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1964-03-13 第46回国会 衆議院 内閣委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年三月十三日(金曜日)    午前十時三十四分開議  出席委員    委員長 徳安 實藏君    理事 伊能繁次郎君 理事 辻  寛一君    理事 内藤  隆君 理事 永山 忠則君    理事 八田 貞義君 理事 石橋 政嗣君    理事 田口 誠治君 理事 山内  広君       岩動 道行君    佐々木義武君       島村 一郎君    高瀬  傳君       塚田  徹君    綱島 正興君       野呂 恭一君    藤尾 正行君       保科善四郎君    松澤 雄藏君       湊  徹郎君    渡辺 栄一君      茜ケ久保重光君    稻村 隆一君       中村 高一君    村山 喜一君       受田 新吉君    山下 榮二君  出席政府委員         内閣法制次長  高辻 正巳君         総理府総務長官 野田 武夫君         総理府総務副長         官       古屋  亨君         総理府事務官         (宮内庁長官官         房皇室経済主         管)      小畑  忠君  委員外出席者         宮内庁長官   宇佐美 毅君         総理府事務官         (宮内庁長官官         房参事官)   井下田孝一君         専  門  員 加藤 重喜君     ————————————— 本日の会議に付した案件  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内  閣提出第一〇号)  国事行為臨時代行に関する法律案内閣提出  第五五号)      ————◇—————
  2. 徳安實藏

    徳安委員長 これより会議を開きます。  皇室経済法旋行法の一部を改正する法律案国事行為臨時代行に関する法律案の両案を一括して議題とし、質疑を行ないます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。稻村隆一君。
  3. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 憲法第四条二項に「天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為委任することができる。」と規定してあります。それによって国事行為臨時代行に関する法律案が今回提案されたのでありますが、しかし、これは国事行為委任することができると規定してあるのであって・どうしても委任しなければならないというわけではないのであります。あえて代行を置かなくてもよいわけでございます。またいままで置かなくとも、何ら支障がなかったのであります。この点につきまして、政府とそれから宮内庁長官の御意見をお聞きしたいと思うのです。
  4. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 お答え申し上げます。  新憲法が成立いたしましたときに、いまお述べになりましたように、第四条二項に国事行為委任規定が設けられたのでございますが、これはそのとおりに憲法に基づく事項としてきめるべきであったかもわかりません。しかし、当時の事情はよくわかりませんが、その後そのままになっておりました。いまお述べになりましたとおり、具体的に必要な事項は過去にもございませんでしたし、また、近い将来に起こるというはっきりしたものもございません。御承知のとおりに、憲法摂政を置くということのほかに、この条文を設けておるわけでございます。そういう趣旨から考えまして、摂政を置くに至らざる程度の心身の故障が天皇に起こる、あるいは海外旅行をされるような場合が起こるかもしれない。御病気になりますことを期待いたしませんし、望まないわけでございますが・  いただいままでは天皇は非常に御壮健でございましたけれども、将来のことにつきましてはだれも保証できない点も考えなければなりません。また、これはいまの陛下のみならず、将来にわたる一つ制度として、憲法にあります以上は整備しておくべきではないかという考え方から、過去の国会委員会においてもそういう御議論も一部から出ておりますし、政府といたしましても、こういう機会に一応制度として整備しておこうということでございます。  もう一つは、この規定は、仰せのとおりに「委任することができる。」と書いてございますが、この法案が成立いたしましても、きわめて簡単に、この法案をどういうささいな場合でも適用するとは考えておりません。真にやむを得ざる場合のみにこれを適用すべきものだ、運用につきましては・私どもはそういう考え方をいたしておるわけでございます。
  5. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 長官の御答弁の趣旨は私もよくわかりますけれども・ただ、臨時代行というものはなるべく置かないほうがいいだろう、私はこう考えるのでございます。というのは・たとえば明治憲法のときでありますけれども明治憲法では、天皇臨時代理機関に関する規定はなかったのであります。しかし、監国制度考えられておったわけであります。これは伊藤公皇室典範義解の中に、摂政のほかに、天皇が一時の御病気もしくは海外に、国境の外にあるときには、大宝令に従って監国を置くことができるということを注釈しております。ところが、あの長い明治憲法の時代におきましても、一度も臨時代行を置いたことはない。それだけではない。たった一度摂政を置きました。大正天皇が非常に病弱でありましたから、そこで今上天皇が皇太子のときに、一度摂政として国政に当たられたことがありますが、それ以外は、臨時代行というものは全然置いておらない。これは明治憲法のときには、天皇が元首でそれから統治権総攬者であって、天皇権力的地位というものは一日もゆるがせにすることができない重大なものであったのです。それでも臨時代行監国というものを置いたということはないのです。それは私は・明治憲法創定者である元老、重臣が、万一のことを考えての深い政治的な配慮の結果だと思うのです。臨時代行などというものを置かないほうが、まさかの場合にも危険がない、こういう考えから、病弱な大正天皇のときにおいても、たった一度摂政を置いただけであって、監国というものを置いたことは一回もない、こういうことに私はなっていると思うのです。そこで、いまの憲法のもとにおきましては、もちろん天皇国政に関与しない、統治権を持たない。しかし、憲法の運営の上におきましては、天皇地位というものは非常にいまの憲法でも重大なんです。憲法第七条におきまして、「天皇は、内閣助言承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」こういうことの次に、「一 憲法改正法律、政令及び条約を公布すること。二 国会を召集すること。三 衆議院解散すること。四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使信任状を認証すること。六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。七 栄典を授与すること。八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。九 外国大使及び公使を接受すること。十 儀式を行ふこと。」こういうことになっておりますが、この一から四までの問題は非常に重要でありまして、単にこれは儀礼的であるなどということではなくして、天皇がこういう場合に国会を召集するとか、あるいは衆議院解散するとか、あるいは憲法改正条約を公布するとか、こういうことに天皇海外旅行されているなどということは考えられないことであります。もしこういうふうな重要な問題があるならば、天皇はかりに海外におられても、飛行機があるのでありますから、お帰りにならなければならぬ。昔と違って交通がいまは非常に発達しておりますから、お帰りにならなければならないし、天皇がおらないで、臨時代行によってこういうふうな国事行為が行なえるというようなことは、私はあり得ないことだと思うのです。それから、そのほかの儀礼的な問題というものは・天皇がかりに御病気であるとかあるいは海外に御旅行になっておるようなときは、緊急の問題じゃありませんから、延ばしてもよろしいのです。そう  いう点を考えますと、ほとんど臨時代行などというものは要らないのじゃないか、そういうことをしないほうが、憲法を運営する上において正しいのじゃないか、そういうことを考えますときに、臨時代行を置くということは、はなはだこれは感心しないことだと私は思うのです。ですから、これは実際過去の明治憲法のときですら、天皇があのような絶大な権力をお持ちのときですから、必要でなかったのであるから、私はいまこういうふうなことは必要じゃないと思う。それはここには書いてはいかぬ、書くのはいかぬということまで強い意味ではありませんけれども臨時代行などというものはなるべく——むしろ絶対に置かないほうがいいのじゃないか、私はこういうふうに考えるのですが、その点につきまして、政府の御見解を承りたいと思います。
  6. 野田武夫

    野田政府委員 ただいま稻村さんの御意見一応ごもっともな節もあるようでございますが、しかし御承知のとおり、憲法第四条第二項に基づきまして、委任による臨時代行を置くことができる。そこでいまお示しの天皇国事行為でございますが、これは明治憲法とは本質的に違っておりまして、天皇国事行為は、全部内閣助言承認によることでございます。したがって、その責任は全部内閣がとっておるのでございます。旧憲法におきましては、これも御承知のとおり、天皇大権というのがございまして、統治権その他いろいろ天皇大権を持っておられた。そこで明治憲法のときの天皇制と申しますか、それと新憲法に基づく天皇制というものは、これも御承知のとおり、たいへんな違いが出てまいりました。そういこうことでございますから、天皇臨時代ということにつきましては、私ども考えはやはり天皇身体障害を来たした、そういう事故がある、また海外旅行等をなさる場合の、いわゆる国事行為ができない場合がある。そこでこれを違った角度から見ますと、やはり天皇を、ただ全然臨時代行も置かないで、すべてのことを拘束するということは、これはどうかと思うのであります。やはり天皇も、できるならば海外旅行をなさることも決して悪いことではない。また御病気であれば、これはだれでも普通のからだでございますから、それが端的に言えば三日や五日の御病気でございますれば これは何も臨時代行を置くことはございませんが、やはり多少長期にわたるという場合には、ひたすら御静養願って、国事行為代行によってしていただくというようなことは、憲法上もこれを認めておりますし、また国民といたしましても、いまの国家象徴である天皇に、そういう場合には専心御療養願うというようなことでございまして、これをあまりいろいろ政治的にのみ解釈いたしますことよりも、人間的にも考えるし、また天皇の御生活の中にも、いま申しましたようなことがあっても決して悪いことではないというようなことを考えますと、憲法に許されたることでございますから、そういう場合を想定して、そうして一応臨時代行制をつくったほうがいいのじゃないか。これはいま宮内庁長官も申されましたとおり、何もこの代行規定ができたから、天皇がすぐ海外おいでになるとか、あるいは御休養になるというようなことは全然ありませんけれども、そういう場合は幾らも想定ができるから、その場合にあらかじめ用意しておくことがやはり妥当ではないかと考えましたのが、今回この代行に関する法律案を提出した理申でございます。政府といたしまして、今日の場合、天皇のいわゆる近況をどうなさるとか、どういうことか起こるということに何も特別な考慮を払っておりませんし、ただこういう場合があり得ることを想定して、一応そういう制度をつくっておいたほうがいいじゃないかというようなことが、この法案を提出した理由でございます。
  7. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 私は、むろん明治憲法と今日の憲法が根本的に違っておることくらいは知っておるのですが、ただ明治憲法のように、天皇権力があのように広範で絶大である、そして一日でも天皇地位がゆるがせにできないときでも、臨時代行を置かなかった。置けたけれども置かなかった。そういうことを私は言っているわけです。今日の憲法では、天皇国政に関与しない、国事行為だけをやるのだから、それなら臨時代行を置いたほうがいいかというと、さっき言ったように、国会解散とか、そういう重大な問題のときに天皇臨時代行であるというようなことは、私はいかぬと思うのです。そういう場合においては、海外旅行されておっても、帰って来ていただかなければならない。儀礼的なことであれば、天皇がお帰りになるまで延ばしてもよろしい。またかりに御病気がおなおりになるまで延ばしてもよろしいけれども、しかし・国会解散とか、あるいは条約を公布するとか、こういう憲法を運営される上に特に重大なことに対しては、これは臨時代行をしてやらしめるということは、私はいけないと思う。国政には関与しない、国事だけであるけれども天皇国事行為というものは、非常に憲法上重大であると私は思うのです・これは決して軽んずるわけにいかないと思うのです。そういう意味において、私は代理行為の必要はほとんどないじゃないかと思う。もし必要であるとすれば、天皇のお仕事が非常に激務である。そこで、かりに御病気のときでも御執務をなさらなければならぬというようなことになってはお気の毒だから、そこで臨時代行を置いたほうがよろしいという意味なんですか、政府見解は。
  8. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 重ねて御質問のございました御趣旨につきましては、私どももお気持ちにおいて非常に御同感申し上げるところでざいます。天皇象徴としておられることの重要な御地位でございますが、憲法第七条によってその国事行為というものを明瞭に規定しておる。そういうことでございますから、これを軽々に他に御委任になるというようなことはもうできるだけ避けるべきであるという趣旨においては、私どもも全く御同感なんであります。ただ、憲法摂政のほかにこういった四条二項を置いたということを考えてみますと、これは申し上げるまでもないことでありますが、摂政を置くというときには、天皇意思にかかわらず、皇室会議の議によって、皇室会議できまるという制度になっております。こちらの委任は、天皇の御意思がはっきりしている場合−内閣助言承認によりますけれども天皇も御了承になって委任委任ということは、天皇委任ということをお考えになるわけで、ですから、摂政の場合とは根本的に違います。摂政の場合は、天皇意思能力がむしろほとんどおありにならないような場合を想定しているのではないかと思われる。そういう違いがございますので、仰せのように、国家として重大な国事行為というものにつきまして、かりに例をおあげになりました国会解散というきわめて重大な事項につきまして、内閣助言に基づいて詔書をお出しになるという場合にも、その事柄を御承知の上で御委任になるという形になろうかと思います。そういうことでございますから、象徴たる天皇の御意思が全然入らない場合と非常に違ってまいるというふうに私は考える。しかしながら、いずれにいたしましても、たとえて申し上げますと、ただいまお正月の祝賀の儀式憲法七条の天皇儀式になっておりますが、かりにおかぜを召してお出ましになれない、これによりまして、他の方がお受けになるということまでは、私ども考えておりません。それはむしろお休みになっていいんじゃないかというようなくらいに考えております。ただ、法律的に緊急を要する事項というような場合で御自身でおできにならないような場合というようなことが、将来あり得るのではないか。さっき仰せのとおり何日かお待ちをしておればいいという場合であれば、お待ちすればよいと思います。そういうことは国家全体の緊急性その他を考え政府が判断なさることでございましょうが、それにいたしましても、私どもといたしましては、ただ安易な考えでこの法律を適用するというふうには考えたくない、真にやむを得ざる場合に将来限定していきたいというふうに私ども考えておるわけです。海外旅行につきましても、いまのようなことで一なかなか重要な問題も長期にわたる場合には起こってまいろうかと思います。そういうことがいつ起こるかわかりませんが、御旅行おいでになること自体について、そういう情勢考えおいでになるべきであろうとむしろ思います。不幸にして御旅行中に起こりますれば、やはり天皇の御意思を伺って御委任ということをせざるを得ないというのが、この法律のたてまえだと思います。御趣旨は私どもほんとうによくわかりますし、天皇の重大な御地位から、簡単に御委任をなさるということは将来考えたくないというふうに思っております。
  9. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 あなたのような慎重な方がおられるときには安心できますけれども、だんだん軽く臨時代行が行なわれるということになる。それをおそれるわけです。それだから、いままで必要なかったのだから、何も置かなくてもいいのじゃないか。ずっと明治憲法以来・また今度の憲法になっても必要なかったということ、それを法律として無理に制定しておく必要はないんじゃないか、こう考えるわけであります。つまり天皇国事行為が軽く扱われるということをおそれて、私は申し上げるわけであります。そういう意味であります。
  10. 野田武夫

