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磯崎説明員 お許しを得まして私からただいまの
山口先生の御
質問にお答えいたします。ちょうど
羽島駅の問題のございますところは、私は
営業担当の
常務理事をいたしておりまして、この辺の
事情はよく知っておるつもりでございますので、私から申し上げます。多少詳しくなりますが、二点につきまして御
説明させていただきます。
まず、この問題が世間でいろいろ誤解があったことは、私のほうとしては非常に残念なことでございますが、事柄をわかりやすくするために
二つに分けて御
説明させていただきたいと思います。第一点は、ただいまの御
質問の
名古屋と関ケ原の間の
東海道新幹線の
ルートの問題であります。第二点は、その
ルートの中に
羽島という駅をつくることになった問題でございます。この二点につきまして御
説明申し上げます。
第一点の、
名古屋と
関が原と申しますか、
米原の間の
ルートにつきましては、実は、
昭和三十三年の夏ごろから、まだ正式に
新幹線をつくるかつくらないかきまる前から、
航空測量だけはいたしておりました。
航空測量の結果、
ルートといたしましては、
名古屋から鈴鹿峠を越えまして
京都に入る
ルート、もう
一つ、それと非常に近いところで、
名古屋から八風と申しますところを通りましてやはり
京都に抜ける
ルート、もう
一つは、濃
美平野を真横に横切る
ルート、この
三つの
ルートを
航空測量で大体
測量いたしまして、このいずれにすべきかということを検討したわけでございますが、前二者につきましては、非常にトンネルが多く、
工事も非常にむずかしいということで、
事務当局といたしましては、前二者を捨てまして、もっぱら濃
美平野を横断するという案で具体的な検討を進めてまいったわけでございます。その後、
昭和三十四年になりまして、徐々に
東海道新幹線の問題が
予算化され、また、各地におきまして地上の
測量を開始したわけでございますが、私
どもは、図面で引きました
枇杷島と申します
名古屋の少し北から
関が原の入り口までまっすぐ直線で結ぶ
ルート、これはちょうど、御
承知のとおり、
揖斐川、長良川、木曽川、この
三つの川を横断する
ルートでございまして、
地質調査その他の結果、ちょうどたまたま現在
工事中の
名神国道もほとんどそれに沿ってつくられるという案がございまして、建設省といろいろ検討いたしました結果、ことに
揖斐川を渡りました左側の
地域が非常に地盤が軟弱である、そこにことに
鉄道線路のような重いものをつくることは、将来非常に
運転上危険があるということで、
枇杷島から
関が原をまっすぐ貫く
ルートは技術的に不可能である、ある程度これを北へ寄せなければいけない、こういう
結論が出たわけでございます。ちょうどそのころ、先ほど
山口先生の御
質問にございましたとおり、
岐阜県といたされましては、その枢要な
地域は全部、何と申しますか、いま申しました
ルートのずっと北のほうにございまして、現在の
東海道線は、
名古屋からほとんどまっすぐ北上いたしまして、
岐阜から西に行くという、ちょうど三角形の二辺を通っておるわけでございますが、
岐阜の
方々といたされましては、これをどうせ北へ回すならば、
名古屋から現在の
東海道線にほぼ沿った
北方迂回の
ルートをぜひ通ってほしいという非常に強い御要望がございました。
昭和三十四年から三十五年にかけまして、ほとんど一年に近い間この問題が片づきませんで、現在なおあの
地域の
工事が若干おくれておりますのは、実はそのことも
一つの原因でございます。そのころ非常に
地元出身の諸
先生方にもいろいろご
あっせん、お骨折りをいただいたのでございますが、
昭和三十五年の暮れから三十六年にかけまして、いよいよ私
どもといたしましても
工事の期間その他から言ってぎりぎりのところまで追い詰められてしまいまして、どうしてもこの一、二カ月のうちには
ルートをきめなければいけない、こういうところまで差しかかったわけでございますが、その際、
大野先生は、
地元の言っておることも非常に無理はない、確かに
