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1964-11-20 第47回国会 衆議院 本会議 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年十一月二十日(金曜日)     —————————————     開 会 式 午前十時五十八分 参議院議長衆議院参議院の副議長常任委員長議員内閣総理大臣その他の国務大臣及び最高裁判所長官は、式場である参議院議場に入り、所定の位置に着いた。 午前十一時 天皇陛下は、衆議院議長の前行で式場に入られ、お席に着かれた。 衆議院議長は、左の式辞を述べた。     —————————————   天皇陛下の御臨席をいただき、第四十七回国会開会式をあげるにあたり、衆議院及び参議院を代表して、式辞を申し述べます。   さきに、わが国において開催された第十八回オリンピック東京大会が多大の成果をおさめて終了したことは、まことに慶賀にたえないところであります。   現下の重大な内外情勢にかんがみ、われわれは、政治、外交、経済の各般にわたり、当面する諸問題に対処して、すみやかに適切な施策を講じ、もつて国家の繁栄を図らなければなりません。   ここに、開会式を行なうにあたり、われわれに負荷された使命達成のために最善をつくし、もつて国民の委託にこたえようとするものであります。      ————◇————— 次いで、天皇陛下から左のおことばを賜わった。      ————◇—————   本日、第四十七回国会開会式に臨み、全国民を代表する諸君と親しく一堂に会することは、わたくしの喜びとするところであります。   現下国際情勢は、まことに多端であり、国内もまた、多事でありますが、これに対処して全国民が諸外国との友好親善を深め、国民生活向上、安定に努めていることは、わたくしの深く多とするところであります。   しかしながら、内外の諸情勢にかんがみ、今後さらに国運の発展を期するためには、なおいつそうの努力を要することと思います。   ここに、国会が、当面の諸問題を審議するにあたり、国権最高機関として、その使命を遺憾なく果たし、国民の信託にこたえることを切に望みます。      ————◇————— 衆議院議長は、おことば書をお受けした。 午前十一時六分 天皇陛下は、参議院議長の前行で式場を出られた。 次いで、一同式場を出た。   午前十一時七分式を終わる      ————◇————— 昭和三十九年十一月二十日(金曜日)     —————————————  議事日程 第二号   昭和三十九年十一月二十日    午後二時開議  第一 裁判官弾劾裁判所裁判員及び同予備員の   選挙  第二 裁判官訴追委員選挙  第三 検察官適格審査会委員及び同予備委員の   選挙  第四 中央青少年問題協議会委員選挙  第五 国土総合開発審議会委員選挙  第六 北陸地方開発審議会委員選挙  第七 離島振興対策審議会委員選挙  第八 国土開発縦貫自動車道建設審議会委員の   選挙  第九 台風襲地帯対策審議会委員選挙  第十 北海道開発審議会委員選挙  第十一 飼料需給安定審議会委員選挙  第十二 鉄道建設審議会委員選挙  第十三 検査官任命につき事後承認を求めるの   件  第十四 公正取引委員会委員任命につき事後承   認を求めるの件  第十五 公安審査委員会委員長及び同委員任命   につき事後承認を求めるの件  第十六 社会保険審査会委員任命につき事後承   認を求めるの件  第十七 運輸審議会委員任命につき事後承認を   求めるの件  第十八 日本放送協会経営委員会委員任命につ   き事後同意を求めるの件  第十九 労働保険審査会委員任命につき事後承   認を求めるの件  第二十 地方財政審議会委員任命につき事後同   意を求めるの件     ————————————— ○本日の会議に付した案件  日程第一 裁判官弾劾裁判所裁判員及び同予備   員の選挙  日程第二 裁判官訴追委員選挙  日程第三 検察官適格審査会委員及び同予備委   員の選挙  日程第四 中央青少年問題協議会委員選挙  日程第五 国土総合開発審議会委員選挙  日程第六 北陸地方開発審議会委員選挙  日程第七 離島振興対策審議会委員選挙  日程第八 国土開発縦貫自動車道建設審議会委   員の選挙  日程第九 台風襲地帯対策審議会委員選挙  日程第十 北海道開発審議会委員選挙  日程第十一 飼料需給安定審議会委員選挙  日程第十二 鉄道建設審議会委員選挙  日程第十三 検査官任命につき事後承認を求め   るの件  日程第十四 公正取引委員会委員任命につき事   後承認を求めるの件  日程第十五 公安審査委員会委員長及び同委員   任命につき事後承認を求めるの件  日程第十六 社会保険審査会委員任命につき事   後承認を求めるの件  日程第十七 運輸審議会委員任命につき事後承   認を求めるの件  日程第十八 日本放送協会経営委員会委員任命   につき事後同意を求めるの件  日程第十九 労働保険審査会委員任命につき事   後承認を求めるの件  日程第二十 地方財政審議会委員任命につき事   後同意を求めるの件  永年在職議員松田竹千代君に対し、院議をも   つて功労表彰することとし、表彰文議長   に一任するの件(議長発議)  桜井茂尚君の故議員寺島隆太郎君に対する追悼   演説  堂森芳夫君の故議員山村治郎君に対する追悼   演説  井伊誠一君の故議員渡邊良夫君に対する追悼演   説    午後二時七分開議
  2. 船田中

