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1964-04-27 第46回国会 衆議院 商工委員会石炭対策特別委員会連合審査会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年四月二十七日(月曜日)    午後二時二十一分開議  出席委員   商工委員会   委員長 二階堂 進君  理事小川 平二君理事小平 久雄君  理事板川 正吾君理事中村 重光君    浦野 幸男君  小笠 公韶君    小沢 辰男君  大石 八治君    海部 俊樹君  神田  博君    小宮山重四郎君 佐々木秀世君    田中 龍夫君  田中 正巳君    田中 六助君  中村 幸八君    桜井 茂尚君  藤田 高敏君    麻生 良方君  伊藤卯四郎君   石炭対策特別委員会   委員長 中村 寅太君  理事有田 喜一君理事神田  博君  理事賀谷真稔理事滝井 義高君  理事中村 重光君    壽原 正一君  田中 六助君    中村 幸八君  西岡 武夫君    三原 朝雄君  細谷 治嘉君    八木  昇君  伊藤卯四郎君   出席国務大臣    通商産業大臣  福田  一君   出席政府委員    通商産業政務次    官    通商産業事務官    (鉱山局長)    通商産業事務官    (石炭局長田中 榮一君 加藤 悌次君 新井 眞一君   委員外出席者    参考人    (東京大学教授)    参考人    (九州大学助教    授)    専門員 加藤 一郎徳本  鎭君 渡邊 一俊君     ————————————— 本日の会議に付した案件  鉱業法の一部を改正する法律案(内  閣提出第五三号)      ————◇—————   〔二階堂商工委員長委員長席に   着く〕
  2. 二階堂進

    二階堂委員長 これより商工委員会石炭対策特別委員会連合審査会を開会いたします。  先例によりまして、私が委員長の職務を行ないます。  内閣提出鉱業法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として東京大学教授加藤一郎君及び九州大学助教授徳本鎮君の両君が御出席になっておられます。  この際、参考人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は御多用中にもかかわらず御出席いただき、厚くお礼を申し上げます。  御承知のとおり、本案は十数年にわたって施行されてまいりました鉱業法の抜本的な改正でありますので、本委員会におきましても慎重に審査を進めている次第であります。本日は特に学識経験者の方の御意見をお聞きし、審議をいたすことにいたした次第でございます。両参考人におかれましては、忌憚のない御意見をお述べくださいますようお願い申し上げます。御意見は、委員からの質疑に対する御答弁の形でお述べいただきたいと存じます。  それでは、質疑の通告がありますので順次これを許可いたします。小笠公韶君
  3. 小笠公韶

    小笠委員 鉱業法の一部改正法律案に関しましてこれまで審議を進めてまいっておるのでありますが、その中で、鉱業権地上権、いわゆる所有権との関係をいかに調整するか、原案第五章の二に関連いたしまして、なお慎重に検討を要する点があるようにも思われますと同時に、非常にむずかしい法律論を要するものと思うのでありまして、この点につきまして、若干の点について加藤先生徳本先生にお伺いをしてお教えをいただきたい、こう思うのであります。  現行鉱業法のもとにおきましては、所有権との競合をする場合におきましては、民訴による仮処分の申請等によりましていろいろの事態を起こしてまいっておることは皆さま承知のとおりでございます。ある意味におきまして、鉱業権の乱用といっても差しつかえないような面なしとしないのであります。他面、最近におきまする日本の産業、社会の発展、特に地域格差の減少を目ざしての国土開発、新しい都市づくりというような大きな国策が出てまいりまして、その地域におきまする地上権と、いわゆる都市づくり国土開発と申しますか、その地下におきまする鉱産物採掘との関係に多くの考えさせられる点を投げかけておることもまた一つの事実であります。こういう時点におきまして本法案を見まするときに、私どもいろいろ判断に苦しむのであります。加藤先生は、鉱業法改正審議会のメンバーとして、この改正案作案に御努力をいただいた方でございますが、この改正案特殊施設に対する損害賠償請求権等規定を見ますと、土地所有権との関係で、鉱業権の力が少し強く出ているのではないか、こういう見方も一つできるのでありますが、その点につきまして先生はどういうふうにお考えになっておるか、これが第一点としてお伺いいたしたいところであります。  第二点の問題は、鉱業法改正案の第五章の二の第百八条の二及び第百八条の六等の規定をいたしまして、鉱業権者地上権者に対する権能といいますか、権利を明らかにいたしておりますが、このような規定を置くからには、これに対応して土地所有権者側からも、鉱業権者に対して有する権能について鉱業法に明文をもって規定さるべきではないか。土地所有権のほうは本来最も強い物権として民法規定そのままでいいのか、立法形態としてのつり合いの議論から見てこれでいいのか、この点についてどういうふうにお考えになっておられるか、これがお伺いいたしたい第二点であります。  第三点は、第百八条の二及び第百八条の六の規定によりまして、採掘権者特殊施設の設置の停止について土地調整委員会裁決申請ができない場合に、別途裁判所に対しても鉱業権に基づいて妨害排除請求ができるのかどうか。いわゆる一般法特殊法規と申しますか、一般と例外の規定関係に立つとお考えになるのかどうか、この点をお伺いしたいのであります。これに関連いたしまして、試掘権に基づいて土地所有者に対して妨害排除請求ができるかどうか、これが第三点でございます。  この三点につきまして加藤先生のお教えを請いたいと思うのであります。
  4. 加藤悌次

