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参考人(
西堀栄三郎君) 私は
日本原子力研究所の西堀でございますが、米国
原子力潜水艦の寄港問題につきましては、私も決して無関心であり得ないのでありますが、ただ、やはり技術者といたしまして、技術的の面だけにつきまして、ちょっと申し述べさしていただきたいと思います。
私は日ごろ
原子力を、特に
原子炉の
安全性ということにつきまして、これは
陸上のものでありましょうとも、また海上のものでありましょうとも、
原子炉が絶対に安全であるというふうなことは考えてはおりません。つまり、やりようによっては、やはり危険をはらんでおるものであるということは、間違いない事実でありますが、ただ、その危険というものをいかに小さくするかということが、われわれに与えられた一つの大きな課題であると考えまして、日ごろ小さくすることに努力をしてきておるものであります。大体安全度というものは、そういう
事故が起こるということと、平時のいろんな被害というふうなものとに、われわれは常に分けて考えておるものでありますが、平時の場合でありますと、これはそこから出てくる
放射性物質がどういうふうに出てくるかということ、また、その作業に従事しておる者たちに対する日ごろの
放射性被曝というふうな問題であるのでありますけれども、これは後刻また申しますが、その前に
事故時のほうは、先ほども
西脇さんから
お話がありましたように、これはそういう
事故が起こる
確率と申しますか、
一体どのくらいそういうことが起こるかという
確率と、それから受けますところの被害の
度合いというふうなものの積としてわれわれは常に頭に描かなければならないものであります。その
原子力の
事故が起こりますと、それは事実上相当大きな被害になるであろうというふうなことは、場合によっては相当考えられるものでありますから、したがって、その
確率を逆に極度に減らすことによってそれをよりそれだけ
確率を小さくすることに努力をしてくるわけであります。しかしながら、そういうもので安全度というふうなものをかりに表わしたといたしましても、これは決してすべてが数字になり得るものではございません。したがって、最後は判断というものでそれを補うのほかはないのであります。したがって、私たちが新しい
原子炉を購入するとか、あるいはまた新しい
原子炉を
設計するとかいたしましても、それ自身にどれだけの安全度があるかということを数量的に示すことは不可能でございますし、また、それを他の人たちに納得せしめようといたしましても、これは完全に科学的にそれを納得させようとしても、できないものが存在しているのであります。つまり、より多くの科学的な
資料を得まして、より科学的に物事を考えることはできますけれども、あくまで相対的なもので、最後は何ものかが残るというところが最も大事な点でなかろうかと私は思うのであります。
具体的に
原子炉というものの問題を少し例をあげて申し上げたいのでありますが、不幸にして私たちは
原子力潜水艦についての十分な
資料をいまだ得ておりませんので、われわれが現に東海村におきまして扱っておりますものについて御説明を少しさしていただくつもりでございます。東海村には、現在稼働中の
原子炉が三基ございます。一つはきわめて小さいのであります。他の二つは一万キロワットという大きさでございますけれども、ともに研究用の
原子炉でありまして、そこから発生する一万キロワットという熱も、単にお湯として回収するだけのことであって、何ら利用しているわけではないのであります。むしろ、これは将来
動力炉などというふうなものを作っていく場合の足がかりとする研究の道具としてそれが動いておるのであります。そのほかに建設中のものが二基ございまして、その一つは目下建設中で、まだようやく建屋ができただけでありますが、もう一つは、先ほどちょっと
西脇さんの
お話にありましたように、JPDRと名づけておりますところの発電用の
原子炉でございます。これは多分この秋ごろには完成いたしまして、
皆様方のところにも、その電気の一部として供給されることになるかと思っております。この炉が、ちょうど
原子力潜水艦に使われておるといわれているところの
原子炉と共通な点がいささかございます。まず第一に、それが軽水炉と名づけられる型でありまして、普通の水を
冷却材に使っており、あるいはそれを減速材に使ったりしておる、いわゆる
アメリカの最も力こぶを入れておるところの
原子炉でございますが、これまた大きさが、先ほども
西脇さんの
お話にありましたように、大体今、熱出力におきまして四万キロワットの熱出力がございまして、それから電気として一万二千五百キロワットの電気を出すので、馬力数にいたしますと、大体一万七千馬力くらいに相当いたしますので、まずまずこの
程度で、もちろん数倍かあるいは数分の一かわかりませんが、その
程度の強さの
原子炉を
潜水艦は持っているものと思われます。したがって、JPDRと称している
原子炉につきまして、少し詳しく説明さしていただこうかと思います。
ここで、最初に申し上げておきたいことは、この
原子力研究所にありますJPDRというのは、これは自然循環型の沸騰水型でございまして、ちょうど端的に申しますと、中でお湯がごとごと沸いておるような
工合で、これから水
蒸気が出て参りますと、もちろん、高圧でありますが、それが
