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1964-06-11 第46回国会 衆議院 決算委員会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年六月十一日(木曜日)    午前十一時十七分開議  出席委員    委員長 白浜 仁吉君    理事 押谷 富三君 理事 鈴木 善幸君    理事 竹山祐太郎君 理事 片島  港君    理事 勝澤 芳雄君       鍛冶 良作君    菊池 義郎君       田川 誠一君    根本龍太郎君       原 健三郎君    神近 市子君       吉田 賢一君  出席政府委員         総理府総務副長         官       古屋  亨君         総理府事務官         (特別地域連絡         局長)     三枝 三郎君         文部事務官         (調査局長)  天城  勲君  委員外出席者         総理府事務官         (統計局調査部         長)      関戸 嘉明君         大蔵事務官         (管財局国有財         産第一課長)  宮川 国生君         厚生事務官         (医務局医事課         長)      上村  一君         会計検査院事務         官         (第一局長)  保川  遜君         日本電信電話公         社総務理事   金光  昭君         専  門  員 茨木 純一君     ————————————— 六月九日  委員森本靖辞任につき、その補欠として野口  忠夫君が議長指名委員に選任された。 同 日  委員野口忠夫辞任につき、その補欠として森  本靖君が議長指名委員に選任された。 同月十日  委員栗原俊夫辞任につき、その補欠として島  上善五郎君が議長指名委員に選任された。 同 日  委員島上善五郎辞任につき、その補欠として  栗原俊夫君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  閉会中審査に関する件  参考人出頭要求に関する件  昭和三十七年度一般会計歳入歳出決算  昭和三十七年度特別会計歳入歳出決算  昭和三十七年度国税収納金整理資金受払計算書  昭和三十七年度政府関係機関決算書  昭和三十七年度国有財産増減及び現在額総計算  書  昭和三十七年度国有財産無償貸付状況計算書  昭和三十七年度物品増減及び現在額総計算書  総理府所管総理府本関係)      ————◇—————
  2. 白浜仁吉

    白浜委員長 これより会議を開きます。  昭和三十七年度決算外三件を一括して議題といたします。本日は総理府所管中、総理府本関係決算について審査を進めます。  質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。勝澤君。
  3. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 私は特に総理府の中で、沖繩援助機関中心に抜き出して、まず質問をいたしたいと存じます。  三十七年度の決算書を見てまいりますと、総理府の中の沖繩援助経費が、歳出予算が九億五千万円、前年度繰り越しが三億四千万円、歳出予算現額が十三億であります。十三億の歳出予算現額に対しまして、支出済み額は五億七千万円で、翌年度繰り越しが六億一千万円、不用額が一億一千万、こう計上されているわけでありまして、予算執行を見てみますと、まさに異常な決算になっておるようであります。このように予算の十三億に対し五億七千万円しか当年度で支出がないということ、そして約半分というものが翌年度繰り越し、こういうような事態というものは、一体どういう理由で起きているのかという点について、まず最初に御質問いたします。
  4. 古屋亨

    古屋政府委員 お答えいたします。ただいま沖繩関係予算につきまして、その執行が異常におくれておるというお話でございましたが、それは確かにお話のとおりでございます。沖繩関係に対します日本政府言援助予算は、従来一般的な内容は打ち合わしておりますが、三十七年度から沖繩予算の中へこちらの項目を規定いたしまして、その一定の金額を援助するという形を三十七年度から初めてとっておるのでございます。そしてその援助関係予算は、アメリカもそうでございますが、日琉間覚え書きによってその予算執行されておるのでございますが、三十七年度におきましては、その予算が、御承知のように琉球のほうは七月一日から六月三十日までが会計の期間でございます。日本は御承知のように四月一日から三月三十一日まででございますが、三十七年度におきまして覚え書きができましたのが、その年の十二月七日でございます。つまり予算が、日本側でいいますれば四月一日から執行し、沖繩のほう、琉球予算は七月一日からでありますが、その予算覚え書き成立いたしましたのは、同年の十二月七日であるということが、一番執行がおくれた理由でございます。そういたしまして、そのおくれたおもな理由といたしましては、三十七年度におきましては、いま申し上げましたように、琉球政府援助費を交付いたしまして、事業実施琉球政府にまかせる方式というのは、三十七年度から初めて実施をいたしまして、しかもその覚え書き成立が十二月七日であった。それ以後執行するということでありまして、その覚え書きがこのようにおくれまして、十二月七日に成立しましたのは初めてのことで、そのように織り込み事項につきまして、日米間の交渉に時日を要した点でございます。この結果、この覚え書きに基づきまして、事業計画提出事業着手等琉球政府の行なう事務がおくれまして、したがいまして、その結果、日本政府当該会計年度事業執行することが不可能になりまして、三十七年度におきましては明許繰り越し手続をはかったような次第でございます。  なお、この点は、十二月七日と申し上げましたが、三十八年度の予算——ただいまのお尋ねにはございませんでしたが——におきましても覚え書き成立しましたのは、ことしの一月三日でございました。したがいまして、最初私が、三十七年度については十二月七日に覚え書きができたが、これは交渉に手間どっておって、しかも琉球政府にそういう援助費を初めてやるんだから、その問いろいろの手続連絡がおくれた、事業計画提出等も、したがっておくれざるを得なかったということを申し上げたのでありますが、三十八年度は御質問にはなかったのでございますが、二回目でございますが、これもたいへんおくれまして、アメリカ予算も、昨年の暮れに昨年の七月から始まるものが、成立したような状況でございますが、とにかく折衝を重ねまして努力をいたしましたが、ことしの一月の三日に成立したというような状況でございます。したがいまして、それ以後事業計画執行するということになりますと、その年の間にはできなくて、繰り越し明許をいただいたりしておるような次第でございます。  ただここで一言だけ申し上げたいのは、毎年そんなふうにおくれては国会の御審議でも御質問ございましたが、むしろそういうのがそんなにおくれるなら、あくる年にそういうのを要求したらいいんじゃないかというような御質問もありました。おくれましたことについては、日米間の交渉がおくれまして、私どもこの点は非常に遺憾に思いまして、三十七年度と三十八年度におきましては、先ほど申し上げましたように十二月七日、三十七年度につきましては、こういうことが初めてでございましたので、交渉に手間どったということを申し上げた次第でございます。三十八年度におきましても、ずいぶん折衝いたしましたが、ことしの一月三日にやっとそれが——三十八年度分は御質問なかったのでございますが、成立したような状況でございます。私どもは何とかして早く覚え書きを結んで事業執行に当たらなきゃならぬということで、この点もいずれ御質問があり当然私どもお答えしなければならぬと思いましたので、三十九年度におきましては、四月の予算成立しました当初から交渉を重ねておりまして、この点は、他方の覚え書きに対するこちらの意見も話し合っておりまして、いまの見通しでは、三十九年度は六月の終わりには、おそらく覚え書き調印に至るのではなかろうか、またそういうことを期待して努力をしておるのでありますが、いずれにいたしましても、三十七年度と三十八年度につきましては、覚え書き成立がおくれましたためにこのように繰り越し明許をお願いをし、執行がおくれましたことは、私ども非常に沖繩のために、また私どもとしても非常に遺憾な次第と思いまして、いま申し上げました三十九年度においては総務長官に直接御交渉いただきまして、いまのような計画で進んでおるような次第でございます。
  5. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 三十七年度が三十七年十二月七日に覚え書き調印された。それから三十八年度が三十九年の一月三日に調印された。三十八年度の予算執行を見てみましても、十四億の予算に対して三億八千万だけしか支出をしていない。翌年度繰り越しが十億もある。まことに私は予算執行の上からいって理解に苦しむわけであります。しかも、いまの御説明ですと、三十九年度は何とか六月末で覚え書きができるように努力をしておるというお話。三十九年度で六月三十日にできるのだったら、三十八年度もなぜできなかったか、もう少し率直な話を聞かしていただきたいと思う。どこに問題があるのかという点を明確にしていただきたいと思います。
  6. 古屋亨

    古屋政府委員 三十七年度の分につきましてはただいま御説明いたしましたが、そういうような援助費を一括して琉球政府に交付いたしましたために、その覚え書き成立が非常におくれました。これは非常に申しわけないことでございますが、三十八年度におきましても、昨年予算成立いたしまして、外務省を通じましてアメリカ側交渉をしておった次第でございます。私どもも、三十七年度の覚え書きがおくれましたのは、当初のことでもありますので、三十八年度におきましては積極的にこれを促進をいたしたのでありますが、琉球政府予算が、私の記憶が間違いでないとすれば、七月一日から始まるのが八月後に、アメリカのほうが十二月の終わりに成立をいたしました。これは私率直に申しまして、そういうような事情もあったんではなかろうかということを考えておったのでございますが、とにかくこういうふうでありましては、せっかく沖繩方々援助が、国会の御審議によりまして決定いたしました額が、執行がおくれては非常に申しわけないのでありまして、この点は、三十七年度はそういうような事情がございましたので、三十八年度はいまかいまかと私どもその成立期待し、また外務省を通じて交渉をしておった次第でございます。三十八年度のおくれました理由につきましては、第一回目のときでございますから、私どもはもっと早く成立することを期待しておったのでございますが、事実におきましては、まことに遺憾ながら一月三日に覚え書き成立した。アメリカ予算がその年の暮れに成立したということも何らかの関係があるんではなかろうかと考えますが、これは私の推測の範囲を出ないで、とにかく早く成立するように交渉外務省を通じていたしておったのでございます。三十九年度は、当初、予算国会を通過しますと同時に外務省を通じて交渉をいたしまして、いま申し上げましたが、今月中にはおそらく覚え書きができるんではなかろうかという期待と、それから、おそらくできるであろうと私ども考えておりますが、三十八年度がこのようにおくれましたことは私ども非常に遺憾でありまして、この点は外交折衝は十分何回もやっていただきましたが、非常におくれましたことは申しわけないと考えます。
  7. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 予算をつくる場合、たとえば三十九年度の予算をつくる場合、昨年の十月なり十一月ごろ、大体こういう計画でいこうという案ができると思うのですが、その段階において、琉球政府なり、あるいはアメリカ政府との話し合いというものが、私は持たれているんじゃないかと思うのです。そうすれば、日本会計年度というのははっきりしているわけでありますから、その打ち合わせに従って予算執行はできるはずだと思います。いまのお話ですと、三十八年度の場合は沖繩が八月ごろだった、あるいはアメリカが十二月ごろだった、これが一つの理由とするならば、三十九年度は六月三十日に予算執行ができる見通しだということは、どういうふうに理解していいのですか。沖繩予算成立していない、アメリカ予算成立していなくても執行できるということに逆になるのではないですか。その点はどうですか。
  8. 古屋亨

