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1964-09-30 第46回国会 参議院 文教委員会 閉会後第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年九月三十日(水曜日)    午前十時五十八分開会   —————————————  出席者は左のとおり。    委員長     野本 品吉君    理事            吉江 勝保君            小林  武君    委員            植木 光教君            久保 勘一君            近藤 鶴代君            笹森 順造君            中野 文門君            中上川アキ君            秋山 長造君            豊瀬 禎一君            米田  勲君            柏原 ヤス君            高瀬荘太郎君   国務大臣    文 部 大 臣 愛知 揆一君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君  説明員     文部政務次官 押谷 富三君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○派遣委員報告教育文化及び学術に関する調査  (義務教育費国庫負担法等に関する  件)   —————————————
  2. 野本品吉

    委員長野本品吉君) ただいまより文教委員会を開会いたします。
  3. 米田勲

    米田勲君 緊急に質問。私は、この際、九月一日の文教委員会の問題について、特に委員長お尋ねをいたしたい。  この日の文教委員会は、御承知かとも思いますが、午前中われわれは予定どおり委員会を開くつもりで集まった。ところが、文部大臣の問題で衆議院の文教委員会がいささか紛糾をして、そして向こうの託し合いが進まない状態の中で、文部大臣を早急に参議院の文教委員会出席をしてもらうことができない事情にあったわけです。この間いろいろ係のほうの連絡をとってもらい、こちらも最善の努力をしたが、とうてい午前中の文部大臣出席は見込みがないという見通しに立たざるを得なくなった。そこで、この委員会では、みんなの申し合わせで午後一時から文教委員会再開しようという約束で一応別れた。そこで、午後一時に文教委員会再開されるものと考えてわれわれ出席をしたわけです。ところが、その出席者状態は、自民党側では北畠理事ただ一人、文教委員長はもちろん出席しました。それとわれわれ社会党委員だけである。こういう状態になった。そこで、委員部人たちに特に依頼して、各文教委員出席方を求めるためにいろいろ連絡をしたり、居どころの調べをしたり、骨を折ってもらった。しかし、その努力にもかかわらず、どの委員会館にもおらず、本館にもおらずして連絡がつかない。したがって、出席をしてくださいという連絡もつかない状態になったということをわれわれは知ったわけです。その結果、文教委員長とわれわれとの間で、ぜひ文部大臣の午後の出席を求めて、緊急に質問事項もあるし、予定もそういうことであったんだから、文教委員会を始めてもらいたい、こういうことを強く主張をした。ところが、その間のいきさつは相当時間にわたったが、文教委員長意見としては、自民党理事ただ一人、あと文教委員長社会党委員だけである、こういう構成の中で文部大臣出席を求めて、初めての出席であるから、当然、委員会に対するあいさつもなさるであろう、そういうことを予想すると、そういう成立のしかたをしておる文教委員会に招くととは失礼にもなるし、文教委員長としては、こんな状態のまま文部大臣出席を求めることもどうかと思うということで、再開をするということを非常にちゅうちょをされた。で、われわれはそうではなく、最初主張のように、再開をして、文部大臣出席を求め、緊急の問題もあるので、質問をさせてもらいたいということを再三再四にわたって委員長要請もし、また、その間、委員会の再会ができないとすれば、別途の措置を講じてもらうように、具体的な意見も述べて、そうして委員長善処方を極力要望したはずである。ところが、委員長は、突然再開を宣し、直ちに散会を宣して部屋を出ようとした。したがって、私は委員長の退席することをとめて、その後の話し合いをして、結局、委員会は開かれなかったが、政府委員室文部大臣に来てもらった。その骨折りは委員長にやってもらった。そうしてある程度の話し合いはそこでやった。結局、文教委員会は開くことができなかった。こういうのが経過であります。私は、この経過出席皆さんによく理解をしてもらいたいので、そのときの事情をかいつまんでいまお話をしたわけです。そこで、委員長に私はお開きをしたいのですが、この九月一日の文教委員会を午後一時に再開をするということを全体の委員にはかって、何ら異議なくそのことがきめられて、昼食その他の用件で休憩をしておる。ところが、再開の時刻がきても、かいもく、会館にも、本館にも各委員は居どころが不明であった。連絡つけようがないという状態にあったことは、先ほど申し述べたとおりであるが、これらの行き先不明になった委員は、あらかじめ午後一時以前に、委員長に対して出席のできない事情について何らかの連絡か、了解を求めるかの措置がとられていたものかどうか。全体の人がとられていないとすれば、そういう手続をとられた人はだれであるのか、その点をまず委員長お尋ねをいたします。
  4. 野本品吉

    委員長野本品吉君) ただいまの米田委員の御発言でありますが、事柄の経過お話のとおりに私も承知しております。私は委員会には委員皆さま方の御出席を期待いたしておりますので、したがって、どなたに委員会出席しなくてもよろしいという了承を与えた事実はありません。
  5. 米田勲

    米田勲君 委員長からは出席をしなくても了解しましたという了承を与えないが、出席ができない事情については何人くらいの方から委員長に事前に連絡がありましたか。なかったんじゃないですか。あらかじめ出席のできない事情についての連絡委員長にはなかったんじゃないですか。それが事実じゃないですか。
  6. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 正式に私に出席ができないということのお話のあった方は私の記憶にはありません。
  7. 米田勲

    米田勲君 そこで私は、新しく就任をされた委員長でありますし、劈頭に起こったできごとでもありますから、特に私はあなたに意見を言いたいのであるが、こういうふうにしてお互いが午後一時から再開をしようということを約束していながら、委員長に何らの連絡了解も求めないで、しかも全く行くえ不明になっておる。秘書もわからず、会館連絡してもどこへ行ったのかわからない。そういう状態になることは委員会運営ができなくなるという状態なんです。私は委員各位やり方がきわめて無責任だ、そういう無責任やり方でこの委員会運営しようとしても、いかに委員長ががんばっても、それではまともな委員会運営はできませんよ。お互い用件のあることは、私はお互いの立場で十分あり得ることは認められても、再開をしようと思っても、委員長がとうてい常識として再開のできないようなまでに委員出席がない、特に与党委員出席がない、それが何らの連絡つけようもないという状態です。この問題を、その後再び起きないように委員長与党委員人たちに何らかのお話し合いを非公式にでもなさった事実があるのかどうか、そのことをひとつここでお尋ねをしておきたい。
  8. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 当日の委員会にお出にならぬのは与党の議員さんも大多数お見えにならなかったし、それからその他の会派の一、二の方もお見えになっておりませんから、したがって、きょう米田委員からそういう発言のありましたことは皆さま方お聞きのとおりでありますから、お互いに将来自粛して、そして委員会に対する出席は十分あるように私からも希望を申し上げたいと思います。
  9. 米田勲

    米田勲君 私は特にこの際、委員長のそのことばで了承をいたしますが、与党理事の人に私は要望がある、他の委員はいろいろ用件があって出席ができないような事情になったとしても、少なくも与党理事は三人おられるはずであるが、出席をすべきものではないか、一応それだけの責任があるのではないか、委員会運営について、委員長理事打合会でわれわれの代表として委員会の円満な運営について協議をする責任を持っておる理事である、しかも委員長を出しておる与党理事が三人もおられるのに、そのうちの二人は全然連絡もなしに行くえ不明になって出席をしないということは、私は他の委員出席がなかったよりも、その行動について特に私は反省を求めたいのであります。他の委員においても、私は当然責任はあるとは思うけれども、特にその与党理事が、吉江理事もその一人であるが、何らの連絡もせず、再開されるべき委員会にも出席をしないで行くえ不明になってしまって、委員会運営を全く不可能にならしめた責任をどういうふうに考えておられるのか。私は吉江さんには聞きませんが、委員長としては、この与党理事三人には特に協力要請してもらいたい。何かはかのことで大きなことを言われても、そういう行動をとられていれば、私は人間を疑うのです。そういう一方に無責任行動をとっていながら、一方ではいかにも大それたことを言われても、同じ人間なのかと疑いたくなる。私はわれわれの要望どおり、この委員会が開かれなかったからというだけでなくて、委員会運営について委員各位協力をすべきものであるし、また、特に与党理事はそのことについて最も大きな責任があるではないか。それを委員長だけを孤立させておいて、どうにもならない状態に追い込んでしまって、その間に何らの話し合いも行なわないということはけしからぬことではないかというのが私の本意なのです。だから、委員長としては、文教委員各位に自粛をして、努力をしてもらいましょうというだけでなく、与党理事に対しても、あなたはしかるべき話し合いをすることをここで約束をしてください。
  10. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 米田委員の御発言に対しましては十分考えて善処いたしたいと存じます。
  11. 米田勲

    米田勲君 わかりました。
  12. 吉江勝保

    吉江勝保君 あまり時間をとる気持はありませんが、九月一日と言われたのは、多分八月一日の間違いではないかと思うのですが、あのときは私のほうの理事では、多分二本先生はおいでになっていなかったのではないかと思うのですが、そうすると、私と北畠理事だけだったのではないかと思うのです。私はその日、理事と打ち合わせをしておりましたが、午後一時には羽田を立って関西に行くので、午前中ということを切にお願いしたわけなのです。どうしても午前中に終わらないものですから、北畠理事に頼みまして、私は前の予定がありましたものですから、大阪、関西に行ったわけなのですが、しかし、こういうことの起こらないようには、できるだけ私も各委員の御都合も聞いて、その日の運営時間割をきめていけば、多分、委員さんも皆さん出席が願えるだろう。まあ、きまれば当然自分の所用も差し繰って、できるだけ委員会出席をお願いをするのが私は当然だろうと思いますが、まあ、その日の御都合のある先生もおありだろうと思うので、できるだけ、先ほど言いましたように町各委員の御都合も聞いて、その日の運営時間割をきめていきたい、こういうつもりでおりますのと、八月一日の私の名前がちょっと出ましたから、その日は北畠理事あとを頼みまして出ましたというわけです。
  13. 米田勲

    米田勲君 吉江理事から発言がありましたので、もう一ぺん特に発言さしてください。九月一日というのは八月一日の間違いでした。いま吉江理事は、私は午後からほかの用件があるということを発言された事実は私も記憶しております。記憶はしておるが、午後一時、委員会を開くということについてはだれも異議がなかったはずなのです。だから、吉江理事が午前中に何の発言をしていようと、とにかく午後から委員会を開くということについては、そのときに、私は午後からのやつのに出席できませんという特別の発言がない限り、これは責任を負うべきである。私は午前中にこういう発言をしておったではないですかということは理由にはならない、出席をしなかったから。だから、私はそういうお互いが一時から開きましょうということで異議がないのに、何かその前に発言をしておったことなんだから出席しなかったのは当然だと聞こえるような発言をされても、それは納得ができません。あくまでもやはり、いま吉江理事について言えば、午後の出席をしなかったことについては責任があります。あなたがその責任を回避しようとしても許されない。大事な文教委員会運営をできなくさしてしまった。だから、弁解は私は了解ができません。
  14. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 速記をとめて。   〔速記中止
  15. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 速記を始めて。  最初に、派遣委員報告に関する件を議題といたします。  先般、当委員会が行ないました委員派遣について、それぞれ派遣委員から御報告願います。  まず、第一班北陸班の御報告をお願いいたします。
  16. 吉江勝保

