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1965-05-11 第48回国会 衆議院 内閣委員会 第42号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年五月十一日(火曜日)     午前十時五十九分開議  出席委員    委員長 河本 敏夫君    理事 荒舩清十郎君 理事 伊能繁次郎君    理事 佐々木義武君 理事 永山 忠則君    理事 八田 貞義君 理事 田口 誠治君    理事 村山 喜一君 理事 山内  広君       天野 公義君    井原 岸高君       岩動 道行君    池田 清志君       上林山榮吉君    亀岡 高夫君       高瀬  傳君    塚田  徹君       綱島 正興君    二階堂 進君       野呂 恭一君    藤尾 正行君       湊  徹郎君   茜ケ久保重光君       稻村 隆一君    大出  俊君       大原  亨君    中村 高一君       楢崎弥之助君    伊藤卯四郎君       受田 新吉君  出席国務大臣         大 蔵 大 臣 田中 角榮君         農 林 大 臣 赤城 宗徳君  出席政府委員         内閣法制局参事         官         (第四部長)  田中 康民君         総理府総務長官 臼井 莊一君         総理府事務官         (内閣総理大臣         官房臨時農地等         被買収者問題調         査室長)    八塚 陽介君         農林事務官         (大臣官房長) 中西 一郎君  委員外出席者         大蔵事務官         (主計局法規課         長)      赤羽  桂君         農林事務官         (農地局管理部         長)      石田  朗君         専  門  員 茨木 純一君     ――――――――――――― 五月八日  委員塚田徹辞任につき、その補欠として一萬  田尚登君が議長指名委員に選任された。 同日  委員萬田尚登辞任につき、その補欠として  塚田徹君が議長指名委員に選任された。 同月十一日  委員辻寛一辞任につき、その補欠として上林  山榮吉君が議長指名委員に選任された。 同日  委員上林山榮吉辞任につき、その補欠として  辻寛一君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 五月七日  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願島口重次郎君外二名紹介)(第三四五八  号)  同(島口重次郎君外二名紹介)(第三六三四  号)  同(森田重次郎君外三名紹介)(第三六三五  号)  同外二十三件(堂森芳夫紹介)(第三六四一  号)  同(島口重次郎君外二名紹介)(第三七一六  号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願安宅常彦紹介)(第三四五九号)  同(華山親義紹介)(第三四六〇号)  同(黒金泰美紹介)(第三六三六号)  同(華山親義紹介)(第三六三七号)  同(安宅常彦紹介)(第三七一七号)  同(華山親義紹介)(第三七一八号)  同(黒金泰美紹介)(第三七六八号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願戸叶里子紹介)(第三四六一号)  同(戸叶里子紹介)(第三六三八号)  同(戸叶里子紹介)(第三七一九号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願石田宥全君紹介)(第三四六二号)  同(稻村隆一君紹介)(第三四六三号)  同(松井誠紹介)(第三四六四号)  同(石田宥全君紹介)(第三六四〇号)  同(松井試君紹介)(第三六五二号)  同(石田宥全君紹介)(第三七二〇号)  同(稻村隆一君紹介)(第三七二一号)  同(小林進紹介)(第三七二二号)  同(松井誠紹介)(第三七二三号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願金丸徳重紹介)(第三四六五号)  同(金丸徳重紹介)(第三六三九号)  同(金丸徳重紹介)(第三七二四号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願(三木嘉夫君紹介)(第三四六六号)  同外九件(佐々木良作紹介)(第三五七一  号)  同(有田喜一紹介)(第三六四四号)  同(小島徹三紹介)(第三六四五号)  同(河本敏夫紹介)(第三六四六号)  同(三木喜夫紹介)(第三六四七号)  同外八件(佐々木良作紹介)(第三七二六  号)  同(三木喜夫紹介)(第三七二七号)  同(有田喜一紹介)(第三七七〇号)  同(清瀬一郎紹介)(第三七七一号)  同(小島徹三紹介)(第三七七二号)  同(河本敏夫紹介)(第三七七三号)  国家公務員に対する、寒冷地手当改定に関す  る請願西村関一紹介)(第三四六七号)  同(宇野宗佑紹介)(第三六四八号)  同外五件(草野一郎平紹介)(第三六四九  号)  同(西村関一紹介)(第三六五〇号)  同(西村関一紹介)(第三七二八号)  同(宇野宗佑紹介)(第三七七四号)  同(草野一郎平紹介)(第三七七五号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願加藤進紹介)(第三四六八号)  同(川上貫一紹介)(第三四六九号)  同(谷口善太郎紹介)(第三四七〇号)  同外一件(林百郎君紹介)(第三四七一号)  同(卜部政巳紹介)(第三六五一号)  公務員賃金及び労働条件改善等に関する請願  同外五件(茜ケ久保重光紹介)(第三四七二  号)  同外四件(石野久男紹介)(第三四七三号)  同外五件(秋山徳雄紹介)(第三四七四号)  同外七件(石橋政嗣君紹介)(第三四七五号)  同外十五件(大出俊紹介)(第三四七六号)  同外三件(神近市子紹介)(第三四七七号)  同(八木昇紹介)(第三四七八号)  同外六件(山花秀雄紹介)(第三四七九号)  同(横山利秋紹介)(第三四八〇号)  同外二件(島上善五郎紹介)(第三四八一  号)  同外十件(中村高一君紹介)(第三四八二号)  同(平岡忠次郎紹介)(第三四八三号)  同外三件(秋山徳雄紹介)(第三五二二号)  同外四件(井伊誠一紹介)(第三五二三号)  同(大出俊紹介)(第三五二四号)  同(勝澤芳雄紹介)(第三五二五号)  同外四件(川村継義紹介)(第三五二六号)  同外二件(黒田寿男紹介)(第三五二七号)  同外二件(兒玉末男紹介)(第三五二八号)  同外三件(佐藤觀次郎紹介)(第三五二九  号)  同(桜井茂尚君紹介)(第三五三〇号)  同(沢田政治紹介)(第三五三一号)  同外一件(島口重次郎紹介)(第三五三二  号)  同(田口誠治紹介)(第三五三三号)  同(田原春次紹介)(第三五三四号)  同(千葉七郎紹介)(第三五三五号)  同外一件(野口忠夫君紹介)(第三五三六号)  同(長谷川正三紹介)(第三五三七号)  同外三件(山下榮二紹介)(第三五三八号)  同外四件(山田耻目君紹介)(第三五三九号)  同(山中吾郎紹介)(第三五四〇号)  同(米内山義一郎紹介)(第三五四一号)  同(井手以誠君紹介)(第三七〇一号)  同外一件(多賀谷真稔紹介)(第三七〇二  号)  同外八件(戸叶里子紹介)(第三七〇三号)  同外四件(華山親義紹介)(第三七〇四号)  同外六件(西村関一紹介)(第三七〇五号)  同外六件(石橋政嗣君紹介)(第三七〇六号)  同(稻村隆一君紹介)(第三七〇七号)  同外二十件(泊谷裕夫君紹介)(第三七〇八  号)  同外一件(村山喜一紹介)(第三七八一号)  旧軍人等の恩給に関する請願(稻葉修君紹介)  (第三四八七号)  同外六件(小平久雄紹介)(第三五七四号)  同(武市恭信紹介)(第三五七五号)  同(森山欽司紹介)(第三五七六号)  同(安藤覺紹介)(第三六二九号)  同(赤澤正道紹介)(第三六三〇号)  同外二件(井出一太郎紹介)(第三六三一  号)  同(小川平二紹介)(第三六三二号)  同外一件(高瀬傳紹介)(第三六三三号)  同外二件(荒舩清十郎紹介)(第三六九七  号)  同外一件(大久保武雄紹介)(第三六九八  号)  同(野田武夫君紹介)(第三六九九号)  同(藤山愛一郎紹介)(第三七〇〇号)  同外二件(荒舩清十郎紹介)(第三七七六  号)  同外一件(加藤高藏君紹介)(第三七七七号)  同外二十八件(床次徳二紹介)(第三七七八  号)  建設省設置法の一部を改正する法律案反対に関  する請願外二件(加藤進紹介)(第三四八八  号)  同外六件(戸叶里子紹介)(第三六二八号)  同外一件(稻村隆一君紹介)(第三七一三号)  同外十三件(田口誠治紹介)(第三七一四  号)  同(中村高一君紹介)(第三七一五号)  同外一件(茜ケ久保重光紹介)(第三七七九  号)  同外五件(大出俊紹介)(第三七八〇号)  公務員退職条件改善等に関する請願谷口善  太郎君紹介)(第三四八九号)  国立大学教官待遇改善に関する請願岡田春  夫君紹介)(第三五一〇号)  同(楢崎弥之助紹介)(第三五一一号)  同(大久保武雄紹介)(第三七一〇号)  同(田澤吉郎紹介)(第三七一一号)  同(竹本孫一紹介)(第三七一二号)  建国記念日に関する請願外四件(西村関一君紹  介)(第三五一二号)  同外十七件(西村関一紹介)(第三六五三  号)  国家公務員基本賃金、諸手当増額に関する請  願外一件(加藤進紹介)(第三五四二号)  法務局職員の増員に関する請願外二件(坂本泰  良君紹介)(第三五四三号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願堂森芳夫紹介)(第三五七二号)  同外二十二件(堂森芳夫紹介)(第三七二五  号)  海の日制定に関する請願外二件(内海清君紹  介)(第三五七三号)  同外二件(伊藤卯四郎紹介)(第三七〇九  号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願外五件(足鹿覺紹介)(第三六四二号)  同(古井喜實紹介)(第三六四三号)  同(古井喜實紹介)(第三七六九号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願井出一太郎紹介)(第三七六五号)  同(小坂善太郎紹介)(第三七六六号)  国家公務員に対する寒冷地手当改定に関する  請願森田重次郎君外三名紹介)(第三七六七  号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  連合審査会開会に関する件  農地買収者等に対する納付金支給に関する  法律案内閣提出第七七号)      ――――◇―――――
  2. 河本敏夫

    河本委員長 これより会議を開きます。  参考人出頭要求に関する件につきおはかりいたします。  理事の各位との協議に基づき、農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案審査のため、明十二日参考人より意見を聴取することにいたしたいと存じます。これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 河本敏夫

    河本委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。  なお、参考人人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 河本敏夫

    河本委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。      ――――◇―――――
  5. 河本敏夫

    河本委員長 農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案を議題とし、審査を進めます。  質疑を行ないます。質疑の申し出がありますので、順次これを許します。村山喜一君。
  6. 村山喜一

    村山(喜)委員 まず私は、臼井長官に対しまして、政府の基本的な考え方についての態度をただしてまいりたいと思うのであります。  それは、三十五年の二月十日に最高裁判決といたしまして、公共福祉による財産権の制限に関しまして、農地の問題についての判決がなされておるわけであります。これによりまするならば、御承知のように、いわゆる農地の開放は正当に行なわれたものであり、農地法二十条は憲法二十九条に違反するものではないという判決がなされているわけであります。またそのほかにも、この憲法二十九条に関連をする問題は、いろいろと判例等がそれぞれ出されておるわけでございますが、ここで政府方針としては、自作農創設特別措置法による農地買収対価は正当な補償に当たるとして最高裁から判決が出たものは、これは正当なものであるという確認の上に立って、農地買収者に対する補償政府としてする必要は認めない、こういうふうに確認をして差しつかえないものか、このことについて、まず政府の基本的な態度をただしてまいりたいのであります。
  7. 臼井莊一

    臼井政府委員 昭和二十八年のいわゆる農地改革違憲訴訟に対する最高裁判決は、政府といたしましてもやはりそのとおりの考えを持っておりまして、したがいまして、この買収方法対価につきましても、正当な価格買収せられたもの、かように考えておる次第であります。
  8. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで、この問題については、農地の被買収者買収価格についても、正当な補償に基づいてなされたものである、こういうことまでいまお答えになったわけでありますが、いわゆる正当なる補償という問題については、完全な補償を必要とする。すなわち、被収用財産の有する財産的価値にひとしい財産的な価値補償を必要とするんだという説がある。それからもう一つは、財産権社会的制約の上に立って、公共的な重要性において、社会国家的な基準によってきめられる妥当な相当な補償を、これを正当な補償と称する、こういう説がある。第三は、私有財産権の侵害の目的、あるいはその態様、さらに条件、そういうようなものによって異なるので、やはり完全な補償を必要とする場合もあれば、そうでない場合もある。こういう中間的な説がある。そこでこの最高裁判例として示されたものは、これはやはり財産権の社会的な制約の上に立って、そうして公共的重要性の上において、社会的な国家的な立場から、基準によって定められた妥当な、客観的な、相当な事実行為というものが補償基準とすることによって、これは正当なる補償であるというふうに認められるということを、政府自身においても、そのとおり解釈をしておられるものである。この点については、臼井長官のほうから、御答弁をいただくと同時に、法制局のほうが参っていると思いますので、法制局から、憲法に関する問題でございますので、解釈を示していただきたいのであります。
  9. 臼井莊一

    臼井政府委員 学説につきましてはいろいろございまするけれども、しかし、正確な法的な解釈につきましては、やはり法制局見解にまつほうが至当かと存じますので、法制局から答弁をすることにいたしたいと思います。
  10. 村山喜一

    村山(喜)委員 まだ法制局見えておりませんので、後ほど見えましたときにこの問題をただしてまいりますが、続いて総理府総務長官にお尋ねをいたしてまいります。  農地法、あるいは土地改良法、あるいは自作農創設特別措置法等にかかわります憲法二十九条の公共福祉による財産権の制限問題であります。私有財産公共のために用いる、あるいは正当な補償、こういうようなものは、すでにもう最高裁判例としてわれわれは確定をしておるものだ、こういうふうに考えておりますが、政府としては、先ほど自作農創設特別措置法によるところの農地買収価格というものは、これは正当な補償になったと考えている、いまでもその考え方であるし、今後も変わらない、こういう答弁がございました。しかし、この問題については、私のうしろのほうでも私語が聞こえまするように、その答弁はきわめて不満であるというような、与党の一部にも声があります。ましてや地主団体諸君は、これに対しまして、補償要求というものは、ここで完全に、この報償法案国会において可決されたならば、政府補償については今後われわれは争わないのだという確認をしておるものかどうか。その点についてはきわめて重要な問題であります。全国農地解放者同盟あるいは自民党の農地問題調査会、それぞれの方々がおいでになるわけでございますが、この政府考え方としては、これに対しまして、今回のこのような措置をとることによって、これらの地主団体の利益を代表するような人たちの声は、今後もう完全に補償要求としてはなくなる、こういうふうに自信を持ち、そのような判断の上に立って今度の国会にこの法案提案をされたものであるのかどうか、その点について具体的に御答弁を願っておきたいのであります。
  11. 臼井莊一

    臼井政府委員 法律的な解釈補償につきましては、ただいまお答え申し上げたとおりでございますが、ただしかし、いかに公共福祉のためとは申しながら、農地買収者の受けた心理的打撃というものは、これは非常なものでございます。またその当時の経済的の変動というようなものにつきましても、法的な解釈とは別といたしまして、これまた農地買収者が受けた打撃というものは、事実あるわけであります。そこで補償ということになりますると、いま申し上げたように、法律的な解釈政府においてさらにするという必要はございませんけれども、やはりその心理的影響について何らかのねぎらいをするとか、さらにまた農地民主化、また戦後の非常な食糧難を乗り切ったという一つの大きな原動力をなしたのは、やはり農地改革でございます。そういう意味においては、農地買収者つまり旧地主方々の功績というものは没すべくもないことでございまして、これに対しまして何らかの政府としても、くだいて言えばごほうびといいますか、感謝の意をあらわすようないわゆる報償というものをしたいというのが、今度のこの法案となって提出したわけでありますが、そこでまたこの問題が、この法案が成立して、この報償法案によっての報償が済んだあとにおいて、また再びこういう問題が起こる心配はないかということでございますけれども、この点につきましては、政府といたしましては、昭和三十九年六月、池田内閣当時に、農地買収者に対して給付金を給付すること及びその金額、方法等について決定いたしたのでありますが、その際に、今回の報償措置をもって農地買収者問題の最終的解決とすることについて、当時の大蔵大臣官房長官及び総務長官の間で合意を見ているところでありまして、現内閣といたしましてもこの方針を踏襲いたしておるわけでございまして、再びこの法案の通ったあとにおいても別の報償を行なうというような考えは、持っておりません。
  12. 村山喜一

    村山(喜)委員 政府としては、三十九年の六月に政府首脳部確定をしたものとして、それが今日なお生きている、こういう御返答でございます。したがって、今後はこの問題については争いが生まれないという確信を持っている、こういうふうに受け取って差しつかえないと思いますが、もし今後このような措置が満足なものとして受け取られない。これは報償であって、補償の問題については、今後われわれとしてはさらに関係のそれぞれに働きかけて、そうしてさらに争っていくのだという態度をとるとするならば、それに対して政府はどのような対策を講じようとお考えになるか。
  13. 臼井莊一

    臼井政府委員 この点につきましては、すでに補償ということについては政府は必要ない、二十八年の最高裁判決において示されたとおりである、こういうことでございまして、したがいまして、今後におきましてもこの見解は持続するはずでございまするので、したがって、新たに補償というような問題について論議が出ましても、政府といたしましてはやはり最高裁判決どおり見解をもって進むつもりでおります。
  14. 村山喜一

    村山(喜)委員 では次に、提案理由説明について内容に入ってまいります。  その前に、法制局から見えましたので、憲法第二十九条の私有財産の問題に対するいわゆる正当な補償というものについての見解を、学説それぞれ三通りありますので、それについてどういう見解をあなた方は持っておるのか、これについての説明を一点だけお伺いをしておきたいと思います。
  15. 田中康民

    田中(康)政府委員 ただいま先生仰せられましたように、憲法二十九条におきまする正当な補償の概念あるいはそれについての学説につきましては、三つほどございまして、なかなかそれが一致をするということはないのでございますが、私たち考えておりますのは、最高裁判所昭和二十八年に当該農地買収対価につきまして出しましたものと大体同一であるというふうに考えております。その内容は、憲法二十九条第三項の正当な補償とは、その当時の経済状態におきまして成立すべき価格に基づいて合理的に算出された相当の額を言う。そういう額である限りは、その額は正当な補償となるものとわれわれは考えておるわけでございます。
  16. 村山喜一

    村山(喜)委員 三十七年の五月の二十二日に農地買収者問題調査会工藤調査会答申が行なわれました。その中においてはっきり出されております内容は、農地改革が被買収者に与えた心理的影響が強く残っていることは明らかである。それにしても、巨額な金銭を被買収者に交付することは、諸般の情勢上適当でないとする見解が多かった。そこでとりあえずの措置としてやらなければならない問題として「生活上又は生業上困難な状況にある者に対し、生業資金貸付措置を講ずる」第二点といたしまして「子第の進学をさせるのに困難な状況にある者に対し、育英配慮を加える」、この答申が行なわれたわけでありますが、その答申が行なわれる前に、政府としてはすでに国民金融公庫法の一部を改正する法律案国会提案をして、その中において二十億円ほどの国民金融公庫低利資金生業資金として貸与する道を切り開こうといたしました。しかしながら、この三十七年の三月の十五日に提案をいたしました国民金融公庫法の一部改正が、今日なおまだ参議院において現存審議中であるということは、地主だけになぜそういう社会保障的な問題をやらなければならないのか。困窮者は一般的な社会保障政策の中で考えるべきである。それを特別取り扱いをしなければならないということは、どういう理由に基づくものであるのか。こういう問題が、今日なお国会を通過しない理由になっているものと思うのであります。しかもこの工藤調査会答申を出すにあたりまして、旧地主系委員諸君が、きわめて強い抵抗委員会の中においても行なった事実がある。そうして統一した見解として工藤調査会としては適当でないという見解を出そうとしたのだが、それに対して激しい抵抗がなされて、結論としては適当でないとする見解が多かった、こういう統一的な発表をせざるを得なかった事実があります。そこで、それにしても給付金支給をするということは、否定的な立場をとったのであります。このことについては臼井長官もお認めになると思いますが、いかがでございますか。
  17. 臼井莊一

    臼井政府委員 工藤調査会の三十七年五月二十二日付の答申によりますると、「生活上又は生業上困難な状況にある者に対し、生業資金貸付措置を講ずる」、それからもう一つ「その子弟を進学させるのに困難な状況にある者に対し、育英その他の制度の運用において配慮を加える」、こういう答申もございましたので、そこで国民金融公庫法の一部を改正して二十億の融資をする法案を提出いたしましたが、現在もこれが通過していないことはまことに遺徳でありますけれども、しかし、この点につきましては、工藤調査会は、その調査の重点を旧地主の現在における生活上及び生業上の問題に置いて調査をいたしたのでございます。したがいまして、そういう意味においては、いま言ったような方法をということで、政府もそういう方法を一応とったのでありますが、現在法案として出しておりまするいわゆる報償法案は、こういう社会保障的な面とは別な、先刻も申し上げましたように、旧地主民主化に対する協力、その心理的影響を受けたという者に対してのねぎらい、こういうことで出しておるのでございまして、そこに観点が相当に違うわけでございます。  また、工藤調査会におきましても、「なお、農地改革が被買収者に与えた心理的影響が強く残っていることは調査の結果からも明らかとなっているが、それにしても、巨額な金銭を被買収者に交付することは諸般の情勢上通当でないとする見解が多かった。ただ意見の相違がある状況にかんがみ、これについての本調査会の結論を差し控える。」ということでございまして、そこで、心理的影響の残っていることは認めるが、多額の金銭をそれに交付することについては反対意見もあったので、これに関しての調査会の結論は控えたわけでございますが、政府といたしましても、この調査会の報告の中を受けまして、額につきましても、何ぶんにも日本全国にわたる農地大改革でございましたから、総額といたしましては千四、五百億というものが予想せられるのでありますから、その額は決して少ない額とはいえませんけれども、しかし、個々に当たってみますると、塁退率等も加えまして、また最高は百万円、こういう制限も加えまして、やはり額におきましても、やり方においても、この答申案の精神というものをくんで実行したわけでございます。したがって、この工藤案と矛盾しているとは考えておらぬ次第でございます。
  18. 村山喜一