    古屋政府委員 御意見を承りまして、三十八年度はアメリカあるいは沖繩予算成立がおくれましたことは、いま申し上げたとおりでございます。ただそれとこちらの覚え書き成立がどういう関連があるかということは、これは私の推測的な考え方で申し上げた次第でございます。三十九年度は御承知のように、いま琉球の立法院に予算提出をされておるような状況でございます。これにつきましては、ただいまお話しのように、予算を編成いたします前に相当事務的な項目等につきまして折衝をしておるのでございます。ただこの覚え書きが、私ども期待では三十八年度は——三十七年度が非常におくれまして十二月ということになりましたために、三十八年は第二回目であるからもっと早く覚え書き成立することを期待し、またそのためにたびたび外交折衝をしておったのでありますが、非常におくれまして、そのために多額の金を繰り越しをお願いしなければならぬということで、ただいま数字をお示しになりましたように、三十八年度は一月三日に成立しましたために、七割以上のものが、日本の三十九年度において繰り越しになり、それをいま鋭意執行している状況でございます。ただ三十九年度につきましては、三十八年ももっと早くできるということを期待し、交渉しておりまして、これがおくれましたために、三十九年度は当初から四月に国会で本年度予算成立いたしますと同時に、外務省を通じまして覚え書きの案を交渉しておりましたが、先般その回答が参りましたので、それに基づいて関係省協議して先方に連絡しておるというような次第で、三十九年度につきましてはおそらく六月終わりまで、つまり向こう会計年度が始まる前に覚え書き成立するのではないかということを期待しており、またそう思っておりますということを先ほど申し上げた次第であります。  なお、この間毎年こういうような覚え書きを繰り返し、そうしてお話しのように予算を編成する前におきましては、相当事務的に打ち合わせをしております。しかるにもかかわらず、この覚え書き成立が三十八年度においておくれましたことは、私どもも非常に遺憾としておりまして、実は御承知の先般成立を見ました日米協議会、あるいは近く開催されるであろうと予想されます日米琉協議会等におきましても、予算執行迅速化という点については相当協議をいたしまして、こういうような多額の、七割以上の金が繰り越しになるということがないように、私どもは今後も努力をしてまいりたい。いままでおくれましたことは、外交交渉があります以上、私ども非常に遺憾に思っておる次第でございます。
  9. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 この予算を作成する場合に、援助計画の全体というものは日本だけできめるのですか。アメリカがきめて、アメリカ援助に基づき日本の分担というものがきまってくるのですか。どういう形にやられておるんですか。
  10. 三枝三郎

    三枝政府委員 お答えいたします。三十七年度の場合、こちらの当初の案を外務省を経由して三十七年の六月に出しております。三十八年度の場合はやはり六月に原案外務省に送付しておる。そういう状況であります。
  11. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 いや、私の聞いているのは、この沖繩援助というのは全体的な計画がどういうふうに立てられるのか、そうして日本がそれに対してどうするのか、あるいは日本が独自に立てるならば、日本沖繩援助というものをどういうふうに全体的に考えて、そうしてどういう割り振りでやられているのか、こういう点なんです。
  12. 三枝三郎

    三枝政府委員 基本的な考え方は、沖繩における施政権米側にございますので、あくまでも日米両者間で協議をして、話し合いでこれをきめていくという根本的な考え方で進んでおります。したがいまして、わがほうとしましては、お手元に差し上げましたそういった技術援助内容につきまして、関係各省と十分打ち合わせを遂げまして、こちらの原案を作成し、それを外交交渉ということで、外務省を通じて向こう話し合いをするというたてまえにしております。
  13. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 主体はどこにあるかということなんです。日米両国でなくてアメリカ側にあるんですね。その点を明確にしておいていただかないと困る。協議といえば、両方が対等の立場なんです。話し合いといえば、アメリカが上にあって、こちらが下の立場なんですから、その点をはっきりしてもらいたい。
  14. 三枝三郎

    三枝政府委員 はっきり申し上げまして、ただいまお話し申し上げましたように、施政権アメリカ側にございますので、私ども原案をつくりましても、それは一応米側のほうで検討しまして、米側立場でいろいろ意見を加えてまいっております。先ほど副長官が申し上げました個別的な援助費内容覚え書きにつきましても、こちらが出し、向こうがまた修正してくる、それについてこちらがまた意見を出すというような手続を何回か繰り返しまして、最終的には両者意見が一致して覚え書き調印をするということになりますが、主体はあくまでも米側でございます。これは施政権アメリカ側にあるというたてまえから当然そうなるのでざございます。
  15. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 施政権アメリカ側にある、しかし、潜在主権日本にある、やがて日本に復帰させる、これが今日の方針だと思います。やがて日本に復帰させるということを前提に考えるならば、沖繩現状から言って、沖繩援助はどうあるべきかという、日本としての青写真といいますか、計画がやはりあるはずです。池田内閣ですから、長期所得倍増計画があるくらいですから、沖繩についてもそのような計画があると思いますが、その計画はどういうふうになされておりますか。できれば全体的な計画なり何なりをひとつお出し願いたいと思うのです。
  16. 三枝三郎

    三枝政府委員 お答えします。援助の基本的な方針でございますが、これは池田ケネディ共同声明、あるいはケネディ大統領声明等にあらわれている方針が、そのまま私ども方針と一致しようと思います。すなわち、沖繩経済開発あるいは沖繩方々福祉安寧増進するという基本原則の上で、私どもは、予算の各項目につきまして関係各省と十分に打ち合わせを遂げまして、これを盛り込んでいきたい。しからば具体的に何年間の青写真ということになりますと、いろいろな点で情勢が動いておりますので、はっきりした具体的な数字あるいは青写真というものは持ち合わせてございませんけれども基本ラインとしましては、いま申し上げました経済開発あるいは沖繩住民福祉安寧増進という点に重点を置きまして、三十七年三十八年の予算執行状況もにらみ合わせまして、三十九年度の予算をつくり上げたわけでございます。四十年度につきましても、同様の基本方針で現在作業を始めております。  以上でございます。
  17. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 池田ケネディ声明で明確になっている。明確になっているということの一番の中心は何かといえば、結局日本に復帰させるということが前提でなければならぬわけです。その日本に復帰させるという前提の上に、経済開発なり福祉安寧増進をせめて日本国土並みに行なっていくということでなければいけないと思う。その方針をしっかりつくりながら、全体的に沖繩援助については、アメリカ協議し、指示を仰がなければできないという消極的なことしか行なわれていないわけです。ここに私は大きな問題があると思うのです。沖繩の注民というのは日本国民だということははっきりしている。それに対する福祉については、一々アメリカと相談しなければできないなんというようなことは、私はおかしいと思うのです。それがあらゆる情勢の中にみなおくれてくっついてきている。これでは私は、いまあなたが方針に従って行なっていると言うけれども方針に従っていない。これは池田ケネディの申し合わせというものが完全実施されていない、こう実は言わざるを得ない。総務長官がいないし、外務大臣も見えておりませんから、あなたにそういうことを申し上げてもどうかと思うのですけれども、しかし、それを、実際に行政を担当するという立場から見るならば、私はこれはやはり相当問題だと思うのです。そういう点から考えてみますと、今日の沖繩に対する基本的な考え方、そして将来に向かっての施策というものを、やはり明確にすべきだと思う。基本方針について明確にできないとするならば、やはり行政的な部門別の個所について、あるいは経済開発についても、あるいは福祉の向上についても、あるいは教育、文化についても、方針を立てて、やはりそれに当てはめた方向努力を積み重ねていかなければならぬと思う。その努力目標といいますか、そういうものを、やはり今日沖繩住民に与えるべきだと思う。そういう目標というものについてはいかがですか。たとえば経済開発についてあるいは福祉安寧増進につきましても、時々刻々に日本の国におきましては、国会においても新しい施策というものが行なわれているわけです。それがやはり沖繩にも同じように行なわれるような努力というものが行なわれているのですか。その点いかがですか。
  18. 三枝三郎

    三枝政府委員 いまお話がございましたとおりでございまして、私どもももちろん基本的な考え方としまして、沖繩に対してはわが国が潜在主権を持っている、これはもう当然でございます。それから沖繩住民日本国民であるという地位を持っていることもこれもあたりまえであります。また沖繩に対する施政権が、いずれ日本に反還されるということ、以上三点は常々私どもは頭に置いております。しかし現実の問題としましては、施政権向こうにありますので、あくまでもそういった基本的な考え方から米国に協力するということで積極的な援助努力しているわけであります。その具体的な——といいましても抽象的になるかもしれませんが、さしあたっての目標は、経済開発住民福祉安寧増進するということでございまして、この点は御指摘の御意見と全く同一であろうと私自身も考えております。しからば具体的にそれぞれの項目につきましてどうかということになりますれば、これは関係各省とも何回も打ち合わせをしてきめますが、いずれもいま申し上げました三つの基本原則あるいは当面の目標として、いま申し上げましたような目標を置きまして、それぞれの項目について推し進めるというのが現状でございます。
  19. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 具体的に経済開発については、どういうふうに考えており、福祉安寧増進についてはどういうふうに考えておるか。この点はいかがですか。
  20. 三枝三郎

    三枝政府委員 三十九年度のいま作業に着手している沖繩援助についての重点をちょっと申し上げますと、沖繩経済が一九五五年以降大体毎年住民所得が一〇%の伸びを示しております。したがいまして、こういった伸びは、その内容としては基地経済に依存するところがありましたり、あるいは第一次産業の点できわめて低調な点もありますけれども、全般的にはこれだけ伸びておる。こういった伸びは、われわれとしましても念頭に置きまして、それが阻害されないような方向にまず持っていかなければならない。大体来年度の目標としましては、やはり昨年同様、当初御指摘がありましたとおり多額繰り越しどもございまして、これも数字を申し上げますと、七〇%ぐらいになっております。そういうようなことで、やはり昨年同様に産業開発と、社会福祉医療文教技術援助重点を置いております。これは金額的に申し上げますと、三十八年度につきましては、技術援助については約三千万、それから産業開発につきましては十二億三千万、社会福祉及び医療につきましては一億三千万、文教関係につきましては一億六百万、その他ということで、大体こういった配分を今年度も踏襲してまいる、そういうことで作業を進めております。
  21. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 私は特に沖繩問題につきましては、復帰の希望というものが今日強く出されておることはよく御存じだと思う。そういう立場からやはりいろいろな外交上の問題はあろうとも、沖繩施政権が返還をされ、まあとにかく自由に往来ができるようにするという目標を掲げながらそれに近づける。これはむしろ援助というよりも当然なことだと思うのですけれども、これはやはりある程度の見通しをきっちり立て、その目標に向かって順次進んでいく、こういう長期的な計画というものをきっちりさせるべきだと思う。何か今度日米協議会なり日米琉の懇談会ができたようでありますけれども、これを見てもたいして期待が持てないというのが現地住民の声でございまして、したがって、特に私は国内におけると同じように、沖繩についても、日本政府援助目標あるいは長期の計画、こういうものについて考えてもらうように強く要求をいたしておきたいと存じます。  そこで次に、かつて沖繩日本の調査団が派遣されたようであります。この沖繩調査団というのは、いつ行なわれて、どういうことがやられてきたのですか。
  22. 三枝三郎

    三枝政府委員 沖繩は派遣されたわが国の調査団の点でございますが、これは昭和三十七年後に、援助の効果をあげるために沖繩の実情を十分に把握しなければならない、そういう目的で各省職員で編成した調査団を派遣したわけでございます。その報告のごく要点を申し上げますと、全部で三点ございまして、第一点は先ほどちょっと申し上げました沖繩経済伸びておる、しかし、その特徴は基地経済に依存しておるという点がございます。それで第一次産業の面では比較的伸びが低いということで、その点今度の特恵措置に依存する場合が大きいという点が、その調査報告の第一点であります。それから第二点は沖繩経済がいま申し上げましたように、相当発展しておりますけれども琉球政府の市町村の財政の点を見てみますと、その規模は本土の府県と比べて小さいという特徴があげられております。これは特に沖繩が激甚な戦災を受けたという関係がございますが、いずれにしましても、行政的な水準を上げるために相当援助を増額しなくてはならぬではないかという点が第二点にあげられております。第三点は、先ほどもちょっと触れましたが、各省編成していきましたが、特に第一次産業を振興させるために援助重点をそこへ置いていくことが必要ではないか、ごく大ざっぱに言いまして、以上三点について報告書が出されております。
  23. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 その報告書の詳細について資料として出していただきたいと思うのですが、よろしゅうございますか。
  24. 三枝三郎

