○
平岡小
委員 一
税理士を圧殺するなんという意図は毛頭ない、ただしこの
税理士を野放しにしておくことは
税理士全般に及ぶ、あなたのほうから見れば悪影響があると思うので、そういう点に関心を持っているのだという趣旨の
お話がありました。あなたのおっしゃるのは、どんぴしゃりで言いますれば、別段賞与、それから旅費、日当等についてのことであろうと思うのです。ですから、私は、この二点につきまして、税法学上の常識的見解を申し述べさせていただきまして、
長官の御参考にしたいと考えるものであります。瞬間的制約がありますので、私の一方的な論述になると思うのですが、それもやはり時間を考慮してのことですから、お許しを願います。
まず、この
事件で問題となっている別段賞与とば、利潤分配的なものであります。それは企業における利潤追求過程での労働の積極的役割りを評価して、株主に対する配当と同様に利益分配に参加させるという考え方であります。この点はあなた自身も十分御承知になっていることと思います。ただ私がつけ加えたいのは、現在労働事情というものにつきまして、大企業に全部労働力が集中するわけですね。中小企業者は手不足になるのです。それで中小企業者の自衛的な
立場において、やはり運命共同体として連帯性を持たせ、積極的にその企業に参加させる、その利益を配分することで足どめでもしなければしかたがないような現実の情勢があるわけです。ですから、私は、そういう意味におきましては、やはり中小企業者の顧問としてこの問題に取り組んでおられる
税理士の方とすれば、こういう問題をやはり積極的に考えていかなければならぬ事態にあると思うのです。私はそういう意味で現在の中小企業者の置かれた
立場から必然的なこういう要請が内在しているというふうに考えたいのであります。そのことは別にしまして、従業員賞与を益金
処分でやれば法人税を課税されるので、益金
処分が決定される事業年度内の見込み利益の約二〇%までは会社の申し出があれば未払い賞与に引き当て計上させていた。それは
飯塚君にとっては正しいとするゆるぎない信念から発しているものなのであります。この別段賞与を
国税庁当局は
脱税なりと当初断定いたしました。
新聞論調を見ましても、この
当局の意を受けまして、別段賞与即
脱税という直線的結びつけが目立っておったのであります。ここに興味ある二つの解説書があるわけでありまして、すなわち東京
国税局法人税課長後藤清監修の、「法人税実務問題集一〇九」、それから東京
国税局法人税課長大池武雄監修、「法人税
質疑応答集九七」、後者につきましては、すでに横山君も縷説しておりましたが、この二つの解説書を要約いたしますと、いずれも回答式をとっておりまして、同一
内容の設例でございます。異なるところは法人売却の土地三百坪が片方は五万坪になり、譲渡益一千万円が片方は五千万円になっただけでありまして、この二つの著述は同工異曲のものでありまして、異常利益を得たため使用人に臨時賞与を支給し、当該金額を使用人から借り入れ金とした場合の課税
関係と両方ともタイトルはうたっておるわけであります。そして問として、以前から持っていた土地が値上がった、これを売却したので当期は巨額の利益が出る予定、そこで(イ)として、譲渡金の一部を役員、全従業員に臨時賞与として支給したいが、損金と認められるか。(ロ)として、支給方法は源泉
所得税を差し引いた残りを借り入れるという方法でも認められるか。それに対する
答えとして、一つ、役員に対するものは益金
処分とされる。二つ、従業員に対するものは損金支出として認められる。三、こうした臨時賞与を損金に認めないということはない。四、異常利益に対する法人税の回避、または利益調節と見て損金支出を否認されることはない。五、支給方法は必ずしも現金であることを要しない。六、源泉税差し引き残額を借り入れ金として
処理しても否認しない。以上であります。
ここでは明白に
