○
説明員(
齋藤鎭男君)
国連貿易開発会議が先月の十六日終了いたしましたので、
皆さま方にも十分御理解願いたいという
気持ちでやや詳細に
経過その他を御
説明申し上げたいと存じます。
話の
順序といたしまして、この
会議を
開催するに至りました
経過及び
背景等を最初申し上げます。それから、
会議そのものの
経過、それから、
会議における
日本の
立場、それから
会議の評価、それから、今後の問題というような
順序でお話し申し上げたいと思います。
まず、
開催に至りまする
経過でございますが、これは一昨年の五月でございますか、カイロにおいて低
開発国の一部が会合いたしまして、そのおりの発言が
会議の主たる動機となったわけでございます。その後、
国連におきまして、この
会議を開こうという
決議をいたしまして、自後三回にわたりまして
準備委員会が行なわれました。
会議は三カ月ということで、
参加国は結果として百二十一カ国集まったわけであります。この集まりました国は、
国際連合の
加盟国よりも多いわけでございますが、これは、
国連の
加盟国以外に
専門機関に加盟しておって
国連の
加盟国でない
諸国を含んでおります。たとえばモナコとか
分裂国家の一方とか、そういう国を含んでおりますために、
かくも多数の国になったわけでございます。この
開催に至ります
過程におきまして、
プレビッシュという、これはアルゼンチンの人でございますが、この人が
事務局長に
予定されましたので、この人自身非常に南北問題に関心がございまして、
会議に至るまでに低
開発国の
考え方をまとめようというので、御自身が低
開発国を巡回いたしまして、
一つの
結論を得たわけでございます。それがいわゆる
プレビッシュ報告というものでございます。
プレビッシュ報告につきましては、すでに書き
もの等で御
承知と存じますが、
そのものの
考え方の根本は、低
開発国の
貿易条件というものが、
朝鮮事変の終結以来逐次
悪化してまいりまして、しかも、その
悪化の状況は改善される
見込みがないということでございます。
数字もあげておるのでございますが、その
数字の根拠については
先進国の間でいろいろ議論されておりまして、はたしてそれを基礎とすることが正しいかどうか問題でございますが、あげております
数字をとりますと、現在までにすでに約百五十億ドルの外貨の不足を来たしており、それが今後約十年の間にさらに百十億ドル
程度の
赤字になるということで、何とかしてこれを埋めなければ低
開発国の
発展、特に
工業開発というものは不可能になるという前提に立っております。それを改善する
方法として、
プレビッシュは、自己の
報告の中に、一次
産品に関するものと、それから
製品、半
製品に関するもの、それから
融資に関するもの、この三点をあげておりますが、第一の一次
産品につきましては、これは
朝鮮事変以来の一次
産品に関する値下がりに基因するものであって、これは、何らかの
方法でとりあえずそれを埋めなければ将来に向かって改善する
見込みはないということでございます。それから、
製品、半
製品につきましては、これも何らか
処置を講ずる。特に
特恵制度を設けなければ、言いかえますと、そのような非常にドラスティックな
処置をとらなければ、この
分野においても低
開発国は救われない。それから、この
二つの
分野を補う
意味において、普通の
意味の
融資ではこの
赤字は埋まらない。そこで
補償融資という
ことばをつかいまして、すでに
赤字になっているところに、
貿易の
分野では低
開発国と逆に、収益の非常にあがっている、しかも、それが年々増加していく傾向にある
先進国が、その金を低
開発国にトランスファーするという
考え方でございます。すなわち、普通の
意味の
融資ではなくして、
一種のグラントとして金を左から右に移すという
考え方でございます。それが
プレビッシュ報告として出されたものでございますが、自後、
会議におきますものの
考え方というのは、大体低
開発国はこの
考え方によっているわけでございまして、
会議における
事務局の
態度が、いわゆる中止といいますか、
先進国と低
開発国の両方を考えない
立場をとったとよく言われるのでございますが、これは、いま申し上げましたような、
事務局長自身が
一つの哲学的な
考え方でその
立場を固執したというところに原因があったと思われます。
かくて
会議に入ったのでございますが、この
会議は当初から、
経済問題を扱う
会議ではあるけれども、政治的な考慮ないしは政治的な雰囲気が非常に高まる
会議であろうというふうに予想されたのでございますが、確かにそのとおりになったわけでございます。以下詳しく申し上げますけれども、全体として
会議は
先進国と低
