○
中野文門君 それでは、一行のお許しをい
ただきまして、私から第二班の
調査報告をいたします。
第二班は、去る九月十三日から同月三十日まで八日間の日程により、
久保委員、
豊瀬委員、
柏原委員及び
不肖中野委員の四名に、
調査室から吉田、佐々木の両
調査員が随行し、ほかに文部省の
児玉事務官が参加いたしまして、
長崎県へ参り、同
県南松浦郡
五島列島の
福江島を中心に、主として
離島の
僻地における
教育の
実情を
調査いたしました。
まず
最初に、
長崎県の
地理的条件及び
一般的僻地性の概要について申し上げます。御
承知のとおり、
本県は至るところに山岳、丘陵が起伏して
平坦地に乏しく、
海岸は
半島の突出と港湾の屈曲がはなはだしく、その
海岸線の延長は三千七百キロという全国一の長大さを示しております。一方、西には五十五海里を隔てて
東シナ海に
五島列島、
西北方には
玄界灘を隔てて七十七海里に壱岐、百六海里に対馬があり、大小の
島嶼を合わせれば、その数六百二十六、そのうち人の常在するもの百を数え、県下八十
市町村のうち三十三
市町村、
僻地学校二百四十一校中の実に二百校がこれらの
島嶼に散在しており、しかも、その大部分が
東シナ海と
玄界灘の荒海にあって、きびしい気象の変化にさらされております。したがって、これら
離島町村のほとんどが
産業基盤に乏しく、きわめて貧弱な
財政状況にありますため、
本県が
離島教育の
振興を最優先的に強力に推進しているにもかかわらず、自然的、
文化的、経済的な複雑かつ深刻な諸
条件にはばまれて、いまだ所期の目的を達成し得ない
段階にあるのがその
実情であります。私どもは、
福江島内におきましては、
玉之浦町立の
玉之浦小学校とその
岳分校、
富江町立の
富江小学校とその
繁敷分校及び
福江市立大浜小学校等を視察いたしましたが、なお、島の北端、
三井楽半島の西方約四海里の洋上に浮かぶ
孤島嵯峨ノ島に渡り、
三井楽町立嵯峨ノ島小中学校をも視察いたしました。これらの
学校において、
先生方や
教育長、
町長等から述べられました詳細な
説明や熱心な
陳情等について、その
主要点を概括して申し上げます。
玉之浦小学校は、島の
西南岸の玉之浦町にあり、
児童数三百三十三、学級数十一の小規模
学校であります。学級数が減少したために、本年度から
事務職員の割り当てがなくなり、もっぱら教頭が
事務処理に当たっている
実情でありまして、ここでは
事務職員の配置と無医町村の不安緩和の意味をも含めて
養護教諭の配置が強く
要望されました。
富江小学校の
繁敷分校は、島の南岸の富江町から北東約八キロの山中にある五十三世帯、人目二百余の農業を主とする寒村に設けられた
児童数五十七、教員四名の三学級編制による複式学級であります。ここでは毎月一回、富江町の本校に一日入学させることにより、
児童の見聞を広めることと、その孤立性の排除につとめているが、バスの便が悪く、中学に進学すれば徒歩通学を余儀なくされているということでありました。この分校で特に注目されましたのは、高学年
児童の国語科の学習に、あらかじめ朗読して吹き込んであるテープレコーダーを使用して、複式授業の困難性を克服するための
努力が払われていたことでありました。
富江小学校では、湾外数海里の海上に横たわる黒島から約二十名の
児童が通学しておりますが、その通学はわずか一日に一回就航する船便によるほかなく、そのために、これらの
児童に対しては掃除やクラブ活動を免除しているということでありました。また、全校
児童千百七十余名のうち、その半数を上回る約六百七十名が三キロ以上の距離から通学しているということでありますが、スクールバスやボートは、その
運営費の重荷を憂慮していまだその利用をちゅうちょしている
実情であります。
嵯峨島小中
学校は、小
学校が
児童数百二十六名の六学級、中
学校が生徒数四十七名の三学級からなる併設校でありまして、教職員は校長以下十四名であります。この
学校で特に奇異の感に打たれましたことは、中学の国語と音楽と美術の三科目については有資格者がなく、わけても十四名の教員中、国語科の免許状所有者が一人もいないということであります。このことは、生徒の読解力の
不足を来たし、ひいては社会科の学習にも少なからぬ影響を及ぼしていると校長の述懐にも漏らされたのであります。
僻地校への志願者を求めにくいことや、芸能、理数等の特殊な学科との関連などの