    村山(喜)委員 それはおかしいですよ。給付金支給することについては、否定的な意見を発表しているわけです。大多数の意見はそうだったといっているじゃないですか。その事実はあなたもお認めにならなければおかしいですよ。  そこで、工藤調査会調査をしたそのときの立場というのは、政府が今日までとってまいりました、法律に基づいて正当な補償をもって行なわれた農地改革そのものを検討することは適当でない、こういう立場から、工藤調査会としては、生活上、生業上の問題、すなわち旧地主に関する社会的問題について調査をしたのでしょう。これに限定した。政府の諮問もそれに限定をされて出されたわけです。だから、工藤調査会にその責任があるような言い方ではなくて、工藤調査会は、総理大臣の正式の諮問機関として政府が諮問を正式にされた、それに対して工藤調査会は熱心な討議を行なって、十三回にわたる審議の結果、このような答申を行なってきた、そういう政府が正式に諮問をしたものについては、やはり尊重しなければならないという立場政府としてはお持ちにならなければならないはずです。そこで、工藤調査会のいわゆる諮問の内容あるいは検討された内容は、別な角度から今回は行なった。そこで三十九年三月三十一日に総理府の臨時農地等被買収者問題調査室の調査結論、こういうような調査角度を変えて調査されたものだと思うのですが、この問題についてここに報告書をわれわれは受け取っておりますが、これによりますと、いわゆる調査の結論としては、生活上、生業上の問題については、前回の調査と差がない。やはり旧地主のほうが生活もいいし、そうして動産やあるいは消費財にいたしましても、テレビとかその他のそういうような消却の長い資産等についても、たくさん持っている、こういうことが政府調査によりましても明らかに出てきた。そこで世論調査の動きでありますが、世論調査の動きは、これによりましても明らかなように、条件つきまで含めて五〇・七%、ようやく半分が政府が何らかの措置をとることがよかろうというのに賛成をした。しかしそれと同時に、ただし困っている人だけにというのが五九・六%、一〇%も多いのですから、政府が一生懸命になって被買収者に対して何らかの措置を講じようというので、そういう方向に持っていこうとしながら調査をした結果も、六割は困っている人だけに支給したほうがいい、こういう結論が国民の世論として出てきたのであります。そこで世論の動向は、気持ちはよくわかる、だが困っている人だけに政府報償をすべきだ、こういうのが世論の動向なんです。ところが、政府の今回の提案によりますと、世論の動向等を勘案して云々と書いてあります。しかし、世論の動向は、政府のように一万円から百万円までの格差をつけて、しかも人間を対象にするのではなくて、土地の面積を中心にする、そういう報償を行なう、こういう形でやるということは、世論としてはこれは認めていないわけです。にもかかわらず、何ゆえに全部に報償を実施する方針政府としてはとったのか、この点についてお答え願います。
  19. 臼井莊一

    臼井政府委員 この政府で行ないました世論調査は、報償を知っている者が五七・二%で、このうち報償をすべきだという者が三三・四%、またはしてもよいというのが二八・四です。ですから六一・八%が大体報償をしてもよろしい。しないほうがいいというのが一二・二%、すべきでないというのが一〇・三%、ですから、しないほうがよろしいというのが二二・五%、わからないとする者がそのほかに一五・七%ということであります。さらに報償に関する賛否両論について意見を聞いた後に、結論として報償に対する意見は、すべきだという者が二一・八%で、またしてもよいが二八・九、合計すると五〇・七%がしてもよいという方向であります。しないほうがよいとか、またはすべきでないという者の合計が二六・一%、わからない者が二三・二%、こういうことであります。そのほか、生活状況につきましては、他の一般世帯に比べて、簡単に申せば、そう悪くないというのがお説のように出ております。しかしながら、この今回の法案は、御承知のように、社会保障的な意味でやるのではございませんので、したがいまして、そういう点について私どもは一般世帯に比べてそう必ずしも悪くないといって、これを報償しないという理由にばかりは該当しない、こういう考えでございまして、その心理的影響とその功績に対して報償をすべきである。ただし、いろいろそういう議論等もございまするから、そこで最高額の制限、また累退率をかけて、適当にそれらのバランスをとって法案を提出いたしました、こういうわけでございます。
  20. 村山喜一

    村山(喜)委員 この調査表の(17)の三五%のもっともだというのと、それからしてもよいという結論の(19)表を使いまして、その多い数だけをあなたは足し合わして、そうしてしたほうがよいというふうにごまかしの答弁をされたのですが、これはおかしいですよ。この点については「いろいろお伺いしましたが、結論としてあなたは旧地主に対する報償をすべきだと思いますか。すべきでないと思いますか。」という設問、いままで幾つかの問題を出して、それに対する最終的な集約の問題はここなんです。これによりますると、すべきだというのが二一・八%、してもよいというのが二八・九%ですから、結論として言えることは五〇・七%、わずかに半分を上回ること〇・七%しか賛成していない。(「わからぬのが二一%ある」と呼ぶ者あり)わからぬのはわからぬでいいのだ、黙っていろ。表(20)によりますると、どういう地主に対してやるべきかという問に対して、困っている人だけにというのが、実数は四千九百九十一人で、五九・六%ですから、これは六割です。だから、政府調査をし、工藤調査会からの答申をもらい、あるいは政府みずからが行なった世論調査にしても、明らかに世論としては、気持ちはわかる、しかし報償は困っている人だけにしなさいというのが国民世論だ。これを明らかに無視して出したのが、今度の報償法案であることは事実でしょう。このことだけは、政府が何と習われようが、客観的な事実として、あなた方が調査された結論に基づいて出されたんだから、その結論を無視したということは言えるでしょう。  そこで、社会保障ではないという答弁が長官からございましたので、私は、この際、報償補償の問題についてただしてまいりたいと思います。  三十八年の一月二十五日、当時の官房長官でありました黒金さんが、補償は過去のものを清算することだが、報償は前向きのものである、報償は法的な義務関係を伴わない見舞い金的なものである、こういうふうに記者会見で新しい学説を発表された。そこで、その後におきます政府自民党の関係者の具体的な案がきまったというので内容を見てみますと、三十八年三月十二日に自民党四役会議で具体的な内容がきまったものがございます。この内容は、御承知のように、報償金の算定基準は旧地主である人を対象とし、これに被買収農地の面積を加味する。綱島案は被買収農地の面積を報償の主たる基準としており、これでは買収価格に対する追加払いの印象を与え、補償の性格を伴うので、あくまでも旧地主報償の対象とする趣旨から考えて、人を対象にするのだという方向が打ち出されました。第二点は、報償に必要な財源として、主として農地改革当時政府買収したまま未処分にしている都市周辺の農地約一万一千四百ヘクタールを処分してこれに充てる。この方法をとれば、一般会計から支出する必要はなくなる。今後農林省、大蔵省にこの処分について同意を求める。これが当時の方針であります。そのほか三点、四点あるようでありますが、これは省略をいたしておきますけれども、世論に対する対策もありまして、このような方向を一時はきめたことがある。しかしながら、この問題については後ほど私財源関係の場合に質問をいたしてまいりますが、現在の農地法の上から考えてみても、この国有地を買却して財源を捻出することは困難であるという結論が出たに違いないと思うのであります。したがって、今回一般的な財源の中からこれを国債の整理基金の中に繰り入れて、その中からこの給付金を出そうという方向がとられたと考えるのでありますけれども、これにつきましては私は後ほど触れてまいりますけれども、いまここでお尋ねをいたしたいのは、この報償補償の問題に対する見解であります。三十九年の二月十一日に、農林省はこの農地報償の問題に関連をいたしまして、うしろ向きの政策であるとして担当を断わりました。理由として述べられている点を見てみますと、第一に、農林省としては最高裁が認めているとおり、戦後の農地開放は正しかったという立場に立って、あと始末の必要を認めない。第二に、何に対して報い償うのか、農林省の立場からはわからない。第三に、農政に属することではない。調査によれば旧地主の四割は農民ではない。第四に、自立経営農業の育成推進と農地開放には矛盾はなく、間違いであると認めるような印象を与えるうしろ向きのものに手を出してよごれたくない、これが農林省の立場である。そこでこの報償というものと補償というものとの間には、あなた方は一体どういう見解をお持ちになるのか、この点について、これは法律的な問題でございますから、法制局見解をお尋ねしておきます。
  21. 田中康民

    田中(康)政府委員 補償ということばは、憲法にも出てまいりまするし、また土地収用法その他の法律にも一般的に幾つか出てまいります。幾つか出てまいりますので、法律上は非常に熟した用語であるというふうに考えておりまして、法律用語として出てまいります場合には、損失の補償、あるいは損害の補償、また災害なんかの場合には災害補償というような形で出てまいります。一般的に補償はどういう意味で使うかと申しますと、一定の法律関係または災害その他の事実問題の発生というようなことを前提といたしまして、それによる損害というものがある場合に、その損害を法律上または契約上の義務といたしまして償う、こういうようなことを基本とする観念である、かように考えておりまして憲法補償ということばが二十九条なんかに用いられます場合には、それが正当な補償でなければならないということになっておりますることは、御存じのとおりだと思います。これに対しまして報償と申しまするのは、実はそれほど法律上にも出てまいりませんで、熟した法律用語というわけではございません。そこで法律用語として熟しておりませんので、補償ということばよりはよりゆるいものであるというふうに実はわれわれは解釈しております。これはたとえばある一定の事実に基づいてこうむります心理的影響が大きい場合に、これを緩和するためであるとか、あるいはある貢献をした、ある寄与をしたというような場合に、この寄与または貢献に対して報いるというためにする場合、あるいはまたある一定の政策目的を推進するために、その奨励的な意味で出すような場合に報償というようなことばを使いまして、補償とは区別をいたしておる、かように考えておるわけでございます。
  22. 村山喜一

    村山(喜)委員 それでは重ねて法制局にお尋ねいたしますが、この法案内容を見ますと、給付金は、被買収者農地の面積を基準にして、いわゆる逓減方式を上になりますととってはおります。一万円から百万円までの間にわたって、買収価格のバックペイ、後払い、追加払いの形をとっておりますね。これは報償ではなくて、性格的、内容的には補償金でしょう。そこで、この追加払いなりあるいは後払いという性格を持つ内容のものは、これは売買当事者間で処理するのが、商取引上の慣習である。当然のことながら、商法上の義務行為となってくる。これが法律関係ではありませんか。そうでしょう、その点はいかがですか。
  23. 田中康民

    田中(康)政府委員 補償の場合におきましては、いまおっしゃいますように、たとえばそこに商取引がございます場合には、商法上の取引にかかる対価の支払いというようなことであると考えるのでございますけれども、報償の場合におきまして、そういうような一定の基準を用いてはならないということは、これまたございませんわけでございまして、これは非常に例が悪いかもしれませんが、勲章等にも勲一等から勲八等まであるというように、やはりそこには一定の基準がございますが、今次農地買収者に対しまして行ないます報償につきましても、そういう基準をただ農地の当時用いました面積等によっておる、かようなことだけであると私たち考えておるわけでございます。
  24. 村山喜一

    村山(喜)委員 勲章は何も給付金は伴わない。内容的に見ますと、幾らあなたが三百代言ぶりを発揮されて黒を白と言いくるめる技術上のことばを使われても、面積に応じて払うというのですから、前にもらった旧地主のいわゆる補償額がきわめて少なかった、だから、心理的な影響を受けたから、この際そういう形で見舞い金的なもの、あなたのことばによれば、補償よりもゆるいもので報償金という形で与える、こういう形をとろうとしておる。しかしながら、国が当時の価格の設定者であります。そして国が中間に立ちまして買い上げて、それを小作人に売ったんですから、そういうような意味において、国が、当時の価格は非常に低い価格であった、こういうことを認めた上で、当然地主に支払うべき土地代金の追加払いをすべきだ、こういうふうに考えるならば、これは追加払いという形で反別に応じて払われる。そしてその中には社会保障的な政策も加味されて逓減主義でやっていくんだ、こういうような形が社会政策的な上から政策論としては生まれてくる。しかし、法律論として考えていくならば、そういう形をとっていくとするならば、これは土地を基準にして、土地に比例をして追加払いをする内容ですから、当然財源は売り渡しを受けた旧小作人から国が徴収をして支払いをするという立場に立たなければならぬ。しかしながら、そうした場合には、当店の農地売買の価格については、昭和二十八年十二月二十三日の最高裁の大法廷で判決はもう確定をしておる。これをくつがえすわけにはいかぬので、そこで今回の給付金法案は、政府がこの最高裁判決を無視して、農地改革価格は正当なものであったという判例をくつがえす方向で内容的には出されている。こういうようなものは、性格的に見て、幾ら形の上では報償だといっても、内容的には明らかに補償金だ、こういうふうに受け取らざるを得ないと思うのでありますが、政府はそれについては良心の苛責はないのですか。
  25. 臼井莊一

    臼井政府委員 これはもう御承知のように補償ではございませんので、したがって、補償に対する追い払いではなく、被買収者に対する心理的影響とか、それからまた民主化に対する功績、功労に対するねぎらいの報償だという見地に立っておるわけでございますが、ただ金で支払うので、やはり追加払いと同じじゃないかというような御意見かと思うのでありますが、なるほど形は金で支払うのでありますけれども、この際、たとえば勲章か何かでねぎらうという方法もございましょう。しかし、根本が、農地という財産を政府が買って、また旧地主がそれを売って、それに対する報償でありますので、しかもいろいろ千差万別の面積もあるわけであります。したがいまして、農地という財産を買収されたことから生じた貢献、それから功労に報いる、こういう観点からすれば、やはり金銭で交付することのほうが国としての報償の念を表明することには適当である、こう考えた次第でありまして、この農地改革に対する貢献、またその受けた心理的、経済的影響ということを考えますと、これを被買収農地の客観的価値やネット買収された農地の面積などに相当開きがあるような場合にまで一律にこれをやれということも、常識的に考えると――いま法制局は勲章でもいろいろ差があるという例を一例引いたのでありますけれども、一律というより、やはりこれに対してはむしろ支給額の計算方法に何がしかの差異を設けたほうが、社会通念から考えると合致するのではないか。そこで畑及び北海道の農地の面積につきましての割引とか、売り渡し面積の差し引き計算、それから買収面積に応ずる累退率、これらを設けてそれらを勘案いたした次第であります。
  26. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで、社会通念から見て差があるのが当然だという思想、考え方、それをもう少し私は突き詰めてみると、報償というのは、提案理由説明によりますと、貢献が非常にあった、貢献を多とする、心理的影響をも考慮して、この二つの要素からなっておりますね。とするならば、いわゆる国策に協力をしてくれたそれに対する礼金的なもの、あるいはその心理的影響を受けたので、これに対する見舞い金的なもの、政府提案理由によりますと、こういう二つの内容から要素は成り立っていると考えるのでありますが、そう受け取って差しつかえないですか。
  27. 臼井莊一

    臼井政府委員 大体においてさようお受け取りいただいてけっこうであります。
  28. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで、見舞い金とは一体何ぞやという問題であります。通常の社会通念では、不慮の災難、事故に対する寸志でありまして、財産を対象とせずに、人物、所有者、個人に対する見舞いの気持ちを表現するのが見舞い金だ。そこで、この見舞い金の性格からいくならば、農地改革によって旧地主の人々が災難にあったので国が見舞い金を出す、こういうことですか。
  29. 臼井莊一

    臼井政府委員 提案理由説明の中にも、ことさらに見舞い金というはっきりした名称は用いておりませんけれども、やはりねぎらいといいますか、その心理的打撃を受けたことに対するねぎらいといえば、それはお見舞い、こういうふうに解釈しても差しつかえないと思うのであります。そういう意味からいたしまして、私どもことさらに見舞い金でないと言う必要はないと思うのでありますが、お見舞いの方法には千差万別、いろいろ方法がございます。しかし、一番はっきりしてわかりやすいのは、ことに先ほど来申し上げておりますように、財産を売り渡して、それの功績と心理的影響に対するねぎらいでありますから、そこでやはり金でしたほうがよかろう。表彰などする場合にも、表彰状一枚のときもありますし、あるいはまた記念品を贈る、また金一封をつける場合もありますし、いろいろ方法はあるのであります。いま申し上げたようなわけで、やはり金で、そして千差万別に応じた中を大別してある程度格差を設けた、こういうわけであります。
  30. 村山喜一

    村山(喜)委員 財産を売却したんだから、精神的なショックに対する見舞いだ。ところが、農地の売買価格は適法になされ、適当であった。ただし、精神的な被害に対しては補償をしていないので、この際精神的なショックに対して見舞いをする、こういうことですか。大地主には大地主で、零細な地主は零細な地主で、それぞれに精神的なショックを受けたということが事実だ、こういうことになれば、それは反別によって、その精神的なショックを受ける影響度というものに差異があるということを客観的に証明ができますか。
  31. 臼井莊一

    臼井政府委員 この点は先刻も申し上げましたように、たとえば極端に言うと、一反のものも数町歩のものも、あるいは数十町歩のものも、同じ画一にするということは、その心理的影響については、必ずしもよけい出したから、あるいは少なく売り渡したからとばかり言えぬ筋があるかもしれませんけれども、しかし貢献といいますか、そういうものであれば、先ほど申し上げましたように、全部画一的にやるということも、社会通念上から見てちょっと常識からはずれているではないか。それにいたしましても無制限にそれに比例をとるということも、これもまたいろいろな観点から考慮しなくてはならぬ、こういうことで、先ほど来申し上げましたようないろいろな段階を設けて、累退率を設け、そして最高の額もきめて、これを報償する、こういうことにいたしたわけです。
  32. 村山喜一

    村山(喜)委員 いわゆる貢献を多とするという内容と、精神的影響を受けたので、それに対する見舞いをする、二つの要素から成り立つ。見舞い金的なものとなれば、人間を、その個人を対象にしなくてはならぬ。大地主であっても、あるいは耕作地主、在村の零細な地主であっても、精神的なショックを受けたという意味においては、これは差はない。片方においては、面積が多ければ多いほど貢献の度合いが向かった。政府解釈によれば、こういう判断の基準政府が立てることは、私はできると思う。しかし、そう精神的なショックを受けたものは差がないということになりますと、内容的にはこれを見てみると、一万円から百万円までの範囲にわたるわけですが、その精神的なショックを受けたものに対する見舞い金的なものも要素として入っているというのですから、それは金額的にあらわしたらどの程度になりますか。一万円ですか。それが全然入っていないじゃないですか。全部を反別によって、いわゆる貢献の度合いに応じてあなた方はやろうとしているじゃないですか。
  33. 臼井莊一

    臼井政府委員 精神的な影響を受けた、そのショックに対する考慮が全然払われていなかったということではもちろんございません。しかし、その度合いというものに幅を持たしたというのは、やはり貢献の度合いと――もちろんこれは影響を受けるというのも、個人的な、その人の持つ心境でございますか、それによっていろいろ違うことでもありますが、しかし、形の上から実際見ますれば、確かに大量の土地を売り渡した者に対しては、やはりそれだけよけいに貢献があったというふうに考えてしかるべきではないか、こういう考え方でございます。ただ画一的にということについては、私は常識的に考えて画一の方法をとらぬで、そこでいろいろその度合に応じたことを二心ものさしをつくって、そして減退率とか割引とか、そういうもので勘案をした、こういうわけでございます。
  34. 村山喜一

    村山(喜)委員 提案理由は、報償内容として要素的に二つある。それはいわゆる貢献を多とするということと、心理的なショックを受けた者に対する見舞い金的なものが入っている。提案理由説明はそうだけれども、法律の内容はそうじゃない。これは一万円から百万円までの格差をつけて、農地を開放した面積の度合いに応じてやろうとしている。したがって、これは貢献を多としたものに対する要素しか入っていない。人間が中心じゃないですよ。これは物が中心だ。だから、この法律の内容は、あくまでも追加払い、後払いの形になっているといわざるを得ない。ここに羊頭を掲げて狗肉を売るという内容的な提案と、あなた方の法律案の矛盾点が出ておる。このことをはっきり指摘をしておきます。そこで、これらの問題につきましては、私は人を対象とする以上は、均等払い、均等額というのがたてまえでなければならぬと思う。これは報償にはならないと思う。政府は、報償といいながら補償をしようとしている。  そこで、この農地の問題については前にさかのぼらなければならないわけでありますが、報償は何回も同じことで受けられるかという問題をどうお考えでございますか。これは法制局に聞きましょう。
  35. 田中康民

    田中(康)政府委員 報償と申しますのは、先ほど私がいろいろ申し上げました中にも述べましたとおり、いろいろな目的によりまして報償を出す場合がございます。そこで、たとえばこの旧自作農創設特別措置法におきましても、報償金というような名前によりまして報償をしておる、こういうようなこともございますが、法律的に申しますならば、これはいろいろな目的によって違いましょうけれども、報償を何回やっても可能ではないかというふうに実は考えておりますが、ただ、そういうことが国民全般の意思として許されるかどうかという点にすべてがかかってくるというふうに考えております。
  36. 村山喜一

    村山(喜)委員 農地改革がありましたときに、総額二十億円を当時において報償金として支払いをしておる。これについては、農林省の農地局から見えておりますので、その報償金はどういう理由に基づいて当時なされたものであるか、これについて説明を承っておきたいのでありますが、当時の価格において二十億円、しかも米価はそのとき石当たり百五十円、消費者米価が、七十五円、地生米価はそれよりももっと低くて五十五円、こういう時代に反当たりたんぼで二百二十円、畑で百三十円の報償をその当時も行なっておる。しかも今回もまた報償をする。そういうような何回も報償を受けるだけ、はたしてそれだけの貢献度というものがあったのか。それは何に対して貢献をしたのですか。これは農林省の立場からお伺いをいたしましょう。
  37. 石田朗

    石田説明員 お答え申し上げます。  先生お話しございましたように、旧自創法におきまして、地主に対して買収対価を払いますと同時に、中小地主に対する配慮もございました、かつまた奨励金的な意味があったわけでございますが、中小地主に対して一定の面積を限度――三町歩であったと記憶しておりますが、これに対しまして、いまお話しございましたように、田で平均反当二百二十円、畑で平均反当百三十円、こういう報償金を支払っております。これはいま申し上げましたように、農地改革を円滑に実施するということ、並びに中小地主に対する政策的配慮という点から、実施されたものでございます。
  38. 村山喜一

    村山(喜)委員 まだ答弁が残っておる。農林省の立場から私はお伺いしておるわけです。というのは、これはあとで農林大臣に来てもらいますが、農林省としてはこの担当を断わるときにはっきりしておるわけです。それは一体何に対して報い、何を償うのか、農林省の立場からははっきりしない、こういうことを明確に言っているのであります。そこで、農林省の立場で、農業政策の上に、農林政策の上において、どういう貢献の度合いがあったのか。貢献を多とするというのですから、その貢献を多とする度合いについて――農林省の三十九年の発表によりますと、何に対して報い、何を償うのか、農林省の立場からはわからない、こうなっておるのですから、それが今度は政府立場になりますと、貢献を多とするということになってきたわけですから、その間におけるところの農林省の解釈が違ってきたか、あるいはそれを農林省の意見はそうだけれども、政府はこうだという見解に立って政府がお出しになったのか、そこら辺つまびらかにいたしませんので、農地政策を担当する立場からお答えを願いたいのであります。
  39. 石田朗

