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公述人(林周二君) 林でございます。私にいただきました題は、流通機構ということに関しての
予算案
関係の
意見をということだと思います。前々の園田先生のお話は
公共投資ということであり、金子先生は中小企業ということでございますので、それぞれその面に関しましては、
予算の説明などを見ましてもそれらしい項目があるわけでございます。ところが、流通機構というものは、実はこの項目にそういう形でないわけでございまして、そういうものに関する
意見を述べよということをいわれましても非常に実はむずかしいのでございます。つまり、それが中小商業
関係の
予算そのものであるのかといってしまえば、それで話は非常に早うございますけれども、そういうものでもないわけです。そういうわけで、非常に私の話は前のお二方の先生のように、
数字をあげ、現実の款項目をいろいろいじって、それに関しましてその内容を指摘するというようなことができますと非常によろしいのでございますけれども、それを今できるだけやってみようと思いますけれども、それがいささか不可能な面もございますので、その点、多少前のお二方の御
意見の出し方というものと違うということをお許しいただきたいのでございます。
そこで、なぜそういうことかと申しますと、
一つ例を、たとえば
消費者行政というものにとってみてもいいと思いますが、最近、
消費者行政というものが非常にやかましくいわれておるわけですが、
消費者
関係の
予算というような形でものを展望するというワクがない。というのは、つまり従来は
消費者行政というような
一つの
観点が行政になかったわけですが、最近はそれが非常に重要になっている、こういうことだと思うのです。実は流通行政もそうだと思うのです。つまり流通行政という考え方がなくて、従来の行政というものは大体生産者
関係の行政である。たとえば農業
関係は農林省であるとか、あるいは通産
関係は通産省であるとか、その中で中小企業というのは通産省に近いのだろうけれども、特殊だから中小企業庁というものがあるとか、そんな工合にいたしまして、いずれにしても従来の分け方というのは、流通というような形でものを見るというような、そういう
一つのものの見方がなかったといってもいいわけでございます。実はそういう見方を立てることの必要というようなお話からいたしますと、いささか学校での講義のように見えましてたいへん恐縮でございますが、その辺からちょっと時間を十分ぐらいいただいて、だんだん中身に入り、結論らしいことを多少申してみたい、かように思っておるわけであります。
そこで、流通行政ということの重要性といいますか、そういうものの見方が非常におもしろいということを私どもはしきりに提唱しているわけでありますけれども、しかし、この流通というものの考え方が行政になかったというだけでなくて、実はエコノミストの中にも行政というものの見方はないのじゃないかと思うのです。つまり商業
関係の先生は割合いにいらっしゃるし、大学でも商業ということを教えている、生産
関係も教えているわけですが、流通という、ディストリビューションという見方がないのです。ところが、最近は生産が非常に
伸びているのは御承知のとおり。
消費も高度化しておる。ところが流通というものが昔ながらの姿である。私は流通ということは何も問屋さんや小売店だけとはほんとうは見たくないので、
道路が非常に荒廃している。
道路、鉄道、それから通信施設でございますね。それから
港湾施設がございます。こうなると
公共投資ということになるかもしれませんが、そういうものはやはり一切生産でもなければ
消費でもない、つまりもののディストリビューションに関する問題です。私はチャネルという言葉をよく使っているのですが、つまり
日本経済というものが生産と
消費が非常に
伸びているのに対してチャネルが昔ながらである。そのために鉄道もごらんのように朝ラッシュアワーであり、
道路もあのとおり行き詰まり、郵便も遅延があったりなどする。問屋さんの問題、
消費者の斜陽論とか、小売店問題とか、いろいろな形で問題が出ておりますが、要するに、流通ということに関する
一つのものの見方というものがなかったというところにやはり問題があるので、そういう形で
一つ問題が取り上げられるというようなことは、やはり非常に学問的にも
意味がございますし、また行政的にはなおさら現実上非常に重要な問題を控えておる。こういう