事情による結果であろうとは想像されますけれども、何とかして国語科の有資格教員をせめて一人くらいは配置できないものであろうかと、つくづく考えさせられたことであります。この嵯峨ノ島は周囲約十二キロの細長い火山島であり、住民は八十二世帯五百人が農業と漁業の兼業によって生計を立てていますが、テレビは二十八台、ラジオに至ってはほとんど全家庭が聴取している状況であります。しかし、衛生と
教育の両面については関心が薄く、回虫の駆除が当面の問題であり、子弟の
教育はすべて
学校に一任の形であるということでありました。この島での日常生活の面における不便や欠陥としては、電気はあるけれども午後七時から十時半までしか点灯できないこと、水道がなく、もっぱら天水に依存していること、島の唯一の交通
機関である渡航船がわずかに一日一往復にすぎず、しかも年間七十ないし八十日が天候のために欠航し、冬季には特に連続欠航すること、郵便物、新聞等が遅配欠配となること、日常生活の必需品が乏しく、かつ高価であることなどがあげられますし、教職員の宿舎は一般公務員の宿舎を転用したもの五戸があるが、風呂は三戸に一つの割合でしか設けられていないということでありました。また、
児童生徒のための教材、特に図書の
不足など、
文化的後進性はやむを得ないものがあります。こうした
実情はひとりこの嵯峨ノ島にのみ限られたことではなく、その程度に若干の相違こそあれ、親島である
福江島についても、また
五島列島の全
地域についても当てはまる問題でありましょう。
離島の生活のきびしさと
教育の困難性がしみじみと感じられたのであります。
さて、これらの
実地調査を終えました後、私どもは福江市役所におきまして、福江市の市長、助役、市議
会議長及び議員、PTA連合会長、
福江島内全域の
教育委員、
教育長、各
町長等のほか、五島支庁長、五島
教育事務所長、五島PTA連合会長など
教育関係者数十名と一堂に会し、
離島僻地の
教育について二時間半にわたり、きわめて真摯にかつ熱心に懇談を交える機会を持ちました。この会合においては、教師の立場から、
父兄の立場から、また、
教育行政の観点から、こもごも立って忌憚のない率直な建設的
意見や
要望が活発に述べられ、さらに一そう私どもの理解と認識を深めることに役立つことができました。
要望の内容は多種多様にわたりましたけれども、特に、一、県内
離島の面積は全体の四二%を占め、道路港湾その他県の
財政能力だけでは解決困難な問題が多いから、国の援助を期待しなければならないこと。
一、
離島の
僻地に対しては、内陸の
僻地と異なる
事情にあることを理解してほしいこと。
一、教員が定着性を欠き、島内に三年以上勤務する者がほとんどまれな現状にかんがみ、物心両面からの優遇策を講ずることが急務であること。
一、小中
学校の併設校は、全島内に二十校あり、このうち九学級以上のものが十三校に及ぶが、現在、
事務職員の配置されているのはわずかに二校にすぎない、せめて九学級以上の併設校には
事務職員と
養護教諭を配置するように
措置されたいということ。
一、
社会教育の面に少なからぬ時間を費やしている教員の負担を軽くするため、
社会教育主事と教員の交流を可能にするよう法令の改正を行なってほしいこと。
一、
学校給食は、県では平均六、七〇%まで普及しているが、島内ではわずか二校の
実施にとどまって、いるのは、
地元の
財政力が原因であり、
児童生徒の体位はきわめて低いから、給食
施設についての補助金の補助率を引き上げてもらいたいこと。
以上のほかは、おおむね
長崎県
教育委員会において県
教育長から述べられた
要望の
趣旨に包含されておりますので、ここに重複を避けて省略することといたします。
かくて、私どもは
長崎市へ立ち戻り、県
教育長から県内
教育の一般状況を聴取いたしますとともに、特に
僻地教育の
振興について次のような陳情を受けました。
一、
僻地学校に勤務する教職員の優遇
措置として、
1
僻地学校級別指定基準の適正な改善をはかること。
2退職手当及び年金算定に際し、特別加算を行なうこと。
3
僻地勤務教職員の子弟の学生寮建設事業に対し、国庫補助を行なうこと。
4住宅手当を新設し、支給すること。
5多学年学級担任手当の増額をはかること。
二、
僻地所在の小規模
学校にも、
養護教諭及び
事務職員が配置されるよう、定数法の改正を行なうこと。
三、
僻地学校に勤務する教職員が十分研修できるよう、旅費単価を大幅に引き上げること。
四、
僻地教育振興のための国庫補助金の補助率をすべて三分の二とし、
地元負担の財源についても
起債等特別の
措置を講ずること。
五、スクールバス、ボートの