    加藤参考人 加藤でございます。  私は、いまお話のございましたように、鉱業法改正審議会委員をしておったのでございますが、きょうお話しいたしますのは私の個人の考えでございますので、そのつもりでお聞きをいただきたいと存じます。  なお私の専門民法でございますので、かたわら民法関係ということで鉱業法のことを若干勉強はしておりますけれども、そのおつもりでお聞きを願いたいと存じます。  まず御質問の第一点でございますが、鉱業権のほうが強過ぎないだろうかという点でございます。この土地所有権鉱業権との関係につきましては、いろいろな考え方がございまして、これはもう皆さま方が御承知のことと存じますけれども、一方では土地所有権を非常に強く考えまして、土地所有権からは鉱業権に対して、あらゆるといいますか、妨害排除損害賠償等いろいろ請求ができるけれども、鉱業権の側からは地上権益者に対して何も言うことができないという考え方もあると思います。また逆に鉱業権のほうを非常に強く考えまして、鉱業権がある以上は、地上のほうがそれだけへこまなければならないという考え方もあると思います。大体いままでの考え方を見ますと、民法学者は大体土地所有権を強く考えるほうに片寄り、鉱業法関係学者方々鉱業権を強く考えるというように傾いているように思われるのですが、これはそれぞれの法律の性質上あるいは当然のことかもしれません。ただその考え方には非常にいろいろのこまかい差がありまして、その中間的な考え方もあり得るわけであります。  今度鉱業法改正の場合に私が考えましたことは、このように考え方が非常に分かれていては、法律関係紛争が非常に多くなる、また現に多くなってきているように思うのでありますが、これを法律のないままに放置したのでは、今後増加してくると思われる紛争を処理するために不適当ではないだろうか。もちろん法律上の紛争でございますから、裁判所に持ち出して現行法のもとでも何らかの判決が得られるはずでありますけれども、そのことについて的確な予想というものが現在できない状態にあると思われます。これはほっておけば、おのずから判例が一つに固まっていくということも考えられないわけではないのですが、大体鉱業関係紛争というものは裁判所に出にくいものでありまして、なかなか裁判例で統一されるということは期待しにくい。それでは学説一つにまとまっていくかと申しますと、この点も非常に期待しにくい状態ではないだろうか。抽象的にどちらが強いかということを議論するのは非常に簡単でございますが、実際に出てきた紛争をどう合理的に調整するかということは、これは非常にむずかしいことでありまして、これはわが国法律学というものが昔から比較的抽象的な議論を好んで、具体的な紛争解決ということはどうもおろそかにしがちであるということも関連いたしまして、いままでの学者議論を見ましても、具体的な問題をどう処理すべきかという指針ともいうべきものは、実際にあまり出ていない状態であります。さらに従来のいろいろな学説の争いと申しますのも、非常に昔の型の紛争考えておりまして、一般の、今度の法律でいえば通常に利用をしている土地所有者と、普通に掘っている鉱業権者との間をいかに調整すべきかという非常に抽象的な一般的な形で議論をしておりまして、今日問題になっているいわゆる特殊施設鉱業権との関係をどう処理すべきかということについては、あまりそれを念頭に置いた議論というものがないように思われます。そういうような点がございまして、放置しておいたのではなかなか合理的な調整ということは期しがたい。そこでこの際鉱業法を根本的に改めるのであれば、どうしてもその点について合理的な規定を置くべきではなかろうか。合理的と申しますのは、これは両方利益の合理的な調整ということでありまして、つまりいままでよりもそのために鉱業権を強くするとかあるいは弱くするということではなくて、われわれが最も妥当かつ合理的に処理するとすれば、どういう方式がいいだろうかということを考えるべきだという感じだったのであります。結果としてでき上がったところを見ますと、いままでの、先ほど申しました両極端の説の大体中間ぐらいのところに落ちついているのではないだろうか。これはまたあとの御質問に対してお答えする点でありますが、形の上では鉱業権者側からの請求だけが法律の上には出ておりますけれども、土地所有者側利益というものは、一般法である民法あるいはその他一般原則あるいは鉱害賠償というような規定によってすでに保護されているのでありまして、いまあいまいでかつ問題になっている点について鉱業法規定を置いたということになるかと思われます。  なお、先ほど都市づくりあるいは国土開発という見地からしてどうだろうかというお話があったのでありますが、この点は、かつては石炭業というものがわが国国策としても非常に重要なものとされていた。それが最近に衰退状態にある。その場合に、地上権益との調整をどう考えるべきかという、そういう問題があると思うのでありますが、私の考えでは、法律関係調整というものは、どちらの側がいま隆盛状態にあるか、あるいは衰退状態にあるかということによって、それほど大きな影響は受けるべきではないんじゃないか。つまり、法律的に見て合理的な調整というものは、大体幅とか型がきまってくるはずでありまして、両方の側のどちらを政策的に保護すべきかという問題は、一応型をきめましたあとで、その型のワクの中で考えるべき問題ではなかろうか。今度の法案について申しますと、たとえば鉱業権者側からの差しとめ請求規定が出ておりますけれども、差しとめ請求の場合には、土地調整委員会公益考慮して差しとめ請求を許すべきかどうかをきめるということになっております。その場合の公益性考慮の中には、一体どちらの利益に現在の国土開発あるいは産業振興という点から見て重きを置くべきかという点がそこではおそらく考慮される、また考慮しなければならないというように思うのですが、その前に立ち返って、調整のための型を考える上において、両方利益を直接持ち込んで考えるべきではないだろう。かりに石炭業が隆盛であったとしても、あるいは石炭業が衰退したとしても、いまの調整の型というものは同じであっていいのではなかろうかというように私は考えているわけであります。  一応第一点のお答えはその程度にいたしまして、またあとで何か御質問があれば、幾らでも私の考えを述べさせていただきます。  次に、第二点にまいりまして、現在の法文の中では、鉱業権者側からの請求だけが規定に出ているではないか、土地所有権者側からの請求規定すべきではなかろうかという御質問だったと存じます。この点は、土地所有権者側からの請求として何が考えられるかと申しますと、第一には妨害排除請求、あるいは差しとめ請求といいますか、自分の土地の下を掘ってもらっては困るという点からくる請求考えられます。第二には、土地所有権者側からの損害賠償請求考えられます。  まず損害賠償のほうからまいりますと、この点は、現在の鉱害賠償規定によって、いわゆる無過失責任の規定が置かれておりまして、土地所有権者側はこうむった損害をそれによって賠償を受けることができるようになっております。これはもうすでに前から鉱業法規定があるわけでありまして、それについてはその後鉱害復旧法であるとか、あるいは鉱業権者に担保を積み立てさせる特別法ができたとか、いろいろな形で地上権者側を保護するようになっていると思います。その点で損害賠償規定はあらためて置く必要がないわけでありまして、問題になるのは妨害排除請求になるかと思います。  この点は土地所有権地下どこまでも及ぶという考え方、これはわが国民法もそういう規定をしているわけでありますが、民法二百七条で「土地上下ニ及フ」といっております。その場合、ではどこまで下に及ぶかと申しますると、今日の所有権考えでは、利益の存する限度において土地所有権が及ぶ、利益のないところには及ばないということに考えております。そこで、一番極端な場合を考えますと、地上に全く影響を与えない形で鉱業権者地下を掘った場合、非常に深いところを掘ったという場合を考えますと、これは土地所有権に何にも影響がないわけですから、妨害排除請求は認められないことになります。それでは、だんだん上へ上がってまいりまして、中ほどくらいの深さのところを掘ったらどうなるか。これについては、上に影響が及んで、いわゆる鉱害が起こるということがあり得るわけであります。その場合に、これは鉱害が起こって損害を受けるから、地下を掘るのはやめてくれという差しとめ請求ができるかという問題になるわけであります。この点は、できるという考えと、できないという考えとあり得ると思いますが、現在では、その点の土地所有権者利益は、鉱害賠償規定によって保護されており、その代償として、妨害排除請求はできないのではなかろうかというように私は思うのであります。と申しますのは、鉱害が起こる場合に、全然掘ってはいけないという差しとめ請求を認めるならば、いまの石炭業というものは成り立ち得なくなるわけであります。つまり、普通の程度鉱害ならば、地上権益者としても鉱害の起こることはやむを得ないこととして受忍せざるを得ない。ただ、それに対しては別の金銭的な鉱害賠償という形で埋めてもらうことができる。つまりそういうことによって、地上地下利益調整をはかっているというふうに私は考えるわけであります。また、ドイツにおいても、鉱害賠償と関連して、そういう考え方がある。つまり、妨害排除請求はできないかわりに、完全な意味での鉱害賠償をしてもらうという考え方であります。さらに今度はもっと地表に近い部分を掘る場合を考えまして、地上の、たとえば建物がひっくり返るとか、つまり地上権者に非常に本質的な影響を与えると申しますか、地上権利の本質的な部分に対して侵害が起こる、つまり非常に危険で、地上の者としてはそれをほうっておくわけにいかないという状態になった場合にまで、いまのように妨害排除請求ができないだろうかと申しますと、これはそうは言えないだろう。つまり普通に起こる程度鉱害ならば、これは受忍しろということが言えると思うのですが、地上の基本的な権益に関する場合にはそれは言えなくなる。あと鉱害賠償をもらっても、それでは償うことができないほどの大きな損害を受けることになるのでありまして、その場合には、これはやはり本来の原則に立ち返って、妨害排除請求ができるというふうに私は考えるのであります。  これはそういうふうに地下を三段階ぐらいに大ざっぱに分けましていま議論をしたわけでありますが、それでは何メートルぐらいでそうなるのかといいますと、これはメートル数ではあらわすことのできない問題でありまして、その土地状況地上施設状況などによって非常に違う。何メートルというふうに一律にきめるわけには参りません。鉱業法規定の中には、三十メートルとか五十メートルとかいうところで掘る場合には、地上所有者の承諾を得ろという規定がございますが、これはあと紛争を防ぐための一応の線を引いただけのことでありまして、先ほどの妨害排除の問題を考える場合に、全部これでいくということはもちろんあり得ないわけでございます。そこで、結局問題になりますのは、いま申しました非常に浅いところで起こる問題について、地上所有者妨害排除請求をするという問題になるかと思うわけです。この点については、おそらく少なくとも民法学者の間には異論がない点だと思われますし、また従来からも、これはやろうと思えば、いまの、基本的に言えば民法ということになりますか、それによって妨害排除請求ができるということは、まず疑いのないところであるというように思うのであります。そこで、その点については、鉱業法の中に規定しなくても十分の保護が与えられるというように私は考えます。そして、もし鉱業法規定の中に置くとなれば、それはどういう規定になるかと申しますと、現在の鉱業権者から土地所有者に対する妨害排除あるいは損害賠償請求、特に妨害排除については、先ほどちょっと申しました公益のための調整土地調整委員会でやるのだという規定が入っているわけです。それと平仄を合わせることになりますと、かえって土地所有者権利を制限することになりはしないか。それから規定を置くとしますと、やはり裁判所でなくて、土地調整委員会に持っていけということになるかと思うのですが、こういう土地所有権の基本的な妨害排除請求というような問題については、これは直接裁判所で審理すべき問題でありまして、土地調整委員会というような行政委員会審議すべきことではないであろうというように思うのであります。これは逆に申しますと、鉱業権者側から土地所有者に対する請求をなぜ鉱業法の中に規定し、土地調整委員会に持っていったかということの説明にもなるかと存じますが、鉱業権者からは何でも土地所有者に対して妨害排除請求ができるのだということではないのでありまして、それは実体法的な規定の上でも非常に制限して規定をしている。著しい損害を受けるような場合に初めて問題を持ち出せるというふうに要件の上でしぼっていると同時に、さらに先ほどの公益考慮ということを持ち込めるようにしているのであります。この鉱業権者請求権も、いきなり裁判所に持っていくべきだという考えもあったのでありますが、それはやはり一定の要件があれば、常に鉱業権者請求を認めるということになって、妥当ではないだろう。やはりそこには、先ほどの国土開発都市づくりということとも関連するかと思いますが、地上権益との公益的な調整をはかる必要があるだろう。そうなりますと、問題は、裁判所でそういう公益性考慮ということをやるべき問題ではないと思われるのでありまして、それをやるのはむしろ行政委員会が適当である。もちろん、そこでの判断に不服があればこれは行政訴訟の道によって争うことができるわけでありますが、その公益判断という点からいいまして、行政機関を通すのが妥当であるというふうに考えたわけであります。  さらにもう一つ鉱業法規定した理由といたしましては、鉱業権者の側からの請求というのは、土地所有者だれに対してでもできるのではありませんで、いまの特殊施設をつくるような事業者と申しますか、それとの間の紛争の問題になり、一般の私人ではなくて、事業者である。そういたしますと、これは地上の何らかの事業鉱業という事業との、いわば事業者間の調整の問題になる。この点については、純然たる私法の権利、義務という関係で割り切って、ゼロか百かという解決をすべき問題ではなくて、お互いに譲り合い、調整し合って、妥当な線で折り合いをつけるという問題ではないだろうか。そのためには、やはり裁判所でやるよりは、土地調整委員会のような行政委員会でやるのが適当である。そういう考慮も入っていたように考えられます。  以上が、なぜ土地所有者側からの請求規定しなかったかという理由になるわけでございますが、もう一つ、理論的な問題を離れて、現実的な場面を考えてみますと、土地所有者側からの請求が問題になるのは、まず土地所有権者側が何かの施設を普通つくりまして、そのあと鉱業権者側が掘ってきたという場合になるかと思われます。その場合については、いわゆる公益調整規定鉱業法にすでに設けられておりまして、そういう施設の近所はあとからきても掘らせない。つまり鉱業権を制限する。それから施業案などでもそこは掘らせないという保護的な措置を講じているのでありまして、実際におそらく直接土地所有者から妨害排除請求鉱業権者に対してするという事例は、ほとんど生じないと言っていいのではないだろうか。もしそれが生じるような場合があれば、これは通産局のやり方が悪いわけでありまして、そういうことがないように公益調整ということでやっていくべきである。実際にも土地所有者側から妨害排除請求をした事例というのは、おそらくあまりないと思うのでありますが、なぜないかというのは、そういう理由ではないか。現在問題になっておりますのは、それとは逆に、すでに鉱業権のあるところに地上権者側特殊施設をつくるという場合の問題でありまして、その点から申しましても、実際的な問題から申しましても、それを調整すれば現在の困難な問題は一応解決できるのではないだろうか、そういう点にも、その点の規定だけを置いたという実際的な理由があるかのように考えられます。以上が第二点についてのお答えでございます。  次に第三点。これは法律解釈の問題になるかと思いますが、差しとめ請求権につきまして、現在土地調整委員会に行けるという規定があるけれども、一体裁判所に行けるのかどうかという問題でございます。この点につきましては、百八条の六の一項で差しとめ請求権規定しまして、さらに二項で「前項の請求は、土地調整委員会に対する裁決申請によってしなければならない。」というふうに規定してございます。この点は、私の解釈では、一項にいままで非常にばく然としていた差しとめ請求権について一応の規定を置いたのでございまして、これで、いままで問題にされていた請求権は全部含まれている、つまり、一項がいままで問題にされたものを全部おおい尽くしているというふうに考える。つまり、形のきまらないものをこういう形のものにはっきりさせた。これは、一方では鉱業権者側からの請求が非常に過大にならないように排除している、つまり、それほど大したことでもないのに妨害排除請求をするということは押えようという考えで、特殊施設によって鉱業の実施が不可能となるか、あるいは著しく困難となるおそれがあるという厳格な要件をかぶせまして、それがばく然と広がらないようにして、その点は縮めている。さらに、御質問のありました試掘権、あるいはまだ実施していないような採掘権につきまして、そういう権利を認めないというふうに、その範囲を縮減しているわけであります。他方におきまして、その縮減された範囲内では、一応この規定を置いたことによって権利が明確化しておりますから、その点ではこれは若干強くなっているということも言えると思います。ちょうど、広がっている部分は縮めて、中核的な部分ははっきりさせたというのが、この規定だと思うのであります。そうして、そういう形にまとめました上で、二項で、これは土地調整委員会に必ず持っていかなければならないという規定を置きましたので、二項の規定からいたしまして、裁判所に出訴するという道はふさいでいるというふうに私は考えるのであります。先ほどもちょっと申しましたように、そうした上で、三項の公益判断をそこでさせているわけでありますから、それに対して行政訴訟で争うのはともかくとして、いきなり裁判所へ行くということは阻止している。これは二項の規定の形式的な理由からでありますが、さらに実質的に見まして、ここでこういうふうに制限したものが裁判所に直接出て行って、はだかの権利権利のような形で争われるようなことになっては、この規定は全く意味がなくなります。この実質的な理由のほうが重要かと思うのでありますが、わざわざこの規定を置いて、そこに要件をしぼり、さらにそこに公益判断をかぶせているという点からしまして、これは裁判所への出訴の道を閉ざさなければほとんど意味のない規定になってしまうのではなかろうか。そういう実質的な理由からいたしましても、これは裁判所にいきなり行くことはできないというふうに考えるわけであります。なお、先ほど御質問のありました試掘権についてはどうかという点につきましても、いまの点で大体お答えになっているかと思うのですが、要件をしぼってそれが全部土調委というふうになっている以上、試掘権者は裁判所に直接行くことはできない。これは本件の訴えで行くこともできませんし、仮処分ということもできないというふうに考えるわけであります。この点は立法者が何と言いましても、あるいは解釈者が何と言いましても、最終的には事件が裁判所に出てまいりましたときに裁判官が判断すべき問題になるわけでございますが、しかし、先ほど申しましたような理由からして、現在の裁判所はこれが来ても、普通常識的に考えればはねるだろうというふうに私は考えております。  以上が第三点のお答えでありまして不十分だったかもしれないが、一応これで私の答えを終わらさせていただきます。
  5. 小笠公韶