意味におきまして、皆様方にそういう立場でものを今後お考えいただくその素材になるようなものを多少とも提供して帰れば、私のお役は立つのではないかというふうにこう思っておるわけでございます。
ところで、流通行政のあり方に関する、ゼネラル・リマークスみたいなものを
最初に一言申しますと、そういう
意味で流通行政というのは、流通がおくれているという事実が片方にございます。もう
一つは、それでは現実に流通を担当しているものはだれかということになりますと、ここに中小商業というものがあるわけです。ほかにデパートというものがございます。
日本では大体中小商業の窓口を通じて流れております物資というのは大体六兆円ですが、その中でデパートの窓口を通じているものが大体その十分の一ぐらいあるのですから、何も流通即中小企業というふうにいうのは当たらないと思いますが、しかし流通という問題は、中小企業、中小商業の問題だというふうにいってもいいのかもしれない。しかし、それはあくまで現実がそうであるということなんであって、将来までそうであっていいかどうかという問題はまたこれはおのずから別な問題です。つまり、先ほど申しましたように、流通ということは
国民経済の能率としての流通対策というものをやはり考えないといけない。たとえば中小企業以外のものに流通なんというものをやらしたほうがいいのだというような考え方がかりにあれば、そういう考え方も議論の余地には十分なるわけです。それが結論としてどうなるかは別の問題として、
一つの考え方として、流通というものをおよそよくするには、どうするかという問題が片方にあり、片方には中小企業対策というのは、現実には流通をやっているのは中小商業が多いのでございますから、それがかりに合理的であろうと不合理なものであろうと、とにかく合理的なものはそれでいいし、不合理ならそれに対する何か対策を立てなくちゃいけないわけですから、そういう
意味で二重
性格を持っていると考えなくちゃいけないわけであります。
そこで、私の考えは、
最初に一応現実の中小企業によって流通がになわれているという事実は無視するわけではありませんが、流通というものは、そもそもどうあるべきかという一応ゾルレン的なものをちょっと
最初に五分ばかり申し上げてみたらよくわかるのじゃないかと思うのですが、どうも結論から申しますと、現実の中小企業の方につらい言い方を申し上げるわけですが、どうも今のようなやり方というものをそのまま延長したり、改良したりしただけでは流通の理想的な姿というものが
日本に出てこないような気がするのでございます。と申しますのは、先ほど生産者と
消費者とがあるとこう申しましたが、それをつなぐものが流通になるわけですが、生産がどんどん上がり、
消費がどんどん上がっているのですが、流通というもののパイプは相変わらず昔ながらのものがそのまま多少ずつ突っかい棒して補強されているというのが現実でございます。そこにどれくらいそれじゃ流通業者があるかというと、小売と名のつくものがおそらく百三十万から百五十万ぐらい現実にあると思うのです。小さいものまで入れましてそれくらいありそうです。それから卸、問屋と名のつくものがまた二十万から三十万ぐらいあります。統計に拾えないものもありましたりして、おそらく卸、問屋というものが三十万ぐらい、小売というものが百五十万ぐらいこの
日本にあるのじゃないかと思います。ところが、これをヨーロッパやアメリカのものと比べてみますと非常に多いのでございます。まず小売に例をとりますと、小売百五十万というのはまずヨーロッパやアメリカに比べて非常に多い。それは一軒の小売に対する従業員数を比べてみればわかるので、つまりアメリカやヨーロッパというのは大体
日本の倍くらいの
規模を平均としても持っておるわけです。つまり
日本の小売商というのは非常に零細であります。極端なことを申し上げると、私少し乱暴な言い方をするのですが、百五十万は多過ぎるので、五十万ぐらいでもいいのじゃないか、こう思うのです。
なぜそんなに多いかと申しますと、
一つには
日本の小売商というものは単品販売なんです。おとうふ屋へ行くとおとうふしか売っていない、お茶屋へ行くとお茶しか売っていないというわけです。大昔はもっとひどいので、明治の初めごろは酒屋へ行くと酒だけ、甘酒屋へ行くと甘酒だけとか、それからみそ屋、しょうゆ屋、お砂糖屋というふうにある。こうやって、つまり薬局でもかぜ薬薬局とか、胃腸薬局とか分けていったら、商品の数だけ店の数が要るのですから、これは幾ら店の数があってもたまったものではない。そうなると地域独占ですから流通マージンも上がるし、経常合理化も進まないということになります。もっと品物は整理、統合、合併して店の数をうんと減らす。