    野田政府委員 よく御趣旨はわかりまして、決して、政府としても国事行為を軽んじて、こういう代行を設けることを考えておりません。もちろん、天皇国事行為というものは、いまお話しのとおりきわめて重要なものでございます。これをただいいかげんに考えて、だれでもいいんじゃないか、代行を置いてかってにやればいいんじゃないかというような考え方は、毛頭ございません。しかし、先ほどからお答えいたしておりますとおり、やはり天皇の御病気のぐあいとか、あるいは海外旅行とか——また一面から申しますと、われわれの象徴である天皇も、できるならばやはり海外をごらん願うというようなことも、国民としても希望することであります。しかし、そうかといって非常に重要な国事行為がございますから、天皇はただ簡単に、いわゆる一般的に軽く海外旅行をかってにするという、こういうお気持ちもおありになりませんし、またいま宮内庁長官が申しましたとおり、天皇が何かやりたいから、ちょっと自分のかわりを置くんだという、そういう軽い考え方でもってこういう代行の問題をわれわれは取り扱っているのではございません。しかし、いろんな場合が、やはり病気その他のことはあり得る。あり得るということは、これは天皇のみならず、だれでもそういう場合がありますから、そのときにはひとつ専心御療養願うというようなことも、私は天皇に対する国民気持ちとして、よくわかると思うのです。したがって、別にこれは、政治的に考えまして、いまお話し天皇国事行為を非常に軽く見て、そうしてこの代行機関をつくるんだというような解釈は、政府としては毛頭考えておりません。しかし、これは新憲法でもこれを認めておりますし、できるならば、そのときにあわててかたがたしないで——今度の天皇だけでなくて、将来ともやはりこの代行ということをきめておけば、いろんな場合において、その国事行為もすみやけにできるし、またいろんな支障のあっときにも、そういう国事行為その他についての事柄が円満に運ぶというような、稻村委員のおっしゃったような意味でなくて、私どもといたしましては、いまの天皇を目標として、現在のいわゆる国事行為だけに限らないで、将来ともいろいろな場合を想定してやっておることでございますから、その御趣旨はよくわかりますが、また政府がこの法案を出しました趣旨も、ぜひひとつ御了解願いたいと思っております。
  11. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 天皇海外旅行とか、あるいはまた、かりに御病気のときにやる臨時代理行為というものは、具体的にどんなものですか。たとえば重要な国会解散とか、そういうものでもおやりになるのですか。
  12. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 お答えいたします。  憲法第七条に十項目列挙されておりますことが、国事行為の全部でございます。そのうちどれをどうというようなことは、別段法律的には制限は何もございません。ですから、やむを得ず、しかも国家的必要ということがございますれば、そういう場合に起こってまいることでございます。そういうわけで具体的にどういう状態−いろいろな場合がございますし、委任の内容もごく一部のこともございますし、あるいは状態によっては国事行為全般に期間をきめて行なわれることもございましょう。そういう次第でございまして、しかもわれわれといたしましては、なるべくこの適用がなくてできるものは、できるだけ避けるという考え方でおりますことを御了承いただきたいと思います。
  13. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 だから、私も臨時代理行為は、たとえば儀礼的なものなら、これは差しつかえないと思うのですけれども、さっき申し上げたように、憲法改正とか、条約を公布するとか、国会を召集するとか、衆議院解散するとか、こういうふうな重大な問題に代理行為を適用してはならぬと思うのです。これはかりに御病気であるとか、あるいはまた海外旅行というようなゆえをもって、こういうふうな重大な問題の代理行為はさせてはならないと私は考える。儀礼的なことなら差しつかえないのですよ。外国の大公使を接受するとか、儀式を行なうとか、栄典を授与するとか、そのくらいなことは差しつかえないけれども憲法第七条に規定する一から四に至るような重大な国事行為というものは、これは臨時代行がやるというふうなことはいけないと私は思うのです。それに対してどうお考えになるでしょうか。
  14. 野田武夫

    野田政府委員 私も大体同様に考えます。それは委任行為の中に別に制限してございませんから、法律全般的解釈からいたしますと、憲法第七条の十項目の国事行為全般委任行為になりますが、しかし、天皇のお立場として・また天皇国事行為重要性から考えまして、端的に申しますと、かりに個人の旅行にいたしましても、諸般の事情を勘案して、その情勢に基づいて、その間は多少時間があるからとか、そういうことを考えます、ましてや国家象徴である天皇、しかも重要な国事行為をなさる立場にあられますから、ただいかなる場合でも、つまりいろんな客観的な情勢をお考えなくて御旅行になるということは、私は想像できないと思っております。しかし、ここで何の場合はどうだということを申し上げられませんのは、やはり委任行為の全体に含まれておりまするから、別に法律上、これを何々の場合にはこうこうだということはあらわすことはできませんが、常識的にと申しますか、天皇の今日の地位、その天皇国事行為重要性にかんがみまして、いま稻村委員がおっしゃいましたとおり、こういう重大な国事行為の際には、おそらくそういうこと、つまり海外旅行のごときは行なえないじゃないかということを私は感じております。また、天皇自身もおそらく一お気持ちをかれこれ申し上げるのは恐縮でございますが、国事行為重要性ということの御認識から、いつでも海外旅行するのだ、いかなる場合でも臨時代行でやらせるのだというようなお考えは、もちろんないと私どもはお察し申しておりますが、またそれには宮内庁といたしましても、その点は稻村委員の御趣旨はよくわかっておることでございますから、この運用にあたりましては、十分に気をつけて慎重に取り扱うものではないか、こう私は存じております。したがって、御趣旨の点については、われわれとして考え方を違えているものではございませんが、いま稻村委員もおっしゃったとおり、一般の儀礼のごときものは、いいとか悪いとかではなくて、やむを得ず代行でやっていただくというような場合はあり得るか、こう感じておりまして、この運用といいますか、現実にこの法律ができて代行制ができましても、これはなかなか簡単に天皇海外旅行なんというのは実現するものではない、こう私は感じております。
  15. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 宮内庁長官、いまの総務長官と御同様に考えておりますか。
  16. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 仰せのとおりでございまして、これはそのときの政治情勢国家情勢、すべての判断に基づかなければならないことだと思います。ただ・先ほども申し上げましたとおりに、たとえば国会解散というような問題は、摂政の場合には摂政天皇の名においてなさるわけでありますが、この場合におきましては、やはり天皇助言承認によってその内容を御承知になって委任なさるわけでありますから、私どもはそういう形でもなるべく避けたいとは思いますけれども国家がどうしても必要とする場合が絶対ないとは、遠い将来に向かって言い得ないと思います。そういうような意味でございまして、根本的には、いま総務長官のお述べになったことと私どもは違わないと考えます。
  17. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 それでは、あとでまた茜ケ久保委員から御質問があるようですから、私は次に、皇室典範に関して御質問したいと思うのです。  日本国憲法では、皇室典範は、通常の立法手続で制定改廃される普通の法律解釈して差しつかえありませんか。
  18. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 これは法制当局がお答えすべきことだと思いますが、私の理解する限りにおいては、いわゆる普通の法律という考え方でございます・
  19. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 そういたしますと、皇室典範は、憲法に抵触する規定を設けることができないことは明らかですね。
  20. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 仰せのとおりだと思います。
  21. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 ところが、いまの皇室典範でありますけれども、これは、むろん明治憲法の皇室典範とは少し違っておりますけれども、ほとんど似ておるわけです。たとえば皇室典範の第一章皇位継承の問題でありますが、この中には女帝を認めておらない。私は、これは憲法違反とまでは言わないけれども、政治関係において性別による差別を禁じた憲法第十四条の精神に合致しないことは明瞭じゃないかと思うのです。この点に対しては、どうお考えになりますか。
  22. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 憲法第十四条は、要するに「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別一社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」という規定でございますが、この問題は、いまお述べになりましたとおりに、皇位につきまして男系の皇胤に世襲されるということと相反しはしないかということでございますけれども憲法は、第十四条にそういう一般的なことを定めながら、皇位は世襲のものであるという特別の規定を置いておりますので、いまお述べになりましたとおり、第十四条と第二条との関係は、第二条は第十四条の特別規定というふうにわれわれは考えるのでございまして、憲法に違反するものとは考えないのであります。  一面、皇位が世襲であるということは、歴史的な意味の入ったことだと私ども考えておるのでございまして、日本の天皇は、過去におきまして男系の一系の方が世襲しておられる、そういう前提のもとに皇室典範も考えておるのであろうと思います。外国においても一御承知のとおり、まちまちであり一かりに女帝を認めましても一同親等のうちにおきましては男性を先にする、いわゆる年齢によらず、男性を先にするというのが多いように私ども思います。法のもとに平等とはいいながら、この間に社会的、政治的ないろいろな関係がございまして、すべて平等ということはなかなかむずかしい問題であろうと思います。要するに、それをどうしていくかということはいろいろ議論もございまするが、私ども考えといたしましては、昔の伝統的な考え方で、男系をもって貫くということが、世襲の精神に合うものではないかと考えております。ただ、女帝を置くかどうかということは、今後の一つの課題として、それは国民全体としても検討すべきことかもしれませんが、われわれは、日本の伝統に立った天皇という方の世襲という意味ならば、これを尊重すべきことが国民の多価胤念でもあろうというふうに考えておるわけでございます。
  23. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 やはり世界の憲法の歴史を見ると、どこの国でも、初めは君主主権の憲法であったのが、だんだん人民主権の憲法に変わってきたわけです。やはり日本だって、明治憲法は君主主権の憲法だ、プロシア憲法をまねしたのですから。それが何らかの機会に人民主権の憲法に変わるべき運命を必然に持っていたわけです。それが敗戦という事実によって、そういう機会において、初めて日本でもほかの国と同じように人民主権の憲法が制定せられたわけです。そこで、私は、伝統を重んずることは、何も人民主権憲法に反するものではないと思う。イギリス憲法がそうです。イギリス憲法においては、最も伝統を重んずる。しかし、だからといって、その伝統を重んずるといって民主主義の発展を阻止するということはなくて、かえって民主主義の発展を助けているというのが・私はイギリス憲法の特徴だと思うのです。イギリス憲法においては、国王は君臨するけれども統治しないということがありますが、今度の日本国憲法も、そういう意味におきまして、イギリスの王室とは、元首と象徴の差はあるけれども、ほとんど私は同じじゃないかと思うのです。そういう意味において、世襲とかそういうものが必ずしも私は人民主権の憲法と背馳するものではない、こういう見解を持っておるわけです。しかし、何といっても、いまの皇室典範における男系だけが皇位を継承するということは、私は君主主権の憲法の残滓である、こう言わざるを得ないと思うのです。  そこで日本国憲法の問題でありますが、憲法第一条においては、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と、こう規定されているわけであります。そうすると、天皇は日本の国の象徴であり、民族統合の象徴であるから、人格とか教養とか、最も高くなければならない。同時に、聡明で健康でなければならない、こういう条件が−国の象徴てあり日本国民統合の象徴であるならば、そういう人間としての条件が、天皇としては絶対必要である、私はこう思うのです。ところで、女性といえども、人格、教養、知性、健康のすぐれた方は、天皇に即位できるようにしたほうがいいのではないか。男性でも、不健康な方だったら、天皇に即位するには、ことばが過ぎるかもしれませんが、不適任だ、こう思うのです。そういう意味において、今日の皇室典範における第一章の皇位継承は、人民主権の憲法の精神と合致しない、こう私は思うのですが、その点につきまして、総務長官宮内庁長官の御所見を聞きたいと思います。
  24. 野田武夫