    石田説明員 お答えを申し上げます。  農林省といたしましては、農地改革の際の買収対価というものは正当であった。したがって、その支払いは完了いたしておる。さらに当時のいわゆる報償金における奨励的措置、それらの措置も、その当時これを円滑に推進するために必要であるということで実施されたということで、それらの農地改革そのものとしては、これは完了いたしておるというふうに考えております。したがいまして、別途各般の見地からいろいろな立案がされる場合があるかと存じますが、農政面からいたしますならば、農地改革問題のそのような対価問題は終了いたしておるというふうに考えております。かつまた、農地改革そのものは、これは現在の日本の戦後農業というものを復興いたしてまいります上に、非常に有効なものであったというふうに考えておる次第です。
  40. 村山喜一

    村山(喜)委員 農林省としては、農政面から見たらすでにこの問題については完了しておる、政府は別な角度でこの問題を取り上げたのだろうと言う。臼井長官、どういう角度から二十年にもなる今日において、法律的にいえば時効にかかるような、そういうような内容のものをこの段階において出さなければならない必要性、これについて説明願いたい。
  41. 臼井莊一

    臼井政府委員 先ほど農林当局のお答えによりまして、二十五年当時出した報償というのは農地の開放を円滑ならしめようということでありますが、しかし、その後御承知のように、たしか二十七年だと思いますが、これが農地を自由に転売できるように法律を変えたわけであります。そうして、その後の社会情勢も変わりまして、大都市などはことに激しいのでありますが、都市を中心として宅地あるいは工場の敷地等のために、他に転用をせられて、旧売買価格の数百倍、数千倍というような価格で、ところによっては売買をせられたというようなことで、これを目の前に見ている地主といたしましては、これは非常に耐えられない心境であるということは、私どもそういう土地などは持っておらない行でも、推測にかたくないわけであります。そこで、そういう点もありまするし、そういう点を考慮して、これをそのままにしておくということもまことにお気の毒であるという点もあります。それから、功績ということをたびたび申し上げておるのですが、もしこの農地改革が当時なかったということ、あれほど円滑にすみやかにできなかったということを考えると、これはもうトラブルが非常に起こるということは、第一次大戦後に非常な小作争議が累増して、一つの社会不安というようなことにまでなってまいりました。したがって、今次の大戦後においても、そういう一つの非常な社会不安ということにもなりかねなかったと考えるのでございます。これらがほとんどすべて解消、少なくとも農村方面になくなったということは、これは旧地主の非常な協力、功績というものを多としてよろしいのではないか。日本の経済もこれだけ復興してまいりまして、この功績というものを旧地主だけの犠牲においてするということについては、いかがなものか。今日のように非常に経済が成長して国の力が出てきた場合においては、やはりこれに対して国としてねぎらうことが適当ではないか、こういうようなことでございまして、したがいまして、政府といたしましてもこれに対してねぎらいをする、こういうことになったわけであります。
  42. 村山喜一

    村山(喜)委員 みずからの土地政策の失敗を国民の犠牲に振りかえる。私は、後ほど土地政策の問題については追及をします。その問題をとらえて、それはなるほどそういうようなのを目の前に見て、数万倍もするような価格で売る、あるいは数千倍の価格で売る。それを見ておる旧地主は、感じとしては非常に悪い感じを持つことは事実でありましょう。これは感情論としてはそのとおり。しかし、それは都市周辺に起こった一つの日本の今日の政府の土地政策に対する政策の欠陥からくる問題であるのであって、野放しに土地を放置して、今日のように擬制資本である土地をあたかも資本のごとく考えて、その間に所得倍増計画を進めてきた結果は、今日行き詰まりを来たしている、こういう政策上の誤りがあるわけであります。それをもってこの問題に対処するというのは、これはおかしい。この問題は、土地問題としては後ほど論議をしてまいる。  そこで、先ほど法制局から、報償金というのは、法律的に見たら何回でももらい得るだろう。しかし、それを受け取るのは国民であって、その問題は政治の問題だからということで答弁がありました。そこで私は臼井長官にお尋ねをいたしますが、報償金というのは、これは農地改革のときに、地主米価が石当たり五十五円のときにたんぼについては二百二十円、二百二十円ですから四石分、今日の価格に直していうなら、は約五万円、そのものが当時において反当たり支給をされている。今日なお報償金をあなた方は出そうとしている。この問題が今度で終わればよろしいでしょう。しかし、またそのうちに土地の価格政策、土地政策が失敗をして、さらに土地の値上がりになる。そういう場合に、問題は、また報償金を出す、そういう形で報償をしていかなければならないのか。これは報償は何回でもおやりになるつもりなのですか。この点についてお答えを願っておきます。
  43. 臼井莊一

    臼井政府委員 この点につきましては、先ほど申し上げましたように、すでに三十九年六月に、大蔵大臣官房長官総務長官池田内閣当時にもこれをもって最終の解決とするという合意のもとにされたのでございまして、したがって、現内閣もその方針を踏襲いたしておりますから、今後再びこういうような報償という問題についても、あるいは補償という問題についてはもとより、情勢が変化したからというのでやるということは考えておりません。
  44. 村山喜一

    村山(喜)委員 今度で二回目です。二回あることは三回あるということばがある。この次はやらないというのも、政府答弁のがれの答弁で、また少なかった、こういうことになると、また次から次に請求の問題は出てきます。というのは、この地主問題についての開放農地の処理の運動の方向をめぐりまして、ずっと歴史的に過程をたどってみますと、いわゆる最高裁判決等が出され、あるいは地主団体の中における内部分裂等もあったりする時代の中で、いわゆる引き揚げ者の給付金が五百億出された、これらによってまた勢力が盛り返してきたという客観的な事実があるわけです。この引き揚げ者の問題については、今後これとの関連性の中で問題をあとから取り上げてまいりますが、その問題については、これはお互いに関連がありながら、そしてそれが止揚し合いながら、要求というものは次から次に出されてくるということは、政府考えておってもらわなければならないことです。その点だけは予言を申し上げておきますが、後ほどこの問題については触れますので、この際は法案内容にちょっと入ります。  いわゆる法人と団体の取り扱いについてであります。ここで農地改革がなされましたときに三町歩を限度として旧地主に対する報償金が出された時には、この法人なり団体に対しましては当時報償金を出したのか、出さないのか、これについて農地局のほうからお答えを願っておきます。  そこで、この法律案内容の中に、買収をされたいわゆる農地買収者に対しては給付金支給する、第三条第二項で、「前項の規定にかかわらず、次の各号のいずれかに該当する者には、給付金は、支給しない。」として、国籍を持っていない個人並びに「外国法人、株式会社その他の政令で定める法人その他の団体」、私がお尋ねをいたしておるのはこの第三条の第二項の第二号に関する内容であります。そこで自然人に対しましては、まあ政府見解によるならば、これいわゆる被害を受ける、精神的なショックを受ける。ところが、法人なり団体というものは、これは法律上の権利、義務の主体となり得ることは言うまでもありません。人格も持っております。しかしながら、感情というものはない、いわゆるハートがないといわれるのは、この関係であります。その場合に、いわゆる見舞い金的な内容のものを与える必要がはたしてあるのかどうか。すでに解散をしたものもありましょう。あるいは継続をしておるものもありましょう。このものを対象として取り上げるのは、個人に準ずる法人等を救済するのだという説明が事務当局よりなされました。しかしながら、この法律案の規定の方向を考えてみるならば、外国法人なり株式会社というものは、一つの例示規定であろうと思うのです。これは株式会社にいたしましても、外国法人にしても、その他の政令で定める法人にしても、これが法人であることには変わりはないとすれば、政令で定める法人その他の団体、こういうふうにしておけば法律上は問題がないにもかかわらず、これには法律の形式としてここに「外国法人、株式会社その他」ということばまで入れて、「その他の政令で定める法人」というものまで入れましてここにわざわざ出してきた。一体それにはどういうふうな内容考えているのか。これは法律の立法技術の問題に関係をいたしますので、法制局。  それから感情の主体になり得ないようないわゆる法人に対して、これを今日の時点においてやらなければならないといって、いわゆる貢献の度合いとそれから心理的な影響度合いを考えて出されている。心理的な影響は、そういう自然人と違って法人には感情がないのですから、それに対して報償をしなければならないということになれば、これは提案理由の精神にそぐわない方向になる。したがって、そういう立場から、この問題についてなぜここにわざわざこういうふうにお出しになったか。法人なり団体に対する報償は、前の場合はどういうふうになされたのか。また、今回はそれをどうしてそういうふうに――まあ限定はあるにしても、報償の対象にしようとしておるその政策的なものは一体何であるか。これについて、それぞれからお答えを願っておきたい。
  45. 石田朗

    石田説明員 最初の一点だけお答えを申し上げます。  前に農地改革の際に出されましたいわゆる報償金でございます。これは買収する農地の所有者に対して交付するということで実施をいたしておりますので、自然人、法人区別なしに交付されております。
  46. 田中康民

    田中(康)政府委員 この第三条第二項第二号の「外国法人、株式会社その他の政令で定める法人その他の団体」というように規定いたしましたのは、外国法人とか株式会社というようなものに対しましては、いま仰せられますように精神的な心理的な影響というようなものは非常に薄いであろうということで、そういうものの代表として、例示として外国法人と株式会社というようなものを入れておるわけでございまして、立法論といたしましては、そういう例示がなくて、いきなり政令で定める法人その他の団体と書いてももちろんその点は差しつかえないわけでございますが、やはり政令に委任いたします場合に、白紙委任的に広く広げるよりは、ある程度例示を出して政令で定める法人の趣旨をはっきりしたほうがいいだろうということで出したわけでございます。ただ、そういたしますと、あとの問題といたしまして、個人に準ずるものというような……。(発言する者あり)
  47. 河本敏夫

    河本委員長 静粛に願います。
  48. 田中康民

    田中(康)政府委員 個人に準ずるというふうなものについて、やるという答弁と食い違うといいますか、そういう趣旨が出ていないじゃないかというふうに仰せられるのかと思いますが、この点につきましては、確かに法律制定のときにおきまして、個人のみに支給するということまで考えておったわけではございませんが、政令でもってそういうように規定することも、これまた可能だと考えております。
  49. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで、政令で定める法人とは、一体どういうものを内容として考えているか。この前は田口君に対する答弁の中で、個人に準ずる株式会社、法人等は個人と同様に考える、あるいは宗教法人等について対象として考えてまいりたい、こういう答弁であったと思う。いわゆる銀行地主のような、抵当物件としてとった農地を持つ銀行等については、これは報償の対象にしない、こういうような答弁が確かにあったようでありますが、政令で定めるその内容をこの際明らかに願いたい。
  50. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 外国法人は、この条文によりまして、当然これは除外する。株式会社その他の政令で定める法人その他の団体のうちでどのようなものを個人に準ずるとして考えておるかということでありますが、まだ法制局へは持ち込んでおりませんが、私どもの段階と申しますか、総理府等で現在考えておりますのは、たとえば同族会社、これは法人税法上いわゆる同族の持ち分がどれくらいになれば同族会社というかいわないかということで、規模に対応した同族会社の定義がございますが、大体それをまず頭に置きまして――と申しますのは、やはり先ほどお話にありましたように、個人に準ずるというものをどういう基準考えていくかという点にかかるわけでございます。その場合に、同族会社は、もちろん規模は非常に大きいのもあるわけでございますが、もう一つ規模という基準を設けたいということで、これは中小企業法等の基準で二十人以下あるいは商業サービス業等では五人以下というような基準がございますから、それをひとつ引っぱりたいというふうに考えております。それから民法法人あるいは社会福祉法人とか宗教法人、学校法人、医療法人――医療法人は、昭和二十五年に医療法人に関する法律が出ておりますから、自創法当時には医療法人という看板で買収されたのはわりに少ないわけでございますが、それ以前にいわば民法法人でお医者さんをやっておられたところもありまして、そういうところが医療法人に継続しておるというような、そういう諸種の法人の場合には、従業員五人以下というようなことで規模も小さくて――そしていわば法人は、自然人と違って感情がないじゃないかというお話でございます。法律論としてはまさにそのとおりでございます。しかし、実態はそういういわば家族というようなものに近いような団体もございますので、それをそういう形でつかまえて対象にしていきたいというふうに、現在考えております。
  51. 村山喜一

    村山(喜)委員 感情がない法人が、農地改革によってショックを受けたのですか、どうですか。
  52. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 先ほど来、貢献と心理的影響ということが二つのいわば提案理由の骨子になっておるというお話でございます。私どもの長官もそういうことでお答えを申し上げておるわけでございますが、別にだからこれとこれとが別々のものであるというふうには考えてないわけでございまして、心理的影響につきましても、人によって千差万別でもあります。これはもう先ほどお話のとおりでございまして、非常に買収面積が大きくても、案外けろりとしておることができる立場にあった方もあり得るわけであります。それから、面積はわりに少なくとも、生活上相当なショックになる、心理的に相当なショックになるということも、もちろんあり得るわけであります。一般論として、貢献の度合い、心理的影響というものを両方かみ合わせて考えていくのが妥当であるということで、その二つが提案理由になっておるわけでございますから、法人がかりに全然感情がなくても、貢献というものはあり得るわけでありますし、一方いま申し上げましたように、法人の中でも区別をいたしまして、個人に準ずるような、ただいまあげましたものが、かりに一つ一つを具体的にとりました場合には、あるいはそういう感情を持たないものも中に入るかと思いますけれども、いまのような基準考えていきます場合には、法人といえどもいわばそれを構成しておる個人はかなり直接な感情を持っておるというふうに考えまして、そういうふうに限定したわけであります。
  53. 村山喜一

    村山(喜)委員 どうも政府答弁政府委員から聞きますと、貢献の度合い、それだけはこういう個人に準ずるような法人の場合はあり得るだろう。しかし、法人は自然人と違うのだから、ハートがないのですから、そういうような意味において感情がない。だから、いわゆる心理的なショックを法人自体が人格体として受けるはずはない。したがって、この場合にはやはり自然人と違ってそういうような貢献度しかないということになる。だから、一方を欠いておってもこういうような場合には適用をする、これは提案理由から考えて非常に拡大をした解釈になってくる。この点については非常に問題があります。そこで私は、その貢献の度合いという問題については、はたして地主だけが貢献の度合いがほかの者よりも高かったかどうか、この問題について客観的な判断の基準を、これから材料によって提出をする。と同時に、農地開放をさせられた人の社会的貢献の度合いを多として報償をしなければならないというけれども、その農地の被買収者から農地の売り渡しを受けた小作人、いわゆる自作農民が、終戦の当時を振り返ってみますと、きわめて困難な経済状態の中で食糧増産をし、そして米は供出米として取られ、重税の中であえぎながら今日まで農村の民主化一つの大きな柱として働いてきた。食糧増産という意味においても、非常に大きな貢献をした。そこで、その法律案内容から見てまいりますならば、当時の農地価格はきわめて低かった、にもかかわらず、今日においては高度成長をして土地等が自由に売買をされるような時代になってきた、だから、いまから振り返って当時のその大きな貢献をした地主諸君に対して報償をしようというのですが、しからば、そのとき、農地はもちろん安い価格で当時は払い下げられたが、しかし、これは合法的で合理的な価格であったということは、政府みずから認めているとおりです。しからば、当時の農地の収益価格についての農林省の統計は、どういうふうなものを持っておられるのか。私は、この内容の中から、働く農民が今日の日本の基礎を築いたものだと考える。働く者が今日の日本を築き上げてきた。このことにも思いを起こさなければならないのであります。したがって、そういう強制的な供出を受け、あるいは重税にあえぎながら、今日の独占資本は花を開いてきた。その下積みの農民がどういう生活をしてきたのか、当時の農地の収益価格はどういう推移をたどってきたのか、これは農業政策の中から、当然地主の問題を考える場合には、片一方においては農民の問題を考えなければならないという問題が出てくると思うのでありますから、そういう立場からの表をこの際お出しを願いたい。
  54. 石田朗

    石田説明員 いまお話ございましたが、農地改革当時の農民の収益価格から考えて、農地がどういうふうになっておるか。これは先ほど来問題になっております買収価格、これがすなわち農民の自作収益価格として妥当なりとして算出されたものでありまして、これは当時平均玄米反収高二五といたしまして、これを供出分と保有分に分けまして、これを公定価格によりまして金額に換算し、これに副収入を加えまして、その粗収入から生産費と利潤を控除しました残額が二十七円八十八銭になります。これを当時の国債利回りの三分六厘八毛によって還元いたしました。これが大体七百六十円になります。これをもって全国平均自作収益価格といたしまして、これを考え方基準として買収価格を決定してまいったわけでございます。
  55. 村山喜一

    村山(喜)委員 計算の基礎はそのとおりであります。当時地代として二十七円八十八銭の利益がある。ところが、これが三百円米価になりますと、この米価の利回りは八円二十四銭に低下をしている。そして二十一年産米になりますと、マイナス二百四十七円、さらに二十二年産あるいは二十四年産米については、それぞれ農地の収益は低下をしているという表を、農林省はおつくりになっていらっしゃるはずです。これはやはり農地価格の問題に関連をして、今日の問題が事実上の問題として出ているのです。だから、これらを通じて農地買収を受けたもの、あるいは買収されたもの、これらのものとの均衡の問題を考えていかなければならない。さらに、今日このような状態の中において、社会的に貢献をしたというのであるならば、その貢献をしたのは、はたして旧地主だけであったのかどうか、この問題についても検討を加えなければならない。したがって、これらの問題については資料をお出し願っておきたいのであります。
  56. 石田朗

    石田説明員 いまお話ございました自創法の買収単価の算出基礎につきましては、先ほど御説明したとおりでございます。これに対しまして、それ以後の物価変動その他によりましていかなる変化が生じてきておるかという問題がございますが、この点につきましては、一面において一般物価が上がり、かつまた米価が上がってまいりますと同時に、また米の生産費等にも変動が生じてまいっております。これらを総合勘案いたしまして、この価格をもって各年次とも買収を進めて農地改革をやってまいったというのが、その当時の実情でございますし、現在におきましても、その考え方は正しかったものというふうに考えておるわけでございます。
  57. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで、いま農林省が、政府買い上げとして算出の根拠としております農地の買い上げ価格をお示しを願います。
  58. 石田朗

    石田説明員 現在の価格の算出基礎でございますれば、これは現在やはり自作収益の考え方に基づきまして、適正なる小作料を算定いたしまして、小作料の最高額を公定いたしております。それからいわば還元をいたしまして、その小作料の十一倍をもって、水田におきましては買収価格といたしておるわけでございます。反当たり約一万二千円見当でございます。
  59. 村山喜一

    村山(喜)委員 反当たりたんぼの場合に一万二千二百十円、それから畑地の場合に七千三百二十六円、これは正確ですね。
  60. 石田朗

    石田説明員 そうです。
  61. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで臼井長官にお尋ねいたしますが、反当たり二万円という基礎判定をされました基準、これについて承りたいのであります。  政府農地法に基づいて現在買収価格として設定をしております公定価格は、たんぼの場合で一万二千二百十円、それがたんぼの場合二万円という基準でありますから、それの算出基礎についてお伺いをいたしたいのであります。といいまするのは、政府の買い上げ価格よりも報償金のほうが大きい。こういうようなものがはたして妥当であるかどうかということについて、内容的に検討をする必要があります。
  62. 臼井莊一

    臼井政府委員 この貢献とか心理的影響というものをどういう程度に見積もるかということは、なかなかこれはむずかしい問題ではございまするけれども、しかし、いろいろの財政的な事情も考え、また従来のいろいろの経過等にもかんがみまして、反当たり二万円、そして畑につきましては一万二千円ということにきまりました。なお、北海道につきましては大体四分の一くらいにということできめたわけであります。この算定の基礎ということになりますと、いろいろな無形の要素が加わっておりまするので、なかなかむずかしい問題があります。
  63. 村山喜一

    村山(喜)委員 これは昨年の四月の二十一日の閣議後において、農地報償について、田中大蔵大臣、赤城農林大臣、この二人の方には後ほど出ていただきますが、黒金官房長官、野田総理府総務長官及び林内閣法制局長官の間で話し合いをしたときのいわゆる三百億の政府原案をきめた際には、こういうふうに内容的にきめているわけであります。政府がまとめた法律案要綱の骨子のあらましとして、いわゆる算定の方法は、現在の国の買収価格田反当たり一万二千円から、開放時にすでにもらっている価格を引いたものに十分の二をかける。田は反当たり二千円、畑は反当たり千二百円とし、反数が多くなるほど逓減をして二十万円で頭打ちである。そこで政府としては、これは関係者の間の協議でありましょうが、一つの算定の基準というものをここでは持っておる。しかしながら、いまお伺いをいたしますと、二万円というのは、どうももろもろの要素が加わってということで、説明ができない。そういう説明ができないようなものを国民の税金で出すということになりますと、これは政治のかなえの経歴を問われることになる。だから、この問題について、やはり納得する説明を私はあくまでも要求します。
  64. 臼井莊一

    臼井政府委員 私が無形と申しましたのは、心理的影響というようなものをどう判断するか、また貢献につきましてもどういう判断をするか、ただいま村山先生のお話のことにつきましても、当時いろいろの案はあったわけであります。しかし、政府としては財政的な事情等も考慮して、一応この辺でということできまったわけでありまして、そこで現在のこの額におきましても、必ずしも農地買収者のほうでは満足いかぬものがあるかもしれませんけれども、しかし、政府といたしましては、現在の財政事情を考えて、できる限りのそういう点では努力をするとともに、またいろいろ制限を設けてあまりに巨額になることを防いでいく、こういう次第でありまして、貢献なり心理的影響というものをどう判断するかということに一つはかかると思うのであります。  ただ一般税金からこれを支弁するのはどうか。先ほども何かお話がございましたが、土地を高く売った者から一部を税金として取り上げてというような方法等もお話に出たようでありますが、それも一つ方法かもしれませんけれども、しかし、先刻も申し上げましたように、もし円滑に農地改革が行なわれなかったということを考えると、食糧増産の上におきましても、これは非常な問題であり、また農村の民主化が徹底できないということも考えられる。別にそれがために日本の国が革命になるとも私どもは考えておりませんけれども、当時の戦後の労働状況、またこれにいま言ったような旧地主と小作人とのいさかいとか、そういうものが加わって、社会的な不安をここに醸成した場合においては、日本の当時の食糧事情からいっても、これまた一大不安を醸成する要素になるわけであります。したがいまして、農地改革というものが非常に重要なことであることはあらためて申し上げるまでもないことでありますが、これを円滑にできたことにおいて、私どもは、その貢献をねぎらう意味においては、一般の税金から支弁いたしましても一向差しつかえない。その一部を地主から取るということになりますと、またいろいろの問題等が派生いたしますので、そこで一般財源から補給して、そして十年間に逐次償還していく、こういう方法をとったわけであります。
  65. 村山喜一

