、まさにこれは答申無視であって、世論無視じゃないですか。つまり。所得制限をするかしないかというのは、この給付金というものの性格をきめる重要なポイントなんです、そういうものをちゃんとこの工藤調査会では限定をしておる。その限定を抜いてしまったということは、この給付金性格を変えてしまったということになりやしませんか。だから、これは世論の無視であり、調査会の答申の無視なんだ。そういう性格を持たざるを得ないのじゃないですか。
  166. 臼井莊一

    臼井政府委員 この法案は、直接工藤調査会の結論に基づいてやったというのではございませんで、いろいろその後の世論の動向にかんがみまして、三十八年に総理府に設けました本問題に関する臨時調査室であらためて調査した結果に基づいてやったわけでございます。  そこで、工藤調査会の際にも、重点は旧地主の生活、生業という問題に重点を置いたのでありまするが、その中でもいろいろ論議としては、農地買収の値段の問題とか、あるいはまた心理的影響が非常に強かったとか、また経済的の変動があったとかという論議がありました。しかし、そのときの結論では、いずれにしても多額の金銭を給付することは適当でないであろうというような結論も一応は出してありますが、そういうことはいっておりますけれども、ただこれに対する意見はいろいろあるので、この結論は出さぬ、そういう答申になっております。そこでいま申し上げたように、あらため政府で、総理府の調査室でこれを調査して、その結論に基づいて今度の法案をつくった、こういう次第であります。
  167. 松井誠

    ○松井(誠)委員 まあ世論のことはこの程度にしておきますが、それではひとつ、この報償金の性格に二つある。一つはお礼ないしほうび、もう一つは見舞金という意味、この二つの性格の中でどっちに比重を置いておるのですか。
  168. 臼井莊一

    臼井政府委員 やはり両方に重点を置いております。
  169. 松井誠

    ○松井(誠)委員 両方であることには間違いない。両方であることには間違いないが、一体重点はどちらにあるのか。
  170. 臼井莊一

    臼井政府委員 いま申し上げましたように、双方に無点を置いてありますので、これをどっちに重点ということをはっきりちょっと申し上げかねるわけであります。
  171. 松井誠

    ○松井(誠)委員 それではその一つ理由である農地改革貢献をしたということでありますけれども、この農地改革を一体どう評価をするのか。これは提案の理由によりますと、「農村民主化」、「農業生産力の発展」、それから「農家経済の安定向上」、それからまた「わが国の民主化、戦後経済の再建、ひいては今日の日本経済の繁栄」こういうものの基盤を農地改革がつくった、その農地改革貢献をしたからほうびをやるのだ、農地改革をそのように評価をしておるように提案理由では読めますけれども、これはそのとおりでありますか。
  172. 臼井莊一

    臼井政府委員 農地改革の結果の効果というものはお説のとおりでありまして、またこれに耕地を売り渡した地主に対しての評価も、やはりいまお話しのとおりであります。
  173. 松井誠

    ○松井(誠)委員 大蔵大臣がお急ぎだそうでありますので、いまお聞きのように、この農地改革というものに貢献をしたというのが金を出す一つ理由になっておる。じゃ、農地改革貢献したらなぜ金を出すのかといえば、「農村民主化」だとか「農業生産力の発展」だとか、さらにもっと大きくいって日本の民主化だとか、「戦後経済の再建」だとか、そういうところまで農地改革の効果というものを広げておる。そうなりますと、戦後の日本経済の再建というものに貢献をしたのは、もちろん農地改革だけではない。その中で、この農地改革だけに戦後経済の再建のごほうびをやろうという、これは一体どういうことか。大蔵大臣として、この報償の意義というものを日本経済の戦後の再建の功労というところまで広げられて、これからあと同じような類似のものが出たときに、一体防備をする手だてというものがあるでしょうか。その点についてひとつ御意見をお伺いしたいと思います。
  174. 田中角榮

    田中国務大臣 こういう御質問はもうたびたびございまして、政府側の意向ももう十分申し上げておるわけでございます。でございますから、そういうことでひとつ御了承を願えれば幸いと存じます。
  175. 松井誠

    ○松井(誠)委員 大蔵大臣、この提案理由を読みますと、第一段としては、この農地改革というのは「農村民主化」あるいは「農業生産力の発展」、ここまでは農村ないし農業に関する問題なんです。それに大きな道を開いた。そしてさらにその農業農村のわが国における地位から考えると、これは単に農村農業だけではなくて、「わが国の民主化、戦後経済の再建、ひいては今日の日本の経済の繁栄」これに寄与した、こういうわけです。そうなれば、当然農地改革だけでなしに、もっと大きな比重をもって日本の経済の発展、再建に寄与したものがあるはずだ。ですから、この報償というものの理論づけをそういうところに求めるということになると、一体大蔵大臣はこれからあと防備をする方法があるか。つまり報償という制度の前で、何か大蔵大臣は裸になってしまったという感じがする。ですから、こういう報償理由というものは大蔵省はちゃんと慰めて、そうしてこの報償金を出すのですか。
  176. 臼井莊一

    臼井政府委員 なお、報償ということばが出ましたので、実はその意味が違うのですけれども、これは戦後のいろいろ経済民主化だの日本の経済再建のために功労、功績があったというのは、これは私のほうのですが、賞勲局がありまして、各省庁でいろいろの紺綬褒章から始まって藍綬褒章を出したり、あるいはまた叙勲をいたしまして——ですから、今度の場合でも、実際それは勲章か何かで、文字は違うけれども、ひとつその褒賞ということをしたらどうだという意見もございまして、それも一つの方法である、だがしかし、もともと財産、農地というものを売り渡して、そのために受けた心理的影響とか、その民主化に役立ったということであるから、やはりいろいろの制限は設けても、国債でありますけれども、一応金銭でするのが一番適当であろう、こういうことで、今回は御承知のように交付公債でと、こういうことになったわけであります。
  177. 田中角榮

    田中国務大臣 松井さん、政府が提示をしました提案理由の説明だけを素材としてお話をしておられますが、御承知のとおり、この問題は、もう昭和二十一年、二十二年、二十三年、町の片山内閣時代から第二次吉田内閣に続いて、われわれが選挙をするときのスローガンであったわけです。第一次農地開放、第二次農地開放、第三次山林開放、こういう問題をスローガンにしてお互いが国民に訴えたこともあるわけでありますから、そういう事情はもう十分知っておられたはずであります。第一次農地開放をやった結果、この問題が一体どういうところでもって終局になるのか。その場合開放した人は、当時占領軍の、憲法に優先する権限といわれていたあのように強いメモケースのものでありますから、これが独立をした場合一体どういう状態になるだろう、農地はきっと取り上げられるのじゃないかとか、いろいろなことを言って、そんなことはわれわれはない、いや取り上げることを自由党は考えているらしい、いろいろな問題があって、また農民の被買収者、開放を受けた人々の間にも、そういう問題が長いこと尾を引いて論議をせられておったことも事実であります。御承知の自作農創設という大きな効果を目標にしての大事業でございますが、その後自作農維持創設の法律改正になりまして、二十九年だと思いますが、これは売ってもよろしい、第三者に転売してもいいという改正をしたわけでありますこのときも、問題が国会にもあった、農民の間にもありました。あなたも十分御承知だと思うのです。これは裁判がございますから、いろいろこの裁判に対しては、あなたは弁護士として、専門家でこれを取り扱っておられますから、その内容は実によく知っておられるはずなんです。こういういろいろな紛争の中で、二十九年の改正のときも、自作農維持創設ということを目標としたものであるから、自作農以外にこれが使用せられる場合は、被買収者に先取特権を設けるとか、そのまま返さなければならぬとか、いろいろな当然やるべきものもあったわけでありますが、シカを追う者を見ずでありますか、理想にきゅうきゅうとして、ざっくばらんに言えばメモをそのまままるのみにしたいということによって、いろいろ規定すべきものが規定されなかったために、結果論としては農村、農民の間にいろいろなごうごうたる論議があったということは事実なんです。あなたも御承知なんです。現在まだ係争中のものもたくさんあるのです。ですから、そういう事態を十分見るときに、政府はこういう事態をそのままにしておいていいということはないわけであります。また、世界の歴史を見るまでもなく、農地開放というものは大問題であり、これができるかできないかによってその国の民主化ができるかできないか——東南アジアでも、いま後進国ではこの問題と取り組んでおって、革命を起こしてもなかなかうまくいかない。そういうものに比べて、日本の戦後における農地開放は、思わざる成果を得たといっても通計ではありません。しかもやがてはきっと取るとか、転売した差益というものは取られるんだろうとか、そういうような話がお互いの間にたくさんあったにもかかわらず、今日はこの問題に終止符を打ちたい。新潟県にもございます。あなたの選挙区にも、私の選挙区にも、どうもわしから当時二百九十円から三百円でたんぼをとった、それを反当たり何十万円でもって売っておる、そんなところに嫁もやらぬ、婿もやらぬ、こういうような大事業の陰に、国民が相はむような姿があっちゃいかないのです。責任ある政治の衝に立っておる自由民主党や政府というものは、こういうものも何とかして片づけなければいけない。そういうあらゆる状帳を考えまして、それでこの法律案を一日や二日で出したわけじゃなく、十何年の長き歳月を経てようやく御審議を願ったということでございますから、その間の事情は、もう私がるる説明するよりも、政府の苦衷も、またこの実態も、なぜ出たのか、その評価も、これはもう十分御承知のはずでございますので、述べよと言えば何回でも述べますけれども、どうぞひとつその間の事情は御了承いただきたい。
  178. 松井誠