    小笠委員 それでは徳本先生に一、二点またお伺いをいたしたいと思うのでございます。  徳本先生は今回の鉱業法改正審議会に直接御関係になっておられなかったようでございますので、全然清純な、第三者としてこの法律案をごらんになることができると思うのであります。そういう意味から若干この法律案についての御意見を伺いたい。  問題は五章の二であります。まず第一に、現行鉱業法では鉱業権土地所有権との関係について、鉱業権土地所有権とは別個の物権とみなして、「不動産に関する規定を準用する。」という第十二条があるだけでございまして、それ以外には両者の関係について直接の明文がございません。したがって、この両者の権利関係について、結局は鉱業権がいかなる性格の権利であるか。鉱業権という権利の性格論から判断をしていくというふうになるのではないかと思いますが、先生には、現行法のもとにおいて鉱業権土地所有権との関係はどのような関係にあるのかということを伺いたいのであります。要するに現行法におきましては「不動産に関する規定を準用する。」第十二条だけ規定がある。したがって、土地所有権鉱業権関係についてものを考える場合に、今度は鉱業権というほうに比較的ウエートを置いて、鉱業権とはいかなる性格を持つ物権であるか、こういうふうな見地から考えていくべきではなかろうかという考え方ができまするが、それらの関係をどうお考えになられるかということが、第一点であります。  第二点にお伺いいたしたいのは、この両物権との関係において、率直にこの原案を見まして、現行法に比べて権能というような意味において何か変わったところが出ているようにお感じになるかどうか。先ほど加藤先生お話にございましたように、またよく言われますように、従来のものを摘出して明確化したというだけでなしに、新しく何か変わったようなものがそこに伏在しておるとお感じになるかどうかということを、全体を通読いたしましてどうお考えになられますかということをお伺いいたしたいのであります。  それから第三点といたしましては、この土地所有権鉱業権という両物権の関係規定を原案のように規定をしていく。先ほど加藤先生の言われるように、両者の関係を、いままであいまいもこたる面もあった。そこで範囲を明確にし、その権利の内容を明確にするというふうなことが現時点において可能であるかどうか。そういう基本的な関係はもう少し時期を要するとか、あるいはおそ過ぎたとか、現時点の観点に立ってどういうふうにお考えになられるか、この三点をお教え願いたいと思います。
  6. 徳本鎭

    徳本参考人 九州大学徳本でございます。  お答えいたします前に、二、三お断わり申し上げたいと思いますが、私も加藤教授と同じように民法専門家でございまして、必ずしも鉱業法専門家ではないということが一つでございます。それから第二点は、加藤教授は鉱業法改正審議会に入られて直接審議せられましたが、私はそういう機会を持っておりませんので、必ずしもその内容について詳しく存じ上げていないということが第二点。それから、たまたま鉱業法改正審議のなされておりました過程は、私、外国に留学しておりまして、勢いそういうこともあって、必ずしもその辺のやりとりがどういうふうなことであったかということについて正確な判断資料を持ち合わせていないということ、こういうふうなことを一応お断わりしておきたいと思います。  そこで、まず御質問の第一点は、現行法を中心として鉱業権土地所有権との関係、したがってその前提としては鉱業権というようなものをどういうふうに考えておるかということだと思います。これはたいへんむずかしい御質問でございまして、従来鉱業権というものをどういうふうにとらえていくかということは、わが国鉱業権制度というものができて以来の、ある意味では学会の中心問題であると言ってもよろしいかと思います。鉱業権についてはいろんな説があるわけでありまして、ただ単にそれは一種の鉱物を掘採して取得する支配権であるとか、あるいはそうじゃなくて鉱区というようなものについての支配権であるとか、あるいはさらには未掘採鉱物に対する支配権であるとか、こういうふうないろんな考え方が出されております。それじゃ私自身は鉱業権というものをどういうふうに理解するかということなんですけれども、わが国におきます鉱業権制度の発展、特に明治初年から一連の鉱業立法が出てまいりまして、日本坑法だとか、あるいはその後の鉱業条例だとか、さらに旧鉱業法、その他いろいろありますけれども、そういう一連の鉱業権の成立してまいります過程をひとつ考えてみますと、結局その一連の過程というのは、地下に存しておる未掘採鉱物というものが社会的利用が認められるしたがって、だんだんどういう権能でもって開発せしめるのが最も合理的であるか、もっと率直に申しましたら、まだ不明確なようなものは、勢い土地所有権というようなもので掘ってもよろしい。しかしながら、さらにそれが社会的な価値を持ってまいりますと、どうも土地所有権というようなものにまかせておったのでは、うまく合理的に開発できない。そこで何とか土地所有権とは違ったような権能でもってこれを利用させようというようなことでもって、逆に振り返って見ますと、明治以後今日に至るまで未掘採鉱物の種類の増加の契機とその社会的要因というものを考えてまいりますと、一応いまのようなことが申し上げられるのではないかと思います。そうして見ますと、結局いろいろ学説によってニュアンスはありましょうけれども、そういう歴史的な未掘採鉱物の利用としての、あるいはそれとの関連における鉱業権といようなものを考えてまいりますと、結局鉱業権というのは未掘採鉱物に対するところの支配権だというように言ってよろしいのではなかろうか。特に旧鉱業法と違いまして、現行鉱業法は非常に包括的な土地所有権と、その点に対する未掘採鉱物に関する点とでもとって包括的な一切の未掘採鉱物に対する支配権、権能というものは国に留保する。そうして次の規定でもって鉱業権が出願があった場合には、次のものについてはこれを鉱業権を設定することができるというような規定を置いておりますところを見ますと、原則的に見て現行法のもとでは、土地所有権によって鉱業権を支配するという関係は一応抜きにして考えなくてはならないのじゃないか。そうしますと、いま申しますように、鉱業権というものは未掘採鉱物に対する支配権であるのだ、こういうことは、一応歴史的な鉱業法の発展、あるいは鉱業権制度の発展を考えた場合に言い得ると考えるわけでございます。同じようなことは、ただ単にわが国だけじゃなくて、極端な例を申しますと、たとえば英米法においては未掘採鉱物につきましては、いわゆる土地所有者取得主義と申しまして、土地所有権権能によって行なわれている。ところがそれに対しまして、大陸法におきましては、むしろ鉱業権制度というものでやっておるのですけれども、そういう比較法的な考察の結果からもそういうことは言い得るという気もいたします。  そこで鉱業権というのは、そういう意味で未掘採鉱物に対する支配権だということになるわけなんですが、一応それでよろしゅうございますでしょうか。  それから第二点は、これから作ろうといたします鉱業法は、百八条の二以下でございますけれども、鉱業と他の事業との調整ということをもうけるという観点に立っておるわけで、そういうもののねらいと申しますか趣旨が、現行鉱業法に比べて新しいものを意図したことになるのかどうかという御質問だと思うのですが、その点についてお答えいたします。  いま申しますように、鉱業権というのは未掘採鉱物に対する支配権である。そういう意味で特別の物権だと考えるわけなんですが、そういうふうに考えてまいりますと、地表に出ております鉱物の場合にも多少まだ問題は残りますけれども、そうでなくて、一般に未掘採鉱物というのは、土地の中に埋没されておる。そしてそういうものを開発し、利用するものが鉱業権であるということになると思う。そうしますと、そういう土地の中に埋没されておるようなものを利用するということにつきましては、たいへんやっかいな問題が出てまいります。  一つはどういうことかと申しますと、土地の中にあるわけですから、何とかしてそこに入る方法がなくてはならない。つまり坑道を掘るなり、あるいはその他の設備をするなりして、その未掘採鉱物に到達する方法が前提に置かれない限りは、ただ未掘採鉱物を利用する権利として鉱業権を認めたところで、実際は開発できないということになります。  それから第二点は、かりにそういうことが何らかの方法でもって講じられたとしても、未掘採鉱物というのは、確かに地中に存する自然的な鉱物資源の存在ではありますけれども、同時に法律的にそれがどうなるかということは問題としましても、それ自身が、つまり地表をささえておるといういわば英米法的な考え方を申しましたら、地表支持権と申しますか、そういう機能を果たしているということは間違いないと思います。そこで鉱業を実施するということは、いま申しますようにそういう地下に入り込んでいって、それを掘る、掘るということは、同時にそれ自身が現実に果たしておる地表支持的な機能を喪失せしめるということ、この事実は否定できない。だから鉱業権が未掘採鉱物であるということを前提とすることによって、特に土地所有権との関連から申しましたら、いま申しましたように、その鉱物まで何とか行き着くための一つの道というか、方法、これはどうするかという問題。  それからもう一つは、地表支持的な機能である鉱物をとるのですから、地表支持的な機能が喪失をして、喪失することによって地表に何らかの影響が出てくるという関係が出てまいりますから、そこをどうするかという問題、これは鉱業権制度、特に鉱業権が未掘採鉱物に対する支配権であるのだという考え方をとりますと、どうしても不可避的にそのことを解決しなくちゃならない大きな問題だと思うのです。私は従来そういうふうな関係で、特にそこの鉱物を取るためには、どうしてもその場所を利用しなくてはならないんだというような関係のことを場所的支配の関係と言う。つまりそういう形での鉱業権土地所有権との抵触というような表現で実は呼んでみたわけです。  それからもう一つは、ずっとそこに入っていって未掘採鉱物を取る。取ることによって地表の支持的な機能を失うということ。これは何もそこをどっちが使うかという問題じゃないだろうと思うのです。非常に深いところですから、おそらく土地所有権が及ぶといってもいいし、及ばないといってもいいのですが、要するに地表支持的な機能を喪失するようなことの結果、多少地表に変化が出てくる。そうすると土地所有権の円満性というか、建てらてる家が安定した地盤の上に建てられなくてはならないのに、不安定な土地の上に建てられるという意味での土地所有権の行使の内容の変化、そういうふうなことを私は権利行使の円満性と呼んでおるわけですけれども、そういう土地所有権権利行使の円満性というようなものが、結局侵害されることになる。もちろんこれは程度の差はあるのでありまして、第一の場所的な支配につきましては金属であれ石炭鉱業であれ、ともに出てくると思いますが、特に後者の円満性ということにつきましては、あるいは鉱床の種類によっては出てこないかもしれません。しかし石炭、特にこういうふうな調節が問題になってまいります石炭というような場合を例にとりますと、これは程度の差こそあれ出てくるわけなんで、したがってそれがどうしてもそういう円満性をめぐって、その両者をどうするという関係が、私のような理論構成をやってくると出てくるということになると、したがって現実にはその両者の調節をどういうふうにしなくてはならないかということは、ある意味で論理的な帰結でもありますし、同時にこれは単に理論だけの世界ではなくて、今日の現在的な実情でもあろうかというように考えておるわけです。したがって従来そういうふうなことについて、特に調節の規定がなかったわけなんですけれども、あらためてそれでは今度の改正法において、そういうものを認めるということになるのかどうかということになるのですが、このあらためて認めるかどうかということの意味を、文字どおり形式的にとらえまして、条文に書きあらわすということがそうなのかということと、かりに条文に書きあらわされようと書きあらわされまいと、現行法解釈のもとにおいても、そういうふうなことがあり得たのかどうなのかということでもって、多少回答が変わってくるかと思いますけれども、もし規定の有無にかかわらず、現行法のもとでもそういうことは問題になるし、同時にそれに対処する法理論があるのかということになると、私のように考えてまいりますと、現行法のもとでもそういうことはあり得た。またなければ、現実において両者の調節はできないことになると思う。そうなれば上も困るし下も困るということで、実際には鉱業はできないということになるでしょうけれども、そうでなくて、鉱業をやってきたということは、それが理論的に説明されておったかどうか、あるいは学者が取り上げておったかどうかということにかかわりなく、いわば生ける法と申しますか、現実にはそういう秩序関係というものが存在しておるんだというように考えております。  たとえば、現行法でも、先ほど加藤教授もおっしゃいましたけれども、制限の規定、たしか五十メートルというような規定がございましたが、そういうような規定は、確かに直接には何も両者の調節ということに、そのことを意図して規定されたものではないと思うのですけれども、私の理解しますところでは、それの現実的な機能と申しますか、事実的な機能としまして、やはりもう一つ土地の使用、収用の制度と相からんで、両者は、私の申します場所的な支配の関係というものを帰一するところの方法であったというように考えておりますし、それからもう一つの円満性をめぐる場合の抵触というようなもとでも、あまり学者は取り上げておりませんでしたけれども、私自身は、従来そういうことを多少考えておりましたし、あるいはものにも書いておりまして、そういう調節の理論というようなものを、現行法のもとでどうしたらよろしいかということは考えておったことがございます。もしそうなると、むしろ従来全然なかったものを今度新しくつくったというよりも、従来、どちらかというと、行政的な運用なりあるいは裁判所解釈なり、あるいはその背景になる学者学説というようなものにまかされておった部分、したがってそれは勢い不明確にならざるを得ない部分なんですけれども、そういうふうなものをもう少しきちんとして、たれにでもわかるような形にするということが、現行法の百八条の二以下の関係ではないか。したがって、ことさらにこういう趣旨が新しく今次の改正をめぐって出されたというよりも、現行法のもとにおいて運用ないしは解釈をしてやっておったことを、さらにすっきりさせる形でもって——もちろんすっきりさせる過程においては、いままでの不明確さあるいは不備、不純なもの、そういうふうなものをよりよくするということは当然あると思いますけれども、しかし趣旨においてはことさらにこれを新しく出したのだというようには私は理解していない。のみならず、おぼろげながら従来でもやってきておった、しかも今日鉱業のほうもそうでしょうけれども、地表におきましては、われわれがかつて想像もしていなかったようないろんな工場その他のものが出現してくる。そうしてまいりますと、両者の関係は、私のように理解してまいりますと、非常に緊張と申しますか、熾烈な関係になっていくわけで、したがってそういうふうな社会的な背景もあって、同時にこれは明らかにされなくてはならない。その明らかという意味は、無から有を出すというようなものではなくて、多少不完全なものから完全なものにするという意味で、今日の時点で出てきたのではないか、そういうふうに考えるわけでございます。  それから同時に、第三の御質問で、それではこういうふうな制度が必要であるかどうかということですが、それはいま申し上げましたような一点、二点のことから、言うまでもないことだと思うのですけれども、私は非常に望ましいことではないかと思うのです。従来のように解釈あるいは運用、つまり明文の規定のないままでのその他の体系からの解釈、運用あるいは裁判所による操作ということになりますと、どうしてもそれを画一的に取り扱うということ、あるいは具体的な妥当性を持って行なうということは、場合によっては望まれないような場合も出てまいります。そこで一方においては、そういう法理論上の必要性、それから一方におきましては、先ほども申しますように、今日、地表権益の利用の発展ということが大きくなればなるほど、その両者の関係というものは緊張度を加え、したがってまた解決の要を加えるということになるわけであります。したがって、そういう理論上、現実上の問題、そういうふうな両方から見て、こういうふうな規定——もちろんその内容にもよりましょうけれども、もしこの内容において妥当性を持ち得るものだということであれば、なおさらのこと私は、必要性という観点からいうならば、望ましいことだというように考えております。  あるいは言い落したり、その他のことがあるかもわかりませんけれども、不備なところは後の御質問に応じたいと思います。
  7. 二階堂進