運営費についても国庫補助がなされるよう
措置すること。
以下十点、大別して五
項目でありまして、これらはすべて
僻地全体について当てはまる
要望と考えられますが、特に
長崎県については、その
僻地のほとんどが
離島に所在しているという特殊
事情に照らし、級別指定基準についても
離島僻地の諸
条件を勘案してほしいことと、李ラインにかかる国際問題の焦点を位する対島、壱岐、五島に対しては、特別の角度から
措置されたいということの二点が強く
要望されたのであります。なお、この席上、
長崎県公立
学校施設整備期成会の会長から、危険
校舎の
改築促進、公立
学校施設費に対する国庫負担率の引き上げ、公立高等
学校の
僻地生徒寄宿舎の新増築
促進等に関する陳情と、
長崎県教職員組合の
代表者から、教職員の定数、給与の改善、
離島僻地の
教育の
振興、産炭地
教育の
振興等に関する陳情を聴取いたしました。
さて、ここで
長崎県における
教育、特に
僻地教育についての
施策のあらましを簡単に述べてみたいと存じます。
長崎県の本年度
教育予算は、県の予算総額三百三十六億円に対し、その三五%を占める百十八億円に上り、行政費目中の最高位を示しており、しかも、
教育委員会の予算原案が無
条件で承認されたということであります。県自体の
教育に対する熱意のほどがうかがわれるのでありますが、同時にまた、多数の
離島と
僻地に小規模
学校をかかえている
本県の特異性から、やむを得ない現状であろうと推察されるのであります。
次に、
本県における中学卒業者の進学率は五六・二%であり、これは全国平均の六三・五%に比べて著しく低く、また、高校卒業者の進学率も二一・六%であって、全国的には低位にあり、これらもまた
離島や
僻地の多いことに基因しているものと考えられるのであります。県当局は、
離島僻地における
教育の
充実振興をはかるための
施策として、
一、
離島派遣教員制度を設けて、三十四年度から本土の教員を、勤務年限を定めて
離島僻地へ赴任させることにより、教員の資質の向上と確保をはかること。
一、
離島僻地の高等
学校に工業、商業等の学科を設置することや、全日制分校の独立、寄宿舎の新設等により、
僻地高校の
充実をはかること。
一、
離島出身の教員を確保するため、三十四年度から、県と
地元市町村が
協力して、毎月五千円の奨学金を両者が折半して貸与し、
長崎大
学芸学部に委託して養成することなどを着々
実施して、異常な熱意を傾けております。
しかしながら、今回私どもが直接に視察いたしました
福江島の各地についてその見聞の一端を申し上げますと、島の首都とも言うべき五島最大の都市でありますところの福江市は、数年前の大火災によりこうむった創痍がいまだ全くはいえず、最近ようやく市内中心部の復興を終えて立ち直らんとする
状態でありますし、富江町は、過去長年月にわたってその繁栄の基盤となっていたサンゴの採集事業が近年次第に資源の減少によってふるわず、したがって、町全体が萎靡沈滞を来たしつつあり、また、かつては外洋漁業の前線基地としていんしんをきわめた玉之浦町の荒川港も、レーダーの
発達に伴う気象観測の的確さと、漁船の大型化に加うるに船足のスピードアップにより、逐年、前線基地の必要性が薄らいできたために、港湾は
ただ昔の隆盛をしのばせる遊休
施設に変わろうとしていることなどが語られました。また、島内を縦横に貫く主要道路も全然舗装が施されておりませんし、
校舎はほとんど貧弱な木造でありまして、中には実に七十年を
経過した老朽
校舎も見受けられ、台風や白アリの害をこうむりながら、よくぞ耐えてきたものだと感嘆させられました。
離島僻地の
教育が、その
充実振興の要件として、いわゆる
教育プロパーの
施策を強力に推進すべきことは当然でありますけれども、それにもまして、交通の改善や産業の発展による経済的基盤の確立ということに、より大きな比重がかけられていることが、生きた現実の姿として看取されたのであります。
以上申し述べましたとおり、
僻地教育を
充実してその水準の高揚を期するには、なお幾多の課題が残されております。これらの課題については早急に検討を加え、逐次解決すべきであることを痛感いたしました。
最後に、
長崎大学について簡単に申し上げます。現在、
長崎大学においては工
学部の新設を希望しておりますが、その敷地問題と関連して、
大学本部からやや遠距離にある経済
学部を
大学本部の敷地内に移転統合することなどが取り上げられ、いまだ最終的結論が打ち出されていない
段階にありました。
以上で
報告を終わります。