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1964-07-09 第46回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年七月九日(木曜日)    午前十時十四分開会   —————————————   委員長異動 六月二十六日黒川武雄委員長辞任に つき、その補欠として青柳秀夫君を議 院において委員長選任した。   委員異動  六月二十六日   辞任      補欠選任    長谷川 仁君  林屋亀次郎君    草葉 隆圓君  井野 碩哉君            和田 鶴一君  六月二十七日   辞任      補欠選任    林屋亀次郎君  長谷川 仁君    井野 碩哉君  草葉 隆圓君   —————————————  出席者は左のとおり。    委員長     青柳 秀夫君    理事            井上 清一君            草葉 隆圓君            長谷川 仁君            加藤シヅエ君    委員            木内 四郎君            黒川 武雄君            杉原 荒太君            山本 利壽君            和田 鶴一君            佐多 忠隆君            森 元治郎君            曾祢  益君            佐藤 尚武君   事務局側    常任委員会専門    員       結城司郎次君   説明員    外務省アジア局    長       後宮 虎郎君    外務省国際連合    局長      齋藤 鎭男君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠互選の件 ○国際情勢等に関する調査  (国際情勢に関する件)   —————————————
  2. 青柳秀夫

    委員長青柳秀夫君) それでは、ただいまから外務委員会を開会いたします。  この際、一言ごあいさつ申し上げます。私、はからずも今回外務委員長選任をされました。まことに不敏でございまして、この重職にたえ得るやを憂えるものでありますが、どうか委員各位の御懇情、御指導、御鞭撻によりまして職責を全うできまするようによろしくお願いを申し上げます。
  3. 青柳秀夫

    委員長青柳秀夫君) 理事補欠についておはかりいたします。去る六月二十六日理事草葉隆圓君と長谷川仁君が一時委員辞任されましたので、理事に欠員を生じております。つきましては、この際、補欠互選を行ないたいと存じますが、互選投票方法によらないで、委員長にその指名を御一任願いたいと存じますが御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 青柳秀夫

