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重盛委員 委員長はたまたま
オリンピック組織委員の一人でありますし、私は決して
与謝野さんを責めるような
ことばを使いたくないのですが、何か知らぬが、私の聞いたところの感じでは、これは私
どもの権限の
範囲外だ、おれはここのところの
事務だけをやればいいのだというふうに聞こえるが、
国民全般から見たところでは、せっかく
日本で
オリンピックをやるのだから、どういう
事態があるか知らぬが、
日本の
オリンピックを
契機としてこういう問題の解消をはかるべきではないか、同時に、
主催国であるあなた
方日本政府が、これくらいの問題は処理する
努力をすべきではなかろうか、こういう
考え方で見守っていることは事実であります。したがって、私はこれは必ずしも答弁を求めませんが、
委員長とともにお願いすることは、こうした問題を何とか
最後の
最後まで
主催国の
日本としては
努力をして、
インドネシアが参加できるように一生懸命に
努力するということをひとつお願いしておきたいと思います。それから、 いまの
準備経過の問題の中で、私はずっとほとんど全部
施設は拝見をいたしました。一回だけおじやまできなかったのですが、その見た目からいきますならば、
施設は大体完了しておるように感じられます。もちろん、
事務的に処理しなければならぬものは若干残っておるけれ
ども、ただそういう中で、これはまだもう少し
努力をしてもらわなければならぬのじゃないかという問題は、特にここに出ておりますように、これは
交通道徳というように出ておりまするが、交通問題の万般的な
対策が必ずしもできておるかどうかということが
一つ考えられる。ということは、たとえば
高速道路から一
号国道におりるところが混雑する。これは羽田がそれまでにできるからいいじゃないかということで解消するかもしれぬが、あるいはあの
高速道路から
甲州街道へおりる、こういう
おり口は一体どうなる。いまのような、私
どもの目から見ただけで
考えるならば、あそこで詰まってしまって、どうにもならぬ
状態ができはしないか。その他、いわゆる
高速道路から
一般道路におりたり入ったりするこの出入口がかなり完備をされ、しかも相当な御
理解を願って御
協力をしてもらうという体制をつくらぬと、これは私は相当な混乱を惹起するのではないかと思う。私はたまたまいま
地方行政委員会の中で
道路交通法をやっておりまするが、その中でも、
オリンピックを目前において、ただ
罰則を強化したり取り締まることによって交通問題の解決がつくというような
考え方をお持ちになっては困るということを要望しておりますが、まさにそのとおりであって、どうも何かすれば
罰則だけつくっておりますが、抜本的にこういう問題をもう少し
オリンピック組織委員会としても
考えて、要請すべきところは、あちらへも頼んでおきました、こちらへも頼んでおいて、できると思いましたけれ
ども、間に合いませんでしたでは、これは
現実に間に合わないことになる。したがって、そういうことのないように、
交通輸送の問題に対しは特段の配慮を私は払っていただきたい。
もう一点、これはあるいはあなた方と私と
意見が違うかしれませんけれ
ども、
国際理解運動ということがここに書いてある。一番の、
オリンピックの
理解運動というところで、
オリンピックに対する
理解は、これは
国民全体に対して
理解をするように
運動をしようというので、これはけっこうだと思いまするが、
国際理解運動という中では、どうも先ほどの
説明だけではいけないのではないか。いわゆる次代をしょって立つ全
世界の
若人が
日本に集まってくるということは、おそらくやこの
オリンピックの
機会を除いてはないであろう。したがって、その中には、将来
総理大臣になる人、あるいは重要な
地位につく人が来るかもしれません。そうした
人たちが来て、
日本のある姿を見てお帰りになると思う。そういう場合に、
日本の歴史というようなことは
——そういう
ことばがいいかとうか知りませんが、沿革といいますか、
日本という国は現在どういう
地位に置かれて、どんな形で
国民の
生活が安定をし、しかもこれを
契機にしていわば
観光誘致をしようとまでいわれておるやさきでありますので、もっと奥深いところを見てもらう必要がありはせぬか。一体それは何であるのか、これは私が申し上げるまでもなく、ありのままの姿を見てもらう以外にない。
日本のきれいなところといえば日光や富士山だというような感覚であったり、何かお座敷があれば
芸者ガールが出てきて、それの踊りがきれいだったりというような、こんなところは私は見せても見せなくてもいいと思う。むしろ、
日本のあらゆる
事業の
建設の姿、
道路の姿、国鉄の
あり方、さらに進んで言うならば、
日本の
ほんとうの
姿——日本の
ほんとうの姿というのは、これはこういう
委員会では少し筋が違うかもしれませんけれ
ども、やはり
現実の姿、
日本という国は、あの悲惨な
戦争をやって、今日のような憲法をつくって、
戦争をやらない平和な国である、
平和国家というものが
日本の姿の実態だということは、少なくとも全
世界各国から集まる
若人、それから
新聞記者を
中心とする
報道陣、
オリンピックを見に来る
見学者に、
日本の
あり方というものをはっきり焼きつけて帰す、こういうことを、やはり
オリンピックを
日本でやるという重大な意義の一こまとして扱っていかなければならぬ。これは私は
大臣がおらぬのははなはだ遺憾でありますが、
関係大臣のお仕事であろうかと存じますが、そういうものがやはり含まれて、
日本という国はスポーツ的に、文化的に、そして思想的に愉快な国である、
オリンピックを
契機にして、
日本は一ぺんぜひ行ってみなければならぬ国だというような、
日本の将来の
あり方にも
一つの新しい機軸を描き出すというくらいな抱負をもって
オリンピックを遂行しなければならぬ。何人かの
選手を強化し、
日の丸の旗が何本かよけいに立ったというようなことは、私はそう重く見るべきではなくて、実際の
日の丸の
あり方というものを、明確にこの
機会に、いわゆる国際的な
立場から
国際理解運動の中に盛り込んでやっていくべきだ、このように
考えております。どこまでお
考えになり、どれだけの余裕があるか知りませんが、もう限られた時日ではありますけれ
ども、こうした面にも取っ組んでおるのか取っ組んでおらぬのか、もし取っ組んでおらぬとするならば、私の申し上げたとおりが必ずしもよろしいとは私は
考えておらぬが、全般の諸君の見方というものはあろうと思いますけれ
ども、少なくともやはりいま言うように、
日本のあるべき姿と、将来の
日本というものは
世界的な
地位からいうならばどういう
地位にいくだろう、いわば平和な民族として
世界平和を呼びかけ、率直に言うならば指導していくほどの崇高な理念を持つものが
日本民族であるということぐらい焼きつけてやるような、何かの
機会をつかまえてそういう方向づけをするのが重大な役割りではなかろうかと私は
考えております。どうもこれは
大臣か
関係の方がおらなければ、御答弁がいただけるかどうか知りませんが、これは私は、質問というか、要望を兼ねて申し上げておきます。