日本全体としてとにかく労働力が不足しているはずなんですから、それがほんとうの筋だと思うのです。ただ、現実にできるかどうかということは別問題といたしまして、今理想論をお話ししているわけですから、理想論から申しますと、百五十万は多くて三分の一でもいい。そして取り扱い品目を合併統合しろ。これは食料品とくつと一緒に置くというのは無理かもしれないが、とうふとコンニャクとお茶なんかは一緒に置いたっていいじゃないか、文房具屋さんと本屋さんと楽器屋さんぐらいはかねたっていいじゃないか、こういうわけでございます。つまり、そういたしますと、非常に数が減って参ります。そのために、実際失業者が出たり
社会不安が起こったりすると非常に問題でありますから、これは現実問題は別ですが、理想論はそうです。ですから、換金販売をやっていたことが理由でございます。
もう
一つ根本的な理由というのは、従来はサラリーマンよりは商業をやったほうがいいという事態が昔の
日本の
経済ではあったからだというのが、やはり大きな理由。つまり、たとえば薬専を出ますと、少しでも小金のある者は薬局、薬店を開く。どうしても金のない、労働以外に何も売れるものがないプロレタリアートが、武田や三共に勤めるのだと、こんな考え方だったと思います。これが最近そうではなくなりまして、相当の中小企業のむすこさんでも、大学を出て一流会社に勤めるのだと、こういうような言い方に変わってきておりますから、将来は相当変わると思いますが、何せ、現実には、そういう少しでも小金がある人が商業の中に入って、店を営んでいる。企業というより家業であり生業であるものが、何としても多いという現実があります。
これが百五十万という
数字の根拠であり、他方において
理論的に考えれば、三分の一でもいいんじゃないかということが理想論としてはあるわけです。もっと理想を考えれば、もっと少なくていいのかもしれませんが、その辺になると、私はまだ研究不足なんで、わからないのです。大いにやらなければいけないのですが、どうしていいかわからないというわけです。
それから、卸が多過ぎる。これは、私なんかよく問屋を滅ぼせという極論を吐いて、問屋さんからおしかりをこうむっておるのですが、これも非常に問題がございますのは、つまり、問屋三十万に対して小売百五十万というのは、非常に多過ぎます。これは要するに、学校に例をとりますと、先生一人に生徒六人みたいなものです。行き届くには行き届くかもしれませんけれども、これじゃ月謝が高くてかなわない。つまり、問屋マージンが高過ぎるというわけです。中間機構が要らないことはありません。ものによって、いきなりメーカーのものが小売に飛び込むというのも少し飛躍し過ぎますから、もう少し間にミドル・マンというのを置くのはけっこうですけれども、そのほうが
社会的にも能率がいいと思いますが、こういうようなことからいたしましても、何しろ、問屋がなぜ小売六軒について一軒であるかというと、これは流通機構としてあるものではなくて、一種の
金融をやっておるわけです。つまり、流通機関じゃなくて
金融機関。
日本では
経済の
成長が高うございますから、とても
資金需要が追っつかないので、
政府金融だけで精一ぱいですから、流通
金融というのは、そういう点からいたしますと、何というのですか、とてもいわゆる
金融機関の手に負えませんから、百万でも十万でも金のある者は問屋になれるのじゃないかと、従来の
日本だと思えるのです。かりに私が百万持っておりまして、どこかのメーカーに行って、私、百万責任を負いますから、品物を扱わせて下さいと言っても、メーカーだってそこまで金が回りませんから、私に、それでは林さん、君、やって下さいと、こう言われるに違いないと思います。つまり、そういう点からいたしまして、問屋さんというものは三十万はとても多いので、これがもし小売が五十万でよければ、問屋さんというのは三万でもいいじゃないか。つまり問屋さんは十分の一に減らし、小売屋さんは三分の一に減らしてもいい。そうすれば、流通マージンも少なくなるし、非常に物価も引き下げられます。それからまた、余った
人口は、どこかほかの、もっと生産性の高いところで使うというようなことができたら、これは、
日本として非常に万歳なんです。
ところが、万歳にいかないのは、現実に、それじゃ、それだけ中小企業の