タービンを直接回すという型でございます。この型は
アメリカのジェネラル・エレクトリック会社のバリシートスというところにある
原子炉とほとんど同じタイプのものでありまして、この間あちらに行って見て参りましたが、一次冷却系統の中にはきわめて少ない
放射能しか持っていないことを確認して参りました。つまり、
タービン室のところにそういう水
蒸気が来ているわけでありますけれども、その水
蒸気は、別にそれほどたいした遮蔽をすることなくそのそばに近づくことができる
程度の
放射能しか持っていないことを確認して参りました。したがって、この炉から冷却水が漏れて出ましても、たいした危険はないものです。
潜水艦のほうは、これはPWRといわれる、いわゆる加圧水型でありまして、これは全系統の中の一次系統の中に一ぱい水が詰まっております。で、その水が
ポンプで循環されまして、そうして熱交換機で
スチーム発生機のほうで水
蒸気をこしらえて、その水
蒸気が
タービンを回すという、いわゆる二段がまえになっておりまして、その点で、一説には、
潜水艦に使われているPWRのほうが安全であるということが言われています。それは危険という点から二段がまえにしておくほうがずっと
危険度が少ないということで、そういう加圧水型というのが採用されたのであります。しかし、東海村のほうのものは、一段がまえにしかなっていませんから、そういう意味では
潜水艦に使われている加圧水型よりも
危険度があるというふうにも考えられないこともないのであります。しかし、実際はそういう
危険度の差異はほとんどございません。この炉が設置されるに至りましたときに、やはり原研は法律では設置許可というものは受けなくても一応よいことになっておるのであります。これは原研を信用していただたいたわけでしょう。実際には、いわゆる行政指導によりまして、やはり他の場合と同じように厳格な審査が
原子力委員会のほうの
専門委員会のほうにおきまして行なわれます。そしてこれは昭和二十四年の七月に安全審査の承認を受けておるわけでございます。自来
原子力局や、あるいは通産省その他の官庁の御指導を受けまして、逐次建設をして参ったわけであります。なかなかこの間の手続は非常に厳格でございまして、やはり一般大衆の安全ということを考えますれば、そのことはあえてわれわれもやむを得ないものとして御協力を申しておるわけであります。この炉につきましては、いろいろ初めの計画とはだいぶ
部分々々が変わって参りまして、それがやっておりますうちに、次第に、より安全を期するためとか、あるいはまた、より技術的な進歩に追従するためとかいうふうなことで変更が行なわれております。つまり、私の言いたいことは、そういうふうに、われわれ
原子力研究所に勤めております者は、少しでも安全になるように努力をしてきておるということでございます。そして東海村に働いております従業員の者たちは、その審査というものに対して信頼を持って、この
原子炉はさほど危険なものでないと納得して作業に従事しておるというふうに私は解釈しておるのであります。
原子力というものが、扱い方あるいはまたそのでき
工合によりまして、十分信頼をするに足りるものだということをわれわれは信じておるのでございます。この点はおそらく
アメリカにおきましてもわが国と同様に、米国のいわゆる
原子力委員会とか、あるいは
原子力安全審査諮問
委員会というふうなところで相当厳密に審査をしておるに違いないと思いますし、おそらくそういうことには手抜かりがたぶんないだろう。そうでなければ、
アメリカの
原子力関係の人たちは安心して作業をし得ないに違いないと私は思います。一般に
安全性というものは、先ほども申しましたように、絶対に安全ということは不可能なことでありまして、結局はそれを建設し、あるいは
設計し、あるいは
運転いたす者の良心というものにたより、また信頼する人たちの判断を信ずるのほかはないのでありまして、いかに科学的にうまくできていようとも、最後はそういう信頼感というもので足らざるところは補う必要が生ずるであろうかと存じます。残念ながら
原子力につきましては、まだまだ新しい知識を必要とする点が非常にたくさんございますので、今後ますます研究の重要性を増してくるものと私たちは考えておりますが、しかし、幾らこういうことを詳しく考えましても、最後の最後は、今申しましたように、どうも信頼以外にないようです。
さて一方常時の
危険性について私見を述べさせていただきます。
私は原研におきまして
放射性廃棄物の処理の
関係の部門をも担当しておりますので、その方面のことも少し申し上げてみたいと思うのであります。原研で今どういうやり方をしておるかと申しますと、現在原研ではほとんど何も
放射性物質を出していない。現在は
原子力研究所におきましては全然海中投棄はまだやっておりません。また原研の汚水排出口から出て参ります水は、直ちに飲料になり得る
程度のものになっているわけでございます。今中間報告
資料を見ますと、
原子力潜水艦が停泊中に放出するかもしれないところの冷却水という問題がございます。この冷却水は、先ほど言いましたように、
原子炉が加圧水型でありますために、冷えた状態から稼働する状態になるためには温度を上げなければなりませんが、その温度を上げるために、水が膨張いたしまして、その膨張した水をどこかに出さなければなりません。この放出の許容放出濃度は、
アメリカの合同