    野田政府委員 皇室の継承問題でございまして、皇室典範に明らかにいわゆる継承の順序を示しております。最も健康であり最もりっぱな天皇ができることは・もちろん国民象徴でございますから、希望するところでございます。その意味におきまして、私ども稻村さんのお考えのようにりっぱな方をするということは、全く同感でございますただ男性と女性の問題でございまして、これはやはり男系であるか、女系も入れていいかということでございます。しかし、天皇制というものは、古い歴史と伝統がございまして、やはり国民的感情というものもそこにあらわれておると思っております。やはり天皇は、国民象徴である、最も尊敬すべき地位と申しますか、そういうことから考えましてやはり歴史と伝統というものをそこに加味しまして、この皇室典範ができ上がったのだと思っております。今日の場合、私どもは、やはり現行皇室典範が、日本の民族性と申しますか、歴史的、伝統的な意味においてすべてを総合的に勘案しましてでき上ったものだと思っておりまするから、私どもは、やはりいまの皇室典範の皇位継承は正しいものだっこう解釈いたしております。
  25. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 いま総務長官のお答えのとおりでございます。若干ことばを変えて申し上げますれば、一体憲法二条にいう「世襲」という意味は何を意味するかということの解釈から出ることだと思います。世襲というのはいろいろな考え方がございましようが、これはやはり伝統的な歴史的なものによってできるということを考えなければ、なかなかその定義はむずかしいのではないか。しかもわが国におきましては、昔の典範義解等にもございますように、皇胤でしかも男系に限る、一系を分裂しないというような根本的な考え方で、いままで歴史上におきましても、このことは客観的事実としてまいったわけでございます。したがって、少なくともいまの憲法の世襲の中に女系を含むかどうかというのは、これはたいへんな議論の存するところだと思いますが、現在の新しい皇室典範が男系と考えておりますことは、それを受けているのではないかという考え方も政り立とうと思います。それは私一個の考えをここで申し上げてどうかと思うのでございますが、申し上げてみればそういうような立場でわれわれは現在解釈をいたしておるわけでございます。
  26. 稻村隆一

    稻村委員 日本の歴史におきましても、女帝がありますよ。神話でいえば、天照大神も女帝です。それから王朝時代にも女帝はあったのですから、伝統の中においても、女帝がないということはないわけです。ですから・私は憲法第十四条の精神に合致するように、女帝もやはり日本の歴史の中にもあったのですから、女帝も即位できるように皇室典範を改正するのが、人民主権の憲法に一番合致するのじゃないか、こう思うわけであります。
  27. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 ただいま日本の御歴代の中に女帝がおられたということは、仰せのとおりでございまして、重祚なされました方もございますが、八人の方がおられたわけでございます。しかし、歴史的にいずれも特殊な方でございまして、皇位継承の方が御幼少であられ、やむを得ざる事情のように歴史的には示されております。その女帝のお子さまが、女系が続いたということは、一つもございませんそういう事実から見まして、わが国の歴史的な関係は、男系が一貫して続いているというふうに考えるわけでございます。
  28. 徳安實藏

  29. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 いま稻村委員から発言のございました典範について最初にお伺いいたしますが、それは憲法にもありますように、皇室典範は、昭和二十二年国会で一応きまったのでございますから、国会にもその責任はありますが、問題は、いま宇佐美長官のお答えの中にもありますように、男系が望ましいということでございますけれども、では、いまの皇室における女子の皇族は、いわゆる男子よりも劣るという見解をお持ちなのですか。男子は皇位をとれるけれども、女子はとれぬ、そこにはやはり何か遺伝学的な問題があるのか、あるいは女子には天皇になる能力がないのか、そういう観点からあなたは男子が望ましいという話なのか。少なくとも最近の日本の女性は、私どもから見ると、むしろここにいらっしゃる男子方よりも数等すぐれた方もいらっしゃる。したがって、宇佐長官は、次にまた質問いたしますが、最初に、皇位継承は男子が望ましいという点はどういう観点から言われているのか、この点をはっきりしてもらいたいと思います。
  30. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 私が前の質問にお答えいたしましたいまの憲法並びに皇室典範との関係は、現状について私どもは申し上げておりまして、そういうようなことになっておりますので、これを改正するかどうかということを、いま申し上げる時期じゃないだろうと思うわけです・現状はそういう解釈であり、私の意見はと仰せになりますれば、現状のまま突き進んでよろしいのじゃないかというふうに考えております。現在おられます皇族について差別をするかというような意味のおことばもございましたが、男子の方は、いまの皇室典範によりまして、皇位継承権者でおられる、そういう関係で、その意味から若干違う問題も出るかもしれませんけれども、各皇族としてのお扱いというものにおいて、一般的に格別の差別をするという考えは毛頭ございません。
  31. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 憲法が新らしくできまして、一般の社会では、すべての点で男女同権——もちろんいろいろな風習が残っておるところもございます。しかし、日本が戦争は負けたという重大な転機に際して、非常にすばらしいものができたのは、男女同権というか、女の地位が法的にも、いろいろな意味でも男子と同等になったということです。それが強調され、あらゆる場合に主張されている。ところが、日本の象徴であり、国民統合の象徴ということで、まだ昔の天皇制の遺物みたいなものが残っておりますが、それはそれとして、一応天皇がそういう形になった場合に、いわゆる男女同権であるべき、やはりそういった形の象徴でなければならならぬ天皇というものを、男子に限るということは、私はいかぬと思う。いかぬことは当然改正すべきだと思う。女の方であっても、天皇の第一子として生まれた方は、当然天皇家を継いで国民象徴となるべき資格はあるし、あっていいと思う。それを何か曲げて、ことさらに男子でなければならぬという皇室典範には、私は非常なそごがあると思う。憲法に抵触すると思う。わざわざ憲法の精神を皇室のために曲げている。除外例があればいいということでは、私は済まぬと思う。除外例をつくったこと自体に問題があると思う。それはそれでいいですが、しかし、たとえ除外例があったとしても、皇室典範は国会で議決したものですから、私はあなたに皇室典範の改正をなさいとは申しません、国会の責任もありますから。しかし、少なくとも宮内庁の最高責任者である長官が、いわゆる憲法の精神を無視した、男子の皇位継承が望ましいという考え方は、私は問題だと思う。国民があらゆる面において男女同権を説き、その精神を進め、また具体的にも法的にもそういうことができておる中で、いわゆる国民象徴であるべき天皇家が、女権を無視しておる、女が天皇になたないということが存在することは、私はやはり重大な問題だと思う。私はここであなたと議論をしようと思わぬけれども、そういったことはあとでも触れますが、現在たとえば民間から女の方々がどんどん皇室に入られる、そういった人たちの処遇についても、形の上では皇族として処遇されているが実際はなかなかいろいろな問題が出てくると思う。したがって、私は、この点についてのそういう根本的な考え方は、払拭していただきたいと思うのです。一応私の意見と要望にとどめてこの点は終わります。  次に、国事行為についてでありますが、新憲法下十数年たちました今日、こつ然としてこういう法案が出てまいりました。いま稻村委員の質問を通じて政府並びに宮内庁当局の答弁を聞いておりますと、何か非常に回りくどい弁解をしておられますけれども、十数年たった今日、こつ然としてこういう法案が出てくるということについては、国民も何か不審を持つわけでございます。いままで十数年間何ら支障がなく運営されてきた事柄が、ここにきてこつ然として出てくる政治的な背景というものに対して国民が不審を持つのは、当然であります。この法案の出たそもそもは、宮内庁から出たのか、天皇自身意思から出たのか、政府から出たのか、このいずれから出たのか。まず国事行為委任というものの発端の出どころはどこか、こういう点について、ひとつ総理府総務長官の御答弁を願いたいと思います。
  32. 野田武夫

    野田政府委員 今度の臨時代行に関しまして何か政治的の含みがあるようなお尋ねでございますが、政府といたしましては、全然政治的含みを持っておりません。しかも新憲法の第四条二項に、臨時航行を置くことができることになっております。従来も、しばしば国会臨時代行問題が論議されたことがございます。その際は、置く必要はないという御意見もありましたし、憲法上認めているから置いたほうがいいのじゃないかという御意見もあったように私は記憶しております。そういうこともございまして、いままで十何年間何も支障はなかったじゃないかという御意見でありますが、そのとおりであります。いままでは何もその必要を認めなかったのであります。しかし、その必要を認めなかった反面に、天皇自身の自由といいますか、そういったものが非常に縛られておったのではないかと思っております。たとえば皇太子が海外によくお出向きになりますが、やはり外国といたしましても、先般ベルギーから皇帝もおいでになりましたが、こういうふうに天皇を御招待申し上げるとかなんとかいうことが、最近の国際外交から見ましても、これは日本のことを言うのではありませんが、そういうことが世界的にだいぶ行なわれておるようであります。こういうときに、たとえ天皇おいでになったほうが国家のためによろしい、また国際関係もよくなるということを考えましても、こういう代行機関がなければ、天皇はなかなか動けない、こういう場合もあるかと存じます。これはいま現在起こっておる問題ではございません。またその他御病気考えましても、先ほど稻村委員が言われましたとおり、重大な国事行為でありますから、それは御病気でも、ある程度おかしてその国事行為を行なっていただくということはあり得ることでございますが、まあ儀礼的な問題につきましては、できるならば御静養願ったほうが御健康のためによろしいという場合も、私はないとも限らないと思っております。そういう場合を考えますと、やはり一応憲法上認めていることにつきましての制度をつくるということは、必ずしも不要ではない。  そこで、これは政府考えたか、あるいは宮内庁考えたか、あるいは天皇自身がお考えになつかというようなことでなくて、この問題は前から各方面に議論があったことでございますから、やはりこの際政府といたしましては、こういう憲法上許されたことで、一応臨時代行という制度をつくっておくことが、今日現在これが切迫した問題ではございませんが、将来を通じて一応必要ではないか、こういうことを考えまして、政府が今度これを提案するに至った次第でございます。
  33. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 その御答弁は、稻村委員の質問に対する御答弁でもお伺いしましたが、それでは、この法案をお出しになるということついて、宇佐美長官天皇——こういったいわゆる天皇の身分に関することですから、天皇自身は当然御承知になってしかるべきだと思う。したがって、天皇に、この法案の条文はともかくとして、内容について、こういうことを国会に提出するつもりだとか、そういった御意見をお聞きになった事実があるかどうか。
  34. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 本法律案国会に提出しますことは、政府の責任の問題でございます。ですから、天皇陛下のことをここに引き合に出して御答弁すべき限りではないと、私は信じております。もちろんこれは天皇国事行為という重大関係がございますから、私は御報告はいたしました。
  35. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 大体皆さん方は、天皇をことさらにどこかに押し込めて、天皇天皇と、いわめる何か特別な扱いをされておる。それはいかぬと思う。天皇は人間なんだから、先ほども言ったように、旅行もしたいとおっしゃる、海外にも行きたいとおっしゃるのはけっこうだと思います。しかし、それならばそれで、天皇意思というものがあるはずです。宇佐美長官にはずいぶん前から質問しておりますが、あなたは何でも天皇という陰に隠れてものをおっしゃる。天皇意思があるならば、天皇に関する重大な問題を政府が出すときには、当然天皇意見を聞く。また天皇も、当然意見を言ってしかるべきです。でなかったら、天皇をただ象徴とかなんとか言っておいても問題になりませんよ。そういうところに問題があるから、私は言っておる。野田長官は政治的な含みはないとおっしゃるけれども天皇を全然無視しておいて政府が仕事をやるならば、何でもできます。天皇というものをかさに着た、これが天皇制のかつての一番の欠陥であり、悪だった。その天皇制の悪をくつがえして人民主権にした新憲法のよさは、そこにある。それがまだいわゆる天皇制の影を残して、その陰に隠れて国民にいろいろな形で君臨しようとするところに問題が残っておる。これを変えなければいけないと私は思います。私どもがそういうように勘ぐることは、そういうことが残っておるがゆえです。私どもは・天皇をそっとして人間的に扱いたいから、ものを言っておるのです。いまの天皇は、長い間不自由に、特殊な権力のために全く人間的なものを無視されてきた。その天皇を人間的な血の通った人にしたいから言っておるのです。決して反対しておるのではない。  そこで私は、いわゆる国事行為の点についても、天皇海外に行きたいとおっしゃるなら、それはけっこうだと思います。反対もしません。しかし、それは全部天皇意思でなくして、周囲の者の御都合主義でなされるところに問題があるのですよ。長い伝統だったものが、いまも残っておる。そこで私どもは、この国事行為委任について、何も青筋立てて反対をするわけではございません。ございませんけれども、もしやるならば、この点でももっと国民にわかりやすく、もっとこのことが血の通うような形でやってもらいたいと思うのです。これは私がそう思うだけではなくて、やはりちまたの中に、天皇というものを利用して何かあるのじゃないかという考えがあるんですよ。現に私ども聞くんですよ。そういう点で、ぜひこの点についてはもっと慎重に考えてもらいたいし、さらに十数年間何の支障もなくこれたのですから、たとえば海外のいろいろな親善の旅行とかで、いまのあの状態天皇に国外へ御旅行いただくよりも、むしろいろいろな意味で日本の皇太子御夫妻のほうが私はよいと思う。これは私の端的な意見です。したがって、いまさら何も急いでやる必要はないから、一応この案を引っ込めて、もっと検討された後にやっても決しておそくはないと思う。したがって、私は、ひとつ総務長官、こういうまだ誤解が残り、いろいろな問題を含んでいるこの案をこの辺で一応取り下げて、もっと検討した中で、社会党もその他の国民もみんながひとつ気持ちよく賛成をしていくようなことにされたらよかろうと思うのだが、その御意思はございませんか。
  36. 野田武夫

