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愛知国務大臣 吉田委員のお
考えになっておりますことは、私も私なりによく理解ができるように思うのであります。これは非常に大きな問題で、私も
考えておりますことはたくさんあるのでございますが、
一つはやはり
学校教育の問題だけではとらえることができない、この点については全く御
同感でございます。実は、私、前に法務省におりましたときにも、
青少年の非行化防止ということに非常な
努力をしたつもりでございますが、そのときに、たとえばこれはアメリカの学者でありますが、グリュックという人がおって、
青少年問題については世界的な権威者だと認められている、そのグリュック夫人もその道の権威者で、この二人の書かれたものやあるいは意見というものを間接に
承知をいたしまして、たいへん感動を受けました。その後この人たちに日本に来てもらって、専門的あるいは通俗的にも、いろいろ各界各層で意見を聞き、たいへん実りが多かったような感じがいたします。この人たちの意見も、結局これは
幼児教育ということが一番中心であって、たとえば極端に言えば、人間はまる五歳でほとんどそれから以後の将来というものが卜されると
考えてもいいくらいに大事なときである。それについては、日本の場合におきましても、世界的にそうでありましょうが、戦後のいろいろな荒廃から、精神の面におきましてもいろいろと問題が出てきている。そこで、
一つ、グリュック夫妻が残していったことばの中に、日本の親御さんたちがもう少し自信を回復していただいたらいいのではなかろうか。つまり自分の
子供に対して
ほんとうに親としての責任や義務を感じてもらうように、そのことがまず一番
最初の問題ではないかという示唆のある提言をしていきましたことが、いまもって私は非常に感銘深く覚えているわけでございます。そういう点から、先ほどもいろいろ御意見がございましたが、やはり
幼稚園教育だとか託児研の問題とか、これも大きな問題であると思います。同時に、しかし、社会
教育の面で成人
教育と申しますか、そういう点に相当の配慮をしなければなるまい。たとえば
文部省でカバーしますことの中に家庭
教育とか、あるいは青年学級、婦人学級とか、いろいろな社会
教育のやり方がございますが、こういうところに、いま申し上げましたような感覚を入れて、自主的、自発的ないろいろの
研究や修習ができ上がっていくことが、迂遠なようであるけれども、一番望ましい方法ではないか、こういうふうに
考えておることも
一つでございます。ところがそういうことになってまいりますと、これはひとり
文部省だけでよくするところではございません。総合的な強力なものの運び方が必要である。そこで、実はこれも新聞等で御
承知かと思いますが、その
一つのあらわれとして、内閣に
青少年局というものを設置して、そこで強力な
青少年対策を推進してはどうかという意見も実は出たわけでございますが、私はむしろそういうとらえ方よりも、いま申しましたように全国民的にこの
教育と申しますか、非行の防止というか、もっと規律のある社会をつくるというようなことで、より高い
立場、より広い
立場で問題を取り上げていったほうがいいというような私は
考えでございますので、むしろ内閣は、現在でも中央青年協議会というものを持っておられますけれども、要するにこういった総合調整機関的な性格のものがほしい、そしてそこが大所同所から立案いたしましたものを
文部省としては受け取って、
文部省の所管の中でうんと
努力をしていく、あるいは
厚生省は
厚生省の担当をやる、あるいはまた法務省や警察庁の問題もございますわけです。あるいはマスコミに対するいろいろの
協力をお願いするということもありましょうが、そういう総合的な
立場で内閣には協議会というようなものが強化されることは望ましい、
事務的な具体的なものは各省に
実施担当をまかせるべきである、大体そういう線で進んでおるのでございます。
こういったようなやり方で、ただいまも御
指摘がございましたように、それならば各省の所管でどういうことが
予算の上であらわれているかということについては、なかなかこれはこうでございますということを申し上げることが非常にむずかしい。私、いま申しました配慮がいろいろのところに組み込まれてあるつもりでございますが、もちろんこれは十分とはいえないと思います。いよいよこれからの問題としまして、佐藤内閣の
一つの中心の課題としてこれを大きく取り上げてまいりたいという方向で、総理にもいろいろとお願いをしたり、進言したりしておるような
状況でございます。
それから
学校の
教育のほうになってまいりますと、これまた
学校教育の中でもやらなければならぬことが非常に多いわけでございまして、たとえば大学の入学試験制度というようなもの、結局
幼稚園に至りますまでの
教育の
内容、あり方というものについて
考えなければならぬ問題や要素が非常に多いように思います。今
年度あたりも、かなり大学
方面でも入学試験のやり方については
考え出してきておるところがあらわれておりますけれども、私どもとしては、たとえば能率
研究所の能研テストの
活用でありますとか、あるいは筒等
学校自身の中における
教育の尊重、あるいは中
学校の中における
ほんとうの
教育を基礎にした入学試験のやり方、たとえば具体的にいえば内申の尊重というようなことにもなろうかと思いますが、そういうことで入学試験を突破するだけのための、極端にいえばそういう試験術を覚えるということ、それを覚えなければ試験が通らないというようなあり方は、根本的に是正していかなければなるまい。案外こういうところに改善の目標といいますか
意義が大きいのではなかろうかというようなことも
考えられるわけでございます。
一々申し上げますとたいへん広い幅にわたりますが、またもう
一つ方面を違えて申し上げますならば、いま中央
教育審議会で「期待される人間像」というものの
研究をしておられる。これはわれわれの希望もいれて中間発表を一月にやっていただきましたが、これは押しつけたり鋳型にはめるやり方ではございませんで、中間草案でも何でもいいからひとつ全国民的にどういう人間像が望ましいかということを論議される、そのこと自体にまずもって
意義があるのではなかろうか。どんな御意見も大いに出てきて、反対も反対でけっこうでございます。あるいは発想の誤りがあれば、そういうことにも触れて、大いに意見を出していただく。そのこと自体がやはりお互いに日本の国民の人間性を探求していくということにもつながってくるのではなかろうかということも、これはまた別の観点からの問題でございますが、そういうことも
考えながら、
ほんとうに国民的に真剣に
青少年の育成、健全化ということに取り組んでいただけるようなムード、
環境をつくり上げるということがわれわれとしても必要なことであるというような
考え方もとっておるようなわけでございます。
概略でございますけれども、私どもの気持ちとしてはそういったような気持ちで事に当たっておりますということを申し上げて御答弁にかえたいと思います。