    ○松井(誠)委員 大臣お忙しいというものですから、私は質問をなるべく簡単にするのですけれども、御答弁は非常に懇切丁寧です。でありますけれども、しかし、私がお尋ねをしたことについてはお答えになってない。つまり私がお尋ねをしたのは、この農地改革というものがそういう日本経済の再建というものに役立ったということをもし報償金をやる理由とすれば、同列に並ぶべきもの、あるいはもっと大きな比重を持つべきものがあるではないかという質問であったわけです。大臣は、そういう提案理由の文句にこだわることなくて、いままでのいきさつからいえばこうなんだ。私はむしろいままでのいきさつを知っておるからこそ、われわれはどうしても反対しなければならぬということです。そこで、日本経済の再建というような大きな空漠たる網を広げてしまうと、先ほどもちょっと議論が出ましたけれども、それなら勲章でいいじゃないか、褒章でいいじゃないか、現に大蔵大臣自身もそういう意見予算委員会で述べておられたこともあるようです。ですから、そういう報償金の一つ目的がきわめて空漠たるものであるとすれば、具体的な金で報償するということでなしに、勲単や褒章でいいわけなんです。ですから、そういう意味でお尋ねをしたわけですけれども、いまの大臣のお話は、提案理由のこの部分はむしろ無視をしてもかまわぬ、こういう意味ですか。
  179. 田中角榮

    田中国務大臣 私の真意が十分御理解願えないことは、はなはだ遺憾でございますから、付言して申し上げます。先ほど申し上げたような長い歴史の上に立ってこの提案がなされたものだということは、事実でございます しかも、なぜこのような評価をしたかということでありますが、これは提案理由にも述べてございますし、戦後の非常に大きな改革であり、この改革が日本の民主化、また農村民主化だけではなく、日本全体の民主化、戦後の再建、今日の経済基盤をつくった一つの素地にもなったということは、これはもう何人もそう評価しておるのであって、これをいなむ人はありません。この農地報償法案に反対の方でも、農地開放というものがうまくできたために今日があるのだとさえ極言してもはばからない、その事実だけは問題はないわけであります。でありますから、そういう大きな問題で、しかも成果があがっておって、しかも中にはもやもやしたものがございます。確かに。特にこれは内閣全体の考えというよりも、私の個人的な考えかもわかりませんが、これは他にもいろいろなものがあるということを言われますが、私たちが財産税を取られたとか、私たちがどうした、そのかわりに他に反対給付を受けて、われわれの犠牲において一部のものが利益を聖断しておる、だから、この利益は取り上げなければいかぬ、こういう激しい議論はありません。何とかして政府が国民の税金の中から、とにかく報償しなさいとか、もっと増額してくれとか、こういう議論はあります。この農地開放の問題は、あなたも御存じのとおり、長いこと土地問題に対して小作争議が起きて——これは土地問題というのは長い歴史なんです。流血の歴史があるのであります。新潟県の木崎村にしろ、王番田の小作争議にしろ、命がけのそういう歴史があるじゃありませんか。それが今度逆転したのです。安い値段でもって。それは今度小作が地主になったのです。それはいいことです。しかし、その中で、それ見ろというような感じ、しかもそれが今度転売できるようになって、非常に高い価格で売られる。まあインフレもありますが、そういうような状態、そういう中に事実非常にに反目がもる。こういうことに目をおおうことはできない。政治というものは、こまかくそういうところまてしさいに心を及ぼす、こういうところに政治のよさがあるわけでありまして、それはっとめでございます。そういう意味でさんざん考えて、しかも批判もあり、あらゆる角度から考え、十何年間も野党もこれを国民に訴えるし、与党もさんざん議論をした結果、ようやくにしてこの提案になったわけでありますから、こういうものをやると、何でもかんでも国に貢献し、われわれに貢献したのはみな金を出すのか金だけでなくて、勲章でもってやっておるものもありますし、褒賞を差し上げておるものもございますし、またわれわれが行って頭を下げてお礼を申し上げるものもある。この農地の問題に対しては給付金を給するをもって至当とする、こういう結論になったわけでございます。
  180. 松井誠

    ○松井(誠)委員 いまの大臣の御答弁は、結局この報償というのは、農地改革貢献をしたというよりも、むしろその心理的影響という、そっちのほうに重点を自然と移してお答えになっておる。ですから、私が口頭にどっちに比重があるかということを聞きましたけれども、農地改革貢献をしたということは、実はあとからくっつけた理由なんです。ほんとうはこの心理的影響というものにこだわって、それで報償というものが元来は出てくる。それではしかし大義名分が立たないものだから、最高裁判決関係もあって、だから非常に空漠たるこういう根拠というものを出してきた。しかし、もし一たんこういう根拠というものを出してくれば、それを理由にして同列のものがたくさんあるじゃないかということを私は言いたかった。しかし、その点は言うだけばからしい話なんでやめますけれども、ただ一点、大臣お帰りのようですからお伺いをしたいのは、先ほど実はお聞きになっておったでしょうけれども、赤城農林大臣が稲富委員質問に答えて、いまの日本の財政当局というのは、いま農業政策でやりたいことは山ほどあるけれども、それにとても十分な金は出さない、出すような財政当局ではない。しかし、この問題については、これが農業政策のプロパーな範囲の予算にしわ寄せをするようなことはしないという話し合いをやっております。これはお二人の間のことですからわれわれわかりませんけれども、そういう御答弁があったのですが、それに関連をしてお尋ねをいたしたいと思う。先ほどもどなたかの質問に対する答弁で、この農業政策についてはできるだけのことをやりたいと言っておられる。しかし、現にことしの予算というのは、全く見るもむざんな形で農業予算、農林省の予算というものは査定をされた。全く見るもむざんであります。赤城農政としてはその命をかけたといわれる農地理事業団が全く後退をして色あせて、どうにか細々と生き残っておるという、そういう形にまで追い詰められてしまっておる。そういうことにしておいてこの千五百億という金を気前よく——少なくとも結果的には気前よく出しておる。大蔵大臣は、農業政策を含めて国の財政全体をながめて、一体どういうところに重点をおいて考えておるのだろうか。こういう千五百億という膨大な金を、もっとほかの農業政策なり何なり、具体的にやはりわれわれ国民の生活の向上というものに直接結びつく、そういうものに当然使うという激しい抵抗があってしかるべきだと思う。先ほどから言いますように、もしどうしてもごほうびが必要であるならば、そしてほうびをやることによって農村の平和というものがどうにか回復ができるならば、それでもいいじゃないですか。三万か五万のその金で、いまかりに農村の中で旧地主と旧小作というものの対立が尾を引いて政治的な対立になっている、そういうものが——小さい地主は三万か五万、せいぜい十万、そういう金をもらうことによって、この根深い対立というものが一体解消できますか。こういう金というのは、大臣は過去のものではなしに、これからあとの日本の農村の平和をもたらすための前向きの金のように言われるけれども、これは全くわれわれからいわせればどぶの中に捨てるようなものだ。農業生産の発展には何も役に立たない。ですから、財政当局の責任者として、一体先ほどの赤城農林大臣の発言とも関連をして、われわれが非常に不安を覚え、不満を覚えるのは、こういう金の使い方ですが、こういう金を使わざるを得ない基本的な政治の姿勢、そういうものについて、一体大蔵大臣はどうお考えになるのか、その点をお伺いしたい。
  181. 田中角榮