    野田政府委員 いまお尋ねの基本的な御趣旨は、私も全く同感でございます。ただ多少御意見には沿わぬことがあるかもしれませんが、私は卒直に申しますと、私、政府部内におるものですから、非常にことばを慎んでおりますが、いまたまたま御意見の中に出ましたから申し上げますが、私は、やはり天皇を人間天皇として考えて差し上げるのが、国民として正しいんじゃないか。御病気をなさった場合には、国事行為の儀礼的なものは代行にまかして治療に専心するということが、国民の感情じゃないかと思う。それを無理して、病気中でも押して何があるからといって−そういうことが人間天皇の扱い方としては、ここに宮内庁長官もおられますが、決して宮内庁のやり方をかれこれ言うのじゃありませんが、むしろ私はそういう気持ちをもって天皇というものをながめるのが、国民のいわゆる象徴たるわれわれの感じ方じゃないか。  また、海外旅行、親善旅行ということは、やはり国家的な意義を持つ。しかし、ひとり親善旅行だけでなく、いま旅行の問題が出ましたから申し上げますれば、たとえばいまの天皇は、植物学なんか非常にごたんのうのようでございます。また、その他非常に科学的ないろいろの御趣味もありますが、いまの天皇のことばかり私は申し上げるのじゃありません。しかし、天皇によって、いろいろ科学、文化——決して科学だけでなく文化、たとえば絵画にごたんのうである、また音楽が非常にごたんのうである。それならひとつフランスに行ってどうしよう、あるいはウイーンの音楽をどうとか、私は、そういう人間的な意味から天皇というものをお考え申し上げて、そしてやはり多少人間的なほんとうの自由という−ものをお持ち願ったほうが、いまおっしゃる人間天皇という立場からも、また新憲法意味におきましても、沿うんじゃないか。むしろ私は、この代行をつくることは非常に政治的な含みがあるようにお考えになることは、政府といたしましても、実は非常に意外に思っております。また、私としては非常に心外であのます。こうしてできるだけ天皇に自由を量るということが、国民感情にも合うし、また人間天皇の存在としても意義がある。そこでむしろこれを何か天皇には逆な——これは決してさからって申し上げるわけじゃありますん。たとえば代行なんというものはいけないから、いままで代行機関があったのを取れということがかりに出たとすれば、天皇を縛ることになりまして、逆に天皇というものを利用するとか利用せぬじゃなくて、天皇はやはり人間天皇として解放するというのでありますから、私がいまの基本的と申しますのはそこでありまして、人間天皇としてお扱いをいたしますにつきましては、むしろこういう代行機関をつくって差し上げるほうが、一天皇国民との間がほんとうに密接になり、また人間天皇の存在、人間としての意義というものからしても、それくらいの思いやりをして差し上げたほうが、新憲法国民象徴たる天皇を扱う国民気持ちとして、私は当然じゃないかと思っております。あなたの話は逆であります。代行がいけないとか、天皇はあくまでも一歩も国外に出ちゃいかぬ、こんな重大国事があるからなんだということを、政府が提案いたしましたら、いかにも天皇の御自由を束縛する、こう言われましたら私どもは返答はできませんが、むしろ解放して人間的に生きていただきたい、こういう案でございますから、この案について政治的配慮があるなんていうのは逆であって、私は御意見にさからうわけじゃありませんけれども、実は意外に感じております。私どもは絶対に政治的考慮もありませんし、またほんとうにそういうことがあり得るから、それでそれを想定いたしまして、憲法上許されたことであるから、この際、こういう機関をつくりたいという以外に何もないということをはっきり申し上げておきます。
  37. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 野田長官のお気持はわかります。決してあなたは自分の気持ちを偽っておっしゃっておるとは思いません。その本心と受け取ります。それなら私は、なおちょっと申し上げておきたい。それほど政府宮内庁天皇を人間的に扱いたいという気持ちなら、私にはまだいろいろ問題がある。というのは、私は宇佐美長官に数年前の当委員会で申し上げたことがあるのですが、いわゆる皇居を開放すべきである。ああいうところに天皇を置いておくからいかぬ。ああいうところに置いておくから、天皇は人間でなくなってくる。私は二、三日前半蔵門を車で通ったら、ずっと車が並んでおる。何だと思ったら、半蔵門からだれか出てくる。そのためにあの多い自動車が何百台、あの三方にとまってしまっておる。あとはどうにも通れない。何かあれは義官の納采のことだったらしいのですけれども、だれが通ったか知らぬけれども、あの東京の交通難のときに、えらい困難をしておる。(「三十年に一ぺんくらいだから、がまんしろよ」と呼ぶ者あり)自民党の代議士はいいでしょう。しかし、少なくとも東京都民の大部分は、これはがまんができない。この実態を一つ見てもわかるように、私はあの広大な皇居を決してあれを全部開放しろとは申しません。一部を開放しましたね。開放しなくてもいいが、天皇をあそこに置くのは反対だ。あそこは天皇の事務所にすればいい。天皇は、葉山なりどっか、いわゆる人家の少ないところに常時いてもらう。そうして自由に行動してもらう。あそこにおっては、ただ皇  居の中を歩くだけだ。私は刑務所にお  りましたが、刑務所よりは広いけれども、あれでは天皇を刑務所に入れるのと同じだ。自分の意見で一歩も外へ出られない。天皇も人間ですよ。私の持論は、あの皇居は皇居でいいから、天皇の住居は郊外に移しなさいと言って  おる・どこでもいい・葉山でもいいでしょう。東京の郊外でもいいでしょう。もっと自由に生活できるようにする。国事行為をなさる場合、皇居へ来る必要があったら、もういまは自動車なんか古い、いまは航空機が発達しておる、ヘリコプターか何かでくればいい。地上を歩かなくてもいい。ヘリポートは簡単にできますよ。天皇は往復にはヘリコプターを使えばいい。こういうことを考えなければ、自民党のお古い議員諸君はなんだかんだおっしゃるけれども、いまの大学生以下の国民は、天皇に対してどう思っておるか。皇居の前を通る車の中の諸君は、どう思っておるか。東京の交通難の時代に、天皇という一つの存在だけがああいう場所を独占するというのは、問題があります。皆さん方は、天皇国民象徴として大事にしておるとおっしゃるけれども、そのことはかえって逆な効果を持ってきます。総務長官は、天皇を人間として扱いたい、そのために国事行為委任をするとおっしゃるが、これは一つの形式である。しかし、常時あそこにおられて、ああいう状態に押し込められて、国民との感情的なつながりの全然ない状態をむしろ逆にする。私は、人間天皇を逆に持っていったほうがいいと思う。したがって、総務長官のさきのことばをあなたの真情と受けとりましたが、その  ことは、ただこの国事行為委任行為  という形式的な、国民とあまり関係の  ない事柄天皇を人間にするのでなく  て、常住の生活において密着する中で  国民と血の通う人間にする、こういう  ことが大事だと思うのです。私は、こ  のことは、天皇の存在に反対すると  か、天皇を無視して申し上げるのでは  ない。いっかも宇佐美長官に言った。あの国会の開会式に見える天皇の姿を  見て、まことに私はお気の毒だと思う。どういう儀式か知らぬけれども、あの歩き方一つに人間の姿がありますか。私は、あの状態は血の通った人間とは思えない。ああいう状態を皆さん見て、天皇をどう思うか。自民党の諸君は、天皇を神さまだと思っているけれども、私は人間と考えておる。こういうことをまじめにほんとうに考えてやらなければいかぬ。それこそ私は日本の将来にとって、天皇をいつまでも天皇として存在させる根本的問題だと思う。押し込め、大事にし過ぎて国民感情と離反したら、今の若い連中は何をするかわかりませんよ。その点を考えたら、私は決して天皇を大事にするゆえんじゃないと思う。そういう意味宇佐美長官、あなたは人間天皇とおっしゃるが、この国事行為もさることながら、そういった点について、私はここで申し上げてすぐに皇城をなくするとは言いませんが、少なくともこういう感情が国民の中にあることをしっかり握りしめて、いまにしてこれに対する根本的な対策を立てなければ、悔いを後に残すことになると思う。そういう点について、ひとつ野田長官宇佐美長官の両方に申し上げて、あなた方の御所見でけっこうですそれを伺いたい。いまこういう諸君が国会に君臨する間はなかなかできませんことを私は知っていますけれども国民の感情として申し上げておく。どうぞひとつ。
  38. 野田武夫