    議長船田中君) これより会議を開きます。      ————◇—————
  3. 船田中

    議長船田中君) この際、新たに議席に着かれました議員を紹介いたします。  第四十七番、千葉県第二区選出議員小川三男君。   〔小川三男起立〕   〔拍手〕  第二百七十三番、千葉県第二区選出議員山村治郎君。   〔山村治郎起立〕   〔拍手〕      ————◇—————  日程第一 裁判官弾劾裁判所裁判員及び同予   備員の選挙  日程第二 裁判官訴追委員選挙  日程第三 検察官適格審査会委員及び同予備   委員選挙  日程第四 中央青少年問題協議会委員選挙  日程第五 国土総合開発審議会委員選挙  日程第六 北陸地方開発審議会委員選挙  日程第七 離島振興対策審議会委員選挙  日程第八 国土開発縦貫自動車道建設審議会   委員選挙  日程第九 台風襲地帯対策審議会委員の選   挙  日程第十 北海道開発審議会委員選挙  日程第十一 飼料需給安定審議会委員選挙  日程第十二 鉄道建設審議会委員選挙
  4. 船田中

    議長船田中君) 日程第一ないし第十二に掲げました各件の選挙を行ないます。
  5. 小沢辰男

    小沢辰男君 各件の選挙は、いずれもその手続を省略して、議長において指名することとし、裁判官弾劾裁判所裁判員予備員職務を行なう順序については、議長において定められんことを望みます。
  6. 船田中