    田中国務大臣 今度の給付金法案は、思い切ってぽんと出したというのではございません。御承知のとおり、十数年間懸案のものでございます。やるのだろう、いやまだそう考えておりません。こんな案かい、こういう長い歴史を経て、今日ようやくこうなった。しかもこれは一時は一兆円も出すのじゃないか、こういうような御質問も受けたこともございますが、そんなにとても財政の余裕はございません、こう言ってついに今日まできたわけでございますから、苦労に苦労を重ね、慎重の上にも慎重に討議して、最終的にこういう措置をとった、こういうことでございます。それから、農業政策につきまして金を出さなきゃいかぬ。これはあたりまえのことであります。一般会計で三千七百億余の計上があると思いますが、それだけではなく、財政投融資の問題、また税制の問題、あらゆる角度から農業政策につきましては思い切った投資を必要とするという考え方で、農業基本法を体しまして将来ともいよいよ積極的に配慮してまいりたい、こういう考えでございます。ただ、少し言い過ぎになったら私取り消してもけっこうなんですが、何か御自分の意に満たないような歳出があると、こういうことにぽんとつけておきながら、なぜ農業にもっと出さないか。これはやはり凡百ある国民要請の中でバランスをとりながら効率投資を考えて、国民の税金を使うのだということで、非常にまじめな、厳密な立場で考えておるのでございます。ただ、一つ農地報償に金を出す、また軍艦一隻つくる、こんなことでなぜ国民健康保険はと、こういう倫理、私たちは、そういうことではとても予算は組めないわけでございます。これは国民全体がたくさん出してある——大蔵大臣をおやりになってみるとおわかりになると思いますが、たいへんな要求でございます。国会、衆参両院のこういう御質問でも、九五%は歳出が少ない、大体そうであります。これは多過ぎるなんていうのは一つもありません。農業は悪い、中小企業になぜ出さぬ、漁業にどうだ、大体防衛庁だけは幾らか削れ、このくらいの程度でございまして、そういう中から、これはいろいろと取捨選択をして国民のために最もいい案をつくったわけでありますから、これは私もあえて反撃をする、反論をするというような考えでありません。しかし、これは御反対とは私も承知をしておりましたが、あなたは先ほどこの大事業の完成された農村に、かっての小作と地主の間にトラブルがあると、いみじくも私の考え方に同調されましたが、事実ある。こういうものが五万や八万の金をやることによってよくはならないと言いますが、よくならないということでほっておいていいものじゃありません。政治というものは、そういうものに対しても一つずつ片づけていく、こういうところに政治のほんとうのまじめさがありますし、政治の責任がある。ですから、そういう意味で、これは私たち責任のある立場ということでほんとうにまじめに申し上げる。私は、何も地主のむすこじゃありません。あなたの、ほうはかえって新潟県においては地主のむすこであると思いますけれども、私は、だからまじめに、公平な立場で、この法律案を深刻な気持ちで検討して国会審議にゆだねたわけでございますから、どうぞひとつそういう政府の立場、考え方というものも御理解賜わりたいと思います。
  182. 松井誠

    ○松井(誠)委員 この給付金は非常にうしろ向きで、過ぎてしまったことのあと始末だと言われることを非常に気にされておるようです。そこで、何か前向きな理由考え出そうということで苦心の作がいまの御答弁だと私は思う。つまり、いまある農村の中の不和というものをこの金で何とかしよう。いまの農村に対立というものが確かに部分的にはもります。理由のない旧小作、旧地主の対立が確かにある、元来理由がない。理由がないにもかかわらずあるのは、それは率直にいって農地改革のときのあつれきというものが足を引いておるということはは間違いない。しかし、それを三万や五万や七万の、どっちみち中小地主である、したがって給付金も少ない、そういものをその金で融和ができるなどというものではない。私は、それをほうって、おいていいというのじゃもちろんない。しかし、そういう金で融和ができるというように牽強付会な議論で、何かこの報償金に前向きな姿勢を与えようと考えることはおかしいのです。しかし、その点についてはその程度にしておきます。  ただ、あと農林大臣にお尋ねをいたしたいと思いますが、当初報償という形に切りかわったあとでも、農林省としてやはりこれを管轄官庁としての立場をお断わりをするということで、総則府にいった。その経過、簡単でよろしいのでございますけれども、その理由はどういうことですか。
  183. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 先ほどから再々答弁いたしておりますように、この報償措置というものは、プロパーの農政ではございません。いま農政といたしましては、大体の方向としては農業基本法に沿うてやっております。別に基本法に関連するような問題でもございません。しかし、全然農政に関連なしとは私は申し上げませんが、農政のプロパーじゃない。それから、いきさつからいいましても、これにつきましては、内閣に被買収者措置等につきまして、いわゆる工藤調査会というものが設けられました。工藤調査会の答申の趣旨は、大体は社会保障制度的な観点から報償をするというようなことに相なっておったと思います。そういう意味におきまして、農政プロパーではなく、いきさつからいいましても、工藤調査会等が設けられまして、内閣総理府でこれを扱ってきた経過がございます。でございまするから、私のほらは、人は出しますが、やはり全体的な観点で、農政という観点よりも、全体的な政治観点から考えたほうがよかろう、総理につきましては総理府が適当である、こういうふうに考えた次第でございます。
  184. 松井誠

    ○松井(誠)委員 報償ではなくて農地補償と一日われておったころの考え方、それについては農業政策の面から見るとうしろ向きである、そういう評価を大臣は与えておったように私は思う。農地報償となりますと、農業政策とは無縁で、農業政策との関係では中立だ、うしろ向きでも前向きでもないという評価をされておるのかもわからない。しかし、農地補償のときには、少なくとも農業政策にとってこれはうしろ向きだという評価を与えておったと思う。それは間違いございませんか。
  185. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 いまの農政は、農地改革の上に立ってこれを前進させてきていると言っても過言でないと思います。で、その当時の農地改革が非常にまずかった、好むべからざるものであったというような形で補償するということになれば、これはうしろ向きに相なると思います。しかし、農政は前向きで、この農地改革の線に沿って進んでおる、こういうことでございますから、また補償というようなことは最高裁判決もありますし、そういうことはとるべきことでなくて、報償というような意味で全体的の観点からやるべきだ、こういうふうに措置をすることになってまいりました。で、現在総理府で扱う、こういうことになったいきさつでございます。
  186. 松井誠

    ○松井(誠)委員 農地補償といわれるころの法律案については、三十九年二月十九日、先ほどの稲富委員質問に答えて、赤城大臣はこういうことを言っているのですね。「いまの農地補償の問題は、党のほうでいろいろ検討いたしまして、三月の調査を経て何らかの措置を講ずる、こういうことになっておりますけれども、私のほうとしても、こういうものをかりに私のほうの予算なんかに盛られたのでは、それでなくても前向きでないなと思っているのに、まことに足を引っぱられるような形になりますので、手続の面においては、農林予算というような形で持ってこられては困ると拒否しているわけでございます。」という御答弁があるわけであります。これは農地補償段階ではなくて、農地報償という考え方が出てきてからのことではないか。農地補償農地報償というのは、これはもう幾ら三百代言的な書辞を弄しようとも、本質は同じなんです。ですから、やはり農地補償が前向きでないということで、農地改革の成果というものを踏みにじるという考え方で拒否をされたとするならば、当然農地補償を断わったほんとうの理由というものも、単に総理府でいままで管轄をしてきたからなどという形式論じゃなしに、これが農業政策と無縁ではなしに、やはり農業政策に対してはマイナスなんだ、そういう評価をされて私はお断わりになったと思う。癖直にそのような私はお答えになっていただけると思うのですけれども、いまの私が読み上げました大臣の答弁、それでなくてさえも前向きでないなと思っておる、そういうものを私のところへ持ってこられては困るという趣旨は、そういうことじゃございませんか。
  187. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 経過から言いますならば、総理府でやるべきだというお答えをしたわけでありますしそれから本質的に言えば農政でないから、農林予算等でもってやっていくことは不適当だ、こういうふうに考えたわけであります。
  188. 松井誠

    ○松井(誠)委員 農地補償が、農政との関係では前向きでない。農地報償は、農政との関係では全然関係がない。それほど報償補償というものとが本質的に違うと、大臣ほんとうにお考えになっているのですか。
  189. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 金を出すということには違いないと思いますが、私は補償報償というのは違うと思います。私の考えを申し上げますならば、補償というものは、何かの欠陥があった、あるいは不備があったということで、それを補てんしていくということであとからつけ加えていく。すなわち農地改革時代の買い上げの命が少なかったからそれにつけ加えていく、こういうのが補償だと思います。ところが報償というのは、形式的と言うかもしれませんが、もっと広い意味がある。私は二つの意味があると思うのです。総務長官からもお話がありましたが、今度の報償の制度というものは、百万円で打ち切っておる。あるいはまた下のほうに平均にやっていく。あるいはいろいろの差額を設けておる。こういうようなやり方というものの考えの基礎の中には、工藤委員会におきまして社会保障的な措置でこれをやっていけというような答申があった、それが相当影響力があったといいますか、それに似たような、社会保障とは申しません、社会保障的とまでもいかないかもしれませんが、そういうようなニュアンスを持っておる、これが償いでございます。償でございます。報のほうは、これは報いるという意味で、さっき稲富さんは投げ銭というようなことを言っていましたが、投げ銭ではない。やはり勲章的な、報いるという意味の精神的な面に対する報い、これが報だ、字句的に解釈すれば。それだから、これは二つの意味を含んでいる、先ほど松井さんもどっちに重点があるかと言ったけれども、二つとも重点として、報と償の間にそれが含まれておるのだ、私はそう考えています。でありますので、補償とは考えが違うんじゃないか、私はこう考えます。
  190. 河本敏夫