    野田政府委員 皇居の問題でございますから、主として宮内庁長官からお答えをいたさせますが、私もお望みでございますから申し上げますが、私は、いまのお話は、全体的にいま皇居が——非常に変な例をおとりになりましたが、そういうようには私は考えておりません。しかし、いまお話の中でなるほどと思ったことがございますのは、あるいはいまの皇居を国事行為のお仕事の場として、どこかまたお住まいを別にしたらどうかという御意見は、私はやはり一つ考え方だと思っております。しかし、それがいいとか悪いとかは別ですけれども一つ意見として私は拝聴したいと思っております。いまのお住まいがほんとうに不自由であるかどうかということも、私もあまりよくわかりませんですから、その点ははっきりこれがいいか悪いかということは判断がつかないのです。ただ、いまのお住まいが非常に御窮屈で御自由がない、だからお住まいを別にせい、こういうことですと、そうですが!しかし、これも実情を私もう少し承知しませんと、はっきり私の意思も申し上げられませんが、一応いま世間でもそういう御議論をなさる方もあるようには承っております。もう少し私も実情をひとつ拝見して、そして私は私なりの考え方もいたしますが、内部のことをあまり存じませんので、いま宮内庁長官が参っておりますから、宮内庁長官からお答えいたすことにいたします。
  39. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 るる御質問がございましたが、私ども考えますのに、天皇陛下をはじめといたしまして、各皇族方が、できるだけ一般の国民と同様に楽な気持でお過ごしいただくということは、われわれも念願するところであります。しかし、これはわれわれの社会においても、総理大臣にしても、大きな会社の社長にしても、いずれもその地位によってある程度の制約を受けるということは当然でございますし、一国の象徴としてお立ちになる場合に、すべて一国民が享有し得る自由全部をお持ちになるということは、とうていできないことではないかと思います。その地位におられる方も、おそらくはやはり国民のためになす義務をお考えになり、なすべきことをお考えになっておると思うのであります。そういうことでありますから、われわれといたしましては、そういうような位置についてのお考え方と同時に、昔あったと言われますような、非常に窮屈な私生活にまで及ぶというようなことについては、極力これをなくして、そういうような公の立場と、私的な人間としてというおことばがありましたが、そういうことがうまく調和するようにすることが、きわめて大事だと思います。しかもこういう地位におられますだけに、全国民あるいは国際的な評価も受けるわけでございまして、結局それが日本の国の問題にもなってくる場合がございます。すべてわれわれと同様な自由な生活をなさるということは、われわれの希望するところでありますけれども、むずかしい問題があることは御了承いただけると思うのであります。ただ私どもは、その間に、そういうような二つの目的をいかにうまく調和していただくかということにつきまして、日夜頭を砕くわけでございます。  皇居のことを仰せになりましたが、これは皇居造営にあたって、審議会をつくり、いろいろ御検討いただいた結果、現在の皇居のところに造営をするということになったわけであります。それにいたしましても、古い宮殿は、公の儀式等をなさる宮殿と日常の生活がくっついたものでございます。しかし、われわれは、そこは公私の御生活というものを分けるということがよろしいのではないかということで、同じ皇居内でございますけれども、別の吹上のほうに日常御生活の場をきめたわけでありまして一これにつきましても、両陛下のおぼしめしも伺って、われわれとしては検討した次第でございます。そういうわけで、できる範囲においていまお述べになった御趣旨の両方のぐあいをいかに実現するかということを考えているわけでございまして、ただむやみに形式的に縛りつけるというような考え方は、毛頭持っておりません。楽に外にお出になる——いろいろ外国の例も引かれる場合もございますけれども、これも現在の交通事情等を見ますと、なかなか簡単でございません。したがって、お出かけになる場合も、両陛下はじめ皇太子両殿下1も、非常に気を使っておられまして、たとえば夜の交通のないときを選ばれるとか、あるいは日曜日の車の少ないときを選ばれるとか、時間等も警察当局と打ち合わせて、支障のない時間を選ぶとか、いろいろ苦労をいたしておるわけでございます。しかし、公的においでになりますときは、やはりある程度交通に支障が起こる場合が出ようかと思いますが、これも極力行列の長さを短くいたしますとか、いろいろ警察当局とも相談いたしております。  そういうことでございまして、御趣旨につきましては、十分でない点はおしかりを受けるのはしかた。こざいませんが、われわれといたしましては、そういうことを十分考えることによって、国民とほんとうに親密な空気をつくるべきであるということで考えておるわけでございます。
  40. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 私がここで幾ら言っても、いまの状態では、私の言うことがそのまま受け入れられるとも考えられない。けれども、かくも脱皮した日本の、しかもさらに脱皮しつつある青少年諸君の考え方、いわゆる将来を考えるときに、その点はよほど考えて事を処していきませんと、ただ単に天皇家という問題でなくて、国民全体の大きな不幸を招く根源になる可能性があると思うのです。私ども、最近の国民考え方の底を流れるものを見ますときに、これはやはり重大な問題だと思うのです。したがって・私が先ほどから言っているのは、決して思い当たりで言っているのではなくて、私の持論としてもう十年前から言っていることなんです。それはいま言ったように、天皇の住居は郊外なり、あるいは葉山御用邸みたいなところに移して、そしていわゆる天皇の事務所、国事をされる事務所は、いまの皇居に置く、こう  いう点も考えておかないと、いまの天皇の交渉の御範囲は、宮内庁長官をはじめ宮内庁の数少ない人間と、また皇族といわれる数少ない人との接触であってほんとうに人間的な交渉はないわけなんです。やはりどこかの郊外の皇居におられて、もちろんそれはだれでもかれでもというわけにいきませんでしょうが、数多い一般の国民諸君と交流のできる生活をすることこそ、私はほんとうの人間だと思うのです。いま長官のお答えを聞いてみると、天皇には重大な責務がある、これは当然であります。私どもは、天皇を一般の国民と同じような、少なくとも現在の状態よりも格段の人間性のある生活をしていただくことのほうが望ましいし、しあわせだと思うから、先ほど来言っているのです。ここで私が何百万言費やしましても、私がここで言っていることは実現するとは思いませんけれども、少なくとも私は国政に参与する人間として、天皇という存在がある以上は、私どもは無視できない。しかも重大な一つの力として乗っかっておられるわけです。このことに対して私どもは責任があるわけです。その責任がありますから、私は、ただ単に無条件で天皇のことはやるということでなくて、国民的な性格の分野から考えてみなければならぬ。私どもは、天皇だけなら何も問題にしない。天皇という存在が、一億近い日本国民の生活の中にいろんな意味で重大な関係を持っている。したがって私は言うのだが、関係がなければ、いまさら天皇のことは何も問題にしません。しかし、ただ単に形式上や事なかれ主義であってはいかぬということで、私は指摘している。どうかひとつこの国事行為の点もさることながら、そういう点も通じて一こういう機会でないと皇室についての発言はする機会がありませんから、この機会をかりて申し上げるのですから、決して社会党といえども、また私どもとしても、何もむちゃに申し上げるのではありません。日本の政治の流れの中の大きな存在という姿を見ていますから、言うのであります。どうかそういった点も十二分に含んで、今後のこういった点についてもなお思いやりのある運営を希望して、私の質問を終わります。
  41. 徳安實藏

    徳安委員長 高瀬博君。
  42. 高瀬傳

    ○高瀬委員 実は天皇国事行為とは関係がございませんが、私は最近非常に感じていることがございます。それは日本の国号の呼び方でございます。  何年前でしたか、二千六百年のときに、近衛首相が天皇陛下に奏上文を読まれたときに、ニホンあるいはニッポンということばが五カ所くらいあったと記憶しております。この中でニッポンと読まれたのが三カ所、ニホンと読まれたのが二カ所、そういうことで、その当時、一体わが国の名前はニッポンであるのかニホンであるのか、問題になったわけでございます。戦争のときは、大体ニッポンがよかろうということであったようでございますが、国号の呼び方について、私は最近特に重大な関心を持ちましたのは、今度秋にオリンピックがございます。その際に、一体ニッポンと呼ぶのかニホンと呼ぶのか、そういう点について、非常な疑問を持ったわけでございます。いつかのアサヒグラフを見ますと、男子のバレーボールの選手でしたが、胸にニホンと書いてある。最近の新聞の報ずるところによりますと、オリンピックの選手のブレザーコートができた。そのブレザーコートには明らかにニッポンとしるしてあるようでございますから、事オリンピックに関する限りはニッポンと呼ぶのではないか、こういうふうに私は了解したわけで、私の心配はオリンピックに関する限りはちょっと吹っ飛んだような形でございますが、一週間ばかり前に、日本の国号の呼び方について、つまりニッポンと呼ぶかニホンと呼ぶか、どっちで呼んでいいか、それを疑問にしているから申し上げるのですが、京都大学名誉教授の新村出先生が「日本の呼び名」ということで、毎日新聞に投書しておるのでございます。それから私自身も従来関心を持っておりましたので、いろいろ調べてみました。ところが、文部省発行の国語問題問答第六集にございますが、「「日本」の読み方について」という三宅武郎と人の長い論文があります。結局は国家的な決定がない限り、ニッポンでいいのかニホンでいいのかよくわからない。「明治以来の文部省の教科書に見えているふりがなにもとづいて、」云々と書いてある。非常にその辺が不確定でございます。それから世界百科事典をずっとひもといてみましても、結局、ニッポンであろうが、ニホンであろうが、どっちでもいいというようなことに結論はなっておるわけでございます。新村先生も、あの人は言語学者でございますから、いろいろなことばのいきさつからいって、大体ニッポンがいいだろうというふうには言っておりますが、三宅氏のごときは、そのときの時代の国民的感情で呼び方をきめたらいいようなことを言っておりますし、その辺が非常にあいまいもことしております。われわれは建国記念日をつくろうと思っているやさきに、日本の国号の呼び方がニッポンかニホンかわからない。私も実はこの質問でニホンと言っていいのか、ニッポンと言っていいのかわかりませんから、それをごっちゃにして質問を申し上げておる一こういうような事態に立ち至っているわけでございます。幸いにわが国は独立して世界の有数な国家あるいは国民として進展しつつあるのに、対外的に公式の国の呼び方がニッポンだかニホンだかわからない、昔ながらの大和島根の豊葦原瑞穂国あるいは云々、いろいろありましょうが、国として対外的に、英語でいえばジャパンあるいはジャポン、いろいろなことがありましょうけれども、やはり日本の国号というものは、この際国としてどう呼ぶのかということを権威をもって決定されたらいかがか。幸いに政府野田総務長官がお見えでございますから。これはオリンピックなんかを前にして非常に重大な問題ではないか。これは妙なものを引いて恐縮でございますが、文芸春秋の四月特例号一創刊六百号記念、ここに「へんな外人のおかしな話」というのが出ておるのでございます。私もこの連中は少しは知っておりますが、非常に参考になりますから、やはりわが国に対して奇異な感じを持っている彼らの心境というものをちょっと露骨にあらわしておりますから、読み上げます。それはある外国人ですが、「第一、国の名前にしたっていまだにニホンかニッポンか決ってないらしいんだから。」こう言っている。その次の外国人は「ニッポン放送、ニホンテレビ、分りませんで−すね。このあいだ新聞の一調査を見たらニホンは四割、三十五歳以上はだいたいニッポンでした。でも、ニッポンと言うと、貫禄ありますよですねえ。」こう言うのです。それからある外国人は、「正式にはニッポンだ、やっぱり。ほら、お札の裏にローマ字でニッポンと書いてあるよ。」−確かに千円札の裏にはニッポンと書いてあります。「ことほど左様に国語を大切にしない国なんだな、ニホンは。いや、ニッポンは。だから、先日のボクシング世界選手権試合で、九ちゃんが「君が代」を歌ったとき「いいぞ、九、がんばれ」なんて声がかかるんだ。一体どこの国で、国歌を歌っている人に声がかかるかね。子供たちに君が代のことを聞いてみると大相撲のテーマソングだと思っているらしいね。なるほど、初日と千秋楽には君が代を歌わないとカッコがつかない。」こういうように、日本におるおかしな外国人すら、日本の国号がきまっていないことはおかしいし、建国記念日もきまっていなければ、国号の呼び方もきまっておらないから、やはり国歌を歌うときに、九ちゃん、がんばれなんてつまらないかけ声が起きる。ことほどさように、日本の国民感情というものは、独立国家に対する関心が薄い。私はそういう点で決して偏狭なる愛国心を強調するわけではありませんけれども、わが党の政府というよりは日本政府として、対外的な国号の呼び方ぐらいはこの際はっきりきめて、道路を直したりわいわいやるよりも、一体わが国はニッポンなのかニホンなのか、そのくらいのところはきめてオリンピックを迎えるようにしていただかぬと、独立国日本としてはなはだいかがかと私は思う。だから、そういう点で、いまだにきまっておらぬのですから、ひとつこの点政府のほうで権威をもってきめていただきたい。こういう点についていかがお考えであるか、一応政府の所見を伺い、もしきまっていなければ、わが国の権威のために、早急に国号の呼び方を権威をもってきめていただきたい、こういうことをこの機会を拝借してお願いするわけでございます。
  43. 野田武夫

    野田政府委員 ただいまのお話のとおり、日本の国名の呼称がやはりニホンとニッポン、これは古来から使っておるようでございまして、どうもニッポンもニホンも国民がおのおの自分の勝手に使っているというとおかしいのですが、どっちも正しいと思って使っておりますが、そこで、それを統一してやったらよろしいという御意見は、私は高瀬さんと同様でございまして、これは当然のことだと思っております。ところが、いままでなかなかできない。しからば総理府はこれをほっといたかというと、ことにオリンピックの前であるからということでなくて、多年の問題でございまして、私もこの間、新村先生ですか、偶然拝見しまして、非常に感を深くしております。そこで、総理府といたしまして何とかひとつ国名を統一しいたという意見が強く出ておりまして、昨年の八月に世論調査をやっております。世論調査の結果、いまの文芸春秋の件と少し違いますが、これがまたなかなかむずかしいのでして、大体ニホンと呼ぶほうが六割で、ニッポンと呼ぶほうが四割というふうに出ておる。ところが、そうかと思ってだんだん調べてみますと、この世論調査は四項か五項にわたって調査しておりますが、断定的にそう言えないのは、たとえば、普通使っているときはニホンと言う。まあニッポンもよろしゅうございますが、熟語になりますと、いわゆるニホン語とかニホン経済とか、それからニッポン字とかニホン字、全ニッポン、全ニホン、大ニッポン、こういうのがすべて調査してあるのです。この調査からしますと、熟語によっては、たとえば日本語はニッポン語と言わず、ニホン語と、これは大体統一されております。これは七四%の数字が出ております。これらを一々申し上げますと時間がかかりますから申しませんが、しからば正式の日本の呼称としてはどうだ、いままで使っている習慣としてはどうだ、この二つに分けておりますが、正式に日本の呼称はどっちがいいんだ、こういう質問の解答は、ニッポンがよいというのが三六%、ニホンがよいというのが三三%、どちらでもよいというのが二五というような数字でございまして、これは単なる一片の世論調査ですから、根拠はありませんが、そこで、実はいまお話しのとおり、オリンピックの前でございまして、相当論議があります。それで、まあオリンピックについては大体ニッポンというような傾向でございますが、しかし、何と申しましても国がきめませんと、団体とか行事できめるということはどっちかというとあまり重要ではなくて、いまお話しのとおり、やはり国がきめるべきものだと思っております。しかし、それじゃいまほっとくかというと、世論調査までやっておりまして、準備はいたしておりますけれども、遺憾ながら今日の段階ではきめておりません。そこで、いま高瀬さんから御注意もございまして、私は非常に重大なことだと思いますから、私のほうでもこういうことをやっておりますし、この際、政府部内でいろいろ話し合いをいたしまして、どういう方法でやりますか、これは文部省の国語関係もございますし、いろいろ各省にまたがっておることもございましょうが、特にきょうの御質問は、私はそのままにしないで、ひとつこれを取り上げまして、政府部内でいろいろ検討いたしたいと思っております。まあその段階よりほかお答えできないので一まことに申しわけないのですが、政府としては最後の結論に達しておりません。
  44. 高瀬傳

