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河野国務大臣 御
指摘の点私も全く
同感でございますが、従来
スポーツを扱う
ものは、
学校スポーツといいますか、
文部省所管で主としてやっておる。むしろ私は
重点は、この時限に参りましたならば、
文部省よりも
厚生省のほうにウエートを置いて、そして
厚生省で
予算を組んで、そうしてそれを、いま
お話のように、市町村がそういう
ものを
施設いたします場合にも、それを
文部省が使う
考えだということに私は変わらないのじゃないだろうか。いま御
指摘のように、
学校中心の
競技施設は徐々にできておる。しかもそれが、決して分不相応とは申しません。一カ所に
重点的にできまして、普遍的にできてない。この点は私は
学校スポーツの
弊害じゃないかと思います。したがって、これは、今日まで参ります過程におきましては、必要の
最小限度学生にやらせる、
生徒にやらせるということでよかったと思います。しかしもうその
段階じゃないというふうに思いますのが一点。
したがって、これから、
考えとしては、
厚生省にもう少し積極的に全体の
国民健康を対象にした
スポーツという
ものを取り扱わせるということにしていかなければならないだろう。すでに相当の
施設が
文部省関係にあるわけですから、この
文部省関係にある
スポーツ施設を
大衆使用の
方向に持っていくということにさしあたり
利用度を高めるということが必要だろう。この点は
文部、
厚生両省の間でしかるべき御協議をいただきまして、そしてこれを
利用度を高める
方向に、何らかの必要な
施設を
考えなければならぬのではないか。
第二番目には、従来
厚生省が
ものを
考えます場合に、たとえば、
国立公園をつくりましても、
国立公園には、宿屋をつくるとか、積極的に
国民の健康ということを、むろん
考えておったことと思いますけれども、しかしそこにはそういう
ものがない。特に私は、この際
皆さんのお知恵を拝借しなければならぬと思いますことは、スキーに行き、スケートに行きます。これらでも、
予備知識の少ない者が
もののはやり
もののようにみな
専門家と同じような
方向で、急に大きなことを
考えてやり過ぎるから、冬山の遭難というような
ものが起きる。むしろ私は、
体育の
普及、
大衆化をはかりますには、先般もちょっとそんなことを申したことがあるのでございますが、とにかく農林省の持っております
国有林、
日本の場合は
国有林は非常に広うございます。大きな山の上は全部
国有林でございます。こういうふうな
ものをどういうふうに開放するか。これらを開放してそこに
国民広場という
ものをどういうふうにつくるか。
広場をつくることによって、そこはすべて
大衆が行って自由に
利用できるというようなことをしたらどうか。たとえば、
一つの
国有林の
利用を
——いま
国有林の
利用といえば、ほとんど
農村関係においてこれを
利用しておりますが、これを
国民健康の面において開放するということはほとんどございません。これをいま申し上げるように、ここにわずかの
施設をすれば、十分に
利用ができる。また大きな山まで行かなくても、
大衆が高いところで自由に健康を増進することに
利用できる
ものが非常に多いと思うのですが、ほとんどいままでそういう
ものが見られていない。
国立公園の
施設をする場合には、そこに必ず
体育に必要な
施設をするというようなことを
考えていくことが一番必要です。たださえレジャーの
方向が
——国立公園の場合には、ただそこに
遊覧バスで乗り込んで、そうしてそこに一晩泊まってくる、そこで遊んでくるということで、何らの
配意がないということも、私は
一つの欠点じゃないかと思うのであります。あらゆる面において行政上今後
国民体位向上というようなことを考慮して、そうして持っていくことが必要だ。これはいままで全然そういう点が考慮されておりませんから、
一つ一つ考えてみまして、ちょっと注意すればみなできる
ものが非常に多い。
効果はすぐ私はあがってくるというふうに思います。
こういうところでそういうことを申してははなはだ恐縮でございますが、たとえば、先般の
オリンピックの
記録映画にいたしましても、
芸術的であるからいいじゃないかということで、これは真の
スポーツの面から
考えて発言されていない。私がひそかにおそれるのはこの点でございます。
青少年をはじめとして、それが必ずしも勝ったとか負けたとか、
記録がいいとか悪いとかいうようなことが第二義的になって、そうしてそれが
オリンピックの
映画です。したがって、そこにはやはり
スポーツという
ものが強く
考えられなければならぬ。
芸術が強く
考えられるよりも、もっとそこに
スポーツという
ものを、
記録という
ものをもっと強く打ち出してもらうのでなければなるまいと思うのです。ところが
一般の世論、批評を聞いてみましても、それは全く第二義的に
考えられている。
芸術的に非常に
価値のある
ものだからいいじゃないか。
——それは悪いとは私は申しません。悪いとは申しませんが、
オリンピックの
記録映画という点を第一義的に
ものを
考えて扱ってもらわなければ困る。それが非常に払拭されて、そうして
芸術的価値があるからこれでいいんだということになる。そういうふうに、
スポーツとか
国民の
体位向上とか健康とかいうような
ものは、常に第二義的に
ものが
考えられている点は、
お互いにひとつ大いに反省もし、強くその点を打ち出していくのでなければ、
効果があがらないというような
気持ちがいたすわけであります。この点は特にひとつ
川崎さんあたりから、鼓を鳴らして強調していただかなければならぬだろうと思います。