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豊瀬禎一君 今のあなたの後段の
説明を聞いておって、ますますあなたが、民主主義ということで悪ければ、民主
教育に対して理解がないということを痛感します。なるほど、あなたのような、民主主義は衆愚政治である、衆愚制度であるという既成概念を持っておられる人から言うと、今あなたのような理屈が成り立つでしょう。
しかし、私も終戦直後は福岡市の月隈小
学校から馬出小
学校に転任をして、馬出小
学校においては、あなはも御存じのように、戦時中でさえも、食用に供しなかった葉っぱを取ってきて、ほんのわずかな、配給された麦の紛をまぜて、目を白黒させながら水ばかり飲み込んで、それでやっと昼食を食べていました。したがって、毎日の日課は、教科書の古いものはあっても、ほとんど数カ月にわたって——最後は一週間四
日制を、実施して、授業を少なくして、
生徒の疲労を補っていったのですが、くる日もくる日も、食糧にする葉っぱを取りに行ったんですよ。
課長が何と言ったか知らないけれ
ども、それをレクリェーションだと、報告を聞いて早計に
判断したあなたのその軽率さと、民主
教育のあり方と、終戦直後の疲弊と混乱に対する理解の足りなさが、今日の労働運動なり、民主
教育に対する
文部大臣としての消化不良を端的に現わしている。
たとえばかりに、あなたの指摘するがごとく、きょうも
先生、小川に行ってきのう見たメダカを観察しましょう。翌日になっても、きのうのメダカがきょうは天気がいいから、どのあたりで泳いでいるか見ましょう。ネゼリが、きょうはもっと芽ぐんでいるかもしれないから、どの
程度雨の翌日は伸びているか、見に行ってみましょう、そういうことが
教育の常道だとは言いません。しかし、そうした試行錯誤の、大衆の多数の決定、児童そのものの自主性の創意の、経験の中から、そんなことを毎日やっておったのでは、他の教科に対する問題がおろそかになってくるとか、算数の
基礎的な数計算の熟練も必要だとか、あるいは体操も必要だとか、もっとほかの学習も必要だという討議が行なわれ、そのことによって、みずからの学習の方法を子供たちが
考え出す。それが民主
教育のひとつのルールであり、方法ですよ。
その論争は別にして、そういう
一つの事象を見て、ばかになりに行くのじゃなかろうか、皆できめさえすれば何でもきまるのだ、きめたとおりになる——この皆できめさえすればということと、ばかになりにいくのではなかろうかというようなところに、私はたびたび指摘しておるように、あなたの、民主主義は衆愚だ、衆愚政治だと見ておる潜在観念があるのじゃないか。あなたが、何べん指摘してもお気づきにならん。前言をお取り消しにならんところが、いかにもあなたの民主主義に対する認識の誤まりを如実に物語っていますよ。先ほどから言うように、主張としては、そのことを今日に至って——かりに、そのことに対して当時批判を持ったとしても、
文部大臣がそのことを、もし民主主義の困難性であると
判断するにしても、文相たるあなたが、大衆の前に
教育問題として語るときには、みずから用語についても、引例の活用の仕方についても、配慮があるべきですよ。市井のごろつきのごとく、あなたは、はなたれ小僧というのは、分別のわからないということ——なるほどはなたれ小僧という俗語を辞典に訳すると、相当高尚なことになってくるのでしょうが、われわれのはなたれ小僧の時代は、と言うことはあります。
荒木萬壽夫のはなたれ小僧の時代は、と言ったときの態度、語感の中には、時によっては、あなたを侮べつした
言葉がある。あなたの語調、まさにしかりでしょうが、あなたが、行政家として
文部大臣として引例をしたこと、その引例のいたし方、意図が、私は民主主義と逆行するものだと、こう言っているのですよ。何もあなたから、はなたれ小僧の俗語の訳語を聞こうとは思いません。だれが聞いたって、はなたれ小僧
どもがみんなできめて何でもできると、毎日毎日レクリェーションをすれば、ばかになるのではなかろうかと、これが、少なくとも民主
教育の
一つの基本原則の順列を示した例として言いながら、そのことが民主
教育の
一つのルールであり、原則線であるということに対する理解がないでしょう、あなたに。そうして
文部大臣として、この例を引く際にも、大牟田に何学級あったか、十六校焼けて、残っておったのが何校あるかも、今あなたはつまびらかにしていない。当時の
課長もいない。こういう中で、あなたはここで取り上げられると勝手な強弁をする。こういうところに、あなたが
大臣として民主主義の消化不良児だと私が言っておるところがあるのですよ。やはりあなたとしては、この例は続いて、日教組のばかたれ
どもがと——これはあなたの
言葉ですよ、私は自民党の皆さんにも、イデオロギーは異にするけれ
ども、自民党のばかたれ
どもがと言ったことはありません。日教組のばかたれ
どもが、大会できめて共産党張りのばかげたことをきめたと、全く、全体の印象を聞いておると、こう続いてくるでしょう。だから私は、小林氏も言ったように
言葉尻を言っておるのではない。あなたの倫理の組み立て方と発想が、常に五十万できめたという、そのことに対しても衆愚であるときめつける。人のきめたことを尊重するという民主的な基本態度を持たずして、常に自分の趣味に合わないと、それはばかげたことである、思想に合わないことはやっつけるべきだ、日教組征伐は、私の
大臣としての最大使命の
一つであるとあなたが胸を叩くと、ぱちぱちと拍手がくる、いい気持になって、またやろうとする、こういう連鎖を繰り返している間に、あなた自身が民主主義というものを——途中であやまちを犯し、大きな目で見ると過誤を犯す、その中から、初めてほんとうのものに芽ばえてくるという原則線に対する理解がない。これだけ言っても、あなたはやはりこの例が——最後に、
一つだけ聞いておきます。この例は、民主主義の困難さと必要さを力説したのだと、なおこの
段階になっても強弁しますか。それだけを聞いておけばいい。