    議長船田中君) 小沢辰男君の動議に御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 船田中

    議長船田中君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。  議長は、裁判官弾劾裁判所裁判員亀山孝一君を指名いたします。  また、裁判官弾劾裁判所裁判員予備員に       久保田円次君    西村 関一君を指名いたします。  なお、予備員職務を行なう順序は、久保田円次君を第一順位西村関一君を第三順位といたします。  次に、裁判官訴追委員に       中島 茂喜君    笹山茂太郎君を指名いたします。  次に、検察官適格審査会委員に       草野一郎平君    進藤 一馬君を指名いたします。  ただいま進藤君を委員に指名いたしました結果、委員羽田武嗣郎君の予備委員が欠員となりましたので、同予備委員倉成正君を指名いたします。  なお、岡崎英城君の予備委員浦野幸男君は草野君の予備委員に、また、服部安司君の予備委員天野光晴君は進藤君の予備委員になられました。  次に、中央青少年問題協議会委員海部俊樹君を指名いたします。  次に、国土総合開発審議会委員三池信君を指名いたします。  次に、北陸地方開発審議会委員佐伯宗義君を指名いたします。  次に、離島振興対策審議会委員に       綱島 正興君    小沢 辰男君を指名いたします。  次に、国土開発縦貫自動車道建設審議会委員に       中村 梅吉君    周東 英雄君       村上  勇君    佐々木秀世君を指名いたします。  次に、台風襲地帯対策審議会委員仮谷忠男君を指名いたします。  次に、北海道開発審議会委員に       南條 徳男君    松田 鐵藏君       壽原 正一君    松浦 定義君       山内  広君を指名いたします。  次に、飼料需給安定審議会委員に       坂田 英一君    本名  武君       谷垣 專一君    日野 吉夫君       角屋堅次郎君を指名いたします。  次に、鉄道建設審議会委員に       中村 梅吉君    周東 英雄君       村上  勇君を指名いたします。      ————◇—————  日程第十三 検査官任命につき事後承認を求   めるの件  日程第十四 公正取引委員会委員任命につき   事後承認を求めるの件  日程第十五 公安審査委員会委員長及び同委   員任命につき事後承認を求めるの件  日程第十六 社会保険審査会委員任命につき   事後承認を求めるの件  日程第十七 運輸審議会委員任命につき事後   承認を求めるの件  日程第十八 日本放送協会経営委員会委員任   命につき事後同意を求めるの件  日程第十九 労働保険審査会委員任命につき   事後承認を求めるの件  日程第二十 地方財政審議会委員任命につき   事後同意を求めるの件
  8. 船田中

    議長船田中君) 日程第十三ないし第二十につきおはかりいたします。  内閣から、検察官山崎高君、公正取引委員会委員崎谷武男君、公安審査委員会委員長正木亮君、同委員会委員大山菊治君、櫻田武君、山名義鶴君、社会保険審査会委員渡辺治生君、運輸審議会委員相良千明君、日本放送協会経営委員会委員伊藤佐十郎岡田禎子君、濱田成徳君、松坂佐一君、労働保険審査会委員四方陽之助君、地方財政審議会委員新居善太郎君、今吉敏雄君、鈴木武雄君、武岡憲一君、遠山信一郎君を任命したので、それぞれその事後承認または同意を得たいとの申し出があります。右各件はいずれもその申し出のとおりに決するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 船田中

    議長船田中君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。      ————◇—————  永年在職議員松田竹千代君に対し、院議をもって功労表彰することとし、表彰文は   議長に一任するの件(議長発議
  10. 船田中

    議長船田中君) おはかりいたします。  本院議員として在職二十五年に達せられました松田竹千代君に対し、先例により、院議をもってその功労表彰いたしたいと存じます。表彰文議長に一任せられたいと存じます。これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  11. 船田中

    議長船田中君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  ここに議長の手元において起草いたしました文案があります。これを朗読いたします。  議員松田竹千代君は衆議院議員に当選すること十回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた  よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する   〔拍手〕  この贈呈方議長において取り計らいます。  この際、松田竹千代君から発言を求められております。これを許します。松田竹千代君。   〔松田竹千代登壇
  12. 松田竹千代

