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政府委員(佐方信博君) 途中からで意を尽くさないかもしれませんけれども、二点申し上げておきます。
第一の重要通信の解釈の問題でございますけれども、具体的にどれが重要で、どれが重要でないということは、そのときの情勢によってきめると、法的な私
たちは別に一定した
考えを持っておりません。
そこで、
一般には、年賀を排送するために、重要通信、年賀がすなわち重要だ、したがって小包をやめた、というような話がございますが、実はそうじゃございませんので、御承知のとおり、十二月の十日から二十日までというものは小包が非常に殺到する時期でございますし、小包をうまく排送いたしておりませんと、二十五日以降の年賀の排送がうまくいかないという
関係はございますけれども、実は一番問題になりますのは、十日から二十日までに、普通ですと東京中央あたりで一日に五万個ぐらいの引き受けがありますのに、あの時期には一挙に三十万個の引き受けがあるというようなことになってまいりまして、それだからこそ、いままでも組合との
関係でも、何とはなしに十日前後に妥結するとうまくいくのだという、何といいますか、お互いに意識はあったような次第でございます。したがいまして、あの段階において、にわかに解決の見通しがないということになってまいりましたので、これは年末非常に重要な金融の
関係でございますとか、そういう一、二種の郵便物がおくれを来たすおそれがある。特に東京では、小包の三割が都内になっておるという実情でございますので、都内で三六協定が結ばれず、しかもちょうどあの時期が高等学校の学期末の試験の最中で、ほとんど高等学校生徒に期待できないという時期でございましたので、そうしますと、勢いそれだけの小包が一ぺんに出て、配達にかかってまいりますと、どうしても小包の配達に追われまして、一、二種の郵便物の排送ができなくなってくるという問題がございます。
それからもう一つは、これは
先生御承知の、三十四年に全郵との間の紛争が解決しましたが、二十日過ぎに藤林あっせんて解決しましたけれども
——というより、やれ解決したと思いましたけれども、現場には小包が山と積まれてくさっておるという実情もございましたし、私
たちとしましては、この際、積極、消極両面からいろいろな手を打たなきゃならぬというので、積極的にアルバイトをもっといろいろな方法で集めるように、またもう一方では、小包につきましては、公衆に迷惑をかけないように、できるだけ引き受けるけれども、配達はいわゆる
民間の請負をお願いしようじゃないかということを
考えました。したがって、都内のある局では、氷屋さんが全部引き受けて、そこで配達するということができましたが、たとえば山の手あたりにおきましては、最近全部電化しておりますために、氷屋さんも炭屋さんもないということで、アルバイトは集まらない。
民間の小包請負もできない。そうすると、どうしても常在員が小包を配達しなければならぬ。先ほど申し上げましたような小包の
程度でございますと、まあ何とかやれますけれども、四、五倍になってくるというと、これはどうしても十日から二十日までの重要通信を確保するために小包の利用制限をせざるを得ないんじゃないかということで、あの段階におきましては、年賀との対比でなくて、一、二種の郵便物をどうしても確保しないと困るということから、幸い郵便小包というものは
郵政省の
独占でございますけれども、いわゆる小包というものは
郵政省だけがやらぬでも、いまでも国鉄でも日通でもやっておるのでございますから、できるだけそっちのほうにお願いするよりほかに手がないんじゃないかということで、あの段階におきましては、小包の利用制限をお願いしたわけであります。しかし急にやってはいけませんと思いましたので、段階を三つに区別して、第一は六大都市等の市内小包だけを制限する。それから第二段階には、近県から東京大阪等へ向けるものを制限しようということにいたしたわけでございますが、第一段階の制限までに約一週間の予告期間がございましたために、非常にたくさん参りまして、実は最盛期におきまして、一日三十五万個ほど引き受けるというような実情になりました。したがって、小包全体としましては、利用制限の結果、ある
程度の利用減が出ましたけれども、総体の物量としましては、実はあの利用制限によりまして、平常月と同じ
程度にしようと思ったわけでございますけれども、ほとんど減少が少ないという形になりました。
それから減収の
数字につきましても、先ほど
お話しのように、小包の利用制限によって
相当の減収がございましたけれども、それは年を越しましてまた少し小包が出ましたために、
先生のおっしゃいましたような金額の約半分くらいの小包の利用制限による減収じゃないかというふうに私
たちは了解しております。