    委員長青柳秀夫君) それでは理事草葉隆圓君と長谷川仁君を指名いたします。   —————————————
  5. 青柳秀夫

    委員長青柳秀夫君) 国際情勢等に関する調査を議題といたします。  まず、先日ジュネーブにおいて開催されました国連貿易開発会議について説明を聴取いたします。
  6. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) 国連貿易開発会議が先月の十六日終了いたしましたので、皆さま方にも十分御理解願いたいという気持ちでやや詳細に経過その他を御説明申し上げたいと存じます。  話の順序といたしまして、この会議開催するに至りました経過及び背景等を最初申し上げます。それから、会議そのもの経過、それから、会議における日本立場、それから会議の評価、それから、今後の問題というような順序でお話し申し上げたいと思います。  まず、開催に至りまする経過でございますが、これは一昨年の五月でございますか、カイロにおいて低開発国の一部が会合いたしまして、そのおりの発言が会議の主たる動機となったわけでございます。その後、国連におきまして、この会議を開こうという決議をいたしまして、自後三回にわたりまして準備委員会が行なわれました。会議は三カ月ということで、参加国は結果として百二十一カ国集まったわけであります。この集まりました国は、国際連合加盟国よりも多いわけでございますが、これは、国連加盟国以外に専門機関に加盟しておって国連加盟国でない諸国を含んでおります。たとえばモナコとか分裂国家の一方とか、そういう国を含んでおりますために、かくも多数の国になったわけでございます。この開催に至ります過程におきまして、プレビッシュという、これはアルゼンチンの人でございますが、この人が事務局長予定されましたので、この人自身非常に南北問題に関心がございまして、会議に至るまでに低開発国考え方をまとめようというので、御自身が低開発国を巡回いたしまして、一つ結論を得たわけでございます。それがいわゆるプレビッシュ報告というものでございます。プレビッシュ報告につきましては、すでに書きもの等で御承知と存じますが、そのもの考え方の根本は、低開発国貿易条件というものが、朝鮮事変の終結以来逐次悪化してまいりまして、しかも、その悪化の状況は改善される見込みがないということでございます。数字もあげておるのでございますが、その数字の根拠については先進国の間でいろいろ議論されておりまして、はたしてそれを基礎とすることが正しいかどうか問題でございますが、あげております数字をとりますと、現在までにすでに約百五十億ドルの外貨の不足を来たしており、それが今後約十年の間にさらに百十億ドル程度赤字になるということで、何とかしてこれを埋めなければ低開発国発展、特に工業開発というものは不可能になるという前提に立っております。それを改善する方法として、プレビッシュは、自己の報告の中に、一次産品に関するものと、それから製品、半製品に関するもの、それから融資に関するもの、この三点をあげておりますが、第一の一次産品につきましては、これは朝鮮事変以来の一次産品に関する値下がりに基因するものであって、これは、何らかの方法でとりあえずそれを埋めなければ将来に向かって改善する見込みはないということでございます。それから、製品、半製品につきましては、これも何らか処置を講ずる。特に特恵制度を設けなければ、言いかえますと、そのような非常にドラスティックな処置をとらなければ、この分野においても低開発国は救われない。それから、この二つ分野を補う意味において、普通の意味融資ではこの赤字は埋まらない。そこで補償融資ということばをつかいまして、すでに赤字になっているところに、貿易分野では低開発国と逆に、収益の非常にあがっている、しかも、それが年々増加していく傾向にある先進国が、その金を低開発国にトランスファーするという考え方でございます。すなわち、普通の意味融資ではなくして、一種のグラントとして金を左から右に移すという考え方でございます。それがプレビッシュ報告として出されたものでございますが、自後、会議におきますものの考え方というのは、大体低開発国はこの考え方によっているわけでございまして、会議における事務局態度が、いわゆる中止といいますか、先進国と低開発国の両方を考えない立場をとったとよく言われるのでございますが、これは、いま申し上げましたような、事務局長自身一つの哲学的な考え方でその立場を固執したというところに原因があったと思われます。  かく会議に入ったのでございますが、この会議は当初から、経済問題を扱う会議ではあるけれども、政治的な考慮ないしは政治的な雰囲気が非常に高まる会議であろうというふうに予想されたのでございますが、確かにそのとおりになったわけでございます。以下詳しく申し上げますけれども、全体として会議先進国と低開発国との対決という様相を帯びまして、その会議全体の動きが二週間から三週間おくれまして、したがいまして、当初の予定では、本会議最終決定をするというそういう予定段階に至りましても結論が出ないということで、もう会議幕切れのぎりぎりにおいてようやく妥協が成立したということでございます。  まず第一に、一次産品に関する問題でございますが、これは会議の第一委員会で審議されました。この問題は、御承知のように、関税、それから輸入割り当て、それから内国税、そういったもので先進国貿易障害を設けている、この貿易障害をなるべく早い機会に撤廃してもらいたいという考え方に出発した低開発国の案が最初審議されたのでございますが、その中に非常に具体的な問題が触れられているわけでございます。いま申し上げましたような問題について具体的になっておりまして、たとえば期限を切りまして、一九六五年の末までにそういう貿易障害を撤廃しろ、そういうようなことも入っているわけでございます。   〔委員長退席理事長谷川仁君着席〕 これは先進国によりましてはあるいはできるところもあるかもしれませんが、先進国と申しましても、おのおのみな国情が違いますし、大体来年の末までにそういうものを撤廃しろということは、どの先進国も事実上不可能という立場にあったわけでございます。そこで、最初申し上げましたように、低開発国先進国のいわゆるコンプリケーションになってしまったわけでございますが、とうとう解決つかずで、委員会におきましてはこの低開発国の案というものが通ってしまったわけです。先進国の了解なくして——了解というのはことばが適当じゃないかもしれませんが、先進国協力なくしては、かような決議を行なっても現実には実行不可能でございますので、低開発国の中にもやや反省の色が見えました。それが最後段階におきましてカイスーニという、議長でございますが、この人が間に立って結局まとめたわけでございます。まとめました案というのは、ただいまの貿易障害に関する案と、もう一つ商品協定に関する原則を並べた案があるのでございますが、その二つの上にシャッポをかぶせまして、なるべく早い機会にできるものからこの低開発国考え方を入れてやってくれというような趣旨のシャッポを上にかぶせて通したわけでございます。それから、貿易障害の案はそのシャッポの下に入ったのでございますが、これも低開発国案そのものではなくして、カイスーニさんの案として——これは主としてアメリカ中心になってつくった案でございますが、たとえば、ただいま申し上げましたような期限につきましても、来年の末までというように期限を切らないで、来年の末までに撤廃してもらいたいというそういう低開発国気持ちも考慮して、一九七〇年までにそういう障害を撤廃する、そういう案に変わりました。その上にシャッポがかぶさったわけでございます。  それから、第二の問題は、製品、半製品の問題でございますが、これも、一つは、やはり製品、半製品に関する貿易障害の撤廃に関する問題、これは、やはり原則を並べたものがアメリカによって提案されまして、これは通りました。  問題は、特恵に関するものでございまして、これについてはとうとう妥協が成立しません。特に特恵反対立場をとりましたのはこれはアメリカでございまして、アメリカの法制的な国の構造、ないしはアメリカが従来とってまいりました大きな意味経済問題についての考え方からいって、そういう暫定的なものはつくるべきではない、やはり最恵国待遇に基づく貿易自由の原則に立った制度世界貿易は進められるべきであるという立場反対を終始一貫いたしました。特恵について同情的であった国は、英国とそれからフランスをはじめとするEEC諸国でございます。   〔理事長谷川仁君退席、委員長着席英国につきましては、御承知のように、すでに特恵関税制度というものが英連邦について行なわれておりますし、フランスをはじめとするEEC諸国は、EEC自体フランスの旧植民地諸国との間に特別の関係を持っておりますので、これも特恵制度に同情的であったことは無理もないわけでございます。日本立場は、あとで申し上げますが、そういうことで、特恵制度についてもついに意見がまとまらなかったわけです。この間にあって、低開発国側先進国側のそういう分裂した態度にしびれを切らしまして、低開発国特恵に関する考え方を打ち出した案を出したわけでございます。これは一〇%以下のものはすぐに撤廃する、一〇%以外のものについては五年間のうちに五〇%、その後あとの五〇%を撤廃する、特恵制度としては十年間これを持続するという、非常に具体的な特恵制度についての構想でございます。で、これは最後まで結局低開発国先進国との妥協がつかなかったわけでございますが、先ほど、カイスーニさんが、まあこれは解決と言えるかどうか問題でございますが、その特恵制度の可否を含めて専門委員会で研究するというそういう妥協案をつくりまして、最初申し上げました貿易障害撤廃に関する諸原則を並べた案とこの特恵制度を研究する案と二つの上にまたシャッポをかぶせまして、それが最後カイスーニ案として妥協案として成立したわけでございます。これも第二委員会そのものにおきましては、低開発国の案が採決されたのでございますが、本会議におきましては、いまの、シャッポをかぶせた案が採決されました。  それから第三の問題は、補償融資に関する問題でございます。これは第三委員会で取り扱いましたが、実は最初申し上げました中でお気づきと思いますが、この会議を通じて最も困難な問題はこの補償融資に関する問題というようにいわれておりましたが、現実にはこの委員会が一番早く片づきまして、むずかしいと思われた補償融資問題というものが、この会議における具体的な成果の唯一のものになったわけでございます。と申しましても、補償融資という考え方そのものが承認されたのではございません。これは、英国その他の考え方によって、補完融資——補償融資でなくして補完融資という考え方に変えたわけでございますが、そういう意味では、補償融資という考え方は依然として未解決のままに残っているというように言えるかもしれません。少なくとも会議におきましては、この問題は補完融資という形で解決されたわけでございます。それはどういうことかと申しますと、低開発国工業発展貿易条件悪化のために現実に阻害されている、工業発展ができないという、そういう明らかな条件が整った場合に、そういう場合にのみ使われるような基金をつくると、それは第二世銀の中につくる。で、そういう考え方で、具体的にはどういう構想にしたらいいかということを第一世銀、いわゆる世銀に研究させるという案、これが先進国の案でございまして、一方、低開発国の案は、考え方は同じなんでございますが、第二世銀の中につくるというのではなくして、特別のそういう独立した機関をつくる、そういう基金を持った独立した機関をつくる。それを研究する機関も、その世銀に研究させるのじゃなくして、やがてつくられるべき常設委員会において研究すると、こういう案が低開発国の案でございまして、この二つの案に、これもやはりシャッポをかぶせまして、これを一つの案のようにして採決したわけでございます。したがって、具体的には、世銀に研究させるのか、あるいは第二世銀の中に入れるのかということは未解決でございますが、とにかく、それで考え方は、先進国と低開発国とが同じ考え方に立ったということでございます。こういう形でこの問題は片づきました。  それからもう一つ、この融資問題についての成果は、これも新聞等で御承知の、低開発国に対する融資各国国民所得の一%にできるだけ近づけるようにすることを目標として融資をしていくということでございます。各国国民所得の一%に必ず持っていけというのじゃなくして、そういう目標に向かって努力する。しかも、それも一%にできるだけ近づけるようにということでございます。これはフランス考え方中心であって、ただ各国は、国民所得の一%といいますと、国によっては、国民所得平均国民所得と、それから一人当たり国民所縁をとるかによって、結果が非常に違ってまいりますので、各国とも非常に、一人当たりの一%というならいいけれども、国民所得全体の一%というのでは困ると言う国もございまして、まとまりにくかったのでございますが、これは幸いに日本が早く踏み切って、この案をむしろ推進するような形になりましたために、とんとん拍子に片づいて、最後にはこれは満場一致で採決されたような次第でございます。  この二つの案が、融資問題についての具体的な成果になりました。  それから、第四の問題は機構問題でございます。これは融資問題とともに非常に解決困難な問題として考えられておりましたが、案の定、この問題につきましては一番最後までもめまして、一応妥協案はできましたけれども、一番大事な点について未解決のままに残りました。これは国連ウ・タント事務総長のもとに特別委員会をつくって、その一番困難な問題は今後きめる、そうして国連総会、第十九回総会報告するということになりました。  機構問題というのはどういう問題かと申しますと、第一は、独立した貿易開発に関する機関をつくるか、既存機関を利用してやっていくかという、その将来つくるべき独立機関を頭に入れて基本問題を考えるかどうかという点が第一の問題でございます。  それから第二の問題は、そういうものを将来つくるにしても過渡的にどうするかという問題で、これはこの貿易開発会議そのものをどうするか、その下につくるべき、まあ常設委員会構成をどうするか、それから事務局をどうするかという諸問題でございます。  第一の、将来の機関との関係につきましては、先進国は、これはそういうものをつくるのに反対立場をとりました。それから、低開発国共産圏諸国は、そういう独立機関をつくることに賛成の立場をとりました。これは、問題は非常にむずかしい問題でございますけれども、低開発国側もすぐこれをつくるということは言っておりませんので、将来そういうことを、そういう方向に行くということを考えるだけでいいというような考えにだんだん変わってまいりまして、したがって、この問題自体は、そんな複雑な問題にならないで済んだわけでございます。先進国も将来そういうものをつくったほうがいいかどうかということを今後検討するならかまわないと、で、この問題は終わりました。  それから、事務局につきましては、低開発国側は、相当大きな事務局をつくることを考えておったようでございますけれども、これは国連本部との連絡によりまして、いまの国連本部事務局の中に事務局をつくる、それで、その大きさをどうするかということはこれは国連事務局当局と相談をしようというようなことで、事務局の問題もおさまりました。  結局、最後まで残りましたのは、貿易開発会議はつくるにしても、そのあと常設委員会をどうするかということでございます。で、常設委員会についての問題点というのは三つございまして、第一の問題点は、その常設委員会構成の問題です。何カ国くらいで、——先進国後進国の割合をどうするかという構成の問題、それから、第二の問題は投票制度の問題、それから、第三の問題は国連ECOSOC——経済社会理事会との関係をどうするかという問題でございます。  第一の構成の問題につきましては、先進国のとりました立場というのは、これは先進国協力なくしては実際に貿易開発問題というのは解決しないのだから、ぜひ先進諸国のうちの特に発達程度の高い国は、常任制にしたい、十一の国を予想して、その十一の国の常設制を考えたわけでございます。これに対しては、もちろん低開発国反対いたしました。  それから、第二の投票制度につきましては、先進国は二重投票制度というものをつくる立場をとりました。