飯塚方式の別段賞与が合法であることをきっぱりと断言しておるのであります。特に重要なことは、この設例では土地の値上がりでもうかった異常な利益であり、従業員の成果に対する分配ではございません。これさえも異常利益の回避調節とは見ないと言っているのであります。一見して奇異に思われるのでありまするが、これはわが国税法が従来からとっている基本的たてまえである法人擬制説の思想に連なるものと私は考えます。法人擬制説の根底思想にあるものは、御承知のとおり法人とは営利追求活動を行なう個人の集合体であって、単なる人格の擬制にすぎない。したがって法人
所得の最終的帰属者は構成員である個人であって、法人を独立した
納税者とすべきではない。便宜上法人税を課税するとしても、それは個人
所得税の前どり、一種の源泉徴収である、この思想があるわけであります。まあ防衛庁からおいでになった
国税庁長官が必ずしも税法に明るくないであろうことはしかたがないと思うのですけれども、しかしこの
安井部長とか訟務官すら、最初のうちは
先ほどの解説書の存在すら知らなかったらしいのであります。日を追ってかかる解説書のあることを知りまして、別段賞与は即
脱税だという勇ましいかけ声のほうはきまり悪そうにだんだんと細くなって、かわりに登場してきましたものが一つは支払う意思、二つは受け取ったという認識、三つは預け入れるという意思、四つは返すという意思という詭弁学派的な出まかせ論でありまして、この四点のどの一つを聞いてても別段賞与とはいえないと言い出したのであります。これはすでに税法の権利、義務確定主義の原則や擬制債務の範疇を越えた心理学的領域のことであります。さきの
大蔵委員会で前記の解説書のことを
横山委員に追及されました
長官は、解説書序文で、私見にわたるところがあると断わってあると
答弁しております。しかし序文にはこうも書いてあるわけであります。この序に収録してあるものは過去五カ年間にわたり、実際に東京
国税局法人税課におきまして文書、それから
電話、または口頭で
質問を受けたものの中から選んだ。中略。また「
税務通信」誌上において発表したものである。この書をまとめ上げた担当者は東京
国税局法人課
竹本課長補佐、鈴木(和)主査を中心とした板垣
審査係長、それから真船、鈴木(一)それから畑山、浅見の各事務官である、として執筆者の
責任を明らかにしているのであります。
全国二万人にものぼるところの
税理士試験受験者や、たくさんの経理マンはこうした書物を権威といたしまして、手引きといたしておるわけであります。
電話や口頭あるいは文書でこうした説明を実際に聞いた
納税者は、一体どうなるのでしょうか。
税務署に呼び出しを受け、また弾圧的
調査の
段階で
修正申告を強要された会社は一体どうなるのか。無理やりに会社に対する貸し付け金を意に反して放棄せしめられた従業員はどうなるのか。そうして過去において支払った源泉
所得税や、借り入れ金利息はどうしてこれが
処理されておるのか、何ら現在
処理されておらないではありませんか。日本国税法のもとにおきまして、この種の別段賞与は全国的に行なわれておるのであります。
飯塚事務所にだけ
脱税と断定して法の公正がこれで保てるかどうか、私は疑問であります。もし
当局の言うごとく別段賞与が
脱税だということを認めるならば、後藤前課長、大池課長は
脱税教唆の元凶であり、前記の七名の事務官はさしずめ共犯ということになります。もしこれらの解説書がなかったならば、別段賞与即
脱税論は全国を嵐のように恐怖にたたき込んだと私は思います。何も知らない
納税者は何によって救いを求め得るのか。この二冊の解説書の出る以前に、別段賞与を一円も認めなかった
税務署の一方的更正
処分に対して、
税理士としての
責任ある見解と確信を述べ、あえて東京地裁に
税務訴訟二件の提訴をして、中小企業の救済を求めた
飯塚税理士の英断と見識は私は高く評価されなければならぬと思っております。別段賞与が不正経理、