    三枝政府委員 いずれそれを作成しましてお配りできるようにいたしたいと思います。
  25. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 それではその調査団の報告書を、二年前にやられたのですからできておるでしょうから、なるべく早く出していただきまして、それに基づいてまたこまかい質問をいたすことにいたしまして、次に、最近沖繩に対する援助供与について日米間の書簡が交換されておりますので、この書簡の意義等についてまず最初にお尋ねいたしたいと思います。
  26. 三枝三郎

    三枝政府委員 この交換された書簡の意義でございますが、初めて日本では東京に日本と米国との間で沖繩援助についての話し合いの場ができたわけです。と同時に、沖繩におきまして、日米両国民代表のほかに琉球政府の代表が委員となって、日米琉間で話し合いの場ができた、そこに一番大きな意義があろうかと思います。  御承知のように、東京における協議委員会のメンバーは、わが国におきましては外務大臣総理府総務長官、それから米側はライシャワー・アメリカ大使、現在はエマーソン代理大使でございますが、現地の技術委員会におきましては、アメリカ側は最近委員がかわりまして、コブという高等弁務官特別補佐官、日本側は南方連絡事務所長、それから琉球側は琉球政府の副主席でございます。この意味は申すまでもなく、先ほど私ちょっと申し上げましたが、日米協力して沖繩経済開発並びに住民福祉安寧増進させるための援助について、東京における協議委員会は日米間の基本的な方針、政策についての協議をいたします。また現地におきましては、それを実施する場合のいろいろな具体的な問題がございますが、それの運営とかそういった技術的な問題を検討するということがねらいになっておりまして、東京におきましては先般初めて第一回の会合を開き、現地の技術委員会におきましては、メンバーの更迭などございまして、第一回の開催が少しおくれておりますが、間もなく開かれるのではないかと私ども期待しております。
  27. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 この交換書簡は、主として経済開発あるいは住民福祉安寧増進ということを中心協議するのだ、こういわれております。しかし池田ケネディ話し合いによりますれば、やはり施政権の返還というものが中心にならなければならぬ、しかし、その問題がたな上げになっておるということで、沖繩住民は失望をしておる。むしろ福祉増進経済開発より以前に施政権の返還だというふうに強調されているようで、私も当然なことだと思うのです。政府としてもそういうふうに基本的な問題としてお考えになっておるというふうに理解してよろしゅうございますか。
  28. 三枝三郎

    三枝政府委員 そのように御理解なさって間違いないと思います。すなわち、国会でも総理あるいは外務大臣あるいは総務長官からもすでにお答えといいますか、御説明があったことと思いますが、施政権の返還あるいは自治権の問題につきましては、トップレベルの段階でこれを話し合うという方針でございます。この両委員会につきましては、あくまでも先ほど申し上げましたねらいで話し合いを進めるということになっております。
  29. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 この書簡を見てみますと、たとえば「この資金の支出は、日本国の関係法令に従う。」こう出されております。しかし今度は合意された議事録を見ますと、「日本国の法律が援助計画琉球諸島における実施に適用されることを意味するとは解釈しないこと、」、日本側の書簡を見ますと、資金支出日本の国の法律に従うのだ、こうなっておりますけれども日本国の法律には従うけれども琉球諸島で実施される場合においては、別にこの法律は適用されない、こういうように議事録がされておりますが、これはどういう意味なんでしょうか。
  30. 三枝三郎

    三枝政府委員 この点は、先ほど副長官からお答えしまして、非常におくれた理由の一つとして推測されておりますし、また現実にこういったところが大きな問題にといいますか、協議会をつくる際に、あるいは三十七年度、三十八年度の特別覚書きを締結する場合にも相当時間がかかった点であります。たとえば会計検査につきましても、三十八年度の覚え書きには「総理府は、この覚書の条件に基づいて資金を交付した事業の完了及び援助金の適正な支出を確認するため、職員を派遣することができる。同職員は、総理府、高等弁務官府及び琉球政府によって同意された次の場合に派遣されるものとする。」ということで二点あげております。その一つは、「援助事業の進捗状況に関する四半期報告書が事業の完了を示した後」、それからもう一つは、「すべての事業が完了した後」、これはもうすでに御承知のことと思います。すなわち、施政権米側にありますので、たとえば会計検査の例をとりますと、形式的には日本会計検査に関するいろいろな法規に基づいて現地で会計検査を実施するように考えられますけれども、実質的にはいま私読み上げましたこの覚え書きに基づく検査を実施する、そういうことになりまして、その辺たいへん特殊の事情に置かれた沖繩でございますので、こういった結果になっているわけでございます。
  31. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 次にこの実施のための手続の文書の中で、「合衆国政府は、日本国政府が琉球諸島に対し供与する援助についての合衆国政府の提案をこうなっておりますが、これはどういう意味なんですか。
  32. 三枝三郎

    三枝政府委員 私ども第一回の協議委員会におきまして同席いたしましたが、ここにうたっておりますところまでは第一回ですから至っておりませんが、いずれ第二回の協議委員会が開かれる場合は、おそらく米国側の政府の沖繩に対して供与する援助についての提案があろうかと思います。それがあった場合に、今度はこちら側の意見もいろいろありますので、この協議委員会にこれを出して両者協議をするということになります。したがいまして、先ほど申し上げましたとおり、日米両者協力して沖繩援助に当たるということが、この字句にあらわれているわけでございます。
  33. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 日米両者協力してと言われておりますけれども、ここの協力取りきめの実施のための手続を見ますと、合衆国政府は、日本の国の政府が琉球諸島に対して供与する援助について合衆国政府の提案を出す、アメリカが、日本の政府は琉球諸島にこういう援助をしてくれという提案を出す、アメリカがつくるのである、それに基づいて協議をする、こういうことですね、どうなんでしょうか。
  34. 三枝三郎

    三枝政府委員 そのとおりでございます。米側が提案をする。それから先ほどのいろいろ御質問、私どもの答弁にも関連しますが、わがほうもいろいろ援助につきましてはすでに数年の実績を持っておりますので、沖繩の実情から考えましてある案を持つ、それが実際問題としては突き合わされて最終的にはそれぞれ最もいい案になろうかと思いますが、これはやはり先ほど申し上げました米国と協力して援助を行なうというたてまえは、施政権向こうにある以上はこれをくずせないと思います。したがって、こういった表現が使われておると思います。
  35. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 はなはだ私は残念に思うのですが、日米協力してというのは、協力ではないのです。協力の場合は私は対等だと思う。ここは対等になっていないのです。それはあなたのほうもよく——アメリカが自分で案をつくって、日本はこれだけ協力してくれ、そして日本はそれに希望条件をつけ加えてそれが協議の対象になる。発議権というのはあくまでもあちら側が持っている、こういう形式なんです。ですから、協力だ協力だ、こう言っても、実際には協力ではない。力を合わせる場合には、お互いにやはり意見を言い合う。意見を言い合わないで向こう意見を出して、それにイエスかノーか希望があるなら、こういうたてまえになっている。ここに私は、今日これは見せかけのものじゃないだろうかという疑問を島民が持っていると思うのです。ですから、自治権が後退した、こう琉球政府でも言われておるということは、私は当然なことだと思う。その点をひとつ、十分お考えの中へ入れておいていただきたいと思うのです。別に前進をしておるのではないのです。後退をしたと現地住民は思っておる。私も実はこれを詳細に検討したときに、これは従来よりも後退をした——いや、いままでやっていることを整理をしただけだ、こう言われるけれども、整理をした中で巧みに後退をしている。施政権の返還はますます遠のいたという意見を島民が持つのは当然なことだと思います。  そこで、先ほどから沖繩援助金について言われておるわけでありますけれども、この援助金というものは、国内における補助金、こういうものとの性格はどうなんですか、あるいは補助金等適正化法がありますが、こういうものとの関連はどうなんですか、もしこの補助金等適正化法に関係がないとするならば、どういう性格のものなんでしょうか。
  36. 三枝三郎

    三枝政府委員 国内におけるたとえば財政法とか、いま御指摘の補助金適正化法等の関係法規がそのまま適用されるかどうかということになりますが、これは前にも申し上げましたが、施政権向こうにありますので、そのまま向こうには適用されない。しかし現実の点でございますが、たとえばこの補助金の適正化法を向こうに実質的に持っていく場合に、事務的に相当細部にわたって調整しなくちゃならない面がございます。そういうことが、これは先ほど副長官が非常に長引いたということでお答え申し上げましたが、一つの理由にもなっているかと思います。現実にこちらで適用している法規を向こうにそのまま適用することはできませんので、細部にわたって事務的に調整する必要がある、そういうようなたてまえでずっときております。しかし私どもとしましては、昭和三十七年度は、先ほども長官がちょっと触れられましたが、数字を申し上げますと、年度内に消化したのが一八%、三十八年度に繰り越したのが八二%、三十八年度は少し消化の状況がよろしくて、二七%、年度内に消化して、七三%がその次に持ってきた。ことしは、先ほども長官が申し上げましたが、大体今月末くらいに現実には調印の運びになるのではないか、そうしますと例年より半年ぐらい早く実行に移せます。そうしますと、私どもとしては過去三年の実績が一応出ますので、そういったものをすべて検討しまして持っていけるということになりますので、法規的にはいま御指摘のような非常に妙なといいますか、むずかしい事務的な調整を必要とする点が残りますけれども、実際の問題としては三年間の実績をだんだん見て、さらに四年、五年と年次がたつに従ってより一そう効率的な予算執行ができるのじゃないか、また話し合いもできるのではないか、そういうぐあいに考えております。
  37. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 会計検査院にお尋ねしたいのですが、沖繩に対する会計検査は、今日までどのように行なわれてまいりましたか。
  38. 保川遜

    ○保川会計検査院説明員 沖繩に対します援助金について沖繩に実地に検査をいたすことでございますが、これはかねて懸案になっておりましたが、ことしの五月三十四日から今月の一日までの間九日間でございますが、職員、担当の課長以下三名を派遣をいたしまして、実施に検査をいたしてまいりました。
  39. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 その検査の執行なりあるいは検査の状況は、国内における検査と同じようなことが行なわれましたか、いかがですか。
  40. 保川遜

    ○保川会計検査院説明員 われわれの検査はもちろん会計検査院法に基づいて行なうわけでございます。実際の検査のやり方も、特に沖繩だから違えるとかそういったことはいたしておりません。全く国内の会計実地検査と同じ方法で、同じ目で検査を実施いたしております。
  41. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 それで三十七年度の検査ですか、三十八年、三十九年度、これからも同じような検査が行なわれるのですか、その点いかがですか。
  42. 保川遜

    ○保川会計検査院説明員 同じような検査を実施したいと希望いたしております。
  43. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 同じような検査が行なわれるようになるのですか、どうですか。総理府のほうで副長官どうですか。
  44. 古屋亨

    古屋政府委員 昨年、三十七年度の覚え書きができまして、たいへんおくれましたということを先ほど申し上げましたが、この会計検査の条項などもこちらが相当強く要請をいたしましてできたものでありまして、その後三十八年の覚え書きにもそれが同じように規定されております。それで三十九年はまだ案でございますから、近く三十九年もできると思っておりますが、私ども会計検査は実施をいたしたいというつもりで、三十九年度においても先方にそういうような案を送付しておりまして、この点は先ほど申し上げましたように、おそらく今月中に話し合い覚え書きとして成立すると思います。
  45. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 大蔵省にお尋ねしたいのですが、沖繩にある国有財産の現状、管理はどういうふうになっておりますか。
  46. 宮川国生