それは多数決できめるだけでなくして、先進国過半数ないし三分の二が同時に賛成することを条件とするということでございます。これも低開発国はもちろんそういうことに反対したわけでございます。これは一種の拒否権的な考え方になりますから、これは当然反対されるわけでございます。それから、経済社会理事会との関係につきましては、先進国経済社会理事会において貿易開発関係の機構が決定しました事項を、さらに経済社会理事会がある程度調整できる立場にしようといたしました。これに対しては、もちろん低開発国反対したわけでございます。そして非常にこれはもめたのでございますが、結果として落ちつきましたことは、構成の問題につきましては五十五カ国をその常設委員会のメンバー・カントリーにするということ。この内訳は、アジアアフリカ諸国、これは地域——いま申し上げましたのはちょっと不正確でございますが、地域とそれからその貿易程度といいますか、後進性程度等を加味したような考え方で、第一グループと書っております——主としてこれはアジアアフリカの低開発国でございますが、これが二十二でございます。それからヨーロッパ、アメリカ、豪州、ニュージーランド、日本を含めた、いわゆる西欧諸国日本を含めた先進国グループ、これを第二グループとしました。これが十八でございます。それから、ラテン・アメリカ諸国は、ほかの低開発国と分けまして九カ国。それから、ソ連圏が六カ国ということで、全部で五十五カ国から構成するということになりました。第一グループから第四グループまでございます。  それから投票制度につきましては、常設委員会過半数、それから貿易開発会議そのものは重要問題は三分の二、そのほかは過半数ということでございます。ただし、二重投票制という先進国制度をとらないかわりに、特定の国の経済に対して非常に重要な影響を与えるような議案については特別の調停手続をとることを妨げないということでございます。すなわち、先進国はそういう場合の処置として、先進国の少なくとも半分が反対したときにはそういう議案は成り立たないというようにしようとしたわけでございますが、その制度をとらないかわりに、何か特別なことができるようなことを、何か常設委員会の中、ないしは常設委員会とは別に、そういうことを考えてもいいということでございます。非常に抽象的でおわかりにくいかと思いますが、現実にどういうことが予想されるかわかりません。たとえば、この問題の解決の案としてまた二重投票制度というものが出てくるかもわかりませんし、あるいはまた、討議の過程において一つサゼストされましたことは、そういう問題については役票を延期する、その場で役票しないで延期するる。その延期する場合の手続をきめるというような考え方もあるわけでございます。したがいまして、そういう幾つかの考え方を含めましてウ・タント事務総長のもとに小さな特別委員会をつくってそれを研究するということになったわけでございます。これはまだその小委員会はできておりません。ただ、これを十九総会報告する必要がございますので、それまでの間において決定されると思います。これが機構問題でございます。  それから、なお、委員会としては、いまの基本問題——第四委員会で扱われましたが、もう一つ第五委員会というのがございます。第五委員会というのは、貿易原則を検討する委員会でございまして、これは第一から第四までの委員会においていろいろ審議されましたことに直接関係がございますので、小委員会の審議が終わるまでは具体的な決定をできなかったために、非常に委員会活動がおくれておりました。しかし、これは中身というよりも、そういう一般の原則問題を討議する委員会でございますから、その結論もたいして問題になるものはございませんでした。かような第一委員会から第五委員会までの活動経過でございますが、最後段階において、いずれの問題につきましても一応の妥協が成り立って、そうして、これらの妥協の結果は、最終的には最終議定書というものに集約されまして、それは、会議をどこでいつからいつまで開いて、どういう構成でやったというような一般的な事項をあげまして、それに会議できめました決議を加える。さらに、その決議を採決するにあたっていろいろ加えられました留保それ他の意見を収録したものをこれに加える。それから、各委員会会議報告をもこれに加えて、全体を一つ最終議定書という形にして、これもまた採決したわけでございます。これは日本ももちろんこれに署名いたしました。これは今後十九総会報告されまして、十九総会の承認があってはじめて有効になるわけでございます。  以上会議経過でございますが、この会議に臨みました日本立場について触れていきたいと存じます。  まず、この会議に対する日本の政府の考え方でございますが、いずれにしましても、この会議はどうなるかということを予想するのが非常に困難な会議でありましたと同時に、一方では、もう非常な南北の大きな対立を来たすであろうということも予想されましたので、具体的にこういう問題に対してはこうしろというはっきりとした立場をとれなかったわけでございます。したがいまして、大体の日本政府の感じを代表団に伝えまして、個々の重要な問題についてはそのつど請訓をするような形にいたしました。そうして、そういう抽象的といいますか、日本のものの考え方の中に根強くありましたことは、日本の特殊性でございます。これはそう強調することがいいか、悪いか別にいたしまして、先進国といいましても、おそらくほかの先進国にないような特殊性がある。それは、御承知日本の農業と中小企業の存在でございます。すなわち、外国との貿易というものにおいて、日本が緩和した立場をとるときに一番大きな影響を受けるこの二つのものをかかえた日本としては、どうしてもいろいろな問題についてそれを低開発国の言うままに受け取れない。受け取るにしても、いろいろ留保をつけざるを得なかったというのが事実でございます。そこで、そういう日本立場をもう少し分析してみますと、日本はまず先進国であるということです。もちろん、アジアアフリカの一国でございますが、しかし、今度の会議においては、そういう地理的な対立というものではなくして、先進国と低開発国の対立ということでございます。日本はその間にあって、まん中の中進国というような立場はあり得ないわけでございます。言いかえますと、最初のプレビッシュ考え方のことを申しましたときに、与えるか受けるか、どちらかのグループしかないわけでございます。日本は受ける立場にないのでございまして、日本貿易額というのは六番目か七番目に位しております。非常に高度の工業国となっておりますので、与えるほうに入るわけでございます。それは先進国としての立場でございます。  それに第二に、初め申し上げました特殊性というものが加わりまして、世にいわゆる中進性的な立場があったということが第二。  第三に、これは前にも触れましたように、英国とかフランス等は、低開発国との間に特殊な関係を持っておりますために、その立場はわりあいにフレクシブルであり得たわけであります。言いかえますと、特恵についても経験を持っております。それから、そういう国の立場を国内の政策の中に入れなければ政治的に非常に問題を複雑にするということで、日本などのように、何といいますか、はっきりとした態度じゃなくして、非常にフレクシブルな態度をとり得たということが第三でございます。  それから第四は、日本は非常に大きな輸入国であるということで、輸入制限の撤廃というものをする場合に、非常にその害といいますか、そういうものを受けやすい立場にあるということで、そういう輸入国の立場を十分考慮してもらいたいということをどうしても言わざるを得なかったということでございます。  こういう四つの日本の特殊な立場からいきまして、日本考え方なり、会議においてとった態度というものは、ほかの先進国とちょっと違っに事情にあったということが申せると存じます。  それから、次に会議の評価でございますが、会議を通じて感ぜられましたことは、第一に、低開発国側が七十五という数字の圧力でもって集団行動をとったということでございます。これは、初め申し上げましたように、何かそういうドラスチックな立場をとらなければ貿易条件は改善されないという、そういう悲壮な気持ちもあったのでございましょうか、従来の会議に見られなかったような非常に大きな数字による圧力、七十五カ国の集団行動というものが非常に目立ったわけでございます。これに対して、先進国もまとまったわけでございますが、数からいって、これはもう問題にならないわけでございまして、低開発国が七十五でございまして、大体ソ連圏貿易上特殊の立場にございますので、低開発国に協調する場面が多かったのでございますが、この約十カ国の共産圏の国を入れますと、優にこの会議の三分の二以上をとれるわけでございまして、これの団結することによってあらゆるものが採決に付されてしまうという事情にあったわけでございます。この集団行動と、先進、低開発の対決というのが非常に目立った点が第一でございます。  それから、第二の点は、最終的には妥協をいたしましたけれども、具体的な問題の解決をほとんどすべてあとに回しているということでございまして、したがって、やや具体的な結果を得ましたのは、先ほどの融資問題だけでございまして、その他の問題は原則をきめるか、あるいはその原則すらも将来きめるということで、問題の解決あとに引き延ばしたという点が第二点でございます。ただし、この低開発国が、非常にドラスチックな考え方でございますけれども、彼らの考え方を十分に出したという点は、会議のやはり私は成果だと考えます。どういうことを考えているかという点が比較的はっきりいたしましたので、今後この南北問題を考えるにあたってのいい基準がそこにできてきたという点は、あわせて考える必要があると存じます。私としましては、その二つの点を会議の評価の結果というように考えております。  それから最後に、貿易開発会議は終わりましたけれども、今後どうなっていくかということで、これは先ほどちょっと触れましたように、国連総会報告されますが、その前に、経済社会理事会がジュネーブでこの十三日から開かれますが、まずそこにかけられて、それから十九総会にかかります。その承認を得て各議案が成立するわけでございますが、今後は、いまの機構問題の最後の点が解決されれば、その機構によって取り扱われていくわけでございます。次の貿易開発会議は、これは三年に一回ということになっておりますが、次の会議だけは一九六六年の上半期ということにきめられました。大体それを目標にしていろいろなことが進んでいくというように考えます。日本といたしましては、この低開発国によって出されましたものの考え方をもう一度分析してみて、この中で日本としても協力し得るものは私は建設的に対処したほうがいいと考えますと同時に、妥協案はこれはやがて実施に移されますので、その実施の措置というものを今後考えていく必要がある。これが今後の問題でございます。  時間を非常にたくさんいただきましたが、大体そういう経過でございます。
  7. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 ちょっと、いまのお話の日本態度について御質問しますが、伝えられるところによると、朝海代表は、初めのうちはいろいろな問題についてやたらに留保して、そのために、一般に——特に後進国諸国には不評、ひんしゅくをかった。それで非常に困って日本に帰られて、閣議その他でいろいろお話しになった結果、方針を若干変更されたというようなことが抽象的に伝えられておりますが、これはもっと具体的に言うとどういうことですか。
  8. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) お答えいたします。  二点だと思いますが、第一点は、日本が留保した問題でございますが、日本の留保のおもなものは四つございます。第一は、これは主として一次産品に関するものでございますが、品目を限定する必要があるというのが日本立場でございます。すなわち、低開発国貿易条件を改善してやるのだから、熱帯産品に限定すべきだというのが第一点でございます。それから第二点は、先ほども触れましたように、日本は輸入国であるので、輸入国の立場が非常に疎外される場合には、結局低開発国側貿易は減殺する可能性もあり得るので、輸入国の立場というものは十分尊重してもらいたいというのが第二点でございます。第三点は、国内の問題に干渉するような、そういうことは困る。たとえば、日本は産業調整をやれというふうに言われましても、日本のような中小企業をかかえている国ではそういうことが困難だという点が第三点。それからもう一点は、これは先ほど申しました日本の農業、中小企業の後進性があるので、日本の場合には特にそういう点を考慮に入れてもらいたい。もう一ぺん繰り返しますと、品目を限定したということと、輸入国の立場を考えてくれということと、日本の農業、中小企業の特殊性、それから第四に国内政策への不干渉、この四点でございます。これは非常に抽象的でございますが、国内官庁はぜひそういう点をはっきりしておいてくれと言うので、会議において言うのは適当かどうか別にいたしまして、これは日本の非常に強い要請がありましたものですから、ややしつこくなったかもしれませんが、そういうことをやったわけでございます。  それから、朝海大使の帰国につきましては、これは政府としましては、その訓令が非常に抽象的でございますから、会議のある段階においては、代表団からだれか帰ってもらって、第二訓令というものをつくるということを考えたわけでございまして、たまたま宮澤企画庁長官がガットの会議で向こうへ行かれまして、そうして話を聞かれた結果、御自分が考えられておるよりもっと激しい対決だというので、この事情は東京に報告したほうがいいだろうというお考えが朝海大使に伝えられまして、たまたま政府としてだれか帰ってもらおうという考え方と、朝海大使が報告に帰りたいということが一致しましたので、帰っていただいたようなわけでございます。で、お帰りになった結果、いろいろな事情が判明しましたが、従来非常に不分明にしておきました日本態度のうちで、ある相当な部分はもう少しはっきり出してもいいんじゃないかという結果になったのでございまして、一般に訓令を緩和したとかなんとかというように言われておりますが、そういう事情じゃなくして、事態に応じてはっきりした訓令を出したというふうに私は考えております。
  9. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 国民所得一%の援助の問題ですね。これは日本の実情からいうと、過去数年間どのくらいやっているんですか。それから、今後それを達成することは容易なのか、いつごろをめどにして達成するおつもりなのか、その点。
  10. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) 私詳しい数字をここに持ち合わせておりませんが、大体を申し上げますと、日本の従来——六三年までにやってまいりました援助が二億六千万ドルという計算になっております。これは賠償その他を含めましてですね。これはどこの国もいろいろな形における援助をみなひっくるめておりますので、われわれもそういう計算をしておりますが、二億六千万ドル。それから、国民所得の一%が、従来やってまいりましたのが四億六千万ドル、それから……
  11. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 それは数年にわたってでしょう。年間ですか。
  12. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) ええ、年間ですね。
  13. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 二億というのは、いままでの総実績。年間。
  14. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) ええ、年間の国民所得でございますから。それから、国民所得一%というのが四億六千万ドルでございまして、その差が二億ドルと私了解しております。いつまでにそれをするということは、会議においても時期はきめておりません。まあ、なるべく早い機会にということでございますので、今後どうするかということは、今後の問題として研究いたしたいと思います。
  15. 加藤シヅエ