    吉江勝保君 それでは、北陸班代表しまして、私が調査結果の御報告を申し上げます。  私及び小林武君の二人は、教育文化及び学術に関する調査のため、去る九月十四日より六日間にわたり、金沢大学福井大学石川県、福井県各教育委員会及び金沢市、七尾市、小松市、福井市、各教育委員会において実情調査を行なうとともに、主要文化財及び先般の豪雨による被災校の現状を実地に視察し、さらに、七尾市、小松市におきましては、教育懇談会出席の上、現地要望等を聴取いたしてまいりました。お手元にこれらの調査結果を取りまとめましたものを資料として配付いたさせましたので、以下、現地事例等を若干補足しながら御説明申し上げたいと存じます。  まず、資料1は、各教育委員会において聴取いたしました要望事項等を取りまとめたものでありますが、このうち、一般的事項につきましては、ごらんのように、詳細に記載いたしましたので、この際、全般を通じまして、現地で特に強く感じました点を二、三述べさしていただきたいと存じます。  すなわち、第一点は宙初等中等教育充実向上をはかるために、現地の各関係当局が非常な努力を払っていることであります。たとえば、小松市におきましては、市内金山中学校四十二校に対する養護教諭の定数は八名に過ぎないため、市費をもちまして三十一名にのぼる養護職員を配置し、学校保健業務円滑実施充実向上を積極的に推進いたしており、金沢市においても、ほぼ同様の対策を講じているとのことであります。これらの市におきましては、険校舎改築統合整備等になお長期にわたる多額の経費を必要としているのでありますが、これとあわせて、地域要請、あるいは時代の進展に適合する施策を講ずるために、かようななみなみならぬ努力を傾けているものであり、お手元資料項目1、2、3及び4は、いずれもこのような実情に基づきまして、国の施策拡充が切望されたものであります。  第二は、科学技術教育社会教育及び地方体育スポーツ等振興につきまして、最近の産済経済発達と余暇の増加を背景とする地域要請が両県においても著しく高まっている点であります。各市とも、これにこたえる施策実施についてかなり苦心を払っておりますが、何と申しましても、財政上の制約が大きく、基幹施設整備事業推進の中核となる指導者確保等、いわば体制固め段階伸び脳んでいるとの印象を受けました。お手元資料項目5、6及び7は、かかる実情を改善するための国の施薬の拡充促進がそれぞれ要望されているものであります。  第三は、文化財保護保存に関する地元住民の関心が強くなっている点であります。今回の調査におきましては、金沢市にあります兼六園、成巽閣県立美術館、能楽堂及び福井市の浄得寺同市郊外にあります永平寺をそれぞれ視察してまいりましたが、項目8に記載いたしましたとおり、各地において防災施設早期整備無形文化財保存対策等促進が強く要望されました。なお、特別天然記念物トキは、現在二羽が確認されるのみで、絶滅のおそれもあるため、早急に特別の保存対策を講ぜられたいとの要望石川県において述べられました。  次に、項目(二)の個別事項について御説明申し上げます。  第一は、金沢市立美術工芸大学整備国立移管に関する要望であります。同大学は、京都市立美術大学と並ぶユニークな存在でありますが、旧陸軍の兵器庫をそのまま使用しておりますため老朽化が著しく、早急に改築を迫られていること、工業デザイン等新興部門に対する社会的要請が高まり、入学志願者が急増しているため、学生定員増及び施設拡充を必要としていること等の事情から、国の助成措置と特別の起債承認を切望しているものであります。なお、同大学国立移管についても検討されたいとの要望金沢市より述べられました。  第二は、両県にそれぞれ国立工業高等専門学校を設置されたいとの要望であります。御承知のとおり、最近における地域産業発達に伴なう中堅技術者不足は著しいものがありますので、地元の強い要請にこたえるため、各県とも、用地、仮校舎寄宿舎等施設を鋭意準備いたしまして、その早期実現を熱望いたしている次第であります。  第三は、福井県において開催予定の第二十三回国民体育大会準備促進に関する要望でありますが、これは本大会を契機に、地方体育スポーツ振興基盤を確立するために、所要施設整備費について、国の補助及び起債、還元.融資ワクの拡大をはかられたいとする趣旨であります。  第四につきましては、両市においてそれぞれ開催されました教育懇談会の席上、幼児教育振興義務教育に関する父兄負担の軽減、中学校技術科助手の配置及び教科書無償配付に伴う事務簡素化等要望が、父兄または学校長代表から述べられましたので、この際御報告申し上げておきます。このうち、幼児教育振興につきましては、保育所幼稚園化の傾向及び幼稚園教育振興に関する国の施策が、保育所行政と比較して立ちおくれていること等を是正されたいとする趣旨のものであります。  第五につきましては、竹又小学校復旧状況実地に視察してまいりましたので、その概況を御報告申し上げます。竹又小学校は、金沢東方山地にある児童数約八十名の復式編制校でありますが、本年七月の豪雨により、校舎両側がけ地が決壊し、ほとんど全校舎が倒壊しました上、設備も全部流失する被害を受けたものであります。その後、倒壊校舎等の取り除き作業はほとんど終了いたしておりますが、現地をみましたところ、敷地の両側にけわしいがけが迫っており、復旧いたしますにしても、そのままではまことに危険な個所のように感ぜられました。地元においても、この点憂慮いたしまして、他に二、三候補地を検討中とのことでありますが、いまだ結着がつかず、この間、児童は数キロ離れた近接小学校へ分散して通学いたしている実情にあります。  次は、第六の自衛隊小松基地周辺学校防音対策実施状況でありますが、幸い、本年度までに二十五件、十五校の施設が完備いたしまして、現在では一応授業に支障をきたさないとの説明がございましたことを御報告申し上げます。  以上で各教育委員会関係説明を終わり、次に、資料2に取りまとめてあります金沢大学福井大学につきまして、若干の補足説明を申し上げます。  まず、理工系大学院及び学部学科の強化につきましては、地元要請がきわめて強いところから、両大学ともこれにこたえるため、それぞれごらんのような拡充施策要望している次第でありますが、しかし、これに伴って必要となる教官組織充実及び実習研究施設整備につきましては、現在すでにかなり立ちおくれており、最近の科学技術発達に適応できなくなっているため、この際、格段の改善措置を講ぜられたいとの強い要望が両大学において述べられました。一例をあげますと、金沢大学工学部が現在使用中の実習機械の約半数は、大正九年以来全く更新されていないとのことであり、また、薬学部においては、製薬、製剤実習施設が全くないとのことであります。  次に、文科系学部学科については、金沢大学法文学部の改組を、また、福井大学学芸学部養護学校教員養成課程の設置をそれぞれ要望いたしておりますが、このうち金沢大学につきましては、御承知のとおり、大学側地元側ともに、これを北陸地方における総合大学として、名実ともに発展せしめんとする誇りと意欲を持っておりますため、文科系学部が、法文学部という単一の複合学部にとどめられていることに対する不満が大きいとのことであります。  また、福井大学につきましては、県内において特殊教育の対象となる児童生徒数が約六千六百人以上であるのに対し、養護学校教諭免許状を取得している教員数がわずか十三名に過ぎないため、関係機関等から早急に対策を講ぜられたい旨強く望まれているとのことであります。  次に、大学財政等に関する要望は、資料の最後にまとめて記載してございますが、このほか、金沢大学におきましては、図書館の格納施設昭和二十七年以来改善されていないため、年々増加する図書類整備保管上大きな支障をきたしていること、大学病院施設老朽化がはなはだしく、およそ病院の体をなしていない実情にあること、及び診療要員の著しい不足のため、いわゆる無給医師約三百名を各病室に配置して診療体制の維持をはからざるを得ないこと等の実情が述べられ、それぞれ改善措置促進されたい旨要望がございました。  以上申し上げてまいりました大学関係及び教育委員会関係の各項目につきましては、各機関から詳細にわたる多くの資料の提供を受けてまいりましたので、当委員会調査室において保存の上、御参考に供したいと存じます。なお、お手元に配付いたさせました要望事項等一覧資料につきましては、委員長より、会議録掲載方をお取り計らいくださるようお願いいたしまして、これにて北陸班の御報告を終わります。
  17. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 次に、第二班の長崎班の御報告を願います。
  18. 中野文門