人口を生産へいきなり動かせるかというと、これはそうはいかないし、現実問題として、炭鉱以上にむずかしい問題があるわけです。農村の場合には、これまた非常に問題がございますけれども、年々若い人々がだんだん都市に流出しておりますが、石炭の場合には、これから石炭に関して五カ年計画ができまして、大体炭鉱で働いておる人が三十万に近かったのが、十五万前後まで下がってきておる。その間にはいろいろ大きな問題がありまして、これは皆様方にもよく御案内のとおりでございますが、それができたわけであります。中小企業についてはその図がない。ことに流通面においてその図がない。これをやはり何とかして能率化していかなければ、生産も滞るし、
消費も滞る、物価も引き下げることはできないだろう。そうして中小企業の人人は、お互いに出血競争をやって、苦しいばかりである。やはりこれを何か
国民経済の立場から前向きに処理をしていくというようなことをやらなければならない。
それには、どうしても流通行政というものが要る。中小商業対策もむろん必要である。中小企業対策というものが、
一つの見方として、重要であることは申すまでもないのでありますが、それと別にというか、それの中にというのかわかりませんけれども、その辺は私もよくわからないのですが、もっと流通面における対策というものを考えていく必要があるのじゃないか。そういうチャンネルの生産性向上ということが、今や非常に問題になっている。そのためにスーパー・マーケットのようなものも出て、これが政治問題になっているわけであります。しかし、そういうふうなところから考えてみますと、流通面というものをうんと革新していかなければならないということではなかろうかと考えます。そこで、現実の問題に立ち返るのです。片方ではそういう理想像を頭に描きながらも、それをいきなりやれないというのは、あまりにも現実が輻輳している、錯雑しているからでございます。
ところで、そこにスーパー・マーケットという問題が起こってきた。これを今一軒開くには、二億円ぐらいの金が少なくとも要ると思います。現状は、
日本に五百軒から七百軒ぐらいのスーパー・マーケットがございますけれども、私の大体の見通しでは、
あと五年ぐらいで五千軒ぐらいになると私は見ております。スーパー・マーケット万能論者みたいな
意見になりますと、九千軒ぐらいだという説もございます。少し穏やかな説になると、二千から三千というような説もございます。この辺は読みでございまして、どうなるかわかりませんが、私が五千軒と言っている根拠には、かなりいろいろはじいた根拠もございまして、そんな工合になりそうだ。そういうものになりますと、そういうところで日用品を売られるわけでありまして、なぜそういうものが出てきたかということは、何と申しましても、
消費財が大量生産になってきたという事実が一番大きいと思います。つまり、従来は
消費財というものは中小企業の生産物でありましたが、おとうふも大量生産になった、パンも大量生産になった、くつも大量生産になった、制服もそうだ、
住宅もそうなるだろうと思います。プレハブ
住宅なんてものはそうです。そういたしますと、生産も大量になれば、流通も大量にならなければ筋が通らない。そうなると、大量販売のチャンネルというものが、どうしてもそこに必要になってくる。つまり、
社会的に要求されるわけです。ですから、スーパー・マーケットというようなものは、ぜひこれは要るので、名前は何でもけっこうです。何もアメリカ流のそのままに考えなくてもいいのですが、要するに大量チャンネルとしての何か、私は大売店という言葉を使っているのです。小売店ではなくて大売店です。デパートもそういう点では小売店であります。一品ずつ扱っている量にすれば、非常に少額であるのがデパートの特色ですから、デパートのほうは小売店ですから。そうじゃなくて、品目を限ってやる大売店のようなものが
伸びるにきまっている。そういうものに対して中小企業の方々は、集まって日比谷で反対運動をなさる。その気持は十分わかる。わかり過ぎるくらいよくわかるのです。ただ反対なさらないで、自分たちがやるのだということをおっしゃらないと、やはりそこで筋が通らない。
そこで、さっき金子さんがお話しになられましたね。中小企業の中には、自力本願が少なくて、非常に他力本願の人が多い。つまり、金をつけてやっても、何をつけてやっても、とにかくぶら下がっていこうという考えの人があまりに多いという事実でございます。これは中小企業のおやじさん方というものは、とにかく忙しい。木をただで与えてやっても、いろいろ指導書を与えてやっても、読む暇がない。講習会をやっても、出てくる時間がない。金がないというより、無料でも出てくる時間がないということで、そういう人たちを生産力の線につけて、そして流通そのものを合理化して、