    加藤シヅエ君 ちょっと伺いますが、南米の国々は全部低開発国に入るのでございますか、南米、中米は。
  16. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) 全部低開発国でございます。たとえばアルゼンチンとかペルーとかいう国は、これはアフリカの新興国と比較して発達程度は非常に高いように考えられるのでございますが、これは貿易額を中心にしてその先進国後進国が分かれますが、その場合には南米の諸国は全部低開発国に入るわけでございます。
  17. 加藤シヅエ

    加藤シヅエ君 プレビッシュさんが前々からこの問題について非常に研究されて、一種プレビッシュさんの哲学のような理念を基礎にして会議をリードなすったというお話があるのでございますが、これはもちろん貿易会議ではございますけれども、そのさらに深い意味は、貿易を通じて低開発国の発達、そうして開発及びその発展、それが将来世界の平和と結びつく、こういう考え方でございますね。そうなりますと、今後先進国が積極的に援助するというような場合には、やはりある程度の適当な指導というようなことが加わらなければ、いままでのインドとかエジプトやなんかに金銭的に、あるいは技術指導その他でやってきた経験から見ましても、経済成長率よりも人口の増加率のほうがいつも上回っていて、結局はその国の生活標準は少しも高まらないというような結果が出ている。そういうようなことに対してどういうような指導をすべきかというようなことが全然問題になっていなかったのですか。
  18. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) いま加藤委員の御指摘の点が、これは先進国が一番問題にした点でございます。ところが、会議の空気からいいまして、まあことばをかえて言いますと、セルフ・ヘルプと言いますか、後進国側の努力でございますね、それが先進国協力と相まってその低開発国発展というものがあるという考え方でございますが、この会議を通じて、そういうセルフ・ヘルプという点は初期の段階に出たきりで、あとはそういう問題を口にすることすらが非常に困難なような対決になりまして、おそらく低開発国側は、それは胸のうちにはおさめておったでございましょうが、会議で問題にすることを非常にきらったわけでございます。
  19. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 ちょっと、さっき齋藤君が説明した中に、日本側が留保した四点というのね、それは朝海君が帰っても、その点は別に変わりなく最後まで維持していったのですか。
  20. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) 仰せのとおり、最後まで維持いたしました。それはこの初めの段階で、その四つを、十分といいますか、ある幾つかの点については触れなかったものでございますから、最後までの段階でいつかは触れてもらいたいというのが関係当局の希望でございましたので、まあ朝海さんお帰りになったあとにその問題に触れたこともございます。
  21. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 もう一点だけ。日本の国内の産業調整とか、あるいは中小企業の特殊性、これは外国とそういう問題について約束をする——対外的にコミットメントを与えるということは、これは非常に慎重でなくちゃならぬと思う。それはわかるのだが、それとは別に、結局低開発国との問題というと、実質的には、実体的にはどうしたってそこに踏み込んでいかぬと態度をほんとうに決することができにくいだろうと思うけれども、それだから、会議に対する方針じゃなくて、それとは別個に、会議に臨むにあたってのそういう機会にも、日本として今後そういった点、つまり低開発国側の要望なども十分考慮には入れて、日本の産業調整というような問題も自主的に熱意を持ってやっていかなければならぬというような空気は政府内にあるかどうか、その点どうですか。
  22. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) 御指摘のような点が、私は今後のまあ政府のやるべき、考えるべき問題だと存じまして、外務省が中心になりまして、各関係官庁とそういう問題を主として検討してまいりたいと考えております。
  23. 木内四郎