開発国との対決という様相を帯びまして、その
会議全体の動きが二週間から三週間おくれまして、したがいまして、当初の
予定では、本
会議で
最終決定をするというそういう
予定の
段階に至りましても
結論が出ないということで、もう
会議幕切れのぎりぎりにおいてようやく
妥協が成立したということでございます。
まず第一に、一次
産品に関する問題でございますが、これは
会議の第一
委員会で審議されました。この問題は、御
承知のように、
関税、それから
輸入割り当て、それから内国税、そういったもので
先進国は
貿易障害を設けている、この
貿易障害をなるべく早い
機会に撤廃してもらいたいという
考え方に出発した低
開発国の案が最初審議されたのでございますが、その中に非常に具体的な問題が触れられているわけでございます。いま申し上げましたような問題について具体的になっておりまして、たとえば
期限を切りまして、一九六五年の末までにそういう
貿易障害を撤廃しろ、そういうようなことも入っているわけでございます。
〔
委員長退席、
理事長谷川仁君着席〕
これは
先進国によりましてはあるいはできるところもあるかもしれませんが、
先進国と申しましても、おのおのみな国情が違いますし、大体来年の末までにそういうものを撤廃しろということは、どの
先進国も事実上不可能という
立場にあったわけでございます。そこで、最初申し上げましたように、低
開発国と
先進国のいわゆるコンプリケーションになってしまったわけでございますが、とうとう
解決つかずで、
委員会におきましてはこの低
開発国の案というものが通ってしまったわけです。
先進国の了解なくして
——了解というのは
ことばが適当じゃないかもしれませんが、
先進国の
協力なくしては、かような
決議を行なっても
現実には実行不可能でございますので、低
開発国の中にもやや反省の色が見えました。それが
最後の
段階におきまして
カイスーニという、議長でございますが、この人が間に立って結局まとめたわけでございます。まとめました案というのは、ただいまの
貿易障害に関する案と、もう
一つ、
商品協定に関する
原則を並べた案があるのでございますが、その
二つの上に
シャッポをかぶせまして、なるべく早い
機会にできるものからこの低
開発国の
考え方を入れてやってくれというような趣旨の
シャッポを上にかぶせて通したわけでございます。それから、
貿易障害の案はその
シャッポの下に入ったのでございますが、これも低
開発国の
案そのものではなくして、
カイスーニさんの案として
——これは主として
アメリカが
中心になってつくった案でございますが、たとえば、ただいま申し上げましたような
期限につきましても、来年の末までというように
期限を切らないで、来年の末までに撤廃してもらいたいというそういう低
開発国の
気持ちも考慮して、一九七〇年までにそういう
障害を撤廃する、そういう案に変わりました。その上に
シャッポがかぶさったわけでございます。
それから、第二の問題は、
製品、半
製品の問題でございますが、これも、
一つは、やはり
製品、半
製品に関する
貿易障害の撤廃に関する問題、これは、やはり
原則を並べたものが
アメリカによって提案されまして、これは通りました。
問題は、
特恵に関するものでございまして、これについてはとうとう
妥協が成立しません。特に
特恵に
反対の
立場をとりましたのはこれは
アメリカでございまして、
アメリカの法制的な国の構造、ないしは
アメリカが従来とってまいりました大きな
意味の
経済問題についての
考え方からいって、そういう暫定的なものはつくるべきではない、やはり
最恵国待遇に基づく
貿易自由の
原則に立った
制度で
世界貿易は進められるべきであるという
立場で
反対を終始一貫いたしました。
特恵について同情的であった国は、
英国とそれから
フランスをはじめとする
EEC諸国でございます。
〔
理事長谷川仁君退席、
委員長着席〕
英国につきましては、御
承知のように、すでに
特恵関税制度というものが
英連邦について行なわれておりますし、
フランスをはじめとする
EEC諸国は、
EEC自体が
フランスの旧
植民地の
諸国との間に特別の
関係を持っておりますので、これも
特恵制度に同情的であったことは無理もないわけでございます。
日本の
立場は、
あとで申し上げますが、そういうことで、
特恵制度についてもついに
意見がまとまらなかったわけです。この間にあって、低
開発国側は
先進国側のそういう分裂した
態度にしびれを切らしまして、低
開発国の
特恵に関する
考え方を打ち出した案を出したわけでございます。これは一〇%以下のものはすぐに撤廃する、一〇%以外のものについては五年間のうちに五〇%、その後
あとの五〇%を撤廃する、