    河本委員長 松井君に申し上げます。だいぶ時間も経過いたしましたので、結論をお急ぎ願います。
  191. 松井誠

    ○松井(誠)委員 報と償とのことはだんだんまたお尋ねをいたしたいと思いますが、その報のほうの理由ですね。つまりいままでの何かに報いる、ごほうびをくれるという、そういう点について最初にお伺いをしたい。これは農地改革をどう評価をするか、その上に立っての報償でありますから、当然農業政策と直接の関係があろうとなかろうと、農林大臣としては重要な関心を待たざるを得ない問題であろうと思うのです。そこで、先ほども申し上げましたように、この農地改革というのは、農村民主化なり農業生産力の発展なり、あるいはさらにもっと広く日本の経済の発展なりというものと結びつけて、貢献をした、だから報いるという、それが一つ理由になっておる。そこで、先ほど来からいろいろな人から、それではたとえば戦争の犠牲者はどうするんだという話が出た。いま私は、そういう戦争という問題とは別に、もっと身近で、旧地主に劣らず、やはり同じような形で貢献をしたものの一つとしてどうしても考えなければならぬのは、例の終戦直後の非常に低米価で強権で供出をさせられたあの耕作農民のことだと思う。供出もやはり私有財産の侵害になる。強制的に米を取り上げるのですから、同じくやはり補償をしなければならない問題になる。それはあたりまえなことでしょう。土地の供出であろうと米の供出であろうと、ともかく強権で財産権を取り上げるという意味では同じです。その米の供出というのは、一体どういう形で行なわれたか、このことをひとつ農林大臣にお尋ねをしたい。御承知のように、いわゆるジープ供出ということがいわれた。安い米価であるために、耕作農民は出したがらない。出したがらないから、納屋まで踏み込んで、あるいはアメリカのジープが一緒に行って、納屋の中をさがして、そして米を供出させた。そういう無理な供出をさせたために、農民はもう自分の保有米がなくなった。そこで一九四七年、昭和二十二年でありましたか、百六十万石の還元配給というものをやらざるを得ない、そういうひどい供出をやった。そういう状態があったわけです。そして農民は、農地改革で高い小作料を払わなくても済んだ、今度は楽になるだろうといって期待をしておる。ところが米は安い。税金は高くなるもうそういう高率の小作料の負担がなくなったというそのものが、ほんとうは別な角度で国家権力にすっかり取り上げられてしまう。そういう状態が続いたわけでしょう。そういうものについては、一体補償なり報償なりをする必要はないのでしょうか。こういう農民は、補償さえも受けていない。地主補償を受けております。補償のほかに、三町未満の地主報償と称して何がしかの金をまた受けておる。しかし、無理に供出をさせられた農民は、全然補償すらも受けていない。生産費を割るようなそういう低米価で供出をさせられた。しかし、そういうものが戦後のあの食糧危機というものを救った。まさに日本の経済の再建の基礎を築いたと言ってもいいでしょう。そういうものをほっておいて、一体どうして地主補償報償だけをするんだろうか、そういう疑問というものが、私は農政担当者として当然出てこなければおかしいと思うのです。この問題は、そういう戦後の耕作農民、しかも農地改革と同じように強権で財産を供出させられた、米を供出させられた農民に対しては、一体これでいいのでしょうか。
  192. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 当時低米価、低賃金と、こう言われました。しかし、低米価といっても、供出をさせられた——新潟でもあの当時は知事がやめさせられましたが、それはやはり一つ法律に基づいておるのでありまして、無理やりに強権というわけではないと私は思います。当時といたしまして、一億になんなんとする国民をみんな食べさせなければならぬ、こういうときでございますから、供出量等におきましても、相当無理な供出が行なわれたというようなことは、私もよく知っております。しかし、これは全国民のためであります。また、そのときの米価というものが、低米価というふうには言われておりましたが、これも着々是正されてきておるような状況でございます。でございますので、これを補償するというようなことは、これは経済の原則にも、あるいは論理からいっても、非常におかしいと私は思います。そのことにつきまして何も報償するというようなことはなくてよろしい、こういうように思います。
  193. 河本敏夫

    河本委員長 松井君に重ねて申し上げます。あとの質問者の予定もありますので、結論をお急ぎください。
  194. 松井誠

    ○松井(誠)委員 私がこういう問題を持ち出すのは、冒頭に申し上げましたけれども、戦後日本の経済貢献をしたという、そういう広い網で打つとすれば、農地改革だけ、旧地主だけをなぜ特に取り立ててやらなければならないのか、その合理的な理由がないじゃないですか。そういうことで、多くの人が同じような例をたくさんあげられる。私は、やはり同じ農業の範囲内で、しかも同じような時期に同じような形で財産権の侵害を受けた、そういうものに対する牛後の措置は一体これでいいのかという問題を出したわけです。これは何も奇想天外なこと、あるいはこじつけでも何でもないと私は思う。もしこの農地改革による報償というものが正しいとすれば、やはりそれと同列に置かれてしかるべき問題じゃないかと思うのです。いま大臣は、それは法律に基づいてやったんだということを言われる。しかし、法律に基づいてやったのは、農地改革もみんな同じです。しかも米の値段については、その当時の資料によりますと、所得どころの話じゃありません、もう生産費そのものを割る、そういう低米価、これは統計そのものがはっきり示しておる。そういう耕作農民のいわば犠牲の上に立って、あの戦後の食糧危機というものが乗りきれた。それが戦後の再建の一つの土台になっておる。これはもうだれでも認めることだろうと思うのです。旧地主に金をやるということになれば、そういうものを当然同列に置かなければならぬという議論が出てくるわけです。そういう点について、やはり逆にそういう不公平が出てくるということをお考えになりませんか。繰り返してひとつ御意見を伺いたい。
  195. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 米の供出の問題といまの問題とを比較して、これが不公平だ、こういうふうには考えていません。
  196. 松井誠

    ○松井(誠)委員 しかも戦後の日本の経済の再建という形でものを考えるとすれば、これはもう農地改革だけが報償をすべき対象じゃないわけです。官房長官がおりませんから、その点はあと回しにしますけれども、いまの大臣の御答弁では、きわめて簡潔過ぎて私が理由がわかりません。私は当然同列になってしかるべきものだと思う。なぜ一体それが同列になってはいけないのですか。その合理的な理由というものをひとつ御説明を願いたい。
  197. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 先ほど申し上げましたように、地主土地を買い上げた場へ口の価格というものも、その当時におきましてはこれは相当な、妥当な価格だった。米の価格におきましても、それは低米価あるいは低賃金と言われました。しかし、その当時におきましてはこれは相当なものであった、こういうふうに考えています。でございますから、それを振り返って、それに金を出して補償していく、こういうことは適当でないと私は考えます。
  198. 松井誠

    ○松井(誠)委員 それは大臣違いますよ。その当時の買収価格のことについては、またあとでお尋ねをします。しかし、少なくとも供出米価そのものは生産費を割っておった、それは統計上はっきりしておるわけです。しかし、買収農地については、ちゃんと自作地の収益価格、それだけでは足りなくて、地主の採算価格という形で報償をしておる。むしろその当時十分な報償を受けたのは、農地改革地主なのです。一方、そういう供出農民というのは、まさに最低限度の生産費補償さえもなかったということです。来年度の生産費に足りない本年度の米価という形が、三、四年続いていっておる。ですから、状況は同じじゃありませんよ。同じじゃないどころではなしに、むしろその耕作農民は補償さえもされてないという意味では、さらに補償なり報償なりを要求し得る権利がある。私は逆にこういうように考える。だから、大臣のいまの理由は私は納得ができません。どうなんでしょう。農地改革は、確かに、一説によれば、あれは高過ぎるという説さえもある。しかし、少なくとも補償としては十分である。しかし、供山山米価は補償としてさえも不十分であったという事実をお認めになりませんか。
  199. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 何年かでございましたが、米の値段等におきましても、インフレで物価が上がってきた、こういうことで、追加払いというようなことをしたこともございます。でございますので、この問題はその当時において解決している問題だ、こう考えています。
  200. 河本敏夫

    河本委員長 松井君に申し上げます。あとの質問者の都合がございますから、結論をお急ぎください。
  201. 松井誠

    ○松井(誠)委員 私がいま米価が生産費を償わないと言ったその米価というのは、大臣がいま言われた追加払いも含めて、そしてそれを平均した米価がなおかつ生産費を償わない、そういう統計に基づいてものを言っておるのです。私は具体的な資料を持っておりますけれども、先ほどから委員長が催促をしておりますので、そういう資料に基づいての具体的な御質問はあとでいたしたいと思います。これでやめますけれども、少なくともこの問題一つ考えてみても、なぜ一体旧地主だけが、補償だけでなくて報償さえも受けておりながら、いまなお報償を要求する権利があるのかという合理的な理由が少しもわからない。  そこで、だんだん終わりにしたいと思いますけれども、これはむしろ農業政策というよりも、総務長官にお尋ねをすることになると思いますが、一つ報償理由は、先ほどから問題になっております心理的な影響ということ、いまの赤城さんの御答弁でも、その後の経済情勢の変化ということを言われるところを見ると、農地改革に対する貢献というものよりも、やはりその心理的な影響というものに重点を置いてお考えになっているのではないかと思うのです。私は率直に言って、それがこの報償の最大の根拠としてみんなが考えておることだと思います。そこで、この心理的な影響というものについて、心理的影響というのはよくわかりませんけれども、これは具体的にはどういうことをさすのか、総務長官
  202. 臼井莊一