    二階堂委員長 多賀谷君。
  8. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先ほど小笠委員質問で、基本的な土地所有権鉱業権権利の行使における衝突に対する理論展開を両先生からお聞きしたわけであります。そこで私が疑問に思っておりました基本的な点はかなり解明されたわけですが、具体的に法律の行使についてお尋ねいたしたいと思います。  その前に、百八条の二といたしまして、いわば特殊施設規定を設けているわけです。この特殊施設における損害賠償等について規定があるわけですが、土地所有権者の側からいうと、特殊施設をつくる場合には、地下鉱業権が設定された場合には、当然百八条の二の逆解釈として、土地所有権者に受忍の義務ができるわけです。その土地所有権者の受忍の義務というのは、かなり社会が進化した現状において、高層建築であるとか、それらの施設をつくる場合に、普通の権利よりもさらに制限を受ける受忍の義務が社会通念としてあるかどうか。これを両先生からお聞かせ願いたいと思います。
  9. 加藤悌次

    加藤参考人 百八条の二の規定によって、土地所有権者に受忍の義務ができるかという御質問であったように思いますが、先ほど申しましたように、受忍の義務というのは適当かどうか、まずこういう問題でございまして、つまり土地所有権者は、損害賠償規定からだけでございますれば、建てようと思えば建てられるけれども、損害賠償はしなければならない。それによって鉱業権者に著しい不利益を与える場合には、高層建築すべてではなく、場合によっては損害賠償をしなければならないことも出てくるであろう。さらに、あとの百八条の六の妨害排除、差しとめ請求で、それがまた著しい場合には差しとめ請求を受ける場合もあり得るということになるわけであります。この点は現在でもそれがあるのかないのか、必ずしも明確でないような状態ではありますけれども、鉱業権者側からそういう請求ができるという考え方が相当あるわけであります。いままで裁判でこの点について判決の出た事例は私はまだよく存じないのでありますが、実際にはそれを通じて紛争がある程度起こっているということは、つまり社会通念といいましても、全部の人がどう考えているかよくわからないのですが、ともかくそういう考え方は相当有力にあるということは言えると思うのであります。  それがはっきりしていないということは、先ほど申しましたように、鉱業権者から不当な要求が出てくるおそれが一方にある。それは、一方では土地利用の高度化に伴いまして、鉱業権者側からの不当な要求は押えなければ困るという要請があるわけであります。他方において、この鉱業権者側からの合理的な要求というものも考えられるわけでありまして、つまり鉱業権があるので、そこを掘っていったところが、かつてはそういう特殊施設などできないと思われていたところが新たに開発されて、特殊施設ができて、そのために掘れなくなる。掘れなくなったために、いままで立てた企業の計画というものが実行できなくなる、そういう損害を受けるということは、やはり私企業としては耐えがたいことでありまして、それと地上の、これもやはり一種の事業者ですが、その事業者との利益を比較した場合に、ある程度賠償を払ってそこに地上施設をつくるというようなことが望ましいように思われるのであります。つまり先ほどの御質問からいたしますと、受忍の義務といいますか、そういうものが、いままでもばく然としてあったというふうに言ってもいいように思うのです。これはちょっと御質問からはずれるかもしれませんけれども、土地所有権というものの考え方がやはり基本になると思うのです。私はやはり土地所有権としてどうしても譲れない線というものは、土地所有者の通常の利用である一般市民の、つまり市民としての利用まで食い込むということは、これは観念的にいえば、土地所有権の絶対性からして許すべきではないということになりますし、もっと実質的にいえば、そこまで市民的な利用にまで食い込むことは、これは国土計画からいっても不適当であるというふうに考えるわけであります。もちろん憲法の二十九条二項で、法律によって公共の福祉のために土地所有権は制限できるわけでありますけれども、その制限というのはやはりそういう意味での、つまり土地所有権の本来あるべき本質といいますか、中核にまで食い込まないものでしか、二十九条二項で許すべきではないんじゃないかというふうに思うのです。そういたしますと、いまのつまり市民としての利用でなくて、一種の企業としての利用と大ざっぱに言っていいと思いますが、そういう場合には、これは企業者間の調整として、そこまで土地所有権が絶対であると言うべきではないのではなかろうか。そういう意味で、土地所有権も中核からずっとすそ広がりみたいになっていまして、すそのほうはある程度まで他の利益との調整において食い込まれることもこれはやむを得ないことである、それにつまり合理性があるならば、そこまでは食い込むことがあってもいいのではないかというように思うのであります。今度の法案も、その点は非常に慎重に考えていると思います。つまり要件を非常にしぼっているという点、非常に慎重に考えていると思うのでありまして、そうやたらにこの規定が発動して土地所有権者側に不当な損害を与えるということはあり得ないだろうと思いますし、またあってはいけないんじゃないかというふうに考えております。
  10. 徳本鎭

