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堀田政府委員 人事局長でございます。
三月二十四日に
御殿場線で
自衛隊の
トラックが
事故を起こしまして、
国鉄にたいへん御迷惑をかけ、かつ、
関係されました部落の
皆様方にもたいへんな御迷惑をおかけいたしまして、まことに申しわけなく存じておりますが、昨日第一
師団長東部方面の
幕僚長が
現地に参りまして、
状況をつぶさに調べて、昨晩帰ってまいりました。その報告に基づきまして一応現況を御
説明申し上げたいと存じます。
一昨日、三月二十四日の午後七時五十七分から五十八分ごろでございましたが、
御殿場線の
富士岡−岩波間の
警報機つき無人踏切で、ちょうどその
そばにございます
駒門駐屯地に用務で行っておりました二・二分の一トンの
トラックに乗っておりました十二名が、ちょうどこの
踏切を横切ろうといたしまして、そこを通過をいたしました気動車に衝突をいたしまして
事故を発生させたものでございます。
これは昨日の小
委員会における
国鉄側からの御
説明で一応御
承知かと思いますが、念のために
被害の
状況を申し上げますと、
自衛隊側死亡五名、重傷四名、
軽傷三名、
民間側の
被害は、
国鉄二名、
民間二名、ともに
軽傷。なお、
国鉄側の
車両につきましては、五
車両が横転をいたしまして、二
車両が脱線をするというたいへんな
事故を起こしたわけでございます。なお、
自衛隊側の機材の
被害は二・二分の一トンの
トラックが大破をいたしました。
この
事故を起こしました十二名の
自衛隊員は、所属は第一
空挺団第一
特科大隊第一中隊の
隊員でございまして、鶴田と申します二曹を
車長といたします十二名でございます。この
部隊は全員で百二十名、
車両十七両編成で、二十三日の未明に習志野を出発いたしました。二十三日の昼前に
現地に到着をし、直ちに
野営に入っておったものでございます。二十三日は
演習の設営をいたしまして、そのままそこで
野営をし、二十四日は携行をいたしておりましたキャリバー50
——機関銃でございますが、
機関銃の
射撃訓練を昼間いたしまして、ど
ろだらけになりましたために、二十四日の晩にこの
踏切の
そばの
駒門の
駐屯地に入浴並びに
——野営地には水がございませんので、水をとりに行ったその
帰りでございます。
なお、
事故の
原因につきまして、昨日
部隊側が
警察と
連絡の上で調べたところによりますと、
踏切の
警報灯の
点滅並びに
警報機の鐘は異常なく作動いたしておったもののようでございます。したがいまして、この
トラックを
運転いたしておりました
運転手の
踏切における
運転の操作の不
注意が
事故の
原因ではなかろうかと、かように
判断されるわけでございます。ただ、乗っておりました十二名のうち、五名が死亡いたしておりますし、
操縦席にすわっておりました
運転手と
車長の二名とも即死をいたしておりますので、
状況について若干つまびらかにできない点があるわけでございますが、まず私
どもはなぜこの
野営地に参りますのにこの道を通ったのかということを調べてみましたところが、
野営地からこの
駒門駐屯地まで道が三本ございます。
当人どもがとりました道は、
道路の
状況は一番よろしいのでございますが、一番遠い道でございます。そこで
野営地からこの
駐屯地に参りますときの道は、
帰りの道でない道を通っております。ただ
その道が非常に悪いので、おそらく動揺がひどいというようなことから、少し遠くてもこの
事故を起こしました
道路を通ろうということで、通ったのではないだろうか、かように
考えます。
なお、一昨日の夜は若干雨が降っておりました。ひどい霧ではないそうでございますが、多少霧がかかっておったという
状況でございますが、
点滅灯を
確認できぬほどの
状況ではなかった。そこで
点滅灯で
確認できない
状況ではございません上に、
国鉄の
機関士の言によりますと、車が
踏切を通り過ぎるのを
確認いたしておりますので、見通しができないという
状況ではなかった。したがって、一時
停止をして、
安全運行の
確認をするということを
運転手が怠ったということが
原因ではないだろうか。この
運転手について調べてみますと、この道と申しますよりも、この
野営には、彼は初めてでございまして、この
道路を通ったのは初めてである、したがって、
地形が十分にわかっていなかったという点はございます。
ただ、ちょっとこの図で御
説明申しますと、
部隊の門から
踏切までは約百五十メートルほどございますが、この道はややゆるい勾配で坂になっております。すなわち
線路が少し高く浮き上がっている形になっております。
警報機がこの
道路の
踏切の
左側にございまして、