    ○宮川説明員 沖繩にあります国有財産で、国有財産増減報告書、現在額報告書というものに記載してあります金額は、約三千七百万円、土地が約二百十六万円、それから立木竹が百六十九万円、建物が二千六百七十七万円、工作物が六百五十一万円、それから船舶が一万一千円、合計しまして三千七百十五万三千円というものが、国有財産現在額として計上されております。しかしながらこれの管理の状況につきましてはつまびらかでございません。
  47. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 かって沖繩の国有林が伐採をされて、それが売買された。琉球政府のほうから、ひとつそれは琉球政府のほうの収入にしてくれ、こういうようなことが起こったということを聞いておりますが、その点いかがですか。森林の売買ですね。
  48. 宮川国生

    ○宮川説明員 私どものほうではまだ聞いておりません。
  49. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 そうすると財産はどこに帰属しているのですか。
  50. 宮川国生

    ○宮川説明員 この財産は日本政府に帰属しておるということになっております。
  51. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 日本政府にある。そうすると財産の管理はいまされていない。その財産の管理がされていない責任は、どういうために管理ができないのですか。あるいは管理はいまたな上げになっているのですか。移動とか、そういうときにどうやるのですか。
  52. 宮川国生

    ○宮川説明員 沖繩にあります国有財産につきましては、所有権は日本政府にあるのです。しかしながら管理権といいますか、それは施政権アメリカに移っているという現状において、アメリカのほうで管理をしている、こういうふうに解しております。
  53. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 所有権が日本にある。管理権はアメリカが持っている。そうすると所有権を移動することはアメリカ政府はできない、こういうことなんですか。
  54. 宮川国生

    ○宮川説明員 所有権を最終的に処分をするとか、そういったことはアメリカ政府は、日本政府の同意が必要であるというふうに聞いております。
  55. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 そうするとたとえば国有林が伐採をされた、こういうようなことについては、当然日本政府協議を求めて、その応諾によって決定をされるべきだ、こういうことになりますか。
  56. 宮川国生

    ○宮川説明員 国有林の伐採という問題、あるいは風で倒れた風倒木というものがございます。こういったものを売る、倒れてしまったものを売ってしまう、これが管理の中に入るのか、あるいは処分の中に入るのか、あるいは果実の収取といったものに入るのか、その辺のところはまだはっきりしておりません。
  57. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 それは、はっきりしていないということで、そのまま放置されていいのですか。それを明確にすべきではないでしょうか。その点いかがですか。あるいは明確にしていないとすれば、なぜ明確にしていないのですか。
  58. 宮川国生

    ○宮川説明員 この問題はいろいろと大蔵省だけじゃありません。平和条約のいろいろ解釈の問題、そういった点もございますので、私だけで申し上げるのも何かと思いますので、外務省のほうと相談して申し上げたいと思います。
  59. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 それはきょう現在起きた現象じゃないわけで、従来からもあったことですが、今日まで財産管理を行なっている大蔵省として、外務省と相談してこなかった理由はどういうわけなんですか。
  60. 宮川国生

    ○宮川説明員 大蔵省としましては、いままでそういった林野が伐採されたというようなことはまだ聞いておりません。
  61. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 そういうことがあって、沖繩については問題になったことがあるわけですから、それを聞いていないとすれば、国有財産に対する管理権がないといっても所有権があるわけですから、所有権がどう行なわれているかという善良なる管理をしていないのじゃないか。これは管財としての責任だと思う。  会計検査院はいかがですか。いまの国有財産について、国有財産管理がどのように行なわれているのか、所有権が適正に行なわれているかどうかという点については、この間行きました会計監査で行なったのですか、どうですか。
  62. 保川遜

    ○保川会計検査院説明員 先日行ないました検査は、三十七年度の援助金を中心にしまして検査をいたしましたので、そういった問題については実は触れておりません。
  63. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 それは会計検査ができないのですか。会計検査の対象にならないのですか。
  64. 保川遜

    ○保川会計検査院説明員 会計検査院の検査の対象になることは、当然であろうかと思います。
  65. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 会計検査の対象になると検査院は考えておるようですが、総理府のほうはいかがですか。
  66. 三枝三郎

    三枝政府委員 これはたてまえ上は対象になろうかと思いますが、実際の場におきましては、外務省意見も伺った上で、それを実施する場合は、協議した上で、ということになろうかと考えます。
  67. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 それはこの覚え書きなり何なり、そういうところから出てくるものですか。法律やあるいは協定や話し合いというものでなく、政治的なものになるのですか。その点いかがですか。
  68. 三枝三郎

    三枝政府委員 いまの沖繩における国有財産については、覚え書き自身には直接関係がない問題だろうと思います。しかし、これは協議委員会の議題として、もし日本政府側で出そうということで、そういう方針がきまりました場合には、そういう議題を出してみて、その協議がどういうぐあいに行なわれますか、それは出した上のことだろうと思いますが、直接には覚え書き自身には関係ございません。
  69. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 あなたのほうで担当されておって、いままで国有財産の管理なり、こういうものについて協議されなかったということは、どういうわけでそういう相談をされなかったのですか。当然日本国の所有権というものについて向こうが使い、あるいはまたいろいろと管理をしているとするならば、それは善良に行なわれているかどうかについては、十分監視をし、そして善良な管理が行なわれておるかどうかということについては調べなければならぬと思うのですが、それが行なわれない原因はどこにあるのですか。
  70. 三枝三郎

    三枝政府委員 私ども承知しておりますのは、旧沖繩県の持っておりますいわゆる県有地、あるいは日本政府が持っております国有地につきましては——いまの立木ではなく土地につきましては、もちろん先ほどお話がございましたとおり所有権は日本側にありまして、ただ、現在アメリカ側日本にかわって管理しておるということを聞いております。またそのとおりだろうと思います。ただ、現状はどういうぐあいになっておるかということについては、いまだ調査しておりませんし、先ほどお尋ねの点につきましては、直接には大蔵省のほうの管財の所管になっておりますので、そこまで私ども調査が行き届いておりません。
  71. 片島港

    ○片島委員 関連して大蔵省にお尋ねしますが、所有権は日本にある、こういうことになれば、所有権をかってに向こうが処分するということはできないわけですが。
  72. 宮川国生

    ○宮川説明員 私どもはそういうふうに解しております。所有権を処分するときには日本政府の同意が必要だ、こういうふうに解しております。
  73. 片島港

    ○片島委員 国有林の場合の立木は、これは日本の所有権がありますか。
  74. 宮川国生

    ○宮川説明員 国有林であれば日本政府の所有権がございます。
  75. 片島港

    ○片島委員 そうすれば、国有地について、人に貸すということになれば、これは管理であって、所有権そのものには直接影響がないようでありますが、しかし借りた者は地上権などができますので、所有権に大きな制限を加えることになるわけですが、そういう所有権に大きな制限を加えることも日本協議しなければならない、それから立木も所有権は日本にあるということになれば、処分についても日本の政府と協議しなければ処分はできぬ、所有権に制限を加えるような場合も日本政府協議しなければできぬ、こういうことに了解していいのですか。
  76. 宮川国生

    ○宮川説明員 私どもは、貸し付けの場合は、これは管理の一態様ではなかろうか、所有権を最終的に処分するというものではないんじゃなかろうか、こういうふうに解しております。  それから立木の問題は、先ほどちょっと申しましたように、管理権に基づきまして、たとえば果実を収取するというような場合は、果実の収取権というのは、これは管理権に付随するのじゃなかろうかと思っております。したがって立木を伐採する——こういった例はまだ私は聞いておりませんけれども、こういった場合、その立木の伐採というものは日本政府の同意を必要とすることであるかどうか、それはその果実の採取ということになるのか、あるいは先ほどちょっと申しましたように、風倒木のように、倒れておってそこに置いておくとじゃまになるというようなものを緊急に処理するというようなことまで日本政府の同意を必要とするかどうかという点については、これはいろいろと平和条約の解釈の問題もからみますので、外務省と御相談して御答弁申し上げたいと思います。
  77. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 それでは、沖繩にある国有財産の管理の現況についてと、それからそれが日本政府として所有権は持っている、管理権はないというのであるが、一体どのように管理をされておるのか管理の現況、そしてそれが移動についていまいろいろと疑義がありますから、外務省とよく相談をされて、その経過についてひとつ御報告願いたいと思うのですが、よろしゅうございますか。
  78. 宮川国生

    ○宮川説明員 わかりました。
  79. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 次にマイクロウエーブが完成されたようでありますが、まだ使用されていないということであります。沖繩住民はテレビを買っていつ見られるかというので楽しみにしておるということでありますが、これがおくれている理由について電々公社のほうからひつと御説明願いたい。
  80. 金光昭

    ○金光説明員 お答えいたします。日本琉球との間のマイクロウエーブにつきましては、昭和三十六年にマイクロ設備を日本政府及び日本電々公社から琉球側に贈与するという法律ができまして、それに基づきまして翌年の三十七年に、日琉関係者間に覚え書きができました。その覚え書きに基づきましてマイクロ設備を建設いたしました。設備そのものは昨年の十一月末に最終試験をいたしまして、昨年の十二月二十七日の琉球側のほうに、琉球電々公社に譲渡されております。この先ほど申しました三十七年に結ばれました覚え書きにおきましては、この日琉マイクロ設備によります業務の取り扱いに伴います料金及びその分収は、業務開始前に日琉両電々公社間において協議して定めるということに相なっておりまして、私ども電々公社といたしましては、昨年の春以来琉球電々公社との間に本問題の協議をいたしたわけでございますが、前後いたしまして、通算いたしますと四回の交渉をいたしたわけでございますが、遺憾ながら料金の分収の面につきまして、いまだ両当事者間の意見が合致いたしませんので、まだ業務開始に至っていないというのが現状でございます。
  81. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 料金の分収率の問題というのは、具体的にどういう意見の相違があるのですか。
  82. 金光昭

    ○金光説明員 日本琉球との間にマイクロウエーブができますと、その設備を使いまして日琉間の電報あるいは電話あるいはテレビ等の専用というようなものがなされるわけでございます。それにつきましては両当事者間において、それぞれの料金を定めるわけでございます。その料金に基づきます収入があるわけでございます。その収入を日本琉球との間でどういうふうに配分するかということが、この分収の問題点になっておるわけでございます。
  83. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 そこでもうちょっと具体的にはどういう点を琉球が主張し、日本が主張しているのか、この点はいかがですか。
  84. 金光昭