    ○高瀬委員 ただいま総務長官のお話で、非常に政府も関心を持っておられるということは、私も満足いたします。そこで具体的に、やはり新村先生とかいろいろ国号について関心を持っておる学者、いろいろな権威者もおるわけですから、そういう人を集めて、あるいは政府の要路の人で国号決定の委員会のようなものを急速につくって一やはり世論調査だけでは、とにかくどうでもいいというのが二五%もあるような国ですから、その辺は政府で権威をもって国号決定の委員会というものをつくって、急速に決定されたほうがいいのじゃないですか。対外的には、それは外国の文書なんかでジャパンとかジャポンとか、これはマルコ・ポー口がどう言った、そういうことよりも、われわれとしてはやはり国号は正確に発音する習慣を持って、それを政府として決定される委員会か何かつくる御意思はないですか。
  45. 野田武夫

    野田政府委員 私は、いままでは特にこういう準備をいたしておったのでくざいますが、できるだけ御意思に沿うように何か委員会でもつくるとか、ほかに何か具体的に進めたいと思っております。御了承願いたいと思います。
  46. 高瀬傳

    ○高瀬委員 わかりました。
  47. 徳安實藏

    徳安委員長 受田新吉君。
  48. 受田新吉

    ○受田委員 この審議されている法案のうちの国事行為臨時代行に関する法律案について、まずお尋ね申し上げます。若干問題点を出したいと思っております。  先ほど来・稻村委員等からいろいろとこの法律案に対する諸点についてお尋ねがあったわけですが、実はこの法律憲法の四条の二項の規定に基づく当然の立法事項でありますので、たとえ任意規定とは言いながら、こういう法律を一応つくっておく必要がある、常時これが発動するわけじゃなくて、いつでもこれが適用できるような準備をしておく必要があるということから、従来当委員会ですでに八年も九年も前から提案をしておった問題ですけれども政府も一応この国事行為臨時代行規定法律化されるという点について、私自身としては一応満足しておるわけです。なぜかというと、これは帝国憲法時代といまの日本国憲法時代とに大きな時世の、社会情勢の相違のあることも当然でありますが、天皇の特権というものが、旧憲法天皇大権事項として掲げられた時世と変わって、天皇自身象徴立場になっておられますし身分的な意味では国民の一人でもいらっしゃる、主権者である国民と同じ立場で、主権者としては同列同級であるという立場に立たれておるし、また天皇自身もなま身のからだを持っておられるのでありますから、ほかの一般国民と人権尊重の点においては十分その均衡を保つ必要がある、こういうような点を考えてみたわけです。特に天皇憲法上の権限といえば、国事事項そのものを内閣助言承認で発動されるだけであって、ほかに天皇の権限の影響力が、特権的なものがあるわけではないというこの憲法の特色を・われわれは見つめているわけです。そこでこの国事行為委任するという場合の規定でございますが、摂政を置くほどには至らない。かし、その一歩手前で天皇国事行為をなさる場合の代理者を置くという場合にこの法律が要るのだ、こういうお立場であることはよくわかります。その摂政を置くほどには至らない。しかし、その前で、軽く天皇自身の判断で臨時代行者を置かれるという見解でございます。ここをちょっと私はお尋ねしてみたいのです。帝国憲法時代と変わっておるから、私たちは天皇自身非常にお親しくなにさせていただいておるのでございますから、あまり窮屈なことを考えないで、ほかの官庁等におきましても一すべて代理者というもの、代理権行使をする者が置かれているわけです。当委員会においても、委員長事故あるときは理事の一人がその職務を代行しているわけです。どこに行っても代理者がおる、こういうことですから一そういうふうに軽く考えて・この憲法四条の国事行為規定法律化は、私は軽い意味で差しつかえないと思っております。ただ、この際に軽々しく臨時代行を置くべきでない、この点については、私も強く主張しいのです。この法律案を拝見いたしますと、「精神若しくは身体の疾患又は事故があるときは、摂政を置くべき場合を尋ねしのぞき、」こう書いてあります。おたいのは、この代行者の置かれる場合の「精神若しくは身体の疾患又は事故があるとき」というのは、どういう場合であるか、具体的に想定ができると思いますのでお答え願います。
  49. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 法制的に申し上げますと、先ほども申し上げましとおりに摂政を置かれる場合は、「天皇が精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、」という、要するに重大な故障ということでございまして、この場合に摂政を置くか置かないかは、天皇の御意思というものでなくて、皇室会議の議によってきめるという程度の重大な事故というふうなことであろうと思うのであります。したがって、本案の委任の場合におきましては、そういうような事態に至らざる場合の故障ということが法制的には出てまいろうかと思います。具体的にどういうことかとお問いになりますと、なかなかここで例をあげましても適当でないのかもしれませんが、たとえば御署名を要するような場合、そんなことがあっては困りますが、手をおけがになって御署名ができない。しかし、それだけのお仕事だ、こういうような場合があれば、その御署名だけの委任ということは、法律的にあろうと思います。しかし、これはその状況その他によって、あるいは時期的にそれがどうなるかというようないろいろな要素がございますので、あまり簡単な例をあげて、そういうときには必ずあるというわけにもまいりませんが、そういうことでござい  まして、天皇の御意思というものが入るということが、やはり委任の場合には前提であるというのが解釈であろうと思います。
  50. 受田新吉

    ○受田委員 事故とはどういう場合をさしますか。
  51. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 本案の第二条にございます「事故」というのは、天皇の精神とかあるいは身体の疾患という点を除いて、天皇が正常に国事に関する行為を行なわれることに妨げある場合一切を含む、こういうふうに考えるものであります。
  52. 受田新吉

    ○受田委員 摂政を置かれる規定には、典範に「重大な事故」とあるわけです。この場合は単なる事故ということで、精神や身体の疾患以外の場合ということになると、どういう場合でございますか。そして典範のほうの重大事故という場合は、どういう場合ですか。
  53. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 摂政の場合におけるいわゆる重大な事故、これは学者の解釈もいろいろあろうかと思いますけれども、これは法律論でございますけれども、たとえば天皇の御所在がわからなくなったというようなことも含むのじゃないかと思います。
  54. 受田新吉

    ○受田委員 二・二六事件のとき、あるいは大東亜戦争の末期のようなときには、そういう事態が予想されたのでありますが、そういう場合に、どこに陛下がおいでになったかわからなくなるというような場合が「重大な事故」というわけですね。その「重大な事故」の場合に、精神もしくは身体の疾患を原因とする重大な事故も起るのではないでしょうか。
  55. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 法律といたしましては、精神とか身体の故障というものと事故というものは区別して考える。ですから、精神や身体に故障があるということは、「重大な事故」のうちには考えていないというのが、従来の解釈であります。
  56. 受田新吉

    ○受田委員 精神や身体の重大な疾患に基づいて奇言奇行をなさるというような場合、行為との結びつきが起こってくるわけです。そういう場合は「重大な事故」に入るのじゃないか。
  57. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 そういう精神あるいは身体の故障から起こるいろんな事情というものは、この前段に入りますので、「重大な事故」とは区別して考えるのが従来の考え方でございます。
  58. 受田新吉

    ○受田委員 精神状況と行為というものは表裏一体をなすものでございますから、その精神状況の異変に基づく行為は事故とはみなさない、こういう解釈ですね。しかし、ここの単なる事故というのは、天皇がどこに行ったかわからなくなったという場合ではないわけですから、どういう場合が事故になるのか。御旅行の場合をお入れになっておると思うのでございますが、どういう場合が事故に該当するのか、具体的に予想される事態を御答弁願います。
  59. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 お答えいたします。  先ほど申しましたとおり、事故と申しますのは、やはりこの二条の場合でも、精神、身体の疾患とは別の問題で、したがって、この「事故」の中には海外旅行も入るという考え方でございます。
  60. 受田新吉

    ○受田委員 海外の御旅行のほかに、どういう場合が予想されますか。
  61. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 なかなか想定するのは困難でございますが、一つ考えまして、どこか国内の離島においでになって、お帰りになろうと思っても台風や何かでお帰りになれないというような事態がもしありとすれば、そういうものもこの事故になりはしないかと思います。
  62. 受田新吉

    ○受田委員 そこて本論に入りたいのでございますけれども、軽いおかぜを引かれた程度くらいだったら、この臨時代行をお置きになる必要はないわけです。しかし、これは基準が非常にむずかしいと思うのですけれども、軽々しく臨時代行を置くべきではないという精神を生かされて、その判定は天皇自身がなさる、自分は一週間くらい身動きがとれないけれども、そのうちには回復しそうだという御判断をされ、るのは、天皇自身の御判断だけに基づくということになりますね。ほかの内閣助言承認によりますけれども、しかし、その最終的な意思決定は天皇がなさるわけですね。天皇の御判断で最終的にはきまる。内閣助言承認があっても、それをお聞きになろうとなるまいと、陛下御自身意思決定権を持っておられると思います。この場合は、助言承認があれば、必ずそのとおりにしなければならないものかどうか、そこの関係もあわせて御答弁願います。
  63. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 ただいまの御質問でざいますが、憲法七条の、内閣助言承認によって左の国事行為を行なうという場合に、助言承認がありましても、それに対して陛下が独自の見解で処理されるということはあまり予想していない。それがございますと助言承認という意味が非常になくなる。そういうようないまの憲法のたてまえから申しまして、それはおそらくないものじゃないかというように前提としては私ども考えております。  今度の委任の場合についてでございますが、もちろんそのことについても内閣助言というものがございまして、それによって行なわれることは、憲法七条の原則的な考え方と同一であろう。ただその場合、たとえば御病気をどう判定するかというようなことは、直接お仕えする者——あるいは陛下御自身気持ちがある場合もございましよう。そういうものを背景に整えまして、そうして政府と相談するというのが、実際の手続の動きになるのじゃないかと思います。
  64. 受田新吉

    ○受田委員 これは非常にデリケートな問題ですが、たとえば海外旅行内閣が御計画になる。それで昨年のケネディ大統領の葬儀に際して、皇太子を派遣されてはどうかという意見内閣から出ており、また宮内庁でも御相談があったと聞いております。そういうときに、内閣天皇に御苦労願うということを政治的にかってにきめた場合、明らかに政治的意図であるというような誤りをおかした場合に、天皇海外内閣助言承認でどうしても行かなければならないというようなことになるときに、陛下が、朕は行きたくない、私は行きたくないと申される場合に、政治的な決定の海外旅行などをそのままうのみにしなければならないようなお立場であったならば、私はこれはつらいことになると思います。内閣は政治的な組織体でありますから、そこにおのずから政治色が出てくると思います。時の政府の意図に基づいて、陛下にこの国に御旅行願いたい、陛下はきらいだと思われても、助言承認があればそれについていかなければならないということになると、これはたいへんな問題が起こると思います。ここが摂政を置かれる場合のことやら、ここのいまの憲法第七条の規定とは違って、臨時代行の場合はもっと軽く陛下の御意思が反映していい、私はかように思うのでございますが……。
  65. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 陛下が海外に御旅行になるかならないかということは、憲法第七条の問題ではない。あそこに書いてあります国事行為には、どこにも当てはまらないのじゃないかと思います。ただおいでになるときまった上で、その期間の七条の行為をなさるときの御委任の問題、これは内閣でいたす。おいでになること自体が閣議の助言承認で強制されるということは、いまの法律上はまずないのじゃないかと思います。ですから、政府がそういう希望を出すこともございましよう。それに対しては、私ども立場政府の一部をなすものではございましようが、十分検討して、陛下のお立場が間違わないように、たとえば御健康の悪いのを御無理願うというようないろいろな問題も出ると思います。それから海外おいでになれば、それを前例としていろいろなむずかしいことも出てまいろう、そういう点を私どもは十分検討して、政府とも話し合いをすべきだ。単純に第七条の助言承認によって行なわれるというものではないように、法律的にはそう思います。
  66. 受田新吉