    ○木内四郎君 おくれて来まして申しわけないのですけれども、すでにお触れになったのかもしれないのですが、さっきちらっとそういうお話もありましたので、そう思っているのですが、低開発国の支払い資金の不足の問題と、これに対する信用供与その他の問題については御説明になったのですね。もし御説明になっておれば、私またあとから速記を拝見しますから、けっこうです。もしそうでなかったら、ちょっと簡単に。
  24. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) 会議で取り扱った範囲につきましては、御説明申し上げました。
  25. 加藤シヅエ

    加藤シヅエ君 先ほどの一%の援助のパーセンテージのことでございますけれども、日本の場合には、総所得にする場合と、それから一人当たりという場合には相当数字が違ってくるのじゃないかと思いますけれども、その数字はどんなふうになっておるのでしょうか。
  26. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) 今度の会議決定されましたのは、採決されましたのは、国民一人当たりの所得ではございませんで、総所得でございます。私、ここに数字があるのですが、これ正確ではないかもしれませんが、よろしければ……。たとえば、国民総所得の場合には世界で六位になるのですが、一人当たりで勘定しますと二十六位になるわけです。そこで、一人当たりということを標準にしてやれば、日本は非常に楽になるのでございますが、今度の会議決定はそうじゃなくて、国民総所得ということでございます。それで、一人当たり国民所得の一%という考え方は、すでに従来国連総会において決定になっておりますように、これは各国みんなやるようになっております。それを今度一歩出て、総所得の一%となったところに意味があるわけでございます。
  27. 加藤シヅエ

    加藤シヅエ君 そういたしますと、日本は総所得とそれから一人当たりとこんなに違ってくるのでありますけれども、ほかの国はこんなに違う国があるのでございますか。
  28. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) そんなにたくさんないと思います。私は、日本がごくわずかのうちの一国だと存じます。したがって、日本がそれに賛成したということが非常に意義がございまして、低開発国が非常に喜んだのはそういう点であったわけでございます。
  29. 曾禰益

    ○曾祢益君 これは杉原委員も触れられた点なんでありますけれども、結局、今度の会議に出た日本態度、政策の欠陥、失敗とまで言わなくとも、いろいろあると思うのですけれども、日本が、ある一面では先進国型である、他の一面では相当後進性を持っておるという点、一体、鳥でもない、けだものでもない、コウモリ的な扱いをされたといって新聞あたりでも非常に会議における日本の困難な立場を伝えておったと思うのですけれども、あなたのお話にもあったように、それは、日本が中進性ではなくて、日本の中の矛盾というものがはっきりと、しかも、もう一つ率直に言えば、日本政府のこの会議に出る姿勢が甘かった、はっきり言えば。一方においては、前向きのものわかりのいいような点を出そうとする。他方においては、非常に国内の——これは無理からぬことではあるけれども、国内の権利を留保するということを非常に露骨に主張しなければならない。つまり、第一のグループは外務省的な外向きの日本という態度、第二の点は、中小企業、農業等を保護しなければならない国内官庁的立場というものが、露骨に言って、あまり総合調整されないままに会議に臨んでしまったという傾向が非常にある。そういうところが非常にあらわれてきた。しかも、イギリスやフランスみたいな旧植民国はある意味で非常にずるいのであって、特恵関税制度はむろん持っておるし、それから、旧植民国との間の関係というものは非常に深いわけで、自分のほうのインベストメント——投資を保護する意味からいっても、一国対一国の関係において非常に大きな援助というものをやらざるを得ないし、やっている。そうすると、非常にものわかりのいい先進国づらができる。ところが、日本の場合は、完全にそういう植民地がないところに、今後の日本の大きな財産——アセッツになるかもしれぬけれども、はっきりグループ分けすると、はっきりした先進国型になってしまって、与える立場にあるくせに、話を突っ込んでいくと非常にしわい。自分の産業保護ばかりを考えていく面にぶつからざるを得ない。そういう根本的な日本のいわゆる高度経済開発といいながら、底に大きなひずみを持ったままの日本の現段階の姿が見られる。そんなことはわかり切っておることなんであって、しかし、最後段階において池田総理が、新聞によれば、閣議をまとめて、思い切って国民所得の一%くらいは少なくとも努力目標として日本が言い出せというので、最後段階でだいぶ日本立場を救ったように伝えられておる。こんなことはわかり切ったことであって、そんなことを言うと自分の先見の明を誇るようにとられちゃ困るのですけれども、実は、この会議の途中に当委員会において審議し採決したOECD承認の問題のときに、私はその点を申し上げた。OECDに入るというときに、少なくとも国民所得の一%くらいを、今度のようなはっきりしたファンドとして提供することができるかこれはわかりませんけれども、何からの形における後進国援助にそのくらいのことを日本が出すという、それだけのかまえなくして一体OECDの先進国クラブにのこのこ入って行く、それではだめじゃないかと言って、総理や外務大臣のお話あるいは経済企画庁長官のそこの決意を求めても、むろんその段階においてはことばを濁して何も語らない。ところが、七十五カ国の圧力で国際的に孤立すると、やおら立ち上がって、最後——育ったことは決して悪いことではないけれども、いかにそれが不用意だったかということのあらわれではないか。ですから、これはそういう意味においてお互いに衝に当たっている方は特に、われわれがここで批判している以上に、衝に当たった人こそむしろいかにつらかったか、ここで言われなくとも、いろいろの欠陥なりまずさということを一番よく知っておられると思うのです。ですから、それ以上申しませんが、これらの教訓をひとつむだにしないように、こういう問題についての日本のかまえですね、ある意味では日本立場が非常に弱い、ヴァルネラブルだという点もあるけれども、また見方によっては、そういう立場日本こそほんとうのいい意味でのとりまとめ役というか、リーダーシップを発揮できるチャンスでもあるのじゃないか、日本自身のかまえと準備さえよければ。そのことでこの次の機会への一そう十分なる準備をしてもらいたい。
  30. 齋藤鎭男