    ○金光説明員 現在の日本琉球との通信は、短波回線によってなされております。現在は、東京と那覇との間に電話が二本、二回線、それから東京と那覇との間に電信が一回線と福岡と那覇との間に一回線あるわけでございます。この短波回線につきましては、国際的な分収の方針、原則と申しますか、これは全部両無線局間に通信がなされますので、折半というのが原則でございます。現に日琉間の電話につきましては、それぞれの収入を折半する。電報につきましては、これを開きましたときからのいきさつがございまして、現在発信取りというものをやっております。日本から沖繩に打ちます電報は、日本側の収入、沖繩側から日本にまいります電報につきましては沖繩側の収入、こういうふうに、電報のほうは発信取りしております。電話につきましては、いままで五〇、五〇というもので分収しておったわけでございます。ところがこのマイクロの設備ということになりますと、中継所というものをおおむね五十キロ間隔にずっと置いてまいります。そこで距離の遠いところになりますと、その中継所の数というものが数十に及ぶわけでございます。そこでそれではそういうふうな国際間におけるマイクロウエーブの設備のあった場合、その料金及びその分収をどうしているかということになりますと、ヨーロッパ諸国を結んでおりますマイクロ設備があるわけでございます。これにつきましては、それぞれの国の間にありますマイクロ・ルートの距離の比率によって料金を分収するということが、国際電気通信連合の下部にありますCCITT、国際電信電話諮問委員会によって勧告がなされております。それに基づきまして現在ヨーロッパ諸国を結んでおりますマイクロルートにつきましての料金の分収は、現実に行なわれております。そこでこの日琉間の通信につきましては、先ほどから先生のお話がありましたように、沖繩の特殊地域ということをわれわれも十分念頭に置いているわけでございますが、現在のところ、これを純然たる国内通信というふうに見るわけにもまいりません。現在、公衆電気通信法の上からも日琉間の通信は国際通信ということで扱っております。そういうことから、今度の新しいマイクロルートによります料金の分収につきまして、私ら電電公社といたしましては、一応そういう国際間のルールというものがある。それをまず原則とする。しかしながら、それだけによって日琉間の料金の分収をきめるということになりますと、現在の短波回線によります料金の分収によって得ております琉球電電公社の収入をかなり下回るものになるということで、いろいろと琉球電電側の収入を増すようなことを理屈のつく範囲内において配慮を加えまして、そうして日本電電公社としましては、昨年の秋以来、その分収の比率というものを、数次の折衝に際しまして漸次沖繩側のほうに有利なような提案をいたしてまいったわけであります。ことしの二月から、私約一カ月以上現地に参りまして折衝してまいったわけでありますが、その際にも従来の、昨年の秋に提案いたしました比率をさらに琉球電電側に有利なような提案をしたわけでございますが、琉球側の提案は依然として五〇対五〇ということでございまして、遺憾ながら、その間に両方で歩み寄って妥結するまでに至りませんでした。そこで私帰りまして、両電電公社間の覚え書きの上では両電電公社間で協議して定めるということになっておりますが、これは両公社間の話し合いだけではなかなかまとまらない、政府のほうでこれについてどういうふうにお考えになっていただくかということで、政府のほうの関係方面に御相談を申し上げまして、これは政府のほうでぜひひとつ促進していただくようにお願いをしておるわけでございます。その具体的な比率等につきましては、目下まだ継続中の問題でございますので、この席上では比率の点を明らかにすることは差し控えさしていただきたいと思います。
  85. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 そうしますと、この問題は日琉間だけで話し合いができればよろしいということですか。ほかの関係はないのですか。
  86. 金光昭

    ○金光説明員 先ほども申し上げました覚え書きの面では、日琉両電電公社間において協議して定めるということになっております。しかしながら、日本側におきましても、日本電電公社の監督官庁は郵政省でございまして、また沖繩におきましても、琉球電電公社の監督官庁は琉球政府でございます。また現在のような施政権米側にあります面から申しまして、当然現地におきます米民政府の了承というものが必要であるわけであります。
  87. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 そうすると、今日の段階は両者の電電公社間の話し合いがなかなかまとまらないということがあって、それが今度は日米両政府間の話し合いに上げている、その場合においてはアメリカ民政府の関係が出てくる、こういうことになるのですね。
  88. 金光昭

    ○金光説明員 これは政府のほうで今度はお取り上げになって交渉されるわけでございます。私らのほうでどういうルートでどこと折衝されるかということは、つまびらかにしないわけでございます。おそらく政府間で折衝される場合においては、琉球政府あるいは、現在民政府というものが施政権を持っている以上は、そちらの方面との話し合いということは当然必要だと思います。
  89. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 特連局長、これは大体いつごろまとまる見通しなんですか。オリンピックまで大体まとまるのですか。
  90. 三枝三郎

    三枝政府委員 ただいま金光理事からお話がありましたとおり、現在進行中であります。この関係者いずれもが一致している意見は、先ほど指摘されましたように沖繩には地元のテレビがございますが、こちらがそれに即時中継で持っていくというわけにまいらないので待っているわけでありますが、早急に開きたい、早くやろうという点では皆さん一致しております。ただ、いろいろいまお話がございましたようなこまかな技術的な問題がございまして、その辺の調整がいま私ども長官のほうでいろいろ関係方面と折衝して、まあ政府側が乗り出しているわけでございます。見通しといたしましては、なるべく早く覚え書きの規定どおり、日琉両電電公社間で取りきめるように持っていきたいということで努力しておりますので、はっきりいついつまでというぐあいには申し上げられません。しかし気持ちといたしましては、なるべく早くということで、ごく早い将来実現できるのではないかという希望を持っております。
  91. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 別の機会にまた総務長官に要望するといたしまして、次に、沖繩の教育協力の援助費関係でありますが、教育指導員の沖繩派遣が予定よりできなかったということで、相当不用額があがっているようでありますが、沖繩の教育援助の実情について御説明願いたいのです。
  92. 天城勲

    ○天城政府委員 沖繩の教育協力関係の経費は、現在のところ八項目ばかりでございますが、その中で御指摘のように沖繩の教育指導員の派遣費において三十七年度に三百万余の不用額が出たわけでございます。これは実は人員と日数の面におきまして、実施計画において多少縮小があったわけでございます。すなわち当初三十人を百二十日派遣するという計画予算を計上しておりましたけれども、人数が二十四人に、それから期間が百二日というふうに短縮した結果でございます。その理由は、この指導員の派遣につきましては、三十七年度から四カ年計画ということで一応全体の計画を立てたのでございますが、初年度でございまして、向こうの準備が計画どおりいかなくて、日数が学校教育の実施上の関係で縮小せざるを得なかったということと、もう一つは、講習する教科、したがって、それに対応する本土からの専門の教師の入れかえがございまして、当初計画したものが減ったり、それから計画にない分野がふえたりという入れかわりがございまして、いま申しましたように結果的には人数では二十四名、期間で百二日という結果になったわけでございます。
  93. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 先ほどの説明によりますと、この沖繩援助につきましては、あらかじめアメリカ政府から日本に提案されて、それに基づいて日本計画が出されて、そうして相当ディスカッションされて固まって予算が組まれる、こういうお話がありました。ですから、そういう点からいきますれば、このように計画が変わってくるということ自体について私は問題があると思うのです。現地の実情がと、こう言っているようでありますが、どうも私が現地からのお話を聞いてみますと、いやそれはアメリカ側の変更なんだ、こういう言い方をしておるわけなんです。そういう点でも現地のやり方については島民の不満というものが出ているわけであります。ですから、こういう点につきまして私はやはり文部省としても当初計画が実現できるように直接交渉されているのか、よくわかりませんけれども、やはり計画実施されて、そして真に福祉というものが向上されるような実行というものをぜひやっていただきたい、こう思うわけであります。特にその点を要望しておきます。  そこで、時間がありませんから最後に沖繩医療援助の実態はどういうふうになっておるかという点について御説明願います。
  94. 上村一

    ○上村説明員 沖繩医療援助総理府の特連局が窓口になって、厚生省のほうで協力をしてやっておるわけでありますが、大分いたしますと六つくらいの項目になります。一つは医師のいない、つまり無医地区に対して医師を派遣する仕事でございます。これは昭和三十六年の一月から無医地区にある琉球政府立の診療所に十五名の医師を公募して派遣いたしております。任期が三年でございますので、三十八年の一月二名を残しまして帰国いたしましたあと、さらに公募いたしまして、現在六名の医師が沖繩の無医地区の診療所に勤務いたしております。  第二点は、結核患者の本土受け入れでございますして、これは昭和三十七年から始まったわけでございますが、昭和三十七年の七月から常時百名の患者を本土の国立療養所に受け入れまして治療さしておりますが、昨年度からその百名のワクが三百名になり、ことしの七月から五百名に広がることになっております。  第三点は、歯科医のいない、いわゆる無歯科医地区に対する巡回診療でございます。これにつきましては昭和三十六年の六月からでございますが、本土にあります歯科大学にお願いをいたしまして、三名一班とし、順次交代で三カ月間診療班を編成して巡回診療しておるわけであります。  第四点は、向こう医療関係者の研修の受け入れでございまして、総理府計画されました受け入れ計画に基づきまして、本土のしかるべき施設において、たとえば栄養士でありますとか医師でありますとか歯科衛生士その他の研修を実施いたしております。  第五点は、専門家が技術指導のために渡琉する仕事でございますが、ライの治療でありますとか歯科の補綴でありますとかその他の点につきまして、琉球政府の要請によりまして、個々に要望があったものについて派遣をしております。  第六点の仕事でございますが、これは昨年度から実施した仕事でございまして、琉球政府立の病院なり療養所なり保健所に、主として本土の国立療養所あるいは国立病院から六カ月交代で現在二十名の医師を派遣いたしております。  以上が沖繩医療援助に関する概要でございまして、無医地区への派遣を除きましては逐年拡大され、順調にいっておるんじゃなかろうかというふうに考えております。
  95. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 そこで、いま本土の療養患者という制度というものも生まれたということですが、伝えられる情報によりますと、本土に療養に来る患者の渡航の許可がおりなくて、なかなか日本に渡れない、こういう実情があるようでありますが、こういう点については厚生省としてはどういう努力をされておりますか。
  96. 上村一

    ○上村説明員 私のほうはそういう話は聞いておりませんで、昨年は七月から三百名にワクを拡大いたしましたので、二百名の患者が新しく参ったわけでございますし、ことしの七月ワクが五百名に拡大されたに伴いまして、二百名参るわけであります。その間退院された患者につきましては逐次補充をしておるわけでございますから、沖繩の患者で本土で療養する者が出国の許可がおりなかったという話は聞いておりません。
  97. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 私のところに出されておる新聞に、昨年の七月、本土療養患者に選ばれた八幡辰尚さん三十五歳が、渡航許可がおりなかったということで、琉球政府は特別な計らいで政府立の療養所に入れて治療を続けておる、こういうような記事が寄せられております。ですから、せっかくそういう厚生関係につきましてもいろいろとやられておるようでありますから、そういう点どうかなまのまま通ずるようにしていただいて、途中でチェックをされるということのないように十分ひとつ努力をしていただきたい、こういうことを最後に要望いたしておきます。  それからこれは戦没者の叙勲のおくれていることについては、これは特連局でよくわかりますか、どういうことになるのですか。
  98. 三枝三郎

    三枝政府委員 戦没者の叙勲につきましては、地元の要望があることは伺っておりますが、現在どの程度それが進んでおりますかどうかは、賞勲部のほうが担当でございまして、後ほど連絡をとりまして何でしたら別に御報告申し上げてもけっこうだと思いますが、私どものほうでは現在どうなっておるかは、いまのところ承知しておりません。
  99. 勝澤芳雄

    ○勝澤委員 所管が厚生省らしいようでございますけれどもアメリカ側折衝でおくれているということであるわけであります。特に沖繩の戦没者というものについては、おわかりになりますように、相当な被害があったわけであります。そういう感情からいきましても、潜在主権という立場で、それから一々アメリカに何でも相談をしなければということのようでありますから、こういう点についてはやはり早急な善処を私はしていただきたいと思います。  それから先ほど電電公社の金光理事から話がありました点につきましても、日琉間話し合いだ、こういうふうに言われておりますけれども、また一方ではいやアメリカの高等弁務官がこれについては五〇対五〇というものについて譲らないために話ができないのだ、こういうようなことも言われておるわけでありますから、この沖繩に対するいろいろなことを行なう場合に、あらゆる障害になっているものが何かということは十分おわかりになっておるわけでありますから、これらの点につきましてはことさらな摩擦がないように前進をさせ、そうして一日も早く島民の希望である、いや日本国民の希望である日本国復帰が早急に実現されるような施策を私は特に要望いたしておきます。あとでまたお聞きすることにして、質問を終わります。
  100. 白浜仁吉