    村山(喜)委員 私はその効用書きを聞いているのではない。その農地改革の成果については、あとほど私も意見を申し上げます。それは今日の農業政策との関連の中においてどうあるべきかという問題がありますので、それは後ほどの論議に譲りますが、私がお尋ねをしているのは、政府農地法に基づく買収価格という法定的なものがありながら、それによって政府自身農地を買い上げながら、農地を対象として報償するという考え方に立つ今度の法律案が、その算定根拠は何にも国民の前に明らかにされないままに、一千四百六十億という金が交付公債で十年にわたって渡されるということになりますと、これは国民は、何だ、圧力団体に政府が負かされて、そうして政府、与党がぐるになって、国民の前にはそういうような根拠も示し得ないで多数で押し切ろうとしているじゃないかという印象を与えるにすぎない。そうなったら、政府としては都合が悪いでしょう。だから、これについて説明をされたほうがいいんじゃないですか。
  66. 臼井莊一

    臼井政府委員 この点につきましては、ものさしではかり得ない心理的影響ですな。それからまた貢献にいたしましても、なかなかはかり得ない。しかし、貢献の度合いの差については、その量をある程度町歩等の大小でこれを制限をし、また考慮しておりますけれども……。そこで、いま申し上げたようなむずかしい、単なるものさしとか、はかりでははかり得ないような心理的とか貢献とかいうものを金額であらわすにつきましては、これを受ける側では、おれの功績、おれの心理的影響を二万円くらいでどうするのだ、こういうお立場考えの方もあるかもしれない。また皆さまのように、そんなによけい出すことはないじゃないかという御意見の方もあると思います。そこで、いろいろそういう議論なり意見なりを総合いたしまして、政治的にも財政的にもあらゆる面を勘案して、一番少ないところでは一万円――いまの額でございますから、一万円ぐらい何だというような方も中にはあるかと思うのでありますけれども、しかし、これとても数が多いのでありますから、集まりますと、皆さまも御熱心に論議をされているように、相当な一千四、五百億ということになるわけでありますから、そういう意味において納得をしていただく、こういうわけで、勲章でもそうでございますが、人の功績というようなものをいろいろな段階を設けてやるということは、これはなかなかむずかしい問題でありますけれども、しかし、それでも一応社会の通念とか常識で考えて、まずまずこの辺なら政府としては適当ではなかろうか、こういう判断を下して、かように決定いたした次第であります。
  67. 村山喜一

    村山(喜)委員 三十九年の六月のこれは十九日の新聞ですが、自民党の総務会の了承を得た法案があります。この内容は、今日提案をされているものと全く同じですから、当時閣議で決定したものが、今日法案として提案をされておる。そこで二万円の私は算出根拠を聞いたのですが、お答えにならない。それは、政府は初め三百億の原案をつくった。それに対して農地報償を積極的に推進をする自民党の綱島会のほうからは、当時のお金で二千八百六十億くらいだったと思いますが、その額を持ってきた。そこで歩み寄って総額がきまって、そこから割り出したものではないですか。
  68. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 当時の経過につきましては、先ほどお話がざいましたが、まず現在予定されております千四百五十六億、約千五百億という見当をきめて、それをどういうふうに分けようか。したがって、落ちつくところは基準反当二万円であるということでは、実は正直に申し上げて、ございません。やはり累退率であるとか、基準反当の価格であるとか、総額であるとか、いろいろな要素をいわば同時的に考慮して、現在のような案になったわけでございます。   〔「休憩」「休憩」と呼ぶ者あり〕
  69. 河本敏夫

    河本委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  70. 河本敏夫

    河本委員長 速記を始めて。  この際、本会議散会後まで休憩いたします。    午後一時九分休憩      ――――◇―――――    午後二時五十六分開議
  71. 河本敏夫

    河本委員長 休憩前に引き続き、会議を開きます。  この際、連合審査会開会に関する件につきおはかりいたします。  ただいま大蔵委員会及び農林水産委員会より、それぞれ農地買収者等に対する給付金支給に関する法律案について連合審査会を開会せられたい旨の申し入れがありました。これを受諾し、大蔵委員会及び農林水産委員会と連合審査会を開会することに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  72. 河本敏夫

    河本委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。  なお、連合審査会は、両委員長との協議に基づき、明十二日午後一時より開会することといたしましたので、御了承願います。      ――――◇―――――
  73. 河本敏夫

    河本委員長 農地買収者等に対する給付令の支給に関する法律案を議題とし、質疑を続けます。村山喜一君。
  74. 村山喜一

    村山(喜)委員 大蔵大臣が見えましたときに財源の問題につきましてはお尋ねをいたしたいと思うのでありますが、一応六三年の三月十三日、この法律案の審議に先立ちまして政府自民党四役会議で話し合いをいたしましたときに、いわゆる報償に必要な財源は、農地改革当時政府買収したまま未処分にしている都市周辺の農地一万一千四百ヘクタールを処分をしてこれに充てる、こういう話がございました。そこで、農林省の農地局の調査資料を出していただきたいのでありますが、当時の資料によりますと、農林省の所管をいたしております農地面積は、既墾地で一が一千三百六十七町歩あったかと思うのであります。その中で、当時は農耕地としての貸し付け地が四千八百五十町歩、それに未利用地が五千五百八十八町歩というふうに聞いているのでありますが、そのうち北海道に四千四百二十二町歩、九州に三百六十町歩、関東に四百町歩あって、いわゆる都市周辺の農地は、農地法の八十条により旧所有者に買収価格で売るのが当然である。ただし、米利用地を農民に新しく売る場合にも、その場合の売価につきましても、たてまえとしては買収価格がその売買の価格でなければならないのだ、こういうふうにわれわれは聞いたのであります。したがって、農地法のたてまえからいった場合に、現に農林省のほうで所管をいたしておりますこれらの国有農地につきましては、これを国有財産として売却をして財源を捻出するのは困難である、このように聞いたのでありますが、その後これらの都市周辺の農地等については、それぞれ旧持ち主に対しまして農地法に基づいた売却がなされておると思うのでありますが、この農林省が所管をしております農地は、現在はどのような状態になっているのか。この辺についての説明を願いますと同時に、こういうようにいわゆる一般的な財源からやるということになりますと、税の二重払いを国民がしなければならない、こういうようにわれわれは受け取るのでありますが、特定財源から支払いをする方法は、あなた方はもう完全に捨てられたのか、この問題に対する回答を願っておきたいと思います。
  75. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 これは農林省のほうからお答えすべきかと思いますが、国有農地の現在の保有、利用状況等につきましては、私どものほうでは、農林者のほうからいただいた数字でございますが、農耕地としての貸し付けが三千八百四十七町歩、農耕地以外が七百五十七町歩、未貸し付け地が三千二百二十五町歩でございます。これは三十八年の年度末でございます。ただいま村田先生からお話がありましたように、この法案がいまのような形できまります過程におきましては、そういう財源の問題についていろいろ検討があったわけでございます。そういう過程では、単に農林省の持っております農地以外の国有財産の問題等まで、あるいは一応の検討があったようでございます。ただ、私どもがこの法案を最終的に立案されます過程で考えましたのは、この法案の目的について先ほど来だんだん、長官のほうからお話がございましたが、そういう一般的な報償という趣旨のものでございますから、何らかこれの基礎になる、あるいはこれと関連のある特定の財源ということで因果関係をつけるのは、必ずしも好ましくない。もちろん、そういうものをいろいろ検討しました過程で、一体どれぐらいになるであろうかという金額等も検討はいたしたわけでございまして、その金額等につきましては、いまはっきり覚えておりませんが、あまり大きくはなかなかならないということもございましたが、この法案の趣旨から言いまして、特定の財源をなぜこのことに使うのかということにはなかなか説明がつきかねるものでございますから、やはり一般財源でこれを措置していくというふうにきめられたと承知いたしております。
  76. 村山喜一

    村山(喜)委員 そういたしますと、前の三十八年の三月十二日の段階のころの農地局の調査によりました数字というものと、ただいまの三十八年度末現在、三十九年三月三十一日の報告書との間には、相当保有しております面積が減少しておる。これらはどういうふうに処置をされたものか、説明願いたい。
  77. 石田朗

    石田説明員 ただいま村山先生からお話がございましたように、三十八年度末には一万一千三百六十七町歩ございましたものが、三十九年度末に七千八百二十七町歩になっております。これにつきましては、これは毎年買収及び売り渡しが行なわれておりますので、その間に未処理のものについて処理を急ぎまして、自作農創設のための売り渡し及び不用と認められるものについては売り払い、これを進めまして、現在はこの数字になっておるわけでございます。
  78. 村山喜一

    村山(喜)委員 そういたしますと、今回の法律案の中によりますと、この農地開放の結果、被買収者の面積が一畝以上のものに対して報償をしようというのでありますが、その後において、ただいまのように、だれも対象になるような者がいないということで国が創設農地について買い上げておる、それから国自体が保有しておる、これらのものに対して、最近において約五千町歩程度のものがもとの旧地主に払い下げをされた、こういうふうに受け取りますと、そのいわゆる売買の行為がなされたのはごく最近になるわけでありますが、それでは、対象として当時においては買い上げられたことは事実なんですが、その後今日の段階において払い戻しを受けたそれらのものと、今度の法案によります報償額との間に、どのようなふうに均等な措置というものが考えられ、この点についてはどういうふうに考えておられるのか、説明を願っておきたいのであります。
  79. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 現在農林省のほうで売り払いをやっております中に、その大部分が旧自創法、農地改革当時買って、この売り渡しの相手方としては、自創法によりますと農業に精進する人を選んでやるわけでありますが、うまく売り渡しする相手方がいない、その場合には、現行の農地法の八十条で旧所有者に再びもとの買い上げた価格で売り払う、また買収された方がなくなった場合には、一般承継人に売り払うというふうになっているわけでございます。これは御承知だと思いますが……。そういうふうにして八十条で売り渡しを受けたものは、買収された面積から差し引くということにしてあるわけでございます。それは法案の第二条にあるわけであります。そういうことでございますから、八十条によって農林省から旧買収価格で再び売り渡しを受けた方は、今度の法案によります被買収面積のほうから差っ引かれるということで、バランスはとれるというふうに考えております。
  80. 村山喜一

    村山(喜)委員 この法律が施行されるまでの間に、そのように措置されるものについては適法になされたであろう。私がお尋ねするのは、政府が農林省の所管として持っております農地について、売買が適当になされない、農地法八十条に基づいてまだ処理されていないものがあるとするならば、今度の法律が通ることによりまして、この法律が通った時点においては、売買はまだ現実になされないで国有農地としてそれがある。今度その人たちについては、農地買収者等に対する給付金支給を受けることになる。受けた場合に、その人はさらに農地法八十条に基づいて、自分としては前のいわゆる旧農地政府に強制譲渡をした、そういうようなことでまだ受ける権利がある、こういうことを主張した場合には、当然農地法八十条に基づいて払い下げをしなければならないという事態が出る。その場合には、この権利として給付金が反当たり二万円の割合でもらえる。そうすると、それと同時に現在まだ国から払い下げを受けていない者についても、価格は前と同じ旧農地法に基づく価格で払い下げを受ける権利があるのかどうか、この点をただしているのです。
  81. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 ただいまの御質問は、たとえば現在の法案では四十年四月一日現在でいろいろな資格を確定することにいたしておりますが、お話のように、現在はまだ八十条売り渡しを受けていないという場合には、この法案はやはりその面積が計算の対象の中に入るわけでございます。そういう意味におきまして、確かに将来、この支給を受けたあとで八十条売り払いを受けたという場合には、報償給付金と、それから八十条の売り払いを受けた土地と、両方手に入ると申しますか、そういうことになるわけでございます。それは確かにアンバランスであるといえばアンバランスでありますけれども、今度の法案が、全体として、つまり先のいろいろな状態を未確定のままいつまでも待っておるかというと、そういうわけにはまいりません。やはり今度の四月一日現在以降二年の間にこの仕事を一応ケリをつける。将来どういう事態が起こるかということによって、その間これをストップしておく、あるいは八十条の売り渡しを受けるかもわかりませんから、あなたはだめですというわけには、ちょっと技術上できないと思うわけであります。したがって、私どもの法案では、確かに御指摘のようなアンバランスは私は否定はいたしませんけれども、八十条のものは八十条の目的によって売り渡されるものでございますから、この時点における状態でものごとを考えていく。そういう同じ問題は、ほかにもあり得るわけでございます。たとえばこの対象は被買収者及びその遺族となっておりますが、遺族については、一般承継人と申しますか、直系卑属はどんなにあとの方でもいいということではなくて、子、孫というところで一応打ち切っておるわけでございます。そういたしますと、具体的な例は私どもつかんでおりませんけれども、中には被買収者の子供さんもお孫さんもどなたもないという方が、やはりあり得るわけでございます。そうすると、そういう方は、あるいは中には主観的に相当このことについて思い悩んでなくなられたかもわからない。しかし、その方について、それではいまからさらにその方の曽孫、その他をさがしてやるというわけにはまいらない。そういう意味で、ある時点を画して措置をやっていくということでございますから、若干のアンバランスということは、これは割り切らざるを得ないのではないかというように考えます。
  82. 村山喜一

    村山(喜)委員 それは法律的には可能かもしれない。しかし、行政のたてまえから、あるいは政治のたてまえからいった場合に、そういうふうに片一方においては報償金をもらいながら給付金を受ける、片一方においてはまた旧所有地の返還を、しかも当時の価格によってこれを払い下げを受ける権利が与えられる、片一方においてはそういうものはないのです。それは明らかに不平等の問題として、子や孫の権利相続の問題とは違いまして、現実に生きている争いの問題として出てくることは事実です。そういう結果になったならば、それは明らかな不当利得になるのではないですか。そういうようなことをあなた方が排除する。やるとするならば、平等にやらなければならない。これが政治の筋であり、行政の筋でなければならない。だから、その点についてはこれは非常に重大な問題である。そうするか、あるいは農地法を改正をするか、どちらか以外にない。それらの点について、政府としてはどういう見解をお持ちでございますか。これは、長官から聞かなければならない。
  83. 臼井莊一

    臼井政府委員 村山先生の御指摘のような、そういう多少不公平といえば不公平といえることは、率直に言ってないとも言えないかもしれませんが、しかし、完全にみな平等にというわけにいきません場合もありますので、現在の法律によりますと、そういう点において多少アンバランスといえばアンバランスのような面がないではないのでありますけれども、しかし、法律で一応ある時点を画してこれをやりますと、そのあとに出てきた場合にはそういうこともあり得る、こういうことでございます。法律のたてまえとしてはそういうことになっております。
  84. 村山喜一

    村山(喜)委員 法案として出されているのは、ただいま長官から説明がされたとおりです。しかし、私は、そういうような法律案が出されるところに問題があるのじゃないかと言っておる。現在七千数目町歩の土地があるわけでしょう。その中には、もちろん地方公共団体等に貸し付けているものもありましょう。あるいはその他の民間に貸し付けているものもありましょう。しかし、それらのものは、自作農としてこれからやっていける能力を持ち、やろうとしている者が旧所有者の中にあった場合には、農地法八十条によって払い下げをするという方針が出されている。いままで五千町歩くらいのものが、ここ二、三年くらいの間にそのとおり処理されてきたのです。とするならばこの残った農林省所有の国有農地についての処理方針が明確にならない限り、これに対するところのこれらの不公平の疑問に対しての回答にならないじゃないですか。農林省としては、どういうふうな見解をお持ちですか。
  85. 石田朗

    石田説明員 お答え申し上げます。  いま先生お話がございましたが、ちょっと私の説明が悪かったかと思いますが、先生がお話しになったのは、若干誤解があったかと思います。三十七年度末から三十八年度末にかけましての減少、この中の大きな部分が、これは自作農創設のための売り渡しでございます。それで、この中で、正確な数字は覚えておりませんが、三千数百町歩程度が売り払いになっているわけでございます。これが大部分旧所有者にいった、こういうように考えますが、その他の大部分については、自作農創設のために売り渡された、こういう結果になっておるわけでございます。八十条の運用その他につきましては、従来からの方針に基づきまして、農林省としては、農地法の趣旨にのっとって処理していくのが適当であろうと考えております。
  86. 村山喜一

    村山(喜)委員 その数字を出してください。そして、それがどのような人に売られたか。これがなければ、そしてあと幾らそういうような該当者に渡されるものがあるのか、それもお出し願わなければ、たいへんな事態に直面をします。だから、これについての根本的な処理方針をお伺いをしておかなければならない。だから、この問題については、農林大臣からでなければお答え願えない問題だとは思ってはおるのですが、後ほどお答えを願います。
  87. 上林山榮吉

    上林委員 時間の関係で、関連質問を許していただきたいのでございますが、まず第一に、本法と最も密接の関係のあるのは、昭和二十五年でございます。昭和二十五年八月一日現在の農地売り渡し未済の面積は、私が農林省の統計を調べたところによりますと、三万二千二百十七町歩でありますが、この数字に間違いがあるかどうか、まずそれを伺いたい。
  88. 石田朗

    石田説明員 大体の数字は先生のおっしゃったとおりでありますが、私どもの手元にあります数字は三万二千三百七十町歩、こうなっております。全体を大観いたしますのに、大体先生のおっしゃったとおりであります。
  89. 上林山榮吉

    上林委員 大体という答弁ですが、確かに三万二千三百七十・三というのが、最も正確な数字だと思います。これは先ほどからも違った角度からいろいろ質疑があるようでございますが、私は、いかなる理由があったにしろ、結局マッカーサーの命令によって強制的に買収をされて、しかも、買収した土地は全部これを耕作農民に売り渡さなければならない、こういうようなメモランダムであり、同時に、私はその当時の委員をしておりましたからよく承知をしておりますが、そういうような経過を経て、いわゆる強制買収をしたわけです。しかるに、お述べになるように、いろいろ理由はありますよ。理由はありますけれども、悪口を言えば、善良な地主といっても、はたして地主と言い得る人が何人おるかはあとでお尋ねいたしますけれども、ほとんどこの八割というものは、一町歩以下の農民なんです。一町歩以下の不在地主なんです。決して高利貸しでもうけて、そしてその土地を持っていたんじゃない。少なくとも額に汗を流して、先祖代々かちとった土地です。しかも、これが一町歩以下のものが八二、三%を占めておる。地主地主というが、外国でいう地主という印象とよほど違ったカテゴリーに属するものだと考える。そういうような立場から考えて、これを保留してあることは、まことに弱い者をいじめて、私の悪口で言うならば、一時的ながらも政府がネコババをしているんだ、こう言っておるのであります。この問題に対していまいろいろ問題がありますが、昭和二十五年八月一日現在で、都市計画区域内にある保留地が三千五百八十七・三町歩。零細農業の小作地が七千百五十七・五町歩。法人、団体の借り入れ経営地で、存置を必要としているという理由で残されておるものが千百十一・九町歩。災害等のため現状のままでは売り渡し不能のもの四百二十一・四町歩。使用目的変更を相当とするもの、これなどはふしぎですね。まだ昭和二十七年の転用の規定がないときですよ。そのときに使用目的変更を相当とするものというのに、八百七十八・一町歩というのがあまりす。これはそのとおりですから、よく聞いておいてください。それから買い受け申し込みのないものが二千八百九十八・二町歩。いままで六つ述べましたが、上記に含まれてない土地で、協同組合等が管理しているもの――この協同組合というのは、農業協同組合だけなのかどうか。これが二百十三・五町歩。在外邦人及び二重国籍者の所有農地で、売り渡しを保留しているものが千七百七十・九町歩。さらに会社の自給農園で一時存置を必要とする売り渡し未済のものが三百六十二・八町歩。その他の売り渡し未済のもの、これは私はよくわからぬので、説明を求めたいのですが、その他の売り渡し未済のものが一万三千九百六十八・七町歩。先ほど申し上げたとおり、三万二千三百七十・三町歩、こういうふうになっておるんですね。これは私はいまの政府を必ずしも責められないけれども、歴代政府一つの責任でしょう。私は、いままでいろいろな意味で一般財源以外でまかない得るという議論をしてきた一人でありますが、その一つの財源としてこれも当てはまる。  それから農地買収の目的は、地主にかわってほかの耕作農民に生産性をあげさせるために、農村の民主化のために行なわれたわけでしょう。それがこういうふうに残されてあるということ、これはおかしいじゃありませんか。これをまずどう思いますか。  財源の問題はほかにもあります。たとえば、農地転用はあとから認めたんですから、農地として使うならば、あの価格でもいいという人もあるかもしれない。あれは安かったんですけれども、やむを得ないとあきらめる人もおるかもしれぬけれども、農地の目的を政府が改めて、二十七年から転用してもいいというに至っては、その間の政治的責任というものは、いわゆる負担の公平というものは、考えてやらなければならないのじゃないですか。そうしたような点について、まず総括的にお尋ねしておきたいのであります。
  90. 石田朗

    石田説明員 両先生らお話がございました。まず、あと上林山先生のお尋ねからお答えいたしたいと思います。  いまお話がございましたように、昭和二十五年に三万二千三百七十町歩あった。これは毎年買収をいたし、また毎年売り渡しをいたしておるわけでございますから、このある時点においてこれだけの国有農地があったということでございまして、これは経過的に次第に減少していくべきものでございます。ただ、買収と売り渡しが続いております間は、ある時点においては必ずある程度の国有農地があることは、これは残っておるというふうに思います。それで先ほど来申し上げておりますように、その昭和二十五年の数字が、三十八年末におてきましは、七千八百町歩になっておるわけでございます。その間自作農創設のために、これらの国有農地は売り渡され、それからかつまたもし農耕に――この自作農創設のために使わないということになりましたものは、原則として旧所有者の方に売り払いをいたす、こういうような考え方で処理をしてまいったわけでございます。今後ともその方針で処理をしてまいるということになるわけでございます。  それから、最初村山先生からお話がございましたが、いま申し上げましたように、あくまで自作農創設が目的でありますから、自作農創設を主体にこの国有農地というものは売り渡されていくというのが原則でございまして、例外的にその用に供せられないものが旧所有者のほうに売り渡される、こういうことになります。それで、今後はこの法律の趣旨にのっとりまして、厳正にこれを行なってまいるつもりでございます。今後とも買収農地も毎年若干ずつはございます。それらは今後数字がどうなるということは、現在の農地法を私どもはその趣旨に沿って厳正にやってまいるということが、お答えになってまいろうかというふうに思うわけでございます。
  91. 上林山榮吉