踏切の手前の両側に民家がございます。そこで車がこの
道路を走ってまいりますときに、
操縦者は右側におって
操縦をいたしております。
車長の二曹は
左側にすわっております。したがって、この家とそれから
車長のからだで、
運転手にはこの
点滅灯の
確認が十分できなかったのではないだろうかという感じがいたしますが、
警報機が鳴っておりますから、
警報機が聞こえなかったということはあり得ないということでございます。また
地形がわからないという点はございますけれ
ども、しかし
踏切であるということは一応わかるわけでございますから、やはり一時
停止をしなかったということに
原因があるのではないだろうかと
考えられるわけでございます。
ただ、いま入院をいたしております
隊員の全部に当時の
状況を聞いてみますと、完全に逆のことを申しております。一人は徐行をしてきて急に走り出したところへ
がんとぶつかって、そのままわからなくなったということを申しておりますし、もう一人は急ブレーキをかけてとまったと思ったら、とたんにガンときて、
あとはわからなくなった、このように申しております。しかしこれはとっさのことでございますので、気が転倒しておって、正確なことが言えなかったのであろうと思われますが、おそらく一時
停止を怠った、安全の
確認をすることを怠ったということが
原因ではなかろうかとただいま
判断をいたしております。
またこの場合に、
演習でひどく疲れて、
安全確認をする精神的な余裕がなかったのではないだろうかという点も調べさせたのでございますが、それほどのひどい
演習ではなかったので、やはりこれは
操縦者の不
注意であったのであろうというふうに
判断をせざるを得ないと思われるわけであります。
なお、
本人の
運転経歴、
運転免許等について調べてみましたところが、
本人は三十九年の三月に、
公安委員会からの
大型免許を取得いたしております。なお
自衛隊では、
公安委員会の
通常の
免許を取得いたしましてから
あと、車の種類によりまして、
車種別に
自衛隊の
免許をとらせる
試験をいたします。大体基準としては七十五時間
操縦訓練をいたさせまして、しかる後に
試験をして
自衛隊の
免許をとらしておりますが、この
操縦者池上士長は、三十九年三月に
公安委員会の
免許をとり、三十九年五月十二日に
自衛隊の
免許をとっております。また
運転経歴は約十カ月でございまして、
走行キロ数は二月末で七千七百七十三キロというように記録されております。また現在までに
本人は
事故を一回も起こしておりません。
また、完全に破壊されましたこの
車両につきまして、
車両の
故障があったのではないかという点も
調査をいたさせましたが、完全に破壊をされておりますので、
車両についての
故障等があったかどらかはいまだに
十分判明をいたしません。ただ、
演習に出ます前に、二日間がかりで
整備実施をいたしております。
整備実施に当たりました
担当者の意見によりますと、完全に
整備が終わっておった、このように申しております。したがいましのて、やはり
本人が
操縦をいたしておりましたそ瞬間に、
安全運転を怠ったということが
原因ではなかろうか、かように
考えられるわけでございます。
部隊で
操縦の
教育に当たりました教官並びに助
教等から、
本人の
池上士長の
教育期間中の
態度等を聞いてみますと、非常にまじめであった、決してずぼらな
性格ではないので、教えたとおりにやってくれたであろうのに、どうしてそういうことになったのであろうかというふうに申しておりますので、おそらく
本人がやはり一時的に何かの事情から
安全運転を怠った、
規則違反を犯したということではないだろうかと
考えられるわけでございます。
なお、やはり
部隊で
車両行動をいたします場合には、すでに御
承知かと思われますが、必ず
踏切で先頭の
車両から
車長がおりまして、そうして全部
車両が通り過ぎ終わったのを
確認いたしまして、
自分がもとの
車両に帰るという
教育をいたしておるわけでございます。単
車両の場合には、おりて車を通す、
普通バスが通りますときに
バスの車掌がやるようなふうには
教育をいたしておりませんが、一
車両で
行動をいたしておりましたので、やはり気がゆるんだというようなことがあって、一時
停止をして、左右を見て
安全確認をした上で渡るということを怠ったのではないだろうか。そこで
教育上のゆるみと申しますか、
訓練の
徹底が足らないのではないかということで、さっそくこの
車両教育につきましては、これをいい
先訓といたしまして、
徹底をした
教育をいたしていきたい、かように
考えております。
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