    白浜委員長 吉田君。
  101. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 特別地域連絡局長に伺いたいのですが、小笠原群島ですね。これはあまり世界の注目は引いておりませんけれども、しかし日本人といたしましては、古い旧幕の時代からのなじみの深い名前の島々でもありますし、また太平洋の、横浜から遠くない地域に散在する群島でもありますし、そういった歴史的あるいは地理的にも非常に重要な関係にあると思うのであります。その小笠原群島について伺いたいのだが、これはいま日米平和条約の結果、沖繩と同様に施政権アメリカにあるものと思われるのですが、そのあたり、もしくは施政権行使の実情、これはどうなんでありましようか、要点だけひとつ簡明に御答弁願いたい。またほかに私少し数字的なことを聞かなければならぬこともありますので、その辺はできるだけ要点を御説明お願いいたします。
  102. 三枝三郎

    三枝政府委員 小笠原群島につきましては、ただいまお話しございましたように、沖繩と同じ地位にございます。すなわち、施政権米側が持っているわけでございまして、わが国としましては、機会あるごとにその施政権を返還するように、またあの群島に約八千名の住民がいたわけでございます。一千三百世帯の人たちに対して島に帰れるような措置をしてほしいということを機会あるごとに要請しております。これに対しまして昭和二十一年ごろと記憶しておりますが、混血の欧米系の日本国籍を持っております百三十五名という数が出ておりますが、この人たちが帰島を要請しまして、現在この欧米系の百三十五人は島に帰っております。その他の人たちはまだ帰っておりません。この人たちに対して、米国政府は見舞金という形で——これは御承知かと思いますが、昭和三十六年に六百万ドルの金額を提供いたしまして、その配分が現在ほとんど終わっております。この人たちは、いま幾つかの団体を組織しておりまして、一日も早く島に帰りたいということで運動いたしておりますが、これらの団体が一つになりまして——これも御承知のことと思いますが、法人格を持った一つの団体をつくりまして、その運動を強力に進めていきたいという要望をいたしております。  以上でございます。
  103. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうすると戦前八千名の島民がおったというのは、いつごろのことなんでしょう。
  104. 三枝三郎

    三枝政府委員 これは戦前の何年というあれではありませんが、戦前の統計でございます。それでこの人たちが昭和十九年の三月に日本軍の命令によりまして、強制的に東京、あるいは静岡の各地に疎開させられたわけでございます。したがいまして、疎開させられる前の戦前の数字で約一千三百世帯、八千名ということになっております。
  105. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 小笠原群島は、カツオとかマグロとか、あるいは鯨の漁業の相当大きな漁獲がこの付近でされるということは、かねて伝えられておりましたのですが、そういった面から考えてみましても、八千名の島住民が戦時中疎開を強制せられたということになっておると、やはりかなり財産は残していったものとも考えられます。そこで六百万ドルがこれらの人たちに補償としてアメリカから配分供与せられたのか、あるいは何の補償であったのか。一体それをどこが仲介したのか。その間、どういう関係になっておるのでしょうか。
  106. 三枝三郎

    三枝政府委員 いまの六百万ドルでございますが、これは、はっきり補償ということにはなっておりません。補償ということになりますと、また別の観点からこの金額等がきまるんではないかと思いますが、当時のその金の性格につきましての政府の考え方、また一般の受け取り方は、見舞金の性格が強い受領金というような形になっております。見舞金の性格が強い金であるということで受領しております。
  107. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、一つは補償はいまだなされておらぬ。その問題はありますが、これに対しまして日本の政府は何か方針を持っておるのかいなや。また当然日本人であり、戦時中に疎開させられたのであるから、当然これは帰島し得る権利を持っておるし、あるいは元のとおりに各種の産業に従事する権利を持っておりますが、こういうものも本日は実現していないところを見ると、当然補償金はまだそのまま保留されたままだと思うのだが、これに対する政府の方針はどういうふうになっておりますか。
  108. 三枝三郎

    三枝政府委員 この点につきましては沖繩の場合も同じでございまして、各種の損失補償について、小笠原の人あるいは沖繩の人、あるいは北方のほうも入るかもしれませんが、どのような補償をするかということは現在まだ解決をしておりません。ただ、沖繩につきましては、法発効前の米軍による土地などの損失補償ということで、これは昭和三十二年でございますが、閣議決定で、米国から補償を得た場合に返還するということを条件にしまして、沖繩の現地の関係者に十億円の見舞金を支給しております。しかし、それは見舞金でございますから補償ということになりませんので、別の観点から補償することになりますれば、またいろいろ問題があるわけでございまして、これは小笠原につきましても一緒に含めまして考えなければならぬと思います。ただ、小笠原につきましては、六百万ドルのアメリカからの金が出る前に約一億四千万円の見舞金的——見舞金ではございませんが、金を小笠原の関係の方に一時出しました。これは米側から金が出た場合に返還するということが条件でございまして、六百万ドルが出ましたときに、これは国庫に返納されております。
  109. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 米系の混血島民が百三十余名帰島を認められておる。米系にあらざる、混血でない一部の内地人は帰島を認められない、帰島を許容しないというのですか、それはどうなんですか。
  110. 三枝三郎

    三枝政府委員 これは先ほどお答えいたしましたとおり、機会あるごとに帰島を促進するように米側に要請しております。
  111. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 実はアメリカとしてこの小笠原群島は使っていない。将来の戦略基地として利用することがあり得るかもわかりませんが、事実上使っていないので、国務省あたりにおいては日本へ返してもいいじゃないかという意見も相当あったと伝えられるのですが、その点どうですか。
  112. 三枝三郎

    三枝政府委員 その点はまだはっきりしたことは承知しておりません。
  113. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 しかし、アメリカの上院から何名かの議員が現地視察した事実はあるでしょう。
  114. 三枝三郎

    三枝政府委員 そういう点は承っております。
  115. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 アメリカの国務省に返還してもいいという意見が相当あって、アメリカの上院ではまたそれに反対する意見が出た。そこで、にわかに島々の——島は三十余島あると承っております。面積も百平方キロをこえると聞いております。立木など伐採して使用し得るような、そういう状態をつくり出したということも伝わっておる。ともかく、いずれにしても現状は使っていない。だから、沖繩の諸島とは全然実情は違う、こういうことがもっぱら言われるんですが、その点については、政府は現地調査をした事実があるんですか。
  116. 三枝三郎

    三枝政府委員 調査した事実はございません。ただ、米海軍があの群島をいま使っているということは、間接的に聞いております。
  117. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 日本の領土であって、日本国民であって、ただ、日米平和条約三条に基づいてアメリカが行政、立法、司法権を行使し得るこういうような一種の管理権を付与しておるにすぎないということは、先刻来の問答によって明白でありますし、また、この点はすでに何人も疑っていないのであります。しからば、本気に領土返還を求め——日本の狭い領土に、たとえ八千名でも、戦争の結果内地に疎開せしめられて、職業を奪われ、財産を奪われておるこれらの人のことも思えば、やはり現地の実情を直接御調査にならずしては、真に機会あるごとに返還を求めておるというような熱意があるのかどうかわからぬ。これはあなたとの事務上の問答じゃなしに、政府の方針に関しますので、外務大臣ないしは内閣の責任者から聞かねばいかぬことですが、現地調査をしないで事務的な準備が一体できますか。返還を求めるといいましても、海軍が使っておるからといっても——六百万ドルが参りましたときに、私の懇意な者も中に入って、分配の問題に関与いたしておりました。いずれにいたしましても、現地の実情からすれば、もっと積極的な体制を用意する余地が十分にあると言われるんです。また、ここは漁業にしましても、さっき申したような重要な関係もあるし、サンゴの採取なども有望であるといわれている。ともかく積極的な手を打たねばいけないと思うのだが、事務的には、いまおっしゃるそれによれば、何らの手を差しのべておらぬ。もちろん予算の行使なんかも、小笠原群島に対してはしておらぬのでしょう。その点どうなんでしょうか。
  118. 三枝三郎

    三枝政府委員 いま御指摘のとおり、私どもも、小笠原の関係の団体の方とはしばしばお目にかかって、その事情承知しております。全く御意見のとおりでございまして、実は先ほどもちょっと申し上げましたが、幾つかの団体に分かれておりますが、それでは運動自体がばらばらになるおそれもございますので、近く財団法人で小笠原協会というものをつくって強力に進めたいという要望もございまして、私どもとしましても、できるだけその線に沿うように努力いたしたいと思っております。また、いま御指摘の、現地に調査をしてその上でいろいろな施策を考えてみたらどうかという御意見でございますが、全くそのとおりでございまして、なるべく早い機会にそういった要望を米側にいたしまして、現地調査ができるようにいたしたいと存じます。  なお、予算の問題でございますが、現在地元の関係の方が補償の要求もしておりますし、先ほどちょっと触れましたが、すでに一億数千万円の金額を、六百万ドルという米側の金が出ましたときに国庫へ返しましたけれども、それをまたとりあえず出してもらいたいということでございますが、できるだけその線を尊重しまして実現をはかりたいと、私ども努力いたしております。
  119. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 アメリカ系の混血の人だけを帰島を許して、それ以外は許さないということは、何としても重大な片手落ちで、こんなような状態で置かれて、対等の外交交渉はできるものじゃございません。これは全く後進国ないしは半属国的な扱いだといわれてもしかたないと思うのです。あなたのほうの局としても、この南方諸地域との懸案の解決については、基本的に調査する局の義務もあるわけでありますから、こういった点から考えてみましても、そのような不平等、対等でない状態を黙視するということは、一日も許すことはできません。国会でもあまり問題にならず、国民もあまり知らないから、これは看過されておったけれども、しかし、この問題につきましては相当な決意を持って、日本アメリカと対等であるということを事実に示してもらわなければ、将来の外交なんてできやしませんですよ。言うがままです。言うがままだから、世界的な大きな異変がなければ、フィリピンが独立しなかったと同じように、それらの地域の返還なんて思いも寄らぬということも考えて、あなたの立場からも、総理府自身の方針を相当強く打ち出していく責任があろうと思う。きょうはあなたのほうの首長はおらないからやむを得ませんけれども国会でその辺に対する相当強い関心を持った質疑のあったことを十分お伝え願って、少なくとも総理府意見を取りまとめるようにしてもらいたい。ことに、総理府の存続につきましては、話は別になりますが、臨時行政調査会ではきょうあたり一つの改革案を出されておる。無用の長物であっては何にもならぬ。いたずらに高閣に何かをつかねておるということではどうにもなりませんから、切実なこんな問題については、もっと現実外交を強く打ち出すように、外務省を叱咤激励すべき立場でなくちゃならぬ。だから、あなたとしましても、ひとつこの点、われわれの意向のあるところはおわかりだろうと思いますので、総理府方針を強く打ち出すように、しかるべく局の意見あるいは府の意見を取りまとめるように御尽力あってしかるべきであると思うのですが、どうでございましょう。
  120. 三枝三郎

    三枝政府委員 ただいまの御意見を十分念頭に置きまして、今後小笠原につきましても進めていきたいと思います。ちょうど歯舞色丹につきまして、墓参の問題がいま具体化して進められております。これは日本本来の領土であれ、歯舞・色丹に墓地を持っている関係の人の墓参でございますが、ちょうどそういった情勢でございますので、小笠原についての墓参ということは、時期的に最も話がしやすいのではないかと思います。  なお、予算面につきまして先ほどちょっと数字を申し上げませんでしたが、小笠原の関係では、調査資料を整備する費用あるいは交渉関係事務その他促進を協力する費用として、これは額は非常に少のうございますが、従来何がしが計上しております。  よく御趣旨を体しまして、私ども仕事を積極的に進めたいと思っております。
  121. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それでは、ひとつ結んでおきます。  あなたは特別地域連絡局長といたしまして、調査費も予算に何がしかあるならば、かっては横浜から定期航路もあったような近い距離ですし、東京の支庁もあったようなところですから、さっそく現地調査をやってきたらどうですか。現地調査をやってこられて、これはどのような状態に使用されておるか、もしくは将来の返還請求あるいは保護、連絡、調査等についての資料を緊密におつかみになることが適当だと思うのです。だから実際にひとつ直ちに現地調査をおやりになってはいかがでしょう。
  122. 三枝三郎