    徳本参考人 鉱業権制度をめぐって特に百八条の二以下のような規定が出てくるということは、その反対解釈として受忍義務ということが出てくるんではないかという趣旨の御質問であったと思うのですが、私は、先ほど申しますように、土地所有権と離れて夫採掘鉱物の利用として鉱業権制度をとったというときに、そういう非常に一般的な前提として、受忍義務というのはすでにそのときから出発しておったというような気がいたしております。ある意味では、これは鉱業権制度の宿命だともいってよろしいと思うのです。イギリスだとかあるいはアメリカみたいに土地所有者取得主義でいくというようなところですと、受忍義務というものはそういう一般的な形では少なくとも出てこない。そのためにだれかが鉱業をやろうとすれば、幾らでもその受忍義務を排除して、相当な補償なりあるいは地代というものをとって、そうでなければ鉱業をさせないという形で出ることができたし、事実またそうであったわけです。しかし結果におきましては、そのことがあまり強くなったために一九三〇年代においてむしろ地代の高騰それから地下利益の不自然さということでもって石炭国有化に踏み切ったということは御承知のとおりだろうと思います。そこでそういうふうに土地所有権から離れて鉱業権というものがあるのだ、未採掘鉱物利用権としてあるのだということになりますと、一般的な形において受忍義務があるということは、ある意味では私は、宿命といってはおかしいですけれども、そういうものがあるわけなんで、そうなればこの鉱業権制度というものは悪いではないかということなんですけれども、しかしたいへん問題が大きくなるわけで、おくれた市民社会が先進的な市民社会に追いついていくためには、やはりこの土地所有者取得主義というようなものをそれじゃ日本もドイツもやっていけばよかったじゃないかといってみたところで、やはり一々地代を払って鉱業をやっていくんだということではとても追いつけないし、だからドイツだとか日本だとかいうものはそういう鉱業権制度をとったのだと考えるのですけれども、これはある意味で後進性の悲しさでやむを得なかったのではないかと思っております。一般的な受忍義務というものはそういうことですが、さらにこの規定が生まれることによってそういうものが倍加されていくのじゃないかということだろうと思うのですけれども、それはまたこうだろうと思います。これは何も鉱業権土地所有権関係でなくても、土地所有権土地所有権関係だってあり得るわけなんで、隣に大きな工場が建つとかあるいは大きなビルディングが建つということになりますと、隣の人はいままで空気がよく通ったし、あるいは光がよく通ったし、したがってまた見通しもいいから地価も高いということがあると思います。しかしながらそういうものができ上がってくるということになると、たいへん不便になってまいりますし、そういうものは社会の利用度が発展すればするほど強くなってくるわけなんで、同じようなことは上と下との鉱業権土地所有権の場合だって出てくるだろうと思うのです。ですからこういう受忍義務というものが出てくるか出てこないかというよりも、むしろそういう受忍義務というものが、社会の発展に応じて、土地所有権鉱業権との関係あるいは土地所有権土地所有権関係であれ、強くなることは疑いのない事実だから、問題はわれわれ人間がそういうものをどうして排除していくか、あるいはできるだけお互いに迷惑のかからないような形でもって解決していくということにむしろ意味があるのだろうというように思うわけです。ですから、したがって、こういうふうな特殊施設ができることによって特に受忍義務ができることになりはしないかどうかということも、そういうものも私は率直に認めたいと思うのですけれども、そういう受忍義務なるものが社会の発展の中にはたしてそれ以上がまんならないものなんだということになるのかどうか。それからもう一つは、できるだけそれをどういうふうな形で排除していくか、つまりその排除というか、両者の調節というものにわれわれがいかに対処していくかということが、その百八条の二の中で考えられておるかどうかということ。そういうふうなものがある程度考えられておるのだということになりますと、確かに受忍義務というものが、百八条の二が出てきたからそうだということでなくて、私は利用関係というものが発展すればそうなるだろうと思っているのですけれども、そう一般的に利用関係が発展すればそうなるものを、さらに百八条の二が出ることによってそれを倍加するのだということになると困ると思うのですが、そうでなくて、百八条の二が出ることによって、その社会の人々が社会が発展するためにがまんしなくちゃならないようなものはどの程度のものか、あるいは、さらにはもしそれ以上のものがあるならばどういう形でそれを調節するかということを、この百八条の二以降のものが趣旨で持っておるとするならば、私は必ずしも特殊施設なるがゆえにそういう意味では受忍義務というものが倍加されたんだと言えるかどうかということに疑問を持つということであります。
  11. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 百八条の二に特殊施設規定が詳しく書いてあるわけです。政府の答弁は、大体一号は次のようなものが入る、こう言っておるわけです。それは地下タンク、トンネル、井戸等、それから温泉、二号はダム、高炉、鉄塔、精密機械工場、鉄道、それから三号は飛行場、演習場、干拓、ダム、こういう施設が大体入っている。こういうように説明をしているわけです。  そこで、損害賠償あとからお聞きするといたしまして、まず一番制限をしております百八条の六の差しとめ命令のところですが、この法律が通過をいたしたとしますと、次のような条文は普通どういうように解釈されるのか。すなわち「採掘権者又は租鉱権者は、鉱物の採掘事業を行なっている場合において、事業者特殊施設を設置することにより、その採掘事業の実施が不可能となり又は著しく困難となるおそれがあるとき」、この「不可能」は、私は物理的に不可能であると解釈するのではないかと思うのです。あるいは「著しく困難」これもやはり物理的な場合、たとえば抗口の上にダムがある。そうしますと、溢水をして坑内に水がくる。ですから坑内の作業が不可能になる。さらに地上に重量物ができれば、この重量物によって鉱床に重圧がかかる。そこで非常に危険になって作業ができない。こういうことを想定しておるんではないかと思うのですが、この「不可能」または「著しく困難となる」というものは経済的なものを含んでおるかどうかですね。すなわち精密工場であるとか、あるいは鉄道が敷かれることによって将来賠償が多くかかる、だから採算上困難になり、不可能になる、こういったものが一体この百八条の六で含まれるかどうか。先生方、どういうように、この法律が通過した場合に考えられるのか、これをお聞かせ願いたい。と申しますのは、日本の法律にこういった停止をすべき場合というのが三つあるわけです。それは一つは御存じのように鉱山保安法に規定をしておる。鉱山保安法が、またその条文が二つの意味がある。一つは坑内における危険という場合、それから鉱山保安法本来の問題ではないのですけれども、日本の鉱山保安法は地上鉱害の予防ということも書いてある。   〔二階堂商工委員長退席、中村石炭対策特別委員長着席〕 でありますから、鉱山保安法からは二つ出てくるのです。本来鉱山保安法が規定をしております人命の危険という場合と、鉱害の防止という二つの面が出てきておる。これはいわば鉱山保安法の二十三条、二十四条から出てくる面です。それから鉱業法の先ほど御指摘のありました五十三条でいわゆる減区処分あるいは鉱業権取り消し処分というのがあります。これが公の施設との関係、公共の福祉に反するようになった場合認めておる。それからこの百八条の六という規定になるわけです。そういう場合にいろいろの考え方が入っておるわけですが、そこで先ほど私が質問をいたしました百八条の六というのは、物理的に不可能、すなわち生命の危険がある、溢水をする、あるいはまた重圧がくる、こういうようなことを意味しておるのか。経済的な将来の賠償まで含めて経済的に不可能であると考える場合をさしておるのか、両先生からこれをお聞かせ願いたいと思います。
  12. 加藤悌次

    加藤参考人 私は、百八条の六の「事業の実施が不可能となり又は著しく困難となるおそれがあるとき」というのは、特に場合を限定していないのではないかというふうに考えております。つまり物理的に不可能、物理的に著しく困難なときばかりではなくて、いまの御質問の中では、つまり経済的に見て不可能である、鉱害賠償が非常に高額になって採算がとれないという場合も含むというふうに考えております。なぜかと申しますと、この規定の本来の趣旨が、鉱業権者の不測、つまりはかり知れざる、初めに予期しなかったような企業上の損害が生じるのを防ぐという趣旨というふうに考えます。そして、それは地上権益者利益鉱業権者側利益とをそこで調整しようということでありますから、鉱業権者側利益がどういう事由によって、つまり物理的あるいは経済的というその事由によって生じたか、ということによっては区別すべきではないのではなかろうか。そういたしますと、場合によっては、不都合なことが起こり得る可能性もないではない。つまり地上側が非常に利益の高い、公益性の強い事業をやる場合に困るということが起こり得るかと思うのですが、その場合にも、基本的な考え方としては、やはり初めに手をつけて、つまりそういうことが起こることを予期しなかった鉱業権者側に、それによって損害を負わせるべきではない、つまり私企業として経営をする場合には、どうしても将来の予測という上に立って事業を継続していかざるを得ませんから、そこでその利益をやはり不当に失わしめるべきではない。このことは別に、たとえば五十三条の規定による公益、公共の福祉に反する場合の取り消しあるいは鉱区の減少の処分というような場合に、補償を認めているわけでございますが、それとのつり合いから申しましても認められるのではなかろうか。つまり五十二条の取り消しの場合に補償を認めるということは、一方に幾ら公益の強いものが来ましても、それによって鉱業権側がはかり知れざる予測しなかった損害を受けるという場合には、やはりその私企業である鉱業権者に対して補償をするということを基本的な考え方にしているわけであります。新しい百八条の六もそれとつながりを持たせて考えるべきでありまして、物理的なものに限定すべきでない。それによって非常に不都合なことが起こり得る場合には、百八条の六の三項による調整ということをすることにして、その不都合を避けるという順序になるのではなかろうか、そういうふうに考えております。
  13. 徳本鎭

    徳本参考人 お答えいたします。  ただいま加藤教授がおっしゃったことで、特に取り立てて言うこともないように思います。ただ御質問の趣旨は多少今度できます規定解釈という問題にずっと触れていくことにあろうかと思いますが、そういう観点から補足をいたしますと、私の理解いたしますところでは、百八条の六にせよ、あるいは百八条の二以下というのは、当事者間の調整事業調整ということももちろんあるわけですけれども、同時に社会的な利益との調節ということもあるのではないかということを考えております。と申しますのは、ただいまのように出されました質問の場合に、かりにもしその段階で差しとめをしなくてそして建ててしまって、建ててしまった後にそれをもう一度取りこわせというようなことになってまいりますと、その建物をぶっこわさなくちゃならない、あるいは場合によっては、そこから移転しなくちゃならないというようなことも起こります。ところが、そういうふうなことをもし事前に解決しておくならば、ただ単に当事者間だけの調整がうまくいくということだけでなくて、二重の投資あるいは二重の物資の社会的な利用ということも避けられる、つまりそこをねらって百八条の二以下というものがあるのではないか、またそこまで意味を持たせなければ、私は意味ないと思うのですけれども、そういうふうに、ただ当事者間の調整ということ以上に、さらに社会的利益の損失ということをも含むということも考えられてくるような気がいたします。そういうふうなことをさらにこれらの理由の中に考えてまいりますと、もちろんこの規定は、ただ単に物理的な意味ということだけではなくて、そういう社会的な関係、したがって経済的な関係その他というものが一切入ってきて、判断されてよいのではないかというように考えております。  それからもう一つ、鉱山保安法でございますが、確かにあれは、おっしゃられるように、私もかねがねおかしいと思っておりました。本来坑内労務者のことを考えるべき保安法において、どうして鉱害のことをも考えていたのだろうか、どうしてその規定が入ったのだろうかということについては疑問を持っておったのですけれども、考えてみますと、私のように鉱業権というものをとらえてまいりますと、鉱業というのは、結局地表の支持を失う、つまり坑内の労務者の損害が起こるというのも、爆発的なこともありましょうけれども、落盤その他のことを考えてみますと、結局は地表支持がないので、そのために落ちてくるということになります。そこで、そういうものを補強すれば、坑内労務者の安全が維持できると同時に、それは消極的な機能になるのだろうと思うのですけれども、補強しておけば、勢い上のほうの災害も比較的軽微ないしはなくなるというような結果も起こり得る、つまりそういうふうなところを考えて、積極的には坑内労務者を問題にしたのだと思いますけれども、同時にそういう利点があるというところで、鉱害関係も出てきたのではなかろうか。これは全く推測でございまして、はたしてお答えになっておるかどうかわからないと思いますが、そういうことを考えております。
  14. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 そういたしますと、先生方が、差しとめ命令の場合も、単に物理的な不可能または困難でなくて、経済的な場合も含むんだ、こうおっしゃいますから、損害賠償の場合にはもちろんのことだろうと思います。そこで、この損害賠償という場合には、ほとんど事前、すなわち地上物権の設定される前に起こる事件が相当多いのじゃないか。ことに百八条の二で考えます施設の設置による損害賠償というものは、要するに鉱業権者のほうが、地上に鉄道が敷かれるならば、鉱業権を停止します。鉱業権採掘を停止する、停止したことによって受ける損害、これは通常生ずべき損害ですから、得べかりし利益も当然含む、こういうことになると思うのです。そういたしますと、先ほど加藤先生おっしゃいましたが、これは必ずしも地上の物権の設定をおやめなさいというのじゃない、それは、設定をされた場合には鉱害賠償というものが起こるので、必ずしもそうでない、こうおっしゃっておったわけですけれども、私は事実問題として、この百八条の二が動く場合には、これは事前の問題、事後の問題は鉱害賠償になるわけですから、事前の問題になるのだろう、こういうように推定をするわけです。そこで、土地所有権者の側からいうと、一般的市民の利用という概念ですけれども、今後建築様式が非常に変わりまして、アパートあたりがみな高層になる、そうした場合に、アパートを建てるということが、単に一般的な市民の利用の限度を越えたものだ、こういうことが言えるかどうか、今後建築の様式の変化とともに、それは普通の利用と考えるべきものがあるのじゃないか、こういうように考えるわけです。そうした場合に一体どういうように解釈をするか、土地の利用のしかたが従来とは変わってくるときに、古い形のままの利用が普通の市民の利用の限度と言い得るかどうか、これをお聞かせ願いたい。
  15. 加藤悌次