    臼井政府委員 一つは、財産としての貴重な耕地を強制的に政府に売り渡さなければならぬ。また旧地主側から見れば、非常に安いという考えもお持ちのようであります。その後また経済的な変動によって、特に耕地として売ったのに、これが目の前で数百倍、数千倍の値段で宅地その他工場敷地等のために転売される。そういうようなのを見ますると、非常な心理的な影響を受けるということ、これは当然考えられるわけでありまして、そういうようなこと等を心理的影響として考えておるわけであります。
  203. 松井誠

    ○松井(誠)委員 心理的影響というのは、具体的に言えば精神的な苦痛——大蔵大臣はきのうそういう答弁内閣委員会でしておりましたけれども、精神的な苦痛と言えば、まだはっきりする。心理的影響なんというきわめて抽象的なことばでは、一体何を考えておるのかさっぱりわかりませんけれども、精神的な苦痛というように理解をしていいですか。
  204. 臼井莊一

    臼井政府委員 精神的な苦痛というふうにお聞きになったのでございますね。まあそうでございます。中には、先ほどどなたかお話しになったように、やはり旧地主と小作人との間の感情的な対立が非常にあったことは事実のようで、そこでこれがところによっては逆転したというので、よけい感情的な対立が生じ、今度は逆の意味において非常に苦痛を感じていたという、そういうようなものもあるようです。私はそういう自分の体験はございませんけれども、しかし、はたから見ましても、そういういろいろの精神的な苦痛ということは考えられるわけでございまして、さっき申し上げたようなわけで、ことに昭和二十七年に転売を許したというところに確かに一つの問題はあると思いますけれど、事実はこれは転売をできるようになった。この点は買収したほうの旧小作人と申しますか、新しい地主さんのほうは、これは非常に有利になったわけでございますが、それらを見ると、今度は逆に売り渡したほうで非常な苦痛を感ずるということも、これは常識的にも想像できるわけだと思います。
  205. 松井誠

    ○松井(誠)委員 農地改革やその後の状況から、旧地主が精神的な苦痛を感じておる、そのこと自体を私は暫定をしようとは思いません。しかし、精神的な苦痛を感じておるから、それに対してお見舞い金を出さなければならぬという理屈がわからない。この精神的な苦痛というのは、農地改革による買収多時の苦痛なのか、その後の状況による苦痛なのか、先ほどからしょっちゅう話がこんがらがっておりますけれども、どっちなのです。あるいは町方なら両方でもけっこうですが……。
  206. 臼井莊一

    臼井政府委員 その当時から現在にも引き続いておる。おことばのとおりであるならば両方、こういうことにもなろうと思います。
  207. 河本敏夫

    河本委員長 松井君、結論をお急ぎください。
  208. 松井誠

    ○松井(誠)委員 その農地改革の当時の苦痛というのは、先ほど長官が御答弁になりましたように、自分の財産をとられたという苦痛、そして主観的にはその値段が安いという苦痛。そういうものを、しかし、われわれが報償しなければなりませんか。財産を収用する。当然財産を失ったという苦痛がある。高い安いはその主観的な考え方で、ことに強制収用などというものは、大体客観的な相場から見れば安い。そういうときに、補償だけではなしに、必ず報償すべき何か義務でも国家にありますか。つまり、これは客観的には補償はもう十分だから何もすべきではない。しかし、農地改革地主だけが安いと思っておる、あるいは財産を手放して残念だと思っておる、そういうときには、地上だけには報償すべき特別な根拠がございますか。
  209. 臼井莊一

    臼井政府委員 先刻来お話しのように、側々に拾うと、そのほかにもいろいろお話のような問題の点はあろうと存じます。しかし、世論的にも、ことに長い間にわたって、可否いろいろございましたが、一番論議をせられておりました問題は、まず戦後処理という問題を除いてはこの問題が最大の問題である、かように考えまして、先刻お話しのような問題とは別にいたしました。したがって、これは旧地主の権利でもございませんし、政府が義務として出さなければならぬという問題ではないのでありまするけれども、さっき申し上げたような主として二つの理由から、この際これを解決しよう、こういうことに踏み切ったわけであります。
  210. 松井誠

    ○松井(誠)委員 地主が、農地改革の当時に、そういう主観的な精神的な苦痛を持っておる。それからもう一つは、その後の経過、インフレであるとかあるいはそういう農地が高い値段で転売をされるとか、そういう状況から精神的な苦痛を受けた。どっちを考えてみましても、それが何か報償すべき対象だとはわれわれにはとうてい考えられない。この考え方の底には、やはりその買収価格が安かったのではないかという、そういう考え方がどうしてもある。それがいろんな形で尾を引いてくるのじゃないのですか。その当時の買収価格そのものが、やはり最高裁判決にもかかわらず、何か不当に安かったのじゃないか。だから、特別に地主の場合には報償しなければならぬのじゃないかというような、その経過をたどってきておるのじゃございませんか。実際に地主補償の要求の運動そのものもそうですけれども、政府考え方の基礎の中にも、やはり最高裁判決判決として、安かったのだという考え方があるのじゃございませんか。
  211. 臼井莊一

    臼井政府委員 この点につきましては、再三申し上げておりますように、最高裁判決もございましたように、政府としては、適法であり、また価格も適当であったと、こう考えておりますが、ただ、いま申し上げたようなそのほかの二つの、農村民主化貢献とか、あるいは心理的影響に対するねぎらいとか、そういうものを高度の政治的な判断も加えてここに解決をしようということであります。
  212. 河本敏夫

    河本委員長 松井君、もう一間で結論にしてください。
  213. 松井誠

    ○松井(誠)委員 いまの御答弁の中で、高度に政治的な理由ということを言われていました。私も、最後という委員長の再々のおことばでありますので、だんだん最後にしたいと思うのですが、私は冒頭申し上げましたように、この法案というのは、いろいろ理由を聞いても、さっぱりほんとうの理由というものがわかりません。私は、もしそれに何か合理的な理由をつけるとすれば、少し言い過ぎかもしれませんけれども、農地買収じゃないけれども、何か選挙の買収じゃないのか、そういうように考えると、何かいままでわからなかったこの法律案の本質というものがすっとわかってくる。そう考えてこの法律案の組み立てというものを考え、この提案理由のあいまいもことした理由というものを読むと、そのことばの裏というものがわかってくる。この千五百億という膨大な金をほんとうに、その党利党略といいますか、そういうもののためにこれほど公然と使ったという、そういう例というものは、私はあまりないんじゃないかと思う。それくらいこの法案のほんとうの真意というものが、私は醜悪だと思う。政治的な配慮というものがもしあるとすれば、まさにそういうことじゃないか。そういうことを考えて、われわれはこの法律案に絶対に反対をしなきゃならぬという立場を堅持している。この私の最後の意見について、もし御意見がありましたならばお答えをいただいて、私の質問はこれでやめたいと思います。
  214. 河本敏夫

    河本委員長 速記をとめてください。   〔速記中止〕
  215. 河本敏夫

    河本委員長 速記を始めて。林百郎君。
  216. 林百郎

    ○林委員 総務長官にまずお尋ねしますが、先ほどからの答弁によりますと、この心理的な影響を考慮してこれらの人々に対する報償を実施する。この心理的影響ということに対して、これは地主がこの日本の国の民主化貢献したんだ、それに対する報いだと言いますね。どうして地主だけが日本の国の民主化貢献したという資格が与えられて、これに報償を与えられるんでしょうか。
  217. 臼井莊一

    臼井政府委員 これは先刻来申し上げておりますように、この心理的影響をひどく受けたということと、それから農地開放に、結果的という点もあるかもしれませんけれども、これに協力をして、そうして短期間にスムーズに農地開放ができて、日本の食糧増産とか、ひいては日本の再建のために非常に役に立った、こういう点を評価いたしまして、多といたしまして、これに対して報償を与える、出そう、こういうことになったわけであります。
  218. 林百郎

    ○林委員 農地の開放は、御承知のとおり、ポツダム宣言に基づいてこれが行なわれたわけでありまして、ポツダム宣言の中には、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ」、こういう条項があるわけですね。この日本の国の民生主義的傾向の復活強化に対する障害に地主制度が該当している、これは除去されなければならないものだ。さらにはこのポツダム宣言の精神がくまれたいろいろの諸文献がありますけれども、たとえば当時の文献を見ますと、数世紀にわたって日本の農民を封建的圧迫により奴隷化してきた経済的束縛を除去し、日本人民が一そう平等に労働の果実を享受する機会が与えられるよう保証する手段を講じなければならない。数世紀にわたって日本農民を封建的圧迫によって奴隷化してきた経済的束縛を除去しなければならない。だから、日本の民主主義を推進する妨げになっておるものを取り除く、こういうことなんで、むしろ民主主義の推進の妨げになっておるものを取り除いたことに対して報償を出すということは、これは政治の姿勢を全くあやまたせるものじゃないですか。
  219. 臼井莊一