    松田竹千代君 一言ごあいさつ申し上げます。  私が満二十五年本院議員として在職いたしましたことに対して、ただいま院議をもって丁重なる表彰の御決議をいただきました。まことに光栄の至りであります。(拍手)  これひとえに同僚諸賢の御支援、御鞭撻のたまものでありまして、心から御礼申し上げる次第であります。(拍手)  私は、早くから、ささやかな社会事業に奉仕して青年期を過ごしてまいりました。その間に、思うところあり、真に国民福祉向上をはかるためには、政治に志すにしかずと考え、大正十二年、当時はまだ小選挙区制でありましたが、初めて衆議院議員選挙に臨んだのであります。自来、今日まで、ときに蹉跌もありましたが、四十年にわたって政治に携わってまいりました。  私が本院に議席を得ましたのは、昭和三年の普通選挙第一回のときでありました。その後、わが議会政治は、まことに多事多難な時代を経たのでありましたが、この間、私は、国民の負託にこたえんとして、至誠一貫一意専心これつとめてまいったつもりであります。(拍手)いかんせん、微力のいたすところ、今日まで誇るに足る何らの業績をあげ得なかったことは、まことにざんきの念にたえないところであります。  本日ここに表彰を受けるにあたり、これまでの諸先輩が議会政治のために払われたとうとい苦心経営にあらためて思いをいたし、今後一段の熱意をもって民主政治発展のため全力を傾ける覚悟であります。何とぞ諸君の変わらざる御援助、御協力をお願いいたしたいと存じます。  終わりに臨み、私が浅学非才の身をもってきょうのよき日を迎えることのできました最大の原因は、終始健康に恵まれてきたということであると信ずるのであります。ここに私はあらためて天地の恩父祖の恩、同僚知友の恩、しこうして選挙区民諸君が長期にわたり御支援くださった恩に深く感謝をささげる次第であります。(拍手)  それにつけても、豊かな天賦の資質、才能を持ちながら、志を得ず、若くして世を去られた多くの英邁なる諸賢に対して追憶を新たにするとともに、現在盛んなる同僚各位の前途を祝福し、活躍をお祈りし、衷心より感謝の意を表して、私のごあいさつといたします。(拍手)      ————◇—————
  13. 船田中

    議長船田中君) 御報告いたすことがあります。  議員寺島隆太郎君は、去る七月三十一日逝去せられました。  議員山村治郎君は、去る十月二日逝去せられました。  永年在職議員として表彰された元本院議長杉山元治郎君は、去る十月十一日逝去せられました。  議員渡邊良夫君は、去る十一月四日逝去せられました。  まことに哀悼痛惜至りにたえません。  四君に対する弔詞は、それぞれ先例により議長において贈呈いたしました。これを朗読いたします。   〔総員起立〕     寺島隆太郎君に対する弔詞  衆議院は多年憲政のため尽力しさき厚生委員  長国土総合開発特別委員長科学技術振興対策特  別委員長要職にあたられた議員正四位勲二等  寺島隆太郎君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞を  ささげます  桜井茂尚君の故議員寺島隆太郎君に対する追悼演説  堂森芳夫君の故議員山村治郎君に対する追悼演説  井伊誠一君の故議員渡邊良夫君に対する追悼演説
  14. 船田中

    議長船田中君) この際、寺島隆太郎君、山村治郎君、及び渡邊良夫君に対し、弔意を表するため、桜井茂尚君、堂森芳夫君及び井伊誠一君からそれぞれ発言を求められております。順次これを許します。桜井茂尚君。   〔桜井茂尚登壇
  15. 桜井茂尚

