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片桐参考人 いま
前田先生の
お話はどこからの
お話が伝わったかちょっとわかりませんけれども、そういうことはないのであります。私、六
大学の代表でもって
運営委員あるいは
専門委員になっておりますが、
神宮側から六
大学のほうに春の
シーズンについて、十九日ですか、何日と何日の
シングルゲームだからこれをやることを認めてくれないかという連絡があったわけです。それでこの前の第三回目の当
委員会に私呼ばれましたときに申し上げましたように、昨年度は、なくなった源川君から、昨
シーズンはセントラルは土曜一
試合、日曜二
試合の三連戦というので、それを使わしてくれないかというのは、この前申し上げたようにそんなものは六
大学に出したって絶対に通らないよということで、ことしは何かずっと
シングルゲームになったというので、
ナイター一
試合だから認めてくれないかというのが六
大学のほうに参ったのです。それで六
大学は
理事会を開きまして、昨年度の
決定した
方針に従いまして、よろしいだろうということをきめて、そのかわり木曜日まで使わしてくれ、そういう
決議で、その
決議を持って私は第一回からの
専門委員会に出ているわけです。ですから、六
大学に関する限り、
国鉄の七十
試合とかなんとかいう問題は全然
論議の対象にならないのです。
それからもう一つ申し添えますと、この表が二十三日に初めて出てきたのです。第一回、第二回のときにはこの表が出てこないのです。二月二十三日の
専門委員会のときに初めて出てきたのです。これは申し込みのあったのをそのままなんです。ですから極端なことを申しますと、第二
球場に関しては
東都大学と
高校とはダブっておりますし、一
連盟のほうは
大学の
全国大会が開かれる最中にまだ春の
リーグ戦をやっておるというような形のものがそのまま出てきたのです。それで私は、六
大学の
決議に従いまして認めてあるので、
プロが何
試合しなければいけないというようなことは六
大学とすれば一応問題になっておりませんので、どこを削るべきかというようなことは八週のうち五週認めておることを認めただけで、
シーズン外のことは認めていない。それから、このことをなぜ六
大学が認めたかということの御
理解を願わなければいけないと思うのですが、こういうふうに
神宮がいろいろいわれ、それから
学生側もいろいろいわれておるこの問題は、三十八年の五月に、その時分われわれ
学生側が
運営委員になってないときに、
神宮が
産経との間に契約調印して、いまの第二
球場のところに
国鉄専用球場をつくる、この問題を抜きにしては、われわれがなぜ
国鉄の
試合を
ナイター一
試合であっても認めたのかということがおわかりにならないのではないかと思うのですが、
神宮側でかってにきめてしまった。それで六
大学側にすれば、この前申し上げたように第一
球場に関するのだから
自分たちはあそこでやっておればいいのだ、こうやって済まされるかもしれないのですが、元
相撲場、それが
高校専用の
野球場になり、それがまた今度
プロ専用。われわれの
考え方は常に、
外苑、
神宮そのものが
国民全体のものであるという
考え方に立っておるときに、例が当たるかどうかわかりませんが、あそこに
レストランをつくる、そのときに
帝国ホテルもあれば精養軒もある、そんなときに
帝国ホテルなら
帝国ホテル一社にその
レストランをまかせるということがはたして
国民感情として許されるかどうかというような見地に立って、われわれは
国鉄が
専用球場をつくることに反対したのであります。それがやむを得ず
建築許可になるといったときに、これを
学生専用球場にするという第二
球場のことがこの席上であまり出てこないのですが、第二
球場を
学生専用にするということと第一
球場とのかね合いを
考えないと、われれがとった態度もおわかりにならないのではないかと思うのです。
ついでに申し上げますと、第二
球場は、この前伊丹さんが御説明したように、前は狭かったのです。それで今度ブロの
国鉄の
専用球場そのままのスケールでもってやって、これが昨年の七月にでき上がったのですが、ここに
ちようど、ひっくるめてですが、いままで使った例がありますから申し上げます。いわゆる
大学と
高校が使った合計です。三十六年度四十七日、三十七年度五十五、三十八年度三十八、三十九年度四十六、四十年度、ことしわれわれがきめた日数は百六十三。そうしますと、雨でつぶれるのは三分の一ありませんが、もしかりに三分の一あるとしても、百十
試合ぐらいになるのです。そうしますと、いままで
高校、
大学が第二
球場で使った数字の平均が五十くらいとしますと、倍以上の
試合ができるわけなんです。それが三十八年の五月に
神宮と
産経が発表したように、 これは
国鉄専用球場にする。それで、あいているときには
学生にも開放するのだといったことがもし実現したとするならば、これはもう
プロ球団ですから、
グランドが悪くなるといって使うことを許さないかもしれないし、
国鉄とすれば、十億とか十二億使う予定であった
グランドをそうむざむざと
学生には使わせないだろうし、また
プロのほうがやる場合には、貸してくれるにしても、午前中しか貸してくれない。そういう
事態、極端な話、あそこでもって、第一
球場では今度東映とどこかでやる。
神宮の二つの
球場が
プロが興行しているというような
事態と今日の
事態とを
考えますという、われわれは、これは六
大学ですが、
国民的な
考え方でもって、第二
球場が
学生専用球場になる、われわれの犠牲において
高校、
大学の
野球ができるならば、少しくらいのことはがまんしてもいいんじゃないかという
決定を、三十八年の暮れだったですが、
神宮側の
申し入れに従ってやったということは、正しかったと確信している次第であります。