日本経済として筋の通ったチャンネルを作り上げていく。そうして生産と
消費が高まるのに見合うように、流通経路を作る。あぜ道のような流通経路じゃなくて、太い京浜国道や名神国道のような道を作り上げていくという仕事は、並みたいていの仕事ではありませんわけです。
私は、今回の中小企業強化の
予算、ことに基本法ないしそれに付帯する法律に伴う
予算を拝見いたしまして、先ほど金子先生の言われましたように、八十点であるという点につきましては、実は同感なんでございます。しかも、どう考えても、私はお役人の立場であり、かつ皆様方のお立場であれば、大体あれ以上のものはできそうもございません。そういう
意味におきましては、あのまま今できているものについて、私は八十五点差し上げてもいいのじゃないかと思うのです。ところが、それにもかかわらず、今私がここでしゃべったような問題については、何事もなされていないというのは言い過ぎですけれども、大きな点については、そういうことに関する問題意識のもとに問題が設定されていることがない。私自身も実は、どうここで皆様方の前で
公述をさしていただこうかということを悩んだような次第なんでございます。つまり、現実に出ているものは八十点以上八十五点もあるのに、実際に
日本の流通というものの将来のあるべき姿、それに向けて少しでも理想論、現実のものから理想に近づけてゆき、かつ現実にある中小商業の方々をあまり
生活の不安に陥れず、また
生活だけでなしに考え方を不安に陥れず、そういう
世界を作っていくというようなことは非常にむずかしい問題で、それをどう織り込んだらいいか、ここに至りますと、やはりこれは
予算への
一つの要望にもなるわけですが、三十八
年度予算というような考え方ではやはり無理で、三十八ないし四十二
年度予算というような、つまり長期的な
一つの視野に立ったもの、その
予算そのものは一年ごとにお作りになることは申すまでもないわけですが、もう少し長期的視野に立った
一つの見通しというようなものを皆さん方も持っていただき、お役人の方にも持っていただく、むろんわれわれ学名も大いに勉強するつもりでございますが、中小企業の方々にも持っていただく。炭鉱の場合にはそれがあったればこそ混乱があったと思いますが、むしろ中小企業に混乱がないというのはそういう、ビジョンがないところにあると思います。私などが詰まらない本でこの間流通革命という本を出しましたら、ハチの巣を突っついたようにずいぶん騒がれましたが、
一つにはその中に私なりの未来図をかいたからだと思いますが、その未来図を見て、みんなびっくりして、これはたいへんだということであります。炭鉱の場合にはその未来図があったから
社会的にあれだけ大きな問題になったのですけれども、それがゆえにエネルギー革命というものは一応
一つの形を持っておる。それについてはいろいろ御
意見があると思いますけれども、何かできそうだ。しかし、農業とか流通業の
世界におきましては、未来図というものはとにかくひかれていないで、現実の案だけ立てると、さっきの八十五点か九十点上げてもいいようなものができてしまうのです。そういう
意味で、何か未来図を作り上げるということは、
予算なり金の問題ではなく、研究の問題で、研究
予算をつけていただくという
程度の非常にわずかなものかもしれませんが、そういう未来図をお互いに、学者も、政治をなさる方も、行政をするお役人も、実際に流通の中に身を置いておる人も、みな持つというようなことが大事ではないかと思うのです。
理想論を申しますと、流通というものは、やはりこれは大企業のするものではないかと思います。というと、非常に風当たりが強いと思うのですが、それは
金融もちょうど大企業がするのと同じでございます。生産の場合は割合中小企業というものも
意味がある。というのは、金子さんがおいでになりますミツミ電機は非常に特殊なものを作るが、実際の生産では日立、東芝にあれするものではございませんが、小さな専門品のようなものは中小企業にまかせてよろしいと思います。ところが、流通になると、あるいは
金融もそうでございますが、
金融業とか流通業というのは、そういう点からすればむしろ大企業にふさわしい
事業であるような気がするのです。それはむろん、流通の中でも非常に特殊なものの流通、高級呉服とかあるいは犬の愛玩用のいろいろなものを売るとか、そういうようなものであれば、中小企業でもけっこうですけれども、そうでないものというのは、やはり大倉庫を持ち、それから大計算機構を持ち、そうして大きな配送網を持ち、そして大