    三枝政府委員 ただいまの御意見をそのまま米側に伝えまして、私どもできるだけ早い機会に現地調査ができるように努力いたしたいと思います。
  123. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それでは特別地域連絡局長のほうは終わります。  そこで、時間の関係もありますので、なるべく急ぎますから、答えのほうもどうか簡明にお願いしたいと思います。  内閣の本局の重要な所管事項といたしましての例の各般の統計の問題でありまするが、人口統計など、その他の総理府統計というものもときどきございまして、これは国民の、もしくは各種の行政のきわめて重要な資料となっております。こういった関係から少し伺ってみねばならぬのでありますが、総理府統計で出されております、たとえば人口統計でありますが、就業状態の実態の変動等につきましても、例をあげますと、三十八年の就業者の統計が四千六百十三万人となっておりまして、前年に比べて三十九万人の増加、こういうことになっております。そこで農林就業者が激減し、非農林就業者が増加いたしております。この実情によって見ますると、なぜそうなるかという、原因の追求はしておられるのかどうか。それからもう一つ、男子の就業者が実に総計二千七百七十二万人、三十七年に比べて一・四%、三十七万人増で、女子はわずかに二万人増、〇・一%増にすぎません。女子が非常に少ない。この二点につきまして、まず、なぜそうなっておるかの原因は探求せられておるかどうか。これをひと三つ簡明にお答え願いたい。
  124. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 ただいまの吉田先生の御質問に対しまして、総理府の統計局ではどのような統計をつくっておるかということと、その統計につきまして、出てまいりました結果をどのように統計局では使うのかというような御趣旨と解釈いたしましてお答え申し上げます。  総理府の統計局では各種の統計調査がございまして、各省にまたがる国の基本的な政策に寄与する統計の調査を実施しております。先生御承知のように国勢調査、ただいま例にあげられました労働力調査、家計調査でありますとか、等々でありますが、それから出てまいりました数字をどのように原因追求をするかという御質問でございましたが、私ども統計局の立場といたしましては、正確な統計を迅速に出すという使命を持っておりまして、その原因と申しますか、結果的にどうしてそのようになったのかということにつきましては、積極的に私ども統計作成官庁といたしましては原因追求をしないという立場に立っております。これはなぜかと申しますと、先生御承知のとおりかと思いますが、統計はいわゆる客観的な数字を出すということが第一の使命でございます。利用者のほうで、それらの数字につきましては、またいろいろ他の材料等、行政上の問題等を持っておられると考えておりますので、いかにして男子の就業者数が多く、女子の就業数がそんなに減ったのかということにつきましては、私ども統計局自体といたしましては、この原因の究明というものには当たらないということを原則としております。以上でございます。
  125. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 数字を並べて原因の探求はしない、これも一理あるいと思いますね。しかし、これは、私はしろうとですから、統計の自分自身の経験がないからですけれども、なぜ女子が〇・一%しか出ないのか、なぜ男性が一・四%も多いのであろう、こういうような、なぜということに該当することを相当掘り下げて数字を出してこなければ——その数字というものをおのおの検討して、政策あるいは行政その他企画の参考にしたらいいじゃないかというのもごもっとものようでありまするけれども、しかし、同時に、なぜそうなっているのかということを探求するのもこれは一つの数字になるのじゃないか、その数字を明らかにしていくことがむしろ統計事務をお扱いになるところでは必要ではないのであろうかと私どもは思うのですが、そこは度合いのこともありましょうからどちらがどうかわかりませんけれども、わかり得る範囲においては原因の探求はせられるというのが当然じゃないかと思うのです。
  126. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 先生の御意見ごもっともと私ずるのでございますが、先生に申し上げるのははなはだ恐縮ではございまするけれども、私ども役所の機構といたしまして、統計を作成する部局としての使命を負わされております。その、つくりました数字がいかなる原因であるかということにつきまして、皆目私どもはタッチをしないというのも、ただいま先生の御指摘のとおりはなはだ不親切な、あるいは不都合なというような御意見を持たれる向きも当然あろうかと思います。したがいまして、私ども種々統計調査をやらされております者につきまして、一部につきまして、おそらくこういうことが原因であろうと考えられる向きにつきましてものを申す場合もございます。ただ、正式な報告書として総理府統計局が出版いたします場合におきましては、やはりあくまでも役所の使命を考えました負わされた権限内で仕事を遂行するということにいたしておりますので、ただいまあるいはお手元にごらんいただいているかと思いますが、三十八年の年度の労働力統計調査の結果を概略書いたこともございます。その書いた中におきましても、いま御指摘のように原因の追求は非常に限られているということでございますが、例を他の調査にとりますと、家計調査等を実施させられておりますが、その調査の概要の発表を速報的にいたします場合におきましては、やはりボーナスが民間において非常にたくさん出たようなので世帯員の臨時収入はこのようにふえたと考えられるというような表現をもって発表する場合もございます。そのようなことで、先ほど先生のおっしゃっていられましたように、ある程度の限界というものは私どものほうにもあるので、積極的に原因の追求ということになりますと、政府自体におきまして、経済企画庁でありますとか、あるいは労働省でありますとか、その他各省におきまして、これらの数字の御利用者側の政府部局内でこれらの検討をするというようなことに相なろうかと考えます。
  127. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 わかりました。若干私の手元に持っておりますのは、官報の付録の、あなたのほうでざっとお書きになったものしか手元にない、こまかいものではないのでありますが、ちょっとお尋ねいたします。これは御意見の程度でけっこうでありますが、たとえば三十七年に比較して女性の就業者が〇・一%、二万人しか増加しない、男性に比べますと断然少ない、これは一体どういうことに基因するとお考えになったのでしょうか。
  128. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 いろいろ原因はあろうかと思いますが、特に三十七年から八年という年次におきまして、女子の就業者数の増が非常に少なかったというものの一つの原因として、私どもが調査をやりました結果上いろいろ考えてみますと、大体パートタイムその他で働いておった人が家庭そのものの中へ、いわゆるパートタイムをやめまして家庭の主婦になってしまうというようなケースが非常に多いように見受けられたということがあろうと思います。これも実は統計調査の上ではなぜ就業しなかったかということを聞いておりません。この統計調査の実施の概要を簡単に申し上げますと、月末の一週間に働いたことがあるかどうかということを各世帯に行きまして質問をして書いてくるだけでございますので、前月つとめて今月つとめなかった理由を聞くということをいたしておりませんので、年間におきましても就業人員の減少の原因がつかめないということになります。
  129. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、反面から見ると統計はやや正確かもわかりませんが、正確なりと言えないのが日本の統計作業の実情ではないかと思われるのが一点。それから女子の就業者が戦後多いということは全く常識でございまして、御承知のとおりに夫婦出そろって職場に行くために、子供は家へ帰って錠前をあけてかぎをふところへ入れて親を待っておる、このかぎっ子はいま東京都の重大な問題になっております。これは世界的な傾向でございまして、女性がみんな職場に出ていく。ところがふしぎにも三十六年には十八万人の女性の増、これが二年後の三十八年には二万人増に激減してしまっている。労力欠乏、大企業偏在がやかましい今日なぜこういう数字が出るのだろうと私はふしぎでならぬ。どうもいまの話を伺っておりますと正確さにおいてやや疑問があるのじゃないだろうかと思うのだが、この二点、どうでしょう。
  130. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 ただいま先生が御指摘になりました統計の数字は、利用者側が見てもあまり正確でないような印象を受けるというお話でございましたが、私ども先ほどもちょっと申し上げましたが、原因の追求ができるような調査項目が上がっておりますれば、これによって何人の増であるとか減であるとかというような数字が出てまいるわけでございますが、そういう原因追求の調査事項を入れておりませんので、何万人減であるという減った事実だけが統計数字としてあらわれる。その取り方は、戦後科学的な調査方法をアメリカの視察団からいろいろ教えられまして、その抽出調査というのをやっておりますので、出た結果数字そのものは私どもやっております当事者といたしましては、正確なものを出しておるというように考えております。さればそれほど正確ならばなぜ女子の就業者がそんなに減っておるか、その原因はわからないではないかということに相なってまいります。一応ここで出しておる雇用者の総数はございますが、少なくとも雇われるという形における人間は、女子のほうもふえてはきておるわけであります。そういう意味で全体としての総数、女子の就業者数という形になりますと、女子の雇用者だけを見ると歴年ふえておるという事実も出ておるわけであります。
  131. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 就業者の中には雇用者と被雇用者は入らぬのですか。
  132. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 家族従業者が減りまして雇われる人はふえたということでございます。それを両方でプラス・マイナスございますので、それを全体にいたしますとふえ方わずか二万という数字がそういう形で出てくるわけでありまして、雇用者だけとってみますと、雇用者そのものは年度間においての伸びはやはり伸びているという数字になっております。
  133. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 農林就業者が全く激減の情勢にあって、三十七年に比較して三十八年は七十一万人減と驚くべき数字を示しておりますが、そのうち家族従業者がまたはなはだしい減り方なんです。家族従業者がはなはだしく減っておる理由はなぜかわからぬということになってしまうでしょうね。原因はあなたのほうでは尋ねないということなんですね。
  134. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 まことに申しわけございませんが、先生のおっしゃいますように、私どもは統計資料の数字を出すということでございまして、大体一般常識的な考え方でものを申すほかはございませんので、この場でこれが原因であるということを明確に統計局としては申し上げかねるわけであります。
  135. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 やはり人口なり就業なりの統計というものは非常に大事なものでございまして、一般に国民が、統計知識がだんだん普及発達いたしてきますと、事物に対する扱い方が合理的になりますし、ことに近代的な企業とか経営とかいうことになれば、一そうその必要が切実であります。御承知と思いますけれどもアメリカあたりにおきましては、大会社あたりでも官庁でも、その首長とか幹部のところへいきますと、統計はグラフになりましてすぐに右から左に見せられるわけであります。それほど統計にたよってその正確を信頼してやっております。私はやはりもう少し統計業務が必要にずばりと答えるような内容的なものになって、一部のもの好きが数字をいじくる用意にということにならぬようにせられんことを強く要望いたしたいのでございます。  しからば農業につきましても、家族従業者が減る、あるいは長時間の就業者が断然減る。若年労働者が減り、老年がどんどんふえていく、こういうような状態であるが、あなたのほうでは完全失業者は横ばいで四十万ということが三十八年のそれに出ておりますが、潜在的失業状態というものについては統計はないのですか。
  136. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 潜在失業者というものの定義が非常にむずかしいのでございまして、戦後でございますが、かって百万とか三百万になろうかということを言われた時期もありましたが、労働省等におきましてもこの定義をどうするかということで、なかなか世界各国とも潜在失業というものについての定義がしにくいというような現状であります。したがいまして、私どものほうで出しております数字、ただいま先生がお読み上げになりましたが、それは就業時間数をもちまして一週間のうちに何時間以上あるいは何時間未満という区切りを設けまして、それ以上動いたことのある人が何人であるというような数字を出しまして、それで利用者の側で、大体それでは一週間に四十四時間が普通の勤務といたしますならば、このうちの半分しか働かない人は潜在的失業だ、あるいは三分の二でも潜在だというふうにお考えになるか、いろいろ利用者のお立場、お立場によりましてその数字を潜在というふうに使ていただくならば、それはもうやむを得ないという形で、私どもは出しておる次第でございます。
  137. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私は、やはりすべて産業ないし業務に従事する人の状態を把握するということ、これが就業統計の使命であり、目的であろうと思うのであります。でありますから、そういうことはきわめて技術的に解決し得る問題であって。しからば完全就業とは何ぞやという前提に立って見るならば、不完全失業というものを潜在と称してもよいし、不完全と称してもよし、そこはいろいろな方法があろうと思いますが、いずれにしても、その就業の実態を正確に把握するという上におきましては、かえって完全に就業しておる状態よりも完全でない状態のほうが、特にわが国におきましては一次産業の後進性の実情といい、あるいはまた二次産業におきましても、中小企業の非生産性といい、あるいは労働力の質の格差といい、このような問題を検討することなくしては、産業政策、経済政策の基本は立つまいと思うのであります。でありますから、単につくえの上に並べるような数字が重要ではなくして、一番重要なのは、その把握しにくい面の完全掌握をせられまして、何らかの実態を生きた数字で表明するというところに、統計の価値が国民の前には出てくるのじゃないだろうか、私はこう思われるのであります。でありますから、ただいまの潜在と申し、あるいは不完全と申しましたようなものこそ、これは力を入れて定義づけて実態掌握するということに統計の作業の一目標を置かれることが、いま国民の要望しておる点だろうと思うのですが、この点についていかがでしょうか。
  138. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 先生のただいまの御意見、ごもっともなことと拝聴したしたわけでございます。ただ、ことばを返すようでございますけれども、やはり思い切って不完全就業者というようなものの定義をつくれという御意見でございますけれども、私どもいろいろ検討はし、また全く先生の御意見にもありましたように、一番知りたいところがそういう定義ができないためにあいまいになっておるということは、非常にけしからぬことだということの御指摘がございました。私どもも、やはりそういったものを統計として、はっきり解明して、国民の前に数字として出すということにつきましては、そのとおりだと考えておるわけでございますが、この労働力調査におきまして、常に昔から問題になっておりましたが、いまの定義の問題というのは国際的にも結論が出ませんで、実は便宜というと少しあれでありますけれども、先ほど申し上げましたように就業時間数を区切りまして、就業時間数何時間未満の者が何人であり、何時間から何時間までの者が何人であるという数字を出すことによりまして、一応それでもって、利用者側のほうで完全失業者なり不完全失業者なりの数字を拾っていただくよりほかに、現在のところちょっと手がないのではないかと思われるわけであります。
  139. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 この問題は、反面から見まして、たとえば労働政策、失業保険行政、そういうものへの予算、こういう上におきましても、やはり失業に対する考え方というものを完全に社会的な客観性のある考え方をしていきませんと形式的になるということは、やはり政策立案の上においても私は危険性があると見ております。こういったことは、やはり不完全な潜在しておる失業状態を完全に掌握するということに努力することによって、私は解決し得るものと思います。ですから、これは今後の努力に待つよりほかないと思います。  それから、さらに、ここに非労働力人口の増という問題が出ております。これにつきましても、病気、老齢その他を合わせて十九万、通学中の者が八十二万、家事従事者四十三万、こういう数字が実は出ておるのでありますが、この辺につきましても、非労働力人口というようなものを、これはやはりむずかしくありましょうけれども、たとえば厚生省の統計を見てみますと、精薄青少年は何人おるかわからぬということに実はなっております、というようなことで、どうも労働に従事しない者の実態掌握というものが、とかくいまの統計ではあまり手が届かないといううらみがあるのではないか。私は日本の官庁統計がどこまで一般に利用されておるか存じませんけれども、こう言うとなんですけれども、やはり三菱のやっている調査などは相当精細なものを実は持っております。これは一般に使われておるのかどうか存じませんけれども、とにかく目的のためにつくり上げる統計となりますと精細なものをつくるのです。その辺がお役所式に流れて形式主義に堕しておるのではないかということを私は感じられるので伺うのですが、やはり非労働力人口というものの正確な掌握は、一体この百四十四万という数字はこれでいいのだろうか、こういうふうにも思われるのだが、その辺についてもさきの不完全潜在失業者の実情のごとくにやはり困難な問題があって、調査がなかなか行き届きにくいということになっておると思うのだが、それはどんなものでしょうか。
  140. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 この労働力統計調査は、その目的が就業状態を調べるということになっております。したがいまして、十五才未満の非労働人口、これは総人口から引けば簡単に出るわけでありますが、さらに非労働力人口というものを出しておるわけであります。しかしこの非労働力の中で、いま先生が御指摘になりましたような精薄とかなんとかいう人が現在どれくらいおるかということになりますと、私どもの取り扱っております統計の上からは出てまいらないわけでございます。そうしますと、そういう調査を目的にやればこれはまた別でございますが、現在の労働力調査からそういうものをつかみ出すようには実は設計がされておりませんので、これは出てまいらないということになっております。ただ、かりにそうは言っても、いろいろの人口を——いまのように精薄がどれくらいいるかということをとりたいという御希望のある向きに対しましては、厚生省あたりもいろいろ考えておられることと思いますけれども、精薄の場合ですとある程度医学的にも定義がつけられるのですが、先ほどの問題等になりますとなかなか定義がむずかしい。しかしながら、あの程度思い切った定義をつけるべきであるという御意見も大いに参考にしなければならないかと思いますが、かりに統計でやります以上は相当科学的な、学問的な結論を出していただいた上でとっていきたいというのが、統計の分野でわれわれの考えておる一つの思想でございます。できるだけそういうものを見つけ出したいというふうに考えておりますが、いまの非常労働力人口のほうの細分化といいますか、こまかい点につきましては、私どものほうの主管いたします統計にはそれらは出てまいらない。むしろ厚生省統計において考えられるべき問題かと思います。これらの把握には技術的に非常にむずかしい問題があろうかと思います。
  141. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 あと簡単に聞いておきますが、同時にまた反面から見ると、統計は経済の統計あるいはまた厚生省の所管事項に関する統計、あるいは文部省の教育の実情に関する統計その他企画庁における経済一般の統計、あなたのほうのいわゆる総理府統計、こういう集計がどうも少しおそ過ぎる、時期はずれになってしまいます。だから統計なんて見ておりましたら、もうとっくの昔にそういう社会の実態は去ってしまって、生き生きとした世の中の変動には間に合わぬ、こういうことになります。以前の話ですけれども、インドの方面におきまして国際入札があったのですが、アメリカあたりにおきましては、三日のうちにちゃんとそれに対する一切の資料を、結論を出して、そして回答を与えるというほどに統計が整っておるようでありますが、どうも官庁なり、こういった統計を当てにすることは、きょうの間に合わぬじゃないか。むしろそれは歴史の編さんの上においては役に立つかしらんが、生きた行政と企業と国政、生活の実情には少しおそ過ぎるじゃないか。ずっと早くするというためには、やはりこの統計作業の活動の機能を活発にする以外にはない。そのためにはこの作業の重要性を認識せしむる以外にはない。そのためには必要な人員あるいはまたエキスパートをたくさんにつくり上げて、随時随所にそういった機関の活動を縦横に時、ところを移さず完全になしていくというような体制の整備ということが必要でないか。結局は、統計業務というものの構造の実体にまで食い入ってこれを改革していく、改造していく、こういうところにいかなければいかぬのじゃないか、これが非常に重要であるにかかわらず、わが国におきましてはどうももう一つという感じがいたします。この間も総理府統計でしたか、きようの左官の労賃は幾らかということをある人に聞いてみたところが、出てきたときにはそんなものはきょうにはとても間に合わぬ。去年、おととしの数字である。きょうはそんなお金で働いてくれる人は、大都市にはおそらくは一人もないというようなものが、官庁統計なりとして私に対する回答があったのです。そういうようなもので、そこらにつきましては、あなたとの問答ではものになりませんが、一つの政府の方針になるのですけれども、どうもこれでは、せっかくたくさんな数字を並べてもどうにもならぬ。一部もの好きの研究家の役に立つだけでありまして、おそらくこんなものは読んでないと思います。それを申し上げまして、何か改革についてあなたのほうで御意見があれば、総理府意見をまとめて、全体として役立つような、寄与するようなものにつくり上げる方針を立てるべきだと思いますが、いかがですか。
  142. 関戸嘉明