    上林委員 そこで、昭和二十五年から昭和三十八年もしくは三十九年、これまでの間に、国民の土地を政府が一時取り上げて持っていて使用料を取っている分、どれくらい使用料を取っていますか。二十五年から三十九年までの間に、使用料を取っているはずですが、どれくらい取っておるかということ。ついでですから申し上げますが、さらに建物を建てているものがどれだけあるか。学校とか工場とか、その他、ことに公共団体に使わせておるもの、それにはちゃんとところによっては鉄筋の建物が建っているはずです。そうしたようなものはどうなるのか。さっき問題になっておるように、被買収者のほうに選択権があるのか、あるいはまた政府のほうで一つの行政方針を示すのか、これが問題だと思うのです。私は、これはあくまでも筋を通すという意味もさることながら、財源的な立場から、これを論じているわけです。財源はないないと言っているけれども、法律を改正すれば合理的な財源はあり得たんだ。あり得たんだが――これだけ言っているのじゃないのですよ。たとえば農地として払い下げたものを農地として使っている間はいいけれども、これを農地以外の問題として昭和二十七年からは転用できるようになったのだから、これまでもその売った農民を保護する必要はない、これは政治的に考えても。政治的に考えて保護する必要がなければ、立法処置をとって、わずか三百円のものが百万円にもあるいは何千万円にも売れているとすれば――都市周辺のものは売れているのですが、その一部を財源とすることも、これは考えようによっては合理的なんです。それと同様に、この問題は、私は国民の税負担のみによらないで、いわゆる負担する方法はあるのだ。それができなかったとするならば、時間的に間に合わないとかいろいろな事情があったとするならば、一般財源から出しているものは、まるまるこれは一般財源のものだとはいえないのだということが、私は証明できると思う。そういうような考えから、私はこれを多角的立場から論じているわけなんですが、そこで私が聞きたいのは、いま具体的に申し上げましたが、都市計画区内の三千五百八十七・三町歩というのは、いまはどういう状態なんですか。十一ありますけれども、これを聞くことは、先ほど申し上げておいたからあとで資料を出してもらえばいいですが、少なくともいまこの一つだけを聞きましょう。都市計画区域内の保留地三千五百八十七町歩はどういうふうに処分して、そしていまどういうふうに使われておるか、使われておる分も説明してもらいたい。それから建物の建っているもの、使用料の問題、これなどもひとつ聞いておきたい。
  92. 石田朗

    石田説明員 いまお話がございましたが、ただいま使用料を徴収しておる――これは農地貸し付けをいたしておりますものは、法定小作料で徴収いたしております。その他の用途に使っておりますものは、適正なる使用料を取っておるということでございます。それから現在のこの未済地の統計は、その総数が三万二千町歩でございまして、これはそのときの時点においてこういうような各種の理由考えられるということでございますが、これをさらに現実の法律の運用におきまして実際に他用途に向ける、自作農創設に使わないほうが適切であるとわかってまいりましたものを、これを他用途に向ける、その場合には、旧所有者に原則として売る。そういうことで進めてまいったわけであります。かつまた、いまお話がございましたが、今後他用途にたとえば貸し付けをしておる場合に、それがどうなってまいるかというお話でございますが、他用途貸し付けをかりにいたします場合は、客観的にこれが他用途になることのほうが適切である、自作農創設の用には供せられないだろうということの判定が、一つ必要でございます。また、その場合に、旧所有者の承諾を得まして他用途の貸し付けをやっておる、こういうような形になっております。
  93. 上林山榮吉

    上林委員 私が申し上げておる具体的な点は、昭和二十五年から昭和三十九年度まで国民の土地を利用して、国の収入として使用料を取っているということだね。これは一体幾らくらいになっておるものか。それからいま、いわゆる同じ種類の土地に対してこれを貸し付けをしておる。その貸し付けの対象が、建物などを建てておるところは、これは簡単に話がまとまらなかった場合などは、これは処理はできぬでしょう。そういうものはどれくらいあるのですか。いわゆるそれは、言いかえますと、相当の期間国有とみなしていかなければならぬ性質のものじゃないか。それは法律論としては、十年たとうと三十年たとうと、法律論は法律論として成り立つわけです。だけれども、実際の問題としては、これは国有地に準ずべきものでしょう。永久建物などを建てておるという場合は、話がまとまらなければ裁判をするんだ、そういう行き方がいいでしょうかね、どうですこれは。
  94. 石田朗

    石田説明員 いまお話がございましたが、現在農耕用以外に貸し付けられておるものは、先ほども話が出ましたのですが、三十八年度末において七百五十六町歩ございます。かつまた、いまお話しありました最後の点につきましては、これはいまも申し上げましたように、他用途貸し付けをいたします場合には、旧所有者の承諾をとっておりますので、これが他用途になります場合に旧所有者にそれが売り払われ、それで現在の利用者から旧所有者が適正な貸し付け料を取るということが可能になるわけでございます。
  95. 上林山榮吉

    上林委員 いまの点は満足しませんけれども、関連質問でございますから、この辺でピリオドを一応打ちます。また適当な機会にもっと追及してみたいと思います。
  96. 村山喜一

    村山(喜)委員 ただいま質問があり、資料の要求がなされました国有農地、いわゆる農地の貸し付けあるいはその未利用地の内訳、さらに自作農創設として譲り渡した土地、あるいはその他の目的のために現在利用をしている内容、さらに各年度ごとにどれだけの価格で払い下げをしたものか、その問題の資料につきましては、委員長のほうでこの委員会に提出をするようにお取り計らいを願いたいと思います。いかがでございますか。
  97. 河本敏夫

    河本委員長 承知しました。さよう取り計らいます。
  98. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで次の問題に入りますが、ちょうど六三年の三月十二日に自民党四役会議で、農地政策の問題に関連をして農地法の改正の論議がなされたと新聞は報道をいたしているのであります。それは、現在も触れられましたが、現所有者が耕作地を他に転売をする場合に、旧地主が希望をする場合には優先的に買い戻しできるように農地法の改正等も検討をするということがきまったと伝えておるのであります。そこで、今回は農地法の改正は出されてはおりません。ただいま農地局の説明を承りますと、農地法八十条の売り渡しについても、自作農創設という立場を堅持して、自創地として適当でない土地については旧地主に売り渡しをする方針である、こういう説明であります。ところが、今回も農地理事業団等の法案国会に出されるという中において、保有地の制限がなされない形の中で農地政策の変更がなされるように見受けるのであります。しかし、それらの問題はまた農林委員会との合同審査の中で論議をしてまいりたいと思うのでありますが、ここに私が出しました問題は、六三年の三月の十二日において、そういうような、ものを含めてこの農地報償の問題については検討をするということが、当時出されているのであります。これはその後どういう経過をたどっておるのか、これについての説明を願っておきたい。
  99. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 三十八年の三月十二日、四役申し合わせということでございますが、当時私どもも直接タッチをいたしておりませんのであまり事情をつまびらかにいたしませんが、少なくともそういうことについて検討をしようというような論議はあったようでございます。しかし、これはそれ以外のいろいろなこともその後の期間いろいろ検討されましたが、先ほど申し上げましたように、政府といたしましては、一応そういう財源の問題あるいはそういう農地法上の問題も検討はいたしましたけれども、結局あれこれ考えまして、その農地法に関連する問題はむしろ農地法プロパーあるいは農業政策の問題ということにして、財源の問題としては先ほど申しましたような理由で一般財源にするということで、どうもその後の年々あるいは時々刻々の具体的な変化については詳しくないのでまことに申しわけございませんが、結局現在のような形に落ちついたということでございます。つまり逆に申しますと、そのときには確かに提供農地の買い戻し希望者、旧地主に対して優先的に先買い権を認めるというような議論があり、かつその後もその問題については検討があったようでありますが、結局採用にはならなかったということだろうと存行じます。
  100. 村山喜一

    村山(喜)委員 ただいまの説明は、それでよろしゅうございますか。臼井長官、あなたが政府を代表しておいでになっておるから、あなたからお聞きしたい。
  101. 臼井莊一

    臼井政府委員 ただいま室長のお答え申し上げましたとおりだと私も存じます。
  102. 村山喜一

    村山(喜)委員 ここでぜひこの報償の大ぶるまいをしようとする政府に対して質問をしておかなければならないのは、農地については、たんぼ、畑については報償をしよう。しかしながら、やはり農地政策のもとで未墾地あるいは原野、牧野、こういうようなもの等の買収計画が当時なされまして、その内容については、先般も綱島委員のほうから、なぜ対象としないのかという形で質問がなされておりますが、当時のいわゆる内容を検討をいたしてみますと、未墾地の土地買収計画というのは、都道府県の農地委員会がこれを計画をして県の開拓委員会に諮問をして行なったわけでありますが、買収代価等につきましては、近傍類似の農地の特価の四割五分というもので、反当全国平均百七十円ということで買収がなされ、そうして十町歩以下の小面積の買収計画は、市町村の農地委員会がこれを立てまして実施した。その結果、相当な面積にわたってこれについては政府が買い入れを行ない、そうして自作農創設として、農地が農家戸数に比べて少ないわけでありますから、それを払い下げをして、大々的なものは開拓農家等が中心になるわけでありますが、耕地の少ない地域におきましては、そういうようなものが増反面積として加味されてまいったことは、御承知のとおりであります。これはなぜたんぼについては報償基準をつくって二万円もしようとするのに、それらのいわゆる未墾地買収等に伴う分については、これだけはする必要がない、こういう見解をお立てになったのか、この点については、やはり同じ政府がそういうようなものをしようとするのに、これだけは通用除外、農地、たんぼ、畑だけは適用しよう、こういうことを考えるところには、何らかの理由がなければならないと思うのでありますが、それを説明を願っておきたいのであります。
  103. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 すでに綱島先生の御質問に対しましてお答えを申し上げたのでございますが、その際も申し上げましたとおり、未墾地の買収につきましては、ただいま先生のお話しになりましたような手続で確かに買収をいたしております。ただ、御承知のように、農地につきましては旧自創法、つまりいわゆる農地改革として昭和二十一年から主として二十五年まで政府が一たん買収をする、一定の所有制限の外にあるものを政府買収をする、そうして小作人に売り渡す、つまり地主と小作との関係を改善しよう、そういう社会関係あるいは所有関係を改善しようということで行なわれた制度でございます。未墾地の買収につきましては、昭和十三年、農地調整法がございます。これで当時やはり現在の方式にほとんど似た形で買収をする。あるいは昭和十六年の農地開発法という法律でも未墾地の買収をする。ほぼ同じ形で戦後にも旧自創法で買収をする。また、現行の農地法昭和二十七年に従来農地調整法、旧自創法を総合して、成果の維持という観点から、農地につきましてはいわゆる国が買収をする。直接買収をするということではなくて、まずその前に間接に所有制限外に該当するようになった場合には、売り渡しの相手方をみずから求める。適当な人がいない、あるいは売ることをしないという場合に、初めて政府が先ほど来問題になりました一方何がしの対価で買うというようなことになっておりますが、未墾地につきましては、やはり従来どおり、つまり土地利用として不十分であるという場合には買うことになっておる。そうして昭和三十年後といえども、若干はやはり買っておるわけであります。そういうふうに考えてまいりますと、未墾地の買収につきましては、やはりもっと直接的な食糧増産あるいは土地の利用の高度化という観点からこれを国が買収をしていく。もちろん戦後のような引き揚げ者が非常に多い、あるいは食糧が極度に窮迫しておるというような社会的事情があった時期は、非常に多くの未墾地買収が進められております。その後、そういう点の必要性が少なくなりつつあり、社会情勢が変わってまいりますと、未墾地買収は少なくはなっておりますが、しかし、やはりそういう法制と申しますか、制度になっております。そういう意味味におきまして、固有の農地改革ではない、現行の農地法においても昭和二十年のあの農地改革当時と同じ制度になっておるということで、未墾地の買収農地と同様に扱うのは適当でないというふうに判断をいたしたわけであります。  なお、牧野につきましては、やはり実際の問題として牧野といいますのは、いわゆる未墾地に利用あるいは状態というものがほとんで似ておりますので、特に区別することは困難であるということで、未墾地と同様に扱うということにいたしたわけでございます。  なお、念のために申し上げますが、自創法で取得をいたしました未墾地は、民有地につきましては約六十五万町歩、それに対しまして二十七年の農地法、つまり現在の農地法のもとで買っておりますのが、それに対比します面積として十三万町歩ということで、現行農地法のもとにおいても、やはり相当買っておるということを念のためつけ加えたいと存じます。
  104. 村山喜一

    村山(喜)委員 当時牧野面積四十三万七千町歩が開放され、未墾地については買収されたものが六十三万六千町歩、管理がえが六十八万一千町歩、計百三十万八千町歩、そのうち四七%の六十万九千町歩が買り渡されて、残りはまだ残されている、こういうのが農林省の農地年報によりますると出ておるわけでありますが、これらの所有形態はどういうふうに今日においてはなっているのか、この際説明を願っておきたいのであります。それと同時に、いま説明を聞いておりますと、片一方の農地については地主と小作人の関係がある、片一方においては食糧増産その他開墾の土地政策、そういうものから戦争中から行なわれたものであって、これとは政策論として次元が違う、こういう説明でありますが、そうなってまいりますと、一体農地開放という問題は突如として占領軍だけの力でできたのか。これは長い農民の戦いの歴史があるわけですね。その中において当然そういうような歴史的な運命に発展をしていかなければならないのに、まあ占領軍という一つの大きなてこ入れもありました、そういうような問題にまで発展をするわけでありますから、戦争中食糧増産の云々ということだけでは、どうもこれを阻害をしたという、その理由には、増産政策の上に立ったものだということでは、これは区別をする理由というものがきわめて不明確だというふうに受け取らざるを得ないのでありますが、そういうような理由によってこの問題は取り残されるわけです。そうすると、当時牧野の所有者であるものが四十八万町歩も開放され、あるいは未墾地についても買収をされたものが六十三万あるいは六十五万ですか、そういうような面積を開放された。われわれには給付金をくれないで、田とか畑については給付金をくれる。われわれの問題はまだ残っているのだ。今後この問題については解決をして、前と同じような、旧農地と同じような形においてこれから運動をしなくちゃいかぬ、こういう形で出てきたときに、あなた方は、いや、それは済んだのだということで説得できますか。その点について自信があるならば、お答えを願いたい。
  105. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 まず、数字について農林省からと同じ資料でございますから一応私から申し上げますと、三十九年三月三十一日現在で未墾地として政府が取得をいたしました総計は百五十一万三千八百五十四町歩、そのうち売り渡しをいたしましたのが百十万町歩――売り渡しといいますのは、つまり農地として開拓地として売り渡したのが約百十万町歩、それ以外の用途に売り払ったものあるいは不用地、これは当時の未墾地買収の具体的な状況をよく御存じかと思いますが、かなり急いで終戦後買いましたので、結局あとから農耕地になかなか適しないというようなところがあったわけでございますが、約十四万一千町歩、現在開拓財産として農林省で管理いたしております部分、これはすでに開拓者が入っておりますが、まだ営農が全部緒についただけというようなところで、売り渡してないというところも若干あるかと存じます。そういう意味で開拓財産として管理しておりますのは、三十三万町歩というような状況になっております。それから農地だけをやって未墾地についてはやらないということについて、理由が納得がいかないし、あるいは将来政府としてはふらふらするのではないかという御質問でございますが、理由につきましては先ほど申し上げましたように、目的あるいは法の制度のたてまえ、あるいは法律のあり方というのが、いわゆる農地とすっかり異なっております。その最も具体的な例として、つまり農地改革をいわゆる旧自創法で固有の農地そのものについて改革をいたしました自創法当時と、それから現在の農地改革の成果の維持という機能を営んでおります農地法に基づきます農地法の中における未墾地の取得、いずれも全く同じ形で残っておるわけでございますから、かりに未墾地について対象にするといたしますと、現行農地法のもとにおいて買収をされました未墾地と区別をつける何らの理由はない。現行の農地法のもとにおける未墾地を対象にするとすれば、今度は一体農地改革というもの、農地について旧自創法に限定する理由はない。そうしてみますと、旧自創法というものは一体農地改革であったかという論理になりますので、やはりこれは私どもとしては法律的に制度論として区別はついておると思います。なお、一般的にこの報償法案について政府としてはこれを最終的解決とするということにつきましては、私どもが申し上げるのはむしろ口幅ったいことでございまして、すでに長官からお答えになっておるとおりでございます。
  106. 村山喜一

    村山(喜)委員 次は、今回所得制限をしないという立場で出されているわけですが、前に田中大蔵大臣が予算委員会加藤清二氏の質問に答えて答弁をされたときには、百二十万円という形の中で所得制限をいたしますという記録を残しておられるわけです。これは後ほど稻村委員のほうから大蔵大臣が見えましたときに質問を願うことになりますが、このあなた方が報償をしようとする地主の階層的な状態、分布状態から見てまいりますと、先ほど上林委員のほうからも説明がありましたように、きわめて零細な地主とは言えないような普通耕作地主といわれるような階層の人たちもおる。ところが、それらの人たちの中には、所有地を失うことによりまして衣食に事欠くようなありさまになった人もおることは、私たちもよく知っております。それだけ資本的な蓄積もなかった、これらは、やはりその立場に立つならば、きわめて同情すべき点がございます。しかしながら、私たちがここで考えなければならないのは、いわゆる千町歩以上の土地を持っていたのが当時日本には四人、五十町歩以上の土地を持っておった者が三千四百十五戸ある。十町歩以上の土地を所有していた者は約五万戸ある。これは農地開放の当時の記録によりますと、そういうふうになっておる。しかも、その後農地開放がなされた後において、五十町歩以上のいわゆる大地主層というものは、これは商業資本家出身が大部分である。大きな蓄積を持ち、農地以外の山林とか醸造であるとか銀行、工業に投資をして、農地一つの投資対象として、投資の方式としてこれを選んでおる。大きな痛手をこれらの大地主の階級の人たちは受けていないわけです。かえって刺激を得て、それぞれの企業でかえって従来よりも蓄積を増しておる人たちが大部分であります。これらの人たちは、今日においても現存をしているわけでありますが、こういうような人たちにまでやはり報償を与えなければならないのかという問題は、これは政治の問題として、あるいは行政の問題としては、当然考えなければならない問題だと思う。引き揚げ者に対します場合には、御承知のように給付金支給をされまして、当時裸一貫で帰ってきました引き揚げ者の諸君に対しても、この報償を行なったときには所得制限が行なわれているのであります。そしてその後においても、政府としては所得制限をするのが当然だという立場をとりました。にもかかわらず、それから今日において提案をされた段階になってまいりますと、所得制限は行なっていないのであります。こういうような形で国民の税金の中から支払いをしなければならないということになりますと、政治は公平でなければならない、そうして国民が納得をするものでなければならないと私たちは思うのであります。にもかかわらず、所得制限はしない、しかも給付金については所所税はかけないのです。税金もかけない。なぜそういうような方式をおとりになるのか。私は、農地改革の結果非常に大きな痛手を受けて今日なお生活に苦しんでいる人たちを助けようというのであるならば、趣旨がそうであるならば、これはある程度了承するのにやぶさかでありません。しかしながら、それらの人たちはさておいて、全然生活に困らないそういうような大地主諸君に至るまで、しかも、それらの人たちには零細な地主よりも百倍もよけいに金をやる。しかも所得税もかけないという形の中でやろうとするのは、一体だれに奉仕をしようとする政策であるのか。これは政策論の問題でございますので、こういうような人たちに対してまでやるのだという方針をおきめになった佐藤内閣政府を代表しておいでになりました臼井長官にその真意をただしたいと思います。
  107. 臼井莊一

    臼井政府委員 所得制限につきましては、いまお話のように、この法案をつくるまでの過程におきましては、そういう意見も事実出たわけでありますが、ただしかし、この法案を出しました趣旨が、再々申し上げますように、社会保障という考え方ではない、こういうことで、農地開放によって農村の民主化、また今日の経済の成長、食糧増産ができたというその功績に対してねぎらいをする、こういうたてまえで法案をつくることになりましたので、したがって、そういうような所得制限ということは行なわなかったわけであります。ただしかし、そういう議論もありましたし、また財政的な見地もありまするので、そこで御承知のように、減退率を設けたり、また最高額を百万ときめ、そういう配慮をめぐらしたことはございまするけれども、しかし、何といっても、前にも申し上げましたように、今年この法案を出した考え方が、社会保障という考え方によったのではないことが大きな所得制限をしなかった理由だ、こう考えております。
  108. 村山喜一