脱税だという確信があるのなら、この訴訟の判決を待つべきであります。勝算に自信を失って開き直ったとしか私は考えられないのであります。大弾圧をちらっかせて
税務訴訟の取り下げと不正経理の自認を迫るなんというのは、言語道断であります。これが
憲法の番人をもってみずから任じなければならぬところの公務員の態度であるのかどうか、私は非常に遺憾と存ずる次第でございます。
税務調査に名をかりた犯罪裏づけ捜査をやりながら、訴訟対策に窮して、片や公判の日取りの延期方を
飯塚君に申し出た事実があります。こういうことを
委員の諸君によく御理解願いたいと思います。
次に旅費日当と水増し給与についてであります。時間の制約上この点についてはなるべくしりをはしょりたいと思っておりますが、
第一に旅費日当について、わが国の旅費制度は、次のように官吏やサラリーマンに都合のよいような二重構造になっているわけであります。カテゴリーの一は、企業主に対するものであります。これは実費弁償主義であります。それからカテゴリーの二は、給与
所得者に対するもの、これは給与補充機能を持たせたものであります。給与
所得者の旅費日当は生活補給的機能を果たすように制度そのものがつくられておりますが、非課税
所得とされておることが特徴であります。そうして法人企業はその自主的判断に基づいて、たとえば重役は航空機、それから課長は一等の汽車賃、社員は二等の汽車賃、宿泊料は幾ら幾らまで、日当一日当たり幾らまでとそれぞれ旅費規定をつくって運用しているわけであります。旅費日当についての法定限度額はいかなる法令、
通達にもないことは留意に値するところであります。いかなる
通達にもないのであります。本来わが国は法治国であり、租税は
先ほど申したように
法律に基づいて課税さるべきであります。租税
法律主義の原則を確立せよという
税理士会からの多年の要望と抵抗の
根拠はなぜ生じたか、それは
飯塚事件に直面して
当局によって吐かれたことばの数々を見ればわかるわけであります。すなわち中小企業者の旅費日当は千円以上は全部
脱税として
処分すると言っております。これは
安井直
税部長が去年の十月二十八日に言っております。それから同じく九月の二十八日、金子訟務官は、
得意先六百社の旅費日当を全部三カ年にさかのぼって
修正申告しろと言っておるのであります。これが民主
憲法下における
国税庁首脳部のことばであると私はとうてい思えないのであります。
部下の
行き過ぎはないかを監督する地位にありながら、この始末であります。下は推して知るべしということであります。千円以上の旅費日当イコール
脱税だということは、私は暴論であると思っております。さらに留意すべきことは、
国税庁長官のきめた
税理士報酬規程には何と書いてあるか。旅費一等実費、日当五千円、それから宿泊料は三千円と明定いたしておるのであります。これは三十六年の三月の認可によるものであります。みずからが運用する税法を知らず、
国税庁長官の認可した報酬規程を踏みにじって、
飯塚税理士の意に反して、ほとんど脅迫のもとに、三カ年にさかのぼって
修正申告をさせました。ここでは直
税部長や訟務官がナポレオンばりに、おれが
法律なのだという言い方で、強引に三カ年にさかのぼって、
長官自身が認めた旅費実費、日当の五千円が、
飯塚には不当だということで更正決定させておるわけです。また顧問先六百社についても、三カ年遡及して
修正申告を強要し、
税理士にとって
権限もなければ、説得も不可能な無理難題を押しつけてきました。国会で追及を受けると、
長官は、旅費規程を
あとからつくってから出張をさせていると強弁しました。事実はそうであるかどうか、全くその反対であります。
提訴されている
税務訴訟の争点では、仮装出張だとしながら、旅費、車馬賃を認めて、日当部分だけを全額否認しているのです。これも矛盾であります。仮装出張なら汽車賃なども全部否認すべきではないのか、論理は宙に浮いておるわけであります。また、から出張だといいながら、日当を千円まで認めて