委員会の聴聞の報告として書かれておるものを拝見いたしますと、これはニューロンドンの川の水の濃さをあまり変えない
程度しか出ないのだ。また、それを飲料水にすることのできるぐらいの薄いものである。で、当然それは許容量と申しますか、捨ててもいい許容量の範囲内の話でございますが、その許容量が
一体どの
程度であるかというのに、ある人は、それは原研など
日本の規定の約千倍の濃さのものを流してもいいことになっておるのはけしからぬというふうに言われております。
一体どちらが妥当なのでしょうか。これはむしろ
日本の規定のほうを直すべきものだと私は考えておるのでございます。もちろん、
日本の規定も米国の規定もともに国際放射線防護
委員会、すなわちICRPと称するものの勧告に従っているのであります。つまり、この勧告は、
アメリカもまた
日本も同じ
基準を採用しておるのであります。しかしながら、その解釈の仕方がたいへん違うのであります。ICRPの勧告の考え方は、そこに規定してある濃さの
放射性物質を含んだ水を人間が一日に二リットル半ずつ毎日飲んだ場合にでも、特に取り立てて言う被害がないという量をもってその勧告の規定数字にしておるのであります。それが、わが国におきましては、排出口の出口においてその濃さでなければならないということになっております。したがって、人間の体内に入り、また口に入りますまでには、相当いろいろな形において薄められたり、あるいはまた、場合によったら濃縮されたりすることが当然あり得るのでありますけれども、それを無視して、ただ、排出口においてその濃さでなければならないというふうにきめてあるのは、排出口の水を毎日二リットル半ずつ飲む人もないはずですから、いささか不合理であるようでございます。
原子力を実用に供している
イギリスにおきましては、きわめて合理的にやっています。それは国民が一日にどれだけの海草を食うかというようなことを実際統計的に調べてみまして、その海草があるわかった濃度の放出をしたときに、どのぐらい
放射性物質を蓄積するかということを測定いたしまして、それから逆に国際勧告の許容量の
基準だけの
放射性物質を人間が食べるとするならば、排水口から捨てるべき濃さはどのぐらいであるべきかということを逆に計算しております。それによりますと、直接飲む場合と比べて何万倍という濃さを流してかまわないことになるわけでございます。さて、
アメリカの
原子力潜水艦が採用しておりますところの
基準は、約一千倍薄まるのだという仮定のもとに計算したものを採用しております。なお今申しましたICRPの規定というのは職業人に対するものでありますから、一般人に対してはさらにそれの十分の一になるわけで、それが千倍に薄まると、こう考えていますから、したがって、そこに
アメリカの今示された
基準はICRPのちょうど百倍になっておるのであります。この数字は、私はある意味で妥当な数字であると思う。逆に、
日本の規定のほうがいささか不合理であると申し上げたのは、そういう理由でございます。いずれにいたしましても、私たちは
廃棄物処理という点並びにそのほかの点から見まして、
原子力潜水艦が必ずしも非常に危険な
廃棄物を出しているというふうには解釈はできないのじゃないかと思います。しかしながら、そもそも
原子力というものは、まだまだわからないことがたくさんあります。今後大いに研究せねばなりません。しかし、わからないから危険だというのでは、新しいことは実は何もできないのでありまして、われわれ、科
学者と立場の違う技術者といたしましては、やはりできるだけのことをいたしまして、そのわからないものを減らすことには努力いたしますけれども、最後は細心の注意を払って結局実行するのほかはないのであります。今日まで
原子力関係の私たちは、実は非常に厳格な安全審査のもとに、また安全規定のもとに、またわれわれの細心の注意を払ってようやく今日
陸上におきます
原子炉というものはそれほど危険なものではないのだという、いわゆる
安全性に対する信頼を増すことに努めて参りました。おかげさまで最近は相当に信頼していただけるようになって参ったのであります。せっかくこうやって築き上げたその信頼を、あまり軽率にこわしてしまうようなことになりましたならば、われわれの努力というものは何にもならないことになりますので、十分信頼できるような、また慎重な態度でこの問題に臨んでいきたいものと存ずる次第であります。つきましては、今後より多くの
資料を得ていただきまして、より深い検討をしていただきまして、そして十分科学的な見地に立って公式に
安全性の検討を確認していただき、かつその結果を国民に明らかにしていただくようにしていただきたいものと思うのであります。
この最後の問題につきまして一言補足させていただきますが、「公式に」という意味は、これは必ずしも今までわれわれがやってきましたようないわゆる安全審査のやり方とは多少違ってもちろんかまわないことでありまして、特に私たちの信頼する
原子力委員会が適当な
方法でこれを決定なさるならば、それでいいと私たちは思っております。また「十分な科学的見地」という意味につきましても、これは必ずしも物理学とか化学とかいうふうな厳格な科学ということだけではなくて、かなり広い意味の科学−統計学もけっこうでありますし、広い意味での科学的な物の考え方でやっていただければありがたいと思うのであります。そうしてこそ、より多くの国民に納得してもらえると思います。