    加藤参考人 いまの第一点と申しますか、損害賠償の百八条の二に関連しまして、これは事前の損害賠償請求という問題が起こるのではないか、その場合に、物理的な問題だけでなくて、経済的な問題も入ってくるということだったと思いますが、ここでいう損害の中に、要件としまして、物理的なもの以外に経済的なものが入ることは、おっしゃるとおり、私もそういうふうに考えます。この百八条の二の損害賠償請求がいつ出てくるかということになりますが、損害賠償請求というのは、普通の事後的な問題でありまして、この百八条の二の規定を見ましても、設置することにより、損害を受けたとき、というふうになっておりまして、一応過去に受けた損害賠償請求という形に規定しているわけでございます。もっとも、この損害の中には、いまおっしゃいました得べかりし利益のようなものが入るわけでありますから、その点では将来の問題になるわけですが、一応この施設ができたことによって、そこを物理的あるいは経済的に掘れなくなったということの上に、初めて損害賠償請求ができることになると考えられます。これは損害賠償請求権の時効がいつから進行するかという問題とも関連するわけでありまして、時効の進行は、損害賠償請求ができるときから進行するというのが原則でありますが、これも、つまり将来建物が建ちそうだ、特殊施設ができそうだということではだめなんで、やはり、できてそこが掘れなくなったということがわかってから、時効の進行が始まるというように考えるわけであります。ただ実際問題として、こういう規定を置くことは、事実上事前の調整を促すという機能を営むことになるであろう。これはあとで出てまいります指定地域の場合には、事前調整の手続が一応できているわけでございまして、非常に地上権益との調整が問題になるところでは、おそらく指定がなされて、これによる事前調整ができると思うのですが、かりに指定がなかったとした場合には、将来に起こるべき損害賠償請求あるいは差しとめ請求というものがあることが、いわば間接的に考慮すべき事情となって、事前に調整がなされるという機能を実際には営むことになり得るであろうと思われるのであります。そうすることは、私はそれとしてけっこうなことだと思うのでありまして、こういう問題は、やはりできるだけ事前調整がなされることが適当である。これも、事前調整の手続をあらかじめうまくつくるということがなかなかむずかしいのでありまして、実際にはこういう規定を置くことによってそれが促進されるということは、決して非難すべきことではないだろう、むしろ望ましいことではなかろうというふうに考えております。  なお第二点といたしまして、特殊施設の場合に、建築様式が変わってきたらどうなるかというお話がございました。私は一応市民的利用というふうに申したのでありますが、従来から、現在あるいは近い将来における市民的利用ということを私は考えていたのでありまして、高層建築といいましても、普通のいまの住宅公団あたりでつくっているような四階くらいというようなものは、そう制限すべきではないだろう。これに対して七、八階というような高層建築になれば、やはりそれと地下鉱業権との関係考えて、かりにそこに一般の市民が住むようになるといたしましても、やはり性質上、特に鉱業権に大きな影響を与える。別に地上のほうでは、どうしてもそう八階建てくらいのものを建てなければならぬというほどのものでも普通はないだろう、そういうことを考えまして、市民の利用がある程度広がっていくことは考えられますけれども、やはりそこら辺は調整の対象になっていいのではないだろうか。私が市民的利用あるいは企業的利用と申しましたのは、普通の典型的な事例考えて申しているわけでございます。
  16. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 徳本先生あとから御意見を伺いますが、いまの点で、加藤先生の、損害があったとき、とこうおっしゃる問題ですけれども、私は、設置されない事前にすでに鉱業権の稼行を停止する、こういう事実が起こるんじゃないか、もう設置することが決定的でありますと、何もできてしまってから鉱業を停止するということをやらないで、事前にすでに停止をする、こういうことになるのではないか、鉱業の作業を停止するということですから、作業を停止したときから損害というものは起こるんじゃないか、こういうように考えるわけですよ。事実問題として、設置をされるまでじっと待っておるということはないだろう。ですから設置がほとんど決定的な状態になれば、当然鉱業権のほうはいままでの作業をその分においては停止する。そうすると、損害はそこから起こるんじゃないか、こういうように考えるわけですがね。そうすると、すでにその時点から、百八条の二というのは事前調整という形ではなくて、もう損害賠償の対象になり得るんではないか、こう考えるのですが。
  17. 加藤悌次

    加藤参考人 ちょっとただいまの御質問は、鉱業権者が自分でやめた場合ということでしょうか。それとも施業案とか、そういうようなことで停止されたという意味でございましょうか。
  18. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 それは施業案で停止をする場合もあるでしょうけれども、結局作業にはいろいろ段取りがあるわけです。ですから、すでにその特殊施設の設置によってばく大な損害を受けるという場合には、あらかじめわかりますと、その採掘を途中までやって、地上の物件ができてから停止するというのはかえって損害を増大するという場合もあるでしょうし、ですから、地上物件ができるということになりますと、ある時点からは稼行しない、こういうことで、まだ地上物件は設置をされないけれども、前の段階において、鉱業権者みずからが停止をする、こういうことに事実問題としてなるんじゃないか、こういうように思うわけです。そうなりますと、それから要するに時効も進行しますし、それから損害が起こったと考えていいんじゃないか、こういうように思うわけです。
  19. 加藤悌次

    加藤参考人 私は、かりに施業案でとめられた場合と、自分でやめた場合とは違うように思うのですが、施業案でとめられた場合には、これはやろうと思っても一応できないということで、そのときに損害が生じたということもできるかと思うのですが、自分で、これは将来できそうだからやめる、それまでに話し合いがついてやめる場合は問題がないと思いますが、自分で自発的にやめる場合には、これはつまり法律的にいえば、まだ掘ろうと思えば掘れるわけなので、そのときには、損害は、ここでいうつまり百八条の二の要件はまだ満たしていないんじゃないかというふうに考えるわけです。なお百八条の五に時効の規定がございますが、これは当該施設の完成を知ったときから二年間ということになっておりまして、完成を知ったときに請求ができるという考え方であろう。なぜかといいますと、特効の進行は、請求権を行使し得るときから始まるというのがたてまえでございますから、一応それとあわせて考えますと、このときから請求できるのが普通である。ただ施業案でとめられたとかいうような場合を考えますと、私はそのときに請求を認めてもいい、その場合にはこの規定と食い違うことになりますが、これは時期をはっきりさせるためにこういう規定を置いているので、少し時効の完成がおくれても、その場合いいと思うのですが、原則は、やはり百八条の五の趣旨からいいましても、建物完成によって掘れなくなるというときと考えていいと思います。ただ実際問題として、鉱業権者のほうが、その前から、建てるなら補償をよこせというようなことを言うことはあると思うのですが、それは百八条の二の規定を背景としてそういうことを言っているだけで、百八条の二の請求権という場合はないだろうというふうに思うのです。これはそう言ってみてもあまり実益のある議論ではないかもしれませんけれども、法律論としてはそう考えてよろしいのではないかというふうに思っております。これは、たとえば建物を計画をして、途中で計画がやまるという場合もあり得ますし、また鉱業権者との話し合いで、計画を変更して小さいものにするということもあり得るわけですから、それがまだはっきり建物ができる前から、百八条の二の請求権を認めるというのはおかしいというふうに一応は考えるわけであります。
  20. 徳本鎭

    徳本参考人 お答えいたします。  第一の問題は、百八条の二というような規定が出てまいりますと、実際には相手方が建物を建てる以前に鉱業をやめることになるだろう、したがって損害賠償というものも、そういうふうな時点からとらえていかなければならないことになりはしないだろうかという御趣旨のようにお伺いしたのですが、私も実情としてはそういうふうなことになるだろうと思います。その家が立つまで待つというようなことはないので、おそらく大部分の場合が、前もってやめることになるというような御指摘のとおりになるように思います。しかしながら、だからといって、それじゃそこから損害賠償の時点をとることになるのかというと、多少疑問が出てまいります。それはなぜかといいますと、つまり前もってやめるということになると、確かにそこで損害が出てくるということも、これは否定できない事実だと思うのですけれども、その損害というのは、実は非常に不安定な損害だと思うのです。したがってどの程度拡大していくものか、あるいはどの程度の時点で確定していくのかということは、そこではまだわからないわけなので、私は、そういうふうな損害のことを、普通不安定な損害の発生ということばであらわしていることがありますけれども、そういう損害だろうと思うのです。それが一体どういう損害になったのかという決定される段階というのは、やはり建物が現実に建ったところで、その規模なり内容なりによって確定されたときに、つまり不安定な損害が確定された損害になっていくんだというように理解したいと思うのです。したがって損害賠償の算定の時期ないしは時効の起算点というのは、そういう不安定損害の段階からではなくて、それがはっきり確定された段階、つまり不安定の段階の時期を経て確定された損害の段階になったときから計算していくというのが合理的ではないかというように考えております。  それから第二点の、土地の通常の利用をこえるというようなものは、これは非常にいろいろ変わるのではないかという御指摘ですが、私は全くそのとおりで、特にこの規定が設けられることの趣旨として、私はたいへん賛成ではありますが、その賛成ということの意味合いは、そういうものをどうとらえるかということ、これが非常に重要な決定的な問題になってくると思うのです。もしこれが望ましい通常の土地の利用というものを考えるのであれば、この規定の運用は実に具体的妥当性を持った処理のしかたになろうし、もしそうでないということになりますと、これまたきわめて具体的妥当性のない結果を生み得る、その意味では多少の危険性を持った規定にもなるという、きわめてもろ刃的な存在だということは、率直に承認してよろしいのではないかと思います。  それでは一体おまえはこの土地の通常の利用をどういうふうに考えるかということになるだろうと思うのですけれども、私はこれはやはり時代とともに変わるものだという気がしております。明治時代における通常の土地の利用と、今日における通常の土地の利用というものが同じとはとても考えられないので、その中にはずいぶん社会の発展によって相違が出てくる、したがって、今後もおそらく相違が出てくるだろうと思うのです。ただ単にそういう時代的な変化ばかりではなくて、場所的な相違によってもずいぶん変化があるだろうと思います。農村地帯、工業地帯あるいは単なるサラリーマンの集団地帯というようなところ、したがって、時と場所と、それ以外にも大きな要因があるかもわかりませんけれども、こういうような要因があって、つまりそういうものの変化に応じてこれは変わっていくところのもの、そうしてそういうことを踏まえての解釈というのは十分必要であるし、その意味で今後この規定を具体的妥当性のあるものとして生かすためには、行政上の運用にせよ、あるいは裁判上の解釈にせよ、あるいは学者がこれを取り上げるにいたしましても、そういうことを十分考慮して取り上げる必要ということは、御指摘のとおりではないかというふうに考えます。  それでは具体的にどうなるかということだろうと思うのですが、私のように考えてまいりますと、具体的にこれがこうだとはなかなか言えないと思うのです。つまり時的に、あるいは場所的にこれが変わるということになりますと、それでは何が当該時代のその特定の場所における土地の通常の利用を越えたものであるかというと、まさにそういう条件が前提になって、そういう事件が出された場合にそれを確定していく、特に後段においては「採掘に著しく重大な支障を生ずるもの」というものにひっかかってくるわけなんで、ただ物件がこういう高いものだからだめだということにならないので、たとえばそういう高い物件であったとしても、採掘に著しく重大な支障を生じなければ、これは何も特殊施設ということにはならないわけです。したがって、土地の通常の利用ということを考える場合でも、そこまで含めて考えていかないと確定できない、ある意味ではケース・バイ・ケースと申しますか、具体的な事件を通じて確定されていくのだというような気が一つするわけです。したがって、そういうふうなものをもっと掘り下げていけば、あるいはその時代々々の社会の良識というようなものにも関連していくことになるかもわかりませんが、こまかい解釈論はともかくといたしまして、この規定を生かすか殺すといっては語弊がありますけれども、具体的妥当性を持つものとし得るためには、この土地の通常の利用ということについては、よほど細心の注意と厳密な検討ということを加えてこの運用に当たらなければならないということは御指摘のとおりだろうと思います。
  21. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 徳本先生お話の不安定な損害と、こうおっしゃいますけれども、私はむしろ特殊施設のできる場合には、その特殊施設影響の及ぼさない範囲において採掘が行なわれ、影響を及ぼす場合においては採掘をしないという状態になるので、その点においては、むしろその損害額というものはわりあいに確定をするのではないかと思うのです。それでこれは少し小さい問題で、実際の運営問題ですから、御答弁いただかぬでもけっこうです。  そこで私たちの疑問になりますのは、土地所有権者の損失の問題、差しとめ命令の出た場合に、土地所有権者が損失を受ける、その損失の場合に、土地価格の下落というものはこれに入るかどうか。ことにその付近は、住宅の場合で毛かなり高層建築が建てられる。いま加藤先生は住宅公団等の四階くらいはいいだろうというお話でしたが、これはなかなか運用の問題と解釈の問題があるでしょうが、そのときによって違うでしょうけれども、四階でもコンクリートのようなもので建てますと、損害は大きいです。地上物件の建て方にもよるわけですけれども、そこでこの土地価格が下落する、ことにそういう鉱物のある地域というものは、土地価格が下落するということになる可能性がある。いままではこういうようにはっきりした法制がありませんでしたから、できるものかできないものかはっきりしない。ただはっきりしないままに両者がいろいろ話し合っておるわけです。ここに百八条の六の四項に、「当該事業者が受ける損失をうめるため、」という規定があるわけです。この場合に土地価格の下落というものはその損失に入るかどうか、これをひとつお聞かせ願いたい。
  22. 徳本鎭