    臼井政府委員 昭和二十五年の九月十一日施行のポツダム政令によりまして、これが譲渡令が出た。これは第二次の……。   〔発言する者、離席する者あり〕
  220. 河本敏夫

    河本委員長 静粛に願います。
  221. 臼井莊一

    臼井政府委員 農地改革の実施かと思うのでありますが、ポツダム宣言に……。   〔離席する者あり〕
  222. 河本敏夫

    河本委員長 御着席願います。
  223. 臼井莊一

    臼井政府委員 これが直接よったかどうかということは、私も不敏にして知りませんけれども、ただ……。   〔発言する者、離席する者あり〕
  224. 河本敏夫

    河本委員長 御静粛に願います。御着席ください。
  225. 臼井莊一

    臼井政府委員 この農地開放が直接ポツダム宣言によったかどうかということは、私は不敏にして承知いたしておりませんけれども、いま申し上げたように、昭和二十五年の九月十一日施行のポツダム政令の譲渡令、これによってさらに一そうこの農地改革が徹底して行なわれるようになったことは承知いたしておりますけれども、そこで、その以前に、松村農林大臣の時分からすでにこの農地改革というものに着手をいたしていたように聞いておりますが、しかし、ポツダム宣言というものは、日本で受諾はいたしましたけれども、これは戦勝国の人たちが集まっての一方的な解釈もあろうと存じます。そこで、それに対しての解釈というものはいろいろ学者においても説があるかと存じますが、ただ、私ども考えますると、先刻も申し上げましたように、もしこの農地改革がスムーズにできなかった、こういうことを考えますると、第一次大戦争後においての小作争議の激増、したがって第二次大戦争においては、これまた地主・小作間の非常な争いというものは当然予想されますし、そうなると、食糧の増産、ひいては日本の再建というものも非常にはばまれたわけでございます。そういう意味において、やはりこの農地改革がスムーズに行なわれたということは、法律により、あるいはポツダム政令によったとはいいながら、やはり結果的には、旧地主もこれに協力をいしたしまして、わずか三年のうちに二百万町歩、四百五十万戸という自作農ができたということに対しては、これはもう私どもは評価をして当然であろう、こういう考えであります。
  226. 林百郎

    ○林委員 総務長官、あなたの論理は全く成り立たないので、むしろ地主の制度というものが数世紀にわたって日本の農民を封建的圧迫により奴隷化してきた経済的束縛である、これを除去しなければならない、そして日本人民が一そう平等に労働の果実を享受するように、要するに現実に耕作している農民が現実に労働の成果を享受するような、そういう機会を与えるような、そこを保証する手段を講じろというので、むしろ民主主義の障害になっていたものが地主階級なんで、地主の制度なんで、これを除去したことに対して、おまえは精神的なショックを受けたからここで報償してやるなんていえば、どろぼうに入って、どろぼうが家人に見つかってショックを受けたから、おまえは気の毒だから報償するという論理と同じことになって、これは政治を毒することになるのじゃないですか。これはもっと真剣に考えてもらわなければ、日本の国の民主化ため貢献したものは、第一に労働行階級があるし、そして常々として働いた農民もありますし、そうして平和のためにいろいろ貢献してきた行年やたくさんの人たちがいるわけですから、何も地主だけが特にいまの段階で、二十年もたった今日、報償を受ける資格があるなんということは、これは間違いですよ。むしろ当無除去されなければならない勢力じゃないですか。このことが終戦当時のポツダム宣言の精神だったんじゃないですか。
  227. 臼井莊一

    臼井政府委員 林先生のような共産主義のお立場から考えますると、あるいはそういうお考えになるかもしれませんし、これはもうひとり土地といわず、ほかのものについてももっと除去すべきものが多くあるかというふうなお考えもあるいはあるかもしれませんが、しかし、やはり憲法保障された一つ財産権というものに対する考え方からすれば、やはりいろいろお説は、いまもお話が各方面からあったように、過去においてどうしてそれが地主になったのだとか、いろいろもろもろのことを論ずると、それはいろいろの点があるかもしれませんけれども、しかし、少なくとも資本主義というもののたてまえに立って、憲法保障された財産権というものを守っていくという立場からいたしますと、やはり一つの大きな財産権である農地を開放した、こういうことについて、そしてお話のようにそれが非常に民主化に役立った、こういうことになりますれば、これはやはりそれを評価してよろしかろう、こう考えるわけであります。
  228. 林百郎

    ○林委員 そのことについてはさらに後ほど御質問しますけれども、最高裁判決にもありますように、開放農地に対する補償は合憲的である、補償がされてある、しかも補償に不足の者は訴訟を起こして増額の請求ができる、こういう道まで開いてあるわけなんですよ。そうしてそのことが解決してすでに今日二十年ですよ。それは法律の常識からいったって、精神的な慰謝を二十年もたった今日慰謝してやるなんていう法律の制度は、全然ありませんですよ。だから、これはあなたのおっしゃるような論理は全く成り立たない。むしろこの提案の理由の中にある地主のおかげで日本の農業は今日飛躍的に発展した、そう言っていますけれども、今日の農業はどうでしょうか。年間七十万から九十万の農民が農村から流民化して流れ出しておるわけじゃないですか。そうしてこれはもう農林大臣はよく知っていますよ。日本の農村が老朽化し、女性化して、第二種兼業の比率がますます高まってきておる。しかも一方では、アメリカの余剰農産物がどんどん入ってきて、日本の農業はかってない非常に深刻な危機に見舞われておる。昨年に引き続いてことしも冷害に悩まされて、北海道や東北の農民は、自殺や子供の間引きまでしなければならないような状態におちいっておる。今月になっても、九日に秋田県の本荘市山内の農事実行組合長が冷害で苗しろの発育が悪いことを気にして自殺しておる。また、四月二十五日に仙北郡の農民が冷害で前途を悲観して自殺しておる。このような生産農民、長い閥封建的な束縛に苦しみ、自分の労働の成果の六割も地主に取られながら、なお土地を守って来、そうして今日この苦しい中でなお農業を守り、その責任感から、冷害から苗しろの発育を心配して自殺までしている農再実行組合長がいるというときに、どうして長い間封建的な経済的な束縛で多額の小作料を取ってきた地主に、しかも二十年たった今日報償金を与えなければならないのか。しかも最高裁判決は、生産者たる耕作者を基準とする場合と、何ら生産そのものに直接関係のない地主たる農地所有者に対して、その農地の地価を生産の上がった米価を基準にして、後のインフレ的な要因で、買収農地の所有者に対する補償が不当だとかなんとかいうことは許されないのだ、こう判断しておるわけですね。だから、最高裁判決は、いまあなた方がおっしゃることは、それはよろしくない、すでにあのときの、開放のときの補償で十分地主に対する補償は済んでおるんだ、その後の要因をもって開放農地補償が不足だったということは許されないんだ、こういうことが、判決が下されておるわけでしょう。すなわち、地主は直接生産に関係しておらなかった。多額の小作料によってあり余る補償を長年にわたって不労の所得として所得していた。これは共産主義者だから言うんじゃなくて、最高裁判所判決にもちゃんと書いてあるんですよ。生産に直接関係しておらない地主に対して、その後の米価の値上がりだとか、インフレの要因を加味して報償の出し直しをするようなことはよろしくない、そういう主張は不当である、当初の開放のときの補償で十分憲法に該当する補償がなされておる、こう言っておるわけでしょう。しかも自創法の中には、そのときの補償で不十分な場合は増額の請求権まで手厚く認められておるわけでしょう。それをどうして今日精神的なショックに対する報償だとか、あるいはその後の経済的な要因だからといって、あなたの言うような論理が許されるのですか。私はどうしてもわかりませんですよ。
  229. 臼井莊一

    臼井政府委員 最高裁判決につきましては、政府としてもそのまま承認するわけでございます。そこで報償はする必要はないのだ。ただ、さっき申し上げたようなその別の理由で、しかも二十年たった今日、これをなぜ実行するのかということは、先ほど来御説明申し上げておりますように、苦痛というものがずっと引き続いておりまして、それでその当時からこれに対する反対もありますけれども、そういうような意見というものも強いし、また世論もこの調査によってやはり適当な報償ならよかろうということでありまするので、それでこういうふうに踏み切ったわけでありまするし、また、その開放、被買収者方々も、中小の地主が非常に多いのでございます。そこで、非常な大地主というようなものは非常にその点では少ないのでありまして、数字は省略いたしますが、そういう……。
  230. 林百郎