特恵制度としては十年間これを持続するという、非常に具体的な
特恵制度についての
構想でございます。で、これは
最後まで結局低
開発国、
先進国との
妥協がつかなかったわけでございますが、先ほど、
カイスーニさんが、まあこれは
解決と言えるかどうか問題でございますが、その
特恵制度の可否を含めて
専門委員会で研究するというそういう
妥協案をつくりまして、最初申し上げました
貿易障害撤廃に関する諸
原則を並べた案とこの
特恵制度を研究する案と
二つの上にまた
シャッポをかぶせまして、それが
最後の
カイスーニ案として
妥協案として成立したわけでございます。これも第二
委員会そのものにおきましては、低
開発国の案が採決されたのでございますが、本
会議におきましては、いまの、
シャッポをかぶせた案が採決されました。
それから第三の問題は、
補償融資に関する問題でございます。これは第三
委員会で取り扱いましたが、実は最初申し上げました中でお気づきと思いますが、この
会議を通じて最も困難な問題はこの
補償融資に関する問題というようにいわれておりましたが、
現実にはこの
委員会が一番早く片づきまして、むずかしいと思われた
補償融資問題というものが、この
会議における具体的な
成果の唯一のものになったわけでございます。と申しましても、
補償融資という
考え方そのものが承認されたのではございません。これは、
英国その他の
考え方によって、
補完融資——補償融資でなくして
補完融資という
考え方に変えたわけでございますが、そういう
意味では、
補償融資という
考え方は依然として未
解決のままに残っているというように言えるかもしれません。少なくとも
会議におきましては、この問題は
補完融資という形で
解決されたわけでございます。それはどういうことかと申しますと、低
開発国の
工業発展が
貿易条件の
悪化のために
現実に阻害されている、
工業発展ができないという、そういう明らかな
条件が整った場合に、そういう場合にのみ使われるような
基金をつくると、それは第二
世銀の中につくる。で、そういう
考え方で、具体的にはどういう
構想にしたらいいかということを第一
世銀、いわゆる
世銀に研究させるという案、これが
先進国の案でございまして、一方、低
開発国の案は、
考え方は同じなんでございますが、第二
世銀の中につくるというのではなくして、特別のそういう独立した
機関をつくる、そういう
基金を持った独立した
機関をつくる。それを研究する
機関も、その
世銀に研究させるのじゃなくして、やがてつくられるべき
常設委員会において研究すると、こういう案が低
開発国の案でございまして、この
二つの案に、これもやはり
シャッポをかぶせまして、これを
一つの案のようにして採決したわけでございます。したがって、具体的には、
世銀に研究させるのか、あるいは第二
世銀の中に入れるのかということは未
解決でございますが、とに
かく、それで
考え方は、
先進国と低
開発国とが同じ
考え方に立ったということでございます。こういう形でこの問題は片づきました。
それからもう
一つ、この
融資問題についての
成果は、これも
新聞等で御
承知の、低
開発国に対する
融資を
各国の
国民所得の一%にできるだけ近づけるようにすることを
目標として
融資をしていくということでございます。
各国が
国民所得の一%に必ず持っていけというのじゃなくして、そういう
目標に向かって努力する。しかも、それも一%にできるだけ近づけるようにということでございます。これは
フランスの
考え方が
中心であって、ただ
各国は、
国民所得の一%といいますと、国によっては、
国民所得、
平均国民所得と、それから一人
当たりの
国民所縁をとるかによって、結果が非常に違ってまいりますので、
各国とも非常に、一人
当たりの一%というならいいけれども、
国民所得全体の一%というのでは困ると言う国もございまして、まとまりにくかったのでございますが、これは幸いに
日本が早く踏み切って、この案をむしろ推進するような形になりましたために、とんとん拍子に片づいて、
最後にはこれは満場一致で採決されたような次第でございます。
この
二つの案が、
融資問題についての具体的な
成果になりました。
それから、第四の問題は機構問題でございます。これは
融資問題とともに非常に
解決困難な問題として考えられておりましたが、案の定、この問題につきましては一番
最後までもめまして、一応
妥協案はできましたけれども、一番大事な点について未
解決のままに残りました。これは
国連ウ・タント事務総長のもとに
特別委員会をつくって、その一番困難な問題は今後きめる、そうして
国連総会、第十九回
総会に
報告するということになりました。
機構問題というのはどういう問題かと申しますと、第一は、独立した