    村山(喜)委員 社会保障政策ではないのだ、だから国策に協力をしてくれたその者に対する礼金的なものを支払うんだ、こういうような意味であるようであります。だから、その貢献に対して謝礼をするというのでありますから、農地改革は、一体そういうように大地主にまで今日の時点においてありがとうございましたと言って、国民が税金の中から礼金を出して謝礼をする必要性がはたしてあるのかどうかということになってまいりますと、これは農地報償の問題について歴史的な過程をもう一回たどってみなければならないと思うのであります。国民としては、まことにありがとうございましたと言って、率直にお礼を言えるような気持ちにならなければ、政府が礼金を出すことに対して、報償金を出すことに対しまして、これは賛成をするはずはありません。そこで四割以上は農民でないこれらの旧地主層の人たち、しかも当時の不在地主の二〇%は、田口委員のほうからも発言がありましたように、東京、大阪におった。そうして全くそういうような意味においては農地をただ単なる投資として考えていたにすぎないそれらの人たちが、法律によって譲り渡したことによって、結果的には自作農がふえてまいりました。そうして共産主義が日本の中においてばっこするのを防ぐ一つの防波堤の役割りを果たしたのでしょう。そういうような意味においては、政府としては共産主義の防波堤の役割りを果たしたのでとおっしゃればわからないこともありません。しかしながら、零細な土地所有者、零細な経営、これが結びついて一つの自作農が生まれてきたのであります。その結果は、今日において農業政策を進めていく上においてはいろいろ問題があることをあなた方自身が知っておられるところであります。そこで、この農地改革が完全な意味において成功であったのか成功でなかったのかという問題は、農業政策の問題に属しますのでここでは論争いたしませんが、ただ私は、ここでこの地主団体が今日まで果たしてまいりました役割りというものをもう一回振り返ってみた上で、この農地報償をそれらの大地主諸君にまでやらなければならない筋合いのものであるかどうかということを質問をしたいわけであります。  それは、全国的に各地で地主団体が結成をされました。九万五千件の抗議が行なわれ、裁決に反対をして県の農地委員会に提訴されたものが、二万五千件あるといわれております。さらに四千件は法廷に持ち込まれました。裁判所は、青森裁判所であったと思いますが、一時的な差しとめ命令を出すなどのきわめて強い反対運動が展開をされたことは、この農地改革の歴史の中から明らかなところであります。二十三年の二月にマッカーサー司令官が阻害勢力を排除せよという指令を出して、地主団体組織を解散をさせ、国会は法律改正を行なって二十三年七月、裁判所の一時差しとめの命令を法律で無効措置にいたしました。こういう形の中でこの問題はしばらくそのまま推移をしたのでありますが、二十七年平和条約が締結をされるころに、その独立したあとにおいては、国会において農地法の改正が行なわれて、その中において旧地主への土地返還がなされるであろうというような動きがありました。しかし、二十七年の農地法の改正は、今日までの農地改革の成果を固定化する役割りを果たしてきました。その前に、ポッダム政令によっていわゆる土地売買の自由価格形成が許されることになった。そこに一つの問題点が私はあったと思うのであります。しかも創設農地について、それが他の目的に転売される場合には政府が優先的に先買い権を持つというような規定もなくなった。そういうような措置がとられてきながら、二十八年の四月に、軍人恩給の復活に力を得た地方のこの地主団体というものによって、香川県に全国農業再建協同組合が生まれ、そうして農地の所有権回復を目ざし、佐賀県の解放農地国家補償期成同盟が生まれた。ところが二十八年の十二月に最高裁判決がおりた。これでまた下火になった。それにもかかわらず、いろいろな動きが出てまいりまして、三十年の一月に全国解放農地国家補償連合会が発足をする。そこで農林省としては、三十一年六月の二日に、農地改革の行き過ぎ是正とこれに伴う国家補償は、農政の後退と貧困を結果するに相違ないという声明を発しました。衆議院の農林委員会におきましても、三十一年の六月三日には決議をあげております。遺憾の意を表明した。それにもかかわらず、海外引揚者に五百億円の給付金支給をされることになって、また一つの大きな要請運動が行なわれてまいりました。ところが、三十二年の五月には井川一太郎農林大臣が第二次声明を出しまして、この中においては、明白に政府の所信が出ている。それは、海外引揚者は外国の行為で補償なしに財産を没収されたものである、日本の地主は日本の国会の行為で土地が取り上げられたものであり、補償もされて、地主に対していかなる譲歩を行なうことも、戦後の農業政策の基本原理を根底からくつがえすことになるという声明を発表しているのであります。にもかかわらず、その後の推移を見てまいりますと、最高裁における判決は、土地政策に関する限り合意であり、合法であり、適当であり、適切になされたというのが確定的になってまいりました。そこで地主補償要求団体は、これを犠牲を救えという形に切りかえてきた。そうして報償の問題が始まって、三十六年の秋にこの問題についての何らかの措置を講ずる必要があるというところまで追い詰められてきた。その後においては、いわゆる政府と与党の間におけるところの話し合いが行なわれて、それが今日幾多の経緯をたどりながら、新聞、世論にはたたかれながらも、なお根強く補償要求というものがなされてきて、しかも去年あたりまでは所得制限をする、しかもその継承者に対しては二分の一しか認めない、こういうような内容のものを政府みずから原案として発表をするというのに、一年たちました今日においては、それが、所得の最高限度額についてはこれを規制しない、こういう形の中で、しかも見舞い金だと称しながら、人を中心とするのでなくて、財産である土地を中心にして、それだけがいわゆる農地改革の結果今日の高度成長の成果のために寄与したものである、こういう形であなた方が出されてきた、そこにいままでの歴代の政府がとってまいりました考え方と、今度佐藤内閣がここにお出しになろうとする立場と、池田内閣が前に立てました政策、それらの間に、ずっと自民党政府が続いているわけですから、なぜそういうふうに政策を変えていかなければならなかったのか、これについて政府見解をお尋ねをしたいのであります。
  109. 臼井莊一

    臼井政府委員 この農地買収者の運動が今日までいろいろやってまいりましたその経過等につきましてのただいまのお話は、概略そのとおりでございます。また、そういうふうになかなかあきらめ切れないで、運動が今日まで継続してきざるを得なかったというところに、やはりこの問題が、旧地主農地買収者方々に与えた影響というものが、心理的にもまた経済的にもいかに大きかったかということにもなるわけでもります。そこで、政府と与党との間におきまして、たとえば所得制限の問題とか、あるいは総額のワクの問題とかで、経過的にはいろいろ折衝がございました。しかし、それは法案を決定するまでの間の経過であります。したがいまして、その間にいろいろ意見があり、またいろいろの案もそこに論議せられる、これもまあ当然かと思うのであります。そういういろいろの論議があるということは当然ではございますけれども、いままでいろいろ申し上げましたように、高度の政治的な見地から見ますると、この農地改革というものを評価すれば評価するほど、この旧地主、いわゆる農地買収者諸君だけのいろいろのそういう苦悩だけで済ましていいかどうかという問題も、今日のように日本が経済成長してまいりますと、そこにそれは見解の相違でいろいろ意見はありましょうけれども、少なくとも政府考え方としては、何らかこの際やらなければいかぬ、こういう結論に達しまして、そこでいま申し上げたようなわけで、社会保障ということでなく、この問題はその功績に対し、また心理的な影響を受けたことに対するねぎらいとして、この報償法案というものにまとめたわけでございます。もちろんいろいろのお立場からそれぞれの御批判もあろうかと思うのでありますけれども、先刻も申し上げましたように、もしこの農地改革がうまくいってなかった、こういうようなことを考えますと、これは食糧増産の上において、ひいては日本の今日のような経済成長というようなことについても、非常に大きな影響を与えたのでありまして、それを考えますと、これらの点について現時点において報償を出すということは、国民の皆さんも納得していただけるもの、かように考えている次第でございます。この案でさえも、受けられるほうの側においてはなかなか御不満の点があろうかと思うのでありますけれども、しかし、財政的な見地からすれば、まずこれで御承知をいただきたいし、またこれによって、こういうトラブルはこの際一切解決して、いわゆる旧地主と旧小作人との間の感情的な疎隔といいますか、そういうようなものも一掃するようにする機会にもいたしたい。そこでいろいろお話がございましたが、確かに二十七年にこれが農地転用を法律的に許したというところに一つの問題があるわけでございますけれども、しかし、それなるがゆえに、よけいこの際にこの問題は解決したい、こういうのが政府考えであるということを御了承いただきたいと思います。
  110. 河本敏夫

    河本委員長 村山君に申し上げますが、時間もだいぶ経過いたしましたので、結論をお急ぎ願います。
  111. 村山喜一

    村山(喜)委員 臼井長官は、農地政策なり土地政策の問題についてはそう責任者でもありませんので、また後ほど関係者の方に御質問を申し上げたいと思いますが、ただここでお尋ねしておかなければならないのは、高度成長をした、こういう事態になったのは協力があったからだ。しかし、その協力は、ほんとうに心から協力をしてやった結果そういうふうになったのか。それでなくて、裁判を争ったり、いろいろな不平不満を持ってその異議申し立てもした、それでもだめ、裁判でもだめ、こうなる以上は政治力にたよって、与党のごね得政治という形で解決する以外にはないという形で生まれてきたのが、今日のこれでしょう。それは長い間の報償はしない、補償はしない、そうすることは農地改革を後退させるものだと歴代の農林大臣が言ってきた、そういう形の中で大体政治をやっていくものが、そういう圧力団体から圧力を受けて、多数を占めているものが国家財政についてこれを自由に操作をしていく、こういう形の中で日本の政治がなされるところに、行政の筋が通らないものが生まれてくる。そこでその根底の中には、農地改革当時の適正な価格であったとは言うけれども、インフレーションがあったじゃないか、インフレによって地主の受けた打撃というものは無償没収に近いものがあったのだ。それを今日のこの時点において何らかの慰めをしてやらなければならないじゃないかというところから生まれてきたのじゃないですか。そのときインフレーションが起こらなかったら、当時は土地価格というものについてはこれは合理的であり、合法的であり、適正であったというのですから……。しかも米価なりあるいは土地の価格というものと相応して計算をした場合には、これはさほど大きな開きはその当時においてはなかった。しかし、これが価格が下がってきたということは、インフレーションになったということによって無償没収をされたような結果になったのだ、それは気の毒だから、この際やろうというのじゃないですか。
  112. 臼井莊一

    臼井政府委員 先刻もお答え申し上げましたように、二十七年に農地転用を許した。そこで農地に使われずに、宅地だの工場敷地等にどんどん転用された、そして数百倍、数千倍で目の前で売られていくというところに不満がよけい増したということもあるわけであります。それから農地買収者の側からいえば、いまお話しのように、どうもインフレの影響で、非常に土地を安く売っちゃったという御不満もあることは事実でございます。しかしながら、今度の報償法案は、これはインフレの結果についてやろうという手当てではございませで、どこまでもさっき申し上げたような報償という意味における感謝の意をも表する、功をねぎらう、また心理的影響に対してねぎらう、こういう意味であるということを御承知いただきたいと思います。
  113. 村山喜一

    村山(喜)委員 今日地主に何とかしてやらなければいけないという考え方の中には、当時の価格設定については間違いがなかったということを政府は認めているのですから、インフレーションの結果、財産を没収されたような状態になったのだ。だから、今日経済が高度成長した時点においては、その地主の功績に対して報償をしてやろうというのでしょう。だから、その当時そういうような状態になったということが地主諸君も不満なのだから、それを政治的に解決をするためにあなた方が出されたのじゃないですが。その点ははっきりしているでしょう。その点だけお答え願って、あと大蔵大臣が見えましたので、稻村委員に私のバトンタッチをして、私は関連して大蔵大臣にお聞きしますので、それだけお答え願いたい。
  114. 臼井莊一

    臼井政府委員 農地買収者の側においては、いま村山先生のお話のような御意見をおっしゃる方もあります。また、私が申し上げましたように、農地転用によって非常に値が上がるのをまのあたり見ての不満、こりいうこともあることは事実でございます。しかし、この法案自体は、どこまでも、インフレに対する処置、こういう意味でやったのではございませんで、毎度申し上げましたような心理的影響と、その功績をたたえての法案であるということを、どこまでも申し上げる次第です。
  115. 河本敏夫

    河本委員長 稲村隆一君。
  116. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 実は私、大蔵大臣に対するお尋ねは一番最後にしたいと思っていたのですが、大臣非常に御多忙のようですから、最初に大蔵大臣にお尋ねしたいのです。  実は農地報償法案というものを検討すると、私は、これは日本の議会史始まって以来の一番不合理な法案だと思っているのです。その点大蔵大臣も十分知っていると思うのです。そこで、うかうかすれば、これは日本の国家財政を破綻させる――その千五百億そのものでは破綻しないけれども、こういうことをやっていると、理論的にいって日本の国家財政を根本から破滅させるような方向に発展する危険性を私は持っておると思うのです。そこで私は大蔵大臣にお尋ねしたいことは、大蔵大臣はその点よく知っておられるわけで、たとえば三十八年二月四日の予算委員会において、高田富之委員の質問に対して、大蔵大臣は次のように答弁されておる。「政府補償を行なわない。」補償はやらぬということは、臼井長官の御答弁にもあるように、補償でないと言っているのですから……。「最高裁判決をそのまま認めておるわけでありますから、すべての者に対して反別当たり行なうというならば当然補償を前提としての話でありますが、政府補償を前提としておらないのでありますから、」こう言っておられる。「あなたが今言われた通り、幾ら生活程度がよくともすべての地主を対象にして補償を行なうのだという議論は、政府答弁からは全然出てこないわけであります。」「でありますから、少なくとも、一般の世帯よりも十分生計を営み得、しかも、十分余力のある者まで報償の対象にしようというような考え政府は持っておりません。」ここは「報償」です。それから同じく二月六日の予算委員会において、やはり楯委員の質問に対して、「私が一昨日岡田委員の御質問に対して申し上げたのは報償でありますから、一律一体にこれを行なうというような考えに立っておりません。こういうことを明らかに申し上げたわけでございます。」こう言っておられるのです。しかるに実際は、田中大蔵大臣の言われたことと違っておるような一律補償のようなことが行なわれておる。私は、大蔵大臣ともあろう者が、こうような一律補償するということは、理論的にも現実的にも非常に危険なやり方でありますから承知するはずはないと思っておったのですが、いま政府の案として出てくるものは、このように一律補償するというふうな無謀な案でありまして、これがほかのほうに発展する非常な危険性を持っておりますが、大蔵大臣はどのようにお考えになりますか。
  117. 田中角榮

    田中国務大臣 ただいま速記録を引用せられました当時は、私はそのとおりの考えを持っておりましたので、私の考え方をすなおに披瀝を申したわけでございます。しかし、その後農地報償という問題に対して与党及び政府の中でいろいろ検討いたしました結果、最終的な段階においてただいま政府原案として御審議をいただくようになったわけでございます。もちろんきまった以上、内閣は連帯して国会に責任を負うのでございますから、現在の段階におきましては、この案を御審議いただき、すみやかに御可決を願いたい、こういり立場に立っておるわけでございます。ただ、財整当局者といたしましては、このような事例がたくさん波及するということになりますと、財政の上では非常に大きな問題でございますので、非常に慎重に検討をいたしました。しかし、これは他の戦争関係のものとは趣を異にいたしておりますし、まさに今日の日本の繁栄、われわれの今日を築いたものの一つの犠牲として当時の農地改革が行なわれたという歴史的な事実もありますし、またその間における農民諸君の精神的な苦痛に対して国家が何らかの報償を行なう、こういう結論に達したのでありますから、これが他に波及しない、波及などしては困るという考え方を前提にし、かつまた、そういうおそれはないという考え方に立って賛成をいたして御審議をいただいておるわけでありまして、どうぞひとつ御審議をお願いいたします。
  118. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 私、議論いたしませんけれども、これは見解の相違でありますが、私は、総理大臣が言っているように、あるいは臼井総務長官が言われているように、地主は日本の民主化のためにはなっていないと思うのです。これは議論ですからここでやりませんけれども、最初大蔵大臣が持っておられた考え方池田総理もこれ以上補償しないということを、たしか予算委員会で言っておったと思います。しかし、報償となり――名前は報償だけれども、これは一つのへ理屈であって、再補償にきまっておるのですから、もしこういうことをして報償と称して再補償を実施すれば、論理的に言って地主よりも――ここで議論は言いませんが、リカルドというアダムスミスの忠実なブルジョア経済学者が言っているのですが、資本主義経済の発展の当然の結果として、地主は必要ないものだ、これこそ農業生産のための阻害だから、こういうものはなくしてしまわなければならぬと言っている。これは共産主義者でも何でもない、資本主義経済学者です。そういう歴史の発展から、必然にこれは滅びる。もう現に滅びつつあるのです。これはあとで申しますけれども、滅びつつあった。そういう者を報償として救うということは、地主にかかわらず、別個の社会保障その他の問題で救済すればいいので、こういう必然に経済の発展の法則に従って滅びる者を保護しようとして何かやるとするならば、決して自分に責任がない戦争のために、あれだけ爆撃されて全財産を失った戦災の人などは、論理的に言って、現実的に言っても、これはどうしても全額補償しなければならぬというところに発展せざるを得ないと私は思うのです。これは論理的に言えば必ずそうなる。そういう運動が出てきている。それから在外資産の一千億、これなんかも、政府給付金を出したからもう解決したと言っているけれども、いまでも運動が熾烈に行なわれているんだから、こういうものをどうしても補償しなければならぬということになるんじゃないかと私は思う。そういうのがたくさんある。たとえば一例を申し上げますが、軍人恩給だって未解決の状態です。在外資産、引き揚げ者、在外公館借り入れ金、小笠原諸島からの引き揚げ者、それから戦病者及び戦没者遺族、未帰還者留守家族、未帰還者、学徒動員による被害者、戦災による家屋、人員に対する被害、強制疎開による被害、原爆被災者、企業整備による整理、こういうものに対する対策が、これじゃまだまだ不十分だ、これはぜひやってもらわなければならぬという運動が現に起きている。こういうふうな多くの戦争による犠牲、自分の意思によらないで国家の政策が誤って犠牲になった人人、経済の必然じゃなくて、全く国家の政策が誤って、悪かったために犠牲を受けたそれらの人々に対して、地主報償というこういう不合理なものをやって、どうしてこれを報償しない、全額負担しないでおることができるか。筋の通った政府であれば、地主報償をした以上こういうことをやらなければならないと思うのですが、こういうことになったならば、国家の財政は一体どうなるか。その点について重ねて田中大蔵大臣の御意見を聞きたい、こう私は思うのです。
  119. 田中角榮

    田中国務大臣 財政に対して御理解のある御発言をいただきまして、ほんとうにありがとうございます。私自身も、財政豊かならざる状態において、これからの財政需要の非常に大きなものに対処してどうするかということを日夜苦慮しておる立場にとりましては、財政に対してきびしい態度で臨むということはけだし当然でありまして、お考えの本旨に対しては私も非常に敬意を払っております。しかし、この農地報償という問題は、国民的な議論であるということも、これは御承知のはずなんです。ですから、農地報償という問題は、単に政策的に飛び出してきた問題ではなく、これはやはり今日のわれわれのある一つの大きな基盤になったということは、これはいなむことができません。これはあなたを前にして悪いけれども、あなたや三宅さんが何十年間地主打倒をやってきたのですが、なかなかやれなかった。それが戦後できたために今日のこのような民主日本ができたのですから、世界のどんな歴史を見ても、農地開放がうまくいくかいかぬかということが、一つの歴史の転期になるのですね。いまでも東南アジアの諸国では、部族諸候やいわゆる大地主というものが牢固として根を張っているところに、民主化が行なわれない、こういうことですから、私は当時第一次農地開放、第二次農地開放の芽も出そうだ、第三次山林開放もあるといって、あの選挙のスローガンを掲げてお互いに議論し合った当時を振り返って今日を考えれば、いわゆる農地開放によって今日の基盤をつくったということは、これは言えると思いますし、その開放をされた人たちが今日のために精神的に、経済的に受けたあらゆる苦痛というものに対して何らかの報償をするという考え方は、やはり他の問題とは分けてものを考えても、事の軽重の上から考えても、私はそう悪いことではないし、やれるならばやることによって、将来のためにお互いの財産や権利を犠牲にするということもたくさんあるわけでありますから、いろいろな議論は確かにありますが、一つにはこのささやかであるが、報償ができるようなわれわれの状態になったということも考えながら、これはひとつ通していただきたい、こう考えるわけです。  もう一つは、すべてのものに波及してはたまらぬ。ですから、引き揚げ者に対しては、審議会の答申によって、もうすでにはるかな過去において五百億という交付金を出しているわけですから、戦争に対するいろいろな犠牲に対しても、大なり小なりいろいろな処置を行なっております。しかも戦争犠牲というものは、大なり小なり国民すべてが犠牲を受けていますが、戦争の直接被害をいうものと農地開放につきましては、一線を引いて、分けて考えなければならない問題であります。ですから、農地開放に対する評価ということは、あなた方も腹の中で静かに手を当てて考えれば、わからなくはないと思うのです。ただ、それが財政の立場でいろいろなものに波及するということで、いろいろ御親切な御発言もございますが、歴史的な事実に徴して何ぶんの御理解を賜わりたいと思います。
  120. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 私は、田中大蔵大臣のような頭のいい人が、そんな妙な理屈を言うのはおかしいと思う。実際地主報償と戦災者とは、悲惨の程度は比較にならぬですよ。戦災者とか在外引き揚げ者というものは、実に気の毒です。だから、これに対してはもう政府はこれ以上やらないのですか。これ以上再補償とかあるいは給付金を出すというようなことはしないのですか。
  121. 田中角榮

    田中国務大臣 私たち政府としましては、すでに審議会の答申を得て交付金を出しておるのでありますから、補償しなければならないという考え方は持っておりません。しかし、非常に議論の多いところでございますので、御承知のとおり、総理府に在外財産問題審議会をつくりまして、広く外国の例とか、そういうものも全部調査をしていただいておるのでありますから、すべては調査の結論にまちたい、こう御理解を願いたいと思います。
  122. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 そこで、いま総理府の内閣総理大臣官房の中に臨時在外財産問題調査室というのがありますが、これは在外財産に対してこれ以上調査をするかいなやということを調査するために設けているのですか。
  123. 田中角榮

    田中国務大臣 これはその補償をすべしとかしないとかということよりも、在外財産問題に対して、広く外国の例とかそういうようなものを全部ひとつ慎重に検討していただいて、在外財産問題に対する基本的な問題に対して政府答申をいただこう、こういうことでありまして、いま補償の方向しか補償しない方向とか、そういうものを固定的にきめて御審議をいただいているのではありません。
  124. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 まだいろいろお尋ねしたいことがありますけれども、まだ村山委員大蔵大臣に対してお尋ねがあるようですし、大蔵大臣非常に御多忙のようですから――どうも私と同じ選挙区なんで質問しにくいですから、これでやめます。
  125. 村山喜一

    村山(喜)委員 大臣が四十分くらいしか時間がないということでありますから、あと二十分くらいしかないと思いますので、簡単に大臣にお尋ねをいたします。  一つは、いま政府が国有農地として農地を買い上げる価格というものは、大臣御承知のとおり、たんぼで一万二千円。ところが今度の報償基準何格は反当たり二万円。政府の買い上げる農地価格よりもなぜ報償のほうが高いのか。大臣は合理主義者で、できるだけ財源支出を少なくしようという考え方に立たれる以上は、この問題についてやはり御所見があってしかるべきだ。そういうようなものに対して、あなたとしてはどういう態度で臨まれたのか、これをお答え願います。
  126. 田中角榮