    中野文門君 それでは、一行のお許しをいただきまして、私から第二班の調査報告をいたします。  第二班は、去る九月十三日から同月三十日まで八日間の日程により、久保委員豊瀬委員柏原委員及び不肖中野委員の四名に、調査室から吉田、佐々木の両調査員が随行し、ほかに文部省の児玉事務官が参加いたしまして、長崎県へ参り、同県南松浦五島列島福江島を中心に、主として離島僻地における教育実情調査いたしました。  まず最初に、長崎県の地理的条件及び一般的僻地性の概要について申し上げます。御承知のとおり、本県は至るところに山岳、丘陵が起伏して平坦地に乏しく、海岸半島の突出と港湾の屈曲がはなはだしく、その海岸線の延長は三千七百キロという全国一の長大さを示しております。一方、西には五十五海里を隔てて東シナ海五島列島西北方には玄界灘を隔てて七十七海里に壱岐、百六海里に対馬があり、大小の島嶼を合わせれば、その数六百二十六、そのうち人の常在するもの百を数え、県下八十市町村のうち三十三市町村僻地学校二百四十一校中の実に二百校がこれらの島嶼に散在しており、しかも、その大部分が東シナ海玄界灘の荒海にあって、きびしい気象の変化にさらされております。したがって、これら離島町村のほとんどが産業基盤に乏しく、きわめて貧弱な財政状況にありますため、本県離島教育振興を最優先的に強力に推進しているにもかかわらず、自然的、文化的、経済的な複雑かつ深刻な諸条件にはばまれて、いまだ所期の目的を達成し得ない段階にあるのがその実情であります。私どもは、福江島内におきましては、玉之浦町立玉之浦小学校とその岳分校富江町立富江小学校とその繁敷分校及び福江市立大浜小学校等を視察いたしましたが、なお、島の北端、三井楽半島の西方約四海里の洋上に浮かぶ孤島嵯峨ノ島に渡り、三井楽町立嵯峨ノ島小中学校をも視察いたしました。これらの学校において、先生方教育長町長等から述べられました詳細な説明や熱心な陳情等について、その主要点を概括して申し上げます。  玉之浦小学校は、島の西南岸の玉之浦町にあり、児童数三百三十三、学級数十一の小規模学校であります。学級数が減少したために、本年度から事務職員の割り当てがなくなり、もっぱら教頭が事務処理に当たっている実情でありまして、ここでは事務職員の配置と無医町村の不安緩和の意味をも含めて養護教諭の配置が強く要望されました。  富江小学校繁敷分校は、島の南岸の富江町から北東約八キロの山中にある五十三世帯、人目二百余の農業を主とする寒村に設けられた児童数五十七、教員四名の三学級編制による複式学級であります。ここでは毎月一回、富江町の本校に一日入学させることにより、児童の見聞を広めることと、その孤立性の排除につとめているが、バスの便が悪く、中学に進学すれば徒歩通学を余儀なくされているということでありました。この分校で特に注目されましたのは、高学年児童の国語科の学習に、あらかじめ朗読して吹き込んであるテープレコーダーを使用して、複式授業の困難性を克服するための努力が払われていたことでありました。富江小学校では、湾外数海里の海上に横たわる黒島から約二十名の児童が通学しておりますが、その通学はわずか一日に一回就航する船便によるほかなく、そのために、これらの児童に対しては掃除やクラブ活動を免除しているということでありました。また、全校児童千百七十余名のうち、その半数を上回る約六百七十名が三キロ以上の距離から通学しているということでありますが、スクールバスやボートは、その運営費の重荷を憂慮していまだその利用をちゅうちょしている実情であります。  嵯峨島小中学校は、小学校児童数百二十六名の六学級、中学校が生徒数四十七名の三学級からなる併設校でありまして、教職員は校長以下十四名であります。この学校で特に奇異の感に打たれましたことは、中学の国語と音楽と美術の三科目については有資格者がなく、わけても十四名の教員中、国語科の免許状所有者が一人もいないということであります。このことは、生徒の読解力の不足を来たし、ひいては社会科の学習にも少なからぬ影響を及ぼしていると校長の述懐にも漏らされたのであります。僻地校への志願者を求めにくいことや、芸能、理数等の特殊な学科との関連などの事情による結果であろうとは想像されますけれども、何とかして国語科の有資格教員をせめて一人くらいは配置できないものであろうかと、つくづく考えさせられたことであります。この嵯峨ノ島は周囲約十二キロの細長い火山島であり、住民は八十二世帯五百人が農業と漁業の兼業によって生計を立てていますが、テレビは二十八台、ラジオに至ってはほとんど全家庭が聴取している状況であります。しかし、衛生と教育の両面については関心が薄く、回虫の駆除が当面の問題であり、子弟の教育はすべて学校に一任の形であるということでありました。この島での日常生活の面における不便や欠陥としては、電気はあるけれども午後七時から十時半までしか点灯できないこと、水道がなく、もっぱら天水に依存していること、島の唯一の交通機関である渡航船がわずかに一日一往復にすぎず、しかも年間七十ないし八十日が天候のために欠航し、冬季には特に連続欠航すること、郵便物、新聞等が遅配欠配となること、日常生活の必需品が乏しく、かつ高価であることなどがあげられますし、教職員の宿舎は一般公務員の宿舎を転用したもの五戸があるが、風呂は三戸に一つの割合でしか設けられていないということでありました。また、児童生徒のための教材、特に図書の不足など、文化的後進性はやむを得ないものがあります。こうした実情はひとりこの嵯峨ノ島にのみ限られたことではなく、その程度に若干の相違こそあれ、親島である福江島についても、また五島列島の全地域についても当てはまる問題でありましょう。離島の生活のきびしさと教育の困難性がしみじみと感じられたのであります。  さて、これらの実地調査を終えました後、私どもは福江市役所におきまして、福江市の市長、助役、市議会議長及び議員、PTA連合会長、福江島内全域の教育委員教育長、各町長等のほか、五島支庁長、五島教育事務所長、五島PTA連合会長など教育関係者数十名と一堂に会し、離島僻地教育について二時間半にわたり、きわめて真摯にかつ熱心に懇談を交える機会を持ちました。この会合においては、教師の立場から、父兄の立場から、また、教育行政の観点から、こもごも立って忌憚のない率直な建設的意見要望が活発に述べられ、さらに一そう私どもの理解と認識を深めることに役立つことができました。要望の内容は多種多様にわたりましたけれども、特に、一、県内離島の面積は全体の四二%を占め、道路港湾その他県の財政能力だけでは解決困難な問題が多いから、国の援助を期待しなければならないこと。  一、離島僻地に対しては、内陸の僻地と異なる事情にあることを理解してほしいこと。  一、教員が定着性を欠き、島内に三年以上勤務する者がほとんどまれな現状にかんがみ、物心両面からの優遇策を講ずることが急務であること。  一、小中学校の併設校は、全島内に二十校あり、このうち九学級以上のものが十三校に及ぶが、現在、事務職員の配置されているのはわずかに二校にすぎない、せめて九学級以上の併設校には事務職員と養護教諭を配置するように措置されたいということ。  一、社会教育の面に少なからぬ時間を費やしている教員の負担を軽くするため、社会教育主事と教員の交流を可能にするよう法令の改正を行なってほしいこと。  一、学校給食は、県では平均六、七〇%まで普及しているが、島内ではわずか二校の実施にとどまって、いるのは、地元財政力が原因であり、児童生徒の体位はきわめて低いから、給食施設についての補助金の補助率を引き上げてもらいたいこと。  以上のほかは、おおむね長崎教育委員会において県教育長から述べられた要望趣旨に包含されておりますので、ここに重複を避けて省略することといたします。  かくて、私どもは長崎市へ立ち戻り、県教育長から県内教育の一般状況を聴取いたしますとともに、特に僻地教育振興について次のような陳情を受けました。  一、僻地学校に勤務する教職員の優遇措置として、  1僻地学校級別指定基準の適正な改善をはかること。  2退職手当及び年金算定に際し、特別加算を行なうこと。  3僻地勤務教職員の子弟の学生寮建設事業に対し、国庫補助を行なうこと。  4住宅手当を新設し、支給すること。  5多学年学級担任手当の増額をはかること。  二、僻地所在の小規模学校にも、養護教諭及び事務職員が配置されるよう、定数法の改正を行なうこと。  三、僻地学校に勤務する教職員が十分研修できるよう、旅費単価を大幅に引き上げること。  四、僻地教育振興のための国庫補助金の補助率をすべて三分の二とし、地元負担の財源についても起債等特別の措置を講ずること。  五、スクールバス、ボートの運営費についても国庫補助がなされるよう措置すること。  以下十点、大別して五項目でありまして、これらはすべて僻地全体について当てはまる要望と考えられますが、特に長崎県については、その僻地のほとんどが離島に所在しているという特殊事情に照らし、級別指定基準についても離島僻地の諸条件を勘案してほしいことと、李ラインにかかる国際問題の焦点を位する対島、壱岐、五島に対しては、特別の角度から措置されたいということの二点が強く要望されたのであります。なお、この席上、長崎県公立学校施設整備期成会の会長から、危険校舎改築促進、公立学校施設費に対する国庫負担率の引き上げ、公立高等学校僻地生徒寄宿舎の新増築促進等に関する陳情と、長崎県教職員組合の代表者から、教職員の定数、給与の改善、離島僻地教育振興、産炭地教育振興等に関する陳情を聴取いたしました。  さて、ここで長崎県における教育、特に僻地教育についての施策のあらましを簡単に述べてみたいと存じます。  長崎県の本年度教育予算は、県の予算総額三百三十六億円に対し、その三五%を占める百十八億円に上り、行政費目中の最高位を示しており、しかも、教育委員会の予算原案が無条件で承認されたということであります。県自体の教育に対する熱意のほどがうかがわれるのでありますが、同時にまた、多数の離島僻地に小規模学校をかかえている本県の特異性から、やむを得ない現状であろうと推察されるのであります。  次に、本県における中学卒業者の進学率は五六・二%であり、これは全国平均の六三・五%に比べて著しく低く、また、高校卒業者の進学率も二一・六%であって、全国的には低位にあり、これらもまた離島僻地の多いことに基因しているものと考えられるのであります。県当局は、離島僻地における教育充実振興をはかるための施策として、  一、離島派遣教員制度を設けて、三十四年度から本土の教員を、勤務年限を定めて離島僻地へ赴任させることにより、教員の資質の向上と確保をはかること。  一、離島僻地の高等学校に工業、商業等の学科を設置することや、全日制分校の独立、寄宿舎の新設等により、僻地高校の充実をはかること。  一、離島出身の教員を確保するため、三十四年度から、県と地元市町村協力して、毎月五千円の奨学金を両者が折半して貸与し、長崎学芸学部に委託して養成することなどを着々実施して、異常な熱意を傾けております。  しかしながら、今回私どもが直接に視察いたしました福江島の各地についてその見聞の一端を申し上げますと、島の首都とも言うべき五島最大の都市でありますところの福江市は、数年前の大火災によりこうむった創痍がいまだ全くはいえず、最近ようやく市内中心部の復興を終えて立ち直らんとする状態でありますし、富江町は、過去長年月にわたってその繁栄の基盤となっていたサンゴの採集事業が近年次第に資源の減少によってふるわず、したがって、町全体が萎靡沈滞を来たしつつあり、また、かつては外洋漁業の前線基地としていんしんをきわめた玉之浦町の荒川港も、レーダーの発達に伴う気象観測の的確さと、漁船の大型化に加うるに船足のスピードアップにより、逐年、前線基地の必要性が薄らいできたために、港湾はただ昔の隆盛をしのばせる遊休施設に変わろうとしていることなどが語られました。また、島内を縦横に貫く主要道路も全然舗装が施されておりませんし、校舎はほとんど貧弱な木造でありまして、中には実に七十年を経過した老朽校舎も見受けられ、台風や白アリの害をこうむりながら、よくぞ耐えてきたものだと感嘆させられました。離島僻地教育が、その充実振興の要件として、いわゆる教育プロパーの施策を強力に推進すべきことは当然でありますけれども、それにもまして、交通の改善や産業の発展による経済的基盤の確立ということに、より大きな比重がかけられていることが、生きた現実の姿として看取されたのであります。  以上申し述べましたとおり、僻地教育充実してその水準の高揚を期するには、なお幾多の課題が残されております。これらの課題については早急に検討を加え、逐次解決すべきであることを痛感いたしました。  最後に、長崎大学について簡単に申し上げます。現在、長崎大学においては工学部の新設を希望しておりますが、その敷地問題と関連して、大学本部からやや遠距離にある経済学部大学本部の敷地内に移転統合することなどが取り上げられ、いまだ最終的結論が打ち出されていない段階にありました。  以上で報告を終わります。
  19. 野本品吉

    委員長野本品吉君) ただいまの御報告に対しまして御質疑のあります方は御発言を願います——別に御発言もなければ、派遣委員報告はこれをもって終了いたします。  なお、北陸班御提出の資料はこれを会議録に掲載することといたします。  それでは午前の審議はこの程度で、暫時休憩いたします。    午前十一時五十一分休憩   —————————————    午後一時二十一分開会
  20. 野本品吉

    委員長野本品吉君) これより委員会再開いたします。  文部大臣より発言を求められておりますので、これを許します。愛知文部大臣
  21. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) たいへんごあいさつがおくれまして恐縮でございますが、ちょっとごあいさつを申し上げたいと存じます。  去る七月の内閣の改造に際しまして、はからずも文部大臣の重責をになうことになりました。一刻もすみやかに文教委員会の皆さまにごあいさつを申し上げたいと存じておりましたが、不本意ながら今日に至りまして、まことに恐縮に存じます。皆さま方には、かねがね文教の問題につきまして、なみなみならぬ御尽力と御協力をいただいておりまして、心から敬意を表しますとともに、深く感謝申し上げている次第でございます。  いまさら申し上げるまでもございませんが、国づくりの基本は人つくりにあると私はかねてかたく信じている次第でございます。人つくりの文教を担当する立場に立ちまして、あらためて世界の進運、わが国の現状に照らしまして、その責任というものがきわめて重大でありますことを痛感いたしているような次第でございます。  さて、全国民のたゆまない努力の結果、高度の経済成長をもたらし、世界の注視を浴びるに至りましたことは、まことに御同慶にたえないところでございますが、他面、ややもすると安易につき、惰性に流れ、高度化した現代社会のにない手である人間それ自体のことを忘れる傾きがないとは申せないと存ずるのでございまして、こうした意味におきましても、人つくりこそ何ものにも噂して基本の問題であると考える次第でございます。特に私は徳性と情操を涵養し、国民的な自覚と責任感、国を愛する心情と国際協調の精神を養い、時代の進運に即応する知識や技術を習得し、高い理想と将来への希望を持った心身ともに健康な日本人の育成を目ざすということが一番肝要なことではなかろうかと存ずる次第でございます。このために、目新しいことではございませんが、かねがね御協力をいただいておりますような、教育内容の改善と文教施設、設備等の充実教育の機会均等の確保、大学教育及び学術研究の拡充充実、私学振興の拡大、社会教育の伸展、スポーツの普及、芸術文化振興と国際文化交流の促進といったようなことを、じみちに推進してまいりますことが肝要であろうかと存ずる次第でございます。それと同時に、教育は人にありと言われておりますとおり、教員その他指導者の養成と資質の向上をはかります一面、教育界に優秀な人材を確保できますよう、待遇や処遇の改善にできるだけの努力を払ってまいりたいと存じておる次第でございます。ちょうどだだいまは、時あたかも明年度予算の編成時期に直面いたしておりまして、文教各般の年来の課題の解決のために専心努力を尽くし、わが国文教の伸展に微力を捧げたいと考えておる次第でございます。何とぞ、あらためて文教委員会皆さま方の格別の御支援と御協力をひとえにお願い申し上げる次第でございます。  なお、この機会に一言申し上げたいと存じますが、それは、いわゆる限度政令のことについてでございます。この問題につきましては、文教委員会の与野党の皆様方からかねがね多大の御配慮をいただいておりますことは、私も承知をいたしておりまするし、また、就任以来この問題を慎重に検討し、特に財政当局、責任閣僚にも再々交渉いたしまして、なお一そう慎重を期そうと努力を継続いたしたのでございますが、すでに既定の方針もありましたし、これを原則的に変更することはできなかった次第でございまして、結果におきまして御期待に沿い得なかったことを遺憾に存じておる次第でございます。何とぞ、私の意のあるところをおくみ取りいただきますよう、ひとえにお願い申し上げる次第でございます。  以上、簡単でございますが、ことにおくればせでございますが、一言ごあいさつを申し上げ、一段のお力添えをお願い申し上げる次第でございます。
  22. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 議事に入る前に大臣にお尋ねしますが、歴代大臣は、そのあいさつというか、就任の際の施政の概要というか、それは必ず印刷にされ、しかも、灘尾大臣の際には、所信表明が不十分でしたので、再度印刷して出す、こういう処置をしたのですが、新大臣は、さきの本委員会の開催の際にも御出席なかったように承っておりますが、いささか当委員会に対する慣例を破り、大臣の文教行政に対する態度としてはけげんに感じますが、どういう所存ですか。
  23. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 格別、恣意を考えておるわけではございませんで、ただいま申し上げましたとおり、まことにおくればせになりまして恐縮に存じましたけれども、私の考えの一端を申し上げてごあいさつにかえさしていただきました次第でございます。
  24. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 ことばじりをとるわけではないですが、一端を御説明したということは、後日、従来の慣例どおり文書にしてあらためて出すという意味ですか。
  25. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) この点は先ほども申しましたように、ちょうど予算の編成時期でもございまするので、いずれ臨時国会も召集されることと思いますが、そういう機会に、予算の状況なども含めまして、具体的に文教政策を御説明申し上げる機会をいただきたい、その際には、もちろん印刷をいたしました書類もごらんをいただきたい、こういうふうに考えております。   —————————————
  26. 野本品吉