貿易開発に関する
機関をつくるか、
既存機関を利用してやっていくかという、その将来つくるべき
独立機関を頭に入れて基本問題を考えるかどうかという点が第一の問題でございます。
それから第二の問題は、そういうものを将来つくるにしても過渡的にどうするかという問題で、これはこの
貿易開発会議そのものをどうするか、その下につくるべき、まあ
常設の
委員会の
構成をどうするか、それから
事務局をどうするかという諸問題でございます。
第一の、将来の
機関との
関係につきましては、
先進国は、これはそういうものをつくるのに
反対の
立場をとりました。それから、低
開発国と
共産圏諸国は、そういう
独立機関をつくることに賛成の
立場をとりました。これは、問題は非常にむずかしい問題でございますけれども、低
開発国側もすぐこれをつくるということは言っておりませんので、将来そういうことを、そういう方向に行くということを考えるだけでいいというような考えにだんだん変わってまいりまして、したがって、この
問題自体は、そんな複雑な問題にならないで済んだわけでございます。
先進国も将来そういうものをつくったほうがいいかどうかということを今後検討するならかまわないと、で、この問題は終わりました。
それから、
事務局につきましては、低
開発国側は、相当大きな
事務局をつくることを考えておったようでございますけれども、これは
国連本部との連絡によりまして、いまの
国連本部の
事務局の中に
事務局をつくる、それで、その大きさをどうするかということはこれは
国連事務局当局と相談をしようというようなことで、
事務局の問題もおさまりました。
結局、
最後まで残りましたのは、
貿易開発会議はつくるにしても、その
あとの
常設委員会をどうするかということでございます。で、
常設委員会についての
問題点というのは三つございまして、第一の
問題点は、その
常設委員会の
構成の問題です。何カ国くらいで、
——先進国と
後進国の割合をどうするかという
構成の問題、それから、第二の問題は
投票制度の問題、それから、第三の問題は
国連の
ECOSOC——経済社会理事会との
関係をどうするかという問題でございます。
第一の
構成の問題につきましては、
先進国のとりました
立場というのは、これは
先進国の
協力なくしては実際に
貿易開発問題というのは
解決しないのだから、ぜひ
先進諸国のうちの特に
発達程度の高い国は、
常任制にしたい、十一の国を予想して、その十一の国の
常設制を考えたわけでございます。これに対しては、もちろん低
開発国は
反対いたしました。
それから、第二の
投票制度につきましては、
先進国は二重
投票制度というものをつくる
立場をとりました。それは多数決できめるだけでなくして、
先進国の
過半数ないし三分の二が同時に賛成することを
条件とするということでございます。これも低
開発国はもちろんそういうことに
反対したわけでございます。これは
一種の拒否権的な
考え方になりますから、これは当然
反対されるわけでございます。それから、
経済社会理事会との
関係につきましては、
先進国は
経済社会理事会において
貿易開発関係の機構が決定しました
事項を、さらに
経済社会理事会がある
程度調整できる
立場にしようといたしました。これに対しては、もちろん低
開発国は
反対したわけでございます。そして非常にこれはもめたのでございますが、結果として落ちつきましたことは、
構成の問題につきましては五十五カ国をその
常設委員会のメンバー・カントリーにするということ。この内訳は、
アジア、
アフリカ諸国、これは
地域——いま申し上げましたのはちょっと不正確でございますが、地域とそれからその
貿易の
程度といいますか、
後進性の
程度等を加味したような
考え方で、第一
グループと書っております
——主としてこれは
アジア、
アフリカの低
開発国でございますが、これが二十二でございます。それからヨーロッパ、
アメリカ、豪州、ニュージーランド、
日本を含めた、いわゆる
西欧諸国と
日本を含めた
先進国の
グループ、これを第二
グループとしました。これが十八でございます。それから、ラテン・
アメリカの
諸国は、ほかの低
開発国と分けまして九カ国。それから、
ソ連圏が六カ国ということで、全部で五十五カ国から
構成するということになりました。第一
グループから第四
グループまでございます。
それから
投票制度につきましては、
常設委員会は
過半数、それから
貿易開発会議そのものは重要問題は三分の二、そのほかは
過半数ということでございます。ただし、二重
投票制という
先進国の
制度をとらない
かわりに、特定の国の
経済に対して非常に重要な影響を与えるような
議案については特別の