修正申告を出せというのはどういうことなのか、これまた論理の矛盾であります。
ついでに、いわゆる水増し給与について一言します。給料の遡及増額イコール水増し
脱税給与としていますが、この論理もまことに飛躍しております。たとえば、公務員が団体交渉で賃上げに成功した、新給与体系で三カ月さかのぼって昇給分をもらった。こうした例がかつて水増し給与とか
脱税とか呼ばれたことがありますか。給与を一定期間さかのぼって増額支給することは、今日世上一般の常識ですらあります。
以上が
当局が鳴りもの入りで宣伝した
飯塚はけしからぬといういわゆる
飯塚事件の要点であります。はなはだしい独断で直線的に
脱税論と結びつけて、その間にあたかも民法、税法等の各条文を悪用して、大規模な不正経理を直接指導し、架空や仮装の
所得の脱漏、隠蔽をはかった確証が握られたかのごとく
新聞紙上等に発表しておきながら、事実の実態というものはいま申したとおりのものであります。
飯塚君は、私が
調査したところによりますれば、
脱税指導どころか、顧問先の
脱税防止のために実に数十項目にわたるところの
報告書をもって
職員に監査復命させております。
脱税指導の事実がないのに、
脱税指導の確証があり得るわけがないのであります。私は、この
事件の経過のうちで、一回
長官にお会いしたがったのです。事を荒立てる必要もないのだし、何とかお互いの意思疎通をはかって、円満に事を落着させたいという念願に立っておりました。それで、一月でしたか、
鳩山直税部長のほうを通じまして、あなたにお目にかかりたいということで、あなたが私の部屋までわざわざお越ししてくださるという取りつけがなされました。それで、そのときに、ちょうどその前日か前々日に、私は、
飯塚君の事務所が後楽園の近くにございますが、そこに行ったわけです。私自身もその事務所の様子を見ておく必要があると思ったので行きました。
飯塚君の事務所の応接間に通されましたところ、汗牛充棟ただならずというほどではございませんが、りっぱな蔵書を持った応接間であります。商売柄税法
関係の英文、独文、仏文の蔵書が一ぱいありました。こけおどしのものではない。すべて目を通しておる。ということは、非常に業務の管理がよく行き届いて、自分自身としては、ひまがつくられてあるわけですね。非常に勉強家です。たまたま私は
飯塚君の机の上にある本を取り上げてみたら、それはなんとうダクリシナンの「インディアン・フィロソフィー」でした。ラダクリシナンは、御承知のとおりネールの
あとを襲いまして現在インドの大統領でございます。私がその書に目をとめたということはいきさつがあるのです。参考までにこの写真を持ってきてみたのですけれども、これは
あとでごらんに入れてもいいのですけれども、一九六一年ですから、さきおととしの七月十七日に、大蔵
委員の派遣議員団として欧州を回った帰りに、
春日一幸君とそれから鴨田君と私、代議士以外の人はそのほかにもいましたが、ラダクリシナンにお会いした時のものです。私は実はタゴールを少し勉強しておったのです。ラダクリシナンはタゴールの門下生で、これは直系の学問を伝承しておられる方といいますか、そういうことで、大使館に特にラダクリシナンに会いたいということで、ほかの代議士も一緒に行ってくれぬかということで行ったわけです。そのときに、大使館員の言うことに、ラダクリシナンは非常に話好きなので、へたをすると二時間くらい押しまくられる、そういうことを聞いたので、別の用もあったので、いわゆるフリーな話のときに、時間もそうなかったので、インド仏教の真髄というものを二分間で話してくれと私言うたわけです。そうしたら、二分間はおろか、にやにや笑っておりましたが、それは「ピュアリファィ・マインドだ」という話でした。そういういきさつがあり、私はラダクリシナン自身に非常に興味を持っておったわけです。ついでですから言いますが、その節になおタゴールのことについて話が出ました。