    桜井茂尚君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員寺島隆太郎君は、去る七月三十一日、病のため急逝されました。まことに痛惜の念にたえません。  私は、ここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼ことばを申し述べたいと存じます。(拍手)  寺島君は、明治四十五年三月、千葉県香取郡干潟町の旧家に生まれました。長じて県立旭農業学校を経て大東文化学院に進み、昭和八年同学院卒業後、報知新聞社に入社し、政治記者となられました。かねてより宿願の新聞記者となられた君は、やがて北京特派員、次いで論説委員等となって盛んに健筆をふるい、縦横の論陣を張られたのであります。  君は、かつて少年時代に目をわずらい、ほとんど失明の状態におちいるという危機に遭遇いたしましたが、この苦難の闘病生活において宗教心に目ざめ、以来、激しい新聞記者生活の中においても、たゆまぬ精進によってみずからを練磨しつつ、いよいよ宗教への帰依を深められたのであります。  思うに、この記者時代は、寺島君が政治家としての素地を築くとともに、不動の人生観を確立された意義深い時期であったと申すことができましょう。  昭和二十一年四月、第二十二回総選挙に際し、郷党の輿望をになって当時全県一区の千葉県から出馬し、みごと本院議員の栄冠をかちえられました。以来、当選すること前後八回、在職十五年に及んでおります。  当選するや、いち早く本議場のこの演壇に立ち、当時論議を呼んだ自作農創設の問題に関し、農業基盤の強化のためには、農村工業化の推進、酪農の導入、農業経営適正規模の確立が必要であることを力説されました。そして、この君の洞察力に富む卓見は、同僚議員に深い感銘を与えたのであります。  自来、君は、一貫して農村振興対策の実現にこん身の努力を傾け、農林委員会委員として、また、米価審議会委員湿田単作地域農業改良促進対策審議会委員として積極的に活躍し、農政通たる面目を遺憾なく発揮されたのであります。郷里においても畜産振興には大いに力を注ぎ、特に君の導入されたランドレース種の豚は非常な成功をおさめ、人々はこれを寺島さんの豚と呼び、いまもってその功をたたえております。(拍手)  君の活動は、ひとり農林の分野にとどまらず、厚生委員社会労働委員逓信委員等として、各般にわたる国政審議にすぐれた識見を示し、さらには厚生委員長国土総合開発特別委員長科学技術振興対策特別委員長要職を歴任されました。  また、自由民主党雪害対策特別委員会委員長として、同僚議員とともに苦心画策し、その努力は、去る第三十九回国会における与野党の総意を結集した雪害対策に関する決議となって実を結び、その後の雪害対策に大きな前進をもたらしたのであります。(拍手)  さらに、また、第一次吉田内閣厚生参事官、第三次吉田内閣賠償政務次官にあげられるなど、その活動の範囲はきわめて広範多岐にわたっております。  かくして、寺島君が国政の上に残された功績はまことに偉大なものがあると申さなければなりません。  君は、往年の北京特派員時代以来、中国社会文化研究、特に法制史研究に情熱を傾け、その後も研さんを重ねて、その業績は識者の高く評価するところでありました。(拍手)晩年においても中国婚姻制度についての論文を執筆しておられたのでありますが、その完成を見ずして世を去られたことは、君としてもさだめし心残りのことであったと推察いたします。そして、この未完成は、私どもにとってもまことに惜しみても余りある次第であります。  思うに、寺島君は、幼いときの大病が原因となったのでありましょうか、必ずしも健康に恵まれていたと申すことはできません。政治家として、このような条件を背負った君が、激しい政治生活に耐えて、よく今日までの業績をあげ得たゆえんのものは、君の生来の責任感の強さに加えて、若くしてつちかった信仰に根ざす精神力たまものであったと思います。そして、これあるがゆえにこそ、努力に次ぐ努力を重ね、国民のため、国家のため、みずからをむなしゅうして、りっぱな生涯を貫くことができたのでありましょう。(拍手)  昨秋の総選挙のころから東奔西走の日が続き、とみに健康を害しておられたとのことでありますが、それにもかかわらず、君は、逝去直前の七月初めまで農林委員会においてカンショでん粉米等の価格問題の解決のために真剣に取り組んでおりました。政治家として、その責任の重さを思えば、みずからを顧みるいとまのないのは当然とは申せ、いまだ春秋に富む君が、静養の一ときをも得ることもなく、あたら五十二年の生涯を終えられましたことは、まことに無念やる方ないものがあると存じます。(拍手)  君は、日ごろ農村人たちに一人一人親しく接し、農村問題について胸襟を開いて語り合うなど、愛情あふれる人柄でございました。そして、このことは人々の敬愛してやまないところであります。また、次代をになう青年に深く期待しておられた君は、郷里青少年指導育成に絶えず力を尽くされました。  君の遺志は、今後といえども君を師と仰ぎ、慈父と慕う多くの人たちによって、りっぱに受け継がれていくものと信じます。  わが国農業成長発展のためには、幾多の困難な問題が解決されなければなりません。このときにあたって、君のような達識具眼の先達を失ったことは、返す返すも残念なことであり、本院にとっても、国家にとっても大きな損失であると申さなければなりません。(拍手)  ここに、寺島君の生前の業績をたたえ、その遺徳をしのび、心から御冥福をお祈りして追悼ことばといたします。(拍手)     —————————————
  16. 船田中