調停手続をとることを妨げないということでございます。すなわち、
先進国はそういう場合の
処置として、
先進国の少なくとも半分が
反対したときにはそういう
議案は成り立たないというようにしようとしたわけでございますが、その
制度をとらない
かわりに、何か特別なことができるようなことを、何か
常設委員会の中、ないしは
常設委員会とは別に、そういうことを考えてもいいということでございます。非常に抽象的でおわかりにくいかと思いますが、
現実にどういうことが予想されるかわかりません。たとえば、この問題の
解決の案としてまた二重
投票制度というものが出てくるかもわかりませんし、あるいはまた、討議の
過程において
一つサゼストされましたことは、そういう問題については役票を延期する、その場で役票しないで延期するる。その延期する場合の手続をきめるというような
考え方もあるわけでございます。したがいまして、そういう幾つかの
考え方を含めまして
ウ・タント事務総長のもとに小さな
特別委員会をつくってそれを研究するということになったわけでございます。これはまだその小
委員会はできておりません。ただ、これを十九
総会に
報告する必要がございますので、それまでの間において決定されると思います。これが機構問題でございます。
それから、なお、
委員会としては、いまの
基本問題——第四
委員会で扱われましたが、もう
一つ第五
委員会というのがございます。第五
委員会というのは、
貿易原則を検討する
委員会でございまして、これは第一から第四までの
委員会においていろいろ審議されましたことに直接
関係がございますので、小
委員会の審議が終わるまでは具体的な決定をできなかったために、非常に
委員会の
活動がおくれておりました。しかし、これは中身というよりも、そういう一般の
原則問題を討議する
委員会でございますから、その
結論もたいして問題になるものはございませんでした。かような第一
委員会から第五
委員会までの
活動の
経過でございますが、
最後の
段階において、いずれの問題につきましても一応の
妥協が成り立って、そうして、これらの
妥協の結果は、最終的には
最終議定書というものに集約されまして、それは、
会議をどこでいつからいつまで開いて、どういう
構成でやったというような一般的な
事項をあげまして、それに
会議できめました
決議を加える。さらに、その
決議を採決するにあたっていろいろ加えられました留保それ他の
意見を収録したものをこれに加える。それから、各
委員会の
会議の
報告をもこれに加えて、全体を
一つの
最終議定書という形にして、これもまた採決したわけでございます。これは
日本ももちろんこれに署名いたしました。これは今後十九
総会に
報告されまして、十九
総会の承認があってはじめて有効になるわけでございます。
以上
会議の
経過でございますが、この
会議に臨みました
日本の
立場について触れていきたいと存じます。
まず、この
会議に対する
日本の政府の
考え方でございますが、いずれにしましても、この
会議はどうなるかということを予想するのが非常に困難な
会議でありましたと同時に、一方では、もう非常な南北の大きな対立を来たすであろうということも予想されましたので、具体的にこういう問題に対してはこうしろというはっきりとした
立場をとれなかったわけでございます。したがいまして、大体の
日本政府の感じを代表団に伝えまして、個々の重要な問題についてはそのつど請訓をするような形にいたしました。そうして、そういう抽象的といいますか、
日本のものの
考え方の中に根強くありましたことは、
日本の特殊性でございます。これはそう強調することがいいか、悪いか別にいたしまして、
先進国といいましても、おそらくほかの
先進国にないような特殊性がある。それは、御
承知の
日本の農業と中小企業の存在でございます。すなわち、外国との
貿易というものにおいて、
日本が緩和した
立場をとるときに一番大きな影響を受けるこの
二つのものをかかえた
日本としては、どうしてもいろいろな問題についてそれを低
開発国の言うままに受け取れない。受け取るにしても、いろいろ留保をつけざるを得なかったというのが事実でございます。そこで、そういう
日本の
立場をもう少し分析してみますと、
日本はまず
先進国であるということです。もちろん、
アジア、
アフリカの一国でございますが、しかし、今度の
会議においては、そういう地理的な対立というものではなくして、
先進国と低
開発国の対立ということでございます。
日本はその間にあって、まん中の中進国というような
立場はあり得ないわけでございます。言いかえますと、最初の
プレビッシュの
考え方のことを申しましたときに、与えるか受けるか、どちらかの