    ○関戸説明員 ただいま吉田先生から非常にありがたいおことばをいただいたわけでありますが、非常に統計部内といいますか、統計調査の内容、具体的な機能の中まで入っていただきまして、いろいろ御指摘いただいたわけであります。私どもも先生の御意見につきましてはもろ手をあげて賛成するものであります。統計がいかに詳細なものをとったといたしましても、時期的におくれては何ら意味がないということは御指摘のとおりであります。私ども常に正確なものと、早く出すことというのを使命だと考えておりますが、それによりまして私どもも前々検討し、また、できるだけ早く出すようにという努力を常々しております。三十五年になろうかと思いますが、国会の御承認を得まして実は統計局には電子計算機が入っておりまして、集計上非常にスピードアップできたということが一つございますが、と同時に、現在統計調査は、非常に細部にわたりましたいろいろこまかい結果、資料を御要求になる向きが非常に多いわけであります。そういう意味で、求める統計資料が非常に豊富になっておるということで、早さと、その量の多さというか、それとのかね合いということにも相なってきておりますが、先生のおつしゃられましたように、私ども常に早く出すということがいま非常に問題であろうというように考えておりますので、部内におきましても十分合理的に作業を進められるよう努力するように局長ともはかりたいと思います。  確かに統計の利用者に早くこういったものを見せて役立せたるということが、私ども役所におります統計当事者の使命だと思っておりますので、先生の御指摘を十分胸におきまして、今後とも検討さしていただきたいと思います。      ————◇—————
  143. 白浜仁吉

    白浜委員長 この際、参考人出頭要求の件についておはかりいたします。  国有財産の増減及び現況に関する件調査のため、本委員会に参考人として関係者の出頭を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  144. 白浜仁吉

    白浜委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。  なお、参考人出頭の日時及び人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  145. 白浜仁吉

    白浜委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。      ————◇—————
  146. 白浜仁吉

    白浜委員長 次に、会期もなお多少残っておりますが、先ほどの理事会で御協議いただきましたとおり、この際、閉会中審査申し出に関する件についておはかりいたします。  すなわち、決算の適正を期するために、  一、昭和三十七年度一般会計歳入歳   出決算    昭和三十七年度特別会計歳入歳   出決算    昭和三十七年度国税収納金整理   資金受払計算書    昭和三十七年度政府関係機関決   算書  二、昭和三十七年度国有財産増減及   び現在額総計算書  三、昭和三十七年度国有財産無償貸   付状況計算書  四、昭和三十七年度物品増減及び現   在額総計算書  五、歳入歳出の実況に関する件  六、国有財産の増減及び現況に関す   る件  七、政府関係機関の経理に関する件  八、公団等国が資本金の二分の一以   上を出資している法人の会計に関   する件  九、国又は公社が直接又は間接に補   助金、奨励金、助成金等を交付し   又は貸付金、損失補償等の財政援   助を与えているものの会計に関す   る件以上九件について、閉会中審査の申し出をいたしたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  147. 白浜仁吉

    白浜委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  なお、ただいま決定いたしました閉会中審査申し出の各件が、本委員会に付託になり、調査のため現地に委員を派遣する必要を生じました際には、議院運営委員会決定の基準の範囲内におきまして、委員長において適宜取り計らうことに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  148. 白浜仁吉

    白浜委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたします。  次会は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。   午後一時五十分散会