    議長船田中君) 堂森芳夫君。   〔堂森芳夫登壇
  17. 堂森芳夫

    堂森芳夫君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員山村治郎君は、去る十月二日、千葉市の井上病院におきまして逝去されました。まことに痛恨の念にたえません。  私は、ここに、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、つつしんで哀悼ことばを申し述べたいと存ずるのであります。(拍手)  山村君は、明治四十一年三月、千葉佐原市きっての米穀商山村家の十代目の後継者として生まれられたのであります。  県立佐原中学校卒業後、父君を助けて家業に励んでおられましたが、二十四歳のとき、不幸にも父君を失われ、君は早くも山村家を一身に背負って立たれることになったのでありました。すでに、このころから君の率直な人柄は、同業者の信望を集め、自来、千葉県の米穀業界におきまして、最高指導者の一人となって活躍されたのでありました。  昭和十五年には、若くして千葉会議員に当選され、ここに大衆政治家山村君の誕生を見たのでありました。  昭和二十一年四月、第二十二回の衆議院議員選挙に際し、全県一区の千葉県より立候補し、みごと最高点をもって当選されました。郷党信望のいかに厚かったかを知ることができるのであります。(拍手)  当選されると間もなく、第一次吉田内閣逓信参事官に任ぜられました。昭和二十五年には、第三次吉田内閣労働政務次官に就任し、当時の緊迫した情勢のもとで、一年有半にわたり労働行政に参画されました。  本院におきましては、農林委員会労働委員会大蔵委員会外務委員会の各委員会理事となられたのをはじめ、各方面に広く活躍されたのであります。話し合いによる国会の正常な運営こそ、国権最高機関として国民の期待にこたえるゆえんであり、議会人としての最高の責務であるとの信念に立つ君は、特に議院運営に力を尽くされたのでありました。  昭和二十九年以来、議院運営委員会理事の任に当たり、第二十八回国会昭和三十二年十二月には、議院運営委員長要職に推されました。同委員会におきまして立案されました国会議員互助年金法案趣旨弁明に立ちました君は、国会議員職責の重大さ、きびしさ、また、これを助ける家族の心労を切々と訴えられたのでありました。君の本院議員としての覚悟のほどがうかがわれ、私どもの胸にそくそくとして迫るものがあったのでございます。(拍手)  昭和三十四年七月には、本院より欧米諸国に派遣され、約一カ月にわたって各国の議会制度をつぶさに調査視察されました。  第三十九回国会昭和三十六年九月には予算委員長にあげられ、国会運営のベテランらしい持ち味を発揮して、よくその職責を全うされたのであります。  自由民主党におきましては、総務会副会長として党の運営に貢献し、また、昭和三十五年から三十六年にかけて、国会対策委員長として、持ち前の気力と多年にわたる体験とをもって、すぐれた手腕を発揮し、山村君の声望をいよいよ高からしめたのでありました。  昭和三十八年七月、池田内閣の国務大臣に就任し、行政管理庁長官となられたのであります。