    委員長野本品吉君) これより教育文化及び学術に関する調査中、義務教育費国庫負担法等に関する件を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、これを許しますが、質疑に入るに先立ちまして、本日ここに出席されております政府側の方を申し上げておきます。愛知文部大臣、押谷文部政務次官、西田文部大臣官房長、安嶋初中局審議官、以上であります。
  27. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 政務次官来ておらぬではないか。
  28. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 政務次官はまだ見えておりません。すぐ来ます。
  29. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 米田君。
  30. 米田勲

    米田勲君 愛知文部大臣には、きょう初めてこの委員会でお会いし、いまごあいさつをお聞きしたので、きょう問題として取り上げていく限度政令の問題をめぐる問題でありますが、最初にあなたに一つお伺いを前もってしたいことがありますので、端的にお答えを願います。  池田内閣の内閣改造で国務大臣が更迭をされる場合に、具体的に言えば、灘尾前文部大臣から愛知文部大臣にかわった。その更迭されるときの責任や所管事項が新しい文部大臣に引き継がれると思うのでありますが、この場合の引き継ぎはどのような範囲にわたって行なわれるものなのか。また、その要領としては文書によって行なわれるものなのか、口頭で行なわれるものなのか、従来の慣行がどうなっているのかを最初にまずお聞きをいたします。
  31. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 引き継ぎにつきましては、大体、各省を通じての慣例があるようでございますが、文部省におきましても大体その例にならって、官房はじめ各局、あるいは外郭団体等からのそれぞれの所管事項についての相当詳しい書類の引き継ぎを受けるわけでございますが、同時に、その中で大臣として特に重点と思われる事項数点については、書類のあるものもございますし、口頭において引き継ぎを受けるものもございます。今回の場合におきましても、そういうふうなやり方で引き継ぎをやった次第でございます。
  32. 米田勲

    米田勲君 もう一点お伺いをいたします。前の灘尾国務大臣がこの文教委員会において、われわれとの間の質疑応答で答弁をした事項、あるいは政府の見解としてこの委員会で表明された事柄、また、教育行政を今後進められるについて実施約束をされたような事項、もしくはわれわれとの間で正式な形で申し合わせをされたり、協定といいますか、約束と言ってもいいですが、協定が行なわれたようなそういう事項の一切は、後任の国務大臣にその責任を完全に引き継がれるものとわれわれは判断をして差しつかえないのかどうか、文部大臣の見解をお伺いいたします。
  33. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 大体においてさようにお考えいただいて間違いないと思います。
  34. 野本品吉

    委員長野本品吉君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止
  35. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 速記を始めて。
  36. 米田勲

    米田勲君 最近、国庫負担の政令ですか、限度政令を制定することを閣議で決定したと聞いておるが、この政令を閣議に提出したのは愛知文部大臣の手によって提出されたのかどうか、その点はどうですか。
  37. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 文部省の所管でございますから私の手で整備をいたしたわけでございます。
  38. 米田勲

    米田勲君 私の記憶によりますと、八月の二十六日、わが党の小林豊瀬議員らが、この問題について愛知文相に会っていろいろな話をしたと聞いておるが、その際にいろいろなお話のうち、私は特にあなたにお尋ねしたいのは、灘尾前文相との間の引き継ぎ事項の一つに確かにこの問題があったという事実、それから灘尾前文相は、この政令はついに私の手で出すことができなかったので、ぜひ愛知文部大臣の手によってこれが制定されるようにしていただきたいという引き継ぎを受けたと、わが党の議員らに愛知文相は発言をされたと聞いておりますが、それに相違ありませんか。
  39. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これはただいまお尋ねのように八月の二十六日と記憶いたしておりますが、参議院議員の数人の方のお訪ねがありまして、これは非公式のお話でございますが、いろいろと懇談をいたしました。そのときに申しました中に、ただいまお尋ねのようなことが出ておりますことは事実でございます。
  40. 米田勲

    米田勲君 文部大臣、いまの非公式の話し合いですがというお話がありますが、私どもの考え方、立場では、文部大臣に対する正式の申し入れというか、そういう形で行なわれたと判断しておるのですが、文部大臣の考え方としては非公式な話があったというふうにとられているわけですか。
  41. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 非公式と申したのは、いささか表現がまずいかもしれませんけれども、要するに、国会内における正式の委員会で質疑応答をいたしたという意味でないことを意味するわけでございます。
  42. 米田勲

    米田勲君 その点は了解をいたしましたが、私のお聞きしたい点がまだ明瞭でないのですが、この限度政令問題について灘尾前文部大臣から引き継ぎ事項の一つに明確にあったということを確認されたことが事実かどうかということが一つと、そのときに、なお合わせて灘尾前文部大臣は、この政令は私の手でやらなければならなかったことなのだが、ついにやることができなかったので、あなたの手でぜひ実施をするように運んでいただきたい、こういう要望が添えられて引き継ぎがなされたということをわが党の議員に答えられたと私は報告を受けているわけです。それに内容は相違ありませんか。
  43. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これは懸案として自分のときに処理ができなかったのでお引き継ぎをいたします。なるべくすみやかに政令が制定されることを自分としては期待しておるという趣旨の、これはやはり議事録その他はございませんから正確な表現は私も覚えておりませんが、そういう趣旨の引き継ぎを受けたわけでございます。
  44. 米田勲

    米田勲君 私のお聞きしたいのは、その点が一番はっきりさせてほしいのです。それはですね、この限度政令をめぐる問題について、こうこういうふうになっているという経過の話ではなく、これはなるべくすみやかに制定をしてもらわなければならないものであるということが、特に灘尾前文相から口頭だと思うが、口頭でそういう申し添えがあって引き継がれたかどうかという点であります。いまの文相の使われたことばでは、なるべくすみやかにこの政令を制定してもらいたいということば添えがあって引き継がれましたか、これは間違いないですか。
  45. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) なるべくすみやかに制定したいと思っておって、そのことができませんでしたと、よろしくお願いをいたします、こういう趣旨でございます。
  46. 米田勲

    米田勲君 その灘尾さんの使われた、よろしくお願いをしますということは、よろしくこの政令を制定するような運びにいくようにお願いしますという意味にとって差しつかえないのですか。
  47. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 私はそういうふうに理解をいたしました。
  48. 米田勲

    米田勲君 私はね、この理解した理解しないより、灘尾さんがね、愛知さんにどういうことばでこのことを引き継いだかということを知りたいわけなんです、私の知りたいことは。なるべくすみやかにこれが制定されるように計らってほしいのだということに、ほとんど、まあそのことばどおりでなくても、ほとんどそれに類することばで引き継ぎを行ないましたかどうかということが私のはっきりさせてほしいところなんです。
  49. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 繰り返すようですけれども、私はそういう理解をいたしています、理解をして引き継ぎを受けたわけでございます。
  50. 米田勲

    米田勲君 その場合、灘尾さんは、なるべくすみやかにということばをお使いになりましたか。
  51. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) それは、先ほど申しましたように、この記録があるわけでもございませんから、正確にこうこうであったということをレコードしているわけではございませんけれども、私はそういうふうに理解をいたしたわけでございます。
  52. 米田勲

    米田勲君 では、その話の引き継ぎのときに、灘尾さんの手で当然やらなければならないことができなかったので、あなたにひとつすみやかにやってもらうようにしたいという引き継ぎをなされる理由については、灘尾さんから別にあなたに説明はなかったですか。
  53. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これは先ほども申し上げましたが、引き継ぎの際は膨大な書類もございますが、一面において時間も短い慣例でございますから、特にこの点について詳しい説明を伺いもいたしませんでしたし、それからこの問題について意見を交換するという程度のことはございませんでした。
  54. 米田勲

    米田勲君 そうすると、私が理解していいのは、私の手でやるべきことができなかったので、なるべくすみやかにこの政令を出してほしいのだという引き継ぎだけで、なぜ灘尾さんの手でできないで、いままで延び延びになってきて、愛知さんの手でそれをやってもらわなければならなくなったかといういきさつについては、その引き継ぎのときには灘尾さんは一切説明をなさらなかった。こう解釈していいですか。
  55. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 特に詳しい御説明は承りませんでした。
  56. 米田勲

    米田勲君 特に詳しいという意味は、何か簡単にでも事情説明がありましたか。
  57. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 特にと申しましたのは、この問題について特にこれを取り上げてこれだけに重点を置いてという、そういうことはなかったという意味でございます。
  58. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 いまの米田さんとあなたの質疑応答を聞いておりますとね、八月二十六日、私が、社会党文教部として正式にあなたに申し入れいたしたいと思って参りましたと言った際の、あなたの、灘尾さんからの引き継ぎを受けられた際のあなたの御説明というか、それと若干こう食い違っておるような気がするのですが、あの際に私に明確におっしゃった灘尾引き継ぎ事項について、そういうことは私どもとしては信じられない。委員会の始まる前にきちんと念を押したが、あれは私どもとしては信じられない、こういって、それは特に灘尾さんとの関係もあるからきょうは深く問いただしますまい、こういったのですが——そのことについて、あれから後、八月二十六日以降、その大臣引き継ぎについては信用できないという私どものことばを聞かれて、灘尾さんに再びそのことを確認されたことがございますか。
  59. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) その後は本件について別に話し合いをしたことはございません。
  60. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 次官の小林君、あるいは担当の福田初中局長等からも、あれから以降、閣議決定されるまでの間に——私もあなたにいきさつについては説明をいたしましたが、大臣引き継ぎ事項をめぐって、いわゆる引き継ぎのひとつの方便として、新次官あるいは担当の局長からも、その後お聞きになっておりませんか。
  61. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 実は八月二十六日においでいただきました前におきましても、私と灘尾さんとの関係は、その引き継ぎのときだけでございますけれども、その後におきましては、問題が、私の理解するところでも非常に重大な問題であると思いましたから、慎重に、ただいま私自身としての考えをまとめる上において、できるだけその当時のお話し合い、その他のことは伺うことにつとめたつもりでございまして、その中には当然、事務次官以下局長、担当官の意見も、あるいは何と申しましょうか、見方というものも十分聞いたつもりでございます。
  62. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 その際の、それぞれあなたが意向を聞かれた人々の、あなたに対する説明というか、そのことの中で、灘尾さんのあなたに対する引き継ぎの内容、あるいは引き継いだ精神と言いますか、それは政令改正の方向に引き継いだというあなたの私に対するお答えとは一致しておりましたか。
  63. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 一致しております。
  64. 米田勲

    米田勲君 政務次官がおられますから押谷さんにお伺いします。政務次官同士の引き継ぎは双方の間で行なわれたのですか。
  65. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) こまかい細部にわたっての引き継ぎはありませんでしたが、大体、アウトライン程度のことで引き継ぎはいたしました。
  66. 米田勲

    米田勲君 文部大臣お尋ねしますが、八木前政務次官から、この限度政令問題の経過について、あなたに、その引き継ぎのときに何か一緒におられて説明をなされたような事実がありますか。
  67. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 灘尾前大臣からの引き継ぎのときには、八木前政務次官はおられませんでした。
  68. 米田勲

    米田勲君 それでは政務次官にお尋ねをしますが、政務次官は、八木前政務次官から引き継ぎを受けた事項のうち、いま問題になっている限度政令の経過について引き継ぎを受けた事実がありますか。
  69. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) この問題について特に取り上げての引き継ぎは受けておりません。
  70. 米田勲