    ○受田委員 私、いまそこを指摘しているわけです。つまり第七条の内閣助言承認は、原則として陛下はこれを御承認になって国事行為をなさる、こういうことになっているから、やはり今度の法律もそれと同じような精神でいくのだ、こういう説明をなさられた。内閣助言承認であるから、ちょうど七条と同じような意味でやるのだと長官の答弁があったものですから、それはちょっと違う。それと同じような精神を生かしてくれたのでは、内閣が政治色を発揮して、特に海外旅行などを政府自身が計画して、陛下ぜひ御苦労してくださいと無理に押しつける場合が起こる。そういう場合には、この憲法第七条の精神とは別に、助言承認天皇行為との結びつきとはまた別な、軽い立場で陛下の御意思が十分反映するようにしてあげなければ、これはたいへんだと私は思っているのです。それはさっき長官摂政を置かれる場合と同じような精神でやると仰せられておられるから、内閣助言承認を無条件でのまなければならないような陛下のお立場であったとしたならば、たいへんお気の毒である。長官もやはり政府の一部と仰せられて、総理大臣があなたを任命される権利——もちろん認証官ておられても、総理大臣が手続をすれば、あなたを任命される責任者になられるわけですから、そういう意味でどうしても総理の鼻息をうかがうような危険があると思うのです。認証官であられても、そういう意味でひとり抵抗されたとしても、政治色豊かなる内閣が存在した場合に、天皇に御無理をお願いして、天皇はしぶしぶ不承知ながら、ちょうど大東亜戦争の詔書をいやでいやでたまらないのに署名した炉というようなことが起こりかねないと思いますので、そういう場合に陛下の御意思が十分反映されるような措置が必要ではないかと思うのです。いかがですか。
  67. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 毎々申し上げました私のことばが足りなくて、重ねての御質問になりましたことは恐縮に存じますが、いま申し上げましたとおり、海外旅行自体というものは、憲法第七条の条項ではないように思います。間違っておれば、法制局の方も見えておりますから……。しかし、天皇海外おいでになるということは、国家としても相当大事であり、影響力もあることでありますから、正式の憲法上の問題でなくても、閣議において検討していただくということは、それは私はそうあるべきものだろうと思います。宮内庁だけできめ得る問題でももちろんございません。しかし、この場合のみならず、すべての場合に、憲法規定された国事行為以外の国政には参与しないというはっきりした規定がございますから、その御旅行があまりに政治的な、あるいは政治的に利用されるというような問題がありますれば、これはみながやはり考えていかなければならないことだと思います。同時に、海外に御旅行になるという場合が将来起こるとすれば、相手国もやはり相当重要に扱う問題でありまして、楽な御旅行にはなかなかならない場合が多いだろう、これは想像でございますが・そういうことでございますから、全然陛下に何もお伺いしないできめてしまうというようなことは、私は絶対あり得ないというふうに考えます。
  68. 受田新吉

    ○受田委員 長官はちょっと私のお尋ねしておることを感違いしておられることがあると思いますが、憲法第七条の規定について私がお尋ねしておるのは、内閣助言承認によって天皇国事行為をやられるわけですから、そのようなもうほとんど無条件でうのみにしなければならないような国事行為の場合のその精神が、もしそのまま今度の法律案内閣助言承認によって臨時代行を置くという精神に用いられたのでは、天皇の御意思を尊重することができなくなるじゃないか。特に、この場合は、海外旅行ということが事例としてしばしば起こるわけですから、かってな政治的意図で天皇海外旅行を計画される内閣ができると私は思うのです。どうぞ陛下御苦労してくださいということで、アメリカに行かれるということになれば——英語は使われるとかいうことで、現に皇太子に御苦労願いたいというのは、池田さんが行かれる前に一応は話に出ておる。この間次長もこういうことが問題になったこともあったと言われるくらい、皇太子殿下をケネディの葬儀に派遣する総理の意図が、はっきりしておるじゃないですか。一応そういうことを考えられたことははっきりしておる。それから最後は御自身が出かけられたというのが一あのときの事情だと私は思う。そういう事例もあるわけですから、ひとつこの際、陛下御自身がある程度良識的判断をもって結論を出すような、強い意思決定は天皇にあるという形を、実際はこの法律では生かさないと困るのではないか。それは陛下の側近として御苦労される長官によくおわかりだと思う。私が例示したことは、内閣助言承認国事行為はうのみにしなければならぬという憲法七条の立場とは違って、もっと軽く陛下の御意思臨時代行を置くことができるようにしてはどうかと申し上げておる。法制局次長もおられるが、法律のほうからあわせて御答弁願います。
  69. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 途中から加わりましたので、あるいは見当違いなところがありましたら御指摘願いますが、私、伺いました範囲内で申し上げますと、御指摘のように、天皇国事行為については内閣助言承認というものが必要になっておる。したがって内閣助言承認があった場合においては、天皇はこれを拒否する御自由はお持ちにならないということが憲法のたてまえであることは御承知のとおりであります。その点、海外旅行にお出かけになるということは、先ほどからもお話がございますように、憲法七条の国事行為のうちには入っておらないわけでございますので、その点につきましては、むろん終局的には天皇の御意思によって決定するということになると思います。それまでの、お願い申し上げるとか、いろいろなことはございましょうけれども、その分は国事行為ではございませんから、したがって内閣助言承認ということによってそれが拘束を受けるというような場面にはならないのではないかと思います。  ところで、この国事行為臨時代行に関する場合でございますが、これは条文で明らかでありますように、「事故があるとき」、たとえば海外旅行にお出かけになるとき、そういうときに内閣助言承認によって臨時代行委任をされるということになるわけでございますので、それほど御懸念のことはないのじゃないかというふうに考える次第でございます。
  70. 受田新吉

    ○受田委員 私自身も、憲法七条の国事行為海外旅行が入るとは思っておりません。長官は、内閣助言承認をほとんどうのみにされた国事行為の場合ということを想定されておるようでございましたから、そういうことになると、今度この法律でそういう助言承認をうのみにされなければならなぬことになったら、これはたいへんだ。ここはやっぱり最後は天皇意思決定、助言承認があったとしても、陛下御自身がこれを拒否される場合もあっていい、こう私は思っているわけですが、これは差しつかえないのですね。これは大事なことでございますから、法制局の見解をはっきりしておかれないと、今後内閣がかってなことをされた場合に、陛下がお困りならないようにしておかなければなりませんからね。
  71. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 先ほど憲法の第七条と申し上げまして、第七条に間違いございませんが第七条に一号から十号まで国事行為が出ておりますが、そのほかにも、実はまさに、問題の第四条の二項でございますが、「天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為委任することができる。」この委任することもまた、この第七条には書いてございませんけれども、やはり広い意味国事行為だろうというふうに解されているのが一般でございます。したがって、そうなりますと、憲法の他の規定によりまして、内閣助言承認がやはり同様に必要になるということに相なるわけでございます。したがって、そういう場合につきまして、なるほど七条の国事行為ではないから、ほかの場合については助言承認というものがありましても、天皇は全く御自由な立場で御決定になるということを強く申し上げるわけにはいかないと思います。しかし、受田さんが仰せになりますように、この旅行というもの、海外旅行そのものは、先ほど私も触れましたように・最終的には天皇の御意思にかかっておるわけでございますから、それがありませんと、実は国事行為委任というものも出てまいりませんので、もとがそういうことになっておりますれば、さほど御懸念に相なることもないのじゃないかというふうに思う次第でございます。
  72. 受田新吉

    ○受田委員 そのもとが大事なんです。そのもとを政治的につくり上げられる危険があるわけなんです。政治的意図で天皇海外旅行を企図する政府が、当然予想されることですからね。自分の都合のいいほうの国にだけ御苦労願いたい、都合の悪いほうには感情的に対立意識を盛り立てるような危険がある。そうすると、陛下御自身が国際政治の中の犠牲者になられる、そういうことが起こり得るのです。これは十分検討してもらわぬと、宇佐美さんのようなりっぱな長官がおられても、長官自身はやっぱり総理大臣の指揮監督を受けておられるから、おまえ、そういう点をこうせよと言われるなら、やむを得ぬわけです。これは別のほうでたいへん危険が包蔵されておるわけでございますから、十分この点は考えていただきたい。  もう一つは、法理論として、いまの根っこになる、つまり国事委任される前提になる事項は、政治色が非常に含まれる危険があるから、そのときには陛下御自身意思の決定で結論が出るという解釈を、法理論の解釈からもここではっきりしていただく必要がある。この法律承認するにあたって、法制局の見解をはっきりしておけば、私は安心するわけです。
  73. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 おっしゃる御趣旨はよくわかりました。要するに、国事行為委任するという段階よりも、その前提になるその海外旅行なり、要するに事故の発生の原因でございますが、海外旅行そのものについて内閣助言承認というようなものに拘束されるということになると、場合によっては相当大きな問題になるというような御懸念だろうと思います。それは先ほども触れたつもりでございますが、海外旅行自身につきましては、これは国事行為ということではございません。この内閣助言承認が働く分野でもない。したがって、それに拘束を受けることはないとすれば、海外旅行というものについては、むろん天皇の御意思で御希望になることもないとも言えないと思いますが、理論上は。実際にあるかどうか知りませんが、また同時に、内閣あるいはその他の方々が、おいでになってはいかがであろうかというようなことを事実上申し上げることもあるかもしれません。しかし、その場合にやはり最終的にそれをおきめになるのは、これはむろんおいでになる御自身であることは確かなことでございます。
  74. 受田新吉

    ○受田委員 私は、長官に御苦労願ったので御答弁願いたいのですが、ケネディさんの葬儀の際に、皇太子に御苦労を願ってはどうかという声は内閣のほうから出たのか、あるいは宮内庁でそういう話が出たのか。御苦労願うことはどうだろうか、検討してくれぬだろうかというような御注文が、当時内閣から、官房長官から出たのか、これはひとつうそ偽わりのないところを御答弁願いたい。
  75. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 いまの御質問でございますが一ケネディ大統領の御葬儀の際に、政府のほうから皇太子さまその他皇族の方の行くことを考えてほしい、検討してほしいというようなことは、確かにございました。われわれとしても、それに対しまして、各皇族の状態政府に報告し、政府がその結果に基づいて決定されたわけであります。これは海外旅行のみなさらず、国内の場合、いろいろな場合に起こる問題でございますが、これが非常に政治的であるかどうかという判定は、なかなか容易でない問題かと思うのでございます。ことに事前と事後に出てくる非常なニュアンスの差というものもございましょうし、むずかしいことでございます。われわれも、具体的な政治に直接にいろいろな事柄について関与される形、特に具体的な政策的な争いに関係するようなものは、もうはっきりいたしておりますからよろしゅございますが、そうでない場合でも、いろいろ、事の大小はございますが、何となくそれを感ずることもあり、心配をしているわけでございます。もちろん一国の象徴なり、皇族が公的にお出になるということは、何にも影響がないということは、実際問題として私はあり得ないと思います。そういうことでございますから・それをどういうふうに判定するかというのは、なかなかむずかしい問題が出てくる。それは人によっていろいろ見解が立つ場合もございます。私どもの毎日の仕事の上で、そういう判定をし、考えることは、仕事の中の非常な重要な事項一つだということでございます。
  76. 受田新吉

    ○受田委員 私はもうこれでいまの点はお尋ねしませんが、これは非常に警戒してかかられないと一宇佐美さんは良心的な方ですから、総理がもしあなたにやめろと言われればやめてでも、天皇立場を政治の渦巻きへ巻き込ませぬようにしよう、そういう配慮をされることを私は確信しておるわけです。これは非常に大事なことでございまして、天皇自身を政治の渦中に、いわんや国際政治の渦中などに巻き込んだら一これは非常な問題が起こるわけですから、特にこの法律ができ上る機会に、この点ははっきりしておかれる必要がある。これは私は非常に大事なことだと思います。こういう法律をつくっておくことは適切である。特に海外旅行の全然できないお立場に立つ人間が、陛下であられる。日本人でただ一人だけ海外旅行の自由を束縛されているお立場の人が、陛下であるということがいままであったわけですから、それを今度すくい上げるということにもなる点において、こういう規定を設けたことは適切であろうと思います。総務長官一あなたにひとつ答弁を願いたいのですが、この国事行為委任規定を法制化すると同時に、旧典範にあった元号が新典範にない。いまの昭和というのは、旧典範でつくられた元号である。それが新典範で一体どこへいくかという問題がある。どこにも元号のことはない。そして新典範には「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。」という規定がある。崩じたときは、大喪の礼を行うけれども、しかし、元号をどうするかという規定はないわけです。一世一元という規定がないわけです。天皇が崩じられたときには、一体その次には元号はどうなるのか。これは、かねて当委員会で、私しばしば法制次長高辻先生との間においても議論を展開してきたのであります。そのときにはいろいろ意見が出て、林法制局長官のごときは、閣議を開いて相談する——そんなことで閣議を開いて相談しても間に合いません。きちっとしておかなければならぬ。または国会承認を求めるといっても、急に国会が召集されるわけではない。空白時代が続く。年号は要るのか、要らぬのか、あるいは要るとすればどういうふうにするのか、こういう問題について、しばしば質問を繰り返しておる。公式制度等についていろいろと話し合いの機関をつくられておるようですけれども・一向結論が出ないようです。「大喪の礼を行う。」——大喪のほかに現に生きていると思われる国葬礼というのがある。国葬礼と大喪というのは大体どういう関係があるかわからない。この間予算委員会で質問したときに、国賓について近く閣議で結論を出すとおっしゃったけれども、国賓の範囲をどうするかというふうなことについても——国賓についてしばしば天皇御一家に御迷惑をかけている。政府の思いつきで、この国賓はどうぞひとつ皇室で御招待してください、これは国賓の中に入れませんからけっこうです——なかなか皇室御一家もお世話が多いことだと思うのですよ。この国賓の取り扱いをどういうふうにするのか、その他いろいろな問題があると思うのです。こうしたことに対してきちっとした規定を設けておかないと、国の基本的な問題としても大事な点ですからね、長官、御答弁願います。
  77. 野田武夫