時あたかも、国民の要望にこたえて、前年に設置されました臨時行政調査会が、鋭意行政の民主的改革について検討を進めているときであったのであります。大衆政治家をもって任ずる君が、この改革を進める当面の責任者となられたことは、君にとってまことにふさわしい地位であったと申せましょう。君もまた、これをもって本懐とし、非常な熱意をもってこの問題に取り組み、きわめて困難とされております行政改革を実現すべく、惜しみない努力を払われたのでありました。  かくて、山村君は、本院議員に連続して当選すること九回、在職十八年六カ月の長きに及び、この間におきまして国政の上に残されました功績は、まことに偉大なものがあるのであります。  山村君は、御承知のとおり、山新さんの愛称で親しまれた根っからの庶民的な方でありました。(拍手)一向に辺幅を飾らず、何の腹蔵もなく率直に語りかけてくる君に接した人々は、だれしも君に親愛の情を抱き、信頼を寄せたのでありました。  君は、こういうお人柄であったからこそ、長い政治生活の間におきまして、一貫して、常に庶民の眼でものを見詰め、そして庶民の幸福のために働き続け、そこに政治家としての至上の喜びを見出しておられたのでありました。  山村君は、まさに民主政治のにない手たるにふさわしい、真の大衆政治家であったと私は信ずるのであります。(拍手郷里人たちが、君の突然の悲報に接して、あたかも自分の親を失ったかのように、ぼう然自失おくところを知らなかったというのも、けだし当然のことであります。  君は、また、いかなる困難にも屈しない、人一倍に気骨のある信念の人でありました。去る七月、行政管理庁長官の職を離れられた後、年来の奔命に疲れました身をしばしいやすべく、八月中旬、病院に入られたのでありますが、このときすでに、不幸にも、君の健康はそこなわれていたのであります。  しかし、君は、つかの間の休養の後、再び郷土のために、新空港問題などの解決に挺身されたのであります。  「九月十六日再び入院、直腸ガンと診断。同十八日第二回新空港協議会出席、これを最後に治療に専念。」と千葉日報は報じているのであります。倒れて後やむとは、まさにこのことでございましょう。(拍手)稜々たる気骨の人山村君の面目ここにきわまれりの感が深く、君の最後の最後までの奮闘のあとがしのばれ、山村君の当時の御心境を推察し、痛憤やるかたないものがあるのであります。(拍手)  思うに、君のごとき純粋な議会人、大衆政治家が、いまだ五十六歳というお年をもってにわかに世を去られましたことは、返す返すも残念なことでありまして、現下内外情勢重大なとき、君の今後の活躍にこそ期待することははなはだ大なるものがあったのでありまして、本院にとり、国家にとり、まことに大きな損失と申さねばなりません。(拍手)  君の志は中道で終わりましたが、このたび御令息が本院に議席を占められることになり、君の遺志を継いで政治家としての意義ある第一歩を踏み出されましたことは、われわれ議員一同として感銘まことに深いものがあるのであります。(拍手)  ここに、山村君の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、哀悼ことばといたすものであります。(拍手)     —————————————
  18. 船田中