    米田勲君 これは、八木前政務次官の発言と、あなたのいまの発言とには食い違いがはっきりあります。私が先ほどから文部大臣お尋ねをしておるこの話、二十六日のわが党議員との話の中に出てきた灘尾さんの引き継ぎ事項の問題について、八木前政務次官は三十一日の日——この人だけではありませんが、他の人と一緒にお会いした節に、はっきりそのときに彼が言われたことばをここで出しますと、灘尾前文部大臣は愛知文部大臣に対して、この限度政令はなるべくすみやかに制定をしてもらわなければならないというような意味の引き継ぎをなさるはずがない、そういうことをなさるはずがない、あくまでも、いままでの引き継ぎがなされたとすれば、いままでの経過について説明があったであろうけれども、なるべくすみやかにこれを制定してもらいたいという引き継ぎをなされたとは考えられないといろ発言をわれわれに正式にしているわけなんです。だから、私は政務次官同士の間で、こういう重要問題であるから、当然、引き継ぎの中の話に出てきたことと思っておったのですが、あなたには全然引き継ぎはない、こう解釈していいですか。
  71. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 具体的にそう細部にわたりましての引き継ぎは受けておりません。
  72. 米田勲

    米田勲君 具体的にとか何とかいうことばがつくと、あとでまた食い違いが起こりますので、その限度政令問題については、引き継ぎを受けておられるかおられないかということだけ明確にしておいてください。
  73. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 限度政令についてのお話し合いは、ごく簡単なことばで引き継ぎはいたしましたが、党と党との交渉の経過でありますとか、あるいは政務次官がこれに関係をいたされた、その具体的な内容については引き継ぎをしておりません。その後において承ったことはありますが、それは引き継ぎをずっと済んでから後にです。この問題がいろいろ問題化された前後において説明は承っておりますが、しかし、それは事務引き継ぎの段階ではございません。
  74. 米田勲

    米田勲君 いまのあなたの答弁の前段に、簡単なことについては引き継ぎが行なわれたように説明がありましたが、それに間違いありませんか。
  75. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) このたくさんの文部省の引き継ぎ事項の中でありますから、これも、こういう事項の一つの項目としてあげられておったと思いますけれども、それは具体的に皆さんがお考えになっているような重要な問題として取り上げて、引き継ぎを受けたのではありません。
  76. 米田勲

    米田勲君 それでは、この問題は他の引き継ぎ事項と並列した中の一項に入っておったが、そのときに格別の説明が加えられたものではない。口頭で格別の説明が加えられたものでない、文書の一項に載っておったにすぎない、こういうふうにいまあなたが答弁されたと解釈していいですか。
  77. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 文書の一つに載っておったと申し上げておるわけではありませんが、たくさんの項目の一つにお話はあったと、いま考えますけれども、それが文書にあったかどうかということについては記憶ありませんん。
  78. 米田勲

    米田勲君 たくさんの項目というのですが、そのたくさんの項目というのはどんな形で出されたたくさんの項目ですか。
  79. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 文部省の各局に所属するいろいろな引き継ぎ事項がたくさんありますから、それを丁寧に項目を追うてお話しは承わっておりますけれども、何分にもたくさんの事項でありますから、この問題についてお考えになるような説明を承っておるわけではありません。
  80. 米田勲

    米田勲君 そうすると、こう解釈していいですね。結論的には引き継ぎは文書等で行なわれたが、いま私がお聞きしておるような限度政令をめぐる経過などについて印象に残るような一切の引き継ぎはその場合はなかった、八木前政務次官からはなかったと、こう私が解釈して事実と間違いありませんか。
  81. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) そうであります。
  82. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 次官にお聞きしますが、政令改正を阻止する方向で引き継がれておったのか、進める方向の引き継ぎであったのか、全く記憶はないということですか。それともいずれでもなかった。ただ政令改正問題が残っているという程度の単に事務を引き継いだのですか、記憶がないという意味ですか、内容がはっきりしているというのですか。
  83. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 詳しい記憶はありませんが、政令改正の問題は、当然、前回から出ていた重要なことですから、そういうことは私も想像できることですから考えられますが、しかし、それについてどういう趣旨の方向に引き継がれたということは記憶がありません。
  84. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 この前後に次官から話を聞きましたという前後とは、私ども社会党文教部の代表が次官とお会いしたのは九月たしか五日か、九日であったと思うんです。両日のいずれかですが、そのころを指しますか、省議決定の八月四日ごろを指しますか。
  85. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 日にちの点ははっきり記憶はいたしておりませんが、この限度政令につきまして、政府に皆さんからのお申し入れもあったことを承っておりますし、党の文教部会も開かれた当時でありますから、これは十分私も知っておきたいと考えまして、その点について関心を深くして聞きもし、また聞き耳も立てておったという記憶が残っております。
  86. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 その際に八木前次官からも聞かれましたか。
  87. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 文教部会には八木政務次官も文教部の委員として御出席になっていらっしゃったから、そとでその間の経過等もお話になっていることを承っております。
  88. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 先ほど米田委員が指摘したように、八木前政務次官は、はっきりと灘尾前大臣がそのような引き継ぎをするはずはない、こう皆さんの前で言い切ったのですが、その次官のことばを信用すれば、その前後とおっしゃる八月三十一日、これは自民党文教部会における文部大臣に対して申し入れの前後ですね。また、私が文教部を代表して愛知大臣に、政令不制定の申し入れをした後のことですから、あなたがきわめて内容的には前向きな政令改正の方向か、政令改正阻止の方向であったかわからなかった、引き継ぎ事項の内容というものに対して。しかし、八月三十一日前後を境として、八木前次官の引き継ぎの意図が政令改正の方向であったと受け取られたか、それとも政令改正を阻止するという方向の引き継ぎであったか、その際には内容は明確になったと思うんです、政務次官においては。それをどちらに、あなたの言われるその前後明らかになりましたという明らかな内容として、前次官の意図はどちらにありましたか。
  89. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 八木前政務次官のこの問題に対する意図ということは全く明らかではありませんけれども、文教部会における御発言の内容等を考えまして、これについては、よほど慎重に文部省として努力をすべきところは努力をしなければならぬのではないかという御発言があったように私はいま記憶いたしております。したがいまして、前政務次官のお考えは、文教部会の人々の考え方も、文部省としてできるだけ他の省庁と折衝をして十分努力をし、配慮をすべきものであるというように考えておられるようでありますし、また、そういう趣旨の御発言があったように思っております。
  90. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 その努力というのは、念を押すまでもなく、政令改正を行なわないという趣旨努力をしてくれという意図と解してよろしいですか。
  91. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) これはいろいろ問題もありましょうが、結局この問題について文部省だけの考えより、ほかの関係省庁等の意見もやはり尊重せなければならぬことでありますから、予算の関係あるいは平衡交付金等の関係から他の省庁との関係をよく折衝を遂げてもらいたい、こういう趣旨努力だと私は了解をいたしております。
  92. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 次官のお答えになっている内容は、私の理解度が不足しているのかわかりませんが、一向に何を言われたのかわかりませんよ。各省庁との予算の折衝の努力というのは、いろいろ予算編成期でしょう。私が聞きたいのは、文教部会の一員であり、ある意味では主要メンバーであるべき八木前次官が、私どもが八月二十六日、文部大臣に正式に党としての、社会党の文教部としての申し入れをした以降の話し合いの中で、八木前次官が政令を改正するような方向に努力してもらいたいと言ったのか、それとも政令改正を行わないように努力してもらいたいと言ったのか、いずれですかと言ったんですから、そこのところをはっきり答えてもらいたい。
  93. 押谷富三

    説明員(押谷富三君) 政令を改正しないという行き方も考えられますし、政令を出すにしても、これをおくらしてくれ、いまは時期でないから、いましばらく待て、待ってもらうようにおくらしてくれという考え方もやはり一つの考え方だと考えられますが、私はそういうおくらしてくれという意味も含めた努力が必要であると了解をいたしました。
  94. 米田勲

    米田勲君 愛知文部大臣に対する灘尾前文部大臣の、この限度政令問題についての引き継ぎの際に口頭で説明されたことについては、先ほど確認されましたので、それは一応いまのところ確認の程度にとどめておきます。それから政務次官に対する八木前政務次官の引き継ぎは、私に対する答弁から判断をして、項目の中には入っておっただろうが、ほとんど印象に残るような引き継ぎの発言はなかった、その引き継ぎの場合は。こうあなたが答弁をされたということを確認をして、これは後ほどまた問題になった節にお尋ねをいたします。  そこで、私は愛知文部大臣にこれから事情説明をしたり、あなたの見解を求めたりいたしたいのですが、この限度政令をめぐる問題は尋常一様のことではない、複雑な政治的な事情の中に処理されてきたのであって、単独にこのことが切り離されて問題になっておったものではないということを、あなたに少なくともはっきり理解をしてもらわなければならないしするので、若干は事情について説明をしながらお尋ねをいたします。公立義務教育学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律及び市町村学校職員給与負担法の一部を改正する法律案、便宜的に長いですから、定数標準法案を以後私言わせていただきます。この定数標準法案は、第四十四国会においては、教科書無償措置法案とともに衆議院の段階は通過をして参議院に回ってまいりましたけれども、結果的には、この二法案は廃案になったのであります。先ほどの引き継ぎ事項の際のいきさつでは、そういうことは一切、愛知文部大臣に灘尾さんからの話はなかったようでありますが、このことも伏線としてはきわめて重要なことでありますので、あなたにまず頭に置いていただきたいと思う。それから、その後において召集された第四十五臨時国会においても、この二法案の通過する見込みは、国会内の情勢としては全く見通しが立たなく、通過はできないであろうというのが、これが与野党を問わず関係者の一致した判断になっておったのであります。臨時国会においてもこの二法案は通過の見込みがないということが与野党関係者の一致した見解であった。このことをまず文部大臣に頭に置いておいてもらいたい。それが急転、この臨時国会において何人も予想しなかった状態が、関係者の話し合い、腐心の結果、修正議決の話し合いが運び、これが臨時国会において通過をしたのであります。ですから、私は文部大臣にはっきり認識をしてもらいたいのは、臨時国会では、この二法案は通過すべくして通過したのであるということは全くの認識不足である。ここにおられる、もとからおられる文教委員の中に、臨時国会の中でこの二法案が無事通過すると見込みを持っておりましたという人がおったら私はお聞きしたいほど、明確にこの二法案は臨時国会を通過できないということは万人の認める事態であった。それが急転、修正議決になって通過をした。ですから、尋常一様のことではなかったのだということをまずあなたに頭に置いていただきたい、重ねて申し上げます。  そこで、次に私はあなたにお尋ねしますが、八月三十一日に自民党の文教部会が開かれました。この文教部会が開かれる以前に、同じく三十一日でありますが、わが党の文教委員の関係者が、双方会談をして、本問題に関する臨時国会当時からのずっとのいきさつについてお互い経過を確認し、お互いに打ち出した結論についてもいささかの食い違いもなく完全に意見の一致を見たことを、この両部会の、自社両党の文教部会のメンバーの会談において確認をされたのです。その直後に自民党の文教部会が開かれております。私はこの文教部会が開かれ、論議の末、結論が出され、再確認され、愛知文相に申し入れが行なわれ、その申し入れの内容が何であったかということは、稲葉部会長から正式に報告を受けました。その際に、稲葉部会長の報告を受けて、私は直接、愛知文部大臣に会って、われわれも事情を申し上げたいし、部会の申し入れを受けられた愛知文相はどういう判断と心境に立たれているかも確認をしなくてはならないと判断をしたので、これから愛知文部大臣に会うということを稲葉部会長らに話をしたのであります。そのときに稲葉氏は、おれたちを信用してくれないのか、おれたちを信じてくれないのか、自民党の文教部会は、先ほどあなた方と経過や結論についてのいささかの食い違いもなく確認をしたことを全会一致再確認をして、文部大臣に対して強くそのことを申し入れたのである。したがって、愛知文部大臣が、よもやわれわれのこの申し入れをはね返して、政令を出すことを閣議にかけるようなことはまずないと判断される自信がある、しかるに、君はぼくらのそのような措置努力を信用しないのかという話であったので、いや、御苦労はよくわかりました。そこまで言われるのであれば、私は皆さん努力と、われわれに伝えておるその内容については全面的に信頼をいたしましょう。したがって、愛知文部大臣と直接会って話し合いをし、確認をすることは、自民党の文教部会の責任において背負ってくれることであるということを確認の上、われわれは会わない、このまま帰るといって稲葉氏らと別れた、こういういきさつがあった。さて、そこで私は、この自民党の三十一日の文教部会が、この限度政令をめぐる経過や結論について、どういう結論を出されたと愛知文部大臣は認識しておられるのか、これが一つですよ。それから稲葉部会長がおそらく代表してあなたに申し入れをされたはずであるが、その稲葉部会長のあなたに対する申し入れの発言内容はどういうものであったか、この二つと、次に、あなたはそのときに部会長に対してどういう意思表示をされたか、この三つを、ひとつ正確にお話しをしていただきたい。
  95. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) まず第一は、いま御指摘の日に自民党の文教関係の会合がありまして、そこへ私も出席をいたしております。そしてまず限度政令については、私の記憶では、私の立場においてはいろいろやってみたけれども、限度政令は出さざるを得ないという環境におかれていますという話をいたしたと記憶いたしております。それに対して、詳細なこのいろいろの討議は省略いたしますけれども、稲葉文教部会長から、出すことは困る、まずそれよりも、たとえば大蔵大臣その他に、関係が深いところへもう一度強力な折衝をしてほしい、こういう趣旨発言がございました。その点は私も了承をしたわけです。それが全体の結論的な状態であったわけです。
  96. 米田勲