岐阜県としては南のほうをちょっと通られただけでは困る、しかし、やはり
国鉄全体の
計画、国全体の
計画から見れば、なるべくまっすぐ通ったほうがいいと思う、したがって、
自分としては、
岐阜県の
皆さん方には非常に気の業だと思う、すまぬと思うけれ
ども、やはり
国鉄の
計画のとおり技術的にぎりぎりの線まで北へ上げるだけでよろしい、そうすべきでないかというご
あっせんをいただいたのが、たしか
昭和三十六年の当初であったというふうに記憶いたしております。そのご
あっせんによりまして、また諸
先生方の御同意も得まして、現在
工里中の
ルートにはっきりきまったわけでございまして、先ほど
山口先生のおっしゃったテレビの中の某氏の発言は全く事実と逆である、
地元の方にむしろ不自由を忍んでいただいて、
国鉄全体の
計画に非常に喜んで、しかも技術的に最も正しいという案に御賛同願ったというふうに私は確信いたしておる次第でございます。
それから、第二の点でございまして、その
ルートの中に
羽島という駅をつくった問題でございます。これは多少技術的にこまかくなりましてたいへん恐縮でございますが、ことしの十月一日から私
どもはとりあえず三百六十両の電車で
東海道新幹線の
運転を開始することにいたしておりますが、間もなく
昭和四十年度からはぜひこれを四百両にふやすことにいたして、現在
ダイヤを引いておるわけでございます。そういたしますと、
特急を超
特急が追い抜くという問題が起きてくるわけでございます。その追い抜く
場所は、実は
名古屋で追い抜くことが一番多くなる。これは
ダイヤ構成上そういうことになるのであります。
名古屋で
特急を超
特急が追い抜く
ダイヤになるわけであります。ところが、
名古屋の
新幹線の駅は、御
承知のとおり、現在の
名古屋駅にぴったり張りつけてつくることになっておりますので、もうそれだけの追い越す線をつくる余地がないわけでございます。かろうじて一線だけ
追い越しの
設備をつくりましたが、それ以上の
設備ができない。何とかして
名古屋からあまり遠くないところで
追い越しの
設備のできるところがほしいということをかねがね
運転技術上から検討しておったわけでございます。ちょうどそのとき、やはりその
お話を
大野先生に申し上げまして、何とか
岐阜県の中でこういった用地の提供をしていただけないものでしょうかというふうな
お話も申し上げましたが、
先生とされましては、何としても、
岐阜県を
新幹線が通過する以上、やはり
岐阜県に一カ所くらい駅があったっていいじゃないか、静岡県にもあり、
愛知県にもあり、神奈川県にもあり、全部ある、
岐阜県だけ通って駅がないという話はないじゃないかという
お話と、たまたま私のほうの
運転上の
要請とが合ったわけでござまして、そうして、
地域といたしましては、ちょうど
名古屋と
米原の中間より少し
名古屋寄り、それで
岐阜県の中、
割合に
土地代も安いということで
羽島というところになったわけでございます。私
どもといたしましては、私
どもの非常に事務的な強い
要請を、むしろ
岐阜県側に無理をお願いして相当広大な
土地を
割合に安く提供していただいたというふうに考えておる次第でございますし、また、
大野先生とされましても、
岐阜県の
ルートの問題で非常に苦心されておりましたのを、駅を
一つつくることによりまして、
岐阜にも、多少の距離はあるけれ
どもバスその他で行けるというふうなことで、
岐阜県民の意思もある程度代表なすってあそこに駅をつくる、この
二つの、私
どもの
意見と
先生の御
意見とぴったり合って
羽島ができたというふうに私は考えておりまして、現在名前は
岐阜羽島という駅で開業させていただくことになっておるわけでございます。
以上、二点についてやや詳しく申し上げましたが、私
どもといたしましては、おかげさまで話で十月一日からこの世紀の大事業が一応完成いたします際に、いろいろ諸
先生方に
ほんとうにお世話になってまいりましたが、ことに
大野先生には、
岐阜県通過に際しまして
ほんとうに並み並みならない御
尽力をいただいたことに対しましては、ただただ感謝の
ことば以外に何ものもないということを申し上げて、御答弁にかえる次第でございます。