    議長船田中君) 井伊誠一君。   〔井伊誠一登壇
  19. 井伊誠一

    井伊誠一君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員渡邊良夫君は、去る十一月四日、にわかに逝去いたされました。まことに痛惜至りでございます。  私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼ことばを申し述べたいと存じます。(拍手)  私は、渡邊君とは所属党派を異にはしておりますが、日ごろ君の庶民的にし誠実なお人柄に心から敬服していたのでありまして、思いもかけぬ君の御逝去の報に接し、驚愕おくところを知らなかったのでございます。  渡邊君は、明治三十八年十月、新潟県北蒲原郡黒川村にお生まれになり、長じて大阪商科大学に進み、昭和五年に同大学を御卒業になりました。  昭和六年国民新聞社に入社、初めは社会部に、次いで政治部に移られましたが、君の明朗率直にして、しかも誠実なるお人柄は周囲の人々に親しまれ、取材の困難な方面にも好意をもって迎えられ、当時の重臣たちも、君には特に信をおくというふうであったとのことであります。  このような政治記者としての活躍を通じて、次第に君の関心は政治そのものへ向かい、その後、小磯内閣の児玉国務大臣の秘書官となり、また吉田内閣の総理大臣秘書官となるに及んで、政治家たらんとする君の意思はいよいよ確固たるものとなったのでございます。  昭和二十二年四月、第二十三回衆議院議員選挙が行なわれまするや、君は、勇躍して郷里新潟県第二区から立候補し、みごと当選の栄をになわれました。それ以来、連続して当選すること九回、在職十七年七カ月に及んでおります。  やがて君の識見、手腕は次第に認められて、昭和二十三年には民主自由党の副幹事長となり、君の円満なるお人柄によって党運営の面に特異な力量を発揮せられたのであります。その後も、自由党の党務局長、自由民主党の総務等を歴任されました。また、政策面にもすぐれた識見を示し、自由民主党において政務調査会の副会長や医療制度特別委員長に推され、現在は東京湾開発特別委員長として活躍しておられたのでありました。(拍手)  この間において、昭和二十五年には第三次吉田内閣の建設政務次官となり、荒廃した国土の再建復興を推進し、さらに昭和三十四年六月、第二次岸内閣の厚生大臣に抜てきされ、医療制度問題の解決、新しく発足した国民年金制度の推進等のために献身的な努力をされたのであります。(拍手)  このころの君の勉強ぶりはまことに超人的なものであったということでありまして、いまも厚生関係の人たちの間で語りぐさになっておるほどでございます。  本院においては、議院運営委員会外務委員会理事となり、また、予算、内閣、商工、建設等の各委員会委員となり、各方面の国政審議に真摯、熱心な態度をもって当たられました。最近は、特に、社会労働委員として、社会保障の問題、なかんずく精薄児問題に真剣に取り組み、なみなみならぬ精励ぶりを示しておられたのであります。  かくいたしまして、君が国政の上に残された功績はまことに偉大なものといわなければなりません。(拍手)  思うに、渡邊君は、身を持することきわめて堅固で、まことに高潔なる人格の持ち主であり、君の身辺には常に独特の清朗さがありました。そうして、おのれを捨ててひたすら人のために尽くすことをもって信条としておられた君は、みずからは質素な生活をしながら、人にすがられると着ている上着をも脱いで与えるということもあえて辞さなかったといわれておるのであります。(拍手)  君は、一庶民の家庭におい立ち、苦学力行して社会に人となった方であり、庶民の喜びと悲しみをはだ身にしみて感じ取っておられました。すでに名をなされた今日に至るまで常にこの庶民の心をもって世に処されたのであって、これが渡邊君をして、庶民的な政治家として、あらゆる階層の人たちから親愛を寄せられたゆえんであります。苦労を重ねた人とは思えない明るさを持つ、きさくな心やすいお人柄に、接する人はだれしもが、君を父とも仰ぎ、兄とも慕い、また、友としては水魚の交わりを結ばずにはいられなかったのでございます。(拍手)本院においても、党派を越えて敬愛されていたのもまた当然であります。  君がわが国の社会保障の問題に特段の努力を傾けられたのも、また、後進性に悩む郷土のためにあらゆる支援を惜しまれなかったのも、君のこの庶民への限りない愛情の発露でありました。君の逝去の報を聞き、郷里人たちは、あげて慟哭悲嘆の涙にくれたのは当然でございます。(拍手)  いま、私は、この壇上に立っていても、君のありし日のあの温顔が目前に浮かびます。庶民の幸福のために働いて働いてうむことを知らなかったあの元気なお姿が目前に浮かんでまいります。しかし、いまや君はいまさないのであります。運命の無残まことに痛憤を覚えるものがあります。まことにかけがえのない惜しい人を失いました。  世界じゅうが一日も早くゆるぎない平和を打ち立てようとしておりまするとき、わが国もまたその中にあって重要な役割りを果たそうと努力を傾けているとき、渡邊君のような広い愛情を持った人を失いましたことは、何としても残念なことであります。(拍手)本院はもとより、国家にとりましても、これ以上の不幸なことはございません。  渡邊君は、五十九年の生涯を、限りない慈愛を持って、ただただ世のため人のために尽くされました。しかも、君はみずからの功をいささかも誇ることなく、ただたんたんとして歩んでこられたのであります。この君の生涯はまことに清朗の気に満ち満ちた感がございます。それだけに、われわれはまた哀惜の情ひとしお深いものあることを覚えるのでございます。  ここに、つつしんで君が生前の事績をたたえ、その遺徳をしのび、もって追悼ことばといたします。(拍手)      ————◇—————
  20. 船田中

    議長船田中君) 本日は、これにて散会いたします。    午後二時五十三分散会      ————◇—————  出席国務大臣         法 務 大 臣 高橋  等君         郵 政 大 臣 徳安 實藏君  出席政府委員         総理府総務長官 臼井 莊一君      ————◇—————