    説明員齋藤鎭男君) ただいま御指摘の点、十分考慮に入れて今後検討してまいりたいと存じます。  ただ一つだけ申し上げておきたいことは、日本はこの会議に臨みます前に、南北問題に対処する心がまえとして、相当長期にわたってこの問題は解決すべきであるというたてまえをとりましたので、第一回の会議には、私はむしろやや良心的といいますか、窮屈な立場をとりましたが、これも長期に見て、ある程度広い、もっと大きな立場をとる第一段階というように考えてまいりました。しかし、今後十分検討する必要もございますので、ただいま申し上げましたように、お説を十分考慮に入れてやりたいと思います。
  31. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 ほかの問題いいですか。——じゃ、大平外務大臣が台湾に行かれた。アジア局長一緒だったと思う。この間台湾を訪問された経緯、それから会談のいろいろな模様、それから、会談の結果として今後どういうようにこの台湾に対する問題を処理していこうとされるか。その辺を一応御説明願いたい。
  32. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 大平大臣の訪台が行なわれるようになりました経緯と申しますと、いろいろ新聞等に伝えられておりますが、われわれ事務当局、外務省といたしましては、近隣諸国でありながらいままで閣僚が行っていない。特に外交担当の外務大臣が往復していないということのほうがアブノーマルなんで、いつかこれはできるだけ早い機会にという気持ちであったわけでございますが、たまたま御承知の、昨年以来、周鴻慶その他種々両国間に不愉快な事件が起こりましたので、こういう問題の起こる基礎になる基本的な了解と申しますか、意思疎通ということを早くする機会があると思っておりました。たまたま吉田前総理等の訪台がございましたときも、この問題が出まして、そうして周鴻慶事件を一つのきっかけとして引き揚げておりました先方の大使その他の高級官員も、六月末に急遽こちらに着任するる、そういうような情勢になってまいりましたので、いわば舞台装置ができ上がりましたわけでございまして、急遽親善旅行、いろいろな具体的な、いま問題になっているような問題をネゴシエートする、交渉するためではない、親善旅行で両方の意思を疎通するということのほうのたてまえで今度の訪台が実現したわけでございます。最後に、結論的にも触れますが、先方のほうもそのたてまえはよく了解しておりまして、全会談を通じまして、具体的ないわゆる懸案的な問題には全然触れることを避けまして、親善旅行というたてまえを通し、気軽な気持ちで来てくれ、その第一回でそういうたてまえを十分向こうは通すように配慮してくれたわけでございます。で、会談といたしましては、ですから、儀礼的な訪問、十分、十五分、ぐるぐる回りましたのは別といたしまして、実質的な会談は、沈外交部長との間に二回、それから蒋総統に一時間十分くらいに及びました会談が一回、これが会談のような性格を持った大きな会談でございます。そのほか、異例というか、普通の閣僚が訪問した場合は異例の接待と向こうでは言うことでございましたが、蒋総統夫妻、こちらは全部夫人帯同ではなかったにもかかわらず、宋美齢夫人もホステスとして出られましたディナーがございました。こういうような機会に、また打ち解けて意思の疎通をもたらすような懇談があったわけでございます。  会談の模様につきましては、大体具体的な問題がなかったものでございますから、たまたま新聞に伝えられているとおりでございますが、かいつまんで申し上げますと、まず、沈外交部長との会談におきまして、先方がいわば日華関係関係する基本的な考え方原則、そういうような問題をもっぱら強調したわけでございます。そして、いまさらのごとく印象を一つ新たにしましたのは、先方が、やはりこの間の吉田前総理の訪台というものを非常に感謝し、かつ、重視し、あそこで非常にハイ・レベルのいわゆる天下国家の話があったわけでございまして、そういう大きな空気と申しますか、精神と申しますか、吉田・蒋会談のスピリットのワク内でいろいろな話をしよう、そういうようなたてまえをとって大所高所的な話はございました。そして、そういう大所高所的な問題として、大陸反攻に関する国府の考え方の問題、それから続きまして、二つの中国というような考え方に対する国府の考え、あるいは台湾の地位が法律的に未決定だといわれているようなそういういわゆる台湾の法律的地位の問題に関する考え方等について、国府の基本的な考え方、これはもう従来種々の機会に先方の要路者が伝えているところでございますが、これを非常に切々として強いことばをもって国府の立場を訴えられたわけでございます。要するに、二つの中国とか、台湾の地位未決定とかいうような議論は、国府の側からすれば生死に関係するような問題なんで、そういう点、国府がいかにこういう点について原則的な問題について強く感じているかという点を、わがほう外交担当最高首脳者にこれを直接印象づける、訴えるというところにその重点があったように感知されたわけでございます。この会談におきましても、先に申し上げました全然具体的な懸案等については触れられません。そして、日本というものがもっと自分の国際的立場、自由陣営の中における自分の国際的立場というものについて自信と自覚を持ってほしいということは、要するに、いろいろな中国問題の解決に関する議論等が行なわれたり、あるいは書かれたりするその場合、自分たち国府のほうとしましては、ほかのいろいろな国がいろいろしゃべっても全然気にしない。しかし、アジアにおける日本がこの中国問題をどういうふうに考えているかというような点については、これは世界的にも非常に重きをなすのだから、そういう点をも考えて言動というものに十分気をつけてほしいという趣旨であったというふうに思われるのであります。  これが第一回目のときの会談の要領でございまして、翌日さらに予定を継ぎ足しまして、第二回目の会談が一時間ぐらいございました。この場合は、むしろ日舞間の問題というよりか、東南アジア情勢を主にいたしました情勢判断、どういうふうに見ているかという、そういうようなことが主でございまして、結局、一番先方として強調されたところは、インドシナその他東南アジア問題について米国が自由陣営のリーダーとして非常に苦労してやっている。この自由陣営としては、この米国の政策と協調を保って手をつないでいくべきだという理念を強調されたのでございます。これに対しましては、国会等で外務大臣がしょっちゅう言っておられますように、あるいは米国がインドシナ等で汗を流してやっている。この毎日汗を流してやっているところから現実解決政策が生まれてくるのであって、いわゆるヨーロッパの一部の国が言っているように、哲学的なアプローチはこれはとらないという趣旨をもって答えられ、そういう点大きな見方について意見は一致しているように見られたわけでございます。  それから、蒋総統との会談でございますが、これも一時間十分ぐらいございましたと思います。余談でございますが、総統も非常に健康そうに見られまして、血色も非常によく、終始好きげんをもろてわれわれに接遇していただいたのでございますが、短い滞在期間で、何のおみやげも上げることができないけれども、ひとつ自分の政治思想というか、政治哲学といいますか、これをおみやげとしてよくお話しするから、これをひとつ持って帰って日本要路の方々にも伝えてほしい。そういうふうな立場に立たれまして、やはりこれも基本的な大きな問題、わざわざ自分がきょうは具体的な問題には触れない、そういうふうに断わられまして、大きな、いわゆる天下国家の議論をされたわけでございます。要点としますところは、やはり沈部長の言っておられましたのと、それをふえんしたような考え方でございますが、日本としては、アジアにおける自由陣営のリーダーとしての使命観をしっかり持つ必要があるということを大いに強調されました。世界、特にアジアにおける各国の繁栄それから安定というものは、相互に密接に関連しているんで、長い目で見れば、結局一つの国だけが切り離して繁栄を続けられるもんじゃない、日本はいま非常な繁栄を享受しておられるけれども、これは決してほかのアジア、他の地域の状況と切り離して長く続くもんじゃないので、そういう点、長期的な見通しに立って、さっきのひとつ使命感に徹して自由陣営としての立場に立って協力していくようにしなくちゃいけない、そういう趣旨でございました。特に沈部長もそうでございましたが、アジア諸国においては経済問題、経済の繁栄協力、そういう問題もさることながら、これがうまくいくための前提として政治の安定ということが必要なんだということで、経済偏重と申しますか、そういうふうな傾向に行かないように政治的の姿勢をしっかりするようにという趣旨を強調することにねらいがあったように看取されたわけでございます。これが大体蒋総統のるる述べられた要点でございます。  おもな会談はこういうところだったのでございますが、今度の会談の特徴は、一つは記者会見、最後の出発の前にやりました記者会見、内外記者との会見にあったわけでございます。これは初めはわが方の大使館の主催でやることになっておりましたのを、向こうから、これは外務省の情報局長の主催の記者会見に切りかえるように要望がございましてそういうふうにしたのでございます。これは一つには記者会見——いままで正式の会談では、こういうふうにもっぱら天下国家論だったわけなんで、具体的の議論はきっと記者会見で出るだろうと、そのときの日本側の応酬いかんということを直接見たい、聞きたいという考慮もあったと思いますが、同時に、このときまで非常にムードがよく進んできておりましたので、この最後の記者会見で、あまり記者側のほうからデリケートな質問なんかが出て記者会見が荒れるというようなことにならないように、かじをとるという、非常に好意的な考慮もあったように感じられました。短かい記者会見でございましたが、大体具体的の問題、予想されておったような具体的な問題は、このときに出ました。だから、ビニロン・プラントの輸出問題等についてもこのときに質問が出ました。新聞記者の中には、日本は両刀外交をやっている、右の手で国府と握手しながら左の手で中共と組むとか、そういうようなまくらことばもございましたが、記者会見全体としては非常に穏やかな友好的な雰囲気でございました。その中でもビニロン・プラントの問題につきましては、日本のやり方、方針を聞かれましたのに対して、大臣はこういう趣旨で答えておられたと思います。一般的に言って、要するに、プラント類の中共に対する延べ払い輸出という問題が、政経分離の原則に合うと見るか、背反していると見るかについては、見る人によって解釈の違いもあり得ましょうと、日本としては現在中共に対するプラントの延べ払い輸出が政府機関による金融というそういうことがなくてし得る可能性について研究中である、こういう趣旨で非常にことばを選んで慎重にお答えになりました。  それからまた、向こうの記者団のほうから、日本は民間貿易だからかまわない、かまわないと中共貿易のことを言っているけれども、戦略物資についてもこれは民間貿易だと言ってほうっておくのかというような質問もございまして、これに対しては、いや、これはもうココムを順守して、その範囲内で輸出貿易管理令等で十分押さえるんだというような説明でございました。大体デリケートな質問はこんなもんでございました。  今度の訪問全般をひるがえってみますと、やはり最初申しましたように、向こうは気楽な旅行をしてくれと言った。それをほんとうに実現するために非常にこまかい点まで配慮してくれていたことが感じられます。さっき申しましたように、具体的問題についても正式会談では触れずに、記者会見の席上で触れるというようなかっこうにしておりました。そうして、接待についても、さっき申しました蒋総統夫妻のディナーというような異例の措置をとってくれたわけでございます。日本では国賓以外には空港で儀仗兵の閲兵というのはございませんが、国府では、慣例として、外務大臣に対しては平閣僚の場合でも儀伏兵の閲兵があるのだそうでして、ですから、その点は特に優遇というわけではございませんが、非常にりっぱな閲兵を飛行場でやってくれまして、あと日華両国旗を交差したオートバイ十数台をコンヴォイの前につけて町を走るというような状況で、私、半年前に周鴻慶問題のときに、一番どん底の気分のときに向こうへ使いしましたときは雲泥の差の状況でございまして、在留邦人等も、あのときは外出禁止令が出ておったぐらいでございますので、天地雲泥の差だと言って非常に在留邦人の人たちもとても感激しておったわけでございます。それから、今度の会談でそういうムードをよくする、両方ともかく意見が一致しなくても、この目と目を見合う関係になると、何かお互いにはれものにさわるようなかっこうじゃなしに、何でもともかくざっくばらんに話し合う仲になろうとすることがねらいだったわけでございますが、そのねらいは十分達せられたのじゃないか。こちらのほうから外交部長にも一夕おいでいただきたいということを申し出たのに対して、訪問の初めのほうの会談と終わりのほうじゃ、それに対する受け答え方が全然熱意が変わってまいっておりまして、もうあとのほうでは、既定の事実としていつ行こうかというような話しぶりになってきているわけでございます。沈部長招待のディナーのときの双方の、日本側のあいさつの中に、雨降って地固まるというようなかっこうに持っていきたいという文句がありました。ちょうど沈部長のごあいさつの中にも、シナのことわざを引いてそれと同じようなことばがございまして、お互いに雨降って地固まる方向に持っていきたいという熱意を十分感得できたわけでございます。新聞の論調等も、いよいよこちらが着きます前までは、原則論を単なる個人外交に譲っちゃいけないというような、少しきびしい論調もございましたけれども、帰るころの論調は、今度の会談は一応みな成功、程度の差はあれ、ニュアンスの差はありますが、成功だったというあれに一致しておりまして中央日報等も「仁親以為宝」というような左伝の文句を引きました社説を出しまして、今度の訪台が両方の間のそういうスピーキング・タームスといいますか、話し合える、しこりを解いたかっこうに持っていく、そういう目的は十分達したということを認めているような状況でございます。
  33. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 蒋総統あるいは沈昌煥氏との会談のときに、いまもお話にありました、中共問題の解決なくしてはアジア問題の解決はあり得ない、アジアの繁栄はあり得ないのだというようなことを強調したと言われておりますが、その中共問題の解決のしかたですね、それを向こう側はどういうふうに解決しようと言ったのか、それに対して日本側はその解決のしかたをどうしようと言われたのか。そこらをもう少し詳しく御説明願いたい。
  34. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 会談の性質の機微のところはあれでございますが、先方が中共問題の解決云々ということを言われました趣旨は、要するに、アジアにおける外交問題はすべて中共問題の反射であるということ、これを無視してアジア外交というものはあり得ないという哲学と申しますか、外交政策を強調されたわけでございます。そうして、国府の側からすれば、この中共問題の解決というのは、当然国府が従来うたっておられる、二つの中国は排撃する、そうして国府によるこの中華民国と申しますか、国府による民主化した中国というものの回復ということが、当然これは国府の側からの解決の理想ということになるわけでございます。こちらとしましては、そういう国府の従来の御方針はよくわかっていると、承知しておりますと。そうして、中国問題は非常に重要問題だということがわかっているので、決して軽々に二つの中国とかなんとかというわけではないのだという趣旨で答えておられました。
  35. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 国府のほうが、中共問題の対処のしかたについて、伝えられるところによると、中共は必ず崩壊をする、それから、国府は必ず中国を取り戻す自信があるというようなことを詳しく強調したといわれておりますが、これをもっと内容的に言うとどういうことになりますか。
  36. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 今度の会談では、特にそういうところまで突っ込んだ応酬は現実になかったのでございまして、むしろ、中共は必ず崩壊するとかどうかということは、これは国府側にとっては、何と申しますか、既定の議論、立場なので、特に今度の会談でそれに触れられたということはございませんでした。
  37. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 帰途沖繩に寄られたようですが、あそこで、沖繩に寄られているにかかわらず、沖繩の諸君にはお会いにならないで、何か逃げ回って歩いておられたというようなことも伝えられておるのですが、その辺の事情をもう少しお示し願いたい。
  38. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 往路沖繩へ寄りましたときには、遠くでよくわかりませんでしたが、ターミナルの上のほうに赤旗をたくさん持って復帰連盟その他の方々が出ておられました。一方、飛行機が着きました下では、キャラウェイ司令官、それから大田主席、その他日本の新聞記者の人も出ておられ、そこではハンガーに入らずに、ターミナルの事務所に入らずに、すぐに先方が海軍司令官の部屋で休息させてくれまして、そこで飛行機の待ち時間をしたわけでございます。帰り、いよいよ飛行機が出るときには、飛行機の下で沖繩の新聞記者の人たちと立ち話の——記者会見といいますと大きくなりますが、応酬が数分間ございまして、もちろん大田主席、安里委員長その他にも会いましたので、特にデモの人たちには会わなかったのですけれども、向こうの人たちと全然会わなかったとか、そういうことはなかったわけでございます。帰りは、これはデモの人たちも全然出ておりませんで、キャラウェイ司令官、大田主席等向こう側の方が出ておられまして、それから、そこで大田主席等も一緒にヘリコプターに乗りまして、島の上から状況を見せてもらった、そういうふうな状況でございます。
  39. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 先ほどの沈昌換氏の訪日の問題ですが、これは時期的にいつごろとお考えになっているのか。それから張群秘書長の訪日の問題はどういうふうにお話し合いになったのか。
  40. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) いまだどちらも、原則的に向こうはオーケーしたというような段階、特に張群秘書長のほうは、政府の招待とか、政府べースの旅行というかっこうじゃないような話し方でやっておられました。まだどちらも具体的にきまっておりません。オリンピックのときにしようか、そのときは込むかというような調子で話しておられたのですが、もう空気としては、来られることは既定の事実、ただタイミング等については、追って事務的に協議すると、そういう段階でございます。
  41. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 それから国府政府機関による対日物資の買い付け停止を解除するとか解除しないとかいう問題、これはどういうふうになっていますか。
  42. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) これは向こうで、居留民代表との会合がございましたときに、居留民の方々から、当然関心を持って聞かれたのでございますが、これは、大臣がそのとき答えられましたように、今度は具体的の問題を協議しに来たのではなくて、この改善されたムードの上に立って、現地の大使なり、あるいは東京においてなり話し合うべき問題だという趣旨で答えておられたわけでございます。当時、すぐにもう、大平大臣訪台のみやげとして、これを政府物資買い付けの解除を決定したというようなスペキュレーション、観測記事がございましたが、まだ、きのうまでに入りました公電では、UPI等もございますけれども、公電では、まだそれを否定してきておりまして、方向はもちろんいい方向に行っていると思いますが、いままでのところ、まだ解除されておらないのであります。
  43. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 先ほどの中共問題に対する対処のしかたですがね、これは日本としては、少なくとも政府としても、事実上、貿易をやって事実上の国交を積み上げていって、そして正常な国交関係へ推進するということがしかるべき態度だと思うのですが、その程度のことは向こうにき然としてはっきりおっしゃったのかどうか、その辺の事情を御説明願えませんか。
  44. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 会談それからディナー等の席上を通じまして、大臣のほうからも、日本が自由陣営、反共陣営に属しているという点ではこの国府と同じだけれども、中共問題に対する対処のしかたについては、全面的な対決関係にある国府と、完全民主体制をとっているわが国の間では、当然アプローチのしかたが違わざるを得ないというような点、その他いわゆる政経分離原則による中共との接触の実情、これについては懇々と話されたと承知しております。
  45. 曾禰益