    徳本参考人 先の一点は、不安定損害から確定損害ということで、前もってあるのではないかというようにおっしゃったのですけれども、なるほど前もってでき上がる建物の構造なり基礎なり一切のものが鉱業権者に完全にキャッチされる、そしてキャッチされたとおりのものができ上がるのだということになりますと、あるいはおっしゃられるとおりかとも思います。ですけれども、はたしてそれほど正確に——特に何か関係があればキャッチすることもできましょうけれども、そうでなければかなり蓋然的な形でしかキャッチできませんし、また、かりに正確なものをキャッチしたとしても、それがその後の事業の計画によって変わってくるということも、これは決してないわけではありませんので、やはり厳密な意味での確定という損害考えるについては、確かにそのものができ上がったという段階を基準にしたほうがすっきりしていいのではないかというように考えます。  それから第二点の、土地価格をどう考えるかとおっしゃったのですが、これは何条の土地価格という御趣旨だったのでしょうか、その点ちょっとわかりかねたのですが……。
  23. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 百八条の六の場合です。
  24. 徳本鎭

    徳本参考人 私は場合によってはそういうものは含む場合があると思います。もちろん含まない場合もあるかもしれませんけれども、これは事情によって違うのではないかというように考えます。それからもう少し一般論として、百二条の場合のように、今度逆な形でもって、土地所有権者のほうが、上っかわのほうが逆の機能としてやめるという場合もあるだろうと思うのです。そういう場合に、その土地の価格がどうなるのかという問題も出てくるだろうと思うのです。私はそのどちらかかちょっと理解しかねたのですが、もし前のほうだということになりますと、なるほどこれはあり得るだろうと思います。もっとも一般論の形で言うならば、ある地区に現実に着手しようとしまいと鉱業権が設定されると、確かに地区によっては地価が下がってくるわけです。それではその損失の負担はどうなるかということは、これも相対的でありまして、地区によっては鉱業が来るというわけで上がりますが、地区によって下がる場合もあるわけです。これはドイツでもずいぶん論争になったわけですけれども、それはどうするかということはなかなか言えないと思うのです。これは鉱業土地所有権だけでなくて、隣接土地間でも同じような問題で、こちらに妙なものができると土地の条件が下がるのでどうするかというような問題もあると思いますが、これはやはり先ほどからの受忍の程度という事柄が出てくるわけでありまして、したがって、またそれは、一般的には認められない隣接土地のようなものを考えてみますと、なかなか取れないだろうと思います。鉱業の場合はそれじゃどういうふうに調整していったらいいかということになりますが、これはこまかな解釈論になりますが、全然事業に着手しなくて、そのために、つまりたまたまさら地に鉱業権が設定されると、そのためにその地価が下がったというような場合には、これはやむを得ないのだ、ちょうど隣接土地関係と同じようにやむを得ないのだというふうに考えます。それに対して、多少でも事業に着手してどこかに坑道を掘り、その土地の下まで掘っていかなくても地価が下がってきたということになりますと、これは現行法で申しましたら百九条のほうですが、土地の州試掘による鉱害、そういう形でもってその地価の低下は賠償させてしかるべきだというように考えております。ですから、事業に着手した場合とそうでない場合と両者にわたって地価の下落は想定されますけれども、その辺で区別するのが私の考えておる良識と申しますか、賠償調整制度からは出てくる線ではないかというように理解するわけです。
  25. 加藤悌次

    加藤参考人 いまの百八条の六の四項の地上権益者の損失でございますが、私は地価の下落は絶対に、と言っていいかどうかちょっとその点は自信がないのですが、通常普通は入らないというふうに考えるわけです。なぜかと申しますと、一般に、たとえば鉱害を受けそうな土地だという場合には、これは鉱害賠償が完全に払われればその地価が下がるはずは理論的にはないわけですけれども、やはり地価が下がることがあり得る。普通の鉱害賠償みたいな場合にそういう地価の下落まで取れるかといいますと、これはやはり取れないのじゃないかと思うのです。それからまたこれは地上地下の相隣関係のようなものと考えていいと思うのですが、たとえば地上の間でも隣に大きな建物ができて地価が下がるとか、ちょっとこの場合と若干性質が違うかもしれませんが、一般的にそういう事情によって地価が下がるという例を考えてみますと、普通の場合にはそうだからといってすぐ損害賠償が取れるわけではない。ただ、その賠償を認めないことが非常に著しく不公正であるというような場合には、これは地上の場合でもその損害は取れるということが考えられないわけではないのでありまして、この場合も絶対にだめだとはちょっと言い切れないかと思うのですが、この条文の書き方としましてはそこまで入れるつもりはおそらくないであろう。「施設の設置を停止し、又はその計画を変更」することによってという形容詞がついておりますが、計画変更の場合には、たとえば鉱害の起こらないような堅固な建築にするとか、そういうことによって費用がふえた分を負担させるというのがその本来の趣旨でありますし、「施設の設置を停止し、」というのは、停止したことによってそれまでに準備をした費用がむだになるというようなことを普通は考えているわけであります。設置を停止した場合に、いままでその土地を買い入れるのに高い金を出した、今度はそこへ建てられないとなれば、それを売らなければならない、そこで損をするということも実際問題として考えられるわけです。しかし、その場合にも、そこでは通常の利用はできるわけでありまして、少なくとも通常の利用が可能な程度までの地価はあり得るわけです。その通常の利用以上にふくれている部分は、これはある程度侵害されてもやむを得ないというふうに考えられる部分があるわけですから、その特殊施設による利益というものは、必ずしも保証されなくても差しつかえないというふうに私は考えるわけです。そういう点からしまして、極端な場合を考えると、場合によっては入らないことはないとも思うのですが、原則としては地価の下落は含まれないというふうに私は考えるわけであります。
  26. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先生方の御意見、大体主要点についてわかりましたが、あと一つだけ伺いますが、これは長い間問題になっておりまして、本委員会でも他の委員から政府に対して質問がありましたけれども、例の鉱害賠償原則を金銭賠償主義をとっておる。これは日本の民法がそうなんですけれども、しかしドイツ民法は原状回復を原則としておるわけです。この点について先生方の御意見をお聞かせ願いたい。この点は条文としては変わっていないわけですけれども、当委員会でもずっと多年の問題になっておるわけでして、これを両先生から、新しく法律改正するに際してどういうような御意見であるか、お聞かせ願いたいと思います。
  27. 加藤悌次

    加藤参考人 損害賠償における原状回復主義、あるいは効用回復主義ということばもあるかと思いますが、それと金銭賠償原則とをどう考えるべきか——金銭賠償というのは形態を言っているわけでございまして、つまり原状回復部分を金銭で賠償するということもあり得ますから、金銭賠償を直ちに原状回復主義であるとは言えないわけでありますが、普通金銭賠償主義と言っておりますのは、その目的物の価格を賠償すればそれで足りるということを含んでいると思います。そういう趣旨で金銭賠償ということを使いますと、民法考えておりますのは、たとえば鉱害土地が使えなくなったという場合に、その土地の価格さえ賠償すればその人はそれと同じ経済的効用のある土地を別に買うことができるであろうということを予想しまして、それで一応その人に対しては完全な賠償をしているのだ。つまり資本主義社会の世の中では、それだけの金銭賠償をもらえれば、その人は前と同じ程度の生活ができるということを普通考えるわけでありますから、それで済ましているわけであります。ところが、実際には同じ土地はなかなか見つからない場合がある、ことに農地の場合はそうであります。その場合でも、農地の賠償で転業すればいいということも言えないわけではないのですが、それは実際問題としてなかなかむずかしい。そこで、その被害者保護のために金銭賠償では困るのじゃないかという問題が出てまいります。しかし加害者からしますと、その場合だけ特に被害者がよそに移らないから困るといって、それまで全部賠償させられては、やはりほかの場合とのつり合いがとれないから、そこでがまんをしてくれということになるかと思います。それから農地の場合の特殊な現象としては、農地は再生産が不可能なものですから、一度つぶれた場合には、日本のように国土の狭いところでは、できるだけまた農地として使わなければ困るという国家的といいますか、社会的要請があるわけであります。つまり、いまのような農地をつぶしては困るという社会的要請あるいは農民の場合になかなか転業などもむずかしいという、そういう社会的要請、そういうものがある場合に、それまでを全部当該鉱業権者に負わせるということは、ほかの場合に比して鉱業権者の負担を非常に大きくするであろう。かりに原状回復主義をとるとしましても、これは原状回復の全部を鉱業権者に負わせるということはどうしても無理でありまして、その土地の価格を著しく越えない場合に限って原状回復をさせるというような例外をどうしても設けざるを得ないと思います。その点は現在の鉱害賠償規定でも、金銭賠償原則としながら、著しく高くなければ原状回復もさせられるような規定が置いてあるわけであります。そういたしますと、原則と例外をどっちに置くかということで、実際問題としてはあまり違いが出てこないということも言えるかと思うのです。そういう考え方に立ちますと、一応金銭賠償原則としながら、それで足りない、つまり社会的あるいは国家的な要請というものは、これは国家の負担においてやるべきではないか、それがいまの臨鉱法というような鉱害復旧関係法律でやっているところだと思うのですが、実際の鉱業権者に支出させる額がうまく金銭賠償の額に合っているかどうかは少し問題がありますけれども、一応その金銭賠償に当たる部分鉱業権者に出させて、それを越える社会的要請の部分は国家が出して、両方突きまぜて原状回復をしていくというのがいまの制度であろうと思います。やはり民法で金銭賠償原則としている、またそういうところからいたしますと、そういう原則をいま直ちに変えることはやはり適当でないんじゃないか、これは前の鉱業法のときからずっと議論がある問題で、もう多賀谷さんはよく御存じのことだと思いますが、今度もずいぶん議論をしましたけれども、結局はそういうところに落ちついたというふうに私は考えております。
  28. 徳本鎭