    米田勲君 私の稲葉部会長から受けた報告では、この文教部会の開催に先立ってわれわれと会談をした際のこの問題に関する経過や結論について完全に意見が一致をしたことが、この文教部会でもまた同様の全会一致の結論であったというふうに私は稲葉部会長から報告を受けておるのであります。あなたは、この文教部会に初めから出席しておられたのですか。
  97. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) はい。
  98. 米田勲

    米田勲君 それでは、稲葉部会長の私らに対する報告には間違いがありますか、この部会の一致した意見ということについて。
  99. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 間違いがあるとは思いません。
  100. 米田勲

    米田勲君 その点は稲葉部会長のわれわれに報告したことば、いま愛知文相からことばが出ましたので、稲葉さんのことばそのままを私は使って言えば、この問題を運ぶためにどうしてもやらなければならないことは二つある、その二つのうちのいずれかだと、こういうふうに文部大臣に言った。一つは、社会党をして十分に事情説明して完全に説得をするか、もしくは、それがだめであれば、大蔵大臣を説得をして、われわれのすでに出しておる結論、約束を、いずれにしても守っていくようにしてもらわなければならぬ、道は二つしかない、こう愛知文部大臣に強く述べたところ、困ったことだという文部大臣発言があった、こう報告を受けておるわけです。それは違いますか、事実と。
  101. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) そのとおりでございます。
  102. 米田勲

    米田勲君 そうすると、あなたは社会党の文教関係の、この場合は文教関係のと言っていいですが、稲葉部会長がそのとき強くあなたに言われた大蔵大臣のほうの折衝はおそらくやられたと思います、これは。しかし、もう一つの手だてはあなたは踏まれましたか。
  103. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 大蔵大臣のみならず関係の閣僚には強力に折衝をいたしました。しかし、それは冒頭に申し上げましたように、その話は成り立ちませんでした。それからもう一つの方法ということについては、そういうお話がございましたが、私としてはいたしませんでした。
  104. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 たびたび米田委員から指摘しておりますように、八月二十六日は、大臣が公式と受け取られたか非公式と受け取られたか、そういうことばは別にして、政令制定を行なってもらっては困るという申し入れをいたしましたね。そして八月三十日、私のほうから、社会党文教部として正式に文部大臣にさらにお会いしたい、こういう申し入れをいたしました。ところが、大臣は結局会えないという御返事。私どもは官房長に、自民党の文教部とは朝から会っておって、社会党の文教部はそれが済んで夜中の十一時になってもよろしいから会いなさい、こういう申し入れをしたのに、なぜ会わないか。しかも自民党の文教部では、いまも米田委員の指摘したように、大蔵省を説得するか、社会党を説得するか、二つに一つだと大臣に迫っておる。だから社会党を説得するというあなたが方針をおとりになるということは、政令を制定するという方針だ。この危険性も、私は二十六日にあなたとお話し合いをしておる中で若干感じておりましたから、ぜひ会いたいと執拗に官房長を通じ、また自民党の部長を通じて申し入れをしましたですね。そのときに、大臣は私どもとの会見を拒否された。そのことは、私は大臣が、自民党文教部が申し入れした、社会党を説得することは両党の申し合わせからすれば間違いである、当然、大蔵省、政府を説得すべき立場にあると、こう考えてやられたのだと思った。そこで私は、やむを得ない、それならばよかろう、こう言って官房長にも答え、稲葉文教部長にも答えておきました。だから、あなたとしては、社会党文教部に政令制定までに話し合わないということは、そして会見を断わったということは、私に対する回答としては、政令制定不実施の回答だと私は受けた。それをしておいて、後者はやりませんでしたと——実際にやっておられません。今日まで私どもが申し出しない限りはあなたのほうから何らの説明が行なわれていない。このあなたの姿勢について、私はせんだっても稲葉さんと一緒にお会いしたときに強く批判しておきました。あなたが会わないということは、大蔵省説得の基本方針を立てたという私の解釈はえてかってですか。時間もあなたにおまかせすると、夜中になってもよろしいと私どもはちゃんと申し入れをしたはずです。それを会わなかったということは、大蔵省説得の大臣回答だという私の受け取り方は不当ですか。二者に一つという以上、いずれかでしょう、あなたとしては。私どもに会わなかった、会見ができないとおっしゃったことを、後に、全然断わりなく政令を制定されるということは、そのことは私、自民党文教部だけじゃなくて、私自身もペテンにかけたとこれは受け取っておるのですが、あなたの真意を明らかにしてください。
  105. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 三十一日の日はそういうなんで、これは本件はもちろん非常に大きな問題ではありますが、同時に、いわゆる四十年度の概算要求を大蔵省に提出するぎりぎりの期限の日であったわけです。そして、余談になって恐縮でありますが、与党の議員の方々も、三十一日以外には日にちがないということでありました。いろいろの関係から、三十一日は、一方では大蔵大臣その他とも最後の交渉をしなければならないということで、早朝からほんとうに時間的に余裕がなかったわけでございまして、ペテンにかけるとか何とかいう御批判をいただいてたいへん恐縮に存じますけれども、そういう意図ではなくて、実際に時間的に余裕がなかった。私としても、再々そういう御要請があったということについては、何とかして御趣旨に沿うようにとは思いましたけれども、実際上時間的に余裕がなかったということを御了解願いたいと思います。
  106. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 その際に、あなたの意図が、政令の閣議決定を行なわせないという決意を固められたと私が受け取ったのは間違いですかとこう聞いているのです。
  107. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 私は、二十六日にも実は申し上げましたように、私は率直にいままでの経緯、私の置かれている立場を申し上げたつもりでありますけれども、実は、二十八日の閣議に出すべく万般の用意をしておったわけでございます。しかしながら、いろいろの御意見を伺い、さらに、私としても誠意を尽くしたいと思いましたから、二十八日に閣議に出すということは、お約束どおり取りやめたわけでございます。しかし、その間できるだけの努力をいたしてみましたけれども、やはり、理由にならぬとおっしゃるかもしれませんが、昨年五月でございますか、閣議決定以来のずっと積み上げた環境もございましたし、これを打破することは微力にしてできませんでしたが、二十八日には取りやめましたけれども、その次の閣議にはどうしても出さざるを得ないような状況にあった。しかし、それももう一度私としては延ばしたわけでございます。実は、地方交付税交付金の算定の基準、自治省から言えば、これが法令に違反するような措置までしてもらわなければならぬかというような一方において技術的な問題も出てまいりましたものですから、やはり私としては決心せざるを得なくて、九月四日でございましたかの閣議に、とうとうこれを出さざるを得なかった。そして、出しましてからあと、稲葉文教部長にも、こうこうこういうわけで、大蔵大臣その他との折衝にもつとめましたけれども、結局こういう措置をせざるを得ませんでしたということを、自後に直ちに御通知をいたしました。こういう経過でございます。
  108. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 二十六日に、いま御指摘のとおり、事態の困難性についてはあなたから説明がありました。そして同時に、私どものほうからは、党の文教部として正式に中止をお願いしたい。そしてしかも、あの際に私どもが法案を、米田委員説明したように、あの際、通す際には二つの手続をとる、自民党文教部会としての正式の態度を決定してきなさい、もう一つは、党の正式了承を得てきなさい、そうして稲葉部長のほうから私のほうに、部会の決定を行ないましたし、政令改正しないという方法、そして自民党総務会の了承を得てきました。この党の総務会の了承を得たということでありまして、党としては正式に認められたものとして、私どもはそれを通すという最後の断を下し、また、あと念のために、参議院だけは独自の念をいれた措置をとって、文部、大蔵等を理事会に呼んで措置いたしました。このことをあなたに御説明申し上げて、いま両党で話し合いを進めつつあるのに政令を制定されるということは、両党間の公約を踏みにじるという意味で、自民党社会党の文教部の関係もうまくなくなるし、その話し合いがつかないのに、文部省が一方的に閣議に政令制定を提案されるということは、今後の文部省と私どもの関係もおもしろくないことになってくる。したがって、この点については十分に慎重を期してもらいたい、こういう申し入れをして三十一日にあなたとの会談を申し入れた。ところが九月九日、稲葉部長はじめ、ここに出席しております小林委員とか、あるいは山中、村山、二宮、三木等の委員は、あなたとお会いするまでは何ら私どもに対して八月二十六日の申し入れに対する措置はとってないでしょう。しかも、あなたのところの次官、局長に対しても、私は国会終了後たびたび電話をしているし、しかも二十六日も会ってきちっとした措置をするように連絡した。それを、あなたが自民党文教部にも自後に措置されたということは、党内の問題としてあえて言いませんが、少なくとも八月二十六日の社会党文教部の申し出と、そのことをめぐる事情聴取に対して、あなたとしては、私どもに、政令制定をされる前に、これだけの努力をしたけれどもだめだったという少なくとも報告なり了承を求められる措置はとられるべきですよ。これがなかったということは、私は大臣自身が議会における附帯決議なり、そのことに対する大臣の答弁なり、論議なり、あるいは昭和三十八年三月の本会議における定数法をめぐる池田総理並びに当時の荒木大臣の所信表明、こういったこの定数法制定の際に政府委員の答弁等、ずっと一連の定数法の第二条の決定とただし書き事項の解釈なり、あるいは定数のきめ方に対する歴代各大臣の本会議委員会における答弁、その歴史的いきさつから見て、そういうものを一向に顧慮せんで、ただ議会の意思よりも閣議決定後に、委員会として附帯決議をつけ、大臣が所信表明したと、こういうことを無視してやられたというところに、先ほどももっともらしい趣旨を述べられたけれども、あなたとしては議会尊重の意思もないし、また私ども社会党に対して一片の手続というか、あるいは話し合いをするという意図も持っておられないという把握をせざるを得ぬのですが、なぜ二十六日の申し出を、今日までその措置をすることなく無視してこられましたか。
  109. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これは本日の冒頭に申し上げましたように、その手続、扱い方等につきましては、私としては御趣旨に沿えなかったことを遺憾に思っておるわけでございます。あとは、いままで申し上げましたことに尽きているわけでございまして、その手続については遺憾でありましたということをおわび申し上げるものでござ  います。
  110. 米田勲