グループしかないわけでございます。
日本は受ける
立場にないのでございまして、
日本の
貿易額というのは六番目か七番目に位しております。非常に高度の工業国となっておりますので、与えるほうに入るわけでございます。それは
先進国としての
立場でございます。
それに第二に、初め申し上げました特殊性というものが加わりまして、世にいわゆる中進性的な
立場があったということが第二。
第三に、これは前にも触れましたように、
英国とか
フランス等は、低
開発国との間に特殊な
関係を持っておりますために、その
立場はわりあいにフレクシブルであり得たわけであります。言いかえますと、
特恵についても経験を持っております。それから、そういう国の
立場を国内の政策の中に入れなければ政治的に非常に問題を複雑にするということで、
日本などのように、何といいますか、はっきりとした
態度じゃなくして、非常にフレクシブルな
態度をとり得たということが第三でございます。
それから第四は、
日本は非常に大きな輸入国であるということで、輸入制限の撤廃というものをする場合に、非常にその害といいますか、そういうものを受けやすい
立場にあるということで、そういう輸入国の
立場を十分考慮してもらいたいということをどうしても言わざるを得なかったということでございます。
こういう四つの
日本の特殊な
立場からいきまして、
日本の
考え方なり、
会議においてとった
態度というものは、ほかの
先進国とちょっと違っに事情にあったということが申せると存じます。
それから、次に
会議の評価でございますが、
会議を通じて感ぜられましたことは、第一に、低
開発国側が七十五という
数字の圧力でもって集団行動をとったということでございます。これは、初め申し上げましたように、何かそういうドラスチックな
立場をとらなければ
貿易条件は改善されないという、そういう悲壮な
気持ちもあったのでございましょうか、従来の
会議に見られなかったような非常に大きな
数字による圧力、七十五カ国の集団行動というものが非常に目立ったわけでございます。これに対して、
先進国もまとまったわけでございますが、数からいって、これはもう問題にならないわけでございまして、低
開発国が七十五でございまして、大体
ソ連圏は
貿易上特殊の
立場にございますので、低
開発国に協調する場面が多かったのでございますが、この約十カ国の共産圏の国を入れますと、優にこの
会議の三分の二以上をとれるわけでございまして、これの団結することによってあらゆるものが採決に付されてしまうという事情にあったわけでございます。この集団行動と、先進、低開発の対決というのが非常に目立った点が第一でございます。
それから、第二の点は、最終的には
妥協をいたしましたけれども、具体的な問題の
解決をほとんどすべて
あとに回しているということでございまして、したがって、やや具体的な結果を得ましたのは、先ほどの
融資問題だけでございまして、その他の問題は
原則をきめるか、あるいはその
原則すらも将来きめるということで、問題の
解決を
あとに引き延ばしたという点が第二点でございます。ただし、この低
開発国が、非常にドラスチックな
考え方でございますけれども、彼らの
考え方を十分に出したという点は、
会議のやはり私は
成果だと考えます。どういうことを考えているかという点が比較的はっきりいたしましたので、今後この南北問題を考えるにあたってのいい基準がそこにできてきたという点は、あわせて考える必要があると存じます。私としましては、その
二つの点を
会議の評価の結果というように考えております。
それから
最後に、
貿易開発会議は終わりましたけれども、今後どうなっていくかということで、これは先ほどちょっと触れましたように、
国連総会に
報告されますが、その前に、
経済社会理事会がジュネーブでこの十三日から開かれますが、まずそこにかけられて、それから十九
総会にかかります。その承認を得て各
議案が成立するわけでございますが、今後は、いまの機構問題の
最後の点が
解決されれば、その機構によって取り扱われていくわけでございます。次の
貿易開発会議は、これは三年に一回ということになっておりますが、次の
会議だけは一九六六年の上半期ということにきめられました。大体それを
目標にしていろいろなことが進んでいくというように考えます。
日本といたしましては、この低
開発国によって出されましたものの
考え方をもう一度分析してみて、この中で
日本としても
協力し得るものは私は建設的に対処したほうがいいと考えますと同時に、
妥協案はこれはやがて実施に移されますので、その実施の措置というものを今後考えていく必要がある。これが今後の問題でございます。
時間を非常にたくさんいただきましたが、大体そういう
経過でございます。