私はそのときに、タゴールの真髄、宗教観というものに対して、私がしょっちゅう愛唱していたことはなんですけれども、——これはタゴールの「フィロソフィー・オブ・レジャー」ですか、「有閑の哲学」ですね、それに書かれてあるエッセンスなんですが、アイ キャンノット バット ラブ マイ ゴッド ビコーズヒー ギブス ミー フリーダムトゥー ディナイ ヒム「私は神が彼を否定する自由を与えるがゆえにこそ神を愛せざるを得ない。」それからゴッドラブズ トゥー シー インミー ノット ヒズ サーヴァントバット ヒムセルフ フー サーヴズオール「神は私の中に彼の下僕を見んよりは、むしろ全てのものに奉仕する神自身を見ることを好み給う。」そういう句を私が申し上げたりして、非常に印象深い一ときを送ったのであります。
飯塚君は、最も新しいラダクリシナンの著書を置いて、それが全部読まれておるわけです。それから、
飯塚君自身は七十七名の
職員をかかえております。この暴風のごとき弾圧下にあって一人の落後者もございません。だから彼は宗教的に徹した一つの信念を持っております。いま申したように、非常に宗教心も厚いりっぱな方です。ですから、あなたに、こんなもんちゃくがあまり進展せぬうちに
飯塚事務所をひとつ見ていただければ、すべて
国税庁のあなたの
部下の誤解が解けるだろう、そういうことを念願し、あなたが私にわざわざお会いくださるのでしたら、何とかその
あと四十分だけ私にプライベートの時間を
長官にさらにくださいということを鳩山さんを通じまして申し上げた。ところがあなたは、そんなことなら行かないということで、私との面会それ自体も破談にしたということなのです。私は今日のこうした紛糾が、いま言うたようなひょんな分岐点から変なことになってしまったことをたいへんに遺憾に思っております。
それからもう一つ申し上げておきたいことがあります。
長官聞いてくださいよ。
飯塚君の業務管理とか、管理組織というものは、みずからもって世界水準を抜くと自負いたしております。というのは、例のサンフランシスコにありますモンゴメリー
税理士事務所、日本流で言えば
税理士事務所ですが、これは三千人の
職員を擁して、大体七万件くらいの会社顧問になっておる。そういう大きな
税理士事務所でありますが、その方式を日本で適用したいということで、それから
職員の出張とか、そういう問題につきましても、普通の
税理士事務所でしたら、午前中Aのところに行ってこい、午後はBのところへくらいのきわめて大ざっぱな出張指令でしょうが、
飯塚君のところは分をもって単位にしておるのです。時間じゃないのです。それがびっしりカード化しておりまして、全部得意さんの状況というものは百項目くらいにわたってチェックされるようにしてあり、このことをなしたか、これをやったかということで、マル・
チョン方式でそれが全部示されている。だから
国税庁はとんでもないものに対して突っかかっていったと私は思っております。こういう事情ですから、あまり変なことにならないうちに、
飯塚君の言い分もよく聞いてもらい、こういう
国税局の一方的な、あるいはまた
安井君あたりがどういう気持ちでやっていったか知らぬですけれども、そういう
部下だけの話でなしに、私どもの話にも耳を傾けていただきたかったわけです。ですが、そういう機会も失われまして、今日のような食うか食われるかのような凄惨な争いになったことはたいへん残念に思っております。私はそういう
飯塚君の現実も見ておりますので、
国税庁が今度は間違ったなという、確信、心証を、たいへん残念なことなわけでありますが、持たざるを得ないわけであります。私はこの問題の進展の途上においてあなたが私に会ってくださらなかったことをたいへん残念に思っておるわけです。大蔵
委員とか
国税庁の
長官とかいうものは親類づき合いなんですから、そんな分け隔てすることなしに、かたくなな気持ちを開いて、そういう機会においては
最大限御接触を願いたいことを特に希望をしたいのであります。
そういうことでありまして、