    米田勲君 いま豊瀬委員のほうから社会党との話し合いの問題が出ておりますが、先ほど、稲葉部会長から文部大臣に対して明確に強く要請をし、申し入れした中にいろいろの表現があったが、その表現の中の一つに、これをどうしてもやらなければならぬというのであれば、社会党との話し合いをして了解を求めるということがなければならぬ。しからずんば、これを出さないために大蔵省を説得してそれに成功しなければならぬ、道は二つしかないということをあなたに強く申し入れられているわけです。ただ、私はここで文部大臣お話ししたいんだが、政令を出すとか出さぬとかいうことは、これは政府の権限である、それなのに、こういう政府の権限にかかわるものを、なぜ稲葉部会長は社会党の文教部のメンバーに会って説得し、完全な了解を得なければならぬのだと、常識的に言えばそういうことは筋違いだ、理屈を立てて言えば、そういう普通の状態ではとるべきことでないことを自民党の文教部会が一致して、稲葉部会長がそれを強調しているのには重大な経過と理由がなければならぬ。そうでなければ、そんな政令を出すことについて社会党了解を求めるなんということはあり得ないのです。あなたはそれを感じられませんでしたか。そういう普通なら社会党に何もそんなことを了解を求める必要のないような、いま政令を出すとか出さぬとかいう問題について、稲葉部会長が自民党の文教部会を代表して強くそのことを主張する一つに挙げられておるということは、これはただならぬ経過があるのだということを、私はだれでも直感的に何かこれは重大なことがあるという判断に立たざるを得ない。それをあなたのような方がそのことを思いが至らなかったのかどうか、その点をひとつ率直にお答えをいただきたい。
  111. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) でございますから、そう言うと弁解がましくなりますけれども、たとえば、もっと早くに一つの考え方としては出すべきであるという考え方もございましょうが、それを私としてはできるだけ延ばしに延ばした。これはそういうふうに御理解はいただけないと思いますけれども、私といたしましては、事が重大であると思いましたから相当の努力はしたつもりであります。
  112. 米田勲

    米田勲君 さらに私はあなたに申し上げたいのですが、この三十一日の自民党の文教部会で、あなたに部会長から強く申し入れた自後の私たちの会談の中で約束されたことが一つある、稲葉部会長との間に。それは先ほども私が言ったように、われわれは責任をもってこのことを文相に申し入れたからわれわれを信頼してくれ、いま君らが愛知文相に会うということはおれを信用しないことになるのじゃないか、それまで極論されておられたが、そのときあらためてぼくとしてこういう条件を出した、もし今後再びこの政令を出さなければならないような危険性が起こってきた場合には、事前に、そのときは明確に言いました、五日間、私は北海道だから、あす会いたいといってもこれは会うことができない。したがって、五日間の余裕をもって、再び自民党の文教部会のメンバーとわれわれがその後に起こった危険な事態について十分な話し合いをしなければならないから、そのことについてあなたはわれわれに連絡する責任を負うかということをそこで確めたわけです。そのときに稲葉さんは、必ずそういう危険性が生じてきた場合にはあなたの言うように五日くらいの余裕をあけ、必ず連絡をし、お互いが会談をして、その後の変化した事情について話し合いをしようではないか、こういう約束をしているのであります。しかし、あなたは、あなたと社会党との関係についてはいままで私もお聞きしましたし、豊瀬委員もお聞きした中の答弁のすべてから判断をして、社会党とこの問題について話し合いをするという考えは終始なかった。政令を閣議に持ち出す以前に社会党とこの問題について話し合う意思がなかったと客観的に判断してさしつかえないと私は思うのですが、あなたはいかがですか。
  113. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) それはどうも私の主観とあなたの主観とが並行するかもしれませんので、私がこうこうこう思いますと申し上げましてもお取り上げにならないとも思うのです。私は頭から社会党に何か相談をする意図はなかったというような気持はございませんけれども、しかし、あなたがそうだと御解釈なさると、これはそうではございませんといってもしょうがないということになりはしないかと思います。
  114. 米田勲

    米田勲君 私は客観的な事実だけをいま明確にしておきたいだけなんです。それをいまあなたにどうのこうの直ちに何かを言う気はない。ただ客観的な事実をずっと明確にしていきたい。あなたは途中から国務大臣になってこの問題を引き継がれているから、その当時、臨時国会以降のことについてのいろいろなことについては直接タッチされていない。事態に対する認識が全然ないわけです。先ほどの引き継ぎ事項の内容から見ても事態に対する認識は全くないと判断されるわけです。ですから、私はあなたに言いたいのは、あなたは事実、政令を、自民党の文教部会からこれほど強く言われたのに、努力はなさったろうが、とにかく四日の閣議にかけておられるわけです。その間に社会党とは会いたいという意思表示をされた事実はないわけです。だから、客観的にいえば、社会党と一切話し合いをしないまま、こういう表現でもいい。しないまま閣議にかけるという決意をした、こういう判断をしてもいいでしょう、それなら。どうですか。
  115. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これはたとえば自民党との話し合いといいますか、それで申しましても、とにかく一つの方法は、大蔵省あるいはその他のところに、何とかもう一度かけ合うことができないだろうかということが一つの方法、いま一つの方法としては、社会党に直接納得を求めることはできぬだろうか、こういう強い要請を受けたのは事実でございます。それぞれその前段を私としては誠意を尽くしてとったわけであります。
  116. 米田勲

    米田勲君 あなたは文部大臣に就任される前、自民党の中の役としては総務会のメンバーではなかったですか。
  117. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 私は就任する前は政調会におりました。
  118. 米田勲

    米田勲君 総務会にはメンバーになっておりませんでしたね。
  119. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) なっておりません。
  120. 米田勲

    米田勲君 それでは文相にお聞きいたしますが、政調会には、その昨年の臨時国会当時、政調会にはこの問題は一切かけられた事実はありませんか。
  121. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 文教部会は政調会の一部局でございますから、大体の経緯は私も承知しております。
  122. 米田勲

    米田勲君 そうすると、政調会も大体の経緯については報告を受けている。稲葉部会長の説明によると、政調会のほうについては明確に言われませんでしたが、いま文相のお答えによって、これは経過了解をしているというお話しですが、総務会に対しては完全に了承を求めている。稲葉さんのことばで言えば、これはILO案件とは違う、われわれは正式に自民党総務会の了解をもらったのだ、間違いありません、自民党として責任を持ちます。こういうことで、これからあと述べようとする仕事が、そのことが前提になって前進するのです。しかも、あなたはこれほどの重要なことを、党の総務会で方針がきまり、政調会のメンバーとしてその経過もある程度知っておられ、三十一日に、これほどの強硬な申し入れを受けながら、お聞きするところによると、自民党の文教部会のメンバーに対しても、閣議に政令をかけ九以後において、こういうことに相なりましたということを報告したということがありますが、それは事実でございますか。
  123. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) それは先ほど申し上げたとおりであります。
  124. 米田勲

    米田勲君 それすると、あなたは、直接われわれとの間に約束をし、協定をし、話し合いをした当事者ではないけれども、その当事の当事者の人たちの強い要請、しかも経過説明、そういうものを一切無視されて、ことばはどう使ってもいいのですが、私は無視されてと使いたい、無視されて閣議にこの限度政令をかけられた理由は、まずお答えが予想できます。しかし、あなたの見解です、あなたの見解というのは、これを出さなければならないという見解ではなくて、このことを出さないということをお互いが取りきめをしている重大な政治的問題をどうあなたは理解をし、それを解決する見通しに立って、あえてこのことをやられたのか、それを私は見解と言っている。理由と見解をお聞きしたい。
  125. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) まずこの政令の問題につきましては、いろいろと伺っておりますし、ごく最近のことはともかくといたしまして、前大臣のときに、国会におきまして附帯決議ができましたときに、前大臣から発言をいたしておりますことは、たとえばまあ内容の点に入って恐縮でございますけれども、県のきめた定数というものをなるべく尊重してまいりたいと思いますと、そういうふうになっておると私は理解いたしております。そこで、この政令をつくります最後の仕上げの場におきましても、その趣旨というものができるだけ通るようにしたい、そうしてこういうような政令でありますならば、その後のいろいろの御意見や御心配をいただいた点についても、何とかその趣旨が通るのではなかろうか、つまり、ぎくしゃくした、そのものずばりの政令ではなくて、あるいは経過措置であるとかというような点についても十分配慮をして、そうして国会で御心配いただいたことをなるべく取り入れるようにするならば、その趣旨は曲がりなりにも通るのではなかろうか、こういう見解をもちまして、私といたしましては政令を出すことに決心をいたしました次第でございます。
  126. 米田勲

    米田勲君 しかし、あなたがそういう説明をなさっても、まだこれからこのことの経過をここへ出しておりませんので、あなたはそれを理解する力がいまのところないと思いますが、少なくも輪郭から感じて、このことは政治的に重大な約束がなされている、両党間に。それをあえて、自民党の文教部会の人たちもわれわれに対してはこれは全く約束をほごにしているのですよ。まだこれから会談するのですが、先ほど私が申したように、重大なことを約束をしている、しかも責任を負うても信じないのかというまで極論をするほどお互いが突き詰めて話をしている、したがって、あなたがどう表現なさろうと、社会党自民党との間の一致した方針を無視なさって政令を閣議にかけられたということだけは、これはあなたは認めざるを得ないんじゃないですか。両党の一致した意見を無視されてといってもいいし、それをその意思を尊重することができなくてという表現でもどちらでもいいですが、いずれにしても、無視して閣議に政令をかけられた、こういうことを客観的には認めざるを得ないのじゃないですか、あなたの立場はいかがですか。
  127. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これは何べんも繰り返して申し上げますが、その扱い方について至らざりし点は私としては遺憾に存じておるわけでございます。
  128. 米田勲

    米田勲君 私は遺憾でありましたという程度でお互い了解のつくような性格のものであるならば、これほど長時間をかけて問題にしない。これほどあなたにしつこく事態を明らかにしようと私らが努力をするのは、事が、そういうふうに遺憾なことでありましたということではおさまらないような重大な経緯であるからですよ。それをあなたはどういうふうに認識しておられるのかわれわれはどうも理解ができない。少なくも私は常識ある者の措置としては、まあ社会党のほうはこれは野党だから少なくもこれは無視しても、自民党の文教部会が社会党とある約束をしている事実を知っているのだから、自民党の文教部会のほうは、このように努力したが万策尽きたと、こうならざるを得ないのだがという了承を求めるだけの慎重さがあなたになぜなかったのか、それだけの慎重さをあなたがなぜ持てなかったのか、私はその点がまずわからない。普通の状態であれば、これほどの問題であるならば、少なくも自民党の文教部会には事前に努力をかくかくしたが万策尽きた、こうならざるを得ないのだがどうだと言って話をすれば、文教部会のメンバーはわれわれに約束があるから直ちに連絡をとらざるを得ない、それだけのなぜ慎重な運びをあなたがやれなかったのかということがわれわれの重大な疑義なんですよ。この点はいかがですか。
  129. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) その点はたびたび申しますように、慎重を欠いたという点については遺憾に思っておるわけであります。
  130. 米田勲

    米田勲君 あなたは、この限度政令を出さないように全精力をあげて政治的な責任をかけて押えるという両党の約束は、両党間の約束だけだとお思いになっておられますか。
  131. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) それはいまこの問題については、両党間のそういうふうなお話し合いがあったということを背景にして、私としては主としてそこに重点を置いて、そうしてまた扱い方について遺憾でありましたということを申し上げておるわけであります。
  132. 米田勲

    米田勲君 それじゃあなたは、国務大臣としてあなたにお聞きしますが、政府とわれわれとの間に同時に約束されたものだという事実が明らかになった場合は、あなたは国務大臣として責任を引き継いだ立場でどうその責任が果たされますか。いま私は仮定として申し上げておるのです。いままでの話は党対党の約束についてはほぼ明確になった、政府対社会党のわれわれとの約束も同時になされていたという事実が明らかになった場合の国務大臣としてどう責任をお考えになりますか。
  133. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) それは一般論としまして、公党の約束というものは尊重しなければならないと思います。
  134. 米田勲

    米田勲君 私の言っているのは、両党間の文教部会の一致した意見である限度政令を政治的責任をかけてお互いが出さないようにするという約束をしたことはいままでの話で明瞭なんです。これはわかっているでしょう、どうですか、これは明確になったでしょう。
  135. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これは状況といいますか、成り行きについては私も理解ができているつもりでおります。
  136. 米田勲

    米田勲君 両党ということをあなたは言われませんが。
  137. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 両党は……。
  138. 米田勲

    米田勲君 両党の間は認めるでしょう。そこで、そのことと別に、この問題を、同時に政府と社会党との間にも同じように約束されたという事実があった場合には、ただ遺憾の意を表明するだけでは事がおさまらないのではないですか、いかがですか。
  139. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これはどういう御意図の御質問かわかりませんけれども、遺憾の意を表するだけではとどまらないこともあり得ると思います。
  140. 米田勲