    徳本参考人 結論から申しましたら、ただいま加藤教授のおっしゃったことと同じことになるので、金銭賠償原則として、あるいは場合によっては原状回復を認めるというような現行法のままでよろしいのではないかというような気がいたします。なぜそういうふうに申しますかにつきましては、加藤教授の御指摘のこととあまり変わらないのですが、多少補足いたしますと、結果の妥当性と申しますか、実態に即した賠償というものを抜きにして、金銭賠償がよろしいのか、それから原状回復がよろしいのかということになると、これはまた議論が別なんで、いろいろ立てることができるだろうと思います。しかしながら基本的な事件をめぐって、しかも具体的妥当性のある賠償方法としては、一体金銭賠償がよろしいのか原状回復がよろしいのかというと、私は両方が要るだろうという気がしております。と申しますのは、たとえば賠償方法の発展から申しましても、商品交換のあまり行なわれないような段階では、原状回復というようなことが強かったような気がいたします。ですから、物をこわしたというような、たとえばお皿ならお皿をこわしたという場合には、そいつをもう一度継ぎ合わせる。ですから、相手方の、加害者のほうが継ぎ合わせるか、あるいはその継ぎ合わせるに相当するお金を払わせるというような形でもって、比較的原状回復ということを強く出しておった。ところがだんだん世の中が発展してまいりまして、幾らでもお皿が買えるというようになってまいりますと、ことさらに迷惑を加えたものをまた継ぎ合わせるというようなむだなことをしなくて、それと同じようなものを買えるお金を払えば事が済むわけですから、したがってそういうふうな場合には、もう一度この物を直すという観点からではなくて、それと同じような物を買えばいいのじゃないかということでもって、つまり被害物体の交換価格というようなものを払えばそれでお互いに都合がいい、払うほうも都合がいいし、もらうほうも都合がいいということでもって、特に近代の商品社会に入ってまいりますと、一応この原状回復に対して金銭賠償主義というものが出てきたような気がするわけです。そこでそういうふうな歴史の発展から考えてまいりますと、何らかこの金銭賠償と原状回復ということは、結局どっちがいいかということじゃなくて、そういう被害客体の対象のあり方によっていろいろ変わってくるという気がするわけです。もっとそれを突き詰めてまいりますと、早く言えば代替性を持っておるようなもの、幾らでも買えるというようなものでありますと、これはいま言った交換価格的なものでもって支払って、そして自由に買わせる、つまりそれでもって賠償するということ、それに対しまして、代替性を持ちがたいようなものについては買おうといったって買えませんから、勢い復旧せざるを得ない。つまり完全な賠償ということになると、もとのように直さなければならない。したがって、非代替的な物体については原状回復的なものが望ましいということになるだろうと思います。同時に、それでは非代替的なものであれば常に原状回復的なものがよろしいかということになると、これはまた必ずしもそうも言えないわけなんで、たとえば人間を殺したからとか、あるいは傷つけたとか、あるいは非常にりっぱなルノアールのかいた絵をさいたとかいうような場合に、これは不代替物である、だからもとに戻せといってみたところでできない相談なんで、やはりこれはお金で解決しなければならない。だから必ずしも不代替性即原状回復にはならないので、つまりそれが直せる限度、つまり直せる可能性のあるものについては直してもいいけれども、直せる可能性のないものについては、不代替的なものであっても、これはまたお金で解決しなければならないことになると思うのです。ですから、金銭賠償がいいか、原状回復がいいかということは、理念としてではなくて、やはり被害客体との関係において考えていく。そうしてそれがもし代替性を持っておれば交換価格的な考え方、それから非代替性を持っておれば原状回復ないしはそれすらできないという場合においてはお金で解決しなければならないということだろうと思うのです。そういうふうな流れから考えて見てまいりますと、民法はなるほど金銭賠償というのをとっておりますが、民法におきましても、しばしばこの原状回復を認める場合はあるわけなんです。たとえば家を滅失したような場合には、判例によりますと交換価格的な賠償を払えといっております。それに対しまして一部滅失のような場合には修理代を払えといっておりまして、これはまさに原状回復を認めておることになるわけだと思っております。したがって、たとえば先ほどドイツの場合に原状回復が原則だというようにおっしゃっておられたわけですけれども、確かにドイツ民法の場合はそうですが、しかしこれは形の上だけでありまして、実態は例外が原則という、つまり近代社会の他の法制にならって、やはり事実においては金銭賠償主義のほうが強いというか、一般に行なわれておるわけです。ですから、金銭賠償か原状回復かということは、結論的に申しましたら、いま申しますようにその実態に即して考えていくべきであって、どちらがいい、どちらが悪いということにはならない。つまり具体的な妥当性のある賠償理論というものを考える観点においては、むしろ両者は併用されてなくてはならないのだということだろうと思います。同じような趣旨は今日の臨鉱法にも出ておるわけでありまして、ある程度原状回復をさせる、しかしそれでもなお不完全な場合が残る、そういうふうな場合には納付金その他のような形でもってお金で払え、つまりそこでは原状回復プラス金銭賠償という形でやっております。それから農地の鉱害自身を取り上げてみましても、たとえば実態としては結局ある程度年々賠償をやって、しかる後に、復旧できないとなってまいりますと臨鉱法でもって復旧していく、つまり原状回復をやっていくということになっておりますけれども、全体を総合的にとらえてみますと、金銭賠償プラス原状回復というかっこうになっておる。つまりどっちか一本であっても、実は被害物体の特殊性ということでこれはおかしいということを、そういう生ける法と申しますか、慣習と申しますか、そういうものは示しておるというような気がするわけです。  なお、そういうことによる鉱業権者の負担その他につきましては、加藤教授が御指摘になりましたので、省略いたします。
  29. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先生方のほうで、私並びに小笠委員質問をしましたほかに、何か改正案についてお気づきの点があったら承りたいと思うのです。特に法律の今後の運営から、こうしたほうがむしろいいのではないか、あるいはこの点ははたして時代に即した改正になっておるかどうか、こういう点、全般にお気づきの点がありましたらお伺いしたいと思います。加藤先生委員ですからわりあいにタッチされておりますが、徳本先生のほうで現地の鉱害なんかの処理その他いろいろタッチをされている面から、何か参考になる御意見がありましたらお聞かせ願いたいと思います。
  30. 徳本鎭

    徳本参考人 急にここに出てくるようにということを命じられたものですから、まだ実はこまかな点について検討が十分済んでおりません。したがって、せっかく御指摘いただいたのですけれども、そういう点でどの程度のことが言えるかということは、たいへん無責任なことですけれども、自信がないわけでございます。多少条文の形を読んでみまして、こういうふうなところはもう少し平易にしたらどうだろうかなというような気が——もちろんこれは解釈のやり方の問題ですから、本質的な問題じゃないと思いますけれども、たとえば一、二、例をあげてまいりますと、百八条の二の三号の「土地の通常の利用に比し、著しく広い区域の土地の使用を要し、又は著しい土地の形質の変更を要する施設であって、その設置により鉱床又は坑道若しくは抗井を損壊するもの」の「坑道若しくは抗井を損壊するもの」ということなんですが、おそらくこれの実質的な意味は、「坑道若しくは坑井」というのは現存するものはもちろんでしょうけれども、むしろそれよりも現存しなくて、そういう坑道または坑井というようなものの予定地を失わしめる、そういう危険性、そういうことだろうと思うのです。そうでなければ意味がなくなると思うのですが、もしそうだとすると、そういうふうに解釈するのだと言ってしまえばそれまでですけれども、必ずしもこれでもってそういうふうに読み取れるかどうかというようなことは、この表現で読み切れるかどうであろうかということを考えております。  それから同じようなことは、百八条の三で、「第四十二条の三の指示に係る施設その他鉱業権の設定若しくは鉱区若しくは目的鉱物の増加による変更又は租鉱権の設定若しくは租鉱区若しくは租鉱権の目的として登録を受けた鉱物若しくは鉱床の増加による変更前においてその設置を予見し又は予見すべきであった施設の設置によって損害を受けたときは、」ということ。ここでの「予見し又は予見すべきであった」ということもこれまたいまのと同じように、特に鉱業権の転々譲渡というようなことを考えてまいりますと、当初の鉱業権者の「予見し又は予見すべきであった、」これも仮定の問題でしょうけれども、さらにそれが承継されているといった場合の鉱業権者になると、当初の鉱業権者の「予見し又は予見すべきであった」ということをどういうふうに承継していくかという関係で、これはおそらく「予見し又は予見すべきであった」ということは、その後の鉱業権者についてもその関係が移行すると見るか、あるいは当初の鉱業権者の「予見し又は予見すべきであった」ということを条件として、事後の鉱業権者損害賠償請求することができないというようにつながってこなければならないと思うのですけれども、はたしてこういうふうな表現でもってそういうふうに読まなくちゃならないことが適切にあらわされているのかどうかというようなことについては、疑問ではないのですけれども、もっと表現のしやすい方法があるかどうかというようなこと、こまかいことですけれども、指摘になるかどうかわかりませんけれども……。
  31. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 どうもありがとうございました。
  32. 加藤悌次

    加藤参考人 私は審議会の委員だったので、この案に賛成するのは当然だということになるかもしれませんが、今度の法律案審議会の答申との関係を比べてみまして、私は審議会の答申が非常によく実現されているというふうに思うのです。これはいろいろな利害関係がございましたり、法律的な問題点があったりして、答申がなかなか実現されない場合もあると思うのです。今度もこまかい点を拾いますと、ずいぶん違う点もありますけれども、これは大体技術的な点が多いのでありまして、答申として考えられていたところは、大体こういう点はむずかしいだろうと思った点も実はないわけではなかったのですけれども、いまの権利関係調整みたいなものは立法技術がむずかしいので、どうなるかという心配もしておったのですが、そういう点、比較的ほかのものと比べてみましてよく実現されておるのではないか。それから審議会のほうの答申が、鉱業権者委員に加わっていて、少しどうかという御疑問があるかもしれませんが、私としては、ほかの幾つかの審議会に出たことがあるのですけれども、非常に気持ちよく議論して、思うことをみんな言い合って、私たちも、鉱業権者の方が出ておられても、それに別に引きずられておるということは全くありませんで、公益代表というような気持ちで十分審議を尽くしたつもであります。そういう意味で、全体として非常に気持ちのよかった審議会だというふうに私自身としては思っております。  なお、いま、主として権利関係調整のところを問題になさっておるわけですけれども、これは私はその規定としても十分合理的にできているというように思うのです。その点ばかりでなく、やはり全体のバランスという点もごらんになっていただきたい。たとえば、鉱業の実施についての説明を求めるというような百八十七条ですか、規定がございますが、これなどはずいぶん反対もあったところですけれども、そういうところで地上権益者側の利益が相当実質的には保護されるのではないかというような点、あるいは百条の十四になりますが、土地所有者の承諾について、宅地、農地等に範囲を拡げているというような点、そういう全体としてのバランスということもできればお考え願えないであろうか。私は、それは一つ一つ別の問題ですから、それとして合理性があれば何もひっかけて見る必要はないと思うのですけれども、かりに鉱業権者側の立場に立つ方が見られれば、調整の点の規定だけが落ちて、こっちだけが入っておるというのでは何か困るんだというような意見がおそらく出てくるのではないか。私、それは合理的とは必ずしも思いませんけれども、そういう、つまり全体のバランスという点にわれわれとしてはずいぶん苦心したという点を御考慮願いたい。ですから、これは、私、審議会の委員として当然ですけれども、できれば全体の姿で御審議を願えたらという気持ちでございます。  蛇足でございますが……。
  33. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 どうもありがとうございました。
  34. 中村幸八

    中村委員長 他に参考人方々に対する質疑の通告はありませんので、参考人方々に一言お礼申し上げます。  長時間にわたる貴重な御意見をお述べいただき、ありがとう存じました。御退席いただいてけっこうです。  これにて散会いたします。    午後四時四十七分散会