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川本参考人 私は、もういつまでもこの
神宮の問題を、こういう
皆さん識見の高い方があれこれ論議されていることを、ほんとうに
日本の
スポーツ振興のためにまことに惜しむのであります。もうそろそろ
結論を出していただきたいが、その
結論は案外簡単に技術的な問題で済むのじゃないかと思います。もう根本的な理念は私先ほど繰り返して申し上げた。最後に
文教委員会と
神宮の要請だとか取りきめだとか、そんなことが過去においてほごにひとしかったことも
承知しており、
プロ野球側が何か言っても
プロ野球くらい今日信義のない世界はないのでありまして、内村さんのようなああいう良識ある人さえ逃げ出していくくらいだらしのない社会でありますから、こんなところと何か
約束したところでこれはもうだめだ。ですからさっき申し上げたように、
学生は
学生、それから
プロは
プロ、
神宮は
神宮でもってこの
神宮野球場の使い方というものをそれぞれの性格というものに体してはっきり決意のほどをあらわしてもらいたい。
それから同時に、これがまたきっかけになって将来
プロ野球と
学生野球との組織的な問題にまで発展すればまことに幸いなんですが、とにかく
神宮球場の問題は、
国鉄の日数を減らすとか、あるいは深夜ゲームをやるとか、そんなところでもって
解決の
方法が出てくるのじゃないかと思いますが、それよりも今度の問題で一番問題になったいわゆる
学生スポーツの
あり方をひとつ徹底的に
考えていただきたい。この間、期待される人間像というようなものが出ましたが、あの中に私は遺憾ながら
スポーツのスの字も発見することはできなかった。いまだかつて中教審が
スポーツを取り上げたことがあったかどうか、不敏にして存じません。そういうように
教育界、政界、すべてが
スポーツに非常に不熱心である。たまたま
オリンピックがあると、それにからんでそれ
体力が不足だから負けたとかなんとかおっしゃるが、それがさめてくれば今度は映画で見たりレコードで聞いたり、これまた見たり聞いたりの
スポーツにこのままで置いておけばなってしまいます。
そこで、先ほどの御質問の方がちょっとおっしゃったように、河川敷を利用する問題、学校の校庭を開放する問題、広場をつくる問題、いろいろあって、これらは私たちがずいぶん前から言っておることですが、一向に具体化しない。最近文部省の保健
体育審議会の答申で初めてそういうことが明らかになりまして、五カ年のうちに倍増しようという計画も出ております。そういうことも
国会としてもその実現に大いに御支援していただきたいのでありますが、とにかくそういうように
スポーツ振興の根本的な問題が忘れられており、何か出てくる末端の現象ばかりとらえて、ああでもない、こうでもないといつでもやっておる。したがって、同じようなことが年じゅう繰り返されておるわけです。こんなことでやっておると、やがてはまた
体育振興特別委員会は何をしておるかというような権威の問題にもかかわってまいりますから、ひとつ大きなテーマを掲げて具体的の問題をここで
一つ一つやっていく。たとえば今日の
学生スポーツの
あり方はどうしたらよいか、
大学当局者を片っ端からお呼びになってお聞きになったらよいと思います。いま六
大学、東都
大学というけれ
ども、
大学の当事者は
野球を何と心得ておるか、おそらく学校のPRの職業
野球団を
一つ持っておるくらいな
考え方しかないのじゃないか。かつて古橋、橋爪が水泳で出ていたころ、
日本大学が学校の案内状に、この学校には古橋、橋爪のような名選手がおりますと書いて問題になったことがある。そういうように
スポーツを学校が学校企業の宣伝の具にするという傾向さえも現にあらわれておるのですから、そういう点からも掘り下げてもらいたい。これが
学生スポーツの問題です。
日本の
国民生活の上では何といっても
スポーツの
中心は
学生です。それで、
国民のすべてが
スポーツをと言いますが、義務
教育の間から子供に
スポーツを教えていくことが一番大切です。ところがいまの現状というものは、たった一人の先生が五十人の生徒を相手にして
スポーツを教えている。ストックホルムに行って
ごらんになればわかるように、あそこには二十人、三十人の
スポーツの指導者がおって、そうして生徒、子供たちを遊ばせておる。
外国ではそういうところが非常にたくさんある。
日本ではわずか一人のあまり
体育のことを知らない先生が五十人の生徒を相手にしておる。女の
体育の先生が男の生徒を教えておる。そうしてみずから率先躬行して生徒をリードしていく
教育者がいなくなっておる。これが戦後
日本の
スポーツの弱くなった
一つの原因だと思います。われわれの
学生時代には、学校が終わると、
自分でサッカーのボールを小わきにかかえ、あるいは走り高飛びのバーを手に持って、率先して生徒の先を走ってわれわれを
スポーツにかり立ててくれた
先生たちがたくさんいたものであります。そういう指導者の養成の問題がある。
施設が幾らあっても指導者がなければ、また今度は逆に非行少年の巣になるかもしれません。
それともう
一つ申し上げたいのは、今度の
神宮の場合でも、いま言った商業主義が先に立ってくる。ですから
神宮競技場を
国立競技場にしたらこんな問題は起こらないだろうという御
意見があるが、これは非常に疑問に思います。これを
国立野球場にしたら問題ないだろうとおっしゃるが、現に
国立競技場をつくったらあそこで維持費がないといって
ゴルフ場にしたじゃありませんか。それから今度代々木のプールをつくった。あれはもちろん総合
競技場ですから、そのあとを室内
競技場に転換しようと、アイススケート場にしようと、それはよろしいのです。よろしいのですが、いま
オリンピックのイメージでもって、あそこへ行けばあの
オリンピック選手が泳いだプールが見られるのだといって、毎日まるでどこかの聖地を巡拝する人のように延々として参観人が続いておる。入ってがっかりするのは、あそこがアイススケート場になっていることですよ。そういうことは来年からでもおやりになればいいので、せめてこの三月まではあそこを水泳場に残しておいて、そうしてできることなら
東京都全部あるいは関東一円の小中
学生をあそこで泳がせてやりたかった。それを、一億近い金をかけてたちまち、
オリンピックのほとぼりもさめぬうちにアイススケート場に転向している。それが
スポーツ振興というなら、それは少し
考え方がさか立ちしているのじゃないかと思うのです。そういうように、これから
考えていただかなければならない
スポーツ振興の問題はたくさんございます。
施設の問題、指導者の問題、これが一番の問題だろうと思います。
それから社会人の場合、特に勤労者の
スポーツ、これも現在の
あり方というものは
学生の場合と非常に似ておって、つまり企業のPRの上に乗っかった勤労者の
スポーツなんです。ですから、これも勤労者の中から盛り上がった
スポーツにしなければならぬ。
それから、
日本のような国土過密なところで、いかに運動場をつくろうといったって
——ロンドンの郊外にたしかあれは七十面か八十面、
一つの広場にサッカー場がありますよ。ああいうことは、やろうとしたってできやしませんけれ
ども、そういう広場をたくさんつくるということ、それが不可能ならば、あるいはビルの屋上に
スポーツ施設をつくるのもよし、地下に運動場をつくったって一向差しつかえないと思うのです。
考えようによって幾らでも出てくると思います。どうぞひとつ、そういう
スポーツの振興の根本的な問題を、これからのテーマにあげていただくことを、今度はこちらからお願いをしておきたいと思います。