いずれにしましても、そういうことで、何が重要かということになりますと、小包と年賀の
比較でなくて、十日から二十日までの段階では、われわれは一、二種の郵便物と小包の
比較において、他に代替物があるからということで、どうにもやりくりつきませんので、小包の利用制限をしたというような実情でございます。
それから年賀状のことにつきましては、
先生御指摘のように、ここ数年来非常に買い手が多いのに、なぜもっと出さないのだという要求が非常にあるわけでございますが、まあ普通の商売から見ると、まことにおかしい話と思いますけれども、実は十二月の末にアルバイトにたよって、しかも元旦にできるだけ配達をしたいということを
考えますと、局舎のスペースの問題、それから人の問題から、これ以上はなかなかやれないという限度に来ておりますために、私
たちとしましては、発売の枚数を非常に憶病なくらいに少しずつくらいしかふやしてないという
現状でございます。
一方、これからだんだん人もなくなってくるということから
考えていきますと、年賀状につきましては、重要な研究課題として何らかの結論を出すべき段階じゃないかということを私
たちも
考えております。この点につきましても、郵政審議会等でたびたび議論が出ておりますし、最近の審議会にも、この問題はどうしても討論課題になってくると思うわけでございます。しかし、年賀状を廃止するとかりに言いましても、これだけ習慣のついたことでございますから、やはり郵便物はたくさん出てくるだろう、そこで、
先生御指摘のように、外国のクリスマス・メールのように、来たらいつでもだらだら配達していくというようなことも一応
考えましたけれども、とにかく、一日の郵便物の受付が
全国で二千万通というくらいのときに、十億のはがきを一ぺんに配達しようということになりますと、やはりだらだらやっておったのでは、これまた切りがつきませんし、それからまた、現場での区切りがつきませんので、ほんとうに年賀はがきがなくなれば別でございますけれども、やはりある
程度受付期間をきめて、そして一気にやっていくということのほうが、
事務的な内容から見ますと、処理のしかたとしては、このほうがまとまって処理できるのじゃないかというわれわれ
意見を持っております。いずれにいたしましても、年賀状の問題についていろいろな対策が出ますまでの間は、御承知のとおり、年末には非常な郵便物の、何といいますか、山になってくるわけでございますから、私
たちといたしましては、いろいろな手を
考えなくちゃならぬというふうに
考えております。
それから、かねて、年賀以外のときにおいて、一切遅欠配をしないようにするためにはどうしたらいいかということについてでございますけれども、長い間の組合との間の団体交渉を拒否しておりましたあとで、いよいよ両方で協力して
仕事をしようという段階になってきますと、現場での労務管理の問題を確立することも非常に大事でございましたけれども、私
たちは一面、あの三十年に戦前の水準に達しました郵便物が、それから七、八年いたしまして約倍近くになってくる、非常に郵便物がふえてきた段階で
考えまして、やはり大都市における局舎
事情をよくする、それからいろいろなことで定員を確保していくということに全力をあげてきたわけでございます。同時にまた、私
たちといたしましては、
先生御指摘の予備定員ということにつきましても、いろいろ
努力をいたしておりました結果、少なくとも年次休暇の要員につきましては予備定員を確保することができてきました。また、いままでは当該年度の物増に対応するものは、ある
程度非常勤の
予算をとっておりましたけれども、これも最初から定員でやっていく。それからまた、大都市におきますところの集配手は、御承知のとおり、できるだけエキスパートでなくちゃならぬわけでございますので、いわゆる班
制度というのをつくりまして、逐次そういう何人かのグループには一人の何といいますか、監督すると同時に、すぐ応援できる人を持っていこうということで、いろいろな
努力をいたしております。
そこで、
制度的な問題でも、できるだけ簡素化も一方ではかっていく、しかし、定員も見ていく。それから一番一つ大事なことは、いわゆる三六協定がなくとも、年末時は別としまして、定員だけでやっていけないかという一つの問題がございますけれども、これは世界じゅうの悩みでありますが、郵便物というものが、非常に日によって、月によって波がある。しかも、どこの国も、やはり夕方五時に郵便物の八〇%が局に持ち込まれるというような実情からいきまして、全部定員というのはなかなかできないのじゃないか。やはり、どこの国でも、超勤とか、あるいはアルバイトというものに依存する面が非常に多いように思いますけれども、できるだけ郵便物を平準化して出していただくという御協力などが、これから特にわれわれといたしましては概念的にもお願いしなければならないだろう、こういうふうに
考えておる次第でございます。