    田中国務大臣 当時の新聞でも御承知だと思いますが、私も一万二千円をこえてはならないということで、大いに奮闘努力いたしたわけでございます。しかし法律で、御承知のとおり、現在年間約一千町歩にのぼりますか、数字が違えばあとから訂正いたしますが、いずれにしても未墾地のようなところを買い取っております。この価格は、御指摘のとおり一万二千円というところでございます。
  127. 村山喜一

    村山(喜)委員 いや、努力をしたその結果は、大臣は負かされたのですか。どうも納得できない。
  128. 田中角榮

    田中国務大臣 いろいろ議論をいたしたわけでございますが、最終的に国会に対して共同して連帯責任を負う価格は、いま――これは補償価格というわけではありませんから、代金ではなく、報償する基準になる金額は、御審議をいただいておるようになったわけであります。
  129. 村山喜一

    村山(喜)委員 もう一点は、いま参議院で国民金融公庫法の一部改正の審議が行なわれておる。これは大臣御承知のように、二十億円を低利資金として最高二百万円まで、五十万円までは一般の国民が借りるよりも安い金利で旧地主生業資金として金を借りることができるようになっておるわけでありますが、それと、今回のこの報償法案が通過するということになると、重複して有利な待遇を受ける、こういうことになりますが、これはやはりワンセットのものとして大臣としては考えておられるのか、これについてお答え願います。
  130. 田中角榮

    田中国務大臣 ワンセット、不離一体のものであるというふうには考えておりません。これは、この法律案がきまらない前に、農地買収者であって生計に困っておられる方々とか、そういう方々に対して生業資金の貸し付けを行なうということで、もう何回も御審議をいただいておるのでございますが、今日まで衆議院を通っても参議院でひっかかっておるとか、そういうようなことで成立を見ないということであります。成立を見ないうちにこれが成案を得て御審議をいただいておるわけでありますから、これはそのおい立ちから考えまして、一体のものではございません。一体のものではございませんが、この御審議を願っておる報償法案が通れば、国民金融公庫措置は必要なしというふうには考えておりません。これはこれ、あれはあれ、こういうことであります。
  131. 村山喜一

    村山(喜)委員 当時工藤調査会答申の結論に基づいて、三十七年のそれに基づいて国民金融公庫法の一部改正が出された。まあ政府原案のほうが先になったんだ。そのあと工藤調査会も同じような答申を出しておる。農地の開放された被買収者に対して何らかの措置をしなければならないということは、その時点においてはそれが一つの妥当のものとして政府国会に出した。ところが、これは何回も廃案になって、今日なお通っていないわけです。そうするうちに新たに今度は、三十九年の六月に閣議決定をして、今日出されている給付金法案が出されてきた。だから、そういうような、あれはあれ、これはこれという形では、私は政治面としては筋が通らない。やはりこれについてはこういう対策でやらなければならない。あの時点においてはまだこの給付金法は出ていないわけですから、当然の必要性があったものとして是認をされるでしょう。しかしながら、今日において新たに一千五百億にもなんなんとするこういう法案をあなたが出されたということを考えますと、これはやはり分離して考えるというのが当然じゃなかろうかと思うのでございますが、その国民金融公庫法の一部改正は、どうしても通さなければならないとお考えになっているのか、その点について再度お尋ねいたします。
  132. 田中角榮

    田中国務大臣 これが不離一体であって――初めからこれは不離一体であるということで申し上げておるのではなく、御承知のとおり、国民金融公庫法の改正は、二十億の限度を設けて被買収者生業資金の貸し付けを行なうという法律でございます。このいま御審議をいただいております報償法案は、その後それとは関係なく考えて成案を得、御審議をいただいておるわけでございますから、いま政府から皆さんに申し上げておるのは、この両法案ともそろってひとつ通していただきたい、こういう考えでございます。
  133. 村山喜一

    村山(喜)委員 財源でございます。この交付公債の財源は、財政法第四条から見まして、これは適法なものである、一般財源をいわゆる整理基金の中に入れて、その中から支払っていくのだという方式をとる。そこでいままで論議された中においても、現在政府が持っておる国有農地、このものを時価で売り飛ばして充てたらいいじゃないかという論議が過去においてあったことは事実である。そこで大臣にお尋ねいたしたいのは、これは一般財源の中から給付金として十年間の間に支払っていくのだ、こういう方式をとろうとお考えになっている、こういうふうに承って差しつかえございませんか。
  134. 田中角榮

    田中国務大臣 特別の財源措置を行ない、いわゆる御指摘のように国有農地等の売り払い等を行なって、この収入代金に充てるいうような特定なものではありません。一般の国民の税金の中から年次償還を行なっていくという考えでございます。
  135. 村山喜一

    村山(喜)委員 そういたしますると、今度の法案の提出に先立って国民世論というものを調査した、その世論調査によりますと、気持ちはよくわかる、五〇・九%。しかし、現在生活に困っている人だけに支給すべきである六〇%。だから、そこに所得制限というものがあってしかるべきだというのが、大衆の国民の気持ちなんですね。大衆の世論というものは、政府調査してもそういう姿がはっきり出てきている。そこで、たとえば五十町歩以上のような大地主の場合には、これが農地開放というのが一つの刺激になって前よりも財産をたくわえ、事業にも成功している、そういうようなものまで国民の血税を払わなければならない、報償金を払わなければならないということになりますと、国民の世論としてはどうしてもやることについて納得がいかない、こういう考え方でありますが、その所得制限をしない、しかも所得税もかけない、これについては、大臣がかねて言われる、あるいは佐藤総理の人間愛という、そういう立場から考えてみても、法案自身が世論の方向に沿うていないじゃないかというふうにわれわれは受け取るのでありますが、大臣としては、金を出す立場からそれでいいんだという結論はどうしてお出しになったのか。それはどうですか。
  136. 田中角榮

    田中国務大臣 私は、当初大蔵大臣案というものには、所得制限を付すべしということで出しているわけです。ところが、所得制限を付すべしということになりますと、議論をしておるうちに、これはやはり経済的なものを主として補償払い、こういうような思想であるならば、所得制限は当然付さなきゃいかぬ。しかしそうではない。農地買収者の受けた精神的な、また経済的な苦痛に対する報償である。こういうまた新しい報償でありますから、そういうことになると、これはどうも銀杯をやるのと同じことなんです。税金を納められるような階層には銀杯をやらない、こういうようなことにもならない。ですから、そういう意味で、銀杯とか賞状とか勲章とか、そういうものも報償の仲間ですと私はお答えをしてございますが、そういう報償ということになると、これはどうもある一定の資産を持っている者以上には交付しないということになると、これはもう報償という意義が薄れる。いろいろ考えた結果、最終的には所得制限を行なわない、こうなったわけでございますから、ひとつ御理解いただきたいと思います。
  137. 村山喜一

    村山(喜)委員 最後に一つだけお尋ねをいたします。  それは今回のこの措置が他に波及しないであろう、こういうような考え方をお持ちでありますが、これは間違いであります。といいまするのは、最高裁判決が出て補償の必要はないというところまできたものが、報償という形で事実上は土地を主体にして、面積を主体にしてやっているんですから、これは追加払いであることは事実だ。そういうような性格的なものをも持った給付金法案が、今度国会に出てきている。これはやはり筋は通らなくても、そういうような政治力によってやればものになるんだといういい例としていま出されているわけです。いま私も在外財産問題審議会の委員です。この問題については、この問題が一つの問題点として影響を在外財産の問題に与えることは、これは当然の形としてわれわれとしては受け取ります。そういうのは私だけではない。他の委員諸君も、この問題については、引き揚げ者給付金の問題等は、過去においてなされたときには所得制限がありました。しかも今度は所得制限もありません。しかも引き揚げ者給付金の問題については、最高裁判例は出ておりません。そして東京高裁の判決は何と出ているかというと、当然これは国が措置をしなければならない筋合いのものである。しかし現在は、法律的な手続がないからやむを得ないのだということになっている。そういう立場から考えていくならば、今度は単なる報償ではなくて、報償の問題として発展をする。このことは、大蔵大臣としては十分考えておってもらわなければならない問題だ。さらにまた戦災者の問題、あるいはその他の戦後処理の問題をめぐりまして、明らかに当時は適法な価格でなされた。適切であった。しかしながら、インフレーションの結果、事実上は地主はそういうような土地をただで取られたような形になったとするならば、当時の封鎖預金についてはどうか、こういうようなものについての補償をすべきだという要求が、今後出てくる。そうなったら、政治の上において筋が立ってこないじゃないか。この問題を大蔵大臣としてはよくお考えになって、この問題に対処する方針をおきめになるべきであったのが、残念ながらまあまあという形になって、その綱島案にやられてしまったということが、現実の形なんだ。私は、そういう点からこの問題については関連性がないんだと幾ら言われても、関連性があるという意味において意見を申し上げて、大蔵大臣に対する質疑は終わります。  先ほど農地政策の問題について、私は農地の収益価格についての資料を出してもらいたいという要求をいたしたのでありますが、それについては何らの答弁をいただいておりません。それで、いわゆる利潤と地代との関係について農林省がどういう立場を今日までとってきたのか、この問題について説明を願うと同時に、いわゆる昭和二十年から二十四年の間におけるところの土地に対する租税公課というものが、米価とともに収益価格においてどのような影響を与え、土地の価格形成の面においてどのような影響を与えてきたのか、これについての説明を願っておかなければ、今回いわゆる二万円という計算をしたわけですが、これに対する合理的な説明がまだなされていないわけでありますから、それらの点についての資料を要求いたしたいと思いますが、これは明日あたりまでに出していただけますか。
  138. 石田朗

    石田説明員 先ほども申し上げましたとおり、農地改革の際の買収価格、これがいま先生のおっしゃいました自作収益価格によって算定されておるわけでありまして、その際の算定の考え方は先ほど申し上げましたとおりでございまして、いまの標準反収によります粗収入から生産費を引き、それに利潤を控除いたしまして、土地に帰属すべきものとして考えられます部分、これを資本還元したもの、こういう考え方でできておるわけであります。
  139. 村山喜一

    村山(喜)委員 その数字を示してください。
  140. 石田朗

    石田説明員 先ほども申し上げました、粗収入から生産費及び利潤を控除いたしました減額が二十七円八十八銭……。
  141. 村山喜一

    村山(喜)委員 それは昭和二十年のことだ。そのあとのことを聞いている。
  142. 石田朗

    石田説明員 したがいまして、それを資本還元しましたものがいま申し上げました数字でございます。
  143. 村山喜一

    村山(喜)委員 昭和二十年のその数字は、私知っているのですよ。その後の資料について、二十四年ごろまでのやつを出しなさい、出してもらいたいと言っている。それを出せるかどうかということをお答え願えばいい。
  144. 石田朗

    石田説明員 ただいまお話しいたしましたように、昭和二十年の買収価格を決定いたしますときの数字は、そのとき集められます計数を集めまして、なお理論的にも十分検討いたし、このようにして農地改革を実施する買収価格を決定すればよろしいという考え方に基づいて、正式に計算をいたしたものでございます。それ以降におきましては、先ほども申し述べましたように、物価、米価、生産費ともに変動がございますが、それにつきましては、公的に算出したこういうような数字のものはないわけでございます。
  145. 村山喜一

    村山(喜)委員 食糧庁で計算をしたのがありますから、それは明日農林委員会との連合審査がありますので、その節出していただきたい。  そこで、私もうこれで終わりますが、総理府にお尋ねをいたします。総理府から調査報告書を出されて、参考資料としていただきました。調査室がつくったものです。私はこれに対して、大地主生活状態というものをあなた方は調査したことがあるかといって聞いた。ところが、二町以上のやつしかない。北海道は四町ですか、それ以上の――私が資料として要求したのは、十町歩以上の地主が、どういう職業でどのような所得をあげているのかということを調査したものを資料として出してもらいたいと言ったら、それはないという。五十町歩以上もない。だから、そういうようなものはあなた方としてはいろいろな検討を加えなければならないとしてここに出された。そして報告されたものがあるわけです。この中から、たとえば年間の総所得の分布図等を見てみましても、いろいろ問題があります。たとえば三十八年度現在で調べたのなんか、四五・三%はいわゆる最低限、課税限度額以内の生活をしているとか、あるいはそれ以上のものはしていないとかいうような資料がありますが、これらの結果のものをあなた方は社会保障政策としては使わないのだ。国民世論は、あなた方が設問をされて調査をされたものは、そういうような社会保障的な立場からやるべきかいなかということを質問をしておいて、そして社会保障政策的な立場においてやったほうがよろしいという世論が出ておるのに、その結果に従わないで、別な角度から今度はやったんだということになりますと、これは何のために調査室をつくって調査をしたのか、その意味がわからなくなると思うのだし、しかも資料として要求をしておりますわれわれの要求にはこたえることができない。こういうことになってきますと、初めからそういうような所得制限も何もしないのだということを念頭に置いて調査をされたということを、私たち疑いたくなる。だから、客観的な事実を知ろうとするのではなくて、やることを裏づけをするためになされた調査であるのかどうか、この点をお聞きして、これに関するところの調査が、この委員会に報告ができるのであれば、お答えを願っておきたいのです。
  146. 八塚陽介

    ○八塚政府委員 現在これに関連いたします調査としては、御承知のように工藤調査会調査と、それから三十八年に総理府でやりました調査と、二つあるわけでございます。  先ほどのまず第一点の問題といたしまして、たとえば世論調査に、六一%はやはり困っている人に差し上げるべきだというような結果が出ておる。それはどういうふうなことで無視したのかということでございますが、三十八年のこの調査の時点におきましては、先ほども大蔵大臣がお話しになりましたように、いろいろな観点、まだ政府案がきまってない段階で調査をいたしました。したがって、むしろこういうふうに、端的に言いますならば、現在の法案にとっては不利なデータであります。しかし、当時の段階で、そういうことも当然議論になるであろうということであえて調査をする、そういう意味で、むしろ調査については、私どもとしましては、当時の政府の段階を考えてみますとよくおわかりいただけると思いますが、できるだけ客観的な立場調査をする、むしろ特定の意図なしに、場合によってはやらないかもわからぬ、場合によってはやるかもわからぬということで、むしろ調査をいたしておるわけでありますから、調査につきましては、特定の意図を初めから持って落とし込んだというようなことではございません。  それからこれに関連いたしますが、大規模の被買収者について特定に特にやってないのはおかしいじゃないかというお話でございますが、確かに特に大規模の方については、残念ながらやっておりません。ただ、工藤調査会の際には、これはお話にありましたように、二町以上と二町以下を分けておるわけであります。十町以上の分だけ、あるいは五十町以上の分だけを当時の個票に基づいて資料に直しますならば、あるいは出てくるかと思いますけれども、工藤調査会の当時には、約一万五千全国民の中から抽出をして、その中に千数百戸の被買収者がいたというようなことで、非常にサンプルも少ない。しかも過去のことでございますので、どうしてもいまの段階では大規模をつかまえることができないということでございます。
  147. 村山喜一

    村山(喜)委員 当時の一九四〇年の全国推計によりますと、五町歩以上の地主というのは、これは耕作地主と不耕作地主を入れて九万九千、それの貸し付け面積が百二十八万四千町歩、四六・四%、それから一町から五町までの中規模の地主層が両方合わせて二十八万七千、そうして貸し付け面積が百十一万九千町歩、四〇・八%、それに対して一町歩未満の場合には、戸数にすると百三十五万二千戸となっておりますが、貸し付け面積はきわめて少ない三十六万四千町歩、一三・一%しかない、こういうような状態の中にありまして、あなた方が階層別に調査をしないということは、これは職務怠慢ですよ。やはりどういうふうになって、それがどのような生活に影響を与え、それを地主という、ただそれを一般的に押しなべた形でなくて、階層ごとに調査をして、どの階層の人たちが一番困っているのだということを的確に出していくというところに、政治においてこれを救済をしなければならない必要があればやるのだという形になるのがあたりまえであります。そういうようなものをやらないで、ただ地主一般という形において還元をし、しかもこの所有面積等から見た場合に、これらの点について十分な資料が提供をされていないということに対しましては、私はまことに残念だということを一言つけ加えまして、私の質問を終わります。  農林大臣に対する質問は、また後日に譲ります。
  148. 河本敏夫

  149. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 実は私、農地報償法案の取り扱いは当然農林省で扱うべきであり、総理府で扱うなんということは根本的に間違っておると思うのです。この点について農林大臣がおいでになったらお尋ねしたいと思いますが、それまで臼井長官に二、三の点についてお尋ねしたいと思います。  先ほど臼井長官村山委員の御質問に答えられまして、政府最高裁判決に従って補償はしないのだ、地主が非常に精神的なショックを受けたので気の毒だから報償するのだ、こう言っておられます。なぜ精神的なショックを受けたか、なぜ気の毒だかということは、私は、たぶん買収価格が安過ぎたから地主はショックを受けたのだ、こう思うのですが、その点はいかがでしょうか。
  150. 臼井莊一

    臼井政府委員 旧地主諸君は、もちろんそういう安いということで報償とか、前にはそれを追い払いでやれとかというような運動、そういう際にはそういう理由もあげておりました。あげておりましたけれども、政府見解としては、先刻来お話のように、最高裁でそういう判決もちゃんと出ているというようなこと、それから一部にはその際に奨励の意味で、農地改革をすみやかに行なうという意味において一部報償を前にもいたしました。したがって、特にそれが安いためにも一度これを補償意味でやるというのじゃございません。先刻来申し上げておるような報償ということで、心理的影響とかあるいはまた貢献に対しての功をねぎらう、そういう意味報償ということをする、こういうことになっておるわけであります。
  151. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 精神的影響を受けたいということは、つまり経済的に非常にショックを受けたという意味ですね。
  152. 臼井莊一

    臼井政府委員 もちろん経済的という理由もあると思うのすでが、そのほかに、たとえば私有財産というような問題で、公共福祉とはいいながら、そういうことでやられたということ、あるいは中には非常に急激なあれで意外に思った、こういうふうなお考えの方もあろうかと思います。
  153. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 先ほど管理部長は、農林省は農政面から見て買収価格は正当であったと答弁している。それで、農林省の見解は安くないということですね。
  154. 石田朗

    石田説明員 先ほどもお答え申し上げましたように、農地改革における農地買収対価は正当なものであったというふうに考えております。
  155. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 そこで私は、佐藤総理が過日の本会議において、私どものほうの山内委員の御質問に答えて、これは経済的問題だと言っていない、地主は日本の民主化に貢献があったから、それで報償するのだ、こういうことを言っておられますが、この点総理の答弁では、経済的な意味は全くなくて、日本の民主化に貢献があったから報償するのだ、それを金で報償するのだ、こういうことを言っておられるのですが、その点は、もしそうであるなら、金でなくても、免状でも証書でも何でもいいと思う。そういう点はどうですか。
  156. 臼井莊一

    臼井政府委員 お説のように、報償のやり方につきましては、たとえばお話のように証書という方法もあると思います。あるいは勲章とか、そういうようなやり方もあるでしょうけれども、何といっても土地という貴重な財産を売って起こった心理的影響とか、それからそれに対する功績の報償でありますから、やはり金でするほうが一番はっきりしていてよろしかろう、こういう結論になったものであります。
  157. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 はなはだ抽象的なお答えでありますけれども、私は、地主は日本の民主化には絶対に貢献しなかったと思うのです。これは見解の相違だけれども、地主は有島武郎さんのように決して進んで開放したのではなくて、当時の法律の強制力によって、占領軍を通じて農地開放の法律ができた。そこでやむを得ずせざるを得なかった。私は、徹頭徹尾農地の開放に反対したのは事実であると思うのです。しかも率直に言って、農地改革を中心にしてちっとも日本の民主化のためにやらなかった。しかし、地主は開放したくないといって暴動を起こせるものではない。開放せざるを得なかったのであって、地主の功績でも何でもない。これも議論になりますが、しかし事実であります。もし日本の民主化に何ら貢献のない地主報償されるならば、小作人こそ農業生産力の発展とそれから民主化のために大いに役立ったと、私は思うのです。これは報償を受けなければならぬと思うのです。地主報償しなければならぬ何らの理由もなく、事実もない。徹頭徹尾農地開放に抵抗したのですから、これはどうもおかしいじゃないですか。民主化のために貢献したから報償するというような理屈にならぬ。安いから報償する、安かったから再補償するというなら、これは一つの見方であって理屈であるけれども、民主化に貢献したから報償するのだということは、全く事実に反する。これはうそだと私は思うのですが、その点どうですか。
  158. 臼井莊一