飯塚税理士事務所の管理組織から、あなた方がどうつついても、決してくずせません、そういう不正をしていないのですから。はたせるかな、
新聞にはあのように予告編的に、大々的に
飯塚君の
脱税指導を宣伝いたしましたけれども、
飯塚に
脱税協力の事実が出ておりません。
職員にも出ていない。あえて言うならば、現状四人の拘置は、出ているかのごとく印象づけられるだけの話であります。おそらくクレリカル・ミステークは別といたしまして、私は彼らの無罪を信じております。
私は、きょうの私の
質問、論陣を、最後に、
国税庁の顧問弁護士である田中勝次郎博士との会見てんまつを付することによって終わりたいと思います。
田中博士は、「国家権力が拷問
調査をやる以上防ぎようがない。低姿勢をとって嘆願書を出しなさい。真実
脱税ほう助をやったのではないから。今私の書いたこの文章を前文にしなさい。」すなわち、「結果においては、あたかも
脱税ほう助を為したかの如く思考せらるる行為があり、深く反省し、かつ恥じている次第でございます」とのいわゆる
飯塚嘆願書の、初めの部分の案文は田中博士が書かれたものなのです。それに続く各論は
飯塚君自身が書きなさい、気にいらないと思うだろうが、これくらいの表現は入れておいたほうがいいと思うんだ——これか
飯塚税理士が不正経理を自認したと、とくとくと鬼の首でも取ったかのごとく
長官が
答弁したり、
新聞で騒ぎ立てられた本体の実際上のいきさつでございます。それから、田中博士が
飯塚君にこういう前文を書きなさいと言ったのは、十一月二十五日のことであります。それより十三日前に、つまり十一月十二日に、さらに田中博士は、「
飯塚君、軽微な
職員の過失を上申して何とかこの暴風を避ける方法はないか」と
飯塚君に言っております。それで、非常に田中博士が心配され、こういう助言をあえてしたわけですが、
飯塚君もこれに応諾したわけであります。これが有名な「
職員何某から不正経理の告白を受けました。痛恨に舌をかみつつ上申に及びます。」という上申書のできたいきさつであります。しからばその
内容というものはどういうものであったか。相続税申告に際しての注意不足が二件、単純な事務上の過失、監査漏れが四件、
飯塚君がたったこれだけのことをさがし出すのに九月二十八日から二カ月以上もかかったのであります。
職員に不正がないのですよ。不正を生ずるような構成になっておらぬのです。いまからでもおそくはない、あなたは
飯塚事務所にいらっしゃる義務がある。
飯塚事務所の実情を見てください。
飯塚税理士がどんなに追及しても、泣き落として
職員に頼んでみましても、みずから経理事務所としては世界的水準を抜く業務管理だと自負するだけあって、どうしてもかき集めることができなかったのであります。全く驚き入った——いい意味におきまして驚き入った事務所であります。痛恨に舌をかみつつなどというオーバーな表現は、
内容乏しきを補うにはそれ以外の表現がなかったからであります。これが真相であります。
飯塚事務所では、関与先が
所得を隠蔽していやしくも重加算税を受けたとしますと、即日顧問契約を解除するという峻烈ともいえる方針を現在まで守り通してきました。私はこのことを特に強調いたします。そういうことでありますので、
国税庁のあなた自身は非常に高酒な方かもしれませんけれども、関東信越局やあなたの
部下はあまりにも仕事に忠実過ぎます。
飯塚をとっちめることが、
先ほど私が申したような税界報における
国税庁の権力主義をなお進展させるという、そういう前触れとしてあったというようなことは信じたくございませんが、
飯塚事件の扱い方は、しかく簡単に、あなたの予断をもって
処理すべきものではないということを私はここに重ねて強調いたし、御善処を願いたいと思います。
時間もちょうど七時になりましたので、きょうはこれでやめますが、なお私に後の機会にまた
発言をさせてくださいまするよう、
委員長に権利保留をお願いしておきたいと存じます。
長官から何か一言ありましたらどうぞ。