規模に動かしていく
金融機関がちょうど零細なものでは無理なように、流通機関は大きくするのが本筋だと思う。それが実は小さなものによってまかされているところに問題があると思うのですが、本来はもっと大きな企業でやるべきだと思うが、実際は中小企業がものによっては生産もする、流通も特殊なものの流通、高級呉服の流通のようなものであれば、中小企業のほうでも適当だと思いますが、日常買い回りで買うものは大資本で、大企業でやったほうが、流通コストも下がり、物価も下がり、
消費者も有利であるということになると思います。
そういうことを言うと、お前は大企業の味方ばかりすると言われますが、私は大企業に頼まれておるということではなく、一番困っている人を何とかしてあげたいのですが、そういう方々はなかなか考えを前に向けて下さらない、協同化の線を進めて下さらない。でありますから、結局皆さん方に
予算の面でお願いすることになるわけでありますが、そういう点からいたしますと、大体次のような点に、
予算ということに限れば要約されるのではないかと思うのです。
一つは、やはり流通に関する長期のビジョンといいますか、長期の見通しといいますか、そういうものをやはり作り上げていく勇気を互いに持つことにしたいということであります。これは炭鉱の場合のように、おそらく、もしそういうビジョンが出たら中小企業のほうはたいへんな反対が出るかもしれない。それはただ単につぶすという問題ではなく、そういう方々に転業賃金を出していかなければならないということもあります。今度の
予算を拝見いたしますと、いろいろ共同化をやるとか、前向きの
事業に対しては少しずつ補助金、奨励金的な形で金を
支出されようとしておられる。しかも、それは相当無理をして
重点的に出しておいでになります。事実、
予算を拝見いたしますと、非常によくわかります。ですけれども、転業
資金とか
あと向き
資金とかいうようなものにつきましても、少しずつ御
配慮いただきたい。五カ年計画で申せば、初
年度は要らないかもしれないけれども、そういう考え方が
予算の中に入っているということが大事ではないかと思います。それはまあ流通革命がもっと進行していけばもっとたくさん、要るようになるかもしれませんが、それも少しずつ加えるようにしていただきたいような気がするのでございます。
それからまた、ついでに流通という形でものを考えますと、海外流通対策がある。輸出振興が
日本の国是でございます。これは大企業の場合にはいろいろな手づるがございますが、中小企業の輸出ということになりますと、洋食器の輸出にいたしましても、おもちゃの輸出にいたしましても、陶磁器の輸出にいたしましても、過当競争の姿がまさに海の向こうに持ち込まれておりまして、これを何とかしなければお互いに苦しむだけであって、業者の数が減るわけでもなく、いつまでも苦しい苦しいといって企業が強化されない、単なる苦しさだけが多く、骨折り損のくたびれもうけで、競争を繰り返しております。そういう
意味で、海外向けというものを
日本全体の
政策と結びつけて、流通対策を御考慮いただくことが重要であると思います。
それから、もう
一つ、農産物や、それから水産物の場合でございます。これは生産者が非常に零細でございますために、加工
段階は非常に大
規模化しておりますけれども、生産
段階が大
規模化しておらない。しかし、そういう面においても、流通面というので大企業なんかが荒々とそういう面に手を出しております。その中には筋の通ったものもございますけれども、非常に無理な形で進出していて、つまり非常にわがままな感情をまじえて、少しわがままな、このままじゃ農民、水産業者が痛めつけられるような形のものもあるわけです。ですから、そういう面について、農産物、水産物のように生産者が零細である、これを拡大していかなければならない面が片方にありますけれども、そういう面についての流通対策というものに関しましても、もう少しやはり総合的な視野のもとに何か問題がなされることが大事ではないかという気がいたします。と申しますのは、今後は非常に加工食品というものがふえて参りますと、生産
段階は農林省の管轄で、加工
段階から先になりますと通産省の管轄であるというようなことになりますが、そういう面における連絡というものも十分にとっていただくことが重要だというふうに思っております。
長期のビジョンに関しましては、まだまだいろいろ聞いていただきたいこともございますが、私はまあ
一つの頭に理想のようなものを描いておりますのは、やはり