    ○曾祢益君 一点だけ伺いたいのですが、まあ今度行かれまして、中国側が、おそらく政府が予想し、あるいは心配された以上に、何といいますか、やぼったい話、具体的な問題を一々ディスカッスするというのじゃなくて、いわば大所高所の話で、凍りついた空気を改めて、いまあなた言われたような、今後率直に話し合えるだけの素地まで戻したということは、たいへんに両国のためにけっこうだと思うのです。国民政府との親善は、これは日本として当然やっていかなければならないという立場からいって、この点は歓迎していいと思うのです。また、中国の人はなかなか外交がうまいなあという、ちょっとほほえましい感じもしないではありません。この間までは相当こわ面で、局長もあるいはびくびくして行かれなかったにしても、相当薄気味悪いくらいのつもりで行ったところへ、逆手で、やぼなことは言わない、ただし、大所高所からの話としてはかなり耳に痛いようなことをずばずばレクチュアをされておったようであります。それはそれでけっこうですが、そのレクチュアに対する日本側の答えというか、レスポンスというか、これは佐多君ならずとも、立場は違っても、われわれも若干は心配なきにしもあらずです。空気を緩和しようというときに、私どもの考えておるようなそのものずばりで、世界の大勢から説いて、やはり日本としては大陸の中国の事実上の存在を無視はできないのだということをいきなり説けと言っても、これは事実困難であろうし、また、その場合に、日本のほうから進んで、台湾のステータスがどうだ、条約論をぶつなんということを期待するのも少しやぼかもしれません。しかし、お話を承っておると、向こうの一方的レクチュアだけだったのか。やはり、たとえば特に二つの中国は絶対にいかぬという向こうの言い方は、要するに、全然中共否認ということなんですが、そういうことに対する日本の答え、あるいはもう一つ、やはり日本が台湾と結んだ条約そのものの解釈から出てくるやっかいな問題でありますが、日本政府としては、はっきり台湾は最終的処理はまだきまっておらないという態度をとっておられるに違いない。それはいかに台湾政府には耳が痛かろうが、台湾政府の人から見ると原則論としては承服できない解釈であるにせよ、そういう点についての向こうのレクチュアに対して、それに対してイエス、まさかイエス・サーと言ったのじゃないだろうが、その点についてはどういうふうに応酬されたのか。応酬のことばの内容までは言いませんが、その点はだいじょうぶだったのかということですね。むろん、今後さらに沈部長が日本に来るような機会に、さらに日本もじわじわと世界の大勢から説いていく必要があると思います。その点については政府とわれわれと違いがあるとは思いますが、どうなんですかね。われわれが心配するような、あまりやわらかいので、うっかり言質を与えてきたようなことは万々あるまいと思うのですが、いかがでしょうか。
  46. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 大臣も非常に会談のことばに気をつけて、非常に慎重なあれでやっておられました。そう、いわゆる言質をとられるとか、そういうようなあれは全然ございませんでした。レクチュアと申しますか、また今度の会談の目的としましても、特にいろいろグリーヴァンスと申しますか、会談の当初からホスト・カントリーとしての先方からのお話をまず伺いたいという調子で始めておられました。こちらのほうは大体向こうの話に対してコメント、意見を受けて立っておるという、そういうようなあれで進んだわけでありまして、特に積極的にコミットメントとか、そういうようなことには全然なっておらないわけであります。
  47. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 台湾との関係で、日本側から見ると、初めも現在も何も変わっていないじゃないかと思う。今度行ったことによって特によくなったとか悪くなったとか、そういうものじゃなく、日本側の態度ですよ。これは変わっていないようにぼくは見ているのです。そうすると、途中においてああいったように悪くなった。そうすると向こうが、台湾のほうが、日本側の態度について誤解しておったというか、思い過ごして、たとえば日本国連代表権の問題についてどういう態度をとり、あるいは承認などの問題についてどういう態度をとるかということについて向こうが思い過ごしをしていたということになるのか。そうすれば、向こうの問題にしておった点について、今度大平外相が行かれたときということじゃなくして、行かれるに至るまでの間において、台湾側にその点の誤解を解いたとか、そういうふうなことでこうなったのかね。
  48. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 先方の心理解釈の問題になるわけでございますが、ただ、やはり例の統一見解の発表、それから吉田訪台、毛利政務次官の訪台、それから木村大使が今度非常に向こうでよく敬愛また信用されているということを非常に認識したのでありますが、向こうの大家が外交辞令を抜きにしてそのことを言っておりました。やはり、そういう根回しが積み上げられておったところへ画竜点睛と申しますか、外交担当の最高責任者が来てくれて礼を尽くしてくれたという、向こうの外交部長の招宴のときも礼は来往を尊ぶという例を引いてあいさつされたのですが、結局、この根回しができておったところへ外交担当の最高責任者が初めて来てくれた、礼を尽くしてくれた、そこでやはりムードづくりのフィニッシュ・タッチができた、そういうことじゃないかと存ずる次第であります。
  49. 長谷川仁