    ○林委員 時間がありませんから簡単でいいです。結局長官、この法案は生活の実情に対する保障ということから離れて、一種の報償をやるということは、これはちょうど同じようなのが、たとえば金鵄勲章の受給者に対して一時金を出すとか、あるいは戦傷病者に対する弔慰金を出すとか、こういう佐藤内閣の一連の旧戦争に協力した人たちに対する激励、言いかえれば軍国主義の復活——これはしかしポツダム宣言で、日本の国の平和と民主主義を推進するための障害である、除去しなければならないというものを除去したものに対して、さらにこういう報償金を出すということは、結局かっての戦争に協力した人たちに対してこれを激励して、戦争に協力した軍国主義的な旧勢力に対する一つのてこ入れになるのじゃないですか。要するに民主化に逆行するのじゃないですか。民主化の障害になるものとして除去されなければならないものが、除去されたからといって、気の番だからといってそれに報償金を出せば、そのものを激励することになるし、それはやはり反動的な役割りを果たす、そういうことになるのじゃないですか。そうではないなら、もっと戦争の打撃によって慰謝を受けなければならない者はたくさんありますよ。原爆の被害者だとか、あるいは普通の民間の戦災者だとか、戦争未亡人だとか、戦争孤児だとか、引き揚げ者だとか、そういうものは、政府は、いままで生活の実情から離れて、戦争によって精神的なショックを受けたからといって、いわゆるあなた方の言う慰謝料だとか報償などを与えたことがありますか。一つもないじゃありませんか。ほんとうの戦争の被害者に対してはそういうことを与えなくて、旧地主だけを——これは工藤調査によって明らかじゃないですか。社会的な地位は依然として高い、生活の程度は、譲り受けを受けた農民よりは一般的には高いと、そう言われているじゃありませんか。それをどうお考えになるのですか。
  231. 臼井莊一

    臼井政府委員 この報償法案は、いわゆる戦時中の犠牲者というようなものの処理というものとは全然別個でありまして、それとはまた違うわけでございます。それらの点につきましては、たとえば海外引き揚げ者に対しては海外引き揚げ給付金支給するとか、あるいはまた戦争未亡人、戦没者の妻に対してはその給付金支給するとか、在外財産に対しては目下審議会審議中でございますが、それぞれそのときに応じて適当な施策をやっておるわけでございまして、この問題も長い間の問題でございまするし、やはり民主化——地主を非常に悪く御解釈のようでありますけれども、必ずしも地主であるからみんな悪いということばかりでなく、やはりその地主たることを法のあれとはいいながらやめて民主化した、そういうことに対してやはり短期間のうちにやったことについては、結果的においては協力をしたと、こういうふうに善意に解釈して考えておる次第でございます。
  232. 林百郎

    ○林委員 長官、戦争の勢力になる危険があると、民主化の阻害になると言って取り除かなければならないということをポツダム宣言によって命ぜられておるものが、それをあなたの言うような民主化貢献したというようなことでもし報償金を出すとすれば、あの当時の一連の措置はみんなあれは適当でなかったということで、ここであらためてそれを評価し直す。個々の地主の人のいい悪いじゃないですよ。地主という制度、日本の国に長い間あった地主という制度が、日本の国の民主化に大きな阻害になるので、これは取り除かなければならないと言われて、それによって法律をつくりましたよ。十分、不十分はあっても、少なくとも合憲的な補償もしてあるんですよ。それをいま、あれはやはり気の毒だったとか、あれは強制的にやられたのだとか——法律までつくってやられているのですよ、自創法農地調整法がね。それをあれは強制的だったなんということを言うならば、これは考えようによっては憲法もまた強制的に与えられたものだ、いまからもう一度評価し直さなければならない、こういう思想と通じてくるのじゃないですか。しかも、もう一つ、このことで問題になるのは、この農地買収者に対する補償給付ため運動を過去において行なってきた組織や役員はどうかというと、みんな自民党の諸君ですよ。自民党の中の農地問題調査会は、ここにおいでになる、これはわかりますけれども、綱島さんであることはわかるけれども、全国農地解放者同盟の会長は下條康麿さん、これは他の同僚から出ましたように、原健三郎さん、山崎猛さん、みんなこの運動の指導者は自民党の人たちですよ。しかも有力な幹部級の党員ですよ。しかも、この運動をするにあたって、これはまずこの連動に参加する者の名簿を出して、名簿を出した者に対しては今度の報償金を目当てにしてあらかじめ会費を徴収しておるのです。名簿を出さないは報償金は取れないのだということで引きつけてきているわけですね。これは二百万人農村にいるというわけです、しかも、この運動は選挙の間ぎわになると、いままで過去の歴史からいって熾烈になってくるのです。これは国会の名をかりた、国会を利用した自民党のための選挙の買収だと、世間ではこういう批判が、あなたの耳に入っておるかどうか知りませんけれども、もう猛然と起きてきております。過去の歴史的な事実を見ても、この運動国会の選挙が近づくと燃え上がってくるし、今度も参院選を前にして、このように急いでおります。何でこんなに急ぐのか、あなたのほうは。こんな重要なな問題はゆっくりやったらいいじゃないですか。私は、そういう世間の批判は当たっていると思うのです、過去の運動の実績からいって。ちゃんと名簿を出させて、これをしっかりと握って、名簿を出した者だけに報償をやる。その出した会費も、何億という会費になっているのです。こんなことに国会が利用されては、われわれたまったものではありません。自民党の選挙の買収費を、国会の名を使って合法的に出そうとしているんだなという世間の批判に、われわれ利用されては困るわけです。(「何を言うか」と呼び、その他発言する者多し)時間がこう言っているわけです。私が言うわけではないのです。それに対して、総理府総務長官として、また自民党の幹部として、どう考えておりますか。    〔発言する者多し〕
  233. 河本敏夫

    河本委員長 静粛に願います。
  234. 臼井莊一

    臼井政府委員 いまのおことばは、ちょっと常識から考えても過ぎると思うのですが、しかし、まあ反対するおび場からはそういう議論も成り立つかと思うのでありますけれども、しかし、このきまりましたのも、やはり総理府に臨時の農地等被買収者の調査室を設けまして、そうして生活の問題や基本の問題、また世論も調査いたしまして、その結果やったわけでございますので、単に独断的にきめたというわけではございませんで、十分調査をして、その上で決定したわけでございます。
  235. 河本敏夫

    河本委員長 林君に申し上げます。約束の時間がまいりましたから、結論を急いでください。
  236. 林百郎

    ○林委員 世論世論と言いますけれども、工藤調査の報告を見ましても、それにしても巨額な金額を被買収者に交付することは、諸般の心情上適当でないとする見解が多かった、こう言っているじゃありませんか。あなた方が自分で信頼してつくった工藤調査会長が、こういう報告を政府に出しているじゃありませんか。何が適正な世論なんですか。しかも、このために千五百億近くの政府債を発行して——私は、このことを今度は大蔵関係政府委員にお尋ねしたいのですけれども、これは非常な大きな犠牲になると思うのですね。このようなばく大な政府債を、一体どのようにして償還するつもりなのか。この財源は何なのか。税金による国家予算の支出によってこれをまかなっていくのか。あるいは将来——ひとつ大蔵省の方、メモしておいてください、まとめて聞きますから。それから、譲渡禁止の規定がありますけれども、これは絶対、将来取り消さないという確言がここでできるかどうか。それから、この国債の取り扱いについては大蔵省令によって措置をすると書いてあるけれども、どのよなう措置をするのか。買い受けの請求があった場合には買い受けてもいいというような措置をここでするのかどうか。  これはまた農林大臣にひとつお聞きしますけれども、この千五百億もの政府債を、いまここでこの金を食管会計の赤字に充当すれば、これは当然米の消費者価格も上げなくて済むわけなんですね。そうして、物価の高騰を抑制することもできるわけなんですが、このような膨大な政府債が民間へ散布されれば、これがインフレの要因になって、さらに物価を高騰させる原因になるわけです。今年度すでに米の生産者価格を上げるために、消費者価格をさらにスライドして上げなければならないと言っている。そういうときに、単に一部の地主の、しかもいわれなき補償ためにこんな金を出すよりは、全人民の利益のために食管会計の赤字にこれを充当して、そうして生産者と消費者のいずれにも迷惑をかけないような、こういうような農政をどうしてあなたはもっと強い立場で主張できないのですか。これを大蔵省の政府委員赤城農林大臣にお聞きしたいと思います。
  237. 赤城宗徳

    赤城国務大臣 農政別個の立場からこういう併置をとることに相なったわけでございますから、先ほど申し上げましたように、農政農政として私は極力推進しなくてはならぬ、こう思っております。
  238. 赤羽桂

