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黒田委員 先方の出方を見ておる、そういうふうに
理解いたします。こちらから積極的にどうこうする意図はない、これはそうだと私
どもも
理解いたします。そうでなければこれははなはだけしからぬと思うのですが、そういうふうに
理解いたしまして、この問題はきょうはこれで
打ち切ります。またごく近いうちに御
質問を申し上げたいと思います。
きょうは、これから方面を変えまして、
日本と中国の問題に関して御
質問を申し上げたいと思いますが、これから私が御
質問を申し上げたいと思います問題は、実は、ある
意味において非常に古く、しかも、まだその問題のあと始末がついていないという
意味においては新しい問題、そういう
性格の問題であります。それは、
日本政府が戦争の末期に多数の中国人を
わが国に強制連行をいたしまして、そのうち数千人を死に至らしめた
事件があったのであります。それにつきましての
政府の
責任と、それから、今日までまだ終了しておりませんその善後処理について今後
政府が具体的にどのような方針を持っておいでになるかということを
質問いたしまして、なお私
どもの
見方をも申し上げておきたいと存じます。
質問に入ります前に、私は、この
事件の概略と今日までに実行せられてまいりました善後処置についてのあらましを一応述べておくほうが便利だと思いますので、それを申し上げたいと思います。
中国人強制連行
事件と申しますのは、先ほど申しましたように、戦争末期に、東條内閣の閣議の決定によりまして、当時における
わが国の筋肉重労働部面における労働力の不足を補うという目的を持ちまして、約四万人の中国人を
日本に強制連行いたしました。そして、それらの人々を全国の鉱山、あるいは港湾、あるいは土建工事などで奴隷的に酷使いたしまして、そのうち約七千人が、あるいは過労、あるいは栄養失調、あるいは花岡
事件のような直接殺害というような原因によりまして死に至らしめられた
事件で、これがいわゆる中国人強制連行
事件というものであります。このことは外務省の作成されました文書によりましても大体明らかであると思いますので、これ以上は申し上げませんが、さてそれがどう処理されたかという問題が残されているわけであります。
敗戦によりまして、連合国総司令官の命令によりまして、生存しておりました中国人は全部本国に集団送還されました。その人数が、われわれの調べたところによりますと三万六百十人であります。
〔
安藤委員長代理退席、
委員長着席〕
そうしますと、連行されたときの中国人の数が三万八千九百三十九人という数字になっておりますので、
日本に連行されたときと本国へ帰るときの中国人の数のこの減少の中に、七千人に近い、正確には六千八百三十人というようにわれわれは調査しておりますが、そういう七千人に近い死者の数を読み取ることができる。こういう
事件があったのであります。中国人を連行いたしましたのは、先ほど申しましたように、
日本政府、すなわち具体的には東條内閣の閣議決定に基づいてなされたものでありますから、むろん中国人を本国へ集団送還いたしましたのも
日本政府の
責任においてであったのであります。これと同じ
責任において、
日本政府は、死亡いたしました中国人の調査、遺骨の発掘、それに対する慰霊及び中国への送還という
仕事を実行しなければならぬ
責任があるのであります。ところが、どうも
政府としてこの事業に対する
責任を果たすべき誠意が従来十分に示されていなかったのであります。
そこで、こういう問題は、国際法の問題であるとともに、また重大な人道問題でもありまして、
国交が回復されておるかいないかという問題以前の重大な人道問題でございます。しかも、
政府は
責任を持って死亡者の調査あるいは遺骨の発掘及びそれの中国への送還という
仕事を進められようとしませんので、そこで、
昭和二十八年の二月に、
日本赤十字社、日中友好協会、
日本仏教連合会あるいは総評、平和連絡会というような団体が十四団体で中国人俘虜殉難者慰霊実行
委員会というものを結成いたしました。この組織は人道と平和、友好の精神に立脚いたしまして、
政党政派を越えて、過去の
日本の軍国主義が犯しました侵略戦争の罪過に対する道義的
責任感の表現といたしまして、戦時中中国から連行され死亡された中国人殉難者を慰霊し、その遺骨を中国に送還する、こういうことを目的としてでき上がった団体であります。これは純然たる民間組織でありまして、民間から集めた乏しい寄付金で事業を進め、苦労に辛苦を重ねて中国人強制連行
事件の調査と中国人殉難者の遺骨の収集に当たりまして、現在に至るまで、この民間団体によりまして約三千人、正確には二千七百四十五人の遺骨を収集いたしまして、
昭和二十八年七月を第一回として、
昭和三十三年四月までの間に八回にわたりまして遺骨を中国に送還したのであります。送還にあたりましては、もちろん
政府の協力を得まして、赤十字船をもって送還をするという方法をとったのであります。最初吉田内閣のときはわざわざ特別に赤十字船を仕立てて送ったというようなことで、吉田内閣のもとで四回、鳩山内閣のもとで二回、岸内閣のもとで二回、計八回にわたって遺骨を送還しております。なお、
昭和三十五年三月に、中国人俘虜殉難者名簿六千七百三十二人、これは死亡者総数の九八・六%に当たるのでございますが、そういう名簿を完成いたしました。これは
政府にも提出してあります。そして
政府にこれを確認するように要請してあります。他方、この完成された名簿を同年五月に中国紅十字会に慰霊実行
委員会のほうから伝達したというような経過になっております。そして、昨年の十一月二十七日、この殉難者の慰霊事業十周年俘虜殉難者中央慰霊祭というのが東京で行なわれまして、そのときは外務
大臣はアメリカに御出張中でございましたが、外務
大臣代理の宮津
大臣の名前で外務省の参事官が代理でこの慰霊祭に出席せられまして、厚生
大臣、外務
大臣の花輪もささげられましたし、弔辞も読まれた、こういうこともありました。
そこで、きょう特にこの問題について
質問をいたしますのは、このような民間団体の
努力で遺骨を送還いたしましたけれ
ども、まだあとからあとからと発見されるわけです。第八回送還以後今日までの間に、また相当な数の遺骨が発掘されておりまして、これは外務省のほうにも通知しておきました。そこで、そろそろ第九次の送還をしなければならぬ、そういう準備が民間団体のほうではできておりますので、そこで、この際この
事件に関する未解決の問題点について
質問したいと思うのであります。
いままで申し上げましたのがこの
事件の概略でございまして、経過はおわかりくださったことと思います。そこで、
質問の第一は、民間団体の要請によりまして、
政府は、
昭和三十三年すなわち一九五八年に至りまして、初めて閣議で、未帰還問題閣僚懇談会というものを設置されまして、それから、引き続いて、第一回の閣僚懇談会で、中国人労務者の遺骨収集、氏名リスト
作成等について、従来民間団体、これは慰霊実行
委員会のことですが、民間団体の事業として行なわれてきたけれ
ども、これは
政府において措置すべきものだという方針に決定をされまして、
政府においてこの事業に乗り出すということにやっとこのときからなったのであります。そして、事務の分担として、厚生省が死亡者の調査及び遺骨の発見、発掘の
仕事を行ない、その発掘された遺骨を中国へ送還する
仕事は外務省の所管にする、そういうように従来
政府から説明を受けておりましたが、この点、念のために、現在もそういう区分で
政府内部においてこの
事件の処理に当たっておられますかどうですか、これは区分の問題だけちょっとお聞きしておきたい。簡単でよろしゅうございます。