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最高裁判所長官代理者(
寺田治郎君) この点は、むろん多少は先ほど申しました
充員という問題もございますが、もう少し別な
観点と申しますか、つまり
事件数から来る問題が
予算折衝中に出てまいったわけでございます。
と申しますのは、いまお
手元に差し上げてあります「参考
資料」の八ページの第八表というのをごらんいただきたいのでございますが、「
昭和三十四年三十七年における道路
交通法令違反
事件終局人員」、その一番上の全国
簡裁の分の上から三段目の計というところでございます。そこに、まず三十四年が百四十二万件、三十五年が百八十五万件、三十六年が二百十九万件、三十七年には三百二十万件というふうに激増したわけでございます。で、この
資料に基づきまして
予算要求の
数字をはじいたわけでございます。と申しますのは、つまり、三十六年から三十七年には二百十九万が三百二十万にふえている。この比率で参りますと、三十八年には四百三、四十万になり、これが三十九年になればさらに五百五十万以上のものになる、こういう計数が一応
推定されたわけでございます。そういうつまり
昭和三十九年の
推定件数に基づきまして、それに必要な
裁判官数というものを一応各
簡裁につきまして当たりまして具体的にはじき出したものが
要求の
数字でございます。ところが、三十八
司法年度の経過中におきましての実際の
道路交通事件の増加率というものが、何か非常に伸びない、つまりふえないわけでございます。これは
事件がふえないのですから、喜ばしいことではございますが、ただこういう計数上のあれから申しますと、自然にその
推定の
根拠を失うということになってまいったわけでございます。で、結果において三十八
年度は、この表にはまだつくりますときに出ておりませんでしたので書いてございませんが、これを申し上げますと、三十八
年度の件数が三百四十万六千百七十一件でございます。つまり、三十七年の三百二十万八千七百二十六に照応いたしますものが三百四十万六千百七十一件ということになって出てまいったわけでございます。この最終的な
数字は
予算の編成までにはまだわからなかったわけでございますが、大体十月、十一月の件数から
推定いたしますと、とにかくその伸びが三十六年から三十七年の伸びとははなはだしく違って低い、こういうことになりまして、そうしてこの比率で三十九年というものを出しますと、自然これはとても四百万件にも達しない、こういうことにならざるを得ないわけでございます。これはいろいろなほかにも
観点がございまして、いろいろこちらでも試算もし、
大蔵省のほうでもされるわけでございますが、ともかくも三十八年がこういう伸びしか示さないということでございますと、三十九年もおそらくそれに今度は若干の上積み、こういうふうに考えられて、自然
要求額が減らざるを得ないということになったわけでございます。