○長谷川(保)
委員 事実はこうしているのです。事実は、その救急車の方
たちは、病院に持ってきた、死んでおった、その場合にはもとのところに持っていかないで、病院のほうに頼んで時間をずらしてもらって、病院に来て死んだことにしてもらっているのです。事実はそうやっているのです。私はそれは正しいと思うのです。なぜなら、いまの話で、一体生死の境で死んでいるか生きているかわからぬというときに、これは直ちに病院に運んでくる、もしそれによって助かることができれば、とうとい生命を救うことができるわけです。だから
法律的なことはあとでやって、まず生命が第一でありますから、それをやるという今日の事実は、私は正しいと思うのです。だから医者のほうで見て、これは街路におったときにすでに死んでおった、こう判断されても、その死んだ死体をもとの街路に運んで、もう一度そこに寝かせてむしろをかぶせておいて、それから警察官が来て調べるというようなことはしないで、事実は救急車のほうの関係から時間をおくらしてもらって、病院で死んだことにして、そうして処置をしておるのであります。これが事実であります。私はこのやり方は正しいと思うのです。つまり生命を救うということ、また人道的な立場から、もう一度道路に持っていって、その死骸をさらすということはしないで、死んでいかれるそこに時間は事実とは違いますけれ
ども、医師が便宜を計らって処置をするという行き方はいい。
社会的だと思うのです。道義的だと思うのです。正しいと思うのです。しかし、確かに
法律からしますればこれは間違いです。事実と違っています。これは
一つの例として申し上げたわけでありますけれ
ども、私はこれをすべきだと思います。これでよろしいと思います。でありますから、犯罪の意思がない場合、犯罪のおそれがない場合、これはもちろんデリケートな問題でありますけれ
ども、そういう場合にある程度の便宜を、家族なりあるいはその死者なりの便宜をはかるということは、
法律は
法律といたしまして、当然これは大目に見ると申しますか、その点をある程度
考え方を拡張いたしまして、そしてこれを
措置するということは、人道上も、
社会的にも私は許さるべきだと思います。そういう
意味で、これは例としていま申し上げたのであります。今度の中山教授の事件も、犯罪の意思はないのでありますから、これは私文書偽造になるか公文書偽造になるか存じませんけれ
ども、あるいは医師法の違反として
医療審議会にかけて、刑事事件としてこれを扱っていくというようなことはすべきでないと私は思うのです。犯罪の意思があれば当然すべきでありますけれ
ども、犯罪の意思はなかった。反
社会的なことにはなっておらないのであります、少なくとも新聞報道で私が知っている限りにおきましては。でありますから、ことにこういう世界的な名士でありまする偉大な医学者、しかも、きょうもおそらくたくさんの病人の手術をしていられるでありましょう。そういう人をこの際犯罪人として検挙するというようなことはすべきでないし、大きなところから見て、ただいまの救急傷害者の扱いと同じように犯罪の意思はないのでありますから、私は当然これについては適当な方法をとるべきであると思うのです。単に死亡時間をずらして書いた——これは一般的に
全国の医者がみなやっています。善意のものでやっています。そういうようにもし厳格に
法律を扱っていくならば、いまの救急車のやり方は
法律違反です。事実やっていますよ、消防署は。それをここで、公の席でお認めになるということはいろいろ問題が残りましょうからできないと思いますけれ
ども、やぼな質問はいたしませんが、事実はやっております。また、それでなければほんとうの正しい
措置はできないと思います。でありますから、今度の問題も、これが犯罪の意思はないということは、新聞報道によりますと警視庁も認めておるわけです。ただ形式の問題で、初めから犯舞の意思はどこにもないのでありますから……。もしそういうことであれば、警察庁といたしましても適当な方法をとるべきであり、また
厚生省としても適当な方法をとるべきであり、文部省といたしましても、これについては適当な方法をとって、これを犯罪として検挙するというようなことはすべきでないと私は確信するのでありますが、この点厚生
大臣はどうお
考えでありましょうか。