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田中一君 なかなかうまく逃げているけれども、そのとおりだと思うんです。しかし、前段に戻るのだけれども、一体どこがどういう意欲を持って、この基準に沿った高層
建築をしょうかということになりますと、私はたいしたものじゃないんじゃないかという気がするのです。最近の例で、こんなことを言うと口はばったいから、言いたくないのだけれども、オランダに行ってみると——初めてオランダに行ったのですが、オランダでは、いまだに高度
地区というものをきめて、ある
一定規模以上の低さも認めなければ高さも認めないという
地域が現存しているわけです。これは低さも高さも認めない。
日本でいうところの
建築協定というような本のが、これは
法律でできているか——ちょうど土曜日だったために調べなかったのですが、できているのです。これなんかうらやましいと思った。そこで今度裏を返して
一つの
質問をします。高度指定
地域の基準が法上あるのは五十九条でしたか——五十九条で高度
地区として
一定の指定がなされるという条文がございます。そこで、この二月ごろと思うけれども、
東京都は
都市計画審議会の議を経て、
住宅地域におけるアパート、いわゆる
住宅地区におきますそういう高層
住宅建築というものを
制限しておる。高さを
制限しておる。これはむろん建設大臣が認可をしたから、それが条例として実施されておるものと思うのです。一体何を
考えているかということなんです。何を
考えているか。
住宅行政、
建築行政というものは、一方においては相当の高層
建築を認めようとする、一方においては
制限しようとする、それも
道路を中心にした基準の
制限なんです。
制限が基準となっているのです。
道路幅を中心とした見方なんです。なるほど
日本は春夏秋冬があり、かつまた湿度の高い国です。換気というものは相当重要な、
国民生活の上に大きな条件になっております。しかしながら、今日の
建築技術というものは、ただ単に立地条件だけに、そのまま唯々諾々とそれに縛られておるというようなものじゃないということです。もっと高度に住環境というものが改善されています。それはなるほど、数寄屋風の家を作って雨戸のない障子張りの家がかってはありました。そういう環境にある今日の住生活でないことは明らかなんです。物好きにやっている人もあるかもわかりません。また関西
方面に行きますと、そういう家も一部残っております。雨戸もなければ障子の紙
一つの
住宅を持っている家もあります。しかし、われわれの少なくとも
都市を中心としたところの
住宅というものは、様式の上においても設備の上においても、相当大幅に改善されている、研究されて、この悪条件の中に、もう
一つは、春夏秋冬といういい条件の中に適応したところの住生活が
技術的に解決しているということです。にかかわらず、この高度
地区という五十九条を僕に言わせれば悪用して、
住宅地区における
土地の高度利用をはばんでいるということは、これは法の解釈の間違いですと私は見ておるのです。この点については、
住宅局としてはどういう
考えを持ってこの条例を許可したか。私はただ単に、
国民のあっちからどうもこういう反対がある、こっちから高層
建築の要求があるというところに、
一つの体系を持たない、信念を持たない、その場限りのいわゆる政治的な含みだけで建設
行政というものを
運用するのでは、これは間違いであるというように
考えるわけなんです。一方においては高度
制限をする。
住宅地域に工場を持ってくるというのじゃございません。どこの国に行ったって、
住宅地域における
一定の高度というものは認めておりますよ。私、せんだってロンドンに行ってみれば、ロンドンでは相変らず日当たりに対する
権利というものははっきり認めておって、これに対しては国家保証をしております。
日本の場合には何も外国のまねをしろというのじゃないのです。
日本は
日本の立地条件、住居の今までの伝統、気候、風土の条件等から勘案した、やはり、
日本は
日本としての
住宅というものが確立しなければならぬ時期だと思うのです。この
基準法の五十九条でどうしてこうしたような逆行するような
制限をしようとするのか。あるいは隣がまた、あそこが六階だったから自分も六階を建てようということになったほうが、
土地の利用については望ましいことなんですよ。そういう点について、
土地と
建築物に対する
基本的な
考え方をひとつ伺っておきます。