    米田勲君 それでは、私は次にあなたにお話しをして見解をただします。  先ほど私は説明申し上げたように、第四十五国会では、だれが考えてもこの法案ともう一つの教科書無償措置法案は通過の見込みがなかったというそういう情勢の中で、両党のメンバーが夜を徹して話し合った、そのメンバーの中に政務次官が初めから参画をしている。政務次官というのは政府委員であります。しかも、この会談の隣の部屋には灘尾文相がいて、われわれとの話を中断をして、自民党の諸君は相談をされておる。しかも相当長時間にわたって話を中断して相談をされておる。しかし、灘尾さんはわれわれとの会談の席にはおられなかった。われわれの会談の席にいたのは自民党の文教部の、いまメンバーを申し上げてもよろしいのですが、文教部のメンバーで八木前政務次官です。しかもこれは、必要があればこの委員会に八木さんをお呼びして事実を明らかにしたいと思いますが、この会談では最も積極的に問題をまとめようとして発言をなさっておられる、政務次官みずから。そういう態度であったことはこれは万人その席にいた者は認める。そうして間接的には隣の部屋に灘尾文部大臣がいて、自民党と政府との間の相談はなされておる。そうして、そういう状態の中でわれわれが最初に持ち出したのはこの限度政令の問題です、この二法案の交渉の。限度政令は一応この定数標準法案を閣議を通すときに出そうという閣議決定のあることをお互いは確認した。そういう決定のあることは万々承知しておるが、しかし両党のこのメンバーは政治責任をかけて、この限度政令を出させないために責任を負う、こういう約束がきちっとなされた。そのなされた席上には八木前政務次官がはっきり積極的に発言をして参加している。これは間違いなく政府の代表である。間接的には隣の部屋に灘尾文部大臣がおって、そういう言質をわれわれに与えることを了承しているからであるとわれわれ判断している。そのことが取りきめられなければこの二法案の話し合いはそこでストップになるという情勢であった。私は明らかにそういう条件を出した。このことが自民党によって全責任を負ってもらえるという約束ができなければ、これ以上二法案の会談については進めない、進める責任を持てない。こういうふうに切り出して、それが相当長時間にわたる話だった。それが結論的には、政治的な責任をかけてこの限度政令を出さないことを約束する、そういう約束がきちっとなされてから、定数標準法案の十一条の修正、教科書法案の六つのわれわれの修正の主張を、この最初の大前提が承認されたという理由で、われわれもまた六つは絶対に譲られない主張があったのを譲歩してくれという自民党側の強い要請もあって、三つだけ教科書法案については修正をまとめ上げて、そうしてこの話は結論の方向に進んだ。ですから、われわれの立場で言わせると、二法案が臨時国会で通ったということは、この限度政令を絶対に政治責任をかけて出さない、そのことを確約すると、われわれとその確約をしたことが大前提になって話が進んだものであるということを、われわれ絶対にこのことだけは強く主張するし、このことを自民党文教委員会の当時のメンバーだれも否定しない。これは三十一日の日に全く私は経過説明しても異論ない、君の言うとおりであると言っておる。それほどの重大な法案を政府の要請によって、通過さしてくれという、法案に協力させるために実行する意思がない、実行の責任を負わないようなことをわれわれと確約をしておいて、そしてそれから幾ばくもたたずして法案は通過をした、今度は約束を破ったというようなことが、一体お互いの政治家として、立法府の中にあって論じ合っていて、しかもそのわれわれと政府との間で話し合いがされて約束されたものを、それを破って、あなたがあえて独断で、私に言わせると独断で閣議にかけたという政治責任は、これは絶対に許しがたいと私は思っている。なおもう一つ、念のために申し上げますが、灘尾前文相は、この法案が修正議決になった日、十二月の十七日、委員会は十時に招集をされて、そのまま開会をせず、午後五時二十五分になってから開かれた。それまでの時間、別室で灘尾前文部大臣、八木前政務次官、その他これは長谷川峻君もいた。それとわが党の代表とで五時間余にわたってこの限度政令を出さないというわれわれの政治的な約束について、あなたも確認し、努力をするかということを五時間にわたって私らと話し合いをしている。もしそのときに灘尾さんが、おれは責任を持てないという表現であれば、もちろんそのときの附帯決議の問題の話にも入らないし、ましてやこの文教委員会を開いて法案を通すということも断じてできないと言って私は極論をした。たとえ自民党の文教部会と話し合いがついておっても、八木前政務次官がそれに参画しておっても、最後の灘尾さん自身がわれわれの目の前でそういう約束をしたことについて確認をし、私も全力を尽くすというここで明確な約束をしない限り、文教委員会を開くことには応じないし、ましてやこの二法案を通過させることには私は絶対に応じない、こういうふうに話を進めたのですよ。灘尾さんは明確にわれわれとの約束をそこでしている。この約束はこの間、三十一日の日に、長谷川峻君が明確に、君の言うとおりだった、私もそばにいて知っておると言っている。したがって、私はこの限度政令を政治的責任をかけて出させないように全力をあげるという約束は、自民党の文教部会とわれわれとの両者の間だけの問題ではないので、政府とわれわれとの間に明確に約束をされて、そういうことを前提にしてこの法案は文教委員会にかかった。この経過をあなたがお聞きになって、政府対われわれの約束が、今日あなたの手によってじゅうりんされておるその政治責任を、あなたはどうお考えになるか。あなたは国務大臣として、前国務大臣から責任事項については明確に引き継いでおる。それは同時に負うのだと、先ほど冒頭に言われたでしょう。このことは灘尾さんの引き継ぎ事項でも最高の私は政治責任を負わなければならない問題だと思う。あなたにどういう引き継ぎをしたかは、あとでここに来てもらって明確に手続をとりたいと思うが、少なくも私の言うことに間違いはない。それは自民党の文教部会が三十一日私の説明を聞いて、そのとおり、君の言うとおりだ、つまり灘尾さんもそのことについては最後的には承諾をして、午後五時二十五分にこの委員会再開になった。そしてこのところでは、これだけ通常国会で長い間質問が行なわれ、衆議院においては反対討論も行なわれたのに、その後の文教委員会経過は御存じですか。たんたんとして進んでおるのです。あの附帯事項、附帯した決議事項については、それはそのときに同時に話し合われている、別室で。ですからあのことは限度政令を出さないためにわれわれは政治責任をかけるという約束のもとに生み出てきた決議事項なんです、附帯事項、附帯決議なんです。それはそのときにお互いにこう話した、すでに閣議に決定を見ている事項をわれわれは政治責任をかけていま防ごうというんだから、直接文章の上で閣議決定は実行させないと書いたのでは、事は初めからおだやかでないから表現はこの程度にしよう、しかし、この約束は必ず果たすからこの表現にしてほしいということがあって、あなたが読まれればきわめて抽象的な、どっちにでも逃げれるような文章になっているのは、両者のそういう約束が前提になっている、すべて。そういう重大な経過でこのことが過ぎてきておるのに、あなたは独断をもってこのことを強行したということは重大な政治的な背信行為だと私は思っているのですよ。あなたが当時約束した当事者ではないけれども、当然、国務大臣としてその責任を受け継いでおられるのだから、そして先ほどから言われるように常識的にとるべき手続もとっておらない。普通ならそういう手続を慎重にとった上でやるべきだが、常識的に判断されることすらとっていない。そうしてこういう、いわば二法案を政府側や与党側が通したいために、社会党に実行不可能なことを確約してペテンにかけておいて、法案だけを通過させ、そのあとに政令は出すという、そういう政治的な背信行為をしたという結果になっている。だからわれわれは重大視しているのです。こういう与党の側の人の態度、そういう国務大臣を相手に何をこの文教委員会で論ずればいいんですか。私はお互い約束を守り、信頼をし合ってこそ、ここの委員会で論じ合うことに価値がある。しかも、こういう重大な法案を通過させる前提となった重大な約束をじゅうりんをしてこの政令を強行——かけたということは、あなたの政治責任はまぬかれないというのがわれわれの率直な意見です。これではあなた、はなはだ遺憾でありましたと言うだけでは相済まないんじゃないですか。そんなことで事が済むような事態ではないんじゃないですか。政府対社会党約束ですよ、法案を通過させるための。
  141. 吉江勝保

    吉江勝保君 委員長いいですか。
  142. 米田勲

    米田勲君 先に答弁を求めます。
  143. 吉江勝保

    吉江勝保君 その前に、いまの発言に関連することがあるので、私から言うといて答弁してもらったほうが……。
  144. 米田勲

    米田勲君 一応、大臣から答弁を聞いた上で、それから君の……腰折れになるから。
  145. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) いろいろその当時のお話を伺いまして、私も大いに考えなければならないと思います。しかし、とにもかくにも今回の扱い方について、先ほど来何べんも言っておりますように、私としては扱い方の手続等について遺憾でありましたということを繰り返し申し上げたいと思います。
  146. 吉江勝保

  147. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 吉江君。
  148. 米田勲

    米田勲君 ちょっと待ってください。私の言うことに間違いでもあって、ぜひいまただしたいということならばいいですよ、間違いがあるのですか。
  149. 吉江勝保

    吉江勝保君 見解の相違があるのです。
  150. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 速記をとめ て。    〔速記中止
  151. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 速記をつけて。
  152. 吉江勝保

    吉江勝保君 米田委員、また他の委員からも発言がありました。私も聞いておりまして、論旨を進めておられる点については大体私も了承できるのですが、そのお話の中には、ある名前をあげた方だけで折衝されておりますね、話をされておった問題が相当あるようで、それに参加をしてなかった者としては、当時どういうような話し合いが行なわれたかということについては、ここで、当時参加された米田委員発言を聞くだけで、あるいはそれを、いま久保委員が言うように、自民党の当時参加した人から、もう一度私からも聞いてみたいという感じがした点があるのです。しかし、私はいまその点を言うのでなしに、昨年の一番最後の一番大事な場合ですね、十二月十七日の朝十時から招集して夕方開会に至った、あのときは参議院の文教委員会だったので、これは文教委員会理事として私も参加をしておるし、他の理事も参加をしておった。そこで、そのときの話がいま出ておったので、これは私が聞いておって少しどうかと思う点が感じられたのです。それは文教委員会理事、その席には衆議院の稲葉君や長谷川君も参加しておったように思います。これは正式の理事会というより、幾らか両党の懇談会のような色彩を持った会だったですからね。だから事情のわかる人に参加してもらって話し合いを進めた。そのとき、私は参議院の理事として、その日の会議の進行のしかたにはやはり責任があるので、相当自分も発言をしたのです。そのとき私がお聞きしたのは、いままで言うておられるような点については大体そのとおりの話、私もそのとおりとは言いませんけれども、大体筋道はわかっておるのです。そこで、この席へ灘尾文部大臣に来てもらって、文部大臣からひとつ返答をいただきたいというお話があったのですね。それで、私がそのときその必要はないじゃないか、それは私どもの理事会の理事が中に立って、文部大臣にあなた方の趣旨を達せられるように私どもが努力すればどうですかと言って中をとったのです。そうして私が灘尾文部大臣のところへ行きまして、文部大臣にも意見を聞いてみたのです。それで、文部大臣は、いまのように限度政令について確約できますかということを私は尋ねてみたのです。ところが、そのとき文部大臣ははっきりと、そういう確約はいたしかねます。しかし、それではおさまりませんよと、私はですね。それではきょうの会議はおさまらないから、それは大臣、出しませんとは言えぬでも、出さないようにひとつ努力をしてもらえませんかと、そこで私も灘尾文部大臣にお願いをするというか、説得するというか、そういうようにしまして、そうしてまた懇談の席に戻ってきて、いまここに文部大臣を引っ張り出して、ものを言わしてもいかぬので、それよりも、理事あるいは衆議院の議員もそこにおるので、こういう連中に努力をさす、文部大臣が出さないように努力をさすということで、ここはひとつ委員会を開いてもらえぬかということで、最終の段階はそれで了承を得たように私は覚えておるのです。だから、灘尾さんが隣の部屋におってそれを承知したということは全然事実と違うように思います。
  153. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 速記をとめて。   〔午後三時十二分速記中止〕   〔午後四時三十八分速記開始〕
  154. 野本品吉

    委員長野本品吉君) 速記つけて。  ほかに質疑もないようですから、本件に対する本日の質疑はこの程度にいたします。  本日の委員会はこれをもって散会いたします。    午後四時三十九分散会    ————・————