    野田政府委員 現在の皇室典範に元号の問題がないとおっしゃいますが、前からこれは論議されておるところでございます。いまお話しのとおり、公式制度連絡調査会議というものがございまして、その間やはり元号問題は取り上げております。しかし、まだ受田さんのおっしゃるように何ら結論に達しないでおりますが、同時に法制局でも、これをどうするか——一部には西暦で数えてはどうだというような意見もあるようでございますが、何と申しましても、日本には古来から日本の元号というものがあるのでございますから、そういうように簡単に割り切ってこの問題を処理するということについては、必ずしも適当でないというので、いま申しました公式制度連絡調査会議でも問題になりますし、また法制局におきましても、長い間これについての法制上の検討を重ねております。その間のことは特に法制局から来ておりますから、一応法制局が検討しておることにつきましても説明をしてもらいまして、なお今後この問題をこのまま過ごすわけにはいかない、また国賓とかいまおっしゃった大喪、国葬、こういう問題も、やはり基準その他を明確にしなければならぬというので、これらもやはりお話のとおりあいまいでどうもわからないから、概念的なことばだけ使ってもいけないので、これもひとつ規定したい、こう思っております。
  78. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 ただいま受田先生から御指摘になりました諸点は、実はかねがね承っておりますし、またそういう経緯がありまして、ただいまお話がございましたような公式制度連絡調査会議というものができたわけでありますが、そこでいま仰せになりましたような諸問題、これは法制局の所管というわけではございませんが、そこでいろいろ検討しておりましたことがあることは、事実でございます。いろいろお話がございましたが、元号の問題、あるいは国賓の問題、あるいは国葬の問題、そういうものの中には、法律上整備を要するものと、そうではなくて、やはり一定の方式というものを樹立すれば足るものと、大きく分けてその二つになると思います。その中で一番問題になるのは、先生しばしば御指摘のとおりの元号の問題であろうと思います。これはっとに御承知のとおりに、一世一元というのを定めました例の明治元年の行政官布告に続きまして、皇室典範なり、あるいは登極令の第三条に規定がありましたが、これがなくなっておりまして、将来どうするのかという問題があることもまた事実でありますが、それらの問題につきましては、やはりかなり基本的にいろいろなことを考え合わせて決定をしなければならぬと思いますので、それはただいま総務長官仰せのとおりに、今後とも検討を続けていかなければならぬと思います。
  79. 受田新吉

    ○受田委員 時間がありませんから、これを掘り下げることは次の機会に譲ります。  最後に一点だけ。認証官であり、終始閣議に参画していらっしゃる総務長官に伺いますが、この臨時代行に関連する質問として、内閣法第九条に「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行なう。」とあります。「その予め指定する国務大臣」とはっきり法律にうたってあるわけです。だれがいま「予め指定する国務大臣」になっておるのか、お答えを願います。
  80. 野田武夫

    野田政府委員 この前は、御承知のとおり建設大臣がやっております。それからまたほかの大臣がやっております。いまのところ、あらかじめきまった閣僚をきめてありません。
  81. 受田新吉

    ○受田委員 法制次長さん、この内閣法第九条の「その予め指定する国務大臣」ということは、任意規定ではなくて強制規定ではないのですか。あらかじめすでに指定しておくということは一あらかじめ指定することのできるという意味ではなく、「予め指定する国務大臣」でありますから、内閣法第九条をすなおに解釈すればあらかじめ指定する国務大臣がおらなければならぬのじやないですか。法律的にお答え願います。
  82. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 まことに御指摘のとおりでございますが、内閣制度について実は第九条の規定がございますが、この「予め指定する」という「予め」というのは、言うまでもなく「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたとき」というようなときに関連しての「予め」でございますので、内閣総理大臣がおいでにならない、あるいはその職掌をとることができないという場合に備えてあらかじめ指定がされればそれもこの規定としてはそれで足りるのではないかというふうに考えております。
  83. 受田新吉

    ○受田委員 その場でおまえを指定するということになれば、そのときから「予め」の中へ入る、そういうばかな解釈はないわけですね。だから、その「予め」というのはたとえ一分でも三十秒でもあれば「予め」ということに入るという解釈ですか。
  84. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 方法としましては、むろん受田先生おそらくお考えになっておられますように、内閣が成立しましたときに、こういう内閣法の九条に相当するような場合について代行する国務大臣というものは、その当初においてあらかじめ指定しておくことも確かに一つの方法でございますし、そういうことが事実としてあったことも、また御承知のとおりであります。しかし、それでなければいけないかというと、それでなけれでなければいけなというのは少し窮屈ではないかというふうに考えるわけでございまして、そういう必要が生じた、あるいは生ずる見込みがあるとき、そういうときにあらかじめ指定すれば、九条違反ということではないだろうという趣旨で申し上げたわけであります。
  85. 受田新吉

    ○受田委員 私は、この問題はすなおに法文を解釈すべきだと思うのです。したがって、政治的にいまきめてないとするならば、それはこの内閣法の違反である、かように私は解釈しておるわけであります。少なくともケネディが死亡し、あとに副大統領が大統領になる、こういうような形でなければ、いま池田さんが死なれたとしたならば、閣議を開いてだれを臨時代理にするかというような問題が起こってくるわけです。そうじやありませんか。
  86. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 もしも何らかの予測をすることができないで、あらかじめ立てることができなかった場合はどうかということになりますと、それはその場合に内閣総理大臣があらかじめ指定するというわけでございますから、そういう事態がたちまちに出現したということになりますと、それは法文解釈としては、内閣総理大臣があらかじめ指定するということになりますが、それは結局内閣を代表する立場における内閣総理大臣がすることになっておるわけでございますから、それは内閣自身が閣議でもって決定すればいいだろうと思います。しかし、第九条はそういう場合について特に規定しておるわけではございませんことは御承知のとおりでありまして、おっしゃいますように、当初においてあらかじめ指定しておくのもいい方法でございましようが、あるいはいままでにしぱしば例がありますように、何か海外旅行というような場合に際しまして、その出発前、つまりあらかじめ指定して事の処理を適切にするということも、これは九条に違反するとは言えないだろうというふうに思うわけであります。
  87. 受田新吉

    ○受田委員 あなたは内閣の番頭法律家になっておりますから、問題があるのです。私は、たとえば池田さんが今夜にでも心臓麻痺なくなられた。たいへん不吉な例示をしますけれども、人間なま身でございますから、一つの例をあげます。そのときに、明日になって急に閣議を開く。私は内閣法の精神は、いつ総理がこの世から去ってもあとがぴしっといくように、ケネディのあとにジョンソンがぴしっと継承できるような形のものがなければ、内閣法の精神が生かされぬと思うのです。いまのようにお山の大将ばかりおって、あなたは一体だれの味方をされますか。これは法律論として、そういう場合には、それなら総理大臣の代理者もいない形で閣議が開かれた。内閣総理大臣が欠けておって、その職務を代行する人のいない場合に、その間に総理大臣の名をもって行なわれるいろいろな行政行為というものは、次に閣議で話し合ってきまったとした場合に、一体その総理大臣で遡及して効力を発生できるものかどうか。
  88. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 御質問の趣旨か、私が言いましたような事故があるときを予測されて事前に指定されるときはいいにしても、突発的にそういう事故が起こって、その場合にあらかじめ指定する国務大臣というものがなかった場合には困るではないかということでございますが、その場合だけに限定して申し上げますが、確かにあらかじめ指定する国務大臣というものが事実としておられないわけでございますから、そういうものとして何とか措置をしなければならない。措置をしなければならない方式は、先ほど申し上げたとおりに、通常の場合は内閣総理大臣が指定するわけでございますが、その場合には内閣総理大臣がおられないわけでありますから、これはその法意をくみまして、内閣という行政権の帰属する最高の機関がみずから決定をしていくということでよろしいというふうに考えるわけであります。これはどうもおまえの言うことはおかしいということではなしに一なしにというのははなはだかってな話でございますが、要するにそういう場合に、困った場合というか、そういう場合を救済するような措置としての方法といたしましては、九条の法意に照らしまして、内閣自身が合議によって決定するということになるのが自然であろうと思います。ただ、だれにいくのかというのは、これは事実問題になります。  ところでもう一つ御質問は、その場合に、とにかく時間的な間隔があく。時間的な間隔があいた場合に、内閣総理大臣の行為との関連いかんということでございますが、それは行為にもいろいろありますので、あまりたいした現実の問題は起こらないであろうというふうに考えるわけでございます。
  89. 受田新吉

    ○受田委員 それはあなた非常に簡単に考えておられるけれども、もう時代が違ってきておるのですよ。もうスピード時代だし、機械化時代です。人間なま身です。いつ事故が起こるかもしれません。交通事政、心臓麻痺、いろいろなことがある。そのときに一体法律論として、これはこの次の機会までにはっきりお答え願いたいのですが、総理が欠けた場合における法律行為というものの、行政行為というものの効果は、どういう形で承認されるものか、だれが責任者でやることになるのか。総理が塩時代理もおらないで死んだ場合には、だれが閣議の招集をするのか。
  90. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 内閣総理大臣がおられないことが前提でございますから、内閣総理大臣の行為というものはないということが、どうしても前提にならざるを得ないわけであります。そういう場合に、まあ、通常は内閣総理大臣、行政権の帰属する内閣というものは、これは存在するわけですから、大きな意味における行政権の継続というものには、基本的な障害はまずないであろう。ところで非常にこまかい例でございますが、閣議を招集するのはだれかということでございまして、これはむろん内閣総理大臣は閣議の首長であり、内閣の首長であり、閣議を主宰し、外に対して代表するわけでございますので、通常はむろん内閣総理大臣がおやりになることが当然であるが、内閣総理大臣がいなくなった、急にどうかなさったという場合に、絶対に閣議は開けないという解釈をとるのか、そうではなくて、そういう場合には適宜な人が通常の慣行に従って閣議を招集することにするのか、どちらがいいかといえば、むろんそれは通常の慣行にしたがって閣議を招集する手続をして、あとのことを考えるほうがはるかに適切であろうと思います。これは言うまでもないと思いますが、そういう場合に、はたして内閣法の措置するところかどうかということはともかくといたしまして、そういう事態が生じた場合の法制上の措置といたしまして、解釈といたしましては、いま申し上げたのが最も適切ではないかというふうに考えるのであります。
  91. 受田新吉

    ○受田委員 これはこれでおきますけれども内閣法の第四条には、閣議の規定がある。「閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。」総理大臣あるいは総理大臣の代行者以外のものが主宰するとはないのです。だから、だれも主宰者がおらないような閣議があり得ますか。法律改正しなければならない。そうすると、主宰者がおらぬような閣議というものはあり得ますか。そうなれば法律改正しなければいかぬ。主宰者のおらぬような閣議は、法律違反です。これは閣議の規定からいっても、総理大臣のいない閣議というものは何をもって成立するのか。法理論から言ってもたいへんな問題だ。そうじやないですか。通例の慣行とは何を言っているのですか。
  92. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 いまのお話は、大いに私は問い詰められております。そういう場合が生じたらどうであるかというお話でございますので、実は生じた場合に、国政の運行がとまるというようなことを考えるべきではなく、やはりその場合には窺通の道を考えていいだろう。それ自身は、いかに法律といえども、そういう場合には何もできないようにするべきだというような考え方でないことは確かだろうと思いますが、しかし、御指摘のように、それが通常内閣法の予想しておるところでないことは確かでございまして、これはやはり運用の上から言っても、そういう事態が生ずる前にあらかじめ指定するという道を講ずるのが筋道であることは、言うまでもないことでございます。
  93. 受田新吉

    ○受田委員 私は、あなたにはっきりしてもらいたい。つまりあらかじめ指定する大臣は、常時用意しておかなければならぬのですよ。そういう解釈をあなたはなぜとってくれぬですか。今夜でも突然池田内閣総理大臣が心臓麻痺で逝去というようなことは、なしとは断言できないわけですよ。自動車事故で衝突する、飛行機で落ちる、そういう場合に、ちゃんとあらかじめ指定する大臣を置いておかなければならぬじゃないですか。あなたは純粋な法律家として——内閣法律番頭ではなくて、純粋な法律家として、この際はお答えを願わないと、総理は反省しませんよ。私は、このことを特に総理大臣が来られたら確かめようと思いますが、あなたは、法律家として、あらかじめ指定する大臣を用意されるべきであるという結論を持っておられるかどうか。これで私は質問はおきます。
  94. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 あらかじめ指定されておる者がなかった場合の話に重点が自然に移ってきたものですから私は申し上げましたが、内閣法九条は、ここで規定しておりますように、その「予め」がいつかということは、これは何も当初でなければいかぬということはないと思いますけれども、事故が発生して内閣総理大臣の職務をとることができないようになる、その「予め」指定されておくことが内閣法九条のたてまえであるということは、確かなことでございます。
  95. 受田新吉

    ○受田委員 よろしい。
  96. 徳安實藏

    徳安委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は、来たる十七日午前十時理事会、十時半委員会を開会することとし、これにて散会いたします。    午後一時三十四分散会