    臼井政府委員 まあ農家にとって貴重な不動産、耕地というものを売り渡す。しかも売り渡す側から見れば、さっきのお話にもございましたけれども、どうも値段も非常に安かったというようなことで売り渡したわけでありますから、転んでやったという人はそうはないかと思います。しかし、それにしても、戦争直後の、ああいういくさに無条件降伏で負けちゃったという心理かういえば、相当進んでやった方もありますし、赤城農林大臣のように御自分で進んでやった方もあった。そういう方もあるので、必ずしもみんながみんなこれに抵抗したという人ばかりでなしに、数多い中でありますから、いろいろそれはあると思います。しかし、結果においてはやはり農地政府を通じて耕作者に渡した、そして民主化に非常によき結果をもたらしたということは事実でありますので、これを私どもはすなおに善意に解釈して、多少そういうような抵抗していやいやながらやった、そういう面はあったかもしれませんけれども、しかし、結果としてこれは認めてよろしいのではないか。もちろんこれを買い受けました旧小作人の方、耕作者が、戦後の農作物の生産力の増強、ひいては日本の今日の安定のために非常に努力せられて、これまた貢献があったということは、これは認めるのは当然だと思いますけれども、しかしながら、やはりこの農地開放というものがあったからこそ自作農になって、そこに自分の土地としての励みも出て増産もできた、こういうことでございますから、したがって、農地開放に対して私どもは、すなおに被買収者に対して功績を認めて当然であろう、またねぎらうことが当然であろう、こう考えるわけであります。
  159. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 先ほど農林省の管理部長の御答弁にもありましたが、正当な価格を払った、これは間違いない。補償したんです。だから、もう経済的には補償すべき何ものもない。これは農林大臣がおいでになってから私はいろいろ説明したいと思いますが、当時の補償価格というものは、これはもう農業の歴史から見て、小作料や地代の変遷の歴史を見れば、これは決して不当に安いものではなかった。論理的に、統計を見ればすぐわかるわけです。だから、農林省の答弁は、当然これは正当な補償だ、こう答弁しておるわけです。それから民主化に功績があったということは、何度も繰り返すようですが、これは全くの偽りといえばはなはだ失礼ですけれども、佐藤総理の答弁のように、民主化に貢献したから報償しなければならぬということは、全然ありません。ぼくも没落地主のむすこですから、地主の気持ちはわからぬでもないのです。しかし、これはどう考えても、地主の業績をずっと見れば、日本の民主化などに大体貢献したことがないのです。たとえば先ほども話を出しましたが、あなたも北澤新次郎さんからおそらくリカルドの経済論の講義を聞かれたと思うのです。おそらくあの学校を出ている人は大部分聞かれたと思うのですが、これは資本家というものは、農業という一つの経営に経営費を負担している、新しい技術を入れている。だから、非常に富の増産にはなっているのです。ところが、地主というものは封建的な一つの遺制だから、そこで経営費は全然負担しない。経営は一切小作人まかせなんです。そうしてたまに経営費を負担したということがあるけれども、肥料代や農具を出したというが、それは小作に利息を取って貸すのです。だから、すべて経営費は小作にまかしている。そういうふうなことで、その封建的な搾取関係のもとに小作人は貧乏して、もうどうにもならない。それだから、私ども新潟県のような大地主制度における特殊な事例かもしれませんけれども、東北地方や新潟県などにおいては、小作人は軒並みに娘を売っていたわけです、女工とか女郎とか芸者に。身分上では農奴ではないけれども、実際は農奴のような生活をしておった。これは東北や北陸の特徴なんです。だから、地主が通りますと、実際上外で会っても土下座したというのが、われわれのころなんです、これは五万俵とか三万俵とかいう地主がそろっているんですから………。そういう悲惨な生活をしておる。地主はどうかというと、新潟に行って花柳界に遊んでおって、ほとんど新潟の芸者というものは、小作人から出た一流の芸者、きれいな芸者というものは、これはみんな地主さんのおめかけになる。だから、小作人はきれいな奴が生まれると、芸者にやって地主の二号になることを出世したように思っていたわけです。そういう実情であったからして、私ども学生であったのですが、とうとう農民運動に入ってしまって、就職も何もできなくて一生棒に振ったわけなんです。そういうふうな、いまそういうことはないけれども、地主制度というものは、実に前時代的な、これはいま話したらほんとうにしないような実に野蛮な一つの制度であったわけです。そういうものに対して、われわれは農民運動で反抗したのです。綱島委員などは、これはあんまり長くは関係しなかったから、このごろじゃ地主報償なんか言っておるけれども、これは私どもと一緒に農民運動にちょっと関係したのです。私は何十年もやったけれども………。それがいま地主報償なんか言っているのだが、ぼくはいかなる観点からいっても、それから決して個人的に恨みを持つわけでも何でもないのですけれども、そういう意味じゃなくて、総理の言うような地主が日本の民主化に貢献があったからそれに報償するんだというようなことは、これは全く現実と違っている議論だと私は思うのですが、その点についてどうですか。これは臼井総務長官、まことに総務長官には総理府の取り扱いになったのでお気の毒なんですけれども、これはもう農林省だって大蔵省だって逃げちゃっている。農地改革というような大きな事業をやったならば、農林省がやはりこの処理に当たらなければならぬのですが、それを総理府などにまかせて、そうしてうやむやのうちに――これは私ども臼井総務長官と幾ら議論したって、応答したって、のれんに腕押しになってしまって話にならないのです。私は、実に政府としては無責任な、その点臼井さんにまことに同情しますけれども、こういう理の通らない法案をいまごろ政府が出すなんてことは、私は実に不可解千万だと思うのですが、どうですか。地主民主化に尽くしたことが一度だってあるでしょうか。ないですね。
  160. 臼井莊一

    臼井政府委員 さすがに稻村先生のお人柄で、非常に私どもの立場を御理解いただいてありがたいのですが、しかし、それは地主の中にもいろいろございます。やはり人間でございますから、いろいろの方があったと思いまするけれども、しかし、必ずしもいまお説のような方ばかりであったとは考えられないので、あるいは特に新潟方面は特殊の事情がさらにあるかもしれませんが、千葉県などもいわゆる農民県でございまして、私も中央に政治を志してから、昭和十三年ごろには農村更生連盟などをつくりまして、まず政治をやるには農村問題を研究しなければならぬという当時の時代で、稻村先生などにもいろいろ御意見を伺ったこともあるのですが、そういうわけで、当時は政治というと農村問題で非常に――いまでも農村問題は重要でありますけれども、それがやはり旧地主と小作とのいろいろの経済的な立場、また感情的な立場でいろいろのトラブルが起こり、ことに第一次大戦後に小作争議などが起こってきて、そこで小作官をつくり、小作法というようなものをつくってまいったわけであります。そこでいまお説のように、いずれは地主というものがなくなってみんな自作農になるのだという、これは長い目で見ればあるいはそういうことになるかもしれませんが、しかし、あの戦後の急激に食糧事情が悪化して、日本国民が飢餓に瀕するのではないかと思われていたこの時代において、民主化、土地の改革をやって、これが原動力になって、今日のような農業の生産力もその後上がり、日本の経済の成長、安定の基礎をなしたということは、やはり何といっても農地改革が急速にああいうふうに行なわれたからである。地主さんでも、お話のように不満もあったかもしれませんけれども、敗戦日本のあとを受けて、その点も御理解いただいて、御協力いただいた方々が相当多いわけであります。ですから、何度も申し上げるように、私どもはなるべくいい面を見て――これは長い間農民運動をやられた稻村先生とわれわれとは多少観点が違うかもしれませんが、私どもはこれを善意に解釈して、とにかくそういうことに骨を折られて多大の協力をされた方も事実多いわけでありますから、これを率直に認めて報償して、長い間こういう問題を解決したいというのが、本法案を出した理由でございます。総理も経済面を全然否定しているわけではないと思いますけれども、やはり貢献ということを高く評価しての御発言であった。  それからさっきもお話がございましたが、本法案は、前池田内閣の時分に、前の通常国会の終わりに出たのです。佐藤内閣になってからこと新しく出たわけではございませんで、これを自由民主党として引き継いで現内閣がやっていることは事実であります。そういうわけでありますから、御了承をいただきたいと思います。
  161. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 繰り返して申し上げるようで申しわけありませんけれども、とにかく先ほど申し上げますとおり、農林省のいうように、これは経済的には正当な補償である、安い補償ではない。それなら民主化のために貢献したかといったら、貢献した事実がない。この二つは、どう弁解しても事実であることは間違いないと思うのです。  そこで、私は終戦当時の農地価格は決して安いものではなかったということを現実的に証明するために、最も小作料の高かった、地主の黄金時代であった大正から昭和にかけての小作問題について、事実を申し上げながらお伺いしたいのです。  まず、農林省の事務当局にお尋ねしたいのは、大正元年のころの全国平均の小作料は、一体どのくらいであったか。大正元年から大正五、六年の小作争議のあまり盛んでなかった当時の小作料は、一体どのくらいであったか、それをお尋ねしたいと思います。
  162. 石田朗

    石田説明員 明治末から大正の初めにかけましての大体の小作料でございますが、これは一毛作田におきまして収穫米が大体一石六斗八弁と考えられておりますが、そのうち小作米が八斗九升、こうなっておりまして、約五四%になっております。
  163. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 大体そうだと思うのです。私は、当時の農林省の統計を持っております。大正元年の統計ですけれども、いまから約五十年前、全国平均して小作料は、最少五一%、最高五八・二%だったわけです。こういうふうな高率のものであった。それはそうですね。その程度ですな。
  164. 石田朗

    石田説明員 おおむねその程度であったと存じます。
  165. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 ところが、小作争議が起きて小作組合ができると、どんどん小作料が下がった。これは大臣もよく御存じだと思いますが、小作争議調停法というものができた。それで小作官というのが調停にいろいろ奔走したけれども、下火にならなかった。地価がどんどん下がった。地価が下がったから、これで地主もちょうど土地を売る時期だ、こういうことで、これは農林大臣も地主さんでありますし、村長もやられた、農業の組合長も長くやっておられたから、農村のことはよくおわかりだと思うのです。私も没落地主のむすこですから、さっきも申しましたが、地主のことはよくわかるわけです。そこで、これが対策として自作農創設法ができた。小作料は大正年間の平均五割四分、五割一分から五割八分というふうな高い小作料の時代の半分か三分の一になって、自作農創設法によって地主は土地を開放するようにしたわけです。ところが、小作人のほうで一向に買わないのです。まだ下がるというふうに考えた。ところが、満州事変、支那事変が続いて起きた。そうすると、これは挙国一致でなければならぬというので、農民組合運動は弾圧された。みんな解散させられた。私どもも解散させられた。ちょうど第一次近衛内閣のときですが、農林大臣は石黒忠篤さんで、そのときの政府は、挙国一致の立場から農民組合は強制的に解散したけれども、そうなると、地主が農民組合がないのをいい機会にして小作料を上げるのじゃないか、そうすれば不平が起きて挙国一致をそこなうからというわけで――ところによっていろいろ事情は違いますよ。うんと下げたところはうんと安いし、少し下げたところは小作料は相当多いが、そういう現状をくぎづけする小作料統制法というもの――はっきりした名前は忘れましたが、小作料を上げないという法律をたしかあのときつくったわけです。そのときの農政課長は和田博雄氏なんです。そこで、近衛内閣が退陣して、平沼内閣のときに地主が騒ぎまして、小作料を上げることができないような法律をつくったやつはだれだ、草案をつくったのは農政課長の和田博雄だ、こういうので、和田博雄氏はそのときにすでに企画院にいっておった、それを平沼首相はけしからぬといって、企画院におりました勝間田君らを引っぱって投獄した。そういうふうな問題があるわけです。そういうふうな事件がありましても、小作料はずっと下がっておった。それだから、農地改革直前の小作料というものは、小作運動のためにどんどん下がって非常に安かった。どのぐらいだったかということを、農林当局の方でもいいが、事務当局の方は御存じでしょうか。
  166. 石田朗

    石田説明員 昭和十九年におきまして、小作料率はおおむね三八%程度であったと思います。
  167. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 私が持っておる資料によれば、当時地主米価は百五十キロ当り五十五円の据え置きであった。それは間違いありませんな。それから生産者米価は同じ百五十キロ三百円。小作料は地主米価によるとされておりましたが、それも間違いありませんですな。そういたしますと、この間毎日新聞の論説欄に出ておりましたが、かりに三百キロの反収で五割の小作料であっても、小作料は六百円のうちの五十五円、一割以下の小作料を支払うだけでよかったわけですね。これも間違いありませんね。
  168. 石田朗

    石田説明員 昭和二十年の計数をとりますと、そのようになっております。
  169. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 いま農林大臣、お聞きになったと思いますけれども、こういうふうに小作料というものはだんだん下がっていったのでありますから、当時の平沼内閣のときに、農地開放という、つまり日本の歴史の上におきましては、大化改新以来二度目の大きな土地改革なんですが、こういうときに地主が開放した価格というものは、そういうふうな時勢の推移によりまして、つまり資本主義の発展に従って、開放以前にすでにもうそういうふうに価格が下がっておったわけですね。したがって、先ほど農林省の管理部長が答弁されたように、その当時の価格は正当な価格であった。ちっとも不当な価格ではないと私は思うのです。その点、農林大臣はどうお考えになりますか。
  170. 赤城宗徳

    ○赤城国務大臣 いまお話しのように、当時小作料も物納から金納に変わりました。小作料の率も非常に少なくなってきております。それから逆境して、農地買収価格を決定いたしたのであります。当時といたしましては相当の価格であった、こういうふうに思います。
  171. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 私は繰り返すようですが、それならなぜ報償と称してさらに再補償されるか。先ほど大蔵大臣にもお尋ねしたのですけれども、こういう不合理なことをいたしますと、他に波及するところが非常に大きく、日本の財政を非常に危険なところに持ち込む重大なゆゆしい問題だと思うのです。どういうわけでこういう報償をされるかということ、しかも農地開放というものは農林省が扱った大事業でありますから、この報償の問題も農林委員会にかけて、当然農林省が取り扱うべき問題である。それを総理府の取り扱いにして内閣委員会に出すなんてことは、これははなはだもって奇怪千万だ、こう私は思うのですが、その点、大臣はどうお考えになりますか。
  172. 赤城宗徳

    ○赤城国務大臣 この農地報償のやり方といいますか、考え方、こういうものは、農政ではございません。農政ではなくて、その当時、地主が相当日本の農地改革に貢献した、こういう事情から別途に考慮されてまいったものでございます。私は農地改革のときに考えましたが、農地改革というものは確かに日本の農政を推進したと思います。しかし、一つの点は、農地改革のときに、耕作する権利というものを地主には認めなかった。すなわち土地の再配分というものが行なわれなかった。耕作している者のみがその所有権を、取得して、耕作してなかったということで、地主にも生きる権利がありましたが、小さい地主等がその土地の幾分かをとって、自分で耕作して自作農化するという権利が当時奪われておった、土地の再配分が行なわれておらなかった、こういうことが一つ尾を引いておったと思います。それからああいう改革がなされないといたしましたならば、あのときの情勢から言いまして、相当革命的といいますか、共産革命的な空気もないわけではなかったと思います。そういうときに無血的に土地を開放したというような地主の貢献というものに対しまして、最近いろいろ検討を加えてきた。でありますので、農政と別個の問題として、こういう貢献に対しまして新たな観点から報償していこう、こういうことで取り上げられた問題と私は承知しております。そのためには慎重を期する必要があるということで、内閣の総理府にこの農地報償に対する審議会を設けまして、その答申を求めておったようないきさつもございます。そういうようないきさつがございますので、農林省として取り扱うよりは、総理府としてこの問題を取り扱うことが適当である、こういうような観点から総理府で取り扱うことに相なった、こういうふうに私は考えております。
  173. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 これは私は、農林省が結末をつけなかったことは、根本的な間違いではなかろうかと思うのです。先ほど申しましたように、決して安い価格でなかったということ、それから農林大臣が地主であったときは、農林大臣のような方はそれはずいぶん農村のために尽くしたし、それから農村の民主化のためにもずいぶん尽くされたと思うのですが、多くの地主の業績を調査いたしますと、私が先ほど例をあげて申しましたように、農村の民主化などにたいした貢献をしておらないのですね。それをまだほかに報償すべきもの、補償すべきものがたくさんあるのに、戦災者であるとかそういう人がたくさんあるのに、地主だけ特別に民主化に貢献したと称して報償するということは、これは私は不合理だと思うのです。なるほど、地主は最初は土地所有は許されなかったけれども、あとでは一町歩以内は所有することを許されました。それから山林を持たない地主さんもおるけれども、山林は開放されなかった。ですから、いま地主さんでそう困っている人は少ないだろうと思う。困っている人もあるけれども……。そこで時代の犠牲者として――むろん、これはすべての人が時代の犠牲者だから当然だ、やむを得ないのだ、こういうことではいけないので、これは何らかの社会保障的な意味におきまして、他の人々と同じように救済する必要がある、そういうような方法は講ずべきだと思うけれども、しかし、地主だけ特別に報償するというようなことは、どうしても納得がいかない。理論的にも間違っている、実際的にも間違っている、これは強弁にすぎない、こう私は考えるのであって、それが単に地主報償だけにとどまればいいけれども、ほかに波及するところが非常に大きい。それが日本の経済を破壊するような結果になりはせぬか、こういう観点から、今度提案されましたこの地主報償というものは、どうしても私は認めるわけにはいかない。  それから農地開放の事情でありますが、これは当時の実情でありますけれども、農地開放は、これは幣原内閣のときに、マッカーサー命令で行なわれたことは事実です。それから農林大臣は松村派三氏、農政局長は和田博雄氏です。私がたまたまこの事情を詳細に知ることができましたのは、これは一九五六年ですが、インドの帰りに私は南ベトナムに寄ったのです。そのときに日本の農地改革を実際上推進しておりましたラディジンスキーというのが、ゴ・ジンジェムの農業問題の顧問として農地改革の仕事に従事しておった。それが日本の農地改革の推進者であるというので、私は会ったことはないけれども訪問したのです。ところが、彼のいろいろの経歴を聞くことができた。私はこういう話を長くいたしまして申しわけございませんが、ここに私は世界の農業史の一つの事実があらわれていると思うから申し上げるのでありますが、ラディジンスキーが言うには、自分は帝政時代に一九一七年のロシア革命に遭遇した。そして子供だった自分は、貴族的な大地主のむすこだった。アメリカに命からがら両親に連れられて亡命した。そうしてその衝撃を受けたので、彼は大学に入って農業政策の研究をした。そうしてアジアの農業問題を研究し、日本の農政問題を研究した。そこで、これはどうしても自分はアジアの農村問題に対して一つの役割りをしたい。つまりヨーロッパには、御存じのようにフランス革命で封建的な大地主の土地はみな没収されまして、そして近代化をし、イギリスの大地主なども、いわゆる純然たる農業資本家になったわけです。農業資本家は、これは資本家とそれから経営者で、地主とは違うのです。地主はただ封建的な一つの存在でありまして、小作料を取るということ、農業生産力の発展には尽くした人もあるけれども、農業経費は一切小作人に持たしておった。これは非常に封建的な存在なんです。これはロシアにおいて残っておった。外国に残っておったのは、ロシアとそれから第一次大戦前のドイツとスペインだけでありまして、そういうふうな封建的な地主制度の存在というものが、ついにケレンスキーが、農民に土地をやらなかったから、土地を没収して分割した。ボルシェビキがその農民革命を通じて政権をとった。この農民革命は何も社会主義革命ではないので、共産党がかりにやったとしても、これは経済的に見ればブルジョア民主革命だ。西欧ではもう十八世紀にしたブルジョア民主革命、その封建的な余勢がロシアに残っておったから、そこで農民が土地革命の過程からボルシェビキに味方をして、政権を共産党にとられた。だからして、彼の話はこれは歴史的事実です。そこで先手を打って――彼の考えですが、日本においては、日本のいわゆる農民運動の歴史を見ると、小作制度を、残しておいたならば、これはたいへんなことになる。そこで、先手を打って農地開放をしたことが――彼の言うところによれば、自分は純然たる自由主義者だ、純然たるリベラリズムの立場で、資本主義を擁護する自由主義者の立場から、社会主義者や共産党に先手を打って農地開放をやったほうが、日本のためにもアメリカのためにも非常にいいのだ、こういう考えから彼は農地開放をマッカーサーに進言した。ところが、マッカーサーはこれをいれて、君の言うとおりやってみろというので、それをマッカーサー命令として時の幣原内閣農地開放を指令した。ところが幣原内閣は、初め非常にちゅうちょいたしまして、最初はこれに抵抗したけれども、当時の農林大臣は松村謙三氏でありましたけれども、石黒さんに相談したら、しかたがない、やりなさいということで、当時企画院事件で出獄したばかりの和田博雄君を農政局長にしてやれというので、和田博雄君が農政局長になりまして、和田博雄君と一緒になって自分は農地改革の仕事をやりました。ところが、日本の政治家も非常にものわかりがいいし、官僚も優秀だったので、日本の農地改革の仕事は非常にうまくいった。ところが、ベトナムにおいては――自由主義者である私は、赤としていわゆるマッカーサー旋風で農商務省を追放されました。そして南ベトナムに来て、ある高官に連れられて農地開放の仕事に従事した。ところが、政府地主との妨害によってこれはだめです、私の農地改革は失敗です、いつかはここから去らなければならない、こう彼は言っておりましたが、事実私はそのことを聞きまして、当時の農地改革によって最も得をしたのは保守党の諸君だ。地主もある点救われておる。率直に言いますけれども、ベトナムなどは、農地改革に失敗した関係上、ついにベトコンというものに徹底的に支配されるに至った、こういう実情になっておるわけであります。そういう意味におきまして、この農地改革というものは、いつかは日本の封建的な地主制度というものは、何らかの機会において、これはマッカーサー命令ではない、上からの変革か下からの変革によって崩壊すべき運命にあった。これは歴史の必然です。資本主義経済の発展によって必然的にそういう方向にいった。だから、かりに上からこようとも、下からこようとも、何らかの機会に必然に農地開放はなさるべき運命にあったのであって、こういう点に対してもう少し科学的な検討をいたしまして、こういうふうなものを高く正当に評価して、そして間違った農業政策、それによる農地報償法案というようなものによって歴史の流れを食いとめようとすることは、大きな間違いではないか、こう思うのですがこの点につきまして農林大臣の御意見を聞きたい、こう思うのであります。
  174. 赤城宗徳

    ○赤城国務大臣 私は、農地改革を否定するものではございません。農地改革というものを高く評価いたしております。特にいまお話がありましたが、第一次のときは私も議員でありました。第一次は、マッカーサーの指令は受けません。受けないで自発的に、松村謙三さんが農林大臣のときに農地改革は始まったのです。途中において、それではだめだ、こういうわけでマッカーサーから指令がきまして、保有農地なども三町歩というのを一町歩に直すということでいろいろ手を加えられて、第二次改革をなした。その当時、非常に日本は食糧に困っておりました。そういう点におきましても、孫文の言うように耕作者その田を有すというような考え方から、耕作者に田畑を開放した、こういうことで、食糧の増産も相当これによって推進されて、日本の食糧も、国民の食糧もまかない得た、農村が民主化した、こういうことでございますので、私は、この改革というものを否定するものではございません。農林省といたしましても、この改革を基盤として、基礎として、その後の農政を推進しておるわけであります。  私は、農地改革に二つばかり足りなかった点は、あの当時におきまして国が管理している間にもっと土地改良をどんどん進めて、そうしてほんとうにいまの基盤をつくっていく、あるいは構造改善をして、日本の零細農を直していくというような形で再配分というものがなされたならば、より以上であったと思います。しかし、そういうことはその後においてどんどんやっておることでありますので、私はこれを否定いたしません。ただ、先ほど申し上げましたように、こういうのが革命一歩手前というような情勢下でありまして、そういうときにおきまして、無血的に日本で農地改革が行なわれた。こういうことは、やはり地主の――その当時におけるいろいろ問題はありましょう。ありましょうけれども、時局の認識といいますか、こういうことに対する貢献というものは、やはり買ってやらなければならぬ、私はこういうふうに考えます。その貢献に対して報償するということでございますので、農政とは別個においてこれはしかるべくやったほうがいいじゃないか、こういうふうに私は考えます。
  175. 稻村隆一

    ○稻村(隆)委員 いずれにせよ、私は農地報償というふうなことは、非常に不合理であると思う。きょうはおそいですから、いずれかの機会にいろいろ論戦をし、お尋ねしたいと思っております。  きょうはこれで私の賛同を終わりたいと思います。
  176. 河本敏夫

    河本委員長 次会は、明十二日午前十時より理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後六時十四分散会