金融と生産と流通というものは三者鼎立したような
世界がいいように思います。最近は、進んで各団体がみなで流通
段階に手を出そうとしております。これは実はわかるので、流通が
近代化いたしませんと、メーカーは自分でどうしても専用
道路を作らなければならないということが出て参ります。今の流通機構にまかしておいたのでは売れないということで、電機メーカーさんあたりは東芝専用
道路、日立専用
道路、松下専用
道路を作る。これもわかりますけれども、やはり生産会社というものは生産に
重点を置いて、流通機関というものはむしろ整理した、流通というものを打って一丸としたものを作りたい。私は、
金融機関というものが生産や流通に手を出すのは間違いであるし、それから生産会社は自分で
金融をしたり流通するのではなしに、流通業者はスーパー・マーケットの力のようなものが大きくなってちゃんと流通だけをやる。このごろ商社が生産なんかに手を出される面がありますけれども、商社がやられることも内部事情としてはわかりますが、あまり感心したことではない。
一つの企業があらゆる面で強くなるというのはまずいのじゃないか。フォルクスワーゲンのように、生産も流通も自分でやる、金も非常に持っているということになりますと、エアハルト
経済相の言うことなんか聞かなくなっちゃう。そうすると、
一つの企業というものが、国の
景気政策とか
成長政策というものを無視して行動できるほど強くなるというのも考えものである。つまり、やはり
一つの企業というのは、幾ら強くても何かの面で非常に弱いということがないといけない。何かじゃんけんですか、ヘビとカエルとナメクジですか知りませんが、生産会社は生産に関してはめっぽう強いが、流通とか
金融に関しては弱いとか、
金融は他の面へ口は出さないとか、流通の大
規模の機構が将来できても、それは生産には口を出させない。
金融は、今までの問屋さん
金融をやっていたのですけれども、
金融もやらない。もっぱらチャネルとして運輸、通信、倉庫、情報
設備に
重点を置いて、それに力を入れるというような形で、みんなが強いけれども、何かみんなが非常なこう泣きどころを持っているような、そういうものの鼎立したような
経済を考えていくと、
経済政策も非常にやりいいし、全体の調和のためにもいいと思います。個々の企業にとりましては、それは非常に何か心細いことですが、そういう心細いことにしておきませんと、非常に都合のいい企業ができて、その企業は安泰かもしれませんけれども、それは長い目で見て
国民経済のためにならず、かつまたその企業のためにならないように思います。
要するに流通というお話をいただきまして、話がだいぶ脱線した面もございますが、流通というものに関する考え方自体が、
一つの処女の領域である。今までやられたことのない領域で、それが中小商業問題とからみ合っているのが現実でありますが、その理想図と、それから現実というものとのギャップというものをどう埋めるかということが、空白問題でありますために、これをもっとみんなで一緒に考えるような、そういう長期見通しを持ちたい。そして
予算にもそういう裏づけを、ことしの
予算はけっこうでございますが、次第に考えていただくような
方向へ向けていただきたい。一年限りの
予算で済む問題ではなく、むしろ来年、再来年あたりに非常に大きな話題になって出てくることであるにきまっておりますので、この辺をやはりみんなで考えるというようなことにすべきではないだろうか。私どももそういうことができるなら、いかようでも努力はいたしたいし、学者としてできることはいたしますけれども、現実の問題としてその辺をみんなで考えられるような
世界を作ってみたいというふうな希望がございますわけです。ですから、金をむしろばらまくということよりは、そういう面のしっかりした筋をつけて、そしてみんなにその気持になってもらう、そういう金の出し方、これは非常に抽象的な言い方でありますが、それが大事であるという気がいたします。
そういう長期の見通しのもとにおける三十八
年度予算という形で見ますならば、ことしの
予算は一応けっこうで、金子先生は八十点とおっしゃいましたが、それ以上差し上げても私は十分だと思っておりますが、それはあくまで来年、再来年の成績がどうであるかということによる仮りの八十五点であるというふうなひとつ見方をまあ言っているというふうにお考えいただきたいので、来年、再来年悪ければ、八十五点も取り上げというような感じなんでございます。たいへん失礼な言い方をいたしましたが……。(
拍手)