    長谷川仁君 後宮局長をいじめるつもりはないのですが、この大陸反攻ということばが出たから申しますが、どういうふうにやるという具体的なことが出ましたか。
  50. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) もちろんそういう具体的なあれが出たのじゃなく、大陸反攻はだめだというような、そういうような批判と申しますか、反対は、これは国府としては絶対に受け入れられないのだ、そういう立国の精神としての反攻精神ということを強調されたわけであります。精神論なんです。
  51. 長谷川仁

    長谷川仁君 今度お行きになりまして、台湾海峡の軍事情勢はどういうことですか、そういう話は出ましたですか。
  52. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 全然そこまで具体的な話は出ません。
  53. 長谷川仁

    長谷川仁君 大平さんが帰ってきましてから、二つの中国の問題で質問を受けて言っていることばが、高次元の話をいろいろやったが、その内容はそっとしておいていただきたい、こう言っているのです。どういうことかわからない。これだけ御質問しておきます。どうですか。
  54. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) さっき申しましたように、結局、二つの中国というようなアイデアが、考え方が国府にとって絶対に、何と申しますか、漢賊並び立たずという、そういう考え方で受け入れられないということをるるこまごまと述べられたということで、要点はそれに尽きるわけであります。
  55. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 さっきの質問でぼくの聞きたかった点は、ぼくの見ているところでは、別に前といまと日本側の態度日本政府の態度一つも変わっていないと思うが、しかし、一ぺん悪くなった、今度ムードがよくなったというのには、日本側で何らかの悪くなったというときの是正する措置などを日本態度としてとられるかどうかという点、それを聞いているのです。
  56. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 私は、むしろいま先生の御指摘のように、日本の国府に対する態度というのは全然前から変わっておらないわけでございますが、ただ、先方のほうの目から見た場合に、何か日本が国府をはれものにさわるような態度で遇しているというふうな、そういう気持ちの上からする日本に対する不信感というものがあったことはこれは否定できないだろうと思うのでございまして、そういう感情的な不信感というものが非常に全面的になくなったとはいわないまでも、非常に軽減された。ですから、今後それなら全然問題が起こらないのかと申しますと、その点は、向こうの言論機関等も、あるいは要路の人も言っていますように、いろいろ今後やはりデリケートな情勢なので日華間に困難な問題が起こるだろう、しかしそれを率直な話し合いでともかく話し合う、同意、合意ができなくても、アグリー、ディスアグリーというところまで話し合うという、そういう素地ができたというところを高く買っているようでございまして、やはり今後の日華間の関係というものは、今度できましたムードの上にいろいろと今後出てくる問題をどう具体的に処理していくかということによってやはり左右されるだろう、今度ですべてもうハッピーということじゃないというふうに向こうでもわかっておると思います。
  57. 長谷川仁

    長谷川仁君 もう一点。東南アジアの国家の元首をみんな招いておるわけなんです。今度台湾に行かれて陳誠あるいは張群、あるいは沈外交部長、こういう招待もけっこうですが、もしも本気になって国府の関係をよくしようというのならば、終戦のときに恩義を感じておる日本人の感情からしても、私はなぜ蒋介石総統に日本に来てくれと言わないのかということを感ずるのです。その点はどうなんですか。
  58. 後宮虎郎

    説明員(後宮虎郎君) 国府からは、御承知のとおり、数年前に張群秘書長が総統代理という資格で国賓としてよばれておられるわけでございます。総統はたしか国外に一度も終戦後よばれておらないと思うのでございますが、私まだ経緯は詳しくは承知いたしませんけれども、おそらく総統は出られないということ、それと国賓として、いわゆる総統代理としての張群秘書長の招待で一応済んでいる、そういうたてまえじゃないかと思うのでございます。
  59. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 きょうはむしろ沖繩問題を中心に私は質問をしたいと思っておりましたが、時間もありませんから、次の機会にいたします。
  60. 青柳秀夫

    委員長青柳秀夫君) それでは、本日はこれにて散会いたします。    午後零時五分散会