    ○赤羽説明員 ただいまの御質問の第一点でございますが、約千五百億円の国債を発行して、将来その償還財源に保証があるのか、かようなお尋ねかと存じます。御存じのとおり、政府の発行いたします国債は、今回のごとく交付国債のみならず、全般を通じまして、国債整理基金特別会計におきまして収支の経理をいたしておるわけでございます。これらは国債の償還につきましては、御案内のとおり、財政法第六条におきまして、毎年度の剰余金の二分の一を繰り入れなければならぬということになっておったわけでございます。これは本国会におきまして御審議をいただきまして、去る四月九日両院を通過いたしました財政法の一部の改正によりまして、約二分の一が三分の一になったわけでございますが、その財政法の一部改正措置は、二カ年の臨時措置ということになっておるわけでございます。二カ年の臨時措置と申しますのは、国際償還の見通しを立てまして、国債整理基金の収支が二カ年程度はだいじょうぶであるということから割り出された数字でございます。その二カ年間の収支の中には、今回もしこの法案が幸いにして成立をいたすということになると、昭和四十一年度には、第一回の償還期に百五十億が出てまいるわけでございます。その百五十億円の分につきましては、十分見込んで——
  239. 河本敏夫

    河本委員長 赤羽君、答弁は簡単に願います。
  240. 赤羽桂

    ○赤羽説明員 整理基金の収支はなされております。その一部の償還につきましては、財政制度審議会にもはかりまして、恒久的な減債基金制度というものを確立してまいりたいと存じます。  なお、国債整理基金の償還財源につきましては、五分の一ということではございませんで、国債整理基金に充てるべき資金の繰入れの特例に関する法律というのがございます。昭和三十六年に出てきました法律でございますが、この法律に五分の一だけ、あるいは二分の一だけではいかぬぞ、国債整理基金の収支をよく見て、国債償還に支障がないように十分配意しろという一般方針の原則が宣明してございます。この公債が発行されるということになりますと、その償還には十分万全を期していきたいと存じておるような次第でございます。  それから、その手続でございますが……。
  241. 林百郎

    ○林委員 譲渡禁止の規定は、これについて将来はこれは改正しないということは明言できますか。これが譲渡禁止の規定が……。
  242. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 その点につきましては、私どものほうの所管でございますから申し上げますが、法律に、政令で定める場合を除くほか処分をすることができないということで政令で定めるつもりでございます。政令で定める場合は、国に、つまり繰り上げ償還をするというような場合、あるいは将来、いまのところまだ確定いたしておりませんけれども、特定の金融機関、たとえば国民金融公庫、そういうようなところで特別に金を貸すというような制度ができました場合には、担保権の設定というようなことも考えておりますが、それ以外については考えておりません。
  243. 林百郎

    ○林委員 それから買い上げ請求があった場合には、それに応ずる措置を講ずるか。
  244. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 それは将来そういうことを考えるということでございます。いま直ちにそれをいつ、どうするということまでは考えておりません。
  245. 河本敏夫

    河本委員長 林君、時間が過ぎておりますので、質問はまとめて簡単にひとつお願いいたします。
  246. 林百郎

    ○林委員 もう一つお聞きしますが、結局譲渡禁止の規定がある。これはおそらくわれわれの質問に対して、譲渡禁止の規定があるから、これはインフレの要因にならないのだ、これは市中銀行の引きうけとか、あるいは日銀への再担保、あるいは買い受け請求はしないのだ、譲渡禁止で本人が持ってたんすの中に入れているだけだ、こういう答弁をしようとしてこうやっているけれども、こまかいことは政令というか、大蔵省の省令ですか、大蔵省で扱っている。そうすると、そこで担保禁止が緩和される、あるいは場合によっては買い取りの請求も、繰り上げ償還もするということになると、これは結局市中銀行の引き受けだとか、あるいは日銀への再担保ということになれば、これはそれだけインフレの要因になる、私はそう考えます。そのことが一つと、時間がないからもう一つ長官にお聞きしますが、工藤調査によりましても、被買収世帯の世帯員で、市町村長、地方公共団体の議員、教育委員等の公職に戦前においてついたことのある世帯の比率は、買い受け世帯及びその他の一般世帯のそれに比べてかなり高いが戦後においてもその差は必ずしも縮まっていない。要するに地方において相当高い地位にある。ということは、依然として経済的な基盤は、地主としての基盤はなくても、思想的な考えとか、あるいは身分的な関係で、まだ地主と小作というような関係が残っている。やはりその人が市町村長や市町村議員や教育委員になって、依然としてその身分関係が残されている。これにさらに今度は民主主義のために除去されなければならないという立場を無視して、あなた方がこれを激励するということになれば、この封建的な身分関係を激励し、さらに強化することになるのではないか。それはやはり農村民主化を阻害することになるのではないか。要するに、身分的な関係は我前と戦後とそう変わってないというのです。依然として地主社会的な地位が高いところにあるというのです。それを取り除かなければならないというのが、ポツダム宣言なんです。それをあなたがここで激励すれば、そういう封建的な身分関係をさらに激励し、固定化することになるのではないか。さらに考えようによっては、これがもし自民党の選挙の基盤になるとすれば、これは自民党の選挙の大きな勢力のてこ入れになる、こう世間が言うのも、あながちこれは無理がない、こう思いますけれども、この法案がかえって農村民主化に反し、現在まだ残っている地主と小作の身分関係をさらに強化し、固定化することになるのではないか、この点が長官に一つと、それから先ほどの大蔵省の政府委員には、インフレの要因について、譲渡禁止の規定が緩和される、あるいは繰り上げ償還する、あるいは買い受け請求があった場合には買い上げてやるというようなことがあるとすれば、これは大きなインフレの要因となると思うがどうか、この二つ。
  247. 臼井莊一

    臼井政府委員 工藤調査会の報告には、いまお説のように、やはりその指導的立場を旧地主方々相当買い受け人より占めておるということは、そのとおりであります。しかし、これはやはり過去のあれを見ましても、それは一つ経済的な力からそういうことができたといえばそうでございましょうけれども、やはり地方から東京に勉強に来る、こういうような方々はやはり地虫階級の人が多かったんで、したがって、いわゆるインテリと申しますか、知識階級と申しますか、要するに指導的、いってみれば能力のある方は、旧地主階級の中にある。したがって、今日のように選挙も自由になり、市町村長も投票によるという非常に自由な現在の中におきましては、自然的に指導的な立場になっているのじゃないか。  ところが、非常な農地の改革によって力がなくなって、勉強さえ子弟はやれなくなったというあれが今日はできてきておりますが、今後のことについてはわかりません。したがってこれをしたから、別に旧地主のクラスにおいて強化する、こういうことは御心配に及ばないのじゃないか。ことに、多額といっても、これは数が何しろ多いものですから、集めると千四、五百億円になるのですけれども、個々にすれば決してそういうほどの額でもない。ことに中小の旧地主が多いのでありますから、そういう点の御心配はない。
  248. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 私は、大蔵省でなくて総理府でございますが、これは先ほども答えがありましたように、一般財源で償還をするわけでございます。したがって、政府が財源を調達するために出す国債ではございませんから、インフレには関係がないわけでございます。
  249. 河本敏夫

    河本委員長 もう一問で終わらしてください。
  250. 林百郎

    ○林委員 それでは、これで結論を申し上げます。  政府が財源をつくるため政府債ではないというけれども、生産の裏づけのない有価証券が千五百億も市中に散布されて、それは生産に裏づけられておらないのであるから、しかも、あなたの話を聞くと、法律の譲渡禁止規定を漸次緩和する方向を実際は大蔵省の省令として考えているということになれば、これだけの膨大な有価証券が、しかもそれと見合う生産物がないのに、市中にこれが散布されるということになれば、これは明らかにインフレの要因になりますよ。だから、そういう意味で、私はこれが大きなインフレの要因に将来なる。譲渡禁止の規定が漸次緩和されていく方向を腹の中では考えている。しかし、ここでそれを言えば差しさわりがあるから、それを隠しているのじゃないか。そして省令に委任しているのじゃないか、こういうように思うわけです。この問題は、工藤調査によりましても、中より上の暮らし向きであると見る暮らし向きの比率は、被買収所帯は買収所帯その他の一般所帯に比べてかなり高いというのです。地主の生活が困るとか何とかという前に、まだこれは恵まれている部類だということは、あなた方が委任をした調査会の報告にもあるわけですから、これはあなたによく考えてもらわなければならない。この法案は重要な法案ですから、私は機会あるたびにさらにこの法案についての本質を追及するため質問したいと思いますけれども、きょうは質問はこの程度にしておきます。  結論として、本法案性格は、佐藤内閣の軍国主義の復活の政策の一つだということ、旧戦争協力政策に対するてこ入れであって、農村における半封建的な遺産を強化することになって、かえって民主化に逆行する反動的な施策だということ、さらに選挙をねらっての農村における自民党の勢力の温存であること、この世間の批判は私は否定できないと思うのです。共産党は、このような意味でこの法案に断じて反対いたします。質問については、さらは適当な機会を見て追及することを留保して、私の質問を終わります。
  251. 河本敏夫

    河本委員長 この際、暫時休憩いたします。    午後九時十六分休憩      ————◇—————    午後九時二十二分開議
  252. 河本敏夫

    河本委員長 これより再開いたします。  本連合審査会は終了いたしました。  これにて散会いたします。    午後九時二十三分散会